[1873] RIZE 2005年12月20日 (火)

社内試写で「RIZE」を見る。
ダンス映画である。
サンダンス映画祭で大好評だったという。サンダンスでの評判は
おおむね期待を裏切らないものだ。
ロサンゼルスの黒人街に住む黒人たちが、ダンスバトルをおこなう
という事実にもとずいたドキュメント。
トミー・ザ・クラウンというダンスをこの地区に定着させた人物を
きっかけにして、現在、激しくダンスに賭けている人物群像が紹介
され、それぞれの本人や家族のインタビュー及び強烈なダンスシー
ンで構成された作品。
なにしろ、ダンスをやらなければドラッグ浸りかギャングになるし
かなかったと、登場人物のほとんどが証言するほどの危険地帯なの
で、逆にダンスにかける情熱とその体技も想像を絶する。
アフリカの血にその動きが流れていると解説されるが、まさしく、
そのとおりなのだろう。
最後の方に白人とアジア系の二人が出てきて、それぞれが、黒人じ
ゃない自分がこのダンスのレベルに達するのは困難だと言う。
渋谷のシネマ・ライズで来年公開されるらしい。
大ヒットはしないにしても、見た人たちによって、その凄さが
語り継がれてゆく種類の映画になるだろう。
ちなみに「RIZE」は「這い上がる」と訳されている。

「短歌往来」1月号の今野寿美さんの「歌のドルフィン」が読み
応えがある。

・そと秘めし春のゆふべのちさき夢はぐれさせつる十三絃よ

この『みだれ髪』の巻尾の歌の解釈とその構成意図から始まって
岡井隆の次の歌が紹介される。

・曙の星を言葉にさしかえて唱うも今日をかぎりとやせむ
・以上簡潔に手ばやく叙し終りうすむらさきを祀る夕ぐれ


『天河庭園集』の巻頭と巻尾の歌。
岡井隆のこれらの短歌をノートに写したり、つれあいと語り合っ
たりした想い出が語られ、現代短歌に魅せられた頃の気持ちの
良い興奮と快感が、美しい文章で綴られている。

「歌集のすべてを支えている時代、そこを生きる主体の敗北感。
共有することのなかった口惜しさはともかく、その勇ましくて
せつない男歌の抒情が最後に「以上簡潔に手ばやく叙し終り」
と素っ気ないほどに締めくくられるのはさすがに小気味よいと
思えた。そこに広がる「うすむらさきを祀る夕ぐれ」の美しさ。
歌集がこんなふうに結ばれることに深く感じ入ったはじめであ
った」

私もまたこういう初心の感動を味わい、興奮し魅せられることで
現代短歌の世界に深入りしていったことを、今野さんの文章から
思い出すことができた。
初心を忘れがちな昨今の自分への反省をも促されたのだった。


[1872] 俳句は文学でありたい 2005年12月19日 (月)

月に一回の診療日なので、朝から慶応病院に行く。
今年は一月の年始明けに、極度の体調不良で慶応病院に
這うようにして行ったことから始まった。
三月の三週間、四月から五月にかけての二週間と、二回の
検査入院を含み、一年間、慶応病院に通ったことになる。

川名大の俳句時評集『俳句は文学でありたい』読了。
この題名は摂津幸彦さんが「恒信風」のインタビューで
「現代俳句は文学でありたいよね」と発言したものを
受けたものだそうだ。
当然、石田波郷の「俳句は文学ではない」という有名な
テーゼに対するアンチテーゼでもある。
昭和六十年代から昨年までの二十年間にわたって、新聞や
専門誌に書き継がれてきた時評なので、その期間の現代俳句
のさまざまな出来事への批評集ということになり、読み応え
がある。
川名大自身の批評意識も鋭くはあるが、時折、引用される
高柳重信、三橋敏雄、鈴木六林男ら、先人の言葉が痛快に
脳裏に残る。
さらに、林田紀音夫、河原枇杷男といった、現代俳句史が
とりおとしそうになっている優れた俳人の仕事の意味を
くりかえし説いている誠実さにも共感する。


[1871] 日本列島大寒波 2005年12月18日 (日)

日本列島を寒気団が襲っているということで、強烈な寒気。
劣等各地は雪。
中京競馬は積雪のため九レースで中止。CBC賞は来週の
土曜日に延期されることになった。
東京の空気も冷凍庫の中に入ったように冷たい。
いただいた歌集の礼状をポストに入れるためにポストに
二度行ったほかは、終日家に閉じこもっていた。

田島和生著『新興俳人の群像・「京大俳句」の光と影』読了。
「京大俳句」事件に関しては、これまでも川名大の文章、
小堺昭三著『密告』、鈴木六林男、三橋敏雄といった人たち
の文章や証言で、概要は知っていたが、時間軸にそっての
把握がこの本を読むことでできるようになった。
土曜日から、同時進行で、川名大著『俳句は文学でありたい』を
読み進んでいるのだが、こちらにも「京大俳句事件」に関する
文章が何本か含まれている。

短歌専門誌の一月号が届き始めた。
「NHK短歌」一月号から三ヶ月連続で「現代短歌アンソロジー」を
担当している。今回のテーマは「夢」。
夢を詠んだ短歌三十首と短文。
よくあるような、有名歌人の名前から先に決めて、後から
短歌を選んだような挨拶的なものではなく、当然のことな
がら作品本位で選んである。ぜひ、読んでほしいと思う。
二月号のテーマは「酒」、三月号は「東京」がテーマ。

「短歌往来」一月号には巻頭の時評にあたる「今月の視点」を
執筆。ここ何年かの自分の言動への反省もふくめて、短歌の
現状に対する危機感を書いた。
あれもいい、これもいいと、少しでも新しさの感じられる
ものを褒めてゆくという態度に対する反省。
少なくとも自分自身の短歌に対する価値判断だけは、今後は
あいまいにせず、毅然とした発言をしていきたい。


[1870] 歌会と忘年会 2005年12月17日 (土)

「短歌人」の十二月月例歌会と忘年会。
会場は池袋の東京芸術劇場の中会議室。
忘年会はライオン池袋店。
昨日の編集会議に続いて、二日続けて池袋芸術劇場に来たこと
になる。
歌会は「指」という題の題詠。
60首出詠の盛況。
私の作品は下記のとおり。

・罰としてコピー用紙で指を切り冬のオフィスの無期囚徒なる

忘年会では、服部みき子さん、蒔田さくら子さんらと一緒の
テーブルになる。
おおいにもりあがる。二時間しゃべり続けだった。

夜、九時前に帰宅。
『高瀬一誌全歌集』が届いている。

・ぼうぜんとすぎゆくもののかたちにて車輌は鉄の音をひびかす

1958年の作品。
高瀬一誌という人が、いかに強靭な精神力で、後年の誰にも
にていない文体を創造したかがわかる。
私はこの高瀬さんの精神を必ず受け継いで行こうと思う。


[1869] 三丁目の夕日 2005年12月16日 (金)

「ALWAYS三丁目の夕日」を見る。
評判どおり好感のもてる作品にしあがっている。
細部をあげつらうことはできるが、そんなことを
してもしかたがないと思わせる好仕上がりになっている。

堤真一、吉岡秀隆、小雪とみごとにキャラクターにはまって
いて、舞台設定にみごとに溶けこんでいる。
特に堤真一の鈴木オートのおやじは、ああいう子供を怒鳴り
つけてばかりいる工場主は確かに居た。子供はそれを承知で
工場で自動車を修理しているのを覗きにいったものだ。
舞台になっている昭和33年は、私は小学校一年だったので
ちょうど、鈴木オートの息子と同じような年齢だろう。
子役たちも好演。リアリティがある。
それぞれの立場で共感する部分が微妙に異なるのかもしれな
いが、昭和世代の人には、確実に郷愁をよびおこしてくれる
物語になっている。
小雪のちょっと品のない顎の線も役柄にはまっていると、
そんなところに感心してしまった。

夜は「短歌人」の編集会議。
『高瀬一誌全歌集』が完成したそうだ。
早く読みたいと思う。
また、寒波の中を帰宅。


[1868] 寒波また寒波 2005年12月15日 (木)

昨日の忘年会で食べ過ぎたのがかえすがえすも悔やまれる。

ユカギル・マンモスのチケットが二枚ずつ配られる。
高校生の修学旅行生で、けっこう混雑している。

「俳句研究」一月号を少し読む。
高柳克弘の新連載が寺山修司の俳句との出会いにふれた
初々しい文章で、イヤミがなく、良い文章になっている。
小川軽舟の「飯島晴子の句帖」という新連載も、自分の
名前をあえて文頭に記さないという姿勢の文章で、内容
以外の部分でも好感がもてる。

田島和生著『振興俳人の群像』を読み始める。
文章に少し書きすぎていると感じさせる部分があるが
丁寧に調べた文章なので、読み進む意欲がわく。

外で寒波がふきすさぶ音がする寒い夜。


[1867] 47人の日 2005年12月14日 (水)

忠臣蔵でおなじみの四十七士討ち入りの日。
四十七人という人数が多いのか少ないのか。

グループ各社のシステム担当者が集まって、新システムの勉強と
情報の交換をするテレネット部会があり、二時間の会議の後
そのまま新橋に出て忘年会。
「安愚楽」という寄せ鍋の店で、銀座ライオンの系列。
じゅうにぶんに鍋物をいただき、また、体重がリバウンド
への道をたどっている。

帰宅後、ネットの古書店で買った、辻桃子監修の『俳句の鳥』と
『俳句の草木』という写真歳時記のカラー写真をぱらぱらと
見る。今までは、こういうビジュアルにまったく興味がなかっ
たのに、なぜか、今夜は心がなごんたりしてしまう。
季語としての知識だけ知っていて、実物の像をしらない
水鶏や半夏生の写真についつい見入ってしまう。
明らかに加齢による嗜好の変化が出始めているようだ。
さて、今後どうなることやら。


[1866] 我が家に坐すもわが旅路 2005年12月13日 (火)

毎日、今日は昨日より寒いといっている。
確かにきょうの空気の冷たさは昨日よりもきついように感じられる。

昨日の夜、ひさしぶりに、笑福亭鶴光師匠のラジオの生放送を
聞いた。やはり、この猥雑さがAMラジオの王道だと思う。

さて、今夜は佐藤三保子の句集『綾垣』と『青墨』の2冊を
読んだ。
佐藤三保子は「かまつか」と「俳句評論」に所属していた俳人。
私は昭和50年代に「俳句評論」の句会で何度かお目にかかった
ことはあるが、私の母に近い世代の方でもあり、話し込んだと
いう記憶はない。
ただ、私は「俳句評論」の女性俳人の中では、佐藤さんの作品が
いちばん好きだったし、文学的にも深いものだったと思う。

