[2208] 天才になりたい! 2006年12月07日 (木)

いろいろと取り込みごとがあり気がやすまらない。

南海キャンディーズのヤマちゃんこと山里亮太の『天才にな
りたい!』(朝日新書)を読了。
石原真理子の『ふぞろいな秘密』よりは確実に面白い。
ヤマちゃんの本を読んでわかったことは、南海キャンディー
ズというコンビはおたがいに自分のことしか興味がないらし
いということだ。
もちろん、新コンビを組むために、しずちゃんをスカウトす
るエピソードあたりはくわしく記されているが、これも戦略
の一環で、しずちゃんはもののようにしか描写されていない。
どういう芸人になるためにどういう戦略をとったか、試行錯
誤をふくめて克明に記している。
それほどキャリアがないので、その戦略がなまなましい。
それが読者には面白い。
山里亮太は今ニッポン放送で金曜日の夜10時から
「山里亮太のヤンピース!フライデースペシャル」という番

を一人でやっているが、これが、良かった頃のオールナイト
ニッポンの二部的な味わいが充満していて面白い。
関東エリアの方はぜひ聞いてみてほしい。

2004年12月26日、例のスマトラ沖大地震の夜の「M
−1決勝戦」の生中継で、関東の人の大半は、南海キャンデ
ィーズという名前も二人のたたずまいも斬新なコンビをまの
あたりにしたわけだが、それからわずか2年で、二人の芸能
界のポジションがあがった理由も、この本を読むことで、私
にはうなづけた。

この本は朝日新書の新刊なので、大書店にはいくらでもある
だろうし、ブックオフでみかけたら購入をおすすめ。


[2207] 寒く暗い夜 2006年12月06日 (水)

昼食を元ニッポン放送のアナウンサーのT氏、S氏と食べる。
いろいろと情報交換。
9月末にニッポン放送を退社して、12月1日付で産経新聞
に入社したベテラン女性社員のこと。
会社に対して決然と意思表示したわけで、私にとっては眩しい。

東陽町の講座を終えて外へ出たら、あまりにも空気が冷え込
んでいるので驚いた。
寒く暗い夜である。


[2206] 地噺という方法 2006年12月05日 (火)

昨日書いた森まゆみの『円朝ざんまい』について書き忘れた
ので、もう少し。
この本の校正は、円朝の噺の速記を引用し、そのあとで、解
説したり、感想を書いたり、ツッコミを入れたりしながら進
んでゆくという、落語の地噺の方法なのだ。
林家三平が時々演じていた「源平」などがそれにあたる。
森まゆみは当然その地噺的方法を意識的に採用したのにちが
いない。
昨日はお手軽な企画などと書いてしまったが、企画としては
お手軽でも、表現としては、森まゆみならではのくふうがな
されているということだ。

森まゆみ著『円朝ざんまい』平凡社 1800円+税


[2205] 病院で円朝ざんまい 2006年12月04日 (月)

午前中に腎臓内科の定期健診、午後から骨密度測定というこ
とで、一日病院に居ることになった。
骨密度測定は、通常の病院棟の裏側にある古い建物でおこな
われた。私の前に三歳くらいのパジャマ姿の女の子が居て、
測定台の上で眠ってしまっているらしく、まったく動かない。
測定技師と看護師が二人でストレッチャーにのせて、母親も
やってきて新病棟のほうへ帰っていったが、その間も人形の
ように、まったく動かない。
かなり、印象的な出来事だった。

病院の待ち時間で、森まゆみ著『円朝ざんまい』読了。
三遊亭円朝の噺を紹介しながら、その舞台の土地を歩くとい
う趣向の、まあ、お手軽な感じの企画だが、森まゆみの文章
なので、味があり、楽しめる。
「牡丹灯篭」など、礼のカランコロンの下駄の音の幽霊のエ
ピソードは、噺の前半だけのもので、後半は仇討ちという展
開になるとは、まったく知らなかった。
落語、江戸趣味、森まゆみが好きな人は楽しめる一冊だが
そのどれにも興味がなければ、楽しめないかもしれない。

http://゛った。


[2204] 病院で円朝ざんまい 2006年12月04日 (月)

午前中に腎臓内科の定期健診、午後から骨密度測定というこ
とで、一日病院に居ることになった。
骨密度測定は、通常の病院棟の裏側にある古い建物でおこな
われた。私の前に三歳くらいのパジャマ姿の女の子が居て、
測定台の上で眠ってしまっているらしく、まったく動かない。
測定技師と看護師が二人でストレッチャーにのせて、母親も
やってきて新病棟のほうへ帰っていったが、その間も人形の
ように、まったく動かない。
かなり、印象的な出来事た

http://゛った。


[2203] 終わらない「戦後」 2006年12月03日 (日)

柳川創造歌集『晩夏』の批評会に出席。
神楽坂の出版クラブの会議室。

おもな出席者。
小高賢、佐伯裕子、水野昌雄、来嶋靖生、小木宏、持田鋼一郎
内藤明、恩田英明、大河原惇行、中静勇、田井安曇、井上美地
日向輝子、常田みえ子、柳川創造ほか「綱手」のみなさん。

『晩夏』という歌集が、柳川創造という表現者の「戦後」の
「生」とわかちがたく結びついた内容であり、戦争、広島体
験、党への思い等々が、千首を超える収録歌から重く読者に
迫ってくる。
発言者もこの思いを受け止めての意見表明なので、おのずから
熱気を帯びたやりとりが繰り広げられた。
持田鋼一郎さんが水野昌雄さんの時代認識に対して、強烈に批
判した。
中静勇さんが大河内惇行さんの読みに対して発言した違和の表
明もあった。
しばらく忘れていた、緊張感にみちた論戦だった。

批評会の後、懇親会。
黒瀬珂瀾氏が遅れてやってくる。
私は恩田英明、大河内惇行、中静勇の諸氏と話すことができた。

さらに中静勇氏の音頭で、「細道」という四谷三丁目のスナッ
クに、十数人で繰り込む。
ここでは、議論とカラオケ。
私が歌った歌は「東京ラプソディー」「ホテル」「東京行進
曲」、中静勇さんが歌った歌。「J」「座頭市の歌」、黒瀬珂
瀾さんが歌った歌「夢芝居」。持田鋼一郎氏が歌った歌は「星
の流れに」「恋心」など。
夜更けに帰宅。


[2202] 師走の山越え 2006年12月01日 (土)

一日、だらだらと原稿書き。
この山を越えると、かなり楽にはなるのだが。
年末進行ということで、文章を書いている人は、みな同じ苦し
みを味わっているのだろう。
まさに師走の山越えである。


[2201] 端末及びLANの変更 2006年12月01日 (土)

オフィスの端末とLANが変更になる。
朝からシステム課のスタッフがやってきて、端末自体を取替
え、さらにそれを接続する作業がおこなわれる。
一方で、プリンタとコピー機も新機種になるので、こちらは、
業者の営業担当者と技術スタッフがやってきて、設置及び端
末との接続の作業をおこなっている。

結局、午前中で終らず、昼食後も延々と作業が続き、終業
時間内でも終らない。
結局、今日はオフィスに来たものの、ただ、作業を見ている
だけで終ってしまった。

たまたま思いついたのだが、種田山頭火と山口誓子はともに
実母が自殺している。
そういう視点から二人の作品を比べることはできるだろうか。


[2200] 詩的内圧 2006年11月30日 (木)

午後から会議が続く。
議事録をつくり終る間もなく、有楽町のニッポン放送へ行っ
て、また会議。
ここでは、聞いているだけでいいので、気楽は気楽なのだが。

週末にむずかしい内容の長い原稿を書かなければならないの
で、精神を統一し、身体の中の詩的内圧をたかめている。


[2199] 困ったこと 2006年11月29日 (水)

朝、有楽町に行き、会義に出席。午後からお台場のオフィスへ。
みずほ銀行の有楽町店がなくなっていた。
駅前の角地で、最初は協和銀行、次にあさひ銀行、りそな銀行と移
行して、みずほ銀行になったので、これで落ち着いたと思っていた
ら、ATMだけ残して、銀座店と統合してしまったらしい。

楽天フリマの古本屋街のシステムがオークション制だけになって
買物がしにくくなったと、一昨日に書いたが、今まで出品していた
古本屋さん自身も、この変更で困っているらしい。
何件かの古本屋さんのHPで、この件に関して、売上が激減するか
もしれないと書いているのを読んだ。
今まで、古書店街に固定価格で出品されていたものが、そのまま、
オークションに移行するのではなく、オークション用に再登録しな
ければならないので、その作業が現実的にはもうできないという店
が多いようだ。
今までの固定価格制度に対して、楽天はどのような利用料金をとっ
ていたのか知らないが、オークションにした場合、出品店がかなり
減ってしまうので、結局、手数料の入金は減ってしまうのではないか。


[2198] 競馬と旅日記 2006年11月28日 (火)

ここのところ、アタマがボケていて、約束や締切を忘れたり、漢字
や熟語や成語をまちがえて書いたり、情けないことが続いている。

今、読みかけの本。
井家上隆幸、永江朗、安原顕の鼎談『超激辛爆笑対談・「出版」に
未来はあるか』
爆笑対談どころかきわめて重く暗い内容。
1999年に出た本なので、中央公論社の読売新聞社による買収と
三一書房の争議が、なまなましく語られている。

今日買った本。

水上学著『競馬界に喧嘩売らせていただきます』KKベストセラーズ刊
「競馬最強の法則」に連載されていたコラムに、取材部分をくわえ
た、競馬の世界を改善するための提言集。

金森敦子著『きよのさんと歩く江戸六百里』basilico刊
この著者の本は以前に『芭蕉はどんな旅をしたのか』を読んだ。
19世紀初めの江戸時代の「三井清野」という鶴岡の豪商の奥様
が、鶴岡から日光、江戸、伊勢、奈良、大坂、京都とめぐって、
また、故郷へ帰るという大旅行の旅日記を解説した本らしい。
芭蕉の旅の本もそうだったが、当時の旅は、現代人が想像するほ
ど、難儀なものでも危険なものでもないということが書いてある
のだと思われる。
この手の本では、石川雄輔の『泉光院旅日記』というのが講談社
文庫で出ていて、これもとても面白く、読み応えがあった。

とりあえず、鼎談を読み終わってから、競馬と旅日記を平行して
読み進むつもり。


[2197] 楽天古本屋街 2006年11月27日 (月)

昨日の日記の「汚名挽回の日曜日」は「汚名返上」が正しいと、ご
指摘をたくさんのかたからいただきました。
そのとおりですので、
タイトルを「汚名返上の日曜日」に修正しました。

