[1940] リアル・フィクションへ 2006年03月01日 (水)

早くも三月になってしまった。

「SFマガジン」の600号記念号と「SFが読みたい」を交互に
読んでいると、当然のことながら、私が読んでいないSFが、たく
さんあることを知ることになる。
特にリアル・フィクションというかたちでパッケージされている日本
人の若い作家たちの作品は、今後、積極的に読んでみようと思う。
手始めにハヤカワ文庫JA820の桜庭一樹『ブルースカイ』を
買ってみた。できれば、この手の作家の作品を月に2冊くらいずつ
読めたらいいと思うのだが、どうなることか。

書くべき原稿がたまってきたが、今は読書の方へ意志のベクトルが
向いているようで、原稿書きはもうひとつのらない。
三月十日過ぎに締め切りがたまっているので少し不安である。


[1939] アドニスの杯 2006年02月28日 (火)

「彷書月刊」3月号の特集「アドニスの杯」がショッキングだった。
この「アドニス」とは1952年から1962年までのあいだに
63冊出された会員制の雑誌で、男色を主題とするさまざまな文
章を掲載したそうだ。
三島由紀夫、江戸川乱歩、塚本邦雄、春日井建といった人たちも、
会員だったそうで、筆名で寄稿もしているそうだ。
しかも、途中からだが、編集をしたのが作品社の田中貞夫で、中井
英夫の『虚無への供物』の初稿というのは、別の筆名でこの雑誌に
連載されたのだという。
もう、しらなかったことばかりなので、ちょっとアタマがくらくら
してしまった。
堂本正樹のインタビューが巻頭に載っているのだが、三島由紀夫が
「黒蜥蜴」を書いている時に、三島のおつかいで何度か江戸川乱歩
のところへ行かされて、乱歩に身体をさわられた、というようなエ
ピソードが語られたりしていて、他にも名前が出てくる人たちが、
趣味的にはそういう方達ということはうすうす知ってはいたけれど
この人たちは「アドニス」を通じて、ほとんどつながりがあったと
いうのは、何か世界が狭いな、という気がしなくもない。
とはいえねこのように、周知の事実のように語られたり、書かれた
りしていると、心にさざなみが走ることは確かである。

それにしても、「アドニス」に短歌を発表していたという
水原契とか太刀川薔って誰ですか?推測はつきますが。

特集の文章の中では、安藤礼二の「鴻巣玄次の犯罪−−『虚無
への供物』に封印された最後の秘密」が抜群。この小説にこめら
れた中井英夫の深層心理をあざやかに読み解いてみせてくれて、
これはこれでアタマがくらくらするのである。


[1938] 三寒四温 2006年02月27日 (月)

三寒四温といってよいのかどうか、また、昨日から急に寒くなった
ので、ちょっと風邪気味。その一方で、花粉症もおこってきて、目が
痒く、鼻水がでてくるのも情けない。

堀晃さんのホームページで、「「太陽風交点」裁判」の記録を読む。
これは堀氏自身が公開しているもので、準備書面とか尋問、反対
尋問の速記録だとか、内容証明で出した手紙の写しだとか、この
裁判に関わる資料のほとんどが読めるようになっている。
こういうものが、自宅の端末で読めてしまうのだから、ネットの
情報伝達、公開の力の凄さを思い知らざるをえない。

尋問の速記を読んでいると、弁護士の尋問テクニックというのが
いかにいやらしく、個人の秘密をあばき、プライドを傷つけながら
ホンネを引き出していくものか、よくわかる。
いかにそれまで親しくとも、一度、裁判で対立してしまったら、
もう、人間関係が修復されることなどありえない、ということが、
手に取るようにわかる。

「短歌21世紀」、「りとむ」、「眩」、「みぎわ」などの、歌誌を
贈呈していただく。
「短歌21世紀」の「小暮政次を語る」という連載座談会が面白い。
小高賢、沖ななもといった非アララギ系の歌人と小暮門下の大河原
惇行、間瀬敬、若手の玲はる名の諸氏による、小暮短歌の解読は、
読むだけでも教えられるところ多く、小暮政次の歌集を読んでみよ
うかなという意欲をかきたててくれる。
座談会中で引用されている木暮短歌で面白いものを引用する。

・こまごまと手をつけし退店者統計が抽出の中にいつまでもありぬ
・婦人店員の濃き化粧をいましむる掲示を書きぬ暑き日ぐれに
・同業店には美しき処女多しといふ噂も吾の時折聞きぬ
・「顧客は常に正し」と教へられこの店にいそしむ男女ら
・吾に来り答ふる処女或る者はたはむれの如く職場もとむる

木暮政次はデパートに勤務する都市生活者であった。


[1937] 梅田地下オデッセイ 2006年02月26日 (日)

髪をかっとしてもらいに、冷たい雨の中を六本木へ出かける。
あおい書店で「SFマガジン」を買う。
600号記念号ということで、国内・海外の長編、国内・海外の
短編の4部門で、オールタイムベストの投票結果が発表になっている。
国内長編部門のベスト3は
光瀬龍『百億の昼と千億の夜』
小松左京『果てしなき流れの果てに』
半村良『妖星伝』
ということで、私の読んでいる作品だったのでほっとした。

というような集計結果を面白く読んだので、帰宅後、SFの本を
いろいろと出してきて、堀晃の本などを拾い読む。
堀晃の本で私が所有しているのは文庫本4冊。
徳間文庫『太陽風交点』
ハヤカワ文庫『梅田地下オデッセイ』
集英社文庫『恐怖省』
新潮文庫『エネルギー救出作戦』
これ以外にも、当然、文庫もハードカバーも出ているのだろうが
私は題名もしらない。
上記の4冊はすべて短編集だが、長編はないのかな?
で、「太陽風交点」「梅田地下オデッセイ」という表題作品を読み
続いて、「宇宙猿の手」という情報サイボーグもの一編と「連立
方程式」という例の方程式モノのパロディを読んだ。
堀晃の小説を読むのは四半世紀ぶりかもしれない。
「梅田地下オデッセイ」は再読だが、大阪の梅田の地下街のシャッター
が、ある意志によって突然閉じてしまい、かなりの人間が閉じ込め
られてしまう。その地下世界でのサバイバルと、誰が何のために、
こんなことをしているのか、という謎がもつれつつ物語りが進行する。
設定が実にみごとだと思う。
ストーリーは書き込めばいくらでも長くドラマを展開できるのに
あえて中編(120枚くらいか)に納めている。
閉じ込められた人々のドラマはほとんど書き込まれず、アクション
も一ヶ所のみ、女性も一人しか描写されない。
物語を転がすことよりも、この実験的な設定にモチーフがある、と
いうのが、ハードSF作家堀晃の特徴ということなのだろう。

とはいえ、このように久しぶりに読んでも、のめりこめるのだから
SFはやっぱり面白い。

で、競馬は松永幹夫が有終の美を飾ってジョッキーを引退。
シスタートウショウから最近のヘヴンリーロマンスまで、松永には
万馬券をよくとらしてもらった。実はごく少額ながら、ブルーシ
ョットガンの単複も買っていたので、最後まで好印象をもって、松永
を送り出すことができた。今までに私が買った松永絡みの馬券収支
は、どうやらプラスになったようだ。こんな騎手は、サンドピアリスの
単複をとらせてくれた岸以外にはいない。相性がよくてよかった。


[1936] アングラの血 2006年02月25日 (土)

「玲瓏」の田中浩一さんが、上京してこられたので、八重洲ブック
センターの中の喫茶室でお目にかかる。
初対面だが、私は田中さんの短歌が好きなので、話がはずんだ。
私の方が年齢は三歳ほど上なのだが、ほとんど同世代であり
学生時代の吉増剛三などの読書体験、寺山修司体験なども
重なり合い、共感するところ多く、話はつきなかった。
昨年出た田中さんの新歌集『魔都』に対する他の歌人からの
反響はあまりなかったとのこと。そういうものなのだろうか。
要は田中浩一さんが、私と同じく1970年代のアングラの
血をたしかにもっているということである。

午後五時半過ぎに帰宅。


[1935] かちゃかちゃと 2006年02月24日 (金)

「りとむ」のホームページに、三枝浩樹さん「悠心庵だよ
り」というコラムがあり、そこで毎日新聞の「短歌月評」に
私が書いた文章への反論を書いてくださっている。
こういうストレートなリアクションをいただけることは、
とてもありがたく嬉しいことだ。
問題提起をいくらしても黙殺もしくは無視されることばかり
では、やはり、意欲は減退してしまう。

「短歌」12月号に載った穂村弘の

・かぶとむしの角をつかめばかちゃかちゃと森のひかりをかきまわす脚

という一首に関して「あえて幼児的な視点をとることに、
詩語の追求を回避した安易さ」と批判した。
それに対して、三枝浩樹氏は、下記のように書いていらっしゃる。
少し長いが「悠心庵だより」から、その部分を引用させていただく。

以下引用

藤原氏の元気さを頼もしく思うが、しかし具体的な作品の読みが粗雑すぎる。かぶとむしの一首は氏のいうほどつまらない歌ではない。かぶとむしの脚の動きを「かちゃかちゃと森のひかりをかきまわす」と表現した手柄を評価したい気持ちに変わりはない。あの脚の動きをこんな風に質感とボリュームをもって捉えた歌が他にもあるのだろうか。この歌のどこに「あえて幼児的な視点をとることに、詩語の追求を回避した安易さ」があるのか、私には分からない。
「かちゃかちゃと」はなかなかのオノマトペで、かぶとむしの脚の動きを巧みに捉えているし、その動きを「森のひかりをかきまわす」とさりげなく大きく拡げて見せた手際は非凡といっていい。ここにイマジンの働き、想像する力を見るのはごく自然のことであろう。「かきまわす」だって的確な表現である。
 「幼児的な視点」という言い方が適切かどうかはひとまず置いて、かぶとむしに親しむ少年のまなざしがこの一首にあることは否めない。そういう幼児的な視点があったから、このような質感のあるつやつやした描き方ができたのであって、対象に対する目の高さ、位置が近しいものになりえていることがここでは大切なのだと思う。

引用終り

丁寧な鑑賞だとは思うが、私はやはり「かちゃかちゃと」という
オノマトペが、詰めの甘い表現だと思う。
オノマトペはあくまで「感じ」や「雰囲気」しかあらわせない。
この一首でも「ひかりをかきまわす感じ」を「かちゃかちゃと」と
あらわしている。それは「おもちゃのように」「メカのように」
というような意味もふくまれているのではないか。
そのように多義的な意味を単に「かちゃかちゃと」という
オノマトペを置いて、それでよしとするのは、本来そこに
発見されるべき別の表現を探す努力を放棄、回避しているように
私には思えるのだ。
私は短歌の言葉を選ぶとき、もっと強く対象を限定できる
言葉を選ぶ。少ない言葉で表現を成立させなければならない
短歌という詩形では、この一首の「かちゃかちゃと」という
ようなオノマトペの導入は、本当に表現したいことをその手前で
気分を漂わせるだけで終らせてしまうことになる。
これで「手柄」といってしまったら、やはり、今まで達成され
てきた短歌の高度な表現に対して申し訳ないと私は思う。
ここで、オノマトペなどではなく、別のもっともふさわしい
言葉を探し出す、あるいは、もっと強く限定できる比喩を
つくりだすことが、短歌をつくる醍醐味であり、歌人の腕
のみせどころではないか。
そう思わないだろうか。
「幼児的な視点」から導き出されるこの感覚が詩歌として
そんなに斬新なものだろうか。
「対象に対する目の高さ、位置が近しいものになりえてい
 ることがここでは大切なのだと思う。」という言葉も、
それはそうだろうが、こんなことは実は誰でもがやってい
ることであり、特筆すべき技巧でもないと思う。

