[2141] かはほり 2006年10月02日 (月)

「短歌人」の会員T欄作品批評を書く。
これで半年間の連載が終了する。

山尾玉藻句集『かはほり』を読む。
俳句的な美学や規範から無意識にずれてしまっているような作品が
特徴。なにより、読んでいて退屈しない。

・母は吾の線香花火持ちたがる
・噴水に喪服の人の殖えて来し
・かはほりにPanasonicの大看板
・紙魚もまた美し鴻池出入帳
・三越のはじかみ売場二度通る
・驟雨灯せる宝塚大劇場
・大きいやうな小さいやうな草の餅

こういう感じである。
書き写しているうちに、なんとはなしに、南海キャンディーズの
しずちゃんのたたずまいを連想した。
似ていないだろうか。


[2140] 人間ラララ 2006年10月01日 (日)

千々和久幸歌集『人間ラララ』の批評会が新宿で開かれる。
私はパネリストの一人なので早めに会場へ到着。
パネリストはほかに、高橋みずほさん、山野吾郎さん、大井
田啓子さんの4人。司会が水城春房さん。

千々和さんの故郷である九州の男の気性の問題、詩と短歌を
同時に書き続ける意識の問題、経営者であり歌人であること
の問題などの提示がある。
私は歌集巻末にある「語彙集」という頭韻をふんだ連作につ
いて、その言葉の傾向や、そこに潜んでいる心理、語彙集全
体の言葉の仕掛けなどについて発言させてもらった。

来嶋靖生さん、奥村晃作さん、土井紀枝さん、角宮悦子さん
福田龍生さん、加藤英彦さん、風間博夫さん、武田素晴さん
らが出席。

終了後、西新宿の地下道にある居酒屋でうちあげ。
夜、九時過ぎに帰宅する。

・階段はナショナリズムに関係があるかも知れず無いとも言えず/千々和久幸

ということで、NHKテレビで、凱旋門賞の生中継をみる。
12時過ぎまで起きているのはひさしぶり。

残念ながら、ディープインパクトは3着。
でも、来年も挑戦すればいいと思う。
日本にはディープより強い馬はいないんだから、このまま
フランスの厩舎に移籍して、ヨーロッパ競馬を連戦して
柴の状態になれながら、来年の雪辱を期すというのではどうか。
移籍してしまったら、日本の馬ということにならないのかな。
それなら、池江厩舎がフランスに外厩をつくったらどうか。
費用はいくらかかっても、馬主の金子真人さんが出せばよいでしょう。
日本の競馬マニアの夢をかなえるのが金子オーナーの使命なんだから。
そのために、信じられないほど馬運が良いわけですよ。

ところで、ゴール前でディープが2頭に抜かれる姿は、まさに、
今までも数え切れないほど見て来た映像だった。
せめて、2着に残ってくれれば、馬連馬券だけは当たるのに、
わずかの差で3着になってしまい、馬券はパー。
何千回これと同じ気持ちを味わっただろうか。
「まさに、これが競馬だ!」というディープいんぱくとの負けっぷ
りでありました。


[2139] 文化祭 2006年09月30日 (土)

とある女子高の文化祭に行く。

演劇系の出しものが「プロデューサーズ」や「オペラ座の怪
人」だということに驚く。
お店系の出しものが、ホスト喫茶やメイド喫茶ということに
も、また、新鮮な衝撃を受ける。

午後、新宿の紀伊国屋書店とジュンク堂をまわる。
片山由美子さんの評論集『俳句を読むということ』と稲畑汀
子さんの『虚子百句』を購入。

夜、書評原稿を一本書く。


[2138] 短歌現代10月号 2006年09月29日 (金)

「短歌現代」10月号の「特集・歌壇時評について」が、刺
激的で、とても読み応えがある。

総勢30人の執筆者で構成された特集だが、それぞれの人が
語る歌壇時評のかたちの中に、その人自身の短歌観がにじみ
でてきてしまっている。もちろん、時評とはそういう性格の
文章なのだから当然なのだが。
一つ残念だったのは、時評の達人である「コスモス」の鈴木
竹志さんが、この特集には執筆していないこと。
鈴木さんに、時評の使命や書き方のノウハウ、時評的な視点
の養い方をぜひ書いてもらいたかった。

島田修三さんの「ダメ、いい、変」という文章は、時評とは
すなわち、ダメ、いい、変と対象に向って裁断することこそ
が批評の出発点だという説はとてもわかりやすい。
刺激的な時評をこれまでもたくさん書いてきた、島田さんな
らではの明解な論である。
三枝昂之さんの「警告する力」、小高賢さんの「果敢な挑戦
へ」という文章には、ともに私が「毎日新聞」に書いている
「短歌月評」を最近の刺激的な時評の例としてひいていて、
私としてはおおいに激励されて思いがした。

時評の実例としての文章では、大辻隆弘さんの「みんな散文
に行っちまう」と吉川宏志さんの「<不気味なもの>という
枠組み」が、ともに短歌状況の現在の問題点を鮮明に批評し
ていて、読み応えがある。
大辻氏が俵万智、穂村弘、東直子らの散文の仕事が多い歌人
たちの短歌が散文より低調であることへの批判、吉川氏のは
加藤治郎歌集『環状線のモンスター』の歌を題材にして、加
藤次郎の表現が、常に「不気味なもの」という枠組みへ時代
の病理を押し込むだけでは、短歌の閉塞感生み出すはかりだ
という正面からの批判。
ともに、青磁社のHPで、週刊時評を書いている二人だが、
やはり、書きなれていることによって、現在の問題点が鮮明
に見えているということだろう。
さらにいえば、この二人を時評執筆者に起用している青磁社
の永田淳さんのジャーナリスティックな慧眼をほめるべきだ
ろう。

最近の結社誌の時評には新しいすぐれた書き手があらわれて
いると私は思う。
「塔」の西之原一貴、「まひる野」の広坂早苗、「みぎわ」
の斎藤真伸といった人たちの時評は、雑誌が届くと真っ先に
読んでいる。教えられるところも多い。
時評に若い書き手がふえることはとても望ましいことだ。
なにより、時評を書くことで、「短歌の現在」を見る目が
養われる。
とにかく、目の前の現在を凝視して、自前の思考を組み立て
て、文章を書くことだ。
そして、島田修三氏が書いていたように、大胆に自分の意見
を述べることだ。ダメなものにははっきりダメだということだ。
とはいえ、功をあせると恥をかくことになる。吐いた唾は飲
めないという諺を身をもって実感することもあるはずだ。
しかし、その恥も確実に反面教師的にのちのちの糧となる。

刺激的な時評の書き手がたくさんあらわれてくれれば、まさ
に短歌の現在の閉塞感も打破する道が開かれるにちがいない。


[2137] 濡れた荒野を走れ 2006年09月28日 (木)

お台場キネマ倶楽部の今月の上映作品は、1973年の日活
ロマンポルノ作品。
沢田幸弘監督の「濡れた荒野を走れ」。
「LAコンフィデンシャル」顔負けの悪徳警察もので、とに
かく、刑事が集団で、キリスト教の募金の金を奪い、牧師を
花瓶で殴り、その娘を協会でレイプしてしまうという話。
1970年代というのは、こういう反警察、反権力、反体制
の映画が、エンターテインメントとしてどんどんつくられて
いたのだなあと、感慨を新たにする。
主演女優は川村真樹と山科ゆり。男優は蟹江敬三と井上博一
と高橋明、とロマンポルノ的にはたまらないキャスティング。ちなみに脚本はゴジこと長谷川和彦。
「強くなるってことは、加害者になることだ」というのがキ
メぜりふとして作品中を貫流している。

上映後は、沢田監督、斎藤助監督、出演者の高橋明さんをふ
くめて、18階のレストランDAIBAで懇親会。
斎藤助監督と高橋明さんとじっくり話すことができた。

高橋さんの口から、前野霜一郎の飛行機に乗せてもらったこ
とがあるという話を聞けたのはたいへんな収穫。
前野霜一郎とは、児玉誉志夫の邸宅に小型飛行機で突っ込ん
だテロリストである。
高橋明さんのマネージャーのFさんもたいへんな映画マニア
で、高山千草という1970年代の日活の大部屋の女優さん
の名前がさらりと口からでたりして、ただものではない。
年齢は私より7〜8歳下ではないかと思うが、日本映画に関
するマニアックな知識はすごい人だ。Fさんと話しながら、
ひさしぶりに身体の奥からアドレナリンが湧くのをおぼえた。

22時過ぎのゆりかもめで帰宅。身体がまだ熱い。


[2136] 躑躅の名所 2006年09月27日 (水)

午前中は有楽町へ行き、会義に出席。
いちど、お台場へもどって、こんどは月島のトリトンスクエアに行く。
NTTの新オフィスのシステムを見学プラス説明会に出席する。
そのまま、都バスで帰宅。

夜、また、岡本綺堂の短編集から「下屋敷」「雷見舞」など5本
ほど、短編小説を読む。
本筋とは関係がないイントロの部分で、関東大震災のあとの東京の
様子が、さりげなく書かれているのも興味ふかい。
たとえば、作中の三浦老人が住んでいる大久保は、震災前は郊外で
躑躅の名所だったというようなことも知ることができる。



[2135] 読物と小説の差 2006年09月26日 (火)

寝る前に岡本綺堂の短編小説を読んでいる。
光文社文庫の『鎧櫃の血』という短編集に収録されている「鼠」、
「牛」「虎」といった干支にちなんだ短編だ。
三浦老人昔話というシリーズに属するものなのだが、綺堂自身は、
これらの短編を小説ではなく読物と称していたそうだ。
文藝春秋社の小説雑誌「オール読物」という誌名にも、その当時の
読物というジャンルの残り香があるのだろう。
いずれにせよ、江戸時代におこった奇妙な話を、明治時代になった
時点で、老人から昔話を聞くというスタイルで語られるものは、確
かに、読物という名称がふさわしいのかもしれない。

三、四編読み終わると、適度に眠くなるのも重宝で、しばらくは
綺堂の作品を誘眠剤がわりにすることになりそうだ。


[2134] 辻政信ほか 2006年09月25日 (月)

