[337] A LONG VACATION 2003年08月01日 (金)

勤続20周年の休暇パート2。
24連休だ。
ワァアアーーーー。

5月の19連休は、『ニュー・エクリプス』の校正や「三田文学」の岡井隆論諸々があり、殆ど休めなかった。
今回は、敢えてを<休暇>をとることに決める。
連絡のつかないようにしよう。
ただし、明日1日だけは、対応することにする。
良心的だ。



今出ている「週刊読書人」8月8日号1面で、枡野浩一さんが「つげ義春特集」に、きわめてプライベートなことを織り込んで書いているので驚く。
ぼくも偶々1面に「読書日録」を書いていたのだ。
こんな接近遭遇は滅多にないことだ。



『ニュー・エクリプス』に寄せられたコメントに感謝、感謝。
ふだん、礼状を書いていない自分を恥じた。

ありがとう、みなさん。


★彡


[336] Eclipse First, the rest nowhere. 2003年07月29日 (火)

環境審査員補の試験に合格! 
なかなか通知が来なかったのでほっとする。
オフィシャル・トレーニングのコストを会社に負担してもらったので、もし試験に落ちたら、窮地に陥るところだった。
ISO14001審査の資格を得て、この分野のスペシャリストを目指す。



藤原さん、荻原さん、奥村さん、玲さん、大辻さんを始め、Webでちらほら『ニュー・エクリプス』のコメントをいただく。
この即時性は、本当にありがたい。

Eclipse First, the rest nowhere.



[335] バースデイ 2003年07月19日 (土)

第五歌集『ニュー・エクリプス』(砂子屋書房)が発売になった。
http://www.sweetswan.com/kato/jiro.cgi

作歌20年の節目の年に出版できてよかった。

明日から「未来」の大会。




今日は、娘の8歳の誕生日。
早いものである。
ケーキで祝う。





[334] 未来 2003年07月15日 (火)

オフィスの移転で慌ただしい日々である。

「読書人」の読書日録、「信濃毎日新聞」の連載エッセイ、角川「短歌」の26首など、執筆の方もピークが続く。

今日は「未来」の新選歌欄の初回原稿締切り日。
掲載は10月号である。未来を先取りしている気分。
選歌欄は、12、3名でスタート。メンバーシップを考えるといい人数である。
なにかできそうな気がする。
しかし、1年後には50名、100名といったグループになっているかもしれない。
そうなったとき、どうするか。

小池光の『茂吉を読む』が面白い。
茂吉にとっては、夢も妄想も「生」なのだというところ、大きく肯く。




[333] かんたんになっていいのか 2003年06月26日 (木)

今日の朝日新聞夕刊文化欄で「ニューウェーブ短歌コミュニケーション」が取り上げられていた。
自分の写真も載っていたので驚いた。
「かんたんになっていいのか短歌は」というタイトルに考えさせられる。
読者をどう想定するか。理想読者か、一般読者か。
そんなところにシンポジウムの焦点はあった。

★彡




[332] エッセイストにはまだ遠く 2003年06月21日 (土)

日本環境認証機構(JACO)で、一週間、環境審査員の研修を受講。
結構厳しい研修だった。
ISO14001の分野でプロを目指すことになる。



帰宅して、メール、新聞、雑誌等の整理。
中日新聞、6月18日朝刊で、大きく6段抜きで「ニューウェーブ短歌コミュニケーション2003」が取り上げられていた。
会の本質を凝縮した記事だった。
企画者としてうれしい。
枡野氏、穂村氏の写真の背景の鮮やかな黄色は、金屏風である。
金屏風を用意してよかった。




半年間続いた日本経済新聞「プロムナード」の最終回を入稿。
毎週書き続け、25回めでお仕舞い。
短歌、家族、仕事など、等身大の自分を書けた。
歌集とのこの落差はなんなのだ。
エッセイでは〈私〉を隠しようがない。

この間、先週は、朝日新聞で「心の風景」という短いエッセイを3日間連載。

今年は、作歌20年、選歌欄スタートなど節目の年になるが、エッセイの当たり年でもあった。

日経が終わり、一息と思ったら、別の依頼が入り、下半期、こんどは短歌時評的エッセイを書き続けることになった。

ひー、ふー。




[331] インタビュー 2003年06月14日 (土)

レディオヘッドの新譜「ヘイル・トゥー・ザ・シーフ」を聴く。

納得しつつも、「キッドA」「アムニージアック」の圏内にあるという第一印象。

とにかく最初に聴いたのがライブの「モーニング・ベル」で、5秒で、これはただ者ではないと思ったことだった。



 ネットでの活動と「未来」選者の両方に足場を置いて活動されていますが、切り換えているのでしょうか?


 SS-PROJECTのラエティティア、【歌葉】、あるいは「うたう」から始まった「うたう☆クラブ」の流れですね。
「未来」の選者の仕事、7月からということになりますが、特に矛盾は感じていません。

いま、私の新しい選歌欄に集まってきている若手は、ここ数年のインターネットのムーブメントの中で知り合った歌人ばかりです。
みんなそうです。
インターネットは、現代短歌の世界への入口だと思います。

インターネットや同人誌、コラボレーション活動といった場もあって、いま結社が必要だろうかということになると思います。
これは正直なところ、その人その人のスタンス次第かなと思うのです。
いろいろな短歌の楽しみ方があっていいですよね。

ただ、実際に歌壇という世界があって、それを貫く短歌史があるというのも一つの現実だと思います。
結社を中心に歌壇が動き、師弟関係を軸に短歌史が成立しているのも事実です。

そういった場に参画して、本格的な〈歌人〉としての活動を考えるのであれば、結社という選択もありかなと思うのです。
インターネットで浮遊している作者たちが、歌人としての存在証明を求めて、より濃密な世界を求めて、いま、あらためて結社を選択する動きがあるのではないかと思っています。

インターネットの短歌が拡散してゆく中で、結社はもっと結社であるべきだと考えます。徹底してプロの歌人を目指す場でありたい。
プロの歌人とは、独自の作品世界を持ち、詩歌全般に対する高い見識をもつ歌人のことです。
ネット上で活動している短歌愛好者が、プロの歌人を目指すケースも出てくるでしょう。

私としては、限られた時間を、信頼できる仲間のために使いたいという気持ちです。

といったところですが。

よろしくお願いいたします。



[330] ランドリー 2003年06月12日 (木)

早いなあ。もう一週間たとうとしている。

6/7、呆然として、品川プリンスの36Fの一室にいた。
たまたま途中からBSでみた、小雪の映画がよかった。
ランドリーとかいったけど、また調べてみよう。


[329] ニューウェーブ短歌コミュニケーション2003 2003年06月07日 (土)

四ヶ月準備したイベントもやっぱり終わって過ぎてゆく。始まりになるだろうか。
会場の日本出版クラブ会館鳳凰の間150席、ほぼ埋まった。

イベントの内実として、成功だったと思う。

歌壇へのPRは弱かった。
谷岡亜紀たちには来て欲しかったが、おそらくイベントの存在すら伝わっていなかったのではないか。「未来」の人たちにも同様である。
岡井先生には来ていただいたが、挨拶もできず残念だった。
日本経済新聞の小島さん、朝日新聞の大上さん、中日新聞の勝見さん、読売新聞の小屋敷さんと、出席いただいたのは有り難かった。反面、短歌総合誌、短歌出版社へは、ほとんどコンタクトがとれていなかった。
歌壇方面には手が回らなかったというのが実態である。

岡本京子さん、佐藤りえさんをはじめ多くのスタッフのお世話になった。
【歌葉】歌集の販売は、飯田有子さんにPOPをつくってもらった。
今日のイベントに賭けた井口一夫さん、吉田佳代さんの意気には頭が下がる思いだった。

枡野浩一さんには、友情出演に近い形で引き受けてもらった。
現代短歌がいかに読者に負担を強いているか、彼のコメントからあらためて思った。
穂村弘には、「中ボス」と言われて可笑しかった。

ディスカッションの時間が取れなかったのは、私のミスだったが、千葉聡さん、天道なおさん、井口一夫さん、五十嵐きよみさん、大松達知さん、それぞれの個性は、質問という形で引き出せたのではないかと思っている。
大松さんは思い切った発言をしてくれた。歌集は書店に並んではいけないのではないかというコメントは潔かった。

授賞式も、組み立てるのはいろいろ難しい。
賞状ひとつとっても、筆耕の外注から、印の手配までいろいろ段取りがあった。
当日、藤原龍一郎さんが乾杯の発声を引き受けていただき有り難かった。

受賞者増田静さんの好意で、副賞である第一歌集『ぴりんぱらん』を授賞式出席者全員に進呈できたのはよかった。
純然たるプレゼントである。
80年代の祝祭の気分を再現したかったのだろう、俺は。

コンテンツワークスの荻野取締役、デザイナーの根岸さんも参加。
荻野取締役は今日の盛況を喜び【歌葉】への一層のサポートをコミットしてくれた。

二次会は、これも急遽、千葉くんにお願いして、きっちり進めてもらった。
ありがとう。

ふらふらになって、ひとりタクシーで品川プリンスに向かった。

★彡


[328] 『黒燿宮』 2003年05月25日 (日)

午前中、「三田文学」夏季号掲載予定の岡井隆論30枚を脱稿。
なんとか締め切りに間に合う。
「三田文学」の読者を意識し、まず岡井隆の作品を読んでもらいたいという気持ちがあった。
前半は岡井隆の近作(『ウランと白鳥』以降)の紹介。
後半は『短歌この騒がしき詩型』の反第二芸術論にふれつつ、短歌の独自性を考えるというところに落ち着く。

もう一人の執筆者は、村木道彦さん。
こちらは楽しみである。
たまたま黒瀬君の批評会で隣の席になったので、テーマを聞いてみたが、重複していなかったので安心した。


午後、黒瀬珂瀾歌集『黒燿宮』の批評会に出席。
会場は名古屋のYWCA。
読者が日本全国から参集している。凄い熱気だ。
席はたまたま春日井建さん、村木道彦さんに挟まれ、大恐縮。
パネラーは、荻原裕幸、勝野かおり、小池昌代、正岡豊の各氏。
納得のゆく意見が聞けた。

