[136] 玲はる名のことなど 2001年09月06日 (木)

ISO14001の内部監査、初動審査が迫り、連日深夜まで残業である。
確かに忙しいが、この環境マネジメントシステムというのは、きついがなかなか面白いところもあり、わりと興味をもって取り組んでいるのである。



玲はる名の歌集『たった今覚えたものを』の批評会のことを書こうとして日がたってしまった。
9月2日、名古屋のYWCA。
歌葉のことなどいろいろ話したが、焦点は『たった今覚えたものを』の二部構成のあり様だった。
パネラーは、ほとんどT部の書き下ろし作を推した。ぼくもそうだった。
『たった今覚えたものを』は、ぼくのプロデュースによるものだが、どうということもない。ただ「かかってこい」と言っただけだ。
玲は、連日うたを送ってきた。それは、するどい声、あるいは祈りのようなものだった。
T部には、荒っぽくいえば、真・悪・醜にみちていた。三位一体になったとき、すべては美に収斂した。
実は、歌集後の玲の活動を誤解していた。
相変わらず結社誌には、精気のない歌が並んでいた。いっぽう「かばん」に入ったという。
そうか。結社にはおとなしい作品を送って、「かばん」と振り分けているのか、と思った。U部というのは、乗りこえるべき作風を示し、それを超克した過程ではなかったのか。どうしたんだ。
批評会での玲の発言を聞いて愕然とした。
選歌されているのだと。その結果のこった作品なのだと。
んなんということだ。
もしこれが事実ならば、悲しいことである。
選歌は、真なるものを抑圧するシステムなのか。
ここしばらく、永田さんの発言もあって、結社の選歌を肯定する方向にかなりシフトしたが、近代結社100年の澱みは一掃されていなかったのではないか。
そんなことを思った。

★彡




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[135] 「心の花」全国大会 2001年08月25日 (土)

今日は、「心の花」の全国大会に講師として参加。
ずっと目標としていたイベントである。
場所は、名古屋キャッスルプラザホテル。
書籍を持ち込む関係で、自宅からタクシーで向かった。40分ぐらいで着いた。

お世話をいただいてきた田中徹尾さんにお会いしてほっと一息。
開会の後、すぐ講演である。
紹介されて壇上に立つ。
260名を超える聴衆で、うしろの方は霞んでみえた。

まず挨拶がわりに、自分の生まれが鳴海町だということから、芭蕉の『笈の小文』のことを話題にした。
それから昨日届いた岩井謙一さんの『光弾』が今日のテーマ「二十一世紀へのポエジー 危機と不安の世紀を超えて」にぴったりだったので、3首ほど引用して話した。
「心の花」は、大野道夫、谷岡亜紀、を初め、いわゆる社会派歌人が多いのである。

本題に入る。
講演の後で佐佐木幸綱氏にうまくまとめていただいたのだが、その言葉を借りると「危機と個人の出会い方」というモチーフである。
引用歌の一部を抜粋しておく。

産屋なるわが枕辺に白く立つ大逆囚の十二の柩
          与謝野晶子『青海波』(一九一二年)

凍死せる苦力は昼迄に埋められて今日もありきただ枯色の窓の中
          近藤芳美『早春歌』(一九四八年)

ジエツト機の金属音かすめわれがもし尖塔ならば折れたかも知れぬ
          森岡貞香『未知』(一九五六年)

女よ、いま他国の死こそ泡立ちてわがめぐりまかがやく真夏の鏡
          佐佐木幸綱『夏の鏡』(一九七六年)

お清めの塩振りぬれば嬰児が這いきてズボンの塩を嘗めたり
          江田浩司『メランコリック・エンブリオ 憂鬱なる胎児』(一九九六年)

〈電極をつけたるあたま〉花の日にあらはれて深く何かをこはす
          米川千嘉子『たましひに着る服なくて』(一九九八年)

夕雲は蛇行しており原子炉技師ワレリー・ホデムチュク遺体無し
          吉川宏志『夜光』(二〇〇〇年)

「想定外想定外」と語気強めアナウンサーは画面より消ゆ
          田中拓也『夏引』(二〇〇〇年)



プログラムは、その後、佐佐木幸綱氏の講演、ゲストに大塚寅彦さんを交えたパネルディスカッションと進行する。
このあたりは「心の花」のホームページでレポートされるだろう。
http://www.kokoronohana.com/

谷岡くんが機転をきかしてくれて、歌集のサイン会を開いてくれた。
おかげで、23冊販売できて、にこにこである。

懇親会は、鏡開きから始まった。
「心の花」らしいなあ。
第一回「心の花賞」の発表もあり、盛り上がった。

雑誌だけでは分からない濃密な結社の空気に触れることができた。
一番強く感じたのは、若手歌人の真摯な姿勢と、それをがっちり受けとめるベテラン歌人の存在である。

有意義な一日であった。

★彡

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[134] 吉田漱さんを悼む 2001年08月23日 (木)

「未来」の吉田漱さんが亡くなられた。
ご家族の密葬ののち、本葬は来月とり行われるということである。

吉田さん。
古明地さん、宮岡さん、今西さんらに続き、またひとり「未来」の気骨ある歌人が世を去られた。
寂しいかぎりである。
6月の「未来」50周年大会に、吉田さんは車椅子でいらっしゃた。
今から思うと、お別れを告げに来られたのであった。
そういう場所として「未来」があったことに打たれる。
残念なことに、そのときはお話できなかった。
その機会を永遠に喪ってしまった。

吉田さんは、私なんかの歌集の批評会にもよくお越しになり、率直にいろいろ語ってくださった。
叔父さんのような存在だった。
私が担当した「未来」の土屋文明論連載企画では「土屋文明と新即物主義」というテーマで執筆をお願いした。
吉田さんしか書ける方はいないと確信していた。
玉稿をいただいたときは、ほんとうにうれしかった。
そんな思い出がある。

さようなら、吉田さん。

★彡

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[133] 結社とネット 2001年08月22日 (水)

「未来」編集委員用のMLが試運転中である。次回の編集会議で承認となるだろう。編集委員の7割がアドレスをもっている。およそ20〜40代の歌人だと、このぐらいのネット普及率かもしれない。
ただ、3割のネット外の委員との情報GAPをどうするか。これは難しい問題である。電脳化は、メンバーが100%参加しないとなかなかうまくいかないのではないだろうか。

東桜のシンポジウムの話の続き。
ネット・オンリーの歌人
結社・オンリーの歌人
ネット+結社の歌人
の3タイプがあるとして、ネット・オンリーの歌人は、結社はプロの集団だという幻想をもっている。結社・オンリーの歌人には、ネットに批評がないという誤解がある。だから、できるだけネット+結社の歌人がその誤解を埋めていかなくてはならない。そんな議論が共有できたように思う。
きわめて正論だと思うがどうだろう。


★彡

141

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[132] 岡井さん 2001年08月21日 (火)

以前、横浜の朝日カルチャーで岡井さんと対談があった。
3年ぐらい前か。千葉くんやエンジュさんが来てくれた。テーマは「口語」で、自分としてはまあまあしゃべれた方だった。というかしゃべらせてもらったわけだ。
そのとき、父親と母親も名古屋から来てくれた。
母はともかく、父が短歌の会に来ることはめったにない。
いちど岡井さんに会いたい、という動機だった。
会のあと、岡井さんと父加藤一郎が並んで写真を撮った。
その写真は引き延ばして、書斎に飾ってある。
俺には父が二人居ると、その写真をみるたびに思う。
文学の父にとって、自分はもう40を越したのに頼りない息子である。
ろくにモノを知らない。勉強しない。
東桜歌会のシンポジウムで、久しぶりに岡井さんに叩かれた。
「手紙魔まみ」をめぐって二つ。
「<私>で読んでなにが悪いんですか」
「予め、評価してかからないほうがいい」(ぼくが『水葬物語』を引き合いに出して「まみ」を評価したことに対して)
それから、岡井さんが結社の主宰であることを考慮せず「結社は素人の集団だ」と発言したのも、後から冷汗が出た。
「短歌が支えたと同時に短歌がめちゃめちゃにした人生」と、かつて岡井さんは言った。ぼくはそういう生き方を注意深く避けている。べつに岡井さんが反面教師というわけではない。いつのまにか二重の世界を生きる奇妙なバランス感覚が身についてしまったのだ。それでも軸は、ずいぶん傾いた。将棋が趣味のサラリーマンだった可能性を時折思うが、ずいぶんずいぶん傾いた。アナーキーにワイルドになった。と思う。
自分の詩才をおもうと、こつこつやるしかない。

