[1042] 第5回歌葉新人賞決定 加藤治郎 2006年11月12日 (日) 23時21分

各位

11月11日の公開選考会にて、下記の通り受賞作が決定いたしました。


 第5回歌葉新人賞
 廣西昌也「末期の夢」

 次席
 中田有里「今日」


おめでとうございます。

         選考委員 荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘


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[1041] 市川周さん「午後の右翼手」(穂村弘コメント) 穂村弘 2006年11月01日 (水) 03時45分

 穂村弘です。コメントです。

 ● 市川周さん「午後の右翼手」

 山なりのバックホームを熟れてゆく午後の裂け目へ さぁ 投げましょう

 この一首にみられるように、野球のメタファーによって〈時代、日本、人生〉の「午後」の感覚を詠った連作と読みました。「山なりのバックホーム」は野球のゲームにおいて有効とは云いがたく、今更投げても無駄かもしれない。でも、「投げましょう」、と敢えて云っている。既に「午後」を迎えた〈時代、日本、人生〉の空虚感や不能感をなんとか熟れた価値に転換しよう、という気持ちが連作の構成や文体上の工夫に表れているようです。

 わたくしはまだ生きている自販機のお茶のみどりが美しいから
 半袖じゃ寒いねでもねもう少しリリーフカーでゆけるとこまで
 ステロイドまみれの汗が乾く頃しまい忘れたお立ち台に蝶
 助っ人に帰る島なしテレサ・テンくちずさみつつ見送る放物線   *放物線=アーチ
 老将の静かな夢にふれぬよう耳をそよがせ称えあう犠打
 スクイズは小フライになり昏れる夏 母さん僕は失態ですか

既に大きな勝負の山場が過ぎたあとの敗戦処理を、どのように意味あるものに、そしてできれば美しいものにしていくか。これらの歌の、批評性を伴った苦さのなかにそんな願いが感じられます。

 シャチョさんと呼ばれた僕は右翼手だが天国の優待券をもらった *右翼手=ライト
 「野球中継の途中ではありますが 井伏さんは・・・悪人です。」
 さようなら WBC決勝のウラで暴れている巨大イカ

 「シャチョさん」「天国の優待券」は客引きでしょうか。「井伏さんは」は太宰治の手紙か遺書でしたっけ? 「ウラ」はテレビの裏番組の裏かな。いずれの場合も、メタファーとしての野球が世界を覆い尽くすことができずに、どこからでも自由に破れてくるような感触があって、それが逆に心地よいですね。破れ目からパラレルな別世界のさまざまな色がみえる面白さって「午後」の特権かもしれません。これが「午前」や「正午」だったら、ひとつの世界がもっと強くて支配的になるんじゃないかな。

 きみに手をふったなんだか手をふってばかりだなぁとおもった たたた

 この「たたた」なんかも、弱くて、でも自由で、微妙に野球で(?)、いいと思います。

■■■以上原稿■■■


[1040] 黒崎恵未さん「ふたこぶらくだ」(荻原裕幸コメント) 荻原裕幸 2006年10月31日 (火) 22時40分

荻原裕幸です。コメントの続きです。



黒崎恵未さんの「ふたこぶらくだ」。
一連を読んで、圧倒的ではないか、という印象でした。
ここまで徹底して、セックス、セックス、セックス、と書き、
そのディテールから身体的感覚や精神的感覚までも露出させて、
なおかつ露悪的な印象をうけなかったのが、実に圧倒的でした。

 レイプみたいだからやめてと言われても吐き出すように泣き出してしまう
 ボタンボタンほつれてるのは服だけじゃなくてその中 ずっと治らない
 ままごとのオプションとしてセックスが付いてるような二人の暮らし
 膣に指 指にも膣にも神経があるから二倍きもちがわるい
 肩紐とショーツを糸切り歯でずらす人が男に退化していく

読んでいて、どうにも歯止めがきかなくなっているな、と思いながら、
その、歯止めのきかなさ、がここまで徹底して方法化されていることに、
書かれている内容のどぎつさを的確に選択した冷静さを感じました。
18禁とかR指定とか、ほぼそれに近いものがあるわけなんですが、
読んでゆくうちに、着衣の状態の方が何か不自然、と思いはじめるほど、
これらの歌が、説得力のある一生活風景/感覚として見えて来ました。
エロティシズムとか官能とかいうのとは位相の違う、不思議な性描写ですね。
たぶんそれは、連作全体をつらぬくモチーフが、意外にシンプルな、
生にともなう欠落感、のようなものだからで、
セックスが、その確認と言うか補完と言うか
補完を求めてなお欠落が深まる日々の象徴の一つとして
認識されている(無意識の認識?)からではないかと思います。

 肯定が肯定の箱を開けていく底を見るまで明るい会話
 がんばってどこかの奥の奥の奥にしまったカッターがみつからない
 心臓の音を聞くのにそんなにも切ない顔をしないでほしい
 重力が効かないわたしの内側を私は歩く瞳を閉じて

これらは、他に比してさほどインパクトをもらたす歌ではありませんが、
もがくように生きてむしろさらに深めてしまう生の欠落感のようなものを
すっきりと端的に見せているのではないかと感じました。
こうしたモチーフの強度をそのままあげてゆくと
圧倒的な性描写というところへゆくのではないかと思います。
どろどろした世界のような表情をしながらも、
その奥には透明で清澄で切実な世界が広がっているようです。

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[1039] 廣西昌也さん「末期の夢」(荻原裕幸コメント) 荻原裕幸 2006年10月31日 (火) 21時43分

荻原裕幸です。コメントの続きです。



廣西昌也さんの「末期の夢」。
父の病と死を描いた作品ですが、
病だからどうだ死だからどうだという
残される側の心の整理みたいにはならず、
あくまで出来事を出来事としてスケッチしたところに、
この一連の切実さや魅力があるのではないかと思います。

 廣西さん、名前は何?と問われるに坂本と言う 旧姓を言う

事実関係をまったく知らないので、
一首の背後にある私事的な広がりは読めませんが、
実際にそうだったかどうかということではなく、
この風景に自分も出逢ったことがあると錯覚させるほど
ほんとにそこでそういうことがあったんだ、と感じられる一首でした。
分析的に言えば、固有名詞の効果とか、問答の語順とか、
定型の活用の匙加減とか、そういうテクニカルな話でもありますが、
出来事を、生き直している、と言ったらいいでしょうか、
作者は、書くことによってその時間を体験し、
読者は、読むことによってその時間を体験するという、
リアルなコミュニケーションが成立していると思います。

 二晩の看病を終えゆうぐれの吉野家が宇宙ステーションに見ゆ
 初七日も初夜も覚えてないのかな遠く鳥居が見える病窓
 病窓に下界を見れば辛うじて犬だとわかるかたちのゆらぎ
 「砂浜に隠した」という笑みながらすぐ昏睡の海に沈みぬ
 焼いてきた帰りに見えて美しき無人販売所の新キャベツ

これらの歌には、それぞれ、
体験の強さを効果的に見せる機知が入りこんでいるようですが、
それがつくりもののように見えない何かがあると思います。
書きながらその時間を実際に生きているという
ある種の作者側のトランス状態のようなものかも知れません。
方法論として説明するのはむずかしいですけど、
文体の強度というのは、自身の精神状態を
どういった位置に維持するか、に左右されますので、
意識のありようを一つの方法とした、とは言えそうですね。
読後、他者の体験した出来事だとは感じられなくなるほど
強く惹きこまれた作品でした。

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[1038] 東郷真波さん「発泡ひこうき」(荻原裕幸コメント) 荻原裕幸 2006年10月31日 (火) 21時00分

荻原裕幸です。コメントの続きです。



東郷真波さんの「発泡ひこうき」。
一連すべて、「あのひと」とわたしの関係をめぐっているわけで、
そうした、恋愛もの、として読むと水準作的ではありますが、
連作を安易な物語の枠にはめずハイテンションなまま突き抜けてゆくところ、
それともう一点、関西的方言で構成された内面の二重性のようなもの、
このあたりに突出かつ傑出した感覚があるように思います。

 たっぷりのドレッシングの照り返しだけがすべてを愛してくれる
 うつむいた月へたしかに中指を立てて晩春はるかなけむり
 黒いビニール・レイン・コートをかきわけてひかりはじめた頬を見ている
 プラスチック・スプーンですくうひとかけの記憶から噴きあがる新緑
 植物園行き特急は忠実な獣ふたたび唸りはじめた

恋愛を描く、というのは、おおむね
その恋愛から冷めた地点で、俯瞰的になされるもので、
そうでなければ「あなたとわたし」の関係が見えづらいわけです。
この一連にはそういう俯瞰はなく、猪突猛進的ですね。
ある意味、「あなた」がいなくて「わたし」しかいない世界ですが、
他者である「あなた」を「わたし」の認識内にむりやりおさめ、
類型的物語の枠をはめない、という無意識の選択があるように見えます。
ハイテンションにひたすら「わたし」であるところが、
この一連のリアリティをたしかなものにしていると感じます。

(あのひとはただわろうてたはつなつの象牙のいろのばらを抱えて)
(どの傘を追うのやろうか北山の向こうから来る 雷鳴と来る)
(ひやっこい貝がら踏んでいつかこのみちゆきぜんぶ思いだしたい)
(忘れてな 逆光のなか顔あげて泣きだした横顔のそのまま)
(あのひとも言うたはったよじきにこの浜辺も沈むそやから、行かな)

それと、このパーレンでくくった方言的文体の歌群、
俯瞰するかわりに内省して一連の構成を支えているわけですが、
絶妙で、効果は抜群だと思いました。
ほとんどの短歌はそもそも内省的文体で書かれているのですけど、
パーレンと方言とで構成された作品が、ふっと本音をにじませるように、
あるいは、ハイテンションな「わたし」に気づいたかのように、
連作を貫く視点に、奥行きや二重性や現実感などを与え、
映像作品のナレーション風な効果をあげているようです。
連作的効果だけではなく、この方言的文体の切実感は
一首単位で読んでもうまく活きていますね。

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[1037] 佐原みつるさん「水曜の森」(荻原裕幸コメント) 荻原裕幸 2006年10月31日 (火) 20時19分

荻原裕幸です。コメントの続きです。



佐原みつるさんの「水曜の森」。
一連三十首にまったくすきのないつくりで、
この技術力と構成力をまずはじめに賞讃しておきます。
一週間を単位として繰り返される日常を描いているために、
「この一週間」ではなく「何度も来る一週間」に見えてしまう
という構成上のハンディを負っているわけなんですが、
そういうハンディをものともせずクリアしていると感じます。

 キーボードに時間は青く溶けだして誰もが口をつぐむ火曜日
 通信の途中で電源が落ちて水曜の森へ届くFAX
 木曜の大きな窓に差す西日マウスパッドに金魚が跳ねる
 金曜は半分開いた抽斗にゼムクリップが冷えて固まる
 日曜はアンモナイトの文鎮をシンクの洗い桶に沈めて
 もうだれに会わなくてもいい月曜は日の暮れるまで靴を磨いて

一首の強さ、構成の巧さ、というのは、この一連の場合、
曜日の入った、全体のフレームを形成する作品にもあきらかです。
フレーム的な情報をもった作品というのは、連作のネック、
一首の独立性や全体のバランスやモチーフへのリアルな没入
などを欠いてしまうファクター、になりやすいのですが、
これらの作品は一連の背骨のように強く良質だと思います。
条件(フレーム)のために弱くなるどころか、
抜き出した部分だけでも連作的流れが揺らぎません。

 まだ誰もいないフロアの片隅の固定電話に降りつもる雪
 玄関のシンビジウムにふくませるコップ半分ほどの感情
 前髪が中途半端に伸びていてマウスポインタ見失う午後
 議事録を手渡す指の一センチ向こう側には川が流れる
 右側の耳に残って離れない排水口の水を吸う音
 欄干に凭れたままで待っているたとえばなにか揺れているもの

また、こうした作品に見られる、
眼前の世界が、悲劇的に、もしくは、祝祭的に、
何か別の世界へとかたちを変えてゆくポイントのみきわめが、
実に巧くて舌をまきました。うますぎるくらいかも……。
うますぎるとリアリティがなくなる場合もあるのですが、
これは、巧さが現実感を損ねていないところも実にいいですね。

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[1036] 望月浩之さん「それはまだ」(荻原裕幸コメント) 荻原裕幸 2006年10月31日 (火) 19時37分

こんにちは。荻原裕幸です。
候補作へのコメントしてゆきます。



望月浩之さんの「それはまだ」。
体験した時代を懐かしむという意味でのノスタルジアが、
しかも、その時代の重さを背負わない純然たる感じのノスタルジアが、
いつの頃からか、文芸等のモチーフとして非常に好まれているようですね。
この一連もそうした流れの範疇にあるように思います。
丁寧に、息切れせず、有機的な感じで三十首をまとめ、
完成度の高い一連にしあがっていると感じました。

 さみしさは公園裏に置かれてるミラーフィルムの張られた自販機
 自転車屋の奥の壁にはメンバーも変わってしまったドリフのポスター
 最後まで鳴らなかった教材のトランジスタラジオの半田の匂い
 カバンには行ってる事になっていた学習塾の月謝の袋
 ほとんどのチラシの裏が白かった頃に飛ばした紙ヒコーキ

これらは、思い出話が一般化され過ぎているかなとも思ったのですが、
ありがちな、笑い飛ばすような処理をしなかったところが良くて、
理由の見えない不思議な涙を誘うようなところがありました。
時代的にも重なるのでしょうけど、ちびまる子ちゃんの世界を煮つめたら、
あるいはこんな風になってゆくのかなとも思います。
破調だらけですが、五句構成はきちんと意識されているようで、
そこも意外に気にならずに読めました。

 乾かない昨日の水着はくようださみしさだけで重ねたからだ
 空欄の 月 日 曜日だけ黒板に残されている春の教室 
 レコードのおなじところでとぶ針を指で掬った若い女教師
 革靴の紐がほどけていることに気付いた僕の影が濃い夏
 閉まる音しなかったので振り向けば冷蔵庫からこぼれる光

一般化されてない分だけ、こちらはノスタルジア性が下がりますが、
かわりに、体験の強度のようなものを秘めているのを感じます。
どこまでもかぎりなく些末なことへと視線が向いているのに
それがものすごく切実なことのように感じられるのは、
感情の起伏を意識して抑える文体の効果ではないかと思われます。

この一連はモチーフをノスタルジアに絞りこんだものでしたが、
一つのことにこれだけ特化して揺らがない構成力というのは
大いに買いますし、他作への期待もふくらみます。

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[1035] 中田有里さん「今日」(穂村弘コメント) 穂村弘 2006年10月30日 (月) 01時21分

 穂村弘です。コメントです。

 ●中田有里さん「今日」

 タイトルからもわかるように21世紀の「今日」の空気感を描くために言葉を使っていて、表現が一周回ったようにみえるけど、よく読むと新鮮です。短歌的にはリアリティの再生が試みられているようにも読めると思います。リアリティの創出じゃなくて再生という印象が面白い。斉藤斎藤さん、宇都宮敦さん、永井祐さんといった男性作者が意識的なところを、自然にこなしているような感じでしょうか。

 カーテンの隙間に見える雨が降る夜の手すりが水に濡れてる

意識の流れに忠実であろうとして意味の伝達を優先できない語順になっているのかな。去年の宇都宮さんの「真夜中のバドミントンが 月が暗いせいではないね つづかないのは」を(こちらは明らかに意識的ですが)連想しました。

 てかてかと光った葉っぱがこの道の向こうに縦の信号の横

 これなんかも「この道の向こうに」の「に」のおさまらない感じに、生きている主体の感触があると思います。

 雨の日に銀杏が水に濡れていて雀が少しうるさくしている
 本を持って帰って返しに行く道に植木や壊しかけのビルがある
 昼過ぎにシャンプーをする浴槽が白く光って歯磨き粉がある

 「雀が少しうるさくしている」っていう云い方が凄く〈今日生きている〉感じを伝えてくると思うんだけど、批評的にどう表現すればいいのか。一首目の「雨」と「水」のズレや、二首めの「本を持って帰って返しに行く」というブレた云い方と、この手触りは繋がっていると感じるけど、でもズレやブレが生のリアリティという単純さでは価値をカバーしきれないので困ります。
 ちょっと無理に云ってみると、「植木」と「壊しかけのビルがある」の並べ方とか、たぶん現実サイドでそうなっていることをそのまま書いているんだけど、この「そのまま」性はアララギ的な写実とは違った理由というか決意に基づいているんじゃないかな。「雨」も「銀杏」も「雀」も「本も」も「植木」も「ビル」も、こんにちではアララギ的な眼差しの期待値を受け止めるほどの生命残量を欠いている。その乏しさは「そのまま」では受け入れにくいところを、〈私〉の脳内で補うんじゃなくて、敢えて、フラットに大事にしようとしている? それは世界の豊かな奥行きを信じて期待してるからじゃなくて、うーん、なんだろう。選考会までにもっとうまい云い方をみつけておきます。

 バスタオル2枚重ねて干している自分を責める星空の下
 夜空とか映画館とか指先が見えなくなると会いたく思う
 羊かんを供えるように自転車で体を運ぶJRの駅まで
 6月の2日の朝に夏が来てあなたに会うので夏バテしそう
 青空のような夜空のベランダで洗濯バサミが少し欠けてる

など、どれもいいと思います。


[1034] 廣西昌也さん「末期の夢」(穂村弘コメント) 穂村弘 2006年10月24日 (火) 02時00分

 穂村弘です。コメントです。

 ●廣西昌也さん「末期の夢」

 父の死という出来事を扱っていて、しかし、その重みに引っ張られることなく、深いところに手を入れた感触があります。

  病窓に下界を見れば辛うじて犬だとわかるかたちのゆらぎ
  二晩の看病を終えゆうぐれの吉野家が宇宙ステーションに見ゆ
  焼いてきた帰りに見えて美しき無人販売所の新キャベツ

 みえている対象物自体は「犬」「吉野家」「新キャベツ」と変哲のないものなんだけど、斎藤茂吉の「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり」じゃないけど、極限状況が生み出すテンションのなかで世界の奥行きを一段階広げてしまうような新鮮なみえ方をしているんでしょうね。というか、それを意識的に短歌化しているわけです。

  弟が、僕が乳児になっていて父が思わずいないいなーい、

 連作の最後に置かれた一首。かつていないいないばあをしてくれた「父」自身が「いない」という反転した世界の表現を通して、こわいような喪失感が出ていると思います。

  それぞれの時間持ち寄り夜伽という奇妙な夜がぼんやり終わる
  振り向けば既に光は絶えていて置き去りにした日暮れのこころ

 など、いつもながら秀歌が多いです。力のある作者ですね。


[1033] 西島ぺこさん「あ いま泣きたい」(穂村弘コメント) 穂村弘 2006年10月24日 (火) 01時55分

 穂村弘です。コメントです。

 ●西島ぺこさん「あ いま泣きたい」

 おそらくは若さによる、生命力の風圧みたいなものを感じた一連です。この感覚はうまく説明しにくいんだけど、例えばこんな歌。

  からあげにビタミンCをしぼりだす なにかがくずれる音がしている

レモンを「ビタミンC」に置き換えているんだろうけど、それがレトリックかというと、ちょっと違うんじゃないか。個人に属するテクニックじゃなくて、もっと無責任で反射的でかつ切実なものに思える。歌の表面に反射的に置かれた「ビタミンC」という言葉の背後にある風圧の大きさが想像されて、それが「なにかがくずれる音がしている」にリアリティを与えているように思います。

  くちびるを半分開いて近づいた 流星群の話をしよう

 「流星群の話をしよう」はまあ普通ですね。でも、「くちびるを半分開いて近づいた」はなかなか書けないだろう。でもでも、これを書かせたものが個として才能とか技術なのかというと、そうじゃないように感じる。もっと無名の大きな力を借りているんじゃないか。それを借り続けることは誰にもできないんだけど、少なくとも、今、この一連においてできているということ。同じような手応えのあった多田百合香さんの作品を何度か候補に選んだのを思い出しました。

 こんなにも夜が深いと紳士でも血迷っちゃってとうぜんですよ
 爪をきる ぱちんぱちんというたびに君にさわった部分をすてる
 しゃりしゃりとこれはれんこん 暗闇で食べさせられてあなたとふたり
 母親はサムライのよう そがれてくゴボウが音を立てずに落ちる
 こじあけて 七色の水をそそいだら きみはちいさくあたしを呼んで

などもいいと思いました。


[1032] 佐原みつるさん「水曜の森」(穂村弘コメント) 穂村弘 2006年10月24日 (火) 01時53分

 穂村弘です。コメントしていきますね。

 ●佐原みつるさん「水曜の森」

 オフィスの一週間を描いた連作。

  金曜は半分開いた抽斗にゼムクリップが冷えて固まる
  右側の耳に残って離れない排水口の水を吸う音

 全体に、体温が低い世界の面白さみたいなものを感じました。

  まだ誰もいないフロアの片隅の固定電話に降りつもる雪
  テンキーに叩き込まれた番号が蝶の名前に変換される
  通信の途中で電源が落ちて水曜の森へ届くFAX
  議事録を手渡す指の一センチ向こう側には川が流れる

 現実にオーバーラップするように、或いはその「一センチ向こう側」に、生々しい別世界の存在を感じつつ、しかし現身はあくまでもオフィスという「こちら側」にとどまりつづけている。
 その緊迫感が、微かな狂気の匂いを生んでいるようです。

  ゆるゆると坂道下る自転車のハンドルわずか右に傾く
  前髪が中途半端に伸びていてマウスポインタ見失う午後
  なんとなく別の眼鏡に掛けかえて世界は細い銀色の雨
  蝶の絵を留める画鋲を引き抜けばうすむらさきが部屋に満ちゆく

 描かれているのはいずれも実に「わずか」な変化や歪みや動きなんだけど、そのさり気なさに凄みを感じました。自転車のハンドルがわずかに右に傾いていたことが、前髪でマウスポインタを見失ったことが、なんとなく別の眼鏡に掛けかえたことが、画鋲を引き抜いたことが、取り返しのつかない世界の変容を招いてしまう。これらの歌にはその予兆が充ちていて惹かれました。


[1031] フラワーしげるさん「惑星そのへん」(加藤治郎コメント) 加藤治郎 2006年10月22日 (日) 15時01分

こんにちは。加藤治郎です。
続きまして、コメントです。


◇ フラワーしげるさん「惑星そのへん」


荒々しいが粗雑ではない。
そんな魅力がある。
短歌で言えば自由律のカテゴリーに入るが、そういう枠組みの中で語るのも、あまり適当でないように思える。

韻律とは何だ。
音と言っているのは、随分無理な話であって、朗読するわけでもないから、もともと聞こえてこない音なのである。

フラワーしげるさんにおける韻律とは、想念やイメージのうねりであって、音よりも有意である。


 きみはよく喋る人の形 ぼくは性欲だらけの豚の皮で 説教をはじめろ牧師

「豚の皮」に痺れる。
ある人は嫌悪を抱くだろうから、これは個人的な体験である。
この三つのパートのうねり、そのダイナミックスがいいのだ。
定型への還元は不可能である。
生動のない内容で破調となる歌はどうしようもないが、この歌には定型を拒む必然を感じる。そしてそれは短歌なのである。
人であることを疑わざるを得ないほどにいらつく「きみ」のお喋りも、「性欲だらけの豚の皮」も、牧師の説教がめちゃくちゃにしてくれるだろう。

      5      9      7       10        12(5・7)
 きみはよく・喋る人の形 ぼくは性欲・だらけの豚の皮で 説教をはじめろ牧師


初句の5音、結句に再び、5音7音が現れている。
二句、三句、四句と、定型から溢れだしていく。
結句は、非定型の昂進であり、かつ定型への回帰であるというふうに引き裂かれているのだ。


 和民に入るとそこは薔薇の庭園で光り輝くさいころステーキ


下句は、恂{邦雄の『日本人霊歌』に頻出する、塩壺や靴下、蠅捕リボンといった、日常の底辺近くにあるものが、痛烈なメタファーになる、そんな有りように繋がると思われた。
和民という大衆酒場が、薔薇の庭園に変わる幻想。
その両極端の中ほどに「光り輝くさいころステーキ」はある。

 
 年収を越したらもう返せない父よ生きかえって霧のなかから現れてくれ一万円札の束持って
 

諸般の道理はともかく、こういう、はらわたを絞る歌がいいのだ。

野武士の風貌を思い浮かべるフラワーしげるの短歌。



 他に惹かれた歌。

 資格はべつに要らなく 苦しみながらみんな行ってしまう(笑) 死と暴力ア・ゴーゴー

 望んで生まれたわけではないと蛇口が言い 捻れば水の出る

 祖母よ二杯目の中生飲みほしてくれこれはかけがえのないものだと笑ってくれ

 四角形の内側だけが吹雪なんだと小柄な親父の丼物

 勇敢であったことなんて一度もない卵をときながら春の朝に

 ママぼくはあなたのきらいな永遠と遊んでいてもう帰らないかもしれない性的な四角形の薄い枠



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[1030] 公開選考会 加藤治郎 2006年10月20日 (金) 00時58分

こんにちは。

みなさん、11月11日の公開選考会、ぜひお越しください!

