[293] Re[292][291][290]: [ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま 穂村弘 2002年07月11日 (木) 12時08分

 かたつむりって炎なんだね春雷があたしを指名するから行くね
 飛んでゆきたいところがあるにちがいないひとが手わたすつめたきおつり
 一泊で行けるとこまで行こうって雪虫ころさないようはらう
 誕生会行って誕生日の人にさわってきたと まるで風だね
 泣けば腰のたかさに集う星ぼしに善悪のくべつはつかなくて
 全身を濡れてきたひとハンカチで拭いた時間はわたしのものだ
 (自転車は成長しない)わたしだけめくれあがって燃える坂道
 指なめて風よむ彼をまねすれば全方角より吹かれたる指
 人類へある朝傘が降ってきてみんなとっても似合っているわ

など凄い歌がごろごろありました。
心の燃え方、テンションの高さ、地肩の強さではピカイチだと思います。
極めて個人的な体験や愛の希求が、遥かに大きな次元に繋がってゆくドライブ感
があって、ああこれが「表現」だよなあと思います。
が、
残念なことに短歌連作としてみると、定型が「増幅装置」として機能していない
ケースがかなりあるんですよね。

緑色に/メーターかがや/き車は/ときをこえても/よいかといった

タッパーの/跡がうまそう/とご飯を/君よろこべば/ほんとうに夜

いずれも三句めがブレーキになっていると思います。
荻原さんご指摘の「リズムの躓きどころ」ですね。
歌人なら(っていうと変だけど)、「語割れ・句またがり」をこういう風には使
わないよね。
この作者は音数の意識もあって、「語割れ・句またがり」の技法も理解していて、
実際に使ってるんだけど、でも何かそこにセンスというか能動性というか喜びが
欠けてるんだよね。
五七五七七を守ること、或いはそれを破ることに対する喜びの欠如。
その結果、どこか義務的アリバイ的な印象が生じているように感じます。
作者のテンションに対して定型が「増幅装置」ではなく「枷」として機能してし
まっているようで、それでこれだけ書けるのは全く凄いと思うけど、やっぱり惜
しいですね。



[292] Re[291][290]: [ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま 荻原裕幸 2002年07月11日 (木) 03時59分

雪舟えまさん、「テーブルで寝る」。
5篇の候補に推そうかどうか、
いちばん最後まで迷った作品でした。
○を付けた歌がたくさんあって、
その中で特にいいなと思ったのは以下の作品です。

 人類へある朝傘が降ってきてみんなとっても似合っているわ
 真昼のような青い夜空だ あの人にそうだなおっぱいをあげたいな
 全身を濡れてきたひとハンカチで拭いた時間はわたしのものだ
 シャンデリアになっているようで何度もじぶんを見おろしながら走る
 事務員の愛のすべてが零れだすゼムクリップを拾おうとして
 性格が消えて心だけになって連れてくあなた良いひとだから
 やっと二人座れるだけの点のような家を想うと興奮するの

それぞれ、素手で世界とたたかっているような
過剰なまでのハイテンションを感じました。
うたれるところがかなり多くあった一連です。
短歌形式というフィルタを通しているわけですが、
作者のもっている何かものすごい過剰さによって、
そのフィルタが壊れてしまいそうになっている。
魅力もそこなら弱点もそこじゃないかと思いました。

音読すると多少緩和されるのですけど、
そこここにリズムの躓きどころがあって、
破調の効果にまでは機能していないものも多い。
伝達感・了解感を削いでしまっているようです。
それと、物語風に事象を追っているようなのですが、
構成としてどうなっているのかがうまく見えない。
リズムにしても構成にしても、もう少し何か、
読者の側との接点をうまく想定できるんじゃないか、
というところがぼくとしてはマイナス要因でした。
ないものねだりなのかも知れないですが……。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[291] Re[290]: [ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま 加藤治郎 2002年07月11日 (木) 02時05分

何回も読んだ一連でした。
こんな歌がいいと思って、

 (自転車は成長しない)わたしだけめくれあがって燃える坂道
 シャンデリアになっているようで何度もじぶんを見おろしながら走る
 かたつむりって炎なんだね春雷があたしを指名するから行くね
 飛んでゆきたいところがあるにちがいないひとが手わたすつめたきおつり
 事故にあうそのときも髪はうすくて長いのがうつくしいと信じて
 誕生会行って誕生日の人にさわってきたと まるで風だね
 やっと二人座れるだけの点のような家を想うと興奮するの
 泣けば腰のたかさに集う星ぼしに善悪のくべつはつかなくて
 黎明のニュースは音を消して見るひとへわたしの百年あげる

30首の内に、これだけ響いてくる歌があれば、凄いよというほかないんだけど、どこか陶酔感に浸りきれない感じがあったんです。
一連の構成でいうと、ちょっとエンジンがかかるのが遅かったかな。
ぼくの選では、後半それもラストの方にいい歌が集中していました。

この才能に弾みをつけるような、ちょっとしたアイデア、そんなものが欲しかったと思います。
方法意識までいかなくてもいいんだ。
たとえば冒頭の<緑色にメーターかがやき車はときをこえてもよいかといった>を生かすと、ドライブの感覚や風景を一連のベースのトーンにしてみるとかね。
ボルテージの高さは明らかだけど、かえって、なにか一回一回仕切直しをするような感じがして。
ぶちぶち切れるというか。短歌形式だからしょうがないんだけれど。
いっそ、わーっと一息に書いた方がいいんじゃないかという感想を持ったんです。
短歌形式の、連作の難しさを思いました。



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[290] [ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま 加藤治郎 2002年07月11日 (木) 00時04分

マラソン批評ですね。マラヒ。

次は、

[ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま

穂村さんが選んでいます。



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[289] Re[288][287][286][285][284][283][282][281][280][278][277][276][274][273][272][271][269]: [ID 61] 「ぴりんぱらん」 増田静 加藤治郎 2002年07月11日 (木) 00時02分

幽霊の見える人ならぱちみかす。目が痒い人こぶしでおこる。

      *〈ぱちみかす〉ぱちんという。平手などでたたく。

不思議な歌ですね。
「幽霊の見える人」と「目が痒い人」
ぱちんと平手でたたく様子と「こぶしでおこる」を対比している。
作者は「幽霊の見える人」にシンパシーを感じているんでしょう、たぶん。
そんなピュアな人は、ぱちんといい音を立てる。
「目が痒い人」は変な言い方だけど、これ負のニュアンスですよね。
純心にモノを見ない人。そんな人は、こぶしを突き上げて怒るんだと。
作者の思いは伝わってくるように思います。



ありがとうございました。
今回の選考、評者が新しい批評の言葉を見つけなくてはならない場面が多いですね。
「ぴりんぱらん」も読者の言葉を引き出してくる一連だったと思います。

では、このへんで。

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[288] Re[287][286][285][284][283][282][281][280][278][277][276][274][273][272][271][269]: [ID 61] 「ぴりんぱらん」 増田静 荻原裕幸 2002年07月10日 (水) 18時20分

>穂村弘さん

>  幽霊の見える人ならぱちみかす。目が痒い人こぶしでおこる。
>
> この歌なんか意味はよくわからないんだが・・・・・

ぼくもこれはよくわからなかった……。
見える人と見えない人がいるわけだけど、
見えない人も幽霊の存在は感じているのかな。
あまりにも自信持って書いてあるので、
わからなくても説得されてしまいますけど。

これ、芝居台本のト書きみたいですね。

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[287] Re[286][285][284][283][282][281][280][278][277][276][274][273][272][271][269]: [ID 61] 「ぴりんぱらん」 増田静 穂村弘 2002年07月10日 (水) 17時43分

荻原裕幸さん
>いずれも、光の強弱、温度の強弱、が含まれている。
>こうした感覚が、主格の個性として出ているのではなく、
>何と言うか、空間の個性としてにじみ出ているみたい。

うん。
なんかだんだん「効いてくる」歌が多いんですよね。

 ゆっくりとやっつけられてゆくときの 果実 憎しみは透きとおってる

僕は本来ハイテンションな即効性の歌が好きなんだけど、
この作者のとぼけたような素直なような世界には魅力を感じました。

 幽霊の見える人ならぱちみかす。目が痒い人こぶしでおこる。

この歌なんか意味はよくわからないんだが・・・・・


[286] Re[285][284][283][282][281][280][278][277][276][274][273][272][271][269]: [ID 61] 「ぴりんぱらん」 増田静 荻原裕幸 2002年07月10日 (水) 14時56分

> 窓際の郵便局の水のりを沸騰させて沸き立つひかり

の「ひかり」が、沖縄のひかり、であるとまでは、
あまり意識せずに読んでいたのですが、全体に
名詞というか物象に、質感自体の個性がありますね。

> 終わろうか 君は黙って灼かれてる砂にまみれたベルマーク見る
> あの夏にあたしが踏みつづけた影はもう使えない百葉箱に
> 口中に凍ったひよこを閉じこめる会話を埋めるためだけの嘘
> 目を閉じて手探りをして君の顔さわるのが好き暗闇が好き

引用歌に言及しようと思ってならべてみたら、
いずれも、光の強弱、温度の強弱、が含まれている。
こうした感覚が、主格の個性として出ているのではなく、
何と言うか、空間の個性としてにじみ出ているみたい。
加藤治郎さんの言うように、
歴史が捨象されてしまったところがあって、
にもかかわらず、沖縄だなあと感じる理由
穂村弘さんの言うアイランド感のでどころが、
あまりはっきり掴めてなかったんだけど、
こうした質感ににじみ出ているのかも知れませんね。

肯定的な意味で、風土とか土俗に近づいていない、
とコメントしたのですが、
それは、知識によって得たローカリズムがない、
ということで、こうした体感(視覚以外の感覚での観察)を通じて、
沖縄がより強固で個性的なフレームになっているのを再認識しました。
歌数が増えると、さらにスパークしそうな感じ、ありますね。

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[285] Re[284][283][282][281][280][278][277][276][274][273][272][271][269]: [ID 61] 「ぴりんぱらん」 増田静 加藤治郎 2002年07月10日 (水) 12時35分

「ぴりんぱらん」について、ほかに全体的なところで何かありましたら、お願いします。

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[284] Re[283][282][281][280][278][277][276][274][273][272][271][269]: [ID 61] 「ぴりんぱらん」 増田静 加藤治郎 2002年07月09日 (火) 15時09分

なるほど。
「仮構された風土性」、くらくらするような「アイランド」感、当たっていますね。
[UtanohaBBS 160]で荻原さんが指摘した、地域性・土地性があくまで一連のフレームとして機能している、にも繋がりますね。
確かに、我々が思い描く現実の沖縄とは、どこか違う。
歴史性が捨象されているからとも言えるでしょう。

http://www.sweetswan.com/kato/jiro.cgi


[283] Re[282][281][280][278][277][276][274][273][272][271][269]: [ID 61] 「ぴりんぱらん」 増田静 穂村弘 2002年07月09日 (火) 12時21分

加藤治郎さん
>窓際の郵便局の水のりを沸騰させて沸き立つひかり
>
>この歌も3人が選んでいます。
>
>[UtanohaBBS 271] で荻原さんがコメントしています通り「沸騰」がいいですね。
>沖縄の強い日射しを思うと、これやっぱり沸騰と感じるんでしょう。
>眩い光の乱反射が見えるようです。

この歌を連想しました。

 春あさき郵便局に来てみれば液体糊がすきとおり立つ  大滝 和子

比べてみると、やっぱり光がちがいますね。
季節ってこともあるだろうけど、湘南(大滝さんのはたぶん片瀬郵便局)
と沖縄の「ひかり」の違い。

この風土性を全体にうまく生かしていると思います。
おそらくは現実に根ざしつつ、でもどこか生じゃなくて、仮構された
風土性っていうのかな。
方言の使用はもちろんなんだけど、それだけじゃなくて「水のり」
の「沸騰」とか「電気屋に「サザエあります」」とか「不発弾処理班」
とか「Dr.ペッパー」とか、そういうディテールを重ねていくこ
とで、くらくらするような「アイランド」感、「パラダイス」感が
作られている。歌数が増えれば増えるほどこの感覚は強まって、面
白い世界が生まれそうな気がします。

 不発弾処理班だけが知っている曇天の重さ手の平の文字

 退屈なあかるい島のおひるねに雪のふるゆめみたことがある

 炎天の運動場に氷屋がばらまいてった湯気のたつもの

 古本をたたき売りする店員の口すすぐためDr.ペッパー

 電気屋に「サザエあります」看板がバラ線によりかかっている

 あの夏にあたしが踏みつづけた影はもう使えない百葉箱に


[282] Re[281][280][278][277][276][274][273][272][271][269]: [ID 61] 「ぴりんぱらん」 増田静 荻原裕幸 2002年07月09日 (火) 09時04分

> 雨粒をしまうみたいにひとつずつ「死別」と書いてラベリングした

だまし絵みたいなおもしろい文体だなと思って読みました。
場面としては「死別」の対象をひとつずつ壜に詰めて、
ラベリングしているところですよね。これはすぐわかる。
それだけを考えてみると、どこか偏執的でさえあり、
現実に対してかなりディープというかコアな感じのする行為です。
ところが、視覚的に浮かんでくるイメージは、
雨粒を一粒ずつしまっているところなんですね。
なんだかふわふわしたメルヘンの世界みたいな。
ちょっと角度をかえると二つの絵が交互に浮かんで来ます。
方法論的な匂いはあまり強くなくて、
無意識的に実現してしている文体でしょうけど、
こういう作品も良いですね。
「死別」という現実を見る視線のうしろに、
もう一本、枠を広げて現実を見る視線があらわれていて、
同時に二本の視線があるところにじわっとリアルがにじんでいる感じ。

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[281] Re[280][278][277][276][274][273][272][271][269]: [ID 61] 「ぴりんぱらん」 増田静 加藤治郎 2002年07月09日 (火) 00時22分

窓際の郵便局の水のりを沸騰させて沸き立つひかり

この歌も3人が選んでいます。

[UtanohaBBS 271] で荻原さんがコメントしています通り「沸騰」がいいですね。
沖縄の強い日射しを思うと、これやっぱり沸騰と感じるんでしょう。
眩い光の乱反射が見えるようです。
それと「窓際の郵便局の水のり」というモノの提示がいいんです。
短歌形式は、こういう印象的なモノを詠み込むと俄然輝いてくるんですね。
誰も今まで歌ってなかったけど、それは誰でも思い当たるもの。
日常の風景に紛れた宝石のようなもの。
「郵便局の水のり」は、ちょっとなつかしい感じですね。

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[280] Re[278][277][276][274][273][272][271][269]: [ID 61] 「ぴりんぱらん」 増田静 加藤治郎 2002年07月08日 (月) 23時39分

それでは、増田静さんの「ぴりんぱらん」、再開しましょう。

全体的なことでもいいですし、一首についてでも結構です。

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[279] マラリ 加藤治郎 2002年07月06日 (土) 02時12分

3人とも土曜はマラリ出演ということで、ディスカッション、小休止です。

増田静さん「ぴりんぱらん」から再開します。

よろしくお願いいたします。

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[278] Re[277][276][274][273][272][271][269]: [ID 61] 「ぴりんぱらん」 増田静 加藤治郎 2002年07月05日 (金) 00時12分

荻原さん
>「なんでなんで(ぇ)」
>「困る 脱ぐね(ぇ)」

なるほど。

ぼくは、「困る 脱ぐね(っ)」という感触かな。

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[277] Re[276][274][273][272][271][269]: [ID 61] 「ぴりんぱらん」 増田静 加藤治郎 2002年07月05日 (金) 00時09分

欠音一拍か。

空白の一拍といいたい気もするな。

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[276] Re[274][273][272][271][269]: [ID 61] 「ぴりんぱらん」 増田静 穂村弘 2002年07月04日 (木) 23時39分


加藤治郎さん
>  なんでなんで君を見てると靴下を脱ぎたくなって困る 脱ぐね
>
> なるほど。
> 初句の六音はスピード感があって、結句の六音は重い。
> このバランスがいいんでしょう。

うん、例えば、

 なんでかな君を見てると靴下を脱ぎたくなって困るの 脱ぐね     改作例
 
初句と結句をそれぞれ定型化して、こうすると明らかに魅力半減ですよね。
かたちとしてはこっちが普通だと思うけど、これだと「脱ぐね」に向かってゆく
助走としてうまく機能しないようです。
原作の初句の字余りと結句の欠音一拍はやっぱり効いてるってことでしょうね。


[275] Re[274][273][272][271][269]: [ID 61] 「ぴりんぱらん」 増田静 荻原裕幸 2002年07月04日 (木) 23時29分

> なんでなんで君を見てると靴下を脱ぎたくなって困る 脱ぐね

読んでいるときの感覚っていろいろですね。
ぼくは、
「なんでなんで」
「困る 脱ぐね」
がともに会話調で、語尾に半音くらいの感じで、
音が後にのびる感触があるように思いました。
「なんでなんで(ぇ)」
「困る 脱ぐね(ぇ)」
67576なんだけど、
77577にかぎりなく近い印象です。

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[274] Re[273][272][271][269]: [ID 61] 「ぴりんぱらん」 増田静 加藤治郎 2002年07月04日 (木) 23時09分

 なんでなんで君を見てると靴下を脱ぎたくなって困る 脱ぐね

なるほど。
初句の六音はスピード感があって、結句の六音は重い。
このバランスがいいんでしょう。
穂村さんが注目した通り、定型にとって、字足らずの句における一字空きの意味は、意外に大きいのですね。
一字空きの空白が、一拍と等価のリズムを形成すると読めるのであれば、これ、結果的に相当な試みと言えます。

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[273] Re[272][271][269]: [ID 61] 「ぴりんぱらん」 増田静 穂村弘 2002年07月04日 (木) 12時04分


繰り返し読んでいくうちにだんだんよくみえてくる。
一連にそういう力を感じました。

 なんでなんで君を見てると靴下を脱ぎたくなって困る 脱ぐね

三人が選んでる歌ですね。
この「脱ぐね」は荻原さんも書いてるけど、なんというか、
素直さで意表をつかれる感じがします。
「脱ぎたくなって困る」って言ってるんだから「脱ぐね」は
ぜんぜん変じゃないはずなのに、新鮮に意表をつかれますね。

 なんでなんで/君を見てると/靴下を/脱ぎたくなって/困る 脱ぐね

結句の一字(一拍)空きを含む六音が効いている。
一首全体でみると初句の「なんでなんで」の六音とこの結句がバランス
良く響いているようです。
「なんでなんで」と早口にはじまって「困る」まですーっと口走って、
一拍空いて「脱ぐね」。

結句の「中」に一字空きを含む秀歌の例は、

 晩冬の東海道は薄明かりして海に沿ひをらむ かへらな    紀野 恵
 廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て  東 直子

いずれもその作者の代表歌ですね。
これらはいずれも結句七音+一字空き、
増田さんの歌は六音+一字空き、
その分の一音が初句に回って(?)バランスをとってるって感じかな。

結句の「中」に一字空きを含む歌、っていう題詠やったら秀歌が
できるかもね。


[272] Re[271][269]: [ID 61] 「ぴりんぱらん」 増田静 加藤治郎 2002年07月04日 (木) 02時48分

先に寸評[UtanohaBBS 159] で「野性味」と言いました。
なんかごつごつした、ちょっと無器用な、抒情の核があるんです。
ごりっと噛み応えがあるんだな。
今回のディスカッションのキー・ワードでいうとナチュラル。
そのナチュラルな感じをうまく、沖縄という舞台で生かしたと思うんです。
これで、かっちりフレームができて、一首一首が立ち上がった。
トリッキーな仕掛けじゃないんだけど、シンプルな工夫で、全体が輝いてくることがよく分かると思います。

[UtanohaBBS 160] で荻原さんも言ってましたが、作品の選、けっこう重なってましたね。
ちょっと整理してみました。


 ぴりん、ぱらん、ぴりん、ぱらん、届かない、まこと、そらごと、ふんでゆく音 <K><H>
その人があたしを見るとき玄関の丸いレンズを覗く姿勢で <O><K>
不発弾処理班だけが知っている曇天の重さ手の平の文字<H>
炎天の運動場に氷屋がばらまいてった湯気のたつもの <K>
なんでなんで君を見てると靴下を脱ぎたくなって困る 脱ぐね <O><K><H>
窓際の郵便局の水のりを沸騰させて沸き立つひかり <O><K><H>
「あ、あ、あくび」吃音からこぼれる花よ 愛しいものの小ささを言う <K><H>
終わろうか 君は黙って灼かれてる砂にまみれたベルマーク見る <O><K>
あの夏にあたしが踏みつづけた影はもう使えない百葉箱に <O>
ゆっくりとやっつけられてゆくときの 果実 憎しみは透きとおってる <K>
雨粒をしまうみたいにひとつずつ「死別」と書いてラベリングした <O><K>
口中に凍ったひよこを閉じこめる会話を埋めるためだけの嘘 <O>
目を閉じて手探りをして君の顔さわるのが好き暗闇が好き <O><K>

