[2722] 私が掲示板を「休止」したのには、 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/11/04(Sun) 00:25

もっと別の、
やや前向きな理由もあるのですが、それはおくとして、
私はネットをやることで、
もともとネットをやる前から親しかった数少ない友人のうち何人かと、
かなりひどい「喧嘩」をしました。

結局、すべての友人たちと「仲直り」できましたが、
それはひとえに、
友人たちが寛容だったからだと、感謝しております。

突然、
場ちがいなことを言うようですが、
藤原龍一郎さんと辰巳泰子さんは、
じかに、
お話するのがいいような気がします。
今でなくても、
いずれ、でも。

http://www82.tcup.com/8244/happyhappy.html


[2721] 私は今年の秋、自分の掲示板を「休止」しました。 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/11/04(Sun) 00:09


http://www60.tcup.com/6003/nomasu.html
「休止」した理由は一言ではとても言えないので、
今まで表明してこなかったのですが、
理由のひとつをあえて言うなら、
「くりかえしに疲れてしまった」
……という感じでした。

掲示板を長く運営していると、
「この質問はもう五回くらいされたなあ」
と思うような質問が書き込まれたり、
「ああ、この喧嘩めいたやりとりには覚えがあるなあ」
と思うような応酬が続いてしまったり、
します。
最初はまったく平気だったことも、
あまり何度もリフレインされると……、
なんか知らず知らず「致死量」に達してしまったというか……。



私、
辰巳泰子さんは、
凄い表現者だと思います。
藤原龍一郎さんも、
凄い表現者ですが、
お二人は「表現」や「表現者」に期待しているところがちがっていて、
それをお互い突き詰めようとすると、
なにかと行き違いも生じてしまう、
……そういうことなのではないでしょうか。

それで、
掲示板の運営者としての藤原さんは、
今、
とても疲れていらっしゃる感じがします。
その「疲れ」は、
私のせいで生じたものも含まれているはずで、
たいへん心苦しく思います。

だけど辰巳さんの書き込みも、
今まで私が申し上げたような文脈で読むかぎり、
一読者である私には、
もとの言いまわしのままでも一応「納得」のいくものでした。

なので、
ここへ来ての
お二人の行き違いは、
残念です。

私の友人でもある川柳作家、
菅野さんの日記をリンクさせてください。
(2001年11月03日 19時11分17秒)
 ↓
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Hemingway/3325/geodiary.html

http://www82.tcup.com/8244/happyhappy.html


[2720] 全然参考にはならないかもしれないですが、以下は、毎日新聞(東日本版)8月17日夕刊に私が書いたコラムです。 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/11/03(Sat) 23:42


身 振 り と し て の 言 葉

 益田ミリさん、先月の原稿では大変失礼いたしました。益田ミリと枡野浩一の共通の知り合いから、「枡野さんが益田さんを愛しているということは、あの書き方では読者には伝わらないと思う」というメールをいただきました。おっしゃるとおりかもしれません。自分の中にある「愛」に慣れすぎて、それを真摯に表現する努力を怠っていたこと、心から反省しております。
 哲学者・東浩紀によれば、言葉には二とおりの使い方があるそうです。ひとつは「字義どおり[コンスタンティヴ]の使い方」。もうひとつは「身振りとして[パフォーマティヴ]の使い方」。たとえば「益田ミリはワガママだ」と言ったとき、前者の使い方だったら、字義どおり「益田ミリはワガママだ」と言っているので、この場合においては「正しいか正しくないか」という判断が成立する。しかし「益田ミリはワガママだ」という言葉で、身振りとして「益田ミリが好きだ」ということを表現しようとした場合には、「正しいか正しくないか」という判断は成立せず、かわりに「成功したか失敗したか」という判断が成立するのだそうです。益田さんがあれから私にメールをくれなくなったのは、私の愛の表現が、失敗だった、そういうことなのでしょう。
 苦しまぎれに哲学者の言葉まで借りてしまいました。しかも右の文章は東浩紀の著作からの抜粋ではなく、短歌誌「短歌人」のホームページの掲示板
http://www5.airnet.ne.jp/~ttsc/bbs/tankajin/tankajin-bbs.cgi
に〈松本〉さんが書き込んだ文章を私なりにアレンジして、無断で引き写しただけですニャ……。

【……原文はまだ続きがありますが略……】

※[ ]の中はルビです。

http://www82.tcup.com/8244/happyhappy.html


[2719] さらに余計なお節介かと思いつつ、藤原龍一郎さんと辰巳泰子さん……。 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/11/03(Sat) 23:31

私は藤原さんの日記を読めば「なるほど」と思い、
辰巳さんの「反論」を読めば「おお、そうか!」と感心するような、
いささか主体性の欠如した人間なので、
もともとは、
お二人の発言のどちらもそれなりに「理解」できるし、
「ちょっとした行き違いなのでは?」と感じていました。

なので、
シンプルな原点にかえって考えればいいのではと思い、
[2710] 余計なお節介かと思いつつ、藤原龍一郎さんと辰巳泰子さんへ……。
という一部をつい書いてしまいました。 

藤原龍一郎さんと辰巳泰子さんは知り合い同士であり、
それぞれに尊重し合っている表現者である……ということをふまえて、
私はここを覗いていましたので、
辰巳さんの書き込みは、
いつも藤原さんへの「信頼」を大前提として、
やや前置きを省いた形になりがちなのでは、
と思っていたんですけれども。

うーん、
長く書くと、
ぼろが出そうなので、
いったんこれで、
投稿しますね。

http://www82.tcup.com/8244/happyhappy.html


[2718] それにしても、人間性を否定されて、演技をする人がいるんですか。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/11/03(Sat) 23:07

びっくりします。
「欠如」といわれたご自分の言葉、どんなに重いかわかっておられますか。
みんなが見ているのに、あなた、自分で自分をここまで卑しめてどうするの。
藤原さんが問題にしたいのは、やはり「私小説」についてなどではないのですよね。
メールで送られていても、わたしは別に構わないけれど、それを、他者の人間性をさらに卑しめる道具にして、あなた、ネットで何をやってるの。
バランスを崩されているように思います。


[2717] 藤原さん、異常です。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/11/03(Sat) 22:58

[2716]について。
メールになって届くというのは、わたしは存じ上げないことです。
削除しながら書き込んだのは、「この言葉、一生、忘れません」を、あなたのところへメールとして届けるためではありません。
わたしが、改行や句読点に、いささか神経質であるためです。

あいた口がふさがりません。
藤原さん、異常です。
あなたのことは、もう相手にしません。
そして、「モノガタリは進化する!」は、最後まで書きます。
自分のプライドのためだけの文章ではないから。


[2716] 帰ってきました 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/11/03(Sat) 21:31

今、帰ってきました。

枡野浩一様
発言はどうぞ削除なさらず残しておいてください。

枡野さんのお書きになったような書きかたであれば、私は「不愉快」には
なりませんでした。
最低限の礼儀ということくらいはわきまえていただかないと困る、ということです。

辰巳さんの書き込みの[2707]や[2709]は、きちんと読ませていただきますが、
[2707]のような書き込みは、私にとっては意味不明です。
[2711]は、「被害者は私だ」という演技に私には読めます。
[2712]は、「私の方がたくさん傷ついた」というのが真意でしょうね。

実はこの掲示板に書き込まれた文章は、同時にメールとして私に届くようになって
いるのですが、[2715]に至っては、3通のメールになって届いていました。
書き込みをおこなっては削除し、また、書き込んだということなのでしょうか。
言葉を選んで、書き込みなおしたのでしょうか。
いずれにせよ、「この言葉、一生、忘れません」というメールが何通も届いているのは
気持ちのよいものではありません。
辰巳さんは、このフレーズが相手に与えるパワーを十分に意識したうえで
書き込んでいることがよくわかりました。

今夜はこのあと、原稿を書かなければならないので、私はもう書き込みません。

枡野浩一さんのように、心配してくださっているかたもいらっしゃるでしょうから
どうぞ、他のみなさまも、お書きになりたいことがありましたら、書き込んで
ください。
もちろん、私への批判、叱責でもかまいません。


[2715] 欠如 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/11/03(Sat) 20:08

藤原さんがおっしゃったのは、想像力の「不足」じゃなくて、「欠如」なんですよね。
辰巳さん、あなたには、他人の痛みに対する想像力が「欠如」している、と。
藤原さんの書き込みをもう一度読み直して、このことを、認識しろと。

この言葉、一生、忘れません。


[2714] Re[2713]: あっ、失礼いたしました……。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/11/03(Sat) 19:50

> うっかり割り込んでしまってすみません。
> 私の[2710]、削除したいのですが、
> 藤原さんのお帰りを待ちたいと思います。

あとでレスしますので、削除はしないでくださればありがたいです。


[2713] あっ、失礼いたしました……。 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/11/03(Sat) 18:50

うっかり割り込んでしまってすみません。
私の[2710]、削除したいのですが、
藤原さんのお帰りを待ちたいと思います。

http://www82.tcup.com/8244/happyhappy.html


[2712] 人間性の否定 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/11/03(Sat) 17:44

[2701]で、藤原さんがお書きです。

先日の書写に関して、辰巳さんが書き込んだプロットと称する書き込みに関しては
それぞれのみなさまの書き込みには意味があったと思いますが、私が総括するとす
れば、辰巳さんがひきおこしたトラブルです。
原因は、他人の痛みに対する辰巳さんの想像力の欠如。
このことを、まず、認識していただきたいので、書き込みの方法に関する話をしている
のです。

「原因」を、「辰巳の、他人の痛みに対する想像力の欠如」であるとして、特定なさっています。
この言辞、人間性の否定にあたります。
さきの論争が、「トラブル」であったか、有意義な論争であったかは別の問題であると思います。
藤原さん。
わたしは、藤原さんの態度を批判しても、あるいは発言を否定しても、あなたの人間性を否定したことは、ただの一度もない。
藤原さん。
あなたは、カッとなると、かくもたやすく相手の「人間性の否定」に走るのですか。
これは、醜い言い争いとか、そういう次元のことではないです。
衆人環視のもとで、かくも明らかな言辞で、相手の「人間性を否定する」。
どうして、そんな怖ろしいことができるのですか。
わたし、どんなふうに思われていたのか、よくわかりました。
あなたから、人間に、扱われていなかった。
わたしが仮に、ほんとうに「他人の痛みに対して想像力を欠如」させていたとしても、あなた自身が、にんげんであるなら、これをおっしゃるべきではなかった。
人間性の否定。
これは、わたしもしないことです。


[2711] 無題 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/11/03(Sat) 16:30

藤原さんが、他の人ははいってきちゃダメと言っているので、そこへはいってこられたどなたにも、レスすることはわたしにはできないです……。

藤原さんが丹精なさった温室に、わたしのような野獣は不似合いでした。
「モノガタリは進化する!」を書き終わったら、わたしもうここへは書き込みません。

ええと、(一)を書くのに、根を詰めました。
それで、今はなんとも、疲れています。
(三)は、今夜じゅうになんとか、と思っています。
で、京都に火曜日必着の学参仕事があるので、(四)の執筆が、その後になってしまうかもしれません。たぶん、(四)で、アップになると思います。


[2710] 余計なお節介かと思いつつ、藤原龍一郎さんと辰巳泰子さんへ……。 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/11/03(Sat) 16:08

今回の辰巳泰子さんの書き込みが、
たとえば下記のような書きだしだったら、
藤原龍一郎さんは「不愉快」にはならなかったでしょうか?

> 11月1日の日記を読んで。
> 藤原さんの「私小説」観が、私の考えとは全然ちがうとわかって、残念!

……もちろん「辰巳泰子」の血の通った文章を
勝手に改変したりする資格は私にはないんですが、
もしも上記のような書きだしで始まっていたら、
藤原さんも納得されていた……ということなのでしたら、
藤原龍一郎さんと辰巳泰子さんの「私小説」をめぐる考えのちがいが、
ここの掲示板で議論として展開されていくのは
素晴らしいことだと思うんです。

辰巳泰子さんご本人としては、
たとえば上記のような書きだしは、
「不本意」なものですか?

http://www82.tcup.com/8244/happyhappy.html


[2709] モノガタリは進化する!(二) 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/11/03(Sat) 15:32

もし、わたしが小説を書き始めていなければ、「剥皮の苦痛がある」という評言を、とてもありがたいものとして受け入れていたと思います。

短歌のカタルシスは、作品を著すことで作者が得たカタルシスを、読者が追体験し、共有する、共感するというメカニズムで成り立っています。
「剥皮の苦痛」を共有する、まさにそのようなメカニズムであり、藤原さんがおっしゃるのは、短歌に関していえば、よく本質を突いておられます。

また、近代の私小説、あるいは現代作家のものでも、そのようなメカニズムでカタルシスを生産することが、確かにあるのでしょう。

わたしは、しかし、
「それでは良質なストリー・テラーとはいえない!」
ということを、強く思っています。
以下、わたしの、お恥ずかし筆おろし体験です。

初めて小説を書いたのは、ある出版社(大手じゃないよ)から、企画モノで評論集を出さないか、というお誘いを受けたのがきっかけでした。
書き下ろしで、半分はエッセイにしたい、ということを申し出て、少し筆を進めますと、
(あれ? これ……小説でいけるんとちがう?)
「小説が書きたい」と、前から思っていたわけではなかった。
短歌が最高だと思っていたので、「あこがれ」もなかった。
でもそのとき、
これを書くなら、小説や……そう思ったんです。
それで、書き下ろしでエッセイ50枚見せてOKさすがとゆう太鼓判をもらってから、小説が書きたいということを申し出ました。うーん、ボクんとこ小説は扱ったことないなあ、でもとにかく書いてみて、と言われて、まずは第一章50枚、編集さん「おもしろい!続きを書いて書いて」とゆうことでした。さらに50枚。編集さんの反応が変わってきた。
「おもしろいけど……」
わたし、すぐピンときました。
「登場人物がお知り合いと重なるなら、これ以上は書きませんけど……」
「いや。おもしろいから、つづき読みたい。とにかく最後まで書いて」
で、150枚になったかな……。
反応が心配だったので、ちょっと無理に終わらせた。
その時点で、
「やっぱり、ふつうの評論集でいこうよ。発表したモノがあるでしょ」
「なんで?」
「だって、ボク、友だちじゃん!」
登場人物と友だち、とゆう意味です。
「いっとくけど、ほかで出したりしちゃダメだよ! 五年や十年は、眠らせて……」

あんなにおもしろいって言ってたじゃない!
ひどいよう……熱出して寝込みました。
自分から全部オクラにして、わたし、絶対このままじゃ引きさがれないと思いました。

どうしていけなかったのか?
わたし、自分の文章が下手だから、そのせいだと思いました。編集さん、そんなことないと言ってくれたけど、もっともっと上手なら、こんなことにならなかったと思った。
それで、一人になって、結社も辞めた。
短歌は作ってたけど、このままじゃダメ、一人にならなきゃと思った。
高瀬一誌さんが、「文藝春秋」紹介してあげようと言ってくださったけど、自分で納得いかないのに、調子にのるわけいかないじゃない。
このままじゃ迷惑かけるだけ。

直しに、五年かけました。
いちばんつらかったのは、直せば直すほど、文章が生彩を欠いていくこと。
書けば書くほど、ツマラナイ。
モデルがわからないように……頭のなかは、そればかり。
それで、どんどんツマラナイ。
生業ありますから、前倒しで仕事を詰めて、土曜日曜は眠らずに、ただ一編のモノガタリを、死にもの狂いで書き直していた。
挙げ句に神経病んで、ときどき呼吸できなくなったりして。
(どうして、こんなにツマラナイんだよ!)
わたし、短歌でこんなに苦しんだことなかったから。
自分はつくづく凡人だと思いました。
でも、
書き直しの間に、別に二編を書きあげたんですよ!
そして、自分の小説を発表するために、「月鞠」とゆう個人誌をつくりました。
創刊号に載った「椿の水」が、初の完成作品でした。「文學界」の、同人誌作品ベスト3にはいったよ。これ、クライマックスは玄倉川の水難事故に着想を得た作り話です。なのに、舞台が大阪だったせいか、花山多佳子さんに「私小説でしょ」と言われて、びっくりした。
それから「白い絵の具」という、オトコが主人公の近親相姦モノを120枚書いた。どおだ、これなら私小説だなんて言わないだろ!まあ、モデルがどうのと言われるのに、こだわってました。

そして、あの、オクラになったヤツは……。

(つづく)


[2708] 休憩 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/11/03(Sat) 14:15

(疲れました……サンタマリア。
わたしが雄叫びをあげますと、ご主人はえさをくださっていたのが、このごろハリセンで叩かれます……)


[2707] モノガタリは進化する!(一) 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/11/03(Sat) 13:42

最初に、結論から申し上げます。

メディアは、私小説を含めた創作主体の表現ジャンルについて、作品を「フィクション」として、もっと積極的に保護するべきです。

インターネットをつうじて、社会は大きく移り変わっています。
産業を巻き込んで裁判などの事態が引き起されるのを避けるためには、メディアが規制に乗り出すことはある程度、いたしかたないといえます。
だからといって、
多くの読者が、「これは事実だ!」と感じてしまった(感じてしまうようなリアリティのある)モノガタリについて、予想される読者の反応にばかりまんまと押し流され、規制へと傾くほかに、術はないものでしょうか。

ここで、あえて感傷的な言い方をしますと、表現者にとって、その作品は、自分が産んだ「子ども」です。そして、作者とは別個の人格を持っていることは言うまでもありません。そのうえで、作者が「子」を、全身全霊で守ろうとする。
これは、当然の権利です。

さて、「剥皮の苦痛」という批評タームについて。
「剥皮の苦痛」とは、「私小説」が作者の体験的事実や心境告白に基づいて「読まれる」からこそ、用いられるタームではありますまいか。
「私小説」が、作者の体験的事実や心境告白に基づいて書かれているという定義自体はよしんば変えようがないとしても、作品が「どう読まれるか」は、作品が「どう書かれたか」ということから、もっと自在に離れていていいのではないでしょうか。

「私小説」として書かれたものであっても、作品の記述のすべてが「体験的事実」であるとしても、そこにあるのは「編集された事実」です。
それは、意図された文脈のなかにある事実です。
「編集された事実」に対して、読者側が「剥皮の苦痛」を感じ取ったとしても、作者からすれば、もとより自分の苦痛などではなしに、読者の内面に、「意図して創造した苦痛」であるということです。
これはもとより、事実を構成することによって、「私小説」といえども、すでにフィクショナリティを獲得しているわけですから……。

