[332] 鮮やかに見ていたものは夢だった 2001年08月28日 (火)

読売新聞の夕刊に伊藤一彦氏による短歌時評が掲載されている。
これを読むと、今月は『手紙魔まみ』も『ハッピーアイスクリーム』も
『ハッピーロンリーウォーリーソング』も出ていないかのような平穏な
月のようだ。
見えているもの、感じていることが、どんどん異なってくる。
石井辰彦さんが、「現代詩手帖」の連載時評で、『手紙魔まみ』をとりあげ
「この一風変った歌集に、既成の歌壇はどう対応することになるのだろう?
 肯定するにせよ否定するにせよ、きちんとした評価を下せるのだろうか」
と、書いている。
既成の歌壇には徹底はてなじまずにきた石井辰彦さんの言葉だけに説得力が
ある。

まだ読んでいないのだが、今週の「週刊女性」に、穂村弘インタビューが
掲載されているそうなので、読まなければならない。
この徹底した露出作戦は、ミュージシャンが新曲を発売したときにおこなう
ものと同じ。歌集のパブが初めてきちんと意識されたということだろう。
「週刊女性」の読者層が『手紙魔まみ』の読者層に重なりうる、もしくは
重なってほしい、という版元のパブ計画があるわけだ。

そういう点でいえば、「現代詩手帖」の今月号の砂子屋書房の広告は
永田紅歌集『日輪』一冊のみ。これも読者層をしぼった戦略的な広告
といえるだろう。

・鮮やかに見ていたものは夢だったもともとそんな気もしてたけど/加藤千恵


[331] みな大き袋を負へり 2001年08月27日 (月)

会社でばかばかしい会議を今日、明日とおこなわなければならず気が重い。

沖縄在住の詩人、石川為丸さんのホームページ「くぃくぃ」で
詩の盗作問題に関して、真摯な議論がかわされている。

http://www.h3.dion.ne.jp/~kuikui/

ぜひ、上記のURLにアクセスし、考えてみてほしい。
さらに、参考文献として、角川「俳句」の今月号に掲載されている
島田牙城氏の「剽窃について」という文章も、読んでいただきたい。
表現する者の覚悟が問われる問題だと思う。

北千住のブックオフで、朝日文庫版の『西東三鬼集』が100円で
売られていたので、つい、買ってしまう。

・みな大き袋を負へり雁渡る  西東三鬼


[330] タクシーはどこへ行くんだ 2001年08月26日 (日)

今日は渋谷の勤労福祉会館で、植松大雄さんの歌集『鳥のない鳥籠』の
批評会だった。
パネリストは、松平盟子さん、森本平さん、高原英理さんに私、司会が
田中槐さんでした。
荻原裕幸さん、加藤治郎さんも上京して参加していたので、穂村弘さんも
ふくめて、SSプロジェクトの三人が揃い踏みということに。

厳しい意見が多かったのだけれど、それは歌人にとっては、すべて
自分の身に帰ってくることなのだなあ、と思いつつ、あっという間の
2時間が過ぎてしまった。

嬉しかったのは、詩人の林浩平さんに初めて会えたこと。
林さんとの縁は、昭和63年の暮れにさかのぼるのだが、その頃、
三上博史の番組のディレクターだった私は、番組中で、林さんの作品を
三上博史が朗読するということで、その了解をいただくために、初めて
林さんに電話をしたのだった。
それで、了解していただき、番組も無事に収録でき、テープをお送りしたのでは
なかったかと思うのだが、その前後に一、二回、ハガキのやり取りがあった
ような気がする。
林さんは、石井辰彦さんと親しかったり、米川千嘉子さんの歌集の批評を
書いたり、ということで、たいへん、現代短歌にも現代俳句にもくわしい
詩人であり、たいへん、貴重な人といえる。
柴田千晶さんとも、むかしは親しかったというので驚いた。
コラボレーションは知らないとのことなので、掲載誌をお送りしようと思う。

二次会は渋谷の和民。なかはられいこさんも名古屋から、先週に続く参加。
「WE ARE!」を参加者に配っていた。
林さんとかなかはらさんとかの動きが活発になってくれれば、詩歌句の
越境や相互批評が可能になり、かなり刺激的な状況になるのではないか。

・タクシーはどこへ行くんだおれを棄て君を降ろしてしまったそのあと/植松大雄


[329] ことごとく閉ぢし家にも秋はただよふ 2001年08月25日 (土)

午前中、不愉快なことがあったので、不貞腐れて、寝てしまう。
起きたら、午後一時だった。
昼食をいいかげんに食べて、散歩。
木場、洲崎、東陽町、門前仲町といったあたりを歩きまわる。
悩み深く、迷いも深い。
自分の能力の限界が見えてしまう気もする。

夜は「めちゃイケ」を見てNHKの教科書採択問題のドキュメントを見る。
そのあとで、吉川潮さんの新刊『本牧亭の鳶』を最後まで読了。
表題作であり、いちばん長い収録作の「本牧亭の鳶」は
吉川流の「巷談・本牧亭」なのだということがわかった。
安藤鶴夫の世界に近づいている吉川潮という作家の方向性を読者としては
とても、嬉しく思う。
ここ一ヶ月ばかり、逡巡していた、安藤鶴夫全集をやはり買うことにしよう。

不愉快な一日だったが、最後にやっと、気分のよい時間をもてた。


・眠らざる瞼のふるへことごとく閉ぢし家にも秋は漂ふ/三國玲子


[328] もういいよもう帰っておいで 2001年08月24日 (金)

会社では社内インフラ整備のための会議続き。
午前中は経理と見積もりに関する打ち合せ。午後はインフラプロジェクトの
本会議。結局、決定権を持っている人の認識が曖昧だから、なかなか前へ進
むことができない。

今夜は本当は駄句駄句会のはずだったのだが、山藤章二さんのご都合で
急遽中止になった。インフラプロジェクトが不毛なままに長引いて、遅刻は
まぬがれそうもなかったので、中止はかえってありがたかった。

高田文夫さんから、新刊の対談集『銀幕同窓会』(白夜書房)をくださる。
池袋の文芸座が再開された時の記念のオールナイトイベントのトークショー
を活字におこしたもの。
対談者はイッセー尾形、大滝詠一、高平哲郎、北野武、高橋春男、中野翠と
いったメンバー。映画館が学校だった世代の人達の話で、さすがにマニアッ
クで面白い。一気に読了してしまった。
家庭用のビデオが普及する前の世代は、映画館で映画を見るときにも真剣だ
った。私も一度しか見ていない作品のデテールをかなりこまかく覚えていた
りする。逆に記憶の方がまちがいで、ビデオで再見すると、異なっていたり
もする。
この対談集の中でも高平哲郎さんが「憲兵とバラバラ美女」という怪談映画
で、手術室で美女の死体が解体される場面で、猫の鳴き声が聞こえたとずっ
と思い込んでいたが、ビデオでは猫は鳴いていなかった。もしかすると、場
末の映画館だったので、飼い猫か野良猫がタイミングよくそこで鳴いたのか
もしれない、となっている。そういうこともあるかもしれない。
こういう本を読むと映画が見たくなる。
私はとりたてていうほどの映画マニアではないが、学生時代がアメリカン
ニューシネマとロマンポルノと仁義なき闘いの時代だったので、映画が学
びの場になったことは否定できない。
そういう世代の人が読めば、この対談集は楽しめる。

・血のにじむ翼が透けてみえるからもういいよもう帰っておいで/村上きわみ


[327] 台風一過の空は青いけれど 2001年08月23日 (木)

結局、台風によって、東京地方の被害はさしてなかったようだが、日本全体
でみれば、亡くなった人もいる。
自分が痛みを感じなければ、なにもなかったのも同じ、というのは困ったこ
とにはちがいないのだが、いつのまにか、自分もそういう気持ちになってし
まっている。
会社はもうなにごともなかったように平穏。

データセンターの会社の人から、業務内容やその重要性などをレクチャーし
てもらう。宣伝にはちがいないのだが、説得力があって、教えられるところ
が多かった。
今朝の「おはよう!中年探偵団」に石原伸晃行政改革担当大臣が出演したの
で、防災センターがガードなどでたいへん協力してくれた。そのお礼に防災
センターへ行き、来週の金曜日にも、石原大臣が午後のテリー伊藤の番組に
出演することになっているので、同じ警備体制をとっていただけるように、
お願いに行く。
防災センターからの帰りにそのまま、18階のDAIBAに行き、メニュー
委員会に出席する。

今日は『短歌人』の編集会議。本当は昨日だったのだが、台風のため中止に
したので、場所は蒔田さくら子さんの自宅。
途中の有楽町線の中で、吉川潮さんの新刊『本牧亭の鳶』を読む。
色物の芸人さんをモデルにした短編集。
安藤鶴夫→色川武大→吉川潮  という流れになるのかもしれない。

声帯模写の丸山おさむをモデルにした「九官鳥」、石倉三郎をモデルにした
「借金鳥」、波多野栄一をモデルにした「カラスの死に場」の三編を読了。

講談の本牧亭という名前は、江戸時代に、講釈場として初めてオープンする
ときに、向いが金沢という菓子屋であったので、金沢文庫の対岸の本牧岬の
名前をもらって『本牧亭』としたのだそうだ。
こういうことを知ると嬉しくなる。

編集会議で、高田流子さんから、小川太郎さんのお通夜の様子など聞く。
こちらの話はさびしくなる。
他にも、歌壇の噂話なども、聞く。これもまたさびしくなる話であった。


[326] 小川太郎さんが亡くなった 2001年08月22日 (水)

台風が東海地方から関東地方を直撃するというので、不穏な一日。
会社の中も報道部を中心に、緊張感が漂っている。
午前中から午後にかけてのミーティングの約束なども、キャンセルとの
連絡がいくつも入ってくる。
そして、結局、台風は上陸後、急速におとろえて、お台場地区はすでに
夕方四時過ぎには、なんと夕日がまぶしいほどになっていた。
変な天気の一日だった。

明日、「中年探偵団」に、石原伸晃行革担当大臣が生出演するということで
防災センターから連絡があり、警備と入館導線の打ち合せに行く。
現職の大臣の入館に対しては、やはり、とても、気をつかわなければなら
ない。Kプロデューサーと一緒に、防災センターで打ち合せ。

今日、いちばんショックだったのは、小川太郎さんの死。
福島久男さんが、掲示板に書き込んでくれたので知った。
昼休みに田島邦彦さんに電話して、8月16日に亡くなったことを
教えてもらった。
短歌関係では「短歌人」の高田流子さんだけが参列したが、ほとんど親族
のみの密葬だったそうだ。
小川太郎さんと私とは、年齢的にひとまわりちがうが、同じ時期に歌集を
出したので、短歌時評などで、一緒に並べて論じられることが何度かあった。
『路地裏の怪人』という小川太郎さんの歌集は、本当は一九七〇年代に
出なければならなかった歌集だったのだと思う。
昨年のちょうどいまごろ、『血と雨の墓標』の読書会をおこなった時にお会い
したのが、最後に出会った機会になってしまった。
田村広志さん、佐伯裕子さん、加藤英彦さん、天草基江さんたちとの会合
だったが、田村さんと小川さんが話してくれた、戦後の戦争未亡人と子供との
家庭の話は、忘れられないものであった。当然、同じ境遇の岸上大作に対する
評伝を、小川太郎さんが書く必然性はあったわけだ。

一九九九年十月に姫路文学館で開催された「岸上大作展」の初日におこなわれ
た、沢口芙美さんへの小川太郎さんの公開インタビューも忘れられない。
私にとっては、学生時代に思潮社版の岸上大作全集を読んで以来、ずっと
疑問に思っていた、岸上の本当の気持ちを、片思いの当事者である沢口さん
の口から聞けるという、千載一隅の機会だったのだが、この時の小川さんの
質問の数々も、鋭く核心をついたもので、聞いていた私は
「ゆきゆきて神軍」を連想したほど、キツイものだった。

いずれにせよ、小川太郎さんが、もう、この世にいないということは
これから、本当の意味で実感することになる。
まもなく、小川太郎さんの最後の原稿が載った「開放区」が出る。


[325] 更に値う一年の秋 2001年08月21日 (火)

医務室であらためて産業医の先生に血圧の相談をして、今後の治療法の
指示をもらう。まあ、薬漬けではあるので、さして、変わったことはない。
今日はインフラの定例会議がなかったので、午前中は書類の整理。
有楽町のサテライトスタジオのラジオタウンにロールカーテンが装備され
カーテン全体に会社名の巨大なロゴが印刷されている。
ただでさえ派手なビッグカメラが、いっそう派手な外見になったようだ。

午後は役員室の応接セットを入れ替えたり、OA器材のリストの整理を
したりしているうちに、いつのまにか夕方。
台風が接近中らしいが、夕方のお台場は雨は降っていない。

六時半前に帰ろうとしたら、エレベーター前がざわついている。
よく見ると、真ん中に中島みゆきがいた。
プロモーションのために、何番組かの録音をすませて帰るところだったようだ。
私はディレクター時代にも、中島みゆきの番組を担当したり、ゲストに
入ってもらったりはしたことがないので、彼女が実際には、どのような
キャラクターなのかは知らない。タレントの場合、あまり、こまかいことを
知らない方がよいことも多いので、中島みゆきに関しては、そう思う。
そういえば、永田和宏さんは、中島みゆきのファンじゃなかったかな。

・「更に値う一年の秋」 水湛え遠ざかるのみの背は夢に見し/永田和宏


[324] だしぬけに庭の夜風や円朝忌 2001年08月20日 (月)

土曜日の長島有さんの会のところで、うっかり書き忘れてしまったのだが
文藝評論家で秋里光彦という別ペンネームでホラーの傑作『闇の司』を
お書きになっている高原英理さんとも初対面であった。
高原さんは、東京創元社の戸川安宣氏が出版人としての名誉をかけて
出版した『江戸川乱歩貼雑年譜』を購入し、時折、一般公開してくださって
いる人格者でいらっしゃる。
秋里光彦としての新作はお書きにならないのですか、とうかがったところ
まもなく発表される短編があるようなのでおおいに期待したい。
ワセダミステリクラブに居たことなどをお話しつつ、北村薫、折原一など
が先輩で、同級生に柿沼瑛子、1年下に友成純一と続けると、ニヤリと
されたのが、なんといっても、印象的。まあ、当然の反応といえましょう。
奥様の佐藤弓生さんが紹介してくださったのだが、嬉しい出会いであり
ました。
佐藤りえさん、田中庸介さん、穂村弘さんにもお会いしました。
穂村さんは私と同じく血圧が高いのに、日曜日は名古屋、あれ、京都かな?

