[2256] 署名記事に対して告知をせずに、いきなり削除するということ 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/23(Sun) 08:28

これについては、よく考えたいなあ、と思っています。
自分もHPを持ちたいし。
ちなみに、よそのHPで受けた削除は、ハンドルネーム使用でした。
「削除」って、むつかしいんですね。
わたしは、これを、そんなに混乱した事態ではないと思っています。
わたしは管理人さんから、告知がほしかったし、わたし自身の反省としては、言葉が足りなかった。
そのうえ、誤解を生むような書き込みを続ける人もあった。
それだけのことではないですか。これで十分、整理されていると思うけれど。

あと、評論症、いや、評論賞の感想について。
冬野さん・松本さんの書き込み内容について、(わたしは)一方的であるという印象を持ちました。森本さんのお書きになった内容との対照が、不特定多数のBBSの読者に、こういった記述で見えてくるのかな?
わたし自身は、例えば「(地下鉄)と(ローマ)」について書いたとき、不特定多数で、石井さんのことをよく知らない読者の存在をすごく意識しました。それでいて、石井さんのファンを納得させるものにしたかった。かつ、読み切れるもの。
わたし自身が書くときの、最低の気配りとして。

さらに。
森本平さんは、ネットしません。(できません)
つまり、BBS上で受ける批評について、とても無防備な存在です。そういう場合もあることを考え合わせると、冬野さん、松本さんの書き込みのあり方は、もう少し工夫があってもよかったんじゃないか。マナーとして。

ただしこれらは、
BBSに「何を、誰に向けて、どう書くか」という姿勢の違いかとも思います。


[2255] Re[2252]: 混乱、困惑! 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/09/23(Sun) 08:02

>藤原龍一郎さん

> [2242]という削除された書き込みに、
> 辰巳泰子という署名がなかったということで
> 混乱したんじゃないの?

もちろん削除後は読めなかったと思いますが、
書きこまれたのは明確に記名のあるコメントです。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[2254] いつもエラソウでごめんなさいよ 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/23(Sun) 08:00

>藤原さん
辰巳泰子は、きちんと署名しました。無名氏様、と書かれてしまうと、まるで匿名の書き込みであったように誤解を受けますね。

>荻原さん
発言の相手は、冬野さんを含む。読者を含む。自分自身を含む、です。
実際、特定の誰かではなかったのですけれど、冬野さんが自分に向けてだと解釈なさったようなので、それも間違いではないなあ、と。
削除の一行物は、
「わたしの座右です」と補足すればよかったなあ……。とゆうことで。


[2253] 管理人の保安官 様 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/23(Sun) 07:52

「辰巳さん、[2242]は、誰に向けてかとか、いろいろわからないので、言い直してね☆」とゆう告知をいただいてから削除、でもよかったのに……。
そういう選択肢もあったのでは?
とゆうことで。
なんにせよ、何かとお世話になっております。
今朝もさむいです。管理人様、皆様、お風邪など召されませんように。


[2252] 混乱、困惑! 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/09/23(Sun) 07:48

私も寝ているあいだに、いろいろと荻原裕幸さんが、管理人としてうごいていただいた
ようです。お手数おかけします。
[2242]という削除された書き込みに、辰巳泰子という署名がなかったということで
混乱したんじゃないの?
[2249]で、冬野さんが、「無名氏様」って書いているのは、そういうことでしょう。
まちがっていたら、ごめんなさい。
掲示板での発言は、議論になる場合は必ず本名もしくは、知られている筆名で
おこなわないと、相手に不安感、不快感を与えるだろう、と私自身は考えています。
表情もニュアンスも見えない場所での、きつく感じる言葉は、思っている以上に
不安なニュアンスをはらんでしまうから。
冬野さん、松本さんの[2240][2241]の発言は、文章のポイントははっきりしていると
私は思います。


[2251] Re[2250]: [2242]について 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/09/23(Sun) 07:28

>辰巳泰子さん

> 削除になった一行物は、
>
> 「それで、(題)てめーはどーなんだよー。自分はこれだけのことしましたってか?」
>
> とゆうものです。

> では、襟を正して冬野さんにお尋ね。

誰に向けてどのような理由でそう考えるのか、
ということが特定できない批判、ゆえの削除、
という事情を理解してもらっているのかどうか、
これでは判断がつきかねますが、
ともかくくだんのコメントは
冬野由布さんの書いた[2240]
に対する批判なのですね?

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[2250] [2242]について 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/23(Sun) 07:10

ぐ〜と眠っている間に、わたしの発言が削除になり、大騒ぎに。
お初のごあいさつで、「どぎゅーーーん!(題)どう? 目が覚めた?」とゆう一行物が、削除になったことがあります。こわい、って。(よそのBBSのお話)

>冬野さん
「表札通りの人間ならば」という発言、うっとおしいです。
だれに言われても、うっとおしい。
自分で、「こう見てくれ」なんていう、表札を掛けた覚えはありません。ただ、本気で、身命を懸けて、作品と発言を繰り返してきた。表札なんか、掛けてるひまありませんでした。

削除になった一行物は、

「それで、(題)てめーはどーなんだよー。自分はこれだけのことしましたってか?」

とゆうものです。
自分のしてきた仕事しか、信じられるものなんか、ないでしょう。
そうはいっても、わたし自身が、自分のしてきた仕事を信じてないから、いつだって、がむしゃらに書いて書いて書いて書きまくるだけです。
(あのー、当然推敲してます)

では、襟を正して冬野さんにお尋ね。
冬野さんがご自分にお掛けになっている「表札」って、どのようなものなのですか?
「病人」?


[2249] 管理人様ありがとう 投稿者:冬野由布 投稿日:2001/09/23(Sun) 02:51

あの発言の話者が表札通りの人間ならば、必ずきちんと発話してくるでしょう。そこに一点の矛盾でもあれば私冬野の目を逃れえないはずです。松本も、他の方も見ているのです。「表札と違う」と。
誰であれきちんとした発話を切に願います。礼にかなった批判はいくらでも力の及ぶ限りお受けします。>無名氏様


[2248] 補足 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/09/23(Sun) 02:41

冬野由布さんが削除を依頼した[2244]は、
冬野さん自身のコメントです。
[2242]は別の方のコメントです。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[2247] Re[2245][2243]: [2242] の発言、 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/09/23(Sun) 02:22

>冬野由布さん

> 2244もお願いします、意味がとおらない。
> それから、この発言はただの不適当な発言か
> 何か大きなものの予兆かお教え願えますか。

では、[2244]はのちほど削除しておきます。
「この発言」というのは[2242]のことですか?
さきほど書きました通り、
批判であるにもかかわらず、
文脈が確定できない発言です。
それゆえに不適当だとは思いましたが、
何か大きなものの予兆とか
そういうことは感じませんでした。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[2246] 削除について 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/09/23(Sun) 02:12

誰に向けてどのような理由でそう考えるのか、
ということが特定できないコメントで、
かつ批判の匂いの強いものでした。
つながりがわかれば理解できるのかも知れませんが、
それを確認するよりも書き直していただく方が
誤解も少ないのではないかと管理人が判断して
削除しました。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[2245] Re[2243]: [2242] の発言、 投稿者:冬野由布 投稿日:2001/09/23(Sun) 02:09

> これから削除します。
> 2244もお願いします、意味がとおらない。
それから、この発言はただの不適当な発言か何か大きなものの予兆かお教え願えますか。


[2243] [2242] の発言、 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/09/23(Sun) 01:59

これから削除します。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[2241] 評論賞読みました。 投稿者:松本洋一 投稿日:2001/09/23(Sun) 00:05

なんか、受賞論文も、次席その他の論文にも、あるパターンがあるな、と思いました。なにか完全なもの(一なるもの)があって、それが「欠けた」「揺らいだ」「危機にある」という認識の中から、現在の短歌はそれを反映している(から価値がある)という論調が透けて見えます。
 私が疑問なのは、そのようなもの(完全なるもの、一なるもの)なんてものが本当にあったかどうか?(私も一時期、そのような視点からものを見ようとしていたのですが、テロ関連で、「三島由紀夫vs.東大全共闘」を読んでいたら、そのような視点は、1969年ですでにあった。それどころか完全なもの、一なるもの、そんなものは有史以来どこにもない、という話がされておりました。)方法としてのクライシス、そういうものは、もう使えないんじゃないかと思いました。
 もうひとつは、その「欠けた」「揺らいでいる」「危機にある」と捕らえられたもののほうからは、本当に自分がなにかから不完全である、と見えているのかどうか?だれも自分の生きた時代が認識のすべてであって、自分の方からは何かと比較されて、自分の方が不完全である、とは見ないのじゃないか?
 そのようなことを思いました。


[2240] 評論賞読みました 投稿者:冬野由布 投稿日:2001/09/22(Sat) 15:20

カットんで読みましたので粗いことしかいえないんですが。
古代や中世は加害者だという意識をもっていたものの存在さえ消えていて手足に過ぎない。近代は意識からそれを遠ざけるかそれを凌駕する大義名分があった。ということになっていた。
学生時代「正史だから疑え」というようなことを耳たこにしてたのでこういう考えに到るのでしょう。それから宮崎事件に関するコメントは少し違うような気がする。


[2239] あっでも、 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/22(Sat) 13:55

まっちゃんにあえないのはちょっとさびしい……すんごく近くにいるのですが、きょうはまっちゃんのおかあさんが、ながいことでんしゃにのって、引っ越しのおてつだいにみえている。おしかけても(たぶん)よろこんでくれるまっちゃんですが、じゃましない。よい子。


[2238] がんばって・がんばって 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/22(Sat) 13:47

松本さん、二日間は働いたじゃない。
働こうとゆう意志のあることは、このご時勢、すんごいことではないですか。
なんか、三鷹は急にいいお天気になりました。
しかも放射冷却。
これからお散歩をかねて、ネコのトイレ砂を買いに出かけます。
うるわしのひとりさんぽ!

昼といふ時の怠惰や吐き捨てしオリーヴの種にさへ影がある
           石井辰彦「(地下鉄)と(ローマ)」


[2237] 改めて、個人的報告 投稿者:松本洋一 投稿日:2001/09/22(Sat) 09:39

9月18日:職安より、印刷所のある物件を採択。
  19日:面接。即時採用。
  20日:初出勤。オフセット印刷の版下作成。
  21日:解雇
  理由:「仕事が荒い」「戦力にならない」
  教訓1:私は、机の上の細かい作業(デスクワーク)には向いていない。
  教訓2:Macなど、半年習っただけでは、何も役立たない。
  教訓3:自分のやりたい仕事が、自分に向いてるとは限らない。むしろ一致す   る方が珍しい
  教訓4:世の中そんなに甘かない  
  結論:次、行こー、次。

私は隻眼で、もう一方の目も視力0.5なので、申請すれば、障害者手帖が貰えるらしい。障害者雇用法というのがあって、大企業ではその1.6%は障害者を雇用する義務があって、それについて、保証金も国から企業に下される。障害者だけの企業というのもあるらしい。という情報を聞いて、職安に問い合わせてみると、それは完全にザル法で、今は機能していない。そのような企業も、愛知県内にはない、とのことだった。
 どうも、「次」がイメージできない。「振り出しに戻る」っつーか、「たそがれに返る」っつーか。
とりあえず、職安から、次の物件をもらって、面接が9月25日。


[2236] 今朝の秋 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/22(Sat) 08:19

さいきん、HPの検索をおぼえました。
なかに、〈辰巳泰子は病気系だが、ふつうの病気系とちがうのは、心の闇を見せる技術を持っている点だ〉とゆう趣旨のコメントがあり、おもしろかった。
でも、わたしは病気じゃないよ? ゆっとくけど。
お天気わるいし、いきなり今朝の秋だし、八一は学校休みの日だしで、もう一度眠ります。ぐ〜〜〜


[2235] 土曜日の朝の退屈 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/09/22(Sat) 08:06

辰巳泰子さん、
石井辰彦さんの作品の読み、面白い。ぜひ、続けて書き込んで下さい。

松原さんは引越しですか。新しい事務所に良い日差が射しますように。

「短歌研究」十月号の評論賞受賞作の森本平「「戦争と虐殺」後の現代短歌」
自前の問題意識と思考ということの貴重さを痛感させてくれる読み応えのある
評論でした。松本さん、冬野さん、ぜひ、読んでみてください。


[2234] 転居のお知らせ 投稿者:松原一成 投稿日:2001/09/22(Sat) 00:30

昨日、引っ越しをいたしました。
今日も、片付けに追われて、ネットにアクセスできず。
二日ぶりに、ここへやってきた次第です。

というわけで、私事ですが、転居のお知らせです。
辰巳さんと行動を共にしやすくするために、武蔵野近郊に事務所を持ちました。
住居も兼ねており、一人暮らしです。
今後、さらに仕事に、私生活にと、がんばっていく所存です。
改めて、よろしくお願いいたします。
取り急ぎ、ご報告まで。


[2233] とりあえず 投稿者:松本洋一 投稿日:2001/09/21(Fri) 22:55

ただいま、と書こうとしたら、取り込んでるみたいなので、またあとに来ますね。


[2232] [2228]補遺 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/21(Fri) 22:51

