[399] システムという迷路で途方にくれる 2001年11月02日 (金)

会社でシステム関連のトラブルが起こる。
少しでも仕組みがわかっていることならば、判断のしようもあるけれど
危機のレベルがどの程度のものかすらわからないのだから、動きようがない。
先送りにしておくだけで、いいわけがないとは思いながら、結局、先送りに
してしまった。

先週のOB会の写真を写真家のHさんの事務所に取りに行く。
五反田駅の近くのマンションの五階で、見晴らしの良い部屋だ。
こういう部屋で、一日中、好きな本を読んでいたら快感だろう。

会社へ戻り、また、システムの迷路に途方にくれてたちすくむが
どうすることもできないので、帰ってしまうことにする。


[398] 突然、ガルシンの短編小説を読む 2001年11月01日 (木)

唐突ながら、ガルシンの「四日間」という小説を読んだ。
これは、物理的な理由としては、昨日、旺文社文庫の硬い表紙の
ガルシンの短編集『赤い花』を買ったということであるが、精神的な理由と
しては、通勤のバスの中で少しずつ読んでいる、関川夏央の岩波新書の
『本読みの虫干し』の中で、この「四日間」が取り上げられていたから
なのである。
関川夏央さんのお父さんは、農家の六男で、海軍予備学生になったそうだが
その上の五男の伯父さんというのが,満州開拓団に参加していたのだそうだ。
その伯父さんが、生涯に唯一読んだ小説が、このガルシンの「四日間」で
伯父さんはいつも、「戦争ってのはこんなもんだ」と言っていたそうなのだ。

「四日間」は、戦場で足を撃たれて置き去りにされた兵隊が瀕死の状態で
四日間、あれこれと思いをめぐらせ、結局は助かるのだが、傍らで死んだ
エチエピア兵が腐乱していくさまなどが描かれる、戦争の悲惨な部分を
描いた小説である。
テロをきっかけとして、戦争がおこなわれているこの時期に「四日間」を
読むことになったというのも、巡り合わせなのかも知れない。
たまたま前夜に、その本を買っていて、今日、好きな作家の関川夏央が
その作品にふれている文章を読んだという偶然が重なって、読みそうも
ない小説を読む、こういうシンクロ現象が起こるときは、それに素直に
従うのがよい。

関川夏央の『本読みの虫干し』(岩波新書)はおすすめ本である。
この本の川崎長太郎の「抹香町」を論じた章にこんな文章がある。

「東西冷戦下の平和と正義が失われたいま、私小説が栄えないのは不思議だ。
 と思っていたら、「ワイドショー」で他人の醜聞をのぞく趣味、インター
 ネットに見られるだらだらした自己表白がそれだ、と気づいた。近代小説
 が、大衆化の果てに極限まで退化した姿が、そこにある」

いやはや、まったく、おおせのとおり。


[397] 六代目松鶴の「らくだ」を聞く 2001年10月31日 (水)

朝7時30分頃会社に行き、会議の準備と資料つくりなどをおこない
9時30分から12時まで、まるまる会議。
会議室の空調が変になっていて、暑かったり寒かったり、微調整が効かない。
午前中だけで、へろへろくんであった。

新会計システムになって初めての月末なので、午後からもけっこう雑事が
多い。相談しなければならないことも次々に出てくるのだが、インフラ関係
になると、上司への説明、相談の言葉自体がむずかしい。
結局、会社を出たのは20時は過ぎていた。

帰宅の途中で古書店により、旺文社文庫のハードカバー版の文芸関連のもの
が、一冊200円で出ている。
高校の頃、このシリーズは学校の図書室に揃っていた。
ガルシンの「赤い花」ほかの短編集をなつかしさで一冊買ってしまう。
散歩がてら、二十分ほど歩いて帰る。
ちょうど、NHKラジオの「ラジオ名人寄席」が始まるところだった。
月曜から三夜連続で、六代目笑福亭松鶴の「らくだ」。
大阪落語の「らくだ」は初めて聞く。
もちろん、あの豪快な感じは持ち味となっているわけで、屑屋が酔っぱ
らって、どんどん強気になっているところなど聞きどころだった。

演芸関連の文章をきちんと書きたいと思う。
キリヤマさんが、もって来てくれた、吉本新喜劇のビデオも見ていない。
時間がゆっくりと流れてくれればいいのに。いつも追いたてられている。


[396] 三遊亭圓朝の息子と歌人の関係について 2001年10月30日 (火)

昨日に続いてネット検索で注文していた旺文社文庫版の興津要の落語関係の
本が数冊届く。ここのところ、短歌以外は落語・演芸関係の本ばかり読んで
いる。現在の文庫では、ちくま文庫が落語関連のラインナップが充実してい
る。同じ筑摩書房の明治文学全集で先月配本になった「三遊亭圓朝集」も
購入した。
三遊亭圓朝と歌人の面白い縁がひとつある。
圓朝には一人息子の朝太郎という人が居た。この朝太郎は東京英語学校を
出て、四谷に私塾をつくる。この私塾に教師として雇われたのが、上京し
てきたばかりの石榑千亦だったのだそうだ。
結局、この私塾は、朝太郎が酒で失敗してほどなく廃校になってしまう
のだが、石榑が水難救助会に勤める前の1エピソードということだ。

今日、贈呈していただいた本。

・同人誌「ゆりかもめ」 
 これは「未来」の山岸哲夫さんを中心とする短歌と詩の同人誌。
 小林久美子さん、門馬真樹さん、酒向明美さんたちの名前が見える。
・阿木津英著『折口信夫の女歌論』五柳書房
・古島哲朗著『現代短歌を「立見席」から読む』ながらみ書房
・奥村晃作歌集『ピシリと決まる』北冬舎
・高橋協子歌集『童夢』短歌新聞社
・同人誌「砦」
 森本平氏の「循環する知恵の輪(末人の夏)」なる大作が載っている。


[395] 旺文社文庫の安藤鶴夫の本を買う 2001年10月29日 (月)

ネット検索で、注文していた安藤鶴夫の旺文社文庫版『雪まろげ』と
『昔・東京の町の売り声』が届く。
後者は安藤鶴夫がラジオの番組用に書き下ろし、自ら朗読して放送された
という、いわゆる声の随筆。昭和四十四年のことらしい。
そして、それを放送したラジオ局というのが、私の勤め先である。
この本の解説を書いている上田康之さんという人は、この番組のディレクター
で、実は私が16年前に現在の勤め先に再就職した時、最初についた先輩で
ある。ディレクター業務のイロハを教えてくれた人だ。
その昭和60年当時、すでに55歳で、まもなく定年ということだった。
私は33歳だったのだが、上田さんは白髪のスポーツ刈りのべらんめえ
オヤジという感じで、とても年上に見えた。
月島の生れで、少年時代に勝鬨橋から隅田川に跳び込んだり、NHKの
少年電気技師とかいう制度で就職して、昼間は勤めて、夜は電気学校に
行って、いわゆる放送技能を身につけたらしい。
驚いたのは、NHK時代にミキサー助手として東京裁判の法廷で録音を
したという話。そういう人物が存在すること時代に驚いた。
上田さんは、もう70歳をこえただろうが、年一回の株主総会には、必ず
元気な姿を見せてくれる。
上田さんには、落語・演芸関係の人脈をご紹介いただいたり、さまざまに
お世話になっているのだけれど、それはいずれ、別の機会に書いてみたい。


[394] 恐怖政治を報ずる記事を読み流す此処こそ牢 夜のコンビニ 2001年10月28日 (日)

タイトルの一首は、高島裕の作品。
恐怖政治には「テルール」、牢には「ひとや」とルビがつけられている。
世界の中で孤立している自分を詠った作品。
結句の「夜のコンビニ」は、場所を限定するだけでなく、
「恐怖政治を報ずる記事」が、タブロイド新聞の扇情的な見出しであることを
も、暗示している。ジャパニーズ・タブロイドである。
戦争もテロリズムも恐怖政治もタブロイド新聞にとっては、女優のスキャンダル
と等価なのである。
こうして、夜のコンビニで暴力の衝動をたぎらせる青年。
まるで、エルロイの小説の登場人物のようだ。
小気味よい作品に出会えた。

手違ひはともかくとしてくるるまでクール宅急便を待ちつつ/岡田幸生

この歌も巧いが、結句を「待ちつつ」ではなく「待ってた」と口語にして
しまうのはどうだろうか。
ナンセンスな脱力感が強調されて面白いと思うのだが。

目白のブックオフで、丸谷才一の『文章読本』のハードカバー版が
100円均一コーナーで売られていた。そういうものなのかなあ。


[393] 木枯しの声にまぎれて公園をよぎる駱駝はおるかいな月 2001年10月27日 (土)

タイトルは角川短歌賞受賞の佐藤弓生さんの作品。
この歌が、選考過程で、酷評されているのが不思議。

今日は土曜日勤で会社に行く。
バスが思ったよりすいていたので、早くついてしまった。
経理部の連中はすでに出社している。
夜も遅いし、朝は早いし、よく働いている。

私は9時半から夕方の5時半まで、ただ、会社に居ればいいだけなので気楽。
いつもは、原稿を書いたりするのだが、今日は送っていただいた歌集の礼状
を書くことにする。

テレビを見たり、歌集を読んだり、馬券の検討をしたりして時間は過ぎて
ゆく。

角川「短歌」11月号の穂村弘さんの作品にこんなのがあった。

・マイクロ・ウエーブ・エンジニアには女の子の誕生確率100パーセント

実はこれは、本当なのだ。
私の勤め先でも、ディレクターを三年以上続けている男性には、女の子が
生れる確率が、圧倒的に高い。
だいたい十人中八人は、女の子が生れる。
私の場合も、ディレクター在職中にできた子供は女の子であった。
だから、ケイタイの電磁波も、きっと遺伝子に影響を与えているに
決まっている。


[392] 遊狂を越えつつ切なわが生は 2001年10月26日 (金)

今月の岩波新書の新刊、関川夏央の『本読みの虫干し』を買いたいのだけれど
社屋内の書店には置いてない。
新書は別の本屋へ行けば買えるだろうから『現代短歌最前線』を注文する。

今日は直属の上司が経団連主催の総務部長研修で、出張なので、部長宛の
電話をやたらにとらなければならない。
金曜日というのは、なぜか食堂もすいているし、社屋全体に人が少ないような
気がする。
今日のオールナイトから「東京国際ファンタスティック映画祭」が始まるそう
だが、差し入れをもって陣中見舞いに行く気もしない。
映画をめぐる状況や人々には、もう、うんざりしてしまったのだ。
国際映画祭の本体の方は、オープニング作品、クロージング作品ともに
アニメーションになってしまった。
「千と千尋の神隠し」が日本映画の興行記録を塗り替えた時代なのだから
それも当然のことなのかもしれない。

・遊狂を恋ひつつ切なわが生は戦ひ越えて得たりしものを/尾崎左永子


[391] ジュビア、ジュビア、寒い舌を 2001年10月25日 (木)

