[378] 追悼・春日井建さん 2004年05月24日 (月)

春日井建さんのお通夜に伺う。
名古屋の、いちやなぎ中央斎場。
首都圏からは、三枝昂之さん、今野寿美さん、田村雅之さん、千葉聡君の姿も。
喪主は弟の春日井郁氏。

春日井さんに最後にお会いしたのは、黒瀬君の出版記念会だった。
批評会の最後列で、春日井さんと村木道彦さんに挟まれて坐り、恐縮していたのが昨日のことのようだ。
春日井さんほど慕われた歌人はいないだろう。
いつも若い世代にチャンスと勇気をくれた。
私には『サニー・サイド・アップ』に4頁の書評を寄せていただいたことが大きな思い出であり、財産である。

歌をはじめてまもないころ、名古屋で「短歌Vs劇」というシンポジウムがあった。
その日、刊行されたばかりの『青葦』に歌を書いていただいた。

   まひるまに夢見る者は危しと砂巻きて吹く風の中に佇つ  
                       春日井建『青葦』

「まひるまに夢見る者」それが春日井さんだった。

ご冥福をお祈りする。





[377] あめ 2004年05月20日 (木)

あめがよくふるなあ。
アルカイダモキテイタトイウシ。
みんな駆け込みで新人賞のうたをつくってるがだいじょうぶか。
仮想敵、仮想ライバルがみえていない気がするが。
どういった短歌の状況にどういった歌を撃ち込むか。
そのコンセプトがほしいのだ。


[376] 流星 2004年05月19日 (水)

「塔」の50周年記念号が出て「かばん」も創刊20年だという。
素晴らしいことだと思う。
思うに、短歌は才能だけでは足りない。
短歌に対する執着心のようなものがないと歌人にはなれない。
持続することだ。
それを扶助する場が、結社であり同人誌である。

まあ、これは、結社で続けてきた側の論理だろう。
続けるに越したことはない。
結社に居た方が歌壇では通りやすい。
しかしあまりこれでグイグイ押すと個人を圧迫する。
いろいろなあり方を尊重したい。

流星のように消えてゆく作者もいいだろう。
それは、それだけのことであるが。






[375] いや、ちがうよ。 2004年05月14日 (金)

食事をしていたら、雅昭が顔を覗き込んで言った。

「パパは小さいころから、こういう顔だったの?」

思わず吹き出してしまった。子供はおもしろいことを言う。
皺の顔を憐れんだのだろう。




[374] 休暇おわる 2004年05月09日 (日)

なんとなく過ぎた休暇だった。

5/1 「未来」評論賞選考会(東京)
5/2 『退屈な器』批評会(横浜・司会)
5/6 東桜歌会 『夏のうしろ』批評会(名古屋・レポート)


栗木さんの歌集をじっくり読んだことが収穫か。
私/実感至上主義を超えた秀歌の探求の姿勢が見てとれた。

 ほほゑみにレースの縁取りあるやうな若さを遠き二十歳と思ふ
 音楽の今し生まるるときめきに似て水面より蛇あがり来ぬ     
 みづうみに水鶏が翼おろすとき死者の手あまたつどひ来る見ゆ
 雨はれて初夏の連山かがやきぬりんりんと馬体絞るがごとく
 断崖に咲く夏椿散るときは両手を挙げて水に散るらむ
 亡き祖母の時計はめれば秒針は雪野をあゆむごとく動けり
 死ぬならば老衰がよし人体の入口さがせぬほどに朽ち果て
 墓石につかまりながら高きより水そそぎをりお彼岸の母
 病む人らみな素顔にて怖かりき祖母を見舞ひしサナトリウムに

祖母の存在の大きさも考えさせられた。
作者の死生観に影を落としている。

5年ぶりぐらいに参加した東桜歌会。
いい雰囲気だった。




[373] ツアー 2004年04月29日 (木)

朝、母親から電話があって「おまえの写真が朝日新聞にノットルゾ」という。
心当たりがなかったが、新聞を拡げてみると、佐藤りえさんの『フラジャイル』批評会の写真で、ちょうど自分がしゃべっているところだった。
自信満々の顔にみえた。

4月24日の批評会である。
自分としては櫂未知子さんの発表、佐藤りえの、俳句からの摂取に啓蒙された。
類型的だという発言もあったが、十分、佐藤りえらしさの出ている歌集というのが、私の判断である。

おおよそ、歌集の何処を見るかによって評価は決まる。
よく「自己模倣」という評言がある。
第二歌集以降の歌集に対して、そういえばだいたい当たる。
作者はうな垂れ、評者はしたり顔になるが、ばかばかしいことだ。
変化がないなんてありえない。「自己模倣」というのは歌集の新生面を見ない、評者の怠慢である場合が多い。

さて、大上さんの記事では『サニー・サイド・アップ』の批評会が、この歌集批評会というトレンドの始まりというふうに書いてあった。
もちろんそれ以前にも批評会はあっただろうが、ではいつからかとなると判然としない。
出版記念会は、数多くあるのだが。
批評会+懇親会というスタイルは、やはり『サニー・サイド・アップ』あたりからなのか。
ツアーというスタイルで全国各地で批評会を開くスタイルは、まちがいなく『サニー・サイド・アップ』からだろう。というか、ほかにやっている人はいない。
東京と名古屋で開かれた。名古屋は荻原裕幸が仕切ってくれた。
前者は「ゆにぞん」、後者は「フォルテ」に記録が載っている。
『マイ・ロマンサー』は、東京のみ。これは記録の冊子を作った。
『ハレアカラ』は「未来」の内輪の批評会だったが、森本平君が居た記憶がある。
『昏睡のパラダイス』は、大阪、名古屋、東京で開催。
『ニュー・エクリプス』は、大阪と東京で。
多くの人々の助けによって、ツアーは続いたのである。




[372] J歌会 2004年04月18日 (日)

昨日のライブで、メガネのつるが外れてしまった。
今日はこれから彗星集のJ歌会である。
たまたま新宿のメガネドラッグに立ち寄ったところ、店長さんが5分ぐらいでだいじょうぶです、と言ってくれたので任せた。
1500円ぐらいかと思っていたら、タダでいいですと。これは嬉しかった。

歌会は、渋谷の勤労福祉会館。
浅羽佐和子さんに企画してもらった。
「未来」の3月号、4月号をテキストに、引用の問題等々密度の濃い歌会だった。参加メンバーは、中島裕介、枝川由佳、神保元、佐藤有希、西村旦、小川静弥、浅羽佐和子。
刊行になった現代短歌文庫『加藤治郎歌集』を皆が買いもとめてくれてありがたかった。
二次会も率直に話せてよかった。
学生短歌会出身の歌人たちの動向も興味深いことであった。
新幹線の時間があったので、途中で席を立った。
後で、レイハル、サトリエたちと合流したときいて、もうすこしゆっくりできたら、と残念。。。


[371] レディオヘッド 2004年04月17日 (土)

