[1657] いや。消えたとは……。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/22(Sun) 18:31

パンチマンや、加藤千恵さんや、玲はる名さん。
これら、現在進行形であることが明白な方たちよりも、岡しのぶのポテンシャルはずっと高いです。少なくとも、辰巳はそう思っています。
だから、「北海道から出てこい!」と口説いたわけです。

まだ23歳で、消えたと言われたら、それは残酷すぎる。
家庭に入って一時中断をするのは、多くの女性歌人が経験していること。
それに、再評価される機運にめぐまれるときだって、きっとある。
わかい人に対しては、長いスパンで、厳しく接するのがいいと考えます。
こんなに、年寄り?の体力消耗することはないんですが……。

ただ、こっちは長いスパンで観ようとしているのに、彼らは「今」しか考えることができないし、「本気」の意味も頭でしかとらえられないし、テンポを合わせてもらっててもわかんないし、なんといっても根拠のない自信に支えられていますから、藤原さんがいうような、「廉恥」のあるほうが場を譲ってしまいます。
でもだからって、あきらめてたら、わたしがもらってきた愛情をだれにも返せないことになる。少しずつでも、返してくるヤツはいるし、離れたかに見えて戻ってくるヤツもいるし、結局わたし自身がしっかりやることやってないと、いけないということなんだろう。
で、だれか岡さんの作品、紹介してあげてください。
だって、生まれてきた子どもとおんなじように、それはこの世に「存在」しちゃったものなんだからさ!!

第一回月鞠歌会の岡さんの詠草は、

左手の愛撫に醒めてゆく夜半あなたの妻のきき手と気づき
口論に疲れて眠る朝焼けにひらきすぎてる花束抱いて

です。


[1656] キエテイタイヒトダッテイルカラ ホウッテオイテアゲヨウヨ   投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/22(Sun) 17:55


人を感動させるかのやうな作品を
忘れてもつくつてはならない。
それは芸術家のすることではない。
少なくとも、すぐれた芸術家の。

(略)

他人のまねをしても、盗んでも、
下手でも、上手でもかまはないが、
死んだあとで掘出され騒がれる
恥だから、そんなヘマだけするな。

(略)                  

               金子光晴


[1655] なるほど、ね! 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/07/22(Sun) 17:03

辰巳さん、御教示恐縮です。なるほど、よくわかりました。もう作品を読む必要は、なさそうですね。多分、岡さんという人にとって、そういうデビューの仕方は不幸なことだったのでしょう。

今、TVで、ローザンヌのバレエ・コンペティション(今年は久し振りに、スペインのハイメ・ガルシア・カスティーリャがグランプリを獲得しました。五年間、グランプリはでていなかったのです)のファイナルの中継(再放送)を見ながら、これを書いています。十五、六歳の男の子と女の子合計15人が、クラシックとコンテンポラリーを一回ずつ含む三つのヴァリエーションを踊って、厳しく審査されています。技術や表現力ばかりか身体性やプログラミングまで、とんでもなく高い水準で審査されるんですよ。なんだか、歌人として、羨ましくなってきます。もちろん、バレエと短歌を一緒くたにはできませんが、若い歌人は、もっと厳しい評価をくぐるべきなのではないでしょうか。今の短歌の各種新人賞がローザンヌほどの厳しい基準で選考されているかどうか、はなはだ疑問ですし、まして岡しのぶさんみたいにぱーっとでてくる新人が、そういう基準を満たしているとは到底思えませんからね。

ローザンヌでは、クラシックとコンテンポラリー、それにもうひとつ、自由に選んだヴァリエーション(クラシックかコンテンポラリー、どちらかになります)を踊らなければなりません。ダンサーとしてやってゆくためには、クラシックもコンテンポラリーも踊れる必要があるからです。クラシックの素養がなければコンテンポラリーを踊って深みを出すことができないでしょうし、コンテンポラリーの心得がなければクラシックを踊って現代人を真に感動させることはできないでしょうからね。少なくともこれからの歌人は、文語と口語と、両方を自在に操って短歌をつくる必要があります。歌人としてデビューしようとする若い世代は、口語の短歌と文語の短歌と、両方に技術や才能を示す必要があるのではないでしょうか? 口語でなければ(あるいは文語でなければ)短歌を書けない歌人なんて、コンテンポラリーしか(あるいはクラシックしか)踊れないダンサーみたいなもので、本当はコンペティションに出る資格すらないのです。私たち歌人は、作品を発表するたびにコンペティションに出場しているみたいなものなのですよね!


[1654] 岡さんに失礼を承知で 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/22(Sun) 16:06

紹介記事を書くとすると、
北海道の、ちょっとエッチな俵万智さんです。
歌集は「もし君と結ばれなければ」一冊です。
ネスコから出版。
文藝春秋の編集者に見いだされ、就職もマスコミ関係。マスコミ人とご結婚です。
歌集当時は、まだ十代。(今は23歳くらい)
印象としては、こーんなわかい女の子が、あーんなことやこーんなことを、しちゃった!!という作品です。
つまり、「フライデー」で取りあげられる歌人です。
感性は鋭い。
いいうたもあります。
そのへんのごろつきではなかったと思うよ。
衝撃とまでいかないけれど、
おっ、と思わせるものはじゅうぶんにお持ちです。(でした?)
だから、歌会にお声をかけました。

さらに、岡さん本人の言葉を借りれば、
「スカートの中をのぞかれているような騒ぎ方をされたのがいやでした」
それについて私が返したのは、
「そういう騒ぎ方を生み出したのは、他ならぬあなた自身の作品。作者であるあなたは受け止めるべきでしょ」
で、格調うんぬんに続くわけです。

なかでもよい作品を
引用してさしあげたいが、歌集が手元にないのでどなたかよろしく。

それから、おそらく北海道の歌壇というのは、中城ふみ子以来、ある種のロマンチシズムを背負った特殊世間である可能性が高いので、彼女を「歌壇的」に評価するのであれば、そういうことも加味して眺めないといけないでしょう。
しかし、岡さんが歌人として育ったきた水は、歌壇の水ではないことは確かです。

間違ってたら、どなたかご訂正を。


[1653] 岡しのぶ、って? 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/07/22(Sun) 12:22

歌人をはじめとする短歌関係者の世界(歌壇、と呼ぶべきでしょうか?)とある程度の密度でかかわるようになったのが、わりと最近のこと(1992年に短歌同人誌「円卓」に参加した頃から1995年に岡井隆さんの『現代百人一首』を編集した頃あたりですからね!)だからでしょうか、岡しのぶさんを知りません。辰巳さんの書かれているエピソードは、さすがに岡さんという方の横顔を鋭くとらえているように感じられるんですが。どんな歌人で、どんな作品を発表していたのか、ちょっと興味がわいてきました。どなたか、御教示を!

なんて、もしかしたら歌人としてはみっともない質問を、しているのかもしれませんね。


[1652] ありがとうございます 投稿者:塩谷風月 投稿日:2001/07/22(Sun) 10:43

藤原龍一郎様。

批評の件は、もう、引き受けて頂いただけでも、信じられないような幸せです。
同時に、未だかつてないほどの試験前夜のように、緊張しておりますが。

本当に、ありがとうございます。

よろしくお願い申し上げます。

筆名の件については、近日中に別途個人メールにて、お返事させて頂きます。

http://www1.mahoroba.ne.jp/~shiotani


[1651] 早朝のつぶやき 投稿者:松木 秀 投稿日:2001/07/22(Sun) 04:41

>短歌は、やっぱり書き続けるものです。
>また、格調がないといけないものだとわたしは思います。
>そして、定型を窮屈な場所にしないということ。

このような、当たり前といえば当たり前、しかし誰も正面きって言わないような
ことをあっさり言えてしまう辰巳さんに、改めて畏敬の念を抱いた日曜の早朝。

http://www2.diary.ne.jp/user/86872/


[1650] わたしこそ。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/22(Sun) 02:17

反省会では、わたしこそお世話になりました。
本当に、ありがとうございます。
藤原さんは、自己主張なさっているときがいちばん素敵です。
ほんとうに、あの晩はたのしかったです!


[1649] 岡しのぶさんのうわさ話 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/22(Sun) 02:10

じつは、第一回の月鞠歌会に、わざわざ北海道から来てくれたんですよ。
しかし、彼女はがっかりしたかもしれません。
そのとき、すでに彼女は短歌を作らなくなっていたけれども、
これまで彼女を取り巻いてきたのは、もっとはなやかな世界であったろうし、そういう水の味を知り、かつ忘れずにいる人のにおいがしました。

短歌は、やっぱり書き続けるものです。
また、格調がないといけないものだとわたしは思います。
粘膜で口づけしても、魔羅であそんでも、それは格調を卑しめないと思うよ。
なんというか、人間存在を、卑しめないということなんだ。
格調というのは。
そして、定型を窮屈な場所にしないということ。
エッチで、そのくせ窮屈そうな短歌、よく見かけます。自分を小さくしてるような短歌。書いてあることがエロいだけで。

岡さん。格調は必要だと思うよ。
と言うと、
ちょっときっとした目で、
不倫のうたとか、作っちゃいけないってことなんですか?
と言い返されてしまいました。
うーん。
せっかく遠路来ていただいたのに、
うまく伝えられなくて。
ただ、その場にいただれも、彼女を特別扱いはしなかったよ。

で、「紅い花」お貸したら、読まれずに戻ってきました。
読まないうちに、紛失しそうになった旨を添えられて。
ぎゃっふーん。


[1648] ええ、そんな。 投稿者:加藤 千恵 投稿日:2001/07/22(Sun) 00:55


> 金谷ヒデユキもプラスドライバーもブーマーも、フジワラのおじさんは知り合いだよ。

卒倒しそうです。う、うらやましい。
お笑いライブ、行きたい!!

ハッピーアイスクリーム、
すごくいい歌集になると自負しています。
早くお届けしたいです。

岡しのぶさん、結婚したんですか?
短歌は作ってないんですか?
友だちの家の喫茶店でバイトしていたそうです。旭川は狭い。

岡しのぶ、わりと、というかかなり、好きです。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/6174/index2.html


[1647] 岡しのぶ 投稿者:松木 秀 投稿日:2001/07/22(Sun) 00:11

そういえば、彼女はもう結婚して、短歌は作っていないようです。
なぜか一行情報でした。

http://www2.diary.ne.jp/user/86872/


[1646] 27時間テレビを見ながら 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/07/21(Sat) 21:30

辰巳泰子さん、先日はどうも。私にはいろいろと得るところ多く、しかも、
自分の考えに自信をもった夜でした。

塩谷風月さん、まもなく、風月さんの短歌の批評を書かせていただきます。
しかし、私の最大の疑問は、なぜ「風月」と大きな名前を名乗っているのか?
ということです。
あ、それから、うちの近所の図書館には、阿木津英さんの『白微光』があります。
『イシュタルの林檎』はありません。
安東次男の『連句の読み方』は、持っているけれど、読んでいません。

あと、ずっと下の加藤千恵さん
東京に住んでいれば、お笑いライブなんか、いくらでもつれてってあげるのに。
金谷ヒデユキもプラスドライバーもブーマーも、フジワラのおじさんは知り合いだよ。
ということで、「週刊新潮」も読んだし『ハッピーアイスクリーム』も期待してます。
岡しのぶみたいに、フェイドアウトしないように。


[1645] 大阪中央図書館で 投稿者:塩谷風月 投稿日:2001/07/21(Sat) 18:48

今日、なんでもいいから阿木津英さんの本を読んでみようと探していたら(パソコンで書庫データベース検索しました)「イシュタルの林檎」1冊しか出てきませんでした。で、それも開架に在籍となっていたので探したのですが、見あたりません。誰かその時、あの部屋の中で読んでいたのかなぁ。
で、この本、請求記号で911.4.8N(2)なんだけれど、「911.4.」って、分類上は「和歌」でも「短歌」でもなく「川柳」なんですよね。ちなみに911.4.8Nは田口麦彦さんの川柳の紹介本でした。「イシュタルの林檎」って、川柳の本なんでしょうか???読んだことないので、わからないのですが。ううむむむ。

とりあえず安東次男さんの「連句の読み方」を借りて帰りました。

http://www1.mahoroba.ne.jp/~shiotani


[1644] 7・1朗読バトルの前日。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/20(Fri) 14:52

高瀬一誌さんの四十九日だったそうです。(藤原さんの日記参照)
高瀬さんを親とすれば、藤原さんと私は、歳の離れた兄妹みたい。
おんなじ山羊座だし。
すんげー生意気な妹です。
私は長女で、兄貴とかいないので、なんかうれしい……。

昨日、バトルの反省会でした。
辰巳は二週間ぶりに酒を口にした。(できた)で、飲みまくった。
藤原さんもテンション高くて、思いきりのぶっ飛ばしでした。
ほんとに「バトル」でしたね、藤原さん!!
この日のぶんの日記、読ませていただくのがたのしみ♪♪♪


[1643] Re[1642]: 永井さんと高瀬さん! 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/19(Thu) 20:18

> 砂子屋書房のHPで知ったんですが、永井陽子さんの遺歌集『小さなヴァイオリンが欲しくて』の解説って、高瀬一誌さんが書いてらっしゃったんですね。なんだか厳粛な気持ちにさせられてしまいました。



樟の木はまっすぐに立つまっすぐゆえに倒れてしまう

「はい、永井陽子です」留守電に声入れたままあなたは逝きぬ

二月の空に飛行船うかぶ人が乗っていないから動かない
    
             「永井陽子へ」 高瀬一誌『歌壇』2000年4月号より


[1642] 永井さんと高瀬さん! 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/07/19(Thu) 17:48

砂子屋書房のHPで知ったんですが、永井陽子さんの遺歌集『小さなヴァイオリンが欲しくて』の解説って、高瀬一誌さんが書いてらっしゃったんですね。なんだか厳粛な気持ちにさせられてしまいました。


[1641] 辰巳泰子さんの「追悼高瀬一誌」 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/19(Thu) 10:31

『たとえ地獄に棲むことになったって、いいのだ。
こうなった以上、私の一字一句が、あのときのかなしみの繰り返しになるのだろう。そうして、私が、高瀬さんにほんとうに会えるのは、仕事をしてゆくこれからになる。』
                辰巳泰子「歌壇」八月号<白い服の子供>より

いい文章だったなぁ。「たとえ地獄に棲むことになったって、いいのだ。」     「なってもいいのだ」

「なったって、いいのだ」
とのあいだには、ものすごい分量の愛の差がある。
すでに詩だ。


[1640] 荻原さん 投稿者:松原未知子 投稿日:2001/07/19(Thu) 09:19

ありがとうございます。
出ました出ました。可愛いうさぎちゃんが。
これはオオシマケン掲示板のバッヂですのよん。

http://www.adachi.ne.jp/users/mitico/index.html


[1639] >塩谷風月さん 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/07/19(Thu) 03:35

藤原龍一郎のアドレス帳へのご記入、
どうもありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[1638] Re[1635]: はあい、ごめんなさい、荻原さん。 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/07/18(Wed) 22:16

>松原未知子さん

> もう悪さはいたしません。
> (くしゅん)

ええと、それは「悪さ」ではありませんので、
どうぞお気になさらないようお願いしますです。



それと、イメージを貼り付けるときのタグですが、
<img src="????/mizusu/gif/icon/i_anise.gif">
という具合に「"」で囲んでやらないとたぶん出てきませんよ。
松原さんの掲示板はたしか貼り付けができると思います。(^^)

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[1637] Re[1636]: え! 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/07/18(Wed) 22:07

>藤原龍一郎さん

> 悪質ないたずら?