ライブと編集会議と二日つづいて夜遅く帰ったので、身体がだるい。
徐々に肉体が老化し始めているのだろうか。
会社に行くと、思いもかけぬトラブルに巻き込まれてウンザリする。
組織の中の人間の態度というのは、思わぬ心理をあらわしていたりする。
自分自身もそうなのだろうが、心貧しくなっているのかもしれない。

詩の同人誌「erection」を柴田千晶さんが送ってくれる。
コラボレーションの第4作「熱の島」が載っている。
柴田さんによるエッセイはコラボレーションを始めた経緯が、
最初に私が柴田さんの詩に自分の短歌を多重録音したテープをお送りした
ところから語られている。面映い気分がする。
この雑誌の同人は、柴田さんのほかに、岩佐なを、渡辺玄英、北大路翼
の四氏。岩佐なをさんは、私が以前、女子プロレスラーのプラム麻里子の
挽歌を毎日新聞に載せたとき、「自分はボクシング好きだが、この短歌に
は、リングに生きる者の悲傷が感じられて共感した」と手紙と詩集をくだ
さったときから、おたがいに名前を意識している。「確定!」という競艇
の同人誌も送っていただいている。
大辻隆弘さんの掲示板に、同人誌の面白さということを、大辻さん、
鈴木竹志さん、宇田川寛之さんたちが書いているが、私もここのところ
こういう同人誌をおくっていただくと、読みふけってしまう。

凍るやうな薄い瞼をとぢて聴く ジュビア、ジュビア、寒い舌をお出し/大辻隆弘


[390] ゴドーをまつとはこういうことか 2001年10月24日 (水)

「短歌人」の編集会議。於池袋芸術劇場。
芸術劇場の一階にテナントとして入っている「古本大学」に入ると、かなり
本の並べ方が変っていた。
旺文社文庫の田辺茂一『わが新宿』、新潮文庫の中村誠一『サックス吹き
に語らせろ』、徳間文庫の赤江爆『荊冠の耀き』を買う。

「短歌人」の原稿依頼はすでに2002年分になる。
月並な言葉だが、歳月は流れ去ってゆく。
帰宅すると角川「短歌」が届いていた。
角川短歌賞の受賞作、佐藤弓生「眼鏡屋は夕ぐれのため」を読む。
言葉の詩としての結晶度が高く、読んでいて軽い興奮を感じる。

・ひかり射す昼餉ひとりがたのしくてゴドーを待つとはこういうことか

いい歌だ、と思う。


[389] 最前列で鳥肌實を見る 2001年10月23日 (火)

朝からサンケイプラザで、OB会の準備。
きちんと準備したつもりでも、どうしても、こまかいとりこぼしが出る。
まあ、それもしかたがない。
いちおう、表面的には大過なく終了する。

一度、会社へもどって、あとかたづけをする。
すぐに、新宿の紀伊國屋サザンシアターに行き、「我らの高田笑学校」を
見る。
出演順に鳥肌實、そのまんま東、清水ミチコ、松村邦洋、浅草キッド
そして、高田文夫さんを司会にしてのトーク。
鳥肌實をはじめて見たのだが、最初の出囃子が防空警報のサイレンという
のが、いちばんわくわくした。お客はできあがつているのだが、鳥肌實の
方が緊張している感じがした。
「鳥肌實 四十二歳、厄年」というのをリフレインしながら、いわゆる
右よりネタをつらねていくというパターン。
今日のお客もお笑いに関しては十分にカルトなのだが、日頃、鳥肌實が
相手にしているお客とは、カルトのベクトルが少しちがうようだ。
とはいえ、キャラクター的には十分きわだっていする。
最後のトークのところで浅草キッドが話した、TBSの元旦の番組に
鳥肌實が生放送で出演した時の話が抜群に面白かったが、くわしい内容
は、やはり、書くのをはばかられる。

ライブ会場に行く前に劇場下の紀伊国屋書店で「現代短歌最前線」を買う
つもりだったのに、なぜか売っていない。
しかたなく、「飯島晴子読本」が出ていたので購入。
飯島晴子の全句集が収録され、エッセイ、俳論、自句自解などもたっぷり
収録してあり、仁平勝、宇多喜代子、岡井隆諸氏の飯島晴子俳句に関する
エッセイも入っていて1800円というのは、詩歌関係書としては安い。

・これ着ると梟が啼くめくら縞 飯島晴子

この句も放送禁止だな。


[388] 枯蓮に隈おとしたる道化たち 2001年10月22日 (月)

タイトルは橋關ホの俳句。
明日のOB会の会場となるホールへ行き、簡単な確認。
そのあとで、同じビルの地下にある、内科医院に行き、明日、もし体調が
悪くなった参加者が出た場合には、診察をよろしくお願いしますと、挨拶
に行く。
会社へもどり、ずっと、明日のOB会の準備。
チェックリストでつぶしながら作業をしているのだが、案外、抜けている
ことが出てくる。
私の職務のうちでは、この会の運営は割合と大きなものなので、気をひき
しめなければならない。
午後から雨になる。
夕方、同僚と一緒にタクシーで、明日のための備品類をまとめて、もう一度
会場へ行き、荷物をあずける。
雨に濡れながら帰宅。

・枯蓮に隈落としたる道化たち  橋關ホ


[387] 丘に向ってひとは並ぶ 2001年10月21日 (日)

タイトルは富岡多恵子の短編小説の題です。
何か奇妙に惹きつけられるフレーズです。

昨日、お目にかかったデザイナーの吉永さん、秀哉ではなく、吉永和哉さん
が正しいお名前でした。失礼いたしました。

それにしても、マンハッタンカフェが菊花賞を勝つとは思わなかった。
二着のマイネルナントカなんて、出走してるのも知らなかったカラナー。
ここのところ馬券のここ一番の爽快感が得られない。生活に疲労感が
漂っているからだろう。

長島有さんの文学界新人賞受賞後第一作「猛スピードで母は」が掲載されて
いる「文学界」を買って、一週間以上経っているのに、まだ、読み始めても
いない。どうも、散漫に時間が流れて行くのを肯ってしまっているようだ。

かの子を習字の先生のところへ送って行き、帰りに本屋によって、
小学館文庫の新刊、加藤郁乎の『後方見聞録』を買う。
なんで、この本が小学館文庫に入るのか不可解。
渋谷天外の伝記も小学館文庫だったし、脈絡のないラインナップゆえに
目が離せない文庫となった。

そして
丘に向って人は並ぶ。


[386] 百億の昼と千億の夜 2001年10月20日 (土)

タイトルは光瀬龍の小説。「SFマガジン」で初めて読んだ連載小説。

キリヤマさんが、デザイナーの吉永秀哉さんの事務所につれていってくれる。
吉永さんは、高知出身で、大森望と同級生、大阪芸大で庵野秀明と同級だっ
たという。そして、現在、ミステリやSFの本の表紙のデザインをすごい
ペースでこなしている。
最近では森岡浩之の『星界の紋章フィルムブック』とか。
雑誌は「レコード芸術」が吉永さんの仕事である。
ちなみに、事務所の名前は「ワンダーワークス」という。
初対面であるにもかかわらず、二時間以上、夢中になってしゃべりまくってしまう。
キリヤマさんも吉永さんも私もしゃべり続け。
話はつきないが、原稿を書かねばならないので、途中で私だけおいとまする。

帰宅して、原稿を書こうと思ったが、さきに「めちゃイケ」を見てしまう。
原稿のために参考の短歌雑誌をもって、布団に横になって読んでいたら
三十分もたたないうちに眠っていた。
十二時前に、「爆笑オンエアバトル」が始まるよ、と史比古が起こしてくれる。
かの子も起きてきて三人で「爆笑オンエアバトル」を見る。
また、寝床にもどって、短歌誌を少しよんだら、やっぱり、いつのまにか
眠っていた。


[385] ごめんやっしゃ、おくれやっしゃ 2001年10月19日 (金)

タイトルは、吉本新喜劇の女優、末成由美のギャグ。
大阪時代の友人、キリヤマさんが泊まりに来る。
キリヤマさんは、強烈なSFファンで、今でも、ペリー・ローダンと
グイン・サーガ以外のハヤカワの本はすべて買っている。
わが家には、一年に2、3回、遊びに来るのだが、そのたびに、大阪ローカル
の深夜番組のビデオをもってきてくりる。
今回は、壱番館という芸人の半生をつづる番組のビデオをもってきてくれた。
中山美保(吉本新喜劇の女優)や村上ショージの巻というのが、とても
興味深い。
24時頃までつもる話をして、寝る。
本当は十五日締切の原稿を書かなければいけなかったのだけれど。
もう、四日も締切を過ぎている。もう、何も考えない。


[384] 狂おしき魂(ソウル)のうしろ七キロは霧が消しゆく一地方都市 2001年10月18日 (木)

タイトルは、元「短歌人」の編集委員だった大柳晴義さんの二十代の頃の歌。
大柳晴義さんは歌集を持たない鬼才歌人。
一九七一年の暮に「短歌人」に入会した時、この大柳晴義さんの歌の
スタイリッシュなところに強く惹かれた。
小中英之さんより端整ではないのだが、それはわかっていながら一点崩して
みせている不良っぽさであり、その崩し方に凡人の及ばないものが確かに
あった。

・東京はぎらぎらとしているならん落葉松の樹にわれは絡みぬ

この歌に関しては、初出の時はさほど感心したわけではなかったが、記憶に
残ったまま、時々、甦ってくる。
東京を自分の一生のテーマと思い出してからはなおさらだ。
「落葉松の樹にわれは絡みぬ」という下句を今は凄いと思うようになった。
こういうフレーズは現在の私には、発想することができない。

歌集を出した者だけが歌人なのではなく、まして、賞をもらったからその
歌集の価値が優れていて、その歌人がすぐれた歌人だ、と盲信してはいけ
ない。大柳晴義に見られたら、笑われるだろう。自分が作品を発表する時
そんな思いが頭をよぎる。私が短歌を続けていることは、こうした先人の
作品に常に刺激され続けたからであり、そういう驚きや陶酔を感受できる
精神だけは持ち続けたい。


[383] 釈放されてのち棲む土地をもたざれば海にさすらい行かんか鳥と 2001年10月17日 (水)

タイトルにしたのは1970年代に「短歌人」で活躍していた木村建さん
という人の一首。獄中歌人だった。
1975年頃までは、誌上で活躍していたが、いつのまにか名前を見なく
なった。獄中歌人の人は、刑期を終えると、いっさい、獄中時代とは決別
して、別の人生を歩み出す人が多いとのことなので、木村氏の場合もそう
いうことなのかもしれない。

・アネモネのかたえに情死はたしたる紋白蝶を運び行く風

このような歌もあった。
いまだに記憶に残っているのだから、それだけ、読後感が鮮烈だったと
いうことだろう。
現在は、私の短歌への感受性がにぶくなってしまったのか、一読してすぐ
記憶に残るというような歌には、すっかり出会えなくなった。
私が悪いのか今の短歌状況が悪いのか。


[382] 殺伐と翳りてかほはあるならむ麻酔さめたる夜の顔ゆゑ 2001年10月16日 (火)

