[17553] 18番 投稿者:近藤かすみ 投稿日:2003年09月18日 (木) 23時03分

==============================
18:
   ぃ
    ゃ
    ぁ
    ぁ
    ぁ
    !!

 ◆ 私私木幸綱
  ◆ 私賀直哉
中曽根康私  ◆
 星野富私 ◆   
==============================
質問:第1に「作者はふざけている」「作者は真剣である」のどちらに、皆さんは読解されますか。第2に皆さんは「ふざけた歌だ」「真剣な歌だ」のどちらに感受されますか。作歌上の質問というより、皆さんからの反応をいろいろ拝見したくて投稿しました。もとより "正解" など準備していません。※等倍フォント推奨

五十嵐きよみさんwrote
>18番の歌についてです。
いやあ、ついにこの歌の順番がきちゃったなあ。
どうコメントしましょ。(^^;;;

五十嵐さん、ご苦労様です。
作品と質問を見て「愉快犯」のような気がしました。

清水さんwrote
>Rayさんのおっしゃるとおり、「星野富私」は星野富弘のことでしょう。
僕は人名を必然性なくいじることに反対というか嫌悪感を抱きます。

同感です。
この先、みなさんのご意見を聞きたいですが、巻き込まれて、つい余計なことをしゃべりそうで不安。
それこそ、思う壺じゃないですか(笑)

・・・と書いたところで、ていださんのコメントを読み感嘆!
そうだったのか〜私の頭をほぐしてもらいました。
これもまたたのし。


[17552] Re:[17551] 18:ぃゃぁぁぁ!! 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月18日 (木) 22時56分

18:
   ぃ
    ゃ
    ぁ
    ぁ
    ぁ
    !!

 ◆ 私私木幸綱
  ◆ 私賀直哉
中曽根康私  ◆
 星野富私 ◆   


ていだきねこさん、こんばんは。
18番にコメントありがとうございます。

うわ〜、おかげでかなり謎が解けました。
ほんと、皆さん、物知りだなあああ!(感嘆)

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17551] 18:ぃゃぁぁぁ!! 投稿者:ていだきねこ 投稿日:2003年09月18日 (木) 22時26分

18:
   ぃ
    ゃ
    ぁ
    ぁ
    ぁ
    !!

 ◆ 私私木幸綱
  ◆ 私賀直哉
中曽根康私  ◆
 星野富私 ◆   
==============================
質問:第1に「作者はふざけている」「作者は真剣である」のどちらに、皆さんは読解されますか。第2に皆さんは「ふざけた歌だ」「真剣な歌だ」のどちらに感受されますか。作歌上の質問というより、皆さんからの反応をいろいろ拝見したくて投稿しました。もとより "正解" など準備していません。※等倍フォント推奨

 ていだきねこです。遅刻ごめんなさいですの。

【質問への回答】「ふざけている」とも「真剣」とも自発的には感じなかったです。私には、ウケました。
読み手を「馬鹿にしている」「なめている」と言う意味の「ふざけ」であれば、そういうものは感じない。
「お茶目なことをしている」と感じることが「ふざけている」と感じることにふくまれるならば、それは
認められるかもしれません。

【短歌へのコメント】おもしろかったです。今回いちばん好きでした。
「色紙系」の方々ですね、佐々木幸綱、志賀直哉、中曽根康弘、星野富弘。

菖蒲湯を王者のごとく浴びにけり 中曽根康弘
したたかと言われて久し栗をむく 仝
雨だれを心音ときく夜長かな   仝
くれてなお命の限り蝉しぐれ   仝
http://www.yatchan.com/bunka/art/haiku02.html

 こんな俳句が検索できましたが、信条系色紙系もものせそうですね、中曽根さんは。


 で、どの方々もそれぞれに個性的な色紙になりそうな方々ばかりなのですが、
仮に、出来上がったものが「私!」「私!」といっていたら、それはやっぱり
ぃゃぁぁぁ!!
でしょう。
 楚々としたすずらんに「私!」「私!」がこびりついていたら、なおさら
ぃゃぁぁぁ!!
でしょう。

 そうした説得力。
「ぃゃぁぁぁ」のすべての用字にちっちゃいのがあって、かわいいスズランをかたどれるという
発見。
 テキストベースでタグなど使えないメールの文面などでは、作者名の前後に◆や☆などのJIS
標準フォントがしばしば使われるという慣習の援用。

 などなど、たくさんの「やったね!」と思わせてくれる要素が盛り込まれ、しかもきっちり定型
で下句が心地よい脚韻をふんでいる。
 傑作と思いましたです。

http://www.geocities.co.jp/Playtown-Yoyo/7483/index.html


[17550] 星野富私 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月18日 (木) 22時05分

18:
   ぃ
    ゃ
    ぁ
    ぁ
    ぁ
    !!

 ◆ 私私木幸綱
  ◆ 私賀直哉
中曽根康私  ◆
 星野富私 ◆   


Rayさん、清水さん、野田さん、高澤さん、こんばんは。
コメントありがとうございます。

「星野富私」について、Rayさん、清水さん、
どうもありがとうございました。
皆さん、物知り〜。

「星野富弘」さんということは、
「私」に置き換えられている文字は(たぶん)次のようになるわけですね。

私私木幸綱→「佐佐」木幸綱
私賀直哉→「志」賀直哉
中曽根康私→中曽根康「弘」
星野富私→星野富「弘」

この置き換えに、何か意味があるのかな。
うーん、わからないです。
「いやああああ!!」は、こんなふうに置き換えちゃいや、ってこと?
あるいは、意味を考えるような歌ではないのかしらん。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17549] 23番の歌 投稿者:千坂麻緒 投稿日:2003年09月18日 (木) 22時03分

すみません。千坂です。もどります。さっき一つの投稿にすればよかった。

==============================
23:制服の胸ポケットにしまわれた夢ひからびぬようアリアをうたえ
==============================
質問:青春詠を詠う場合に心がけていることがありましたらご教示ください。

アリアをうたえ がとても好きでした。
あ、島田雅彦、と私は連想してしまって、そのイメージで好きになりました。
青春詠 を詠おうとしたことはないので、質問に答えることができません。
うーん。
自分でこれから心がけるとしたら、ありがち、にならないように、かなあ。でも
それはどんな歌にしてもそう、かなあ。

ではでは。失礼いたします。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/3750/


[17548] 5.18.21番 投稿者:高井志野 投稿日:2003年09月18日 (木) 22時01分

==============================
18:





!!

◆ 私私木幸綱
◆ 私賀直哉
中曽根康私 ◆
星野富私 ◆
==============================
質問:第1に「作者はふざけている」「作者は真剣である」のどちらに、皆さんは読解されますか。第2に皆さん は「ふざけた歌だ」「真剣な歌だ」のどちらに感受されますか。作歌上の質問というより、皆さんからの反応を いろいろ拝見したくて投稿しました。もとより "正解" など準備していません。※等倍フォント推奨

ふざけた歌かどうか、ですが
作っている姿勢は真剣ではないかと感じました

真剣に変な歌を作ろうとした?と言う印象を受けました

私は、笑える/笑えないというところより
何故かこの歌が悪夢みたいに見えました
支離滅裂な夢の中の風景かな、と思ったのですが
違ったようですね(^^;


==============================
21:裸足にて閲覧室を歩きたる老人 われを「ねえちゃん」と呼ぶ
==============================
質問:どういう状況か、この歌だけで分かるでしょうか。
また、作中主体はどういう気持ちだと思いますか。

五十嵐さんがおっしゃったとおり
個人の体験にひきつけて読んでしまった歌です
この歌だけでは主体の気持ちをきちんと察する事はできませんでしたが
あまり喜んでないような気がします

図書室でホームレスの人が自分のうちみたいに振舞っていて
そこで「ねえちゃん、ねえちゃん」と話し掛けられたのかな?


==============================
05:人の目を見る友にいつもビビりたりばれるばれる時好きと言へるか
==============================
質問:「ビビリたり」ってどうでしょうか。


「ビビリたりばれるばれる・・・」のつながりに惹かれた歌でした
「ビビリたり」って変な言葉ですが、こうつながっているならおもしろいのではないでしょうか。

なんだか学生の時を思い出しました
 
 

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hanamizuki/4426


[17547] 18番の歌 投稿者:千坂麻緒 投稿日:2003年09月18日 (木) 21時58分

こんにちは。千坂です。

==============================
18:
   ぃ
    ゃ
    ぁ
    ぁ
    ぁ
    !!
 ◆ 私私木幸綱
  ◆ 私賀直哉
中曽根康私  ◆
 星野富私 ◆   
==============================
質問:第1に「作者はふざけている」「作者は真剣である」のどちらに、皆さんは読解されますか。第2に皆さんは「ふざけた歌だ」「真剣な歌だ」のどちらに感受されますか。作歌上の質問というより、皆さんからの反応をいろいろ拝見したくて投稿しました。もとより "正解" など準備していません。※等倍フォント推奨

この歌が私にはわかりませんでした。
ふざけているのか真剣なのかもわかりませんでした。
こういう歌ってどう読めばいいのでしょうか。画面を見て楽しむのでしょうか。
タイポグラフィックとしたいのならば短歌であるという意味がわからないし、
短歌であるというのならば、こういうカタチにこだわって(?)いる意味がわからないのです。
タイポグラフィクション?
としても面白さとか感じないし。読めないし。へえ、と、楽しめるものでもないなーと思うので。

こういう反応はいかがでしょうか?

ではでは失礼いたします。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/3750/


[17546] 15番、23番、36番の歌 投稿者:高澤志帆 投稿日:2003年09月18日 (木) 21時55分

コメントが遅れて少し話題を戻してすみません。

==============================
15:ぐんぐんと近づいてくる朝焼けのきらめくばかりいつまでも〈今〉
==============================
質問:この歌を読んで、どんなイメージを持ったり、場面を思い浮かべたりされましたか。「短歌で哲学する」ことにトライしてみたのですが、うまくいったかどうかまるで自信がありません。

ご質問についてですが、「朝焼け」は、「広がる」とか「上る」という言葉で
うけるイメージがあったので、「ぐんぐんと近づいてくる」という描写が新鮮で、
迫力があってきらびやかな印象を受けました。哲学というイメージは持たなかった
のですが。

==============================
23:制服の胸ポケットにしまわれた夢ひからびぬようアリアをうたえ
==============================
質問:青春詠を詠う場合に心がけていることがありましたらご教示ください。

抒情的で瑞々しい魅力のある歌だと思いました。結句の命令形については、
都築さんの「自分に「うたえ」と命じると同時に、同じ思いを持つ人々に対して
呼びかけている」という解釈が印象としてはぴったりでした。
ただ下の句の字あまりが、読むときリズムがくずれてちょっと残念でした。
ご質問については、青春詠を詠うという意識で歌を作ったことがなかったのですが、
学生の頃の思い出などを題材に歌を作る時は、過ぎたこととしてではなく、
あえて現在形のように作ることもあります。

==============================
36:愛しきのため戦うは罪なりや阿修羅の顔は美しきかな
==============================
質問:愛しき(者の)のため(に)戦う(の)は・・・・、括弧内が省略されているわけですが、省略について違和感あるでしょうか? 御意見お聞かせ下さい。

ご質問の省略についての違和感は、このままで自然に意味は取れたのですが、
「愛しきの」がちょっと読むときにありました。

http://www.geocities.jp/kogawa96/


[17545] 5番の歌について 投稿者:野田 薫 投稿日:2003年09月18日 (木) 21時14分

==============================
05:人の目を見る友にいつもビビりたりばれるばれる時好きと言へるか
==============================
質問:「ビビリたり」ってどうでしょうか。


5番の歌についてです。選歌しています。
一読して、表現のストレートさと「ビビりたり」に拒否反応を起こしました。
五十嵐さんのおっしゃった“♪ビビデバビデブ〜”との関連は考えつきもしませんでしたが、
読み返したときに作品のリズム感や単語ひとつひとつの音から勢いが感じられ、
「ビビりたり」という表現のアンバランスさが作者の動揺と直結しているような気がして
(或いは半ば強引にそう思わせるようなスピード感があり)選歌に至りました。

「ビビりたり」という表現は好きではありませんが、この歌の中では効果を発揮していると思います。


[17544] 5番について 投稿者:Ray 投稿日:2003年09月18日 (木) 21時11分

==============================
05:人の目を見る友にいつもビビりたりばれるばれる時好きと言へるか
==============================
質問:「ビビリたり」ってどうでしょうか。

「ビビリたり」よりも最後の「好きと言へるか」が
ここだけ旧仮名であるために
この歌では浮いてしまっているように思います。

「ばれるばれる時」も「時」が漢字なので
「ばれるばれる/時」と読んでしまいました。
「ビビリたり」からあとのBが続く音は好きなんですけれど。


[17543] 18番 投稿者:清水幸多 投稿日:2003年09月18日 (木) 21時08分

作品の引用は控えます。
Rayさんのおっしゃるとおり、「星野富私」は星野富弘のことでしょう。
僕は人名を必然性なくいじることに反対というか嫌悪感を抱きます。
ただ、この歌(というかなんというか)の作者さんは、
「作者はふざけている」と取られることを覚悟しているようなので、
作者さんに対してはそれほど批判的ではありません。
それより、この作品(詩や短歌とは個人的に言いたくない)を選歌した方の選歌した
説得力のある理由をうかがいたいと思います。
ただ、前衛的でいいとか、そんなコメントなら(やはり個人的に)がっかりです。

http://www3.diary.ne.jp/user/343254/


[17542] 21番について 投稿者:Ray 投稿日:2003年09月18日 (木) 21時02分

==============================
21:裸足にて閲覧室を歩きたる老人 われを「ねえちゃん」と呼ぶ
==============================
質問:どういう状況か、この歌だけで分かるでしょうか。
また、作中主体はどういう気持ちだと思いますか。

図書館に痴呆症のおじいさんが来て、
司書である「われ」を「ねえちゃん」と呼びつついろいろ話しかけている
という状況だと思いました。

作中主体がどういう気持ちか、ということについては、
「ねえちゃん」と呼ばれることには抵抗があるが、
相手が相手だけにどうすることもできないで悶々としている、
というふうに思います。

さらに想像するなら、きっとこのおじいさんは
今日初めてたまたま図書館に来たのではなく、
ほとんど毎日のように来る常連さんなのではないかと思います。

……こんなふうに思うのは私が図書館愛好者で
このような情景を何度か目にしたことがあるからかも知れません。


[17541] 18番について 投稿者:Ray 投稿日:2003年09月18日 (木) 20時56分

こんばんは。Rayです。

==============================
18:
   ぃ
    ゃ
    ぁ
    ぁ
    ぁ
    !!

 ◆ 私私木幸綱
  ◆ 私賀直哉
中曽根康私  ◆
 星野富私 ◆   
==============================
質問:第1に「作者はふざけている」「作者は真剣である」のどちらに、皆さんは読解されますか。第2に皆さんは「ふざけた歌だ」「真剣な歌だ」のどちらに感受されますか。作歌上の質問というより、皆さんからの反応をいろいろ拝見したくて投稿しました。もとより "正解" など準備していません。※等倍フォント推奨


ふざけているか、真剣であるか、については、五十嵐さんに近いと思うのですが、
「ふざけようとして頑張っている(一生懸命である)」
と思いました。

二つ目の質問については、
「真剣な歌」とも思いませんが、「ふざけた歌」というよりも
「ふざけようとして失敗した」というように思えてしまいます(すみません>作者さん)。

「ふざける」というともう少し軽やかさがあってもいいような気がするのですが、
なんとなく2ちゃんねるふうで、中身を読む前に外見で一瞬ひいてしまいました。
慣れていないせいもあって読みにくかったというのが正直なところです。
(それを狙ったのだと思うので、そういう意味では成功していると思います)

ただ、形の似ている漢字を「私」で置き換えるのは面白いと思います。
「○○(たとえば佐佐木幸綱)が私だったら……」というように考えることもできますし。

>五十嵐さん
星野富弘さんという方がいらっしゃいます。
体育の先生だった方なのですが跳び箱の事故で頸椎を損傷し、
口にくわえた筆で詩や絵を書いていらっしゃる方です。

中曽根さんだけ異色ですね。


[17540] 5番の歌について 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月18日 (木) 20時32分

==============================
05:人の目を見る友にいつもビビりたりばれるばれる時好きと言へるか
==============================
質問:「ビビリたり」ってどうでしょうか。

 *

5番の歌についてです。
作者からの質問ですが、「ビビりたり」だけじゃなくて、
「ビビりたりばれるばれる」について聞いてほしかったわ〜。
♪ビビデバビデブ〜 を思い出しました。
というか、これを念頭に置いての、
言葉遊び的な歌だと理解しました(違うかしらん?)。

結句「好きと言へるか」は、
この「友」のことを「好きと言へるか」ということですね?
友だちに対して、面と向かって「好き」とか言うことが
ちかごろめっきりなくなったので(10代のころならあったかも)、
ちょっとピンとこなかったのですが、
人の目を見て話すような「友」だと、
ときにはそういうことを口にする必要もあるのかな。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17539] 21番の歌について 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月18日 (木) 20時31分

==============================
21:裸足にて閲覧室を歩きたる老人 われを「ねえちゃん」と呼ぶ
==============================
質問:どういう状況か、この歌だけで分かるでしょうか。
   また、作中主体はどういう気持ちだと思いますか。

 *

21番の歌についてです。
作者からの質問ですが、裸足で歩く老人と、
図書館で出くわしたわけですね。

どういう老人かについては、2種類の可能性が思い浮かびました。
1つは、徘徊老人。
もう1つは、ホームレスの老人(靴くらい履いてますかね?)。

作中主体の心境は、どうでしょうね。
自分だったら、その老人を見た時点で、まず驚くだろうと思います。
「ねえちゃん」と声をかけられたら、関わりたくないと思っちゃうかなあ。
上記2つの可能性の、どちらであるかにもよるでしょうけど、
関わらないで済むのなら、そのほうがラクチンだとはやはり思いそう。

自分だったらそんな感じなのですが、この作中主体はどうなのでしょうね。
ぎょっとしているのか、気の毒に思っているのか、
面白く感じているのか、はたまた。
この一首だけからはわからないというか、どんなふうにも読めそうなので、
自分だったらどうかということを重ねて読むタイプの歌なのかなと思います。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17538] 18番の歌について 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月18日 (木) 20時30分

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18:
   ぃ
    ゃ
    ぁ
    ぁ
    ぁ
    !!

 ◆ 私私木幸綱
  ◆ 私賀直哉
中曽根康私  ◆
 星野富私 ◆   
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質問:第1に「作者はふざけている」「作者は真剣である」のどちらに、皆さんは読解されますか。第2に皆さんは「ふざけた歌だ」「真剣な歌だ」のどちらに感受されますか。作歌上の質問というより、皆さんからの反応をいろいろ拝見したくて投稿しました。もとより "正解" など準備していません。※等倍フォント推奨

 *

18番の歌についてです。
いやあ、ついにこの歌の順番がきちゃったなあ。
どうコメントしましょ。(^^;;;

ひとまず、作者からの質問についてですが、
第1に、作者は真剣にふざけているのだろう、という印象を持ちました。
私の語彙では、単に「ふざける」というのは、
こんなに凝ったことはしない行為なので。

第2については、ゆえに、この歌はふざけた歌だと思います。
作者が真剣にふざけた結果としての、ふざけた歌。
ふざけているのに真剣に見えてしまうのは、
人を笑わせるセンスがないと思われ、見ていて哀しいです。

ただ、この歌で笑えたかというと、
どう反応していいかわからなくて、途方に暮れました。
こういう歌で笑えるセンスがないのは、ちょっとクヤシイ。

最後の「星野富私」がわからなかったのですが、
これは誰のもじりなんでしょう?
星野というと、時節柄、星野仙一さんを思い浮かべてしまいますが、
ほかの名前のもじり方からすると、違っていそうに思うので。
どなたか、名案はありませんか?

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17537] 18番、21番、5番の歌 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月18日 (木) 20時29分

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18:
   ぃ
    ゃ
    ぁ
    ぁ
    ぁ
    !!

 ◆ 私私木幸綱
  ◆ 私賀直哉
中曽根康私  ◆
 星野富私 ◆   
==============================
質問:第1に「作者はふざけている」「作者は真剣である」のどちらに、皆さんは読解されますか。第2に皆さんは「ふざけた歌だ」「真剣な歌だ」のどちらに感受されますか。作歌上の質問というより、皆さんからの反応をいろいろ拝見したくて投稿しました。もとより "正解" など準備していません。※等倍フォント推奨

==============================
21:裸足にて閲覧室を歩きたる老人 われを「ねえちゃん」と呼ぶ
==============================
質問:どういう状況か、この歌だけで分かるでしょうか。
   また、作中主体はどういう気持ちだと思いますか。

==============================
05:人の目を見る友にいつもビビりたりばれるばれる時好きと言へるか
==============================
質問:「ビビリたり」ってどうでしょうか。

 *

今夜も次の歌に進みたいと思います。
今夜取り上げるのは、18番、21番、5番の歌ですね。

上記3首、どのように読まれましたか?
作者からの質問については、どうお考えになりましたか?
どしどしご意見をお寄せください。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17536] Re[17515]: 20番・23番 投稿者:高澤志帆 投稿日:2003年09月18日 (木) 20時20分

五十嵐さん、皆さんこんばんは。

> ==================================
> 20:あぶらぜみの亡き骸の上あまたあまた呪呪と啼きをりまたあぶらぜみ
> ==================================
>
> <高澤さん
> <4句目の「啼きをり」で1度切れていますよね。そうすると、結句のもう1度
> <出てくる「またあぶらぜみ」はどう繋がっていくのかな?と思ったのですが、
> 私が受けた印象は「啼きをり」のところで、あっちでもこっちでも鳴いているあぶらぜみの声が、偶然ブレスが重なったように一瞬途切れるように感じました。と思うまもなく
> 「またあぶらぜみ」が亡き骸の上で呪呪と啼きはじめ・・・。
> なんだかこれがずっとずっと繰り返されるようなイメージを持ちました。
> 思い込みかもしれませんが。(それに蝉は羽で鳴いてるんだからブレスとは言わないか・・・?)