★彡




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[131] 夏休み日記 2001年08月20日 (月)

夏休み、おしまいっ!
わりとゆっくりできた感じがする。

8/11 「東桜歌会のシンポジウム」レジメ作成
8/12 「心の花」全国大会の講演レジメ作成。妻の実家でお盆の夕食会。しゃぶしゃぶ。
8/13 三谷温泉で一泊。
8/14 蒲郡へ。帰宅後「心の花」全国大会の講演レジメ作成。
8/15 鳴海でお盆。お昼に鰻。帰宅後「心の花」全国大会の講演レジメ作成。
8/16 終日「心の花」全国大会の講演レジメ作成。
8/17 終日「心の花」全国大会の講演レジメ作成。
8/18 書斎整理。
8/19 東桜歌会のシンポジウム

いや、やっぱり目いっぱい忙しかった。

「心の花」講演は、「危機と不安の世紀を超えて」というサブテーマ。
20世紀の短歌を、個人と世界の危機のリンクという視点から話す予定。
あらためて、謎と不可解な出来事の多かった20世紀を確認。宿題、課題が山積。
引用歌だけ抜粋して、田中徹尾さんに郵送。



お盆で、鳴海に行ったところ、昔の漫画やら切手を引き取るように言われる。
久々に読んだ山上たつひこ『光る風』に衝撃を受ける。
こんなハードな漫画が、「少年マガジン」に。
当時、リアルタイムで読んだ記憶があるが、あまり理解できなかった。
いま、読むと、1970年という時代の空気を痛切に感じる。
PKOを予見していたのにも驚いた。



東桜歌会のシンポジウムは、「現代短歌の焦点」というテーマだった。
主に焦点になったのは、「手紙魔まみ」とインターネットの問題。
「まみ」は、これだけ「私」の回路を断ち切っているのに、なぜ、なおかつ「私」からの批評がなされるのかという問題を提起した。



1ヶ月ぐらい、休暇をとりたいなあ。

今日は、これから「うたう☆クラブ」の作品を読む。

★彡





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[130] 夏休み 2001年08月10日 (金)

明日から9日間の夏休み。
まとまった原稿執筆の予定はないが、8月19日の東桜歌会のシンポジウム、8月25日の「心の花」全国大会の講演の準備等々あって、あまり余裕はない。

昨夜、森本平君の家に遊びに行って『手紙魔まみ』の議論をするという不思議な夢をみた。彼は喜んで読んだだろうか。
『水葬物語』以来、50年ぶりのパラダイムの変革を担っている歌集だと思うが、それだけに、この歌集の評価には数年要するというのが、いまのところの考えである。
シンポジウムでみんなの意見を聞きたい。



「うたう☆クラブ」応募、出足好調である。
うれしいことだ。



ここのところ涼しかったのと、オフィスの冷房の効きすぎでちょっと体調をくずした。

ゆっくり休みたい。

★彡

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[129] ただの日曜 2001年08月06日 (日)

芙美、清昭、雅昭をつれて、改装された近所の喫茶店でランチ。
サンドイッチ3皿、スパゲティ1皿を分け合う。
ハムサンド、ミックスサンド、クラブサンド。ちょっと多かった。



ようやく「心の花」講演のテーマが決まった。
あとは、引用歌を固めればよい。
今日のところは、6首ほど引いて、コメントを書き込む。
15首ぐらい用意すればいいだろう。
インターネットのことは、話題にしないつもり。
佐佐木幸綱『天馬』では、後記でネットのことがかなり問題にされていたんだが。
今回は「何を」詠うかに絞って、ハードな作品を扱う。
「心の花」の田中さんに電話して、レジメの件など確認。書籍の販売もOKということなので、すこし持参しよう。



昼から夜にかけて、あき時間をみつけ、細切れに「ゴッドファーザー パートU」を観る。何回観ても、まだまだ発見がある。
マイケル・コルレオーネは、かく語りき。
「世の中に確かなことがひとつある。人は、殺しうる」

T、U、どちらもいい。


★彡

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[128] 21世紀に何を歌うか 2001年08月02日 (木)

【歌葉】の次回のイベント企画、荻原くん、穂村くん、それからBookParkの荻野部長と内容を詰める。
メールでアイデアがぽんぽん出てくる。けっこう楽しいものになりそうだ。



「心の花」大会講演のレジメを検討。「21世紀に何を歌うか」が与えられた演題である。まず、20世紀、何を歌ってきたかを踏まえたいと思っている。その上で、なにか新機軸をと思うが、力んでしまうと難しい。
あと3週間あるので、もうすこし構想を練ろう。

★彡
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[127] 愛しのマック 2001年08月01日 (水)

マックの大食い大会をやろう、という話が職場で持ち上がった。僕が言い出したのだ。敵を知る前に己を知れ。というわけで、ひそかに試してみた。
とりあえず、3個。いい勘してた。3個でめいっぱい。
ということは、4個で勝てる確率たかし。5個なら、間違いなく勝てるだろう。
それにしても、65円は安い。マック万歳!!! ちなみにチーズバーガーはじめいろいろあるが、普通のハンバーガーが一番美味い。



短歌研究の「うたう☆クラブ」の担当が回ってきた。

http://www.mmjp.or.jp/TANKAKENKYU/

募集は、8月1日〜31日まで。去年の「うたう」誌上から始まり、4回目のコラボレーションである。

http://www.mmjp.or.jp/TANKAKENKYU/cluboubo.html

どんな作品に出遭うか、楽しみである。

★彡
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[126] からっ風野郎 2001年07月31日 (火)

『ハッピーアイスクリーム』、情報を綜合すると、わりと早く入手できたようだ。一冊だけそっと棚にあった。きっとサンプルだったんだろう。



「気狂いピエロ」と「からっ風野郎」、立て続けに観た。

「気狂いピエロ」は、ゴダール監督の最高傑作。
ということだが、脳内革命的映像に侵食され続けてきた今の自分には、「ピエロ」のテンポは、もはや緩やかなのだ。哀しいことに。
シャンソンの挿入されるシーン、よかった。♪ 私の運命線、私の運命線 ♪ 

「からっ風野郎」は、ただただ主演の三島由紀夫が観たかったのだが、なかなか面白い。黒の皮ジャン、終始決まっていた。恋人役の若尾文子もいい。
ラストのエスカレーターのシーン、なかなか斬新である。
日本映画のいいところで、昭和の風俗を楽しめたのも収穫。

★彡
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[125] 『ハッピーアイスクリーム』 2001年07月29日 (日)

八重洲ブックセンターで、加藤千恵処女短歌集『ハッピーアイスクリーム』を見つける。<まみ>のとき、出遅れたので、今回は迷わず、即購入。
不二家のキャンデーのようにポップな感じだ。
<プロデュース 枡野浩一>が輝くなあ。いいなあ。
いい関係だなあ。
「うたう」で出会った歌も何首か収録されていて、なつかし。

昼の月 夜の太陽 あたしたち今なら水になれる流れる
飲みかけのジンジャエールと書きかけの詩を残したまま そっと立ち去れ
いつもならぬれっぱなしのあたしたちが今日珍しく傘をさしてる

短歌は大きく変わるなあ。
軽やかに街に出かけた短歌よ。



で、Nさんと歌集の打ち合わせ。
率直に意見を交換し、いい方向が見出せたように思う。
近年稀な社会派の歌集になるだろう。
読者を現実に直面させること。それは重要だが、ある作品の厚みでもって主題を扱わないと、読者は宙ぶらりんになってしまう。それを議論したのである。

★彡

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[124] 村上きわみさん 2001年07月28日 (土)

