[270] 謹呈はやめられるか? 2002年9月30日 (月)

今日は、会社の送別会。
深夜帰宅すると「短歌WAVE」の2号が届いていた。
ぱらぱら読む。

特集Tは、長嶋有と千葉聡の対談。
謹呈をやめて商業出版を目指せという。
厳しい問いかけである。
歌集の出版環境の改善はぼく自身のテーマの一つ。
頭が痛い。
じゃあ、どうしたらいい? 千葉くんよお。
謹呈を止めるというのは、自費出版を止めろということだ。
謹呈することで歌集が捌けるから自費出版が成り立っている。
著名人、歌壇人、新聞社、短歌ジャーナリズムに献本する。
それによって読者が拡がるだろうという期待と信頼があるから自費出版が成立しているのだ。
商業出版を語ることも楽天的だと思う。
(そもそもそんな区分けがあるのかな)
結局いままで歌集の商業出版で成功したのは『サラダ記念日』ただ1冊という現実をまず再確認する必要があるだろう(10万部をラインとして)。

『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』は、商業出版としては成功しなかった、のだと思う。
しかし、『手紙魔まみ』は、短歌史的に重要な歌集であって、まだまだ大きなポテンシャルを秘めている。語り尽くされてはいない。可能性の宝庫なのだ。それが大切なことではないのか。



[269] 岐路、衛生兵、雪原の死闘 2002年09月29日 (日)

特に予定のない土日だった。
天気も悪かったので、殆ど家で過ごす。
お金を1円も使わなかった。
土曜の朝、リストした「やるべきこと」が大方終わりほっとする。

・「未来」の毎月の歌
12月号の歌稿になる。早いなあ。

・「未来賞」「未来評論エッセイ賞」の選考。
「未来賞」は、なかなかいい作品が多く苦慮しながら楽しんだ。

・中日新聞のエッセイ
「歌集の変容」というテーマで4枚。

・Mさんの歌稿へのコメント
いい歌集になりそうだ。そうでなくてはならない。

・Mさんの歌集タイトルへのリコメンド
著者提案のタイトルへ異見。
書名の検索で同一タイトルがあったのだ。

・Mさんの歌集キックオフ
提案した内容でOKをいただいたので本格着手である。

Mさん、3人それぞれのステージで進行している。

・SS-PROJECTの宿題1件。

・「バンド・オブ・ブラザーズ」を3本観る。
「岐路」「衛生兵」「雪原の死闘」。
Dデイもので、「コンバット」のようなドラマ性は薄いが、なんといっても戦闘シーンが圧倒的迫力。
指揮官がいかに重要かというあたりは、身につまされる。

・清昭がしんちゃんの真似をしてクネクネ尻を振る。

・夜、Tさんから電話。
結婚パーティの発起人をとのこと。うれしい依頼である。

・家人と七五三の打ち合わせ。

・ストーンズの「フォーティー・リックス」を聴く。
40曲ぎっしり詰まっている。
ぼくは完全にビートルズ派。
ストーンズのアルバムは1枚もなかったのである。
「フルメタル・ジャケット」のエンディングで使われていた「黒くぬれ!」がソウルフルでいい。

・Eさんから「未来」特集の打診。

けっこう無為な時間を過ごしたが、仕事はこなした奇妙な休日だった。




 語りあう夜のやさしさ柔らかな線を重ねて耳となるまで



[268] 傘寿 2002年09月22日 (日)

今日は、父の傘寿の祝い。
木曽路の笠寺店に集まる。祝い酒を持参。
兄の家族が4人、妹の家族が4人、うちが5人。そして父母。
賑やかである。
兄弟それぞれ父からずっしりと傘寿の記念の品をもらう。
そして松茸の会席。
心にのこるひとときだった。



岡井隆の

 薔薇抱いて湯に沈むときあふれたるかなしき音を人知るなゆめ

をめぐって短いエッセイを書く。
薔薇にキリスト教的シンボルを想定した点が新味かなと思っているが、どうだろう。
寺山修司と小池光の鑑賞文に目を通したが、もっと他も当たるべきだった。




[267] 『ヘヴンリー・ブルー』 2002年09月17日 (火)

『ヘヴンリー・ブルー』(短歌・早坂類 写真・入交佐妃)が刊行になる。

http://www.bookpark.ne.jp/cm/utnh/select.asp

荻原裕幸渾身の制作である。

ぼくは、最初、Docutech(オンデマンド出版の高速レーザー・プリンター)の写真サンプルを著者に送っただけであるが、美しい仕上がりとなって、ゼロックスの社員としてもうれしく思っている。

『ヘヴンリー・ブルー』が家に届いたちょうど同じ日に「未来」9月号も届いた。
こんな歌を詠んでいたのである。


   『ヘヴンリー・ブルー』に

 鉢植えの朝顔の青すずしくてきみは小さな噴水になる


*彡



[266] 『未知の言葉であるために』 2002年09月07日 (土)

久しぶりに東京へ。
川野里子『未知の言葉であるために』の批評会にパネリストとして出席した。
会場は、中野サンプラザ。参加者は90名ほど。
率直な意見が交わされた良い会だった。

会はまず特別コメンテーターの小山鉄郎氏(共同通信)、篠弘氏の発言から始まる。
小山氏は、この本は近年の小説と同じ「言葉の接続不可能性」という問題にぶつかっていると指摘した。
続く、篠さんの発言が、今日の会の方向を決めたといってよいだろう。
手厳しい鞭だった。
「スタンスの取り方が清潔で、べたつかない」とした上で、出版人の見方としては「売れない本であり、企画として失敗である」という。
Tどこへ行くか V女という異郷 Wどこから来たのか それぞれのテーマで一冊にまとめなくてはいけないということだった。この中ではV女という異郷に期待したいと。
「等間隔ではいけない」とも。茂吉に何歩近づき、牧水に何歩隔たるかが重要だというのだ。
最後に「嫌われ役を女性の評論家ができるか」と問題提起。
バランス、平等、いたわり、愚痴の関係を断絶できるか。これは歌壇への問いでもあろう。
篠さんの発言は、「評論が成り立たない」現代への苛立ちが根っこにあった。
清冽な鞭に感動した。
篠さんは、自分のある部分を川野里子に託したのである。

全体的に、男性の発言が厳しく、女性からは評論の文体への共鳴が多かった。
穂村弘「欲望がない。何かを打ち立てていこうという意志が弱い」
内藤明「韻文とは何か、もっと詰めてほしい」
小高賢「構えが大きい。大問題主義。対象と方法に一定の距離がある」
岩田正「もっと対象にまみえなくてはいけない。もっと深い読みを」
といった発言が印象に残った。

ぼくからのレポートは「韻文世界と世界文学の交差点」について、「世界」で想定しているものが、現実の世界の読者と、観念としての「言葉の外に広がる世界」と混在し、問題を複雑にしていると指摘。
「日本語というひとつの特殊の内側から、世界の無数の言語がそうであるような特殊性に向けて発する、普遍への意志を含んだメッセージであれたらと願う」という結語に対して、具体的な第一歩への示唆がほしいと求めた。例えば、川村ハツエさんの翻訳の仕事など視野に入っていいんじゃないかということである。

最後、著者からの謝辞。
「歌を抱えてしまった自分を世界のひりひりした所にすり寄せてゆきたい」と。
里子さんの明るい瞳がよかった。
評者からの、最上級の要求によく応えたといえる。




[265] Driving Japan 2002年09月01日 (日)

ポール・マッカートニーの日本公演のチケットが手に入る。
ポールも60歳。
最後の日本公演になるかもしれない。
3月のロジャー・ウォーターズのときも同じことを感じた。
ポールをリアル・タイムで聞き始めたのが1973年の「バンド・オン・ザ・ラン」だった。
もう30年になる。
長い間つきあってきた。
ポールがビートルズを脱退して、ソロアルバム「マッカートニー」を出したとき、評論家から酷評されたが、あの「家族」というテーマは新しかったのだ。彼の音楽と家庭の両立を、ずっとぼくは見てきたのである。

50代には50代の音楽があるという言葉は、支えになっている。それでいいと思う。




[264] ロボット・ワールド 2002年08月25日 (日)

今日は、清昭と雅昭を連れて、科学館の「ロボット・ワールド」を観に行く。

相変わらず、白川公園は、ホームレスの人々のキャンプ場になっている。
500人はいるだろうか。
美術館の隣に青いシートが張ってある。
現代の矛盾の縮図のような眺めである。
名古屋の一等地、市民の憩いの場を、どうしようもない状態に放置している、行政の責任は重い。
ホームレス対策は考えるべきであるが、こういう成りゆきまかせの状況は大きな問題である。

ロボットは、恐竜、ピアニスト、虎など様々。
寿司ロボットは、「たこ」「いくら」とか音声に反応。実際に握るところまではいかないが。
ついでにプラネタリウムへ。これから宇宙に行くぞと言ったら、信じたようだ。
栄できしめんを食べて帰る。
暑い一日だった。




[263] もうひとつの人生 2002年08月24日 (土)