もちろん、読者の「私的」なたのしみとして、作者の体験として作品世界を追体験し、苦痛を感じ取るということは、おおいにあっていいと思います。

ある読者が、〈この作品には、作者の「剥皮の苦痛」がある〉と感じ取ったとします。
これは、作者にとって、たいへんうれしいことです。
それだけのリアリティがあったということなのですから、歓迎しないはずはありません。というより、作品がリアリティを持ったことの証左、これ以上のうれしい感じ方はないとしても過言ではありません。

しかし、そのような「読み」が、あたかも、作品の価値を公に決める「批評」や「規制」などの社会的行為の、直接の契機となってしまう現状があるとすれば、これはたいへん危険なことではありますまいか。

「剥皮の苦痛がある」という感じ方と並ぶ、作品の主体と作者を同一視する感じ方は、「いち読者」の感傷や慰藉の一部にすぎません。
どのような立場からかわからないまま、発信されていい言辞ではありません。

表現者とメディア人の側面を合わせ持つなどした発信者が、立場を明らかにしないまま、そのように発信したとすれば、プライバシーの侵害ということをまるでよくわかっておられない。
作者の側に責任を押しつけて作品を抹殺し、自分は自由気ままな読者でいたい、ということなのでしょうか。

繰り返しになりますが、
メディアは、作品のフィクショナリティの保障を、積極的に行うべきです。

それは、「私小説」のモデルとおぼしき人々の肖像権を守るうえでも、必要なことであり、自由度の高い「読み」を保障することでもあります。

それでもなおかつ、
あくまでも批評者(表現者)として、
「私小説」について、「この作品は、実体験として読むことで、もっとも生きる」
という立場をお取りになるなら、それは素晴らしいことです。
そうして、どうか自身の評言に、責任とリスクを負っていただきたい。
そのようなお立場から「剥皮の苦痛」を認めていただけることは、あらゆる作家にとって、たいへん喜ばしいことではないでしょうか。

もう一つ。
批評者としての発言であれば、作品を殺す「読み」は許されない。
すべからく、より人間の本質に迫るための、産婆の業(わざ)であってほしい。
責任を持って、どうか、作品を、とことん生かしめてください。
途中で、遺棄したり、処刑したりしないでください。

次回は実作者として、「剥皮の苦痛」なるものが果たして存在するのかということを、体験を中心に書きます。


[2706] 見守ってはおりますが‥‥ 投稿者:松原一成 投稿日:2001/11/03(Sat) 10:54

藤原さんの仰る通り、ずーっと見守っておりましたが‥‥
藤原さんは、辰巳さんの書き込みの内容よりも、態度のほうを問題視しているように見えます。
(あるいは、態度が問題だと見せようとしている?)
辰巳さんは、礼をつくして書き込みをしているのに、なぜなのだろうか?と
いつも考えてしまいます。

ここは「短歌発言スペース」なので(「短歌にぎやかしスペース」ではありませんよね)
歌人が短歌の本質論を展開するのは、しごく当然なことです。
辰巳さんはいつも表現者の立場から、短歌や歌壇、あるいは小説に対して、率直な意見をあらわしていますよね。
誤解をまねかないようにと考えているので、文章はいたってシンプルです。

「一貫した態度で、ストレートに本質的な意見を述べる」ことを
「殴りつけるよう」とか「唐突」とか言うのは、ちがうのではないかと思います。

辰巳さんは、この掲示板でときどき唐突に出される「○○まで休止」というルールも
きちんと守っていますし、
それまでと違う尺度でとつぜん書き込みを削除されても、冷静に理由をさぐっていました。
「言葉が足らない」と指摘されて、本人もそうだったと判断したときは、きちんと謝罪もしています。
議論が常に真剣に交わされるよう、配慮していたので、
様々な表現者が真摯に意見を述べ合い、
それが、一日1000アクセスにつながったのだと思います。
とてもすばらしいことで、いったい何がトラブルなのだろうか?と首をかしげてしまいました。

以上、「当事者」の一人として、どうしても看過できなかったので、あえて出てまいりました。
「見守っていただきたい」とあったのに、書き込みをして、申し訳ありませんでした。


[2705] モノガタリは進化する!(序) 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/11/03(Sat) 10:40

「私小説」が、
辞書的にはどのように定義されているのかを、まず確認しますね。

〈作者が自分を直接にさらけだしている自叙小説。「わたし」が主人公であっても、必ずしも作者自身を意味しないイッヒ・ロマンとは区別される〉
     ――日本現代文学事典人名事項編・久米正雄

それから、「剥皮の苦痛」という批評用語は、「私小説」といえばすぐ出てくるような基本タームではなさそうですね。
藤原さんがおっしゃるように、緩用されているタームであるようです。

さて、藤原さんは、わたしの連載作品を、おおまかなところで「私小説」と位置づけておられます。
しかし、作者の弁とすれば、これはイッヒ・ロマンに該当します。
ただ、藤原さんが、「私小説」をご自分で定義し直されるのは、これはこれでおもしろいことだと思います。
近代以降、憲法だって改正論がでるご時勢、情報やプライバシーをめぐるさまざまな状況が大きく変化しています。
そこをあえて、世紀を超えてまで、
おなじ定義に縛られることはないと思うので。


[2704] 退化 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/11/03(Sat) 10:33

本源的な資質が悪い方向へ進んで形骸化していること、このように解釈しています。

本日はこれから外出しますので、このあとのレスはかなり遅くなります。
そのあいだに、ぜひ、もう一度、私が[2687]以降の書き込みで書いたことを
読みなおしていただきたいと思います。
このやりとりは、すでに十分、醜さを見せ始めているようですから。


[2703] Re[2701]: トラブルについて 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/11/03(Sat) 10:20

> 原因は、他人の痛みに対する辰巳さんの想像力の欠如。
> このことを、まず、認識していただきたいので、書き込みの方法に関する話をしている
> のです。
> 論を展開したいのなら、他人を不愉快にさせるような書き込みではなく、きちんと
> その論だけを展開すべきだと、気づいてほしいのです。
> それに気づかない限り、掲示板上で、辰巳泰子さんと議論するのは不毛だと私は
> 思っています。だから、そればかり書いている。そういうことです。

>論を展開したいのなら、他人を不愉快にさせるような書き込みではなく、きちんと
その論だけを展開すべきだと、気づいてほしいのです。


はい。
信義に悖ることのない範囲で、そのとおりにいたします。
また、少なくともここでは、藤原さんがお決めになった「マナー」を、以後、大切にいたします。
それにしても、
わたしに対する態度がコロコロ変わっていることで、わたしが「迷惑至極」と申し上げていることについては、何も言ってくださいませんか。
わたしも「不愉快」なのに……。
でも、もういいです。
本題にはいってもらえるほうが、うれしい。
また、すでに削除になった書き込みについていろいろおっしゃられても……。
わたしは、プロット削除に際しても、「心の底」と題して、お詫びを申し上げております。
言った言わないはいやだ。
そうおっしゃっているのは藤原さんなのに、わざわざ水掛け論を引き起こさないでください。

なので、「退化」とは、どのような状態の比喩であるのかを、教えてください……。


[2702] Re[2700]: 「退化」について 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/11/03(Sat) 10:08


> [2690]での辰巳さんの書き込んだフレーズ
> そもそも藤原さんがお遣いの、「退化」ってタームは、ここではどういう意味なんですか? あいまいなまま、お話を進めるわけにはまいりません。
>
> この部分はあまりにも唐突な問いかけですね。
> 私が使ったのではなく、関川夏央の文章の中にあった言葉です。
> 引用したものにはすべて表現者として責任を持て、ということでしょうか。

あたりまえでしょう。

> そこへ、語の定義をしろ、と詰問してくる。
> 議論、ディベートのテクニックとしての定番的方法ですね。
> あえていえば、『国語辞典』に出ているとおりの意味で理解しています。

別にテクニックじゃないですよ。
では、「受信者として」
どのような意味にお取りになったのですか?
辞書どおりの意味であるとしても、比喩的表現なのですから、どういったことの比喩として、受信されたのですか?

わたしは、「退化」という言葉にこだわっているのではないです。
シンポジウムなどで、議論が空疎化するときは決まって、特定のタームが一人歩きし始め、使う人それぞれに違った意味になっていたりします。
そういう困った場面をよく見かけますから、……。


[2701] トラブルについて 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/11/03(Sat) 09:59

先日の書写に関して、辰巳さんが書き込んだプロットと称する書き込みに関しては
それぞれのみなさまの書き込みには意味があったと思いますが、私が総括するとす
れば、辰巳さんがひきおこしたトラブルです。
原因は、他人の痛みに対する辰巳さんの想像力の欠如。
このことを、まず、認識していただきたいので、書き込みの方法に関する話をしている
のです。
論を展開したいのなら、他人を不愉快にさせるような書き込みではなく、きちんと
その論だけを展開すべきだと、気づいてほしいのです。
それに気づかない限り、掲示板上で、辰巳泰子さんと議論するのは不毛だと私は
思っています。だから、そればかり書いている。そういうことです。


[2700] 「退化」について 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/11/03(Sat) 09:50

辰巳泰子さん
「退化」という言葉についてこだわっていらっしゃいますが、この言葉は私の11月1日付
の日記の関川夏央さんの文章の引用部分にあった言葉ですよね。
これは、このページから、日記に跳んでいただければ、他の方たちも確認できます。

[2690]での辰巳さんの書き込んだフレーズ
そもそも藤原さんがお遣いの、「退化」ってタームは、ここではどういう意味なんですか? あいまいなまま、お話を進めるわけにはまいりません。

この部分はあまりにも唐突な問いかけですね。
私が使ったのではなく、関川夏央の文章の中にあった言葉です。
引用したものにはすべて表現者として責任を持て、ということでしょうか。
一人の人間が発信者になったり受信者になったりするのは当然でしょう。
関川夏央の文章を引用した藤原龍一郎し当然、受信者ですよ。
そこへ、語の定義をしろ、と詰問してくる。
議論、ディベートのテクニックとしての定番的方法ですね。
あえていえば、『国語辞典』に出ているとおりの意味で理解しています。


[2699] 予告篇「モノガタリは進化する」(仮題) 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/11/03(Sat) 08:50

「私小説」については、わたしも、ちょっと調べてみたんですよ。
藤原さんみたいに物知りではないけれど、
それでも、「ありもの」に頼らないでいえるのならば、ぜひそうしたいですね。
今、他所からの書き込みです。
「剥皮の苦痛」については、自分のおうちに帰り、八一くんに朝ごはん食べさせてから、お昼までにがんばりたいです。


[2698] アドバイスありがとうございます。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/11/03(Sat) 08:37

まず、
藤原さんから見て、
この掲示板上で繰り広げられた論争で、辰巳泰子が関与するものはどれも、
単なる「トラブル」だったということですか?
わたしのほうは、どなたさまもそれぞれの立場から、
共感なり異見なり、本質的な発言なさっていたと思っておりました。

それを、
藤原さんは、
掲示板の中心になっていたのは、「論争」ではなく無意味ななじり合い、感情的で内容のない書き込みが中心だったということを、ご指摘なさっている。
そして、「辰巳泰子」のせいでそうなった。(魔女みたいですね)
そういうことなのかなあ?
一日に1000アクセスの正体は、単なる「トラブル」が見たいだけの下世話な人々だとお考えになっている。
それで、「うんざり」する、と‥‥。

わたしは、
「トラブル」だとはまったく考えていませんでした。
掲示板運営についての井上さんのお話も、表現の自由についての枡野さんのお話も、それぞれのお立場から、有意義であったと思います。
決して本質から外れたりはしていなかったと思います。

ところで、
わたしが「当事者になっている」ということですが、
わたし、またまた藤原さんの真意がわからなくなってしまいました。

「当事者」は、真剣に論争に参加なさった皆さん、どなたさまもそうですよ。
だれが当事者か、という発想、どこからわいてくるんでしょうか。
身を削ってご発言なさったかたに、失礼にあたります。

それから、大事なこと!!
これまでにも何度か、論争になったときに、
「わたし、ご迷惑ではありませんか」というメールを差し上げています。
そのたびに、藤原さんは、
「気に病みすぎです。今までどおりの心理で書き込んでください」
などと、やさしい言葉をかけてくださいました。

連載開始だアクセス増加だと持ちあげられたり、
今度は、
わたしが当事者でトラブル続出だと言われたり、
迷惑至極です。

だいいち、
これそもそも、「私小説」「藤原龍一郎のさんの文学観」をめぐっての話だったんじゃないんですか?
なんで、本質についてのレスは一切ないままに、「書き込みスタイル」の話にいきなりなってしまうんですか?

今は、どの藤原さん?

お互い感情的にならず、藤原さんがおっしゃったとおり、「納得のいくまで」
そもそもの話題を継続したいですね。
なので、ここは藤原さんの掲示板ですから、「感情的にならないで」というご指摘の点、改めさせていただきます。
アドバイス、ありがとうございます。

つきましては、まず、
「私小説が退化した姿」の「退化」というタームを、
どのような意味でお遣いになっていたのかを、お聞かせくださいませ。

そして、
[2695]「辰巳泰子さん2」の下記の部分については、
反応するべきではない感情的なご意見だと思いますので、触れませんね。
では、
ごめんください。


[2684][2685][2686]と連続的に書き込むスタイルに関して、削除に対応して
ウインドウをわけたということですが、もしかして[2686]のように書くことで
韜晦したつもりでいるのでしょうか。
それとも、「ナンチャッテ!」みたいな感じで、全体をワルフザケだったと
とられてもいいと思わせようとしたのでしょうか。

[2684]には、かなりきつい物言いをしながら、ウインドウをわけて
[2686]のような書きかたを平気でしてしまう意識を、私は嫌いますし、センスが
悪いと思います。


[2697] ほんまもん 投稿者:くろせからん 投稿日:2001/11/03(Sat) 08:32

NHKの朝の連続小説の主人公を演じる池脇千鶴を見てると、
辰巳さんを思い出す。
なんとなく声が似ているのかな。

http://aurora.bird.to/karan


[2696] 「2693」の剥皮の苦痛 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/11/03(Sat) 08:19

私小説にかかわるところまで、まだまだ、到達しませんが、ひとつだけ。

「剥皮の苦痛」というのは、日本の私小説の批評用語としてつかわれるものなので
私は緩用したのですが、それが誤解だということと、明確な回答というのを
聞かせていただくことには、純粋に興味があります。
これを書いていただけませんか。


[2695] 辰巳泰子さん・2 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/11/03(Sat) 07:08

[2684][2685][2686]と連続的に書き込むスタイルに関して、削除に対応して
ウインドウをわけたということですが、もしかして[2686]のように書くことで
韜晦したつもりでいるのでしょうか。
それとも、「ナンチャッテ!」みたいな感じで、全体をワルフザケだったと
とられてもいいと思わせようとしたのでしょうか。

[2684]には、かなりきつい物言いをしながら、ウインドウをわけて
[2686]のような書きかたを平気でしてしまう意識を、私は嫌いますし、センスが
悪いと思います。
[2684]や[2685]の文章を本気で読ませる気があったのかどうか、読み手にはわからなく
なってしまう。少なくとも、きちんと主張するのなら、[2686]のようなふざけた書き込み
をつなげるべきではないと思います。

私がいま、内容ではなく、書き方のスタイルに関してのみ書いているのは、今までの
掲示板上でのやりとりの中で、辰巳さんが当事者になってしまうのは、書き込みのス
タイルが、読み手に誤解を与えてしまうから、本質論とは異なったところで、反論
する人たちも、感情的になってしまう、という経緯がくりかえされているからです。
ここは、ぜひ、学習していただきたいところです。
原稿用紙に書くのと、掲示板に書くのとでは、ちがうルールがあるということです。
先週の井上洋さんの書き込みに、この掲示板上でものを書く時の心構え、ルールが
くわしく書かれています。
この掲示板はコミュニケーション・ツールの一つとして機能してほしいと思います。
そのためには、読み手の感情を意識的にせよ、結果的にせよ、あげつらい不快にさ
せるような書きかたや内容のものは、書くべきでないと私は思います。

上記の点を理解しておかないと、たとえ、辰巳さんが、新たなホームページをたちあげた
としても、同じトラブルを繰り返すことになるでしょう。


[2694] 辰巳泰子さん 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/11/03(Sat) 06:41

まず、こちらから話をふっておきながら、レスが遅れたこと失礼しました。

まず[2689]に関しては、6行目までが、私によびかけている発言というのは了解です。
ただ、文章のスタイルとして、いきなり、私に対して

辰巳さんお書き
「11月1日の日記を読んで。
 藤原さんが、「私小説」を全然理解していないとわかって、残念!
 その場限りの、もっともらしい理屈とゆうやつ。」

このように、殴りつけるようなことを書いて、そのあとで、不特定多数に関しての
意見に転化していくという文章のスタイルは、誤解を生みやすいとわかってほしい。
さらに、ひきあいに出された私が不愉快になるかもしれないという想像力をもって
ほしい。
これは、プライベートの親疎の問題とは別で、コミニュケーション上の礼儀だと
思います。今回の書き方のスタイルは、私は不愉快な気持ちになりました。

それ以後の文脈で、いかに正論が展開しようと、そのために、他者をまずおとしめる
ようなもの言いをする、という文章構成は、私には好きになれない種類のものです。
特に掲示板というのは、文章の量的制限もあるので、言葉足らずになって、誤解を
生みやすい。
まず、そういう前提を頭においてから書き込むべきだと思います。
今まで、この掲示板上で生じた何回かの論争も、そういう「言葉足らず」が原因でした。

本当はこういう結論になるはずだったといっても、それは、まだ書き手の頭の中にある
だけで、読み手にはつたわらないのです。
掲示板という媒体の特殊性として、最低、それだけは頭におかないと、今後も同種の
トラブルが繰り返されることになるでしょう。


[2693] 剥皮の苦痛 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/11/02(Fri) 12:12

「藤原さんは私小説を理解なさっていない」と申し上げたのは、「書き手に剥皮の苦痛がある(はず)」とお感じになっていること、また、そのような誤解から発生する(と思われる)もろもろのご発言についてです。
すでに明確な回答の用意がありますが、これについては、藤原さんのレスを待って申し上げることにいたします。


[2691] [2690]の、さらに補足 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/11/02(Fri) 09:03

短歌に限らず、「私小説」というジャンルじたいが、「退化」していると思います。
わたしは、柳美里さんの判決が、その経過を踏まえず「モデル小説=よろしくない」という印象を、受け手やメディア側の人々に刷り込んでしまったことをたいへん苦々しく思っております。「その経過を踏まえる」とは、文脈のうえにおいて考える、ということです。

★考えないうちにありものに飛びつき、その思考を委ねる。
★本質がどこにあるのかを、想像しない。
★さらには、危機を排除するためのマニュアルの一つに数えてしまう。

これらの点が、
受け手・発信者・媒体のすべてにおいて、またその道徳性も含めまして、
「退化」の要因であると考えております。


[2690] Re[2687]: 辰巳さん 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/11/02(Fri) 08:52

聞かれていることにも、お答えしておきますね。

藤原さんお書きの、
> 「ワイドショーの醜聞」が受け手側の低劣さに支えられ、インターネット上にあふれて
> いる自己満足のみの「自己表白」が発信者側の表現意識の貧しさでしかない、という
> のは、事実として実感しませんか?