遅れていた「未来」の歌稿を岡井先生に送る。

 恐竜の骨うつくしきゆうまぐれ楽器のようなそのあばらぼね

これは、お菓子のおまけの恐竜のフィギィアを見て。他愛ない歌。



その後、村上きわみ『キマイラ』の書評にとりかかる。
去年の冬、深く関わった歌集だから、恋人に再会したような気分になる。

 始まりはピチカート澄みわたるまで待て 雨を欲る君より強く
 死にやすいこころを入れる死ににくいからだのことを言うないまさら
 ひと匙のバター溶かして(はてしない銃後の)眠いおかあさんです
 真昼間の盥にややを裏返す かみさまはるすかみさまはるす
 ことばいみをなすせつなほぐれたちまちに、こえ、こえのみぞはろばろとはし

現代短歌として、一級の作品だと思う。
きわみさんに出逢ったのは、数年前か。
「未来」の北海道の友人がぼくに送ってくれた「極楽玉手箱」という同人誌と、きわみさんの歌集『fish』である。
「極楽玉手箱」に吐き出されたパッションの塊のような言葉、『fish』のレバーのように濃厚な世界に惹かれた。
そのずっと後、ひょんなことからメールのやりとりが始まり、後にラエティティアに誘ったという流れである。
まだ、一度も本人に会ったことはない。が、村上きわみの詩魂には出逢っている。そう思うのである。



夜は、「アルマゲドン」を観る。一時期まったく映画を観ない時期があったので、そのころの埋め合わせである。
感動の巨編。
が、「ディープ・インパクト」とほぼ同じ、伝えてくるものは、ペンタゴンのプロパガンダ的イメージである。
核兵器の容認と、民間人の登用、犠牲死による人類の救済。
あり得ないSFのイメージで、これだけ核兵器の有用性を刷り込むのは、空恐ろしい。
しかし、観ると、やはり感動するのである。それが怖い。


★彡

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[123] 『石田比呂志全歌集』出版記念会 2001年07月27日 (金)

東京、虎ノ門パストラルで、『石田比呂志全歌集』(砂子屋書房)出版記念会が開催された。
盛会だった。

冒頭、岡井隆さんの挨拶。(以下、文責加藤)

 「野武士、変わらないですね」
 「究極のところを言うと、読みながら涙が出てくることがありますね」
 「世捨て人を文芸として演出した」
 「短歌一生。短歌が支えたと同時に短歌がめちゃめちゃにした人生。その無量の涙を共有した」

深い言葉であった。「短歌が支えたと同時に短歌がめちゃめちゃにした人生」、岡井さんは自分のことを語ったのだ。容易く言える言葉ではない。

篠弘さん、島田修二さん、高橋睦郎さん、高野公彦さん、田井安曇さん、伊藤一彦さんとスピーチが続く。

幸運にも、自分に番が回ってきた。
 石田さんの歌は、無思想だと言われるが、そうではない。
 政治思想ではないかもしれないが、生活の思想、生の思想といえるのではないか。それは、人間はいかに簡潔、簡浄に生きられるかという哲学である。
三首引いた。
 
 笹の葉を落つるかすかな雪の音母ならぬ肌に抱かれて聞く (初期歌篇)
 ほとほとにおみなはふたつかいなもて吾がこつむりをいだきけるかも
 人間がけむりになりてゆくときの煙は冷たかるや暖かかるや

最後、福島泰樹の絶叫スピーチ。

 赤コーナ〜、世界ライト級チャンピオーン、石田比呂志〜!!

★彡

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[122] 自民党がいいねと君が言ったから 2001年07月26日 (木)

朝、出勤前、NHKを見ていたら、自民党の政見放送に俵万智さんが出演していた。小泉総理と対談形式で、自民党のプロパガンダである。
最初の5分ぐらいは短歌の雑談だった。
来るところまで来た、という感じがした。

 自民党がいいねと君が言ったから29日は投票に行く  
                    小泉純一郎

俵さん、どこまで確信をもってやっているのだろうか。そう思うと不安になった。

★彡

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[121] 石田比呂志さん 2001年07月25日 (水)

なんとか仕事の目処がついて、金曜の石田比呂志さんの出版記念会に出席できそうだ。いつも、ひやひやしながら「出席」の返信である。
石田さんが「未来」に入会した昭和34年が、ぼくの生まれ年。
昭和61年、ぼくが「短歌研究新人賞」を受賞したとき、石田さんが「短歌研究賞」を受賞。一緒に日比谷のプレスクラブの壇上に立った。「未来」の人は明らかに、ぼくよりも石田さんの受賞を喜んでいて、かすかな嫉妬を覚えたものだ。
一度、「未来」の飯田大会だったか、部屋が一緒だった。1984年あたりのこと。石田さん、岡井さん、大島さん、加藤という濃い面子だった。
なにを言われたかは忘れたが、新人のぼくになにか一所懸命うたの話をしてくれた。岡井さんは横になると10秒ほどでいびきをかきだした。石田さんは素っ裸で寝ていた。月光が照らして壮絶な姿だった。このひと死んでしまうんじゃないか、と思った。
あと、「牙」誌上で、ぼくの人間魚雷の歌を擁護してくれたことも、大いなる恩義である。が、礼を言いそびれている。もっとも、石田さんは自らの表現に対する信念を貫いただけであろうが。

浜名理香や上妻朱美も「未来」の会員だった。
二人が一度上京してきて、悪友堀隆博と4人で会ったことがある。新宿御苑で花見をして、夜は歌舞伎町で飲んだ。北区岸町のアパートにみんな立ち寄った。
石田さんが「未来」の選者を辞して、多くの「牙」の会員が「未来」を去った。そのころが複数選者制のピークというか折り返し点だったのだろう。

★彡
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[120] 「読売新聞」短歌時評 2001年07月24日 (火)

今月は、残業が45時間まで来た。
三六協定の関係で、あと一週間、早く退勤しなければいけない。



今日の「読売新聞」夕刊「短歌」時評欄で、伊藤一彦さんが「未来」7月号の特集を大きく取り上げてくださった。有難い。
「電子メール対談という、歌壇ではまだ新しい企画を特集の柱とするところが『未来』らしい」というコメント。
「未来」らしい、というのがぼくにとっては、最高の讃辞。
そう、「未来」らしい企画を打ち出したかったのである。
反面、ここ2、3年「未来」らしさという点が希薄になっていたんじゃないか。そんな思いがあったのだ。

★彡
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[119] ふらふらと歩く 2001年07月23日 (月)

暑いにもホドガある。地球温暖化を実感する。
眠れていないのに、5時半ごろ目がさめる。
まえ、「キューブ」という映画だったか、さんざん苦労して「キューブ」から脱出できるというとき、そうしたところで生きるに値しない退屈な日々が続くだけだ、と脱出を拒んだ男がいて、その台詞に絶望的な気持ちになったが、もともと日々も世界もそこにあるだけで、値なんてないんじゃないかと思いながら、歯を磨いて、気がつくと駅への道を歩いていた。女性が下着を露出させて歩いている。二三年前はこんなんじゃなかった。車内で化粧してなぜ悪いという投稿が新聞に載った。どうなってしまったんか。



「ダンサー・イン・ザ・ダーク」評判いいが、余りにも暗そうなので、借りるのを躊躇する。こういうときは、スパイ大作戦がいいよ。

★彡
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[118] 夏の一日 2001年07月21日 (土)

熱風がふいている。

子どもを連れ、納屋橋の名宝会館へ「ピカちゅう」を観に行く。
途中「いちびき」でうな丼を食べる。ここのうな丼は、こってりして歯ごたえがあって、美味い。いちど、ミユキさんも連れてこよう。
「ぴかちゅう」、なかなか凝ったCGで大迫力。ここでも背景に自然保護のテーマがあって、これは流行なのだろう。

A氏からお中元が届いている。義理堅い人である。涼しげな桃のゼリーだ。
出版社からもお中元が。こちらは、饂飩・冷麦・そーめんの詰め合わせ。子どもが好きなのでありがたい。

夕方、庭木に散水。菜園では、ナスが実っている、天麩羅にして食べよう。

夜、『石田比呂志全歌集』(砂子屋書房)を読む。
付箋が林のようになる。
                  
 ほとほとにおみなはふたつかいなもて吾がこつむりをいだきけるかも

よきかな、よきかな、よきかな。

★彡


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[117] 未来は動く 2001年07月19日 (木)

昨日の 31チャンネル(匿名時評)に対して、多くの方から「グリーンヘル」にコメントをいただいた。
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励まされ、鼓舞された。
メディアの一方的な暴力に、応える場をもっていること。それがうれしいのである。



