[533] 動力は椅子の背もたれから指を伝ひピエロをさかだちさせぬ 2002年03月16日 (月)

タイトルは松原未知子さんの作品。

またしても本を整理するとにかく、本の量をへらさなくてはどうにも
ならない。へらしてもへらしてもまた買ってしまうのだけれども、定期
的に本をへらすことでしか、その対策はない。
歌集はその歌人に関して何か書きたいという意欲がもてる人のものだけ
を残すことにする。
歌集・歌書以外の本はここ10年ばかりで、ほぼ整理してしまった。今、
書だなにある歌集・歌書以外の本は、ここ1年のあいだに買ったもの、
そして、一度、手放して、また、買いなおしたものばかりである。

午後、渋谷のパルコの裏側にあるルノアールで批評会兼読書会。
その前に、道玄坂をのぼり、ムルギーで卵入りムルギーカレーを食べる。
たぶん、このムルギーに入るのは10年ぶりくらいだろう。
20代の頃は最低でも、月に2回はムルギーに来ていた。
30代の頃は、年に4、5回くらいにへってはいたが、渋谷にくれば原則
としてムルギーで、この卵入りカレーを食べていた。
40代になって、まったく来なくなってしまった。
渋谷パンテオンは仕事場だつたので何回も来ていたのだが、道玄坂の方へ
は、逆に足が遠のいてしまったのだった。
なつかしい味に感傷がわいてきた。味覚にもせつない記憶があるのだ。

作品批評会兼読書会、今月は盛況だった。
課題図書は岡井隆の『土地よ、痛みを負え』。
通読したのは何回目になるだろうか。
やはり、心を鼓舞される歌がたくさんある。
「ナシュナリストの誕生」や「思想兵の手記」や「天の炎」や「勝ちて還れ」
が、短歌総合誌に発表された時代の興奮がページから伝わってくる。
現在の短歌総合誌に歌人と編集者が相互に刺激しあって、このような大作で
かつ問題作となるような一連を発表できる土壌があるだろうか。


[532] 岡本綺堂のおもしろさなど 2002年03月15日 (金)

昨日の日付けは14日の間違いです。

テレビ朝日で、在京局車輛担当者会議。
結局、経費削減の方策に終始する。
終了後、六本木まで歩いて、青山ブッセンターとあおき書店をのぞく。
学研M文庫の伝奇の匣シリーズの二冊目『岡本綺堂妖術伝奇集』を購入。
東雅夫の編纂。最近買う本はほとんど、東雅夫か日下三蔵の編集による
アンソロジーや個人作品集になっている。

帰宅してNHKラジオの上方名人会で桂小米朝の「青菜」を聞く。
割舌がしっかりしているのでとても聞きやすい。こういう声を聞くのは
快感がある。
明日は休みなので、ついつい本を読みふけってしまう。
『岡本綺堂妖術伝奇集』には長編の「玉藻の前」と「小坂部姫」のほかに
単行本未収録の戯曲が四本とゴーチェの「クラリモンド」翻訳や短編小説
が収録され、さらに綺堂が明治30年代に別筆名で発表した怪奇実話など
が収録されている。きわめて資料的な価値は高い。
実は綺堂の短編は光文社文庫や原書房版の加門七海の編纂した短編集で、
けっこう読んでいるのだが、文章が平易で巧いので、くりかえし読んで
しまう。
独断だが、私が文章の巧さを感じる作家は、岡本綺堂と星新一。


[531] 通夜へ行く 2002年03月15日 (木)

柴田利夫さんのお通夜に行こうと思った瞬間に、例の新種ウイルス騒ぎが
もちあがって、立ちあがりが遅れる。
お台場を夕方の5時20分に飛び出して、新宿で京王線の特急に乗れたの
が、ちょうど一時間後。すでに、お通夜は始まっているはずだ。
結局、府中の森市民聖苑に到着したのは6時55分。急いで会場へ飛び込
むと、まだ記帳をしている人がけっこういた。
お焼香をして、お清めの会場へ入ると、会社関係、OB関係者がたくさん
居たのでほっとする。
詩人の西岡光秋さんが、入れ替わりに帰った直後ということで、お会いで
きなかったのが残念。
柴田さんのラジオドラマにしばしば出演していたということで、俳優の瀧
口順平さんと来宮良子さんがいらしていた。
OBのSさんが一九六〇年代の初めに官費留学で、フランスに行き、コク
トーの演劇や演出作法を学んだという話を聞いた。またNさんからは、私
の勤め先の初代の総務局長であった井上司朗こと逗子八郎の在社中の話な
どを聞くことができた。

東府中まで歩き、京王線の調布で京王新線に乗換え、菊川駅で降りる。
そこから都バスで塩浜二丁目まで出て、帰宅が夜10時。
小笠原賢治さんの『拡張される視野』を読みながら眠りにつく。


[530] 獅子てんや、瀬戸わんやの芸名の由来など 2002年03月13日 (水)

なにか心の中がもやもやしていて、書こうという気があいかわらずわいて
こない。「短歌人」五月号の編集ということで、同人、会員の作品を読む。
生原稿で作品を読むと、その作者の息づかいすが感じられる。もちろん印
刷された文字の方が読みやすいから、手書きの生原稿がいちばんなどとは
思ってはいないが。
「ラジオ名人寄席」は獅子てんや、瀬戸わんや。
「てんやわんや」というのは、当時の獅子文六のベストセラーのタイトル。
当然、てんや・わんやという芸名はそれをふまえているわけで、だから、
獅子文六にちなんで、獅子てんやなのである。瀬戸わんやの「瀬戸」の由
来は実は知らない。
笑芸に関する本をいつか一冊書いてみたいと思っている。
書けるだろうか。書けるだろう。


[529] 中井英夫のミスディレクション 2002年03月12日 (火)

創元ライブラリで断続的に刊行されている中井英夫全集の第10巻が刊行
されていたのに気づき、アクアシティのブックファーストで購入する。
この巻は『黒衣の短歌史』と『暗い浜辺のイカルスたち』という二冊の
短歌論集が入っている。どちらも単行本も三一書房の全集版も持っている
ので、買おうかどうか迷っていたのだが、中城ふみ子との間で交換された
手紙が全部収録されているということで、買ってみた。

というわけで、この中井英夫と中城ふみ子との間でかわされた手紙を読んだ
わけだが、この内容にはびっくりした。
最初が一九五四年三月二十二日付の「冬の花火」50首の当選通知。
そして最後が同年八月二日付の速達。この最後の手紙は八月三日に亡くなっ
た中城ふみ子は読むことができなかったという。そして、この手紙の中での
中井からふみ子へのよびかけの言葉は「ふみ子」。そして末尾が「小さな花
嫁さんへ」というもの。この「小さな花嫁さんへ」という言葉の存在自体は
菱川善夫が以前に文章に引用していたように思うが、三月から八月までの時
系列を追って、手紙を読み、ともに相手に対して信頼から、好意、愛情を抱
いてゆく過程は、中城ふみ子は八月三日に亡くなるのだという知識をもった
読者にとってはきわめてスリリング。
ここには確実に男女の愛情の交歓がある。
解説で菱川善夫も驚きとともに書いているが、『黒衣の短歌史』に記された
中城ふみ子の登場に関する文章は、この手紙に書かれた熱いたかぶりを一切
隠蔽したミスディレクションだったということだ。
中城ふみ子が亡くなったことへのショックは文章化されていないが、それが
中井英夫にとっていかに強烈な喪失感をもたらしたかは、想像できる。
この手紙の全文が公開された意味は大きい。
久しぶりに、本を読み進みながら興奮している自分に気づいた。


[528] コートを脱いででかける日 2002年03月11日 (月)

会社へつくと西岡光秋さんからのファックスが入っていて、柴田忠夫さんの
訃報は「日本未来派」と「花」の関係へは連絡していただいたとのこと。
OB会長へ連絡して、柴田氏のプロフィルを産経新聞へ送信する。
死亡記事は、東京新聞と毎日新聞の今日の夕刊に掲載された。
産経新聞は、明日火曜日の朝刊に掲載されることになる。

鈴木宗男の証人喚問があったのだがまったくリアルタイムでは見られなかった。

丸谷才一の『日本文学史はやわかり』をネットで注文しておいたのが
届いたので、ぱらぱらページを繰っているうちに眠ってしまう。


[527] 隠密が走るから皆走りだす 2002年03月10日 (日)

倉富洋子さんとなかはられいこさんに誘っていただき、Eの会に出席。
これは、「WE ARE!」が母胎となる川柳の句会。
川柳の句会に出るのはもちろんはじめて。
タイトルにしたのが、兼題「隠」で詠んだ私の川柳。
川崎ゆきおの猟奇王のイメージですね。
いちおう8点入って、なかはられいこさんの句と並び最高点句になりました。
出席者は、倉富洋子さん、なかはられいこさん、荻原裕幸さん、村井康司さん
佐藤りえさん、天野慶さん、岡田幸生さん、木綿さん、矢島玖美子さん、
植松大雄さんに私の十一人。
矢島玖美子さんは句集『矢島家』をオンデマンド出版で出している。
なかはられいこさんの
・親指を隠せパレードが通る
この句も8点という高点を集めた。
霊柩車が通るときに親指を隠さないと、親の死に目に会えないという迷信と
葬儀の列をあたかもエレクトリカルパレードのようなイメージのパレードと
いう言葉に置き換えて見せた面白さだろう。
エレクトリカルパレードを見て居るディズニーランドのお客が実は全員、
親指を隠している図というのはシュールで刺激的だ。
エレクトリカルパレードに土下座している観客も面白い。それは大名行列。

ということで、なかなか有意義な日曜日の午後でありました。
帰宅して、「短歌人」の夏季作品特集の作品を唸りながらつくる。
できあがらないうちに眠くなり、布団に入ったのだが、こんどは目がさえて
くる。本を読みながら、午前二時くらいまで起きていた。
それなら起きて、短歌をつくればいいのに。


[526] 仕官懸命の地やいづこ真昼コンビニに有平糖の椿真赤 2002年03月09日 (土)

タイトルは今日の短歌人歌会に出詠された佐々木靖子さんの歌。

午前中、柴田忠夫さんの訃報を詩人関係のどなたかに連絡しなければ、と
現代詩年鑑や文藝年鑑をひっくり返し、詩人の西岡光秋さんに電話をして
みることにする。
やはり、訃報は、まだ、届いていなかった。
とりいそぎの葬儀日程をお知らせして、あとは、月曜日に会社から、改めて
連絡をとるということにする。

午後二時から、池袋芸術劇場で短歌人3月歌会。
「人」から移籍してこられた佐々木靖子さんの歌が抜群の巧さ。
こういう修辞の実験的手法が現在の「短歌人」からは薄くなっている
ような気がする。
勉強会は「竹山広の歌」。
長崎出身の扶呂一平さんが、長崎の地理をもまじえたレポートで、とても
興味深い内容だった。
扶呂さんは、実際に竹山広さんの家を訪ねたのだそうだ。
すぐれた歌人に会うことは貴重な体験になる。