ところで、楽天フリマの古本屋街が固定価格廃止ということで、
今後はすべてオークションになってしまうらしい。
古書店によっては、楽天との契約を解除して、自サイトからの
直接注文のみにするところもある。そういうメールが、今までに
楽天経由で本を買った古書店から何通か来た。
もちろん、それでも良いわけだが、楽天に登録している古書在庫か
ら、一括検索できるという今までのメリットはなくなってしまうの
ではないか。
わたしはけっこう楽天フリマの古本屋街は利用していたので、かな
り、不便になるという印象だ。
ヤフーオークションも利用はしているが、落札まで日数がかかるの
は、うっとうしい。
「日本の古本屋」や「スーパー源氏」での検索でも、もちろん、古
書は検索して、買うことはできるが、わたしの印象では、楽天フリ
マのほうが、安い本が出てくるし、選択肢がひろかったと思う。
詩歌、文学関係は「日本の古本屋」、サブカルチャー関係は「楽
天フリマ古本屋街」と、使い分けていた気がする。
まあ、そうなってしまったから、しかたがないわけだけれど。


[2196] 汚名返上の日曜日 2006年11月26日 (日)

午前中、従兄妹二人とそのお嬢さんと会って、食事とお茶を飲む。
まさに、3歳くらいの頃、3人で撮った写真があるのだが、みんな
50代になってしまったわけだ。
この二人はわたしの父の兄の子供と、姉の子供。
故郷は佐賀県で、2代から3代のあいだに、さまざまに居住地域も
職業も変化している。
みなそうなのかもしれないが、同じ血をひく一族の変遷というのは
面白い。

ジャパンカップ、ディープインパクト楽勝。汚名挽回なる。
わたしはディープの相手の本線をフサイチパンドラにしたので、馬
券的にはとんとん。
しかし、3着になったウィジヤボードに乗ったデットーリ騎手が
「ウィジャボードは世界最強牝馬」だと言っているわけだから、
5着のフサイチパンドラも、世界ランクの力はあるはず。
そして、もしも、カワカミプリンセスが出走していたら、少なくと
も、ウィジャボードには先着していたと思うが、いかが?

夜は文庫本の整理。
なくしたと思っていた本がけっこう出てきた。
つまり、整理が悪いだけなのだ。


[2195] 七割が選歌 2006年11月25日 (月)

三島由紀夫の忌日、つまり、憂国忌だが、そういう雰囲気はない。
丸の内オアゾの丸善にTASCHENの絵葉書を買いに行き、クリ
ムト、ミロなど6セット購入。
エドワード・ホッパーがなかったのが残念。もう、ホッパーの買い
置きは1セットだけになってしまった。

丸善で、宮脇俊文著『村上春樹ワンダーランド』を買ってしまう。
気の迷いかもしれないのだけれど。

帰宅後はいろいろととりこみごとがあってうんざり。
ジャパンカップダートもフサイチリシャールを買って、外す。

原稿を書かなければならないのだが、あいかわらず集中力がでない。

「短歌」12月号に加藤治郎、穂村弘、俵万智の鼎談が載っていた。
なにより驚いたのは
「短歌にかかわる時間の七割は選歌に費やしている」
という発言。
うーん、わたしにはとてもできないと思う。


[2194] 東京そして上海の空の下で 2006年11月24日 (金)

「東京そして上海の空の下で・服部良一物語」を見に、池袋のシア
ター・グリーンへ行く。
上海を舞台にした、作曲家・服部良一の若き日の物語。
「蘇州夜曲」を中心に服部メロディーがふんだんに出てくる。
ビリー諸川さんが、中国人作曲家の役で出演しているので、それを
見に来たのだ。
小野ヤスシさんが「夜来香」を作曲した中国人作曲家で、ビリーさ
んとのコンビが、良い狂言回しになっている。
孤児の「ひとつ」という少女の役の佐々木未来という役者が抜群に
演技が巧い。子役だと思っていたら、22歳だとビリーさんが教え
てくれた。しかし、この女優の演技で、芝居全体がしまっているこ
とは確かだ。

登場人物が多いので、上演時間も長い。
飽きはしなかったが、もう30分くらい短いほうが集中力が持続す
ると思うのだが。
池袋を出たのが10時半過ぎだったので、けっこう遅く帰宅。


[2193] 白塗りVS黒塗り 2006年11月23日 (木)

赤坂にあるグラフィテイというライブハウスに「世紀の対決・白塗
りVS黒塗り」というライブを見に行く。
これは島敏光さんと吉川潮さんが企画した、姉様キングスとスリー
ビックリーズの対決ライブ。
姉様のほうは例の白塗り芸者スタイルだしスリービックリーズのほ
うはスリーディグリーズのコピーなので、顔だけ黒塗り。
この2チームのジョイントライブ。

姉様キングスは芸者姿のほかに、洋装でシャンソンを歌うバージョ
ンとツーステージたっぷり楽しませてくれた。
シャンソンのほうは、二人の化粧がもっと濃くなり、アコーデオン
の伴奏のギャルソン風の若者を一緒につれてくる。
この若者は「、おしどり」という夫婦漫才の女性のほうだそうだ。
こんなに若い夫婦漫才がいるというのが、さすがに大阪だ。

オリジナル曲は「エクスタシー・いくよ、くるよ」と「インジャマ
ンデコマンタレブー」の2曲。
これに桂あやめのソロ「カリンカ」と林家染雀のソロ「人生は過ぎ
行く」が組み合わさる。

「エクスタシー・いくよ、くるよ」には「おいどきれいにあらいよ
しい」と「オーロラの波、モスクワの味」というリフレインが出て
くる。
「モスクワの味」とはもちろんパルナス製菓のキャッチフレーズ。
関西在住のおとななら、誰でも知っているだろう。
こういうナンセンスの味わいが、姉様キングスの今風センスで、
いつみても新しい笑いが湧き上がるわけだ。

十分に大笑いして帰宅。

夜、安原顕著『決定版・編集者の仕事』読了。
安原顕がかかわっていた時期の「海」「マリクレール」「リテレー
ル」の全目次が掲載されていて、資料的価値が高い。


[2192] 上の句と下の句 2006年11月22日 (水)

昼間は会義が急遽中止になったりしてばだばたする。

夜は東陽町文化センターで「はじめての短歌」講座の3回目。
風邪が流行っているので、いつみ来るのに、今夜は姿がみえない
人が何人かいる。
今日は、上の句「卓上に」と下の句「秋の日暮れる」ということで
2首をつくってもらった作品の鑑賞と批評。
やはり、20人近く居ると、卓上に置くものも、実にいろいろと出
てきて、驚かされるし、巧いと感嘆するものもある。
「秋の日暮れる」のほうも、旅行詠だったり、職場詠だったり、こ
ちらも、じゅうぶんバラエティに富んでいた。

夜風が今夜はさほど冷たくない。


[2191] 冥王星年代記 2006年11月21日 (火)

12月からオフィスのシステムが変更になるので、その説明会が、
午後からある。
正味2時間だったのだが、つい途中で居眠りしてしまう。
情けない。

退勤後、神保町のギャラリー福果に、蜂谷一人さんの俳句絵の個展
「冥王星年代記」を見に行く。
画廊に着くと蜂谷さんも居らしたので、しゃべりながら、40分く
らい見学。
今回は、夏に冥王星が惑星ではなくなるという事件がおこったこと
からヒントを得て、SF童話風の物語の断片を絵と俳句にしたもの
となっている。
物語と絵、俳句と絵というかたちで、ダブルミーニングの感じで、
いろいろと想像力が刺激される。

そのあと、東京堂書店と三省堂書店と書泉によってから帰宅する。


[2190] 力強い文章 2006年11月20日 (月)

一日じゅうボーっとして過ごしてしまった。
片山由美子さんの評論集『俳句を読むということ』の書評を書くこ
とになっているので、再読している。
文章が力強く、論旨が明快なので、とても読みやすい。
これくらい高度な文章力がある人が、短歌の世界にも居てくれると
風とおしがよくなるのに、と思う。



[2189] ダイワメジャーが嫌い! 2006年11月19日 (日)

秋の競馬シーズンはダイワメジャーを嫌ったことで、結果的に惨敗
してしまった。
毎日王冠、天皇賞、マイルチャンピオンシップとダイワメジャーが
三連覇。予想的にも馬券的にも大惨敗。
ディアデラノビアの3連続3着で、じりじりと溜まっていた複勝こ
ろがしも、昨日のコートマスターピースの凡走で消滅。
また、今週のジャパンカップダートからやり直しだ。

毎日新聞に田中優子が
「愛国とは理想を語ることだ」と書いていた。
これはわかりやすい解釈だと思う。

競馬を見ながら、原稿を2本書く。
同時進行で原稿が書けるかどうか、今月は実験をしてみたのだが
書けないことはない。
ただ、途中の段階で、いろいろと書き始めたはいいが、一本も終っ
てないという状況もあるので、そこで心理的にパニックにならない
ようにするべきだろう。

『パイオニア・ウーマン』やっと読了。
銃をもってコヨーテやオオカミやならず者とやりあい、フロンティ
ア・スピリットを体現してきた女性たちの発言はとても明解で、勇
気を与えてくれる。
この勇気やものおじしない行動が、奴隷解放運動となり、女性参政
権獲得につながっていったということが、よく理解できる。
とても興味深く、心に残る内容の本を読んだといえる。


[2188] プラダを着た悪魔 2006年11月18日 (土)

109シネマズで「プラダを着た悪魔」を見る。
メリル・ストリープとアン・ハザウエイが主演のファッシヨ
ンの世界を舞台にしたコメディ。
メリル・ストリープがまさに悪魔のような編集長を演じて、
みごとな演技。
吉川潮さんが試写会で見て、これは面白いとすすめられたの
だが、見てよかったと思える作品。
前半、アン・ハザウエイが、ファッション誌の編集者のアシ
スタントとして、デザイナーから借り出した新作の衣服類を
両手にかかえて、右往左往する場面は、かつて鎌倉書房の
「マダム」編集部で、学校を出たばかりの下っ端として働い
ていた私としては、思わず鼻がツーンとして、目頭が熱くな
るのを禁じえなかった。
私が編集部に配属された時、男は私と編集長だけで、その間
に18人の先輩女性編集者が居たわけである。
こういう偏った職場環境はなかなか得がたいものだと思う。
情けないことに、メリル・ストリープに指示された時の、ア
ン・ハザウエイの動きが鈍く思えて、思わず自分が返事をし
て動きたくなってしまったりした。つまり、私がいかにこう
いう場面で脅迫観念を抱かされてきたかということだろう。

午後からは東京芸術劇場の会議室で「短歌人」の月例歌会。
歌会後の勉強会は、秋田興一郎さんがレポーターで、私の歌
集『楽園』の作品を読んでくれる。
秋田さんのレジュメにあった無限ループする文体という指摘
なども、私自身とても興味深く思えるものだった。
これもまた得がたい機会であり、「短歌人」のみなさんに感
謝したい。