タイトルの一首は小中英之さんの作品。
今になって考えると「短歌人」の初期の頃、月例歌会で、小中英之さんに
自作を批評してもらえたのは、僥倖だったのだな、と思う。
その頃はありがたみをさして感じていなかったのだけれど。
あとになってから、あれは僥倖だったと思うことは人生にはしばしばある。

読売新聞の日曜版に九月から連載していた「うたの光、うたの翳」の原稿
いちおう、最終回まで書き終えた。掲載は今週の日曜と来週の日曜で終り。
今日、読売新聞のかたから、ゲラをファックスしていただいたのだが、
なんと、送ってくださったのは、鵜飼哲夫さんだった。
鵜飼さんは、文壇でも高名な文藝の記者といえる。
確か加藤治郎さんが親しかったのではなかっただろうか。

話は変わって、掲示板に石井辰彦さんが、現在の大学の短歌会の人達が
『日輪』や『青蝉』を書写、それも何回もくり返しているようだ、と
驚きの書き込みをしていた。
くり返して書写するというのは私も驚き。
スタイルを模写するというか、身につけるということらしいが、どうせなら
石井辰彦さんの『七竈』や『墓』や『バスハウス』を書写すれば、正字も
おぼえられるのに。

私も心をいれかえて『翼鏡』を書写しようかな。


[381] 津波警告の碑を闇に見る 2001年10月15日 (月)

会社では八時間やりすごしただけだった。
門前仲町と越中島の間の清澄通り沿いにブックオフがオープンしたので
会社の帰りに寄ってみる。
規模的には小さいほうだろう。
100円コーナーに、文庫だけではなく、新書版やハードカバーもある。
歌集、句集はほとんどなかった。
結局、川本三郎『ハリウッドの黄金時代』、田村泰次郎『肉体の門』などを
100円コーナーで買い、250円、300円といったコーナーで
小林竜雄『向田邦子・最後の炎』山田風太郎『あと1000回の晩飯』等を買ってしまう。
『肉体の門』はちくま文庫。1988年出版で掲示板に先日書いた五社英雄の
映画のスチールが表紙になっている。かたせ梨乃、西川峰子、芦川よしみ等が
ケバケバシイ化粧でポーズをとっている。たぶん、ちくま文庫史上いちばん
派手な表紙ではないだろうか。
ブックオフを出て、そのまま、永代通に平行した裏道を木場方面へ。
牡丹一丁目から三丁目まで通りぬけ、平久橋のたもとで、津波警告の碑を
見る。十八世紀にこのあたりに津波がきたので、その後、江戸幕府が
このへん一帯を買い上げて、無人地帯にして、津波の緩衝エリアにした
ということらしい。
実はこの碑の筋向いにある平久小学校は私の母校である。
そのまま、見つめ通りにぬけてバスで枝川まで帰った。

ブックオフを出て


[380] 馬券が当たらない 2001年10月14日 (日)

一日中、家に居て、原稿を書く。
途中、息抜きに、かの子と一緒に自転車で東陽町の方まで行く。
リサイクル系の古書とCDの店に行くが、特に買いたい本もない。
午後は馬券をあれこれ買うが、まったく当たらない。
ムーンライトタンゴには真面目に走ってもらいたい。


[379] 鶴見まで告別式に行く 2001年10月13日 (土)

副社長の専用車の運転を委託しているAさんのお父さんが亡くなり、鶴見まで
告別式に行く。
帰りは式場から、鶴見駅まで歩く。
駅前のブックオフに入ったが、特にほしい本もない。
午後2時前に帰宅して、原稿を書きつづける。
夜は「めちゃイケ」の特番を見てしまう。


[378] 駄句駄句会に行く 2001年10月12日 (金)

今日は久しぶりの駄句駄句会。
出席者は、木村万里、山藤章二、高田文夫、吉川潮、島敏光、中村社長、
林家たい平、立川左談次の諸氏。
「猫びより」という日本出版社の雑誌の取材が入る。
この出版社の社長は、故矢崎泰久氏の弟さん。
むかし、東京三世社でお世話になった山根さんが、編集プロダクションを
つくっていて、この「猫びより」を編集しているということで来訪。
15年ぶりくらいの再会に、感涙にむせぶ。(ウソ!)


[377] 霙ふる溝口健二 みやこは遥か 2001年10月11日 (木)

「週刊ファイト」の見だしに「川田退団」と大きく出ていたので
つい買ってしまった。川田は全日プロと契約更改をしてないのだそうだ。
中のカラー面はWWFでブレイクしているTAJIRIこと田尻義博。
嫁さんとのツーショットが載っていて、どうも、見覚えがあるな、と
思っていたら、なんと、元IWAジャパンの女子プロレスラーだった
新谷朋子と結婚していたんだと。
新谷なら、市来貴代子との試合を見たことがある。
市来は性格が悪そうだから、きっといじめられていたのだろう。
結婚して夫婦で夢をつかんだというわけだ。

原稿を書かなければならないのだけれど、眠くてしょうがない。
さからわずに眠ることにする。

・霰うつ荒木経惟、霙ふる溝口健二 みやこは遥か/秋谷まゆみ


[376] 辿り着くべきところを思う 2001年10月10日 (水)

雨、雨、雨、土砂降りの雨。
10月10日は「晴れ」の特異日なので、東京オリンピックの開会式が
おこなわれ、のち体育の日になったというのに、ハッピーマンデー制度
なんかとりいれるから、いきなり、この雨だ。

午後は雨の中を有楽町まで行って、OB会の幹事会に出席する。
Kさんが、貿易センタービルの展望台で記念写真を撮っている男の背後の
空中にこちらへ向けて突っ込んでくる飛行機が映った写真をもってくる。
あのテロの直前の写真だそうだ。
崩壊したビルの瓦礫の中から、奇跡的に発見されたカメラに映っていた
写真なのだそうだ。

元人気アナウンサーのMさんに、古今亭志ん朝の思い出を聞いてみた。
Mさんが「朝太、朝太」とつい言ってしまうのが、なんともなつかしくせつない。
15歳くらいの時から知っているのだそうだ。

びしょぬれになって帰宅。雷が鳴っている。
不穏な雨の夜だ。二十三区に大雨警報が出ている。

・葉の裏に雨宿りする虫を見て辿り着くべきところを思う/武井一雄


[375] 電柱ごとに寒さを見たり 2001年10月09日 (火)

とにかく疲れた一日だったとしか言いようが無い。
社内にネットワークが構築されたのだが、それで便利になったのに
いろいろとトラブルがおこる。
トラブルの内容すらよくわからないので書けない。
まあ、内容がない日記で申し訳けないが、もう、今日はたくさんだ。

・電柱ごとに寒さを見たり橋弁慶/竹中宏


[374] 感情はのちにどうにかするもの 2001年10月08日 (月)

「俳ラ7」疲れで、本当は東京ドームに新日本プロレスを見に行くつもり
だったのに、キャンセルしてしまった。
とはいえ、のんびりすることもできずに、せこせこと原稿を書いたりして
気が小さいことはなはだしい。

金曜日に買った坪内祐三の『文学を探せ』を読み終わった。
今までは、元「東京人」の編集者というキャリアと明治文学好きを
うまく使って、楽なポジションをとった運のいい奴だ、と思っていた
のだが、この本を読んで見なおした。
なかなか激しい気性の人で、ヤスケンに真っ向から噛みついたり、
けっこう性根が座っている。
例の道でいきなりヤクザ風の男たちに殴られて重傷を負った事件のことも
「その夜の出来事」という文章で、きちんと書いてある。

明日から会社だと思うとうんざりする。
連休明けはいつもこういう沈んだ気持ちになる。
まして、今回は土曜日は昼間は横浜支局の引越し、夜は宿直で、別に
三連休でもなかったのに。
つくづく情けない性格だと思う。

・判断はしろくかぎりもなく正し感情はのちにどうにかするもの/永田紅


[373] 思うようにカンロ飴も買えない 2001年10月07日 (日)

途中で幕間がはいったのだけれど、ここで飛び入りOK,ということで
みどりさん、原浩輝さん、高橋比呂子さん、藍川裕邦さんが朗読。

ひるのつききつつきききつつきつねつき  裕邦

というような平仮名書きの早口言葉風俳句の裕邦さんが面白い。

さて第二部のトップは俳人で邑書林の辣腕編集者島田牙城さん。
出し物は「蟻30句」。
奇を衒わない読みかたながら、俳句の短さゆえの聞き取りやすさが味方になり
きちんと句が受け止められる。
・ 極暑夕暮濡れ縁に孤の宴
・ 我がするめ酷暑の蟻の餌となれり

ギネマ
福島泰樹朗読賞以来、ギネマさんをもう一度見たい、聞きたいと思っていたので
期待は大きい。出し物は「六面鏡」。
「ギネマです。俳句の朗読に来ました」というくりかえしをいれながら
自由律系の俳句をときに叫び、ときにささやく。面白い。刺激がある。
あえていえば、小劇団的ではあるのだけれど、訓練というより本質が見えている
気がするので、くりかえしがきくと思えるのだ。
・ 打ち鳴らせ!渡るだけが橋じゃない
・ 簡易便所で日溜りが泡立っている

宮崎二健
天狗仮面というキャラクターを思いついた時点ですでに勝っている。
ただ、毎回、ちがうことをやらなければならないのはつらそうだ。
今回のテーマは桃太郎。花火で登場し、愚痴まじりの俳句朗読。
ちょうど六時半過ぎだったので、ふだんなら子供と「サザエさん」を見て居るのに
今日は天狗仮面を見て居る自分が不思議でイトオシイ。
・ 星条旗よ桃太郎の旗まで付け上がれ
・ 秋の蚊に刺された天狗であった       ←この句がせつない。

情野千里
この人は時実新子門下の川柳作家。舞踊と川柳を合体させたパフォーマンスを
もう8年くらいやっていらっしゃるようだ。
花魁風の着物の衣装で、パフォーマンスとして完全にできあがっている。
客から題をもらっての即興川柳読みから、自作朗読へつなぎ、最後は
「五躰詠み」という身体演技。舞台上で転げまわる熱演。
客席もみんな息をのんでみつめていた。
・ かきたてる命や襤褸ンボロロンと
・ 海猫の声降り止まずシーツの青
・ 祭りが大好きだった雌鳥むしられる

後半はもう完全に七十年代のアングラの空気。新宿の小さなライブ空間が
タイムスリップしたような気分だった。
この濃密な熱気を私は強く肯定したい。

・思うようにカンロ飴も買えない/ギネマの母


[372] 俳句ライブの日曜日 2001年10月07日 (日)

宮崎二健さんのお店、「サムライ」は、新宿駅の東南口を降りて
本当にすぐだった。一階が蕎麦屋で、そのビルの五階。
中に入ると、客席に田島邦彦さんが居たので、隣に座らせてもらう。
ふと見ると、三宅やよいさんも居る。原浩輝さんも居る。
思わぬ盛況で、開演時間が少しおす。
その間にも、岡田幸生さん、錦見映理子さん、振り子さん、東人さん、
さらに「豈」のメンバ、そして島田牙城さん。