夏休み明け、慌ただしい一週間だった。

今日は、休日出勤して9月からの仕事のデータ収集とプランニングにあてる。ISO14001の認証取得で得たナレッジを顧客に展開する仕事である。
15時ぐらいで切り上げて、コンプマートでノートパソコンの新機種を見る。鬼まんじゅうを買って、鳴海に立ち寄り両親と世間話。本業を大事にしなかん、と父。まだ明るいので、歩いて帰宅。



短歌研究新人賞の受賞作、候補作を順番に読む。
八木博信さんの受賞作「琥珀」。
選考座談会で「ミッションスクール」という話が出たが、略歴には「中学受験予備校の国語講師」とある。
いま現在の職業から来る素材と、立教大学時代の「ミッションスクール」的雰囲気が融合したものだろう。
一連では「道徳の時間」「理科室」「給食委員」「学級崩壊」など、明らかに学校の教員であるという設定になっている。
予備校講師の作者が、ごく近いところにあっただろうもう一つの自分の人生を仮構した浪漫的な作品というべきだろう。

 「先生、私、父親がいや」ああ俺もいやだよ聖夜劇のヨセフが




[262] CRY ME A RIVER 2002年08月18日 (日)

12連休も今日でおしまい。
一つ一つ、案件を片づけてゆく。

短いエッセイがあったが、原稿用紙指定のため、久しぶりに手書きの原稿となる。
話題は、ヒッチコックの「知りすぎていた男」に及ぶ。主演は、ジェームズ・スチュアートとドリス・ディ。
ドリス・ディ歌う「ケ・セラ・セラ」が事件解決のキーとなった。
手書きの原稿、意外と迷わずぐんぐん書けるものだ。

夜、ジュリー・ロンドンを聴いてのんびりPCに向かう。
"CRY ME A RIVER" "I SHOULD CARE" "I'M IN THE MOOD FOR LOVE"は、特に好きな曲。
高校のころ、風邪で寝込んだとき、偶然ラジオで"CRY ME A RIVER"を聴いてフアンになった。とろけるような声とギターが熱にうかされた頭に沁みた。


 うつくしき老女の頬の弾力をわが唇にためさんとしつ   村山槐多






[261] 涼しかりけり 2002年08月17日 (土)

半年ぶりぐらいに書斎を片づける。

まず、今年刊行の歌集を整理。
歌集対象の賞の選考委員になった関係で、これは必須。
本棚2段分を当てて、2002年刊行の歌集コーナーとする。
単純なことだが、これがなかなか出来なかったのである。
たちまち80冊ほど並ぶ。

書類ボックスにいくつか新しいカテゴリーを作る。

・写真(アルバムに整理する前の一次保管)
・現代歌人協会、日本文藝歌家協会、日本ペンクラブ関連の書類
・「かばん」「レ・パピエ・シアン」 これは厳密なものではなく、「ちゃばしら」「田中庸介の詩の仕事」も同居
・CD歌詞カード (けっこう散乱していた)
・加藤治郎関連記事(書評、評論など。スクラップ前の一次保管)

これだけでかなりすっきりした。さらに、

総合誌は、それぞれ本棚に整理。
結社・同人誌は、それぞれ本棚に整理。
執筆分の掲載誌は、とりあえず段ボール箱に一次保管。

机の上に本や書類は置かないことにする。
そのため、仕掛かりボックスをつくり、書類や郵便の類を入れる。
仕掛かりボックスがいっぱいになりぞっとする。
机上は、ノートPC、プリンター、あと、装飾品が少々。
広々として気持ちがよい。ふと時間が流れ出す。

次にPCのデータの整理。
古いデスクトップ型のPCからノートPCへの移行。
とりあえず、短歌作品、評論関係を移す。
それからエクセルで原稿料のデータを整理。

机上もデスクトップも綺麗になった。いい気分である。


 嗽ひしてすなはちみれば朝顔の藍また殖えて涼しかりけり  長塚節




夜「バンド・オブ・ブラザーズ」を観てから、「うたう☆クラブ」の返信を2通。



[260] 米国 2002年08月16日 (金)

伊藤左千夫に関するエッセイと、新作をメールで送る。
まるまる2日、休日が残ったので、ありがたい。



京都議定書に反対する米国は、もはや新しい世界の秩序から脱落している。
ヨーロッパ、アジア主導の新しい秩序を日本は推進すべきではないか。

最近放映された、NHKの広島・長崎の被爆者に関するドキュメンタリーを観ると、あらためて米国の犯罪を思うのである。
特に、執拗に被爆者のデータを取っていた点、暗澹とした。
被爆した無辜の子供の臓器を米国に持ち帰って研究するなど、尋常の行為ではない。
結果としてこう思わざるを得ない。
米国は、広島・長崎で壮大なる生体実験を試みたのだと。
それは後追いの行為だったのか。
それとも予めプログラムされたことだったのか。
背筋が凍る。
それは20世紀最も兇悪な行為であった。




[259] 退院 2002年08月15日 (木)

午前の診察で、思いがけず芙美の退院が決まる。
しかも今日、帰宅していいと主治医の言葉。
幸運としか言いようがない。
コンピュータシステムの整った病院で、10分ちょっとで入院費用の明細のプリントをもらう。
しばらく自宅で静養である。
夕方、雷雨。水遣りもお休み。

夏休み、あと3日半ということになったが、3日あるということがありがたい。
原稿の関係で伊藤左千夫関係の本をぱらぱら読む。
自分の、内なる左千夫的なものとしばし向き合う。



[258] 『プライベート』 2002年08月14日 (水)

佐藤真由美の『プライベート』を読む。いい形で作品集にまとまってよかった。
彼女に出会ったのは短歌研究社「うたう」(2000年12月)。応募作「高円寺南四丁目16-13」をめぐって何回かメールでやりとりした。

 ・「だめなひと」いつものセリフでも今日は漢字で言われたような気がして
 ・やれそうと思われたのは悔しいが事実やったんだからまあいい
 ・新しい部屋にチューリップを買って眉ナシで歩く天気の好い日
 ・屋上で自殺防止のベルが鳴る校舎で四年間我慢した
 ・煙草の火消してごらんと傘のそと右手を出して歩く環七
 ・今朝のんだ睡眠薬が今効いて膝にほっぺを乗せてもひとり

歌集に収録されたこういった作品を読むと、出会ったときの、自分の気持ちが解き放たれたあの心持ちを想い出す。
「まあいい」的なおおらかさと、べったり貼り付いている死への誘惑。

2年前、ぼくなりに佐藤真由美を見出せたことをひそかに誇りに思っている。

★彡


[257] 休暇 2002年08月13日 (火)

芙美、入院7日目。
昼間は僕が付き添う。
夏休みなのである。
手術は8月8日だった。
経過は良好で、昨日点滴がとれて一安心。
付き添いのベッドに寝転がっている。
これも休暇だ。
こういうときは、アララギの歌集がいいのである。
 吉田正俊『天沼』
 五味保義『清峡』
 吉村睦人『吹雪く尾根』
といったところをぼちぼち読む。吉村睦人は収穫であった。
夕方、妻と交代して帰宅。
庭木に水を撒く。
蚊に刺されてかなわないのであるが、これをやらないとどうも落ち着かない。
ボウガシが鬱蒼と繁ってきている。
清昭と雅昭が自転車でぐるぐる回っている。
用意してある夕食を温めて、3人で食べる。
子供を風呂に入れた後、すこし時間があって「うたう☆クラブ」の返信に当てる。

深夜、歌葉の件で荻原くんに電話。
それから菊池夏子さんのフォトアルバムを見て和む。

手のつけられない仕事や私用がたまっているが、今のところ苦情や督促は来ていないので、まあいいのだろう。

確かに「現実とは基本的におおむねお手上げ状態にあるものなのかも知れぬ」

病院には、当然のことながら病人が多く、介護の人も多い。
みなぼんやりと廊下を歩いている。




[256] 現実とは基本的におおむねお手上げ状態にある 2002年08月05日 (月)

新しい部署へ初出勤。
簡単なミーティング、事務・システム関係の手続きで一日が終わる。



帰宅すると「未来」8月号が届いていた。
時評では大辻くんが、テロリズムと短歌の文脈で山田富士郎を「日和見主義者」と呼んでいた。思い切った発言だ。自分はどうもここ数年、この種の応酬は避けていたようであり、そのことが悔恨とともに想い出された。
紺野万里さんがコラムで、歌葉新人賞のリアルタイムの選考と「慰霊碑」について書いてくださった。歌壇・結社誌関係では、この新人賞への初めての言及だと思う。
奧村晃作さんの『タフ・クッキー』書評。「現実とは基本的におおむねお手上げ状態にあるものなのかも知れぬ」に、ふかく頷く。




[255] 「歌壇」座談会 2002年07月28日 (日)

今日は、本阿弥書店「歌壇」の座談会。
場所は、東京ガーデンパレス。
佐佐木幸綱、田中拓也、飯田有子の各氏。
「読みの現在」がテーマだった。
葛原妙子、近藤芳美、寺山修司の歌などが話題になる。
前回に比べて、幸綱氏ともだいぶ呼吸があってきた気がする。