『綾垣』(端渓社刊)より
秋風の我が家に坐すもわが旅路
遺書以後もある風呂桶の楕円かな
なつかしき車座にして通夜なりけり
穿く足袋に足は隠れて桃の花
海と陸とに秋風の闇ありにけり

『青墨』(俳句研究新社刊)より
厠まで歩いて終る長き秋
いつも松風わが名の三保の松原は
玄関に蝙蝠傘の立つ月夜
身ほとりの花火の殻が匂ふなり
われに憑きくる一綺語と向日葵あり

写していて、いかにも「俳句評論」的な匂いは感じるが、
それでも、初読のときの清新な刺激がよみがえってもきた。
想像力で不可視の世界を描き出す俳人として、
佐藤三保子という人はかなり傑出していたのではないかと
あらためて思った。
たとえば、この傾向の俳人としては、中村苑子が代表として
語られることになるのだろうが、幻視のイメージの個性は、
佐藤三保子のほうが強いと私は思う。
しかし、歳月の流れの中で、佐藤三保子とその作品は忘れられて
しまうことになるのだろう。
宮入聖、安土多架志、郡山淳一、宮崎大地と、忘れられてしまう
かもしれない作家と作品について、微力でも語っていきていと思う。


[1865] 寒い朝、寒い夜 2005年12月12日 (月)

昨日がこの冬いちばんの寒さということだったが、今朝はさらに
気温がざかり、冬日になった。

オフィスにいるあいだ、何となくふしぶしが痛くなり、風邪の
予兆が出てきたむので、さっさと帰宅。
菱川善夫著作集の第一巻『歌の海』の残りを読了。
短歌の鑑賞だけで、一気に読ませる本は珍しい。
それは、菱川善夫という批評家の短歌に向う姿勢、あるいは
秀歌を選択する姿勢にいっさいのぶれがないからといえる。
それと文章に媚びや挨拶がいっさいない。
一首をとりあげながらも、作歌姿勢に関して、言わなければ
ならないことは、きちんと発言しているので気持ちが良い。
私も、このような一首鑑賞でありながら、短歌状況の批評に
なる文章を書いてみたい。

すでに12月12日になったので、今年のマイフェバリットの
歌集と歌書を選んでみる。

第一歌集 角田純歌集『海境』
第二歌集以降の歌集 渡英子歌集『レキオ 琉球』
歌書 三枝昂之著『昭和短歌の精神史』
天草季紅著『遠き声 小中英之論』

以上。


[1864] 天婦羅を食す 2005年12月11日 (日)

午前中は六本木のコモワイズ・イガワで髪を短くカットしてもらう。
そのあと、あおい書店で辻桃子・安部元気共著の『俳句の天地』を
買う。歳時記の天文と地理の事項をカラー写真付きで解説し、例句
を付した写真歳時記。
六本木から日比谷へまわって、有楽町の本社へ行く。
放送技術部のTさんと少ししゃべり、そのあと昼食を食べて帰宅。

朝日杯も鳴尾記念もそのあとの各地の最終レースも完敗。
またしても、精神的に落ち込む。

夕方、家族四人で門前仲町の天婦羅屋に行き、天婦羅のコースを
食べる。れくらいの良い味の店が門前仲町にできてくれたのは、
とても嬉しいことだ。

競馬の落ち込みから脱して、良い気分で帰宅。
「未来」12月号を拾い読みすると、さいかち真さんが、光岡良二
の歌集『深冬』の作品を紹介している。
光岡良二はハンセン氏病に苦しみながら歌を詠み続けた歌人。
1958年に『深冬』という歌集を出している。

・青年等がさらふラ・クンパルシータに胸ゑぐられ坂くだり来れば夜の潮騒 光岡良二

さいかちさんの引用する短歌はどれも心にしみる。
最近、短歌を始めた若い人たちに、短歌の歴史にはこのような先人
も居たことをぜひ知ってほしい。
もちろん、さいかちさんもそういう願いをこめて、こういう文章を
書いているはずだ。


[1863] 青井史さんの大著 2005年12月10日 (土)

今日は一日ゆっくり過ごす。
青井史さんの大著『与謝野鉄幹・鬼に喰われた男』を読み
始める。
「かりうど」という雑誌を創刊し、十年間かけてこれだけ
の評伝を連載して、一巻にまとめた志は素晴らしい。
歌壇の流行に流されることなく、自分の仕事を深め、持続
することの貴重さを思い知らされる。
「かりうど」が単なる歌の結社誌ではなく、文学の志を
底流させた雑誌だということの証明でもある。


[1862] 焼肉忘年会 2005年12月09日 (金)

グループ事務局の忘年会。
春先の入院及び退院以降、こんなに大量に食べたのは初めて。
上ハラミをしこたま食べて、キムチもナムルも食べ、最後に
カルビクッパまで食べてしまった。
案の定、帰宅して体重を量ると二キロくらい太っている。
体重はすぐに減らすことができるが、一度小さくなった
胃袋が、また、大きく広がってしまうのが困る。

鏡山昭典著『私撰枕ことば辞典』を購入。
著者は国文学者ではなく、元警察官。
定年後、枕言葉の研究をはじめたという異色の人。


[1861] 俳句の魅力 2005年12月08日 (木)

有楽町の本社で決算説明会に出席してからお台場のオフィスへ
行く。移動時間と説明会の時間前に入った喫茶店で、角川
春樹の新句集『JAPAN』を読む。
あとがき、解説、長渕剛からのメッセージ、著者へのインタビ
ューが作品のほかに載っているという、ちょっと面白い、
本の構成になっている。
作品はあくが強いから好き嫌いはあるだろうが、ある種の
小気味良さがあるので、読み進むことはできる。

帰宅後、こんどは、ふらんす堂の現代俳句文庫版で
『鳴戸奈菜句集』を読む。
『イヴ』『天然』『月の花』『微笑』の四句集から、それ
ぞれ100句前後が抄出された、いわばベスト選集。

著者の思いとは逆行するのだろうが、処女句集の『イヴ』
がいちばん面白く、現在に近づくにつれて、発想が平凡に
なってくるように見える。
良いと思った句を『イヴ』からあげてみる。

・老父ふと鳥のごとくに空を見ぬ
・噛む葦のむかし金襴緞子かな
・水飯の匂い永遠なる立見席
・白昼の桜自爆のことありぬ
・許すまじ春の空井戸覗かれて
・われに倦み赤き金魚を買い足すよ

一方、これは困ったと思う句を一句だけ。

・俳句ああ夕空深く耕せり

参考作品を二句。

・目覚めがちなる
 わが尽忠は
 俳句かな    高柳重信

・俳句思へば泪湧きいづ朝の李花  赤尾兜子


[1860] 退屈な午後 2005年12月07日 (水)

本日はひたすら資料つくりのはずが、それをつくる必要がなく
なってしまったので、オフのような一日になってしまつた。
午後から夕方までのあいだに、どれだけの回数のあくびを
したか、まさに、
「退屈で、退屈で、ならねえや、あーあ」という「あくび指南」
のような退屈な午後であった。

夜は東陽町の江東区文化センターでの講座。
今日は人名を詠み込んだ歌の実作とその鑑賞。
姉歯建築士から奥田宋元まで、多彩な人名が乱舞する
楽しい講座であった。
とはいえ、奥田宋元を知らずに恥じをかいてしまったのだ
が、まあ、すべての人名を知っているというわけにもいか
ないということだ。
今後、勉強します。

帰宅後、「俳句研究年鑑」を拾い読みする。
「あしたの俳句批評のために」という題の文章で、
仁平勝が、川名大の俳句史の認識に対して、激しい言葉で
異をとなえている。
一つ気になったのは、岸本尚毅が作品展望の欄で、高柳克弘
の作品への批評文に
「小川軽舟「鷹」主宰と高柳編集長のコンビは健気なる
 「幼君幼家老」の風情」と私には揶揄と思えるフレーズを
書いていること。藤田湘子逝去後に若い小川軽舟が新主宰に
そして、さらに若い高柳克彦が編集長になったことを、この
ように書いているわけだが、作品批評の原稿の中で書くこと
ではないように思う。

加藤郁乎の『俳林随筆 市井風流』を読みながら就寝。


[1859] 菱川善夫著作集刊行開始 2005年12月06日 (火)

沖積舎から『菱川善夫著作集』第一巻が届いた。
全巻予約講読申込みをしたうちの第一回配本である。
内容はかつて刊行された観賞本の『歌の海』及び、北海道新聞に
現在も連載中の「物のある歌」の最初の四年分。これはもちろん
初書籍化だ。
巻末にもう一つ「物とは何か」との講演筆記が入っている。
これは、「物」イコール「神」という古代の認識から解き起こし
山中智恵子作品を読み解いてゆくという、きわめて面白く、また
教えられるところ多い内容。
やはり、山中智恵子の奥深さというのはただものではない。
塚本邦雄なき現在、私が唯一畏怖を感じる歌人が山中智恵子だ。

「俳句年鑑」に、櫂未知子さんが「花火もしくは」というタイトル
で、10代、20代の俳句作者の作品の批評を書いている。
櫂さんの文章の一部を引用する。
「ネットの普及やイベントの増加で、花火のように騒いでから
消滅するにわか若手俳人が増えた。俳句は若い世代が少ない
分野だから、総合誌に登場するのも年配の人に比べると、格
段に簡単である。しかし、それは若い俳人が使い捨てされる
状況になりつつあるということでもある。一夜の花火か、炎
を絶やさぬ大物になるか――それはあなた次第。」

ちなみに私が初めて短歌専門誌に作品が掲載されたのは37歳の
とき、「短歌人」に入会してから18年後だった。
いまの若い短歌・俳句作者はやはり恵まれていると私も思う。


[1858] 過去は過去? 2005年12月05日 (月)

