[2275] 浜松町かもめ亭 2007年02月15日 (木)

文化放送が主催する寄席、浜松町かもめ亭へ行く。
会場は文化放送の12階メディアプラスホール。
塚越アナウンサーに誘ってもらったもの。
会場に着くと、ニッポン放送の栗村アナウンサーと放送作家の
藤井青銅さんも居た。

演者は以下のとおり。

林家彦丸
神田ひまわり
柳家三三
古今亭真輔

真輔師匠はご存知のとおりだが、彦丸さんは林家正雀門下。
ひまわりさんは先代の神田山陽門下で、今は柳亭痴楽の預かり
となって、落語芸術協会に所属して、寄席に出ているとのこと。
三三さんは柳家小三治門下。
この人は初めて聞いたのだが、口調、口跡がよく、東京弁、江
戸言葉が小気味よい。塚越アナウンサーに聞いたら、若手では
おおいに期待されている人だとのこと。
演目は「二人癖」だったのだが、この明晰で威勢の良い口調な
ら、「大工調べ」の棟梁の啖呵でも、「黄金餅」の道中立てで
も、十分に聞き応えがありそうだ。

打ち上げに参加させてもらい、このかもめ亭の実質的なプロデ
ューサーである小学館メディアセンターのIさんに挨拶する。
Iさんの「私はずっと、寄席の席亭になりたかった。その夢
がかなったので、なんとしてもかもめ亭は続けます」という
挨拶は感動的だった。

帰宅時のJR、山手線、京浜東北線ともに事故があった影響で
朝のラッシュなみの混雑だった。
昨日とはうってかわって、寒風が吹いている中を帰宅。


[2274] 春一番のバレンタインデー 2007年02月14日 (水)

のっぴきならない事情で一日休暇をとる。
結局、予想していたほどのっぴきならなくはなかったのだが、
うっかりミスで、仕事の方の連絡事項を伝達し忘れるという
ポカをやってしまう。
昼前にオフィスから電話がかかってくるまで、そのことをまっ
たく忘れていたのだから情けない。電話の主ははっきりと怒っ
ていたが、それは当然である。情けない話だ。

夕方、久しぶりに腰痛の整体院に行く。
東京マラソンの話になり、私が受付の手伝いでで日曜の朝の6
時に都庁前のスタート地点に行かねばならないと言うと、先生
も医療チームとして、ビッグサイトのゴール地点にボランティ
アで出動するとのこと。
ちょうどそんな話をしていたら、東京マラソン事務局から、医
療チーム用のウインドブレーカーとIDカードが届く。
ウインドブレーカーを見せてもらうが、「東京マラソン200
7」のロゴは、腕に入っているだけだった。

古石場図書館によって、芦辺拓の文庫本、『赤き死の館の殺
人』を借りて帰宅。
生ぬるい強風の中を帰宅。がっくり疲れている。

夜のニュースで、「バレンタインデーの今日、東京に春一番
が吹きました」とアナウンサーが言っていた。
あの生ぬるい強風が春一番だったのか。


[2273] 連休明けの混雑 2007年02月13日 (火)

午前中に、区役所、銀行、郵便局とまわってから出社する。
連休明けなので、どこもとても混んでいる。
10時にはオフィスへ入れるかと思っていたのだが、結局、
11時過ぎになってしまった。

グループ新入社員研修の会議。
各社の人事・総務担当者が集合する。
名簿つくり一つでも、名前の読みや文字使いがきわめて神経
を使わざるをえない。

昨日買った「ミステリ・マガジン」を読み続けている。
海外、国内のミステリを読み続けている人たちは偉いな、と
素直に思う。
前にも書いたかもしれないが、ミステリ関係の評論家の関口
苑生、新保博久、長谷部史親諸氏はワセダミステリクラブの
仲間だった人たちだ。
学生時代の趣味が職業になるというのは、楽しくもまたつらい
ことなのだろうと思うが。


[2272] うたたね打合せ 2007年02月12日 (月)

芦花公園駅の近くにある村田馨、天野慶両氏のご自宅で、
24日土曜日におこなう「歌集喫茶うたたね」での朗読グラ
ンプリの詳しい打合せ。
鍋料理をご馳走していただく。

集まったのは松本キックさんと女優のセリナさん。
語り女の北原久仁香さん、神谷町オープンテラスの店長の
木原さん。
なっちゃんとこうちゃんも参加して、なかなか賑やかな打合
せだった。
当日が楽しみ。

夕方に帰宅。
「ミステリ・マガジン」3月号の「保存版2006年翻訳ミ
ステリ回顧」なる特集を読む。
「2006年のベスト3」というアンケートも載っているの
で、ついつい、そこで褒められている本を読んでみようとい
う気にさせられる。そういう昂揚した気分は楽しい。
しかし、翻訳ミステリや冒険小説は最近まったく読んでいない。
まあ、まもなく87分署シリーズの『ラスト・ダンス』は、
もう、読み始めているから、まもなく読了できるだろう。


[2271] ミステリマガジンのこと 2007年02月11日 (日)

久しぶりに東陽町図書館に行って、ポケミスを中心に何冊か
ミステリを借りてくる。
「ミステリマガジン」の2006年7月号創刊50周年記年
号もあり、これが各氏の50周年お祝いメッセージが載って
いてなかなか面白く読めた。
石上三登志、丸谷才一、片岡義男、中田雅久となつかしい顔
ぶれで、いかにも1960年代のミステリマガジンのオシャ
レな部分を代表していた人たちが並んでいるなと改めて思った。

そしてこの特集の中でなにより面白かったのは今までもっと
も長く編集長職にあった菅野圀彦氏による「ミステリマガジ
ン50年史―編集サイドから」という文章。
創刊当初のことは都筑道夫の『ミステリ作家ができるまで』
に詳しく書かれている。小泉太郎、常盤新平、太田博、長島
良三、そして菅野圀彦自身の時代へと続くあたりは、かなり
面白く読めた。
なにしろ「ミステリマガジン」の編集長をほとんど一人でや
りながら、単行本や叢書の企画もすすめているというのが凄
いと思わざるをえない。

常盤新平→「ニューヨーカー短篇集」
太田博→「ゲイルズバーグの春を愛す」を含む<世界の短篇シリーズ>
長島良三→「北京の秋」を含む<ブラックユーモア選集>

こう見ると「ミステリマガジン」のみならず、これらの書籍
によって紹介された小説も喜び驚きつつ読んでいたので、あ
らためて、ハヤカワ的読書傾向にいかに影響されていたかを
思い返した。

私は1970年の夏に「SFマガジン」のアンケート整理の
アルバイトで3週間ほどだったが、早川書房の編集部に通っ
たことがあった。
その時の「ミステリ・マガジン」の編集長は太田博、編集部
には長島良三、菅野圀彦の3人だったと思う。
「幻想と怪奇」「ブラックユーモア」「ニューヨーカー短
篇」といった特集はなつかしいし、良い読書体験だったと
今でも思う。


[2270] 風に帰らむ 2007年02月10日 (土)

原田千万歌集『風に帰らむ』の批評会のために佐久平へ。
長野新幹線は三連休の初日だからなのか、超満員。
なんと、ニッポン放送のM氏一家と同じ車輌で乗り合わせる。

批評会は加藤英彦さん、山下雅人さん、大谷雅彦さんともに、
詳しいレシュメをつくってくれ、発言もそれに基づいたもの
なので、明解でわかりやすい。
「短歌人」の小池光、中地俊夫、蒔田さくら子、三井ゆき氏
ら編集委員も多数参加してくれ、崔龍源、日向邦夫といった
原田さんのむかしの仲間も出席してくれている。
先週、春畑茜さんの歌集批評会をとりしきってくれた青柳
守音さんもわざわざかけつけてくれた。

進行は時間ぴったりだったし、出席者全員に発言してもらえ
たので、巧くいったと思う。

懇親会もなごやかなムードで進行。
なにより、岡田さん、平林さん、安西さん、竹田さん、羽入
田さんらの長野のみなさまのスタッフワークにお礼をいいたい。

七時半の東京行き新幹線で帰京。


[2269] 基礎体力の鍛錬 2007年02月09日 (金)

いろいろとやらねばならぬことが山積みの金曜日。
とにかく、「短歌人」の作品をつくって投函したりした。

小高賢さんの『現代短歌作法』に、小高さんは一日十首制作
をかつて一年間実行していたと書いてあったが、やはり、そ
ういう基礎体力の鍛錬を本当はすべきなのだろうと思う。

夜、明日の原田千万さんの歌集批評会の予習と言うことで、
『風に帰らむ』にもう一度目を通す。
明日は加藤英彦、大谷雅彦、山下雅人の三氏をパネリストに
迎えてのディスカッションの司会をする。


[2268] 報道委員会など 2007年02月08日 (木)

報道委員会に出席。
安部内閣の現在と今後と言うテーマで聞き応えがある。
世界遺産萩シンポジウムの報告を簡単にする。
終了後、デックス小香港にある中華料理店でおくればせの新年会。

終了後、アクアシティのブックファーストで「本の雑誌」の
3月号と桜庭一樹の話題の新作『赤朽葉家の伝説』を購入。
今年は「本の雑誌」を毎月買おうと決心したのに、なんとお
目当ての「笹塚日記」が最終回。しかし、しみじみとした心
にしみる内容の最終回だつた。

桜庭一樹の本は大森望氏絶賛だが、はたして私に読みこなせ
るかどうか。新しい小説世界になじめない自分を思い知らさ
れるのは当然つらい。


[2267] 書評と内実など 2007年02月07日 (水)

米原万里の『打ちのめされるようにすごい本』が版を重ねている。
確認できたところでは1月25日の7刷りというのが書店に出ていた。
昨年の10月に新刊広告を見て、高田馬場の芳林堂に買いに行った
時には、平積みにもならずに棚に一冊だけ突っ込んであった。
たぶん、初刷り部数も少なかったのではないだろうか。
それが、じりじりと売り上げを伸ばしてきたというところだろうか。
「週刊文春」の「読書日記」の最後の部分が事実上の絶筆であり、
しかも、癌治療の実体験としての生々しい試行錯誤であることが
途中から話題をよんだということかもしれない。
いずれにせよ、私はこの本に衝撃を受けるところが大きかったし
その後、書評の中にあらわれる著者の内実に興味をもって、書評集を
意識的に買って読むようになったのだった。

今日は江東区文化センターの「初めての短歌」講座の後期の最終回。
今度は5月からまた始まるのだが、これできっちり2年間過ぎた
ことになる。


[2266] ダ・ヴィンチと本の雑誌 2007年02月06日 (火)