きょうは、友だちとレディオヘッドのライブに行った。
幕張メッセの展示場ホール。
スタンド席はなく、みなフロアである。
3万人ぐらいは収容するだろうか。
それにしても20代前半の若者ばかり。
オアシスのときよりは若干年齢層は高いか。
それにしても40代なんか一人もいない。ほんと一人も。
ALブロックは、ステージの真ん前だった。
まだ開演まで1時間ほどある。
皆体育座りをしていたが、急にさっと立ち上がり、前に詰める。
なんの合図もなかったのだが、その一瞬の動きに只ならぬものを感じた。
もう身動きがとれない。
縄梯子をするする4人ほど登っていく。照明のスタッフだった。
ステージから15メートルほどの位置にいる。
演奏が始まったら、間違いなくもう一波くる。
ぱっと会場のライトが消えて、歓声があがる。
ステージにメンバーが見えた瞬間、ドーンという衝撃を受ける。
靴が脱げそうになる。
ぎゅっと手を繋いだが、それも1分ともたなかった。
バラバラになって前に後ろに烈しく揉まれる。
まわりはピョンピョン跳ね出す。
トム・ヨークの表情が分かる。
が、トランス状態にあって、すべてが非現実的である。
脱水状態になり、酸素も薄い。ふらふらになる。

曲目は、『ヘイル・トゥー・ザ・シーフ』を中心に6枚のアルバムからバランスよく選ばれていた。
イラク人質事件の人質解放のニュースをサンプリングしたところは流石。
 ・2+2=5
 ・カーマ・ポリス
 ・パラノイド・アンドロイド
 ・ザ・ナショナルアンセム
 ・ゼア、ゼア
このパーカッションは楽しかった。
 ・イデオテック
 ・スィット・ダウン。スタンド・アップ
 ・ユー・アンド・フーズ・アーミー
 ・ハウ・トゥー・デサペア・コンプリートリー
ラストは、
 ・エヴリシング・イン・イッツ・ライト・プレイス
いつもとは違う重苦しいアレンジだった。

唯一心残りは、大好きな「スキャッター・ブレーン」が演じられなかったことか。

全身で体験した2時間だった。




[370] 茂吉のレトリック 2004年04月10日 (土)

今日は、名古屋の朝日カルチャーに出講。

朝日カルチャー開講40周年記念公開講座「近代歌人の読み方」、5回シリーズの第4回目、斎藤茂吉を担当した。

茂吉へのアプローチは様々だが、評伝的な接近が多いように思われた。
今回は、茂吉の全17歌集の作品を、修辞で分類するという方法をとった。
茂吉特有のレトリックも浮かびあがり、まあまあ納得ゆく講座になったのではないかと思う。

 おもひ出は霜ふるたにに流れたるうす雲の如かなしきかなや

ただし、修辞一辺倒の接近では歌の鑑賞を狭くする。
この歌も、最低限、恋の歌(おひろ)だということを押さえないとどうにもならない。

母親と妹も聴講に来ていたので、甘味処に立ち寄って帰宅。






[369] 『O脚の膝』を語る会 2004年03月20日 (土)

今日は、大阪で『O脚の膝』を語る会。
会場は、フェスティバルゲートにあるココルーム。
ここは、ビルの狭間をジェットコースターが駆け抜ける大阪らしい場所。

もともと今日は、彗星集の大阪歌会。読書会のパートで今橋愛さんの『O脚の膝』をテキストにした。
せっかくだからというわけで、今橋さんをゲストに招き、一般公開としたのである。
川谷ゆきさんに全面的に仕切ってもらった。

歌会のパートから今橋愛さん、そして東京から駆けつけてくれた石川美南さん、永井祐君が参加。北溟短歌賞の3人が揃った。
宮川聖子さんは岐阜から車できてくれた。
今橋さんとは初対面。
永井君とゆっくり話したのもはじめてのことだ。

『O脚の膝』を語る会では、中島裕介君の鋭利な批評、鈴木智子さんの率直な批評でスタート。二人ともパネリストデビューとは思えない堂々たる発言だった。

 わかるとこに
 かぎおいといて
  ゆめですか

 わたしはわたし
 あなたのものだ

             今橋愛


この歌集の剥き出しの感覚は、類がない。それでいて夢の記述のようでもある。


パーティーの後は、予定通り、パピエシアン&かばん関西と合コン。
熱いぞ、大阪。そして、最後は真打ち魚村晋太郎と合流。
大阪の夜は燃え尽きた。。。



[368] 前川佐美雄賞 2004年03月07日 (日)

前川佐美雄賞・ながらみ書房出版賞の選考会のため、上京。
選考委員は、佐佐木幸綱・三枝昂之・佐々木幹郎・俵万智の各氏と私である。

無差別級というコンセプトは昨年と同様。
新鋭歌集から円熟の歌集までが並んだ。
新鋭の歌集をめぐって佐々木幹郎氏との間で激しい議論があったが、これは何らかの形で誌面に反映されるだろう。

受賞は、

・第2回前川佐美雄賞

 小池光著 『茂吉を読む 五十代五歌集』(五柳書院刊)


・第12回ながらみ書房出版賞  

 寺尾登志子著 『われは燃えむよ―葛原妙子論』


はからずも二評論集が選ばれた。賞の特色がでてよかったと思う。

授賞式は7月8日、東京御茶ノ水ガーデンパレスにて開催される。





[367] 編集者と選者 2004年02月19日 (木)


とはいうものの、編集者と選者では決定的に違うものがある。

それは、作者と選者の作品上の相互影響である。
選者は実作者なのだ。

師弟関係は、徒弟制度とも違う。
徒弟制度というと、一方的な技能の伝達を想う。
師弟は、もっと熾烈な相互関係である。

正岡子規と伊藤左千夫・長塚節。
左千夫と、島木赤彦・斎藤茂吉。
この二つのトライアングルが「未来」の源流にあるのが、彼らは苛烈なライバルであった。
茂吉-佐太郎のラインはちょっと違うが、近藤芳美-岡井隆は、激しい関係だったと思う。

ライバルとして、作品で競い合う。
それが師弟関係なのである。

そこが編集者とは違う。



[366] 深夜におもう 2004年02月17日 (火)

ここ1、2週間ほど、立て続けに彗星集に入りたいという人がきて、うれしいことであった。
しかも面識のない方が多い。地すべり的な動きとさえ感じられた。

30人を超すと、メンバーの求めるものの多様性が明らかになってくる。それとともに、メンバーシップを考えなければならないし、いろいろ判断しなければならないことも出てくる。
ラエティティアだったら、なんでも荻原、穂村、加藤の三人で相談した。
今は、ひとりで判断しなければいけないケースが多い。
間違っていないという思いが、なかなか確信に到らない。

荻原裕幸だったらどうするだろう。
ぼんやり思う。
「じろうさん、それでいいよ」と穂村弘の声がする。




[365] 赤ちゃん 2004年01月31日 (土)

今日は、前川佐美雄賞の一次選考会。
候補作を胸に、ながらみ書房へ。
及川さんと雑談していると、ほどなく俵さんが姿をみせる。
久しぶりである。
元気そうだ。
爽やかで、ひとまわりたくましくなった俵さん。
赤ちゃんは3ヶ月。
ひとしきり子育ての話で盛り上げる。
昨年の前川佐美雄賞授賞式のときは、おなかに赤ちゃんがいたのだ。