さて、今日は、「未来」の拡大編集会議。発行所の管理の問題等々さまざまなことが議論された。
新しい編集企画の態勢として、大島史洋、田中槐、小林久美子、加藤治郎の4人が中心になり、今後「未来」の誌面を先導することになった。この4人の企画が、編集会議に提案され、実施されることになる。
早急にプランを練りたい。
全体の体制については、今日が議論のスタート。結社とは何か、選歌とは何か、そして歌人とは何か。そういった問題を避けて通ることはできない。
この1年、「未来」は、動く。

★彡
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[116] 31チャンネル(匿名時評)へのコメント 2001年07月18日 (水)

「短歌現代」7月号の、31チャンネル(匿名時評)で、「悪魔と馬鹿」というタイトルの文章が掲載されたということを、友人が教えてくれた。こんな内容である。

 それよりも、さらに背筋が寒
 くなるようなことが、現在、行
 われている。ネットによる歌集
 出版というのがそれだ。加藤治
 郎、穂村弘、荻原裕幸による歌
 集出版サイト「歌葉」というの
 が開設され、すでに数冊の歌集
 が出版されている模様だ。どう
 も読みたくないね、恐ろしく
 て。しかもこのサイト、加藤の
 勤務先が始めた新商売の一環だ
 そうである。自らのサラリーの
 ために、この男は自分も作って
 いる短歌というものを徹底的に
 コケにしようというのである。
 他の二人はアホだが、この男は
 何とも恐ろしい。


以下、私のコメントである。

【歌葉】のどこが恐ろしいのか。それが分かれば具体的に応え、誤解は解き、至らない点は改善することも可能だろう。
読んでもいない本及び検証していないシステムを批判するのは、ある種の<態度>かもしれない。その是非は読者が判断すればよい。

「加藤の勤務先が始めた新商売の一環」というのは、オンデマンド出版という富士ゼロックスが始めたシステムを歌集出版に適用したという範囲のことを指しているなら事実といえよう。
ただし「自らのサラリーのために、この男は自分も作っている短歌というものを徹底的にコケにしようというのである」という箇所には異議がある。
今現在、富士ゼロックス社内において【歌葉】は、私の業務とは認められていない。私の業務は、主にISO14001認証取得活動とゼロックス製品の販売計画である。
従って【歌葉】に関する仕事は、基本的に、勤務外の時間を使っている。つまり、歌人としての時間帯の活動なのだ。その意味において「自らのサラリーのために」というのは、実態ではない。
ひろく歌人のために【歌葉】というシステムを提案したというのが私の立場である。

【歌葉】に関する私の考えは、「未来」7月号の対談で明らかにしている。まとまったものは近々『現代短歌最前線』−北溟社現代短歌アンソロジー掲載の「【歌葉】という提案」というエッセイで表明されるだろう。
それを読んでいただきたいと思うのである。



あーあ。ぼくが「歌人」であるということで、いかに会社で、職場で、厳しい状況に立っているか。
まあ、そんなこと分かるはずもないだろう。

★彡

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[115] 「未来」7月号 2001年07月17日 (火)

「未来」7月号が出て、さっそく、藤原さん、奥村さん、穂村さんがネットのあちこちでコメントしてくれた。ありがたいことである。
50周年記念号第2弾ということで、なんとか「未来」らしい、意志があって、オープンで、偏向した特集になったのでは、と密かに思っている。
特別作品は、紀野恵と大滝和子の二人だけ。
荻ちゃんと勝手なことをしゃべりまくっている様には、怒りが爆発した読者もいることだろう。曰く「場のニューウェーブ」。
吉川くんとの対談は、だんだん話がエキサイトしていく様がおもしろいのだろう。
川野里子さんの評論は、いつものことながらシャープ。ぐっと、踏み込んでくる。
校正等々お世話になったスタッフのみなさんに感謝。

いずれも、今年のゴールデンウィークの仕事。この企画と「國文学」の執筆で休暇は終わったのであった。

★彡

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[114] ひかる風 2001年07月16日 (月)

北野武『BROTHER』を観た。楽しめる作品だ。
ゴッドファーザーからの引用も面白い。トイレに隠す銃。爆破される車。
武の映画の魅力は、躊躇いのなさ、だろう。死への躊躇いのなさ。



光る風が、容赦なく…。
そんな感じ。ぼろぼろの気持ちで出勤。

★彡

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[113] ぼくの失敗 2001年07月14日 (土)

『U-571』なかなか面白く、爽快。
Uボートものである。
「成し遂げること」。うーん、妙に普段の会社での仕事ぶりを思ってしまった。仕事は、成し遂げるというのが当たり前のことなのだが…。



出勤して愕然とする。土日は、エアコンが作動しない契約になっているのだ。9時の段階で蒸し風呂。
OA機器が暖房器具になっている。しまったっ!しまったっ!しまったっ!

と、後から出社した人が、管理事務所に連絡をとり、なんとかクーラーが入る。ありがたや。


エアコンはふきそめにけりうすぐらき土曜の午後のオフィスの隅に

★彡

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[112] キャパシティー 2001年07月12日 (木)

友人たちが<グリーン・ヘル>にやってきてくれてうれしい。
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無料のレンタル掲示板なので、50件までしかログが残らない。
週一回ぐらいプリントアウトして記録を保存しているのだが…。せめて500件ぐらいのキャパがほしいなあ。



【歌葉】、SさんとNさんの草稿やりとりが続く。
荻原さんの担当の方も進んでいるようで、そろそろ第二波が期待できそうだ。
【歌葉】は、どちらかというと作家サイドの新機軸で、【まみ】は読者サイドのニューウェーブだろう。2001年の出来事として。
http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/



う〜。ほぼ土曜出勤が確実になった。
ISO14001と、予算編成の仕事が重なったためだ。

働けど働けど、モットハタラケと、ヤツは言う。じっと眼を診る、水のなかより。


★彡
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[111] 薔薇色の社会はやってこなかった 2001年07月11日 (水)

「未来」7月号の寄稿者、荻原さん、川野さん、吉川さんへの雑誌献呈と玉稿料支払いの手続きが済んで、あとは雑誌を待つばかり。こういった特集企画であれば、なんとか引き受けられるように思うが、時間帯の制約される仕事は苦しい。だいたい今、21時ぐらいまで会社で働いている。結局、テクノロジーの発達によって、われわれは、労働時間が短縮する方向へは行かなかった。ある比率の人間が職場に残り、ある比率の人々は、リストラクションの名のもと、職場を放逐された。あるいは、予め職場への参画を拒絶された。自分の就職のころには、大卒が600〜700人採用されていたが、今年は40名そこそこである。ある比率の人間がきつい労働を強いられ、他は余力があっても、仕事がない。21世紀、そんなダークな世界が到来した。ワークシェア。働きたい人が働け、みんなゆとりのある日々を暮らす。そうならないものか。



「うたう」で知り合ったYさんが「未来」に入会するというメールをくれた。
岡井さんの選歌欄に入る。不思議なもので、義理の妹がやってきたような感じがした。

★彡
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[110] 母港 2001年07月10日 (火)

岡井さんから召集がかかり、19日は「未来」の編集会議。
平日で時間的に出席は難しいのだが、今後の「未来」にとって重要な会議だからなんとか都合をつけなくては。自分にとっても試練の場となりそうだ。
岡井さんは大会のとき「結社は母港のようなものだ」と言った。
ぼくもそんな感覚である。
SS-PROJECTの活動があり、ネットの場も広がっている。
「未来」外部の歌人との接触がほとんどである。
「未来」に同じ時期に入った友人は、みな退会してしまった。
ときおり寄港するような場であるなら容易いのだが。



立続けに掲示板に<手紙魔まみ>に関する投稿が入り驚く。
むずかしく考えず、率直に語り合おう。

★彡
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[109] 遠い希望の国のまみへ 2001年07月09日 (月)