萱野さん、私の質問にお答えくださってありがとうございました。
エンドレス説ですね。
そう言えば蝉はのべつまくなしに鳴いているわけではなくて、一時ピタッと
鳴きやんだかと思うと、またおもむろに鳴きだしたりするなぁと気づかされました。
読みの映像の広がるご返答、どうもありがとうございました。

http://www.geocities.jp/kogawa96/


[17535] こんばんは 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月18日 (木) 20時16分

こんばんは。
あざみ子さん、やつふささん、村田さん、直子さん、
なでしこさん、関野さん、コメントありがとうございました。

そろそろ次の歌に進む時間ですね。
しばらくお待ちくださいませ。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17534] 15番 投稿者:関野裕之 投稿日:2003年09月18日 (木) 16時24分

15:ぐんぐんと近づいてくる朝焼けのきらめくばかりいつまでも〈今〉

  朝焼けのきらめくような美の前で「時よとまれ」と思うことあるでしょうね。
 表現のしようのない感動に包まれることがあると思います。最初読んだとき、
 表現のしようがないままに、その感動を歌にしたという気がしました。
 感動が先行していて、表現が追いついていないというのか...。
  ロレンツォ・ディ・メディチは「永遠とはこの一瞬にある」と言いましたが、
 結句の〈今〉には「永遠」があるのでしょう。それはなんとなく分かる気がします。
 しかし、この歌からは哲学は感じませんでした。
 感動や苦悩は哲学の入口であるかもしれませんが、哲学を表現するには、
 その入口からさらに一歩踏み込まないと難しいような気がします。
 この歌の場合、その入口で、感動のあまり立ち尽くしているような気がします。
 質問を読んでから、また歌を読み直してみて、ゲーテの「ファウスト」で、
 最後にファウストが倒れるシーンが思い浮かびましたが、
 この歌一首だけからでは哲学は浮かばない気がします。
 踏み込みが足らなくありませんか?


[17533] 36番へ 投稿者:なでしこ 投稿日:2003年09月18日 (木) 13時57分

==============================
36:愛しきのため戦うは罪なりや阿修羅の顔は美しきかな
==============================
質問:愛しき(者の)のため(に)戦う(の)は・・・・、
括弧内が省略されているわけですが、省略について違和感あるでしょうか? 
御意見お聞かせ下さい。

選歌しました。好きな題材・表現です。
「戦い」から動を、「阿修羅の顔」から静を感じて 静と動のバランスを上手く取り入れた歌と読みました。想ったよりも得票が少ないんだなぁ、と感じたりして(^_^;。

個人的印象では 「単純に反戦を叫ぶことへの反論」と想えました。
どんな戦いにも背景に「戦いやむなし」という人心があると想ってます。誤解を恐れず言わせて頂けば テロリズムにも一理の主張と愛があると想います、その行為・手段が問題なワケで。
涙を持ちながら銃を手にする苦悩も また あると想います。そういった 結局は浅はかな人間の心を 戦闘神とされる阿修羅が冴えた静かな瞳で見つめてる・・・そんなイメージを抱きました。阿修羅像の顔から 人それぞれ様々な想いやメッセージを感じ取ることができると想いますが、こういう受け取り方もあるな、と感じさせられ共感した次第です。

ご質問の省略に対しては 全く違和感なく読みました。

http://misohito.fc2web.com/


[17532] 15番、23番、36番 投稿者:都築直子 投稿日:2003年09月18日 (木) 13時42分

==============================
15:ぐんぐんと近づいてくる朝焼けのきらめくばかりいつまでも〈今〉
==============================
質問:この歌を読んで、どんなイメージを持ったり、場面を思い浮かべたりされましたか。「短歌で哲学する」ことにトライしてみたのですが、うまくいったかどうかまるで自信がありません。

哲学について、斉藤斉藤さんは、「>『短歌で哲学する』というよりも、哲学を短歌化した感じ」とおっしゃっていますが、私もそう感じました。「きらめく」は、あざみ子さんがおっしゃるように「><今>にかかるのですね。きっと」だと思います。
「近づいてくる朝焼け」と「いつまでも〈今〉」の関係で、何かをいおうとしているのはわかるのですが、それが何なのか、いまひとつ掴みきれませんでした。

==============================
23:制服の胸ポケットにしまわれた夢ひからびぬようアリアをうたえ
==============================
質問:青春詠を詠う場合に心がけていることがありましたらご教示ください。
答え:青春を現在形でなく過去形で詠む場合、「あのときは苦しかったけれど、今となれば楽しい思い出」式の歌だけは作るまいと心がけています。思い出の美化は陳腐です。

上句と下句が示している時制に戸惑いました。「制服の胸ポケットにしまわれた夢」は、今現在作中人物が制服を着ている学生だ、という印象を与えます。現在進行形の青春。ところが「夢ひからびぬようアリアをうたえ」は、大人になったいまも青春時代の夢を失うな、という意味に読めます。青春どまん中の人間は、夢が「かなうように」アリアをうたいはしても、「ひからびないように」はうたいませんよね? 「ポケットに置きわすれた夢」だったら、つじつまは合うのですが。

「夢」は、作中人物が現在持っている夢なのか、過去に持っていた夢なのか。そこが明確になるよう推敲されてはいかがでしょうか。

「アリア」については、五十嵐さんがおっしゃる「>本職のようには歌えなくても、自分で歌いたい心境だということ」だと読みました。自分に「うたえ」と命じると同時に、同じ思いを持つ人々に対して呼びかけていると読んでいいと思います。

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36:愛しきのため戦うは罪なりや阿修羅の顔は美しきかな
==============================
質問:愛しき(者の)のため(に)戦う(の)は・・・・、括弧内が省略されているわけですが、省略について違和感あるでしょうか? 

あります。「ため(に)」は気になりませんが、「愛しき」と「戦う」はとても違和感がある。「愛しきのため戦うは」は、言葉=響きがつまっているので、読んでいて息苦しさをおぼえます。省略は、「愛しき」「戦う」どちらか一方にとどめられた方がいいのではないでしょうか。


[17531] 36番 投稿者:村田 馨 投稿日:2003年09月18日 (木) 12時57分

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36:愛しきのため戦うは罪なりや阿修羅の顔は美しきかな
==============================
質問:愛しき(者の)のため(に)戦う(の)は・・・・、
括弧内が省略されているわけですが、省略について違和感あるでしょうか? 
御意見お聞かせ下さい。

省略について違和感はありません。
個人的な趣味で恐縮ですが、向田邦子ファンとして「阿修羅のごとく」がまっさきに頭に浮かびました。阿修羅は怒りや諍い、戦いを好む神とされていますが、阿修羅像を見る限り、確かに恐ろしいというより美しいと感じてしまいます。人間の奥底にも、戦いを美化してしまう心情が隠れているのではないか、とわが身を振り返ったりしました。


[17530] 15番 投稿者:村田 馨 投稿日:2003年09月18日 (木) 12時48分

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15:ぐんぐんと近づいてくる朝焼けのきらめくばかりいつまでも〈今〉
==============================
質問:この歌を読んで、どんなイメージを持ったり、場面を思い浮かべたりされましたか。「短歌で哲学する」ことにトライしてみたのですが、うまくいったかどうかまるで自信がありません。

前田夕暮の口語自由律時代の代表歌
   自然がずんずん体の中を通過する― 山、山、山
を思い出しました。引用歌は昭和初期、前田夕暮がはじめて飛行機に乗ったときの印象を歌ったものだそうです。本作品も「ぐんぐん」というオノマトペに躍動感があり、はじめは飛行機や新幹線などの高速の移動体からの光景かと思いました。しかし、物理的な移動によって朝焼けが近づくというのには無理があり、むしろ時間経過によって東の空の朝焼けが広がっている様子を「近づいてくる」と表現されたのかと考えなおしました。
われわれが通常過ごしている時間スケールでは、朝焼けのひろがりを「ぐんぐん」とは感じにくいものですが、数倍速に縮めて見れば十分可能な感覚です。最後の「〈今〉」で時間スケールを元に戻したことにより、本作品はきれいに完結したような気がします。


[17529] 15番、23番、36番について 投稿者:やつふさ 投稿日:2003年09月18日 (木) 11時41分

こんにちは。
やつふさです。
今日は昼間の書き込みです。
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15:ぐんぐんと近づいてくる朝焼けのきらめくばかりいつまでも〈今〉
==============================
質問:この歌を読んで、どんなイメージを持ったり、場面を思い浮かべたりされましたか。
「短歌で哲学する」ことにトライしてみたのですが、うまくいったかどうかまるで自信がありません。

作者様は朝焼けのすばらしい情景を見て
もしくは、心情的にその朝焼けがとても貴重に思えて
「今あること」の大切さとか、ありがたさを詠んだのかなあと思いました。
なぜかというと、

ぐんぐん近づいてくる=常に状況は変化している
いつまでも=その情景はそのままであり続ける。

と、ふたつのまったく位相の異なる表現を盛り込むことで
「永遠にも思える刹那の尊さ」を詠まれたのかなあと。
そして、最後に<今>ですから、「今この瞬間の尊さ」かなあと。

哲学とはなんぞ、という話も出てきてしまうので「哲学できていたか」は
私には判断できないところがあるのですが、
読み手なりに作者様の考え方を垣間見れた気はします。

ふと気になったのは、朝焼けなので前日の夜はどうしていたのかなあと
眠れなかったのか、あえておきていたのか、わざわざ出かけたのか・・
その辺の心情にも興味がわきます。

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23:制服の胸ポケットにしまわれた夢ひからびぬようアリアをうたえ
==============================
質問:青春詠を詠う場合に心がけていることがありましたらご教示ください。

青春詠というものをしたことがないので
ご質問にはコメントできません。すいません。

この歌は選歌しました。
やはり「アリアを歌え」がよかったです。
歌を読んだときに私の頭に流れたのは「歌に生き、愛に生き」でした。
私にはとても歌いきれない歌ですが、
思わず、鼻歌を歌ってしまいました。
私の青春の夢も、まだひからびてないのか知らん。

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36:愛しきのため戦うは罪なりや阿修羅の顔は美しきかな
==============================
質問:愛しき(者の)のため(に)戦う(の)は・・・・、
括弧内が省略されているわけですが、省略について違和感あるでしょうか? 
御意見お聞かせ下さい。

省略についてはまったく違和感はありませんでした。

この歌の題材は私にはとても重たいものに感じられました。
戦争・テロそういったものかと。
そんなわけで、
「罪なりや」に対してYesもNoも言いたくない気持ちがわき、
「美しきかな」に対して悲しみがわきました。

国のため、正義のため、家族のためと固く心に言い聞かせ
互いに血を流さずにはいられない状況が延々と続いているのは悲しいことです。
血は血でしか贖われないのでしょうか。そうは、信じたくないのですが。

以上です。


[17528] 補足 投稿者:あざみ子 投稿日:2003年09月18日 (木) 09時24分

おはようございます。

==============================
23:制服の胸ポケットにしまわれた夢ひからびぬようアリアをうたえ
==============================

>抽象的な表現な気がします。

ちょっと、説明不足でしたね。
歌を歌うことは、胸に思いを響かせることだと思います。
それが、アリア(叙情的な独唱曲)であれば、自分の思いを自分ために潤わせることになるのではないでしょうか?

五十嵐さん
>出だしが、富島健夫の小説のタイトル『制服の胸のここには』を想起させて、
富島健夫というと、エロい青春小説というイメージが強いもので、(^^;;;
(今やもう、知らない人のほうが多いのかしらねえ・・・)
初句はちょっと引いてしまったんですが、
結句に近づくにつれ、だんだんと美しいイメージが広がっていきました。

エロいの大好き!そう思って読むのもなかなかいいですね(笑)。
エロスと耽美は憧れです。


[17527] ただいまの3首 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月18日 (木) 08時06分

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15:ぐんぐんと近づいてくる朝焼けのきらめくばかりいつまでも〈今〉
==============================
質問:この歌を読んで、どんなイメージを持ったり、場面を思い浮かべたりされましたか。「短歌で哲学する」ことにトライしてみたのですが、うまくいったかどうかまるで自信がありません。

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23:制服の胸ポケットにしまわれた夢ひからびぬようアリアをうたえ
==============================
質問:青春詠を詠う場合に心がけていることがありましたらご教示ください。

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36:愛しきのため戦うは罪なりや阿修羅の顔は美しきかな
==============================
質問:愛しき(者の)のため(に)戦う(の)は・・・・、括弧内が省略されているわけですが、省略について違和感あるでしょうか? 御意見お聞かせ下さい。

 *

おはようございます。
斉藤さん、かすみさん、萱野さん、直子さん、あざみ子さん、
コメントありがとうございました。

改めて、ただいまの3首をご紹介しておきますね。
夜になるまで、引き続き、上記3首にコメントをお願いします。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17526] おそまきながら 投稿者:あざみ子 投稿日:2003年09月18日 (木) 01時36分

みなさま、こんばんわ。

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15:ぐんぐんと近づいてくる朝焼けのきらめくばかりいつまでも〈今〉
==============================
質問:この歌を読んで、どんなイメージを持ったり、場面を思い浮かべたりされましたか。「短歌で哲学する」ことにトライしてみたのですが、うまくいったかどうかまるで自信がありません。

上の句が好きです。朝焼けの動的な情景が迫ってきます。映像的。
ただ、「きらめく」というのが、ちょっとイメージ出来なくて選歌しなかったのですが、「きらめく」は<今>にかかるのですね。きっと。
「短歌で哲学」というのは、ちょっと分かりません(-_-;)。
時間が止まって今ここにいる私というかんじでしょうか。
「存在と時間」?

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23:制服の胸ポケットにしまわれた夢ひからびぬようアリアをうたえ
==============================
質問:青春詠を詠う場合に心がけていることがありましたらご教示ください。

抽象的な表現な気がします。
アリアは叙情的な独唱曲と言うくらいの意味でとったので、とくに専門的に歌っているところは想像しませんでした。大人(教師か親)の視線では?
映画『独立少年合唱団』を思い起こしたせいか合唱団のなかでの独唱のシーンが浮かんだり。


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36:愛しきのため戦うは罪なりや阿修羅の顔は美しきかな
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質問:愛しき(者の)のため(に)戦う(の)は・・・・、括弧内が省略されているわけですが、省略について違和感あるでしょうか? 御意見お聞かせ下さい。

省略は気になりませんでした。
阿修羅像は大好きで、携帯のメルアドにしてるくらいです。
選歌に迷いましたが、「美しきかな」がちょっとありきたりに思えました。


[17525] 14番 補足 投稿者:都築直子 投稿日:2003年09月18日 (木) 00時39分

五十嵐さん、高澤さん(はじめまして)、26番の主体についてコメントありがとうございます。

14:醤油注ぎのまろき白磁のこのカーブの、なんっちゅうか、永遠とゆーか。

>都築コメント
>選ばなかったのは、「たれ」に「醤油注ぎ」では、意外性がなさすぎると感じたからです。

補足します。正確にいえば「醤油注ぎ」ではなく「醤油注ぎ」の「カーブ」であり、そこに言葉に対する作者の神経の細かさを感じます。また、「たれ」の黒さに、「白磁」の白さを合わせたところも、技ありです。結句の「。」も効果あり。選歌を迷ったのは、意外性の弱さより技巧を評価するかどうかだったのですが、うーん、だんだん良くなってきました。選びそこねたかもしれません。


[17524] アリアをうたえ2 投稿者:萱野芙蓉 投稿日:2003年09月18日 (木) 00時17分

調子に乗ってまた出てきてしまいました(^-^エヘヘ)。
こんばんは、年の近い芙蓉ですぅ。

23:制服の胸ポケットにしまわれた夢ひからびぬようアリアをうたえ

<五十嵐さん
<やはり専門のオペラ歌手でないと、
<「夢ひからびぬよう」な見事な歌い方はできないような気がするので、
<誰にうたえといっているのか、ちょっと疑問でした。

私ったら何の疑いもなく、自分で自分にうたえっていってるのだと取っていました。
たしかに普通の人がアリアをみごとに歌うのはきわめて困難そう。とほほ。
それでも、だれに?と問われたら、今のところは、やっぱり"自分に"かな。
ひからびさせないためには、その夢を持つ本人がまず歌って欲しいと思いました。

作中主体の彼女もしくは彼は、今歌なんて歌う気分じゃないんだけど、
そんな時だからこそ、自分にうたえっていっているんじゃないかなと。
前向きになれるお気に入りのアリア、あるいは
他の人は誰も知らない自分だけの"アリア"なのかも。


[17523] 26番・36番 投稿者:近藤かすみ 投稿日:2003年09月17日 (水) 23時47分

近藤かすみです。こんばんは。
少しもどります。

26:夕暮れの空を見ていたはずなのにいつか心の中を見ていた
質問:「見ていた」のリフレインは成功しているでしょうか?

素直でいい歌だと思いました。リフレインは成功しているでしょうか・・と
尋ねられて、ああリフレインか!と思ったので、その点では流れてしまいました。
見ていたものの焦点が、空から心の移動していて、それがいいと思いました。

36:愛しきのため戦うは罪なりや阿修羅の顔は美しきかな
質問:愛しき(者の)のため(に)戦う(の)は・・・・、括弧内が省略されているわけですが、省略について違和感あるでしょうか? 御意見お聞かせ下さい。

正統的な詠いぶりだと思いました。選歌しています。
五十嵐さんのおっしゃるように、かっこいい歌ですよね。


[17522] 15番 投稿者:斉藤斎藤 投稿日:2003年09月17日 (水) 23時34分

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15:ぐんぐんと近づいてくる朝焼けのきらめくばかりいつまでも〈今〉
==============================
質問:この歌を読んで、どんなイメージを持ったり、場面を思い浮かべたりされましたか。「短歌で哲学する」ことにトライしてみたのですが、うまくいったかどうかまるで自信がありません。


選んではいるのですが、「短歌で哲学する」というよりも、
哲学を短歌化した感じはしてました。
時計的な時間よりも体感的な時間を重視する立場とか、
人生を平準化して捉えずに<今>の絶対性を主張する立場とか、
そういうことかな、と思ったのですが、だとすると結句の
「いつまでも<今>」はちょっと言い過ぎのような気がします。
<今>を使わないでそれを表現されることを、期待したいです。

場面は、根拠はないですが、始発電車の帰り道に朝焼けに出くわした、とか。
そんな印象を持ちました。

http://saitousaitou.hp.infoseek.co.jp/


[17521] 阿修羅の歌も 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月17日 (水) 23時22分

よろしくね。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17520] 哲学 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月17日 (水) 23時07分

15:ぐんぐんと近づいてくる朝焼けのきらめくばかりいつまでも〈今〉

橘さん、こんばんは。
コメントありがとうございます。

さて、15番の歌ですが、
きれいな歌だということでは皆さん一致していますが、
哲学的だというふうにはあまり感じられなかったようですね。

ふむ。作者さんがこのような情景を前にして、
哲学的な心境になった結果として、
詩的な歌が生まれた、ということでしょうか。

まだまだご意見、お待ちしています。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17519] アリアをうたえ 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月17日 (水) 22時42分

23:制服の胸ポケットにしまわれた夢ひからびぬようアリアをうたえ

かいりさん、高澤さん、清水さん、
萱野さん、みうらさん、こんばんは。
今夜もコメントありがとうございます。

>萱野さん
>五十嵐さん、富島健夫!知ってますよぉ〜。なつかしうございます。

おお〜、通じましたねえ!(^^)/
お年、近かったりするのかな?

ところで、23番の歌なんですが、
誰に対して「アリアをうたえ」といっているんでしょうか?
私の感覚としては、
学校の音楽の授業でアリアを歌った、なんていう経験がないのと、
やはり専門のオペラ歌手でないと、
「夢ひからびぬよう」な見事な歌い方はできないような気がするので、
誰にうたえといっているのか、ちょっと疑問でした。
これは、オペラ歌手に向かっていっているんでしょうか?

CDを聴こうとしているような場面なのか、
なんとなく抽象的に誰かに呼びかけているのか、
本職のようには歌えなくても、自分で歌いたい心境だということなのか。
(でも、命令形だから、自分で歌うわけではないか)

「アリアをうたえ」って、きれいな表現なんですが、
皆さんはどう解釈されました?