二次会の居酒屋にも行って、夜更けに帰宅。
『パイオニア・ウーマン』の後半を読みながら就寝。


[2187] うなぎと胸焼け 2006年11月17日 (金)

駄句駄句会。
今日の席題は「小春日」と「鴨」。

・小春日や紅茶二杯に角砂糖
・鴨鍋や同窓会に知らぬ顔

と、こういう句などをつくった。
面白買ったのは粕利さんのこんな句。

・安中華料理鴨なく鱶もなく  粕利

「鴨」の題から「可もなく不可もなく」は誰でも思いつくが
この句のどこが面白いかというと、どちらも料理にしてみせ
たところが可。

句をつくりながら、山椒をたっぷりかけてうなぎを食べたら
帰ってきてから胸焼けしてしまった。
胃袋も弱ってきたらしい。


[2186] 申し訳けありません 2006年11月16日 (木)

9月11日付のこの日記の記述に、私の勘違いによる間違いがあ
り、北上次郎様に、ご不快の思いをさせ、ご迷惑をおかけしまし
たことを、心からお詫びいたします。
今後、このような、誤りをおかさないよう、猛省し、細心の注意
をするように肝に銘じます。

これだけでは事情がわかりませんので、簡単に経緯を記します。

鈴木竹志さんからのメールで、今月の「本の雑誌」の「笹塚日記」
で、目黒考二氏が、この日記の記述の誤りについて指摘している、
と教えていただく。
びっくりして、「本の雑誌」を購入し「笹塚日記」を読み、血の気
が引いてしまった。

私は9月11日付のこの「夢みる頃も過ぎても」で、下記のように
書きました。

「諸田玲子の長編小説『からくり乱れ蝶』を読了。
 北上次郎が解説で絶賛しているので期待して読んだらがっか
 り。」

この解説を書いたのが、北上次郎氏ではなく、火坂雅志氏でした。

これはまったく私の言い訳のしようのない間違いです。
書いた時点で、手元に当然『からくり乱れ蝶』はあったのですが
確認もしなかったわけです。
個人の名前を記述して、しかも、批判的な内容でありながら、この
ような誤りをおかしてしまったことは、北上次郎氏には、本当に申
し訳ないことですし、本来は、許され難いことです。

「笹塚日記」で目黒考二氏(北上次郎氏)は、
「もし藤原龍一郎氏のお知り合いがこれを読んでいたら、その旨を
 伝えてもらえないだろうか。別に怒っているとか文句をつけると
 かじゃなくて、オレじゃないんだけど、と言いたいだけなのだが」
と、お書きになっています。
本来は激怒されても当然のことだと思いますが、
とても気をつかっていただいた表現で、感謝いたします。
もちろん、これを読んで、連絡してくださった鈴木竹志氏にも、
心から御礼申し上げます。

今回の件で、このように、ネット上で、公開した文章を書いている
ということの責任をあらためて痛感し、勘違いなどのミスを繰り返
さないよう、十分に気をつけることを誓います。


[2185] 本棚探偵の回想 2006年11月15日 (水)

ネット古書店で買った喜国雅彦著『本棚探偵の回想』を読了。
『パイオニア・ウーマン』をずっと読んでいたのだが、ちょうど
届いた上記の本を、ちょっと読み始めたら、あまりの面白さに、一
気に読了してしまった。
もちろん、前作の『本棚探偵の冒険』も読んでいる。
この本も2004年10月刊行なので、二年以上も前なのだが、
2800円という値段に、ちょっと、二の足をふんでいた。
歌集・句集、及び詩歌関係書籍の場合、これくらいの値段は当然
なのだが、それ以外の書籍では、3000円近いとなると、ためら
ってしまうのは、気が小さいからか。
読めば面白いということはわかっていたので、やっと、古書店で値
が少し下がっていたので買ったという次第。
ミステリ好き、古書好きの人なら、絶対に楽しめる。
前の巻では、ハヤカワ・ミステリ全巻を一日で買う、というゲーム
が見せ場だったが、今回は、神保町の全部の古書店で一冊ずつミス
テリ関係書籍を買うとか、書籍不況を救うために、五万円分の本を
できるだけ多くの書店で買う、とかのチャレンジが実行されている。
こういうチャレンジは面白いと思わない人もあるいはいるかもしれ
ないが、私には文句なく面白く感じられる。
あと、日下三蔵さんの書棚を見せてもらうという企画では、日下氏
の写真も掲載されていて、古いミステリや幻想小説のアンソロジー
をつくって、わたしを楽しませてくれている人は、こういうたたず
まいの人なのか、と知ることができたのも収穫だった。

2年遅れで、この本を読んだわけだが、こういう内容だと、いつ
読んでも楽しめる。
また、半年くらいたったら再読してしまいそうだし、双葉社が文庫
にしてくれたら、それも買ってしまうだろう。


[2184] 不義理 2006年11月14日 (火)

いろいろととりこみごとが勃発。
さまざまな不義理をしてしまった。申し訳ないと思う。


[2183] 八月のカンサスみたいにありふれた月曜日 2006年11月13日 (月)

いろいろと書かなければならない原稿の締切が近づいているのだけ
れども、集中力がでない。

いしかわじゅん著『鉄槌!』(角川文庫)をブックオフで購入して
すぐに読了。
漫画家のいしかわじゅんが、ビッグホリデーという旅行会社に名誉
毀損で訴えられた裁判の顛末を記したドキュメント。
単行本で一度読んでいるが、文庫版は一章書きたしてあると、坪内
祐三の『文庫本福袋』に書いてあったので、再読したもの。
一つの事実として読むと、まさに、何が災いになるかわからないと
いうことと、弁護士を全面的に信頼しては絶対にダメということが
よくわかる。
いしかわじゅんの文章はきわめて読み易い。平易でしかもポイント
をはずしていない。

実はいしかわじゅんさんとは、1970年代の後半に、水道橋の出
版社の地下にある「雅」という喫茶店で、よく行き合った。
まだ、いしかわさんがメジャー誌には進出していなかった頃だ。
作品的には「憂国」あたりを書いていた時期にあたる。
そういえじ、国技館に一緒にプロレスを見にいったことがあるのも
思い出した。私は猪木派で、いしかわさんは馬場派だった。

就寝前にショアナ・ストラットン著『パイオニア・ウーマン』の講
談社学術文庫版を読み始めたら、面白くて100ページほど一気に
読んでしまった。
これは、著者のストラットンの曾祖母のライラ・デイ・モンローと
いう女性が1920年代に、カンサスに入植した自分の母や祖母の
世代にあたる女性たちに、その開拓地での苦労を聞き書きした記録
を、著者が整理してまとめたもの。
要は1800年代半ば、日本ではちょうど幕末から明治の前半にあ
たる時代に、当時のカンサス地区で、大草原の小さな家みたいな暮
しをしていた人たちの記録、ということになる。
私自身は外国の歴史にはさほど興味をもっていないのだが、何年か
前に「ギャング・オブ・ニューヨーク」を見た時から、アメリカの
開拓時代以降の歴史になんとなく興味がわいて、猿谷要の西部開拓
史ものなど読んだり、集英社文庫の『アメリカの歴史』を拾い読み
したりしてきたのだった。
そういう流れの中で、この『パイオニア・ウーマン』も読み始めた
ということ。
いずれにせよ、聞き書きというのは、事実の裏付けがあるわけだか
ら、つまらないはずはない。
夜中に窓を破って侵入してきたコヨーテを、母さんが斧で叩き殺し
たとか、野火を見つけた少女が、自分のペチコートで火を必死で叩
いて消したとか、そんな凄い苦労をしていたのかと驚く話がたくさ
ん出てくる。
開拓地のこんな厳しい生活の中で、女性も男と変わらぬ力仕事をこ
なさなければ生きてゆけないという事実が積み重なり、それが、男
女同権という考え方に発達していったということもあるらしい。

ということで、明日もこの本を読み続けるつもり。


[2182] 「七月の心臓」批評会 2006年11月12日 (日)

兵庫ユカさんの歌集『七月の心臓』の批評会のために渋谷へ行く。
会の前に道玄坂上の「ムルギー」で卵入りカレーを食べる。
はじめ「ムルギー」でカレーを食べたのは1970年だから、断続
的ながら、もう36年、この店に通っていることになる。

「七月の心臓」の批評会。若い人ばかりだったら気後れするな、と
心配していたのだが、田島邦彦さん、奥村晃作さん、古谷智子さん
加藤英彦さん、菊池裕さんといったメンバーの顔が見えたのでほっ
とする。

佐藤りえさんの司会進行で、パネリストは大辻隆弘さん、川野里子
さん、黒瀬珂瀾さん、斉藤斎藤さんという顔ぶれ。
このメンバーでたっぷり3時間討議しあったので、きわめて、聞き
ごたえのある内容だった。
最終的な論点は
「口語短歌の韻文としての証明」という問題だったように私はとら
えた。
以下、私が会場であった方たちのお名前を敬称略で列記する。
荻原裕幸
加藤治郎
穂村宏
入谷いずね
間ルリ
谷村はるか
魚村晋太郎
内山晶太
江田浩司
伊津野重美
東直子
佐藤弓生
高丘きねこ(高丘って苗字だったんだ!)
生沼義朗
花笠海月
いちおう以上。
田中槐さん、千葉聡さんらは、名簿には名前があったが、会場では
私は気がつかなかった。


[2181] ノーサイド 2006年11月11日 (土)

午前中は病院に行く。
午後、帰宅してから本を読んでいたら、眠ってしまう。
せっかく、病院で点滴してもらって回復した体調が、昼寝でまた
悪化してしまった。

今日、読み終わった本。
半藤一利編著『日本史が楽しい』(文春文庫)
歴史に関する鼎談集。
1990年代前半に「ノーサイド」に連載されたもの。
一つのテーマに対して、専門家を二人よんで、半藤一利が質問役に
なって、そのテーマをほりさげてゆく。
まあ、専門家をまじえてウンチクを楽しむという読物。
たとえば、上杉謙信と武田信玄の巻では、謙信女人説などもちゃん
と語られている。
遣唐使には美男が選ばれたというエピソードなども、受け売りで、
よそでしゃべりたくなる。
まあ、そういうトリビアがたくさん載っている程度の本。


[2180] 人の少ない金曜日 2006年11月10日 (金)

雨というわけでもないのに、お台場にあまれり人がいない。
勤め先のほうも、部の旅行会ということで、午後になると、
私とアルバイトのSさんだけになってしまった。

人が少なくなると同時に、オフィス内の空気が冷え冷えとし
た体感になり、身体が風邪をひいたようにだるくなってきた。
困ったものだ。

退勤時間になったのですぐオフィスを出て、ゆりかもめに乗
って豊洲へ。
豊洲の図書館で、新潮古典文学アルバムの「上田秋成」と
「滝沢馬琴」の二冊を借りる。

帰宅後、少しでも原稿を書こうと思ったが、だるくて集中力
が出ないので、すぐに就寝。


[2179] 文学通を気取りたい 2006年11月09日 (木)