芸術劇場の一階にある古本大学という古書店で、高平哲朗のインタビュー集
『みんな不良少年だった』を購入。
この本も実は前に持っていた。最近はそういう本を買い戻してばかりいる。


[525] 告別式そしてまた訃報 2002年03月08日 (金)

辻監査役の告別式の手伝いということで、増上寺へ直行する。
もう、会社へ入ってから何度目の葬式の手伝いだろうか。
グループ各社から、役員がたくさんやってくる。
辻監査役は、私が入社したときにはすでに役員だったから、ほとんど
口をきいたこともない。
たぶん、儀礼的に挨拶をかわしたことも、一回か二回、あるかないか。

出棺まで見送って、弁当を控え室で食べて会社へ戻る。
そこへ、こんどはLF会の幹事の柴田忠夫さんの訃報。
柴田さんは詩人でもあり「日本未来派」に所属している。
OBの主要な人達に電話で連絡をとり、息子さんから、葬儀日程の連絡が
くるのを待つ。
夕方になってようやく連絡が来る。
葬儀を終えて、また訃報の連絡である。
人生はこのように暮れてゆくのかもしれない。


[524] 梯子にも轢死体にもなれる春 2002年03月07日 (木)

タイトルは、石部明句集『遊魔系』より。

川柳作家石部明さんの待望の第二句集『遊魔系』が完成、到着する。
縁あって、解説を書かせていただいたのだが、非常に得難い体験であり
詩歌の奥深さをあらためて知ることができた。
ぜひ、川柳作家以外の人にたくさん読んでいただきたいと思う。

プロレスライターの北条志乃さんが、猛武闘賊の復活のときのTシャツと
北斗晶、三田英津子、下田美馬の三人のラスカチョ・ポーズの写真を送って
くれる。
ラスカチョーラスオリエンタレス=東洋の猛獣の子供。
このユニットも、私の過去をいろどってくれた大きな要素である。

「週刊プロレス」はもちろんWWFの横浜アリーナが表紙。
TAJIRIに対する「世界一のニッポン人」というコピーがうれしい。


[523] 行かぬ道あまりに多し春の国 2002年03月06日 (水)

タイトルはもちろん三橋敏雄作品。
こういう俳句をしみじみと味わう一日をもちたいと切望する今日この頃。

あいかわらず眠くてたまらない。現実逃避願望が眠気というかたちで
あらわれているのだろうか。

南伸坊の新潮文庫の本『仙人の壺』を読む。
これは、中国の志怪の話を漫画に翻案したものと、エッセイで組合された本。
軽い味ながら、案外、奥は深い。
南伸坊の指摘で興味深いのは、これらの中国の話では、妖怪が姿をあらわす
と、人々がいきなり、その妖怪を襲って殺してしまうという結末が多いとい
うこと。確かに、「今昔物語」とかでは、そういう結末の話はないように
思う。

岩波書店の『批評の創造性』は明日あたり入荷するのではないかとのこと。

寝る前に向井敏の『残る本、残る人』を読み続ける。


[522] 半村良を読んだ頃 2002年03月05日 (火)

昨日、半村良が亡くなった。六十八歳だったそうだ。
思ったより、歳をとっているので驚いた。
半村良の小説は、デビュー作の「収穫」から読んでいる。

「奴らの収穫は終った。こんどはおれたちのばんだった」というう結末の
一行は、一回読んだだけで、脳裏にやきついている。
「別冊宝石」に載った「露地の奥」という短編も好きだった。
『石の血脈』の刊行予告を「SFマガジン」で見た時はびっくりした。
てっきり、シャープな短編作家だとばかり思っていたから、まさか、こんな
盛りだくさんの伝奇的要素を絡み合わせた長編を書いているとは、夢にも
思わなかった。
もちろん、本屋にならんだその日に買って、一気に読んだ。それまでに
一度も読んだことのないタイプの小説だった。
その後、「SFマガジン」に載った短編、中篇、そして「産霊山秘録」等の
長編と、次々に読んでいった。
印象に残ったのは「幻想と怪奇」に掲載された「箪笥」。
これはのちに、小松左京の「牛の首」などとならんで、日本の怪談の傑作
とよばれ、各種のアンソロジーに収録されたが、これを初出で読んでいた
ことは、私のひそかな自慢でもある。
『妖星伝』以降は、それほど熱心に伝奇系はよまず、人情話の方にシフト
したので『太陽の世界』シリーズなどは読んでいない。

半村良の人情話の系譜は宮部みゆきが継いでいってくれるだろうが、
伝奇系の方は、誰か継いでゆく作家が居るのだろうか。
書店のノベルズにはやたらに伝奇的な惹句がはではでしい新人の本が
並べられているが、本当に面白いのは誰なのか、教えてほしい。


[521] 胸騒ぎの月曜日というわけでもなく 2002年03月04日 (月)

短歌をつくらないとならないのに、まったく歌人モードが発動しない。
しかも眠い。
本も読めず、ラジオで落語を聞いていても、いつのまにか、ぼんやりとして
耳は何も聞いていない状態になっている。
精神的に疲労しているのかもしれない。
1990年以来、ここまで、短歌に対して感興が湧きあがってこないのは
初めてのことかもしれない。
困ったことだと思いながら眠ってしまう。
夜中に目がさめて2時間ほど、向井敏の『残る本、残る人』を読む。


[520] 久保田万太郎と灰とダイヤモンド 2002年03月03日 (日)

朝5時に目がさめてしまう。
眠れそうもないので、読みかけだった戸板康二の『久保田万太郎』を読む。
結局、7時前に読み終わった。
万太郎の弟子である戸板康二から見た評伝だが、客観的な距離のとりかた
がみごとで、久保田万太郎という屈折した人間像が読者に伝わってくる。
年譜を追うかたちではなく、「その文学」「その演劇」「その俳句」等と
テーマごとに切り取るという方法が、立体感を増している。
この中で紹介されている獅子文六の文章で、万太郎から、芸術院会員に
なりたければ、自分をはじめとした推薦委員に挨拶してまわれ、と言われ
とても不愉快だったというエピソードは以前に読んだことがある。
やはり、そういうイヤな側面をもっていた人物ではあったようだ。
また、万太郎が戦前にNHKの演芸部長を常勤で勤めていたなどという
話はまったくの初耳で、勉強になった。

午前中はアンジェイ・ワイダ監督の『灰とダイヤモンド』のビデオを見る。
学生時代に名画座で一度見て居るので、2回目になる。
主人公のテロリストのマチェックが誰かに似ていると思っていたら、漫画家
の高橋春男さんにそっくりなのだった。
プロットは単純だけれど、1945年5月8日のポーランドのある町を舞台
にした非情な映画である。
映画の中で、マチェックがホテルのフロントの老人との会話で、1921年
生れだというセリフがある。ということは、マチェックは今生きていたら、
80歳を超えているということになる。

午後は家の中でだらだらすごしてしまう。
ちょっとだけ昼寝をして、夕方から原稿を書き始める。
夕食をはさんで、夜9時過ぎになんとか書き終わる。
布団の中で、中公文庫の小松左京『わたしの大阪』という大阪に関する
エッセイを集めた本を読む。小松左京や戸板康二は文章が巧いので、読み
やすい。
それにしても久々に寒い日曜日だった。


[519] 現実逃避の一日だったかもしれない 2002年03月02日 (土)

書かなければならない原稿の締切がいくつか重なってきているので
田中槐さん主催朗読研究会はまた休まざるをえない。
原稿の参考書を買うということで、まず、神保町の東京堂へ行き、
そのまま、このまえ、東京メディアシティへ行った時に発見した
祖師谷大蔵駅前の古書店に行ってみることにする。
結局、出かけると、書物買物依存症が爆発してしまうのだ。

この古書店、この前は名前をうっかり確認しなかったのだが、ツヅキ書店
という店名である。ブックオフ風の黄色いに「本」と大書した看板で、外
から見る限りは、コミックスと文庫しか見えないので、リサイクル系列の
店に思えるが、中の奥の棚に純文学系の小説と評論が二棚分、ぎっしりと
並べられている。さらに映画・演劇系の本も一棚分あり、これだけでも、
かなりの分量の本があるといえる。
迷いに迷って結局、以下の本を購入。

@岩阪恵子『木山さん、捷平さん』
A戸板康二『浪子のハンカチ』
B戸板康二『俳句・私の一句』
C饗庭孝男『文学としての俳句』
D向井敏『本の中の本』
以上五冊に、彌生書房の現代随想集の中から、永井龍男、福永武彦、桑原武夫
河盛好蔵、吉野秀雄、正宗白鳥の6冊。
あと、雑誌「面白半分」の臨時増刊号「とにかく、吉行淳之介」以上。
完全に買物依存症状態になってしまった。

東京スポーツで昨日の横浜アリーナのWWFの記事を読みながら帰途につく。
メインエベントはクリス・ジェリコ対ロック。
思えば私はロックの父のロッキー・ジョンソンはもちろん祖父のピーター・
メイビアのファイトも見たことがあるのだ。
ロック自身、父も祖父も日本遠征をしたことは知っているはずだから
感慨無量だったろう。TAJIRIの凱旋帰国もあうれしい。IWAジャパン
で、前座をやっていたころから見ていた甲斐がある。

木場駅前で、四時のマンションのバスをつかまえる
ことができた。
しかし、夜は買ってきた本をあれこれ読みちらし、原稿はまったく書けず。
一日、何をしていたのかといえば、現実逃避と答えるしかない。


[518] 夢見るように眠りたい 2002年03月01日 (金)

午前中、勤め先で非常に不愉快な出来事があったが、とりあえず我慢する。
午後は流し気味に時間をつぶすことになってしまった。
それでも、フジテレビへ行ったり、オリンピック取材用のデスクの場所を
現状復帰したり、いちおうは仕事はした。

しかし、いまごろ、横浜アリーナでは生のWWFが開催されているのだと
思うと、気もそぞろになってしまう。
きちんと、チケットを手に入れておけばよかった。
こういう部分のフットワークが悪くなるのは老いた証拠か。

新潮文庫の新刊で、北村薫編のギャラリー・シリーズの「こわい部屋」と
「愛の部屋」を買う。
巻末の北村薫と宮部みゆきの対談がお目当て。
北村薫さんが博識なのは学生時代からよく知っているが、宮部みゆきという
人は、感性的にとても素直な人なんだな、と思う。
これは先週読んだ、山本一力との対談でも感じたこと。
この素直な感性から、あの素晴らしい人情話や現代を撃つミステリイが
生み出されるというのは不思議ではある。

帰宅後は眠くてたまらない。
すぐに寝てしまう。夢見るように眠りたい。


[517] 鐵塔書院という出版社のことなど 2002年02月28日 (木)

