[446] ディスカッション、開始します。 荻原裕幸 2003年08月28日 (木) 10時49分

【歌葉】サイトに掲載された
候補作品の訂正も完了しておりますので、
いよいよ本日より選考のディスカッションに入ります。
439に掲示した順に、三者で話を進めてゆきます。
どうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[445] こんにちは。 荻原裕幸 2003年08月27日 (水) 13時40分

>酒井徹さん
>伴風花さん

こんにちは。(^^)
書きこみどうもありがとうございます。

候補作品の表示の訂正や
ぼくたちのパソコン環境のことで、
あれこれ手間どっていますが、
今後の展開をどうぞお楽しみに!

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[444] どきどきわくわく! 伴風花 2003年08月27日 (水) 10時02分

みなさんこんにちは、伴です。
候補作、拝読しました!
選考の結果が出たときはテンション下がったんですが(^^;)、
候補作を読ませていただいたら、
またすっかりたのしみになりました。
おもしろかったです〜。短歌いいぞっ、て感じ。
自分もわりとあたらしめのものを書いているつもりでいましたが、
ああ、世界はどんどん進んでるんだ・・・と焦ったりもして。

このどきわく感はやっぱり歌葉ならでは、だと思います。
ここからの選考もたのしみにしています。
選考委員の荻原さん、穂村さん、加藤さん、がんばってください!


[443] 候補作品、すべて拝見いたしました 酒井徹 2003年08月26日 (火) 21時58分

加藤治郎先生に「一次予選通過作品」に選んでいただきました
「しあわせの種」の酒井徹です。
(こんなにダサい題名をつけてるのは僕だけ
 みなさんすごく題名からしてかっこいいですよね)。

候補作品はすべて拝見させていただきました。
兵庫ユカさんの「七月の心臓」、
特に、

●正しいね正しいねってそれぞれの地図を広げて見ているふたり

という作品がとても印象に残りました。

現在僕のホームページでは、
「一次予選通過作品」の「しあわせの種」30首を公開しております。
よかったら見てやってください。

なお、僕のホームページでは
「しあわせの種」は「一次予選通過」であるにもかかわらず、
「一次選考通過」と謝って記載してしまっております。
(「一次選考通過作品」とは、
 「候補作品」となったみなさまの作品のことですね。
 これは僕の勘違いでした。)
ホームページの管理人さんに先ほど、
修正していただけるようメールを出したところです。
関係者のみなさまに深くお詫び申し上げます。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/sakai/sakaitop.html


[442] Re[441]: 訂正のお願い 荻原裕幸 2003年08月26日 (火) 14時07分

>觜本なつめさん

こんにちは。(^^)
書きこみありがとうございました。

【歌葉】サイトに掲示した候補作品の訂正をするのは、
応募時にいただいた原稿(データ)が、
ウェブの表示に反映されていない場合です。
どうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[441] 訂正のお願い 觜本なつめ 2003年08月26日 (火) 12時40分

こんにちは。觜本です。
候補作品の中に自分の名前を見つけて、ただただ驚いています。

誤字があるのですが、これは訂正の対象になるのでしょうか。
第13首「小箱の箱を」は「小箱の蓋を」の間違いです。

文字化け等の技術的な問題ではなく、たぶん応募時に私がタイプミスしたんだと思うのですが。

こういう種類の訂正が許されるのでしょうか?
(許してしまうと、応募作品の事後的な推敲まで無限に可能になってしまうのでは、ということを私は心配しています。)

ご検討ください。


[440] Re[438]: 候補作品についての補足 荻原裕幸 2003年08月24日 (日) 03時29分

候補作品の表記の訂正方法、
決まりましたのでお知らせします。



島なおみさんの「エデンプロジェクト ―わたしは世界を席巻する―」、
438でコメントした通り、表記の訂正をいたします。
訂正サンプルを以下↓に仮掲載しています。
http://www.sweetswan.com/utanoha_data/shima.html
【歌葉】サイトのデータ訂正は週が明けてからとなります。



鈴木二文字さんの「たんかっち」、
438でコメントしたうちの、
18首目の半角スペース61個の表記を
全角スペース30個の表記に訂正いたします。
ブラウザの表示フォントによって、
全角スペースの幅がかわりますので、
鈴木さん自身からリクエストのあった
別作品との位置揃えは実現されないと思います。
また、28首目の機種依存文字については、
表示フォントやOSによって、
表示されたりされなかったりするので、
現状のままで表記の訂正はおこないません。
ただし、選考にあたっては、

S●●  
B●●○ 
O●○
I・・・・・
U・・・・・

この4行目の「・・・・・」の部分を
「内黒のハート型 内白のハート型 内白のハート型 内白のハート型 内白のハート型」とみなし、
この5行目の「・・・・・」の部分を
「内黒のハート型 内黒のハート型 内黒のハート型 内黒のハート型 内黒のハート型」とみなして、
ディスカッションを進めてゆきます。
訂正サンプルを以下↓に仮掲載しています。
http://www.sweetswan.com/utanoha_data/suzuki.html
【歌葉】サイトのデータ訂正は週が明けてからとなります。



以上、どうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[439] 第2回歌葉新人賞候補作品リスト 荻原裕幸 2003年08月23日 (土) 21時03分

応募作品の表記のことは、
事前にあれこれ予測してはいたのですが、
やはりいろいろなことが起きるものですね。(^^;;;
それだけみなさんに、いろいろな角度から
トライアルしていただけているのだと、
ありがたいことのあらわれとしてうけとめています。



さて、その候補作品、
3人で各5篇、重複がありましたので、
計12篇が選出されることになりました。
あらためて、選出した選考委員の名前とともに
リストにしておきますのでご覧下さい。
選考は、ここに名前の並んだ順に、
1篇ずつ意見交換を進めてゆく予定です。

----------------------------------------------------------------

[ID 24] 島なおみ 「エデンプロジェクト ―わたしは世界を席巻する―」
【荻原・加藤】

[ID 39] 斉藤斎藤 「ちから、ちから」
【荻原・穂村】

[ID 45] 觜本なつめ 「渦」
【加藤】

[ID 70] 廣西昌也 「ファミリー」
【穂村】

[ID 76] 兵庫ユカ 「七月の心臓」
【荻原・加藤】

[ID 78] 我妻俊樹 「ニセ宇宙」
【加藤】

[ID 108]  多田百合香 「そんなんじゃない、夏」
【穂村】

[ID 115] 大塚真祐子 「光合成以前」
【荻原】

[ID 122] 鈴木二文字 「たんかっち」
【加藤】

[ID 123]  宇都宮敦  「くちびるとかスリーセブンとか まばたきとかピアスとか」
【穂村】

[ID 129]  岡田幸生  「03」
【穂村】

[ID 131]  魚柳志野 「亜熱帯花冠」
【荻原】

----------------------------------------------------------------

どうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[438] 候補作品についての補足 荻原裕幸 2003年08月23日 (土) 20時45分

候補作品、すでにご覧いただいているようで、
ここ=リアルタイム・スペースをはじめ、
さまざまな場でのコメント、声援に感謝します。



さて、掲載されている候補作品について補足です。

島なおみさんの「エデンプロジェクト ―わたしは世界を席巻する―」、
作品表記の一部が、htmlタグに紛れてしまっています。
(ソースを見るとわかるのですが、2首目と7首目です。)
現状タグ表記のための、< >となっている数箇所を
< >にして、表記がすべて表示に反映されるよう、
訂正をおこないたいと思います。少しお時間下さい。

鈴木二文字さんの「たんかっち」、
ご本人の書きこみにもありますが、
作品中の半角スペースの連続表記が、
htmlに対するブラウザの表示能力の問題で、
まったく反映されない状態になっています。
(ソースを見るとわかるのですが、18首目です。)
表示の変更方法を検討中ですが、
全角スペースとして対応したいと思います。
#28首目の機種依存文字についても、
#現在対応方法を検討中です。
こちらも少しお時間下さい。

また、斉藤斎藤さんからご指摘がありましたが、
一部の候補作品の作者名に付随して、
(P.N)という表示がありますが、
作品とはまったく関係のない、
応募者の整理上のデータです。
すべて削除いたします。
これもまた少しお時間下さい。



先日は、ぼくのパソコンだったのですが、
現在、選考委員の穂村弘さんのパソコンが不調状態で、
選考開始のタイミングをはかっております。
お待たせしてばかりですが、
どうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[437] こんにちは 斉藤 斎藤(P.N) 2003年08月22日 (金) 16時08分

お世話になっております。斉藤斎藤です。

みなさまの候補作品、たのしく拝見させていただきました。
ところで、作者の名前のあとの

(P.N)

は、いかがなものかという感じを表明しておきます。

それでは、審査をおそるおそるたのしみにしております。

http://saitousaitou.hp.infoseek.co.jp/


[436] 作品訂正のお願い 鈴木二文字 2003年08月22日 (金) 14時31分

●こんにちは。二文字@火気厳禁です。
●審査員のみなさま、スタッフのみなさま、繊細な作業おつかれさまでした。
加藤治郎さんが書かれていたように、やっと今年の夏がはじまるかんじです。
どきわくです。

●さて、加藤治郎選で掲示されている拙作中、3点ほど訂正していただきたい
箇所があるのですが、訂正のお願いはこちらでよろしかったでしょうか。

●1点め、18首めの
0II MAX
●ですが、あいだの空白スペースが消去されてしまっているので、
0II                MAX
●このように訂正ねがえますか。13首めの
0IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII MAX
●と、「MAX」の位置が揃うようにしていただきたいのです。

●2点め、28首めの
 2回裏
S●●  
B●●○ 
O●○
I・・・・・
U・・・・・
●ですが、こちらで機種依存文字を使用してしまったために、
4行めと5行めが文字化けしてしまいました。すみません。
●正しくは、
 2回裏
S●●  
B●●○ 
O●○
I・。。。。
U・・・・・
●となります。

●3点め、30首めと「●以上30首。【】内は〜」の注意書きのあいだは、
あいだに一行あけて下さるとうれしいです。
●こまかい点ですみませんが、以上御配慮いただけると助かります。
では、よろしくお願いします。


[435] 進行について 荻原裕幸 2003年08月22日 (金) 01時06分

参加している歌会の流れで、
さきほどまで外に出ておりました。
候補作品の掲示具合等も、
いま確認をはじめたところなので、
進行その他への対応、
金曜の午後以降になろうかと思います。
どうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[434] 候補作品一覧へのリンク 荻原裕幸 2003年08月22日 (金) 01時02分

アクセスカウンタの上部に、
第2回の候補作品一覧へのリンク、
はっておきました。
そちらから直にアクセスできます。
どうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[433] おう。 加藤治郎 2003年08月22日 (金) 00時24分

応援、いいですね。

http://www.sweetswan.com/jiro/


[432] がつんっ。 キクチアヤコ 2003年08月21日 (木) 22時23分

はじめまして。キクチアヤコと申します。

島なおみさんの作品、好きです!
読んだそばから新鮮なイメージと、自分の記憶と
繋がるような懐かしさが同時に押し寄せてきました。
ぜひ本になって、そばに居て欲しい作品です。


[431] ということで、 加藤治郎 2003年08月21日 (木) 19時35分

みなさん

候補作が発表されていますのでご覧下さい!
http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/

よろしくお願いいたします。★彡

http://www.sweetswan.com/jiro/


[430] Re[429]: 訂正のお願い 加藤治郎 2003年08月21日 (木) 19時33分

島なおみさん

こんにちは。加藤治郎です。

429の件、了解しました。
選評は、順番に行いますので、いま、しばらくお持ちください。
よろしくお願いいたします。

http://www.sweetswan.com/jiro/


[428] みなさんお疲れさまでした(^−^) ゆーきあやか 2003年08月20日 (水) 01時16分

選者の3先生及びみごと一次選考に残った方、お疲れさまでした。
私は残念ながら今回は選考に残れませんでした^^;
また次回に向けて腕を磨き、歌を温めて参ります!
ひとまずは選者の先生方の熱い評を楽しみにしてます^^


[427] Re[426]: 一次選考、お疲れ様でした。 加藤治郎 2003年08月20日 (水) 00時57分

こんにちは。

> 選考委員の方々、一次選考、お疲れ様でした。
> ぼくのつたない作品を読んでいただき、ありがとうございました。
> 今後の選考の模様と候補作の公開を楽しみにしています。

ありがとうございます。
歌葉新人賞は、選考委員が応募作全部に目を通しています。

> さて、荻原さんに一次予選通過作品に選んでいただいた
> 「ノーブランドのぼく」をわがホームページにアップしました。
> 身の回りの固有名詞をすべての歌に詠み込む、
> というコンセプトでつくった連作です。
> 未熟な作品で恥ずかしいのですが、よろしければ読んでください。

いいですね。
こういうアピール、ぼくは歓迎です。

時間があったら、去年の選考過程のログ、ご覧下さいね。

★彡




http://www.sweetswan.com/jiro/


[426] 一次選考、お疲れ様でした。 みうらしんじ(三浦信二) 2003年08月19日 (火) 23時26分

みなさん、こんばんは。
ネットではひらがなで活動しているみうらです。

選考委員の方々、一次選考、お疲れ様でした。
ぼくのつたない作品を読んでいただき、ありがとうございました。
今後の選考の模様と候補作の公開を楽しみにしています。

さて、荻原さんに一次予選通過作品に選んでいただいた
「ノーブランドのぼく」をわがホームページにアップしました。
身の回りの固有名詞をすべての歌に詠み込む、
というコンセプトでつくった連作です。
未熟な作品で恥ずかしいのですが、よろしければ読んでください。

どうぞよろしくお願いします。

http://www.mnet.ne.jp/~miusin/


[425] ああ定めよ 陰となりのみよこ 2003年08月19日 (火) 13時53分

悲しいです。残念です。みよこは撰ばれていませんでした。
きっとさいのうがないのだとおもいます。短歌をよむのにやるきが
なくなりました。っち。じこまんぞくならしたくないのです。
みなさまの優秀作拝見するのはあまり楽しみじゃないですけど。
もしかしたらすごくすてきな作品があるかもしれぬのでミニ来ます。
不倫相手に慰めてもらって悲しい。これからまたたのしみを見つけねば。


[424] 公開選考会 加藤治郎 2003年08月18日 (月) 00時55分

で、みなさんとお目にかかれるのを楽しみにしています!

http://www.sweetswan.com/jiro/


[423] 今後の進行について 荻原裕幸 2003年08月18日 (月) 00時49分

こんばんは。
今回は、荻原が司会担当ということで、
リアルタイム・スペースでの議論を進めます。
手順は、大筋、以下のようになります。

1)コンテンツワークスさんに候補作品12篇を公開していただきます。
  作業の都合上、しばらくお時間をいただきたいと存じます。

2)候補作品が公開されましたところで、
  各候補作品について3者で議論を重ねてゆきます。
  手順につきましては、司会担当が交代しますので、
  前回と微差が出るかも知れませんが、前回の方法を大筋で踏襲し、
  最終候補の発表の前段階まで、リアルタイム・スペースで議論を進めます。

3)最終候補の発表・受賞作の決定につきましては、
  今回は、オフラインで、公開選考会の開催を予定しております。
  詳細はあらためてこちらで告知いたします。

以上、どうぞよろしくお願いします。



進行について、コメントが遅くなってすみませんでした。
パソコン(マッキントッシュです、念のため。)の調子が、
このところどうも思わしくなくて、ネット関連の作業が遅れがちです。(^^;;;

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[422] ありがとうございました 菊理。 2003年08月17日 (日) 11時00分

皆様、お疲れさまでした。
8月に入ってから、短歌の技法とか作法とか歴史的な流れとかを勉強していたりします。(恥)感情や環境を言葉に替えるだけではないもっと伝えるためのメソッドが山のようにあることを知り、この表現方法の奥深さに改めてひかれています。
今回はあまりにも拙い作品を読んでいただいてありがとうございました。
これからさらに勉強と試行錯誤を続けたいと思います。短歌も、人生も。
入選、受賞作品を眼にするのを楽しみにしております。その過程で交わされるであろう議論の数々も…。(ネット環境の許す限り)


[421] 三者の選が出ました。 荻原裕幸 2003年08月16日 (土) 20時52分

今後の進行については、
日付がかわりましたら、
あらためてお知らせいたします。
どうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[420] 荻原裕幸選「第2回歌葉新人賞候補作品&一次予選通過作品」 荻原裕幸 2003年08月16日 (土) 20時48分

こんばんは。
荻原裕幸です。
ぼくの一次選考の結果は以下の通りです。

-------------------------------------------------------
候補作品

[ID 24] 島なおみ 「エデンプロジェクト ―わたしは世界を席巻する―」
[ID 39] 斉藤斎藤 「ちから、ちから」
[ID 76] 兵庫ユカ 「七月の心臓」
[ID 115] 大塚真祐子 「光合成以前」
[ID 131]  魚柳志野 「亜熱帯花冠」
-------------------------------------------------------

以上5篇を候補作品として選びました。
また、一次予選通過作品としては、

-------------------------------------------------------
一次予選通過作品

[ID 51] 雪舟えま 「垂直の草原」 
[ID 112] 三浦信二 「ノーブランドのぼく」
[ID 122] 鈴木二文字 「たんかっち」
[ID 129] 岡田幸生 「03」
[ID 130] 伴風花  「Watercolors」
-------------------------------------------------------

の5篇を選びました。
最終的に20篇超をずっと眺めていました。
迫力も魅力もある作品が多かったと思います。
応募者のみなさん、どうもありがとうございました。

どうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[419] 穂村弘選「第2回歌葉新人賞候補及び一次予選通過作品」 穂村弘 2003年08月16日 (土) 12時20分

穂村弘選「第2回歌葉新人賞候補作品」

こんにちは、穂村弘です。
私の一次選考の結果は以下のようです。

●候補作品
[ID 39] 斉藤斎藤   「ちから、ちから」
[ID 70] 廣西昌也   「ファミリー」
[ID 108] 多田百合香  「そんなんじゃない、夏」
[ID 123] 宇都宮敦   「くちびるとかスリーセブンとか まばたきとかピアスとか」
[ID 129] 岡田幸生 「03」

●一次予選通過作品
[ID 51] 雪舟えま   「垂直の草原」 
[ID 78] 我妻俊樹  「ニセ宇宙」
[ID 83] 薮本あや  「夏休み自由研究在中」
[ID 90] 黒崎恵未 「HIK」
[ID 130] 伴風花   「Watercolors」


魅力的な作品が多かったです。
「勢い」と「定型観」の両立が望ましいんだけど、どちらになると選ぶのが難しいですね。
評価のポイントが違うからうまく比べられないのです。


