[203] in the flesh-live 2002年03月30日 (土)

今日は、快晴。桜日和である。

午後1時、大宮ソニックシティ市民ホールで、第二回現代短歌新人賞の表彰式に出席。受賞者は小守有里さんである。
春の一日に相応しい華やかさがあった。
休憩時間に小島ゆかりさんと喫茶店で少しおしゃべり。
記念講演は佐佐木幸綱氏の「現代短歌50年の問題」。
『水葬物語』を基軸に、近代短歌以降の<私>の問題を探る。
『水葬物語』には<われ>が一首も出てこない(わが胸など、二首ほどあるが)ことがポイント。
幸綱氏のところの学生が卒論で、啄木は貧乏ではなかったということを実証したという話が面白かった。
(やはり啄木は啄木のイメージを詠ったということなのか。)
スライドでレンブラントの肖像画が何枚も映される。
宗教画や王侯の肖像ではない、こういった市井の人の肖像が描かれたところが新しい。おそらく、近代的自我の萌芽ということなのだろう。
その後、子規の自画像と自作像が投影された。



午後5時、有楽町の東京国際フォーラムで、ロジャー・ウォーターズのライブ。
ピンク・フロイドを聴き始めたのは高校生の時だから、かれこれ20年ということになる。ビートルズとともに、ずっと追ってきたバンドである。
国際フォーラムは、音楽を聴くにはいい会場だ。全部正面席である。

ライブ前半は「ザ・ウォール」「アニマルズ」「炎」といったアルバムからの選曲。
噛みしめて聴く。
ピンク・フロイドのようなライティングを駆使したスペクタクルなステージではないが、映像とのシンクロは流石である。ソリッドなパフォーマンスは、フロイド系のライブの中でもベストではないだろうか。
前半は「狂ったダイアモンド」で終わる。
ステージに特大のダイアモンドが垂れてきて、会場に光を放つ。
後半は、『狂気』とソロ時代からの選曲。
「ブレーン・ダメージ」「エクリプス」、何百回と聴いた曲が正に演奏されている。感極まる。


気持ちのいい夜だ。春の街をしばらく歩いて新橋で地下鉄に乗る。

★彡


[202] みずがめ座流星群観測会 2002年03月28日 (木)

桜ロール、洋風和菓子である。
ロールケーキで、桜の花と葉がのっている。
ほんのり桜味の白あん。
美味しいなあ。



「みずがめ座流星群観測会」記録(S54.5.5)に<17:00 辻一朗、伊藤史隆が集合場所である有松駅に、定刻通りに到着。辻は「オイ、こっちは南か?」と得意の方向音痴を披露>とあった。
へえ。有松に来たことあるのか。20年の時間差だ。

「この男は割と冷静なのでマジメに意見をさせると良いことを言う。それとこの男、狂った様に馬鹿なことをやり出すことがあるし、どこでも寝ころがるというのもこの男の特質だ。沈思しながら、バカなことをするというアンバランスがこの人間の全てを物語っている」というのは、当たっているなあ。



 ぼくたちの詩にふさわしい嘔吐あれ指でおさえる闇のみつばち

 


[201] 22−27 2002年03月27日 (水)

「鳴尾日記」の引越しが無事終わった。荻原くんに世話になりっぱなしである。

とりとめのない数日間だった。

・隣家(裏手)の境界の鉄条網の問題が円満に解決。両口屋の千成をもってお礼に行った。

・これも懸案、斜め向かいの住人が車を家の門の脇に駐車する件、たまたま主人と出くわしたので、その場で苦情を申し入れる。車の安全確認の死角になって困る旨をはっきり告げた。その場で「はい、わかりました」との返事をもらった。妻が向かいの大家さんに菓子折をもって経緯の報告に行く。

・佐佐木幸綱論10枚脱稿。歌論を論じる。「主題」か「私」の問題かどちらに焦点を当てるか迷うが、後者に。大辻くんが「未来」の時評に幸綱氏が主題の問題をお手軽に扱っているということを書いていて非常に気になっていたのだが。

・幸綱論を書いてほっとしていると、夜「文藝春秋」の前島さんから作品の督促。締切日の夜だったので焦ったが、当然の話であり、反省。すぐとりかかって、翌々日FAX。

・『世界音痴』一気に読む。ぼくにはシリアスな感じであった。 非常に大きな問題にぶち当たる。なにか機会があれば書きたい。

・『世界音痴』に触発され、大高緑地の近くの「アトム」という回転寿司に行く。茄子や海老の天ぷらをのせた寿司が多かった。ちくわの天ぷらには驚いたが、思わず取る。子どもたちは、蕎麦ばかり食べている。ここはなんなんだ。大高緑地でしばらく遊んだが、急な雨に降られた。

・ISO14001の来年度の実施計画を作る。顧客に向けた活動を推進する方向に。

・友人とChinoisで食事。ひさしぶりにのんびりとした時間を過ごす。
すーっとワインを注ぎにくるタイミングに関心する。

・そして、今日、ポールマッカートニーの「WINGSPAN」というDVDを買う。以前DVDはPCで観ていたのだが、これを機会にDVDプレイヤーを購入。
ポールのビートルズ解散からWINGSでの成功までを、妻のリンダの思い出を中心に語る。娘のメアリーがインタビュアーだった。
音楽活動と家庭生活を両立させる姿に、ぼくは少なからず影響を受けている。

・最近、掲示板にしろ、私信にしろ、日常の交流のなかで歌を詠むことが多い。気ままな、プライベートな感覚である。
引退したアーチストが自宅でギターを弾いているような感じだ。
それが今はうれしいのである。

・文春の前島さんからゲラのFAXを送りたい旨、電話が入る。

・「wood stock」のDVDを観ながらここ数日間を振り返る。

2:19 02/03/28


[200] 京大会館 2002年03月21日 (木)

今日は、真中朋久『雨裂』と松村正直『駅へ』の合同批評会である。
雨模様の京都。京大会館である。

もう6年前になるのか、1996年の夏、この京大会館で、吉川くん、真中くん、江戸雪さんとぼくで「塔」の座談会があった。
ちょうどインターネットが短歌の世界に浸透しはじめたころで、そんなことが話題になった。会の後、前田康子さんも合流して、みんなで銀閣寺の方へ散策。彼らは20代だった。京大会館は、ぼくの遅い青春とも重なる思い出の場所なのである。

久しぶりに会った真中くんは髭を生やして、受付の所に立っていた。
永田さんの隣に坐る。

後半、発言を求められたので
『雨裂』へは、自分の領域を見定めてゆくダンディズム、
『駅へ』には、日常は幻想を包括した幅のあるものだ、
といった主旨のコメントをした。

会は、黒瀬くんの発言で最後異様に盛り上がった。
著者、司会者も交えてのバトルになりそうなところで終わった。
男の第一歌集、こうでなくでは!