指名されたので、
・コレクター的感触がある。世界の宝石をあつめているようだ。
・その感覚は修辞的ルビにあらわれている。ただし日本語のルビは今ひとつ。
・黒瀬君自身の宝石をもっと深堀してみせてほしい
という内容を話した。

懇親の立食パーティーも、いい雰囲気だった。
会の冒頭でスピーチ。
自分の20代の頃の作品に比べて格段に巧い。
黒瀬珂瀾の磁場は強い。
瀕死の現代短歌を救ってほしいと話す。

この一日で著者は大きく飛翔したのではないか。


[327] 黄金の日々 2003年05月19日 (月)

19連休がまもなく終わる。
虚脱感が漂うが、まあがんばったなと思う。
休暇なのに、がんばったというのも、へんだが。

勤続20周年で特別休暇を20日もらう。
土日を足すと一ヶ月。これに夏休みなどを繋げると40日近くなるのだ。

結局、5月、8月、2回に分けてそれぞれ3週間の休暇をとることにした。
5月がどうも執筆のピークになりそうという予想があり、まずこの過ごしやすい季節を執筆に充てる。8月は、のんびり旅行しようという目論見である。

そんなふうに3月の中頃プランを立てたが、その後ぽんと岡井隆論30枚の依頼が入り、この瞬間、休暇は終わった。

歌集もなかなか手が回らず、この休暇に決着をつけることになった。


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1(木)第5歌集初稿チェック

2(金)第5歌集初稿チェック

3(土)第5歌集初稿チェック

4(日)日経プロムナード5/10掲載分(3.5枚)

5(月)第5歌集初稿チェック

6(火)「心の花」評論(6枚)

7(水)「短歌」評論(5枚)

8(木)評論データ整理

9(金)日経プロムナード5/17掲載分(3.5枚)

10(土)*南紀勝浦旅行

11(日)*南紀勝浦旅行

12(月)日経プロムナード5/24掲載分(3.5枚)「岡井隆論」(draft 2枚)

13(火)「岡井隆論」(draft 7枚) 第5歌集再校チェック

14(水)「岡井隆論」(draft 9枚) 第5歌集再校チェック

15(木)「岡井隆論」(draft 2枚)

16(金)*東京打ち合わせ

17(土)*東京打ち合わせ 「岡井隆論」(draft 2枚)

18(日)*義父7回忌法要 「岡井隆論」(draft 4枚)

19(月)「岡井隆論」(draft 4枚)

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・歌集の校正に時間がかかったが、加筆訂正も入り、自分としてはこのぐらいやらないと納得できない質なので、まあよかったと思っている。
第5歌集が納得ゆく形で自分の手を離れたことが収穫だった。

・岡井隆論、とにかく下書きという気持ちで書き進めたが、中身はまだまだ。月末〆切なので少しでもよいものにしたい。

・また、この期間「うたう☆クラブ」のコラボ、「未来」新選歌欄立ち上げ活動、「ニューウェーブ短歌コミュニケーション」の準備を適宜実施進めた。
新選歌欄、いい形でスタートできる感触が掴めたことも収穫。

自分が負っている諸々の重さを痛感した19日間でもあった。
休暇がなければ、とてもこなせなかった量である。
擬似的な作家生活でもあったが、楽じゃあない。
結局、スケジュール管理と規則正しい小市民的生活が全てである。

体調をくずさず、元気で過ごせたことが、よかった。

8月は、のんびりしたいなあ。




[326] 選歌欄という場 2003年04月26日 (土)

「未来」の編集・運営委員会に出席。

岡井先生の指名により、「未来」の選者になることが決まった。
誌上に加藤治郎選歌欄が出来るのは、今年の10月号の予定である。
作歌20年、「未来」入会20年。まさに節目の年となった。

歌壇の中では、まだ若い。実力も伴わない。
先生という柄でもない。
自分に出来るのは、最適な作歌の場を模索してゆくことである。
場のプロデューサーとしての選者である。

「未来」の選者制の特徴は、選者固有の選歌欄が明確である点だ。
送稿規定等々、常識的なルールを守れば、その中で、自分のカラーを出すことが出来る。
そこにやりがいを感じている。

幸い、二つのモデルがある。
一つは、創刊の頃の「未来」。
近藤芳美は「出来る力があれば僕はそうした若い作者らのための一つの実験劇場の提供を夢見たい」と言った。
「実験劇場の提供」は、今の自分の気持ちでもある。
もう一つは、岡井隆の「ゆにぞん」。
1980年代の後半「未来」の中に岡井選歌欄の同人グループ「ゆにぞん」があった。
ライト・ヴァースの発信地となり、短歌界の活性化を推進した集団である。
同人グループとしての選歌欄というのも、目指すところである。

結社のもつ、伝統の継承性、雑誌発行の安定性というメリットを最大限に享受しながら、短歌を取り巻く状況に対応したオープンな場を作ること。
短歌史を継承しながらいかに新しい場を創出するかという課題に応えてゆきたい。



現実的な問題としては、まず選歌欄を立ち上げなければならない。
まず、スタートのメンバーが集まらないと形にならない。
カルチャー教室等々、基盤となる既存の母集団がない。0からのスタートである。
それがいいのだろう。
ハンドメイドで場をつくるのだ。

「今、目が離せない」そんな活気のあるグループにしたい。

★彡


[325] 宮島歌会 2003年04月19日 (土)

NHKBS2「列島縦断短歌スペシャル」の歌会に参加。
初めて訪れる宮島である。
前日は、10年ぶりの大鳥居の塗り直しを見ることができた。
鮮やかな朱色が今も目にある。

歌会は、江戸雪さん、飯田有子さん、小林久美子さん、千葉聡さん、主宰の荻原裕幸さんという顔ぶれ。会場は厳島神社の千畳閣である。


     題:潮

  春潮に兵士の骨をひるがえし翻し洗う神のゆび見ゆ


     自由題

  戦争の終わる日に降る灰色の雪は無数の耳なり 消える


充実したテンポのよい歌会だった。



[324] 駆け足 2003年04月15日 (火)

天気がめまぐるしく変わる。

「短歌ヴァーサス」創刊号の目次が公表されている。
特集1「枡野浩一の短歌ワールド」が目を引く。
枡野浩一「極私的短歌辞典」が面白そうである。
全体的に、今読みたいと思うイキのいい作家が網羅されている。
総合誌として極めて真っ当なことなのだが、特異な編集方針として印象に残る。

特集2は「第1回歌葉新人賞発表」。
あの過激な候補作群が活字になって、どんな姿を見せるか、楽しみである。
荻原裕幸を要にして、オンデマンド出版と雑誌メディアががっちり手を組んだ。
相乗効果が期待できる。



「未来」4月号では特集「徹底検証!加藤治郎と口語の時代」の後半。
岡井隆氏、山田富士郎氏、加藤の鼎談と、歌集・評論集評という構成。
「未来」の外部からは、川本千栄さんに『サニー・サイド・アップ』、大野道夫さんに『TKO』について批評していただいた。
若い世代からの声ということで、ありがたかった。



4月が駆け足で過ぎてゆく。

5月は、勤続20年の長期休暇が待っている。
しかし、執筆の予定等々すでにめいっぱいである。

休めないなあ。




[323] 「アンソロジー」 2003年04月01日 (火)

「ニューウェーブ短歌コミュニケーション2003」に続いて、今日は、第二回歌葉新人賞の募集要項を発表。
http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/

今年の上半期は、この2つのイベントで手いっぱいという感じである。



ビートルズ「アンソロジー」のDVDを購入。
まず、付録の第5巻から観る。
ポール、ジョージ、リンゴのセッション風景は、明るい雰囲気だったが、ジョージはもういないことを思い出すと、さすがに寂しい。
アビーロード・スタジオでは、ジョージマーティンを交え、「リボルバー」のテープを聴きながら、4人で議論していた。
あらためて「トゥモロー・ネバー・ノウズ」の実験性に瞠目。
なぜビートルズは実験を試行できたか。
ジョージ・ハリソン曰く、それは成功したからだ。
なるほど。
彼らは次々ヒットを飛ばし、実験が許される環境にあったのだ。



[322] お稚児さん 2003年03月30日 (日)

今日は、稚児行列に参加。
いわゆる「お稚児さん」。
神社やお寺の祭礼で、子どもが着飾って街を歩く。
今日は、「蓮如上人五百回会御法要」である。
40年近く前のかすかな記憶で、自分がお稚児さんになった情景が思い浮かぶが、どうもよく分からない行事のひとつだった。
今日は、600人のお稚児さんとその家族で、行列は2Kmに及んだ。

三人の子どもがお稚児さんになって歩く。
晴天で桜も咲き始め、よい一日だった。



帰宅して、「前川佐美雄賞」と「ながらみ書房出版賞」の選評を書く。

ニューウェーブ短歌コミュニケーション2003の参加申し込みのメールも集中し、慌ただしかった。
http://www.sweetswan.com/kato/jiro.cgi


★彡


[321] Juno 8 2003年03月20日 (木)


遠足の青空よりも澄んでいた理想社会を喪う/探す


青い封書にちいさな鳥の切手はり街に出るずっと歩いていたい


デジタルデジタルデジタルきりもなく掴めば塵となる辞典あれ


噴水のみずはしばらく風にのり散歩の父と娘に届く


太陽の黒点ふたつ寄りながら二〇世紀の生者を祝う


さわさわと太陽讃歌合唱す二〇世紀の戦死者たちに


恋人のうすくれないの石鹸はふたつに割れて匂うことなし


あおぞらのなかの言葉はせつなくてきみの頁をこちんと弾く


あしたの雨はまっすぐなれば2Bの鉛筆で消せ老いた言葉は




ミサイルの発射された数がカウントされる。
死者1名という。
奇妙な開戦の風景である。
やけに明るい街の映像。
21世紀なのだ、やはり。



[320] Juno 7 2003年03月16日 (日)