[418] 加藤治郎選「一次予選通過作品」 加藤治郎 2003年08月16日 (土) 11時04分

こんにちは。

加藤治郎です。

続いて「一次予選通過作品」を発表させていただきます。

───────────────────────────────

[ID 57] 宮川聖子 「ラミパスラミパスルルルルル」

[ID 98] コバ トオル 「シティ・ライト」

[ID 116] 酒井徹 「しあわせの種」

[ID 129] 岡田幸生 「03」

[ID 135] 中島裕介 「無菌室に行く為の舞踏譜」

───────────────────────────────

以上です。

訴えてくる作品が多かったです。
最後まで、てもとに20篇残りました。
そこから5篇+5篇。
迷いに迷い、快く苦しみました。

応募されたみなさん、ありがとうございました。

★彡

http://www.sweetswan.com/jiro/


[417] 加藤治郎選「第2回歌葉新人賞候補作品」 加藤治郎 2003年08月16日 (土) 01時26分

こんにちは。

加藤治郎です。

私の一次選考の結果を発表させていただきます。


候補作品

──────────────────────────────────

[ID 24] 島なおみ 「エデンプロジェクト ―わたしは世界を席巻する―」

[ID 45] 觜本なつめ 「渦」

[ID 76] 兵庫ユカ 「七月の心臓」

[ID 78] 我妻俊樹 「ニセ宇宙」

[ID 122] 鈴木二文字 「たんかっち」

──────────────────────────────────

以上、5篇を選びました。

水準が高かったです。

いま、ここに、最も先鋭な感性が集まっている。

「奇跡の夏」の幕開けです。

★彡




http://www.sweetswan.com/jiro/


[416] まもなく日付がかわります。 荻原裕幸 2003年08月15日 (金) 23時57分

16日(土)0時00分から23時59分のうちに、
選考委員がそれぞれ、ここに、
一次選考の結果を書きこみます。



今回も第1回同様に、
各自が5篇の「候補作品」を選びます。
重複がなければ最多で15篇となる候補作品の中から、
最終的な受賞作を選出します。

また、今回は、
候補作品5篇以外に、
どんな作品を選考委員が評価したかがわかるように、
5篇の「一次予選通過作品」を選びます。
「一次予選通過作品」については、
最終的な受賞の候補とはなりません。

選考の流れについては、
一次選考の発表が完了したのち、
あらためてご説明させていただきます。
どうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[415] 失礼しました。 ちどり 2003年08月14日 (木) 01時50分

直近の発言、タイトルとURL間違えて入力してしまいました、、、。
申し訳有りません。動揺する位楽しみです。失礼しました。


[414] http://chidori.petit.cc/ ちどり 2003年08月14日 (木) 01時44分

こんばんは。
ゆっくりじっくり審査して頂いているようで(推測)、選考は何喰わぬ顔で待ち遠しい、です。どなたの作品が選に上がったのか、読み手として、又応募したものとして。お疲れ様です。後約三日ですね。楽しみに待っています。


[413] Re[412]: もういくつ寝ると・・・ザお受験 横目のみよこ 2003年08月11日 (月) 12時19分

> わたしは今、136分の1の自分となって、
> 空からの声に耳を澄ましている。
>
> まるで、神からの啓示を聞く、
> ジャンヌ・ダルクのごとく。

ポエムな例えでロマンティックですね。

私もモグラとなって地上からの周波数に耳を澄ましてる
まるでお百姓さんの脱穀機のごとく。


>  ☆≪  ☆≪  ☆≪  ☆≪  ☆≪

流れ星に願い事したことがあります。

私は17日に見ようかと思います。
落ち込むこともあるかもしれないけど、好みは人それぞれですものね。
きっとこれからも短歌erとして短歌ingしてゆくと思います。
まさに歌葉はお受験ですね。教育ママも塾もないけどハチマキして燃えてます。


[412] もういくつ寝ると・・・ 吾妻すもも 2003年08月10日 (日) 00時17分

わたしは今、136分の1の自分となって、
空からの声に耳を澄ましている。

まるで、神からの啓示を聞く、
ジャンヌ・ダルクのごとく。


 ☆≪  ☆≪  ☆≪  ☆≪  ☆≪


こんなにドキドキして落ちつかないのって、
久しぶりの感覚です。

でも、16日は昼から夜中まで外出の予定。
・・・・人生なんて、そんなものですよね。

http://members.goo.ne.jp/home/shiroyagisan/main


[411] 発表時間 荻原裕幸 2003年08月07日 (木) 13時54分

>隣のみみよこさん

あまり「ロマン」的ではなくて
もうしわけないのですが、(^^;;;
16日の発表については、文字通り、
0時00分から23時59分の間に、
三選考委員がそれぞれの日常的都合にあわせて、
ばらばらにここに書きこみ=発表をおこないます。
どうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[410] うきゃるん。何方かお答え下さい。 隣のみみよこ 2003年08月07日 (木) 13時39分

わわわわわー楽しみですねー。里帰りのおばけも楽しみかも。
16日の午前0時でしょうか?
私は午前10時ぐらいに発表かしらと思います。

こういう時間の予告ってルパンの犯罪予告みたいで
小さなロマンを感じます。小さなロマンって他に何かないでしょうか?


[409] Re[408][407]: 一次選考結果は、8月16日(土)に発表します。 荻原裕幸 2003年08月04日 (月) 18時03分

>山崎立夏さん

名古屋、暑いです。
クーラーつけてますが、
なんだか蒸し焼き状態です。(^^;;;



> 以上のような理解でよろしいでしょうか?

はい。以上のような理解で、間違いないです。(^^)
わかりにくい書き方になっていてすみません。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[408] Re[407]: 一次選考結果は、8月16日(土)に発表します。 山崎立夏 2003年08月04日 (月) 17時59分

荻原さんこんにちは。名古屋の暑さは
いかがでしょうか。加藤さん穂村さん
ともどもご多忙のこととお察し申しあ
げます。

いわずもがなことがらながら,誤解が
生じるとよくないと思いますので,確
認までにひとつおたずねさせてくださ
い。

日本語の文言についての質問です。

> 選考の進行および最終選考について、
> 多くは昨年の方法を踏襲しますが、
> 変更点が生じるために、
> 一次選考の結果発表の前に
> 最終的な打ちあわせを完了しておくためです。
> 昨年同様、試行錯誤の中で進めております。
> ご理解のほどお願いもうしあげます。



1.この「最終的な打ちあわせ」というのは,
上述の「変更点」についての「最終的な打ちあ
わせ」であり,最終選考という意味での「最終
的打ちあわせ」ではない。

2.したがって,昨年同様今回も,リアルタイ
ムスペース上で第三者によって書き込まれた批
評が,選考そのものに実質的な影響を及ぼすこ
とがありうるという当新人賞自体の決定的に重
要な性格は変化していない。

以上のような理解でよろしいでしょうか?

http://respondeo.infoseek.livedoor.com


[407] 一次選考結果は、8月16日(土)に発表します。 荻原裕幸 2003年08月04日 (月) 15時33分

みなさん、コメントの書きこみ、
どうもありがとうございます。



歌葉新人賞の一次選考の結果発表は、
少しスケジュールをスライドして、
8月16日(土)とさせていただきます。
よろしくお願いします。

選考の進行および最終選考について、
多くは昨年の方法を踏襲しますが、
変更点が生じるために、
一次選考の結果発表の前に
最終的な打ちあわせを完了しておくためです。
昨年同様、試行錯誤の中で進めております。
ご理解のほどお願いもうしあげます。

今年もスリリングな選考になろうかと思われます。
いましばらくお待ちいただければ幸いです。(^^)

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[406] はじめましてでした 平屋のみよこ 2003年08月04日 (月) 13時33分

> 別にこちらの結果がどうであれ、
> 歌会には自由に参加できると思うんですけど…。
>
> お節介だったかな。ごめんなさい。

八香田さん、通りすがりさん。ご返信ありがとうございます。
鬱気味なので歌会とかでたいけど会社でも家でも鬱々してるんです。
それで独り言を言っているんです。
お節介といえば、私はサザエさんの世界を思い出します。
のり助さんが好きだったんです。
のり助さんのまねをして食い逃げしたことがあります。
それではいつかどこがで。


[405] えっと。 通りすがりの者ですが。 2003年08月03日 (日) 21時18分

別にこちらの結果がどうであれ、
歌会には自由に参加できると思うんですけど…。

お節介だったかな。ごめんなさい。


[404] Re[403]: おめおめさめざめ 八香田 慧(ようかだ けい) 2003年08月03日 (日) 02時41分

> 早く結果を見たいです。
> だめだったら絶望しちゃうかもしれないけど

 うひゃあ!!
 私、そこまで気合い入ってないんですけど、応募してよかったんだろうか……。

 あ、そうそう。こちらでは初めましてです(こらこら)。

http://homepage3.nifty.com/K_YOUKADA/


[403] おめおめさめざめ 隣のみよこ 2003年08月02日 (土) 19時08分

早く結果を見たいです。
だめだったら絶望しちゃうかもしれないけど
歌会とか参加したいので早くお友達を見つけるために
結果を知りたいですー。


[402] ごあいさつなど 謎彦 2003年07月31日 (木) 09時14分

 こんにちは。

 去年こちらでお世話になりました謎彦です。早いもので、あれから1年になろうとしているんですね。オンライン審査が今年も盛会となりますよう、ご祈念申し上げます。

 さて私事で恐縮ながら、昨年応募させていただいた拙作「幻」をトッカカリとして、これに続篇的な連作を足してゆく形で、この度ミニ歌集『御製』を自家製作いたしました。「幻」一連と同様、わたくし謎彦の告白録ではなく、架空人物ミナモトノナゾヒコの物語として一冊を成り立たせております。かつてエクトル・ベルリオーズが「幻想交響曲」を作曲した時、夏石番矢が『猟常記』を編んだ時、塚本邦雄が『水葬物語』を捻り出した時、三島由紀夫のペンから『金閣寺』が噴き出した時、いずれも20代の終わりから30代の初めという年齢でした。これらの傑作に比してあまりに拙いことは百も承知の上で、あえて申し上げますに、折しも同年輩のわたくしは今回「わが幻想交響曲」「わが猟常記」「わが水葬物語」「わが金閣寺」のつもりで拙集をまとめてみた次第です。

 おかげさまで既に在庫が切れましたため、わたくしのHPにてオンライン版をご高覧に供しております。こちら「リアルタイム・スペース」へお越しになったついでに、お立ち寄りいただければ幸いに存じます。なおその節は、拙集があくまでノン・ポリティカルかつノン・ジャーナリスティックな文芸作品でありますことを、予めご了解下さいませ。

 それでは、かくいうわたくしも「短歌の甲子園」を今後ちょくちょく観戦に参ります (^_^)

http://www.geocities.co.jp/Stylish-Modern/2272/japondama.htm


[401] こんばんは。 荻原裕幸 2003年07月31日 (木) 02時23分

新人賞の一次選考について、
発表方法とその後の選考の進め方など、
現在、選考サイドで微調整を行っています。
発表期日が若干後ろにスライドする可能性が高いです。
スケジュールについてはあらためてこちらでお知らせします。
発表をお待ちのみなさんにお詫びもうしあげます。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[399] もうすぐその月末ですね! 佐藤理江 2003年07月19日 (土) 08時59分

早く1次選考結果がみたいですう!!
皆さん頑張って下さいませ☆

http://www1.u-netsurf.ne.jp/~okiraku/


[398] 【速報】応募総数 荻原裕幸 2003年07月09日 (水) 23時42分

応募作の事務的なチェックが完了しました。

第2回歌葉新人賞、応募総数は、136でした。
たくさんのご応募どうもありがとうございました。

一次選考の結果は、今月末に、
このリアルタイム・スペースに発表の予定です。

これから、みなさんの応募作品を
じっくり読ませていただきます。
どんな作家・作品に出逢えるのか、
楽しみにしています。(^^)

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[397] ああよかった 船橋チトセ 2003年07月06日 (日) 22時29分

届いていてよかったです。
安心しました。

選考のようすも見られるということなので
楽しみにしています。




[396] Re[395]: はじめまして 加藤治郎 2003年07月06日 (日) 11時55分


こんにちは。
選考委員に届けられた応募作品リストに船橋チトセさん、入っていましたから大丈夫ですよ。

よろしくお願いいたします。

> はじめまして。
> 船橋チトセといいます。
> 短歌賞に応募したのですが、確認メールがきておりません。
> 私はパソコンに不慣れでなにか、送信ミスがあったのではないかと
> どきどきしているのですが・・・
>
> よろしくお願いします。

http://www.sweetswan.com/jiro/


[395] はじめまして 船橋チトセ 2003年07月06日 (日) 10時04分

はじめまして。
船橋チトセといいます。
短歌賞に応募したのですが、確認メールがきておりません。
私はパソコンに不慣れでなにか、送信ミスがあったのではないかと
どきどきしているのですが・・・

よろしくお願いします。


[392] Re[391][390]: ありがとうございました 伊奈祥香 2003年07月02日 (水) 21時20分

申し訳ありません、
はじめましてのくせにいきなり送信ミスしてしましました。
以下の391の記事は無視してくださいf^_^;


[391] Re[390]: ありがとうございました 伊奈祥香 2003年07月02日 (水) 21時10分

> お世話になっております。
> 出張先から、確認メールをたった今ご応募いただいた方に全てお送りいたしました。
> ほんとにたくさんのご応募ありがとうございました。
> 去年の倍近くのご応募をいただきましたことを事務局として大変うれしく思っております。
>
> 万が一、応募したのだが、確認メールが来ていない方がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。よろしくお願いいたします。


[390] ありがとうございました 荻野 2003年07月02日 (水) 13時26分

お世話になっております。
出張先から、確認メールをたった今ご応募いただいた方に全てお送りいたしました。
ほんとにたくさんのご応募ありがとうございました。
去年の倍近くのご応募をいただきましたことを事務局として大変うれしく思っております。

万が一、応募したのだが、確認メールが来ていない方がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。よろしくお願いいたします。


[388] よかったあ 鈴木二文字 2003年07月01日 (火) 01時45分

●よかったあ、風花さんがまにあってる。
●マラリーでお会いしたときにはぜったい間に合わないようなことおっしゃっていたので、
あやうくつられるとこだったよ。出しといてよかったあ。

●今日(昨日か)応募させていただきました。
もっとおつきあいしたかった一首ばかりでしたが、ともかく30首まで整理しました。
これから一人寝がさみしくなります。
でもたのしかったー

●この一週間はずっと、昨年度のこちらの選考ログを読み返していました。
今年も刺激的なディスカッションに立ち会えること、いまからたのしみにしています。


[386] 応募しました。 ゆう@中島裕介 2003年07月01日 (火) 00時24分

こんにちは、中島です。

先程応募させて頂きました。(もしかしてタイムアップ後でしょうか?)
そして前回と同様、早速私のホームページにもアップロードしました。
今年はどんな作品が見られるのか、昨年以上の期待をもって楽しみにしております。

では、また。

http://www002.upp.so-net.ne.jp/theart


[385] ありがとうございました! 加藤治郎 2003年07月01日 (火) 00時21分

みなさん

ご応募、ありがとうございました。
最終日、盛り上がりました。
応募作じっくり読ませていただきます。 たのしみです。

ときどき、この掲示板、見てくださいね。
審査の進行など、適宜アナウンスいたします。
よろしくお願いいたします。

★彡

http://www.sweetswan.com/jiro/


[383] 応募させていただきました。 伴風花 2003年07月01日 (火) 00時05分

こんばんは。
最後まで、まよって、まよって。
ひとつも正確な時計を持っていないので、
締め切り何分前かわからなけれど今、送りました。

荻原裕幸さん、加藤治郎さん、穂村弘さんは、
ここから、ですね。
今年もここで、短歌の今をきらきらさせる、
三人のいろいろな批評が読めるのをたのしみに待っています。



[382] いよいよ締め切り 柚木 2003年07月01日 (火) 00時01分

本当にギリギリの投稿になりました。
何とか送信できて良かったです。
しぼりきった感じです。
よろしくお願いします。


[381] ぎりぎり完了 かおる 2003年06月30日 (月) 23時17分

たった今応募させていただきました。
ずっと締め切りが頭にありながら結局ぎりぎりになってしまいました。
どうぞよろしくお願いします。


[380] 応募完了しました 吉本 綾 2003年06月30日 (月) 21時34分

先ほど、新人賞に応募させていただきました。
ずっと今日、6月30日の締切日が頭にありつつ、ほんとうにぎりぎりでの応募となりました。
たくさんの応募者の方がいらっしゃるようですね。
経過から楽しみにしております。
よろしくお願い致します。


[379] たった今 ちどり 2003年06月30日 (月) 20時35分

応募させて頂きました。
選考のみなさん、応募者のみなさん、お疲れさまです。

宜しくお願いいたします。

http://chidori@petit.cc/


[378] ご応募ありがとうございます2 荻野 2003年06月30日 (月) 19時40分

お世話になっております。
今日だけで、60件前後のご応募いただいています。
ありがとうございます。
さて、応募サイトですが、本日12:00(0:00)時に終了とさせていただきます。この調子ですと、終了間際に多くの方からアクセスがあると予想されますので、ご応募をご予定されている方はお早めにお願いいたします。
また、私事ですが、明日から3日まで出張いたしますので、ご確認メールをお出しするのが、今週末になりそうです。
すみませんが、よろしくお願いいたします。
皆様のご健闘をお祈りいたしております。


[377] 応募させていただきました。 菊理。 2003年06月30日 (月) 15時54分

初めまして。
本日締め切りの新人賞、応募させていただきました。
今まで応募とか投稿とか考えたことがなかったのですが、今回、突き動かされるように作業していました。何せ、「短歌ヴァーサス」を手に取ったのが昨日のことでしたから。
筆名が「菊理。」実はかなり恥ずかしいのですが、実名というわけにいかず、急に思いつかず、一番気に入っているハンドルネームをそのまま流用してしまいました。
どうぞよろしくお願いいたします。
文末になりましたが、「短歌ヴァーサス」創刊たいへん嬉しく思います。息長い本になりますように。
今から気合いいれなおしてゆっくり読ませていただきます。


[376] 第2回歌葉新人賞、本日締切です。 荻原裕幸 2003年06月30日 (月) 11時55分

第2回歌葉新人賞の締切、
いよいよ本日が締切です。
募集要項はこちら↓。
http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/kikaku4/
作品数は30首です。
ぎりぎりまでご応募お待ちしております。(^^)



>masapingさん

応募ありがとうございました。


>横田蔵人さん

書きこみどうもありがとうございました。
「短歌ヴァーサス」、お読みいただけて幸いです。


>泉茫人さん
>鷲家正晃さん

応募ありがとうございました。
コンテンツワークスさんに、
情報は伝わっておりますので、
対応していただけると思います。

どうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[375] 僕も送信ミスです。 鷲家正晃 2003年06月30日 (月) 04時34分