日曜日の歌集批評会の帰り道で、松原未知子さんから
12月3日の項目に載せた「兄よ」という連作は、いままでの
フジワラの短歌の中でいちばんよかった、と言われた。
いかにも松原さんらしい感想だし、それを言ってくださるのも
たいへんありがたかった。
まあ、でも、あれはあくまで過去の作品で、
私としては当然のことながら、現在の作品をこそ読んで
いただきたいわけである。
いずれにせよ、1989年に改めて短歌を選びなおした時に、
あの手の耽美的な傾向のものはいっさい書かないと決めたので
今後も、ああいう作品を書くことはありえない。
短歌は何でも表現できるわけだが、私は何でも詠うわけではない。
自然、相聞、家族といったテーマを私は詠わない。
それは自分でそう決めたのだ。
短歌表現の基底には、表現者の意志と方法がなければならない。

「短歌年鑑」を読む。
三枝昂之さんの作品批評は、対象の歌人の短歌だけでなく、時評
や評論やエッセイにまでも目をそそぎ、それに言及している。
『昭和歌人の精神史』と『歌人の原風景』という圧倒的に優れた
歌書の著者による、広く深く目配りの効いた批評に感動する。


[1857] ロカビリーと歌集批評会 2005年12月04日 (日)

昨日の夜は、斉藤アンコーさんと一緒に、赤羽のライブハウスの
ウッディへ、ビリー諸川さんのロカビリーライブを聴きに行った。
ビリーさんはまもなく50歳という年齢だが、とにかく、ロカビ
リー少年を持続し続けている。
お客も、9歳の少年が一人居たほかは、40代、50代、60代の
元不良少年少女たち。
とにかく、「ルイジアナ・ママ」や「テネシー・ワルツ」に、日
本語の歌詞がついているのがこの時代の特徴。それがなんとも
うれしく心に染みる。

カラスがカアで夜が明けて、日曜日は神楽坂の出版クラブで、
角田純歌集『海境』と資延英樹歌集『抒情装置』の合同批評会。
パネリストが、高橋睦郎、小池光、池田はるみ、菊池裕、中沢直人、
石川美南の6人で司会が田中槐さん。
二冊同時ということと、パネリストが多いということで、進行が
どうなるか懸念していたのだが、それは杞憂であった。
司会のみごとな手際で、混乱することもなく、充実した発言が
かわされた。
印象的には近年の批評会の中ではいちばん刺激された感じだった。

「未来」のメンバーが中心ながら、「短歌人」からの出席者は、
パネリストの小池光さんはじめ、花笠海月、斉藤斎藤に私の四人。
他に黒瀬からん、笹公人、大島史洋、稲葉峯子、松原未知子、
渡部光一郎、詩人の林浩平さんたちが出席していた。


[1856] なりかわりの歌など 2005年12月03日 (土)

仕事に関連して人間関係がさまざまにあわただしさを増す。
私自身は一歩ひいたかたちをとっているが、いずれにせよ、
当事者の一人であることは確かなのでどうしようもない。

「D・arts」9号の「短歌の「私」とリアルを巡って」を
読み終わって、自分もむかしいわゆる「なりかわりの歌」を
つくっていたなあ、と、懐かしく思い出した。
歌集に入れていない「兄よ」という連作があるので、以下に
再録してみる。初出は1972年の「早稲田短歌」、ただ
このうちの五首ほどは「短歌人」にも載った。
その後、1982年の「小説JUNE」創刊号に再録された。

星月夜 兄―つらなる一筋の血の水脈(みお)をわが詩は遡る
鞭刑の苦痛に耐える兄の眼におさなきセクス燃やしていたり
夭き死を愛せば薔薇の棘痕を兄と競いし幼年時代
夜ごと夜ごと黄ばむ写真の亡兄(あに)の貌不吉なまでに美しく老ゆ
花よりも祖国(くに)を愛して 兄眠る地中海いま血の色に昏れ
ああ夭き狂おしき愛国者たり兄の名トニオ享年十五
海ゆかば水漬く屍とかつてわが兄の愛せし祖国 イタリア
黒シャツに汗匂わせてうしろ手の合せ鏡に顕つ兄の像
殉愛とも賜死とね言えど兄の死を憎めば甘く疼く咬み痕
性愛も知りえぬままに逝きしゆえ兄の墓標は樹液にまみれ
さもなくば兄の求愛拒みたる女犯して来し運河(かわ)明り
兄の死を妬みて問えばバシリカの彼方に蒼く照る昼の月
兄の死を告げる真紅の花が咲きまた母が泣き秋昏れてゆく
詩より死を選びし兄を妬みつつ秋雷の夜を耐えているのみ
ジン臭い息吐きながらこの秋も死にそこねたり 兄よ許せよ

昨日、ふれた片岡直子は「私は、先行の詩人の真似をした
経験が無い。」と書いていたが、それは稀有な異才の言葉だ
と思わざるをえない。
塚本邦雄や春日井建や寺山修司にどれだけ傾倒していたか。
ほほえましく初心の頃を思い出す。


[1855] 恥を知ること 2005年12月01日 (木)

小林信彦の「丘の一族」と「家の旗」を読む。
講談社文芸文庫の自選短編集だが、手に入りにくい作品だ
ったので、ありがたい。坪内祐三の解説も純文学作家としての
小林信彦という視点で、読み応えがある。

「文学界」11月号に掲載された片岡直子の「インスピレ
ーションの範囲・小池昌代さんの「創作」をめぐって」を
コピーをとって精読する。
小池昌代の詩と小説が先人の作品から、影響という以上の
類似性がある、ということを両者の作品を対比させることで
緻密に論証している。
この文章を読む限り、指摘された小池昌代の作品が、先人
の特定の作品から発想を拝借して、それをもとに自分の
思いを肉付けしていったものであることは、言いのがれよ
うがないと私は思う。
端的に言って、みっともなく、情けない話だと思う。
表現者としての矜持を賭けて、この文章を書いた片岡直子
の勇気をたたえたい。

一節を引用する。
「詩を書き始めた初期においても、私は、先行の詩人の真似
 をした経験が無い。振り返って、あの作品はそうだったと
 思ったことも無い。誰もが知っている先行作品のパロディ
 をするのとは異なり、真似をするとか、なぞるとか、黙
 って持ってくる、などというのは屈辱的な行為であるし、
 そんなことをするのなら書かなければ良いと思う。」

片岡直子の感性は、まったく潔いものだ。
表現者は何より自分の言葉に恥じる行為をしてはならないと
思う。あたりまえのことである。


[1854] 無名極楽 2005年11月30日 (水)

有楽町の本社へ行くのに少し早く出て、『飯田龍太全集』の
作家論篇に収められている「無名極楽」という文章を読む。
蛇笏の時代の「雲母」に投句していた無名の俳人たちの作品
をあたたかい筆致で紹介した名随筆。
この文章は原稿用紙で50枚以上あると思うが、発表誌が
「海」だというのも驚いた。
これを企画、依頼した編集者はたいしたものだ。
文芸誌にもっとこういう文章がのると良いと思う。

本社で会議に出たあと、カレーを食べて、TASCHENの
絵はがきを買って、お台場のオフィスへ行く。
午後はあいかわらずの事務作業と会議。

帰宅後、また、『飯田龍太全集』を読み続ける。


[1853] 不愉快でしかない一日 2005年12月29日 (火)

オフィスにこもってひたすら事務作業。
のっぺりした時間が過ぎてそのまま夕刻。
帰宅後も不愉快さは増すばかり。


[1852] 言葉への潔癖さ 2005年11月28日 (月)

言葉への潔癖さということを、私は作歌にかかわらず、
表現のすべてにおいている。

この潔癖さということには、昨日書いた悪狎れのようなこ
とも入るが、当然、修辞に関して思うことが多い。

たとえば、オノマトペを安易に使用した文章は嫌いだ。
詩歌においては、私自身はオノマトペをある時期から
まったく使っていない。
短歌や俳句という短い詩形でオノマトペで表現を妥協
してしまうようなもったいないことはできない。
オノマトペよりもっとそこにふさわしい言葉があるはず
なのだから、その言葉と出会う努力を放棄してしまうの
なら、詩歌をつくる甲斐がない。

あと、相聞歌などによく使われている「君」「きみ」という
二人称も、私には表現の努力の不足にみえる。
相聞は「君」に向けて歌っているのだから、「君」などと
書かずに、その二音分で、もっと歌が緊密になる助詞や
助動詞を探すべきだと私は思うのだ。

他人が作り出した言葉を安易に緩用するのも、まさに言葉
への潔癖感の欠如のさいたるものだと思う。

今後、この言葉への潔癖感ということについては、具体的
な作品を引いて、書いてみようと思っている。


[1851] 悪狎れした歌 2005年11月27日 (日)

今月号の角川「短歌}」の穂村弘の新作に下記のようなよう
な作があった。

・デジタルの時計を巻きつけてみたい山中智恵子の左手首に

この歌はいったい何を詠いたかったのだろうか。
固有名詞の山中智恵子が出てくる必然性が私にはまったく
わからない。
歌人山中智恵子の名前を使ってこの一首はどんな感興、興趣
を読者に与えようとしているのか。
デジタル時計と山中智恵子のミスマッチさが狙いなのか。
どうも、私には不愉快な歌に思える。
山中智恵子という名前を一首に詠み込むのならば、修辞なり
で、その必然性を感じさせるのが当然だと私は思う。
すくなくとも私ならそうする。
そして、これもあたりまえのことだが、そこには偉大なる
歌人・山中智恵子という存在に対するリスペクトをこめる。
さて、掲出の歌にはリスペクトが感じられるだろうか。
私には感じられない。
それどころか、揶揄の気持ちがあるようにさえ見える。
こういう歌のつくりかたはまずいのではないか。
先人の名前を歌に詠み込むという行為に対して
あまりにもお手軽な思いしかなかったのではないか。
無神経すぎると私には思える。
言葉をつかうときに必ずもっていなければならない
潔癖さが決定的に欠如しているのではないか。
山中智恵子の名前がすぐにわかるのは現代短歌になじんで
いる人たちに限られるだろう。そういう人たち、つまり、
歌壇のインサイダーに向けての悪狎れした態度が底にある
ようにみえる。
そういう態度を私は嫌悪する。
歌を詠むという行為は言葉に対して謙虚であり、貪欲であり
そして潔癖な神経をそそぐことだと思う。


[1850] 「ににん」5周年の会 2005年11月26日 (土)