眉毛剃るひとを思えば真夜中の浴室にしてはじまる手術


麦茶のむ夏のコップにこつこつと子の歯はあたりすずしかりけり


風孕む夏の欅の若き日は撓める枝のように過ぎにき


この暑さ怖ろしいのでケネディの脳漿のすべる白いボンネット


噛み砕く錠剤ふたつかりかりと意識壊れる音はかなしき


ああ十四、茶色の髪は櫛に流るることもなしさびし渋谷は




ええい、やめた、やめた。

それにしても、俺の40代のこの軽さはどうだ。

 岡井隆の『鵞卵亭』の時期。
 佐佐木幸綱の『金色の獅子』の時期。
 春日井建が中部短歌を引き受けた時期。

それを思うと、愕然とする。






[319] Juno 6 2003年03月15日 (土)



一匙の梅のゼリーの涼しさにこころはあそぶ銀河のほとり



再校に見つけし誤字のあやうさのうたのみちあさきに似てふかく



ぼうこうと言いぬぼうこう膀胱の文字はわずかな肉感を持つ



装丁の内の怪人紺色のこころをさらう夏のさきがけ



のみほして残る氷のからころときりもなくふる真夏の首を



そうだろう、俺の著作の広告が奴を押し出す、さはさりながら


 
鶏卵はシール貼られて並び居り天使の目玉のようなシールを



ひまわりは種をがばりと晒しいつ 母の嘔吐はかなしかりけり



少年の爪はしろがねあの月はシールのようにはがれそうだな



外国人労働者散会すゆさわりの黒き鎖を掴みけるかも



床ひらきさっくりと闇 あと二人待てば貴君は主要同人




いずれも「未来」掲載の歌。
こういう風変わりな小品を削ってゆくのは、どうなんだろう。
全体を350首と自分で決めたから、仕方がない。
なぜ、350首なのだ。
最後の一首は、「未来」の広告のこと。
誰かの席が空けば、誰かが坐る。
それだけのこと。




[318] Juno 5 2003年03月14日 (金)

天窓に0時01、09と見送る列車ウォツカ色の


雲雀おちて華やぐ原かうらうらと春のからだをひき寄せにけり


春の水に濡れたばかりのゆびさきで風の瞼をさがしていたら


銀のボウルに牡蛎は重なりしずけさやモルヒネを待つ兵士の腿に


スパゲッティにつかまる人を振り落とすならおてのものある日おもほゆ


複雑に肉をたたんで貝はあり核シェルターのなかの晩餐


月光はときはなたれた髪のよう天窓にみてしずかなねむり



確かに、歌を削ることで、読みやすくなるという面はあるだろう。
およそ歌集は、250首〜400首ぐらいがいいのではないかと思っている。
しかし、これも固定観念に過ぎない。
岡井さんの『E/T』は、103首だったが、十分満ち足りた。
佐藤真由美をはじめ、最近は80〜100首の歌集も出ている。
全く問題ない。
とすると、一体どういうことなのか。



 


[317] Juno 4 2003年03月13日 (木)



飛ぶ蜂のこころ鋭くめぐり居りあなたを何処にかえすのだろう



入道雲ちぎれずにいるまひるまをある番号で俺は呼ばれた



藍いろのあしたの夢にするすると窓拭くおとこ降りてきてきゆ



或る夜兵士の帰還のごとし階段に蜩の羽ちり居たりけり



表情は盗みとられて俺が持つ火傷しそうな一本の虹



トチの実のちいさな丘に手をおけば彫像のような冷たさである



月のひかりはかすかにみどり帯びて差すあなたをうしろ向きにさせたら



トランプの9のダイヤ美しき位置に散りばめ秋かぜたちぬ



出奔のプランのようで漆黒の海驢の腹はコンクリートを滑る



沈黙のふたりの部屋はまぶしくて空気に音はあると思いき



打楽器のように体を響かせてどうなったってジ・エンドまでさ



へこませたビールの缶が近未来都市となるまでテーブルにならぶ



少年はプールの底の水踏めり国境を越える兵士のように



寒くないけど日暮れのはやい一日はあなたを揺らす木の椅子として



蝶の形の樹が見えますねさやさやとこすりつけてる受話器なんかを



みんなみんなスティック糊でくっついた背中とせなか、しらんぷり



ゆうぐれの広場にほそい綱を張りめぐらせたれど睡魔がほどく



翼もぎとるようにノートの一枚を もがな 冬野のテーブルの上



尖塔は街から路を束ね居りあなたの帰るまっしろなみちも




*歌を削って、歌集が良くなることなどあり得ない。
それは自己満足である。
第一歌集はちょっと違うと思うが、第五歌集ともなると歌を削ったところでどうしようもない。

歌集を読むとき、いい歌に付箋をつけたりするだろう。
ダメな歌に×をつけて読む人なんてまずいないだろう。
およそ加点主義なのである。
10首秀歌があれば、いい歌集。
20首秀歌があれば、名歌集だ。

しかしそれでも歌を削る。なんのために?


[316] Juno 3 2003年03月12日 (水)



   こんな光景を想像する。

海のように照る国境へ奔らせるトラック荷台に手をこすりながら



迫害の証拠を直ぐに提示せよ、わが眼の奥に恐怖のひかり



折れた虹の漂う海に舟を出す身分証明書などもたずに



   対人地雷が難民を脅かす。

沈黙の悪魔が脚を吹き飛ばすアンゴラ内戦カンボジア内戦



戦いて壁に彫る虹われわれはきっとこの地にとどまるだろう



*「難民」という依頼であった。
題詠である。
社会的なテーマは、内面化できないと、まったく浮いてしまう。
「海」とか「手紙」とか、なんでもない題の方が、作歌のモメントになる。
編集者には申し訳ないことであった。




[315] Juno 2 2003年03月11日 (火)


しんしんと真水のように地下に行くそこからどこへ運ばれるのか




回廊にわれら囁くさやさやと歌人の自裁つづく回廊




まなぶもの何もなけれど君も君も君も語ろうよ歌人の死を




死を忌むか否、詩を忌むか扱いの困るメールが打たれ続けて




スピーチのしどろもどろの泥酔も語ろうよ青い背広の歌人




傘立てに乾いた傘が二、三本並ぶだけ いま死を語らねば




珈琲を飲みつつ思う街路樹の緑のなかの病葉は君




*ある歌人への挽歌だが、その人と自分の関係において、今一歩踏み込めないものがあり、歌集収録を断念した。




[314] Juno(ユノ) 1 2003年03月11日 (月)


英雄の原型(プロトタイプ)を視よと言う俺には見えず天(あま)飛ぶピアノ


恋人よちっちゃなチューブをしぼったらぶっと空気がとびだした、春!


セロテープ引くときのあのびりびりと頭にひびくおまえの言葉


今宵無数のいきものに見つめられたいそう月は苦しそうなり


黒板に裂け目のあったことなどもむらぎものこころの走り書き


のんのんと真夏のバスが来るでしょうファンタ・グレープ飲みながら待つ


もう夏が終るねなんてきみが言う うすい鞄を指にひっかけて


yesとは言えずましてやnoでなくmaybeと微笑んで別れた


*第五歌集からの放出品である。
junkというタイトルにしようかと思ったが、あまりに気の毒なのでやめた。






[313] 途上 2003年03月08日 (土)

第五歌集の歌稿を投函しようと玄関を出たら、郵便受けに「未来」の3月号が届いていた。
加藤治郎特集である。
慌てて部屋に戻った。

春の風がまぶしかった。



第五歌集の編集は、正月休みから断続的に続いた。
ようやく負債を清算できたような気分だ。
自己プロデュースである。
自分の歌を客観視することは難しい。
途中で編集方針を大きく変えた。
第三歌集、第四歌集と、知らないうちに歌集に対する固定観念というか、呪縛があったことに気づいた。
それを打破できたのはよかった。
なんとか形になったと思う。



「未来」3月号、4月号と「特集 徹底検証! 加藤治郎と口語の時代」を組んでもらった。
槐ちゃんの企画である。ありがとう。
3月号は、自選六十首と、4頁の評論が4本。それとエッセイ。
評論は比較歌人論というスタイルである。

  ・佐伯裕子「先行する歌人と加藤治郎─村木道彦、平井弘に添いながら」
  ・大辻隆弘「深く潜むものに向けて」
  ・藤原龍一郎「野心とイノセント─加藤治郎と俵万智」
  ・中沢直人「フラグメント化する時代への挑戦」

という各氏によるラインナップだ。
一読、ずっしりときた。
第五歌集を編み終えた今日、まさに新しい一歩のための、かけがえのない贈り物であった。



   そして 死はいつもその途上で
   その人に訪れるのです

   その人が死んだ時 いったい何の途上であったのか
   たぶんそのことが重要なのだと思います

     N・E・オデル 1987年1月 ロンドンにて

        「神々の山嶺」(作 夢枕獏・画 谷口ジロー)より


自分がなんの途上にあるのか。

それは人には言えないことだが、今日、確信した。



[312] 虹のなかに 2003年03月06日 (木)

昨年の歌集の、賞関係の、選考、推薦、アンケートが一通り終わったので、すこし整理する。
なかなか礼状が書けないので心苦しい。
その分、書評やエッセイでカバーしたいと思っているのだが。

最近読み直した中では、多田零第一歌集『茉莉花のために』の、言葉そのものに身体感覚が刷り込まれているような、特異な歌に惹かれた。

   一月のあかるき陽ざしあるところやすみてゐたる噴水のみづ

   虹の根につつまるる塔あるなればいかにか虹のなかにゐるひと

   灼熱をくぐりきたりてしら骨にひそむさくらの花ひらきたり

批評会とか、もうあったのだろうか。



今週土曜の日経「プロムナード」は、ノスタルジア・シリーズ、切手収集の思い出。
ある面、総力戦で書いている。
昔の自分に助けられているような感じだ。


[311] ノスタルジア 2003年02月27日 (木)

日経の「プロムナード」先週は、五右衛門風呂の思い出。
今週は、小学生の頃、菓子の小売店の手伝いをしていたこと。
ノスタルジック路線が続いた。
メランコリックな気質に合っているのだろう。



篠弘編『現代の短歌・100人の名歌集』(三省堂)が届く。
コンパクトな感じであるが、歌集に焦点が絞られているので印象がくっきりしている。
私の歌集からは『サニー・サイド・アップ』と『ハレアカラ』が選ばれた。