日比谷句会へ出席。
メンバーのUさんが、辻政信の親戚だとむかし聞いたことがあった
ので、もう一度、確認のために聞いてみると、親戚は親戚だが、叔
父さんのお嫁さんのお父さんが辻政信なのだそうで、血はつながっ
ていないとのこと。
了解、ということで、楽しく句会の時間は過ぎた。

帰宅すると「短歌現代」10月号の「特集・歌壇時評について」が
とても面白い。
「短歌現代」はここのところユニークな特集を組んで、編集傾向
が少しづつ変化してきているようだ。
この特集はじっくり読もうと思う。

そしてその今月号の「歌壇作品時評」の秋葉四郎氏が次のように
書いている。

「(「短歌研究」9月号の)作品連載の三氏の作は私には分らな
い。「詩」をどう思っているのかも分らなかった。若い冒険作
者は、一家言を構築しつつ進む必要がある。過去の優れた歌人
たちがそうであったように。」

この若い三氏というのは、尾崎まゆみ、加藤治郎、それに私の三人
のことである。
三人の作品はそれぞれまったくその詩のベクトルは異なっているが
どの方向の作品も分ってもらえないということなのだろう。
当事者としては、やはり、無視しがたい意見ではある。


[2133] ディアデラノビア 2006年09月24日 (日)

横浜の母の家に家内と一緒に行き、昼食を食べて帰ってくる。
六月以来かもしれない。

オールカマーはディアデラノビアが三着以内に来ることは、まず、
まちがいないという確信はあったのだが、出かけるということで、
単複しか買わなかった。
対抗はコスモバルクだったので、三連単の2頭軸マルチだと的中し
ていたのかもしれない。
ただ、勝ったバランスオブゲームに関しては、一番軽視していた馬
なので、これをはずして、地団太を踏んでいた可能性もある。
いずれにせよ、複勝のみの的中で、少額のプラス。

「短歌年鑑」の作品点描を書くために、何人かの歌人の一年間の作
品を丁寧に読んでいる。
今まであまり興味をもっていなかった歌人の意外なこだわりに気づ
いたり、技量の高さに感嘆したりして、実に嬉しい思いをしている。
やはり、毎月、短歌専門誌に載っている作品くらいは精読すべきな
のだろうとは思うのだが。それをすると、また、名前だけの歌人の
つまらない作品に文句を言いたくなってしまうわけだ。


[2132] 実朝とマルコ・ポーロ 2006年09月23日 (土)

宇月原晴明著『安徳天皇漂海記』読了。
山本周五郎賞受賞作品だが、奇想にみちた力作。

二部構成で、一部は実朝を中心に、「吾妻鏡」と「金槐集」
の歌を緩用しながら、物語をすすめてゆく手際はみごと。
まさに、胸ときめかしつつ、物語世界にひきこまれる体験
をひさしぶりにした気がする。

第二部は一転して、元のフビライ・カーンの宮廷に滞在する
マルコ・ポーロが主人公となって物語をすすめる。
冒頭でいきなり、日本から流れついた琵琶法師が、琵琶をか
きならしつつ「平家物語」を語り、それをフビライが傾聴す
る場面で度肝をぬかれる。
後半の展開が、私としては少しごたついて感じたのだが、よ
くもこんな小説をつくりあげたものだ、との感嘆は隠せない。

澁澤龍彦の「高丘親王航海記」へノオマージュでもあり、幻
想文学マニアなら、十分に楽しめるだろう。


[2131] 種田山頭火と新刊の文庫本 2006年09月22日 (金)

ミネルヴァ日本評伝選の中の、村上護著『種田山頭火』読了。
470ページの大冊だが、著者のドキュメンタリー風の筆致
に誘われて、どんどん読み進めることができる。
実はいままで、山頭火の自由律俳句はあまり好きではなかっ
たのだが、今回、評伝を読み、その中に引用される山頭火や
他の自由律俳人の作品を読み比べることで、山頭火の技術力
が、かなり高いということに気がついた。
口からふともれたように見せながら、実はきちんと計算して
いるわけだ。
尾崎放哉の作品と比較しながら読んでみると、私は山頭火の
作品のほうに、より魅かれるということも、今回わかった。

ただ、山頭火も放哉も、友人や親戚だったら辟易するだろう
し、きっと、面倒はみないだろう、ということも確認できた。
つまり、山頭火も放哉も、文学的な面で荻原井泉水に支えら
れていたわけで、井泉水という人の偉さ、凄さというのも、
もっとくわしく知りたいとおもったことだった。

夜、「短歌人」の9月の編集会議。
会議の前に西武のビブロによって、光文社文庫『寺山修司の
俳句入門』とふらんす堂の文庫版句集の後藤比奈夫句集『心
の花』を買う。
前者は斎藤慎爾さんが寺山修司の本の中から、俳句に関する
文章を集めて、章立てして、解説わ加えたもの。
後者は後藤比奈夫の『初心』から『一句好日』までの9冊の
句集からの選集。解説が寒川猫持というのがなんだかなあ、
ではあるのだが。


[2130] 晩秋挽歌 2006年09月21日 (木)

福島泰樹歌集『晩秋挽歌』をひさしぶりに再読する。
再読といっても二回目ということではなく、数十回目の読み
返しということなのだが。

かなかなは悲しかりけり吾を返せ夜を点せと鳴きやまずおり
もう君に逢うこともなき冬もなき足曳きの山と言いて絶句す
曖昧にしつつアイ・マイ・ミイなると言いて恥じらう三十路は近し
冷や飯を林に入りて播き散らす鳥よみたせぬ飢えわれはもつ
帰り来て夕飯を食うそれだけのことに費やす生き様と知れ

こういう歌は脳裏に刻み込まれている。

寺山修司、春日井建、塚本邦雄を経て、福島泰樹の短歌にた
どりついた。
現代短歌へのもっとも幸運な入門だったと思う。
実作者としての自分は誰かの入門の手助けになっているのかどうか。


[2129] ライポちゃんの訃報 2006年09月20日 (水)

朝、Sくんから携帯に連絡。〆さばヒカルこと雨空ライポが亡くな
ったとのこと。
がっくりと気分が沈み込む。
ネットの
ニュースにもすでに訃報記事が流れている。
37歳とのこと。
初めてラジオに出てもらったのは、1989年の新年特番だったよ
うな気がする。録音は前年の1988年の暮れ。
まだ、トッポ、ライポともに二十歳そこそこだったわけだ。

ライブではじめて漫才を見たのはたぶん1988年の夏頃。
まだ、北枕という芸名だったか。その前は水呑み百姓というコンビ
の名前だった。
サブロー、シローの番組のゲストにビートたけしに出てもらった時
たけしさんが、トッポ、ライポに漫才をやらせて、サブローさんが
アドバイスしているたのを覚えている。


[2128] 残暑、小雨 2006年09月19日 (火)

三連休明け、残暑が戻る。
早めに出勤して、歌集の礼状などを書く。
調子が出ないままに午後になる。
図書資料室で平山蘆江と邦枝完二の怪談掌編を読む。
どちらも、いかにも怪談らしい怪談。
こういうのに比べると岡本綺堂の新しさがよくわかる。

帰宅途中で小雨がぱらついてくる。
気分鬱々としたままに、『種田山頭火』を読みつつ就寝。
一つ初耳のエピソードで、山頭火は関東大震災の時に東京に居て
社会主義者とまちがえられて、憲兵に拘留されていたという話。


[2127] 敬老の日かハッピーマンデーか 2006年09月18日 (月)

午前中はだらだら過ごす。
土曜日に買った瀬戸内晴美の「花野」という中編小説を読む。
メインのストーリーは講談師・神田松鯉の色ざんげなのだが、作中
の邦子という小説家にこの講談師を引き合わせてくれた人物として
編集者の夫婦が出てくる。
どうやら、この編集者のモデルが新潮社に在社していた頃の江國滋
らしいのだ。文庫の解説を江國滋が書いていて、確かに自分ともう
ひとり、先輩の編集者がモデルになっているようだと絵解きをして
いる。
ところで、この編集者夫婦は、作家の邦子に松鯉を紹介したあと、
小説中では、生れた女の赤ん坊の成長には東京はダメだとして、
どこかの島に移住してしまうということになっている。
しかも、小説の結末では、この一家三人が釣りをしているときに
高波にさらわれて死んでしまうという設定になっている。
私としては、小説の中の出来事とはいえ、後味がよくなかった。
本編部分と関係のないこんな結末をつける必要があったのか。
私には疑問だし、この結末がなくても、物語には何の破綻もない
と思えるのだ。

まあ、古い小説であり、瀬戸内寂聴の代表作でもないものを、たま
たま、わたしが芸人が出てくる小説のつもりで読んで、後味がわる
かったというだけの話だが、親しい編集者を小説の中とは言え、一
家じゅう殺してしまうというのだから、その虚構構築の力には、じ
ゅうぶんにびっくりさせられてしまった。

午後は豊洲図書館に行き、「短歌年鑑」の原稿執筆のための資料を
精読する。
夕食後は世界柔道を見て、またまたストレスがたまってしまう。
『種田山頭火』を読みながら就寝。


[2126] 米原万里の新刊 2006年09月17日 (日)

午前中は図書館に行って、「合評鼎談」の赤字入れ。
豊洲図書館には、角川の現代俳句集成全巻と、各種の歳時記
があるので、鼎談中で引用してしゃべった有名俳句作品の文
字使いなどがわからなくなった時に、すぐに調べることがで
きる。
午前中いっぱいかかってしまう。

昼食後、米原万里の最後の本になった『他諺の空似』を読む。
あいかわらず下ネタと政治批判が爆裂している。
インテリで情報通で気取らない上に、韜晦せずにホンネを語
る貴重な文筆家だったと思う。
気持ちの良い人ほどはやく亡くなってしまう。

午後、本を読みながらいつのまにか眠ってしまい、気がつい
たら、午後四時。
セントライト記念も、ローズステークスも終っていた。
単複だけ買っておいたのだが、こんな結果じゃ当たるわけが
ない。
熱くなって馬単や三連単をかいまくったりしなくてよかった。