 わが書架の寺田寅彦全集を嘉しやまざりきガス検査技師 『雨裂』

 いくつもの壁の時計の針だけが廊下を行ったり来たりする夜 『駅へ』


2次会の後、荻原くんといっしょに「のぞみ」で名古屋に帰った。


[199] 麗流隷書 2002年03月20日 (水)

隣家が家との境界に鉄条網を巡らせた。
野良猫の侵入防止らしい。
子どもたちが手を出すと危険なので、ちょっと困る。
とりあえず電話してみたが、やはり猫対策とのこと。
そんなに頑なな様子ではなかったので、改めて出向いて相談することにした。

実家は、菓子問屋だったから、鼠対策で猫を飼っていた。
猫は親しい。
猫は祖母の思い出に繋がる。
だから、庭に猫が入ってきてもいっこうに気にならないのだが‥。

  鰹節はりはり喜ぶ三毛猫の背中をど突く幼きこころ

  さっきまでしっぽの気配 暗がりに臭う砂場をぼくは怖れて



「短歌研究」の作品をまとめる。
直筆署名は遠慮してきたのだが、若手はみんな頑張って下手な字でも書いている。
自分だけわがままを通すわけにはいかないだろう。
そこで、麗流隷書体を模して署名。
硬い字になってしまった。ははは。



     玲はる名の誕生日を祝して詠める歌

  ゆうばえのまろきあたまの榛名山 起立礼してかえらなきみに


★彡


[198] 弟の孫 2002年03月19日 (火)

日本文藝家協会には「文藝家協會ニュース」がある。
会員住所変更の欄なんか結構興味深い。
今月は、著作権継承者変更欄に目が留まった。

 宮沢賢治  宮澤和樹氏(弟の孫)へ

とあった。そうか、弟がいて孫がいるのか。
なぜかほっとした。



なんとかスケジュールの都合がついて『雨裂』『駅へ』の合同批評会に出ることにした。この前の千葉君の批評会に、松村君が来ていて「出るからな」と握手して約束したのだった。真中君とも久しぶりに会うことになる。
楽しみである。


[197] 自作朗読 2002年03月18日 (月)

今日は、芙美の卒園式。あっという間の3年間だった。
卒園アルバムというのがちゃんとある。
運動会のスナップに、父親である自分の姿が小さく写っていた。



夜、あるプロジェクトのために自作を朗読。『イージー・パイ』をテキストにした。
「5、4、3、・、・、」 ぶっつけ本番に近かった。


 冬の樹のかなたに虹の折れる音ききわけている頬をかたむけて

 たぶんゆめのレプリカだから水滴のいっぱいついた刺草を抱く

 だからもしどこにもどれば こんなにも氷をとおりぬけた月光

 ゆうぐれはあなたの息が水に彫るちいさな耳がたちまちきえる

 外苑の雪に埋もれた猫の目のうすあおければまた歩きだす

 ペンダント雪の空から垂れてきてめざめるぼくのくちびるにのる


好きな歌を選んでいると、自ずとあわい恋の歌が多くなる。
冬の風景が多いことも発見だった。
ひんやりしたイメージが好きなんだ。

30分ちょっとで終わる。おそらく空耳だろうが、途中で宇宙人の声が聞こえた。

  ○彡

 


[196] 異変 2002年03月17日 (日)

扇川に鯔(ぼら)が異常発生している。
大慶橋から浅間橋にかけて、1キロぐらい、びっしり犇めいている。
何十万尾か。
川面が黒く、蠢いている。
もちろんかつてなかったことだ。
異変の予兆か。
町の人は不安げに川をみている。
天ぷらにして食べたらどうかと、母に言ったが、気色わるがっている。

母の歌集『わ わ わ』が刊行になった。
奇天烈なタイトルでさすがに驚いた。
装丁は砂子屋さんらしく、品があり、ありがたいことであった。


[195] こつこつ 2002年03月14日 (木)

意外に早く、昇格の内示が出た。
4月からマネージャー職、一般にいう課長格になる。
会社勤めのちょうど折り返し地点だ。
毎年、小嵐九八郎さんは「文筆一本で行け、なんとかなる」という年賀状をくださるが、そういう方向にはもうリアリティーがないのだ。
左千夫以降、歌人は牛飼いの末裔として、現実社会へ参画しつつ生きてきたのだと、納得している。
数パーセントの黄金の時間を作歌に向けるのみ。
自分は専門歌人としての路を歩むことはできない。
ちょっと風変わりな歌をつくっているだけのこと。それでいいのである。

  ペーパーカップふみつぶしたらしんきろうとおくにみえて旅のはじまり

★彡


[194] 『帆を張る父のやうに』 2002年03月12日 (火)

【歌葉】から、松平盟子さんの第一歌集『帆を張る父のやうに』の新装版が刊行された。
【歌葉】10番目の歌集である。

http://www.bookpark.ne.jp/cm/utnh/select.asp


 目をつむり髪あらふとき闇中にはだいろゆふがほ襞ふかくひらく


おそらくぼくたち以降の世代は、この歌集を入手できていなかったと思う。
貴重な一冊である。
島田修二さんの解説というのも、ある時代を感じさせる。

【歌葉】にとっても、大切な一冊。新しい一歩を踏み出した感じだ。

音楽では、デジタル・リミックスが盛んであるが、絶版歌集のデジタル化も一つの趨勢となるのではないだろうか。



子供部屋に机が入った。芙美、4月から小学生である。

★彡


[193] 短歌形式 2002年03月11日 (月)

胃の検査のため、バリウムを飲む。
土日の疲れもでて、ちょっとしんどい一日。



佐佐木幸綱の『作歌の現場』を読み返していたら、

 <短歌形式>は、かならず死ぬ時が来るのだ。

という一節が目に留まった。
しまった、と思った。もうじき発売になる「歌壇」4月号に掲載される短歌形式論では、まさにその死を問題にしていたからだ。当然、幸綱の言説を引用するべきであった。
『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』は、短歌形式の死を告げている歌集だというのが主要な論点である。



歌葉新人賞の波紋が少しづつ拡がっているのを実感する。

どうなるだろう。未知の領域が見えてくるだろうか。


[192] アマゾネス会 2002年03月10日 (日)

きょうは、「アマゾネス会」に参加。
ムーンライトさん、とりでさん、ゆりあさん、パトラさん、ようこさんといった面々である。女性軍が背が高いからアマゾネス会というらしい。
リラックスした楽しい会だった。
笑顔がロバート・デ・ニーロに似たムーンライトさんは、人生の達人という雰囲気。
ひょんなことからパトラさんの撮影会になった。
日曜でお店もがらんとしているから問題ない。
ゆりあさんはプロの眼差しになっている。
ムーンライトさんが撮影助手。
パトラさんは上着を脱いで窓際に立つ。モデルの眼差し。
JR神田駅のホームが背景で、ちょっとアバンギャルドなムードが漂う。



帰宅して、すこし歌をつくった。


[191] 『微熱体』批評会 2002年03月09日 (土)

今日は、千葉聡『微熱体』批評会にパネラーとして参加。
場所は、マイ・スペース渋谷。盛会だった。

最初に指名されたので、さっそく発表。

『微熱体』は、登場人物・ストーリーの方に目がゆくが、実は秀歌の多い歌集であること。20首引用したが、1冊で20首引けるというは、やはりいい歌集と言うべきだろう。

例えば、和歌の修辞の現代化。


 夕凪の渚でしりとり「ささ」「さかさ」「さみしさ」なんて笑いとばせよ


言葉遊びを序詞にして「さみしさ」を導きだしている。


 蛇行せよ詩よ詩のための一行よ天国はまだ持ち出し自由


これは佐佐木幸綱の

 
 直立せよ一行の詩 陽炎に揺れつつまさに大地さわげる


からの本歌取り。直立を蛇行に、大地を天国に展開している。
詩があって、その詩のための一行があるというのは、実は『微熱体』の構造そのものなのだ。詩のための一行とは、歌集に頻出するストーリー展開のみに奉仕する歌(ぼくはそれを駄作と呼ぶ)だと解釈した。凝った歌である。
それにしても幸綱の屈指の秀歌を引用する冒険心に拍手したい。


 大地いましづかに揺れよ 油蝉  富沢赤黄男


から三世代目の本歌取りということになる。


高原英理さんと意見を交わせたのが今日の収穫。
高原さんが引用した24首とぼくの20首選が1首も重ならなかったことにお互い唖然とした。高原さんは、重要なメッセージを発している作品を引用したのだろう。
ぼくは、自分の評価が余りに短歌的であったかと思わざるを得なかったが、どうしようもないことなのである。それでいいのではないか。



