[297] 勝手ながら、引用しました 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/10/06(Fri) 07:04

●今、日記の方を書き加えました。
 正岡豊さんの日記「折口信夫の別荘日記」に、彼がやろうとしている
 詩歌の音声化の具体的方法が書いてあったので、そこを引用させて
 もらいました。正岡豊さんには日々、刺激を与えていただき感謝しています。

旧作俳句一句  ・奈落まで秋の辻村ジュサブロー/月彦


[296] ご記帳ありがとうございました。 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2000/10/06(Fri) 04:17

>春畑茜さん

藤原龍一郎のアドレス帳、へのご記帳ありがとうございました。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[295] 無題 投稿者:勘九郎 投稿日:2000/10/05(Thu) 23:09

ありがとうございました★
参考にさせていただきます!!


[294] 3000超えてうれしいな 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/10/05(Thu) 22:13

●春畑さん、おひさしぶり。
 タクシーチケツトに関しては、月末は現金精算のみにして
 チケット使用禁止にすべきだと思います。私が社長になったら絶対そうする。
●柳澤美晴さん、アドレス帳への記入、ありがとうございます。
 むかし、越美晴っていうキーボードを弾きながら歌う歌手がいましたね。
 他のみなさんも、どんどんアドレス帳に記入してください。
●荻原保安官様、いつも私のかわりにアドレス帳記入者にお礼を言って
 いただきありがとうございます。ああ、明日はやっと金曜日だ。


[293] おじゃまします 投稿者:春畑 茜 投稿日:2000/10/05(Thu) 12:52

こんにちは。電脳日記を読んだあと、こちらへおじゃましました。
タクシーチケットの話にOLのころを思い出しました。あれ、各課ごとに分けたりしていろいろと面倒なんですよね(^^;)
今朝NHKの朝のニュースに、長尾幹也さんが出演していました。かつて、この長尾さんの作品を読んだのは、藤原さんの文章が初めてでした。
「短歌の引力」の中にも惹かれる歌人や作品があって、本が付箋だらけになっています。
(本はうれしいだろうか)


[292] 日記がいっぱい 投稿者:みはる 投稿日:2000/10/05(Thu) 12:09

 うう、よかった。アドレス勝手に買いてよかったのかなあ、と心配していたのです、荻原さん。安心しました。北海道は突然の俄雨に降られています。乙女心と秋の空ですねえ。でも、「短歌人」の歌会のある日は今のところ秋晴れの予想です。歌会に参加される皆さま、北海道を是非とも満喫していって下さいな。また、素敵な歌が生まれるよう心からお祈り申し上げます。
 藤原さんは北海道に度々来ていらっしゃるのですね。釧路も二度目。道内人のわたしよりも多いですよ。わたし夕張も一度しかいったことがないし。近いとそういうものなのでしょうか。
 あと、歌集を文庫化する計画、いいですね。わたしも「林あまり」さんの本を見てこんなに手に入れやすくていいなあ、と目を輝かせました。「短歌人八月号」を見て「春日井建」さんの「未青年」を買いに本屋さんに走ったのですが、わたしの住む街では、その文庫本自体を取り扱っていないのでした。注文したのですが、歌集がいつもあって、気軽に買えるようになるといいなあ、と心から思いました。藤原さま、ぜひとも実現させて下さいませ。新潮文庫なら並ぶのですが。ああ、田舎ってつらいですわ。ちなみにわたしも豆乳が好きです。毎日飲んでます。田代さんは、・・・大変でしたねえ。


[291] 釧路は二度目です 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/10/05(Thu) 07:17

●村上きわみさんが受付にいるなんて!出会いの不思議ですね。楽しみです。
●勘九郎さん、やはり、[290]で荻原裕幸さんが紹介している
「電脳短歌イエローページ」が良いようです。
 個人のHPで、更新が早く、新刊歌集の紹介などが充実しているのは
 「コスモス」の奥村晃作さんのHP
 http://www5a.biglobe.ne.jp/~kousaku/nisi.html

●昨日の夕方、フジテレビのエリアがばたついているなあ、と思っていたのですが
 田代まさしの記者会見をやっていたんだ。
 


[290] Re[287]: 初めまして 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2000/10/05(Thu) 02:18

>勘九郎さん

> 短歌について調べモノをしているのですが(というかレポート)
>「ここのHPは調べがいがある!」「ここなんか良いんじゃない?」
> とかいうHPがあれば教えていただきたいのですが・・・。

電子ネットワーク上で、と限定されると
現代短歌の情報はいささか貧困ですが、

 ●電脳短歌イエローページ
 http://www.imagenet.co.jp/~ss/yp/

をご覧いただいて、リンクに
かたっぱしにアクセスすれば、
かなりの情報は得られると思います。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[289] ご記帳ありがとうございました。 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2000/10/05(Thu) 02:11

>柳澤美晴さん

藤原龍一郎のアドレス帳、へのご記帳ありがとうございました。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[288] 週末は釧路 投稿者:村上きわみ 投稿日:2000/10/05(Thu) 01:58

ということですが。
何故か私、当日受付に立っていると思われます。
いいんでしょうか。「短歌人」の人じゃないのに。んんん。

ともあれ、こちらは朝晩それなりに冷えます。
どうぞお気をつけていらしてください。


[287] 初めまして 投稿者:勘九郎 投稿日:2000/10/04(Wed) 23:34

こんなことかいていいのかどうか解らないのですが・・・。
短歌について調べモノをしているのですが(というかレポート)「ここのHPは調べがいがある!」「ここなんか良いんじゃない?」とかいうHPがあれば教えていただきたいのですが・・・。
どういう調べモノかというと・・・現代短歌。苦笑
何でも良いのです。誰がどういう活動をなさってる、歴史、等々。
テーマは無いのです・・・。
ってかなり不躾ですね。スミマセン。
良ければメールか掲示板に・・・。お願いします。


[286] わたしは案外、北海道通なのです 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/10/04(Wed) 20:17

●みはるさんとお会いできないのが残念です。
 実は私は案外、北海道にはよく行っていたのです。
●一九九五年から一九九九年まで、夕張市で二月中旬に開催される
 ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭の事務局長をしていたので
 打ち合せに、ほぼ、月一回ずつ夕張市に来ていましたし、映画祭期間中は
 九泊十日くらい夕張市に泊まっていました。
●豊川悦史や天海祐希やアリシア・シルバーストーンや島田陽子やチャウ・シンチーを
 夕張市につれていったのはワタシです。小林旭や植木等や中村玉緒やターザン山本や
 WAHAHA本舗もつれていきましたよん。別に仕事だったので威張るようなことで
 もありませんが。
 映画祭の現場で田中綾さんと会いました。


[285] 釧路ー 投稿者:みはる 投稿日:2000/10/04(Wed) 09:49

 きゃー、藤原さん、谷村さん、北海道にいらっしゃるのですね。北海道のほぼ真ん中生まれの真ん中育ち、真ん中大学に通う私は諸般の事情があって行けないのでした。申し込みをしていないので、今から行けないですよねえ。悲しいなあ。きっとその頃私は大都市札幌で(札幌で目を回すのが北海道の人です)遊んでいます。もし見かけたら声を掛けて下さいな。「短歌人8月号」に写真が載っているので。何か容疑者みたいですが。それにしても藤原さん、一冊が浮くほどの消費税って凄いですねえ。ある意味羨ましい。


[284] 週末は釧路です 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/10/04(Wed) 07:01

谷村はるかさん、今週末は釧路で「短歌人」北海道歌会で、ご一緒ですね。
そうそう、ヨコスカ・リサーチ・パークって、現場で教えてもらったのに
ヨコスカ以外、忘れてしまっていました。

松平さんは波乱万丈の人生ですね。確かに人生には色々あるんだ、としみじみ思うのは
歳をとってしまった証拠なのか。
そういえば、私が「短歌人」に入会した頃、高瀬一誌さんは、現在の私と同じくらいの
年齢だったのだ。岡井隆も馬場あき子もね。

 素裸を枯山水に猫をどり/加藤郁乎


[283] 京浜急行という電車、私は好きです。 投稿者:谷村はるか 投稿日:2000/10/04(Wed) 00:36

藤原様。
「YRP野比」の「YRP」は何でしょう?
答えは
横須賀・リサーチ・パークです。
北海道歌会でお会いできるのを楽しみにしています。


[282] ふうむ。そうねえ。 投稿者:松平盟子 投稿日:2000/10/03(Tue) 23:49

埼玉県と宮崎県のそれぞれの短歌賞のためのアンケート、私のところにも届いてます。
どなたのお名前を書くべきか、こういうの、迷うんですよね。
藤原さん、ひそかにプライヴェート・メールで相談していいですか?

ところで、私の女友達が先月27日に53歳で初婚しました。そして今日、彼女のお母様が亡くなり、私も1週間のあいだに黒い服を2度着ることに・・。さらに8日の日曜日には、私が音頭をとって代官山で彼女の結婚パーティーをするという、もうこういうことってあるんですね。
あ、私の結婚でないので、念のため。 え、そんなこと聞いてないって?
ハア、もし私の番が回ってきたら、最初にこの掲示板に書きます。
(なんちゃって・・・)


[281] わたしは222、本人だけど、秋の暮 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/10/03(Tue) 21:38

いやあ、なかはらさん、ありがとうございます。
うれしさのあまり、『現代川柳の精鋭たち』に載っているなかはらさんの写真を
じっとりした視線で凝視してしまいました。

・天命は詩に老いてけり秋の暮
・われとわが二人にながき秋の暮
・軽みとな煮ても焼いても秋の暮
・小細工の小俳句できて秋の暮
・このひととすることもなき秋の暮

すべて加藤郁乎句集『秋の暮』より


[280] イイなぁ、イイなぁ〜>なかはらさん 投稿者:ぽっぽ 投稿日:2000/10/03(Tue) 18:46

熱い抱擁・・・(*^o^*)

http://www.lucky.co.jp/bbs/user/hashiba.html


[279] あ。 投稿者:なかはられいこ 投稿日:2000/10/03(Tue) 17:14

電脳日記の感想書こうと思ったのに

頭のなかがまっしろになってしまいました。

またきます。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~myu2/


[278] に、に、に・・・ 投稿者:なかはられいこ 投稿日:2000/10/03(Tue) 17:12

200番でした!

あー、びっくりした、びっくりした。

熱い抱擁くださいっ。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~myu2/


[277] 電脳日記の二桁ナンバーは、 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2000/10/03(Tue) 08:21

昨日の段階で完売(?)いたしました。
どうもありがとうございました。
ただいま100番台を売り出し中です。
きりのいい番号をゲットすると、
藤原さんが熱い抱擁をしてくれます(たぶん)。
どうぞ自己申告なさって下さいませ。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[276] ご記帳ありがとうございました。 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2000/10/03(Tue) 08:15

>風間祥さん

藤原龍一郎のアドレス帳、へのご記帳ありがとうございました。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[275] はjめまして。 投稿者:お気楽 投稿日:2000/10/03(Tue) 03:38

初めまして、お気楽といいます。
短歌人に載っていた藤原さんの直筆印影の印象がとても強くて
どんな人かなーと思っていました。あれ、万年筆ですか?とても几帳面な
楷書ですね。
日記読みました。ぜひ、勤勉なサラリーマンの生活も書いてください。

http://www4.famille.ne.jp/~okiraku/


[274] 日記、夜にも書きました 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/10/02(Mon) 23:04

●日記にちょっと追加しました。読んでみてください。
 あ、みはるさん、松平盟子さん、ありがとうございます。
 みはるさん、私、著作者ではなく、昼間は勤勉なサラリーマンでありますよ。
 おいおい日記にも、会社でのお気楽な仕事ぶりも書こうと思っています。
●松平さんのところにもアンケートが来ていると思うのですが、
 「第一回現代短歌新人賞」なる賞が大宮市と大宮市教育委員会の主催で
 始まりますね。
 選考委員長は、詩人の中村稔氏。
 選考委員は加藤克巳、篠弘、馬場あき子の三氏です。
 賞の対象は平成十一年十月一日から十二年九月三十日までに刊行された
 原則として第一歌集とする。なお、「第一歌集」は原則であって、
 第二、第三歌集を必ず排除するという趣旨ではない、のだそうです。

●新しいコンセプトによる賞が新設されるのは歓迎すべきことですね。
 ただ、せっかく、埼玉県大宮市が主催するなら、埼玉県在住の小池光氏とかを
 選考委員にするという手はなかったのでしょうかね。
 加藤克巳さんは埼玉の方ですからわかるのですが、篠弘さん、馬場あき子さん
 という選考委員の顔ぶれは、お二人の実績はともかく、他のたとえば若山牧水賞等と
 まぎれてしまい、新鮮味を私は感じませんでした。
 ああ、新しい賞ができたのだな、との期待感をいだかせてほしいところでした。
 小池光さんや松平盟子さんが選考委員になっていれば、私はとてもわくわくして
 結果発表を楽しみにするのに、と思います。
 とはいえ、どなたの歌集が第一回の賞を授けられるか、期待とともに発表を
 待ちます。
 


[273] 無題 投稿者:松平盟子 投稿日:2000/10/02(Mon) 18:22

電脳日記、見ちゃいました。うふふ、なあるほどね。そして、さすがですねえ。
お仕事のお忙しい藤原さんが、どうやって時間を捻出しているのか、知りたいなあ。
え、ワインを飲んでる暇があったら歌集を読みなさいって?
すみません。


[272] 電脳日記スタート! 投稿者:みはる 投稿日:2000/10/02(Mon) 10:08

 以前から何度か掲示板に遊びに来ていたのですが、お久しぶりに伺ったら藤原さんの日記が始まっていたのでびっくりしてしまいました。うわあ、なんかすごいなあ、とこの電脳社会に改めて感激しています。うう、著作者の日常が記されるなんて、なんて贅沢なスペースなのでしょう。これからもまた日記や掲示板などを楽しみに遊びに来ます。毎日続けることは大変な苦労かとも思われますが、がんばって下さい。
 あと、個人的なことですが、藤原さんとは一度「短歌人8月号」の誌上で、場所こそ違えど、お会いしているのです。ああ、何か不思議な気分。私は「10代・20代特集」にいます。


[271] Re[268][267]: 見え具合 投稿者:ぽっぽ 投稿日:2000/10/02(Mon) 09:36

すみません、ぽっぽです。

荻原さん>

輝度を50から65にしたら、だいぶ良く見えるようになりました。
ありがとうございました(^o^)

http://www.lucky.co.jp/bbs/user/hashiba.html


[270] いまなら二桁ナンバーがとれます 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/10/02(Mon) 09:08

●れいはる様、ぽっぽ様、椎木様、ありがとうございます。
 今なら二桁ナンバーがとれます。
 上のタイトル下の「電脳日記・夢見る頃を過ぎても」にアクセスしてくださいね。


[269] 拝見しました 投稿者:椎木英輔 投稿日:2000/10/02(Mon) 08:57

「電脳日記・夢みる頃を過ぎても」拝見しました。37番目でした。これからも楽しみにして読ませて戴きます。


[268] Re[267]: 見え具合 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2000/10/02(Mon) 08:42