それは、だれでも参加できます。
都合のつかない方には参加できませんが、それはそういうものでしょう。物事には限界があります。
もう少しパワーがあれば、映像をネットに流すということもできるでしょうが、実現できませんでした。
それは、次の世代の皆さんが引き継いでほしいと思います。


ライブであり、みなさんの顔が見える選考会。
私にとっては、最後かもしれません。
選考会の後には、みなさんとちょっと飲みたい気分です。

お待ちしています。



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[1029] 我妻俊樹さん「花とチャック flowers and zippers」(加藤治郎コメント) 加藤治郎 2006年10月20日 (金) 00時40分

こんにちは。加藤治郎です。

引き続き、コメントです。


◇ 我妻俊樹さん「花とチャック flowers and zippers」

印象的に言えば、廃虚の中を歩いた読後感である。
それは優しい廃虚で、果実のような死体があちこちに転がっている。
夢の廃虚。

我妻さんの作品を読むと、私が読んでいる範囲の現代短歌というのは、実に狭い領域であって、多様な個性があるようで、ほぼ一様であるように思われてくる。

 
 人間の這入っていない着ぐるみを膝に寝かせた 雨が止んだら

 砂浜で風にころげる水玉のビニール・ボール きのうもあった


リリカルな歌で、気持ちが伝わってくる感じだが、それは錯覚かもしれない。

一首めの「人間」は自分か他人のどちらかであるが、すこし奇妙な感じである。
普通、「着ぐるみを膝に寝かせた」で十分だが、わざわざそう言うことで、変なものを誘発するのである。
人間は這入っていないが、なにか他のものが這入っているのか。
蛇か何か這入っているのか、そんな悪夢の残像が漂う。
「雨がやんだら」は、なんでもないようだが、裏返せば、雨が降っている間、着ぐるみに這入っていて、熊かパンダか、びしょ濡れになっているのである。

二首めも、啄木を思わせる世界なのだが、微妙にねじれている。
「風にころげる水玉のビニール・ボール」が、昨日もあったとすると、今ここで見ている水玉のビニール・ボールは、どこから来たのか。
昨日転がったボールが、都合よくここに戻ってくるわけがない。
別の、水玉のビニール・ボールが今日も転げている。
夢である。
それより「きのうもあった」と言っているが、お前が、昨日もここにいたのだ。



 ガムを噛む私にガムの立場からできるのは味が薄れてゆくこと

 ここから 渡り廊下のような一行を足音だけで満たす ここまで

 本当はもう死んでるの 帽子掛 あなたが話しかけているのは


ここでは<私>や<定型><世界>といった額縁から、はみ出たものが歌われている。
 
 額縁をぬけだすように手をのばす「雨じゃないみたい」とつぶやきながら

という作品もあったが、まさに、額縁をぬけだす感覚である。
<私>がガムに転位する。「味が薄れてゆく」という動かし難い法則。
「渡り廊下のような一行」を、高次から指示する「ここから」「ここまで」は、言葉の枠を突き抜ける快感がある。
死者の側から発せられた「本当はもう死んでるの」にはぞっとするが、「帽子掛」に話しかけている現実の人の像に、よりひどく戦慄する。


 他によいと思った歌。


 きみの抱く消火器は空 ねがえりをページをめくるようにつづける

 風船を埋めた地面をはこぶ船 顔にはいつも目鼻を添えて

 捜された和服のひとが地面から掘り出されてる小石とともに

 きみの抱く消火器は空 ねがえりをページをめくるようにつづける

 信号で曲がるところを間違えた団地の先に団地がつづく

 波が洗うサイクリング道路ひきかえす 悲鳴でしゃべる女となって

 町のある砂漠を午后の各駅の窓から見ててやがて目ざめた




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[1028] 須藤歩実さん「ウミガメの瞳」について(加藤治郎コメント) 加藤治郎 2006年10月17日 (火) 23時29分

こんにちは。
加藤治郎です。

続いて、コメントです。


◇ 須藤歩実さん「ウミガメの瞳」

一連、恋愛のムードであり、甘くて軽いトーンだが、ときおり暗示力が強く、難解な歌が混じる。残酷な歌もある。
そういった歌に立ち止まった。
多義的で、むしろ読者の心理が投影されるようである。
そうすると、甘くて軽い歌も反転する。
暗黒の海に漂う泡のように儚いのだ。


 いまなにをしたのわたしに体温計挟ませるような手つきして

 いたくないいたくないったら 指先で銘菓ひよこのひとみをかくす


それぞれ下句は、妙に微細である。
なかなか丁寧に形が与えられているという印象を持つ。
下句は、どちらも暗喩なのだ。

一方、情景や状況は分かりにくい。手探りで何か思い出しているようである。
上句は、抽象的であり、おぼろである。
だから、どういう場面と読むか、それは読者の自画像なのだろう。

「体温計挟ませるような手つき」は、優しく、慎重で、すこしぎこちない手つきを思い浮かべた。そして、相手は病人であり、こういうことをしてやるのは、幼児に対してだろう。風邪をひいた幼子。
そんな手つきだが、上句には、やや咎めるような口調がある。
性的な行為を想像したが、それは愛撫のようなものではない。

「銘菓ひよこのひとみをかくす」は、不思議なほど具体的で細かい。
「銘菓ひよこ」は幼児の暗喩だろう。あるいは無垢な者。
指先で瞳をかくす。
「いたくないいたくないったら」、これは多義的で、注射の場面かもしれないし、どう解釈するかは読者それぞれだろう。
私は、性的な行為と読んだ。


 遮光カーテンからほそくのびる手にあなたは腕をつかまれていた

美しいがどこか不吉な恋の歌。
「遮光カーテン」の喚起力が強く、鮮やかに暗黒の世界が提示されている。
「ほそくのびる手」は、白い。陽光の暗喩に違いないが、身体感覚が強い。
恋人がさらわれてゆく不安が暗示されている。


 もういちど眠りについた君の手がチェロを弾く 弦が切れているのに


残酷な愛の歌だ。「チェロを弾く」は性愛の暗喩だろう。
夢の中で君は、性愛に浸っている。
しかし、弦はもう切れている。それは愛の不毛に他ならない。



 ほかに良いと思った歌。

 エアコンをドライにしたら詩が乾くまえに人差し指でさわって

 海水が静かに満ちてゆくことを感じてよウミガメの瞳で

 地上へとのぼるスーツのあの人は殻をやかれてゆくかたつむり
 
 うつぶせにねむるわたしの乳房にはふくらみはないけれどふくらむ

 走り書きしたxのあやうさでふたり雨がやむのを待って

 黒鍵に触れずに弾いて 閉めきった夏の日の出窓を震わせて




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[1027] 廣西昌也さん「末期の夢」について(加藤治郎コメント) 加藤治郎 2006年10月13日 (金) 00時34分

こんにちは。
加藤治郎です。

引き続き、コメントです。


◇ 廣西昌也さん「末期の夢」

応募作の中で、私性の濃さで際立っていた。
きわめて私的でありながら、父の死という主題は普遍的でもある。
作者は、父の末期を回想という形で歌った。
回想は、美しくしたり、ある部分を消去したりもする。
廣西さんの場合、回想という形をとることで、夢や幻影を織り込んでいる。
そこに魅力がある。

 「発車オーライ、発車オーライ」まぼろしの駅で背筋を伸ばしいる父

病室に臥している父を見ている。
たぶん父が唐突に「発車オーライ」と言ったのだろう。
作者は、父の見ている幻影を想像する。父の領域に入ってゆくのだ。
回想の中の夢という、深いところに入っている。

 
 「砂浜に隠した」という笑みながらすぐ昏睡の海に沈みぬ
 父をいま満たす水あり蕭々と暗黒へ向け流れゆく水

このあたりから、一連は海のイメージに覆われてくる。
「昏睡の海」であり、父に水は満ちる。暗黒は死である。


 ぼくたちのこどものころのしぐさなどゆらゆらうかべているのだろうか

ここで、父は海そのものである。父である海が、兄弟の幼年期の像を浮かべている。
もはや幻影ということはできない。父に原型があるとすれば、こういった有りようなのだと語られている。

ラストの十首は、読み応えがある。
とりわけ、これらの歌の濃密さは、群を抜いていた。

 蠍座の弟を抱きしめたのち青黒い火となりゆらぐのみ
 孑々がバケツに踊る大いなる影が地にさし孑々も消ゆ
 触っても不可思議なままなのだろうけれども父を愛撫している
 漢字「死」のとげとげしさよ概念と現実の死に隙間あれども
 ぼろぼろになった骨片無秩序な増殖による変形が見ゆ
 焼いてきた帰りに見えて美しき無人販売所の新キャベツ
 振り向けば既に光は絶えていて置き去りにした日暮れのこころ



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[1026] tanka goes on フラワーしげる 2006年10月12日 (木) 13時05分

こんにちは

 進行を邪魔しないように手短に。
 觜本さん、裏葉、ご紹介ありがとうございました。これはもう精読いたしました。ぞくぞくしますね。今後の展開も楽しみです。


[1025] 望月浩之さん「それはまだ」について(加藤治郎コメント) 加藤治郎 2006年10月11日 (水) 22時43分

こんにちは。
加藤治郎です。

皆さん、応援の投稿、ありがとうございました。
公開選考会まで、ちょうどあと一ヵ月となりました。
私のコメントを書いていきます。


◇ 望月浩之さん「それはまだ」

視線、もっと広く感覚と言ってもいいが、その終端にあるものが歌われている。
脆くて少しノスタルジックな事物である。
不完全なものに取り囲まれることのやすらぎが歌われているように思う。

 それはまだ買ったばかりのYシャツに針がいくつも刺さっていた朝

新品のYシャツには、針が刺さっている。
こんな見慣れているようで、言葉にする必要を感じたことのない物が歌われているのが新鮮だ。
作者の意識がひどく微細なところに届いている。

 乾かない昨日の水着はくようださみしさだけで重ねたからだ

この歌は、感覚としてよく伝わってくる。
性愛の場面で感じだ虚しさは「さみしさだけで」では説明しきれない。
そこで「乾かない昨日の水着はくようだ」という、身体感覚に訴える比喩が使われた。
冷たくてひどく不快である。ここには、絶望的な嫌悪感がある。

 最後まで鳴らなかった教材のトランジスタラジオの半田の匂い
 カバンには行ってる事になっていた学習塾の月謝の袋

この二首は、中高生の頃の回想だろう。
Yシャツの歌に通じるものがあるが、取るに足らない、世界の一番片隅あるような物である。
この詩型では「半田の匂い」まで突き詰めると、ようやく独特の味わいが出てくる。
作者は、短歌形式の生理をよく知っているのである。

 レコードのおなじところでとぶ針を指で掬った若い女教師

この歌は、一連の中で輝いている。
一瞬の奇跡のようなシーンを捉えた。
出口のない世界から解放された瞬間とも言える。

 *

ほかによいと思った歌。

 火曜日に「この前みたいに降るよ」って言って帰れば雨の水曜

 ほとんどのチラシの裏が白かった頃に飛ばした紙ヒコーキ

 ミニカーがひっくり返ったままにある机の上に夜の静けさ

 閉まる音しなかったので振り向けば冷蔵庫からこぼれる光

 それはまだ店員さんがガソリンを入れてくれてた頃の星空





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[1024] 裏葉 觜本なつめ 2006年10月09日 (月) 01時41分

候補作11作品の非公式選考会を行っています。

裏葉新人賞

http://www.duralumin.net/uranohabbs/

#開設の経緯、選考ルール等については過去ログの8月30日の投稿をご覧ください。

進行に関する議論も公開しています。
裏葉新人賞実行委員会

http://57577.blogspot.com/


[1023] 【第5回歌葉新人賞公開選考会のご案内】 佐藤りえ 2006年10月03日 (火) 21時12分

こんにちは、佐藤です。
『七月の心臓』批評会の前日になりますが、公開選考会を開催いたします。
五度目の、最後の現場です。
みなさまのご参加をお待ちしております、よろしくお願いいたします。

-------------------------------------------------------------
第5回歌葉新人賞/公開選考会

【日時】2006年11月11日(土)13:30〜17:00(受付13:00〜)
【会場】ルノアールマイスペース渋谷パルコ横店(渋谷駅ハチ公口より徒歩10分)
 東京都渋谷区宇田川町4-3興和ビルB1 tel 03-3770-1980      
 http://www.ginza-renoir.co.jp/renoir/041.htm
【選考委員】荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘
【司会】斉藤斎藤

※第5回歌葉新人賞候補作について充分に討議をし、
 選考委員の合意により、受賞作品を決定いたします。

【参加費】1,500円
【参加申込先】佐藤りえ
 fragile★fun.cx (★を@に変えてください)
※準備の都合上、11/8までお申し込みください。
 お席に限りがございます、事前にメールでお申込み下さい。
 万が一満席の場合、折り返しご連絡させていただきます。

【主催】コンテンツワークス株式会社、エスツー・プロジェクト
【協賛】風媒社
-------------------------------------------------------------


[1022] 『七月の心臓』批評会のお知らせ 多田百合香@ぷらむ。 2006年10月03日 (火) 19時09分

こんにちは、多田百合香です。
この場所をお借りして宣伝させて下さい。

友人の兵庫ユカさんが
今年の5月、ブックパーク「歌葉」から
第一歌集『七月の心臓』を出版されました。
来たる11月12日に、有志による批評会を開催します。

ご本人同様、とってもすてきな歌集です。
第二回歌葉新人賞で次席をとられた一連「七月の心臓」も入っています。
ぜひぜひ、いらしてください。

会場でみなさまにお会い出来るのを楽しみにしています。


◆◇ 兵庫ユカ第一歌集『七月の心臓』批評会 ◇◆

【日時】11月12日(日)13:30〜17:00(開場・受付開始 13:00)

【会場】 ルノアールマイスペース渋谷パルコ横店(渋谷駅ハチ公口より徒歩10分)
 東京都渋谷区宇田川町4-3興和ビルB1 tel 03-3770-1980      
 http://www.ginza-renoir.co.jp/renoir/041.htm

【パネリスト】大辻隆弘、川野里子、黒瀬珂瀾、斉藤斎藤
       司会:佐藤りえ
 
【会費】批評会 1500円 
 *終了後、近隣にて懇親会(会費4500円程度)を予定しております。
  あわせてご参加ください。

【発起人】松平盟子、藤原龍一郎、加藤治郎、穂村弘、荻原裕幸

申込/問合せ先:『七月の心臓』批評会実行委員会(斉藤斎藤)
  shichigatsunovember@yahoo.co.jp

  <準備の都合上、11/8までにお申し込みください>

*批評会告知ページURL(コピペ推奨)
http://www.d3.dion.ne.jp/~y_hyogo/shichigatsukokuchi.html

*著者サイト
http://www.d3.dion.ne.jp/~y_hyogo/

*歌集販売ページ(BookPark・歌葉)
http://www.bookpark.ne.jp/cm/utnh/detail.asp?select_id=52

------------------------------------------------------------

『七月の心臓』著者自選五首

オルガンが売られたあとの教会に春は溜まったままなのだろう

鳩尾に電話をのせて待っている水なのかふねなのかおまえは

アヲハタのジャムの小瓶の棒磁石だれの中にも聖域はある

自転車を盗まれたことないひとの語彙CDがくるくる回る

きっと血のように栞を垂らしてるあなたに貸したままのあの本


[1021] Re[1017]: ノート フラワーしげる 2006年09月11日 (月) 15時05分

こんにちは、たびたびすみません。

 ぺこさん、さらに追伸を書きたくなってしまいました。
 歌が読み手によって変わるっていうのは、やっぱり解釈の違いが出てくるからだよなあ、とそんなことを考えました。
 
 一枚の犬の写真、たとえば柴犬の写真があったとして、何も情報が与えられなければ、男はそれを見て、オスだと思い、女はメスだと思うみたいです。統計をとったわけではなく、自分の経験をもとに言っているので、もしかしたら間違いがあるかもしれないですが、少なくとも子供にはそういう傾向があるように見えます。それがどういうことかと言うと、どうも人間は対象に自分を投影してしまうのではないかという気がしているのです。
 I went to the sea という英文がぽつんとあるとします。これを読んで、男はやはりこの I は、男であると無意識のうちに判断すると思います。女だと思う理由も必然性もないですから、その判断はもう一瞬のものです。一方、女のほうは、この I は女であると判断するでしょう。男であると判断する理由はないですから。 I に関して、性別を疑うのは、何かしら理由がある場合でしょう。たとえば、文学テキストで厳密な批評が必要になった、という特殊な場合に。でないかぎり、I went to the sea という文には、性別の情報がないにもかかわらず、解釈は暗黙のうちに下されてしまうわけです。しかし、分かりやすいような気がしたので、英語にしましたが、べつに日本語でもいいかな。「わたしは海に行った」でもたぶん同じことが起こると思います。「海に行った」しかなかったら、さらに、自分にひきつけて考えるかな。何にしても、解釈って厄介です。自分が無意識のうちに決定したことにたいする信頼ってすごく強いですからね。「えー、男に決まってんじゃない」「何いってんのよ、ばかね、女よ、これは」みたいなやりとりになってしまうんですよね。
 性別以外には年齢などもそうした傾向があるようで、たとえば一匹のペンギンの写真を見た場合、私自身、それがオスで、自分と同じような年齢ではないかと、まず思ってしまいます。
 わたしは眼鏡をかけていませんが、こういったことは、たぶん無意識の眼鏡をかけている状態なのかなって気がします。そして、さらに言えば、投影するのは、性別や年齢などだけでなく、自分の生まれや環境や経験、その時の状況、精神的物理的状況などもそうだと思います。とすれば、けっこう度のきつい眼鏡になりますよね。
 解釈の時に無意識的に影響してしまうのはそしてそれだけではないと思います。作者の名前が書かれていれば、その字、表記、男なのか、女なのか。それらはかなりの程度、解釈に影響を与えると思います。実際、わたしは佐原みつるさんの感想を書いた時、佐原さんが男だと思っていました。だから、あの感想はなるべく、作者を見ないようにして作中の主体を見るようにしていましたが、それは完全に切り離すことはできず、その意味では、わたしが書いた感想は間違った解釈に基づいた間違った感想ということになるかもしれません。やっぱり無意識の眼鏡をかけているんですよね。でも、それは外すのが難しい眼鏡です。なにしろ「自分」という眼鏡だから。
 解釈するっていうのは、じつは対象について語るより、自分について語る割合のほうが圧倒的に多い、客観的な批評なんて存在しない、ってことは昔からみんな言ってますね。世界観や経験がむきだしになる面もあり、なかなか大変なものだと思います。だからといって、客観的な批評を諦めるつもりはありませんが。
 わたしの作品にぺこさんの名前がついていたら、そしてぺこさんの作品にわたしの名前がついていたら、印象はちょっと違った感じになったかもしれませんね。

 しかし、性別の分からない話は、詩的な問題として面白い面もあるような気がします。柴犬とペンギンをあげましたが、柴犬はもしかしたら、男の子的に見えるかもしれませんね。いや、これこそ、無意識の判断かな。ひよこはどうでしょう? あれはちっちゃい女の子? あれは性別あんまり感じさせないか。実際に性別の判断難しいらしいし。では、物はどうでしょうか。木や草は。樫のでっかいのは老人って感じしますね。機械とかもありますね。クレーンは女には見えないです。いや、それも私だけ? 風とかの自然現象はどうでしょう? 風は男? 海はフランス語では女でしたっけ。
 感情はどうでしょうか、柴犬はちょっとさびしい感じします。楽器は楽しそう? 冷蔵庫は温かい? でも、暗いアパートの片隅にあると寂しそう。空き地に棄てられていると、おばけのよう。

 トロリーよしばさん、ぺこさんあての書きこみの末尾に書くことをお許しください。あまりに自分ばかり発言しているのでちょっと心苦しい感じです。丁寧な感想ありがとうございます。ううむ、褒めすぎではないかと思いましたが、とても嬉しいです。ありがとうございました。すこし発言を控えて展開を見守ろうと思います。


[1020] みなさんの記事を拝見して トロリーよしば 2006年09月11日 (月) 13時21分

フラワーさん、西島さん
はじめして
私はまだ短歌を勉強中の中年女子(ジョシは変ですね)です

ずっと ここを拝見しています
お二人のとても心配りの利いた真摯で誠実な短歌への取り組みをしっかり感じさせる記事を拝見し
静かな・・そう 感動が私の中に広がっています

