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鳴尾日記

TODAY YESTERDAY



歌人・加藤治郎が、日々を綴る電脳日記。ご意見やご感想はメールでどうぞ。
「鳴尾は、私の母郷である。電脳空間の放浪者である私の、心の拠り所として命名した」治郎


かなしー
  Date: 2005年03月12日 (土)

きのう、DMが届いた。
枡野浩一「かなしーライブツアー」。
きょう、ぼくが前川佐美雄賞の選考会で上京するという情報をキャッチしたのだろう。恐るべき情報収集力である。

泊まりも京王プラザなので、Loft Plus Oneまで歩いてゆける。歌舞伎町コマ劇まえの地下一階だ。
なかに入ると、とたんに強烈な空気に押し戻されるような感じをうける。レディオヘッドのライブより、2歳ほど平均年齢は低い。
枡野浩一によく似た歌手がまず一曲。
バンドは、手作りのシンセサイザーのようなへんてこりんな楽器を操っている。
枡野浩一が、ぬっと現れる。
君が代のメロディーにあわせて、投稿歌を歌う。
そう短歌だもん。
Tシャツのような国旗を掲揚する。
強烈なアイロニーだった。





江村彩『空を映して』批評会
  Date: 2005年02月27日 (日)

今日は、江村彩さんの歌集の批評会。場所は、愛知芸術文化センターである。
今回は、発起人とパネラーを仰せつかった。
最近、批評会が多く、何か役割のある会に出席するだけで精一杯である。

パネラーはほかに、小島ゆかりさん、小林久美子さん、天野慶さん。東京、大阪から多彩な参加者となった。

率直な意見が多く出たいい会だった。
あらためて春日井建さんの不在が強く感じられた会でもあった。



 マニュアルに沿うのみという治療には銃創の処置も多いであろう     

『空を映して』は、社会性の濃い歌集である。それは、題材として戦争や事件を歌うことではない。自らが、いつでもその、真っ直中に行くかもしれない、そういった行為への契機がある。それが重要な一線なのである。
「戦地に向かう」友人の医師を歌った一連。「何故私ではなく」きみが戦地に向かうかと自問する。こういう行為への契機があるところが、江村さんの歌の強さである。戦地には、マニュアルに沿うということで済むはずがない、過酷な現場があるだろう。「マニュアルに沿うのみ」という簡潔な態度が、逆に厳しさを想像させる。友人の発語を受けて、下句が作者の思いである。銃創の処置が多い現場での友人の姿を思っている。


 シェルターの壁いっぱいに虹を描くこれはわたしの「ゲルニカ」である  

江村は、動物や人間の替わりに虹を描いた。しかし、そこはシェルターの壁という極限の場所である。絶望の状況からの、虹という輝くビジョンを描いて、反攻する。それは、市民の無差別殺人を続けるアメリカに向けられた。テロリスト攻撃への報復という理由でアフガニスタンが空爆された二〇〇一年である。


 若者の腕に伸びゆく蔓草はしなやかに浮く静脈となる 

V部は、初期歌篇としての様々な可能性にあふれている。
この歌は、春日井建を思わせる身体性があるが、後にこの方向はあまり開拓されなかった。春日井建の世界が女性に展開されたら、それは興味深いことであったと思う。
静脈が実体で、蔓草が比喩なのであるが、ここでは、実体とメタファーが逆展開しているところが面白い。


 午睡よりめざめた君の虹彩は脱いだばかりの蝉の殻のいろ

美意識の強い歌である。脱いだばかりの蝉の殻は、濃い褐色。蝉の羽は薄緑で、体は肌色。蝉の殻は、空蝉と言い、日本人の意識のなかでは、虚しいこと、儚いことのたとえとなっている。恋人の虹彩が、一瞬のうちに乾いた蝉の殻になったような、途方もない時間の経過を感じる。






読売文学賞
  Date: 2005年02月23日 (水)