社屋内にある流水書房で「ダ・ヴィンチ」と「本の雑誌」を買う。
この二冊は今までも年に一回くらいは買っていた。
「本の雑誌」に関しては、昨年、私がこの日記に諸田玲子の
『からくり乱れ蝶』の解説を本当は火坂雅志さんが書いていた
のに、北上次郎さんが書いていたと勘違いしてしまった件で、
目黒考二さんの「笹塚日記」でそれが指摘された号を買って
以来だから、2ヶ月ぶりか。
まだるっこしい文章で申し訳けない。
「ダ・ヴィンチ」は去年の初め頃に一冊買ったような気がする。
やはり、「本の雑誌」の方が私の感性にはあっている。
巻頭の「わくわく初夢本特集」や「笹塚日記」や各氏の書評
を次々に読んでゆく。
穂村弘さんの連載コラム「続・棒パン日常」のクイズはすぐに
わかったぞ。
答は「シンデレラの罠」セバスチャン・ジャプリゾの日本に紹
介された第一作ね。と、問題抜きで答だけ書いてみたが、まあ
、わかったからといって、威張るようなことでもない。

「ダ・ヴィンチ」には付録にコミック・エッセイマガジン「別
ダ」というのがついていたが、これは毎月ついているのか。
グレゴリ青山の「もっさい中学生」がやはり笑える。
本誌の方は、目がチカチカして読みにくい。歳を感じる。
こういう雑誌を毎月買っている人物のキャラクターが想像でき
ない(「本の雑誌」の方はできる)のも情けない。

午後は赤坂プリンスホテルで、正論大賞の贈賞式のスタッフ打
ち合わせ。
そのあと、渋谷のブックファーストに行って、異色作家短篇集
の持っていない巻を買って帰宅。



[2265] 寄席放浪記 2007年02月05日 (月)

河出文庫の新刊で、色川武大著『寄席放浪記』が出ていたので
すぐに購入。
このオリジナル版は何回読み返したかわからない。
昭和20年代から30年代にかけて活躍した色物の芸人さんに
関するエッセイと矢野誠一、立川談志、鈴木桂介、淀橋太郎、
菊村到との対談が収録されている。
まったく知らない芸人のエピソードがつらねられているだけな
のに、なぜこんなに面白いのか、と私は思うが、たぶん、芸人
や芸人の世界に興味のない人にとっては、面白くはないのかも
しれない。
ただ、私はこういう世界に関する文章や対談を面白く思える自
分であってよかったと思う。
ということで、今夜は久しぶりにこの『寄席放浪記』を読み返
すことになるだろう。


[2264] 新幹線で東京へ 2007年02月04日 (日)

萩市内を観光するのはあきらめて、朝9時10分発の急行バス
新山口新幹線駅行きに乗る。
一時間二十分くらいで新山口駅到着。
そのまま新幹線の切符を買う。
まず、広島まで行き、そこでのぞみに乗り換え。
午後三時半には東京着。
途中の車中で、山口宇部空港から羽田空港までの、飛行機のチ
ケットをキャンセル。
行きもこの経路を逆にたどればよかったのだ。

しかし、今回の二泊三日で、二月の萩がいかに寒いところか、
というのがよくわかった。
あと、JRより、バス路線の方が、縦横に発達しているらしい
ということ。
今回の往路はヤフーの路線検索にだまされたらしいということだ。


[2263] 世界遺産萩シンポジウム 2007年02月03日 (土)

昨日の東京から萩までの旅程。

潮見→新木場 京葉線
新木場→天王洲アイル りんかい線
天王洲アイル→羽田空港第二ビル 東京モノレール
羽田空港→山口宇部空港 ANA695便
山口宇部空港→草江  徒歩
草江→宇部 宇部本線
宇部→厚狭 山陽本線
厚狭→長門市 美祢線
長門市→東萩 山陰本線

ということで、家を出たのが午前11時50分、東萩駅到着
が午後7時30分の大旅行でした。

そして本日の「世界遺産萩シンポジウム」はきわめて意義深
く、私にとってはさまざまな興奮をもたらしてくれるイ゛ヘ
ントでありました。


[2262] 萩市へ 2007年02月02日 (金)

本日これから出張で萩市へ行きます。
生れて初めての萩行きです。
松下村塾を見てみたいのですが、そういう時間がとれるかどうか。
帰宅は日曜日の夜になります。


[2261] キム・ベイジンガー 2007年02月01日 (木)

不義理ばかりで、身のおきどころがない今日この頃です。

今週の「週刊文春」の小林信彦のコラムで、キム・ベイジン
ガーが、ボンド・ガールだったということを知った。
ちなみに私は「LAコンフィデンシャル」のキム・ベイジン
ガーが大好きです。


[2260] ディアデラノビア 2007年01月28日 (日)

阪神牝馬ステークス、直線で馬群を割って、ディアデラノビア圧勝。
とりあえず、馬券は負けたが、この勝ち姿を見られたからよしとしよう。

午前中は豊洲のララポートにある紀伊国屋書店に行く。
午前中はさすがに本屋はすいている。
早川書房の異色作家短篇集の中から、デュ・モーリア『破局』
レイ・ラッセル『嘲笑う男』、ボーモント『夜の旅その他の
旅』、サーバー『虹をつかむ男』の4冊を購入。
10000円の図書カードをある方からいただいたので、きち
んと残る本を買っておこうと思ってこの4冊を購入した。

この異色作家短篇集シリーズは、初版の箱入りシリーズを、か
つて、ジャック・フィニイの『レベル3』を一冊だけ買ったこ
とがあった。
それもいつしかなくなってしまったので、この際、この新新装
版で、改めて集めようかと思っているしだい。


[2259] 裏と表と偽書 2007年01月27日 (土)

一日じゅう家で本を読んですごす。

梁石日の『裏と表』読了。
金券ショップの裏ビジネスもので、その仕組みがくわしく書い
てあるので、そういう内幕ものとしては面白い。
会社員らしい人間が、こっそり貯めた印紙や切手を何万円分か
売りにきて、小遣い稼ぎをしていたり、金券屋が一種のマネー
ロンダリングに使われているとか、いかにも、ありそうなこと
ばかりだ。
物語りも軽快なスピードで進むのだが、サンケイスポーツ連載
ということだったので、読者サービスということなのか、ちょ
っと無理な人間関係や唐突なレイプ場面が出てくるので、全体
の整合性が欠けてしまったのが残念。

斉藤光政著『偽書「東日流三郡誌」事件』読了。
これは、「東日流三郡誌」の発見とその真偽に関して、地元の
東奥日報の記者である著者が、それぞれのポイントでの自分の
記事をつなげるかたちでつづった偽書事件の顛末。

当然、こういうものには偽書派と擁護派とがでるわけだが、
どちらの意見もいちおう公平に記述されているように思える。
その上での偽書という結論なので、説得力がある。
古田武彦が擁護派の旗頭だったということをこの本ではじめて
知った。
まあ、このように、自分がまったく知らないこしに関しての、
一つの事件の顛末を読むのは面白い。


[2258] ろくでなし稼業 2007年01月26日 (金)

お台場キネマ倶楽部の上映会で「ろくでなし稼業」を見る。

これは宍戸錠の主演第一作。
確か小林信彦が大絶賛していた作品ではなかったかと思う。
宍戸とコンビの二谷英明も、実に面白いキャラクターで出演し
ている。
小林明の渡り鳥シリーズのピカレスク版として作られているよ
うで、宍戸も二谷も小悪党だが、結局は正義の味方という役回
りになってしまうという話。
途中で、酔っ払って千鳥足の宍戸が
「夜が冷たい、心が寒い」と渡り鳥のテーマを歌う場面がある
など、パロディとしての場面もあり、十分に楽しめる。
悪役はいつもながら金子信雄なのだが、若い頃の金子の横顔が
ちょっと室田日出男に似ているように見えたので驚いた。

いずれにせよ、面白い映画を見られたと思う。


[2257] ひさしぶりに劇画を読む 2007年01月25日 (木)

会議と議事録つくりで終わった一日。

講談社漫画文庫の『カバチタレ!』を読み始める。
監修青木雄二、原作田島隆、漫画東風孝弘という作家陣で全7巻。
すでに8年前に連載されていた作品なので、当時、いろいろと
評価されたのだろうが、私は初めて読んだので、十分に面白く
読めた。
『ナニワ金融道』とは異なり、行政書士が主役で、基本的には
正義の側にたって物語が進むが、依頼者を始めとする人間関係
のしがらみが、かなりリアルなネームで語られるので、迫真力
がある。
読み終わった感想は、サラリーマンで良かった、というもの。

話は変わるが業田良家の『自虐の詩』が映画化されるそうなの
で、期待したい。



[2256] CG画面的短歌 2007年01月24日 (水)

「短歌現代」2月号の「歌壇作品時評」で「新アララギ」の
雁部貞夫さんが、私の「短歌研究」1月号の連載作品「ダムダ
ム」について批評してくださっている。
以下、引用する。

・大川を越えればダウンタウンにて同盟罷業の歌が聞こえる
・あからひく赤き招集礼状にわが名書かれていたる秋夜か
・市民兵とて自爆する夢醒めて朝の驟雨に呆然といる

 始めの二首が一九三一年の世相を、さいごの歌は二〇〇六年
 現在を対比的に歌う。CGで作られた画面を見せられている
 ようで、現実感に乏しく味気ない。一つの試みには違いない
 が。

というもの。
批判的に書かれた文章ながら「CG画面」という指摘には、
「あ、そうかもしれない」と納得してしまった。
「ALWAYS 三丁目の夕日」や「芋たこなんきん」でも、
昭和三〇年代の町の光景がCGでつくられている。
そういう場面を見て、なつかしいなあ、と思いながらも、何か
ちょっと、自分の知っている過去の現実とはちがう気がしたり、
ペラペラで味気ないという感想をいだくこともある。
そういう、つくりもの感、味気なさを私の短歌から感じたとい
う指摘は、当たっているのだと思う。
そんなCG的感覚を狙っていたのだ、と居直るより、アララギ
的な短歌観を強く持っていらっしゃる雁部貞夫氏から、こうい
う「CG画面的」という言葉をいただいたことを、嬉しく、ま
た貴重に思う。
私にとって、リアルさを追求する方法と、CG感をいっそう強
めて、人工的な過去を提示する方法と、ふたつの表現が提示さ
れたように思う。
刺激を与えてくれた雁部氏に感謝したいと思う。


[2255] 映画の評価 2007年01月23日 (火)

