[600] 頭痛と眠気の1日だった 2002年05月21日 (火)

昨日がおそかったうえに、明け方まで浅い眠りが続いていたので、
1日じゅう頭痛と眠気に悩まされた。
昼休みに事務局のKさんと一緒にアクアシティの甘太郎へ行き、マーボチャー
という、チャーハンにマーボトーフがまざったごはんを食べる。
美味しいとは思うのだけれど、体調がいまひとつなので、少しだけ残す。
昼食を残すなんて珍しいことだ。
午後は映像委員会。
各社の幹部が集まる。昔の「オレたちひょうきん族」のOさんもメンバー。
5時半になるのを待ちかねて、事務局を飛び出し、デックスのマツモトキヨシ
で目薬と胃薬を買って帰宅。
とにかく眠くてたまらない。
夕食後、「桂米朝落語全集」の「質屋蔵」を読み終わったところで眠って
しまう。生産性の低い1日であった。


[599] 月曜日にはネズミを殺せ 2002年05月20日 (月)

さすがに朝は出社したくなかったのだが、昨夜から今朝にかけては、かなり、
ぐっすりと眠れた。
グループ事務局に行って、事務局長に挨拶する。
その後はニュースレターの編集会議なるものに出席。
これが初めてのグループ会議での仕事ということになる。
わけがわからないうちに時間が過ぎて行く。
帰りに局長と西田さんに一杯呑みましょうと誘われる。
それで話がはずみ、結局、帰宅は午前零時を過ぎてしまった。
安藤鶴夫の『落語鑑賞』の中の「へっつい幽霊」を読んでから眠る。


[598] 中途半端な休暇の終り 2002年05月19日 (日)

九日間の休暇の最終日。午前中の陽光が目にまぶしい。
東陽町のイーストまで歩き、帰りも散歩がてら帰ってくる。
オークスはブルーリッジリバーとオースミコスモを狙って完敗。
小林信彦の『天才伝説・横山やすし』を読む。
「唐獅子株式会社」になぜ横山やすしが起用されたのか不思議だった
のだが、その裏側の経緯がこの本でよくわかった。
「天才伝説」という言葉にこめた小林信彦の愛憎いりまじった気持ちは
おもしろいものがある。
小林信彦の文章は鼻につくという人が居て当然なのだが、やはり、それが
持ち味なのだからしかたがない。
結局、小林信彦だけを読んでいた九日間だった。ああ、休暇の終り!


[597] イコンからイデアへわたる 2002年05月18日 (土)

岡井隆歌集『眼底紀行』を何人かで読んでみるという会に出たのだが
この歌集、こんなにむずかしかったとは思わなかった。
歌人・岡井隆の40歳前後の時の歌集になるわけだが、その時代の苦悩が
もろに伝わってくる。

イコンからイデアへわたるいしのうえに橘ぞ濃き憂ひろぐれ 岡井隆


[596] 二人の死 2002年05月17日 (金)

今になって考えてみると、うっとおしい天気だった昨日の早朝に、二人の人が
亡くなっていたことになる。
一人は落語界の人間国宝・柳家小さん、そしてもうひとりはプロレス団体の
FMWの元社長の荒井昌一さん。
荒井さんは未明の水元公園で首を吊って、自ら命を断ったのだ。

朝、プロレス関連のメーリングリストで一報が入った。
「週刊プロレス」のIモードのニュースが配信したもののコピーだった。
ああ、やっぱり、と思い、くやしさがこみあげてくる。
夕方、総務局の歓送迎会のために外へ出て、東京スポーツを買ったら、
一面が荒井さんの自殺のニュースだった。
私は10年くらい前に、当時FMWの企画部長だつた荒井さんに何度か
会ったことがある。大仁田厚に24時間番組に出演してもらうための依頼
だった。
とにかく荒井さんは他人にイヤな感じをおこすことがない、腰の低い常識人
であった。つまり、誰もが好感をもつ人ということだ。
この荒井さんが大仁田厚の引退後、新生FMWの社長となり、理想のプロレス
団体を夢見ながら、結局、挫折し、倒産、借金苦、自殺という最悪の結末を
迎えてしまったわけだ。
先月、徳間書店から刊行された『倒産!FMW』には、その経営末期の資金
ぐりの苦しさがなまなましく描かれている。
あれだけの常識人だった荒井さんが、毎月の資金繰りに追われて、その場し
のきせにしかならない、町金融への返済と再借り入れのことしか考えられな
くなってしまう過程は、読んでいて息苦しくなるほどだった。
妻子とは離婚し、両親は連帯保証人になってもらつていたので自己破産、
もちろん本人も自己破産と本には書いてあったが、自己破産という制度が
実は救いになりはしないというのが現実なのではないだろうか。
法的には自己破産したところで、本当に闇金融の連中の脅しはなくなるのか?
脅しはなくなったとしても良心の呵責は消えはしない。まして、荒井さんの
ような性格の人だったら、のうのうと人前に出てくることはできなかったの
だろう。
ともかく、36歳で死を選んだ「プロレスに夢を抱いた男」荒井昌一の名前
は忘れないでおこう。



[595] 雨が降りそうで降らない一日 2002年05月16日 (木)

午前中に家を出て、横浜の母の家へ行く。
約束の品物を受け取って、ほとんどトンボ返りで帰宅。
天気は変な曇天で気分がウツウツとする。
横浜への行き帰りと、戻ってからで小林信彦の『ぼくたちの好きな戦争』を
読了する。
昨日読んだ『一少年の観た<聖戦>』と重なり合う部分が多く、興味深く読み
すすむことができた。
このあと、筒井康隆の『不良少年の映画史』なども読み返したくなる。
読書のあいまに、気分転換にビデオで『エレファントマン』を見た。
暗い映画だという印象は初見の封切の時と変らないが、院長、婦長、夜警
といった、階級による顔のちがいがくっきりしているキャスティングには
感心した。そういう顔の俳優がちゃんといることも驚く。

夜、習字を習いに行っている、かの子を自転車で途中まで迎えに行く。


[594] 本を読んですごす 2002年05月15日 (水)

小林信彦の『ちはやふる奥の細道』と『一少年の見た<聖戦>』を読む。
後者は映画を中心にした小林信彦自身の成長史で、映画がいかに戦前の
下町の少年にとって、大きな快楽であったかが読み取れる。

赤尾兜子論を書かなければならないのだけれど、その機運がもりあがらない。
『玄玄』と『歳華集』を読み返しながら寝てしまった。


[593] 怠惰に過ごす一日も好き 2002年05月14日 (火)

午前中、本の整理と簡単な原稿書き。
11時半になったので、ラジオをつけ「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」を
聞くと、オープニングでいきなり
「元番組のスタッフだったフジワラが昨夜のスマスマに烏帽子をつけて
出演していた」と高田さんがしゃべりはじめる。
高田文夫さん本人は見ていなかったらしいが、スタッフや放送作家から
教えられたらしい。
さすがに視聴率20パーセントを超える番組の力は大きい。
こういう内輪のスタッフのネタを拡大デフォルメして行くのは高田さんの
もっとも得意なネタである。
もう10年以上前に、私がこの番組のチーフディレクターだった時に、
某プロダクションの接待で、フィリピンパブにつれていってもらったのだが、
そのことを翌日の放送でネタにされ、しかも、たまたま、その時、我が
家に、家内の両親が上京して来ていて、大騒ぎになったことを思い出した。

今日も、「スマスマを見た人は、フジワラがどんなことをしていたか
メールで番組宛てに知らせてくれ」とネタにされている。
とりあえず「高田組を裏切って、ジャニーズ系に擦り寄ったことを反省し
旅にでます。探さないで下さい」とメールをうっておく。
番組を聞き続けていたら、春風亭勢朝さんからも「フジワラがいきなり烏
帽子をぶつけてウケを狙っていた」とのチクリのメールが紹介された。
そのあとで、私の「旅に出る」メールも紹介されたのでひとまず安心。

午後は自転車で古石場の図書館に行く。
小林信彦の『裏表忠臣蔵』を図書館で読了。
忠臣蔵事件は、ヤジウマやメディアや関係者の無責任な盛りあがりで
引くに引けなくなって、おこされた、という視点。
1988年の作品だが、現在のワイドショー報道への早い批判となっている。
もちろん、この視点はすでに筒井康隆が一九六〇年代に、『48億の妄想』
や『東海道戦争』で、スラップスティックに描いているものではあるが。

その後、家に帰り、ポニーキャニオンが以前につくった桂文楽のビデオを
二本見る。演目は「つるつる」「冨久」「明烏」「寝床」というきわめつけ
の四本。
夜、谷沢永一の本を読みながら眠る。


[592] リフレッシュ休暇のはじまり 2002年05月13日 (月)

今日から50歳のリフレッシュ休暇。
金曜日まで休暇ということになる。
前後の土日を入れて九日間の休暇である。
何もせずに家に居て本を読もうと思っていたのだが、いきなり風邪と
アトピー性皮膚炎が悪化してしまい、医者にいかなければならなくなった。

例によって、平和島のTクリニックで点滴をしてもらい薬をもらう。
東京駅で下りて、八重洲ブックセンターを久しぶりにのぞく。
詩歌コーナーに、斎藤史と安東次男のコーナーができている。
これはいいことなのか、困ったことなのか。
まあ、このように目だった本の置き方をしてあれば、目につくので
買いやすくなるということで、良いことなのだろう。

午後は本を読み、昼寝をする。
島敏光さんの『ビートでジャンプ』(新潮社 1995年)を一気に読了。
島さんはジャズの笈田敏夫の息子で、黒沢明の甥である。
学校は成城学園、成城大学という典型的な良家の遊び人系のコース。
そして、高校時代に「ヤング720」に出演するようになり、芸能界に入り
「ネコジャラ市の11人」の声優をやったり、DJや司会をやったり、
結局、微妙なポジションの芸能人として、こんにちまで来ている。
この本は、その高校生時代からの芸能界との距離を、ポップスに重ねて
書き下ろしたもの。やはり青春グラフティであり、「芸能界になじめない」
という感覚がせつなさをかもしだし、胸がキュンとなる。
こういう本こそ文庫にして、もっと多くの人に読んでほしい。