午前中、平和島のクリニックへ行ってまた点滴。

俳句同人誌「ににん」の5周年の会に行く。
「ににん」は岩淵喜代子さんと土肥あき子さんが中心の
俳句同人誌で、詩人の正津勉さんや清水哲男さんも参加
しているユニークな内容。
新宿のセンチュリーハイアットで、俳人、詩人、歌人が
ジャンルをこえて集まった。
同じテーブルで櫂未知子さん、山西雅子さん、太田うさぎ
さん、酒井佐忠さんたちが一緒だった。
中島鬼谷さん、原雅子さん、小澤克己さん、筑紫磐井さん
大井恒行さん、三宅やよいさん、今井聖さん、八木忠栄さ
んらと話す機会があった。田中庸介さんも来ていたので驚
いた。
詩人の八木幹夫さん、井川博年さんにも紹介していたたいた。

二次会まで居て、大江戸線経由で帰宅。




[1849] 35年目の憂国忌 2005年11月25日 (金)

三島由紀夫の自衛隊乱入割腹事件から35年。

まだ、風邪がぬけていない。
広告大賞の準備の名簿整理をするも、だるさがぬけない。

夕方、駄句駄句会のため神楽坂のうなぎ屋へ行く。
中村さん、島さん、横沢さん、吉川さんが居るが
宗匠が体調不良で欠席のため、今日は句会はやらずに
食事のみで解散。

帰宅後、『俳人協会の歩み』という本を読む。
この本は定価8000円のところ、2000円で古書店で
売っていたので、値引率にひかれてつい買ってしまった。
俳人協会の会報に載っていたエッセイや座談会が再録され
ていて、俳人協会のさまざまな事象について、知ることが
でき、買い得の本だった。
俳人協会ができてまもない頃、清水径子さんの自宅を、
しばらくのあいだ、連絡先にしていたということも知った。
知られざる事実がいろいろとあるものだ。


[1848] 右腕がだるい 2005年11月24日 (木)

朝、重要な書類を提出しに、有楽町の本社へ行く。

風邪がまだぬけきれていない。
オフィスで名簿の整理のために、パソコンを打ち、さらに
会議の議事録をつくっていたら、右腕がだるくてたまらなくなる。
吐き気はしないが、身体のだるさもぶりかえす。
早々に帰宅。

夜、古島哲朗さんが電話をくださる。しばし歓談。

寝ながら、『自解・清水基吉句集』読了。
若くして芥川賞を受賞し、そのご40歳で電通に勤め
定年までサラリーマンを続けたという人生が300句と
自解の中から浮かび上がってくる。
俳句に関してわりとオノマトペを緩用しているのが意外に
思えた。


[1847] プラネタリウムの夜 2005年11月23日 (水)

午後、神保町の画廊に蜂谷一人さんの俳句と絵の展覧会
「プラネタリウムの夜」を見に行く。
会場で蜂谷さんと懇談。
石井さんも来る。

急いで帰宅。寝る。


[1846] 風邪でダウン 2005年11月22日 (火)

オフィスに行って、10時半を過ぎた頃から、急に全身の
だるさと吐き気に襲われる。
急いで帰宅。
ちょっと休んで、平和島のTクリニックへ行く。
点滴と投薬で症状をおさえて、そのまま、池袋の東京芸術
劇場の会議室でおこなわれる「短歌人」編集会議へ行く。
症状を薬で押さえ込んでいるだけなので、かなりつらい。
急いで帰宅して寝る。


[1845] 歌人の仕事 2005年11月21日 (月)

慶応病院に行ったので一日休み。

病院での待ち時間で車谷弘著『わが俳句交遊記』読了。
いとう句会の世話役だった著者なので、久保田万太郎を
中心とする文壇の句会の様子が面白く読める。
不思議なのは、久保田万太郎のところに出入りしていた
はずの正岡容の名前がまったく出てこないこと。
安藤鶴夫は出てくるのに、正岡容が句会によばれていないのは
やはり、何か正岡には、文壇になじまないものがあったのだろ
うか。

美濃和哥さんから「短歌で読む静岡の戦争」を送っていただく。
静岡に由来の無名の歌人の戦争詠をまとめた、とても貴重な
仕事だ。


[1844] 歌会から、お通夜に行く 2005年11月20日 (日)

午後から上野文化会館で「短歌人」月例歌会。

歌会終了後、アナウンサーのNさんのご母堂のお通夜に行く。
代々幡斎場。二月に高田文夫さんのお兄さんのお葬式があっ
たときに、この斎場には一度来ている。
日曜日の夜、四家がお通夜をおこなっていた。
お焼香をして、すぐに帰宅。
冬の葬儀に出て風邪をひくというケースが多いので
とにかく、寒い場所に長く居ないように気をつける。
幡ヶ谷の駅のそばの薬局で使い捨てマスクの60個入りを
買ってかえったところ、東陽町のマツモトキヨシでは使い
捨てマスクの大箱は売り切れで入荷未定だったそうだ。
買っておいてよかった。

夜、車谷弘の『わが俳句交遊記』を読みながら就寝。


[1843] カフェオリンポス 2005年11月19日 (土)

午前中からパソコンに向って、原稿を書く。
なんとか書き終わったので、昼食後、自転車で古石場図書館
へ行く。
「文学界」11月号は、今日もまだ借り出されたまま。
酒に関するエッセイ、随筆などを読み散らす。

三時前に帰宅。
競馬を見る。フサイチリファールがオンファイアに勝つ。
JRAのサイトで、今日の四位騎手の成績が良いのを確認し
京都のメインレースのトパーズステークスの馬券だけ買う。
四位騎手騎乗のカフェオリンポスを軸にした馬連。
最後の直線で伸びてきて、なんとか的中。

やや、気分が良くなって、原稿をもう一本書く。

夕食後は、午前中に宅急便で届いた三省堂の
『類語新辞典』をぱらぱら見る。
「豊かに広がる言葉の宇宙」という謳い文句のとおり
類語というのはこんなに面白いのかと思わせられる。
やはり、自分は言葉が好きなのだ、と確認する。



[1842] アンケートなど 2005年11月18日 (金)

お台場のオフィスに出勤したら、本社から電話があり、
午後イチバンに本社に行くことになった。

ゆりかもめで新橋に出て、地下街で焼肉定食を食べる。
地下鉄で東銀座へ出て、WINSで、先週のインセンティブガイ
の複勝馬券を換金する。3000円になる。

有楽町本社へ出社。
ほぼ一時間で用件は終了。

JRで浜松町へ出て、都バスでフジテレビ前まで。
午後三時前にオフィスにもどる。

移動中に「俳句研究」12月号の年間アンケートなど読む。
短歌専門誌のアンケートとのいちばんの違いは、
今年の自選一句という項目が冒頭にあり、各回答者が、そこに
自作一句を出していること。
短歌だと今年の代表作一首というのはなかなか出しにくいよ
うな気がする。
注目する俳人の回答には、櫂未知子さんの名前が目立つ。
『第一句集を語る』『12の現代俳人論』の仕事を知れば
当然、その才能のかがやきは認めるものになるだろう。
新句集を出したわけではなく、このように名前があげられる
のは、櫂さんにとってはおおきな誇りだろう。

帰宅後、「花より男子」など見る。


[1841] 腹剖かるる青鮫の笑ふなり 2005年11月17日 (木)

オフィスで資料整理をしたのち、夕方から有楽町の本社へ
行き、全体会議に出席。
移動の最中に、小澤實句集『瞬間』を読む。
この句集は8月ごろから手にいれたかったのだが、ネットの
書店で、取り寄せ対象ということで注文しても、結局、版元
品切れで、買うことができず、今回、ネットの古書店に出て
きたので、やっと買えたというもの。
性的なイメージをあえて句に造形しようとしている点など
古典の端整な型におさまらない意欲が感じられる。

・人妻ぞいそぎんちゃくに指入れて
・腹剖かるる青鮫の笑ふなり
・うららかや文豪なべて死にたえぬ
・海鼠握れば濁り水吐きたるよ
・水撒けば象よろこびの鼻鳴らす

以上、『瞬間』より。


[1840] めぐりあわせが悪い日 2005年11月16日 (水)

どうもめぐりあわせの悪い日というのはあるもので、
今日はすべてに間がわるかった。

ということで、書くべきことは何もない一日でした。


[1839] 十一月の寒い火曜日 2005年11月15日 (火)

今日は一日じゅう結婚式の報道ばかり。

新型のインフルエンザが猛威をふるいそうだという。
60万人が死亡する可能性もあるとのこと。
風邪に弱い私としては、他人事ではない。
スペイン風邪が流行した時には、クリムトやエゴン・シーレも
この風邪で亡くなったのではなかったか。

もともと十一月はいちねんのなかでも嫌いな月なので、こういう
ニュースを聞くと気がめいってしまう。

退勤後、「文学界」11月号を借りに、豊洲図書館へ行ったら
誰かに借り出されていた。
かわりにということもないが、『藤沢周平句集』を借りてくる。
歌人の清水房雄さんが、長い解説を書いている。
帰宅すると、「日比谷句会」の仲間の蜂谷初人さんから
俳句・イラスト集『プラネタリウムの夜』を送っていただいていた。
初人さん自身の俳句とカラーの絵を組合せた本で、俳画集という
ことになるが、初人さんの絵は、実にカラフルなので、おとなの
絵本というおもむきもある。
水沢遥子さんからも『高安国世ノート』を送っていただく。
こちらは歌誌「綱手」に連載されていた歌人研究。
現在の歌壇ではあまり言及されることのない高安国世についての
長編の研究書ということで、出版された意義はきわめて大きい。


[1838] エディ・ゲレロの死 2005年11月14日 (月)

エディ・ゲレロがホテルで死体となって発見されたそうだ。
ブラックタイガーとして、新日本プロレスのジュニアヘビー級の
トーナメントで大活躍した姿は忘れられない。
プロレス一家であるゲレロ家の男性の中でも、抜群の運動神経の
持ち主だったのではないかと思う。
WWAでチャイナと恋人同士というストーリーをやっていた頃に
よく見ていた。
いい奴ほど早く死ぬ、ということだろうか。

宮英子さんに送っていただいたエッセイ集『葉薊館雑記』(柊書房)が
面白い。
「瀧口類縁」という章がたてられており、宮英子さんの実家に
あたる瀧口家のこと、親類にあたる滝口修三のことなどが書かれ
ており、貴重な内容になっている。

江畑實論を書くために、角川「短歌」の1983年6月号を読ん
でいる。
ちょうど、この時期は公募短歌館で、塚本邦雄が連続して、選者
をつとめていた期間であり、照屋真理子さんや岩田真光さかの作
品が、入選作品として掲載されている。
「短歌」の小池光特集で、小池さんが塚本邦雄の選歌欄(これは
たぶん1970年代のことだろう)に応募して入選した時の喜び
を書いていたが、このように読んでみると、私もこの時期に塚本
邦雄選歌欄に応募すればよかったと、かえすがえすも残念に思う。