終わって、下のラウンジでビールを飲む。
歌人の書斎が話題になった。

これで、しばらく続いた東京の仕事もお仕舞い。



帰宅して「未来」10月号「HEISEI NEXUS」の原稿を書く。
岡崎裕美子と玲はる名の比較歌人論。
新世代の歌人たちの特集である。
これは1991年にぼくが企画した「NEXUS」の十年後のバージョンである。
今回は、田中槐が企画編集担当だ。

ようやく〆切を過ぎた原稿を一掃した。
しかし、「うたう☆クラブ」のセッションがすぐ始まる。



深夜、歌葉新人賞の最終選考のコメントを書く。




[254] 『タフ・クッキー』出版記念会 2002年07月27日 (土)

今日は、中原千絵子さんの第二歌集『タフ・クッキー』の出版記念会。
http://www.bookpark.ne.jp/cm/utnh/select.asp
場所は、神楽坂の日本出版クラブ会館である。
パネリストは、藤原龍一郎、大野道夫、穂村弘、飯沼鮎子、大田美和の各氏。
司会を務める。
アメリカ(海外詠)、家族(母親)、医療の現場といった主題に沿って意見が出る。
会場の奥村晃作さんの発言により「朝日歌壇的」という批評用語も飛び交った。

ぼくの解題も批評の対象に。

 ダウン症児の覚えし言葉はいま五つ「痛い」があれば吾は苦しむ

のメイキングを解説に書いたことに対して、賛否両論が噴出。
穂村弘は、ある種の〈悪〉を織り込むことによる微差形成(歌集が読まれるための)と、賛意を表明してくれた。奥村晃作さんも賛成意見であった。
大田さん、会場の柳さん(まひる野)は、反対意見。
著者性はどうなる、ということだった。

ぼくとしては、さんざん迷ったが、記録しておくべき内容だと思った。
ひとつの試行でもある。
プロデューサーとして、歌集に関与したことをオープンにしていいのではないかと判断したのである。
よく岡井さんは、解説者は共著者であると言っていた。
ぼくは、チームという言い方をした。
歌集は、著者と制作者の共同制作なのである。

ただし【歌葉】で、プロデュースはオプションの一つであって、希望した著者のみがそれを受けることになる。
また、ぼくは原則的に、書いた解説については、事前に著者に読んでもらうようにしている。書き直す用意があるのだ。言うまでもなく著者をイコール・パートナーと考えているからである。

批評会の最後に「今日でチームは解散です」と言ったら、ウケタ。
プロデューサーは、先生ではない。期間契約的な性質のものだと思っている。
明日からは、また同じ「未来」の年少の友人としておつき合いいただきたいと願っている。

*


[253] Everything in its right place 2002年07月25日 (木)

ISO14001関連では、締めくくりの仕事であるが、内部環境監査のため赤坂に。
帰りに、テノヒラタンカ「ウタハジメ」に立ち寄る。

テノヒラタンカとは、短歌とイラストのコラボレーション。
天野慶、天道なお、脇川飛鳥の3人が、9人のイラストレーターと組んでいる。
コンテンツを携帯などに動画配信する企画、のようだ。

今日は、表参道の「共存」で、そのオープニング・イベントということである。
70〜80人、若者が集まっている。
眩しい。
知り合いが誰もいない、と焦ったら、佐藤真由美、加藤千恵、玉城さん、村田くんといった面々を見つけ、ほっとする。
壁にPCの画像が映し出され、若いスタッフが動き回っている。
天野慶、天道なおの朗読。

インタビューを受け「携帯をもったてのひらに舞い降りてくるような言葉を」と、天道さん。

この圧倒的な若い雰囲気。
変わったなあ、とか、もう対応できないなあ、とか頭がぐるぐるする。

天野慶
 今晩の土星の位置を知っているあなたを信じていいと思った

天道なお
 あ、ひこうき。遠くの風を身にまとい きみはゆびさし、そしてわらった

脇川飛鳥
 後悔はしない程度に楽しんだことだしきょうも帰るとするか 


そうだ。

もう、変わったとか、対応できないなんて思う必要はない。

短歌が、あるべき場所に、ある。

それだけのことだ。

Everything in its right place

トム・ヨークは、きっと肯定的にそう歌ったんだと思う。




[252] バースデイ 2002年07月19日 (金)

きょうは、芙美の誕生日。
7歳である。
会社は休暇をとる。
リクエストにより、夕食はパエリア。
ケーキのろうそくをふきけす。

7歳。
ふと、二十歳まで、まだ13年あるんだと思う。
あまりに目映い。

★彡


[251] 歌葉新人賞 2002年07月16日 (火)

読売新聞の夕刊「とれんど in 短歌」で、歌葉新人賞の選考の模様が紹介された。
「現在、十二編の第一次審査通過作品を一編ずつ掲示板で討議しており、選考過程の一切を公開している」とある。まさにそのとおりで、現在進行中。
まだ、結末が見えてこないのだ。
「密室で行われるという賞選考の印象を変えたかった」と加藤のコメント。

短歌総合誌の新人賞は、選考座談会の記事掲載によって、比較的オープンなのであるが、歌集への賞となると、なかなか選考過程の実質が見えてこない。

飯田有子の『林檎貫通式』が現代歌人協会賞の候補に上ったことは、歌葉のスタッフの一人としてほんとに嬉しいことだった。
『林檎貫通式』が論議の的になったことは間違いないと思うが(藤原龍一郎さんの日記にも引用されていたが)歌人協会の会報に載った評は、あっさりしたものだった。
 @フェミニズム以後の女性問題を的確に押さえている。
 A時代との違和感の表現。同世代の評価が高い。
 B古い短歌っぽい短歌がまじっている。
会報のスペース上やむを得ないことなのだが、白熱しただろう討議の中身がうまく伝わってこない。惜しいと思う。

歌葉新人賞の試み、批判はあるだろうが、多くの短歌関連メディアで議論してほしい。それが、短歌界の賞の在り方を変えてゆくことに繋がると思うのだ。
賞の選考は、批評の精粋でなければならないと思う。短歌の批評活性化のためには、賞の在り方が重要なのだ。
己の力不足を嘆きながらも、歌葉新人賞の選考に拘っている理由はそれである。


[250] 『イミテイト』 2002年07月15日 (月)

笹岡理絵の第一歌集『イミテイト』(近代文芸社)が届く。
解説を書いたこともあって、心待ちにしていた一冊である。
笹岡理絵を知ったのは「短歌研究」2000年9月号。「エンブレイス」は、短歌研究新人賞の上位三篇に選ばれた。
「作者紹介」を読むと、青山短大で高野公彦氏の指導で作歌を始めたとある。
高野さんの近作に出てくる女子大での授業風景が浮かんでくる。
現在は、立教大学大学院の学生で「心の花」に所属ということだ。

 とこしえの夜になりそうな わたしたち見たこともない水牛に乗る
 急激に満たされてゆく肉体に現れてくる太陽の黒点
 死を用意する愉快さで太宰治全集を積み上げる祭壇
 することがないしあわせのエナメルのような桜桃食べて過ごせり
 はじめは鳥つぎは花瓶であるようにきみに抱かれた二月一日
 ほんとうにさびしいならばこんなにも押し黙ってる窓辺のポトス
 右脚をひらかせていたきみの手でゆっくりゆっくり海を指す午後
 たわみつつきみを受けている瞬間の私はきみのそばにはいない
 さびしくて眠れないからくちびるを机に彫っていいですか、ママ

性愛の歌が多いが、ニュー・ロマンティックともいうべき風景の拡がりに注目したいと思う。



[249] 『シジフォスの朝』批評会 2002年07月14日 (日)

暑い一日。
今日は、島田修三歌集『シジフォスの朝』の批評会である。
場所は、名古屋芸術創造センター。
パネラーは大辻隆弘、大塚寅彦、武下奈々子、小塩卓哉、吉田亞希子、司会は加藤孝男の各氏。
第三歌集からの変化について話題が集まった。
確かに、ちょっと「枯れた」印象はあるが、加齢の範囲ではあるまいか。

 今生の訣れを告げむことばなし「またな」といひて逃げ来しものを

死にゆく友への歌である。島田さんのくしゃくしゃの表情まで見えるようだ。



二次会では、大辻、小塩、大塚といった面々と同席。
久しぶりに大いに話す。
島田さんからは、作歌のモチーフに関して貴重な助言をいただく。
成熟した企業人としての現在を歌うことが重要なのではないかと。
これは岡井隆の『黒豹』論にも通じることだ。

小塩さんからは、教育に関して、いろいろ教わる。
自分の認識の甘さを痛感。
加藤家の教育方針の転機となるだろう。

実りのある一日だった。


[248] 彼女は歌人 2002年07月10日 (水)