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17518] 感想 投稿者:橘真知子 投稿日:2003年09月17日 (水) 22時41分

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15:ぐんぐんと近づいてくる朝焼けのきらめくばかりいつまでも〈今〉
==============================
質問:この歌を読んで、どんなイメージを持ったり、場面を思い浮かべたりされましたか。「短歌で哲学する」ことにトライしてみたのですが、うまくいったかどうかまるで自信がありません。
***
選歌しました。どこが哲学なのか、(今)というところかなと勝手に思っています。
いつまでもある朝焼けなんてありません。朝焼けは朝しかない。
それを「いつまでも(今)」と詠まれたのは、その時間への執着でしょうか。
朝焼けへの執着でしょうか。難しくて解りませんが、その朝焼けを見たいと
思うような歌でした。

==============================
23:制服の胸ポケットにしまわれた夢ひからびぬようアリアをうたえ
==============================
質問:青春詠を詠う場合に心がけていることがありましたらご教示ください
***
選歌しました。青春詠というジャンルがそもそも解らないのですが、
俗に言う青臭さがそれに該当するのでしょうか。
「夢ひからびぬようアリアをうたえ」が、ぐっと来るので、これが
青春かなと思います。アリアであることが大切ですね。ロックでも
POPでもないのがいいと思いました。

遡りますが19番も選歌しました。遅くなってすみません。
MRIなんて言葉は要りません。カリフラワーが並んで写っている、
それが美しいと先生に言われる、それだけで充分だと思います。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/5256/


[17517] 23番 投稿者:みうらしんじ 投稿日:2003年09月17日 (水) 22時39分

==============================
23:制服の胸ポケットにしまわれた夢ひからびぬようアリアをうたえ
==============================
質問:青春詠を詠う場合に心がけていることがありましたらご教示ください。



選歌しました。
「アリア」という言葉の選び方がよかったのではないでしょうか。
漠然とわかっているつもりでも、一応辞書で調べましたし。
「制服の胸ポケットにしまわれた夢」が一歩間違えれば陳腐になるところを、
「アリアをうたえ」という結句が救ってくれているような気がします。

質問の答えですが、
青春詠をうたおうとして短歌を詠んだことがないので、
特に心がけていることはありません。

(次に題詠歌会をひらく時は、
「青春」というお題もいいかもしれませんね、五十嵐さん。
でも、むずかしそう)

http://www.mnet.ne.jp/~miusin/


[17516] 15番 投稿者:みうらしんじ 投稿日:2003年09月17日 (水) 22時18分

こんばんは。

==============================
15:ぐんぐんと近づいてくる朝焼けのきらめくばかりいつまでも〈今〉
==============================
質問:この歌を読んで、どんなイメージを持ったり、場面を思い浮かべたりされましたか。「短歌で哲学する」ことにトライしてみたのですが、うまくいったかどうかまるで自信がありません。



選歌しました。
そうですね。
イメージとしては、朝焼けのきれいな光景が浮かびました。(そのまま?)
「ぐんぐんと近づいてくる」や「きらめくばかり」という
フレーズに惹かれました。
この歌と哲学と、どうつながるかはよくわかりません。

〈今〉は、カッコはつけないほうがいいのでは、と思います。
「いつまでも 今」と一字あけで書くか、
「いつまでも、今」と読点を入れたほうがよくなるのでは。
好みの問題かもしれませんが。

http://www.mnet.ne.jp/~miusin/


[17515] 20番・23番 投稿者:萱野芙蓉 投稿日:2003年09月17日 (水) 22時11分

==================================
20:あぶらぜみの亡き骸の上あまたあまた呪呪と啼きをりまたあぶらぜみ
==================================

<高澤さん
<4句目の「啼きをり」で1度切れていますよね。そうすると、結句のもう1度
<出てくる「またあぶらぜみ」はどう繋がっていくのかな?と思ったのですが、
私が受けた印象は「啼きをり」のところで、あっちでもこっちでも鳴いているあぶらぜみの声が、偶然ブレスが重なったように一瞬途切れるように感じました。と思うまもなく
「またあぶらぜみ」が亡き骸の上で呪呪と啼きはじめ・・・。
なんだかこれがずっとずっと繰り返されるようなイメージを持ちました。
思い込みかもしれませんが。(それに蝉は羽で鳴いてるんだからブレスとは言わないか・・・?)

==============================
23:制服の胸ポケットにしまわれた夢ひからびぬようアリアをうたえ
==============================
質問:青春詠を詠う場合に心がけていることがありましたらご教示ください。

五十嵐さん、富島健夫!知ってますよぉ〜。なつかしうございます。
まだおさげ髪だった私は、おぉ、刺激的!と思ったものです、おほほ〜。
選歌の時、最後まで迷ったお歌です。
私の場合、エプロンのポケットにしまわれた夢がかなりひからびちゃってるせいか、
"制服の胸ポケット"の若さがついつい妬ましく、選歌に至らなかったんだと思います。
でも、このお歌を拝見して、たまにはアリアでも歌ってあげなくちゃという気持ちになりました。
さしずめ"わたしの名はミミ"あたりを鼻歌で・・・。
すみません、ご質問から全く離れてしまいました。


[17514] 15番 投稿者:清水幸多 投稿日:2003年09月17日 (水) 21時56分

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15:ぐんぐんと近づいてくる朝焼けのきらめくばかりいつまでも〈今〉
==============================
質問:この歌を読んで、どんなイメージを持ったり、場面を思い浮かべたりされましたか。「短歌で哲学する」ことにトライしてみたのですが、うまくいったかどうかまるで自信がありません。

詩と哲学というのは一見よく似ていて、どちらも表面的な意味にとらわれては
いけないものです。
でも、哲学ならなんらかの思想信条に裏打ちされたものでなければなりません。
そういう点で、この歌は純粋な<詩>であると考えます。
「いつまでも朝焼けがきれい」ではなく、たとえば「朝焼けは死の前触れだ」みたいな
内容なら、作者さんのおっしゃるような「哲学」的な歌になるのではないでしょうか。
もちろん、先に引用された五十嵐さんの歌は充分に哲学的だと思います。

http://www3.diary.ne.jp/user/343254/


[17513] Re[17506]: 26番 投稿者:高澤志帆 投稿日:2003年09月17日 (水) 20時41分

==============================
26:夕暮れの空を見ていたはずなのにいつか心の中を見ていた
==============================

五十嵐さん、みなさんこんばんは。都築さんはじめまして。
話題を少し戻してすみません。

>都築さん
> 「主体が明示されていない場合は、〈私〉が略されていると考える」という読み方の従来のルールに沿えば、「〈私〉が自分の心の中を見ている」と問題なく読めると思うのですが、いかがでしょうか。

自分の読み間違えは棚に上げて、何で初読では、「(そばにいる相手の人の)
心の中」だと思ってしまったのか考えてみたのですが、「いつか心の中を
見ていた」という言い方が、完了・過去形と相まって何か外側から見ているような
客観的な印象があったせいかな?ということと、主体の人と視線を重ね合わせて
読んだ時に、空を見るために上を向いていた視線が、「いつか」というように
自然に視点を移動する場所に(視界の中に)、もう一人誰かの背中を見てしまったようです。

ですが、五十嵐さんもおっしゃっていましたが、この歌は自分の心の中のこと
だと思います。失礼しました。

http://www.geocities.jp/kogawa96/


[17512] 20番 投稿者:かいり 投稿日:2003年09月17日 (水) 20時13分

==================================
20:あぶらぜみの亡き骸の上あまたあまた呪呪と啼きをりまたあぶらぜみ
==================================
質問・同じ言葉が何度も出て来ることは「くどい」でしょうか?


この歌の場合は、まったくくどいとは感じませんでした。
みなさん書いていらっしゃいますが、私もあぶらぜみの鳴き声の
うるささがとてもよく表現されていて凄いなぁ と思い選歌しました。
また、最初と最後におなじ言葉をもってこられたところもおもしろいし、
全体のリズムもよくて好きです。


[17511] 36番の歌について 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月17日 (水) 20時11分

==============================
36:愛しきのため戦うは罪なりや阿修羅の顔は美しきかな
==============================
質問:愛しき(者の)のため(に)戦う(の)は・・・・、括弧内が省略されているわけですが、省略について違和感あるでしょうか? 御意見お聞かせ下さい。

 *

36番の歌についてです。
まずは作者からの質問ですが、
違和感はまったくありませんでした。
文語の歌ですし、全然問題ないんじゃないでしょうか。
「愛しきのため戦うは」って、カッコいいです。

特に下の句が好きで、魅力的な歌だと思ったんですが、
阿修羅を材にした歌には、名歌がたくさんあって、
(永井陽子さんの連作「阿修羅のサンダル」とか)
ちょっと点数が辛くなってしまい、選歌には至りませんでした。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17510] 23番の歌について 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月17日 (水) 20時10分

==============================
23:制服の胸ポケットにしまわれた夢ひからびぬようアリアをうたえ
==============================
質問:青春詠を詠う場合に心がけていることがありましたらご教示ください。

 *

23番の歌についてです。
素敵な歌ですね。
出だしが、富島健夫の小説のタイトル『制服の胸のここには』を想起させて、
富島健夫というと、エロい青春小説というイメージが強いもので、(^^;;;
(今やもう、知らない人のほうが多いのかしらねえ・・・)
初句はちょっと引いてしまったんですが、
結句に近づくにつれ、だんだんと美しいイメージが広がっていきました。

質問に対する回答にもなるのですが、
私が青春を材に詠むときは、すごく具体的な事柄を詠むので、
(読み手が「あ、こんなことあったな〜」と思うような場面を拾ってきます)
こういう詠み方もあるんだなと、新鮮でした。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17509] 15番の歌について 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月17日 (水) 20時10分

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15:ぐんぐんと近づいてくる朝焼けのきらめくばかりいつまでも〈今〉
==============================
質問:この歌を読んで、どんなイメージを持ったり、場面を思い浮かべたりされましたか。「短歌で哲学する」ことにトライしてみたのですが、うまくいったかどうかまるで自信がありません。

 *

15番の歌についてです。
きれいな歌ですね。
下の句がちょっと抽象的でわかりづらかったかな、
という印象だったのですが、
作者からの質問を読んで、なるほどと思いました。

うーん、どうだろう。
個人的には、もっと具体的な情景や事柄を、
何かの比喩として詠った(と思われる)歌に対して、
哲学的な印象を受ける傾向があるかもしれません。

表面的な意味はすっと理解できて、
でも、明らかに裏の意味がありそうで、
それについて考える、みたいなことが多いかな。

すぐにはいい例を思いつかないんですが、
今回の詠草でいえば、昨日取り上げた、
26番の「心の中を見ていた」の歌なんかが近いかもしれないです。
(もう少し含みがあるほうが、個人的には好みですが)

ついでに、ちょっと(だいぶ)宣伝ですが、
枡野浩一さんに、「哲学」をテーマにしたTV番組で
引用していただいた拙作はこんなのでした。

無人島に一冊持ってゆく本は新宿あたりのイエローページ/五十嵐きよみ

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17508] 15番、23番、36番の歌 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月17日 (水) 20時09分

==============================
15:ぐんぐんと近づいてくる朝焼けのきらめくばかりいつまでも〈今〉
==============================
質問:この歌を読んで、どんなイメージを持ったり、場面を思い浮かべたりされましたか。「短歌で哲学する」ことにトライしてみたのですが、うまくいったかどうかまるで自信がありません。

==============================
23:制服の胸ポケットにしまわれた夢ひからびぬようアリアをうたえ
==============================
質問:青春詠を詠う場合に心がけていることがありましたらご教示ください。

==============================
36:愛しきのため戦うは罪なりや阿修羅の顔は美しきかな
==============================
質問:愛しき(者の)のため(に)戦う(の)は・・・・、括弧内が省略されているわけですが、省略について違和感あるでしょうか? 御意見お聞かせ下さい。

 *

今夜も次の歌に進みたいと思います。
今夜取り上げるのは、15番、23番、36番の歌ですね。

上記3首、どのように読まれましたか?
作者からの質問についてはいかがでしたか?
ご意見・ご感想をお待ちしています。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17507] 心の中を見ていた 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月17日 (水) 19時51分

こんばんは。
昼の間も活発なコメントをありがとうございます。

かいりさん、関野さん、村田さん、直子さん、
どうもありがとうございました。

26:夕暮れの空を見ていたはずなのにいつか心の中を見ていた

>直子さん
>「主体が明示されていない場合は、〈私〉が略されていると考える」という読み
>方の従来のルールに沿えば、「〈私〉が自分の心の中を見ている」と問題なく読
>めると思うのですが、いかがでしょうか。

この件ですが、26番の歌、私も一読したとき、
誰か(恋人とか)と一緒にいて、その人の心の中を見ていた、
というふうに思い込んでしまったクチです。

ところが、読み直してみると、他者がいるとはどこにも書かれていなくて、
「あれれ、読み違えちゃった」と思って、
自分の心の中を見ていたんだと理解し直しました。

直子さんのおっしゃるように、この歌の場合は、
自分の心の中を見ていたのだと理解するべきように思うのですが、
複数の読み手が、他者の心の中を見ていたように読んでしまったのは
なんでかなあと考えたりしました。

自分の心の中は、わざわざ断らなくても、常に見ているものだからかしらん。
でも、そういうことを意識しない状態は珍しくないわけですしね。
うーん、なんでだろう。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17506] 26番 投稿者:都築直子 投稿日:2003年09月17日 (水) 19時15分

26:夕暮れの空を見ていたはずなのにいつか心の中を見ていた
質問:「見ていた」のリフレインは成功しているでしょうか?

選んでいます。
題材がいいと思いました。無意識のうちの、意識のうつろい。
こういうことは日常でよく経験しますが、31音でどう言うかとなるとむずかしい。
じつはいま、私自身こういう題材にトライしていまして、仲間意識を感じての一票です。
たしかに一読すると、関野さんがおっしゃるように「>内容が素直な実感なんで
しょうが、素直すぎて工夫が足らない気が」しなくもない。けれど、
私はむしろその素直さに徹したところを評価しました。ヘタにいじくりまわしていない。ああ見習わなくちゃ、と思いました。
同じような内容を、歌歴60数年の技巧家が詠むとこうなります。

思ひつつ水磨ぎゐたれ水の中に米在ることをふとも忘れて  安永蕗子 『緋の鳥』

「米を磨いでいたはずなのに(それを忘れて)いつか心の中を見ていた」
という歌です。安永蕗子と勝負するのは無理にせよ、26番はいい線いっていると思います。
リフレインは、多くの方が(私もです)「気がつかなかった」とコメントしていますが、
それは読者の無意識下に作用したということなので、成功と考えていいのではないでしょうか。
それから、村田さんは、

>作品の鑑賞としては、高澤さんが[17498]でご指摘のとおり、誰の心の中を見ていたかで受け止め方がまったく異なってしまうので、手がかりを与えて欲しかったと思います。

とおっしゃっていますが、「主体が明示されていない場合は、〈私〉が略されていると考える」という読み方の従来のルールに沿えば、「〈私〉が自分の心の中を見ている」と問題なく読めると思うのですが、いかがでしょうか。
それともこのルール、崩れつつあるのでしょうか。


[17505] 26番 投稿者:村田 馨 投稿日:2003年09月17日 (水) 12時55分

==============================
26:夕暮れの空を見ていたはずなのにいつか心の中を見ていた
==============================
質問:「見ていた」のリフレインは成功しているでしょうか?

作者の方は意識して「見ていた」を二度使ったのでしょうが、効果的だったかというと私は懐疑的に思えます。なぜなら、一読して同じ言葉であることを気づかない読者が多かったからです(私も含めてです)。同じ言葉をリフレインするときはホップ、ステップ、ジャンプとメリハリを効かせないと響きにくいと思います(逆に最初に一撃を与えてだんだんフェードアウトする方法もありえます)。この作品では「夕暮れの空を見ていた」のと「心の中を見ていた」のが同じ比重で繰り返されてしまったので、多くの読者がリフレインとして受け止めてくれなかったのだと思います。
作品の鑑賞としては、高澤さんが[17498]でご指摘のとおり、誰の心の中を見ていたかで受け止め方がまったく異なってしまうので、手がかりを与えて欲しかったと思います。


[17504] 1番 26番 20番 投稿者:関野裕之 投稿日:2003年09月17日 (水) 09時36分

01:いやだった 追いかけてくる数式や治らぬ傷や青い雲梯

   最初読んだとき結句を(空に浮かんでいる)「青い雲の梯子」と
  読んでしまい、「おっ、面白いな」と思いました(^^;
  校庭とかにある「雲梯」なんですよね...(^^;;
  嫌いな物を並べるのも面白いと思いますが、最後に意外なものを
  持ってきたら、グッと惹き付けられたかな、という気がしました。
  そういう点で、もう一捻り欲しいような...、素直で好感は持てます。
  
 26:夕暮れの空を見ていたはずなのにいつか心の中を見ていた

   リフレインが成功しているかどうかよりも、内容が素直な実感なんで
  しょうが、素直すぎて工夫が足らない気がして選びませんでした。
  相聞のようでもあり、一人で回想にふけっているようでもあり、
  読んだときにグッと惹き付けるものが少し足らない気がします。

 20:あぶらぜみの亡き骸の上あまたあまた呪呪と啼きをりまたあぶらぜみ

   くどい感じは全くしませんでした。むしろ効果をあげていると
  思います。あぶらぜみの鳴き声を言葉の繰り返しや「呪呪」でうまく
  表現していると思います。呪わしいぐらいの暑い夏の日が浮かびます。


[17503] 01番 投稿者:かいり 投稿日:2003年09月17日 (水) 09時30分

おはようございます。

==============================
01:いやだった 追いかけてくる数式や治らぬ傷や青い雲梯
==============================
質問:「いやだった」ことを(真偽は別として)自分なりに並べてみたのですが、
どれくらいの方に共感を覚えてもらえるのかが気になります。


私も数式はダメでした。
でも、傷はかさぶたをめくるの大好きでしたし、
雲梯は得意でした。

私はこの歌を選歌していますが、「いやだったもの」に共感してというより、
読んだとき「ああ、この作者の中では「いやだったもの」が今はもう
すっきり思い出に変わっているんだなぁ」と感じられ、
私は「いやだったもの」にまつわる出来事を、かなりしぶとく引きずって
しまうので、羨ましく思って選歌しました。

それから「治らぬ傷や青い雲梯」に、なんだか心理的な意味も
含まれていそうな感じがして、それも惹かれた理由のひとつです。


[17502] 並べる順序 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月17日 (水) 08時46分

>村田さん
>語を並べるときにはランダムよりも一定の流れに従った方が読者に伝わると思い
>ます。例えば、具体から抽象とか、時間的な経過とか、空間的な絞り込みとか。

これ、すごく参考になりました。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17501] ただいまの3首 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月17日 (水) 08時44分

==============================
20:あぶらぜみの亡き骸の上あまたあまた呪呪と啼きをりまたあぶらぜみ
==============================
質問・同じ言葉が何度も出て来ることは「くどい」でしょうか?

==============================
26:夕暮れの空を見ていたはずなのにいつか心の中を見ていた
==============================
質問:「見ていた」のリフレインは成功しているでしょうか?

==============================
01:いやだった 追いかけてくる数式や治らぬ傷や青い雲梯
==============================
質問:「いやだった」ことを(真偽は別として)自分なりに並べてみたのですが、どれくらいの方に共感を覚えてもらえるのかが気になります。

 *

おはようございます。
やつふささん、萱野さん、千坂さん、高澤さん、村田さん、
コメントありがとうございました。

改めて、ただいまの歌をご紹介しておきますね。
夜になるまで、引き続き、上記3首にコメントをお願いします。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17500] 1番の歌について 投稿者:高澤志帆 投稿日:2003年09月17日 (水) 02時50分

すみません。下の記事改行をうまくできていませんでした。

==============================
01:いやだった 追いかけてくる数式や治らぬ傷や青い雲梯
==============================
質問:「いやだった」ことを(真偽は別として)自分なりに並べてみたのですが、どれくらいの方に共感を覚えてもらえるのかが気になります。

1番の歌についてですが、結句の「青い雲梯」が効果的で魅力ある作品でした。
ご質問についてですが、おでぶちゃんでどんくさかった子供時代、本当に校庭の
うんていが苦手だったので、とても共感できました。
「青い雲梯」の「青い」が、まだ未熟な学生の頃というイメージにもかかっていて、
とても効いていると思いました。

>五十嵐さん
>詠み方からしても、この歌は大人の詠み方ですが、
>たとえば、大人である作者が子供に成り代わって、
>現在形で詠んでいたとしたら、ずいぶん印象が違ってきそうです。
>
>過去形だからこそ、素直にノスタルジーを感じられるのだろうし、
>いやだったはずのものなのに、いとしくも思えたりするんだろうなあ。

現在形だとどう印象が違ってくるか、試しに改作してみたんですが(失礼しました)、

・いやなんだ 追いかけてくる数式や治らぬ傷や青い雲梯
・数式が追いかけてくる いやなんだ治らぬ傷や青い雲梯

やはり現在形にしても「治らぬ傷や青い雲梯」の詩的言葉に惹かれますが、
「追いかけてくる数式」は現在形だと切迫感を感じてしまって、
やはり過去形でノスタルジーを感じさせるのがいいんですね。とわかりました。

http://www.geocities.jp/kogawa96/


[17499] 1番 投稿者:村田 馨 投稿日:2003年09月17日 (水) 02時49分

01:いやだった 追いかけてくる数式や治らぬ傷や青い雲梯
==============================
質問:「いやだった」ことを(真偽は別として)自分なりに並べてみたのですが、どれくらいの方に共感を覚えて もらえるのかが気になります。

語を並べるときにはランダムよりも一定の流れに従った方が読者に伝わると思います。例えば、具体から抽象とか、時間的な経過とか、空間的な絞り込みとか。その点、本作では「治らぬ傷」が何にでもあてはまってしまう緩さを生んでいるため、流れが途切れてしまったように感じました。「治らぬ傷」が肉体的なものが精神的なものか、原因は何か、今では癒えているのかなど漠然としているということです。前後の「数式」なり「雲梯」が具体性があり、かつノスタルジーとしてのイメージが湧きあがってくる言葉だけに勿体無いと思います。


[17498] 26番の歌について 投稿者:高澤志帆 投稿日:2003年09月17日 (水) 02時20分

==============================
26:夕暮れの空を見ていたはずなのにいつか心の中を見ていた
==============================
質問:「見ていた」のリフレインは成功しているでしょうか?