>ぽっぽさん

> ちょっぴし字が読みづらいかな、と思いました。<日記
> 背景の画像との関係で。

ああ、それはどうももうしわけないです。
もしモニターの輝度や光度が調整できたら、
輝度の方を少し明るくして読んでみて下さい。
明るくするとグレーやシルバー系の色が飛んで
黒い文字がくっきり見えるかも知れないです。
ぼくのモニターで調整したので、
いろいろ問題あるかも知れないですね。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[267] あのぉ・・・ 投稿者:ぽっぽ 投稿日:2000/10/02(Mon) 07:52

ちょっぴし字が読みづらいかな、と思いました。<日記
背景の画像との関係で。
でもこれは、私が目が悪いかも知れないです(クスン)。
大変失礼しましたm(_ _)m

http://www.lucky.co.jp/bbs/user/hashiba.html


[266] 西美なんですけれど。 投稿者:玲 はる名 投稿日:2000/10/02(Mon) 07:30

玲 はる名です。おはようございます。突然すみません。
「西美をうたう」なのですが、誰かに言いたくって……。
前評判で伺っていたより、とっても、良かったです。展示会場を3周ぐらい
しました。1周目は歌に気が行ってしまって、2周目は絵、3周目にやっと
落ち着いて、両方を鑑賞できた、という印象です。あの会場の建築美、とい
うか、フロア自体がもともといいこともあって、歌と絵との調和がよくとれ
ていたと思います。会場に居た(普通の人だと思う)人の話を聞いたんです
けれど、絵を鑑賞するのに、短歌がついていると、鑑賞しやすい、とか、あ
と、短歌がついていても、不思議じゃない、とか、言っていました。美術の
側からすると、タイトルがもともとある絵に短歌を付けるのって、突飛なの
かもしれないけれど、わたしは、楽しく鑑賞させてもらいました。多くの絵
は、聖書だとか抒情詩だとか、テキストを絵画に起したものなのだけれど、
それを、再び短歌というテキストにするときに、元のテキストにするか、ま
た、新しい飛躍をするか、が、詠むときのひとつの分かれ目になるのかな、
などなどの印象を持ちました。
昨日、大塚奈緒美と話をしていたのですが、藤原さんの作品は、たとえ絵を
詠んでいても、「確固として藤原龍一郎を貫いているよね」などと言いあっ
たところです。長くなりまして、失礼しました。ではでは。

http://homepage2.nifty.com/tanka/


[265] 頼りきってます、荻原さん 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/10/02(Mon) 06:38

●ということで、みなさん、[262][263][264]の管理人さんの
 書き込みを注目してください。
●日記はなるべく毎日、更新しようと思っていますが、これは、まあ、
 年末にITOYAとかで、新しい日記帳を買ったときの決心みたいなもので
 すから、更新してなくても、せめないでくださいね。
●内容的には、短歌と関係ないことを書こうと思っていますが、私の日常など
 平凡で面白くないと思います。が、面白いこともあるかもしれないので、
 ぜひ、みなさんに、しばらくは、お試しアクセスしていただきますよう、
 お願いいたします。
●それで、感想、質問などいただけたらありがたいので、こちらの掲示板に、
 ぜひ、色々書き込んでください。
●まあ、マラソンがスタートしたようなものですので、自分のペースを
 守ろう、ということでしょう。では。
 


[264] あ、アドレス帳のURLは、 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2000/10/02(Mon) 03:34

http://www.sweetswan.com/19XX/add/addbook.cgi

です。日記と同じく、このページのタイトル下の
メニューからもリンクしています。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[263] 藤原龍一郎のアドレス帳 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2000/10/02(Mon) 03:32

相互リンク集に準ずるものとして、
「藤原龍一郎のアドレス帳」を設置しました。
このページの直接の関係者と、リンクの旨、
このBBSに書きこみいただいた人については、
こちらで登録させていただきました。

特に利用法のとりきめなどはしませんけれど、
ご本人による書きこみのみ可、とします。
ゲストブックのつもりで、自由にご利用下さい。
電脳日記ともどもどうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[262] 電脳日記・夢みる頃を過ぎても 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2000/10/02(Mon) 03:24

みなさん、お待たせしました。
藤原龍一郎さんの「電脳日記・
夢みる頃を過ぎても」スタートです。

http://www.sweetswan.com/19XX/

このページの上部、タイトル下の
メニューからもリンクしています。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[261] 単なる誤変換 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/10/01(Sun) 21:30

というのも情けないけれど、そんなもんでした。

●ということで、東京の歌。

・マイ・ペースの「東京」等も歌いしとあえて隠さずふふふふ不遜/藤原龍一郎

 『嘆きの花園』という歌集に収録してある作品です。何が不遜なんだか。


[260] 私はてっきり… 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2000/10/01(Sun) 10:22

「行きましたか」をあえて「生きましたか」にされたのだと思っていました。
う〜ん、さすが! と…。

#でも、マイペースの歌の歌詞は「行きましたね」ですよね?

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[259] 「生きましたか」は「行きましたか」です 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/10/01(Sun) 08:36

●[258]のタイトルがまちがっているので訂正。
 昨日は京浜急行の「YRP野比」という所まで上司のご母堂の
 お葬式の手伝い。YRPというアルファベットまでふくめて駅名なので驚いた。
 こういう駅名は、カルトQみたいな知識だから、おぼえておこう。
 駅名マニアには有名なのかな。

●そういえば、もう、二十数年前、ワセダミステリクラブでミステリに関する
 タイトル当てクイズがはやっていたことがある。
 ・アルファベット、数字、カタカナ、ひらがな、漢字がいっぺんにつかわれている
  ミステリは何?
 わかるかな?
 答は今夜から書き始める日記の方で発表します。
 多少なりともアクセスをふやそうという小細工です。

●今朝の毎日新聞の短歌欄より。

・吹かれてはひかりをかへす樹のみどり安重根の見しみどりかしれず/三井ゆき

ハルピンに行っての作品。「天の河(スンガリー)」五首のうちの一首。


[258] 東京にはもう何度も生きましたか 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/30(Sat) 07:20

●ちょうど、今、私の勤め先のラジオ番組で、マイペースの「東京」が
 流れています。
 正岡さんは、今日、東京に来て、田村隆一のイベント(これは思潮社がらみ?)に
 行くそうです。全詩集の関連イベントですよね。
 あっ、いま、曲が中原理恵の「東京ららばい」に変わった。
●奥村晃作さん、枡野浩一さんが、そういう提案をされています。
 いかがでしょうか。
●五十嵐きよみさん、梨の実歌会は毎日、覗いています。
 たぶん、何か感想を書き込ませていただきます。
●うづ様、たぶん、朗読へ傾斜して行くのは文字での表現に
 それぞれの表現者がその人の表現レベルに応じた限界を感じ
 始めているからではないかと、私は思っています。
 あとは、自己顕示欲の暴走でしょうか。
 石井辰彦著『現代詩としての短歌』(書肆山田・2500円+税)に
 アメリカでの日本語での短歌朗読体験のレポートが載っており、
 私はその文章に刺激されたという面が強いです。お読みになってみることを
 おすすめいたします。
 


[257] 横レス 投稿者:正岡豊 投稿日:2000/09/30(Sat) 06:52

> 「見るだけでマスノ短歌教信者にされてしまうので、
> 歌人は書き込みしない。(ただしマルチ短詩人の正岡豊は例外)」

 おはようございます。正岡です。

 しらなかった! 例外だったのか・・・・・・・・・・・・・・。

http://www3.justnet.ne.jp/~masa-0606/index.htm


[256] 奥村晃作さん……、 投稿者:枡野浩一 投稿日:2000/09/30(Sat) 04:18

この掲示板に書き込みをして、
ご自身の掲示板のリンクをはってみては……?

「見るだけでマスノ短歌教信者にされてしまうので、
歌人は書き込みしない。(ただしマルチ短詩人の正岡豊は例外)」
という不文律があるみたいなマスノ短歌教掲示板も、
覗きにきてくださいね。

十一月に出る、
今「あとがき」を書いている拙著
『かんたん短歌の作り方(マスノ短歌教を信じますの?)』(筑摩書房)の中で、
奥村晃作の短歌を一首、紹介させていただきました(少女漫画誌
「キューティ・コミック」の連載をまとめた本です)。
この本に出てくる唯一の文語の歌かも。

http://talk.to/mass-no/


[255] どうして朗読? 投稿者:うづ 投稿日:2000/09/30(Sat) 00:48

こんばんは うづ です。
みなさんの活発な意見交換、たいへん興味深く読んでいます。
私は田舎で楽しくハイクを作っていますが、どうして今みんな
「朗読」を試みているのかよくわかりません。表現としてはまったく
違う領域のような感じがするのですが。
もしよかったら、そのへんのところお教え下さいませ。では。


[254] 第2回梨の実歌会、意見交換がスタートしました 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2000/09/30(Sat) 00:29

こんばんは、五十嵐きよみです。
本日はちょっと宣伝にお邪魔しました。

私のHP&掲示板で開催している「梨の実歌会」、
先ほど選歌の集計結果を発表し、意見交換に入りました。
第1回目の前回は、意見交換の期間中、実に300件を越える書き込みがありました。
今回も盛り上がってくれることを期待しています。
もしよかったら、ぜひ覗いてみてください。
飛び入り参加も大歓迎です。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[253] ミッドナイトプレスはいつも留守 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/29(Fri) 23:02

●今日は柴田千晶詩集『空室』が、いつできるのか確認したくて
 ミッドナイトプレスに三回も電話したのだけれど、いつも留守電だった。
 ちゃんと出てくれば、詩の朗読のCDも注文しようと思ったのに。
 ミッドナイトプレスはミッドナイトミートトレインなのかい?
 と、まったく関係ないこと書いてしまいました。
●まさおかさん、朗読に関しての意見をありがとうございます。
 確かに自作朗読という固定観念から一度歌人たちは自由になったほうがいい。
 構成をいかにするか、という点で、「現在」の感覚がリアルに伝われば
 うれしいだろう、と私は思います。
●松原さんが米子出身とは予想もしていませんでした。
 うーん、私は米子の人と感性がシンクロするのだろうか。
 松原さんにも、今度、朗読の構成と演出に関して、相談にのっていただきたいと
 思っていますので、その節はよろしく。
●桝屋善成さん、いつも読んでいただきありがとうございます。
 桝屋さんの日記の迷蝶舎日録を読むたびに、なんてマジメに歌集、歌書を
 読んでいるのだろうと、感嘆しています。そういえば、今日、短歌研究の
 新人賞、評論賞の授賞式に見学に行ったのですが、篠弘さんが講評の中で
 三十代、四十代の歌人の不勉強を指摘し、厳しく叱責しておられました。
 しかし、桝屋さんのような勉強家もいるわけで、やがて、この勉強が
 大きく結実すると思うと、たいへん楽しみです。
 喜多弘樹さんの本、私も読んでいます。喜多さんも私と同じ世代なんです。
 屈折した二重生活者であるところにも親近感をおたがいに感じてしまう
 ようです。
●そうそう、短歌研究の授賞式で、奥村晃作さんから、この掲示板のカウンターは
 なんで、あんなに数字が増えるの?と聞かれましたが、さて何ででしょうか。
 今夜は紺野万里さんと写真を撮らせてもらえたし、島田修二さんともしゃべれたし
 いろいろと心さわぐ夜でありました。


[252] 天上に歌満つれば 投稿者:桝屋善成 投稿日:2000/09/29(Fri) 06:53

おはようございます。

いま喜多弘樹評論集『天上に歌満つれば』(ながらみ書房)を
読んでいます。
その中の「叫びと抒情」で藤原さんの作品にふれて
・現代という軽薄で閉塞された時代の、抒情のかたちの一つが凝縮
 されているかのようだ。
といっております。

とりあえず。

http://www2.ocn.ne.jp/~meicho/index.htm


[251] シンクロする楽しさ 投稿者:松原一成 投稿日:2000/09/29(Fri) 01:14

今晩は。放送作家会員の松原です。
先日、某テレビ局の人から、「これ聴いてごらん」と
1枚のCDを渡されました。
「耳寄りな話」というやつで、詩のボクシングやら、
巻上公一のこれでもかなどが入っています。
その人、私が短歌をやっていることなど、知らないはずなのに、
なんとタイムリーな。
早速聴いては、奥の深い世界があるもんだなぁと、感心しています。

それから私は鳥取県米子市生まれで、藤原さんベタ褒めの倉益さんと一緒。
1962年前後生まれで、これは正岡さんと一緒ですか。
最近何かと、ここの掲示板にシンクロしている私です。
ほんと、世の中って、狭くてステキ。


[250] Re[245]: 世の中は広くてステキ 投稿者:正岡豊 投稿日:2000/09/29(Fri) 00:21

こんばんわ、正岡です。
じゃ書き込みますね。(^_^)/

> ●私もはじめは、自作朗読しか頭になかったのですが、昨年のかばんの
>  朗読会のレポートで正岡豊さんが、清水昶だか荒川洋治だかの詩を読んだ
>  というのを知って、ああ、そういう方法があるのだ、と目を開かれた思い
>  でした。くふうのし甲斐がある表現領域が詩歌朗読だと確信したのも
>  正岡豊さんの試行を知ってからです。

 最初にやった朗読が、山崎郁子とのコラボレーションで、時間関係が
いまいちわからなかったのでいくつかのパートにわけた二十数分のシナリオ
を必死になって書きました。パート抜かせば時間調節出来るようにね。
 でも結局全部やりました。そのときに、
・自作の自分の朗読
・他作の他者の朗読(山崎郁子の歌ももちろん彼女がよんでいる)
・自作の他者の朗読(この場合は性差もチェンジ)
・他作の自分の朗読(浜田到の歌も入れていた)
 というのを結局全部やってたわけです。
 去年のかばんの会では、荒川洋治の「見附のみどりに」を読みましたが、数年前から
「もう自作なんて読む時代なんじゃないだろう」みたいに思ってたからですね。
 入谷いずみさんに「なぜ自分の作品を読まなかったのですか?」と聞かれたのですが
それはこちらが「なぜひとの作品を読まなかったのですか?」と聞きたかったです。
 でもこのごろはもうそういうのもどうでもよくなってきました(笑)。

[249]ジョニーは戦場に行った  投稿者:藤原龍一郎
>同世代意識というのを否定するむきが多いが、私は短歌においては
>もはや同世代者しか信じたくない気さえする。

これもなんとなくわかります。ただこの同世代意識というのがあんまり実年齢と
一致しないというのが特に1962年前後うまれのものの難しさじゃないかなあと
思いますねえ。ということで。

 

http://www3.justnet.ne.jp/~masa-0606/index.htm


[249] ジョニーは戦場に行った 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/28(Thu) 20:34

・まだ悪い夢の続きをWOWOWに見ているジョニーは戦場に行った/倉益敬
「短歌人」10月号より。

倉益さんは私と同世代、一九五一、二年組。
現在は米子市で、美容院を経営している。
倉益さんの歌には文句なく魅かれる。壮年期のいわゆる働き盛りの男性にきざす
せつなさやさびしさを巧みな言葉やアイテムで言いとめてみせてくれる。
この作品も「ジョニーは戦場に行った」という一九七〇年代の映画の題名だけ
ならば、ワンショットの思いつきにすぎないのだけれど、それにWOWOWという
この時代の固有名詞を加えることで、悲哀感に奥行きを出してしまう。
自分の現在とあの時代を計る感覚が正確ということだ。
同世代意識というのを否定するむきが多いが、私は短歌においては
もはや同世代者しか信じたくない気さえする。
倉益敬歌集が上梓される日が待ち遠しい。


[248] 電脳パトロール 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/28(Thu) 08:05

