[1806] ジグマー・ポルケ展 2005年10月12日 (水)

グループ事業部長会が上野精養軒で開かれたので
終了後、上野の森美術館で開催中のジグマー・ポルケ展を見る。
写真を拡大してそのドットを手描きにした「おまわりブタ」とい
う作品とか、代表作の「不思議の国のアリス」とかは、ゲンブツ
を見るとさすがに圧倒される。

夜は東陽町文化センターで「はじめての短歌」講座の後期一回目。
前期の方が7人継続してくれて、後期からの新規の人をあわせて
22人と、嬉しい数のかたが受講してくれることになった。

一回目は短歌の専門誌や各種の結社誌の実物を実際に見てもらっ
て、「どのように短歌は発表されているか」また「どうすれば
短歌を読むことができるか」、さらに実作例を鑑賞しつつ、
短歌の現在を知ってもらうという内容で一時間半をしゃべり続けた。


[1805] 復興期の精神 2005年10月11日 (火)

山田風太郎の『戦中派復興日記』読了。
昭和26年、27年の日記である。
すでに作家として安定しているので、原稿を書き、本を読み
酒を飲み、時々、女を買うという生活が詳述されている。
まさに、戦後日本の復興期の一つの精神の記録である。

同じ探偵作家の仲間では、高木彬光と一番中がよかったのが解る。
高木が愛人をつくって、その愛人に刺青をさせていたということ
などが記述されているのには驚く。
高木彬光という人は、なぜか愛妻家だと私は思い込んでいたのだ
が、上記の事件のごとく、夫婦仲はあまり良くなかったようだ。

江戸川乱歩と木々高太郎の論争もちょうどこの時期で、山田は
乱歩の反文学派なので、木々への批判も随所に出てくる。
これに絡んで、探偵小説作家の文章が紋切り型で、おどろおどろ
しい形容詞にばかり頼っているのはダメだとして、実際にヘタな
文章の例や「恐ろしい」とか「怪しい」とかの紋切り型形容詞が
実際、どんなに頻出しているかを、横溝正史や高木彬光の長編の
冒頭を例として、延々と書き出してあるのは、日記とはいえ凄い
執念だと感心する。

こういう文章への執着が、山田風太郎を現代でも不滅の人気作家
として生き残らせたのだろう。


[1804] 暗い暗い月曜日 2005年10月10日 (月)

朝から雨が降りしきり、午前中も午後も薄暗い一日。

寒くもあり、郵便受けにメール便を取りに行くほかは、家を出な
かった。
一日じゅう、さまざまな歌集を拾い読みし続ける。

気が付くと夜になっていて、「ブラックジャック」と
「名探偵コナン」を見る。
また、歌集を読みながら12時前までだらだらすごして、就寝。


[1803] ロッカビリーと俳句朗読 2005年10月09日 (日)

昼過ぎに家を出て、銀座のライブスペースのケネディーハウスへ
行く。
ビリー諸川さんのロッカビリーのライブを見るためだ。
中に入るといきなりビリーさんが居る。
司会の島敏光さんが高田文夫さんの居る席につれてぃってくれる。
そばには湯川れい子さん、ヴィレッジシンガースの小松さんが居る。
まもなく、小野ヤスシさんもやってくる。
小野さんはいつも周りの人を笑わせようと面白いことを言い続けている。
ライブは「ルイジアナ・ママ」で始まり、おとなのお客さんたちの
気持ちのよいノリが続く。
島敏光さんが歌い、小野ヤスシさんが歌い、高田文夫さんが軽いト
ークで笑いをとり。湯川れい子さんが、ハリケーンエイドの意義を
語る。
さいごは全員での「ラヴ・ミー・テンダー」の熱唱で終了。

会場を出て東銀座のWINSへ向い、毎日王冠の実況を見る。
久しぶりにゴール前で、差せ!とか、そのまま!とか声がかかるの
を聞いた。私はカンパニーを一頭軸にして、他に5頭を選んだ
三連複のマルチを買っていたのだが、5着までに私が選んだ馬は
1頭しか入っていない。昨日に続き完敗。

チャンポンを食べたあと、新宿のサムライへ行く。
「俳ラ12」を観演する。
この前「俳ラ」に来たのは一昨年くらいだと思っていたのだが
実は2001年の「俳ラ7」だったことが判明。
4年も前だったとは。よほど印象が劇的だったのだろう。
演者は8人。
谷ユースケ君、上田信治さんなど、初出場の人たちがよく頑張って
いたと思う。
ギネマさんは、空間を赤いテープで蜘蛛の巣のように絡めとろうと
いう意図が、セロテープがはがれたりして思うように行かなかった
ように見えたのが残念。
一度、リハをやっておけばと悔やまれた。

罵りの果ての漏電
風呂の栓を嫁が握る
妹の深い爪を舐めてやる

こういった句のギネマ世界は貴重である。

10時前に帰宅。
さすがに疲れていた。
寝ながら「世に棲む日々」第二巻読了。



[1802] ブレーブハートとインセンティブガイ 2005年10月08日 (土)

競馬で玉砕。
ブレーブハートと藤田騎手と加藤征調教師と
インセンティブガイと四位騎手と角居調教師の不実を
今年じゅうは私は忘れないだろう。

競馬のダメージを受けながらも、歌集をいろいろと読み散らす。

夜、潮見駅前のコーナンに健康食品のお酢を買いに行く。

今日読んだ小説。
眉村卓「潮風の匂い」
自転車に乗っているうちに異世界に迷い込むというよくある話。
タイムスリップものかと思っていたらパラレルワールドものだった。
短編というより、長編の第一章のような感じ。明るいエンディング
なので後味が良い。


[1801] 風邪っぽい雰囲気 2005年10月07日 (金)

昼間はずっと身体がだるく風邪っぽい雰囲気。

夜、丸山健二の「バス停」「夜釣り」「河」を読む。
他に吉行淳之介の「葛飾」という短編も読む。

本当は原稿を一本書かなければならなかったのに、
書けなかった。
気がめいる。


[1800] 夕方も雨模様 2005年10月07日 (木)

早稲田穴八幡の古本市に行くつもりだったが、雨なので
断念する。
退勤時に豊洲図書館によって、丸山健二の講談社文芸文庫を
かえす。
何か借りるかどうか迷ったが、結局、何も借りずに帰る。
小雨がぱらついている中を帰宅。

夜は『世に棲む日々』を読む。
とりあえず一巻目は読み終わる。


[1799] 暗い水曜日 2005年10月05日 (水)

曇天で暗い一日。
世界文化賞の接遇・渉外部会がフジテレビの10階大会議室で
開かれるのに出席。
あとはひたすら広告大賞の名簿の打ち直し作業。

帰宅後、丸山健二の「血と水の匂い」「夜は真夜中」「稲妻の鳥」
「チャボと湖」を読了。
これで、講談社文芸文庫版の『夏の流れ』に収録されている作品
は全部読んだことになる。
「夏の流れ」「雪間」「その日は船で」の三作品は、古い講談社
文庫の方で読んだ。
巻末の著作リストと年譜によると、丸山健二はデビュー以降
62歳になる今年まで、毎年コンスタントに長編小説を発表
し続けているのだからたいしたものだ。
現在の出版状況では、いかに芥川賞受賞者であっても、読者が
ついていない作家の小説は出版しないだろうから、根強い固定
読者と新規の読者が、つねに丸山健二の小説には惹かれつづけ
て来ているのだろう。


[1798] 短編小説を読む 2005年10月04日 (火)

昨日、長編小説を読み始めたのに、今日は書棚の奥から出てきた
丸山健二の古い講談社文庫を読んでしまった。
収録されているのは「夏の流れ」「雪間」「その日は船で」の
三編の短編小説と長編の「正午なり」。
とりあえず短編三本を読み終わった。
「夏の流れ」だけは再読になる。

丸山健二の初期の文体はヘミングウエイにたとえられるが
実に乾いていて読みやすく、しかも、結像力が強い。
「雪間」は彼の二作目の作品だそうだが、
芥川賞受賞作の「夏の流れ」にまさるとも劣らない傑作だと
確認することができた。
田舎の少年の視点から、祖母の死の後の祖父の言動を通して
みごとに「生と死」の問題を浮かびあがらせている。