四十分押しで開演。ギネマさんが開演の言葉。
ひと口感想を書いてみる。

高木秋尾さん。
スーツにネクタイのサラリーマンスタイル。
トランプのような大きめのカード30枚ほどに妖怪に関する俳句を書いて、ポケツト
から一枚ずつ出しながら読む。
最初に鞄から出したカードを、マジックのように切ってみせたところが印象に残る。

梅野泉さん
インド風の衣装をつけて舞踊的な動きを見せながら俳句を朗読。
俳句が扇形に切った和紙に書いてあるのが、うまい工夫だった。
発声、衣装、動きともに小劇団的に思えるのが、私にはやや不満。一発勝負なら
面白く見られるのだけれど、俳句より衣装や動きの方が勝ってしまうのはどんなものか。

内山恵理子
黒い風船にホワイトで俳句が書いてある。
一句読むたびに、針でその句の風船を突いて割る。これは新鮮な衝撃だった。
10句という数もよかったし、パフォーマンスとしても良いアイデアといえる。

春日三亀
妻を素材にした中年サラリーマンのトホホ系の俳句。いや、サラリーマン川柳か。
背中が裂けた背広という、昔の鳳啓助を思わせる衣装。
瞬発力で聞かせる芸のおもむき。

今溝協
ギターの弾き語り。タクボクブルース。
内容がもう少しわかりやすいと良かったような気がする。
まあ、弾き語りは珍しくないが、こういうライブの中では目立つことは確か。

紫衣
二健さんのお嬢さん。
俳句は少し声が小さかったのが残念。しかし、ピアノを最後に弾いてみせたのが印象的。

あとは、後半に続く。



[371] 天象に支配されをりわが肉体は 2001年10月06日 (土)


朝四時に目覚ましが鳴った。
長女のかの子が、朝の四時に月の観察をするという宿題のために、時計を
仕掛けておいたのだ。
かの子を起こし、ベランダに出て月を探すが見えない。
今度は玄関のドアを出て、マンションの外廊下から、西空を見ると
濃紺の空に左上が少しだけ欠けた月が浮かんでいた。
一分くらいで、二人で家に入り、もう一度寝る。

結局、起きたのは七時過ぎ。
西川徹郎論を少し書いて、大恵クリニックに行って、アトピー性皮膚炎の
薬をもらう。
そのまま、品川から京浜東北線で関内へ向かい、横浜支局のビル移転の
立ち会い。
前に居た場所の倍以上のスペースなので、什器類を運び込んでも広々と
している。
午後三時前に、引っ越しは終了。
関内の駅前の100円文庫コーナーで買った『金魂巻』を読みながら
有楽町まで、帰ってくる。
この本、昭和五九年から六〇年にかけてベストセラーになったもの。
すべての職業を丸金と丸ビにわけて、対比させながら皮肉るという
愉快な視点が大評判になった。
一五年以上経ってから再読しても、けっこう笑える。
2001年版として細部をリニューアルして、また、新刊としてだしても
けっこう売れると思う。
この初版を読んだ時、私はまだ今の勤め先には就職していなかった。
つらく希望のないフリーライターの生活の中で、まさに丸ビのライター
そのものであったと思う。

一度、家に帰って、宿直のために、夕方五時過ぎに会社へ向かう。

・悪のなきわが生ながら天象に支配されをり日々肉体は/佐藤佐太郎


[370] 死後も犬霜夜の穴に全身黒 2001年10月05日 (金)

たいとるは西東三鬼の句。
やはり、凄い句があるなあ。もちろん、この季節には季ちがいじゃが
しかたがない、ということで。

10月1日から新会計システムになり、今まで使っていた6枚綴りの
カーボン式伝票をつかわず、コンピュータ画面からの入力ということ
になった。
しかし、まだ、調整を要する部分もあるということで、調整要員が常に
待機している。

あいかわらずテロ事件のニュースが続いているが、ふと気がつくと私は
今、日本人として何をなすべきか、ということよりも、自分がもし、あ
の時、貿易センタービルの中に居たとしたら、どうやって生き延びる努
力をするだろうか、ということばかり考えていたような気がする。
私の感覚のベクトルががグローバルではなく、パーソナルすぎるのかも
しれない。

夜、西川徹郎論を少し書き進む。
「創元推理」で石上三登志の文章を読む。
第一号は、ドイルのホームズ物の長編が、なぜ、二部構成なのかという
テーマ。二号はエラリー・クイーンのドルリー・レーン四部作を再読し
て、その隠された構成意図を読みとろうとするもの。面白い。
仮説とそれを論証する文章の力がとてもスリリングだ。

ゆっくりと本を再読する時間が私にも訪れるだろうか。


[369] なにもなかったに等しい日 2001年10月04日 (木)

インフラ関連の会議があり、私が事務局なので、資料つくりなどしたのだが
もうひとつ、はっきりした展開にならない。
ボタンのかけちがいが、ずっと続いている気分なのだ。
くよくよしてもしかたがないとは思うのだが、すっきりしないのはストレスが
たまる。

早く帰って、史比古が録音しておいてくれた「伊集院光の深夜の馬鹿力」の
放送を聞く。
今は伊集院光、爆笑問題、浅草キッドがお笑い3強だろう。


[368] 転生はレプリカントのゾーラ 2001年10月03日 (水)

歌誌『月光』71号に岡部隆志さんが「「心の闇」と「民俗的心性」」なる
タイトルの時評で、「朗読バトル」をとりあげてくださっている。
沢口芙美さんが毎日新聞に書いた時評を冒頭に引用しての論だが、
辰巳と藤原のテーマが対称的な意匠でありながら、その心性の部分は共通
ではないか、という分析である。

 ・転生はレプリカントのゾーラぞと決めて大蛇と婚う快美

  未来の心の闇は、レプリカントとなって顕在化するということか。
 そういえば映画「AI」というのも、レプリカントとの愛の映画だ。
 「ブレードランナー」の世界もまた、レプリカントの愛と自分探し
 がテーマだった。でも、やはり、大蛇と婚うのは日本的なモノガタリだ。
  大蛇と婚うという民俗的モノガタリと、機械的な身体になるのだとい
 うこの歌は、藤原龍一郎がこだわる「心の闇」と、辰巳泰子がこだわる
 「民族的心性」が、同時に存在していることを象徴的に示しているよう
 に思われる。

このように分析していただいたことで、私は「朗読バトル」をやって
良かったと思い、語ることの意味を確信することができた。


[367] ハナシカヒトリアリニケリ 2001年10月02日 (火)

今日は一日じゅう、伝票を書いていた。
稟議はいちおうとおったので、それに対する伝票処理が私一人にふりかかって
きてしまった。まあ、しかたがないのだが。
久しぶりに夜9時過ぎまで会社に居残った。
もっとも、ずっと集中していたわけではなく、途中で、アナウンサーの
つかちゃんこと塚越孝さんが来たので、志ん朝師匠の早過ぎる死について
30分ほど語り合った。
つかちゃんは、今年の三月に志ん朝の「明烏」を聞いて、鬼気迫る感じ
がしたそうだ。やはり、ちゃんと寄席やホール落語に足を運ばなければ
いけない、と反省する。
日曜日の朝六時に、つかちゃんのナレーション、片山ディレクター及び
塙プロデューサーで、追悼特番を急遽つくって放送するそうだ。

かつて、春風亭柳朝師匠が亡くなった時は、私は高田文夫さんの番組を
担当していたので、すぐに、柳朝師匠の「大工調べ」のレコードを探し
棟梁が威勢のよい啖呵をきる部分を抜き、放送で聞いてもらったものだ。
今の若いディレクターに、そういうことができないのはしかたないが
やはり、放送局のディレクターに落語好きがいなくなってしまうというのは
淋しいことだ。

・気のふれし落語家(はなしか)ひとりありにけり命死ぬまで酒飲みにけり
 /吉井勇

これは、蝶花楼馬楽を詠った歌である。

書かなければならない原稿もけっこう残っている。


[366] ありし世のありのことごと偲びつつ 2001年10月01日 (月)

稟議書の書きなおしで、また午前中いっぱいかかってしまった。
金曜日も午後はほとんど、この稟議書に時間わ費やしていたので
ほとんど十二時間くらい、稟議ひとつにわずらわされていることになる。
まあ、いいけどね。

今日から勤め先の会計システムがデジタル化した。
でも、まだ、九月閉めの伝票ばかり書いているので、新システムには
まったくさわっていない。
いつも、立替伝票を庶務担当者に書かせている局長クラスが、これからは
自分で伝票入力しないと認証されないので、面白い混乱がおこりそうだ。

山口瞳の会が発行した「山口瞳通信」という同人誌を読んだ。
これはネットワークで検索しているうちにみつけた山口瞳の読者の会。
こういうのが発見できるのもネットの楽しさだと思う。

古今亭志ん潮師が亡くなる。
兄さんの馬生師につづいて酒で死期を早めたことになる。
馬生師の娘にあたる池波志乃さんとは、録音番組の仕事をしたことがある。
ちょうど「女衒」という映画を撮っている頃で、
「こんな裸のシーンがあるのよ」と本人から説明されて、ついつい
息づかいが荒くなり、ミキサーから怒られたことを思い出す。
それにしても、志ん潮無き落語協会はつらい立場になるだろう。

・ありし世のありのことごと偲びつつ馬楽地蔵に酒たてまつる/吉井勇


[365] まばたきにうつる秋 2001年09月30日 (日)

ちょうど、この日記をはじめて1年たった。
一月の初めと八月の初めに、マシントラブルで、2週間くらいずつ
休んでしまったけれど、ともかく、1年クロニクルを持続できたのは
めでたいことなので自祝します。

原稿を書かなければならないので、ずっと家に居て、キーボードを
叩き続けていた。
自分では、どれくらいの分量の原稿が適量なのか、よくわからない。
手書きで書いていたフリーライター時代は、五十枚くらいの小説を
一晩で書いたことがある。
今は長くても、せいぜい、400字詰めで15枚くらいかな。
10月15日締切で、この15枚という依頼が2本あるのだけれど
とりあえず、考えないことにしている。

西川徹郎論を書き始める。
本当は二十日締切だったのだけれど、うっかり、月末締切だと勘違い
していた。
初めて『無灯艦隊』を買って読んだ時のことから、書き始めたら、案外、
すらすらと書けるようになった。
今週の半ばくらいまでに書き終わりたい。

・花園に埋めてひさしい戀ごころまばたきにうつる秋となりたり/早崎夏衛


[364] ギイヨオム・アポリネエルは空色の 2001年09月29日 (土)

夕方、勤め先のOBのお通夜に行く。
報道部に在籍していたということだが、誰もおぼえがないという。
結局、OB会の担当として、私が社長、会長連名のお香典を持つて
お通夜へ赴くことになったのである。
場所は戸田葬祭場。
都営三田線の西台という駅で降りて二十分以上歩かなければならない。
知らない駅に夜になってから降り立って、葬祭場を探すというのは
気持ちのよい体験ではない。
結局、途中からタクシーに乗ってなんとか到着。
お通夜を三家がおこなっていた。

夜、八時半過ぎに帰宅。
川本三郎の女優へのインタビュー集『君美わしく』の前田通子の章を読む。
この女優は「女真珠王の復讐」とか「海女の戦慄」というような新東宝の
映画で初めて上半身オールヌードになった人だそうだ。
結局、ある映画でヌードを拒否して、その後は五社協定によって、ほされ
キャバレー廻りなどして、しのいでいたという。
今は一杯呑み屋を経営しているそうだ。

西川徹郎論を書かなければならないので『西川徹郎全句集』の年譜を
通読する。
驚いたのは一九六四年とその翌年に、デビュー前の藤圭子と浪曲師の父母が
芦別に巡業に来て、西川家のお寺の庫裏に宿泊したという記述。
藤圭子が「新宿の女」でデビューしたのは一九六九年。十七歳という
ふれこみだったので、お寺に泊まった時は十二歳か十三歳。
父親の浪曲のあいまに、美空ひばりの「悲しい酒」などを歌ったそうだ。
宇多田ヒカルは母親と祖父母のこういう苦労を知っているのかどうか?