丁寧な反論をいただいて、三枝氏がこの一首のどこを評価し
ているかはわかったが、その評価のポイントが前述したよう
に、私にはツメの甘さに見え、評価すべき技術とは思えない。
短歌の表現に対する姿勢は、どこまでも厳しくあるべきだと
私は思っている。
少なくともこの「かちゃかちゃと」といったレベルでの妥協
は、実作者としての私は唾棄し続けるだろう。


[1934] 「新しさ」という錯覚 2006年02月23日 (木)

毎日新聞の19日の日曜日の詩歌欄に「「新しさ」という錯覚」
という題で、時評を書いたが、「短歌現代」3月号の歌壇時評に
島田修三さんが「「新しさ」について」という題の文章を書いて
いる。
一節を引用する。

短歌はいやしくも文学である。文学に意匠の進歩や技術の革新
があり、それが「新しい価値」であるなどと信じている者はど
うかしているのである。

と、きわめていらだった、あるいはうんざりした感情がこもっ
た文章になっている。
私もまったく同じ気持ちでいたので、おおいに共感した。
昨日の日記に書いた加藤治郎氏の試行を私はきわめて面白く
意義のある試みだと思うが、それは
「短歌の言葉も一つのシステムを通過させるとたやすくぶれる」
という問題提起としての「新しさ」がきちんとあるからなの
である。思いつきの意匠ではなく、「言語警察」以来、加藤
次郎がいだき続けている言葉への信頼と懐疑の延長線上にあ
る問題意識の実験的提示だからなのだ。もちろん、このあとで
同じ試行を別の人がマネしてみてももちろん何の意味もない。
「短歌はいやしくも文学である」という言葉を百万回くりかえ
そうではないか。


[1933] ファクトリー 2006年02月22日 (水)

昨日の夜、風邪をひいてしまったようで、寝苦しかった。
朝起きても熱っぽい。
有楽町へ行って会議。
この2時間がけっこうつらかった。
お台場へ戻って、今の会議の議事録をまとめて、また、別の会議。
こちらは一時間だが、やはり、つらかった。
そのあと、退社して池袋の東京芸術劇場へ行って
「短歌人」の編集会議。
この編集会議は始まる前に、池袋のマツモトキヨシで買った風邪薬
をのんだのが効いたらしく、途中からだるさがなくなっていた。
ただ、まだ食欲はなかったので、編集委員と一緒に夕食を食べるの
はやめて帰宅した。

帰宅後、「短歌研究」3月号を拾い読みする。
加藤治郎さんの連載作品の2回目「ファクトリー」30首。
テーマはアンディ・ウォーホルのクリエーションへの言寄せか。
この一連の中にユニークな試みがある。
まず、短歌を一首つくり、それを自動翻訳システムで英語に翻訳する。
次にその英語をまた自動翻訳システムで再び日本語にする。
これが、一首目とは微妙にずれた日本語になっている。
これを三行並べて三首の短歌として提出するというもの。
韻文としての価値はともかく、よく、こういう試みを思い付いたもの
だと感心した。それを短歌専門誌に短歌として発表するという意志も、
さすがに加藤治郎だな、と思わせるものだ。
言葉の意味のゆらぎを英語への翻訳とその再翻訳という過程を経る
ことで、具体的に見せる、という意図があると思ってもよいのかも
しれない。
たとえこの自動翻訳システムでの試行というアイデアが実は
嘘で、英語も日本語も加藤治郎の創作だったとしてもかまわない。
試行の意味付けはともかく、こういう試みは貴重だ。
短歌作品連載という一種の晴れの場で、こういう斬新な実験をみ
せるという心意気が痛快で気持ちがよい。


[1932] 読み応えあり 2006年02月21日 (火)

「短歌往来」3月号、とても読み応えがある一冊になっている。
なんといっても、川本喜八郎、岡野弘彦、馬場あき子の鼎談が、
30ページというボリュームもあって圧巻。
「折口信夫と「死者の書」」ということで、人形アニメの傑作であ
る川本監督の作品を中心にしつつも、折口信夫がこの作品で何を書
きたかったのかという点にも迫って行く。
冒頭にこま企画は新人編集者の南口氏の企画だということが編集部
のO(及川隆彦氏だろう)という人の口から語られ、南口氏本人ら
しい編集部M氏も
「死者の書」の映画化が文藝メディアでまったく扱われていないの
が歯痒くて、この企画を立てた、という旨が語られている。
こういうジャーナリスティックな感覚は、今までの短歌専門誌には
あまりなかったように思える。今回の鼎談企画はタイムリーであり、
また短歌専門誌ならではの好企画ということができる。
この鼎談を読めば、この映画を見ようという気に誰でもなるだろう
し、映画のパブリシティ企画と考えても成功している。

なみの亜子さんの評論「獲得される風土」も読み応えじゅうぶん。
現在の歌人と風土の関係を、森山良太、渡英子、大口玲子の作品
を読み解くことで論証してゆき、最後に齋藤史をだしてきて、問題
提起をさらなる世界に継続させる構成は、説得力があり、教えられ
るところが多い。
今までの、たぶんにジャーナリスティックな気配が勝ったアニミズム
論などは、私はなじめなかったのだが、このなみの亜子氏の風土へ
の切込みは、納得できる。なにより、文章がわかりやすいのも大きな
強みだと思う。アタマの中での論旨がはっきりしているので、文章
も明解になるのだと思う。
私としては、ここしばらくの短歌専門誌に掲載された評論の中で、
もっとも刺激をおぼえた文章だった。

作品も充実している。

久我田鶴子「繋ぐ、繋がる」33首より
・アインシュタイン来日に沸きし日本人大正十一年に原爆あらず
・門司港を去り行きし日のアインシュタイン長くデッキに手を振りゐしと

後藤由紀恵「硝子のりんご」33首より
・凪いだまま終わる会議を記録せしノートばかりが疲労してゆく
・誰もいない夢の戸口に立つならば白き仔犬をしたがえて立つ

美濃和哥「カフカの過剰」13首より
・上へ上へ階段昇りつめたるはカフカかわたしか それとも風か
・あるいはカフカ中皮腫にて死ぬというアカルイミライありえたるかも



[1931] 「鬣」18号 2006年02月20日 (月)

「鬣」を送っていただく。
毎号の特集である「第一句集の方法論W」として、今号では、
宮入聖句集『聖母帖』をとりあげて、中里夏彦氏が論評している。

ひさしぶりに宮入聖の名前を俳句誌で見た気がする。

ふりいでし雨の花火の音すなり
懐妊のうす汗したたる川の照り
吊るされて土用の葬の羽織透く
道々や鳴き別れして深山蝉

たとえば、これらの句をかかげて、中里氏は宮入聖の上品なテクニ
ックを称揚する。
「「雨の花火の音」なんてとても書けない。「ふりいでし雨の
花火の音すなり」にはまつたく吃驚させられる。降り始めた静
かな雨音とその雨によつてやや籠りがちな花火の音がシンクロ
する。「夏霊」を代表する一句ではなかろうか」

「夏霊」とは上記の四句が収載されている章題である。
私もこの中里氏の鑑賞に共感する。
ここには宮入聖という俳人のさりげない凄味がある。
「鬣」誌上で、宮入聖の再評価をしてくれたのは私としてはとても
うれしい。
こういう凄い才能が埋もれて忘れられてしまっている現状はやはり
不幸というべきだろう。


[1930] 幸福感にみちた一日 2006年02月19日 (日)

終日、家にこもって原稿を書く。
夜になって気がつくと一歩も家を出なかった。
フェブラリーステークスは無理に穴を狙って完敗だった。
光瀬龍の「宇宙年代記」シリーズを原稿執筆のあいまに再読。
「墓碑名2007年」も再読したが、これは実は来年の出来事なのだった。
金星や木星の探検隊から、ただ一人だけ生還した宇宙飛行士
が、三度目の木星探査に向うという話。
まあ、来年じゅうに木星に有人宇宙船が飛ぶのはムリだろう。

ミデアム出版から出ている「おとなの馬券学」14号の北上次郎
さんのコラム「活字競馬」で、私の『東京式』がとりあげられて
いることに今日きづく。この号は年明け早々に送られてきている
のだが(私は定期購読しているので)、今まで週末ごとに、レース
のデータ予想のページをひらいて真剣に読んでいたのに、コラムの
ページは目に入っていなかったのだから、バチあたりなはなしであ
る。
自分の本が、北上次郎さんに批評されるというのは、長い間の夢だ
ったので、こうして夢がひとつかなったことになる。
しかし、北上次郎氏はどこから『東京式』を入手されたのだろうか。
北冬社の柳下和久さんが送ってくださったのかもしれない。
いずれにせよありがたいことである。
フェブラリーステークスは三連複45点買いという散弾銃馬券でなお
かつハズスというていたらくだったが、この北上次郎さんの文章の
おかげで、本日は幸福感にみちた一日であった。


[1929] 「死者の書」を見る 2006年02月18日 (土)

岩波ホールに川本喜八郎監督作品「死者の書」わ見に行く。
土曜日の午前中の上映であるが、客席は満席。
ほとんどが50代以上の女性。まれに夫婦ものがまざっている。
男ひとりの観客は数えるほどしかいない。

人形を使ってこれほどまでに美しい画面と物語がつくれるのかと
びっくりした。傑作といってよいと思う。
本編の前に、物語の舞台となる二上山と大津皇子の悲劇を解説
する実写の短編映画がつけられているが、この作品もふくめて
の「死者の書」なのだと思う。
人形の動きは表情にみちている。
ヒロイン藤原郎女の写経や機織のときの真剣な気品や、侍女たち
が、弓弦を鳴らし床を踏み鳴らす物怪退散の動きなど、息をのん
で、スクリーンに見入ってしまった。
私だけの妄念として、大津皇子の人形の姿がマグマ大使に見えて
しまうというのがあったが、もちろんそんなことは瑕疵でもない。
ロングランになるとは思うが、見られる機会のある人は絶対に
見ておいたほうがよい作品である。


[1928] あやふやな記憶 2006年02月17日 (金)

記憶というものは実にあやふやでいいかげんだと実感した。
20年ぶりくらいに筒井康隆の『東海道戦争』のハヤカワSFシ
リーズ版を見ることになった。
この筒井康隆の処女短編集の収録作品は下記のとおりである。

「東海道戦争」
「いじめないで」
「しゃっくり」
「トーチカ」
「ブルドッグ」
「群猫」
「チューリップ・チューリップ」
「うるさがた」
「お紺昇天」
「やぶれかぶれのオロ氏」
「座敷ぼっこ」
「廃虚」
「堕地獄仏法」