新日本プロレスがゲームソフトメーカーのユークスに買収されて
完全子会社になるとのこと。


[1837] スイープトウショウ 2005年11月13日 (日)

エリザベス女王杯、私の予想はレクレドールが本命だったので
予想的には完敗。
馬券はエアメサイアを蹴った、古馬のボックスを買っていたので
いちおうトントン。
夏のクイーンステークスで古馬と三歳馬が対決して、結局、古馬の
完勝に終った。
それで今年は古馬のほうが強いという予想はしたのだが、それにし
ても、スイープトウショウの差脚はみごとだつた。

宮英子さんから「葉薊館雑記」(柊書房・2700円)をお送り
いただいた。
宮さんが「むさしのコスモス」に連載した「柊二歌葛籠」という
エッセイを中心にして、他の短歌雑誌に書いた文章類をまとめた
一冊。巻末に滝口修造と滝口家に関するエッセイが三篇入ってい
るのもとても貴重。
こういう文章はなかなか一巻にまとめられることがないので、こ
の本は資料としてもきわめて価値が高いものになるだろう。

昼間、ベランダのボール箱に詰め込んである本の整理をする。
角川「短歌」は、原則として角川短歌賞の発表号だけを残して
いるのだが、それでも、なぜか、時田則雄さんと吉沢昌実さんが
入賞した号と、阪森郁代さんが入賞した号がダブっていた。
阪森さんの年、1984年は、久我田鶴子さんや古谷智子さんが
入賞を争っている。特に古谷さんの候補作「神の痛みの神学のオ
ブリガード」は、塚本邦雄がそのタイトルの選択が抜群だと絶賛
し、次席4作の中でも、ぜひ、トップに掲載してくれ、と要望し
ている。

夜、買ったまま忘れていた『現代俳句コレクション』上下巻を
拾い読みする。四十代以下の俳人のアンソロジーで作品200句
とエッセイが収録されている。田中裕明、石田郷子、五島高資、
稲畑鉱太郎氏ら、みんなエッセイの文章が以外にも上手なのに
驚いてしまう。


[1836] ブレーブハート 2005年11月12日 (土)

午前中、まだ、雨がふっている中を、WINS銀座通りまで
ブレーブハートとインセンティブガイの単複馬券を買いに行く。
そのまま、豊洲図書館へ行って、野坂昭如の「娼婦三代」と
「砂絵呪縛後日怪談」という長めの短編を二作読む。
どちらも、後味が悪い因果噺ではあるが、いかにも1970
年代風の臭気がまとわりついている。

午後はは家出、馬券の行方を見守る。
そして、ブレーブハートには裏切られ、インセンティブガイ
にもじゅうぶんには期待にこたえてもらえなかった。ぷんぷん。

夕方、書きかけの原稿を一本仕上げる。


[1835] ミステリ百科事典 2005年11月11日 (金)

文春文庫の今月の新刊で、間羊太郎著『ミステリ百科事典』が
刊行されたので購入。
現代教養文庫版として流布していた版に、未収録分を増補し
さらに、「推理界」に連載されていた「妖怪学入門」を完全
収録したということで、お買い得の完全版になっている。
巻頭に北村薫と宮部みゆきの対談がついているので、たぶん
この本は売れるだろう。

間羊太郎はWMCの先輩にあたり、本名は清水聰さんという。
多彩な作家で、SFでは式貴士、SM小説では蘭光生、
占星術ではウラヌス星風という名前をつかっていた。

私は1978年に、「マダム」の編集者として、ウラヌス
星風さんに原稿のお願いに行ったことがある。
ただしくは、先輩編集者の原田英子さんについて行っただけと
言うほうが正しい。ご自宅は志木市だった。
夏だったように記憶している。
大きなテーブルに占星術に使う星座図を広げ、そこにこまかい
書き込みをした用紙を見せていただいた覚えがある。

『ミステリ百科事典』の本編にあたる部分は、私は現代教養
文庫版で読んでいる。
今回、少し再読してみると、やはり、古今東西のミステリや
恐怖小説に通じ、歌舞伎や落語にまで及ぶその多彩な教養に
圧倒される。ややグロテスクな描写を好むところも読んで
思いだした。

午後、野坂昭如の文体を真似して、短い文章を書いてみたが
やはり、句点を使わずに言葉をつらねて行くのは勇気がいる。
名詞を重ねるところなど、どうしても句点を打ちたくなって
しまう。

帰宅後、文章修行のために、野坂昭如の短編小説「色即
回帰」を読む。
句点のない戯作文体を身につけるための道はまだ遠い。


[1834] 五十崎古郷 2005年11月10日 (木)

「未来」11月号に角田純さんが「古郷の書斎」という短い
エッセイを書いている。
驚く事に、角田さんは五十崎古郷の親戚であり、子供の頃に
五十崎家へ何度も遊びに行き、生前のままに保存されていた
古郷の書斎に入ったりしたこともあるのだそうだ。

五十崎古郷は、俳句をたしなむ人ならだいたい知っているだ
ろうが、石田波郷に最初に俳句の手ほどきをした俳人である。
波郷という俳号も古郷の郷の字をもらったもののはずだ。
若い時期から結核を病んでいて、40歳で亡くなっている。

五十崎古郷と角田純の血の縁は同時に詩歌の縁でもある。
古郷や波郷に角田純さんの歌集『海境』を読ませてみたかっ
たと思う。

桂吉朝師が亡くなったニュースを朝刊で確認。
桂米団治襲名の話も出ていたそうだ。
桂米団治は桂米朝師の師匠の名。「代書屋」の作者でもある。
米朝師も枝雀、吉朝と期待していた弟子に先立たれてしまうと
いう悲しさに耐えているのだろう。


[1833] 未青年の詞書 2005年11月09日 (水)

「井泉」第6号の岡嶋憲治氏の「評伝 春日井建」が面白い。
今回は「未青年」50首を中井英夫の依頼で「短歌」に発表する
前後のいきさつがこまかく記されている。
いくつもの興味深いエピソードが語られているのだが、中でも
「未青年」50首の初出時に付されていて、歌集編纂時にはず
された、散文詩ともいえる長い詞書きが再録されているのが、
きわめて貴重だと思った。
13行にわたるものだが、最後の3行だけを写してみる。

帰ってきたいとしい情夫よ その熱いまぶたをぼく
の唇びるで濡らせ その鋭い目玉をせめてぼくの抱
きしめのなかでみひらけ

「いとしい情夫」というキーワードをあえて付けることで
この50首の主題の同性愛というものを、強く浮きださせ
ているということだ。初出ということで、編集長中井英夫
がそのような手がかりが必要だと判断して、春日井建に前
記の詞書を書かせたということなのだろうか。

「歌集冒頭の詞書に比べて、仮構された同性愛的世界へ
の惑溺が強く、それが短歌作品の読みにも微妙に影響
している。歌集にまとめる際、この「惑溺」がマイナ
ス要因と意識されたのだろう」
という、岡嶋憲治氏の論述は正鵠を射ているのだろう。

削除された初出のみの詞書を全文再録してくれるなど、資
料的な価値もきわめて高い評伝といえよう。

夕方近く、ヤフーのニュースで桂吉朝師の逝去のニュース。
50歳の死とはやりきれない。

夜は江東区文化センターの短歌講座。
90分、休まずしゃべり続ける。


[1832] 他人の庭 2005年11月08日 (火)

退勤時のりんかい線の中でふと考えた。

たとえば、和泉元弥やHGが短歌をつくって、それが
「短歌ヴァーサス」(もちろん「短歌」でも「短歌研究」でもよ
い。ヴァーサスと書いたことに他意はありません。)の巻頭に
大きく掲載されていたら私はどう思うか。
当然、その出来栄えに関係なく、否定的な気持ちになってしまう
だろう。
たぶん、「短歌ヴァーサスももうダメだね」というようなことを
言ってしまうと思う。
俳句だったら、川柳だったら、現代詩だったらと、それぞれの
分野に置き換えて考えてみたらよい。
結局、他人の庭に熱帯樹がはえたら面白がるが、
自分の庭に侵出して来たら、笑ってはいられないということか。

山本孝一さんが送ってくださった
小田亮・亀井好恵編著『プロレスファンという装置』(青弓社)
を読みながら就寝。
プロレスではなくプロレスファンを考察した興味深い本である。


[1831] サクラセンチュリー 2005年11月06日 (日)

今週も競馬は完敗の日曜日。

アルゼンチン共和国杯は、2着のマーブルチーフが私の本命が
同枠のハイフレンドトライだったので、枠連だけ代用品的中と
いう、馬単、三連単時代にはふさわしくない状況で、坊主だけ
はまぬがれた。
土曜日の京都の2歳500万下に私のPOG馬のウイングビー
トとフォルテピアノが出走し、どちらも負けてしまった。
しかも、フォルテピアノは骨折して半年休養だそうだ。
ダートの新馬戦を圧勝した時に、騎乗した小牧騎手が
「やがてダートの重賞を勝つ馬だ」と言ったほどのダートの
得意な馬を、芝の500万下になぜ出すのか、調教師に聞いて
みたいものだ。

北冥社の自解150句選シリーズの『友岡子郷集』を読む。
学生時代に「ホトトギス」の句会で、高浜虚子に会っているとい
う。そういう体験はうらやましい。しかも、その句会で、虚子が
「風生と死の話して涼しさよ」を詠んだのだそうだ。
子郷俳句はこけおどかしがないので、虚心に受け止めることがで
きる。


[1830] 拡大編集委員会 2005年11月05日 (土)

池袋の東京芸術劇場の会議室で「短歌人」の拡大編集委員会。
斎藤典子さん、西勝洋一さんらにひさしぶりに会う。

東京四季出版から『現代100名句集』という叢書が出ている。
その第10巻を購入。
『渡邊白泉句集』、『義仲』、『君なら蝶に』などが完本
で収められている。
それで、驚いたのが解題の詳細さ。
川名大氏が書いている渡邊白泉や清水径子句集の解題は
そのまま丁寧な俳人論になっている。
今後、このシリーズをチェックして、何冊か買うことになり
そうだ。

帰宅後、「スウィングガールズ」を見てのち就寝。


[1829] 谷間の百合 2005年11月04日 (金)