『ハレアカラ』から5首。

オルガンのペダルは熊の舌のようふめふめふゆのあらしあまつぶ

ぼくたちの詩にふさわしい嘔吐あれ指でおさえる闇のみつばち

だからもしどこにもどれば こんなにも氷をとおりぬけた月光

ゆうぐれはあなたの息が水に彫るちいさな耳がたちまちきえる

外苑の雪に埋もれた猫の目のうすあおければまた歩きだす


[310] 『no news』 2003年02月22日 (土)

上京して、島田幸典君の『no news』の批評会に参加。
中野サンプラザである。
島田君は「牙」の会員である。
かつて、「未来」に石田比呂志選歌欄があり「牙」の俊英が「未来」会員でもあった時期がある。
浜名さんもそうだった。
島田君が「牙」に入る少し前、「牙」のメンバーは、もう「未来」から去っていたのである。
ひょっとしたら、同じ釜の飯を食べた時期があったかもしれないと思うと、不思議な感じがする。

『no news』は、問題歌集である。
今までの歌集とは違うなにかがある。
パネラーから「近代短歌を踏まえている」という意見があった。
そうなのかもしれない。
でも、いったい「近代短歌」の何を踏まえているというのだろう。

〈私性〉の探求ということであれば、大正期の自我の確立から、戦後のリアリズム、前衛短歌を経て、体性感覚(篠弘)、高野公彦の闇の領域の獲得からニューウェーブの情報化された自我まで、現代短歌は、その探索を推し進めていったといえる。
短歌史を踏まえるなら『no news』が表出する〈私〉は、表層的だと言わざるを得ない。
そういう評価でよいか。
どうも、そういう理解にとどめては納得できないような気がする。
『no news』は、問題歌集である。
『no news』は、そういった短歌史のフィールドからは、手付かずの位置にあるのではないか。
というのが私の仮説である。
『no news』は、底知れぬアナーキーな歌集ではないか。

例えば、ここに美味そうな「近代短歌」というステーキがある。
喜んで食べるとする。
ん?
これは大豆のステーキじゃないか。
そんな感じなのである。

短歌史は、時間軸に沿って存在するのではなく、空間として等距離にある。
『no news』は、短歌のサンプリングをやっているのだ。
感覚的に生々しい、あるいは闇を抱えた〈私〉が、出てこない。
そこがすこし物足りないのである。
制御不能な破れたものが浸出したとき、定型との対話が始まるのではないだろうか。

島田幸典を注視したいと思っている。



[309] プロデュースということ 2003年02月20日 (木)

【歌葉】の今年の出版プランが、おおよそまとまった。
魅力的な新人の歌集が目白押しである。
自分では、【歌葉】がんばっているな、と評価している。
提供している品質に比べ、価格は安いと思う。
フルカラーの表紙で、フルオプション付(プロデュース+解説)でも、約80万円。
販売分の印税は、20%。
がんばっていると思う。

もちろん、装丁を含めた歌集の品質は荻原裕幸とスタッフの卓越した制作力によるもので、ただただ感謝である。

それにしても、歌壇には、プロデュースに対する認知がない。
岡井さんが「レ・パピエ・シアン」の最新号で、編集者の役割について言及したぐらいである。
岡井さん曰く「詩集や歌集は、編集者との共同制作であることを、もつとはつきりさせること。これからはさういふ方向の試行がさかんになるだらう。それは個性をうしなはせることではなく、個性を際立たせることである」
松村正直君は、SS-PROJECTのプロデュースを批判した。信じられないことである。

歌壇系の出版社には、基本的に、プロデュース機能はないと考えておいた方がいいだろう。
結社制度が安定していた時期は、それで問題なかった。
歌集の中身については、師匠や兄弟子が面倒をみてくれたからである。
今は、そういう恵まれた環境にある歌人ばかりではないだろう。

プロデュースとは具体的になにか。
ケース・バイ・ケースであるが、だいたいこんな内容である。

・歌集のコンセプト作り
・選歌
・構成
・改作の提案(一方的な添削は少ない。うたう☆クラブのような感覚で、こうしたらいいのではないかと提案する)
・語法のチェック
・希望者には解説の斡旋
・必要に応じて著作権、版権等の折衝

師弟関係によらず、オープンな環境でプロデュースが保証されるというのは、ぼくは大きな価値提供だと思っている。

どうだろう。




[308] 2003年02月19日 (水)

ネットで注文しておいた「短歌朝日」11.12月号が届く。
塚本邦雄特集である。
買いそびれていたが、たまたま「かばん」で、塚本邦雄の二百首選に選ばれていたことを知り、慌てて発注したのである。

  ぼくはただ口語のかおる部屋で待つ遅れて喩からあがってくるまで

ぼくにとって、塚本邦雄の選は、百万人の読者に値する。
ひとり祝杯をあげた。

思うに、歌人の一生は〈選〉である。
選ばれたり、選ばれなかったり、その連続だ。

6勝4敗、6選4外でいいと思っている。
全部勝とうと思わないこと。
しかし、10回戦って勝ち越すこと。

けっこう知らないところで、選ばれていないものなのである。



[307] 淀川歌会 2003年02月09日 (日)

きょうは、淀川歌会に参加。
歌集の合同批評会である。
大辻隆弘歌集『デプス』と小林久美子歌集『恋愛譜』についてコメント。
『デプス』では、そのエピキュリアン的資質が社会詠と結びつくときの危うさを指摘。
『恋愛譜』には、あらためて言葉と作者の抒情の核心の近さに注目。いい歌集である。

懇親会では、江戸雪、川谷ゆきと、浪花の美女に囲まれて楽しかった。
ひさしぶりに、中島裕介、吉川宏志、林和清、黒瀬珂瀾といった関西の俊英たちとも話ができてうれしかった。



[306] 「現代美術のポジション」 2003年02月07日 (金)

明日の日経「プロムナード」は、現代アートについて書いた。
アートに関しては、気ままな観客である。
時期によって濃淡はあるが、自ずと視野に入ってきたのである。

現在、名古屋市美術館で「現代美術のポジション」という若手アーチストの展覧会が開かれている。
これはなかなか面白い。
学芸員の方が熱心で、解説や批評に力を入れている。
先週は、アーチストのトークショーがあって、参加してみた。
実際は、対話の会という感じで、なかなか楽しかった。
同じ目線で気さくに話し合った。
歌集の批評会は、著者はじっと我慢で黙っているが、もっとしゃべってもいいように思った。

彼らが、どう生計を立てているかということにも興味がある。
大工をやっているというアーチストがいて、妙に納得した。
一般には、美術の先生が多いのだろうか。



「プロムナード」は平日にテーマを考えて、土日で書くという自転車サイクル。
あと5ヶ月。



[305] 「前川佐美雄賞」、始動。 2003年01月31日 (金)

今日は「前川佐美雄賞」「ながらみ書房出版賞」の打ち合わせ。
選考委員は、佐佐木幸綱さん、三枝昂之さん、佐々木幹郎さん、俵万智さんと私の5人である。

「前川佐美雄賞」は第1回目である。
まず賞のコンセプト固めから議論が始まった。
歌集・歌書はもとより、雑誌の特集、企画なども対象とすること。
賞の棲み分け的発想をやめ、広い範囲を対象とすること。
この2つが大筋、指針として確認された。
独創的な賞となるのではないか。

私見では、今までの
・「現代歌人協会賞」(現代歌人協会)…第1歌集
・「現代短歌新人賞」(大宮市)…第1歌集〜第2歌集
・「ながらみ短歌賞」(ながらみ書房)…第2歌集〜第4歌集
・「寺山修司短歌賞」「河野愛子賞」(砂子屋書房)…第4〜第6歌集
・「若山牧水賞」(宮崎市)…第5歌集〜第8歌集
から、「迢空賞」に到る細分化された歌壇の賞秩序から自由になることを意味するのだと思う。

つまり、ある意味で「無差別級」の賞となるのだ。
新鋭と大家が同じ土俵で競う年間最優秀歌集という夢が実現するのではないか。




夜は、黒岩剛仁歌集『天機』の出版記念会。
場所は、アルカディア市ヶ谷。
黒岩くんとも、かれこれ15年のつき合いになる。
三枝昂之さんの「最終ランナー」という言葉に同感。
そう。われわれ同世代の最終ランナーとして、この苦渋に満ちた時代のコーナーを走っている。

 革命が国を変え得るものならば我が人生に無血革命  黒岩剛仁


坂井修一や谷岡亜紀ともいろいろ話せて楽しかった。

また、多くの人が「プロムナード」読んでるよと言ってくれて嬉しかった。

黒岩くんが品川までタクシーで送ってくれた。




[304] 「師と兄弟子」 2003年01月28日 (火)

なんの菅野さんの1月11日の日記に、「プロムナード」の第二回目「師と兄弟子」へのコメントが載っていた。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Hemingway/3325/geodiary.html
ありがたいことである。
「師と兄弟子」では、「結社の機能は、概ねネットの環境に置き換え可能である。が、只一つネットの会にはないものがある。それは師弟関係だ。師弟関係を軸とした伝統意識なのである」と書いた。
これは以前、「未来」50周年の記念号で、荻原裕幸さんとメール対談したときに、私が「未来」と「ラエティティア」の比較表を作ったのだが、それに基づいている。

なんの菅野さんは、厳い批評は、結社でなくインターネットにおいても、可能なのではないかと、書いている。
同感である。確かに、人間関係が出来ていないうちに厳しい批評が先行すると、つらい場面が予測されるが、インターネットで批評が成立しない訳はない。
次に、私はこう問いかけてみたい。
インターネットで師弟関係は成立しうるか。
そこをすこし考えてゆきたいと思うのである。
結社のような固定的な師弟関係は難しいかもしれないが、今後、ある種の師弟関係は成り立つのではないかというのが直感である。

あのエッセイでは、結社における師弟関係の実態も書いている。
要は、会費を払って選者に歌を送れば、一応は師弟関係が成立するということだ。
それは出発点なのだろう。
「短歌史的な師弟関係は、歌壇から認知されて初めて成立するものなのだ」(「師と兄弟子」)。