上記の文、わたしの脳には長すぎて、わかりにくいです。
つまり、
《「ワイドショーの醜聞」をめぐる事実として実感されるのは、受け手側の低劣さと発信者の表現意識の貧しさである》
ということなのですか?

わたしは、これと「私小説」がどうして同じ文脈で語られるのか、理解できませんでした。藤原さんは、なんで「短歌」が出てくるの、とおっしゃいますが、わたしはなぜ「私小説」が出てくるのかわからない。

ひとくちに文学観といっても、
藤原さんは、「短歌」というジャンルについては、言うまでもなく「発信者」の側から見識と責任をもって発言するべきでしょうが、「小説」というジャンルについては、「受け手」の側にシフトした文学観になってしまっているように思われます。
そういう意味では、「ワイドショーの醜聞」や「インターネットの自己表白」についても、「受け手」の、対岸の火事的な感想として、おなじ文脈上で語られるのは理解できます。

わたしには、
《藤原さんのこの発言は、いったいどの立場からのものなんだ??》
と思えてしまうことが多いのです。

日記というジャンルが「インターネットの自己表白」に過ぎない、という事態を免れるためには、藤原さんは、日記をお書きになる場合も、一定の立場を貫かれるべきだと思います。そして、これはあくまでも進言です。

ちなみに、
「小説」の書き手として、辰巳泰子の私見を述べますと、「短歌」というジャンルは、「私小説の退化した姿」そのものです。
「私小説」の良質な部分を継承している、などと、多くの歌人が考えているとしたら、「にんげんは問題に直面しないために、誤解したい生き物である」ことの証左であると考えられます。

あと、些末ではありますが、
以下は、円滑な議論のためには重要なポイントとなることです。

そもそも藤原さんがお遣いの、「退化」ってタームは、ここではどういう意味なんですか? あいまいなまま、お話を進めるわけにはまいりません。
わたしがここで用いているのは、「自由度の高い読みを許されない状態に近づきつつある」という意味です。

以上。


[2689] 私小説を殺す「読み」をめぐる「誤解」について 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/11/02(Fri) 08:19

> 11月1日の日記を読んで。
> 藤原さんが、「私小説」を全然理解していないとわかって、残念!
> その場限りの、もっともらしい理屈とゆうやつ。
> 「ワイドショーの醜聞」「インターネットでの自己表白」が「私小説の退化した姿」とゆうことですが、「短歌」はいかが?
> 「私小説の退化した姿」なの?

> まさか、有名な小説家はさすがに短歌をわかってるから、ここで「私小説の退化した姿」には加えないんだ、なんてこと皆様、思っちゃいないよね?

文脈は、この「皆様」という呼びかけ以降、「皆様」に対するものになります。つまり、藤原さんにかかわっているのは6行目までです。
なので、藤原さんに、「一瞬の読後感による誤解」を生じさせてしまったことはお詫びいたします。

改めて「藤原さんに」問うべきことを問いますね。
藤原さんは、「短歌」は、私小説の退化した姿だと思いますか?
藤原さんは、関川氏の言葉を借りて構成されていますが、これはすなわち藤原さんの言葉ですよね。すなわち藤原龍一郎の文学観が、
「ワイドショーの醜聞」や、「インターネットの自己表白」は、「私小説の退化した姿」である、
ということですよね。
日記の文脈上において、引用部分には、関川氏が「私小説」を揶揄しているようなニュアンスを感じ取りますが、この書き込みにおいてそこだけを切り取ると、「揶揄」のニュアンスは薄れることも、不思議に思います。

どういった点で、「そのとおり」なんですか。
もう少し聞きたいです。

それから、ウインドが3つになるなどする理由について。
以下、一般論です。
記事の削除は、ウインド単位で行われています。
例えばもし、[2685]の内容について「削除」要請があった場合、これらすべて一つのウインドですと、残してよい部分まで犠牲になります。逆に、削除にあたるような内容でも、同じウインドのなかに、謝罪めいた文言があると削除されない(管理人が削除をためらう)というようなことがあるのかもしれませんが。

あと、わたしがいちばん言いたいことは「皆様」へ向けた以下の部分だったんですが、藤原さんから、話題にするのは12行目まで(藤原さんが、自分に向けられたとお受け取りになった部分までということなら、6行目まで)というご指定なので、従いますね。

> 「短歌」なんざあ「醜聞」や「自己表白」よりも貶められて、完全無視されてるってどうして気づかないのかね?
> にんげんて、
> 問題に直面しないで済ませるためには、どんな誤解でもしたい生き物……。
>
> 「E/T」を素材にとれば、あれはコスプレ夫婦破綻のモノガタリとして読むのがいちばんです。もっともにんげんの本質に迫る「読み」が可能でしょう。
>
> でも、歌壇村で、そういう読みはされないでしょうね。
> だって、隆くん実在だもの!
> えらい人だもの!
> 「配慮」しちゃうよね。
>
> 岡井隆と石井辰彦が放っている「皮肉の矢」とは、〈歌壇というところは、「もっとも人間の本質に迫る読み」が可能な場ではない〉ということです。


[2688] 書き込み時間が重なってしまったけれど 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/11/02(Fri) 07:40

[2687]は[2685][2686]を読まないで書いたものです。三つの書き込みを重ねるのが
辰巳さんの真意だったとしても、[2684]の前半の私にかかわる内容が、私にとって
心外であり、私の文学観をおとしめられた気分は変りません。


[2687] 辰巳さん 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/11/02(Fri) 07:29

一瞬の読後感で反応した言葉を書かずに、おちついて真意を把握してから書き込んで
いただきたい。
掲示板や日記に関する、書き込んだ方の真意と読み手の反論の誤解は、いつも、この点に
かかっています。
「私小説」を理解していないといわれるとは、まさに心外です。
どういう分野でも、99パーセントは屑なのであって、私小説であろうとSFであろうと
それは同じこと。
「ワイドショーの醜聞」が受け手側の低劣さに支えられ、インターネット上にあふれて
いる自己満足のみの「自己表白」が発信者側の表現意識の貧しさでしかない、という
のは、事実として実感しませんか?
私は実感しています。
そこから、なぜ、いきなり「短歌はいかが、私小説の退化した姿なの?」という私への
質問につながるのかな。
「歌人や現代短歌が、私小説のもっとも良質な文学性を継承している」という短歌観を
私はいままでに、くり返し主張してきているし、「剥皮の苦痛」という覚悟の問題を
辰巳泰子の作品(韻文、散文)に見とめて、そこに価値を感じていると、ついこの間も
書いたおぼえがある。
先週あたりの、言った言わない、悪意がある、ない、の問題を蒸し返すのは私はうんざり
だけれど、インターネット上の、トラブルをふくんだ書き込みあいは、ほとんどが
文脈の誤解から生じているものだと思う。そこに感情が入るから、醜いやりとりを
衆目にさらしてしまうことになる。

今回はあえて辰巳泰子さんのみに伺いたいので、他の方は見守っていていただきたい。
[2684]の前半部分、私にかかわっている12行目まで、辰巳さんは、もう一度、私の日記
を読み返した意味で、自分はいっさい誤解や早とちりをしていない、藤原を侮辱するもの
ではないかどうか、再考してほしい。私は侮辱されたと感じている。

今までは、本来、無関係の人までも巻き込む書き込みあいになっていたので、私は休息
宣言をしたけれど、今回は私の問題になっているので、時間がある限り、納得できる
まで、私は辰巳さんに対して質問し、答えに納得できなければ、さらにこちらの意見を
書き込んでいくつもりでいます。



[2686] こわがりなくせにー☆ 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/11/02(Fri) 07:12

藤原さんの「ちょっかい」に、まんまとのってしまう辰巳ちゃんでした!


[2685] ストーリー・テラーの目で「小説家」を眺めれば! 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/11/02(Fri) 06:59

日記の文脈「だけ」をネタにいただくと、
「藤川泰央」とゆう登場人物(小説家・仮名)がいて、「詩歌」なんかより、もうずっとワイドショーが大好きらしい。関心ないことや見てないこと、わざわざ書いたりしませんからね!
もの書きにあこがれる少年が、ガッコ時代に、授業で作った短歌をセンセに笑われ、イターイ洗礼を受けてしまう。
「短歌なんて、けっきょく自分のこと書いてるだけじゃないか!」
以来、怨念とコンプレックスの炎がめらめら、そのくせどうゆうわけか、他人のことは覗きたくてしかたない。
夢中になってピーピング・トムした後は、
「自分はなんてあさましいヤツ……」
「おれは作家だあ! これはネタ探しだ!」と自分には言い訳し、「私小説の退化した姿」とかなんとか、もっともらしい理屈こねて、自分の「言い訳」さらしちゃう!
ああ、
そうゆう、作家の生理とパーソナリティーに迫る小説(=フィクション。わざわざ断っておきますね)も、可能よね!


[2684] 私小説を殺す「読み」 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/11/02(Fri) 06:36

11月1日の日記を読んで。
藤原さんが、「私小説」を全然理解していないとわかって、残念!
その場限りの、もっともらしい理屈とゆうやつ。
「ワイドショーの醜聞」「インターネットでの自己表白」が「私小説の退化した姿」とゆうことですが、「短歌」はいかが?
「私小説の退化した姿」なの?
まさか、有名な小説家はさすがに短歌をわかってるから、ここで「私小説の退化した姿」には加えないんだ、なんてこと皆様、思っちゃいないよね?
「短歌」なんざあ「醜聞」や「自己表白」よりも貶められて、完全無視されてるってどうして気づかないのかね?
にんげんて、
問題に直面しないで済ませるためには、どんな誤解でもしたい生き物……。

「E/T」を素材にとれば、あれはコスプレ夫婦破綻のモノガタリとして読むのがいちばんです。もっともにんげんの本質に迫る「読み」が可能でしょう。

でも、歌壇村で、そういう読みはされないでしょうね。
だって、隆くん実在だもの!
えらい人だもの!
「配慮」しちゃうよね。

岡井隆と石井辰彦が放っている「皮肉の矢」とは、〈歌壇というところは、「もっとも人間の本質に迫る読み」が可能な場ではない〉ということです。


[2683] 涙がかわくまで 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/11/01(Thu) 21:57

冬野由布さん
「この涙がでる限り私は生きている、この涙を流す今死んでしまっても悔いはない。」
美しい言葉です。
中年から初老に向う私は、もう、こんな涙は流せないでしょう。


[2682] それはマシュマロ・の・ようなもの 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/11/01(Thu) 21:55

石井辰彦さん
『駅へ』は読んでみます。いちおう、手元にはあります。
奥村晃作さんの場合、もはや境地ですからね。
辰巳泰子さん
即詠ができるのがうらやましい。どうも、わがままなせいか、即詠も題詠もできないん
です、私は。
永田淳さん
お父さん、お母さん、妹さんがみな短歌をつくる家庭というのは私は想像つかないの
ですが、いかがなものなんですか?
二健さん
短歌天狗の登場ですか。
また、サムライブルースに古い映画の話を書き込みに行きます。
そういえば「ゆきゆきて神軍」は、うちの近くのちっちゃなレンタルビデオ店にも
ありましたよ。私はつくられた頃と三年前と二度見ています。


[2681] キマグレ短歌 投稿者:二健 投稿日:2001/11/01(Thu) 19:24

コスプレの天狗も触って欲しかった君はあの場の残菊だったな  二健

http://www82.tcup.com/8217/samurai.html


[2680] 図書館で 投稿者:冬野由布 投稿日:2001/11/01(Thu) 19:13

 「どんぐりの家」という漫画と、子供の権利条約に寄せる子供の意見集を読んだ。「どんぐりの家」はろう重複障害者のための共同作業所を立ち上げるまでの物語である。
 読み終わりもしないうちに涙でぐしゃぐしゃになった。喜怒哀楽全ての感情が押し寄せ声を上げないように図書館を出た。夕暮れのバス停で人目はばからず泣いていた。
 この涙の一部を説明はできるだろう。しかしその全てをあらわす言葉を私はまだ知らない。「私は表現をできるのだ」そう言いながら泣いていた。
 この涙がでる限り私は生きている、この涙を流す今死んでしまっても悔いはない。


[2679] お知らせです。 投稿者:永田 淳 投稿日:2001/11/01(Thu) 18:13

初めまして。

永田淳@永田紅の兄、です。

さて、この春に私どもが設立いたしました出版社・青磁社のホームページを開設いたしましたのでお知らせいたします。

URLは

http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/

です。

一度お越し下さいますようお願い致します。

取り急ぎ、ご連絡のみにて失礼いたします。

http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/


[2678] ずるいずるい 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/11/01(Thu) 17:35

でもおもったとおり。
岡井隆さんの歌集「E/T」に、及ばすながら一首捧げます。

コスチューム・プレイの「そこ」は触らないで! かすむばかりの花野が似合ふ

     泰子


[2677] 『ピシリと決まる』 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/11/01(Thu) 15:03

他作家の歌集を読むのに熱心とは言えない私ですが、不覚にも(?)昨日、二冊の歌集を楽しんでしまいました。その御報告……。

奥村晃作さんの『ピシリと決まる』(北冬舎)。「ただごと歌」というのは、私の目指すものとはまったく反対の位置にある作風のはずなのに、すごく楽しく読めてしまうのは、不思議ですよね。本当は相当な技巧や覚悟が秘められているのでしょうが、ともかく一気に読了してしまいました。なんだか、「奥村の小父さん」とお呼びしたい気分です。

松村正直さん、という未知の歌人の『駅へ』(ながらみ書房)。作品と作者をくっつけ過ぎた読みは厳に慎まなければならない、と思いながらも、この作者の「人生」に感銘を受けてしまいました。そういう特異な「人生」を短歌形式で読者に伝えるに十分なだけの技術も、既に持っているみたいで、とても興味深い若手だと思います。

というわけですが、以上二作品については、読み巧者の藤原さんからさらに突っ込んだ批評が出ることを期待しています。うわ、今日は僕って真面目だなあ!


[2676] ひと桝あきです 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/11/01(Thu) 11:16

「何処へ脱出したきや 友よ!」

以上のように、「や」と「友」のあいだを一桝あけてください。

どこに引用していただけるのかワクワクです。


[2675] 玲はる名さんのFAX短歌誌にあった歌、 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/11/01(Thu) 10:06

啄木をブルースにして口ずさみ
何処へ脱出したきや 友よ! (藤原龍一郎)

……は、引用する時、以下の表記でオッケーですか? ひと枡あき、必要ですか?

啄木をブルースにして口ずさみ何処へ脱出したきや友よ!

http://www82.tcup.com/8244/happyhappy.html


[2674] ありがとうございます。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/10/31(Wed) 19:47

松本洋一様、「月鞠」のご購入ありがとうございます。
書籍はお手元に届いている旨、ご本人からご連絡を承っております。
振替用紙の控えは郵便局からいただきますので、そこで確認できます。入金のご連絡のお手間は、今後おかけしなくてもよいと思います。


[2673] 事務連絡2 投稿者:冬野由布 投稿日:2001/10/31(Wed) 18:33

 用事が早く済んだので入金済ませました。>辰巳様
 歌集も図書館にもっと入れてあると助かる、いくら評判がよくても私はちょっと遠慮したい、読んでからそう思ってしまうときあるから。研究として読む場合と好んで読む場合と違うから。


[2672] いい歌 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/10/31(Wed) 18:05

これに続けとばかり、夫婦歌集のようなものがばんばん自費出版され出したら、さらに笑えます。岡井さんより、いい歌つくる人があったらいいですね☆


[2671] 訂正 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/10/31(Wed) 17:54

「村落共同体」ではなくて、「読者ぐるみ辺境の村落住まい」でした。
笑えないよ。
これを、
「歌人の村からはちょつと離れたところに住んでゐる」石井辰彦さんが企画し、
最初に読んだ。
ここんとこ、すんごい皮肉の矢が刺さらないとおかしいのではないの?
それにしても、しっかりオブラートにくるむところが、さすが「岡井隆」だと思います。
真似できません。


[2670] E/Tって、奥様をモデルにした歌集なんですね。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/10/31(Wed) 17:37

内容も「やんちゃ」だなあ。
歌壇は村落共同体だから、こういうの書いてもいいだろうとゆうことをあとがきで岡井さんは言ってるけど、わたしはなんとも言えない気分です。
「村落共同体」と言われて、歌壇の人々は、何も感じないでいいのかね?
ずいぶんな石を、岡井さんはぶん投げていると思うけど。
どなたか、これを「石」として、きちんと受け止めてはいかが。
自分が褒められればそれだけでうれしい、とゆう歌人ではないと思いますよ。
岡井隆は!!


[2669] E/T 投稿者:くろせからん 投稿日:2001/10/31(Wed) 14:16

『E/T』は「えみこ/たかし」かなとも思いました。

http://aurora.bird.to/karan


[2668] 奥村晃作さま、こんにちは 投稿者:松原未知子 投稿日:2001/10/31(Wed) 12:40

さっそく「日記」を拝見いたしました。それによりますと『E/T』は「木曜だより」を髣髴させる若々しい歌集のような気がいたします。はやくはやく読みたいです。タイトルの『E/T』はひょっとして『Eros/Thanatos(エロス/タナトス)』ではないかしら。そんな感じがしてなりません。

藤原さま。その歌はこうです。

   その口座凍結されし彼らにはヒンドゥークシュの雪山がある/未知子

http://www.adachi.ne.jp/users/mitico/index.html


[2667] 岡井隆書下ろし新歌集『E/T』の事 投稿者:奥村晃作 投稿日:2001/10/31(Wed) 10:12


(いつも読ませて頂いている藤原さんの「掲示板」をお借りしまして)
石井辰彦さん、こんにちは。
寸感、わが日記の10月31日に記させて頂きましたので、
お読み下され。→ http://www5a.biglobe.ne.jp/~kousaku/

奥村晃作記す


[2666] 藤原さん、血圧のほうお大事にね。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/10/31(Wed) 07:53

昨日、今日、学参仕事が一段落してよく食べ、よく眠りました。
責了まで、あと3本残っています。
そのあとの営業もかけなきゃね。
吉川宏志さんヨロシク☆(じつはクライアントなの)
「月鞠」の発送、いよいよやんなきゃ!もーなかなか手につきません、とほほです。
もう、11月になるんですね。
あっという間に歳が暮れそうです。
今朝、ミカン食べかけてたら、松原一成さんから電話もらいました。
そろそろ朗読ライヴの台本や、HPつくるの、マジやりましょうとゆうことでした。
3日は家族(もどき)で芋煮会をします。

かさぶたになる日も近し鶏頭花  松原一成


[2665] テロの歌など 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/10/31(Wed) 06:04

松原未知子様

「口座凍結」と「ヒンドゥークシュ山脈」を配合してテロの歌になっているのですか?
たいへん興味があります。
ぜひ、一首ぜんぶを紹介していただけませんか?