ここには「トラブル」も「カメロイド文部省」もはいっていない。
この印象的な初期短編は私の記憶では短編集『東海道戦争』で読
んだとばかり思っていたが、実は初出の「SFマガジン」で読んだ
らしい。
「トラブル」は絶対に『東海道戦争』だと信じ込んでいた。
ミリオネアのファイナルアンサーでも自信をもって『東海道戦争』と
答えただろう。
「火星のツァラトゥストラ」とか「公共伏魔殿」とかは第二短編集
の『ベトナム観光公社』に入っていることになる。
第三短編集の『アルファルファ作戦』あたりまでの作品は、アタマ
の中では、一括して初期短編としてくくられてしまって、どれにど
れが収録されているかという記憶は完全にあいまいになってしま
っているようだ。
ワセダミステリクラブ在籍時は、こういうトリビアルな記憶は絶対的
な自信があったのだが、もう、そんな記憶もどろどろに溶解してし
まったようだ。


[1927] 冬木の枝しだいに細し終に無し 2006年02月16日 (木)

「俳句研究」連載中の高柳克弘さんの「凛然たる群像」は今月もと
ても読み応えがある。
今月3月号は正木浩一の作品をとりあげている。

正木浩一は正木ゆう子氏の兄で、若くして亡くなっている。
「正木浩一は対象に向かう姿勢そのものが潔癖である」と高柳氏は
書いているが、まさにその言葉どおりの作品が紹介され、論じられ
ている。
文章そのものは「俳句研究」でぜひ読んでほしい。
高柳氏の文中に引用されている正木浩一の俳句を何句か引用する。

・冬木の枝しだいに細し終に無し
・散る櫻白馬暴るるごとくなり
・海側に席とれどただ冬の海
・芹つむや光あそべる橋の裏
・空のこの碧さは枯の兆すなり
・柚子の香の柚子をはなるる真闇かな
・鳴く蝉の数だけ蝉の穴のある

句集『槙』と『正木浩一句集』があるそうだが、私はこの高柳氏の
文章ではじめて正木浩一作品を知った。
素晴らしい俳人の存在とその作品を教えてもらえた。


[1926] 決戦!プローズ・ボウル 2006年02月15日 (水)

ビル・ブロンジーニトムバリー・マルツバーグ共著、黒丸尚訳
『決戦!プローズ・ボウル―小説速書き選手権』(新潮文庫)を読み終わる。
平成元年6月25日発行の新潮文庫。定価440円(税込)。
パルプ雑誌の小説書きがプロフットボウルのように人気をもって
いて、その速書きをスタジアムの超満員の観客の前でおこなうとい
う設定の未来SF。
一発勝負の見立てだけで長編(といっても280頁だが)を書いて
しまう作家コンビの才気を楽しむ作品なのだろう。
ブロンジーニだから、パルプ雑誌とそのチープな小説への愛情はじゅ
うぶんということである。
実はこの本を私が買ったのは、1997年。北海道夕張市の本屋で
ほこりをかぶっている一冊を買ったのだった。
本屋といっても、雑誌中心で書籍はほんの少し、文房具と清涼飲料水
とスナック類も一緒に売っている店だった。
当時、私は、ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭の東京事務
局長というのをやっていたので、月に一回は夕張市に出張していた。
その時に、ホテルか飛行機の中で読むつもりで買って、そのまま
読まずに忘れてしまい、本の山の中にうもれていたのを発掘して
よんだというわけ。
まあ、最近やり始めたひとりSFキャンペーンの一環ということ
で、こういう珍らしい一冊もかつて日本では出ていましたよ、と
いうことである。

この本を探し出したというわけではなくて、本当はハヤカワJA
シリーズを入れた箱を引っ張り出して、
難波弘之著『飛行船の上のシンセサイザー弾き』『鍵盤帝国の劇襲』
さらには亀和田武著『まだ地上的な天使』などを書棚に並べることに
しようとしていたら、箱の底から出てきたのがこの一冊で、夕張で
買ったのを思い出して、ちょっと読み始めたら、一気に最後まで読ん
でしまったわけである。
義務感のないこういう読書もいいものである。


[1925] 雁立 2006年02月14日 (火)

「俳壇」2月号に掲載されていた清水基吉の芥川賞受賞作品
「雁立」を読む。
一言でいえばプラトニックラブ小説。
もちろん、後味は悪いわけがない。
佐藤春夫も川端康成も横光利一も褒めて、めでたく芥川賞受賞
ということになった意味もわかる。
この静謐な恋愛小説を感受する余裕が現在の読書人にあるか
どうかは不明ではある。

井上雅彦編『物語の魔の物語』読了。
しかし、印象に残るのはプロ作家の作品よりも、星新一「シ
ョートショートランド」に掲載された「或る日突然」と「丸
窓の女」の二編。
これも「雁立」と同じく、小説の恩寵がただ一回だけ降臨し
た作品ということなのだろう。

こういう小説を一篇でも良いから書いてみたいと、私は思
う。


[1924] 眠れぬままに 2006年02月13日 (月)

昨夜というより今日の明け方、ふと目が覚めてしまって、眠れないままに、短編集2冊を交互に拾い読みして3時間くらい時間をついやしてしまった。
その二冊はジョン・ヴァーリイの『バービーはなぜ殺される』と
井上雅彦編纂のアンソロジー『物語の魔の物語』。
ヴァーリイの方で読んだのは表題作の「バービーはなぜ殺される」「ピクニック・オン・ニアサイド」「バガテル」の三作。
井上雅彦のアンソロジーの方は短い作品が多いので、ほとんど読んでしまった。
アンソロジーの方は、いわゆるメタ小説的なものばかり集めてあるのだが、堀晃の「死人茶屋」という落語と冷凍睡眠を組合せたショートショートが面白い。こんな才気がこの作家にあったのだということを遅まきながら知った。
星新一のショートショートランドに投稿された優秀作品の中から、赤松秀昭「ある日突然」と三浦衣良「丸窓の女」という2作が収録されているのだが、これはどちらもよくできたショートショートでひさしぶりに、切れ味の良さを味わった気がする。
ヴァーリイの短編はどれも月が舞台なのだが、語り口も上手いし、後味も悪くないし、サイバーパンク以前のSFの良さが感じられて気分がよくなる。


[1923] お通夜へ行く 2006年02月12日 (日)

午前中は東陽町の図書館へ行き、「合評鼎談」の原稿整理。
しゃべり言葉というのは、どうしても、まだるっこしかったり
語尾をのみこんで、結論部分が言葉になっていなかったり、きわ
めて曖昧だということを毎月感じる。
できるだけ、毎月、反省点を自分なりにあげて、次回の時は気を
つけるようにしているのだが、いざ鼎談の筆記を読んでみると、
上に書いたような、曖昧なしゃべりかたばかりしていることに
気づいてイヤになる。

鼎談の赤字修正のあと、家から持参した歌集2冊を精読する。
大口玲子歌集『ひたかみ』雁書館刊
江戸雪歌集『Door』砂子屋書房刊
どちらも、卒読はしてあるのだが、今日は付箋紙を貼りながら読む。
どちらも心理的な重圧感が作品に出ているので、読んでいて気持ち
が沈んでくる。
女性歌人の現在の典型とはいえないまでも、これを読んで、私も同
じ苦悩をかかえていると思う女性は多いのかもしれない。

夕方から、八王子市民斎場へ行く。
白澤弓彦氏のお通夜である。
石寒太さん、浦川聡子さん、島田牙城さんがいらしている。
本当はムリをしてでも白澤さんにお目にかかっておくべきだった
のだと強く思う。
やらなければいけないこと、やった方がよいことを先延ばしにし
ていると、結局、何もできなくなる。そういう年齢になったのだ。
白澤さんのお母様に挨拶し、少しだけしゃべらせていただく。
息子の喪主にならなければならないというのは苛酷なことだ。

夜、九時半過ぎに帰宅。すぐに寝る。


[1922] 建国記念の日の乱歩 2006年02月11日 (土)

建国記念の日で休み。
先週の金曜日におこなった「合評鼎談」の談話筆記原稿が
速達で送られてくる。

マンションの外壁工事のために足場を組むので、ベランダの
荷物をすべて撤去するようにと、年始から知らせがきていた
のだが、本の入った箱の山があるので、ずっと先延ばしにし
ていた。
しかし、いよいよ足場つくりが週明けから始まるというので
一日がかりで、ベランダの本の整理をする。
結局、トランクルームにあずけたり、短歌関連の雑誌や書籍
は、誰かにもらってもらうことになる。
それ以外の雑本・雑誌は捨てる。

夕方、本屋に行って、光文社文庫の江戸川乱歩著『探偵
小説四十年』の下巻を買ってくる。
巻末のエッセイは朱川湊人「夜と遊んだ日」。
小学生時代に夜中の路地を一人で歩いた体験から、乱歩の
世界が子供に夢みさせる妄想をリアルに描いている。
ガラス戸ごしに寝息が聞こえるという下町ならではの雰囲気
が、実に巧く書けている。
やはり本気で乱歩が好きだったのだなと思わせる良い文章だ。

夜は「メチャイケ」と「くいたん」と「エイリアンW」の
後半を見てから寝る。


[1921] 魔王召還 2006年02月10日 (金)

ここのところSFの話題を書き続けていたら、大森望さん本人が
掲示板に書き込みにきてくださったのには驚いた。
魔術の本で見様見真似で呪文をとなえていたら、突然、
魔方陣の中に魔王が出現したくらいの衝撃だった。
ああ、大森望という人はやはり実在していたのだと、
不思議な気分ではあった。
以前、架空の人物だと思っていた「未読王」が突然来て
くれた時に、まさるともおとらない衝撃体験で、やはり、
人生は捨てたものではないと思ったりして。

しかし、長男がいつのまにかグレッグ・イーガンとか
スタニスワム・レムの本とかを買っていたのには驚いた。
本当に読んでいるのだろうか。
つい、この間まで、子象のパオちゃんとか桃色ぞうさんの
絵本を読んでやっていたような気がするのだが。
私もとしをとったわけである。

マンションの外装の全面的な工事があるので、ベランダに
積んである本の入った大量のボール箱を整理しなければ
ならない。
やはり、トランクルームにあずけるしかないようだ。

J−POPは「逢えた」「逢えない」ばかりなり思い直せば切実である
                   三枝昂之『天目』


[1920] 酢的な奥様 2006年02月09日 (木)

フジワラさんはオリンピックに興味はないんでしょ、と言
われた。
そのとおり、まったく興味はない。
スポーツ観戦で最後に興奮したのは、1964年の東京オ
リンピックのマラソン、円谷が二位で国立競技場に入って
きて、イギリスのヒートリーに抜かれたとき。
それ以後、少なくともオリンピック競技観戦で興奮したこ
とはない。

オリンピックとかスポーツとかの枠をとっぱらえば、1992年
4月2日、横浜アリーナでの女子プロレス大交流戦ドリ
ームスラムでの、北斗晶VS神取忍のプライドを賭けた激闘
には、感動以上の心のたかぶりを味わったものだ。
「酢的な奥様」というキャッチフレーズでいまテレビに露出
している北斗晶が、どんなに凄絶なアスリートとしての過去
をもっているかを知る人は、もう、あまり居ないんだろうな。