ああ、ええと、ここに書きこみをしている人の話じゃないですよ。
ネット上には、いわゆる「掲示板あらし」というのがありまして、
無意味な、あるいは不快な、あるいは猥雑な画像を
悪意をもって貼り付けたりするケースがあるからです。
それを防止するために、あらかじめ
タグの書きこみができないようにしてあるのでした。
どうもおさわがせしました。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[1636] え! 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/07/18(Wed) 22:01

悪質ないたずら?


[1635] はあい、ごめんなさい、荻原さん。 投稿者:松原未知子 投稿日:2001/07/18(Wed) 21:24

もう悪さはいたしません。
(くしゅん)

http://www.adachi.ne.jp/users/mitico/index.html


[1634] あ、すみません。 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/07/18(Wed) 20:55

>松原未知子さん

かわいいうさぎのアイコンだったのですね。
ここは、画像の貼り付けを禁じているというか、
タグがアクティブに書きこめないようにしてあります。
無関係な人による悪質ないたずらを防止するためです。
どうぞおゆるしください。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[1633] あーん いたずら失敗! 投稿者:松原未知子 投稿日:2001/07/18(Wed) 20:41

この掲示板は画像の貼り付け出来ないんですね。
(すごすご)

http://www.adachi.ne.jp/users/mitico/index.html


[1632] 無題 投稿者:松原未知子 投稿日:2001/07/18(Wed) 20:38

<img src=http://homepage2.nifty.com/mizusu/gif/icon/i_anise.gif> 
毎日あついですねー。
れいこさんの川柳とてもいいですよ。

http://www.adachi.ne.jp/users/mitico/index.html


[1631] 好きな男? わお! 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/07/18(Wed) 12:25

今時の女子高校生って、「ボーイフレンド」とか「恋人」とかじゃなくて、ずばり「好きな男」って言うんですね! 直截というか捌けているというか……。ともかく、これじゃあハッピーなはずです。なんてね、こんなことで吃驚しているなんて、歳だってことかしら?


[1630] ハッピー? 投稿者:玲はる名 投稿日:2001/07/18(Wed) 04:50

玲はる名です。

 千恵ちゃん。

 わたしも、彼氏さんの頭の中がどうなってんのかとか、こころの中がどう
 なっているのか、ってのは、24時間、前頭葉の付近で気になっていて、
 こういう性質でなければ、もっと勉強できたんだろうな、って思ったりし
 まふ。

 わたしの場合、性別に性別以上の断絶を感じているので、男の人と、最高
 にハッピーな状態でも、それを状態として受け止めることができないにょ。
 「別れてほしい」と言ったときに、一度だって、別れたいなんて思ったこ
 とはなかったのに……。(涙、そしてまたなみだ)

 ……はっ”。

  なんか、不幸とかって、  敗戦の上に、男が死んでしまったり
               貧乏の上に、男が女を作って逃げたり

  することなんだろうかね。今でも、アジアじゃよく見る光景だよね。

 なにか、強烈な不幸の上には、ハッピーなんて芽生えないような世界も
 この世にはあるけれど、千恵ちゃんパワーで、世界中をハッピーにして
 ね。
               

http://homepage2.nifty.com/tanka


[1629] >小林みほさん 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/07/18(Wed) 01:58

藤原龍一郎のアドレス帳へのご記入、
どうもありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[1628] おひさしぶりです。 投稿者:なかはられいこ 投稿日:2001/07/18(Wed) 01:58

いま電脳日記を読んでびっくりしました。

> おまえはいったい、何をしてきたのだ」との声が聞こえる。

わたしも聞こえるんですけど。
ええ、そりゃもう
しょっちゅう、しょっちゅう。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~myu2/


[1627] >井上真樹さん 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/07/18(Wed) 01:58

藤原龍一郎のアドレス帳へのご記入、
どうもありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[1626] ハッピー? 投稿者:加藤 千恵 投稿日:2001/07/17(Tue) 20:42


こんばんみ。お邪魔します。

>はる名さん
> 週刊読売に「制服
> OL」で顔写真が載ったことがある。
えー、いいなー。楽しそう。
かとちえは最近、コスプレしたくてしょうがありません。
ナース服とチャイナドレスと、
「バトルロワイアル」の制服に憧れます。
うちの学校の制服はださいのでだめです。

ハッピーって言葉好きです。

ハッピーかどうか聞かれると悩みます。
でも、すんごいハッピーで、
あぁ、もうあたしはハッピーなの、って状態だったら、
短歌は書かないような気もします。
歌ができるのは、たいてい、
好きな男と会えないとか、
好きな男がつれないとか、
好きな男に好きな女がいそうだとか、
好きな男が嘘をついたとか、
そういうときなんで。

ハピアイ、どうぞよろしくお願いします。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/6174/index2.html


[1625] ハッピーじゃない? 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/07/17(Tue) 18:32

加藤千恵さんが、ハッピーじゃないからハッピーな歌をつくっているのか、ハッピーだからハッピーな歌をつくっているのか、HPなどで見る限り後者みたいですが、『ハッピーアイスクリーム』が出版されたところで判断することにしましょう。ところで、枡野浩一さんの「ハッピーじゃない だからこそ……」という作品は、かんたん短歌のキャッチフレーズあるいはマニフェストみたいなものと考えてよいのでしょうか?

ちなみに私は、まだホッピーを、まして黒ホッピーを、飲んだことがありません。家の近くの商店街の路地裏に、飲ませる店が一軒あることはあるんですが……。


[1624] ハッピー? 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/07/17(Tue) 17:58

http://www3.justnet.ne.jp/~masa-0606/newpage5.htm

http://talk.to/mass-no


[1623] はっぴーと 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/17(Tue) 17:50

ほっぴーってことばにてますね。
ほっぴーは安あがりでいいかげんな飲み物です。千円札一枚しかないようなときに、枝豆と黒ほっぴーというのはええ組み合わせだ。


[1622] ハッピーな、あまりにもハッピーな…… 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/07/17(Tue) 17:01

商業出版物として近々公刊されるという『ハッピーアイスクリーム』の作者、加藤千恵さんの短歌(かんたん短歌?)を複数、所属されている「ハッピーマウンテン」や御自身のHPで、読ませていただきました。なるほど、とってもハッピーな短歌(かんたん短歌?)ですね! ハッピー尽しで結構なことだと思います。


[1621] 鮮血を流しながら 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/17(Tue) 16:00

>この人、途中で生き血が噴き出したらどうしよう、という、根源的な恐怖を感じさせてしまうんだろう

都会的な洗練とか、素養とか、いわゆる既存の歌壇にも認められる、既に一家を成した(嫌がられる表現かもしれませんが)歌人でありながら、このような生々しい危険を感じさせるとしたら、それこそが、【鮮度】というもので、辰巳泰子の商品価値を保証するものではないでしょうか。
でも、おそらく、辰巳さんがご自身で考えられている面にではなく、別の面に、まだ光
りがあたったことのない未知の部分に、真実の価値があるのでしょうね。
簡単には見つからない、どこかに、まだそれは隠れているのでしょうね。

排除されるものが、もっと大きければいいのかもしれませんね。
絶対に相容れないほどの何かがあれば、それは新たな価値体系に繋がった何かかもしれませんから。


[1620] どういう読者を設定しているのか。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/17(Tue) 14:18

という点については、わたしはとっても幼稚です。
未知のひとを含めて、「わたしを好きな人」と、「わたしが好きな人」というぐらいの設定しかなくて、数に置き換えたことがない。


[1619] 売れるかどうか。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/17(Tue) 14:06

というのは、いくらのカネが動くかという実際的な話で、カネを動かす側の論理です。
もちろん、私は自分の作品が多くの人に読まれることを望んでいるし、
魅了されてくれる編集者がいれば、幸運な出会いになると思っています。

しかし、たいてい、
私の場合、途中で「この人はアブナイ」と思わせるらしい。
カネを動かす側の論理に合わないところがどうしても出てくる。
短歌総合誌編集者でさえ、「アブナイ。くわばら」と思っている人もいるし。
「やらせたら絶対おもしろいんだよー。それはわかってる。でも、何をしでかすかわからなくて、怖ろしくて声をかけれらない」
及川さんが言ってました。正直!
常識ないとか、いうこと聞かないとかいうよりも、
(常識の点でいうと、ややルーズって程度ですし、信頼を置いた相手には、大変従順です。)
多分それは、
この人、途中で生き血が噴き出したらどうしよう、という、根源的な恐怖を感じさせてしまうんだろう。
噴き出しても死なないのよ。わたし。新陳代謝はやいから。
返り血浴びたほうが、きっといつまでもつらいのよん。


[1618] タカノ綾と山口藍、さらに村上隆、など 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/07/17(Tue) 13:18

穂村くんの本で、タカノ綾さんの装画に違和感を覚える、なんて書いてから一週間、ある女性から昨日、荷物が届きました。中には山口藍という人のデザインしたTシャツとかポストカードのセットとかが入っていて、「このアーティストを石井さんのお歌の御本の挿絵や装幀に起用してみてはいかがでしょう」なんていうような内容の手紙が添えられていたんですね。このBBSに立ち寄ったりは絶対しないはずの人から、こんな提案がくるなんて、びっくり! だって山口藍さんは、かつてタカノ綾さんと同じ HIROPON FACTORY に所属していて、村上隆さんの薫陶を受けたアーティストだからです。作風は、ヘンリー・ダーガーをぐっと通俗的にし、日本の時代劇のテイストと少女マンガのテイスト、さらにはなつかしの塗り絵の味わいを加えた、といった感じのもの。村上隆さんがあまりに見事に彼女の内面を見透してそこにあるものを作品に昇華させてゆくことに嫉妬したボーイフレンドのせいで、HIROPON FACTORY をやめちゃった(とは村上隆さんの話です)人だそうですが。ともかく、タカノ綾さんとはかなり近い位置にいるアーティストです。作品自体はとても面白いんだけれど、ううむ、私の短歌の作風とはあまりにもミスマッチな推薦! 笑っちゃいました。穂村くん、次回作(それが「手紙魔まみ」シリーズであろうとなかろうと)はこの人と組んでみたらどうですか? なんでしたら、ポストカードをお届けします。

ちなみに、HIROPOPN FACTORY の村上隆さんは、作品は売れなければならない、という信念を持っている人のように見受けられます。なんだか、商業出版であることを重視し、宣伝活動も後続の育成も巧みにこなしている枡野浩一さんに、ちょっと似たスタンスの人のように思いました。余談ですが……。

そうそう、山口藍さんのイラストレーションは、玲はる名さんの次の作品集にむしろ向いているかも。こんどお見せしますね、レイハルちゃん!


[1617] そうすると、『絶対矛盾 』がありますよね。   投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/17(Tue) 12:27

>自分には、こんなこととうていできない」と思わせてもだめ。

そういうものでなければ、芸術とは言えないというのが、従来ならあったでしょう?
正直に作家の心を探れば。しかもそれは、永遠の希求でしょう?

ということは、本質において既存の作品の全てを、圧倒し凌駕しながら、そうは見えない、誰にでも可能と見えるほどに、シンプルな手法、手法の痕跡も消去した、簡素な超絶技巧が必要ということなのかしら。
誰にでも、できそうと思わせながら、誰にも不可能な難易度の高い方法、というより、
なんといっていいかわからない、、、、結果としての作品の心身。形象と魂。声。文体。


[1616] <大衆>のレベル 投稿者:松木 秀@図書館 投稿日:2001/07/17(Tue) 12:25

俵万智みたいに数十万部売れるような「大衆」と、
前に「特定多数」と呼んだ、五千からニ万部ぐらいとでは、
ひとくちに「大衆」と言っても異なるはずだと考えます。
初版4千部で、1万部をめざす、というようなつくりには、
『まみ』はなっているとは、思います。
辰巳さんの歌集でも、そのままのかたちで五千部ぐらい売れるようには
うまくすればなるはず。それを望むかどうかは別として。
「これはかなわない」という歌集を読みたい人もそのぐらいは潜在的に
いるんじゃないか、と。


http://www2.diary.ne.jp/user/86872/


[1615] ポピュラリティ、ファッション、の獲得と、完璧な芸術性の貪欲な夢を充たすことと、 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/17(Tue) 11:42

悩みの源泉のような、
または、どこで、割り切るかというような。


[1613] 辰巳さんの秘密基地(工房というべきか)では 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/17(Tue) 11:33

「自分には、こんなこととうていできない」と思わせてもだめ。
「すげー。自分もやってみたい」というぐらいがよいのだ。
でも、私であれば、「わーこの人と同じやり方したらかなわない」と思わせないと、(自分としては)納得できないです。
仕事した気になれないだろな。

なるほど。非常によくわかる。
でも、その<大衆>のレベルを、どの辺りに設定しているのか、気になるところですね。


[1612] 輪郭がないと。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/17(Tue) 07:46

大衆というのは、輪郭のないものごとは受け止めてくれないものなのだと思います。
どう受け止めていいかわからないものは、排除します。
つまり、自分で受け止め方から探さなければならないものは排除します。
コンセプトの設定というのは、発信者の、親切さの度合いといえる。
強烈すぎても、きっちり排除します。
「自分には、こんなこととうていできない」と思わせてもだめ。
「すげー。自分もやってみたい」というぐらいがよいのだ。
でも、私であれば、「わーこの人と同じやり方したらかなわない」と思わせないと、(自分としては)納得できないです。
仕事した気になれないだろな。


[1611] 痛いほどよくわかる。書き直し3回目。 投稿者:玲はる名 投稿日:2001/07/17(Tue) 03:02

玲はる名です。

 商業出版である、というのは、出発の土台が、まったく違うということ
 だけは、明白ですね。なんかい地団駄踏んでもこればっかりはどうにも
 ならない。ふみふみふみ。

 まず、あれだけの絵を描いてもらって、プロデュースもしてもらって、
 定価が1600円でみんなの手に届く、というのが、買い手にとっての
 違いがあるし。それが、個人的には一番うらやましいところです。