短歌総合誌でも、テロの歌を特集するところがあるようです。
良く言われることですが俳句総合誌では、テロと俳句というような特集は絶対に
やらないでしょうね。
川柳の専門誌や現代詩の専門誌であれば可能でしょうが。


[2664] ここから注文できます 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/10/30(Tue) 21:38

ながらみ書房のホームページ↓からも注文できます。

http://www6.ocn.ne.jp/~nagarami/


[2663] 良書紹介 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/10/30(Tue) 21:34

ながらみ書房から、古島哲朗さんの『現代短歌を「立見席」から読むU』が
刊行されました。
この本のパートTは、書肆季節社から十年前に出て、荻原裕幸さんが校正を
担当されたやに聞いています。
内容は、歌誌「群炎」に連載された時評です。一九九二年から二〇〇〇年のものまで
が、この本に収められています。
歌壇の風を見ることはなく、純粋な立場から書き続けられた時評の数々は、多少なり
とも歌壇的バイアスのかかってしまっている私には、耳が痛かったり、汗顔であった
りの連続です。ニュートラルな立場から、挨拶抜きの批評の矢が的確に問題点を射ぬ
いています。
一人でも多くの方々に、ぜひ、読んでいただきたいと思います。

古島哲朗著『現代短歌を「立見席」から読むU』
ながらみ書房刊行 3000円+税
рO3―3234―2926


[2662] わたしですよね 投稿者:松原未知子 投稿日:2001/10/30(Tue) 21:25

もうひとり松原さんがいるので、あやうく見落としそうになりました。
桝屋さん、ご無沙汰しております。名古屋の歌会で?岡井さんが?ほんとに?
嬉しい嬉しい嬉しいなー(←浮かれている)。
あの歌は題詠「結」→「口座凍結」で出来たようなものです。テロ直後だったし。
テロはいま鮮度としてどうなんでしょう。いい歌があったら教えてくださいね。
「雑記」かどこか掲示板で。どうもありがとうございました。

http://www.adachi.ne.jp/users/mitico/index.html


[2661] 松原さま 投稿者:桝屋善成 投稿日:2001/10/30(Tue) 19:42

9月に名古屋で行われた「岡井隆現代短歌懇話会」の講演で
岡井さんが松原さんが首都の会に出されたヒンドゥークシュ山脈
(でしたっけ?)の歌を紹介されてました。
「テロの歌をいっぱい見たが今のところこの歌が一番よい」
とのことでした。

藤原さんの掲示板で私信じみて恐縮しますが、「2651」の
書き込みを読みましたので・・・。

では。

http://www2.ocn.ne.jp/~meicho/index.htm


[2660] 辰巳泰子様 事務連絡です 投稿者:冬野由布 投稿日:2001/10/30(Tue) 16:30

 松本洋一購入の「月鞠」代金は、11・1に払い込みます。遅くなりまして大変申し訳ありません。
 最近は図書館で数学の入門書だの旅行記だのを読んで一日を過ごしている。短歌のリズムを忘れたときは「けんけんぱ」をこっそりやっている。肩こりのあまり頭がはぜそうなときは近くのミニ温泉へいく。
 ごきぶりのあのひらべったい身体はひとえに逃げるための進化か?
 とうとつにInterraptしてごめんなさい。


[2659] 『E/T』など! 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/10/30(Tue) 14:37

藤原龍一郎さんの御了承のもと、相変らずメールアドレスを記入せずに書き込ませていただきます。我儘で恐縮ですが、御了解ください!

さて、お待ちかね、岡井隆さんの書き下ろし歌集『E/T』(書肆山田)が、発売になりました。銀座近辺で言えば、近藤書店では詩歌のコーナーに平積み、旭屋書店では新刊コーナーの棚の好位置に表紙見せの状態で置かれています。定価は本体=2,000円+税。必読の歌集だと思います。なお、書肆山田のHPのURLは、以下の通りです。

http://www.t3.rim.or.jp/~shoshi-y/

「現代詩手帖」11月号では「定型詩を刷新するもの」と題して、『E/T』を紹介しておきました。参考までに御一読ください。同じコラムで触れた高橋睦郎さんの新聞連載「『百人一首』をひらく」も、すごく面白いですよ。静岡新聞連載なので、手に入れるのが大変ですけれどね。

イギリスのクラシックCDの雑誌 Gramophone の最新号で、The Gramophone Awards 2001 の結果発表を眺めていて、イギリス人ってヴォーン・ウィリアムズが好きなんだなあ、と思いました。私にはちょっと「ぬるい」作曲家に思えるのですが。受賞したCD(二種類)で、再確認してみようかしら。


[2658] 「ネットのコワさ」の正体 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/10/30(Tue) 09:52

掲示板が止まってからも、アクセスカウンターがさらに増加しています。
盛んなときの、一日に1000という数字は、これまでの3倍、脅威に感じて普通だと思います。

テレビやラジオの仕事には、さまざまな人が関わり合い、それぞれに役割があるのでしょう。そして、「数字の理由」を考える人々もまた、存在するはずです。
きわだった現象の背後には、必ずや、きわだった理由があるはず。

ネットのコワさは、「顔が見えない」からだとよく言われますが、ほんとうでしょうか。
「顔が見えない」のではなく、
「顔を想像しない」から、コワイのではありませんか。

「数字だけが基準ではない」と言いながら、
その理由を考えない、つまり「顔」を想像しないのは、
結果として数字だけを信じてしまうことと、愚かさの本質は、同じではないでしょうか。

「見えない」とされるものだからこそ、「正しく」想像していかなければ。


[2657] 肉声(ライヴ)がメディアになる日2 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/10/30(Tue) 09:24

昨夜、
松原一成さんと、収録の津軽三味線を聴きにいってきました。

アーティストとしては、夕べの演者が「ほんもの」でしょうが、ライヴとしては、「恐山からの手紙」のための取材旅行で立ち寄った、あの津軽の風土のなかで聴いた音が、「ほんもの」だったなあ、と思います。

「共感」という基盤のある場で、突いて突いて突きまくる。
激しくて、殴られてるようで、ああいう表現が、あったのだなあ。

わたしのなかで、あのときの宙に浮いた「傷」のような体験が、落ちるところに落ちた。「風土」に紛れこんだばかりに、あれは、知らず知らずに強姦されていたんだ、とわかりました。

ゆうべの「収録のためのライヴ」では、吉田兄弟の、弟くんの音がいちばん、風土の、しかも男性ではなく、なんと「女性」に近かった。
「血」と「華」がある。
それに正直。

「放送」にあたって、不都合なところは「削除」でしょうが、「五体そろった姿」こそが、やはりライヴなんだ。髪一すじにも、意味があるのよね。

二つのライヴが、18か月という長いスパンを隔てて点から線になり、意味と流れが姿を表した。自分に都合よく、場当たりの受け止め方をしていたら、たどり着けなかった。
あるがまま受け止める、そのための余地を心のどこかに残しておいたから、わかってきたんだね。

表現者として、動かない確信をもらった夜でした。

さてさて、
「肉声(ライヴ)がメディアになる日」のその1は、先週書きあげたばかり。
今年の短歌年鑑に掲載されます。藤原さんの名前がばんばん出てきます。
読んでね!


[2656] 下町育ち 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/10/30(Tue) 07:03

鈴木英子様
子供を寝かしつけたあとのおかあさんって、なんともなつかしさがありますね。
木場のイトーヨーカ堂は藤倉電線(現フジクラ)の跡地に建ったのですが、
私の父は、その藤倉電線に勤めていました。
平久小学校に通い、洲崎弁天、富岡八幡、深川不動あたりが遊び場で、時には
まだ、洲崎パラダイスというネオンアーチが残っていた洲崎遊郭跡にも遊びに
行ったりしていました。
同じ東京育ちでも、下町と山の手では、やっぱり、微妙にちがいますよね。
鈴木英子という女性は、なつかしい下町の女性を感じさせてくれます。
「短歌人」の高田流子さんは、台東区の生れで育ちの人ですが、小学生の時、
一家で上野に行く時は普通の格好だけれど、銀座に行く時はよそゆきに着替えて
帽子をかぶって行ったと、おっしゃっていました。
うちも、そういう感じでした。


[2655] 藤原さん、ありがとうございます 投稿者:岡田幸生 投稿日:2001/10/30(Tue) 03:17

日記拝見、拙歌をとりあげてくださったことに感謝します。

》手違ひはともかくとしてくるるまでクール宅急便を待ちつつ/岡田幸生

たしかに末尾を「待ってた」と口語にするのはすてきですね。
ありがとうございます。なんだか文語でなんとかならないかとばかり
考えていたので、発想の転換というか、目から鱗が落ちますね。

しかし丸谷才一『文章読本』、あのハードカバーはハダカにしても
味がありますね。内容も名著と思います。
一〇〇円均一とは、たしかにフクザツな感慨がありますね。

http://www2.diary.ne.jp/user/81482/


[2654] 子どもも寝て、再び。 投稿者:鈴木英子 投稿日:2001/10/29(Mon) 22:45

ありがとうございました。きっと皆さん優しくて、藤原さんお疲れなんだろうなあと
思われて触れなかったんだと思います。
私の方は、イトーヨーカ堂を出ては平久小学校を見て、ああ藤原さんの母校なんだ、
とか、越中島と門仲の間のブックオフの品揃えの情報を日記で拝見してそうか、と
ちょっぴり残念がってみたりとか、いろいろ身近に感じさせてもらっています。
加藤郁乎の『牧歌メロン』なども久々に引っぱり出して読んでしまいました。
短研にいた当時、熱狂的な加藤郁乎ファンの先輩に影響されて買ったものです。


[2653] 日にちをまちがえてる 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/10/29(Mon) 21:13

本日28日とか30日とか、完全にボケてました。
では、あらためて、この掲示板は、本日の朝から、実は再開しているのだ、ということを
宣言いたします。

ただ、律儀な方は、30日午前8時という書き込みの文字の方を尊重していただいても
かまいません。
ああ、また、なしくずしの私の性格。

鈴木英子さん、また、お目にかかりたいです。

松原未知子さん、やはり、ジャパニーズ・タブロイドです。
100000アクセスも踏んで下さい。

レイハルちゃん、ファックス通信ありがとう。
『嘆きの花園』をきちんと読んでもらえてうれしいです。ではでは。


[2652] アドレス 投稿者:松原未知子 投稿日:2001/10/29(Mon) 20:42

忘れてました。

http://www.adachi.ne.jp/users/mitico/index.html


[2651] あ、やっぱり 投稿者:松原未知子 投稿日:2001/10/29(Mon) 20:40

藤原さま、「電脳日記」で高島作品を引用して下さりありがとうございます。
じつはわたしは「コンビニ」の一語があるためにあの歌を選ばなかったのです。
しかし「タブロイド紙の煽情的な見出しの記事」という批評をきいてむしろ
「コンビニ」はこの歌に不可欠と思いました。キーワードは「煽情的」だったのです。

あのあと二次会へ行ったのですが高島くんと間崎くんには教えられることが多かっ
たです、いつものことですが…。ではまた歌会でお会いしましょう。

http://www.adachi.ne.jp/users/mitico/index.html


[2650] お邪魔します。 投稿者:鈴木英子 投稿日:2001/10/29(Mon) 19:57

2643で、30日までお休みと書かれていましたので、皆さん様子をみて
いるのでは。お休み開始の日にちも1日ずれていたので、どちらが本当なのかなと
私もこそりと様子をうかがってカウンターを廻しました。
お疲れ少しは緩和されましたか。日にちのこと、別にお知らせしなくてもいいかしら、と
迷いながら打ち始めたところ、うちの赤ん坊が適当に動かしたのが見事にSENDに
あたり、2649、無様です。ごめんなさい。


[2649] 無題 投稿者:鈴木英子 投稿日:2001/10/29(Mon) 19:50

2643で


[2648] 誰も書き込まないのに 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/10/29(Mon) 19:11

カウンターだけが廻っている。
もう90000台に突入!

日没の日は大いなる杯に溺れたくつて溺れるさうだ/岡井隆『E/T』

この歌集、刺激があります。書肆山田刊 2000円+税


[2647] 8時に再開です 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/10/29(Mon) 07:53

8時になったら再開します。
みなさま、ご協力ありがとうございます。

レイハル君はフライングです。めめ!


[2646] あれ。 投稿者:玲はる名 投稿日:2001/10/29(Mon) 06:57

不思議なことに、杉山理紀さんのURLがくっついている。
たぶん、ごーふる・たうんで拾っちゃうんだな。(水子のようだ)

http://homepage2.nifty.com/tanka


[2645] R☆FC、2号でました。 投稿者:玲はる名 投稿日:2001/10/29(Mon) 06:54

レイハル。

 おはようございます。
 わたくしのファックス個人誌、R☆FCの2号を配信中です。
 今回は、藤原龍一郎さんの歌集『嘆きの花園』から、3首書かせて頂いてます。
 他、お楽しみ満載です。(どかな?)

 無料なので、ファックスを持っている人で、希望なさるかたは、
 ファックス番号とお名前をお書き添えの上、BXI10236@nifty.comまで
 メールをくださいませ。(1号、登録済みの方はメールいりません)

 ではでは。

http://page.freett.com/sugi8ma/


[2643] お願い二つ目 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/10/27(Sat) 07:26

本日、10月28日、土曜日午前8時から10月30日午前8時まで
この掲示板をお休みします。
理由は私がちょっと疲れたから。
では、みなさま、よろしく。
よい週末をおすごしください。


[2642] お願いひとつ 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/10/27(Sat) 07:15

ここ数日、カウンターがすごい速度でまわっています。
80000アクセスが、つい、このあいだのように思っていましたが
こんどは、もう100000アクセスが目標ですね。
10000アクセス目のかたは、ご連絡ください。福袋をお送りします。

ということで、まず、ひとつ、お願い。

この掲示板の場合、ご覧になればわかるとおり、ほとんどすべての人が
本名またはよく知られた筆名で発言しています。
これは強制ではなく、自然にそうなって、自分の発言に責任をもとうという姿勢の
かたばかりが集まっているということです。
また、自分のメールアドレスもほとんどのかたが、明記していただいています。
匿名性や連絡先の秘匿は、発言の責任をとるということで、私は必要な要素だと
思います。
そこで、お願いですが、今後、特別な理由のないかぎり、本名または知られている筆名
を使用し、なおかつ、メールアドレスも打ち込んでから、送信していただきたいと
思います。
以上、よろしく、お願いいたします。


[2641] Re[2640]: 逃げて逃げて逃げまくる 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/10/27(Sat) 04:04

>辰巳泰子さん

> 荻原さん、覚えておられる?
> わたしは、「フォルテ」(荻原さんが中心になって発行した同人誌)の創刊号で、
> 「吉川宏志へのエール」と題して、吉川さんの熱い文章へのエールを送ったんです。

はい、覚えていますよ。
第4号の巻頭の時評だったと思います。
辰巳さんのコメント読んで思い出したけど、
戦いという体験のない世代の戦いのことを
吉川宏志さんが書いていた文章を受けて、
辰巳さんが「私」を「武器」だと書いていましたね。
言い回しを忘れましたが「諸刃の剣」という意味で、
「武器」なのだと書いていたと思います。
元の雑誌がいま手元に見あたらないので、
正確さを欠いています。すみません。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[2640] 逃げて逃げて逃げまくる 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/10/27(Sat) 03:36

連続書き込みで申し訳なく。

吉川宏志さんが遠い日、お書きになった評論のタイトル、忘れましたが、趣旨は鮮明に記憶しています。

戦争も学生運動もない、自分たちの世代が「闘う」ことについて。
吉川さん、十九歳くらいの、京大の学生さんでした。

吉川さんは、「闘う」立場から、クリアでシンプルなものを打ち出していた。
それは、バブルな時代のムードのなかで、突出した熱さと、また木訥さでありました。

荻原さん、覚えておられる?
わたしは、「フォルテ」(荻原さんが中心になって発行した同人誌)の創刊号で、
「吉川宏志へのエール」と題して、吉川さんの熱い文章へのエールを送ったんです。

闘う、ってとても滑稽なことです。
だって「逃げて逃げて逃げまくる」ほうが、生物学上統計上、生存率が高いんです。
ごきぶりが、古代からの遺伝子を守って現代にその種を至らしめているのは、「逃げる」能力がずばぬけている、この一点につきます。
つまり、合理性を追求すれば、「逃げる」如くはなし、ということです。
わたしは、「闘う」ことと同時に、「逃げて逃げて逃げまくる」も評価したいと思っています。皮肉でなしに、それはとても優秀な遺伝子だと思う。


[2639] あらためて、とんでもなく無礼です! 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/10/27(Sat) 03:22

吉川さん! あなたは短歌の世界における裁判官だという気でいらっしゃるんですか? だとしたら、片腹痛いとしか申し上げようがありません。私はあやふやな根拠に基づいて噂話の報告をしているわけではありません。ああいう噂話を言った人を敢えて特定すれば、とんでもないことになるのかもしれないとはどうして思われないのですか? 一生懸命記憶をたどりましたが、これ以上このことを詮索されても、私としてはちょっと対応いたしかねます。あなたが大切に思っていらっしゃる方々のためにも、ね。

で、私は[2581]においてそういう話を聞いた、と書いたのであって、あれについて適正な判断をしろと言われても、困惑するばかりです。吉川さんは私に何を要求なさっているのですか?