バスの中で「彷書月刊」3月号を読む。
特集・「とある出版社の足あと」という中に「鐵塔書院」という出版社の
ことを初めて知る。
この出版社は、小林勇という人が昭和3年に創設し、9年に倒産している。
小林勇は十八歳で岩波書店に入り、いわゆる奉公しながら、編集者として
の才能をあらわし、露伴や寺田寅彦に可愛がられ、岩波茂雄の娘婿となっ
て、岩波隆盛の基礎をきづいた才腕の人。
この人が、労働争議で批判されたのを機に、岩波書店をはなれ、自ら起こ
した出版社が鐵塔書院ということだそうだ。
6年間で百数十点の出版物を出し、寺田寅彦や小泉信三や露伴のバックアップ
を受けながらも、ついに倒産し、また岩波書店に戻ることになる。
小林勇は筆のたつ人で、全十一巻の著作集ももっているのだが、ついに
この鐵塔書院については、書き残していないという。
この出版社の名前も小林勇のことも不勉強で知らなかったので、この文章は
とてもためになった。評論家の小田光雄の文章である。
ネットで小林勇の著書を検索したら、大量に出てきた。つまり、私が無知だ
っただけなのだ。この人の本を読んでみようと思う。
他に、薔薇十字社の倒産のいきさつを綴った川口秀彦という人の文章も
面白かった。
薔薇十字社の本は大学生時代に何冊か買っている。
種村季弘の『吸血鬼幻想』などとてもなつかしい。


[516] 虚実皮膜の実ということ 2002年02月27日 (水)

夜、谷沢永一『雑書放蕩記』と中山信如『古本屋おやじ』を読了。
どちらも読んだ甲斐はある。
俳人の大屋達治さんから久しぶりの電話。
俳人と歌人のワルクチをたっぷり言い合う。

短歌をつくらなければならないのだが、歌人モードに心がきりかわらない。
困ったものだ。
FMWが倒産して、療養中のハヤブサはどうなってしまうのだろう。
プロレスラーとしての復帰はもちろんムリでも、せめて、日常生活にだけは
復帰できるように回復してほしい。
そうなってくれなければ、ケガをした時の相手のマンモス佐々木は救われな
いだろうし、かわいそうすぎる。
プロレスの虚実皮膜の悪い方の実だけが残ってしまうことになる。


[515] 塚本邦雄は奇人が読む? 2002年02月26日 (火)

会社の帰りに、また銀座の教文館書店に行って、岩波書店コーナーを
のぞいてみるが、まだ『批評の創造性』は置いてない。どういうこと
なのだろうか。
本をみているうちに、また買物依存症的な症状がおこって、『幸田文対話』
という幸田文の対談集を買ってしまう。

家族は私以外、まだみんな風邪気味。ちょうど、私の一週間遅れで、みな
に風邪がまわっているということらしい。

最近読んでいる本。
寝る前に谷沢永一の『雑書放蕩記』という、読書体験を中心にした青春記。
独特のべらんめえ調の文体が小気味良い。
この人の世代くらいまでは、まだ旧制高校の学生的な気風が読書傾向にも
残っている。つまり、きわめて難しい本を背伸びして読んでいるということ。

会社の行き帰りのバスで読んでいるのが、
ちくま文庫、中山信如『古本屋おやじ』。
この本は、映画書専門店の看板をかかげる著者のホンネがとても率直で
面白く読める。
古書店主の文筆家の文章のクサミが、この著者あたりになると、むしろ
痛快さに転じている。
反町茂雄、出久根達郎、内堀弘、青木昭美、そして中山信如と、まさに
個性もさまざまである。
同書にこんな一節がある。
「<塚本邦雄>というのは、近所に下宿している学生で、ひと棚あった
 塚本邦雄の歌集を次々と買っていっては、驚くなかれ、実際に読んで
いるらしいのでこう名付けた。従来より、この手の本、集めてるって人
の話は聞くが、読んでるって人の話は聞いたことがないもんネ。まさに
奇人である」


[514] 救急病院24時過ぎ 2002年02月25日 (月)

昨日の夕食時に、史比古が少し気分が悪いと言っていたので、風邪気味
なんじゃないか、とさほど心配していなかったところ、そのあと、嘔吐と
下痢で、あっというまに脱水症状になってしまう。
夜十時過ぎに、タクシーを呼んで、救急治療をおこなってくれる聖路加
病院まで夜の中を走る。
聖路加病院は、日曜の夜更けだというのに、けっこう人がいる。
みんなぐったりしたり心配そうな表情で、要は急病人とその家族ということ。
インフルエンザが流行っているので、我慢できないほどの状態になってしま
って、みんなかけつけてきているのだろう。
病院についたと家に電話しているあいだに、すでに史比古は診察室に呼ばれ
ていた。脱水症状なので、点滴をするということで、一度、待合室に戻った
が、また、すぐに呼ばれてベッドで点滴が始まる。
赤ん坊の泣き声が聞こえたり、老人のうめき声がきこえたりしている。
隣のベッドには、下血が止まらなくてかつぎ込まれてきた老婆が治療を
受けている。「コウケツさん」とよばれているのでたぶん「纐纈」という
苗字なのだろう。国枝史郎の『神州纐纈城』の「纐纈」ということだから
「血を絞る」という意味である。何か不気味ではある。
点滴が終って、史比古もひといきついたようなので、またタクシーを呼んで
築地から豊洲を抜けて、すでに月曜日になった街を枝川へと向う。
豊洲のフォルクスにまだ客が居るのには驚いた。

史比古はいちおう眠りについたが、また、途中で身体がだるくなったという
ので、朝までに二回ほど、薬を飲ませる。
ほとんど眠らないまま月曜日の会社へ出社。


[513] 『砂の器』と『椿三十郎』を見る 2002年02月24日 (日)

今日は日直なので9時30分に会社へ行く。
エレベーターのところで、生放送を終えたイルカさんご一行に会う。
レーティングなのだが、23階はひっそりしている。
とにかく、昼間は会社に居なければならないということで、今日は
ビデオを見ることにする。
まず、松本清張原作、野村芳太郎監督、丹波哲朗主演の『砂の器』。
これは、公開時に映画館で一度、ビデオでも一度見ているので3回目。
しかし、泣ける。
劇場公開された頃はワセダミステリクラフに居たのだが、先輩のSさんが
この映画の加藤嘉のモノマネを得意としていた。
ほとんどセリフはないのだけれど、表情をみごとに模写して突然、泣き出す
という芸は、映画とくらべてみてもみごとなものだった。
丹古母鬼馬二の名前がクレジットにあったので、いったい、どこに出ている
のかと思っていたら、なんと、丹波演ずる今西刑事が、逮捕状をとるために
警視庁で、最後の絵解きをする場面で、並んでいる刑事の一人だった。
背広にネクタイという丹古母鬼馬二は想像もつかないからなあ。

次に黒沢明監督の『椿三十郎』を見る。
これは、昨日読んだ山本一力と宮部みゆきの対談で、二人がこの映画を
何度もくりかえして見たと語っていたので、二人にあやかりたいと思って
見ることにしたもの。
こちらは銀座並木座で一度見ているので、今回が二度目。
対談では、三船敏郎が寝ている部屋の障子を加山雄三や田中邦衛たちの
若侍たちが、何度も開け立てして、焦燥感がつのっていくさまをみせる
場面を褒めていたので、そこを注意してみていたが、やはり、巧い演出
だと思った。
入江たか子とか小林桂樹や伊藤雄之助の役柄のつくりかたも、陰惨な殺し
の多い映画をすくっている。

と、いうことで、映画を2本見て、ちょつと仕事をして、書評を一本書き
会社を出たのが午後5時半。
東京駅行きのバスで銀座まで出て、教文館書店の岩波コーナーで
『批評の創造』を探してみたが、まだ、出ていなかった。
帰宅が6時45分頃。「サザエさん」をやっていた。


[512] 12年前の「豈」が出てきた 2002年02月23日 (土)

ベランダに積み上げてあるボール箱を整理する。
中から古い「豈」が出てきた。
月彦名義の最後の作品になる「卓上の隠者」という40句が「豈」13号に
掲載されている。

・春泥の夢の一泊二日かな
・桃花李花いたるところに詩八病
・春の雁見てゐるあれは与謝蕪村
・亀鳴くと言ひはり孤立してしまふ
・遅き日の古きルーブル紙幣かな
・夜桜に杉本零もゐたりけり
・桃色に染めて前世を春日傘
・逝く春のつひに最後の日暮かな

こんな作品が載っている。
さあ、「恒信風句会」の俳句をつくらなければ。


[511] 2002・2・22という並びの日 2002年02月22日 ()

今日は役員室の消毒が朝あるということで、8時ちょっとすぎに会社へ
行く。消毒に立会い、急いで規程集の袋詰めをやっていると、10時に
なったので、上村さんと一緒にJ-WAVEへ、警備担当者会議に出席
するために出発する。
警備担当者会議での報告はいつも時代の病理にみちている。

今夜は長嶋有さんの芥川賞授賞式があり、駄句駄句会もあるのだが、
「短歌人」の編集会議なので、池袋へ行かなければならない。
鎌倉千和さんが風邪でお休み。
通常の編集打ち合わせ、検討をおこない、楼蘭で食事。
ここでの話題も時代の病理をうつしだしている。

帰りの有楽町線で、「オール読物」の山本一力の「もうひとつの「あかね空」」
というエッセイを読む。
この作家が住んでいる江東区富岡町近辺は私のマンションからはすぐ。
出て来る地名も店の名も知っているものばかりなのも何となく嬉しい。
山本一力と宮部みゆきの対談も、「町方の人間の距離のとりかた」と
いう話題など実に共感できる。
江東区が本格的にブレイクし始めたようだ。


[510] 磯田光一著作集との縁が生まれる 2002年02月21日 (木)

木曜日は矢口真里のオールナイトニッポンスーパーからナインティナインの
オールナイトニッポン・コムがあるので、いつも、システム系でトラブルが
おこる。そのため、必ず早目に帰宅して、会社からのトラブル連絡電話を待
っていなければならない。
寝るときもケータイを枕元において寝ている。
さいわいなことに、今夜はなにごともなかったようだ。

倒産した小澤書店から五冊だけ出ていた、磯田光一著作集が、ある古書店の
目録で10000円で出ていたので、申し込んでおいたのが、当選してしまい、
ボール紙の箱で、おくられてきた。これも縁なのだろうから、磯田光一を読
むことにしよう。
月報を読んでいたら、桶谷秀昭が、毎年の新年に奥野健男の家で、磯田光一
や佐伯彰一らが集まって、新年会をひらいていたということが書いてあった。
何かとてもヘヴィな新年会なのだろうなと思う。
招かれても行けないな、と思う。


[509] 東京メディアシティという異界 2002年02月20日 (水)