いいところが、すーっと見えてくるという感じかな。
だれの目にも分かるんだ。



http://www.sweetswan.com/jiro/


[271] Re[269]: [ID 61] 「ぴりんぱらん」 増田静 荻原裕幸 2002年07月04日 (木) 01時42分

増田静さん、「ぴりんぱらん」。
三人とも選んで、全体への意見を出しているので、
個別にすこし作品を考えてみます。



> その人があたしを見るとき玄関の丸いレンズを覗く姿勢で

こういうさりげないことばの切り出しのなかに、
実はいくつかのイメージが凝縮されているというところ、
すごくおもしろかったです。
「姿勢」そのものの映像的なおもしろさもありますが、
同時に精神的な距離のことも見せているわけですよね。
魚眼レンズで未知の訪問者の様子を一方的に見るわけだから。
しかも自分が相手にそうするのではなく、
相手が自分にそうしているのを感じているわけで、
人対人の、コンタクトの感触を
たくらまずに掴んでいるなと思います。

> なんでなんで君を見てると靴下を脱ぎたくなって困る 脱ぐね

〜困る、までだったら、
親しみはわくものの、どこかうざったい気もしますが、
末尾の「脱ぐね」のまっすぐなアプローチが良いです。
行為として人に親しんでゆくプロセスが、
同時に精神的距離をちぢめてゆくプロセスにかぶさって、
ああ、こういう踏みこまれかたされてみてもいいな、
っていう印象をもちました。
先のコメントで親友っていうことば使いましたが、
これなんかは、友情でも愛情でもない、
もっともっとずっとピュアな好意のエッセンスみたいです。

> 窓際の郵便局の水のりを沸騰させて沸き立つひかり

先の多田さんのときに言った「言い間違い」感、
それが感じられておもしろかった歌です。
端的に言ってしまえば、
「沸騰」じゃなくて「蒸発」だろー、
という感じがあるのですが、
やはりこれは沸騰じゃなくちゃ成り立たない。
なにしろ「ひかり」が「沸き立つ」のだから。
しかも、作為的というのではなく、
ナチュラルにことばを統御しているようで、
その安定感と緊張感の同居した感じにも惹かれました。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[270] Re[267][266][265][264][263][262][261][260]: [ID 60]「6月の雨」 多田 百合香 荻原裕幸 2002年07月04日 (木) 01時41分

この企画自体にもかかわりますので、
あとひとことだけコメントしておきます。



>穂村弘さん

> 新人に限らず歌人全般の短歌の「内側」での「対処」がうまくいか
> なくなって、凪ぎの状態が10年くらい続いた後、いつのまにか現在
> の短歌の世界は不思議な活性期を迎えてるわけだけど、それはい
> わば「外側」の、シーンとしての活性化っていう気がしますね。

的確な分析で、同感です。
それにしても、まあ、
ネットにしろ商業出版にしろ、その他もろもろにしろ、
そうした「場」へのアクティブなはたらきかけによって生じた、
他者を説得して共同体(=歌壇)を増殖させていたシーンから、
他者を勧誘して共同体(=短歌の世界)を楽しんでもらうシーンへ、
という転換はものすごく意味が大きいわけで、
個人的には、「内側」をつらぬいてゆこうとする意志が、
結果として「外側」の活性化につながっているという、
どちらかと言えば、肯定的な感触をもっています。
この活性化が何を生めるのか、は、
まだやっとこれからの問題じゃないでしょうか。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[269] [ID 61] 「ぴりんぱらん」 増田静 加藤治郎 2002年07月04日 (木) 00時18分

では、次の候補作。

[ID 61] 「ぴりんぱらん」 増田静 です。

荻原、加藤、穂村の3人が選出しています。

http://www.sweetswan.com/jiro/


[268] Re[267][266][265][264][263][262][261][260]: [ID 60]「6月の雨」 多田 百合香 加藤治郎 2002年07月04日 (木) 00時15分

そういうことでしょう。

微差では、もたないという感じでしょうか。
本来、才能は隠しようもないもので、誰の目にもはっきり分かる。
へんな方向にねじ曲げてもだめ。
ただ目立ってもだめ。
圧倒的なナチュラルさ、かな。期待する一つの方向として。

>「外側」へ向けての無限にアクティブなアプローチは大切だと思うけど、
>「内側」への意識もまた無限でありたいと思いますね。

同感なり。



では、多田百合香さんはこのへんで。





http://www.sweetswan.com/jiro/


[267] Re[266][265][264][263][262][261][260]: [ID 60]「6月の雨」 多田 百合香 穂村弘 2002年07月03日 (水) 23時41分


荻原裕幸さん
> これはかなり蓋然性の高いことだと思います。
> ただ、弱まってゆく前の段階ですでに結果が出しにくいという点、
> それにどう対処してゆくかが見たい、というきもちが強くあります。

そうですね。
一般的なことにもう少し触れると、現実の若者(に限らず、近年短歌
を始めたひとたち)を見ていると、荻原さんの云う「ゾーンの広がり」
とか「結果を出す」ことについての彼らの「対処」は、従来の感覚から
すると思いがけないかたちになってる気がします。
つまりその「対処」っていうのは、自らの表現が最も価値をもつような
「場」や、最も通用するような活動の形態の模索っていう、いわば「外側」
へのアプローチが主になっていますよね。
新人に限らず歌人全般の短歌の「内側」での「対処」がうまくいか
なくなって、凪ぎの状態が10年くらい続いた後、いつのまにか現在
の短歌の世界は不思議な活性期を迎えてるわけだけど、それはい
わば「外側」の、シーンとしての活性化っていう気がしますね。
ネットや商業出版的展開によって、例えば純粋な読者といった存在
も以前より視野に入るようになってきたわけだけど、それが「内側」
からの突破と言い切れない(控えめにいっても)ことに、少しだけ残念
さを感じますね。この枠の意識そのものが錯覚だったのかもしれな
いけど・・・・・
「外側」へ向けての無限にアクティブなアプローチは大切だと思うけど、
「内側」への意識もまた無限でありたいと思いますね。

> 加藤治郎さんの言う「セルフイメージが固まっていない」は、
> この対処のことをさしているんじゃないかと思うんですが、
> ぼくもかなり似た感想をもちました。

うん。この作者の場合、実作の経験がとても少ないのではないでしょうか。
まだそこまで意識が向かなかったというのが実態じゃないかな。



[266] Re[265][264][263][262][261][260]: [ID 60]「6月の雨」 多田 百合香 荻原裕幸 2002年07月03日 (水) 21時39分

>穂村弘さん

多田百合香さんが「ナチュラルシュート」というのは、
よくわかります。そこが魅力であり、
たぶん同時に、現在の限界でもありますよね。

話がちょっと逸れた流れに乗って書くと、
この十年くらい特に顕著なように思うのですが、
この「ナチュラルシュート」が現実的に効果をあげにくい、
そういう時期が来ているということを感じています。
ストライクゾーンが安定していれば、
そこに向かって投げた球の自然な変化が、
思いがけない効果を生むんだけど、
ゾーンが広がりすぎていて変化の効果が薄いって言うのかなあ。

> 若いときはみんなそれがあるから、極端なことをいえば若者の歌は
> 全部面白い。でも現実の空気を吸わされて、いろいろ絶望したり、
> 逆に平穏を知ったりして、それが弱まってゆくよね。

これはかなり蓋然性の高いことだと思います。
ただ、弱まってゆく前の段階ですでに結果が出しにくいという点、
それにどう対処してゆくかが見たい、というきもちが強くあります。
加藤治郎さんの言う「セルフイメージが固まっていない」は、
この対処のことをさしているんじゃないかと思うんですが、
ぼくもかなり似た感想をもちました。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[265] Re[264][263][262][261][260]: [ID 60]「6月の雨」 多田 百合香 穂村弘 2002年07月03日 (水) 17時43分

加藤治郎さん
>まだ、セルフイメージが固まっていないように思われました。

荻原裕幸さん
>何かもっと理路整然とした説明がありそうなのに、ない。
>まるで何か「言い間違い」をしているみたい。

この作者の表現って、ストレートでもカーブでもフォークボールで
もなくてナチュラルシュートって感じなんですよね。
変化球を投げるつもりはなくて、自己流のフォームから力いっぱい
投げることで自然に軌道が変化する。
そのことが加藤さん荻原さん御指摘の印象に繋がってゆくように思
いました。「セルフイメージ」のない場所で生まれる「言い間違い」
的な「詩」ね。
加藤さんが挙げられたようなうまくいってない歌って、ナチュラル
な変化が起きる前にキャッチャーミットに収まってしまった感じじ
ゃないかな。
例えば五七五七七のあとにもう七あれば、或いはそこで「詩」にな
ったのかもしれない。そんなおかしな印象を持ちます。
もちろん現に書かれたものがすべてだから、そんなこといっても無
意味なんだけどね。
ただ読者は現に書かれたものを読みながら、常にそういう期待値を
計ってるもんだよね。
次のページをめくるとそこに決定的な一首が出現するんじゃないか、
と思わせるって大事だと思うな。
言語感覚や表現力がどんなに優れていても、この期待値が足りない
と歌人としての存在感は薄くなるよね。
たぶん、その期待値を決めるものは、夢をみる力の強さ、希求の角
度の鋭さ、みたいなものだと思います。
若いときはみんなそれがあるから、極端なことをいえば若者の歌は
全部面白い。でも現実の空気を吸わされて、いろいろ絶望したり、
逆に平穏を知ったりして、それが弱まってゆくよね。
塚本邦雄とか葛原妙子とか水原紫苑みたいな狂信的な希求者(とい
うか彼らはほとんど「復讐者」でしょう?)は、その点で強いし、
また茂吉とか治郎さんみたいにリビドー型のひとが年をとっても衰
えないのは、それが広義の「夢みる力」として機能するからだろう
ね。あれ、話がそれちゃった。


[264] Re[263][262][261][260]: [ID 60]「6月の雨」 多田 百合香 荻原裕幸 2002年07月03日 (水) 14時38分

> あまりにも汚い手だから後ろ手でかくしてだれにもさわらせなかった

べつに汚い手だからって、
見せたりさわらせたりしていけないわけじゃないはずなのに、
不思議なまでに絶対的な使命感・達成感がありますね。
何かもっと理路整然とした説明がありそうなのに、ない。
まるで何か「言い間違い」をしているみたい。
作品を秩序だててそれゆえに類型のなかに解消してしまうような視点を
作品の外においてきぼりにしている気がします。
こういうところに、一回性とかかけがえのなさとか、感じました。
これは大きな魅力だと思います。

> 毒林檎あるなら口に含ませて王子がいるならすぐ出遭わせて

この作品にも「言い間違い」的なおもしろさを感じます。
べつに「毒林檎」を経由せずに「王子」に行ければ、
それはそれでいいはずなのに、
「毒林檎」が「王子」をより魅力的にする、というのでもなく、
双方が等しい価値をはらんでいるように書かれていますね。
ここにも作品を類型のなかに解消してしまうような視点がない。
これもおもしろかったです。

穂村弘さんの言う「すべての生の永久欠番性」って、
これらの作品を読んでいるときにはひしひし感じたんだけど、
逆に「あの毛虫」の歌からはうまく読みとれませんでした。
どこか類型的な、死に接する表現に見えてしまって……。
もう一度全体を通して読み直してみます。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[263] Re[262][261][260]: [ID 60]「6月の雨」 多田 百合香 加藤治郎 2002年07月02日 (火) 23時19分

そうですね。

候補作にまで推せなかったのは

 悩んでるヒマがあったらその力やっちまいなさい鳩にトンボに

 ほらみなさい あんたがわがまま言ったから月がおこって追いかけてくる

 飛び降りてしまえばよかった生きている価値なんてこれっぽっちもないから

 連れ去って!この世界からピーターパン迎えに来てよ窓は開いてる


このあたりかな。悪くはないが、ちょっと弱いですね。
切り捨てるべきラインが見えていない。
まだ、セルフイメージが固まっていないように思われました。
それが魅力と言えなくもないが、今ひとつ陶酔しきれなかった感じがあります。

http://www.sweetswan.com/jiro/


[262] Re[261][260]: [ID 60]「6月の雨」 多田 百合香 穂村弘 2002年07月02日 (火) 12時28分


・生きることやめたみたいねあの毛虫 小さく小さく夜は震えた。 

この歌がとてもいいと思ったんだけど、たぶん背後にあるのは、
すべての生の永久欠番性っていうのかな。
「あの毛虫」がこの世から消えたら、それに代われるものは
どこにも存在しない、っていう感覚だと思います。

「毛虫」だけじゃなくて、世界全体に当てる視線がいいんですよね。

・みてごらん霜がおりてるあの車 この家 草むら スーパーの肉

世界に対する祝福と鎮魂が同時にあるような、こんな歌とか。
或いは

・毒林檎あるなら口に含ませて王子がいるならすぐ出遭わせて

この「毒林檎」と「王子」の並列も素晴らしいと思います。
どっちにも出会いたいんだよね。

・ときどきね、うれしくなるんだ、タイムマシーン きいてよ、わたしは、あいされている。

この「タイムマシーン」の唐突さとか。
テンションのスタンプがたまってワープした感じがします。

・チョコパイをほおばりながら階段の3段目から見ていた世界
・言ってご覧?「私は窓からフクロウが飛びたつところをこの目で見た」と

言葉の連なりとしては平凡にみえちゃうかもしれないけど、
この世界に対する期待値の高さに、うたれてしまいます。


[261] Re[260]: [ID 60]「6月の雨」 多田 百合香 荻原裕幸 2002年07月02日 (火) 00時44分

多田百合香さん、「6月の雨」。
パワフルにぐいぐいと押してくる感じがあって、
きもちよく読んだ一連でした。
○を付けたのは以下のような作品です。

 いんげんは嫌いキュコキュコゆうとこがにんげんは好きどきどきするわ
 あまりにも汚い手だから後ろ手でかくしてだれにもさわらせなかった
 真っ白なまま罪深くなる前に6月の雨に打たれる前に
 毒林檎あるなら口に含ませて王子がいるならすぐ出遭わせて
 君はあの明かりの中で過ごすのね私がどこにもいない「日常」
 正直であることそれが怖かった虚勢を張った帆船だった

どこかことばを統御しきれていない感じがあるけど、
逆にそこに穂村弘さんが言っている「心の風圧」のような
きもちの強さ、が見えるのがおもしろいですね。
言いたいことのスピードにことばが追いついてないみたい。
ことばが追いついてない、というのはふつうはマイナスだけど、
この作者の場合、そこがきもちの強さの証になってるようですね。

加藤治郎さんの指摘にあった「6月の雨」、
ぼくもちょっと複雑なきもちで読みました。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[260] [ID 60]「6月の雨」 多田 百合香 加藤治郎 2002年07月01日 (月) 23時32分

ぼくは、こんな歌に○をつけました。

 いんげんは嫌いキュコキュコゆうとこがにんげんは好きどきどきするわ

 恐ろしくなんてないわよ千年後また目覚めるのあさりのキスで

こんな明るいタッチもいいんですが、むしろ

(ざぶん)夢沈め深くに疲れという重りの力で(ごぼごぼごぼごぼ)

遺書なんて要らないどうせまた朝になったら浮かび上がって、始まる

といった歌に注目しました。軽やかな歌の中に、日常への絶望を見せる。
カードがすべて裏返ってしまう感じがしました。

それにしても短歌って不思議ですね。
<6月の雨>に、ぴくっとくる世代があって、ぼくはそういう世代がいることを知っている世代といえるかもしれません。。
多田さんは、1986年生まれですか。おそらく、原<6月の雨>とは関係ないところでつくっているんでしょう。
でも

 真っ白なまま罪深くなる前に6月の雨に打たれる前に

は、1960年代の状況に繋がる歌としても読めるのです。
それだけ、この作品に衝迫があるからだと思う。
穂村さんの「心の風圧」に同感です。


http://www.sweetswan.com/jiro/


[259] 後半、キックオフ 加藤治郎 2002年07月01日 (月) 21時44分

ワールドカップも興奮の内に終わりました。

こちらは、これから後半の選考ディスカッションです。

まずは、

[ID 60]「6月の雨」 多田 百合香

穂村さんが選んでいます。



http://www.sweetswan.com/jiro/


[258] 「モードの多様化について」 荻原裕幸 2002年06月29日 (土) 02時15分

[255]で穂村弘さんが書いていた、

> 現実の台所と「ジョーズ」の二重性、同感です。
> 「私」像だけでなく「犬」像や「蝿」像や「星」像や「象」像に
> ついても同様というようなことを、「國文學」の6月号に載った
> 「モードの多様化について」で書きました。

この「モードの多様化について」。
先日、ご本人の承諾を得てhtml化してあります。
http://www.sweetswan.com/homura/kokubungaku.html
ご参考まで。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[257] 進行 加藤治郎 2002年06月28日 (金) 00時32分

では、「あねもね地域連絡網」については、このへんで。

ありがとうございました。



さて、前半6篇を読んできました。

 [ID 5] 「はるのまゆ」 松木秀
 [ID 18] 「かわいいから免責」 澁谷聰介
 [ID 20] 「蝦の味」 廣西昌也
 [ID 25]「走ってもまだ掴めない」 平山絢子
 [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦
 [ID 48] 「あねもね地域連絡網」 なかはられいこ


ここで、休憩といたします。

選考ディスカッションは、来週月曜に再開する予定です。

後半は、次の6篇です。

 [ID 60] 「6月の雨」 多田百合香
 [ID 61] 「ぴりんぱらん」 増田静
 [ID 83] 「テーブルで寝る」 雪舟えま
 [ID 91] 「無菌室に居るための舞踏譜」 中島裕介
 [ID 106]「化身」 尾崎 淳
 [ID 112] 「Fairy Light」 伴風花


お楽しみに。★彡



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[256] Re[255][252][251][250][249][247][244]: [ID 48] 「あねもね地域連絡網」 なかはられいこ 荻原裕幸 2002年06月27日 (木) 17時09分

>穂村弘さん

> 「あねもね地域連絡網」の文体には、そのあたりの「一元性の揺
> らぎ=多様性」そのものを内包しているような感触がありますね。
> 変な言い方だけど、超越的な諦念みたいなものを感じる。

はい、どこかに、ありますね。
その諦観的な感じが、あきらめの匂いを帯びるとだめで、
けれど、わかっていてもあきらめない感じになるとすごく良い。
この作者、そこを往来しながら書いているようにも見えます。

> 星形の注射のあとをてがかりに一万年後の渚で逢おう

「一万年後の渚」は、往来している感じがそのまま出てるかな。
ことばの選択に悩んだニュアンスが露出している気がした。

あらためてこんなことを言うのもなんですが、
いろいろなことが作品から見えて来るものですね。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[255] Re[252][251][250][249][247][244]: [ID 48] 「あねもね地域連絡網」 なかはられいこ 穂村弘 2002年06月27日 (木) 14時17分

荻原裕幸さん
>うまく言えないけど、「この世界」の一元性が揺らいでいるから、
>「私」像がうまく成り立たないのではなかろうかと思うんです。

現実の台所と「ジョーズ」の二重性、同感です。
「私」像だけでなく「犬」像や「蝿」像や「星」像や「象」像に
ついても同様というようなことを、「國文學」の6月号に載った
「モードの多様化について」で書きました。

>この作者の作品にかぎらないですが、現代短歌の表現の位相が、
>急速にぐんぐんひろがりはじめているのかも知れませんね。

「あねもね地域連絡網」の文体には、そのあたりの「一元性の揺
らぎ=多様性」そのものを内包しているような感触がありますね。
変な言い方だけど、超越的な諦念みたいなものを感じる。

どうしようもないことだけでできているアネモネだから夜を壊そう
ぼくたちの言葉は長い旅に出て雨や光になるんだ、たぶん
星形の注射のあとをてがかりに一万年後の渚で逢おう

「短歌」や「表現」についての意識があって、よく考えている書
き手の作品ほどそういうニュアンスを帯びがちな気がします。

一方、今回の応募者のなかには、そんなこと考えたこともないと
いう書き手として若い(?)層が沢山いて、そういう人たちは大
胆に勝手に決めうった一元化のもとに自分の文体を決定して世界
を展開できているわけです。それでもいい作品は生まれるし、そ
の方が有利という面もあるんだけど、コンテストっていくら対象
が作品であってもその背後に人をみてしまうから、ああ、作品は
素晴らしいけど、この人は「短歌」や「表現」のことなんか考え
たこともないんだろうな、とか思って悩ましかったりしますね。