●おかげさまで、防火管理者の講習終了しました。
 これでラエティティアの防火管理は万全です。
 荻原さんはたくさんのBBSを巡回しているので、たいへんでしょう。
 「電脳パトロール」というと古き良き時代のSFのタイトルみたい。
●あっ、それからみなさん、ぜひ、ここに書き込んでくださいね。
 まもなく、日記も始まりますので。
●坪内祐三編著の『明治文学遊学案内』(筑摩書房1900円+税)を読んでいます。
 筑摩書房の明治文学全集のパブ的な内容のマニュアル本的なものですが
 これはこれで、読み応えがあります。
 しかし、坪内祐三や森まゆみは、あれよあれよという間に、
 おいしいポジションを獲得してしまいましたね。これはうらやましい。


[247] 荻原さん、お世話になっています 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/26(Tue) 21:21

●下に荻原さんが、お書きのとおり、10月1日から、
 クロニクルページが新設されることになりました。
 ウーン、この掲示板のカウンターも今1800を超えているし
 デジタルビスケットを抜く日も近い。
 と、恩を仇でかえすやつ。
●実は今日と明日は、防火管理者の講習に通っています。
 順調にいけば、明日の夕方には防火管理者の資格がとれるはずなので
 今後はラエティティアの防火管理をして、恩返しをいたします。

・くれなゐのざくろ一果に点火してはるかに高し秋の日輪/小島ゆかり歌集『希望』


[246] 10月1日では遅すぎる? 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2000/09/26(Tue) 06:13

予告してあった藤原龍一郎さんの電脳日記のページと
シンプルなリンク集(というかアドレス帳なんですが)を
10月1日(日)にスタートする予定で準備を進めています。
開始時にはまたあらためて告知いたします。
どうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[245] 世の中は広くてステキ 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/25(Mon) 07:04

●五賀さん、村上さん、情報をありがとうございます。
 「ホーメイ」と「ホーミー」と両方あるんですね。
 やはり、世の中は広くてステキです。
●五十嵐さんのほぼ後ろに私は居たようです。
 なかなか会えない運命のようですね。
 村田さんは武道家でもあるので、ぜひ、短歌の「短歌道」的朗読を
 時代にふさわしいかたちであみ出してほしいものです。
●五賀さんのいうとおり、「作者の朗読」の範囲とそれからの逸脱と
 いう点は、今後のポイントだと思います。ただ、自作朗読だからと
 いって、技術無視になるのはまずいと思います。
 あと、やめてほしいのは、変にウケを狙おうとする態度ですね。
 私が見聞した狭い範囲でも、詩人の一部にウケ狙いの人が居て
 ウンザリしたものです。
●自作以外のものを読めるか、という問題も構成、演出、技術という
 部分で、ヴィジョンをもっていれば、作品にふさわしい朗読が
 できると思います。
●私もはじめは、自作朗読しか頭になかったのですが、昨年のかばんの
 朗読会のレポートで正岡豊さんが、清水昶だか荒川洋治だかの詩を読んだ
 というのを知って、ああ、そういう方法があるのだ、と目を開かれた思い
 でした。くふうのし甲斐がある表現領域が詩歌朗読だと確信したのも
 正岡豊さんの試行を知ってからです。


[244] 現代短歌における<韻律>の問題とその周辺 投稿者:村田 馨 投稿日:2000/09/25(Mon) 01:02

9/22のミニシンポジウムは多くの方がいらしていたようですね。
私はちょうど藤原さんの真後ろ、辰巳泰子さんの隣におりました。
石井さんの朗読がちょこっと聞けてよかったです。月鞠の朗読会
では大幅に時間に遅れたため残念ながら聞けなかったものですから
今回はラッキーでした。
「短歌往来」がちょうど朗読の特集をやっていて、タイムリーとも
言えました。朗読の方法、句読点の扱い、模索中のことがまだまだ
あるのですね。
また、高橋睦男氏の表現に対する考え方も頷かされるものがありました。


[243] ホーメイ 投稿者:村上きわみ 投稿日:2000/09/24(Sun) 23:41

こんばんは。村上です。
ホーメイの話題が出ていたので、ちょっと入れてください。
実は今月のはじめ、その巻上公一さんのコンサートを企画して、無事終了したところなのです。「巻上公一ソロ・ヴォイス」と題して、あの驚異的な声を、釧路の古い倉庫に響かせてもらいました。素晴らしかったです。
ところで、ホーミーはモンゴルが発祥、ホーメイはロシア連邦トゥバ共和国の発祥です。のどの開き方とかも微妙に違うようですね。


[242] ホーミー 投稿者:五賀祐子 投稿日:2000/09/24(Sun) 20:54

ホーミーは面白いですよね。習ってみたいと思ってます。
ただ、シンポで石井さんの
「作者の朗読」の範囲を逸脱している
という発言があったでしょう?
あれはすごく示唆的で、石井さんの朗読もベイシックな感じで素の楽譜を示す
ということだったかと思った。
歌手としては、いろいろな案を持ってますが、歌人としては、まず素なのかな、とも。
二次会でも話が出たんですが、自分の歌じゃないのを朗読する、というのがその次にあるのではないか。


[241] Re[239]: 私は何処に居たのか? 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2000/09/24(Sun) 11:46

> ●私も五十嵐さんが居るはずだと、きょろきょろはしていたのですが

うひゃあ。恐縮です。
えと、私はわりと早目に着いたので、五賀がさんが書いてくださったように、
始まる前はロビーで煙草をすぱすぱやってました。
そのとき、荻原さん、高木さんにお声をかけていただいたため、
シンポジウムが始まってからは、高木さんのお隣にすわらせていただきました。
場所でいうと、前から2列目の中央。中澤系さんの真後ろというあたりでした。
(こんなに固有名詞を出していいのかな…。皆さま、ごめんなさい)

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[240] 「ホーメー」または「ホーミー」について 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/24(Sun) 08:41

●[239]に書いた「ホーメー」または「ホーミー」について、
 私のいいかげんな要約では、混乱しそうなので、Mさんという
 声楽の専門家にいただいたメールを、ご本人の了解を得て、
 下に転載しました。

 さて、ホーミーについてわずかな知識でお答えします。
 民族音楽的な視点からみると、小泉 文夫が指摘していた「長い歌、
 短い歌」の捉え方に分けられます。
 ホーミーはその「長い歌」になります。
 長い歌は無拍節的で、ソロでゆうゆうと歌われる追分調の遊牧系の
 人々が歌います。
 屋外で歌うということもあって、あまり伴奏楽器を必要といないで、
 むしろ声だけでどこまで表現しうるかといった限界に挑みます。
 一息の長さ、音域の広さ、そしてこぶしのつけかたなどがそれです。
 一人で二声出す方法は、頭声発声と胸声発声の両方で同時に出します。
 もとは、西方のバグパイプ、同様東方では笙の類に入ります。
 その演奏法は低音部を支える長い息の音は、鼻から息を吸いながら
 同時に口から吐いて音を出すので、延々とその音は続きます。
 そして同時にメロディーを一緒に演奏します。
 ホーミーはその楽器の演奏法を声で表現したものです。
 ですから、シルクロードは「こぶし街道」でもあるわけで、日本で行わ
 れる「追分大会」にホーミーの歌手が歌ったのですが、全くというほど
 区別がつきませんでした。

●以上です。
 私がなぜ、こういう特殊な発声技法にこだわるかといえば、
 詩歌の朗読が、詩人や歌人のキャラクターを支えにした「個性」という
 曖昧な言葉で、すべて容認されてしまうことに、異をとなえたいからです。
 個性といってしまえば、NHKののど自慢のすべての出場者にだって
 個性はあるわけですから。
 音読ならただ声に出して読めばよいのでしょうが、朗読というのは、
 演出をふくめて、どのように聴衆に聞かせたいのか、という明確な理想型が
 朗読者の側にあるべきだと私は思っています。
 ですから、まだまだ、短歌の朗読は発展途上で、それだけさまざまなくふうの
 余地があると思い、期待をいだいているわけです。


[239] 私は何処に居たのか? 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/24(Sun) 07:08

●私も五十嵐さんが居るはずだと、きょろきょろはしていたのですが
 おたがいに認識できなかったのは残念て゜す。
●私が居たのは後ろから二列目の中央あたり。
 私から見て、左がわに奥村晃作、中川佐和子さん、左斜め前に
 穂村弘、東直子、さらにその前に、さいかち真さん、私の真後ろに
 辰巳泰子、黒瀬珂瀾さんという位置関係でした。
 パネリストの発言が面白く、集中して聞いていたので、会場発言になって
 真後ろに辰巳泰子さんが居たのだと気づいた時には、ひぇっ!と驚いて
 しまいました。
●二次会は行かなかったのですが、会場をかたづけながら、穂村弘さん、
 東直子さんと巻上公一の「ホーメー」についてちらっとお話しました。
 先週の日曜日に「詩のボクシング」というイベントがあり、そこで
 巻上公一が「ホーメー」の実演をしたのですが、とにかく、口と喉から
 同時に二種類の音がでるという技術で、私は驚愕したのです。
 声楽関係の人に聞いてみたら、鼻から吸った息を口から出す発声を続け
 ながら、胸から喉にも呼気をとおして別の発声をするのだそうです。
 民謡の「追分」が、よく似た発声法だとのことです。
 朗読ということをきっかけにして、まったく知らない世界に入り込んで
 行くのがなかなかスリリングです。


[238] いがらしさま 投稿者:五賀祐子 投稿日:2000/09/23(Sat) 20:37

ゆうべ煙草をすぱすぱする五十嵐さんを拝見してましたよ。
2次会も濃かったです。
帰ってからチャットに出て1時まで起きてました。
ふじわらさんも来れば面白かったのチャット。ぜったい。


[237] ああ、なんてこったい。失礼しました 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2000/09/23(Sat) 10:47

おはようございます、イガラシです。
別の場所で確認したことをいきなりこちらで書くのもなんですが…
昨夜のミニシンポジウム、藤原さまもご出席になられていたのですね。
(嗚呼〜、私も行ってましたっっ)

始まる前は、もしかしてお目にかかれるかも…ときょろきょろしていたのですが、
終わってからは、パネリストの方々のお話の余韻に浸ってしまい、
その他のことはすっかり忘れてそのまま帰ってしまったのでした。

とほほ…。せっかくの接近遭遇でしたのに。
ご挨拶もできずに失礼しました。
第2回も行きたいと思っていますので、そのときこそぜひ。

ところで、昨夜のお話は、ちょうど興味を持っている
句読点や記号についての話題も出て、たいへん勉強になりました。
次回の「私性」というテーマも楽しみにしています。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[236] 浴槽に柚子投げ入れよ 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/22(Fri) 07:53

●〔235〕で紹介した目黒哲朗歌集『CANNABIS』の後半から作品紹介。

・浴槽に柚子投げ入れよ感情をもて余す身の脂がにほふ

・もう誰も疲れを言ふな飲みかけの牛乳壜が置かれゐて、午後

・三十センチ木製定規ひきだしに仕舞へり愚直にもほどがある

・黒ビールのみどを過ぎて悔恨もまたわたくしの生と居直る

・自由についていまに問はざるまま何を見送ればいい送迎デッキ

・届きたる雪と封筒 もつと暗い空をあなたは知つてゐるはず

・裏切つたのは確かにわたし戦争がテレビの中で続くあひだに

・駆けりゆく犬くび紐を引きずつていいかそのまま死んでおしまひ

・歌つてゐたさいつもおびえた唇であしたになれば大人になれば

・さつきからついてくる犬 ちひさな犬 吠えるくせについてくる犬

・サイコダイバーあなたが潜る精神の海を彩る朝焼けはあるか

●前半とは対称的に心の陰翳の部分が意識的に詠いだされている。
 実はこの歌集の本当の読みどころは、前半から後半へのこの転調に
 あるのではないか。
 青春喪失の思いは今までにさまざまな名歌を生んだが、この作者も
 オリジナルな言葉でみずからの喪失感を短歌に定着させるべく努力し
 成功している。  
 過度の自虐も嘆きもなく、表現のバランスが巧みにたもたれているので
 読んでいても鼻白むような歌がないのも、この歌集の特徴だろう。
●歌壇賞を受賞したのが、作歌を開始して四年目、そして、この歌集が
 上梓されたのが、受賞から七年目。その醸成期間の長さが目黒哲朗にとっては
 良い方向に働いている。
 新人賞を受賞したら、その余韻がさめないうちに、第一歌集を出すというのが
 現在の一般的な風潮だが、資質によっては、目黒哲朗のように、じっくりと
 自己表現を鍛え続けるという方法もある。
 


[235] 五輪とふ名の傷跡のありといはずや 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/21(Thu) 08:08

●タイトルは目黒哲朗の歌集『CANNABIS』よりの一首

・火をめぐるながき歴史に五輪とふ名の傷跡のありといはずや

「傷痕」ではなく「傷跡」という文字遣いが個性的と言える。
 作者は長野県在住なので長野冬季オリンピックの歌であろう。
 一九九三年に第四回歌壇賞を受賞、「原型」に所属している。

●歌集『CANNABIS』は不識書院刊行・2500円+税。
 タイトルは「カナビス」と発音し、大麻の雄蘂の謂いだそうだ。
 斎藤史氏の懇切な序がついている。
 目黒氏は一九七一年生れなので、まだ二十九歳。清新な新人のイメージである。

・夏樫を見上ぐる父よあなたとは生まれかはりても会ふかもしれず
・あぢさゐの鞠ほどの鬱かかへ来ていつもの水たまりをとびこす
・パレットで火薬を溶いてゐることに少年はいつ気づくのだらう
・てり翳る麻雀牌のデカダンスわれらの長くうつくしき指
・砂浜に立ち尽くしてもなにを見てゐるのか分からないときがある
・いつの日のいづこへわれは帰らむとしてひろげたるかうもり傘か
・ゆふぞらへ風船ひとつ誰からもわれからも遠ざかりつつ上る
・水鳥のつばさを奪ふ シャッターを切りて時空の網を放てり
・四階の窓からパイプ椅子ひとつ投げてみようか綺麗だらうな
・陰画紙に男ひとりを照らし出す<死の側>として暗室がある

●歌集の前半から引いて見た。
 最後の三首は歌壇賞受賞作の「つばさを奪ふ」の中の作品。
 一読して寺山修司を連想するのは当然のことであろう。
 私は、まぼろしの郡山淳一を思い出した。
 文語で書いていながら、読んでいる最中にはそれを忘れてしまう感じ。
 タイトルにひいた五輪の歌にも批評精神ははっきりあるのだが、
 あざとさがまったくない。あからさまな屈折もないので、読後の印象
 が、さわやかだ。(不識書院・рO3―3292―9103)


[234] あ、『戀人のあばら』、本棚で今、見つかりました。 投稿者:枡野浩一 投稿日:2000/09/20(Wed) 22:18

皆様ありがとうございました。

http://talk.to/mass-no/


[233] ラバーでしたか。訂正、まにあってよかったです。 投稿者:枡野浩一 投稿日:2000/09/20(Wed) 22:12

歌の引用はできず、
書名を紹介するだけにとどまってしまいましたが、
ご笑覧いただけると幸いです。

http://talk.to/mass-no/


[232] ああ、私が教えようと思ってたのに 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/20(Wed) 21:33