[1919] 県庁の星 2006年02月08日 (水)

思えば、去年の今日2月8日に、ライブドアがニッポン放送
の株を時間外取引で大量に買い占めるという事件が起こりっ
たのだった。
あれから一年、ホリエモンの境遇も劇的に変化したが、私の
境遇もドミノ倒し式に変化せざるをえなくなったのである。

事業部長会があり、その途中で中座して、フジテレビの人事部
に、四月からの転籍の書類をわたしに行く。
保険や年金関係の引継ぎが、けっこう、まだ作業として残る
ようだ。

そのあと、広告大賞の運営委員会。
審査部会で選ばれた作品を全委員に見てもらう。

夕方から、社内試写で西谷明監督の「県庁の星」を見る。
織田裕二と柴咲コウのコメディ。
県庁のエリートがつぶれかけのスーパーマーケットに研修に
行き、ベテランパート社員で裏店長とよばれている柴咲コウ
と、そのスーパーをたてなおす、というコメディ。
織田裕二のファンには楽しめるだろう。


[1918] 記憶屋ジョニー 2006年02月07日 (火)

今、これを書こうとしているのは金曜日の午前中なのだが、
すでに、火曜日に何をしていたかが、咄嗟には思い出せなく
なっている。こういう日常的な部分に老いが忍びよっている
ことを実感せざるをえない。

職場では広告大賞の営業部会があり、審査会での結果を報告する。

野田昌宏の『愛しのワンダーランド』と『「科学小説」神髄』を
インターネット古書店で検索。購入の申込みをする。

ひとつ昔話をすると、1970年の夏休みに、私は早川書房の
SFマガジン編集部で、アンケートはがきの結果の整理・分類
というアルバイトをしたことがある。
その時の編集長は森優、他に小野さん、田上さんという男性が
居た。
私が通ったのは三週間くらいだったが、その時に、来年入社が
内定している英語が堪能な女子大学生として、やはり、編集のア
ルバイトに来ていたのが酒匂真理子さん。
まあ、そんな時代だったということです。


[1917] SFはメディアの現在を予言する 2006年02月06日 (月)

寒くても勤め人は勤めに出る。
先週、ほとんどの時間を広告大賞の審査会にさいたので、
やりのこした仕事が大量に出てくる。
ひとつずつこなしていくしかない。

帰宅後はまたSF関係の読書。
早川書房が創立50周年を記念して、「SFマガジン」の創刊号
から3号までの復刻版の合本を販売したことがある。
それを買っていたのを思い出して、短編小説を拾い読みする。
ロバート・シェクリイの「危険の報酬」は創刊号の巻頭を飾った
名短編。小松左京がこの小説を読んで、SFの柔軟な可能性に
目ざめたという歴史的な作品でもある。
一人の男が追跡者から規定の日数を逃げ切れば賞金がもらえる
ということで、その逃亡と追跡をテレビが生放送するというもの。
考えてみれば、「黄金伝説」でやっている「一ヶ月一万円生活」
とそれに類した企画は、このシェクリイの作品と実はさほど変わ
りはないではないか。

他にジャック・フィニイの「地下三階」とかブラッドベリの
「七年に一度の夏」とか、再読ではあるが、やはり、懐かしい。
学校の先生が薦める小説以外の小説を読み始めた中学生の頃の
初心がよみがえってくる気がする。
考えてみれば、純粋な娯楽としての読書の喜びを、しばらく、
忘れていたのかもしれない。


[1916] 絶対零度の日曜日 2006年02月05日 (日)

昨日よりもさらに寒い。
今日は差し迫った原稿の締切もないので読書と
いただいた歌集の礼状書き。

ブライアン・オールディスの短編集の表題作の「爆発星雲の
伝説」の表題作を読む。
異世界ものの標準的な作品。
椎名誠はオールディスの『地球の長い午後』が好きで、
『アドバード』や『水域』や『武装島田倉庫』を書いたと
いうことだが、この「爆発星雲の伝説」にも影響を受けて
いるだろうと思う。とくに『武装島田倉庫』に、その影響
があるような気がする。
そのあと、ロバート・シェクリイの『宇宙市民』の短編を
拾い読みする。

蛇笏賞と迢空賞の推薦の葉書を投函する。
現代歌人協会賞、寺山修司短歌賞、葛原妙子賞の推薦葉書も
とっくに投函してある。
今年は、ぜひ、この歌人のこの歌集に受賞してほしいと真剣に
考え抜いて推薦しているので、それぞれの賞の発表が楽しみ
である。
それぞれの冠号となっている歌人・俳人の精神をきちんと
精神的に継承している歌人に受賞してほしいのは言うまで
もない。


[1915] 冷凍庫の中 2006年02月06日 (土)

寒くて冷凍庫の中にいるような東京である。

早い治療が功を奏したのか、気が弱いので仕事を休めないの
か、とにかく、昨日のさむけとはきけとめまいはおさまってしまった。

大手町の産経プラザで広告大賞パブリック部門の審査会。
120にんの一般審査員に、新聞、雑誌、ラジオ、テレビの
エントリー作品を審査してもらう。
とにかく、お金のかかったイベントなのだとの思いを深く
する。
さすかに、グループイベントとして実施されているだけの
ことはある。

午後三時前に終了、スタッフも解散ということになったので
オアゾの丸善に行く。
綾小路きみまろがサイン会をおこなっている。
丸善のスタッフの人たちもそうとう気を使っているようで、
なんにせよ、イベントの実施運営はたいへんなのである。
お客でいるのがいちばん気楽ということ。

異色作家短編集が昨年から新装版で再刊されているので、
リチャード・マティスンの『13のショック』を購入。
このシリーズは実をいうと半分くらいしか通読していない。
読んでないものをチェックして、買ってみようと思う。

夕方帰宅。
ネットの古書店に注文しておいたハヤカワSF文庫版の
ブライアン・オールディスの短編集『爆発星雲の伝説』が
郵送で到着していたので、とりあえず巻頭の「一種の技能」
という短編を読む。
異世界もので、オールディスの才気が輝いている。

夕食後、大森望の『現代SF1500冊・乱闘篇』を読了。
すぐに二冊目の回天篇を読み始める。
読みたい本ばかりが溜まって行く。
買うからいけないんだけど。


[1914] 恵方巻き、食べられず 2006年02月03日 (金)

今日は広告大賞の審査は一日休み。
明日、産経プラザでパブリック部門の審査会があって、ひ
とまず審査会は終了。

午後、本郷の「俳句」編集部に行って「合評鼎談」。
テキストは「俳句」二月号で、掲載は四月号になる。

合評の途中から、アタマがぼうっとして、さむけがしてくる。
終了後、急いで、平和島のTクリニックに行き、治療して
もらう。しかし、病院に行く途中も、治療後の帰宅時の電車
も、とにかく、はきけとさむけがとまらず、やっとの思いで
家に帰り着く。

夕食は家族で、恵方巻きを食べるはずだったのだが、とても、
それどころではなく、薬をのんですぐに布団にもぐりこむ。
パソコンも本も見る気がしない。


[1913] 宇宙船ガリレオ号 2006年02月02日 (木)

今日は広告大賞のクリエイティブ部門の審査会。
あいかわらず、スタッフとして会議室に一日じゅう缶詰状態。

帰宅後、ハインラインの『宇宙船ガリレオ号』を読む。
創元SF文庫の完訳版。といっても1992年に出たものを
先週、古本屋で買ったのである。
中学生のときに子供向けにリライトした版を読んでいる。
そのときはまったく気づかなかったのだが、三人の少年を
けしかけて、ロケットを作って月に行くカーグレーブスとい
う科学者の叔父さんは、第二次世界大戦中に、マンハッタン
計画に携わり、原爆の開発をしていたという経歴なのだった。
この部分はたぶん子供向けの版ではカットされていたのだろ
うとは思う。
おとなになると、子供の頃に知らなかったことを、いろいろと
知ることになるものである。

明日は「俳句」の「鼎談合評」がある。


[1912] 朝の雪昼の雪 2006年02月01日 (水)

昼間は広告大賞のメディア部門審査会なので、スタッフとし
て、ずっと10階会議室に缶詰。

夜、今年初めての日比谷句会。

・口あけて歯ぶらしつかふ朝の雪

という、ひそかに夏目成美の句を下敷きにした句を投句した
ら、ずばり植村氏に見抜かれる。
情けないことはするものではないと反省。

ちなみに私が下敷きにした夏目成美の句は

・魚くうて口なまぐさし昼の雪

魚を食べたあとは歯を磨きましょうという単純な発想。


[1911] 筒井康隆の新作 2006年01月31日 (火)

昨日、山本孝一さんが、筒井康隆の新作長編『銀齢のは果て』
のサイン入り本を送ってくださったので、読み始める。
筒井康隆の新作をすぐに読むのは『邪眼鳥』以来ではないかと
思う。
読み始めたらとにかく面白く、夜中に、これでは朝まで読んで
しまうと思って一度ストップ。
今日の通勤時と昼休みに読了した。
内容は、本の帯にも書いてあるが、70歳以上の老人のバト
ルロワイヤル。
「トラブル」「ワイド仇討ち」「東海道戦争」といった短編
や『俗物図鑑』『歌と饒舌の戦記』といった長編を思い出
させる軽快な筆致で、一気に物語が語られる。

好き嫌いはあると思うが筒井康隆を読み慣れている人には、
面白く、しかも、老人問題に対する作者の怒りを受け止め
つつ、読み終えることができるだろう。


[1910] 「日月」の歌集批評会 2006年01月29日 (日)

「日月」の東雪さんの歌集『薔薇月夜』の批評会。
「日月」以外の人は沢口芙美、岸本桂子、福留フク子、梓志乃
黒瀬珂瀾、生沼義朗氏ら。
「日月」の女性同人の元気さにあらためて永田典子代表の
ふところの深さを思い知る。
黒山羊さん、深森未青さん、三原由紀子さんらに楽しく笑わせて
いただく。
有意義な一日でした。


[1909] フリーダム・ヒルは何処に? 2006年01月28日 (土)

午前中に図書館へ行き、『来山百句』を読み終わってから、
返却する。図書館で借りておいて、読む時間がないまま、貸出
期間が過ぎて、休みに図書館に行って、それを読む、という
のは、家での時間の使いかたが下手なのか。
まあ、読まずに返すよりはましでありましょう。

午後はゲラ刷りのチェックと返却。
一つは邑書林のセレクション歌人『目黒哲朗集』の解説。
あらためて読んで、目黒哲朗の短歌はいいなあと思う。
このセレクション歌人は、目黒短歌を知らない人にぜひ
読んでほしいものだ。

読み続けている大森望の本には仙波龍英の『ザ・わたしは
可愛い三月兎』と『赤すぎる糸』の書評も載っていた。
大森書評はかなり辛口だが、この二冊には高評価をしている。
つまり、作家仙波龍英は大森望のメガネにかなっていたのだ。
仙波君がこれらの小説を書いていた時期は、日本の出版界
に、まだホラーのマーケットなど成立していない時代だっ
た。
言って詮無いことではあるが、病気にならずに、今でも生きて
いてくれたら、ホラーの売れっ子になっていたのではないかと
思うのだか。
「フリーダム・ヒル」というタイトルのホラー長編が完成
していると、1999年頃に本人から聞いたおぼえがあるの
だが、この原稿はもう残っていないのだろうか。