今日も多くの人と出会えた。うれしいことである。


[190] 事件が始まっている 2002年03月08日 (金)

歌葉新人賞の募集要項が開示された。
この3ヶ月間、SS-PROJECTとコンテンツワークスで練りに練った企画である。

http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/

この賞の意味合いは、いろいろ議論の対象となるだろう。
ぼくとしては、インターネットに拠る作者たちのためのイベントだという気持ちが強い。
例えば、郵便による応募を受けつけていないという点においても、この賞がインターネットをドメインとしていることの証だと思う。

現代短歌の状況をさらに流動化させることにもなろうが、ぼくの期待は、ただ一つ。
新しい才能との出会い、あるいは再会である。

★彡


[189] レジメ 2002年03月06日 (水)

『微熱体』のレジメが出来上がる。
今になってこの歌集の提起するものがすこし分かってきたような気がする。問題歌集なのである。
70部コピーをとる。



中原千絵子さんの第二歌集『タフ・クッキー』は、明日【歌葉】で刊行になる予定。
が、夜、さっそく奥村晃作さんの日記に書評が載ったので驚く。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kousaku/nisi.html

BookParkからの直送分がもう行き渡っているのだろう。早いなあ。


[188] へんなせかい 2002年03月05日 (火)

大分県立図書館に『イージー・パイ』があって、いま誰かが借りている。
ふしぎなことが分かるなあ。
http://library.pref.oita.jp/cweb/servlet/search.detail_list?tilcod=9910285139

加藤千恵さんが東京の大学に合格した…、これは周知の事実か。

居ながらにしてなあ。のぼさん、夢中になっただろうに、なあ。



『微熱体』のレジメを作成中。

批評会とは関係なく、土日に不穏な動きあり。

怖いよ〜。

★彡


[187] 木曽路 2002年03月02日 (土)

雛祭りと家の新築3周年のお祝いを兼ねて、木曽路の星崎店で会食。両親を招待した。
花見御膳は、田楽など豆腐料理中心で美味しかった。豆乳の鍋も絶品。
華やいだひとときだった。

母に、ちくさ正文館の【歌葉】のチラシを30部ほど託した。何事も宣伝。オンデマンド出版の書店販売モデルケースとして重要な場なのだ。



[186] 仮想現実 2002年02月28日 (木)

ジュラシックパーク彡を観る。
90分、スリルがコンパクトに凝縮されて見ごたえがあった。
全くもうCGを思わせない、重量感である。
これから、子どもたちはこの映像をどう観て、どう理解するのだろうか。



子ども部屋に机を入れたり、いろいろやることが多い。
パソコンがほしいと言っているが、まだ早かろう。
もっと広く、いろいろな人から、いろいろな媒体から吸収してほしい。


[185] 面接の日 2002年02月26日 (火)

今日は、昇格試験の面接で赤坂の本社へ。
予め提出した論文に対する審査である。
結果が分かるのは先のことだが、この一ヶ月間やるだけのことはやったので、気持ちはすっきりしている。部内の推薦を受けただけでも有り難いことだった。
自分の中にもう一つの時間が流れていたこと。
このあわく透明な感情は、
自分は少年だと思っていた少女が大人になる日の、そんな感情かもしれない。

ナラ・レオンの「DEZ ANOS DEPOIS(美しきボサノヴァのミューズ)」を買って帰る。
ボサノヴァを聴き始めたのは、小野リサがきっかけだが、本家に遡ったわけだ。
「コルコヴァード」「想いあふれて」といった聞きなれた曲があって嬉しかった。


[184] コミック、復活 2002年02月22日 (金)

【歌葉】の新企画の詰めでコンテンツワークスを訪問。
雑談交え、8時半ぐらいまで荻野さんと話す。

BookParkの方は、村上龍のグリーティングブック
http://www.greetingbook.com/

と、青林堂のコミックが好評とのこと。
http://www.bookpark.ne.jp/garo/

荘司としおの「サイクル野郎」(全37巻)など、発注が相次いでいるという。
http://www.bookpark.ne.jp/cm/comc/select.asp

コミックは、最近のものでも、すぐ書店から消えてしまうし、ましてや全巻となると、Webから頼んだ方が効率がいいように思う。



深夜、帰宅。
子どもたちは、玩具の電車のように、向き向きに寝ていた。



[183] よかった 2002年02月20日 (水)

佐藤彰子さんの『二十歳の頃の我に向かいて』が刊行になった。
【歌葉】八番目の歌集である。

http://www.bookpark.ne.jp/cm/utnh/select.asp

装丁の色彩が美しい。
著者には、ほんとに喜んでもらえたので、ほっとしている。
いい読者に出会うといいな。
佐藤さんは短歌会「ピアニッシモ」の代表である。

こんな作品に惹かれた。


たまらなくピアノを聞きたいこの心こんがらがって解けぬ夕暮れ

恋という臓器がひとつ我にあり子宮でもなく心臓でもなく

オルゴールに合わせて踊る今きっと誰か私に手紙を書いている

江ノ電の窓より海を見つめおりサーフボードあっ 転んだ

モジリアニの女に私似ていない 似ていない似ていない似ている


春、夏にかけて、続々と【歌葉】から歌集が刊行される予定である。
2年目の手応えを感じている。




[182] サウンドトラック 2002年02月13日 (水)

レディオ・ヘッド「キッドA」を聴く。
大晦日にBSで観たライブは、主にこのアルバムの曲だった。
「モーニング・ベル」とか聞き覚えのあるビート。
いいバンドだ。
こんなことを表現したかったんだな、と共感できる。
オアシスよりもいいな。神経に浸透してくる感じ。
決して聴いて元気の出るメッセージじゃない。
赤ワイント睡眠薬ヲノンダオトコガ次ノ世界デマタアオウ、といった曲で終わるアルバムだ。「モーションピクチャー・サウンドトラック」
ディズニー映画のような甘いコーラスがかぶさって終わる。

♪みんななんとかふんばっている。でも決して報われないよ。
そう、わかりきっているが、気づかないように、忘れていたことを言われると滅入る。

なんとなくニフティに繋いだら、苺つみをやっていたので、ぼーっと参加する。ここはいい場所だ。ふらっときても迎えてくれる。

 じゃないけどディズニー映画のよろよろの兵隊たちに遅れずに行く



[181] ささやかだけど 2002年02月11日 (月)

ようやく短歌形式論を書き終えた。「歌壇」4月号に掲載の予定。
ラスト数枚は、手紙魔まみ論。ここは読んでもらう価値あるかなと思う。
十数枚は助走だから、ここが駄目だったら全てペケである。

Yといろいろ話す。
ぼくらにはもうこまぎれの自由しかない。
豚コマかあ。
もうふらっと旅行とかできない。
そのかわり、以前には思いつかなかったような喜びがある。
それはささやかな喜びだけど、思いがけないものだということ。
うちのちび達が寒いからタイツをはいていた。
黒いタイツ。
おとこのこは足が細くてとてもかわいいんだ。
そんな喜びである。


[180] ジョージに 2002年02月07日 (木)

ジョージ・ハリスンの「マイ・スィート・ロード」がUKチャートの1位になっている。
リメイク・バージョンだ。
エンディングが、喝采で終わっているのが印象深い。
彼の人生を締めくくっているようで、胸が詰まる。
享年58歳。
いかにも若い。悲しいことだ。
ジョンといい、リンダ・マッカートニーといい天寿をまっとうしたとは言い難い。