日曜日は日記を書いたあと、例の藤田対クロコップをテレビで見た。
何か、がっくり、力が抜けてしまった。
ディファ有明でのプロレスは純粋なプロレスなので安心して見ていられたが
膝蹴り一発で、目の横に骨が見えるほどの裂傷を負わせるような試合を
みんな面白いと思うのだろうか。
格闘技の世界はますます殺伐としてくる。これでいいわけがないと思うよ。

月曜日は疲れてしまって、結局、会社を休む。
だんだん信用を失って行くのだろうか。
医者に行くまで時間をつぶすために、池袋のジュンク堂書店へ。
自由価格本のコーナーに、倒産した小澤書店の本だけでなく、青蛙房や
恒文社の本がでている。
小島貞二著『快楽亭ブラック伝』、矢野誠一『円生とパンダが死んだ日』等
買ってしまう。
医者で、血圧と頭痛の薬を処方してもらう。効いてくれればよいのだが。

台風が近づいているらしい。風に不穏な匂いがする。

・だしぬけに庭の夜風や円朝忌/村山古郷


[323] 2000 GONGS AND MORE 2001年08月19日 (日)

メールマガジン「夕刊プロレス」の2000号記念のイベントが
無事に終了した。
スタッフは夕刊プロレスの発行人の桃太郎さん及び常連執筆者のみなさん。
イベントの進行はまったくシロウトの人達だが、本当にきれいなかたちで
イベントが終了した。
これはこの人達の素晴らしい熱意のたまものだと思う。
私は初めは単に観客としてチケットを買っていたのだが、途中からプロレス
の団体と交渉し、PAや照明、音響のスタッフワークを担当することに
なってしまっていた。
裏方の進行はサウンドマンというグループの会社にうけおってもらい
あとは、プロレスリング・ノアと全日本女子プロレスと交渉し
マッチメークを決定してもらう役目をはたしたことになる。
しかし、お祭り的なものであっても、プロレスの試合を入れての
イベントというのは、見るのとやるのはおおちがい、なかなか神経を
使わざるをえないということを実感した。
協力していただいた、ノアと全女のスタッフ及び選手には感謝したい。

ホーキング青山のトーク・ライブも数多くのお客の前で、十分に時間を
かけてやってもらうことができたし、彼の電動車椅子をリングの中に入れる
ために、レッスル夢ファクトリーのレスラーたちがボランティアで手伝って
くれたことも忘れられない。

しかし、メールマガジンが日刊で発行されて、2000号までつづき、
こうした記念イベントが実施されるというのは、考えてみればすごいことだ。
桃太郎さんと常連執筆者のみなさんには大きな拍手をおくらねばならない
だろう。
昨日、今日と素晴らしい、気分のよい場所に身をおくことができたのは
私のこの夏の大きな収穫だった。


[322] 飛び立たなけりゃ燕にならぬ 2001年08月18日 (土)

夜、神楽坂の出版クラブで「サイドカーに犬」が芥川賞候補になった
長島有さんを囲むパーティーがあった。
「恒信風」のメンバーが中心になって、「かばん」その他の友人たちが
集まる、とても良い雰囲気の会だった。
私も長島さんとは初対面だったのだが、非常に感じのよい青年であり
会場に入ってすぐ、「ああ、あの人が長島有さんだ」とすぐわかった。
長島さんは、文学界新人賞に輝いた「サイドカーに犬」が、初めて
文藝雑誌に載った作品だったのだそうだ。
現在は2作目を、編集者と一緒に完成に近づけている最中だそうだ。
「文学界」の編集者で、今回の芥川賞の選考の場に立ち会っていた人の
スピーチがあったが、河野多恵子、日野啓三の両氏が、たいへん、この
長島さんの作品に惚れ込んで、推してくれたが、最後に残念ながら
他ま作家の作品に譲らざるをえなかった、とのスピーチをした。
筒井康隆の「大いなる助走」の世界など思い出すが、目の前に居る人が
芥川賞候補になっているというのは、とても不思議な気分である。

立食パーティだったので、けっこうたくさんの人達とおしゃべりができた。
入谷いずみさん、なかはられいこさん、倉富洋子さん、池田澄子さん、
恒信風句会の四童さん。この四童さんは、なぜか、大柄で肥った人だと
勝手なイメージををいだいていたのだが、スリムな人でイメージが
ちがった。
寺澤一雄さん、千葉聡さん、村井康司さん、植松大雄さんなどなど
「恒信風」「かばん」のメンバーたちとは、よく考えると、ここ1年に
知り合った人達ばかり。ある年齢になると、仕事関係以外では、あまり
人間関係は広がらなくなるものなので、このように、新しい人達と
知り合えたのはとてもうれしい。
最後に芥川賞作家としては先輩の川上弘美さんから花束贈呈があって
おひらきになった。いい会だった。

・軒下の巣に乗り出して五羽の雛・飛び立たなけりゃ燕にならぬ/苅谷君代


[321] 昨日の我に似るが哀しき 2001年08月17日 (金)

一週間ぶりに会社に出たのだけれど、やっぱり、憂鬱だ。
とにかく、学生時代から、毎日、同じ場所へ行くのは嫌いで
サラリーマンになってからも、「行きたくない」と思わなかった朝はない。

とはいえ、行ってみれば、雑事しかないわけで、日本の会社というのは
みんな、それほど重要なパートを担っているわけでもないのだ。
ということで、雑事をこなす。
交替で夏休みをとっているので、実はのんびりした雰囲気が漂っている。
それはよいのだけれど、なぜか、頭がボーっとした感じで、集中力が
出てこないのは困ったものだ。
血圧の関係だろうと思って、医務室で計測してもらうと、やはり高かった。

夕方になって、急にOBの訃報が入っても連絡関係であわただしくなる。
このOBも、一昨日の夜、飲み会に出て、その帰りに倒れたのだそうだ。
この変な天気では、肉体も精神も蝕まれるのはしかたがない。

早々に帰宅し、岡崎武志『古本でお散歩』ちくま文庫 をよみながら
いつのまにか、寝てしまう。

・公衆の便所にかがむおとこ居て昨日の我に似るが哀しき/田島邦彦


[320] ゆっくりと自分がだめになるのがわかる 2001年08月16日 (木)

日曜日にディファ有明でやるプロレスのイベントを手伝っている。
これは、前にも書いたかもしれないが、名古屋在住の桃太郎さんという人が
日刊で出しているメールマガジン「夕刊プロレス」の2000号記念のイベントなのだ。
メールマガジンを日刊で出し、しかも、2000号までたどりつくというのは、快挙と
いうほかはない。
これは、自分でメールマガジンを出したことがある人なら実感できるだろう。
読者として、まぐまぐなどで、メールマガジンを登録しても、だいたい半年くらいで
ほとんどのメールマガジンは、配信中止になってしまう。継続こそが志なのだ。

当日のプログラムは、ホーキング青山君のブラック・トーク・ライブ・ショーに
プロレスの試合が二試合。
全日本女子プロレスの高橋奈苗、中西百重組VS脇沢美穂、納見佳容組
プロレスリング・ノアの杉浦、丸重組VS本多多聞、井上雅央組。

十二時開場なので、お時間の許すかたは、ディファ有明へおいでください。
当日券は2500円です。

今日は夏期休暇の最後の日。原稿が一本あるのだけれど、本を読みながら
だらだらとすごし、午後二時から、五時まで昼寝してしまった。
いつもは、読みたい本があるのに、読む時間がつくれない。
今日は、読む時間はあるのに、本を読み始めたら眠ってしまった。だめだ、こりゃ!

・ぼんやりとTVを観てるゆっくりと自分がだめになるのがわかる/加藤千恵


[319] 殺し合う必要のない国にいて 2001年08月15日 (水)

今日は有楽町の旧社屋が完全に閉鎖される日。
糖業会館という、砂糖の業界がつくったビルで昭和14年8月15日に
建設されたのだそうだ。つまり62年の生涯を終えるということだ。
昼間は原稿を少し書いて、午後四時過ぎに有楽町へ行く。
集まったのは、電気室勤務の菊池末次さん、総務部の上村昭夫さん、
眞田修徳総務部長、建設事務局の柳田滋夫さん、放送技術部の仁井田君、
山口克巳放送技術部長、それに警備と清掃を業務委託していた新生舎の
横関次長、沖喜主任、それに私、藤原龍一郎。
午後四時四十五分、菊池末次さんの手で、電源のスイッチが切断された。

そのまま、レバンテに行って、菊池さんの慰労会兼打ち上げ。
遅れて、三浦放送技術副部長がかけつけてくる。
早く始めたので、早く終わり、七時に解散。
銀座の積文館書店、近藤書店、旭屋書店に寄って、八時過ぎに帰宅。

「ラジオ名人寄席」の今夜の出演は関西の音楽浪曲ショーのタイヘイトリオ。
タイヘイ夢路、糸路、洋児のトリオ。
大阪に住んでいた頃は、しょっちゅうテレビで見ていたし、千日劇場では
ナマでも見たが、今回のラジオの録音を聞くのは、25年ぶりくらいではないか。
こういう芸人さんをナマで見ていたことは、自分を豊かにすることになるだろう。
トリオといいながら、実はもう一人のメンバーが居て、この人が舞台の袖で、
ギターの伴奏をしていた、というのは上岡龍太郎と桂米朝の対談本で読んだ。
チャンバラ・トリオも四人だし、関西芸人の考えは面白すぎる。

・殺し合う必要のない国にいて人を待ってる駅ビルの前/加藤千恵


[318] いったい現実を把握しているものはいるだろうか 2001年08月14日 (火)

土曜日の午後から二泊三日で、和歌山市の家内の実家に行った。
家内の父親が今年の一月に亡くなったので初盆のお参りということである。
このお盆のやりかたは、地方によってさまざまで、和歌山の場合、お盆の
期間中に親戚や知り合いが、三々五々、お参りにくるので、喪主はずっと
自宅で待機して、お参りにくる方々の相手をしなければならない。

私はいちおう外側の親戚なので、一度、お坊さんが来てくれたときに同席
していれば、あとはすることがない。
退屈なので、リサイクル系の本屋に行って、文庫本を二十冊ほど買って
しまった。100円、200円が基本的な値段なのたが、夏休み二割引
セールということで、100円の本は80円で買えてしまう。

阿佐田哲也『小説・麻雀新撰組』
中島梓『あずさのアドベンチャー80』
それから、家から持って行った、ちくま日本文学全集版の『宮本常一集』の
三冊を読了することができた。

阿佐田哲也は再読。色川武大名義で小説を書き始める直前くらいの作品で
例の持病のナルコレプシーが、まだ、慢性脳溢血と表現されている。
読んだのは、初版本の刊行直後だから、もう25年くらい前なのたが、
けっこう、セリフやストーリーの細部を覚えていたので、われながら驚いた。

中島あずさの本は一九八〇年に書かれた、一種の風俗レポートなのたが
「表層にこそ本質が見える」という中島あずさ自身の言葉どおり、
20年後の今読んで、十分に鋭い文明批評になっているのに驚嘆した。
やはり、中島あずさの洞察力というのはスゴイと思う。
「あずさと「作家養成所」」という章があり、これは、当時、中島あずさ自身
はもちろん、『もう頬杖はつかない』がいきなりベストセラーになった
身延典子を輩出した、早稲田大学文学部文藝科のレポート。
実は私もひの文藝科の出身なのであります。
そこで、中島あずさが学生時代に、この文藝科の主催で、荒川洋治、
高橋三千綱、中上健次、つかこうへいの四人を講師とする文藝講演会を
スタッフとして手伝っていたというえぴそーどが語られている。
この講演会に、私は学生として、客席で話を聞いていた。
それから、もと「すばる」の編集長で、現在は角川書店の編集者になって
いるらしい、Nという巨漢と児玉暁が、メインのスタッフとして動いて
いたはずである。
あの講演会からほぼ四半世紀が過ぎて、インターネットで再会した児玉暁が
気がつくと、亡くなってしまっている、ということに思いがとぶ。
身延典子って、今、何をしているのだろうか?

・いったい現実を把握しているものはいるだろうか


[317] もういい、もういい、って言った 2001年08月10日 (金)

一日休んでから、会社に行くと、やはり仕事はたまっている。
まあ、いいけどね。
社内のインフラ整備に関して、現実はどんどん進んでいるのに
各セクションのチーフたちにかなりの温度差がある。
こういうことは、たぶん、どこの企業でもおこっていることなのだろうが、
当事者としてまきこまれてしまうと、やはり、徒労感、疲労感は強い。
会計システムの説明会、根回しなどをおこなって、結局、9時前に
帰宅。
「歌壇」9月号に、小黒世茂さんが「7・1朗読バトル」の観戦記を
書いてくださっている。関西では、小黒さんや林和清さんも、朗読を
試みているという。ぜひ、聞いてみたいものだ。
結局、個々の方法論に表現意識があらわれるのが朗読だと思う。

血圧はあいかわらず高いが、なんとかなるだろう。
ただ、集中力が低下して、本を読んでも、頭に入らないのが困り者だ。

・ややあってヒトの娘がもういい、もういい、って言った/東直子


[316] ニュースを終る背景として 2001年08月09日 (木)

眠りが浅く、起きると頭痛がしている。
血圧を測ると、なんと下の方が100を超えている。
ストレスなのだろう。
結局、会社を休む。
ここ数年、血圧の方は安定していたのに、やはり、疲れると
こうなってしまうのだろう。
松木秀のへろへろ君日記みたいになってきた。

長崎の原爆記念日。
私の父親は、当時、佐賀県に住んでいて、長崎の親戚の安否を気遣い
昭和20年8月10日に、長崎に行ったと、生前話していたが、
もっと、くわしく話を聞いておけばよかった。

一日中、ほとんど、横臥して過ごす。
寝ていると、時間の流れが、速くなるような気がする。
郵便を取りに行ったときと、夜になってハガキを出しに行ったときの
二回しか、外へ出なかった。
渡辺保の『黙阿弥の明治維新』と須貝正義の『私説・安藤鶴夫伝』の二冊を
同時に読み始める。
とはいえ、血圧のことが気になり、集中力が出ない。

・稲佐山に沈まむとする夕日映るニュースを終る背景として/竹山広


[315] 鳥打ちのぐいとまぶかに、 2001年08月08日 (水)