「カッサンドラの言葉」は、“「(地下鉄)と(ローマ)」を、鎮魂歌として読む2”にあたります。

今夜はきつねうどんを作りましたが、うどんつゆは作るときにすんごく神経を使うので、もーちかれた!ちかれた!!
あと、残り物でお好み焼きをしました。
さあ、……八一くんを寝かしつけなくっちゃ。それが済んだら、学参の仕事だあ……
(息絶え絶え)


[2231] 「(地下鉄)と(ローマ)」を、鎮魂歌として読む4 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/21(Fri) 22:43

さらに興味深いのは、物語の後半に、もう一人の作中主体ともいうべき若武者が登場することである。

天空に赤き星。地に血まみれの記憶を留めゐる石の井戸

イウカウ ホタルゼウゼウ はがね
幽壙に螢擾擾。深夜わが鋼鉄の馬を駆りて過ぐれば

さきの作中主体は、両性具有のこの若武者を追い、舞台の袖に去り暗転――。
石井辰彦にとって、帝都崩壊の物語は、有形なるものの滅びの物語である。その滅びに立ち会う一回性の嘆きとカタルシス。
それは、作中主体の人生の回顧録、肉体の滅びの物語でもある。
このウエットな切り口は、カトリシズムでいうところの「罪」の物語にほかならないが、しかし実に、日本的な感性の産物ではあるまいか。
感覚器がとらえ得る有形なるもの、それゆえに滅びさるもの、その現世的な快楽と絶望を、「千里の感覚器をもつ琵琶法師」として伝達しうる石井辰彦に、たぐいまれなる語り部の魅力を感じるのであります。

って、こう書いていて、石井さんにはつくづく称賛の花束が似合う!
と思う次第。あーなんか、うらやましいよー。でも、わたしのことがうらやましい人もいっぱいいるんだろな。個性を生きるとは、そういうことですね。さりげない言葉に支えられているわたし。皆さんに、感謝。


[2230] 取りあえず外泊中 投稿者:冬野由布 投稿日:2001/09/21(Fri) 19:00

 本来は外泊できる時期ではないけどこちらの病院へ来る必要があるので。ああ、娑婆はいいなあ…盗むとか殴るとか、そういうのが日常に濃く散らばってたし。うんアメリカの件もよく情報はいんなかってさあ。少なくともあの空間ではそんなことはどうでもいいことでしたし。本も読んでいけないときも有ったらしいし。
 今の自分の眼がどれ位生きているかは知らないけど、生きた眼がないの、みんな死んだ眼なの、怖いの。


[2229] 「(地下鉄)と(ローマ)」を、鎮魂歌として読む3 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/21(Fri) 15:53

(ごみん。ルビがうまくつかない。……)
石井辰彦は何役もこなしながら、「主人公」としても存在します。
次のような作品は、読者が感情移入しうるところの、作中主体の独言として描かれている。

頬を刺す風の冷たさ! わが咎は(壮年にして)いよよ、けざやぎ……

浮浪者と身も呼ばれなむ。魂が汗のごとくに臭ふ、と、したら……

朝霧を吸ふこと深ければ、噎せ、て、こ、こ、ここ、こそ、は、世界の首都、さ!

読者が感情移入しうるキャラクター(多くの場合、主人公)を設けることが、ストーリー・テリングの要諦。石井はセオリーを踏んで、連作の情感を重厚なものにしている。しかしそれはおそらく、無意識下の作為であって、石井辰彦自身の脳髄にさえこれらの独言は、サブミリナル的に発生しているものと思われる。


[2228] カッサンドラの言葉 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/21(Fri) 12:40

石井辰彦の手法は多重人格的。短歌が、さまざまな登場人物による、舞台の台詞のように構成されています。
下に引用した作品は、あるいはカッサンドラの言葉として、あるいは語り部の総括として、読者の脳髄に現出した架空の「舞台」のうえに、大胆で不穏な空気を残しては消える。サブミリナル的に。

          ひと                    あんや
進むべき道、と、や?人間は(誰だつて)道を探す、と、言へり……(闇夜に)

              せきしせきら
帝国の版都は遠く赤道に及び、赤子の赤裸のこころ!

             むか
双子座の双子の詩人――。(対ひ合ふ)こころが鏡、だつたらば、ねえ!

                      石井辰彦「(地下鉄)と(ローマ)」


[2227] 「(地下鉄)と(ローマ)」を、鎮魂歌として読む 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/21(Fri) 12:20

、とゆうことを考えています。
石井辰彦の感受性は、おもいのほか日本的だということも、併せて思っています。
その風景を知るひとは、千里の感覚器をもつゆえに、いっそうあはれな琵琶法師のようだ。
サブミリナルな感想として。


[2226] さざなみの 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/09/20(Thu) 21:48

さざなみの志賀の都の夜の秋 河合 清

この俳句は9月16日付の「読売俳壇」の森澄雄選の巻頭句。
いわば枕詞と季語だけで成立させられている一句。
オリジナリティは皆無だが、定型と格調美だけが、この句を成立させている。
ちょっと驚いたので一言。


[2225] 「よしよし」されたい! 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/20(Thu) 08:09

朝ご飯は、胚芽パンと、レタスとチーズのサンドイッチ。人参サラダとオレンジジュース。毎朝息子が、関白亭主のごとくふるまうのが、キツイ。
藤原さんの日記読むと、大変そう。
会社のある人は、会社に行ってるだけで、もう「よしよし」されていい……とゆうご時勢のようです。


[2224] アンバランスな人々 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/09/20(Thu) 07:57

アンバランスな人々は一般的に思われている以上に多いと私も思います。
私の勤め先には、手紙やメールや電話で、アンバランスな人達からの発信が
数多くありますし、直接たずねてくる人も少なからずいます。
何かすごくつらい時代だという感覚が増加するばかりです。


[2223] 独り言(弛緩モード) 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/19(Wed) 22:25

今日、ひょんなことから、世間にバランスを崩している人が多いとゆうのを実感しました。そして、わたしはタフで、しかも正気だ、とゆう自信を持ちました。ああ、……よかった。なんとゆっても、なんとかでも食っていける仕事を持っていること、健康なこと、この二つが保証されれば、基本的に「正気」は保証されるのではないでしょうか。
最近、友人の反応が何かと変わってき、ずいぶん周囲の人間関係が入れ替わりました。
不安に感じていましたが、やることやってるのは、変わっていった人々ではなく、わたしのほうです。自信を持とう。
どんなに小さなことでも、「今日は○○をやった」と、思えることを持ちたいな。
今日はぐっすり眠った、とか。(笑)


[2222] 辰巳さん、藤原さん! 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/09/19(Wed) 12:44

「(地下鉄)と(ローマ)」に過分の御感想をいただき、恐縮です。よい読者にめぐりあえることほど嬉しいことはありません。

読者と言えば、辰巳さんがこの掲示板に連載なさった「風景」について触れないわけにはゆきませんね。掲示板で読者の反応を確かめながら決定稿を仕上げてゆこうというのは、面白い方法です。欧米の作家の評伝なんかを読むと、未発表の長い小説を友人知己の前で作家が朗読し、そこでの批評を考慮しながら作品に磨きをかける、という記述に頻繁に出会いますが、それと同じ様な効果的な方法だと思いました。

戦争が現実のものになりそうだし、11日以来の暗い気持ちが晴れません。やれやれ!


[2221] 「(地下鉄)と(ローマ)」の感想 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/19(Wed) 01:21

まず、次の視点から、それぞれ論じられてほしい。
1 視覚的効果……地下鉄のホームを想起させるレイアウトの意義。
2 一首の読み応え……連作としての構成力がほかを凌駕しているので、一首の衝迫力がないように言われがちだけれども、もちろん一首がそれぞれにすぐれています。辰巳はこの点をこの場で論じたいのだけれども、今日は余裕なし。必ず。
3 朗読の効果と連作構成力との関係……マラリーのBBSで書きたいのですが、今日は余裕なし。必ず。

あと、
石井辰彦への個人的な思い入れからくる期待。
石井さんには、悲劇の予言者であるより、誰よりもミューズから愛され、祝福される存在であってほしい。アメリカの悲劇によって、作品が、機会詩として読まれるべき時宜を得る。これは、詩人にとっても読者にとっても、大きな幸運です。
多くの人に、時代と重ね合わせたものとして、「(地下鉄)と(ローマ)」読んでほしい。
それにしても、石井さんには、詩人として鎮魂の宿務があるのかもしれないね。


[2220] ヘッドライトテールライト 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/09/18(Tue) 22:32

いやあ、また、「プロジェクトX」見て、泣いちゃったなあ。
松本洋一さま、ご就職とのこと、おめでとうございます、と言ってよいのでしょうか。
私は、ここ一ヶ月ばかり、いまさらながら、組織と人間の軋轢に悩んでいます。

辰巳泰子さん、「月鞠」楽しみにしています。振り替え用紙同封でお送り下さい。

石井辰彦様
やっと「るしおる」を手に入れて、『(地下鉄)と(ローマ)』拝読しました。
もの凄く鋭敏な感受性のスパークが、一首一首からほとばしって来ます。
「摩天楼」という言葉が詠み込まれた一首があるのも、やはり、予言としての
言葉の出現だったと思わずにはいられません。「地下鉄」という名も同じように
示唆的です。
石井さんの肉声で、この『(地下鉄)と(ローマ)』が朗読されることを切望します。


[2219] 歌書画展 投稿者:トモザワ 投稿日:2001/09/18(Tue) 21:50

第1回歌書画展のご案内

仲秋の候、御清栄のこととおよろこび申し上げます。
文化・芸術の秋、私どもは、かねてからの念願であった「歌書画展」を
下記の要領で開催することになりました。
佐佐木由幾先生、佐佐木幸綱先生、玉井慶子先生など、現代歌人の作品から
三十余首、古典から十余首を選ばせていただき、それらを阿部朱昂が美しい書に表現し、
友澤蘭香が絵を添えて、歌、書、画がひとつになった作品を創造いたしました。
これらの作品の展示に加え、迎え花やお茶席を用意し、真心込めて皆様をおもてなしいたします。和風文化の香り漂う会場へ、ぜひご来臨くださいますよう衷心よりお願い申し上げます。

平成13年9月吉日
阿 部 朱 昂  
友 澤 蘭 香



『書画で奏でる歌の心展』
会期:10月16日(火)〜22日(月) 
時間:午前10時〜午後7時  *22日は午後4時まで。
会場:京王プラザホテルのロビー・ギャラリー
交通:新宿駅西口より徒歩5分 電話:03‐3344‐0111
       (お問い合わせは、友澤蘭香まで 電話 0466‐25‐4851)

【プロフィル】
書:   阿部朱昂  書家。日本書道美術館副館長
NHK大河ドラマ北条時宗の書道指導中
画:   友澤蘭香  水墨画家。国際書画連盟常任理事
歌:   佐佐木由幾 歌人。心の花主宰
         佐佐木幸綱 歌人。早大教授、朝日歌壇等選者 
         玉井慶子  歌人。心の花選者、鎌倉朝日歌壇選者
表装:  船田春光  装芸家。
迎え花: 梅林伸翠  石田流いけ花綾め会代表
お茶席: 平野宋代  茶道裏千家松風会代表






[2218] Re[2217]: 私的瑣事 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/18(Tue) 20:17

ご就職、おめでとうございます。
ほんとに、よかったね。奥様の、冬野由布さんもお喜びでしょう。

「月鞠」のお申し込み、ありがとうございます。
お申し込みの方は、ここのアドレス帳をごらんになって、メールでご住所を、お知らせください。もちろん、自宅へ葉書でお申し込みくださってもかまいません。
郵便振替の用紙を添えて、本誌を発送させていただきます。

野辺地からむつ市へ向かう車輌には、たしかに横浜あたりまで、陸奥湾に面した荒涼たる景色が、松林の間からかいま見えます。この景については、「月鞠」第五号「恐山ももいろ紀行」に書きました。今年の5月に、月岡道晴くん、石川美南さん、内山晶太くんといったわかい歌人らと恐山百首吟行をおこなったんですよ!

みんな、掛け値なしの力作です。紀行文とともに、ご紹介いたしますね。


[2217] 私的瑣事 投稿者:松本洋一 投稿日:2001/09/18(Tue) 17:39

今日面接、明日から仕事。えらくせわしない。
とりあえず、ホームレス歌人にならなくて、よかった、よかった。
ただ、すごく忙しい仕事らしく、残業もたくさんあるみたい。
今までのように書き込む時間があるかどうかわかりません。でも、読むだけは読むつもりなので、藤原さん、辰巳さん、お元気で頑張って下さい。

とか言って、明日も書き込んだりして・・・
辰巳さん、「月毬」バックナンバー含めて、継続的購読希望。「短歌研究」年鑑の住所に、現金書留で送ればいいの?800×4=3200円に、送料はいくら?
それから、「恐山への手紙」を読んで、素朴な疑問。
私が恐山へ行ったのは、かれこれ20年前。私が一番印象に残ったのは、恐山ではなくて、大湊線の車窓から見た、野辺地〜横浜間(だったかな?横浜〜むつ間だったかな?)の、荒涼とした風景が、長々と続く、砂丘の風景だったのですが、この歌集には、書いてありませんね。あの風景は、もう無くなってしまったのか知らん?