●とんねるずの番組を見ていたら、出遅れてしまった。
 ちなみに、私の『戀人のあばら』には、松原未知子さんの直筆で

・白馬のやうにバーをぞ飛びこゆる少女期ありしことなんて平凡

この作品が書かれています。

●回文でない松原未知子さんの作品を少し紹介。
・泣きながら眠つてゐたと云はれたり否眠りつつ笑ひしわれを
・まこと夜は千の貌もつ千の夜のひとり時間差つたなかりける
・またがれば陰(ほと)を濡らさむ自転車の鞍(サドル)の奥へ沁み入りし雪
・幻影(フアンタスム)見ずには私歩きつづけられないだらうだらだら坂を
・靴の紐むすばせてゐるこれの世のみどりの中に淋しく立ちて
・液晶画面(ディスプレイ)の蒼き夜空にまたたきて鬼火のごとくわれの言葉は
・雨粒ではちきれさうなあしひきの山手線のたそかれときは

●写していて、眩暈がしそうなほど酩酊感のあるオトナの歌。
 


[231] ラバーです。 投稿者:松原未知子 投稿日:2000/09/20(Wed) 21:08

☆枡野さま。
 ちょっとだけズレがあった方がいいかなと思って
 わざと「ラバー」にしました。

 金曜の毎日新聞東日本版、お隣の義父母の家でとっていますので
 かならず読ませていただきます。


[230] 『戀人のあばら』のふりがなは、 投稿者:枡野浩一 投稿日:2000/09/20(Wed) 16:05

「ラバア」でオッケーですか?
それとも「ラバー」?

http://talk.to/mass-no/


[229] 枡野さまと訂正します。 投稿者:松原未知子 投稿日:2000/09/20(Wed) 15:12

☆枡野さま、「桝」と「枡」を間違えました。
 ごめんなさい。
 回文川柳、いい味出しておられますね。
 私も最近作を一首。

 快楽はくらいか カンナなんか 咲いてるていさ あばずれのレズバア

 


[228] 松原さん、それは恐縮です。 投稿者:枡野浩一 投稿日:2000/09/20(Wed) 13:32

村上春樹の回文かるたのこと、
毎日新聞のコラムでは批判的に書いてしまいました。
今週の金曜日の夕刊です、東日本版ですが。

私が昔つくった、回文川柳(?)。

   「よのすえかクラクラ」「ラクラクかえすのよ」

http://talk.to/mass-no/


[227] 回文ブームの兆しあり、ですか。 投稿者:松原未知子 投稿日:2000/09/20(Wed) 13:21

☆藤原さま、久しぶりにこちらに来てみましたら、回文がいろいろ紹介されてまして
 なんかとても懐かしく嬉しい気持ちでした。
 わたしは回文は技巧で作ると言うより、ことばのトランス状態に入るための
 触媒と思っていました。つまりドラッグみたいなものでしようか。

☆桝野さま、これも何かのご縁と思いますので『戀人のあばら』
 もう一度お送りしますよ。待っててください。
 村上春樹さんも回文の本を出しましたね。『回文かるた』でしたっけ。
 本屋さんで見ましたけど、買いませんでした。面白いのかなー。

☆仙波龍英さんの『わたしは可愛い三月兎』と『ザ・わたしは可愛い三月兎』
 わたしも探しています。
 それにしてもなぜ、彼は急逝されたのでしょう。謎めいていますね。
 


[226] 巡回バスは渋滞の中 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/20(Wed) 07:39

●枡野浩一さんが224でお書きの香川ヒサさんの回文歌は下記のものです。

・かさはさか きゆはあはゆき くさはさく 巡回バスは渋滞の中/香川ヒサ

●第一歌集の『テクネー』(一九九〇年・角川書店刊行)に収録された歌。
 一九八八年に角川短歌賞を受賞した「ジュラルミンの都市樹」50首の
 中にも入っていた歌でもあります。
 『テクネー』は現在は手に入れにくい歌集ですが、現在の香川ヒサ短歌が
 完成する以前の、知的な視線にまだ日常性が入っている時期の作品には
 とても魅力的なものがあります。
 ながらみ書房のアンソロジー『現代の第一歌集・次代の群像』
 (一九九三年2300円)には自選50首が入っているけれど、こちらも
 もう、手に入りにくくなっているようですね。
 ぜひ、砂子屋書房に現代短歌文庫『香川ヒサ歌集』を出してほしいと
 お願いしたいところであります。
●ちょっとだけ、香川ヒサ作品紹介。

・こもごもに語り合ひつつ言の葉はあるいは異の刃 切り口が違ふ
・角砂糖ガラスの壜に詰めゆくにいかに積めても隙間が残る
・人あまた乗り合ふ夕べのエレヴェーター桝目の中の鬱の字ほどに
・スローモーション・テレビに見たるは力士らの勝ちゆくさまか負けゆくさまか
・もう一人そこにはをりき永遠に記念写真に見えぬ写真屋
・巷行く人がカウントされてゐる誰そ彼の街いつのいずこぞ
・クリネックス買ひに出でしがなんとなくネピアを買ひて帰り来にけり
・機能あまた備ふるラジオの性能のひとつかすかなノイズを捉ふ

●正岡豊さんのエキスパンド句集『ムーン・プール』は、
 みなさま、ぜひ、ごらんください。
 三宅やよいさんは俳句作家、なかはられいこさんは川柳作家で、
 ともに、現在、それぞれの表現分野で、絶好調の活躍をしている方々です。
 それにしても『ムーン・プール』ってタイトルはいいですね。
 古き良きセンス・オブ・ワンダーを心によみがえらせてくれます。


[225] 回文、とエキスパンドブック句集『ムーン・プール』 投稿者:正岡豊 投稿日:2000/09/20(Wed) 01:58

こんばんわ。正岡です。クッキーなくなるほどごぶさたしてしまいました。

◇回文。ものすごーーーくバタ臭い回文詩歌作者に、故:氏家康一という人が
 おられました。

八百飛ばし宙に舞ひよる腕華
      光宵間に打ちしは遠矢

やほとばしちうにまひよるかひなばな
      ひかるよひまにうちしはとほや
                  (王選手八百号本塁打)
                    (正岡註:わかんないってこんなの)

 なんか題材がこんなのばっかりで。

◇さてこのたび知人の五賀祐子さんが、エキスパンドブックの私の句集をオーサリング
 ツールで作ってくださいました。

 ・句集『ムーン・プール』(金)三宅やよい選
 ・句集『ムーン・プール』(銀)なかはられいこ選

 の二冊です。どちらも私のホームページからダウンロード出来ます。
 俳句はいわゆる現代俳句系、非伝統系ということになりますが
 それぞれの棲み分けみたいなものの境界が、やわらかくかつ強固になったような
 現在、あまりそういうことを声高に否定する人も肯定する人も少なくなったというか、
 いてもあまり意見がクロスすることはないような感じですね。
 とりあえず興味を持っていただいた方は、私のホームページからダウンロード
 出来ますので、そちらのほうへよろしくー。

 あと読まれた方、掲示板、メール等で、感想批評いただけるとほんとにうれしいです。
 よろしくー。
 

http://www3.justnet.ne.jp/~masa-0606/index.htm


[224] 香川ヒサさんにもありましたね。 投稿者:枡野浩一 投稿日:2000/09/20(Wed) 00:03

角川短歌賞受賞作に。一部回文の。

私が毎日新聞夕刊コラム(今週の金曜日、東日本版)
で紹介する『さかさ言葉「回文」のすべて』(カットシステム)には、
古典からオリジナルまで、
さまざまな回文短歌が載っていて感心しました。
とりわけ自然でよくできてるのを一首紹介。


   昼飯は、またにしないか、五月雨だ
   みさかい無しに、多摩は湿る日   (作者=闇から神谷)

http://talk.to/mass-no/


[223] そうそう、忘れてました 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/19(Tue) 20:07

●下記の早坂類さんが教えてくださったという「縞馬家集」。
 この小池純代さんも、言葉に憑かれた人なんですよね。
 回文もすごい。
 高柳蕗子さんの作品にも、一部回文のものがありますよ。
 だんだん、回文の天下一武道会みたいになってくるみたい。


[222] ありがとうございました。 投稿者:枡野浩一 投稿日:2000/09/19(Tue) 19:54

↓こんな試みもあるんですね。早坂類さんにおしえていただきました。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwhd2516/index.htm


[221] お答えします 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/19(Tue) 19:41

●あ、枡野浩一さん、どうも、いつもお世話になっております。
 松原未知子歌集『戀人のあばら』の出版社は砂子屋書房です。
 03-3256-4708です。

●同歌集より回文の短歌を紹介します。
 
・はかなさの落葉焚きしてみしかどなどか凍(し)みてきた中庭(パティオ)のさなかは
・人知れず遠き悲を超えしことよとこしへ弧をひき訪れし問ひ
・然れども漂ふ鳥ふるさとへと去るふりとふよ、ただ戻れかし
・ものみなは浮かむ黄泉も室戸までまどろむも見よむかうは波の面(も)
・ねがはくは白波かろくドレスを擦れど黒髪ならし履く鋼(はがね)
・けだるさを待つてさみしき戀人(ラバー)のあばらきしみ、さて妻を去るだけ
・な忘れそ越える旅路を田舎(ゐなか)の家内をちびたるエコー、それ吸はな
・メランコリィはそこに酔ふかな否否(いないな)カフェにこそ入りこむらめ

●うーん、言葉をかるがるともてあそんでみせるアーティストでありますね。


[220] 藤原さん、『戀人(ラバア)のあばら』 投稿者:枡野浩一 投稿日:2000/09/19(Tue) 11:28

の正式な表記と出版社をご存じでしたら、、
おしえていただけると幸いです。
以前、著者ご本人から送っていただいたのですが、
部屋で見つからず、困っていました。
ちょうど回文について、毎日新聞夕刊のコラムに書いているところなのです。

http://talk.to/mass-no/


[219] 回文ドランカー 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/19(Tue) 08:08

●「未来」九月号より、松原未知子さんの作品。

・われわれは/カルトをとるが/はらからは/シャイな癒し/にするか緩慢(ルーズ)に

各句が回文になっている超技巧的な歌。
ああ、ここにも言葉に憑かれた人がいる。
また、松原さんの歌集『戀人(ラバア)のあばら』を読み返したくなりました。


[218] 葦沙雄造歌集『鹹湖』(かんこ) 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/18(Mon) 08:07

●村上きわみさん、ようこそ。仙波龍英詩集は、手に入れるのは
 かなり困難な感じですね。私も自分では持っていなくて、解題のために
 「短歌人」の先輩歌人から借りたのですから。
●さて、面白い歌集の紹介。
 葦沙雄造歌集『鹹湖』。柊書房刊行 2500円+税
 葦沙雄造さんは「好日」所属。大正六年生れの八十三歳。
 自在な詠いぶりは年齢を感じさせない。
●作品を読んでみよう。
・一瞬の光が世界を滅ぼすという待ち遠しいぞその結末が
・ひまわりの黒き種子灼く炎昼の広島の野に母は燃えしか
・キグチコヘイは喇叭吹きつつ死にしとう国定教科書のかなしいはなし
・大葬の列粛々と過ぎゆけりああ「英霊」も見送りてあらむ
・あの方が「人間」だったなんて困ります死んだ者の身にもなって下さい
・みんなみんなしあわせそうに笑っていてそのくせどこかさびしい写真
・三日前の囲碁の相手を葬送す「死」とは日常の出来事にして
・湯の宿に二夜を泊りなにがなしさびしくなりて夜を早く寝る
・「酔い覚めの星が出ている」とう放哉の空を仰げば満点の星
・ノモンハン戦書けば死ぬとう司馬よわれら戦いていまだ知らざること多し
・温和にて人格高潔のごと見ゆる「遺影」の準備をせねばなるまい
・食べ終えて間なく食事をという老いを叱るな君もすぐにそうなる

●作品からも推察できるとおり、葦沙氏は昭和十三年に応召し、
 ノモンハン戦に参加している。また、広島で御母堂が被爆死している。
 この応召をはさんで、戦前から戦後にかけて、長く刑務官として各地の
 刑務所に勤務し、定年後の昭和五十二年に「好日」に入会、作歌を
 始めたとのこと。
●208、209で紹介した百井定夫氏も、定年後に作歌を始めたという経歴
 だったが、短歌というのは、人生の過程で蓄積された洞察力が、大きな力と
 なってくれる表現形式なのだと思う。
●作品を一読すればわかるように、痛烈な批評精神が芯にあり、それでいて
 スローガン臭はない。斜にかまえたイヤミもなく、「司馬」の歌のように
 思わぬ角度から、鋭い言葉がとびだしてくる。
 こういう歌人の存在も貴重であり、多くの人に読んでほしい。
●葦沙雄造歌集『鹹湖』柊書房 03-3291-6548 2500円+税


[217] 無題 投稿者:村上きわみ 投稿日:2000/09/17(Sun) 17:06

こんにちは。村上といいます。
実はつい昨日、仙波龍英氏の『ザ・わたしは可愛い三月兎』を
ある人からいただいて大喜びしていたところです。歌集は持っ
ていたのですが『ザ・***』のことは知りませんでした。
ということは歌集のほかにこの『ザ・***』と、詩集の三月兎
があるということなんですね。
道理で検索をかけたらいくつも出てくるわけです。
しかも詩集はもう手に入らないということなんですね。

ああ。なんだか猛烈にかなしくなってきました。
すみません。ほぼ独り言です。


[216] 詩集・わたしは可愛い三月兎 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/17(Sun) 14:33

●「短歌人」十一月号で「追悼・仙波龍英」という特集を組むので
 仙波龍英の歌集以外の著書の解題を書いている。
●その著作の中に『詩集・あたしは可愛い三月兎』という歌集と同じ題名の
 詩集があることは案外知られていないのではないか。
●十一篇の詩が収められているのだが、仙波龍英十六歳の時に書いたという
 作品を紹介してみる。

    かれの物語

かれはいつでも逆立ちをしている
ドアをノックすると
「ぞうど」と返事がある
ぼくらがドカドカはいってゆくと
かれは逆さまに笑ってみせる
自由にふるまってくれというのだ
そこでぼくらは
めいめいソファに腰掛けたり
靴も脱がずにベッドへ這いあがったりする
壁には能面がかかっている(まともな格好で)

ぼくらはレコードをかける
ぼくらはコーラを飲む
無邪気まるだしで

ところでかれへの思いやりは
ときおり耳うちしてやること
「逆さまなのは きみだけだ」と――

●このような作品。『詩集・あたしは可愛い三月兎』は
 一九八六年六月十五日紫陽社刊 一二〇〇円。
 古書店をこまめにまわれば、手に入るかもしれない。


[215] 仄暗い水の底から 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/16(Sat) 18:56

●3ヶ月くらい前に買って、ずっと読みそびれていた『仄暗い水の底から』を読んだ。
 作者は『リング』『らせん』の鈴木光司。
 東京湾を舞台にした七本にプロローグとエピローグをつけて、一つの統一感を
 もたせた短編集。
●どの作品も水にかかわる恐怖や怪奇が日常を侵食していく、という物語だが
 語り口におどろおどろしさがなく、描写が的確なので、読みやすく、
 感情移入もしやすい。
●特に私の場合、職場が台場地区にある高層ビルにあるので、東京湾の
 水の濁り具合や三角波のたちかたなどの描写には異様なリアリティーを
 感じてしまう。
●「浮遊する水」という母娘がマンションで経験する恐怖譚は、
 小池真理子の『墓地を見下ろす家』に感じた不満を解消してくれるような
 すっきりした仕上がりの小品。
●「夢の島クルーズ」は、バブルの残滓を皮肉ることで、恐怖をじわじわと
 全身に浸透させてくる、にがい後味の話。
 いずれにせよ、ホラーというレッテルをはずしても、物語としてすぐれた
 骨格を持った話ばかりで、読後に充実感が残った。