「それにしてもこのコラム、どれだけの日経読者が興味を持つのだろうか……」と、なんの菅野さん。
そう、これ、いつも考えていることだ。
当面数回は「現代に生きる歌人とは何ものか。何を考え、何のために歌をつくっているのか」ということを中心に書きたいと思っている。
実は、以前、ゼロックス社の優秀セールスマンの表彰式に、頼まれて「歌人とは何か」というテーマで1時間ぐらい講演したことがある。
この内容は、彼らに強い印象を残したことが、いろいろな方面から伝わってきた。
こんな世界があるのかと。
まあ、その経験を踏まえているのであるが、様子を見ながら、話題を広げてゆきたいと思っている。



[303] ドッジボール(おでん付き) 2003年01月26日 (日)

学区のドッジボール大会に家族で参加。
30年ぶりぐらいだろうか。
この遊び。
ボールがふわふわ。これじゃあいかん。
あのがつんという手応えが懐かしい。
終わったあと、おでんが出た。
思わず三皿食べる。

 セピア色の夢なり竹輪はんぺんに玉子とわれは指名して居り



エイデン社に行って、ファクシミリを買う。
買い換えは10年ぶりぐらいか。
普通紙FAXである。
電子メールの普及で使用頻度は減っていたが、ここに来て「プロムナード」のゲラを毎週1、2回は受けとる関係から、購入に踏み切ったのである。
最近の家電は、明るいシルバーが主調のようだ。
以前は、黒っぽいカラーが多かったが。

青山で頼んでおいたスーツを受けとり帰宅。




[302] 歌葉という夢 2003年01月25日 (土)

歌葉2周年。

もう5年ぐらい経ったような気もする。
記念に、日経のプロムナードに「歌葉という夢」というエッセイを書く。
それが本日掲載。
歌葉のメイキングについては『現代短歌最前線』に書いたので、今回は、その発想の根っこのような部分に触れた。

次回は、近藤芳美先生のことを書いた。
「未来」新年歌会の先生のスピーチを織り交ぜた。
たまたまデジカメで録画していたのが役立ったのである。



[301] 「青春五十年」 2003年01月22日 (水)

日経のプロムナード、第三回は「青春五十年」というタイトルで、俵さんと最初に会った、短歌研究社の座談会の話題を中心に80年代を振り返った。
80年代が歴史になりつつあることを実感。
そうすると、自分のリアルタイムの経験が生きてくるわけで、ありがたい。
「青春五十年」という言葉、ちょっと反響があった。
昨日も、ある新聞の記者から問い合わせがあった。
異様に長い青春を我々の世代は生きている。

第四回は、1月25日掲載の予定。
【歌葉】がオープンしたのが2001年の同日。
二周年を自祝してその話題にふれた。




[300] 新年会 2003年01月12日 (日)

日経のプロムナード、2回目は「師と兄弟子」というタイトルで、岡井さんのこと、山田さんのことを書く。
日経の読者向けに、結社の内実についても丁寧に書く。
「現代歌人入門」といった趣の連載になるかもしれない。

昨日は、「未来」の編集会議。
転機となる一日だった。

今日は、「未来」の新年会。
90歳の近藤先生、75歳の岡井先生。ともにお元気だった。
久野はすみさん、盛田志保子さん、並木夏也くんをはじめ、久しぶりにニューフェイスでにぎわった会でもあった。
担当したシンポジウムでは、2002年刊行の12冊の歌集・歌書を扱った。

 ・岡井隆『〈テロリズム〉以後の感想/草の雨』
 ・合田千鶴『The Morning After』
 ・大辻隆弘『デプス』
 ・さいかち真『裸の日曜日』
 ・紺野万里『過飽和・あを』
 ・小林久美子『恋愛譜』
 ・桝屋善成『声の伽藍』
 ・佐伯裕子『家族の時間』
 ・大島史洋『燠火』
 ・秋山律子『青空』
 ・恒成美代子『ゆめあはせ』
 ・渡部良『錐体路』

すべて未来会員の著作であるが、これでもほんの一部なのである。

懇親会で二人の青年から歌集に署名を求められた。
S君には『ハレアカラ』に

 人生に夜明けがあれば小学校野球部入部テストの暴投

N君には『昏睡のパラダイス』に

 葉桜の翳りに髪をふっている少女はひえた修辞をまなぶ

ともに滅多に言及されることのない歌である。
それを彼らが見出してくれたことが嬉しかったのである。





[299] 「プロムナード」スタート 2003年01月08日 (水)

気がついたら、もう8日。
早い。いったいどうなっているんだ。

日経の「プロムナード」、1月4日から連載スタート。
トップバッターだった。
担当は土曜日。
お正月にちなんで「歌がるたの風景」というタイトルで書いた。
それは、家族の風景でもあった。
第2便を入稿済みだが、すぐ次の締切りがやってくる。
短距離走を25本。そんな感じである。

この件で、ゼロックスの広報担当者から問い合わせあり。
取材を受ける。
このへんは、ずっとオープンにやってきたのだ。
従業員2万人という読者は決して少なくないし、なにより日経の読者層なのである。




[298] あけましておめでとうございます 2003年01月01日 (水)

わりと早く目覚めた。
大晦日・元旦がくっきりしていたのは昭和のころ。
のっぺりした年越しである。

年賀状は11時過ぎに届いた。
普段は会わない友人の一行の消息。
経営する会社が倒産の危機にあり、家庭教師のアルバイトを始めたヤツ。身にしみる。
中学時代の友人が『世界音痴』におまえの句が載っていたと言いよこしたのも楽しい。
敬愛する歌人の、勤めを辞め短歌に専念するという言葉が眩かった。

家族で、熱田神宮へ初詣。




[297] 「未来」1月号 2002年12月29日 (日)

冬休みに入る。
すこしゆったり身の回りの仕事を進める。

「未来」1月号が届く。
例年になく早い到着。多くのスタッフの苦労が思われる。

「未来賞」に、久野はすみさん「シネマ・ルナティック」。
空間というか雰囲気の作り方が巧い一連だと思って、一次選考では2位に推していた。

 消えてゆく字幕のような言葉たち よりどころってよくわからない  久野はすみ


1位に推した「ヒートアイランド」が裄V美晴さんだったのには驚いた。
作風の転換か。しっとりとした恋の情緒が京都に合っていた。
 
 ひやしあめ清水祇園九十九折り四条京橋かえりたくない   裄V美晴

 いにしえの琥珀のごとくなつの陽はきみのねむりをつつみてしずか


久野さんも、裄Vさんも、インターネットで出会った。
「うたう」「うたう☆クラブ」の流れだったと思う。
その二人が結社に根づいた。
ちょっと不思議な気持ち。

<告知板>を見ると、盛田志保子さんが「未来」新入会員として紹介されていた。
盛田さんは「うたう」作品賞でデビューした歌人。

 音楽に手を翳しおり木枯らしの夜空に病の巣のごとき雲  盛田志保子

「未来」にも再び新しい風が吹いてきた。

結社とインターネットという二項対立の図式も、もう実態とは離れてきたようである。
混沌とした年を迎える。


[296] 一日早いパーティ 2002年12月23日 (月)

来週は、予算関係で会社が忙しいので、一日早くクリスマスパーティ。
手作りケーキを食べる。
コメットを買ってきて、ぱん、ぱん、ぱん、とやる。
子ども達は大きめの靴下を吊るし、明日の朝を待つ。



三連休。
わりとフットワークよく仕事が進む。

 ・新聞のエッセイ
 ・短歌研究「口語化とそのモチーフについて」
 ・「うたう☆クラブ」返信
 ・【歌葉】審査
 ・「未来」歌稿

それでも幾つかやり残してしまった。年賀状も時間をみつけて書く。
なかなか礼状に手が回らない。



「短歌」1月号の「新春37歌人競詠」を読む。
近藤芳美先生が、蔵書を或る文学館に引き取ってもらったというエッセイを書かれていた。

 二屯トラック五台に分け積み去るに空の書架のかげいのちの衰え

それは自分自身の一部なのだろう、きっと。
ひどく寂しい思いがした。

若手歌人の頁は、友人の近況を読むような感じ。

 万智ちゃんの恋は終わりになりまして烏賊だけ残る手巻き寿司の具

★彡


[295] 「未来」12月号 2002年12月11日 (水)

先週に引き続き、今週は三重県の津市で新製品の展示会。
月曜日が準備で、火曜が展示会、そして今日がマシンの撤収という標準的なパターンである。
津は、初めてである。海に近い。
昨日の朝、ホテルの山側の窓から虹が見えた。朝に虹を見たのは初めてのこと。

津の駅前は殺風景である。
繁華街は車で10分ぐらいの所にある。
昭和30年代のような、なにか懐かしい町並み。



帰宅すると「未来」12月号が届いていた。
後記で岡井さんが「加藤治郎とその時代(仮題)」を来年企画していると記している。ありがたいことである(最近、ありがたいことが多い)。
以前、大島史洋特集、紀野恵特集を企画・担当したときのことをすこし思い出した。
このあたり、結社誌としてはフットワークがいいのではないだろうか。
なかなか歌人特集というのは、他の結社誌では見かけないように思う。

同じく12月号。寒野紗也さんが「中原千絵子『タフ・クッキー』批評会報告」の中で、私の解題のメーキングの部分に触れて「和歌道家元が許状式をしているようにも読める」と書いている。なぜ、家元まで飛躍するか。理解が届かない。
推測すると、その発言の背後にあるのは、近藤芳美選歌欄出身の作者の歌集に私が制作者として関与したことへの違和感なのかもしれない。
歌壇における、先生(主宰・選者)と制作者(編集者)の関係は難しい。
先生が、実質的な制作者であるケースが多いからだ。
その場合、出版社は、原稿に関しては校閲レベルのみで、レイアウトや装丁といったパートを引き受けることになるだろう。それは合理的な分業であるといえる。
先生ではない誰かに実質的な制作を依頼するかどうか。
それはもう本人の判断に委ねるしかないだろう。
私には先生を差し置いてという気持ちは全くないのである。