<手紙魔まみ>について書こうと思いつつなかなか書けないでいる。一番の問題は、まだ本を入手していないことである。友人に3分ほど見せてもらっただけだ。ずっと、読者としての奇妙な挫折感と居心地の悪さが支配している。すばらしき読者たち! 発売日に書店を駆け巡った読者たち! 俺は、相変わらず短歌界の風習にどっぷり浸かって、本が贈られてくるのを口をあけて待っている。なぜ、書店で買わない? すくなくとも、金曜にチャンスはあったのだ。本はそこにあったのだ。金を惜しんだのか。あの夏の一日の黄金の時間に参加しなかったことが今の自分のすべてだ。まだ、読んでいないのだが、感想をすこし書いておこう。それはメルヘンである。この絶望が支配する世界に、なおメルヘンだけで生きていけることの確信。大量殺戮を貧困を臓器移植を遺伝子操作を失業を、無化できる、無関係に生きてゆけることへの確信。ファンタジア。

★彡

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[108] 七夕会 2001年07月07日 (土)

今日は、七夕。
家族五人とミユキばあちゃんと連れ立って幼稚園の七夕発表会に行く。
出し物は、合唱や器楽演奏である。
さすがに、年長の芙美は、安心して観ていられる。はちきれんばかりだった。
年少の清昭、雅昭は、大苦戦。雅昭は泣き出してしまった。
初陣飾れず。

 少年よ、重荷を負え! そう、ずっとだ、ずっと!(BEATLES)

★彡

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[107] なおさん 2001年07月06日 (金)

天道なおさんが「早稲田短歌」を送ってくれた。
32号。128頁の大冊。なおさんが編集人か。
穂村弘のインタビューが圧巻。今に続く勢いが氾濫している。

なおさんとは、去年の夏、突然に「うたう」で出遭った。
どんな形であれ、いずれ目立ってくる歌人だろうが、それでも、ぼくには僕が見出した大器だという思いがある。これは、片想いというものであるが。

 何度でもしたかったでもしなかったブリキの犬の目をしてたから

                        天道 なお

夏に学生短歌大会があるという。
ちょうど、「うたう」に関ったころが境目かもしれないが、はっきり20代の歌人との距離を感じた。すこし前までは地続きであったのに。

★彡

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[106] ジャンク 2001年07月05日 (木)

ポール・マッカートニーの2枚組のベストアルバムを買う。
初期の曲、解散直後の曲が多く選曲されていた。
ぼくが、リアルタイムでポールを聴きだしたのは、1974年の「バンド・オン・ザ・ラン」から。

好きなソロの曲を思いつくままに…
「ジャンク」
「恋することのもどかしさ」
「ラム・オン」
「バックシート・オブ・マイ・カー」
「アイ・アム・ユア・シンガー」
「トゥモロウ」

1970〜73年の曲。

このころのポールのテーマは「家族」。
ポップシンガーとしては、新しかったんだと今にして思う。

★彡

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[105] I-Cafe 2001年07月04日 (水)

近所にインターネットカフェが出来た。
というか、普通にコーヒー300円で、PC使い放題。高速で軽快なアクセス。自宅でぼそぼそやっているより、気分転換にいいかも。



筑摩書房の『現代短歌全集』を全巻購入予約。第17巻に『サニー・サイド・アップ』が収録されるので、著者割引となる。ありがたや。

★彡

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[104] 犬・犬・犬、まみ 2001年07月03日 (火)

かなり探し回って「犬・犬・犬(ドッグ・ドッグ・ドッグ)」の@〜Bを買い求める。原作、花村萬月。スペリオールで連載中なのに、置いてある書店は、ほんとない。どうなってるんだ、小学館。コミックも点数が多いだけに、流通は厳しいようだ。
マヒケン、いいなあ。感情のない人間に憧れる。



友達に、ちらと<手紙魔まみ>を見せてもらった。書店には、もう見当たらないのだ!
インパクト強し。いいなあ。
苺畑、天国なんか、入れやがって。俺は間違っていた。やっぱり、これは穂村弘この10年のベスト版なのだ。
あとの歌は、全部捨てるべし。

会社やめるべし。
同棲すべし。

★彡

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[103] EL SUR -南- 2001年07月02日 (月)

いつもながら、月曜は、ねむい。



VTR漬けといえば、友人が貸してくれた「エル・スール」もよかった。
ビクトル・エリセ監督。「ミツバチのささやき」に次ぐ第二弾だ。
父親の孤独、そして娘への思いが、心に沁みた。



結社のこと、「グリーン・ヘル」に多くの方のコメントをいただき感謝。
自分が「未来」に入会したころの、まっすぐな気持ちを思い出した。
歌人だとかプロだとか、もちろんそんなこと頭になかった。
みんなと歌を語るのが楽しかった。
それだけだ。

★彡

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[102] 歌人 2001年07月01日 (日)

引き続きVTR漬け。
「シックス・デイ」「アンダルシアの犬」「青春残酷物語」を観る。
さて、これから仕事だ。



本格的に歌を始めたい。プロの歌人になりたい。
そんな志をもった人をぼくは眩しく思うし、多少なりとも力になりたいと思うんです。
でも、正直なところ、どうしたらいいか分からない。

結社を薦めることに、ぼくは躊躇します。「歌人」になるのに結社は通らなければならない道だとは思うが、入会したからといってどうなるものでもない。「歌人」になりたいと思う人の多くは、結社に入って失望するだろう。
まず、結社はプロの歌人の集団であるというのは誤解である、ということから始めるべきかもしれない。例えば「未来」でいうとプロの「歌人」というのは、近藤芳美、岡井隆を初めせいぜい10人ぐらいで、あとの990人はアマチュアの短歌愛好家なのです。他の結社も状況は同じだと思う。
ぼくは「アマチュアの短歌愛好家」を貶めるつもりは全くないけど、こういう結社の構造を一応認識してもらった方がいいように思うのです。

じゃあ、おまえは何だというと、繰り返し言っているように、ぼくは「歌人」を志してその途上にある人間なんです。

どうかなあ。

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[101] 気ままな土曜 2001年06月30日 (土)

なんか。原稿も、歌会も、人と逢う予定も何にもない土曜。
こんなこと今年初めてだ。いざ、こうなると何をしていいか困る。
といっても、夜はSさんの歌集の草稿に目を通す。【歌葉】一般応募の一冊。

昨日の夜からVTRを3本。
「レッド・プラネット」「ガメラ3」「三国志曹操伝」
こんな日は、こういうものが観たくなる。

<グリーン・ヘル>に、何人か来てくださった。
日記の読者にお目にかかれた感じでうれしい。

★彡

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[100] 『椿夜』 2001年06月29日 (金)

江戸雪の第二歌集『椿夜』(砂子屋書房)を読む。

淡い緑と銀が基調の華麗な装丁だ。倉本修渾身の仕事である。

日常にポエジーが遍く浸透している感じ。
リアルでありながら、現実主義とは別のところにある。

引きたい歌が多い。

こんな歌に付箋をつけた。


 いま君を隔てていたる川の数、木の数、昼にみる星の数

 うつそみが遠くなる昼まちがったままこの道をまっすぐ歩け

 闘いのたのしみ知らずこいびとの部屋のチャイムを鍵先で押す

 抱けば君はたちつくす熱 台風のちかづく街をみおろしながら

 君の掌が思いがけなく君の顔覆ってわれは虹をみている

 逢いたいとおもう脳に出口なくあかねさしたる椅子をみている

     (ルビ 脳:なずき)

 だだりりと木に蛇垂れてはじまった夜が終わりにならないのです

 きれいだねきれいです月そのなかに小さく黒く踊るのはわれ

 ベランダに佇つとき列車は陽の中へ腕が抜けゆくように遠のく

 月にむかい汝を負えば背中よりふたたびわれへ入りくるような

 しゃりんしゃりん車輪の好きな子を連れて溶接工場の火事を見にいく

 いくら書いても消せない記憶の日があるの雨にも陽にもかがやきながら


★彡

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[99] 心の花大会に向けて 2001年06月28日 (木)

夏のボーナスが出た。
勤労意欲がぐっと上がる一瞬。
しかし、所得税16%というのは応える。



「心の花」の全国大会が2ヶ月後に迫った。
そろそろ講演のテーマを決めなければいけない。
幸綱氏からは「今の自分に切実なテーマを」という依頼が来ている。
何だろう、今の自分にとって。

先般の「未来」の大会で永田さんは、結社の問題を語った。
これは氏にとって、まさに切実な問題なのだろう。
戦後派世代の結社をどう継承するかという問題に、永田さんの世代は直面しているのだ。