野平祐二調教師が亡くなったそうだ。
私が競馬場に行きはじめた頃は、野平はまだ現役のジョッキーだった。
「わからない時は、野平を買っておけばいいんだよ」と、菜っ葉服の
おじさんが、自分自身に納得させるようにつぶやいていたのを覚えている。

防火管理者の講習ということで、大手町の東京消防庁に行った。
100人以上の各会社の防火管理者が集まっていた。
自分がこんな講習会に出席することになるなんて、3年前までは
夢にも思っていなかった。

かの子が「千と千尋の神隠し」を見て来た。

夜ふけまで、いろいろと精神的肉体的に疲労感が増すことがある。

・鳥打ちのぐいとまぶかに、話しかけられたくないの一語に尽きて/岡井隆


[314] あつあつのたこやきになりたい 2001年08月07日 (火)

午前中は例によって、外部スタッフとのシステム定例会議。
まったくわからない単語がとびかうのを聞いているだけに近いのだが
緊張感があるので、眠くはならないのが救い。

メールマガバン夕刊プロレスの2000号記念イベントのために
編集長の桃太郎さんが上京してきてくれたので、当日の音響と進行を
頼むサウンドマンの杉山君と佐々木君と一緒にディフア有明の下見に行く。
八月十九日の午後一時からのイベントだが、お客さんが集まってほしいものだ。
プログラムは、ホーキング青山の毒舌お笑いトーク・ライブ。
プロレスは全日本女子プロレスの
中西百重、高橋奈苗組VS脇沢佳代、納見佳容組
プロレスリング・ノアの
本多多聞、井上雅央組VS杉浦、丸重組
いいマッチメークだと思う。
ディファ有明の事務所に居る山本さんは、元全日本女子プロレスの
営業の人だったので、顔に見覚えがあった。

夜、ラジオで松原一成さんの脚色の「ゆきおんな」を聞く。
中村メイ子、小沢昭一といったベテランがノリよく演じているのが
伝わって来る。これはやはり脚本が良いからだろう。
そのあと「ラジオ名人寄席」は林家正蔵の「年枝の怪談」という
メタ落語的怪談噺。春風亭年枝という落語家が、按摩さんを絞め殺し
地方に逃げ、金沢の寄席で「真景累ヶ渕」を演じて、按摩の宗悦殺しの
場面を演じていると、客席に自分が殺した按摩さんが現れるという
奇妙な噺。まさにメタ落語で、もっと面白くなりそうなのに、案外、
簡単に終ってしまう。

そのあと、原健太郎さんが送ってくれた「今甦る西条凡児の話芸」という
ABCラジオの番組のテープを聞く。
西条凡児の漫談や「おやじバンザイ」がそのまま生かされているのが
とてもなつかしく貴重である。
コメントは桂米朝、立川談志、上岡龍太郎。
この3人の上方芸人再評価の志を感じる構成になっている。
ナレーションがABCラジオのベテラン・アナウンサーの道上洋三という
のもなつかしい。

・もう少し踏み込んでいふ わたくしはあつあつのたこやきになりたい/池田 はるみ


[313] 月曜日は市場へ出かけ 2001年08月06日 (月)

やっとメールの送受信ができるようになった。
とりあえず、9時過ぎに会社から家に帰り、修理してもらっていたパソコンを
もう一度セットアップする。
ラエティティアは止めてもらっていたのに350通もメールがたまっていた。

とり急ぎ、眼科に行き、眼底検査をしてもらう。
午後から、猿楽町の柊書房を訪ね、影山一男さんと密談する。

三省堂、東京堂とまわって、演芸関係の本をまとめて購入。
病院でアトピーの薬をもらって帰宅。

原健太郎さんから「笑息筋」158号が届いている。
「笑息筋」はお笑い、特に東京の喜劇を中心に論じる専門紙。
貴重な批評や情報がいつも掲載されている。
この158号とともに「上方芸能」の「松竹新喜劇」をどうするか、
というアンケート特集のコピーを原さんが送ってくださる。
藤山直美が居ながら、じり貧になっている松竹新喜劇の現状は
会社とプロデューサーがしっかり、しなければまずいと思うのだが。


[312] 傷つきて帰りし兵は 2001年08月06日 (月)

ラジオの天気予報によると今日は9月上旬の陽気だそうです。
昨日は「短歌人」の夏の大会があったむ浜松から帰ってきました。
高瀬一誌さんが参加しない初めての夏の大会。
高瀬さんのことは、もう、なるべく語らないようにしようと思っても
「短歌人」のことを考えると、いつのまにか高瀬さんの顔が脳裏に
浮かんでいる。
「高瀬さんは「短歌人」という作品をつくった」という小池光さんの言葉が
あらためて心にしみこんできます。

政治の世界は喧しく、短歌の世界もまた、いやおうなく政治的な要素が
入り込んでくる、ような気がする。

・傷つきて帰りし兵は今日の昼東京駅に着きしとぞ聞く/佐藤佐太郎


[311] 二週間のご無沙汰で 2001年08月03日 (金)

さぼっているわけではないのですが、とりいそぎ、走り書き。
自宅のパソコンの修理に手間取っています。
来週くらいまでかかりそうです。

最近読んだ歌集では、池田はるみ歌集『ガーゼ』が抜群でした。
池田はるみさんは、巫女どころかモノノケですね。
ダイエーやマルエツの霊が乱舞するにぎやかな歌集です。


[310] 夜の樹は昼の樹より騒立つ 2001年07月21日 (土)

かの子が、今日から二泊三日の林間学校で、御岳へ行くので、学校まで
おくって行く。
朝7時半なので、他のお母さん達も、ほとんどの人が化粧をしていない。
スッピンの北斗晶や渡辺智子みたいな連中がウロウロしている。
そういえば、女子プロレスも、ずいぶん見ていない。

大恵クリニックにアトピー性皮膚炎の薬をもらいに行く。
この往復で、一ヶ月前から、少しずつ読んでいた米田利昭著
『歌人・津田治子』を完全に読了することができた。
津田治子は病気であることを受け入れ、自然詠に自分の苦しみを
解放したとの論旨は納得できる。
しかし、たとえば滝沢亘のように、不治への呪詛を詠うというのも
人間の心理として否定はできない。そんな感想がわいた。

八重洲ブックセンターは、時々、一種の在庫整理なのか、特定の分野の本を
10年間くらいのスパンで、一気に棚に並べることがある。
去年の秋口には、冨山房文庫がたくさん並べられていた。
今は、演芸関係の本がずらりと陳列されている。
昨日、『凡児風雲録』を読んで、笑芸関係の本をもっと読もうと決心した
ので、このさいだから、まとめて買ってやろうと思う。

三遊亭圓生『明治の寄席芸人』、桂米朝『上方落語ノート』などの
青蛙房の本から、新刊の森卓也『映画そして落語』
立川談志『定本・九州吹戻し』、さらに藤井薫『さらば松竹新喜劇』
棚橋昭夫『けったいな人々』、桂米朝『一芸一話』などの在庫一掃系の
本まで、十冊ほどまとめて購入。
これを無駄づかいにしないように、きちんと読んで吸収しなければ
ならない。

帰宅すると、郵便の中に、菱川善夫氏のゼミの文芸誌「開」が届いている。
なんと、その冊子の巻頭に、島田ひとみという学生が「歌人滝沢亘」という
文章を書いている。
津田治子から滝沢亘を思い出していただけに、奇遇に驚く。
島田ひとみ氏の文章は、丁寧に滝沢亘の短歌に向っていて、とても好感の
もてる内容である。私がこだわる呪詛という要素は書かれていないが、
それは、この書き手が、いっそう純粋に滝沢亘作品にま向っているという
ことなのだろう。
そして何より、この時代の学生が、不治の結核療養歌人である滝沢亘論を
書いたという心のありかたに拍手を贈りたい。
最近の学生短歌雑誌には、今はやりの歌人のことばかりが書かれていて、
ファンクラブの会報なのかと、うんざりするものがあったりするのだが、
さすがに、菱川善夫ゼミナールだと、感心する。

わが裡に育ちて死にし神ありき夜の樹は昼の樹より騒立つ/滝沢亘


[309] エンピツをとがらしとがらし 2001年07月20日 (金)

海の日ということで、番組はすべて、お台場のアクアシティや湘南海岸から
の生中継になっている。
放送現場に居れば、当然、かりだされていたはずなので、ラッキーである。

休日ということで、あいかわらず、本の整理。
文庫本もハードカバーも、もう、しまう場所がない。
わかっていながら、また、本屋に行き、本を買ってしまう。
戸田学著『凡児風雲録』をやっと完全に読み終わる。
ニ段組みぎっしりの本だが、そのボリューム以上の資料的価値がある。
本にさえしておいてくれれば、その後の世代にも、事実や批評が伝わる。
300冊の自費出版でもかまわない。
とにかく、後代に残すという志を持ってほしい。

これから演芸関係の本や芸談をできるだけ読んでいこうと思う。
自分が見て、聴いてきた笑芸について、私自身も書き残したい。

エンピツをとがらしとがらしいればゆきつくところないではないか/高瀬一誌


[308] 鞄のなかにからだを入れる 2001年07月19日 (木)

社内インフラプロジェクトのメンバーが入れ替わったので、新メンバーでの
一回目の会議を、局長からの「中間答申報告」ということで、開催する。
始まったとたんに、イトーキの施工チームが来社との電話。
急いで、彼らを事業開発局につれて行き、パテーションの設置を指示する。
会議は四十分ほどで終了。
パテーションの工事を終えた施工メンバーを、こんどは営業促進部に
つれて行き、三段ロッカーの鍵を修理してもらう。
さらにそのあと、デジタルメディア局につれて行き、デスク間のローパテー
ションをはずしてもらう。

退社後、夜7時に、有楽町マリオンのからくり時計前で待ち合わせて
7・1朗読バトルの打上げ兼反省会。
辰巳泰子、松原一成、内山晶太、佐藤りえのメンバー。
まず、有楽町の中華料理屋の宝楽に行く。
辰巳泰子さんは、アルコールを飲むのが2週間ぶりなのだそうだ。
エンディングの演出について、かなり厳しい批評があった。
確かにヴィジュアル・イメージをきちんと詰めるところまでは
行っていなかったので、それまでの緊張感を削いでしまったという
印象をもった人はいたのかもしれない。ここは反省すべきだろう。

私はすでに、去年の「月鞠」朗読会、「声の同人誌」への参加、
「マラソン・リーディング」、そして「7・1朗読バトル」で
いちおう、やりたいことは全部やってしまったので、当面、次の方法を
考えつかなければ、ステージに出るつもりはない。
むしろ、宮崎二健さんの掲示板{俳の細道}に書いたとおり、現代詩、
短歌、俳句、川柳の書き手たちが、朗読バトルをくりひろげる
「S1グランプリ」または「バトルシーカ」(これは宮崎さんのアイデア)を
プロデュースして実現したいと思っている。
辰巳さんは、こんどは一人でのステージを考えているという。
このように、朗読という表現行為が多様化していくのが、私にはのぞましい
方向だと思える。
若い短歌関係者たちが、いろいろとやってくれたら、もっと面白く刺激的に
なるだろう。
ともかく、名前に頼らず、朗読の方法論と技術とテキストの内容で
お客にたちむかうべきであると思う。

二軒目は居酒屋。
辰巳さんは、恐山の次は北方領土が気になってしかたがないという。
土地の霊が彼女をひきつけるということはあるのかもしれない。
私は逆に「東京」という結界の中に封じ込められているわけだ。
「朗読バトル」の空想対談の稽古は、有楽町の旧ニッポン放送の
社屋の五階でおこなっていたのだが、辰巳さんがトイレに行くと
フラッパー・ドアが自然に開いたそうだ。
実はそういう噂は、この建物に関してはむかしからあったのだが、
もちろん、彼女にはそんな話はしていない。
ドアが人をおぼえている。と辰巳さんは言った。そういうことだろう。

短歌の世界のあれこれに関しても、いろいろとしゃべったと思う。
しゃべればしゃべるほどに、私には不満がつのってくる。
なぜ、こんなに、みんなが、政治的にふるまうのだろうか。
それに、さらに、個人的な好き嫌いの感情がいりまじり、情けない
状況になっている。
不満をしゃべりながら、私は「廉恥」という言葉を思い続けていた。
もちろん、自戒をふくめてだが、はずかしいことははずかしい、と
誰かが言ってやるべきなのだろう。

負うものを音にせよとぞ電車では鞄のなかにからだを入れる/辰巳泰子


[307] 行間にすきまもあらず 2001年07月18日 (水)

朝はまず有楽町の方へ行く。
糖業会館に残している什器や美術品で、お台場に運ぶ物を日通さんに
搬出運搬してもらうため。
その作業をおこなっている間に、首都圏営業部に金庫が届くわ、
お台場の方にはワードローブが二台届くわ、もう、大混乱。
急いで昼前にお台場に戻り、地下倉庫に搬入する。
しかし、地下は異常に暑い。空気が濁っている。

書類に社印をもらうために、書類を書いたり、什器の廃棄処分を
フジテレビの施設管理部の部長に依頼したり、残りのオフィス用什器の
搬入日を確認したりしているうちに退社時間となる。
会社におきっぱなしにしていた、牟礼慶子著『鮎川信夫 路上のたましい』
を読みながら、バスで帰る。

行間にすきまもあらず赤えんぴつに書きこみてありき作戦要務令/森岡貞香


[306] 遠くの虹を見たりなどして 2001年07月17日 (火)

今日も「社内インフラ・プロジェクト」の中間答申の準備のために
朝八時前に会社に行った。
午前中は、その答申を役員会議室でおこなった。何か疲れた。

昼は新生舎の本部長たちと食事。
18階の窓から7階の庭園を見たら、タイタニック号の模型がつくられていた。
春休みにつくるはずだったのが、えひめ丸事件で延期になったのを
この夏休み企画に横滑りさせたというわけだ。
「お台場ドット・コム」といい、また、人が集まってくる。

午後はOB会の有志が集まっての「デジタル研修会」。22名参加。
その後、訃報がとどいて弔電を手配したり、けっこう疲れた。

帰宅後、戸田学著『凡児風雲録』の読み残し部分を読む。
とにかく、西条凡児の戦時中の漫才の速記まで載せているのは圧巻。
今年のベスト1であることはまちがいないが、この凄さがわかる人は
少ないだろう。