 それにしても、編集者の存在を思わないではいられない。その役割の濃淡によって企画者ともプロデューサーとも呼ばれるが、岡井隆における石井辰彦、穂村弘における村井康司、加藤千恵における枡野浩一、そして【歌葉】で精力的なプロデュース活動を展開している荻原裕幸。歌集はプロデューサーの時代を迎えたといえる。いずれも歌人・俳人がプロデューサーである点、短歌の特異性を反映しているのだろう。プロデューサーは、著者の新生面(新人の場合は、その才能)を見出し、企画として具現化し、出版の場を保証し、作品の水準を示し、刊行後には批評をプロモートする役割を果たしている。そして岡井隆のようなキャリアの歌人にこそ、新生面を切り開く助力が必要なように思われる。石井はその役割をよく担ったといえる。今後、編集者は歌集論の一部分として欠かせない存在になるだろう。
 (「短歌」2002年7月号岡井隆特集「『E/T』、未知の虚空へ」より)

* 


[294] 活字とネットの論争はいかに。 2002年12月08日 (日)

火曜から金曜まで、新製品の展示会で、金沢・富山へ出張。
4日間であったが、ひどく長く感じられた。

帰宅して、郵便を整理し、原稿を書き、「うたう☆クラブ」に返信。
雑誌に目を通す。

「みぎわ」の斉藤真伸さんの時評で「鳴尾日記」の「謹呈はやめられるか」(9月30日)が取り上げられてた。
そうか。いよいよ、活字媒体とネットの交流が始まったかと思う。
活字(雑誌)媒体の評論・時評に、ネット上で呼応するケースは最近少なくない。
簡便で即時性があるからだ。
ネット上でさらに呼応する第三者も期待でき、論陣が広がる。
活字媒体で応えようとすると、1〜2ヶ月は要する。
また取るに足らぬものに、いちいち活字媒体を煩わせるのも億劫である。
しかし、これは論争の場を衰退させる面もあるだろう。
雑誌で書かれたことに、ネットで応える。
すれ違う可能性が高い。
タイミングが合わないし、特に相手がネットに繋がっていない場合は不公平感もあるだろう。

そう思い、10月26日に書いた大岡信さんの『サニー・サイド・アップ』への解説(筑摩書房『現代短歌全集』)についてのコメントは、「角川」の新年号に再度書いた。たまたま、小文を載せる機会があったからだ。
論争になる可能性は皆無だが、やはり挨拶しておくべきだと思った。
この件、第三者の声を聞きたいと思っているのだが…。

そういうわけで、斉藤さんの時評、いい形で活字とネットの情報交流が進む方向へ期待をもたせた。



[293] 20年 2002年12月01日 (日)

今日は、上京して「未来」の座談会に出席。
岡井隆、山田富士郎、加藤の3人で、コーディネートは田中槐さん。
場所は、目白の「塩の屋」。

岡井さん、山田さんの順に現れた。
山田さんは、相変わらず若々しく、なつかしい感じがした。
80年代半ばの雰囲気を思い出した。
山田さんには、以前、評論でこっぴどく叩かれて、ちょっとメンタルなブロックがあったが、それもすっかりなくなった。
座談会は、主に現代短歌の20年をレビューするものだったが、ただただ3人の和やかなひとときの印象が残った。

山田さんも岡井さんも、筑摩書房『現代短歌全集』の大岡信の解説のことを心配してくれた。
大岡さんは、実際病気なのだという。
師と兄弟子のあたたかさがうれしかった。







[292] わたしは錯誤 2002年11月23日 (土)

今日は、中部短歌会八〇周年記念全国大会に招かれ、春日井建さん、水原紫苑さんと鼎談。
会場は、名古屋観光ホテル。
打診があったのは確か初夏だった。いつものことながら、あっという間に当日はやってくる。

テーマは「短歌の現在」。
ぼくは、ここ3年ぐらいの作品から10首引いた。
前半は、主に女性歌人の作品。
これらの引用は、春日井さんには、すこし意外だったようだ。
ぼくにとっては比較的近いポジションにある歌であり、奇をてらった選ではまったく無かった。知らず知らずのうちに、短歌への視線が移動したのかもしれない。


 ひとりみの母を思えり生まれない経験もたぬわたしは錯誤
          盛田志保子「風の庭」(二〇〇〇年「うたう」作品賞)

 便器から赤ペン拾う。たった今覚えたものを手に記すため
          玲はる名『たった今覚えたものを』(二〇〇一年)

 あなたのなかの三千人とキスをしてわたしのなかの千人が死ぬ
          土橋磨由未『二人唱』(二〇〇二年)

 やれそうと思われたのは悔しいが事実やったんだからまあいい
          佐藤真由美『プライベート』(二〇〇二年)

 なんでなんで君を見てると靴下を脱ぎたくなって困る 脱ぐね
          増田静「ぴりんぱらん」(二〇〇二年 第一回歌葉新人賞)

 勝つ見込みあるからさせた戦争だ 原爆だつてあれば使つた
          佐藤理江『虹の片脚』(二〇〇二年)


一首めということもあり、盛田さんの歌を3人で丁寧に読んだ。
やや難解か。
独身の母を思う(これ自体、矛盾を内包している)。
母が独身なら、私は生まれることはなかったのだ。
そうすると、今の自分には、生まれないという経験が欠落していることに気づく。
その存在は錯誤なのだ。
議論は「定型が呼び寄せる思惟」というところに着地した。

口語の問題では「言葉の力学」が働いているかが、ポイントだという議論になった。

後半は、男性歌人の作品を引用。

 爆破シーン巻き戻したれば散らばりし破片が集まりビルディング建つ
          喜多昭夫『銀桃』(二〇〇〇年)

 夕雲は蛇行しており原子炉技師ワレリー・ホデムチュク遺体無し
          吉川宏志『夜光』(二〇〇〇年)

 おそらくは今も宇宙を走りゆく二つの光 水ヲ下サイ
          岩井謙一『光弾』(二〇〇一年)

 牧羊犬は楽しい 羊もだ 畜群がインターネットで日記をさらす
          さいかち真『裸の日曜日』(二〇〇二年)

春日井さんは「ワレリー・ホデムチュク」という固有名詞が現代短歌に刻まれたことの意義を語った。

瞬く間に2時間過ぎた。

昼食を食べて、荻原くん、大塚くん、水原さん、彦坂さん、新畑さんとお茶を飲む。
それでもまだ夕べの祝宴にはたっぷり時間がある。

ちょっと買い物でもと思ったところ、荻原くんが気をきかせてくれ、思いがけず水原さんと二人になった。
そこで、白川公園の名古屋市美術館へ。
発光ダイオードを使ったオブジェ。
大岡信の幻の詩集を封印した機械仕掛けの硝子ケース、といったところが面白かった。
それから栄まで行って、汁粉とあんみつを食べた。

蜜柑色の夕焼けを見ながら会場に戻った。

★彡




[291] ポール、イン大阪 2002年11月17日 (日)

今日は、大阪ドームでポール・マッカートニーのコンサート。
三度目の来日公演。三回とも観に行けたのは幸運である。

60歳とは思えない精悍さである。
「オオキニ」と挨拶するあたり、さすがエンターティナーだ。
最近知ったことであるが、ポールは9.11、ニューヨークに居たのだ。
NYで歌った”フリーダム”という曲、最初ちょっと胡散臭いモノを感じたが、やっと納得する。

ステージは、高精密度のマルチスクリーンで美しかった。

出色は、ジョンへの挽歌「ヒア・トゥデイ」、ジョージに捧げた「サムシング」。
ポールは、ジョージの形見のウクレレをつま弾いた。
親友をふたり喪ったポップアーチスト、ポール。
それから「シーズ・リィビング・ホーム」。うっとりするほど甘美だった。

コンサートは9時過ぎに終わる。新幹線の最終にぎりぎり間に合い、名古屋に帰る。

ポール・マッカートニーをリアルタイムで聴き始めて30年。
最高の夜だった。




[290] 誕生日 2002年11月15日 (金)

今日は、43歳の誕生日。
ISOセミナー、展示会の打ち合わせなど慌ただしい一日だった。
疲れて帰宅。
友だちからメールが届いていたほかは殺風景であったが、夜、サイモンとガーファンクルのライブを観て、ちょっと和んだ。

よい一年にしたい。


 定型は手のつけられぬ幼帝だ擬似男根をこすりつけてる





[289] NHK歌壇 2002年11月10日 (日)

朝早く起きて、NHK歌壇を見る。
春日井建さんの番組にゲスト出演。濃密な30分であった。

敬愛する春日井さんとごいっしょできてよかった。
春日井さんは、いつもわれわれの世代にチャンスを与えてくださった。
激動の80年代短歌を、ともに楽しんだ、のだと思う。

まあまあにこやかな表情で映っていた。
てのひらが大きかったこと、それと身振りが目立ったこと。
黒いスーツに銀色のマイクと金色のバッジが映えて、きらきらした印象であった。



「短歌往来」新年号の33首をまとめる。
ここのところ、楽しんで歌を詠んでいる。
身の廻りの環境が厳しいから、相対的に短歌は楽しみの方にシフトしているのだろう。
楽しさは出来栄えに直結するものではないが、それでもどこかしら作品に反映していると思う。



中部短歌80周年記念大会、春日井さん、水原さんと鼎談である。
新畑さんにレジュメを送る。



[288] むかしむかし 2002年11月05日 (火)

今日は、清昭と雅昭の誕生日。
5歳になる。すこし少年っぽくなった。
プレゼントに講談社の絵本。
『花咲爺』『浦島太郎』『一休さん』『猿蟹合戦』。
古典的な挿画で、味がある。
ひごろ、テレビやビデオばかり観ているので、こういったオーソドックスな昔話に触れさせたいと思ったのである。

ケーキでお祝い。




[287] おめでとう 2002年11月04日 (月)

今日は、日帰りで上京。

田中庸介さん、佐藤りえさんの結婚を祝う会に出席。
発起人なのである。
場所は、日本出版クラブ会館。
ここは、未来短歌会でよく使う会場であるし『マイ・ロマンサー』批評会、『昏睡のパラダイス』ツアー批評会にも使った馴染みの場所。
庸介さんは、普段着(と思う)で姿をあらわした。
りえさんは、自分の幸せに自信がある、という面もちだった。
乾杯の挨拶を承る。
お互い高めあってゆく素晴らしきカップルのため、かんぱい。



深夜帰宅すると、佐藤理江さんの歌集『虹の片脚』のサンプルが届いていた。
【歌葉】でまもなく発売の予定。
http://www.bookpark.ne.jp/cm/utnh/select.asp
【歌葉】14冊目の歌集となる。
「渾身の声明」という解説を執筆した。
 