自分にとって。
突き詰めると、なぜ短歌か、いま歌人であることとは、というところに行き着くが、もう少し現代短歌の問題に沿って話したい。



フリーの掲示板があったので、試しにつくってみた。
ずっと放っておいた。

なにもプランはないけど、日記の読者に開放することにした。

★彡

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[98] 関係維持主義 2001年06月24日 (日)

「うたう☆クラブ」のコラボレーションがほぼ収束。
1ヶ月間、17名と向き合った。
濃密な時間だった。



岡井隆の回想録(『挫折と再生の季節』)を読むと、岡井さんが九州へ出奔した年齢に自分が近づいていることに気づく。
そうか、『天河庭園集』の時代なんだ。
岡井さんの清算主義に対し(反対語はなんだろう)、自分は関係維持主義だから、出奔はプログラムにない。
現場にとどまって、ひたすら対応と調整である。
しかし、この年齢の岡井さんの苦渋は自分なりによく分かる。



WoWoWoで、ユーミンのLAでのプライベートライブを観る。
前半はニューアルバム「Acacia」から。
後半は、「14番目の月」から。
やはり、25年前の曲の方がいい。「さざ波」「中央フリーウェイ」、みな宝石だ。

★彡


[97] 父の日 2001年06月17日 (日)

今日は、父の日。幼稚園の父親参観に出かける。

芙美のクラスと、清昭、雅昭のクラスを行ったり来たりする。
芙美のクラスは園庭で、おみこしの競争。暑い。
「おとうさんありがとう」という、テイッシュの箱。髭とネクタイの父親の絵がついている。
清昭、雅昭からは「おとうさんだいすき」という肌色、赤、黒の父親の顔の抽象画(?)。

昼は、イトーヨーカドーの若鯱屋でカレーうどんを食べた。


家に帰って、芙美とオセロゲーム。

清昭、雅昭が「ライダ〜、アギト〜」とか言って蹴ってくる。
「トォーッ! トォーッ! トォーッ! 」

★彡


[96] 国語教育研究会 2001年06月16日 (土)

今日は、愛知県の西三河高等学校国語教育研究会で講演。
高校の恩師である西尾高校の柴田哲谷先生にお世話いただいた。
名鉄鳴海駅から西尾行は1時間に1本しかない。会は午前9時半からだが、早めに出かけた。

会場は西尾市総合福祉センター「はなのき」。
柴田先生と衣台高等学校の伊藤正晧校長に出迎えていただいた。

50名ほどの聴衆だが、現役の国語の先生ということなので、講演は授業でどう短歌を教えるかというところに繋ぐことにした。
前半は近藤芳美と北原白秋の歌を例にとって、短歌の解釈と鑑賞について、その難しさと楽しさを話す。
後半は、一首の歌がどう短歌史に位置づけられるかということで、子規の歌論をベースに話す。
塚本邦雄と俵万智の歌を引いた。

真面目な雰囲気で気持ちよく話せた。
質問も多数受けた。
授業で教えられること。短歌史はある程度客観的に教えられる。
それから一首の歌にどんな技法が織り込まれているか。本歌取りから直喩まで、これもある程度客観的に話せる。
解釈と鑑賞はそれらがベースだという話をする。あと、旧仮名の表記も教えてよいのではと。

幸田高校の加藤国子先生が出たばかりの「國文學」をもっていらした。
ちょうどぼくが「短歌と俳句」というテーマで執筆していたのだ。いっぱい傍線が引いてあるのを見て恐縮した。
ありがたいことである。

会が終わり、柴田先生と岡崎高校の竹内先生と、回転寿司で打ち上げ。
竹内新詩集『樹木接近』を献本いただく。
麦酒を飲んで大いに語った。店を出たが、まだ日は高かった。

★彡


[95] 「うたう☆クラブ」コラボレーション 2001年06月14日 (木)

「うたう☆クラブ」のコラボレーションが始まる。
今のところ、17人とメールのやりとり。
少しでも多くの人に、このコラボレーションの楽しさを体験してもらおうと思っているが、1ヶ月の間では、20名ぐらいが限界か。

インターネットを場とする短歌の動きに、批判的な声も出ているが、この「うたう☆クラブ」は優れた企画であると思う。
一方的な選歌や添削ではない。
アドバイスを繰り返し、作者のもっているいいものを引き出すのが、コーチであるぼくの役割だ。
コラボレーションという所以である。

同時進行で20名とやりとりというのは、インターネットを使わなければできないことだと思う。

★彡



[94] 合田千鶴さん 2001年06月10日 (日)

「未来」大会2日めは、歌評会から始まる。
歌評担当だったが、遅れて参加。申し訳ないことだった。
三つの分科会形式。担当した部屋は、大島、川口選歌欄の方が多かった。

午後の会の前に、合田千鶴さんとおしゃべり。
オランダから参加されている。
手作り味噌の話や、オランダでオーロラが見えたこと、それから、消費税が19%というのには驚いた。
『イージー・パイ』を買いもとめていただいたので、記念に謹んでサインする。

 たぶんゆめのレプリカだから水滴のいっぱいついた刺草を抱く

ぼくは、刺草みたことないんですよ、と話すと、合田さんはオランダにいっぱいあるとおっしゃた。紫蘇の葉に似て、ふれると傷つくという。
しばし、空想に浸った。

★彡


[93] 「未来」50周年記念大会 2001年06月09日 (土)

母と名古屋駅で合流して、「未来」50周年記念大会に向かう。
会場は中野サンプラザ。

大会は、近藤芳美、岡井隆の挨拶に続き、永田和宏さんの記念講演。
 「同人誌的結社誌とは何か?」
 「結社とは何か?」
 「選歌をどう考えるか?」
 「第二芸術論とは何か?」
といった問題を提起される。
従来言われてきた、短歌においては読者イコール作者であるという視点を一歩進めて、「読者イコール選者」であるという点を永田さんは主張。新鮮であった。

後半、永田さんを交えてのパネルディスカッション。
私は「うたう」に見られる、若い作者の脱結社状況を指摘。
結社はプロの養成機関に徹するべきだと主張した。
岡井さんは「大学院だな」とおっしゃった。



祝賀会がお開きになったところで、母とタクシーで新宿のホテルに行く。
荷物を置いて、二人でしばらく街を散策して帰る。

★彡


[92] 研修 2001年06月08日 (金)

昨日、今日と、神戸のスペースαで、経営品質の研修。
今回で、一区切りである。
三重県庁の方も、多数参加され、<官民>合同のチームで議論。
事例研究を3件。
実りが多かった。
県庁の方は、名刺に芭蕉の句を入れたり、なかなか工夫されている。



帰宅すると、大島さんから、永田さんの講演のレジメがFAXで届いていた。
結社論が中心である。
「未来」7月号で、荻原さん、吉川さんと議論を尽くしたテーマでもあるので、ほっとした。

★彡


[91] 記念大会せまる 2001年06月05日 (火)

「未来」50周年の記念大会がせまってきた。
出番は、一日目のパネルディスカッション、二日目の歌評である。
パネルは、永田和宏さんの基調講演を受けてということになる。
戦後派からニューウエーブまで、どこに焦点を絞るか、難しい。
今の自分に一番切実な問題は何なんだろう。



「うたう☆クラブ」のコラボレーションが始まる。
新しく投稿してこられる方もうれしいが、前回の方が再び送ってこられることもうれしいのである。

★彡



[90] レインコートを着る部屋の中 2001年06月03日 (日)

家屋関連の折衝が続く。
一つは、玄関ドアの付け根のところに、子どもが指をはさみそうになった。ドアの構造上問題がある。住宅会社に連絡。
営業マンがすぐやってきた。さすがである。
もう一つは、電柱に移設について。車の出し入れの妨げになりそうなので、これも電力会社に連絡。
庭木に水を撒くのは安らぐが、家というのはいろいろ大変である。



遅れていた「現代短歌雁」の歌集特集の原稿を書き上げる。
『埃吹く街』と『北西風』を担当。

 水銀の如き光に海見えてレインコートを着る部屋の中 近藤芳美

代表歌であるが、今まお謎に満ちている。
「レインコートを着る部屋の中」とは、どういう情景か。
寺山修司から田井安曇まで、さまざまな解釈があって面白い。

★彡


[89] 環境教育 2001年05月031日 (木)