午後は会義と議事録制作で、気がついたらもう窓の外は真っ暗。

会社の帰りに、豊洲から有楽町線に乗り換えて銀座一丁目の伊東屋
に行ってみる。
毎日新聞に紹介されていたクオバディスというブランドの手帳を見
たかったから。
いちおうチェックしたが、やはり、値段がはるので購入は見送る。
外国製ということで、日本の祝日が最初のほうのページにまとめて
出ているだけなので、私にとってはいかにも忘れてしまいそう。
結局、来年もフジテレビの手帳をつかうことになるのだろう。

坪内祐三著『「近代日本文学」の誕生』読了。
明治32年から39年までの文学史上の出来事をトピック的に語る
ことで、どのように文学思潮が変化するかが、よくわかる。
要は紅葉、露伴の時代が終り、漱石が新たな小説のかたちを提示し
て、さらに自然主義と白樺派が台頭してくる直前の状況なのだが、
文学史の教科書でさらっと流すだけではわかりにくい事情が、この
本を読むことで、歴史の必然として頭に入る。
文学通を気取りたい人には必読の本だ。

・恥を知れ恥を知れと新聞たたみしが自滅しさうなかなしみの霜/馬場あき子『ゆふがおの家』


[2178] 不安と興奮 2006年11月08日 (水)

「はじめての短歌」の講座の2回目。
昨年の5月に、講座が始まった時からずっとそうなのだが、どうし
ても、講座のある日は緊張して、身体がこわばってしまう。
とにかく、教室に入ってしゃへり始めるまでは、ちゃんとしゃべれ
るだろうかという不安がつきまとってはなれない。
ただ、しゃべり始めるといつのまにか不安が消えて、興奮状態にな
ってしまったりするのだが。
今日も不安から興奮という同じ順路をだどってしまった。
ただ、講座を継続してくれている顔なじみの人が増えているのは、
それだけ安心できる。
やはり、根は気が小さく、人見知りということなのだろう。

家にある文庫本類を少しだけ整理する。
買っただけで読まない本がたくさんあるのも情けないのだが。

・「そうかァ」という調和的否定語今日三たび重ねつつ老獪に近づくらんか/馬場あき子『ゆふがおの家』



[2177] ドナルド・キーン氏の講演 2006年11月07日 (火)

夕方から「サロン・ド・クダン」の第一回「ドナルド・キーン氏
の講演」を聞きに、山の上ホテルに行く。
これは「件の会」のみなさまが企画した文学サロンで、ドナルト・
キーン氏のお話を聞く集い。
出席者は俳人を中心に120人ほど。
山の上ホテル別館地下のレストラン「シェ・ヌー」を借り切っての
催しである。通常はレストランのテーブルがあるスペースに椅子が
ぎっしり並べられ、その椅子もすべて人が座っている。熱気がたち
こめた会場である。

キーン氏は83歳とのことだが、まったく年齢を感じさせないたた
ずまい。日本語も完璧で、話の構成も実に聞き易い。
海外で俳句がどのように受取られてきたかという話から、芭蕉の話
に入り、日本人は意味で詩を感受するが、外国人は音韻で詩を感受
する傾向が強いという話になり、芭蕉の作品がいかに音韻的にも優
れているかを論評された。
「現実の奥のほそみちの光景は如何に変化しようとも、芭蕉が書い
た言葉は永遠に変わりません」
という結びの言葉は、表現を志す者(わたし)にとって、大いなる
励ましだった。
まさに、聞いていて、身体が熱くなった。

以下、会場でお目にかかった方たち。
黒田杏子、櫂未知子、西村和子、山下知津子、仁平勝、榎本好宏、
横澤放川、橋本英治と以上は主催者側の「件の会」のみなさん。
中岡毅雄、島田牙城、うまきいつこ、谷雄介、小島健、駒木根淳子
岩淵喜代子、片山由美子、加藤耕子、中嶋鬼谷、津高里永子、村上
護、行方克己といったみなさま。
中岡毅雄さんとは初対面。村上護さん、榎本好宏さんは、消極的な
私に、話し掛けてきてくださって、とてもありがたかった。

帰宅しても、興奮が残っていて、岩波文庫の『芭蕉紀行文集』をひ
っぱりだして「更科紀行」を読み、さらに、黒田杏子さんに、すば
らしい話を聞く機会をつくっていただいて感謝しますとの礼状を書
いて、真夜中のポストに投函。
その後、ようやく眠りについたのだった。


[2176] 「近代日本文学」の誕生 2006年11月06日 (月)

朝、慶応病院に行く。
待ち時間の間に、石井辰彦さんご推薦の坪内祐三著『「近代日本文
学」の誕生』を読み進める。
明治32年7月から明治39年10月までを、近代日本文学の誕生
時期とみなして、月ごとに文学的な事件を記述して行く編月体文学
史。
伊藤整の大著『日本文壇史』を意識しているわけだが、それを毎月
の出来事として記述するというのが、いかにもジャーナリスティッ
クで、面白い。こういう着眼の面白さが坪内祐三の個性だろう。
一月分が3頁半という簡潔さなのも読みやすい。
毎月の最後には、その月に生れた人と亡くなった人が記されている
のも、一口知識的なサービスになっている。
たとえば、明治35年5月に風巻景次郎と横溝正史が生れていると
いうことなど、お互いに何の関係もないにしても面白い。

平行して今東光の『東光金蘭帖』(中公文庫)も読んでいる。
こちらは、大正から昭和初期にかけての今東光の文壇交遊録。
東光は一時、横光利一や川端康成とともに新感覚派として注目され
たものの、菊池寛に嫌われたりしたこともあって、文壇を離れて
出家してしまった。
この本が書かれたのは昭和40年代だが、内容は若い頃の交遊録な
ので、前記の川端、横光のほか片岡鉄兵とか藤沢清造とか直木三十
五とかが出てくる。
貧乏小説家として名高い藤沢清造と今東光は一時、同じ下宿に住ん
でいたとか、けっこう、そうなのかと思わせることがたくさん出て
くるので、面白く読み進める。

と、書かなければならない原稿がありながら、読書に逃避している
次第であります。


[2175] 五十代の陰翳 2006年11月05日 (月)

Hさんのお通夜にいった知人がメールをくれた。
Hさんは仕事のかたわらに小説を書いて、松本清張賞の次点にな
ったりしていたのだそうだ。
お贈りした原稿用紙がムダにならなかったということで、とても嬉
しい。
松本清張賞といえば横山秀夫がデビューした賞だったはず。
Hさんの作品は、選考委員の一人の宮部みゆきが高く評価していた
そうだ。

お昼前にお台場に、忘れた資料を取りに行く。
ゆりかもめの青海駅から、ヨサコイソーランみたいな衣裳を着た、
10人ほどの若者が乗ってきて、テレコムセンター駅で降りた。
何かのイベントなのだろう。

競馬が始まる頃に帰宅して、アルゼンチン共和国杯とファンタジー
ステークスを見る。
トウショウナイトの勝ちは、勝ち味の遅い馬とジョッキー、ともに
重賞初戴冠ということで、よかったのではないか。
関西の重賞のほうの勝馬の名前がアストンマーチャン。
こういうふざけた名前の馬に、ぜひ、海外遠征してほしいものだ。

夜、太田光、中沢新一の対談集『憲法九条を世界遺産に』読了。
他によみかけなのは
高橋輝次著『関西古本探検』と伊藤正雄著『忘れ得ぬ国文学者た
ち』。
後者の本で、沼波瓊音が五十一歳で亡くなっていたという事実は
けっこうショック。名前の字面からも、とても五十代の人とは思え
ない。若くしてあれだけの実績を残したのもすごい。
潁原退蔵も五十代で亡くなったらしいし、まもなく五十五歳になる
わたしとしては、精神的に追いつめられるばかりである。


[2174] 訃報と原稿用紙 2006年11月04日 (土)

原稿を書こうと一日中あれこれと悩んだが、はかばかしくペ
ンが進まない。ペンというより、キーボードが打てないとい
うべきかもしれないが。

午後は競馬、だらだら負ける悪いパターン。
電話でH氏の訃報を知らされる。
H氏は元は映画の宣伝マンで、夕張シネマワークショップで
お世話になった。
映画には当然のことながらきわめて詳しく、しかも、文学関
係書物もよく読んでいて、私とは話があった。
映画宣伝の仕事をやめて、実家に帰って会社を継ぐというこ
とで、七年ほどまえに帰郷した。
その時、田舎でゆっくり原稿を書いてほしいと、H氏の名前
入りの原稿用紙一万枚を餞別に送ったのも、今となっては、
はかない思い出になってしまった。

夜、疲れたので八時前に布団に入って寝たふりをしていた
ら、本当に眠ってしまい、次に目が覚めたのが午前二時半だった。


[2173] 伊藤整と伊藤礼 2006年11月03日 (金)

「短歌人」の臨時編集委員会のために池袋の東京芸術劇場へ
行く。
ジュンク堂で何冊か本を買ってから、会場へ入る。

同じ階の会議室で「遠嶺」と「藍生」というふたつの俳句結
社が、月例句会をひらいている。
小澤克己さんや黒田杏子さんが同じ空間に居ると思えば、日
本の詩歌の現況も豊饒といってよいのだろう。

編集会議が終った後の食事会で、西勝洋一さんと諏訪部仁さ
んと、たまたま、伊藤整の話になった。
それで、伊藤整の息子の伊藤礼が日大の教授で、自転車で各
地をまわるのが趣味で、そういう本を書いているという話に
なった。
実は私はこの伊藤礼という人の名は初耳で、それが伊藤整の
息子だなどということも、今日初めて聞いたのだった。

それで八時過ぎに解散して、地下鉄有楽町線の中で、さっ
き、ジュンク堂で買った『東洋文庫のすすめ2』という本を
読み始めた。これは平凡社の東洋文庫のいろいろな本の楽し
みかたを、著名人がエッセイで語っている、いわば、宣伝の
本。そこでたまたま適当に開いたページの著者がなんと伊藤
礼なのであまりの偶然にびっくり。
江戸時代の囲碁の棋士の囲碁にまつわる随筆集の紹介なのだ
が、しかし、それにしても、たまたま聞いたばかりの人の名
が、その日買った本の、たまたまひらいたページに載ってい
るというのも、まあ、めぐりあわせの妙なのだろう。
本に関しては時々こういう偶然があって、面白いものだ。


[2172] 連休前の残業 2006年11月02日 (木)