それぞれの候補作への解釈、とても勉強になります
今回が最後ということだからという訳でもないのでしょうが(とても残念ですが)
どれも繊細な神経がきらきらとちりばめられて
読み応えがありました

ここで成長された方が大勢いるのでしょうね

さて 
フラワーさん ぺこさん
僭越ですが
私にも感想を言わせてくださいませ

ぺこさんの作品から2首

じつは 最初候補作を一読したときの印象と
ここの9月10日の記事のイメージにギャップがありました
(失礼な言い方をごめんなさい)


・地球儀の中身に住んでいるような錯覚 まわりが青ばっかりで

今の自分の混乱を言い表すなら、こんな感じだと思いました
まわりが青ばっかり
そして地球儀の中ではなくて、中身としたところが面白い
中だと6文字になってしまうから?とも思いましたが
身という字が、軽いフルフル周る地球儀ではなく重たい重たい地球儀に思えました

・できるだけ非難されたくない わらうにんげんたちの間をクロール

さきほどここの記事と短歌にギャップがあったと申しましたが
風刺めいた感じが、9月10日の記事の素直なやさしいイメージと一致しなかったのです
でも逆に、この作品を拝見し先ほどのギャップが埋まりました

わらうにんげんたち
私たちはコミュニケーションする上で笑うことがあります
子供のように無邪気に笑うのではなくて
哂いもあれば 嘲笑もある
そんなわらいは保身でもあり
せめてもの、自分への正直さでもあるのでしょうか
「できるだけ避難されたくない」
それは多くの日本人が共通して持つ思いのような気がします
そのことが閉塞感を生みもするのでしょうが
西島さんの作品には共感できるものが多かったです
ああ、そうそうと頷きながら読みました

続いてフラワーさん

一首一首あげての感想を述べにくいので
全体の感想を書かせてください
なぜなら、一首一首歌を読みくだくというより
機関銃で撃たれるように一連の歌がダダダダと迫ってきたからです

フラワーさんはお若い方かなと勝手に思っているのですが
自分を周りを追い詰めていくようなどこか残酷な視線に、純粋さがにじみでていると思いました
一つ一つの歌にもがきを感じます
私は老獪で(でもない)半端な中年なのでこういう痛みに綺麗なリボンをかけてしまいました

だからフラワーさんの歌に爆撃をうけて血のでる自分を意識したいと・・・それゆえ、この方の作品をもっともっと読みたいものだと思うのです

たとえば

髪を掴まれてひっと言い、あわれな弱いもの振りまわされている

存在は何だかあやういかなスタバの奧のあの男の汚い歯

きみはよく喋る人の形 ぼくは性欲だらけの豚の皮で 説教をはじめろ牧師

盗癖は困ったもんなんだ彼女の母親の財布の赤きれい

資格はべつに要らなく 苦しみながらみんな行ってしまう(笑) 死と暴力ア・ゴーゴー

性欲を汚いものと言う性欲から生まれたじつに魅力的なあなた

これらに、とても惹かれました
叫びと孤独を感じました

以上です

見当はずれで歌の意味を理解していない発言ばかりかと思いますが
ご容赦ください

あと印象に残ったのは
須藤歩さんの「ウミガメの瞳です」

・いまなにをしたのわたしに体温計挟ませるような手つきして

・海水が静かに満ちてゆくことを感じてよウミガメの瞳で

今回の候補作品は、都会的で乾いた歌が多いかなと思いますなか
この一連は土臭さや体温を感じました
生物的というか・・・
生き物の短歌とでも言えばいいかな
あたたかいんですよね
詠んでいる作者の熱でしょうか
それが私には魅力でした


[1019] Re[1017]: ノート フラワーしげる 2006年09月11日 (月) 11時38分

こんにちは

 はじめまして、ぺこさん、短歌というか言葉は確かに面白いものですね。人間はすべて言葉でできているのかもしれないし。
 自分の歌への評ありがとうございます。これはなかなかどきどきするものですね、
『花とチャック flowers and zippers』と『午後の右翼手』への評が興味深かったです。
 ほんとうに読み手によって、歌は違うものになるようですね。「歌葉24時」のほうなどを見ると、その思いを新たにします。
 わたしのノートに関しては、確かに書くのは楽しいです。歌を作るのも楽しいですが(ぺこさんの書きこみのなかの「楽しい」という言葉を数えてみたら六つありました)、ほかの方の作った短歌について書くのもかなり好きかもしれません。
 猫に引っかかれるとものすごく腫れたりしますよね。消毒はなさいましたか。わたしは怪我は嫌いですが、消毒するのは好きです。気の荒い猫にも傷にもいいことがありますように。

P.S.
「爪をきる ぱちんぱちんというたびに君にさわった部分をすてる」は、人間にたいする嫌悪なのかなあって書きましたが、逆かもしれないとも思います。判断ちょっと難しいです。


[1018] 西島ぺこさん、 枡野浩一 2006年09月10日 (日) 01時21分

はじめまして。

私も腹ぺこです。

皆さんの作品を味わいつつ咀嚼しつつ、
しばらくは黙してここを見守りたいと思います。

http://masuno.de/blog/


[1017] ノート 西島ぺこ 2006年09月10日 (日) 00時44分

はじめまして。西島ぺこです。
ことばには色や音や速度やにおいがあって、
それがたくさん集まるとものがたりになるのですね。
すごいなあ、楽しいなあ。
基本はすきなものをとりあげたただの感想ですが、
私もフラワーさんのようにノートをとってみました。


『それはまだ』 望月浩之
はじめまして。
 ほとんどのチラシの裏が白かった頃に飛ばした紙ヒコーキ
 こまり顔見せてる君を前にしてブラスバンドの音だけ響く
 インスタントラーメン茹でてる頃に吹く土曜の午後の校庭の風
 傘差したハイソックスがもみの木を見上げたときに濡らしたくちびる
 閉まる音しなかったので振り向けば冷蔵庫からこぼれる光
がすきです。フラワーさんもおっしゃっていましたが、
体言止めが多いですね。まるで大切なものだけいれたきらきらの小さな箱を
ちょっとだけのぞかせてもらったようなきもちになりました。私の宝箱です。


『水曜の森』佐原みつる 
はじめまして。
 銀色の匙がカップの底にある砂をかきまわしている朝は
 古ぼけた時計を腕に巻いている蝶の居場所はきっと知らない
 通信の途中で電源が落ちて水曜の森へ届くFAX
 木曜の大きな窓に差す西日マウスパッドに金魚が跳ねる
 蝶の絵を留める画鋲を引き抜けばうすむらさきが部屋に満ちゆく
がすきです。「蝶」が、キーワードなんでしょうか。
森につながるなにかの感じを受けました。
「金魚」や「蝶」や「〜曜日」はいい意味でとても無表情です。
静かなのに存在感がある。風景の一部としてとけこむ無表情さがとても表情です。


『発泡ひこうき』東郷真波
はじめまして。
 満ち足りてねむる車掌は大好きな灯台前の駅を飛ばした
 ノイズ・ノイズ・ノイズここから南へとひろがる暴風警報を知る
 なにひとつ求めぬ腕をしならせてやさしいひとが放つひこうき
 プラスチック・スプーンですくうひとかけの記憶から噴きあがる新緑
 真珠色のベビーシューズを脱がせてもかすかに重く熱い足首
がすきです。東郷さんのうたには、おとがありますね。
ことばにスピードがあるからですね。遅い速度でも、もちろん速い速度でも。
一枚の絵ではなく、映像を観ているようなきもちになりました。


『末期の夢』廣西昌也
はじめまして。
 触っても不可思議なままなのだろうけれども父を愛撫している
 じめじめと妻と離れる夕刻の西空にいま異界がひらく
 焼いてきた帰りに見えて美しき無人販売所の新キャベツ
 「おとうさん」幼いころの言い方でこわれた人に呼びかけてみる
 「発車オーライ、発車オーライ」まぼろしの駅で背筋を伸ばしいる父
がすきです。ほかの歌人さんの作品もそうですが、この作品は特に30首でひとつだから、
ピックアップなんてするものじゃないのかもしれないと思いました。
でも、うたひとつひとつをよんでいくときに、あああああと思ったのです。
あああああと思ったことをもっとじょうずに伝えたいけれど、私にはこれでいっぱいです。


『ふたこぶらくだ』黒崎恵未
はじめまして。
 レイプみたいだからやめてと言われても吐き出すように泣き出してしまう
 あなた病気なんじゃないのと唐突に真理のように言われてしまう
 重力が効かないわたしの内側を私は歩く瞳を閉じて
 肯定が肯定の箱を開けていく底を見るまで明るい会話
 心臓の音を聞くのにそんなにも切ない顔をしないでほしい
がすきです。はじめ、ああエロティックだなあと思いました。
でも、動物的でない。生ぐさくない。すん、と入ってくる。
人と関わることはとてもきもちがいいのに、さみしい。
それがセックスであらわされていたのではないかと思いました。


『ウミガメの瞳』須藤歩実
はじめまして。
 首飾り外してあげる夢をみるわたしのうなじのような気がする
 思いがけず深く沈んだソファからわたしの羽音がきこえるよ、ほら
 もういちど眠りについた君の手がチェロを弾く 弦が切れているのに
 もし君がこのまま眠ってしまったら枕の下で卵を茹でる 
 信号が積み木のキリンにみえるよね 吹き流されたなまぬるい風
がすきです。唐突だ、と思いました。
なにか、なにかとても唐突で、一瞬不安にさせられる。
でも、それはきっと自然なことなのですね。
その不安がもっともっとほしくて、がつがつよみました。


『花とチャック flowers and zippers』我妻俊樹
はじめまして。
 ガムを噛む私にガムの立場からできるのは味が薄れてゆくこと
 右にいた人がいないと右からの陽射しで焼けてしまう右顔
 砂浜で風にころげる水玉のビニール・ボール きのうもあった
 分けて書く苗字と名前くちびるに上下があるとされる私に
 波が洗うサイクリング道路ひきかえす 悲鳴でしゃべる女となって
がすきです。ビニール・ボールや日焼けは自分が孤独であることをひきたて、
「こどくであることは当たり前だ」と言っているみたいです。
私はそれをああそうだったとすんなりと納得してしまいます。
きっとひとりきりなのですね。きっと。
それが正しいか正しくないか、楽しいか楽しくないかではなく。


『惑星そのへん』フラワーしげる
はじめまして。
 ああ、そうだよ、指を持ちあげるのさえつらくて、でもいまから4トン車を運転するのだ。運転手だから
 存在は何だかあやういかなスタバの奧のあの男の汚い歯
 性欲を汚いものと言う性欲から生まれたじつに魅力的なあなた
 えらいえらいひとのするむごいことたくさんで空も悲しんで雨だ
 ママぼくはあなたのきらいな永遠と遊んでいてもう帰らないかもしれない性的な四角形の薄い枠
がすきです。私は声に出して「えっ」と言ってしまいました。
そして、くちびるだけではなぞりきれなかったので、声に出してうたをよみました。
どんどん破っていかれる。それはもう、快感のようでした。おもしろい。
でも私は、『惑星そのへん』が短歌だとわかります。これは短歌です。


『今日』中田有里
はじめまして。
 マヨネーズ頭の上に搾られてマヨネーズと一緒に生きる
 昼過ぎにシャンプーをする浴槽が白く光って歯磨き粉がある
 すり鉢で豆腐をすってぐちゃぐちゃにしてからあなたの口に入れたい
 おはようと言えたら合格 隣人の頭に水をかけてはいけない
 どう見ても人の形に見えるので私はあなたに優しくしよう
がすきです。まず、『今日』には強さと弱さが交差しているような印象を受けました。
マヨネーズと一緒に生きるのはひどく受け身な感じだけど、
ぐちゃぐちゃにした豆腐はあなたの口にいれるくらい攻撃的。
もしかしたら、強さと弱さは反対ではなく、むしろイコールかもしれない。


『午後の右翼手』市川周
 抱き枕に「抱いてやるよ」とうそぶけば部屋に満ちくる人魚の匂い
 どこまでがわたくしそこかしこに鱗 肉体改造しすぎた朝に
 七割は液体ですから僕なんて手動の脱水機からペラペラ
 千年忌ライトポールのその下で優しいミイラになれたらいいな
 きみに手をふったなんだか手をふってばかりだなぁとおもった たたた
がすきです。よみながら、どうしよーうと思いました。
何がどうしよーうではないのですが。だから、私もペラペラになるし、
同じ場所で優しいミイラになりたいとのぞんでいるのです。
ときどき見えない手でくすぐられているような気がしました。


個人的に。
フラワーしげるさん。
コメントありがとうございました。
私が中学生のとき、国語の先生に「作品のひとりあるき」ということばを教えてもらいました。
それは、「作り手が作り上げた文章やうたは読み手を得た時点で、作り手の手から離れ、
作り手の意図とは関係なく読み手の解釈で内容や意味がかわる」という意味です。
これってほんとうに面白いことですね。
同じ作品を読んでも、私の目とフラワーさんの目が違っていて、それはどちらも真実なのですね。
何度も作品は作られ、生まれ変わる。何気ないことばでも千の意味を持つ。
いくつもの可能性の中で自由に泳ぐ。どこまでも飛ぶ。
私はフラワーさんの歌葉ノートをじっくり読ませてもらって、
ああ、こんな風に感じるのか!と思うことがたくさんありました。
そしてフラワーさんは頭のよい人だなあと思いました。
きょう、友達の家の猫に手の甲をひっかかれました。
とても気の荒い猫で、初対面では気を許してはくれないそうです。
でも、どうしても仲良くなりたかったんです。初対面でした。
一瞬の隙を突いて腹をなでました。血が出ました。
その傷だらけの手の甲を見ながら、キーボードを打っています。
フラワーさんはみんなにコメントをするとき、あんなに長い文だったけれど
きっと楽しみながら書いていたのではないかと思います。
私も楽しいです。楽しいですね。
私なんかがみんなの作品をどうこう言っていいのかなと思いましたが
異例ついでに便乗させてください。


枡野浩一さん
はじめまして、西島ぺこです。
その大注目の漫画家さんについては知りませんでした。
西島ぺこの「ぺこ」は腹ぺこのぺこです。本名かどうかはわかりません。
でもきっと、親からもらった名ではないような気がします。
しかし名前は身軽であったほうがいいと思うので、
腹ぺこじゃなくなるかもしれません。
いまはとても、腹ぺこであります。


私も、とても長いかきこみでごめんなさい。
また、失礼なことがあったらもっとごめんなさい。
なんだか緊張しましたが、楽しかったです。ありがとうございました。


[1016] なるほど! 枡野浩一 2006年09月09日 (土) 13時39分

たいへん面白い秘密の告白、ありがとうございました。

昔、
テレビで「音楽の正体」という番組をやっていて、
そこで語られていたことの愉しさ、切なさを連想しました。

いとうせいこうさんが昔どこかで書いていた、
「小説を思う」ことを日々の習慣にしている
女性主人公のことも思いだしました。

http://masuno.de/blog/


[1015] Re[1014]: フラワーしげるさんの発言を拝読して。 フラワーしげる 2006年09月09日 (土) 13時17分

こんにちは

 枡野さん、はじめまして。不躾など、とんでもありません。わざわざ名前をあげてくださったこと、大変嬉しく思っております。でも、自作への言及ですか。うーん、考えもしませんでした。どちらかと言えば、しないほうが自然ではないですか?? それにべらぼうに難しいです。どう考えても客観的には書けそうにないですし。
 しかし、せっかくのリクエストなので、できる範囲でやってみます。客観的な批評・感想はやはり無理そうだし、自注自解といったものもどうもこの場にはそぐわない気がするので、三十首から派生するのではないかと思われる問題を一般化して、それにたいする雑感のような形でまとめてみたいと思います。果たしてこの場でこういうふうなことをやっていいのか、不安ではありますが、異例ついでにやってみます。この最後の歌葉にはなんとなくカーニヴァルあるいはお祭りめいた雰囲気もありますし、カーニヴァルだったら道化やトリックスターの存在は欠かせないですしね。どうか、ほかのみなさんも、ハンバーグ定食の付け合わせのニンジンみたいなものだと思って、読み流してください。


フラワーしげる「惑星そのへん」を巡って

 歌葉新人賞は多くの驚きをもたらしてくれたわけであるが、それらの驚きのなかには、恐ろしいスピード感とともに、短歌の枠を広げてくれたことにたいする驚きがあったと思う。これは短歌であると、送りつけてくる応募者と、然り、これも短歌である、と受け取る審査員の姿を目にすることは、少なくとも私にとっては、爽快以外のなにものでもなかった。なぜなら、それは自分が、物事の枠というものはできるだけ曖昧なほうがいい、原理はなるべく少ないほうがいい、という考えの持ち主であるからだと思う。
 物事の枠を取り払うことは気持ちのよい作業である。短歌を枠から取りだすのもまた楽しい作業である。まず手始めに韻律から自由にし、音数から自由にし、短歌的抒情から自由にする。意味から自由にする。そうすると範囲はどんどん広がっていく。
 韻律からの自由を重んじると、短くなり、長くなり、破調になる。意味から自由になると、あるいはナンセンスになり、あるいは記号のようになっていく。内容から自由になると、普段は無意識の段階で短歌の題材から外されているものがどんどん増えてくる―政治、宗教、性、欲望、差別、やくざ、右翼、左翼などなど。
 それらの程度はさまざまであって、韻律から自由になるということを極端に推し進めていくと、たとえば、一冊の長篇小説を書きあげて、これは短歌であると主張することもできる。あるいは、一文字を紙に書いて、たとえば「指」と書いて、同様なことを主張することもできる。そして最後にはただの暗示でもよくなる。分厚い鉛の箱にスピーカーを入れ、密閉し、気の遠くなるような大音量で音楽を鳴らす、結果は聞こえない大音量、そのような現代音楽の実験のようになる。つまり、人が行けない場所に書かれた短歌、糊付けされた歌集、そういったものになる。
 いや、それすら要らなくなるかもしれない、「いまわたしの頭のなかに素晴らしい短歌があります」と言えば十分である。あるいは「わたしはいま何も表現しないことによって短歌を表現しようとしている」と言ってもいい。そして、最後には何もしないで短歌というものを生きることになる。その場合、見るものはすべて短歌になるだろう。窓も扉も犬も痩せた駅員もすべて短歌である。ただ言語になっていないだけの。
 表現方法にたいして自由になることもできる。フォントを工夫し、紙を工夫し、表記を工夫する。最初はそういう身近な形ではじまるだろう。しかし展開はほぼ無限である。たとえば、つぎつぎに電話で一首を告げるというのもいいし、壜のなかに入れてインド洋に流すのも興味深いだろう。手旗信号の入門書と双眼鏡を誰かに渡し、あらかじめ日時を指定して、丘の上から一首を送信するのもいいだろう。晴れていればさぞ気持ちのいいことだろう。
 そうして、さまざまなことから自由になって、最後には何をするかというと、自由になりたいという欲求から自由になるということだろうか。
 とすると、べつに前のままでもいいじゃないかということになるかもしれない。振りだしに帰る、である。
 フラワーしげるの「惑星そのへん」三十首は、上記に述べた段階のいずれかに位置するものである。

 いかがでしょうか。いささかミスティフィケイションに流れた嫌いがあることは御容赦ください。もう少し、砕けたことを書きますと、連作として考えると散漫であるし、固有のリズムがないことはないものの、愛唱性というものはかけらもない感じなので、そのあたりを重んずる方にはあまり喜んではもらえないでしょうね。わたしは愛唱性のある短歌ものすごく好きなんですけど。
 
 というわけで、またしても長文もうしわけありません。


[1014] フラワーしげるさんの発言を拝読して。 枡野浩一 2006年09月08日 (金) 17時30分

フラワーしげるさん、はじめまして。

フラワーしげるさんの発言を興味深く拝読して、
ひとつ、
足りないものがあるのではないか……と、
感じずにはいられませんでした。

ここを見ている皆さんも、
もしかしたら私と
同じようにお感じになっているのではと想像し、
勇気を出してご指摘しますね。

それは……。

「フラワーしげる作品への言及」です。



賞の候補にあげられているご本人が、
ほかの候補者の作品にエールをおくる……
それ自体が異例の試みで、
たいへん面白かったです。

自画自賛になってしまうのを
避けられたのでしょうけれども、
「それだけをあえて避けて語る」ことによって、
「それ」の意味がよりいっそう強まってしまう……
言葉には、
そんな性質があるように思います。

ぜひ
「それ」についてのコメントも拝読したく、
リクエストいたします。



なお先日、
「変な名前」などと
不躾なことを書いてしまいましたが、
言葉足らずでしたね。

「華のあるお名前」
と訂正し、
おわび申し上げます。

正岡豊さんの日記で作品と共に拝読して以来、
そのお名前は忘れられません。

http://masuno.de/blog/


[1013] 選考会日程の発表、ありがとうございます。 月原真幸 2006年09月08日 (金) 00時41分

今回の公開選考会は11月11日なのですね。
日程の発表、どうもありがとうございます。
都合をつけて張り切って参加させていただきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。


[1012] 第5回歌葉新人賞選考会日程 加藤治郎 2006年09月07日 (木) 13時01分

こんにちは。

名古屋、雨です。

みなさん、コメントありがとうございます。



第5回歌葉新人賞選考会は、今年も公開で実施します。

日程は11/11(土)。場所は東京です。

詳細は追ってお知らせしますが、スケジュール、お願いいたします。



http://jiro31.cocolog-nifty.com/


[1011] 冷蔵庫を開けて短歌の紙パックを取りだし フラワーしげる 2006年09月07日 (木) 13時00分


夏はすっかり終わったのでしょうか。

 天秤のAさん、短歌というか、詩的なものと、生活は共存できると思うので、存分にはまってください。短歌はじつに片々たるものだし、時折気恥ずかしいものであるかもしれませんが、生も死も愛も憎悪も神も悪魔もその片々たるものに宿ることがあるようです。
 確かに歌葉の選考などのスタイル、ぞくぞくするくらい面白いですね。今年かぎりとはほんとに残念です。増田静さん、斉藤斎藤さんをはじめ受賞者の顔ぶれも掛け値なしにすごいと思います。
 勉強になったとのこと、恐縮で片腹痛いです(誤用)。余生を短歌に捧げきるですか。さて、どうなりますでしょうか。わたしは短歌が好きなので、そういうことになるかもしれませんね。いずれにせよ今後ともよろしくお願いいたします。

 私信のようなものになってしまいましたね。失礼いたしました。


[1010] 水瓶のBと親友 天秤のA 2006年09月07日 (木) 03時07分

ほんとうです。性懲りもなく。しっかしおもしろいですねー。これ今年で終わりなんですか。もったいない。
こんなことを真剣にやってご飯食べてる大人たちがいるんだなー。潔い。
なんとしてもこの世界にはまりきってしまう前に出て行かねば。