夜、「SMAPXSMAP」オンエア。
やっと終ったというのがホンネ。
島さんの本を読んでいたので、これが本業でなくて良かったとつくづく思う。


[591] 浅草松屋のくまざわ書店と月例歌会 2002年05月12日 (日)

今日は浅草にある台東区民会館で「短歌人」月例歌会。
そして高瀬一誌さんの命日である。
あのショックからもう1年たってしまったのか、と思う。

地下鉄をあがったところにある松屋の5階に、くまざわ書店が新装開店
との広告が出ていたので、行って見る。
新装といっても、銀座のくまざわ書店の広さほどではなく、まあ、
百貨店の中の書籍売場が少し広くなった程度。
ただ、浅草駅前には大きな書店がないので、お客はそこそこ入っている。
山田風太郎の光文社文庫の短編集『怪談部屋』を買って、歌会会場へ。

今回も詠草は50首。司会は前半が鎌倉千和さん、後半が小池光さん。
本多稜さんが出席していた。
勉強会は「玉城徹の短歌」。レポーターは西村美佐子さん。
私は玉城徹の短歌も文章も好きになれないのだが、他者の読みを聞くことは
刺激になる。
「玉城徹は『香貫』で「老い」という様式を手にいれた」とか
「超俗を装った通俗性がある」といった指摘にはうなずけるところがあった。

木犀の木下に立てばめぐりより夜空の青に腐食せらるれ/玉城徹

『われら地上に』より。


[590] 法要と夢の古書店 2002年05月11日 (土)

高瀬一誌さんの一周忌の法要のために北鎌倉の円覚寺に行く。
もう1年経ってしまったのかと、いまさらながら月日の流れの速さを思う。

法要のあと、藤沢へ出て、古書店・聖智文庫へ行く。
ここは私の大学時代の先輩のAさんが開いた古書店。
先月、「日本の古本屋」で、中公文庫の有本芳水著『笛鳴りやまず』を
検索して、何もしらないままに、聖智文庫に注文したら、なんとAさん
の店だったという、ネットワークならではの邂逅だったのだ。

Aさんと会うのはたぶん18年ぶりくらいだと思うのだが、お目にかかった
とたんに、一気に時間が戻ったような気分になった。
そして何より、本の品揃えに眩暈がするほどだった。
Aさんの美学がきちんと貫かれている。
とりあえず私が購入した本。
野村無名庵『落語通談』『本朝話人伝』、木村毅『大衆文学十六講』
戸板康二『折口信夫坐談』大曲駒村『東京灰燼記』 以上、中公文庫
香川登志緒『てなもんや交遊録』暉峻康隆『落語の年輪』
別冊新評「SF新鋭7人特集」「野坂昭如の世界」
いただいた本
阿佐田哲也『ギャンブル人生論』、「SUMUS」5、6、7、8号

中公文庫、サンリオSF文庫、朝日ソノラマ文庫の外国作家の本など
珍しい本、読みたい本がずらりと並んでいる。
素晴らしい再会だったと思う。東海道線の中で欲しかった本を拾い読みし
ながら、無意識に笑っている私。


[589] 今日が最後の総務の仕事 2002年05月10日 (金)

朝、8時過ぎからスポーツ部の一角に、ワールドカップ用の取材デスクを
置くため、イトーキの職人さんに来てもらう。
これが総務部員として最後の仕事になる。
終ったあと、こんどは、グループ事務局の局会にはじめて出席する。
そのまま、グループ会議の席に残って、書類ファイルの整理など始めた
のだが、正午前にぞくぞくとさむけがして、吐き気もしてくる。
風邪がひどくなっている。
何とか昼休みを食事抜きでやりすごして、医務室に行き、総合感冒薬と
吐き気止めの薬をもらう。飲み終えて、なんとかおちついてくる。
まだ、少しKへの引継ぎ事項が残っているので、事務局と総務部の間を
行ったり来たり三往復くらいする。
雨模様なので、5時半過ぎに帰る。


[588] 安全衛生委員会など 2002年05月09日 (木)

朝8時過ぎに会社に行くと、営業局長から総務局長に異動したO局長が
すぐにやってくる。
局長会の報告というのを、グループ事務局の定例会でおこなうことになっ
ているとのことなので、今週分を教えてもらう。
午後、常務と人事部長と一緒にグループ事務局へ赴き、正式に紹介して
もらう。
そのあとKと一緒に安全衛生委員会に出席。
居眠りしていたら、急に「ニッポン放送の藤原さんが、異動のために
委員が交替します」と言われてびっくりする。

今日はもう遅くならないようにということで、6時過ぎのバスで帰宅。
本も読みたくないほど疲れている。
8時前に寝てしまう。


[587] 風邪と引継ぎ 2002年05月08日 (水)

何か身体じゅうの関節が痛い。
アトピー性皮膚炎の薬も切れてしまつたので、首筋から頬にかけて痒みが
おこり始めている。
報道部から異動してきたKに仕事の引継ぎを少しずつする。
一項目ずつしないと、私も教えきれないし、Kもおぼえきれない。
総務部というのが、いろんなことをやっていたということが、こうして
引継ぎなどしてみるとよくわかる。
今日は昨日より早く、20時35分の門前仲町行きのバスで帰る。
さらに疲労感が濃密になっている。


[586] 人事異動とそれにまつわるもろもろ 2002年05月07日 (火)

小雨模様の連休明けの火曜日。
大規模な人事異動があり、私も総務部からグループ会議事務局というところへ
異動することになった。
もう、現在の部署では物理的にも心理的にも手詰まりだったので、私にとって
は、ありがたい異動だった。

ただ、引継ぎ事項は山のように残っている。
後任は報道部から異動してきた元アナウンサーのK君。
100人近くが異動したので、システム関係の引継ぎおよびレイアウト変更
だけでも、大騒ぎである。
結局、夜10時過ぎまで会社に残る。疲労感が濃い。


[585] 本の整理をしたりビデオを見たり 2002年05月06日 (月)

今日はさすがに会社に行く気がしなくて家に居る。
小津安二郎の「麦秋」を見る。一九五一年の作品。
設定はいつもどおり、原節子が未婚の末っ子で、兄の笠智衆とかがやきもき
しつつ、結局、最後は娘が一人居る医者の後妻になり、秋田に赴任するとい
うストーリー。家の場所は今回も北鎌倉。ここがお気に入りなのかな。
ほとんどドラマらしいものはないのだけれど、結局、二時間くらいの長さを
見せてしまう力は描写の丁寧さということだろうか。

午後はずっと本の整理。
子供の勉強机を買うことになったので、本棚をひとつどかさなければなら
ない。寺田倉庫の箱に8個分になった。


[584] 子供の日なのに会社に行った 2002年05月05日 (日)

イブリン・ウォーの『ヒルダよ眠れ』を読了した。
この作品、いちおう悪女ものミステリとして、ハドリー・チェイスの
『悪女イヴ』やカトリーヌ・アルレーの『わらの女』と並び称されている
らしいが、私にはさほど面白くは思えなかったる
たしかに、こういうイヤな性格の人間は居るし、それが、さまざまな人々の
証言によって明らかになってゆくという趣向は良いアイデアだと思うのだが
後半の真犯人が出てくるところで、がっくりと調子が落ちてしまう。
探偵役にも好感がもてないし、ステファニーという女性もなんだかなあ、と
いう感じで、結局、急速に失速して、最後は2時間ドラマみたいに終ってし
まった。うーん、久しぶりに読んだ翻訳ものだったのに。

さて、昨日、買った立川談志遺言全集の後記で、談志家元が小林信彦さんを
名指しでイナカモノと罵っている。
小林信彦の『物情騒然』の中の志ん朝師匠を悼む文章の中で「自分で自分
を天才という落語家」という文脈で家元を皮肉る文章があった。
それに対する家元の意趣返しということかもしれない。
それにしても、小林信彦さんを「イナカモノ」と罵るなど、家元しかできな
いことだ。

今日はまたしても会社へ行き、荷物と書類のファイルの整理。
お台場はあいかわらず混んで居る。


[583] 連休のさなかに笑いたい人達 2002年05月04日 (土)

連休なのでバスが混んでいる。みんな、お台場へ遊びに行くのだろう。
出社して荷物の整理。
はっきりいって、いくらやっても終わらない。

適当に見切りをつけて、新宿紀伊国屋ホールの山藤亭「メジャーな変人たち」
へと笑いに行く。
ホールに入る前に、立川談志遺言全集の「現代落語論」の巻と浅草キッドの
新刊の『発掘』を買う。
ライブ会場には大有企画の中村さん、サワズ株式会社の嘉多山さん、木村万里
さんら、おなじみのメンバーが居る。

出演者は8月に真打になって神田山陽なる大名跡を襲名する神田北陽、
松尾貴史、ゆーとぴあ、マギー司郎、月亭可朝。
松尾貴史のスプーン曲げの実演と、声帯模写によるスポーツ新聞芸能欄の
朗読が抜群に面白い。
「最近、放送局のアナウンサーが勘違いして朗読ライブなんてやってますね」
という皮肉は痛烈。
桂文枝や大島渚の声帯模写を聞きながら、松尾貴史は平成の古川ロッパかも
しれないなどとふと思った。
ところで、今回、サワズ株式会社の嘉多山社長から、文化人が見に来てくれ
ないだろうか、との相談を受けたので、森まゆみとか坪内祐三とか池内紀と
か、笑芸が好きそうな人達の連絡先を調べて、招待状を送ってもらったのだ
が、どうやら、私の席のひとつ置いた席に座っているジーンズにジャケツト
の男性が池内紀先生のような気がする。残念なことに顔をはっきりしらない
ので、それらしいけれど「池内先生でいらっしゃいますか?」と声をかける
勇気がない。
結局、帰宅してからインターヘネットで検索してなんとか写真が載っている
サイトにたどりついたら、やはり、ご本人だった。
松尾貴史や月亭可朝さんのところで、池内先生はよく笑っていらっしゃつた
ようだった。