すみません。6月29日の午前11時くらいに新人賞の方を投稿させてもらったのですが、タイトルを書く前に「送信」を押してしまいました。
今、タイトルを書いた物をもう一度投稿させてもらいました。申し訳ありませんが、先に送った物を消去してもらえないでしょうか。すみません。
投稿者は鷲家正晃です。


[374] すみません。この前のコメントも送信ミスです 泉 茫人 2003年06月29日 (日) 15時03分

前のコメントも送信ミスです(削除キーをまだ入れてなかったので削除できないのですが)。新人賞の方にも、手違いで二度応募してしてしまいました。入力途中で送信されてしまったものですから。前の方はぼつにしていただけるでしょうか。お手数かけて申し訳ありません。


[372] ご応募ありがとうございます 荻野 2003年06月16日 (月) 16時26分

お世話になっております。
歌葉の事務局のコンテンツワークスの荻野です。
このたびはたくさんのご応募ありがとうございます。
ところで、「応募したのに、確認メールが来ない」というような方がいらっしゃいましたら、申し訳ありませんが、私のほうにご連絡いただけないでしょうか?
Thankyouメールは自動的には出ていなくて、皆さんのご応募作品に文字化けなどがないかを確認した後メールをお出ししているので、万が一送り忘れがあるかもしれません。
すみませんが、よろしくお願いいたします。
締め切りまであと2週間となりましたが、皆さんのご応募お待ちいたしております。

http://ogino@contentsworks.co.jp


[371] はじまっています! 加藤治郎 2003年06月14日 (土) 09時22分

「ニューウェーブ短歌コミュニケーション2003」が終わり、いよいよ、第二回歌葉新人賞です。
ぼちぼち作品、集まっていますよ。

今年も、私たち選考委員を、あっと言わせたり、しんみりさせたり、癒したり、そんな応募作、お待ちしています。

★彡

http://www.sweetswan.com/kato/jiro.cgi


[370] 「作品を送りました」 masaping 2003年06月14日 (土) 02時20分

応募フォームにて投稿させていただきました

オーストラリアの西海岸の情景を詠んでみました
自分のサイトの中で詠んだものですが、「選ぶ」と言うことは大変ですね

それではよろしくお願いいたします

http://banksia.fc2web.com/masaping/index.htm


[369] さてそろそろ生まれそう。 横田蔵人 2003年06月14日 (土) 01時03分

さて、そろそろ。この掲示板が賑わいはじめてもよいころだと思うので、書き込みをさせていただきます。

『短歌ヴァーサス』創刊号(風媒社, 2003, 06)誌上で、第一回新人賞の候補作品を改めて活字で読ませていただきました。

縦組み、明朝というのはやはり編集者の方の決断だったのだと思います。結果としてウェブ上での印象とはまた違った感じを受け、新鮮でした。支持します。

(特に、謎彦氏の晦渋な作品が、或る種の境涯に取材した短歌として普通に読めた、ということは驚きでした。)

六月も半ばをすぎましたが、「作品を送りました」というピチピチと網にあがったばかりのような書き込みが今年はまだ鳴りをひそめているようです。

これはやはり、参加者の諸氏が、練りに練りこんだ作品を用意なさっている最中だということを意味するのでしょうか。わくわく。

応援者の一人として、「こんな短歌が読みたい」というのを書いて、参加者の皆さまへのリクエストとリスペクトとしたいと思います。

「なんでこんなに生きづらいのだろう」という傷跡ではなく、「世界はまだこんな息吹に満ちあふれていたのだ」という外光をたたえた作品。

また、三十首連作ということでもあり、或る仕方で「物語」を持った作品。こんな短歌を私個人は読みたいと思っています。

そうであれそうでなかれ、ネット上のこの自由な空間でまた皆さまが競いあう姿を拝見したいと思います。Forza!!


[368] 総合誌「短歌ヴァーサス」創刊します。 荻原裕幸 2003年04月11日 (金) 14時26分

このたび、名古屋の風媒社より刊行される
季刊短歌総合誌「短歌ヴァーサス」の責任編集を
しばらくの間、ひきうけることになりました。

1990年代の半ばから、現代短歌をめぐる企画の
コーディネートの仕事をいくつか手がけて来ましたが、
今回は、総合誌を〈場〉としたコーディネート、
というつもりで仕事に携わっております。

販売は、取次を通して書店に配本されますが、
どの程度の範囲に行き渡るのかが現状ではわかりません。
もしも定期購読をお願いできるようでしたら、
下記風媒社宛にお問い合わせいただければ幸いです。
(荻原個人宛にメールをいただいても手配可能です。)

どうぞよろしくお願いします。


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◆季刊短歌総合誌「短歌ヴァーサス」創刊号

5月上旬書店配本
A5サイズ・136ページ
定価1,000円(税別・送料別)



[目次]

作品 三十首
 枡野浩一「愛について」
 飯田有子「ブスを殺すと雨が降る。」
 藤原龍一郎「懶い恐れの昼と夜」
 村上きわみ「かみさまの数え方」

作品二十首
 田中槐「桜/金魚/少女」
 石川美南「グッドマン、午後八時〜」
 大辻隆弘「砂鉄」
 千葉聡「これからの日々」

特集1「枡野浩一の短歌ワールド」
 天野慶「その先の、枡野浩一に」
 東直子「意志の短歌――枡野浩一著『てのりくじら』『ドレミふぁんくしょんドロッ
プ』について」
 枡野浩一「自著紹介」
 奥村晃作「マスノ短歌ヴァーサスオクムラ短歌」
 村井康司「「親切」という名の過剰――枡野浩一のエッセイをめぐって」
 枡野浩一「極私的短歌辞典」
 天野慶「枡野浩一年譜」

連載
 加藤治郎「短歌の現在1 メンタルスケッチのために」
 穂村弘「80年代の歌1 昨晩のことであります」
 荻原裕幸「短歌と〈場〉1」

コラム・ヴァーサス
 早坂類「現代詩ヴァーサス 詩に関すること それをピンで留めては死んでしまう
(詩は表現ではない)」
 なかはられいこ「川柳ヴァーサス 世界を洗い直す」
 菊池典子「俳句ヴァーサス ふたりの友の向こうに垣間見た顕信」

特集2「第1回歌葉新人賞発表」
 受賞のことば
 受賞作・増田静「ぴりん ぱらん」
 選考委員・主催者コメント
 加藤治郎、穂村弘、荻原裕幸、荻野明彦
 「歌葉」予選通過作品

作品十五首
 天道なお「とわの恋人」
 河野麻沙希「母ちゃんと正義の味方」
 黒瀬珂瀾「植民地(1)」
 錦見映理子「雪の葬礼」

玲はる名「Rei☆Haruna Fax Comucation」

コラム・短歌☆ONLINE
 五十嵐きよみ、井口一夫

※校正等による変更が発生する場合があります。
※ページの構成順とは必ずしも一致しません。



[発行所]

風媒社
〒460-0013
名古屋市中区上前津2-9-14 久野ビル
TEL. 052-331-0008
FAX. 052-331-0512
Mail:fubaisya@kk.iij4u.or.jp

※「短歌ヴァーサス」は全国の書店でお求めいただけますが、
 定期購読ないし確実に入手されたい方は発行所にご連絡下さい。


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http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[367] イベントです! 加藤治郎 2003年03月26日 (水) 00時20分

。,:*:・°☆。,:*:・ ★。,:*:・°☆。,:*:・°★。,:*:・°☆。


ニューウェーブ短歌コミュニケーション2003のご案内


。,:*:・°☆。,:*:・ ★。,:*:・°☆。,:*:・°★。,:*:・°☆。




「ぼくたちのいる場所、その作品」

【 対談 】 枡野浩一 Vs 穂村弘



このたび、第1回歌葉新人賞授賞式及び記念のシンポジウムを
開催することになりました。

みなさまのご参加を心からお待ちしております。


            
 
 ◆日時 2003年6月7日(土曜日)

シンポジウム 14:00〜16:30

授賞式    17:00〜19:00

(受付開始 13:30)


 ◆会場 日本出版クラブ会館

  東京都新宿区袋町6 TEL 03-3267-6111
  
  交通アクセス

  JR飯田橋駅(西口)徒歩8分
  地下鉄都営大江戸線 牛込神楽坂駅(A2出口)徒歩2分
  地下鉄有楽町線・南北線 飯田橋駅(B3出口)徒歩7分
  地下鉄東西線 神楽坂駅(神楽坂口)徒歩7分


 ◆プログラム

★シンポジウム 「ぼくたちのいる場所、その作品」


【対談】 枡野浩一 Vs 穂村弘 司会:荻原裕幸


【ディスカッション】

五十嵐きよみ、井口一夫、大松達知、千葉聡、天道なお

司会:加藤治郎



★授賞式 第1回歌葉新人賞受賞者 増田静

授賞式及び祝賀パーティー



 
 ◆参加費 シンポジウム 1500円

授賞式パーティー 6000円


 ◆参加申込み先
  
SS-PROJECT 加藤治郎 宛てメールでお申し込みください。

  mailto:jiro.kato31@nifty.com


◆申込み記載内容

1) 申込みパート

*下記から1つお選びください。会費は当日いただきます。

(1)シンポジウム及び授賞式パーティー
(2)シンポジウムのみ
(3)授賞式パーティーのみ

2) お名前 所属グループ名

  
 *メールのタイトルには「ニューウェーブ参加」とお書きください。


◆受付締切り
 
5月31日(土曜)


*お席に限りがございますので定員になり次第締め切らせて頂きます。
尚、満席の場合は当方よりご連絡を差し上げます。



◆主催: SS-PROJECT(荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘)

コンテンツワークス株式会社


 
 【歌葉】の歌集を購入ご希望の方は、BookParkまで
お願いいたします。

  http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/
 

 それでは、みなさまのご参加を心からお待ちしております。
                   


。,:*:・°☆。,:*:・ ★。,:*:・°☆。,:*:・°★。,:*:・°☆。


http://www.sweetswan.com/kato/jiro.cgi


[366] ●動作確認のテストです。 荻原裕幸 2003年02月17日 (月) 04時22分

掲示板の動作確認のためのテストです。



サーバのメンテナンス以後、
掲示板に不具合が生じていたかも知れません。
おかしなことがあったという人は、
こちらでお知らせいただれけば幸いです。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[365] ●サーバのメンテナンス 荻原裕幸 2003年02月01日 (土) 01時08分

2003年2月4日(火)18:00〜22:00の予定で、
sweetswan.comのサーバメンテナンスがあります。
該当時間は、この掲示板が閲覧できなくなります。
どうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[364] Re[363]: ありがとうございました。 加藤治郎 2002年08月06日 (火) 00時52分

平山さん、こんにちは。

ニュージーランドだったんですね。
そして、いまイギリス。

次回作(どこで拝読できるか分からないけど)期待しています!




http://www.sweetswan.com/jiro/


[363] ありがとうございました。 平山絢子 2002年08月05日 (月) 05時47分

遅くなりましたが、加藤さん、荻原さん、穂村さん、どうもありがとうございました。
リアルタイム・スペースに毎日アクセスして強く心に感じたことは
「短歌っていいな」という自分でもびっくりするほどシンプルなものでした。
イギリスから毎日アクセスしていたのですが、その言葉どおり
リアルタイムで皆さまの議論を拝見することが出来て、その間は
すっかり日本にいるような気がしていました。楽しかったです。
種明かしと言うわけでもありませんが、「走ってもまだ掴めない」は
ニュージーランドを舞台にしていました。
荻原さんの書かれた
「この歌、ほんとの赤道の近くではなく、南半球に行ったから「赤道」という意識が出た、」
の通りでした。
「読者に対する意識」、考えていきたいと思います。

増田さんのご歌集、楽しみです。今回一番好きな作品でした。
これからがスタートなんですね。
贅沢な時間をありがとうございました。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/7797/index.html


[362] おめでとうございます。 荻原裕幸 2002年08月03日 (土) 12時18分

増田静さん、受賞おめでとうございます。
これからも、「ぴりんぱらん」のような、
そしてさらにそこを超えてゆく作品を
書き続けて下さい。期待しております。(^^)



受賞決定後、緊張が一気にゆるみましたので、
うまくことばを継げずにいましたが、
今回の応募作品は、全体に、
楽しく頼もしい作品が非常に多くありました。
応募していただいたこと、と言うか、
それらを読ませていただいたこと、
あらためて応募者のみなさんに感謝します。

また、当リアルタイム・スペースをはじめ、
歌葉新人賞に注目していただいたみなさん、
どうもありがとうございました。
公開選考というはじめての試みで、
自分自身のちからはすべて出しました。
到らない部分は、本質的なちからの不足なので、
今後に向けてちからを蓄えたいと思います。



いましばらくの間、
リアルタイム・スペースは、
アクティブな状態にしておきます。
また、ログ(過去ログを含む全ログ)については、
先々も継続的に読めるように掲示しておきます。
当サイトへのリンクはもちろんフリーですが、
引用の範囲を超えた無断転載等は
ご遠慮下さいますようお願いします。

なお、受賞作ならびに候補作品については、
すでに【歌葉】ウェブ上に掲載されていますが、
今年11月に風媒社より創刊される
短歌総合誌誌上にも掲載を予定しております。
この件につきましては、後日またあらためて、
当BBS内外で告知させていただきます。
どうぞよろしくお願いします。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[361] 「ぴりんぱらん」が【歌葉】に掲載 加藤治郎 2002年07月31日 (水) 19時06分

こんにちは。暑いですね。

新人賞受賞作品「ぴりんぱらん」が【歌葉】に掲載されました。

http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/kikaku3/sinjin-top.html

おきなわな風景が広がっています。
ご覧くださいますようよろしくお願いいたします。

http://www.sweetswan.com/kato/jiro.cgi


[360] 頓首頓首〜皆様へ〜 謎彦 2002年07月30日 (火) 03時38分

謎彦です。

 増田様のご歌集を、楽しみにしております。

 さて、拙作をこのリアルタイム・スペースというコロセウムに引っぱり上げて下さり、貴重なご講評を賜りました荻原様、加藤様、穂村様にまずはお礼申し上げます。

 また、リアルタイム・スペース内外にて拙作にメッセージやご言及を頂戴しました石井辰彦様、小池純代様、辰巳泰子様、中島裕介様、並木夏也様、藤原龍一郎様、松木秀様、詠み人知らず様、和田大象様(五十音順。もしかするとネット上では、更に多くのご批判や励まし等を頂いているかもしれません)、そして拙作をご高覧下さいました全ての方に、この場をお借りしてお礼申し上げたく存じます。

 末筆ながら、拙作「幻〜Do Minamoto Yourself」の続篇あるいは派生作品の1つとして、『塔』10月号「十代・二十代特集」に「朕〜分け入つても分け入つても紫禁城〜」と題する7首+短文を発表いたします(いつか「匂宮」のテーマにも挑戦します>石井様)。「幻」の末尾ではニューヨーク近海に沈んだらしい「謎彦」ですが、今度はいきなり中国北京に現れ、紫禁城で皇帝即位前夜を迎えております。ライフワークと申し上げるには、これまでの成果もこれからの期待値もまだまだ心許ない営為ではございますが、さしあたりダンテが「ダンテ」を描き、ハーフィズが「ハーフィズ」を歌った分量くらいまでは続けてみたく思っております。下記のページにて未定稿を公開しておりますので、宜しければ引き続きご批正下さいませ。

 皆様どうもありがとうございました。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/4145/tou20dai.htm


[359] 増田さん、おめでとう! 加藤治郎 2002年07月30日 (火) 01時14分

増田さん、ようこそ。
コメントありがとうございました。

増田さんには、

<正賞>【歌葉】における歌集出版権
<副賞> 賞状および発行歌集300部

が授与されます。

そう、今日から歌集に向けてスタートなんですね。

事件は終わらない。


http://www.sweetswan.com/jiro/


[358] ありがとうございます。 増田静 2002年07月29日 (月) 14時13分

こんにちは、増田です。
新人賞をありがとうございます。
とてもうれしいです。

加藤治郎さん、穂村弘さん、荻原裕幸さん、
ありがとうございます。
批評のことばをたくさんいただけたこと、また、この場に参加できたこと
幸せで、たのしく、有意義で、宙にうかんでいるような
この1ヶ月あまりでした。

わたしが日常で耳にする、この土地のことばを、30首のひとつひとつに
組み込んでいこう、というのが最初の計画でした。
でも、苦戦しました。
ぜんぜん思うようにできませんでした。
耳にとどくときの、神妙さ、奇妙さ、親しみ、遠さ、
それをそっくり形にすることができずに、方言を使った歌は
どんどん削ってゆくことになりました。

ですからこの場で、「ぱちみかす」の歌を、
意味がわからないままに肯定的にとらえていただけたこと、
それがないちばん嬉しかったです。

また、コメントをよせていただいた、謎彦さん、風間祥さん
ありがとうございました。
自分のことではないような気持ちで読みました。

http://naha.cool.ne.jp/parade/


[357] 受賞作品決定! 加藤治郎 2002年07月29日 (月) 09時50分

おはようございます。

加藤です。

今朝、リアルタイムスペースを見て、びっくりしました。
今日は、長い長い一日になるんじゃないかと思っていたんです。
最終選考、いろいろなケースをシミュレーションして進行を練っていましたが、サイダーの泡のような幸せな音をたててきえてゆきました。

第一回歌葉新人賞、選考委員3人の意見が一致いたしました。

[ID 61] 増田静さん「ぴりんぱらん」を、第1回歌葉新人賞受賞作品とさせていただきます。

★彡

増田静さん、おめでとうございます! 見てますか。

荻原さん、穂村さん、ありがとうございました。
なにか全体を通してコメントがあれば、お願いいたします。


http://www.sweetswan.com/kato/jiro.cgi


[356] 穂村弘選出「第1回歌葉新人賞推薦作品」 穂村弘 2002年07月29日 (月) 02時45分


穂村です。

私も[ID 61] 「ぴりんぱらん」増田静 を第一回歌葉新人賞に推薦します。

時に<私>やあなたまでが透き通ってみえなくなるような幻覚的なアイランド感に惹かれました。

  幽霊の見える人ならぱちみかす。目が痒い人こぶしでおこる。

秀歌も勿論あるんだけど、「ぴりんぱらん」の世界のなかではこういうよくわからない歌も不思議に印象的でした。
その辺りに力を感じました。

他に、ここでの議論を踏まえて、

[ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦
[ID 91] 「無菌室に居るための舞踏譜」 中島 裕介

この二作の可能性を考えました。
「もっと読んでみたい」のはどれか、という基準からは「ぴりんぱらん」に劣らぬ期待が持てる両作品
ですが、最終的に推しきれませんでした。


[355] 荻原裕幸選出「第1回歌葉新人賞推薦作品」 荻原裕幸 2002年07月29日 (月) 02時25分

ぼくは、 [ID 61] 「ぴりんぱらん」増田静さんを第1回歌葉新人賞に推薦します。

増田静さんの「ぴりんぱらん」には、
自分にとっての未知のファクターがいちばん多かった。
ここからさらに予測できない領域への飛躍を期待しています。
推薦の理由はシンプルにまとめるとそうなります。