夜は、書評を頼まれている、ミネルヴァ日本評伝選の新刊、
村上護著『種田山頭火』を読みながら就寝。
昼寝したので眠れないかな、と危惧していたのだが、一時間
ほど本を読んでいたら、ちゃんと眠くなった。


[2125] 句会から古書買いへ 2006年09月16日 (土)

書くのを忘れていたが、ベンジャミン フルフォード 『暴か
れた9.11疑惑の真相』という本を先週読み終わっていた。
フジサンケイグループの扶桑社の新刊なので、会社に送られ
てくるのをもらって読んだもの。
9.11事件はブッシュとその一派の陰謀だという説がさか
んに唱えられていることは知っていたが、本と言うかたちで
読んだのは初めて。まあ、一つの仮説を提示して、それをさ
まざまな角度から検証補強していく本は面白く読める。

晩紅塾に行く。
前回見せてもらった、昭和18年の芭蕉250年祭の写真に
田村木国が写っているということで、あらためて見せていた
だく。「ホトトギス」の関西の幹部であり、大阪毎日新聞の
社員ということもあり、中央の良い場所に写っている。ちょ
っと気難しそうな表情の人物である。

夕方まで句会。
上野の古書の街に寄るが、白鳳書院の詩歌の棚が半分に減っ
ていた。残念。八月に行ったときは二棚だったのに、もっと
頻繁に覗きに行っておけばよかった。

向田邦子『あ・うん』、厳谷大四『懐かしき文士たち』、瀬
戸内晴美『花野』と文春文庫三冊と中公新書の『信濃の一
茶』の4冊を購入。4冊で750円。
文春文庫の三冊には書店用のフリップが入ったままであり、
いわゆる古本ではなく、新刊書店からながれてきたもののよ
うだ。
しかし、それにしても、白鳳書院の詩歌棚の半減はショック。



[2124] 古本屋の女房 2006年09月15日 (金)

午前中は人事部による考課の研修。
ないようは予想したようなものだったが、その受講者の数が
多いのに驚いた。5班にわかれて実施されるので、さらにこ
の5倍居るということだから、さらに驚く。
前の勤め先の10倍の社員が居ることはアタマの中では知っ
ていたが、目の当たりに見てびっくりしたのだった。

午後は書類の制作。

今日、読み終わった本。
田中栞著『古本屋の女房』平凡社・1500円
学生時代に渋谷書店でアルバイトをしたのがきっかけで、
書店の社員から脱サラして、古書店をはじめた男性と再婚し
て、その哀歓の日々をつづったエッセイ。
文章が巧いので、読み流しても内容がアタマに残るのがよい。
三歳の子供をベビーカーに乗せて、リュックを背負い、二重
にした紙袋をもって、古書店地図を頼りにセドリに行く話し
がえんえんと書いてあるが、これが面白い。古本を買う趣味
がある人なら本の重さがわかるから、この文章ににじみだす
つらさは、実感できると思う。
しかし、やっとの思いで、重い本をもって駅までもどっても、
まだ、ブックオフの閉店時間まで間があるからと、コインロ
ッカーに荷物をあずけて、駅の反対側にあるブックオフへむ
かって行くという姿は、古本買いの決死隊というべきだろう
か。
古本好きの人は、楽しんで読める一冊になっている。


[2123] 肌寒い一日 2006年09月14日 (木)

愁雨ふりしきる一日。
肌寒く、風邪をひいたように、さむけがする。
今日も午後は連続の会義。
会議室は特に肌寒く、3時間近くこもっていたら、完全に風邪をひ
いてしまったような気がする。

植草一秀教授が昨夜、京浜急行の中で、制服姿の女子高校生に痴漢
行為をはたらき、現行犯逮捕のニュース。


[2122] 文化放送新社屋など 2006年09月13日 (水)

事業部長会が浜松町の文化放送の新社屋で開催されたので、会義の
あとで、新社屋を見学させていただく。
特徴はセキュリティが圧倒的に厳しいこと。
フロアごとはもちろん、エレベーターホールからワーキングエリア
に入るときにも、すべてIDカードでの認証が必要になる。
トイレのある廊下へ出ることはできるが、戻るときにまた認証が必
要になる。
来訪者に関しても、受付で待たされて、そこへ訪ねる社員が出てき
てくれないと、社内に入ることはできない。
また、生放送スタジオをふくめて、スタジオが一つのフロアに集め
られていて、楕円形の打合せエリアを囲んで、複数のスタジオがと
りかこんでいるかたちのレイアウト。
便利そうではあるが、別々の番組のタレントとの打合せが、鉢合わ
せすることになり、必ずしもやりやすくはないとのこと。それはそ
うだろうと思う。

お台場の社屋にもどってから、また別の会議。
終了後はひたすら議事録つくり。


[2121] 銀河系通信 2006年09月12日 (火)

西川徹郎さんが「銀河系通信」19号を送ってくださる。
720ページの大冊。「文藝春秋」より厚い。
誌上句集「銀河小学校」2000句。
講演録「寺山修司とは誰か」
等々をはじめとして、西川氏のエネルギーがみちあふれている一巻
になっている。

夜は「短歌人」編集会議。
10時過ぎに帰宅。


[2120] 東京の下町など 2006年09月11日 (月)

慶応病院に行ってからお台場へ出社する。

病院での待ち時間の間に、吉村昭の『東京の下町』を読了。
正確には再読なのだが、10年くらい前に読んだ時は、面白そうな
章を拾い読みしただけかもしれないので、通読は初めてとしておこう。
昭和ヒトケタから10年代の東京の日暮里近辺の暮しや街並みや出
来事や行事を丁寧に回想した文章で、読んでいて心地よい酩酊感を
おぼえる。
書かれている事柄で、昭和30年代くらいまでは残っていたことも
あり、私でも記憶があることもある。
子供御輿の描写など、私は小学生時代をありありと思い出させてく
れた。
大晦日に散髪屋でマンガを読みながら順番を待つなどということも
私の年代の者は体験している。
吉村昭氏の父は繊維関係の工場を経営していたそうで、その家庭は
かなり裕福だったようだ。
また、戦争で空襲を受けるまでは、おとなたちが「震災前、震災の
後」という言葉を時代区分として使っていたというのも、私の母方
の祖母もそういっていたと思い出したりした。
ともかく、震災と戦災の二度の焼失によって、古き良き東京の下町
はきえてしまったといことを、この本は実感させてくれる。

青木春枝著『ベラフォンテも我も悲しき・島田修二の百首』(北溟
社刊)も読了。
著者は19年の会、10月会などに所属し、「青藍」「草木」で、
島田修二氏に師事した歌人。
百首の選択も、解説も適切で、一気に読みとおすことができる。
まだ、全歌集の話も出ていないようなので、このような精選作品の
鑑賞本を上梓することは、とても意義深いことだ。
島田修二氏ほどの存在感の濃密な歌人でも、亡くなってしまうとな
いがしろにして、忘れ去ってしまうという風潮があるので、青木氏
の著作は、貴重で、ぜひたくさんの人に読んでほしい。

・不様なりし折々を記憶に苛めど卑しからず生きて来しとも思ふ/島田修二『青夏』


[2119] とりこみごとの一日 2006年09月10日 (日)

急なとりこみごとができて、「短歌人」の月例歌会に行けなくなっ
てしまう。司会も急遽、中地俊夫さんにお願いしてかわっていただいた。


[2118] サンドリオン 2006年09月09日 (土)

午前中は腰痛の治療のため整体に行く。
午後は原稿を書きながら、競馬を見る。

紫苑ステークス。
川田将雅騎乗のサンドリオンが楽勝。
コマンダーインチーフの産駒で、ダートの実績しかなかった馬だが
川田騎手の自信にみちた騎乗で、楽勝。
秋華賞への切符を獲得した。
牝馬らしい名前の馬だし、今後も活躍してくれるだろうと思う。

「未来」9月号を読む。
笹公人の文章「ネット短歌メッタ斬り」が実に面白い。
笹公人という人が、短歌をよくわかっている人だということがよくわかり、信頼感が増す。
さいかち真さんの文章も、小川国夫の言葉を引用したりして、まさ
に持ち味が滲み出ている。
笹公人とさいかち真の並び立つところに「未来」のふところの広さ
があると思う。
ちょうど、近藤芳美さんの亡くなったあとの編集の号にあたるようで
ほとんどの選者の方たちが、選歌後記で、近藤芳美氏の逝去にふれ
自分と近藤芳美の関係についてを書いている。
近藤芳美という歌人が戦後短歌史において、どのような存在であっ
たのかということを、「未来」の若い歌人の人たちはこの機会に
ぜひ学んでほしいと思う。自分たちが今短歌をつくっているのは
先人の試行の先にあるわけで、かりそめにも「未来」に参加したと
いうことは、その歴史の先端に加わったということなのだというこ
とを知ってほしいと思うのだ。


[2117] からくり乱れ蝶 2006年09月11日 (金)

諸田玲子の長編小説『からくり乱れ蝶』を読了。
北上次郎が解説で絶賛しているので期待して読んだらがっかり。
清水の次郎長の二代目の妻になったお冴えというヒロインを主人公
にした一種のピカレスクなのだが、人物像型がうまくいっていない
ので、お冴えもその恋人の黒駒の勝蔵も次郎長も、誰一人魅力がな
くて、感情移入できない。
初期の長編なので、当然、その後、文章力はあがっているはずで、
連作短編集の『其の一日』は、以前に読んでじゅうぶんに楽しむこ
とができた。
『からくり乱れ蝶』は講談社文庫なのだが、表紙絵も片肌脱いだ女
博徒の変な絵なので、全体的に格の低い小説に思えて損もしてい
る。
小説の中に、次郎長の兄の娘のお満つという女性が出てくるのだが
作者の諸田玲子がこのお満つの子孫というところがとりえかもしれ
ない。
とりあえず、諸田玲子の小説はもう一編『笠雲』という清水の大政
を主人公にした長編を読んでみるつもりでいる。


[2116] 長距離ランナー 2006年09月07日 (木)

定例会議を終えて議事録つくり。
この作業のみで今日は終ってしまった。
「バックダンサーズ」の試写があったのだが、映画を見る気
持ちになれなかったのでパスしてしまう。