・雨、降りやまざればDECKSもAQUA・CITYも暗き水底/藤原龍一郎


[214] 蛇を笑え 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/16(Sat) 14:48

●風間さんのご指摘は言われてみれば、そのとおりかもしれない。
 柴田千晶さんの「空室」シリーズは、確かに、この時代を生きる女性の
 絶対的な孤独が生み出す悲鳴のような気がします。
 いずれ、柴田さんの別の作品も紹介したいと思います。    

●さて、久々に自作の紹介
 タイトルは「蛇を笑え」です。
 
・空論を弄するゆえの暗闇に「蛇を笑え」とそそのかされて

・酸味濃き珈琲を飲む韜晦の永き午前を永久なる午後を

・或る夜は神経叢が痙攣し極彩色の夢ばかり見る

・逃亡や失踪という浪漫を夢想をキーボードに打ち出して

・回想の一齣として色褪せたモナリザの像ありてわからず

・官能を記号化できるソフトなど夏炉冬扇として愛しめば

・睡眠の底まで月の光射し身の芯の詩も醗酵せよと

・数限りなき芋虫が回廊を這う光景が時々見える

・災厄としての世紀の終りこそ純文学の惨めな死こそ

・メガドライブ、3DOリアルなどゲーム・ハードの墓場もあるぞ

・都会的終末観の典型として街路樹に酸性雨降る

・窓枠があり窓がありフレームに切り取られたる暗闇がある

・まるで瀕死の蜥蜴のようにポケットの携帯電話が痙攣している

・キャスターが或る俳優の死を告げて今日の最後のニュースも終る

・醜聞という前時代的語彙を液晶画面に呼び出してみる

・古加乙涅と書きコカインと読ませたる吉行エイスケそのオシャレこそ

・白昼の微睡の夢の断片の万葉集に古集あること

・倫理的妄想に詩の混沌を足し黄昏の切り裂きジャック

・タクシーで首都高速を運ばれてリビング・デッドなるを否まず

・ビデオ・ソフトにあまたの闇を封じ込め蓄積という徒労に浸る

・なまぬるき雨に濡れたる肉塊を〈私〉と呼ぶ自虐の愉悦

・高層用、低層用のエレベーター乗りわけながら喪失せしが

・都市の夜の闇にやさしく全身を包まれながら文学が好き

●初出「豈」32号、すでに読んでいる人もいらっしゃるでしょうが
 そこはひとつ、ご寛容に。


[213] 『一等星の赤色』 投稿者:風間 祥 投稿日:2000/09/15(Fri) 18:38

藤原龍一郎様
短歌5月号再録して下さってありがとうございました。
永井陽子さん、柴田千晶さん。藤原さんのとりあげる人は絶対的な孤独という共通項を
もっている気がしますね。
柴田さんの詩は、「欲望という名の電車」のホテル・フラミンゴを、
ブランチその人を、連想させますが〈誰でもいいから たすけて〉というフレーズも、
〈どなたかは存じませんが、私はいつも見知らぬ方のご親切を頼りに暮してまいりましたの〉
という台詞と重なって聞こえてきます。


[212] 永井陽子さんについて 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/15(Fri) 08:03

●下に永井陽子さんに関して書いた文章をのせました。
 角川「短歌」2000年5月号に書いた文章ですが
 同誌をお読みになっていないかたも多いと思いますので
 目をお通しください。
●なお、永井陽子遺歌集『小さなヴァイオリンがほしくて』は
 砂子屋書房から十月下旬予定で刊行されます。
 この件は詳細が決まり次第、また、発表いたします。


[211] きらめきという矛盾・永井陽子の初期作品について 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/15(Fri) 07:58

角川「短歌」一九七六年六月号には永井陽子の短歌作品
「太陽の朝餉」三十首が掲載されている。これは第十七回
角川短歌賞の候補作品として、応募作五十首のうちの三十
首が抄出掲載されたものである。作品の末尾に「十九歳・
学生・「短歌人」所属」と記されている。
この時の受賞作は竹内邦雄「幻としてわが冬の旅」であ
り、選考委員は宮柊ニ、生方たつゑ、上田三四二、近藤芳
美、山本友一、前川佐美雄の六人。永井陽子の作品は前川
佐美雄だけが一位に推している。
掲載されているのは次のような作品である。
 古墳かもしれない丘を駆けぬけて夕焼けの街 また駆
 けて去る
  公害の町に小さな陽が落ちてあしたのことはたれも言
  わない
  太陽の朝餉を受けて耳もとにふとにおう血を青春とい
  う
  青い死の果実を持ちて夏野行く 狂ったように空が明
  るい
  ほらあれは火祭りの炎ふるさとに残った秋をみな焼く
  ための
  アンモナイトの化石に耳をあててみるだれかにあげた
  い恋慕がひとつ
これらの作品に対して前川佐美雄はどのような評価をし
たのか。実はこの時の選考委員会に前川は体調不良という
ことで欠席しており、文章での選評を提出している。その
永井作品に関する部分を抄出してみる。
「さて私がよしとしたのは「太陽の朝餉」である。題か
らしてこれは若い人だろうと思った。一首目からして「古
墳かもしれない丘を駆けぬけて夕焼けの町 また駆けて
去る」、くったくがない。のびのびとした感じである。
「かもしれない」などと口語である。「公害の町に大き
な陽が落ちてあしたのことはたれも言わない」、これも
「たれも言わない」と口語である。口語をよしとするの
ではないが、口語は大いにつかうことだ。とり入れるべ
きだ。「耳もとにちちははの声ゆっくりと遺跡の方へ星
が流れる」「だれからもふりかえられず秋の野にころが
っている憧れひとつ」「からっぽの封筒に似て生きてい
る振り返ってもふるさとはない」(略)まあ、こんな具
合である。これもむろん甘いことは甘い。けれども無理
がない、しぜんなのだ。作りものではない。(後略)」
口語の新鮮さを前川佐美雄が評価したことは、『植物祭』
の歌人であることを思えば納得できる。そして「無理がな    42行あと34行
い。しぜんなのだ。」との指摘は永井陽子の才能の本質を
きちんと見極めている。
口語を使った抜群のリズム感と愛唱性。それが初期の永
井陽子の短歌の最大の特質であり魅力である。作品を音読
してみるとその弾みのあるリズムが気味よく読者に伝わっ
て来る。意識的に弾むリズムを構成したのではなく、天性
の感覚の発露なのである。
さらに歌の言葉の選択の的確さも長所のひとつとして挙
げておきたい。たとえば題となっている「太陽の朝餉」と
いう言葉の孕む豊饒なイメージ。これは、あれこれと言葉
を組み合せた苦心を感じさせない。おそらくいきなり「太
陽」と「朝餉」が永井陽子の脳裏で結びついたはずだ。も
っとも的確な言葉を駆使できる力。それが確かにある。
三つ目の特徴は青春歌としての結晶度の高さである。ど
の作品も描き出されている世界はオリジナリティーを主張
しつつも、読者を置き去りにすることはない。つまり短歌
の表現できる内容や領域をすでにして熟知しているのだ。
 しかし、前川佐美雄の推奨にもかかわらず、これらの歌
は角川短歌賞を受賞することはできず、候補作としても高
い評価を得ることはないままに終った。そして十五年後、
口語文体を駆使した青春のきらめきとの賛辞を纏い、俵万
智「八月の朝」が角川短歌賞を受賞する。
永井陽子はこの最初期の作品を一九七三年に『葦牙』と
いう句歌集にまとめているが、講談社学術文庫の『現代の
短歌』には『葦牙』からの抄出作品はなく、新書館の『現
代短歌の鑑賞101』には二首のみ抄出されている。その後
の口語定型短歌の先駆けとして大きな価値を持つ作品は、
こうして再評価される機会もなく現代短歌史の影に追いや
られたままになっている。すでに表現行為を完結させた永
井陽子を論じるにあたって、その原点となる最初期の作品
の青春のきらめく抒情とそれを意識的に振り捨てようとし
たその後の表現姿勢を見落としてはならない。いかに意識
的におさえようとしてもきらめいてしまう言葉。この矛盾
は『てまり唄』の世界にまで確かに続いていたのである。


[210] カウンタとか経過報告とか 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2000/09/15(Fri) 00:36

けさ、このページの左上にアクセスカウンタを取り付けました。
直感的にCGIを改造しているので、不備があれば教えて下さい。
で、すでに100アクセスを超えていて驚きました。すごいなあ。
ご覧いただいているみなさん、ありがとうございます。



それから、夏休みの終りの、枡野浩一さんの、
ここの書きこみの様子にご配慮いただいた
もう一つBBSを追加してはどうかという提案、
藤原龍一郎さんといろいろ相談させていただきました。
いまの予定では、10月から11月にかけて、
藤原さんと管理人の都合にあわせて、
このBBSと別に日記形式の藤原さん専用BBSを増設し、
懸案の相互リンクの一覧も作成したいと考えています。

ページを増設するというだけで、
このBBSは基本的に何もかわりません。
今後もこれまで通り、自由にご発言下さい。
ひきつづきご愛顧のほどよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[209] 百井定夫の歌A 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/13(Wed) 22:32

百井定夫氏は河北歌壇の常連入選者であり、
昨年末に九十歳で亡くなられたそうだ。河北
歌壇で百井短歌を読んでいた人は、みな前記
のような作者像を抱いていたにちがいない。
ここには、短歌という詩を媒介にした精神的
な共同体が成立している。それは文学的であ
り、またきわめて人間的な連帯意識である。
百井定夫氏の逝去が伝えられると、投稿歌に
氏への挽歌が殺到したというのも当然だ。
短歌はいわゆる有名歌人のみがつくってい
るのではない。河北歌壇に代表される新聞歌
壇の投稿に賭ける作者もまた時代の歌人なの
である。私の心に歌人百井定夫の名は、その
作品とともに深く刻み込まれるだろう。
・ ホームランとわかる打球を見上げいる後
姿の投手の孤独
時代と人間に対する深い洞察が透視する孤
独の像。短歌定型という表現の特性、それを
引き出す歌人の力、そうして生み出された作
品に門戸を開いている新聞歌壇という場。そ
の三位一体に、コマーシャリズムとは無縁の
純粋な文学が実現している。

「河北新報」 2000年9月12日掲載(文責・藤原龍一郎)





[208] 百井定夫の歌@ 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/13(Wed) 22:27


日本の短詩型文学、とりわけ短歌という表
現の奥深さは、想像以上のものがある。一首
の作品が、多数への伝達力と韻文としての格
調の高さを同時にもち、時代を越えて愛唱さ
れることは、百人一首から与謝野晶子、北原
白秋、石川啄木といった例をあげるまでもな
く、誰もが実感していることだろう。
 短歌のもう一つの大きな特徴は、同じ作者
の作品を何首か読むことによって、その背後
に、くっきりとした人間像が見えてくるとい
うことがある。
 作品の背後の「私」というキャラクターと
言ってもよいだろうか。短歌としての言葉を
発する「私」の喜怒哀楽や批評意識や人生に
対する思いのたけが、たとえば、自伝や評伝
といった散文表現以上に的確に読者に伝わっ
てくるのである。その作者に対する知識を持
ち合わせていなくとも、短歌自身が作者のキ
ャラクターを、いつしか読者の心に結像させ
てしまうということなのだ。
たとえば、短歌をつくる百井定夫という名
の人物が居る。百井定夫氏は次のような短歌
をつくっている。
・ 四十年唯々諾々の勤め終え名もなき雑兵
したたかに生く
・ 消費税込みの定価をためらわず買えど認
めるわけにはあらず
・ なぐられしことのみ語る戦友会なぐりし
ことに触るるものなし
・ 雑巾のしぼり加減もゆるくなり妻の衰え
われは知るなり
・ 定年後十年にして出遇いたる歌なればこ
そ心をこめぬ
わずか五首の短歌ではあるが、その作者で
る百井定夫という人のキャラクターが確かに
見えてくるではないか。勤続四十年でリタイ
アし、消費税に象徴される現在の政治を批判
的視点をもち、かつての戦争を自分の内部で
は風化させず、妻へのいたわりの感情も豊か
であり、定年後十年たった頃から短歌をつく
り始め、今ではそれが大きな生きがいになっ
ている。読者は見ず知らずの百井定夫氏の人
間像をほぼこのように想像できる。

上の「百井定夫の歌A」に続きます。


[207] 朗読のための作品とくふう 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/13(Wed) 07:21

●谷村さんにそう言ってもらえると、朗読にチャレンジした甲斐があります。
 七月頃、辰巳泰子さんから、朗読会の話があった時、私は、まず朗読のための
 作品の選定をして、次にその作品が、作者である私の意図のとおりに伝わる
 朗読の演出をどうするかをずっと考えていました。
 そして、八月も終りの頃に、柴田千晶さんの詩をバックに流しながら、
 「葉月・八月・ミナゴロシ」をニュース風に読む、という方法をとることに
 決めたわけです。
●あとは、ひたすら、読み方の稽古でしたね。
 柴田さんの詩は、初読のときから、思い入れがあったので、好きなのは
 当然ですが、自作との緊張関係がいかに持続し、たかめられるかを
 考えて、百回以上、音読しました。
 どのように、くふうしたかは説明しずらいのですが、小さなテクニックで
 いえば、詩の中の「私」という部分を、テープでは「あたし」と発音しています。
 私の詩の解釈で、ここは、そう発音すべきだと思ったからです。
 その「あたし」の虚無が語られている部分を、テープに重ねて、生声で朗読
 していきました。お台場のランドマークを列挙していくあたりが、それに
 あたります。
 結局、朗読は、作品に対する強い思い入れを、技術とくふうで、いかに補完、
 そして強化できるか、ということなのかな、と思います。
●作品も朗読用につくるのならば、言葉の音韻にもっとも気を使うべきでしょう。
 あの日も、私以外のメンバーは、朗読用の作品を書き下ろしていました。
 活字で読むより、耳で聞いたほうが、作者の思いがつたわる短歌というのは
 たぶん実現できるのでしょうが、かなり困難な試行だと思います。
 ただ、できないわけではないし、試みてみる価値はあると思います。
 また、朗読用につくったわけでなくとも、今回、私がやったような、
 いくつかの要素をくわえることで、別の効果を発揮したり、より強く
 作品の実質が理解されたりすることもありうると思います。
 朗読は発展途上と私が発言したのは、そういう思いがあったからです。
●くり返しになりますが、音読と朗読とはまったく別次元なのだということを
 認識できなければ、パフォーマンス以前の自慰行為に終ってしまうだけで
 ありましょう。

 


[206] 無題 投稿者:谷村はるか 投稿日:2000/09/12(Tue) 22:29

 ね? 藤原さんの声で「誰でもいいから たすけて」なんて言うのを聞いたら、最初はまず藤原さんの声に聞こえません。
 あのとき、たしかに一瞬「女性の声のようだな」という印象をもったのです。これは本当。


[205] 柴田千晶さんの詩 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/11(Mon) 08:00