なお、ぼく自身の選考のなかでは、

[ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」謎彦さん
[ID 112] 「Fairy Light」伴風花さん

の二篇が、推薦作品と僅差で、
最後まで考え続けました。

以上です。

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[354] 加藤治郎選出「第1回歌葉新人賞推薦作品」 加藤治郎 2002年07月29日 (月) 00時52分


では、発表いたします。

私は [ID 61] 「ぴりんぱらん」増田静 を第一回歌葉新人賞に推薦します。

「ぴりんぱらん」を読むこと、話すことがとても楽しかったです。
日常の手触りのある事物や風景が微妙に異化されて、いつのまにか不思議なパノラマになってゆく。そういった空間の創出が新鮮でした。
それがナチュラルであるから、心地よく引き込まれてゆくのだと思います。
一首の骨太さ、連作としての統一感、そのバランスも秀逸でした。
現代短歌に新しい風景を見せてくれたし、ここから拡がる世界に大いに期待できると確信しました。

★彡

なお、私の中で最後まで競り合った2篇は、

[ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦

[ID 91] 「無菌室に居るための舞踏譜」 中島 裕介

です。
それぞれ比類ない個性を顕示してくれました。
将来、この第一回歌葉新人賞は、謎彦・中島裕介両氏の登場によって記憶されるかもしれない。そんな予感もしました。

全体的に優れた作品が多かったです。
自ずと求める水準が高くなっていった選考ディスカッションだったと思います。
大いに満足しています。






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[353] こんばんは。 加藤治郎 2002年07月29日 (月) 00時20分

謎彦さん、風間さん、コメントありがとうございました。

さて、7月29日になりました。

本日、選考委員が各自1篇、新人賞推薦作を選出します。

よろしくお願いいたします。

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[352] おはようございます。 風間 祥 2002年07月28日 (日) 08時59分

★どうせなら同じ病で倒れたい記憶にない町さまよいながら/ 増田 静

この歌を読むことが出来たことだけでも、私にとって、歌葉新人賞の意義がありました。

・退屈なあかるい島のおひるねに雪のふるゆめみたことがある
・この島は終電もなく時差もなくモラトリアムに終わりもなくて
・音たてて枝がつばさを追いかける空には謝らないつもりで
・終わろうか 君は黙って灼かれてる砂にまみれたベルマーク見る
・泣かんけーと言う人に言ってみている「ここからどこにも帰らんけー」
・ゆっくりとやっつけられてゆくときの 果実 憎しみは透きとおってる

すてきな作品を読めた爽やかな読後感が、南から吹いて来る風に似ています。
「軽薄さと軽さはまったく違う。」と、ある人は言います。
「軽薄は単に斜めにかまえているというだけではなくすべてを拡散して不明にしてしまうことだが、軽さはどこまでも明白にすることだ。」(松下千里「生成する非在」)
増田静さんの連作を読んだ感じにとても似ていました。
世界がその歌のところから一筋、道が開けるような感じです。


なかはらさんの二重描写や(・密林に雨が降ります押入れに発酵まぢかの虹があります) 雪舟さんの定型韻律を自由自在に疾駆させる微妙で魅惑的なリズム感にも魅力を感じました。


それから、

<ルビ=オフィーリアと、儚さゆえに朝露に融けぬべし川も美しかれば>  /中島裕介
Juliet jumbles a jumping juicy judgment(≧JuliusCalendar)

<ルビ=再会の白昼夢を復た見るために二重螺旋を登り始める>  /同
Faced with the fake lover wearing a fake-leathered coat, I feel far from
enjoying Friday 

中島裕介さんの一連も、世界を捉える時空が広くて、意匠の試みもあって面白く感じました。
感想が途中になっていたので、最後にもう一度だけ感想を書かせてください。歌で、ですが。

<それは再びオフィーリアに逢うための物語> 
あの夏の日離れ離れになったけれど君はオフィーリアに逢えるのか
  

歌葉新人賞応募の沢山の作品を読めたこと、とても新鮮な愉しい出来事でした。


[351] 「ぴりんぱらん」に寄せて 謎彦 2002年07月28日 (日) 03時26分

謎彦です。

 今回個人的に感服した応募作として、増田静さんの「ぴりんぱらん」にもメッセージを差し上げたいと思っていたのですが、タイミングを測りかねておりました。この場をお借りして一言だけ。

> (穂村さん)歌数が増えれば増えるほどこの感覚は強まって、面
> 白い世界が生まれそうな気がします。
> (荻原さん)歌数が増えると、さらにスパークしそうな感じ、あ
> りますね。

というお言葉がありましたが、私も同感です。ただ、穂村さんと荻原さんがもしかすると「この一連がもっと歌数の大きいものだったら」とおっしゃっているのかもしれないのに対し、私は「この一連とはひとまず別のところに、作品世界のどこか通底する歌群があったならば読みたいなあ」という意味で、そのように感じました。

 以下この前提に立って申し上げますが、「ぴりんぱらん」一連は何らかのストーリーがあるわけでもなく、もっと広い意味での完結性が強く意図されているわけでもありません。かといって、読後に食い足りなさ/不消化感といったマイナスイメージが与えられるでもない。荻原さんの指摘される「空間の個性」なども、濃密感として読者に表象されない形で立ち上がってくるのですが、これら「中庸の徳」とでも総称するべき特徴が、むしろ良い意味で「もう1篇読みたい」と思わせる力に繋がってくるようです。

 これは例えば雑誌やウェブサイトの寄稿者となって、一連として積極的に完結した30首を掲載するというより、歌集や個人サイトなどまとまった自作発表スペースの中に、one of themな1章として30首なら30首を組み込むという発表方法に適した作りですね。まだ誰も見ぬ1冊の歌集……その大単位で完結させられた数百首の中から、1章として切り出されてきたものという印象があると言っても過言ではありません。

 それがもし「今回の受賞→受賞作を含んだ歌集の出版」というシナリオを狙いすましてのアピールも兼ねていたなら、同じ応募者としてまったく舌を巻くほかありませんが(もちろん良い意味でです)、いずれにせよ短歌の連作ではこのような作り方も有効なのだと勉強になりました。私事ですが、今回の候補作のうちで中島さんの一連は拙作の「鏡」、増田さんの一連は「鑑」です。どちらも謙虚に真向かわせていただきたい「かがみ」であります。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/4145/japondama.htm


[350] 最終選考の日程 加藤治郎 2002年07月26日 (金) 12時40分

マラソン批評、いよいよ最後の一周です。

7月29日(月)に選考委員が各自1篇、新人賞推薦作を選出します。
その結果をもとに、受賞作品決定となります。

みなさんにも私たち選考委員3人にも、未知の風景が広がっています。

ご期待ください!


★彡

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[349] Re[348][346][345][343][342][339][338][337]: [ID 112] 「Fairy Light」 伴風花 加藤治郎 2002年07月26日 (金) 12時25分

荻原さん、穂村さん、気持ちのよいコメント、ありがとうございました。
最後、新人に対する期待にも話が及びよかったと思います。

では、以上をもちまして、ひとまず新人賞候補作のディスカッションを終わらせていただきます。

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[348] Re[346][345][343][342][339][338][337]: [ID 112] 「Fairy Light」 伴風花 荻原裕幸 2002年07月26日 (金) 04時57分

>加藤治郎さん

> ぼくはずっと、千葉聡のことを思っていたんだけど、80年代後半以降の蒸留水的世界に対して、彼ははっきり別の世界を見せてくれましたね。
> 文体や方法は継承しながら<他者のキャラクターの見える世界>を提示した。
> 必ずしもすべて成功したわけではないけれど、はっきり見せてくれた。
> これから登場する新人には、もうそのあたりからスタートしてほしいということなんです。

これは同感です。伴風花さんや他の新人賞応募者に、
これを要求するのは構わないんじゃないかと思います。
ぼくは、伴さんの30首で言えば、
とりわけ、作品の「配列」という点で、
彼女なりの一歩を踏み出していると感じました。
「ルール0」などももちろんそうですが、
先のコメントに書いたように、
時間の推移の感触と文体の感触の相乗みたいなところ。

 「うごく」「いや動かない」「いや」真夜中に二人そろってまりもを見張る
 ゆっくりと車こすって(そういえばこんな感じで傷がついてる)
 ルール1・ベランダの花たちの水→月よう…画鋲をゆっくりはずす

こういった主格の心情の変速のさせ方というのは、
蒸留水的世界の「外」の視点だから
実現可能なんだろうなという印象をもっています。
地味な感じもありますが、これも一歩ではないかと。

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[347] Re[346][345][343][342][339][338][337]: [ID 112] 「Fairy Light」 伴風花 穂村弘 2002年07月25日 (木) 22時55分


加藤治郎さん
> 穂村さんに聞いてみたかったのは、あなたのいう愛の希求の絶対性、知恵の輪の強度は、大滝和子や水原紫苑のようなあからさまなあり様でなくても、〈微差〉に見出せるということかな。

うん。
甲本ヒロトの言葉を借りれば
「それが何であるかではないんだ、問題は”どんな風であるか”なんだ」
っていうことだと思います。
この作品は接近戦で勝負をかけてうまくいっていると思いました。

 せなか かた うでの鳥肌たしかめて髪に両手をそっとさしこむ
 「うごく」「いや動かない」「いや」真夜中に二人そろってまりもを見張る
 こんな朝なら東京の空気も許せる南口で別れましょう

この「鳥肌」「まりも」「南口」は効いてますよね。
その延長で、

 世界のおわりをうっとりねがう夜あけ前ふたりは青い動物になる
 別々の物語よむ夕暮れも足のおやゆび触れさせておく
 このキスはすでに思い出くらくらと夏の野菜が熟れる夕ぐれ
 ガードレールに並んで座り最終の言葉も空へ消えてくばかり
 すこしだけ激しく泣いた 過ぎ去った二人の優しい時間のために

この「世界」「動物」「物語」「野菜」「言葉」「時間」などのうちのいくつかは、
もう少し絞れるというか具体的に書けるかも、と思いました。
勿論このままでいいものもあると思いますが、いくつかをそうやって絞れば
全体のコントラストも強まるんじゃないかな。


[346] Re[345][343][342][339][338][337]: [ID 112] 「Fairy Light」 伴風花 加藤治郎 2002年07月24日 (水) 18時03分

そうですね。

この「現在」の壁、多くの歌人が四苦八苦しているわけで、それを一人の新人に期待するのは過大に違いないんだけど…。
荻原さんの言うように「本人の意志的な選択」に期待したいです。
ぼくはずっと、千葉聡のことを思っていたんだけど、80年代後半以降の蒸留水的世界に対して、彼ははっきり別の世界を見せてくれましたね。
文体や方法は継承しながら<他者のキャラクターの見える世界>を提示した。
必ずしもすべて成功したわけではないけれど、はっきり見せてくれた。
これから登場する新人には、もうそのあたりからスタートしてほしいということなんです。
もちろん伴風花さんも、気分だけで歌っているわけでない。
荻原さんのコメントでよく分かりましたが<ルール1>のようなアイデア、そういった構成上の試行が読者の参加を促して、作品世界の出口をつくっていますね。
そういったオープン化、賛成です。



穂村さんに聞いてみたかったのは、あなたのいう愛の希求の絶対性、知恵の輪の強度は、大滝和子や水原紫苑のようなあからさまなあり様でなくても、〈微差〉に見出せるということかな。
そんなことでした。
[UtanohaBBS 339]
>その飛距離の短さが、逆に生々しさやある種の凄みを感じさせて
>いるように思います。

どこか不全感があったのかと思いましたが「最後まで迷った」というコメントで納得しました。

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[345] Re[343][342][339][338][337]: [ID 112] 「Fairy Light」 伴風花 荻原裕幸 2002年07月24日 (水) 12時27分

>加藤治郎さん

> この作者の美質や力量、現代短歌における射程距離に関して、荻原さんの見えている像と大きな隔たりはないように思うんです。
>
> 期待する新人像かなあ。
>
> 新奇さを望むのではないが、それでも新人賞歌人には、新しいテーマ、風景、形式、文体、なにか現代短歌を変えてくれるかもしれないものを引っさげて登場してほしい。
> そんな希望を捨てきれないんです、ぼくは。

期待するかどうかと言えば、期待するんですけど……。
なかなか簡単には抜けてゆけない「現在」の壁に対して、
伴風花さんの「像」ではなく「ポジション」に期待している感じです。
「「現在の短歌史」を広く消化している」
「この信頼性の高さを、古典とか近代とか前衛短歌の文体で実現せず、
 1980年代以降の、現在の文体で実現している」
先に書いたこんなようなところです。
今後、〈微差〉を研ぎ澄ませてゆく、だけかそうでないかは、
作家のタイプから決まってしまう問題ではなく、
本人の意志的な選択によるものではないでしょうか。

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[344] Re[343][342][339][338][337]: [ID 112] 「Fairy Light」 伴風花 穂村弘 2002年07月24日 (水) 12時11分

加藤治郎さん
>穂村さんのコメントは、絶対評価として十分頷けますし、同感なんですが、この選考という相対評価の場においてどうなのかな。もうすこし聞いてみたいように思いました。

候補を選ぶときに最後まで迷ったのが、伴風花さんのこの作品となかはられいこさんの
「あねもね地域連絡網」ともうひとつありました。
最後まで「?」がついて判断できなかったのが、謎彦さんの 「幻 〜Do Minamoto Your
self〜」と中島裕介さんの「無菌室に居るための舞踏譜」ともうひとつ男性の作品。
「うたう」「北溟短歌賞」の選考時に比べて、今回は迷いが多いです。


[343] Re[342][339][338][337]: [ID 112] 「Fairy Light」 伴風花 加藤治郎 2002年07月23日 (火) 23時56分

うーん。
この作者の美質や力量、現代短歌における射程距離に関して、荻原さんの見えている像と大きな隔たりはないように思うんです。

期待する新人像かなあ。

新奇さを望むのではないが、それでも新人賞歌人には、新しいテーマ、風景、形式、文体、なにか現代短歌を変えてくれるかもしれないものを引っさげて登場してほしい。
そんな希望を捨てきれないんです、ぼくは。

繰り返しになりますが、そういう視点からすると、ちょっと弱いかなと。
荒削りでもいいから、なにか片鱗をみせてほしかったという気持ちです。
この応募作の範囲では、この〈微差〉を研ぎ澄ませてゆく、そんなタイプの作者かなという感想をもちました。

穂村さんのコメントは、絶対評価として十分頷けますし、同感なんですが、この選考という相対評価の場においてどうなのかな。もうすこし聞いてみたいように思いました。

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[342] Re[339][338][337]: [ID 112] 「Fairy Light」 伴風花 荻原裕幸 2002年07月23日 (火) 15時25分

>穂村弘さん

> 「テンション」や「想い」のスタンプが30個なら30個溜まっ
> ても、そこから言葉が遠くにワープするっていうタイプじゃない
> んだけど、少し飛ぶ。
> その飛距離の短さが、逆に生々しさやある種の凄みを感じさせて
> いるように思います。

同感でした。この飛距離の短さというのは、
どちらかと言えば、連作とか構成ベースの、
ある程度まとまった作品で読者をひきよせるタイプの作家に見られますね。
ホームランよりも打点・打率が優先してゆく感じでしょうか。
派手さにどこか欠けるかも知れないけど、信頼性は高いはずです。
この信頼性の高さを、古典とか近代とか前衛短歌の文体で実現せず、
1980年代以降の、現在の文体で実現しているところ、
かなり高く評価できるのではないかと感じました。

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[341] Re[338][337]: [ID 112] 「Fairy Light」 伴風花 荻原裕幸 2002年07月23日 (火) 15時10分

>加藤治郎さん

> 欲をいえば、ここをちょっと打ち破ってほしかったという気持ちはあるんです。
>
> いい感性であることは疑いようがないけれど、
> 現代短歌の中に置くとアドバンテージとしては〈微差〉なんじゃないかと。
> 体臭のない世界。自画像も、他者の輪郭も淡い世界。
> けっこう読んできたような気がするんです。
> つまり、ちょっと別の世界を見せてほしかったということです。

加藤さんが指摘する「微差」という感じ、
言っていること、よくわかります。
もちろん、ここを打ち破る、ことは大切だと思いますが、
ここをここから打ち破ろう、という姿勢を評価しました。
1980年代以後、90年代以後、あるいは2000年以後、
を感じさせる作品は応募作にたくさんありましたが、
伴風花さんのようにフルスペックでそれらを抱え、
つまり「現在の短歌史」を広く消化している作品は、
意外に少なかったように思います。
ここ、をほんとの意味で打ち破れる作者は、
ここ、から逸れてゆく人ではなく、
ここ、に深くわけ入ろうとする人ではないか、
そんなことも感じながら読みました。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[340] Re[337]: [ID 112] 「Fairy Light」 伴風花 荻原裕幸 2002年07月23日 (火) 14時22分

候補にあげたときのコメント、
[169] 、過去ログに埋もれているので、
まず、あらためて貼りつけておきますね。

===============================================================

伴風花さん「Fairy Light」。
1980年代以後の口語系短歌のフルスペック、
という印象をもちました。平均値もすごく高い。
一連全体を流れる空気のつくり方も秀抜だと思う。

 不規則な寝息に鼻を近づけるしらない町の雪の匂い、だ
 歯みがきをしている背中だきしめるあかるい春の充電として
 「うごく」「いや動かない」「いや」真夜中に二人そろってまりもを見張る 
 せなか かた うでの鳥肌たしかめて髪に両手をそっとさしこむ
 別々の物語よむ夕暮れも足のおやゆび触れさせておく
 世界のおわりをうっとりねがう夜あけ前ふたりは青い動物になる

前半、導入部分にあらわれるこれらの作品、
口語系の短歌を読みなれている人は、
スタンダードに近いものを感じるかも知れませんが、
これだけのパワーで「二人」を描きながら、
しかも、まっすぐ、で変化球じゃないところ、
高く評価したいと思いました。

 ちかちかち青い炎がともらずに夕闇におぼれそうちかちかち
 キッチンにわたし一人が生きていてラップのしたのカレー冷えてく
 おかえりとただいまだけは元気よくかぎっこだった二人のために 
 言い訳の言い訳のその言い訳を柔軟剤の匂いの中で
 白バイがするする通るわた雲かひつじ雲かをあらそう横を
 ゆっくりと車こすって(そういえばこんな感じで傷がついてる)

中ほどにあらわれるこれらの作品、
前半とはうってかわって、摩擦感が増えます。
「二人」の関係の時間的経緯が描かれる場合、
俵万智以後、物語的展開ばかりが用いられましたが、
この人はそれを文体を中心に表現しているようです。
前半とは異なり、些細な事象のなかにも摩擦が見える。
一首のちからとともに構成のちからを感じました。