26番の歌についてですが、自然へ向き合うことがそのまま心情へ向き合うことに
なっている様が魅力的な歌でした。
ご質問のリフレインについては、読んだ際にはあまり意識しなかったのですが、
定型に沿っていて読みやすい歌でした。

初読では、空を見ていたのに、いつのまにかそばにいる相手の人の心のことを
思っている。と相聞歌なのかなと思ったのですが、そうではなくて、石川啄木の「不来方のお城の草に寝ころびて/空に吸われし/十五の心」のような、
夕空と自分の心を歌った作品だったのかなぁと思いました。

http://www.geocities.jp/kogawa96/


[17497] 20番の歌について 投稿者:高澤志帆 投稿日:2003年09月17日 (水) 01時59分

五十嵐さん皆さんこんばんは。五十嵐さんさきほどはタイミング悪く失礼しましたm(__)m

==============================
20:あぶらぜみの亡き骸の上あまたあまた呪呪と啼きをりまたあぶらぜみ
==============================
質問・同じ言葉が何度も出て来ることは「くどい」でしょうか?

20番の歌についてですが、「あまたあまた」とか「呪呪」という言葉の重なりが
呪文のようで効果的だと思いました。
ですので、ご質問の「くどい」という感じはなかったです。

4句目の「啼きをり」で1度切れていますよね。そうすると、結句のもう1度
出てくる「またあぶらぜみ」はどう繋がっていくのかな?と思ったのですが、
「呪呪と啼きをり」の主語として、倒置法的な結句なのか、結句からまた初句へ
戻ってメビウスの輪のようにエンドレスで続いていくことを示しているのか、
あるいは言いさしの形で続きの言葉が省略されているのかな。とか色々考えました。

http://www.geocities.jp/kogawa96/


[17496] 20番26番01番の歌 投稿者:千坂麻緒 投稿日:2003年09月17日 (水) 00時47分

こんばんは。千坂です。

==============================
20:あぶらぜみの亡き骸の上あまたあまた呪呪と啼きをりまたあぶらぜみ
==============================
質問・同じ言葉が何度も出て来ることは「くどい」でしょうか?

このうたは読めなくてんむむと思いました。
夏の情景としてリアル。「くどい」とは思いませんでしたが、さわやかでもない
ですよね。あぶら という語感が。
蝉の死骸ってよく落ちているんですがいつのまにか羽根だけ残してなくなったり
しています。鳥とかに食べられたりしてるのかなあ。

==============================
26:夕暮れの空を見ていたはずなのにいつか心の中を見ていた
==============================
質問:「見ていた」のリフレインは成功しているでしょうか?

リフレインの効果、というもの自体が私にはよくわかっていないのでしょう。
同じ言葉が二回あればリフレインというものなのでしょうか。
ううーん。読解力がなくて申し訳ないです。

==============================
01:いやだった 追いかけてくる数式や治らぬ傷や青い雲梯
==============================
質問:「いやだった」ことを(真偽は別として)自分なりに並べてみたのですが、どれくらいの方に共感を覚えてもらえるのかが気になります。

追いかけてくる数式 は、ほんとうにいやだった。今でも嫌です。
治らぬ傷 は、むしろ愛しい。
青い雲梯 は、嫌でも好きでもない。。。
かつていやだったもの、という、懐かしさ、への共感なのでしょうが。
いやだった、というからには今はもういやではなくなっているのですよね。
子供時代の思い出の歌なのだなあと思いました。

それでは。失礼いたします。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/3750/


[17495] くどいと言えば・・・ 投稿者:萱野芙蓉 投稿日:2003年09月17日 (水) 00時36分

すみませーん、わたしの「狂」のほうがくどいですね・・・


[17494] 20番、狂おしいあぶらぜみ 投稿者:萱野芙蓉 投稿日:2003年09月17日 (水) 00時33分

==============================
20:あぶらぜみの亡き骸の上あまたあまた呪呪と啼きをりまたあぶらぜみ
==============================
質問・同じ言葉が何度も出て来ることは「くどい」でしょうか?

選歌しました。
狂うほど暑い夏に(今年は冷夏でしたけど ^-^;)、狂うように鳴いているあぶらぜみのの様子が
同じ言葉の繰り返しですごく伝わってきました。亡き骸の上でも啼いているというところがすごいです。
もっとも惹かれたところは"呪呪"です。あ、やつふささんも下に書かれてますねぇ。
この場合、"じゅじゅ"でも"ジュジュ"でもなく
ぜったい"呪呪"でなければならないと思いました。
読んでいて立ち眩むような夏を感じた1首でした。


[17493] 20番,26番,01番について 投稿者:やつふさ 投稿日:2003年09月17日 (水) 00時27分

==============================
20:あぶらぜみの亡き骸の上あまたあまた呪呪と啼きをりまたあぶらぜみ
==============================
質問・同じ言葉が何度も出て来ることは「くどい」でしょうか?

何人かの方もすでにコメントされていますが,
くどいところが魅力だと思います。
私は「呪呪」という表現が好きでした。
人間側の暑さに対する呪わしい気持ちと,
蝉の短い生にたいする呪わしい気持ちが
両方こもっているのかなと,考えていました。
選歌にいたらなった理由は,今年の夏が涼しかったからかと・・。

==============================
26:夕暮れの空を見ていたはずなのにいつか心の中を見ていた
==============================
質問:「見ていた」のリフレインは成功しているでしょうか?

選歌しました。
今回の歌の中で一番好きな歌でした。
メッセージがすごく単純で,瞬間的に共感できたのが
一番おおきな理由かと思います。

「見ていた」のリフレインは成功していたかとのことですが,
実は,リフレインとは気付かずにいました。
リフレインの効果をねらっていらしたのであれば
効果は薄かったのかも知れません。

==============================
01:いやだった 追いかけてくる数式や治らぬ傷や青い雲梯
==============================
質問:「いやだった」ことを(真偽は別として)自分なりに並べてみたのですが、どれくらいの方に共感を覚えてもらえるのかが気になります。

小学生のころのことを回想させられました。
私も,いやだった記憶があります。
あと,鉄棒も嫌いだったなあ。きっといまでも鉄棒は
できない気がします・・(涙)


以上です


[17492] いやだった 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月17日 (水) 00時09分

01:いやだった 追いかけてくる数式や治らぬ傷や青い雲梯

>高松さん
>その当時は本当に嫌がっていたけれど、今思い出してみると懐かしい…と、ちょっと苦笑>いしながら思い出すという感じですね。
>好きだったことを並べるのとは、また違った懐かしさの感じ方を教えてくれるようなうた>だと思います。

>志野さん
>「いやだった」と言う過去形がきいていると思います

1番の歌、いやなものを列挙しながら、
それほど切実にいやだという印象を受けずに読めたのは、
過去形だということが大きそうですね。

詠み方からしても、この歌は大人の詠み方ですが、
たとえば、大人である作者が子供に成り代わって、
現在形で詠んでいたとしたら、ずいぶん印象が違ってきそうです。

過去形だからこそ、素直にノスタルジーを感じられるのだろうし、
いやだったはずのものなのに、いとしくも思えたりするんだろうなあ。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17491] 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月16日 (火) 23時59分

19:「美しい脳ミソですね」と医者の言う フィルムに並ぶカリフラワー達

戻りますが、19番について。

>小枝子さん
>私は「カリフラワー達」の「達」が気になりました。
>1枚ではないことを表わしているのだとは思いますが、
>「並ぶ」という言葉で複数枚あるということはわかるので。
>「達」になにか別の意図があるのかな、と。

>関野さん
>最初、カリフラワー達の「達」に違和感あったのですが、たぶん、
>脳の映像が幾つも並べられているんですよね。
>そうすると、「並ぶ」と「達」が重なる気もするので、「並ぶ」のかわりに
>違う言葉が入ってもいいような気もしました。

これ、気づきませんでしたが、
いわれてみると、確かに重複感がありますね。
複数形のある言語なら、当然、このようなかたちになるのでしょうけれど。

ものに対して「〜達」という言い方をすることには
好き嫌いがありそうなので(結社誌で直された経験あり)、
「達」をなくせれば、そのほうがベターなのかもしれませんが、
字数からいって、「達」を取るのは難しそうだから、
関野さんのおっしゃるように、
「並ぶ」を別の表現にしてみてもいいかもしれないですね。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17490] こんばんは 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月16日 (火) 22時58分

こんばんは。
今しがた、帰宅しました。
歌を紹介しっぱなしでゴメンナサイです。
高澤さん、お気遣いいただいて恐縮でした。

また後で、何とか顔を出したいと思います。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17489] 1番 投稿者:高井志野 投稿日:2003年09月16日 (火) 21時33分

01:いやだった 追いかけてくる数式や治らぬ傷や青い雲梯
==============================
質問:「いやだった」ことを(真偽は別として)自分なりに並べてみたのですが、どれくらいの方に共感を覚えて もらえるのかが気になります。

選歌しました
数式、なおらない傷、雲梯のら列に惹かれました。
ノスタルジックな感じに共感しました
「いやだった」と言う過去形がきいていると思います

雲梯が青い事や、治りにくい傷という選び方が好きな歌でした

 
 

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hanamizuki/4426


[17488] 20番 投稿者:アガツマトシキ 投稿日:2003年09月16日 (火) 21時16分

==============================
20:あぶらぜみの亡き骸の上あまたあまた呪呪と啼きをりまたあぶらぜみ
==============================
質問・同じ言葉が何度も出て来ることは「くどい」でしょうか?

選歌しました。
くどいとは思わず、効果的であると感じました。言葉の重複が呪文的な効果をあげていると思います。どちらかというと「亡骸の上」と「呪呪」の組み合わせに意味的な重複感というか、それぞれの語のイメージが近いため相殺される感じを若干持ちます。たとえば「呪呪」が「寿寿」(という例は思いつきですが)であるような意外性があったほうがもっと惹かれたかなあ(西瓜に塩、的に)、というようなことです。

http://cat.zero.ad.jp/gips/


[17487] 20、26、1のうた。 投稿者:高松凛 投稿日:2003年09月16日 (火) 20時39分

==============================
20:あぶらぜみの亡き骸の上あまたあまた呪呪と啼きをりまたあぶらぜみ
==============================
質問・同じ言葉が何度も出て来ることは「くどい」でしょうか?

言葉の繰り返しに適している言葉とそうでない言葉とがあるのではないかと思っています。
で、「あぶらぜみ」を繰り返している…そのくどさが、この場合は魅力的なんじゃないでしょうか。「呪呪」という言葉も、ザ行音でそのくどさを助けているような気がして、五十嵐さんのおっしゃるように真夏の暑苦しい感じをとてもよく表している気がします。
「あまたあまた」も、字余りのちょっと舌足らずな感じが好きです。個人的に、言葉遊び的うたが好き、ということもあるのですが。。


==============================
26:夕暮れの空を見ていたはずなのにいつか心の中を見ていた
==============================
質問:「見ていた」のリフレインは成功しているでしょうか?

これも好みの問題なんですが、リフレインをするならばもっと畳み掛けるようにしたほうがいいような気がします。質問を見て、初めて「ああ、リフレインだったんだ」と気づいたので…
それから、心の中を見るなら「見る」よりも「覗く」のほうが好きかな。それにあわせて「夕暮れの空」を、たとえば魚眼レンズに変えるとか…。


==============================
01:いやだった 追いかけてくる数式や治らぬ傷や青い雲梯
==============================
質問:「いやだった」ことを(真偽は別として)自分なりに並べてみたのですが、どれくらいの方に共感を覚えてもらえるのかが気になります。

小学校時代の記憶でしょうか…「雲悌」ってこう書くんですか(笑)
その当時は本当に嫌がっていたけれど、今思い出してみると懐かしい…と、ちょっと苦笑いしながら思い出すという感じですね。
好きだったことを並べるのとは、また違った懐かしさの感じ方を教えてくれるようなうただと思います。

http://www.h3.dion.ne.jp/~kotodama/


[17486] ちょっと戻って12、14、19のうた。 投稿者:高松凛 投稿日:2003年09月16日 (火) 20時17分

==============================
12:やすやすとわたしを揺らす左手と鳩を取り出すその右手 好き
==============================
質問:どのようなシーンを想像して読まれたか、結句の1次空けは効果的か、「好き」と言い切る終わり方に拙さを感じないか、などがご意見を聞いてみたい点です。どうぞよろしくお願いします。

恋人よりは、父親を連想させるうただと思います。「わたし」をあやしてくれる左手と、楽しませてくれる(と言うとちょっと違うんですが)右手とが、守ってくれる父親、というイメージにつながっていきます。
1字空けは成功していると思います。言いきりにも拙さはないとは思うのですが、「好き」という感情を表すのに「好き」とストレートに言ってしまうのは好みでなく、選歌に至りませんでした。

 
==============================
14:醤油注ぎのまろき白磁のこのカーブの、なんっちゅうか、永遠とゆーか。
==============================
質問:醤油の銘柄はやはり、ヤマサでしょうか?


下句、わたしには詠めない系統だなあと思いつつも面白く読みました。白磁の醤油注ぎは、高級中国料理店を思い起こさせる様な感じ。…永遠って、なにがだろう?読み方によってものすごく違って見える、キャパの広いうたのように感じました。
…ごめんなさい、うちではヤマサの醤油差しの中にキッコーマンの醤油を入れて使ってます。。


==============================
19:「美しい脳ミソですね」と医者の言う フィルムに並ぶカリフラワー達
==============================
質問:人間ドックの時の歌なのですが、MRIという文字をいれることができませんでした。なんとかして入れた方がよいでしょうか? 入れなくても分かるでしょうか? ちなみに、この歌の前に、MRIを撮られている時の様子を歌った歌はあります。

MRI、入れないほうが正解だと思います。入れるといきなり硬いうたになっちゃうかと。「美しい」と「脳ミソ」のギャップが好きですね。

http://www.h3.dion.ne.jp/~kotodama/


[17485] 1番 投稿者:清水幸多 投稿日:2003年09月16日 (火) 19時27分

==============================
01:いやだった 追いかけてくる数式や治らぬ傷や青い雲梯
==============================
質問:「いやだった」ことを(真偽は別として)自分なりに並べてみたのですが、どれくらいの方に共感を覚えてもらえるのかが気になります。

短歌というのはたいてい、だから何?と言われると困るものではありますが、
この歌は特にそうです。「いやだった」からなんだというのでしょうか。
情報過多なようで、実は情報がかなり不足する歌のような気がします。

http://www3.diary.ne.jp/user/343254/


[17484] 19番の歌について 投稿者:高澤志帆 投稿日:2003年09月16日 (火) 19時11分

すみません。[17481] の以下の記事を五十嵐さんのご紹介記事の間に送信して
しまいましたので、1度削除して再投稿させてもらいました。

==============================
19:「美しい脳ミソですね」と医者の言う フィルムに並ぶカリフラワー達
==============================
質問:人間ドックの時の歌なのですが、MRIという文字をいれることができませんでした。なんとかして入れた方がよいでしょうか? 入れなくても分かるでしょうか? ちなみに、この歌の前に、MRIを撮られている時の様子を歌った歌はあります。

19番の歌についてですが、「そうか、脳ミソにも美醜があるのかぁ」と初句で
軽い衝撃を与えてくれて、面白かったです。
結句のカリフラワーについては、「本当にカリフラワーみたいなのよ」と知り合いから
聞いたことがあり、なるほど、そうなんだろうなぁ。と情景がはっきり浮かんで
具体が効いていていいと思いました。

ご質問のMRIについては、入れなくても情景は分かると思いました。

http://www.geocities.jp/kogawa96/


[17483] あ、ごめんなさい 投稿者:高澤志帆 投稿日:2003年09月16日 (火) 19時04分

五十嵐さんすみません。タイミング悪く途中で割り込んでしまいました(T_T)

http://www.geocities.jp/kogawa96/


[17482] 1番の歌について 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月16日 (火) 19時02分

==============================
01:いやだった 追いかけてくる数式や治らぬ傷や青い雲梯
==============================
質問:「いやだった」ことを(真偽は別として)自分なりに並べてみたのですが、どれくらいの方に共感を覚えてもらえるのかが気になります。

 *

1番の歌についてです。選歌しました。
いやなもの、嫌いなものを歌にするのって、
なかなか難しいように思いますが、
この歌の場合、いやだったものとして並べられた事柄が、
切実にいやな印象を受けるものではなかったので、
さらっと楽しく読めました。
「ほんとにいやだったなあ」と共感するというより、
言葉の選び方を、詩歌として楽しめた、ということかな。
よく考えると、私も、算数とか雲梯とか、苦手だったんですけどね。

雲梯って、小学校の運動場によくある、こういう遊具ですね。
http://www.fujisangyou.co.jp/PLA_000C/08/IND_0003.HTM

これ、私も子供のころはできなかった〜。
大人になってから、試しにやってみたら、あっさりできました。
昔は、腕力がないからできないんだと思ってたんですが、
できてみると、単にコツがわかっていなかっただけだと判明しました。


[17480] 26番の歌について 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月16日 (火) 19時00分

==============================
26:夕暮れの空を見ていたはずなのにいつか心の中を見ていた
==============================
質問:「見ていた」のリフレインは成功しているでしょうか?

 *

26番の歌についてです。
「見ていた」の繰り返しは、さらっと読んでいましたが、
改めて質問されると、うーん、どうかな。

失敗だとは全然思わないですが、
成功しているかというのは、
何を基準に判断すればいいのかが難しいですね。

今回、同じ言葉を繰り返す歌が何首かありましたが、
個人的には、選歌1位の「七人掛けの七人」のように、
両者で微妙に意味が異なる、というふうな使い方が好きです。

この歌の場合は、最初はさらっと読ませ、
結句はしんみり、じっくり読ませる、というような効果を狙われたのかな。

一首の内容については、わかりやすく、共感しやすい歌ですね。
どこかでもう少しひねってほしい気もしましたが、
素直な詠いぶりが魅力の歌だとは思います。


[17479] 20番の歌について 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月16日 (火) 18時58分

==============================
20:あぶらぜみの亡き骸の上あまたあまた呪呪と啼きをりまたあぶらぜみ
==============================
質問・同じ言葉が何度も出て来ることは「くどい」でしょうか?

 *

20番の歌についてです。
季節感あり、言葉遊び的な要素ありで、
味わいどころの多い歌ですね。

勝手に「蝉対決」と名づけた対決(?)で、
27番の蝉法師の歌を選歌した手前、
こちらは選べませんでしたが、魅力的な歌だと思いました。

質問についてですが、
言葉を重ねることの効果を狙った歌だと思うので、
くどいくらいでいいのでは?

同じ言葉の繰り返しも含めて、言葉がぎゅうぎゅう詰まったところが、
あぶらぜみの鳴き声の暑苦しさをうまく表現していると思いました。
繰り返される「あ」の音は、「暑い」の「あ」でもありますね。


[17478] 20番、26番、1番の歌 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月16日 (火) 18時58分

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20:あぶらぜみの亡き骸の上あまたあまた呪呪と啼きをりまたあぶらぜみ
==============================
質問・同じ言葉が何度も出て来ることは「くどい」でしょうか?

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26:夕暮れの空を見ていたはずなのにいつか心の中を見ていた
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質問:「見ていた」のリフレインは成功しているでしょうか?

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01:いやだった 追いかけてくる数式や治らぬ傷や青い雲梯
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質問:「いやだった」ことを(真偽は別として)自分なりに並べてみたのですが、どれくらいの方に共感を覚えてもらえるのかが気になります。

 *

少し早いですが、次の3首をご紹介しますね。
今夜取り上げるのは、20番、26番、1番の歌になります。

上記3首、どのように読まれましたか?
作者からの質問についてはいかがでしたか?
ご意見・ご感想をお待ちしています。


[17477] 14番の歌について 投稿者:高澤志帆 投稿日:2003年09月16日 (火) 18時50分

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14:醤油注ぎのまろき白磁のこのカーブの、なんっちゅうか、永遠とゆーか。
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質問:醤油の銘柄はやはり、ヤマサでしょうか?