●谷村はるかさん、ご感想ありがとうございます。
 短歌の言葉が日常の言葉と異なるように、朗読の声は日常会話の時の声とは
 ちがうのだと私は思っています。単なる音読ではなく、音声表現ということです。

●先日、テープで流し、テキストは会場で配布しなかった、柴田千晶さんの詩を
 紹介します。

一九九九年、秋、ヴィーナスフォートの空   ―連作「空室」6―

一九九九年、秋の夕暮に私は立っている
立つことで私は知ることができるのだろうか
彼女がなぜここに立つことになったのか
神泉駅…ローソン…ホテルペリカン…フェンシング練習場
細い階段を抜けて坂を上りつめると
彼女が立っていたという四つ辻に突き当たる
道玄坂地蔵を背中にして
右の坂を降りて行けばホテル街に出る
左の坂を降りて行けば住宅街に出る
この狭い四つ辻を通り抜けて行くのは
ホテルの客たちばかりではない
水道局員、買物帰りの主婦たち
おばあさんとその孫、女の子は葱を持たされている
(私はなぜここに立っているのだろう)
彼女のことは何ひとつわからなかった
わかるはずもなかった
私はなぜ彼女のことを書き始めたのか
真冬の道玄坂をバーバリーのコートを着た女が降りて行く
午前零時五十分、
井の頭線、最終電車のドアの窓に顔を映していた女がいた
一九九九年三月八日、
円山町のアパートの空室で死んでいた三十九歳の女がいた

(私はどこに立てばよかったのだろう)

ゆりかもめに乗ってレインボーブリッジを渡る
電飾された街が夜の海に浮かんでいる
デックス東京ビーチ…フジテレビ本社ビル…テレコムセンター……
大観覧車のイルミネーションは忙しなくパターンを変えてゆく
  ダレデモイイカラタスケテ
そんな言葉も人工の光をまとって輝き始めてしまう
それが現在の私たちの言葉だ

(彼女は私の言葉だったのかもしれない)
(いいえ彼女は私の叫びだったのかもしれない)

                   真冬の道玄坂を駆け降りて行く私がいる
                最終電車のドアの窓に顔を映している私がいる
           円山町のアパートの空室に立っている三十九歳の私がいる

                        (誰でもいいから たすけて)

ヴィーナスフォートの扉を開けると
18世紀のヨーロッパの街並がふいに現れる
137のショップが並ぶ建物の高い天井には空が描かれている

真っ青な贋の空を見上げて歩いていると
今が夜なのか、ここが何処なのかもわからなくなってしまう
迷路のような空間をさまよいながら
「臨界事故」という言葉をふいに思い出す。
真っ白い恐怖が空の上の空を覆っている
(私は何も実感できない)
教会広場に向かって人が流れて行く
(私には書くことが何もない)
大勢の人たちが広場に集まっている
(絶望的に書くことが何もない)
みんな
空を見上げている
美しいオーロラの空を

(私たちはどこに立てばよかったのだろう)

ヴィーナスふぉーとの空はいつでも張れている


[204] 朗読会を聞いて 投稿者:谷村はるか 投稿日:2000/09/11(Mon) 01:11

 藤原さん、朗読会の感想のつづきです。
 当日ははじめからみなさんの「声を聞きに」行く、という意識で出かけ、会場でもテキストは見ず、声を聞くことに集中しました。そしてやはり、「声の魅力」は大きい要素であるなあと思いました。一般的な「美声」「悪声」という意味ではなくて、その人の個性を表現している声であること、です。藤原さんのときは、テープのほうは藤原さんの声じゃなく、別の人のように聞こえました。そして肉声の朗読のほうも、(当然ですが)普段の会話のときの藤原さんの声と相当違っていましたので、異世界ふうな雰囲気を感じました。
 また、辰巳さんの大阪ことばでの朗読は、インパクト絶大でした。これは活字で読むときには味わえない魅力です。私は方言に興味があり、方言の使える人はもっと方言で短歌を書けばいいのにと思っているのですが(私は使える方言をもっていないので、うらやましい)朗読の場合はダイレクトに出るし、個性の表現の大きな要素になるのでは。
 また、声で読んでもらうことで歌の構成がわかる(気がつく)、ということも感じました。例えば高島さんの歌は、実はけっこう体言止めが多いんだな、とか。なんとなく、アグレッシブな歌を作られる方というイメージがあったのですが、あのときの歌は体言止めのせいか、(ご本人があのように、張り上げて読んだにもかかわらず)叙情的な雰囲気になっていたような気がします。
 高島さんの歌といえば、ルビがけっこうありましたね。「アスファルト」とか。朗読のとき、当て字風ルビは意味があるのか、という問題もあるかと思います。
 ところで朗読というのは、どうも若い人がやるよりは、中年(以降)のほうが絶対的にいいんじゃないかという気がするのですが、どうでしょうか、単なる私の好みかもしれませんが。

 
 


[203] 短歌を朗読する 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/10(Sun) 07:58

●昨日は辰巳泰子さんの個人誌「月毬」が主催する短歌の朗読会があった。
 場所は三鷹市芸術文化センター。
●朗読をおこなったメンバーは出演順に、扶呂一平、内山晶太、千葉聡、
 高島裕、森本平、藤原龍一郎、石井辰彦、辰巳泰子の八人。
●音響、音楽、効果音はもちいず、原則として肉声のみの朗読というもの。
●私は歌集『19XX』に収録してある「葉月・八月・ミナゴロシ」なる一連を朗読。
 詩人の柴田千晶さんの「一九九九年、秋、ヴィーナスフォートの空」という作品を
 あらかじめテープに私の声で録音しておき、それを流しつつ、声をかぶせるかたちで
 自作短歌と詩のフレーズを交錯させながら読んで行くという方法を試みてみた。
 肉声のみというルールの範囲内でのくふうをしてみたわけだ。
 柴田千晶さんの作品は、東京電力OL殺人事件に触発された、東京で生きる女性の
 孤絶感を東京の風景とともにせつなく表現する詩。
 私の短歌は
 ・1973・8・11南極観測犬タロ老衰死 於北大家畜病院
 ・1973・8・12全日空DC3伊豆下田沖墜落乗客三十三人全員死亡
 というように、八月におこった死を新聞の見出し風に八月末日まで
 記述したもの。つまり短歌とはいいながらも韻文ではない。
 続けて読んで行くとニュースのヘッドラインのナレーションに聞こえる。
 つまり、狙いとしては、一人の女性の同時代的孤絶のつぶやきの上に
 無機質な死が次々に重なって行くというイメージの創出だった。
●初めての朗読をしたあとの感想としては、まだまだ発展途上の表現形式であり、
 いくらでもくふうの余地がありそうだ、というものだった。
 まもなく石井辰彦さんの『現代詩としての短歌』をテキストとした
 短歌の朗読にも深く触れる連続シンポジウムが開催されるし、この朗読という
 方法が歌人の中で、どのように深化し、進化するか期待している。


[202] ダイビング・クイズ 投稿者:三宅やよい 投稿日:2000/09/08(Fri) 22:38

藤原さん、こんばんは
若井はんじ、けんじ知ってます。日曜日の午後いつもダイビング・クイズ見てました。
ついでに夢路いとし、こいしのオリエンタルカレーのお買い物クイズも。
松原一成さんが書いていらっしゃる渋谷のジャンジャンへは行ったことはありませんが
70年代半ばから80年代にかけて行ったジャズ喫茶のいろいろを思い出しました。
藤原さんの言われるように
>時は流れ、場の記憶は人の記憶の中だけに残る、
と、いうことなのでしょうね。

ではでは


[201] 大須とジャンジャン 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/08(Fri) 06:37

●三宅やよいさん、ようこそ。
 そうですか。大須が競売にねえ。ここは若井はんじ、けんじがデビユーした
 劇場でもあるのです。はんじ、けんじは知ってますか?昭和40年代に
 ダイビング・クイズという日曜の午後の番組の司会をしていた兄弟の漫才です。
●この演芸場は東京と大阪の芸人さんが一緒に出演する一種の交差点で、
 はんじ、けんじのように、ここからデビューした場合は、大阪へ出て行く
 ケースが多かったようです。現在、三十年以上のキャリアを持っている
 芸人さんは、みんな一度は大須へ出た経験があるんじゃないかな。
●大須演芸場には、大須くるみって名前の芸人さんがいるんですよね。
 私は未見ですが、その芸名の悲哀感は胸がしめつけられるものがありますね。
●上方演芸のことに興味がある方は、朝日新聞社から七月に出た
 『米朝、上岡が語る昭和上方漫才史』という本が絶対のオススメ。
 桂米朝と上岡龍太郎が自分たちが実見した有名無名の漫才芸人たちのことを
 縦横に語りあっています。資料的価値も抜群。
 こういう本は当然、発行部数も少ないけれど、活字にさえしておいてくれれば
 また何人かの目にふれ、次の世代に伝わるので、大きな意味がある。
 上岡龍太郎、桂米朝に感謝したい。
●松原一成さんが書いていらっしゃるように渋谷のジャンジャンも今はない。
 一九七〇年、初めて私がジャンジャンに行ったのは
 カルメン・マキとブルースクリエーションのライブでした。
 その後、放送禁止落語会、福島泰樹絶叫コンサート、ペコちゃんライブなどなど
 いろいろ行きましたけど。時は流れ、場の記憶は人の記憶の中だけに残る、
 ということでしょうか。では。
 


[200] いたみいります 投稿者:三宅惺 投稿日:2000/09/08(Fri) 01:20

藤原龍一郎様

 お返事や他の文章も含め、またいろいろ考えてしまいましたが、切りがないので、御礼まで。
 またいずれまいります。


旅先の宿にて

http://www.linkclub.or.jp/~satoru-m


[199] 鎌もつ老婆も怖いけど 投稿者:松原一成 投稿日:2000/09/08(Fri) 00:55

放送作家&短歌人会員の松原です。
そうですか。大須が競売にかけられるんですか。
渋谷のジャンジャンも、今や喫茶店ですし、
非メジャーの文化は、どうなってしまうのでしょうか。

鎌もつ老婆も怖いけど、ブルドーザーが文化のバラックを
とりこわしているような今の社会状況も、とっても怖いです。


[198] Re[196]: 鎌もつ老婆 投稿者:うづ 投稿日:2000/09/07(Thu) 21:58

> ・だれもかも知ればいはざりゆふぐれの川上にゐる鎌もつ老婆/坂井修一

うーん。あるぞ、あるぞという感じ。知っているからなおのことコワイのかなあ。上句の持っていきかたで、もっと恐くなるのかも・・・と思いました。そういえば「短歌8月号」で小島ゆかりさんが

びはの実のやうに生肝吊しけむ枇杷婆千年生きても死なず

という「枇杷婆」が登場する一連の歌がありましたが、こちらは民話の世界のようで鎌持つ老婆のほうがリアルなのかしら。どうやら枇杷婆というのは小島さんの作り事らしいのですが、そういう試みをしていかないと、どこかで見たような歌ばかり作ってしまうのでしょう。

ともかく、このページは非常に話題が豊富で楽しく拝見しています。


[197] ありがとうございました 投稿者:三宅やよい 投稿日:2000/09/07(Thu) 21:34

藤原さん、こんばんは。三宅やよいです。
初めて掲示板に書きこみます。短歌の掲示板に書きこむのは埒外のような気がして、
ちょっと勇気がでなかったのです。
「船団」の文章、読んでくださいましてありがとうございました。
大須は先月競売にかけられたのですが、買い手がなかったそうです。この秋再度競売に
かけられるそうですが、同じことでしょう。きっと潰されてチェーン店なんかができるのでしょうね。
「好奇心がよい方向に働いている」と、ほめていただいて嬉しかったです。
ありがとうございました。


[196] 鎌もつ老婆 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/07(Thu) 19:56

・だれもかも知ればいはざりゆふぐれの川上にゐる鎌もつ老婆/坂井修一

●俳句雑誌「船団」46号の「牝馬」という一連よりの一首。
 知らぬ間に部屋の押し入れの中にうずくまっている鎌をもつ男という
 都市伝説がある。
 私は、ある小劇団の女優から、先輩が実際に体験したこととして
 この鎌を持つてうずくまる男の話を聞いた。
 坂井修一氏の作品もそのバリエーションかもしれない。
 いずれにせよ、ある避けようもない不安の象徴が、歌の中の「鎌持つ老婆」で
 あるのだろう。
●この「船団」46号には、俳人の三宅やよいさんの大須演芸場観覧記である
 「大須エレジー」なる、なかなか泣かせてくれる文章も載っている。
 現役で唯一の都都逸の舞台芸人である柳家小三亀松の舞台を見に行く
 エッセイだが、好奇心が良い方向に働いていて、後味のよい読み応え
 が残る。


[195] 記事 投稿者:風間 投稿日:2000/09/07(Thu) 13:31

角川短歌賞はダブル受賞ですね
佐々木六戈さんと松本典子さん。
東京新聞、9月2日(土)夕刊に。


[194] 明石海人 投稿者:桝屋善成 投稿日:2000/09/07(Thu) 07:12

ごぶさたしております。
桝屋善成です。

荒波力『よみがえる万葉歌人 明石海人』は相当以前に読みはじめた
のですが、50ページほど読んでいつものごとく中断しています。
荒波氏の文章はなかなか読ませるなあ、と思いつつ、歌集・歌書を優先
させていました。

高島裕歌集『旧制度』はちょうど、読み返していたところです。
・たそがれの雷(らい)うちつづく雨しばし閉ざせ世界も世界憎悪も
・母と往く雨後のたそがれ旅立ちを秘め群れさやぐつばくろの子ら

http://www2.ocn.ne.jp/~meicho/index.htm


[193] 時代の中の歌人たち 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/07(Thu) 06:26

●三宅さん、たびたび、きていただいて恐縮です。
 もちろん、明石海人自身には自分がプロパガンダに利用されている
 なんて気持ちはぜんぜんなかったと思います。
●渡辺直己は、自作がプロパガンダになることを自覚しながら、
 それを自覚的に利用してやろうというしたたかさがあるように思えます。
 渡辺直己が残した書簡などを読んでいると、読者がどんな反応をするか
 予測しているような言葉が出てくるし、シニカルな思いがにじんで
 いる気がします。
●啄木に関して、私は時々思うのが、もし、彼が1917年のロシア革命まで
 生きていたら、いったいどんな作品(短歌に限らず)をつくっただろうか?
 あるいは、どんな行動をおこしただろうか?ということです。
●またまた、とりとめもなくなりました。


[192] 挑む人たち 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/07(Thu) 06:14

●福島久男さん。ごぶさたしています。
 星野選手、ついに世界戦なんですね。福島さんの熱い思いが実現するといいな、
 と思っています。
●うづさん、速報、ありがとうございます。毎日新聞にはまだ載っていなかったような。
 佐々木六弋さんとは、「攝津幸彦を偲ぶ会」で一度会ったことがあります。
 あの時、名刺をもらったな。名刺ジャンケン用に探しておきます。
 それから「弋」という字は「よく」と読んで変換すると出てきます。
 六弋さんのペダンチックな作風は好きなんです。四年か五年、連続して
 角川短歌賞にチャレンジしていたはずですね。ここのところ、大口玲子さんを
 除いて、角川短歌賞の受賞者は、年齢が高くなってきましたね。
 別に年齢は作品価値とは関係ないけれど、自分と近い年齢の人が、
 何らかのかたちで評価されているのを見ると、よかったなあ、と素直に
 祝福できるようになりました。
 