「あねもね地域連絡網」の作者は、長い時間そういうことを考え
てきた人だなと思えます。最終的にはそれは絶対に必要なことだ
と思いますね。


[254] Re[252][251][250][249][247][244]: [ID 48] 「あねもね地域連絡網」 なかはられいこ 加藤治郎 2002年06月27日 (木) 12時47分

問題作だったですね。

「あねもね地域連絡網」というタイトルも不思議な感触です。
「地域」であり「連絡網」であるというニュアンス、一連の世界観に繋がっていきそうな気がします。

http://www.sweetswan.com/kato/jiro.cgi


[253] リンク 荻原裕幸 2002年06月27日 (木) 03時08分

お知らせするのが遅れましたが、
今朝、アクセスカウンタのすぐ上に、

[新人賞候補作一覧へのリンク]
[募集要項へのリンク]

というリンクをはりました。
クリックすれば対象ページにとべます。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[252] Re[251][250][249][247][244]: [ID 48] 「あねもね地域連絡網」 なかはられいこ 荻原裕幸 2002年06月27日 (木) 03時05分

>加藤治郎さん

いろいろ示唆をありがとうございました。
ぼくたちが、近代的な私像を読もうとはしていないのは、
もしや作品の側でもどこかでそれを成り立たなくしている、
そんな要素があるのかなと思ったりしました。

> 人喰い鮫が出てくる前の海に似てしんとしずもる春のキッチン

たとえばこういう修辞の質自体が、「私」像という読みを
どこかで成り立たないものにしているとも思われます。
オーソドックスに、「人喰い鮫が出てくる前の海」という
「しずもる春のキッチン」にひそんでいる、狂気か何か、
得体の知れない感じを、「私」像に結びつけても読めます。
けれど、これって、映画の「ジョーズ」も意識されていると思う。
あの映画の「人喰い鮫が出てくる前」って、テーマ音楽が、
ダンダン、ダンダン、ダンダンダンダンダンダン、って響くわけで、
それが思い浮ぶと、ぜんぜん「しんとしずもる」じゃないんですね。
リアルな世界からすこしひいた世界ではテーマ音楽が流れてしまう。
あっちの世界とこっちの世界が同時に存在している感触です。
うまく言えないけど、「この世界」の一元性が揺らいでいるから、
「私」像がうまく成り立たないのではなかろうかと思うんです。

この作者の作品にかぎらないですが、現代短歌の表現の位相が、
急速にぐんぐんひろがりはじめているのかも知れませんね。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[251] Re[250][249][247][244]: [ID 48] 「あねもね地域連絡網」 なかはられいこ 加藤治郎 2002年06月27日 (木) 00時25分

難しいですね。
結局、読者との架橋ということになってくるんでしょうね。
むしろ、読者像をどこまで想定し、拡張できるかにかかっているというか。

短歌という詩型に、先入観なしに出会って作歌したとき

[UtanohaBBS 247] 荻原さんの言う
>短歌の基本構造になるはずの「私」=主格の像が、
>30首を読み終えたあとにきちんと立ちあがらない。

これが常態であっても、なんら不思議はないんです。
短歌に私像の現出を期待するのは、かなりの部分、読者側の問題ですよね。
もともと、短歌は、私の表現に最適の形式ではないんです。そこを近代の歌人が試行錯誤して、現在に繋がる私像が短歌形式に定着したのは、およそ大正の初め。
まだ、100年も経っていないわけで、しかも、前衛短歌以来、安定した私像を想定できないし、読者もそれをどこまで期待しているのか、分からなくなっている。
考えてみれば、この選考でも、近代的な私像を読もうとはしてませんよね。

[UtanohaBBS 249]
>言葉の飛躍の背後に、<私>のテンションが張り付いていて、そ
>こに魅力を感じます。

穂村さんの言う<私>は、かなり作家サイドにあると思います。
作家のテンションと言い換え可能かとも思う。作品の衝迫の根拠となる存在。
作家によって書かれたものである以上、普遍的に想定できる<私>じゃないかと。

<私>のテンションは、期待したい。
繰り返しになりますが、一連を覆うこの奇妙な「ナチュラルな感じ」の根拠を、夢の記述と考えてみたわけです。



http://www.sweetswan.com/jiro/


[250] Re[249][247][244]: [ID 48] 「あねもね地域連絡網」 なかはられいこ 荻原裕幸 2002年06月26日 (水) 21時11分

>穂村弘さん

> 「あしたね」ってだれかが言って彼の国の丘のきりんは脱臼したの
> 桜吹雪にときおり混じる獣語を解読せよと指令がくだる
> えんぴつの芯には龍の成分が混じってることだれにも言うな

> 引用歌の結句たち「脱臼したの」「指令がくだる」「だれにも
> 言うな」のテンションが一様にフラットというか、書き手
> 自身が驚いていない感じがする。

ぼくもこの三首の該当部分、うまくいってないと感じました。
三首目はいいかなどうかな、くらいの感じだったけど、
一首目と二首目ははっきりことばが浮くのを感じた。
こういうことば遣いの「驚いていない感じ」って、
ぼくの感覚で言えば、むしろ統覚が表面化していて、
(だから「ナチュラル」ではないと感じました。)
あたまで「驚いている」みたいに思いました。

> ぼくは、またしてもオールドファッションなオヤジ発言で悪いん
> だけど、そこが逆ですね。

「逆」とは感じなかったんだけど、
ぼくの説明がなってなかったかなあ……。

> 傘の骨、曲がってますね。壁の色、ペールブルーになるはずでした。

先に引用した通り、ぼくもこの歌、おもしろいと思いました。
穂村さんが読んでいるように「曲がってますね」や
「はずでした」の「私」的なテンションの強さが、
この歌の魅力のベースになっていると思います。
事実的に読めば、改装して住むはずだった家か部屋、
みたいなところに解釈を落とせるかも知れないです。
ただ、そう言いきるだけの情報が整っていない。
だから、加藤治郎さんが[244]で読んでいるように
「夢の語り口」ってところにつながると思うし、
「傘の骨」から「壁の色」への視線の転換とか、
この世界との結びつきを否定するふわふわ感みたいなものが出る。
このあたりにも先に書いた、世界の二重性、を感じました。

穂村さんが書いた、「私」的なテンションの張り付きって、
「私」が世界のなかに定点を占めたり面積をもつような感じがなく、
あと、前後の時間にもしばられないような、ピンポイントで、
ちからづよく接触しているようなときに生じるのではないでしょうか。
(だから「従来型の読み」じゃないように感じた……。)
ぼくの感じる世界の二重性って、これとかぶってくるんですけど、
つまり、統覚が表面化しない状態=世界の二重性って、
「私」的な像が明確にはたちあがらず、
「私」が、言ってみればテンションだけでそこにある状態。
だから、加藤さんの言った、
「受けとめる読者の側で、夢が再現されるかどうかにかかっている」
ということになってゆくのではないかと思いますです。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[249] Re[247][244]: [ID 48] 「あねもね地域連絡網」 なかはられいこ 穂村弘 2002年06月26日 (水) 18時41分


「あしたね」ってだれかが言って彼の国の丘のきりんは脱臼したの
桜吹雪にときおり混じる獣語を解読せよと指令がくだる
えんぴつの芯には龍の成分が混じってることだれにも言うな

言葉の扱いが高度だと思います。
特徴としては、一首が自然に異次元に入ってゆく、というか異
次元に入ることが前提になっているような印象がありますね。
引用歌の結句たち「脱臼したの」「指令がくだる」「だれにも
言うな」のテンションが一様にフラットというか、書き手
自身が驚いていない感じがする。
加藤さんの言う「荒唐無稽なイメージが出てくるんだけど、
ナチュラルな感じがする」ところですね。

なんというか文体のベースにあるものの感触が、いわゆる詩的
飛躍とは明らかにちがいますね。
いわゆる詩的飛躍っていうのが、例えば、感情とかテンション
といった心のスタンプが10個とか30個とか50個たまった
ら、言葉が異次元にワープするみたいなことだとすると、その
場合、書き手はそのスタンプが何個必要なのかとか、どこへワ
ープするのかとか、自分でもわからないんだよね。

この印象の違いが最大の特徴という気がして、荻原さんはそこ
を肯定的に捉えているんだと思う。
「統覚を喪失しているような文体に、徹底して懸けているのが
この一連で、ぼくはそこに、新鮮さや魅力を感じました。」
という部分ですね。

ぼくは、またしてもオールドファッションなオヤジ発言で悪いん
だけど、そこが逆ですね。
惹かれたのはこういう歌です。

傘の骨、曲がってますね。壁の色、ペールブルーになるはずでした。

言葉の飛躍の背後に、<私>のテンションが張り付いていて、そ
こに魅力を感じます。「曲がってますね」と対象に視線がはりつ
く感覚や「はずでした」の過去形から<私>の想いを読み取ると
いう従来型の読みです。
そのような観点から、次のような歌に惹かれました。

屋上のフェンスの錆をつけたままつないだ手から繭が生まれた
どうしようもないことだけでできているアネモネだから夜を壊そう
うっすらと時間が積もるソファには青くしたたる鮫が寝ている
ゴム跳びのゴムがびゅんびゅん鳴るような風にまぎれる祖父母のなまえ
サンダルのかたいっぽうはサバンナに昇る朝陽を見に行きました
人喰い鮫が出てくる前の海に似てしんとしずもる春のキッチン
宣誓の樹はまっすぐに陽を受けてここにはいないひとに微笑む


[248] Re[240]: 作者より 穂村弘 2002年06月26日 (水) 17時51分

謎彦さん、こんにちは。
気合の入った作品、楽しませていただいてます。
「先行作品による既視感」は、僕も感じなかったです。
プリントアウトの右肩に「?」って書いたくらいですから。
よかったら、他の作品についても御意見くださいね。
よろしくね。


[247] Re[244]: [ID 48] 「あねもね地域連絡網」 なかはられいこ 荻原裕幸 2002年06月26日 (水) 06時14分

>加藤治郎さん

> イメージの断片を記述していくんですね。
> それを再構成しようとか、批評性を持たせようとか、
> そういう意識はどちらかというと希薄である。

この点、評価に悩むところ、難しいところでした。
短歌の基本構造になるはずの「私」=主格の像が、
30首を読み終えたあとにきちんと立ちあがらない。
だからだめだ、という立場も充分ありうると思います。
ただ、その、統覚を喪失しているような文体に、
徹底して懸けているのがこの一連で、
ぼくはそこに、新鮮さや魅力を感じました。
「荒唐無稽なイメージが出てくるんだけど、ナチュラルな感じがする」
という加藤さんのことば、まったく同感です。

> サンダルのかたいっぽうはサバンナに昇る朝陽を見に行きました

たとえば、この歌、
サンダルを片方喪失した状態が事実の感触としてあります。
おもてだった現実的情報としてはそれだけを伝えているようです。
犬がくわえてどこかに持っていったのかも知れないし、
何かとても現実的な事情があるはずなんですが、
喪失の理由、あるいは喪失しているという事実を、
「サバンナに昇る朝陽を見に行きました」と書いているらしい。
ところがこう書かれた瞬間に世界が二重性を帯びてくる。
「〜のかたいっぽうはサバンナに昇る朝陽を見に行きました」
の「〜」の部分が、ほんとにサンダルなのか何かの暗示なのか、
にわかにわからなくなっています。この世界の二重性は、
どちらかがどちらかの隠喩になっているような二重性ではなく、
表と裏としてあるわけではなく、平行して存在する二重性です。
世界を統べる統覚が見えない世界、現代という時代の感触を、
文体のなかにうまく定着させている感じ、そこに惹かれました。
[167]で引用した作品の多くは、この種の二重性を生む、
「陽に灼けた洗濯ばさみがわたしですカナリア色のタオルをつまむ」など、
アレゴリー的な手法のものが多かったかと思います。

> 屋上のフェンスの錆をつけたままつないだ手から繭が生まれた

加藤治郎さんが引用していたこの歌、
ぼくは、統覚らしきものが露出している感じを受けて、
必ずしもうまくいってはいないかな、と思った歌なのですが、
「繭」をメタファとして読めないことはないけれど、
「そのまま繭のイメージを享受しておけばいい」という読み、
納得してコメントを読みました。この作者の方法論だと思います。
ただ、この歌、世界の二重性の帯び方がいささか浅い気もして、
つまり、「繭」という一語に重心がかかりすぎてしまって、
何かそこだけことばを斡旋してつくったという印象がありました。
重心がもうすこしばらけている方が「ナチュラルな感じ」が
より強まるかなと思って読んでいました。加藤さんの言う
「受けとめる読者の側で、夢が再現されるかどうか」
ということにかかわる問題かも知れませんね。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[246] Re[240]: 作者より 荻原裕幸 2002年06月26日 (水) 06時12分

謎彦さん、ようこそ。
ああ、ここ、直接対象の作者が、
直接コメントできるんだ、と
あらためて実感させていただきました。
ありがとう。

> 拙作に対して、それも1首単位ではなく連作について、
> ここまでみっちりとコメントを受けたことが今までありませんでしたので、

なんとなくこの事情、わかります。
連作を連作として読むことは、
物理的なスペースの問題として、
あまりゆるされていないケースも多く、
こう言われていまさら気づいたのですが、
ネットはそれがやりやすい場所かも知れませんね。
それから、「模倣作や便乗作」という点、
ぼくもまったく感じませんでした。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[245] 途中からご覧になっている方へ 加藤治郎 2002年06月26日 (水) 00時40分

新人賞候補作はこちらにアップされています。

http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/kikaku3/sinjin2.html

ご一読いただければ、幸いです。

http://www.sweetswan.com/jiro/


[244] [ID 48] 「あねもね地域連絡網」 なかはられいこ 加藤治郎 2002年06月26日 (水) 00時31分

ぼくは、一連、夢の記述のような感触を受けました。
オートマチックな感じがするんです。
イメージの断片を記述していくんですね。
それを再構成しようとか、批評性を持たせようとか、そういう意識はどちらかというと希薄である。
荒唐無稽なイメージが出てくるんだけど、ナチュラルな感じがするんです。
受けとめる読者の側で、夢が再現されるかどうかにかかっているんじゃないかな。

こんな夢を見たんだよっていう透明な詞書がついているようで。

  屋上のフェンスの錆をつけたままつないだ手から繭が生まれた

この歌、中学時代かな、学校の屋上にクラスの男子(だんし)と一緒にいるイメージだ。自分は、ぎゅっとフェンスを掴んで、遠くを見ていた。
手に錆がついたまま、彼と手をつなぐ。そのとき、白い繭が生まれた。
この繭は、無垢な感情のメタファーとも読めるが、そのまま繭のイメージを享受しておけばいいと思うんです。

  傘の骨、曲がってますね。壁の色、ペールブルーになるはずでした。

夢の語り口ですね。「ますね」「はずでした」というあたり。
だれかに語りかけているようで、自分の意識から流出していかない。
傘の骨に集中していく視線が、いきなり四方、壁の色に囲まれるという転換が鮮やかです。
曲がった傘の骨と、ペールブルーは病的な感触においてマッチすると思うんだが、どこか検閲というかチェックする意識が働いて、その結びつきを否定する。
複雑ですね。二重三重に捻れている。


 死にたがり病の羊を追っているマーブルチョコをばらまきながら

迷宮的な感覚があるなあ。凄く美しいです。
ばらまかれた色とりどりのマーブルチョコ!
「死にたがり病」は、夢の解釈が入ってしまっているので、ちょっと惜しいかな。
ここをイメージだけで歌いきったら、かなりの作品だと思います。


ほかに○をつけたのは、こんな歌です。


 一滴の水でゆるゆる立ち直るストローの袋、遠い銃声

 ゴム跳びのゴムがびゅんびゅん鳴るような風にまぎれる祖父母のなまえ

 家族って包帯みたいたゆたゆと満ちてくるのは水藻の匂い

http://www.sweetswan.com/jiro/


[243] お騒がせしました。 中島裕介 2002年06月25日 (火) 23時08分

こんにちは、中島裕介です。

作品についての応援コメントへのレス、どうもありがとうございました。
大分、論の荒いところがあり、お騒がせして申し訳ありませんでした。
お3方からのレスで私も更に色々と考えることがあり、幸いです。

次のなかはられいこさんへの選考も、その以降の選考も頑張ってください。
では、失礼致します。

http://www03.u-page.so-net.ne.jp/qc4/theart/


[242] [ID 48] 「あねもね地域連絡網」 なかはられいこ 加藤治郎 2002年06月25日 (火) 22時55分

では、次の候補作に進みましょう。

[ID 48] 「あねもね地域連絡網」なかはられいこ

荻原さんが選んでいます。

http://www.sweetswan.com/jiro/


[241] Re[240]: 作者より 加藤治郎 2002年06月25日 (火) 22時54分

ようこそ、謎彦さん。

ぼくに関していえば「先行作品による既視感」は、なかったです。
こういう発想の一連、主体のありよう、新しいと思って読みました。

ありがとう。





http://www.sweetswan.com/jiro/


[240] 作者より 謎彦 2002年06月25日 (火) 19時46分

 選考委員のお三方、そして中島裕介さんには精密で率直なご批評をいただき、心から光栄に存じております。拙作に対して、それも1首単位ではなく連作について、ここまでみっちりとコメントを受けたことが今までありませんでしたので、ここが新人賞の本選の場であったことをほとんど忘れて、別種のうれしさと昂奮に取りつかれているところです。

 さて、作者のくちばしを1つ2つ挟ませていただきたいと思います。許されないようでしたら、ご抹消下さい。拙作の解釈や評価に関わることはもとより申しません(「おひかけてこい」とは誰が誰に呼びかけているのか、連作中の1首1首の「秀歌性」を、作者としてどれくらい重視したり自負したりしているのか、いないのか等々)。

 第1に、詞書として「初案」と称するものや、もう1首の歌とも呼べるようなものを置いたのは、皆様お察しのように意図的なことで、苦し紛れではありません。とはいえ、このような詞書を含んだ連作だというだけで、無条件に失格処分にされるかもしれないという覚悟はしていました。「ならば失格でもかまわぬ!」とうそぶきつつ、応募フォームの送信ボタンを押したのですが、その実ヒヤヒヤものでした (^^;

 第2に、私はしばらく日本を空けていますため、日本の短歌シーンをアップ・トゥ・デイトで追ってゆくのが無理とは言わないまでも、少々しんどいところです。アメリカのテロ事件に関連して発表された先行作品や評論は、今回できるだけ目を通すようにしてみたつもりですが、それでも拙作の応募後まで知らずにいたり、入手が遅れてしまったものもあります。その最たるものが、加藤さんが挙げられた大塚寅彦さんや、また石井辰彦さんの連作です。
 拙作にもし、これら先行作品に似ている点が認められたとしても、拙作はこれらとは独立して発案・制作されたものであると誓言できます。しかし、読者にとって作者の台所事情など「どこふく風」でしょうし、そもそもそうあるべきものでしょう。ですから私は、模倣作や便乗作といった汚名が発生するのを未然に防ぐためにだけ、このように告白しておきたいと思います。先行作品による既視感を、皆様が拙作の不利材料と見なされることがあっても、それは全く仕方のないことだと考えます。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/4145/japondama.htm


[239] Re[235][233][232][231][230][229][228][225][224][223][222][220][219]: [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦 加藤治郎 2002年06月25日 (火) 18時49分

中島さん、どうもありがとう。


> 「私はミナモト」だという、アピールが度々為されますが、
> 作中主体はある種の超越的なアイデンティティを
> 全体にわたって強固に持っているわけではない、という点
です。

この点は、 [UtanohaBBS 221] [UtanohaBBS 231]で述べた
とおりです。繰り返しになりますが、増殖的であり流動的で
すね。


> 「私がミナモトだ」というアピールがあり、合衆国と日本と
の関係やテロ事件から
> 少し離れた(直接関わらない)ところに「ミナモト」を位置付
ける。


主体と状況との距離について「少し離れた(直接関わらない)
ところ」というニュアンス、分かります。
主人公は、状況へ影響力を行使する存在ではない。
それを根こそぎ消失させるような有りようだと思います。
状況に触発されて「天はぼくを選んだ」と覚醒した主人公
が、自己の変成のダイナミズムを楽しんでいる感じですね。
で、「ここN.Y.より一寸楽しい」に到るわけです。