早めに仕事を切り上げて、第10回ながらみ現代短歌賞の贈呈式に駆けつけた。
江戸雪のお祝いに。

スピーチを求められた。
今日の天候に因んで「嵐を呼ぶ女」と言った。
歌集から一首引用。

 抱けば君はたちつくす熱 台風のちかづく街をみおろしながら

初めて江戸雪に会ったのは、吉川くんの『青蝉』の出版記念批評会だった。
神保町の教育会館。
懇親会でわりとゆっくり話した。
まだ、やんちゃな女の子という感じだった。
今日は、パープルのドレス。彼女は歌人だった。



ながらみ現代短歌賞は10回を区切りとし、来年からは〈前川佐美雄賞〉として再出発することになる。
眩い賞である。
今回、その選考委員にというお話をいただいた。
末席で身が引き締まる思いである。
1年後のこの場で〈前川佐美雄賞〉の名に相応しい歌集が天使の翼のようにきらめくことを願う。

★彡


[247] スリルの後に 2002年07月08日 (月)

マラリーの余韻。
また泥のような日常が始まるが、遠い海風のように朗読の声が響いてくる。

自己満足に違いないが、イメージ通りの朗読が出来たのは、Kのおかげだ。
2ヶ月ぐらい前だったか、自分なりの朗読の理由が掴めなかった頃、Kは言った。
「治郎さんがたとえば家族や恋人にだけ聞かせる声を、私にそして観客に聞かせてくれたら、それは意味のあることだと思う」
これが、朗読のイメージとなった。
Kは、当日来られなかった。
が、Kのために朗読したほんの短いひとときがあった。それは一度きりの小さな眩い旅だった。

大空の浄水場よさんさんと雲を汲み上げおおきなひかり





207


[246] マラリ 2002年07月06日 (土)

マラソンリーディングに参加。

濃い断片が、体や脳味噌に貼りついている感じであるが、まず単純に、参加してよかったと思う。
そして、ここ2、3年の様々な動きが、はっきり顕在化したイベントと思う。



快晴。大江戸線の築地市場駅で降りる。
浜離宮朝日ホール。

着くと、「加藤さん、もうリハーサルは終わったよ」と言われる。
ふふん。ぼくは、もう完璧に朗読のイメージを掴んでいるんだ。
楽屋に案内される。
長身の青年がいた。中島裕介だった。
ロビーの方で、しばらく話す。陽子さんもやってきた。
開場の時間が近づくと、行列が出来、ただならぬ雰囲気を感じる。



観客は300名を超えた。
第一部。
東直子の天使の歌声で始まる。
結城文の英語の朗読が、ノスタルジックだった。
村井康司のギターが咽ぶ。<あをぞらは干大根の匂ひかな>
増尾ラブリーも初見参。
小川優子は艶歌で。
第二部。
田中槐は、美しい銀の打楽器とのコラボ。テキストもパワフル。
雪舟えまは、愛の手紙だった。
WE ARE! この凛とした川柳の朗読は、今日のハイライトの一つ。
荻原裕幸と穂村弘の朗読は、舞台の袖で観る。
藤原龍一郎がスタッフに指示をとばしていた。
出番がきた。

 すでにもう遠くが光る波のよう入っていると囁きあって

舞台をおりて、入口の所で岡井さんとしばらく話す。
80年代のゆにぞんの会、そしてこの朗読の会。それぞれ時代を映している。
そして、活字の伝達は先入観ではなかったか。歌会でもまず読むからね。

岡井隆の重厚なイタリア詠で、幕を閉じる。



懇親会は、イタリアンレストラン。
人生の達人・ムーンライトさんが仕切っていた。
あっという間にいっぱいになった。
就職が決まったという天道なおさんと久しぶりに話す。
村上きわみさんとは、初対面!
じき、結婚するというカップルが二組あった。
期せずして、二組とも、お互い高め合いたいと話していた。そうだよなあ。
ちゃばしらの井口一夫は、同年だと知る。
吉田佳代は前回の「うたう☆クラブ」でコラボ。
<真四角のシャボン玉ってささやかれさすらう耳はサハラ砂漠へ>、とびきりファンタスティックな作品だった。



放心状態で、大江戸線に乗って帰る。


[245] 「これから大変なことが起こるぞ」 2002年07月05日 (金)

今日は、清昭と雅昭の七夕発表会。
双方の祖母と妻が参観する。
まあ、ちゃんと歌って踊っていたようで、安心する。



それにしても、子どもが言葉を覚えてゆく過程は驚異である。

ちょっと前、雅昭が「準備」という言葉を使った。
これは驚いた。
教えた覚えはない。
逆に「準備」という言葉とその意味を教えようと思っても、簡単なことではないだろう。

これは、ミユキさんから聞いた話。「土砂降り」という言葉に驚いたという。
これもちょっと出てこないかな。
それから、繰り返し清昭、雅昭が観ているビデオで、爆破シーンの前に
 「これから大変なことが起こるぞ」
と言ったという。へーと感心する。

清昭は、母親に
「なんで、俺、毎日、幼稚園に行かなかんだ」(名古屋弁、行かなきゃいけないのだ、の意)
と言ったという。
そうだ。正当な疑問だ。ぼくは適当な答えを持ち合わせていない。



仕事の転機は、だいたい2年おきに来る。細切れといえば、細切れだが、社会と業界の動きに合わせた回転なのだろう。

ボーナスが出て、しばし心と財布が潤う。


[244] やり遂げる 2002年07月03日 (水)

1年半に及んだISO14001の推進事務局の仕事を終えることになった。
認証を取得し、ゼロックスの環境経営をお客様に紹介する<環境コラボレーション>の活動も軌道に乗ったところ。潮時というものだろう。
会社の仕事の中では、記憶に残るものだった。
やり遂げた仕事だった。
統括部長室での、本審査の日のことが蘇る。午前9時。冬場だったので朝日が眩かった。
今年で入社20年。折り返し地点である。



マラリが迫る。朗読のリハーサルをKに聞いてもらう。

 抽斗だけがやさしい夜明け十年もまえってうすい手紙のようさ

自分らしく読む。それだけである。



Aが話があるというので、聞く。
雑誌の写真をめぐるトラブルだった。
訴訟の可能性も考えたが、結局、時間が解決するだろうという平凡な結論に落ち着く。
またメールちょうだい、と言って別れた。



[243] はがき 2002年06月28日 (金)

ちょっと睡眠不足気味。

歌葉新人賞の選考、前半戦を終わる。
荻原、穂村両氏のおかげで、いい感じでディスカッションが進んでいる。
問題提起型の批評といえるだろう。



W杯、いよいよ決勝戦。
どうも自分は、勝つべきチームが順当に勝ち上がることを期待していた。
番狂わせはきらいなのである。
ドイツ、ブラジル、夢の対戦だ。



岡井先生からお見舞いの葉書が届く。
家族の病気を心配してくださった。
忝けないことである。


[242] ここまで来たか 2002年06月25日 (火)

給与明細が廃止され、Webでの閲覧方式になっている。
現金支給が廃止され、銀行振り込みになった、とき以来の改革なのだろう。
周りの眼を気にしながら、PCで明細を見る。
ひっそりプリントする。
なんという風景だ。



ドイツ、韓国に勝ち、決勝へ。いい試合だった。
ドイツを応援しながらも、韓国ぎりぎりの反撃に声援をおくる。


 雨脚の百万人の疾走を見つめるコリアコリアオレオレ

                    はつなつ
 ぬばたまの夢の頭巾をかぶせまし初夏ニッポンニッポンオレオレ


[241] やがて暗澹 2002年06月23日 (日)

水道橋のグリーン・ホテルで「歌壇」の座談会。
<批評>がテーマである。
出席者は、佐佐木幸綱、目黒哲郎、小川真理子の各氏。
幸綱氏の、批評の現状への危機意識が全体のトーンとなった。
ホテル内の喫茶店で、懇談して散会。

その後、目黒君と神田の古書店を廻るが、日曜ということもあって多くは閉まっていた。ボンディという店でカレーを食べる。
ライバルを見つけることだ、と先輩風を吹かせてしまった。
神保町の駅で握手して別れる。



買いそびれていた「國文學」<短歌の争点ノート>を入手。
ぱらぱら読む。

林あまりの<メディアで話題になった歌人・歌集を、短歌の雑誌でなぜ大きく扱わないのか?>という抗議には驚き、暗澹とした気持ちになった。
ぼくは、林あまりを評価することでは人後に落ちないつもりだ。『TKO』でも書いている。
ぼくがその歌人について書くかどうかは、その作品が現代短歌の問題に突き刺さってくるか以外に主たる根拠はない。
『TKO』で書いたのは、林あまりの作品が口語の洗練度において、現代短歌の水準を引き上げているという判断によるものであって、メディアで話題云々など無関係であることは言うまでもない。
『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』について書くのも、現代短歌の問題意識からである。
林あまりの悲鳴は、歌人が、歌壇と歌壇外に分断されつつある状況の裂け目から発せられているように思われる。相互理解をなんて調子のいいことを言うつもりはない。ただ、根拠のない憎悪が相互に少しずつ溜まっていることを感じないわけではない。だから、暗澹とするのである。