その鞄われに持たれてとしふりぬ遠くの虹を見たりなどして/小池光


[305] 心のこともまた目守るのみ 2001年07月16日 (月)

今日も朝8時前に出社。
金曜日と土曜日に倉庫にしまったパソコンなどの機器類を新装のオフィスへ
運び、替わりに、あまった什器類を倉庫へ運ぶため。
日通から柴田さんというチーフが来てくれるのだが、この人にまかせておけば
大丈夫という安心感がある。プロという面構えの人物。

作業は二時間ほどで終了。
ただし、埃を吸ってしまったようで、目が痒く喉が痛くなる。
物を動かした時の常で、あれがない、これがなくなっているとのトラブルが
いくつか出てくるが、いちおう、なんとかなる。

午後は細かい什器の注文やら伝票処理やらでやりすごす。
帰宅すると「未来」の50周年記念号の第二弾が届いている。
コラムで藤井靖子さんが、私の『嘆きの花園』とその作品について
「時代を凝視すること」と題して文章を書いてくれている。
励まされる。引用してくれた歌も、出版当時は誰にもふれられなかった
作品なので、それもうれしい。

寂しみて吾のベッドに入るとする心のこともまた目守るのみ/近藤芳美


[304] モノクロームの映像ぶれて 2001年07月15日 (日)

暑い日曜日の昼下がり、つけっぱなしのAMラジオから、
研ナオコの「夏をあきらめて」が流れてくる。
FMだとサザンの方なんだろうけれど、AMでは研ナオコ。

かの子と自転車で南砂町のイキイキという安売り食品店まで、牛乳を
買いに行く。しかし、熱暑の中なので、登り坂では汗が目に入る。
牛乳を買ったあと、CD屋兼レンタルビデオ屋兼古本屋で
景山民夫の文庫『人生はスラップスティック』を買う。100円。
景山民夫の人生もおもしろおかしく見えるが、仕掛け花火のようなものだった
なあ、と思う。

古島哲朗さんの評論・時評集のゲラを読んでいる。
腹の座った視点、挨拶のない文章に、緊張する。
「おまえはいったい、何をしてきたのだ」との声が聞こえる。

モノクロームの映像ぶれて木の下にキンダーブック見る幼きわれが/水沢遥子


[303] 目によいといわれ万緑 2001年07月14日 (土)

朝8時に出社。いつもより早いじゃないか。
什器類の納品があるので、早めに会社に行っておかなければ、業者さんが
搬入できないのでしかたがない。
今日は22階、23階、24階と3フロアで同時にサーバーの設置やら
オフィスレイアウトの変更やらブライントの交換やらがあるので
いつもの日より、よっぽど忙しい。

上村さんとフロアを分担して、業者さんに作業に入ってもらう。
狭いフロアにむりやり、ひとつの部署をつくってしまおうというので
かなり面倒なことが多い。図面上では可能でも、実際に什器を配置
してみると、通路が狭かったり、コンセントがつかえなかったりと
計算どおりにはいかない。

ともかく、暑さの中、夕方六時前に、いちおうの作業は終了する。
そのまま、東京駅行きの直通バスに乗って、久しぶりに
八重洲ブックセンターに行く。
小沢正一の『句あれば楽あり』と江國滋の『俳句と遊ぶ法』を購入。
どちらも朝日文庫版。
最近、この手の文化人系の俳句の本ばかり読んでいる。

目によいといわれ万緑みつめおり/滋酔郎(江國滋)


[302] ここに暮らさむゆくりなく 2001年07月13日 (金)

外は人が熱中症でばたばた倒れているほどの暑さらしいが、オフィスから
一歩も出なかったので、私は暑いという実感がなかった。
ただし、国際自動車さんもイトーキさんも日通さんも夕刊プロレスの
桃太郎さんも、外から来た人はみんなゲッソリと消耗した顔をしていた。

レイアウト変更のヤマが明日なので、こまかいチェックをするが、
どうしても、やってみなければ判断できないことがおこる。
まあ、やってから考えることにする。
方法は専門家にまかせて、判断だけをこちらですればよい。

インプットしたいことはたくさんあるけれど、自分の中のモードが
なかなか切り替わらない。これも、自己逃避行動なのかもしれないが。

掲示板『短歌発言スペース・抒情が目にしみる』のアクセスカウンターが
いつのまにか50000を超えている。
たしか二月頃に20000番ということで、足立尚彦さんに短歌福袋を
お送りしたのをおぼえているが、そのあと30000アクセスもして
くださった方々が居るということ。

「歌壇」八月号に蒔田さくら子、外塚喬、辰巳泰子
「短歌往来」八月号に森淑子、多久麻、早川志織の諸氏が
高瀬一誌さんへの追悼文を書いている。
どの文章も心にしみる。

次の世をここに暮らさむゆくりなく亀のいさかひ見つ阿弥陀池/小黒世茂


[301] 集団の「善」を引き出すよろこびに 2001年07月12日 (木)

昼間は警察やら消防署やらに挨拶まわり。
一度会社に戻って、明日、明後日のオフィスのレイアウト変更に関わる
セクションに、荷物の整理の確認をする。

夕方の六時に新宿の紀伊國屋書店南店の前で史比古と待ち合わせて
高田文夫さんがプロデュースする「我らの高田小学校」を見るために
サザンシアターへ行く。
開演時間までまだ時間があったので、紀伊國屋の詩歌コーナーを見ると
『手紙魔まみ』は平積みで、手作りのポップがたてられていた。

サザンシアターの席に着くと、なんと隣りが、高田文夫さんの奥さんと
大学生の次男だった。すごく、良い席を用意してくれていたわけだ。
出演者は
・漫談 松村邦洋
・    X
・漫才 あした順子・ひろし
・漫才 海砂利水魚
・漫才 浅草キッド
・出演者によるトーク

松村邦洋は「プロジェクトX」の田口トモロヲのナレーションの真似という
新ネタを披露した。まだ、練り上げられていないが、巧く構成すればもっと
面白くなるだろう。
問題は2番目の「X」で、おおかたの予想は「爆笑問題」だったのだが
出てきたのは、なんと!ツービートであった。
ビートたけし、ビートきよしのツービート。
客席がどよめき、演じられた漫才は、あのMANZAIブームの時と
かわらないものだった。これは、良くも悪くも、ツービートはあの時代の
漫才だったということで、現在という目で見れば、もちろん、爆笑問題や
浅草キッドの方が笑えるということ。
客前での漫才は十七年ぶりだったそうだ。
ライブなればこその復活。ともかく、稀有な機会に遭遇できた夜だった。

・集団の「善」を引き出すよろこびにありし一生をただおもふのみ/小池光


[300] ときに迷い他人を羨み 2001年07月11日 (水)

まだ、人事異動の余波の、職場のレイアウト変更が終わらない。
パソコンの普及から、デスクひとつ移動するにも、配線の確認など
めんどうごとが増えた。デスク自体が、PC対応のものになっていれば
スムーズにうつれるのだが。

午後、オールプランニングMEの木村代表がお台場を訪ねてきてくれる。
1時間ほど雑談。その中で、朗読バトルの発展形としての朗読K1みたい
なものが、開催できないかと思いつく。
詩歌のSをとって「S1グランプリ」とか「S1リベンジ」とかの
タイトルにして、川柳、現代詩、俳句、短歌のジャンルをこえて、
朗読バトルをトーナメント形式で争うというもの。
もちろん「詩のボクシング」が先行しているが「K1」に対する「プライド」
のようなイメージにもっていければ面白いのではないか。
そう思って、賛同してくれそうな宮崎二健さんの掲示板<俳の細道>に
書き込んでみる。
短歌VS俳句、俳句VS川柳、現代詩VS川柳、現代詩VS短歌、等など
その詩の特徴が突出するような朗読というのが実現すれば面白い。

今日買ったCD。
CD詩集『こうせき』

今日買った古本
香川登志緒著『大阪の笑芸人』晶文社1977年刊
石上三登志著『マイ・ビデオ・パラダイス』キネマ旬報社1991年刊

たまたまだけれど、どちらの本の著者にも「登志」という字が入っている。

どんな生き方がよいのかときに迷い他人を羨み勤めに出る/宮崎信義


[299] みづからに言ふわれこそ哀し 2001年07月10日 (火)

午後、ディフア有明の中にあるNOAHの事務所へ行き、
渉外担当の勝野さんという女性と8月19日のイベントの打ち合せをする。
真ん中の役職者用らしいデスクに永源遥が座っていた。
打ち合せをしている最中に、三沢光晴社長がオフィスを通り過ぎた。
帰りには、さっき、永源が座っていたデスクに百田が座っていた。

フーコー短歌賞の選考のために、外苑前にある新風舎の事務所へ行く。
林あまりさんは、朗読バトルに来てくれたので、お礼を言う。
選考のあと、地下鉄で一緒に帰るあいだ、ずっとプロレスの話をしていた。
パーティーで村上一成をみつけたので、急いで走って行って、話しかけたら
とても、好青年だったという。たしかに、ちょっといい話である。
メールマガジンのUプロにも書いてあったが、村上一成は実は金にも汚く
はなく、人柄もよいから、あれだけ色々な団体のリングにあがるのだ
という説は、きっと正しいのだろう。
やはり、いいひと、でなければだめなんだろうな。

死にたいと思ふわれより死ねないとみづからに言ふわれこそ哀し/栗木京子


[298] 浸食し合うテクスト 2001年07月09日 (月)

熱があるので休みたかったが、ちょっと休めない会議があるので
しかたなく出社。
とりあえず、午前中は仕事をやりすごす。
午後、やはり、身体のだるさとアトピーがひどくなってきたので
4時で早退して、平和島のTクリニックへ行く。
風邪の治療の点滴とアトピーの薬をもらう。

夜、ホーキング青山のドキュメントを見る。
「スーパーテレビ」という日本テレビの番組。
ホーキング青山は、以前、私がお笑いのライブの実施運営をやっていたころ
最初はお客で来ていて、そのうちに、大川興業の「すっとこどっこい」という
ライブに出て、お笑い芸人としてデビューしたのだ。
仕事としては、一九九五年にシアターアプルでのライブに爆笑問題や
大川元総裁と一緒に出てもらったことがある。
また、長男の史比古が小学生の時に、学校に来てもらい、小学生向けの
簡単な講演をしてもらった。
どちらの時も、電動車椅子ごと、階段を運ぶはめになったのだが
これはとても重い。大人の男四人で運んで、腕がちぎれそうになる。

「心の花」七月号の時評で、矢部雅之さんが、「浸食しあうテクスト」という
題で、4・28マラソンリーディングの時の私の朗読に関して書いてくれている。
「他者の言葉の断片に自分の思考が何時の間にか侵食されている、という
 事態をわれわれはしばしば経験する。情報化社会の高度化に伴い、我々の
 思考は他者の言葉による浸食を全方位から受けている。一見、自分独自の
 ものである<心>すら、実はかなりの部分がもはや他者の思考の断片の
 コラージュだ。だがそれでも私達は、近代的社会システムの中で、あくま
 で「自由」な思考・判断を為し得る一人の統一的主体としての役割を要求
 されている。…<浸食し合うテクスト>が提示するのは、極めて現代的な
 問題なのだ」

このように、私が意図していた思いを、私自身が語る以上に適切な表現で
論じてもらえたことは、とても嬉しい。昨年の9月から、私は三度、朗読
の場に立ったが、方法論としての理解は矢部雅之さんのこの時評で、個人
的には、伝わったという思いをもてる。
このあと、柴田千晶さんとの文字によるコラボレーションを継続、発展さ
せることに、エネルギーをそそぎたい。


[297] 日常の淡き影とよ 2001年07月08日 (日)

日曜日だというのに、朝5時に目が覚めてしまう。
しかたがないので、岩井志麻子の『夜啼きの森』を読み継ぎ、読了。
津山三十人殺しという、おなじみの事件をいかに新しく書いてみせるか
というところが、腕のみせどころ。
西村望の『丑三つの村』は、肺結核で徴兵検査に不合格になった男の
鬱屈した欲望と、それを取り巻く村人たちの悪意をねちねちと書いて
ああ、これは、残虐な事件が起こるのもしかたがない、というあたりまで
読者を巻き込んでくれたが、岩井志麻子は、犯人になる辰吉の心理には
ほとんど立ち入らず、何人かの村人たちの心理をむしろ深く解剖して
みせることで、立体感を出してみせる。
戦争と貧乏と性的紊乱がこの村に暗い翳を落としているわけだが
岩井志麻子は、戦争も貧乏もリアルには書かずに、徹底して性的紊乱だけを
描写してゆく。これはいかにも岩井志麻子らしいといえる。
そして、ラストの修羅場も、血みどろの描写はいっさいない。
これもむしろ現代的と言えよう。
そして、本当のラストのもうひとつのひねり。これも巧いのだが、
現実に、池田市の児童殺傷事件のような陰惨な事件が直近でおこってしまうと
やや、ひいてしまう感じは否めない。とはいえ、読ませる力は十分ある。

朝食を食べていると和歌山から電話。
松本の伯父さんが亡くなったという。
明日、通子が和歌山へ行くことにする。

かの子をつれて、六本木のコモワイズ・イガワへ行きむ、髪を切ってもらう。
この店もバブルの頃は、いつでも、水商売系の女性達で賑わっていたが
今は、お客が激減しているようだ。
かの子とラーメンを食べ、午後2時半に帰宅。
PATで投票しながら競馬を見つづける。なかなかあたらないものだ。

夜は松本清張の『文豪』という短編集を読む。
斎藤緑雨のことを書いた「正太夫の舌」、紅葉と鏡花を書いた「葉花星宿」
の二編をとりあえず読了。
夜中に身体がだるいので目が覚める。熱をはかると37度5分。
風邪をひいてしまったらしい。アトピーもひどくなっている。うんざりする
寝苦しい夜となってしまう。

誰彼の死の知らせさへ日常の淡き影とよ一日を惜しめ/尾崎左永子


[296] 地面の下の病気の顔 2001年07月07日 (土)

朝9時30分から夕方4時まで会社で、社内レイアウトの変更と
役員室の電話及び調度品、什器類の搬入。
空き時間に、お中元の礼状を書いたり、文庫本の整理をしたりする。

夕方、バスで浜松町に出て、そのままJRで池袋へ行く。
ぽえむぱろうるで、『荒川洋治全詩集』『伊藤聚全詩集』
高橋睦郎『倣古抄』など購入。
ついでに、昨日、我慢した岩井志麻子の『夜啼きの森』も買う。
実は、先日、わけあって、全国百貨店共通商品券というのを
いただいたので、せっかくだから、ずっと残す本を買おうと思って
ぽえむぱろうるまで、来たわけである。