勤め先からの帰りに図書館によって車谷長吉の未読の本の
『飆風』を借りて帰る。
子どもがダウンタウンの特番を見ている横で、どんどんと
読み終わってしまった。
短編三本と講演筆記形式の文学論一遍が入っている。
車谷長吉の文章も乾いているが丸山健二とは乾き方が異なる。
乾いた文の下にじっとりとした湿り気があり、それが個性に
なっているのだ。
「密告」という小説に、春日井建の『未青年』に感動した
主人公が金策して、春日井建の第二歌集をつくろうとする
エピソードが出てくるが、こういうことが実際にあったの
だろうか。

読書の秋を個人的に実践している日々である。


[1797] 大観覧車のせつないまたたき 2005年10月03日 (月)

『天の川の太陽』は上巻を読み終えたところで、ひとまずお休み。
今日から司馬遼太郎の『世に棲む日々』を読み始める。
これは吉田松陰が主人公の四巻本。
司馬遼太郎や池波正太郎や宮城谷昌光はほとんど読まずに
とってあるので、これからが楽しみ。
同時進行で松本清張の『昭和史発掘』の中の「天皇機関説」も
読み始める。

次に何を読もうか、と、書棚の前で思案するのは、読書好きの
人にとっては至福ではないかと思う。

日が暮れるのが本当に早い。
釣瓶落しという言葉が実感として身にしみる。
りんかい線の東京テレポートまで歩く時、パレットタウンの
大観覧車のネオンが秋の闇の空気にせつなくまたたいている。


[1796] アドマイヤムーン 2005年10月02日 (日)

午前中、南砂町のたなべ書店まで自転車で行ってみる。
今までは電車でしかいったことがなかったのだが、道路の検討を
つけて行ってみたら、案外、近いことがわかった。
ジャスコの裏側にあたるわけだ。

午後はずっと今年出た句集を再読しながら、原稿を書く。
ときおり、PATで馬券を買う。
実は今年のPOGの持ち馬アドマイヤムーンが昨日の
札幌三歳ステークスを本田騎手騎乗で勝った。
今年のPOGドラフトではキャプテンベガもオンファイアも
抽選で負けてとれなかったが、下位で指名したアドマイヤムーン
が三連勝とみごとな活躍をしてくれている。
つまり調教中の良血馬より、今、GVを勝つ馬の方が可愛いと
いうことである。

とりあえず、『天の川の太陽』上巻を読み終わる。
同時進行で読んでいた宮城谷昌光の『華栄の丘』も読了。
宮城谷昌光の長編小説を読んだのはこれが初めてだ。
中国の古代の小説なので人名と地名をとりちがえたり
読む時に集中力がないと物語がアタマに入らない。


[1795] 白鶴寄席 2005年10月01日 (土)

午前中は原稿を書いてすごし、午後からは有楽町のイマジン
スタジオへ行く。
白鶴がスポンサーになって、お酒のサンプリングと寄席とい
うイベントが本日と明日おこなわれる。
今日の出演者は林家彦いちさん、立川志らくさん、柳亭市馬
さんの三人。
高田文夫さんと山本まゆ子アナウンサーが司会。
スポンサー立会いがあるので、営業担当者はもちろん、
事業局長、営業担当の常務まで来ていた。
しかし、このようなイベント形式の寄席が年四回でも
やれれば、とてもはずみがつくのに、と思う。

演目は彦いちさんが題名不明の新作、志らくさんが「居酒屋」
市馬さんが「味噌蔵」と、酒にちなんだ噺。
最後のトークコーナーで、志らくさんが
「快楽亭ブラックの弟子の志らくです」と言ったときに
ちゃんとウケてくれる筋の良いお客だったので、安心した。

ウチアゲはパスして、有楽町線の有楽町から月島で大江戸線
に乗り換え、門前仲町へ行く。
ブックオフをのぞいて、ドーナツを買って帰宅。

夜はまたまた『天の川の太陽』を読む。読んでも読んでも
終らない。


[1794] 春の雪 2005年09月30日 (金)

行定勲監督の新作「春の雪」を試写会で見る。
原作はもちろん三島由紀夫。
私はもちろん原作は読んでいるが35年前に読んだわけで
細部などぜんぜん記憶していない。

妻夫木聰、竹内結子の映画ということになるのだが
大楠道代、石橋蓮司、田口トモロヲと怪優で脇をかためて
岸田今日子が凄みのある怪演を見せたりで、物語の中に
思わずひきこまれる仕掛けにはなっている。
とはいえ、二時間半という上映時間は少し長いかな。
舞踏会の場面だとかの時代考証はそこそこ巧くできている
ようには見えた。
エンディングに一場面仕掛けがあるのだが、私はちょっと
興ざめだった。少女趣味にすぎるように思えた。
竹内結子は伯爵令嬢をよくこなしている。
松枝清顕の親友の本多を演じる高岡蒼佑もベテランの怪優に
まざって好演していた。

「奔馬」「暁の寺」「天人五衰」と創って行くのだろうか。

帰宅後、読みかけの『天の川の太陽』を読みながら就寝。


[1793] 四十雀日記 2005年09月29日 (木)

オフィスを出て、六本木のコモワイズ・イガワで髪をカットして
もらってから帰宅。
日比谷線の八丁堀で下りて、JRの京葉線に乗り換えたら、何と
三台続けて快速電車で結局、駅で20分待たされた。

柏崎驍二歌集『四十雀日記』読了。
定年前後の生活を静かに詠ったよみやすい作品が並んでいる。

・茫とせる未来なれども思ふとき欅はあをき花零りこぼす
・月のなき夜を帰りきて浴槽に浮かぶ菖蒲の赤き茎見つ
・おほかたの古典教材を暗誦しわが教職の終り近づく
・放課後の教室に来て空間を目に凝らし見つこれでおしまひ
・幹なかばまでのぼりたる葛の葉が形くきやかに月光に見ゆ
・少数の読者あるいは読者なき歌を月々にわれら量産す
・若き日にわが選をせし歌にして為ずもがななる添削の跡

心の深いところに沁み込んでくるように思う。


[1792] 有楽町経由 2005年09月28日 (水)

今日は月一度の特別職会なので、有楽町の本社に出社。
特別職会のあとでお台場のオフィスに向かう。

ここ数日、寝る前に読んでいる本は黒岩重吾の『天の川
の太陽』という大海人皇子を主人公とした小説。
文庫本で650ページくらいの厚さの上下二巻なので
まだ上巻の半分くらいまでしか読めていない。
これを読み終わったら『天風の彩王』という藤原不比等が
主人公の小説を読むつもり。
作家がキャラクターを書き込んだ歴史小説を読むと、芝居
を見たように、アタマにそのキャラクターと歴史的事件と
が残るので、今までうろおぼえだった古代史がいちおう
すっきりとアタマに入る。
この不比等の小説まで読んだら、こんどは宮城谷昌光の
古代中国の小説を読もうと思っている。


[1791] 「短歌」10月号 2005年09月27日 (火)

角川「短歌」10月号は小池光さんの特集。
私も「素顔の小池光」という短文を書いている。
小池さんの「昔話」という自歌自解風のエッセイが抜群に
面白い。小池さんは本当に文章のツボを心得ていると思う。
父の出てくる歌に関して、私はもっと深刻な場面だと受け
とめていたが、歌の核となった父の言動はさほど重々しい
ものではなかったわけだ。
この文章の最後で、「十弦」に載った小池作品に対して
塚本邦雄から絶賛のはがきが来たエピソードが書かれて
いる。
実は私も短文にこのことを書いた。
それほど、印象深い出来事だったわけだ。
これを「短歌からの召集令状」と書くセンスも感嘆する。

小島ゆかりさん、米川千嘉子さん、穂村弘さんの鼎談は
共感する部分もあれば、ちがうなあと思う部分もある。
たとえば、小池光さんが「抵抗体」としてもっとも意識
していたのは塚本邦雄ではなく、小中英之だと思う。
こういう点は「短歌人」の内部に居たからこそわかることで
この三人の方々がわからないのはしかたがない。
小池光論を書くとき、私なら小中英之との対比で書く。
私にとって幸福なことは、歌人・小池光の成立過程を
間近で目の当たりに見ることができたことだろう。


[1790] せつない昭和史 2005年09月26日 (月)