連休の谷間というわけでなのか、通勤時のバスがすいている。
サラリーマンに休む余裕ができたということか、出ても仕事
がないということか。
オフィスの方も休んでいる人がいるので静かな雰囲気。
電話もあまりかかってこない。
昼食にひさしぶりに、ホテル・メリディアンの楼蘭へ行く。
ここもすいている。

東京スポーツの一面はハッスルの和泉元弥と健想。
ゲイシャガール浩子のパウダー誤爆から、同士討ち、
元弥の狂言チョップが連続写真で載っている。
パウダー誤爆や同士討ちはプロレスの古典的な型なので
狂言師和泉元弥との闘いにはふさわしい選択ということに
なる。HGの活躍もふくめ、もう、新日本プロレス的な
ものはダメなのかもしれない。これで、ハッスルは誰でも
ブッキングできることになる。
来年のハッスルマニアには、笹公人が出てくれないものか。

帰宅後、「笑いの金メダル」を見る。

福島泰樹さんが『福島泰樹短歌絶叫』の写真集を送って
くださる。
写真家は西村多美子さん。
福島泰樹の凄みやエンターテイナー性をみごとに映し出した
写真ばかりで、見ていて飽きない。
くりかえし写真を見ながら就寝。


[1828] 静かな秋の文化の日 2005年11月03日 (木)

文化の日。
文化の日は10月10日とならんで晴れの特異日だったはずだが
朝から曇りがちで、時に小雨がぱら付いたり、不安定な天気。

また、今日も、午前中は図書館へ行く。
とりあえず、よみかけだった野坂昭如の『東京十二契』を読了。
青春時代に放浪した東京の地名とその思い出を、時間を混交させ
る野坂文体で書き綴った一種の東京放浪記。
あと、短編の「ラ・クンパルシータ」と「東京小説・純愛篇」を
読む。

帰宅後、昼食をとって、自転車で、かの子の中学の文化祭を見る。
かの子が出演する、吹奏楽部の演奏と混声合唱。
このプログラムを見たあと、こんどは古石場図書館へ行く。
ここで、野坂昭如の『同心円』を二章分読む。

帰宅して、史比古とかの子と夕食。

夜はまたまた、野坂昭如の短編集を読み散らす。


[1827] 俳句三昧 2005年11月02日 (水)

朝、九時前に東陽町図書館に行き、開館と同時に中に入って
角川「俳句」11月号を精読。すでに二回通読しているのだが、
とにかく、すべての作品にもう一度目を通す。
気が付くと、もう、11時半になっていた。

帰宅後、昼食を食べて、本郷へ行く。
俳人の千葉皓史さん、出口善子さんと初対面。

夕方、7時前に帝国ホテルへ行き、日比谷句会。
浦川聡子さん、植村オットーさん、中島隆さん、小野秀志さん
蜂谷さんと私の出席。
植村さんが近々有馬朗人さんと会うというので、昼間、本郷の
大学書院という古書店で買った、有馬さんの自句自解の本を、
謹呈する。

夜更けに帰宅。二日続いて10時過ぎに帰宅したので、やはり、
疲れる。
今日は俳句三昧の一日だった。


[1826] 立川流三人の会 2005年11月01日 (火)

昨日に続いて終日コンピュータにむかって名簿の訂正作業を
した後、紀伊国屋ホールへ向う。

立川談春、志らく、志の輔の三人がそろっての初めての落語会。
今までこの組合せがなかったのが不思議だが、ともかく、
実現したことが嬉しい。

席について、楽屋に挨拶に行くかどうか迷っていたら、後ろ
で、吉川潮さんと島敏光さんの声がしたので、一緒に楽屋へ
つれていったもらう。
途中で客席の様子を見に来た高田文夫さんに挨拶し、楽屋へ
行くと、今日出演の三人はもちろん、談志家元、山藤宗匠
がくつろいでいる。
とりいそぎ、三人の噺家さんに挨拶し、山藤宗匠に
『現代俳句大事典』の話をする。たいへん、興味をもって
くださったので、よかったと思う。

さて、出番の順番は、高田文夫さんの提案でじゃんけんで
決めるというひとになり、結局、談春、志らく、志の輔の
順番になる。
談春「鈴が森」
志らく「お直し」
志の輔「抜け雀」
たっぷりと時間をかけ、持ち味を発揮した好演。

談春がトップで、いきなり笑いの少ない「鈴が森」を演じた
のは、自信があるからだろう。
志らくは、冒頭で、「いきなりああいう噺をやられては
次がやりにくい」と愚痴りつつ、「お直し」をやはり
持ち味の愛嬌たっぷりに演じた。
中入りをはさんでの、志の輔「抜け雀」は、私には少し
長すぎるように思えたが、終った後に出てきた談志家元が
「志ん朝に聞かせてやりたかった」と褒めた。

いずれにせよ、クオリティの高い三人の会であり、
今年のホール落語のベストに近い一夜ではあった。


[1825] 名簿のメンテナンス 2005年10月31日 (月)

終日、オフィスでコンピュータに向って、広告大賞の名簿の
メンテナンス。
目も疲れるし、心も疲れる。

野坂昭如の『東京十二契』を読み進み、あと二章になる。
現在、野坂昭如のむかしの本はほとんど店頭にはない。
それと、案外、文庫になっていない作品が多いのでは
ないかとも思う。
『同心円』とか『オペレーション・ノア』とかは、文庫で
みかけたおぼえがない。
それと、平成以降に書かれた短編集も、ハードカバーのもの
はあるが、その後、文庫になったのは、『東京小説』くらい
ではないだろうか。
1960年代後半から1970年代にかけて、野坂昭如は
文壇を超えた大トリックスターだったのに、現在は、その
作品がほとんど読めないとは。
出版状況のいびつさを、こういうところにも感じる。

退社後、銀座へ出て、ようやく「現代詩手帖」11月号の
「岡井隆 来たるべき詩歌」の特集号を購入。
拾い読みするだけでも、面白く充実した特集号になっている。
一首鑑賞を田中庸介さんほか21人の歌人、詩人が書いている。
できれば私もここに書かせてほしかった。
私が選ぶ岡井隆の一首は下記のとおり。

・定型の格子が騒ぎやまぬ故むなしく意味を引き寄せにけり


[1824] ヘヴンリーロマンス 2005年10月30日 (日)

天皇賞は五歳牝馬ヘヴンリーロマンスが優勝した。
史上初の天覧競馬で記念すべき勝利をあげた
松永幹夫騎手におめでとうを言いたい。

実は女性天皇容認の意見がかまびすしいので、今回は牝馬
もありと思って、ヘヴンリーロマンス、ダンスインザムード
スイープトウショウ、アドマイヤグルーブの四頭の牝馬の
単複の馬券を買ったので、ヘヴンリーの単複とダンスの複勝
が的中した。
これだけなら、大喜びなのだが、京都の渡月橋ステークスに
またまた、インセンティブガイが出走していて、先日の仇討ち
に、またまた、インセンティヴからの馬券をたくさん買った
ところ、ハナ差の四着。
ここで勝ってもらって、マイルチャンピオンシップで大穴を
あけてもらおうと目論んでいたのがパーになってしまった。

ということで、馬券的にはトータルで行って来いの日曜日。

「アッコにおまかせ」で、ハッスルで和泉元弥と対戦する
鈴木健想の妻でゲイシャガール・ヒロコとしてWWEのリングに
あがっていたヒロコのマイクアピールを聞いたが、立派なもので
日本人女性がこのような挑発のアピールをできるようになったか
と、感慨無量。
エンタテイメントの世界は着実に進化していると実感。


[1823] ダブリンの鐘つきカビ人間 2005年10月29日 (土)

ル・テアトル銀座に「ダブリンの鐘つきカビ人間」を見にゆく。
ラーメンズの片桐仁が、カビ人間になる儲け役。
二時間二十分くらいの長さだが、飽きさせずに見せる演出は
なかなかのものだ。
ただ、この芝居を見たことで、誰かに薦めたくなるかという
と、そういうわけでもないところが、芝居の難しさか。
ル・テアトル銀座での公演で、客席も9割は埋まっている
のだから、興行的にも成功なのかも知れないし、また、
ギャランティ的にも、小劇団の芝居とはちがうのかもしれな
いが、やはり、これで役者はむくわれるのだろうか、との
疑問は残ってしまう。
出演者は次のとおり。
片桐仁、中越典子、橋本さとし、山内圭也、土屋アンナ、
中山祐一朗、及川健、八十田勇一、田尻茂一、山中崇、
トロイ、平田敦子、姜暢雄、後藤ひろひと、池田成志、
若松武史、作は後藤ひろひと。


昨日、書き忘れたが、野坂昭如著『新宿海溝』読了。
『文壇』と同じ時期のことなので、エピソードもほとんど
重複しているが、『文壇』の方が、一つ一つのエピソード
の描写がくわしい。
ちがう内容のところが少しあるが、それはどちらかが虚構
ということだろう。

夜、野坂昭如の初期の短編小説を読む。
「浣腸とマリア」「受胎旅行」「マッチ売りの少女」
「八方やぶれ」「万有淫欲」「娼婦焼身」など。


[1822] かりうど10周年 2005年10月28日 (金)

ヤフーのニュースによると、NHKの「日曜フレンドパーク」で
笹公人さんが、レイザーラモンHGの衣裳をつけて出演した
そうだ。残念ながら私は見損なってしまったが、
これは現代短歌の歴史に残るべき快挙だと思う。
歌人がお笑いタレントのフェイクとして出演するという
のは、そのまま、テレビの世界における歌人の存在感が
重くなったということを証明している。
あるいは、歌人が特別扱いされずに、タレントと同じ
ポジションを要求されたととってもいい。
つまり、歌人を特殊な存在として特別なコーナーだけに
押し込めるのではなく、バラエティ全体の中で
笑いのとれる要素として演出されたということなのだ。

かつて、NHKの短歌を扱ったテレビ番組で、
枡野浩一氏は、衣裳として作務衣を着ることを要求され
それを拒絶して、出演せずに帰ったことが確かあったはず。
その時に、作務衣を着て出演したのは、小島ゆかりさんだった。
この時の作務衣というのは、「歌人」の曖昧なイメージを
象徴する衣裳だつた。
今回の笹さんの衣裳は、はっきりとHGのパロディという
イメージがあり、しかもそれは視聴者にそのまま伝わるわ
けで、番組中での重要な要素となっている。
これは笹公人という歌人の固有の才能かもしれないが、
今、もっとも認知度の高いタレントのパロディを演じる
ということは、はっきりとプロの仕事だといってよい。
笹公人氏には、今後もテレビの中で、トリックスターとして
の歌人の存在感をどんどん強めてほしいものだ。