「アンソロジー」の「リアル・ラブ」のジョージのギターは忘れ難い。
すべてを根こそぎ包み込むような優しいフレーズである。
演奏の後、ポールと抱き合った映像もぐっと来る。
ジョージのギタープレイは、派手ではないが、いい音を出している。
「ヘイ・ブルドッグ」や「真実が欲しい」のプレイがベストだろう。
音楽史的な功績では、インド音楽のロックへの導入ということになろうか。
「ノルウェーの森」は今でも新しい。

ジョージのステージを観ることができたのは幸運だった。
92,3年だったかな。東京ドーム。
クラプトンとの競演だった。
成熟しきったクラプトンに比べ、ジョージには少年っぽいところさえ残っていたなあ。


日のひかり月のひかりが差す部屋にギターは泣くと聴くときもあり

★彡



[179] うたう☆クラブ 2002年02月05日 (火)

夜、短歌研究社の座談会。
テーマは、うたう☆クラブである。
穂村くん、小島さんと、コーチが揃った。
本音で話せたのはよかったと思う。
うたう☆クラブは、インターネットの双方向性と雑誌の公的性格がうまくミックスされた企画だと思う。
「双方向のやりとり」と便宜的に言っているが、確かに適当な言葉がない。つまり新しい試みなのである。
ぼくは、コラボレーション、コラボと呼んでいる。
添削とは全く意識が違う。
ここでインスパイアされることも多い。
来年度も続投になりそうだ。
うたう☆クラブは、時分の花だと思う。
やはり花はいい。


[178] 結社と添削 2002年01月30日 (水)

今回のうたう☆クラブも無事終わった。
16名とコラボレーション。
今の自分の力では、精一杯である。
添削とは違う、うたう☆クラブの方式も認知されてきたのではないだろうか。
「短歌研究」2001年4月号に書いた「師弟関係における添削」というエッセイを読み返してみる。
個人的な体験記である。
未来短歌会には、添削制度はない。会規・送稿規定に、添削に関する記載はない。
結社によっては、会規等に添削のことが明示されている。多くは会員が添削料を支払って、添削を受けるという仕組みだ。
未来短歌会には、そういった制度はない。これは会の出発が、若い世代の同人誌的なグループであったからだろう。
ただし、選歌の過程で、選者が添削するケースがないわけではない。
それは各選者まちまちで実態は掴みようがないのである。
つまりこの件は、体験を書くしかないだろう。
自分の場合、岡井先生から添削を受けたことはただ一度。一字だけである。
「短歌研究」に書いたとおりである。
この一度きり一字だけの添削を、今も感謝とともに想起するし、生涯忘れることはないだろう。
わが「未来」は、真の歌人を目指して、若い世代がしのぎを削る場であってほしいと思っている。



[177] 短歌形式 2002年01月27日 (日)

定型論22枚が重くのしかかっている。
この十年、歌壇でも定型論は不調だったように思う。
なぜだろう。
韻律の問題に入ると収拾がつかなくなりそうで、苦慮する。
○○○○○●●● ○○○○○○○●
と考えるのはどうなのか。
やはり作者も読者も、実際には
○○○○○● ○○○○○○○●
なのではないか。

短歌形式が千三百年存続した理由を考える。
考え続ける。

3時のおやつにぜんざいを食べる。


[176] 【歌葉】一周年 2002年01月25日 (金)

【歌葉】が今日で1周年を迎えた。
この鳴尾日記も22日で1周年。
疾走した1年だった。すべての人に感謝したい。

【歌葉】は、本当にこれからだと思う。
ひょっとしたら登場するのが一、二年早かったのかもしれない。
今年は、綿密なマネジメントプログラムを用意した。
あとは、まっすぐ実行だ。

荻原くん、穂村くんの友情とパートナーシップには、ただただ感謝である。
革新をシステムとして定着させる真の革新者、荻原裕幸。
火の玉となる2人を先導する狂ったサファイア、穂村弘。
SS-PROJECTは、類のないトライアングルである。

★彡


[175] 燃えろ栄光 2002年01月22日 (火)

会社の業績が良い。
オフィス向けのカラーレーザープリンターが爆発的に売れている。
http://www.fujixerox.co.jp/
レーザープリンターのメーカー総合顧客満足度でも、3年連続で業界トップの評価を得ている。
職場も、忙しいが明るい雰囲気である。
ホメラレモセズ、クニモサレズひっそりと仕事をしている自分にとっては有り難い状況である。



いくつもの企画が走り、沸騰している。
<場のニューウェーブ>が加速している。荻原くんも火の玉になっている。
「野心こそわれわれの誠実さ」なのである。



それにしても、のんびり堤防沿いを散歩するような時間がほしいなあ。

子とわれとふたつの匂い引いていく夏の初めのダムまでの道 小守有里

★彡


[174] 執筆日 2002年01月20日 (日)

土日執筆予定の
・「未来」歌稿
・【歌葉】現代短歌の世界、今月の歌
・うたう☆クラブ返信
・歌集解説
を一応終えたので、ほっと一息。

うたう☆クラブに関する意見、感想のメールも3通来てうれしかった。
まだまだこのクラブの可能性、ポテンシャルはあると思うので、いろいろ提案していきたい。

「踊る大捜査線」のVTRを観る。
http://www.odoru.com/index2.html
「天国と地獄」「羊たちの沈黙」など、引用が面白い。

1月もどんどん過ぎて行く。


[173] あなたはまだ 2002年01月17日 (木)

ワークシェアリングということが言われている。
賛成だ。
労働時間が1/3減るなら、給与所得が1/3カットされてもいいと思っている。
以前、中原道夫さんに「あなたはまだ会社勤めなんですか」と驚かれたことがある。
http://www.haisi.com/ginka/index.htm
実際そうであるし、今のところ選択肢はない。
もっとフレックスな労働形態はないものか。
1or0でない世界はやって来ないか。

夜、コンテンツワークスの荻野さんと【歌葉】の年間実施プランについて打ち合わせ。
目玉となる企画、出版が用意できそうで、元気が出てくる。
村上龍のグリーティングブックを見せてもらったが、なかなか洒落た装丁。これはプレゼントに使ってもいいなと思った。
【歌葉】まもなく、一周年である。




[172] ビョーク 2002年01月15日 (火)

思いがけず、ロジャー・ウォーターズのワールドツアー・チケットが手に入った。
来日自体、思ってもみなかった。父を太平洋戦争で亡くしているロジャーは反日派とみなされていたのである。確か、70年代、ピンクフロイドとしての箱根の野外ライブ以来。
ウォール的な大演出になるかどうか。

そういえば、昨夜、筑紫哲也の番組にビョークが出ていた。
迫力のヴォーカルは期待どおり。
インタビューには驚いた。
若いころ三島由紀夫を読んでいたという。
そして、神道に関心があると。
インタビュアーはこの発言に対応できなかった。
神道の知識がないからだろう。
思えば、自国の宗教を知らないとは、恥ずかしいことである。
これは即、自分に跳ね返ってくる。
百歩譲って、日本の詩歌についてどれだけ語れるか。
『短歌名言辞典』などを読むと、自分はこの詩形に届かないのではないかという絶望感に襲われる。
玄遠なり。

http://www.jinja.or.jp/

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[171] 編集会議 2002年01月14日 (月)

穏やかな天気。
子どもたちと庭でサッカーや縄跳びをしたりして遊ぶ。
午後、上京。
東中野の発行所で「未来」の編集会議である。
岡井さんの顎鬚にすこし驚く。ハイジのお祖父さんのようだ。
今年の予算、会のホームページ、編集企画などを討議。
ぼくの提案した企画も大筋承認され、ほっとした。