『虚子消息』という高浜虚子が「ホトトギス」に書いた編集
後記的な文章をまとめた本を買ったので、読み始める。
明治から昭和まで、二十代から七十代まで、とにかくたゆま
ず書き続けた文章であり、虚子という人の長距離ランナーぶ
りが、にじみ出ている。


[2115] 自己満足という罠 2006年09月06日 (水)

小中英之歌集『過客』を読んでいたら、下記のような歌があった。

セナの死を最短距離に読み終へて八十八夜の夕刊たたむ/小中英之

アイルトン・セナの事故死は1994年5月のことだったか。
小中さんがこのような時事的な素材を歌に詠んでいるというのは、
一つの驚きだった。
「最短距離」という修辞と「八十八夜」という日本的季節感を、セ
ナと結び付けたところが、いかにも技巧が勝っていて、小中英之の
面目が見える。
ただ、小中さんにしてみれば、このレベルの歌なら、いくらでも
つくることができたのではないか、とも思う。

実は心が対象に没入していなくても、それらしい短歌は、技術さえ
あればできてしまう。
それが短歌のこわいところでもある。
「短歌研究」の連載作品で、朔太郎やキシガミや西条八十や乱歩を
主題にした連作(群作)を作っているのだが、心をどれだけの深さ
で、対象に沈下することができるか、つねに気をひきしめなければ
ならないと思っている。
要は、自己満足にならないよう自戒をおこたらないということだ。


[2114] 歌誌の文章二篇 2006年09月05日 (月)

一日じゅう鬱々とした精神状態。困ったものだ。

「プチ★モンド」に載っている佐伯裕子さんの講演筆記「短歌と散
文」を読む。
一葉の歌日記や小池光の荷風の小説の一節を短歌に転換させる試み
を丁寧に論じて、短歌と散文のコラボレーションや散文が韻文にど
のように変身できるか考察したとても興味の深い内容。
わたし自身、「短歌研究」の連載作品で、散文の断片と韻文の緊張
関係を実現したいと思っていただけに、この佐伯さんの文章から、
とても有益な刺激をもらうことができた。

「綱手」9月号に、柳川創造歌集『晩夏』の批評を小高賢氏が書い
ている。わたしもこの歌集批評を「短歌新聞」に書いたのだが、千
首をこえる歌数の書評をとても短いスペースで書くことは困難で、
不満足なものを提出せざるをえなかった。その点、小高さんの書評
は、三段組み5頁近い分量で、きわめて読み応えがあった。

『晩夏』は「広島」「党」「戦後」というきわめて重い主題を抱え
込んだ歌集であり、しかも、作者の「歌のわかれ」の時期を中間に
はさんだ、時間的にもきわめて長い期間の作品で構成されている。
この重厚な歌集に対して、小高氏は、弟の世代という立場から、
とても率直に、誠実に作品を読み解いてゆき、作者の思いを感受し
てゆく。
読んでいて、この小高氏の姿勢がとても気持ち良く、共感できる。
しかも、歌の読み解きにおいて、教えられるところが多々ある。

小高氏の批評をここで要約することはできないが、一冊の歌集の
すべてに、全力で真向った批評として、記憶されるべきものだと思
う。少なくとも、一冊の歌集の批評として、これほど深く思いをめ
ぐらせようとした文章は、近年、読んだことがない。
歌集『晩夏』も、この批評が出たことで、出版した意義が満たされ
たのではないかと思う。

ちりぢりになりてしまひし若き日の望みの具体すでに見えこず/柳川創造『晩夏』


[2113] 談論風発の夜 2006年09月04日 (月)

角川書店で「合評鼎談」の収録。

夜は産経新聞文化部のEさんと作家の藤井青銅さんと三人で、
Eさん行きつけの淡路町の居酒屋へ行く。
久しぶりに談論風発、7時から10時まで、休まずに三人で
しゃべり続ける。
藤井青銅さんがラジオにっぽんで、「ラクゴ@マクラ」とい
う、落語のマクラを紹介する番組をやっているという話をは
じめて聴く。
マクラの部分を流して、そのマクラがどのように落語の本編
につながっているかを紹介してゆくという構成の30分番組
なのだそうだ。
まさに、民法ではラジオにっぽん以外ではできないだろう。
マクラは市販されている落語のCDを使うわけだが、それぞ
れのメーカーに、事前に許可をもとめたときの反応が面白く
実に藤井青銅さんの持ち味の出た企画で、大いに笑った。

夜、10時過ぎに帰宅。


[2112] アストンマーチャン!! 2006年09月03日 (日)

新潟2歳ステークスはゴールドアグリが辛勝。
小倉2歳ステークスはアストンマーチャンというふざけた名前の馬
が大楽勝。
普通、変な名前の馬は、競走馬として大成しない、というのが当然
なのだが、アストンマーチャンはまずらくらくと重賞ウイナーとな
ってしまった。
こんな舐めた名前の馬が、来年のクラシック戦線に登場してくると
したら、実況アナウンサーはさぞ情けないだろう。

競馬以外の時間は、昨日の続きでひたすら歌集を読み続ける。
こんなに短歌漬けになったのは、ひさしぶりだ。

夜は歌集を読みつつ、バレーボールを見る。ブラジルが圧勝。


[2111] 歌人の表現意欲 2006年09月02日 (土)

午前中は平和島のTクリニックへ、アトピー性皮膚炎の薬をもらい
に行く。
今日はなぜか、クリニックがやたらに混んでいて、しかも、壮年の
男性がたくさん待合室で診療を待っている。

帰宅後、午後はずっと歌集を読みながら、平成の時事詠、社会詠に
ふさわしい短歌を探し続ける。
夕食をはさんで夜も同じ作業を続ける。
湾岸戦争のような世界的な事件が短歌に詠まれているのはもちろん
だが、今では忘れてしまったような国内の事故や事件も意外なほど
に短歌に詠まれている。
歌人の貪欲な表現意欲に敬意をはらわざるをえない。


[2110] 防災の日 2006年09月01日 (金)

昨日、午後5時過ぎにけっこう大きな地震があったのだが、私自身
は、吉祥寺へ向う電車の中にいたので気づかなかった。
テレビ、ラジオは9月1日は、防災の日ということで、防災特集を
おこなうことになっている。

昨日の夜、遅かったので、今日は疲れが残り、しかも眠い。
こういうことで、体力の衰えを感じるわけだ。

帰宅すると、ネット古書店に注文しておいた「」の復刻版
が到着している。
これは昭和15年に東京堂から出版された俳苑叢刊という文庫サイ
ズの句集28冊を、沖積舎が昭和62年だかに復刻したもの。
定価は確か3万5千円くらいだったが、ネット古書店では6500
円だったので購入した。
化粧箱入りで、おそらく、ほとんど触わられていない本らしいので
いちおう、安い買物だったかもしれない。
森川暁水『淀』、石田波郷『行人裡』などを拾い読みする。
そういうことをしながらも、眠くてたまらず、なんと9時過ぎには
眠ってしまった。


[2109] ロカビリーに恋をして 2006年08月31日 (木)

退勤後、吉祥寺のスターパインズカフエというライブハウスに、
ビリー諸川さんや小野ヤスシさんが出る「ロカビリーに恋をして」
というライブ・ショーを見に行く。
斎藤アンコーさんと吉祥寺駅で待ち合わせて会場へ向う。

内容は芝居プラス、ロカビリーライブといったかたちで、ビリー
諸川さんを全面的に主役として押し出したものだったので、ちょっ
と驚いた。
まあ、乱一世さんはじめ達者な人たちが脇を固めているとはいえ
芝居よりロカビリーを歌うほうが、ビリーさんを安心して見ていら
れるというわけだ。

会場には、左とん平さん、高木ブーさんが来ていて、芝居が終って
から、小野ヤスシさんの司会で、アンコーさんをふくめて紹介され
た。左とん平さんは、小野さんに急にふられて「マイウエイ」を
熱唱、歌が上手なのにびっくりした。
小野ヤスシさんの、相手をおいつめるツッコミのトークがはらはら
するほど面白い。

ほとんど深夜に帰宅して、すぐ就寝。


[2108] 虹色のトロツキー 2006年08月30日 (水)

有楽町のニッポン放送の会義に寄ってからお台場へ。

歌集ばかり読んでいるのだが、当然ねそれだけでは飽きるので、安
彦良和の「虹色のトロツキー」を古本屋で買ってきて、気分転換に
読んでいる。
舞台設定は1930年代の満州で、当時の軍人や政治家やレジスタ
ンスの闘士たちが実名で出てくる物語。
劇画はここ10数年ほとんど読んでいないので、この「虹色のトロ
ツキー」全8巻を読了すると、本当に久しぶりの劇画堪能になる。
急ぐ必要もないので、一巻ずつじっくり読んでいる。



[2107] 時事詠を探す 2006年08月29日 (火)

今日もぱっとしない一日ではある。

「平成の社会詠・時事詠」という原稿を書くためにここ20年の間
に出た歌集を再読している。
時事という視点で見ると、現代短歌は実に貪欲な詩型だと実感する。
こんな事件まで短歌に詠まれているのかと呆然としてしまう。
現代短歌の機能を再確認する意味で、この勉強はとても役に立つ。

50首ピックアップして、短いコメントをつけなければならない。
締切は来月の半ばなので、当分、歌集の再読が続くことになる。


[2106] 鬱々的月曜日 2006年08月28日 (月)

入構証を忘れて、朝、一時間以上、社屋近くのマグドナルドで時間
をつぶす。9時過ぎて、ようやく、社屋内に入ることができた。

何か朝から気勢をそがれて、鬱々とした一日になってしまった。

歌葉新人賞の候補になっている、フラワーしげるさん、短歌研究新
人賞の予選通過もしていて、そこに昭和30年生れと書いてある。
51歳ということか。
50代のアナーキーな新人の登場は、10代の新人よりもセンセー
ショナルに思えるが、さて、どうなることか。


[2105] 新潟記念など 2006年08月27日 (日)