慶応病院に行く日なので、8時前に家を出たが、まず、京葉線が
遅れている。
そのため、病院に着くのが遅れ、血液検査の順番もかなり遅くな
ってしまう。
順送りで遅れて、待ち時間が長い。
とはいえ、そのおかげで、半藤一利の『昭和史』を読了。
語り下ろしを本にしたものなので、講談的な息遣いの文体で
きわめて読みやすい。
批評として感情的な言葉も入ってくるので、ついつい、ひき
こまれる。コンパクトな昭和史として、学生にも読んでほしい
ところだ。
太平洋戦争での日本の敗北には、当然、いくつもの判断ミスが
あるわけだが、決定権保持者が決断しないための失敗というの
が多いのには驚いた。決断して失敗するより、判断留保で、な
しくずしに失敗という方が、責任が回避できるからだろうか。
ともかく、そのために死ななくて良い人がたくさん死んだわけだ。
仮定の話として、昭和20年7月のうちにポツダム宣言を受諾し
ていれば、どれだけの人が死なずにすみ、抑留もされずにすんだ
かと考えると、せつなくなる。
これは歴史というより、私の親の世代の出来事なのである。


[1789] 神戸新聞杯ほか 2005年09月25日 (日)

神戸新聞杯でディープインパクトが三冠にむけて始動する日である。

PATで神戸新聞杯とオールカマーの勝馬投票券を買ってから
首都の会に出席する。
今日は岡井隆さんがレギュラーで出席する最後の会ということ
になる。
会場は神楽坂の出版クラブ。
さすがに例月よりも出席者の数は多い。
東直子さんや五十嵐きよみさんとひさしぶりに会う。
歌会終了後懇親会。
さいかち真さんとひさしぶりにじっくり話をすることができた。

帰宅、9時過ぎ。
ディープインパクトは楽勝だった。馬券ははずれた。
三連単を6点でとろうとしたのが無謀だったか。
オールカマーも軸にした藤岡のコイントスがちぐはぐな競馬で
負けていた。
シャワーを浴びて、すぐ寝る。


[1788] 休日出勤 2005年09月24日 (土)

広告大賞の資料整理のために休日だが出勤する。
七月以来初めての休日出勤になる。
夕方まで作業して帰宅。

遠山陽子さんの句集『高きに登る』と出口善子さんの句集
『わしりまい』を読む。
遠山さんの句集は悼句が多いのがせつない。
それも、飯島晴子、三橋敏雄、藤田湘子と遠山さんが
学んできた俳句の先達の悼句となると、その悲傷はひとしお
だろうと思う。

・地の果ては海のはじまりかもめ来よ/遠山陽子

三橋敏雄師への悼句である。


[1787] お彼岸の句会 2005年09月23日 (金)

駄句駄句会に出席するために、夕方から神楽坂の志満金へ行く。
今日はひさしぶりに、たい平さんも出席。
席題は「秋風」と「吊るし柿」。
邪夢こと島敏光さんの出題。

。吊るし柿キリスト経の軒端にも  媚庵

コンビニで売っている、劇画の総集編シリーズで
バロン吉元の『昭和柔侠伝』が三冊本で復刻されている。
先々週、上巻を買ったのだが、今日コンビニを見たら
中巻、下巻と出ていたので、購入する。
1970年代の劇画の中では、まず、ベストといって良い
作品である。
『柔侠伝』、『現代柔侠伝』とあわせて三部作とも復刻し
てくれることをのぞみたい。
もうひとつ、太平洋戦争中の潜水艦乗りの兵隊たちを描いた
『どん亀野郎』という作品もバロン吉元にはあるので、こち
らも、もう一度、読ませてほしいと思う。


[1786] 短歌新聞社文庫 2005年09月22日 (木)

短歌人会の月例編集会議のために池袋へ行く。
少し早くついたので、ぽえむぱろうるに行き
短歌新聞社文庫、北原白秋歌集『白南風』
大塚布見子歌集『白き仮名文字』の二冊を購入。
この文庫は割安だなあとしみじみ思う。
同じ短歌新聞社から出ている新現代歌人叢書も何冊か
買うつもりなのだが、ぽえむぱろうるには塚本邦雄の
『寵歌変』しか置いてなかった。

編集会議は諏訪部仁さんもイギリスから帰ってきて
全員集合。
来年の一月号の企画を決める。

帰宅したら「短歌」の小池光特集号が届いていた。


[1785] 現代詩殺人事件 2005年09月21日 (水)

平安時代は概算で400年続いている。
江戸時代が250年。
現在は明治維新から約140年。
こう見ると平安時代の400年というのは長いなあ。

東陽町の「初めての短歌」講座の最終回。
10名強のメンバーだったが、それぞれの方に
短歌への思いは伝わったと思う。
10月から2回目の講座が始まる。

光文社文庫の新刊、斎藤慎爾編『現代詩殺人事件』を購入。
サブタイトルは「ポエジーの誘惑」。
詩を扱ったミステリのアンソロジーである。
佐藤弓生さんの「銀河四重奏のための6つのパガテル」と
いう短編が書き下ろしということで収録されている。
吉田一穂の詩世界を下敷きにしたみごとな美学的短編で
中井英夫の初期の短編を読んだような思いにさせられた。
生涯に一編でも、こういう小説を書きたいと切実に思う。


[1784] 視聴率と歴史 2005年09月20日 (火)

三日ぶりにオフィスへ出る。
朝くばられる昨日のテレビの聴取率一覧を見ると
「DOORS」が20パーセントを超えている。
内容はもう一つ面白みに欠けたと私は思うが、
20超えれば、編成的には成功であろう。
しかし、あのセットの金のかけかたは、ムダに思えるが。

半藤一利の『昭和史』を読み続ける。
明治維新から日露戦争勝利まで約四十年、
それから太平洋戦争の敗戦までまた四十年、
戦後の焼け跡からバブルの絶頂までまた四十年、
そして今はその後の下り坂の半ばあたり、ということだ。
歴史というものは、そういう起伏をくり返していると
いうことなのか。


[1783] 変則開催 2005年09月19日 (月)

今日の競馬は阪神と札幌のみという変則開催。
重賞がないので、あまり買う気がしない。

一日、原稿を書いてすごす。

夜はTBSの「DOORS」とテレ朝の「鳥人間コンテスト」
を見ながらだらだらすごしてしまう。


[1782] 朝から図書館 2005年09月18日 (日)

朝から図書館に行って、松本清張の短編小説を二本読む。
「賞」と「剥製」という作品。
どちらも、若い頃に脚光を浴びた人物のみじめな晩年を描い
ている。1950年代の後半に書かれたものだが、この時期
清張はこのような人生の起伏に興味を持っていたのだろうか。
図書館にはすでにリタイアしていると思われる年配者が多い。
やがて自分もこんなふうになるのだろうと思えば、秋の風が
身にしみる。

午後は競馬。
セントライト記念の柴田善臣によるアドマイヤフジの騎乗は
もう、苦笑するしかない。


[1781] 妄想短歌の尖兵 2005年09月17日 (土)

笹公人さんが出演する「爆笑問題のススメ」を録画しておい
たので、午前中から見る。
午前二時過ぎのオンエアではさすかにリアルタイムでは見ら
れない。

爆笑問題と笹公人という組合せは確かに見ものではある。

『念力図鑑』及び『念力家族』から作品が紹介されて、それ
を「妄想短歌」というレッテルで紹介していた。
この妄想短歌というのは、写生の対極にある短歌ということ
からも、テレビ的な発想からいってもわかりやすく面白い
キーワードになっている。

東郷雄二さんは笹公人作品を「お笑い短歌」ととらえずに
抒情性を評価すべきだとお書きになっていたが、私は笹公人
の武器はやはり「笑芸としての短歌」のプロになることだと
思うのだ。
山崎方代の短歌にはユーモアがあり、ニヤリと笑えるが
それは境涯と引き換えにする笑いだった。
笹公人のように、笑いを目的とする短歌をつくり、それに
成功した人は現代歌人の中にはいないのである。
笹公人短歌に良質な抒情があるとしても、その程度の抒情
は、ほかの歌人でももっているものだろう。それなら、当然
未踏の分野を突き進むほうが絶対に正しい。

今まで、マスコミに露出していった歌人は、その点できわめて
中途半端だった。笹公人にはひたすら笑いを追求した短歌を
つくり続けて、ウケをとり続けてほしい。
歌壇的な評価など欲しがらずに、マスコミに露出して、
爆笑問題や伊集院光と歌人という肩書きのもとで互すまで
存在感をたかめて欲しい。

笑いの質においても「あるあるネタではつまらない」と
番組中で、笹公人がはっきり発言していたことに好感を
もったし、頼もしくも思った。
歌人という肩書きでメディアに露出するなら、
ギャグの一つでも作って、とにかく笑いをとり続けて
もらいたい。
笹公人の使命は、俵万智や枡野浩一がつくった中途半端な
歌人像の破壊なのだ。

番組中の流れによると、今後、「爆笑問題のススメ」の
レギュラー扱いになるようなので、おおいに期待したい。


[1780] メディアの支配者 2005年09月16日 (金)