 商業出版で踏み出すからには、いい作品を書く、おもしろい作品を書く
 だけでは、OKが出ないんだってことが、枡野浩一さんたちの姿を見て
 いるとよく分かります。どこからは、強烈にNOが出るくらい、飛びぬ
 けた個性を放つものが出るべきだ、ということなのかしら。

 穂村さんの歌集も、強烈にNOが出そうなところ、こっそり探して楽し
 んでますが。

 106ページの2行目とか、1発ものだけれど、わたしは好きだけれど
 もなぁ。


 交換日記、壁紙が千恵ちゃん色ですね。じっと見ていると何かが浮かん
 できそう。どきどき。レイハルも、18歳のときに、週刊読売に「制服
 OL」で顔写真が載ったことがある。(どうでもいい)

http://homepage2.nifty.com/tanka


[1610] ↓交換日記、始めました。 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/07/16(Mon) 19:39

http://www82.tcup.com/8244/happyhappy.html

穂村弘の今回の歌集は、
自費出版でなく商業出版である、
ということが重要であると
私は感じています。

加藤千恵と枡野浩一の日記は、
そのへんの話ともリンクしてくるかもしれません。
どうぞよろしく……。

http://talk.to/mass-no


[1609] 横入り発言〜。 投稿者:井上真樹 投稿日:2001/07/16(Mon) 16:04

「手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)」、買いました。
小学館のオンラインショッピングで購入いたしました。
私は難しいことはわからないのですが、短歌とイラストの間に
何かものすごくせつない戸惑い(いい意味でのものです)を感じます。
スタートダッシュのきいた歌たちと、
じわじわじわじわせめよせてくるイラスト。
後半になって自分の中で何かが合致したような感じです。
その何かが自分でもつかみきれないので、
何度も読み直しております。

ちなみに大学の講義で「デザイン論」というものがありまして、
本日、課題で「もっとも素晴らしいと思われるデザインをなされたもの」に
関するレポートを「手紙魔まみ〜」で書きました。
「デザインの要件」
1.機能性:目的にあった合理的な働きをする
2.堅牢性:機能を満たす機構が破損しにくい
3.安全性:使用に際して安全である
4.審美性:美しい
5.生産性:素材、工法においてつくりやすい
6.経済性:得られる用に対して高価でない
7.保守性:修繕や修理がしやすい
8.操作性:操作法がわかりやすく、操作しやすい

以上の点からの見解をレポートにまとめました。
デザインとして、すごく好きです。「てがまみ」。

藤原龍一郎さま。
情報ありがとうございます。
色々と探してみますね。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/2801/bog.html


[1608] ちょっと来ない間に! 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/07/16(Mon) 15:23

自宅のコンピュータの不調でしばらく覗かないでいたら、穂村くんが登場していたんですね。あらためまして、『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』出版、おめでとうございます。何だか私のコメントに困惑なさったみたいですが、そんなに(そんなに、ね!)気にしないでください。たしかに一冊の歌集として読めば、まみは一応退場している、と言えるんですから。私みたいに、まみは小さなファムファタルで……、なんて深読みをした場合、あの退場の仕方だと、続編を期待させる感じがしてしまうんですね。まみの姿は一旦はフェイドアウトするんだけど、ここまではまだまみの紹介の部分で、これからいろんなことが起るんだろう、なんて想像してしまうわけ。まあ、さまざまな読み方が存在するうちの一例、と考えてください。

で、やっぱり続編はないんですか? なんだか期待している人がたくさんいるみたいですよ!


[1607] Re[1606]: ホームページ開設しました。 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/07/16(Mon) 15:05

>砂子屋書房さん

> このたび、簡単なホームページを開設しました。
> 新刊案内などを行っておりますので、是非一度ご覧ください。

ご紹介どうもありがとうございました。
拝見させていただきました。
以前より、ネット上のあちらこちらで、
歌集の在庫について話題になるたび、
オンライン書店等のデータベースで
間接的な検索がなされていたのですが、
砂子屋書房さんのウェブの開設で、
そのあたりが随分スピーディになると思います。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[1606] ホームページ開設しました。 投稿者:砂子屋書房 投稿日:2001/07/16(Mon) 10:59

突然、失礼します。

このたび、簡単なホームページを開設しました。
新刊案内などを行っておりますので、是非一度ご覧ください。

ご意見などお聞かせいただければ、うれしいです。
おいおい充実させてゆく予定ですが、とりあえずネットにも
情報を載せておきたくて、開設しました。

http://www2.ocn.ne.jp/~sunagoya/


[1605] >沼谷香澄さん 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/07/16(Mon) 02:45

藤原龍一郎のアドレス帳へのご記入、
どうもありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[1604] 挿絵 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/15(Sun) 12:27

とは、私は考えなかったよ。
絵と文の二つの世界の共演であり競演であり饗宴であるような、(何だパソコンに変換シテモラッタダケジャナイカ)
穂村さんは姿を消すために、絵が必要だったんじゃないかな。
できれば完全に完璧にイメージをまみに集中して、作家である穂村弘は記号以下の、できれば零になりたかったんだよ。完璧零はなかなかなれないけれど、ノイズを消すために、音楽を聴くように、ほんとはそれって純粋じゃないけど、絵を必要としたんだよ。
その絵が気にいらない人がいたとしても、それでも穂村弘の肉体を消去できたらよかったんじゃないかな。(だけど絵っていうのは、生憎ものすごくパワーをもっているんだよ。)
そのためにまみを呼び寄せて、まみは来たのさ。
でも多分、まみは、ちっちゃなモンスターで、これからどこへいくのか何に輪廻転生するのか、誰にもわからないんだよ。
だってもう一人歩きをはじめちゃったんだから。
穂村さんとタカノ綾さんを両親として生まれたまみはもう別の世界へ行ったんだよ。
ふたりはもう見送るばかりさ。


[1603] ふーむむむ 投稿者:塩谷風月 投稿日:2001/07/15(Sun) 09:45

塩谷風月です。また横入り。
漠然と思ったことを未整理に書くだけなんですけれど。

そうか。「まみ」を寄贈されて読んでいる人と金出して買って読んでいる人とが居るんだ。
買って読む時って、「買う」という行為自体がひとつの「選択」で
買って読んでいる人の批評は、既にその「選んだ」上での批評で。
それに対して寄贈されて読んだ人の批評は、そういう「選択」未満の時点での批評で。
たぶん、この世に大勢居るであろう
「寄贈されなかった人で買わない選択をした人」からは聞けないような
「選択されなかった」貴重な批評を掬い取ることが出来るのかな。
歌壇での歌集を出版したらまず寄贈という習慣は、
ひょっとしたら、そういう批評の強制掘り起こしという面もあるのかな。
全然違ってたら、ごめんなさい。

それにしても、石井さんがおっしゃっていた「書き下ろし」の件は
確かに、まったく変ですね。言われるまで気づかなかったけれど。

絵については、以前の飯田有子さんの歌集でもそうだったけれど
絵と歌とを別々にして合う合わないじゃなくて
その絵を選択したのも歌人であるのだから
歌集でも本でも何でもいいけれど、その一冊としては、
良くも悪くもその絵の影響下で読むのが、一番すなおな読み方だと私には思えます。
もし、歌が絵に曲げられたとしたなら、その曲がることも、その本の作者の意図のうちなんじゃないかな。だったら、その本の中では曲がった歌をすなおに受け取れば良いわけで。
歌人が本当に歌だけ読ませたかったのなら、挿し絵わざわざ入れる必要ないものね。
これまでの多くの歌集に実際、挿し絵が入ってないのは、たぶん、そういう意図もあるんじゃないかな。

ふと思ったことですが「まみ」の本屋での位置としては、
隣は岡井さんや塚本さんではなく、また俵さんでも枡野さんでもなく、
いっそ文庫本になって銀色夏生さんの隣あたりにあるのが
風景としては一番似合いそうな気がしました。

それにしても、もし、こういう歌集を年に4冊も出せるとしたら、穂村さんって化け物だ。
でも、そんなに簡単に量産できる歌集だとは、私には思えないけれど。

なんだか、書いていて、当たり前過ぎて誰も言わないだけのことを、わざわざ大声で書いているだけのような気がしてきました。失礼しました。

http://www1.mahoroba.ne.jp/~shiotani


[1602] ネットの古書店など 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/07/15(Sun) 08:25

井上真樹様

藤原龍一郎です。
書き込みありがとうございます。
ネットの古書店の件、下記のURLが「スーパー源氏」という、
有名な古書のサーチエンジンです。

http://kbic.ardour.co.jp/~newgenji/oldbook/sgenji.html

私の場合、ここで、歌人名、歌集名などで、適当に検索をかけてみて
出てきた古書店のページにアクセスするというかたちで、歌集を置いている古書店を
ブックマークにふやしていきました。
どうぞ、ためしてみてください。


[1601] はじめまして&お願いです。 投稿者:井上真樹 投稿日:2001/07/14(Sat) 19:45

ここはいつも覗いていたのですが、
書きこみするのははじめてです。
皆様、よろしくお願いいたします。
「手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)」は
ネットで予約したのでそのうち届くでしょう。

辰巳さま、パンチマンの掲示板でお書きになられていた
文章(小説なのでしょうか?なんと呼べばいいのかわかりませんが)
とても心を痛めて、そして楽しく拝読しておりました。

ところで、お願いなのですが、
ネットのオンラインショッピングが出来る
中古書店を教えてください。
できれば歌集がおいているところ。
どなたかご存知でしたら
井上までメールなどで教えてくださいませ。
なかなか手に入らない歌集などを読みたくて、
探しています。
しかも貧乏学生なので、
古本がいいなぁ、などと甘いことを考えています。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/2801/bog.html


[1600] 穂村さんのデビューは 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/14(Sat) 03:17

鮮烈でしたよね。
「穂村なんか認めない!」って、居酒屋で豪語していた総合誌編集者もいたっけね。
おじさんになったのかな……。
ひりひりしたとこが薄くなって。
藤原さんがおっしゃる、複雑な感情の流れというのは、よくわかる気がします。
第一歌集「シンジケート」の出版パーティーで、「僕らは出来上がったシステムにのっかっていて……」云々と、あくまでも控えめな、韜晦めいた挨拶をなさっていたのが、印象的でした。
変なこというなあ、と。
その韜晦が、奇妙にわかい人らしくなかった。
私はもっとわかかったわけですけど、その韜晦の奇妙さ、だれも耳に残さないんじゃないか?
と思えた。
でも、横浜朝日のカルチャーでお会いしたときも、隣り合ってワイン飲みながら、おんなじこと言ってた!
あー思い出した。これ、あのときの挨拶の続きじゃないか……。
とわかった。
ずっとそういうこと考えてたの?
と驚いた。
そういう韜晦が、穂村弘のなかにあるんかな。


[1599] 文と絵は 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/14(Sat) 02:09

ずれているほうがいいよ。
あまりにぴったりだとつまらない。。。


[1598] 歌集としてみると 投稿者:松木 秀 投稿日:2001/07/14(Sat) 00:58

 このあろはしゃつきれいねとその昔ファーブルの瞳で告げたるひとよ
 はんだごてまにあとなった恋人のくちにおしこむ春の野いちご
 きがくるうまえにからだをつかってね かよっていたよあてねふらんせ

などが入っていない、というのはそれだけで大きな不満点です。私にとっては。
石井さんがお書きのように続編があるのなら、それでもよいのですが。
あと1597の「自信」は「自身」の誤字です。言わずもがなですが。

http://www2.diary.ne.jp/user/86872/


[1597] 絵解き、など 投稿者:松木 秀 投稿日:2001/07/14(Sat) 00:35

辰巳さんの「絵が中途半端に重い・・絵は記号になったらあかん」には納得。
そのせいか、イラストが単なる説明というか、オチを割るようなかたちに
なってしまっているように思える。所謂「絵解き」というのだろうか。
そして、「穗村弘」に穗村弘自信が呪縛されているようにも感じる。
風間さんが〔1587〕でお書きのことともつながるのですが。

繰り返しになりますが、「記号」な「絵」によって、内容が過剰にわかりやすく
なってしまっている。説明におちてしまっている。
それがこのコラボレーションの欠点と言える、かもしれない。

ですが、辰巳さんや石井さんや藤原さんのような「読み」の能力が優れた人ばかりを
対象とした本ではない、全然短歌なんて読んだことありませんという人も対象とした
本の作り方、売り方なので、これで丁度いいのかなとも考えたりもしてしまう。

なんかうじうじとまとまってなくてすみません。




http://www2.diary.ne.jp/user/86872/


[1596] アクセスカウンタが、 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/07/13(Fri) 23:07

50,000を超えたのですけど、
どなたか50,000を踏まれた方、
お知らせいただければ幸いです。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[1595] 複数の感情の流れ 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/07/13(Fri) 23:03

石井辰彦さんの「まみ」四部作説は確かに、そうだとすれば面白いと思います。
つまり、そう思わせる中絶感覚がある、ということで、そこが私にもひっかかったのかも
しれません。「私は拒絶されている」と書いたことの底には、ここにイメージされている
まみという女性に、何か既視感のようなものをうっすらと感じて、強烈に惹き付けられる
ということがなかったという思いがあります。
しかし、松木秀さんの言う「特定多数」はやはり存在するだろうとも思えるのです。
小説の連作のように、まみシリーズを今後も書き下ろし歌集として、書き続けてゆく
というのも、実現できれば、私の夢見る穂村弘像にさらにリアリティが増しますね。
西王燦ささんが、ターニングポイントと書いているのも、そういう期待感を直感して
いる言葉のように思えます。
私は、イラストに対しては嫌悪感も好きだという気持ちも特にわきませんが
辰巳泰子さんが言う「記号になったらあかん」という危惧には共感します。
穂村弘の作品のきらめきを、タカノ綾が少しだけずれて受けとめてしまった
という感じがします。
なかなか、自分の思いが的確な言葉にならなくてもどかしいのですが、
穂村弘にとって、この本は書かなければならなかったものだということは
十分に伝わって来る。その思いは、いままでの歌集のように、好きな歌を何首か
ひいて、それですませられる種類のものではない。だから、やはり、私にはこの本を
歌集として感受する思いが発動せず、別の受け取り方があるはずなのだ、と逡巡して
いるようです。もちろん適当なキーワードをみつけて、ある範疇に閉じ込めてしまう
こともできない。
穂村弘自身は、この本の内容に対して「心を一点にはって、書ききった」とは思って
いないような気がする。ためらいのような、とまどいのような、自己処罰のような、
居直りのような複数の感情がパラレルに流れている作品に思える。

とりとめなくて、申し訳けない。
石井さんや辰巳さんのように、ずばっと断言できればよいのだけれど。


[1594] Re[1593]: 手紙魔まみ、ありがとうございます 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/07/13(Fri) 23:01

>ほむらひろしさん

> 一体、どのタイミングで顔を出していいものか、わからなかったので、
> どきどきしながら、のぞいていました。

書きこみどうもありがとうございました。
こちらもどのタイミングで呼べばいいのかわからず、
考えこんでいました。まだまだコメント出ると思われます。
今後ともどきどきしながらご覧いただければ幸いです。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[1593] 手紙魔まみ、ありがとうございます 投稿者:ほむらひろし 投稿日:2001/07/13(Fri) 22:47

こんにちは、ほむらです。

一体、どのタイミングで顔を出していいものか、わからなかったので、
どきどきしながら、のぞいていました。
激しい御意見、コワウレシク読ませていただいております。
ありがとうございます。
こういう場合、書き手が自分の「意図」を口にしていいものか、
どうかわからないので、ご挨拶のみで失礼いたします。

あ、一点だけ、石井さんの「まみは登場するけれども退場はしません」
というコメントがショックだったので、それについてだけ「意図」を云って
しまいますが、実は、「退場させたつもり」でした・・・・・・
タイムワープというか輪廻というか。


[1592] ↓だったらあの絵は 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/13(Fri) 21:17

中途半端に重いよなあ。
描かれてた「使用済みタンポン」、あれ、絵というより、記号みたい。
子どものお絵かきだったなあ。

私タンポン使ったことないのでわかりませんが、
トイレに捨ててあるのなんか見ると、もーどろっどろで、赤くないです。茶色いの。
取り外しのときに当然手が汚れるから、紐の部分も汚れてる。

リアルなのが必ずしもいいとは思わないですけど、「絵」は、「記号」になったらあかんのとちゃう?作品に「輪郭」を与えてしまって深さを出してない、というのはそこにある。
石井さんが「汚らしい」と評されたのは、「絵」にあるまじき記号性への嫌悪が根にあると思うな。どろっどろのタンポンが描いてあったら、石井さんデリシャスと言ったかもね!