石井辰彦「定型という城壁」、その破壊と再生ということで『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』を引いていたので注目したが、案外あっさり通過していた。
自作の引用の前に、もう少し立ち止まる余地はなかったものか。


[240] 落雷の香 2002年06月17日 (月)

ようやく、筑摩書房「現代短歌全集」『サニー・サイド・アップ』の著者校正が終わる。
随分待ってもらったが、どうしても、納得ゆくまで目を通したかったのである。


      リゴル・モルチス
 レノンに死後硬直きざしうらわかき銑鉄の上にふりそそぐ水

これは、明らかに塚本邦雄の修辞。
80年代は、まだ前衛短歌の影響力が強かったのである。

 二インチの銃身をもつリボルバーしびるるばかり落雷の香よ

「落雷の香」も塚本である。
実際、塚本邦雄の最近の歌集に「落雷の香」があったのだが。




[239] 父の日 2002年06月16日 (日)

身動きのとれない日々が続く。

父兄参観日で幼稚園へ。
カエルの帽子をかぶって、新聞紙の上で相撲をとる。

帰宅して、庭木に水を撒く。
芙美は自転車に乗れるようになった。
教えなくても、ひとりで乗れるようになった。
清昭と雅昭も、わっかの付いた自転車を乗り回している。

どうも菜園に蟻が巣をつくっている。
このあいだ馬鈴薯を掘り出したとき、かなり蟻にやられていた。
意を決して、蟻退治。
「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と唱えながら、ホースの水で蟻の巣を押し流す。
子どもたちも「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と言って見ていた。
「なんまんだぶ、なんまんだぶ」
「なんまんだぶ、なんまんだぶ」
「なんまんだぶ、なんまんだぶ」


「短歌研究」のバックナンバーを読む。
2000年の6-7月号に掲載された<近代の磁場>という座談会。
三枝昂之さん、坂井修一、穂村弘、加藤の4人が出席。
いま、読み直すと、現代短歌史を組み換えるような思い切った視点が提示されている。
頑張っていた、と思う。

来週、佐佐木幸綱さんたちと座談会だ。
自分としては2000年の頃の課題がそのまま棚上げになっていて、苦しいところである。
・短歌形式と私性再考
・歌集批評の問題
で2点ほど、問題提起する予定だが、議論が噛み合うかどうか。


[238] 批評 2002年06月10日 (月)

歌葉新人賞の選考が始まる。
今日は、一次選考の発表ということで、<リアルタイムスペース>のアクセスも800を超えた。
これから、一ヶ月。批評のロングランである。

ちょうど今月、「批評」がテーマの座談会がある。
短歌の批評、難しい。
三枝昂之氏は「短歌批評の領域」(『短歌における批評とは』岩波書店<短歌と日本人>W)で「作品批評にとってそこで肝要なことは、短歌観からニュートラルになることである。批評史はそう教えている。短歌観を抑えて、読みと技術批評に徹すること、それが作品批評の王道である」と述べている。
これに異論はないが、技術批評だけでは、とどかない領域もあるわけで、そこが難しいのである。



会社の仕事で、難問が一つ、解決の指針がみえた。土日、頭から離れなかったが、一安心である。
原稿関係も一つずつ挽回中。



寝る前に西瓜を食べる。

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[237] ニッポン、ニッポン 2002年06月04日 (火)

仕事を早めに切り上げて、日本−ベルギー戦を観る。
2−2。日本の闘志が光るいい試合だった。
何百人というサポーターがテレビ画面を観る大会場が各地にあるのには驚いた。ニッポン、ニッポンと。
清昭と雅昭がツートップとなって走る姿を空想する。

歌葉新人賞、自分の中での一次選を終えて、二次選へ。
BBSでの選考の大まかな進行も決まった。
どんな展開になるか。オープンでリアルタイムであるだけに、予期せぬ出来事を予期せざるを得ない。


[236] 『サニー・サイド・アップ』 2002年06月03日 (月)

いつものことながら、いろいろ重なって身動きがとれない。

筑摩書房「現代短歌全集」に収録される『サニー・サイド・アップ』の校正に時間がかかっている。
改めて読み直すと、様々なアイデアと無器用さ、革新性と古さが綯い交ぜになった不思議な歌集である。
「ザベルカ」「チャップマン」は、時間をかけてつくった連作だと当時の意気込みをほめてやりたい気持ちになる。
「スモール・トーク」「オールド・ボーイ」「ラム」あたりも、工夫があり、頑張ってつくったという感じがする。
V部は、おそろしく古い感じの歌が多い。そのくせ前衛短歌の影響が大なのである。

 自炊せぬ暮らし続くにアネモネの花粉こぼるるステンレス台

これは当初

 自炊せぬ暮らし続くにアネモネの花粉こぼれしステンレス台

だった。「こぼれし」は塚本邦雄から引いている。
「未来」の東京歌会で、近藤芳美先生から「暮らしは駄目だ。生活なんじゃないの。その違いを考えてごらん」と評された。また「こぼるる、の方がいい」とも。
生活=レーベンには、ついに到らなかったのだが、記憶に残る歌評であった。

『サニー・サイド・アップ』は、昭和の歌集であると改めて思う。
そして、確かにアメリカの影が濃いのである。


[235] 朗読それぞれ 2002年06月01日 (土)

ようやく、すこし時間ができて、『岩波現代短歌辞典』のCD-ROM版を開ける。
さて、どう使おうかとあれこれ考える。
引用歌の精度は、99.99%。これが電子化されたのが一番の収穫だと思う。
と思っている内に付録に目が移る。
監修の岡井さんと9人の編集委員の自作朗読映像。
これが目玉である。
さすが、岡井さん、穂村くんは、朗読会を重ねているだけにうまい。味がある。
道浦さんの歌声喫茶のような清新さもいい。
楽しめるぞ。



マラソンリーディングのテキストを大井くんにメール。
ちょっと作品を読み上げてみる。

 すでにもう遠くが光る波のよう入っていると囁きあって

20首用意した。



ワールドカップは、ドイツがサウジアラビアに大勝。あれ、7点だっけ、8点だっけ。先日の仏蘭西金縛りのもやもやが吹っ切れた。
子どもたちがサッカー始めたらいいなあ。
ゴールネットを買ってこよう。

○彡


[234] 華の会 2002年05月25日 (土)

岡井隆の華の会で、大阪へ。

小林久美子さんが世話人の中心で、ずいぶん前から準備が進んでいた。
小林さんと、短歌の会で会うと、いつも不思議な気持ちになる。
最初に会ったときは、大学時代の友人、小林剛に婚約者として紹介されたのであった。
15年ぐらい前だったか。京都だった。
二人は、大和銀行の同僚だった。
2回目にあったときは、久美子さんの実家に招いてもらった。
剛くんと3人で楽しい一晩だった。
久美子さんが短歌を始めたのは、それから数年後だったはずである。

会は、90名ほどの参加者で盛況だった。
黒瀬くん、和清くん、魚村くん、川谷さん、木更津さんたちも来ていて、関西のパワーを感じる。
江戸雪さん、渡部光一郎くんとともに歌評を担当した。

2次会は豆腐料理だった。湯葉を掬っていっぱい食べた。
マナティが『雨裂』で現代歌人協会賞を受賞したことを知る。あの京都の座談会の、吉川くん、前田さん、江戸さん、真中くん、それぞれ巣立っていった。従兄弟たちの活躍を見るような気持ちである。


[233] 池田はるみさん 2002年05月24日 (金)

寺山修司短歌賞、河野愛子賞の授賞式に出席。
神保町の如水会館である。
飯田有子さんや富田睦子さんの顔もみえた。
指名されて、池田はるみさんにお祝いのスピーチ。

池田さんに初めてお会いしたのは、86年ごろだったと思う。
当時、お茶の水の高木三枝子さんのビルの講堂を借りて、岡井選歌欄の研究会があった。山田富士郎、桜木裕子、紀野恵、堀隆博、西貝薔といったメンバーだったか。
穂村弘や中山明もちょくちょく顔を出していた。
『サニー・サイド・アップ』の岡井さんの解説にも書いてあるが、「ザベルカ」の

 神に武器ありやはじめて夏の朝気体となりし鉄と樹と人

を批評してもらったのもこの会だった。
穂村くんのバックハンドの…という歌もこの会に出詠された。
「スモール・トーク」の批評もこの会でしてもらったので、やはり86年頃の会だったのだ。

あるとき、池田さんがその会に出席。議論に面食らった様子で、最後にぽつりと「混乱しています」と挨拶された。
池田さんは、すでに85年「白日光」で、短歌研究新人賞を受賞していた。
しかし、現代短歌の議論の場に出会ったのは、その日が初めてだったのだろう。

その後、この会は、池田さんが世話人になって清新の会として引き継がれたのである。

その清新の会のころのことを池田さんと話して楽しいパーティだった。


[232] 「未来」5月号 2002年05月21日 (火)