それから、結末的部分。
流れとしては、ああやっぱりそうなるのね、
という感じをもったのですが、良かったのは、

 ルール1・ベランダの花たちの水→月よう…画鋲をゆっくりはずす
 ルール0・絶対言っちゃだめなこと→愛してる(愛してないとき)

等の作品です。「画鋲をゆっくりはずす」の部分が特に良いです。

 ルール7・ケンカ時投げちゃだめなもの→乾電池(とくに単一)

が、はじめに出たときはあまりよくわからなかったのですが、
「画鋲をゆっくりはずす」を読んだ瞬間に、あ! と思う。
この時点で、つまり「ルール7」を廃棄したわけなんですね。
投げたかどうかはわかりませんが、投げてもいいと思うほど、
相手にきれてしまうことがあった。それがあとからわかる。
で、途中の「ルール6〜2」などもさまざまに連想させつつ、
最終的に「ルール1」が廃棄され、とうとう「ルール0」の廃棄、
絶対にだめ、に到るような状態が来てしまうわけです。
ちょっとしたアイデアと言えば、ちょっとしたものなんですが、
散文表現では実現できない恋愛譚がうまく完成したと感じました。

===============================================================

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[339] Re[338][337]: [ID 112] 「Fairy Light」 伴風花 穂村弘 2002年07月23日 (火) 12時16分


一首一首の密度も高く、構成力もあると思います。
「テンション」や「想い」のスタンプが30個なら30個溜まっ
ても、そこから言葉が遠くにワープするっていうタイプじゃない
んだけど、少し飛ぶ。
その飛距離の短さが、逆に生々しさやある種の凄みを感じさせて
いるように思います。
そういう場合、雪舟えまさんならもっと距離を飛ぶし、大滝和子
さんや水原紫苑さんなんかは、遥か遠くまで吹っ飛ぶわけで、
それが凄さなんだけど、同時にかすかな訝しさを残す場合があり
ますよね。
詩的飛躍に詩の一部が取り残されるっていうと言い過ぎかな。
逆に枡野浩一さんなんかは意識的に「飛ばない」ことで存在感を
出してますよね。
短歌ってどんな方向にも活路があるのが面白いと思います。
蹴りを主体に戦っても、寝技や関節技を武器にしても、噛み付き
と頭突き専門でも、自由なんだよね。

ちかちかち青い炎がともらずに夕闇におぼれそうちかちかち

「点火」がうまくいかない状況が「ちかちかち」で表されている
んでしょうね。その現実状況というか「ちかちかち」の音に、そ
のときの<私>の恋愛に関わる不安な想いがのってくることで、
あなたの心への「点火」という二重性を帯びて、「夕闇におぼれ
そう」まで、言葉が少しだけ飛んでしまう。そこに魅力を感じま
した。結句の「ちかちかち」も効いています。

白バイがするする通るわた雲かひつじ雲かをあらそう横を

この「白バイ」も、たぶん「白」を通路にして、もしかすると
「雲」の化身かもしれないと思わせるような象徴性を帯びてい
ると思います。使者性っていうのかな。
恋を祝福に来たのか、取締りに来たのか。

他にこんな歌に惹かれました。

不規則な寝息に鼻を近づけるしらない町の雪の匂い、だ
「うごく」「いや動かない」「いや」真夜中に二人そろってまりもを見張る 
ゆっくりと車こすって(そういえばこんな感じで傷がついてる)
このキスはすでに思い出くらくらと夏の野菜が熟れる夕ぐれ


[338] Re[337]: [ID 112] 「Fairy Light」 伴風花 加藤治郎 2002年07月22日 (月) 23時24分

荻原さんが、[UtanohaBBS 169] で丁寧にコメントしています。
頷きながら、読みました。

一連、春から夏への季節を背景に、別れに到るまでの感情の動きが、日常的な素描を巧く織り込みながら歌われています。
私が選んだのはこんな歌です。

 不規則な寝息に鼻を近づけるしらない町の雪の匂い、だ
 「うごく」「いや動かない」「いや」真夜中に二人そろってまりもを見張る 
 せなか かた うでの鳥肌たしかめて髪に両手をそっとさしこむ
 別々の物語よむ夕暮れも足のおやゆび触れさせておく
 おかえりとただいまだけは元気よくかぎっこだった二人のために 
 言い訳の言い訳のその言い訳を柔軟剤の匂いの中で
 ゆっくりと車こすって(そういえばこんな感じで傷がついてる)

「まりもを見張る」なんて、親密感がぐっと凝縮された感じで、やさしくていいですね。「鳥肌たしかめて」も、痛い。ひりひりして眩しいです。

一連、感性の不純物を濾過して、蒸留水のような感覚が読者に届けられているように思います。80年代後半以降、口語の定着とともに切りひらかれてきた、文語定型では手の届かなかった領域ですね。
欲をいえば、ここをちょっと打ち破ってほしかったという気持ちはあるんです。

いい感性であることは疑いようがないけれど、現代短歌の中に置くとアドバンテージとしては〈微差〉なんじゃないかと。
体臭のない世界。自画像も、他者の輪郭も淡い世界。
けっこう読んできたような気がするんです。
つまり、ちょっと別の世界を見せてほしかったということです。


http://www.sweetswan.com/jiro/


[337] [ID 112] 「Fairy Light」 伴風花 加藤治郎 2002年07月22日 (月) 01時20分

さて、6月10日の候補作発表以来進めて参りましたディスカッションも、いよいよ最後の作品となりました。

伴風花さんの「Fairy Light」です。

荻原さんが選んでいます。



http://www.sweetswan.com/jiro/


[336] Re[335][332][331][330][329]: [ID 106]「化身」 尾崎 淳  加藤治郎 2002年07月22日 (月) 00時51分

ありがとうございました。

なかなか難しいですね。
短歌形式では、なにも示さなくても<わたし>が暗黙のうちに貼りついている詩型ですね。
それを敢えて露出させるのは、作品を通じての批評行為といえるかもしれません。
いろいろ方法はあってもちろんOKなんですが、こういった抒情的な傾向の作品の場合、心地よさを読み手にもたらすという平凡なことが案外大切であるように思われました。

では、尾崎さんの作品はこのへんで。

http://www.sweetswan.com/jiro/


[335] Re[332][331][330][329]: [ID 106]「化身」 尾崎 淳  荻原裕幸 2002年07月19日 (金) 23時57分

>穂村弘さん

> こういう感想があるってことは、読み手によって印象が分かれる
> みたいですね。

個々の作品のおもしろさや完成度はよくわかります。
その点は共有した上で、30首の構成について、
悪い、というような感じには思わないけど、
ある種の単調さを感じてしまったというのは、
連作の構成に対する価値観の違いかも知れませんね。
感性の個人差ではなく価値観の個人差ということかな。

結句に「わたし」をもってくるパターンを前提にすれば、
この連作は、悪くないどころか秀でた面が多い。
けれど、前提にしているそのパターンが気になる……。
ぼくがいろいろと一度に求めすぎなのかも知れないです。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[334] Re[333][332][331][330][329]: [ID 106]「化身」 尾崎 淳  穂村弘 2002年07月19日 (金) 17時36分

加藤治郎さん
>おそらく「わたし」を結句に据えるという枠組みがまずあって、いろいろな想念が呼び起こされたと思うんです。
>作歌のモメントとして必然は感じます。

うん、タイトルも単純に「わたし」で押してもよかったんじゃないかな。
「化身」はちょっと我に返ってますね。
それから、「あなた」「きみ」が計三回でてくるんだけど、

 水槽のネオンテトラに餌をやりあなたに支配されてるわたし
 感傷は棄ててしまおう両腕にきみの頭部を抱えるわたし
 暗闇のあなたはすでに怪物を見る目をしてる 俯くわたし

いずれも歌としては決して悪くないんだけど、連作の構成上は、
「わたし」と「あなた」は何度も形を変えて繰り返し出会うか、
或いは、逆に一回に絞ってどこかで切り札な使い方をした方がいいように思
いました。


[333] Re[332][331][330][329]: [ID 106]「化身」 尾崎 淳  加藤治郎 2002年07月19日 (金) 13時55分

そうですね。
30首の内、10首ぐらい「わたし」で終わるんでは、バランスを欠きますね。
やるなら全部ということでしょう。
穂村さんの挙げたように

 しなやかに地球をつつむ蜘蛛の巣はみんなわたしに繋がるわたし

最後、「わたし」を繰り返すところ、完結感があって、これは巧いと思いました。

おそらく「わたし」を結句に据えるという枠組みがまずあって、いろいろな想念が呼び起こされたと思うんです。
作歌のモメントとして必然は感じます。

ただ、やはり読み手としては、くどいという感じを受けます。
個人差があるのかな。



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[332] Re[331][330][329]: [ID 106]「化身」 尾崎 淳  穂村弘 2002年07月18日 (木) 17時37分

 陽光が草のベッドを暖めてコスモスホテルを這い出るわたし
 くすくす笑いさざめきながら誰ひとり知らないうちに咲いたわたし

冒頭の二首ですが、こうした「虫」や「花」への「変化」からはじまって、
様々に変身転生を繰り返しながら「わたし」を連ねてゆくことで、
徐々にその意味は解体され無色透明になっていって、
最後は、

 しなやかに地球をつつむ蜘蛛の巣はみんなわたしに繋がるわたし

世界を覆うスピリットというかエッセンスとしての「わたし」
になる、そんな流れを狙っていると思います。
僕は成功していると思ったけど、

荻原裕幸さん
>ただ、加藤治郎さんの指摘にあったように、
>30首を読み通すのはしんどいところがあります。

こういう感想があるってことは、読み手によって印象が分かれる
みたいですね。

特に好きだったのはこんな歌です。

 しゃぼん玉空へ飛ばして誕生日にもらったものを還したわたし
 ケロヨンの笑顔が怖い妹をコントラバスに隠したわたし
 まっ白な270秒間にピンクの象を描いたわたし

「誕生日にもらったものを還した」「まっ白な270秒間に」
この辺りの発想や異化の仕方に切れの良さを感じました。



[331] Re[330][329]: [ID 106]「化身」 尾崎 淳  荻原裕幸 2002年07月18日 (木) 03時31分

尾崎淳さん、「化身」。
自在に展開されるイメージを面白く読みました。
ぼくが○を付けたのは以下のような作品です。 

 日の落ちる響きを聴いているような耳の形をしているわたし
 屋上で回転しつつこの街の四角い風を感じるわたし
 晴れた日はひとりになれるところまで七つの橋を渡ったわたし
 しゃぼん玉空へ飛ばして誕生日にもらったものを還したわたし
 ひとつずつシャツのボタンがずれているような気持ちで微笑むわたし
 Yellowの命の上に八月の奇妙な雨を降らせたわたし
 まっ白な270秒間にピンクの象を描いたわたし
 崩落の続く世界の中心で硝子の鳥を壊したわたし

実にきれいにまとまっていますし、
全体が30行の脚韻詩なのだと言うこともできそうですね。
ただ、加藤治郎さんの指摘にあったように、
30首を読み通すのはしんどいところがあります。
脚韻だと考えるにしてもやはり単調だからでしょうか。

それと「〜わたし」「〜われは」「〜と思う」「〜ところ」等は、
とても形式的な修辞で、省略可能でしかも置換語が浮かびやすいため、
30首の一連をもたせるのはむずかしいのかも知れません。
たとえば、わざわざ「わたし」と書かなくても、
短歌の構造上「わたし」を示すという作品がほとんどですし、
またたとえば「あなた」に置換したとしても、
わたし=あなた、という文脈での読解も可能ですから、
あまりこの結句に必然性が感じられないようにも思いました。

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[330] Re[329]: [ID 106]「化身」 尾崎 淳  加藤治郎 2002年07月18日 (木) 02時40分

初句・結句を固定する連作は、正岡子規の「足たゝば〜」「〜われは」以来、繰り返し試みられていますね。
ただ、十首程度が限界のように思います。
三十首「わたし」が連なると、さすがに読み通すのがしんどかったです。
一首、一首読むとけっこういい歌があるだけに残念な気がしました。

 日の落ちる響きを聴いているような耳の形をしているわたし

 晴れた日はひとりになれるところまで七つの橋を渡ったわたし

 しゃぼん玉空へ飛ばして誕生日にもらったものを還したわたし

 ケロヨンの笑顔が怖い妹をコントラバスに隠したわたし

 ひとつずつシャツのボタンがずれているような気持ちで微笑むわたし

 暗闇のあなたはすでに怪物を見る目をしてる 俯くわたし

 まっ白な270秒間にピンクの象を描いたわたし

 囁き合うカナリアたちに囲まれて人間椅子に似ているわたし

 はじまりの終わり始まり詩の上をゆきつもどりつしているわたし


連作の統一感ということを考えたのでしょうか…。
あるいは<私性>への徹底的なアイロニーか。

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[329] [ID 106]「化身」 尾崎 淳  加藤治郎 2002年07月18日 (木) 02時16分

こんばんは。

みなさん、読売新聞夕刊(7/16)の記事ご覧になりましたか。
短歌の世界、動いています。

では、次の候補作。

[ID 106]「化身」 尾崎 淳 

です。穂村さんが選んでいます。

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[328] Re[327][326][325][324][322][319][315][314][313][312]: [ID 91] 「無菌室に居るための舞踏譜」 中島 裕介 加藤治郎 2002年07月18日 (木) 01時39分

どうもありがとうございました。

選考ディスカッションでは、連作、韻律等々、現代短歌の様々な問題が語られています。中島作品の場合は、引用の問題に議論が集中しましたね。
この形式に殉じて欲しいという期待と、それから、引用の最適な場を模索してほしいという希望が綯い交ぜになっています。
ちょっと周囲を見回してもいいんじゃないかな。案外、半歩隣が宝石の鉱脈かもしれないです。

では、中島さんの作品はこのへんで。


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[327] Re[326][325][324][322][319][315][314][313][312]: [ID 91] 「無菌室に居るための舞踏譜」 中島 裕介 荻原裕幸 2002年07月17日 (水) 21時28分

いろいろコメントが出ましたのでいろいろ。

タイトルの「無菌室」ということばが示しているのは、
「自己」ないし「自己意識」といった感じでしょうか。
加藤治郎さんが末尾の作品で読んだように、
DNAレベルの「自己」といった面もありますし、
引用から推測される形而上学的な「自己意識」もありそう。
ここで「菌」に相当するのは、
「引用」「外界」「他者」なのかな。
「無菌室に居るため」というのは、
純粋に自己であるため、という素朴な感じなのでしょうね。
結論的に出てくるドゥルーズの『差異と反復』(反復と差異?)
の「引用」に到るパートも、展開としてなるほどと思います。
短歌の世界の「自己」論のレベルを超えて、
現代思想の「自己」論のレベルで考察する姿勢、
これは高く評価したいのですが、ただ、端的に言って、
論理=引用の束が、Aと非Aの意味を抱えたままで、
作者の中で消化されきっていない部分があるかなあ、
という印象がどうしても残ってしまいました。



穂村弘さんが言う「短歌連作における<詩>の所在」ですが、
作者が統御可能な「構成意識」と統御不可能な「構成結果」の
双方から何かを読みとることは、一首単位でも同じだと思います。
一首単位とあきらかに違うのは、

> ルビという位置づけや英文のリズムとの関連から、ここではある種の必然性
> というか説得力をもって定型を動かしているということが云えると思う。

と穂村さんが言うように、どれもあらわに意識が見えることかな。
そこに「統御不可能性の否定」=「ある意味での詩の否定」が、
ちらちらと見えたりすることもあるのですが、
いくら徹底した構成意識によっても
統御不可能性は消えない/消せないので、
むしろ構成意識の高さは純度の高い「詩」のファクターを生む、
あるいは可能性が高い、と言ってもいいのではないでしょうか。



ただ、構成意識というのは、あらわに見えるからと言って、
それで徹底されているとはぼくには思えないんですね。
中島裕介さんの一連は、
一連を構成することによってもたらされる結果への意識が、
どこか徹底しきれていないように見えたのです。
加藤さんが言っている<詩への澄んだ意志>はよくわかりますし、
それを尊ぶきもちはもちろんあるのですが、
「引用」というメインの技法にしても、
読者に困難をもたらすという角度からではなしに、
冒頭に書いたように消化の度合がやや浅いのではないかと感じました。

消化というのは、一方では内容を煮つめきれてない、ことですが、
もう一つ、短歌のフォルムの中に定着できていないということもあります。
塚本邦雄の「引用」が、難解でもどうにか掴めるのは、
彼が引用の内容をむりやり論理でつきつめず、
音や表記や連想や明確な意味で結ぶからであって、
これも短歌における「消化」ということだと思います。
中島さんの場合、引用元がそもそも論理そのものだったりして、
この点ではハンディがあるし、斬新でもあるわけですが、
やはり、「無菌室」や「舞踏」を読者が見るための
(詞書や註も方法の一つですが、必ずしもそれには限定しない)
展望台、のようなものは準備すべきではないかと感じました。

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[326] Re[325][324][322][319][315][314][313][312]: [ID 91] 「無菌室に居るための舞踏譜」 中島 裕介 加藤治郎 2002年07月17日 (水) 12時52分

風間さん、コメントありがとうございます。
「無菌室に居るための舞踏譜」には、読者の様々な思念を刺激してくるところがありますね。

それで、一応、全体の発言のバランスを考えて、みなさんからのコメントは、お一人、1作品につき原則1回、ただし話の流れで返信が必要な場合にはもう1回、合計2回までとさせていただきたいと思います。
ここぞというときに、簡潔にコメントしてください。
ご協力お願いいたします。



[UtanohaBBS 158]の寸評で書きましたように、私が中島さんの作品を候補に推したのは、<詩への澄んだ意志>を感じたというところなんです。
ただ、感じたというのでは、批評にならないので、その直感を裏づけるために
・表記(形式と関係)の問題
・引用の問題
・モチーフの問題
から分析しているということです。

ここでちょっと引用という問題から考えてみたいと思います。
引用は困難な状況にありますね。
本歌取りということでは、定家の時代は、引用する語句が限定され、なおかつそれを享受する読み手も限定され、彼らには本歌を共有する素養があった。
引用が成立する強固な場があったんです。
現在、引用する先は、短歌に限らず殆どあらゆるジャンルであり、一方読者も多様化大衆化している。共通の基盤が脆いですね。
引用は成立しがたい。
だから、例えば引用された語句の音韻や連想されるイメージを楽しむという、読みの態度が一般的である。もちろん、引用元や引用の意図が理解できることが一番いいわけです。
例えば、塚本邦雄の『緑色研究』は引用の宝石箱のような歌集ですが、そういった楽しみ方ができますね。

それで、作者と読者の引用の知識のギャップを埋める方法、最適な場をつくるためには、その歌の理解に最低限必要な情報を、詞書きのような形で挿入する方法がとられている。
これは岡井隆の歌集によく見られます。

こんな状況を踏まえて「無菌室に居るための舞踏譜」を読むとどうか。
まず、確かに音韻の面白さやイメージの連想ということはあると思います。
でも、どうも『緑色研究』のような読み方、楽しみ方はできない感じがするんです。
従来の引用とは質が違うんですね。
つまり、単に人名や物語の背景を引用してきているんじゃない。
そこに織り込まれた思想そのものを引用している。
で、なおかつ単純な引用ではないですね。作者自身のイデアによってその思想を複雑に摂取し再現しようとしている。
それが、この一連の新しさ・実験性ですが、これは読者にとっては、かなり困難な状況だと思うんです。

では、詞書きなどで、引用の最適な場が作れるかというと、これは一連の表記を見れば明らかなように、このテキストの美的布置がそれを許さないですね。

だいたいこんなことが言えると思うんです。

ただ、私は引用の解明というような方向が短歌作品にとって幸福な享受だとは単純には思わないんです。
仮に作者の自註が入っても、感心はするが感銘は受けないんじゃないか。
私はやはりこの作品の背後にある、禁欲的とでもいうべき<詩への澄んだ意志>を尊いものに思うわけです。



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[325] Re[324][322][319][315][314][313][312]: [ID 91] 「無菌室に居るための舞踏譜」 中島 裕介 穂村弘 2002年07月17日 (水) 12時39分

皆さんの御意見をプリントアウトして繰り返し読みました。
少しわかってきて、ほっとしました。

読み手としての知識や能力の不足もさることながら、今回の一連の選考
のなかで、いちばん根深く、興味深く、かつ判断に苦しんでいるのは、
自分にとっては「短歌連作における<詩>の所在」という問題かなあと思
いました。

前に「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」についてのコメントのなかで、

>うーん、ぼくは一首っていうのは、単純に五七五七七のこと
>っていう素朴さが捨てられないですね。
>記憶、反芻、愛誦して楽しめる五七五七七をこの連作のなか
>からもみつけたいわけです。

という単純発言をしました。
で、その線に沿って、「テーブルで寝る」の三句目のリズムにしつこく
拘ったりもしたんだけど、

今回の例えば、

     名も知らぬ男と寝たわ 眠れない夜にアネモネ添えて
Information-Mania suffer from insomnia, insofar as a nihilistic nymphomania is naked.