新潟記念を勝ったのはトップガンジョー。
この馬とは馬券的な相性が悪いのか、今回もチェックしながらも、
単勝をかいそこなってしまった。
サマー2000シリーズ、小倉記念を勝ち、新潟記念4着となった
スイフトカレントが点差と着順差で優勝したが、第一回なのだから
やはり、最後の重賞を勝った馬が受賞ということになったほうが、
調教師、馬主関係者のみでなく、競馬ファンにも祝福されるのでは
ないか。運営方法に問題が残ったような気がする。

夜は大橋桜披子著『大正期の大阪俳壇』を読み進む。
大正時代の関西地区の「ホトトギス」の句会、支部会がどのような
メンバーで、どんなことをしていたかが、きわめて詳細に語られて
興味深く読める。
執筆時点から40年以上前の句会の席題や作品が詳述されるのだか
らね著者の几帳面さがわかるしね資料的にもきわめて価値が高い。
大正期ということで、原石鼎はもちろん島村はじめが「ホトトギ
ス」の青年スター格で、しばしば関西を訪れているのも面白い。

また、著者の桜披子という俳号も苗字の音の当て字だが、その俳友
の久保田九品太も「クボタクホンタ」と重ね言葉の俳号だ。
こういうしゃれっ気も今となってはいかにも大正期っぽく感じられる。
「俳小星」という俳号の人も居て、これは、選句が披講されたら
「はい、小生」と名乗ればよいための俳号なのだそうだ。ばかばか
しくも面白い。
この本はまた俳句を中心とした著者の青春記というおもむきもあ
り、杉浦明平の『明平、歌と人に逢う』と同じような読み応えが
ある。素直で気持ちの良い回想記といえる。





[2104] 日本詩歌句大賞贈賞式 2006年08月26日 (土)

午前中は整体に行く。

如水会館で午後から日本詩歌句大賞贈賞式に出席。
鈴木英子さんが短歌部門で受賞。
セレクション歌人の「鈴木英子集」収録の『油月』が受賞というこ
とで、私も鈴木英子論を書いているだけにとても嬉しい。
このように、シリーズの一冊でしかも単行歌集として出版されたわ
けではない歌集が受賞するというのはきわめて異例。
選考委員の神作光一、藤井常世、田島邦彦の3氏の英断には感謝し
たい。
授賞式後のパーティで俳人の西村我尼吾氏に30数年ぶりに再会。
我尼吾はガニアと読む。知る人ぞ知るAWAの帝王である。
この我尼吾氏が今や、俳句界活性化のためのキーマンとして大活躍
しているのである。まさにガニアの名にふさわしい実力者だ。
斎藤慎爾氏、有馬朗人氏ともひさしぶりにお目にかかり、話をする
ことができた。

そのまま、「こゑ」の会のかたたちも含めて、神保町の和民で二次会。
鈴木英子さんの受賞をお祝いする。
この場では、青木春枝さん、藤井常世さんとお話することができた。




[2103] 映画見て出れば日暮や 2006年08月25日 (金)

駄句駄句会。
出席者は三魔宗匠、漂金、駄郎、風眠、邪夢、粕利、そして媚庵
ことフジワラの7人。
席題は「西瓜」と「法師蝉」。

・映画見て出れば日暮や法師蝉 媚庵
・西瓜切り分けて大きい方を取り 媚庵

『現代短歌の鑑賞事典』東京堂出版 2800円+税が出る。
馬場あき子さんの監修で、川野里子、栗木京子、小島ゆかり、
佐伯裕子、花山多佳子、日高尭子、松平盟子、水原紫苑、米川千嘉
子の9名の女性歌人が編集委員となって、148人の歌人について
一首鑑賞、小歌人論、秀歌選30首が事典形式でまとめられた本。
一種のアンソロジーでもある。
私も148人の一人として載せていただいているのだが、30首選
を、既刊の歌集からではなく、かつて「投壜通信」に誌上歌集とし
て載せていただいた「天使、街角、カンガルー」より30首を選ん
だ。自分の作品をできるだけ数多く、書籍のかたちにして残したい
という、小さな努力ではある。


[2102] 百鬼園の俳句など 2006年08月24日 (木)

林桂さんや水野真由美さんたちの同人誌「鬣」が、「内田百間の俳
句」という特集を組んでいる。
斎藤礎英さん、中島敏之さん、水野真由美さんが、それぞれ百鬼園
先生の俳句を読み込んで、ユニークな文章を書いている。
それに刺激されて、本だなから、旺文社文庫版とちくま文庫版の
『百鬼園俳句帖』をひっぱりだしてきて、俳句とエッセイなどを
あれこれと拾い読みする。
どちらの本にも収録されている「百鬼園俳句帖漫批会」が面白い。
内田百間、志田素琴、土居蹄花、大森桐明、内藤吐天の5人が、
百鬼園の俳句をさかなにして、あれこれと放談した記録。
なにしろ、学生時代の俳句仲間や、素琴にいたっては、岡山中学の
先生だったということで、遠慮のない発言がとびかい、今読んでも
にんまりできる、まさに放談会。

「運座」という短文には、百鬼園先生の家族が、某家の庭の前を
通ったら、十数人の男たちが、庭のあちこちで、それぞれ話もせ
ずにそっぽをむきあって、何やら深刻な顔をしている。いったい
何なんだ?と思ったというエピソードが書いてあるが、これはも
ちろん句会をやっていたのだろう。
席題のある句会というのはこういう感じになるわけだが、知らない
人がその様子を見たら、確かに変だ。

・酢の物の残り酢に秋光りけり/百鬼園


[2101] 感謝と短文 2006年08月23日 (水)

今日は「はじめての短歌」の前期講座の最終日。
今期は常連の方たちも多くなって、とてもやりやすかった。
一時間半、自分の短歌に対する考えをしゃべり続けることが
できる「場」というのは、私にとってもありがたいものだった。
受講してくださったみなさんには心からなる感謝をささげたい。

帰宅すると角川「短歌」9月号が届いている。
「短歌における口語体と文語体」という特集が載っていて、
私は「口語体に文語が入った秀歌」というテーマで

・ペパーミントのガムをかみつつ若者がセックスというときのはやくち

上記の村木道彦の歌を挙げて、一頁の短文を書いている。



[2100] 新人賞のことなど 2006年08月22日 (火)

夜は「短歌人」の編集会議。
8月は東京芸術劇場が改装のために使えないので、毎年、豊島区民
センターに会場が変更になる。
今年も変更で、一年ぶりに区民センターでの会議。

帰宅すると「短歌研究」9月号が到着している。
短歌研究賞と短歌研究新人賞の発表号。
短歌研究賞は大島史洋さんが受賞。
新人賞は野口あや子さんの「カシスドロップ」という作品が受賞。
次席が柳澤美晴さんの「Waterfall」。
候補作Tとして、谷村はるかさんの「ドームの骨の隙間の空に」。
この3作品が受賞を争ったということになる。

作品と選考座談会を読んだのちの私の感想をいうと、
選考委員の若さへの過信がまだ晴れていない、というもの。
新しい感覚の歌よりも、表現意志の鮮明な作品の方が、当然のこと
ながら、時の流れの中で摩滅することが少なく、文学的にも価値が
高いということを、信じきれなかったということだろう。
高島裕の「首都赤変」が受賞できなかった時と似ているかもしれない。

身びいきではなく、谷村はるかの作品にいちばん魅かれた。
問題意識を自分自身にひきつけた、強い作品だ。
22首しか掲載されなかったのが残念でならない。
見開きページで、左ページに立て三分の一の広告が入っているが
これなら、削った8首を載せてくれればよいのにと思うのだが。
いずれ、谷村はるか歌集が出るときに、30首に復元されるのを
待とうと思う。
ぜひ、「短歌研究」9月号を買って、「ドームの骨の隙間の空に」
を、たくさんの人に読んでほしいと思う。

ところで、選考座談会を読んで、もうひとつ感じたのが、候補作品
の作者のプロフィールを、何もかくしておくことはないのじゃない
か、ということ。
しはしば、作品中の年齢が、実年齢かどうかという言及があるのだ
が、そんなことは、プロフィールを作品につけておけば、いちいち
議論されるまでもない。事実か虚構か、いずれにせよ、作品として
効果があるのかどうかの問題でしかない。
作者のプロフィールがわかったほうが、作品に対する選考委員の読
みは、正鵠を射たものになると思うのだが。いかがなものか。
自分の結社の応募者を推したところで、その作品がすぐれていて、
しかも、その選考委員の発言が明解なものなら、読者も納得できる
はずだし、何もまずいことはなさそうだ。

今夜は『文学賞メッタ斬り・PART2』を読みながら、池袋から
豊洲まで帰ってきたのだが、大森望と豊崎由美に、短歌関係の新人
賞の選評も、ぜひ、切ってほしいものだ。


[2099] 角川文庫の歌集 2006年08月21日 (月)

夏の高校野球は早稲田実業が引き分け再試合を制して優勝。
テレビの視聴率はすごかっただろうと思う。

ネットの古書店に注文しておいた角川文庫の歌集が到着。
購入したのは以下の6冊。

『若山牧水歌集』大橋松平編・解説
『佐藤佐太郎歌集』宮柊二・上田三四二解説
『木俣修歌集』久保田正文解説
『近藤芳美歌集』高安国世解説
『北原白秋歌集』中村正爾編・解説
『吉野秀雄歌集』斎藤正二解説

いちばん新しいのが『近藤芳美歌集』の1971年12月刊行。
『佐藤佐太郎歌集』も1969年刊行。
もっとも、この二冊は改版で、1950年代に初版が出ていたのを
最近作を加えて、改版したものらしい。
それにしても、1971年12月といえば、私は中井英夫の『黒衣
の短歌史』を読んだ月なのだが、その時の角川文庫の新刊に『近藤
芳美歌集』があったとは、まったく知らなかった。
角川文庫は確かその後1972年に『寺山修司青春歌集』を出した
のではなかっただろうか。それは新刊で買っている。

・海のかなたにオートジャイロはたゆたひて風荒あらし格納庫の道
・夕べとなりスクレーパーははるかなる枯草原の東にたまる
・ストーブの煙は部屋に吹き入りてdraftmanと呼ばるる夕べ

近藤芳美の『埃吹く街』の作品。
オキュパイドジャパンという時代の雰囲気が外来語によって巧みに
表現されているということに、あらためて気づいたりした。


[2098] 札幌記念 2006年08月20日 (日)