・ギイヨオム・アポリネエルは空色の士官さん達を空の上に見き/石川信雄


[363] いかにか若き兵士たるべし 2001年09月28日 (金)

会社で午後いっぱいかけて稟議書につける資料をつくる。
この稟議さえ通過してくれれば、一挙に楽になれるのだけれど。

六時半過ぎに会社を出て、霞ヶ関ビルの東京会館でおこなわれている
短歌研究三賞の授賞式に行く。
結局、着いたのが七時半過ぎだったので、選評も受賞者挨拶も終ったあと
だった。残念。

小川真理子さんをみつけて挨拶できたので、なんとか来た甲裴があったが
森本平さんや雨宮雅子さんには、挨拶もできなかった。

しゃべった人は、田中槐さん、玉城入野さん、田村広志さん、塚本青史さん、
小屋敷晶子さん、千葉聡さん、三原由紀子さん、松平盟子さん、青井史さん
大野道夫さん、菱川善夫さんたち。

風邪がなおらないという田中槐さんと一緒に虎ノ門駅まで帰る。
寝る前に山中登久子さんの『三国玲子断章』を再読する。

・復顔といふことあらばそのみめのいかにか若き兵士なるべし/三国玲子


[362] 光ある中に君帰れかし 2001年09月27日 (木)

今日は現代歌人協会の「徹底討論・戦後歌人論」に出席のために
神保町に行く。
少し早目についたので、信山社で、矢野誠一の岩波新書の新刊の
『エノケン・ロッパの時代』と村松友視の『鎌倉のおばさん』を買う。
これらの本は、インターネット上での私の読書の指針である「本読みの快楽」
で、金子拓さんが紹介していたもの。
「本読みの快楽」↓は読書好きにはオススメのHP。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~kinko/index1.htm

現代歌人協会の討論の今回のテーマは「女性歌人の台頭」。
とりあげる歌人は、森岡貞香、河野愛子、尾崎左永子、馬場あき子、雨宮雅子
の五人。パネリストは、司会が内藤明、他に沢口芙美、花山多佳子、水野昌雄
に私の五人。
私の担当は、河野愛子と尾崎左永子の両氏。
歌人的な生涯をたどった河野愛子に対して作家的な尾崎左永子という対比で
しゃべったが、けっこうしどろもどろ。
河野愛子は「アララギ」の土屋文明門下で短歌を始め、結核で入院し
いわゆる療養歌人となり、完治ののちは「未来」で岡井隆の前衛短歌の
方法論に大きな影響を受けて、『魚文光』という歌集を出し、そののち
『鳥眉』『黒羅』『夜は流れる』といった、独自の歌境を形成して行く
という、短歌の歴史に沿った変遷をたどっている。
尾崎左永子は『さるびあ街』を上梓後、歌壇を離れ、前衛短歌の隆盛期を
客観的に見るかたちで、一九七〇年代以降に短歌を再開することで、独自
の描写力を見せる都会的な短歌に進んで行く。
尾崎左永子の短歌はまだ十分に論じられていないと思う。

講座終了後、沢口芙美さん、花山多佳子さん、秋山佐和子さん、永田吉文さん
と「さぼうる」に行く。
もしかすると「さぼうる」に入ったのは初めてかもしれない。
最近、京都で歌集出版を始めている青磁社は、永田和宏さんの長男の人が
やっているのだそうだ。この人の奥さんも奥さんの姉さんも短歌をつくり
始めたという話も聞く。短歌一族だなあ。
9時半頃までおしゃべりして解散。
蒸し暑さの中を10時過ぎに帰宅。

・草原にありし幾つもの水たまり光ある中に君帰れかし/河野愛子


[361] 一匹の羊を曳きて鳴かしむるなき 2001年09月26日 (水)

山を越えたと思ったが、まだ、越えていなかったみたいだ。
何か疲れきっている。
会社に居る時間も長くなっている。
外部の人達に迷惑をかけてしまうのが、いちばん辛い。

今いちばん欲しいものは、本をいくら置いてもせまくならない部屋。
好きなだけ本を読みたい。
読まないかもしれない本も買いたい。

久しぶりに「紙のプロレス」を買う。
吉田豪と山口日昇のターザン山本へのインタビューがあいかわらず面白い。
ターザンは確かに「週刊プロレス」の編集長時代に今のWWF的なプロレス
をやっていたということになるだろう。
「常在演劇」という考え方は、このさきの表現の指針になるかもしれない。

・聖血の思想あはれ吾が一匹の羊を曳きて鳴かしむるなき/河野愛子


[360] さはいへど世界はなほも 2001年09月25日 (火)

会社での勝負どころが、なんとか山を越える。
しかし、疲れたな。
稟議書を書いている時に、スタジオの椅子がこわれたとか、サボテンの鉢が
枯れたままほうってある、とかの電話がかかってくるのについつい苛立って
しまう。
小守有里歌集『こいびと』を読む。
第二歌集として水準はクリアしているが、突出した個性ということになると
いかがなものか。
自己プロデュースをするにしても、どういうポイントを押していくべきか
迷うところだ。

プライド16.谷津嘉章はやはりグッドリッジには勝てなかった。
勝てなかったことはしかたがない。2年連続して挑戦したことに
谷津の屈折した勇気を見る。まぼろしのモスクワ・オリンピック代表の
屈折した勇気。もう、谷津が第一線に出てくることはないだろう。
谷津らしい消え方だと思う。

・さはいへど世界はなほも続きゆく椿像を追ひはらへる妻よ/桝屋善成


[359] 時こそはわがしづけき伴侶 2001年09月24日 (月)

あさ四時半に目が覚めてしまう。
もっとも、昨日、寝たのが、10時ちょっと過ぎなので、6時間以上は
眠っているわけなのだが。
寝床で『覚書 杉原一司』を読む。

史比古が文化祭ということで、6時起きで出て行ったあと、もう一度、
寝床に入り、なんと11時半まで寝てしまう。

午後は首都の会に参加させてもらう。
「短歌人」以外の歌会に参加するのは、この一月の東京歌人倶楽部歌会以来。
短歌を始めてからも、数えるほどしかないはず。
会場は目白の塩の家という旅館の会議室。
一首一首がきちんと批評されるという歌会であり、久しぶりに緊張した。
参加者は「未来」の若手が中心だが、森本平、岡田幸生、錦見映理子、
間崎和明といった、「未来」以外の人達も参加している。

松原未知子、高島裕、さいかち真さんたちと二次会に行く。
松原さんの口から「あの胸にもう一度」とか「クルージング」とかの
映画の題名が出てきたことに、なつかしさとせつなさをかきたてられる。
「あの胸にもう一度」で、レザーのつなぎの服を裸身の上にはおって、
オートバイで疾走するという女性の姿にショックを受けたのであった。

これで三連休は終わり。今夜に限ったことではないが、連休の最終日の夜は
さびしいなあ。こればっかりだ。

・蒼穹は蜜かたむけてゐたりけり時こそはわがしづけき伴侶/岡井隆


[358] 愛されて久しわが虚しさは 2001年09月23日 (日)

横浜の母親の家へ、お彼岸ということで、お参りに行く。
庭の木の枝に、空蝉がいくつもついてた。
話をしながら、吉川英治の「下頭橋由来」という短編小説を読んだ。
10時にでかけて、18時に帰って来た。

帰宅してから、自転車で東陽町まで、牛乳ともやしとうどん玉を買いに
行った。途中で、古本屋に二軒寄ったが、結局、何も買わなかった。

・夕焼の空の一部を冠りつつ愛されて久しわが虚しさは/小野茂樹


[357] 夕照の路地裏に来て 2001年09月22日 (土)

今日は夕方から「短歌人」の編集会議があるだけなので、昼間はごろごろ
すごそうと決めて、実際、ごろごろ過ごす。
といっても、結局、本の整理などしてしまうのだから、いつもの週末と
同じことなのだけれど。

「短歌人」の掲示板が一瞬、険悪な雰囲気になってしまって困ったことだ
と思っていたら、昨日、一日アクセスができなくなって、例の凶悪ウイルス
かと心配していたら、誰かが掲示板の全ログを消してしまったということ
らしい。大谷雅彦さんが修復してくれたが、外部から意図的に掲示板の
ログを消滅させるということが、できるのだろうか。
実際にそうなったのだから、できるのだろうな。

「短歌人」編集会議の前に池袋のジュンク堂書店に行く。
詩歌の棚で、竹内道夫編『覚書 杉原一司』(富士書店刊 1200円)と
いう本をみつける。
「花軸」「メトード」を中心に、というサブタイトルがつけられているが
この二つの歌誌に発表された杉原一司の歌論や座談会や時評や作品を再録
していて、きわめて資料的価値が高い本だ。
2000年4月の発行と奥付にあるが、私の記憶にまちがいがなければ、この本
のことは、短歌専門誌の書評にも出版関係のニュースにも広告にも、まったく
出ていなかったのではないかと思う。
著者の竹内氏は、杉原一司の同郷の鳥取県人で、短期大学の講師をしたり
している上に、この発行元の富士書店の取締役らしい。
完全な地方出版というわけだが、せめて、短歌専門誌に書評用に贈呈したり
広告をうったりすればよかったのに、と思う。
付録として「花軸」と「メトード」の総目次も載っていて、これだけでも
大きな資料になる。
「メトード」は復刻版があるが、「花軸」という歌誌のことは、ほとんど
知られていなかったのではなかったかと思う。
口絵部分と裏表紙に杉原一司の写真も二葉載っている。
ちょっと、正岡豊さんに似ている。

定価も安いし、鈴木竹志さんや大辻隆弘さんには、ぜひ、お読みになって
いただきたい。

富士書店0857-23-0094  たぶん、まだ、在庫はあるでしょう。

「短歌」10月号の小川太郎さんの遺作「路地裏望郷歌」がせつない。

・秋刀魚焼く香りただよう夕照の路地裏に来て不意の望郷/小川太郎


[356] 9738126アラブ人を 2001年09月21日 (金)