 
 


[191] 明石海人について 投稿者:三宅惺 投稿日:2000/09/07(Thu) 02:11

 少し前、自分のホームページに明石海人について書いたばかりだったので、いろいろ考えました。もっとも僕は自分の好きな歌に思うがままにふれただけなのですが。

>やや、意地悪く考えれば、戦争の足音が近付いている世間に、業病といわれる
>病気の患者でさえ、このように、国を愛し、国を憂うる歌をつくっているのだ。
>このようなプロパガンダに絶好だつたのではないか、と思えなくもない。

 しかし、プロパガンダに絶対利用されない作品ばかり残すというのでは、短歌の世界はずいぶん狭い物になってしまうのではないでしょうか。向こうが利用する気にさえなれば、石川啄木でも渡部直己でも使われたのですよね。坪野哲久でも会津八一でも使えるでしょう。その気にならないかもしれませんが。逆に、啄木や直己なら反戦側でも使えるでしょうし。もちろん存命中に進んで協力するというのとは、また別の問題ですよね。
 これはまた好意的すぎる意見かもしれませんが。

 僕には現在この国にあきらかに存在している暗い力の方がはるかに身近で恐怖です。

http://www.linkclub.or.jp/~satoru-m


[190] 無題 投稿者:うづ 投稿日:2000/09/06(Wed) 20:08

さっき新聞を見てびっくり。
ついに「佐々木六か」さん(うーん「か」が出ない)、角川短歌賞を受賞なさったのですね。今度はどんな短歌だったんだろう。わくわくしている「うづ」でした。


[189] 世界戦が決まりました 投稿者:福島久男 投稿日:2000/09/06(Wed) 15:33

ごぶさたしております。ついに星野選手の世界挑戦が12月6日に横浜でということに決まりました。当日はゴールデンタイムに放映もあります。
北条民雄好きな作家です。
脈洛もなくの歌には逃げはないですよ。律と蘭とのアンバランスがおもしろいです。伊藤保という歌人もいましたね。


[188] おまへの子宮に乾いた砂を 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/06(Wed) 08:39

・おまへの子宮に乾いた砂を詰めてゆく誰の子も産むな誰の母にもなるな/高島裕

●「zo・zo・rhizome」2000年8月号の「特定の誰かに宛てた相聞歌」より。
 鋭い歌で感嘆した。結局、歌は「思いの丈」なのだと思わざるをえない。
 「妹X」という題なので、近親相姦の主題が底流しているのだが、それが
 単なる相聞のための設定に終わっていたら単なるバッドテイストだが、
 こういう、深層心理を抉るような力がこもった作品を見せられると
 心が騒いでしまう。言葉で築かれた世界への興奮を味わえた。
●高島裕は現在の短歌が(歌壇でせはなく)必要としている歌人だと思う。
 高島の歌集『旧体制』をまた読み返したくなった。


[187] 北条民雄と明石海人 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/06(Wed) 07:19

今日の毎日新聞によると、高山文彦『火花・北条民雄の生涯』が、
講談社ノンフィクション賞を受賞したそうだ。
数ヶ月前、この本と、同じく高山氏の著書で、プロレスラー大仁田厚を
扱った『愚か者の伝説』を読み、どちらも、読み得の感があったので
この受賞はうれしい。
さて、この『火花・北条民雄の生涯』とセットにして読むと面白いのが
新潮社から出ている荒波力著『よみがえる万葉歌人・明石海人』。

ハンセン病の作家と歌人ということになるが、あまり対比的に考えた
ことはなかった。たまたま、続けて読んだら、やはり、いろいろと興味
ふかい思いがわいてくる。
年齢は明石海人が1901年生れ、北条民雄が1914年生れで、明石の
方が十三歳としうえということになる。
北条が川端康成に送った小説「いのちの初夜」で注目されるのが1936年
つまり昭和11年。作品集『いのちの初夜』が出版されたのが同年の暮で
翌昭和12年にベストセラーとなって、北条民雄の名前が世に知られる
ことになる。そして、この年の12月に亡くなる。
一方、明石海人が『新萬葉集』に作品10首が入選し、迢空、吉井勇、
尾山篤二郎らに絶賛され、現代萬葉調随一の歌人だとの評判がたかまるのが
1938年つまり昭和13年。
この時点で、北条民雄は亡くなっているが、その名前は世間にも知られている
わけで、明石の登場は、ハンセン病の患者には、まだまだ凄い歌人も居るのだ
との思いを、世間に与えたのではないだろうか。
やや、意地悪く考えれば、戦争の足音が近付いている世間に、業病といわれる
病気の患者でさえ、このように、国を愛し、国を憂うる歌をつくっているのだ。
このようなプロパガンダに絶好だつたのではないか、と思えなくもない。

もちろん、北条民雄にも明石海人にも罪はないわけで、彼らは自分の
やむにやまれぬ表現意欲によって、すぐれた小説を書き、鮮烈な歌を詠んだ
のは、言うまでもない。
ただ、この二冊を続けて読むことで、そういう時代の流れとあわせて考えると
表面には出てこない、暗い力があるいは働いていたのではないか、と思った
次第です。


[186] ありがとうございました。 投稿者:森田銀次 投稿日:2000/09/05(Tue) 23:34

藤原さん。質問にお答え頂き、ありがとうございました。
渡辺さんは重量感のある歌人として尊敬していますので、
あえて質問させて頂いた次第です。


[185] 夢は五臓の疲れ 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/05(Tue) 22:59

●森田銀次様、うづ様、どうも、ようこそ。
 森田さんは、梨の実通信の掲示板でお名前は存じ上げております。
●渡辺松男さんの「ジャイアント馬場」の歌、これ一首だけの感想としては
 「とりとめのなき夢ながら」という導入句は、少し逃げが入っていると
 私は思います。もっとも、それをうわまわるリアリティーがそれ以下の
 フレーズにはあると思ったので引用したわけです。
●私自身の経験から言って、冒頭に「夢にして」などと「夢」なる言葉を
 出してくる短歌や俳句は、作者として、詰めの甘さを感じながら、つい
 書いてしまっていることが多いような気がします。

・脈絡もなけれどわれの夢に出て笑えり伊藤律・伊藤蘭

●これは私の旧作ですが、「脈絡もなけれどわれの夢に出て」までは
 完全に逃げです。ただ、今でも、どうなおせばいいのかわからないのが
 なさけないのですが。
 落語にもあるとおり、夢は五臓の疲れ、ということでしょうか。では。


[184] 無題 投稿者:うづ 投稿日:2000/09/05(Tue) 22:31

はじめまして。迷い込んでしまいました。「うづ」と申します。
でも活字倶楽部でお見かけした、ますのさん、ほむらさんの名前を見て、ついつい・・・。でも、これまでの180発言をすべて読み返す根性はなく、勘違い発言があるかもしれません。ご容赦あれ。
ちなみに、渡辺松男さんの歌、一句目も二句目もあってよいのではないかな。面白みがあって。では。


[183] 質問 藤原龍一郎様 投稿者:森田銀次 投稿日:2000/09/05(Tue) 12:44

突然、お邪魔します。私はしがない師がない詩がない、自称「九州の無名詩人」です。
藤原さんは、渡辺松男氏の作品に「直感的な把握」に渡辺氏の特異点を認めておられますが、そこまで「直感的」であるならば、「とりとめのなき夢ながら」という初句、二句は必要だったのでしょうか。「ジャイアント馬場うつむきてスリッパを履く」だけで、十分作品として成立するんじゃないかと思うのですが。短歌だから、初句、二句を冠した、というのでは淋しいです。如何でしょうか。


[182] とりとめのなき夢ながら 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/05(Tue) 09:15

・とりとめのなき夢ながらジャイアント馬場うつむきてスリッパを履く/渡辺松男

●「かりん」九月号の渡辺松男さんの作品。
 まいったなあ。ついにプロレスへ進出してきたか。
 お笑い芸人的に言うと、ネタがかぶる、文学的には同時代的主題の衝突ということか  な。と、言いつつ、この姿はリアリティーがある、と私は思う。
●こういう、ほとんど直感的に見える把握に、渡辺松男の特異な点がある。
 1ヶ月ほど前に、渡辺松男氏とやや長く話す機会があって、そう思った。
 アニミズムこれこれでくくられる歌人ではなく、不定形で不同調の感受性
 なのだ。
●森岡貞香に似ていると思っていたら、なんと渡辺松男自身が、同じ「かりん」の
 九月号の時評で、森岡貞香にかんする文章を書いている。
 「主客分離・内外成立直前における微妙でぎりぎりの自己把握と、それと
  密接に絡まる文体。時間・空間と自己感覚・自己了解とが離れがたくある様相。
  受動性と能動性の奇妙なよじれ」
 渡辺松男が森岡貞香に関して述べる特質はそのまま渡辺自身に返る言葉で
 あるように私には思える。


[181] 愛、みたいの。 投稿者:佐藤りえ 投稿日:2000/09/04(Mon) 13:54

ひとめぐりしちゃったようですが。
>ほむらさん

>ひとりの人と付き合ってると「情」は深まるでしょう?
>でも「ときめき」や「性欲」は淡くなるでしょう?
>でも別の人には「ときめき」や「性欲」を感じるでしょう?
>だから新鮮な相手と仲良くするのは簡単でしょう?
>でもそれは「そのひとだから」っていうのとはちがうでしょう?
>そして死ぬときにひとりの人の手を握って
>「おまえのおかげでいい人生だった」
>って心から言って死にたいでしょう?

んーと、わたしはどっちかっつーとそう↑言われたいです。
自分が死ぬときかたわらに誰もいなくても、しかたないな、まあいいやって
思ってる。強がりじゃなく。若輩者だからかな。ひとりにされるより、ひと
りにしたくないの。独占欲?だから、一生ひとりに感じられる愛情を、って
いうとき、奮い立たせないとっていう意識のほうが強いかも。今回は一生も
んになる、ぐらいに強く、って。たいがい無意識なんですけどね。

>藤原さん
こんにちわー。
小笠原和幸さん。はい、存知あげておりませんでした。
で、読ませていただきました。嫌いじゃないです。どちらかと言えば「入り
やすい」ほうかな、と。いわく言い難いような感情を巧みに掬いとっている
ような印象を持ちました。

・躓いたお前をこえてゆくものは秋の終りの風のみならず
・昨夜ここに人の居りにき今日以後は人は居らずにサイダーの泡
・沢水を飲みにけものが行く四更(夜更け、かな)お前も起きて蛇口へ向かふ

シニカル、とか、断絶、諦念、とか、そういう単語が浮かびました。

http://www.fsinet.or.jp/~la-vita/


[180] ライク・ア・ローリングストーン 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/04(Mon) 06:38

●金、土、日と三日間、歌集の礼状を書いたり、ぎりぎりの原稿を書いたり
 こまごまとした仕事をこなしていました。
 みなさんに、お気遣いいただき恐縮です。
●さて、久しぶりに新しい歌集の紹介。
 小笠原和幸『春秋雑記』ながらみ書房 2300円+税
 著者は短歌研究新人賞、ながらみ書房出版賞、早稲田文学新人賞と
 いくつもの賞を受賞している歌人だが、どこの結社にも所属していないためか
 あまり、その作品の真価が理解されていにいのが残念。

●作品を紹介してみる。
・自販機のタバコを取りにかがむときあはれそびらのさらすかずかず
・水(み)の渦を回りつづける栃の葉を見てあきらめて夕べを帰る
・家は古び継母は老いて冷えこみし夜半の便所の戸の軋む音
・陸続と無益の者を世に送り小学校は老朽化せり
・日もすがら曇りの下のあの町に虹よかかるな光よさすな
・三々五々闇に消えゆく夏まつり死ねざる者は踊りつづけよ
・躓いたお前をこえてゆくものは秋の終りの風のみならず
・昨夜ここに人の居りにき今日以後は人は居らずにサイダーの泡
・灯を消して眠れるまでのしまらくを歔欷する夜のありといふ嘘
・どのやうな明日も想定しない目がこちらを向きぬ一瞬なれど
・沢水を飲みにけものが行く四更お前も起きて蛇口へ向かふ
・或る夜さり不意に高鳴る心の音死とか生とか生とか死とか
・<絶好機>ここ一番に臆病なお前をおそふ累卵の危機
・<一念発起>春が来たとてもう誰も相手にしないお前の再起
・我ハ石/居ナガラニシテ乾坤ヲ、無窮ノ時ヲ、流レ行ク石

●仮名と漢字の使い方の巧さなど学ぶべき点は数多い。
 若い人達は、こういう作品は嫌いかな?


[179] 業務連絡 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2000/09/02(Sat) 16:29

>藤原龍一郎さん

枡野浩一さんが提案されている件、
実験的にやってみるということでいかがでしょうか?
準備してよろしければご連絡下さいませ。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[178] Re[177]: 帰ってきて藤原龍一郎さん!! 投稿者:満月 投稿日:2000/09/02(Sat) 16:17

> もう一枚、
> 藤原龍一郎さんだけしか書き込めないリードオンリーの掲示板をつくるという、
> いつもの藤原龍一郎さんの文章が、ここに淡々とあればいいのにと願っていますの。

あ、そうそう、藤原さんの日記って読みたい。

http://homepage1.nifty.com/PANDORA/


[177] 帰ってきて藤原龍一郎さん!! 投稿者:枡野浩一 投稿日:2000/09/02(Sat) 15:27

もう一枚、
藤原龍一郎さんだけしか書き込めないリードオンリーの掲示板をつくるという、
枡野浩一仮設ホームページ方式はいかがですか。
別に、
すべての書き込みにお返事をつける必要はないのだし、
文脈に関係なくても、
いつもの藤原龍一郎さんの文章が、ここに淡々とあればいいのにと願っていますの。

なんだか私は、
余計なことばかり書いているのではと思いはじめましたので、
しばらく自分の家に戻ります。
ではでは。皆様お元気で。

http://talk.to/mass-no


[176] 1998年の角川短歌賞で、 投稿者:荻原裕幸 投稿日:2000/09/02(Sat) 05:05

佐々木六戈さんの作品・名前をすでに見ていました。
その前の年も候補になっていたんですね。
んー、そちらは雑誌が見つからない。
枡野さんが言っていたのは、1997年のことかな。
なるほど、そういうことだったのか。
なんで名前に見覚えがあったのか、
今になってやっとわかりました。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[175] 向井ちはる短歌集『OVER DRIVE』(フーコー/星雲社)が、 投稿者:枡野浩一 投稿日:2000/09/02(Sat) 04:45

もう紀伊国屋書店では平積みになっているそうですね。
デザインは国際的に活躍する中島英樹さん。
横組短歌集です。
もりまりこ『ゼロ・ゼロ・ゼロ』もびっくりのレイアウト。

彼女のことは拙著『君の鳥は歌を歌える』(マガジンハウス)にも書きましたが、
今つくってる『かんたん短歌の作り方 〜マスノ短歌教を信じますの?〜』
(筑摩書房)でも『OVER DRIVE』の紹介をしますの。