俵さんの次の歌集、大いに楽しみである。



[364] 前線 2004年01月17日 (土)

この人に会えるとは思ってもみなかった。
平井弘。
小塩さんの出版記念批評会であった。

名古屋は面白い。
以前も、柴田さんの批評会で、村木道彦に出会った。
平井弘と村木道彦。
この二人の存在は現代短歌にとって大きい。

平井さんは、私のことはご存知だったのでうれしかった。
気さくでひょうきんな感じの方。
この感覚が『前線』を生んだのだと、妙に納得した。
新しい歌集が切に待たれる。




[363] 「選者」と「先生」 2004年01月13日 (火)

彗星集、現在22名。
「加藤先生」「加藤さん」「治郎さん」
呼び方はまちまちである。
「加藤先生」が半数ぐらいだろうか。「治郎コーチ」って呼ぶ人もいる。
「じろーさん」と呼ばれるとうれしいのだが、これはもう人間関係によるものだから、あるがままがいいのだろう。初対面の人に「じろーさん」と言われたらちょっと戸惑うに違いない。

紫苑ちゃんは「じろーくん」と呼ぶ。その瞬間、20年の交友がたちまち蘇る。
米川さんは「加藤くん」だ。同級生の女子という感じである。
「治郎ちゃん」というのは小嵐九八郎さん。兄貴分である。
呼称は人間関係のエッセンスなのだ。

加藤選歌欄の若い人が「加藤先生」と呼んでいる。「未来」では先生と呼ばないのが美風だから、そのようにしてはどうか。そういう声がある。

どうだろう。

選者が先生と呼ばれるのは、歌壇ではおそらく普通のことなのだと思う。
結社において、先生と呼ばないことは美風なのだろうか。
そうかもしれない。
しかし、先生と呼ばせないという所から発しては寂しいだろう。

「未来」と「先生」の問題は単純でないことは、知っている。
それは「未来」の歴史と関わるのだ。

昭和26年、創刊当時の「未来」の会員は、みな「アララギ」の20代を中心とする若い歌人であった。結社内雑誌であり、彼らは「未来」創刊後もしばらく「アララギ」会員だった。創刊時の「未来」会員は、約50名。
選歌のある同人誌というスタイルで「未来」はスタートした。しかし次第にメンバーは多様化した。昭和30年代になって「アララギ」を通らず、直接「未来」に入会する会員が増えてきたのも必然的な流れであった。彼らは、近藤芳美を「近藤先生」と呼んだ。同人は言った。「未来」は同人組織だから、先生はいない。「近藤さん」と呼びなさい、と。
40年前の話である。

1983年、「未来」に複数選者制がスタートした。
制度として複数の「先生」が誕生したのである。結社内結社と呼ばれたりもした。
そのヒエラルキーに抗議して退会した主要会員もいたのだ。

83年に入会した私は「岡井先生」についていこうと思った。
ごく自然な気持ちであった。
が、「岡井さん」と呼びなさいと古い会員に言われた。
ぴんとこなかった。
20年前のことである。

選者と会員の関係は結社によっていろいろだ。

・選者は明示されず裏方として選歌をしているケース(それを選者と呼ぶとして)。会員はだれが選者か分からないので先生と呼びようがない。
・選者が公表されているが、選者と会員が固定でない形態。先生と呼ぶ意識は比較的薄いのではないかと思う。
・「未来」は、選者が公表され、なおかつ基本的に選者と会員は固定である(移動は自由だが)。師弟関係が醸成されやすい環境といえるだろう。

会員1000人の結社で、なおかつ師弟関係を押し進めるような制度なのである。

その一方で、自由な気風が「未来」にあることも事実である。
それは近藤芳美や岡井隆の気質によるものだし、選歌欄というグループがあって、実はこれが同人誌的な集団だと気づくのだが、中心が単一でないことは寄与しているだろう。
いや、その自由さを同人誌的と見誤ってはいけない。
もともと結社は、緩い集団なのである。

一方、いま入会してくる人たちの意識もあるだろう。
端的にいって、師弟関係を求めて結社に入会してくる人たちがいる。
自然なことだと思う。
フラットな集まりはインターネットに充ちている。
それはそれでいいことだが、どこかに作歌の拠点がほしいと思ったとき、結社は選択肢となりうる。
インターネットの集団は、歌会、批評、パブリッシングなど、結社の機能の多くをカバーする。ネットにないのは、唯一、師弟関係である。
彼らが「先生」に出会うべく結社に入会するのは、ごく自然な意識なのである。



「加藤先生」「加藤さん」「治郎さん」「治郎コーチ」、どう呼んでもいいだろう。

それは、その人と私の、きわめて個人的な出来事なのである。




[362] 「選者」と「編集者」 2004年01月11日 (日

今日は「未来」の新年会。
彗星集のメンバーに囲まれるとほっとする。
懇親会では岡井先生と長いこと話が出来て楽しかった。
近藤先生の姿が見えないのが寂しい。
去年の新年会の凛とした姿が思い出される。

以前、荻原裕幸がこんなことを言った。「短歌ヴァーサス」の仕事のときだったかと思う。
 選者というのは編集者に似ている。
なるほど。
自分でもいろいろ考えたが、どうも「編集者」というのが実態に近いように思われる。
私は「彗星集」の編集者なのである。
まず、昨年5月以降メンバーを募った。これは新人の発掘である。
毎月の原稿を受けとる。遅れているメンバーには督促する。編集者のイロハだ。
選歌は、編集者として作家に示すバーに似ている。期待する水準を持たない編集者はいない。
選歌が終わると次は割付。「未来」のレイアウト用紙に割付をする。
それからコンビニに行って原稿のコピーを取る。
万が一のバックアップと、自分の選歌をレビューするためだ。
このあたりの実務、まさに編集者である。

以上が月々の仕事だが、他に歌会やイベントの運営もある。
歌会は東京、名古屋、大阪で開催する予定。
また、新人賞へのチャレンジや歌集の出版といった歌人としてのライフステージのサポート。それから批評会といったアフターフォローも含まれるだろう。

総じてメンバーとの二人三脚で、彼らが歌人として独り立ちするアシストをしたいというのが私の思いである。

彗星集、現在、22名。


★彡



[361] 2004年。 2004年01月01日 (木)

おせちをたべて、近所の神社に行く。
焚き火が暖かい。
御神酒を呑むと口もとがすーっと熱くなる。
写真を2枚撮って帰宅すると、どっと年賀状が届いていた。
家族5人まるくなって回し読みする。
1年ぶりの懐かしい顔。笑ったり、へーっと驚いたり。
返事を40枚ほど書いて、すぐ投函しに行く。
欽ちゃんの仮装大賞を観てから、原稿を2枚ほど書く。
ウォーミングアップだ。
レディオヘッドの「Meeting people is easy.」を観る。
「OK コンピュータ」の再評価とともに4月の公演への期待が高まる。

よい一年でありますよう。









[360] 2003年。 2003年12月31日 (水)