非常に疲れた一日になってしまった。
午前中、役員への答申がひとつあって、それはまあ、資料つくりは終えて
いたので、立ち会っただけにすぎないのだけれど、何か疲労が濃厚。

それが終って、さらに追加資料をつくり続けているうちに、昼になり夕方に
なり、夜になった。

帰宅ののち、「短歌研究」十月号で、現代短歌評論賞の受賞論文の
森本平「「戦争と虐殺」後の現代短歌」を読む。
タイトルから想像していたものとはかなり内容はちがっていたが、
視点の独自性はきわだっている。
私の「葉月・八月・鏖殺」が冒頭近くで引用されているが、こういう展開
で、論文の中に組み込まれることがあろうとは、予想していなかった。
『個人的な生活』の作品モチーフが、この評論に小気味良く展開している。

選評の中で岡井隆が「(森本平のような)価値紊乱者が出てこなければ
状況は変らない」と発言していることに共感する。
現状追認からは何も始まらない。とはいえ、追認であっても現状把握が
できているだけましなのかもしれない。少なくとも、権威におもねらない
視点の持ち主の貴重さと価値が、今回の森本平の受賞で認識されることを
のぞみたいと思う。

・9738126アラブ人を殺しわれは数うるかくのごとくに/市原克敏


[355] 間違い訂正 2001年09月20日 (木)

昨日の日記で、山口瞳の『梔子の花』と書いてしまったが、
正しくは『木槿の花』でした。
『梔子の花』というタイトルの新潮文庫版の「男性自身」シリーズもあるが
これは別の本。来生えつこが解説を書いているので、こちらも面白い本で
はあるけれど。


[354] とめどなき私文の朽木文 2001年09月19日 (水)

山口瞳の「男性自身」シリーズのエッセイを拾い読みしている。
新潮文庫版で『梔子の花』というタイトルの本に、向田邦子への追悼文と
彼女にかかわる文章が収められている。
この解説を久世光彦が書いているのだが、山口瞳がエッセイの中で
「テレビの方の人が、向田邦子は直木賞なんかとらなければ、
死なずにすんだのに、と言っていた」という書いたことに
「テレビの方の人というのは、自分のことだが、こういう書き方は冷たいの
ではないか」と異をとなえている。
確かに「テレビの方の人」という書き方には、自分たち文壇人とはちがう
というニュアンスが感じられる。
もちろん、山口瞳の本の解説なのだから、こういう誤解は当事者同士では
とけているのだろうが、その後、一気に作家としての活動にシフトして
いった久世光彦の、作家という存在への熱い思いが感じられる文章だと
思った。
向田邦子の死が作家久世光彦を生み出したと私は思う。

プロデューサーとしての久世光彦氏とは一度だけ仕事をしたことがある。
森繁久弥、伊東四郎、加藤登喜子の三人で、気ままな鼎談をするというもの
だったのだが、この三人のタレントさんが、久世光彦というプロデューサー
に対して、いかに信頼感をもっているかということが実感できる時間だつた。
信頼されている人というのはやはり美しい存在だと思う。

・とめどなき私文の朽木文生きてゆくことすべてが反古/辰巳泰子


[353] 彼の内なるサルトル、カミュ氏 2001年09月18日 (火)

急にまた暑くなった。
ここしばらくは、長期的な目標を忘れてしまっている気がする。
毎日のルーティン・ワークに流され、しかも、そういうことにちまちまと
気を病んでしまうというのは、情けないことだと思う。

夜、「プロジェクトX」を見る。
平成5年の集中豪雨の時の山津波から650人の市民を警察官が脱出させる
という話。この事件に関しては、まったく記憶がなかった。
大規模なプロジェクト物よりも、こういう個人の物語は、心に染みる。
それは、とっさの判断がどのような結果を生むか、ということに私の
興味がひきつけられるからだろう。

寝る前に皆川博子の「骨董屋」というホラー短編を読む。
久々にひねりの効いた短編で感心した。文庫本で20ページたらずだが
ムダがない。描写もプロットもきちんとしている。
小学館M文庫の『巫女』という短編集に収録されている。
ブックオフだったら、200円コーナーにあるはず。

・燃えむとするかれの素直を阻むもの彼の内なるサルトル・カミュ氏/中城ふみ子


[352] 見おろす神をないがしろに 2001年09月17日 (月)

相変わらず、会社での硬直状況は続いている。
この状態が長すぎるためか、逆に、会社の空間を離れると、気分が転換
できるようになった。
今までだと、休日に原稿を書かなければならない時に、会社の仕事のこ
となどで、あれこれと思い悩むこともあったのだけれど、今回は思い出
したくない、という気分が強過ぎるので、完全に精神が逃避してしまっ
ている。いいやら悪いやら。

四時半に会社を出て、日本橋のN不動産をたずねる。
これも、ちょっと行きづまっている仕事の一つ。
用件事態は30分前後で終了。
そのまま直帰する。

夕食後、胃が重苦しくもたれているので、運動をかねて、東陽町のマツモト
キヨシまで、胃薬を買いに行く。
実は東陽町までの道筋には、文庫系の古本屋が三軒あるので、そこも覗く。

結局、中野翠のエッセイ集の『私の青空』シリーズを数冊、それに
難波利三の『小説・吉本興業』、森類『鴎外の子供たち』、それに河出文庫
のマイク・ロイコ『男のコラム』など買ってしまう。

・男らは異国の核をかくしもち見おろす神をないがしろにする/山田あき


[351] 戦争と個人を思ひて眠らず 2001年09月16日 (日)

本と雑誌を整理してトランクルームにあずける準備をする。
初めの予定では、せいぜい、午後の二時くらいまでには終ると
おもっていたので、そのあと散歩にでも行こうと思っていたのだけれど
結局、終ったのは夕方の六時前だった。
本の整理で日曜が終ってしまった。

国際的な緊張感は継続している。
キャンプデービッドでのブッシュ大統領が私服を着ているのが奇妙な姿に
見える。
さまざまな情報がとびかっている。
自分の頭で考えても、結局、何が正しい選択なのかはわからないだろうが
ある方向へ扇動しようとする情報もあるかもしれない、ということだけは
常に気にかけておくようにしたい。

夜、ずっと前に講談社文芸文庫で買っておいた、平野謙著『さまざまな青春』
を、読み始める。実は、本を整理したおかげで、出てきた本である。
岡井隆さんが、何かの座談会で、この平野謙の本に関して言及していた
ように思う。ぶ厚い本だけれども、基本的には日本の小説家を対象にした
作家論なので、読みとおすことはできそうだ。

・耳を切りしヴァン・ゴッホ思ひ孤独を思ひ戦争と個人をおもひて眠らず/
宮柊二


[350] もいだ丸太にしてかへし 2001年09月15日 (土)

午前中は寄贈された歌集の礼状を書き続けていた。
青磁社という出版社が新たにできて、河野裕子さんの『歩く』りほかにも
「塔」の方々が、お二人ほど、ここから歌集を上梓されている。
歌集というのは、丁寧に読んでいると必ず、その人のこの一首とよぶべき
作品に出会うことができる。
そういう作品に出会うことも、短歌に関わっている幸福である。

午後は「短歌人」の月例歌会。池袋芸術劇場の中会議室。
後半から出席し、五時からの勉強会のレポーターをする。
テーマは「ライトバースとその時代・俵万智を中心として」というもの。
私の主張は、1985年に岡井隆が「ゆにぞんのつどい」で初めて、
ライトバースという言葉を提唱した時の真意は、やはり、オーデンの
ライトバースの定義と同じく、重い主題を軽い文体やリズムで歌ったり
固有名詞や俗語、流行語なども採り入れて、表現をライトにしながら
主題を浮かびあがらせようというものだったはず。
それが、途中から思わぬ「サラダ記念日」ブームが巻き起こり、
これこそライトバースだなどという表面的なレッテル貼りがおこなわれて
しまったので、やむなく、次のニューウエーブという段階へシフトを
早めなければならなかった、と思う。
実際、当初、ライトバースの例として期待をかけていた仙波龍英や中山明は
作品活動が少なくなるし、林あまりも、独自のテーマとしてのセックスを
深める方向に進んでしまい、陣営を組織することができなくなっていた。

そして、1991年の穂村弘の『シンジケート』の登場以来、ニューウエーブ
という用語が一般化した。ニューウエーブといった時に俵万智の名前はもはや
連想されることはない。
そして、真のライトバースはどこで実現しているかといえば、実は
岡井隆の『臓器』のこんな歌

・分かりますかカザフ、キルギス、ウズベクの、分かりませんね辺境のことは
・分かりますかウズベク、タジク、アフガンの、分かりませんね愛憎のことは

今さらながら、先見性に息を呑む。

小池光さんは、正岡子規がライトバースだと言ったが、私は
川柳の鶴彬もライトバースではなかったか、と思った。

・手と足をもいだ丸太にしてかへし  鶴彬


[349] 朱の頭そろえて並びいる燐寸 2001年09月14日 (金)

昨夜書いて、メールで送っておいたコラムの書評にOKが来る。
午後一番で、また、うっとおしい会議。
しかし、遅々としてはいるものの、解決に向っていることは確か。
会議が終ってからは、ずっと、資料つくり。
とはいえ、雑事も多いのでねなかなか集中できない。

途中、気分転換に流水書房に行って、山田風太郎の『戦艦陸奥』を買う。
繩田一男、日下三蔵両氏が解説で、山田風太郎の死についてふれている。
表の歴史が司馬遼太郎、裏の歴史が山田風太郎、そして、風太郎小説の
原点には8月15日が厳然として存在する、という主張。同感できる。

帰宅後、明日の「短歌人」の勉強会の資料づくり。
テーマは「ライトバースの時代ーー俵万智を中心に」というもの。

アメリカは予備役五万人の召集を決定したとか。
そういえば、前にWWFのプロレスで、Xパックが、当時の相棒の
ロードドッグをさして「こいつは湾岸戦争で戦ってきた命知らずだぜ!」と
アピールしていた。
どんどんイヤな感じがたかまってくる。

・朱の頭そろえて並びいる燐寸磯部浅一岡本公三/浜名理香


[348] 昔むかしは思いいたりき 2001年09月13日 (木)

キャノン販売に書類をとりにゆくことになって、タクシーで三田へ向う。
レインボーブリッジは相変わらず混んでいて、四十分もかかってしまう。
途中で、キャノン販売の担当者から、ケイタイに連絡が入り、書類を揃える
のに、もう少し時間がかかるというので、先に昼食を食べることにする。
三田の小さな店で、牛タン定食。これは美味だった。
そのあと、「噂の真相」を読んで、30分ほど時間をつぶす。

書類を受け取って、会社に戻る。こんどは十五分で着いてしまった。
当然のことながら、テレビはアメリカのテロ報道一色。

「週刊プロレス」の表紙は佐々木健介だが、レイアウトがやぼったくて
まるで、「ゴング」のようになってしまった。
ターザン山本が編集長として、君臨していた時代はもう昔日の夢なのか。