5月の残業は、50時間だった。
月初の連休のことを考えると、高い数値だ。
36協定ぎりぎりである。
ISO14001の環境マネジメントプログラムの作成と、業績予測の仕事が重なったためだ。

ISO14001認証取得予定は、11月だから、まだまだ先が長い。
ただ、この仕事の関係で、環境問題への認識は深まったように思う。
資源循環型社会の形成は急務だ。
もっと学校教育においても、環境への取組みがあってよいだろう。
環境教育は必須である。



「ドッグ・ドッグ・ドッグ」の単行本を探すが、なかなか書店に置いてない。
漫画も流通は厳しいようだ。

★彡



[88] 筑摩書房『現代短歌全集』 2001年05月26日 (土)


今年1月22日のオープン以来、来訪者が累計10,000人となった。

「ありがとう」

走り続けた5カ月であった。

*

筑摩書房の『現代短歌全集』の内容見本が届いた。

第17巻に『サニー・サイド・アップ』が収録されることになった。
ありがたいことである。

もともと『現代短歌全集』は、1980年の刊行。
『東西南北』から始まり、昭和45年に至る265冊の歌集を収めた。
序文、跋文もそのまま載せられているため、資料価値が高いのが特長。

刊行から20年、今回、昭和46年から昭和63年までの歌集46冊を収めた2巻が増補されることになったのである。

多く、第一歌集が選出されているのも特徴だろう。

自分の出発が、昭和という時代だったこと。それを思うのである。

★彡


[87] 寺山修司短歌賞、河野愛子賞 2001年05月24日 (木)

第六回寺山修司短歌賞、第十一回河野愛子賞の授賞式に出席。
如水会館。
盛会だった。
山田富士郎さん、大滝和子さん、久々湊盈子さんにお祝いを言う。

祝辞は、大滝和子さんを担当。
同期生。同じ1983年9月に「未来」へ入会したことを話す。

その後、寺山映子さんが壇上に。
「感慨がある。寺山が亡くなったのが1983年だった」というスピーチに、打たれた。

いい会だった。

*

帰宅して、幼稚園の保育参観の話を聞く。
清昭、雅昭、芙美、みんななんとか集団生活をしているということで安心した。

清昭は、給食当番。
給食のプレートをみんなの席に運んだという。
へー。やるなあ。胸がいっぱいになった。
3歳の息子が。

★彡


[86] 編集会議 2001年05月21日 (月)

東中野の「未来」発行所で編集会議。
遅れて、8時過ぎに出席。岡井さん中心に、新しい発行所の運営について議論されていた。

間に合わないと思っていた7月号の原稿ひとつ、本人がわざわざ発行所まで持参くださった。
頭が下がる。
その場で、割付して、大島さんに手渡し。
これで一区切りついた。
ライトバースから電脳短歌までの潮流を踏まえ、結社のあり方など、問題提起できたように思う。

編集担当として、まだまだ足りない。
遅れている原稿は、執筆者とともに打開策を考えるのが編集者の務めだ。
もっと関与しなければいけない。

★彡


[85] GO ON 2001年05月18日 (金)

ISO14001内部環境監査員コースを受講した。
内部監査という仕事自体、かなり重いものであることを認識。
また、ISO14001認証の対象となるのは、環境マネジメントプログラムだけでなく、当然、環境管理マニュアルの記載事項全般であることも知る。
これは大変なことだ。



「未来」7月号の割付進む。
最近、自分でも原稿を電子メールで送ることがあるのだが、これは、編集側の態勢によりけりだ。
紙原稿で印刷所に入れる場合、電子メールの入稿だと、編集担当者が不要な改行を除去したりレイアウトにけっこう手間がかかる。
そしてプリントしなければならない。これも納期が迫っていると焦る。

このあたり、きちんとガイドして、スムースに編集が進むようにすべきだろう。



いろいろ遅れているが、挽回の範囲にある。

自分からは降りない。

★彡


[84] あつい 2001年05月16日 (水)

冷房が止まって暑い。

熱があるような気もする。今年、何回めかの限界を感じる。

仕事だけでもオーバーフローしている。
家にかえってもオーバーフローしている。

寝て、夢をみて、真剣になって、つかれると思うとぞっとする。



ときどき観たくなる映画のひとつに「惑星ソラリス」
まだまだ発見がある。
まえは、妻と母親を混同していた。


★彡


[83] レイアウト 2001年05月15日 (火)

ISO14001認証取得活動は、環境マネジメントプログラム、従業員教育へと進む。
教育は、Webを使った自学習になるが、InternetExplorer5.5が前提なので、バージョンアップなどPC環境の整備に手間取りそうだ。
とにかく、全従業員というのは大変である。

明後日、内部監査員の教育を受講。



時間をみつけて「未来」の割付用紙に、レイアウト。
帰宅して入浴してからのこの作業は、しんどい。
字数の勘違いや、見出しが思ったより窮屈だったり、この段階で調整が入る。

来週の月曜、編集会議だ。

★彡


[82] オークション・ハウス 2001年05月14日 (月)

いま、ほとんど唯一の娯楽は、コミック。
通勤時間に読む。
ひょっとして、通勤時間しか娯楽がとれない悲惨?

「ビッグコミック」「ビッグコミック・オリジナル」「スペリオール」「ビジネス・ジャンプ」「モーニング」は、欠かさない。


こんな言葉が目にとまった。

 「愛とは相手の心を独占することだ」 

      (「オークション・ハウス」より)

あなたを独占したい。

★彡


[81] 暑かった一日 2001年05月13日 (日)

子どもを連れて大高緑地の交通公園へ行く。
初夏の暑さだ。
ゴーカートに乗って遊ぶ。
1周6〜7分。スピードもけっこう出る。150円は安い。
木陰で冷凍ミカンを食べてくつろぐ。



「短歌と俳句」の原稿を仕上げる。
書けないのではないかと思っていたが、ごりごりやってゆくと出来てしまうのは、不思議なことである。
いや、実際は書けていないのだろう。
余りにも足りない。



「うたう☆クラブ」の応募作が集まり始めた。
前回より、出足がいいようだ。
新たな才能との邂逅を期待している。

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[80] マラソンリーディング 2001年05月11日 (金)

ISO14001認証取得活動は、環境マネジメントプログラム作成のフェイズに入る。
実施計画だ。従業員教育は、Webで行うことになる。
スケジュールもタイトになってきた。

*


「マラソンリーディング・連鎖する歌人たち」のことを思い出す。

ステージに立つと観客席は真っ暗だった。
暗黒へ語りかける。
左右を見渡したのは、総裁選挙の映像の影響だろう。

正岡さんの舞踏は、正岡さんの様式である。
ぼくには、破壊衝動に見えた。創ったものを即破壊してゆく。
観客には、創作と破壊が同時に手渡される。

岡井さんの自然な場との融合。即興性。
茂吉の葬儀の下りは味わい深かった。

米川さんはいいなあ。米川さんそのもの。凛とした空気が支配した。

山田消児さんには驚いた。奇怪さが自然だった。

松井さんのパフォーマンスは、舞台の袖にいたのでよく理解できなかったが、意表を突いていた。

石井さんは、水のように痛々しかった。

★彡


[79] メール対談 2001年05月9日 (水)

「未来」7月号の特集、編集にとりかかる。

荻原さん、吉川さんとの対談も目処がつく。
10頁の対談2本、企画からレイアウトまで1人でこなせたのは、インターネットの威力。
テープ起こし等が入ったら、とても無理なことだ。
生の座談会に比べて、速度感は余りないが、相手の発言をじっくり読みとることができる分、メリットはある。

あと、原稿2本。待ち遠しい。

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[78] 大島さん 2001年05月07日 (月)

「未来」7月号特集の原稿を整理する。
対談が盛り上がり、ちょっと頁が増えそうである。
大島さんに相談したところ、雑誌全体で200頁以内。
特集の分は、40頁以内という内諾をもらう。

日曜の出版記念会で大島さんは、歌が下手だとか、若手を甘やかすからこうなったんだとか、辛口のスピーチをしていた。
こういった憎まれ口をきく人はほんとに減った。

ただ、下手と切り捨てることには異論がある。
玲はる名の歌の勢いは、修辞を越えたものがあって、それは賞賛に値すると思っているのだ。
勢いは、巧くなれば出てくるものではない。
飢餓、欲動、時分の花の綜合だと思う。