年々1年経つのが早くなっている。
目先のことを片づけているうちに過ぎていった。
やり残したことも多い。

主な出来事としては

 ・『ニュー・エクリプス』の刊行とエクリプス・ツアー大阪/東京開催。

 ・「未来」選者に。彗星集スタート。

 ・ニューウェーブ短歌コミュニケーションの企画開催。

 ・エッセイの当たり年。上半期は日経「プロムナード」に毎週連載、下半期は信濃毎日新聞に隔週連載。

 ・前川佐美雄賞の選考委員に。


この中でも「未来」の選者になったことが、生活の時間の隅々にまで浸透した一年であった。

来年もすでに上半期の予定はどんどん埋まっている。
すべて依頼ベースであるのが問題なのだろう。
自律的なプランで動きたいものだ。





[359] 裸の感性 2003年12月13日 (土)

今日は、ひさしぶりに休日出社。
バランス・スコアカードを使った戦略展開である。
4時ぐらいに終わったので、名古屋駅近辺をぶらぶらする。
かえって、気楽な休日となった。



11月から12月にかけて、ぞくぞくいい歌集が刊行されている。
今橋愛の『O脚の膝』(北溟社)は、剥き出しの感性を優しく差し出している。
歌集になって、くっきり個性が現れた。

ポケットの中で
二度ゆれたような気のするけいたい見て
さっかく、さっかく。

としとったひともわかいひともふまじめもまじめもせいきがついたらおとこ

ちからなくさしだす舌でだらしないのがみたいんです今みたいんです

もちあげたりもどされたりするふとももがみえる
せんぷうき
強でまわってる

すうっとするためだけになめたあめだまのように生きていきそう
こわいよ。


自然に投げ出された感じの言葉である。例えば五首めは、六八五六八という音数律だ。作品の大部分は、こんな感じのリズムなのである。
かといって、これらの作品は破調という感覚でもない。短歌形式に抗おうという緊張はないのだ。短歌形式を外れながら、むしろ形式に親和的でさえある。この矛盾に、どうも今橋愛の世界の新しさがあるように思われる。
それは、自分の感覚と形式との自然な接点を見出すこと。無理がない。ここにあるのは、短歌形式に自然に寄り添う優しさなのである。そして、形式との微妙なずれは、世界に対する異和感とも等しい。
この自然さに癒される読者は多いだろう。作品の言葉を借りれば「だらしない」感じ。無理せずだらしない感じでいたい。それは、この管理され尽くした社会の中で、われわれの密かな欲望なのではないか。

そういえば、この歌集には目次がない。いきなり、裸の一首一首が無防備に突っ立っている。





[358] 唐津歌会 2003年11月29日 (土)

NHKBS「列島縦断 短歌スペシャル」のため、昨日から唐津入り。
会場は、虹の松原ホテル。
http://www.kokumin-shukusha.or.jp/annai/ken/saga/541211.html
波が荒い。

第1回のBS短歌会は、東京旧古河庭園で開催された。
それが1993年。
10周年ということになる。
旧古河庭園、それからスタジオでの紅白歌会が2回あって、大垣、小倉、蒲郡、宮島、そして唐津。
この番組は8回目の出演である。

今回の主宰は、三枝昂之さん。
まず歌の解釈をという基本をあらためて教わった。
メンバーは吉川宏志、佐藤弓生、小川真理子、首藤絵美、そして私。
首藤さんとは初対面。まだ若いがきっぱりした歌人だ。
佐藤さん、小川さんとの歌会は初めてである。
吉川君とは、昨日、唐津の街でばったり会って、曳山記念館から、唐津城、虹の松原までいっしょに散策した。
前夜の宴の烏賊が美味しかった。

今回は、

        題詠「海彼」

  日常は異郷と思うたそがれの画面の奥にかがやく海彼

で一位になり、賞品に鯛の絵柄の唐津焼きをいただく。

        自由題は

  上陸の兵士は居らずさらさらと虹の破片がうちあげられて

自己評価では、自由詠の方がいいかなと思っていたが、こちらは5位。
このあたり、評価軸がうごいているのだろうか。
題詠の王子、吉川君も苦戦。
小川さんが「写生」を心がけているというのには驚いた。
全体を通して佐藤弓生さんの伸びやかな感性が光った歌会だった。

夜は、久津晃さん、山埜井喜美枝さんが宴席を設けてくださり、気持ちよく酔った。




[357] 歌葉新人賞公開選考会★彡 2003年11月23日 (日)

第二回歌葉新人賞の公開選考会が開催された。
選考を聴衆の前で行う。現代短歌では初めての試みである。
選考委員は、荻原裕幸、穂村弘、私加藤の三人。
会場は、日本出版クラブ会館。ロの字に机が並べられ、50名弱のの参加者と選考委員がぐるっと向き合った。候補者自身も居る。緊迫しないわけがない。テーブルクロスの白さが目に沁みた。
試されているのは、選考委員の批評そのものである。

選考は、候補作十二篇へのコメント、候補作の絞り込みと進む。
私は、
島なおみ 「エデンプロジェクト ―わたしは世界を席巻する―」
兵庫ユカ 「七月の心臓」
我妻俊樹 「ニセ宇宙」
を推した。後の座談会で、小林恭二さんが絶賛したように、十二篇、ほんとうに優れた作品だった。
贅沢な選考会だったが、それだけに選ぶことが苦しかった。
最終的に、斉藤斎藤「ちから、ちから」と兵庫ユカ「七月の心臓」に絞られてゆく。
台本なしのライブだったが、いい流れになった。
最後の場面では、それぞれの作品のピークの部分が問われたのである。

 うなだれてないふりをする矢野さんはおそれいりますが性の対象   斉藤斎藤
 雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁  同

 シーリングライトに虫が溜まるようふわふわとしてやさしい言葉   兵庫ユカ
 きっと血のように栞を垂らしてるあなたに貸したままのあの本    同

斉藤作品では「おそれいりますが」「なんでしょう」という底ごもるような意識のつぶやきに、兵庫作品は「シーリングライトに虫が溜まるよう」「きっと血のように栞を垂らしてる」という心の廃墟、悲痛を示す比喩にピークがある。
自分としても、焦点が明確になった点、納得のゆく批評だった。
結果は、斉藤作品が受賞、兵庫作品が次席。
拍手が沸き起こった。

若い歌人たちと現代短歌への希望を共有できたひとときだった。





[356] エクリプス・ツアー東京★彡 2003年11月22日 (土)

日本出版クラブ会館。12時30分にスタッフ集合。
浅羽佐和子さん、西村旦さん、中川宏子さん、盛田志保子さん、大塚真祐子さん、天道なおさん、笹公人さん。
頼もしいjstarのメンバーである。
レジメ綴じ、受付の準備など整然と進む。