フラワーしげるさん、勉強になりました。
ぜひ余生を短歌に捧げきってから死んでください。


[1009] 歌葉ノート フラワーしげる 2006年09月06日 (水) 05時46分


 はじめまして、フラワーしげるといいます。候補作、いずれも興味深いものばかりで、自分なりのノートをとってみました。長いですが、御笑覧いただければ幸いです。審査員の荻原さん、加藤さん、穂村さん、応援の書きこみをしてくださった桜木さん、まず挨拶をすべきなのかもしれませんが、ここは審査の場でもありますし、多大な感謝とともにこの時点では省略させていただきます。

望月浩之「それはまだ」

 最初と最後の歌が「それはまだ」というタイトルにもなっている言葉ではじまります。構成やスタイルや洗練といった、理知によって成立することに重きをおく作者なのでしょうか。そうしたものを重んじる作者の場合、直截な感情はたいてい暗示に留められるわけですが、その暗示の仕方は短歌的というより、詩のほうに近いのかなと思います。その点では前回の笹井さんや宇都宮さんと通底するものを感じました。短歌が詩的なものをとりこんでいくという最近の流れは何かしらの必然性によっているのでしょうね。

  見送りは花壇の外で咲いているはっきりしない色の朝顔
  乾かない昨日の水着はくようださみしさだけで重ねたから
  最後まで鳴らなかった教材のトランジスタラジオの半田の匂い
  カバンには行ってる事になっていた学習塾の月謝の袋
  どうやって食べたらいいかわからないグミの食べ方話し合うふたり

 これらは回想のようです。いずれも微妙なことが歌われているし、それは軽い失望だったり、非達成感や無力感だったりします。こういうところには文句なく魅力を感じます。

  弟がポップコーンを入れていた小さな紙のコップの重さ
  ほとんどのチラシの裏が白かった頃に飛ばした紙ヒコーキ
  ミニカーがひっくり返ったままにある机の上に夜の静けさ
  閉まる音しなかったので振り向けば冷蔵庫からこぼれる光
  飲み干したコーヒーカップの底にある溶けないままのグラニュー糖
  それはまだ店員さんがガソリンを入れてくれてた頃の星空

 小さなもの、薄いもの、静かなものの博物誌ですね。後半の体言止めの連続ちょっと圧巻です。何かに突き動かされて作歌している様子が目に浮かぶような感じを覚えました。候補作のなかで一番好きです。


佐原みつる「水曜の森」

 外界の物と、内面にたたなわる感覚・感情との結びつき方に、説得力があると思いました。それを支えているのは、作中の主体の視線であるわけですが、その視線がそのままひとつの態度あるいはスタンスのようなものになっているのが面白いです。
 そして、外界の事物にたいしても、作中主体の内面に浮かぶものにたいしても、その視線 /態度は少し突き放し、距離を置こうとしているようです。この一連の魅力はそこにあるでしょうか。

  銀色の匙がカップの底にある砂をかきまわしている朝は
  議事録を手渡す指の一センチ向こう側には川が流れる
  見極めが肝心なのはわかってる紙パックに挿す細いストロー
  欄干に凭れたままで待っているたとえばなにか揺れているもの
  蝶の絵を留める画鋲を引き抜けばうすむらさきが部屋に満ちゆく
  もうだれに会わなくてもいい月曜は日の暮れるまで靴を磨いて

 これらの歌の示す感情は悲しみや憂鬱とかではなくて「苦さ」のように思われます。そしてその「苦さ」にはひじょうに実感が感じられます。また、何度か現れる「蝶」や「森」のイメージは、その「苦さ」とよく似合っていると思います。
 つぎの歌はとくに印象に残ります。

  ゆうぐれのシンクを叩く赤い水あやまってくれなくていいから

「赤い水」は血でしょうか。頻出する「指」の語から考えると、指を怪我したのでしょうか。いや、誰かに傷つけられた? そのあたりが謎として残るところも興味深いです。


東郷真波「発泡ひこうき」

 明るい絵、明るい写真のような一連だと思います。内容にかかわらずに。
 一読してひっかかってきたのはつぎの歌でした。

  満ち足りてねむる車掌は大好きな灯台前の駅を飛ばした

「満ち足りてねむる」はそれだけで、惹きつけられる表現だと思うのですが、その幸福感は「大好きな灯台前の駅を飛ば」すことによって、損なわれたのでしょうか、それとも、「大好きな灯台前の駅を飛ば」すほど、幸福感のうちにあるのだから、問題とするに足らないのでしょうか。それに、そもそも車掌が駅を飛ばす、ということはどういう意味なのでしょうか。運転手だったら分かるのですが。
 この歌はそういった意味で曖昧なわけですが、それにもかかわらず、ある種の魅力を持っていると思います。その魅力とは確かにこの作者が語を紡いでいる時、強い幸福感のうちにあったことが感得できるところから生じるのではないでしょうか。こんな歌もあります。

  テーブルの隙間をめぐる回遊魚 炭酸飲料ばかりを運ぶ

 ここに作中主体の考えていること、感情の種類を類推する手掛かりはありません。おそらく意図的に加えられなかったか、作者の重要・非重要の尺度に照らしあわせて自然に削られたのでしょう。
「回遊魚」とあるし、「炭酸飲料ばかりを運ぶ」とあるし、ウエイターあるいはウエイトレスなのかもしれない、だとしたら、仕事の歌なので、苦しい、という感情があると解釈していいのかもしれません。しかし、苦しい感情を仄めかすのに、「回遊魚」というどちらかというと、滑らかな運動を連想させる語を使うものでしょうか。解釈のみを考えると読み手としてはかなり手詰まり感に捕らわれてしまうのですが、ただ、「回遊魚」と「炭酸飲料」の組み合わせは、漠然とですが、軽やかなものを暗示するような気がして、内容の分からないまま、わたしが受け取った印象は、爽快感に近いものでした。
 もう少し感情が明示される歌もあります。

  たっぷりのドレッシングの照り返しだけがすべてを愛してくれる

 これはわたしはとても好きだし、感情の質感も比較的よくわかります。「だけが」という限定が、限定された以外の状況での愛の不在を示してはいますが、「たっぷりの」「すべてを」は眼前にある豊かな愛情の存在を示しています。そして、眼前の豊かな愛情の存在は、読者である私にもよく伝わってきます。たとえ、なぜ「照り返し」でなくてはならないか、愛するのは誰なのか、愛されるのは厳密には誰かは分からなくても。この歌を支配してるのは、幸福感というか、それより強い浄福感ではないかと推測させるところがあります。
 浄福感ということを考えると、「照り返し」の語が暗示する「光」は腑に落ちる感じがするような気もします。
 幸福感、浄福感の過剰(貶してはいません)は以下の歌ではさらにはっきりするでしょうか。

  なにひとつ求めぬ腕をしならせてやさしいひとが放つひこうき

 東郷真波さんは短歌の世界では比較的稀な心性を持つ作者ではないでしょうか。浅くはない孤絶感のなかに見られる喜びの感覚は、説得力あると思います。柔らかな感触の観相、微妙なユーモアも魅力的です。歌集が出たら、本棚のよい場所に置きたいなと思わせる作者だと思います。


廣西昌也「末期の夢」

 この一連は書かずにはいられなかったものだと思います。しかし、死、とくに近い人間の死を題材にした作品というのは、その事実に読み手も引っ張られるわけで、批評などするにあたっては、かなり難しいものであると思いました。
 私事にわたりますが、「父親の死」はわたしも経験していることで、あまり冷静な気持ちで読めません。ですから、読んでいるうちに、なるべく直截に触れていないものを探している自分を意識します。これは読み手の姿勢としてはちょっと問題かもしれません。

  病窓に下界を見れば辛うじて犬だとわかるかたちのゆらぎ

 これは何といっても「辛うじて犬だとわかるかたちのゆらぎ」ですね。存在そのものに触れたという感触を、読み手である私も覚えました。

  触っても不可思議なままなのだろうけれども父を愛撫している

 これは人の死体に触ったことのある人ならば実感できることではないかと思います。

  焼いてきた帰りに見えて美しき無人販売所の新キャベツ
 
「見えて」の無造作な感じがおそろしくリアリティーありますね。推敲では作れない種類の歌だと思います。

  振り向けば既に光は絶えていて置き去りにした日暮れのこころ

 集中の白眉だと思います。多言を要すべき歌ではないでしょう。


黒崎恵未「ふたこぶらくだ」

 一連の主題はセックスのように見えないでもないですが、でも、ほんとうの主題は違うもの、もっと厄介なもののようですね。「あなた」だったり、「わたし」だったり、「ふたりでいること」「自死」ではないかと思います。
 あとは、すべては無意味ではないかという自分への問いでしょうか。作中主体が世界というものに対した時のオプティミズムとペシミズムの相克、そのあたり興味深いですす。
 また、作品化のためのエネルギーと自己発現のためのエネルギーを比較した時、自己発現のためのエネルギーのほうが大きいのかなという印象も持ちました。全体にやむにやまれぬ感強いですね。

  長すぎる歯車の歯をもつ人が近づいてきて回ろうとする
  水道の前に毎日立っていて流れるものをただただ流す

 この二首に惹かれてしまうのですが、それはこの二首が自分の好みということだと思います。

  重力が効かないわたしの内側を私は歩く瞳を閉じて

 二律背反的な生の状態をひじょうによく表していると思います。重力が効く、という表現の無造作さや、「わたし」「私」の表記が違うことが恣意的に感じられることなど、疑問に思われるところもないではないですが、それでもそうした疑問を吹き飛ばす力というか、魅力を具えた一首だと思います。


須藤歩実「ウミガメの瞳」

 ドライだな、とまず思ったのですが、なぜ自分がそう思ったのか、なかなか分かりませんでした。しかし「ドライ」という言葉は批評の用語としてはじつにふさわしくなく、何かほかに言い方はないかなと考えたのですが、なかなかうまい表現がみつかりません。ここで私の用いる「ドライ」は「情に流されない」「湿っぽくない」といった意味に考えてください。
 何にたいしてドライだなと思ったかというと、どうも短歌という形式自体に向かう際の作者のスタンスにたいして思ったようです。この作者は、短歌をひとつのツールとして使っているのではないかと私は思ったのです。もちろん短歌をツールとして使っていない作者などいないわけですが、あらためてそう思ったのは、この作者がそのツールを使って、表現しようと思っているのが、ある種のファンタジーなのかなという印象を覚えたからです。いやファンタジーの語は誤解の余地があるかな。もっと簡単に「空想」あるいは「シチュエイション」と言ったほうがいいかもしれません。
 魅力的な「空想」および「シチュエイション」はあまたです。

  クレヨンの白をなくしたことなんか気がつかないままの夏休み
  あたたかい風は気圧の関係で受話器の向こうへ流れてゆきます
  ホイップクリームをまぜてまぜすぎて雲までとどけ螺旋階段

 これらの歌を楽しめるかどうかは、作者とどのくらい心性が近いかによるでしょうか。近ければこの一連は心愉しく読めると思います。それは、音楽のなかのひとつのジャンルを楽しんで聞くようなものかと思いますし、それで不都合な点はまったくないと思います。
 そもそも、短歌も音楽と一緒で、もう少しジャンル分けされてもいいような気もします。みんながみんな性別も年齢も個人差も超えてすべての人に訴える短歌を目指さなくてもいいと思うのですよね。高校生の女子と、100歳の男性とでは感覚が違って当たり前でしょう。
 音楽だって、クラシックや演歌からエレクトロニカ、ポストロックまであるわけですから。もちろん、すべての人間にとって意味のあるものがつくれればすごいわけですが。
 しかし、話がずれました。この作者の感覚で面白いなと思ったものがほかにもあります。

  首飾り外してあげる夢をみるわたしのうなじのような気がする
  湖にうつる夕陽をみる君の頬にうつった夕陽をみつめる

 この二首は、入れ子のような何かを思わせます。この作者は感覚で書いているように見えますが、論理の人ではないでしょうか。


我妻俊樹「花とチャック flowers and zippers」

 短歌であるのに、最後まで読んだら小説を読んだような読後感でした。アメリカの現代文学を読んだような感じ。重すぎるというほどではないですが、無視できないものを手渡されたような感覚もありました。それぞれに小道具めいた「詩素」のようなものがあるのですが、どれもそれぞれの機能をちゃんと果たしている感じがします。一首で立つタイプの歌を作る方ですね。どれも写真のように鮮やかで多大な意味を孕んでいると思います。秀歌はひじょうに多いです。

  人間の這入っていない着ぐるみを膝に寝かせた 雨が止んだら
  きみの抱く消火器は空 ねがえりをページをめくるようにつづける
  捜された和服のひとが地面から掘り出されてる小石とともに
  自動ドアって書いてるだけのただのドア閉めにいく家族をぬけだして
  信号で曲がるところを間違えた団地の先に団地がつづく
  波が洗うサイクリング道路ひきかえす 悲鳴でしゃべる女となって
  本当はもう死んでるの 帽子掛 あなたが話しかけているのは
  閉じるとき心はチャックに巻き込まれ何か叫んだように朝焼け

 しかし、精密さ、端正さ、面白さに舌を巻きつつも、違和感が少し残るのはなぜかと考えています。何かうまく言えないのですが、作る時に感じさせたいと望んだものしか現れていない気がするのです。もちろんみんなそう思って作るわけだし、だからだめだとも思わないのですが。
 すこし否定的なことを言ってしまいましたが、この歌の入った歌集が書店にあったら、私は買うと思いますし、この作者が新人賞になってもわたしはまったく驚きません。

  砂浜で風にころげる水玉のビニール・ボール きのうもあった

 こういう歌を作れる人はほかにいないような気がします。寡聞ですが。


西島ぺこ「あ いま泣きたい」

 タイトル、魅力的です。

  爪をきる ぱちんぱちんというたびに君にさわった部分をすてる

 これはやはり人間にたいする嫌悪の情について詠んだのでしょうか。一般に何かにたいする嫌悪の情を題材にすると、読み手にマイナスの感情を与えることが少なくないような気がするのですが、これはあっけらかんとしているせいか、そういうふうにはならないような気がします。
 歌の結びがストレートな意思の表出になっていて、そのあたりは、好悪が分かれるところかもしれませんね。作者と作中人物がかなり近い印象がありますので、作中人物の意思表明にたいする好悪がそのまま歌にたいする好悪につながるかもしれません。ただ、それがどうした的な強さがありますね。

  ブラウスにアイロンかける 朝 きみが目覚める前にはだかで倒立
  こじあけて 七色の水をそそいだら きみはちいさくあたしを呼んで

 これらの歌にある迷いのなさのようなものに目を奪われます。


中田有里「今日」

 あまりに飾らないタイトルにまず驚きました。そして、一首目で同様の驚きを覚えました。

  薄い葉が冷たくなってる冬の朝君の口から白い息が出て

 ただごと歌がかなり好きなので、いいぞいいぞと思っていると、

  マヨネーズ頭の上に搾られてマヨネーズと一緒に生きる

 ときます。うーん、これなんでしょう。何だかよくわかりませんが、とても面白いです。
 ただごと歌というのは、なぜかきわまればほとんど不条理感のようなものに近づく気がするのですが、この作者にもそういうものがあります。
 
  手袋が冷たい朝に雨と雨の間の空気きづかれずに吸う
  何本も出てきた葉っぱがてかてかと光って口の端っこにつける
  OLが一人一本傘差して祭りも昨日終わって今日は

 そして、一連のなかでもこの二首のただごと振りはすごいと思います。ほとんど脱帽です。

  昼過ぎにシャンプーをする浴槽が白く光って歯磨き粉がある
  雨の日に銀杏が水に濡れていて雀が少しうるさくしている

 そしてわたしのとくに好きなのは以下の二首です。

  羊かんを供えるように自転車で体を運ぶJRの駅まで
  夜空とか映画館とか指先が見えなくなると会いたく思う

「羊かん」の「羹」の字くらい漢字にして欲しかったのですが、そういうことにこだわらない感じもすごいと思います。世界にあるすべての物は触れば触った感触があるはずで、実際、そこの場所に行けば、実際に触れるわけで、観念にまみれた生活をしていると、時折、それがものすごく素晴らしいことであるような気がします。中田有里さん、期待したいと思います。


市川周「午後の右翼手」

 とてもスタイリッシュな一連だと思います。語がよく吟味されていますね。
 私が一番惹かれたのはこの歌でした。

  きみの唇だれかが湿すつかのまを三本間にはさまれており

 ふたつの時間、ふたつの場がひじょうにうまく折り込まれていて、それをふわりとユーモアが包んでいる。この歌に関してはほぼ完璧だと思います。
 上の句に状況提示、下の句でオチのようなもの、という構成が多いのは、単調だという意見も出てくるかもしれませんね。

  凡フライグラブの中で死んでゆく 鯨ヶ丘にゆれる向日葵

 これも野球の場とべつの場所の対比ですね。印象に残ります。

  どこまでがわたくしそこかしこに鱗 肉体改造しすぎた朝に

 ユーモア指向の歌も目立ちますね。

  きみに手をふったなんだか手をふってばかりだなぁとおもった たたた

 この歌は、やはりグラウンドのなかと捕らえるべきなんでしょうか。状況を特定できない面はありますが、最後の「たたた」が効いていると思います。


 ほんとうに長々と書きました。すみません。しかし、結局、個人的な好き嫌いのことばかり書いているような気もします。失礼がなかったか気になりますが、ひきつづきこの歌葉の場を楽しみたいと思います。失礼いたしました。
 



[1008] 筆名について 枡野浩一 2006年09月06日 (水) 00時58分

変な名前の歌人が
受賞することで知られている歌葉新人賞。

お名前を見るかぎり、
「フラワーしげる」さんが
抜きん出ていると感じました。

「西島ぺこ」さんは、
漫画界で今とても注目されている新鋭に
「渡辺ペコ」
http://www.ne.jp/asahi/peko/pro/
がいることは、
ご存じなかったのかもしれませんね。
知った上で、この名前だとしたら、脱帽。
あるいは、ご本名なのか……。

選考の過程と結果、楽しみにしております!

http://masuno.de/blog/


[1007] コメントについて 加藤治郎 2006年09月05日 (火) 20時19分

1005,1006を書き込まれた方に、そしてみなさんに

こんにちは。
今回、とくに、投稿のルールは明示してありませんでしたが、過去ログをご覧いただいたのですね。

匿名は、ご遠慮いただくということで、お願いいたします。
1005,1006は、とりあえずこのままにしておきます。




申し訳ございませんが、選考を妨害するようなコメント、公序良俗に反する表現、誹謗中傷、プライバシーの侵害その他不適切なコメントは、ご遠慮いただいております。著しく反する場合、こちらの判断でいただいたコメントを削除させていただくこともありますのであらかじめご了承ください。
ご協力お願いいたします。


@「こんなのどこがいいの」的なネガティブな発言、誹謗中傷の類はご遠慮願います。


A匿名での発言は、ご遠慮願います。



よろしくお願いいたします。

http://jiro31.cocolog-nifty.com/


[1006] あ゛っ… [1005]書込みの者です。 2006年09月05日 (火) 18時26分

申し訳ありません、匿名禁止なんですね。
偽名なら良かったんでしょうか?
大差ないと思いますが、ルールですしね。

削除する気がなかったので、削除キーを入れなかったのですが、まあ今も削除する気はないので、でも、えーと、どうしたら良いですか。
ひとまずお詫び致します。


[1005] はじめまして。 匿名で失礼致します。 2006年09月05日 (火) 01時36分

私は、東郷真波さんの「発泡ひこうき」を推します。
東郷さんはおそらく女性だと思われますが、少年ぽさが好きです。

(もう十代の女の子歌人には飽きました。なんで少年が出てこないのでしょう。それも13,4歳の思春期真っ只中の少年。動物的に一般的に、女の子のほうが男の子よりも成長が早いんですから、十代の女の子の何が瑞々しいのか理解に苦しみます。撰者が男性だとやはり女の子を選んでしまうのでしょうか。逆も然りですが。)
この作品がほんとうに少年の作品だったら、フラワーしげるさんどころの騒ぎではないと思いました。

ところでこの書込みは、「内情に詳しすぎて口出せないんだけど、なんか書かない?」といったかんじに唆されて書いてみましたので、悪しからず。


[1004] この三人を応援します。 佐伯大輔 2006年09月03日 (日) 01時38分

まず、黒崎恵未さんの「ふたこぶらくだ」。後半、少し失速したように、私自身は感じたのですが、30首だけじゃなくて、これ以外の歌、それ以上の歌を読んでみたいと強く感じさせられたので、応援したいと思います。

次に、市川周さんの「午後の右翼手」
かなり、使っている材料に偏りがあると思いますが、実際声に出した時の音がいいなっておもいました。 それから、何度読んでも面白いと感じさせられたので、応援したいと思います。

最後に、廣西昌也「末期の夢」。30首のみを考えた時、一番、完成度は高いのかな〜、と感じました。応援していきたいと思います。

偉そうに書いてしまいましたが、これが最後の歌葉新人賞と思うと、書き込んでしまいました。
この賞が、最高にもり上がっていったらいいなあ、と思います。


[1003] 廣西さん、フラワーさんを応援します 桜木 幹 2006年08月30日 (水) 00時48分

一次選考お疲れ様です。
残念ながら拙作品はだめでしたが、候補作をみて廣西さんとフラワーさんの作品がよいかと思いましたので、応援コメントさせていただきます。
廣西さんはこれまでの流れからいうと正統派?な作風で安心して読める感じがします。
フラワーさんはかなり定型の枠をはみだしてますが、個性でのりきっている感じがします。
選考会が楽しみです。


[1002] 候補作品を読もう! 加藤治郎 2006年08月22日 (火) 22時05分

こんにちは。

加藤です。

新人賞候補作品が歌葉のサイトにアップされました。

http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/

皆さんのコメント、お待ちしています!

http://jiro31.cocolog-nifty.com/


[1001] これから 加藤治郎 2006年08月20日 (日) 23時05分

こんにちは。

一次選考の結果が発表になりました。うーん、という感じです。

今後の進行ですが、おおよそ昨年どおりです。
選考委員のそれぞれの候補作へのコメントが順次アップされます。
その後、公開選考会を開催し、その場で受賞作を選出いたします。

皆さんの応援コメントもどうぞよろしくお願いいたします。


http://jiro31.cocolog-nifty.com/


[1000] 荻原裕幸選「第5回歌葉新人賞候補作品&一次予選通過作品」 荻原裕幸 2006年08月20日 (日) 22時26分

こんにちは。
荻原裕幸です。
ぼくの一次選考の結果は以下の通りです。

-------------------------------------------------------
■候補作品

[ID 161] 望月浩之 「それはまだ」
[ID 167] 佐原みつる 「水曜の森」
[ID 200] 東郷真波 「発泡ひこうき」
[ID 221] 廣西昌也 「末期の夢」
[ID 253] 黒崎恵未 「ふたこぶらくだ」
-------------------------------------------------------