[2216] 「月鞠」は、定価800円です。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/18(Tue) 13:44

送料別。
創刊号の小説「椿の水」……小学5年生のみすずは、気まぐれに出かけた街外れの川で、妹の咲子を溺死させてしまいます。カタルシスあります。
第三号「光る窓」……童話ふうです。「5歳」の視点で、離婚を描きました。
第四号「森」……30歳の由紀は、大手出版社の派遣社員。派遣先の編集者高梨に、告げられぬ思いを抱いています。
第五号「父ねこものがたり」……作者の私小説です。今月末発行。

短歌、評論、座談会など、その他の企画も充実です。
「白い絵の具」は、小説家の小嵐九八郎さんが、ほめてくれたよ。「森」も、よかったんじゃないかな。


[2215] クリックしてみました。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/18(Tue) 13:22

枡野さん、情報をありがとう。
「女による女のためのR‐18文学賞」ですね。
うーん。……「女のための」とゆうところが、辰巳ちゃんには、物足りないかも。
「月鞠」第二号の「白い絵の具」(約120枚)で、性が主題ではありませんが、性描写のあるものに挑戦したことあります。
35歳の会社員松岡が、姪で高校生の理沙を初めてイかせるシーンが、作者のお気に入りです。ラストシーンはフィスト・ファック。
もちろん、「ふつう」の風景描写も、盛りだくさんです。施餓鬼会や、都心のオフィスや。
枡野さんに贈りますね。「よろしかったら」ですんで、ご住所をメールで教えてください。あと、読んでみたい人も、お申し込みくださいませ。


[2214] ご存じでしょうか、こんなコンテストが。 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/09/18(Tue) 11:17


http://www.webshincho.com/r18/main.html


http://talk.to/mass-no


[2213] ピーピング・トム 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/18(Tue) 07:44

27年来の、まい・どりーむ。
散文を書いていて、物足りなくてたまらないのは、性描写をぞんぶんにできないこと。ほかの主題を食っちゃうので、いつも押さえてしまいます。
その点において、えぶりたいむ「欲求不満」です。
……性だけが主題の小説、性行為そのものを「風景」として、丹念に描き込んでみたいです。うずうず。読者には、ピーピング・トムの絶頂をプレゼントしちゃう。


[2212] 六月挽歌と荒野のダッチワイフ! 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/09/17(Mon) 23:08

松本洋一様
黒田和美歌集『六月挽歌』もちろん読みました。
黒田さんは、早稲田短歌会で、私の先輩にあたるようです。
大和屋竺や神代辰巳や一条さゆりや足立正生となれば、もろにツボにはまります。
大和屋竺の脚本の「朝日のようにさわやかに」は、歌集の中にも出てきますが、
この映画、私は日活のロマンポルノ専門館で『愛欲の罠』というタイトルに変更
されたものを見ました。
秋山ミチヲの天象儀館がつくった映画で、ポルノでありながら、一種のメタフィクション
であり、虚実皮膜を中川梨絵や安田のぞみが乱舞する、いかにも1970年代!という
作品でした。


[2211] 藤原さま、松本さま 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/17(Mon) 22:01

「風景」のご愛読、感謝です。
発表媒体は朗読になる可能性大。……とゆうか、そのつもりで書き下ろしています。
活字での発表については未定。(多分、私誌「月鞠」になります)
でも、媒体に応じた改稿をおこなうので、BBS仕様はBBSでしか読めないとお考えくださったほうがよろしいかと。


[2210] さらにその後 投稿者:松本洋一 投稿日:2001/09/17(Mon) 17:54

辰巳さ〜ん!「風景」モニターでなくて、活字で読みたいよう。「発表」の予定はいつ、どこのメディアですか?すぐ、購読します。
 さて、その後の推移なのですが、パキスタンとかあそこらへんのごちゃごちゃは省略して、「盗聴範囲の拡大」「CIAへの要人暗殺の許可」はあきらかにやりすぎ。「テロ」には「テロ」で、では、テロをやったほうとやられたほうがおんなしことになっちゃうよう。
 藤原さんへ。
 黒田和美の歌集「六月挽歌」(洋洋社)はもう読まれましたか?
 私は、目次の「大和屋竺ヘ」「神代辰巳へ」「一条さゆりへ」「足立正生へ」の文字を見て、中身を見ないで、即、買っちゃいました。大当たりです。

 陽は昇る狂ひ損ねし日時計の悲しみ照らすために明日も

知らない人へ。大和屋竺というのは、アニメの「ルパン三世」のTV版、いくつかの映画版、TVスペシャル版の脚本を書いた人です。


[2209] キクチアヤコさん、ようこそ 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/09/17(Mon) 14:30

キクチアヤコさん、ようこそ。
フリーな掲示板ですので、何でも自由に書きこんで下さい。

辰巳泰子さん
「風景」読み応えがあり、せつなさがこみあげてきます。とりいそぎ。


[2208] 無題 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/17(Mon) 08:30

もちろん、決定稿は、再アップしたほうです。
重ね重ね、ありがとうございました。


[2207] Re[2203]: 風景12 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/17(Mon) 08:28

> 「次だよ」
> 新小岩で、八一に肩を叩かれる。また眠ると、もう怒るのだった。
> 夕方の駅頭は明るい淡青に包まれていた。
> 「ちょっと歩くから」
> 迎えに来ていた人は「ちょっと」が口癖だと、最近気がついた。
> 街並みは雑貨屋、台湾料理店、韓国料理の屋台、大通りを外れて、夏のあいだに工事の終わった女子校の裏手を歩いてゆく。風景はどこかしら、大阪の千林大宮に似ていた。
> 20分ほど歩いて、交差点を西へ逸れる。
> すこしくねった路に面して、3階建ての古いマンションが見える。入口に立つと、おおきな街路の奥に、夕映えが燃え拡がっていた。その裂け目から、蒸気機関車の煙に似た雲がいくつも、空の低いところを流れ去っていった。
> 見とれていると、明かりのついた植え込みのほうへ、手招きされた。
> ダイニングのそこかしこに、23区指定のゴミ袋が口を縛らないまま転がり、部屋の一つはすでに、ベッドが置かれてあるきりで、空になっていた。玄関には段ボールが固めてあった。寒気の鋭いときは、ベランダから富士山が見えていたそうだ。
>
> 小岩駅の高架下に、回転寿司屋があった。
> 食事をそこで済ませて、わたしと八一は三鷹へ帰ることにした。
> 飲み物は、生ビールしか注文できなかった。お茶だけにして、6皿ずつ食べた。その人は、わたしたちが待合いから席に着くまで、外から見守っていた。
> ハマチが回り、イワシが回った。
> 「一句できたよ」
> ふいに、八一が口走った。
> 「大間崎、灯台もあり波もあり」
> 海のほかは、標識しかないバス通りを歩いた。あのときも、ふたりきりだった。
> 「今日は、こんなところまで連れてきて、……ごめん」
> 「別にい。俺たちが、このまま暮らすわけじゃないしさ」
> 東京の、知らない街の一隅には、すとんと黒い夜が落ち、店を出ると、地蔵通りという名の露地が左へ延びていた。


[2206] ちょっと大胆ですが。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/17(Mon) 08:27

「風景12」を一箇所修正したものを、再アップさせてください。
管理人さん、[2203]の原本のほうも、このまま消さないでおいてくださいませんか。表現効果の差は明らか。読者にも、比較してみてほしいので。
これっきりのわがままです。よろしくお願いいたします。


[2205] ふー。終わった。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/17(Mon) 01:29

例によって、BBS仕様です。1〜6は、小説の文体を意識しましたが、7〜13は、舞台の長ゼリフですね。今度やるときは、歌物語バージョンに挑戦したいです。


[2204] 風景13(完結編) 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/17(Mon) 01:07

素面にもどったとき、なかなかあなたの顔が思い出せなかった。
初めて逢ったのは、上野でした。
リームを出たとき、、広小路口を見はるかしていた。
けれど、交差点をわたって、燕を見に行くことは、あのときのわたしには、痛々しすぎて、できなかった。
見るならば、旅だったあとの巣を、ふたりで見てみたい。
あのときは、ただ、人の往還に、空気がゆっくりかき混ぜられてゆくのを、眺めていました。

みんな、帰るべきところへ帰る。
帰るべきところへ帰る人が身に纏う空気で、いつだって街は流れている。

自分は、いったきり帰らないにんげんだということも、子どものころから、感じていた。だから、いつも、自分を縛ってくれる家族を持つことに、あこがれていた。
帰る人になれないことがわかっていながら、いつも、そこへ身を寄せようとしていた。

それでも、いっしょにさすらってくれる人となら、きっと、できるだけながく、別れないですむと思うから。わたしは、八一を、子どもとしてでなく、いっしょにさすらうべき人として、育てたように思っています。


[2203] 風景12 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/17(Mon) 00:34

「次だよ」
新小岩で、八一に肩を叩かれる。また眠ると、もう怒るのだった。
夕方の駅頭は明るい淡青に包まれていた。
「ちょっと歩くから」
迎えに来ていた人は「ちょっと」が口癖だと、最近気がついた。
街並みは雑貨屋、台湾料理店、韓国料理の屋台、大通りを外れて、夏のあいだに工事の終わった女子校の裏手を歩いてゆく。風景はどこかしら、大阪の千林大宮に似ていた。
20分ほど歩いて、交差点を西へ逸れる。
すこしくねった路に面して、3階建ての古いマンションが見える。入口に立つと、おおきな街路の奥に、ガラスを砕いたような夕映えが燃え拡がっていた。その裂け目から、蒸気機関車の煙に似た雲がいくつも、空の低いところを流れ去っていった。
見とれていると、明かりのついた植え込みのほうへ、手招きされた。
ダイニングのそこかしこに、23区指定のゴミ袋が口を縛らないまま転がり、部屋の一つはすでに、ベッドが置かれてあるきりで、空になっていた。玄関には段ボールが固めてあった。寒気の鋭いときは、ベランダから富士山が見えていたそうだ。

小岩駅の高架下に、回転寿司屋があった。
食事をそこで済ませて、わたしと八一は三鷹へ帰ることにした。
飲み物は、生ビールしか注文できなかった。お茶だけにして、6皿ずつ食べた。その人は、わたしたちが待合いから席に着くまで、外から見守っていた。
ハマチが回り、イワシが回った。
「一句できたよ」
ふいに、八一が口走った。
「大間崎、灯台もあり波もあり」
海のほかは、標識しかないバス通りを歩いた。あのときも、ふたりきりだった。
「今日は、こんなところまで連れてきて、……ごめん」
「別にい。俺たちが、このまま暮らすわけじゃないしさ」
東京の、知らない街の一隅には、すとんと黒い夜が落ち、店を出ると、地蔵通りという名の露地が左へ延びていた。


[2202] >辰巳泰子さん 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/09/16(Sun) 21:24

藤原龍一郎のアドレス帳へのご記入、
どうもありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[2201] おはようございます。 投稿者:キクチアヤコ。 投稿日:2001/09/16(Sun) 11:50

はじめまして。キクチアヤコと申します。
「藤原龍一郎」で検索かけてここにきました。

>藤原先生
はじめまして。フーコー短歌賞ではお世話になりました。
今後もよろしくお願いします。

それではチャオチャオ。


[2200] 風景11 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/16(Sun) 11:27

野分の果てに、淡い小雨が東京地方を包んでいる。
南口から小路へ逸れて、早めのランチを摂る。窓際に座ると、さっきまで歩いてきたわたしたち二人が見える。ふと、雨に当たった膝下を拭いながら、まだ浴室を使ってもらっていない、とふと思う。
店の前の舗装路を眺めながら、打ちつづく天候に街全体が大陸棚になったようで、わたしたちはときどき、入り江に寄る魚のように、ひっそりと隠れて過ごしている。
「俺が5人いたらなあ。一人はチェロを弾いて、一人は泰子の相手をする。もう一人は八一のおとうさんをして、残った一人は仕事をする」
中央通りを歩くと、まだいくらも、彼に逢うことができる。
わたしや八一の相手をする彼と、仕事へ向かう彼と、チェロを肩から提げた彼が、向こうから歩いてくる。わたしが釦を付け直した黒いコートを着ている。真夏でも、6年前に出逢った姿のままだ。
その、一人一人の彼について、波頭のように押し出される涙をこらえながら、向かいにいる人に、わたしはしゃべり続けている。捨てた空き缶を蹴りあげて、前のめりに歩いてゆく彼。カーテンを引くとき、いつも少し、お尻にちからを入れている彼。わたしが自分で自分のつくったものをけなすと、いいと思う人がかわいそうだと、少しだけ怒ることがあった。
血のつながる子どもが、とうとう生まれなかった。
わたしをあいしてくれた理由はすべて、わたしをあいせない理由に、位相を変えた。
吸い殻といっしょに数えあげながら、わたしは4人目までしか、彼を知らないことに今更気がついた。それは今生で、すれ違うことさえないと、決められた人のようだった。
入り江に過ごす時間の終わり、今朝からわざわざそこに置いたように、仙川の土手に彼岸花が咲いた。


[2199] 映像のないメディア 投稿者:松原一成 投稿日:2001/09/16(Sun) 11:09

連載小説が再開されましたね。
私も今、秋のラジオドラマの脚色にかかっています。
先ほど、一本仕上げましたが、まだ3本あるので、
連載に取り組んでいるような気分です。