『メディアの支配者』上下巻読了。
鹿内信隆、春雄、宏明、日枝久という男たちをめぐる
フジサンケイグループというメディア複合体の主導権争い
を、実に緻密な取材によって綴るみごとなドキュメント。

たまたま、ライブドア騒動が起こり、その収束直後に
出版されたので、きわものめいた印象をもったが、
それはとんでもない誤解だった。
実に10年以上前からの取材の成果がたたきこまれた渾身の
ドキュメントといえる。

当然、私の勤め先も、その舞台となり、当時から現在までの
幹部たちが実名で登場する。
私のような現場に居たものの見聞も、この本の記述で裏打ち
されたり、逆に本の中では記述されていない後日の状況を
たまたま私が知っていたりすることもある。
ある意味で、鹿内宏明復権の書ということもできるのでは
ないか。
何か微視的にしか見えなかった状況を、巨視的にさらに
深いところまでメスをそそいで見せてもらった気がする。
保身をはかる人間の醜さは、この本が書き終えられた今でも
続いているのだから、イヤハヤとしか言いようがない。


[1779] コラボレーション 2005年09月15日 (木)

昨日も昼間は会議続きだったが、今日も午後は会議の連投。
フジテレビ主導の映画「容疑者・室井慎次」は予想以上の
観客動員になっているとのこと。
「電車男」も映画とテレビのコラボが成功して、両方見る
という観客のモチベーションをつくりだした。
今後、このようなコラボの手法は通常のものになっていく
のかもしれない。

夕方から、新潮ノンフィクション賞受賞作品の
中川一徳著『メディアの支配者』上巻をやっと読み始める。


[1778] 夕闇も目にしみる 2005年09月14日 (水)

夕方の街を歩いていると、闇が濃くなったと感じる。
秋がふかまっているのだ。

江東区文化センターの講座。
今日は相互批評と同時に、好きな歌を三首選ぶというかたちで
互選もおこなってみる。
予想以上に的確な感想・批評が出るので嬉しくなる。


[1777] 正解者ゼロ 2005年09月13日 (火)

たぶん大学生の時だったように思うのだが、
「現在の憲法改正の動きは、国会議員の三分の二の賛成
による発議の段階でかろうじて止まっているので、国民
投票まで行ってしまえば確実に憲法は変えられてしまう」
という論を読んだのを覚えている。
その頃はまだ社会党も強かった時代で、国会議員の三分の二
が、憲法変更に賛成するなどということは、ありえない状況
だったので、そんなものかなと思っただけなのだが、いよ
いよそれが、絵空事ではなくなってきたのかも知れない。

小林秀雄が二十代の頃に書いた文章を読んで、その老獪な
文体に気押される。
小林秀雄と青山二郎と河上徹太郎の交遊の実際の現場とい
うのは、いったいどんなものだったのだろう。

・天国は西かと問えば五月蝿なす女子アナ百人正解者ゼロ 岩井聡『振動子』


[1776] 同姓同名 2005年09月12日 (月)

ちょっと体調が不調なので、朝から慶応病院へ行く。
なぜか、病院に着くと体調が回復してしまう。
もちろん、それは良いことなのだが。
大病院で待っていると、有名人と同姓同名の人が
けっこう居るのに気づく。
今日も、セキネケイコさんとナカイヒデオさんが居た。
前回はコムラサキヨシオさんという呼び出しアナウンスを
聞いた。
コムラサキヨシオというのはスズマーチとかスズマッハとか
スズという冠号のつく競走馬の馬主で、前の東京馬主協会
会長だった人である。
ここまで変わった名前は同姓同名ということはなさそうなの
で、本人だったのだろう。

ということで、病院で半日ほど待ち時間があったので、
織田正吉著『古今集の謎を解く』を読了。
主として紀貫之の仮名序と六歌仙の一人の喜撰法師の歌の謎
を解明していくというもの。
梅原猛のように、茂吉も真淵も契沖も間違っている!とい
きなり、拳骨で殴りつけるような文体ではないので、やや
まだるっこしいが、喜撰法師が架空の人物という点は説得力
があるような気がする。

ということで、心配するような病状ではないということが
わかって一安心の月曜日。

病院帰りに「日刊ゲンダイ」を買ったら
「この国の民主主義は死んだ」という強烈な見出しが
踊っていた。


[1775] ヤネの哲学 2005年09月09日 (金)

有楽町の本社に寄ってから、お台場のオフィスへ出社。
途中、交通会館の三省堂で黒須田守著『ヤルの哲学・熱き表現者
たちに宿る騎手魂』(東邦出版・1333円)を買って読む。

黒須田さんは、むかし、別冊宝島の競馬やプロレス関連の編集や
ライターをしていた人。巨漢でアタマの良い人だ。
この本の内容は、HPでおこなった騎手へのインタビューを通じ
て、黒須田さんが考えた、「表現者としての騎手」についての
論評ということになる。

江田照男騎手の言葉で
「オレが武豊と同じ馬に乗っても、武豊のようには勝てないだ
ろうが、オレと同じ馬に武豊が乗っても、オレほどは勝てない
んじゃないの」
という言葉が印象に残る。

競馬の世界というのは、プロレスと同じく「底が丸見えの底無沼」
にはちがいないのだが、プロレスよりも水の濁りが多い。
その濁りに何度イヤな思いをさせられたことか。
とはいえ、私は競馬のない週末は耐え難いのである。


[1774] 木馬は廻る 2005年09月08日 (木)

退勤後、バスで古石場の図書館に行く。
「東京図書館制覇!」というサイトで、道がどんどん住宅地に
向かい、こんなところに図書館があるはずがないと思えて来る
頃に、突然、古石場図書館は出現する、と書かれていた図書館
である。

さて、図書館で萩原朔太郎に関する文献を読んでいたら
江戸川乱歩の随筆があった。
稲垣足穂と萩原朔太郎との交遊を書いたもので、
なんと、乱歩は朔太郎と一緒に浅草に行き、二人で木馬に
乗ったことがあるのだそうだ。
「探偵小説四十年」に収録されている文章なので、何十年も
前に読んだことがあるはずだが、その頃は、乱歩と朔太郎の
関係になど興味がなかったので、記憶に残っていなかったの
だろう。
ちなみに、朔太郎は乱歩の初期作品の中で、「二銭銅貨」や
「心理試験」に対しては低い評価で、逆に「赤い部屋」や
「人間椅子」は絶賛している。まあ、いかにも朔太郎らしい
評価ではある。


[1773] 一首の栄光 2005年09月07日 (水)

・下女といふ言葉のありし頃の秋茶いろの鶏(とり)は庭にあそびき 植村玲子『拝んであげる』

植村玲子さんは「短歌人」の先輩。
岡部桂一郎さんの門下である。
植村さんはいわゆる無名の歌人だが、このように鋭い作品が
たくさんある。
つまり、短歌の文学的レベルは一部の有名歌人が保証している
わけではなく、短歌を人生のもっとも大切な一部としてか
かわってきた数多くの無名の歌人たちの作品が支えているの
だと思うのだ。


[1772] 大法輪 2005年09月06日 (火)

週末、出張で勤務していたのでその代休。
めまいがするということで、慶応病院に検査に行く。
なぜかカルテが出てこないということで、けっこう
時間がかかってしまう。

帰りに神保町へ行き、本をあれこれと見る。
あまり、お金を使いたくないので、河出文庫の新刊の
正岡容著『小説円朝』と新潮文庫の梅原猛著『百人百語』を
購入。
まだ、時間が早かったので、豊洲図書館に寄り、「文学界」
と「SFマガジン」の最新号を読む。
「文学界」で読みたかったのは、落語特集の中の「談志イ
ンタビュー」と談春・昇太の座談会。新聞のコラムでこの
二つをたたいていたが、読んでみると家元、談春・昇太と
もに、きちんといつもの持論をしゃべっている。コラムの
執筆者が結局何をのぞんでいたのか不明である。

帰宅すると「大法輪」が届いている。
エッセイを寄稿したので掲載誌を送ってくれたわけだ。
「鉄笛」というエッセイ欄で、私は「短歌と落語」という
短文。
もう一人、歌人の佐伯裕子さんが「パンテオン」という
文章を書いている。渋谷の映画館パンテオンの思い出から
人間にとっての時間とは何かを考察した内容。
佐伯さんは歌人の中ではこういう切れのある文章が抜群に
巧い。同じ欄に拙文が載っているのは気恥ずかしい。


[1771] 不穏な空模様 2005年09月05日 (月)