-------------------------------------------------------
■一次予選通過作品

[ID 138] 日野やや子 「アンチェインド・ヒダマリ」
[ID 139] 深井順子 「谷底にて君を想う」
[ID 242] 瀧音幸司 「あおすぎる空」
[ID 249] 末松さくや 「てのひらの名前」
[ID 258] 我妻俊樹 「花とチャック flowers and zippers」
-------------------------------------------------------

応募者のみなさん、ありがとうございました。

http://ogihara.cocolog-nifty.com/


[999] 穂村弘選「第5回歌葉新人賞候補作品&一次予選通過作品」 穂村弘 2006年08月20日 (日) 14時30分

こんにちは、穂村弘です。
私の一次選考結果は次の通りです。
よろしくお願いいたします。

●候補作品
[ID 167]佐原みつる「水曜の森」
[ID 216]西島ぺこ 「あ いま泣きたい」
[ID 221]廣西昌也 「末期の夢」
[ID 228]中田有里 「今日」
[ID 251]市川周  「午後の右翼手」

●一次予選通過作品
[ID 161]望月浩之 「それはまだ」
[ID 200]東郷真波 「発泡ひこうき」
[ID 222]島なおみ 「海、森、あなた、繰り返し」
[ID 231]土岐友浩 「Bird Worldwide」
[ID 263]フラワーしげる「惑星そのへん」

以上です。


[998] 加藤治郎選「第5回歌葉新人賞候補作品&一次予選通過作品」 加藤治郎 2006年08月20日 (日) 09時02分

こんにちは。

加藤治郎です。

暑い夏、続いています。

では、私の一次選考の結果を発表させていただきます。


★候補作品
──────────────────────────────────

[ID 161] 望月浩之 「それはまだ」
[ID 221] 廣西昌也 「末期の夢」
[ID 233] 須藤歩実 「ウミガメの瞳」
[ID 258] 我妻俊樹 「花とチャック flowers and zippers」
[ID 263] フラワーしげる 「惑星そのへん」

──────────────────────────────────


★一次予選通過作品
───────────────────────────────

[ID 167] 佐原みつる 「水曜の森」
[ID 173] 虎村妙一 「聖書の原文」
[ID 222] 島なおみ 「海、森、あなた、繰り返し」
[ID 230] 泉 有  「ハートに火をつけて 〜異星人 MEETS A 女子高生〜」
[ID 273] 沼谷香澄 「ジハード」

───────────────────────────────

以上です。


応募されたみなさん、本当にありがとうございました。



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[997] 一次審査結果発表にあたって 加藤治郎 2006年08月20日 (日) 08時50分

おはようございます。

本日、第5回歌葉新人賞一次審査の結果を発表いたします。

応募総数は、155でした。
たくさんのご応募、誠にありがとうございました。

なお、作品IDは、システムの制約上、昨年からの連番になっています。
ご了承ください。

よろしくお願いいたします。

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[996] 一次審査の発表について 加藤治郎 2006年08月10日 (木) 23時35分

みなさん、こんにちは。

加藤治郎です。

37℃とか、38℃とか、日本、沸騰中です。



さて、歌葉新人賞への応募、ありがとうございました。
最終回ということで、一作、一作、思いを込めて応募作を読んでいます。

一次審査の発表は、8月20日(日)を予定しています。

よろしくお願いいたします。


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[995] 募集されてたんですね... キャサリン 2006年07月28日 (金) 22時34分

久しぶりにコチラへお邪魔して、ショックです!

短歌を始めた年齢が遅かったので
年齢制限のない新人賞は素晴らしい企画だと思っていました。
最後だったんだ...
シクジッタ!
なんちゃって!どうせ下手なのしか出来ないんですが(エヘ)
でも、密かな夢が凹んじゃったみたいに残念です。

シャアナイから
今後の白熱した書き込みを楽しみにしていますね。
勉強させて頂きますので、どうぞ、おきばりやす!


[994] はじめまして。 雨宮司 2006年07月11日 (火) 10時01分

 今回が最後と知り、急いで応募いたしました。自宅にネットを引けない事情があるので、もっぱらネットカフェからの発言となります。お許しを。
 過去の受賞者の皆さんの作品を読んでいると、原石、という言葉が本当によく似合います。審査員の方々は、いわば露頭を探す作業をこなしておられるのですね。将来性やら何やらを考えながらツルハシを振るっている姿を想像してしまいます。
 まだまだ未熟者ですが、賞に作品を出すからには手は抜きません。気合を入れて組み上げましたので、御講評のほど、よろしくお願い申し上げます。
                      雨宮司拝
 


[993] 応募ありがとうございました 加藤治郎 2006年07月05日 (水) 08時53分

こんにちは。
加藤治郎です。

皆さん、歌葉新人賞に応募ありがとうございました!

速報では、応募総数は約140ということです。

どんな作品に出遭うか、楽しみにしています。





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[992] Re[991]: 発言していいんでしょうか? 加藤治郎 2006年06月23日 (金) 20時21分

こんにちは。
加藤治郎です。
こちらで発言していただいてけっこうです。
また、選考委員の議論もこちらで展開されますので、ご期待ください!



> はじめまして。
> 第3回歌葉候補作に残った鳴井有葉さんのHPでこちらの賞の存在を知り、いつか応募してみたいと思っていたところ、今回で最後ということであわてて作って気がはやいので先ほどさっそく応募させていただきました。第4回から応募者の発言がないようですが、別の場所があるんでしょうか。発言してしまっていいんでしょうか?
> 過去の作品をみてみると、みなさんレベルが高く個性的で今回が最後でなければ断念してしまうところです。願わくば先生方の評価をききたいですが・・・よろしくお願いいたします。


[991] 発言していいんでしょうか? 桜木 2006年06月23日 (金) 12時44分

はじめまして。
第3回歌葉候補作に残った鳴井有葉さんのHPでこちらの賞の存在を知り、いつか応募してみたいと思っていたところ、今回で最後ということであわてて作って気がはやいので先ほどさっそく応募させていただきました。第4回から応募者の発言がないようですが、別の場所があるんでしょうか。発言してしまっていいんでしょうか?
過去の作品をみてみると、みなさんレベルが高く個性的で今回が最後でなければ断念してしまうところです。願わくば先生方の評価をききたいですが・・・よろしくお願いいたします。


[990] 第4回歌葉新人賞決定 荻原裕幸 2005年10月24日 (月) 02時11分

各位

10月23日(日)の公開選考会にて、
下記の通り受賞作が決定いたしました。

 第4回歌葉新人賞
 笹井宏之「数えてゆけば会えます」

 次席
 宇都宮敦「ハロー・グッバイ・ハロー・ハロー」

おめでとうございます。

         選考委員 荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘

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[989] [ID 59] 島なおみ「十月のファム・デリカと砂の船団」 荻原裕幸 2005年09月20日 (火) 00時43分

島なおみさんの「十月のファム・デリカと砂の船団」、
全体の「奥行き」を見きわめるのがなかなかむずかしいね。
まずは連作の構造についてですが、
詞書も短歌スタイルにして、地歌を非作品扱いにするというのは、
岡井隆的手法で、これはまあオーソドックスなものと思います。
問題は、パーレン内に表記されたものとそうでないものの差が
何に由来して何を狙ったものかということでしょうか。
長くなりますが並べ直してみますね。
冒頭に*の付いたものは詞書です。

 *(国境の河より戦ははじまって砂煙けぶらす魚の婚礼)
  (映写室の壁をたゆたう綿雲はアラル砂漠の朽ち船のゆめ)
  (二日後に壊されるとき老いぼれた彼女の悲鳴を誰が聞くのか)
  (うっかりと死んでしまったぼくの目が灰色ににごりゆくまでは雨)
  (おんなとは砂絵のなかの王国が滅する朝を動くみずうみ)
  (開かれることなくきみは天金の書として世界の果ての書店へ)
  (公園の砂場から発つバス時刻黄色いバケツが知らせてくれた)
 *(馬の毛の軍用毛布につつまれた言葉を夕べのあなたに献ぐ)
  (十月の白いポストに大切なたいせつな手紙ほど届かない)
  (ステンレスボウルの底の海砂がいつもより鳴くから逢いにゆく)
 *(すみませんでした。ニッポンへ戻りたいです。すみませんでした、すみませんでした。)
  (手を握ってよ岬では船火事のような地球の夕暮れだから)
 *(ねえ、きみのbloodきみのflesh ねえ、祈りのかたちのきみの銃剣!)
  (森の木に鋸をひく日の夕まぐれ大きな弦楽器が倒れゆく)
  (音楽はいまは要らない砂だけで満たせ静かなぼくの不在を)
  (どこからか、花のにおいを運んでは一瞬きに消してゆく、――雨?)

パーレン内のテキストだけを独立した連作として読んでみると、
「国境の河より戦ははじまって」→イランイラク戦争→石油の利権問題
「アラル砂漠」→アラル海の砂漠化→水資源の危機
「すみませんでした。ニッポンへ戻りたいです。」→香田証生さん→イラク戦争
「船火事のような地球の夕暮れ」→環境破壊
というような一群の連想がぼんやりとかたちになって浮かんで来ます。
特に、イラク戦争戦後二回目の日本人人質事件で犠牲になった香田証生さんの
最期のことばとなった「すみませんでした。日本へ戻りたいです。」が、
ダイレクトに引用されたところから、パーレン内のテキストは、
平和志向をもちながらも二〇〇四年「十月」に「うっかりと死んでしまった」
香田証生さんを仮想した(霊魂的な存在の)一人称の語り、として
ある程度決めこんで読んでもいいのではないかと考えられます。
砂のイメージを通して、死者の魂、国家と資源、戦争、環境破壊
といったモチーフを連作内の連作に詰めこんだという感じでしょうか。
一方、パーレン外の、一般的な表記の部分も並べ直してみます。

  突然の空とみどりと口づけの、わたしが雲になりゆくまでの
  裁判所前で降りれば女らが湯気たてて待つデリカテッセン
  傷のない卵を置いた樫の木のテーブルにいま向き合うふたり
  雨音は砂音に似て巣箱からこぼれた鳩のくちはし叩く
  体温が痛い日でしたトビウオの背中に空を詰めこんだのは
  白長須鯨うごかぬ映像を「船」のフォルダへ移す土曜日
  ヘンケルの包丁で描く解剖図やさしい臓器はやさしいままに
  怖い出来事を忘れられない鳩たちの頸羽光る ふかく みどりに
  主人公として生きるには辛いほどわたしちっとも苦しんでない
 *ジョイス漬けだった去年の六月はもうニャオ、ムクニャオ、ムルクニャオ
  ぐわらんぐわらん限りない呪詛欠けてゆくお皿の上を走れピーグル
  ビニールの傘のむこうの楽音は民兵たちの行列行進 きっと
  錠剤をふたつ飲みこみ少し泣き泣きながら見る浴室タイル
  ライムの花の残りひとつを摘み取ればその痛々しい白さがきみだ
  歪みつつ奔る音程いつしかにバクダッド・カフェは古い映画で
  読みかけの本とあなたの靴底がはこんだ砂は、まだ、ここにある
 *鳥さえも飛ばない海を見たことはある? ほら、一羽、影が落ちてく
  座礁したイルカの眸の青年のくちびるまでを花びらあふれ
  少し力を込めた感じが残る手であなたの白いさかなに触れる
 *香草と銀のフォークがやさしげに "Are you going to Scarborough Fair? "
  終わるとき溜息だけが川舟のようにからだを離れていくのね

これもさらに独立した連作として読んでみると、
フレームとして、きみとわたしのものがたり、があります。
わたし、は、デリカテッセン(惣菜屋さん、ですかね)で働いているようです。
「主人公として生きるには辛いほど」のふつうの暮らしのなかで、
卵、鳩、トビウオ、白長須鯨、やさしい臓器、猫(ムルクニャオ等の鳴き声)、
ビーグル、ライムの花、鳥、イルカ、白いさかな、香草などの
言ってみれば他の生物/生命との平穏な関係に囲まれているようです。
ことばは悪いですけど、この「平和惚け」的な「ファム・デリカ」の世界に、
きみ、として、パーレン内のテキスト=「砂の船団」の世界を交差させ、
人質事件における日本(共同体)とイラク等(外部)の現実の感覚差を再考した、
といったところが、この連作の構造なのだと考えて良いように思います。
細部のアレンジについては、わかるものわからないものがありますが、
書きはじめたらきりがないので、このあたりにさせて下さい。

で、いちばんの問題は、この作品群の評価なんですが、
一つにはワープロ/パソコンによる方法論がここまで来た、
という点に着目すべきだと考えています。
短歌の連作は、かなりアバンギャルドなものでも、
並べた順にリアリティが積み重なることが指向されていました。
あたかも、一人称が順にそう考えたり感じたりしていった、
それがそのまま書き記されていったように見える、
という時間の流れにかなり強く支配されていたんですね。
この一連はそれを崩して、どこからでも読めてしまう
不可思議な流れを成立させていると思います。
切った貼ったが自由にできるワープロ/パソコン記述、
しかもテキストデータとしての媒体=WWWによるものでしょう。
実際ぼくが読むときにも、切った貼ったをして読んだわけですから。

もう一つには、こうした複合テーマ的な連作を
現代短歌の一首としての文体を歪めずにまとめた、
という点にも着目すべきかと考えています。
東直子さんが登場したあたりから、
若い世代を中心に文体のフラグメント化が進んで、
一首独立の独立の定義が微妙にずれました。
共同体の文脈で意味や印象が十全に補完されなくても、
かつての秀歌に相当する良い歌として認められはじめました。
一首独立を要求する連作が作りやすくなったとも言えます。
その状況を徹底して活用したということになりましょうか。
ちなみに、一首単独で読んで強く惹かれた作品は以下のものなどです。

  突然の空とみどりと口づけの、わたしが雲になりゆくまでの
  白長須鯨うごかぬ映像を「船」のフォルダへ移す土曜日
  ヘンケルの包丁で描く解剖図やさしい臓器はやさしいままに
 (ステンレスボウルの底の海砂がいつもより鳴くから逢いにゆく)
  読みかけの本とあなたの靴底がはこんだ砂は、まだ、ここにある
  少し力を込めた感じが残る手であなたの白いさかなに触れる
 (音楽はいまは要らない砂だけで満たせ静かなぼくの不在を)



以上で候補に推した五篇へのコメント完了です。

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[988] [ID 66] 佐原みつる「靴の踵の月」 荻原裕幸 2005年09月19日 (月) 22時02分

事務的なIDの順に、と思っていましたが、
島なおみさんのは長くなりそうなのであとにします。



佐原みつるさん「靴の踵の月」、
明日が見えない系都市型生活抒情の典型、
といった印象がありましたけれど、
三十首がそれぞれきもちのよい完成度をもっていて
典型を貫いて個性に昇華するだけの力量を感じます。

 空耳にまみれてしまう夕暮れの耳のかたちをノートに写す
 右肩のくぼみに砂を受けながらいつか呼ばれた気のする名前
 なんとなく片付けられたテーブルの下にわたしがすべてこぼれる
 渡るとき白いとこだけ踏む癖も靴の踵の月はみている
 天国が別の名前で呼ばれても配達されないままの絵葉書
 メーリングリストからはずされた名をみどりのペンで何度も綴る
 カローラの窓から右手差し出して西日にうぶ毛きらきらひかる

俵万智さん以後、奔流のようにあらわれた
ポップス系の情景の切り取り方なんですね。
ただ、そういう情景を57577に詰めこむという
短歌の形式で書いてみました、という感じはなくて、
あらかじめ短歌の形式で考えたり感じたりしている印象ですね。
散文的な意味に微妙に破れ目が出来ているところに、
抒情に似て非なる詩のちからみたいなものが感じられて良いです。
たしか前回にもこの人を推しましたが、
連作を貫く構想といった注文が他のお二人から付いたかと。
その点はまだこの人の課題のまま残っているかも知れないです。

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[987] [ID 109]土岐友浩「Freedom From」について 加藤治郎 2005年09月19日 (月) 12時21分

土岐友浩さんの「Freedom From」です。
抒情の主体がくきやかである点。これは今、短歌の批評で顧みられることは余りない。
それは単に日常の私の生活を詠うということではなく、いかに作中に抒情の芯が提示されるか、その明度による。
この作品には、医学生あるいは京都という枠組みがあるが、それだけで評価するものではもちろんない。

 てぶくろの首から呼気を吹きこんで手袋はめるさよならずっと

手術用の手袋だ。それをはめ、これから始まる緊張の場面である。手袋にふっと息を吹きこんでふくらませる。ゴムの手触りまで感じられるようだ。こういうところまで表現を尽くさないと、現実には言葉が届かないという判断が作者にある。それが抒情主体のくきやさの実体である。この緊張は「さよならずっと」という感傷と紙一重だ。
こういう混淆は、ときおり現れる。

 実習体 87 の下腹部を離断ひかりの降り灑ぐなか  *ルビ:灑=そそ

一つ前の歌。ここでは上句の即物性と、下句の美化それは救済のイメージに繋がっているが、そういうものが出合っている。

 透きかげる冬のフラスコやわらかく手首を洗いざまに流涙

この歌の、描写を通じての抒情はいいのだが「流涙」という窮屈な感傷は疑問であった。

 ほうれん草くいつつおもうモルヒネをのんで蝦夷菊写生する子規

こういう時間とモチーフの拡がりはよいと思う。
史的な時間軸を持ち込むことが、主体の位置を確かにしてゆくことは明らかだろう。

ほかによいと思った作品。

 ふしぎな音のする明け方の病棟の長い廊下を僕は知らない
 裏むきの落ち葉かぞえる原形をとどめていないのはどうしよう
 高くから雨ふりかかるクリスマス・カードふたつに折り京都駅
 街かどに佇つスミス&ウェッソン社製ナイフ売りその影ふたつ
 *ルビ:佇=た
 ポケットに言葉さぐれば真っ白なガーゼのおくにうるみけぶる血
 白黒抹茶あがりコーヒーゆず桜あまがさの咲く雪のバス・ストップ
 ファー・ボレロ纏う少女の讃美歌は白鳥の骨くらいのかるさ

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[986] [ID 86]廣西昌也「コリアンダー畑」について 加藤治郎 2005年09月19日 (月) 11時20分

廣西昌也さんの「コリアンダー畑」です。
 
 否応もなく黄砂飛ぶ春の日に呼び名が変わる我が生誕地

という歌があります。一連は、生誕地に染みついた諸々のものを歌い上げている。
土着的という言葉がいいかどうか、自らの生の根源に遡っていく強いモチーフがある。
が、呼び名が変わるように、そこは変質していく。
さらに、テロリズムや戦争のシーンが交差する。

 爆発の方向からの風をうけみんなでラジオ体操をする

夏である。核爆発を想起した。それは過去からの風かもしれない。
みんなそのままラジオ体操をしている。なぜ逃げない。半ば懐かしく夢のような場面になっている。

 山中の錆びた車は不安です車が夢を見ているようで

これは冒頭の歌。社会から廃棄されたものが夢を見て、安らいでいるようなイメージ。なにかが起こるかもしれない不安。文明批判、機械の反攻といった紋切り型のメッセージではないが、そういうものをやんわり示唆している。

 とある朝王子が浜に腐敗した巨大な神が打ち上げられる

王子が浜に、と切って読んだ。「腐敗した巨大な神」に驚愕した。
小池光さんの歌に「潮汲みにひとりきたりし厨子王は流れつきにしほとけに会へり」があったが、そうすると「腐敗した巨大な」あたりが、作者の強烈なデフォルメということになろうか。

 揺れやまぬ熊野の海のひとところ胎児の僕が漂っている
 コリアンダー畑が海に近くあり匂いがとてもすてきなジャズだ

この二首は並んでいる。
生まれる以前の自分が熊野の海に安らかに漂っている。生誕地へ同化する希求。
その海にコリアンダー畑というのは、ちぐはぐである。
土地の変質を象徴していよう。それをジャズのような活気として肯定的に受け入れているのだろう。

ほかにも次のような作品に惹かれた。

 回送の電車がとおるうす暗い客車に僕を抱いたかあさん
 気が付くと僕は楽器になっていた母はかき鳴らすのが大好き
 にんげんのあとまで生きてゆくものの声が朧の中に聞こえる
 こんなにも低音がなる楽器ですウミという名があらかじめ在る
 飛行機の音は去りゆきまだ若い農婦にあわく雨降り続く

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[985] コメント 荻原裕幸 2005年09月19日 (月) 01時44分

とりあえず三篇についてコメントまとめました。
今回の、三人の推す候補作の集中ぶりには、
選考している当事者の一人として
あ、何かが起きているみたい、と感じるのですが、
それが何なのかがうまく見きわめられません。
さらにじっくりと考えてゆきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。

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[984] [ID 58] クロダマサコ「あかいたそがれ」 荻原裕幸 2005年09月19日 (月) 01時18分

クロダマサコさんの「あかいたそがれ」、
全首かな書きというのはある種のパターンで、
マイナスの先入観をもちながら読んでいました。
ただ、読み終えたときには表記法に納得していました。
ところどころ、ちょっとこれは甘いかなあ、
と思う作品もあったのですが、
全体を読むとそれもメリハリの一部に感じられて、
快い読後感のある一連でした。

 あたたかいひもつめたいひもあるのですじゃぐちのおくのひかりのように
 それがどんなきれいなあさでもなべのそこへばりついてるくらいへやがある
 きいろでもちゃいろでもないはずなのにまだらのきりんはせかいをみおろす
 てのひらをしきつめたへやにとじこもりつめをきるおとだけきいている
 ノブのないドアなのかドアのないノブかよくわからないふんさいちょくご
 にくでできたぼくにははいになったきみといっしょにのみたいコーヒーがある
 コーヒーをのみほしてすぐがらんどうのきょうににもつをはこびこんでゆく

このあたりが一連のエッセンスだと思います。
フレームが、きみとわたしのものがたり、なので、
いわゆる想定内の流れを大きくはみ出すところがなく、
一連の展開にはそれほど強いインパクトは感じませんが、
個々の作品が見せてくれている切迫感は
そこここに類型のない雰囲気も漂わせています。
歌集単位でも読んでみたいというきもちになりました。

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[983] [ID 40] 笹井宏之「数えてゆけば会えます」 荻原裕幸 2005年09月19日 (月) 01時14分