虎ノ門パストラルで「かりうど」10周年のお祝いの会。
青井史さんの志の持続が美しい。
『与謝野鉄幹・鬼に喰われた男』の出版は、みごとな
文学的業績であり、今後は「かりうど」から、新しい才能を
もった歌人を短歌の世界に送り出すことが責務となるだろう。
小島熱子さん、鈴木英子さんと久しぶりに話をすることができた。
円卓でご一諸だった方たち。
中川佐和子、三井修、吉野裕之、御供平桔、今井恵子、
外塚喬、秋山佐和子のみなさん。

背筋をぴんと伸ばしたくなる、気持ちよい会だった。


[1821] 大事典と早寝 2005年10月27日 (木)

朝は雨の中を出社したのに、昼過ぎには日が射していた。

午後、三省堂の飛鳥さんが来てくださったので、18階の喫茶室
で、コーヒーを飲みながら、おしゃべり。
まもなく、『現代俳句大事典』が店頭に出るので、その編集の
さまざまな話を聞く。
やはり、こういう資料的にも価値高い本を編集するというのは
大事業なのだと思う。

帰宅後、夕食を食べたら急に眠くなってしまい、気が付いたら
眠っていた。時間はすでに午前一時で、もちろん家族も眠って
いる。もう一度、本格的に眠りに入る。


[1820] 描写の力 2005年10月26日 (水)

有楽町の本社へ寄って、会議に出てから、お台場のオフィスへ
行く。
浜松町からビッグサイト行きのバスに乗ったのだが、昼間なのに
案外混んでいる。

昨日から野坂昭如の『文壇』を読んでいる。
「週刊コウロン」のコラムを書き始めた頃から、直木賞を受賞
して、流行作家になっていくまでの実名小説。
同じような作品で『新宿海溝』という長編が以前にあるが
この『文壇』の方が、よりトリビアルな部分まで詳述してある
ので、興味深く読める。
たとえば「火垂るの墓」を書く時に、最初は「蛍の川」という
タイトルだったのを、伊藤桂一に同名の小説があるのに気付き、
辞書を引いて「火垂る」という標記があるのを発見し、そこで
「火垂るの墓」という題名が決定したということなど。
また、この小説で直木賞を受賞したあと、小説中で意地悪いキ
ャラクターとして造形した養母に、この小説を読まれたらどう
しようとずっと心配していたという話も面白い。

帰宅後、こんどは、読みかけだった丸山健二の『正午なり』を
読了。
事件らしい事件は最終章までおこらない長編で、とにかく文章が
みごとなので、何もおこらない日常の描写も心深くにしみてくる。
かえって、最後の事件の部分が私には、緊張感が薄れているよう
に思えた。
現在はほとんど読まれることもない小説だろうが、描写の力とい
うことを実感する意味で、よいものを読んだと思う。


[1819] 肌寒さの電飾 2005年10月25日 (火)

午前中は晴れて日差しがあたたかいと感じたが、夕方になると
肌寒く思うほどになった。
夕方のその肌寒い空気の中でヴィーナスフォートの大観覧車が
電飾をまとって、ゆっくりとまわっているのは「孤立無援」との
イメージがわいてくる。

グループスローガンの現場レベルでの選考会がある。
1400案を56案に絞る。

黒崎善四郎氏の歌集『介護5妻の青春』が、「上柳昌彦のサプライズ」
で、とりあげられる。
上柳昌彦によるナレーションと短歌の朗読という構成。

帰宅後、本の整理を少しする。
野坂昭如の『文壇』が出てきたので読み始める。




[1818] フレドリック・ブラウン再読 2005年10月24日 (月)

定期検診の日なので、朝から慶応病院へ行く。
昨夜、本棚を整理していたら、サンリオ文庫版の
『フレドリック・ブラウン傑作集』を持って、待っている間に
ぽつぽつと読む。
「さあ、気ちがいになりなさい」「闘技場」「シリウス・ゼロ」、
「狂った星座」などなど、何年ぶりの再読になるだろう。
創元推理文庫の『未来世界から来た男』を初めて読んだのは
中学1年生くらいの時だったような気がする。
金曜日の日記に書いた「1000字コント」に、一生懸命、応募
していたころのことだ。
サンリオ版には「ギーゼンスタック一家」という題名で創元版で
は「人形」というタイトルで載っていた短編など、強く印象に
残っている。
『真っ白な嘘』という短編集に載っていた「うしろを見るな」と
いう叙述トリックの話などにも、とても影響を受けた。
実は「1000字コント」に最初に入選した「あやつり人形」と
いうショートショートは、この「うしろを見るな」からインスパ
イアされたものだ。

と、いうことで、病院で待っている間にも、むかしのあれこれを
思い出していたのだった。

診療終了後、今日は休暇をとっているので、帰宅。

午後、少し昼寝をして、アタマをすっきりさせてから
原稿を書く。


[1817] ディープインパクト三冠 2005年10月23日 (日)

菊花賞のディープインパクトはやはり強かった。
私としての痛恨は、最後まで迷って、結局、一頭だけ切り捨てた
アドマイヤジャパンが、二着に残ってしまったこと。
ダービーの時も、インティライミだけ切ってしまって、馬券を
とりそこなった。
つまり、ディープインパクトが勝つ時の馬券の相性が悪いという
ことだ。

夜、「笑芸人」のために「笑芸百人一首」の短歌と短文を書く。


[1816] 額田王は何人いたか 2005年10月22日 (土)

ラエティティアで入谷いずみさんが情報を流してくださった
上代文学会秋季大会の公開シンポジウムに行く。
東大の文学部の校舎内の階段教室で、何か学生時代に戻った
ような気分になる。
始まる前に、入谷いずみさんと桂重俊さんに会うことができ
ご挨拶させていただく。

パネリストは
日本大学の梶川信行、北海道大学の身崎壽氏、歌人の小島
ゆかり氏。
額田王を考えつつ、歌人論は可能か、というテーマ。
梶川氏は、額田王という記名を持つ万葉集の歌人は一人の
姫王ではなかった、という説。
身崎氏は、万葉集の編纂者が額田王という記名で十三首の
歌を提出しているのだから、額田王という一人の歌人の作品
として論じるべきだという説。
万葉学の前線の問題であるらしいので、論戦も活発で、
午後二時から五時半まで、まったく飽きることなく聞くこと
ができた。
中でも感心したのは、小島ゆかりさんが、実作者の立場から
ということで、額田王の助詞の使い方の特徴をきちんと説明
されたこと。専門家をまえにして気後れしないということは
たいへんなことで、私はこの点だけでも小島ゆかりさんを
あらためてリスペクトした。
宴席での代作の可能性ということでも、小島さんが、現在も
そういう可能性はあるのだということを、実体験から語り、
その話は、歌人ならば納得できるものなのだが、お二人の
学者にとっては驚きだったように思われた。

シンポジウム終了後、池袋の東京芸術劇場の会議室で
「短歌人」の編集会議。

10時過ぎに帰宅したら「短歌研究」11月号が届いていた。


[1815] ショートショート 2005年10月21日 (金)

高井信著『ショートショートの世界』(集英社新書)読了。
日本では、星新一、都筑道夫が定着させた、ショートショート
に関するウンチク&入門の本。
私も学生時代には、ショートショートの投稿をしていたので
興味深く読めた。
現状ではショートショートが雑誌に掲載されることはほとんど
ないのだそうだ。
1970年代あたりには、小説雑誌がSF作家やミステリ作家
のショートショートをよく載せていたし、「ミステリマガジン」
なども、年に一度はショートショート特集を組んだりしていた
のに、今はジャンルとして衰退しているようだ。

私がわすれがたいショートショートベスト3を選んでみる。

1.フレドリック・ブラウン「終列車」
2.ロアルド・ダール「廃墟にて」
3.樹下太郎「胎教」

ブラウンとダールは「ミステリマガジン」、樹下太郎の作は
「別冊小説」で読んだのだと思う。
星新一、小松左京、筒井康隆はあえてはずして選んでみた。

樹下太郎の「胎教」は、今後、本に収録されることもなさそ
うなので、ルール違反承知で紹介する。

ある男が、妊娠している妻に対して浮気の疑惑を持つ。
妊娠も浮気相手の子供ではないかと思えるのだ。
男は昼間ひそかに家にもどり、隠れて妻の様子をうかがう。
妻は胎教に熱心で、おなかの子供に語りかけながら
一枚の写真をみつめ、しばらくして引出しにしまう。
男は当然、浮気相手の男の写真を見ているものと思い
怒りに燃える。
浮気の証拠として妻を追及してやろうと、妻が買物に出た
あと、その写真を引出しから取り出す。
すると、それはなんと、男自身の写真だった。
妻は、愛する夫の写真を見ながら、おなかの子供に胎教を
していたのだ。
男は、妻を疑ったりして悪かったと痛烈に反省する。

しかし、実は、妻はおなかの子供が浮気相手の子供だという
ことを知っていて、その浮気がバレないように、胎教で、
子供の顔が夫に似るように、夫の写真を毎日見ていたのだ。

いわゆる、星新一風ではないショートショートだが、
結末が二重のオチになっていて、巧い!と思う。

私がはじめてショートショートを書いたのは、中学二年生の
時で、小学館から出ていた「ボーイズライフ」なる少年雑誌
の「1000字コント」という欄に投稿したもの。
処女作は「あやつり人形」というタイトルで、星新一の選で
活字になった。その後もこの「1000字コント」欄には
何度か入選してショートショートが掲載されている。
「模倣文明」というタイトルの作品が入選したのが記憶にある。
その後、1970年に「少年サンデー」が、短期間、ショー
トショートの投稿欄を設けたことがあり、その時にも
「廃墟の鳩」という作が入選している。
これらのショートショートがもうコピーも残っていないのが
残念。散逸したまぼろしのショートショートになってしまつた。


[1814] アルベルト・ジャコメッティ 2005年10月20日 (木)