今週号の「週刊文春」の小林信彦の連載コラムで、小林さんは
「硫黄島からの手紙」を再見して、さらに評価を高めたと書い
ている。
私は高校時代から小林信彦(当時は中原弓彦)の小説やコラム
の大ファンで、そのミステリや映画の評価には大きな信頼をお
いてきた。小林信彦の評価を受け売りで、他人にしゃべったこ
となど数え切れないほどある。
ところが、今回の「硫黄島からの手紙」に関しては、どうも、
小林さんの高い評価を受け入れることができない。

まず、戦闘場面が長くて単調だし、二宮和也以外の兵隊たちの
人間性を描きかたも類型的で薄っぺらいと思う。
小林さんは同じ文章の中で「フラガール」にはがっかりした、
と書いている。松雪泰子のレッスン場面と最後の蒼井優の舞台
でのダンスはすばらしいが、そこへもってゆくためのエピソー
ドがチンプだというのだ。
これも、そうかなあ、と私には納得できない。
チンプというなら、「硫黄島」のほうの、加瀬亮が上官から、
「犬を殺せ」と命令されるエピソードのほうが、私にはずっと
チンプだと思えるし、「フラガール」のほうは、たとえば、
フラダンスに夢中になる娘を殴った父親を、松雪が銭湯まで
探しにゆき、いきなり浴槽にとびこむエピソードなど、映像
としての迫力をきちんと保持していると思う。

まあ、映画の評価は相対的なものだと思うから、小林信彦的な
評価にいつでも私が納得してしまうというのも変な話だろうが
むかしから、信奉していた書き手の意識と少しずつずれを感じ
るというのは、当然かもしれないが、せつなくもある。


[2254] 月曜いろいろ 2007年01月22日 (月)

「あるある大事典U」の納豆問題が波乱を呼んでいる。
一方、ワイドショーには、そのまんま東宮崎県新知事が出ずっ
ぱりになっている。

さまざまの死に遭ひたりし返れざる衛星あらむこの冬空に/篠弘「短歌研究」2月号


[2253] 2007短歌人新年歌会 2007年01月21日 (日)

学士会館で「短歌人」の新年歌会。
吉岡生夫さん、高橋浩二さんらなつかしい顔ぶれも集まった。

私は前半の司会を担当。後半は依田仁美さん。
披講は前半が井上洋さん、後半が高田薫さん。

懇親パーティまで出席。
二次会は「酔之助」なので、畳に座ると腰が痛くなるので、
出席せずに失礼する。
花笠海月、間ルリ、近藤かすみの諸氏と途中まで一緒に帰る。


[2252] ストーリーテラー 2007年01月20日 (土)

平和島のTクリニックに薬をもらいに行き、かえりに丸の内オ
アゾの丸善による。
TASCHENのポストカードを5組買う。

本日は京都競馬の馬券を武、岩田、川田の三人が同じレースに
騎乗している場合、その3人のワイドのボックスを買うという
のをやってみた。馬連ではなくて、ワイドにしてしまうところ
が情けないのだが。
一日終わって、なんとか収支がとんとんになった。

夜、読みかけだった上甲宜之『地獄のババぬき』読了。
バスジャックされたバスの中で、乗客たちが生き残りをかけて
ババぬきをプレイする、という趣向。その一点に賭けて、文庫
本500ページを読ませてしまうのだから、ストーリーテリン
グはたいしたものだ。
『カイジ』の限定ジャンケンといい、ゲームというのは、条件
をちょっと変えると、驚くほどスリリングになるものだ。
もっとも、このババぬきは、限定ジャンケンほどあざやかでは
ないが、ともかく、設定としてはページをめくり続けさせる力
はある。さらに、途中まで、3本のストーリーが同時進行する
かたちの構成なのだが、これも飽きずに読ませてくれる。いず
れにせよ、文章にサービス精神と力があり、ストーリーテラ
ーとしての才能があるということだ。


[2251] 赤江瀑の復活 2007年01月19日 (金)

本屋に寄ったら、なんと、赤江瀑のセレクションが文庫で二
冊も出ていた。

以下、書名と収録作品を列記してみる。

東雅夫編『赤江瀑傑作集』学研M文庫
 上空の城
 花曝れ首(はなされこうべ)
 阿修羅花伝
 春喪祭
 春の寵児
 平家の桜
 月曜日の朝やってくる
 悪魔好き
 八雲が殺した
 奏でる艀
 隠れ川
 伽羅の燻り
 海峡―この水の無名の眞秀ろば

赤江瀑著『花夜叉殺し』光文社文庫
 花夜叉殺し
 獣林寺妖変
 罪喰い
 千夜恋草
 刀花の鏡
 恋牛賦
 光悦殺し
 八月の蟹
 万葉の甕
 正倉院の矢

これであと『虚空のランチ』講談社ノベルスを持っているの
で、赤江瀑の傑作はおおむね読める。
各社の文庫もすべてではないけれど、10冊くらいはある。

この時期に赤江瀑の傑作集が二冊も出るというのも面白い。

この二冊に入っていない短編で私が愛惜するのは
「カツオノエボシ獄」かな。

いずれにせよ、この傑作集が、新しい読者との出会いの機会
になることを願ってやまない。


[2250] 55歳 2007年01月18日 (木)

本日、55歳の誕生日。
私の父は大正14年の生まれであり、満年齢が昭和の年と同じ
だったので、昭和55年が55歳だったわけだ。
西暦でいえば1980年。その時点で私はもう結婚して、自立
していた。そう思えば、今の私より、ライフカレンダーは確実
に5年以上は進んでいたかたちになる。
1979年の大晦日に、配偶者とともに実家に帰り、家族そろ
って、紅白歌合戦など見ていたのを思い出す。由紀さおりが確
か「東京バビロン」という歌を歌っていた。民放では資生堂が
「レディエイティ」というコピーのCMを大量に露出していた。

今日からは、と、ことさらに気負いこむこともないのだが、
「残り時間で何ができるか」ということを強く意識しなけれ
ばならないだろう。そうしようと思う。

上甲宜之著『地獄のババぬき』を布団の中で半分まで読む。
やはり、軽快な文体が快適だ。若い作家の文体がこのように
変わってきているのだということを実感できる。




[2249] パチスロ・ノワール 2007年01月17日 (水)

阪神淡路大震災から12年経った。
ニュースでは大きく扱われている。
とはいえ、あの災害がどれだけの教訓を私自身にもたらしてい
るかといえば、心もとない。

本を2冊読み終わった・

上杉隆著『小泉の勝利 メディアの敗北』草思社
ハセベバクシンオー著『ビッグボーナス』宝島社文庫

上杉隆の本は初めて読んだが、誠実なジャーナリストだとの
思いを深くした。
「ジャーナリズムの最低限の使命は権力への監視だ」という
視点にもとずいて、小泉政権の時代に、上杉自身が書いた記事
をテキストとして、その記事が書かれた背景と事後検証を率直
におこなったもの。
さまざまな局面で、上杉自身も誤解や読み不足をおこなってし
まったことを、現在の視点で検証、反省する姿勢は気持ちが良い。
たとえば、田中真紀子外相と外務省の対立の構図を、当時の私
は新聞とテレビの報道から、既得権ばかりの伏魔殿にヒロイン
が格好よく切り込んでいるなどと思っていたが、上杉や佐藤優
の本を読めば、それが実はとんでもない国益の損失だったとい
うことが今ならわかる。

読んでよかったと思うと同時に、今後も上杉隆の本も読み、メ
ディアでの言動に注目しようと思う。良いジャーナリストに出
会えたという喜びを感じている。

ハセベバクシンオーの『ビッグボーナス』はパチスロの攻略法
を法外な値段で売る攻略情報会社の社員が主人公というきわめ
て異色で、しかも日本的な設定が魅力。
文章が簡潔でスピード感に満ちているので、就寝前の読書のつ
もりで読み始めたら、2時間強で読めてしまった。途中でやめ
られないほど面白かったかったわけだ。パチスロ・ノワールと
いうキャッチフレーズに嘘はなかった。一行一行のスピードは
まさにバクシンオーの名にはじない。
2004年にオリジナル版が刊行されているので、当然、その
時点で評判になっているのだろうが、エンターテイメント系の
小説は2〜3年遅れで読んでもいいと思っている。
身近な味方が実は敵というようなハードボイルドお約束の構図
が予想できなくもないが、とにかく一気に読ませる力はすごい。

歌人の斉藤斎藤
詩人のキキダダマママキキ
小説家のハセベバクシンオー
面白い筆名の人達がそれぞれのジャンルを活性化させていると
いうことか。


[2248] 安立スハル全歌集 2007年01月16日 (火)

職場では来年のグループ新入社員研修に向けた会議。

送っていただいている「コスモス」を拾い読みしていたら、
「『安立スハル全歌集』刊行の予告と予約申込みのお願い」
という記事が載っていた。
安立スハルさんの全歌集が刊行されるというのは、とても重要
で価値の高い仕事だ。
安立スハルさんには『この梅生ずべし』という歌集が一冊だけある。
「コスモス」で長く活躍され、作品の評価も高かったにもかか
わらず、生前にはもう歌集を上梓することはなかった。
膨大な数の作品が残っているのだろうが、それを編集して、全
歌集のかたちに整えるということだろう。
こういう動きはやはり「コスモス」のような大きな結社しかで
きないことだろう。結社の効用といえる。

『現代短歌の鑑賞事典』から安立作品を引いてみる。

・自動扉と思ひてしづかに待つ我を押しのけ人が手もて開きつ
・青き眼にヒロシマの何を見しならむただゆるやかに歩み去りたり
・一皿の料理に添へて水といふもつとも親しき飲み物を置く

出版社は柊書房ということなので、興味がある方は柊書房に
問い合わせてみてほしい。

柊書房 電話 03−3291−6548


[2247] むかしなら定年 2007年01月15日 (月)

職場のメンバーが異動で一人減ったことで、今年の仕事の様相
がかなり変化することに気づいた。
その減員分の仕事のかなりの部分を私がやらざるをえない。
たとえば、3日以上の出張が今年中で4回ある。
もちろん、それ以上のスケジュールで動いていたケースはいく
らでもあるが、タイミング悪く、先約とぶつかってしまったり
するので、不義理が生じる。