NHKのプロジェクトXをいつも観ている。
今日は、東京ドーム建設の竹中工務店と太陽テントのプロジェクト。
太陽テントは、大阪万博のアメリカ館を手がけた。
小学校5年生のとき観たアメリカ館、そして月の石の記憶が蘇る。
毎回、この番組にはひどく感動する。
志にぐっとくるのだ。
とりわけ出演者が、ありふれたサラリーマンの風貌であることに心が動くのである。



「未来」5月号は、悲喜こもごもという感じ。
嬉しい知らせは、夏の大会に正木ゆう子さんに来ていただけること。
岡井さんとの鼎談である。楽しみだ。
寂しい知らせは、高島裕の退会。内々に聞いてはいたが、岡井さんが選歌後記で触れたので公になった。これも異例のことだ。
高島こそ岡井隆の韻律を継承し「未来」の支柱になる男だと思っていた。
半年ぐらい前の編集会議の二次会でわりとゆっくり話す機会があった。
「良経を読んでいるんです」
と楽しそうに話していたのだが。
高島はインターネットをやっているわけでもないし、これからどうしていくのだろう。同人誌や個人誌を考えているのか。気がかりである。

大辻くんの時評は、歌壇に書いた『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』への批判。エキスでないものをどう扱うかという問題である。
これは『水葬物語』の律の革新の評価とほぼ同じケースなので、なにかの機会に考えてみたい。



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[231] 寺山修司記念館 2002年05月18日 (土)

今日は、よく晴れて気持ちがいい。
庭の躑躅が鮮やかである。

14、15日と母が一人で寺山修司記念館に行ってきた。鳴海に行って話を聞いてくる。Tシャツ、絵葉書、それから記念館設立の記念冊子を土産にもらう。
行きは、名古屋から飛行機で青森、それから三沢というルートである。
幸運にも館長の寺山孝四郎氏と話ができたそうだ。
孝四郎氏は、修司の従兄弟で、同じ屋根の下で暮らしていた。
やはり修司は母を愛していたという。
記念館を中心に、若い世代に俳句が広がっているそうだ。

母は、小笠原和幸さんにも会ってきたそうで、その行動力には驚く。

近々、記念館に行きたいと思っている。


[230] 潮流 2002年05月14日 (火)

新人賞応募作のプリントを受けとり、BBSに応募状況の速報を流して一段落。
6月10日まで、イキのいい応募作とのハネムーンである。
予想通り、若い作者が圧倒的に多い。時間があったら正確にカウントしてみたいところだ。
ざっくり、約5割は20代の応募者である。
新しい潮流を感じないではいられない。

しかし、一方、例えば松平盟子の『帆を張る父のやうに』が、22歳から24歳までの作品を収めた歌集であったことを思わないではいられない。
http://www.bookpark.ne.jp/cm/utnh/select.asp

  少年の銃身のやうな腕に添ひフリュートの中を息流れゐる  松平盟子


伝統と新しい潮流が渦巻き、発光する様を思うのである。


[229] 彼は部長 2002年05月13日 (月)

雨模様である。

コンテンツワークスへ行き、荻野部長と新人賞関連の打ち合わせ。
オン・スケジュールで進行である。

プリントにざっと目を通す。
応募作、手応えあり。
【歌葉】の波紋がまた一つ拡がったことを実感する。




[228] Clockwork Orange 2002年05月10日 (金)

第1回歌葉新人賞の応募受付最終日。
新人賞のBBSも盛り上がった。

http://www.sweetswan.com/utanohabbs/

「応募しました!」と名乗りを上げるという、今までになかった風景が展開している。
短歌賞のオープン化が実現するだろう。
審査のプロセスも公開する。これは、文学賞関係では初めての試みのはずだ。



キューブリックの「時計じかけのオレンジ」を観る。
DVD、ハリウッドプライスの1割引で、1350円。これは、安い。
いい時代になった。
画質の良さには驚嘆。無修正版ということで、1971年当時の映像としては、性的に過激であったのだろう。
暴力と洗脳と再生。ラスト5分、主人公アレックスは表情だけで再生を暗示した。


この魅惑的な映像の世界がしばし、歌葉のBBSと重なった。


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[227] シノワ、中国 2002年05月09日 (木)

歌葉新人賞の締切りが迫る。BBSも盛り上がっている。

夜、小屋敷さんとシノワで食事。「ハレアカラ」以来だから、かれこれ9年のつき合いになる。
「未来」大会のこと、テロ事件のこと、社会的主題のこと、正木さんのこと、家族のこと、歌葉新人賞のこと、穂村くんのこと、岡井さんのこと、カミーユのこと、いろいろ話して2時間経つ。

深夜、帰宅。「ヒミズ」を読んで寝る。


[226] 連休明け 2002年05月07日 (火)

今日は雨模様、肌寒かった。

朝礼、ISOの業績でプレジデントからの感謝状と記念品を受けとる。
といっても担当業務の範疇であるし、全員の活動の成果なので、ちょっときまりが悪い。

  傘さして蕎麦屋に向かう男かな

少しずつ仕事を片づけて、早めに帰宅する。
六月に座談会が一つ入る。
もう夏の予定が埋まってゆく。

  一年の折れる音する大河かな


[225] こどもの日 2002年05月05日 (日)

庭の菜園に馬鈴薯の花が咲いた。薄紫の可憐な花である。

昼前、鳴海から両親が来る。
子どもの日の会食である。
清昭、雅昭に陣羽織を着せて、写真を撮る。

『E/T』の書評は、だいたい目を通したつもりでいたが、肝心の「未来」、穂村弘の書評を見落としていた。
冷や汗が出る。
穂村弘曰く、岡井隆は「不測の事態」を常に求めている、と。
もう、これ、何百枚の岡井隆論より、言い得ている。脱帽。

夕方、子どもたちと庭でサッカーをする。
遠く、細い飛行機雲が見える。
暑い一日だったが、夕風は涼しい。

夜、鯉のぼりを仕舞う。
「ブリキの太鼓」を途中まで観て寝る。


[224] 『ストロベリー・カレンダー』 2002年05月04日 (土)

ようやく一息ついたので、懸案の仕事に着手する。
サンプル原稿が12枚ほど出来た。
久しぶりに西田政史の『ストロベリー・カレンダー』を読む。

 死ニサウニナルマデ息ヲ止メタママ舗道ヲ走ルトテモ楽シイ
 生理日が近いのだらう浴室から Home, Sweet Home がきこえる
 ディズニーの家鴨のごとし夜も昼も窓際に添ひゐたる空虚は

意味のあることは何もなく、自分だけの愉快原則を見つけた途端、ゲームは終わってしまう。
空虚にみちた青春の主題を提示した歌集だ。
出版記念会は、名古屋だった。東急ホテルだったか。受付に久具衣さんがいたっけな。
アト・ホームなパーティ形式だった。塚本邦雄氏、それから春日井建氏も出席されていたように記憶している。
塚本氏に立ち話で、次の歌集はまだですかと聞かれた。すこし先になりますと応えたところ、大層意外な顔をされたことをよく覚えている。
「矢継ぎ早で」という言葉が、はっきり耳に残っている。
目が覚めた。すぐ『ハレアカラ』の制作にとりかかったのである。



夕方から0時まで、WOWOWで『巨人の星』を観る。
長いこと忘れていた、熱いものが蘇る。
もう30年前の世界だったのだ。
灯油の火の玉、大リーグボール養成ギプス、花形の鉄球、みな常軌を逸していた。真善美と狂気は、すれすれのところにある。
伴の泣絶叫もなつかしい。
スポ根で片づけたくないなあ、俺は。


[223] デンパーク 2002年05月03日 (金)

朝、合田千鶴さんからメールが来ていて、未来大会8月10日午後のシンポジウム「テロリズムと短歌・総括」のパネラーを引き受けてもらえることになった。合田さんは、オランダからの参加となる。
これで、パネラーは、大辻隆弘、中沢直人、佐伯裕子、合田千鶴、矢部雅之(心の花)の各氏となる。
矢部さんは、報道人としてアフガニスタンに取材に赴いている。違った角度からの発言が期待できる。
白熱の会が予想される。
司会者としてうまく進行できるか。気合いが要る。

今日は、晴天でピクニック日和。
安城のデンパークに行く。前、みゆきさんに教えてもらった。
大きな風車が目に留まる。地ビールや、フランクフルトなど出店が多い。
芝生が綺麗で気分がいい。
弁当を食べて寝ころぶ。子どもたちが駆け回る。
猿回しのショーをやっていた。2メートルの竹馬に乗ったり、信じられない距離を跳ぶサルには、鬼気迫るものがあった。

夜、WOWOWで『JSA』を観る。
観ておくべき作品だった。


[222] 15枚 2002年05月02日 (木)

清昭、雅昭に、トミカを使って算数の勉強。
ミニカーのような手触りのある物と数字を対応させると効果がある。
二人は声をそろえて、コーラスのように数字を言う。

『E/T』論はだいたい午前中に書き終え、午後に推敲。
2枚ぐらい超過しているから、バサバサ削ってゆく。
夕食前に推敲を終え、夕食後にプリントし、引用歌等を再度チェックする。