[1591] 世界苦の表現方法、比例する現実と虚構。(HOTCHKISSのピンがまみになるとき 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/13(Fri) 16:06

>松木さん
> 辰巳さんの言葉ですが、なんだか不思議にまみに抱いていた違和感を
> 正確に言い当てられたようで、納得してしまいました。

よく現実と虚構が比べられるけれど、現実の重さ、深さ、凄まじさと、虚構は比例していなければいけない、せざるを得ない、という気がします。
表現すべき対象の深さが虚構の深さに、比例するはずですよね。
えぐれた傷の深さをうずめなければならない。
受傷の重さを虚構は掬いとらなければ、引き受けなければならない。
世界が病んだら、虚構も病む、世界が死ねば、虚構も死ぬ、というより、死にそうになる。そこを踏みとどまって、虚構を立ち上げなければならない。
現実と拮抗する虚構、現実の凄惨さが増せば増すほど、それを表現する虚構の方もパワーが必要になってくる。
現実と虚構は母と子のように、鶏と卵のように、どちらが軽くてどとらが重いというものではなくて、比例するものなんだと思う。
ただ、それを表現する方法として、重さには重さをじゃなくて、逆の方法が有効なことが多い、軽さだったり、あえて淡い色づけをすることだったり、メルヘン、ファンタジィというジャンルへの抜け道をゆくことだったり、ユーモアや、カリカチュア、喜劇そのものだったりして。それは、夢が現実逃避の力として、有効なのに似ている。
重さには、軽さで。巨大なものには、極小のもので。力には非力で。まともさには愚かさで。長大さには儚さで。                           穂村さんも、おそらくそういう方法をとられたんだと思う。  
あえて軽く歌う。書く。本作りをする。あの時と同じ方法で。『シンジケート』の「ピン」
と同じ方法で。ピンがまみになった。
その軽さが世界の苦の重さそのもの。
という方法。


[1590] まみがマノンなら 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/07/13(Fri) 08:38

まみが小さなマノンなら、当然読者はその末路までを読むことを期待します。しかし『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』においては、まみは登場するけれども退場はしません。これはどういうことか? ここのところが読者である私を、読後欲求不満にさせた原因の一つでもあるわけですが……。

もしかしたらこの本には続編があるのではないか。私は、これは四部作の第一編だと推理しているのですが……。この本のやけに長いタイトルにそれは予告されているわけで、以後順に、『手紙魔まみ、秋の**』『手紙魔まみ、冬の**』『手紙魔まみ、春の**』と続くわけです。**の所にはいろいろな言葉が入るわけですが、最後の春編ではそれが「留学」とか「蒸発」とか「お葬式」とかいう言葉になって、主人公の小ファムファタルまみは退場することになるんですね。あるいは**には毎回「引越し」という言葉が入って、まみは引越しを繰り返し、春の引越しで読者(および語り手であるほむほむ)の前から姿を消すってことかも知れません。その場合、タイトルの最後につけられているパーレンに括られた言葉が、キーワードであると同時に各編を区別する記号=各編のタイトルだということになるのでしょう。つまり今私たちが手にしている一冊は、四部作『手紙魔まみ』の第一編であり、それは「夏編」でもあるわけだが、タイトルは一言で言えば『ウサギ連れ』である、ということなのではないでしょうか。いすれにしても、まだ私たちは、『手紙魔まみ』という作品の四分の一しか読んでいない、ということなのです。

で、この推理がもし当たっているとしたら、今回の『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』についての評価も、最終的なものではあり得ない、ということになるのでしょう。穂村くん、本当はどうなんですか?


[1589] すとんと、虚構であることを納得してしまえる 投稿者:松木 秀 投稿日:2001/07/13(Fri) 07:16

辰巳さんの言葉ですが、なんだか不思議にまみに抱いていた違和感を
正確に言い当てられたようで、納得してしまいました。
その「納得してしまえる」要素として、あのイラストがついていることが
関係しているのかなあ、と思考中です。
もしテキストだけだったらそうじゃなかったかも。

http://www2.diary.ne.jp/user/86872/


[1588] でも 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/12(Thu) 21:54

小説にしろ何にしろ作品上の虚構というのは、永遠に続いているので、クルクル回転していて、真実と虚構は、何処までも何処までも反転し、反転し、三連水車のように、水を回転させがら、粉を挽いていくものなんだろうな。
だから、本当は嘘で、嘘は本当で、限りなく回り続ける水車なんだろうな。どうせ虚構だと思っていたら、本当で、本当かもしれないと思い始めたら虚構で、でもいつのまにか、何かが桃から生まれた桃太郎みたいに生まれているものなんだろうな。
その桃の産毛がお日さまにひかるみたいにうっすらと、ゆっくりと、何かが理解できてくるんだろうな。


[1587] 作者が穂村弘であることを 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/12(Thu) 19:55

完璧に隠す方法はなかったのだろうか。
まみが作者から自立することはできなかったのだろうか。
作者の姿も影すらも消えられたら、より完璧だったのに。
私には穂村さんにしか見えなかった。
まみが。
だからいいのだろうか。
多分そうなんだろうな。
二重性が。
読者は、まみと穂村さんを両性具有の一人格として、脳の中で再構成するんだろうな。無意識に。


[1586] ただ 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/12(Thu) 19:46


芥川と志賀直哉のあいだで、『奉教人の死』のろうれんぞがほんとはおんなだったこと、最初から明かしておくべきだった。どんでんがえしは・・・vs明かすべきでない、の論があったように、それが穂村さんの方法なのでしょうね。
私は『地獄変』にしろ『奉教人の死』にしろ芥川的な、劇性が好きですけれど。
穂村さんにとって、〈耐えられない存在の軽さ〉というか、あの形でしか提示できないぎりぎりの方法だったのなら、しかたがないだろうなとも思います。


[1585] 三角関係としての『まみ』 投稿者:西王燦 投稿日:2001/07/12(Thu) 19:32

ご無沙汰しました。西王です。『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』について、
石井さんがお書きの「書き下ろし」?というところは、私も、はてな?と最初に思い
ました。20年ほど以前に、私は「歌集は書き下ろしであるべし、発表後の作品は他薦
(アンソロジーなど)に委ねるべし」と語って、顰蹙を買いました。
でも、今、しずかに考えると、この『まみ』はあきらかに「書き下ろし」だと思います。
「すり下ろし」と言ってもいいが、、、。

記事の下の方で、辰巳さんは『まみ』の読み方について、かなり厳しい書き方をしてい
ますが、私の読み方(買い方)はすこし違っていました。この本が出ることを聞いた私
は、地方都市の本屋にでかけて、手にとって買いました。比較的に手に入りやすい状態
なのが嬉しかったです。その後、贈呈本もいただきましたが、とにかく本屋で見たときに
わくわくしました。これは「短歌」読みにとって大切な用件です。

私は『まみ』が、短歌にとっての、ひそかなターニングポイントだと思っています。
これまで、どんなに優れた短歌作品でも、作品=作者×読者というきわめて私小説ふうの
枠組みだけは、どこかで残っていました。

私は、えんえんと「なりきり短歌」を書いて、作中人物を虚構してきたのですが、
『まみ』は、それを軽々と超えています。つまり、読み手との間に「三角関係」を作れ
ばよかったのですね。うーん。そうした意味で、「書き下ろし」だと、、、、。

http://www.mitene.or.jp/~nishio/


[1584] 父猫には 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/12(Thu) 19:31

すっかり騙された。

小説の醍醐味。
因みに、最後まで虚構だって言わないで、ずっとずっと見事に騙し通して戴いてもよかったんですよ。あかにゃんさん。
あかにゃんさんの夕日みたいなものをみつけられたらって、穂村さんの歌集読んだ時も思っていました。


[1583] どうしても納得できないのは…… 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/07/12(Thu) 18:37

『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』で、どうしても納得できないことがあります。今手もとに実物がないので文字遣いが違っているかも知れませんが、ともかくそれは、帯に「九年ぶりの書き下ろし歌集」と印刷してあること。しかし「手紙魔まみ」シリーズは、あちこちの雑誌に発表されていたわけでしょう? あまり短歌の雑誌を読まない私でさえ知っている短歌がいくつも収録されているのだし、どなただったか、雑誌で発表されながら歌集には収録されなかった短歌に言及している人までいたくらいなんですからね。ですからこれは「書き下ろし歌集」ではあり得ません。むしろ「売り」は、全体がひとつの連作となっている歌集だ、ということなのだと思うのですが。

もし穂村くんと村井さんに「書き下ろし歌集」を出版しようという気持ちがあったのなら、どんなにたくさんの雑誌や新聞から執筆依頼が来ようとも、穂村くんはこの本に収録するために書き貯めていた作品を、そういう場所では一切発表すべきではなかった、と考えます。その方が、出版時のインパクトも強くなったはずですしね。


[1582] まみって、 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/12(Thu) 18:08

ど、どこのどいつなんだ?
という妄想を、もっとかき立ててほしいよね!
ほんとにあったことなのかー。どうなの穂村くん!
と、問いつめたいような気持ちにさせてほしいよね。割に、すとんと、虚構であることを納得してしまえる。
私の考える「本の価値」というのは、読者である「私」を、妄想でいっぱいにしてくれるかどうかということなのですよん。
ちなみに、
風間さんがずっと言ってることは、基本的に自分と似た意見だと思っています。


[1581] 穂村さんの本は 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/12(Thu) 17:58

>なんか、「酸素の吸い方と吐き出し方」を議論しているようで、はあ、息苦しいよ!


まさにそういう本だと思います。
まみも、ほむらさんも、息のしかたがわからなくて苦しいのだと思います。


[1580] 辰巳さん 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/12(Thu) 17:52

私は好きな歌があったから好きな歌があると言っただけ。
いい歌を無視はできませんから。
全体としてショックは受けていません。

中にとっても好きな歌があった。
私にはそれで、十分です。

スキャンダル性に頼っているかどうか、私にはわかりません。
意匠の問題や話題性を、好悪の衝突や摩擦の大きさが、売上を増やすと、出版社に利用
されるのでしょうけれど、どちらでもいいです。
私は好きな歌を見い出せたことだけで、満足します。
そして、穂村さんがもっと、心底、震撼させてくれるような本を、出してくれることを望みます。


[1579] 石井さんが。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/12(Thu) 17:45

「枠」の中でなくて、ご自分の文脈のなかで一冊の本を呼吸しているのを見ると、途方もなく安心感を覚える。


[1578] マノンとまみ、についての雑感 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/07/12(Thu) 15:33

『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』について、とりとめもないことを書かせてください。

昨日私は、深刻立劇場(と、私の PC は賢く正しく変換しちゃいますが、初台の新国立劇場です)に、マスネの『マノン』を観に行ってきました。あの劇場は、オペラハウスと呼ぶのがいささか以上に躊躇われる小屋ですが、上演実績もまたあまり芳しいとは言えません。しかし、昨年の『ドン・キショット』に続くマスネのシリーズは、ヨーロッパの劇場で評価を得ているプロダクションを持ってきているゆえもあって、かなり高度な出来映えを示しているんですね。今回も、満足できる成果を挙げたと言えるでしょう。ジュゼッペ・サッバティーニの素晴しいデ・グリューに、この役を得意としているレオンティーナ・ヴァドゥヴァのマノン、というキャストもほぼ万全でしたし。でも、このプロダクション、1988年に亡くなったジャン=ピエール・ポネルがヴィーンのシュターツオーパーのために行った、1971年の演出だったんですよ。いくら『マノン』がこてこてのコスチューム・プレイで、きちんとした時代考証を施したプロダクションで上演する必要がある、と言っても、これはあまりに古すぎますよね。だから新国立劇場は深刻立劇場なんです!