じつは向井ちはるは私の雑誌連載「マスノ短歌教」の常連投稿者だったのですが、
第二回フーコー短歌賞で、
藤原龍一郎さん林あまりさんに先に見い出されたのです。
選考会には私も立ち合ったのに、最初、彼女だと気づきませんでした。
一〜三首の応募しか受け付けなかった「マスノ短歌教」では、
彼女の魅力がわからなかったのですが、
百五十首以上で選考するフーコー短歌賞で、
きちんとした評価がされて、ほんとうによかったです。

http://talk.to/mass-no


[174] ああ、そうか、わかった、 投稿者:荻原裕幸 投稿日:2000/09/02(Sat) 04:43

「サブリミナル」(?)という作品ですね。
枡野さん、ありがとう。角川「短歌」探してみます。

#ひみつって言われるとどうしても聞きたくなりますね。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[173] 佐々木六戈さんは、 投稿者:枡野浩一 投稿日:2000/09/02(Sat) 04:27

角川短歌賞の最終で、
「最高得票落選」したのではなかったかしらん、
数年前。

「童子」には顔を出したことがあり、
面識があったので、
「落選」後に電話でお話しました。
何を話したのかは、ひみつ。

http://talk.to/mass-no


[172] ほむらひろし、など 投稿者:荻原裕幸 投稿日:2000/09/02(Sat) 03:52

短歌研究新人賞の最終選考通過となった佐々木六戈さんというのは、
辻桃子さんの「童子」の運営スタッフでもある俳人ですよね。
ちょっと前に東京であった岡井隆の歌集批評会に来ていて、
短歌に大いに関心があるというようなことを言っていた。
上位ではなかったせいか話題にはなってないですね(?)。



福島泰樹歌集『朔太郎、感傷』を読んでいたら、
ある連作の途中に次のような作品がならんでいました。

 「優先席」を足のけぞって占拠する君らの生きる理由を告げよ
 俺はいま五十六歳、疲れてもシルバーシートに腰かけはせぬ

一首目の「占拠」にこめられた学生運動の歴史の感触とか、
二首目の「五十六歳」にこめられた朔太郎の享年への想いとか、
そういうものが見えて来るまで、何か頭の中が真っ白でした。
しかし、真っ白でなくなったのちも、何か清算できない、
とても複雑な感情みたいなものが立ち上がるんですね。
あの真っ白な一瞬が、継続して維持できないことに、
罪悪感のようなものを感じたりしました。
無意識のうちに何かが転調する、してしまう……。
伝えにくい、説明しにくいですね。



穂村弘さんが「たねむら」と間違えられるのを気にして仮名書きするのは、
それがペンネームだからかな。ぼくもほんとによく間違えられるけど、
なんだか本名フルネームを平仮名書きするのはものすごく抵抗感があるなあ。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[171] めぐらないですねー全然。 投稿者:枡野浩一 投稿日:2000/09/01(Fri) 19:08

今、日々の暮らしの中で私が遠くのことを考えるとしたら、
生まれたての息子が成人するころ私は五十代だが、
そのころまでたとえば糸井重里さんのように、
多くの人に期待されたり悪口を言われたりしながら活躍していくことなんて、
ものすごく大変だよなあ、とか。
いつまでも妻に捨てられない夫であるためには、
どういう男であるべきかなあ、とか。です。


http://talk.to/mass-no


[170] なやみ 投稿者:錦見映理子 投稿日:2000/09/01(Fri) 16:58

「ひとりのひと」っていうところになやんでいます。
結婚すると、ひとりだけっていう契約みたいになりますよね。
だから嬉しかったんですけど、そのうちまた好きな人ができてしまった
りしたらどうしたらいいんだろうか。それも「このひとじゃなきゃ」ってやつ。
なんか裏切り、みたいな感じになるのが困る。
どうしてひとりじゃなきゃいけないのか、実はわかりません。
情だか愛だかでつながっている人がいて、また違った愛だか恋だか幻想だか
でつながる別のひとが出現したらどうしていけばいいのでしょうか。
そうなったら考えればいいのでしょうが、私は妄想が得意なので真剣になやみます。

でも、沢木耕太郎の「檀」とか読んで、奥さんが、あんなにつらかったのに
また生まれ変わったら檀と結婚することを思っているっていうところを
読んだりすると、何回目でも泣いてしまったりするのです。
あこがれと実際が違うので、たいへん困ります。
檀の奥さんみたいになりたいような、耐えられないような。ふくざつ。


[169] うん。 投稿者:ほむらひろし 投稿日:2000/09/01(Fri) 16:27

ますのさんは、どーどーめぐらないの?


[168] 直下のマグマ 投稿者:風間 祥 投稿日:2000/09/01(Fri) 16:15

「両端は結局同じことなのかもしれない」っていうの、あたっているって
気がしますね。満月さんの直感。
混沌の中から、真実を抽出してくるものは、いつでも直感だった
と思います。
大地が胎動する時って、星や太陽や磁気の影響を受けている
人間の精神も同時に暗雲のようなものを感じて、揺れている時なんですよね。
そんな時、直感というか、センスが選びとってくるものを
大切にしたいと思います。論理は後からついてくると思うから。


[167] あー、ほむらさんは、つまり、 投稿者:枡野浩一 投稿日:2000/09/01(Fri) 16:00

よくばりなんですね。

http://talk.to/mass-no


[166] Re[153]: スウェーデン 投稿者:満月 投稿日:2000/09/01(Fri) 15:01

佐藤りえさん、はじめまして。

> >満月さん、
>
> 日記読ませていただきました。「開放区」誌上での前川X宮本対談、まったく同感。
> いまさら何を、という気がしたのですが俳句に詳しくないのでどうなのかな、と思っていました。
> まあ、恋の句が新しい、と言ってるのは前川氏だけですけど。

えっと宮川さんも同じ結社の若い女性の失恋の句におどろいていらしゃいます。
短歌だけをやっている人たちならしょうがないんですが、実際結社に所属して俳句を書いている人がこれでは、俳人としていたくがっかりします。まあ、現状はそんなものなんでしょうが。

> でも宮本さんの俳句は嫌じゃないのに短歌はすごく私は嫌だと思ってしまうのはなんでだろう、というところから俳句についていろいろ考えました。

短歌は自分を書いてしまう人が多いからでは、という気がします。
俳句だとそのへんのくさみは出にくいんですが、短歌は書く人によってはそうとうクサイですね(--;
「開放区」には若い方も多いのですね。歌を読んでいると、いかにも奔放だったり価値観がえらく違ったりします。その一方、お年を召した方の、身の回りのできごととその感想をこまごまとお書きになった歌もある。この両端は結局同じことなのかもしれない、思いました。

http://homepage1.nifty.com/PANDORA/


[165] ぐるぐる。 投稿者:ほむらひろし 投稿日:2000/09/01(Fri) 14:40

「愛やなんか、そういうの」っていいタイトルですね。

ひとりの人と付き合ってると「情」は深まるでしょう?
でも「ときめき」や「性欲」は淡くなるでしょう?
でも別の人には「ときめき」や「性欲」を感じるでしょう?
だから新鮮な相手と仲良くするのは簡単でしょう?
でもそれは「そのひとだから」っていうのとはちがうでしょう?
そして死ぬときにひとりの人の手を握って
「おまえのおかげでいい人生だった」
って心から言って死にたいでしょう?
あのー、どーどーめぐってますよ。
はっ。


[164] 愛やなんか、そういうの 投稿者:佐藤りえ 投稿日:2000/09/01(Fri) 13:36

ほむらさん
>「古い犬」って、出典は何なんでしょう。西村しのぶのマンガにもあったけど。

うう、わかんないす。わたしの出典はまさに西村しのぶの「ライン」なので。
遠い昔にどこかで聞いたような気がするんだけど。映画かなんかかなあ。。。

>ひとりの相手に愛と性欲とときめきを感じつづけるなんて人間には不可能だよね

まえにもそういう話をきいたことがあるような気がするけれど、どれかひとつぐら
いは可能、と思っておきたいの。
性欲は難しそうだな。
何年たっても、ああ、いいなあ好きだなあって思えるっていうのは、世界中のどこ
かにはないかな。一瞬ならあったような気がするんだけどな。

http://www.fsinet.or.jp/~la-vita/


[163] 愛は負けるが情は勝つ 投稿者:枡野浩一 投稿日:2000/09/01(Fri) 10:49

というのは、
業田良家の傑作漫画「詩人ケン」(マガジンハウス)のテーマですね。

拙著『漫画嫌い *枡野浩一の漫画評(朝日新聞1998〜2000)』(二見書房)参照。

http://talk.to/mass-no


[162] 愛は負けるが親切は勝つ 投稿者:枡野浩一 投稿日:2000/09/01(Fri) 10:47

という、
ここではない別の掲示板で話題になった名言を、
ここでもリフレインしておきます。

http://talk.to/mass-no


[161] 「愛」だけ‥‥うーん‥‥ 投稿者:松原一成 投稿日:2000/09/01(Fri) 10:31

> >ひとりの相手に愛と性欲とときめきを感じつづけるなんて人間には不可能だよね。
>
> 「愛」だけなら不可能ではないような気がします。
> かたちや色の変化さえ気にしなければ。

「情」だけなら不可能ではないな‥‥と、私は思っております。
結婚7年半で思っていることですが。


[160] 監視官さま。 投稿者:なかはられいこ 投稿日:2000/09/01(Fri) 09:59

藤原さんをおひきとめしてしまってごめんなさい。

>ほむらさん

>シンデレラってその後があるんだっけ?

あのあときれいな女の子を産んで「世界中でいちばんきれいなのはだあれ?」と
鏡に訊ねる日々を送ったのではなかったのかしら。

>ひとりの相手に愛と性欲とときめきを感じつづけるなんて人間には不可能だよね。

「愛」だけなら不可能ではないような気がします。
かたちや色の変化さえ気にしなければ。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~myu2/


[159] あちこちと 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2000/09/01(Fri) 08:54

徘徊していたところ
掲示板監視官の荻原裕幸さんに発見され、
無事、保護されました。


[158] 藤原龍一郎さんは、 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2000/09/01(Fri) 06:35

どこにいるのかなぁと思って
BBSのウォッチングをしていたら、
あちこちのBBSに出張されていました。
安心というか、何というか……。
藤原さぁ〜ん!

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[157] 夜中にばたばたと、 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2000/09/01(Fri) 06:30

「電脳短歌BBS・分室」
http://www.sweetswan.com/ypbbs/
というのを開設して、
最近のBBSの空気みたいなものに関連してコメントを書いたら、
正岡豊さんの「折口信夫の別荘日記」
http://www.diary.ne.jp/user/36640/
に、その先を越されてました。うーん。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[156] 本当にそう 投稿者:風間 祥 投稿日:2000/09/01(Fri) 04:58



  もう終わりだってみんな言うけどおしまいがあるってことは素敵なことだ

この歌素敵ですね。
さよならって好きです。


[155] あ、なんか、余計なこと 投稿者:枡野浩一 投稿日:2000/09/01(Fri) 02:41

書いてしまったかな。

こういうのは、
「そんなこと言わずに、僕と結婚しようよ」
と、
ここにいるだれかをくどきたいときに、言えばいいことでした。

と、さらに余計なことを。

http://talk.to/mass-no


[154] そう? 投稿者:枡野浩一 投稿日:2000/09/01(Fri) 02:15

もともと不可能だと思ってるし。そもそも過大には期待してないから。

   結婚はめでたいことだ 臨終はかなしいことだ まちがえるなよ

と、わざわざ歌わないと、まちがえてしまうものだと思ってるから。

でも私は今年の元旦に、やっと入籍できたとき、嬉しかったです。
その二ヵ月後に子供が生まれたことも嬉しかった。
今も毎日、
「結論の出ない終わりなき日常な結婚」は、わるくないと思っています。
もちろん、
今のところ、だけど。

   もう終わりだってみんな言うけどおしまいがあるってことは素敵なことだ

http://talk.to/mass-no


[153] スウェーデン 投稿者:錦見映理子 投稿日:2000/09/01(Fri) 01:04

こんばんは、にしきみえりこです。

ほむらさん。靴見つかりました!荻原さんに探していただきました。
大変お手数かけました(これは単にメールが送れたっていうだけのことです)。

> ひとりの相手に愛と性欲とときめきを感じつづけるなんて人間には不可能だよね。

そう、今日会社でお昼そのことを話していましたが、未婚女性陣はそんなこと
を言う私を奇異な目で見ていました。特に今度結婚する子なんか。
当たり前のことなのに。ほむらさんスピーチしてあげて下さい。
でも既婚男性数人は籍を入れたらおしまいだ、とこの間言ってた。私もそう思う。
スウェーデンでは、結婚しなくても子供つくって別れてまた誰かとくっついたりするのが普通なんですよね。自立した男女の国、らしいです。
パラダイスに聞こえた。住みたいです。

>満月さん、

日記読ませていただきました。「開放区」誌上での前川X宮本対談、まったく同感。
いまさら何を、という気がしたのですが俳句に詳しくないのでどうなのかな、と思っていました。
まあ、恋の句が新しい、と言ってるのは前川氏だけですけど。
でも宮本さんの俳句は嫌じゃないのに短歌はすごく私は嫌だと思ってしまうのはなんでだろう、というところから俳句についていろいろ考えました。
宮本さんの歌は、角川『短歌』8月号で栗木京子さんがとりあげていました。栗木さんは開放区の、私が嫌なもうひとりの歌人、吉村実紀恵ちゃんのことも前にとりあげてたなぁ。最近彼女はそんなに嫌じゃなくなってきちゃって、今後どうなるのかまた話がしたい。というわけで開放区の宣伝をしてみました。


[152] 「開放区」ありがとうございます 投稿者:満月 投稿日:2000/08/31(Thu) 23:36

こんにちは。
先日は「開放区」をありがとうございます。
読んで感想を・・・と思ったんだけど、うちの日記に書いてしまいました。
ぜ〜んぜん大したことないどへた日記なんでURL書くの、遠慮しときますね。
と、いうことで、いつもちゃんと感想書かない恩知らずでごめんなさい。

シンデレラねぇ。。。
だいたい硝子の靴だよ、そんな履いたら痛くて歩けないものが合うんだよ、
一歩歩けば割れた硝子。

http://homepage1.nifty.com/PANDORA/


[151] ネット・恋愛など。 投稿者:ほむらひろし 投稿日:2000/08/31(Thu) 16:00

こんにちは、ほむらです。

ネットのコミュニケーションでむずかしいと感じるのは、内容や論理のやりとり
であると同時に、というか、それ以上に、愛やシンパシーやプライドのやりとり
であるところですよね。まあ、そこが面白いんだけどね。ある人とある人のやり
とりをみているとき、第三者にも情念の流れ(?)がありありと感じられるとこ
ろが。でも、自分だと緊張する。
メッセージを書くときその両面をなるべく意識してるつもりなんだけど、こない
だ荻原さんと電話してたら「どうして掲示板でビーンボールまがいの球ばっかり
なげるの?」と穏やかに訊かれてしまった。「うちょ!」と思ったよ。嘘ってこ
とね。

>なかはらさん、五十嵐さん、錦見さん

シンデレラってその後があるんだっけ?
ひとりの相手に愛と性欲とときめきを感じつづけるなんて人間には不可能だよね。
今度結婚式のスピーチがあたったら、そう言おう。

>佐藤さん

「古い犬」って、出典は何なんでしょう。西村しのぶのマンガにもあったけど。

>三宅さん、風間さん

ネットの話ですけど、「壇」の変質(もしくは解体)を劇的に加速する可能性は
ありそうですね。

>荻原さん、「あと、名前、なんで漢字で出さないの?」

「種」村弘と間違えられないように、と思って・・・。