吉川さん、あなたはとんでもなく無礼です。しかも無知蒙昧かつ傍若無人でもあります。何より問題なのは、あなたが日本語をきちんと読解できず、きちんとした日本語も書けていないということでしょう。枡野浩一さんの危惧は、当たっていたということでしょうか。吉川宏志さんとやら、あなたに嫌悪される前に、私はあなたを軽蔑します。


[2638] とんでもなく無礼です! 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/10/27(Sat) 02:57

吉川さん! と書く前に送ってしまいました。削除キーを設定していなかったので削除できません。申し訳ありませんが、管理者の方、[2637]を削除お願いします。



[2636] いっそ、フリーに 投稿者:松原一成 投稿日:2001/10/27(Sat) 01:14

井上さん、私の書き込み、ちゃんと読んでくれました?

>組織にいようと、フリーであろうと、そんなことはあまり関係ない。
戦い方と松原さんは仰るけれども、覚悟があれば、どんな立場でも自分
の思い通りの戦い方はできるし、しなければならない。

繰り返しますが、私は「組織人とフリーランスでは戦い方が違う」と言ったんですよ。
そりゃ、覚悟のある組織人は、思い通りの戦い方ができるでしょう。
あくまでも、゛組織の一員として。

>でも
ちょっと特殊な組織で20年以上も過ごした私の経験も馬鹿にしないで
下さいね(笑)。

いつ、私が井上さんの経験を馬鹿にしたんでしょうかねぇ。
けっこう、被害妄想、入ってません?
もしかしたら、組織の一員であることを、じつは歯痒く思っているんですか?
だとしたら‥‥

>フリーで経済評論をりたいという気持ちは私にもあって、書きたい
こと、書かなければならないことはたくさんあるのですが

という夢をお持ちなのですから、パッと組織から飛び出してみてはいかがでしょうか。
「覚悟があれば、どんな立場でも自分の思い通りの戦い方はできる」
と仰る井上さんなら、
フリーでも、きっと素晴らしい実績をあげられると思いますよ。


[2634] Re[2633]: あえていえば 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/10/26(Fri) 23:52

井上さんがお書きの、
> 組織にいようと、フリーであろうと、そんなことはあまり関係ない。
> 戦い方と松原さんは仰るけれども、覚悟があれば、どんな立場でも自分
> の思い通りの戦い方はできるし、しなければならない。
>

この部分では、個人のことをおっしゃっている。
そして、

> 我が社の場合、一見、看板はでかそうですが、200名弱の中小企業。
> 人しか資源のない組織ですので、個人の資質で持っているところがある
> のです。その点、独自の戦い方をしている。だから50年以上もつぶれ
> ずにきた。
>

うえの冷笑、いや例証となるべきこの部分では、組織のことをいっている。

井上さんのご自身の経験や覚悟をお話しにならないと筋がとおらないのでは?
ほんらいは個人のメンタルに属するはずの「覚悟」を、組織という外形とごっちゃにしているのは、井上さんご本人なんじゃないですか?


[2633] あえていえば 投稿者:井上 洋 投稿日:2001/10/26(Fri) 23:25

松原さんが、そういう外形的なことにこだわっている人だとは思いませ
んでした。

私は、人を見るときに心がけていることは、外形的なことはとりあえず
はずすということ。昔、随分失敗しましたからね。いろいろ迷惑もかけ
たし、だまされもした。

組織にいようと、フリーであろうと、そんなことはあまり関係ない。
戦い方と松原さんは仰るけれども、覚悟があれば、どんな立場でも自分
の思い通りの戦い方はできるし、しなければならない。

我が社の場合、一見、看板はでかそうですが、200名弱の中小企業。
人しか資源のない組織ですので、個人の資質で持っているところがある
のです。その点、独自の戦い方をしている。だから50年以上もつぶれ
ずにきた。

もちろん私は、松原さんのご経験を愚弄するつもりはありません。でも
ちょっと特殊な組織で20年以上も過ごした私の経験も馬鹿にしないで
下さいね(笑)。

ps:短歌の作者名も外形の一種です。気をつけないと。

http://homepage2.nifty.com/hiro2001x/index.html


[2632] 異色の型 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/10/26(Fri) 23:12

有名な親を持つ二代目の歌人、そのようなプレッシャーを肥やしにして成長する。
それって本物、ってことですよね。
ほんもののお姫様は、いつだって、試練を乗り越えて幸せを手にするものと相場が決まっています。これだって古今東西、普遍かつ不変の、モノガタリの型です。
しかも、最強の!

ほんものである道は、人それぞれ、無数にあるよね。
でも、生まれたときからほんもの、なんて誰もないんじゃないの……。

それにしても、
白雪姫なんて、失踪して7人もの小人(成人男性)と同棲してたのよね。ディズニーのビデオを見ると、小人たちは、姫のいないあいだに姫のクッション奪いあって匂い嗅いでる。あんまりこね過ぎて、しまいにクッション弾けちゃう。
名作ですよ!
(似たような記述、寺山修司「さかさま文学史 黒髪篇」にも、あったかもわかりません)
わたしは人魚姫が、いっとう好きです。
あればかりは、お姫様が幸せになれないモノガタリとして、異色の「型」といえる。


[2631] 夢であえたら 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/10/26(Fri) 22:33

>吉川さん
司法の場でする質問を、みんなが聞いているところでする。これはつまり、社会的責任のきわめて重い刑事事件の裁判とゆうことになりますね。
(裁判ネタには強い辰巳ちゃんなのだ!)

ところで、奥様の前田康子さんが、「現代短歌最前線」(下巻)で、「キレ」のあるエッセイをお書きでした。
前田さん、エッセイぴかいちですね。
わたしが新婚の吉川家に、包丁を贈ったとゆう物騒な話です。
あれねー、デパートに包装も宛名書きも、……と種を明かすとおもしろくありません。
前田さんのユーモア、小島ゆかりさんともちがう独特のものに思えて、好きです。
とってもおもしろいので、皆さんお読みになってください!

わたしも、おなじ巻で、今ではマボロシとなった自分ちのこと書いてます。「夢のなかで」なんて書いたら、現実が夢のなかにいっちゃったよ!


[2630] フリーになったこともないのに‥‥ 投稿者:松原一成 投稿日:2001/10/26(Fri) 21:35

井上さんへ

>私の場合、大学を卒業して以来、今の事務所(経済団体の事務局)に20
年ほど勤めていますが、組織人には組織人としての覚悟が必要だというこ
とを、これまでもいろいろなかたちで経験してきました。

私は、組織の人には覚悟がないなどとは言ってませんよ。
組織の人とフリーの人とでは戦い方が違う。
私は、フリーで実績をあげている人の戦い方に共感を覚えると述べているのです。
また、

>組織に属していようが、フリーランスであろうが、全く関係ありま
せん。

とのことですが、フリーランスになったことのない井上さんが、
どうしてそう断言できるのでしょうか?
自分の看板のみで仕事をされた期間のある方が、そうおっしゃるなら、
拝聴いたしますが‥‥。


[2629] Re[2627]: ニュースソースの秘匿…… 投稿者: 投稿日:2001/10/26(Fri) 20:40

完全な匿名にて失礼いたします。

ただ、ちょっと論点がずれてるな、と思ったので一言だけ口を挟ませていただきます。

吉川さんが嫌悪されていることは、どこででも流布する根も葉もないような噂話を公の場に持ち出された石井さんの発言に対してではないでしょうか。

以上、横やりを入れてしまい、申し訳ありませんでした。


[2628] Re[2627]: ニュースソースの秘匿…… 投稿者:吉川宏志 投稿日:2001/10/26(Fri) 19:15

> と、ここまで書いてきて笑っちゃったんですが、吉川さんの[2625]の御質問って、小学生あたりがしそうな質問ですよね。「何月何日何時何分に何処のどういう場所で……?」って、苦しい立場に立たされた同級生に質問されて困ったことって、ありませんか?

はいそのとおりです。
小学生のするような質問ですね。
ただ同時に、司法の場でもよく行われている質問です。

2627の石井さんの発言により、かなりあやふやな根拠に基づいて、
2581の発言が行われている可能性があるとわかりましたね。

そのような曖昧な根拠に基づいて発言する場合、
もう少しぼかした発言をするほうがよいでしょうね。
少なくとも固有名詞を出してしまうのは問題でしょう。
もし歌壇を批判する目的であれば、
「有名な親を持つ二代目の歌人は」だけでいいわけです。
それならば、ほかにも何人かいますから、私もこのような
失礼なことを申し上げる必要はありませんでした。

以上のような経緯を踏まえて、2581については
適正な判断をされることをお願い申し上げます。

無礼と感じましたら、お許しください。


[2627] ニュースソースの秘匿…… 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/10/26(Fri) 18:15

というわけではないのですが、吉川さん、どこでああいう話を耳にしたかは、正確にはお伝えできません。何かのパーティの席上でだったと記憶しますが、何時何処で誰から、という細部までは、正直覚えていませんしね。ただ、「ううむ、面白いことを言うものだなあ。二代目って大変なのね!」と思ったので、話の内容は印象に残っているわけです。

と、ここまで書いてきて笑っちゃったんですが、吉川さんの[2625]の御質問って、小学生あたりがしそうな質問ですよね。「何月何日何時何分に何処のどういう場所で……?」って、苦しい立場に立たされた同級生に質問されて困ったことって、ありませんか?

あ、また変なこと書いちゃったかな? ともかく、私の発言を信用なさらないのなら、それはそれで一向に構いません。「べつに石井さんの発言を信用していないわけではありませんよ」という御発言自体が相当に無礼だとは思いましたが、我慢して、以上のようにお答えしておきます。

また今晩もパーティなので、これから出掛けなければなりません。もし吉川さんにお答をいただいても、それへの対応は遅くなると思いますが、御容赦のほどを! ちなみに、パーティとは、結局は無責任なゴシップが飛び交う場所だと思いますし、それでこそパーティなのだ、と思ってもいます。吉川さんには我慢のならない考え方でしょうね!


[2626] 因みに・・・ 投稿者:井上 洋 投稿日:2001/10/26(Fri) 18:07

私のまわり、といった場合、私の専門領域である経済産業政策に係わる研究・調
査の分野です。

ともかく、現状を正確に把握し、有効な対策を提言しているかどうかということ
につきます。組織に属していようが、フリーランスであろうが、全く関係ありま
せん。

この世界は実践的に答が求められるので、答のないつまらない評論を、例えば、
今日のように緊急事態のときに書き散らかしていると評価されません。

まあ、そんな世界もあるということをご理解下さい。

http://homepage2.nifty.com/hiro2001x/index.html


[2625] Re[2622]: 結局私だけが? 投稿者:吉川宏志 投稿日:2001/10/26(Fri) 17:40

> でも、そうなるとまだ腹が癒えないでいるのは、私だけってことになってしまいますね。[2594]の書き込みに、吉川宏志さんからまだお答をいただいていないからです。「それでもなお、吉川さんは私を嫌悪なさいますか?」と、私は書きました。お忙しいのでしょうが、吉川さん、是非お答え下さい!

とありますが、お答えする前に事実確認したい点があります。

>私の書き込みは、「無責任な噂話」ではないつもりです。たしかにああいうひそひそ話を漏れ聞いたのですし、私はそれを歌壇の悪い部分だと思ったのでした。

とありますが、どういった場で聞いたのでしょうか。
具体的に教えていただければと思います。
べつに石井さんの発言を信用していないわけではありませんよ。
納得したうえでお答えしたいので、よろしくお願いします。


[2624] 才能の無駄遣い 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/10/26(Fri) 16:46

、ってものがあるとすると、才能の「節約」って何?
フリーランスで仕事をするということは、とにかく感度を鈍らせないように、いつも全力を出しきる「習性」を会得するものです。
習慣、などという生易しいものではありません。
わたしの生業は学習参考書の編集ですが、担当編集者とあうんの呼吸に至るまでは、あらゆるものを犠牲にし尽くすことがあります。
プロダクション(組織)を辞め、新規のクライアントを得た矢先、妊娠しましたが、〆切直前に出血が始まってしまいました。横臥せずそのまま仕事を続け、進行流産で胎児(正確には胎芽)は流出してしまいましたが、〆切は守りました。また、同時に一件、受けるかどうかの返事をしなければならない仕事があり、掻爬の麻酔が切れてすぐ、入院先から「受ける」という連絡を入れました。赤ちゃんもういませんから遠慮はいりません。
涙も出ませんでしたよ。
子どもと夫は、わたしもぶんも泣いてたけどね。
これは、もちろんクライアントは知らせないことです。
クライアントには、不安材料は与えない。鉄則だと思っています。
同情してもらっても、しかたありませんからね。
だれにも、代わってもらえることではありません。
自分の看板で仕事をするとはそういうことです。
特に表現の世界では、一見無意味に見えることでも、おろそかにはできません。

どんなときでも、出し尽くす。

でもそれは、そのような「芸域」に達しないと、無駄遣いに見えるんでしょうね。
「才能の無駄遣い」という言葉を自分の辞書に載せている人は、すべからく才能を磨く努力を怠っていると思います。


[2623] 組織に属するということ 投稿者:井上 洋 投稿日:2001/10/26(Fri) 13:50

松原さんへ

私の場合、大学を卒業して以来、今の事務所(経済団体の事務局)に20
年ほど勤めていますが、組織人には組織人としての覚悟が必要だというこ
とを、これまでもいろいろなかたちで経験してきました。

組織に属する者にとってもっとも重い制約は、仕事を選ぶことができない、
ということ。私の事務所には、民間企業のみならず内外の政府から、はた
また国際機関から様々な依頼が来ます。その時、「できません」といった
ら組織人としておしまい。自分の知識、能力の範囲内でできそうもないも
のでも、どうやればできるかをまず考えます。たまたま自分に来た難しい
仕事ができない場合でも、組織の評価は格段に落ちてしまうので、ともか
くどうやればできるかを考える。この点はフリーの人も走でしょうが。組
織人だから、いい加減でよいということはないですね。

まあ毎日、その繰り返しです。それがいやで辞めてしまうやつは沢山いま
すよ。フリーで経済評論をりたいという気持ちは私にもあって、書きたい
こと、書かなければならないことはたくさんあるのですが、制約のなかで
難しい仕事をこなす中でこそ、自分の能力は伸びるという実感もあって、
なかなか踏み切れません。

また組織というものは、その構成員の能力や努力によって正しい方向に進
む、ということも実感しています。たまたま、今の職場が社会的にも影響
力のある職場なので、もし自分が迎合して、流されるまま仕事をこなすだ
けとなってしまえば、社会もおかしくなる、という自負に近いものも持っ
ているつもりです。いまは最悪の気分ですが...。

少なくとも自分がこの組織のゆくえを決めるという自覚が出てくると、緊
張感は一気に高まるのですね。

それから私にとって短歌は、組織とは全く関係ない部分で行われる活動で
す。短歌人会に所属してはいますが、今のところ、それが作歌にどう影響
しているかはよくわかりません。短歌人本誌に活字となって自分の作品が
載るという事実は否定しようがありませんが、発表の場を得るために、会
費を払い、そして短歌人会のルールを守る。組織としての短歌人会との関
わりはそれだけです。

いずれにしても、組織に属する、属さない、ということのみで人間をセグ
メント化することはどうかな。自覚、あるいは覚悟を持って取り組んでい
るかどうか、という点が重要なのであって、例えば、フリーでも才能の無
駄遣いをしているような人は、残念ながら尊敬できないな。

私のまわりに何人かそういう人がいるので、2621の松原さんの発言に、
ちょっとコメントしたくなってしまいました。

http://homepage2.nifty.com/hiro2001x/index.html


[2622] 結局私だけが? 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/10/26(Fri) 13:29

パーティで飲み過ぎて酔っぱらっているうちに、話がなんだか丸く(?)収まったみたいですね。それはそれで結構なことだと思います。

でも、そうなるとまだ腹が癒えないでいるのは、私だけってことになってしまいますね。[2594]の書き込みに、吉川宏志さんからまだお答をいただいていないからです。「それでもなお、吉川さんは私を嫌悪なさいますか?」と、私は書きました。お忙しいのでしょうが、吉川さん、是非お答え下さい!


[2621] フリーの物書きとして 投稿者:松原一成 投稿日:2001/10/25(Thu) 23:52

フリーの物書きになって2年目。
事務所にいたころと比べて、よりシビアな現実に日々緊張しています。
影響力の大きいテレビの仕事をしているので
「表現」と「名誉」「中傷」をどう考えるかは、本当に大きな課題です。

辰巳さんの「覚悟」と「確信」をもった表現を私は心から尊敬していますし、
そのような人に作品のモデルにしてもらったことを光栄に思っています。

枡野さんの一連の書き込みには、ことごとく共感を覚えました。
やはり、組織に属さず長年戦ってきた人は違いますね。
組織べったりの人にはわからないのかもしれませんが。

>井上さん
常識人としては同意見ですが、
その前に表現者であるので、井上さんの考えに与することはできません。

>西村さん
白旗まであげている素人のあなたに、きついことを言い過ぎました。
お詫び申し上げます。


[2620] どおしてどおして? 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/10/25(Thu) 23:42

みんな削除するの?
これはよくない連鎖反応だよ!
もとはといえば、わたしのやんちゃが過ぎたので、みんな、自分の発言は大切にして!
それに、わたし、藤原さん大好きだから……。「好き」に理屈はないです。
藤原さんのおかげで、さじ加減を覚えていけるのだと思うし、これまでもそうだったし、わたしは勉強になりました。表現と常識のさじ加減を身に着けることが、じぶんのこれからの、重要な課題だと思っているんです。
生きていかなくちゃ、なので、ジサツ行為はやめましょう。


[2619] 表現者としての真摯さ 投稿者:松木 秀 投稿日:2001/10/25(Thu) 22:51

〔2609〕を拝読。
なぜか心がしんと静まりかえりました。

・・・

あと、宙に浮いてしまった〔2600〕を
削除いたしました。


[2618] 今回の一連のログを 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/10/25(Thu) 22:50

個人的に保存しました。

この件に関する枡野浩一の書き込みは、
どれを削除してくださっても結構です。
その判断は藤原龍一郎さんと荻原裕幸さんにおまかせします。
お手数おかけしますが、
どうぞよろしくお願いいたします。

http://talk.to/mass-no


[2617] 7件、 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/10/25(Thu) 22:49

こちらでコメントの削除をしました。
[2610] で藤原龍一郎さんが指示したものと
[2613] で書いたように重複があったものです。
それ以上にノンブルが抜けているのは、
すべて書きこんだ当人による削除です。

物理的なコメントの削除は、
気をつけておこなっていますが、
万が一必要なコメントが誤って削除されている、
というような場合はお知らせいただければ幸いです。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[2616] 辰巳泰子さんの[2609] 、 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/10/25(Thu) 22:32