詩集はあとで読むとして、帰りの地下鉄の有楽町線でも早速、岩井志麻子を
読み始める。
各章のはじめに、月齢、月の形状に関する描写があり、それが登場人物達の
暗く救いのない心情の暗喩となっている。よく頑張って書いていると思う。
文章自体はさほど巧いとは思えないが、今回はときおり、奇妙な心象表現が
あって、印象に残る。
岩井志麻子というのは、このイヤな時代に出るべくして出てきた作家という
感じがする。地面の下の病気の顔という朔太郎の一節がふさわしい。

BBSに、藤原龍一郎短歌賞を本気でつくろうかと考えている、と書いたら
即座に荻原裕幸さんから、たしなめる意の書き込みがあった。
心配をかけて申し訳なく思う。
しかし、特に今年の各短歌賞の選考はひどいと思う。
ながらみ書房出版賞の選考座談会での石川不二子氏の発言など
とてもまともな思考による選考をしたものとは思えない。
あんなひどい発言をされたら、候補になった歌集の著者たちも
やりきれないだろう。地面の下の病気の顔は短歌の世界にもある。


[295] アクアリウムと呼べば輝く 2001年07月06日 (金)

横浜支局に用があるので、関内駅前で支局長のTさんと待ち合わせ。
関内にはむかし、横浜文化体育館まで、プロレスをよく見に来たものだ。
すでに、その文体も建て直されて、きれいになっている。
FMWのタッグリーグ戦も、そういえば、横浜文体だった。
タイガー・ジェット・シン親子とかドクター・ルーサー、ドクター・ハニバル
とかアリゲーターマン1号2号とか、いかにもFMWらしいキワモノの外人が
来ていたことを、なつかしく思い出す。

昼前に仕事が終ったので、昼食を駅ビルの中の中華料理店で食べる。
ビルに芳林堂書店が入っているので、『手紙魔まみ』をチェックするも
置いてない。そのかわり、歌舞伎・演芸関係の書籍がとても充実している。
うなぎ書房の本が、ずらりと揃っている本屋というのは、初めてみた。
渡辺保の歌舞伎関系の著書も揃っている。
岩井志麻子の初長編『夜啼きの森』が出ている。
横溝正史の『八つ墓村』や西村望の『丑三つの村』のモデルになった
例の津山の三十人殺しを題材にしているという。
かろうじて、今日は買わなかったが、たぶん、すぐに買ってしまうだろう。

午後2時過ぎにお台場の会社に戻る。
今日は夕方から、役員室の引越しと新規什器搬入。
まず、イトーキさんに、来週末に移動する、24階のレイアウトを
確認してもらう。
狭い場所に無理矢理、ひとつの部署をつくろうというのだから、ムリがくる。
結局、総務部というのは、そういう不満のやおもてに立つ部門である。

日通のスタッフと新生舎の清掃スタッフに集まってもらい、役員室の移動
と什器搬入をはじめる。
21時くらいまでには終るだろうとたかをくくっていたら、ぜんぜん
終らず、結局、23時。
夕方5時前から立ちっぱなしだったので、足が棒になっている。
タクシーで帰宅したのだが、夕食を抜いてしまったためか、車酔いになり
吐き気をこらえて眠る。

水族といふ異形の者ら棲むビルアクアリウムと呼べば輝く/寺井淳


[294] ぜんぶ厭味にきこえる風に揺れあひて 2001年07月05日 (木)

今日も会社で目が覚めた。
住み込みで働いているような気分である。
深夜番組のチームが、会議室を夜中に汚したまま帰ってしまうので
厳しく注意する。

東京では熱中症で、人がばたばた倒れているそうだ。
新規に役員になった人達の雑務がまわってくるので、けっこう忙しい。
とはいえ、2年前より、運動量は半分以下になっているとは思う。

帰宅すると、『現代歌人協会会報』が届いている。
現代歌人協会賞の選考結果が発表されている。
昨年の受賞歌集なし、という結果には選考委員の眼力を疑ったが、
今年も、まったく、うんざりというほかはない。
受賞歌集の『日輪』は、例年の受賞歌集のレベルは楽にクリアしている
から、これには異存はないが、最終選考に残った歌集の中に
なぜ、阿部久美の『弛緩そして緊張』と目黒哲朗の『CANABIS』、
小林とし子の『漂泊姫』が入っていないのか、まったく理解できない。
納得できない。わが目を疑うし、最終選考の場で、この3歌集が入って
いなかったことに疑問を呈さなかった選考委員の短歌観を問いたい。

現代歌人協会の会員629人に候補歌集推薦のアンケートはがきを送付し
回答が、231通でしかない、というのが、まず、なさけない。
私は現代歌人協会に入会以来、この候補歌集の推薦には、私の文学観を
かけてのぞんでいる、と言ってもよい。できる限りのたくさんの歌集を
読み、自分の中での価値判断をおこない、そして候補歌集の推薦をおこ
なっている。
しかし、現代歌人協会員でありながら、半分以下の人しか、この候補歌集の
推薦を実行していないというのは、どういうわけなのだろう。
自分さえ歌人協会の会員になってしまえば、後輩のことなど、どうでも
いいということか。
それとも、新人の歌集など読まない、ということか。
自分がかかわる短歌という分野で、新たな才能がどのような作品をつくって
登場してくるか、ということに興味がないのか。
いずれにせよ、表現者の態度ではない。
この予選制度からまちがっているわけだ。
今後、歌集をきちんと読んでいる予選委員制度をとったらどうか。
そして、私をぜひ、その予選委員にしてほしい。
そうなれば、私は今以上に真剣に歌集を読む。そして、とりこぼしを
極力少なくしてみせる自信がある。少なくとも、上記の3冊が最終選考に
残らないなどという不備は、二度とおこさない。

ぜんぶ厭味にきこえる風に揺れあひて柿若葉どこまでも眩しい/目黒哲朗


[293] 残り時間を未来と呼びて 2001年07月04日 (水)

会社で目覚めるほどイヤなことはない。
熱帯夜だったらしいが、宿直室はクーラーが強烈にきいていて寒いくらいだった。
席にもどると「おはよう、中年探偵団」の高嶋秀武さんが夏休みで
かわりのしゃべり手に久世光彦が出演していた。
久世光彦が小説を書き始めたのは50歳からだったそうだ。
まだ、間に合うかな。

熱暑の中を有楽町の分室へ行く。
リサイクルの業者さんに来てもらい、残してある什器類の値踏みを
してもらう。
そのあとで、上村さんと一緒に、ゴルフセット5セットを蚕糸会館に運ぶ。

一度、帰宅して、シャワーを浴びて、今夜のお泊まりセットを用意して
再び会社へ行く。
長い長い夏になるのだろうか。

残り時間を未来と呼びて励ますとふたたび吹かぬホルンをみがく/寺井淳


[292] 感情の戻りたるらしわが鼻歌は 2001年07月03日 (火)

今日も暑いなあ、というのが口癖になってしまう。
お台場地区というのは、少し気温が別の場所よりも高いのではないか。

正岡豊さんが、穂村弘歌集『手紙魔まみ』に対して、びっくりするような洞察力
で、感想を書いている。
まみが地上に降りたった瞬間に、至上の愛で包み込んでしまったように思える。
こういう能力をもった人が存在することは詩歌にとって救いなのだろう。
しかし、短歌の世界(それを歌壇といってもよいけれど)は、
『手紙魔まみ』を批評する言葉を持てないとやはり思う。
穂村弘はそういう歌壇を見捨てて、ポピュラリティー獲得の方へ行く決断を
してもよいと私は思う。
メディア的なバイアスがかかっている見方かもしれないが、
文学的達成を成就し、ポピュラリティーを獲得できる
唯一の才能なのだと思うのだが。

人事異動にともなう管理職の宿直のローテーションの変更を一部失念していて
結局、今夜と明日とを私が泊まらざるをえなくなってしまった。
一度帰宅して、夕食をとりシャワーを浴びて、再び会社へ行く。
夜の空気がねばつくような気がする。

夜の道帰りゆくとき感情の戻りたるらしわが鼻歌は/真野少


[291] あな毒ありと記せるところ 2001年07月02日 (月)

さすがに疲れていて会社を休みたがったが、人事異動後のレイアウト変更、
什器購入などがあるので、行かざるをえない。

ネットで注文しておいた「鑑賞・現代俳句全集」の端本四冊が届いている。
このあいだは、角川の「増補・現代俳句大系」の増補部分の3冊だけを
端本で買った。
とにかく本の置き場所がないのだから、こういう対処法で、読みたいもの
だけを読むしかない。

あらためて、昨日の朗読バトルの出演者、スタッフ、聴衆のみなさまに
感謝する。自分の人生の中でも思い出深い出来事であったことは
まちがいない。

アウトプットのあとはインプットだと思うのだが、また三日坊主か?

ベラドンナなぐはしき名をたずねきつあな毒ありと記せるところ/春日真木子


[290] 暑く熱く長い一日 2001年07月01日 (日)

東京の気温は36度を突破するそうだ。
とにかく暑い日だ。そして当然、熱い夜にもなるだろう。

三鷹駅についたのが、正午前、食事を駅ビルの中のとんかつ屋で食べてから
第九書店という本屋をのぞく。
穂村弘新歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギつれ)』が二冊ある。
相田みつおの本の上に平積みにして、表紙が見えるように置きなおす。

芸術文化センターへ到着すると、すでに内山晶太、松原一成両氏が居た。
会議室の中で、自分のパートの演出の変更を松原さんに伝える。
マラソンリーディングの時の感想で、正岡豊さんが、ぎりぎりまで自分の
演出にこだわりを持つのは良いことだ、と言っていたのを思い出す。

まもなく、辰巳泰子到着。
進行台本を見ながら、最終確認をおこなう。
森本平氏が来て「空想対談」のリハーサルを二度おこなう。

佐藤りえ、宇田川寛之両氏が来てくれる。受付まわりの打ち合せ。
本番前にガストで夕食。混んでいる。

6時前にスタンバイ。
石井辰彦さん、原本文夫さんもすでにスタンバイしてくれている。
「短歌人」の若い人達や「日月」の永田典子さんのグループ、
村田康司さん、松原未知子さん、宮崎二健さん、それにもちろん
柴田千晶さんも来てくれている。岡井隆さんも来てくださった。

自分の出番は不思議とあがらなかった。
@「東電OL殺人事件」の中から、この女性と何年も定期的な関係を
 もっていたAという男性に自分をオーバーラップさせる長い詞書と
 短歌20首。
 この部分は、あとで、斎藤慎爾さんに、着眼点が良い、と褒められた。
 自分のこだわりを言葉にすることで、正直に感情をだせたと思う。
A『東京式』以前。歌集には入れなかった一九九九年五月、六月の
 クロニクルの抜粋。
 ここは、多少なりとも明るいトーンになれば、と思ったのだが、
 ちょっと平板だったかもしれない。
 固有名詞も説明なしで読んでいるので、聴いている人にはわかり
 にくかっただろうと思う。
B空想対談
 これは緊張もしたけれど楽しくできた。
 会場から最初の笑い声がきこえたときは、正直、ほっとした。
 私はプロデューサー役なので、いわばWWFのレスラーたちが
 スキットをやるのと同じことだ、と思ったら精神的には楽になった。
C多重音声朗読
 このパートが最後まで迷った部分。
 最初に柴田千晶さんの「一九九九秋、ヴィーナスフォートの空」に私の
 「葉月・八月・鏖殺」をかぶせて読んだ録音に、さらにナマで声をかさ
 ねるというかたちで強行してみた。
 やはり、ナマ声は巧く重ねそこなったが、大人数にこの方法を聴かせて
 みたかった。
 ふたつめは、柴田千晶さんの声に、彼女の作品「深夜バス」を朗読で
 重ねて読んだ。
 この作品は『空室』の中でも特に好きな作品のひとつ。作品自体に力が
 あるので、聞き手に必ずつたわるはずだ、と思って読んでいた。

始まってみると、あっというまに終っていた。
石井辰彦さん、原本文夫さんのパートもおちついて聞くことができたのが
大きな収穫。

うちあげ会場では、小黒世茂さん、宗田安正さん、斎藤慎爾さんたちと
ゆっくり話すことができた。
最終の東西線で斎藤慎爾さんと一緒に帰った。
斎藤慎爾さんと出会ってから、もう30年。
斎藤さんとの出会いがなかったら、もしかすると、短歌も俳句もやめて
しまったかもしれない。
こういう朗読というイベントを実験した夜にその斎藤慎爾さんと
一緒に帰るというのも、内省的な思いをよびおこしてくれる。


[289] 一九八〇年から今までが 2001年06月30日 (土)

高瀬一誌さんの四十九日の法要に、北鎌倉の円覚寺へ行く。
行くまでの横須賀線の中で、「現代詩手帖」七月号を読む。
特集は「68年 詩と革命」というもの。
短歌雑誌や俳句雑誌では考えられない特集だろう。
この中の四方田犬彦「帷子耀覚書」を、まず読む。
昨日、BBSに石井辰彦さんがこの文章を読むように書いてくれたので
早速、「現代詩手帖」を買ったのだ。
帷子耀というのは、私の世代には強烈な熱量を孕んだ、忘れられない存在
である。実際、高校生だった私にとって、帷子耀の詩は何か破壊的で超越的
でものすごいものだった。
「現代詩手帖」の投稿欄から出てきたと書いてあるが、私が初めて帷子耀の
名前を見たのは寺山修司が選考をしていた「高校コース」の投稿欄だった
ように思うのだが。思い違いだろうか。
しかし、何より犬田氏の文章を読んで驚いたのは、帷子耀が自分より年下
だったこと。そうだったのか。
現在の帷子耀は実業家として成功し、「パチンコ業界の良心」と呼ばれて
いるそうだ。これはかなりいい話だと思う。みんな死んじゃうのは哀しい
からね。