ゆーとぴあが終わったところで中入り。
ロビーに出て、今度が第一回になる桂文我の会のチラシを読んでいたら
いきなり「おい、フジワラ」と声をかけられた。
誰だ!と思ってふりむくと、私の勤務先の社長だつた。
やはり、フットワークの軽い人だ。
こういう場所で社長に声をかけられても話題に困るが、いちおう、社長の方が
いろいろしゃべつてくれたので、間はもった。
そのあと、島敏光さんと話していたら、吉川潮さんがやってきた。
講談社の新雑誌に可朝師匠のことを書いている記事を見せていただく。

中入り後はマギー司郎、可朝の順番。
マギー司郎はテレビではあまり面白いと思っていなかったのだが、笑顔に
なんともいえない愛嬌があることがわかった。
可朝師匠はギターを持って登場し、「嘆きのボイン」や「出て来た男」と
いう30年前の曲を久々に聞かせてくれた。

何とはなく身体の中に興奮が残ったまま、銀座で途中下車して、宝来で
久しぶりにルースータンメンと餃子を食べる。




[582] 短歌人拡大編集委員会 2002年05月03日 (金)

朝から池袋の東京芸術劇場へ行く。
まず、評論エッセイ賞の選考。
今年から、小澤正邦さんが選考委員の一人として参加する。
午後からは第一回高瀬賞の選考。
斎藤典子さん、諏訪部仁さん、大森益雄さんが選考に加わる。
選考後「田や」で食事。
古本大学で、五木寛之の対談集『午前零時の男と女U』を購入。
若林美宏とか麻生れい子とか浅川マキとか堤玲子とか、対談の相手が
いかにも一九七〇年代。
地下鉄でこの本を読みながら帰るとタイムスリップしたような気がする。


[581] 会社でプロレス中継を見る 2002年05月02日 (木)

原則的には今日が総務部の勤務の最終日ということになる。
連休明けの火曜日に異動の辞令をもらうことになる。
できるだけ、荷物と仕事の整理をしておかなければならないのだが
とても終りそうにない。
整理をしながらテレビで新日本プロレスの中継を見る。
スタイナー兄弟は久しぶりだし、棚橋もなかなかみどころがあるのだが
チャイナをレフリーに起用するセンスはいただけない。
お約束ではあるが、棚橋がチャイナに激突してはじきとばされるという
ギミックなど、出世前の若手のレスラーにやらしてはいけない。
永田VS高山はいちおう面白かったが、チャンピオンの永田としては
もう少し、余裕のある闘いぶりを見せてほしいところだ。
リック・フレアーみたいな負けないチャンピオンをめざすつもりなのだろうか。
連休前だというので経理局の連中は全員残業しているし、会社の中が何やら
ざわついている。夜がふける。


[580] みんな苦しみながら生きている 2002年05月01日 (水)

荒井昌一FMW社長の『倒産FMW』を一気に読了。
大仁田厚以来のFMWフリークである私にとってはせつなくつらい内容の
本である。
ハヤブサをエースとして再出発した新生FMWが、いかに転落し、三億円の
負債をかかえて倒産するに至ったかの記録は、さながら、被害者版の実録ナ
ニワ金融道といえる。
荒井社長には何度か会ったことがあるが、この人は絶対に悪人ではないので
金策に苦労して、だんだん、深みにはまっていく姿は悲痛な思いがする。
レフリーの伊藤豪は、リング上では悪党のギミックでブーイングを浴びて
いたが、実は荒井社長とともにもっともFMWを愛していたのだということ
が、よくわかった。
山本一力の自己破産への道もリアルだったが、こちらはプロレス団体である
だけに、登場人物にすべて見覚えがあるわけで、よけい心がしめつけられる。
最後に不渡りを出したあと、入院中のハヤブサを見舞いに行く場面では、
思わず涙がにじんでしまった。
この本が売れて、多少でも印税が入れば、荒井社長は借金を返済し、ハヤブサ
にも、援助をしたいと思っているのだろう。
こうなったら、大仁田が一肌脱ぐしかないと思う。せめて、ハヤブサにだけは
入院費の心配をさせないように、まとまった金額の援助をしてやるのがホント
の男樹だろうと、みんな思うはずだ。
荒井社長はこの本を出版しながらも、債権者に拉致されるおそれがあるために
身元を隠したままなのだそうだ。イヤな時代だと思う。
みんな苦しみながら生きているのだ。


[579] 周囲の風景が少し動く 2002年04月30日 (火)

今日は緊急全体会議ということで、朝8時に会社へ行く。
マルチシアターで準備をするが、原則的に今回の会議は人事部の担当なので
いつもよりは気楽。
まあ、社長の話の内容は想像していたようなものだった。
午後、人事異動の内示がある。
私も手詰まりの現在から抜け出し、風景が少し変化するかもしれない。

帰途、銀座へバスで出て、「現代詩手帖」5月号と荒井昌一著『倒産FMW』
買う。
和合亮一さんが「詩誌月評」で『交歓』の最新作にあたる「氷河」を批評し
てくれている。
越境する志を読みとって好意的、積極的に評価してくれているのが何より
嬉しい。
昨日借りたビデオの中から小津安二郎の昭和24年の作品『晩春』を見る。
笠智衆と原節子の父と娘の関係をたんたんと描いた作品。
事件らしい事件は何も起こらないが、退屈せずに見ることができる。
今、こういう演出ができる映画監督は存在しない。
原節子は目鼻立ちがくっきりとしていて、つくづく美人だと思う。
こういう女優が現役でないのが惜しまれる。


[578] 歩き回ったみどりの日 2002年04月29日 (月)

イトーヨーカ堂に史比古とかの子の荷物の整理用に、樹脂ケースを買いに行く。
四個買って、私が二つ、家内とかの子がひとつずつ持って帰宅。
昼食にソーメンを食べて、一服してから、一人で散歩に出る。
レンタルビデオ店で、カードの更新の手続きをしようとしたら、すでに
猶予期限切れだったので、あらためて身分証明書が必要だといわれる。
図書館にたちよって、一時間ほどで家に帰る。
夕方まで本の整理をして、みたび家をでる。
ビデオ屋で、再び手続きをとり、日本映画を何本か借りる。
ずっと歩き回っているので、足がさすがに痛くなってくる。
電話で連絡をとって、家内とかの子と再びイトーヨーカ堂で待ち合わせ。
樹脂ケースをあと二個と通勤用の靴と鞄を買う。
帰宅後、借りて来た小林旭の「赤い夕陽の渡り鳥」を見る。
無国籍映画といわれているわけだが、福島県の五色沼のほとりで西部劇を
演じているわけだ。子供を出してきたので、ちょっと展開がゴタゴタして
いるように私は感じた。
今日はよく歩き回った一日だった。
夜、アンドリュー・ガーヴの『ヒルダよ眠れ』を読みながら寝る。


[577] パルプフィクション、天皇賞・シュリ 2002年04月28日 (日)

日直なので、9時半に会社に行く。
報道部に連絡して、総務部の自分の席に居ることを知らせておく。
倉庫のビデオ棚から、『パルプフィクション』を見る。
タランティーノの出世作である。出だしのテンポは良かったけれど、
結局は十分に満足というわけにはいかなかった。
冒頭のパンプキンとハニーバニーというチンピラの男女がレストランで
強盗に変り、その話がストップしたまま、二つのストーリーが同時進行
する。どちらも、いかにもパルプ雑誌的な薄手の物語であり、それはそ
れで面白い。しかし、肝腎のストーリーが収束する部分で、もうひとつ
ツイストが欲しいと私などは思う。
午前中いっぱいビデオを見て、午後からは会社にもちこんである本の整理
をしながら、伝票を少し起票する。
いつのまにか、経営管理部の連中がみな出社して仕事をしているし、総務
局長も会議室で何やら文章を書いている。
休日の会社なのに、何やら不穏な雰囲気が漂っているではないか。

天皇賞はマンハッタンカフェ、ジャングルポケットで決まる。
ナリタトップロードの渡辺は、蛯名、武豊の二人の名人にいいように
あしらわれてしまった。

5時半になったのですぐに帰宅。
夜、評判高い『シュリ』を見る。
これは『パルプフィクション』以上に期待はずれ。
ストーリーがものすごく荒っぽい。リアリティが感じられない。
登場人物たちのセリフや行動がいかにもご都合主義に思える。
『チング・友よ』は、どうなのかなあ。
明日、もう一日休みというのは、とても精神状態に良い。


[576] 悪魔に委ねよ、あるいは朝日のようにさわやかに 2002年04月27日 (土)

午前中、かの子と自転車で、図書館へ行く。本を返却し新しい本を借りる。
かの子は子供向けにリライトされたシャーロック・ホームズ物語を5冊。
私は『消えたヒッチハイカー』といアメリカの都市伝説の本。
この本、1989年だかに翻訳された本で、当時、買おうと思って買いそび
れていたもの。都市伝説という言葉がポピュラリティを獲得したのは、この
本が出たあたりからだろう。大月隆寛も翻訳者の一人に名を連ねている。

午後は神保町へ行く。
早稲田短歌の大先輩で月光の会所属の黒田和美さんの『六月挽歌』の出版
記念会が学士会館であるので、少し早めに家を出て、本屋を何件か巡る。
記念会のスピーチ、トップだというこしはあらかじめ福島泰樹さんから
電話で知らされていたので、驚きはしなかったが、菱川善夫、小笠原賢治
といった論客を前にしてしゃべるのはやはり緊張する。
結局、1970年に青春晩期をおくった姉の世代へ激しくタイムスリップ
させてくれる歌集だということを、当時の大和屋竺の映画『朝日のように
さわやかに』のことをまじえながら、しどろもどろで語ることになった。
前記の評論家のお二人のほか、歌人は田島邦彦さん、福島久男さん、
加藤英彦さん、沢口芙美、武藤雅治さんなど。
司会進行は武下洋一さんだったが途中から福島泰樹さんがマイクを奪い、
アジテーションが始まる。これはいつものことなので驚かない。
早稲田短歌会で、黒田和美さんと同期だった人達の出席が少ないことが
とても残念だし福島さんは言ったが、確かにもう少し多くの早稲田短歌会
のOBが来てくれればよかったのに、と思わぬでもない。

二次会には行かずに帰宅。
寝る前に芥川龍之介の「大道寺信輔の半生」と「保吉の手帳から」を読む。


[575] 葉桜冷えなり昭和館閉館す 2002年04月26日 (金)

新宿のおなじみの名画座昭和館がついに閉館になる。
1970年代に東京で学生生活をおくり、日本映画を見る習慣があった者で
新宿昭和館に一度も行ったことがないという人は少ないと思う。
感傷的になるのではなく、ある時代の文化の臭気を濃密にまとった「場」が
消滅することには痛みをおぼえる。

春の交通安全運動に協力したということで、深川警察署が署長名の感謝状を
くれるというので、午後から会社を代表してもらいに行く。
表彰式の会場は、深川警察からはすぐ近くの東京都現代美術館の地下の講堂。
表彰式自体は1時間たらずで終了。豊洲までバスにのり、そこからはタクシー
で会社にもどる。
あいかわらずの雑事をこなし、夕方の6時前に神楽坂の「かつ田」へ向かう。
今年に入って初めて出席する駄句駄句会。
今日の出席者は山藤章二宗匠はじめ、玉置宏さん、高田文夫さん、吉川潮さん、
木村万里さん、島敏光さん、橘右橘さん、そして私の8人。
いつものメンバーでは、立川左談次さん、林家たい平さんが休み。
題は「こいのぼり」と「牡丹」。
いちばん点を集めた句は俳号寝ん猫こと木村万里さんの

・こいのぼりつぶしてアロハ5枚でき 寝ん猫

こいのぼりの生地でアロハをつくるという奇想。でも、季重なりかな?