・アメリカの大統領夫人になりたしと昔むかしは思いいたりき/上妻朱美


[347] 吾が錯覚が一夜つづきぬ 2001年09月12日 (水)

人事部は夜中に、アメリカに出張や旅行で行っている社員の安否を確認して
いたそうだ。
メジャーリーグの中継のために4人、プライベートの旅行で一人がアメリカ
へ行っていたが、全員無事だったとのこと。
小さい会社でも、やはり、こういう世界的事件があれば、多少なりとも関わ
りは出てくるものだ。

夜のTBSの特番では、評論家が、「今回のテロは、世界同時経済恐慌を
ひき起こして、アメリカに報復より、世界経済復興のためのリーダーシップ
をとれ、という世界的世論をおこすことで、報復を逃れようとしているので
はないか」と言っている。なるほど、と思う。
貿易センタービルの高層階から脱出した日本人の談話で、40階から下は
非常階段でおりたが、地上まで一時間以上かかったと言っていた。
私もつい先日、勤め先のビルの25階から7階まで、非常階段で下りる
避難訓練に参加したが、ごく少ない人数で、訓練だと承知して降りていても
けっこう、足はガクガクになるし、最後の方は踏み外しそうになったりした。
時間もその状態で10分以上はかかっている。
パニック状況で、各階から人が出てきて、煙と火と爆発音のさなかで
非常階段を40階下りるというのは、予想以上に難事のはずだ。
だとすれば、非常階段を下りているうちに、ビル崩壊に巻き込まれた人々が
少なからず居たと思う。
消防士やレスキューたちも崩壊に確実に巻き込まれているはずだ。
暗澹とするしかない。

昨日は見られなかった映像が出始めている。
ビル崩壊時に噴煙と爆風が吹き抜けるシーンも映った。
ここでも既視感があるのは、「アルマゲドン」などのパニック映画を見て
いるからだろう。
モニターのフレームがすべてを虚構化してしまう。

夕明り白々のこり居る如き吾が錯覚が一夜つづきぬ/相沢正


[346] 火に触るる火なりき 2001年09月11日 (火)

夜9時半からNHK第一放送で「玉置宏のラジオ名人寄席」を聞いていた。
演目は三遊亭圓生の「包丁」。本編はもちろん後枠の玉置宏さんの解説も
ちゃんと入った。
10時の時報からニュースになり、ちょっと別の部屋に行って、本をとって
きたら、台風のニュースがアメリカのビルへ飛行機が激突したというニュース
に変わっていた。すぐにテレビをつけたら、世界貿易センタービルから炎と煙
が出ている映像が映った。
すごい事故だなあ、と驚いていたら、もう一機の飛行機がまた、激突した。
事故じゃなくてテロだ、そう思った。
ブッシュ大統領の声明が出て、ペンタゴンにも飛行機が墜落、自動車が爆発
し、ペンシルバニア州にも飛行機が墜落とたて続けに、信じがたいニュース
が流れてくる。
「ダイハード」「エアフォースワン」「エグセクティブデシジョン」など
似たような映像を何度も見た気がする。
しかし、ブルース・ウイルスもスティーブン・セガールもカート・ラッセル
もいない。トム・ハンクスもシュワルツネッガーもいない。
そういう役割の人は居るかもしれないが、テレビには映らない。
私はかつてスタジオで高田文夫さんの番組の生放送で、ディレクターとして
キューをふっている時に、湾岸戦争が始まったという経験があるのだが、
今回はそれ以上に現実感がない。
不安ではあるが信じられない気分のまま寝床に入る。眠れてしまう不思議。

・火に触るる火なりき かつてサラーフ・アッディーンは聖都奪りき/黒木三千代


[345] バスクリンは少しなめしことあり 2001年09月10日 (月)

10時からかなりシビアにならざるをえない会議があるので、ついつい
8時前に会社に来てしまう。気が小さいからなあ。
解決策が出ない、というより、誰も出そうとしない会議は疲労する。
いっそ、決定権を委ねてくれれば、と思うのだけれど。
社内だけならともかく、他社の人達を巻き込んでしまい、結果的に彼らに
いちばんの迷惑をかけてしまっているのが、どうにもつらい。

ああ、でも、「短歌人」の締切も迫っているんだ。
もう十一月号の締切。2001年も雑誌の上からは、もう、あと一ヶ月。
秋風が吹きぬけてゆく世界。

・中将湯はのみしことなしバスクリンは少しなめしことあり あはは/高瀬一誌


[344] にがき水に引かれる蛍? 2001年09月09日 (日)

イーグルカフェ、追込むのが遅過ぎるよ。せめて二着に届いてくれなくちゃ。
ということで、日曜日の馬券はさんざんでした。

一日中家に閉じこもっていて、原稿を二本書き、読みかけだった本を二冊
読了しました。
大槻茂著『喜劇の帝王 渋谷天外伝』(小学館文庫)
この本の著者は元新聞記者。関係者への取材や資料の調査もしっかりしていて
読み応えのある評伝になっている。
渋谷天外が戦前に、岡田嘉子とソ連に亡命した演出家の杉本良吉を匿って
やっていた、という話など、初公開ではないだろうか。
浪花千栄子の天外への憎悪の例として、浪花は女優として成功して
料亭をつくった時に、敷石の一枚の裏面に「渋谷天外」と彫り込み
毎日、踏みにじって歩いた、というのも、凄まじいエピソードだ。
巻末の館直志(渋谷天外の脚本執筆時の筆名)作品リストも労作。
小学館文庫は、ときどき、こういう貴重な本が入るので、目が離せない。

末永昭二著『貸本小説』アスペクト
これは、貸し本マンガに対して貸し本小説という、読み捨ての娯楽小説が
昭和三十年代に量産されていたということの研究と著者、作品の紹介。
集団就職などで東京や大阪に出てきた「非学生ティーンエイジャー」が
読者であり、当時の邦画のストーリーに似た活劇や明朗青春モノ、
また時代劇の若様モノが、特に好まれたということだ。
城戸禮、鳴山草平、若山三郎、風巻紘一、和巻耿介など、現在も春陽堂
の文庫に入っている作家も多い。
当時の本の写真をたくさん入れているので資料的な価値もあるが、
欲を
いえば、作歌別の長編作品リストなどもつけてくれると嬉しかったのに。

台風が近づいているらしく、外では不穏な風が吹いている。

・にがき水に引かれる蛍? いえあれは二晩鳴らない電話のランプ/五十嵐きよみ



[343] 沢田研二が甘く歌えり 2001年09月08日 (土)

近所のリサイクル系の文庫古本屋の棚に、群よう子と桐生操の本が大量に
並べられていた。
誰かがまとめて売り払ったのだろうが、どうも一人の人間がこの二人の本を
集めていたような気がする。
桐生操をまとめて売り払うという気持ちは想像できるが、その前に、桐生操
の文庫本を全部買って読むというのが、私には想像できない。
群よう子の方は、まだ、全部の文庫本を読むという気持ちはわからなくも
ないが、私はあまり、群よう子の本を読みたいという気はしない。
新書の『尾崎翠』を読んだ時に、ほとんど教えられるところがなく
尾崎翠を書くべき必然がないように思えたからなのだが。

女性のこの手の本の書き手としては中野翠が肌合いがあう。
白石公子も、積極的に読む気はしないが、読んでしまえば、ポイントは
つかんでいると思う。
阿川佐和子とかは読んだことがないのでわからない。

沢田研二と高田文夫は昭和24年6月25日という同年同月同日生まれ。

・やせ我慢が男の美学でありし日を沢田研二が甘く歌えり/五十嵐きよみ


[342] 石川セリを誰かが選び 2001年09月07日 (金)

会社で私をめぐつていろいろとトラブルが続いている。
結局は組織と人間ということなのだが、今でもわからない部分がある。
私の亡くなった実母は、私が小学6年生の時に
「龍一郎には平凡な人になってほしい」と言ったのだが、今にして思えば
母親も深い意味ある言葉を言ったのかもしれない、と思う。

コンピュータのそばに、五十嵐きよみさんが歌葉で出版した第二歌集の
『港のヨーコを探していない』を置いてあり、おりにふれてページを
ひらいている。通俗性と流行とが巧みにブレンドされたスピード感のある
歌ばかりで、いつのまにか記憶に残ってしまう。
五十嵐さんは、インターネットと出会い、短歌と出会うことで、少なからず
人生に潤いが出た人なのではないかと思う。
私もまた、そうでありたい。

・石川セリを誰かが選びひとつづつ会話の静まりゆけるリビング/五十嵐きよみ


[341] 「プカプカ」の女のように 2001年09月06日 (木)

朝、いきなり、会社のコンピュータがたちあがらないという事態に。
総務部へ各セクションから電話が殺到する。
とはいえ、私がどうこうできるわけではないので、外部スタッフへ
電話して状況を説明するほかはない。
結局、約40分で、修復することができた。
しかし、システム化されて、それを管理するというのがどういうことなのか
わかったようなわからないような。

ともかく、疲れる一日だった。
帰りのバスも満員で座れなかったし、疲労感濃い一日。
飛鳥高の「古傷」という短編を寝床で読み始めたのだが、読み終えない
うちに眠ってしまった。

・トランプを返せばクイーン「プカプカ」の女のようにキョーコが笑う/五十嵐きよみ


[340] おのづから寂びにほふ瓶のふくらみ 2001年09月05日 (水)

私が毎月、必ずすべてのページを読むのは、原健太郎さんが出している
「笑息筋」という笑芸の専門批評誌と、小池正博さんが出している
「きさらぎ連句通信」のふたつ。
どちらも、B5版の小冊子だが、問題意識がとても鮮明で、教えられる
ところが多い。
原健太郎さんの場合は、軽演劇への愛情が、現状への鋭い批評となって
炸裂する小気味よさ。商業演劇として上演されている喜劇をとにかく
その目で見る、という姿勢が一貫していて、論評にきわめて説得力がある。

小池正博さんの場合は、連句を中心にしながら、短詩形全体に目配りしつつ
しかも、思いもかけない角度からの切り込みにある。
現在、2001年9月号を送っていただいたところだが、その特集は
「阪井久良伎と井上剣花坊」。前号が「七七という詩形」という
川柳の特異性に注目したもの。小池さんは、また、「子規新報」の今月号
でも、連句のみごとな捌きを見せている。

原さんや小池さんの地道でしかも鋭い仕事を見ると、自分などなにほどの
こともできていない、と、恥ずかしくてたまらなくなる。
逆にいえば、こういう素晴らしい人が居るからこそ、自分がこだわり
続けている笑芸や短詩形というものも棄てたものではないということか
もしれない。

小学館文庫の大槻茂著『喜劇の帝王渋谷天外伝』を読んでいる。
日曜に読んだ藤井薫の本よりよほど刺激的で批評があって面白く読める。

桂米朝の対談集『一芸一談』も平行して読んでいるが、これも、一流の
芸人から芸談をひきだす米朝の話芸がみごとで、読んで得した気分に
なれる。藤山寛美、旭堂南陵、京山幸枝若、片岡仁左衛門などなど
奥深い世界の機微が語られている。
この桂米朝と上岡龍太郎が、意識的に自分たちのかかわってきた芸人さんの
芸と人を書き残そうとしているのが、後続世代の私にとってはありがたい。