映像のないラジオドラマも、
いかに風景を思い浮かべてもらえるかが勝負ですね。
多くの人の胸中に、鮮やかな風景があらわれる‥‥
そんなドラマにしたいものです。


[2198] 風景10 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/16(Sun) 09:05

……だれも眠らない部屋に、風鈴が鳴っています。
マウスでクリックすると、電子メールの最小画面が、蕾のようにひらく。
有楽町午前零時。
わたしがとらえた風鈴売りは、この夏の始め、まひるまの赤坂で、すでにあなたの前に姿を現していた。都市風が出口を探し、建物の谷間を吹き抜ける午後。タクシーの行き交う二車線の向こう側に、あなたとゆっくりすれ違う、白い夏衣をまとった老人は、傷痍軍人さながらの危うい足取りで、風鈴の屋台を引いていたに違いない。
…………風鈴が、鳴っています。
夜干しのシーツが一枚、ベランダ越しにはためいている。
だれも眠らない部屋は、畳の古くなった蒸し暑い部屋。
雨戸を開けたまま、思いのほかふかい慰藉が、音になって擦れ合う部屋。


[2197] 編集された事実 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/16(Sun) 08:19

編集された事実は、つまりは虚構だと、言い切っていいように思います。ふふふ。


[2196] 見せられているのかもしれない 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/09/16(Sun) 07:53

テレビのモニターをとおして流れてくる映像は、必ずどこかのフィルターを
通過しているわけで、事実そのものではないかもしれない。
誰かによって見せられているのかもしれない、ということは、常に頭において
情報を受けとめることが必要だと、自分に言い聞かせています。


[2195] ふー一服。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/16(Sun) 04:57

今回は、「11」か「12」くらいまでいく予定です。連載といいつつ、書き出したらつい、一気になりがちです。勝手にやってますんで、皆様は、どうかお構いなく、どんどんいろんなお話を、お書き込みくださいませね。場をくださるオーナーに感謝です。


[2194] 風景9 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/16(Sun) 04:15

午前零時を過ぎた、有楽町だった。
風鈴売りが、風のない通りの向こうを横切っていった。
ガラスの暈が無造作に吊られて、耳ではなく眼に、無数の音が届けられた。プラスチックの薄い短冊が、空気をやわらかく擦っていた。ほんの数秒だった。そのような夜舟の残す軌跡が、短い横断歩道を渡り終えないうちに、ながい尾をひいて露地の奥へ消えた。
「全部、受け止める」
掌が、ちからをこめながら、ちからを伝えないように、わたしを運んでいた。きっとそのことに夢中で、通りの向こうの一部始終に、気がついてはいないと思った。


[2193] 風景8 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/16(Sun) 02:41

父親であったものの「帰宅」が近づくと、八一はリュックを背負い、家のなかから消える。猫はしきりに腹を見せる。餌を出したあと、誰もいない午前のうちに、新学期の上履きを買いにゆく。
社宅に囲まれた細い露地をゆき、ただひとつことを考える。
ベランダには、ビニールプール・三輪車。干し物が翻って、もうひどく乾いている。
団地、団地、畑。
どこまでもつづく風景に疲弊しながら、こころが死ぬまではと繰り返している。今日から9月にはいった。夏帽子は被らない。履きつぶしかけたビーチサンダルで、二日前に塗りなおしたマニキュアの指先に、目線を落としてばかりいる。
道はようやく、えのころと遅いカモガヤの揺れる空き地を挟んで、向こう側へ結ばれていた。白い塀が導く突きあたりで、見える一樹に目を凝らす。
夾竹桃だ。
細い莢のような葉が、高いところに花を掲げて見えた。
進んでゆくと、それは色褪せた百日紅だった。
商店にはシャッターが降り、午前中休業の貼り紙がしてあった。学校指定の上履きを売るほかはふつうの駄菓子屋だった。自動販売機に見覚えがある。この道で、迷ったことがある。いつかの夕刻、周辺からこの木造家屋が浮きあがっていたのは、この自販機の明かりのせいだった。
シャッターは午後には開いていた。
あと二時間で店じまいだと、奥さんは話した。皺の寄った脂粉に、汗がにじんでいた。清涼飲料水を買う小学生たちが、合図でもあったように、日ざかりの店頭から散っていった。
……24.5センチの上履きは、足の長さには合っていても、踵回りには、合わない。
そんなことを思いながら、房らしい房をもう持たない、百日紅をあとにする。


[2192] 風景7(1〜6は過去ログ参照) 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/16(Sun) 01:23

野分を過ぎて、風鈴が鳴っている。
「一生、あんたらを許さない」
男のチェロが、室内から消えた。
迷わなくなった夕飯の買い物を済ませて戻るたびに、部屋の様子が変わってゆく。
時間をかけて、瘡を剥ぐようなつつましさで。
「一生、あんたらを許さない」
人に逢うあいだ、ながいこと座らないままになっていたわたしの椅子が、運びこまれていた。仕事場の椅子は、いくらかの書物とともに、子ども部屋の奥に佇んでいた。玄関から突き刺すように一直線に、その場所は、選ばれたのだとわかった。
昼のあいだは眩しいほどの日射しに恵まれる部屋。
玩具のパノラマが、積まれては崩される部屋。
夜になると、もっとも明かりから遠くなる一角。だれも眠らない部屋。
そのガラス越しに、野分を過ぎて、風鈴が鳴っている。


[2191] 事態の推移について 投稿者:松本洋一 投稿日:2001/09/16(Sun) 01:07

デカいテロはもうなくなって、アメリカの報復といったことが事態の中心となってきましたね。
 一番よいシナリオは、ラディン氏の逮捕、無期懲役(死刑は逆効果)という審判をくだして、彼を幽閉する、というアル・カポネ型。
 一番悪いシナリオは、資本主義陣営対アラブ-イスラム陣営というかたちで第三次世界大戦状態に入ってしまうこと。
 その中間項として、
・この機会に空爆あるいは陸戦隊によってアフガニスタン(タリバン)を叩く
・この機会に空爆あるいは陸戦隊によってついでにリビア、イラクといったテロ支援国家を叩く
というのがありそうです。
できれば、一番良いシナリオに近いかたちで、推移してくれるとよいのですが、アメリカの「世界の騎兵隊」意識がある以上、それだけでは済みそうにありません。
 このテロの原因を辿って行くとどうしても、「ユダヤ財閥に干渉されて、アラブに干渉して、イスラエルをつくってしまったアメリカ」というところに行き着きます。
 多少「自業自得」という気味もない訳ではありません。
 まあ、2000年余にわたる、ユダヤ民族の迫害と、「安息の地」願望もわからない訳ではないのですが、やはり「イスラエル」以前はこの地で、アラブ、ユダヤ両民族が、平和に(かどうか知らないのですが、少なくとも現在のような戦争状態でなく)共存して居たのに、と思います。
 かといって、いまさら、イスラエルをなくせ、とも言えませんし。
 下手すると最悪のシナリオか、そこまでいかなくとも「アフガンのベトナム化」ヘ行きそうな気がします。
 日本は、もとよりアメリカについて行くより仕方ないのですが、せめて、アメリカの「世界の騎兵隊」意識を少しでも中和してくれるように、少しでもこれ以上の一般市民(非戦闘員)の犠牲が少なくなるように、祈って止みません。


[2190] ジャズマニア 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/09/15(Sat) 23:30

宝塚歌劇月組公演に行って来ました。待ちに待った紫吹淳のトップ披露公演ですね。相手役には映美くららが、黒木瞳、神奈美帆以来の大抜擢で就任したんですが、それほどのことはないような。それにしても今回の公演は、専科から真帆しぶき顔というか蛙顔の初風緑、私一押しの湖月わたる(かっこいい!)、銀座の高級クラブのチーママ風人造顔の伊織直加に、若手中堅の月組員の大和悠河、汐美真帆(素敵!)、霧矢大夢(かわいい!)、大空祐飛と、なかなかの豪華メンバーでした。

でも、心からは楽しめない。だって、お芝居の方の『大海賊』では、町を焼払え、という台詞でニューヨークのことを思い出しちゃうし、ショーの『ジャズマニア』はほとんど全編ニューヨークが舞台として設定されているわけですからね。宝塚歌劇を、こんなに暗い気持で観ることになろうとは、思ってもみませんでした。


[2189] 日本の朝ご飯 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/14(Fri) 21:18

今朝は、薩摩芋入りの茶めしを作りすぎて、お腹がぱんぱんです。
今回使ったけつめい茶とゆうのは、野辺地(下北半島の玄関口)のお茶で、ほうじ茶とカミツレをブレンドしたような風味です。
あと、切り干し大根のみそ汁など。

そろそろ、ショート・ショート「風景」、連載再開かな?
私小説ぽいので、鼻つまみではないかと恐れていたのですが。
(じつはすんごく気が小さい辰巳ちゃん、知る人ぞ知る)

>石井さん
せんだって、「歌を作ることは命を削ることだ」というメールをいただいて、フット・ワーク軽げな石井さんの、強面な素面をのぞいた気がしましたよ。


[2188] ノイズの氾濫 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/09/14(Fri) 07:02

外国のニュースと日本のニュースの報道のニュアンスが異なるというのも
今回の事件で実感することができました。
まず、情報を自分で判断する、自分の頭で考える、不和雷同せず、自分で納得できる
意見をまとめるということだと思います。
私がここ数日考えていたのは、高層ビルで、このような異常事態に遭遇した時の
必ず生き残るための脱出方法です。

話はガラリと変わって、「短歌人」の掲示板が面白くなっています。
ぜひ、のぞいて見て下さい。↓ここから飛べます。
http://www5.airnet.ne.jp/~ttsc/bbs/tankajin/tankajin-bbs.cgi


[2187] Re[2183]: いくつかのことを確認したい 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/09/14(Fri) 05:24

> 4.このテロの成功をパレスチナの人たちが喜んでいる映像があったが、
> あれは虚構(デマゴギー)か事実か?

という松本洋一さんの指摘ですが、
http://www.nikkei.co.jp/sp2/nt41/20010912df1i187212.html
あたりの記事内容に対応する映像のようです。
どのくらいまで「煽り」が入っているかはわかりませんが、
まるっきり根も葉もないデマでもなさそうな感じですね。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[2186] 映像を信じるな 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/09/13(Thu) 21:46

なにかもうたいへんなビジュアルばかり見せられている気がします。

松本洋一さん
4.このテロの成功をパレスチナの人たちが喜んでいる映像があったが、あれは虚構(デマゴギー)か事実か?(なぜなら、湾岸戦争の時の、オイルまみれの鵜の写真があったが、あれはデマゴギーだったから)

これはそうかもしれないですね。
いかにも、タイミングがよすぎるし、あの映像がくりかえし映されるのも変な感じです。
アメリカ人が国をあげてのヒステリー状態にならないことを祈ります。


[2185] WTC 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/09/13(Thu) 18:46

WTC は外壁を柱代りにした特殊な構造だったんだそうですが、そういえばホワイエに柱があった記憶がありません。随分不思議な広さだなあ、と思ってはいたんですが。


[2184] 精神的な支援? 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/13(Thu) 14:29

アメリカが日本に要求している「精神的な支援」とはいったいどんなことを指すのでしょうか。
日本国内の言論に、
アメリカの批判をさせないことであったり、
あるいは
「限度を超えた抑圧」を受けた人々を庇う発言を許さない、
ということであれば、
日本は「アメリカの自由」のために「日本の自由」を犠牲にすることになりますね。

表現の自由がしんに守られることを、いち表現者として真摯にのぞみます。


[2183] いくつかのことを確認したい 投稿者:松本洋一 投稿日:2001/09/13(Thu) 13:48

1.ビルに旅客機が突き刺さった時、確実に「カッコいー」と思ってしまったであろう奴が居ること
2.ブッシュ大統領が発言した「これは善と悪との戦いだ」という主旨が間違っていること
 より正確にいえば、ある多数の「善」と、ある少数の「善」つまり、質の違う二つの「善」の戦いだということ(なぜならば、人は、自らを「悪」だと思って、戦いはしないということ)
3.「テロ」は容認できないが、「テロる奴」の心情はわかる。(つまり限度を越えた抑圧があったのではないかということ)
4.このテロの成功をパレスチナの人たちが喜んでいる映像があったが、あれは虚構(デマゴギー)か事実か?(なぜなら、湾岸戦争の時の、オイルまみれの鵜の写真があったが、あれはデマゴギーだったから)
 事実だとすれば、前二項の証明になる。つまり、あの行為を、明らかに「善」と捉えた人たちがいること。あるいは「限度を越えた抑圧」があったということ。
5.従って、小泉首相は早急にブッシュ大統領に、これは「戦争」ではなく「テロ」だと説得してもらいたいこと(なぜなら、その方が、「敵は建物は破壊したが、アメリカの屋台骨を揺るがしはしなかった」というブッシュ自身の発言の証明になるから)
6.ブッシュ大統領およびアメリカがどこまでを「敵」として捉えているのか?
 ラディン師およびその一派か?アフガニスタンか?あるいは端的にアラブ=イスラム文化圏か?
7.これは、十年前の湾岸戦争で言われていた、無責任な噂の一つだが、「軍需産業は、十年置きぐらいに、『在庫処分』をしたがる」という言説があったこと
8.アメリカは「核」を持っている。あるいは「敵」勢力も「核」を所持している可能性があること。
 以上。


[2182] A terrible tragedy 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/09/13(Thu) 08:12

今回の悲劇に関して、私は今、あらかじめこの都市に対しての鎮魂の短歌を書いていたような気がしています。他ならぬ「るしおる」44号に発表したばかりの連作「(地下鉄)と(ローマ)」において! この作品の後半は、世界の首都であるニューヨークと世界の首都であったローマとのダブルイメージで進行してゆくのですが、ローマ同様にニューヨークもまた廃墟の都市になってしまったわけですからね。何だか、暗澹たる気持にとらえられています。

 五番目の大路の塔は赤き灯に飾られ・聳ゆ。崩れつつ、聳ゆ。
 飛行船ほのかにひかりつつ(夜半の空に)浮く。ここ、不眠の廃都

「大路」は「タイロ」、「夜半」は「よは」と読むのですが。ああ!