 「就職が決まつたからは一人でも生きて行けるね」と抜かせこの野郎!
 青ざめし女生徒家に帰したりどうやらあれは身籠もりてゐる
 余りにも大きなる虹の片脚が我が家の方から生えてゐるのだ
 握り飯取るに幼はぎゆつと持ち海苔の隙間に米はみ出せり
 おねしよすることの増え来と保母言へり一歳になれば寂しさも知る
 生徒から罵倒されても耐ふるとふ理由だけなり指導部にゐる
 天ぷらの油はねしを騒ぎつつ今日広島忌もう昼となる
 ミカドよりむしろ世襲をこの国の象徴として見習ひなさい
 自衛官の親持つ生徒に気がつきて報復措置の話題逸らしぬ

教師であり母であり歌人である作者の、骨太い作品が詰まっている。
特に「ミカド」一連は、問題作であろう。
正面から歌いきっている。
ぼくにとっても自分自身が問われるような重い一冊であった。




[286] あるとき家族は 2002年11月02日 (土)

今日は、すこし早めの七五三。
まず、芙美が美容院へ。
その間に、清昭と雅昭が着物を着る。
芙美が着物に着替えて、写真館で撮影。
それから熱田神宮へ参拝。
しんとした緑が心地よい。
そして会食。
と、予定通り進んだ。
区切りの行事が済んで一安心である。



こういった家族を巡る日々を歌うことは殆どない。
理由は単純でないが、やはり自分の根っこが前衛短歌にあることが大きいのだと思う。
私の歌集を読んだ読者は、私がどんな生活をしているか想像がつかないだろう。
矛盾だらけである。
が、一読者として、家族が歌われた作品を読むことは好きなのである。
近刊では、河野裕子『日付のある歌』が圧倒的に良かった。

 何といふ顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢやない
 二人子を養ひくれし双乳の左傷つけば右が励ます

あとがきには「それを歌とするべきかどうか悩んだが、正面から歌いきってしまった」とある。それとは乳癌手術のこと。
「歌壇」でリアルタイムで読んだときの衝撃が蘇る。
歌いきった裕子さんは素晴らしい。
平成短歌最重要の一連というべきだろう。






[285] 加藤氏の二十年後 2002年10月26日 (土)

「かりうど」斎藤彩さんの『千里跳ぶ』の出版記念会にレポーターとして参加。
盛会だった。
都市派、おてんば、家族といった視点からスピーチ。
青井さんにいろいろ気を遣っていただいてありがたかった。
女性陣に誘われてカラオケへ。「マーサー・マイ・ディア」「アイ・ウィル」など滅多にない曲が歌えて楽しかった。



帰宅すると、筑摩書房の『現代短歌全集 第十七巻』が届いていた。
『サニー・サイド・アップ』が入集したのは幸運だった。
ぱらぱら眺める。
大岡信さんの『サニー・サイド・アップ』への解説は手厳しいものだったが、氏の短歌観からすると当然の帰結なのだろう。アヴァン/ポップ系には馴染めないということだろうか。
氏が「ライト・ヴァース」という言葉を使ったのは、すこし意外だった。
ライト・ヴァースに対して「身を入れて愛読したことがなかった」というのだが、一体どんな作品が歌集が氏の目に映っていたのだろう。
ライト・ヴァースが、現代短歌の80年代がどういうふうに見えていたのか、聞いてみたいところである。
「加藤氏の二十年後を多大の好奇心をもって見守ることにしたい」と結ぶ。
大岡さんに言及してもらったのは、今回が恐らく初めてだろう。
ありがたいことであった。
さて、二十年後とは。
これは2022年のことではあるまい。
『サニー・サイド・アップ』から20年後。
2007年と受けとめたい。
それまで大岡さんも私も元気で、再会できたらうれしい。

★彡


[284] NHK歌壇 2002年10月23日 (水)

きょうは、NHK歌壇の収録。
春日井建氏の番組のゲストである。

午後3時に、NHK放送センター着。

控え室で打ち合わせをしてから、リハーサル、本番収録という流れである。
密度の濃い時間である。
対談、座談会とはまた違った形で、深いところで触れ合う機会なのである。
終始、春日井さんの歌への真摯な姿勢、司会の梅内さんのクレバーさが際だっていた。

ゲストの一首は、日暮れの早い、いまの季節に合わせてこの歌にした。

 ゆうぐれは
 あなたの息が
 水に彫る
 ちいさな耳が
 たちまちきえる

リハーサルのとき、一瞬頭が白くなり「耳」という言葉が出てこなかった。
こういうことってあるものだ。
本番では、投稿歌の選評、添削コーナーを経て、ゲスト対談にわりと時間がとれて、インターネットのこと口語のことなど話が弾んだ。

収録後、春日井さんと並んでメイク落とし。
「白くなったね」
と春日井さん。
「え、いつも黒いと言われてますよ」
と、ぼくは鏡に映った顔を見る。
どうも話が合わなかったが、白いというのは私の頭髪のことだと分かって、大笑い。

中部短歌80周年記念大会のことなど、打ち合わせて別れる。

番組放送は、

11月10日(日)7時30分〜
11月14日(木)5時25分〜
11月15日(金)12時〜

の3回。




その後、渋谷のアビエントで、Mさんと歌集の打ち合わせ。
佐藤真由美にちょっと似た作風だと思ったので『プライベート』を薦めたが、もうすでに買い求めているとのこと。
うん、それはよかった。



翌日の仕事のため、高津へ向かう。



[283] あの素晴らしい愛をもう一度 2002年10月21日 (月)

朝日の夕刊に、きたやまおさむさんが「二足のわらじ」というエッセイを書いていた。
気になっていた人だけに、お、と思った。
「あの素晴らしい愛をもう一度」は、われわれ世代のテーマソングだろう。
http://www.sunfield.ne.jp/~kazuhiro/FAV5-2.HTM
エッセイでは、精神科医と作家活動の両立の難しさを語る。
そうだなあ。
今の時代「二足のわらじ」は履きづらい。
永田和宏さんも「NHK歌壇」だったか、書いていた。
2つで1になればいい。
なるほど。
そう思うと楽になる。

「ダブル・ライフ」、倍生きると宣言したのは、ちょっと前のこと。
まあ、そう肩肘はらないで。

深夜、Mさんの歌稿に目をとおす。
そうこうしていると描きおろしの自画像がとどいた。

「ダブル・ライフ」よきかな。


[282] 運動会 2002年10月20日 (日)

きょうは、星崎小学校で学区の運動会。
大縄跳びに出場。
きっちり定員が決まっている。
これを事前に調整するのが、役員の仕事だ。
子どもたちは、景品のスナック菓子をいっぱいもらう。

夕方から雨になる。
傘をさして焼き肉を食べにゆく。


[281] 環境シンポジウム 2002年10月16日 (水)

三重県で開催された「IBM環境シンポジウム2002」に参加。
「産・官・学・民」協働の取り組みが参考になった。
環境は、みんなが参加できるフォーラムなのだ。

三重県の北川知事の講演を聞けたことが収穫。
民間企業の経営手法を大胆に行政に導入している。
この知事、将来、日本の政治を変える風雲児となるだろう。


[280] オーロラ号 2002年10月14日 (月)

今日は、ラグーナ蒲郡で遊ぶ。

ラグナシアというのが、ディズニーランドをコンパクトにしたようなテーマパークだ。ウォータークルーズ、バスターズライドといった類のアトラクションがある。
いまひとつ個性がないなあと散策していると、本物のクルージングが楽しめる施設があった。
これは蒲郡らしい。
スピードクルージング40分。
さっそく申し込む。
オーロラ号に乗船。
定員9名の小型船である。
これは凄かった。
超高速。
夕暮れの三河湾を奔る。
ぴょんぴょん跳ねて、幾度も海面に打ちつけられる。
爽快爽快。

知立のちかくで、カッパ寿司に立ち寄る。
鱈腹たべて帰る。



[279] 猩々 2002年10月13日 (日)

今日は、鳴海のお祭り。
例によって、猩々が出る。
大人が被ると2mぐらいの高さになる、妖獣の人形(?)である。

 汲めどもつきぬ酒がよろしく猩々の真っ赤な顔が街に漂う

祭りを後にして、名鉄で西浦温泉にゆく。
続けて三河への旅となった。


[278] 海辺の文学記念館 2002年10月12日 (土)

快晴。暑いぐらいである。

竹島を望む東屋が、最初のシーンである。
橋の方から、上原アナウンサーと荻原君が話しながらやって来る。
まず、自作一首の朗読をふくむ紹介コーナーだ。


 ここにいる疑いようのないことでろろおんろおん陽ざしあれここ


この歌のように、まばゆい陽ざし。
三河・蒲郡は、親しい観光地だが、今日は新たな気持ちである。
東直子さんのシャープで情感たっぷりのコメントに感心する。

昼食後、歌会1部。
記名式歌会で、題は「海」もしくは「空」。
司会は田中槐さん。

新作を用意した。


 海からの白い手紙を待つときは過ぎて虚ろなゆうぐれになる


竹島は去年、旅行で来て、歌会会場の海辺の文学記念館も印象にあった。
この建物で、海を眺め、くつろいでいるイメージが歌に織り込まれているように思う。
荻原君は、岡井隆『海への手紙』、齋藤史「白い手紙」の引用、そして「白い手紙」が波のイメージも喚起することをすべて指摘。流石ピタリである。
穂村くんは、寂しい歌であるが不思議な満足感があることを指摘。
これは、自分では明確に意識していなかったことであるが、なるほどそんな感じである。
こういった評は、長年の同行者ならではのものだろう。ありがたいことである。
採点式の投票でこの歌は、江戸雪さんの


 ふいに目をそらし電話をとる君にわたしは空をさしだしている


と同点2位になった。
江戸さんの歌、家の電話と解釈したが、携帯説もあった。
歌のポイントが「空」であることは、題詠としては加点である。
戸惑う君に、私の内の空虚なもの、あるいは、澄み切った心を差し出す、という心理の動きが巧みな一首と読んだ。