とすると、ここでは、状況は置き換え可能なものであって、
一連の彩りに過ぎないものとなりますね。それは一つの意思
表示だと思います。
作品にとって、状況はいつも彩りなんだ。


http://www.sweetswan.com/kato/jiro.cgi


[238] Re[235][233][232][231][230][229][228][225][224][223][222][220][219]: [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦 穂村弘 2002年06月25日 (火) 17時31分

中島裕介さん
>> Hey, come on, come on....
>>わが父祖の徽章であつて、わいせつなものをいくつも描いたのではない!
>この詞書は「家紋」じゃないでしょうか。

ああ、そうか。
きづかなかった。
単にカタチが似てるってことだと思っていました。
鋭い読みですね。

>> 初案「液化したピアノをぐつと呑み込んでこの謎彦の妻になるのか」
>>液化したピアノをぶうと噴き上げてこの謎彦(ミナモト)の妻になつちやう
>例えば、この歌は初案を載せることで、
>「ミナモトの妻に」なることの意味、「液化したピアノ」のイメージを1首の内で転倒させようと試みています。

うーん、これは「1首の内」での転倒の試みって言えるのかなあ。
そう思うのは、スターバックスで「珈琲をくれ、珈琲だよ、珈琲は
ないのか」って言ってるオヤジってことなのかな。
イタリアンレストランで「スパゲテーくれ」とか。
「ヤキソバくれ」って言ってるオヤジは実際にみたことあるけど。
結局、パスタをうまそうに食ってたけどね。
うーん。


[237] >中島裕介さん 荻原裕幸 2002年06月25日 (火) 15時25分

長篇の応援コメント、楽しく興味深く読みました。
詞書などを含めて感じたところ大筋一致していますが、
カブキロックスのアレンジというのは知らなかったです。
いずれも幅が広く奥の深い世界なんでしょうね。

> 一回の「ミナモト」を生きるか、
> 血の繋がりのうちに「私」を位置付けるかは大きな違いとなってしまう点で、
> これがこの作品の最大の難点だと思います。

これは難点だとは感じられませんが……。最後の歌、
血の繋がり(父祖・子孫)のうちに「私」を位置づけているのではなく、
「幻」の「私」が「ミナモト」を生きることの「反復」をうながす、
という意味での「おひかけてこい」ではないでしょうか?
子孫(も他者ですが)ではなく他者への呼びかけなのでは?
ここでは「私」も「父祖」も仮構的な存在・繋がりなわけですから。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[236] Re[234][233][232][231][230][229][228][225][224][223][222][220][219]: [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦 荻原裕幸 2002年06月25日 (火) 14時35分

> 荻原さん、ほかになにか。全体的なところでは、どうですか。

はい。そうですね、
連作の「場」があまりに派手なためめだちませんが、
足腰の鍛えられた文体を持っている作者だと思います。
口語・文語が自在に駆使できるところとか、
本歌取り・替え歌の自在さなどもそうですが、
実験的試行に必須の、基礎的な力が備わっている。
これが、試行全体をしっかり支えていると感じます

作品の背景などは、コメントした他にも広がっているし、
まだまだ読めてないところがたくさんあると思いますが、
と、書いていたら中島裕介さんのコメントが入った(笑)、
言いたいことのポイントはだいたいこんなところで。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[235] Re[233][232][231][230][229][228][225][224][223][222][220][219]: [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦 中島裕介 2002年06月25日 (火) 14時21分

こんにちは、中島裕介です。
塩を送る(送られた武田信玄は甲斐源氏の系譜)ことになるのかしら。
ただ、問題意識が近いところにあるように感じられたので、やはり。

この連作を読んで感じるポイントは、
1.詞書と引用による実験
2.テロに特殊な立場で対しようとする「ミナモト」への接近と分離
の2点です。

1.について、既に加藤さんや荻原さんが触れていらっしゃいますが、
付加的な部分、というには多様な使われ方がされていると思います。
> 初案「液化したピアノをぐつと呑み込んでこの謎彦の妻になるのか」
>液化したピアノをぶうと噴き上げてこの謎彦(ミナモト)の妻になつちやう
例えば、この歌は初案を載せることで、
「ミナモトの妻に」なることの意味、「液化したピアノ」のイメージを1首の内で転倒させようと試みています。
> Hey, come on, come on....
>わが父祖の徽章であつて、わいせつなものをいくつも描いたのではない!
この詞書は「家紋」じゃないでしょうか。
作中主体の家紋が何か猥褻なものを描いたようにも見える図案であるのか、
それとも英語圏のアダルトビデオを観ながら
「come on!come on!」がどうにも「家紋!家紋!」と聞こえてしまったのか。

以上のように、1首のイメージを先に膨らまさせたり、付加的に説明するだけではなく、
1首だけでは分かり難い歌を解釈可能にするための導入部(註釈に近い)として、
詞書が添えられているものと思います。
#余談ですが、荻原さんがお書きになった、
>沢田研二の「TOKIO」(糸井重里の作詞だったかな?)、
>の替え歌にこめられたウィットやら悪意やらも面白かったです。
は、どちらかというと「TOKIO」よりかは、カブキロックスによるアレンジ「OEDO」のほうが
この詞書に近いかと思われます。
(つまり、引用された歌を更に引用したわけです。)
##このような引用性(ハイパーテキスト性)、つまり「意味は構造によって決定される」性質を
自覚することこそが現代的だと思います。
また、私もそのような意識を持っている点で、この作品に共感しやすいのかも知れません。

さらに2.に付いて。
「私はミナモト」だという、アピールが度々為されますが、
作中主体はある種の超越的なアイデンティティを
全体にわたって強固に持っているわけではない、という点です。
> なんぢやこりや……なんぢやこりやあ……
>やれ泣くなわめくなほんにみなもとの裔なら感染(うつ)らナイし死なナイ
「太陽にほえろ」のような詞書です。自分の死を眼前に、恐らく想定してみたとき、
自分が本当に「ミナモト」であるか反省しつつ、呪文のように「みなもとの〜」と
言い聞かせているように見えます。
さらにその3首後で、
> まだ博士ではないのだから、源氏ではない。当然だ。
>「あなたこそ地球最後の源氏です」チェーンメールで構はないから!
この歌では「源氏ではない」と詞書で表明しながら、それでもチェーンメールのような、
不特定多数に届けられる言葉ででも自らを「源氏」だと規定されたいものと読みました。
(例ですが、分裂症者などに「私が正統の天皇である」と表明するものがありますね。)

「私がミナモトだ」というアピールがあり、合衆国と日本との関係やテロ事件から
少し離れた(直接関わらない)ところに「ミナモト」を位置付ける。
しかし、その位置付けによって「ミナモト」が(大衆的な)一個人に近づいていく。
私が何者かを問い、「ミナモト」であることを疑い・求めながら、最後の2首に向かっていくように見えます。

以後の、最後の2首については、やや過ぎた解釈かもしれませんが。
1首目は「ミナモト」の仮構された系譜ですが、その中に作中主体の「謎彦」の名はありません。
その系譜自体がニューヨークのような多様な面を持つ「一寸楽しい」と感じている。
多様な系譜に対する自分のスタンスをある程度自覚した後、2首目になります。
2首目は自らの死後に「いつぽんの堤防ひたにおひかけてこい」と、
自分が父祖(「家紋!」の歌ですね)を追いかけたように、
今度は、子孫が私を追いかけるよう、呼びかけたものと読みました。
#但し、この歌は「私は死ぬまで追いかけるよう父祖に呼びかけられたのだ」
という解釈も可能なので、一意に定まりません。
この場合、それまでの全ての歌の解釈も変わってきます。
一回の「ミナモト」を生きるか、血の繋がりのうちに「私」を位置付けるかは大きな違いとなってしまう点で、
これがこの作品の最大の難点だと思います。


以上が、私の読んだ連作の流れと、それに付随する<「ミナモト」への接近と分離>という解釈です。

大変長くなってしまいました。(書くのに2時間半かかりました。)
選考委員の皆さんはどう思われますか?

では、失礼致します。

http://www03.u-page.so-net.ne.jp/qc4/theart/


[234] Re[233][232][231][230][229][228][225][224][223][222][220][219]: [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦 加藤治郎 2002年06月25日 (火) 12時41分

そうですね。

荻原さん、ほかになにか。全体的なところでは、どうですか。

http://www.sweetswan.com/kato/jiro.cgi


[233] Re[232][231][230][229][228][225][224][223][222][220][219]: [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦 穂村弘 2002年06月25日 (火) 12時02分


加藤治郎さん
>で、状況の方が、すーっと消失していくんだ。系図の疾走感の方が「ここN.Y.より一寸楽しい」。

なるほどね。
だから「ここ」がいるわけか。

荻原裕幸さん
>> こめかみをぎやつと云はせて演壇に立つ朝だけはくくる蓬髪
>
>穂村さんの引用した理由がわからなかったけど、
>これはおもしろいと思った作品でした。
>「こめかみをぎやつと云はせて」、
>髪を束ねるときにこめかみがひっぱられる感覚ですね。
>この擬人化はスタンダードな範囲のものなんでしょうが、
>「米噛み(アジア的食文化)」という語源的なところにつなげ、
>「あっち」の演壇に立つときの違和の感覚を複層的にたちあげた。
>そのあたりのことば遊び的なセンスはとても良いと感じました。

これはぼくも地味だけどいい歌だと思って挙げました。
空気を嗅ぎ分けるような微妙さがありますね。
「米噛み」はきづかなったな。
驚いた。

ギャラリーの方にも意見をきいてみたい連作ですね。


[232] Re[231][230][229][228][225][224][223][222][220][219]: [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦 荻原裕幸 2002年06月25日 (火) 02時28分

>穂村弘さん

> 記憶、反芻、愛誦して楽しめる五七五七七をこの連作のなか
> からもみつけたいわけです。

記憶、反芻、愛誦して楽しめる五七五七七が「ある方がいい」、
ということならば、ぼくもまったく同感なんですけど。



では、ぼくはあと、連作的な「場」がおもしろくても、
作品を良いとは感じられない方の例も出しておきます。
どう読んでいるかをいろいろと出しておきたいので。

> 義経がこつちへ漕いできたのならミナモティアとか呼ばれてたんだらうか

この一首は、連作のなかでのモチーフの展開としては、
すでに加藤治郎さんが指摘していたように、
義経の伝説みたいなところにつながると思います。
「こつち」というようなことば遣いが、
アメリカを示唆する感覚、巧いと思うし、
ミナモティアというネーミングセンスも
凝ってるもかも知れないけど軽快に感じられて快いです。
ただ、結句の十音、というか、どこか伸びきった文体の効果が、
あまりうまくいっているとは感じられなかった作品でした。
漂流している感覚に結びつけているってことかも知れませんが、
ぼくの場合、こういうのは、穂村さんのことばを借りれば、
「記憶、反芻、愛誦」にうまく結びつかないんです。
加藤さんの評価はまた違っていると思いますが。

> こめかみをぎやつと云はせて演壇に立つ朝だけはくくる蓬髪

穂村さんの引用した理由がわからなかったけど、
これはおもしろいと思った作品でした。
「こめかみをぎやつと云はせて」、
髪を束ねるときにこめかみがひっぱられる感覚ですね。
この擬人化はスタンダードな範囲のものなんでしょうが、
「米噛み(アジア的食文化)」という語源的なところにつなげ、
「あっち」の演壇に立つときの違和の感覚を複層的にたちあげた。
そのあたりのことば遊び的なセンスはとても良いと感じました。
この一首の主格は、連作全体にもうまく機能していると思います。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[231] Re[230][229][228][225][224][223][222][220][219]: [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦 加藤治郎 2002年06月25日 (火) 01時58分

「記憶、反芻、愛誦して楽しめる五七五七七」がある方がいい。それは間違いないです。



先ほどの発言に繋げていうと、まず、状況に関与できる主体は、どのような方法で創出可能かというモチーフを起点に読んでみたいと思うんです。

歌壇のテロの歌を思い浮かべてもらえればいいと思うんですが、大半は映像を中心とした情報を頼りに作歌している状況があるわけです。
曖昧で傍観的な主体ですよね、敢えて概括すれば。
大塚寅彦さんに、テロリストに成り代わった一連がありましたが。

状況に関与できる主体の創出というテーマは、前衛短歌以来いろいろ試みられてきました。
岡井隆の「ナショナリストの生誕」で代表できると思います。
状況と作家との間にインターフェースを置くという方法もあった。

この作者の場合、イメージの増殖で主体を強力にするという方法をとっている。
[UtanohaBBS 221] で見た通り、史的な源氏像の引用と、そのデフォルメという展開です。
一連、状況にコミットする、あるいは悪乗りの部分もありますが、パワフルで生き生きととした主体を享受できると思います。状況に圧迫されない。その感触に注目したいと思うんです。

で、状況の方が、すーっと消失していくんだ。系図の疾走感の方が「ここN.Y.より一寸楽しい」。


http://www.sweetswan.com/jiro/


[230] Re[229][228][225][224][223][222][220][219]: [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦 穂村弘 2002年06月25日 (火) 00時55分


荻原裕幸さん
>意味においても秀歌性においても、連作の一首が問われるとき、
>連作という「場」を付加して問う以外にはないという話です。
>岡井さんは現在もこの発展形のなかで短歌を読んでいるし、
>たぶん加藤さんもこれをベースにしているかと思います。
>ぼくがこだわりたいのもここなんです。

背景の認識にはそれほどズレはないと思いますが、あとは
加藤さんご指摘のように実際の作品評価という「現場」の問
題になりそうですね。

>連作から一首を抜き出すときの「抜き出す」は、
>そうすることはもちろん可能なんですが、でも、
>作者が付加した「場」をくっつけたまま抜き出さないと、
>批評そのものをおこないようがないという発想です。
>その上でなら、一首の秀歌性も当然問われると思います。

荻原さんと加藤さんの判断では、ここまでに引用されている
ような詞書その他との交響を含めた秀歌性が、現に「そこ」に
あるってことなんですね。
つまり秀歌が沢山集まった連作として評価し得ると。
うーん、ぼくは一首っていうのは、単純に五七五七七のこと
っていう素朴さが捨てられないですね。
記憶、反芻、愛誦して楽しめる五七五七七をこの連作のなか
からもみつけたいわけです。

 こめかみをぎやつと云はせて演壇に立つ朝だけはくくる蓬髪

なんだかパンもパスタも駄目で米の飯しか「ごはん」じゃない、
って云ってるオヤジみたいでわるいんだけど・・・・・
もうちょっと説得されたいですね。


加藤治郎さん
> やはり、この連作全体が現代短歌に投げかけているものを考えないと、当面の評価が定まらないですね。

うん、ただ読み手の定型観を問うというかそこに関わる発言を
強く引き出すっていうことは、その作品がある力をもっている証
と考えていいと思います


[229] Re[228][225][224][223][222][220][219]: [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦 加藤治郎 2002年06月24日 (月) 23時24分

そうですね。
通常であれば、連作として訴えてくるものがあり、それを凝縮するような秀歌がある状態がベスト、ということになるのですが、今ここはコンテストの場なので、お互いの価値観を示しあっているのだと思います。
ただ、すこし作品に即して話を進めた方がいいように思います。既にもう何首か読んでみましたが。


それと、もう一つ[UtanohaBBS 220] 穂村さんの「メイン・モチーフというか何を巡って書かれている世界なのかがぼくには掴みきれなかったので」というのは、手厳しい批判だと思います。
やはり、この連作全体が現代短歌に投げかけているものを考えないと、当面の評価が定まらないですね。


http://www.sweetswan.com/jiro/


[228] Re[225][224][223][222][220][219]: [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦 荻原裕幸 2002年06月24日 (月) 18時58分

>穂村弘さん

> 僕の考えを単純化すると、
> 短歌連作においては作品の連作性と独立性の両方が問われる。
> 本作の連作性については選考委員三人とも高く評価している。
> では独立した歌としての秀歌性はどうなのか。
> ということになります。

穂村さんの言ってることの内容はよくわかります。
先に書いていた「ハイパーテキスト志向が個々の秀歌性を弱める」
というのも、連作性を重視するあまりに一首の独立性が損なわれる、
というように理解したのですが、これは問題ないですよね?
ぼくがこだわるのは、この「一首の独立性」という概念の内実です。

加藤治郎さんが[226]で書いている「場」の問題というのは、
さらっと書いていますが、歴史的経緯から考えると重たい話で、
島木赤彦『歌道小見』をプロトタイプとする、
連作における一首の独立性重視に対して、
岡井隆『現代短歌入門』が真っ向から批判したことにかかわります。
「極端な話をすれば、一首の独立性など全く無視して、
 その一首だけでは、まるで解釈のつけようもないような
 三十一拍詩をたくみに混在させながら、全体の有機的関連のうちに、
 ある重要なテーマを鳴りひびかせることだって可能なのです。」
これはまさに「極端」なフレーズを引用しましたが、
意味においても秀歌性においても、連作の一首が問われるとき、
連作という「場」を付加して問う以外にはないという話です。
岡井さんは現在もこの発展形のなかで短歌を読んでいるし、
たぶん加藤さんもこれをベースにしているかと思います。
ぼくがこだわりたいのもここなんです。

連作から一首を抜き出すときの「抜き出す」は、
そうすることはもちろん可能なんですが、でも、
作者が付加した「場」をくっつけたまま抜き出さないと、
批評そのものをおこないようがないという発想です。
その上でなら、一首の秀歌性も当然問われると思います。

あまり違うこと言ってないのに、ぼくがこだわりすぎたかな?
でも、これって「一首の独立秀歌性」というのとは違うよね?

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[227] え〜と、 荻原裕幸 2002年06月24日 (月) 17時31分

ちょっと考えを整理するので、
しばしお待ちを。

http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[226] Re[225][224][223][222][220][219]: [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦 加藤治郎 2002年06月24日 (月) 17時22分

「場」(詞書・連作)について言えば、この一連は現代短歌の成果をよく踏まえていると思います。
それが有効であれば、詞書を使わない手はない。
だれがやってもうまくいくというものでもありません。

「独立した歌としての秀歌性」ということが指し示すものはよく分かります。
しかし、歌はどこまでいっても「場」から独立し得ないと思います。
究極は、一首が立つという姿でしょうが、それにしても例えば「塚本邦雄」という署名があって成り立つわけです。
署名は、もっとも強固な「場」ですよね。

ちょっと一般論になってしまいましたが。

http://www.sweetswan.com/kato/jiro.cgi


[225] Re[224][223][222][220][219]: [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦 穂村弘 2002年06月24日 (月) 17時11分

>荻原裕幸さん

> 穂村さんが言ってるのは、一首の独立性、ってやつですよね。
> 「それぞれを抜き出す」って言っても、「それぞれ」は、
> 詞書や、あるいは連作という「場」を前提にしているわけで、
> その前提を外して読むという行為の意図がわかりにくいです。

> 逆に質問してみたいのですが、
> 「そもそも短歌って「線形のテキスト」なんじゃないか」
> という疑問は、どこから出て来るのでしょうか?
> たしかに短歌の作品としての最少単位は一首なわけですから、
> その最少単位を基準に作品は考えてゆきますが、考えるとき、
> 一首に、作者側から与えられた「場」(詞書・連作)とか
> 同時代の人間として共有している情報などを加えて読みます。
> 一首は、ハイパーテキストの一部としての線形のテキスト、
> だということが、そもそも言えるんじゃないかと思うのですが……。

僕は当然のように一首は単なる歌集もしくは連作の「最少単位」
以上の重みをもつものだと思っていました。
印刷媒体以前からの歴史的経緯(?)から考えてもそう思われるし、
また「一冊の歌集のなかで秀歌が十首あれば上出来」とか「名歌を
一首残して死ねれば本望」とか、そういう言い回しはよくききます
よね。それは「歌集」や「人生」といった「場」からの屹立逸脱超
越志向みたいなものだと思います。
そういうことを全部考えに入れなくても、短歌を「記憶、反芻、愛
誦する単位」としての一首の意味は現在も生きてますよね。
「心のなかに持ち運べる呪文としての単位」みたいなことね。
だから僕はどのような連作においても一首の独立秀歌性は問われる
ものと思っていました。

ただ、上に書いたような考えの存在を荻原さんが知らないわけが
ないので、今回のやりとりにおける意識のズレを不思議に思った
んだけど。

僕の考えを単純化すると、
短歌連作においては作品の連作性と独立性の両方が問われる。
本作の連作性については選考委員三人とも高く評価している。
では独立した歌としての秀歌性はどうなのか。
ということになります。



[224] Re[223][222][220][219]: [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦 荻原裕幸 2002年06月24日 (月) 04時45分

>穂村弘さん

> ただ一方で、そもそも短歌って「線形のテキスト」なんじゃないか、
> という疑問が出てきますよね。
> 「連作」っていう概念自体が、既にそこから離脱する第一歩かもしれないけど・・・・。
> この連作におけるハイパーテキスト志向が個々の秀歌性を弱めてはいないでしょうか。

> お二人が引用されている歌も「鬱蒼とした情報の密林みたいな一連」から
> それぞれを抜き出すと、従来的な観点からは詩的強度の点で
> どうも心許ないように思えるのですが、いかがでしょうか。

これ、議論がものすごくむずかしそうですが、う〜ん、つまり、
穂村さんが言ってるのは、一首の独立性、ってやつですよね。
「それぞれを抜き出す」って言っても、「それぞれ」は、
詞書や、あるいは連作という「場」を前提にしているわけで、
その前提を外して読むという行為の意図がわかりにくいです。
抜き出しても、結局は、連作という「場」に戻して読むので、
連作がまるごと良くないという話ならそれはわかるのですが、
抜き出すと詩的強度が心許なくなる、とは考えにくいです。

逆に質問してみたいのですが、
「そもそも短歌って「線形のテキスト」なんじゃないか」
という疑問は、どこから出て来るのでしょうか?
たしかに短歌の作品としての最少単位は一首なわけですから、
その最少単位を基準に作品は考えてゆきますが、考えるとき、
一首に、作者側から与えられた「場」(詞書・連作)とか
同時代の人間として共有している情報などを加えて読みます。
一首は、ハイパーテキストの一部としての線形のテキスト、
だということが、そもそも言えるんじゃないかと思うのですが……。

> 陰暦なら何の語呂にもならぬ日に大事なビルをこつぱみじんに
> 牛は死にますか牛車は死にますかせめてあの大臣はどうですか

自分で引用したこれらの作品、敢えて、それぞれを抜き出して、
損なわれるものを推測すると、たぶんそれは「文脈の一部」です。
アメリカでのテロと報復感が高まってゆく背景が完全に見えないと、
これらの作品の十全なおもしろさは損なわれるかも知れません。
でも、そういう読み方って、すでに「場」が提示されているからには、
現実には選択しないような気がするのですけど。どうでしょう?