長く生きていると悔いばかりが蓄積する。


[1908] サイバーパンク? 2006年01月27日 (金)

大森望の本を読み続けている。
ウィリアム・ギブスンなんて名前と書名を知っているだけで
結局、私は読んでいないのだが、『ニューロマンサー』等と
いう歌集のタイトルをつけているくらいだから、加藤治郎氏
は、サイバーパンクに影響を受けているのだろう。
この時代には私はとっくにSFなどは手にとらなくなっていた
のだ。
まあ、知らないでよかったんじゃないかな。

翻訳家の野口幸夫がいかに原文に忠実に異常な情熱をかたむ
けて翻訳しているかを、野口訳、原文、大森訳をならべて、
野口の情熱を解明している部分がある。
野口幸夫はサンリオ文庫を初めとして、1980年代には
かなり多くの翻訳書を出している。
野口氏は翻訳の世界からは姿を消し、すでに亡くなっている
そうだ。晩年は不遇だったそうだが、それも、翻訳文に異
常に凝ったりする異形の情熱のせいだったのではと、著者
は書いている。
実はこの野口幸夫氏と私は一時かなり親しくしていたことが
ある。1970年頃、東大SF研究会の例会が渋谷の宮益坂
にあった喫茶店で毎週土曜日に開かれていて、予備校生の私
も、そこに通っていた。当時、東大生だった野口氏はプロレス
ファンでもあり、私と話があい、よくプロレス談義をしたも
のだった。まあ、今考えてみれば、野口氏が私に話をあわせ
てくれていたのだろうとは思うが。

SFの書評集を読んでいて、昔の知人の奇行や死を知るとい
うのも、自分がそれだけの歳月を過ごしてきたということな
のかもしれない。


[1907] 作家としての仙波龍英 2006年01月26日 (木)

洞口明さんから「昴」をいただいたことに刺激されて、
大森望著『現代SF1500冊』(太田出版)を買ってきて
読み始めた。
1975年から1995年までのSFの書評だが、その中でも
「現代SF問題相談室」というタイトルでまとめられている
大陸書房時代の「奇想天外」に連載されていたものは、きわ
めて時評性が強く、刺激がある。
その中に仙波龍英という名前が出てきてびっくりした。
そういえば、彼はこの雑誌に「奇想天外詩歌狂室」という
連載をもっていたのだった。1988年頃の話だ。
当時の私は短歌にもSFにも情熱が薄い頃だったので、連載
しているのは知っていたが、雑誌も買わず、立ち読みできち
んと読んでもいなかった。
いまになると悔やまれる。まとめて読んでみたいものだ。

「歌人・小説家。当時、《小説奇想天外》に破天荒な爆笑
 SF短歌コラム「奇想天外詩歌狂室」を連載していた。
 著書に『ザ・わたしは可愛い三月兎』『ホーンテッド・マ
 ンション』『赤すぎる糸』など。二〇〇〇年四月に死去」
と、彼の名前に注がついている。
亡くなったことまで、きちんと調べてあるのだ。

もう一箇所『ホーンテッド・マンション』の書評も載っている。
「SFとまんざら縁がなくもない歌人・仙波龍英のホラー
 小説集。巻頭の「妖かしの蠕動」、日野日出志パターン
 を思い切りひっくり返した結果に笑ったが、あとは意外
 と普通のスプラッタ。もっとも、丸尾末広の絵との相乗
 効果で、水準以上の一冊である」
との、好評価。
作家としての仙波龍英というものも本当は検証しなければ
いけないのかもしれない。

ヤフーで検索してみたら、下記のサイトに「奇想天外詩歌
狂室」が一部アップされていた。
便利な時代になったものである。
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/kokugo/bunken/kisotengai.html



[1906] スラップスティック 2006年01月25日 (水)

有楽町の本社で特別職会に出席して、午後からお台場へまわる。

夜は「初めての短歌」講座の最終回。
人前で一時間半短歌についてしゃべり続けるという良い体験を
させていただいた。
また、5月から、第三期の「初めての短歌」が始まることになっ
ている。

帰宅後、「報道ステーション」を見ていたら、ボビー・オロゴン
が、所属芸能事務所で暴れて、ちょうど居合わせたムルアカ氏が
それを止めようとして格闘になったというニュースをやっていた。
ホリエモンがやっと逮捕されたと思ったら、こんな事件やら呪文
つかいの一夫多妻のおじさんの事件やら、とにかく、スラップス
ティック・コメディ的な事件の絶え間がない。
もう、世の中はくるってしまっているということなのかもしれ
ない。そういう時代に自分が生きることになるとは、子供の頃に
は、思いもしなかった。

「短歌現代」1月号、2月号の二回にわたって、島田修三さんが
「他人の表現を尊重するというモラルの低下」を警告している。
盗作は論外としても、他人のフレーズを平気で借用したり、レベ
ルの低いパロディまがいを自作として発表したり、こういう風潮
は、島田修三さんの言うように、困ったことだ。
短歌や俳句にはオリジナリティなどはないという暴論を言う人も
あるが、そんなものはは自分の表現への誇りも他人の表現への尊
重もない、結局は創造ということとは無縁の人の愚論にすぎない。
なぜ、詩歌を自分の表現として選びとったのか。
オリジナリティをもとめて試行錯誤を繰り返す意志こそ尊いのだ。


[1905] 予言的中 2006年01月24日 (火)

「短歌人」の一月の編集会議。東京芸術劇場の会議室。
小池さんも蒔田さんも中地さんも、新年歌会への志賀耿之さんの
再登場がとても印象的だったという話をする。
やはり、志賀さんの存在感はそれだけ強いということだ。

帰宅後、「報道ステーション」で、堀江事件の続報を見る。
拘置所の体験者として鈴木宗男がコメントしているのが笑える。
何か時代状況がスラップスティック・コメディ化している。
1960年代に、筒井康隆はその小説で、マスコミが極度に
アナーキーになる劇場型報道の未来を描いていたが、その予言は
完全に現在的中している。
テレビ電話や携帯端末のようなアイテムを予言するよりも、こう
いう時代状況を言い当てるほうが当然、洞察力が必要なのだろう
し、筒井康隆という作家をあらためてみ直さざるをえない。


[1904] 「昴」復刊記念号 2006年01月23日 (月)

35年ぶりに復刊した同人誌「」を、洞口明さんから、送って
いただいた。
「昴」は仙台一高のSF研究会が出していたSFファンジン。
35年前に出た第四号は、当時SFファンで、ファンジン発行の
活動をしていた私もいただいて読んでいる。
ちなみに、私が当時メンバーだったファンジンは、京都の「超人
類」と大阪の「ヒューマンルネッサンス」。
山本孝一さんは「超人類」の仲間である。
「ヒューマンルネッサンス」の発行母体は、大阪のアポロという
喫茶店に集まっていたSFファンで、パンパカ集団というのがグ
ループ名。この仲間には、日本のクトゥルー神話の権威・大滝啓裕
が居たりしたし、大阪の志ある出版社の青心社の社長・青木治道も
メンバーだった。

ところで「昴」復刊号は、素晴らしいことに35年の時を超えて
当時のメンバーのほとんどが再結集して、原稿を書いていること。
むかしの雑誌を再刊しようと、話だけはするのは簡単だが、原稿
を集めて、きちんと復刊号を実現させるためには、情熱の復活と
同時に、たいへんなエネルギーがいるだろう。
洞口さんを初めとする復刊号スタッフの努力には心からの敬意を
表したい。

飯沢耕太郎氏が「昴」のメンバーだったというのは、今回、初めて
知ったが、飯沢氏が「サファリ・ショウ」というブラッドベリの血
をひいた短編を寄せているのにも驚いた。
洞口明さんは、「燃えつきた灰の中からよみがえる鳥」という
長編の連載第一回。これが未来世界でのレジスタンスものという
のも、世代の感性の不変を証明してくれてナミダが出る。

他のメンバーも、それぞれに、この35年間の歳月を背負った
エッセーを書いている。まさに、アメリカングラフィティのエン
ディングを思わせる、人生いろいろぶりで心にしみる。
1969年に仙台一高に入学した69年の子どもたちの成熟を、
あるいは不変の志を、熱く実感させてくれる一巻に乾杯しよう。


[1903] 短歌人新年歌会2006 2006年01月22日 (日)

雪が消え残る中、神保町の学士会館へ行く。
短歌人新年歌会がおひなわれる。

今年の最大の話題は志賀耿之さんのほぼ30年ぶりの再登場。
志賀さんは私が短歌人会に入会した1972年頃には、二元集
という同人欄で若手歌人の代表としてバリバリ活躍していた。
年齢は小池光さんと同じくらいだが、高校生の時から、短歌人会
に入会していたというので、すでにキャリアは十分だった。

その後、歳月が流れて、志賀さんは糖尿病になり、両足切断で
片目失明という苦難にあったが、昨年から再び短歌を精力的に
つくり始め、今回の新年歌会に久しぶりの出席となったのだった。

志賀耿之作品を「短歌人」の最近号と、これまた35年ぶりの
再刊となった個人誌「唖紀」から紹介する。

・一筋の血気いまだに捨て得ざる病みて読み継ぐチェ・ゲバラ日記
・身体髪膚これ父母に受くといふ眼ひとつ足二つ失ふ親不孝
・おおブランキ 藍より淡き血の色に暴力といふを問ひても見む
・はや朽ちしなどと思はず夢思はず時雨降りしくる窓外を見つ
・少数の非命は朱けに染むものかアデンアラビアまたパレスチナ

二次会には行かずに八時過ぎに帰宅。


[1902] 雪の中の帰京 2006年01月21日 (土)

七時に起きて、ホテルで食事をして、八時四十分新大阪発の
のぞみで帰京。
車中で司馬遼太郎の街道を行くの『十津川街道』読了。
途中、雪のための徐行で十分ちょっと遅れる。

雪の中を潮見駅から歩いて帰宅。
中山競馬が雪のために中止。
午後は風邪っぽい感じになり、薬をのんでずっと読書。
俳句同人誌「円錐」に、長岡祐一郎が、桑原三郎句集の
『不断』の書評を書いていて、そのマクラの部分に、
「私が知名を過ぎた今」という一節があり、感慨無量。
「美男美女美女美女美男たち」の長岡祐一郎が知名か。

・耳鳴りのほか雪山のあるばかり 沢好摩


[1901] 大阪出張 2006年01月20日 (金)

大阪へ出張。
グループの新年交歓会が大阪の全日空ホテルで開かれるので
そのスタッフとしての出張。

地下鉄の淀屋橋駅ははじめておりたが、まさに、むかしからの
商業都市大阪の中心地だったところだという雰囲気はある。
米相場をきめる市場がひらかれ、運河を米俵を積んだ船が
行き来していたわけだろう。
住友の本社の先に、俳人の松瀬青々の出生地の碑があるとの
ことで探してみたが、ちょっとみつけることができなかった。
いずれにせよ、大阪の歴史を担う場であることは確かだ。