会議が終わって、近くのつぼ八へ。
大会の話題になる。
四国や飯田で開いたころは楽しかったと。
赤福事件というのを聞かされて、すっかり忘れていたのでびっくり。
大会の帰りの列車で乗り物酔いをしたのだろうか、ある女の子が真っ青になっていた。
ぼくはそれに気づかず赤福もちをしきりに勧めたという。
いらないの?
で、ぼくが隣で赤福をもりもり食べ出したのを見て、女の子は余計気持ち悪くなったそうだ。
忘れているなあ。




[170] 投げなかった歯 2002年01月12日 (土)

芙美の歯が抜けた。
もう4つたまって、ガーゼに包んであった。
家族で庭に出て、屋根に投げようとする。
が、歯は小さくて届きそうにない。
一番小さい1つは、もう3年ぐらい前か、嫁さんの実家の階段から落ちた時に取れた歯である。小さい歯は付け根のところが長い。
なつかしくなった。取っておきたくなる。
そこで、「えい」「えい」と4回屋根に投げる真似をして儀式とした。

Aさんの歌集のプロデュースがほぼ終わる。
歌集に関わるというのは、その人の魂に関与することだ。重い仕事だった。
その後「未来」の企画をまとめ、近所のコンビニでコピーを取る。
最近「未来」に入会する若い人がぼちぼち増えてきた。
ぼくなりに責任を感じている。彼らががっかりしないようにしたいと思っている。



端的にいえば、現代詩を支えてきた多少とも知的で感性豊かな若い読者層が、この地上から急速に消えつつあるのである。やがて、もう誰も現代詩は死んだとは言わなくなるだろう。当該対象が生きているか死んでいるかの判断さえ、もう誰にも出来なくなるだろうからである。 (野村喜和夫)


[169] アイコン 2002年01月11日 (金)

ぼんやり思っている。フロリダ州の高層ビルに小型機を操縦して激突死した高校生のこと。同時多発テロとオサマ・ビンラディンに対する共感を示したメモが見つかったという。アメリカの少年にとってのテロ事件の衝撃の深さを思う。
あの小型機の画像は象徴的なアイコンだ。「台風クラブ」の地面に突き刺さった少年の足を想起した。



極論すれば、歌えない状態というのは、人間であることを奪われている、ということですね。(天沢退二郎)




[168] ヒミズ 2002年01月08日 (火)

思いがけない感覚が啓かれる。暖かい体とつめたい指。服従的であるのに、実は完璧に支配されていた。レディオヘッドを聴いて、古谷実の『ヒミズ』Aを読む。不安感に浮遊する。どこか通じるものがあるな。



「未来」の連載企画をずっと考えるでもなく考えていて、ようやくアイデアが浮かぶ。肩肘張った大々的なものではない。ここのところ、書いていてちょっと面白いなと思ったことだ。歌の解釈の多様性といったモチーフである。7枚×24回ぐらいの連載で単行本を前提にしたい。そうすると、書き手が絞られるが、黒木さん、大辻くん、池田さん、山田さん、佐伯さん、岡井さん、大島さん、紀野さん、高島くん、槐ちゃん、日下さん、…執筆陣に困らないのがありがたい。
企画書と時間があればサンプル原稿をつけたいところ。

★彡


[167] 冬休み終わり 2002年01月07日 (月)

11連休も今日でおしまい。
あまりまとまったことはできなかった。
年賀状の返事にけっこう時間がかかった。

冬休み、いろいろ思いつくまま

・松村正直さん『駅へ』の書評、自分なりの視点が出せ、わりと気持ちよく書けた。
・岩波の『佐藤佐太郎集』をぼちぼち読み始める。この鬱の塊のようなところから発せられる微光にしばし憩う。
・評論、エッセイ関係の整理に着手。これは時間がかかりそうだ。
・レディオヘッドに出会ったのは僥倖。さっそく「OKコンピューター」を買い求める。
・うたう☆クラブのコラボレーション進行中。今回は15名。
・荻原くんの来訪もあって、書斎が片づいた。
・大雪だるま、5日間元気な姿で門を飾る。
・思いがけず、掲示板経由で著作の申し込みが多数あり、心あたたまる。
・なんとなく今の自分の生き方に納得する。

★彡


[166] 鳴尾亭の会見 2002年01月04日 (金)

雪が屋根からどざっと落ちる。
雪で遅れていた年賀状もどさっと届く。

昼過ぎ、荻原くんが遊びに来る。
有松に住んでいたころは、2度ほど訪ねてくれたが、鳴尾に移ってからは初めて。
近所の漫画喫茶には何度か車で来たことがあると聞いてびっくり。
市内でも有数のスポットらしい。
【歌葉】のことラエティティアのことなどなど夢のプランから現実的なプログラムまで、夕食をはさんで7時間ほど語り合った。
いくつかの重要な事項について大きく前進した。共同声明の予定は、なし。
夕食は家族といっしょに手巻寿司。
世間話にシフトする。
子供たちは荻原くんが吸う煙草を珍しそうに見ていた。

元気の出る一日だった。

★彡


[165] お正月の雪 2002年01月03日 (木)

新しい年。
昨夜から雪が降りはじめた。
今朝はいちめんのいちめんのいちめんの雪。
玄関の雪かきをして、雪だるまをつくる。140cmぐらいの特大の雪だるま。

 あらたまの年は奔馬の勢いで雪野を駆けてゆけその雪野

★彡



[164] 来年は。 2001年12月31日 (月)

昨夜NHKのBSでライブを観た。
エリッククラプトンが「虹の彼方に」を歌ったのには驚いた。
ビージーズは、なつかしい感じ。あのボーカルの高音は健在。
レディオ・ヘッドは凄かった。今年出遭った素晴らしき魂。



正月は、せんべいを齧りながら、佐太郎でも読んで過ごそう。
来年は、この10年書き溜めた評論を整理して、次の10年に繋げたい。

良い年になりますように。

★彡


[163] 2001年総括 2001年12月27日 (木)

2001年が終わろうとしている。
短歌年鑑などでいろいろ回顧されている。
どれも外れてはいないが、どうも響いてこない。
肝心な問いかけがないからだろう。
「現代短歌はだいじょうぶなのか」
おそらく今年ほど、今ほど現代短歌の<現代>の部分が脆く、危うく、閑却されたことはないと思う。
あの香気にみちた現代短歌よ、何処へ行った?
ぼくは、短歌をつくっているのではない。現代短歌を創っているのである。
現代短歌はだいじょうぶか。
ぼくは現代短歌を愛惜する全ての歌人に聞いてみたい。
彼らにそして自分自身に言う。

2001年総括

香港の豚のあたまがひしゃげてらなめられたもんだな、現代短歌



★彡



[162] サンタさん 2001年12月23日 (日)

子供なりにサンタクロースの情報交換があるらしい。
芙美が「なぜ、うちはサンタさんお昼に来るの」と聞いてきた。
わが家では、午後、自家製のケーキを食べて、プレゼントを渡すのが恒例になっているのだ。
うーん。
妻と相談して、基本に帰ろうということになる。
目覚めたら靴下にプレゼント、だ。
妻は、さっそく特大の靴下を3足縫い始める。
うん、これだこれだ。

*

『林檎貫通式』の批評会の続き。

にせものかもしれないわたし放尿はするどく長く陶器叩けり

これが最初に出会った飯田有子さんの歌。
1987年か88年の秋だった。早稲田祭で早稲田短歌会から招かれて、穂村弘くんと俵万智さんとぼくがゲスト参加。
そのときの歌会のプリントにこの歌があって、印象に残っていた。
早稲田短歌会の幹事長は、杉山美紀さんだったと思う。
どうもこの会には、森本平くんも居たらしい。
みんなふるい付きあいになるなあ。