きょうは、岡井先生の読売文学賞授賞式に出席。
大手町のパレスホテルである。
「未来」を中心に仲間もちらほらいる。気持ちのよいパーティーだ。
1分と司会がお願いしたスピーチを、松浦寿輝氏がえんえん8分ほどやり、盛り上がる。
岡井先生は風格があった。
立食パーティーでは先生を囲んで引っ越しのことなどとりとめもない雑談。
と、恵理子夫人がいる。夫人と話しをするのは初めてである。
ずっと聞きたかったことを切り出す。
はじめてお目にかかった日のことを覚えていらっしゃいますか。
それは東京駅のプラットホーム。
私は婚約者を連れていた。
岡井先生とばったり出遭う。
挨拶をしたら、先生はもごもご私は連れがおりますので…と落ち着かない様子だった。
すこし離れたところにいたのが恵理子夫人だった。
たしかキャンバスか画材をもっていらっしゃった。
まばゆい光のなかで、しろい印象だった。
恵理子夫人もその日のことは覚えていたのである。

日帰りなので、東京駅に向かう。
キヨスクで村上龍の『イン・ザ・ミソスープ』を買い求め、一気に読む。
読売文学賞受賞作というのは偶然だった。



ウエディング・パーティ
  Date: 2005年02月11日 (金)

今日は、穂村くんと佳代さんのウエディング・パーティ。
東京は、雪のふりそうな寒さだった。
彗星集の歌会をおえてから、会場の山の上ホテルに向かう。
昨日、水原さんとメールで相談して、ふたりで花束をプレゼントすることにしていた。
20代の遊び友達だったのである。
ねこそぎみんな40代になってしまった。
盗賊のような速さである。
会場にはちらほら短歌ともだち。
なにか落ち着かない時間。
ふたりがあらわれると眩暈に似たものがおしよせてきた。
おもわず椅子に坐り込んだ。
幻灯会のような夢心地である。
知らない人ばかりにも思え、かえって千葉君とか荻原君がいるとふしぎな気分である。
大変だねみたいな月並みの言葉を穂村くんにかける。
結婚は気の遠くなるような手続きの積み重ねで、それをやりきることでふつうの生活に入っていけるのだ。
二人で写真を撮ってもらった。
苺いっぱいのケーキをカット。セレモニーもおわる。
紫苑ちゃんと花束を渡し、内なる青春も終わったという思いがかけめぐる。
二人でタクシーに乗って品川まで行った。
ながいこと、ぼくは、未婚のふたりをとりのこしてきたような気持ちを懐いていたが、きょうは、はっきり自分が置き去りにされたことがわかった。
残されたもうひとりと品川でわかれた。

とおく東京タワーを眺めながら、とりとめもない時間が過ぎていった。

さらば、青春。






イングリッシュマン・イン・ナゴヤ
  Date: 2005年01月19日 (水)

スティングのライブに行ってきた。
名古屋のレインボーホール。自宅から1qぐらいのところにある。
こぢんまりしたドームで、ライブにはぴったり。

スティングは、大学二年か三年のときに行ったポリスのライブ以来。
25年ぶりの再会。お互いゆく無事で、と思ったりした。
チケットは11月ごろにとったのだ。9000円。
アリーナで前から30列めだった。
表情、口の動きまで見えた。

開演10分前になっても、スタンド席はがらがら、というか、両翼は9割空席。
平日だからか。
こんなんだから、名古屋は、とばされるのだ。
何かの手違いとしか思えない閑散とした会場で、スティングには気の毒だった。
結局、推定8000人ほどのコンサートになった。

今日は、ギター1人、ピアノ1人、キーボード1人、ドラム1人、パーカッション1人、コーラス2人
という編成だ。

スティングは、最近アコースティックな音楽になっている。
『ブルータートルの夢』のころの粘っこさはない。シンプルで、むしろポリス時代に戻っている。
ポリスの曲とソロの曲が切れ目なく融合した選曲。
順不同だが思いつくままに記すと

 孤独のメッセージ
 フィールズ・オブ・ゴールド
 イングリッシュマン・イン・ニューヨーク
 フラジャイル (最近この曲が気に入っている♪How fragile we are How fragile we are )
 マジック
 ブラン・ニュー・デイ
 ロクサーヌ
 見つめていたい
  …

バックの映像が綺麗で、ダンサーなんか本物に見えたほど。
音声がなめらか。
東京ドームなどの割れるような音と比べものにならない。
スティングのクリアな声を堪能した。