夜は新年交歓会、うちあげ、そして、スタッフと一緒に
お好み焼きを食べて解散。
ホテルの部屋で「報道ステーション」のフォーククルセダーズ
の特集を見る。
あれだけ鮮明に記憶に残っているのに、1967年12月から
1968年10月までしか活動していなかったというのは驚く。
やはり、濃密な体験だったということか。


[1900] 木歩と米吉と乱歩 2006年01月18日 (水)

月曜日から少し風邪気味で、早寝早起き。
といっても、「報道ステーション」で、ライブドア関係の
ニュースを見てから寝るということだが。

昨夜は、ふと、吉屋信子の『底の抜けた柄杓』の文庫本が出て
きたので、読み始めたら面白く、三篇読んでしまった。
すでに三回くらいは読んでいるはずだが、富田木歩の話などは
何回読んでも胸がしめつけられる。
木歩の親友の新井声風が、自分が生き残ることで、富田木歩という
素晴らしい俳人が存在したことを後世に伝えるのだという覚悟は、
まさに、親友の死とひきかえにした覚悟だけに、強烈なものがある
と思う。
こういうことは、短歌の方でも、松倉米吉の親友で、その死を看と
った高田浪吉にもあったのではないかと思う。

今日18日は、夜は新年会。
場所は銀座だったので、九時過ぎには帰宅できた。
帰宅後、光文社文庫の新刊、江戸川乱歩の『探偵小説四十年』を
読み始めると、なんと解説が穂村弘。
それだけ、マスコミに注目されている書き手ということなのだろう。
10ページくらい読んだところで寝てしまう。


[1899] 創造的な週末の使い方 2006年01月15日 (日)

今日も一日じゅう家に居て、短歌をつくり続ける。
当然、短歌を考えているだけではなく、その間に、脳みその
刺激として、本を拾い読みしたり、CDわ聞いたりする。
今日は、山本孝一さんに送っていただいた、筒井康隆の小説の
朗読のCDを聴いた。
一つは筒井康隆自身の朗読で「おもての行列なんじゃいな」、
もう一本は白石加代子の朗読で「如菩薩団」。
どちらも、妄想や行為がとめどなくエスカレートしていく
というアイデアの話。
耳で聞いて、じゅうぶんに笑える。

夜更けまでかかって、短歌作品の構成をする。
なんとかできあがつて満足。
こんな週末は久しぶりだ。

古石場図書館で借りてきた
来山を読む会編『来山百句』(和泉書院刊)を読みながら
就寝。

目ばかりは達磨に負けじ冬籠り  来山


[1898] ジャズ的なプロレス 2006年01月14日 (土)

一日じゅう、短歌をつくり続ける。
こういう一日の使い方は久しぶりだ。

途中で潮見駅前のミニストップに競馬新聞と週刊ファイトを
買いに行く。
ファイトに、TAKAみちのくがひきいる興行に、健想と
浩子が出たというニュースが載っている。
健想の談話で
「今までのオーケストラ的な試合ではなく、今日はジャズ的
な試合ができて楽しかった」と言っているのは巧い表現だ。
WWEもハッスルも健想と浩子の役割は決まっているわけで
勝手なパフォーマンスをするわけにはいかない。しかし、
今日は、段取りに縛られずにスウィングする試合ができたと
いうことだろう。
プロレスラーの言葉も良い方向に比喩的になってきたものだ。

午後からは冷たい強い雨が降り続ける。
ふたたび、短歌の世界にもどって、一生懸命つくり続ける。
そのうちに夜が更けて「くいたん」を見てから眠る。


[1897] あ、のんきだね 2006年01月14日 (金)

午後から風邪のような体調の変化を感じたので、夕方、少し
早めにオフィスを出て、平和島のTクリニックへ行く。
治療してもらい、薬をのむとなんとか回復する。

そのまま新宿御苑前のシアターサンモールへ行き、
「あ、のんきだね」というお芝居を見る。
添田唖蝉坊を主人公にした二幕芝居。
演歌師としての唖蝉坊の魅力があまり巧く、観客に
伝わってこないのが残念。

病院での待ち時間と電車の中で、岩波書店から出た
『桂米朝座談』を読む。
師匠である桂米団治を語り、正岡容を語り、むかしの
講談や落語の名人たちを米朝が見聞のままに語る、き
わめて資料性の高い貴重な一冊。
この本の編纂者はまたしても戸田学。
この人が現在おこなっている仕事は、確実に次の時代への
架け橋になることはまちがいない。

結局、帰宅後に最後まで読み終わってしまった。
実に身になる一冊だった。


[1896] 駅までの寒い道 2006年01月12日 (木)

オフィス内の空調が変だったのが、やっと直る。
これで、こごえながらウォームビズをおこなうことは
なくなった。

局会があり、議事録作成で午後を過ごす。

社屋からりんかい線の東京テレポート駅までの道を歩く時、
冷えきった海風とビル風が吹いてくる。
駅へのエスカレーターにのれるとほっとする。

夕食はハヤシライス。
岩波書店の『短歌と日本人・現代にとって短歌とは何か』を
読み進む。刊行時に一度読んでいるので再読。
座談会を読んでいると、富岡多恵子が俵万智の作品に対して
批判的という姿勢がつたわってくる。しかし、富岡の批判を
歌人たちは、うまくかわしてしまっている。


[1895] 冷えた空気 2006年01月11日 (水)

今年初めての「初めての短歌」の講座。
今日は自由詠提出だったのだが、無記名の詠草をみると
きちんとととのった作品が多くなっている。
やはり、9ヶ月間講座を続けてきた甲斐がある。

講座を終えて外にでると空気がいっそう冷たくなっていた。

少しずつ、新しい歌集のための構成を進めている。
いつ、書肆に原稿をわたせるだろうか。


[1894] 連休明けの憂鬱 2006年01月10日 (火)

いつもながら、連休明けは憂鬱で、出勤したくない。
この気持ちだけは何十年足っても変わらない。
オフィスでは鬱々として、広告大賞の作業を続ける。

帰宅後、「心の花」の1月号を拾い読みする。

・地にひびき晩秋の欅鳴りあへば鳥が鳥よぶこゑを消したり
・いくつかの見えぬ手を経てわれの手に風の傷もつ梨は来りぬ

二首とも横山未来子さんの作品。
「選歌ルーム」という選者の言葉のコーナーで晋樹隆彦さんが
今月の秀歌として、とりあげている。
どちらも、丁寧に対象を把握しようとしている。
また、歌の言葉としての、それぞれのフレーズに、より的確な
描写ということを念頭にして、神経がそそがれている。
こういう歌はやはり読者の心にとどく。
横山未来子さんの歌は、短歌専門誌に載っていたりすると
必ず読んでいる。つまり、読みたいという気持ちをおこさせる
実績と技量をもった歌人だということだろう。
短歌研究新人賞受賞の歌人なので、ぜひ、「短歌研究」の30首
連載に登場してほしいと思う。
もう一首、「心の花」の中から、田中拓也さんの一首。

・消しゴムの消しかすのごとき言葉のみ吐きたる日々にいたく倦みたり

日常の中のやるせない思いを、なんとか詠いとどめようとする
上句に共感する。消しゴムの比喩は、先例がある気もするが、
この一首の中では、きちんと生かされている。

これらのような心に残る短歌に出会えると、短歌を読む習慣を
もっていて良かったと思う。
歌壇のあれこれに深入りしすぎて、苛立ったりするのは、本末転倒
なことなのだと自戒する。


[1893] インセンティブガイの恩返し 2006年01月09日 (月)

成人の日らしいが、一昨日、昨日に続いて、一日じゅう原稿書き。

中山競馬場のメインレース初富士ステークス。
インセンティブガイ快勝。
去年の秋の渡月橋ステークス、キャピタルステークスで裏切られた
ことへの恩返しをきっちりしてくれた。
枠連、馬連、馬単のすべてが万馬券になった。
トータルすれば負けた分に少し色をつけて返してもらった程度だが
狙っていた馬での快勝だけに嬉しい。
しかし、インセンティブガイ自身は二番人気だったので、
むしろ恩返ししてくれたのは、二着のテンザンオペラなのかも
知れないが。

ということで、気分良く、夜も執筆を続ける。

11時過ぎに就寝。


[1892] 原稿を書く、評論を読む 2006年01月08日 (日)

一日じゅう原稿を書き続ける。
昨日と同じく、馬券を少し買ったが、結果は不発。

菱川善夫著『飢餓の充足』読了。
1970年代の土俗論に対する菱川善夫の筆致の鋭さは、現在
読んでもドキリとさせられる迫力がある。
岩田正、村永大和という人たちが、槍玉に上げられている。
自分が文章を書いている時に、時折、こういう強靭で情熱的な
文章を読むのはエネルギーの充填になることがわかった。


[1891] 大晦日から一週間 2006年01月07日 (土)

大晦日から一週間経った。
深夜に富岡八幡まで歩いて行くという快挙ができたのも
やはり、初詣という「晴」の思いが、エネルギーを出して
くれたからだろう。
今日、もう一度、同じことをしようといわれても絶対イヤだ。

今日は外出もせず、一日じゅう原稿を書き続ける。
馬券も、軽く買ってみたが、やはり、気が入っていない
ので、かすりもしなかった。

実は、午前三時過ぎに目がさめてしまい、二時間ほど読書。
手近にあったのが、菱川善夫の評論集『飢餓の充足』だった
ので、その評論を拾い読みした。
「批評の堕落」「男の崩壊をくいとめるもの」などの筆致の
厳しさは、現在の短歌の世界の批評からは完全に失われてし
まっている。
「短歌年鑑」に年間展望として書かれた文章も、1963年
1969年、1976年の分が収録されているが、まったく
挨拶や政治的顧慮などとは無縁の、強烈な文章だ。
こういうエネルギッシュな文章を読むと、自分を情けなく
思うと同時に、身体の中にそのエネルギーが蓄積されるよ
うな気持ちになる。
『現代短歌・美と思想』や『戦後短歌の光源』といった
菱川善夫の他の評論集も再読するべきなのかもしれない。


[1890] 美の旅人 2006年01月06日 (金)

「俳句」の「合評鼎談」の3月号掲載分のための鼎談をおこなう。
終了後、千葉皓歯史さんと喫茶店で話す。
俳句というのは(短歌も同じだが)どの扉からその世界へ入った
かによって、その後の俳句観(短歌観)が、かなり規程されてし
まうものだ、という話をしあった。

夜、伊集院静著『美の旅人』(小学館刊)読了。
ゴヤ、ダリ、ミロを中心にしたスペイン絵画の私的鑑賞の書。
作家ならではの丁寧な画家紹介と作品鑑賞が、何も知らない
読者をたくみに引き付けてくれる。
私はゴヤについてなど、何にも知らなかったので、歴史的な
位置づけもふくめて、偉大で過剰な表現者の存在を知った喜び
があった。
作品のグラビアもたくさん収録されていて、手引書としても
読める。おおいに示唆される一巻だといえる。

夜は「笑いの金メダル」のスペシャルをずっと見てしまう。


[1889] 腕自慢金杯的中 2006年01月05日 (木)