14時、パネルディスカッションのパート1。
天道なお、松本典子、黒瀬珂瀾、佐藤りえ、荻原裕幸(司会)の各氏である。
この20代のパネリストたちの明晰さには感嘆した。
しかも辛口である。
天道さんは「戦争・死」「性愛」「テクノロジー」「作歌方法論」という角度から斬る。
松本さんは、なにが戦争詠として納得させるかという問題意識から「注射器の先からぷるっとこぼれ出てこの世界には無数の痛み」を引いて、すこし軽みをだして内面の痛みと向き合うアプローチを指摘した。
黒瀬くんの発表は50枚の評論に匹敵する内容。「暴力の普遍化」というポイントを押さえた。
佐藤さんの「加藤治郎成分分析(多層的な洋菓子であるとして)」は、才気に溢れていた。
クリーム(ぷるんぷるんの感性)が、ケーキのスポンジ(リアリズム)に沁みてくると美味しくなるという話は、加藤論として出色。
それにしても佐藤さんの(感性の部分が)「へたっている」という指摘は、爽快な張り手だった。
黒瀬くんの「視線が低すぎる」(「東京オフ」に対して)も容赦ない評言。
それでいてその率直さが心地よかったのである。
また、若い歌人たちがみな『サニー・サイド・アップ』以降の仕事を踏まえてくれたことはありがたかった。彼らはみな追体験の世代なのである。

パート2は、島内景二、川野里子、坂井修一、穂村弘、池田はるみ(司会)の各氏。
島内先生は国文学の立場からの発言だったが「本流から出てきた歌人は、自分のどこが正統か示さなければならない」「リアリズムの定義を書いていく使命がある」という言葉が、胸にしみた。
続く、同世代の川野さん、坂井さんの発言は容赦ないものだった。
川野さんの(主に社会詠が)「問いとして刺さってこない」、坂井さんの「歌の衰退」「捨て石」(の歌集)という厳しい言葉が響いた。
穂村くんは、「加藤治郎ワールド化が見られるが、ワールド較べになったとき勝機はないのでは」「開放系として生きてきたから」と、指摘した。
後半のパネルは、重苦しい雰囲気だった。
これは同世代ゆえの苦渋だろうか。

会場からの発言。
田中庸介さんの「方法論至上主義からの帰り道」「最後にはスピリチュアルなものを求めなければばらない」という言葉は、重苦しい雰囲気に風穴をあけた。
紫苑ちゃんは「厳しくて驚いた。いい歌はものすごく沢山ある」「性愛追求でなにが悪い」と発言。涙、涙。

前半だったが、小川真理子さんの「誓うには空は暗くて少年よ報復のずぶ濡れの枕を抱け」は、自爆テロのイメージと重なるという読みに感嘆した。なるほど、この枕の重みと爆弾を重ねることは文脈上、自然である。
読者が作品を創出する。

パーティーは、小嵐九八郎さん、齋藤愼爾さんのスピーチから始まる。
二次会に到るまで、旧交を温めた。

エクリプス・ツアー東京、参加者は下記の80名だった。(50音順敬称略)
ただただ感謝である。


青井史、阿木津英、浅羽佐和子、阿部 愛、安藤淑子
飯田有子、池田はるみ、泉 真帆、伊津野重美、入谷いずみ
植松大雄、鵜飼哲夫(読売新聞)、宇田川寛之(ながらみ書房)
江田浩司、大上朝美(朝日新聞)、大河原惇行、大滝和子
大塚真祐子、大野道夫、大松達知、岡崎裕美子
小笠原徳、岡本京子、小川真理子、小川康彦、荻原裕幸
加藤治郎、狩野一男、川野里子、菊池典子、久々湊盈子
久間木聡(東京新聞)、黒瀬珂瀾、小嵐九八郎
小島充(日本経済新聞)、小屋敷晶子(読売新聞)、さいかち真
斉藤齋藤、齋藤愼爾、酒井佐忠(毎日新聞)、坂井修一
笹公人、佐藤弓生、佐藤理江、佐藤りえ、佐波洋子
柴田瞳、島内景二、そらの咲、高井志野、田中槐
田中庸介、田村広志、田村雅之、千葉聡、天道なお
中川宏子、中川佐和子、なかはられいこ、謎彦、夏瀬佐知子
並木夏也、錦見映理子、西村旦、沼田操、野原亜莉子
浜田雄介、早坂類、東直子、兵庫ユカ、藤室苑子
穂村弘、松浦郁世、松村由利子、松本典子、水原紫苑
盛田志保子、柳宣宏、結城文、玲はる名


★彡


[355] 不逢恋逢恋逢不逢恋 2003年11月02日 (日)

遅れていた鑑賞辞典の担当分が脱稿。
長塚節、土屋文明、相良宏、それから、大滝和子、東直子、紀野恵を担当。
アララギ、未来系であることよ。

再発見の多い仕事だった。

 尚遠く澄む紅を濃しとして紫雲英を摘みき幼かりにき 相良宏

相良宏の「草水晶」と呼ばれた世界を久しぶりに読んだ。
強い影響を受けていたことを想い出したのである。

 不逢恋逢恋逢不逢恋ゆめゆめわれをゆめな忘れそ 紀野恵

天才といっていい歌人は稀少である。
「未来」入会と同時に、紀野恵に遭遇したことは僥倖としかいいようがない。

ずいぶん遠くに来た。


[354] 実験劇場 2003年11月01日 (土)

11月になったというのに、今日は汗ばむほどの温かさである。

「未来」の仕事を一つ二つ済ませる。

選者と会員の関係は結社によって様々である。
「未来」の場合は、選者が公示され、会員は選者を選ぶことができる。
そして、会員と選者が固定的な形態である。
選者は選歌欄というスペースを委託され、そこに選歌した作品をレイアウトする。
一冊の雑誌の中に、あたかも選者独自の領域が存在するかのようである。
連邦制というべきか。結社内結社という人もいる。
自分の独自性やカラーが出せる点で、自分にとってはありがたい形態である。

選者になって見えてきたことがある。結社という組織の合理性である。
もし今仮に、自分のもとに若いメンバーが集まってきて彼らのために雑誌を発行しようとしたら、これは大変なことである。月刊誌などまず無理だろう。
作品掲載の場所ばかりではない。
「未来」会員千人という読者が確保され、批評のシステムも保証されているのだ。結社とはリアリズムである。

 飲みさしのミルク片手に飛び乗った救急車からどの家も夜  増田静
 耳鳴りが体のなかをぬけだして海へゆこうとするから叱る  川谷ゆき
 ユニコーン角やわらかに濡れながらきみはうつつの勤めにむかう 裄V美晴

「彗星集」から引いた。インターネット世代が結社に集まってきた。
新しい動きである。
彼らは今結社に何を求めているのか。歌人としての存在証明か。師弟関係か。伝統か。
彼らと対話したいと思っている。

「若い作者らのための一つの実験劇場の提供を夢見たい」という「未来」創刊号(一九五一年)の近藤芳美の言葉は、今の私の思いでもある。





[353] 俵万智さん未婚の母に 2003年10月22日 (水)