SMAP×SMAPの収録は東京メディアシティというスタジオで
おこなわれていた。
ここは祖師谷大蔵駅下車徒歩一五分という辺鄙な場所だが住所的には砧と
いうことになっている。
スタジオがいくつもあり、TBSの番組も同時に収録していた。

こまかく書くのは疲れてしまったのだけれど、驚いたのは、10年前に
学生放送作家として、山田邦子の番組を手伝ってもらっていたS君がメ
イン作家として、全体の構成をしていたこと。
SMAPのメンバーとの会話の様子を聞いていても、信頼されているの
がよくわかる。作家とタレントの信頼関係が成立している番組は面白い。
S君の話を聞くと「めちゃイケ」の構成もしているという。
こんどは「めちゃイケ」に出してもらおう。
ホリプロのマネージャーのSさんにも五年ぶりくらいで会った。
向こうは、まさか、藤原がこんなところに来るとは思ってもいないので
びっくりしていた。

帰り道の古本屋で、向井敏の『書斎の旅人』と『表現とは何か』という
2冊のハードカバーを買う。どちらも500円。


[508] 風邪は残り、風は吹きすぎる 2002年02月19日 (火)

今日は井上眼科であらかじめ眼底検査を受けるために休暇届を出しておいた
ので休み。ただ、まだ、風邪はぬけきっていないようで、節々の痛みと下腹
部の重苦しさは残っている。
眼科に行ったあとで、新橋で短歌の集い。
私の『嘆きの花園』の批評をしていただいたのだが、小劇団の芝居のようで
技術的には高くともその世界に入り込めない、と言われたのは、当たってい
るかも知れない。
小劇団の芝居は私も時々見るのだが、確かに世界に没入できないと、観客と
してはつらいままに時間が過ぎてしまう。
ここは考えどころだなあ。信頼できる人の批評だったので、胸には応える。

・留守電のP音にまた口ごもりニコラ・テスラの孤独のごとし/藤原龍一郎


[507] 吐き気と短歌と買物依存症治療法 2002年02月18日 (月)

下の18日は17日の間違いですね。

月曜日の朝だというのに風邪はもろに悪化していて、吐き気がとまらない。
風邪をひくと治りにくくなり、しかも、吐き気が襲ってくるというのが、
最近のパターンになってしまったようだ。
二度ほどトイレに吐きに行くが、胃液しか出ない。

吐き気を我慢しながら、フジテレビのディレクターに短歌をメールで送る。

当然、休みたいところなのだが、今日はどうしても休めないのでタクシーで
会社へ行く。
9時10分に会社に着き、10時には病院へ向う。
ゆりかもめ、京浜急行と乗り継いでいるあいだも吐き気がとまらない。
Tクリニックで点滴をしてもらう。
なんとか楽になる。
会社へもどる。サンドイッチを少し食べて薬を飲む。
5時半になるのが待ち遠しい。
やっと5時半になったので帰る。

石井辰彦さんが日記で、自分もCDに特化した買物依存症かもしれないと
書いていらした。私は今日気がついたのだが、風邪をひくと、古本の匂い
がイヤになる。実はネットで注文しておいた古本が、今日、会社に届いて
いたのだが、今日ばかりは開く気になれない。
病気になると買物依存症が治るというわけだ。


[506] 15年ぶりに「犀」の仲間に会う 2002年02月18日 (日)

朝起きても風邪の症状は治っていない。
むしろ、ダルさが増している。
今日は午前中に俳句同人誌「犀」20周年のための座談会。
午後は首都の会なのだけれど、とても一日中、集中力を持続できそうもない。
「犀」の方は、こちらのスケジュールにムリにあわせてもらったので
まさかキャンセルすることはできない。
田中槐さんに電話して、首都の会を休ませてもらうことにする。

喫茶店の談話室で「犀」の桑原三郎さん、渡辺澄さん、金子弓湖さんと会う。
桑原さんとは、ここのところ、三橋敏雄さんの「いろはカルタ」の会や
追悼会でお目にかかっているが、澄さん、弓湖さんとは15年ぶり。
まったくお二人の外見が変化していないのに驚く。
話はじめるとすぐに時間が経つ。
「犀」創刊時の話、その後の話など、みんなけっこう記憶がバラバラ。
なにしろ、20年の時間の流れというのは容赦がない。
驚いたのは「犀」の創刊時に桑原三郎さんはまだ40代だったということ。
今の私より若いわけだ。
赤尾兜子の俳句をもっときちんと再評価するべきではないか、という話も
する。

午後一時半まで話がはずみ、帰宅する。
やはり、しゃべっている最中は、興奮しているので風邪のつらさは薄れて
いるが、一人になると身体じゅうの関節が痛い。軽いはきけもする。
家についたのが三時前だったので、フェブラリーステークスの馬券をPAT
で買う。トーシンブリザードからの流し馬券。石崎騎手がアグネスデジタル
の二着にもってきてくれたので、いちおう的中。
これで風邪さえなおればいいのだが。


[505] 渋谷で読書会のあと風邪をひく 2002年02月16日 (土)

渋谷で岡井隆歌集『斉唱』の読書会。
出席者は田中槐さん、浅羽佐和子さん、並木夏也さん。
小人数だが、世代がちがうので、選歌も異なり、刺激的な話ができる。
『斉唱』を通読したのは、これで五回目くらいだとは思うが、やはり、
二十代でこれだけの歌集を出す歌人というのはスゴイと言わざるをえない。

・マッチ擦るマッチする 蜂どもを暗い夜明けの天に放つため/岡井隆

あらためて、岸上大作が『斉唱』からいかに語彙や発想を換骨奪胎してい
るかということを感じた。
それは、当時の岡井隆がいかにその下の世代に影響力をもっていたかの証拠
でもある。

『斉唱』のほかに、自分の最近作をもちよっての批評もおこなう。
私は「短歌往来」2月号の特集テロリズムに出した「市民A」五首を
批評してもらう。
世界貿易センタービルの中にたまたまテロ時に居あわせた市民Aとしての
自分を仮想するというものだが、やはり、詠う必然性という点で、田中槐
さんから厳しい意見が出た。
話しているうちに思い付いたのは、こういう主題に向う時、自分の既成の
発想の範囲で、手軽に詠んでいる限り、主題を咀嚼した歌はできない。
もしかすると、自分がいままでに一度も使ったことのない言葉で歌をつくる
という姿勢が必要なのではないか。
このことは考え続ける必要がある。

二次会には行かずに帰る。
ところが途中の半蔵門線の中で身体がだるくなり、冷や汗が出てくる。
帰ってきたら、風邪の症状が出ている。ガクゼン!


[504] 寒い寒い寒い一日 2002年02月15日 (金)

寒風吹き荒ぶというより空気そのものが冷え切っているような一日。
土日とも予定が入っているので、風邪だけはひかないようにしなければ
ならない。
キャノン販売の営業の小沼君にエクセルの使い方を教えてもらう。
里谷多映の凱旋帰国ということで、18階のレストランDAIBAが
13時過ぎから貸し切りになる。
社長賞も出たそうだ。
寒くならないうちにということで、5時半になったらすぐに帰宅。
家でたまっていた手紙を書いたり、原稿を書いたりする。
夜更けの空気はさらに冷えている。


[503] バレンタインデイという擬態 2002年02月14日 (木)

何故か週末に向って、原稿に限らずいくつもの締切が重なってきた。
村井康司さんの『ジャズの明日へ』を読み終わる。
知らない世界のことを書いた本なのに、これだけ面白く読めるとは思わな
かった。これは、著者の文章のうまさと思ったことが明晰に自分でわかっ
ていて、それを伝える能力が傑出している証拠だろうと思う。
ジャズの世界のここ半世紀の興亡とそれぞれの試行錯誤は、たとえば、
プロレスの世界にも短歌の世界にも置き変えて考えることが可能だと思う。
そういう考えをとめどなく展開してみたくなる刺激がこの本にはみちている
ということだ。良い本を読んだ。村井さん、ありがとう。

そういうわけで、ハードカバーの本を読み終わった勢いでブックオフへ行く。
吉行淳之介がむかし「月刊カドカワ」でおこなっていた掌編小説のコンテス
トの入選作を集めた『蓮池』という角川文庫を100円で買う。
この本は第二集で、第一集は『狂気の血統』というらしいので、探してみよ
う。ショートショート集だが、星新一のそれとはまた異なった味があり、
さすがに吉行淳之介が選んだという変な面白さがある。
1980年代というのは、やたらに色々な文庫が出ていたんだな。
ブックオフにはその1980年代の夢の残骸が死屍累々ところがっている
わけである。そして私はハゲタカかハイエナですかね。


[502] 猛スピードな一日 2002年02月13日 (水)

今日買った本
長嶋有『猛スピードで母は』
今日買った雑誌
『文藝春秋』 芥川賞発表号
『文学界』長嶋有・川上弘美の対談掲載
ということで、長嶋有さんがらみのものばかりでした。

エスプレッソリーディングの村井康司さんの朗読の手法が興味深かったので
村井さんが何をどう感じる人なのかもっと知りたくなって、氏の著書の
『ジャズの明日へ』(河出書房刊 1800円+税)を一昨日から読んで
いる。文体にもジャズのそれぞれのシーンへの分析でも、評論家的には
ならないシャイな感性が見え隠れしていて飽きない本。
私はジャズの知識は皆無に近いが、ある表現の進化ということで、詩歌朗読
に重ね合わせて読むことができる。
この本は大きな本屋さんの音楽の本のコーナーやCD店の書籍コーナーには
置いてあるので、朗読にさらに積極的に取り組もうとしている人達には
オススメしたい。


[501] 全体重の実感 2002年02月12日 (火)

新聞休刊日だというのに、産経新聞は100円で駅売り。他の四紙は宅配。
奇妙な新聞戦争の連休明け。

東京会館で「山藤章二のブラックアングル25年・全体重」の出版記念会。
いままで出た、この種の会の中でも、出席者がもっとも多岐にわたっている
と思う。
司会は「週刊朝日」の編集長だったが、緊張していて可愛そうなほど。
最初の挨拶を朝日新聞社の社長。次にいきなり著者の山藤さんの挨拶と
いう意表をついた展開。
乾杯の音頭は、山田太一。
私は、会場に入ってすぐ、放送作家のベン村さ来君をみつけたので、ずっと
彼のそばにいる。立川佐談次、松尾貴史、林家たい平、吉川潮、橘右橘、
島敏光、浜美雪、木村万里、玉置宏といった人達が、高田文夫さんを中心に
集まっている。
演芸テーブルまたはイロモノ・テーブルである。
前田燐さんが、刈り上げに薄いサングラスというとてもカタギとは思えない
かたちでやってくる。
スピーチをしたのは、小泉純一郎、久世光彦、砂原TBS社長、阿久悠、
山下洋輔、筒井康隆、高田文夫とその一党。清水義範、毒蝮三太夫、吉田義男
崔洋一とかいった高名なひとたち。
スピーチなしでも、沢田隆二、小田島雄志、テリー伊藤、イッセー尾形
亀渕昭信とか、マスコミ露出の多いひとたちがそこここにいる。