京都の金杯、ビッグプラネットの単複的中。

昨日の時点で、東西の金杯を検討して、
東はシェイクマイハートとヴィータローザ。
西はビッグプラネットとキネティツクスに絞っていた。
今朝になって、結局、東の金杯は自信がないので
見送ることにして、PATで、ビッグプラネットの単複と
枠連の3枠総流しを購入。
根拠は、京都の金杯はマイルチャンピオンシップで好走した
馬が好成績ということ。
この馬は7着ながら勝馬ハットトリックとは0.4秒差。
金杯出走馬の中ではマイルチャンピオンシップ最先着。
馬券的には高齢馬や休み明けの牝馬は買いたくない。

発走時間になって、東の金杯、一度、直線で馬群に消えたと
思ったヴィータローザがぐんぐん差してきて眩暈。
アサカディフィートに差されていてくれと祈ったが、ぎりぎり
残ってしまって、また眩暈。
買わなかった馬に勝たれて、これは西の金杯はダメだと思った
ところが、なんと和田騎手がぎりぎり逃げ残ってくれた。
ラッキーと喜びながら、なんでヴィータローザを買わなかった
のかと悔やんでいるから、人間の欲望はとめどがない。
と、とりあえず、些少ではあったが縁起の良い初勝利を
金杯であげることができた。

夜はグループ新年交歓会の手伝い。
夜九時前に帰宅。
「古畑任三郎」を見たあと、岩波の「短歌と日本人」シリーズ
の第一巻『現代にとって短歌とは何か』を再読し始める。
これは「短歌ヴァーサス」のインタビューで、岡井隆氏が
「(歌壇系のメディアでは)完全に無視されたね。だい
 たい僕がやることは全部話題にならないんだな。無視す
 るんだよ。気にはなるらしいけど」との発言をされていた
ので、改めて読んでみようと思ったので。

『ラジオ深夜便 誕生日の花と短歌365日』がNHKサ
ービスセンターから出た。
これは「ラジオ深夜便」の「誕生日の花」というコーナーの
ムック化。365日の花と花言葉に鳥海昭子さんの短歌が
添えられている。カラーで花の写真が入り、歳時記的な役目
もはたす、見ていて心やすらぐ一冊。
値段も980と安価。NHKサービスセンターのムックな
ので、大きな書店には置かれていると思う。

ちなみに、今日1月5日の花は梅。
花言葉は「澄んだ心」
鳥海昭子さんの一首は
・澄みわたる正月五日庭の梅凛々としてひとつひらきぬ


[1888] 仕事始め2006 2006年01月04日 (水)

有楽町の本社で、新年全体会議。
新体制への決意と期待が語られる。
その後、お台場のオフィスへむかう。

フジテレビの新年パーティでラーメンを食べる。
明日のグループ新年交歓会の準備。
6時過ぎに寒風の中を帰宅。
花笠海月さんがメールで、『海境』と『抒情装置』の批評会の
時の写真を送ってくれる。
「古畑任三郎スペシャル」を見ながら、「短歌人」3月号の
作品をつくる。


[1887] 新春古書市句集初買 2006年01月03日 (火)

タイトルは「はるらんまんほっくばんざい」と歌舞伎の外題
風に読む。

朝五時ごろ目を覚まして『美の狩人』を一時間くらい読む。
そのあとで二度寝。
鎌倉書房にまた勤めることになったというわけで、挨拶に
行っている夢を見る。
鎌倉書房は昭和五十一年四月から五十三年の末まで勤めた
出版社。「ドレスメーキング」と「マダム」という月刊誌
を発行していたが、10年くらい前に倒産した。
なぜ、そんな夢を見たかは不明。

松屋・銀座店の新春古書の市が昨日から始まっているので、
午前中、銀座に行ってのぞいてみる。
けやき書店という店が、短歌俳句関係の書籍をかなり出品
している。
こまかくチェックしてみると、なんと、
櫂未知子句集『蒙古斑』
八木忠栄句集『雪やまず』(署名入り)の二冊を発見。
こいつは春から縁起が良い、ということで、早速購入。
どちらも探していた本なので、このように、一緒に発見
できるとは、めぐりあわせが良くなっているらしい。
気持ちの良い本の買初めとなった。

櫂さんの句集はセレクション俳人に、作品は全句収録され
ているが、オリジナル版には、宗左近の栞文と、著者自身の
あとがきがついている。
オリジナル版というのはやはりそれだけの雰囲気もあるので
大切にしようと思う。

おかがみの歪つやさしき閨のなか  未知子『蒙古斑』

黒ぐろと初湯に棲まふわがふぐり  忠栄『雪やまず』


[1886] 時は過ぎ時は積りて初御空 2006年01月02日 (月)

タイトルは今年の新年の一句。
短歌はまだ今年は詠んではいない。

家族と一緒に横浜の母の家へ行く。
交通アクセスのタイミングがとても良く一時間で到着。
お寿司をご馳走になる。
亡き父が庭木の手入れが好きで、山茶花を一本、大阪の社宅
から、千葉の自宅、さらにこの横浜の新居へとずっと、
持ち続けてきた話など聞く。これはまったく初耳だった。
つまり、私は庭木など見もしない性格だったのだ。

午後六時前に帰宅。
思ったよりも風が冷たくない。

昨日の読初めがさわやかな歌集『少年』だったので、今日は
さわやかでないものを読もうと思い、
啄木の『ローマ字日記』を持って出たのだが、横浜への往復
で読了。もちろん、日本語訳だけ読んだわけだが。
学生時代に一度読んでいるが、内容は例のフィストファックの
部分以外おぼえていなかったので初読も同然だった。
実にさわやかでない内容。
勤め先の朝日新聞で給料を前借して、翌日から二週間も休んで
しまったら、そりゃ、信用もなくなるだろう。

私が大金持ちでしかもタイムマシンを発明したら、まず、
明治時代に行って、樋口一葉と石川節子にお金をあげて
生活を立て直させてやりたい、と、いつも思っている。
もちろん、啄木には直接、お金を渡さない。

伊集院静著『美の狩人』を読み始める。
2006年は絵画について勉強してみようと思う。


[1885] 2006年1月1日そして日曜日 2006年01月01日 (日)

年が明けたところで、富岡八幡まで家族と歩いて初詣に行く。
体力的にこんなことをする気になるほど充実している年は
ひさしぶりだ。
1995年大晦日から1996年元旦にかけて、夕張市の
マウントレースイ・スキー場で、
「激寒!雪中カウントダウン!女子プロレスでお正月」という
今考えるとまだバブルの名残が残っていたんだなあと思わせる
バカなイベントをやった時以来か。
あの時は零下18度の雪中に15時間出ずっぱりという
ハードワークであった。

富岡八幡は人であふれかえっている。
ここ数年はいつも体調不良の年末年始だったので
初詣がこんなににぎわっているとは思いもしなかった。

帰宅が午前一時半過ぎ、就寝が午前三時過ぎ。

朝起きて、かたちどおりのお雑煮とお節料理を食べる。

読初めは、秦恒平歌集『少年』(短歌新聞社文庫 667円)
にした。襟を正したくなる端整な韻律の歌集だ。

・アドバルンあなはるけかり吾がこころいつしかに泣かむ泣かむとするも
・ハイネなく百三も読まずなが病みにこころとらへしサザエさんの漫画
・そのそこに海ねこ群れてわがために鳴くかと思へば佇ちつくしゐて
・あはれあはれ山べに野べにみづのうへに旅にふりゆく花の匂ひに
・雨のあとのすこしぬれたる枯芝にすずめらゐたり仔犬もよばむ


[1884] 波乱万丈の2005年 2005年12月31日 (土)

今年は個人的にも環境的にも波乱万丈の一年でした。

三月と四月の二回にわたる入院。

勤め先が敵対的買収にあい、結局、上場廃止になったこと。

生活者としてはこの二点がきわめて大きな事件といえる。

ともかく、2006年を無事に迎えられることを喜びとしたい。


[1883] 年末の週末 2005年12月30日 (金)

書かねばならない原稿が残っていたので、オフィスへ行く。
パソコンで一時間ほど作業していると、消毒スタッフがやつ
てきた。
一時間部屋をあけるということで、食堂で早めの昼食。
放送局の食堂なので、大晦日も元日も営業する。
本社はフジランド。
東名高速の海老名パーキングエリアの食堂と同じ親会社だ。

一時間、時間をつぶして部屋に戻り、パソコンに集中して、
二時前になんとか書き上げる。

午後三時半過ぎに帰宅。
贈呈していただいた歌集のお礼状を書く。
本日は短歌結社誌の新年号が大量に届く。
このように、大衆が参加する文芸雑誌が月々、いくつも
発行されるということは、外国ではあるのだろうか。

夜はついついテレビを見てしまう。
「雑学チャンピオン」から「笑いの金メダル・スペシャル」
まで五時間以上テレビの前。
そのあと、司馬遼太郎『街道を行く・羽州街道』を読みつつ
就寝。


[1882] カウントダウンの昼と夜 2005年12月29日 (木)

朝、お台場のオフィスへ向う。
今日はビッグサイトでコミケが開かれているので
りんかい線が混んでいる。
オフィスへついて、やり残した報告書をひたすら書く。
しかし、心理的には書いても書いても終らない。

夕方、まだ書き終わってはいないのだけれど、駄句駄句会の
忘年会があるので、大江戸線の新御徒町にある「うを長」へ
行く。
欠席は木村万里さん、たい平さん、島敏光さん。
島さんは、よその忘年会の司会の仕事なのだそうだ。

8時過ぎに帰宅。
短歌雑誌がいろいろ来ている中に、「短歌ヴァーサス」もはいっ
ている。やっと、季刊のペースに戻ったようだ。一時は、休刊な
のかと心配していたので、発行のローテーションを取り戻したこ
とはうれしい。
加藤治郎特集と「短歌に評論は必要か」という特集二つ。
加藤治郎特集の三枝昂之さんの文章は、具体的に加藤作品に
ふれて、丁寧にどこが良いかに触れていて、きわめて明解。
ずっと読みそこなっていた歌に対して蒙をひらかれた。
こういう文章が読めるのはありがたい。
評論は必要か、の方は、森本平さんの文章が、いつもながらの
逆説的な文体の総論であり、読ませる。

一度、眠ったのだが、アタマに興奮が残っているのか、一時間
ほどで、また、目がさめる。
司馬遼太郎の『街道を行く』の「羽州街道」というのを40頁く
らい読んで、ようやく眠くなってくる。


[1881] 干しあんずと干し柿 2005年12月28日 (水)

今日から年末休暇。
家でだらだらして、そのあと、干しあんずと干し柿を買って
来て食べた。
年末らしい気分が、味蕾から脳に伝わって行く。

今年は12月になってから、歌集がやたらに出版されているよう
に思える。

北沢郁子歌集『想ひの月』(不識書院刊 3000円)より。

・日本沈没その日来むとも足強きものらは山に駆け上がるべし
・訳もなく騎手落馬せり舵なくて名馬ノーリーズン馬場をさまよふ
・絶え間なき潮騒の音「いそしぎ」の断崖の家のごとく危ふし
・ひまはり畑初めて見しは映画「ひまはり」女の一途さ痛ましかりき
・ハイスクール卒へて直ぐさま軍に就職キティホークに乗り組む乙女
・蜜なめし人は再び蜜をなむなめざりし人はその後もなめず
・ポロネーズ「軍隊」を弾きて破れたるワルシャワ反乱弔ふなりき
・夾竹桃咲きゐるところわが家と問はざるに言ふ李と名乗りて