心静かに拝読しました。



私自身は先日、
自分の掲示板を「休止」してしまいました。
こちらの掲示板が末永く続くこと、
心よりお祈りしています。

http://talk.to/mass-no


[2614] あ。 投稿者:玲はる名 投稿日:2001/10/25(Thu) 22:26

すでに、終着に向かっていたんですね。では、わたしも削除します。

http://homepage2.nifty.com/tanka


[2613] 削除 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/10/25(Thu) 22:25

藤原龍一郎さんの判断に従って、
[2543]と[2560]と[2568]、
さきほど削除いたしました。

なお、吉川宏志さんの発言で、
「奇妙な論理」というタイトルの
同じ内容のコメントが、何かのトラブルで、
複数回書きこまれてしまったようです。
はじめの一つを残してあとは削除しておきます。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[2610] 了解しました 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/10/25(Thu) 21:58

辰巳泰子様
了解しました。
[2543]は削除させていただきます。
[2560]と[2568]の私の発言も削除します。
吉川宏志さんの発言に関しては、吉川さんの判断にしたがいます。

吉川さんは、掲示板に慣れていらっしゃらないということですので
もし、削除するということで、その方法がわからないということがありましたら
藤原にメールで連絡をいただくか、ここに書き込んでいただけば、削除するように
いたします。


[2609] 心の底 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/10/25(Thu) 21:46

>藤原さんへ
では、くだんのプロット、削除してください。
ただし、辰巳の書いたものは品格に欠ける、というご自身のご発言、また、同内容の吉川宏志さんのご発言[失望しました]について、削除をお願いいたします。
くだんのプロットが削除されて、マイナスの印象だけが残ってしまうのは、大変不当なことに思います。
これは、主張していいことだと思います。

表現についての考え方としては、
枡野さんとまったく同じ、怖ろしいくらいおんなじです。

マナーについては、
井上洋さんのおっしゃること、そのとおりだなあ、と思います。
常識人としてのわたしの考えは、ここでは、井上さんのご意見と重なります。

吉川さんのご発言、友人としての発言だと受け止めています。
短歌でモデルにされるのがよくて、小説だったらダメというのは、変なこというなあ、と思う。でも、吉川さんは、友人として、いつモデルにされるかわからないはコワイ!というのもわかる。それがいちばん、「失望」の原因なんだろう、と思うし、わたしも友人として、ごめん、という他はない。

わたしはここで、表現者として皆さんに接すると決めています。
そのことは常に明らかにしているし、貫いております。別な立場になるときは、そのつど、前もって表明しています。
どんな立場から発言してるのかわからない書き込みは、それはそれでマナーに違反するのではないでしょうか。コードに触れる言葉尻や、他人の不快感ばかりを追いかけて、「規制」よりも、もっと大きなあるべきマナーを、考えていないのではありませんか。
重要なポジションにいる人ならば、なおさらでしょう。

皆さんが正直に書き込んでくださっていると思うので、
わたしも心の底を書きます。
わたしのなかで、「常識」と、表現哲学のようなもの、は全然一致していないです。
だからいつも、わたし自身苦しんでいるし、こんなわたしは死んだほうがいい、と思う時間が、一日のうちでいちばん多いです。一個の人であるわたしは、全然ひらきなおっていません。
でも、いちばんイヤなことは、じぶんの書いたものが、キレを失うことなんです。
だれから愛されなくなっても、受け止めるしかないんだろう。
表現がキレを失う、評価を受けて安住する、作家として去勢される。
それがいちばんイヤなこと。

枡野さんが、歌壇への批判精神だとおっしゃってくださったのは、コンセプトとしてありました。歌壇自体もまた、モデルになっているわけですから、歌壇どっぷりの人々が反発を感じるのは承知のうえです。

でも、西村くんが不快なのは、別の次元だと思う。
だから、ごめんなさい、ということと、ありがとう、ということを伝えました。
それでも許せない、
と西村くんがいえば、わたしはなんべんでも謝ります。
謝ればいい、ということではなくて、わたしのなかにある矛盾に、わたし自身苦しんでいるものだから、謝らずにはいられない気持ちがあります。
そして、それでも、謝りながら、表現についての思いを譲らず生きてゆくんだろうと思います。

永田紅さんが不快かどうかは、誰にもわかりません。
でも、わたしの勘だと、彼女は受け入れることができるはずです。あれだけ親の短歌のネタにされてれば、表現のなんたるかは、わかるでしょうし、電話でしゃべっただけで面識はありませんが、とても聡明な人だと思います。それから、永田・河野夫妻も、いわゆる小人ではありませんから、もう、あんたはー、といって許してくれるように思う。なにか、確信めいたものがあります。もし、永田・河野夫妻が、かんかんに怒るのであれば、わたし、お二人を軽蔑します。

じぶん自身の、葛藤について語るのは、好きではないです。
それはもっとも避けるべき、自歌自注のような気がしていましたが、ここでそのように書こうと思ったのは、うーん、誰のためなんだろう。ふと、心の底を見せたくなりました。やっぱり、枡野さんが全面的に理解してくださっていることに安堵したことと、吉川さんから、結局は友人として、心根の伝わるものを受け取ったからだろう。
皆さん、忙しいのに、ありがとう。
西村くん、ごめんな。
藤原さんの、何者かわからない、コロコロ立場を変える無責任な態度には納得できないし、腹立たしいけれど、でも、不思議に嫌いにはならないです。たぶん、どんなに無責任に見えても、根本はやさしい人だという美質を、損ねてはいないからだと思います。


[2608] 吉川宏志さんの書き込み『奇妙な論理』は、 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/10/25(Thu) 21:12

2回ではなく、5回ほど書き込まれています。同じものが。

私からのお返事は、
[2591] と[2592] に書きました。
ご確認いただけると幸いです。

http://talk.to/mass-no


[2607] 藤原龍一郎さん、 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/10/25(Thu) 20:44

私の[2605] の書き込みは、
藤原さんの[2604] の書き込みを拝読する前に書きました。

藤原さんがそう判断されたということ、
やはり残念ですが、
ここは藤原龍一郎さんの掲示板なので、
「仕方ない」と思います。

もし、
[2543]に関連する
枡野浩一の書き込みも削除する必要があるということでしたら、
おっしゃってください。
ログを個人的に保存した上で、
自分で削除します。

http://talk.to/mass-no


[2606] 表現の品格について 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/10/25(Thu) 20:38

> モノガタリには、「型」が必要や。おおざっぱな型とゆうのは、わかりやすいほうがええ。色かカネか大義名分、そうゆうのが、わかりやすうてええ。
> これは、じつは短歌の、31文字の型と、おんなじなんや。
> ちがうのは、短歌の型は、カタルシスへ向かうベクトルを備えているけれど、モノガタリの型は、読者のすけべ根性を、充足させる道具やとゆうことや。綺麗事ではおまへんねん。
> そこに、枝葉がついてゆく。それが具体とゆうもんや。具体の一つ一つからは、幹は見えへんほうがええ。でも、幹につながってないといかん。
> 読み終わったあとに、「腑に落ちる」モノガタリと、「いつまでも考えさせる」モノガタリとがある。ちなみに、したのプロットは、「腑に落ちる」モノガタリとして構成を考えてある。「腑に落ちる」モノガタリは、菩薩さんのようなもんや。にんげんの下世話を、めいっぱいに振り回してよく、「型」の力でゆるしてくれる。短歌とよう似ている。いっぽう、「いつまでも考えさせられる」モノガタリとゆうのは、読者の、識者でありたいとゆうプライドを満たしてくれる。そおゆうのが、じつはいちばん下世話なんかもしれん。

[2544]、くだんのプロットの後で、自分で書いた文章です。
表現することの具体に即しては、わたしは「品格」を次のように考えています。
あとで、皆様にもレスします。


[2605] 西村一人さん、 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/10/25(Thu) 20:38

お気持ちはよくわかりました。

そもそも、
辰巳泰子さんの「フィクション」の書き込みも、
私の書き込みの数々も、
西村一人さんへの嫌がらせとしてスタートしたことではなかったはずなので、
とても残念に思います。

http://talk.to/mass-no


[2604] 辰巳泰子様 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/10/25(Thu) 20:36

藤原龍一郎です。
今日一日、考え続けて、[2543]の書き込みは、やはり、不当に西村一人さんや
永田紅さんを傷つけるものだと思います。
そう思って、帰宅して、昼間からつい今しがたまでの書き込みを読み、決断しました。

[2596]の西村一人さんの発言をもっともだと思います。
西村さんには、不愉快な状況に巻き込んでしまったことをおわびします。

辰巳泰子さん。
[2543]を削除して下さい。
自発的に削除していただくことをお願いいたします。
22時の時点で自発的に削除していただけていない場合は、こちらで削除します。


[2603] 井上洋さんの[2599]の書き込みを拝読し、 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/10/25(Thu) 20:28

私が[2584]で書いたことは、
井上洋さんに当てはめる必要はまったくないと感じました。
念のためお返事します。

井上洋さんと松木秀さんがお書きになっているように、
辰巳泰子さんがご自身のホームページを開設し、
そこを舞台に活躍される……それは、よい方法ではないでしょうか。
たしか準備中なのですよね?

MINORU さんの[2601]の書き込みは、
ご自身が自問自答なさっていること以上のことを、
私が付け加える必要性を感じませんでした。

http://talk.to/mass-no


[2601] Re[2584]: いいえ。辰巳泰子さんのプロットが「面白かった」からこそ、 投稿者:MINORU 投稿日:2001/10/25(Thu) 19:54

> こんなにも多くの書き込みが集まったのです。
> そしてMINORUさん、
> あなたも横から口をつい挟んでしまった以上、
> 辰巳泰子さんのてのひらの上にいます。私と同様。
確かに、興味を持って読んだのは事実です。ただ、それが、
辰巳氏のてのひらの上にいる、というのはどういうことなのか、
よく分かりません。辰巳氏は、お釈迦様なのでしょうか。
我々は、危なっかしい雲に乗った猿?。
すべて見透かされているとでもいう事なのでしょうか。
> こういう、
> 今までの書き込みを一言で台無しにするような、
> 「あとだしジャンケン」をしたがるヤカラは、
> 半匿名のハンドルネームを使用するものと、
> 相場が決まっていますね!
確かに、ちょっと言い過ぎだったか、と思います。
ただ、率直な感想ではあったのですが。
出発点が些細な地点であったにもかかわらず、みるみる
色々な話題、様々な論理が組み立てられていくことに
驚いた、というところなのですが。
なお、ハンドルネームはいつも使っているものをここでも
使ったまでのことです。
それが、この掲示板のルールに反しているのなら、お詫び
しますが。
> 「こういった論争は私にはつまらない」
> と書くのならわかりますが……。
> つまらないのなら、
> あなたが別の話題を出して、
> そちらの話題に皆がのるように、
> すればいいだけのことです。
別に新しい話題を提供するつもりではありませんでした。
現在の話題につい乗ってしまっただけです。
見るだけにしておけばよかったか、と若干後悔して
いるところです。
> 辰巳泰子さんのプロットの「面白さ」は、
> 「だれにでも好感を持たれる」といった類いのものではない。
> しかし、
> 「反感を買う文章」というのもまた、
> 「面白い文章」です。
>
別に反感を持ったわけではありません。文字通り、私には面白く
ないな、と思っただけです。それを面白いと思う人がいても、それは
私の関知するところではありません。文章は巧みなのでしょうが、
物語としては良くある話ではないか、と思ったまでです。肉付けの
仕方でまた変わっていくかもしれませんが。その文章を読んで、
何らかの感想を持つことが、イコール「面白い」ということでも
ないようにおもいます。そこまで「面白い」の意味を広げるのも
どうかな、と思います。「面白くない」は「面白い」なんて、
なんとなくマザーグース的な逆説表現めいていますし。
断片的な意見になってしまいました。


[2599] 私は・・・ 投稿者:井上 洋 投稿日:2001/10/25(Thu) 18:54

辰巳さんのプロットが面白かったから、書き込んだのではありません。

明らかにwebの一般的なルールから外れたものだと、私の経験から考
え、申し上げただけです。はっきり申し上げれば、辰巳さんの書き込み
は、誹謗中傷に類するものです。
もちろん藤原さんが、こうした発言を許すというのなら、成立するかも
しれませんが(ローカルルールとして)、読者の立場として、という限
定付きではありますが、藤原さんが批判されているわけですから、おそ
らく、まずいのではないでしょうか。

今回の素材を辰巳さんが小説やエッセイにされるのも、短歌作品にされ
るのも、もちろん自由でしょうが、その場合には、それぞれの土俵にお
けるルールは守るということが前提になる。そして全てを受け止める覚
悟がないといけない。釈迦に説法ですが...。

自由に何でもやりたいならご自身で掲示板を運営することですね。ご自
身の設定されたルールの中で、とりあえず発表し、また他者の書き込み
を待つ。もちろんこの場合にも、全てを自分で受け止める覚悟がないと
いけないですね、法的な問題も含めて。

それから、歌壇との関わりで今回の件を論ずるのは、生産的ではないと
思います。今回の問題を私は、あくまでもweb上の問題として考えた
いという立場です。


[2598] すみません 投稿者:吉川宏志 投稿日:2001/10/25(Thu) 18:49

あれ、なぜか同じのが二回も載っている?
すみません。消し方もわからないので、
とりいそぎおわびです。
じつは掲示板に書き込むのは、2度目か
3度めなんですよね。
初心者だということでお見逃しください。


[2596] 枡野さんへ。 投稿者:西村一人 投稿日:2001/10/25(Thu) 18:37

 西村です。議論拝読しています。

 お話を伺っていて、一箇所私の受け取り方を表明しておく必要があるかな、と思いまして書き込みます。

(比較できることでもないでしょうし……)
また、
投げつけられたすべての質問に答える義務など、だれにもないから、
闘いたくないから闘わない、
それはいいと思います。〉

 とのことですが、辰巳さんのご意志も伺った上で、やはり私としては[2543]のような書き込みをされたくはありません。枡野さんが同様の書き込みをされた立場の時には構わないそうですが、私にとってはやはりとても嫌なことでした。


[2594] 『日輪』を批判したわけでは…… 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/10/25(Thu) 18:06

ありませんよ、吉川さん! 私の書き込みは、「無責任な噂話」ではないつもりです。たしかにああいうひそひそ話を漏れ聞いたのですし、私はそれを歌壇の悪い部分だと思ったのでした。私の言葉が足りなかったのか、あなたの読解力が足りなかったのか、それはともかくとして、ちゃんと私は、「永田紅さんの歌人としての実力は、御両親とは無関係なはず」と書いておきました。私は永田家の三歌人について、色眼鏡で語られているような歌壇の空気を批判したかったのです。もちろん、歌壇にそんな空気はまったくない、ということなら、それは私の事実誤認ないしは思い込みに過ぎなかったわけですが……。

思い込みに過ぎないことを書くのはけしからん、ということなら、そういう批判は甘んじて受けてもよいでしょう。書き込む位置が誤解を招いた、ということなら、それは反省すべきなのでしょうしかしながら私は、こそこそと、無責任な噂話を垂れ流したつもりはありません。『日輪』については、読んではいるはずですが印象に残っていないので、今はなにも書くことがありません。それさえもけしからん、とおっしゃるなら、再読してきちんとした批評を発表しても、もちろん構わないのですが……。ともかく私が、永田紅さんや永田和宏さんや河野裕子さんを批判したりからかったりしたのではないことは、御理解いただきたいと思います。それでもなお、吉川さんは私を嫌悪なさいますか?


[2592] それにしても! 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/10/25(Thu) 17:56

〈事実と誤解されかねないことを書かれる〉
と、
吉川宏志さんはお書きになりました。

ああ、
あの「フィクション」は、
やっぱり「事実と誤解されかねないこと」なんでしょうか!
辰巳泰子さんは、しらずしらず、図星をついてしまったの?

……私はちっともそうは思えない、
ということから、
この話は始まっていたと思うんですが。

少なくとも、
吉川宏志さん、
あなたは「事実と誤解されかねないこと」と感じたのですね……。

……吉川宏志さんの文章読解力を、以下同文。

http://talk.to/mass-no


[2591] 吉川宏志さん、私はそんなことを書いていません。 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/10/25(Thu) 17:55

よく読んでください。

>それにしても、
>私の知らない「歌壇」では、
>「品格に欠ける作品」は、
>ただそれだけの理由で排除されるのでしょうか。

……と私が疑問形で書いたら、
「ちがいます。排除されません」
とお書きになればいいことなのでは?
私は決めつけたわけではなく、
疑問形で、問いかけただけです。
だって本当に、知らないのです、「歌壇」のことは。



〈自分は書かれるのは構わないから、他人
も同じようにするべきだと考える〉
という部分も、
そんなこと私はけっして書いていません。
よく読んでください。
私は[2569] に以下のように書きました。

〈自分がそう感じたから、
西村一人さんもそう感じるべきだ、なんて思いません。
(比較できることでもないでしょうし……)
また、
投げつけられたすべての質問に答える義務など、だれにもないから、
闘いたくないから闘わない、
それはいいと思います。〉

……吉川宏志さんの文章読解力を私は疑ってしまいそうです。
http://talk.to/mass-no

http://talk.to/mass-no


[2586] 奇妙な論理 投稿者:吉川宏志 投稿日:2001/10/25(Thu) 17:36

枡野さんは、

>それにしても、
>私の知らない「歌壇」では、
>「品格に欠ける作品」は、
>ただそれだけの理由で排除されるのでしょうか。

と書いていますが、現時点でこの掲示板で不快感を明確
に表明したのは、私と藤原龍一郎さん、井上洋さんくら
いですね。
それを、「歌壇」全体と結びつける非論理性に唖然とし
ます。
しかも、私の記憶が正しければ、藤原さんを、枡野さん
は「歌壇的でない」というニュアンスで評価していたの
ではないでしょうか?
また、歌壇の人以外でも、辰巳さんのような書き込みを
批判的に考える人もいると考えられます。
私の知人で、千葉県在住の少女漫画のかたがおられます
が、身辺のことを漫画に書くときはそうとう注意深く設
定を変えるということを話していました。
なぜ、こんな些細なことを書くかといえば、枡野さんの
発言には、安易に「歌壇」(悪)VS「歌壇以外」(善)
という構図で語ろうとする意図が見える気がするからで
す。
もちろん歌壇にも後述するように悪弊はありますが、そ
れを自分の都合のいいように利用する態度には不信感を
感じずにはいられません。

さらに言えば、自分は書かれるのは構わないから、他人
も同じようにするべきだと考えるのも、あまりに幼児的
な理屈だと考えます。
自分のあまり知らない人から、事実と誤解されかねない
ことを書かれるのは、歌人であろうと小説家人であろう
と芸能人であろうと、嫌な人は嫌でしょう。
書いた人が匿名かそうでないかは、本質的にはあまり関
係ありません。


アーチストは非論理で構わないんだ! と主張されるの
であれば、それはそれでいいのですが、論評の文章など
では、もう少し緻密な思考をしていただきたいと思いま
す。

そして、「無責任な噂話」の実例が、ちょうど2581
に出てきましたね。(もちろんその噂話をこんな場に
垂れ流す人もおなじレベルですよ)
もし、『日輪』に批判があれば、正々堂々と作品に沿って
批判すればいいではないですか。(インターネットでも
ペーパーでも)
こうしたこそこそとした体質を私は最も嫌悪します。


[2584] いいえ。辰巳泰子さんのプロットが「面白かった」からこそ、 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/10/25(Thu) 17:11

こんなにも多くの書き込みが集まったのです。
そしてMINORUさん、
あなたも横から口をつい挟んでしまった以上、
辰巳泰子さんのてのひらの上にいます。私と同様。

こういう、
今までの書き込みを一言で台無しにするような、
「あとだしジャンケン」をしたがるヤカラは、
半匿名のハンドルネームを使用するものと、
相場が決まっていますね!