「パピエシアン」11月号は、角田純歌集『海境』の批評特集。
角田氏の歌集は今年出た第一歌集の中では、おとなの鑑賞にた
える充実した一冊だと思っていたので、こういうタイムリーな
特集はありがたい。
7人のメンバーの書評が載っているが、
小林久美子さんの「虚無への視像−−ジャコメッティを潜って」が
圧倒的に読み応えがあり、教えられるところが多かった。
私はジャコメッティに対して何の知識も持っていないので
角田さんの短歌が、ジャコメッテイの何に触発されているのか、
ということがわからず、魅力的な作品だと思いながらも、
じゅうぶんな鑑賞ができていなかった。
小林久美子さんの文章は、その「何」の部分を啓蒙的に解読して
くれながら、作品の真の意図を読みとってゆくというもので、
読者としても納得しやすいし、作者の角田氏にとっても、
我が意をえた解釈なのではないだろうか。
すぐれた読者に出会えたすぐれた作品の幸運がうらやましい。

「未来」10月号に、やはり、小林久美子さんが、
『香川ヒサ作品集』に触れた短い文章を書いているが
これも、香川ヒサの魅力をきちんと射抜いたみごとな
文章だった。やはり、丁寧に作品を読むという行為から
出てくる文章だからこそ、読者の心に届くのだろう。


[1813] 水原紫苑の快楽 2005年10月19日 (水)

午後から、天王洲アイルにあるフジテレビの別館へ行く。
テレネット部会という会議に出席するため。
デジャヴという画像整理ソフトのプレゼンテーションを
含めて、たっぷり二時間の会議。
かなり疲れた。

図書券をいただいたので、池袋のリブロへ行き
今まで買おうと思いながら買いそびれていた
加藤郁乎の『市井風流』と茨木和生の『季語の現場』を購入。
さらに、ふらんす堂の新刊『石田郷子作品集』も買う。

帰宅後、「短歌ヴァーサス」を再び読む。
巻頭の水原紫苑作品「快楽(けらく)」が読み応えがある。

・ミイラほのかに息づきにけり青春をわが呪ひつつくちびる噛めば
・井の底ひ逢ひたきひとはほかなるを父の軍服着たるわが影
・パン食ぶる少女ら乗れるこの電車海に入りなむ龍にかも似る

ここ三ヶ月、角川短歌の「短歌月評」を書くために、専門誌
のほとんどの作品に目を通しているのだが、一連の結晶度と
いうことになれば、この水原作品がいちばんに思える。
想像力の方向が綺麗な弧を描き、しかも、着地が予定調和を
裏切ってくれる心地よさというべきか。
イマジネーションに賭ける短歌の作り方をする歌人は何人も
居るが、私にはどうもピンとこない人が多い。
水原紫苑作品に私が深く感応するのは、言葉が開拓する新しい
世界の孕む詩的な振動数に私の感性が共鳴するからか。


[1812] 世界文化賞贈賞式ほか 2005年10月18日 (火)

まず、オフィスに出てから、スタッフのメンバーと一緒に
小雨の中を、ホテルオークラへ向う。
ここで、受賞者の個別インタビューの手伝いをするる
私の担当は美術部門のロバート・ライマン。
記者が少なかったり、質問があまりでなかったりしたら
気まずくて困るだろうと心配していたのだが、
それは、取り越し苦労だった。
白のイメージをさまざまに展開するライマンの絵画は、
日本人にとってはわかりにくい感じだが、
世界的にはやはり美術愛好家の関心は高いようだ。

インタビューを終えて、こんどは贈賞式の現場の
明治記念館へ移動。
ここで、贈賞式典、お祝いのパーティーが終るまで
基本的には待機。
やっと、すべての行事が終ったのが、夜10時過ぎ。
帰宅は11時30分に近かった。
半日以上立ちっぱなしだったので、さすかに足が痛い。
「短歌ヴァーサス」の最新号を見ながら就寝。


[1811] 世界文化賞記者発表 2005年10月17日 (月)

昨夜、『世に棲む日々』を読了。

今日は朝から雨。
世界文化賞の記者発表のスタッフとして、上野の国立博物館へ
行く。
上野駅の一番下の出口で降りてしまったので、集合場所の国立
博物館の平成館まで、15分くらいかかってしまう。

フジサンケイグループとしては最上位に位置づけられるイベント
なので、『メディアの支配者』の登場人物たちが、たくさん
やってきて、闊歩している。

とりあえず、予想されたトラブルもふくめて、記者発表から、
レセプションまで終了。
夕方の5時前に解散になる。

上野の駅前の映画館のビルにある「上野古書の街」を覗く。
大岡信の『短歌・俳句の発見』と飯田龍太、森澄雄、金子兜太、
尾方仂の座談集『俳句の現在』を購入する。
大岡信の本には、1950年代に塚本邦雄とおこなわれた論争の
文章が収録されている。塚本邦雄側の文章は『定型幻視論』に
収録されている。

夜、就寝前に、秋山佐和子さんが樋口一葉の作品を口語訳した
『たけくらべ』を読了。「たけくらべ」「行く雲」「おおつごもり」
が収録されている。
河出文庫にはやはり一葉の作品を松浦理映子や伊藤比呂美が、
口語訳した本が入っている。もちろん、原文を読むことが
のぞましいが、一葉の文章は現代語とはあまりにもちがうので
このような口語訳の試みがなされることには、私は反対ではない。


[1810] 上田さんのお通夜 2005年10月16日 (日)

勝どきセレモニーホールに、上田康之さんのお通夜に行った。
上田さんはニッポン放送のOBで、享年は七十五。
1985年に私がニッポン放送に中途入社した年に55歳の
上田さんは、現役の最後の年だった。
「お早う、ひがのぼる」ですという朝五時からの番組に
私が初めて配属された時、ディレクター業務のABCを
教えてくれたのが、上田さんだった。

上田さんは築地生れの生粋の江戸っ子。
子供の頃には、築地の魚河岸で遊び、勝鬨橋から隅田川に
飛び込んで、泳いでいたそうだ。
中学を卒業したあと、NHKに少年社員として入社。
その頃のNHKには、仕事をしながら、夜間の電気専門学校
に通わせてくれる制度があり、そこを卒業して、ミキサーに
なったのだそうだ。
そして、昭和29年にニッポン放送が創立された時に、そこ
へ移籍して、ミキサーはもちろん、民放の柱の番組だった
落語、演芸のディレクターとして、大活躍したのだった。
驚かされるのは、NHK時代に、東京裁判を録音に行った
というのだから凄い。

落語に詳しいのは当然だが、ご本人も落語家といっても
よいようなたたずまいの人だった。
なにしろ、白髪の職人刈りの頭に、開襟シャツという姿で
会社に来るので、とてもディレクターには見えなかった。
現在の落語協会、落語芸術協会の幹部が若手の頃に、さん
ざん仕事をしているので、襲名披露や大山参りなどに行く
と、まるで、上田さんも大師匠のように、若い落語家から
慕われていた。

上田さんがディレクションした番組として有名なのは
「安藤鶴夫のラジオエッセイ」がある。
これは、東京の四季おりおりの情緒をあらわす出来事を
安藤さんが、まず、エッセイに書き、それを安藤さん自身が
朗読するというもの。これは、原稿が先にできているわけだ
から、当然、本になり、安藤鶴夫の仕事の中でも、高く評価
されている。
この本は旺文社文庫にもなり、上田さんはその解説を書いて
いる。この文章は放送の裏話として、とても楽しい話なのだ
が、もしかするとこれは上田さんがおおやけに書いた唯一の
文章ではないかと思う。

私が落語が好きだ、というと、たいへん気にいってくれて、
「ゲンちゃんは色男、ゲンちゃんは人殺し」などと突然
言い出して、私が「宿屋の仇討ち」ですね、と答えると
満足げにうなずいてくれたものだった。
これをほとんど毎日やるのだから、私もイヤでも落語の
演目を覚えざるをえない。楽しい勉強だった。

私は現在の勤め先での人間関係は意識的に希薄にしている
のだが、上田康之さんは、一方的な思い込みだとしても
私の人生で忘れ難い恩人の一人だと言いたい。

人は順番に世を去って行くということは、わかってはいても
やはり、敬愛していた人が、突然亡くなると、心が乱れる。
その乱れのままに、この文章を書いてしまった。


[1809] 通夜前日 2005年10月15日 (土)

今日は休み。
午後、古石場の図書館へ行く。
ここは、何度行っても道に迷ってしまう。
古石場、牡丹あたりの道は、運河と道が斜めに交差している
ので、まっすぐ歩いているつもりでも90度くらい、曲が
っているのはざらなのだ。

とりあえず、何とかたどりつき、持参した『世に棲む日々』
第三巻を読み終わる。
そのあと、本棚をうろうろして、小説類を物色。
『丸山健二全短編』がそろっているのを確認する。

また、歩いて帰宅して、競馬をテレビ観戦。
先週に続いてだらだら負ける。

夕方、お通夜に行くつもりで、喪服を着てバスに乗って
斎場まで行ったら、なんと、お通夜は明日とのこと。
木曜日の朝に訃報を聞いたので、てっきり、今夜がお通夜で
明日の日曜が告別式だと思い込んでしまったようだ。
帰りは地下鉄の大江戸線と有楽町線を乗り継いで帰宅。


[1808] 明日はわが身 2005年10月14日 (金)

楽天がTBSの株を大量に取得して、提携を申し入れた問題
で、世間はゆれている。放送局内はさらに揺れているる
テレビでTBSの社員が無作為にインタビューされているの
を見ると、半年前のライブドア騒動の頃を思い出す。

夜、「報道ステーション」で村上世彰氏が出演しているのを
見る。
私の勤め先の株主総会で、ナマで村上氏を何度か見かけたこ
とがあるが、今日ほど余裕満点の表情を見たことがなかった。
阪神電鉄の株買占めといい、あえてマスコミに露出してきた
のは、マスコミに露出したほうが有利という判断が働いてい
るのだろう。
世間には村上世彰氏一人が村上ファンドの本体だと思ってい
るかもしれないが、村上ファンドというのは、頭脳集団だと
いうことを忘れないほうがいい。

今後、テレビ報道やワイドショーはこの問題を中心に動いて
行くことになるのだろう。


[1807] 文庫を買いに行く 2005年10月13日 (木)

午後から定例会議が二つ。
退勤後、池袋西武の中のBIBLOへ行く。
文庫本を中心に見てまわる。
平凡社の反町茂雄著『一古書肆の思い出』。
光文社文庫の江戸川乱歩著『悪人志願』
短歌新聞社文庫の土屋文明『山下水』『続青南集』など
数冊の文庫を購入。

「世に棲む日々」第三巻を読みながら就寝。