つまり大満足だったのである。

☆☆☆☆☆


新年
  Date: 2005年01月01日 (土)

穏やかな元旦。

年賀状を読んだり、名刺を作ったり。

45歳というのは、まだまだ途上にあるのだ。

「未来」の誌面が一新された。
作品のレイアウトがゆったりとし、写真やイラストが鮮明に印刷されるようになった。
彗星のイラストは、凪砂ゆのさんに描いてもらった。
photshopのデータで入稿したので、綺麗に仕上がったかなと思っている。すこしこだわってみたのである。






回顧2004年
  Date: 2004年12月26日 (日)

今日の日本経済新聞の朝刊に「短歌」の年間回顧を執筆。
小説は清水良典、詩は清水哲男、俳句は復本一郎の各氏が担当である。

短歌の今年の3冊としては

@『朝の水』 春日井建(短歌研究社)

A『LONESOME隼人』 郷隼人(幻冬社)

B『渡辺のわたし』 斉藤斎藤(ブックパーク)

を選んだ。
「生の根拠の回復」を切り口に「生を支える様式としての短歌」に注目したのである。

偶然、清水良典さんも「生の根拠」をキイワードにしていた。ジャンルは違うが、通底している状況と問題があるのだと思う。





ほっと一息
  Date: 2004年12月25日 (土)

ようやく、パソコンの移行が終わった。
windows98notePCのハードディスクが不調で、立ち上げ時に、いつもスキャンがかかる。
かろうじて立ち上がったときに、データのバックアップの繰り返し。なんとか95%ぐらいは、データを救えた。

新しいPCは、XPでメモリ512MB、快適である。



なにをやろうかと思っているうちに、終わってしまう一年であった。

45歳。




父と息子たち
  Date: 2004年11月05日 (金)

今日は、双子の息子の誕生日なので、有休をとってのんびりした。
小学一年である。
前からの予定通り、グローブとバットをプレゼントした。
よく晴れている。
さっそく庭でキャッチボールをして遊ぶ。
父と息子の定番である。
どうも私は予定通りとか定番といったことが好きなようだ。

さすがにまだグローブの扱いには馴れていないが、楽しそうである。
「巨人の星」が流行っていた、少年時代を思い出した。




彗星集一周年記念歌会
  Date: 2004年10月31日 (日)

今日は午後から、彗星集一周年記念歌会である。
会場は、日本出版クラブ会館。

16名でスタートした彗星集も、現在は30名に。
ゆるやかに拡がりつつある感じだ。

参加者は、浅羽佐和子、伊藤環、枝川由佳、小川静弥、大塚真祐子
紙村一味、斉藤登史子、斉藤真伸、佐藤有希、佐藤理江、神保元
須崎友文、鈴木智子、妹尾咲子、高見里香、天道なお、西村旦、
中島裕介、宮川聖子、盛田志保子、加藤治郎、そして、 
中川宏子、小川佳世子、渡部光一郎、さいかち真と
「未来」の姉貴、兄貴が駆けつけてくれたことがありがたかった。
会の企画運営は、浅羽さん、西村くん。

ロの字のテーブル。クールで張りつめた雰囲気が心地よかった。
不思議と、結社の会という感じはしない。同人誌とも違う。
若い歌人の研究会という印象だった。

一部は、私から「現代短歌レトリック入門」のレクチャー。本歌取り、縁語、掛詞、序詞、枕詞あたりを中心に話す。

続いて、メンバーによる発表。

天道なおさんより「かぎりなくフラットなぼくら〜若手歌人の作品動向をさぐる〜」
五島諭、永井祐、斉藤斎藤の作品を引き、平坦な日常、主人公不在(アクションがなく、視点のみ)、ニュートラルな自己・世界観と特徴が切り出された。
穂村弘の「修辞の武装解除」あるいは【歌葉】の選考会の議論とも重なるテーマである。
それが同世代の女性から語られたことに興味を持った。
もともと天道は「世界を美しく、ドラマチックに見る技法である短歌」というスタンスに立っていたが、最初、こういうフラットな傾向に違和感があったという。

神保元君からは「『砂の降る教室』批評会よりいくつかの考えるべき鍵語」。批評会の成果を引きながら「合格答案的な異化」という問題提起がされた。
また、「プロデュース」に対して厳しい見方が出たので、隣りに座っていた私は冷や汗をかいた。