岩片仁次校訂・編纂『講釈・日本海軍』を贈っていただいた。
サブタイトルが「高柳重信句集口述控帖」とあるとおり、俳人
の高柳重信氏が、生前に西武のカルチャーセンターで、自分の
句集『日本海軍』の各作品について語った講義を活字化したも
のである。
カルチャーセンターでの講義は特別の場合をのぞいて、その場
限りの一過性のものになりやすい。
テープをきちんと録っている人が居ても、それを活字化・書籍
化できるケースはほとんどないだろう。
今回は福田葉子氏が録音していたテープを、岩片仁次氏が起こ
して、詳細に校訂したものなのである。まさに、お二人の情熱
がなければできない仕事だったわけだ。
高柳重信という稀有な俳人の自作への言及が、このようなかた
ちで読めるということは、どれだけ感謝してもしきれないほど
ありがたいことなのである。

こういう無償の情熱、志を目の当たりにすると、自分はいった
い何をなすことができるのかと、情けなく、焦燥する気持ちに
なる。私もまもなく55歳、むかしなら定年の年齢だ。
先の時間を見据えなければならないし、今まであえて見て見ぬ
ふりをしてきたことにも、意識してかかわり始めなければなら
ないのだと思わざるをえない。


[2246] 和歌山往復 2007年01月14日 (日)

法事で東京−和歌山間日帰りで往復。

機内のサービスで全日空寄席を聞くと、歯切れの良い口調で
「粗忽の釘」をやっている。
一瞬、春風亭柳朝の古い録音テープなのだろうかと思ったが
よく聞くと、三遊亭小遊三だった。
こんなに歯切れがよかったとは思わなかった。見直す気分になった。

南海電鉄和歌山市駅の駅前がさびれているのに驚く。
朝10時の時点で、喫茶店が2件開いているだけで、他の店は
ほとんどシャッターをおろしたまま。
駅ビルの中の高島屋もほとんどお客が入っていない。

往復の交通機関の中で、手嶋龍一の『外交敗戦』を読み続ける。
1990年から91年にかけての湾岸危機から湾岸戦争にか
けての日本とアメリカ及び他国との外交の駆け引きの内幕を
書いたものだが、省益あって国益なしという日本の官僚の狭量
さがあますところなく描かれている。
この湾岸戦争の時点では、佐藤優はモスクワに居て、外務省の
ノンキャリアとして情報収集に努めていたわけだ。
1990年8月2日、イラクがクゥエートに侵攻した日は、ち
ょうど「短歌人」のその年の夏季集会の日で、帰りの新幹線の
中で、このニュースを、小池光さん、西村美佐子さん、高田流
子さんと一緒に聞いた記憶がある。
もう17年前の出来事。


[2245] 床屋談義 2007年01月13日 (土)

「俳句研究」2月号で仁平勝氏が「床屋談義お断り」という
文章を書いている。
これは、床屋でマスコミの受け売りで政治を語る床屋談義の
ように、受け売りの情報やレッテルに基づいた時事俳句はダ
メだという主旨。
この床屋談義的でダメな時事俳句の例として、次の句をあげている。

・顔のない戦争またも初日の出  鳴戸奈菜

この顔のない戦争といういかにもメディア好みの見出し的な
フレーズを、仁平氏はネットで検索したところ、やはり、新
聞の見出しにぶつかったそうだ。

私も鳴戸氏の作は「顔のない戦争」という時事へ批評はいか
にも、キャッチフレーズ的で、何も言ってないに等しい困っ
た句だと思う。
俳句は短歌よりさらに短いゆえに、それらしい比喩を一つい
れると、それで何かを言い得ているように作者が錯覚する。
その錯覚を仁平氏はきちんと指摘している。

このように、名指しで悪い部分をきちんと指摘する文章は俳
壇でももちろん少ないのかもしれないが、「俳句研究」とい
う専門誌にきちんとこのような文章が掲載されることは貴重
だと思う。

「俳句研究」では昨年から連載が続いている高柳克弘氏の
「凛然たる群像」が読み応えがある。今月は「冷え」という
キーワードで野澤節子の俳句を鑑賞している。
高柳氏は今日放送になった「NHK俳句」にゲストとして出
演していたが、口跡も良く、もちろんカメラ栄えもしていて
スター性がある。
高柳克弘という若き俳人の存在は、俳句の世界にとってとて
も重要だと思う。


[2244] ファンタジーとしての近過去 2007年01月12日 (金)

社内試写で「バブルへGO!!タイムマシンはドラム式」を見る。
監督はホイチョイ・プロダクションの馬場康夫、脚本は「役者
魂」の(「踊る大捜査線」の)君塚良一。
阿部寛、広末涼子、薬師丸ひろ子の主演。

ストーリーは、2007年のどうにもならない不況を打開する
ために、不動産総量規制が出た1990年3月にタイムマシン
で戻って、その通達を撤回させて、バブルの崩壊を食い止めよ
うと、薬師丸、広末の親娘が時間を越えるというもの。

要はファンタジーとしての近過去をやや自虐的に楽しもうとい
う企画なのだろう。
そして、その意図は十分に成功している。タイムパラドックス
の難しいところはパスしても、細かい違和感と整合性をちりば
めてあるので、映画の中の近過去を知っている観客は、それを
楽しむことができる。そして、自分たちもバブルという近過去
の(今となっては)ダークなファンタジーの登場人物だったこ
とを苦くかみ締めることになる。

うまいなと思ったのは、「ヤバイ」とか「ありえなくない」と
かの、最近になって意味が変わった女の子の言葉を違和感とし
て軽く使ってみせているところ。
ファッションやアイテムだけではなくて、言葉も変わっていた
のだ、というのは見ていてリアリティを感じる場面だった。
もちろん、ファッション、音楽、テレビ番組、携帯電話等々
近過去と現在とのずれを笑いにする手法はこまごまと駆使さ
れている。

ネタバレになるので詳しく書けないが、サッカーのラモスが、
ひとひねりした使い方をされていて、印象に残る。

2月10日から東宝系で公開。
「硫黄島からの手紙」はちょっと重苦しいと思ったひとには
おすすめかもしれないい。


[2243] ハヤカワ演劇文庫 2007年01月11日 (木)

今日もいちにちあまりぱっとしない気持ちですごしてしまう。

早川書房が昨年の秋から、ハヤカワ演劇文庫というシリーズを
出し始めている。
今のところ出ているのは下記の4冊。

■ニール・サイモン『おかしな二人』
■アーサー・ミラー『セールスマンの死』
■エドワード・オールビー『動物園物語・ヴァージニア・ウルフなんてこわくない』
■清水邦夫『署名人・ぼくらは生れ変わった木の葉のように・楽屋』

いちおう、演劇には暗い私でもなんとか題名くらいは知ってい
る名作が出されているようだ。
戯曲を読むというのは、しばらくごぶさたしている。
もちろん、読んで感動できそうな気はするのだが、演劇文庫と
いうネーミングに、やや気後れしている私である。


[2242] 河出文庫の新刊 2007年01月10日 (水)

「バブルへGO!」の試写がマルチシアターであったのだが、
会議とぶつかってしまい断念。
この映画はどこかで見ておきたいと思っている。

一日、鬱々としたまま時間が過ぎて行く。
河出文庫の新刊で『須賀敦子全集・第四巻』と矢野誠一のエッ
セイ集『志ん生の右手』を買う。
須賀敦子は文庫版の全集はずっと買い揃えている。

矢野誠一の演芸に関するエッセイはほとんどが、文春文庫だっ
たが、この本は河出文庫。
河出文庫は吉川潮さんの『突飛な芸人伝』や色川武大の異色な
演芸小説『あちゃらかぱい』も出している。
文庫の担当者に演芸好きの人がいるのかもしれない。


[2241] 中野翠のコラム 2007年01月09日 (火)

連休明けの出社。
交通機関もさすがにもとの混雑にもどった。
雑事がたまっている。
一日、オフィスで黙々とそれらをこなす。

中野翠のコラム集、』『ここに幸あり』『甘茶日記及びベスト
セレクションの『コラム絵巻』を、アマゾンのマーケットプレ
イスに注文しておいたものが届く。
「サンデー毎日」に連載されている「満月雑記帳」の2004
年、2005年版と20年分の連載からのセレクションという
ことになる。
連載コラムが「私の青空」というタイトルだった頃から、好き
で、毎週ではないが読んでいた。
文庫本は一冊目の『迷走熱』から全部持っている。
どの本のどこからでも読めるのがいい。

中野翠のコラムが好きだという人はどれくらいいるのだろうか。



[2240] WINS汐留 2007年01月08日 (月)

今日はシンザン記念があるのにテレビもラジオも生中継がない。
グリーンチャンネルには加入していないし、地上波のみしか感
受できない我が家のテレビとラジオでは、重賞レースの結果が
リアルタイムでわからない。
で、結局、我が家からは行きやすいはずのWINS汐留に初め
て行く。
東西線で日本橋、銀座線で新橋、ゆりかもめで汐留というマヌ
ケな経路をたどってしまったが、マンションのバスで門前仲町
へ行き、大江戸線で汐留に行くのが、いちばん速いということ
があとでわかった。

新しいWINSということで、とにかく清潔感がある。
馬券の発券機もモニターたくさんあり、ストレスを感じなくて
すむ。
9レースの前にWINSに着いて、結局、京都もふくめて8レ
ースの馬券を買う。
的中は京都10レースの寿ステークスのみだったのだが、それ
が結構大きな配当だったので、ちょい浮きで終了。
シンザン記念は、牝馬よりもやはり牡馬。アドマイヤオーラが
快勝する。
中山では横山典騎手が絶好調。私は横山とは相性が悪いので、
こういう日は苦手というしかない。

とはいえ、久しぶりのWINSだったが、これなら週末に通い
たくなる。
こんどは、早めに来て、1レースからやろう。

夜は『「断腸亭」の経済学』と『あめりか物語』を交互に読み
ながら就寝。


[2239] スリーアベニュー 2007年01月07日 (日)

ガーネットステークスのスリーアベニュー、久しぶりに見た
ダートの鬼の追込みだった。この脚が使えるなら、フェブラ
リーステークスでもなんとかなるんじゃないの。
1600に伸びても応援したいと思う。
馬券の方は、昨日初的中で幸先がよかったぶん、今日は守り
に入ってしまった。

一日じゅうかけて、矢崎泰久著『情況のなかへ』を読了。
社会思想社の現代教養文庫で読んだのだが、この本の初版は
大和書房から1972年に出ていて、書店に並ぶやいなや、
現物が消えてしまい、二ヶ月足らずで絶版になってしまった
のだそうだ。

これは本書の大半の部分を占めている「光文社闘争」のレポ
ートが、出版界のタブーにふれているということで、何らか
の圧力が、取次ぎもしくは大和書房にかかったのではないか
といわれている。
このことは、文庫版のためのあとがきで矢崎泰久自身が書い
ているが、筆者にも真相はわからないのだという。
「光文社闘争」のレポートは、現場にじゅうぶんに踏み込ん
で取材しているので、なまなしい話が多く、40年近く経っ
た現在でも、労使紛争の暗部を感じさせてくれる。