玉置宏さんが、横浜のにぎわい座という市営の寄席の席亭に就任された
お祝いも兼ねた会になってい。
二次会の喫茶店で、玉置さんから、今後の抱負などうかがった。
真から寄席演芸が好きな人なのだと思う。

私は「黒澤明のいる風景」に島敏光さんのサインをいただく。

帰り道の地下鉄の中で『小林信彦デラックストーク・一度話してみたかった』
を読み終わる。
小林信彦の対談集で、対談相手は大滝詠一、大島渚、安藤鶴夫、横溝正史、
長部英男、渡辺武信、佐藤信など等。
やはり、大滝詠一とのアメリカンポップスの話、横溝正史との「新青年」の
時代の回想などが、読み応えがある。

これで、今週は『人生は五十一から』と『物情騒然』をふくめて、小林信彦
の本を三冊読了したことになる。


[574] 機首あげて飛ぶ絶望の夕日の国 2002年04月25日 (木)

タイトルは林田紀音夫の俳句。句集には未収録。

かつて経験したことがないほとイヤな時代になってきている。
かつての、治安維持法の成立から15年戦争に向かう時代も、市民の感性は
こういうものだったのかもしれない。

日本テレビに警備担当者連絡会議に出席するために行く。
テレビ局の局舎内はきわめてわかりにくい。NHKなんかも迷路のようだ。

林桂さんが代表人をしている「鬣」3号を拾い読みする。
「彼方への扉―表現の地平線」という創刊号から続いている特集があり
今号は林田紀音夫、吉岡禅寺洞、大岡頌司、神生彩史がとりあげられている。
どの作家も、現在の守旧的な俳句史からはとりおとされそうな存在。
もちろん、彼らの業績は大きく、真に革新の名にあたいする。
そういう作家の仕事をあらためて検証し、顕彰しようというこの同人誌の
編集方針は貴重だ。
この中でも、林田紀音夫は私の好きな俳人であり、いつか、彼の俳句に対
して、丁寧に鑑賞文を書いてみたいと思っている。
佐藤清美さんの「林田紀音夫掌論―「死」をめぐって」は、林田紀音夫の
生涯を簡潔に記述し、そのペシミスティックな「死」への思いを巧みに摘
出してみせてくれ、読み応えがある。
林田は大正12年生れということは私の父とほぼ同年。そして、私の生年
の昭和27年に生れた子供をわずか生後8日で亡くしているという。
ここにも諦観のみなもとがあるのだろう。

鞠をつく地の夕やみも夢の埒
幾人か風の回向の野のひかり
機首あげて飛ぶ絶望の夕日の国

第二句集『幻燈』以後の作品。
よく、俳人は「無季俳句は成功したものが少ない」などと聞いたふうなこと
を言うが、せめて、林田紀音夫の作品くらいはきちんと読んでから発言して
ほしいものだ。
絶望はますます深くなる。


[573] 15年ぶりにUNOをやる 2002年04月24日 (水)

月に一回の特別職会の準備のために早目に会社に行く。
この会議が午前中いっぱい続いて、午後は有楽町の蚕糸会館にある分室で
OB会の幹事の人達と、OBのためのセミナーの打ち合わせ。
ラジオ局の仕事の内実も、劇的に変化しているわけだ。

帰宅後、かの子がUNOをおぼえてきて、一緒に遊ぼうというので、1時間
くらい遊ぶ。やり始めると、やはり面白い。15年ぶりくらいかな。

寝る前に『小沢昭一的・流行歌・昭和のこころ』を読み続ける。
松平晃、灰田勝彦、藤山一郎の章。小沢昭一の語り口は必ずしも好きでは
なかったのだけれど、この本は文句なく、この語り口にのってゆける。


[572] 編集会議とその後の雑談と読書趣味 2002年04月23日 (火)

昨日の曜日に木曜日とあるのは当然、月曜日の間違いです。

「短歌人」の編集会議のために、退社時間と同じに社をとびだす。
他の部員はまだ仕事をしていたので、背中にひややかな視線を感じないでも
なかったが、まあ、そんなことは気にしない。

今月の編集会議から、ロンドン帰りの諏訪部仁さんが参加している。
8月号の編集会議はとんとんと軽快に進み、夏の会の話になる。
前夜祭のだしものは「朗読と題詠のゆうべ」ということになる。
この朗読の部分を私が担当することになる。

編集会議のあと、楼蘭で食事。
先日の「NHK歌壇」の話などをみんなでする。
今夜のNHKにも「真夜中の王国」に天野慶さんと村田馨さんが出演してい
る。歌人のテレビ出演も多彩になってきた。
そういえば、二月に収録した「SMAPXSMAP」のオンエアも5月6日
あたりになるはずである。

帰宅するとAMAZONから、注文していた小沢昭一の本が三冊届いていた。
『小沢昭一的・流行歌・昭和のこころ』の二村定一と杉狂児の章を読む。
こういう文章を読むと、つくづく色川武大の早逝が惜しまれる。
私の興味も結局、こういう芸能・風俗に収斂してきたようだ。
それは受け容れるべきことなのだろう。


[571] やっと漱石を読み終わる 2002年04月22日 (木)

実は2週間前から、夏目漱石の『吾輩は猫である』を再読していた。
寝る前に少しづつ読んでいたのだが、けっこう面白いと思いながらも
20頁も読むと眠くなる。文芸的香りの高い睡眠薬になっていたわけである。
再読といっても、高校生の時以来になるわけだし、当時は、こんな小説が
きちんと理解できるわけがないので、初読に等しい。
今回読んだ時も、登場人物の長口舌になると、かなり飛ばし読みになっている。
漱石自身も、この作品に関しては、読者に精読してほしいとは思っていない
のではないかと思う。とにかく、思いつくまま、筆のおもむくままに、苦沙
味先生を始めとする登場人物たちに、空論を弁じさせていると感じた。
まあ、こういうクラシックを時間をかけて、読み進むのも悪いことではない
だろう。
そのまま『彼岸過迄』に突入する。これも変な小説だと思う。


[570] 「麻雀放浪記」は面白い 2002年04月21日 (日)

なぜ『マーヴェリック』がもうひとつ面白くなりきれなかったかというと
肝腎のポーカーの場面を丁寧に描いていないからではないかと思う。
たとえば、ビリヤードであれば、玉が動くところを写すだけでスリリングな
興奮が生まれる。ポーカーの場合は心理戦なのだから、それぞれの連中の心
理を、もう少しキメ細かく描く方法はなかったのだろうか。
24人が出場するポーカー大会で、顔なじみの連中プラスコバーン扮する提
督が勝ち進んでくるという偶然もご都合主義に思える。
イカサマならそれでいいから、トリッキーなカード捌きをもう少し観客に見
せることで、説得力が生まれるはずだ。
日本映画では、和田誠監督の『麻雀放浪記』は、そのあたりの部分を丁寧に
画面で見せてくれたではないか。ドサ健も出目徳も坊や哲も、それぞれの技
によって、勝ちしのいでくる必然性がつたわってくるのだ。
このあたり、和田誠という人が、人一倍、すぐれた映画の観客であるから、
つくり手にまわっても、スキがないのだろう。しかも、原作は戦後最高の
ピカレスクで、作者の阿佐田哲也(色川武大)は、これまた最高に近い映
画に対する眼力の持ち主なのだから、プレッシャーもそうとうあっただろ
う。面白くならないはずがない。

ということで、朝8時から、帰るまでに、もう一本ビデオを見ようと思い
森一生監督の大映映画『忠直卿行状記』を見る。市川雷蔵の主演作品。
まあ、これは、菊池寛原作でもあるし、物語はわかりやすいのだが、それ
だけのものにすぎなかった。
10時過ぎに帰宅して、あとは例によつて本の整理と昼寝。
夕方から原稿を一本書いた。
ああ、また、明日は憂鬱な月曜日だ。


[569] 西部劇の時代の銀行に思いをはせる 2002年04月20日 (土)

午後一時から、長男の高校の保護者会だったので、新宿へ行く。
土曜日の新宿はさすがに混んでいる。
結局、4時近くまでかかり、新宿紀伊国屋書店によるつもりだったのに
時間がなくなった。
そのまま、宿直のため、浜松町に出て、バスでレインボウブリッジを渡り
お台場へ向う。
会社には経理と人事の連中がけっこう出ている。
ビデオを見ようと思っていたのだが、他の連中が仕事をしているのに、
その傍らでビデオを見るわけにもいかず、書類の整理や本の整理などをする。
夜の9時過ぎに、やっと、みな帰ったので『マーヴェリック』を見る。
メル・ギブスンとジョデイ・フォスターのギャンブラー映画。
当然、いくつかのドンデン返しがあると思ったのだが、ジェームス・コバーン
の件は、途中で推測がついたし、ポーカーの場面もあまり丁寧に描かれてい
ないので、最後まで爽快感はなく、期待はずれだった。
ジョデイ・フォスターの女掏りが、まあ、印象にのこる役つくりだったか。
見て居る途中で、ふと疑問に思ったのが、西部の町には必ず銀行があり、
銀行強盗が出てくるが、こんな物騒な状況で、銀行員になり手が居たのだ
ろうか。あと、銀行はこういう西部劇の時代に、どれほど重要な役目をはた
していたのだろうか?