『林檎貫通式』の批評会の懇親会で加藤千恵さんに会った。
最初、挨拶されて誰だか名前が出てこなかった。
でも、確かにどこかで会っている。ぼくも挨拶した。
「ああ千恵さん!」
メディアの力である。

★彡






[161] 『林檎貫通式』 2001年12月22日 (土)

飯田有子『林檎貫通式』の批評会に参加。
一読者としての期待と、この本の企画者としての思いがまじりあう。
会場は、千駄ヶ谷の津田ホール。
何だろう、この熱気は。
今までになかった熱である。
みんなが自ずとそして自らの意思で駆け参じたという感じである。
新しいカリスマの誕生のような。

パネラーは、小島ゆかりさん、島田修三さん、田中庸介さん、そして司会に穂村弘。
おおよそ肯きながら聴く。女性性の継承という視点はちょっと意外だった。

『林檎貫通式』は、近現代短歌の骨格とエンターテイメント性が美味くミックスされた歌集である。
読者に楽しんでもらうというモチーフが現代の歌集には弱かったのではないだろうか。
そして何より『林檎貫通式』は、歌集として新しい。
これはオンデマンド出版歌集第一号ということだけを指すのではない。
『林檎貫通式』は、イラストの採用を含め丸ごと著者の<企画本>なのである。
思い通りの本が造れる。これは、従来の歌壇、結社−歌集出版社の秩序では、なかなか困難なことであった。
そこには、第一歌集はこうあるべきで、いつ出版すべきで云々といった有形無形の枠組みがあるのだ。
『林檎貫通式』は、この秩序の中では生まれなかったと思う。
【歌葉】がそういう場を提供できたとしたなら、こんな嬉しいことはない。

「歌集は思い通りにつくれるんだよ」
そんなことを『林檎貫通式』は軽やかに宣言しているように思える。
飯田有子は、新しいグルなのである。


新しい手帳に予定を書き写す林檎の会もある十二月 治郎

★彡


[160] 成長 2001年12月20日 (木)

気がつくと今年もカウントダウンに入っていた。
早い。

家族。
むかし、アラン・ドロンが、娘の成長が楽しみだ、ずっと見ていたい、と言っていた。
この人にしてそうなのかという新鮮な驚きがあった。
清昭と雅昭が乗り物の絵本ばかり見ている。
芙美にふと、昔話の本も読まにゃいかんな、おまえにもそうしただろ、と言った。
翌日、芙美は乗り物の本を片づけて、昔話の絵本を弟たちに用意した。
えらい、えらいぞ。
執筆を終えて寝室に行くと、清昭がぼくの布団にもぐりこんで寝ていた。
そっと抱きかかえて、移してやる。
と、翌朝また寝ぼけ眼でぼくのところにやってきた。
鼻を撫でてやる。

★彡


[159] 総合誌 2001年12月15日 (土)

きょうは妹の誕生日。
といっても、もうお祝いをするわけでもない。
嫁さんが友達なので電話をかけていた。

子供たちを幼稚園に送り出して、さっそく近所のホームセンターでブロックを購入。6つだけで結構重い。自動車が沈む。
寒くて雪がちらついている。
帰宅して、通用門のところに積む。これで当面、土砂の流出は防げるだろう。
先日、庭師が来て、枝打ちをした。
すっきり明るくなった。樹木のためにもそれがいいのだろう。
しかし、ぼくの好みは盆栽的な風景ではない。鬱蒼とした森の感じにしたいのだ。近藤芳美先生の庭がそうだった。荒れ放題、荒涼とした庭であった。凄みさえ感じられた。近藤先生はマンションに引越された。あの庭ももう見ることはできない。



総合誌を読む。年間回顧の季節。
藤原龍一郎さんが、角川の年鑑で歌葉について書いてくださった。
ありがたいことである。
自分としては結局これが今年一番の仕事となった。反面、後半なにも成果が出ていないことになる。う〜ん。来年は。

「歌壇」の<主題>にをテーマにした座談会で「春のパラサイト」が話題になっていた。穂村くんの発言がきっかけになった。修辞と主題の融合ということと理解した。同誌で、岩田正さんが<ゑゑゑゑゑ>の歌を取り上げてくださった。こういった形で旧作が批評されると、まだ頑張れるという気持ちになってくる。

★彡

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[158] エコーズ 2001年12月14日 (金)

通用門からの土砂流出が激しいので、業者がコンクリート打ちを提案してくる。
駐車場をもう一つ造るようなものだし、かえって融通がきかなくなる感じなので、提案は見送り。
ブロックをいくつか買って、日曜土木工事で対応することにした。



ピンクフロイドのベストアルバム「エコーズ」を聴く。
26曲ずっしりと30年の集大成。
1曲10分を超える曲がごろごろあるから、ボリュームは凄まじい。
「エコーズ」「狂ったダイアモンド」といった静かでハードな曲がいい。
初期のシドバレットの「シー・エミリー・プレイ」もサイケデリック60年代の記念碑的作品。
敢えていうと「原子心母」が収録されていないのがちょっと寂しいかな。
しばし、学生時代の思い出に浸る。

★彡


[157] 地獄の引越し 2001年12月10日 (月)

荻原くんに段取りしてもらって、グリーン・ヘルを引っ越し。

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前は、無料掲示板でログが残らず、その点物足りなかったのである。
パワーアップしたので、いろいろ活用を考えてみたい。

*

引き続きビデオ。
「ザ・セル」は、なかなかよかった。
深層心理ものがやはり面白い。
馬がガラスで幾重にも輪切りになるイメージが美しかった。
現代アートにも、親子の牛を真っ二つに割った作品があったのを思い出した。

「オデッセイ2001」は、ちょっと弱かった。
奇怪な物体の説得力が今ひとつ。

DVDでザ・フーのワイト島ライブを観る。
60万人という桁外れの観客動員だが、ウッドストックほどには知られていない。
ザ・フー全盛期のライブである。キース・ムーンはやっぱりいいなあ。

★彡



[156] 密室感覚 2001年12月09日 (日)

「歌壇」2月号の20首を仕上げる。
ここのところ、プライベートとパブリックと重心が揺れてきた。
「短歌」1月号と「短歌朝日」3・4月号は、パブリック。テロと難民問題がテーマ。
「短歌往来」2月号は、プライベートな色彩が強い作品。自宅の庭の風景を歌った。
「歌壇」2月号は、どちらかというとパブリックか。もとより境目はないものなのだが。

若い作家の歌を読む機会が増えてきた。
おおよそプライベートな作品である。
しかし、どうも場所の感覚のない作品が多い。
いつ・どこ、ということがなく浮遊している。
普遍的というのとはちょっと違う気がする。
密室感覚とでも言おうか。
外界というか<土地>との接触がないんじゃないかな。
それが正直な現在なんだろうが、もともと歌枕というように、歌と地は密接なものだった。
この密室感覚、もうすこし考えてみたい。

★彡


[155] ひといき 2001年12月07日 (金)

ちょっと時間が出来たので、この一週間、久々に何本かビデオを観た。

「パール・ハーバー」
これは良かった。超迫力の戦闘シーンに愛と友情というマニュアル通りの進行だが、これぞエンターテイメント。
われわれは打ち勝つというアメリカン・スピリットもタイムリーだ。

「不夜城」
これもよかった。金城武は誰かに似ているなと思っていたら、黒瀬くんだった。山本未来、最高。

「五条霊戦記」
意外にシンプルな武闘もの。よかった。

「ハンニバル」
意外に怖くなかった。脳味噌ディナーはちょっと驚いたというか、笑った。
世界の10大指名手配犯に、ビンラディンの写真が出て、おっと思った。

「ミッション・トゥ・マーズ」
前半は「2001年宇宙の旅」、後半は「アビス」という感じ。後半はちょっとなあ。


★彡

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[154] ISO14001審査終わる 2001年11月30日 (金)