笹井宏之さんの「数えてゆけば会えます」、
読んで鳥肌のたつような感覚が何度も起きました。
自己像の構築よりも詩想を重視した、というような
現代短歌のコンテクスト上で考えることも可能ですが、
そうした論点を超えたことばの起爆力があるように思います。

 真水から引き上げる手がしっかりと私を掴みまた離すのだ
 拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見れません
 ひなたにはあなたをおいてぶらんこの鎖をひとつ残らずとばす
 上空のコンビニエンスストアから木の葉のように降ってくる遺書
 栄光の元禄箸を命とか未来のために割りましょう、いま
 水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って
 それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどのあかるさでした

抽象度の高い文体の困難な点は、
読む側が少しでも気を抜くと
どれもこれもが類型的に見えてしまうことでしょうか。
われわれ読者が作品の個性を識別するコードが
無意識のうちに具象性の上にのっかっているからでしょうね。
この作品、推そうと思ってからも繰り返し読み直しました。
放っておけない才質だと強く感じました。
一次選考の結果が出てから
選考委員が三人とも推しているのは凄いな、
と、他人事のように感じるほど驚いたりもしました。

気になったのは、連作の流れで
たぶん作者がそちらを状況としてベターだと考えているらしき、
詞書「いま」よりも後の作品にかすかに漂う明るさでしょうか。
「いま」よりも前の緊張感のある文体がより良いと思うのです。
明るさの方へ性急に何かを解消しようとすると、
構成上、起爆力がやや小さくなるようにも感じました。

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[982] [ID 21] 瀧音幸司「ユンボと水平線」 荻原裕幸 2005年09月19日 (月) 01時10分

瀧音幸司さんの「ユンボと水平線」、
無頼っぽい感じとかどこか演歌調なところとか、
何かとても懐かしい匂い、単にノスタルジアではない、
がして、それを楽しみながら一連を読みました。
岸上大作とか寺山修司とか福島泰樹とか、
そういう系列の匂いの現在形でしょうか。
ユンボ=此処、と、水平線=彼処
という対立項の設定はオーソドックスですが、
懐かしい系の新しさみたいなものを感じました。

 いつだって精彩を欠くおれのためあんまり晴れてくれるな、空よ
 腹筋が趣味ですというばかものが映るテレビを消せば夕闇
 もうダメだおれはこれから海へ行くそしてカモメを見る人になる
 完璧な一日なんて無いと知れおまえごときであればなおさら
 歯科助手に美人が多いということの理由を考え糞をしている
 よく晴れた勤労感謝の日におれが働いてるってことの不可思議
 会社までとばせば三十分で着く誰も轢かないという前提で

基本にあるのは典型的な自己中心性ですね。
完璧な一日、は、なんだかジャイアンの科白みたい……。
ただ、周囲が見えなくなるような、
客観性を欠いた自意識の押し売り的なものではなく、
結句に到る文体の流れのなかにはいずれも
短歌として何かを構築しようとする意志が見えます。
和歌の帝王歌にどこかでつながっているような、
日常的な素材を通したその向こう側に
みやびな印象さえある天真爛漫さに惹かれました。

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[981] [ID 99]我妻俊樹 「水の泡たち」について 穂村弘 2005年09月18日 (日) 09時24分

我妻俊樹さんの「水の泡たち」について。

詩を詩として書こうとするときの自家中毒的な苦しみを感じるけど、この場合、それはレベルの高さとほぼイコールかと思います。
その苦しみを抜けてきたポエジーの破壊力は素晴らしい。

 自転車をひきずる森でかなたより今うでの毛のそよぐ爆発

このイメージには眩暈を覚えます。
或いは、こんな歌。

 手裏剣に似た生き物が宇宙から降ってきたわけではなく夏よ
 飼い犬におしえた芸をきみもする いくつものいくつもの墓石
 雨雲をうつしつづける手鏡はきみが受けとるまで濡れていく
 夏の井戸(それから彼と彼女にはしあわせな日はあまりなかった)
 時計屋に泥棒がいる明け方の海岸道をゆれていくバス

いずれも強烈な受難の感覚を詩に転換できていると思います。受難の感覚をいったんまともに受けてから表現に転換しているところが、笹井さんとの違いかな。

 「先生、吉田君が風船です」椅子の背中にむすばれている

こんな新鮮な突き抜け方もいいですね。


[980] [ID 52]宇都宮敦 「ハロー・グッバイ・ハロー・ハロー」について 穂村弘 2005年09月18日 (日) 09時19分

宇都宮敦さんの「ハロー・グッバイ・ハロー・ハロー」について。

言葉を使うことで、それ自身によって蓋をされて殺されてしまう「現場の生命感覚」を、一首のなかでうまく蘇生させていると思います。例えば、

 足の指先はつまさき つまさきのいつもつめたい僕の恋人

の「足の指先はつまさき」という念押し。或いは、

 真夜中のバドミントンが 月が暗いせいではないね つづかないのは

の「月が暗いせいではないね」の位置。

 “Re:林家ペーがいた”って件名のみじかいメールが告げるお別れ
 のばしかけの髪がちくちくするけれどアフロはでかいほうがいいから
 それでいてシルクのような縦パスが前線にでる 夜明けはちかい
牛乳が逆からあいていて笑う ふつうの女のコをふつうに好きだ

どれもいいですね。
これらの歌は瑞々しいんじゃなくて、瑞々しさの延命への意志の成就とでもいうのか、殆ど虚無的なものを孕んでいて凄いです。死んでるかもしれないものを強引に蘇生させている。まあ、そこまで云わないにしても、

 君じゃなく叫ぶことなどない僕が泥の中からマイクを拾う

にみられるような認識の苦さが反転して、一連のスイートさに生命感を与えていると思います。


[979] [ID 42]望月浩之「きみ群れることなかれ。」について 穂村弘 2005年09月18日 (日) 09時14分

望月浩之さんの「きみ群れることなかれ。」について。

「ユンボと水平線」のホワイトカラー・バージョンというか、追いつめられ方とそれに対する反応を丁寧に描くことで、一種の閉じたリアリティの世界を作り出していると思います。

 貧弱なクリーニングのハンガーが5本たまれば週末の朝
 最後にはラップの芯で叩かれる開かないジャムの瓶のフタかも
 全自動洗濯機の蛇口かたく閉めふたを閉じれば始まる日曜
 「お先に」と帰った次の早朝に抜いて見ている他人(ひと)のタイムカード
 Yシャツの袖のボタンが次々に割れてしまって腕まくりの日々
 トイレでは手拭のタオルもびしょ濡れで重くなってた木曜三時

無力感、徒労感、脱力感、絶望感に具体的なかたちを与えるテクニックの冴えがありますね。そのなかには超微量の希望が輝いているわけで、希望や憧れを直接詠った作品よりもいい。
また感情をモノに託してゆく手つきには俵万智さんを思わせる安定感があると思います。


[978] [ID 40]笹井宏之 「数えてゆけば会えます」について 穂村弘 2005年09月18日 (日) 09時11分


笹井宏之さんの「数えてゆけば会えます」について。

不思議な言葉の並びですね。
たぶん普通に書いてこうなるんだと思うけど。
先端を指でつままれたホースからは、自然に出ている水が特殊な飛び方をするというか、ちょっとそんな印象です。
作品には学習や工夫のあともみられるし、そこまで機械的なものとして捉えてはいけないんだろうけどね。
ただ一種の特殊能力というか心の癖のような何かがベースになっているのは感じます。
どれを引用すべきか迷うんだけど、

 滝までの獣の道を走り抜けあの子は歌手になるのでしょうね
 拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見れません
 水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って
 集めてはしかたないねとつぶやいて燃やす林間学校だより
 横たわるワイングラスにあんこうの頭がひかる古いお話

このあたりが歌としてのバランスはいいのかな。
それ以上に、たぶん潜在的には物凄い秀歌、というものが沢山ある。
魅力的な作者だと思います。


[977] [ID 21]瀧音幸司 「ユンボと水平線」について 穂村弘 2005年09月18日 (日) 09時07分


こんにちは、穂村弘です。
私もコメントを書いていきますね。

まず、瀧音幸司さんの「ユンボと水平線」から。
言葉が〈私〉の生に対して、なんというか、実用的に関わっているような印象をもちました。例えば、

 とめどなく不安と緊張あふれ出る奇跡の泉かおれの頭は
 ああ月夜、死ぬまで何本あったか〜い缶コーヒーを買うのかおれは

「奇跡の泉」「あったか〜い」が面白いわけですが、このような言葉による「相対化、へらずぐち、ギャグ」が心の内圧に追いつかなくなったとき、〈私〉は本当に破綻するんじゃないか、と思えるような感触があります。

 もうダメだおれはこれから海へ行くそしてカモメを見る人になる

この「カモメを見る人になる」という表現もそうかな。
「もうダメだ」と云いつつ、言葉で身をかわすだけの余力があって、そこで一首が成立している。これが「カモメにエサをやるのだ」になると、既に呑まれてしまった人ということになりそうです。

 この一本吸ったら眠ると決めて吸うあしたが来ないようにゆっくり
 会社までとばせば三十分で着く誰も轢かないという前提で

「誰も轢かないという前提で」には、そのぎりぎりの魅力を感じます。




[976] [ID 58]クロダマサコ「あかいたそがれ」について 加藤治郎 2005年09月11日 (日) 13時09分

クロダマサコさんの「あかいたそがれ」です。

すべて平仮名表記ですね。
平仮名には、意味を薄め、韻律に向かわせる効果がありますが、クロダさんの場合は、もっとポジティブ。
言わば、攻撃的な平仮名表記なんです。表記も修辞だということを強く感じた一連でした。
かなり強引で、ふつうこの詩型では無理なこともどんどん言ってしまう。その熱量が魅力です。

 さんかいてんはんはゆるめなネジのままきみとまぐわいうちゅうりょこうへ

「三回転半は緩めなネジのまま」これは行為の喩ですね。
うまく繋がらないけれども、そのまま宇宙旅行へ行ってしまう。
「きみとまぐわいうちゅうりょこうへ」なんてのは、平仮名表記でないともたないです。

 ノブのないドアなのかドアのないノブかよくわからないふんさいちょくご

粉砕直後。こういう硬質なものをぶつけてくる。攻撃的ですね。
上句では、形のないもの、宙づりの感触が、うまく語られています。
こう読んでくると、平仮名表記で目立たないが、かなりの喩法でありイメージ化の力量がある作者だと分かります。

 てのひらをしきつめたへやにとじこもりつめをきるおとだけきいている

この歌の上句、感覚を刺激してくるイメージがあります。
一連全体では破壊と変成が語られている。平仮名表記と喩法の相乗効果がある一連として候補作に推しました。

ほかに次のような歌に惹かれました。


 きみというやさしいおりのなかにいてりんごにへびにかわるにくたい

 こなごなによるはくだけてねぶそくのぼくらにそっとまいそうされる

 それがどんなきれいなあさでもなべのそこへばりついてるくらいへやがある

 ぜんのうのかみよぼくらをいつのひかもどるべきにわにかえしてください

 はくちゅうむしろくろきいろはなまんかいしゃかいかいめつめざめろせかい

 にくでできたぼくにははいになったきみといっしょにのみたいコーヒーがある

 めをさまししゅういつかかんのろうどうはミッキーマウスのこどくとともに

 だいなしのおとぎばなしをひっさげてペダルふみつけいざいく、みらい

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[975] [ID 40]笹井宏之「数えてゆけば会えます」について 加藤治郎 2005年09月06日 (火) 23時14分

こんにちは。
引き続き、笹井宏之さんの「数えてゆけば会えます」です。

ポエジーということでは際立った一連だと思います。

  真水から引き上げる手がしっかりと私を掴みまた離すのだ

真水というのが、完璧で、逃げ場のない何かに取り囲まれている感じを強く喚起する。
そこから救う手の「しっかりと」にこめられた深い安堵と、すぐに来る絶望。
この酷薄さが、一連の基底にあるのだろう。

  集めてはしかたないねとつぶやいて燃やす林間学校だより

  水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って


こういった幾分ノスタルジックな歌には心が洗われる。
一人の無垢な少年がいる。
林間学校だよりには、夏休みの学友たちのことが載っているだろう。それを集めて遠い情景を楽しむのだが、彼らとは淡く隔たる。しかたなくそれを燃やすのだ。
譜面の歌は、映像詩のようで、とりわけ美しい。
手つかずの詩がそっと差し出されている。


  星が甘いのを知っている私たちの頭上で出産しはじめる獅子

  レシートの端っこかじる音だけでオーケストラを作る計画


淡い透明なイメージと、こういった奇想とも言える破壊力のある像が一連には混淆している。
おそらく作者には自然に想起したイメージの記述なのだろう。



ほかにこんな歌に感銘を受けました。

  拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見れません

  鶏のこどもを連れて冬空か夏空に軽く会釈をしたい

  上空のコンビニエンスストアから木の葉のように降ってくる遺書

  家を描く水彩画家に囲まれて私は家になってゆきます

  とてもよくしてくれたミシンかかえてもう少しあなたを待ってみる

  心地よいほうのからだを上下させ夜の肩甲骨の彫刻

  それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどのあかるさでした

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[974] 【第4回歌葉新人賞公開選考会のご案内】 佐藤りえ 2005年09月06日 (火) 12時51分

こんにちは、佐藤です。
審議中ですが告知させていただきます。

下記のとおり、公開選考会を開催いたします。
みなさまのご参加をお待ちしております、よろしくお願いいたします。

------------------------------------------------------------------------
第4回歌葉新人賞/公開選考会

【日時】2005年10月23日(日)13:30〜17:00(受付13:00〜)
【会場】Coco de sica青山 セミナールーム
    東京都港区南青山2-24-15 青山タワービル13F
    TEL 03-3402-1851
    ※地下鉄銀座線外苑前駅 渋谷方面1b出口
 http://www.coco-de-sica.com/rental/aoyama_map.htm
【選考委員】荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘
※第4回歌葉新人賞候補作について充分に討議をし、
 選考委員の合意により、受賞作品を決定いたします。

【参加費】1,500円
【参加申込先】佐藤りえ(fragile@fun.cx)
※お席に限りがございます、事前にメールでお申込み下さい。
 万が一満席の場合、折り返しご連絡させていただきます。

【主催】コンテンツワークス株式会社、エスツー・プロジェクト
【協賛】風媒社
------------------------------------------------------------------------


[972] [ID 21] 瀧音幸司 「ユンボと水平線」について 加藤治郎 2005年09月06日 (火) 00時14分

まず、瀧音幸司さんの「ユンボと水平線」です。

この作品を読んだ後では、今までどうしてこういう歌が現れなかったのか、かえって不思議な感じもします。短歌の雑誌には載っていない感じ。等身大、自然体といってもいいし、ごく普通に働く男の日々が、劇画的に歌われている。去年の「卓球短歌カットマン」に通じるものがあると思います。パラシュートでいきなり短歌島に降りてきた感じがする。

 突然に発狂するかもしれなくて「おれをユンボに乗せるな」と言う

 暮れるまで眺めていたが春の日の何も現れない水平線

タイトルはこの二首から来ていますね。一連の縁取りとして的確だと思います。
ユンボ(油圧ショベル)が働く現場の象徴であり、水平線は明日に続く憧れのようなもので、やはりそこには何も現れないという。一つのパターンではあるが、このストレートさはいいと思います。

あと、こんな作品が響いてきました。


 腹筋が趣味ですというばかものが映るテレビを消せば夕闇

 四百字以内で述べよ台風が寝てる間に去ったさびしさ

 もうダメだおれはこれから海へ行くそしてカモメを見る人になる


はちゃめちゃになっても、夕闇、さびしさ、カモメを見る人、というところに収束するところが、哀しいんですね。


 大雨で「今日は休み」と電話来る兵役免除の報せのように

 歯科助手に美人が多いということの理由を考え糞をしている

 とめどなく不安と緊張あふれ出る奇跡の泉かおれの頭は

 この一本吸ったら眠ると決めて吸うあしたが来ないようにゆっくり

 おれはただ白痴のように笑ってる半径五メートルの平和のために

 会社までとばせば三十分で着く誰も轢かないという前提で

 ああ月夜、死ぬまで何本あったか〜い缶コーヒーを買うのかおれは

 ひとの意を汲む能力の乏しくて三月の雨に叩かれている

 失業し週に一度は出頭すハローワークの何がハローだよ

 目覚めても無職だったからもう少し冷凍睡眠機に入る
 *ルビ:冷凍睡眠機=コールドスリープマシン

読ませる歌が多かったです。


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[971] コメント 加藤治郎 2005年09月06日 (火) 00時12分

こんにちは。
台風、かなりきつそうですね。


今回、ご覧のとおり、一次選考では、今までになく、候補作品、一次予選通過作品で、三人の選出が重なったものが多かったです。
力作揃いの中で、これだけ集中したのは、よかったのではないか、ぎりぎりのところを三人が見極めたのではないか、と私はプラスに自己評価しています。

では、コメント、いきます。




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[970] 進行 加藤治郎 2005年09月02日 (金) 23時28分

こんにちは。

一次選考の結果が発表になりました。

今後の進行ですが、来週以降、選考委員のそれぞれの候補作へのコメントが順次アップされます。
その後、公開選考会を開催し、その場で受賞作を選出いたします。
公開選考会のご案内は、近々こちらにアップする予定です。

なお、候補作は歌葉サイトにアップされています。
http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/

よろしくお願いいたします。

http://jiro31.cocolog-nifty.com/


[969] 穂村弘選「第4回歌葉新人賞候補作品&一次予選通過作品」 穂村弘 2005年08月27日 (土) 20時32分

こんにちは、穂村弘です。
私の一次選考結果は次の通りです。
よろしくお願いいたします。

●候補作品
[ID 21]  瀧音幸司 「ユンボと水平線」
[ID 40]  笹井宏之  「数えてゆけば会えます」
[ID 42]   望月浩之  「きみ群れることなかれ。」
[ID 52]  宇都宮敦  「ハロー・グッバイ・ハロー・ハロー」
[ID 99]  我妻俊樹  「水の泡たち」

●一次予選通過作品
[ID 16]  小原メイ  「うしろ姿」
[ID 26] 舟本有里  「生きている人」
[ID 34]  新田瑛    「タイトル未定」
[ID 101] 夏己はづき 「トモダチと××」
[ID 111]  市川周   「ミルミルを飲みながら」


[968] 荻原裕幸選「第4回歌葉新人賞候補作品&一次予選通過作品」 荻原裕幸 2005年08月27日 (土) 15時00分

こんにちは。
荻原裕幸です。
ぼくの一次選考の結果は以下の通りです。

-------------------------------------------------------
■候補作品
[ID 21] 瀧音幸司 「ユンボと水平線」
[ID 40] 笹井宏之 「数えてゆけば会えます」
[ID 58] クロダマサコ 「あかいたそがれ」
[ID 59] 島なおみ 「十月のファム・デリカと砂の船団」
[ID 66] 佐原みつる 「靴の踵の月」
-------------------------------------------------------

-------------------------------------------------------
■一次予選通過作品
[ID 56] 柳澤美晴 「はるのくるみ」
[ID 86] 廣西昌也 「コリアンダー畑」
[ID 96] 水須ゆき子 「Double Vision」
[ID 99] 我妻俊樹 「水の泡たち」
[ID 114] 酒井翔 「オムニバス」
-------------------------------------------------------

応募者のみなさん、どうもありがとうございました。
どうぞよろしくお願いします。

http://ogihara.cocolog-nifty.com/


[967] 加藤治郎選「第4回歌葉新人賞候補作品&一次予選通過作品」 加藤治郎 2005年08月27日 (土) 11時00分

こんにちは。

加藤治郎です。

四度目の夏。また新たな風景が見えてきました。

私の一次選考の結果を発表させていただきます。


候補作品

──────────────────────────────────

[ID 21] 瀧音幸司 「ユンボと水平線」

[ID 40] 笹井宏之 「数えてゆけば会えます」

[ID 58] クロダマサコ「あかいたそがれ」

[ID 86] 廣西昌也 「コリアンダー畑」

[ID 109] 土岐友浩 「Freedom From」

──────────────────────────────────



一次予選通過作品

───────────────────────────────

[ID 30] 高崎れい子 「穴の出口」

[ID 56] 柳澤美晴 「はるのくるみ」

[ID 60] しおみまき 「愛宕やまのことり」

[ID 66] 佐原みつる 「靴の踵の月」

[ID 95] 佐藤有希 「白昼に踊るトルソー(イニシャルはブリキの太鼓を叩き続ける)」

───────────────────────────────

以上です。


応募されたみなさん、本当にありがとうございました。


☆彡

http://jiro31.cocolog-nifty.com/


[966] こんにちは 加藤治郎 2005年08月27日 (土) 10時50分

名古屋、かっと晴れています。

みなさん、お元気ですか。

そろそろ、いきます!


http://jiro31.cocolog-nifty.com/


[965] 第4回歌葉新人賞 加藤治郎 2005年08月07日 (日) 10時40分

みなさん、こんにちは。

加藤治郎です。

日本、煮えたぎっていますね。



さて、歌葉新人賞への応募、ありがとうございました。
ただいま、応募作を拝読しています。
力作揃いで楽しくまた大いに刺激を受けています。

応募総数は115 件でした。

なお、一次審査の発表は、8月27日(土)を予定しています。

よろしくお願いいたします。








http://jiro31.cocolog-nifty.com/


[964] 【詳細決定】第4回NTCのご案内【受付中】 佐藤りえ 2005年06月12日 (日) 22時47分

詳細決定しました。再度ご案内させていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。

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第4回ニューウェーブ短歌コミュニケーションのご案内

。,:*:・°☆。,:*:・ ★。,:*:・°☆。,:*:・°★。,:*:・°☆。

このたび、第3回歌葉新人賞授賞式及び記念のシンポジウムを開催することになりました。
みなさまのご参加を心からお待ちしております。

◆日時 2005年7月3日(日)
シンポジウム 13:30〜17:00
授賞式    17:30〜19:30
(受付開始 13:00)

◆会場 日本出版クラブ会館
http://www.shuppan-club.jp/index.html
東京都新宿区袋町6 TEL 03-3267-6111

交通アクセス
JR飯田橋駅(西口)徒歩8分
地下鉄都営大江戸線 牛込神楽坂駅(A2出口)徒歩2分
地下鉄有楽町線・南北線 飯田橋駅(B3出口)徒歩7分
地下鉄東西線 神楽坂駅(神楽坂口)徒歩7分

◆プログラム

★シンポジウム 「現代短歌を語りあう『ことば』」
【鼎談】
 荻原裕幸×加藤治郎×穂村弘

【若手歌人競演・公開歌合わせ】
 現代短歌の最前線をになう若手歌人による紅白戦
 判者:加藤治郎 司会:穂村弘
 紅組 石川美南 飯田有子 伴風花 盛田志保子 天野慶 天道なお
 白組 笹公人 大松達知 黒瀬珂瀾 斉藤真伸 斉藤斎藤 しんくわ