この日本語部分を短歌定型における字足らずとみなして

     名も知らぬ男と寝たわ 眠れない夜に●●●●アネモネ添えて
Information-Mania suffer from insomnia, insofar as a nihilistic nymphomania is naked.

このように補えば定型化可能だからそうした方がいい、とは、もはや云えない
感じがするんです。

ルビという位置づけや英文のリズムとの関連から、ここではある種の必然性
というか説得力をもって定型を動かしているということが云えると思う。
ただ、そのことの意義や価値に対して、どう考えればいいのか、確信がもて
ないんだよね。

この線で定型を完全解体して、そこに「うた」のスピリットだけが漂う、
っていう世界を考えないではないけど・・・・

これは遡ると荻原裕幸さんの「日本空爆1991」の評価などに行き着く
問題かも知れませんね。
僕はあの連作もいいのか悪いのか未だに判断できないんだよなー。


[324] Re[322][319][315][314][313][312]: [ID 91] 「無菌室に居るための舞踏譜」 中島 裕介 風間 祥 2002年07月17日 (水) 11時10分

> そのからフィードバックして、言葉との関係でいうと「無菌室」というのは、限りなく言葉が純粋である状態をいうんじゃないか。
> つまり、引用されている物語、言葉に付着するすべてを細菌と捉えているように思うんです。
> それが物語を異化してみせることと繋がっている。


加藤治郎さんのこの指摘は正しいと思います。
ちょっとニュアンスの違う問題かもしれませんが、短歌は、<私性>と呼ばれるのでしょうか、<私>に付随する諸々の条件のようなものなしに書くことが難しいと思われた時期が長かったように思います。
身の上話的な歌が幅を利かせて、作者=作中主体と思われた時期が。

現在では解決した問題かもしれませんが、それでもまだ、短歌作品にまつわる、そのような思いこみも、そのことから派生する問題も、多々あると思います。
それにもまして,作者が自分自身、その作者と呼ばれている人のエッセンスである歌を歌うことも少ないようにも思います。
その意味で、「無菌室に居るための舞踏譜」には、確かに、そのために悪戦苦闘している作者がいるような気もします。
芥川龍之介の手法なども、この作者に近いものがあったかなぁと思います。
現実と呼ばれている仮装を解いて、精神だけで生きられたならと願う作者がいるのではないかと思うのです。
自身に付着した、幾つかの側面や、生存のため、生きるため生きている誰かではなく、生きたくて生きる、私でありたくて私である、性別や、職業や、その他諸々のこの世の仮装を解いた<私>であること。そのような存在としての<声>であること。

ただ、それがもし充たされたとしても、それだけでは、欠落したものも感じてしまうのではないかとも思います。
純粋に無菌に成り果てて、穢れ無き存在に成り果てて、逆に充たされない思いもするのではないかと、そんな風にも思うのです。
ことは一筋縄ではいかなくて、私が私であることの生存理由は、常に揺らいでいると言えるかもしれません。
生と死は裏あわせですから、そして、<あなた>は<私>であり、<私>は<あなた>でもありますから。
他者性の中に普遍的に存在する自己でありながら、かけがえのない<私>であることの証明を、時間と空間の、世界と反世界の、存在と無の、二つの世界に架橋するように、そのために作者は<書く>という行為で、その存在の二重螺旋の時空を駆けのぼろうとするのかもしれません。
その時、置き去りにして飛翔しようとする心が見下ろせば、意外にも、しみじみと懐かしい光景が、そこには広がっていて、てのひらに受けた清水にいつくしんだ小さなもののような、また生の花火か蛍火にも似た懐かしい存在があるのかもしれません。


[323] 訂正願い(2箇所)。 中島裕介 2002年07月17日 (水) 03時51分

こんにちは、中島裕介です。
以下の内容が不適切であれば是非削除ください。

選考委員の皆様、謎彦さん、風間祥さん、素晴らしい批評をありがとうございます。
作者として楽しく、どきどきしながら拝見しております。

さて、今更なのですが、2つ訂正箇所を発見しました。
コンテンツワークス社の荻野さんにもメールを出したのですが、
現在、批評の最中であるため、こちらにでしゃばる決意を致しました。

1.下から4首目、E章の2首目の日本語ルビです。

(誤)色の合わせ鏡のその奥の君と名付けた僕を抱き取る
(正)罪色の合わせ鏡のその奥の君と名付けた僕を抱き取る

2.下から2首目、E章の4首目のフランス語本文です。
(誤)Memement "Mement-Mori", il n'y a pas mot, ni mort (C'est le motif de moi).
(正)Memement "Mement-Mori", il n'y a pas de mot, ni de mort (C'est le motif de moi).

どうぞ宜しくお願いいたします。
では、失礼致します。

http://www03.u-page.so-net.ne.jp/qc4/theart/


[322] Re[319][315][314][313][312]: [ID 91] 「無菌室に居るための舞踏譜」 中島 裕介 加藤治郎 2002年07月17日 (水) 01時44分

[UtanohaBBS 319]荻原さん

>ぼくの場合、東方の三博士の「東方」を
>素直にバビロニアと考えるのではなく、
>むしろ、東方=日本の現在にひっかけてある、
>というところへと想像がはしってゆきました。

なるほど。
一気に、現在の日本への通路が出来ているんですか。
確かに二首目でも「君、死に給ふ事勿れ」が引用されていて、このあたりの時間軸は自在です。四首めの「創世後、僕にメールを送ったね?」は、はっきりそうですね。
つまり、徹底的に〈創世〉に、現在から負の視線を送って異化しているのが、@.general genesisのパートと読めるように思います。



謎彦さん、コメントありがとうございました。
「無菌室」をどうイメージするかが鍵ですね。

ちょっと最後の作品に飛びますが

  再会の白昼夢を復た見るために二重螺旋を登り始める
Faced with the fake lover wearing a fake-leathered coat, I feel far from enjoying Friday.

この二重螺旋は、DNAの構造を想定していると思うんです。
遺伝子レベルに意識が微分されてゆくイメージですね。
その状態が究極の「無菌室」であろうと。
そのからフィードバックして、言葉との関係でいうと「無菌室」というのは、限りなく言葉が純粋である状態をいうんじゃないか。
つまり、引用されている物語、言葉に付着するすべてを細菌と捉えているように思うんです。
それが物語を異化してみせることと繋がっている。

この最後の作品の、ルビ(短歌形式)と本文(英詩)の関係も単純じゃないですね。
英詩のパートは、「人造毛皮のコートを着た偽の恋人に向かい合って、ひどい金曜だ」と言っているわけで、ここでは、ルビと本文が反発しあっている感じですね。

形式、引用、様々なレベルで、ねじったり、ひっくり返したりしているのですが、そういうダイナミズムを、舞踏譜と名づけたんじゃないかと思います。



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[321] わからないものをわからないままに。 風間 祥 2002年07月17日 (水) 00時49分


こんばんは。

まだ三人の評者の方の討議が終っていないようで、一通り終盤まで討議が終ってからの方がいいのかもしれませんが、今、時間的にか動いていないようなので、少し感想書いていいですか?
(進行的にいけなかったら、すみません。消してください。)

パッと見たところ、なんだか難しそうな一連で、特に英語も出来ない私には、その面白さを楽しむより、出だしから躓いてしまうような、<ルビ>だけで読むしかないような不自由な一連でしたが。それに一応全部終りまで読んでみたんですけど、結局私には疑問のままに終った一連だったので、皆さんはどんな風に読まれたのかしらと思いながら。今後きっと今ここに書いたことを自分で否定したくなったり真反対のことを考えたりしそうなのですが。。


<ルビ=ベツレヘムに導かれても東方で妻らは餓える天動説者>
Staring at the star of Bethlehem, she's a starving stargazer!

理想へ導かれても、置きざりにしてきた現実が消えることがない天動説者。

<ルビ=創世後、僕にメールを送ったね?「君を誘う事は出来ない」>
I do not need a net without knot. At all, is it necessary to do, you know?

創世の時、神に拒まれた者の、神への再びの問いかけのように、
迷宮を抜け出し、二重螺旋を昇って、新しい愛のプログラムを見出す旅に出かける人の物語なのかもしれないと思いました。

ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を連想させますね。(薔薇といえばルドンの薔薇も。)まるでミステリーのように仕掛けの多い、ギリシャ神話の神々の、その二つに引き裂かれる愛と、ただ一つの救いとなりうる究極の至純の愛や、彷徨い入れば二度と戻れぬ迷宮や、その迷宮から、智慧のみが糸巻きの糸を逆に辿らせるように脱出させる物語へと、幾つもの物語から物語へと辿らせる物語かと。

全てにハイパーリンクさせるような言語と記号の象徴の設計された飛び石から、ブロックに分けられた断章と歌の狭間から、碩学を気取ったかにも見える語彙の背後から、まるで、磔刑になった時のイエス・キリストの、「エリ・エリ・ラマサバクタニ」にも似て、ナイーヴな人の救いを求める声が、ひっそりと聞えるような気がするのは錯覚でしょうか。

「勿れ名が指されても情け為さざれナザレの〜」
「共生の矯正の嬌声の〜」
「破瓜の墓だけはかり得た」

どちらかと言えばつまらない言葉遊びにも見えるけれど、知の遊戯的な目隠しの向こうに、「文体レッスン」のように、枕詞に導かれるように、韻を踏んで重ねられた言葉の陰に何かが見えてくるのでしょうか。
これは全てシニカルな諦めの吐露なのだろうか。確かにどんな戦争にもテロにも大量虐殺にも、ナザレのイエスは何もしないだろうから。

脱色、脱臭、脱色された無菌室から、饐えた血を厭う心が求めた
クレゾールで消毒されたような清潔無菌室から、だがあまりにも過剰な
離人的清潔のその果ての、知覚さえなき死に近い世界から、
再び愛に充ちた、その意味で永遠の不死と呼べる
真新しい世界に出逢える可能性はあるのだろうか。

<ルビ=デュラハンは首を抱える作業してレーゾンデートルに今日も涙す>
A dullahan is dying to dive to diversity. Then he makes himself die on!
<ルビ=曖昧なカメラが捉えた蝋燭をここに飾って死を溢れさす>
In Calvary, I must calm down the camouflaged campus of Camus.

でもしかし、生きるのにどんな理由がいるのだろう。生きたい人が生きるまでだ。死を告げるためにかデュラハンは来る。しかしなぜ泣くのだろう。
いつも泣いているのか。首の無い騎士は。

<ルビ=網膜に破線で描く ウロボロスが虚になるから今日も起きてる>
By my dousing for David, it is natural a dot or a dotty is doped.

ウロボロスに連なる不死の伯爵ランベルグ卿は、永遠の生を確かめられるのだろうか。

<ルビ=君とさえ言葉を交わさずに食べるアルファベットチョコは白濁>
There is a feeling of anemone in the air, we may enjoy being aphasic.

プログラムを変えることができるだろうか。
南北の、東西の、(有色の、白色の)、民族の経済の、思想がずれて移動するように。ほんの少しずつ移動することで、変ってゆく世界があるように。
差異を正確に認め、差異を尊敬し、差異にたじろがないことで差異が埋まってゆくなどということが。
あるいは事態はもっと悲観的な深刻なものなのだろうか。

<ルビ=手のひらに汲みし清水の内に吾の金魚を育ていつしかいつか>
In the soup, I soaked myself through potage soup in the manner of a sour sovereign.

ほっとするけれど、でもそれはいつ、そしていったい何処なのだろう。
案外と近いあの青い鳥の物語のように、すぐそこに、ただ言葉を反転するだけで、ただノンという言葉をウイに変えるだけで、新しい言語の、新しい認識の発見に繋がったりすることがあるかもしれないけれど。

たとえ神といっても、宇宙の創めと終わりのその一部にすぎないかもしれなくて、何度でも何度でも反復される始まりの始まり、終りの終り。があるかもしれなくて。完結されることのない、一人の生と一人の死。

<ルビ=再会の白昼夢を復た見るために二重螺旋を登り始める>
Faced with the fake lover wearing a fake-leathered coat, I feel
farfromenjoying Friday.

僧院の書庫の塔の螺旋を上るより魅惑的でもあり苦しくもある二重螺旋を昇る、或いは遡るその先に、どんな世界が待っているのだろう。
迷宮からの脱出は可能なのだろうか。
それともさらなるそれは迷宮への入り口なのだろうか。


[320] 読売新聞夕刊で歌葉新人賞が紹介 加藤治郎 2002年07月16日 (火) 19時04分

こんにちは。台風が過ぎて暑い〜。

さて、お知らせです。
本日の読売新聞夕刊「とれんど in 短歌」で、歌葉新人賞の選考
の模様が紹介されています。
リアル・タイムですね。
ほかに「短歌WAVE」「マラソン・リーディング」といった若
い世代の動向が伝えられています。
そして、荻原さんが新しい総合誌を創刊する話題も!

ぜひご覧ください。

http://www.sweetswan.com/kato/jiro.cgi


[319] Re[315][314][313][312]: [ID 91] 「無菌室に居るための舞踏譜」 中島 裕介 荻原裕幸 2002年07月16日 (火) 07時14分

>謎彦さん

夜中に楽しいコメントをありがとう。
興味深く読ませてもらいました。



>加藤治郎さん

>    ベツレヘムに導かれても東方で妻らは餓える天動説者
> Staring at the star of Bethlehem, she's a starving stargazer!

> で、作品に戻ると、短歌形式の方は、こんなことを言っているのだと思います。
> 東方の三博士はベツレヘムに導かれ、輝かしい救い主の誕生に出くわしたが、
> 一方、東方でその三博士の妻らは餓える天動説者であったのだ、と。
> つまり、祝福されるべき場面の、別の面、
> 飢餓という暗黒面を提示しているんですね。

ん〜、この「引用」自体は、
どうにか理解できていましたが、
ぼくにはこの読みは想定外でした。
そうか、こういう風にも読めるんですね。
イエスの生誕というのが、そもそも、
ヘロデの嬰児虐殺を誘発したわけなので、
祝福面と暗黒面をともに抱えているじゃないですか。
この定番的な暗示というか、
詩的コモンセンスにばかり気をとられて、
飢餓が実際の飢餓として暗黒面を提示している、
というところにはまったく考えが及ばなかった……。

ぼくの場合、東方の三博士の「東方」を
素直にバビロニアと考えるのではなく、
むしろ、東方=日本の現在にひっかけてある、
というところへと想像がはしってゆきました。
加藤さんは「she」を三博士の妻だと読んでいますが、
あくまで「she's a starving stargazer」なので、
そのようには読めなかったんですね。
歴史/聖書の文脈なら三博士が天動説者であって、
記述にない妻らが出てくるのは変かなとも思いました。
むしろ「she」には日本の既婚女性のイメージを感じました。
いわゆる「人妻」ってことばで言われるイメージです。
「starving」は、有閑的・精神的な、飢餓、であり、
「stargazer」は、星占いマニア、だと思いました。
表層的で通俗的なイメージではありますが、
さほど無理な読みではないように考えていました。
つまり、はじめのくくりは、いずれも
人妻との恋愛、だと思ったんです。

> <ルビ=創世後、僕にメールを送ったね?「君を誘う事は出来ない」>
> I do not need a net without knot. At all, is it necessary to do, you know?

これなんかも完全に現在の日本の恋愛でしょう?
創世、ジェネシスって、聖書にひっかけてあるだけで、
実は現在の日本のおとことおんなのことだと思った。
ルビの部分の硬質の文体が、はじめの五首、
すべて浮いてるような気がしていたんだけど、
う〜ん、読み方まちがったかな……。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[318] Re[317][316][315][314][313][312]: [ID 91] 「無菌室に居るための舞踏譜」 中島 裕介 謎彦 2002年07月16日 (火) 04時36分

追伸

 直前の書き込みで、末尾の1首を日本語の行しか引用しなかったのは、単に私のミスです。

 ついでにもう一言だけ指摘させていただきますと、同じく直前の書き込みで引用しました終章"vi"の「君とさえ言葉を交わさずに食べる」の歌、よく見ると英語の行に"anemone"が出てきます。既に"iii"の中で日本語の行に登場していたアネモネが、ここへ繋がってくるんですね。

 全く以て、欧文の行もおろそかに読めません (^^;

http://multianq3.uic.to/mesganq.cgi?room=nazohiko


[317] Re[316][315][314][313][312]: [ID 91] 「無菌室に居るための舞踏譜」 中島 裕介 謎彦 2002年07月16日 (火) 04時21分

 次に、一連にモチーフがあるのか、いや、モチーフを掴もうとして読んだとき、そうでない時より面白く読めるのかについて。

 聖書ヨハネ伝の冒頭「太初に言ありき」を、この一連を読むためのキーにしてはどうかと思います。以下、私の科学的解析(?)ではなく「このように解釈したら私個人の充足感は大きめになる」というだけの読解例なのですが、「はじめに言葉ありき」をいわば無批判に敷衍していった先に現れ得る「言説さえ充満していれば、1つ1つの事物に名前さえ付けられていれば、眼前の世界には揺るぎない実存が保証される」という観念……それとの対決が、一連のモチーフ(の中で最大のもの)なのでしょう。

  階段の初めに言葉ありき、そんな眩暈を合図に君とさよなら
  Memement "Mement-Mori", il n'y a pas mot, ni mort (C'est le motif de moi).
  君とさえ言葉を交わさずに食べるアルファベットチョコは白濁
  There is a feeling of anemone in the air, we may enjoy being aphasic.

