[1538] 漫才バカ一代 2004年12月09日 (木)

「テリー伊藤ののってけラジオ」のラジオカーコーナーの
ために、太田プロダクションへ行く。
「あの人は今」という定番企画に元猿岩石の有吉さんをレ
ポート。レポーターはいつものように上田郁代ちゃん。

太田プロの事務所に入ると、すぐに、菊池さんが声をかけて
くれて、社長、副社長も、すくに気づいてくれたので正直な
ところ嬉しかった。
ここへ来るのは8年ぶりくらいだろうか。
現場へ戻って、番組ディレクターをやっていることを報告。
本当はもっとはやく、挨拶に来なければいけなかったのだ。

有吉さんは「ここのところ、あの人は今」ばっかりですよ
と、言っていたが、まったく、この人のタレントとしての
人生の浮沈は珍しいものだと思う。
ふっきれているのが、救いではある。

夜は文京シビックホールに「漫才バカ一代」という笑芸の
ライブを見る。
はっきりいって、拾い物だった。
出演者を順番に書いておく。
・内海文化&QR
・U事工事
・西麻布ヒルズ
・ぼってかすー
・ペイパービュウ
・東京ペールワン
・米粒写経
・あした順子・ひろし
・マキタスポーツ
以上。
エンタの神様系ではない漫才芸人ばかりだが、米粒写経が
知的なナンセンスネタで輝き、U字工事の栃木弁の癒しと
毒のブレンド、そして西麻布ヒルズの白人と黒人がやりあう
差別ネタという一種の自虐と、とにかく初めてみる衝撃が、
きわめて心地よい一夜だった。


[1537] レノンそして歳月 2004年12月08日 (水)

本日の「ビバリー昼ズ」はビートルズ&ジョン・レノン特番。
斎藤安弘さんと高田文夫さんというビートルズの日本公演を
実際に見て居る二人のトークが目玉。
ビートルズのステージでの実際の演奏時間が30分足らずだった
ことと、ステージに出てきたとたんに凄い嬌声があがり、演奏な
どまったく聞こえなかったことが統一見解となった。

私は中学生でこの公演のテレビ中継を見た。
前座にドリフターズが出たのはお゛えているが、
司会がE・H・エリックだったということは記憶にない。
ビートルズが演奏した曲では「ハード・デイズ・ナイト」と
「ペーパーバック・ライター」をうっすらおぼえているような
気がするのだが、確信はない。

12月8日はジョン・レノンだけではなく、三波伸介も
亡くなった日である。

・瓦斯の焔蒼く耐熱壜の底を灼く夕べ他国にジョン・レノン死す

当時書いた歌で『夢みる頃を過ぎても』に収録してある。


[1536] ボードヴィリアン 2004年12月07日 (火)

「ビバリー昼ズ」の若旦那祭りのゲストはボードビリアンの
先駆け小野栄一さんのお嬢さん、小野ひとみさんが登場。
あの「そっくりショー」の司会者の小野栄一のことはもちろん
ボードビリアンという言葉さえ、若いディレクターたちが知らない
ことに愕然とする。

帰宅途中に交通会館内の三省堂で「俳句年鑑」と「俳句研究年鑑」
を買い、そのまま八重洲ブックセンターまで歩いて「短歌年鑑」と
「現代詩年鑑」を買う。
「現代詩年鑑」の恒例のアンケートで、池田實さんが、
「hotel第2章」に発表された柴田千晶さんの詩「桑の実」を
挙げていたのが嬉しかった。


[1535] 世界のからくり 2004年12月06日 (月)

「ビバリー昼ズ」のゲストはなぎら健壱さん。
くだらないネタをえんえんと引っ張る話芸は抜群。

会議で、マスコミの世界のからくりを解き明かすような資料を
もらう。納得できることが多かった。しかし、情けないことで
もある。詳しい内容はもちろん書けない。こういう思わせぶり
な書き方は今後はやめようと思う。