★授賞式 第3回歌葉新人賞受賞者 しんくわ
 授賞式及び祝賀パーティー

◆参加費
シンポジウム 1,500円
授賞式パーティー 6,000円

◆参加申込先
[佐藤りえ]宛てメールでお申し込みください。
fragile@fun.cx

◆申込み記載内容
1: 申込みパート
*下記から1つお選びください。会費は当日いただきます。
(1)シンポジウム及び授賞式パーティー
(2)シンポジウムのみ        
(3)授賞式パーティーのみ      

2:お名前 所属グループ名
*メールのタイトルには「ニューウェーブ参加」とお書きください。

◆受付締切
 6月30日(水)
*お席に限りがございますので定員になり次第締め切らせて頂きます。
 尚、満席の場合は当方よりご連絡を差し上げます。

◆主催:
SS-PROJECT(荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘)
コンテンツワークス株式会社
◆協賛:風媒社

【歌葉】の歌集を購入ご希望の方は、BookParkまでお願いいたします。
http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/

。,:*:・°☆。,:*:・ ★。,:*:・°☆。,:*:・°★。,:*:・°☆。


[963] 第4回ニューウェーブ短歌コミュニケーションのご案内 佐藤りえ 2005年06月05日 (日) 21時27分


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第4回ニューウェーブ短歌コミュニケーションのご案内

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このたび、第3回歌葉新人賞授賞式及び記念のシンポジウムを開催することになりました。
みなさまのご参加を心からお待ちしております。

◆日時 2005年7月3日(日)
シンポジウム 13:30〜17:00
授賞式    17:30〜19:30
(受付開始 13:00)

◆会場 日本出版クラブ会館
http://www.shuppan-club.jp/index.html
東京都新宿区袋町6 TEL 03-3267-6111

交通アクセス
JR飯田橋駅(西口)徒歩8分
地下鉄都営大江戸線 牛込神楽坂駅(A2出口)徒歩2分
地下鉄有楽町線・南北線 飯田橋駅(B3出口)徒歩7分
地下鉄東西線 神楽坂駅(神楽坂口)徒歩7分

◆プログラム

★シンポジウム 「現代短歌を語りあう『ことば』」
【鼎談】
 荻原裕幸×加藤治郎×穂村弘

【若手歌人競演・公開歌合わせ】
 現代短歌の最前線をになう若手歌人による紅白戦
 判者:加藤治郎 司会:穂村弘

★授賞式 第3回歌葉新人賞受賞者 しんくわ
 授賞式及び祝賀パーティー

◆参加費
シンポジウム 1,500円
授賞式パーティー 6,000円

◆参加申込先
[佐藤りえ]宛てメールでお申し込みください。
fragile@fun.cx

◆申込み記載内容
1: 申込みパート
*下記から1つお選びください。会費は当日いただきます。
(1)シンポジウム及び授賞式パーティー
(2)シンポジウムのみ        
(3)授賞式パーティーのみ      

2:お名前 所属グループ名
*メールのタイトルには「ニューウェーブ参加」とお書きください。

◆受付締切
 6月30日(水)
*お席に限りがございますので定員になり次第締め切らせて頂きます。
 尚、満席の場合は当方よりご連絡を差し上げます。

◆主催:
SS-PROJECT(荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘)
コンテンツワークス株式会社
◆協賛:風媒社

【歌葉】の歌集を購入ご希望の方は、BookParkまでお願いいたします。
http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/


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[962] 斉藤斎藤歌集『渡辺のわたし』批評会のお知らせ 花笠海月 2005年01月29日 (土) 05時44分

 こんにちは。花笠海月と申します。
 この場をお借りして告知させてください。

 第2回 歌葉新人賞受賞者であり、短歌人会の仲間である斉藤斎藤さんの第一歌集『渡辺のわたし』が昨年7月にコンテンツワークス株式会社さんより「歌葉叢書」として出版されました。来る3月27日、有志による批評会を開催する運びとなりました。わたくしめもスタッフの1人としてお手伝いしております。すてきな会になるよう鋭意準備中ですので、ご都合がつく方はぜひいらして下さい。
 ここを御覧みなさまのご参加を心からお待ちしています。よろしくお願いいたします。


◇ ◇ ◇ 斉藤斎藤第一歌集『渡辺のわたし』批評会 ◇ ◇ ◇

【日時】3月27日(日)13:30〜17:00 (開場 13:00)

【会場】 東京芸術劇場大会議室(池袋駅西口から徒歩5分)
  東京都豊島区西池袋1-8-1 tel 03-5391-2111
  http://www.geigeki.jp/

【プログラム】
 ◇第一部・『渡辺のわたし』を語る会
   鼎談:岡井隆 小池光 穂村弘

 ◇第二部・出版記念パーティー  17:30〜
   パーティ&レストラン パサル
   東京都豊島区西池袋3-25-13 リバーストンビルB1
   tel 03-3971-6660
   http://r.gnavi.co.jp/g707700/map1.htm

【会費】第一部 1500円 第二部 4500円

【申込み】下記内容をお書きの上、3月15日までにメールでお申し込みください

 ★★★ 申込みメール記載内容 ★★★

 ◇参加内容(下記から1つお選びください)
  (1)第一部+第二部
  (2)第一部のみ
  (3)第二部のみ

 ◇お名前(ふりがな)・御所属

 ※メールの件名は「渡辺のわたし批評会」とお書きください。

 申込先/問合せ先:花笠海月 info_clerk@yahoo.co.jp

【発起人】蒔田さくら子、奥村晃作、中地俊夫、石井辰彦、荻原裕幸
【運営】短歌人若手有志の会

歌集『渡辺のわたし』は【歌葉】にて購入することができます。
以下が関連サイトになります。

著者 斉藤斎藤ホームページ
http://saitousaitou.hp.infoseek.co.jp/

【歌葉】
http://www.bookpark.ne.jp/cm/utnh/detail.asp?select_id=47

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


[960] しんくわさん、おめでとうごさいます。 こうじ 2004年10月17日 (日) 11時39分

人生が脱皮の繰り返しなら、卓球短歌カットマンは
スタンドバイミーの次の脱皮、
もしくはアメリカングラフィティーの前の脱皮、
あるいはその現代日本版のように思いました。
>>>>>>>>

次回、第4回歌葉新人賞応募についての質問です。
今から第4回歌葉新人賞応募予定作品として
ホームページで公開しておいて、
それを応募することは可能でしょうか。

http://blog.livedoor.jp/beresit/


[959] 第3回歌葉新人賞決定 荻原裕幸 2004年09月27日 (月) 01時48分

各位

9月26日(日)の公開選考会にて、
下記の通り受賞作が決定いたしました。

 第3回歌葉新人賞
 しんくわ「卓球短歌カットマン」

しんくわさん、おめでとうございます。

         選考委員 荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘

http://ogihara.cocolog-nifty.com/


[958] 謝辞のみ 土岐友浩 2004年09月26日 (日) 12時07分

深夜バスに乗って、東京へ参りました。
ただいまShibuya TSUTAYAの最上階にあるカフェ。
まもなく公開選考会がはじまります。

一次選考の結果が発表されてからのこの一ヶ月は、ほんとうに楽しかった。
いろいろな方から拙作への感想をいただいたこと、
候補作品について京大短歌会のみんなとあれやこれやと語り合えたこと、
オンラインでの討議を見て、自分のプアな鑑賞眼、創作観を思い知るとともに、短歌のあたらしい魅力に気がついたこと、
すべて歌葉新人賞ならではの、希代な経験でした。

一読あきらかに未熟で、独りよがりで、脆弱な拙作をあえて採ってくださった加藤治郎氏に感謝します。
また、評をくださった荻原裕幸氏、穂村弘氏をはじめ、
歌葉新人賞を支えているすべてのみなさま、
拙作に感想を寄せてくださった方、
拙作をご高覧くださった方。
ありがとうございました。
ともに創作に励みながら、いつも拙作に丁寧な評価をくださる京大短歌会のみんな、
とりわけ、新参者である僕の、幼稚な話に毎度つきあってくれる西之原一貴さん、
ありがとう。


歌葉新人賞のますますの隆盛を、心より祈ります。


(いろいろとみっともない書き込みもしてしまいましたが、
平にご容赦を。
歌歴の浅い人間なので(現在半年ていど)、
一次選考通過という望外の展開に、舞い上がっていたのです)

それではこれから、公開選考会の会場へ向かいます。
第三者として楽しもうか、というくらいの心境です。
はたして、どんな結果が待っているのか……。


[956] 公開選考会のご案内 荻原裕幸 2004年09月24日 (金) 23時44分

たくさんの応援コメント、
どうもありがとうございました。
公開選考会は、すでにお知らせした通り、
以下のように開催されます。明後日の日曜です。
出席のメールをいただけるとありがたいのですが、
当日ふらっとお越しいただいても大丈夫だと思います。
どうぞよろしくお願いします。

------------------------------------------------------------------------
第3回歌葉新人賞/公開選考会

【日時】2004年9月26日(日)13:30〜17:00(受付13:00〜)
【会場】津田ホール・1階会議室
    東京都渋谷区千駄ヶ谷1-18-24、TEL 03-3402-1851
    ※中央線千駄ヶ谷駅改札正面
【選考委員】荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘
※第3回歌葉新人賞候補作について充分に討議をし、
 選考委員の合意により、受賞作品を決定いたします。

【参加費】1,500円
【参加申込先】風媒社(info@fubaisha.com)
※人数の確認の都合がありますので、
 風媒社宛、事前にメールでお申込み下さい。

【主催】風媒社、コンテンツワークス株式会社、エスツー・プロジェクト
------------------------------------------------------------------------

http://ogihara.cocolog-nifty.com/


[955] 我妻俊樹さん「インフェル野」への応援コメント 広西昌也 2004年09月22日 (水) 18時53分

 選者の方々、ごくろうさまです。丁寧に評をいただき、ほんとにありがたいことでした。最近子供たちがおもちゃの卓球セットを貰ってきて、私もちゃぶ台の上で「ター!」「ター!」ってやってたので、あの夜の盛り上がりは私にも格別でした^^。
__
 詩の大切な機能のひとつは、人間の原始的な(あるいは幼児期における)認知や官能への立ち返りだと思うのですが、我妻さんの短歌にはその力を強く感じます。逆説的なことに、幼児として基本的な認知に立ち返ったときには私たちはまだコトバを持ってなかったのですが、その失われた自分をありありと思い起こす魔法を我妻さんは持っているかのようです。
 コトバを強制的な媒介として生きている私たちは、そのせいで本当は異常な正常とか、正常な異常とかをいっぱい抱えています。我妻さんの短歌は、たくさんのねじれを表現していますが、そんなコトバのせいでおこる日常生活のゆがみのミラー像のように感じました。
生き地獄めぐりのバスから投げる花束は、我妻さんの詠む短歌なのだと思います。


[954] すこやかさ 竹田真志夫 2004年09月22日 (水) 02時01分

卓球短歌カットマンを読んで、「すこやかさ」という言葉を思い出した。この言葉をぼくはしばらく(というか、ずっと)使っていなかったことも思い出した。

純粋さや無邪気さをもって、そのような言葉でくくることが可能なものとして、若かった日々を語ることはよくある(かもしれない)。でも、若かった日々は純粋でも無邪気でもなく、むしろただ、すこやかだったんじゃないか。十分に不純で、計算高いくせに、すこやか。

たとえば、「あの子は僕がロングドライブを決めたとき 必ず見てない 誓ってもいい」というとき、カッコイイところを見せて彼女にもてたいと思っているだろう。十分に不純だ。ここで決めたら彼女にもてるだろうと思っているだろう。十分に計算高い。

こういった不純さや計算高さというのは、少なくともある年齢までは、すこやかさを成り立たせる要素なんじゃないか、という気がする。あまりにも露骨であるがために、つまりは犯意が明示されているから、不信感を相手に抱かせない(オヤジがやったら、すこやかでも何でもなく、不気味なだけだ)。

語り手(詠み手とイコールという意味ではない)もそれはわかっていて、「必ず見てない」と断言してしまう。これ見よがしに不純で計算高いのに(むしろ、だから)相手にしてくれない。なんだか、とても間抜けだ。とても私的なマッチポンプだ。空回りしている。笑ってしまう。

そんな不純で計算高い青春をぼくも送ったのだろう。やはり、すこやかな、としか言いようのない日々だった。そんなことも思い出した。ああ、そう、そう、あった、あった、エロ本をドキドキしながら立ち読みしたし。

ぼくの青春の記念碑(墓標か)として、しんくわ歌集がほしい。卓球部じゃないけれど。


[953] 応援します。 しんくわ「卓球短歌カットマン」 千葉聡 2004年09月21日 (火) 22時58分

しんくわさんの作品「卓球短歌カットマン」を応援します。
「かばん」所属の千葉聡です。
今日までに5人の友達からメールをもらいました。その誰もが「しんくわ作品を読め」と言っていましたので、気になって、こちらにお邪魔しました。
「スィング・ガールズ」や「ウォーター・ボーイズ」みたいで面白いですね。軽く明るくうたわれているようですが、その時その場でしか得られない思いを必死になって言語化しているような、せつなさも感じられます。
そして、なんか懐かしい。
少年でも青年でもなく、ただまとまって「男子」と呼ばれてしまう時間を切り取って見せていただきました。

「かばん」の歌会のため、公開選考会にはうかがえません。すみません。ご盛会をお祈りします。


[952] 魚柳志野さん「天頂から降り注ぐ」 水須ゆき子(ぽっぽ) 2004年09月21日 (火) 20時26分

さすが激戦の歌葉新人賞、
最終選考に残られたどの作品にも、
それぞれに手の届かない魅力を感じました。

その中でもし私が応援させて頂けるとすれば、
魚柳志野さんの「天頂から降り注ぐ」を選びたいと思います。
理由は「短歌が短歌のままで立派に成り立つ」ということを感じさせてくれたからです。

一首の力の総合体としての三十首連作、
とでも言えばいいのでしょうか。うまく書けないのですが。

私は力不足の上に勉強不足で、
最近の現代短歌の世界で何が一番求められているのか、
よく分からないところがあります。
そしてもしそれが分かったとしても、
自分がそれにうまく対応していけるかどうか、
とても無理だろうなあという諦めの気持ちも正直あります。

そういう気持ちを沈ませながら、
魚柳さんの作品を読ませていただくと、
「ああ、やっぱり一首一首に心を砕いて作ればいいのかな」
と雲間の日差しのように思えて来るのでした。

http://homepage2.nifty.com/mizusu/


[951] しんくわさん「卓球短歌カットマン」 こうじ 2004年09月21日 (火) 19時40分

素人見ですが、
笑えることと、短歌らしくないとこが、
良いと思いました。
散文として読めました。
題名も好きです。

http://blog.livedoor.jp/beresit/


[950] 島さんが好きです。 玲はる名 2004年09月21日 (火) 09時13分

島なおみさんの「すべての海はバスタブにつながる」が
好きです。島さんのレイアウト短歌は一首ずつであって
も、内容的に、視覚的に耐えるし、一連として読むと更
に、タイポグラフィーが、紙面や画面からどどどっと押
し寄せてきて圧巻です。あと、島さんの言葉には独断的
な強さがあって、レイアウトすること自体が持つ主張性
が、言葉と共に根拠をもって読者(わたし)に訴えてく
る感じです。主張する書き方は、今の時代には大切だし
マッチしているのではないかと思います。

個人的には島さんの出現で、「句読点や間、音数」の問
題。「文体から文脈へ」という作法に興味があったわた
しの短歌へ対する自己認識を更新するチャンスを与えて
もらいました。なんで、わたしにとって島さんは、タイ
ポグラフィーを現代詩や海外の詩の領域から短歌へ向かっ
て大きく振り子を引き寄せた平成歌人という認識です。
それ自体が古いと言われるか、ブランニューと言われる
かは、未来まで書き続けることが決定するのではないで
しょうか。

それと、前回の作品と比較されるのは作者さんはいやか
もしれないですけれど、前作にも増して、作者自身の側
の言語世界に引き寄せられていていいと思います。タイ
トルひとつとってもそう思います。

少し妄想が入りましたがそんなこんなでおじゃましまし
た。

http://homepage2.nifty.com/tanka


[949] 短歌卓球カットマンを推す 間崎和明 2004年09月21日 (火) 02時20分

々しい読後感のあとに、どうしようもない切なさを感じます。
連作性という意味でも、卓球短歌カットマンを推します。

連作の中で、いくつか勢いを殺いでいるように感じられる作品もあったとは思います。
また、卓球する少年という主題に青春性を感じてしまうのは、90年代という時間に限定された感覚なのかもしれません。

しかし、だからこそ、読者は、この作品に、どうしようもない切なさや、親和性を感じてしまうのではないでしょうか。

短歌という枠組を越えかけて、それでもなお短歌として楽しみうる、この定型と口語の危ういバランスの妙には感じ入ります。

ますらをぶった、たはやめぶりのような、肩肘をはった、へなちょこぶりが、読んでいてここちよく感じました。


[948] 「しんくわ」さん……。 枡野浩一 2004年09月21日 (火) 01時45分

作品の中にはフルネームが頻出するのに、
作者名が「しんくわ」……。

「抒情文芸」誌ほかで短歌・俳句・詩を発表している(新人賞もとった)
「うにまる」さんの系譜のお名前ですね。
(拙著『日本ゴロン』毎日新聞社刊、参照)

その作風で、その筆名というのは、
わざとでしょうけれど、
組み合わせとして、もったいない気がしました。

あまり言葉を尽くすと、
去年の彼方(あなた)の思い出がテープレコーダーから流れてきそうなので、
このへんで。

我妻俊樹さんの言葉は「青山俳句工場」あたりで
一晩に百八つくらい読んだ気がする。

私が読みたいのは永井祐歌集です。

http://www.cocolog-nifty.com/


[947] しんくわさん「卓球短歌カットマン」応援 田丸まひる 2004年09月20日 (月) 00時47分

こんばんは。
お三方、お疲れさまでした。
先週も今週も楽しませて頂きました。



今回の候補作の中では、
しんくわさんの「卓球短歌カットマン」を推しています。
キャラクタものの短歌は、キャラクタの面白さに頼りがちだと思いますが、
そんなことを差し引いても、面白すぎる一連だと思います。
安心して笑うことができました。
皮肉な笑いを取りにいかない、さわやかな笑いです。
「くす」というより、「ぶはっ」
もうたまらんー(机をばんばん)という感じです。
応募作の30首だけでなく、もっと読んでみたいです。
歌葉新人賞には歌集出版権が与えられるという点から見て、
この人の歌集が読めたら楽しそうだと思うのです。
しんくわ、きっとまだ色々隠し持ってるはずです。

笑える歌の中、こういう歌もぼろっと本音のようにはさまれていて、いいと思いました。

真っ白な東京タワーの夢をみた 今年は寒くなればいいのに

http://replicaprince.easter.ne.jp/


[946] しんくわさん「卓球短歌カットマン」について 五十嵐きよみ 2004年09月19日 (日) 11時43分

こんにちは。
昨日も堪能させていただきました。

 *

しんくわさんの「卓球短歌カットマン」、楽しませていただきました。
キャラクターものの短歌、好きなので、
こういう作品も候補作に選ばれるんだなと、うれしかったです。

マンガ的な楽しさ、面白さがありましたが、
笑いを取ることをねらったというより、
「青春」を真剣に語ることを照れてしまう世代的なものが反映されて、
こうした作風になっているようにも感じました。
「へなちょこ」という穂村さんのネーミング、とても納得です。

>加藤治郎さん
>歌集一冊、卓球でまとまったら凄いね。

私は、以下のような感じの構成希望です。

第1章 卓球部
第2章 華道部(男子部員もいたりして)
第3章 水泳部
第4章 生徒会
第5章 新聞部
第6章 相撲部

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[945] 今後のご案内 荻原裕幸 2004年09月19日 (日) 00時06分

19日(日)の朝から23日(木)いっぱいまで、
これまでの議論対象になった12篇の応援コメントを
作者自身でない/あるにかかわらず、
書きこみしていただいても構いません。
ただし、匿名は使用しないこと、
一人一作あたり1コメントを厳守のこと、
他人の応援コメントには触れないように願います。

公開選考会については、
2004年9月26日(日)13:30〜17:00(受付13:00〜)
という日程で行われます。詳しくは、
http://www.fubaisha.com/tanka-vs/event.html
をご覧の上、ご来場いただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いします。



しかし、
疲れました……。
どうでもいい気もするけど、
福原愛は「サー」でしたね。

http://ogihara.cocolog-nifty.com/


[944] お疲れさまでした。 穂村弘 2004年09月18日 (土) 22時55分

面白かったけど、あたまが豆腐になりました。
散歩にいってきます。
では。


[943] ありがとうございました。 加藤治郎 2004年09月18日 (土) 22時54分

先週と今週、12時間のオンライン討論会でした。
集中してやってよかったですね。
語り残したこともありますが、それは公開討論会で。

荻原さん、穂村さん、そして皆さん、ありがとうございました。




http://www.sweetswan.com/jiro/


[942] これ以後のアナウンスは、 荻原裕幸 2004年09月18日 (土) 22時53分

12時を過ぎてからにしますので、
加藤さん、穂村さん、
何かあれば、お願いします。

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[941] というわけで、 荻原裕幸 2004年09月18日 (土) 22時49分

候補作品12篇のオンラインでの討議は、
これで終了いたします。
加藤さん、穂村さん、おつかれさまでした。
ギャラリーのみなさん、ありがとうございました。

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[940] Re[936][933][929][927][924][923][918][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 荻原裕幸 2004年09月18日 (土) 22時48分

穂村さんの言う、

> なんか、予想外に好評ですね……。

ですが、
加藤さんがこれを推したとき、
うそだろー、とか思って、
かなりうろたえました。
一生懸命、こらえて批評書いてるけど、
作品読み直すとそれだけで笑えるんですよ。
「卓球短歌カットマン」……、ぷぷ。
我々は並んで帰る (エロ本の立ち読みであれ五人並んでだ)……、ぷぷぷ。
終いには、しんくわ、ぶはははは。
とかそうなっちゃったんですね。(^^;;;
箸がころげてもおかしい状態です。
この笑いの質がきちんと分析できてないので、
それまでは笑い続けることになるのかな。
あるアングルからは一位かも知れないですね。
いや、まいりました。
ぼくからは以上です。

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[939] Re[937][935][933][929][927][924][923][918][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 加藤治郎 2004年09月18日 (土) 22時47分

爽やかな風が吹き込まれた感じがしました。
歌集一冊、卓球でまとまったら凄いね。
なんとか形になるといいです。

大いに期待します。

ぼくからは以上です。


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[938] Re[937][935][933][929][927][924][923][918][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 穂村弘 2004年09月18日 (土) 22時47分