[568] 小林信彦をまた読み始める 2002年04月19日 (金)

小林信彦の新刊『昭和の東京、平成の東京』と『出会いがしらのハッピー・デイズ』
と『2001年映画の旅』を銀座のくまざわ書店で買う。
文庫版の『人生は51から』を買い、キネ旬のムックの『小林旭読本』を買って
読み始めたことから、また、小林信彦熱が再燃してしまった。
私が初めて小林信彦を読んだのは、まだ中原弓彦という筆名だった頃の
長編小説『虚栄の市』。
一九五〇年代のマスコミの世界を舞台にした悪意にみちた小説であり
「スノッブ(知的俗物)」という言葉をこの小説でおぼえた。
その後、古本屋で、校倉書房版の『世界の喜劇人』、小説の『汚れた土地』
『冬の神話』などを買って、一気に読んだ。
小林信彦が卒論に書いたというサッカレーの『虚栄の市』まで、ついでに
読んでしまった。
彼が編集長をしていた「アルフレッド・ヒッチコック・ミステリ・マガジン」
のコンプリートが目白の古本屋にあったのをみつけて、これも買った。
ヘンリー・スレッサーやジャック・リッチーという作家とその洒落た短編を
いくつも読んだ。
かなり時間が経ってから、『夢の砦』の書評を「週刊宝石」に書いた。
『怪物が目覚める夜』の書評を「東京新聞」に書かせてもらった。
そして、それからも、ほぼ、すべての著作を読み続けている。
今日買った本は、新刊をのぞき、買いそこねていた本。
こういう作家を自分の中に存在させるのは幸せなことなのだろうか。
ともかく、小林信彦の書くものなら何でも読みたい、という状況は
もう、30年以上も続いている。


[567] 一日遅れの言い訳け 2002年04月19日 (金)

下に書いた『戸田家の兄妹』の通夜の帽子置場の件、川本三郎が
『あのエッセイ、この随筆』の「いつかソフト帽をかぶりたい」という章で
まったく同じことを書いていた。
このエッセイは二月頃に読んでいるので、当然、無意識のうちに、それが
アタマに残っていたのだろう。
いかにも自分が気づいたようなことを書いてしまい、おはずかしい。
お詫びいたします。

しかし、それにしても、なぜ、私の勤め先のビデオコレクションの中に
小津安二郎作品はこの『戸田家の兄妹』一本だけなのだろうか?
まあ、私が昨夜見る巡り合わせということだったのでしょう。


[566] 小津安二郎を見た夜 2002年04月18日 (木)

小津安二郎監督の昭和16年の作品『戸田家の兄妹』をビデオで見る。
これは、昨日の夕方、会社の倉庫の貸し出し用のビデオの棚にあったもの。
もともとは社員の福利厚生用の素材でビデオを1000本くらい用意してあった
のだが、お台場に引っ越してから、なしくずしに、その制度がなくなってし
まい、たぶん、ここ数年に入社した社員は、そのビデオコレクションの存在
も知らないだろう。
というわけで、総務部員として、それがしまってある倉庫に自由に出入りで
きる私が、勝手にもちだしてきたというわけである。

これはブルジョア一家が家長の死後、残った未亡人の母親と未婚の末妹を
兄弟姉妹の誰が引き取るかでトラブルになり、結局、盥まわしの末、鵠沼
の別荘(といっても廃屋に近いもの)に二人が住むことになる。
それを天津に行っていた次男が帰国、姉兄たちの冷たさを怒って、結局、
二人を天津に伴って行く、という物語。
次男が佐分利信、末妹が高峰三枝子。
この映画で興味深かったのは「そいる」という言葉を久しぶりに聞いた
こと。冒頭、一家が母の還暦祝いに本家に集まっている場面で、父親が
「今日はみんなで写真を撮りにゆくから、車をそいっておけ」と命じ、
末妹が「もう、そいってありますわ」と答えている。
つまり、「あつらえる」「依頼する」というような意味の東京言葉だろう。
私の母方は東京の下町、本所の出なのだが、祖母、叔母たちもみな
「今日はお寿司をそいって食べよう」というような言葉をしょっちゅう
使っていたのを思い出した。
もうひとつ、父親の通夜の場面で、一部屋に男物の帽子が番号札をつけて
畳の上にずらりと並べられているシーンがあった。つまり、当時、男の正装
には帽子が欠かせなかったということだろう。通夜や葬式などで人が集まる
時は帽子用の部屋を用意しなければならなかったということだ。

ビデオ一本でこのように考えることができるのなら、見た甲斐があるという
ものだ。


[565] 少し回復してきたかもしれない 2002年04月17日 (水)

会社の帰りに、また門前仲町のブックオフに行く。
先日、ここでみつけた『東京式』は、鈴木英子さんが、李正子さんの歌集と
ともに、買ってくれたそうだ。本が流通するのは嬉しい。鈴木さんに感謝!

講談社文芸文庫が半額で何冊か並んでいたので荷風の『日和下駄』とか、
堀口大學の『月下の一群』とか、つい買ってしまう。
さらに、こんどは新刊書店の本間書店に行って、キネマ旬報社から出ている
「小林旭読本」と小林信彦の『物情騒然』を購入。
帰宅すると、月曜日にネットで注文しておいた『藤澤清造貧困小説集』が
届いていた。この本は「BOOKISH」の記事で知ったもの。
本や作家との縁は、こちらの感受性が敏感でさえあれば、次々にやってくる。
つげ義春の絵を使った表紙がなんともいえない哀愁を漂わせている。

やっと、どん底を抜け出したかな、と思いながら眠りにつく。


[564] バイオリズムの谷底なのだろうか 2002年04月16日 (火)

どうも、心身ともにすっきりしない。
まあ、前夜が遅かったので、睡眠不足でもあるわけだが。
社内のOA機器の管理台帳をつくらなければならないのだが、こういう作業
は苦手なので、頭が痛い。
副部長会で、タクシーチケット管理強化のお願いなど、いろいろと管理的な
ことがらを発言しなければならなかった。

締切を過ぎた原稿が2本もある。これも頭痛のタネ。
まあ、やがてはバイオリズムも上昇してくれるだろう。


[563] 中国の歌謡曲を聞いた夜 2002年04月15日 (月)

会社で荷物などの運搬を委託している会社の社長さんに、美味しい和食を
ご馳走になる。
赤坂の雑居ビルの二階で、板前さんが一人。あとは40代くらいの女性と
そのお母さんの3人でやっている店。
鯛の白子を食べた。
隣のカウンターに座っていた3人連れの典型的なサラリーマンらしき人達
の会話が、とぎれとぎれに聞こえてくるのだが、ジャパンプロレスだとか
マーシャルアーツだとかの格闘技系の単語がとびかっている。
いったい、何をしている人達なのだろう。格闘技団体の営業幹部だろうか。

まさに十分に和食をご馳走になったあと、中国の女性ばかりのカラオケの
スナックへ行く。
ここで、歌手志望だったという女性が「王昭君」という中国の歌を歌って
くれた。
美女・王昭君の物語を10分ほどの歌に仕立てたもので、日本でいえば、
三波晴夫の「俵星玄馬」とかの歌謡浪曲みたいなものなのかもしれない。

千代田線の赤坂で地下鉄に乗ったのが、23時57分。
久しぶりの午前様だった。


[562] ノーリーズンの日曜日 2002年04月14日 (日)

雑事がたまっているので、午前中からあれこれとこなす。
短い原稿や手紙の返事やいただいた歌集のお礼状なども書く。
昼、家族でスパゲティを食べていたら、突然、全身がだるくなり
食欲がなくなる。
風邪がぶりかえしたのかもしれない。
半分残して、風邪薬をのんで横になる。
1時間ほどで、少し楽になったので、また、本の整理をしたり、手紙を
書いたりする。
その途中で、皐月賞の馬券をPATで投票する。
テレビを見る。
まったく無印のノーリーズンが勝つ。ドイル騎手の騎乗。
馬券は完敗。
また、全身がだるくなってくる。
もう一度、薬をのんで、また、手紙を書く。
「サザエさん」が始まる。
こうして、日本の日曜日は暮れてゆく。


[561] 時評のいのちは動態視力 2002年04月13日 (土)

古島哲朗著『現代短歌を「立見席」から読むU』の出版のお祝いの会に出席する
ために、午前九時東京駅発ののぞみで刈谷へ向う。
新幹線の中で「BOOKISH」を読む。
これは新創刊の雑誌で、読書人のための文学雑誌。
創刊号の特集は「稲垣足穂」。
O夫人という女性にあてた足穂の書簡が、未発表資料として掲載されている。
他の文章も、足穂の魅力を読者に十分に伝えるもので、良い雑誌が創刊されたと思う。

「BOOKISH」の購読申し込みは下記のメールアドレスへ。
定期購読は季刊四号分 送料込み二八〇〇円。
発行所 ビレッジプレス
GBH04705@nifty.ne.jp
06-6338-8355
fax 06-6338-8893-2

古島哲朗さんの会は刈谷市にあるシャインズというトヨタ系の施設が会場。
「しののめ」という古島さんが指導する歌誌の会員のみなさんを中心にして
四十人くらいの会。
短歌関係のゲストは石田比呂志さん、水城春房さん、鈴木竹志さん、荻原裕幸さん、
宇田川寛之さん。「短歌人」の青柳守音さんが、スタッフとして気を配ってくれている。
ゲストのメンバーは名前だけをみるとバラバラの印象だが、みな、古島さんを通じての
関係になる。
石田比呂志さんは、かつて、古島さんが九州の炭鉱で働いていたときの短歌の仲間。
水城春房さんは、その炭鉱の坑内労働を歌った山本詞さんという人の歌集を高校生の時に
読んで、その歌集を編纂した古島さんを知ったという関係。
鈴木竹志さんは、地元の歌人であると同時に古島さんと同じく鋭い時評を書き続けている
いわば同志的関係。荻原裕幸さんは、古島さんのこの時評集の第一巻を編集した人、そし
て宇田川寛之さんは、第二巻の方の編集担当者ということになる。