帰宅後、「週刊読書人」の「年間回顧・短歌」の原稿を書く。
今年はこの原稿を含めて4回「読書人」に文章を書かせてもら
ったことになる。
機会を与えていただいたことに感謝したい。
しかし、毎月の短歌時評や俳句時評が「週刊読書人」の紙面から
消えてしまったのは残念だ。なんとか復活してもらえないものだ
ろうか。


[1534] Tシャツのクリスマス 2004年12月05日 (日)

五時に起きて六時に出社。
強い風に雨がまじっていて、佃大橋をわたっている時にタクシー
が、浮上するような感覚をおぼえた。

朝七時半の時点で、気温は25℃。
冬の真夏日ということになる。

MOの編集をなんとか昼過ぎまでに終らせて帰宅。
競馬惨敗。
「NHK歌壇」の時評の原稿を書く。
対象とする歌集は水原紫苑の『あかるたへ』。
紫苑短歌の美学の強さがいかに現代と拮抗しえているか。
彼女の作品に底流するマゾヒズムにもふれたかったが
そこまではペンが届かなかった。

先日ダウンロードした大崎善生の『将棋の子』をリブリエで
読み終わる。プロ棋士の奨励会生の話はどれも悲哀感漂う。
眼前で悲劇と奇跡が起こっているのを見続けてきた大崎善生
の作家としての蓄積にはすごいものがあると思う。


[1533] ムスメフサホセ 2004年12月04日 (土)

午前中は平和島のTクリニックへ行く。点滴。
午後は西荻駅近くの女子高へ学校見学。
私立の高校がどのような教育方針をもっているのかを説明して
もらうのは面白い。

雨が降りそうな夕方に帰宅。
また、風邪が悪化してしまったようで、夕食もとらずに眠る。


[1532] 木枯しに抱かれて 2004年12月03日 (金)

2時間番組のタビングをしたらがっくり疲れて、何もやりたく
なくなる。

家で、今、講談社学術文庫の尾形仂著『座の文学』と岩波新書の
倉田喜弘著『明治大正の民衆娯楽』という本を同時に読んでいる。
『明治大正の民衆娯楽』によると、日清戦争から日露戦争の時代
に、九州地区で大人気をはくした美当一調という戦争講談を語る
講談師が居たそうだ。
この人は武勲をあげた高名な兵士ばかりでなく、地元の戦死者の
名前も巧みにその講談に折りこんでいったので、その名前を言われ
た兵士の親族たちは、涙を流して喜んだという。
一つの鎮魂儀礼でもあるわけだ。
ふと、福島泰樹さんの絶叫コンサートも鎮魂儀礼であることを
思い出した。
名前を声に出して呼ぶことには鎮魂の呪力がある。


[1531] 府中の欅並木 2004年12月02日 (木)

「テリー伊藤ののってけラジオ」の中継のために、ラジオカーで
レポーターの上田郁代とともに、府中まで行く。
「あの人は今」というよくあるコーナーで、タレントの見栄晴さん
を訪ねるためだ。
いわば失礼なあつかいのわけだが、見栄晴さんは、こういう扱いに
なれているのか、ひょうひょうとしたものだった。
生中継は大国魂神社の欅並木からおこなった。
土曜日には中山競馬場に行くそうだし、年末年始はお母さんと
一緒に旅番組に出演のため、ロケに行くとのこと。

帰宅後、送っていただいた「ダーツ」を読む。
あいかわらずよみごたえがあるが、中でも今号では、
なみの亜子さんの「詩と短歌〜石原吉郎『北鎌倉』からのいくつ
かの推論」が出色。
石原吉郎が晩年に書いた短歌をテキストに、その短歌の特徴と、な
ぜ詩人がそのような短歌を書くことになったのかということを推論
した文章。
先人の詩人論もきちんと踏まえた上で、独自の推論を展開する、と
てもスリリングな内容。
なにより、この評論を読むと、石原吉郎の『北鎌倉』を再読した
くなる。
そういう気持ちを読者に起こさせるのは、文章にそれだけの力があ
るからだ。
川本千栄さん、松村正直さん、小林信也さん、秋葉葉子さんも
それぞれの持ち味を生かしたテーマに取り組んでいて、評論の
面白さを再認識させてくれた。