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[77] 連休終わる… 2001年05月07日 (月)

連休中、日記を休んだ。
カウントを見ると72。読みに来てくださった方には申し訳ないことだった。

4月28日 「マラソンリーディング・連鎖する歌人たち」に参加。
4月29日 祖父母の法事
4月30日〜5月1日 志摩スペイン村へ旅行
5月6日  『たった今覚えたものを』『路上の果実』 出版記念会、パネラーとして参加。

こんなカレンダーだった。いずれも密度の濃い時間だったので、追々書いてみたい。

この間、「短歌と俳句」(20枚)の執筆が重かったが、これは今度の土日で仕上げる。

それから、「未来」7月号の荻原さんと吉川さんとのメール対談が進行した。
これも重く、そして実りあるものだった。
「結社とニューウエーブ」というべき内容で、80年代以降の短歌史をレビューしながら、今後の<場>を模索した。

また、日常が始まる。

★彡


[76] 連休へ 2001年04月27日 (金)

田中槐さんから、「未来」7月号の原稿が届いた。
現代詩との関わりのあたり、槐さんならではの、ライトヴァース論であった。

ゴールデン・ウイークは9連休だが、「未来」担当分の編集と割付、それから重い原稿が一つあるので、もう手いっぱいである。
いつものことながら、休暇がタイトである。

明日は、築地本願寺のブディストホールで「連鎖する歌人たち〜マラソン・リーディング2001〜」 という朗読会に参加。

朗読会は、3回目か。
いずれも80年代。
福島の菅野さんに誘われた野外朗読会。
短歌人の夏の大会で、福島泰樹の前座。
中京大学の短歌祭で、大塚寅彦のバンドをバックに、確か「チャップマン」をやった。
最後にみんなで「イマジン」を歌ったな。

……。

凄い一日になりそうな予感。

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[75] 【歌葉】オープン3ヶ月 2001年04月25日 (水)

【歌葉】オープニングキャンペーンの作品公募の選考結果が発表になった。
http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/open/tousen02.htm

優秀賞は、愛知県の山川さん。

まばたきもせずきみは見るきみの家きみのさざんか燃えていくのを

納得のゆく秀歌であると思う。

ちょうど、今日で、【歌葉】オープン3ヶ月。
オープニングキャンペーンの終わりとともに、ひとまずスタートダッシュの時期が過ぎた。

歌集の方は、いま現在数冊エントリーされているので、これは順次刊行ということになるだろう。
年間15〜20冊リリースできたらいいと思っている。
絶版がないから、5年後100タイトルのラインアップが出来るだろう。
壮観である。

企画もいろいろ考えている。
内外の協力者を募って、みんなの夢を実現させたい。
採算という規準に縛られないのがオンデマンド出版である。
本当にいい出版物を【歌葉】から出したい。

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[74] 柴田哲谷先生 2001年04月24日 (火)

高校時代の恩師である柴田哲谷先生からメールが来た。
西三河地方の高校の国語の先生を対象に、現代短歌と国語教育についてあれこれ話してくださいという依頼。
うれしいことである。
6月16日。
今日は、その演題を知らせてほしいというメールだった。

柴田先生には、愛知教育大学附属高校で2年3年と教わった。
先生は、柿本人麿の長歌を題材に抒情詩の発生というテーマで卒論を書いている。
高校を卒業したあと、その卒論を見せていただいた。
そのころ、自分が歌人になるとは思ってもいなかった。
これも縁だろう。

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[73] 変化にすばやく適応せよ 2001年04月23日 (月)

加藤千恵さんの短歌集が出るという。
「マーブルブックスより8月1日発売予定。(発行 マーブルトロン、発売 中央公論新社)」ということだ。
早い。凄い。変化が激しい。楽しみである。
だいたい歌集出版というと、結社に入って、3、4年活動して、それから新人賞応募。
賞をとったり、何回か入選したりを繰り返して、それから出すというのが普通のパターンだった。
数年はかかる。ここのところ、全体的に年齢が遅くなって、30代で第一歌集出版という感じになっているが。

こういう図式が壊れてゆくのかな。

でも、思うのは、紀野恵は天才だったということ。
17歳にして「異郷にて」50首で角川短歌賞次席。
18歳「荷風氏のくしゃみ」30首で短歌研究新人賞の次席。
多くの歌人が夢中になった。
プロの歌人を酔わせたのである。
現代短歌の精華というべき作品群だった。


以下、スペンサー・ジョンソンの『チーズはどこへ消えた?』(扶桑社)から引用。

●変化を予期せよ
チーズが消えることに備えよ

●変化を探知せよ
つねにチーズの匂いをかいでいれば、古くなったのに気がつく

●変化にすばやく適応せよ
古いチーズを早くあきらめれば
それだけ早く新しいチーズを楽しむことができる

●変わろう
チーズと一緒に前進しよう

●変化を楽しもう!
冒険を十分に味わい、新しいチーズの味を楽しもう!

●進んですばやく変わり
再びそれを楽しもう
チーズはつねにもっていかれる


うーん。俺は違うかな、こういうのとは。

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[72] うたう☆クラブ 2001年04月22日 (日)


「短歌研究」5月号。
担当した「うたう☆クラブ」のドキュメントが掲載される。
双方向のやりとりをした18人全員を載せてもらったのは、ありがたかった。
これは、添削の企画ではない。
一種のコラボレーションかな。
作者に創作のヒントを示すのが<コーチ>の役割なのだ。

河童さん(11歳!)、ウケチ氏さん、横井紀世江さんを初め、自分でも楽しくエキサイティングなコラボレーションだった。

ところで、5月号恒例の「現代の88人」で出詠した「プラネット、光の引用」、読めば一目瞭然だが、「うたう☆クラブ」の杉山理紀さんとのコラボの過程で出来た作品を入れた。

 うす暗いゆめの夕焼け匂わない母の背中のように失う

杉山さんの創作過程に関与して、ぼくだったらこういうふうに歌うとして示したものだ。
これは引用なのか?
なんと説明したらよいのか。

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[71] 『子規全集』 2001年04月21日 (土)

今日は、予定通り、神田の古書店街へ。
懸案の『子規全集』購入が目的。
といっても気ままな時間である。

まず、三茶書店で『碧梧桐全句集』(蝸牛社)が目に止まる。
3,800円は安い。定価は16,000円である。
割安感ということもあったが、気になっていた存在なので、買い。

さて、『子規全集』である。
ざっと廻って、3軒に在庫があった。
10万円、11万5千円、14万円。
状態に問題がなく、月報も付いていたので、大雲堂書店の10万のものを購入。全25冊。宅急便で名古屋に送ってもらう。

これで、子規、左千夫、節、茂吉、赤彦と全集が揃った。
時間のない自分にとっては、図書館代わり、事典代わりという側面もあるが、テーマ意識をもって読んでゆきたい。

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[70] 赤恥青恥 2001年04月20日 (金)

明日は、神田の古書店を廻る。気合いを入れる。

夜、玲さん、植松くん、入谷さん、佐藤さん、大塚さん、小川さん、菊池さんといった面々と新宿の中村屋4Fのレストランで会食。

その直前、テレビ東京の「クイズ赤恥青恥」に呼び止められる。
面倒だから、植松くんに代わってもらおうとしたが「お父さんタイプ」が希望とのこと。あっというまにスタッフに囲まれる。
「好きなタレントを」と聞かれ「夏目雅子」の名前を挙げるが、生きている人をということで、ハタと困る。名前が出てこない。
NHKの「オードリー」の女優がいいなと顔が浮かぶが、名前を知らない。
ほとんどテレビを観ない生活だから仕方がない。
「宮沢りえ」を挙げた。
クイズの本題で、男性アナウンサーの写真を見せられた。
見覚えがあったが、これも名前が出ず。
出演許諾書にサインし、粗品のボールペンを貰っておしまい。
放映は、5月11日か18日ということだ。



中村屋では、5月6日の玲はる名『たった今覚えたものを』小川優子『路上の果実』の合同出版記念会の話題など、盛り上がる。

その後、オープンしたての「面影屋珈琲店」に。
大正時代の雰囲気のお店。
ぼくは、洋菓子重のセットを頼んだ。

23時半ごろ散会。

★彡