ようやく一息つく。イワシの缶詰状態から束の間解放である。
レディオ・ヘッドのライブを観て寝る。


[221] 11枚 2002年05月01日 (水)

昨日打っておいたポールの基礎に、ポールを立てて、鯉のぼりを吊す。
やはりいいもんである。

寝転がっていたら、『E/T』論、著作リストから話を始めるというアイデアが浮ぶ。
昼食、夕食を挟んで11枚ぐらい書けたので楽になった。
だいたい一日目が鍵なのである。
昨日、無理に書き始めなくてよかった。

ザ・バンドの「ラストワルツ」を観て寝る。


[220] 『E/T』 2002年04月30日 (火)

岡井隆・歌集論に着手。『E/T』を中心にという依頼である。
思いつくままにメモ。

・歌集の変容
・現代詩へ
・私という無私
・横書き
・成り代わり
・103首
・俗語の詩語化
・穏やかな幸福感のなかの言葉

午後、鯉のぼりのポールを買ってきて庭に立てることにする。
有松のマンションのころは、ベランダに立てていたのだが、今はそうもいかない。
ハンマーでポールの基礎を打ち込む。
なかなか真っ直ぐにいかないので、2回やり直し。
かなり時間がかかり、くたくたになる。

砂子屋書房から、寺山修司短歌賞と河野愛子賞の案内が来る。
それぞれ島田修三『シジフオスの朝』、池田はるみ『ガーゼ』が受賞。
実力者の受賞が続いている。
『昏睡のパラダイス』から4年経とうとしている。
歴代の受賞者に肩をならべられるよう頑張りたい。

岡井論は15枚なので、1日5枚、2日5枚、4日5枚、5日推敲と大まかに執筆スケジュールを立てる。
しかし、きょう苦しくとも2、3枚書いておくと後が楽になる。
と思うのだが、さすがに杭打ちの疲れがでて、11時ぐらいに寝てしまう。


[219] 31音、短歌形式の死 2002年04月29日 (月)

みどりの日である。ぼくは、天皇誕生日と言った方がぴんとくる世代である。

祖父の命日なので、鳴海へ墓参りに。
寿司善で会食。
兄の社長就任を祝う。分社したエンジニアリング会社である。
社長とは、男子の本懐だ。

その後、家族で名鉄百貨店に出かけ買い物。
赤福餅と抹茶のセットをたべて帰る。

帰宅して、短歌関係の雑誌に眼を通す。
角川の時評で、三枝昂之さんに「短歌形式の現在──その死まで」について言及していただいたので有り難かった。
 『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』は、三十一音でありながら 五七五七七を峻拒する作品を提示している。これは短歌形式の〈死〉で あるとしかいいようがない。
これは自分なりの創見と思っていたので、そこに着眼してもらったのはうれしい。「心の花」の矢島くんも、時評で反論を書いた、とメールをくれた。
『水葬物語』の位置づけに関心のある読者にしか通じない議論と思っていたが、やはり狙いとした読者には届いたのである。


[218] ホーメイ 2002年04月27日 (土)

連休初日。

中原さん『タフ・クッキー』批評会のパネラー、みな快諾いただいたので一安心。
7月27日。
インターネットでも会の案内を出そうかと思う。

上野久雄『冬の旅』の書評を書き上げる。
一つ確認したい事実があって、大島史洋、佐伯裕子、河野小百合、山田富士郎と電話をかけるが、皆留守だった。

 あるドアを押すとき吾は息をのむ血まみれの息子そこに立つかと

この歌の下句である。が、私的なところを超えている歌なので、そのまま書くことにした。

  ねむりゆく闇に思えば亡骸にまわりつづけていし扇風機
  助からぬ病と聞きぬ これの世に助かる人のもし誰かある 
  雨つぶぽつりぽつりと雨つぶがぽつりと小鮒の前にうしろに
  便器よりほとばしる湯のほどのよさ大根になったような気がする

作者の抱える空虚、そして奇妙なエンターテイメント性。
読ませる歌集である。
そしてそれは書くことで初めて分かってくるものなのである。



午後、出かける。
予定していた批評会が中止になったので、代わりに年少の友人に会って歌の話とかする。
大したことは言えないのであるが、なにかヒントになることがあるかもしれない。
村上さんの『fish』を読んでいたのですこし驚く。
第二歌集、プロデュースしたんだ。
緑の豊かな公園のベンチでぼーとする。
すこし肌寒い。
隣に妙な民族楽器を演奏しているグループがいる。
声が響いて音楽になる。
ホーメイかな。

 面白がってぼくの手帳を見るひとよ遠く噴水のみえるひととき


[217] hell freezes over 2002年04月25日 (木)

ようやく風邪が治ったようだ。
ほぼ一ヶ月、微熱が続いた。
ひどく悪くはならないが良くもならない。人生と同じだ。
子どもは抵抗力があるから、すぐ39度近く熱が出る。
弱った大人は、あまり熱が出ないのである。



藤原さんに電話したが話中だった。インターネットに接続されているのだろう。
メールを送る。
矢部さんの電話番号が分からなかったので、メール。
大野さんは電話が繋がった。
江田くんに電話したが留守だった。
岡井さんには手紙。
飯沼さんに電話。



イーグルスのDVDを観る。
”hell freezes over"という94年の再結成のライブである。
アコースティックなアレンジのHotel California、思い入れたっぷりのWasted Time、すばらしいパフォーマンスである。
しかし、このライブの後のイーグルス、あまりぱっとしないようだったがどうなったのだろう。
何年かぶりに逢う恋人のようなものか。
再会してそれでもう思いを遂げてしまうのだろう。


[216] シンポジウム「テロリズムと短歌・総括」 2002年04月24日 (水)

ようやく「うたう☆クラブ」のコラボが終了。
今回は、特選2名、コラボが10名という結果だった。
傑作が多く、満足している。
コーチに栗木京子さんが加わったので、4ヶ月サイクル、つまり年3回の登板ということになる。

千葉君に電話して中沢君の電話番号を聞く。
「未来」シンポジウム「テロリズムと短歌・総括」、内部では大辻くん、中沢直人くん、佐伯さんのパネラーが固まった。
外部から一名、招聘する。Y氏を考えているが、なかなか連絡をとる時間がない。
それにしても、テロリストたちは何処に行ったのだろう。
情報ソースの乏しい個人は、全く実態を掴めない。

やり残した諸々を抱えながら連休に突入する。


[215] ビリー・ザ・ベスト 2002年04月23日 (火)

ビリージョエルのDVDを買ってくる。
ヒット曲はだいたい入っている。
「アレンタウン」なんかやっぱりいい。
「グッドナイト・サイゴン」にしろアメリカというテーマは濃厚である。
ポップミュージックとは、
いいの? …。微笑。やさしく火照った頬。

『タフ・クッキー』の批評会の打ち合わせで中原さんとメールでやりとり。
7月27日、神楽坂の日本出版クラブ会館だ。
これからパネリストの出演依頼。



[214] 比較的のんびりした休日 2002年04月21日 (日)

栄あたりに買い物に出かける予定だったが、一家全員風邪をひいているので、家で大人しくしている。
毎食後1、2時間睡眠をとる。
体がちょっと休まった。
今日は、雨である。
庭のボウガシが随分ふさふさと葉を繁らせてきた。思い描く庭のイメージに近づいてきてうれしい。
子ども達が粘土で遊んでいる。
ところてんのように、にょろにょろ粘土が出てくる器具がおもしろい。
「うたう☆クラブ」の返信を4通。
それから「未来」に映画のエッセイ。『惑星ソラリス』のことを書いた。
無重力空間でクリスとハリーが浮遊するシーンが美しい。シャンデリアが微風に吹かれたように音をたてる。
田中庸介さんの詩を読む。体がふっと浮くような詩だ。
川野里子さんの評論をすこし読む。最近は、人の文章に自分の歌が出てくると恥ずかしくなってしまう。
ここでも人間魚雷の歌が引用されていた。
ぼくの歌では、よく引用されるベスト10に入るだろう。玉城徹氏、石田比呂志氏も巻き込んでいる。歌集には入れなかったのだが、独り自力で生き延びている、不憫な歌である。
Gさんに相談を受けたので、ぼくがいつも使っている歌集謹呈先のリストを送る。
筆まめからテキストデータに落とすのに結構手間取ってしまった。
それにしても何かやっている。いや、何かやっていないと落ち着かない。
生産的な休日という哀しい生活に慣れてしまった。
岡井隆論の依頼が来ていた。
ゴールデンウィークを投入するしかないなあ。



[213] 出版記念会の写真 2002年04月18日 (木)

今日は、「かりん」の久保剛『冬のすごろく』寺井淳『聖なるものへ』の合同出版記念会。会場は中野サンプラザである。
久保さんは山口県、寺井さんは島根県在住ということで、安芸の方からの出席者も多かった。人生派と言葉派ということがキーワードになったが、対照的な二歌集であった。