[1530] 昔の話でございます 2004年12月01日 (水)

「ビバリー昼ズ」のゲストは玉置宏さん。
横浜にぎわい座に春風亭昇太さんが行っての中継。
小学館からこのほど刊行された『玉置宏の昔の話でございます』は
昭和30年代の日本の芸能界の貴重な記録となっている。

水曜日の番組のアシスタントの乾喜美子さんから、昨日、
誌上歌会ということで、穂村弘さんと一緒だったとの話を聞く。
歌人という肩書きの文筆家になっていくのか、短歌にも詳しい
文化人になるのか、いずれにせよ、雑誌メディアを中心に、
仕事をしていくのだろう。

「題詠マラソン2004」の単行本の収録歌に関して、自選に自信が
ないという人がけっこう居るらしいが、私にはフシギな気がする。
ネットには発表できても、活字になる場合に、そこに心理的な
ハードルができるということなのだろうか。


[1529] ギター侍の憂鬱 2004年11月30日 (火)

「ビバリー昼ズ」のゲストは波田陽区。
芸能人にはよく感じることだが、思っていたより小柄な人だった。
ギター侍というのは、自分がつくったキャラクターのうちの一つ
だったのだが「エンタの神様」で、このキャラだけで押したのが
成功だったということだ。

帰宅後、宮脇真彦著『芭蕉の方法 連句というコミュニケーショ
ン』をようやく読了。
連句の本はわかりにくいものが多いのだが、この本は、芭蕉が、
どのように連句をプロデュースしていったかを、具体的な付け
を検証することで解き明かしてくれている。
もちろん、安東次男のように徹底的に専門的な読み込みを押し進
めるわけではないが、私の理解度には、この本が見合っていて、
丁寧に読み進むことで、初めて納得できることが、いくつもあっ
た。
今年読んだ本の中では、収穫といえる一冊だ。


[1528] 勇気ある追跡 2004年11月29日 (月)

今日に限ったことではないですが、題名と内容とは無関係です。

会社に着くと、本日のスタジオのディレクション担当者が、風邪
で完全にダウンしている。
それで、急遽、ピンチヒッターでスタジオ・ディレクター業務を
おこなう。
ゲストは新沼謙治さん。
新曲「左官職人 こね太郎」のパブリシティ。

夜は新宿サザンシアターの「高田笑学校」。
出演者はカンニング、松村邦洋、なぎら健壱、つぶやきシロー
浅草キッド。
キッドのマンザイを久しぶりに聞く。もちろんブラックで知的な
センスによる笑いが爆発している。
カンニングもいわゆるキレ芸だが、「エンタの神様」以外の客に
も通用することを証明してみせた。
つぶやきシローももちろん健在。今になって考えると、つぶやき
シローは、売れるのが早過ぎたようだ。当時の客は見た目のキャ
ラのみに反応していたが、今はそのネタにきちんと反応できるよ
うになっている。
現在の「若手お笑いブーム」での売れている、売れていないは、実
は現象に過ぎず、もちろん芸人の実力や志とは無関係だ。


[1527] 黄金の腕 2004年11月28日 (日)

今日のタイトルも内容とは無関係です。

5時に出社して2時間の生放送。

午後からは久しぶりに首都の会に出席。
謎彦さんが奈良県出身であることを知る。
謎彦、モブ・ノリオ、笑い飯が奈良県の新星ということか。
夜は「桟橋」二十周年記念パーティで山の上ホテルの地下にある
レストランへ行く。
鈴木竹志さん、桑原正紀さん、狩野一男さんらと久しぶりに
お目にかかることができ、嬉しかった。
一つの同人誌が20年続くというのはきわめて貴重なことだ。