さて、明日、もう一日休み。
うれしいけれども何をしようか。


[2238] 寒風の東西金杯 2007年01月06日 (土)

今年の初馬券。
東はグロリアスウィーク、西はマイネルスケルツィの単複。
結果は西のマイネルスケルツィがみごとに逃げ切って快勝。
金杯はずっと苦手にしてきたが、昨年、東のヴィータローザ
と西のビックプラネツトをともに予想的中してから、流れが
変わったようだ。
幸先の良い的中になった。

北林一光の「幻の山」という長編小説の原稿を読む。
信濃の山中で、連続して山中に居た人たちが、謎の猛獣に
襲われるという事件が起きる。
いわゆる、動物パニックもので、日本の小説にはあまりない
タイプのアイデアだ。
なにより、場面のビジュアルイメージの展開が抜群。
映画のように、それぞれのパニック場面が浮かびあがる。

この作者、北川一光とは、私が「夕張シネマ・サマーキャン
プ」という仕事でお世話になった、映画の宣伝プロデューサ
ーの早崎一光さんのペンネーム。
早崎さんは昨年の11月に亡くなり、この作品は遺作である。
ぜひ、きちんとした出版社から、この小説が出版されるよう
に、期待したい。


[2237] 8年で7回 2007年01月05日 (金)

いつもながら、一月五日はフジサンケイグループの新年交歓会。
2000年から、2005年をのぞいて、7回、スタッフと
して働いている。

12月28日の日記に、米原万里と佐藤優が対談したら面白
い本ができるだろうなどと、のんきなことを書いたが、実際
には、日露外交交渉という緊迫した場で、佐藤は外務官僚と
して、米原はロシア語通訳として、おたがいの存在と能力を
強く意識していたそうだ。
佐藤が国策捜査で、逮捕されるとマスコミが騒いでいたとき
米原はとても心配して、逮捕されるにあたって、自分が共産
党の査問を受けたときの体験を話しておきたいから、早急に
会いたいと佐藤に電話してきて、約束の日の午後に、佐藤が
逮捕されてしまって、会うことができなかったのだそうだ。
事実というのは、ドラマチックだなと思う。


[2236] つれづれに 2007年01月04日 (木)

著作権の保全期間を現行の、作家の死後50年から、世界標準
の死後70年に延長しようと、ペンクラブや文芸家協会が積極
的に活動しているそうだ。

これには賛否両方の意見があって、著作権は当然長期にわたっ
て保護されるべきだという考え方のほかに、50年を超えて、
尚、書籍として流通するほどの価値を持ち続けている作品なら
むしろ、公共の財産として、たとえば、デジタル的なデータベ
ースに入れて、誰もがいつでも読めるようにしたほうが良いと
の意見もあるようだ。

50年という時間に作品が耐えることができるかどうか、たと
えば2007年から50年前といえば、1957年、この年に
亡くなった作家をすぐには思いつかないが、作家の死後50年
以上、作品が行き続けるというのは、けっこうたいへんなこと
のように思える。

今書かれている作家の文章で、50年あるいは70年後でも、
確実に価値が持続していると私が思うのは、小林信彦や中野翠
が週刊誌に連載しているエッセイ。
この時代にどんな事件が起こったとか、どんな映画や芝居やド
ラマが話題になっているのかが、こまかくわかる。こういう学
者の歴史からはぬけおちる部分の記録として、小林信彦や中野
翠の文章は、今よりも70年後の方が価値を増しているのでは
ないかとさえ思うのだ。

と、まさにたまたま思いついたことを書いてみた。


[2235] 横浜往復 2007年01月03日 (水)

横浜の母の家を訪ねて、しばらく話をしてまた帰ってきた。
それだけでつぶれた一日だった。

往復の車中で、光瀬龍著『たそがれに還る』を読了。
1964年の作品だそうだ。
もちろん、再読だが、39年ぶりくらいの再読ということになる。
「ここでは一人、一人の意志が、人類の意志に直結していた

という文章があったが、まさに、そういう時代だったのだなあ
と思う。
再読してよかったと思うし、そうなるべき小説だったのだろう。

明日から仕事が始まるので、今夜は早く寝る。


[2234] 松屋・古書の市など 2007年01月02日 (火)

銀座・松屋の新年催事「松屋・古書の市」に出かける。
去年、ここで櫂未知子さんの句集『蒙古斑』を買ったのを思い出す。
8階の催事場はかなり混んでいて、なかなか書棚の場所にも
行きにくい。
やっと入り込んで、けやき書店の棚の前にしゃがみこんで、
赤尾兜子句集『歳華集』の値段を確かめていたら、突然、
声をかけられた。
顔をあげると、なんと「短歌人」のH笠K月さん。
あっちで「夢野久作の『白髪小僧』の初版本を399万円
で、売っていますよ。まあ、妥当な値段です」とうそぶいて
去って行った。
私もそのあと一人で本棚を漁り、『夢二句集』など数冊購入。
そのあと外へ出て、にぎわう銀座を京橋から東京駅方面へと
歩く。
大規模店舗はほとんど元日か二日からの営業のようだ。
松屋の各階でいつもとちょっとちがうようにかんじたのは
売場に背広姿の40代くらいの男性が目立ったこと。
三が日の特別シフトでいつもは裏でデスクワーク、管理業務
をしている人が、今日は売場に出ているのではないか。
まあ、ちがうかもしれないが。

松屋の入り口で、気分が悪くなったのか、しゃがみこんでい
る女性が居た。東京駅の地下通路にも、しゃがんで家族に背
中をさすってもらっている60代くらいの女性が居た。
人が多く、暖房が強く、外は寒いということで、身体のバラ
ンスがおかしくなるのだろう。

八重洲古書館は休んでいるだろうと思ったら、開店していた。
ここはさすがにいつもよりすいている。
暮にきているので、あまり本が替わっている感じもしないの
だが、入口のすぐ右側の新刊の安売りの棚はけっこう新しい
本が入っている。
いろいろとチェックしたあと、森達也の『世界が完全に思考
停止する前に』のきれいな本が半額だったので、それを購入。

地下道伝いに大丸の食品売り場に入って、キース・マンハッ
タンで、プリンパフェを買って、京葉線で帰宅。


[2233] たけしのお笑いウルトラクイズ 2007年01月01日 (月)

8時過ぎに起きて家族でお雑煮とおせち料理をいただく。

例年と同じくフジテレビの「爆笑ヒットパレード」を見る。
だらだら過ごして、ようやく夕方。
何か時間の経つのがいつもより遅い感じがする。
夕食を食べて、「筋肉バトル」のはじめのほうを見て、途中
から、「たけしのお笑いウルトラクイズ」を見る。
オープニングの出演者に「〆さばあたる」と書いてあったの
で、三時間集中して画面をみていたが、どうしても、あたるちゃんの顔は確認できなかった。
ひかるちゃんが生きていれば、当然、一緒に出ているはずだ。
オフィス北野では、〆さばあたるの今後をどう考えている
のだろうか。本当は芸名を変えて、役者として出直すのがよ
いのではないかと思うのだが、オフィス北野では、そこまで
考えてはくれないのか。
キャリア的には、クリームシチューより先輩でサマーズと同
期ではないかと思う。
夕方の「爆笑ヒットパレード」の第五部に彼らやウンナンと
一緒に、雨空トッポ、ライポとして出演していてもいいはず
だったのに。

と、こんなことを考えつつ布団に入り、光瀬龍の『たそがれ
に還る』を読みながら就寝。


[2232] 戦後創世記ミステリ日記 2007年12月31日 (日)

午前中は例状の残りを書く。
そのあいだに短歌がつくれるように精神を集中して、
午後、「巧妙が辻」の総集編を未ながら、作品をまとめて行く。
NHKの大河ドラマはまったく見る習慣がないので、今日が
始めてみることになる。
しかし、松本明子が出演していたとはしらなかった。
私が松本明子と番組をやっていたのは、もう15年以上前だ
ったことになる。
彼女が丙午で年女という時に、年始の特番をやった気がする。

夕方、あらためて作品を清書して、編集担当者に送付。
これで、今年の原稿は終了。
しかし、年明けすぐに書評の原稿が一本と、10日に時評の
締切があるので、あそんでいられるのはせいぜい年明けの二
日くらいか。
とりあえず、今年は原稿を落したり、途中で断ったりという
迷惑をかけることがなかったので、一応合格としよう。

夜は見たいテレビ番組が何もないので、布団の中で、紀田順
一郎の『戦後創世記ミステリ日記』松籟社・2200円を
ぱらぱら読む。
紀田さんは慶応大学推理小説研究会の初期の会員で、SRの
会にも同じ頃に所属して、書評やコラムに健筆をふるった人。
それがちょうどハヤカワ・ミステリや創元推理文庫の発刊の
時期と重なっていたというので、こういうコラムが専門誌に
もとりあげられたのが、文筆家になるきっかけだったのだそうだ。
当時、慶応の同級生だった大伴昌司との交遊のエピソードも面白い。
この本は、上記のような書き下ろし部分と当時の書評やコラムの
再録で構成されている。
この古い書評が抜群に面白い。
扱われているミステリもなつかしい。
それらの本の書影が載せられているのもマニアにとっては嬉しい。

ということで、本を読みながらいつのまにか眠ってしまい、
気がついたらもう2007年が明けていた。


[2231] あと一日 2006年12月30日 (土)

朝から夕方までかけて原稿を書く。
夜更けまでかかるかと思ったが、しゃべり口調で書いてみた
ら、案外書きやすくて、夕方で終了。
これで、文章の原稿は終了。
あと、短歌を15首明日じゅうにつくって、メールで送れば
今年の原稿関係は終了。
夜は贈呈していただいた歌集関係への礼状を書く。

たんたんと2006年が終ろうとしている。


[2230] ウラルのナナカマド 2006年12月29日 (金)

タイトルはエリツィン大統領が酔っ払うと歌いだす、ウラル
地方の民謡だそうだ。

鈴木宗男と佐藤優の対談集『北方領土<特命交渉>』読了。
外務省の官僚が、いかに自己保身ばかりで、国益に反するこ
とばかりやっているかがあからさまに語られ、しかも、対談
の中で指弾されている人たちの写真が各ページに入っている
という凄い本。
二人とも国策捜査で起訴されているわけで、仮にこの本の中
では、自分に不利なことはしゃべっていないにしても、外務
省の官僚のだらしなさが許容されるわけではない。