新聞のTV欄に「俵万智40歳が妊娠で未婚の母に」とあって、驚く。
ありそうなことではあるが。。。



そういえば、『ニュー・エクリプス』の批評会で、

     こういう仕事は家長にまわってくる。
  家鼠の小さな肋骨見えてスコップで土ごと袋に仕舞う

が問題になった。
歌ではなく、詞書きの「家長」の一語への、女性陣からの反発である。
小高さんのような使い方ではなく、あまりに自然に使われているというのだ。
「家長」への言及は思いもよらぬことだった。
私が「一家の長」を意識するのは当たり前のことなのである。
家を建て妻子を養う<名古屋の男>にとってはごく普通の感覚だ。
これは地域差なのだろうか。

あるいはわが内なる近代の核なのかもしれない。

それにしても、俵さんとは、対極的な位置にあるなあ。





[352] エクリプス・ツアー大阪 2003年10月18日 (土)

大阪ガーデンパレスで、『ニュー・エクリプス』の批評会。
川谷ゆきさん、鈴木智子さん、小川佳世子さんにお世話いただいた。
司会兼パネラーに大辻隆弘さん、パネラーにもうひとり江戸雪さん。

多くの読者に直に批評、感想を聞くというのは、著者にとって、きわめて贅沢な機会だとあらためて思う。
多くのメッセージ、自分のなかで温めたい。

とりわけ島津忠夫先生からいただいた講評は普遍的な問題を含むと思われるので、記しておきたい。
若い歌人への期待として、

・最近の新人の短歌が、私のような老人にもすぐに理解される歌が多く、
上手だがそんなに新しいとは思えないということに苛立ちを感じる。
 
・すぐには理解できないが、もっと考えてみればなにかいいところが分かる、そういう歌を取り上げてほしい。
(先生が挙げたのはこんな歌である)

 ビエンナーレに出かけるように部屋を出てブリキの缶の電車に乗った
 だれが駆け寄ってくるのか(るる・リリリ)いけふくろうは石のふくろう
 システムが奪いとるのは%%%%%蝉の眼ほどのデータであれば
    穂村弘と議論。短歌に必要なのは、
 才能か? 足りん! 技巧か? 足りん、足りん! 私か? 足りん! 悪意か? 足りん!
 あしたはおわる/あくむのために/いまはねむらな/たまねぎあたま/にんじんまゆげ

こういう歌はだれも取り上げなかったが、もうすこし若い人の意見を聞きたかった。
(つまり、先生は、批評においても果敢であれということをおっしゃったのだろう)

先生がよしとされたのは、こんな歌である。(こういうことを書くと、また文句を言われそうだが、記念に敢えて記す)

 誓うには空は暗くて少年よ報復のずぶ濡れの枕を抱け
 注射器の先からぷるっとこぼれ出てこの世界には無数の痛み
 さやさやと国の病む音 青竹の徴兵制を否定できるか

・若い人には、現在の加藤治郎を追っかけるのではなくて、若き日の加藤治郎、第1歌集から第5歌集まで、新しいものを求め続けてきたその意欲を学んでほしい。




参加者は次のみなさん。

瓜生ゆき、江戸雪、荻原裕幸、小川佳世子、大辻隆弘
尾崎まゆみ、香川ヒサ、紙村一味、川谷ゆき、川本千栄
近藤かすみ、紺野万里、小林久美子、塩谷風月、島津忠夫
杉山理紀、鈴木智子、棚木恒寿、中津昌子、中島裕介
彦坂美喜子、松本隆義、前田康子、桝屋善成、水沢遥子
裄V美晴、吉浦玲子、吉野亜矢、米田律子
加藤治郎



懇親会のあと、スタッフと梅田に繰り出して2時間ほど飲む。

★彡




[351] 彗星集 2003年10月17日 (金)

10月14日「未来」10月号が届く。
選歌欄がスタートした。
「彗星集」と名づけた。
華やかな登場ということもあるが、協同体を脅かすサインという意味合いに惹かれたのである。
「未来」を、現代短歌を脅かす星として。
ほんといいメンバーが集まってくれたと思う。

選歌欄のML、jstar(ジェイ・スター)は「未来」会員にオープンにした。
さっそく3名参加。
彗星の尾が巻き込んでゆくように、輪が広がっていったらいい。

10月号の作品をもとに歌会を始める。

★彡


[350] 流されろっ 2003年10月08日 (水)

私は、いつでも仕事ではない方を選んできた。



未来賞の選考会が終わる。
選考にあたったのは、岡井先生、大島史洋さん、佐伯裕子さん、池田はるみさん、加藤の5人。



最近、鬱のひとと仕事をしている。
真面目で、清らかな感性の持ち主だ。
話していると癒される。
きのう、そのひとはお弁当だった。
ぼくはコンビニで、おにぎりとパンをかって、ふたりで名古屋観光ホテルの前の公園に行った。
静かに食べた。
猫がやってきて、そのひとは、エビのしっぽを、あげた。
猫がはりはり食べると、そのひとはうれしそうだった。

すくわれたいと、言った。
ぼくは、あいまいにほほえむしかなかった。




無理に行くんだよっ!
学校なんてもんは…!

流されろっ………!

強制されて………

人間は
かろうじて
まともなんだよ…!

誰だって
みな……
そういう
圧力(プレッシャー)の中で
生きてんだ……!

(「最強伝説黒沢」より)




[349] 秋晴 2003年09月23日 (火)

読売新聞の『ニュー・エクリプス』の書評がアップされていた。
http://www.yomiuri.co.jp/bookstand/syohyou/20030921ii02.htm
ありがたいことである。



よく晴れた爽やかな一日。
今日は父の80歳の誕生日。
日本酒と孫達の絵をプレゼントにする。

中日新聞をみると、春日井建氏の『ニュー・エクリプス』評が載っていた。
感謝、感謝。



[348] 遠くが光る 2003年09月21日 (日)

目覚めると10時20分。
約束の時間の10分前である。
ともあれ荷物をまとめ、それから慌てて駅の売店で読売新聞を買う。
穂村くんが『ニュー・エクリプス』の書評を書いてくれたのだ。
写真入りで大きく載っていたので驚く。
 
  すでにもう遠くが光る波のよう入っていると囁きあって

「すでに、もう、遠く、光る、波、囁き、のような儚く美しい言葉を並べて、こんなに生々しい歌になるなんて凄いと思う」(穂村弘)



アストラ弥さんと、歌集の打ち合わせ。
アーチスト系の作者である。宇宙的なフローが美しい。
http://ast.littlestar.jp/

台風が近づいている。

午後、「未来」の発行所に立ち寄る。
岡井先生と、しばし雑談。
岡井選歌欄のメンバーが最初に集まったときのことを話す。
あれは竹内さんの家だった。
選歌欄発足1年後ぐらいだった。
ゆにぞんの会のシンポジウムは3年後。



まだまだ、軽いフットワークのオフ会といったところである。
だんだん力をつけたい。
今現在、選歌欄のメンバーは19名。
結社によっては、結社から各選者に選歌する会員が割り当てられるシステムをとっている。
「未来」の場合は、会員が自発的に選者に集まるという方式である。
だから、なんとなくメンバーの数を考えるのである。

1年後の10月には、全国・全員によびかけて会合を持ちたい。
2年後の10月には、シンポジウムを開催する。
漠然とそんなロードマップを思った。


[347] スター・ボックス 2003年09月20日 (土)