ほぼ1年がかりの仕事だった。
最後、三連休出勤した。
環境について確かに意識は高まった。
マネジメントとか仕事とか、人生観にもかかわった。
いわゆる<歌人>とは遠いポジションにある一年だった。
しかしこういうところから現代の歌は詠まれるべきだ、とも思った。

日本環境認証機構の深尾先生、一杉先生には大変お世話になった。
両先生の指導の賜物で、なんとか合格点をもらえるのではないかと思っている。判定委員会は、来月27日。

★彡

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[153] 勝負! 2001年11月23日 (金)

久しぶりにぐっすり眠った。
8時30分に目覚める。
出勤して6時半ぐらいで切り上げる。とても一日で片づく仕事ではないから、明日も出勤することにした。来週、いよいよISO14001の審査。
帰って遅れていた「未来」の歌稿をまとめる。

 逢えるかな逢えるねなんてつぶやいて循環バスで眠っちまった

まだ、10時前だ。いつもなら会社に居る時間。やっぱり今日は、ほぼ休日。

吊り広告に「勝負香水」とあって納得する。
これなら分かる。
「勝負パンツ」は、どうにも分からなかった。
だって、パンツが出た時点で、もう決着ついているんじゃないか。
たまたま、Yから電話があってその話になる。
「いや、勝P見せて次に繋ぐってこともあるし」
「うんうん」
「というか、勝Pはいてないと、きょうはだめなの、また次ねってことも」
「うーん」
女性は、ぼくには異星人だ、永遠に。

★彡

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[152] 猩々やい 2001年11月19日 (月)

私の父が孫に猩々の歌を教えた。

 ♪猩々やい、ばあかやい、はげ、とうろく、じいさあまあ

子供たちは喜んでそれをおぼえた。

ぼくは、ふと自分の祖父のことを思い出した。
養命酒を毎日のんで、味噌汁に生卵をわりこんで食した。
祖父は庭師だった。
祖父は、結核を患っていたため、あまり遊んでもらった記憶はない。さびしかっただろう。

★彡


[151] じわっと 2001年11月15日 (木)

ちょっと前、NHKで「ルージュ」というドラマをやっていた。
柳美里原作で、今井絵里子主演。
広告代理店の社員が自ら化粧品のモデルになるという話だった。

その中で気になった存在が東儀秀樹。
コピーライターの役で主人公の憧れの人。
なにか雰囲気がある。
只者ではない。
特別かっこいいわけではないが、格好いい。
邦楽奏者らしいことは後になって知った。
いいなあ、こういうの。
ジャンルの堆積からじわっと滲み出てくるもの。

いつか、ほんまもんの歌人になって、このじわっと滲み出てくるものを。
ドラマにも出たいなあ。

今日、四拾弐歳の誕生日。

★彡

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[150] 猩々(しょうじょう) 2001年11月10日 (土)

鳴海の宿場祭りに出かけた。
猩々が出ていた。生まれて初めて被らせてもらった。
竹細工の人形で、衣装は布団。大人が被ると2m50cmぐらいの大きさになる。
猩々は、伝説上の怪物(?)で、酒が好きなため、顔が赤い。
清昭、雅昭は、大泣きであった。



今回のテロ事件の歌は、すでに岡井隆、島田修三、大辻隆弘の各氏が良い作品を発表している。
自分は創らないだろうと思っていたが、ふとした拍子に短い一連が出来上がった。
角川「短歌」新年号に発表の予定。

★彡

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[149] 鵜飼くん 2001年11月09日 (金)

ひさしぶりに時間がとれたので、あちこち日記を読んでいたら、藤原龍一郎さんが「なんと、送ってくださったのは、鵜飼哲夫さんだった。鵜飼さんは、文壇でも高名な文藝の記者といえる。確か加藤治郎さんが親しかったのではなかっただろうか」と書いていた。
たまたま、昨日、鵜飼くんから電話があって飲みにいこうという話があったので、奇遇だった。
鵜飼くんに最初に会ったのは、大学の1年だったか。
彼は、浪人だったと思うが、どいうわけか早稲田の法学部のセミナーに来ていた。彼の下宿は早稲田の正門から5分ぐらいのところにあった。三畳だった。天井が高く見えた。
浜田雄介という中学以来の友人の友人という関係だった。鵜飼くんは、司法試験を目指していたのだ。実際、法学部に進んだのだが、読売の記者になった。「やりたい女には土下座してもやらせてもらえ」「パチンコは少し勝ったらすぐ引けあげろ」というのが、学生時代、彼から教わったことだ。
読売に入って、整理部、社会部というキャリアだったと思うが、整理部では長谷川櫂さんと同僚だった。
社会部のころは「死体の鵜飼」と言われた。
そうこうしているうちに彼は文化部に移った。ぼくが歌人協会賞をとったときに、お祝いに来てくれたが、実際のところは俵万智に会いたかったのらしい。
よく、文士のバーに連れて行ってもらったし、温泉旅行にも誘ってもらった。そこで柳さんにも会った。芥川賞をとる前年だった。しかし、ぼくは、そういう小説家との交友を深めることができず相変わらず殻に閉じこもったままだった。その後、鵜飼くんは歌壇も担当するようになり、昔から思うと夢のような話だが、多少ぼくの知見が役にたつ場面もできたようで、すこしほっとしている。

★彡



[148] 家族写真 2001年11月08日 (木)

今月は、残業が70時間の見通し。忙しいが、失業者が溢れている昨今、仕事があって、働いただけ給与手当てが支給される状況は、パラダイスだと思う。
ISO14001の本審査が今月末。最後の調整である。
そんな中で、5日は、清昭と雅昭の誕生日だったので、有給休暇をとった。子供の誕生日には休暇をとるようにしている。
4歳になった。当日、たまたま幼稚園の親子遠足があったので参加。南知多のビーチランドへ。イルカが触れられる距離にあってなかなか面白かった。プレゼントは、パトカーの玩具。緊急自動車が好きなのだ。
3日は、写真館に行って恒例の家族写真の撮影。年賀状に使うこともある。これを結構楽しみというか面白がってくれる歌人も多い。一方、以前ある歌人から「家族写真なんて、歌人失格」というようなことを言われた。ぼくは、そうは思わない。家族を大切にしない奴は男じゃない、というドン・ビトー・コルレオーネの教えに従っている。
しかし、ぼくは余り家族を詠うことはない。歌。歌は、すべての役割から自由なところで創るものだと思っているからだ。

★彡

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[147] うたう☆クラブ 2001年10月25日 (木)

ISO14001認証取得活動も大詰め。残業多し。

「うたう☆クラブ」の結果が「短歌研究」に掲載された。
今回は、15名とのコラボレーション。人数としては、精いっぱいのところだ。
いまの自分の短歌観の全てを打ち込んでいる。
参加者は、そして読者は、どんな感想をいだくだろうか。

「インターネットには、批評が無い」「一方的に承認を求める作品ばかり」という批判を聞く。
そんなことはない、と思う。みな批評を求めているのだ。
だから、ぼくは「うたう☆クラブ」にコミットしている。

★彡

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[146] ニューウェーブ世代の歌人たちを検証する 2001年10月21日 (日)