[2181] サブカルチャーのお話 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/13(Thu) 06:23

さっき、コンビニに行ったら、
たまたま、
「ジパング」とゆう漫画の総集編が、週刊漫画の体裁で平積みされていました。この主人公海軍少佐「草加拓海」顔が石井さんと似てる。連載開始のときから、イメージがだぶってた。作者はかわぐちかいじです。

ちなみに、
数年前、武川忠一さん、小高賢さんと、歌人協会の公開講座の後でお食事した折、小高さんが「あなたは20年遅く生まれてよかった。永田洋子のようになっていた人だ」とおっしゃった。心外です!!
(武川さんが、「ちゃんとしつけされた古風な人だよ」と庇ってくれたからよかった)
わたしはなにがなんでも、「醜いおばさん」をまっとうするつもり。


[2180] 無題 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/13(Thu) 03:11

わたしはまったくの政治音痴ですし、靖国神社参拝のことがここで議論されたときも、政治という切り口からははいってゆけなかったし、はいることはないとも思っていた。みんな、ふだんからいろいろ考えているんだなあ、と尊敬もした。

何をしゃべればかっこいいかじゃないんだよね。
一人のにんげんとして、固有の思い出や、尊厳や、禁じ得ない同情や、怒りといったところに、足の裏をぴったり接地して、「なんかちがう」ということを大切にしたいと思う。自分のこととして、自分で決めるというか、さ。
正しいことを言おうとしないで、
発言者が自分で責任を持つべき、たくさんの少数意見が、ほんとうに求められるときではないのかな。
無責任な「肴」じゃなくて。


[2179] とにかく今 投稿者:松本洋一 投稿日:2001/09/13(Thu) 02:25

一番怖いのは、アメリカの過剰防衛と、それに日本が巻き込まれないことだと思う。
それ以外のことは、なんとも言えない。


[2178] 不如帰(ほととぎす) 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/12(Wed) 17:33

アジアよりアジアへ運びゆく野分ダイオキシンは世界の海へ
亡骸が沈む塩つぱいえひめ丸 あなたの子どもではなかつたの?
ほととぎす絶えてひさしき 秋津島大和は娼婦であればよかつた


[2177] テロリストの心理 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/12(Wed) 17:19

小泉首相は、「米国を強く支持する」とまで言い切ってしまっていいのでしょうか。
他国は「遺憾の意を表す」ですよね。

どうか日本に飛行機、突っ込みませんように。
うちの息子は、ゆうべ、冷蔵庫の中でケチャップが燃えだして、そのままお家が丸焼けになって消えてしまう夢を見たそうです。

「テロを許さない」ということと、「米国を強く支持する」ということの間には、なにか大きな違いを感じさせられます。

アメリカは犯罪捜査は、プロファイリングで知られています。
そこをあえて、
「テロリストとテロリストの手助けをした者の区別はつけない」
と言い切ってしまうことで、どれだけ刺激するか。
ほんとうに、自国のエゴだけで、「支持する」日本のことはなんにも考えてくれてない。血を流してからでは遅いのに。
大国じゃない。アメリカの自由は世界の自由なんでしょ。
そこまで守ってよ!
できないの??


[2176] 髭の顔 投稿者:松原一成 投稿日:2001/09/12(Wed) 16:43

多発テロの報道が続き、
私が関わっている番組「ジャスト」は、お流れになりました。
昨日、先輩の作家は、別の番組のプロデューサーと
電話で、いろいろ話し込んでいた。
土曜日放送の情報バラエティで、「クイーンコング」という
「キングコング」のパロディー映画を紹介する予定だったとか。
比較して見せるため、
コングがエンパイアステートビルで暴れるシーンを流すつもりでいたのです。

テロは絶対に許すわけにはいかない。
でも以前、シュワちゃん主演の「トゥルー・ライズ」という映画を観たとき、
あまりにもアラブを茶化しているので、痛ましい気持ちになったことがある。
テロへの怒りは怒りとして、
なぜ、ここまでのことをしたのかという視点は、
持ちつづけなければいけないでしょう。

いつだったか、「トゥルー・ライズ」をテレビで再び観たとき、
こんな歌をつくりました。

シュワちゃんにやられるアラブの過激派を哀れむ我に似た髭の顔


[2175] こんにちは。 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/09/12(Wed) 14:09

昨夜、NYの映像が目に飛びこんで来て
ニュースが騒ぎはじめたとたんに、
意識がしびれるような感じがあって、
思考して極度に興奮してるのに、
どこか意識を失っているような
そんな感触がひろがっていました。



>辰巳泰子さん

血液型をおぼえていること一つをとってみても、
辰巳さんが、一瞬、一瞬に、集中して
熱い感じで生きているのがわかりますね。
ずっとむかし、だけど、「フォルテ」
もちろん、過ぎ去ったこととしてではなく、
自分の中に、生きた記憶としてありますよ。

>石井辰彦さん

穂村弘さんの『手紙魔まみ、〜』のことは、
ちょっとしきりなおして考えさせて下さいね。
サブカルチャー的すぎることを、
石井さんはだめだと考えているようですが、
ぼくはそういうようには思わないので、
このままの論点で話をしてしまうと
ただの言いあいになってしまいそうです。
話の噛みあう角度を考えてみます。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[2174] のぞむことであるはずがない 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/12(Wed) 06:13

結局、パレスチナ人民が苦しむことになるよね。じぶんの国をあいするって、どういうことなんだろ。いったい、「守る」って、どうすることなんだろうね?

あくまで個人的に、子育てについては、わたしは二つの答えを持っている。
これを国家に敷衍する気はさらさらないけれど、
「敵をやつける」ことと、もう一つは、
「どんな情況下でも、みんなの前でほめてあげる」ことだよ。
「敵をやつける」のは、うまくいけばかっこよく見えるけれど、むつかしい。「みんなの前でほめてあげる」のは、バカになる覚悟ないと、できません。両方しないと自分の子が潰れるときがあって、それがいちばん難しかった。わたしの子は、わたしに助けてほしいタイミングと方法を、告知できる子だったから、できた。
とにかく、パレスチナのふつうの人々が、あまりにも、かわいそうだ。
のぞむことであるはずがないもの。


[2173] 悲劇! 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/09/12(Wed) 05:28

ワールドトレードセンターの展望台(サウスタワーの方にある)には何回か行って、屋上で夕陽を眺めたものです。眼下に自由の女神が見えたり、北にはエンパイアステートビルディングが見えたりして、いかにもニューヨークという景色が楽しめました。凄くセキュリティ・チェックの厳しいビルでしたが。あんなに巨大なものが、あっという間に跡形もなくなってしまうなんて!

パレスチナの人民には同情しますが、テロは絶対に赦せない、なんていう月並なコメントしか思い浮びません。私のニューヨークの友人は、アパートメントの屋上でビルの崩壊を目撃したそうです。


[2172] 朝になるところが見たい 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/12(Wed) 05:23

短歌7首

日本人行員の無事確かめてまづはメディアのマニュアルがある
嘆くだけ孤独を泣いたあとにみるニュースはどこかじぶんのことだ
「助けよ」とめいれいをする太さ持つ あはれ〈アメリカ〉どこまで〈アメリカ〉
モンスーンある国民の感情はどこか野分の果ての文脈
一滴の海にも触れぬ夏休み それでも子どもは親を捨てない 
につぽんがアメリカの何をあいしてる?〈アメリカ〉は〈アメリカ〉しかあいさないけど
「朝になるところが見たい」めいれいをきらふあなたの決断が好き



[2171] 事実は映画ではない 投稿者:松原一成 投稿日:2001/09/12(Wed) 04:45

タクシーでTV局から帰って来ました。
ナレーション原稿書き上げて、弁当食ってたら、
モニターに炎上しているビルが映った。さらに航空機がつっこんで、再び炎上。
そしてビルの崩落。明日は、軒並みレギュラーのコーナーがふっとぶでしょう。
世界は発狂しかけている!

朝、慌てていたので、とてもつたない書き込みをしてしまいました。
歌会、いいと思いながら、とらなかったのは、辰巳さんの

海の名のたくさんの痣、お月さんの痣に溺れてゆくやうな眠り

で、かっこよく批評できないと思って、とらなかった。
結果的に、すごくかっこ悪いことをしてしまいました。
せっかくの歌会の価値を貶めるようなことをして、反省してます。
申し訳ありませんでした。

>荻原さん
気配りあふれる管理、お疲れ様です。
辰巳さんへの「個人的なことは云々」についてですが、
彼女のかきこみは、今回の私のように、
自分の文脈で言うべきことを言えなかったりする人には、
とても的確な言葉だと思うので、
BBSに載って、しかるべきだったと考えています。

>辰巳さん
引用のフォローもふくめて、いろいろありがとうございました。
ビギナーだからと甘く考えず、改めて歌と向き合っていきますので。
あと、戸惑うと、すぐ鵺になってしまう放送作家的悪い癖も、直します。
本当にいい台本を書くためにも。

>藤原さん
いつも気にかけていただき、ありがとうございます。
ノートパソコンを持っているので、
局からも掲示板を見られるようにしたいと思います。

今もテレビは、どこも多発テロのことを報じている。
<事実>を映画のように見せてしまうテレビが怖い。


[2170] 短歌1首 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/12(Wed) 04:38

おほいなる善意の国の〈アメリカ〉が善意を捨てるすがたを見たい?


[2169] 戦争………… 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/12(Wed) 04:26

この数日、突然物が落ちてきたり、奇妙なタイミングでコップが割れたり、今日は今日で、出かけて帰ってみると、ちょっと書きづらいようなことがいろいろ、胸騒ぎが止まなかった。
一日中泣いていて、午後10時に就寝して2時に目覚めました。
アメリカで起こった同時多発テロのニュースは、「ああ」という感じです。
因果かんけいを追究するつもりはないけれど、この「ああ」という感じは、なんだか独特で……。
ニュースを見ていると、「犯人に罰を与える」「アメリカ国民の決意が試されている」と〈アメリカ〉が言っている。
戦争になるのでしょうね。先送りだとしても、遠からず。
自分のエゴ「さえ」守れたらいいと思ってしまうと、ほんとうに、戦争になるよね。


[2168] 戦争? 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/09/11(Tue) 23:05

ニューヨークのワールドトレードセンターとDCのペンタゴンが燃えていて、展望台のある方のトレードセンターが崩壊しちゃいました。戦争になると思います。ああ!


[2167] 噂の真相、見たい! 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/09/11(Tue) 20:37

台風で自宅にこもっている間に、お店は繁盛していたようで。

石井辰彦様
オクタビオ・パスから「噂の真相」の扉まで石井辰彦さんの守備範囲は広すぎ!

鈴木英子さん
どうも、ありがとうございます。
ガリ版刷りのインクの匂いを知っているのは、
鈴木さんの世代くらいまででしょうか。

松原一成さん
今日は火曜日だから、徹夜の収録の日でしたね。
掲示板は放送局から見られるのかな?

辰巳泰子さん
「フォルテ」なつかしい。石井辰彦さんは、この同人誌、見たことありますか?