この本は「群炎」という雑誌に二十五年間にわたって書きつづけられた歌壇時評の集積で
あり、時評による現代短歌の歴史とも言えるものである。
不易流行の流行の部分を見据えるすぐれた動態視力が古島哲朗さんの持ち味であり、その
持続のエネルギーには敬意を表さずにはいられない。

参会者のすべての方たちが、古島哲朗という人への愛と尊敬をもっていることが伝わって
くる気持ちの良い会合だった。
みなさんの話の中で面白かったのは、石田比呂志さんのドスのきいた声は実は、若い頃か
ら、ずっと変っておらず、あだ名が広沢虎造だったというもの。十代の時からああいう声
だったというのは、やはり、スゴイものがある。
荻原裕幸さんにおくってもらって、午後6時48分名古屋発ののぞみで帰京。
久しぶりに充実した一日だった。


[560] 週末はいつも虚しい 2002年04月12日 (金)

なんで虚しいかといえば、生活がだらけているからなのだろうな、と思う。
明日は、古島哲朗さんの出版記念会で刈谷に行くことになっている。
夜はその準備。

・中年とだれか揶揄するこゑがしてつばさの骨をたしかめてゐる/荻原裕幸


[559] 『わがからんどりえ』に酩酊する 2002年04月11日 (木)

眠くて眠くてしかたがない。
私の場合は風邪の症状だけではなく、眠気も逃避願望のあらわれであることは
経験的に知っている。
昨日はまだ本が読めたが、今日は本すら読めない。

夜、「短歌人」の6月号のために、小中英之さんの思い出を書く。
原稿用紙四枚分。それだけの分量の思い出は多いのか少ないのか。
小中英之さんと出会い、少しではあっても、口をきいたりできたことは
とても幸運だったと思う。
『わがからんどりえ』を読みなおすと、韻文の魔力に酩酊してしまう。

・黄昏にふるへ浮かびて遠街のいづこも人のけはいを灯す/小中英之

けはい、というひらがな表記の繊細さに驚く。

そして、小中英之さんの師匠である安東次男さんも亡くなったというニュース
が流れてくる。


[558] 季節はずれの小説を読む 2002年04月10日 (水)

はずかしながら夏目漱石の「二百十日」を初めて読んだ。
ほとんどが二人の対話であり、しかも、かなり過激な内容であることに
驚かされた。
高校生くらいでこの小説を読んでも、きちんとした理解はできないのでは
ないのかなあ。
またまた風邪っぽい症状になってきた。
昨日のメンタルヘルスの講義で、現状からの逃避願望が風邪というかたちで
あらわれることが多いと言われたが、これは当たっている。
晴読雨読の生活が理想なのだが、コーポレートの犬として生きている。


[557] メンタルヘルスの講義を受ける 2002年04月09日 (火)

人事部の肝いりで、管理職向けのメンタルヘルスの講義を受ける。
通常、部長会、副部長会という定例会議の時間なので40人くらい出席者がいた。
話を聞けば聞くほど滅入って来る。
思い当たることばかりだからだ。
メンタルな理由での自殺者は年間3万人を超えているそうだ。
交通事故の死者が一万人を割っているので、その三倍の自殺者。
滅入ったまま、冷たい夜風を背に受けて帰宅。
身も心も寒い。


[556] 50代の日々こそ泡か 2002年04月08日 (月)

今日から新入社員の社内での研修が始まる。
今年は男ばかり6人。
一人が遅刻して、朝から総務局長に怒鳴られている。
何年か前から、こういうケースが多くなっている。
まあ、5年前に現場に遅れてきたGという男は、今は1人前のイベントプロデューサーに
なっているのだから、スタートで失敗したからといってダメな奴だときめつけることはで
きないが。

何かきちんと本を読みたいなあ、と思うが、集中力が欠如しているので、ちょっと読みは
じめても、すぐ眠くなってしまう。
そうなると五十歳という自分の年齢をあらためて考えてしまう。
何年か前に道浦母都子さんが、『50代、今の私が一番好き』という本を出した時には、
50代なんて、もう、何をするにも手遅れだ、などと思っていたが、いざ自分がそうな
ると、やはり、50年生きてきたというのはバカにしたものではないと思う。
明治、大正の五十歳と現在の五十歳ではもちろん違うわけだが、現在はここがひとつの
人生のターニングポイントなのかもしれない。
後半生ということを、きちんと考えてみるべき時分なのだろう。
定年まであと10年、それまで会社が存続するのかどうか、年金制度が崩壊しないかど
うか等など、今までには考えたこともなかったことも、実感をもって迫ってくる。
そういう年齢なのだろう。
ということで、せめて、読み残してきた本を読むことで、少しでもこれからのうたかたの
日々を充実させたいと思うのである。


[555] 野口冨士男を読み桜花賞の馬券を買う 2002年04月07日 (日)

午前中に長女のかの子と一緒に自転車で図書館に行く。
野口冨士男の『なぎの葉考』と『しあわせ』と『誄歌』という三冊を借りる。
昼食にヤキソバを食べて、こんどは長男の史比古とロッポンギの美容室へ行く。
『なぎの葉考える』は、主として、待合を経営していた著者の母親と事業を起
こしては失敗ばかりしていた父親と自分との関係を描いた短編小説を集めた作
品集。文章がすっきりしているので、読みやすい。
作品としては「なぎの葉考」が川端康成文学賞の受賞作。収録作の「耳のなか
の風の声」が芥川賞候補作だそうである。
私としては、父親と後妻と息子(作者の異父弟)との投身自殺を抑えた筆致で
描いた「耳のなかの風の声」が、もっとも読み応えがあった。

帰りに六本木駅上のあおい書店で別冊幻想文学「種村季弘の箱」を購入。
夕方もとってきて、桜花賞の結果を検索すると、一位がアローキャリーという
大穴。ただ、二位に私の本命馬ブルーリッジリバーが入っていたので、複勝と
枠連が当たっていた。美容室からケイタイで投票した最終レースの単複も、一
番人気ではあったが、いちおう的中。良い日曜日になった。


[554] ちょっと小言幸兵衛風に、俳句のことなど 2002年04月06日 (土)

子規新報」というタブロイド新聞スタイルの俳句紙が松山市から発行されている。
編集は小西昭夫さんと夏井いつきさんで、遊び心と真剣な味が融合したとても面白
い紙面づくりになっている。
今月号は、2001年の句集のベスト10を選んでみるという企画が目玉になって
いる。
さて、そこで第一位に選ばれているのが鳴戸奈菜さんの『微笑』という句集。
この句集自体を読んでいないのに反対意見を述べるのもどうかと思うが、引用句か
ら見る限り、これがベストというのは、ちょっとまずいんじゃないのだろうか、と
思ってしまった。

・美少年亀に鳴かれてしまいけり
・家出する蛇の目の傘とお饅頭
・かきつばた顎がはずれてしまいけり
・死ぬことも面倒臭し浮いてこい
・桃の花死んでいることもう忘れ
・昼寝覚とりあえず足確かめて
・蝙蝠傘骨を休めておりにけり
・桃の花阿呆とよばれ片手あげ
・朧月小さな山の大きな木
・月光の通いつめたる林檎園
・立春の穴を掘ったり均したり
・初日の出五人家族はいま四人
・いい声で鴉が啼けりお正月
・秋の川水がゆっくり平泳ぎ
・オートバイ月見草など連れており

こういう句が引かれているのだけれど、私としては、どの句も仕立てがゆるくて
発想がぬるい凡句ばかりに思える。
一句目の「美少年」の句は加藤郁乎の有名な一句、
・秋風や豚に鳴かれてしまひけり
のパロディなのだろうか。
まあ、類想はしかたがないとしても、それ以下の句も、平明を狙っているわけだ
ろうが、季語がいかにもつけたしの感じで、ただ添え物として置かれているよう
にしか見えない。
句の構造にもパターンがあるし、発想も驚くほどのものはない。
小西昭夫さんは俳句の読みのしっかりした人だと思うが、本当にこういう句を良
しとされるのだろうか。
鳴戸奈菜さんも、俳句に対する勘違いがあるのではないか。
たとえば、永田耕衣の達していた世界というのは、こういう似非平明とは対極に
ある形而上世界だったのではないか。
少なくとも、こういう作品が評価されて、ベスト1の句集とされるのは、ちょっ
とやりきれない感じが私はする。


[553] 「火の器」の批評会 2002年04月05日 (金)

榊原敦子歌集『火の器』の批評会。
場所は学士会館。高瀬一誌さんが亡くなってから、初めての批評会なので
たいへんに緊張した。
高田流子さんと私とでだいたいの段取りをしたのだが、とにかく、何か忘
れていることがないか、最後まで心配だった。
稲葉峯子さん、穂村弘さん、柳宣宏さん、槙弥生子さん、菊地良江さん、
伊藤雅子さん、沖ななもさん、三井修さん、田島邦彦さん、森本平さん、
佐伯祐子さんが、外部からのゲストとして出席してくれた。
時間的にも押すこともなく、良い具合に収まったと思う。
何より、良い批評が聞けたのが嬉しかった。
佐伯祐子さんが言った「私を忘れないで」という思いのたけのほとばし
っている歌集、という言葉がとても印象に残った。


[552] 漱石を買い、立川藤志楼を聴く夜 2002年04月04日 (木)

東陽町にある東陽書房をのぞくと、またまた、旧旺文社文庫の堅表紙版のラインナップ
が一冊200円で並んでいた。旺文社文庫は作家紹介や解説、解題などがとても詳しい
ので、ついつい買ってしまう。今夜は夏目漱石の『彼岸過迄』とか『こころ』とか
『門』とか『三四郎』とか『それから』とか五冊を購入。
さて、この中で私が読んでいない作品はどれでしょう?
これ以外の漱石の小説は実は読んでいない。
『虞美人草』『行人』『明暗』とかね。『明暗』なんて、あれだけ書いて、まだ未完と
いうのだから、あとは何を書きたかったのかな。