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[223] Re[222][220][219]: [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦 穂村弘 2002年06月24日 (月) 03時02分

> はじめのコメントで加藤さんが「ハイパーテキスト」
> という表現をしていましたが、まさにそのとおりで、
> 単に「本歌取り」的な背景の拡大・展開だけではなく、
> 歴史・文学といった重厚な背景を抱えているかと思えば、
> 同時にサブカルチャー的な俗っぽい背景もひきずる。
> そういうハイパーテキスト=線形でないテキスト志向の、
> 現在における一つの達成、と言うこともできそうです。

なるほど、よくわかりました。
連作としての情報量とその交響という角度からは、その通りだと思います。
画期的といってもいいかもしれませんね。
ただ一方で、そもそも短歌って「線形のテキスト」なんじゃないか、という疑問
が出てきますよね。
「連作」っていう概念自体が、既にそこから離脱する第一歩かもしれないけど・・・・。
この連作におけるハイパーテキスト志向が個々の秀歌性を弱めてはいないでしょうか。

陰暦なら何の語呂にもならぬ日に大事なビルをこつぱみじんに

義経がこつちへ漕いできたのならミナモティアとか呼ばれてたんだらうか

この世をば逃がしちやならずアクセルを踏めば隼人のうそぶきに似る

牛は死にますか牛車は死にますかせめてあの大臣はどうですか

停車場の人ごみの中へこつそりと喜びにゆくNASAのしくぢり

液化したピアノをぶうと噴き上げてこの謎彦(ミナモト)の妻になつちやう

お二人が引用されている歌も「鬱蒼とした情報の密林みたいな一連」からそれぞれを抜き出すと、従来的な観点からは詩的強度の点でどうも心許ないように思えるのですが、いかがでしょうか。



[222] Re[220][219]: [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦 荻原裕幸 2002年06月24日 (月) 02時18分

>穂村弘さん

> タイトルの「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 って、
> 「源へ還れ」っていうような意味なんでしょうか。
>
> それは「源氏」と「日本人の魂の源」みたいなことをかけてるのかな。
>
> <私>はニューヨーク在住で何かの研究をしている?
>
> その立場で「外国人女性との恋愛」「研究の現場での文化差」から「テロ」に至る
> 東西のギャップを痛感しているというような印象をもったのですが・・・
>
> そこを起点にした批評意識によって作品を展開しているということでいいのかな。

加藤治郎さんが、すでに深いところまで書いていますが、
表だった枠組みとしてはそういう感じであろうかと思います。
「学友」「演壇に立つ」だから研究者として留学しているのかな。
「わたくし」の現実的行動における枠組みのシンプルさが、
この鬱蒼とした情報の密林みたいな一連を支えていますよね。

はじめのコメントで加藤さんが「ハイパーテキスト」
という表現をしていましたが、まさにそのとおりで、
単に「本歌取り」的な背景の拡大・展開だけではなく、
歴史・文学といった重厚な背景を抱えているかと思えば、
同時にサブカルチャー的な俗っぽい背景もひきずる。
そういうハイパーテキスト=線形でないテキスト志向の、
現在における一つの達成、と言うこともできそうです。



ちなみに、詞書的/付加的部分だったので、
はじめのコメントでは触れませんでしたが、
沢田研二の「TOKIO」(糸井重里の作詞だったかな?)、
の替え歌にこめられたウィットやら悪意やらも面白かったです。

>     空を飛ぶ まろが飛ぶ 雲をつきぬけ正一位
>     火を噴いて 闇を裂き スーパー貴族に成りあがる
>     O-TO-DO! OTODOがMIKADOを抱いたまま
>     O-TO-DO! OTENMONで待つ
>   これは戦争である。
>
> 牛は死にますか牛車は死にますかせめてあの大臣はどうですか

現在の、皇室と内閣の在り方を、
「OTODOがMIKADOを抱いたまま」
といったフレーズ等で諷するところ、凄いと思いました。
平安やら江戸やらが同時に浮かびあがったりもします。
はまりすぎるくらいにはまっている上、ほんとに唄える(笑)。
しゃれにならないものをしゃれにしてしまう力に感心します。
こういうのは「遊びごころ」程度では絶対に書けませんね。

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[221] Re[220][219]: [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦 加藤治郎 2002年06月23日 (日) 22時28分

そうですね。
日本史上の源氏の像というかエッセンスをどの部分まで取り込んで、どこからが作者の自己増殖的なイメージかということを見ればよいと思います。

起源は、嵯峨天皇の皇子・皇女が賜ったもので、みな一字名です。
系図を引用した歌ですね。

あと、史的な源氏の引用としては、


 源融をあはく保存する、月に刻印されたディスク……天はぼくを選んだ。

この世をば逃がしちやならずアクセルを踏めば隼人のうそぶきに似る

*ルビ:源融=みなもとのとほる

詞書の箇所、嵯峨源氏の融の後裔が栄えたということですが、ここで源氏と作中の主人公との交錯があったのだと思います。
詞書ですが、仏足石歌体と読めますね。
 みなもとの・とほるをあはく・ほぞんする・つきにこくいん・されたでぃすく・てんはぼくをえらんだ

源融を保存するというのは、まず、PCのディスクをイメージできます。
「月に刻印されたディスク」は、ちょっと正確じゃないかな。
月に刻印された文字、が普通だと思うが、作品通り読むと、月にディスクの像が刻印されたということになります。
源融を保存したディスクが、このあたりSF感覚ですが、月に刻印される。
そのとき、天啓といいますか、「天はぼくを選んだ」
天が、現代の源氏として、主人公であるぼくを選んだ、と解釈しました。

で、覚醒した主人公が「この世をば逃がしちやならず」と叫ぶ。
この、テロ以降の現代と切り結ぶ決意ですね。
でアクセルを踏む。ここで、隼人、大和に反抗した人々が出てくるのは、唐突な感じがしましたが、そういう決意も反主流に属するのだということを言いたいのでしょう。

ほかに史的な源氏の引用としては、

 The United States of...
義経がこつちへ漕いできたのならミナモティアとか呼ばれてたんだらうか

義経が各所に漂着して生き延びたという伝説がありますね。
で、もしアメリカ大陸に来たらと空想しているわけです。
ミナモティアとか軽いセンスですが、<源氏>と現在の事件との接点として提示されています。


およそこんなところで、あとは、自己増殖的な、デフォルメされた源氏のイメージと言ってよいと思います。

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[220] Re[219]: [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦 穂村弘 2002年06月23日 (日) 14時21分

> [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦
>
> 荻原さんと加藤が選んでいます。
>
> えー、まず、穂村さん、いかがでしょうか。


これは僕も無理してでも選びたかったんだけど、書かれていることが半分もわからなかったので、自信がなくて選べせんでした。

細部の引用などはわからなくてもとれるんだけど、メイン・モチーフというか何を巡って書かれている世界なのかがぼくには掴みきれなかったので。

タイトルの「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 って、「源へ還れ」っていうような意味なんでしょうか。

それは「源氏」と「日本人の魂の源」みたいなことをかけてるのかな。

<私>はニューヨーク在住で何かの研究をしている?

その立場で「外国人女性との恋愛」「研究の現場での文化差」から「テロ」に至る東西のギャップを痛感しているというような印象をもったのですが・・・

そこを起点にした批評意識によって作品を展開しているということでいいのかな。





[219] [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦 加藤治郎 2002年06月23日 (日) 11時05分

では、次の候補作です。

[ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦

荻原さんと加藤が選んでいます。

えー、まず、穂村さん、いかがでしょうか。

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[218] Re[217][216][215][214]: [ID 25]「走ってもまだ掴めない」 平山絢子 加藤治郎 2002年06月22日 (土) 21時40分

口語短歌ということでは、水準作だと思います。
ポイントは、穂村さんの言うとおり、句跨りの屈折感が一つありますね。
それから、口語短歌でもうひとつ重要なのは、結句のバリエーションです。
先にあげた歌と一部重複しますが、

 君の好きなビーチの側で不倫した男がガス栓抜いたんだって
 20ドル札が濡れててバス停に貼りついているここを逃げなきゃ
 南半球にいるから太陽は東の方へ沈むはず でも
 信号の青の短さ日本からずっと下へと来てしまったの
 溶けてゆくアイスクリーム舐めたってどうせ私は汚れるんでしょ

あたりの結句の多彩さは、評価できますね。
新生面を開いたとまではいきませんが、現代短歌のレベルだと思います。

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[217] Re[216][215][214]: [ID 25]「走ってもまだ掴めない」 平山絢子 荻原裕幸 2002年06月22日 (土) 19時50分

> 赤道に近付いてゆくバスの中寝違えた首支えあってた

この歌、ほんとの赤道の近くではなく、
南半球に行ったから「赤道」という意識が出た、
長時間のフライトの飛行機のなかで寝違えて、
空港からのバスに乗ったところかと思ってました。
謎かけのように、「50セント」「20ドル札」「南半球」
「日本からずっと下」「熱帯」「ティーが通じない」とある。
それで、一首目・二首目以外の一連全体の「舞台」に
オーストラリア(の北部)を想定して読んだのでした。
「事実はいろいろでいいのですが、一連の構成として、
 舞台の切り替えや、主人公の像をクリアにした方がいい」
という指摘、たしかにその通りじゃないかと思います。

> 苦しげな太陽があるこれからのことを言おうとしている真昼

二句切れ、七七における句またがり、体言止め、
よく考えてみると、塚本邦雄みたいなリズムになってますね。
気づいて、ちょっと、びっくり。

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[216] Re[215][214]: [ID 25]「走ってもまだ掴めない」 平山絢子 穂村弘 2002年06月22日 (土) 16時36分

ティーが通/じない私は/ただティーが/飲みたいのです/ティーがワン・ティーが

という切れの力について先日書きましたが、

他にも、

 砂浜に吸い取られてく汗を見てマックで二杯目のスプライト

 苦しげな太陽があるこれからのことを言おうとしている真昼

 着陸を試みている飛行機をバックにとめどないキスがある

例えばこれらの下句、

「マックで二杯/目のスプライト」

「ことを言おうと/している真昼」

「バックにとめど/ないキスがある」

という、句にまたがった言葉の処理ができている。

あるいは、

 君が愛してくれるから私でもアタシデモまだ生きると思う

の「君が愛/してくれるから」

とかね。

これはプラス・ポイントだと思います。
口語短歌の場合、これが意識できていないと結果的に『サラダ記念日』以前に戻ってしまうことになってまずいと思います。

荻原さんの以下の指摘とも拘わってくるんじゃないかな。

> あと、声に出して読みたくなる度が高かったです。
> 朗読にとても向いているのではないかと思いました。


[215] Re[214]: [ID 25]「走ってもまだ掴めない」 平山絢子 加藤治郎 2002年06月22日 (土) 12時51分


> 「ティーが通じない」のは、現実的には、
> オーストラリア系の英語ということじゃないでしょうか。
> 訛りと言うか、母音が違う音に聞こえたりするらしいです。
> 含意されているものはいろいろ他にもありそうですが。

なるほど、そういうことですか!

オーストラリア系の英語圏がどの範囲なのか、ちょっと分かりませんが…。
もうすこし、地域性というか場所を示した方がいいですよね。
まあ、それを想像する楽しさはあるともいえますが。

 赤道に近付いてゆくバスの中寝違えた首支えあってた

船や飛行機じゃなくて、バスというところにある種のローカル性が滲んでいて面白いです。
地域的にも限定されてきますよね。インドネシアあたりを想像しました。
で、その後、飛行機に乗っているようなので、別の場所に移動したのかな。
こんどは「南半球」「日本からずっと下へ」がヒントになります。
確かにオーストラリアも入ってきますね。

事実はいろいろでいいのですが、一連の構成として、舞台の切り替えや、主人公の像をクリアにした方がいいというのは、先ほど申し上げたとおりです。
単にあちこち行きましたということなのかな。舞台の切り替えがこの一連でどういう意味を持つんだろ。滞在者の哀しみという感じではないですね。

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[214] [ID 25]「走ってもまだ掴めない」 平山絢子 荻原裕幸 2002年06月22日 (土) 01時51分

平山絢子さん、「走ってもまだ掴めない」 。
リリシズムに流されているところがかなりあって、
候補の一歩手前にとどめてしまいましたが、
一連の雰囲気、とても好きでした。
○を付けた作品は以下の通りです。

 書き終えたラブレターにはあさっての下着の色も腰の具合も
 柄の折れた傘が転がる海岸を包む熱風どうか許して
 走ってもまだ掴めない君の手に青い貝がら刺さったまんま
 着陸を試みている飛行機をバックにとめどないキスがある
 20ドル札が濡れててバス停に貼りついているここを逃げなきゃ
 ティーが通じない私はただティーが飲みたいのですティーがワン・ティーが

「20ドル札」と「ワン・ティー」の持っている、
得体の知れない切迫感は特に良いですね。
加藤治郎さんがすこしふれていたけど、
「ティーが通じない」のは、現実的には、
オーストラリア系の英語ということじゃないでしょうか。
訛りと言うか、母音が違う音に聞こえたりするらしいです。
含意されているものはいろいろ他にもありそうですが。

あと、声に出して読みたくなる度が高かったです。
朗読にとても向いているのではないかと思いました。
二句切れとか、はっきり切れてはいなくても、
二句で一息おくようなリズムが印象的で快かったです。

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[213] [ID 25]「走ってもまだ掴めない」 平山 絢子 加藤治郎 2002年06月21日 (金) 23時48分

では、先に進みたいと思います。

[ID 25]「走ってもまだ掴めない」 平山 絢子

穂村さんが選んでいます。

*

ぼくが選んだのはこんな歌です。

 柄の折れた傘が転がる海岸を包む熱風どうか許して

 走ってもまだ掴めない君の手に青い貝がら刺さったまんま

 溶けてゆくアイスクリーム舐めたってどうせ私は汚れるんでしょ

 ティーが通じない私はただティーが飲みたいのですティーがワン・ティーが

穂村さんの選評通り、ティーの歌は目立っていましたね。
アップテンポで来て、最後の「ワン・ティー」の断片は、確かに煌めいています。
ティーという英語が通じない状況というのは、今ひとつイメージしにくいかな。

赤道に近いリゾート地での恋ですね。
「青い貝がら刺さったまんま」なんか風変わりな感覚です。

 信号の青の短さ日本からずっと下へと来てしまったの

一首置いて

 スクランブルエッグをはるかニッポンの刺身醤油で食べる年越し

という歌があります。南半球だから「年越し」なんだ。
ここで「日本」から「ニッポン」へ、意識の転換があるんですね。
日本が急に遠ざかってゆく感覚だと思います。
面白いですが、もうすこしこの転換に拘ってもよかった。
先に、リゾート地での恋って書いたんだけど、主人公は、旅行者なのか。
生活感が稀薄なので、リゾートという感じになってしまいます。
どんな状況で、この異国にいるのか、読者に提示されるとよかったんじゃないかな。
具体的に国名を出してもいいと思う。

そのあたり、まだ読者に対する意識が弱いように思いました。

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[212] Re[211][210][209][208][207][206][205][202][201][200]: [ID 20] 「蝦の味」 廣西 昌也 加藤治郎 2002年06月21日 (金) 16時00分

荻原さんの問題提起した表記への厳密さ、批評として大切ですね。
「許容」と「疑問」、同感です。


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[211] Re[210][209][208][207][206][205][202][201][200]: [ID 20] 「蝦の味」 廣西 昌也 荻原裕幸 2002年06月21日 (金) 15時55分

加藤治郎さんのコメントで、
アプローチの道筋が見えて良かったです。
ぼくとしては、面白い世界が見えかかっているのに、
いくつかの「つまづき」からそこに踏みこめないため、
その説明だけはきちんとしておきたいなという感覚です。
「許容」と「疑問」のボーダーってなかなか難しいですね。

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[210] Re[209][208][207][206][205][202][201][200]: [ID 20] 「蝦の味」 廣西 昌也 加藤治郎 2002年06月21日 (金) 13時19分

最後の一首、

ビデオ「過去」ついコマ送りしてしまふ鬱のモードでいつも見てゐる

が自注っぽいですね。

一連の漢字表記には、メランコリックなマニア性を感じます。
方法意識とは違うのでしょう。
全体の力を削いでいるようには思わなかったので、受容しました。

文体と意識の関係は、どうでしょう。

あれは一種の僕なのでせう、は独白と読めるし、

「襲われて突きに突かれて死にませう」鳥凄まじき樹の下に逢ふ

は、逢うということで、他者の存在が暗示されていますね。
「」と会話形にすることに関して違和感はなかったです。
たしかに一連、渾然とした印象はありますが、許容できる範囲と読みました。



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[209] Re[208][207][206][205][202][201][200]: [ID 20] 「蝦の味」 廣西 昌也 荻原裕幸 2002年06月21日 (金) 04時00分

>加藤治郎さん

> 奇妙な感覚に到るノスタルジー、その歪んだ感じ、
> 魔術的な印象に、奉仕していると思います。

そうですか。
イメージの形成に一役買っている、とは思うのですが、
ぼく感覚のなかで、ある臨界点を超えてしまっていて、
あるいはそのために、「方法」ではなく、
「作業」に見えてしまうのかも知れませんね。

>  「君は舌てふ生物を飼ひてをり」「もつとゐるかもしれなくつてよ」
>
> この一首については、対話のシーンとして「」は邪魔にならないし、
> 文語=夫、口語=妻という文体と意識の貼りつき方は、
> むしろオーソドックスだと思います。

文語=夫・口語=妻、については、
あるいはこの一連全体がそうなのかも知れない。

 「初夜ふたりキャラメル食ひき」不味さうに蛸噛みつづけ妻眞顔なり

なんかも、「 」はどちらの発語ともとれるのに、
文語体になっているので、夫の発語、というのが、
作者の側の提示している「約束」なのかな、
と思いながら読んでいました。ただ、

 教室に迷ひ込みたる蝶ありきあれは一種の僕なのでせう
 「襲わ(ママ)れて突きに突かれて死にませう」鳥凄まじき樹の下に逢ふ
 「したい」つて言つたつけ、ねえ雨引きのお山に沈む赤い三日月

の、一首目の地の文体と二首目の「 」内の等質な感じ、
三首目の、「 」内と外との自然に溶けあった感じ、
こういうところを読んでいてわからなくなったのです。
「 」内で文語・口語を混交/識別している意識と
地の文体で文語・口語を混交/識別している意識とが、
渾然としていて、「発語者は結局一人しかいない」「自己対話」
という印象も同時に強くなってしまいました。
しかし、加藤さんはオーソドックスと言うし……、
これはもしかして読みの入射角の問題なのかな。
一度頭を白紙にして、読みなおしておきますね。

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[208] Re[207][206][205][202][201][200]: [ID 20] 「蝦の味」 廣西 昌也 加藤治郎 2002年06月21日 (金) 03時13分

> ここまで来ると、ことばにこだわる、と言う感じが薄く、
> 単なる「機械的な変換作業」に見えてしまったんですよ。
> むろんこの作業は、大きな「力量」を要することですが、
> 作品の表現に順接する構想というものが見えないのです。
> このあたり、つまづかずに読めましたか?