きょうは、「スター・ボックス」という選歌欄の会合で上京。
出版クラブ会館である。
5月にメンバーを募って、はや5ヶ月過ぎた。
まず、jstar(ジェイ・スター)という選歌欄のMLをつくった。
今日は、そのオフ会という感覚である。

パート1は、歌会。
浅羽佐和子、妹尾咲子、須崎友文、鈴木智子、天道なお、西村旦、盛田志保子といった面々。
前半の司会は、天道なおさん。後半は浅羽佐和子さんにお願いした。
記名の詠草を批評し合うという方式。最近は、無記名互選歌会が多いようだが、ぼくはたんたんと感想を述べあう形を好んでいる。

  夏の野にこぼれ落ちたら水になるあなたの指をおもうたまゆら  加藤治郎

パート2は、盛田志保子の世界『木曜日』を語る会。
このパートは、一般公開にした。
笹公人さん、井口一夫さん、雪舟えまさん、岡本京子さん、植松大雄さん、松原梓さん、小山万喜子さん、新井貴子さん、黒瀬珂瀾さん、さいかち真さんと多くの友人が駆けつけてくれた。
ただただ感謝である。

   口に投げ込めばほどけるすばらしきお菓子のような疑問がのこる 
   ヘリコプタア海にキスする瞬間のめくるめく操縦士われは
   傷口を瘡でふさがれ体内を行き場のない詩が循環している
   おおよその配合で作る真夜中のお菓子ほど美しいものはない
   愛されぬという長い長い夢を見ながら万緑のなかおおはは逝きぬ
   あっちゃんはどこにもいないということがきらきら羽虫のごとく来たれり  

最後の盛田さんの謝辞が心に沁みた。
「おおはは」、それから「あっちゃん」の歌は、挽歌で口をついてできた歌だという。
その歌が取り上げられたのでぎっくとしたというのだ。

ともあれ、うたう作品賞授賞式での出逢いから『木曜日』のプロデュースまでの時間に、自分なりに区切りがついた。
ほっとしている。

懇親会の後、新宿プリンスに宿泊。TVで「クリムゾン・リバー」をみて寝る。

★彡


[346] パーソナル・パブリッシング 2 2003年09月15日 (月)

笹岡理絵の第二歌集『ラバーソール』は、アテネ社の「e文庫」を使っている。
文庫本である。こんな形が好みなんだということが伝わってくる。


読み終えたペーパーバックのページから栞をつまみ出して、うつろだ

退屈なゼミなり すこしうつむいて男の舌のこと考える


第一歌集『イミテイト』から、一年経っていない。
早い。
この時期に刊行する意味は、著者にはあったに違いないが、一読者からすると、もう少し作品を溜めてからでもよかったように思う。
第一歌集の解説を書いた関係で注目している作者だが、このあたりもう勝手に突っ走っている感じがする。
笹岡理絵は「心の花」所属だが、結社はあまり関与していないのだろう。
結社のいわゆる「先生」「選者」は、ある面、編集者、プロデューサーの役割を果たす。
彼女の才能に弾みをつけるような編集者がいないと、いろいろな面で苦しい。

自分で好きなようにやること。裏返すと、編集者の不在。
パーソナル・パブリッシングの難しさである。

あとがきに「読者の皆様、また第三歌集でお会いしましょう」とある。
彼女には自分だけの読者が見えている。それは十人なのか百人なのか。
どこか孤立感の漂う一冊である。




[345] パーソナル・パブリッシング 2003年09月13日 (土)

杉山理紀さんの歌集が届く。『銀紙』は、銀紙に包まれた本である。
隅々まで拘っている。
 
  タートルのえりをきちんと折る前に変にかがやく目が好きかもね
  夕立ちにかくまわれてる二人には話すことなどなくてもよくて

フルカラーの自作ビジュアルを背景に、書体は手書き文字から太ゴシックまで多彩。
思う存分、自分自身でプロデュースしたいという意欲に充ちている。

最近、手作りの歌集が増えている。
私家版というと湿っぽいので、パーソナル・パブリッシングとでも言おうか。
謎彦の『御製』、笹岡理絵の第二歌集『ラバーソール』もそうである。
すこし前には、神崎ハルミの『観覧車日和』があった。

100万円、150万円といった費用をかけて自費出版する。
それでも狭い範囲にしか流通しないという側面においては、私家版なのである。
そうであるなら、できるだけ安いコストで、とことん自分を主張したい。そんな思いがパーソナル・パブリッシングにあるのだろう。



[344] 「新潮」10月号再び 2003年09月12日 (金)

「新潮」10月号の折口信夫特集をめぐる問題について、
藤原さんが再び
http://www.sweetswan.com/19XX/
鈴木さんも再び
http://www2.diary.ne.jp/user/166872/
そして
正岡さん
http://www.diary.ne.jp/user/36640/
荻原さん
http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/
が書いていて、「歌人」論に発展しながら錯綜している。

藤原さんは「加藤千恵(歌人)とか、肩書きが載るかたちになっていないので、「新潮」の読者のどれだけが、加藤千恵という人が話題の学生歌人だということがわかるかどうか心もとない」と書いているが、巻末の「今月の執筆者」に
   加藤千恵(かとう・ちえ)歌人。83年北海道生。「ハッピーアイスクリーム」
とあるので、読者へのガイドは示されているといえる。
また、エッセイにも、千恵さんは自作の短歌で締めくくっているわけだから、本人も「歌人」というスタンスで書いたとみるべきだろう。
特集の中では、普段着でパーティーに行ったら、ほかの人はみな正装だったという感じに浮いていたが、ボツにならなかったのだから、編集者は、初めからこんな感じの反応を期待していたのだろうか。分からない。
最も若い世代の歌人における折口の風化という、ひどくアイロニカルな一文を期待していたのか。

 「なんか、変な表記してる」 (加藤千恵)

あ然とする。加藤千恵らしさが横溢していて、ある種のインパクトはあるが。。。
こういったしろうとっぽさが魅力となる場と、そぐわない場がある。
この特集の主旨は「歿後五十年、釈迢空こと折口信夫の声価は、いよいよ高い。古代研究に、国文学に、詩歌・創作に、彼が示した直感と思索は、今日どう受け継がれ、見直されようとしているのか。九月三日、能登で営まれる五十年祭を前に、識者の見解を問うた」である。で、あるか。
そして、確かに吉本隆明を始め渾身の声明が連なっている。
それを敢えて、崩す必要があったか。編集者の意図が分からない。

千恵さんには、チャンスはいくらでもあるから、がんばってほしいと思う。
お茶目だが、決めるときは決める。それがかっこいいと思うよ。




[343] 闘魚 2003年09月10日 (水)

先週の土曜、附中の友人が家に遊びにきた。
お土産に、赤、青の闘魚とアクリルの水槽をもらった。
仕切板があって、水槽の中で二匹睨みあっている。
こどもたちが喜んでみている。

  賠償のかたにもらひし雌・雄の闘魚をフライパンにころがす 塚本邦雄




[342] 「歌人」 2003年09月08日 (月)