連休を前にして、名簿メンテナンスの担当者が急に一人休ん
だので、その人の分を分担して作業する。
他に、毎週の議事録つくりもあり、久しぶりに残業。
ニッポン放送に居たころは、残業という感覚すらなく、残業
をしていた。それに、なにより、連休などとれなかったなあ
と、暫時、むかしを回想する。

帰宅後、今月と来月に締切が来る原稿の確認。
これだけを書ききるぞ、と心に言い聞かせる。


[2171] シブい本拾い読み 2006年11月01日 (水)

広告大賞の名簿のメンテナンスが本格的に始まっている。
オフィスでは、グループ各社からあがってきた修正名簿と
データベースの変更作業を一日じゅう続ける。

坪内祐三の『古くさいぞ私は』を読了して、『シブい本』を
読み始める。
この本も買ったときに半分くらいは読んでいるので、読んだ
おぼえのないところを拾い読みしてゆく。
とはいえ「中公文庫の100冊選」など、前に確かに読んで
いるのに、また読みたくなり、読んでしまう。


[2170] いくらでも読みたい文筆家 2006年10月31日 (火)

この人の文章なら、どんなものでも読みたいと思う文筆家は誰だろう。
小林信彦
筒井康隆
坪内祐三
現役の文筆家だとこの三人くらいだろうか。
亡くなった人もいれると、色川武大や星新一や岡本綺堂が入ってくる。
上記の人たちに関しては、ほとんどの本を読んでいるか、あるいは
今、読みつつあるという状況。もしくは、読もうと決心している。
好きな作家の場合、読み終わるのが惜しくなって、あえて、読まな
い本をつくったりもしている。

今夜は坪内祐三の『古くさいぞ私は』を拾い読みしながら就寝。


[2169] カチューシャの唄 2006年10月30日 (月)

昨日の午後から風邪っぽくなっていたのだが、やはり、風邪をひい
てしまったらしい。薬を飲んで出社するも、全身のだるさとアタマ
がぼーっとした感じはとれず、会社の健康相談室であらためて産業
医の先生に診察してもらい、べつの薬をもらう。

米原万里著『嘘つきアーニャの真赤な真実』読了。
大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品。
著者が1960年から数年間プラハのソビエト学校で一緒に学んだ
中東欧諸国の同級生を三十数年後に訪ねるというノンフィクション。
当然、プラハの春事件をはじめとして、政治体制崩壊という世界史
的な激動を経て、それぞれの個人がどのように生きてきたか、そし
て、今生きているかということが記述されるので、十分に興味深く
読み応えがある。
アタマの良い女性の早口を聞いているような文体で、もったいぶっ
た形容がないので、一気に読めた。
おそまきながら、良い本を読めてよかった。

山内将史さんから「山猫通信」百五十号が届く。

・妻の日の妻にしたきよ菅野美穂   媚庵

上記の俳句をひき、次のように書いてくださっている。

「ただ好きな女優名を挙げたのではない。菅野美穂のいつも
 さびしそうにしているところ。なんとなく狂気を妊んでい
 そうなところ、文化住宅で割烹着を来て「カチューシャの
 唄」を歌い出しそうなところがいいのだ。」

素晴らしい鑑賞を書いていただき、胸がせつなくなる。
ありがとうございます。


[2168] 心に届く歌をつくるためには 2006年10月29日 (日)

天皇賞はダイワメジャーが勝った。
二千メートルのスペシャリストということで、スイフトカレントま
ではチェックしたのだが、ダイワメジャーはもう五歳なので、最後
の選択で切ってしまった。
まあ、しょうがないか。

「短歌」十一月号の座談会「心に届く歌をつくるためには」を読む。
角川短歌賞受賞者の松平盟子、山田富士郎、佐藤弓生、梅内美華子
の諸氏の座談会。
昨年からやっている角川短歌賞応募者のためのノウハウだが、人選
がよいので、応募者だけでなく、短歌をつくりはじめたばかりの人
たちに有益な発言が多々ある。

結論の部分から引用してみる。

梅内美華子氏
「今は、インターネット短歌やケータイ短歌で、気軽に一首をつく
 り読んでもらうことはできるけれど、五十首、百首というボリュ
 −ムで短歌を作る体力、気力、筋力というのはなかなかトレーニ
 ングしがたい時代だと思います。だからこそ意味があるし賭ける
 価値があると思うので、挑戦してほしいですね」

佐藤弓生氏
「なんとなく日常の喜怒哀楽を詠むとむいうだけではなく、クリエ
 イターとしての自覚と意志が加わればいいと思います」

松平盟子氏
「わたしは、角川短歌賞が、継続力のある、いい歌人になるための
 ひとつのテストだと思うんです。作品自体もそうなんですが、継
 続できる歌人になるために、賞をめざしていただきたいなと思う
 んです」

しゃべり言葉なので軽く聞こえるが、どの人も短歌をつくる上で、
必要なことをしゃべってくれている。
このほかにも、五十首というボリュームが持つ意味がさかんに語ら
れているが、これは他誌の新人賞の三十首応募ということとの比較
で、三十首と五十首では確かに作歌に必要な総合的なエネルギーが
比較にならないほど異なる。当然、五十首のほうが圧倒的な総合力
が必要になる。
私自身は新人の真の実力を測るためには、五十首でも少ないと思っ
ているのだが、それでも三十よりは五十のほうが、実力はわかるし
応募者自身にとっても、応募作を五十首まとめえたということだけ
で、力はアップすると思う。(書かずもがなのことだが、五十首
の応募作をまとめるということは五十首つくるということではな
い。座談会の中でも語られているが、何倍もの歌をつくって、そ
れを応募作としての五十首に結晶させめわけである。)

ということで、角川短歌賞発表号でもあるし、「短歌」十一月号は
お買い得といえる一冊だ。


[2167] 神田古本まつり 2006年10月28日 (土)

神保町古書市だと思っていたら正しい名称は神田古本まつりだそうだ。
ともかく、そのまつりに行ってみる。
神保町の交差点を中心に古書店側と道路側の両方に古書を満載した
ワゴンが並んでいて、しかも、それぞれのワゴンの前には二重の人
垣ができている。
なんとかもぐりこんで、一時間ばかり古書をあれこれと検分。
結局、坪内祐三監修の明治の文学の幸田露伴の巻と山田美妙の巻を
一冊三百円ずつで購入。あと、中公文庫の足立巻一著『立川文庫
の英雄たち』を五百円で購入。
そのまま新刊書店には寄ることもなく帰宅。

午後はテレビで競馬。
スワンステークスのインセンティブガイまたも壊滅。
さすがにもう見限ることにする。
それにしても、関東から遠征したプリサイスマシーンなどという
七歳馬が勝つとは。
実は昨日の段階で、松岡騎手がなぜ関西遠征をするのだろうか、と
いう疑問はもっていたのだ。
関東の騎手が関西に遠征するのだから、なんらかの勝算があるはず
なのだが、それがまさか重賞の大穴馬だとは!!!

夜は家族で銀座六丁目のジグナスというライブハウスへ行き、ケン
岡本とファンキージャズオールスターズのライブを聞く。
ボーカルの松田千春さんが家内の知り合いなので、その生歌を聴き
に行ったわけだ。
リクエストの「くちばしにチェリー」を歌ってくれたので満足。


[2166] 東京かわら版 2006年10月27 (金)

駄句駄句会が流会になったので早めに帰宅。

豊洲から錦糸町行きのバスにのって、東陽一丁目で降りて、古書店
のあづま書店に行く。
例の現代教養文庫を十冊ばかり買う。
鎌田慧著『死に絶えた風景』とか毎日新聞政治部編『政変』とか。

「東京かわら版」11月号がくる。
連載コラムがリニューアルして、堀井憲一郎の「ホリイの落語狂時
代」が始まる。面白く笑える。
「今月から書くことになった大江健三郎です。ちがう。堀井憲一
郎です。大江は別の仕事するときの名前だ。」
と、こういう展開にも笑わせられる。
まあ、こういうギャグで笑わない人もいるのかもしれない。
「短歌人」十一月号「特集・高瀬一誌作品研究」もとどく。
良い特集になったと思う。


[2165] 誇り高き挑戦 2006年10月26日 (木)

お台場キネマ倶楽部の上映会、今月は1962年公開の深作欣二監
督作品「誇り高き挑戦」。
鶴田浩二と丹波哲郎の主演。
脇役に中原ひとみ、大空まゆみ、梅宮辰夫ら。

鶴田浩二が業界新聞の記者。丹波は東南アジアへ武器を輸出するブ
ローカー。つまりは正義と悪の闘争という構図。
丹波は戦争中は特務機関、終戦直後は占領軍と常に権力に癒着して
甘い汁をすっている。鶴田は元は大新聞の記者で、占領軍の悪の証
拠をつかんで、記事で暴こうとしながら、圧力におしつぶされて、
新聞社を追われるという苦い過去がある。

この二人が10年後に再び善と悪の構図で対決するということで
物語は進むが、結局、丹波は組織に裏切られて謀殺され、鶴田の
権力悪を暴く記事はまたしても日の目をみない。
要は「悪いヤツほどよくねむる」というテーマなわけだ。
先月見た「濡れた荒野を走れ」もそうだったが、1960年代から
70年代の初めにかけての娯楽映画に、これほど、反体制、反権力
的な姿勢があったのだと、あらためて実感することができた。

伊藤俊哉監督の「女囚さそり」シリーズなど、権力や体制の凶暴さ
と卑怯さをイヤというほど描写していた。
60年代後半にデビューした五木寛之の小説も、反体制のヒーロー
が権力におしつぶされて挫折するというものが多かった。

それはそういう時代だったということかもしれないが、その時代に
ものごころついた世代の一人としては、自分の根っ子はやはり
「反」という部分にあるのだということを、忘れてはいけないとも
思う。
こういう意識には「時代遅れ」とか「すでに無効」とか「賞味期限
切れ」とかの妄言は関係がない。まさに「誇り高き挑戦」なのであ
るから。


[2164] 「はじめての短歌」4クール目開講 2006年10月25日 (水)

有楽町のニッポン放送の会義に出席してから、お台場のオフィスへ
出社する。
午後もまた会義。
議事録をつくり続ける。

夜、江東区文化センターで「はじめての短歌」4クール目が開講。
受講者は19人。
だいたい、1クールごとに半数の方々が入れ替わっていることに
なるだろうか。
少しでも短歌の魅力がつたわるような講座でありたいと思う。

家に帰る途中で、古本屋のすどう書店に寄る。
社会思想社の現代教養文庫の中の「佐高信監修ベスト・ノンフィク
ション」のシリーズがどどっと並べられている。
どれも買いたかったが、荷物が重いので、矢崎康久著『情況の中
へ・わがジャーナリズムへの執着』とむのたけじ著『たいまつ十六
年』の2冊だけ購入。
他の本は他日を期すことにする。