『全体重』はブラックアングルの25年の全作品を収録してしまったという
常識をうちやぶった本。
じっくりながめるだけでも、25年の歳月がパノラマ視現象となる。


[500] 日本は誰がつくったのか、建国記念の日 2002年02月11日 (月)

朝六時に目が覚める。
モニターのスイッチをひねると「中年探偵団」のオリンピック特集が、
ちょうど、時報とともに始まるところだった。
着替えてから、自分の席に戻る。
昨夜、散らかしたままの本類をまた整理して、キャリーバッグに詰めなおす。
七時になったので社屋の二階にあるラポルトという食堂へ朝食を食べに行く。
焼き魚定食に納豆をつけてもらう。
警備関係の人達が、十人くらい朝食を食べている。

十時に帰宅。
会社から持ち帰った本をベランダに置いてある段ボールの箱に詰め変える。
ここがあふれると、また、寺田倉庫のトランクルームに預けることになる。
インターネットで、サイトをのぞくと、エスプレッソリーディングに関して
さまざまな感想が出てきている。
私は今回のものは、適正規模のライブで出演者の表現意志も明確で、
気持ちの良いあとあじだったと思う。

河出文庫の『シャーロック・ホームズ17の楽しみ』というシャーロッキアン
の研究やパスティーシュを集めた本わ読んでいるうちに眠くなってしまう。
昼寝から起きたのが、午後4時。
原稿のために何冊かの歌集をポストイットを貼りながら読む。

夜、「ラジオ名人寄席」で先々代春風亭柳好の「大工調べ」を聞く。
書棚から、村井康司さんにいただいていた『ジャズの明日へ』を取りだし
読み始める。ジャズの知識はほとんどないので、いただいた直後に、前書き
部分を読んだだけで、そのままにしておいたのだが、読み始めると、一気に
読み進める事ができた。文章がわかりやすく、面白い。
今回は一気に読了できるだろう。


[499] 読まずに死ねるか、死ぬまでに読めるか 2002年02月10日 (日)

馬券が当たらない。今日は完敗だった。
推理のツメがあまいということだ。後藤浩輝騎手が今日は「一番」の鉢巻き
で、勝利ジョッキーインタビューに登場していた。アメリカに単身で遠征し
た後藤が、こんどは、ショウマンシップを取り入れようということだろう。
JRAが無粋な注意などしないことを望みたい。

午前中は本の整理。買った記憶だけあって、どこへしまったかわからなく
なっていた本をだいぶ発見した。ただし、いつ読めるかはわからない。
そのあと図書館に本を返しに行く。
午後、少し原稿を書いて、夕方から宿直のために会社へ行く。
ロビーに「銅メダル、おめでとう、里谷多映さん(フジテレビ社員)」という
立て看板が飾られていた。

会社にも大量に本をもちこんであるので、夜はひたすらその整理。
また寺田倉庫トランクルームのお世話にならなければならないのかな。
お台場の夜は妙に静かである。
午後11時には宿直室にはいる。いつのまにか眠ってしまっていた。


[498] エスプレッソリーディングな土曜日 2002年02月09日 (土)

代官山でエスプレッソリーディングというイベントがあるので聞きにゆく。
メンバーの顔ぶれや場所の設定が案外、詩歌朗読には重要な要素になると
思っているのだが、今回はその点でたいへん期待できそう。
そして、その期待感は裏切られなかった。
個々への詳しい感想は掲示板「抒情が目にしみる」の方に書いたので、
興味があるかたは、お読みいただきたい。
客席の方も宮崎二健さん゜ギネマさん、東人さん、振り子さん、
田島邦彦さん、穂村弘さん、なかはられいこさん、倉富洋子さん、
それからお顔を知らなかったのですが、寮美千子さんもいらっしゃつた
ようで、かなり質量ともにエスプレッソ状態でした。

風邪気味なのと寒風が吹いていたので、うちあげもあまり残らずに、
田島邦彦さんとむ帰る。
と、言いながら、東京駅の八重洲地下街に寄り道して、八重洲古書館で
冬樹社版の『山川方夫全集』第一巻が端本で1000円だったので購入。
山川の処女長編「日々の死」と中編「歌束」が収録されている。
この二作は現時点では、全集でしか読めない。
八重洲ブックセンターの正面ウインドーに長嶋有さんの『猛スピードで母は』
のポップが長嶋さんの写真入りで大きくディスプレイされている。
「シナリオ」を買い、柴田千晶さんのインタビューと「ひとりね」の
シナリオを読む。充実した土曜日と言っても良いかな。


[497] わたしは浮気な読書人 2002年02月09日 (金)

トラブルがあって、ほとんど眠らずに出社したので、もう、まったく何も
ヤル気がない。三連休をひかえているので、風邪が悪化しないように気を
つけるだけである。

今週読み終わった本は、野口冨士男『相生橋煙雨』、杉森久英『戦後文壇
覚え書』、あと中村うさぎの『だってほしいんだもん』。
読みかけの本は石川桂郎『俳人風狂列伝』、村山古郷『俳句もわが文学』、
平畑静塔『平畑静塔俳論集』、『シャーロック・ホームズの秘密ファイル』
などなどいろいろ。
「読み始めた本は必ず読み終わる」という田中槐さんの言葉を肝に銘じて
いるのだが、なかなか気移りばかりで思うようにはいかない。

「コスモス」の鈴木竹志さんがネット上で、英文和訳クイズを出していた
和英対訳斎藤史歌集『記憶の茂み』を小池光さんが送ってくれる。
わかりそうな部分だけ拾い読みする。

さあ、明日は楽しみにしているエスプレッソ・リーディングだ。
眠いので寝る。


[496] わけあって朝5時まで起きている 2002年02月07日 (木)

ネットの古本屋で注文しておいた村山古郷著『俳句もわが文学』の正続完の
三巻本が届く。
いわゆる文人俳句を丁寧に解説した本。村山古郷さんは文章が読みやすい
ので、三巻本でも、そう時間がかからずに読み終わることができそうだ。

一度、寝床に入ったのだが、電話がかかってきて、そのまま、朝5時まで
起きていた。
さすがに50歳になって、徹夜はつらいわ。

石川桂郎、村山古郷、平畑静塔の本を拾い読みしたり、パソコン版の
ダビスタを遊んだりして時間をつぶす。ゲームとはいいながら、ぜんぜん
クラシックレースが勝てない。
支離滅裂の気持ちのままに夜明けはまだなのか!


[495] 私の景気も右肩下がり 2002年02月06日 (水)

会議ばかりで疲れてしまう。
ネットの古本屋で注文しておいた、石川桂郎の『俳人風狂列伝』と
平畑静塔の評論集が届く。
『俳人風狂列伝』の方には、吉屋信子の『底のぬけた柄杓』に書かれている
俳人とダブった俳人が何人かとりあげられている。
たとえば、高橋鏡太郎もその一人。
吉屋信子の筆の方がやさしさがある感じがするが、石川桂郎の方が実像に
近いのかもしれない。
しかし、山頭火、放哉にとどまらず、前記の高橋鏡太郎、岩田昌寿
田尻得太郎など、奇人・変人が多いのはなぜだろうか。
歌人で風狂列伝を書くことができるだろうか。

とにかく、風邪のけがぬけない。
ラジオ名人寄席で、栗友章二、南道郎という珍しい漫才のテープを
流しているというのに、途中で眠ってしまった。
まさに、演芸マニアとしては不覚このうえない。
バイオリズムが右肩下がりになってしまっているようだ。


[494] わたしが本を買う理由 2002年02月05日 (火)

昨日の日記に、私は本に特化した買い物依存症かもしれない、と書いた。
では、どういう動機で、本を買うのか考えてみた。

@すぐ読みたい本だから。
Aいつか時間ができたら読みたい本だから。
B読まないかもしれないが、手元に置いておきたい本だから。
Cこんな本が出ていたことを知らなかったから。
D一度は読んだ本だけれども、手放してしまっていたので、再び手元に
 置きたいから。
Eすでに持っている本だけれどもブックオフの100円の棚に置かれている
 のを見るにしのびないから。
F本来はとても珍しい本なのにバカなブックオフが100円の棚に並べて
 いるから。
G本のカバーや帯などのバージョンが違うものをみつけたから。
H誰かが探しているのを知っていたので、買い置きしておくつもりで。
I千円札をくずしたいから。
Jとにかく何でもいいから本を買いたいから。

というような理由でわたしはブックオフで本を買っています。


[493] わたしはなぜ本を買うのか 2002年02月04日 (月)

よその会社の噂を聞いても、景気が悪いんだなあ、と、しみじみ思う。
シャレにならないほどの景気低迷、あまり、こういうことは書かない
つもりだったのだが、夜風とともに身にしみる。

久しぶりに、退社後のバスに乗りっぱなしで門前仲町のブックオフへ行く。
今年になって三回目くらいかな。
棚のレイアウトが変わっていたので、新しい本が入っているかなと思って
こまかくチェックしたら、やはり、けっこう収穫があった。
100円コーナーが゜広くなったのもうれしい。
結局、100円本のみ、二十冊も買ってしまった。
種村季弘の河出文庫『ぺてん師列伝』とか澁澤龍彦の『スクリーンの夢魔』
とか、ついつい買わずにはいられない。
そこで思ったのだが、私は本に特化した買い物依存症なのかもしれない。
ブックオフに行くのはバーゲンセールに行くのと同じ心理なのだろう。

帰宅して、風邪気味なので、買った本を読むこともなく、薬をのんで
眠ってしまう。
たぶん、買うだけで満足してしまっているのだろう。


[492] ちょっと文芸的な日曜日 2002年02月03日 (日)

e短歌サロン↓で開催されていた飯田有子歌集『林檎貫通式』の批評会が
終了した。
http://www.sweetswan.com/cgi-bin/yp/ypbbs.cgi
密度の濃い批評の言葉が交わされ、教えられることが多かった。
フリー参加であるので、途中から次々に新しい視点を言葉にして参加して
くる人が、議論の膠着を別方向へ誘導していく。
まさに、ロイヤルランブル的なスタイルは読んでいるだけで刺激になる。
私としては、かなり早い時期に穂村弘さんから「飯田有子の劇的な変化に
 大きなショックを受けた」という言葉を聞けたことで満足してしまった。
この期間、司会進行を続けたぽっぽさん、本当におつかれさまでした。