と、ここまでは余談なんですが、そんな『マノン』を鑑賞しつつ、『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』に私が抱いた違和感について考えていました。それで思ったんですが、あの違和感は、たとえばこの『マノン』というオペラが、とんでもなく風変わりな、観客の嫌悪感を呼び起すようなプロダクション(演出・装置・衣裳の総称、と考えてください)で上演された場合に感じるであろう違和感と、似ているのではないでしょうか。アンシャンレジームの享楽的な社会を描いた『マノン』は、第四幕あたりでは男女とも白いかつらに白粉と頬紅、という出で立ちで登場しなければならない作品です。これをたとえばロックミュージカルの『ロッキー・ホラー・ショー』(ちなみに、現在ブロードウェイのサークル・イン・ザ・スクエアで上演中のトム・ヒューイット主演の公演は、すごく楽しかったですよ! お薦めします)みたいなプロダクションで、もちろん音楽はそのままで上演した場合を、考えてみてください。戸惑わないではいられないと思うんですが……。少なくとも、オペラに漬かって育ってきた私みたいな観客はね! 何年も前になりますが、世界で一番前衛的な舞台をつくることで定評のあるハンブルクのシュターツオーパーが、『リゴレット』を真っ黄色の箱みたいな装置でやったことがあって、観ていて吐き気すら覚えたことがあります。いくらハンブルクでも、あれはひどいプロダクションでした。要するに、ある作品には、それが許容する意匠というものが存在する、ということだと思います。古い考え方なのかもしれませんが……。

ところで、手紙魔の「まみ」という存在(それが虚構であろうとなかろうと)は、ファムファタルの典型例であるマノンの、現代日本風縮小版だと言えなくもないと思います。で、歌集(本)の意匠の問題とはまた別に、作者がまみという存在をどう表現しているか、という問題があって、これはとても重要なことなのではないでしょうか。この問題との関連で、意匠(装画)についても考える必要があるように思われます。つまり、穂村弘の文学的方法、およびその延長上にある書物の意匠、という問題です。将来、たとえば「現代歌人文庫」みたいなものにこれが収録される場合、装画が省略されて明瞭になるものとは何なのか、さらには、そもそも装画を省略することが可能なのか、といった問題も、考えてみる価値があると思うのですが、いかがでしょう?


[1577] 手紙魔 まみを 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/12(Thu) 15:02

一冊の「本」としては、私はまったく評価しません。全然買いたくないし、でも「歌集」だと思うから、「贈呈を待って」読みました。
贈呈されなければ、「機会があったら立ち読み」だったと思います。
贈呈されても読みたくない歌集が多いので、これは褒め言葉かもわかりませんが。
ただ、なんかやっぱり、みんな変なショックの受け方してるよ!

便所の壁に落書きされてたって、「うたはうた」ですよ。

「本」としてなんとやら、「歌集」として評価うんぬん、「よい作品かどうか」って、そりゃ大事なことかもしれませんけど、気張りすぎやんか!
そこ「うた」があるから、「うた」として感受する。
息を吸ったり吐いたりするような、ふつうのこととして受け止められないのかね?
感受の仕方は、あ、そーですか。でも、うわー、すごいでもいいですけど。

「本」とか「歌集」とか「歌壇」とか、なんでそんなに「枠」のなかで考えたいのかな?
「枠」作ってからでないと思考できないのね。感受もできないのね。
なんか、「酸素の吸い方と吐き出し方」を議論しているようで、はあ、息苦しいよ!


[1575] それは 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/12(Thu) 14:14

穂村さんの本が、どんなにポヒュラリティを獲得しても同じです。
その比重は変わりません。


[1574] 藤原龍一郎さんのコメントを読んで 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/12(Thu) 14:02

>だから、短歌雑誌になど書評が載る必要もないし、歌壇の反応を気にすることもない。


やっと作家と呼べる元歌人が出てきたというのかしら。歌集の形態をとらず「本」を選択したということだけれど、「本」という言葉の使い方は、ちょっと大雑把なような気もする。
「本」と言っても、二つの意味がありますよね。(仰ろうとしている意味はわかりますが)
歌集が斬新なデザインと画期的な言葉の心身をもって登場するのはいいことだし、小説と同じような軽快さで、沢山の読者に届くのは素敵な事だと思いますが、また小説や他の散文などと同じように読める本作りをするのは好きですが、それは、今までの歌集があまりにも固定観念に縛られた本作りをしていたからだけなので、出版、流通の問題、自費出版に近い、またはそのものの、行数・行間まで決まったような、本屋(歌集出版系)まかせの、あるいは、それに仕切られた、それを疑うこともない、そんな形態に問題があったので、自覚的に、作品を、生き生きと読めるものにしてゆく。時代遅れの、センスを疑うような仰々しい本作りをやめて、形状も内容もシンプルに息の通ったものに、していこうと、考えればいいので、歌集はこういうものと決め付けない本作りをしていけばいいので、単に、穂村さんが、出ていけば、とか、出ていってしまうからいいというものじゃなくて、穂村さんの本は、両方の、つまり全体の評価を受けるべきだと思います。
外も内もなく、歌壇外も歌壇内も無い。
そんなことで分けられるべきでもないし、またそんな境界を突き抜けてこそ「本」でしょう。

穂村さんが「歌壇」に愛想をつかして出ていったところで、「歌壇」の方は、放っておくわけにはいかないでしょう。

無視するには、よい作品が多すぎるし、本としても歌集としても評価せざるをえないでしょう。どこまでも追っかけていくしかないでしょう。
もしも完全無視をするようなら、自らの首を絞めてしまうことになるでしょう。
歌壇が窒息死しないためにには、望みもしない、ただ才能の枯渇によって生れている閉塞状況の、その突破口となるべき作品を無視できないはず。

私は歌壇も『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』の評価をきちんとするべきだと思いますよ。
穂村さんが出ていこうと、踏みとどまろうと。
私は分けるのには賛成できません。
よいものはよい。内も外もないと思います。


[1573] そういえば 投稿者:井上 洋 投稿日:2001/07/12(Thu) 11:16

私も、やや迷いましたが、その場で即座に買ったクチです。
初めて出会った歌集をその場で買うことは稀なので、自分でもびっくり。
この本には、そうした吸引力はありそうです。

それから、一首評が似合わないというお話は、短歌人のHPの批評の掲示
板に四首ひいて、反応を見ているのですが、全く書き込みはないですね。

http://homepage2.nifty.com/hiro2001x/index.html


[1571] 往キテ復タ還ラズ 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/07/12(Thu) 09:02

塩谷さんがお書きの一首評が似合わないというのは私も同感で、つまり、そこに
「歌集ではない本」という著者の決意があるのだと思うわけです。
だから、短歌雑誌になど書評が載る必要もないし、歌壇の反応を気にすることもない。
日経のコラムなどでもわかるように、穂村弘の文章のセンスの良さは、歌人の中では
群を抜いているのですから、そういう能力とスキルを駆使して、歌壇を出て行けばいい
と私は思うわけです。
もはや、歌壇に足をかけておく必要も理由もない。特定少数でない世界で評価され
ポピュラリティを獲得する可能性を、誰よりも感じる。あらためて「手紙魔まみ」を
読んで、期待はさらに大きくなりました。
加藤治郎さんが、日記でこの歌集を即座に書店で買わずに、贈呈されるのを待って
しまったということを韜晦していたが、私は即座に買う行動ができたことを嬉しく
思える。実は、その後、贈呈していただいたのだが、実際、この本は歌人たちに贈呈
するという習慣に従う必要などなかったと私は思う。
すべての歌壇的しがらみやみれんを棄てて、往キテ復タ還ラヌ穂村弘という表現者を
私は実現可能な理想として今、思い描いている。



[1570] まみの挿画とテキスト 投稿者:塩谷風月 投稿日:2001/07/12(Thu) 08:24

「かばん」の塩谷風月です。
ちょっとだけ、横から入って走り抜けます。

「まみ」の評価の仕方について、素朴な疑問ですが
「歌集」という言葉から見ていると、
歌があくまで主体で他は修飾とか装丁?いう感になるから
画が「合っている」「合っていない」ということを言えるのかも知れませんが
「まみ」を「歌集」ではなく「本」として見たなら、
テキストも画も含めて「本」であって、全体像、評価、というものは
テキストも画も溶け合わせたところで出すものなのではないかなぁ、と思いました。

画を無視してテキスト内容だけを云々しても、この「本」全体に対して
何かを言えているようには思えなくて。

一首評の似合わない本、と、初めて読んだ時からぼくは思っていたのですが
たぶん、それは「歌集」ではなく「本」として、大いにこれを認めたからだと
自分では思っています。

失礼しました。

http://www1.mahoroba.ne.jp/~shiotani


[1568] いや、 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/12(Thu) 01:40

諒解!!


[1567] >松木さん。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/12(Thu) 01:37

了解!!


[1566] そして私は 投稿者:松木 秀 投稿日:2001/07/12(Thu) 00:37

「歌壇インサイドの思考や考え方や行為」を理解しているひと
(それを肯定する否定するを問わず)を「歌壇の人間」と考えたふしもあります。

少なくとも、『手紙魔まみ』を読んだときに、私の中にもわずかながらあるであろう
「歌壇的思考」は全く発動しなかった。「歌集」というより単なる「本」として
読んだのです。

http://www2.diary.ne.jp/user/86872/


[1565] 辰巳さんへ(歌人見習いより) 投稿者:松木 秀 投稿日:2001/07/12(Thu) 00:23

言い方に語弊があるかもしれませんが、
私は『歌壇』という言葉を狭く考えすぎていたようです。
少なくとも歌集を出したり同人誌を出したりしていない人は、
たとえ結社にいても『歌壇』未満のにんげん、と考えたのです。
もちろん、私は「短歌人」にいますし、新人賞も戴きましたから、
「短歌人」のにんげんとしての責任は当然生じます。
それを重苦しくも考えていません。

私は「歌人見習い」ということになるのでしょうか。
発言にはそれなりの責任を持ったつもりなのですが。

http://www2.diary.ne.jp/user/86872/


[1564] 最近のわかい人は 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/12(Thu) 00:05

よく、「結社には入っているけれど、たまたまそこで作品を発表してるだけで……」みたいなことを、ぬけぬけと言うけれども。
私は自分を歌壇のにんげんだと思っていますよ。
結社にもどこにも帰属してはいませんけれど、発言には、「歌壇」のにんげんとして、相応の責任があると思っています。
(私の思考も感性も行為も、ぜんぜん歌壇インサイドではないけれども)
もちろん、集団に帰属していたらなおさらと言うか、当然と言うか、責任は発生するのではないですか?
所属結社が「短歌人」なら、その発言・行為には、「短歌人」のにんげんとしての責任がね。
そんなもんおもくるしい!のであれば、辞めたらいいだけのはなし。
帰属を肯定するなら、そういうもの背負うべきではないでしょか?


[1563] え!? 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/11(Wed) 23:53

あなたは歌壇の人じゃないんですか?
結社や同人誌に入って、それを歌壇に向けて発信していれば、立派に歌壇の人だと思いますけれど。


[1562] 「外側の読者」から 投稿者:松木 秀 投稿日:2001/07/11(Wed) 23:24

私も歌壇の人間ではないので、『手紙魔まみ』の感想を外側の読者として書きます。
なんだか、この本は自分にとっては一度読んで感想を書いたらそれで済んでしまう、
という程度のものでありました。
イラストも趣味ではありませんし。
しかし、「外側の読者」もひとくくりではなく、いろんな「外側」があって、
特定の「外側」の人間にはアピールできる本かもしれないな、とは思いました。
そしてその「外側」は数万人単位でいるかもしれない、とも。

http://www2.diary.ne.jp/user/86872/


[1561] 非日常 投稿者:井上 洋 投稿日:2001/07/11(Wed) 18:08

20年以上短歌を読んできていながら、短歌という短詩型の読み方という方法論
に関し、まだ十分確立できていない、というのが私の現状です。まあただの勉強
不足なのかもしれませんが、短歌のまわりに渦巻く目には見えない何かに、翻弄
されてしまうのですね。

歌集を読む場合、あえて非日常的な時間を自分に与えることにより、それに対峙
しようとする、なんていうと大仰ですが、そんな感じです。

小説などでは、かなり難解なものでも、そこまでのことはしませんね。小説を読
む自分は日常のなかに常に定着しています。

そこで「手紙魔まみ」ですが、前者か後者かという二者択一になると、やはり後
者かな、ということでしょう。わからなくても、記憶にとどめられなくても、楽
しめれば良いのではないか。
安直な言い様ですが、その仕組み性を感覚的に楽しめば良さそうな気がいたしま
す。

以上、私の頭脳、感性、経験という枠組みのなかでのお話ですので、あくまでも
ご参考です。

http://homepage2.nifty.com/hiro2001x/index.html


[1560] 「外側の読者」から 投稿者:ESMERALDA 投稿日:2001/07/11(Wed) 17:58

覆面で口をはさむ失礼をお許しください。
一連の『手紙魔まみ』をめぐる書き込みを拝見して思うことを、少し。藤原龍一郎さんおっしゃるところの「歌壇アウトサイド」の人間の意見です。まず、「挿画の良し悪し」について、「石井辰彦さんが、これを嫌うのはよくわかる」というような内向きな方向に話が向かいがちなのは残念なことです。私個人としては、この挿画と、それが醸し出す本全体の雰囲気は「趣味が悪い」としか思えません(この意見は「内向き」でこそないけれど、とっても「個人的」ですが!)。歌集としては新鮮なのかもしれませんが、「この本を歌集なのだという視点で読むのではなく、面白そうな表現、文学、読み物、として受けとめる」(No.1544 藤原さんの意見より)かぎり、この本で試みられている冒険(?)の手法には疑問が残ります。むしろ、この本が相手にしているのは、かなり範囲の狭い、枡野浩一さんの表現をかりれば「特定少数」のように思われます。その少数が、従来の短歌ファンでない可能性はたしかに大きい。ですから、最初からそういった読者を獲得することが目的なのでしたら、試みは成功している、ということになります。
私は、穂村弘さんに、短歌のみならず幅広い可能性を秘めた才能ある表現者として注目してきました。そして、こんどの歌集には正直言って失望しました。これは、いま、このような形で世に出されなければいけないものだったのでしょうか?


[1559] >石井さん。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/11(Wed) 17:46


例によっていささか強い表現で批判してしまいました(いつもの癖です。御容赦!)