[2166] ほむほむがおもしろがるもの! 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/09/11(Tue) 17:52

電脳保安官@処女宮どの! たしかに穂村さんの興味の対象が、サブカルチャー的と言えそうなものに傾いているだろう、とは言えるでしょうね。しかし根本のところに「死」とか「生の一回性」とかいう問題(サブカルチャー的ではまったくない問題)への興味が存在するのもたしかなようで、それをサブカルチャー的な意匠を駆使して表現しようとした努力は、買うべきだと思います。ただ、やっぱり結果として、あの歌集はサブカルチャー的でありすぎるような気がするんですが。

ところで、よいこのみなさん、「噂の真相」10月号の扉のページは、見てはいけませんよ! 私は「よいこ」ではないので、見てしまいましたが。


[2165] はい。すみません。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/11(Tue) 17:41

お天気も回復してきて、やれやれです。

引用について。
自説が展開しやすい作品だけを引きつけるという批評の態度は、看過できないものがありました。もちろん、それで遣りすごしてしまっている批評は、じつに散見されるわけですが、評言は畢竟鮮明さを欠くことになります。
とはいえ、
短歌ビギナーである松原さんにとっては、酷であったかも。

いっしょに舞台をやるんだという一体感があるとはいえ、そこまで「あ・うんの呼吸」を求められるほど、いわゆる親密ではないわけですから、自分の書き込みは誤解を招いてしまうかな、という反省も。

電脳保安官の血液型は、ずううっと昔、「フォルテ」とゆう同人誌をいっしょにやったときに聞いたのを覚えていました。トシわ忘れてた。わたしよりも4歳うえなりのトシの功ですねん。また助けられちった。ありがとう。


[2164] >辰巳泰子さん 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/09/11(Tue) 15:56

ぼくは処女座です。
ちょうどこの時期。
8月下旬に39歳になりました。
それはそれとして、
松原一成さんに個人的に伝えたいことがあるときは、
ご本人に向かってダイレクトにお願いしますね。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[2163] 放送作家の台本 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/11(Tue) 12:09

なんか、いらん。
そんなもん、はじめから求めてない。わたしはプロデューサーではありません。
いったい、どんなものに見られているのかしら?
風雨が凄くなってきた。すごく孤独な気持ちなので、あとはもう、自分のじかんを遣りすごします。止。


[2162] ぱんちぱんちぱーーーんち! 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/11(Tue) 12:00

「放送作家」にしがみついてて、かっこわるい。
放送作家って、
この世にあなた一人なの? 
「松原一成」は、この世にたった一人でしょ。


[2161] 作品引用について 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/11(Tue) 11:20

>松原さん
大橋さんの作品引用については、ご本人にお話しておきますのでご心配なく。
BBSをどこまでメディアとして意識するか、現段階では、まだまだこうしたさじ加減がものをいうと考えます。
まっちゃんはわたしに惚れているから、下の書き込みは、がーんとショックなことだろう!
にゃはは。


[2160] あれ?言ってることがねじれてる 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/11(Tue) 11:00

松原さんが、
「いいと思ったがとらなかった」と発言したのは、確か、別な作品についてだったんじゃ……。

ちなみに、
大橋さんのくだんの作品に点を入れたのは、辰巳一人です。
わたしがもっとも積極的に推したかったのは梅内さんの作品ですけど、もし公式性の強いメディア(例えば総合誌)での発表を控えておられた場合、未発表とはいいきれなくなってしまうので、引用はしませんね。

いいと思わないから、とらない。

とらないときの理由は、ただこの一つであってほしい。
沈黙もまた、批評なのだから。

無理に文脈をつなげようとするのは、「プロの放送作家」のわるい癖?
ここには、あなたの飯の種を取り上げる人はだれもいませんよ。
なんにせよ、
わたしに場当たりなことを言ったか、ここで場当たりなことを言ってるかのどちらかだと思うんですけれど、作品の存在こそが、もっとも曲げてはならない「事実」。
自分の文脈で語るべきだということを勘違いされているように思います。
治らないのね。こういうのはなかなか。(怒)

わたしはやさしいんで、
あなたがわかい人に吠えまくったほどには長台詞を吐くことはしませんが、
短歌をなめるなよ。


[2159] 台風の朝 投稿者:松原一成 投稿日:2001/09/11(Tue) 09:00

>荻原さん

大橋さんの歌、
始まりを予感させる、いい歌だと思います。
ふりかえって、なぜ、とらなかったのだろうと思うと、
歌会の時点では、自分の中に「事実」を前にして
とまどう弱さがあったからのように感じます。
いいと思いながら、比評が難しそうだからと
逃げてしまう行為も、そうですね。
このあたり、照れ屋で、自意識過剰という性格も、
大きく、かんでいるのでしょう。
飲み会で、言うべきことを自分にもぶつけたことで、
正すべきことがクリアになりました。

>石井さん
謎の男とは、また見事な見立てですね。
だいたい、放送作家という職業自体が、謎のものだと思うんです。
その中でも、私は保護色をまとって生きてきたようなところがありましたが、
今は、一表現者として、旗色を鮮明にやっていきたいと思っています。

出かける時間なので、ひとまず、この辺で‥‥。


[2158] ガリ版の匂い。 投稿者:鈴木英子 投稿日:2001/09/11(Tue) 08:25

そんな魅力的な酒場なら、駆けつけただけのつもりが弟のことなど忘れ、
自分が居座ってしまうかも。ミイラ取りがミイラに!!

藤原様。読売新聞拝見しました。杉山隆の歌と、藤原さんの文章でガリ版、
本当に鼻から脳へ匂いが抜けてゆきます。この一点にかけても力ある歌ですね。
そして時代を映す歌。「稚ない野心」がはかなく悲しく、こうして残ることはでも、
強いことですね。続く連載、楽しみにしています。


[2157] A型は大変…… 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/11(Tue) 07:08

オーナーは山羊座A型。電脳保安官はO型(星座忘れた)。謎の男は牡牛座B型。
あと、B型は、いったん行動を決めたら、引かない! しつこい!
それはこのうえなく素敵なことだ、と思う。


[2156] B型人間 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/11(Tue) 06:34

石井さんは双子座B型ですよね! わたしは山羊座B型なんです。
八一は山羊座O型。男女の相性がいちばんいいのは、男性的なO型と、女性的なB型の組み合わせなんだって。
B型の人って、(自分であたってると思うのは、)

照れ屋で自意識過剰
仲間はずれに感じやすい
ほったらかしにされたら、なにやらかすかわからない
行動パターンを読まれやすい
意外に謙虚・意外にデリケート

双子座はここに「機知」が加わるので、まさに天才肌といったところでしょうか。
わたしは山羊座なので、利害重視の現実人間です。歌人は山羊座が多い。

石井さんの、酒場という舞台に、もし八一を加えていただけるなら、
この歌姫は子連れでドサ回り、果てにいきついたこの酒場。歌姫の子どもは思春期の入口で、謎の男に興味しんしんといったところでしょうか。


[2155] こんばんは。 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/09/11(Tue) 02:28

>コバヤシミホさん

どうぞ面白い作戦を練って下さい。
楽しみにしています。

>松原一成さん

> 気にかけてくれる男がいるという事実アイロンを軽く滑らす

という大橋麻衣子さんの詠草、
松原さん自身はどうお感じになったのでしょうか。
ぼくはどうも、それだけでは満たされないんじゃないか、
その「事実」だけで、小さく救われていていいのか、
ほんとはもっと徹底的に満たされたいんじゃないのか、
他人事とは思えない、それじゃあゆるせない、
なんていうきもちが湧きあがってきてしまって、
とれないかも、と思いました。

>石井辰彦さん

お答えどうもありがとうございました。
「メインもサブもないような状況」だとぼくが感じていて、
そこがどうも石井さんとすれちがっているところのようですね。
サブカルチャーという概念そのものが解体しているように思いますが、
それでも石井さんがメイン/サブという対立項を認識しているなら、
「ないような状況」とぼくが言ったところで存在しているわけで、
あらためてそういう意識で石井さんの文章を読んでみます。
あと、穂村弘さんがメイン/サブのバランスをとろうとして
サブに大きく傾いたという件ですけど、あえてメイン/サブで言えば、
従来からメインカルチャーと認識されていた/いるものの中に、
彼が魅力的だと感じるものがあまりなかったのかも知れませんね。
お酒、どうぞほどほどに!

>辰巳泰子さん

> いい作品だと思うけれど、批評するが難しそうだからとらなかった。

名のわからないどなたかを批判してしまうことになりますが、
これは生産性の感じられないコメントだと思います。
たとえ批評ができてもできなくても良いと思う作品をとって、
批評を求められたときにしどろもどろで恥をかいても、
その方が精神が豊かになってゆくのではないでしょうか。
ぜひその人には軌道修正してほしいなと思いました。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[2154] ガラスの動物園 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/09/11(Tue) 00:36

辰巳さんとこの八一くんが『ガラスの動物園』を観るのは、素晴しいことです。そこまでは思いつきませんでした。


[2153] その「人」固有のコンテクスト 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/11(Tue) 00:27

その「人」固有の文脈を持たない批評は、聞きたくないものです。
とにかく、おもしろくないから。

帰属集団のタームの匂いをぷんぷんさせた批評や、
飲み=他人の悪口で盛り上がるような空気を、まんま持ち込まれるのは勘弁よ。

月鞠はいいなあ。ウチの歌会はこんなこんなで、面白くない。

という人が必ずあるけれど、
面白くないのは「ウチの歌会」じゃなくて、あンた自身のパーソナリティーが面白くないから、あンたの行く歌会がつまらなくなるんだよ。

あと、

いい作品だと思うけれど、批評するが難しそうだからとらなかった。

という人が今回いたけれど、
それって、気持ちよく囀れなさそうなのがイヤなのでしょ。
だったら、歌会じゃなくて、カラオケに行って。


[2152] 電脳保安官! 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/09/11(Tue) 00:20

荻原さんが電脳保安官(正義の側の)だとすると、藤原さんは酒場のオーナー(ただし酒は飲めない)、辰巳さんはその酒場の看板歌手(もちろん鉄火肌のお姉さん)、松原さんはその歌手の歌う歌をつくっている謎の男、コバヤシミホさんはデビューをひかえた新進歌手、鈴木英子さんはちょっと無鉄砲な弟の評判を心配して酒場を訪れた姉、ってなところでしょうか。で、私は? もちろん酒場の常連のアル中男です。アルコホリックなのは、ある程度本当ですしね!

で、保安官の職務質問(?)にお答えします。私が「既成歌壇こそが、今や極度にサブカルチャー的である」と書いたのは、言葉が足りなかった感じですが、メインとサブを画然と分けてのことではありません。むしろ、へろへろくんが書いているように(あ、愛読してるのがばれちゃう!)、短歌という詩形そのものがサブカルチャーになっちゃっている、といったような意味だと受けとめてください。あるいは、佐佐木幸綱さんあたりがひろめようとしたアニミズム問題が、文学全体から見たらサブカルチャー的な主張だった、ということとかね。ただし、「メインもサブもないような状況」では、巷も歌壇もないように思います。で、穂村さんの新しい歌集ですが、メインとサブのバランスをとろうとしてサブの方に大きく傾いてしまったように思うんですが、いかがでしょう? 以上、台風の低気圧のせいで(いや、なんてったってアル中なんですから)頭がぼうっとしていて、明晰なお答ができませんでした。御免なさい!


[2151] 事実が好きな女 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/10(Mon) 23:18

わたしは「運命」よりも「事実」を信じるぞ。
絶妙な告白よりも、実際のおデート!
甘い約束よりも、時間を割いて駆けつけてくれる人!
結婚も離婚も、男と女の「結果」ではないよね。昨日に重ねた今日が、結果そのもの。「契約」を甘く見ると、確かに痛い思いはしますけれど。
大橋さんの作品は、装置はドメスティックですけれど、奥の深い話題をまきました。


[2150] 歌会のワンシーンから 投稿者:松原一成 投稿日:2001/09/10(Mon) 19:41

大橋麻衣子さんの詠草

気にかけてくれる男がいるという事実アイロンを軽く滑らす

をめぐって、興味深いシーンがありました。
とった辰巳さんは、「これは<事実>がいい」と。
「どんなに小さなことでも、事実だから、いい。
<事実>でなかったら、とらなかった」と。

次に、とらなかった女性2人に意見を求めたところ、
1人は、「私は<事実>でなかったら、とったかも」
辰巳さんから
「あなたは<事実>より、<直感>の方が好きなんでしょ」とのツッコミが入って、
一同、納得という感じでした。
もう1人は「<事実>と歌っているのが、うそっぽくて」と。
これは、たとえ目の前に<事実>があっても、
自分の希望や都合の方を上に考えられるということでしょうか。

1つの歌が、3人の女性の価値観を図らずも浮かび上がらせた‥‥
リトマス試験紙のような歌でした。


[2149] J 投稿者:松原一成 投稿日:2001/09/10(Mon) 19:24

エロい度診断で「J」であった松原です。

飲み会では、
男として、構成作家として、
羊の皮をすべて脱ぎ捨てて、言うべきことを言ったということです。
私、本性は、おおかみなので。
(動物占いではコアラでしたが)

>石井さん
「ガラスの動物園」のチケットを3枚とりました。
今月下旬に辰巳さんと八一君をエスコートして、観に行ってきます。


[2148] とどめ刺しちゃう。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/10(Mon) 15:55

7・1朗読バトルを乗り越えて、松原・内山両氏と、辰巳のハートのつながりを感じられれば、わたしがどれだけ裏方の「できる」人材を評価するかが、わかるはず。わたしの裏方を軽んずる人は、許さないよ。


[2147] 歌会のあとでふと湧いた疑問 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/10(Mon) 15:40

それにしても、どうしてあのとき、彼は、
プロの放送作家である松原さんに、
「失礼なことを申し上げて、すみませんでした」
という一言がいえなかったんだろう。森本さんにも、たしなめられていたというのに。
カッコわるくなるから、言い返せない。そう話していたけれど、
その、思っていて言い返せないことのなかに、
そういうあたりまえのお詫びの気持ちは含まれていたのだろうか????
「いい台本、書かなきゃね」と、松原さんと森本さんの会話に、割ってはいった。
わたしは、松原さんの態度は立派だったと思う。愛を感じた。


[2146] ハートな書き込み 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/10(Mon) 13:21

電脳保安官さま、お許しを☆


[2145] 月鞠歌会こぼれ話 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/10(Mon) 12:57