大塚真祐子さんは、「「詩」か「わたくし」か「韻律」か〜短歌とはなにものか〜」のレポート発表。
とりわけ、小野茂樹の口語自由律歌を「エネルギーが高まった最上の言葉」と、評価した点、彼女の短歌観がくきやかに浮かび上がった。

二部は「未来」10月号掲載歌合評。

歌会の後は、懇親会。
アトラクションでは短歌クイズを行った。加藤治郎作品の下句当てというゲームである。
西村君が苦労して用意してくれたのである。有り難かった。
賞品は歌画集『ゆめのレプリカ』。


二次会は、鮒中。
東京発22時のひかりで、名古屋へ還る。


イーグルス☆東京ドーム
  Date: 2004年10月30日 (土)

今日は、イーグルスのライブに。
最後のツアーということもあって、東京ドームは異様な熱気に包まれる。

一曲目が注目されたが、「ロング・ラン」だった。
軽快な明るさ、納得。
次はいきなり「ニュー・キッド・イン・タウン」、そして「時は流れて」「アイ・キャント・テル・ユー・ホワイ」と名曲が続く。
「呪われた夜」「テキーラ・サン・ライズ」、ああ、全部やるんだ、今夜は。
そうするとステージの組み立てが読めてくる。
「ホテル・カリフォルニア」がアンコール。完璧なパフォーマンスだ。
再びアンコール。
「テイク・イット・イージー」
スタンド席も総立ちになる。
そして、最後は、納得の「デスペラード」
ドン・ヘンリーのボーカルが澄む。
let somebody love youと万感のコーラス。

3時間、イーグルスの全てだった。






コラボレーションと現代短歌
  Date: 2004年10月28日 (木)

朝日カルチャーセンター公開講座「プロムナード現代短歌」、
あと2週間ちょっとだ。

○鼎談「コラボレーションと現代短歌」
 加藤治郎、佐藤真由美、天野慶

どんな感じになるか想像できない。
メールで、佐藤さん、天野さんと、やりとりを始める。

イベントの案内はこちら
 ↓

http://www.sweetswan.com/acc/0411.html


あるいは、サー、サー
  Date: 2004年10月03日 (日)

あちこちのサイトで歌葉新人賞公開選考会のレポートが掲載されているのを知る。
ありがたいことである。

五十嵐きよみさん
http://www.sweetswan.com/igarashi/bbs.cgi

牧野芝草さん
http://www.geocities.jp/mugen_kangeki/Sanryo-syoyo/02/040928-1.html


ター、ター
  Date: 2004年10月02日 (土)

歌葉新人賞の公開選考会が終わって、一週間なのか二週間なのか、もうぼんやりしているのだが、しんくわさんの「卓球短歌カットマン」が受賞したことはよかったと思っている。
一切が、ただ未来を向いている。過去をふりかえる必要がなにもない。
「卓球短歌カットマン」、明日の短歌のトレンドをつくるだろう。
新人賞にふさわしいと思う。

あなたは、去年の新人賞受賞歌人を何人挙げられるか?

それにしても、圏外から1位まで引き上げた、荻原、穂村両氏の勇断に拍手したい。
そして、Webおよび公開選考会というオープンな場による力。それは【歌葉】の場と言いかえてもいいが、それを今回ほど強く感じたことはない。

選考委員といえど、始まれば、橇に乗った子どもなのだ。

歌葉新人賞、それは祝祭なのである。









たまごっち
  Date: 2004年09月25日 (土)

最近のたまごっちは、通信機能もあるのか。(むかしからかな)
いや、すごい。


気がつくと
  Date: 2004年09月11日 (土)

あっという間に一ヶ月経っている。

近所の小学生が、蝉の殻を食べた、という噂がひろがる。

炒めたら美味しいらしいが。


第3回ニューウェーブ短歌コミュニケーション
  Date: 2004年07月25日 (日)

東京も暑い。
今日は、第2回歌葉新人賞授賞式と記念のシンポジウムである。
会場は日本出版クラブ会館。
参加者は60名ほど。
今年は、風媒社さんにがっちり運営をサポートしてもらい、ずいぶん身軽になった。