と、石井さんはいうけれど、それは石井さんの持ち味なのだから、私としてはばーんと出していってほしいです。
無防備でいいじゃありませんか。
どこのあっても、窮屈な思いはしないでほしいな。
追い出されたら慰め合おう。(笑)


[1557] なるほど、なるほど! 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/07/11(Wed) 15:07

『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』およびその装画ついて、多くの方が真摯に意見を開示してくださっています。ありがたいことです。そのすべてに納得できる、というわけではありませんが、そのすべてが考えてみるに値するものだ、とは思いました。もっと多くの方の意見を知りたいと希望します。

例によっていささか強い表現で批判してしまいました(いつもの癖です。御容赦!)が、タカノ綾さんの装画は、どうしても気になります。意外に多くの方が支持していらっしゃるところを見ると、複雑な心境ですね。おそらく、あの「単に汚らしいだけ」な画風や、「技術的にも趣味的にも相当に劣悪」だと見える作風も、個展などでオリジナルを纒めて鑑賞すれば、魅力だと言えるのかもしれません。面識はありませんがその作品には高い評価を与えざるを得ない、いわば「気になる」存在であるあの村上隆さんが、その主宰する HIROPON FACTORY でプロデュースし売り出しているアーティストなんですから、タカノ綾さんはそれだけの才能のある画家なのだろう、とも思います。ただ、どうしても短歌と装画が、ミスマッチというか齟齬をきたしているというか、そんな感じが拭えないのです。枡野浩一さんが紹介されている「"裏"日本工業新聞!!」におけるリウイチさんのコメント、「タカノ綾さんの新作イラスト集を買ったら穂村弘さんの短歌がいっぱい付いてきて得した気分」というのは、そのあたりの微妙な違和感を巧みに表現した評言なのかも知れませんね。

ともかく、タカノ綾さんの次の個展には、それが東京で開催されるのなら、是非ともでかけなくては、と思います。私は NADiff のサポーターズ・カード(デザインは村上隆さん!)を持っているのに、タカノ綾さんの個展や作品集には気が付きませんでした。

それと、余談ですが、HIROPON FACTORY のウェブサイトにプロレスおよび格闘技専門の BBS があって、ちょっとびっくりしました。WWF の The Rock というレスラーが出演している映画 "The Mummy Returns" を観て、そう言えば藤原龍一郎さんをはじめ歌人にはプロレス愛好者が多いような気がするなあ、と考えていた矢先だったからです。

余談はさておき、『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』については、さらに深く考え、できればさらに若干の発言もしてみたいと思います。どうぞよろしく!


[1556] 「穂村弘」には 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/11(Wed) 15:03


> さらに、端的に言えば、この本の内容からは私は拒絶されているようです。

ほんとにそうかしら。
よくわからないな。



奥付の文字の小ささ 読む前に視力検査が必要だった


私の場合はこんな感じですけれど。
拒否されていると感じたのは。

内容的には、まみのせつなさっていうのはむしろ全人類共通項だし、特別なものとも思えなかったし、065ページからは、酷く真面目で、地球の最終局面の目撃者の目で貫かれていて、穂村さんでしたけれどね。パチンと終るんですよ。
擬態に惑わされることもないのだし。穂村さんも別に無理もしてないし、今はまみで語るのが一番語りやすかったってだけに思うけれど。
引用してはいけないかもしれないけれど、引用したい歌が沢山あるほど、とても私には感じる歌が多かったですけれどね。
それでも不満だっていうのは、穂村さんには、世界の現代文学の第一線の書き手と同じものを要求したいからだけですけれど、超えてほしいから、感動したいからですけれど。


[1555] 手紙魔 まみ 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/11(Wed) 14:19

ここで繰り広げられているのは、作品の批評というよりは、方法の批評ですよね。
確かに件の歌集は、「もっとも歌壇らしくないもの」であるけれども、穂村らしいかというと、私はちょっと違うとおもうな。
要は、「林あまり」を彷彿とさせる方法で、「もっとも歌壇らしくないもの」をつくっちゃったのであって、「穂村らしさ」は、随分その点に譲りましたね。
藤原さんの発言。

さらに、端的に言えば、この本の内容からは私は拒絶されているようです。


まさに「端的に」、藤原さんの言葉で、作品が批評されている。

さて、「手紙魔まみ……」から引用すると、

甘い甘いデニッシュパンを死ぬ朝も丘にのぼってたべるのでしょう
いますグに愛さなけルば死ギます。とバラをくわえた新巻鮭が
溺れたひとという想定の人形のあたまを抱く熱風のなか

これらの作品に、穂村弘の体温を感じて私は安心する。
絵は絵で好きだけれども、穂村くんには、もっときりきりしんどいところがあるのに、この絵では、作品に輪郭を与えてしまって、深さは出ないんだ。
内容もそうだけど、譲ったとおもうのは特に、そこですね。


[1554] 誰もが気軽に手にとって 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/11(Wed) 13:43

普通の小説とか、雑誌とかマンガとか読むように読めるということだと思うれど、
別の意味で、短歌のほうからのアプローチが違うような感じで書かれているので、私が伺いたいのは、そのことなんだけれど。


[1553] ??? 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/11(Wed) 13:34

>歌集としての読み方って、ある種特殊なんですよね。言葉でなかなか説明できな
いのですが

説明できないと仰っているのに申し訳ないけれど、興味深いお話しなので、説明していただけないかなぁって思う。
井上さんがだめっておっしゃるのならほかの方で、おわかりになる方がいらっしゃれば、是非と思うけれど。。。

>歌集としての読み方を強要しない、と少なくとも
いえるのえはないでしょうか。

これも同じだけれど。どういうことかしら?




[1552] 手紙魔まみ・・・ 投稿者:井上 洋 投稿日:2001/07/11(Wed) 12:46

短歌人の井上ともうします

ところで、藤原さんの
>「歌集としてこの本を歌壇は受け取ることができない。この歌集を受けとめる
>言葉を歌壇はもっていない
ですが、直感的にはその通りだと思います。

私自身、短歌をつくり読みますが、明らかに歌壇の外にいて、いろいろなジャン
ルの良質な書き物を読むように努めています。「手紙魔まみ」は、歌集として手
にとったという感じは最初からありませんでした(八重洲ブックセンターの歌集
コーナーにあったものですが)。

ばななや村上春樹の新作を手に取るようにぺらぺらめくり、1800円(でした
っけ)は高いなと思いつつ、レジに持っていった次第です。

歌集としての読み方って、ある種特殊なんですよね。言葉でなかなか説明できな
いのですが、「手紙魔まみ」は歌集としての読み方を強要しない、と少なくとも
いえるのえはないでしょうか。

ちょっとエッチな絵も魅力的、息子達の目に付くところには軽率におけませんが
ね。

http://homepage2.nifty.com/hiro2001x/index.html


[1551] 以前どこかで書いたことですが、 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/07/11(Wed) 11:16

だれもに好かれようとしている本は、
だれにも好かれない本になってしまう、
と常々感じております。

松木秀さんが日記でおっしゃってるように、
「不特定多数」ではなく「特定多数」に向けての本づくり、
それが今回の穂村弘さんのねらいなのではと私も感じました。
「特定多数」という秀逸なキーワードには辿り着きませんでしたが、
私の「手紙魔まみ〜」評も、
ほぼ同じところを見ているのだと思います。

あ、
しかし松木さん、
「不特定多数」というのは幻想であって、
どんな表現も「特定多数」または「特定少数」に向かっているのでは、
というのが最近の私の実感です。

その実感のあらわれである2冊の本、
7月25日に出る
枡野浩一『ハッピーロンリーウォーリーソング』(角川文庫)と、
8月1日に出る
加藤千恵『ハッピーアイスクリーム』
(発行=マーブルトロン、発売=中央公論新社)を、
書店で手にとってみていただけると、しあわせです。

http://talk.to/mass-no


[1550] タカノ綾の絵、私は大好きです。 投稿者:枡野浩一 投稿日:2001/07/11(Wed) 10:54

穂村弘を知らなくてもタカノ綾の絵にひかれてこの本は買ってしまうかも、
と妻(漫画家)も言っていました。

↓短歌とは無縁の生活をしているプロのライター、
リウイチさんの【7月8日】の日記もご参照ください。
http://www.asahi-net.or.jp/~WF9R-TNGC/nikko.html



小学館のPR誌「本の窓」8月発売号(9・10月合併号)に、
「手紙魔まみ〜」評を書きました。きのう入稿。
私なりの書き方しかできなかったけれど、
私なりの書き方になっていると思います。
ご笑覧いただけると幸いです。

http://talk.to/mass-no


[1549] つづき 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/11(Wed) 10:09

>商品としての装丁と
考えれば、成功しているのではないでしょうか。


商品としての装丁として、という但し書きはなくても、固有の歌集それ自体としてこの絵は存在感があっていいと思いましたけれど。


[1548] ↓これ、賛成です。 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/11(Wed) 10:03

>タカノ綾さんのイラストはこの本には合っていると思います。
大書店の店頭での並び方から見ても、この表紙は目だつし、商品としての装丁と
考えれば、成功しているのではないでしょうか。


[1547] 藤原龍一郎様 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/11(Wed) 10:00

>「歌集としてこの本を歌壇は受け取ることができない。この歌集を受けとめる言葉を
歌壇はもっていない

歌壇ってそんなところですか?
この本は、ごくスタンダードに、ごく普通に、歌集だと思いましたけれどね。
内容的にも、穂村さんが穂村さんしていて、穂村さん以外の何者でもなくて、むしろ物足りないくらい普通ですよね。
これが歌集じゃなかったら、何が歌集なんでしょう。

私はそう思いますけれどね。


[1546] 日付が明日になってますが 投稿者:松木 秀 投稿日:2001/07/11(Wed) 09:08

私の日記に『手紙魔まみ』について少し書いてみました。

http://www2.diary.ne.jp/user/86872/


[1545] >玲はる名さん 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/07/11(Wed) 08:26

> まぁ、まぁ、まぁ、と思いまして……。

はあはあ、なるほど、そうか、
感情が奔っているように見えたんだね。
アンドロイドだってこと忘れたのか(笑)。
ともあれ、気遣いどうもありがとう。(^^)

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[1544] アウトサイドのポピュラリティー 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/07/11(Wed) 07:46

石井辰彦さんの短歌観が『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』を評価できない
ということは理解できます。
私はこの本は歌集という存在感を捨てていると感じたので、そこに共感したわけです。
帯には「歌集」という言葉が2箇所に出てくるけれど、今までの歌集の範疇ならば
まさか「鬼才穂村弘」とは書かないですよね。
評判になった「わがままについて」という文章以降、穂村弘の短歌への発言は鋭く深い
ものになり、私もさまざまな刺激を受けてきました。同世代以外の人達を刺激すると
いうことで、短歌エスタブリッシュメントも穂村弘という存在を急旋回して認める
発言をし始めました。ここで、この九年間に書いた作品の中から、ほどほどの作品を
集めた歌集を出せば、歌壇はそれを大歓迎して、さらに評価はたかまり、
たとえば、寺山修司短歌賞という「分け前」をくれたと思うのです。
ところが、出てきた歌集は、みごとに、短歌インナーの予想を裏切るものだった。
「歌集としてこの本を歌壇は受け取ることができない。この歌集を受けとめる言葉を
歌壇はもっていない」と私が書いたのは、そういう思いからです。
つまり、この歌集で穂村弘は歌壇へのベクトルを捨てて、歌壇外へのベクトルを選ん
でいる。つまりそれは、歌壇インサイドで形成されつつあった付加価値を捨てて、
あえて一冊の本として外へ出て行く、歌壇の評価をほしがらず、外側に読者を求めた
姿勢に私はやはり刺激されたわけです。
この本を歌集なのだという視点で読むのではなく、面白そうな表現、文学、読み物、
として受けとめる読者が、どれだけ存在するかは予想がつきませんが、
歌集としてたかだか1000部前後の本を出して、どうのこうのと言われるより
大きな出版社で、きちんとエディターの目を通し、商品としての衣装・意匠をまとって
書店の店頭に並べられる方が、この内容にはふさわしいと思います。
そして、穂村弘の歌壇的付加価値などしらない読者をたくさん獲得することを私は
期待しています。
私が日記に断片的に書いたこの本への好感は、このような意味です。
さらに、端的に言えば、この本の内容からは私は拒絶されているようです。

タカノ綾さんのイラストはこの本には合っていると思います。
大書店の店頭での並び方から見ても、この表紙は目だつし、商品としての装丁と
考えれば、成功しているのではないでしょうか。

どうも、書きながら、自分も結局歌壇インサイドの思考だなあ、とうんざりしてしまいますが、
正直な感想として送信します。


[1543] >荻原裕幸さん。 投稿者:玲はる名 投稿日:2001/07/11(Wed) 07:43

玲はる名です。

>技術的にも趣味的にも、相当に劣悪だと判断

 この場合の「趣味的」は石井さんの趣味的ではなくて、
 例えば……「露悪趣味」とか、そういう意味での「趣
 味」の使い方である、ということですよね。

 あと、「技術的」。

 いずれにせよ、まだ、イラストのお話だけですし、こ
 れで、歌集全体の客観批評を石井さんがしたとは思っ
 いないとは思うんですよね。

 一部分を取り出すとそうなのですが、文章全体で読む
 と、批評的というよりは、藤原さんに、「どう思う?」
 というように、一問投げかけたような印象を受けまし
 た。が。

 でも、ご本人に伺ってください。

 でしゃばりました。

 撤回する必要はないと思いますが……。

 まぁ、まぁ、まぁ、と思いまして……。

 あの。

 その。

http://homepage2.nifty.com/tanka


[1542] Re[1527]: 「事件」に居合わすことはできなかったけれど 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/07/11(Wed) 07:07

沼谷香澄様

> 築地でチラシいただいたときから手帳に印をつけていたのに、行かれませんでした。
> 一生の不覚です。この掲示板の関連書き込みはぜんぶ読みました。で、欲求不満がさらにつのります。記録があれば拝見したいところです。

私も実は沼谷さんには、ぜひ、見て聞いていただきたかったので、残念です。
でも、無理はできないところでしょうから、今回はタイミングがあわなかったということですね。
朗読という表現方法に以前からこだわりを持っていた沼谷さんの姿勢に共感しています。


[1541] >玲はる名さん 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/07/11(Wed) 04:57

> 石井さんが嫌いっていうのも「趣味」だから

というのは、元の石井辰彦さんのコメントを
ねじまげて理解してしまっていないかな?
彼が「技術的にも趣味的にも」と書いたのは、
客観的に(普遍的なテクニックの問題として)も
主観的に(自身の芸術観から考えて)も
というような意味じゃないでしょうか。
玲さんは、後者の意味だけに絞ってるのかな。
ぼくが石井さんのコンテクストを取り違えていて、
これが単に「趣味」だけの問題であるならば、
口をさしはさむようなことじゃないから、
お詫びして、前言はすべて撤回します。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[1540] >荻原裕幸さん。 投稿者:玲はる名 投稿日:2001/07/11(Wed) 04:05

玲はる名。

 荻原さん、荻原さん。

> あの挿画を「汚らしいだけ」と言ってしまうのは、
> ほぼ「趣味的」な視線によるものではないでしょうか。
> あるいは「技術的」にと言うときの「技術」が、
> 特定の絵画やイラストの成り立つ技術に限定されていませんか。

 わたし、荻原さんの仰っていること、とてもよくわかります。
 でも、お仕事でないかぎり、世界の選択ってすべて「趣味」
 で動いているから、石井さんが嫌いっていうのも「趣味」だ
 から、「汚らしいだけ」と思うのも、自由といえば自由なん
 だと思うのです。タカノ綾さん(画伯)がどう思われるかは
 レイハル想像もつかないのだけれど、わたしが、自分が書く
 ものに対して、そのように言われても、傷ついたり、ショッ
 クを受けたりはしないと思います。予定範疇の批判であると
 思うし、それは、実はマトを得た作品であった、ということ
 になるはずなので。

 どんな評価が来ようとも、自分の世界観で勝負するしか、道
 はないことなんだなぁ、とこの事例をみて感じました。

 ちょっと、偶然目覚めてしまったので、もう、寝ます。

http://homepage2.nifty.com/tanka


[1539] Re[1528]: 藤原さん、穂村くんの新著ですけどぉ…… 投稿者:玲はる名 投稿日:2001/07/11(Wed) 03:46

玲はる名。

 書き込みにくると長くなってしまう……藤原さん、ごめんなさい。

 石井辰彦さま、ごきげんうるわしゅう。「まみ」。お読みになったんですね。

> ポピュラリティを獲得するのはよいけれど、こういう方法でよかったんでし
> ょうか?