選歌させていただきました。質問を拝見してさらに受けてしまいました。
醤油でヤマサはパッと思い浮かびませんでした。
私も五十嵐さんと同じく、「醤油差し」の方がなじみがありますが、
原作の通りでもひっかかりはありませんでした。

4句目の「なんっちゅうか、」の部分は、いや、そのいわく言いがたい部分を
何とか苦労して言葉にしようとするのが短歌の表現の部分なんじゃないかなぁと
思うと、ちょっとずるいなぁと思ってしまったんですが、でも、本当にうまく
言葉にできない時の感じをうまく表しているなぁと、まんまと4句目にのせられました。

http://www.geocities.jp/kogawa96/


[17476] 12番の歌について 投稿者:高澤志帆 投稿日:2003年09月16日 (火) 18時42分

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12:やすやすとわたしを揺らす左手と鳩を取り出すその右手 好き
==============================
質問:どのようなシーンを想像して読まれたか、結句の1次空けは効果的か、「好き」と言い切る終わり方に拙さを感じないか、などがご意見を聞いてみたい点です。どうぞよろしくお願いします。

五十嵐さん皆さんこんばんは。
12番の歌についてですが、素直な相聞歌として読みました。

質問:どのようなシーンを想像して読まれたか

歌の通りで、左手で彼女をあやすように抱いている男性が、ほらっと右手で
鳩を取り出して彼女を笑顔にさせている。というイメージを抱きました。

質問:結句の1次空けは効果的か

素直な心情の吐露として、効果的だと思いました。

質問:「好き」と言い切る終わり方に拙さを感じないか

拙さは感じませんでした。若さを感じました。

http://www.geocities.jp/kogawa96/


[17475] 19番 投稿者:かいり 投稿日:2003年09月16日 (火) 17時13分

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19:「美しい脳ミソですね」と医者の言う フィルムに並ぶカリフラワー達
====================================
質問:人間ドックの時の歌なのですが、MRIという文字をいれることが
できませんでした。
なんとかして入れた方がよいでしょうか? 入れなくても分かるでしょうか? 
ちなみに、この歌の前に、MRIを撮られている時の様子を歌った歌はあります。


MRIはなくても十分わかると思います。
逆に入れてしまったら、わかりすぎておもしろくないと思います。

この歌は、最後まで選歌しようか迷いました。
やめてしまった理由は、「医者の言う」の「の」が気になったからです。
普段話したり書いたりする時はたぶん「は」又は「が」を
使うところだと思うんです。(違ってたらごめんなさい)
短歌ではそれを「の」に置き換えることがあると
以前何かで読んだことはあるのですが、
個人的にとても気になってしまって選歌できませんでした。
あくまで個人的な好みの問題だとは思うのですが・・・。


[17474] 35番 投稿者:かいり 投稿日:2003年09月16日 (火) 16時36分

五十嵐さん、みなさん、こんにちは。
週末留守にしていたので、少し戻ってしまいますが
感想を書かせて下さい。

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35:君の名をなんどもなんどもよんだかもまだ骨のない魚だったころ
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選歌しました。
「まだ骨のない魚だったころ」という表現、凄いとおもいます。

全体の意味としては、さとこさんの

>わたしは、恋人同士を想定しました。
>「骨のない魚だったころ」は、恋人になりたての頃だと思いました。
>最初の頃は、その恋に夢中で、「骨」=自分のアイデンティティや
>人生の責任のようなものを、もってなくて、なんどもなんども君の名前を呼ぶだけ。
>でも今はその頃とちがって、名前を呼ぶだけのような「甘え」はない。
>以前の「好きだけが全て」というような恋はもうなくて、少し寂しい、
>というロマンチックな歌と解釈しました。

にかなり近いです。
ただ「骨のない魚だったころ」の解釈が少し違って、
「骨のない魚だったころ」=過去の自分=現在より少し子供だった自分
と思って読みました。


 どなたかも書いていらっしゃいましたが、
「なんどもなんどもよんだかもまだ骨のない・・・」の所は
あいだにスペースがあると読みやすいとおもいます。

 また「かも」についてですが、私もこのままがいいと思います。
やはりリズムが好きですし、「魚」を「さかな」と読むことで
この歌のもつイメージに合うように思いました。


[17473] 12番・14番・19番 投稿者:近藤かすみ 投稿日:2003年09月16日 (火) 15時21分

近藤かすみです。こんにちは。

12:やすやすとわたしを揺らす左手と鳩を取り出すその右手 好き

なんと言うかよくわかりません。好みが分かれる歌だと思います。
「わたし」はトリッキーに支配されているが、その相手をやはり「好き」ということなんでしょうか。
最後の1字開けの「好き」が、私には、甘ったれてるような気がしました。

14:醤油注ぎのまろき白磁のこのカーブの、なんっちゅうか、永遠とゆーか。

上句はきれいなんですが、やはり下句でひっくり返されたというか、これを好む方ももちろんあって、それはそれで現代短歌なんでしょうね。

19:「美しい脳ミソですね」と医者の言う フィルムに並ぶカリフラワー達

脳ミソとカリフラワー、つき過ぎというか、うまい比喩というか・・・
しかし、脳ミソというのは、臓器であるわけだし、それを食べ物のカリフラワーに
喩えるのが、生々しくて、またミソがひらがななのも、気味の悪いような感じ。
私のような単純な読者に「気持ち悪い」と思わせたい作者なら、それは成功だったでしょう。

今回の3首は、歌の良し悪しということとは別の「好み」「感覚」の次元で、合わないものを感じました。作者さま、ごめんなさい。


[17472] なんっちゅうか、苦手とゆーか(^^; 投稿者:関野裕之 投稿日:2003年09月16日 (火) 14時08分

 12:やすやすとわたしを揺らす左手と鳩を取り出すその右手 好き

   どうも、こういう歌は苦手で...(^^;
  結句の「好き」は歌全体のイメージには合っているようですが、
  やはり拙さというか、幼さみたいなものを感じてしまう気がします。
  幼児ではなく大人のような気がしますね...。
 
 14:醤油注ぎのまろき白磁のこのカーブの、なんっちゅうか、永遠とゆーか。

   なんっちゅうか、苦手とゆーか(^^;
  ま、銘柄はヤマサでもなんでもいいんとちゃいます?
  3句までの印象と4句以降の印象が全く違うんですね。それを狙って
  いるんでしょうが...。結句の句点はいらないんじゃありませんかね?

 19:「美しい脳ミソですね」と医者の言う フィルムに並ぶカリフラワー達

   MRIはいらないでしょう。むしろ、ない方がいいんじゃないでしょうか。
  最初、カリフラワー達の「達」に違和感あったのですが、たぶん、
  脳の映像が幾つも並べられているんですよね。
  そうすると、「並ぶ」と「達」が重なる気もするので、「並ぶ」のかわりに
  違う言葉が入ってもいいような気もしました。

 04:亡き君を紛れ込ませて踊る輪の影揺らめきて素足にふれる

   これは後戻りになりますが、気になった歌なので...。
  いい歌で選びたかったのですが、結句が気になりました。
  盆踊りを踊りの輪の外から見ている情景を思い浮かべました。
  踊っている人達の影が足元に伸びてきているんでしょう。
  その中に「亡き君」の影があるような気がした...。
  いい歌ですね。最早、手を差し延べることのできない悲しみが
  あると思うんです。愛する人に触れられない悲しみが...。
  しかし、結句は「素足にふれる」なんですよね...。
  触感が出てくるわけです。愛する人に触れられない悲しみが
  あると思うんですが、歌の中では触れてしまうんですね...。
  ここは触れちゃいけないんじゃないかと...。
  ま、いい代案は浮かばないんですが、どうなんでしょ?


[17471] 12番、14番 投稿者:都築直子 投稿日:2003年09月16日 (火) 13時54分

12:やすやすとわたしを揺らす左手と鳩を取り出すその右手 好き

選びました。今回の、私のベストワンです。

>質問:どのようなシーンを想像して読まれたか
具体的なシーンが浮かぶようには作られていないので、「わたし」と
相手の関係を観念的に表現した歌、と読みました。「やすやすとわたしを揺らす左手」に
惹かれました。五十嵐さんの指摘にもありますが、「あやされている」印象です。同時
に、
「わたし」はそれを気持ちよく受け入れている、という印象も受ける。心地よい関係。
「鳩を取り出す右手」は、これも具体的な動作ではなく、「わたし」をびっくりさせ、
楽しませてくれる何かをしてくれる、という意味あいにとりました。
読者に特定の場面を想像させないような作り方が、成功していると思います。

>結句の1次空けは効果的か
結句に「その右手好き」を使うなら(別の表現ではなく)、読みやすさ、
意味の取りやすさのための便宜として、「手」と「好」は一字空けた方がいいと思います。

>「好き」と言い切る終わり方に拙さを感じないか
感じます。「好き」といわなくても、それまでの表現で、
「わたし」が相手を好きなことはじゅうぶん読者に伝わってきます。
そこを、あえて「好き」を使うか否かは、一首に稚拙さを演出するかしないか、
作品にどんな味付けをするのかという、作者の選択でしょう。


14:醤油注ぎのまろき白磁のこのカーブの、なんっちゅうか、永遠とゆーか。

質問:醤油の銘柄はやはり、ヤマサでしょうか?
解答:いいえ、当然キッコーマンです。

迷いましたが、選歌にいたりませんでした。
次の穂村弘作品へのアンサー・ソングだと読みました。

いつかみたうなぎ屋の甕のたれなどを、永遠的なものの例として 
   穂村弘 『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』

穂村作品の読みどころは、「永遠的」というかっこいい観念語に、「うなぎ屋の甕のたれ」というベタに日常的なものを持ってきたところです。取り合わせの意外性、新鮮さ。14番は、それに対し、
「なるほどだれですか。じゃ、白磁の醤油注ぎのカーブなんか、どうでしょう」といっている。
選ばなかったのは、「たれ」に「醤油注ぎ」では、意外性がなさすぎると感じたからです。
もしも、「醤油注ぎのカーブ」と「永遠」の取り合わせが、14番の歌のオリジナルなもの
だったら、文句なしに選びますが、そうではない。その発見は、あくまで本歌のものです。
アンサー・ソングには、アンサー・ソングなりの、捻りがもう少しほしいと感じました。


[17470] 12番14番19番 投稿者:春日山 投稿日:2003年09月16日 (火) 13時51分

12 やすやすとわたしを揺らす左手と鳩を取り出すその右手 好き

恋人どうしで、彼女の側から彼を詠んでいる。左手は彼女の心を揺らす彼の心の遣いかたの上手さを比喩したのだと思う。そして右手はマジックにも長けている彼。一字明きは効果的。

14 醤油注ぎのまろき白磁のこのカーブの、なんちゅうか、永遠とゆーか。

円のカーブは小さくても、大きくてもエンドレスだ。そこに永遠と宇宙の摂理を観たのだと思う。

19 「美しい脳ミソですね」と医者の言う フイルムに並ぶカリフラワー達

異状のないことを「美しい脳ミソ」と医者が表現したのだろうが、「ミソ」とまで言ったかが疑問。「美しい脳ですね」ぐらいに思えるのだが・・・・。カリフラワーの表現は良いと思います。
  


[17469] 改めて12番 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月16日 (火) 08時19分

12:やすやすとわたしを揺らす左手と鳩を取り出すその右手 好き

12番、やつふささんとアガツマさんのご意見を読んで、
すごく納得しました。
この歌は大人の書き方ですから、
作中主体が幼児だとは思わなかったのですけど、
この「好き」という感じは、幼児が親に抱く感情を思わせますねえ。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17468] ただいまの3首 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月16日 (火) 08時14分

==============================
12:やすやすとわたしを揺らす左手と鳩を取り出すその右手 好き
==============================
質問:どのようなシーンを想像して読まれたか、結句の1次空けは効果的か、「好き」と言い切る終わり方に拙さを感じないか、などがご意見を聞いてみたい点です。どうぞよろしくお願いします。

==============================
14:醤油注ぎのまろき白磁のこのカーブの、なんっちゅうか、永遠とゆーか。
==============================
質問:醤油の銘柄はやはり、ヤマサでしょうか?

==============================
19:「美しい脳ミソですね」と医者の言う フィルムに並ぶカリフラワー達
==============================
質問:人間ドックの時の歌なのですが、MRIという文字をいれることができませんでした。なんとかして入れた方がよいでしょうか? 入れなくても分かるでしょうか? ちなみに、この歌の前に、MRIを撮られている時の様子を歌った歌はあります。

 *

おはようございます。
やつふささん、アガツマさん、さとこさん、
コメントありがとうございました。

改めて、ただいまの歌をご紹介しておきますね。
本日は夜になるまで、
引き続き、上記3首を中心にコメントをお願いします。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17467] 無題 投稿者:さとこ 投稿日:2003年09月16日 (火) 01時39分

こんばんは。さとこです(^−^)/

連休中、PCから離れていたので、
少し戻ってコメントさせていただきます。

==============================
28:ドードー鳥ほろびてしまった翌朝もいつもと変わらぬ青空でした
==============================

空は「いつも」青空じゃない、と思ってしまって、選べませんでした。

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35:君の名をなんどもなんどもよんだかもまだ骨のない魚だったころ
==============================

選びました。
わたしは、恋人同士を想定しました。
「骨のない魚だったころ」は、恋人になりたての頃だと思いました。
最初の頃は、その恋に夢中で、「骨」=自分のアイデンティティや
人生の責任のようなものを、もってなくて、なんどもなんども君の名前を呼ぶだけ。
でも今はその頃とちがって、名前を呼ぶだけのような「甘え」はない。
以前の「好きだけが全て」というような恋はもうなくて、少し寂しい、
というロマンチックな歌と解釈しました。


【9票】
==============================
04:亡き君を紛れ込ませて踊る輪の影揺らめきて素足にふれる
==============================

選びました。
仲間と夏のキャンプファイヤーをしているときのことだと想像しました。
影が揺れるのだから、真ん中に影を作る火があるのかな、と。
あと、「揺らめきて」という言葉は推敲の余地があるような気がしました。
「き」という音が強いのと、他の方もおっしゃられているように、
「〜て」がダブるのとが理由です。


【8票】
==============================
10:屈強な男が五人で支えてる虹のふもとを見に行きたいと
==============================

「支えてる」「見に行きたい」の両方の主語が屈強な男のように読めてしまいました。

==============================
39:双方に改札あるを知らずして聖橋にていつまでも待つ
==============================

聖橋が御茶ノ水だとはわかりませんでしたが、作者の言わんというしていることは、
十分に伝わりました。
ただ、わたし自身に経験がない(携帯もしくは昔ならポケベルがある)ので、
その情緒を理解することができませんでした。


==============================
42:頬濡らす夏の思い出そのままで九月のプールに(混ぜるな危険)
==============================

みなさんのコメントを読んで、(混ぜるな危険)とは、
夏の恋を新しい季節に持ち込むな!ということだと気づきました。
そう解釈できると、下の句はうまい表現だと思います。


[17466] 12番 投稿者:アガツマトシキ 投稿日:2003年09月16日 (火) 00時00分

==============================
12:やすやすとわたしを揺らす左手と鳩を取り出すその右手 好き
==============================
質問:どのようなシーンを想像して読まれたか、結句の1次空けは効果的か、「好
き」と言い切る終わり方に拙さを感じないか、などがご意見を聞いてみたい点です。
どうぞよろしくお願いします。


とても退行的な印象を持ちました。赤ん坊のようにあやされている自分を、すでに赤ん坊ではない者の言葉で語りつつ、そういういびつな状態への疑いや怯えなどが少しもあらわれていないようで、正直かなり苦手な歌です。
一字あけのあとの「好き」は、そこまでに描かれた退行的な内容にとどめの全肯定をつけくわえているように感じます。こうしたいびつさ(大人が赤ん坊の服を着てまどろんでいるような)へのごくまっとうな違和感というものを、承知の上であえて退行してみせるのではなく、この歌はまるで最初からそういう反応を想定していないかのように読めてしまいました。
なんだか無防備すぎて、痛々しい歌に思えます。

http://cat.zero.ad.jp/gips/


[17465] 12番,14番,19番 投稿者:やつふさ 投稿日:2003年09月15日 (月) 23時53分

やつふさです。
みなさん,こんばんは。

さて。

==============================
12:やすやすとわたしを揺らす左手と鳩を取り出すその右手 好き
==============================
質問:どのようなシーンを想像して読まれたか、結句の1次空けは効果的か、「好き」と言い切る終わり方に拙さを感じないか、などがご意見を聞いてみたい点です。どうぞよろしくお願いします。

私が想像したシーンと言いますか,
最後に「好き」と言っているのは赤子か幼い子供だと思って読みました。
推定0〜3歳。
好きな相手はお父さん。
きっと,気持ちよく寝かしつけてくれたり,手品見せて楽しませてくれたりと
素敵な,お父さんなのだろうなあと。
それから,「好き」の前の一字空けですが,
この間の存在によって,私は歌の中で「好き」と言っている人の
満面の笑顔を思い描けました。
句読点ではなくスペースを空けたのが良かったのだと思います。

==============================
14:醤油注ぎのまろき白磁のこのカーブの、なんっちゅうか、永遠とゆーか。
==============================
質問:醤油の銘柄はやはり、ヤマサでしょうか?

醤油は,キッコーマンの特選丸大豆です。
結構おいしいと思っています。
ちなみに醤油差しには,ガラス製のものを使っているのですが
たまたま,入った中華料理屋で白磁のものを発見しました。
思わず,じっと見つめてしまいました。

==============================
19:「美しい脳ミソですね」と医者の言う フィルムに並ぶカリフラワー達
==============================
質問:人間ドックの時の歌なのですが、MRIという文字をいれることができませんでした。なんとかして入れた方がよいでしょうか? 入れなくても分かるでしょうか? ちなみに、この歌の前に、MRIを撮られている時の様子を歌った歌はあります。

選歌しました。
MRIはなくても分かりました。

検査を受けた結果を心配したり,
今日の夕飯のことを考えたりと,とても有機的な活動をしている
脳ミソが,写真を撮られてひどく無機的に扱われている点が好きです。
医者の「美しい脳ミソですね」という発言もかえって
脳ミソが無機的に扱われている印象を助けているように思います。

カリフラワーに喩えている部分については,
作者様の脳ミソに対する愛情のようなものが感じられました。
なんででしょうね。
本当に無機的なゼンマイやネジではなく,野菜だからですかね。

以上です


[17464] 明晩のこと 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月15日 (月) 23時09分

えっと、今のうちにお知らせしておきますと、
明日の夜は、仕事で帰宅が遅くなる予定です。
ただ、夜の7時ごろ、作品のご紹介だけはできると思います。

対応が遅れがちになるかもしれませんが、
どうぞ、自由にコメントを出しておいてくださいませ。
よろしくお願いします。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17463] 好き 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月15日 (月) 23時03分

12:やすやすとわたしを揺らす左手と鳩を取り出すその右手 好き

るぅさん、久慈さん、こんばんは。
コメントありがとうございます。

>るぅさん
初コメント、うれしいです。
どうぞ、遠慮なくご意見・ご感想をお寄せくださいね。

>久慈さん
>前半部分は催眠術かな、後半部分はマジック、奇術のようにとりました。
>若い女性が中年または老年の男性の所作に感嘆している。そんな印象です。
>おじさんコンプレックス?とかいうと失礼ですな。

この歌は、やはり恋の歌だと思うわけですが、
手放しで「好き」といっている印象を受けるところ、
あんがい年齢差がありそうな気もしますね。
うんと年上とか、逆に彼のほうが年下とか。

いや、私だけかもしれないけど、年が近い恋人って、
どうも張り合ってしまうようなところがあって、(^^;;;
こういう恋の歌にはなりにくいなあと思うので。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17462] 好き、白磁、脳ミソ 投稿者:久慈八幡 投稿日:2003年09月15日 (月) 22時37分

荷物の運搬が2度でおさまらず、月末にもう一度引っ越しを予定している久慈八幡です。

12:やすやすとわたしを揺らす左手と鳩を取り出すその右手 好き

前半部分は催眠術かな、後半部分はマジック、奇術のようにとりました。
若い女性が中年または老年の男性の所作に感嘆している。そんな印象です。
おじさんコンプレックス?とかいうと失礼ですな。

14:醤油注ぎのまろき白磁のこのカーブの、なんっちゅうか、永遠とゆーか。

高級感があって実際に値段のはるのは透明な釉薬を何度も塗って焼いて塗って焼いて
海や空の青を出す青磁のほうなんですが、そんな高いものはまず醤油注ぎには使わない
ので、醤油注ぎに使われるのは白磁というところはつじつまがあっています。
そのカーブが永遠と言えるかというと、、ぁあ〜海外ものだと白磁でも高いものは
ありますね。
陶芸家が100人いたら100人とも薪で窯を焚いて、気にいらない
ものはガンガン割っているような誤解にもとずいていないことを祈りつつ、
使っているしょうゆがキッコーマンなのは我ながら情けないっす。

アニメおたくだったり、酔っぱらいだったりまぁいろいろいます。


19:「美しい脳ミソですね」と医者の言う フィルムに並ぶカリフラワー達

ピンとこなかったので個人的にはMRIという言葉は入れてほしかったです。
脳味噌のミソのカタカナ表記はとてもいいと思います。
たとえがカリフラワーなのはちょっと、、う〜ん、、かなと思いました。

ではでは。

http://www.cty-net.ne.jp/~yoshihik/


[17461] 12番の歌 投稿者:るぅ 投稿日:2003年09月15日 (月) 22時24分

はじめて書きこませていただきます。

12:やすやすとわたしを揺らす左手と鳩を取り出すその右手 好き

『やすやすとわたを揺らす』というのは、「わたし」に対して影響力を持っているということかなぁと解釈しました。
『鳩を取り出す』というのは、いつもびっくりさせてくれるってことかなぁと。

みなさんの意見を聞いて、勉強させていただいてます。


[17460] あはは 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月15日 (月) 21時50分

>小枝子さん
>(私も頭痛がひどくて検査したことがあるのですが、カリフラワーを見て
>医者は「何もありませんね」と言いました。何もないって……)

ゴメン。
ウケちゃった。(^^;;;

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17459] カリフラワー達 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月15日 (月) 21時42分

19:「美しい脳ミソですね」と医者の言う フィルムに並ぶカリフラワー達

野田さん、清水さん、千坂さん、
志野さん、しのざきさん、こんばんは。
今夜もコメントありがとうございます。

19番の「カリフラワー達」、
見立てがぴったり過ぎるのもよしあし、という感じでしょうか。
無理があっても強引に思えるし、按配がなかなか難しいものですね。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17458] 12番、14番、19番 投稿者:伊勢谷小枝子 投稿日:2003年09月15日 (月) 21時40分