日曜日だというのに、朝5時前に目がさめてしまったので、本を読む。
野口冨士男『相生橋煙雨』滝田ゆう『滝田ゆう名作劇場』白州正子『遊鬼』
等など。滝田ゆうの本は、講談社漫画文庫。さまざまな作家の短編小説を
滝田ゆうが漫画化したもので、ほりだしもの。漫画文庫なので、他の漫画
にまぎれてしまって、本屋でみつけにくいのが残念。
本当はこういう本は、講談社文芸文庫で出すべきなのだ。
印象に残ったのは、畑山博原作「こま」、吉行淳之介原作「深夜の散歩」
木山捷平「苦いお茶」、藤原審爾「タワリシチ・アコーシャ」など。


野口冨士男の「相生橋煙雨」は、藤牧義雄という昭和10年に二十五歳で
失踪した画家の「隅田川絵巻」という作品をポイントにして、15年戦
争のふかまりゆく時代の芸術家たちの心理を探った中篇。
門前仲町から越中島あたりという、私の住んでいるエリアが出てくるので
読みながら情景が浮かんでくる。
この本には、他に四本の短編小説が入っているが、やはり表題作がもっとも
読み応えがある。ただ、先週読んだ「夜の烏」などと構成、展開が似ている
のは否めない。小説の巧さより、書かれているモデルの方に興味をひかれて
いるだけなのかもしれない。

競馬は完敗。残念。


[491] 明日は雨だと予報はいうが 2002年02月02日 (土)

久しぶりに土日ともに出かける用事がない週末。
同人誌「豈」に載せてもらう「ハイク・ボンバイエ!激突五十番勝負」なる
原稿を一日じゅう書き続ける。
途中、ちょっと息抜きに、自転車で東陽町図書館に行き、野口冨士男の
『相生橋煙雨』という短編集、杉森久英の『戦後文壇覚書』という回想集
などを借りてくる。
図書館の先の永代通をわたった裏の小道にお地蔵さまがあるのだが、そこで
ジャンパー姿の男が、道の方を向いたまま、お経らしきものを唱えていた。
意味不明ではあるがインパクトはある。

夜、「めちゃイケ」を見る。
「笑わず嫌い王」なので面白く見られた。
先月の30日に掲載された産経新聞の夕刊のコラムに中川家をほめて
日常の中から笑いを拾ってくるセンスが良い、と書いたのだが、間違って
いなかったのでほっとする。


[490] ネットワークに涙の雨が降る 2002年02月01日 (金)

設備投資計画の会議で午後いっぱい会議室にこもらされる。
途中でネットワークのトラブルが起こったとの情報。
会議が終って、一度、LANが回復したのだが、まもなく、またダウン。
関係各所に連絡をとり、ひたすら回復を待つ。
ネットワークの責任者といっても、ひたすら回復を祈るだけなのだから
昔の持斎みたいなものではないか。
それで、回復が遅いと怒られたりするわけだ。

会社に置きっぱなしにしてある文庫の中から戸板康二の『すばらしいセリフ』
を持ち帰る。
帰宅後は一週間の疲れが、どっと出る。

砂子屋書房から寺山修司短歌賞と河野愛子賞の候補歌集の推薦状が
来ているので、私なりに選択して、返事を出さなければならない。
同じく現代歌人協会賞の候補歌集推薦も返事を出すことになる。


[489] 両岸に両手かけたり日向ぼこ 2002年01月31日 (木)

表題は斎藤愼爾氏の俳句。

昨日、強硬なクレームの電話をかけてきた人からおわびの電話があった。
やはり、お互いの言葉を理解しようと努めれば、無用な誤解は解消でき
るということか。心の闇に少しでも薄明が点るだろうか。

全体的に会社に居る人の人数が少ない。
また、一人で資料をつくり続ける。
Kさんが本日付けで定年。ただし、契約で1年間は残ってくれる。

今夜もことのほか寒い。
先日、古書店でみつけた吉屋信子の『底のぬけた柄杓』から富田木歩と
岡本松浜を読む。
夜明けに一度目が覚めるがまだ真っ暗。
「夜中に起きても、もう一度眠れる幸福」という山口瞳の小説に書いて
あった言葉。一度起きてしまうと、あとの眠りは浅くなる。
サラリーマンとして今はあまりシアワセではないということか。
とはいえ、それは私に限ったことではないし、私の不安感などましな方
なのだとはわかっている。
両岸に両手がかかっているか?


[488] 俳諧はほとんどことばすこし虚子 2002年01月30日 (水)

表題は筑紫磐井氏の俳句。

会社では一日中資料つくりなのだが、ときどき、クレームの電話などが
かかってくる。その対応も私がおこなうことが多いのだが、不愉快とい
うより、相手の心の中にわだかまっている闇に暗澹とすることが多い。

夜になると急に寒くなるので、風邪をひかないように気をつける。
まもなく2月になる。この一ヶ月なにをしただろうか。
ちょっと厭世的になりがちな昨日今日である。


[487] 昔男ありけり雪の墓なりけり 2002年01月29日 (火)

表題は大石悦子さんの俳句。

ネット上で注文しておいた松崎天民著『銀座』が古書店から届く。
一九九二年に中公文庫から出たものだが、あまり部数はでなかったのだ
ろうか。同じく中公文庫から出された、安藤更生の『銀座細見』と共に
いわゆる昭和初期のモボ・モガ時代の銀座の風俗的、考現学的な本。
結局、私の読書のベクトルは、こういう方向へ向いていくのだな、と
思った。それでいいのだと思う。

会社では、私のいちばん苦手な予算の時期なので、なんとなくつらい雰囲気。
世の中にはさまざまな心の闇を抱え込んだ人がいる。

松崎天民の『銀座』を布団の中で読み始めたら、10時前に眠ってしまって
いた。


[486] 着膨れてなんだかめんどりの気分 2002年01月28日 (月)

表題は正木ゆう子さんの俳句。

今、『現代俳句100人20句』をアタマから読んでいる。
「ホトトギス」系などのバリバリの伝統派の作品にも意外と変な魅力を
ふくんだ句があるものだな、とあらためて勉強になる。

会社では午後ずっと会議だった。
さすがに疲れる。狭い部屋にこもっていることは別にイヤではないが
会社という空間では、疲労感が増加する。

やはりまだ寒さがきついので、気をゆるめて風邪をひかないように
しなければならない。
土曜日のポエトリーリーディングに関して、石井辰彦さん、松井茂さん、
松原未知子さんの書き込みを読む。
やはり、松井茂さんが試みたサンプリング音声と手話という方法に最も
興味がわく。

一月もまもなく終りだ。予算委員会はあいかわらず混乱している。


[485] 血の滲むバンドエイドの匂い 2002年01月27日 (日)

午前中は雨、午後は急に暑いほどに日が差し、夕方以降はまた寒風。
目白で首都の会に出席。これで五ヶ月連続で出席できた。

やわらかき部分のことは内密に 血の滲むバンドエイドの匂い/田中槐

この歌を私は世界の状況を詠んだものと読んだのだが、下句の比喩は巧い。
とうぜん上句は岡井隆の「権力のやわらかき部分見ゆ」が踏まえてある。
この本歌取りは、現時点でおこなう意味がある。

昨日から長嶋有さんの『猛スピードで母は』を探し回ってもみつからない。
東直子さんに聞いたら、二月十四日に発売延期になっていたのだそうだ。
帰って来たら、掲示板にも村井康司さんが、同じ延期情報を書き込んで
くれていた。
一冊の単行本の刊行がこんなに待ち遠しいのは久しぶりのこと。

夜、少しだけ「豈」掲載予定の原稿を書く。
白州正子『遊鬼』より表題の「遊鬼--鹿島清兵衛」というエッセイを読み
眠りにつく。


[484] 土曜日、曇りがち、読書、競馬など 2002年01月26日 (土)

習字の先生のところへ行くかの子と一緒に、自転車で東陽町へ向う。
深川郵便局の前でわかれて、私は郵便局で書留郵便を出す。
土曜日の郵便局というのは、独特の雰囲気がある。
私のあとに並んだ人は、内容証明郵便の手続きをしていた。

そのままマツモトキヨシに寄り、マーロックスプラスと目薬を購入。
ビデオショップ兼リサイクル系古書店をのぞいて三冊購入。

『ウイアード4』青心社文庫  100円
ポール・オースター『スモーク&ブルー・イン・ザ・スカイ』新潮文庫100円
辻邦生『夜ひらく』集英社文庫 200円

そのあと長嶋有さんの『猛スピードで母は』の単行本を買いに、東陽町の
文教堂に行くが、まだ置かれていない。
しかたがないので、東陽町図書館へ行く。
ここのところ掲示板に書き込みにきてくださっている渋茶庵さんやかねたく
さんの、読書系ホームページの影響で、日本人の渋い作家の本を探す。
木山捷平は一冊もなく、小沼丹は作品集が全巻そろっている。
野口富士男の本も比較的数多く並んでいる。

借りた本
野口富士男『散るを別れと』
野口富士男『感触的昭和文壇史』
鈴木信太郎『記憶の蜃気楼』

『散るを別れと』のみ読了る
三つの短編の入った作品集だが、井上唖々という荷風のかげにかくれて
忘れられた作家を書いた「夜の烏」という短編が心にしみる。
舞台がほとんど江東区なのも、なんとはなく親しみをおぼえる。

読書の途中で買った馬券は一勝二敗。

夜、すでに締めきり日をおくれている「豈」の作品を書く。


[483] 人が見たら蛙になれ、とか 2002年01月25日 (金)

金曜日というのは原則として私は元気なのだけれど、今日は書類つくりなど
私のいちばん嫌いな作業があるのでうんざり。
昨日つくったオリンピック取材用のデスクも確かに窮屈ではある。
管理セクションの考え方では机上の空論になるし、現場の意見尊重では
結局わがままなセクショナリズムになってしまう。
そこをどう折り合いをつけるかが問題なのだが、なかなか巧くはいかない。
特に現場からではなく、私の属する管理セクション側からクレームがつくと
むやみに腹が立つということを本日は実感した。

心を静めるために白州正子の『遊鬼 わが師わが友』(新潮文庫)を買って
寝る前にひろい読みする。
はずかしながら、白州正子の本を買うのは初めてである。
さすがにブックオフにはめったに出ない作家なのも当然だと思う。
少し心がおちついてくる。
「人が見たら蛙になれ」というのが青山二郎の言葉だったことを知る。


[482] 霙ふる溝口健二 みやこは遥か 2002年01月24日 (木)

勤め先の18階にある食堂で昼食を食べおえて、出ようとしたら入ってきた
小柄な女性に挨拶された。
ふと見ると、早坂好恵だった。そういえば、彼女は今日の
「ラジオ・ビバリー昼ズ」で、清水ミチコの代わりにアシスタントをやって
くれていたのだった。
月曜日には札幌から上京してきていたドン川上も出演していた。
ビバリー昼ズファミリーといった感じで、いまでも、交流できるのは嬉しい。