昨日の夜帰宅。
がっくり疲れる。

この六日間で読んだ本。
黒岩重吾『天翔る白日・小説大津皇子』
黒岩重吾『古代史への旅』

昨日は杉並区で集中豪雨。
今日は台風が近づいている。不穏な空模様。
昼過ぎにオフィスへ出たら
ビルの前で玉突き衝突。
5台見えたが実際には8台の衝突だったらしい。

帰宅すると、天草季紅さんが
『遠き声 小中英之』(砂子屋書房 2500円)を
送ってくださっていた。
この本は天草さんが小中英之という歌人に魅せられて
書ききった熱意の歌人論である。
天草さんに敬意を表したい。
天草季紅さんはかつて長渕基江という名前で
角川短歌賞の候補になっている。
また『夢の光沢』という歌集を出している。


[1770] 本二冊 2005年08月29日 (月)

昨日から今日にかけて本を二冊読み終えた。
佐佐木幸綱著『万葉へ』
折原一著『覆面作家』

『万葉へ』は元版は読んでいるのだが、「佐佐木幸綱の世界」
の版では増補してあるので、そちらをあらためて読んだ。
まず、テーマをぶつけて、それを解説するという幸綱的な
論理展開の文章は、好き嫌いがありそうだが、私は好きな
方なので、気持ちよく読みすすむことができた。
梅原猛の人麿論に対して暗に批判しているようなところも
あって、面白く読めた。
国文学の世界では、学者としての佐佐木幸綱という人は
どのように評価されているのだろうか。

折原一『覆面作家』は叙述トリックの新本格ミステリという
うたい文句ではあるが、こんなリアリティのないトリックの
ために、長編小説を一本読まされたのでは情けないというの
が率直な感想。
折原さんは実はワセダミステリクラブで私の一年先輩にあた
る。「旅」の編集者になったあと、作家デビューして、すで
に多くの読者をつかんでいる。
『覆面作家』の結末のしつこいドンデン返しなど、折原さん
のねばっこい性格が投射されている気がする。

明日から出張なので、午前中は慶応病院に行き、
午後からはお台場のオフィスで、出張中の仕事の
手当てをする。

というわけで、日曜日まで出張のため日記を休みます。


[1769] ヤマニンアラバスタ 2005年08月28日 (日)

火曜日からその週の日曜日までフジサンケイクラシック
ゴルフトーナメントのために、現地の富士桜カントリーク
ラブに出張に行きっぱなしになるので、今日は原稿書き。

原稿の資料として同人誌「十弦」を再読する。
われながら充実した同人誌だったと再確認する。
小池光短歌の文体が急速にかたちを整え、そしてまた
その文体から離脱して、次の文体を模索してゆく過程が
リアルに実感できる。
真の作家というのは、そのような変化を普段にくり返す
ものなのだ。
五七五七七にただ言葉をはめこんでいるだけでは、それは
短歌をつくったことにはならないということを、もっと、
自分自身に言い聞かせるべきではないのかと叱咤される
気がする。

短歌・俳句の類想について、すべての作品は引用にすぎない
というような戯言を言う人がいるが、
要は創作者として、恥を知れ!ということなのだ。
意識的な類想は論外としても、あとから気づいた場合も
とても恥ずかしい、と思わないのか。私は思うよ。
創作・表現の断崖で身を削った経験がない人に限って
そういう戯言を言うものである。


[1768] レキオ 琉球 2005年08月27日 (土)

午前中に平和島のTクリニックに行き、アトピーの薬をもらう。

午後、競馬を見ながら原稿書き。

渡英子歌集『レキオ 琉球』(ながらみ書房)を精読する。
渡さんが沖縄に転居して以降の作品を中心にした第二歌集。
歌人・渡英子が主題としての「琉球」をかかえこむ必然が
理解できる一巻。
配偶者の勤め先の転勤で沖縄に住むことになったわけだが
その偶然が、渡英子にとって必然に転化している。問題意識
のベクトルは戦争中の沖縄を越えて、琉球の背負ってきた
時間に直接向かっている。

小池光の帯文がみごとにこの歌集の本質を言い当てている。

「「沖縄」には戦争の影があまりに濃い。ならば「琉球」と
 いおう。渡英子は琉球へ行ってあたらしいことばと出会
 った。あたらしいことばとの出会いは、あたらしい世界と
 の出会いに等しい。(後略)」

・わたくしは億年の過客、雨雲を機体はぬけて濃き虹に遭ふ
・歌枕あらぬ清けさ泡盛のグラスに月の光を溶かす
・那覇市立中央図書館に仙波龍英が吸血鬼小説あれば手に取る


顕彰されるべき優れた一巻といえる。


[1767] 怪談と句会 2005年08月26日 (金)

もう八月の最後の金曜日である。

橘外男の「蒲団」と「生不動」を読む。
「逗子物語」と並ぶ橘外男の怪談の傑作である。
「逗子物語」は学生時代に「新青年傑作集」で読み
五年ほど前に再読した。
せつなさがみなぎった日本的怪談の傑作だと思う。
「蒲団」はオーソドックスな怪談を淡々とした語り口で
語ってみせる。因縁のよりどが不明のまま終るのも綺堂
以来の怪談作法にのっとっている。
「生不動」は留萌市に放浪中に遭遇した事実譚といった
構成になっているが、雪の中の火焔という美しい設定が
比類ない読後感を残す。

夕方から「駄句駄句会」。
席題は「朝顔」と「秋冷」。
・朝顔や京成電車いま始発
・秋冷の部屋に東京かわら版

夜、帰宅後に『茂吉随談U』を読了。
茂吉の時代にも続いていた濃密な師弟関係を夢想する。


[1766] 台風接近中 2005年08月25日 (木)

台風が接近中ということで不穏な空模様の一日。
お台場の24階から見る空にも雲が流れている。

短歌専門誌の作品欄を精読する。
基本はたくさんの作品を読み、自分でもたくさんの作品をつくる
ことなのだ。

専門誌に作品を発表する場合、私は一つのタイトルとなるテーマ
を設定して、連作でない場合でも、すべての作品にゆるやかな流
れをつくるようにしている。
20首強の場合、導入部のほかにいくつかのピークをつくって行く。
そして、エンディングにも流れの序破急をつくって、ピークのま
ま着地するような構成が多い。
もちろん成功することも失敗することもある。
こういう構成が巧いのが、松平盟子さんや栗木京子さんたちだ。
彼女達がなぜ巧いかというと、若いときに角川短歌賞を受賞した
り、次席になったりして、専門誌への作品発表の機会に恵まれて
いるので、体感的にそういうゆるやかな主題のもとに作品を統べ
るという構成に慣れているからだというのが私見である。

今回読んでみて、案外、こういう構成をとらずに、題はついて
いるものの、雑詠の集合みたいな構成をとっている人が多いの
に気付いた。もちろん、作者がそれでいいと思っているのなら
かまわないのだが、私にはやはり何か統一感がほしい気がする。

ところで、各誌9月号のトピックスは、吉川宏志さんの多作。
「短歌研究」が、連載30首に短歌研究受賞後第一作50首。
「短歌」に14首。「短歌研究」には、受賞対象作品となった
「塩と死」30首が再録されているので、この二冊を買うだけ
で、吉川宏志作品が124首読めることになる。
そして、くやしいことに、この作品が全部きちんと読める水準を
クリアしているのですね。たいしたものだと思うしかない。


[1765] 精読する楽しみ 2005年08月24日 (水)

有楽町の本社へひさしぶりに出勤。
雑事を済ませ、スタジオで高田文夫さんに挨拶してから
お台場へ。
ゆりかもめもバスもりんかい線もあいかわらず混んでいる。

短歌専門誌9月号はどれも塚本邦雄追悼特集が組まれている。
1970年くらいまでの塚本邦雄の作品はしばしば論じられ
追悼文の中にも出てくるが、それ以後の歌集の作品はやはり
あまり語られることが少ないと思う。
私自身も『星餐図』、『青き菊の主題』、『されど遊星』は
真剣に読みふけったが、その後は『黄金律』と『魔王』まで
間があいている。そして『魔王』以降の歌集は、耽読したと
はやはり言えない。
逆に考えれば、それだけの塚本邦雄短歌を精読する楽しみが
まだ残されているということになる。

梅原猛『万葉を考える』読了。


[1764] 池袋・驟雨 2005年08月23日 (火)