なのです。言葉や名前や言説の横溢によって「創世」が確保される世界、それを標題の「無菌室」は示しており、そこに安住して、世界に素裸で対峙してみよう(ダメモトでもいいから)という意欲を持たない人々が「天動説者」「観念論者」「無臭狂者」と呼ばれています。天動説者だなんて、言い得て妙ではありませんか。そして、イエスをを筆頭とする聖書の登場人物たちを、中島さんはそうした人物の代表として表象しました。

 "i.general genesis"と"ii.jingoistic Jin the Thesis ―観念論者のアンサンブル"では、「無菌室」という状況が提示され、「僕」の態度が明らかにされます。

  創世後、僕にメールを送ったね?「君を誘う事は出来ない」
  I do not need a net without knot. At all, is it necessary to do, you know?
  覗き込む僕を模様にする君は悪夢のような万華鏡以て
  Please keep me keen to kiss a knight of knowledge in a Kafkaesque Kaleidoscope.

いかにも相容れないといった気勢です。

 "iii.toxic tax ―デュエットが、始まる"では、「青」(という色覚)や「繰糸」に、必ずしも言語を媒介とせず世界に向き合える可能性が暗示され、それは「名も知らぬ男と寝」る行為や「訝しい歪な荊に燻されない」アダムの、生産性への期待に繋がってゆきます。

 一転して"iv.general genesis 2"は、iやiiの再掲のようにも見えますが、前者よりも「観念論者」たちの営みに能動性が認められています。彼らとて、涙するような不安や抗いたくなるような嫉妬をなんとか克服したくて「無菌室」の治安維持に躍起になっているらしい。「観念論者」と「僕」の対立図式は、ここで読者に「あれっ?」という戸惑いを求めてきます。

 そして"v.jingoistic Jin the Anti-thesis ―観念論者は舞台を降りる"と"vi.jingoistic Jin the Synthesis ―反復と差異"では、いよいよ確信と高ぶりのもとに、世界との……

  再会の白昼夢を復た見るために二重螺旋を登り始める

……旨が宣言されるのですが、"iv"で刺されていた釘、つまり見えはじめた対立図式の揺らぎを踏まえながら注意すると、"v"で「観念論者」と呼ばれているのは、どうも「僕」であるようです。少なくとも、「姉」やテセウスなどを含む人物集合のみならず、天動説者・イエス・モルフェウスなどを含む「観念論者」たちの群からも、「僕」は決して無縁ではなかったらしくて。そうなると"v"のサブタイトルは、常識的には「僕は舞台を降りて(降りてドーランを落としてみたら、僕も彼らと似たような目鼻立ちをしていた)」と書かれるべきでしょうが、あえて逆に「観念論者は舞台を下りる」とすることによって、「僕」の素顔はいったいどちらなのだろう、観念論者になったり観念論者をやめたりするために、必死の思想的格闘をしているつもりでも、所詮そこには劇場の中で舞台に上がり降りするだけの違いしかないのだろうか云々といった問いが、それこそウロボロス状の循環として読者に提示されることになります。そこで、苦笑とともにふと気が付くのです。「僕」を主人公にしたこの一連こそ、こんなに言葉に淫しているじゃないか。パロディだと読者に思わせるような呼吸を超えて、明らかにムキになってるみたいだよねと。そして、中島さんの詩句をさっきまで淫するように楽しんでいた読者もひとりここにいる。

 一連30首を費やしてドライヴされてきたテンションや思想性や言語技巧を受け止めるには、終章"vi"、特に末尾1首は淡すぎたかなとは思います。「君」こと創世の神と「さよなら」したあと、それでは「再会の白昼夢復た見るために」どこへどのように歩いてゆけばいいのか。そこまでは黙して語らないというなら、それも手なのでしょうが、"ii"の"the thesis"と"iv"の"the Anti-thesis"に対して"vi"には"the Synthesis"と題が付けられ、さらに「反復と差異」というサブタイトルによっても方向性についてなまじ語られてしまっているだけに、結末は惜しいという意味で淡いものになってしまうのです。なおかつ「thesis→anti-thesis→synthesis」というのは弁証法の典型的な用語と流れですし、「反復と差異」はドゥルーズの著作の名前ですね。中島さんの言葉で、もっと結末を染めてほしかった次第です……これってもしかすると、中島さんから拙作「幻」の末尾にいただいたご批判とオモテウラになるでしょうか?

 最初で最後の長口舌、どうか歴代の天動説者と源氏に免じてご容赦くださいませ m(__)m

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/4145/waka.htm


[316] Re[315][314][313][312]: [ID 91] 「無菌室に居るための舞踏譜」 中島 裕介 謎彦 2002年07月16日 (火) 04時07分

応募者の謎彦です。

 ここで挙手させていただくのは、あまり望ましくなかったかもしれませんが、拙作に塩ならぬコメントを送って下さった中島さんにここで返礼しなくては、仁義がすたります (^^)

 まず、英語やフランス語による「本文」に日本語の「ルビ」が付くという1首1首の構成についてですが、私は「本文」「ルビ」という関係は書式上の方便にすぎなかったように推測します。なおかつ「本文」と「ルビ」の相互関係は翻訳という範囲に収まりきらないことが、明らかに意図されていますから、両者は等価な存在として受け止めるべきなのでしょう。実作のプロセスとしては、加藤さんのおっしゃるような「音の連鎖」をとっかかりとして、英語の行から先にできた歌が多数を占めるのだろうと思いますが。

 そうした前提の上で、日本語の行と欧文の行がそれぞれ1篇1篇の詩文として、一定以上の自立力を備えていながら、両者が並べられてみるとなかなか相補的に噛み合いはじめるというバランスに、まず惹かれました。それぞれ完成体でありつつ、頑なに完結しているわけではないという。例えば

  ベツレヘムに導かれても東方で妻らは餓える天動説者
  Staring at the star of Bethlehem, she's a starving stargazer!

日本語の行では、主役は妻を残してきた夫(東方の三賢者)であり、彼らが「天動説者」なのですが、英語の行ではおそらく妻のことが"she's a stargazer"と言われています。そして、stargazerと天動説者は英語的にイコールではありませんが、中世までのヨーロッパにおいては1人でそれらを兼ねることは多かった。日本語の行と英語の行とでは、パラレル・ワールド的な物語展開なのかもしれませんし、さきほど加藤さんのおっしゃった本歌取りが、聖書→日本語の行→英語の行と、二段式に進行しているのかもしれません。

  訝しい歪な荊に燻されたアダムからイヴが生まれはしない
  Maria is merely married with the medieval medium in her mecca.

など、両者はまるで別個の箴言詩なのですが、"married with medieval medium"と「訝しい歪な荊に燻された」はキリスト教文化史に対する批評という点で繋がってきます。もうちょっと厳密に「読みのプロセス」を再現すれば、2つの行を並べ読みすることによって、これらの比喩するものの方向性に確信がゆくのです。それから、

  信号はモスクワからの、モーセからの寄せ集めたような禁欲のレポート
  In the way of Morse Code, Mose tell me his mortal sin is a dainty morsel.

日本語の行には「信号はモスクワ」とあって、英語の行には「Morse Code」とあるのですが、モスクワの英語名"Moscow"とモールス符号の英語名「モース・コード(モールスではない)」が、発音の近似というレヴェルで2つの行を貫通しているんですね。箱根細工級の仕掛けとモーセましょう。

 一方で、両者を「相補」ではなく「比較」の視点から並べ見た時、言葉が悪くて恐縮ですが、お互いに微妙な「ほころび」や「位負け」のようなものを見せているようです。例えば

  名も知らぬ男と寝たわ 眠れない夜にアネモネ添えて
  Information-Mania suffer from insomnia, insofar as a nihilistic nymphomania is naked.

英語の行における頭韻(-nia)と脚韻(in-, n-)と語中韻(-so-)の交錯美に比べて、日本語の行では韻律が幾分平凡とも思えますし、しかし一連中この1首にだけ現れるものでもある「名も知らぬ男と寝たわ」というフェミニンな語調や、その「昔の文学」臭さに、これまた匂い立つような"a nihilistic nymphomania is naked"といえども対抗しきれていないようです。そしてそうしたことが、各行の「見劣り」ではなく一種の「可愛らしさ」として現れてきて、各パートの間に完結性の斥力が働いてしまったり、読者が「2行1組×30」の全体に対して緊張しすぎたりしてしまうのを避けている……こんな風にも読みました。

 いったんここで投稿ボタンを押させていただきます。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/4145/japondama.htm


[315] Re[314][313][312]: [ID 91] 「無菌室に居るための舞踏譜」 中島 裕介 加藤治郎 2002年07月16日 (火) 01時58分

そうですね。
お二人が指摘したとおり

・表記(形式と関係)の問題
・引用の問題
・モチーフの問題

がさしあたりの問題で、それを踏まえた作品評価ということになると思います。

まず、表記(形式と関係)の問題から入ってみましょうか。

[UtanohaBBS 313] 穂村さん

>英語部分と日本語部分は直訳的な対応にはなっていない。
>それぞれが韻を踏んだり、音の遊びを感じさせる構成になっている。

は、明らかですね。全作品、ほぼ同じ形式で、
  ルビ(短歌形式、日本語)
  本文(英詩、英語)
の対になっています。

例えば、一首め。

   ベツレヘムに導かれても東方で妻らは餓える天動説者
Staring at the star of Bethlehem, she's a starving stargazer!

 直訳してみますと、「ベツレヘムの星をじっと見つめても、彼女らは餓えた星占家である」といったところでしょうか。
引用している物語は、これはわりと馴染みのあるイエスの誕生ですね。
ヨセフとマリアは、ヨセフの故郷ベツレヘムへ旅行中。その旅先でイエスが生まれる。そこに、星占いで救い主の誕生を知った東方の三博士が高価な贈り物を持ってお祝いに来るという話です。
で、作品に戻ると、短歌形式の方は、こんなことを言っているのだと思います。東方の三博士はベツレヘムに導かれ、輝かしい救い主の誕生に出くわしたが、一方、東方でその三博士の妻らは餓える天動説者であったのだ、と。
つまり、祝福されるべき場面の、別の面、飢餓という暗黒面を提示しているんですね。
これは、引用として巧いと思うんです。
つまり、あるよく知られた物語を提示して、それを転倒させている。
これ本歌取りの極意なんです。

  ベツレヘムに導かれても東方で妻らは餓える天動説者
Staring at the star of Bethlehem, she's a starving stargazer!

で、このルビ(短歌形式、日本語)と本文(英詩、英語)の関係ですが、こう考えたら面白いんじゃないか。
英詩、明らかに音の連鎖ですね。そこから、starving、餓えるという一首の批評性の核が導かれた。ひょっとしたら、このstarvingは、音から偶然出てきたのかもしれない。その方がスリリングだと思うんです。
ここでは、英詩の音の連鎖から批評性の核が導かれ、それが短歌形式に反映されているという関係を見たいと思うんです。



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[314] Re[313][312]: [ID 91] 「無菌室に居るための舞踏譜」 中島 裕介 荻原裕幸 2002年07月15日 (月) 20時06分

中島裕介さん、「無菌室に居るための舞踏譜」。
ルビの活用については、これは究極的な形ですから、
その点、問題作であるという加藤さんのコメントは納得できます。
ただ、こうした並記において、いきなり外国語部分との交響、
を考えながら読むことは能力上自分にはできなかったので、
日本語部分を読んでそれだけで強く惹かれないと、
魅力がわからないままになってしまうようです。

 <ルビ=覗き込む僕を模様にする君は悪夢のような万華鏡以て>
 Please keep me keen to kiss a knight of knowledge in a Kafkaesque Kaleidoscope.

 <ルビ=手のひらに汲みし清水の内に吾の金魚を育ていつしかいつか>
 In the soup, I soaked myself through potage soup in the manner of a sour sovereign.

 <ルビ=再会の白昼夢を復た見るために二重螺旋を登り始める>
 Faced with the fake lover wearing a fake-leathered coat, I feel far from enjoying Friday.

強く興味をもったのは、以上の三首などです。
外国語部分との交響をどのように前提して読むか、
という話になってゆくのではないかと思いますが、
いわゆる「引用」がどこかなのか等、
さっぱり把握できていないので、
かなりあたまのいたいところです。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[313] Re[312]: [ID 91] 「無菌室に居るための舞踏譜」 中島 裕介 穂村弘 2002年07月15日 (月) 17時56分


語学力及び聖書や哲学などについてのこちらの知識不足で、「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」
とも違った意味で歯が立たなかった連作です。
私に読めた範囲の感想を並べると、
英語部分と日本語部分は直訳的な対応にはなっていない。
それぞれが韻を踏んだり、音の遊びを感じさせる構成になっている。
日本語部分を短歌として読んだ場合、下句に多くあらわれる字余りや字足らずは、
それが「ルビ」であるという印象をその都度想起させて、いわゆる破調効果とは
別種の詩的効果を挙げているように思われる。

その辺りを踏まえていいと思った作品は次のようなものです。
加藤さんの選と大きく重なっています。

     覗き込む僕を模様にする君は悪夢のような万華鏡以て
Please keep me keen to kiss a knight of knowledge in a Kafkaesque Kaleidoscope.

     ご馳走とモルヒネに酔うモルフェウスは魯鈍のように壊疽した夜明けにも
Morpheus loves morning, and moreover morning in Mosaic. For he make people sleep mortally.

     曖昧なカメラが捉えた蝋燭をここに飾って死を溢れさす
In Calvary, I must calm down the camouflaged campus of Camus.

     名も知らぬ男と寝たわ 眠れない夜にアネモネ添えて
Information-Mania suffer from insomnia, insofar as a nihilistic nymphomania is naked.

     君とさえ言葉を交わさずに食べるアルファベットチョコは白濁
There is a feeling of anemone in the air, we may enjoy being aphasic.

アルファベットチョコの歌からは、次の歌を連想しました。

 きみとゐて黙すほかなきまひるまの卓に星羅の糖こぼれゐつ  大塚寅彦


内容面での詩的交響が読み切れないところから連作としての評価が私には難し
かったです。
一連のモチーフに関しても、タイトルに象徴的かつアイロニカルに示されてい
ると思われる現在の世界に対する眼差しや問題意識が充分把握しきれず判断が
できません。
その辺りについての御意見を、どなたからでも伺えればありがたいのですが。




[312] [ID 91] 「無菌室に居るための舞踏譜」 中島 裕介 加藤治郎 2002年07月15日 (月) 01時14分

次の候補作は、

 [ID 91] 「無菌室に居るための舞踏譜」 中島 裕介

です。
加藤が選出しています。
まず、荻原さん、穂村さん、いかがでしょうか。

http://www.sweetswan.com/jiro/


[311] Re[310][309][307][304][301][300][299][298][297][296][295][294][293][292][291][290]: [ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま 加藤治郎 2002年07月15日 (月) 00時57分

みなさん、どうもありがとうございました。

[UtanohaBBS 300] で、私はふと「読み手の意識が、もうかなり変わっているのかもしれない。この、作者と読者の緩やかな協調があって、短歌形式が微妙に揺らいでいる」と思ったわけです。

で、巧まずして、風間さんのような読み方が出てきた。
行き着くところは、
[UtanohaBBS 309]
> シャンデリアになっているようで何度もじぶんを見おろしながら走る
> 緑色にメーターかがやき車はときをこえてもよいかといった 
>と、句切れ無しで読むことが、一番スピーディで、原作のシャープな質>感(語感)を、
>生かすことができると思います。

これは、五七五七七を想定しないで読むことがベストだということですね。
ここまで読者の意識の幅があるのかと、驚きました。
もはや、緩やかな協調とか、短歌形式が微妙に揺らいでいるというレベルではない。
定型観についていろいろ考えさせられました。



では、雪舟さんの作品はこのへんで。


http://www.sweetswan.com/jiro/


[310] Re[309][307][304][301][300][299][298][297][296][295][294][293][292][291][290]: [ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま 謎彦 2002年07月15日 (月) 00時02分

謎彦です。

 この場で増田さん、中島さん、そして雪舟さんの「ライヴァル」になれたことは今回の光栄です m(_)m

 お三方の意見交換がひとしきり終わったあとで、私からも何事か申し上げたいなあと待ちかまえていたのですが、今ちょっとフロア発言モードのようですので、少しだけ。

 穂村さん言われるところの「心の燃え方、テンションの高さ、地肩の強さ」については、お三方ともに認めていらっしゃいますが、それは1首1首、あるいは詩句のさらに短いブロックを単位としたときの「燃え方」のことですよね。1連数十首や歌集1冊をかけてテンションをドライヴしてゆく「長距離ランナー型」がある一方で、雪舟さんを名スプリンターとお呼びすることに、私もやぶさかではありません。

 その上でさらに注目したいのですが、少なからぬ歌に隠し味として、涼やかさや、幾分キッチュなゴージャスさが含まれていて(それらを1語に結晶させたものとして、たとえばシャンデリアや、大きな木のテーブルがあります)、そのせいで、1連30首を通読しても私は疲労や「暑気あたり」をほとんど覚えなかったのでした。あれほど百年をあげたりユンタを踊ったり蝸牛を燃やしたりしているのに、まとめて読み終わってみると、むしろケロッとしたものさえ感じさせられました。

 どちらかと言えば「ハイテンション系」に分類されそうな一応募者として、参考になるところ大の作品でした。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/4145/japondama.htm


[309] Re[307][304][301][300][299][298][297][296][295][294][293][292][291][290]: [ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま 風間 祥 2002年07月14日 (日) 20時36分

穂村さん>
> そこにより積極的な意味や動機を見出したい、と。


積極的な意味や動機を見出すことは出来ると思います。
例えばですけれど、穂村さんの改作例と比べてみると、

穂村さん>
No. :298
Name :穂村弘
Date :2002年07月11日 (木) 17時37分

>例えばですが↓
従来のセオリーというか一般的傾向としては、こういう場合
三句目をきっちり五音でとめておいて、二句目を字余りにしますよね。
その方が安定するから。
この場合だったら、例えばこんな風に。