そうですね。
この表記、「作品の表現に順接する構想」としては、先ほど言った、
奇妙な感覚に到るノスタルジー、その歪んだ感じ、魔術的な印象に、奉仕していると思います。方法として加点はしませんが、つまづきはしなかったです。


> 一連では、口語も文語も区別することなく、
> 直接話法的に表記されていて、中には、
>
>  「君は舌てふ生物を飼ひてをり」「もつとゐるかもしれなくつてよ」
>
> という作品もあって、文体の「水位」のようなもの、
> 読者に何かをさしだそうとするときの意識の「水位」が、
> 単に不安定なものにうつるんですよ。


 「君は舌てふ生物を飼ひてをり」「もつとゐるかもしれなくつてよ」

この一首については、対話のシーンとして「」は邪魔にならないし、文語=夫、口語=妻という文体と意識の貼りつき方は、むしろオーソドックスだと思います。

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[207] Re[206][205][202][201][200]: [ID 20] 「蝦の味」 廣西 昌也 荻原裕幸 2002年06月21日 (金) 01時45分

では、まず、二点書いてみます。

廣西さんは、擬古的な表記・文体を多用されていますが、
これが活きていないと感じられる部分がいくつかあって、
それが、読むとき、かなり大きな「つまづき」になりました。
たとえば、

 思春朞の記憶明るきところにて息吐くやうに散る櫻あり
 「ハナモゲラ語の練習」が小學館「小學二年生」の記亊としてありき
 みはるかす菜の花の咲く地平など人の死ののちあつたつて譱い

の「朞」「亊」「譱」。当用・常用漢字をきらって
正字体にこだわる、というのなら理解できるんですが、
これらはある意味で「正字」という枠も超えています。
同字、俗字、古字など、いわゆる異体字の域ですね。
もとより「事」「善」等は、それがそのまま「正字」です。
ここまで来ると、ことばにこだわる、と言う感じが薄く、
単なる「機械的な変換作業」に見えてしまったんですよ。
むろんこの作業は、大きな「力量」を要することですが、
作品の表現に順接する構想というものが見えないのです。
このあたり、つまづかずに読めましたか?



それから、直接話法の表記。

 「初夜ふたりキャラメル食ひき」不味さうに蛸噛みつづけ妻眞顔なり

こういう具合に、文語が直接話法的に書かれるのは、
構わないし、と言うか、ある意味で伝統的でもあるし、
この擬古的な感じに面白さがあると思うのですが、
一連では、口語も文語も区別することなく、
直接話法的に表記されていて、中には、

 「君は舌てふ生物を飼ひてをり」「もつとゐるかもしれなくつてよ」

という作品もあって、文体の「水位」のようなもの、
読者に何かをさしだそうとするときの意識の「水位」が、
単に不安定なものにうつるんですよ。もちろん、
こうした手法の構想がはっきり掴めさえすれば、
面白く読めるのかも知れませんが……。

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[206] Re[205][202][201][200]: [ID 20] 「蝦の味」 廣西 昌也 加藤治郎 2002年06月21日 (金) 01時31分

ええ、もちろん、どうぞ。聞いてみたいです。

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[205] Re[202][201][200]: [ID 20] 「蝦の味」 廣西 昌也 荻原裕幸 2002年06月21日 (金) 00時52分

>加藤治郎さん

> 寸評で高打率と言いましたが、一首、一首、隙がない。
> 定型の容器に、たっぷり水が入っているという印象です。
> かなりの力量と思います。

あまりネガティブな意見を出すのもどうかと思いますが、
しかし、ぼくは、廣西昌也さんの「力量」については、
信頼6割と疑問4割、くらいの印象があるんですよ。
疑問については、かなり細かい話になるんですが、
指摘・確認しても構いませんでしょうか?

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[204] Re[202][201][200]: [ID 20] 「蝦の味」 廣西 昌也 穂村弘 2002年06月21日 (金) 00時29分

>  くちづけに蝦の味せる現實の不均衡感知りし日ありき
>
> これ、ちょっと並の感性じゃないと思います。
> 呪われたというか、ある種、サタニックな感じさえします。

ぼくも上句の把握は驚異的だと思いました。
下句の回収は悪くないけど、上が良すぎるのでちょっともったいないかな。

他にいいと思ったのは、

かばんてふ闇より君が取り出せる6Pチーズ僕に食へと言ふ

支度するしばしの無口くらやみに下着を廻す音のするどき

「下着」はブラジャーでしょうか。
「廻す音」というとらえ方にうたれました。
いずれも「蝦の味」同様に微細さの把握に凄みを感じます。
この作者には世界の微細な狂いのようなものを感知する力があって、
それが加藤さんのいう「サタニックな感じ」に繋がるんでしょうね。
「かばんてふ闇より」辺りは意識的な修辞のレベルだけど
「6Pチーズ」に変な力があって、そのせいで「食へと言ふ」が
とても怖くなっていますね。


[203] 蝦もいやだけど、 加藤治郎 2002年06月20日 (木) 23時37分

たこ焼きの味っていうのもあったなあ。

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[202] Re[201][200]: [ID 20] 「蝦の味」 廣西 昌也 加藤治郎 2002年06月20日 (木) 23時35分

なにか嵌ったというか波長が合ったんです。
ノスタルジーって甘美な方向に流れていきますよね、普通は。
この作者の場合、なにかこう、気妙な感覚に到ります。
表題作の

 くちづけに蝦の味せる現實の不均衡感知りし日ありき

これ、ちょっと並の感性じゃないと思います。
呪われたというか、ある種、サタニックな感じさえします。
で、感覚で流さないですね。下句で思考の側に回収するわけです。
それは定型が、そう促しているのだともいえる。

構成面では、対になっている歌が目立ちますね。

 食ふ、喋る、切手を濡らすことのみと思ひて来しが舌恐るべし
「君は舌てふ生物を飼ひてをり」「もつとゐるかもしれなくつてよ」

という具合に。
こういうところからも、独特の濃さ、粘着性が出ていて、一連、緊密に仕上がっている。
この二首、まず、読者に舌のイメージを投げつけている。
どんな舌だろうと読み手を刺激しますね。
そう投げておいて、ふっと今度は作中の、たぶん妻ですね、他者に向けるあたりの呼吸、巧いと思いました。

寸評で高打率と言いましたが、一首、一首、隙がない。
定型の容器に、たっぷり水が入っているという印象です。
かなりの力量と思います。

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[201] Re[200]: [ID 20] 「蝦の味」 廣西 昌也 荻原裕幸 2002年06月20日 (木) 06時07分

廣西昌也さん、「蝦の味」。
すべてが「過去」へのこだわりで成り立っていて、
一連をつらぬくその徹底ぶりを面白く読みました。
ノスタルジア的感覚を引き出すのもうまいですね。
擬古的な表記・文体の多用も「過去」にかかわるのかな。

 櫻一樹ホームのはじに光孕む過去それぞれに驛ひとつあれ
 熊蝉を屆けて呉れし叔父がゐて水蟲臭き伯父もゐた夏
 遠足の列蛇行してやや亂れ峠を越えて戰地こそ見ゆれ
 かばんてふ闇より君が取り出せる6Pチーズ僕に食へと言ふ
 食ふ、喋る、切手を濡らすことのみと思ひて来しが舌恐るべし

○を付けたのは以上の作品です。
文語、と言うか、全体をつらぬく擬古的な印象に
どこか違和感もありますが、これらは良いと思いました。

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[200] [ID 20] 「蝦の味」 廣西 昌也 加藤治郎 2002年06月20日 (木) 02時07分

今年も空梅雨のようです。
地球温暖化も怖ろし。

さて、[ID 20] 「蝦の味」廣西 昌也

加藤が選出ということで、まず、荻原さん、穂村さん、お願いします。

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[199] Re[198]: コメント 加藤治郎 2002年06月20日 (木) 01時39分

どうもありがとうございます。

長距離評という感じがしてきました。ふっ、はっ、ふっ、はっ。

では、先に進みましょうか。

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[198] コメント 梁木 博史 2002年06月20日 (木) 00時24分

このディスカッションいいですね。
というか、この形式がいいですね。
リアルタイムで候補作が講評されていくかんじ、楽しく読ませてもらってます。

私が個人的にすごくいいなぁと、思って読ませてもらった澁谷 聰介さんの「かわいいから免責」なんかも、
穂村さん、加藤さん、荻原さんの読んだかんじがのぞけたようでちょっと得した気分だったりします。

これからのディスカッションにも注目してます。


[197] Re[195][192][191][189]: [ID 18] 「かわいいから免責」 澁谷 聰介 穂村弘 2002年06月20日 (木) 00時10分

> > 君の名がつくバス停を抱きかかえ事情聴取を受ける七月
>
> などで見せる「警察」への可も不可もない視線、
> あと、カフカの『審判』『変身』などを、
> さらっと素材として扱っているところ、
> そういったニュートラルな感触も、
> この一連の味だと感じています。

ぼくは一首選ぶならこの歌です。
辛うじて現実にあり得る線を描きつつ、その全体が恋のメタファーとして読める。
当の相手(?)が「バス停」であることで、非常に純化された片思いに感じられますね。
現実のラインに戻して読むと、例えば「君」の死後、悲しみに狂った<私>の行為とか。


[196] Re[195][192][191][189]: [ID 18] 「かわいいから免責」 澁谷 聰介 加藤治郎 2002年06月19日 (水) 20時21分

> > ジョン・レノン似の人妻にキスすると胴上げされる条例採択

ぼくも最初、こんな馬鹿げた条例を採択する行政、という感じで読んだけど、これ、案外、ジョン・レノン 〜 ジョウレイ、と音を響かせる意識で導いたんじゃないかな。

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[195] Re[192][191][189]: [ID 18] 「かわいいから免責」 澁谷 聰介 荻原裕幸 2002年06月19日 (水) 19時18分

> ジョン・レノン似の人妻にキスすると胴上げされる条例採択

ぼくは、この歌は、どちらかと言うと、
他とはなんだか違い、現実に直に口をはさむ、
という印象をうけてしまったので、
読んでいて○を付けなかった作品です。
「条例」って、地方自治体のきまり、ですよね?
どこか地方行政への揶揄・不満みたいな匂いがしました。
その是非はむずかしいところもありますが、
「条約」っていうところまでしっかりドライブした方が、
一連の流れにきちんとそっているような気が……。

> 君の名がつくバス停を抱きかかえ事情聴取を受ける七月

などで見せる「警察」への可も不可もない視線、
あと、カフカの『審判』『変身』などを、
さらっと素材として扱っているところ、
そういったニュートラルな感触も、
この一連の味だと感じています。
ことばに直に現実感をもたせない方がリアル、
という場合もあって、澁谷さんの一連は、
まさにその場合なのではないかと思います。

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[194] Re[193][190][189]: [ID 18] 「かわいいから免責」 澁谷 聰介 加藤治郎 2002年06月19日 (水) 18時17分

踏襲ということ、いいですね。
0から始まるわけではない。

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[193] Re[190][189]: [ID 18] 「かわいいから免責」 澁谷 聰介 荻原裕幸 2002年06月19日 (水) 18時13分

穂村弘『シンジケート』の世界って、
コミュニケーションのユートピアなんですね。
「スヌーピーとウッドストック」の世界なんです。
三コマとか四コマの、時間が「点」である感覚。
澁谷聰介さんの一連、この感覚が、
うまく踏襲されていたと思います。
この「踏襲」については、オリジナル云々を超えて、
とても良いものだと感じています。

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[192] Re[191][189]: [ID 18] 「かわいいから免責」 澁谷 聰介 加藤治郎 2002年06月19日 (水) 18時06分

ジョン・レノン似の人妻にキスすると胴上げされる条例採択

この転換の素早さからくるドライブ感、いい意味で短歌的だと思います。
1、2、3、4…と行くんじゃなくて、1、3、50、1000と跳んでも、この詩型は持ちこたえるんだ。

オリジナリティーということ、なかなか難しいですね。
暴力性を内包した抒情性という方向に、この作者の良さというか可能性を感じます。
そういう意味合いで

「枯木」から「金曜の犬」しりとりはつづき祈りに変わるのを待つ

がベストじゃないかと思います。

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[191] Re[189]: [ID 18] 「かわいいから免責」 澁谷 聰介 穂村弘 2002年06月19日 (水) 17時49分


人、モノ、動物、植物、文学、物理法則といったカテゴリーを破壊混乱させるような

キマイラ的な作品世界が面白かったです。

例えば、

 君の名がつくバス停を抱きかかえ事情聴取を受ける七月

流れている感覚の甘さと異化の鋭さの両立に惹かれました。

また、

 ジョン・レノン似の人妻にキスすると胴上げされる条例採択

加藤さん御指摘のように結句の転換がいいですね。

「ジョン・レノン似の人妻」がキマイラ的存在であることに加えて

この結句で一首の文体そのものがキマイラ化しているようです。

さらにオリジナルな要素として荻原さんがお書きのように

物理数学幾何学的な概念の導入にも新鮮さを感じたけど、

それが語彙の導入というレベルを超えて有機的に機能して

いたらさらによかったと思います。



[190] Re[189]: [ID 18] 「かわいいから免責」 澁谷 聰介 荻原裕幸 2002年06月19日 (水) 17時11分

澁谷聰介さん「かわいいから免責」。
候補に選ぼうかどうか迷った作品でした。
いわゆる「○を付けた歌」は以下の通りです。

 君の名がつくバス停を抱きかかえ事情聴取を受ける七月
 「枯木」から「金曜の犬」しりとりはつづき祈りに変わるのを待つ
 「平行」の定義が確定するまではお風呂の中で数を数えて
 数字的根拠を言えと言うのならブルース・リー8マラドーナ10
 「嘘でしょうあなたのサイフよく振ると濡れた子犬の臭いがするの」

加藤治郎さんが「『シンジケート』以降の文体をうまく吸収」
と指摘していますが、よく似たことを感じながら読みました。
短歌的で小器用なまとめをしていないので、私的な感性が、
うまく個々の作品のなかで活かされていると思います。

最終的に候補に選びきれなかった理由は、
『シンジケート』以降、ではなく、
『シンジケート』的だったことでした。
澁谷さんオリジナルの世界が展開されそうな予感があるのに、
まだそこがうまく表にあらわれて来ていないように思いました。

 量子的視野では触れてる唇も確率的なことしか言えない
 半分の確率の上に想定されてシュレディンガーの猫はうたた寝
 仮定しよう際限のない加速度運動・・かいだことない匂いがしてます

こうした素材を扱った歌が、他と同様に「こなれた」感じで書ければ、
澁谷さんの独特の世界がはっきり出るのではないでしょうか。
数学的/物理的な概念は、なかなか短歌になじませにくいものですが、
澁谷さんの作品にはそれを実現してくれそうな期待を持ちたくなります。

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[189] [ID 18] 「かわいいから免責」 澁谷 聰介 加藤治郎 2002年06月19日 (水) 12時48分

では、先に進みたいと思います。

[ID 18] 「かわいいから免責」 澁谷 聰介

加藤が選出しています。

まず、荻原さん、穂村さん、コメントありましたらお願いいたします。

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[188] 進行 加藤治郎 2002年06月19日 (水) 12時45分

いろいろ、言い足りないことなどあるかと思います。
一応、前半の6篇を終えたところで、いちど時間を設けたいと思いますので、なにかありましたら、そのタイミングでお願いいたします。

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[187] [ID 5] 「はるのまゆ」 松木秀 より 加藤治郎 2002年06月19日 (水) 01時27分


 煙突の中のけむりはただ空を信じてのぼり、出て、うなだれる

煙突のけむり、ではなく「煙突の中のけむり」ですね。
闇黒の通路が見えるような気がします。
下句、破格の動詞の使い方ですが、言葉の呼吸が巧いので、読ませますね。
こういう無力なものへの視線は優しい。「うなだれる」に共感します。


 ここはそもアイヌ人墓地 千光寺千の光を浴びつつ翳る

アイヌ人墓地を押しやって、千光寺が建立されたという背景を想像させます。
重い内容を負うわけです。
先に引いた
 
 ほぼ毎日の定例なれど千光寺より出棺のクラクション鳴る

にも影を落としますね。

光と翳というモチーフも一連を貫いているように思いました。



では、会場のみなさんからも、コメントがありましたら、どうぞ。

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[186] 荻原さんの日記で慰霊碑の 加藤治郎 2002年06月19日 (水) 00時39分

存在を知りましたが、
http://www.aa.aeonnet.ne.jp/~kyo/page/Beran/u.epi_Frame-html.html
驚きました。

およそ起こりそうなことは、事前に考えたのですが、これも全く予期しなかった。

さて、もうしばらく松木さんの作品、読んでみましょう。

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[185] Re[177]: 謎彦さんて 謎彦 2002年06月18日 (火) 22時31分

 # ご討論の時間的途切れを見計らって、
 # 関係ない書き込みで失礼いたします。

辰巳様

 初めまして、謎彦と申します。この度はメッセージを賜りまして、誠に光栄に存じております。

 講談社学術文庫の『現代の短歌』で拝見して以来(衝撃的な大トリでした)、辰巳様のお書きになるものを目にするたび、読者である私自身もまた「くるしむみづ」と化するのを覚えて参りました。

> 応募作はどうか、わかりませんけど、

 もしお時間がお合いになるようでしたら、遠からず拙作が取り上げられますので、ご高評など頂戴できると幸いに存じます。宜しければ、こちらでも「くるしむみづ」をお与え下さいますよう。


[184] Re[183][180][178]: [ID 5] 「はるのまゆ」 松木秀 加藤治郎 2002年06月18日 (火) 18時55分

なるほど。

>ふだんはアルバイトでここに打ち寄せている、という感じ。

「文体の力はかなりハイレベル」、この歌で納得しました。
ふつうの短歌的発想だと、打ち寄せる波を見て、東映の波を想ったという感じになりますね。

東映の波もバイトで打ち寄せるバイパス沿いのテトラポッドに

ちょっとこうは歌えない。
奇想であるが「バイパス沿いの」という景の掴み方が巧い。

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[183] Re[180][178]: [ID 5] 「はるのまゆ」 松木秀 荻原裕幸 2002年06月18日 (火) 18時32分

> 東映の波もバイトで打ち寄せるバイパス沿いのテトラポッドに

の「バイト」は「アルバイト」だと思って読みました。
東映のオープニングに「出演」していた「あの波」も
ふだんはアルバイトでここに打ち寄せている、という感じ。
映画の出演だけじゃ食えない、みたいな含意もあるのかな。

あと、穂村弘さんの指摘する、

> 東映の波もバイトで打ち寄せるバイパス沿いのテトラポッドに
> 二十五時、コンビニ時間 ローソンはいつも要点だけでいっぱい
> 夕暮れは夕暮れとして眺めるなあれは感傷効率装置
> 洗剤の泡満ち満ちる台所そこにはまやかしの人魚姫
>
> この辺りの世界のニセモノ性をつくアイロニーに、
> やや「定型感」がみえてきますね。

という点、指摘の意味はよくわかります。
この文体でことばの力にすこしでもかげりが出ると、
作品の「ニセモノ性」が、世界と悪い意味で拮抗してしまう。
ただ、松木さんの文体の力はかなりハイレベルではないかなあ。
引用作も、ならべて、共通感を取り出すと、どこかに
「定型感」がちらつく感じがないでもないんだけど、
一首一首にほぐしてあるとき、まず見えないと思うし、
マイナス面として露出しているとは感じませんでした。

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[182] 東映の波もバイトで 加藤治郎 2002年06月18日 (火) 18時16分

うん。アイロニーと読めば、揶揄という感じも薄まってきますね。
「定型感」は、既視感ということかな。

東映の波もバイトで打ち寄せるバイパス沿いのテトラポッドに

この歌、ちょっと分かりづらかったんですが、バイトは、アルバイトのことでしょうか。
東映映画の冒頭に出てくる、あの波の映像も、バイトのように、つまり、ちょっと助けるような感じで弱々しく打ち寄せる。