札幌記念はおおむかしにはダート戦だった。
グレイトセイカンがトウショウボーイとクライムカイザーをよせつ
けずに、らくらく逃げ切ってみせたりしたダート王のためのレース
だった。
しかし、今や、賞金も京都大賞典あたりよりも高くなり、天皇賞秋
の前哨戦としての立派なGU戦という位置づけになった。
となると、少なくともクラシック戦線で活躍した三歳馬や古馬なら
ば、GU以上の中距離戦線で実績のある馬ということになる。
それで、勝つのはアドマイヤムーンと確定できたのだが、連闘の牝
馬ということで、レクレドールを嫌ったら2着にこられてしまっ
た。
やっぱり、札幌の実績がある馬は牝馬でもおさえておかなければ
いけなかったのだ、と例によって遅すぎる反省。

しかし、日曜日の夕方は反省ばかりしている。

・病むほどにあらねどこころ弱きとき覗き見るべき縁の下なし/小島ゆかり「歌壇」9月号


[2097] 晩紅塾8月 2006年08月19日 (土)

昼から晩紅塾ということで、四谷の晩紅舎へ行く。
八田木枯さんから、昭和18年の芭蕉生誕250年祭の写真の複製
を見せてもらう。
250年祭をおこなった伊賀上野に当時の著名俳人が集合した貴重
な写真。
なにしろ、学生服に学帽の18歳の木枯さんがいちばん若く、虚子
や風生や星野立子らが写っている写真なのだ。
木枯さんの顔は、ご本人から教えていただいたのでわかったのだが
なにしろ、数十人の集合写真なので、あとは唯一の女性の星野立子
くらいしかわからない。
しかし、貴重な写真を見せてもらった。

句会では奥坂まやさん長峰千晶さんと初対面。
宮川でうなぎを食べて、二次会の句会も参加して、夜10時前に
四谷駅のホームに入ったら、荻窪で人身事故とのこと。
ようやく来た東京行き快速も、御茶ノ水留まりとのことで、地下鉄
丸の内線に乗り換えて、大手町へ。東西線に乗り換えて木場へ。と
いうことで、帰宅は11時過ぎになってしまった。


[2096] 波郷の俳句拾い読み 2006年08月18日 (金)

帰宅後、石田波郷の句集を読む。
『鶴の目』と『風切』と『病雁』。
どれも、角川書店の「石田波郷全集」版。
波郷の最初に出版された句集は『石田波郷句集』だが、その後に
出版された『鶴の目』に、その最初の句集に収録した作品のかな
りの数とその後の新作を収録して、あとがきに、この本を第一句
集にしたいというようなあとがきを書いたので、現在ではいちおう
『鶴の目』が処女句集ということになっているそうだ。
私もずっとそう思っていた。
その後も『大足』というような句集も出されたが、これも序数句集
には数えないとのこと。

今日読んだ三冊のうちでは、『病雁』の世界が心にしみる。
戦中詠、戦地詠であり、せつなさがつのる。

・雁や残るものみな美しき


[2095] 竹下しづの女の俳句 2006年08月17日 (木)

朝、慶応病院によってから出社。
お昼は汐留の「夢民」のベーコン野菜カレー。美味。

「俳壇」9月号を読む。
皆川博子の小説「蝶」 が文学名作選ということで再録されている。
巧い短編小説。沈潜したサディズムをたんたんと描いているる
こういう文章の力をみせられると、本当に劣等感を感じてしまう。

誌上句集は西村和子選で「竹下しづの女80句」。

・弾つ放して誰そ我がピアノ夏帽子
・処女二十歳に夏痩がなにピアノ弾け
・三井銀行の扉の秋風を衝いて出し
・貧厨にドカと位す冷蔵庫
・苺ジャム男子はこれを食ふ可らず
・苔の香のしるき清水を化粧室(トワレ)にひき
・夕顔ひらく女はそそのかされ易く

と、こういう句をつくっていたとは、不勉強でまったく知らなかった。
しづの女といえば、
・短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてっちまおか)
・緑蔭や矢を獲ては鳴る白き的
・汗臭き鈍(のろ)の男の群に伍す
というような作品に付いてしか語られないので、男っぽい感性の俳
人というイメージをもっていたが、ものすごく女性的な感性の佳句
があるじゃないか。
三井銀行とか苺ジャムの句とかは、一読忘れ難い好句だと思う。
やはり、きちんと読まないとだめだということ。

この80句抄出というのは読みやすくて重宝。
作家の秦恒平氏が、歌人、俳人は、全作品集よりも、200句、
200首くらいを精選した傑作集わつくれ、とエッセイニ書いてい
たが、たしかに、そうなのかもしれない。
100から200くらいのかずなら、一気に集中して読めるので、
その作家の特質が端的にわかるということだろう。


[2094] 男勝りでケンカ好き 2006年08月16日 (水)

松井今朝子著『奴の小万と呼ばれた女』(講談社文庫)を読了。
江戸時代中期に、断然新しい女性の生き方を体現した「奴の小万」
こと三好正慶尼の若い頃の無頼の活躍を描いた長編小説。

三好正慶尼は中村真一郎の『木村兼葭堂のサロン』にも登場して、
「幕藩体制下での生の可能性を、個人的反逆という形式で極限に
まで追求し、それが民衆のアイドルとなり、伝説や舞台によっ
て、ひとつの典型にまで高められた。」と評価されているそうだ。
身の丈六尺近く、雪のように白い肌、大阪屈指の豪商の娘で何不自
由なく育ちながらも、男勝りでケンカ好き、という強烈なヒロイン
である。
松井今朝子の描写力はしっかりしているので、登場人物が多彩に
描きわけられている。その流れに乗って、一気に読みとおすことが
できる。
奴の小万といえば、当時の上方の民衆は、知らないものはなかった
そうだし、江戸までその評判はとどいて、滝沢馬琴が若い頃、わざ
わざ大阪まで来て、インタビューしているのだそうだ。

ということで、こういう女性が存在したということだけでも痛快
なので、それを小説のかたちで読ませてもらえるのはありがたい。
時代小説を読む楽しみの一つは正規の歴史では扱われにくい、この
ような時代を背負った人物を知ることができる点にあると私は思っ
ているのだが、奴の小万は忘れ難いヒロインであるといえる

テレビ化してくれないかとも思うのだが、長身の女優というと
天海祐希とか伊東美咲。ちょっとイメージがちがうなあ。


[2093] 竹夫人の句 2006年08月15日 (火)

朝起きて、ラジオのスイッチを入れたら、「小泉首相の車が靖国神
社に入ってきました」と放送記者が言っているので、すぐにテレビ
もつける。
まさに、公用車が靖国神社に入ってゆく画面だった。
SPがクルマの四隅について全力疾走している。
こんな警戒の仕方をしているとは知らなかった。
しかも、一人のSPが、かなり激しく転倒していた。

一段落してから、越中島の整体院に行く。
昨日は停電でたいへんだったたそうだ。
終了後、リトルマーメイドでパンを買って帰宅。
「ラジオビバリー昼ズ」を聞きながらパンの昼食。
高田文夫さんの元気な放送を久しぶりにオープニングから最後まで
聞いた。

「俳句朝日」9月号の巻頭作品は後藤比奈夫「五色の絲」7句。
その中にこんな句がある。

・ヒップラインウエストライン竹夫人

この蛇笏賞受賞のおじいさん俳人は何を考えていることやら。
自在の境地すぎておそろしい。

「冬蕾」8月号の付録に、大山敏夫さんの歌集『なほ走るべし』の
文庫バージョンがつけられている。
この歌集はもともと、短歌新聞社から通常の歌集のスタイルで、今
年の初めに刊行されたのだが、島木赤彦文学賞を受賞したのを期に
文庫スタイルの新版を刊行したのだそうだ。
費用などはわからないが、こういうかたちで、なくなった歌集の新
版が出るというのは、読者にとってはありがたい。
あとがきも一新し、解説も新たにつけられているので、完全に新版
といえる。
きわめて興味深い試みといえる。


[2092] 首都圏停電 2006年08月14日 (月)

朝、停電になるとも知らずに、都バスに乗って豊洲へ到着。
ゆりかもめの駅の階段の下で、台場地区が停電のため、ゆり
かもめは運休と、マイクで告知している。
どうしようかと思ったが、都バスで社屋の前まで行けるのに
気がついて、別のバス停へ行くと、すぐに、東京テレポート
行きのバスが来る。
そのまま、オフィスへ到着。
テレビをつけると、停電のニュース。交通機関もかなり運休
しているらしい。
Kさんが、豊洲からタクシーで来たといって到着。
Tさんは、りんかい線が動き始めたのでそれで来たというこ
とで、少し遅れてやってくる。
やがて、停電の原因が報道されるようになって、バイトの女
性たちもやってくる。
冒険王のほうも、いつのまにか、例日どおりお客の列ができ
ている。

しかし、お粗末な事故のために、高層マンションではエレベ
ーターはもちろん、水道まで出なくなる騒ぎ。
放送局は、自家発電にきりかわるが、肝心のゆりかもめやり
んかい線が動かなければ、スタッフがこられない。
たまたま幹線にあたる高圧線の事故だったというが、それだ
けで、バックアップもなく、信号も消えてしまうこの騒動で
は、テロのようなもので、切断されたら、もっとひどいこと
になりそうだ。
あらためて、首都圏の電力供給路の弱さがあらわになった一
日だった。


[2091] 岡本綺堂の短編小説 2006年08月13日 (日)

日曜日なのだがでかける予定はなく、ギリチョンの原稿もないので
心おだやかに、読書と競馬ですごす。
しかし、夏競馬はむずかしく、心おだやかではいられなくなってし
まうのが情けない。

とりあえず、光文社文庫で新装再刊された岡本綺堂の短編集を、も
う一度bk1で買い直す。
『影を踏まれた女』『白髪鬼』『鷲』の三冊。
これに新刊として『中国怪奇小説集』が加わったわけだ。
以前の刊行分の中で、もう一冊『鎧櫃の血』という短編集が残って
いるはずだが、これはまもなく出るのだろうか。