作者が短歌を知ってることときめ細かいリアリティは、やはりプラスポイントだと思います。
もう一度、考えてみます。
以上です。


[937] Re[935][933][929][927][924][923][918][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 加藤治郎 2004年09月18日 (土) 22時43分

そう。最後、ぼこぼこに叩かれるかと思って、おそるおそる切り出したんだけど、好評でほっとしました。

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[936] Re[933][929][927][924][923][918][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 荻原裕幸 2004年09月18日 (土) 22時43分

「へなちょこ」っての、
いいですね。わかるわかる。
これにそういう方法的ネーミングをするのが、
ぼくたちの仕事でもあるんですよね……。

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[935] Re[933][929][927][924][923][918][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 加藤治郎 2004年09月18日 (土) 22時42分

いいですね、、「へなちょこ」

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[934] Re[933][929][927][924][923][918][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 穂村弘 2004年09月18日 (土) 22時42分

なんか、予想外に好評ですね……。
批評の順番とかも関係あるのでは。


[933] Re[929][927][924][923][918][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 加藤治郎 2004年09月18日 (土) 22時41分

「現代短歌が積み重ねてきた、美意識、危機意識、私性、革新性そういったものから自由ですね」と言うよりも、荻原さんの言う「何か、何かが届いているんですね」の方が、ぼくの実感にも近いです。

短詩型文学のセンスをもった作者なので、つよく期待したいです。



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[932] Re[930][928][926][925][924][923][918][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 荻原裕幸 2004年09月18日 (土) 22時40分

二首セットその他の連作のつながり具合は、
やはり千葉聡さんを思い浮かべますね。
肩のちからがうまく抜けているというか、

>  元卓球部 現生徒会長木戸健太が毎日部室に来るので困る
> 「卓球に練習なんか必要ない」また無茶を言う生徒会長だ

こういう切り出しは巧い。
日記的記述ののりと言ったらいいのでしょうか。

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[931] Re[930][928][926][925][924][923][918][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 穂村弘 2004年09月18日 (土) 22時38分


青春歌っていうのはいっぱいあって、それぞれ美しいとか醜いとか凄絶とか熱いとか冷たいとか、いろいろな切り口があるんだけど、「へなちょこ」っていうのは新境地。
しかも、現実には青春は本当に「へなちょこ」なんであって、むしろ普通の青春歌よりもリアルなところをついているとも云える。



[930] Re[928][926][925][924][923][918][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 加藤治郎 2004年09月18日 (土) 22時36分

二首でワンセットというの、ありますね。

 元卓球部 現生徒会長木戸健太が毎日部室に来るので困る
「卓球に練習なんか必要ない」また無茶を言う生徒会長だ

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[929] Re[927][924][923][918][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 荻原裕幸 2004年09月18日 (土) 22時34分

なんだろう、この笑いは、と思うんです。
ギャグ的なものに対する笑いではなくて、
何か、何かが届いているんですね。
それを短歌の価値としてことばにすれば、
加藤さんの推薦コメントみたいになると思うけど、
それでほんとにいいのか、というところが、
まだどうもうまく判断できないんですね。
ぼくのあたまがかたいのかも知れない……。

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[928] Re[926][925][924][923][918][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 穂村弘 2004年09月18日 (土) 22時32分


短歌を知っているということに加えて、言葉の感覚もいいと思います。

「君たちは熱血漢だね それはそうと 僕の大事なロレックスを見るかい?」
「ロレックスはよくわかったから家庭科で作った酢豆腐食いなよ 会長」

「熱血漢」から「ロレックス」から「酢豆腐」(って何?)っていう展開が詩的、でもこれは……、二首なんだ。


[927] Re[924][923][918][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 荻原裕幸 2004年09月18日 (土) 22時32分

人名の切り口は、
葛原妙子を思い出したりしました。

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[926] Re[925][924][923][918][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 穂村弘 2004年09月18日 (土) 22時30分


例えるなら池上正雄は年老いたSF作家のような顧問だ
じゃがたらのことばかり話す先輩の前髪が眼に刺さりそうである

 この「顧問」「先輩」像はとてもリアルですね。

真っ白な東京タワーの夢をみた 今年は寒くなればいいのに
ゼッケンの裏に果実の匂いする グレープフルーツ密売グループ

 このあたりの微妙な青春性とか。
 それぞれを膨らませて一冊つくると面白い世界になるかもしれませんね。
 青春歌集の傑作とか。


[925] Re[924][923][918][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 加藤治郎 2004年09月18日 (土) 22時28分

そうですね。「ぬばたまの夜」とか出てくるので、短歌に目を通していることは分かる。

 シャツに触れる乳首が痛く、男子として男子として泣いてしまいそうだ

上句の体性感覚、そして今まで語られてこなかった、新鮮な「男性性」の表出。
「木戸健太」なんていう固有名詞の生かし方。

全体的に、モノがうまく織り込まれていて、短詩型のつぼを心得ているんです。 だから面白さも沸く。





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[924] Re[923][918][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 荻原裕幸 2004年09月18日 (土) 22時20分

> 短歌批評の枠組みから自由なのかな。

加藤さんの言う通りだと思います。
これを短歌批評のコードで読んだら、
深読みになりすぎるんじゃないかなあ。
もちろん短歌をあれこれ知っていて書いているから、
本歌取りの世界に結びつけられるとは思うけど、
そちらに行ってしまうと、
本質を見失うような気がします。
あ、ええ、天真爛漫、
そういう気がします。

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[923] Re[918][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 加藤治郎 2004年09月18日 (土) 22時16分

荻原さん言う

> しんくわさんの「卓球短歌カットマン」。
> これにはかなり困りました。
> どうして困ったかと言うと、
> まず、読んで笑うことができるんですね。
> 加藤さんが福原愛の「ター」を出すみたいなのりで、
> なんかほのぼのとした明るさがあるんです。
> 「ウォーターボーイズ」みたいな感じでもあるかな。
> これは心が動いている証拠なんで、
> 絶対に評価の対象なわけなんです。
> だけど、じゃあ○の付く歌があるかっていうと、
> ぼくは一首も○を付けられなかったんです。
> ○のかわりに別の記号が付けてあって、
> この歌、すげー笑えるけど、どうしよう、
> というメモをしてあるの。


すごくよく分かります。ぼくの○も、同じ感覚なんです。
でもなんか、安心して、身を任せられるところがあるんですね。

この新人賞でも従来と違う秀歌とか言ったり言われたりしたけど、なにか構えるところがあった。計算や、装いが見えるわけです。

天真爛漫というのかな、この一連は。

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[922] Re[920][916][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 荻原裕幸 2004年09月18日 (土) 22時15分

「だ」が余剰としてそこにあるのは、
キテレツ大百科のコロ助とかさ、
「なんとかナリ」と「ナリ」を連発するじゃない。
あんな感じのキャラのつくりかたなのでは。(^^;;;

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[921] Re[919][917][916][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 穂村弘 2004年09月18日 (土) 22時12分

> > 馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人恋はば人あやむるこころだ
>
> 穂村さんまでギャグ飛ばしてどーするの。(^^;;;

でも、この一連のなかに「本歌取り」としてあり得るかと。
この字余り「だ」の強度をつきつめて定型に対する批評性をもたせて……、 疲れてきたのかな。


[920] Re[916][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 加藤治郎 2004年09月18日 (土) 22時11分

穂村さん言う

>  これらはどれも「だ」の分だけ字余りになっていますね。「だ」を外せば定型になるんだから、意図的にやっていることになる。いや、それほど強い意識はないのかもしれないけど、いずれにしてもこういうパターン化した文体の壊し方が、読まれ方に対する一種の指示のように機能していると思いました。

これは、いずれも「だ」があった方がいいですね。
8音。
それが例外なくいいなんて、ふつう考えられない。
なんだろうね。
ここからして、短歌批評の枠組みから自由なのかな。

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[919] Re[917][916][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 荻原裕幸 2004年09月18日 (土) 22時09分

> 馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人恋はば人あやむるこころだ

穂村さんまでギャグ飛ばしてどーするの。(^^;;;

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[918] Re[915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 荻原裕幸 2004年09月18日 (土) 22時07分

しんくわさんの「卓球短歌カットマン」。
これにはかなり困りました。
どうして困ったかと言うと、
まず、読んで笑うことができるんですね。
加藤さんが福原愛の「ター」を出すみたいなのりで、
なんかほのぼのとした明るさがあるんです。
「ウォーターボーイズ」みたいな感じでもあるかな。
これは心が動いている証拠なんで、
絶対に評価の対象なわけなんです。
だけど、じゃあ○の付く歌があるかっていうと、
ぼくは一首も○を付けられなかったんです。
○のかわりに別の記号が付けてあって、
この歌、すげー笑えるけど、どうしよう、
というメモをしてあるの。

 消火器の威力をためすなんてこと部室の中ではやめろよ岩野
 例えるなら池上正雄は年老いたSF作家のような顧問だ
 どことなく銀色夏生に似ている他は 過不足のない告白だった
 猫を見ると単車を止めるメールマンが議題となりし職員会議
 元卓球部 現生徒会長木戸健太が毎日部室に来るので困る
 「卓球に練習なんか必要ない」また無茶を言う生徒会長だ
 犬が嫌い 犬が嫌いだ 郵便を配る男がつぶやく真昼
 我々は並んで帰る (エロ本の立ち読みであれ五人並んでだ)

それがこれらの歌です。
だからヒット率はものすごく高いんだけど、
どうなのかなあ、という感じです。

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[917] Re[916][915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 穂村弘 2004年09月18日 (土) 22時06分

馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人恋はば人あやむるこころだ

とか、なんとなく考えてしまったよ。


[916] Re[915]: [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 穂村弘 2004年09月18日 (土) 22時02分


 普通に読んで面白いんだけど、批評、評価するとなると手強い相手ですね。

シャツに触れる乳首が痛く、男子として男子として泣いてしまいそうだ

この「〜だ」という口調が沢山あって面白いんだけど、

卓球やあらゆる間接キスなどに負けるわけにはいかない僕らだ
てのひらに落ちてくる星の感触にかなり似てない投げ上げサーブだ
「卓球に練習なんか必要ない」また無茶を言う生徒会長だ
我々は並んで帰る (エロ本の立ち読みであれ五人並んでだ)

 これらはどれも「だ」の分だけ字余りになっていますね。「だ」を外せば定型になるんだから、意図的にやっていることになる。いや、それほど強い意識はないのかもしれないけど、いずれにしてもこういうパターン化した文体の壊し方が、読まれ方に対する一種の指示のように機能していると思いました。



[915] [ID 156] しんくわ 「卓球短歌カットマン」 加藤治郎 2004年09月18日 (土) 21時59分

今までいろいろな短歌を読んできたし、この歌葉新人賞の三回の応募作でも、斬新な作品が多かったのですが、それでも現代短歌のある枠組みの中にあったのではないか。
この作品はかなり異質。
日本のちょっとコミカルなB級青春映画を観ているようでした。
敢えていうと、千葉聡の世界に近いかもしれないが、彼にあった文学の香りが消されていますね。
去年の鈴木二文字君の「たんかっち」にも驚いたのですが、彼には短歌形式への批評と実験性いう2つの側面で、現代短歌への通路があったと思うんです。

「卓球短歌カットマン」、ここまで違うものを読ませてくれたことに、一票投じました。

でもね、わりと一首一首、工夫や見せ場があるんです。

こんな歌に○をつけました。

 シャツに触れる乳首が痛く、男子として男子として泣いてしまいそうだ

 身の中にマブチモーターを仕込んでるとしか思えぬ奴の素振りだ

 ゼッケンの裏に果実の匂いする グレープフルーツ密売グループ

 じゃがたらのことばかり話す先輩の前髪が眼に刺さりそうである

 どことなく銀色夏生に似ている他は 過不足のない告白だった

 ぬばたまの夜のプールの水中で靴下を脱ぐ 童貞だった

 カンフーアタック 体育館シューズは屋根にひっかかったまま 九月

 猫を見ると単車を止めるメールマンが議題となりし職員会議

 元卓球部 現生徒会長木戸健太が毎日部室に来るので困る

 「卓球に練習なんか必要ない」また無茶を言う生徒会長だ

 科学教師村上曰く (混線中) 年を取るのは愉快なんです

 犬が嫌い 犬が嫌いだ 郵便を配る男がつぶやく真昼

 我々は並んで帰る (エロ本の立ち読みであれ五人並んでだ)


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[914] Re[912]: では、こんどこそ(笑)22時まで休憩します。 荻原裕幸 2004年09月18日 (土) 21時57分

> 「ター。」「ター。」

カットマンて……、
加藤さんがモデルだったりして……、
あ、いけない、フライングだ。(笑)

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[913] Re[912]: では、こんどこそ(笑)22時まで休憩します。 加藤治郎 2004年09月18日 (土) 21時53分

「ター。」「ター。」

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[912] では、こんどこそ(笑)22時まで休憩します。 荻原裕幸 2004年09月18日 (土) 21時48分

22時を過ぎたところで、
[ID 156] しんくわさんの
「卓球短歌カットマン」へのコメント、
加藤さん、よろしくお願いします。
いよいよ最後の討議対象となりますね。

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[911] Re[910][908][906][905][904][903][901][900][899][896][892][889][888][887]: [ID 155] 魚柳志野 「天頂から降り注ぐ」 穂村弘 2004年09月18日 (土) 21時47分

去年の旅を詠った一連の印象と随分違っていて、これもまた新鮮でした。
抽出の多い作者だと思います。
さらなる展開を期待しています。
以上です。



[910] Re[908][906][905][904][903][901][900][899][896][892][889][888][887]: [ID 155] 魚柳志野 「天頂から降り注ぐ」 加藤治郎 2004年09月18日 (土) 21時45分

読み返してではなく、今ここで話していて良さがだんだん分かってきた、そんな不思議な体験でした。

ぼくからは以上です。

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[909] Re[907][906][905][904][903][901][900][899][896][892][889][888][887]: [ID 155] 魚柳志野 「天頂から降り注ぐ」 荻原裕幸 2004年09月18日 (土) 21時45分

30首ということであれば、
筋のスムーズに通った構想が、
もっと前面に出てもいいかなとも思いますが、
現状の混沌のままでの魅力もあって、
楽しめる作品だと思いました。
ぼくからは以上です。

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[908] Re[906][905][904][903][901][900][899][896][892][889][888][887]: [ID 155] 魚柳志野 「天頂から降り注ぐ」 加藤治郎 2004年09月18日 (土) 21時43分

 欲望や悲しみのためにとっておく隙間がみんな埋められてゆく

これはいいですね。隙間<何に>埋められるのか、それは言っていないので、その空白に引きこまれてゆく。

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[907] Re[906][905][904][903][901][900][899][896][892][889][888][887]: [ID 155] 魚柳志野 「天頂から降り注ぐ」 荻原裕幸 2004年09月18日 (土) 21時41分

 捨てられない手紙ばかりが集められ共同ポストにねじこまれゆく

これもちょっとおもしろかった。
事実としてのマンションの共同ポストも思い浮かべたけど、
もっと抽象的な、不可触の領域みたいなものを言っているみたいで。
別にふつうのことばだけど、「共同」という語が機能してるのかな。
(結句の「ゆく」は、たどたどしい感じかも知れないですね。)

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[906] Re[905][904][903][901][900][899][896][892][889][888][887]: [ID 155] 魚柳志野 「天頂から降り注ぐ」 穂村弘 2004年09月18日 (土) 21時38分


欲望や悲しみのためにとっておく隙間がみんな埋められてゆく

「隙間」も不思議な印象ですね。

覗き込むほとんど辿り着く事のない底までの距離と光を
これからが朝です少しはみだしたままで別れを告げてゆきます

「距離」「少しはみだした」とか。
 計量感覚というのかな。本来デジタルではないものをデジタル化することで、喪失感みたいなものがさらに強まっているようです。


[905] Re[904][903][901][900][899][896][892][889][888][887]: [ID 155] 魚柳志野 「天頂から降り注ぐ」 荻原裕幸 2004年09月18日 (土) 21時37分

加藤さん、

> もう何も愛さないから 意味なんかないけどこのまま生きてしまいそう

> 歌としては、思いに終始していますが、なにか感覚に訴えるものがあった方がいいですね。

そうですね、
ベタに思いばかりが出るとよくないですね。

 欲望や悲しみのためにとっておく隙間がみんな埋められてゆく

とかもベタに出かけているけど、
単純に「隙間」とかこういう語が入るだけでも、
ずいぶん感触がわかりやすくなる気がします。

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[904] Re[903][901][900][899][896][892][889][888][887]: [ID 155] 魚柳志野 「天頂から降り注ぐ」 加藤治郎 2004年09月18日 (土) 21時32分


 もう何も愛さないから 意味なんかないけどこのまま生きてしまいそう


結句は、今橋愛の「すうっとするためだけになめたあめだまのように生きていきそう/こわいよ。」
を想いました。
「生きてしまいそう」は、わりと現代共通の感性なのかな。

歌としては、思いに終始していますが、なにか感覚に訴えるものがあった方がいいですね。

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[903] Re[901][900][899][896][892][889][888][887]: [ID 155] 魚柳志野 「天頂から降り注ぐ」 荻原裕幸 2004年09月18日 (土) 21時30分

(余談だけど、塚本、三島の、
 運動能力の高い男性への賛美の視点て、
 あまりホモセクシャル的じゃなくて、
 純粋なあこがれに見えますね。)

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[902] Re[900][899][896][892][889][888][887]: [ID 155] 魚柳志野 「天頂から降り注ぐ」 荻原裕幸 2004年09月18日 (土) 21時27分

穂村さん、

> 自意識、遺伝子、空白、軌跡、引力、湿度、距離、意味、予感、欲望など、語彙にも特徴がありますね。

これ、新しいとは言えないかも知れないけど、
前衛短歌風な空気がかすかにありますね。
世界の法則がここにあるぞ、みたいな、
どこからその自信が来るの、
と言いたくなるような断言的な感触。
ただ、自転車泥棒みたいに、
恋人に手放し的な陶酔を感じながら、
悪的なものを志向するって、
前衛ではなかったと思うから、
なんか別の、あたらしい感触はありますね。

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[901] Re[900][899][896][892][889][888][887]: [ID 155] 魚柳志野 「天頂から降り注ぐ」 穂村弘 2004年09月18日 (土) 21時25分

> ぼくは「血を流してた柔らかな膝」から、
> なんか運動音痴とかそんなイメージを抱いて、
> それが塚本的なのかと思って……。(^^;;;

まさか。
いや、自分がそうだから、「素早く鍵を壊す」にうっとりするのかもしれないけど。
塚本とか三島とか、ああいうひとは


[900] Re[899][896][892][889][888][887]: [ID 155] 魚柳志野 「天頂から降り注ぐ」 穂村弘 2004年09月18日 (土) 21時22分

自意識、遺伝子、空白、軌跡、引力、湿度、距離、意味、予感、欲望など、語彙にも特徴がありますね。

この辺が生きてるんです母犬の強く張り出す乳房の湿度

「湿度」という収め方に特徴がある。なんだろう。これらの言葉によって、計り難いものを計ろうとしているような感じかな。


[899] Re[896][892][889][888][887]: [ID 155] 魚柳志野 「天頂から降り注ぐ」 荻原裕幸 2004年09月18日 (土) 21時19分

加藤さん、

> 抒情や思考の流れたどれるようにしているわけですか!

はい、加藤さんの言っている感じ、
そんな感じで受けとめました。
「小技」なのかも知れないですけど、
こういうところも加点ポイントだったんです。

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[898] Re[895][893][891][890][887]: [ID 155] 魚柳志野 「天頂から降り注ぐ」 荻原裕幸 2004年09月18日 (土) 21時17分

穂村さん、

> いや、美しい悪を為しうる者への讃美が。
> 「疾風」ってそうだよね。

わかりました。

 自転車を修理しないで終えた夏 血を流してた柔らかな膝
 真夜中の自転車泥棒疾風とは素早く鍵を壊す恋人

ぼくは「血を流してた柔らかな膝」から、
なんか運動音痴とかそんなイメージを抱いて、
それが塚本的なのかと思って……。(^^;;;

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[897] Re[896][892][889][888][887]: [ID 155] 魚柳志野 「天頂から降り注ぐ」 加藤治郎 2004年09月18日 (土) 21時16分

896訂正>

> 抒情や思考の流れたどれるようにしているわけですか!

→ 抒情や思考の流れをたどれるようにしているわけですか!

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[896] Re[892][889][888][887]: [ID 155] 魚柳志野 「天頂から降り注ぐ」 加藤治郎 2004年09月18日 (土) 21時12分

荻原さん

> ですけど、( )は、
> その「持て余す自意識の群れ」の
> 感触を確かめるみたいな感じかな、
> と思って読んでいました。
>
>  あの(人の)世界(のどこか)で鳴いている携帯電話がさっき途切れた
>  天球の端で降ってる(何て)これ(見て)触れて(こわい)灰色の雨
>
> どちらも、意識が時差で二重に出てくる感じとか、
> ベガ/スピカやモンサンミッシェルも
> あとから名前を思い出すような感覚じゃないでしょうか。


なるほど。あとから、というのが面白いですね。
抒情や思考の流れたどれるようにしているわけですか!

 あの世界で鳴いている携帯電話がさっき途切れた

がまず直観的にきて、それを補正している。
 
 あの(人の)世界(のどこか)で鳴いている携帯電話がさっき途切れた
 

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[895] Re[893][891][890][887]: [ID 155] 魚柳志野 「天頂から降り注ぐ」 穂村弘 2004年09月18日 (土) 21時12分

> > > 穂村さん、これって、
> > > 運動音痴みたいな、そんな感じ?
> >
> > え?
> > ふたりで自転車泥棒する歌じゃないの?
>
> 自転車泥棒は、塚本邦雄的?

いや、美しい悪を為しうる者への讃美が。
「疾風」ってそうだよね。


[894] Re[892][889][888][887]: [ID 155] 魚柳志野 「天頂から降り注ぐ」 荻原裕幸 2004年09月18日 (土) 21時12分

加藤さんの言う、

> 一連、霧、虹、雨、雲、星、月、雷と詠み込まれ、最後に光でおさめている。

なんかも、( )も、
たぶんちょっと形式的というか、
自然発生的ではないような気はするのですが、
気配りしている感じで、好感もって読みました。

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[893] Re[891][890][887]: [ID 155] 魚柳志野 「天頂から降り注ぐ」 荻原裕幸 2004年09月18日 (土) 21時09分

> > 穂村さん、これって、
> > 運動音痴みたいな、そんな感じ?
>
> え?
> ふたりで自転車泥棒する歌じゃないの?

自転車泥棒は、塚本邦雄的?

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