「短歌人」の編集会議で夕方、お台場から池袋へ行く。
8月は例年芸術劇場が改装なので、豊島区民センターで
会議をおこなう。
区民センターに着くと、すでに高田流子さんが来ていて
受付の人が今日は「短歌人」という名前の会議室予約は
入っていないというので困っている。
宇田川君が来て、やがて蒔田さくら子さんが来て
予約票を確認。結局、区民センターの事務方が、「短歌人」という
予約者名を、きちんと書いていなかったというミスだった。

編集会議終了後、夕食のために明月苑という焼き肉屋に移動し
ようと玄関ホールに出たら、土砂降りである。
典型的な八月の驟雨というやつだ。
蒔田さくら子さんと一つの傘に入って店まで50メートルほど
歩いたら、半身はずぶ濡れになってしまった。

店を出たときは雨が小ぶりになっていたのだが
有楽町線で豊洲まで帰ったら、また、雨が強くなっていた。

帰宅後、梅原猛の『万葉を考える』を読みつつ就寝。


[1763] 麦と砲弾 2005年08月22日 (月)

「短歌研究」9月号が到着。
短歌研究新人賞受賞作品 奥田亡羊「麦と砲弾」を読む。

なにより、シナリオ形式で30首を構成するというワンショットの
アイデアの勝利である。
作品をこのようなかたちで構成してみせる力わざが気持ち良い。
もちろん、「新ハムレット」や「蟹工船」など、ドラマのシナリ
オ形式の連作の前例はあるわけだが、それは複数の歌人によるも
ので、一人の作品で、このように構成したものは私は初めてみた。

内容も時代の緊張感を底流させつつ、絶望をふくんだ救済を設定
してみせた、同時代性があるもので、十分評価に値する。
エピグラフに藤原新也の言葉を引いて、それを受けた作品が
一首目におかれているが、私ならばそこはずるく隠すような気が
するが、あえて、この主題を自分が引き受けたきっかけとなった
言葉を明示してみせたということだろうから、好感がもてる。

昨年は惨澹たる受賞作を出してしまった短歌研究新人賞も、これで
面目を保てたわけだ。

この「麦と砲弾」を一位に推したのは佐佐木幸綱と穂村弘の二人。
やはり、この二人が一位で推さなければ、かつての高島裕の
「首都赤変」のように、受賞を逸しただろうから、今回は良い
選考になったといえる。
受賞第一作が、来月号に発表されるのが楽しみである。
このシナリオ形式の構成は、ワンショットのアイデアに見えるが
奥田亡羊の中に方法意識は当然存在するのだろうから、今後もこの
形式での発表を続けてほしいと思う。何よりマネされない方法を
公然と提示しえたというのが強みである。


[1762] 塚本邦雄への視点 2005年08月21日 (日)

午前中はだらだらして、午後は東陽町文化センターでの「元気が
出るコンサート」に行く。
夕方帰宅後は、昨日借りた『万葉を考える』を読み続ける。
本の整理をまた少しする。

昨日、到着した「短歌現代」9月号の塚本邦雄追悼特集。
岩田正
大河原惇行
河野裕子
雁部貞夫
小黒世茂
大辻隆弘
といった執筆者。
大辻隆弘さんの文章が興味深い。
自分が塚本邦雄短歌をどのように感受できるようになったかを
語りつつ、結論部分で思い切った発言をしている。
「以後、塚本邦雄は言葉そのものに淫していった。彼のリアリ
ストとしての眼は、最後まで『緑色研究』の頃のようには澄
み切ることはなかった。そう私には感じられる。」
という結尾の文章には、大辻隆弘の短歌感を賭けるという強い
意志があるのだろう。
もちろん、私には異論がある。
『青き菊の主題』以降の塚本邦雄作品に関しては、今後も繰り返し
論じてゆくべきだと私は思うし、私自身もそうするつもりでいる。


[1761] 茂吉エピソード 2005年08月20日 (土)

午前中、自転車で図書館に行き、梅原猛の対談及び講演を
まとめた『万葉を考える』という本を借りてくる。
人麻呂歌集に関する講演を読みたかったので、借りた。
梅原氏の考えは、人麻呂歌集の大半の作品は人麻呂本人の
作品で、それも若かった頃のものだという説。

午後は『佐藤佐太郎集』の第七巻『茂吉随聞』を読了。
この本は『童馬山房随聞』と『斎藤茂吉言行』をあわせて
この『佐藤佐太郎集』では『茂吉随聞』という題にした
もの。
茂吉が精神科の診療中に、男根が小さいと悩む患者に対して
自分のそれを出してみせてなぐさめたというエピソードは、
何人かのエッセイで読んだことがあったが、この随聞に記録
されているものだったことを知った。
他に永井ふさ子の件も、佐太郎のような高弟には、かなり
早くから知らされていたのだということもわかる。

初めてしった事実としては、茂吉がさかんに、自分の全集を
出すときには、あれを入れる、これは入れないということを
佐太郎に語っているということ。
岩波書店から時節がおちついたら斎藤茂吉全集を出しましょ
うという計画がもちかけられていたのだろう。

続きの第二巻をすぐに読むつもりだったが、ついつい
夜は、「爆テン」のスペシャル、「女王の教室」、
「エンタの神様」と惰性でテレビを見てしまう。

もう一巻、『茂吉随聞』のUは、月曜日から読むことにする。


[1760] 心乱れて 2005年08月19日 (金)

今日は休み。
今年は夏休みをまとめてとらずに、週に一日ずつ休むと
いうかたちで消化している。
一日も休めなかった去年に比べればありがたい。

藤沢市にある聖智文庫にAさんをたずねる。
二年半ぶりくらいだろうか。
ストックヤードの本が大量になっている。
サブカルチャー系統の珍しい本を、さまざまに見せてもらう。
世の中には実に多彩多様な本が出ているものだと感心する。

夕方まで話をさせていただいたあと、こんどは東京に出る。
東京スポーツに、全日本女子プロレスの現社長の松永国松
氏が飛び降り自殺の報が一面を飾っている。
この人とは親しくはなかったが、何度か話をしたことはある。
それにしてもプロレス関係者はFMWの荒井社長はじめ、
自殺者が多い。

丸の内線で本郷三丁目まで行き、東大病院へ行く。
プロダクションの社長のKさんのお見舞い。
七月半ば過ぎに体調が変になり、診断を受けたところ
すぐに入院ということになり、八月初めに手術。
そして、今日はもうパジャマ姿で歩き回っている。
実に元気な人だ。もちろんその元気さで安心したのだ
けれど。


[1759] 立候補 2005年08月18日 (木)

自民党が次々に有名人候補者を公認している。
たとえば、俵万智は、声をかけられたらどうするのだろうか。
今回の選挙の開票速報特番は、注目選挙区が多いだけに
たいへんだろう。

佐藤佐太郎の『茂吉随聞』を読み始める。
数え年二十二歳の頃から佐太郎は茂吉のところへ
通っていたわけだ。
まだ、一巻目の半分しか読んでいないのだが、
当時の茂吉の生活が浮びあがってくるから不思議だ。
佐太郎、山口茂吉、柴生田稔といった人たちが
ほとんど毎日のように斎藤家をたずねている。
今の宗匠はこういう生活はイヤだろうと思う。
これは茂吉の側近の話のわけだが、
同じ時期の土屋文明にも、文明側近の人たちが
このように、しばしば訪ねて、エコールをつくって
いたということなのだろうか。
週末のあいだに、読み終えてしまうつもりである。


[1758] 巨人斎藤茂吉総点検 2005年08月17日 (水)

昼休みにアクアシティのブックファーストに行ったら
「国文学解釈と鑑賞 巨人斎藤茂吉総点検」が出ていたので
ついつい購入。
午後、さしせまった仕事もなかったので、面白そうなところ
から拾い読みしていたら、ついつい没入してしまう。

鼎談「茂吉という不思議を考える」三枝昂之、芳賀徹、藤岡武雄が、わりと放談風の展開で、茂吉のどこが魅力かを、
わかりやすく伝えてくれる。話の中でひかれる作品も的確
なものが多く、とにかく、飽きずに読める。
さらに茂吉の歌集を一冊ずつ解題風に紹介する欄では
安森敏隆、吉川宏志、川口紘明、大辻隆弘、山田吉郎、
寺尾登志子、内藤明、島田修三、大島史洋の諸氏が簡明な
紹介を書いている。
私は茂吉の歌集の順番も暗唱するのはおぼつかないので
このように、作風の変遷や特徴を簡潔にまとめてくれる
のはおおいに助かる。

国文学者ばかりではなく、短歌の実作者が数多く執筆して
いるので、固さが少ないのも、この特集を読みやすくして
いる特徴かもしれない。
実になる一冊という感じである。