シンポシウムのテーマは 「ぼくたちのいる場所、秀歌の基準」。
鼎談と公開歌会を通じて「秀歌」について考えてみようという試み。

荻原裕幸×加藤治郎×穂村弘の鼎談では、ずばり現代における秀歌を論じた。
穂村の「モードの変わるときに秀歌が生まれる」は卓見というべきだろう。
自分は、古典の秀歌論を概観し、近代の私の追究のもと秀歌観が変わったこと、現代短歌における秀歌の見直しというところで、レジメを用意したが、鼎談の場では即興的に話した。


次は、第2回歌葉新人賞受賞者&候補者による公開歌会。
出演は、我妻俊樹、大塚真祐子、斉藤斎藤、島なおみ、鈴木二文字、兵庫ユカの各氏。
公開歌会というのも、新しい試みといえる。

 「先生、吉田君が風船です」椅子の背中にむすばれている  我妻俊樹

 ピリオドの重力でまだはりついている置き手紙 I was born.   大塚真祐子

が高点歌だった。


授賞式は、フレンドリーなパーティー。
コンテンツワークスの荻野取締役が出席できなかったため、私が賞状を渡す役に。
そういう年齢になったのだ。

斉藤君は、歌集を出すという強い意志をもって、歌葉新人賞に臨み、それを勝ち取ったのである。
歌葉新人賞を、そして【歌葉】を創ってよかったなという気持ちが湧く。
荻原裕幸入魂のプロデュースによる『渡辺のわたし』は、いま最も熱い一冊となった。



日帰りの、長い一日だった。


写真が奥村さんの日記に掲載されている。↓

http://www5e.biglobe.ne.jp/~kosakuok/nisi.html


未来大会
  Date: 2004年07月17日 (土)

会場は、中野サンプラザ。
未来の大会というに、魚村晋太郎、矢部雅之、黒瀬珂瀾という三人の侍の存在感が終始圧倒的だった。

岡井隆と小池昌代の対談が胸にしみた。

小池さんの言葉をメモ。

「詩は、合鍵を持っている人には快感。詩の鍵を開けたと思える瞬間、閉じられたドアがカチャッと開く瞬間。この世界でただ一人その合鍵を持っている」

「わかってほしいと開く気持ち。わからせたくないと閉じる気持ち。扉を永遠に閉じている。それが詩の大切な核」

「伝達が詩の目的ではない。他人にはどうしても伝わらないもの。自分がこれと思ったこと。それが自己と他者の間の決定的な隔たり。伝わることはありえない」


大会の写真はこちら↓

http://homepage3.nifty.com/tsukinokai/2004miraitaikai.htm


焼き肉とグラタンが好き
  Date: 2004年07月03日 (土)

ぼーっとしていると、あっという間に1ヶ月過ぎてしまう。
暑い。
クーラーをつけていないと部屋は35℃になる。つけても30℃そこそこ。
名古屋の厳しい夏。

俵万智の『トリアングル』を読む。
妻子ある恋人、年下の彼とのトリアングルである。
歌集よりもこの一冊に、俵万智その人のポリシーがよく出ている。
短歌は海面に見える氷山である。この小説は、海面下の氷塊なのだ。

5月29日に現代歌人協会主催の「現代短歌 21世紀フェスティバル in 名古屋」というイベントがあった。島田修三さんの司会で「女歌の嘘を突く・男歌のウソを突く」というシンポジウムがあり、たまたまそこで  

 焼き肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き        
                        俵万智『チョコレート革命』

を話題にした。恋人が子供を連れて逢いに来るという設定にどうも現実味が感じられなかったのである。
しかし、小説には「家人が急用で出てしまって」と恋人が言う、この歌の背景らしき場面があった。妙に納得してしまった。これはウソではないな。小説で裏をとるというのも変であるが。
「まだ彼女は十歳で、切れ長の目が、彼にそっくりだった」という。そうか。彼は切れ長の目なんだと、ここで読者は初めて彼の風貌を知ることになる。これ、計算どおりであるとすると、なかなか巧いといえる。


SCRIPT: KENT WEB[Sun Board v2.3], EDIT & DESIGN: HIROYUKI OGIHARA