まもなくソルトレークシティの冬期オリンピックが始まるので、スポーツ部
の一部を改装して、オリンピック・デスクをつくる。
イトーキの施工さん、営業さんとともに、二時間くらいで終了する。
二階の食堂で一人で夕食を食べて帰宅。
何本か電話をかけて雑事をこなす。
田島邦彦さんにも電話すると「開放区」の原稿、もう、今夜中でないと
まにあわない、デッドエンドは明日の朝6時と宣言されてしまう。
必死で文章を書き、短歌をつくる。
ようやく、夜更けに眠ることができる状況になる。寒い夜更けだ。

・霰うつ荒木経惟、霙ふる溝口健二 みやこは遥か/秋谷まゆみ


[481] 続けてよおとぎ話の最後まで 2002年01月23日 (水)

去年の暮れの二十九日に購入して、通勤退勤のバスの中でだけ読み続けて
いた、川村湊著『日本の異端文学』集英社新書を読み終えた。
買う本は多いのに、読み終える本が少ないのは情けないが。
川村湊は私と同じ世代なので、読書体験もよく似ている。
一九六〇年代の後半に始まった桃源社の小栗虫太郎や橘外男の小説の再刊や
三一書房の夢野久作、久生十蘭の作品集とリアルタイムで出会えたことは
幸福だったのだな、と今になって思う。
この本は新書ということもあり、異端とよばれる作家とその作品の意味を
わりと平易に分類し、さのポイントを抽出してくれているので、読みやすく
面白い。
ユニークだなと思ったのは、橘外男と日影丈吉の作品を満州と台湾という
それぞれの外地体験という視点からの読み解き。
あるいは渡辺温と尾崎翠をそれぞれ姉への視線、妹への視線というポイント
で、解読しようとしているところ。
ちくま文庫か河出文庫が渡辺温の作品集を出してくれると嬉しいのだが。

・続けてよおとぎ話の最後まであわだて卵の角が立つまで/飯田有子


[480] オンデマンドいろいろ 2002年01月22日 (火)

さすがにぐっすりと一晩眠ったので、疲れはぬけていた。
去年まではこういう時にムリをして、風邪をよびこんだりしていた。
インフルエンザがまたまたはやりはじめているようだ。

「短歌人」の編集会議の日なので、退社後、急いで池袋へ行く。
まず、ジュンク堂へ行って、6社共同オンデマンド出版リキエスタの
松崎天民『東京カフェー探訪』と水島爾保布『新東京繁盛記』を購入。
一冊1300円+税。
年末に乃村工藝社のオンデマンド出版で句集『矢島家』を買ったのだが
これは送料も入れて2500円近くの値段で、ちょっと高過ぎる気がした。
リキエスタも装丁がちょっとジミすぎる気もするが、内容選択がいいので
まあ、この手で出し続けてくれるなら、買いつづける気もする。
これらから考えると「歌葉」シリーズは装丁も値段も、よく頑張っている
と思う。続刊はでないのかな?
歌葉は5冊くらいずつ年数回ずつたたみかけて出版したほうがインパクトが
あると思うのだが。


[479] 時には心ふかく沈み込み、 2002年01月21日 (月)

土、日と出かけていたのでなんとはなしに疲労感が全身に残っている。
やはり、敬慕していた歌人、俳人の死が連続している精神的なショックも
あるのかもしれない。
気がつくと、自分が短歌や俳句を読み始めた頃の、そういう歌人・俳人
よりも年上だったり、同年齢になりかけていたりする。
いままでに自分が何をなしえたかと思うと、やはり、心深く沈みこまざ
るをえない。
本当は原稿を書かねばならないのだけれど、無理をせずに眠ることにする。
9時半に布団に入り、10時前に眠っていた。


[478] 言葉たちのマスゲーム 2002年01月20日 (日)

小池純代『梅園』を読む。
ためいきが出る。
言葉をここまで自在に使いこなせたら本望だろう。

悪甘を切に欲してゐたりけり別腹といふむなしきこころ/小池純代

「短歌人」新年歌会。思えば、昨年の新年歌会が、元気な高瀬一誌さんを
人前で見た最後だったのだ。
前半の司会を担当するが、出席者が150名をこえているので、捌くだけ
でせいいっぱいになってしまう。
できるだけ多くの人に発言してほしいのだが、なかなか、うまくまわせない。

2002年の短歌人賞は宇田川寛之、阿部久美の二名。

マンションの契約更新する晩夏ふたり暮らしは濃度を増せり/宇田川寛之

かなしいと言った途端にゆがんでる かなしかったとまた、言い直す/阿部久美


[477] お台場から渋谷へ向う週の終り 2002年01月19日 (土)

岡井隆の最初期の歌集『O』を読む会が渋谷である日。
午前中、電話関連のトラブル処理のために会社に行っていたので
お台場からゆりかもめで新橋、銀座線に乗換えて渋谷へと直行する。

少し時間があったので、あまり行かない東急会館側へまわってみると
渋谷古書センターという古書店があった。
・購入本
・丸谷才一『雁のたより』朝日文庫    200円
・金子兜太『感性時代の俳句塾』朝日文庫 200円
・松本清張『清張日記』朝日文庫     250円
・吉屋信子『底のぬけた柄杓』朝日文庫  200円

『O』を読む会の出席者は田中槐、松原未知子、岡崎裕美子、岡田幸生
錦見映理子、村田馨、野原亜莉子、フジワラの八人。
あらためて、「アララギ」の模写という方法の効果に私は思いを巡らせた。

・構想はゆたかなる青にかかはりて夕あけらけき竹群と水/岡井隆

これが10代の作品というのも驚きではある。

帰宅すると掲示板に花森こまさんから「佐藤鬼房逝去」の知らせ。
昨夜の「三橋敏雄を偲ぶ会」に出席されていた鈴木六林男さんや桂信子さんに
とっては、大きなショックだろうと思う。
布団に入っても、なかなか寝付かれなかった。


[476] さまざまな夜をこえて 2002年01月18日 (金)

水上署の武道始に行く。
丸の内署と同じく柔道と剣道の試合。
柔道は一本勝ちが多くて、見ていてわかりやすかったが、剣道の方は
シロウトには有効打と無効打のちがいはわからない。
模擬逮捕訓練もあった。
これは、交通違反の取締をしている婦人警官に、男がからみ、合気道を
基本とした逮捕術でつかまえる、というもの。
犯人役ももちろん警察官がやるのだが、チンピラとその兄貴分の二人は
そのままヤクザで通用するスゴミがあった。
昔見た「県警対組織暴力」という映画で、刑事役の菅原文太が、
ヤクザになった中学の同級生を逮捕して「オレたちにはおまえのように
なるか、おれみたいになるかしか道がなかった」と自嘲的につぶやくシーン
などを、ついつい思い出してしまった。

そのあとプレスセンター10階の「アラスカ」でおこなわれる
「三橋敏雄を偲ぶ会」に出席。
村井康司さんが立礼に立っていた。
高橋龍さんの司会でスピーチは、鈴木六林男さんだけ。
あとは、献杯と献花だけ、というシンプルなもの。
桂信子さん、藤田湘子さんらの姿が見える。
大井恒行さんの奥様、攝津幸彦さんの奥様と初対面。お話ができたのが、
うれしかった。

途中でケイタイに勤め先からのトラブルの電話がかかり、二次会へは
行けなくなる。
とはいえ、印象的な夜ではあった。


[475] 廉恥とは何か 2002年01月17日 (木)

木曜日はお昼休みに、総務部に残って電話対応をする係なので、昼食をとる
のが、午後一時過ぎになる。
流水書房で「週刊プロレス」を買おうと思ったら「週刊ゴング」の表紙に
ケンドー・カシンの写真と「オレは全日に移りたい」というコピーが出て
いたので、今週はこちらを買うことにする。
同じ階の食堂で、注文をまちながら「週刊ゴング」に読みふけっていると
放送を終わった高田文夫さんがやってきて
「お!あいかわらず勉強熱心だねえ」とからかわれる。
しかし、カシンが格闘技路線ではなく全日本プロレスに移籍したいというのは
プロレスフアンはみな驚くだろう。ゴングのトクダネといえる。

帰宅すると「短歌往来」が届いている。
特集「テロリズム」。私自身も短歌と短文を書いて参加しているのだが
苦しいなあ、というのが本音。
「心の花」の矢部雅之さんが、テレビ報道のカメラマンとして現地へ
行っているのが異色。矢部さんは、日本で詠まれたテロの歌への不満を
忌憚なく書いている。

「現実への関与の意思を欠けいたまま言葉を修辞面で幾ら加工しても
 詩想の根拠の脆弱性と詩人としての品性を糊塗する事は出来ないの
 ではないでしょうか」

この矢部雅之さんの言葉の意味は重く、みずからをかえりみて、恥じる
ところが私にはある。


[474] 猛スピードのカッコよさ 2002年01月16日 (水)

帰宅後にメールを書いていたらNHKラジオが、芥川賞・直木賞の発表の
ニュースを放送し始めた。
芥川賞は長嶋有さんの「猛スピードで母は」が受賞。
長嶋さんには、第一作の「サイドカーに犬」の文学界新人賞受賞と
前回の芥川賞の候補になったお祝いの会で初対面。
先月の「林檎貫通式」批評会の二次会で、一緒に写真を撮らせてもらった。
おめでとうございます。
芥川賞作家というのはスゴイというイメージが私にはある。
やはり、長嶋有さんはすごいと思う。

母は二本立てが好きだった。観終えて外に出ると昼は夕方に、夜は真夜中に、
あるいは晴天が豪雨に、という風に世界ががらりと変わっているのがよいの
だという。                 長嶋有「猛スピードで母は」

こういう感覚がさりげなく描かれているのが好きだ。
久しぶりに興奮した夜だった。


[473] 勤め先からもらった図書券で 2002年01月15日 (火)

私の勤め先では、社員の誕生日の月に、一万円程度の記念品をくれることに
なっている。その記念品は選べるのだが、私はいつも図書券をもらっている。
金額は一万円分。
去年は確か、この図書券で、ハヤカワSF文庫のディックとハインラインと
アシモフの短編集をまとめて買った。
今年は、ちくま書房の明治の文学から何冊か買おうと思っていたので
退社後、直通バスで銀座に出て、くまざわ書店に行った。
この書店は、この手の本を平積みにしているので、チェックしやすい。
いろいろと迷ったが、
『田山花袋』(解説・小谷野敦)
『内田魯庵』(解説・鹿島茂)
『国木田独歩』(解説・関川夏央)
『近松秋江・正宗白鳥・岩野泡鳴』(解説・北上次郎)
上記の四冊を購入。結局、解説者で選んだようなものか。
四冊で、定価九八〇〇円+消費税四九〇円。二九〇円持ち出しになった。


[472] サラリーマンの幸福 2002年01月14日 (月)

かの子とゲームソフトの「マリオ・アドバンス2」を探して
自転車ででかける。
越中島、門前仲町、木場、洲崎、東陽町とソフト店を探し回ったが
どこも売りきれ。
陽気がいいので、コートを着て、自転車に乗っていると汗ばむほど。