あるいは、バイトって情報の単位のことか?
東映映画の波もディジタル化されて打ち寄せるということかな。


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[181] Re[178]: [ID 5] 「はるのまゆ」 松木秀 荻原裕幸 2002年06月18日 (火) 18時13分

松木秀さんの「はるのまゆ」。

> 揶揄すれすれの印象もあるんだ。

という加藤治郎さんのコメントがありましたが、
ぼくは「揶揄」といった傾向は感じませんでした。
むしろ「正直」とか「素直」に近い印象があります。
事象の裏側に視線を投じてゆけば、おのずとそこに、
個人を超えた、超越者のような表情は出ますし、
あるいは好き嫌いが生じることがあるかも知れませんが、
でもこの一連は、あくまでも「人間の位置」を維持している。
松木さんの良いところは、「生活的・暮らし的」な視線で、
われわれが共有している日常の感覚を超えない地点で取材し、
そこに日常を超えるためのきっかけを見出そうとしている、
そうしたところなのではないかとも感じています。

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[180] Re[178]: [ID 5] 「はるのまゆ」 松木秀 穂村弘 2002年06月18日 (火) 18時05分

> では、さっそく候補作を読んでいきましょう。
> まず、[ID 5] 「はるのまゆ」 松木秀さんです。
> 穂村さん、荻原さん、いかがですか。

一連の背後に「本物の世界」を求める気持ちがあるようです。

そのためにどの歌にも必ず読みどころがある。

切れのあるアイロニーっていうのかな。

打率の高い一連に仕上がっていると思います。

ただ逆にいうと、連作として読むと、

東映の波もバイトで打ち寄せるバイパス沿いのテトラポッドに
二十五時、コンビニ時間 ローソンはいつも要点だけでいっぱい
夕暮れは夕暮れとして眺めるなあれは感傷効率装置
洗剤の泡満ち満ちる台所そこにはまやかしの人魚姫

この辺りの世界のニセモノ性をつくアイロニーに、やや「定型感」がみえてきますね。

その点で、

かんかんと夜の蛍光灯ゆれてここは蛍光灯世界です

こういう現実から逸脱した、捉えどころの無い歌が新鮮で惹かれました。

手に取ればすぐにすんなり書ける ああボールペンにも春は来ている

こういう喜びのある歌ももう少しみてみたいですね。





[179] サーバのメンテナンス 荻原裕幸 2002年06月18日 (火) 04時14分

6月19日(水)午前3時〜7時、
サーバのメンテナンスがあって、
このBBSに接続できなくなります。
どうぞよろしくお願いします。

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[178] [ID 5] 「はるのまゆ」 松木秀 加藤治郎 2002年06月18日 (火) 00時28分

こんにちは。

では、さっそく候補作を読んでいきましょう。

まず、[ID 5] 「はるのまゆ」 松木秀さんです。

荻原さんが選出しています。



ぼくもこの作品、視野に入っていました。


 平日の住宅地にて男ひとり散歩をするはそれだけで罪

 死というに三原色のありとせば決して入らぬ緑のそよぐ

 煙突の中のけむりはただ空を信じてのぼり、出て、うなだれる

 浅田飴なめると彼方から呪文あさやけはあめあさやけはあめ

 ほぼ毎日の定例なれど千光寺より出棺のクラクション鳴る


といった作品に○をつけています。
一連、世界への拒絶感がいろいろな形で出ていますね。
とくに、最後の、千光寺の歌が気になった。
「出棺のクラクション」が、なんというんだろう〈暗闇の抒情〉とでもいったらいいか、人の絶望的な営みを告げている。

荻原さんの「現代が抱える不安定性」「事象の裏側」という評言は同感だけど、揶揄すれすれの印象もあるんだ。
作者の持ち味と裏腹でもあるけれど、もう少し、しんとした世界が開示されたらよかったと思う。
「煙突の中のけむりはただ空を信じてのぼり、出て、うなだれる」のように、黙示というか、象徴的に語る作品がよいと思いました。

穂村さん、荻原さん、いかがですか。

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[177] 謎彦さんて 辰巳泰子 2002年06月17日 (月) 21時53分

「塔」の人ですよね。
応募作はどうか、わかりませんけど、
以前から注目しています。


[176] コメントお待ちしてます 加藤治郎 2002年06月17日 (月) 02時28分

ワールドカップ、熱いですね。
こちらも、熱くいきます!

さて、今週からディスカッションを始めます。
みなさんからの<応援>のコメントを歓迎します。
応募者以外の方でも結構です。
ただし、以下のルールをお守りください。
申し訳ございませんが、選考を妨害するようなコメントは、選考委員の判断で削除させていただく場合がありますので、ご協力お願いいたします。


@コメントできる期間は次のとおりです。

・選考委員がその作品をディスカッションしているとき
・12の候補作すべてのディスカッションが終了した後

A「こんなのどこがいいの」的なネガティブな発言、誹謗中傷の類はご遠慮願います。


B匿名での発言は、ご遠慮願います。


みなさんに作品の<価値>を見出していただきたいのです。こんなにいい作品なんだって。そのとき、選考委員は、歌あわせの判者のようなものかもしれません。

では、よろしくお願いいたします。

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[175] 訂正 伴風花 2002年06月15日 (土) 01時52分

お世話になります。
ID112 伴 風花 です。
アップしていただいた応募作なのですが、
→がうまくでていないようです。
ルール・7〜
ルール・1〜
ルール・0〜
の三首とも→が-になってしまっています。
その部分だけ、訂正をお願いいたします。


[174] すみません。 荻野 2002年06月14日 (金) 18時00分

チュニジア戦面白かったですねー!
次回トルコ戦までは何とかいけそうな気がしてます。
ところで、受賞者の皆様の作品を公開いたしましたが、文字化けをしてるところなどあるようです。皆様にはお手数ですが、ご確認いただき、問題がありましたら、メールください。
本日の夜まとめて修正いたします。
もちろん、今夜に間に合わなくても結構です。
ご指摘いただいた受賞者の方にはお待たせいたしますが、今しばらくお待ちください。

http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/kikaku3/sinjin2.html


[173] UPしました 荻野 2002年06月14日 (金) 15時01分

おせわになっております。
大変お待たせいたしました。
第一次審査通過作品Upいたしました。
よろしくお願いいたします。

http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/kikaku3/sinjin2.html


[172] 歌葉新人賞候補作リスト 加藤治郎 2002年06月14日 (金) 03時10分

では、あらためて、候補作をリストします。

<O>荻原選 <K>加藤選 <H>穂村選 です。

そういえば、むかし、3人でPROJECTの名前を考えていてね。
H,OK.という案をぼくが出したんだが、却下されました。

この順で、ディスカッションしていきたいと思います。

【歌葉】のWebに、まもなく作品がアップされる予定ですので、ぜひご覧ください。

--------------------------------------------------------

[ID 5] 「はるのまゆ」 松木秀 <O>

[ID 18] 「かわいいから免責」 澁谷 聰介 <K>

[ID 20] 「蝦の味」 廣西 昌也 <K>

[ID 25]「走ってもまだ掴めない」 平山 絢子 <H>

[ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦 <O><K>

[ID 48] 「あねもね地域連絡網」 なかはられいこ <O>

[ID 60]「6月の雨」 多田 百合香 <H>

[ID 61] 「ぴりんぱらん」 増田静 <O><K><H>

[ID 83]「テーブルで寝る」 雪舟 えま <H>

[ID 91] 「無菌室に居るための舞踏譜」 中島 裕介 <K>

[ID 106]「化身」 尾崎 淳 <H>

[ID 112] 「Fairy Light」 伴風花 <O>

--------------------------------------------------------

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[171] こんばんは。 加藤治郎 2002年06月14日 (金) 03時04分

イタリア、がんばった!

いやあ、ワールドカップの期間って、デートのスケジュールを立てるのが難しいですね。
ニッポン、一位通過だと6月18日で、6月22日はどうなるかとか。
H君は、わざとニッポン戦の日にデートの予定を組んで、ぼくの部屋で観ようよって誘うそうです。要注意。
ともかく、歌葉新人賞、ワールドカップとシンクロしてきて、こめかみから血が噴き出しています。



寸評、出そろいましたね。
ぼくは、けっこう思いこみ激しいから、選が重なって、7、8篇になるんじゃないかと思っていました。
荻原さん、穂村さんの選とコメントを読んで、ちょっと慌て、そして深くうなずいているところです。



ここでちょっと一息ついて、ディスカッションは、歌葉のWebに作品が掲載されてからにしましょうか。

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[170] [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎彦 荻原裕幸 2002年06月14日 (金) 01時43分

謎彦さん「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」。
読者をかなり限定してしまうだろうなあ、
という危険は強く感じたのですけど、
ともあれ、ぼくは限定された方だったようで、
笑ったり唸ったりしながら楽しく読みました。
この人の作品の面白さを説明するのは、
ほとんど不可能に近い気もするんですが、
惹かれた歌についていくつかコメントします。

 そつとそつと舌とガーゼでほりおこすミナモトロプス・クモガクレンシス

言葉遊びを活かした作品と駄洒落とは紙一重ですが、
いずれもぎりぎりのところで作品として立っている。
「源氏」と「雲隠れ」を含んだミナモトロプス・クモガクレンシス
これだけでもおもしろかったのですが、
ほりおこす→発掘→化石→○○トロプス
みたいな遊びも自在に展開している。
古典和歌の技法を現在に活かした、
とも言えそうな気がします。

   9・1・1と押せば、救急車や消防車が来てくれる。
 陰暦なら何の語呂にもならぬ日に大事なビルをこつぱみじんに

昨秋のアメリカでのテロも、
こうしたかたちで、笑いのヴェールにつつみながら、
でも、笑いを超えた地点で作品として立ててしまう。
この人に難点があるとすれば、
力がありすぎることかも知れませんね(笑)。

   これは戦争である。
 牛は死にますか牛車は死にますかせめてあの大臣はどうですか
 *ルビ:大臣=おとど

さすがにこれはやりすぎという気もしたのですが、
ただ、嫌味に感じる前に笑いが出ました。
さだまさしを揶揄しているように見えながら、
実はアメリカを叩いているところが面白かった。
人の気持ちを単純にすくってきて、
思いがけない方向にもってゆく、
こういう手腕も見事だと思います。

   国史大系の第五八巻からは『尊卑分脈』
 みなもとの┌△─△───聞────┐
      ┤ ┌△───好─┐  │
      └△┤ ┌△─語 │  │
        └△┤ ┌諧 │  │
          └△┤  │  │
            └稱 │  │
      ┌────────┘  │
      │     ┌於─┐  │
      └─────┤  │  │
            └契 │  │
               └騒 │
      ┌───────────┘
      └─────────憑
       とはしるあたり、ここN.Y.より一寸楽しい
 *ルビ:聞=きこゆ、好=このむ、語=かたる、諧=かなふ、稱=なのる、
 於=をいつ、契=ちぎる、騒=さわぐ、憑=たのむ

語りはじめるときりがないので、
これで最後にしますが、この表記法、
加藤治郎にも荻原裕幸にも踏みこめなかった領域に、
やっと踏みこんでゆく人が出たという気がしました。

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[169] [ID 112] 「Fairy Light」 伴風花 荻原裕幸 2002年06月14日 (金) 01時17分

伴風花さん「Fairy Light」。
1980年代以後の口語系短歌のフルスペック、
という印象をもちました。平均値もすごく高い。
一連全体を流れる空気のつくり方も秀抜だと思う。

 不規則な寝息に鼻を近づけるしらない町の雪の匂い、だ
 歯みがきをしている背中だきしめるあかるい春の充電として
 「うごく」「いや動かない」「いや」真夜中に二人そろってまりもを見張る 
 せなか かた うでの鳥肌たしかめて髪に両手をそっとさしこむ
 別々の物語よむ夕暮れも足のおやゆび触れさせておく
 世界のおわりをうっとりねがう夜あけ前ふたりは青い動物になる

前半、導入部分にあらわれるこれらの作品、
口語系の短歌を読みなれている人は、
スタンダードに近いものを感じるかも知れませんが、
これだけのパワーで「二人」を描きながら、
しかも、まっすぐ、で変化球じゃないところ、
高く評価したいと思いました。

 ちかちかち青い炎がともらずに夕闇におぼれそうちかちかち
 キッチンにわたし一人が生きていてラップのしたのカレー冷えてく
 おかえりとただいまだけは元気よくかぎっこだった二人のために 
 言い訳の言い訳のその言い訳を柔軟剤の匂いの中で
 白バイがするする通るわた雲かひつじ雲かをあらそう横を
 ゆっくりと車こすって(そういえばこんな感じで傷がついてる)

中ほどにあらわれるこれらの作品、
前半とはうってかわって、摩擦感が増えます。
「二人」の関係の時間的経緯が描かれる場合、
俵万智以後、物語的展開ばかりが用いられましたが、
この人はそれを文体を中心に表現しているようです。
前半とは異なり、些細な事象のなかにも摩擦が見える。
一首のちからとともに構成のちからを感じました。

それから、結末的部分。
流れとしては、ああやっぱりそうなるのね、
という感じをもったのですが、良かったのは、

 ルール1・ベランダの花たちの水→月よう…画鋲をゆっくりはずす
 ルール0・絶対言っちゃだめなこと→愛してる(愛してないとき)

等の作品です。「画鋲をゆっくりはずす」の部分が特に良いです。

 ルール7・ケンカ時投げちゃだめなもの→乾電池(とくに単一)

が、はじめに出たときはあまりよくわからなかったのですが、
「画鋲をゆっくりはずす」を読んだ瞬間に、あ! と思う。
この時点で、つまり「ルール7」を廃棄したわけなんですね。
投げたかどうかはわかりませんが、投げてもいいと思うほど、
相手にきれてしまうことがあった。それがあとからわかる。
で、途中の「ルール6〜2」などもさまざまに連想させつつ、
最終的に「ルール1」が廃棄され、とうとう「ルール0」の廃棄、
絶対にだめ、に到るような状態が来てしまうわけです。
ちょっとしたアイデアと言えば、ちょっとしたものなんですが、
散文表現では実現できない恋愛譚がうまく完成したと感じました。

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[168] [ID 18] 「かわいいから免責」 澁谷 聰介 加藤治郎 2002年06月14日 (金) 00時32分


暴力的に言葉が放たれるが、それでいて定型を生かして、抒情の的に当たる歌が多かったです。『シンジケート』以降の文体をうまく吸収していると思います。


 君の名がつくバス停を抱きかかえ事情聴取を受ける七月

 「枯木」から「金曜の犬」しりとりはつづき祈りに変わるのを待つ

 ジョン・レノン似の人妻にキスすると胴上げされる条例採択

 数字的根拠を言えと言うのならブルース・リー8マラドーナ10

 オリジナルブランドなのでと渡されるジャングル大帝だらけのハンカチ

 「うるっさい」と酸素補給機切ったのは「かわいいさかな」と矛盾しないの?

 真夜中にマル(犬)起こして見た夢のまがまがしさを聞かせてもだめ

 君なき今文学だけが私自身だ「それってカフカの『虫』みたいなこと?」

 「嘘でしょうあなたのサイフよく振ると濡れた子犬の臭いがするの」


「枯木」「金曜の犬」は、何かのタイトルかと思いましたが、そうでもないようですね。しりとりが祈りに変わるという感じ方、一連の中で光っています。
「ジョン・レノン似」のナンセンスなイメージの飛び方、面白いだけじゃなくて、結句にぴりっと批評があるのがいいですね。

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[167] [ID 48] 「あねもね地域連絡網」 なかはられいこ 荻原裕幸 2002年06月14日 (金) 00時29分

なかはられいこさん「あねもね地域連絡網」。
アレゴリーに特化した文体が抜群におもしろい。
私の内面を装飾し感情を増幅する類のメタファーは
現代短歌に、氾濫していると言っていいほどあるが、
時代の空気をじわっとあぶりだすようなこの文体は稀少だ。

語りづらい、わけのわからない時代であればあるほど、
アレゴリーはそのちからを存分に発揮してゆく。
20世紀末からいま現在にいたるまでの、日本のどこかの、
息苦しくも明るい場所にいる、という感触が浮かびあがる。

 ぼくたちの言葉は長い旅に出て雨や光になるんだ、たぶん
 一条の光が射してたったいまボトルシップは出港しました
 傘の骨、曲がってますね。壁の色、ペールブルーになるはずでした。
 うっすらと時間が積もるソファには青くしたたる鮫が寝ている
 密林に雨が降ります押入れに発酵まぢかの虹があります
 人喰い鮫が出てくる前の海に似てしんとしずもる春のキッチン
 一滴の水でゆるゆる立ち直るストローの袋、遠い銃声
 お父さん、みな葉桜になりました。背中の痣もあなたの声も。
 陽に灼けた洗濯ばさみがわたしですカナリア色のタオルをつまむ
 サンダルのかたいっぽうはサバンナに昇る朝陽を見に行きました

もちろんこの方法論は危うさももっているだろう。
その危うさをいつか作者が自問すべきときも来ると思われるが、
いまは、2002年を「今」として生きるこの作者のことばに、
熱く静かに耳を傾けたい、と強く感じさせる一連だった。

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[166] [ID 106]「化身」尾崎淳 穂村弘 2002年06月13日 (木) 23時53分

尾崎淳さんの「化身」。
結句を「わたし」に固定したアイデアが面白いです。

・しゃぼん玉空へ飛ばして誕生日にもらったものを還したわたし
・ひとつずつシャツのボタンがずれているような気持ちで微笑むわたし
・暗闇のあなたはすでに怪物を見る目をしてる 俯くわたし
・ケロヨンの笑顔が怖い妹をコントラバスに隠したわたし
・海嘯にさらわれながら手をのばし奇跡を起こし続けるわたし
・まっ白な270秒間にピンクの象を描いたわたし
・はじまりの終わり始まり詩の上をゆきつもどりつしているわたし
・しなやかに地球をつつむ蜘蛛の巣はみんなわたしに繋がるわたし

個々の作品化における「わたし」へのイメージの展開が多様で、読み進むうちに楽しくなってきます。
異化の角度を次々に変えながら攻めつづけているところがいいですね。

しゃぼん玉空へ飛ばして誕生日にもらったものを還したわたし

この「誕生日にもらったものを還したわたし」は特に凄いと思いました。
未生の次元へのドライブ感でしょうか。
「化身」というタイトルはわかるけど一考の余地がありそう。



[165] [ID 83]「テーブルで寝る」雪舟えま 穂村弘 2002年06月13日 (木) 23時49分

雪舟えまさんの「テーブルで寝る」。
テンションの高さを言葉で受け止める技術があり、その結果立ち止まる歌の多い一連になっています。

・(自転車は成長しない)わたしだけめくれあがって燃える坂道
・一泊で行けるとこまで行こうって雪虫ころさないようはらう
・手をとって駆けだすわたしこぼしてるわたしのほうだけがこぼしてる
・かたつむりって炎なんだね春雷があたしを指名するから行くね
・人類へある朝傘が降ってきてみんなとっても似合っているわ
・誕生会行って誕生日の人にさわってきたと まるで風だね
・全身を濡れてきたひとハンカチで拭いた時間はわたしのものだ
・泣けば腰のたかさに集う星ぼしに善悪のくべつはつかなくて

個人的な恋愛のディテールを宿命の次元に展開するだけのスケール感がありますね。

かたつむりって炎なんだね春雷があたしを指名するから行くね

かたつむりが炎となり春雷に名指される、世界の異化感覚が見事だと思います。
弱点としては構成の弱さと、定型への言葉の乗せ方にやや窮屈な印象があることでしょうか。


[164] [ID 61]「ぴりんぱらん」増田静 穂村弘 2002年06月13日 (木) 23時40分


増田静さんの「ぴりんぱらん」。
「島」の光と影を感じさせる一連になっていると思います。
「あたし」や「君」の存在や感情さえも、そのなかに溶け込みそうです。

・ぴりん、ぱらん、ぴりん、ぱらん、届かない、まこと、そらごと、ふんでゆく音
・不発弾処理班だけが知っている曇天の重さ手の平の文字
・なんでなんで君を見てると靴下を脱ぎたくなって困る 脱ぐね
・窓際の郵便局の水のりを沸騰させて沸き立つひかり
・「あ、あ、あくび」吃音からこぼれる花よ 愛しいものの小ささを言う

方言の使用などの意図的な部分と無意識的な言葉の使い方が混ざっているような印象です。奇妙な力の抜け方が面白く、言葉の手触りがおいしい。
例えばこんな歌。

なんでなんで君を見てると靴下を脱ぎたくなって困る 脱ぐね

真面目なようなとぼけたような、シャイなような大胆なような、変な云い方だけど、長所が簡単にはみえないところにも惹かれました。
この一連のモチーフで丁寧に一冊の歌集を編めば面白い世界が生まれそうですね。