帰宅後、上記の2冊を交互に読み進みながら就床。


[2163] 雨のふる秋の一日 2006年10月24日 (火)

昨日に引き続いて雨。
午前中に一度やんで、また、夕方から降り始める。
池袋で「短歌人」編集会議。
できあがった11月号をもらう。
11月号の特集は高瀬一誌さんの歌集の批評特集。
初期歌篇から遺歌集となった『火ダルマ』までを
短歌人の内部から一人、外部から一人ということで、
2名づつ批評文を書いてもらっている。
他に高瀬一誌の一首鑑賞と高瀬一誌語録をたくさんの
書き手に書いてもらっている。
いずれにせよ、読み応えのある一冊になっている。

雨の中を帰宅。
引続き『打ちのめされるようなすごい本』を読み進みながら就床。
読書日記の最後の3回は「癌治療本を我が身を以て検証」という
タイトルであり、まさに中味もそのもの。
癌の闘病記録はたくさんあるが、このような書評のかたちをとって
いるものは初めてだろうし、何か悲愴でありつつも、不思議な思い
のみなぎる文章になっている。その雰囲気が、米原万里という人の
個性ということなのだろう。



[2162] 雨のアーバンドック 2006年10月23日 (月)

会社の帰りに、豊洲にあたらしくできたアーバンドック・ララ・ポ
ート豊洲に寄ってみる。
久しぶりの雨なので、先日の台風のあとで購入した24本骨の傘を
さして行く。この傘、内側から見ると蛇の目傘のようだ。

とりあえず、建物や場所をまちがえたり、行き止まりの通路に入り
込んでしまったりしながら、紀伊國屋書店に到着。
売場面積が広いので、さすがに本の数は多い。
詩歌の棚は俳句、短歌、川柳をあわせて一棚。現代詩は単独で一棚
なのだが、詩集や詩論の本はそれほど売れるのだろうか。このあた
りが、マーケティングがきちんとなされていないような気もする。
もっとも、短歌、俳句、川柳の本は、自分が興味があるから売れて
いると思い込んでいるだけなのかもしれない。
しばらく経ったら、現代詩の棚も短歌・俳句・川柳の棚も一度に消
えてしまったりもするのだが。

ということで、書籍の棚をひとまわり眺めてから、米原万里の文庫
本を2冊購入。
新潮文庫の『不実な美女か貞淑な醜女か』と『魔女の1ダース』。
前者は8月5日付けの第16刷なのだが、この刷の本から、編集部
注という短文が巻末についている。
ツルゲーネフに関する文章の中のまちがいを指摘した手紙を、ある
読者から受取り、確認したらやはり指摘どおり誤りであった。そし
て、著者は指摘に感謝する意の返事を書き、編集部には訂正を依頼
する。そして、結果的には、その読者に書いた返事の手紙が米原万
里の絶筆ということになったのだそうだ。
こういうエピソードも、良い著者には良い読者があり、さらに、そ
れが、良い効果をもたらすということを思わせる。

雨の中帰宅。
『打ちのめされるようなすごい本』を読み進みながら就寝。



[2161] 三冠ならず 2006年10月22日 (日)

菊花賞。
メイショウサムソンが三冠馬になれるかどうかが焦点のレースだっ
たが、ソングオブウインド、ドリームパスポート、アドマイヤメイ
ンの3頭に先着され、残念ながら4着。
二年連続の三冠馬出現ということにはならなかった。

午前中は古石場図書館で、「俳句年鑑」のための鼎談のゲラの修正
作業。
月例12回に年鑑のための一回で、13回の合評鼎談をおこなった
ことになる。
「俳句」誌掲載の全作品を読み続ける一年間、きわめて有意義な体
験をさせてもらったものだ。
現代俳句の現状を自覚し、俳壇の事情を多少なりとも感知して、今
俳句や短歌にかかわることの意味を考え続けた一年間ともいえる。
鼎談での発言に関しては、言い過ぎも、言葉足らずも、頓珍漢な部
分もあったことと思うが、俳句に対しての純粋読者という立場に徹
することだけはできたような気がする。

さて、短歌に対して同じだけのエネルギーを読者としてそそぐこと
が、できるだろうか。
今月も「短歌」「短歌研究」「歌壇」「短歌現代」の最新号が手元
に届いているが、どれか一冊でも掲載作品をすべて読むということ
がはたしてできるかどうか。

角川短歌賞受賞作の沢村斉美「黙秘の庭」は、姿勢の良い好感のも
てる50首だった。
角川短歌賞は一昨年の小島なお、昨年の森山良太、今年の沢村斉美
と、それぞれに個性の異なる歌人を輩出したということだ。


[2160] 早稲田から本郷へ 2006年10月21日 (土)

午前中に、早稲田古書店街を通過して、何軒かのぞいたが、結局、
今日は新本しか買わなかった。
購入したのは下記の2冊。

米原万里著『打ちのめされるようなすごい本』文藝春秋
坪内祐三著『本日記』本の雑誌社

米原万里に関しては、ぜんぶの著作を読もうと思っている。
以前、各種の雑誌でエッセイを何本か斜め読みして、下ネタ志向の
内容がどうも気にいらなかったのだが、先日、『他諺の空似』を読
了して、この人の凄味がやっとわかった。
下ネタの部分はあくまで趣味であり、認識の部分がきわめて過激で
学ぶべきなのである。
ロシアの要人の通訳をすることで、しばしば、政治的な重要な場面
に居合わせ、そこで苛立ったことが、この人の世界観を創り出して
いるということだ。

この『打ちのめされるようなすごい本』は彼女の最後の著書であり
書評の集大成である。
どんな本を読み、どんなことを書いてきたのか、書評というのは、
その人の知的な、そして感性的なホンネを映す鏡といえる。
だから、この本が遺著として刊行された意義はきわめて大きい。

坪内祐三のほうはいつもの古本買い日記の色合いが濃いエッセイ。
これはいつでもどこでもどこからでも読める良書である。

午後からは本郷に行き、晩紅塾エキストラ。
出席者は下記のとおり。
高橋保子
永島靖子
黒木孝子
遠山陽子
吉田悦花
飯島あかね
飯島士朗
吉村たけお
寺澤一雄
藤原龍一郎

八田木枯さんはファックスで投句、選句、批評をおこなう。

本郷のルノアールで二次会の句会に出てから帰宅。
今月は3回も本郷に来たことになる。
来月以降はよほどのことがない限り、本郷にくることはなさそうだ。
交差点の角の「かねやす」に掲げられている「本郷もかねやすまで
は江戸の内」の川柳も見納めかもしれない。


[2159] 海近き橋とガラムマサラ 2006年10月20日 (金)

松崎圭子さんの歌集『海近き橋』と竹浦道子歌集『ガラムマ
サラ』の合同批評会。場所は学士会館。
外部からお招きして批評をいただいたのは下記の6人のみな
さま。
前川佐重郎
田村広志
小林幸子
久我田鶴子
五十嵐順子
鈴木英子

たいへん充実した内容の会になった。

二次会は神保町の「酔之助」。
西村美佐子さんと久しぶりにしゃべる。
短歌に対して迷いがいっさう深くなる。

11時過ぎに帰宅。

青木正美著『古本探偵追跡簿』読了。


[2158] 鶴のような老人 2006年10月19日 (木)

ちくま文庫版の『岡本かの子全集』第12巻の解説で、馬場あき子
が、富沢有為男宛の岡本かの子の書簡について書いている。
大正14年5月に書かれた手紙で、富沢がかの子の短歌について述
べた感想に対して、かの子が喜んで、お礼をのべているという内容
だそうだ。
当時、富沢は新潮社の編集者。画家志望で大正10年には帝展に入
選という実績ももっていた。
富沢はこののち昭和2年にフランスへ渡り、昭和4年に帰国してか
らは、小説を書き始め、昭和12年に「地中海」という作品で、芥
川賞を受賞している。
これだけの才人だが、現在では、小説も絵も富沢有為男の作品を見
ることはできそうもない。
たしか、阿佐田哲也がエッセイの中で、戦後の競輪場でみかけた富
沢有為男のことを書いていた。
もちろん、先輩の作家に対してのリスペクトにみちた文章で、鶴の
ように孤高で凛々しいたたずまいの老人だったと書いていた。

岡本かの子から富沢有為男へ、そして、馬場あき子や阿佐田哲也へ
とつながる表現者の縁のあやを面白く思った次第。


[2157] ガラムマサラ 2006年10月18日 (水)

今週の金曜日に「短歌人」の松崎圭子さんの歌集『海近き橋』と竹
浦道子さんの歌集『ガラムマサラ』の合同批評会がある。
私は『ガラムマサラ』のほうの批評をおこなうことになっているの
で、その歌集を読返す。
ガラムマサラとはどんな意味かは各自で調べてください。

とにかく気風の良い、痛快な歌が並んでいる。
読んでいて気持ちが良くなる珍しい歌集である。
ちょっとだけ作品を引用する。

・「はげまれよ」葉書にみじかき言葉ありその簡潔が吾を励ましむ
・言ひよどみつつも不貞を告白すハリソン・フォードなれば許さむ
・岸恵子 若さをほめる司会者にさらり応へるはつたりなのと
・むしやくしやの気分変へむと丸坊主になりたるをとこ「男」羨しも
・はるかなる明治の羞恥に拒むなり陰浄めむと触るるわが手を


[2156] 生まれ出づる悩み 2006年10月17日 (火)

今週の「週刊プレイボーイ」に、「ラジオビバリー昼ズ」の月曜日
のアシスタントだった永田杏子ちゃんのヌードが載っている。
芸能人とはいえ、よく知っている人のヌードというのは、見ていて
も複雑な思いがわいてくる。
先月は、「某有名ラジオ局の現役受付嬢が脱いだ!」というキャッ
チで、「週刊実話」や「フライデー」に某嬢のヌードが載っていた
が、この人は元の勤め先の受付で何度か見たことがあり、キャッチ
フレーズに偽りはなかった。
こんどは短歌か俳句の関係の女性がヌードを披露するのではないか
と、アタマを悩ます日々である。

映画「ブラック・ダリア」を見る。
エルロイの原作本の翻訳は1997年12月30日、土砂降りの日
に読んだ。29日と31日がイベントの仕事で休めなくて、この日
一日だけが休みだったのでよく覚えている。
出てくる二人の刑事が、ブランチャートとブライチャートと似た名
前だったが、映画では一人がブライカートという名前になっていて
混乱はしなかった。
まあ、実際にはどう発音しているかセリフを聴き取ればよいのだ
が、私のヒアリング力ではわかりませんでした。
印象的な場面は、中盤で出てくるレズビアン・バーの頽廃ぶり。
1946年から翌年にかけて、日本では終戦直後の昭和21年から
22年にかけてのはなしなのだが、ロサンゼルスにはあんな退廃的
なバーがあったとは驚いた。
ブルーフィルムの撮影が犯行の動機なのだが、このあたりは、なん
でもありのポルノの現状から考えると、ちょっとリアリティが希薄
になっている。まあ、しかたがないけれども。
いずれにせよ、「LAコンフィデンシャル」と同じく、ノワールな
雰囲気を味わう映画なのだろう。