黒田和美歌集『六月挽歌』の出版記念会の案内状が届いている。黒田和美さんは私の早
稲田短歌会の先輩にあたる。学生時代は面識はなかったが、今は「月光」で短歌を作っ
ている。ひとつの世代が50代にかかってきて過ぎ越しの生を映画のフラッシュバック
のようによみがえらせた心に刺さる歌集だったが、いわゆる歌壇エスタブリッシュメン
トは、こういう歌集を認めようとはしない。
菱川善夫、小笠原賢治、晋樹隆彦、福島泰樹といった方々の末席に私も発起人として名
をつらねさせてもらってすいる。

夜はやたらに眠くなる。二日続けて24時くらいまで起きていたからだろう。
立川藤志楼(高田文夫)の落語のCDの「火焔太鼓」と「風呂敷」を聞きながら眠る。


[551] ネットの効用、密談の快楽 2002年04月03日 (水)

聖智文庫というネットで検索した古書店に中公文庫版の有本芳水『笛鳴りやまず』
という本を注文したら、この古書店の店主さんからメールが届いた。
なんと大学時代の先輩のAさんのお店だったのだ。
これはまことに奇遇。Aさんは私に本の趣味、特に演芸関係と競馬の快楽を教えて
くださった人である。
いつのまにか疎遠になってしまっていた方々と、また、ネットを通じて関係ができ
てくるというのは、嬉しいことである。
こういうこともあるのだなあ、と感慨無量の思いだった。

夜は柊書房の影山一男さんをおたずねする。
『花束で殴る』の三月書房などの書店配本分にサインをするため。
私のヘタな字ではかえって本を汚してしまうようなものなのだが、いちおう、署名
などさせていただく。
そのあと、神保町のらんちょんに行き密談。密談も人生の楽しみである。
二人で東西線で帰途につき、木場駅で別れる。


[550] 四月は別れの季節なのだけれど 2002年04月02日 (火)

四月のはじめは、人の移動がある季節である。
大辻隆弘さんは転勤、岡田幸生さんは転居、三宅やよいさんも転居とのこと。

私はあいかわらず変わり映えはしないが、読書の傾向が少し変わってきた。
金子拓さんの読書日記で、新潮文庫の今月の新刊の関容子『花の脇役』の
ことを読み、この著者の関さんが、聞き書きの名手であることを知った。
おもに歌舞伎役者の人の聞き書きが中心だが、堀口大學の聞き書き
『日本の鶯』という本が出ているのをおそまきながら知った。
ちょうど先月、「未来」所属の未々月音子さんが論文の「堀口大學論」の
抜きずりを送ってくれたので、一緒に読もうと思う。

『日本の鶯』をネットで検索したら、講談社文庫版が240円で、出て
いたので、早速、注文する。
芥川龍之介の次は堀口大學であるのだろうか。


[549] 三鬼の忌日は四月馬鹿 2002年04月01日 (月)

昨日の日記の月曜日というのは日曜日のまちがいです。

タクシーチケット使用法に関する新ルールを役職者に配る。
こういう時、矢面に立たざるをえないのが総務部なんだよなあ、と思う。
まあ、いいけどね。
私の勤め先ではなぜか新入社員の両親が、入社式に招かれることになって
いるので、両親の方々をつれて、社内の案内をする。
生放送を終えたばかりの、林家たい平さんが、『新入社員とかけて』という
謎かけをやってくれた。

午後はひたすら年度末の伝票書き。
防災マニュアルの差替えページの整理と配布準備など、うっとおしいことが
たくさんたまっている。
何か行き詰まっているなあ、という思いに終日とらわれている。

・急ぐ莫れ月谷蟆に冴え始む/赤尾兜子


[548] 地球の上に朝がくる、その裏側は夜だろう 2002年03月31日 (月)

午後から遣り残した仕事のために会社に行く。
人事部の連中は、明日が入社式ということで、ほとんど出社している。

テレビで競馬を見ながら、だらだら仕事をする。
サンライズペガサスの強さには圧倒される。安藤勝騎手の巧さに、いまさら
ながら感心する。
最終レースのエルカミーノという馬の単複を買ったのだが、会社では
ラジオ日本が聞けないので、帰ってから確認したら、勝っていた上に
単勝が800円もついていた。これは美味しい馬券になった。

帰宅後、池内紀訳の『ホフマン短編集』と『カフカ寓話集』を拾い読みする。
池内紀という人はドイツ文学関係ばかりでなく『地球の上に朝がくる』という
演芸の本を書いたり、私と志向するところが似ている。
今後もこの人の著作をこつこつと集めていこうと思う。


[547] フランシーヌの場合も私の場合も 2002年03月30日 (土)

3月30日といえば、当然のように「フランシーヌの場合」を思い出すのは
私の年齢以上の世代なのだろうか。
新谷のり子は、今でもライブを開いていると噂を聞いたことがある。

いろいろと外出の計画をしていたのだが、朝、起きて見ると、けっこう疲れ
ているようなので、何もせずに家に居ることにした。
柊書房の影山一男さんにつくってもらっていた歌集『花束で殴る』が到着し
た。とても嬉しい。この題の歌集をつくることが、ここ10年来の夢だった。

午後、二時間くらい昼寝をして、夕方になってから、伊東屋へ書籍小包用の
封筒を買いに行く。銀座まで20分でついてしまうのは、やはり嬉しい。

久しぶりに身心ともにリラックスした土曜日だった。
夜、読みかけだった、川本三郎の『あのエッセイ、この随筆』を読み終った。


[546] ありがとう!矢来町!、その他 2002年03月29日 (金)

下の日記の日付けは、3月28日木曜日が正しい。
リアルタイムで日記を書いていないのがバレますね。

またまた年度末処理と経費節減で会社でやらなければならないことは
うんざりすることばかり。
しかし、今日は割り切って、五時半に会社を飛び出して、新宿のサザン
シアターに、「我らの高田笑学校」を見に行く。
新宿紀伊國屋書店の新刊売場で、長男の史比古と待合わせ。
すぐにみつけて、エレベーターに乗ろうとしたら、車椅子の人が居たので
顔を見たらホーキング青山さんだった。
すぐに挨拶。ホーキングさんには、長男が小学校五年生の時に、学校で講演
をしてもらったことがある。180センチを越す背の高さになった長男を
見て、ホーキングさんも驚いていた。
ホーキングさんも金髪になり、ますますフリーク度合を強めている。
そのまま、サザンシアターへみんなでなだれこむ。

今日は「ありがとう矢来町!」ということで、ライブの前半は古今亭志ん朝
師匠の追悼。客席に入ると、ステージの中央に高座がつくられ、志ん朝師匠
の人形が坐っている。そしてPAからは十八番の「愛宕山」が流れている。
開演時間になると、客席の明りが落ちて「愛宕山」のボリュームがあがる。
一八が谷底に取り残されるところだ。きちんと時間を逆算してあるらしい。
おなじみの「オオカミにはヨイショがきかないからね」というクスグリも
きちんと聞かせてくれる心憎さだ。
サゲの「あっ、忘れて来た!」で、拍手、上手から松村邦洋が出てきて
人形を運び、高座の座布団を返す。

このあとは、古今亭志ん五の「錦明竹」、古今亭志ん駒の「自衛隊と私」と
続き、この2人に高田文夫が入って、志ん朝師匠の思い出やエピソードを
語る鼎談。古い写真、珍しい写真が映し出され、「週刊平凡」の表紙にな
った、赤いアルファロメオに乗った志ん朝師に園まりと西郷輝彦の組み合せ
という面白い写真も見られた。

中入をはさんで、ここからは、いつものライブの展開。
松村邦洋のペナント開幕前夜漫談。
謎の漫才Xと予告されていたのは、やはりツービートだった。
たけしさんにしてみれば、結局、漫才の相方としては、きよしさんがいちばん
やりやすいということなのだろう。
続いて、四月から東京に本格的に移動して活動するという、ますだおかだ。
咲くやこの花賞をもらったのに、大阪を捨てるわけだ。ま、いいけど。
そして、トリが浅草キッド。
プログラムのこの浅草キッドの惹句に
「浅草六区(ロック)様?の妙技漫才」と書いてあったので笑ったが、これ
は、お笑いとアメリカンプロレスと両方に通じていないと、どこが面白いか
わからない。浅草キッドのそういうマニアックさが好きなのだ。

十分に堪能して客席をたつ。後方の席に私の勤め先の社長・亀渕昭信の姿が
見えた。この人のこういうフットワークの軽さも好きなのだ。


[545] 河浪や寂しき劇(しばい)見にゆかむ 2002年03月30日 (土)

タイトルは谷川雁の一句。
あいかわらず会社の仕事は年度末の胸突き八丁。
無意味に疲労するばかりである。

桂三枝が一九七〇年代の後半から八〇年代の前半にかけて作った新作落語を
集めた『桂三枝爆笑落語大全集』全三巻を、ネットで注文しておいたのが
会社に届いた。
この本を買ったのは、立川談志が、刊行中の『立川談志遺言大全集』の中で
新作落語の演者としての桂三枝を高く評価していたからだ。
これは意外だったし、私自身も桂三枝の新作落語をきちんと聞いたことは
なかったので、とにかく、活字ででも読んでみようと思いたったからだ。

寝る前に四、五作読んでみたが、やはり、出来不出来はあるものの、何とか
新しいことを自分の落語でやりたい、やろう、という強い意志が伝わってく
る。テレビタレントとして熟れている自分の有利さを捨てて、とにかく、
落語、それも現代を映し、パロディとして笑いのめす覚悟といったらよいの
かもしれない。
やはり、クワズギライはダメ、と自戒した夜であった。


[544] タソガレドリは言葉の鳥か我も言葉 2002年03月27日 (水)

タイトルは高柳重信『山川蝉夫句集』以後、より。

ここのところずっと、会社に夜8時頃まで残っている。
年度末だからしかたがないのかもしれないが、管理業務で遅くなるのは
面白みがない、というのが正直なところだ。
今日も美術品の棚卸ということで、役員室で美術品のチェック。
夕方6時から始めて、予想では11時過ぎになりそうだと思ったのだが、
意外とはかどって、8時過ぎには終った。
バスで帰る。

高柳重信が「言葉の鳥」としてイメージしていた「タソガレドリ」とは
どんな鳥なのだろうか?