こんばんは。

12:やすやすとわたしを揺らす左手と鳩を取り出すその右手 好き

「揺らす」の解釈が、うまくできませんでした。
きよみさんがお書きの
「私をあやしている」と「私を動揺させる」の両方を考えたのですけど。
手品の動作で人を「揺らす」のはないかな、と思ったのですが、
…あやつり人形?(手品じゃないし)
ご質問の、1字空けと「好き」については、
(「揺らす」がわからないながらも)歌の雰囲気に合っていると感じました。


14:醤油注ぎのまろき白磁のこのカーブの、なんっちゅうか、永遠とゆーか。

醤油は、なんか健康食品系のですが、
地域によって、最も流通している銘柄が違いそうですね。
もう少しリズムが良かったら、選んでいたと思います。


19:「美しい脳ミソですね」と医者の言う フィルムに並ぶカリフラワー達

MRIはなくてもわかると思います。
私は「カリフラワー達」の「達」が気になりました。
1枚ではないことを表わしているのだとは思いますが、
「並ぶ」という言葉で複数枚あるということはわかるので。
「達」になにか別の意図があるのかな、と。
(私も頭痛がひどくて検査したことがあるのですが、カリフラワーを見て
医者は「何もありませんね」と言いました。何もないって……)

http://8152.teacup.com/moviepain/bbs


[17457] 12番の歌 投稿者:しのざき香澄 投稿日:2003年09月15日 (月) 21時36分

==============================
12:やすやすとわたしを揺らす左手と鳩を取り出すその右手 好き
==============================
質問:どのようなシーンを想像して読まれたか、結句の1次空けは効果的か、「好き」と言い切る終わり方に拙さを感じないか、などがご意見を聞いてみたい点です。どうぞよろしくお願いします。

「やすやすとわたしを揺らす」とは、強さでしょうか
「鳩を取り出す」とは、マジシャンの器用さや細やかさを連想しますよね。
それが同時に行われているシーンをというのは特定できなかったのですが
男性の腕、あるいは男性への願望のように読み、
「好き」という終わり方も素直な気持の表現に好感が持て選歌しました。

http://www.h5.dion.ne.jp/~kasumi25


[17455] 12,14,19番 投稿者:高井志野 投稿日:2003年09月15日 (月) 21時27分

こんばんは
連休最終日の夜なので
3つまとめてコメントいたします

==============================
12:やすやすとわたしを揺らす左手と鳩を取り出すその右手 好き
==============================
ちょっと惹かれた歌でしたが選歌にはいたりませんでした。
「やすやすとわたしを揺らし」では五十嵐さんと同様
あやしたり、文字通り抱いてのんびりと揺れている所を想像しました
「鳩を取り出す」と言う所で手品師?、と思いました
(それとも鳩を育てている人だったのでしょうか?)
でもその二つの印象はうまくつながりませんでした

 
最後の「好き」については五十嵐さんと同意見で
あっていると思います。 

==============================
14:醤油注ぎのまろき白磁のこのカーブの、なんっちゅうか、永遠とゆーか。
==============================
選歌しました

銘柄はヤマサっていうとちくわしかしりませんねー(^^)
うちはキッコーマンです

上句から下句へのくだけかたが大変おもしろかったです


==============================
19:「美しい脳ミソですね」と医者の言う フィルムに並ぶカリフラワー達
==============================
MRIってすぐ分かりました。
医者+フィルムできちんと伝わりました
選歌につながらなかったのは
上句の「きれいな脳みそ」で惹かれたものの
下句でもう少しひねってほしかったです
 
勝手な事ばかり書いてすいません
 
 

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hanamizuki/4426


[17454] 19番の歌 投稿者:千坂麻緒 投稿日:2003年09月15日 (月) 21時04分

こんにちは。千坂です。

==============================
19:「美しい脳ミソですね」と医者の言う フィルムに並ぶカリフラワー達
==============================
質問:人間ドックの時の歌なのですが、MRIという文字をいれることができませんでした。なんとかして入れた方がよいでしょうか? 入れなくても分かるでしょうか? ちなみに、この歌の前に、MRIを撮られている時の様子を歌った歌はあります。

美しい脳ミソ というのにぐっときました。
そのあとを読むと、病院なんだな検査なんだなというのはわかりました。フィルム
を見ながら何か説明をうけているところでしょうか。
でも、そのことをすっとばしてしまって、連想は ハンニバル です。
生々しくピンクの脳ミソをイメージしてしまって。
カリフラワー達 っていってるのにすみません。
でもいいなあ 美しい脳ミソ。勝手な妄想が広がります。作者さまの詠まれていることとはたぶんまったく違うことを想像しちゃってるだろうなあと思うのですが。
美しい脳ミソ はいいなあーと、思います。

それでは。失礼いたします。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/3750/


[17453] 14番 投稿者:清水幸多 投稿日:2003年09月15日 (月) 20時35分

==============================
14:醤油注ぎのまろき白磁のこのカーブの、なんっちゅうか、永遠とゆーか。
==============================
質問:醤油の銘柄はやはり、ヤマサでしょうか?

僕は、キッコーマンの「特選丸大豆減塩しょうゆ」が好きです。
ちなみに、醤油つぎは使いません。常温だとすぐにかびるし。
買ってきたまま、冷蔵庫に冷やしておいて、
使うときは大きな入れ物をそっと傾けて、苦労して少しずつ注ぎます。
なかなか短歌の方に話が戻らないので、今日はここまでにします。
でも、一言歌について言えば、音数が合っているのが二句目だけで、
リズム感がちょっと今ひとつでしたか。

http://www3.diary.ne.jp/user/343254/


[17452] 19番の歌について。 投稿者:野田 薫 投稿日:2003年09月15日 (月) 20時17分

==============================
19:「美しい脳ミソですね」と医者の言う フィルムに並ぶカリフラワー達
==============================
質問:人間ドックの時の歌なのですが、MRIという文字をいれることができませんでした。なんとかして入れた方がよいでしょうか? 入れなくても分かるでしょうか? ちなみに、この歌の前に、MRIを撮られている時の様子を歌った歌はあります。


19番の歌についてです。
ええと、選歌していません。読みやすくて親しみの持てる歌でしたが、
脳とカリフラワーはしっくりきすぎて驚きが無く、すらすら読み飛ばしてしまいそうになりました。
MRIは入れなくても大丈夫でした。
説明がくどくなる危険性を考えれば、僕は入れない方が良いと思います。

全体的にまとまっていて読みやすい歌だと感じましたが、
選歌に至らなかった理由としては上に書いたようなことや、まとまりすぎて印象が薄かった、といったところです。

素人目ではありますが、以上が僕の感じたことです。


[17451] 19番の歌について 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月15日 (月) 19時19分

==============================
19:「美しい脳ミソですね」と医者の言う フィルムに並ぶカリフラワー達
==============================
質問:人間ドックの時の歌なのですが、MRIという文字をいれることができませんでした。なんとかして入れた方がよいでしょうか? 入れなくても分かるでしょうか? ちなみに、この歌の前に、MRIを撮られている時の様子を歌った歌はあります。

 *

19番の歌についてです。選歌しました。
たまたま私も、少し前にこの手の検査を受けまして、
やはり写真を並べられながらお医者の話を聞いたので、
MRIと詠み込まれていなくても、すぐにピンときました。

ただ、別にそういう経験がなくても、
「医者」「フィルム」とありますから、
検査結果を聞いているんだろうなという想像はつくのでは?
入れる余地があれば、MRIと入れてもいいけれど、
無理に詰め込む必要はないんじゃないでしょうか。
私はこのままで十分だと思いました。

「美しい脳ミソですね」というインパクトのある初句で、
「お! なんだろう」と思わせておいて、
だんだん謎が解けていくという構造ですね。

フィルムに映って、白黒が反転した状態の脳が
カリフラワーのようだという見立ては、
もしかしたら、ほかで見たことがあるかな、という気もしたんですが、
ドンピシャリの見立てなので、そんな気がしただけかもしれません。

それにしても、「美しい脳ミソ」って、なかなか魅惑的な褒め言葉ですねえ。
近ごろ、「頭蓋骨(頭)のかたちがいい」みたいなことはよくいいますけど、
「美しい脳ミソ」って、私もちょっと言われてみたいわ〜。
(それとも、これって医者が言うと、「問題ありませんね」の婉曲表現?)

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17450] 14番の歌について 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月15日 (月) 19時18分

==============================
14:醤油注ぎのまろき白磁のこのカーブの、なんっちゅうか、永遠とゆーか。
==============================
質問:醤油の銘柄はやはり、ヤマサでしょうか?


 *

14番の歌についてです。
質問、笑っちゃいました。いいですねえ。
質問も歌の一部だったら、選歌していたかも。

私は「醤油差し」という言い方のほうがなじみがありますが、
ともかく、この白磁の醤油注ぎは、
名工がつくったような、立派な品物なのかなと思いました。

「素敵ですねえ、なんだか永遠を感じさせるような曲線ですね」
みたいな感想を述べようとしているうちに、
ちょっと照れちゃって、下の句のような語調になってしまった、
という印象でした。

醤油は、それほど銘柄にこだわらないほうです。
部分的な健康志向で、丸大豆醤油というのを使っていますが、
確認したら、銘柄はヒゲタ醤油でした。

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[17449] 12番の歌について 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月15日 (月) 19時17分

==============================
12:やすやすとわたしを揺らす左手と鳩を取り出すその右手 好き
==============================
質問:どのようなシーンを想像して読まれたか、結句の1次空けは効果的か、「好き」と言い切る終わり方に拙さを感じないか、などがご意見を聞いてみたい点です。どうぞよろしくお願いします。

 *

12番の歌についてです。
質問については、私、特定のシーンは想像しませんでした。
この両手の持ち主は、やはり恋の相手だと思うわけですが、
その人が、私にとっては常にそういう人である、という歌だと読みました。

「やすやすとわたしを揺らす左手」は、
私をあやしているような印象を受けました。
一方の手で私をなだめ、
もう一方の手で不思議なことを見せてくれるというか、
たちまち気を紛らわせてくれる、というような感じかな。

あるいは、左手のほうは、
「揺らす」だから、私を動揺させるという意味かもしれません。
一方では私を動揺させながら、
もう一方ではそれを忘れさせるような魅力を発揮する人。
そういう人のことを詠んだのだと思いました。

最後の「好き」は、全体の印象に合っていて、
いいんじゃないでしょうか。

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[17448] 12番、14番、19番の歌 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月15日 (月) 19時17分

==============================
12:やすやすとわたしを揺らす左手と鳩を取り出すその右手 好き
==============================
質問:どのようなシーンを想像して読まれたか、結句の1次空けは効果的か、「好き」と言い切る終わり方に拙さを感じないか、などがご意見を聞いてみたい点です。どうぞよろしくお願いします。

==============================
14:醤油注ぎのまろき白磁のこのカーブの、なんっちゅうか、永遠とゆーか。
==============================
質問:醤油の銘柄はやはり、ヤマサでしょうか?


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19:「美しい脳ミソですね」と医者の言う フィルムに並ぶカリフラワー達
==============================
質問:人間ドックの時の歌なのですが、MRIという文字をいれることができませんでした。なんとかして入れた方がよいでしょうか? 入れなくても分かるでしょうか? ちなみに、この歌の前に、MRIを撮られている時の様子を歌った歌はあります。

 *

今夜も次の歌に進みたいと思います。
今夜取り上げるのは、12番、14番、19番の歌ですね。
上記3首、どのように読まれましたか?
作者からの質問についてはいかがでしたか?
ご意見・ご感想をよろしくお願いします。

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[17447] コメントありがとうございます 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月15日 (月) 19時14分

直子さん、アガツマさん、高澤さん、
コメントどうもありがとうございます。

10:屈強な男が五人で支えてる虹のふもとを見に行きたいと

10番について、倒置法のほうに思えてしまうというご指摘、
なるほど、そういう面もあるかもしれないですね。

39:双方に改札あるを知らずして聖橋にていつまでも待つ

39番の「聖橋」については、高澤さんに便乗〜。(^^)/
私も、「1)+3)で、聖橋を知っているが、もし知らなくても肯定派」ってことで。

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[17446] 42番の歌について 投稿者:高澤志帆 投稿日:2003年09月15日 (月) 19時05分

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42:頬濡らす夏の思い出そのままで九月のプールに(混ぜるな危険)
==============================
質問:少し唐突にも思える引用(混ぜるな危険)は、成功か失敗か、どう思われますか?また、出来れば(混ぜるな危険)が与える印象などもお聞かせ下さい。

選歌させていただきました。
やはり結句の(混ぜるな危険)に惹かれました。
ですので、ご質問についてですが、成功していると思いました。

洗剤の注意書きを引用するのに、()の表記もいかにもそれらしく(注意書きらしく)
合っていると思いました。

歌の読みについては色々ご意見がわかれているようで、皆さんの解釈を拝見して
ああそうかぁと色々考えました。

もうシーズンを過ぎたのに、頬を濡らした夏の思い出そのままの9月のプール
がある。そのプールの様相を一変させるようなものを、投げ込みたい→苦かった
思い出にいつまでも引き摺られていたくない。という意味での結句だと選歌した
時は思いました。

ですので、ご質問の(混ぜるな危険)が与える印象については、爆弾のような、
何か状況を一変させるもの。という意味で捉えました。

http://www.geocities.jp/kogawa96/


[17445] 39番の歌について 投稿者:高澤志帆 投稿日:2003年09月15日 (月) 18時37分

==============================
39:双方に改札あるを知らずして聖橋にていつまでも待つ
==============================
昔経験したことを詠んだのですが、「して」の用法は・・・・。「聖橋」と固有名詞を遣ったのですが、適切かどうか・・・・。よろしくおねがいします。

相聞歌かなと思いました。恋愛中の行き違いのひとつとして描写されていて、
簡潔でいい歌だと思いました。

ご質問についてですが、「して」の用法も自然に読めましたし、「聖橋」という
固有名詞も具体が効いていていいと思いました。

>五十嵐さん
>考えられる反応としては、
>1)聖橋を知っているので、肯定派
>2)聖橋を知っているが、否定派
>3)聖橋を知らないが、肯定派
>4)聖橋を知らないので、否定派
>という4種類だと思うわけですが、

私の場合は「聖橋」は知っていましたが、もし知らなくてもこの作品の歌意は
十分伝わると思いますので、1)+3)で、聖橋を知っているが、もし知らなくても
肯定派です。

http://www.geocities.jp/kogawa96/


[17444] 10番の歌について 投稿者:高澤志帆 投稿日:2003年09月15日 (月) 18時25分

==============================
10:屈強な男が五人で支えてる虹のふもとを見に行きたいと
==============================
質問:「見に行きたいと」の部分を、「見に行きたいの」や「見に行きたくて」にして自分の気持ちとして詠むかどうか迷いました。伝聞調の場合と、印象はどのように違うと思いますか。また、このように、「(誰々が)こう言っていた」というタイプの歌は、作者の主観の部分が伝わりづらくなってしまうでしょうか。

五十嵐さん、みなさんこんばんは。こんばんもよろしくお願いします。
10番の歌についてですが、虹のふもとを屈強な男が五人で支えているという
発想が面白かったです。

ご質問の結句の伝聞調ですが、初読で意味が伝わりづらいように感じました。
私もアガツマさんと同じく初読では「屈強な男」が「見に行きたい」の主語で
あるかのような印象を持ってしまいました。
次には自分がそう思っている、自分がそう言いかけた、みたいなふうにも読み、
伝聞とは感じませんでした。

>五十嵐さん
>あと、さっきは書き忘れたのですが、「支えてる」はどうですか?
>全体的にしっかりした詠み方なので、「支えている」の「い」の省略が
>少し幼い印象になってしまったような気もします。

セリフ、話し言葉として用いられているのなら気にならないのですが、
文章中に「てる」となっていると気になりました。

http://www.geocities.jp/kogawa96/


[17443] 10番 投稿者:アガツマトシキ 投稿日:2003年09月15日 (月) 17時54分

==============================
10:屈強な男が五人で支えてる虹のふもとを見に行きたいと
==============================
質問:「見に行きたいと」の部分を、「見に行きたいの」や「見に行きたくて」にし
て自分の気持ちとして詠むかどうか迷いました。伝聞調の場合と、印象はどのように
違うと思いますか。また、このように、「(誰々が)こう言っていた」というタイプ
の歌は、作者の主観の部分が伝わりづらくなってしまうでしょうか。


「見に行きたいと」は伝聞調として読むにはすこし舌足らずに思え、「見に行きたいと(言っていた)」の省略部分(言っていた)を無意識に補うような読みは、私にはできませんでした。
どちらかというと倒置のように見えてしまい、「屈強な男」が「見に行きたい」の主語であるかのような印象を漠然と受けました。
よく読めばそうじゃないことは分かるのですが(該当する動詞が見つからないので)、「見に行きたいと」という結句は伝聞よりは、はるかに倒置という読みをうながす気がします。

一般的にいえば、伝聞調における作者(作中主体)は語られている内容に間接的にかかわるわけで、主観の匂いは薄められると思います。ただ言い方をかえると、間接的なかかわり方こそがその場における作者の態度表明でもあるわけで、たとえばこの歌なら「虹のふもとを見に行きたい」という誰かの意志に対し、ひそかな共感を示すなり、ひややかに眺めるなり、作者のまなざしでワン・クッション置いてから読者に届けることで、作者は「主観」を表明することができるのではないでしょうか。
伝聞調がうまく機能していれば、そういった表現も可能になるだろうと思います。

http://cat.zero.ad.jp/gips/


[17442] 42番 投稿者:都築直子 投稿日:2003年09月15日 (月) 16時27分

42:頬濡らす夏の思い出そのままで九月のプールに(混ぜるな危険)
質問:少し唐突にも思える引用(混ぜるな危険)は、成功か失敗か、どう思われます
か?また、出来れば(混ぜるな危険)が与える印象などもお聞かせ下さい。

結句は成功だと思います。
下句「九月のプールに(混ぜるな危険)」は、すばらしい。
涙または涙にぬれた夏の思い出を、秋のプールに「混ぜるな」と読みました。
残念なのは、初句です。
初読時は、「頬濡らす」でむせてしまい、結句までたどりつけませんでした。
下句のよさがわかる前に、一首への拒否感を持ってしまった。
「頬濡らす」。一昔前の歌謡曲という印象です。
「夏の思い出」もありがちといえば、ありがちなフレーズでしょう。
上句を推敲されれば、ぐっと引き締まると思います。


[17441] 10番 投稿者:都築直子 投稿日:2003年09月15日 (月) 16時07分

10:屈強な男が五人で支えてる虹のふもとを見に行きたいと
質問:「見に行きたいと」の部分を、「見に行きたいの」や「見に行きたくて」にし
て自分の気持ちとして詠むかどうか迷いました。伝聞調の場合と、印象はどのように
違うと思いますか。また、このように、「(誰々が)こう言っていた」というタイプ
の歌は、作者の主観の部分が伝わりづらくなってしまうでしょうか。

いいさしの形で終わる結句は苦手なので、「見に行きたくて」の方が
ずっといいと感じます。また伝聞調より、作中主体の気持ちをダイレクトに
詠んだ方が、読み手に伝わる力が強いのではないでしょうか。絶対に伝聞調でなければ
だめだ、という場合以外は、避けた方がいいと思います。
この歌は、上句「屈強な男が五人で支えてる虹」という発想がすばらしい。
重さがないに等しい虹が、鋼鉄か何かでできているようなイメージです。
しかし、なぜ支えるのが「男」なのか? 大いに不満です。こういう力仕事は、女にこそやらせてほしい。

屈強な女が五人で支えてる虹

どうです、こちらの方がぐんと素敵じゃありませんか?
残念なのは、下句が「虹のふもとを見に行きたい」と、
よくある発想になってしまうことです。
せっかく上句で広がったイマジネーションが、しぼんでしまう。
五十嵐さんも提案されていますが、
ここはまったく別な内容を持ってきてはいかがでしょうか。
上句の斬新さにうまく釣り合うような何かを。
「支える」についても、五十嵐さんのコメントに同感です。


[17440] そのままで 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月15日 (月) 16時01分

42:頬濡らす夏の思い出そのままで九月のプールに(混ぜるな危険)

Rayさん、はじめまして。直子さん、こんにちは。
コメントどうもありがとうございます。

>Rayさん
>「水泳部員が秋になって学校のプールに戻ってきた。
> 夏の間は賑やかで、試合(というんでしたっけ?)や恋で泣いたりもしたプールが
> 九月になった今はひっそりとしている。
> そのプールサイドに塩素系の消毒剤がぽつんと置かれている」
)というのが私の解釈です。

なるほど。言われてみれば、確かにそのようにも読めますね。
最初に書いたように、私は「そのままで」がうまく読み取れなくて、
「夏の思い出をそのままにしておきなさい」とか、
「夏の思い出のために流した涙を、そのままプールに混ぜては危険だ」
みたいなふうな解釈をしてみたのですが、
Rayさんの説だと、夏の思い出がそのままある状態を指しているわけで、
「そのままで」という言葉の解釈が自然ですね。

「そのままで」でいったん切れていて、
九月のプールに「混ぜるな危険」と書かれた消毒剤が置かれているわけですね。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17439] 4番 投稿者:都築直子 投稿日:2003年09月15日 (月) 15時01分