[2155] 三冠馬出現! 2006年10月16日 (月)

お台場にも気持ちのよい青空が広がっている。

明治書院が刊行した『三句索引・新俳句大観』を、勤め先の
ビル内にある流水書房で購入。
この書店で買うと少しだが割り引きになる。高価な本ほど割引額は
大きいわけで有り難味は増すわけだ。
刊行予告を見て、予約しておいたのだが、結果的に昨日の秋華賞の
アサヒライジングが買ってくれた本ということになった。
アサヒライジングよ、ありがとう。さすがにアメリカン・オークス
2着馬だね。

ところで、ディープインパクトの引退となると、次の人気馬の出現
を、JRAはのぞんでいるだろう。
と、なるとメイショウサムソンにはぜひ三冠馬になってほしいはず
だ、とは、誰もが考える。
そう簡単に予想どおりになるのだろうか。
ドリームパスポートが横山騎手に乗り替わった。
これで、サムソンとドリームのライバル物語という作戦もある。
サムソンが三冠になってもドリームがそれを阻止しても、それ以降
のレースでもドリームと一騎打ちをくりひろげるなら、来年の古馬
戦線も安定するし。
JRAが強い意志をひそかに表明すると、武豊や横山といった騎手
の二世が活躍するというのが私のひそかな持論。
来年になったら、サムソンは武豊に乗り替わっているということも
あるかもしれない。

菊花賞の予想はサムソンとドリームの対決プラス三着候補はネヴァ
プション。先月の中山競馬の九十九里特別という2500の条件戦
を勝ち上がった馬。これはおおむかしのグリーングラスと似たパタ
ーンでの菊花賞出走。

競馬好きのみなさまの幸運を祈ります。


[2154] 池袋で歌会など 2006年10月15日 (日)

昨日の大南風忌の会場に行く前に、早稲田の古書店街をまわって、
平野書店で、20年ほど前の牧羊社刊行の若手の歌集を何冊か購入
。端数が200円出たら、その分はおまけしてくれた。これはうれしい。
古書現世にもはじめて行った。1970年代にはこの店はなかった
ように思うのだが、いかがなものだろう。
この店の店主の向井透史さんのエッセイに出てくる猫のノラも店内
にちゃんと居た。店番をしていたのは女性だったが、奥さんだろう
か、お姉さんだろうか、お母さんだろうか。
向井さんは1972年生まれだそうなので、私が早稲田に入学した
年だ。つまり、当時、古書現世があったとしても、向井さんは、幼
稚園にも行くか行かないかの年齢だったわけだ。

大南風忌で聞いたところによると、岡村知昭さんは、その時間に、
神保町の古書店街をまわって、「俳句空間」のバックナンバーを
発見していたらしい。

ということで、「短歌人」の東京歌会。
私は前半の批評を担当。後半の司会は平野久美子さん。
出席者も詠草も50を少し割るくらいで、例月より少し少ない感じ。
勉強会は野村裕心さんのレポート。最近の注目作品ということで
小池光、島本正靖作品などをテキストにした。

西武の地下でパンを買って帰宅。
向井透史著『早稲田古本屋日録』を読みながら就寝。


[2153] 大南風忌あれこれ 2006年10月14日 (土)

神楽坂の日本出版クラブでおこなわれた、攝津幸彦氏の没後十年の
大南風忌に出席。
会場でお目にかかった方たちを思い出せる限り列記させていただく。

大井恒行
筑紫磐井
酒井英一郎
三橋孝子
秦夕美
高橋龍
堺利彦
岡村知昭
中村安伸
山崎十生
高野ムツオ
久保純夫
中田剛
武馬久仁裕
宗田安正
樋口由紀子
小池正博
澤好摩
横山康夫
櫂未知子
長岡裕一郎
仁平勝
山口可玖美
福田葉子
池田澄子
山岡喜美子
宇田川寛之
海野謙四郎

いちおう、これらのみなさまと言葉をかわさせていただきました。もちろん順不同です。

摂津さんが亡くなって10年、当時の攝津さんの年齢が49歳とい
うことを、あらためて思い返すと、自分の現状に対して忸怩たるも
のがある。会場には攝津さんと会ったことがないという方たちも、
けっこういらしたようだった。

二次会は「鮒忠」ということなので今夜は失礼させていただく。
先週、「岡井隆先生を囲む会」の二次会で同じ「鮒忠」に行き、
座敷に座っていたら、腰痛がおこったので、今回は大事をとったと
いうこと。

帰宅して、「攝津幸彦選集」や「豈・俳句空間」を読みながら就寝。


[2152] 金魚坂 2006年10月13日 (金)

角川書店の「俳句」編集部で最後の合評鼎談。
千葉皓史さん、出口善子さんと13回目の鼎談ということなのだが
長くて短い一年だったとしかいいようがない。
ただ、この機会でなければ、お目にかかれなかっただろうお二人の
俳句に対する真摯な考え方を一年間毎月聞くことができたのは、嬉
しいことだったといえる。
また、毎月の「俳句」に掲載されている作品を巻末の投句欄の作品
までふくめて12ヶ月間すべて読み続けるという経験も、えがたい
ものだった。
では今月から「短歌」の作品を毎月すべて読むことができるかとい
えば、それはいささか心もとない。

最終回ということで、鼎談終了後、U編集長と鼎談の三人で、本郷
の「金魚坂」というレストランで一諸に食事。
ここは、名前どおり金魚の問屋でもあり、それに併設されたレスト
ランというきわめて珍しいもの。
こういうお店が本郷にあるこしを私はまったく知らなかった。
食事は美味で、また来たいと思わせる店だった。

夕方、腰痛の治療に整体によってから帰宅。

夜は向井透史著『早稲田古本屋日録』(右文書院)を読み続ける。
プロっぽいところがなく、品のよい文章なので好感をもって読み
すすむことができる。


[2151] 集中力 2006年10月12日 (木)

資料つくり。会義。資料つくりで一日終る。

明日、「俳句年鑑」掲載のための合評鼎談があるので、しゃべる
ことを考えなければならないのだが、なかなかアタマがまとまら
ない。
去年の「俳句年鑑」の中嶋鬼谷さん、山田弘子さん、小島健さんの
鼎談を読み返す。
12ヶ月分の「俳句」を読み直すべきだとは思うのだが、なかなか
集中力が出ない。
ついついテレビの「一万円生活」などを見てしまう。


[2150] ダリ回顧展 2006年10月11日 (水)

上野精養軒で昼食をはさんだ会義があり、そのあとで、上野の森美
術館で、ダリ回顧展を見る。
平日の午後だが、作品の前に、レシーバーで解説を聞く人たちが溜
まっていて、二重から三重の列になっている。
お台場のオフィスへ帰る時間が決まっているので、そそくさと会場
を一周するにとどまってしまった。
会場では「アカダルシアの犬」をエンドレス上映しているので、こ
れもぜひ見ていない人は見るとよいと思う。

例によって、複数の本を同時進行で読んでいるのだが、とりあえず
最後まで読めそうな本は以下のとおり。

森まゆみ著『円朝ざんまい』
坪内稔典著『俳人漱石』岩波新書
木下順二著『古典を読む・平家物語』岩波現代文庫
向井透史著『早稲田古本屋日録』右文書院
堀切直人編『日本幻想文学集成・豊島与志雄集』

読み終わった順番に感想を書くつもりではありますが。


[2149] むかしの体育の日 2006年10月10日 (火)

1964年10月10日は東京オリンピックの開催日。
私は千代田区立今川中学校の一年生だった。
自衛隊のジェット機5機が東京の空に五輪を描いた。
重量挙げの三宅、女子バレーボールの日紡貝塚、マラソンの円谷等
々の固有名詞は当時の少年少女の脳裏に刻みこまれたものだ。

それ以後、10月10日は体育の日という国民の祝日になったの
だが、数年前から、体育の日は10月10日ではなくなってしまった。
まあ、なんだかしっくりこないなあ、という気分的な問題だけなの
だが。

丸谷才一、鹿島茂、三浦雅士共著の『文学全集を立ちあげる』を読
了した。
まったく新しい視点から、世界と日本の文学を評価しなおして、
新たな文学全集を編纂しようという鼎談の本。
博学多識の3人の会話の妙が楽しめるかどうかで、この本を面白い
といえるかどうかがわかれるが、私はスノッブなので楽しめる。

歌人に興味がありそうな箇所を一ヶ所だけ引用する。

丸谷「僕は茂吉の論争文が嫌いでね。柄が悪くてさ。とにかく勝て
ばいい、といった感じ。しかも、相手がイヤになって、反
論をやめたのを勝ったと取る、そういう態度ね」
三浦「香川景樹批判とか、罵詈雑言という感じですね」
丸谷「批評というもんじゃないんだよ。でも、明治、大正、昭和
の日本の批評というものは、相手をイヤにさせれば、それ
でいい、という風潮はかなりあったね。批評の快楽を知ら
ない人たちが批評文を書いたんだね」

ということで、この三人の評価では、斎藤茂吉は日本文学全集の中
では、かろうじて、一人一巻を割り当てられている。
これは当然だと思うかもしれないが、たとえば芥川龍之介はこの文
学全集では、菊池寛と二人で一巻という扱いなので、芥川より評価
が高いというわけだ。

知的俗物臭がふんぷんということで嫌う人もいそうな本だが、世界
と日本の文学を、作家の名前というフィルターをはずして、現在の
目で再評価したら、どういう感じか、ということに興味がある人に
は楽しめる一冊だと思う。

『文学全集を立ちあげる』文藝春秋社刊・1500円+税


[2148] 核実験と燃える水 2006年10月09日 (月)

気持ちのよい秋晴れだったが、正午前に北朝鮮の核実験実施のニュ
ース速報が入り、一気に緊張感がたかまる。
夕方までずっとテレビの特別番組を見ながら、原稿執筆。

最近読んで刺激を受けた歌集。
春日真木子歌集『燃える水』。作品を少し引用する。

・墨すりて夏の短か夜机に向かふ定家にすりよる猫のありしを
・たつぷりと生き上手なる生ならむ螺鈿の蝶が時計に舞ひて
・うたかたは消えて結びてはかなけれ和漢混淆文胸にひびかふ
・ライターにひとひらの火の生まれけり「燃える水」とぞ誰かいひたる
・テキサスの空噴きあぐるくろきもの ミリオンミリオンおおミリオネア