円覚寺の紫陽花が雨に濡れている。
高瀬一誌という存在がもうこの世には存在しないのだということを
やっと納得できたような気がする。
帰りは橘圀臣さんと横須賀線に乗ったのだが、何と横浜から山手線の
新宿方向に入って、新宿、池袋と停車する電車だった。
池袋で橘さんと別れ、池袋西武のLIBROで『手紙魔まみ』を購入。
『短歌という爆弾』『短歌はプロに訊け!』『簡単短歌の作り方』と一緒に
平積みになっている。詩歌コーナーのそこだけカラフル。
ぽえむぱろうるに行ってみるが、ここにはなぜか『手紙魔まみ』がない。
実はこの歌集、ゲラの時点で、一度、見せてもらっていたのだが、もちろん
イラストレーションとの配合で読める完成形の方がずっといい。
ただし、穂村弘という歌人がポピュラリティー獲得の方へ行くのか、
歌壇に軸足を置き続けるのか、どこかで決断しなければならなくなるのでは
ないかと思う。
穂村氏のここ数年の短歌への発言は、きわめて深い洞察力にみちているので、
短歌プロパーでいて刺激し続けてほしい気もするのだが、
歌壇側は、この歌集を受け止めきれないだろう。

こういう歌集を年に4冊くらいずつ出しつづけて、ポピュラリティーを
獲得する存在というのになる方がわかりやすいと思う。

一九八〇年から今までが範囲の時間かくれんぼです/穂村弘


[288] 草木花鳥来 2001年06月29日 (金)

やっと金曜日だ。
俳句関係の雑誌で座談会を三つほど読んだ。

・仁平勝・沖ななも対談「俳句界」
・金子兜太・長谷川櫂・夏石番矢「俳句」
・三橋敏雄・藤田湘子「俳句研究」

この中では、一番上の仁平・沖はポイントがしぼりきれていなくて
読後の印象が希薄。
鼎談は長谷川櫂の「切れ」に関する発言に示唆されるところがあった。
しかし、長谷川櫂の発言は、核心の部分になると「身体でおぼえている」
とか、「韻律論は学者の楽しみ」とか、精神論というか「俳句道」的に
なるのがすごい。
そして、最後の対談は、老大家二人が、現在の俳壇の平準化を厳しく指弾
していて、なかなか興味深く読めるのだが、特に湘子が、若くして結社を
つくり、宗匠然とする連中というのに、敵意をむきだしにしている。
これは、前記の長谷川櫂や、もと湘子門下の小澤實といった人達のこと
であることはまちがいない。
こういうところから、世代間の俳句論争が起こるのなら面白いと思う。

会社帰りに、穂村弘の新歌集『手紙魔まみ』を八重洲ブックセンターで
買うつもりだったのだが、バス停で、最初に来たバスが門前仲町行きだ
ったので、それに乗って、帰ってしまった。明日、買うことにしよう。

・籐椅子にあれば草木花鳥来/虚子


[287] 一途に思ふ事など何時か忘れはて 2001年06月28日 (木)

何かとりかえしのつかない日々をおくっているという思いにとらわれている。

水上警察に挨拶に行く。
お台場には年間でかなりの数の水死体があがるそうだ。
特に、今、自由の女神が設置してあるあたりには、水流の関係で
死体が流れつきやすいのだとか。

・背面に陽を浴びながらお台場の自由の女神ジユウノメガミ

こんな短歌をつくったことを、警察署長の話を聞きながら思い出していた。
お台場は人工の土地だが、そこにはそれゆえの地霊が育つのだろう。
2001年、私はそんな「約束の土地」に関わって生きている。

夕方、「プロレスリング・NOAH」の事務所へ行く。
渉外担当のN氏と打ち合せ。
とても好意的な結論を出してくれた。
一度会社へもどり、伝票の処理をしてから帰宅。

「心の花」の矢部雅之さんと小川真理子さんご夫妻からビデオテープと
手紙が送られてきていた。
ビデオは「マラソン・リーディング」の時の私の出演部分をダビングした
もの。かけがえのない記録になる。しかし、私は肥り過ぎだな、と実感。
小川真理子さんは「心の花」に現在、時評を連載しているが、その問題意識
の方向は的確で、鋭い。「心の花」の6月号には、矢部さんの佐佐木幸綱論
が掲載されていて、小川さん、矢部さんともに、しっかりした仕事を積み上
げている。短歌が次へと進んで行く予感をはらむ書き手の登場といえる。

塚本邦雄全集の別巻が配本された。
この月報に「テキサス・ソロモン・幸運」という文章を書かせていただいている。
この巻は「メトード」や『高踏集』や「極」がまるまる再録されているという
すごい内容。資料的価値ということでは、これほど強烈なものはないだろう。
『高踏集』には大和克子さんも参加している。

一途に思ふ事など何時か忘れ果て夜は小さな愚痴を言い継ぐ/大和克子

またふたたびとりかえしのつかぬ思いにとらわれる。


[286] 吐くものが皆無になるまでつづけても 2001年06月27日 (水)

今日は株主総会。
スタッフは朝8時集合なので、早朝からホテル日航東京のアポロンの間前で
待機する。
とりあえず、順調に進行。
大荷物を乗せた台車をおしながら、昼前に会社にもどる。

午後は人事異動の辞令交付。
役員改選と人事異動が重なったので、社内は騒然としている。
総務部としては、新局が誕生するので、社内レイアウトの変更や
新規什器の購入。
新役員のための送迎車輛の手配などなど、雑事が山積み。
社内や役員室関係のレイアウトの変更、引越し、新規什器の搬入などは
土、日におこなわなければならないので、このあと、7、8、14、15は出社
になる。当然ながらうんざりである。

日曜の朗読バトルの練習と最終的な構成で、頭をひねる。

吐くものが皆無になるまでつづけても男なかなか小さくならず/高瀬一誌


[285] 蚊帳の中まで亜米利加が焼いてゆきし 2001年06月26日 (火)

火曜日を消したくなるさ 火曜日が一週間のはじめの日なら  枡野浩一

ということで、昨日の私の日記の記述をうけて、BBSに枡野浩一教祖が
簡単短歌を一首つくってくださいました。ご厚情深謝いたします。

株主総会の準備は続く。私は後方待機組。

久しぶりに角川書店の「俳句」を買う。
俳句手帳が付録についている。
この手帖の例句を青嶋さんという女性が選句しているそうで、
なかなか慧眼の選句といえる。

蚊帳の中まで亜米利加が焼いてゆきし/八田木枯

鎌倉の夜々の月とは波染めて/星野椿

鶲来て白墨のちひさき木箱/正木ゆう子

深爪は母からの癖日短か/長谷川久々子

山頭火座しゐし位置に座し冷ゆる/篠崎圭介

こういう句が私には心に残ります。

時評ということで、島田牙城氏が、現代俳句協会の歳時記に関して
緻密な批判を展開している。ページ数も多く、しっかりした文章が
書けるだけのスペースになっている。
かなり編集の雰囲気が変わってきている。

帰宅後、眠くなって、すぐ寝てしまう。


[284] なみだみな奈良を写せり 2001年06月25日 (月)

なんで月曜日があるのだろう、と毎週思うが、火曜日が一週間の初めの日
なら、火曜日が嫌いになるだろう。

人事異動の内示が先週あったので、それに関連した雑事がたくさん出て
きている。辞令交付までは、知らないことになっているのに、準備だけ
はしなければならないという矛盾。
世の中には、こういうバカバカしいことがけっこうある。

ネットの古書店で『俳句研究』の一九七〇年代後半の号を3冊注文して
おいたのが、今日、到着した。
秋元不死男、大野林火、金子兜太のそれぞれの特集号。
これらの「俳句研究」はもちろん以前は持っていたのだが、十五年前に
全部売り払ってしまったもの。それを最近、ぽつぽつと買いなおしている。

しょうり大さんの作品20句が昭和49年4月号に掲載されている。
しょうりさんは、今、どうしているのだろうか。
「俳句研究」の50句競作の新人の中で、歌人塚本邦雄が、もっとも
評価し期待をかけていたのが、しょうり大だった。

・なみだみな奈良を写せりヒメジョオン/しょうり大


[283] 日曜日、そして夕闇 2001年06月24日 (日)

メイショウドトウがようやくテイエムオペラオーに勝った。

午前中、Uプロの桃太郎さんと会うために、同じくUプロの寄稿家の
フッカー・シニアさんのお店のキャビンへ行く。
8月19日に予定されているUプロ2000号突破記念イベントの打ち合せ。
Uプロというのは、プロレスの日刊メールマガジンで、購読者は12000人。
完全に日刊で配信されていて、寄稿家の原稿のレベルもきわめて高い。

フッカー・シニアさんは、プロレス史の研究家で、日本のプロレス興行の
記録を調べ、さらにアメリカの研究家との資料の交流をおこなって、
日本人プロレスラーの海外での対戦成績まで、完全に調査しようとしている。
そのアメリカの研究家の言葉で
フランク・ゴッチ
ストラングラー・ルイス
ルー・テーズ
リック・フレアー
以上の四人の対戦成績を完全に調べれば、プロレス史上で、名のあるレスラー
の名前は語れるはずだ、というのがあるそうだ。
確かにそうだと思う。時代を代表するレスラーと闘ったのは、やはり
その時代の一流レスラーにちがいないのだから。
こういう研究家が存在するというのは、プロレスの幸福だろう。

午後は家にもどって、最近いただいた歌集の礼状を書く。

「新日本歌人」七月号に載っている小泉修一氏の
「父を追いてー啄木の遺児京子のこと」を読む。
啄木には二人の女の子が居るわけだが、この京子は夫の石川正雄とともに
「呼子と口笛」という啄木研究誌を出したりするが、
昭和五年に二十四歳で死亡。その妹の房江も同年十七歳で結核で死亡。
つまり、二人とも父の啄木よりも若死にだったのだそうだ。


[282] ああ樗牛樗牛とひとり呟きて 2001年06月23日 (土)

午前中、新宿高校へ行き、授業公開を見学してくる。
すぐに、一度、家へ戻り、雑事をこなしたあと、有楽町へ行く。
旧社屋で、辰巳泰子、松原一成、内山晶太の三氏と待ち合わせて
朗読会の打ち合せ。
同時進行で、上総一宮のOBのお宅から日通が運んできたオープンリールの
テープを一時的に七階に運び込むという作業をおこなう。
七階は冷房がいっさい効かないので、ちょっとテープを持って動くだけで
汗が噴出してくる。
なんとか終らせて、朗読会の打ち合せに専念。

松原一成さんに参加していただいたので、全体がぐっとしまる。
やはり、舞台つくりの経験者が一人入ってくれると、気がつかないことまで
指摘してくれたり、動きにはばがでてくる。

午後4時に一度解散。
私は新宿で、会社関連の簡単な打ち合せをして、三鷹の芸術文化センターへ
向う。
こちらには、さきほどの三人のほかに、森本平さんと梅内美華子さんと
辰巳さんのご主人の山元さんが、手伝いにきてくれている。

実際にマイクを生かし、舞台での位置を決めながら、藤原、辰巳が
それぞれ、自分のパートをやってみる。
私の方は、まだ、完全に固まっていない部分が多く、不安が残って
いたのだが、一度、声を出してみることで、だいたいの感触は掴めた。

辰巳泰子さんの方は、作品が頭にきちんと入っている。
3パートともに、見せて聞かせる朗読になる。これは予想以上の期待が
もてる。

22時近くに解散。東西線にのって帰る。
車中で創元推理文庫の新刊、多岐川恭の『落ちる』という短編集の中の
「笑う男」と「ある脅迫」を読む。この2篇は、直木賞の受賞対象の作品
なのだが、よく、こんなもので、直木賞がとれたな、というのが
率直な印象。筒井康隆や笹沢佐保がとれなかったのはなんで?と言いたく
なる。
でも、多岐川恭は、創作教室で宮部みゆきを育てたという、大きな成果が
あるので、まあ、良しとしようか。

ああ樗牛樗牛とひとり呟きて熱きページをゆつくりと繰る/大森益雄


[281] コールタールの臭ふ通り 2001年06月22日 (金)

「短歌人」編集会議。
高瀬さんが亡くなってから二度目の編集会議たが、あいかわらず、
誰がやっていたかわからないことが出てきて、ああ、それは高瀬さんが
やっていたんだ、とみんなで納得したりしている。
実際、高瀬さんは、どれほどの心づかいを「短歌人」にそそいでいたのか。
エネルギーを注入していたのか。
考えて見ると気が遠くなる。

高瀬一誌追悼号をつくり、『スミレ幼稚園』以後の歌集をつくることは
編集委員として、必ずなさなければならないことだろう。

「短歌人」七月号、田中庸介さんと三宅やよいさんと川本浩美さんが
『東京式』について、書評を書いてくれている。
ずっと疲れた日が続いていたが、励まされて元気が出てきた。

コールタールの臭ふ通りゆ飛び込めば結核になるやうな店あり/小澤正邦

すごい歌だなあ。「短歌人」七月号掲載。


[280] 熱演なれば 2001年06月21日 (木)

ここのところ、ちょっと疲れ気味。
出社のために外へ出ると、一気に雨が強くなった。
びしょぬれでなんとか会社へ到着。
もう、その時点でへろへろくんである。
昨日の稟議は、なんとか書きなおして上司のところは通過したものの
経営管理部と経理部から一回ずつ、ここを書きなおせと、指示がきた。
何か一日中、稟議書を書いたり、書きなおしたりしていた。

フジテレビの事業推進部から、24階のコリドールのポスターボードの前を
夏休み中、イベントの展示物のパネルで隠させてほしいと言って来たので
フジテレビ占有部分のポスターボードを貸してくれるのならOKだと
返事をする。

『凡児無法録』をまもなく読み終わりそう。
西条凡児がはじめは花月亭久里丸の弟子だったというのは初めて知った。
久里丸は、関西演芸史に興味がある人なら、誰でも知っている芸人で
関西の演芸人の系譜などを書き残した人である。こういう仕事をしていた
ので、インテリの紳士というイメージをもっていたのだが、弟子の凡児から
見ると、そうとうイヤミなおじさんだったようで、凡児は弟子として、
かなりいびられたらしい。まあ、そんなものなのかもしれない。

私は昭和41年11月から45年3月まで、大阪の豊中市の服部という所に
住んでいて、豊中一中から府立池田高校へ行ったのだが、その約四年間に
梅田花月や角座や千日劇場に通い、大阪の寄席芸人の芸をたくさん見た。
この時代は、やすし、きよしが一番若い新人だった時代で、戦前からの
芸人さんたちが、まだ、たくさん生き残っていた。
奇人として有名な、松葉家奴というおじいさんもナマで2回ほど見て居る。
今になると、良い蓄積をしていたのだと思う。
いずれ、この時代のことを文章にしたいと思っている。