ちなみに、
「こういった論争は無意味だと思う」
というような書き込みをすることは、
掲示板においては最もつまらない行為だと私は考えます。
「こういった論争は私にはつまらない」
と書くのならわかりますが……。
つまらないのなら、
あなたが別の話題を出して、
そちらの話題に皆がのるように、
すればいいだけのことです。

「こういった論争は無意味だと思う」と、
あなたが書かずにはいられないのは、
「こういった論争は無意味だと思いたい」、
そういうことです。
そして「無意味だ」と書かずにはいられないほど、
あなたは「こういった論争」に興味を持ってしまっている。

……ここで言う「あなた」は、
特定のひとりのことをさしているわけではありません、念のため。

すべての書き込みには、
意味があるはずです。
意味が読み取れてしまうはずです。
無意味かどうかは、
あなた一人が決めることではない。
もちろん私が決めることでもありませんが、
私はどんな書き込みだって、
読みようによっては「面白い」と思います。
(例外は、今までの書き込みを台無しにするような書き込み!)

辰巳泰子さんのプロットの「面白さ」は、
「だれにでも好感を持たれる」といった類いのものではない。
しかし、
「反感を買う文章」というのもまた、
「面白い文章」です。

反感を売ってしまったあなたは、
あの文章を読んで、
「面白さ」を感じてしまったのです。

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[2581] 二代目の苦しい立場! 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/10/25(Thu) 15:16

枡野さんより少しだけいわゆる歌壇を知っている(はずの)私です。で、思い出しましたが、永田紅さんが『日輪』で現代歌人協会賞を受賞した時、その歌壇に、微妙な空気が漂ったのではなかったでしょうか。永田紅さんの歌人としての実力は、御両親とは無関係なはずですが、「あの両親が存在しなかったらあの人はあの賞を貰えなかったよね!」といった言葉が、囁かれていたのはたしかなことです。永田紅が永田和宏と河野裕子の娘である、という事実は、歌壇内では誰もが知っている、でもあまり強調してはいけない、一種のタブーになっているのかもしれません。面白いことですよね!


[2580] 寸感 投稿者:MINORU 投稿日:2001/10/25(Thu) 15:11

辰巳氏が、(恐らく)思いつき?で、あまり面白くもないプロットを
書き込んだ。それが、面白くない証拠に、それまでのやりと
りに重ね合わされる形での、「事実」に引っ張られる鑑賞がおこなわれた。そこで、やれ
品格だのなんだのとの、些末な議論が展開することになった。
あとは、言葉が自動生成されるように、かなり膨大な量の言葉
の堆積物が残されこととなった。
辰巳氏のプロットがそもそも文句なく面白ければ、こんなことには
ならなかったかもしれない。それが、残念。


[2579] 永田紅さんの両親が永田和宏さん・河野裕子さんであるということ 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/10/25(Thu) 14:46

というのは、
「歌壇」に所属していない私でも知っている「事実」ですが、
だから何?
それで?
というのが私の印象です。

これはあくまでも「事実」です。
当事者が隠したいと願っている「プライバシー」を暴いたもの、
などではないのです。
そのへんに過剰に反応されるのは、
なぜなのでしょうか。
そのことが悪いことだとでも(深層心理で?)思っていらっしゃるのかなあ。
素敵なことじゃないですか。

こんな素敵な設定が現実にあるのに、
その現実を「フィクション」にとりこまない手は、ないですよね。
すべての表現物は、そういうふうに、つくられてきたと思うんですが。

それとも、
私が知らないだけで、
そのことを表立って言うのはいけないことだ、
という空気が「歌壇」にはあるんでしょうか?



辰巳泰子さんが、
この掲示板上でなくても、
特定のだれかをモデルに小説をお書きになるのは自由だし、
そんなの、だれにもとめられないのでは?
むろん、モデルにされたと自覚する当事者が、
辰巳泰子さんにクレームをつけるのも自由です。
でも、
だれにもとめられないという前提があるから、
時に「裁判」が持ち出されるのでしょう。

私は自分も物書きですが、
妻が漫画家なので、
自分の一挙一動が勝手に「フィクション」にされることなど日常茶飯事です。
歌人同士で結婚された場合なども、
同じなのでは?
配偶者に書かれる場合と、
赤の他人に書かれる場合と、
いっしょにするなと言われそうですが、
「モデルにしたあの人に嫌われてもいい」
という覚悟が書き手にある場合、
それをとめることはできないはずで、
実際、そういうふうにして、
たくさんの文学作品が生まれてきたはずです。

なんだか「歌人」の皆さんは、
書く・書かれるということに対して、
ほんとうに「ナイーブ」なんですね!
やれやれ!

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[2577] そうか、削除という手が…… 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/10/25(Thu) 14:42

西村くんには、藤原さんに対して件の辰巳さんのプロットの削除を申し込む、という手があったのですね。それを敢えてせず、その上で沈黙を貫く、ということなら、それはそれで筋の通った行為ではあると言わざるを得ません。やっぱり西村くんは、臆病者ではなかったわけだ!


[2576] 辰巳泰子さんの「フィクション」が仮に、 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/10/25(Thu) 14:22

「品格に欠けるもの」であったとします。
だとしても、
「品格に欠ける作品」というのが、
書かれてもいいし、発表されてもいいものだと、私は考えます。

そして、読者が「品格に欠ける」と評するのも自由です。
モデルにされた人物が、怒るのもまた自由、です。
そこに「裁判」などが持ち込まれるのは、
いちばん最後であってほしいと願っています。

ただし、
発表の場として選ばれたのが、
藤原龍一郎さんの掲示板であったことは考慮されるべきでしょう。
なので、
藤原さんがその書き込みを望まないということでしたら、
削除が行われるようなことがあっても、
仕方がない、とも思います。

それにしても、
私の知らない「歌壇」では、
「品格に欠ける作品」は、
ただそれだけの理由で排除されるのでしょうか。
(私の愛してやまない松尾スズキの芝居は、
「品格に欠ける」と評されることを
自ら選びとったような作品ばかりです)
だとしたら、
「特殊歌人枡野浩一」の作品が、
「歌人」の皆様に嫌われるのも……以下同文。



ところで辰巳泰子さんはそもそも、
この「フィクション」が「下世話さ」を意識したものであるということを、
自覚した上で、確信犯で書き込まれたのでは、なかったでしょうか?
「フィクション」を書き込まれた直後に、
ご自身で付け加えてらっしゃいますよね?

まず
書かれた文章そのものを
じっくり読んでみなければなりません。

それが確信犯であるということは、
辰巳泰子さんはご自身の中にある「下世話さ」から
目をそらしていない、
ということですから、
辰巳泰子さんは、
やはり「品格」を持った書き手なんだと私は感じています。
むしろ、
ご自身の中の「下世話さ」から目をそらそうとしたり、
そこを隠蔽しようとしたり、
そういう筋肉が心の中で働いてしまう人こそが、
この「フィクション」に過剰反応する……。
そう言ってしまう私は、
あまりにも「品格に欠ける」でしょうか。

欠ける、
という裁判結果が出ても、
一向にかまいませんが。

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[2575] 辰巳さんへ 投稿者:吉川宏志 投稿日:2001/10/25(Thu) 13:15

中傷なのか文学なのか、という問題の場合は、まず
書かれた文章そのものをじっくり読んでみなければ
なりません。
「表現の自由」か「プライバシーの侵害」か、とい
う抽象論にするのはまだ早そうです。その点、差別
語の話題を出されたのについ反応して、柳美里さん
のことを書いたことを、少し反省しています。

辰巳さんはあくまでも文学的に昇華された表現だと
主張するのですね。
それでは、
>合同合宿でちらっと会うた娘さんは、そらもうべっ
>ぴんさんで、お父さんもお母さんも名前の通った歌
>人、ちょっとやそっとでは相手にしてもらえません
>やろ。
という設定にも必然性があるのでしょうか。
これは永田紅さんの両親が永田和宏さん・河野裕子さ
んであることと非常に一致しています。
もし、単に書写をする若い歌人をモデルにした小説を
構想するのなら、こういった人物設定は必要でしょう
か。もし、真の小説家であれば、こういった枝葉末節
は、自分の想像力で変化させることもできるのではな
いでしょうか。

今回こわいなと思ったのは、辰巳さんと話したりした
ことが、無断で小説にされたり掲示板に書かれたりす
る可能性(あくまでも可能性ですが0ではない。今回
は西村君がまさにそうなったのですから)があること
を知らされたことです。
それならば、ある程度用心したうえで、これからは接
していく必要があるわけですね。
(とても嫌な言い方になっているかもしれません。す
みません。もしここが違うというなら、削除してもら
ってもかまいません)
たぶん、それが品格とか人格を形成するものでしょう。

私はそれを非常に悲しみました。
(と主観的な表現をするのを許してください。私は
まったく無名な学生だったころ、辰巳さんに好意的
に評価してもらったことがあり、それを今でも恩に
思っているからです。そうであるから、私は無名な
歌人であろうとも、その人の歌や文章を見て、なる
だけ自分の目で判断するようしています。)

以下、補足です。

表現の自由に関しては、私は別の場所で何度か書いて
います。この場では議論が錯綜するので書きませんが。
読みやすいところでは、山田富士郎さんの「短歌と自由」
の中で、私と加藤治郎さんの論争を取り上げる形で
書かれています。
私が「表現の自由」について、あまり考えていないと
思われると困るので付記しておきます。
(もちろん、幼稚なことしか考えられませんけどね。
でも、短歌や評論を通して自分なりに考えようとはし
ているんですよ)


[2574] 横レスですが・・・ 投稿者:井上 洋 投稿日:2001/10/25(Thu) 13:05

>枡野さん 松原さん
辰巳さんのプロットに好意的な書き込みを読ませてもらいました。
でも違うんじゃないかな、視点が...。

素材となった人物の行為がこの掲示板で紹介されたという事実からすれば、
辰巳さんのお書きになったプロットは、この掲示板で書かれる限り、ちゃか
したな、という感じにしかとれませんね。

やはり書かれる側の気持ちを察してあげないといけない。それがweb掲示
板という相互交流の新しいメディアのルールではないでしょうか。
そもそも西村さんは、藤原さんの記事がきっかけで登場されたのでしたね。
自発的に、というよりも、自分の立場や行為を誤解されないように説明する
ため登場してきた。

ゆえに、松原さんの
>メディアで表現しながら、おいしいとこだけ欲しいというのは、
>それは無理というものです。
>主張したいことだけがんがん書いて、痛いところつかれたら
>(私には、そう見えた)「ペンを持って闘う気はない」なんて、
>テレビに出たがりの素人と変わりませんね。
というのは、ことの経緯を踏まえていない発言で、これなども問題を複雑に
するだけのものですね。

いずれにしても、言いたいことをぐっとこらえることができないと、掲示板
ではトラブルになる、というのは常識で、それは表現者としてどのような態
度をとるか、ということとは次元の異なる問題のように思います。

親密な場のようで、相手の顔は見えませんからね、掲示板は。書き込む人々
の性格も、もちろんわからない。
私がもし西村さんのような立場になったら、論争をするしないというのこと
ではなく、ただちに藤原さんに記事の削除を求めます。

書き手も運営者・主催者も甘く考えない方が良いと思いますよ。
いろいろな人が掲示板には参加していて、民事の訴訟沙汰になっているもの
も多いと聞きます。これは民事ですので、法的な規制という問題ではなく、
社会のなかで個人がどう振る舞うかという問題です。それこそ個人が自らの
判断で、それぞれ抑制をきかせていかないといけない。

藤原さんも読者としての立場ではなく、主催者としての立場を明確にしない
といけないと思いますが、いかがでしょうか。

ps1:ほんの印象ですが、我々がペンで戦う相手はこの掲示板には出てきて
いないよう気がします。
ps2:誤字がありましたので、削除、再UPしました。


[2573] 松原様 投稿者:西村一人 投稿日:2001/10/25(Thu) 13:03

初めまして。西村です。

 私はこの掲示板で自分を揶揄する発言が出たので来ただけです。
 この掲示板は人の本性のある面が赤裸々に出ているように思いますが、大変おぞましく思えますので議論には応じない、と申しています。


[2572] 文学の品格、などなど! 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/10/25(Thu) 13:02

辰巳さんのプロットが品格に欠けたものだとは、私には思えません。まだプロットの段階なので、「圧倒的な品格の高さだ」などと評することはできないのもたしかですが……。小説に仕上げられたら、立派な作品になるのではないでしょうか。西村くんや永田紅さんには悪いけれど、私はそれを読んでみたいと思います。小説として書き上げられれば、モデル問題は霞んでしまうのではないでしょうか。プロットだからそのあたりが生(ナマ)すぎたんだと感じています。

真の表現者に、世間一般の意味での善人なんていないと思います。表現者は、ある程度以上に嫌な奴なのです。表現者とつきあうってことは、結局は闘いなのではないでしょうか? 私だって、辰巳泰子という「熱い」表現者と接している以上、何時小説の題材にされるかわからない、という危険は認識しています。でも、辰巳泰子という表現者から得られるものがあまりにも多いので、彼女との間に今以上の距離を置こうとは思いません。そういうことなのではないでしょうか?

ですから、西村くん! このままこの掲示板から去って行こうというのは、あまりにも腑甲斐ないことだと思います。君は仲好し同士でしか議論をしたくないのかい? それにそもそも、文学作品を書き、発表する、ということは、自分のことなんか真剣に思ってくれっこない世間に対して、ひとりで闘いを挑む、ということなのではないでしょうか。西村くん、君は臆病者なのかい? そうではない、と私はまだ信じているのですが……。


[2571] レスありがとうございます。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/10/25(Thu) 09:03

>枡野さん
わたしも好きですよ、あの主人公、わたしが「コオちゃん」だったら、コロっといっちゃうなあ。
情けなくて、正直で、熱っぽい。
わたしの好む男性像が、投影されていますね。
書いてて、登場人物を好きにならない作家はいないと思います。
もちろん、それはモデルへの愛とは別物で、西村くんは、戦々恐々としなくてもいいわけです。

藤原さんお書きの
>「表現の品格」は、現在の私は、言葉で定義することができません。
文章や作品を読んだあと、「この文章(作品)には、品格がある」とか
「品格がないなあ」と、感じるものです。
今回は、そう感じたので、「品格に欠ける」と申し上げました。

この部分は、読者のご意見として、承っておきます。
レス、ありがとうございます。


「表現の品格」を定義することの方が、まさに「規制」を呼び込む考え方のように
思います。

この部分は、いち読者の意見が、定義にまで結びついたりはしないと思うので、大丈夫だと思います。それに、オーナーに規制してくださいと申し上げているのではないです。表現者「藤原龍一郎」の見識が、うかがえたら、わたしばかりでなく、わかい人にも勉強になると思います。
しかし、「品格に欠けると思ったから品格に欠けると書いた」で、とおるンかね?
これはこれで、出るとこ出たら、名誉毀損です。
西村くんを思いやるなら、わたしにも思いやりをください。


[2570] 素人タレント 投稿者:松原一成 投稿日:2001/10/25(Thu) 09:02

私も辰巳さんのプロットは面白いと思いました。
そして今回の論争に関しては、枡野さんの書き込みに全面的に共感しています。

ネットはメディアです。
不特定多数が簡単に見られるわけですから、じつはテレビと変わりません。
そこに「表現者」として登場することは、
テレビで言えば、タレントとしてデビューすることだと私は考えています。
タレントなら、素材にされることがあるのは当たり前。
辰巳さんは、読者が喜ぶような物語を作り、
ちゃんとフィクションであるとことわりも入れました。
何か問題があるのでしょうか?

メディアで表現しながら、おいしいとこだけ欲しいというのは、
それは無理というものです。
主張したいことだけがんがん書いて、痛いところつかれたら(私には、そう見えた)
「ペンを持って闘う気はない」なんて、テレビに出たがりの素人と変わりませんね。
このBBSには素人を甘やかさない人がたくさんいるので、
もう出てこないほうがいいと思うよ。


[2569] おはようございます。 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/10/25(Thu) 08:31

ゆうべの自分の書き込みを読み返し、
文章がとっちらかってるなあと思いましたが、
消したりせずに残しておきます。



シンプルな書き方をしてみますね。
辰巳泰子さんは特定のだれかを傷つけるのが目的で
「フィクション」を書いたわけではなく、
むしろ読者を楽しませようと考えて書いたのでは?
と、やはり私には思えてなりません。

そして、
その後の皆様のリアクションを見て、
正直なところ、
「言葉の本来の意味で『ナイーブ』すぎないかなあ、
シャレのわからない人たちだなあ」
と感じてしまいました。
もしも、
もしも「歌壇」という場所が、
そういった空気を当然のように「共有」している場所なのだとしたら、
「特殊歌人枡野浩一」が嫌われても仕方ないよなあ、
……などと、いろいろ考えさせられました。

私、
二十歳の頃から十数年、
「歌人」の皆様にいろんなことを言われてきて、
それらの発言はちっとも「快感」ではなかったけれど、
そのつど傷ついた様子を見せたり、
具体的に抗議をしたり、
してきたほうがよかったのかしらん(←皮肉です)。
「歌壇」に所属していない、
マスメディアで踊り続ける「タンカ・パフォーマー」には魂がないから、
傷ついたりはしないと思われていたの?