最後の一首の下句のような自在な言葉の駆使は、なかなかできない。
あらためて、大正生まれの歌人の凄味に脱帽する。

春日真木子歌集『燃える水』短歌研究社刊・3150円税込


[2147] フラガール 2006年10月08日 (日)

評判の映画「フラガール」をシネ・カノン有楽町で見る。
満員盛況である。
「ブラス」や「スウイングガールズ」につながるハートウォーミン
グな物語で、炭坑閉山にともない失業対策事業として、常磐ハワイ
アンセンターを開いたときの実話が原作とのこと。

松雪泰子、豊川悦司、富司寿美子、蒼井優と俳優がみな上々の演技
で、それぞれの人にとっても、出演してよかったと思える作品にな
っているのではないかと思う。
私は「保健室のおばさん」で松雪泰子を好きになって以来、ずっと
好きで居続けているのだが、今回のフラダンス教師の役は彼女以外
ではできなかっただろうと思えるほど適役だった。
どの場面の演技もいいのだが、最初に登場するとき、壜ビールを喇
叭のみしている姿、男湯の湯船に飛び込むシーンなど忘れ難い。
もちろん湯船に飛び込む場面はリハーサルを何度もしているのだろ
うが、映画の場面ではまったくためらいが見えないのが凄い。

ヒロインのキミコの親友のサナエが、父親の都合で夕張炭坑に引越
して行くというエピソードがあるのだが、昭和40年代なら夕張の
炭坑は、まだ、盛んだった頃かなあ、などと、夕張の状況を考えて
しまった。昭和54年に夕張炭坑の大落盤事故がおこっているのだ
が、私はこの時の話を夕張市役所の人にくわしく聞いたことがある。
いずれにせよ、坑内労働が死と隣り合わせのイノチガケのものだっ
たことは確かである。

関東エリアに住んでいる人なら、誰でも知っている常磐ハワイアン
センターの物語というのも、観客にリアリティを感じさせているの
ではないだろうか。

ということで、今日は原稿を2本書くつもりだったのだが、良い映
画を見たので、それで終りとする。


[2146] 岡井隆先生を囲む会 2006年10月07日 (土)

「未来」の中川佐和子さん、中川宏子さんのお二人に誘っていただ
き、神楽坂の出版クラブで開催された「岡井隆先生を囲む会」に出
席する。
二部構成で、一部は「近藤芳美を読む 思想と老年」というテーマ
での岡井隆さんと加藤治郎さんの対談。
近藤芳美の晩年の作品をきちんと読み込む必要がある、ということ
を、丁寧に解説してもらえた。
「未来」の彗星集の若い歌人の人たちがけっこう出席していたので
この方達にとっても、加藤治郎の師匠の岡井隆が兄事した近藤芳美
という存在に興味をもつことは必要なのだと思えた。

面白かったのは、加藤治郎発言で「15歳の年齢差」という指摘。
これは、近藤芳美と岡井隆、岡井隆と大島史洋、大島史洋と加藤治
郎が約15歳ずつの年齢差であるとの指摘。
15歳というのは、親子ではなく長兄と末っ子の年齢差ということか。
岡井氏が「15歳差というのは、簡単に意気投合するし、また、簡
単に裏切るんだよね」という発言があり、会場は爆笑だった。

第二部は歌会。49首の作品に関して、一首づつ、加東次郎氏また
は中川佐和子氏の批評があり、さらに若干の会場発言があり、最後
に、岡井隆氏の講評がつくというもの。
自作に対して、自分の結社以外の著名歌人から直接批評をもらえる
という機会はめったにないので、これは、出席者全員にとって、有
意義な企画だった。
ただ、驚いたのは、詠草が記名式だったこと。
無記名の歌会ばかりに出席していたので、記名の詠草を見て、正直
びっくりした。
しかし、そのほうが、作者の狙いを理解しやすいということもある
のかもしれない。相互批評ではないので、記名式のほうが、批評者
がしゃべりやすいということもあるだろう。
結社の名前だけあげても、「未来」「短歌人」「明日香」「原型」
「星座」「かばん」といった人たちが参加していたので、詠草も
バラエティに富んでいて面白い歌会ではあった。

二次会は鮒忠のお座敷、三次会は喫茶店。
けっこう、初対面の若い人たちとしゃべれたのは収穫だった。
笹公人氏ともひさしぶりに会えた。彼の話してくれる業界トンデモ
情報はあいかわらず面白い。

夜、10時前に帰宅。
片山由美子著『俳句を読むということ』を読みながら就寝。


[2145] ビニール傘ジェノサイド 2006年10月06日 (金)

今日一日でいったい何本のビニール傘が破壊され、棄てられ
ただろうか?

お台場の高層ビルから路上を見下ろすと、ほとんど人の姿が
見えない。
たまに見えても、強風にたちまち吹き飛ばされて消えてしまう。
帰るのは危険そうだが、社屋に泊まるわけにもいかない。
ゆりかもめの台場駅まで傘を小脇にかかえて全力疾走。
ビル風が荒れ狂っていて傘などとてもさせない。
ゆりかもめも強風で運休になることがあるので、とにかく、
動いている内に豊洲まで到着できた。
豊洲の路上にビニール傘の屍骸が累々と転がっている。
うかつに風によろけると、壊れて放棄された傘の金属の骨が
足に刺さるかもしれない。
タクシー乗り場でしばらく待ってみるが当然タクシーなど来ない。
業平橋行きのバスが銀座方面からこちらへ来るのをみつけて
こんどは信号無視で、バス停まで走る。
意外にも混んでいない。
風に押し返されながらもなんとかバスが最寄り駅へ到着。
あとはマンションまで5分ほど歩くだけ。
あいかわらず路上には金属の骨をむきだしにした傘の残骸が
累々と打ち重なっている。
普通の傘とビニール傘と二本傘をもっていたのだが、風が真
向かいから吹き付けてくるので、ビニール傘を真横にさして
ひたすら歩き、ようやく、マンションへ到着。
自宅のドアの中へころがりこむ。

明日は、岡井隆氏を囲む会に出席する。


[2144] いいひと・蝶野正洋 2006年10月05日 (木)

「週刊ファイト」が休刊になって、手持ちぶさたになり、ついつい
コンビニで「週刊プロレス」を買ってしまう。1年ぶりくらいだろ
うか。でも、ターザン山本が編集長だった頃の黄金時代の充実ぶり
とは、もはや、比較するのもむなしい。

表紙はIWGPタッグ王座のベルトを掲げて、葉巻をくわえたプレ
ジデント・サイモン。スタジオ撮影らしい写真である。
サイモンと蝶野のロング・インタビューが載っている。
アングルとしての蝶野とサイモンの対立構図を専門誌が支えている
という構図だ。
しかし、サイモンも蝶野もいいひとすぎるのではないか。
とりわけ、蝶野はこういうかたちで、いつでも、不本意ながら会社
(新日本プロレス)に協力してきたわけで、「もう、いいよ、蝶野
さん」と同情したくなってしまう。

蝶野正洋がどれだけいいひとかということは、他のページの、蝶野
と藤田ミノルの対談でもびんびん伝わってくる。
まさに、親戚の叔父さんが、一人前になった甥に話をふってしゃべ
らせている、というかたちである。
藤田ミノルが大日本プロレス時代に、非常に良い試合をしながら、
ミスター・ポーゴの乱入で試合をこわされ、泣いて抗議したときの
話も出てくる。この時の号泣の写真も当時の「週刊プロレス」に掲
載されていたのをおぼえている。
その後、藤田は団体をいくつかさまよったあと、新日本プロレスに
乱入というかたちで参戦する。
この時に相手をしてくれていたのが、いま考えれば蝶野だった。
あきらかに身体の小さな藤田が、「オレは身長195センチ、体
重120キロのヘビー級だ。IWGPに挑戦させろ」と大言壮語す
る展開は、それまでの新日覇権主義にはないもので、実に珍しく、
興味ふかいものだった。

と、思い出ばかり語っていてもしかたがないのだが、「週刊プロレ
ス」を精読したところで、プロレス会場に行きたくなるかといえば
そうはならないところが問題なのだろう。

寝る前に、ベテラン歌人の歌集を読む。

・さびしい歌が朝から聞こえる日曜日「遠くへ行きたい」いつかは行ける/蒔田さくら子『サイネリア考』


[2143] 吉屋信子の短編小説 2006年10月04日 (水)

「俳句」の合評鼎談。対象は「俳句」10月号。
これで一年、12冊の作品すべてを読んだことになる。

昨夜、眠れないままに、吉屋信子の講談社文藝文庫の短編集
『鬼火/底のぬけた柄杓』を読了。
読み終わった小説は下記のとおり。
「童貞女昇天」
「鶴」
「鬼火」
「茶碗」
「嫗の幻想」
「もう一人の私」
「宴会」
他に俳人伝として富田木歩の「墨堤に消ゆ」、尾崎放哉の
「底のぬけた柄杓」、岡崎えんの「岡崎えん女の一生」が
収録されているが、この三作品はすでにむかし読んでいるの
で、再読はしなかった。

上記の7作品で、すごいと思ったのは「鶴」と「鬼火」。
鶴は鶴女房の男版という奇想。よく、こんな物語を思いつい
たものだと感心する。
「鬼火」は陰惨な話だが、終戦直後を舞台にしてリアリティ
がある。女流文学賞を受賞した作だそうだ。

読んで得したというか、吉屋信子はこういう短編を書いたの
か、ということを知る意味では格好の短編集だったかもしれない。


[2142] けむり水晶 2006年10月03日 (火)

栗木京子さんの新歌集『けむり水晶』読了。
一気に読ませる力は歌壇随一だろうと思う。

・蒲焼に日本酒垂らしつつおもふ茂吉にのこりゐし色欲を
・イラクにて殉職すれば儀仗兵にかしづかれ屍は還り来たらむ
・聳ゆるもの踏みつぶしつつ哀しきやゴジラも「塔」もわれも五十歳
・拉致されし人かなしみを語りをり生まれ育ちし日本の言葉に
・雨に濡れ公衆電話かけゐるは東南アジアの人か今宵も
・雑技団のかなしき男いと小さき筒の中へと身を折りて入る
・酉年の朝に思へり「売文にて糊口の道を」と書きし荷風を
・入院は六日で済みぬ携へ来し桐野夏生は上巻のまま

前半から、私好みの歌を引いてみた。
どういうパターン、発想の歌でも、完成度高く仕上げられている。
これだけ多彩な技量のある歌人は少ないと思う。

昨年の秋から刊行され始めた角川短歌叢書の一冊だが、今ま
で出された中では、この歌集が文句なしにベスト1だと私は
思う。