ちょっともどります。

04:亡き君を紛れ込ませて踊る輪の影揺らめきて素足にふれる
質問:初心者です。なんでもいろいろとご意見をお聞かせください。

選んでいませんが、よい素材を詠われていると思います。
死者が盆踊りにまぎれこむ歌と読みました。
同じ設定の歌として、岡野弘彦に有名な歌があります。

またひとり顔なき男あらはれて暗き踊りの輪をひろげゆく  岡野弘彦 

この歌の死者は、第二次大戦で死んだ兵士を指していますが、
4番ではそれが恋人である(らしい)ことに、詠まれた時代の違いを感じます。
初句「亡き君」の「亡き」は、説明のしすぎだと感じます。「亡き」といわずに、読者に
「ああ、死んだ恋人のことをいっているのだな」と思わせるのが、腕の見せ所というか、
歌の作りどころではないでしょうか。岡野先生も「顔なき男」と、しっかり工夫されている。「亡き君」では、修辞の怠慢といわれても仕方ないでしょう。
すでに何人かの方が指摘されていますが、「込ませて」「揺らめきて」と「―て」が重なること、動詞が4つ出てくることも推敲の余地ありと感じます。
また、全体に漢字が多すぎる印象を受けました。
こうした点を工夫されれば、とてもすてきな歌になると思います。


[17438] 42番について 投稿者:Ray 投稿日:2003年09月15日 (月) 14時14分

五十嵐きよみさま、みなさま

はじめまして。短歌初心者以前のRayと申します。
先日からここをROMしていたのですが、
42:頬濡らす夏の思い出そのままで九月のプールに(混ぜるな危険)
の解釈について口を挟んでみたくなったので、勇気を出して書き込みます。
(初参加がコメントで申し訳ないのですが)

「水泳部員が秋になって学校のプールに戻ってきた。
 夏の間は賑やかで、試合(というんでしたっけ?)や恋で泣いたりもしたプールが
 九月になった今はひっそりとしている。
 そのプールサイドに塩素系の消毒剤がぽつんと置かれている」
というのが私の解釈です。
近藤かすみさんと久慈八幡さんのご意見を足したような解釈になるのでしょうか。
「わが身一つはもとの身にして」のような寂しさを感じました。

「涙をプールに混ぜてはいけない」(五十嵐さん)
「何を混ぜてはいけないのかわからない」(みうらしんじさん)
というようにはまったく思わなかったので、そうも読めるのか、と驚きました。

(混ぜるな危険)は、作者さんがおっしゃっているとおり少々唐突ではありますが
九月のプールの描写に合っていると思いますし、インパクトがあるので私は好きです。

勝手なことを長々と書いてしまいました。
作者さんの意図とはまったく違うかも知れませんが、
素人はこんなふうに読んだということで、どうぞご寛恕下さいますように。


[17437] 改めて、10番 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月15日 (月) 10時19分

10:屈強な男が五人で支えてる虹のふもとを見に行きたいと

10番については、昨夜、「五人」が問題になりましたが、
疑問の声が出される一方で、
すんなり受け入れられた方や、
なんで「五人」なのかわからないところに
想像力を刺激されたという方もいらっしゃいましたね。

久慈さんからは、ピカソの絵にこういうのがあったんじゃないかという
ご指摘がありました。
さっそく調べてみたんですが、残念ながら、
手持ちの画集には見つかりませんでした。
ご存知の方がいらっしゃったら、ぜひお知らせくださいませ。

「と」については、これまた賛否両論が出ています。
このままにされるか、推敲されるかは作者次第ですが、
もしも推敲されるとしたら、「見に行く」という動詞から離れて、
別の言葉を探してみられるのもいいかもしれません。

たとえばですけど、
「虹のふもとを見に旅立てり」「虹のふもとに行きて帰らぬ」とか、
はたまた、別の箇所で言葉を補って、
「屈強な五人の男が虹を支えている」というだけの歌にしてみるとか。

推敲するときって、どうしても、
最初に思いついた言葉から離れられないことが多いわけですが、
まったく違う言葉を持ってくると、どんぴしゃりとはまることって、
少なくないように思います。
それを思いつくのが大変なわけですが、
見つけられたときは快感ですよね。

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[17436] 改めて、42番 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月15日 (月) 10時09分

42:頬濡らす夏の思い出そのままで九月のプールに(混ぜるな危険)

42番の(混ぜるな危険)も、賛否両論かな?
私はかなり好きですけどね〜。

あと、作者からの質問には出なかった
初句「頬濡らす」に疑問の声がいくつか出されていましたね。
確かに慣用句的で、ちょっと甘いのかも。

私の場合は、結句との対比で、
ここはこれでも面白いのかなと思いましたが、
一考の余地はあるかもしれません。

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[17435] 改めて、38番 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月15日 (月) 10時03分

39:双方に改札あるを知らずして聖橋にていつまでも待つ

38番、作者が気にかけておられた「聖橋」については
賛否両論のようですね。

考えられる反応としては、
1)聖橋を知っているので、肯定派
2)聖橋を知っているが、否定派
3)聖橋を知らないが、肯定派
4)聖橋を知らないので、否定派
という4種類だと思うわけですが、
今のところ、2)という反応はないようですね。

2)の反応は、知っているがゆえに、
自分の抱いているイメージと合わないというケースなんでしょうけど、
ひとまず、それはない、と。

そうなると、今のところ、知っているか知らないかが
評価の分かれ目になっているわけですね。
これは、固有名詞を使う場合に離れられない問題ですね。
過去の経験からして、いいか悪いか、結論が出せることではないと思うので、
ここはやはり、皆さんの意見を聞かれて、
作者の方がどう判断されるか、なんでしょうね。

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[17434] ただいまの3首 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月15日 (月) 09時50分

==============================
10:屈強な男が五人で支えてる虹のふもとを見に行きたいと
==============================
質問:「見に行きたいと」の部分を、「見に行きたいの」や「見に行きたくて」にして自分の気持ちとして詠むかどうか迷いました。伝聞調の場合と、印象はどのように違うと思いますか。また、このように、「(誰々が)こう言っていた」というタイプの歌は、作者の主観の部分が伝わりづらくなってしまうでしょうか。

==============================
39:双方に改札あるを知らずして聖橋にていつまでも待つ
==============================
昔経験したことを詠んだのですが、「して」の用法は・・・・。「聖橋」と固有名詞を遣ったのですが、適切かどうか・・・・。よろしくおねがいします。

==============================
42:頬濡らす夏の思い出そのままで九月のプールに(混ぜるな危険)
==============================
質問:少し唐突にも思える引用(混ぜるな危険)は、成功か失敗か、どう思われますか?また、出来れば(混ぜるな危険)が与える印象などもお聞かせ下さい。

 *

おはようございます。
昨夜からたくさんのコメントをいただいていましたね!
高松さん、ももかさん、みうらさん、かすみさん、
新田さん、久慈さん、しのざきさん、どうもありがとうございます。

さて、改めて、ただいまの歌をご紹介しておきますね。
夜になるまでは、引き続き、
上記3首を中心にコメントをお願いします。

まだお顔を出されていない方も少なくないですが、
よかったら、どんどん感想をお寄せくださいね。
「似たようなことをほかの人が書いてくれているから、
自分が書くまでもないや」と思われるかもしれませんが、
自分の言葉で感想を書いてみるのも勉強になると思いますよ。
どうぞよろしくお願いします。

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[17433] 10、39、42番の歌 投稿者:しのざき香澄 投稿日:2003年09月15日 (月) 08時08分

こちらの3首はいづれも、選歌している、あるいは選歌したかった歌です。
他の方々の感想になかった部分的なコメントになってしまいますが・・

10:屈強な男が五人で支えてる虹のふもとを見に行きたいと

このお歌では「屈強な男5人」の象徴するものを考えるのが楽しかったです。
例えば5大陸、ああ、指も5本だなとか。。
キリスト教の数字なら、12(使徒)、3(三位一体)とか、4(聖人)とかで5ではないなぁとか。
「5」というと何があるかしら・・と

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17432] 虹、お茶の水、塩素系 投稿者:久慈八幡 投稿日:2003年09月15日 (月) 01時46分

10:屈強な男が五人で支えてる虹のふもとを見に行きたいと

印象としてはピカソの絵でしょうか。歌意そのまんまの絵ではなかったと思うの
ですが、引っ越しの最中(もなかではありません。)で資料は段ボール箱の中に
あって確認できないのが残念です。

 御質問の結句については現状のままがベストだと思います。
無理に作者の主観を込めなくても詠んでいることで想いは伝わるのではと考えて
おります。

それから虹の根っこですが表面はペンキで描いてあって裏は鉄骨で補強して
ありま、、、、、、すみません。嘘です。ごめんなさい。

39:双方に改札あるを知らずして聖橋にていつまでも待つ

デートの約束なんでしょうか?古本屋街をまわったり、スキー用具の購入?
橋を渡って神田明神、湯島天神から上野方面へ歩くのはちょっと遠いかな。お花の展示会とか
待ち合わせしてお友達の見舞いとか、、、聖橋だけでもいろいろと想像は広がるの
ですが、馴染みがないとちょっときついかもしれません。

初めて上京して泊まったホテルが近くにあったり、周辺の地域に思い入れがある
ので、もし選歌に参加していたら選んでいたかもしれません。

42:頬濡らす夏の思い出そのままで九月のプールに(混ぜるな危険)

(混ぜるな危険)、塩素系洗剤、次亜塩だっけ、酸性洗剤と混ぜると気体の塩素
が出来て、換気のない状態でそれを吸い込むと危険で場合によっては死に至るこ
ともある、、、と考えていて、、、、う〜ん、そういえばプールの消毒も塩素系
だったということを思い出しました。
 匂いが似ていて、それをかけているのかなと思いました。

※トイレの洗剤とプールの消毒に使われているものは厳密には別のものなので
誤解なきようお願いします。

成功か失敗か、白か黒かと問われると答えに困ってしまいます。
まぁ、秀作ということで御了解くださいませ。

頬濡らす涙がしょっぱいのは塩のせいで、ほら、塩化ナトリウム!塩素が入って
いるはもちろん深読みのしすぎですね。

夜中の書き込みでまとまりませんがとりあえず。

http://www.cty-net.ne.jp/~yoshihik/


[17431] 10番 投稿者:新田瑛 投稿日:2003年09月15日 (月) 01時09分

10:屈強な男が五人で支えてる虹のふもとを見に行きたいと

1番で選歌しました。「と」に惹かれました。

前半部分は非現実的なことを言っているわけですが、意外にすんなり
受け入れられました。「五人」の不合理さも、かえっていい味に
なっていると思います。

それを受けての後半部分ですが、ここで「見に行きたいの」と
言われると、前半の内容はただの空想のように思えて
しまいます。「と」であると、ほかの方がおっしゃっている
ように色々な読み方があるわけですが、そのあいまいさが
かえって真実味を出していると私は思いました。


[17430] 10番 投稿者:近藤かすみ 投稿日:2003年09月15日 (月) 00時47分

10:屈強な男が五人で支えてる虹のふもとを見に行きたいと

「見に行きたいと」のあとに省略されてる言葉は、「・・・いう人がいる」ということでしょうか?さっきは勘違いだったかな。


[17429] 42番 投稿者:みうらしんじ 投稿日:2003年09月15日 (月) 00時45分

こんばんは。

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42:頬濡らす夏の思い出そのままで九月のプールに(混ぜるな危険)
==============================
質問:少し唐突にも思える引用(混ぜるな危険)は、成功か失敗か、どう思われますか?また、出来れば(混ぜるな危険)が与える印象などもお聞かせ下さい。



選歌しました。
「頬濡らす」という初句がありがちな印象を受けたのですが、
(混ぜるな危険)が面白く、インパクトがありました。
その意味では、この引用は成功と言えるのではないでしょうか。

「頬濡らす夏の思い出」は、失恋のことかなと思いました。
何を混ぜるな、と言っているのかがよくわからなかったのですが、
三句切れだとすると、
「頬濡らす夏の思い出」を九月のプールに混ぜるな、
ということでしょうか。
なぜ危険なのか、どう危険なのかが浮かんでこないので、
もう一工夫あればよかったかもしれません。

http://www.mnet.ne.jp/~miusin/


[17428] 10番、39番、42番 投稿者:ももか 投稿日:2003年09月15日 (月) 00時32分

こんばんわ、またよろしくお願いします。
==============================
10:屈強な男が五人で支えてる虹のふもとを見に行きたいと
==============================
イメージが湧きづらかった歌です。
なんで男が5人なのかなあ、そういう昔話があるのかなあと
その部分に引っ張られて全体の意味がぼやけてしまいました。

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39:双方に改札あるを知らずして聖橋にていつまでも待つ
==============================
選歌しました。
聖橋を知っていますので、「あ、そう言えば」というところから
恋人を待つ男性の姿を想像しました。
もし私が聖橋を知らなかったとしても、
この歌では固有名詞あるのでイメージが湧きやすかったと思います。

==============================
42:頬濡らす夏の思い出そのままで九月のプールに(混ぜるな危険)
==============================
選歌の段階で最後まで迷ったいくつかのなかにあった歌です。
夏の思い出、9月のプール、(混ぜるな危険)に
次の季節(これから先)に悲しい思い出を持ちこすな!と
この歌の主人公の決意を感じました。
ただ、そう読んだ私は「頬濡らす」の部分がすこし甘いかなあとも思いました。


[17427] 39&42番のうた。 投稿者:高松凛 投稿日:2003年09月15日 (月) 00時32分

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39:双方に改札あるを知らずして聖橋にていつまでも待つ
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聖橋って、御茶ノ水にあったんですか…初耳でした。
私も改札を違えてかなりの間待ちぼうけを食った覚えがあるので、親近感のわいたうたです。
ただ、「いつまでも待つ」という表現に引っかかって選歌はしませんでした。「ずっと待ってるから」という念があるように取ってしまえたので。


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42:頬濡らす夏の思い出そのままで九月のプールに(混ぜるな危険)
==============================

(混ぜるな危険)、ちょっと唐突ですが引用句としてはそんなに悪くはないと思います。でも何が言いたいのかが見えづらく、選歌はしませんでした。
ただ「九月のプール」という言葉は、過ぎてしまった夏の名残惜しい気持ちを表現していて好きです。

http://www.h3.dion.ne.jp/~kotodama/


[17426] 10番のうた。 投稿者:高松凛 投稿日:2003年09月15日 (月) 00時28分

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10:屈強な男が五人で支えてる虹のふもとを見に行きたいと
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「屈強な男」は「支えてる」だけでなく「見に行きたい」の主語でもあるのかな…とちょっと思ってみたり。そうすると「支えてるのに『見たい』ってことはない」という矛盾が出てきちゃうんでしょうが…屈強な男が「虹のふもとを見たい」というギャップ、という魅力もあるように思います。
何で五人なのか…謎だ(汗)ただ、輪になって支えているんだという感じはしています。

>あと、さっきは書き忘れたのですが、「支えてる」はどうですか?
>全体的にしっかりした詠み方なので、「支えている」の「い」の省略が
>少し幼い印象になってしまったような気もします。

確かに、「支えてる」だと少し幼い感じがしますね。
支えて「た」に変えると、後半との主語が区別できる(そうすると、上に書いたギャップがなくなってしまいますが)と思うのですが…

あと、「見に行きたいと」は伊勢谷さんがおっしゃたように「私が言った・思った」という風に取りました。個人的に、途中でふっ…と終わってしまうような歌が好きなので。
これを伝聞調に取ると、「〜が言っていた」という説明にしか取れないような気がして、あまり好きではありません。
伝聞調でいいと思うようなうたに、まだ出会っていないのです。

http://www.h3.dion.ne.jp/~kotodama/


[17425] 虹のふもと 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月14日 (日) 23時10分

10:屈強な男が五人で支えてる虹のふもとを見に行きたいと

清水さん、こんばんは。
コメントありがとうございます。

>なんで、「五人」なのか。
>なんで、「屈強な男」が支える虹のふもとを見に行きたいのか。
>「青い目の人魚」とかなら、僕は見たいかも。(僕だけだろうか)
>でも、見たいものは支え手ではなく、「虹のふもと」なのです。
>そもそも、「虹のふもと」という言葉遣いにも違和感があります。

ふむ。なんで「五人」なのかというのは、
確かに疑問ではありますよね。

小枝子さんが
>両端五人ずつでしょうか(と余計なことを……)。
と書かれていましたが、
五人は五人として納得するとしても、
合計10人なのか、あるいは両端で2:3くらいに分かれているのかなとか、
私もちょっと考えたりしました。

何か下敷きになる伝承があるとしたら別ですが、
この手の疑問は、そういう設定のお話なんだと
納得できるかどうかにかかっているかもしれないですね。
疑問に思わなければ、すっと受け入れられるし、
そこで引っかかると、どうしても世界に入っていけない。
そういう種類のことなのかなという気もしました。
(ちなみに、私は比較的すっと入れたほうだと思います)

虹のふもと(根っこというか)を見たいというのは、
この歌の設定では、そこに五人の男もいるわけだから、
その男たちも含めて、ふもとが見たい、ということではないかしらん。
私はそのように理解しました。

余談ながら、以前、連作勉強会で飛永京さんに教えていただきましたが、
(というか、理科が得意な人なら常識なんでしょうけれど)
虹は、半円ではなくて、全円をしているんだそうですね。
下半分は、地中にもぐっていて見えないんだったかな(違った?)。

清水さんからのご意見について、
10番を選歌された皆さま、いかがですか?

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17424] 10番 投稿者:清水幸多 投稿日:2003年09月14日 (日) 22時23分

10:屈強な男が五人で支えてる虹のふもとを見に行きたいと

この歌は選歌していません。
なんで、「五人」なのか。
なんで、「屈強な男」が支える虹のふもとを見に行きたいのか。
「青い目の人魚」とかなら、僕は見たいかも。(僕だけだろうか)
でも、見たいものは支え手ではなく、「虹のふもと」なのです。
そもそも、「虹のふもと」という言葉遣いにも違和感があります。
この歌のここがいいと書いているのは今のところ近藤さんだけですが、
18番もそうですが、この歌も選歌されたひとの読みをぜひ聞いてみたい歌でした。
言いたい放題言ってすいません。>作者様

http://www3.diary.ne.jp/user/343254/


[17423] 「と」と「支えてる」 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月14日 (日) 22時01分

10:屈強な男が五人で支えてる虹のふもとを見に行きたいと

10番の歌の「と」、
私の場合は、詠草と同時に質問を読んだこともあって、
作者の意図どおり、「と」は伝聞を表していると理解したわけですが、
かすみさんや小枝子さんのご指摘を読んで、
自分がそう思っている、自分がそう言いかけた、みたいなふうにも
確かに取れるなと気がつきました。

そうなると、伝聞であることを大切にしたいのなら、
「という」としっかり詠み込んだほうがいいのかもしれないですね。

あと、さっきは書き忘れたのですが、「支えてる」はどうですか?
全体的にしっかりした詠み方なので、「支えている」の「い」の省略が
少し幼い印象になってしまったような気もします。

というか、個人的には、伝聞に徹するなら「い」がほしい、
自分がそう思ったということなら、「支えてる」でもOKかな。
伝聞なら、しっかり(というか客観的に?)伝えてほしいように思うので。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17422] 42番 投稿者:近藤かすみ 投稿日:2003年09月14日 (日) 21時52分

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42:頬濡らす夏の思い出そのままで九月のプールに(混ぜるな危険)
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質問:少し唐突にも思える引用(混ぜるな危険)は、成功か失敗か、どう思われますか?また、出来れば(混ぜるな危険)が与える印象などもお聞かせ下さい。

夏の名残りを感じさせるきれいな歌だと、読みすすんで(混ぜるな危険)と来て、
私は正直いって、戸惑ってしまいました。(混ぜるな危険)の洗剤などのイメージが強かったから。
今回の詠草の中に、こういう結句やとどめの言葉で、あっと言わせたいような作品が多かったと思いました。諧謔味やユーモア、捻りということなのでしょうが、
私は、なんとなくついていけない気がしました。
これは私自身の好みなのでしょうけれど。


[17421] こんばんは 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月14日 (日) 21時51分

萱野さん、かすみさん、小枝子さん、
千坂さん、やつふささん、こんばんは。
今夜もコメントありがとうございます。

>やつふささん
>書き方が悪かったなあと反省しているのですが,
>感じている人=詠み人というつもりで書いておりました。
>わかりづらい表現ですいませんでした。
>「私」が子供っぽく思えたということについては,同感です。

そうでしたか。同意見ですね。
こちらこそ、読み方が不十分で失礼しました。


>萱野さん
>ごめんなさい、初心者が勝手なことを言っています。

初心者でいらっしゃるということ、全然気にされる必要はないと思いますよ。
確かに、経験が増えてくるにつれて、
批評用語を上手に使いこなせるようになる、というようなことはありますが、
読み手としては、参加者全員、対等の立場にあるわけですから。
どうぞ、遠慮なくコメントしてくださいね。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17420] 28番 35番 4番の歌 投稿者:春日山 投稿日:2003年09月14日 (日) 21時46分

五十嵐さん皆さん今晩は。遅くなりましたがバックで書かせてもらいます。

28 ドードー鳥ほろびてしまった翌朝もいつもと変わらぬらぬ青空でした

ドードー鳥、知りませんでした。調べたら、ハト目ドードー科の鳥の総称。飛翔力のない
大形の鳥で、少なくとも三種知られる。マダガスカル島東方のマスカリン諸島に生息したが、十七世紀に船人の食料として捕獲され、絶滅、完全な標本は残っていない。

三百年前の青い海と空を想像させる歌だと思います。

35 君の名をなんどもなんどもよんだかもまだ骨のない魚だったころ

ひらがなが多く、凹凸の悪路を歩くような読みづらさ。「まだ骨のない魚」は「君」?
それとも「私または僕」?