辰巳泰子さんのあの「フィクション」のようなスタイルで、
もしも「枡野浩一」のことがどこかに書かれていたら、
たとえ自分のことでも思わず笑ってしまった気がします。
匿名の書き込みだったら、いやな気分になったでしょうけれど。

そうだ、
私はいわゆる「やおい本」というのの主人公になったことがあるんです。
その本の中で、「ますにゃん」と呼ばれていた私……。
ちなみに「ますにゃん」は宮台真司さんと裸で仲よくしたりして、
ハートブレイクした「ますにゃん」は道ばたでしゃがみ、
短歌をつぶやきながら涙をこぼしたりするの。
最初に読んだときはショックで仕事が手につかなかった。でも、
100ページ近くある小冊子のすべてのページに、
枡野浩一の一挙一動がとりあげられているその本を何度も見るうちに、
「これは屈折してるけど愛なんだ……」と思うしかありませんでした。

自分がそう感じたから、
西村一人さんもそう感じるべきだ、なんて思いません。
(比較できることでもないでしょうし……)
また、
投げつけられたすべての質問に答える義務など、だれにもないから、
闘いたくないから闘わない、
それはいいと思います。

ただ、
私は、
辰巳泰子さんの「フィクション」が好きです。
あそこに描かれていた「主人公」像も、
魅力的だったと思うんだけどなあ。

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[2567] 西村一人 様   投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/10/25(Thu) 04:35

君が書写を行う動機についていろいろ空想したのは、わたしにとって、それがとても魅力的な行為であり、素材だったからだと思います。書写するうちに、すごくその人が好きになったりするよなあ、きっと、……だとしたら……など、きみの行為について、さまざまなことを考えた。

わたしはわたしで、藤原さんが本体の日記で「そんな人がいるなんて驚き」とゆうことを書いていたのを、酷だと思い、読者として不快を覚えました。そんなこと書くくらいなら、「若者よ」などど括らず、もっと本気で一人のにんげんの行為や、存在に向かうべきだと思えました。
なので、これは価値観の相違ではないでしょうか。

あのプロット、書きながら、西村くんに、受け止められるだろうか?という不安もありました。はじめにもっとたくさんのエクスキューズを付与していれば、あなたを傷つけずに済んだとも思うのですが、エクスキューズは、前もってつけるほどに、表現のキレを犠牲にします。まあ書き込んでから様子を見よう、後で言うべきは言えばいい、と思った次第です。
表現のキレは、犠牲にしたくない。
他人から、さんざんなことを叩かれたって、わたしの最優先事項です。

吉川さんが、自分は当事者だというのは、違っていると思います。
「人肌恋しい秋の日に」「青せみ止まる樹を抱き合わせ」は、別に『青蝉』でなくてもいいわけで、でも、なんか、せつない感じがするでしょ。青せみの止まる樹を抱く、というのは。わーおはなしできるやんか、と、すごく、刺激されました。
濃い関西弁で書いたのは、「コオちゃんは、どんな娘ぉ(コオ)や」というのがどうしても書きたかった。なんかね、晩秋まで伴侶を求めて鳴きつづける蝉がいたとしたら、その声は、そんなふうに聞こえるかもしらん、と思った。
どうしても書きたい細部のために、文体も型も決まる、というのはよくあることです。

ああ、これは、工房のないしょ話のようなもの。
こんなことでも、あなたが成長するための、参考になりますように。
魅力的な素材を、ありがとう。
そして、こうして出てきてくれて、ありがとう。


[2566] Re:[2562]&[2564] 投稿者:西村一人 投稿日:2001/10/25(Thu) 04:34

>辰巳さん

 リスペクトして頂きましてありがとうございます。
 被害者になるつもりは毛頭ありませんが、ペンを持って闘う気もございません。繰り返し申しますが、この場で議論する気はございません。


[2565] 表現者としての品格 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/10/25(Thu) 03:00

少なくとも、書き手の側には、書き手の表現する権利を守るために、虚構と現実の関係をこそ、受け止め、論じる義務があります。
わたしは、それは急務ではないかと感じています。
メディアの要請する規制や、裁判官に、そのだいじな仕事を、肩代わりしてもらっていて、いいのですか。
そのような問題から目を反らさないことが、表現者としての「品格」である、わたしは、そのように考えております。

上記、
遺書になってもかまわないと思って書いています。
論じる場所はさまざまでしょうが、どうか皆皆様、はしくれの自覚をお持ちであれば、つかのまの喧噪として、封印されることなく、お心に、とどめおきくださいますよう。


[2564] Re[2561]: このような闘いは望みません。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/10/25(Thu) 02:09

> >辰巳さん
>  意趣返しは考えていません。[2543]のような行為の応酬はとても虚しく思います。

あなたは、25、6歳ですか。
全然わかいとは思いません。わたしはその歳の頃、私生活ではもう子どもがおりましたし、また、いち表現者として、ペンを持って闘っていましたよ。いまと、同じようにね。「望まない」というあなたの書き込みを読んで、とても傷つけてしまったことを、言外に感じています。傷つけて、ごめんなさい。
そして、それでも、闘うべきですよ。
わたしは受け止めます。
表現することよりもさきに、愛される居場所をのぞむ人がほとんどだけど、そのような人は、本物にはなれないよ。
残念だけど、ほんとのことです。だけど、みんな、「本物」には映りたいのよね!
できるだけ血を流さないで、ちゃっかり、「本物」に映りたいのよね……。


[2563] この掲示板の責任者は藤原龍一郎さんなので、 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/10/25(Thu) 02:04

藤原さんのお考えがそうであるならば、
あまり余計なことは書かないほうがよさそうですが、
最後に少しだけ。



くりかえしますが、
私は[2543] と、
それから[2544] の書き込みも、
たいへん面白く読みました。
ここの掲示板で私が、
辰巳泰子さんの書き込みに関して、
ここまで好意的なリアクションをしたのは、
初めてだと思います。
とにかく私が「面白い」と感じたということをきちんと伝えたいと思い、
わざわざその旨書き込んだのです。

たまたま今、
年末に放映されるテレビの仕事で、
「600字程度のショートストーリーを4本書く」
という初めての試みに苦しんでいるところです。
なので、なおさら、
「面白いことを思いつくものだなあ」と感服しました。

それにしても、
「フィクション」であると明記された[2543] のプロットを読んで、
西村一人さんが「書写」するのは、
なるほど、そういう不純な動機があったんだな……と、
素直に信じてしまう人なんて存在するんでしょうか?
私自身はもちろん、西村一人さんの実際の動機は、
まったく別のところにあるんだろうとわかった上で、
この「フィクション」を面白いと思いました。

そして、
吉川宏志さんの書き込みを見た時、
「えーっ、
この『フィクション』を鵜呑みにする人が、
ほんとに存在すると思っているのだとしたら、
ずいぶんと読者を馬鹿にしてないかなあ。
西村一人さんだって、この『フィクション』を読んで、
いちいち怒るほどナイーブではないんでは?
吉川さんご自身は、鵜呑みにしたんだろうか?」
と思い、その思いを遠まわしに伝えようと思って、
「差別」うんぬんの書き込みをしました。
が、
その「差別」うんぬんの私の書き込みは、
すでにおわび申し上げたように、
適切ではなかったと反省しております。

そんなわけで、
私は西村一人さんのリアクションを読んで、
「がっかり」しました。
この「がっかり」は私の中にあった勝手な期待が原因ですから、
西村さんのせいではありませんが。



辰巳さんの書き込まれた「フィクション」の良いところは、
「歌壇」を俯瞰して(ひいて)見ているところです。
しかも、自分自身のことすら客観視して、茶化している。
俯瞰して見れば、
「書写」に限らず、
短歌をつくること全般が、
いや、物を書くこと全般が、
もともと、どこか滑稽な要素をはらんでいるはずです。
そのことを自覚した、
批判精神あふれる、
チャーミングな「フィクション」だと私は思います。



「短歌」をつくりはじめてから今まで、
私は多くの批判を浴びてきたと思います。
だれだって批判を浴びながら書いていくものでしょう。
私自身は、
その批判が「芸」のあるものだったら、
いつでも歓迎してきたつもりです。
(批判をする人がまじめであるか否かは、
どうでもいいことです。
まじめな筆致で、
とんでもないことを書く人なんて、
世の中にはたくさんいますから)

藤原さんが私のことを最初に「開放区」で評してくださったときも、
けっして好意的なだけの一文ではなかったと記憶していますし、
私の立場から反論もできると思いましたが、
藤原さんの文章に「芸」があると感じたので、
「これはこれで面白いからいいや」と考えることにしたのです。

そういえば「短歌人」で、
お名前は忘れましたが女性歌人が、
こんな短歌を発表されているのを読みました。
(なぜ読んだかというと、わざわざ掲載誌が送られてきたからです)
●特殊歌人枡野浩一蔑しつつジャンク・フードを喰らふ朝ぞ
……「朝」には「あした」とルビが振ってあったと記憶しています。
私はこの短歌、あまりにも「芸」がないと感じました。
この程度のレトリックで、
枡野浩一のことを批判したつもりでいるらしいこの歌人は、
なんて才能がないんだろうと呆れました。
その後、何度か、
雑誌のインタビューなどでこの歌のことを面白可笑しく紹介しました。
いいネタを提供してくださったこと、
今では感謝しております。



……結局、余計なことばかり書いてしまいました。
私もこれからは老若男女の短歌を「書写」し、
研究に励みたいと思います。
さしあたって、
加藤千恵さんの『ハッピーアイスクリーム』
(発行=マーブルトロン、発売=中央公論新社)から1首。
●傷ついたほうが偉いと思ってる人はあっちへ行って下さい

http://talk.to/mass-no


[2562] 作家として、虚構と現実のボーダーをこそ論じてください。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/10/25(Thu) 01:50

藤原さん、西村くん、永田さん、吉川さん、それぞれ、書き手側におられます。
歌人といわれる人々、つまり書き手側の人々が、いち作家として、「虚構」と「現実」についての見識を当然お持ちであれば、このような展開にはなっていないだろう、と苦々しく思っております。
「品格」「不快」を語るのではなく、その見識をこそ、堂々と展開してくださるはず。

[2560]におきましては、藤原さんご自身もまた、書き手側の磁場でご発言ではないと、痛感いたします。「虚構」と「現実」のボーダーのあり方という、もっとも困難な話題を避け、与しやすい「書写」について論じることが本分だなんて、よく言えたものですね。

藤原さん、吉川さん、お二人に問います。
表現の「品格」って、何ですか。
それは、だれにも不快を覚えさせないことですか。
ご自身の見識と作家としての生命を懸けて、はっきりした回答をください。

西村くんにレスします。
「西村一人という歌人には、不快を表すしかなすすべがない」ということなら、なすすべのない人に、申し訳ないことをしたと思います。ごめんなさい。これは、心から。
ただ、君は、掲示板という場所に、自ら「書写」について書き込んだのだよね。
ほんとうに、こんな、(藤原さん曰く)「つまらないこと」で、なすすべがなくなってしまうのですか。書写がいいかわるいかなんて、わたしはくだらない議論だと思っていますが、あなたがそのように熱意をもって表現することの「山」を登っていることを、わたしは、リスペクトします。
もっともなことをかたってやらない誰よりも、どんなにつまらないと周囲から言われても本気で実行する人をリスペクトします。
あなたは、わたしの組み立てたプロットが、みすぼらしい空想にしか思えなくなるほどの、存在感のある反論を展開すればいいではありませんか。
できるんじゃないの。
水を向けたように、わたしを素材にとって意趣返し、というのもおもしろいではありませんか。
あなたは、何者になりたいんですか。
被害者?
それは、とても居心地のいい場所だ。

>藤原さんにレスします。
わたしは、他人から尊敬されたいと思っておりませんし、尊敬に応えることが仕事だとも思っておりません。
もし、辰巳泰子の仕事をほんとうにリスペクトしてくださるなら、どうかここで、「私性」「虚構と現実」のボーダーをそれぞれがどう考えるのかということを、論じてください。「不快感を感じさせる」かどうかより、そのことを論じてほしいと思います。

わたしが間違っているとおっしゃるのなら、書き手として、「虚構」と「現実」のボーダーを、どのように考えるべきか、その点において、わたしを納得させてください。
そして、わたしは、ありものの「良識」と「判決」を持ちだして、むつかしい問題から逃げ出すことはしたくない。


[2561] このような闘いは望みません。 投稿者:西村一人 投稿日:2001/10/25(Thu) 01:47

>辰巳さん
 意趣返しは考えていません。[2543]のような行為の応酬はとても虚しく思います。

>石井さん
 真剣に互いのことを考えていない議論は無意味かと思います。私はそのような闘いは望みません。この場で意見を述べることは差し控えさせて頂きたく。

>藤原さん
 石井さんに述べた理由により、この場での議論への参加は差し控えさせて頂きます。


[2559] 去勢コンプレクス! 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/10/24(Wed) 23:01

辰巳さん、去勢コンプレクスって、誰にでもあるのでは? 時に私のような立場の人間は、どきりとしてしまいます。もちろん私は、その方面でも、人並みには元気でありますがね! でも、人並みって? ほ、ほ、穂村宗匠! どうやら彼には完全に負けです、その方面では!


[2558] 柳美里の判決は、ほんとは参考にならないよ! 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/10/24(Wed) 22:52

「石に泳ぐ魚」の判決だけが、一人歩きしていますね。
柳美里、清水一行(「甲山事件」を扱ったノンフィクション小説を書いて、プライバシーの侵害を争って、清水一行がペナルティを受けました)、これら二人の作家は、裁判の過程で、みずから虚構であることを否定しています。
つまり、自分たち作家は、モデルの「真実」に迫ったのだ、と発言しています。

わたしは、そのようには申し上げておりません。
こういうのをネタにして、こういうのが書ける、と申し上げたまで。

枡野浩一さんがお書きの、

学生歌人というのは、
そんなにも、
半人前の存在であるかのように、
思いやってあげなければならない、
弱い存在なのでしょうか。
そのへんが私にはいまひとつよく理解できません。

なにしろ辰巳泰子さんは、
きちんとフルネームを名のった上であの書き込みをしたのであり、
それは「歌壇」に多いらしい無責任な噂とは、
まるで別次元のものだと思うんですが。
自分の書き込みを読んで「辰巳泰子は品格に欠ける」と判断する読者がいてもいい、
そう覚悟しなければ、
どんな書き込みだってできないはずでしょう。

しかり、然り。

>石井さん
多くの「おっさん」は、どこかで「おれは去勢されてるんじゃないか?」と悶えながら生きていると思うので、どなたさまであっても、「自分のことか!?」と、どっきりしてもらえたら、おもしろいなあ、と。
(石井さんが、自分のことだとおもうというのは、意外でした)

>吉川さん
「コオちゃん」としたのは、「コオちゃんはどんな娘ぉ(コォ)や」という韻を踏みたかったからです。

>西村くん
わたしをモデルにすごいの書いて、意趣返ししてください。
待ってます☆


[2557] むしろ不思議な方法で! 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/10/24(Wed) 22:51

田中拓也さん、御尊顔を「短歌朝日」で拝見しました。こんばんは! もとよりより優れた短歌をつくるためにいろいろな工夫をするということ、それがしばしば他人の理解を越えたものになるということは、認めざるを得ませんね。で、書写も、それなりの価値はあるのかもしれない、ということにしましょう。私が大いに疑問なのは、同時代の、しかも同世代の歌人たち、西村くんの場合では吉川宏志さんや永田紅さん、田中さんの場合では俵万智さんや加藤治郎さんの作品を書写することに、どんな意味があるのかということです。勉強になったとおっしゃる以上、私の疑問にお答えいただけるものと思うのですが、いかがでしょう。

ついでながら、揚げ足をとるようですけれど、申し上げます。田中さんは「いい短歌を作りたい、という気持ちは多くの歌人が持っている」とお書きですが、ということは、そういう気持ちをもっていない歌人もいるってことでしょうか? 私は、すべての歌人が「いい短歌をつくりたい」と願っていると信じていたのですが……。

西村くん、「真剣に私のことを考えて発言していたわけではない」とのことだけど、そんなのあたりまえでしょう! 掲示板を含め、世間は戦いの場所だと考えるべきです。西村くん本人以外の誰が、真剣に西村くんのことを考えていると思うんですか? だって歌人である以上、誰もがライバルなんですよ。こう書くと語弊があるでしょうが、吉川さんだって西村くんのことを「真剣に」考えているだけで下のような発言をしているわけではないと思います。西村くん、不服なら逃げずに闘うべきです!


[2556] 書写について 投稿者:田中拓也 投稿日:2001/10/24(Wed) 22:16

すでに話題が広がっていますので、今さらですが、2538の石井さんの御指摘に対して私の考えを述べさせていただきます。私は一冊の歌集の作品を書写することを否定しません。いい短歌を作りたい、という気持ちは多くの歌人が持っている気持ちと思います。そのための修練(古い言葉ですが)として、書写は有効と思います。私自身、一冊の歌集単位での書写体験はありませんが、短歌を作り始めた頃には近代歌人の作品から俵万智・加藤治郎さんに至るまでの気に入った作品を書写していました。1989年頃のことですが
あの時に俵さんや加藤さんの作品をわずかでも書写したことは勉強になりました。ちなみに、今やっている修練のひとつは毎日眠る前に、1ページずつ岩波文庫の古典和歌や近代短歌を読むことです。これは、8年以上続けていますが結構多くの歌集を読むことができました。あと、月岡さん、意外な御縁で知り合え嬉しく思っています。今後ともよろしくお願いします。


[2555] 今更ですが。 投稿者:キクチアヤコ 投稿日:2001/10/24(Wed) 20:02

「書写」の意味がよくわかりません。他者の作品を書き写して
作品として他人に見せる、ということですか?


と、お知らせ。
この度、「無限蜜」という名前で立体作品を作りはじめました。
今週日曜日に三軒茶屋で行われるフリーマーケットで、デモ作品を
展示しますので、お時間ありましたら是非遊びにいらしてくださいっ。
蝶とキャンドルが好きな方、必見。。。

>三茶 de アート楽市
11:00〜17:00

若手アーティスト達の手作り作品がメイン。(ポストカードなど)
三軒茶屋駅から茶沢通りを太子堂方向に向かうと、烏山緑道があり、
その縁沿いに、お店が並んでいます。
(雨天の場合、田園都市線・三軒茶屋駅駅の地下通路)

*私は「ネコの缶詰め」というポストカードなどを売っているお店にいます。
(ここの隅っこに置かせてもらう予定)

それではまた。ちゅっ。


[2554] あ、私が長い書き込みをしているうちに、 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/10/24(Wed) 19:55

西村一人さんが書き込みをされていました。

その書き込みを拝読して考えたことがありますが、
もう少し、
時間がたってから、
何かを書き込むなり、
沈黙するなり、
したいと思います。

http://talk.to/mass-no