鈴木竹志さんの「竹の子日記」
http://www2.diary.ne.jp/user/166872/
藤原龍一郎さんの「電脳日記・夢みる頃を過ぎても」
http://www.sweetswan.com/19XX/
を読んで、暗い気持ちになった。
「新潮」の折口信夫特集に加藤千恵さんが執筆した件である。

私は「新潮」の編集者を責める気にはならない。
「編集者の不勉強」(藤原さん)というのは、短歌界の特異な内情への理解がなかったということではないだろうか。
「新潮」の編集者は「歌人」であれば、与謝野晶子や斎藤茂吉と同様に折口信夫についても書けるだろう。そう考えたのだと思う。
岡野弘彦さん、前登志夫さんと配して、未知数の若手を起用したとしても、それは頷ける範囲ではないだろうか。

「この「新潮」の編集者によって、歌人は何とも馬鹿にされたものだ」(鈴木さん)。
そうかもしれない。
ただ私は、すこし別の感想をもっている。
「歌人」という肩書きを軽く扱ってきたのは、短歌界ではないのか。
「歌人」を馬鹿にしてきたのは歌人ではないのか。

すぐさま、自分に跳ね返ってくるのである。

五七五七七でなにか表現できるだけで「歌人」と名乗るのは、危ない。
危なくてしょうがない。
仲間内で活動しているうちはいいが、一歩外に出たら、とんでもないことになるぞ。
気をつけろ。
非常識である。

私は、将棋を指せる。将棋が好きだ。初段である。だが、それで「棋士」とは言わないのである。



[341] さようなら、WAKA 2003年09月01日 (月)

ADSLになって、すこしゆったりホームページを見られるようになった。

と、peopleの後継であるFFNetがサービスを終了することを知った。
http://member.ffn.ne.jp/
ということで、「WAKA」も店じまいということになる。
http://www.people.or.jp/~jiro/

とっくに廃墟で、月々500円引き落とされていたので、懸案の一つではあった。
FFNetとは全くコンタクトがなかったが、メールしてみたところ、すぐ解約手続きをする旨の返信があった。

1996年春。
藤原龍一郎さんの紹介で、当初、cyber66のJO66六本木ラジオの一コーナーとして「WAKA」は、スタート。
手書きのHTMLという原始的なものだった。
当時、短歌関係のホームページは注目された。
「DOORS」で紹介され華々しくデビュー。
六本木吟行会の模様は、「読売新聞」夕刊(1996年6月18日)の一面を飾った
http://www.people.or.jp/~jiro/ginkou.html

その後、peopleに移行し、独り立ちしたが、メンテナンス環境がないまま、廃墟に。
peopleがFFNetに移管された後は、全く手つかず。

で、現在に到る。
「WAKA」の母体だったJO66も終了したことを知った。
http://www.cyber66.or.jp/66/miyuki/

時は流れた。

ちょうどこの8月で、思い出の詰まったBZH02076@nifty.ne.jpも解約。

また次の一歩を。

★彡



[340] 快適? 2003年08月30日 (土)

懸案だったADSLが開通。
なかなか手が回らなかったが、長期休暇のおかげで時間がとれた。

まずまず快適である。画像の表示が速くなった。
なにより、常時接続がいい。
これでインターネット関連費用が1/3程度になる見込み。

12Mのコースを申し込んだが、実際には下り1Mのスピードである。
常識的に、不公正である。
なんとなく腑に落ちないが、まあ、この新しい環境に満足している。


[339] 穏やかな日々 2003年08月24日 (日)

土屋文明を読み直す。
『山谷集』の「横須賀」「鶴見臨港鉄道」といったところが、今の自分の年齢に当たる。
感覚的によく分かるのである。
この詠風は40代のものだなと一人で納得。

 軍艦は出でたるあとの軍港に春の潮みちくらげ多く浮く



23連休もおしまい。
5月の19連休と合わせて、よく休ませてもらったと思うが、それでもぼーっとしている時間は少なく、めいっぱいの感じであった。
5月は『ニュー・エクリプス』の校正で、8月は本の発送。
これも偶然とはいえ、いいタイミングだった。

今回は、沖縄旅行が目玉だった。
それと、普段なかなか手のつけられないPC周りのインフラの整備ができた点がよかった。
また、9月以降のイベントのプランもできた。
執筆関係は、手を広げず最小限にとどめた。

備忘録として
------------------------------------------------------------------------

2(土)信濃毎日新聞エッセイ(『ラインマーカーズ』)/『ニュー・エクリプス』献本発送

3(日)名古屋→那覇→万座/バーベキュー

4(月)万座ビーチ:海水浴/潜水艦/中華料理

5(火)万座ビーチ:海水浴/ヨット/シーフードバイキング

6(水)万座ビーチ:海水浴/ボート/沖縄料理、エイサー観劇

7(木)万座→那覇(台風欠航、延泊)/ジャックスハウスステーキ

8(金)那覇:首里城/国際通り/キャプテンイン鉄板料理

9(土)那覇→名古屋

10(日)「未来」選歌編集関連

11(月)カゴメ劇場観劇/歌葉新人賞関連

12(火)歌葉新人賞関連打合わせ

13(水)歌葉新人賞関連

14(木)「みぎわ」みぎわ賞作品評/『ニュー・エクリプス』献本発送/名歌辞典資料集め

15(金)お盆会食(鰻)/歌葉新人賞関連/信濃毎日新聞エッセイ(『千里丘陵』)

16(土)お盆会食(しゃぶしゃぶ)/PCインフラ整備/『ニュー・エクリプス』献本発送

17(日)庭草抜き/「未来」選歌編集関連

18(月)劇団銀河鉄道観劇/イベントプラン

19(火)PCインフラ整備/イベントプラン

20(水)イベント準備/花火大会(庭)

21(木)イベント準備/「未来」歌稿/名歌辞典執筆

22(金)イベント準備/名歌辞典執筆

23(土)JTエッセイ執筆/【歌葉】プロデュース関連/花火大会(庭)/007は二度死ぬ

24(日)名歌辞典執筆/【歌葉】プロデュース関連

------------------------------------------------------------------------

穏やかな休暇だった。
思い切って一人旅というふうにはいかないのだが、それが自分なのだろう。

次回の長期休暇は、勤続30年時である。
53歳。なかなか遠くもあるか。いやすぐか。

★彡


[338] 奇跡の夏 2003年08月16日 (土)

「未来」11月号の歌稿、「うたう☆クラブ」の歌稿が交差する。
バケイションは既に終わって、前線にいる。
歌葉新人賞の一次選考も進む。
「奇跡の夏」というべき、先鋭な作品が集まっている。

『ニュー・エクリプス』の献本もようやく目処がつく。
http://www2.ocn.ne.jp/~sunagoya/0307gatu.html
予め、砂子屋さんにリストを送って委託するてもあったが、やはり自分で一冊一冊、気持ちを込めて発送するのがいいのである。
すこしづつ発送しているうちに、ある種の閃きがあって、あ、あの人にも読んでもらいたい、と思いつくのだ。

ひさしぶりに『昏睡のパラダイス』の批評スクラップ集をひろげて読む。

★彡