「蜜なめし人」の歌など、どきりとする批評性がある。
かつて見た映画に現在の心理を重ねる「いそしぎ」や「ひまはり」
の歌も捨て難い。
年末になって良い歌集を読めたことに感謝したい。


[1880] 今年の仕事納め 2005年12月27日 (火)

朝、有楽町の本社へ行き、特別職会に出席。
11時前に途中退席して、お台場のオフィスへ行く。

正午からフジテレビの仕事納めのセレモニーで、会長、社長
が社内の各セクションを巡回する。
無事にセレモニーもすんで、あとは適当に時間をつぶす。

三時過ぎに社屋を出て、りんかい線、京葉線と乗り継いで
東京駅へ。
八重洲ブックセンターに行く。
特に何を買いたいということもないし、本を買いすぎても
いるので、売場見物。
「このミス」の海外部門一位になっていたのに再販が見あ
たらなかった、ジャック・リッチーの『クライム・マシン』
が平積みになっている。
ジャック・リッチーといえば「アルフレッド・ヒッチコ
ック・ミステリ・マガジン」の常連作家。
オチのある短編ミステリの名人である。
しかし、ジャック・リッチーがこんなふうに復活するとは
予想もつかなかった。企画力の勝利ということだろう。

午後五時半過ぎに帰宅。


[1879] 白澤弓彦句集 2005年12月26日 (月)

邑書林から『白澤弓彦句集』が出て、著者の方からの贈呈という
ことでお送りいただいた。
白澤弓彦さんは「寒雷」から「炎環」に所属する俳人。
1952年生れなので、私と同世代。学齢で私が一年上になる。
早稲田大学文学部出身ということで、ここも私と同じである。

驚いたのは、あとがきに、弓彦という筆名は藤原月彦を意識した
と書いてあること。何かかりそめでない縁を感じる。
作品を読むと澄明な抒情性が特色で、読んでいて気持ちがよい。
なぜ、今までこの方の俳句を読む機会がなかったのか不思議に
思うほどだった。
以下、私の特に好きな作品を引用する。

紙衣の楸邨我はちやんちやんこ
孫文の「未ダ革命ナラズ」梅の花
鉄と鉄ぶつかりあひし秋の暮
鬼貫とならびし冬の厠かな
しぐるるや百万遍のかまど猫
麦秋や翼欠けたる天使像
折鶴の金の暗さよ芽舎の忌
雪降れば父ゐて父の冬帽子
虹製造株式会社虹の下
手帳には春夕焼を見しとのみ
大西瓜ツアラトストラどう切るか
百年の次の百年烏瓜
したたりの中のしたたり虹の中
電気には電気のことば冷蔵庫
雨の東京雨の東京かたつむり
きつね啼く古名は「きつ」で「ね」は美称
くぢら来る菜の花の半島あり
秩父困民党赤とんぼ湧く無数
極楽と名づけしバケツ茂吉の忌
真田十勇士夏野に一人づつ消ゆる
大食漢正岡子規の十三夜
父と子をつなぐ夕焼じやんけんぽん
鶏頭の一本ただそれだけのこと

好きな句、心に残る句を引いているときりがないほどだ。
この『白澤弓彦句集』には、これらの作品をおさめた
『蜻蛉の道』のほかに1994年に刊行された第一句集の
『銅鑼(ゴング)』が完本収録されている。

『白澤弓彦句集』邑書林刊 2800円(税込)
邑書林メールアドレス younohon@fancy.ocn.ne.jp



[1878] ハーツクライとブラックマヨネーズ 2005年12月25日 (日)

有馬記念の日なので、朝から短い原稿を書きつつ、レースに
そなえる。
ディープインパクトが無敗の有馬記念馬になれるかどうか、
というより、なるのだと思っていたが、ルメール旗手のハー
ツクライをとらえることができず二着に敗れる。
なんとなく気がぬける。
競馬で、馬券に関係なくがっかりしたのは、ジャパンカップで
オグリキャップがホーリックスとデッドヒートを演じて、結局
二着に敗れた時以来。

夜はM−1グランプリ。
ブラックマヨネーズが優勝。
「上本町から難波までボーリングの球が転がる」というボケが
秀逸で記憶に残る。

一日じゅう家に居たのに、がっくり疲れて就寝。


[1877] クリスマス・イブのオフィス 2005年12月24日 (土)

仕事が少し残っていたので出勤する。
さすがにクリスマス・イブのお台場は、カップルと家族連れで
おおいに賑わっている。
CSの721と739を見ながら仕事をこなす。
三時過ぎに産経新聞の高井氏が来る。
三十分ほど雑談。
四時前に高井氏が帰ると、入れ替わるようにサンケイリビング
新聞の寺島氏が来る。
五時前まで作業を続けて帰宅。

『すばる歌仙』読了。
読後の印象としては、丸谷才一という人は、自分で思っている
ほどには連句の付け合いが巧くないのではないか。
どうも、ベタ付きに見える句が多いのだが。
この『すばる歌仙』に入っている連句を安東次男や石川淳
は、どんなふうに評するだろうか、などと意地悪い考えを
抱く。
独吟歌仙を巻いてみようかと思う。


[1876] 歌仙のたのしみ 2005年12月23日 (金)

天皇誕生日。

『すばる歌仙』を読む。
丸谷才一、大岡信の二人が、岡野弘彦を迎えて巻いた歌仙と
その解説座談会で校正された本。
すでに丸谷、大岡両氏がかかわった歌仙の本には『歌仙』
『浅酌歌仙』、『とくとく歌仙』の三冊が出ていて、
その歌仙シリーズの一冊ということになる。

岡野弘彦は折口信夫とその門下生の先輩と一緒に、柳田國男
を主賓とする連句を巻いた経験もあるという凄い経歴。

「一番多くいっしょに巻いたのが加藤守雄さんでしょう。
 柳田先生と折口、加藤で、虚子のところへ討ち入りみたい
 にし巻きにいった」
という強烈なエピソードがさりげなく語られていたりして
面白い本になっている。
それにしても、この本、現在、大書店の新刊コーナーに
平積みになっているが、連句、歌仙の本がそれほど売れると
いうのは、日本の読書人も捨てたものではないということか。

この本の中の「こんにゃくの巻」に、玩亭こと丸谷才一が
こんな付句を出している。
・穴馬に朱線を引いて権の禰宜

この権の禰宜という言葉に見覚えがあったので、1981年
刊行の『歌仙』を再読してみた。
これは丸谷、大岡の二人がまだ連句初心者で、安東次男、
石川淳という大長老に怒られながら歌仙を巻くという今と
なっては愉快な本である。
その巻頭の「新酒の巻」に、やはり丸谷才一の短句で
・道楽の果は相場で権の禰宜
というのが出されている。
ギャンブルと権の禰宜の組合せということで、ほとんど同一
の発想である。
二十五年を経て、同じような発想が出てくるといのは、丸谷
才一の脳裏には、安東、石川両氏との連句体験が強烈に刻み
こまれているということだろう。
それもそのはずで、この句は安東次男に褒められている。
「お世辞ではなく良く出来ています。丸谷の俳諧的偏見が
 うまく花を咲かせたような句だ。「道楽の果」というこ
 とが効いている」
と、褒められたのがよほどうれしかったのだろうな、と思え
ば、丸谷才一にしてもそうなのかと、嬉しくなる。


[1875] 百年の船 2005年12月22日 (木)

空気が冷凍室の中のように冷たい上に、お台場はビル風が
吹きまくり、みんな凍えて吹き飛ばされている。

辻桃子・安部元気監修『俳句の暮らしと行事』上下巻を買う。
『俳句の天地』『俳句の草木』などと並ぶ、写真歳時記の
シリーズである。
着膨れとか鰭酒とかの人事や行事に関連した季語に解説と
写真がついているわけだが、今回はよく見ると、変な写真
が、けっこうある。
たとえば、歳暮の項の写真は西武百貨店の包み紙がかけられ
た紙箱、どてらは、どてら姿の不可解な男女、ねんねこも、
ちょっと何といってよいかわからないねんねこ姿の女性。
とはいえ、説明の文章がこなれていて読みやすいのと、やは
り写真が載っているのは、なじみのない季語を印象に残す、
役にはたつ。ぱらぱらめくっていて、ついつい写真に目を
ひかれ、解説に読み耽ってしまう。

佐佐木幸綱さんの新しい歌集『百年の船』を読む。

・今日までに<われ>の渡りし橋の数、生きて明日より超えん橋の数

こういう一首がある。
上の句は現代俳句にうんざりするほど類句がある発想。
今の時期にあわせれば
・石蕗の花一生に越えし橋の数
などとすれば、簡単に俳句になってしまう。
さすがに、こういう類想句は今さら褒められることはないだ
ろうが、上記の短歌は下の句で未来のことを提示して、上の
句の類想感を抜け出している。
やはり、短歌の情を述べる部分が、俳句にくらべて、蛇足的
ではあっても、個別の感慨を生み出すということかも知れない。

・天上をめざしてはならず 豆の木の蔓を横木にまきつけてやる
・ホスピスの人はまぶたを下ろし居り 秋の日射しは窓をあたたむ
・まんまるな夕日が人体の中にある 体内の闇の深さ思うも
・青梅雨のつづける日々の夕べにて東京タワーいま点灯す

以上、『百年の船』より、心ひかれた作品。


[1874] 敬意と情熱 2005年12月21日 (水)

「レ・パピエ・シアン」1月号の大辻隆弘さんの連載「昭和二十
八年十二月」がとても面白い。
岡井隆と相良宏を中心に初期の「未来」の同人たちの群像を描く
この長編エッセイは、毎月、楽しみに読んでいるのだが、今回は
大辻さんが実際に相良宏の旧居跡を探しに行くという内容。
西武池袋線江古田駅に降りて、さまざまな土地の人たちに話を聞
きながら、当時の相良家の様子と相良宏の地域での人物像が明ら
かになっていくさまは、スリリングであり感動的でもある。

その土地に古くから住んでいる人たちを訪ねて、相良家のことを
たずねる大辻さんの情熱が行間から伝わってくる。
突然訪問され、50年も前のことを聞かれた土地の人たちが、そ
れぞれ親切に相良家とその長男であった相良宏のことを語ってく
れるのは、相良宏のことを知りたいという大辻さんの情熱と相良
宏への敬意が、聞かれた人たちに伝わったからだと思う。
本当に気持ちの良い文章だ。

夜、寝る前に『飯田龍太全集』第10巻の中から、「雲母」の
編集後記を読む。編集後記といっても、みごとな文章であり、き
ちんとしたエッセイとして仕上がっている。
病床の日野草城をたずねたエピソードや甲斐の風土のスケッチ等
読んでいるとやめられなくなってしまう。
その中に「六歳の娘がわずか二日の病臥で亡くなった」などという
記述がさしはさまれていてドキリとさせられる。
これもまた良い文章を読めて幸福な一日だった。