そう思いながらも、迷いの多い日々を送っている。

小三治と呼び捨てになど出来やしない「二番煎じ」も熱演なれば/大森益雄

とはいえ、私は小三治は好きになれないんだなあ。


[279] 雨ふれば雨でびしょぬれ 2001年06月20日 (水)

またまた、昨日の日記に書き忘れたのだけれど、昨日、勤め先のエレベーター
で、安藤優子と乗り合わせた。あっ、テレビにでている人だ、と思い、つい
ドキドキしてしまった。彼女は報道センターのある階で降りていった。
しばらくして、テレビをつけたら彼女がしゃべっていた。

と、いうことで水曜日の東京は雨。
ところが、午前中になぜか雨はあがってしまった。
しかし、蒸し暑い。社屋内の冷房との関係で関節が痛む。

あいかわらず仕事は株主総会、役員改選関連の雑事であわただしい。
今日はハイヤー会社三社の営業担当者と打ち合わせ。
稟議書を書いたら、書き方が悪いといわれて、思いきり添削されてしまった。
借地借家法の解説を簡単にまとめて稟議に添付しろ、と言われたが、条文が
わかりにくくて、簡単にまとめるのはムリだなあ。
こういう時は、一日時間を置いて、やっぱり、簡潔にまとめるのはムリなの
で、コピーを添付することにしましょう、というとだいたいそれでOKにな
るので、その手でいくことにする。

帰宅すると「短歌研究」七月号が届いている。
高瀬一誌さんの追悼文を書いている。私と蒔田さくら子さん。
蒔田さんの文章は、高瀬さんの病状についての経緯があかされていて
私も知らないことが、いくつも書いてある。
私が初めてしゃべった歌人が高瀬さんであり、その後、もっとも、しばしば
さまざまな関係をもった歌人も高瀬さんなのだが、それは私にとってとても
得難い幸福な関係だったと思う。

おそれることなくなるおそろしさ知りたり雨ふれば雨でびしょぬれ/高瀬一誌


[278] ろくぐわつやこころなかばに 2001年06月19日 (火)

昨日の日記に書き忘れたのだが、夕方の6時ちょっと過ぎに、日比谷の
地下道を歩いていたら、急ぎ足の佐佐木幸綱氏とすれちがった。
こちらが一方的に気がついただけだったのだが、今、考えると、迢空賞の
授賞式のために東京会館へ向っていたのだろう。

会社は株主総会が近づいていることと、役員改選、人事異動などでざわ
ついている。個人的にも、朗読バトルが目前に迫ってきていて、心騒いで
いる。七月一日が過ぎたら、しばらくインプットに専念しようと思う。

蒸し暑い一日で、外へ出ると汗が噴出してくる。
午後、東京駅行きの快速バスで、有楽町の蚕糸会館へ行く。
事業開発局の分室エリアに、新たな事務局を開設するために、イトーキの
営業担当者と待ち合わせて、パテーションの移動工事を依頼するため。

小一時間で用をすませて、すぐにお台場へ戻る。
豊洲からタクシーに乗ろうとしたら雨がぱらついてくる。
4時半から、部長と車輛部の関さんと三人でミーティング。

今日はずっと「恒信風」12号を持ち歩いて読み続ける。
一冊の雑誌をこんなにわくわくして読むのは何年、いや十何年ぶりかも。
「八田木枯氏インタビュー」がやはり期待どおり面白い。
八田木枯という俳人は山口誓子が「天狼」を創刊してしばらくした頃
遠星集の巻頭を何度もとった天才俳人として、語り継がれている存在。
私はSF作家の眉村卓さんや津沢マサ子さんから、八田木枯の名を伝説
として知らされていた。
昨年末に村井康司さんと寺澤一雄さんのご好意で、句座をともにさせて
いただいたのだが、何か自分がずっと酔っぱらっているような気がしていた。

戦前に俳句を始めて長谷川素逝に師事。その後、日野草城を読み、草田男に
影響を受けて、戦中に誓子と知り合い、戦後の「天狼」で活躍、注目される
というのは、非情に恵まれた俳句的青春時代をおくった人だと思う。
そのご20年近い、俳句休止期間を経て、昭和五〇年代の初めに俳句再開。
これは、少し期間はずれるが、三橋敏雄の変遷とよく似ている。
最近、四十台の俳人が、あっという間に自分の主宰誌を創刊し、先生として
あがってしまうのを、私は面白くなく思っているが、もしかすると、この
壮年期の俳句休止という、ある距離のとりかたが、本当は必要なのかも
しれない、と、ふと思った。やや我田引水かも知れないが。

「寒雷」系の俳人の句は姿がよくない。姿のいいのは三橋敏雄。
中尾寿美子の晩年の句、清水径子のやはり晩年の句がよい。

こういった言葉にはとても共感できる。
八田木枯という俳壇の傍流に居る人にこのようにリスペクトがささげられる
というところに「恒信風」という不思議な俳句雑誌の個性があると思う。

もうひとつ、村井康司氏の「「真神」を読む」もあいかわらず、読む快楽を
感じさせてくれる。特にこの号では
・身のうちに水飯濁る旱かな
・もの音や人のいまはの皿小鉢
・撫で殺す何をはじめの野分かな
こういった、私の大すきな句がとりあげられているからか、とても幸福な
気持ちになれる。この連載は、ぜひ、全句評釈として、一巻にまとめて
ほしいものだ。

さらにもうひとつ、遠藤治さんが、村井康司氏の著書『ジャズの明日へ』の
書評を書き、
チャーリー・パーカー=山口誓子
ジョン・コルトレーン=高柳重信
ウィントン・マルサリス=岸本尚樹
という、ジャズメンと俳人の見たてをおこなっていてとても面白い。
才気のある文章だ。
私はジャズは知らないが、この見たてが当たっているなら、きっと
ウイントン・マルサリスつて好きになれないような気がする。

ろくぐわつやこころなかばに木は聳え/八田木枯


[277] 桜桃忌走るのやめてしまいけり 2001年06月18日 (月)

表題は「恒信風」12号の長島肩甲さんの俳句。
この号には私が待ちに待っていた「八田木枯インタビュー」が載っている。
待ちに待っていたのに、昨夜は読まずに眠ってしまったので、今日読む。

戸田学著『凡児無法録』たる出版 2800円+税という本を昨日の夕方から
読み始めたら、やめられなくなった。
ニ段組480頁という長い本だが、これは関西演芸史に興味のあるものにとって
は、実にありがたい本だ。
内容は西条凡児の評伝なのだが、資料的価値が抜群なのは、西条凡児の
漫談が2本、「おやじバンザイ」の一回分がまるまる速記による活字で
再現されているのだ。
演芸関係の歴史に興味をもつた人ならわかってもらえるだろうが、いわゆる
漫談などのいろもの芸の録音テープや速記が残っていることはとても珍しい
のである。まして、テレビ番組の一回分の速記が再現されているなんて
こんなに嬉しいことはない。
西条凡児は、時事漫談をやっていた芸人なので、同じネタのつかいまわしは
ほぼ皆無のはず。その漫談が2回分も活字になっているのも実に貴重。

この著者の戸田学という人は昭和38年生れ、とまだ三十代。
昨年、やはり演芸マニアを狂喜させた
『米朝・上岡が語る昭和上方漫才』を企画・構成した人でもあるらしい。
この二冊の資料的、現在的な価値の高さは類書の群を抜いている。
菊池寛賞とか秋田實賞とか、こういう人のこういう仕事こそ顕彰してほしい。

寂しさや母も干菓子もみどりなり/八田木枯


[276] 原稿用紙の上に眼鏡が置きてあり 2001年06月17日 (日)

京谷秀夫著『一九六一年冬「風流夢譚」事件』の読み残していた部分を
会社の宿直中に読了。宿直の時は本を読むのがいちばんなのだけれど、
以外と会社という環境のためか、集中力が出ないものなのだが、この本
は、さすがに読めた。
とにかく、これだけ誠実な文章は初めて読んだ気がする。
言論の自由に関するきわめてデリケートな問題の当事者として、逃げる
ことも自己弁護も他者を責めることもなく事実を記述し、しかも、内省
の末の自分の意見を語ることで、事件のはらむ問題点を明らかにする、
という本である。
個人情報保護法案が取り沙汰されている現在、40年前の事件に関して、
このように優れた本を読めたことは、私にとっては貴重な蓄積だった。

10時過ぎに家に戻り、溜まっている本と雑誌の整理。
昼食をとったあと、横になって米田利昭著『歌人・津田治子』を読んで
いるうちに、いつのまにか眠っていた。
競馬のメインレースが始まる直前に目が覚めたが、バーデンバーデンカ
ップもプロキオンステークスもはずれ。熱くなって買った最終レースも
当然のようにはずれ。こういう失敗を何度くりかえしたことか。

夕方、かの子と一緒にイトーヨーカ堂まで散歩。
かの子にシャープペンシルを買ってやり、自分は双葉文庫の笠井潔の
『天啓の宴』を買う。この本には俳人の千野帽子さんこと岩松正洋さん
が解説を書いている。帰宅後、買っただけで忘れていた『創元推理21』
を本の山の中から探し出して、同じ岩松正洋さんの「小説機関説」を読む。
岩松さんの強味は明解な文章で論を展開できること。いい文章家が出て
きたなあ、という気がする。

今日はずっと明晰な文章に刺激されつづけた日曜日だった。
夜、一本、書きかけの書評原稿を仕上げたが、文章という点で、気弱に
なってしまう。また、米田利昭の『歌人・津田治子』を読みながら眠る。

原稿用紙の上に眼鏡が置きてあり吾なき後のことのごとくに/二宮冬鳥


[275] 土星から来た電波が叩く 2001年06月16日 (土)

朝10時に三鷹市芸術文化センターに集合して、7月1日の朗読バトルの
打合せ。会場が新しいので付帯設備がきちんと揃っている。やりやすい。
松原一成さんも、多忙さをぬって、時間をつくってくれている。感謝!

場所を有楽町に替えて、空想対談の練習。稽古かな。
けっこう難しい。セリフがおぼえられない。コントグループはネタが
たとえつまらなくても、セリフくらいはちゃんと覚えているからエライ。

急いで家に帰り、また、急いで、お台場の会社へ行く。
特別職宿直という制度があり、今夜は私が宿直なのである。
会社の食堂で夕食を食べていたら、ホンジャマカの恵俊彰さんが挨拶して
くれる。お笑い系のタレントさんは、昔のことを覚えていてくれて義理が
たいなあ。
「メチャいけ」を見ながら葉書をたくさん書く。ポストへ投函に行く。

抱き合うときは終わったけれど球場を土星から来た電波が叩く/正岡豊


[274] アポリネール選集返し来し友も不惑 2001年06月15日 (金)

昨日の日記に書き忘れたのだけれど、社内の流水書房で本をあさっていたら
廊下で女性の声高で品のない関西弁が響いている。うるさいなあ、と思って
のぞいてみたら、オセロの中島だった。タレントを見るたびに思うのだけれ
ど、顔が小さい。テレビは顔を大きく写してみせているようだ。
それがなせかは、矢部雅之さんなら説明してくれるだろうか?

と、いうわけで、今日、金曜日は安全運転管理者講習というものを受講に
荏原中延の公民館まで行く。
マンションの専用バスで東西線木場駅へ。東西線茅場町で日比谷線に乗換
えて、恵比寿。ここでJRに乗換えて五反田駅へ。さらに五反田で池上線
に乗換えて荏原中延。下車後、雨の中を不正確な地図の略図を頼りに公民
館まで徒歩10分。到着前にけっこう疲れた。

これは、車を営業に使っている企業には必ず居なければならない安全運転
管理者に、私は選任されているのである。その管理者のための講習会なの
で、年齢は千差万別。二十代から五十台の後半まで、会場には300人く
らい集まっている。外は肌寒いのに、会場のホールの中は暑いくらい。
内容は警視庁の交通の専門家、保険会社の自賠責専門の人、自動車工学の
専門家の話など。あとは、例によって教育映画みたいなものを見せられる。
昼休みをはさんで、午後になると、受講者の半分以上が居眠りをしている
ようだった。

午後四時過ぎに終了。そのまま、朝と逆コースをたどって、新橋へ出る。
量販店のキムラヤで、朗読会のためのストップウォッチを買うため。
新橋駅前にキムラヤは4店舗あるのだが、結局、本店の時計売場にデジタル
表示のストップウォッチがあったので、購入する。
駅前の文教堂で、新刊をチェック。高橋源一郎『日本文壇盛衰史』や
『マルセ太郎の世界』を買おうと思ったが、雨降りで荷物が多いので、
あらためて明日か明後日に買うことにする。
結局、買ったのは「短歌朝日」7・8月号のみ。

アポリネール選集返し来し友も不惑 この次には何貸さむ/塚本邦雄

そういえば、仙波龍英に学生時代に借りたポール・ニザンの『アデン・ア
ラビア』は返しただろうか、と思う間に、不惑どころか知命がすぐそこ。


[273] 東京という領域は雨、雨、雨だ 2001年06月14日 (木)

朝から強い雨が降っている。
株主総会とか人事異動とか朗読会とかすべてが近づいていておちつかない。

テリー伊藤の番組の連動企画として「女子アナ弁当」というのが売り出され
初日に一万食以上、売ったそうだ。
女子アナウンサーというのがひとつのブランドになるということか。

赤江瀑の『虚空のランチ』という傑作集が講談社のノベルスから出ている。
講談社ノベルス系列のいわゆる新本格はあまり読まなくなっていたので
こんな本が出ているとは知らなかった。
赤江瀑も現在、文庫ではほとんど手にはいらなくなっている。
去年だか今年だか、ハルキ文庫から『オイディプスの刃』が文庫で復刊し
ていたが。たしか、塚本史さんが解説を書いていたような気がする。

夜、朗読会用の素材をつくる。
テンションをたかめていかなければならない。

西川徹郎さんが「国文学」を送ってくれる。「俳句の争点ノート」なる特集。

男根担ぎ仏壇峠越えにけり/西川徹郎


[272] 今日はちょっと季ちがい 2001年06月13日 (水)

朝8時半ちょっと過ぎ、私が乗ったバスがフジテレビ前に到着する寸前に
携帯電話が振動し始めた。
丸の内警察の交通課からの電話で、明日のサテライトスタジオの放送とビ
ックカメラのオープン時の警備に関して、もう一度、関係者で確認してお
きたいので、10時までに丸の内警察に来てほしい、とのこと。
とりあえず、会社のデスクに行き、当面のサテライトスタジオの責任者の
デジタルコンテンツ部長のケイタイに連絡する。とりいそぎ、直接、丸警
に向ってもらうことにして、私も有楽町へ向う。