この短編集は確か平成の初めの頃に一度刊行されている。
当時、ぜんぶ購入して、短編集なので拾い読みしたわけだが、たぶ
ん、読み落としもあるし、再読したいものもあるので、寝転んだま
ま、あれこれと読み散らする

「指輪一つ」という短編が、たぶん、初読だと思うのだが、仕立て
が面白く、読み応えがあった。
関東大震災があって、その時に地方に居た主人公が、東京行きの汽
車の中で偶然知り合った男と、一緒にに宿をとる。その男は、震災
で、妻と年頃の娘を亡くしていて、その夜、風呂場に行く主人公の
前に、女の気配がして、しかも、指輪を拾う。そしてその指輪が、
男の娘の指輪だったという話。
幽霊談ではあるが、おどろおどろしくなく、後味悪くなく読ませて
くれる。
江戸時代の鷲撃ちの話の「鷲」は、再読だがやはり、ストーリーテ
ラーの綺堂の筆力の凄さを思い知ることができる佳作。江戸時代の
品川あたりの晩秋から初冬あたりの寒々しさが伝わってくる。

半七捕物帖とはまた少し異なった味わいの物語が堪能できる。

夜まで、ずっと読み続けて、気が付いたら眠っていた。


[2090] 危険な曲がり角 2006年08月12日 (土)

夜、劇団フーダニットの芝居「危険な曲がり角」をタワーホ
ール船堀まで見に行く。
木場から東西線の門前仲町、門仲から大江戸線の森下へ行き
都営新宿線に乗り換えて船堀まで。
駅前の江戸川区の施設の中にあるホールで、とても見やすい
よい会場だった。

1971年に、私は慶応推理小説研究会に一年だけ在籍した
のだけれど、その時の先輩の松坂健さんと晴恵さんの御夫妻
のプロデュース。
特に晴さんは、女優として芝居で重要な役を演じているのに
はびっくりしてしまった。

原作はJ・B・プリーストリー。七人の登場人物が、ひとつ
の言葉から、隠されていた人間関係があばかれて、どろどろ
の真相が暴露されていくという、よくできた物語。
結末があとあじが悪いのかなあ、と、懸念していたら、みご
とにひねった演出で、ハッピーエンディングの着地。
人生はラジオのチューニングひとつで、どうにでもなるとい
う一種の皮肉でもある終わり方でみごとだつた。

松坂ご夫妻とも、十数年ぶりに再会することができたし、有
意義な夜だった。


[2089] 書評を書く 2006年08月11日 (金)

オフィスも夏休みに入る人が多くて、閑散とした雰囲気。
しかし、グループ事務局の場合は、扉の外がそのまま、イベ
ントの通路になっているので、とても閑散どころではない。

ずるずると日常に流されている感じがして焦る。
なんとか、集中力を発揮して、短い書評原稿を書き上げる。
書評というのは、たとえば、歌集・歌書の場合、評者の短歌
観が問われることになるので、怖いといえば怖い。
読み流してしまったところに、問題点が潜んでいることも
もちろんある。
しかし、それが狭量なものであっても、自分の短歌観をさら
けだして、書くほかはないし、そうして、自分の短歌に対す
る思いを深めてゆくものだと思う。

就寝前に、光文社文庫の新刊、岡本綺堂の『中国怪奇小説
集』を読む。


[2088] 三冊読了。 2006年08月10日 (木)

慶応病院に行く。
待ち時間の間に、
杉本苑子著『おくのほそ道 人物紀行』
安部龍太郎著『血の日本史』
天藤真著『大誘拐』
それぞれ、後半の数十ページを読み残していたものを読了。

安部龍太郎がやはりさすがに面白かった。
以前、『彷徨える帝』を読んだ時も、奇想に実感をもたせる
文章力に感心したことがあるが、今回も文章の巧みさに好感
をもった。

午後からお台場のオフィスへ。ただただ暑い。


[2087] 性別についての誤解 2006年08月09日 (水)

「はじめての短歌」講座、今日が前期の7回目。
気がつくと、あと一回だけ。あっという間に過ぎてしまう。
顔なじみになったころに終了というのもかなしいものだ。
とはいえ、すでに、後期の講座も開かれることがきまっており、
現時点で、8人の方が継続受講してくださることになっている。
ありがたい歌縁だと思う。

ところで、話はかわるが、私は本日まで、作家の桜庭一樹はオトコ
だと思い込んでいた。
「ブルースカイ」を読みかけていて、それどころか、先々週の「週
刊読書人」の文庫特集で、創元推理文庫、創元SF文庫のラインナ
ップに対して、「読書好きの兄貴」と見立てた、抜群にセンスの良
い文章を桜庭一樹が書いているのをもちろん読んでいた。さらにそ
の文章には、たしかに写真まで載っていたのに、それでも、女性っ
ぽい顔だちの男性なのだと思い込んでいたわけである。
まあ、先入観というか、勝手な思い込みというか、はずかしい話で
はある。
ここまでかたくなな性別の勘違いは、かつて、詩人の小長谷清実を
一年間ほど女性だと思い込んでいた事件以来である。

反省のために、『ブルースカイ』を頑張って読み終わるように努力
します。



[2086] 夕天変色 2006年08月08日 (火)

夏休み期間と言うことで一日休暇をとる。
朝、腰痛のため越中島の整体院に行く。
リトルマーメイドでパンを買って帰宅。

午後は天藤真の『大誘拐』を寝転がって読み続ける。
映画になった、ユニークな誘拐モノだ。
映画では刀自役は北林谷栄だっか。うろおぼえだが。

夕方、空が異様な色に染まる。
夕焼けはもちろんだが、東の空にまで朱色にそまって
いる部分がある。雲も朱の部分と暗い陰翳の部分とが
チグハグで、奇妙な立体感が強調されている。
場所によっては綺麗な夕焼けに見えたらしいが、我が家のベランダ
からは異様な天の色にしか見えなかった。


[2085] 歳時記がキーボードを壊す 2006年08月07日 (月)

ラップトップ型のパソコンをPC用のテーブルにおきっぱなしにし
て、そこでメールを書いたり、インターネットに接続したりしてい
るのだが、その上のプリンタを置く台の上に、プリンタではなく、
雑然と本や書類をつみあげていたのが仇になった。
たまたま、箱入りの重い歳時記を読み終わって、その上になにげな
く置いて、インターネット検索をはじめたところ、突然、眼前のキ
ーボードに、歳時記が落下激突。
なんと、一体型キーボードのキーの「あ」と「な」と「れ」の三枚
が、衝撃ではがれてしまった。あわててそれらを拾って、元の位置
に戻して、そっとおしてみたら、何とか文字はです。しかし、この
ままでは、たぶん、すぐに使えなくなりそうだ。
「あ」は数字の「3」でもあるので、特に頻繁につかうのにどうし
たものか。三文字以外にも、キーボード全体が、重い歳時記の衝撃
を受けているのも心配だ。
このまま、一時ずつキーが打てなくなったら、筒井康隆の『残像に
口紅を』みたいになってしまうではないか。

ということで、修理に出すことにしたのだが、週末までは、書かな
ければならない原稿や、必要なメールのやりとりがあるので、土曜
日に修理サービスの引取りに来てもらうことにした。
まあ、とんだ物入りである。ぷんぷん。


[2084] 歌会から帰宅まで 2006年08月06日 (日)

午前中は歌会の司会。午後は大森益雄さん。
披講は佐藤りえさんと猪幸絵さん。
マイク係は前半が内山晶太、高田薫、後半が斉藤斎藤、谷村はるか
のみなさん。お疲れさまでした。

・ちょいワルおやじになれざりしかば賜物のさねさし相模沖の峯曇

拙歌に5人ものみなさんが点を入れてくれて感激です。

懇親会終了後、バスで逗子駅へ。車中、梶智紀さんと俳句の話など
する。
ホームに入ったら、すぐに千葉行きの電車が来たので乗車。
車中、よみかけの『血の日本史』に読み耽る。
午後8時半過ぎに帰宅。


[2083] 湘南国際村センター 2006年08月05日 (土)

「短歌人」夏季全国大会。
今年は逗子の湘南国際村センターという研修施設が会場。
午後三時前に到着。

例年のことだが、なつかしい顔がたくさんあり、うれしい。

夕食は、栗明純生さん、橘夏生さん、春畑茜さんと一緒の
テーブルで食べる。

夜の講演は三枝昂之さん。
「戦後の近藤芳美が土屋文明の戦中の歌をいかに捉えていた
か」という内容。
「昭和短歌の精神史」の補遺というかたちだが、やはり、教
えられるところが多い。
質疑応答で、昭和短歌で私たちが読み落としている歌人は誰
でしょうか?と私は質問したのだが、
三枝さんの答は大野誠夫ということだった。
近藤芳美や宮柊二とは異なった立場からの戦後詠はよみなおされる必要がある、ということだった。これはきわめて興味
深く、今後の読書のテーマの一つにしたい。

同室は中地俊夫さん。
明日の歌会の司会なので、11時過ぎに就寝。
他の部屋から、さんざめきが聞こえる。
窓の外には霧が出ている。


[2082] 歳時記いろいろ 2006年08月04日 (金)

歳時記を何種類か買った。
もちろん、古本もふくめて。

石田波郷編「現代俳句歳時記」4冊本。番町書房。
楽天フリマ古本屋街で一冊づつ買っているので、秋の部がまだ買え
ないでいる。
それぞれの巻の冒頭に「はしがき」として波郷がその季節にちなん
だ文章を書いていて、それが滋味深い随筆になっている。
巻末にはそれぞれ「俳人略伝」「問題の俳句・話題の俳句」「現代
名句集解題」などの付録がついていて、この部分の執筆者は楠本憲
吉。編集は志摩芳次郎らしい。初版は昭和38年。つまり、東京オ
リンピックの前年ということになる。
なかなか味のある歳時記で、ぜひ、秋の部も探して購入したい。

富安風生編「富安風生編歳時記」東京美術。
「序に変えて」という題で、風生の前文がついている。この文章は
きわめて力が入っている。
初版は昭和46年。風生の死後も、新装版、改訂版などが出ていて
この改訂増補版は今年の7月刊ときわめて新しい。
一冊本なので、こんどの駄句駄句会から使おうと思っている。