[1757] 正午前の地震 2005年08月16日 (火)

地震があった時、オフィス内にいたのは5人。
24階で、中空にはりだしている建物なので、
ゆれは不安になるほど大きく長かった。
体感的には先月の土曜日の地震よりも大きかったように思う。

冒険王のお客さんたちも、不安がっていたが、Kさんが
すぐに「この建物は地震には強いので心配はありません、
館内放送があったら、それにしたがってください」と
大声で告知したのでおちついたようだった。

エレベーターはいっせいに停止して、復旧までには
一時間くらいかかった。
一時過ぎに18階に食事にゆくと、ほとんどのメニューが
売り切れになっていた。
報道ステーションなどが、地震報道のために
食事と弁当を買い占めたからだろう。

帰宅後、佐佐木幸綱『人麻呂ノート』を読了。
この本の中に、「こころ」が「ことば」に昇華し、それが熟成
して「うた」になる、との論述がある。
これはまさに、意識的に短歌をつくっている人にとっては
自分の作歌行為を言い当てられた思いがするだろう。
ところで、最近の若い人たちの口語の歌集を読むと
「こころ」があっても、それが「ことば」に昇華することすらなく
うわごとのような断片として五七五七七につっこまれただけの
ものを短歌と思い込んでいたり、「ことば」にはなっていても、
「うた」に熟成する以前に放り出されていたりするものが多いと
私は感じることが多い。
そういう未熟成なものを、新しい感覚だとほめている歌人が居たり
するのも、こまったことだと思う。たとえば、そこそこ人気のある
歌人たちが、そういうものを褒めてしまえば、そういうもので良い
のだと思いこんでしまう人たちが後続してくるかもしれない。
そして、未熟成の連鎖がえんえんと続くことになる。
これは明らかに困ったことだ。

引き続き佐佐木幸綱の『万葉へ』を読み始める。


[1756] 60回目の終戦記念日 2005年08月15日 (月)

終戦記念日である。
60年経ったからというわけではなく、
個々の歴史認識は養わなければならないと思う。

仕事場では夏休みをとっている人が多いので
今日は私をふくめて4人しかいない状態だった。

杉山正樹の『遊戯の人・寺山修司』読了。
著者は「短歌研究」編集部にいて、
寺山が新人賞に応募してきたときに
中井英夫と一緒に選考にあたったという人。
基本的に寺山に対して愛情があるので
読んでいて、不愉快にならないですむ。
短歌と同時に芝居に関しても、きちんとした評価を
しているのが、今までの評伝本とは異なるところ。
ただ、競馬にだけはふれていないので
不思議に思っていたら、あとがきに
自分は競馬は苦手なので、それだけはパスさせて
もらったと、フェアに書いてあった。
その部分を装丁の和田誠がカバーするということで
表紙絵のカバーの下の緑色の本体に競走馬のシルエットが
箔押ししてあった。

夜、佐佐木幸綱の『柿本人麻呂ノート』を読み継ぐ。


[1755] 深川八幡大祭 2005年08月14日 (日)

本日は深川の八幡さまの大祭。
50以上の町内からお神輿が出て、永代通りを
練り歩く。
家族で出かけて、門前仲町の交差点の手前で見物。
すごい人出で、まさに、お祭りという雰囲気。
これで、永代橋が落ちたりしたら、
宮部みゆきや山本一力の小説になる。
新川南のお神輿が、女神輿で、女性ばかりでかついで
いたのが目をひいた。

日射病寸前になり、自転車でよろよろと帰宅。
レクレドールのおかげで、ひさしぶりに馬券的中。


[1754] 戦後60年 2005年08月13日 (土)

俳人三人
三橋敏雄
飯田龍太
鷹羽狩行

歌人三人
塚本邦雄
香川ヒサ
小池光

これだけで私はじゅうぶんです。


[1753] トランクルームの憂鬱な午後 2005年08月12日 (金)

午前中は、ベランダに置いてあるボール箱の中の本の整理。

午後は天王洲アイルにある寺田トランクルームに行って、
30箱分の本の整理。
どうしてこんなに本がたまってしまうのだろう。
午後一時からはじまって、午後四時過ぎまで、
たっぷり三時間以上かけて、処分するものと、
保存するものを分類し、メモをとる。

そのままバスで品川へ行き、京浜急行にのりかえて
平和島のTクリニックへアトピーの薬をもらいに行く。
雨がぱらついてきたので、急いで帰る。

帰宅すると、短歌研究社から購入した『島田修二歌集』が
到着していた。
これは、前に出ていたものに、最終歌集『行路』が、
完本収録されている。

・文学に似たる政治と見てをれどテレビに映るは笑ふほかなし  島田修二『行路』


[1752] 黄斑瑠璃燕蝶の一閃 2005年08月11日 (木)

まだ、腰痛が続いていて、少し遅れて出社。
昨日出した書類に凡ミスがあり、Aさんから指摘される。
ちょっとあわてるが、とりあえず、修正してやりすごす。

夕方、大川さんと一緒にCM大賞の会議。
一回目からの受賞一覧がPCに残っているはずだと
言われてあわてる。
いろいろと探してもないので困っていると、
大川さんのところに、とりあえずバックアップデータが
あるのがわかって一安心する。
CM部にこれらのファイルを送信する。

帰宅すると、下村尤二さんから歌集『碧海石榴』が届いて
いる。
美意識の強い歌だが、その華麗な言葉の底に批評の毒が
ひそんでいる。

・ヒロシマの核の夕映えうすれゆき黄斑瑠璃燕蝶の一閃 下村尤二

自分は結局こういう修辞と毒の歌が好きなのだなと実感。


[1751] 人麻呂の和歌革新 2005年08月10日 (水)

なぜか腰痛が襲ってきた。
とりあえず、湿布をして、勤め先に行く。
しかし、椅子に座っていても、身体をひねると痛い。
とにかく、ひどくならないように気をつけて
一日を過ごす。

帰宅後、佐佐木幸綱の『柿本人麻呂ノート』を読み始める。
第五章まで読む。
人麻呂は当時としては画期的な和歌観をもっていた
和歌の革新者という視点で捉えている。
「ユリイカ」に1979年に連載されたのだそうだ。
四十歳前の仕事である。
佐佐木幸綱の仕事の中でも価値あるものではないだろうか。


[1750] ラジオの現場から 2005年08月09日 (火)

会社にフリーのディレクターのS氏とK氏が
たずねてきてくれた。
18階のレストランで歓談二時間。
二人ともラジオの現役のディレクターなので
デジタル放送、インターネット放送に関して
とても有益な話を聞かせてもらった。
先々週にデジタルラジオ放送の記者会見に行ったが
彼らほど真剣にその使い道を模索している気配はなかった。
やはり、現場の人にこそメディアの生理というものは
感受されるもののようだ。

帰宅は夜十時過ぎになった。


[1749] 夏の休暇 2005年08月08日 (月)

夏の休暇といっても優雅なものではない。
単に昨日、一昨日と旅行で疲れてしまったので、あらかじめ
有給休暇をとっておいたというもの。

午前中はいただいた歌集・歌書の礼状書き。
郵便局へ冊子小包を出しに行ったら
おりから郵政民営化法案の参議院の裁決日ということで
心なしか局内の空気が緊張しているようだった。

午後から久しぶりに上野の古書の街に行く。
一年半ぶりくらいだろうか。
店内のレイアウトもほとんど変わっていない。
じっくり時間をかけて本をチェックして、
島田修二著『宮柊二の歌』を1000円で購入。
夕立が来そうな雲行きになったのであわてて帰宅。

寝そべって島田修二の本を読んでいるうちに眠ってしまった。
これもまた久しぶりの昼寝であった。


[1748] 長野の夏の会 2005年08月07日 (日)

午前9時から歌会開始。
私は前半の司会。後半は原田千万さんが司会。

岡田悠束さん、竹田正史さんら、幹事のみなさんが
とてもがんばってくれた会になり、思い出深いものに
なった。
懇親会では春畑茜さん、二次会では倉益敬さん、渡英子さん
たちとゆっくり話すことができた。
帰りの新幹線では森田直哉さんと席が隣り同士で、ここでも
落語談義がはずみ、最後まで充実した時間が楽しめた。

楽しい場をつくり、また、もりあげてくださったみなさんに
感謝したい。


[1747] 長野へ 2005年08月06日 (土)

「短歌人」の夏季集会のために正午発の新幹線で長野へ。
車中では松本清張の『昭和史発掘』の中から
「京都大学の墓碑銘」を読む。
滝川事件を中心に、戦前の京都大学の教授会と国との
闘いをえがいた読み物。