エリツィン大統領は、サウナで閣議をやって、重要事項を決
めていたいたというような信じがたい話も載っている。
しかも、橋本龍太郎がこのサウナで首脳会談をさせられるか
もしれないということになって、そこでの作法まで教えたと
いうのも、裏話としてはびっくりものだ。
鈴木宗男という人物は、ロシア人の首脳とその品のなさで
波長が合っていたということらしい。
ともかく、この本を読むと、日本の外交が高度な情報分析
作業と同時に実にくだらない作業の積み重ねだということが
よくわかるし、そういう努力を続けていた佐藤優と鈴木宗男
抜きで、対ロシア外交ができるのか、ということが心配になる。

今夜から、佐藤優の『国家の自縛』を読み始める予定。


[2229] 国家の罠など 2006年12月28日 (木)

朝、慶応病院に行き、診断書をもらう。
病院はあいかわらず混んでいるのだが、いつも感心するのは、
一階受付の機能が充実していること。
今日も、予約外での診断書請求だったのだが、受付で言ったこ
とが、すぐに的確に内科に伝わっていたので、まったく、スト
レスをおぼえることがなかった。

信濃町を出て、新橋の三菱東京UFJ銀行に行く。
ここで新しい口座をつくる。
銀行を出たらまだ11時だったので、平和島のTクリニックへ
行って、アトピーの薬をもらうことにする。
平和島経由で、一時半過ぎにお台場のオフィスへ入る。

人気のないオフィスでやりのこした資料の整理をする。

午後六時過ぎに帰宅。
夜、昨日から読み始め、今日も一日じゅう移動や待ち時間の間
に読んでいた、佐藤優著『国家の罠−外務省のラスプーチンと
呼ばれて』読了。
国策捜査というものと特捜検察のありかたが微細に解明されて
いる。また、外務省の組織と仕事と人間関係に関しても、リア
ルに描かれている。田中真紀子外務大臣という小泉内閣の人事
がどんなにとんでもないことだったかということも、いまさら
ながらよくわかる。

すでに、去年のベストセラーとなったこの本だが、遅れてでも
読んで良かった。12月28日になって言うのも変だが、今年
読んだ本の中でいちばん面白かった。
そういえば、米原万里も当時の「週刊文春」の読書日記で、こ
の本を絶賛していた。
今となっては不可能なのだが、米原万里と佐藤優の対談で、ロ
シアとロシア人に関する充実した内容の本ができたのではない
か。そういう本を読みたかった。

すぐに、鈴木宗男と佐藤優の対談集『北方領土<特命交渉>』を
読み始める。


[2228] 角川俳句大歳時記 2006年12月27日 (水)

「週刊読書人」が「「角川俳句大歳時記」完結に寄せて」とい
う特集で1ページを埋めている。
寄稿者は長谷川櫂、櫂未知子、小池光、小島ゆかりの四氏。
四人とも歳時記に寄せる思いを書いているが、どの文章も心に
残る。
一節づつ引用してみる。

櫂未知子
「季語は季節の推移を素直に伝える言葉であると共に、人々
 の願いを写す鏡でもあった。春は、皆が活動し始める喜び
 を表すものでありますように。夏は目に入るものがすべて
 涼感を呼ぶべくすっきりとしていますように。秋はやがて
 眠りにつくいきもののさいごのひかりを際立たせるもので
 ありますように、と」

小池光
「天文学者が夜空の星の集団にまざまざとふたご座、てんびん
 座、大熊座、小熊座などなどのかたちを感ずるように、俳人
 はランダム無限なことばの集団にまざまざと季節という切れ
 目を感ずる。俳句はその上に取り交わされてゆく詩型である」

小島ゆかり
「俳人たちは、季語をリレーのバトンのように次世代に渡しつ
 つ、その本意の伝統を守り、かつ時代ごとの新しい世界の中
 でその本意を生かしてゆく。創作という個人の営為が、季
 語をめぐる協同の営為にも成り得る。」

と、どの言葉も含蓄に富んでいる。
この歳時記、春・夏・秋・冬・新年の5巻、それぞれ、私も、
数項目づつ、執筆のお手伝いをしているので、持っている方は
私がどの項目を書いているか、探していただきたい。

短歌をつくっている人で、もし、歳時記をもっていないという
方がいらしたら、この機会にぜひ歳時記を座右におき、おりに
ふれて、ひもとくことをお勧めしたい。


[2227] 数え日とアマゾン 2006年12月26日 (火)

2006年も一週間をきった。
数え日という季語があるが、毎年、年末の数日は、何をしたと
もなくはかなく過ぎてしまう。
今年もそうなりそうである。

しかし、年末にこんな強い雨が降るのもうんざり。
朝、一度、オフィスへ入り、すぐに、新橋の三菱銀行へ行く。
そして、とんぼ帰りでまたお台場のオフィスへと雨の中を動い
ていたら、傘をさしていたのに、びしょぬれになってしまった。

昨日読み始めた『アマゾン・ドット・コムの光と影』読了。
潜入ルポの嚆矢といわれる『自動車絶望工場』を意識しての
アマゾンの商品配送センターへの潜入ルポだが、著者の目が
現実的に覚めているので、実はトヨタよりもアマゾンの現場の
ほうが、非情なものになっていることがストレートに伝わってくる。
ここ数年、私自身も本の半分はアマゾンで買っている。
特にマーケットプレイスからの購入は年々増えている。
一冊について340円の手数料が上乗せされるのだが、それも
古書代金に上乗せしてしまって考えれば、神保町あたりへ探し
に行くより、ずっと迅速に本が手に入るのだから、使わざるを
えない。
新刊書籍にしても、確実に24時間以内に発送されるというシ
ステムは便利で、リアル書店よりも便利だと思ってしまう。
こういうサービスがどのような現場から生み出されているのか
ということは、単純な好奇心からも知りたいし、外資がどう日
本の労働条件を制御しているのかとの興味も満足させてくれる。
著者自身も告発という姿勢ではなく、自身もアマゾンの便利さ
使い勝手の良さを体感しつつ、現場の状況を報告して、さらに
その完成形をも、取材と想像力によって予測している。
アマゾン利用者は、読んでみてほしい。


[2226] 早稲田文学など 2006年12月25日 (月)

一昨日、紀伊国屋書店でもらった「WB(早稲田文学)」を
拾い読みする。WBといっても、ワーナーブラザーズではない
わけだ。
フリーマガジンになってから一年経ったそうだが、不覚にも、
現物を手にとったのは、今回が初めて。

巻頭の重松清による坪内祐三へのインタビューが読み応えがある。
坪内は「en−taxi」が雑誌としてとても気に入っている
ようだ。
同誌の匿名時評的なコラムの八割くらいは坪内が書いているらしい。
文芸誌での匿名時評の必要性を説いている。文壇的要素の良い
面として、匿名時評をとらえる坪内の考え方は理解できる。
匿名時評なら毎日でも書ける、書くことがある、という坪内の
発言も痛快である。

詩歌について、誰か書いていないのかなと探してみたら、高原
英理さんが書いていた。
ただ、いつも思うのだが、詩歌のある傾向を文章で紹介されて
それでは実例ということで、作品を見ると、がっかりすること
が多い。高原さんの文章でも、塚本邦雄の作品以外は、こんな
ものしかないのだろうかと思ってしまったのだが、現代短歌に
対して、まったく知識のない読者はどう思うのか。

いろいろととりこみごとがあり疲れが増す。

佐藤優はちょっと休んで、横田増生著『アマゾン・ドット・コ
ムの光と影』を布団の中で読み始めたら、面白くて午前一時く
らいまで読みふけってしまった。


[2225] チュートリアル 2006年12月24日 (日)

有馬記念はディープインパクトが圧勝。
M−1はチュートリアルが優勝した。

佐藤優と手嶋龍一の対談『インテリジェンス 武器なき戦争』
を読み終わる。
きわめて刺激的で、日本という国の世界の中の立場、ポジショ
ンというものを、読者としてもつい考え込んでしまうような本
だった。
イギリスの情報収集能力は、さすがに007の国だけあって、
すごいものがあるのだそうだ。
今日の毎日新聞の書評欄では、池澤夏樹が佐藤優の新刊『獄中
記』の書評を書き、獄中での内省の時間により、巨大な知識人
が誕生したとの謂いのことを書いていた。
次は『獄中記』を読むことにしようか。
佐藤優という人物はとても興味深い。


[2224] 硫黄島からの手紙 2006年12月23日 (土)

午後、豊洲のシネコンで「硫黄島からの手紙」を見る。
7割くらいの入り。
私をのぞけば、もちろん、ほとんどがカップルだった。
感想としては、展開が大味で、期待したほどの感動はなかった。
小林信彦が、未成年の成長物語だ、と書いていたが、それは
確かに納得できる視点ではある。
西郷という元パン屋の召集兵の二宮和也は一人儲け役だった。
風貌もしゃべりかたも、まったく、現在の若者なので、彼が、
「こんなひどいところで死ぬのはイヤだ、オレは投降する」
と考えるのは、納得できてしまう。
元憲兵の加瀬亮は、あいかわらずの暗い青年。
「ハチクロ」でストーカー、来年の「それでも僕はやってな
い」では、痴漢の冤罪をかけられる男の役。面白い役者だなあ
と思う。

映画が終わって、同じフロアの正反対の側にある紀伊国屋書店
に行く。詩歌の棚の前で十代らしいカップルが、さかんに「こ
れいいよね。」「感動するね」と言いながら、なにやら薄い本
を見ている。なんだと思ったら、相田みつをの本だった。
カップルはさんざん騒いだのちに、一冊、相田の本を買って
行った。

時間があったので、ゆっくりと紀伊国屋のすべての棚を見た。
さすがに、本の数と種類は群をぬいている。
江東区内ではいちばん充実した書店だろうことはまちがいない。

帰宅後、『インテリジェンス 武器なき戦争』の続きを読む。
佐藤優は現在の外務省は40代の中核となるべき人間の語学力
が低すぎる、と書いているが、本当にそうなのか。困ったこと
だ。


[2223] 冬至る日 2006年12月22日 (金)

朝、出社前に喫茶店でねばって、『ナショナリズムという迷
宮』を読了。
今までに私が読んだことがない種類の本。
「ナショナリズムとはどういうものか?」という質問を、魚住
昭が発して、佐藤優がさまざまな角度から、その問いに答えて
ゆくという内容。

今週の「週刊文春」のエッセイで小林信彦が、11月に佐藤優
の本をまとめて読んだと書いていた。
このあと、手嶋龍一と佐藤優の対談『インテリジェンス 武器
なき戦争』を読むつもりでいる。