[543] ねむれねば春のナイアガラ瀑思う 2002年03月26日 (火)

タイトルは赤尾兜子の『歳華集』の作品。

白夜書房の「笑芸人」6号が「ありがとう名人芸 特集◎古今亭志ん朝」を
読んでいる。
志ん朝の特集で、これ以上のものはできないだろうと思う。
「サンデー志ん朝」の話題がたくさん出ているのも資料的に価値が高い。
なんといっても読み応えがあったのは
山藤章二さんの特別寄稿「志ん朝しのび歩き」だ。
平成13年10月6日に護国寺でおこなわれた古今亭志ん朝師匠の告別式の
品川の自宅まで歩くという、いゆる「黄金餅」風の道中立てになっている。
落語的含蓄を次々にとりいれながらのみごとな志ん朝の追悼になっている。

こういう文章で追悼される価値高い落語家であったということだ。


[542] 足立区へ遠征する 2002年03月25日 (月)

年度末の最後の週ということで、先送りしてきたことのツケを今週中に
精算しなければならない。
うんざりするばかりである。
夜、足立区の「東六月町地区の町づくりを考える会」に出席するために
北千住からタクシーに乗り、平野住区センターというところに行く。
町づくりというのは、もちろん、多くの住民及び地権者の利害が絡んで
いるだけに、そう簡単には何も決まらない。
ただ、印象としては、足立区の町つくり課は、熱心にやっていると思う。

8時に失礼して、島根町というバス停留所で、10分ほどバスを待って
いたが、いっこうに来ないので、またタクシーで、北千住へ。
駅の手前の日光街道そいにカンパネルラ書房という古本屋があったので
覗いて見る。
宮澤賢治にちなんだ店名をつけているだけあって、文学系、哲学系の本
は充実している。中山信如氏がワイズ出版から出した映画の本もあった。
これは定価どおりだったので、よほど、買おうかと思ったが、映画は専門
外なので、かろうじて思いとどまる。そのかわりに、大岡信、丸谷才一、
石川淳の共著の『とくとく歌仙』を六〇〇円で購入。
そのあと、北千住駅前のブックオフを覗き、100円コーナーで青木玉の
『なんでもない話』、250円で幸田文の『台所の音』、150円で『崩れ』
を購入。『崩れ』の川本三郎の長い解説を読みながら、地下鉄で家路を辿る。


[541] 桜チルチル、日曜日 2002年03月24日 (日)

午後は首都の会に出席。
今日は松原未知子、池田はるみ、田中槐さんが欠席。
岡田幸生、高島裕、岡崎由美子といった若手も欠席だったので、結局、
私が平均年齢をひとりで引き上げてしまった。

帰途、高田馬場の芳林堂で、立川談志遺言全集の1巻、2巻を購入。
上方演芸関係からも、二代目桂春団治の未亡人・河本寿栄の聞き書きの
『二代目さん 二代目桂春団治の芸と人』と桂文枝の自伝『あんけら荘
夜話』を購入。
しばらくは演芸関係の本を読もうと思う。

辻本きよみの秘書給与の問題が紛糾している。


[540] 土曜日の雷鳴、ささやかな喜び 2002年03月23日 (土)

またまた風邪気味なのと、アトピー性皮膚縁の薬がなくなったので、
平和島のTクリニックに行く。
点滴をしてもらい、喉の消炎治療をしてもらうと、かなり楽になる。
平和島の商店街にあるキャロットという小さな洋食店で、ハンバーグを
食べ、明日の朝食用のパンを買って、東京駅へまわる。

八重洲古書館で、川本三郎の『朝日のようにさわやかに』と中野好次の
『悪人礼賛』のともに文庫版を買う。2冊で850円。
八重洲ブッセンターものぞいたが、何も買わずに出てくることができた。

午後、点滴の影響か、眠くてたまらないので、久しぶりに昼寝。
3時半過ぎに、雷の音で目が覚める。
競馬の最終レースだけ買ってみる。隅田川特別。後藤騎手に賭けて、
いちおう単複だけとる。川本三郎と中野好次の本は、これでタダで
手に入ったことになる。ささやかな喜び。


[539] 桜が夜の闇に散る 2002年03月22日 (金)

職場のパソコンが壊れてしまっていて、作業が進まない。
結局、OSから再インストールするはめになる。
とはいえ、なかなかすんなり行かず、結局、OSと経理用ソフトを入れる
のに、夜8時過ぎまでかかってしまう。

「短歌人」の編集会議にはやむなく欠席させてもらう。

すでに桜が咲きさかっている。夜の闇にぼんやりと桜が浮かんで見える。
スクリーンセイバーとしての桜もディスプレイに散っている。


[538] 彼岸から此岸へ強い風が吹く 2002年03月21日 (木)

午前中から、通子とかの子と一緒に横浜の実家へ、お彼岸のお参りに行く。
ちょうど、正午前に到着。
仏壇を拝んだあと、母をまじえて、ご馳走を食べる。

物置に古い本が並べてあるので、チェックしてみると、伊藤整の
『小説の方法』、『小説の認識』、川端康成の『小説の研究』、
臼井吉見の『小説の味わい方』などがあったので、貰って帰ることにする。

午後から急に風が強くなる。
突風の中を東京まで帰る。

夜、産経新聞のコラム「直言曲言」を書く。
夕刊に掲載される分としては、今回が最終回になる。
笑芸に関するコラムを書く経験は、私の文章力について、おおいに力に
なってくれたと思う。


[537] 『東京式』をブックオフで見た日 2002年03月20日 (水)

会社の帰りに門前仲町のブックオフに寄る。
詩歌のコーナーに『東京式』があった。値段は850円。
いつかはこんな日が来るとは思ってはいたが、まさか今夜がその日だとは。
中に「乞う、ご高評  北冬社」と書いた短冊が入っていた。
ということは、私が贈呈した人ではなく、マスコミから流出したものだろうか。
江東区に在住の歌人の家のありかは私はほぼ知っているので、私が贈呈した
人ならば、だいたい予想がつくのだが、これではわからない。
ともあれ、自分の本をブックオフで見る体験というのは、鈴木光司や群ようこ
になったような気分ではある。

またまた、書籍買物依存症の症状が爆発してしまった。
掘り出し物としては芝木好子『洲崎パラダイス』集英社文庫
宮武外骨『吾輩は危険人物なり』ちくま文庫など。
芝木好子は5年くらい前に読んでいるのだが、本をどこにしまったのか
あるいは処分したのかわからなくなってしまったので、今年のはじめから
探していたもの。
まあ、気長に探せば、こういう本は必ず出てくるものだ。
まだ、何冊も探している本はあるが、ブックオフができてからは、さほど
真剣にならなくとも、いつか出会えるだろうと思えるようになった。


[536] 浅草という芸人育成装置 2002年03月19日 (火)

松倉久幸著『歌った、踊った、喋った、泣いた、笑われた。』ゴマブックス刊
1600円+税を読んでいる。
著者の松倉さんは、浅草演芸ホールの会長である。
落語家さんの襲名披露や演芸関係のパーティなどでは、必ず乾杯の発声をする
方なので、お顔は何度も拝見しているし、名刺交換もさせていただいている。

本の内容は、浅草のロツク座やフランス座の歴史とそれぞれの舞台を彩った
芸人さんたちのエピソード。
八波むとし、渥美清、長門勇、三波伸介、伊東四朗、東八郎、萩本欽一、
ビートたけしといった人達と、そこまでたどりつかなかった多くの芸人さん
の生きざま、死にざまが、彼らを使っていた人の立場から語られている。
ロック座もフランス座も、松倉久幸さんの父親の松倉宇七という人が
建てた劇場であり、二代目として、ほどほどの距離感で、芸人さんを語って
いる点、そして、浅草をとびだしてメジャーに成っていく芸人さんを、見送る
側からの視点というのが面白い。
これが、同じ芸人だと、売れた者と売れなかった者との落差が、否応なく
出てしまって、つらいのだが、劇場主の立場というのは、そういう嘆きが
ないので、気持ち良く読むことができる。

さて、浅草の軽演劇にふたたび日が当たることはあるのか、当たってほしい
と私は思う。


[535] 鯔たちの春のオラクル 2002年03月18日 (月)

ここのところ、いつもより10分、早く家を出ている。
そうすると、早いバスに待ち時間なしで乗れて、結果的には会社には
20分早く到着する。
その20分があることで、かなり、気持ちの整理ができる。

河出書房新社から出ている「芥川龍之介読本」を拾い読みしている。
芥川龍之介の晩年の作品や随筆や俳句に興味がわいている。

加藤治郎さんの「鳴尾日記」に、鯔が異常発生しているとの記述があった。
私の住まいの近くの運河にも、鯔がのぼってくるのだが、三月にはまだ姿
は見せない。とはいえ、鯔が何かの変化を察知していることはまちがいな
さそうだ。


[534] 鼻の先だけ暮れ残る 2002年03月17日 (日)

晴天の日曜日。
長女のかの子と一緒に自転車で、東陽町まで牛乳を買いに行く。
帰り道にまた古本屋で、1980年代のなかば頃に角川書店から出ていた
「小説王」という文庫版の雑誌を買ってしまう。
山川惣治特集で新作の絵物語などが掲載されている。
劇画はひさうちみちおと上村一夫。
上村一夫は「本郷菊富士ホテル」を舞台にして、竹久夢二や伊藤野枝や
大杉栄が登場する文藝物。
夜、白土三平の『忍者武芸帖』を10巻まで読む。
そのあと講談社文芸文庫の芥川龍之介『大川の水、追憶、本所両国』を
拾い読みする。いかにも小高賢さんが好きそうなタイトルの本である。

明日は月曜日、会社に行きたくない。