断続して雨の降る一日でした。
歌会の後は、三鷹は八幡大神社の秋祭りへ直行。辰巳は子連れです。
八一が言い出した飲み会の余興は、
射的で当てたミニミニトランプで「エロい度診断」をしようというもの。
「さあさあ、皆さん目をつぶって」
一人残らず、やらされました。
裏返されたカードの最低位はエース。すべてハート。
斥候は月岡道晴くんで、「10」。
松原一成さんが「J」、内山晶太くんは「2」で、あ・当たってるんとちがう?
石川美南さんは、なんと最高位の「K」。
辰巳は絵札を引いたら、高島・月岡両氏の要請で得意の?体位を答えなきゃいけない。で、「9」でした。
まあそんなところでしょう。好きなほう、ということで。(笑)
しんがりは、
森本平さんの「5」。
「おれ、もうちょっとありますよ」

たっぷりの大根おろしがつきだしの、湯葉豆腐と串焼きの旨い店なのでした。


[2144] スキャンダラスな歌会 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/10(Mon) 11:16

01年9・9月鞠歌会のご報告。

辰巳の詠草

海の名のたくさんの痣 お月さんの痣に溺れてゆくやうな眠り
 
歌会後の飲み会では、
松原一成さんが、言うべきことで、しかも言いたいことを、シンプルにかつ徹底的に述べていた。松原さんのワンマンショーでした。
旗色がはっきりすると、周囲が態度を決める。
森本平さんに、スペシャル・サンクス。

ちなみに、
藤原龍一郎さんが朗読を初体験なさったのは、00年9・9月鞠歌会でした。


[2143] 吉本も観ました。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/10(Mon) 11:01

ひっさつ。カニばさみー。(池乃めだか)


[2142] むかし、関西在住の中学生は 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/09/10(Mon) 07:55

辰巳泰子さんが、ちょっと前に書いていらしたように、土曜日に学校から帰って来たら
一時からの角座中継で松竹芸能の漫才をみて(ここは月一回、中座からの松竹新喜劇中継)
二時からは、難波花月からの吉本新喜劇の中継を見るのが定番だった。

昭和40年代は、松竹芸能の全盛時代で、角座中継には、いとし、こいし、かしまし娘
フラワーショー、お浜、小浜、宮川左近ショー、紳、ハワイ、はんじ、けんじ
柳次、柳太、ラッパ、日佐丸、ダイマル、ラケツトなどなど枚挙にいとまがないほど
実力派の芸人さんがそろっていた。

吉本の方は、漫才は手薄で、せいぜい、洋介、規汰代くらい。
吉本新喜劇は、花紀京、原哲男、岡八郎らが座長格で、船場太郎、坂田利夫、前田五郎ら
の中堅、間寛平や木村進は新人だった。

むかしはよかったなあ、というお話でした。


[2141] Re[2129] 荻原さま。 投稿者:コバヤシミホ 投稿日:2001/09/10(Mon) 01:57

おっしゃるとおりですね。
作戦を練ってみます。


[2140] こんばんは。 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/09/09(Sun) 23:55

>鈴木英子さん

このBBSの運営にあたたかいご理解をいただいているようで、
たいへんにうれしいです。どうもありがとうございます。
電脳國學院短歌のコメント、拝見いたしました。
想いと想いが微妙に逸れている印象を持ちましたが、
それぞれの想いがきちんとしたものであれば、いずれ
必ず有意義なものへと発展してゆくと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

>石井辰彦さん

質問の件、慌てているわけではないので、
ご自身のペースで、都合のつくときで構いません。
ぼくも、返信はできるときとできないときがあって、
反応速度にはどうしてもむらが出てしまいます。
どうぞよろしくお願いします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[2139] Ariane Mnouchkine 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/09/09(Sun) 15:33

下の書込み、アリアーヌさんの苗字はもちろん、ムヌーシュキンが正しいのです。


[2138] ちょっと虚脱状態! 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/09/09(Sun) 15:10

昨夜、新国立劇場中劇場で、待望の初来日を果した太陽劇団の『堤防の上の鼓手 Tambours sur la digue』(エレーヌ・シクスー作、ジャン=ジャック・ルメートル音楽、アリアーヌ・ムンーシュキン演出)を観ました。あまりのことに、まだ茫然自失に近い状態。今日の私は、明らかに昨日とはちょっと違う世界に生きています。ああ!

というわけで、荻原裕幸@管理人さんの御質問にお答するのは、すこし先延ばしさせてください。きちんと考えを整理してからにしたいと思います。それにしても、冗談ではなく、「電脳保安官」というのはいいなあ! 荻原さんはもちろん、「いい者」の方の保安官です。

鈴木英子さんって、後輩思いの方なんですね。國學院大学短歌会は、鈴木さんみたいな先輩を持てたことを、幸運だと思わなくっちゃね! 考えてみれば誰だって、若い時は突っ張っているのかもしれません。私も、塚本邦雄さんや中井英夫さんに相当嫌な思いをさせたはずです。


[2137] お騒がせして。 投稿者:鈴木英子 投稿日:2001/09/09(Sun) 09:34

もう蒸し返すようになっても、と思ったのですが、この度はお騒がせして
淋しい思いでおります。良い形の終わりには多分もうならないと思いますので、
ここをご不快にさせてしまったかも知れないお詫びを。藤原さんのBBSなのに。
ごめんなさい。それからあちらで「石井さん」と連呼(連記?)しましたが、
お初にお目にかかります。
血まみれで生(うま)れしうへは血まみれで死ぬとも 海に降る冬の星  石井辰彦
とても好きでいました。
辰巳さんには心を揺さぶられる言葉を、感謝しています。辰巳さんの言葉は、
「ちちねこものがたり」に顕著だったと思うのですが、表記されていても「耳に
残る言葉」です。
荻原さんにもほとんどお初に、という感じですが、行き先案内を入れていただいて
お手数をおかけしました。荻原さんの管理人としてのご対応は洗練されていてゆたかで
私、同じ年の生まれなのですが、時々あたまをコツンとされてしまいます。
期待したり、気にして下さっていたり、あったかいのにね。以上の皆様、並びに
成り行きを見守ってくださっていた方々、ありがとうございました。


[2136] もっともっとわかい人の話 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/09(Sun) 03:37

さいきん、午後10時ごろにグースカ寝てしまい、今ごろ起きて仕事にはいります。
わたしが眠っている間に、てんご(いたずら)するのが板についた息子。
勝手に夜食を用意して、深夜番組を見ている。たまに、流しがピカピカだったりすることもあるけれど。勝手に動かれることより、ジャムの蓋が開きっぱなしなことに腹の立つわたし。好きにしといて、後始末をしないのに怒り心頭。
もう反抗期なので、頭ごなしにいうとウマくない。
何時までにどんなことをやればよいか、考えさせ、タイムテーブルをつくらせます。
命令されると尋常でなく反発し、自分で決めたことだと、一所懸命守る性格。
それでも、親に「うるさい」と言ったら、強権発動に出ますよ。


[2135] 時代遅れ 投稿者:松原一成 投稿日:2001/09/08(Sat) 21:20

明日、月鞠の歌会に差し入れする梨は二十世紀です。
2001年になっても二十世紀。
こう書くと、時代遅れの果実のようですね。

「時代遅れ」と言えば‥‥
河島英吾(漢字あってるかな?)の「時代遅れ」は、好きな歌です。
(照れくさいので、カラオケで歌ったことはないけど)

掲示板を見たり、
専門学校で「お笑い」の講義をしたりして、よく思うのですが、
勘違いしたり、増長したり、他人を軽んじることで大きく見せたり‥‥
若者がこぞってとる、このような態度が、今風だと言うのなら、
私は時代遅れの人間でいたいですね。


[2134] おにぎりと梨 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/08(Sat) 20:08

>藤原さん
では、この鰻を焼いていたのはだれ?男所帯で、手分けしたのかなあ。
と思うとまた、拡がりが……。わたしのほうこそ、知識不足でごめんなさいです。思わず藤原さん家の食卓に重なってしまいました。「東京式」には、それだけのリアリティがあったということ。少なからず、衝撃を受けた歌集でした。

>石川美南さん
個人的な保存、大感激です。もう改稿してしまい、じぶんで残していないので、将来値打ちがでるくらいがんばりたいものです。それにしても、石川さんはよくがんばってたよね。明日は月鞠歌会だ。会えるのたのしみです。
茸ととんぶりの炊き込みご飯と、イクラのおにぎり、作ってきます。あと、松原さんがご実家の鳥取から梨の差し入れをしてくださいます。
参加がはっきりしているのは、石川さんのほかに、梅内美華子、松原一成、内山晶太、高島裕、佐藤元紀、大橋麻衣子(大阪から)。敬称略。
あと、森本平さん、月岡道晴くんからも詠草が出ています。今回は案内を出しそびれた人が多くあって、昨日気づいた次第。申し訳なく。
二ヶ月に一回くらいの歌会です。
参加してみたい人は、辰巳自宅までお申し込みください。(年鑑参照)


[2133] 鰻を食べる食卓 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/09/08(Sat) 19:39

私が散歩をしている間に電脳保安官の荻原裕幸さんが、たくさんのレスを
つけていただきました。ありがとうございます。


兄帰り我も帰りてうちそろひ夕餉食しけり鰻を焼きて/徳田白楊

ところで、この歌、昭和4年の歌で、白楊はすでに肋膜炎を発病しているのですね。
だから、深読みすると、「我も帰りて」というのは、入院中の病院から
兄の帰省にあわせて、一時帰宅したということではないかと思うわけです。
それで、この時点で母親はすでに亡くなっています。
だから、たぶん、男だけの食卓で、少しでも精をつけようとして鰻を食べている
ということなのかなあ、と思うと、辰巳泰子さんが書いたように「やるせない」と
思うわけです。
まわりくどくて、ごめん。


[2132] >石井辰彦さん 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/09/08(Sat) 16:03

「現代詩手帖」9月号の「これはもう、戦略的よ、戦略的」について。
文章の根本のところで、よくわからない部分があったのですが、
石井さんは、既成歌壇が今や極度にサブカルチャー的、
という書き方をされていて、そこから類推するに、
石井さんは、既成歌壇をも含んだ「巷」では、
メインカルチャーとサブカルチャーの分類が
厳然となされているかのごとき感覚をもっているように見えます。
しかし「巷」はメインもサブもないような状況ではないでしょうか。
『シンジケート』の穂村弘が「サブカルチャー的」と評されるのは、
時代的に考えて、これはぼくにもよくわかるのです。ただ、
『手紙魔まみ、〜』は、メインもサブも境界のなくなっている混沌から、
ある種の「面白さ」を掴み出そうとする模索の意識によるもので、
石井さんの提示したメイン/サブの対立といったコンテクストの
あきらかに「外」にある作品集ではないかと思うのですが……。
この点、いかがお考えでしょうか?

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[2131] そう言えば、 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/09/08(Sat) 15:29

たしか、少し前に、辰巳泰子さんが、
過去の書きこみが自動削除されているはず、
というようなことを書かれていたかと思いますが、
このBBSの書きこみは、意識的に削除するか、
あるいはサーバがとんでしまわないかぎり、
全コメントが過去ログとして保存されてゆきます。
100件はアクティブなログとして、
それ以前のものは、タイトル下の[過去ログ]
http://www.imagenet.co.jp/~ss/com/ryufuji/tanka2.cgi
というリンクからすべてたどって読めますよ。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[2130] Re[2128]: 久しぶりに覗いてみたら 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/09/08(Sat) 15:22

>石川美南さん

> ログは吹き飛んでしまいました

そうですか。残念です。
もとより保存を予定してなかったようなので、
それも一つの選択、ということなのですね。
3号、他、動きがあればまたお知らせ下さい。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[2129] Re[2124]: 荻原さま。 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/09/08(Sat) 15:14

>コバヤシミホさん

> まさにどきどきの日々です。
> でも、いま私にできることはなにもない…

本づくりは本づくりのアンカーに任せるとして、
歌集『フラワーフレーク』をめぐっての自己PRを
さまざまにおこなってみてはいかがでしょうか。(^^)

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[2128] 久しぶりに覗いてみたら 投稿者:石川美南 投稿日:2001/09/08(Sat) 12:14

パンチマンの名前があってびっくりしました。簡潔に。

辰己泰子さんがパンチマンのBBSに自主的に連載してくださっていた
「恐山桃色紀行」および「父ねこものがたり」は、いうまでもなく内容の濃いものであり、
またBBSで次々更新されていくという形式にも新鮮な感動がありました。
一読者として、あれは得難い良い機会であったと思っています。

荻原さんのおっしゃるとおり、HPが消滅した現時点で
「内容」ではなく「負のイメージ」のみが先行するとすれば
明らかにそれはHPの(あるいはHPでのコミュニケーションの)失敗です。
その点大変残念に思っています。
ログは吹き飛んでしまいました(ただし四角いジャングル!掲示板の内容と
BBSTでの辰己さんおよび石井輝馬さんの連載部分はコピーして、
石川美南個人用として保管させていただいてあります)が、
もし今の時点でご意見ご批判等ありましたら、今後の個々の活動に
還元させていただきたいので、教えていただけたらと思います。