[2222] つきみ野へ 2006年12月21日 (木)

青井史さんのお通夜ということで、田園都市線のつきみ野まで
行く。
お台場からゆりかもめで豊洲へ出て、有楽町線で永田町へ。
そこで半蔵門線に乗り換えて、田園都市線乗り入れの中央林間
行きに乗る。そして終点の一つ手前の駅が、つきみ野だった。

乗り換えの時に、小高賢さんに声をかけられ、つきみ野で降り
ると、梓志乃さん、佐伯祐子さん、中川佐和子さんがホームに
居た。
さらに改札を出ると久々湊盁子さんに声をかけられる。
斎場に着くと、田村広志さん、岩田正さん、平林静代さんら
が記帳の列に並んでいた。
お焼香の列に入ると、「短歌研究」の押田晶子編集長の姿も見
えた。
私は風邪をひいていたこともあり、お焼香のみでなおらいには
行かずに失礼した。

今日、読み終わった本。
『増補版 電通の正体』週刊金曜日取材班
万博も選挙も葬式も手がける電通の実態を綴ったドキュメンタ
リー。
山本夏彦の『私の岩波物語』にも書いてあつたが、終戦直後に
外地から戻った満鉄関係者や情報機関の人間をたくさん入社さ
せることで、現在の権力構造の中枢につながる人脈をつくった
という事実が、リアルに迫ってくる。
お通夜への電車の行き帰りで読み終わってしまった。



[2221] 訃報続き 2006年12月20日 (水)

昨日書き忘れたが、奥村晃作さんから、おくっていただいた
『ただごと歌の系譜―近世和歌逍遥』(四六判 292頁 定価
 3200円+税 送料 290円)も読んでいる。
ただごと歌というのが、私にはその歌の根拠がよくわからない
ので、奥村さんの現代短歌への発言も、私には理解しにくくな
っている。
意見の違いとして放っておくわけにもいかないので、奥村さん
の主張が充填されている『ただごと歌の系譜―近世和歌逍遥』
を、きちんと精読しなければならない。

青島幸男、岸田今日子と訃報が連続。
どちらの方とも、仕事でも会う機会がなかったのは残念。
「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」では、都知事時代の青島
さんに出演してもらい、知事室から生放送をしているが、その
時は私は残念ながら番組のスタッフからは外れていた。

岸田今日子さんの方は、ムーミンや大奥のナレーションを知っ
ているのは当然なのだが、高校生の頃、矢崎泰久編集長の「話
の特集」にショートショートを書いていたのを読んで、俳優で
ありながら、小説も書くすごい人だと思った。
父親が岸田国士ということは、かなり経ってから知った。
眠女という俳号で俳句をつくっていることは、富士真奈美のエ
ッセイで知っていた。

東陽町の文化センターを終えて帰宅したら、「青井史さんが亡
くなられた」という鈴木英子さんからの伝言があった。
青井さんにはとてもお世話になった。
私の第一歌集『夢みる頃を過ぎても』の出版記念会に来ていた
だき、暖かくまた厳しい批評をいただいた。
「短歌人」の出版記念会には、都合がつくかぎり、出席してい
ただいていたと思う。
「かりうど」を創刊され、その雑誌の「狩人の椅子」という
エッセイ欄にも文章を書かせていただき、相沢正とその都会の
知識人的味わいの短歌について書いたこともなつかしい。

実は先々週「かりうど」の終刊号が突然届き、驚いた。
理由は青井さんの体調不良ということだったが、同じ日に届い
た「日月」に、青井さんは「三度目の正直」というエッセイを
寄稿していて、肺癌を告知されたと書いていた。
覚悟の上のことだったのだと思えば、いっそう、心がふるえる。

沈んだ気分になっていたら、PCのニュースを見ていた長男が
「カンニングの中島が死んだ」と言った。
カンニングの竹山とは、「ビバリー昼ズ」のゲストで、2回仕
事をした。
初めてカンニングを見たのは1994年の聖跡桜ヶ丘の駅ビル
でやっていたお笑いライブだった。キャリアは長い。
コンビでやっと売れ始めたさなかの中島の発病だっただけに、
これもまた心がしめつけられる。

長女が「十四歳の母」の最終回を見ているのを、ぼんやりと
耳に聞きながら就寝。


[2220] パソコンが動かない 2006年12月19日 (火)

昨日の夜から引き続き寒さがつのる朝。

やはり、風邪が流行っているようだ。

今、よみかけの本。

山本夏彦著『私の岩波物語』
佐藤優、魚住昭 『ナショナリズムという迷宮』
堺屋太一ほか『こんな日本に誰がした』
新藤健一著『疑惑のアングル』

意識的に今まで読んだことがあまりないジャンルの本を選択
しているつもりではあるのだが、結局、読みやすいものだけ
読み進み、それ以外は中途で放り出してしまうという悪癖は
あいかわらず。

夜、自宅のパソコンがこわれる。
年末年始はPCが使えないということになってしまうのか。

『ナショナリズムという迷宮』を読みつつ就寝。


[2219] 底冷えの日暮 2006年12月18日 (月)

昼間はさほど寒いという感じではなかったのに、日暮れの頃か
ら、急に底冷えという感じの寒さになってきた。

ここのところ、持っている本をまた買ってしまうことが多くな
っているのだが、またしても、岩波文庫の木村壮八著『新編
東京繁盛記』をダブらせてしまった。
まあ、こういう本は、読みたい人がいるだろうから、さしあげ
ればいいのだが、この手の本のタイトルがきちんと頭に入らな
くなっている自分というのは情けない。

ダブって買わないまでも、絶対に持っているはずなのに、どこ
にあるかわからない本というのもある。
たとえば、今は、ハルキ文庫の寺山修司の本、『花粉航海』と
『啄木を読む』を探しているのだが、まったく出てこない。
集英社文庫の『海に霧』とかちくま文庫の『戦後詩』も、どこ
かへ姿をくらましてしまった。
講談社文芸文庫の対談集『思想への望郷』も出てこない。
このように、寺山修司の本が消えているというのは、あるいは
私が寺山だけまとめて、どこかへしまったのかも知れないのだ
が、そういうことをした記憶はないのである。
困ったものだ。

上記の話題とは無関係だが、読みかけの山本夏彦の『私の岩波
物語』に、電通に対する辛らつな一節があったので、下に引用
しておく。

 テレビの広告がデビューしたのを奇貨として、電通はその
 制作まで引受けて日本一になった。なぜ広告がふえたかと
 いえば税制のおかげである。高度成長のとき、どうせ税に
 奪われるなら広告なさい、税は何物ももたらさないが、広
 告はすこしはもたらすからと電通は企業にすすめて、この
 世を広告だらけにするこちに成功した。ひとたび広告が勢
 ぞろいすれば、広告しないものは存在しなくなるから企業
 は倒れる日まで広告する。コピーのごときはこれに付随し
 て生じたものにすぎない。けれどもこれが日本語をめちゃ
 くちやにした。

そういえば、広告コピーとしてつかわれた短歌があった。

・大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買い物袋/俵万智

底冷えが身にしみる日暮だ。


[2218] フサイチリシャール 2006年12月17日 (日)

池袋の勤労福祉会館で、今年最後の「短歌人」の歌会。
出詠歌の数もそのあとの忘年会の出席者も新記録らしい。

午後1時から5時まで、みっちり歌会。
いちおう、そこそこには発言もした。
そのあと、池袋のライオンで忘年会。
江国凛さんや平野久美子さん、西村美佐子さんらと話す。
七時になったところで、少し早めに失礼する。

地下鉄有楽町線の中で、夕刊デイリースポーツを見たら、阪神
カップのフサイチリシャールの単複馬券が的中していた。
秋からずっと不振だったので、久しぶりの快心の一撃になった。


[2217] 明治の話題 2006年12月16日 (土)

午前中、ちょつと重要な用件があり、それはなんとかこなす。

午後は原稿を書き続け、夕方から短歌人の編集会議。
終了後、焼肉屋で久しぶりに焼肉を食べる。
帰宅は夜10時過ぎ。
柴田宵曲のちくま文庫の新刊『明治の話題』を拾い読みしなが
ら就寝。柴田宵曲の本は、もっと文庫化してほしいと思う。


[2216] ちょっと疲れてウィークエンド 2006年12月15日 (金)

三日連続、夜遅く帰ったので、ぐったり疲れている。

オフィスに居る時間もかなりボーッとしていたが、午後4時か
らは、会議だったので、ようやく目が覚める。

就業時間終了後、急いで帰宅。
がっくり疲れて、夕食、入浴。

山本夏彦著『私の岩波物語』を読みながら就寝。


[2215] 早崎一光さんを偲ぶ会 2006年12月14日 (木)

ゆうばり映画祭やゆうばりシネマワークショップでお世話に
なっていた当時はP2の早崎さんが亡くなったのが11月の上
旬。今日は、生前、仕事で早崎さんとかかわった人たちが集ま
り、偲ぶ会が開催された。

JR代々木駅でおりて、南新宿の方へ雨の夜道を歩き、会場へ
到着。すでに、今井さん、渡辺さんたちは到着していた。
カードをもらって、亡き早崎さんへのメッセージを書く。私は
早崎さんがP2を辞めて、実家へ帰った時のお餞別にした一万
枚の名前入り原稿用紙のことを書いた。
早崎さんはこの原稿用紙を有効に使ってくれただろうか。

実は早崎さんは、長編小説を何作か完成させていて、そのうち
の一本が、松本清張賞の次席になっていたのだそうだ。
その小説のコピーを、鷲巣さんが持ってきていて、何とか、出
版できないかと尽力していると聞いて感動する。
亡くなった友人に対して、なかなかそういうことはできない。
動物パニック小説で、エンターテインメント性は抜群だと、
選考委員の宮部みゆきと夢枕獏がほめている。
とりあえず、近日中に私もコピーを借りて、読ませてもらうこ
とにする。
大場君、浜口君、照本さん、吉川さん、福地さんらと歓談。
私が映画の仕事を離れたのは、1999年の6月末だから、
7年半も経っている。
仕事先だった夕張市は財政破綻で、毎日のようにワイドショー
で報道されている。

9時半過ぎに、一人早めに失礼させていただく。
帰りは大江戸線代々木駅から門前奈仲町まで一直線。
これは帰りやすい近道だった。

帰宅後、小高賢さんが送ってくださった新刊の『現代短歌作
法』を拾い読みしながら就寝。


[2214] 漢字一文字で「脱」 2006年12月13日 (水)

テレネット部会の忘年会。
二時間強みっちりと会議のあと、銀座の比内鶏の店で忘年会。
鶏料理のコースだったが、久しぶりにおなかいっぱい食べた。

正岡豊さんがブログを復活してくれているので嬉しい。
正岡さんのような知的で気の利いた批評の文章を書ける人は、
プロの文筆業者にも少ないと思う。
興味の範囲が広く、それぞれのジャンルに対して、現場的な
実感を持っているのも信頼感を増してくれる。
歌人という肩書きで、文筆業を営んでいる人が何人かいるが
その人たちにしても、正岡さんほどの見識と文章力を持ってい
るかどうか、疑わしい。

今年もあと二週間とちょっとだが、総括するとどんな年だったか。
「命」のように、漢字一文字であらわすとすると、私の場合は
「脱」だった。
二十数年勤めた会社をやむなく脱せざるをえなかった。
しかし、それは、古い自分から脱するための契機にもなるはず
だと思う。
旧態依然の意識から常に脱皮を続ける意志をもちたい。
たとえば、短歌評言の「場」で私はそういう意志を持てただろうか?