ー中略ー

 事故にあう/そのときも髪/はうすくて/長いのがうつく/しいと信じて     

これも同じパターンで、

 事故にあう/そのときも髪は/ふわふわで/長いのがうつく/しいと信じて    改作例

内容は改悪だけど(「ふわふわ」はちょっとね)、リズムだけをみるとこっちが普通じゃないかな。
こういう風にリズムを補整していっても、作者の世界にダメージを与えないと思うんだけど。



と、仰ってますが、

>事故にあう/そのときも髪は/ふわふわで/長いのがうつく/しいと信じて    改作例
より、
>事故にあうそのときも髪はうすくて/長いのがうつくしいと信じて   

どうでしょう。  
鋭さ、シャープさが、原作の方が、まさっていると思われませんか?
改作例では、冗長に散漫になってしまうと思うのです。
「ふわふわ」は、特別だとしても、他の歌をいくつか見てみても、この感じは変りませんでした。
(すみません 穂村さん。例に挙げせて頂いて。)

穂村さん>
>緑色に/メーターかがやき/カローラは/ときをこえても/よいかといった    改作例
>緑色にメーターかがやき車は/ときをこえてもよいかといった

あえて上下句にニ分します。
> シャンデリアに/なっているようで/何回も/じぶんを見おろ/しながら走る   改作例
> シャンデリアになっているようで何度も/じぶんを見おろしながら走る

以上の歌は、意味から切ると、
> シャンデリアになっているようで/何度もじぶんを見おろしながら走る
> 緑色にメーターかがやき/車はときをこえてもよいかといった  

と、切ることができますが、黙読乃至音読時の読みとしては、
> シャンデリアになっているようで何度も/じぶんを見おろしながら走る
> 緑色にメーターかがやき車は/ときをこえてもよいかといった  
と、読め、
さらに
> シャンデリアになっているようで何度もじぶんを見おろしながら走る
> 緑色にメーターかがやき車はときをこえてもよいかといった 
と、句切れ無しで読むことが、一番スピーディで、原作の鋭いシャープな質感(語感)を、
生かすことができると思います。
この作者の中には、現代詩的な質感が息づいていると思うのです。
そして、それは、短歌を破壊するものではなくて、その質量の増幅に期待できる力となると思うのです。


[308] Re[307][304][301][300][299][298][297][296][295][294][293][292][291][290]: [ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま 風間 祥 2002年07月14日 (日) 13時37分


穂村さん こんにちは。

> > 定型に合わせて口調を整えるために「何回も」にすると、失われるものがあると思います。
>
> 定型に合わせて口調を整えようとすると何かが失われる、というケースがかなりの頻度で
> みられる場合、その事自体が問題というか、意味を考える必要がありますよね。
> 今回の三句目めの扱いのように、それが或るパターンをもっている場合は、なおさらだと
> 思います。失われるものがあるから、破調のままでいい、ということにはならないように思う
> のです。
> そこにより積極的な意味や動機を見出したい、と。


そうですね。最初コメントした時は、穂村さんのコメントだけを見て、脊髄反射気味に反応してしまいました。分断された歌の「何回も」だけを見て、
「何度も」と、「何回も」だけの音を比べて、三句目だけを比較して、
定型にあわせるために、と書きましたけれど、その後、雪舟さんの30首全部読んでみました。
そしたら、全部定型で書かれていて、特に破調の歌もなかったんです。

>緑色に/メーターかがや/き車は/ときをこえても/よいかといった

タッパーの/跡がうまそう/とご飯を/君よろこべば/ほんとうに夜

>いずれも三句めがブレーキになっていると思います。
荻原さんご指摘の「リズムの躓きどころ」ですね。
歌人なら(っていうと変だけど)、「語割れ・句またがり」をこういう風には使わないよね。
この作者は音数の意識もあって、「語割れ・句またがり」の技法も理解していて、実際に使ってるんだけど、でも何かそこにセンスというか能動性というか喜びが欠けてるんだよね。
五七五七七を守ること、或いはそれを破ることに対する喜びの欠如。
その結果、どこか義務的アリバイ的な印象が生じているように感じます。
作者のテンションに対して定型が「増幅装置」ではなく「枷」として機能してしまっているようで、それでこれだけ書けるのは全く凄いと思うけど、やっぱり惜しいですね。


という風には私は思わなかったんです。
躓いているようにも思わないのです。
極めてリズミカルに定型韻律を自在に使いこなして、殆どの歌を書いていると思うのです。
中に躓きそうになるのは、言葉の使い方が変かなという1首か2首だけで、(それもまた、かえって突き刺すような感触になる効果があるといえばあるような)後の歌は、みんな、すごく滑らかに読めるんです。

雪舟さんの歌は、全て定型で書かれていて、
それもパターンがあって、上下二つに切ろうとすれば、作者自身が、一字空けを用いた作品以外では、ただ一首ほどを除いて、上下に分割することが出来る。(分割する必要はなくて、一気に読めばいいけれど、あえて切るならという意味ですけれど。)

如何にも短歌っぽく、というのではなく、日常会話、モノローグのように、ごく普通の読みで早口気味に言った言葉のようなんですね。
そして、その読み方で読めば、どこにも大して引っかかりはないし、殆ど完璧に定型韻律で読める。30首は、ほぼ正確に31音前後で構成されていて、違和感もない。滑らか過ぎるほどの定型の歌でした。

ここでは、構成を調べるために、一語の途中に不自然なところに切れ目を入れて検証されていたから、定型ではない歌のようにも見えたけれど、そういう不自然な切れ目を入れないで、(勿論、一首の成り立ちの詳細な検証や解明のためには五句に切っていいのですけれど、)作者の書いた通り、上下句の対応か連なりで、普通に読めば、定型の歌で、特に言い変える必要もないような歌に思えました。

作者は明らかに定型をベースにして書いていると思いました。

つまり作者は、字数で書いていなくて、音数というかリズムで書いているんです。(そんなことは解っているよって言われるでしょうけれど)
一かたまりの音感(数)で詠んでいて、細かく字数に砕いて詠んでいないんです。
そして、読者もそう読んでいいと思うのです。
そうすれば極めてリズミカルなモノローグだと私には思えました。


★かたつむりって炎なんだね春雷があたしを指名するから行くね
☆(自転車は成長しない)わたしだけめくれあがって燃える坂道
☆愛が趣味になったら愛は死ぬね…テーブル拭いてテーブルで寝る

こんな歌が好きでした。


[307] Re[304][301][300][299][298][297][296][295][294][293][292][291][290]: [ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま 穂村弘 2002年07月14日 (日) 10時21分


風間 祥さん、こんにちは。
コメント、ありがとうございます。

> 定型に合わせて口調を整えるために「何回も」にすると、失われるものがあると思います。

定型に合わせて口調を整えようとすると何かが失われる、というケースがかなりの頻度で
みられる場合、その事自体が問題というか、意味を考える必要がありますよね。
今回の三句目めの扱いのように、それが或るパターンをもっている場合は、なおさらだと
思います。失われるものがあるから、破調のままでいい、ということにはならないように思う
のです。
そこにより積極的な意味や動機を見出したい、と。


[306] Re[305][304][301][300][299][298][297][296][295][294][293][292][291][290]: [ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま 風間 祥 2002年07月13日 (土) 14時13分

> ここでは、一首を五つの句の構成、という点から考えているのであって、
> 句切れ(あるいは区切れ)の有無を問題にしているわけじゃないです。


そうですね。五句からなる一首の構成の検証、は大切ですね。
読みや句切れも無関係ではないと思ったのですが、
選択された語彙それぞれの持つ語感が、歌のスピードや内容の鋭さの感じに無関係でないように。
歌の韻律の不安定さが内容の不安定さを醸し出したり、またその反対の効果を持ったりするように。

でも意味が違ったようですね。申し訳ありませんでした。


[305] Re[304][301][300][299][298][297][296][295][294][293][292][291][290]: [ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま 荻原裕幸 2002年07月13日 (土) 11時14分

>風間祥さん

> 中には句切れがあってもいいのもあるけれど、
> この作者の歌の殆どに、区切って読む必然性を感じませんでした。
> 句切れを無理に入れる必要もないように思ったのですが。
>
> 句切れ無しで一気に読めばいいのに、
> どうして区切らなくちゃいけないのかしらって、何度も思いました。

ここでは、一首を五つの句の構成、という点から考えているのであって、
句切れ(あるいは区切れ)の有無を問題にしているわけじゃないです。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[304] Re[301][300][299][298][297][296][295][294][293][292][291][290]: [ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま 風間 祥 2002年07月13日 (土) 10時09分

>途中経過、選考の模様などリアルタイムで公開しております。
皆様の参加を歓迎いたします! 詳しくは掲示板の進行に従ってください。

ここは、いつ、どんな時に入っていいのか、タイミングが難しいし、第一に三人の選者の方以外の人間が入っていいかどうかもわからない感じなんですけれど、
今、少しいいでしょうか?


ここまでの経過を見ていて、中には句切れがあってもいいのもあるけれど、この作者の歌の殆どに、区切って読む必然性を感じませんでした。句切れを無理に入れる必要もないように思ったのですが。

句切れ無しで一気に読めばいいのに、どうして区切らなくちゃいけないのかしらって、何度も思いました。

それから、
穂村さん>
> シャンデリアに/なっているようで/何度も/じぶんを見おろ/しながら走る
>
> うーん、これも同じパターンですね。
> 三句目を五音化するだけで従来型の安定感をもつと思うんだが。
>
>  シャンデリアに/なっているようで/何回も/じぶんを見おろ/しながら走る   改作例
>
> これでいいんじゃないか。
> それともやっぱり原作の形じゃないと作者にとっての実感の再現性がないのかなあ・・・

に関しては、この歌の場合、「何度も」でなければいけないと思います。
定型に合わせて口調を整えるために「何回も」にすると、失われるものがあると思います。なんだか全然違った文を読んでいるようです。
この作者は何度もと思ったのであって、何回もとは思わない、何回もとは言わない、何回もとは思わない作中主体なのであって、「何回も」と言った途端、作中主人公はその人ではなくなってしまう。別の人になってしまうと思います。
句切れも同じで、区切っている人は、この歌の作者ではなくなってしまうと思います。現代的な思惟のスピーディーなドライヴ感がなくなってしまうからです。思惟を言語化したのであれば、脳はそのスピードと読みを指定するはずです。
穂村さんがご自身で、「原作の形じゃないと作者にとっての実感の再現性がないのかなあ・・・」
と、仰っている通りなのだと思います。


[303] Re[302][301][300][299][298][297][296][295][294][293][292][291][290]: [ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま 荻原裕幸 2002年07月12日 (金) 19時02分

短歌の現在は、加藤治郎さんの言うように
「作者と読者の緩やかな協調があって、
 短歌形式が微妙に揺らいでいる」
という面があることはたしかだと思いますし、
リズムを自在に展開すること自体は構わないのですが、
やはり、過去から続くあれこれのリズムの問題、
そこは一度だけでも通過して来てほしいと思います。
この通過しているかいないかの違いは大きいです。
通過していると、破調が短歌の拡張にも受けとめられますが、
通過の痕跡がないと、どうしても単なる推敲不足に見えてしまう。
雪舟さんの作品から、きちんと通過したという感じは見出しにくい。
歴史を踏まえなければならない、ということではなく、
現在も継続して短歌のフォルムが抱えている特質を
充分に吸収した方が良い作品が書けるはず、ということです。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[302] Re[301][300][299][298][297][296][295][294][293][292][291][290]: [ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま 加藤治郎 2002年07月12日 (金) 18時28分

難しいね。最終的には、何千人のポイントが動こうが、自分の定型観から物を言えばいいんです。
定型というのは、作者と読者の契約ですね。
短歌は、作者は五七五七七で読まれることを想定し、一方、読者は五七五七七で書かれていることを想定して読む形式です。
繰り返しGAPと言ってきたんだけど、この一連の場合、読者にどう読んでほしいか、それが見えにくいところが問題であるだろうと。
たぶん、この作者にとって定型は<愛の希求>への入口のようなものであって、究極の位置にはないように思うなあ。

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[301] Re[300][299][298][297][296][295][294][293][292][291][290]: [ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま 穂村弘 2002年07月12日 (金) 16時37分


シャンデリアに/なっているようで/何度も/じぶんを見おろ/しながら走る

うーん、これも同じパターンですね。
三句目を五音化するだけで従来型の安定感をもつと思うんだが。

 シャンデリアに/なっているようで/何回も/じぶんを見おろ/しながら走る   改作例

これでいいんじゃないか。
それともやっぱり原作の形じゃないと作者にとっての実感の再現性がないのかなあ・・・
下句の切れが「じぶんを見おろ/しながら走る」とか「長いのがうつく/しいと信じて」
みたいになってる場合、その直前の三句目が不安定だと読み手には厳しいと思うんだけど。  
ぼくの意識が古いだけで、現在はこの辺りまで「作者と読者の緩やかな協調」ポイント
が動いてるのかなあ。


[300] Re[299][298][297][296][295][294][293][292][291][290]: [ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま 加藤治郎 2002年07月12日 (金) 13時51分

そうですね。
定型と折り合いをつけて、より深まった個性/リズムに行き着くのが王道だと思いますが…。
ただどうも、一連の歌、破調とは違うものを感じるんです。
定型の律との距離を測る意識が薄いわけですから。
自由律とも言い難いですね。
癖といえば癖だけれど、今日のキイワードでいうと<ナチュラル>。
自然な定型との乖離と融和。
問題は、先ほども言ったように、作者と読者の定型意識のGAPにあると思うんです。

シャンデリアに/なっているようで/何度も/じぶんを見おろ/しながら走る

こんな切れ目でさらっと読む、そういうふうに読み手の意識が、もうかなり変わっているのかもしれない。
この、作者と読者の緩やかな協調があって、短歌形式が微妙に揺らいでいるんだという見方。そういう余地も残しておきたいと思うんです。

実際のところ、この歌、律の分析に到る前に、読み手は眩いイメージに圧倒されますね。
これはドライブの場面かな。意識が何度も体から抜け出て、シャンデリアの絶頂感にある。

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[299] Re[298][297][296][295][294][293][292][291][290]: [ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま 荻原裕幸 2002年07月12日 (金) 04時16分

> 事務員の愛のすべてが零れだすゼムクリップを拾おうとして

たとえばこの作品、
ぼくは良いと思うのですが、
リズムの問題にしぼる方向で言えば、
無駄な情報は一切入れこまずに、
ゼムクリップを拾うという何でもない日常の一瞬を、
壮大な規模の問題(=「愛」)につなげている。
この日常と「愛」とが相互に飛翔してゆく感じは、
定型的にととのったリズムが可能にしているのだと思います。
字余り字足らず等、破調が入ると、飛翔感が弱まるでしょう。
そして、リズムが偶然にこうなったようには見えないんですね。
だから、どうしても他の一部の作品が推敲/調整不足に見える。
それらは方法論ではなく「癖」の範疇のような気がします。

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[298] Re[297][296][295][294][293][292][291][290]: [ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま 穂村弘 2002年07月11日 (木) 17時37分


荻原裕幸さん
>「メーターかがや/き車は」
>「跡がうまそう/とご飯を」
>のいずれも、肉声で、整えて読んでしまえば、
>かなり躓き感が解消されるように思います。
>特に現在の口語文体の場合、推敲するかわりに、
>音読の想定によって破調を自己に納得させている、
>ように見える(実際にどうかは不明の)ケースがあって、
>これらはどうもそのケースに見えてしまいますね。

従来のセオリーというか一般的傾向としては、こういう場合
三句目をきっちり五音でとめておいて、二句目を字余りにしますよね。
その方が安定するから。
この場合だったら、例えばこんな風に。

 緑色に/メーターかがやき/カローラは/ときをこえても/よいかといった    改作例
 タッパーの/跡がうまそうと/冷や飯を/君よろこべば/ほんとうに夜      改作例

そのあたりの感覚が変わってきてるのかなあ。
それともこの作者の癖なのか。

 事故にあう/そのときも髪/はうすくて/長いのがうつく/しいと信じて     

これも同じパターンで、

 事故にあう/そのときも髪は/ふわふわで/長いのがうつく/しいと信じて    改作例

内容は改悪だけど(「ふわふわ」はちょっとね)、リズムだけをみるとこっちが普通じゃないかな。
こういう風にリズムを補整していっても、作者の世界にダメージを与えないと思うんだけど。



[297] Re[296][295][294][293][292][291][290]: [ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま 加藤治郎 2002年07月11日 (木) 16時51分

まあしかし、読者は黙読するわけだから、作者と読者のGAPは避けられないですね。

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[296] Re[295][294][293][292][291][290]: [ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま 加藤治郎 2002年07月11日 (木) 16時40分



「音読の想定によって破調を自己に納得させている」

大きな問題ですね。
確かに、例えば葛原妙子の朗読テープを聞くと、破調の歌でも独特の節回しで補正されるんです。
すこっとらんどの、あれーちの
という具合に。

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[295] Re[294][293][292][291][290]: [ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま 荻原裕幸 2002年07月11日 (木) 16時28分

> 緑色に/メーターかがや/き車は/ときをこえても/よいかといった
> タッパーの/跡がうまそう/とご飯を/君よろこべば/ほんとうに夜

逆のように聞こえるかも知れないけど、
こういうリズムの躓きどころって、
音読状態を想定して書くと出やすいような気がします。
黙読だけでリズムをつくっているとまず出ないんですね。
「メーターかがや/き車は」
「跡がうまそう/とご飯を」
のいずれも、肉声で、整えて読んでしまえば、
かなり躓き感が解消されるように思います。
特に現在の口語文体の場合、推敲するかわりに、
音読の想定によって破調を自己に納得させている、
ように見える(実際にどうかは不明の)ケースがあって、
これらはどうもそのケースに見えてしまいますね。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[294] Re[293][292][291][290]: [ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま 加藤治郎 2002年07月11日 (木) 14時06分

一連の凄さには、全く同感。

「語割れ・句またがり」についても同様です。

緑色に/メーターかがや/き車は/ときをこえても/よいかといった

「メーターかがや/き車は」は、典型的な律拍の破壊ですね。
日本語は2音ずつのまとまりで読むんです。
「かが・やき」というように。
句またがりの切れ目と、この律拍が一致しないと、五七五七七では読めなくなる。
穂村弘は「手紙魔まみ」で、意識的にこれを多用したというのがぼくの見方です。
以前「歌壇」に書きましたが、これ、塚本邦雄の『水葬物語』の試行を視野に入れて、短歌史的な場に置かないと殆ど意味がないんですね。

先入観かもしれないけれど、この一連をそこに置くことはちょっと躊躇します。



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