4 亡き君を紛れ込ませて踊る輪の影揺らめきて素足にふれる

選歌しました。亡き君を等身大に描き一緒に踊る盆踊り、結句が判りずらいが、声調も
よく詩情を感じさせる歌。


[17419] 10番,39番,42番について 投稿者:やつふさ 投稿日:2003年09月14日 (日) 21時42分

こんんばんは。
やつふさです。

今夜分の歌の感想を書く前に一つ。
五十嵐さんから,35番の歌に対する
私の意見について以下のようにコメントをいただきました。
>それと、やつふささんから出されたご意見ですが、

>>太古の昔から,きっと運命で結ばれている人に出会えた。
>>というような感覚を詠んでいるのかな,と思いました。
>>一方で,何人かの方が指摘されている「かも」によって
>>壮大な運命を感じている人がとても幼い子供のようにも
>>思われます。

>私の場合は、「君」のほうではなくて、
>「私」がちょっと子供っぽく思えたんです。
書き方が悪かったなあと反省しているのですが,
感じている人=詠み人というつもりで書いておりました。
わかりづらい表現ですいませんでした。
「私」が子供っぽく思えたということについては,同感です。

さて。
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10:屈強な男が五人で支えてる虹のふもとを見に行きたいと
==============================
質問:「見に行きたいと」の部分を、「見に行きたいの」や「見に行きたくて」にして自分の気持ちとして詠むかどうか迷いました。伝聞調の場合と、印象はどのように違うと思いますか。また、このように、「(誰々が)こう言っていた」というタイプの歌は、作者の主観の部分が伝わりづらくなってしまうでしょうか。

難しいのですが,
伝聞調になっている分,作者の主観は伝わりづらいと思います。
しかしながら,とてもファンタジックな内容の歌なので
読み手に伝わる作者の主観が薄い分,
読み手に色々な想像をする事を許している気もします。
伝えようとされていた内容にもよるのだとは思いますが,
私には,「見に行きたいの」では気持ちの押しつけのように読めます。
「見に行きたくて」と弱くする方法でも良いかと思います。

伝聞調がとられていることで,私は歌の中で「見に行きたい」と言った人と
その台詞を聞いた人がきっと二人で行くのだろうなあ,などと
感じていました。

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39:双方に改札あるを知らずして聖橋にていつまでも待つ
==============================
昔経験したことを詠んだのですが、「して」の用法は・・・・。「聖橋」と固有名詞を遣ったのですが、適切かどうか・・・・。よろしくおねがいします。

非常に個人的ではありますが
聖橋が好きだったりします。
それが故にこの歌には親近感がわきました。
大人な方が思い起こす恋という感じがします。

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42:頬濡らす夏の思い出そのままで九月のプールに(混ぜるな危険)
==============================
質問:少し唐突にも思える引用(混ぜるな危険)は、成功か失敗か、どう思われますか?また、出来れば(混ぜるな危険)が与える印象などもお聞かせ下さい。

引用は成功していると思います。
ただ,全体的な意味をとらえるのに少し手間取ってしまいました。
歌の持っている魅力は感じるのですが,
なんとなくわかりづらい気がします。
でも,この引用にはかなり心惹かれました。
言葉を選ぶセンスに敬服です。


以上です。


[17418] 39番 投稿者:近藤かすみ 投稿日:2003年09月14日 (日) 21時39分

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39:双方に改札あるを知らずして聖橋にていつまでも待つ
==============================
昔経験したことを詠んだのですが、「して」の用法は・・・・。「聖橋」と固有名詞を遣ったのですが、適切かどうか・・・・。よろしくおねがいします。

聖橋という地名を実際に知りませんでした。
最近別のところで聖橋を詠んだ歌を見たので、東京ではそれだけでわかる地名なんですね。
五十嵐さんの説明を読んで、事情がやっとわかりました。
私も、以前の梨の実歌会に「霜月の銀の雨ふる夕暮れにひとに押されて思案橋ゆく」という詠草をだして、ご意見をいただいています。
固有名詞は、読み人の生活背景によって理解の度合いが変わります。
また、どこかで聞いたことのある歌謡曲や有名な詩を連想させたりします。
31文字の中でどう使うか、面白いところです。

「知らずして」を「知らずにいて」とすることで出来ますね。中心になる3句目を字あまりにしてまで、そうする必要があるかどうかわかりませんが。


[17417] 10番の歌 投稿者:千坂麻緒 投稿日:2003年09月14日 (日) 21時21分

こんにちは。千坂です。

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10:屈強な男が五人で支えてる虹のふもとを見に行きたいと
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質問:「見に行きたいと」の部分を、「見に行きたいの」や「見に行きたくて」にして自分の気持ちとして詠むかどうか迷いました。伝聞調の場合と、印象はどのように違うと思いますか。また、このように、「(誰々が)こう言っていた」というタイプの歌は、作者の主観の部分が伝わりづらくなってしまうでしょうか。

男が支えてる虹のふもとって私も見にいきたいな〜と素直に思えまして、好きでした。
どんな顔して支えてるんだろう。しかも屈強な男。。。虹のあっちとこっちに屈強な男。。。なんかすごい光景。
伝聞になっているということで、仲のよさそうな二人の他愛のない会話があるのだなと思えて、情景を思い浮かべやすかったです、私は。
「見に行きたいの」となると。。。どうだろう。可愛いとも思えるし、甘い、とも思うような。
「見に行きたくて」も同じく、かなあ。
私が好きなのは、今の「見に行きたいと」です。

それでは。失礼いたします。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/3750/


[17416] 10番、42番 投稿者:伊勢谷小枝子 投稿日:2003年09月14日 (日) 21時15分

こんばんは。

10:屈強な男が五人で支えてる虹のふもとを見に行きたいと

「見に行きたいと」の部分ですが、他の人からの伝聞と取れるのと同時に、
「見に行きたい」と(私が)言った(または、言おうとした・思った、など)、
というふうにも取れてしまうと思うのですが、どうでしょう。
「と」の終わり方、私も唐突な感じがしました。

虹のイメージが変わりますね。両端五人ずつでしょうか(と余計なことを……)。
虹のふもと、見たことがあります。あれ、はえてる?とびっくりしました。
(幻ではないと思うのですが、普通に起こる現象なのか今も謎です。)


42:頬濡らす夏の思い出そのままで九月のプールに(混ぜるな危険)

選歌しました。
前半は、甘い…と思ったのですが(すみません)、
(混ぜるな危険)がいいと思いました。
「そのままで」の解釈は、「流した涙をそのままにして」と考えました。
感傷的なものが急に化学反応をする変化が好きです。

http://8152.teacup.com/moviepain/bbs


[17415] 10番 投稿者:近藤かすみ 投稿日:2003年09月14日 (日) 21時11分

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10:屈強な男が五人で支えてる虹のふもとを見に行きたいと
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質問:「見に行きたいと」の部分を、「見に行きたいの」や「見に行きたくて」にして自分の気持ちとして詠むかどうか迷いました。伝聞調の場合と、印象はどのように違うと思いますか。また、このように、「(誰々が)こう言っていた」というタイプの歌は、作者の主観の部分が伝わりづらくなってしまうでしょうか。

この歌は、第一印象から「いい!」と心惹かれました。
「屈強な男が五人で支えてる虹」という新鮮なイメージ。
虹というのは、そういう風に立つのかもしれないと思うと、綺麗で素敵です。
結句は、私なら「見に行きたくて」がよいと思うけれど、そこまで行くまでの部分で圧倒的にいいと思ってしまいました。
「見に行きたいと」だと、「思う」が省略されてるんでしょうね。
自分の印象や好みだけで、書いてしまいました。


[17414] 42:(混ぜるな危険) 投稿者:萱野芙蓉 投稿日:2003年09月14日 (日) 20時05分

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42:頬濡らす夏の思い出そのままで九月のプールに(混ぜるな危険)
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質問:少し唐突にも思える引用(混ぜるな危険)は、成功か失敗か、どう思われますか?また、出来れば(混ぜるな危険)が与える印象などもお聞かせ下さい。

最初は素通りしてしまったのですが(すみません)、読むたびに魅力がアップしていったお歌です。
そして、最終的には選歌しました。今ではその時より更に好きな一首となりました。
(混ぜるな危険)には最初、狙いすぎかなという気もしたのですが、
このお歌を好きになったのはやっぱりこの結句の効果だと思います。
9月のプールは今は泳ぐ人もおらず静かなのでしょうけれど、うっかりかきまわしたり、
波立ててしまったら、主人公を苦しませるものが立ちのぼってしまうんじゃないかな。
鏡のような水面の下にそうした危ういものが絶妙なバランスを保って潜んでいるような印象を受けました。
(実も蓋もない言い方をすると"寝た子をおこすな"という感じかなぁ。)
その危ういものが"夏の思い出"かどうかはわかりません。私としてはあまりそうは取りたくないのですが。

えっと、とても好きな一首なんですが、1箇所だけちょっとなぁ〜というところありまして、
それは初句の"頬濡らす"なんです。いかにも悲しい思い出があったんだ〜って感じと、
よくつかわれる歌詞のような感じにちょっと引っかかってしまいました。
勝手な憶測ですが、結句をわかりやすくするための"頬濡らす"なのかなぁとも思ったのですが、
(混ぜるな危険)という言葉で、そのあたりは十分通じると思うのですが。
では、どんな初句を?といわれると、難しい・・・。うーん、適当かどうかわかりませんが、
"頬を濡らす"前にあったろう楽しかったきらきらした思い出を象徴する言葉とか・・・。
ごめんなさい、初心者が勝手なことを言っています。


[17413] 42番の歌について 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月14日 (日) 19時25分

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42:頬濡らす夏の思い出そのままで九月のプールに(混ぜるな危険)
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質問:少し唐突にも思える引用(混ぜるな危険)は、成功か失敗か、どう思われますか?また、出来れば(混ぜるな危険)が与える印象などもお聞かせ下さい。

 *

42番の歌についてです。
(混ぜるな危険)、いいんじゃないでしょうか。
好きでしたし、面白いと思いました。
ここが読ませどころの一首でもあると思います。

涙をプールに混ぜるな、ということだと思うんですが、
上の句と下の句のつながり方が、ちょっとわかりづらくて、
(混ぜるな危険)におおいに心惹かれつつ、選歌に至りませんでした。

「夏の思い出に流した涙をそのままプールに混ぜると危険だよ」
ということかな?
「そのままで」が、夏の思い出をそのままにしておきなさい、
というふうにも思えて(「そのままで」でいったん切れているのかな、と)、
そのへんがちょっと読み取りづらかったです。

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[17412] 39番の歌について 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月14日 (日) 19時24分

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39:双方に改札あるを知らずして聖橋にていつまでも待つ
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昔経験したことを詠んだのですが、「して」の用法は・・・・。「聖橋」と固有名詞を遣ったのですが、適切かどうか・・・・。よろしくおねがいします。

 *

39番の歌についてです。
これは、JRお茶ノ水駅のことでしょうね。
お茶の水橋出口と聖橋出口の2つがあるんですよね。
で、偶然にも、私も東京に出てきたばかりのころ、
出口が2つあると知らずに、人と待ち合わせて、困ったことがありました。

ただ、実際にお茶の水駅を知らなくても、
駅で待ち合わせて、別々の出口で待っていたんだなということはわかると思うし、
固有名詞が出てくるのは、いいんじゃないでしょうか。
具体性が出て、効果的なんじゃないかと思いました。

「して」の用法は、これでいいのでは?
「知らずに」ということですよね。
辞書を引いてみたところ、以下に該当する用法かと思いました。

して(接助)
ある条件(状況)を提示して、それから判断を導くことを表す
「日光を見ずして(=見ないで)結構というなかれ」

この部分を、たとえば「改札あると知らないで」としても定型ですが、
それだと、ずいぶん歌の雰囲気が変わってきますよね。
若い感じがするというか。

「改札あるを知らずして」という表現によって、
ある程度の年齢の人が、過去を回想しているという印象を受け、
すれ違いの恋があったのかなあとか想像が働き、味わいがありました。

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[17411] 10番の歌について 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月14日 (日) 19時23分

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10:屈強な男が五人で支えてる虹のふもとを見に行きたいと
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質問:「見に行きたいと」の部分を、「見に行きたいの」や「見に行きたくて」にして自分の気持ちとして詠むかどうか迷いました。伝聞調の場合と、印象はどのように違うと思いますか。また、このように、「(誰々が)こう言っていた」というタイプの歌は、作者の主観の部分が伝わりづらくなってしまうでしょうか。

 *

10番の歌についてです。
屈強な男が虹を支えているというのは、
こういうお話が実際に何かにあるのでしょうか? 
それとも、作者の方の創作かな。だとしたら、素敵な発想ですね。
虹って、屈強な男が支えているというようなイメージは
あまりしないわけですが、そこがかえって新鮮に感じられました。
メルヘンチックにならないところがヨカッタです。

作者からの質問についてですが、
確かに一読したとき、最後の「と」で、
「あ、自分のことじゃなかったんだ」とわかって、
ちょっと拍子抜けしたようなところはありました。

伝聞であること自体は、それでいいと思うんですが、
最後の一文字で、するっと別の方向に持っていかれたようで、
せめて「という」と3文字あれば、読み切るまでに、
伝聞だということを納得するだけの時間(?)があったのにな、と思ってみたり。

うん、でも、このへんは好みの問題かな?
ほかの皆さんはいかがでしたか?

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17410] 10番、39番、42番の歌 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月14日 (日) 19時22分

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10:屈強な男が五人で支えてる虹のふもとを見に行きたいと
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質問:「見に行きたいと」の部分を、「見に行きたいの」や「見に行きたくて」にして自分の気持ちとして詠むかどうか迷いました。伝聞調の場合と、印象はどのように違うと思いますか。また、このように、「(誰々が)こう言っていた」というタイプの歌は、作者の主観の部分が伝わりづらくなってしまうでしょうか。

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39:双方に改札あるを知らずして聖橋にていつまでも待つ
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昔経験したことを詠んだのですが、「して」の用法は・・・・。「聖橋」と固有名詞を遣ったのですが、適切かどうか・・・・。よろしくおねがいします。

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42:頬濡らす夏の思い出そのままで九月のプールに(混ぜるな危険)
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質問:少し唐突にも思える引用(混ぜるな危険)は、成功か失敗か、どう思われますか?また、出来れば(混ぜるな危険)が与える印象などもお聞かせ下さい。

 *

今夜も次の歌に進みたいと思います。
1日3首で、ちょっと慌しいですが、どうぞヨロシク。

今夜の歌は、10番、39番、42番の作品ですね。
上記3首、どう読まれましたか?
また、作者からの質問についてはどうお考えになりましたか?
どしどしご意見をお寄せください。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17409] 「も」と「は」 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月14日 (日) 19時02分

28:ドードー鳥ほろびてしまった翌朝もいつもと変わらぬ青空でした

浦さん、こんにちは。
コメントありがとうございました。

>ただし、"翌朝「も」"の「も」が一首を弱くしているように思いました。
>「は」とすれば、5%ほど強くなるよな気がしました。

なるほど。
試しに「は」にしてみましょうか。

ドードー鳥ほろびてしまった翌朝はいつもと変わらぬ青空でした

原作が「も」なのは、後に続く言葉が「いつもと変わらぬ」だから、
昨日も今日も、みたいな意味を込められたのかな。

自分のことですが、「も」って、
特に「も」である必要がないときにも、
つい使ってしまうことがあります。

話し言葉で「とか」とよく使いますけど、
なんとなく断定を避ける心理が働いてしまうのかも。
私も注意しなければなあ。

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17408] 28番 投稿者:浦奈保美 投稿日:2003年09月14日 (日) 16時13分

五十嵐さん、みなさん、こんにちは。
28番を選んでいます。

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28:ドードー鳥ほろびてしまった翌朝もいつもと変わらぬ青空でした
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私自身も、このような進化物?自然淘汰物? 好きでつくったりします。
ドードー鳥という言葉によりかかっているかも
というご意見があるようですが、
逆に「ドードー鳥ほろびて」の一言で
この一首がさりげない文明批評になってしまう力強さはすごいと思います。
このさりげない文明批評というところに価値があるので
インパクトの強い「ドードー鳥」のあとに、何かをもってきても
相殺されてしまうのではないか?という気もいたします。

さて
さらに「青空」ですが
最近は"死"の匂い離れては「青空」を語れなくなってきたようにも思います。
8月5日、6日の青空
8月15日の青空
9月11日の青空
アフガン、イラクの青空、というように…。
作者ご質問の「あっさりしていないか」については
読者の側に、その「あっさり」に秘められた奥行きを味わう素地は
できていると思うので、このようなお歌は「あっさり」詠めることに越したことはないでしょう。

ただし、"翌朝「も」"の「も」が一首を弱くしているように思いました。
「は」とすれば、5%ほど強くなるよな気がしました。

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[17407] Re[17405]: 28番 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月14日 (日) 13時07分

> 五十嵐さん、斉藤さん、主語、主体についてのコメントありがとうございました。
> 自分の考え違いぶりが、わかりました。
> ちょっと頭の中を整理してみます。

あ、入れ違いで直子さんが・・・。
こんにちは!

http://www.parkcity.ne.jp/~noma-iga/


[17406] 「私」のこと 投稿者:五十嵐きよみ 投稿日:2003年09月14日 (日) 13時07分

16:この朝の七人掛けの七人をみな眠らせて急ぐ首都へと

ちょっと亀レスですが、
>斉藤さん
>一首中に主語が明示されていない場合は〈私〉が省略されているとして読むことと、
>作品の背後に一人の人の顔を想定して読むこととは、
>よく混同して語られがちですが、別のもんだいだと思います。
>
>たとえば、「桜が散っている」という文の主語は桜ですが、
>「桜が散っている」のを見て言葉にしているのは<私>です。
>「作中主体」という言葉にはふたつの意味があって、
>「散っている」動作の主としての「主体」と、
>それを観察して歌にしている、話者としての「主体」の二つです。
>一首の歌で、この二つの「主体」が、同じ人間(=<私>)である場合もあるし、
>ちがう人間や物である場合もあるんですね。

確かにそうですね。
例に挙げてくださったような、写実的な風景描写の歌だと、
主語としての「私」が出てこないことは多いですが、
読み手としては、その背景に、
その歌を詠んでいる「私」の存在を読み取っているわけですよね。

話題が逸れてしまいますが、
私の場合は、「作者=作中主体」ではない歌をよく詠みます。
歌の中に明確に「私」とあっても、それは現実の私(作者)ではないわけです。
(現実の私だと読んでいただいても、いっこうにかまいませんが)

そういう歌の詠み方には、賛否両論あるのでしょうけれど、
こういう詠み方もアリだと自分で思えるのは、
一首の背景にある、詠み手である私自身はぶれていないと
自分で信じていられるからなんだろうなと思いました。

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[17405] 28番 投稿者:都築直子 投稿日:2003年09月14日 (日) 12時53分

五十嵐さん、斉藤さん、主語、主体についてのコメントありがとうございました。
自分の考え違いぶりが、わかりました。
ちょっと頭の中を整理してみます。

28:ドードー鳥ほろびてしまった翌朝もいつもと変わらぬ青空でした

選んでいないのですが、理由は、五十嵐さんのコメント、

>一読したとき、「ドードー鳥」という言葉に寄りかかっているように思えまして。
「ドードー鳥」という言葉は魅力的だと思うのですが、
それ以外に、独自の工夫がなされた表現が見当たらない点、
物足りないかなと思ったのです。

とまさに同じように感じたからです。
しかし、「ドードー鳥」は何度読み返しても、すてきな言葉ですよね。
それは初句を替えてみれば、よくわかる。

白いトキほろびてしまった翌朝もいつもと変わらぬ青空でした (改作1)
ザウルスがほろびてしまった翌朝もいつもと変わらぬ青空でした (改作2)
にんげんがほろびてしまった翌朝もいつもと変わらぬ青空でした (改作3)

改作1、2は、全然おもしろくありませんし、
改作3だと説教短歌(説教くさい短歌を、個人的にこう呼んでいます)になってしまう。
歌は「これだ」という読ませどころの語を一つ投入できれば成功、という考え方からいえば、
二句以下がどうであれ、28番は初句だけで成功しているということになります。
作者には言葉を選ぶ力がある。
しかし、やはり私には、内容の「食い足りなさ」の方が大きく感じられました。
どんな生物も絶滅するものだ、という一種の無常観を詠った歌として読むと、不満を覚える。
「青空でした」と青空があるということは、地球も(まだ)あるという設定だろうけれど、
地球だってそのうちほろびちゃうのに、何のんきなことをいっているのだろう、
もっとシビアになってほしいよなあ、と読んだ瞬間に、そう感じてしまう。
しかし、これは歌の良し悪しと関係ない、自分の世界観ゆえの感じ方であって、
「ドードー鳥」という魅力的な語を持つ歌ち、かつ、(作者の方が計算されたように)過剰な表現が二句以下にない、という点で、28番はこれで出来ているのかもしれません。

「です、ます」の使用ついて。
自分では今のところ使いませんが(そのうちトライするかもしれません)、
読むのに好き嫌いはありません。「である」は苦手です。