成人の日なので、晴れ着の人がもっといるかと思ったが、そうでもなかった。

山口瞳の『わが町』という国立を舞台にした連作短編小説集を読んで
いたら、「サラリーマンの幸福とは、夜中に一度目がさめても、すぐに
また眠れることだ」という記述があって、ドキリとした。
昭和四十年代前半、つまり、高度成長期のさなかに書かれた小説だが
その時代のサラリーマンも、夜中に目が覚めてしまうと、そのあと眠れ
なくなる悩みをかかえていたということだろう。
現在の私は、特に悩みがなくても、眠れなくなることの方が多い。
実際には眠っているのかもしれないが、眠れない眠れない、と悩みながら
まどろんでいるのは疲労感を増幅させるだけだ。

明日は会社だと思うと、それだけでストレスになって、また、夜中に
目がさめてしまいそうだ。


[471] 砂利のように眠る 2002年01月13日 (日)

五十歳を目前にした身としては、深夜バスはきついということが
よくわかった。
リクライニングシートが体形にフィットしない。腰が痛くなるので身体を
ずらすと、こんどは肩が痛くなる。肩をかばうように動くと、首筋が痛い
という具合で、一晩中ほとんど眠れなかったる
朝五時に山梨県境川インターチェンジで一五分停車というアナウンスが
あったあとは、完全に起きてしまう。全身はあいかわらず痛いし、車酔い
の症状も出てきて体調は最悪。とはいえ、境川というのは、飯田龍太が
住んでいるところだなあ、とぼんやり思う。
まもなく発車して、次に窓から外を見たら、もう、浜田山だった。
6時半に新宿に停まり、半分以上のお客が降り、東京駅八重洲口着は
七時ちょっと前。まあ9時間ちょっとのバス旅行だった。

京葉線で家に戻る。
かの子と一緒に布団に横になったまま、「吉本新喜劇ギャグ100連発」という
10年前のビデオを見る。あいもかわらず、で面白い。
結局、午後2時半まで、家族全員で眠ってしまう。
あわてて起きて、スポーツ新聞を見て、PATで馬券を買う。
3レース買って、1レースだけ当たり、ちょっと損。

留守中にAMAZONで注文しておいた『古川ロッパ昭和日記』全四巻の
うちの、在庫があった3冊が届いている。昭和16年から20年の戦中篇
だけが品切れとのことだが、こちらは、バラ売りで在庫を持っている店を
スーパー源氏でチェックしてあるので、こちらで注文することにする。
古川ロッパに関しては、私の年齢でも、ほとんど記憶はないのだが、それ
でも、日本の喜劇の歴史を華々しくいろどる大スターであることはまちが
いない。経歴も異色で、浜尾子爵家に生れた華族の息子。「殺人鬼」等を
書いた浜尾四郎の弟にあたる。
本だなから『岡本綺堂日記』を出してきて、この二人の異色の日本人の
日記をこれから読もうと思う。

「現代短歌雁」が届いていたので、こちらもぱらぱらとめくる。
「現代の異色歌集」という特集が見落とされがちな歌集を巧く選んでいる。
私は高瀬一誌歌集『喝采』を書いたのだが、奥村晃作さんが書いている
米川稔の『舗道夕映』とかさいとうなおこさんの書いた李正子『鳳仙花の
うた』とか谷岡亜紀が書いている武井一雄の『わが裡なる君へ贈る歌』とか
見落とされている問題歌集をきちんと評価しようとしている。
特に武井一雄の口語短歌は、この時代にきちんと評価されなければならない。
「未来」所属の現役歌人であるにもかかわらず、ほとんど評価されていない
のは、困ったものだと思っていたので、私には「わが意を得た」思いだが。
松村正直の『駅へ』の口語文体をもうひとつ深く屈折させた感じ。だから
松村正直の歌集は、題材が面白いとは思ったが、文体的にはすでに既視感が
あった。歌人はすぐれた歌集を読み落としてはいけない。そう思う。


[470] 夜へ急ぐ人 2002年01月12日 (土)

夜へ急ぐ人といえばちあきなおみの歌を思い出す。

11時から法事。12時から精進落しの食事会。
食事の料理の数がとても多いのに驚く。みんなもてあましていた。
午後2時過ぎに終り、家へもどる。
卓ちゃん夫婦と子供二人が帰ったあと、ぶらくり丁の本屋へ行く。
宮井平安堂という本屋で、種村季弘の『東海道書遊五十三次』を購入。
五十三次の宿場にちなんだ本を五十三冊紹介するという書痴向けの一冊。
拾い読みするだけでも面白い。

夜、「めちゃイケ」を見る。
ナイナイの矢部がホリプロのマネージャー体験をするという企画。
和田アキ子のマネージャーとして緊張させられる場面が面白い。
実際、和田アキ子のマネージャーは普通の人間では勤まらない。
現役マネージャーとして西尾君が出ていたが、10年くらい前、
彼が私の勤め先の番組に、和田アキ子さんのマネージャーとして
ついてきていた時、胆石で朝から激痛に襲われているにもかかわらず
和田アキ子さんがスタジオ入りして生放送が始まるまで我慢しつづけ
放送が始まったとたんに「藤原さん、このへんに病院はありませんか?」と
蒼白な顔でたずねてきたことがある。
すぐにタクシーで日比谷病院につれてゆき治療してもらった。
病院で鎮痛剤をうってもらい、胆石を尿とともに出すための薬をのみ
さらに、西尾君は「放送が終るまでに戻らなければ怒られる」といって
水をがぶのみし、本当に一時間で胆石を出して、スタジオに戻ってきた。
和田アキ子のマネージャーというのは、冗談ではなくそういう仕事なのだ。

深夜バスで東京へもどる。
和歌山市内の東急インの前で夜十時に東京行きのバスに家族四人で乗る。
ひたすら夜の道を東京へ急ぐバス。


[469] 夜間飛行、その他 2002年01月11日 (金)

夜間飛行といえばちあきなおみの歌を思い出す。

会社は予算時期なので、みんな予算作成関係者は殺気だっている。

明日、家内の父の一周忌なので、夜、羽田空港で家族と待ち合せて
関空へ飛ぶ。
企画開発部に居たときは、月に二度くらいは飛行機にのって出張していたが
総務に異動してからは、出張はほとんどない。
今夜は出発が二十分も遅れたにもかかわらず、関空到着時間は五分くらい
の遅れになっていた。途中でスピードをあげたということなのだろうか。
機内で、ちくま文庫の新刊の山田洋次落語集『放蕩かっぽれ節』を読む。
前半が新作落語、後半が落語をネタにしたドラマということだが、落語
の方は、眼高手低というか、もうひとつ期待はずれ。
ドラマの方は読まずに、もう一冊のちくま文庫の新刊、
『古今亭志ん朝の風流入門』の方を拾い読みする。
こちらはNHKFMで放送していた「邦楽百選」の語りを活字にしたもの。
志ん朝師匠の語り口がみごとによみがえってくる。この本はお買い得だろう。
解説を「笑芸人」の編集者の浜美雪さんが書いている。
浜さんは当代のお笑いに関しては屈指の目利きである。信頼できる編集者。


[468] その場の空気を読めること 2002年01月10日 (木)

丸の内警察の武道始を見学する。
柔道、剣道、軟警棒による乱取りみたいなものを見た。
しかし、柔道も剣道も四段、五段あたりの人がごろごろ居るのには驚いた。
七段なんて人までいた。
こういうツワモノが交番勤務したり、パトロールカーに乗ったりしている
のだから、なかなかあなどれないものだと思った。

10日なので、各社の文庫の新刊が書店の棚に並んでいる。
今月の目玉は、光文社文庫の山田風太郎『笑う肉仮面』だと思っていたの
だが、なんと河出文庫が『楠田匡介傑作集』などというマニフックなもの
を出してきた。飛鳥高、岡田鯱彦につづく、忘れられた作家シリーズだ。
ありがたいが、このまま行くと、大河内常平とか朝山蜻一とか大坪砂男
とかも出してくれそうだ。このシリーズと扶桑社文庫の昭和ミステリ秘宝
シリーズは、マニアは必ず買っておくべきだ。読むか読まないかは、また
別の話だが。

「格闘技通信」と「週刊プロレス」を買う。
どちらも、愛嬢を肩車する安田忠夫の姿。
同じ写真でも、安田の顔が泣きくずれている「週刊プロレス」の方が
ビジュアル的には上だと私は思う。
週プロの表紙のキャッチは「破滅人生、大逆転 泣けたぞ、安田!」
これもターザン山本以来の泣かせのセンスにあふれている。
「格闘技通信」の方は、安田の試合よりもクロコップが永田を秒殺した
試合の方が上だとの視点をうちだしているのだが、朝岡という記者が
「格闘技通信は専門雑誌なので、泣かせの結果よりも技術的な高度さを
 評価しなければならない」という言い訳けをくどくどと書いているのが
うっとおしい。
週プロの安田へのインタビューで、元日の夜に安田が娘の彩美ちゃんに
電話をかけたら、「今日、KinkiKidsがステージで、昨日の
安田忠夫の試合を見て感動した、と言っていた。KinkiKidsの
言葉で、お父さんはすごいことをやったのだとわかった」と言われた、と
いうエピソードが面白かった。
ともかく、大晦日の猪木祭の結末は、その場の空気を読むことの大切さを
教えてくれたのだった。石井館長もレ・バンナもわかっている奴なんだ!


[467] 東京ハイカラ散歩 2002年01月09日 (水)

お台場のアクアシティの四階にあるブックファーストで、ずっと買おうと
思っていた野田宇太郎著『東京ハイカラ散歩』を購入。
この本はもともと『新東京文学散歩』というタイトルで一九五一年に刊行
されたものを角川春樹事務所が改題してランティエ叢書に収められたもの。
出たのは一九九八年で、ずっと気になっていたのだが、やっと精神的な機
が熟して購入にいたった。
実はこの本、岸上大作も買っていた本である。
日記の一九五九年四月十三日月曜日の項に
「野田宇太郎著『新東京文学散歩』(角川書店)雪ヶ谷書房にて五十円
 で購入せり」との記述がある。
この本の最初の版元は、日本読書新聞なので、岸上が買った本は、角川
から再刊されたものだったのだろう。

松原未知子さんのネットの日記「日和うた」を読んで、昨夜、浅間山荘事件
をとりあげた「プロジェクトX」を見損ねたことに気づいた。しまった!

NHKラジオの「ラジオ名人寄席」、今日の放送は、三遊亭小円、木村栄子
の漫才。昭和三十三年に録音したものだそうだが、両者の割舌がきれいで
またまた感心する。ナマの舞台は角座で見たことがある。
こういう笑芸を中学時代からナマ舞台で見ていたことが、私の数少ない自慢
のひとつと言える。まあ、それしか自慢もないのだけれど。