虚子編「新歳時記」増訂版。三省堂。
箱入りでしかも皮革装。黒い皮表紙に右からの横書きで「花鳥諷
詠」と空押ししてある。題字はもちろん虚子自筆だろう。
初版が昭和9年で、私が買ったのは平成14年刊の増訂52刷。
花鳥諷詠をするならこの一冊しかないということかな。

大岡信監修「早引き季語辞典・俳枕」遊子館
この本は新刊。季語の代りに地名で俳句が分類されている。
大岡信の監修の言葉が冒頭についているが、本人は内容にはさほ
どかかわっていないのかも。

ちなみに、私が住んでいる「深川」の句。

・深川や蠣殻山の秋の月 一茶


[2081] 志らくのピン 2006年08月03日 (木)

退勤後、池袋の新文芸座の「志らくのピン〜シネマ落語編〜」に行く。
お台場キネマ倶楽部のSさんと劇場で落ち合う。このチケットもS
さんが、前売りを買ってきてくれたのだ。
フットワークが悪くなっているので、一人だと結局来なかったと思
うので、モチベーションをたかめてくれたSさんには感謝る

前座さんの開口一番がいきなり「お花半七」だったので驚いた。
続いて志らくさんが出てきて「居酒屋」から「寝床」と連続2席。
とにかく、噺の格にのまれず、志らく落語にしてしまうのが凄い。

ここで中入り。

すぐに志らくさんが出てきて「山号寺号」を軽く演じる。
そしてネマ落語「ライムライト」。
足の悪いバレリーナを失明した芸者に、チャップリンを、一八とい
う幇間くずれの紙屑屋に変えて、物語を展開する。
眼が見えるようにと観音様に願かけして、百日目に眼が開かないと
観音様をののしったりするところは「景清」のパロディ。
感じのよい人情噺にしあがっていた。
感心したのは、芸者のおてるが以前に住んでいた長屋の店主が、大
の義太夫好きだとか、一八が以前にはまっていた旦那と山号寺号で
ヨイショをしたとか、今日演じた別の噺をうけるような展開にして
いること。
おてると一八が観音様のお参りの帰りに昼食を食べに寄った店で、
「居酒屋」の小僧もちゃんと出てくる。

というわけで、はずかしながら、初めてシネマ落語を聞いた次第。
また、聞きたいと思えるので、これは成功だ。

帰宅後、山本善行著『関西赤貧古本道』を読みつつ就寝。


[2080] 一日だけの夏季休暇 2006年08月02日 (水)

ということで、有給休暇の一日。
といっても、「合評鼎談」の日なので、午後から角川の「俳句」編
集部へ行く。前にも書いたが、この「合評鼎談」を中心に考えると
一ヶ月の巡りがものすごくはやい。
今日、鼎談でしゃべったことが、約一週間後に速記となって届き、
それを3日くらいかけて、赤字を入れる。当然、しゃべり言葉は
不正確だから、真意を伝えるための言葉に修正しなければならな
い。これで終わったと思うと、また約10日くらいで、次の対象
になる「俳句」が速達で届くというわけだ。

私は藤原月彦の筆名で、かつて一度だけ、角川俳句賞の候補作にな
ったことがあるるその年度をてっきり、昭和56年だと思って、そ
の年の角川俳句賞発表号の当該ページのコピーを、編集部の方にお
願いしたのだが、そのコピーを見たら、なんとその年ではなかった。
記憶というのはあてにならないものだと反省する。

帰りに、本郷3丁目の駅前にある古書店大学堂で、文庫を何冊か購
入する。ダイソー文学シリーズという文庫サイズの本が1冊100
円で、7〜8冊並んでいたので、正岡子規と伊藤左千夫を買う。
ダイソーというのは100円ショップじゃなかったっけ。
青空文庫からダウンロードして本のかたちにしたらしいが、発行年月
日も、値段も書いてない変な本だ。一種のノベルティのなのだろう
か。
と思って、ネットで検索したら、ダイソーでこの本、100円で売
っているらしい。30冊出ているそうだ。
安売りのCDやDVDと同じということか。
CDの音質が悪いとか、DVDの画質がひどいとかは困るけれど、
とりあえず文学作品なら、質は保証されているというわけだ。
伊藤左千夫には「水害雑録」が入っていたり、正岡子規にも「かけ
はしの記」という若い頃の文章から「歌よみに与ふる書」と「人々
に答ふ」がまるまる収録されているから、これはこれで役に立つ本
にはなっている。

夜、あれこれと本を拾い読みしながら、ボクシングを見る。
安部龍太郎の『血の日本史』を読みながら就寝。


[2079] 十月上旬の陽気 2006年08月01日 (火)

十月上旬の気温だとかで、当然のことだが、上着を着ていても気に
ならない。
昨日買った今井絵美子と藤原緋沙子の短編を交互に読み進む。
どちらも巧みな人情時代小説に仕上がっているが、難をいえば、
個性が希薄。その証拠に、読んでいる私としては、今、どっちの作
家の小説を読んでいるのか、区別がつかない。
まあ、一冊だけ読んで、こういうふうに断言するのも失礼なので、
もう何作かは読んでみようと思っている。

帰宅後、夜、毎日新聞の時評の原稿を書く。

布団に入ってからも、昨日読みかけで寝てしまった『林田紀音夫全
句集』の解説を読み続ける。そのまま就寝。


[2078] 林田紀音夫全句集 2006年07月31日 (月)

日比谷句会に行くために、ゆりかもめで台場から新橋へ行く。
新橋の本屋で、今井絵美子著『雁渡り』(広済堂文庫)と
藤原緋沙子著『風光る』(双葉文庫)を購入。
どちらも、今うわさの女性作家による時代小説の文庫本だ。
後者の藤原緋沙子にいたっては、デビュー4年で、著書30冊、
累計で100万部を突破しているというからすごいものだ。
箱根に行くときにロマンスカーの中で読んだ「週刊読書人」が
文庫特集で、この女性時代小説作家の隆盛を解説してあったので
読んでみようと思った次第である。

そのまま、銀座へ行って、銀座の旭屋書店もいちおうチェックした
ところ、なんと『林田紀音夫全句集』なる夢のような本が出ていた。
買わないわけにはいかない。5500円。富士見書房刊とはいえ
実質的には、制作費は編纂者がかぶっているのではないだろうか。
なにより凄いのは、その収録句数。
既刊2冊の句集収録作品600句に加えて未収録・未発表作品を
集積しても全部で1万句収録したというのである。
編纂は、紀音夫の弟子にあたる福田基という方。
宇多喜代子さんの強いススメで、編纂し、刊行までこぎつけたのだ
そうだ。
私は紀音夫の二冊の句集は読んでいるが、突然、未読の紀音夫俳句
が9400句出現した、というのは、夢というより悪夢に近いかも
しれない。
しかし、この過剰さに敢然と立ち向かおうではないか。
私が紀音夫俳句を読まずに、誰が読むというのだ。

日比谷句会はいつものメンバーで、私は一句が最高点をとれて、
比較的好成績だった。
いずれにせよ、濃密な一日にだったということだ。


[2077] ガラスの森美術館 2006年07月30日 (日)

朝、宿舎を出るとき、雨がふっていたので、タクシーを呼んでもら
い、強羅駅まで行く。
そこで、傘を買って、バスでガラスの森美術館にむかう。
バスに乗ったらすぐに雨がやんでしまう。
というより、強羅近辺だけが雨降りで、バスが雨域を抜けたという
感じだった。
ガラスの森美術館は、箱根では近年だんぜん入場者数が多いという
人気スポットだそうだ。
たしかに、まだ11時前なのだが、切符売場には列ができている。
中はヴェネチアのガラス美術品、工芸品がたくさん陳列してある。
シャンデリアや燭台や数々のガラス器は、たしかに見ていても楽し
くなる。
彫刻の森美術館で、ヘンリー・ムーアの作品を見ても、おおかたの
人は楽しくならないから、これは、ガラスの森美術館に見物客がお
しよせるわけである。

昼過ぎに、ガラスの森美術館から、箱根湯本までタクシーで下りる。
湯本駅前で、「ちく膳」といううどん屋に入って昼食。
おみやげに、かまぼことワサビ漬と温泉饅頭を買い、ロマンスカー
の時間まで、ソフトクリームを食べたりして時間をつぶす。
2時18分発のロマンスカーで帰京。
自宅へは5時前についてしまう。

一泊旅行とはいえ、気分転換になり、行ってよかった。


[2076] 強羅から大涌谷へ 2006年07月29日 (土)

家族と箱根の強羅にある健保宿舎へ一泊旅行に行く。

京葉線で潮見から東京へ。
中央線で東京から新宿へ。
小田急ロマンスカーで新宿から箱根湯本へ。
箱根湯本から箱根登山鉄道で強羅へ。
強羅からケーブルカーで早雲台へ。
早雲台からロープウエイで大涌谷へ、ということで、
ようやく、大涌谷に到着して、硫黄の臭いたちこめる地獄めぐりを
おこなう。
帰りも、ロープウェー、ケーブルカーと乗り継いで強羅の宿舎に到
着する。
夕食を食べ、温泉に入浴して、テレビ見て、眠る。
心身ともにリラックス。


[2075] 『楽園』の反響 2006年07月28日 (金)

歌集『楽園』が、今週のはじめくらいに贈呈本がみなさまのところ
に、到着したようで、感想のお葉書やメールをいただきはじめている。
本日は俳人の八田木枯さんと中嶋鬼谷さんから、あたたかい文面の
はがきをいただいた。
こんどの歌集の第X章は、三橋敏雄氏の俳句に対する反歌のかたち
をとっていて、百句に百の反歌をそえたものなのだ。
他者の俳句を詞書的に用いた例は、岡井隆氏を初めとして、何人か
の試みはあるが、百句という数で、ある意味がっぷり四つに取り組
んだのは、僭越ながら初めての試みではないかと思う。

この部分が歌人に、俳人にどのように読んでもらえるのか、とても
興味深いところではある。
歌集一冊ごとに、新しい試みを入れるということでなくては、少な
くとも、私自身にとって、次の一冊の歌集を上梓する意味はない。