ちなみに、現在パンチマン3号は校正段階、四角いジャングル!総集編も
編集中です。ちょっと人が足りなくて時間がかかっていますが
完成後はぜひ読んでくださいね。>皆様


[2127] 鰻の焼ける匂い 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/08(Sat) 11:28

漂ってきますね。
もし、「我帰り兄も帰りて」と、語順が逆だったら、うきうき待っていたほうが「我」になるけれど、掲出歌は、「兄」のほうが先に帰っている。
むかしの「兄」には、長子の威厳がありましたね。
今で言えば、いつも忙しいお父さんが、母さんが鰻を焼くからと早く帰って新聞なんか読んでる。子どもは、いつもと違う風景を「おや」と思いつつ、何かかけがえのない時間に感じる。
そういう瞬間を想像すればいいのでしょう。
そういえば、藤原さんは長男でいらっしゃいますね。


[2126] 食欲の出る歌 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/09/08(Sat) 08:51

辰巳泰子さん
>食事には、そのとき過ごした時間がぎゅっと込められているようで、やるせない。

たしかにそのとおり。
さっき『徳田白楊歌集』を読んでいたら、こんな歌があった。

・兄帰り我も帰りてうちそろひ夕餉食しけり鰻を焼きて

これなんか、久々に一家そろって食事をするので、御馳走の鰻を食べる、という
うきうきした心理が良く出ている。
読者としても、鰻が食べたくなる。食欲の出る歌だ。


[2125] 食欲の秋ですね! 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/08(Sat) 08:01

筋子を買ってきました。冷蔵庫で、イクラの醤油漬けができつつあります。
鯖にもあぶらがのる季節ですね。〆鯖、鯖の棒鮨、どっちもやってみたら簡単でいいですよ。冷蔵庫にはいれないで、思いきって常温で寝かすのか、旨くするコツです。
七月には、活けの泥鰌を買ってきて、家で柳川をしました。
お酒のなかに放ったら、びちびちもがいてすごかった。
土鍋を使い、蓋をせず調理しましたが、やはり、ちょっと生臭かったね。

肉には季節がないのが残念。

落とされし鯖のあたまを包むのは立秋の日付の新聞紙
                     「アトム・ハート・マザー」

食事には、そのとき過ごした時間がぎゅっと込められているようで、やるせない。
でも、季節が巡るように、おなじ料理を、また違った人や場で分かつことができるのは、限りない慰藉であります。


[2124] 荻原さま。 投稿者:コバヤシミホ 投稿日:2001/09/08(Sat) 00:08

まさにどきどきの日々です。
でも、いま私にできることはなにもない…


[2123] 読売新聞日曜版 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/09/07(Fri) 19:18

ちょっと宣伝です。
読売新聞日曜版の詩歌欄に、あさって9月9日発行のものから7回にわたって
「うたの光、うたの翳」と題した短文を連載します。
おもに、志なかばにして倒れた歌人の作品を紹介するつもりです。
機会がありましたら、ぜひ、お読みください。


[2122] 【歌葉】サイト 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/09/07(Fri) 17:55

http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/
の「今月の歌」「現代短歌の世界」が更新されています。
コラムの執筆者はともに穂村弘さんです。

「今月の歌」
http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/month/index0109.asp
では、勝野かおりさんの一首が扱われています。
「現代短歌の世界」
http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/gendai/index0109.asp
は、「あるいはいもうとのひとりごと」というタイトルの
現代短歌に見られる「妹」をめぐる小エッセイです。
ぜひご覧下さい。

なお、企画「貴方のとっておきの歌」
http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/open/kikaku2.html
は、9月30日まで募集しております。
こちらもぜひ。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[2121] そろそろ秋シリーズの脚色に 投稿者:松原一成 投稿日:2001/09/07(Fri) 14:15

いろいろ用事があって、二十数時間ぶりにここへやってきました。
秋のラジオ・ドラマに、そろそろかからなければなりません。

>石井さん
はい。辰巳さんをしっかりエスコートしてきます。
で、エスコートを辞書で引くと、護衛ですが、
辰巳さんは、石井さんを救出するほどの人。
絶対、私より強いと思うのですが、
まぁ、今回、ナイトの役は、私に譲ってもらうということで‥‥。


[2120] 松竹新喜劇、それから…… 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/07(Fri) 12:38

子どものころ、じいちゃんが松竹新喜劇が大好きで、土曜日の午後は、よくいっしょにテレビ観ました。あの、泣いたり笑ったりという空気感は、なんともいえません。ランドセルを置き、耳が遠く目もわるい祖父と二人で観たことも、事件が起こっているのはテレビのなかの虚構の世界なのに、ブラウン管のこちら側にもドラマがあるようで、奇妙に満ち足りた気持ちになったものです。
松原さんは、小説を脚本化した(濃い)ラジオ・ドラマのほかに、お笑い系が得意ジャンルでいらっしゃる。

あと、じつは、洋もの(シェイクスピア)で、とある企画が進行中。
発表媒体は、「月鞠」です。第五号の版下入稿が今月下旬には完了するので、それから本格的に始動させていただきますね。むほ。
トリプル龍ちゃんなのだ!(ヒント)


[2119] 石井辰彦様へ 投稿者:松本洋一 投稿日:2001/09/06(Thu) 21:51

フォルカー・シュレンドルフ監督の「スワンの恋」では、シャルリュス男爵を、ほかならぬアラン・ドロンが演っていましたね。なんとまあ老けてしまって、という感想を持ちましたが。フランス文学的な、微分的心理描写を、ドイツ人が監督をやると、えらく明晰になってしまって、なんとまあ味気ないことよ、と思いました。
ヴィスコンティ監督のキャスティングで演るとしたら、ギャラだけで、破産してしまったでしょう。
 いまからでは、決して観ることのできない「夢の映画」ですよね。
 あ、これでは同義反復か。


[2118] 辰巳泰子様 投稿者:松本洋一 投稿日:2001/09/06(Thu) 21:32

冬野由布ヘの、お見舞いの花束、確かに受け取りました。今日ダウンロード-プリントアウトして、本人に手渡しておきました。ありがとうございます。
冬野がよろしくとのことでした。


[2117] ほんとにカッコよかったし。 投稿者:鈴木英子 投稿日:2001/09/06(Thu) 17:35

石井さんも辰巳さんも、何にでも誰にでも全力で向かっていらして、表立っては
発言していなくても、ありがたがっているひと、たくさんいますよ。多分、きっと。
辰巳さん、(これも私が言うのも神保君も迷惑かも知れないけど)短研へありがとう
ございます。辰巳さんが常々「愛されてきた」と発言されていることに、私はとても
信頼感をいだいてきたし、それがひとに全力で向かう(なんてすてきなお節介!)ことの
源になっているんだろうなあと思ってきました。
神保君の発言も、みなが私のように「・・・」で見過ごしたら、すてきなお節介を
やくひとがいなかったら、彼自身振り返ることもきっとなく終わったでしょう。
今、神保君がどう感じているかはともかく、貴重な書き込み、ありがとうございます。


[2116] シャルリュス男爵! 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/09/06(Thu) 17:21

ヴィスコンティ監督の映画では、シャルリュス男爵は、マーロン・ブランドかサー・ローレンス・オリヴィエが演じる予定になっていました。ちなみに、ゲルマント公爵夫人はシルヴァーナ・マンガーノ、モレルはヘルムート・バーガー、アルベルチーヌはシャーロット・ランプリング、私(マルセル)はアラン・ドロン、という配役。実現していれば凄かったでしょうね!


[2115] うれしくおもはゆい。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/06(Thu) 16:28

カッコいいと言われて、赤面中です。
鈴木さん、後輩思いで、短研の人々幸せです。のぞいて書き込んできました。わたしってば、ようはおせっかいなヤツ。おせっかいでなにがわるいー。たまにはありがたがられる。


[2114] 短研に動きがあるようで。 投稿者:鈴木英子 投稿日:2001/09/06(Thu) 14:39

すみません。私が口をだすことじゃないし、それぞれでやっていることだから、
OBだということも何の意味もないのですが、それでも気にはなっていました。
國學院短歌。
私自身、今までに「えっ」とか「・・・」という思いにかられたことがあったの
ですが、こちらにはそれを言い出して反論なりをもらって、機を逃さずに答えて、
という時間も体力もないので、言い出して返せずに終わるのが(自分で種をまいても
収穫できないということ)いやだったので、黙っておりました。
今回のこともそうです。
やはり短研出身の友人には「もう、知らないでいればいいのに・・。」と
ぶつぶつ言われながらおりました。でも、今いる人々がどうであろうと、
私は短研にいた、ということに愛着をもっています。神保君のその後の書き込みが
ありますので(ちょっとわかりにくいところもありますが)、折角生還されたのに
とは思いますが、良かったら立ち寄って下さい。


[2113] 演劇掲示板になってきました 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/09/06(Thu) 12:51

石井辰彦さん、生還されて何よりです。
「るしおる」まだ、手に入れてないんです。今日こそはなんとかします。
私は同じ演劇といっても、現在は松竹新喜劇関係の本ばかり読んでいます。
俄から発生した大衆演劇が近代化していく過程は興味深いものがあります。

コバヤシミホさんは、もと演劇人でしたね。
『フラワーフレーク』の完成、楽しみにしています。


[2112] 救出されて! 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/09/06(Thu) 12:39

國學院短歌会の掲示板から、辰巳さんに救出されて帰って参りました。まるで、ヴェルデュラン夫人の夜会(だったかなあ? ソワレでなく、マチネだったかも)からナポリ女王に救出されたシャルリュス男爵みたいに! なんて、プルーストを引き合いに出すのも、おじさんっぽいかもしれませんね。でも、辰巳さんはナポリ女王みたいにかっこいい! ヴィスコンティが監督するはずだった映画では、ナポリ女王はグレタ・ガルボが演じる予定でした。

そうそう、『ガラスの動物園』は、まさに辰巳さんにこそ観てほしい舞台です。テネシー・ウィリアムズの描く濃密なアメリカ南部(『ガラスの動物園』では、セントルイスに暮らす南部出身の家族が描かれているわけですが)は、辰巳さんのあの十三や大阪近辺の、ほとんど隣にあるように思われるからです。妄想に捉えられたり情念に縛られたりしている、強烈な個性を持った女性たちも、辰巳さんの書かれるものにつながったところに存在しているように思われますしね。松原さん、エスコートをよろしく!

私としては、今回の『ガラスの動物園』、あの装置に立って、あの客席に向かい、自作の短歌を朗読してみたい、という欲望を強く感じました。辰巳さんもそう感じられるのではないでしょうか?


[2111] なごみたいですね。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/09/06(Thu) 05:22

パンチマンのBBSには、小説一本、擬古文体の紀行文を一本、それぞれ原稿用紙で40枚程度の寄稿をしました。BBSでまとまった作品を発表するというスタイルは、辰巳泰子が元祖と思っております。
依頼原稿ではありませんでしたが、石井辰彦の参加も合わせれば、読者を得るという点では、相当なメリットがあったはず。
そのうえで、
ログでの確認が不能になった現在、
「傷つきやすい大人たち」や「醜いおじさん・おばさん」が、もし特定の人物を指しているという認識を、一方的に、一般読者に与えるとしたら、失礼を通り越して、名誉毀損として、根深いといわざるを得ないでしょうね。
20歳を過ぎて、自分が子どもだという認識にも驚かされますが、発言にはすでに責任が発生します。
お子様方の将来のために、
わたしは自分のことだという受け取りはしないでいようと思っています。
なんちて。
朝っぱらから物騒やね!


[2110] Re[2104]: 傷つきやすい大人たち! 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/09/06(Thu) 02:13

>石井辰彦さん

> 國學院大学短歌会の掲示板で、解散したパンチマンがらみで、
> 傷つきやすい大人たち、とか、醜いおじさんおばさん、
> とか言われている歌人の中には、当然私も含まれているんでしょうね。
> もちろん、辰巳さんも! やれやれ、です。

これは、
http://www68.tcup.com/6818/tanken.html
での発言のことですね。
パンチマンのウェブの管理者は、
議論をログごと消してしまったようなので、
もはや議論のつづきは無理そうですが、
ログを超えて負の印象だけが残るというのは
あまり好ましい状態とは思われませんね。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[2109] Re[2108]: ずっと前アンケートに答えて下さったみなさま。 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/09/06(Thu) 02:01

>コバヤシミホさん

> 昨日、ファースト歌集『フラワーフレーク〜FLOWER FRAKES』を
> やっとの思いで入稿しました。
> 現在、編集部の返事待ちです。

そうですか。いまいちばん
わくわくどきどきする時期でしょうか。
素敵なできあがりになるといいですね。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[2108] ずっと前アンケートに答えて下さったみなさま。 投稿者:コバヤシミホ 投稿日:2001/09/06(Thu) 01:43

藤原さま。荻原さま。
昨日、ファースト歌集『フラワーフレーク〜FLOWER FRAKES』を
やっとの思いで入稿しました。
現在、編集部の返事待ちです。
年内に出来上がるといいなあ、という希望的観測。

今日は、私の古巣の『リリパット・アーミー』の芝居を
観て来ました。
私がスタッフだった頃とはいろいろ変わってしまったけれど
芝居は日々変わっていくものですから。
大阪は、近鉄小劇場で9日、日曜日までです。