・床の間の暗きを占めておのづから寂びにほふ瓶のふくらみは見ゆ/前川佐美雄


[339] かかる徒労は心いたましむ 2001年09月04日 (火)

肉体的にも精神的にも疲れている。風邪までひいてしまったようだ。
朝から緊張感が漂う会議。これも徒労なのだけれども。
理不尽な他人のためにどれだけの時間が無為に過ぎてゆくのか。

河野裕子歌集『歩く』、永田和宏歌集『荒神』、どちらも読もうとしても
精神が着いて行かない。読めない。私の心が疲弊しているのだろう。

夜、ラジオで六代目松鶴の「一人酒盛り」を聞きながら寝てしまう。


・器より逃れんとして亀動くかかる徒労は心いたましむ/尾崎左永子


[338] 待つてゐるのが辛いから 2001年09月03日 (月)

暑さが去って、気候的にはしのぎやすくなったけれども、精神的には
疲労が色濃くなっているようだ。
株価も下がり続けている。
書かなければならない原稿がいくつかあるのだが、昨日、集中力を出して
しまったので、今日はへろへろくんだ。

日曜日に宮崎二健さんの店「サムライ」で、朗読座のライブがあったそうだ。
朗読座は「オールプランニングME」の木村孝八さんがプロデュースする
朗読中心のグループ。六月の公演を見に行った。
その時の感想は、宮澤賢治の作品や立松和平の文章など、テキストの選択を
どういう必然性があって選ぶのかが、問題となるのではないかというもの。
その後、木村さんに、お目にかかる機会があったので、このことは直接
話させていただいた。
面白い演出だと思ったのは、エンディングで、生ピアノの「テイクファイブ」
にのせて、出演者全員がステージにあがり、自分の好きなフレーズを一節ず
つ、朗読していく一種のセッション。
これは今回のライブでもおこなわれたようだ。
次の機会にはぜひまた聞きに行ってみようと思う。

辰巳泰子さんも来年の朗読ライブの準備に入っている。
構成にプロの松原一成さんがついているので、今までの朗読のライブから
ぬぐいきれていないシロウト臭さを、一掃したものになるのだろうと思う。
演劇性を強める方向へゆくのは、辰巳泰子という歌人の表現にはあってい
ると思うが、一人芝居(一人語り)と朗読との差異というこだわりは、
どのように昇華してみせるのか、期待したい。

・待つてゐるのが辛いから月に行こ 月に行つたら月で待つらむ/辰巳泰子


[337] われのみにきこえぬ鐘にふれにしが 2001年09月02日 (日)

短い原稿ひとつと短歌をたくさんつくった。
午後は一家四人で、六本木の美容室へ行った。

昨日は買った本のことを書いたので、今日は読み終わった本のことなど少し。

川本三郎『アカデミー賞』中公新書
1990年に出た本なので、やや古い本だが、アカデミー賞にかかわる
エピソード集なので、通勤時にバスの中で読んでいたら、いつのまにか
読み終わっていた。
賞に関する人間模様というのは、やはり、面白い。ハリウッドのスター
ならば、金銭的には不自由していないだろうに、やはり、賞という名誉
には実は弱いのだ、ということがひしひしと伝わってくる。
マリリン・モンロー、カーク・ダグラス、リリアン・ギッシュ、ジュデ
ィ・ガーランド、アラン・ラッド、オーソン・ウエルズ等など、現役時
にアカデミー賞に縁がなかった人々はけっこう居る。この中には、後に
名誉賞なるものをもらった人も居るが、現役時にもらいたかったという
のが本音ではないか。
明かなミス・ジャッジもあったようだし、一部の映画界の有力者のごり
おしによる不可解な受賞もあったようだ。
こういう賞をめぐる愛憎こもごものエピソードは、短歌の世界にもその
ままあてはまる。

藤井薫『さらば、松竹新喜劇』情報センター出版局
著者は松竹新喜劇の座付き作者として活動し、のちにフリーになって、
スポーツ関係の文章を書いている人らしい。
渋谷天外にスカウトされ、藤山寛美には嫌われながらも、のちに頼られ
て、松竹新喜劇にもどり、寛美のために本を書くが、また、嫌われて退
団といういきさつが綴られている。
一種の内幕暴露本なのだが、天外と寛美にのみしかペンの焦点が絞られ
ていないので、劇団全体の雰囲気や力関係がほとんどわからない。
ここは大きな欠点だろう。曾我廼家五六八だけは、著者の好意が感じら
れるが、あとは中村あやめも石河薫も曾我廼家鶴蝶も曾我廼家明蝶も小
島秀哉も小島慶四郎も、名前が出てくるだけで、役者としての像が、ま
ったく浮かびあがってこない。
天外や寛美のわがままさによって、自分は裏切られた、と著者は書くけ
れど、天外に関しては、返って、この著者を可愛がっているようにしか
見えないのだが。
昭和四十年に渋谷天外が舞台裏で、脳溢血の発作をおこした時に、著者
は現場に居たようだが、ここの描写もものたりない。
別の本で読んだエピソードなのだが、天外倒れるのニュースが流れた時、
天外の先妻の浪花千栄子にそれを伝えたのは、テレビの台本を書いてい
た藤本義一だったそうだ。藤本義一の描写によると、そのニュースを伝
えた瞬間、浪花千栄子はすっくと立ち上がり、口の中で観音経を一節唱
えたあと「天罰だす。死になはれ」と夜叉のような形相で吐き棄てた、
という。この藤本義一が書いたエピソードの迫力の方は忘れられない。

ここのところ、芸能、演芸関係の本を読んでいるのだが、著者の演芸に
対する愛情の差が、内容に歴然と出てくると思う。

・われのみにきこえぬ鐘にふれにしがふるへゐたりき鳴りてゐにしか/水原紫苑


[336] うそ寒や蚯蚓の唄も一夜づつ 2001年09月01日 (土)

気がついたら、書かなければならない原稿が大量にある。
まるで、夏休みの最後に宿題をやっていない小学生のようなものだ。
とは言いながら、今日も午前中は病院に行って、アトピー性皮膚炎の
薬をもらい、帰りには八重洲ブックセンターに行き、本を買って、
午後はPATで馬券を買いながら、昼寝をしてしまった。

ある方に10000円の図書カードをいただいたので、それを全部、文庫本の
購入に使わせていただいた。買った本は下記のとおり。

富沢一誠『フォークが聞きたい』徳間文庫 724円
丸山一彦校訂『一茶俳句集』岩波文庫   650円
森銑三著『明治人物夜話』岩波文庫    760円
『戦後短編小説再発見』B講談社文藝文庫 950円
色川武大『生家へ』講談社文藝文庫    1250円
朝山蜻一『真夜中に唄う島』扶桑社文庫  860円
皆川博子『花の旅夜の旅』扶桑社文庫   743円
デュ・モーリア『鳥』創元推理文庫    980円
J・M・スコット『人魚とビスケット』創元推理文庫 620円
赤瀬川原平『櫻画報大全』新潮文庫    743円
『有栖川有栖の本格ミステリ・ライブラリー』705円
江戸川乱歩『新版 探偵小説の謎』現代教養文庫 600円

以上で消費税を入れて10020円。できるだけがんばって読みます。

・うそ寒や蚯蚓の唄も一夜づつ  一茶


[335] 下着姿の森下愛子 2001年08月31日 (金)

社屋内部の消毒ということで、フジテレビの施設管理部から、今日の朝の
8時半に、秘書室、役員室を消毒するということになっていたので、8時
に会社に行く。
いつも、上村さんにお願いしていたので、今日は上村さんより早く行くつ
もりで、この時間にきたのだが、上村さんが、電車を一台乗り遅れたとい
うことで、遅れてきたので、結果的に正解だった。
私まで遅れていたら、消毒のスタッフにもフジテレビのスタッフにも迷惑
をかけてしまうところだった。
今週は会社ではろくなことがなかったが、やっと、金曜日に名誉回復的な
ことができたということか。

夜は「タイタニック」の前篇を見る。
そのあと、五十嵐きよみさんの第二歌集で歌葉で刊行された
『港のヨーコを探していない』を読む。
五十嵐さんの持ち味である風俗性と時代との配合が効果をあげている
読み応えのある一巻にしあがっている。
きちんと、短歌総合誌の書評欄でも、とりあげてほしい。

・ああ昨日キョーコは映画の中で見た下着姿の森下愛子/五十嵐きよみ


[334] 夜更の街の電柱に体あずけて 2001年08月30日 (木)

今週の「週刊ファイト」によると田尻義博がWWFのサマースラムに出場し
Xパックとタイトルマッチをおこなったそうだ。
これは、野球の世界にたとえれば、メジャーリーグのオールスター戦に出場
したのと同格の快挙なのである。
さまざまな分野で、日本人が頭角をあらわしているということは、純粋にう
れしいことといえるだろう。

「開放区」が届いた。
小川太郎さんの書いた吉村実紀恵歌集『異邦人』の批評が載っている。
小川さんの絶筆になるのだろう。
いいひとは早く亡くなってしまう。

もう一冊の歌集批評特集は福島久男歌集『チャンピオン』。
この歌集が4月におこなわれた、みなとみらい21での星野敬太郎の
タイトルマッチの会場で販売されたというのも、ひとつの快挙である。

「週刊女性」の穂村弘インタビュー。
ちょっと意図不明な感じだった。
まみにモデルが居るということを、そんなに強調する必要があるのだろうか。
それとも女性誌だから、そういうことをあえて発言するのだろうか。
パブリシティ効果ということからも、私にはやや疑問が残る。
とはいえ、こういう露出が続く歌集は初めてなのだから、誰もやれなかった
パブということで、記憶には残さなければならない。

・とうきょうの夜更の街の電柱に体あずけてあきらめている/山崎方代


[333] 無数の舟についてかんがえる 2001年08月29日 (水)

「すばる」9月号に、詩のボクシング全国大会の優勝者の若林真理子、
ジャッジメンだった江國香織、プロデューサーである楠かつのりの鼎談が
掲載されている。
若林真理子のいかにも高校生らしい発言の数々は、清心で、幼いとは思
いつつも、教えられるところもある。
高校では放送部に入っているようだが
「マスメディアというのは、情報と物語を融合していくのが大切で
 情報的な処理を加えることによって物語を作ることができる」
という発言など、教えられてしまった。

一方、彼女は小さい頃、よく弟と一緒に、雨戸をしめてベッドの中で
「遭難ごっこ」をやりながら、そういう状況での物語を作って、弟に
話して聞かせてやった、とも語っている。
現在の若林真理子となら、ぜひ、遭難ごっこをやりたいものだ、などと
不埒な感想を抱いてはいけません。

同誌には、若林真理子の詩が4作掲載されているので、併せて、お読みに
なることを、おすすめしたい。

わたしはいま
無数の舟についてかんがえる  若林真理子「ちいさい海」部分