 「まみ」に限らず、ポピュラリティについては、よく、思うのです。
 『サラダ記念日』はポピュラリティを獲得できた歌集ということに
 なるとすれば、「まみ」はたぶんポピュラーという一般層ではなく、
 特定の「(性格的分類上の)人種」や「世代層」に食い込んでゆく
 タイプの本になるのではないかな、と思っています。

 なんで、たぶん、石井さんの食指には触れなかった、ってことなの
 かな、と思ったりして。

 「いっぱいのかけそば」のような歌が五万と書ければ、わたしの歌
 も売れて、お金持ちになれるかしら。


> 技術的にも趣味的にも、相当に劣悪だと判断しました。このごろはこうい
> うのを「キュートなイラスト」って呼ぶのでしょうか? 

 この間、朗読の練習をしたときの二次会、三次会で、「まみ」をご覧にな
 ったときに、開口一番そのことを仰っていましたよね。今まで短歌の総合
 誌などで、同作品を見ていたのとだと、ずいぶん新鮮な方向性にイラスト
 世界がひらけているな、と思いました、ね。個人的には。もっと、他のイ
 メージが沸く場合もあるだろうけれど、タカノ綾さん(タカノ綾画伯? 
 ち、ちょっとわたしこういうときは、どういう敬称をつければいいか、よ
 くわからないもので)のイメージはアレだった、ということですよね。

 びっくりはしましたけれど、かわいいと思いましたよ。

 最近のかわいいは、かわいいだけではだめなんですよ。「きもかわいい」
 とか「デスかわいい」とか「ブスかわいい」とか。タカノ綾さんのイ
 ラストは、このどれにも入らないけれど、レイハルは「ぬくかわいい」
 (なまあたたかい感じのかわいい)と思いましたけれど。

 美術史上でイラストをみたら、それは、たいへんだと思うし、他の歌
 集だって、みんなふっとぶと思います。(笑) それは高いお金を出
 してモナリザとか、貼ったりしたいですね。(わたしの次の歌集は、
 ミケランジェロにしようかな……局部だけ)

 ……こほん。

 たくさんの絵をご覧になっている、石井さんならではの意見ですよね。
 いろいろな意見があっていいと思います。

 で、ですねぇ。あのイラストでは、社会性から切り離された別世界で
 の少女的性の(あるいみ放置された)姿が描かれているんだけれど……
 表情ではなくて、マークのような「まみ」(とおもわれる)と「ゆゆ」
 (とおもわれる)は、歌と合致しているように思いましたよ。

 なんで、あなた生きているの?
 なんで、あなたそこにいるの?
 なんで、そんなんで平気なの? (そんな暮らしで)

 と、常人の側(たぶん、これをポピュラリティと呼ぶのか!?)
 からは問いたくなるようなものたちが、放置された状態でうごめいて
 いる、ということについて。

 社会性から意味のないところの、特質したコアなものが詩にできる仕
 事のひとつなのだけれど、現代性と照らし合わせて、(たとえば、援
 助交際など)日常的ではあるのだけれど、タブーなものに対しての人
 間の内面はなかなか詩以外のもので切り取ると、タブーでしか処理さ
 れないものですよね。「親のしつけが悪い」とか「社会の歪」だとか。

 「まみ」が援交とか、そういことではなくて、なにか、社会からのタ
 ブー。歪の中にあるコアなものを、社会の定規ではなく、詩という方
 法で救った作品であるかな、と思ったりするのでありました。

 書き下ろしですし。すごくトーンが凝縮されている印象もありつつ。
 穂村さんは歪に生まれちゃった人なんでしょうね。ある意味「まみ」
 という。「ほむらまみ」「まみほむら」
 

http://homepage2.nifty.com/tanka


[1538] ちなみに。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/11(Wed) 01:46

私のハハオヤは、
藤原さんてすごいのね!!
と、朗読聞いて感激していました。はやくお風邪治してくださいね。


[1537] 私的なおはなし。 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/10(Tue) 21:56

このところ二週間で、体重5キロ減りました。
「落ち込んでて、食欲なくて……救急車呼ぶよりましかと思って、メールで食事日記つけて、友だちに見てもらってるんだ」
と、ハハオヤに近況を話したら、
「なんちゅーこっちゃ!相手はだれや!」と詰問……。
「え?ええ……短歌やってる男の子だよ」
「もーアンタちゅう子は! またかい! しらん!!」
で、電話ガッチャン切られました。
なんで?なんで???
何が「またか」なんだよ?
も一回かけても出てくれません。
言い方悪かった? 日記なんてもんじゃなくて、
「今日お昼何食べた? ○○だよ」ぐらいの軽さなのに。
そりゃ、いろんな話もするけれども。

彼女は昭和12年生まれですが、古い人間です。

人妻が、「男の子」に、私的な「日記」を読ませている、なんとイヤラシイことを。

そう思ったみたいで。
上のように書いたら、ホンマにやらしいわ!
このごろ親の心配して辛かったのに……。
ひどいよ、ひどいよ。涙、……。

このままでは立ち直れない。
かけ直して、
「ゆーとくけど、どーそーかいで、△○☆∞に逢うのを楽しみにしてるあーたのほうがよっぽど醜悪!」
と言い返しておきました。

ネットで日記、はこんにちの定番ですが、
彼女(そのつれあい含む)に言わせると、
私的なエピソードを公開するなんて、なんというおぞましい……ことだそうです。


[1536] 荻原さん。 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/10(Tue) 21:05

わかりました。
気をつけます。


[1535] 核。世界の終焉を目撃する私たち。 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/10(Tue) 21:03


・眼球の表面に溶ける太陽が映ってて髪さかだってます

・閃光ののち、しましまの、うずまきの、どうぶつだけがうまれる世界 

・テロップの流れがはやくてわからない、誰、だれが死んだの

・爆風で飛ばされてきた草原が絨毯みたいにぺろんと掛かる


[1534] >風間祥さん 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/07/10(Tue) 20:55

特に取り決めはしませんけれど、
コメントが主、あくまでも引用作品は従、
という姿勢に徹していただけるとうれしいです。
ここは私的なスペースですが、メディアでもあります。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[1533] すみません。 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/10(Tue) 20:48

私の文、他人のURLを拾ってしまったり、誤って挿入されている行があったりしたので、削除し、送信し直したので、順序が逆になっています。


[1532] >石井辰彦さん 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/07/10(Tue) 20:46

タカノ綾さんの活動については
詳しく知っているわけではないですが、
あの挿画を「汚らしいだけ」と言ってしまうのは、
ほぼ「趣味的」な視線によるものではないでしょうか。
あるいは「技術的」にと言うときの「技術」が、
特定の絵画やイラストの成り立つ技術に限定されていませんか。
歴史的にすでに確立されてしまっている
技術や芸術観を踏み出して表現することは、
穂村弘の短歌の在り方にもつながることで、
短歌にも挿画(というか共同制作者ですね)の選択にも
同じ考えが貫かれているということではないでしょうか。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[1531] こんな歌が好きでした。 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/10(Tue) 20:41


掃除機をかけてこんなに汗をかくわたしはきっと風邪だと思う

トランプカジッタノオコッテナインデスネ? 熱のある人とおんなじにおいの兎

(あなたはまみにどんな酷いことをしてもいい)睫と息と空が凍って

真夜中か夜明けかわからない空に薔薇線らしきこのシルエット

まみ、いままで、めちゃくちゃだったね、ごめんね、とぼろぼろの髪の毛に謝る

サイダーがリモコン濡らす一瞬の遠い未来のさよならのこと

源氏名と同じ「ヘレン」が飛び散ったホラー映画が巻き戻される

眼球の表面に溶ける太陽が映ってて髪さかだってます

閃光ののち、しましまの、うずまきの、どうぶつだけがうまれる世界 

テロップの流れがはやくてわからない、誰、だれが死んだの

爆風で飛ばされてきた草原が絨毯みたいにぺろんと掛かる


[1530] 今までより、 投稿者:風間 祥 投稿日:2001/07/10(Tue) 20:20

ずっと穂村さんが、ダイレクトに語っているという気がするのですけれど。
「まみ」を造型しているにも関わらず、穂村さんの声が直接聞こえる感じですよね。
フィルター越しの風景じゃなくって、硝子越しでもなくって、てっとり早く言うために、どんどん面倒な手続きをしなくても検問通過できるように、「まみ」を一応創って、でも後は、饒舌ですね。
そこが私は駄目でした。
でも、抜書きしたような歌は、よかったんですけど、、、駄目かなぁ。

>真夜中か夜明けかわからない空に薔薇線らしきこのシルエット

この歌、何か唐突に出てきますよね。
初出は、「現代短歌雁」ですけれど、その時も、

・何故こんなところに砂時計があるのかとふたりは不思議に思う

こんな歌と並んでいて、シュールでいいなって、思っていたんですけれどね。

でも私も、シンジケートの【あとがきにかえて】をまだ、超えていないと思います。 歌集全部より、私はあの散文が好きです。それくらい好きでした。

著者は気を悪くするでしょうか。


[1528] 藤原さん、穂村くんの新著ですけどぉ…… 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/07/10(Tue) 17:06

やけに評判になっている『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』ですが、昨日落手し、読み(見?)始めました。「夢みる頃を過ぎても」を拝見する限り、藤原さんはかなりこの本に好意的なようですよね。しかし私は、これを評価することができません。ポピュラリティを獲得するのはよいけれど、こういう方法でよかったんでしょうか? 大いに疑問に思っています。ここは、藤原さんをはじめ、多くの方々の、忌憚のない御意見をうかがいたいところなのですが……。私の蒙を啓いてくれるような読み方が、もしかしたら存在するのかもしれないですし、ね!

で、とりあえずタカノ綾とかいう人の装画に関して、はっきり No! と言っておきます。別に使用済みのタンポンが描かれていたってかまわないのですが、この装画、単に汚らしいだけなのではないでしょうか? 技術的にも趣味的にも、相当に劣悪だと判断しました。このごろはこういうのを「キュートなイラスト」って呼ぶのでしょうか? 穂村弘くんも編集者の村井康司さんも、とても素敵な方々だと思っていますし、尊敬もしているのですが、今回の装画の選択については、正直真意を理解できませんでした。藤原さん、そうは思われませんか? 


[1527] 「事件」に居合わすことはできなかったけれど 投稿者:沼谷香澄 投稿日:2001/07/10(Tue) 10:51

朗読バトルのご成功おめでとうございました。
築地でチラシいただいたときから手帳に印をつけていたのに、行かれませんでした。
一生の不覚です。この掲示板の関連書き込みはぜんぶ読みました。で、欲求不満がさらにつのります。記録があれば拝見したいところです。

http://homepage2.nifty.com/swampland/


[1526] ホーキング青山のHP 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/07/10(Tue) 06:45

昨日の夜の「スーパーテレビ」にとりあげられていた
ホーキング青山は、私の昔からの知り合いです。
↓HPも面白いので、のぞいてみてください。

http://homepage1.nifty.com/hawking/


[1525] 松原一成さん、ありがとう 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/07/09(Mon) 20:31

松原さん、一週間のお仕事、お疲れさまでした。
朗読バトルのあと、林あまりさんから、舞台の転換と進行がスピーディーで
びっくりした、と褒められたのですが、これはすべて、松原さんのおかげです。

石井辰彦様、荻原裕幸様
それでは、今後、私の推す歌集の紹介を積極的にやるよう努力します。

今日は風邪で熱が出ているので、頭の芯がもわっとしています。
みなさまも、夏風邪に気をつけてくださいね。


[1524] [1520]の荻原さんのことば 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/09(Mon) 02:14

うれしいです。
そう、為手の側に、仕事をしたという自信がないと、批判のご紹介はできません。


[1523] 一週間遅れの 投稿者:松原一成 投稿日:2001/07/09(Mon) 01:06

朗読バトルの舞台監督・松原です。
一週間遅れですが、お疲れ様でした。
そしてご支援下さった皆様、ありがとうございました。
ラジオドラマ6本脚色の〆切地獄から、
先ほど脱出しまして、いやー、長かった。
明日から、通常の忙しさに戻れそうです。
って、明後日いきなり徹夜仕事が待ってますが‥‥。

今回のバトル、実に面白かったですね。
私自身、初めての試みでしたが、いろいろ手応えをつかめました。
とにかく演者がいいと、裏方は楽しい。
歌詠み始めて3年弱。
いきなり歌壇の名男優、名女優と御一緒できたのですから、
うーん、構成作家しといてよかった。
‥‥というわけで、反省会、楽しみにしております。


[1522] 一首朗読 投稿者:石川美南 投稿日:2001/07/09(Mon) 00:25

>辰己さん

>ところで、一首朗読のコンセプトは、
>わかい人にがんばってほしいという、藤原と辰巳からの「花束」であって。

あ、はい、それはもちろんわかっているのです。
私個人としては、一首朗読させていただけたことはプラスになりましたし、
誘っていただけて、ほんとに感謝しています。
でも、朗読会全体を眺めたときにどれだけ有効だったかというと、やはり疑問が残ります。

朗読会を聞かせていただくこと自体で、若い世代は辰己さんからエールを受け取っています。
自分も、朗読をやるときはあのくらい本気でやろう、と。
だから、一首朗読という関わり方は、生意気だけれど中途半端なような気がしてしまったんです。
(写真を持ち込ませていただいたのは、私なりの精一杯の自己主張でしたが、
自己主張として少しでも成功していたのか、どうか。)

壇上にあがった人が「辰己さんにも藤原さんにもとてもお世話になっています」
みたいなコメントをしてしまったことも、花束贈呈的なイベントに
見えてしまった要因かもしれませんね。
見ていた方の中から「辰己さんらしくない」という声があったのは
そういうことじゃないでしょうか。