ISO14001の内部監査で博多に出張。前泊である。



昼間、「塔」若手の「勝手に合評座談会」に参加する。京大会館219号室。
松村正直さんと川本千栄さんにお願いして、入れてもらったのだ。
テーマは、「ニューウェーブ世代の歌人たちを検証する」
彼らが発行している冊子の、このテーマのまとめという位置づけのようだ。
参加者は、松村さん、川本さん、江戸雪さん、西之原一貴さん、なみの亜子さん、澤村斉美さん。
遅れて、前田康子さんも来た。
江戸さん、前田さん以外は、初対面。うれしいことである。

俵万智、加藤治郎、水原紫苑、荻原裕幸、穂村弘が俎上に上がった。
率直で手厳しい批評もあったが、気持ちのいい会だった。

穂村くんが京都に居るという情報を得たので、携帯で呼び出して来てもらう。
悪かったかなあ。

ライトバースもニューウェーブも、短歌史の一部になりつつある。
次の世代に継承/超克されるにしろ、今回のように、まず認知してもらえることは有り難い。



京大会館の地下食堂で懇親会。

19時12分の「のぞみ」で博多に向かう。

★彡

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[145] ちび玉3兄弟 2001年10月08日 (月)

下呂温泉2日目。
合掌村にゆく。しらさぎ座で、ちび玉3兄弟の芝居を観た。
大衆演劇は、泣かせる。妹の幸せのために飲んだくれの兄が改心するというストーリーにさえ、ぐっと来てしまう。
林で栗拾いをした。

帰宅しても、我がちび玉3兄弟はさわだって居る。
清昭はなかなか寝つけない。
「きしゃきしゃぽっぽぽっぽしゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ♪」
ずっと歌っている。
今宵は天窓が明るい。

★彡

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[144] 家族 2001年10月07日 (日)

義母の還暦を祝って、嫁さん3兄弟の家族全員で下呂温泉に出かける。
3歳から小3の孫6人を率いての大軍団である。
下呂の温泉は熱い。
露天風呂は60℃である。清昭も雅昭もひいひい熱がった。

★彡


[143] 春日井建さん 2001年10月06日 (土)

きょうは、岡井隆と春日井建の対談が、名古屋の朝日カルチャーで催された。
が、原稿の関係で残念ながら参加できなかった。
母が聴講にいって、後で話を聞かせてくれた。
最初の30分ぐらい、テロ事件の絡みで、僕の「チャップマン」や「ザベルカ」について言及くださったそうだ。
うー、残念。だれか記録をとった人はいないものか。

春日井さんには、その存在、その作品そのものに大きな恩義にも似た感情をもっている。
『サニー・サイド・アップ』に4頁もの重書評(「現代短歌雁」)をいただいたことは、生涯の誉である。その折も「チャップマン」を評価いただいたんだが、これらのストーリー性はもとより春日井さんの影響下にあるものだった。
岡井さんが父だとすると、春日井さんは叔父貴である。
歌人協会賞の選考会で強く推してくださったことも、忘れがたい。
名古屋在住ということもあって、ぼくが中部短歌会に入会する可能性はかなり高かった。そうすると全く別のキャリアを歩んだことは間違いない。
もうひとつの人生だ。

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[142] ふらふら 2001年10月04日 (木)

ISO14001の初動審査が終わった。
いくつか指摘事項があったが、結果としては<適合>。11月末の本審査に進むことになった。



日曜、岡井隆現代短歌懇話会には、雨中、多くの方に参加いただいた。
テロ事件と短歌にかかわる問題も岡井さんに聞いた。
自分も語った。
清水良典さん、勝野かおりさんが来てくださったこと、迂闊にも後になってスタッフから聞かされた。恐縮しきりである。

昨日は、未来賞の選考会。

きょうは、あてどなくふらふらしている。

★彡

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[141] ファイン・デイ 2001年09月29日 (土)

「うたう☆クラブ」のセッションが終わった。
今回は、15名の応募者とのコラボ。
それぞれ、ぎりぎりの最善のものをぶつけてきてくれた。
この企画、インターネットと短歌という中では、最も成功している事例だと思っている。一方的な選歌ではない、まさにコラボレーションであって、作者とコーチが協同で<最善>を模索してゆく。これが郵便のやりとりでは、とても1ヶ月間に15名とのセッションは不可能。インターネットの即時性、双方向性が生かされている。



明日は、岡井隆現代短歌懇話会。
岡井さんと私の対談は「社会詠の広がり」というテーマだ。
いま一群の新しい社会詠が台頭している。
20世紀のそれをレビューしながら、新たな可能性を探りたい。
せっかくの機会なので、今回のテロ事件に対する岡井さんの意見を聞いてみようか。

★彡

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[140] 聖戦 2001年09月25日 (火)

テロ事件、自分のなかで未解決のことが多くて、なかなか世間のスピードに追いつけない。
まず、アメリカという国家をどう考えたらいいのか、そこから分からない。
直近の問題でも、米国が日本に原爆を投下したこと、それは犯罪ではないのか。
戦争だからか。
であれば、戦争はなぜ犯罪ではないのか。

ビンラーディンのいう「揺るぎないジハード(聖戦)」、彼らの死を賭けた行為の思想はなにか。その実質が知りたい。

日本の軍事的協力は避けられない。それは日米同盟を選択した時点で、すでに決定済みの事項なのである。あとは程度の問題だ。悲しいことに。

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[139] 連休 2001年09月23日 (日)

天気にめぐまれた連休である。

狂牛病対策、というほどでもないが、牛肉を食べるのを止めた。
そこまでやる必要はないのだが、行政の対応が余りに杜撰なため、である。
この病は、種の根幹にかかわるところが恐ろしい。
牛を食用として管理し続け、肉骨粉という絶望的な連鎖を生み出したことへの、人智を超えたものからへの鉄槌に思えた。



短歌研究社「現代短歌評論賞」の次席論文「社会詠、その二十一世紀の視点」で川本千栄さんが、私の「春のパラサイト」「チャップマン」「ザベルカ」といった作品を論じてくれた。
オウム真理教事件を詠った「春のパラサイト」へは、「修辞がふざけ過ぎ」「加藤がこの事件をどう思っているのかがわからない」という批判がなされていた。
修辞に関しては、どうだろう。修辞には、真面目な修辞もふざけた修辞もないだろう。上手い修辞、下手な修辞しかありえない。修辞は、倫理には仕えない。
後者については、『昏睡のパラダイス』であれば、「春のパラサイト」が事件の真っ最中につくった一連、「夏のウォーターフォール」が一年後に、すこし別の地点から制作した連作である。川本さんが、なぜ「夏のウォーターフォール」を無視したのか不明である。
この事件の底は深い。

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[138] 大惨事 2001年09月12日 (水)

これはテロか、すでに戦争状態にあるのか。
世界貿易センタービルに航空機が突き刺さっていった。
映画的映像になかなか現実感が湧かなかった。
ここ何年か「エアフォースワン」「エグゼクティブ・デシジョン」といった映画で、ハイジャック・テロのストーリーを観てきた。
「エグゼクティブ・デシジョン」では、航空機は生物化学兵器を搭載していた。反米命懸けのテロであることは同じ。
映画では、事前にテロをキャッチ。警戒空域に入る前に、航空機を撃ち落とすかどうかが、大統領の決断だった。
今回、もし事前にテロ航空機を察知していたら、どのような判断がなされていたか。乗客ともども撃ち落としたか。
苦しい決断である。

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[137] 嵐の時代 2001年09月10日 (月)

台風がまたやってきた。
台風の多い年である。

藤原龍一郎さんの日記を読むと、同じ企業人として身につまされる。
完全失業率5%、リストラの嵐の中で、凡そ会社の仕事で手いっぱいというのが現状だろう。
職業をもっている歌人にとっては厳しい季節である。

牛飼い左千夫は、20世紀の歌人のプロトタイプであった。
21世紀、再び専門歌人の時代が来るのではないだろうか。

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