有楽町そごう跡地がビックカメラになり、明日オープンする。
私の勤め先はそこの2階にサテライトスタジオをつくり、BSラジオの放
送をすることになっている。すでに、金曜日に一度、生放送をしているの
だが、その時の観客の滞留状況や交差点での車の様子などを判断して、改
めて、前日にきちんと打ち合わせておこうということらしい。

警察の交通課と警務課、ビックカメラの宣伝部長と役員、そして私とサテ
スタの責任者が集まって、放送時間と内容、オープン前に集まる客の待た
せかたと警備担当者の配置、壁面の大型ビジョンの放映時間など、こまか
い内容をチェックしあう。
結局、スタジオの担当の私の勤め先からは、道路使用許可申請を改めて提
出するということになった。

昼前まで会議がかかったので、許可申請の書類をもって会社へ戻る部長と
わかれて、昼食にジャーマンハンバーグ定食を食べる。
そのまま、今度はLF会という勤め先のOB会の定例幹事会。
OBの幹事の方々に、10月に開催するLF会総会の準備状況などの説明
をする。OBの人達の雑談はやはり病気の話題が多い。
柴田忠夫さんというOBで詩人でもある方が入院しているというお話を初
めて聞いた。早く、回復してほしいものだ。

夕方、会社へ戻り、株主総会の準備をしているチームのバックアップ。
雨が降りそうな空模様になってくる。
秘書室で待機して、弁護士の先生をハイヤーまで案内する。
何か今日は疲れたな。

 尋章摘句老彫虫
 文章何処哭秋風    李賀


[271] わが行動の大方は 2001年06月12日 (火)

京谷秀夫の『一九六一年冬「風流夢譚」事件』(平凡社ライブラリ)を読み
始めた。著者は深沢七郎の「風流夢譚」事件の時に「中央公論」の編集次長
をしていた人。先日読了した大村彦次郎の『文壇挽歌物語』にこの事件の記
述があり、京谷秀夫の名前が出ていたので記憶していたところ、本屋でこの
本をみつけて、早速買ったしだい。
事件の現場に居た人としてのなまなましい人間関係の記述と、内省的な視線
と、ジャーナリストとしての矜持とモラルがとてもバランスよく、好感を持
って、読み進めることができる。
40年前の事件、それも、言論の自由とテロということに関して、改めて、
考えて見る機会になる。バランスをとりながら考えを進められる人間になり
たいと思う。

何か悲惨な事件が起こると、すぐに、ネット上にそれを揶揄するようなゲー
ムが公開されている、ということが最近しばしば起こっているが、これは当
然、不愉快なことである。だからといって、自由な言論活動を拘束する法律
の成立は看過できることではない。この点に関しては「読書人」の先週号に
掲載されていた辺見庸のインタビューに教えられることが多かった。

各種の掲示板で見られる意見の交換に、とても刺激され教えられることが
とみに多くなった。たとえば「短歌」だけに限っても、e短歌salon
や「梨の実歌会」の書き込みによる討論を読んでいると、ネットワークの
有効性が身に沁みてわかる。ただ、自分をかえりみると、考えや反応をネ
ットに書き込むというリアクションの前に、一瞬のためらいが出て、結局
書き込めずに終ることが圧倒的に多い。その点、枡野浩一さんや荻原裕幸
さんや正岡豊さんのリアクションの素早さと、的確な表現には感心するば
かりである。現時点では、こういう人達のアウトプットを吸収することに
努めたいと思う。それだけでも私にとっては大きな収穫になるはずだと思う。
内省的でありたい。そして、そこで紡いだ言葉を発することに意志的でありたい。

「結果として」を上につければわが行動の大方は説明がつく/高瀬一誌


[270] 身も心も焼きつくして、愛しぬいた末に 2001年06月11日 (月)

今日は上総一宮ので日帰り出張。
OBのHさんという方が3月に亡くなられて、ご遺族の方から、テープが
たくさん残っているので、お返ししたいとの申し出があったのだ。
Hさんは現役時代、ずっとクラシック・コンサート番組の録音を担当
されていたので、その音源テープを自宅で、ずっと、チェックしては
目録をつくっていてくださったのである。
当時のアシスタントディレクターであったTさんとWさんと、日通の営業
のAさんと四人で、ご遺族の家を訪ねて、引き取りの日程を決めさせて
もらう。

上総一宮までは東京駅から急行で約一時間。
ひと電車みんなより早く乗ったので、車中と待ち時間で
酒井寛著『花森安治の仕事』(朝日文庫)を読み終えることができた。

花森安治はご存じ「暮しの手帖」の編集長だった人。
戦時中は大政翼賛会に勤めており、「欲しがりません、勝つまでは」という
標語の作者だという伝説がある人だが、この標語の作者は別人だということ
が、この本の中で検証されている。
各種の商品テストを誌上でおこない、いっさいの広告をとらなかったことで
独自のジャーナリスト精神を屹立させた人物である。

私は、現在の私の戸籍上の母である、当時は叔母だった女性が、ずっと
この「暮しの手帖」を買っていたので、この商品テストも子供の頃から
読んでいた。
いちばん覚えているのが、石油ストーヴのテストだった。
イギリス製のブルーフレームとか国産メーカーのリンナイとかの名前を
このテストで記憶したものだ。
この文庫には、この石油ストーブのテストが載ったのは昭和三十五年だと
いう。当時の私は小学校3年生だったはずだ。小学生が読んでも退屈せず
に読める記事を、花森安治は書いていたわけだ。
この本の中で、くりかえし語られている、花森の文章に関する考え方が
きちんと実践されていたということだ。
この本はブックオフでも、よく見かけるので、もし、みつけたら、
買って読むことをすすめたい。
花森安治という強烈な個性の存在感を受けとめることは、自分が何かを
表現しようというときに、必ず役にたつと思う。

生れた国は、教えられたとおり、身も心も焼きつくして、愛しぬいた末に、
みごとに裏切られた。もう金輪際、こんな国を愛することは、やめた。
                              花森安治


[269] 一匹の嘘つきになって夜をまたぎ 2001年06月10日 (日)

「短歌人」の六月歌会が池袋芸術劇場の中会議室でおこなわれる。
前半の司会担当なので、午後1時前に会場へ入る。
編集委員からは小池光、蒔田さくら子、鎌倉千和、橘圀臣さんが出席。
三井ゆきさんはさすがに欠席。
作品にも高瀬一誌さんへの挽歌が何首か出ていた。
私が出した歌は下記のもの。

・かつて其処には蛇腹写真器あやつれる写真館あり はかなけれども

池袋までの歌会の行き帰りに山口瞳の『還暦老人 極楽蜻蛉』を読む。
これは、「男性自身」シリーズの最後の方のもので、日記体で書かれている。
冒頭が平成元年7月17日で、終わりか平成2年11月12日。
意外に思ったのが、山口瞳が息子の山口庄助に対して、かなり手放しで
親ばかぶりを発揮していること。こんな人だったんだ。まあ、いいけど。

歌会のあとの勉強会は柚木圭也の司会、レポーターが池田裕美子で
「河野裕子と阿木津英」で、とても緻密なレポートだった。
特に阿木津英に関しては、池田さんは一時、「あまだむ」で同行して
いただけに、教えられる部分がいくつかあった。
時間が押していて、途中ではしよらざるをえなくなったか゛、もう少し
阿木津英に関してのレポートを聞きたかった。
阿木津英が現在、沈黙しているように見えることの意味を、よく考えて
みようと思う。

帰宅後、北川朱美著『死んでなお生きる詩人』の読み残し部分を読了。
永塚幸司、清水正一、天野忠、瀬沼孝彰、相良平八郎、氷見敦子、長岡三夫、
南信雄、谷澤辿、征矢泰子、本多利通、寺島珠雄、佐藤泰志
以上の十三人の詩人たちが論じられている。
志なかばで倒れた詩人たち。
大村彦次郎の『文壇挽歌物語』にも、文学全集に入るような作家でも
貧乏に悩まされたり、賞の選考結果に一喜一憂する姿がなまなましく
描かれていたが、表現する人の孤独というのを、痛感せざるをえない。

僕は多くの河を渡り、多くの僕を泳いできた
そのあとで
一匹の嘘つきになって夜をまたぎ
ためしにツバを吐いてみた  (佐藤泰志「僕の渡る多くの河」部分)


[268] 廊下を這ひつつ階段に落つ 2001年06月09日 (土)

昨日の夕方から風邪が悪化して全身がだるい。
とにかく薬をのんで、風邪をおさえこむ。

大恵クリニックに行って、アトピーの薬をもらう。
この行き帰りと、待合室に居る間に、
秋山巳之流『魂に季語をまとった日本人』の読み残していた部分を読む。
この人は編集者なのだが、とにかく文章が荒っぽい。
学生時代は「地中海」で短歌をつくり、その後「河」で俳句実作をおこなって
いるということだが、本当に俳句や短歌がわかっているかどうかは、
この本を読む限りでは疑問である。
黛まどかの俳句や身の処し方を肯定しすぎているのも何打かなあ、と思う。

そのまま、中野サンプラザの「未来」50周年の記念大会へ行く。
1時の開会にちょっと遅れてしまったのだが、ちょうど、岡井隆さんが
開会発言的な話をしているところだった。
会場は200人以上の人達でぎっしり。さすがに50年の歴史と実績を
感じさせてくれる。
岡井さんに紹介されて永田和宏さんの講演が始まる。
「戦後派から前衛短歌、ニューウーヴへ」というタイトルであったが
内容は、永田氏がここのところ、ずつととなえている結社の機能を
「選歌」と「歌会」と考える、という論の解説だった。
結社は短歌のつくりかたを教える場ではなく、読み方を学ぶ場である、
との提言は、文章で読むよりもわかりやすく納得できるものであった。

たとえば、斉藤茂吉の一万首以上の歌にしても大半は愚作であり、
その中から、せいぜい200首くらいの秀歌を探し、きちんと読める力を
養うのだ、というような言い方は確かにそうだと共感できる。

「結社」や「選歌」や「第二芸術論」の問題を短歌の世界はいつもうやむやに
やり過ごしてきた。自分はそのうやむやさがイヤで、オトシマエを自前の
考えでつけてみたかった、という根本のモチーフもやはり納得。
実は、永田氏の結社や選歌に関する、ここしばらくの文章を読んでも
「搭」という結社の主宰としの自己防衛的理論武装だと邪推していたので
今日の講演を聞くことで、誤解かとけたのは収穫だつた。
自分の頭で考えてオトシマエをつけるという姿勢は学びたいと思う。

そのあとがパネルディスカッション。
パネリストは前記の岡井、永田氏の他に大島史洋、佐伯裕子、道浦母都子、
加藤治郎の諸氏。
結社はプロ歌人を養成するための機関となり、そのためのカリキュラムを
用意すべきである、との加藤治郎さんの意見にみんなたじたじとなっていた。

所要があり、パーティには出席せずに失礼する。
頭が短歌モードになれたのはうれしい。
こういう刺激を受ける場にはできるだけ出るようにしたい。

・白くあふれて液体窒素音もなく廊下を這ひつつ階段に落つ/林口僥子


[267] 木の電柱かぼそく立てるところ過ぎ 2001年06月08日 (金)

どうも、最近、目に見えて記憶力が衰えている。
昨日の出来事はかろうじて思い出せるが、一昨日のことになると
もう、ぽっかりと空白ができてしまう。
こうして、人間として衰弱してしまうのかと思う。

在京放送局警備担当者会議の幹事局なので、各局の人達が集まってくる。
会議で、いろいろと警備、防犯関係の情報を交換し、討議している間に
池田市の小学校でとんでもない事件が起きていた。
やりきれない事件だと思う。
実はこの小学校は、私が卒業した大阪府立池田高校の近くにある。
この小学校は産業道路という大きな道路沿いで、そこから坂道を
一キロほど上って行くと、私の卒業した池田高校がある。
この高校の先輩に「未来」のさいとうなおこさんが居る。
池田市というのは、豊中市と箕面市に隣接した小さな市で

午後は有楽町のそごうの跡にビックカメラができ、その2階に
ラジオタウンというサテライトスタジオをつくったので、そのオープンを
会社に待機して、見守る。
道路にお客が集まりすぎたりすると、当然、道路規制の対象になるので
総務部員としては、すぐに対処できるようにしなければならないわけだ。

夕方まで待機していたが、特に連絡もないので有楽町の旧社屋へ向う。
辰巳泰子、森本平、松原一成の諸氏と、朗読会の打ち合せ。
面白くなりそうである。

・木の電柱かぼそく立てるところ過ぎ養蚕小学校遠からず/小池光
まさか、こんな悲惨な事件がおこるとは想像もしなかった。


[266] たまゆらにして消えゆきにけり 2001年06月07日 (木)

マルチシアターで、半年に一回開かれる「決算説明会」の進行をする。
この会場の椅子は実に座りやすい。
2時間以上の映画を見ても、ほとんど腰に負担がかからない。
使用料金も、グループ価格ということもあるのだろうがリーズナブル。

終了後、快速バスで有楽町へ行き、ニュートーキョーで食事をして、
丸の内警察と有楽町駅へ挨拶に行く。
これは、旧有楽町そごうにビックカメラが出店することになり、
その2階にサテライトスタジオができ、そこでの最初の放送が明日、おこなわ
れることになっているから、そのための挨拶ということ。
ラジオ番組といっても、うちの場合はFM東京のスペイン坂スタジオのように
Jポップ系のアーティストをスタジオに入れるわけではないし、2階のフロア
なので、まあ、混乱は考えられない。

有楽町の旧分室の電気室で菊池さんと、今後のスケジュールを確認して
浜松町からバスでお台場へ戻る。
いまにも雨が降りそうだと思っていたら、会社に着いたとたんに土砂降りに
なった。伝票作業をかたづける。
6時過ぎに、雨が少し小ぶりになったところを見計らって、バスで豊洲へ。
豊洲図書館へ行って、山口瞳の『還暦老人 極楽蜻蛉』と
『年金老人 奮戦日記』と丸谷才一『思考のレッスン』を借りる。
また雨が強くなりそうなので急いで帰る。

昨日の短歌の作者は岡部桂一郎氏でした。書き落としてしまったことをおわび
します。

さだまらぬ人のかたちよ物みなはたまゆらにして消えゆきにけり/福永武彦