[163] [ID 60]「6月の雨」多田百合香 穂村弘 2002年06月13日 (木) 23時39分

多田百合香さんの「6月の雨」。
テンションの高さと質に惹かれた一連です。

・あまりにも汚い手だから後ろ手でかくしてだれにもさわらせなかった
・生きることやめたみたいねあの毛虫 小さく小さく夜は震えた。 
・毒林檎あるなら口に含ませて王子がいるならすぐ出遭わせて
・みてごらん霜がおりてるあの車 この家 草むら スーパーの肉
・ときどきね、うれしくなるんだ、タイムマシーン きいてよ、わたしは、あいされている。

全体の打率は決して高くないし、細部の処理も不安定です。
また「飛び降りてしまえばよかった生きている価値なんてこれっぽっちもないから」のようなほぼ完全な空振りもみられるんだけど、たとえ空振りの場合でも、なんというかその「完全さ」にうたれるところがあります。
たぶん、若さ、なんだろうけど、言葉をそこに乗せられないほどの心の風圧を感じる。
そのために言葉が滑り落ちてしまって打率が下がっているんだけど、うまく乗ったときは素晴らしいですね。
特にいいと思ったのはこんな歌です。

生きることやめたみたいねあの毛虫 小さく小さく夜は震えた。

言葉の側からの組み立てでは決して作れない歌だと思います。



[162] Re[161]: [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎 彦 加藤治郎 2002年06月13日 (木) 22時51分

あれ、ちょっと系図がずれてしまいましたね。
ご容赦を。

>   国史大系の第五八巻からは『尊卑分脈』
>
> みなもとの┌△─△───聞────┐
>      ┤ ┌△───好─┐  │
>      └△┤ ┌△─語 │  │
>        └△┤ ┌諧 │  │
>          └△┤  │  │
>            └稱 │  │
>      ┌────────┘  │
>      │     ┌於─┐  │
>      └─────┤  │  │
>            └契 │  │
>               └騒 │
>      ┌───────────┘
>      └─────────憑
>       とはしるあたり、ここN.Y.より一寸楽しい
>
> *ルビ:聞=きこゆ、好=このむ、語=かたる、諧=かなふ、稱=なのる、
> 於=をいつ、契=ちぎる、騒=さわぐ、憑=たのむ
>

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[161] [ID 35] 「幻 〜Do Minamoto Yourself〜」 謎 彦 加藤治郎 2002年06月13日 (木) 22時48分


ぼくは、このエンターティメント性が心地よかった。
つまり、読者がよく見えているんだよね。
「液化したピアノ」を「ぶうと噴き上げて」とくれば、反応しますよ、そりゃ。
それでいて、計り知れない熱量をアピールしている。
塚本邦雄から糸井重里に到る引用の乱打。デフォルメされた「源」への同化の異様な熱意が濁流となってテロに到る状況を押し流してゆく。「帝都物語」をすこし想起しました。
現代短歌として記憶されてよい一連だと思います。


(以下作品引用)


 9・1・1と押せば、救急車や消防車が来てくれる。

陰暦なら何の語呂にもならぬ日に大事なビルをこつぱみじんに

  聞こえるか、打ち鳴らされる進軍歌が――
    空を飛ぶ まろが飛ぶ 雲をつきぬけ正一位
    火を噴いて 闇を裂き スーパー貴族に成りあがる
    O-TO-DO! OTODOがMIKADOを抱いたまま
    O-TO-DO! OTENMONで待つ
  これは戦争である。

牛は死にますか牛車は死にますかせめてあの大臣はどうですか

*ルビ:大臣=おとど

停車場の人ごみの中へこつそりと喜びにゆくNASAのしくぢり


   初案「液化したピアノをぐつと呑み込んでこの謎彦の妻になるのか」

液化したピアノをぶうと噴き上げてこの謎彦の妻になつちやう

*ルビ:謎彦=ミナモト


大陸を……大陸棚を掌握し、詔勅はいつだつて(ポコポコ)

        *        *        *

  国史大系の第五八巻からは『尊卑分脈』

みなもとの┌△─△───聞────┐
     ┤ ┌△───好─┐  │
     └△┤ ┌△─語 │  │
       └△┤ ┌諧 │  │
         └△┤  │  │
           └稱 │  │
     ┌────────┘  │
     │     ┌於─┐  │
     └─────┤  │  │
           └契 │  │
              └騒 │
     ┌───────────┘
     └─────────憑
      とはしるあたり、ここN.Y.より一寸楽しい

*ルビ:聞=きこゆ、好=このむ、語=かたる、諧=かなふ、稱=なのる、
於=をいつ、契=ちぎる、騒=さわぐ、憑=たのむ


(以下加藤コメント)

この表記には驚いた。

 みなもとの □□□とはしる あたりここ ニューヨークより ちょっとたのしい

と読んでみました。□□□の3拍分に系図が格納されている。
そこをクリックすると情報が展開するイメージでしょう。
短歌形式とハイパーテキストの出会いと受けとりました。

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[160] [ID 61]「ぴりんぱらん」 増田静 荻原裕幸 2002年06月13日 (木) 03時16分

増田静さん「ぴりんぱらん」。
一人称と言うか作者本人の手の届く範囲から、
無理なくことばが拾われている感じで、
しかもそれがきらきらしているのが不思議。

 その人があたしを見るとき玄関の丸いレンズを覗く姿勢で
 なんでなんで君を見てると靴下を脱ぎたくなって困る 脱ぐね
 窓際の郵便局の水のりを沸騰させて沸き立つひかり
 終わろうか 君は黙って灼かれてる砂にまみれたベルマーク見る
 あの夏にあたしが踏みつづけた影はもう使えない百葉箱に
 雨粒をしまうみたいにひとつずつ「死別」と書いてラベリングした
 口中に凍ったひよこを閉じこめる会話を埋めるためだけの嘘
 目を閉じて手探りをして君の顔さわるのが好き暗闇が好き

うまく言えないんだけど、
たとえば親友と会話をするときって、
こんな角度からことばが出ると思うんです。
なんでもないときでもすごくあたたかい感じ。
「あ、そこのスプーンとって、
 柄のところが赤いやつね」みたいな。
現代短歌って、あまりこういう感覚ないですね。
かなりはっきりと狙いが見えるものが多いから。

特に良いと思った作品が、
加藤治郎さんがあげていたのと
たくさん重複していて興味深かったです。

地域性というかローカルというか、
その土地性がモチーフになっていますが、
風土とか土俗とかには決して近づいてない。
あくまで一連のフレームとして機能していて、
そこもぼくには好感がもてました。

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[159] [ID 61]「ぴりんぱらん」 増田 静 加藤治郎 2002年06月13日 (木) 02時03分


なんか野性味があるんだよね。
作者の衝動が時おり噴出するところが面白い。
背景に沖縄を配した点、よかったと思います。
連作の統一感ということももちろんあるけれど、南の日射しの強さが、その野性味と響きあっている。
沖縄の方言を取り込んだりして、応募作の中では、こういう土地への拘りは異色なんだけど、むしろ現代短歌が喪ってきたものの再生として評価できると思います。

いいと思った作品を引用しておきます。


 ぴりん、ぱらん、ぴりん、ぱらん、届かない、まこと、そらごと、ふんでゆく音

 その人があたしを見るとき玄関の丸いレンズを覗く姿勢で

 炎天の運動場に氷屋がばらまいてった湯気のたつもの

 なんでなんで君を見てると靴下を脱ぎたくなって困る 脱ぐね

 窓際の郵便局の水のりを沸騰させて沸き立つひかり

 「あ、あ、あくび」吃音からこぼれる花よ 愛しいものの小ささを言う

 終わろうか 君は黙って灼かれてる砂にまみれたベルマーク見る

 ゆっくりとやっつけられてゆくときの 果実 憎しみは透きとおってる

 雨粒をしまうみたいにひとつずつ「死別」と書いてラベリングした

 目を閉じて手探りをして君の顔さわるのが好き暗闇が好き



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[158] [ID 91] 「無菌室に居るための舞踏譜」 中島 裕介 加藤治郎 2002年06月13日 (木) 01時41分

問題作であると思います。
数多の引用の束は単なる意匠ではない、詩への澄んだ意志を感じさせるものであり、読後感は爽やかでした。
神話の現代への再生がどのような意味を現代短歌に付け加えるか、考え続けたいところです。
解読という心持ちではなく、読み手が心を開けば、次のような歌を秀歌として記憶できます。



     覗き込む僕を模様にする君は悪夢のような万華鏡以て
Please keep me keen to kiss a knight of knowledge in a Kafkaesque Kaleidoscope.


     ご馳走とモルヒネに酔うモルフェウスは魯鈍のように壊疽した夜明けにも
Morpheus loves morning, and moreover morning in Mosaic. For he make people sleep mortally.


     名も知らぬ男と寝たわ 眠れない夜にアネモネ添えて
Information-Mania suffer from insomnia, insofar as a nihilistic nymphomania is naked.


     十字架に頭蓋骨だけ描きだす現像液を投げ捨ててももう
Which can I sacrifice your scarlet letter or scarcity of my skull?


     君とさえ言葉を交わさずに食べるアルファベットチョコは白濁
There is a feeling of anemone in the air, we may enjoy being aphasic.



暗室で見た、十字架にほの白くイエスの頭蓋骨だけ浮かび出たイメージは、一連の中でもとりわけ印象深い。その現像液を投げ捨ててももう…取り返しはつかない。
英詩は、きみの緋文字(姦通の象徴か)と我が頭骨(あるいは知力)の欠如、いずれを捧げたらいいかと歌うが、そうしてももう…と短歌に接続するのだろう。

短歌と、徹底的に韻を踏んだ英詩とは、意味的には不即不離の位置関係ですね。
横書きの表記の美しさも評価したい点です。

この中島裕介渾身の作品を、みなさん一緒に読んでみようではありませんか。

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[157] [ID 25]「走ってもまだ掴めない」平山絢子 穂村弘 2002年06月13日 (木) 01時05分

では、私もひとつずつコメントしていきます。

まず平山絢子さんの「走ってもまだ掴めない」から。
海外を背景とする恋愛が描かれています。

・赤道に近付いてゆくバスの中寝違えた首支えあってた
・柄の折れた傘が転がる海岸を包む熱風どうか許して
・20ドル札が濡れててバス停に貼りついているここを逃げなきゃ
・溶けてゆくアイスクリーム舐めたってどうせ私は汚れるんでしょ
・ティーが通じない私はただティーが飲みたいのですティーがワン・ティーが

詩的密度が低く歌謡曲的な歌も散見されますが、全体に伸びやかな詠い振りで好感がもてます。「寝違えた首」「柄の折れた傘」「20ドル札」などが鮮やかですね。
特に次の一首、

ティーが通じない私はただティーが飲みたいのですティーがワン・ティーが

これは内容もインパクトがあるけど、それに加えて定型への言葉の乗せ方に工夫がみられ、一読印象に残る秀歌だと思います。

ティーが通/じない私は/ただティーが/飲みたいのです/ティーがワン・ティーが

たぶんこういう切れになると思うのですが、最後の字余りに切迫感が込められているようです。「ワン・ティー」という云い方が効いています。




[156] [ID 5] 「はるのまゆ」 松木秀 荻原裕幸 2002年06月13日 (木) 00時00分

候補に選んだ五篇、一篇ごとにコメントしてゆきます。
まずは、松木秀さん「はるのまゆ」。
現実・常識・良識・一般論の裏側に、
軽いタッチでことばの触手をのばして、
この世界が、視るアングルによっては、
あっさりと表情を変えてしまうという
現代が抱える不安定性をうまく描いていると思います。
具体的にそれがうまく出ているのは、

 全家庭もれなくテレビアンテナは電波塔へと向いているのだ
 煙突の中のけむりはただ空を信じてのぼり、出て、うなだれる
 東映の波もバイトで打ち寄せるバイパス沿いのテトラポッドに
 あ、青い 漁師も数多飲み込んで委細かまわず海はなめらか
 夕暮れは夕暮れとして眺めるなあれは感傷効率装置
 永遠とロマンティックに言う奴にそれは納豆だと教えよう
 宇宙は、とたった十七画だけで表記しちゃってごめん宇宙よ
 二十五時、コンビニ時間 ローソンはいつも要点だけでいっぱい
 ヘッドホンがっちり嵌めるうかうかと星の声など耳にせぬよう
 神仏はひがんしがんと人間を分別するがよく間違える

といったあたりでしょうか。
事象の裏側を見せているわけですが、
かと言って、それを見せていることで、
超越的な一人称を打ち出すわけではなく、
嫌味のないすっきりしたしあがりだと思いました。
ある意味で一人称の「活動域」の狭い一連ですが、
それゆえに情報の裏側へと強く意識が及ぶのでしょう。
また、この「活動域」の狭さは、

 手に取ればすぐにすんなり書ける ああボールペンにも春は来ている
 かんかんと夜の蛍光灯ゆれてここは蛍光灯世界です

といった、現前の事物への異常な執着感を見せる
奇妙な魅力をもった作品にもつながっているようです。
あと、北海道のあれこれを描いた作品があって、
特に強く惹かれるものはありませんでしたが、
一人称のいる時空のイメージを明確にしているようです。
こうした30首のゆるやかなつなげ方も良いと思います。

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[155] [ID 20] 「蝦の味」 廣西 昌也 加藤治郎 2002年06月12日 (水) 22時06分

さて、選出しました5篇についてコメントしたいと思います。
順不同です。

まず、廣西 昌也さんの「蝦の味」。

引用に価する作品が多いという点で、突出していました。
16個○が付きました。驚異の打率です。
<短歌>を読ませていただいたという気持ちです。
言葉の密度が高いですね。



 櫻一樹ホームのはじに光孕む過去それぞれに驛ひとつあれ

 ヘイ・ジュード、七分四秒長かりきカローラ30の後部座席に
 *ルビ:30=さんまる

 熊蝉を屆けて呉れし叔父がゐて水蟲臭き伯父もゐた夏

 時間てふ神が阿呆になりたるはカシオデジタルウォッチの所爲だ

 遠足の列蛇行してやや亂れ峠を越えて戰地こそ見ゆれ

 みはるかす菜の花の咲く地平など人の死ののちあつたつて譱い

 大の死と角の逮捕がピークだつた三角大福中もおほかた死ねり

 「したい」つて言つたつけ、ねえ雨引きのお山に沈む赤い三日月

 かばんてふ闇より君が取り出せる6Pチーズ僕に食へと言ふ

 暗緑に神さがしつつ人間に體温あるを知りし日ありき

 くちづけに蝦の味せる現實の不均衡感知りし日ありき

 食ふ、喋る、切手を濡らすことのみと思ひて来しが舌恐るべし

 「君は舌てふ生物を飼ひてをり」「もつとゐるかもしれなくつてよ」

 満開の蜜柑畑に二人聽く無限に長き弦の共鳴

 薄闇ゆ細白きもの泳ぎをりて名前無きもの畏れてゐたり

 支度するしばしの無口くらやみに下着を廻す音のするどき


「ヘイ・ジュード」「カローラ30」「カシオデジタルウォッチ」「三角大福中」あたりから来る濃密な昭和の匂いにも共感しました。

★彡

http://www.sweetswan.com/jiro/


[154] 残念、だけどこれから先の展開が楽しみ。 井上真樹 2002年06月12日 (水) 19時32分

一次、通過できなくて残念なような、
まぁ、当たり前かな〜、と思うような。
でも今後の展開が楽しみです。
通過されたみなさまの作品を読みたいですね〜。
アップされてる方のは拝見しております。
みなさま、さすがって感じでしたぁ。

最終選考までの経過をドキドキしながら拝見させていただきます。

応募することが出来て、本当に良かった、と思います。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/2801/bog.html


[153] 楽しみ 林野宏美 2002年06月12日 (水) 13時05分

通過された方の作品、私も早く読んでみたいです


[152] マラソンはつづいてる・・・・ 山口 馨 2002年06月12日 (水) 11時27分

いちおう力不足は承知のうえで参加させていただきました。一次通過できなかったけど、後ろにいても参加している集団マラソンの気分です。残られた方々の作品から刺激を受けるたのしみもあるし、やっぱり拙いながらもじぶんの短歌をつくり続けたいですし。こんな素敵な機会を設けてくださりありがとうございます。ご三方の批評とそれぞれの作品が読めるのをとても楽しみにしてます。


[151] Re[147][138]: うるる〜 月無美樹 2002年06月12日 (水) 10時38分

加藤様。図々しいお願い、申し訳ございませんでした。
お返事が頂けて、とても嬉しく思いました。
応募作に一首でも○を付けて頂いた歌があればなぁ…。
なんて思ったりしていた所でしたので…有難うございました。

さらなる精進の為の自己評価は厳しく厳しくあくまで客観的に行うよう、
気をつけてゆきたいと思っております。

わがままなお願いをぶつけてしまった事、お詫び申し上げます。


[150] Re[149][138]:うるる〜 加藤治郎 2002年06月12日 (水) 09時32分

おはようございます。

加藤です。



本所飛鳥さん

そうですね。なるべく、みなさんの要望には応えたいと思っていますが、現状は、No:147で申し上げたとおりです。

ここは、一義的に<コンテスト>の場ですから。
(もちろん、広い意味での批評の場です)
「なぜ選ばれなかったのか」については、まず自己評価していただきたいと思うのです。
それとやはり、日常的な歌評の場を見つけていただいたらいいと思うんですね。インターネットでも各所で歌会が開かれています。そういう場で自分の世界を広げていってください。


http://www.sweetswan.com/kato/jiro.cgi


[149] Re[138]: うるる〜 本所飛鳥 2002年06月12日 (水) 08時27分

> 選考から漏れてしまいました〜。
> が、これをバネに更なる精進をと決意しました。
>
> さて、精進するにあたっての図々しい希望なのですが…。
> ほんの一言でも良いので、「なぜ選ばれなかったのか」
> を教えて頂く事はできないでしょうか。
> この先創作を続けてゆくにあたっては、自分の欠点・弱点を自覚する事が
> とても大切だと思うのです。
> 全員に、ではなく(聞きたくない方もいらっしゃると思いますので)、
> 希望された方だけに…なんて事はやはり無理なのでしょうか?
> 皆様お忙しいのにこんなお願いをして、申し訳ございません。

私もそう希望し、考えるものですが、無理な注文なんでしょうね。

http://aja-bochan.hoops.ne.jp/


[148] 拙作をHPにて 謎彦 2002年06月12日 (水) 02時34分

中島さんや松木さんに続き、
私も候補作に選んで下さった1連30首を
ウェブサイト「ジャポン玉 〜謎彦常設展」にて
先行公開させていただきます。

つきましては、主催者の方々にはご承諾を賜れますよう、
また、この掲示板にお越しの皆様にはせいぜいご笑覧を頂けますよう、
この場を借りてご挨拶申し上げます。

なお、拙サイトはInternet Explorerの最新版でのみ
動作や表示を確認しておりますので、予めご了承下さい。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/4145/japondama.htm


[147] Re[138]: うるる〜 加藤治郎 2002年06月12日 (水) 02時19分

月無美樹さん

> 選考から漏れてしまいました〜。
> が、これをバネに更なる精進をと決意しました。

そう、そうあってほしいです!


> さて、精進するにあたっての図々しい希望なのですが…。
> ほんの一言でも良いので、「なぜ選ばれなかったのか」
> を教えて頂く事はできないでしょうか。
> この先創作を続けてゆくにあたっては、自分の欠点・弱点を自覚する事が
> とても大切だと思うのです。
> 全員に、ではなく(聞きたくない方もいらっしゃると思いますので)、
> 希望された方だけに…なんて事はやはり無理なのでしょうか?
> 皆様お忙しいのにこんなお願いをして、申し訳ございません。

そうですね。ちょっと時間的に厳しいかもしれないですね。
候補作として選んだ5篇以外で、印象に残った作品、あと一息という作品等々、時間が許せばコメントしたいという気持ちはありますが…。
なにしろ本戦、これから苛酷なラリーが予想されるので。

No. :133 アプローチ で書いた、5つの観点を参考に自己評価してみてはいかがですか。


ちなみに私は、月無さんの応募作では、次の歌に○をつけました。

 出し切って全ての体液 もう二度と妻の体を抱けないように

 イヴの夜に一人で開けたドンペリがガソリンだったら楽になるのに

 前向きな言葉ばかりをかけないで 首まで埋まった底なし沼で

 気が付けば勝つ算段より 負けた後どう立ち上がるかばかりを思う


★彡

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