会場に到着。
今回は村田耕司さんと同室。
小池光さんの講演会が今年の目玉企画。
茂吉、文明、森岡貞香らの作品をひきながらの講演は
短歌というのはどのような作りかたがなされているかと
いう内容で、勉強になることが多かった。
土屋文明の「佐保の山辺」というフレーズに対する読みは
とてもスリリングで、そういうことだったのか、と目を
ひらかれる思いだった。
平野久美子さん、村田耕司さんらとたくさん話をして就寝。


[1746] 冷や汁の夜 2005年08月05日 (金)

週末なので心なしか社屋内の社員、スタッフの数が少ない
ような気がする。
ただし、オフィスの前は「冒険王」の通路になっているので
終日混雑している。

あいかわらずメールの送受信はできないまま。
ひさしぶりにファックスが活躍している。

夜、局長に月島の宮崎料理の店につれていってもらう。
冷や汁というのを初めて食す。
汁は熱いものと思っていたので、冷たい汁、しかも氷が椀
に入っている汁というのにはびっくりした。
世の中にはさまざまなものが存在している。


[1745] 自転車にブレーンバスター 2005年08月04日 (木)

週の後半に入って、また、疲れが出てくる。
しかも、オフィスのLANが不調で、メールの送受信ができ
ない。
しかたがないので、ワープロでの書類作りのみ続ける。

サンケイリビング新聞社が八月一日に新社屋に移転したので
その内覧会に行く。
新社屋は文藝春秋ビルの新館。
久しぶりに神垣さんと会う。

内覧会終了後、池袋へ行き、ジュンク堂をのぞく。
詩歌の新刊の棚には笹公人さんの『念力図鑑』や穂村さんの
エッセイ集が並んでいる。

『念力図鑑』から面白い歌一首。

・朝靄に隠れた邪念 自転車にブレーンバスターかけている人  笹公人


[1744] 同じく読みの難しさ 2005年08月03日 (水)

「文藝春秋」の中村力さんが、お台場の勤め先を訪ねてくれる。
矢部雅之さんもまじえて、社屋内の喫茶室で一時間ほど歓談。
帰る前に、矢部さんのご好意で「スーパーニュース」の
生放送の副調を見学させてもらう。
さすがにテレビとラジオではスタッフの数が違う。

夜は東陽町文化センターで、「はじめての短歌」。
人数は少ないが、欠席者が居ないのがうれしい。
歌会形式でそれぞれの歌の感想、解釈を述べてもらったが
「他人は自分の歌をとんでもない読み違えをする」という
ことを実感してもらえたと思う。
短歌を作り始めた頃は、自分の言いたいことは、その短歌に
きちんとあらわれていて、読み違いようなどないと思いがち
だが、歌会の場で、他人の読みにさらされると、その思いが
けない誤読によって、自分の表現の不備を知らされることに
なる。そして、よりふさわしい表現を追求することになる。
結社というのは、そういうことを体験的におぼえさせてくれ
る場ということだ。


[1743] 恣意的な読み 2005年08月02日 (火)

「ダーツ」を読んだ。
「短歌の読み」の特集。
川本千栄さんの評論が、読みとはどていうことかを丁寧に
論じている労作。
恣意的な読みはいけない、とはよく言われるが、実際、どう
いうものが恣意的な読みで、どういうものが、それとは異
なる、有益な深い読み、なのかはわかりにくい。
それを実例をあげて解説しているので、明解にアタマに入
ってくる。
恣意的な読みの例として、穂村弘さんの作品に対する大滝
和子さんの読みが引かれている。
確かに引用された大滝和子さんの文章は、何が書いてあるの
かわからない。短歌専門誌にも、こんな文章が載っていたの
かと呆れる。
川本さんの文章は読みをないがしろにしている歌人たちに
とってはこわいものであり、読みの大切さを再認識させてく
れるものである。
なみの亜子さんほかの文章もきちんと対象に接近していて
充実している。

一首を丁寧に読む姿勢の必要をあらためて思う一日になった。


[1742] 亡国のイージス 2005年08月01日 (月)

慶応病院に行く。
血液検査は異常なしとのことで、同じ薬を続けることになる。
疲れやすいことを訴えたが、血圧が低い状態に身体が慣れて
いないことの反動、まもなく慣れるでしょうとのこと。
診察と薬を待つ間に、昨夜から読み始めた都筑道夫の
『七十五羽の烏』を読み終る。
たぶん、二十五年ぶりくらいの再読のはず。
セクシャルな会話の部分が古びていると感じる。
都筑道夫は初期の『猫の舌に釘を打て』や『悪意銀行』の頃
は、会話も地の文章もとても気がきいてセンスが良かったの
だが、1980年代に流行作家になった時期に、作中にサー
ビスとしてのセクシャルなシーンを入れるようになった。
私はそれがイヤで、中期の作品群を、もう一つ評価できない。
今回の再読でも、巫女のアルバイトをしている女の会話が
なんとも鼻に付いて、イヤだった。
あとは、殺人に関しての動機が、こんなに刹那的なことで
は、納得しがたい。どうも、文句ばかりつけているが、
再読後の感想としては、アラばかり目だってしまった。

病院帰りに木場のシネコンで、「亡国のイージス」を見る。
「ウブメの夏」でも「宇宙戦争」でもよかったのだが、
原作者の福井晴敏さんにせっかく会ったご縁もあるので
「亡国のイージス」にしたわけである。
イージス艦でのロケもきちんとしていて、ストーリーも
お約束ではあるが、十分に楽しめる。
キャスティング的に真田博之は大成功。あいかわらずの不死身
ぶりだが、頼もしく信頼できるヒーローになっている。
ぜひ、総理大臣になってほしいくらいだ。
中井貴一も好演。みごとに役になりきっている。
ちょっとミスキャストではないかと思ったのが、寺尾聰の
副長役。青年自衛官にきわめて思想的影響力をもっている
ベテランの自衛官のはずなりだが、顔つきやたたずまいが
貧相に思えるのだ。
お客は月曜の昼間ということで、ご年配の方々がほとんど。
その人たちの共通点は、産経新聞を読んでいそうな顔つき
をしていること。

夏の午後の日差しを浴びて、マンションまで歩いて帰る。


[1741] インセンティブガイ 2005年07月31日 (日)

関谷記念にインセンティブガイが出走してきた。
この馬に関しては、休養に入ってから、ずっと、いつ出てくる
のか、心待ちにしていて、しかも、出て来たら、馬券でどかん
と狙おうと待っていたのだ。
そして結果は……。
しかし、あそこまで追い込んで、勝てないかなあ。
せめて2着に届かないかなあ。
それなら鼻差だけでも柴田善臣の馬をかわして単独3着になれ
ないかなあ。後藤!しっかりしてくれよ!
ということで、結果はサイドワインダーの3着。
しかも、同着のため3着馬がもう一頭いるというありさま。
馬券は複勝とワイド総流しのうちの2点が当たり。
しかも、同着馬がいるため、払い戻しは半分という
考えられる限り、最低の配当だった。
まったく、予想はみごとに当たっているのに結果は最低という
ありさま。うんざりした日曜日になってしまった。

夜は反省して、角川書店の歳時記の原稿をしんねりむっつりと
書き続ける。


[1740] 超人ニコラ 2005年07月30日 (土)

月曜日にはまた定期検査ということで、慶応病院に行くことに
なっている。
週末になるとぐっと疲れてしまうのは何故か、ということを聞いて
みようと思うのだが、どうしようもないことかもしれない。

自転車で東陽町の文教堂書店に行き、光文社文庫の乱歩全集の
『怪人と少年探偵』を購入。
これは石塚公昭さんの本を読んだ影響である。
講談社文庫版の乱歩全集を持っている(今はトランクルームに
あずけてあるが)ので、この光文社版は評論の巻のみを買っている。
この『怪人と少年探偵』には「超人ニコラ」などの少年ものの
ほかに、評論として「探偵小説の謎」が収録されているので購入
したわけだ。
解説を読んで、「超人ニコラ」のニコラとはニコラ・テスラの
に名を借りたのかもしれないと書いてあり、ああ、そうかも知れ
ないな、と納得する。
そういえば、笹公人さんの新刊歌集『念力図鑑』にも、ニコラ・
テスラの名前を読み込んだ短歌があった。
僭越ながら、私にもニコラ・テスラの名前を詠みこんだ歌があり
それは『嘆きの花園』に収録してある。