[2213] スサノオの泣き虫 2006年12月12日 (火)

朝一番で会議。
終了後、ゆりかもめ、JR山手線と乗り継いで、大手町の銀行
へ行き、とんぼ帰りで、お台場へ戻る。
この往復だけ雨が降っていた。風も冷たい。

加藤英彦さんの歌集『スサノオの泣き虫』の出版記念会出席の
ために、アルカディア市ヶ谷へ行く。
風があいかわらず冷たい。

司会は前半が、江田浩司さんと玲はる名さん。
後半が山田消児さんと松野志保さん。
私は発起人の一人だったので、一番前の真ん中の円卓に座らさ
れてしまい緊張する。
この円卓に座っていた人たちは次のとおり。
三枝昂之、野村喜和夫、川口晴美、藤原、川野里子、花山多佳
子、内藤明、大島史洋、松平修文、これに天草季紅さんを加え
た10人が発起人。
松平盟子さんや福島久男さんに久しぶりに会う。
出席者には、詩人の広瀬大志、田野倉康一といった人や俳人の
人も居て、加藤さんの文学活動の広さがうかがわれる。

スタッフとして立ち働いている人たちも、加藤さん所属の同人
誌「ES」の人だけでなく、「日月」「短歌人」「音」などの
人たちで、これも加藤さんの人望ということだろう。

加藤さんはもう20年以上前から歌集の上梓を期待されていた
人であり、それが52歳での処女歌集、しかも、40代後半の
作品のみで一巻を構成したというのも珍しいだろう。
しかも、短歌を作り始めたのは、永田典子さんのスピーチに
よると18歳の高校生の時だったのだそうだ。

辛口の評言もふくみつつ、親しみのこもったスピーチが続くと
いうきわめて気分のよい会だった。
風邪気味だったので、二次会には行かずに失礼する。

10時過ぎに帰宅。
『岡井隆全歌集』第四巻の月報の岡井隆VS北川透の対談を読
みながら就寝。


[2212] 風の声を聴け 2006年12月11日 (月)

昨日から読んでいた、上野一孝著『風の声を聴け』読了。
「俳句界」に2004年7月号から2005年12月号まで
連載された俳句時評集。
確か4ページの連載だったと思う。
スペースが大きいので、その時々の主題が、複数の俳句作品を
挙げながら、十全に展開されている。
上野氏は森澄雄主宰の「杉」の元編集長。
高校生時代に「獏」にも参加しており、その頃、田中裕明にも
会っているそうだ。

直近に発行された俳句専門誌から作品を抽出して論を展開して
いるので、常に俳句の現在に直面しつつ、本質論や方法論や実
感や韻文性や普遍性といったテーマを論じている。

考え方に関しては、たとえば、今井聖の
・レグホン千の共同不安冬の雲
・殺されにゆく雪達磨整列し
このような、鳥インフルエンザや自衛隊のイラクへの派遣を
主題とした句に対して、どこまで普遍性を獲得できるかとの
疑問の提示など、私は反対の意見を持つが、その提言の姿勢
には、納得することができる。
ともかく、丁寧な作品の読みを展開しての論旨を進めている
ので、わかりやすく咀嚼することができる。
そのまま短歌の問題に転位して考えられるものも多いので、
歌人にもぜひ読んでほしい一冊だ。

上野一孝著『風の声を聴け』文学の森刊・1400円



[2211] あひる艦隊は何故二つあるのか? 2006年12月10日 (日)

今日も演芸のことを書く。

私が自分は演芸に興味があると自覚したのは、高校一年の時く
らいだろう。
私が通っていたのは大阪府立池田高校という地方の地味な公立
高校なのだが、ここで、一年の時に、ホームルームで3分間ス
ピーチみたいなコーナーがあった。
生徒が順番で、自分の好きなことをしゃべるわけだが、私はそ
こで、道頓堀の五座と上方落語の亭号というような話をしたお
ぼえがある。
道頓堀の五座というのは、道頓堀名物の五つの劇場のこと。
浪速座、朝日座、中座、角座、弁天座だったかな。
今では即座に思い出せないのが情けない。

演芸が好きになったのは父親の影響である。
私の父は佐賀の出身で、学校を卒業後、上京して藤倉電線に就
職した。それで、なぜか独身時代から、東京の寄席に通うよう
になったらしい。家ではいつでもラジオやテレビの演芸番組を
聞いたり見たりしていた。小学生時代に、新宿末広亭や人形町
の末広につれていってもらった記憶がある。
そして、私が中学二年生の二学期に父は大阪に転勤になって、
豊中市の服部南町に住むことになった。
そして、引っ越して最初の日曜日に家族で角座に行った。
そこで、扉をあけて中に入った時に、舞台で華やか過ぎるほど
の芸を演じていたのが、暁伸、ミス・ハワイのコンビだったの
である。
前にも一度書いた気がするが、とにかく、カルチャー・ショッ
クを受けた。今まで、東京地区のテレビでは、こういう破天荒
な見た目の芸人はいなかったから。男は電気ギターで浪曲、女
はムームーにギロで舞台せましと踊りまくる。
しかも、名前が脈絡もない伸・ハワイ。
漫才の芸名はピーチク・パーチクとか天才・秀才とかWけんじ
とか、対句であったり韻を踏んだりするはずだと思っていたか
ら、これはちょっとしたカルチャーショックだった。
そういうことから、上方の芸人さんに興味をもって、角座、梅
田花月、なんば花月、千日劇場へ通う中学生が誕生したという
わけなのだった。

芸名でいえば、上方にも対句の名前はたくさんある。
夢路いとし・喜美こいし、海原お浜・小浜、若井はんじ・けん
じ、上方柳二・柳太などなど。
一方の不調和型芸名は、中田ダイマル・ラケット、平和ラッ
パ・日佐丸、夢乃タンゴ・西川ひかるなどなど。
もともと対句的な芸名だったのが、コンビ別れをして、次に組
んだ新コンビでも前の芸名のままなので、不調和、不整合が起
こったのだということも、吉田留三郎の『漫才太平記』などを
読んで、知るようになったのも池田高校時代だった。
ほかにも、あひる艦隊というコミックバンドは花月に出るのと
千日劇場に出るのと、なせ゜二つ同名のグループがあるのかと
いう謎なども、吉田留三郎の本で知った。

こういうことを書いているときりがないのだが、まあ、こうい
う状況で胚胎した興味を四十年近く持続しつづけているという
ことなのだった。

で、昨日に続いて今日もとても寒い日曜日だった。
夜、上野一孝の俳句時評集『風の声を聴け』(文学の森)を
読みながら就寝。


[2210] とらとやな 2006年12月09日 (土)

京都の山本孝一さんから、ワッハ上方の情報紙「月刊わっは」
と春団治一門新聞「とらとやな」など、演芸関係の資料をた
くさん送っていただいた。
「月刊わっは」は4ページ。一面が「なんでやねん」というテ
ーマのエッセイ。2面から4面までは、ワッハ上方で開催され
るライブ情報が掲載されている。
一面のエッセイは、10月号が海原はるか・かなたと桂文我。
11月号が浪曲師の春野恵子と卒塔婆小町の北川肇。

ライブ情報のほうには懐かしい名前が少しと知らない名前がた
くさん載っている。
水田かかし、松島一夫、楠本見江子などはなつかしい。
松島一夫は宮川左近ショーでギター弾いてたダミ声のおっさんだ。
いかにも、芸人的な名前もある。
たとえば朝起太郎。よく言われるが、こういう名前をつけた時
点で、本人自身「売れる」ということを放棄している。たとえ
ば、大西ゆかりと新世界のドラムの夢みのる。大須演芸場の有
名人・大須くるみ、とか。
歌人で万葉防人とか古今ことのはとか写生太郎とかニューウェ
ーブ・ハルオ、というペンネームをつけているようなものである。
若手ライブのところにもチープな芸名が並んでいる。
のろし、梅小鉢、天然もろこし、ヒカリゴケ、ボルトボルズ、
チキチキジョニー、アントニオ、トランスポーター、いしまる
男と女、キング、クロスバー直撃、パステルモグラ、ヤジロベ
エ、村本大輔ーズ、Dr.ハインリッヒ、スゴイオモシロイヨ
といったところ。
関西の若手芸人さんに詳しい人、これは伸びそうという連中が
いたら、教えてください。


さて、春団治一門会の紙名「とらとやな」は洒落ている。
春団治の得意の「いかけ屋」のませた子供のセリフ「とらとや
な、おったん」からとったものだということは、上方落語通の
人ならすぐに気づくだろう。
一門新聞に「とらとやな」とつけるセンスは上方芸人ならでは
のもので、誇るべきだろう。
内容は一門のトピックス(桂春菜が父親の春蝶を継ぐとか)と
落語会情報。

ということで、上方演芸情報にたっぷり耽溺した週末でした。



[2209] ライフワーク 2006年12月08日 (金)

局会という会議があるはずだったのだが、局長のスケジュー
ルが次々に変更になり、結局、中止になってしまう。

ここのところ、短歌に関連した本をあまり読んでいない。
SFも読んでいない。
こう考え始めると、心が萎えるのだが、来年から、きちんと
した読書計画をたてようと前向きに考え直すことで、少しは
気分が上向きになってくる。

青井史さん主宰の「かりうど」が届く。
この号で終刊なのだそうだ。
休刊ではなく終刊。
理由は青井さんの体調不良によるとのこと。
これも潔い決心だと思う。
青井さんはこの誌を創刊し、継続することで、ライフワーク
である『鬼に喰われた男・与謝野鉄幹』を完成させた。
私自身もライフワークを考える時期にきている。