 「寒かった?お帰りなさい」という人が四人いるからまだ帰らない

                   久保剛『冬のすごろく』

こういう穏和な家族詠は、80年代の『サラダ記念日』にも通じるだろう。
かなりうまく摂取している。
会場で終始うなだれていた久保さんが印象的だった。


 弾けたるコーラの泡のおのおのにおほきみがゐて舌をなぶるなり

                   寺井淳『聖なるものへ』

技巧的な歌である。
発想のベースは新古今的。定家の「かきやりしその黒髪のすぢごとにうちふすほどはおもかげぞたつ」を想起してよいだろう。
そしてアメリカの象徴たるコーラの泡に遍在する天皇。苛まれる自我。
なかなかのものである。
『聖なるものへ』は、近年稀な、歌への意志が強固な歌集である。
称賛に値する。

寺井さんには98年大阪で開いた『昏睡のパラダイス』の批評会に来ていただいたのだが、どういう縁でその会にお呼びしたか、今ひとつ定かではない。
その後、歌集の栞文を私が書き、今日に至っているのである。
今回、歌集を読み直して、改めて手強い歌人だと思った。

会が終わって、著者を囲み、馬場さん、岩田さん、篠さん、小高さん、香川ヒサさん、坂井さん、加藤といった面々で記念撮影。
こういった改まった写真は好きである。
おそらく再びは揃うことのないメンバーだろう。
そういうことを記念写真は思わせるのである。


[212] 雨が風にのるのが視えるこの島に暮らすプランをたのしむぼくは 2002年04月15日 (月)

予定通りNHK総合「おしゃべりらんち」で春日井建氏に歌を紹介していただいた。
うれしいことである。

 ひとしきりノルウェーの樹の香りあれベッドに足を垂れて ぼくたち

これは『サニー・サイド・アップ』から定番の歌である。
ビートルズの「ノーウェジアン・ウッド」からの引用。その後、村上春樹の『ノルウェーの森』も刊行された。


 はじめてのようにきみとの朝食を雀が皿にとっとっとっと

これは、春日井氏ならではの選歌。『ハレアカラ』の「マウイ島にて」より。
旅行詠である。マウイのマリオネットとかいうホテルのテラス。
気持ちのよい場所だったので、ホテルのボーイでもやって、ここに棲もうかと思った。


写真は先週NHKの後藤さんに撮ってもらったものだ。




連休までは、忙しい日々が続く。


[211] 編集会議 2002年04月14日 (日)

「未来」の編集会議に出席。
主に夏の大会の企画である。
1日目のシンポジウムに「テロリズムと短歌・総括」、2日目には歌合わせも企画された。会費も低価格化。
すこしトレンドが変わった感じがする。

Sさんの歌集稿にコメントし、返送。手応えのある歌集になりそうだ。
「うたう☆クラブ」の返信も一段落。
やり残したことも多い土日であったが、まだ挽回できる範囲である。


[210] 「おしゃべりらんち」 2002年04月12日 (金)

販売計画の月度フェイジングがようやく終わる。
環境コラボの仕事と並行しているのでけっこう大変である。
スタッフ一人二役態勢の時代。
ワークシェアリングとは逆の方向である。
O君はフリーになったという。
そういえばカルチャー教室の講師になっていた。
フリーといっても、結局生きるために何かしなければならない。
扶養家族にならない限り仕事が必要なのである。

帰宅するとNHKの後藤さんからメールが来ていた。
「おしゃべりらんち」で春日井建さんが若手歌人の短歌を紹介するシリーズが始まる。その第1回目として、作品をとりあげていただいた。
放映は、NHK総合(東海地方)、4月15日午前11時30分である。
VTRをとっておこう。


[209] 新宿の雨に別れて以来なり 2002年04月10日 (水)

今日発売の「文藝春秋」に8首掲載されたのでさっそく買い求める。
俳句の方は、と捲ると正木ゆう子さんだった。
詩は、あがた森魚。

正木さんにはつい昨日、本の礼状を送ったばかり。不思議な縁を思った。
もう何回かお目にかかったように思っていたが、実際は一度だけ。
『短歌 俳句同時入門』という本の打ち合わせで、岸本尚毅氏に呼び出されて、正木さん、紫苑ちゃんとぼくが新宿に集まった。
新宿西口の高層ビルで食事。雨だった。
本が刊行されたら、出版記念会をやりたいね、という話になったと記憶している。
そうなっていたら、若手俳人、歌人の交流は随分盛んになったはずだ。
実際は、その後、本とは関係ないところでストーカー事件が起こったりして交流どころではなくなったのである。
残念なことだった。

  春の山どうも左右が逆らしい  正木ゆう子


[208] 星崎小学校 2002年04月08日 (月)

今日は、芙美の入学式。星崎小学校である。
 芭蕉『笈の小文』の

  星崎の闇を見よとや啼千鳥

の星崎である。ちなみのこの句には「鳴海にとまりて」という詞書がある。
ちょうどぼくの実家あたりから星崎を遠望した句だ。

ぼくは有休をとって、一家5人で出かける。
新入生は30人、1クラスである。少子化と都市の過疎化が重なったためだろうが、いかにも寂しい。教室も空いてきたためか、視聴覚室、器楽室、等の特別教室の類が多い。運動場も十分広いのになあ。
ぼくのころ、鳴海小学校は、1クラス40〜50人で、1学年7〜8クラスはあったはずだ。
講堂では、教員、来賓、児童、父兄が四角形に向き合って坐る。
まず、君が代斉唱。
歌うのは30年ぶりぐらいか。
校長の訓辞、来賓挨拶と続く。
一旦教室に戻って、持ち物の説明を受ける。
再び講堂で、児童、父兄いっしょになっての記念撮影。

鳴海の実家と、笠寺の妹のところに内祝いを持参。
暑い一日だった。


[207] 取材 2002年04月06日 (土)

NHK名古屋放送局で、取材を受ける。

2時半ごろ迎えの車が来る。門のところに子ども3人が立って父を見送るの図は、昭和の風景である。
番組で短歌が紹介されるので、その打ち合わせ。
インターネット短歌の話で盛り上がる。
東海地方でNHK総合テレビジョン、4月15日(月)午前11時30分「おしゃべりらんち」で放送の予定。

帰宅したころに、ディレクターからお礼のメールが届いていた。


[206] 燃えろ、セールス 2002年04月03日 (水)

出張で静岡へ。
ISO14001の営業展開のための打ち合わせ。

中川弘、田中徹と入社以来20年ぶりに会う。
でかい会社だから同期入社でもずっと会わないことがあるのだ。
中川は配属までの3ヶ月間同じ独身寮に居た。彼は寮長だったのである。
田中は営業研修のクラスが一緒だった。
お互い髪が白くなり、20年の歳月を思わずにはいられなかった。
中川はもう忘れているだろうが、彼には恩義を感じている。
ぼくはゼロックスの営業研修でクタクタになって、殆どギブアップの状態だった。
ろくに口もきけない有様だった。
そんなとき中川が俺がトレーナーに話してやろうかと言ってくれたのである。
その一言で目が覚めた。
トレーナーに加藤はもう駄目ですと言ってもらったら、それこそ企業ではドロップアウトなのである。
中川の親切心で、逆にぼくには絶壁がはっきり見えた。
踏みとどまったのである。

その後、配属はスタッフ部門に決まった。
業界でも最も厳しいゼロックスのセールスマンにはならなかった。

それから20年である。



静岡駅前の「魚彩」という店で懇親会。
桜エビの刺身のしゃりしゃりとした食感が心地よかった。


[205] コラボ、始まる 2002年04月02日 (火)

今日は暑かった。
夏の日射しだ。
ズボンの上にスカートをはいた埴輪族も絶滅するだろう。


「うたう☆クラブ」のコラボが始まる。
今のところ8名に返信した。
あと数名なんとかやってみたい。
未知の作者の未知の何かを拓くきっかけになればといつも思っている。


なんとかこの夏、10キロ減量したい。
だれか賞品を出してくれないか。
励みになる。


[204] 一つの仕事の終わりと始まり 2002年03月31日 (日)

朝起きたら、ちょっと喉がいがらっぽい感じだった。
朝食を済ませて、今日やるべきことをメモ帳に書き出した。

まず、Sさんの歌集の解説に着手。
ゲラをもらって一ヶ月たっていた。
いつものことながら、解説は一番重い原稿である。
自分の評論だったら自分の責任の範疇で書けばよい。
解説は他者の世界の中心部に踏み込んでゆくことであるから、気力が充実していないと書けない。岡井さんがいつも言うように、共著の性格を持つ。
運命共同体である。
そして、著者自身も気づいていない宝石の鉱脈を読者に示さなくては解説の意味がないのである。

なんとか書き終えた。
Sさんに「書けたよ」と電話したら、とても喜んでもらえた。
最も嬉しい瞬間である。



夕方、Mさんと会って食事。
新しい歌集のキックオフである。2時間ほど話をして、草稿をいただいた。
半年に及ぶであろう長い旅の始まりである。



夜、Yから電話。
とりとめのないやりとりに安らぐ。

薬を飲んで眠ることにする。