歌会1部、トップは、荻原裕幸の


 十月は磁気のみだれてゐるからだきみは小さな海を抱へて


海は、かけがえのないもの、生命の象徴と読んだ。
帰宅後、家人から、もっと直截に、受胎の歌ではという説が出て、頷く。


歌会2部は、無記名式歌会で自由題。


 旋律をしずかに刻む打楽器のだんだんぼくは過剰になって


僅差で1位になり、賞品の蒲郡極早生みかんを頂戴する。

上原アナウンサーの軽妙な応答、石黒さんのパワフルな進行、そして何より主宰荻原裕幸の精密な配慮のおかげで、実に気持ちいい歌会だった。

荻原裕幸、江戸雪、田中槐、東直子、穂村弘。
このメンバーとは、今後またいろいろな機会に顔を合わせるだろう。
しかし、このメンバーの揃う歌会は、やはり今日だけのことであり、だからこそ素晴らしい一日だったのである。

★彡


[277] 歌会前夜 2002年10月11日 (金)

結局、今日は有休を取る。
午前中は、芙美の授業参観に。
先生が絵本を読み、児童が感想を述べた後、絵本からイメージを拡げて、お絵かきの時間となった。どうもこれが国語の授業らしいと分かって不安になる。
詰め込み教育とは対極の授業なのだが、どうも狙いがぴんと来ないのだ。
いくら小学校一年でも…。

帰宅して、床屋に行く。
昼食後、事務連絡等々すこしこなして「列島縦断短歌スペシャル」のため、蒲郡に向かう。
JR三河三谷まで乗って、ホテル直行の予定だったが、ふと夕暮れの竹島を見たくなり、蒲郡で下車。
観光マップを見ると5分ぐらいで行けると思ったが、30分近くかかってしまった。
もう暗くなっていた。
竹島の橋の灯が点いていた。
橋を歩く。
釣り人が何人かいた。
心細くなり、島の手前で引き返す。
竹島園地にはタクシーが屯していると思ったが、一台もいない。
困った。
再び観光マップを見ると、蒲郡→竹島 竹島→三河三谷 は、ほぼ等距離である。
まあいいかと思って、歩き始める。
しかし、20分ぐらい歩いても、全然見えてこない。
通りすがりの人に聞くと、蒲郡駅の方が近いと言う。
窮したが、そのまま歩く。
50分ぐらいでホテルにつくと、NHKのスタッフの方が「加藤さんですか? ああよかった」と出迎え。
出演者は皆集まっていた。

まず、懐石料理を食す。
美味しくいただくが、どうも献立表と料理がちぐはぐである。
「麦とろがないなあ」というとスタッフの石黒さんが、ほしいんですか? ちょっと困ったように言ったので、よくよく確かめると、ぼくだけ別のコースの献立表だった。うー。
アナウンサーの上原さん、NHK中部ブレーンズ取締役の長縄さんとも楽しく話す。
二軒目は、コメダ。江戸雪さん、石黒さんと同じテーブルで談笑。
三軒目は、ホテル隣接のつぼ八。冷酒を穂村くんに勧めると、なめるようにちょっと呑んだ。
一旦部屋に戻るが、飲み物がないことに気づき、コンビニへ。
石黒さんがいたので、後ろから携帯のアンテナでちょんとやると、大層驚いた様子だった。

歌会主宰・荻原裕幸の配慮で、詠草は事前に提出済み。
これはありがたかった。
会食もそこそこに、前夜苦吟というのは、しんどいのである。
きょうは、のんびり楽しめた。

入浴してまもなく寝る。


[276] 列島縦断短歌スペシャル 2002年10月10日 (木)

大阪に出張。
セールスマンにISO14001の教育を実施。
深夜、帰宅する。

10月12日(土)NHK BS-2で放送される「列島縦断短歌スペシャル」の資料がメールで届いていた。
愛知県蒲郡市の「海辺の文学記念館」から歌会が中継される。
出番は、
11:00〜
13:00〜
14:20〜
の予定。
出演者は、荻原裕幸さん、江戸雪さん、加藤、田中槐さん、東直子さん、穂村弘さん。

たのしみである。

★彡


[275] OASIS 2002年10月08日 (火)

きょうは、オアシスの名古屋公演。
全く忘れていて、ふつうに会社で仕事をして帰宅途中、熱田駅あたりでふと思い出す。
7時開演。もう始まっているなあ。
どうも、オアシスが家の近所に来るということにリアリティーがなく、チケットも入手できないまま過ぎていた。
笠寺駅でバスに乗り換える、通勤コースである。
そうか、あのレインボーホールに来ているんだなと自然に足が向かった。
ダフ屋も見当たらない。
演奏が聞こえてくる。
ふと係りの人に「当日券ありますか?」
「そちらで売ってます」
「!!!!!」

レインボーホールは2万人ぐらい収容の体育館。
ドームよりこぢんまりしていて、ライブにはもってこいである。

いいコンサートだったあ。
聴き所が多かった。
だいたいライブとは、定番と意外性のせめぎ合いなのである。

ノエルがアコースティックで歌ったWonderwallが新鮮。
もうすこしアンプラグドの曲を聴きたかった。
定番は、Don't Look Back In Anger
最近はサビのところを観客に歌わせることが多いのだが、今日はしっかり歌ってくれてよかった。わんわんと大合唱になる。
ハイライト中のハイライトは、アンコール・ラストのMy Generation。
オアシスフアンなら、どんなカバーをやるかはライブの楽しみなところ。
今までI Am the Walrus 最近ではHelter Skelterといった具合にビートルズナンバーのカバーが多かったが、今日は、フーできた。これは意外!
しかし納得の一曲。
自分たちはブリティッシュロックの正統なのだという自負である。

ライブが終わって明るくなる。
愕然。
殆ど、10代20代の観客なのである。
40代なんて数名だったろう。
ひー。

★彡


[274] 北陸シリーズ2 2002年10月04日 (金)

今日は、小松製作所の粟津工場へ。
関西・中部合同の設計管理研究会の例会である。
野球場9つ分ぐらいの広大な敷地。
敷地の中に神社もある。
ホールで説明を聞いた後、工場見学。
構内をバスで廻るのだ。
社会見学を思い出し、ちょっと懐かしい感じ。
パワーショベルとトランスミッションのラインを見る。
ホールに戻って、研究発表。
今日は出番がある。
「環境経営とISO14001」というテーマで1時間ほど話す。
発表の後、小松製作所の方に「富士ゼロックスさんの環境への取組みは最先端を行っている」という言葉をいただいた。
ひさしぶりに会社の看板を背負っている気がした。
夜は松風荘という小松製作所の保養所で宴会。
いい所だ。
今日も気持ちよく呑んだ。


[273] 北陸シリーズ1 2002年10月03日 (木)

名古屋8時43分発特急ひだ1号で、富山へ。
仕事とはいえ、弁当と雑誌を買って乗り込む列車は、たのしい。
車内は観光のおばちゃんでいっぱい。
高山駅からは外人が乗り込んできた。
予定時刻の12時18分をすこし遅れて富山着。
迎えにきたセールスの工藤さんとまず一社同行。
道々世間話。地方駐在の大変さを聞く。
金沢の営業所に荷物を置いてから、いっぱい呑む。
仕事、家、家族の話は共通なのである。
気持ちよく酔う。
宿は、駅前の全日空ホテル。会社の割引で随分安く泊まれた。


[272] 謹呈はやめられるか 3 2002年10月02日 (水)

台風が過ぎて暑い一日だった。

今年の歌集歌書で、書棚2段2枚重がいっぱいになった。
120冊はあろうか。
なかなかリアルタイムには読めないが、読むときはまとめて10冊ぐらい読む。
どうも同年代の男の歌集が、はらわたに、沁みてくる。
さいかち真『裸の日曜日』ぐらいの刺激がないと俺はダメだ。
 
 牧羊犬は楽しい 羊もだ 畜群がインターネットで日記をさらす

あんただ。


謹呈だって、楽じゃない。
まず、だれに献本していいか分からないんだ。

歌集タダで差し上げマス。
やめろやめろやめろ。
せめて<その人>を探し当てろよ。



「歌集、タダで出してやる」
「ぁ、ありがとうございます」
「で、何冊買い取るんだ?」

自費出版があり、
企画出版があり、
商業出版(?)が
ある。

どうやっても自由だ。

ただ、せめて新人賞歌人には企画出版してあげようよ。
印税あげよう。
買い取り無しでさ。

頼むから。


★彡


[271] 謹呈はやめられるか 2 2002年10月01日 (火)

短歌をはじめたとき、現代短歌の豊かさに魅了された。
岡井隆、塚本邦雄、春日井建、寺山修司、佐佐木幸綱、高野公彦。
挙げればきりがない。
豊富な財産に恵まれていたのである。

しかし、歌集出版に関しては負の遺産しかなかった。
と、今であればそう思う。
第一歌集は自費出版したのである。
それが当たり前だった。
しかし『サラダ記念日』がベストセラーになった年であり、いろいろ考えたことも事実である。
幸い批評に恵まれた。
特に春日井建氏に長文の書評をいただいことは、今なお眩い。
20、30人でも確かな読者に恵まれればいいのではないか。
そう思うようになった。
『サラダ記念日』の前で「ポピュラーになろう」というのは滑稽に思えたのである。

今これから歌集を出版しようとしている若い歌人に「商業出版できるよう努力せよ」と言っても、それは酷だろう。
確かな道筋や手だてはないのである。
これは歌人一人の力ではどうにもならない。
根が深いのである。

溯れば、和歌の時代以来の問題であり、この詩型の問題でもあろう。
一つは本歌取りに象徴されるように、読者は歌学を修めた歌人、歌の読める歌人を前提としてきたという歴史がある。
これは今なお引き続いている問題だろう。
詩型の側からいえば、短歌は半完成品であり、読者によって完成品になる。
という性質が濃厚であり、一般読者を想定しない詩型ということになる。
これは良い悪い、即答できないことである。

芸術性と大衆性が両立することが、理想なのだろう。
「リボルバー」あたりのビートルズ。
キューブリックの「2001年」。
興行的に成功し、なおかつ多くの映画監督からも尊敬されたキューブリックのありようを思うのだ。
多くの一般読者を得て、なおかつ歌人からも賞賛されたい。
ということになろうか。