他の、一首朗読した皆さんはどんな感想を持っていらっしゃるのでしょうか?
機会があったら伺ってみたいです。

朗読という形式を取るかはわかりませんが、辰己さん・藤原さんにいただいた
「花束」は、必ずや自分の中で生かしたいと思います。
重ね重ね、ありがとうございました。

http://www.h3.dion.ne.jp/~punchman/


[1521] 藤原龍一郎賞 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/07/08(Sun) 23:33

私の安易な発想がちょっとした嵐を巻き起こしちゃったみたいで、恐縮です。荻原くんの懸念は、たしかにもっともなもの。しかし藤原さんの心意気も素晴しいし。「藤原龍一郎賞」と構えてしまうのはとりあえず時期尚早として、「藤原龍一郎の推薦歌集コーナー」みたいなことを定期的にやっていただくってのはどうでしょうか。「夢みる頃を過ぎても」で書かれている読書の感想を発展させて、注目すべき歌集をちょっと強力にプッシュしていただくっていう企画です。


[1520] Re[1517]: 「父ねこものがたり」はね…… 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/07/08(Sun) 22:52

>辰巳泰子さん

> 賛否両論ありました。

その朗読会を見聞していないのに
いろいろ言うのは気がひけるのですが、
賛否両論、が出ているというのは、
それゆえに成功したという感触がありますね。
朗読が多方向にひろがることを期待する一人として、
定番ではなく試行に向かって企画されている様子を
ひそかに応援させていただいています。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[1519] Re[1514]: 荻原さんに 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/07/08(Sun) 22:42

>藤原龍一郎さん

> 私も分別あるおとなですので、
> いきなりアナーキーなことはしませんので。

あ、いえ、たしなめるとかそういうことではなく、
ん〜、しかし、そのような口調でしたか……。
すみません。失礼しました。

ぼくが懸念したのは、アナーキーという事態ではなく、
最終的にめざすのがいい歌集を埋もれさせないことならば、
別の頂点(賞)を構成するような発想をもちこんだとしても、
結局どこかに死角を生じさせてしまうのではないかということでした。
アナーキーな事態は個人的に好むところなのですが、(^^;;;
この場合は理にかなっていないように思われたのです。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[1518] 反省会 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/08(Sun) 20:07

反省会は、藤原さんと、バトルになるかもね。……
ちなみに、私も「おとな」です。(笑)
怖いかな?こんなこと書くと。自覚なし。


[1517] 「父ねこものがたり」はね…… 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/08(Sun) 19:15

>石川さん。
前半部分の「父ねこ」と主人公「あかにゃん」の確執に、すんごいショックを受けた人がいてね。
それと朗読は関係ないんですが、
もう、わたしの家庭は崩壊ですね……。

ところで、一首朗読のコンセプトは、
わかい人にがんばってほしいという、藤原と辰巳からの「花束」であって。
もし間違ったとしたら、私たちの「渡し方」か、あなた?の「受け取り方」でしょね。
賛否両論ありました。
ただ、
「こんなわかい人が短歌をつくってるのねー。日本の未来もあかるいわあ」
という感想を、年輩の、歌人でない方からいただいています。
一方で、
「あれが辰巳サンのアイデアなら、辰巳サンは言ってることとやってることが違ってきてる」という感想もありました。く……矢面。
そう考えたのは、短歌人のヒトですけど。
また、「辰巳はだれかと組んでやるな! 単体で勝負だ」というご意見多数。
こっちに集まってきてるのはね。


[1516] パンチマン宣伝 投稿者:石川美南 投稿日:2001/07/08(Sun) 17:12

やたらと長い書き込みが重なってしまい、申し訳ありません。

9日0時より、恒例の「四角いジャングル!」を
開催いたします。今回は掲示板1万ヒット記念の特別編。
パンチマンVS非パンチマンの試合(8首対8首)を行ない、
パンチマン側が負け越したら解散です。
是非是非投票しに来て下さい。

以下、少々暑苦しいですが(笑)貼り付けさせてください。
――――――――――――――――――――――――
PUNCH-MAN PRESENTS
ありがとう!一万人突破記念企画・四角いジャングル!特別篇
「歌を突き抜けて虹になれ!炎の五番勝負」

パンチマン宣言
私達PUNCH−MANが負け越したら解散いたします

 一番勝負(7月9日より)
 パガニー忍者vs歌神ベルベットショパン 題「しりとり」

 二番勝負(7月15日より)
 アルゴンキンvsプレスリーJr 題「煙草」

 三番勝負(7月21日より)
 百恵ペンシルヴァニラ VS ナイトゲームズ藤壷 題「死」

 四番勝負(7月27日より)
 (未定) VS ミラクールハット 題 未定

 最終五番勝負(8月2日より)
 バンバンビガロ元帥 vs スクーチカ3世 題「夕立」
――――――――――――――――――――――――

よろしくお願いいたします。

http://www.h3.dion.ne.jp/~punchman/


[1515] 朗読会、感想 投稿者:石川美南 投稿日:2001/07/08(Sun) 17:08

藤原さん、辰己さん
遅くなってごめんなさい。朗読会感想、少しだけ書かせてください。

藤原さんの「慈悲」の朗読を思い返すと、なんだか女の人の咽喉の骨ばかり
浮かびます(なぜだ)。慈悲といいながら無慈悲なような、切迫していながら
どこか客観的なような声が印象的でした。
セカンドバトル、とても面白かったです。
藤原さんどこかで「固有名詞がわかりにくかったかな」とおっしゃっていた
気がするのですが、固有名詞がぼんぼん入ってくるところが良かったと思います。
特に、夕張とファンタスティック。
うしろのノイズなしでも十分藤原龍一郎的朗読になるのじゃないか
という気もしましたが。
逆に、後ろの音声が100%生きていると思ったのが「ノイズ」でした。
3重構造は今回が初めてだったでしょうか。回を重ねるごとに
面白くなってきている気がします。

辰己さんの朗読では、セカンドバトルが一番よかったと思います。
辰己さんの「本気」感が伝わってきました。あの風車はただの風車じゃないよ、という感じ。
「浄瑠璃仙川心中」は、『恐山からの手紙』を読んだときは他に比べて
いまいちピンとこなかったのですが、朗読で聞いたら、すっと情感が伝わってきて怖くなりました。
くろこの内山さんが着物を剥ぎに(?)出て来たときはどきどきしましたよ(笑)。
「父ねこものがたり」は、前半部分も読んでもらいたかったというのが正直な感想です。
パンチマン掲示板で、まさに「リアルタイム」でどきどきしながら
「父ねこ」を読んでいた読者としては、夕日のエピソードからでは
やや物足りないような気がしたのです。はじめて聞く人にしても、
「父ねこ」との葛藤部分がもう少し見えた方が、最後の「父ねこ。父ねこ。」の
深さや、原本さんの歌との関係がわかりやすかったのでは、と思います。
「父ねこものがたり」が完全版として活字となる日が楽しみです。

石井辰彦さんの朗読は、お風邪だったこともあって、これまで聞かせていただいた
石井さんの朗読に比べて若干ですが魂の入り込み方が浅いように感じられました。
(風邪声って普通はすきなんですけどね。)
石井さんの朗読で一番すごいと思ったのは、昨年の、辰己さんの朗読会のときで、
初めて聞かせていただいたせいか前から2番目の席だったせいか、
あの括弧内のひそひそ声にすっかり取り込まれてしまったように記憶しています。

空想対談は、楽しい中に、奇妙な怖さのある劇(?)でしたね。
中城ふみ子って、確かにああいう甘さをかもし出す人だったのだろうな。
(主に『冬の花火』からのイメージですが)
森本さんは森本さんに見えてしまったのです(すみません)が、それでも
迫力があってよかったと思います。
藤原さんと松原さんのつぼを押さえた自然な演技が素敵でした。

エンディングは、一首朗読による花束の贈呈という感じだったかな。
私はなんだか花束の渡し方を間違えてしまったような気がしています。
わがまま言ってすみませんでした。でも、少しでも舞台に立てたのは
良かったと思っています。初めての「朗読」だったのでした。

これから、私がどのように朗読と関わっていくのかは、正直言って全くわかりませんが、
短歌朗読の様々なありかたを、今回の朗読会で見せていただけたのは
良かったと思っています。2時間がとてもはやく感じられました。
どうもありがとうございました。


[1514] 荻原さんに 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/07/08(Sun) 07:29

わずか時間差9分たらずで、たしなめられてしまいましたね。
ご心配なく。私も分別あるおとなですので、いきなりアナーキーなことは
しませんので。
「真実」に限りなく接近する方法をうんざりしながら考え続けてはいきますが。

いま、岩井志麻子の初長編『夜啼きの森』を読んでいます。
長塚節の『土』みたいな雰囲気の話ですって、いーかげんな感想。


[1513] ところで、[1505]は、 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/07/07(Sat) 21:30

入力ミスかと思われましたので、
削除しておきました。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[1512] 藤原さん、藤原さん、 投稿者:荻原裕幸@管理人 投稿日:2001/07/07(Sat) 21:27

しかし、不満が、正当なもの、豊饒なものを
生み出す原動力になる場合もあるわけです。
藤原龍一郎賞なるものを設定した瞬間に、
自由がきかなくなって死角も広がる可能性は高い。
すこしだけ離れた場所にある賞と
それに対する正当な意見としての不満とが
ぶつかりあう場所にあるような「真実」を
求めてゆくのも一つの有効な選択ではないでしょうか。

http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/


[1511] 真剣に考え中 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/07/07(Sat) 21:18

うーん、やっぱり、自分でつくらなきゃ、不満が残るばかりかな。
真剣に、考え中です。


[1510] 藤原龍一郎賞! 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/07(Sat) 14:10

それがいい!
新人に贈る、ふさわしい賞ですよ!
このHPから出してしまえば?
じつに理にかなっていますし、アバンギャルドです。
そのときは、何らかのカタチで、支援させていただきます。
歌人協会賞の選考委員を、ぶっちぎっちゃいましょう!


[1509] 藤原さん、是非! 投稿者:石井辰彦 投稿日:2001/07/07(Sat) 10:48

文学には、突出した良い読み手が必要です。藤原さんは、少なくとも短歌に関しては現在最高の読み手のひとりだと思いますよ。是非、何かの賞の選考委員になってください。もし藤原さんが個人的に新人賞とか奨励賞とかを出したら、私はその賞を一番信用するでしょうね。「藤原龍一郎賞」って、いかがでしょうか?

現代歌人協会って、そんなにたくさん会員がいるんですか! 歌人ならだれもが会員、って感じですね。会員じゃない私は、もしかしたら「現代歌人」じゃないのかも……。


[1508] 聞こえるものはみなノイズ 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/07/07(Sat) 08:28

レイハル様、天野慶様

朗読バトルの感想ありがとうございます。とてもありがたく感じます。

玲はる名様お書き
 そのようなわけで、「東京式」の朗読は時間の流れの中で、聞き手の思
 考が追いつかないこと、聞き捨てられるものがあること、それ自体が、
 現在の東京の時代性をよく表すことができている朗読だ、と言えました。

まったく、私の意図はこのとおりです。
さらに言えば、「聞き捨てられるものがある」というより
「かろうじて、聞き取れるものがある」という方が私の実感に近いようです。

玲はる名様
 生命のベルトコンベア―に乗ったわたしたちは立ち止まっても動いている。
 それを、体感させられる。東京という街は、わたしたちが立ち止まってい
 ても、停止することがない。なにか、「人間たちの廃墟」を感じさせる怖
 さがありました。

これは、ホントにそうですねえ。
寺山修司の「不完全な死体」という卓抜な暗喩に通じます。
私は、現在、柴田千晶さんとのコラボレーションの『交歓』と
四月と七月の朗読で、「現在」を表現する試行錯誤をおこなっています。
今後はこの反応及び自己再確認によって、新たなアウトプットのためのインプットを
続けるつもりです。

天野慶様
天野さんの試行はいつも興味深く感じています。
歌集のこともこんどの「歌の聴こえる花」も、自分で表現方法を
開発できる能力は貴重です。
期待大ですね。

あっ、それから佐藤りえ様
書き忘れていたのですけれど、イベントのスタッフとしての能力は、できるだけ
良質なイベントで発揮するようにした方が、自分にも得るものが多いですよ。
それから、プロのイベントのスタッフは、現在、女性がどんどん進出している
職場ですが、やり甲斐と辛さがイーブンみたいな「場」です。ということで。


[1507] 予選委員より選考委員 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/07/07(Sat) 07:47

辰巳泰子様

予選委員と書いたのは東京人の謙虚さで、本当は選考委員になりたいのであります。
なぜなら、私はきちんと新人の第一歌集を読み、現代歌人協会賞にふさわしいか
どうか、常に考えていますから。
これは、賞を絶対視する権威主義ではなく、歴史のある賞なのだから、真にすぐれた
歌集に受賞してほしいと思っているからです。
そういう私の姿勢を前提として、良い歌集を明らかにとりこぼしている、
去年と今年の選考過程にはどうしても、一言、言わずにはいられないわけです。
新人には一回だけしかチャンスはないのだから。あとになって、こんな良い歌集が
あったのか、などといわれても、「ふざけるな!」と思うだけですからね。


[1506] 「綱手」のHP 投稿者:藤原龍一郎 投稿日:2001/07/07(Sat) 07:39

田井安曇さんが主宰する「綱手」のHPができました。
みなさま、ぜひ、のぞいてみて、ご意見をだしてあげてください。

http://www5.justnet.ne.jp/~tsunade/


[1504] 「夢見る頃を過ぎても」雑感 投稿者:辰巳泰子 投稿日:2001/07/06(Fri) 20:48

目黒哲朗の「カナビス」は私もすごくいいと思いました。
是非、協会賞を受賞していただきたかったです!

けど、他の2冊はどうなのかなあ。
阿部久美さんの第一歌集。
パワーを感じますけど、掬ってきてる情感がやや雑。大味なんですね。
そういえば、吉村実紀恵も、大味です。
大味の女帝といえば、俵万智。個人的に、大味なのは買いません。
馬場あき子の歌もはっきり言って大味ですけれど、「華」がちがう!
大味な歌人には、圧倒的な「華」が必要。賞に関係なく、辰巳の短歌観です。

小林とし子さんの第一歌集は、文体のばらつきが、効果的ではありません。意図されていないのだと思います。それが意図されて、「芸の幅」に見えないといけないでしょうね。その点が、けっこううまいけど、アマチュアの域。

藤原さんが予選委員をなさると、いっぱい残りそうですね。
大家に、「自分の目で」しっかり読んでもらうには、候補は多いほうがいいに決まってる。
総合誌の賞、中堅歌人へ贈られる賞など、
藤原さんの賞に対する基本的なお考えには、全面的に信頼を寄せる辰巳であります。