[1526] BURRN!!無稽 本能寺 2004年11月27日 (土)

上田郁代さんが出ている「BURRN!!無稽 本能寺」を見に
行く。
織田信長がすでに死んでいるのを明智光秀が、お市の方を替え玉
に仕立てて、織田家存続を謀っているところへ、羽柴秀吉の軍が
攻め込んできて、歴史を捏造するという一種の時代SF。
上田郁代はお市の方の役なので、ほとんど主役である。

一人芝居や二人芝居が流行している中で、あえて多人数による
スペクタクルをつくろうという志に共感する。
ストーリーが面白いので、退屈せずに見ることができた。
しかし、クォリティの高い演技ができても、なかなか報われない
のが、小劇団の世界である。健闘を祈りたい。

芝居を見たあと、神保町にまわって、本屋を何軒か覗いて帰宅。


[1525] 愛を乞う人 2004年11月26日 (金)

「ビバリー昼ズ」のスタジオに居たら、高田文夫さんが
新創刊の「WILL」に、フジワラ君の名前が載っているぞ
と、新しい雑誌を見せてくれる。
「WILL」は、花田紀凱さんが最後の編集長として創刊した
雑誌で、「噂の真相」の人気連載企画だった高橋春男さんの
「絶対安全ランキング」が横滑りの連載になっている。
このランキングの6位に、藤原龍一郎・歌人・サラリーマンとの
注をつけて名前が載っている。
これは、私が「笑芸人」に連載している「笑芸百人一首」に発表
した、吉本新喜劇を詠んだ短歌に、高橋春男さんがびっくりした
らしく、「吉本新喜劇を短歌に詠んでいる。世の中にはいろんな
人がいる」とのコメントをつけて紹介してくれたもの。

夜は駄句駄句会。
席題は「三の酉」と「冬の蝿」。
最高点の句は風眠さんの

・昭和語が風に飛び交う三の酉

であった。この句は私も天に抜いた句である。

夜風の中を帰宅。
愛を乞う人とは私であろうか。


[1524] アルバトロスの前世 2004年11月25日 (木)

ラジオカーに乗って、レポーターの上田郁代とともに新宿の歌舞
伎町に行く。
上田郁代は昨夜から舞台「BURRN!!無稽 本能寺」が
始まっているので、なかなか大変だろう。
今日のレポート先は、元プロレスラーのキラー・カーンさんの
経営する居酒屋「カンちゃん」。

打合せのために店に入ると、奥からのっそりと立ち上がった巨大
な影の主はまぎれもなくあのアンドレ・ザ・ジャイアントの足を
リングで折ったアルバトロス殺法のキラー・カーンだった。
店にはアンドレ戦やフレッド・ブラッシーとのツーショット写真
が飾られている。
メニューの裏には、ハルク・ホーガンと闘った時の写真が貼り付
けられている。

放送とは関係なく、プロレスのエピソードを聞かせてもらったの
が私にとっては収穫だ。
たとえば、ニューヨークでアンドレの足を折ってしまったあとで
病院にお見舞いに行くと、アンドレは
「おい、これで、遺恨が大きくなったから、これからの試合は
 客が押し寄せてくるぜ。二人でがっぽり稼ごうぜ」と
笑って言ったそうだ。
現にそのあとは、どこの試合会場でも、カーンVSアンドレ戦を
組むと、超満員。一万五千人クラスの会場では、小さすぎるくら
いで、プロモーターが驚喜したそうだ。

カーンさんの店は新宿歌舞伎町のコマ劇場と風林会館の間にある
ビルの五階。一階に似顔絵入りの立て看板が出ているので、すぐ
にわかる。品物の値段もきわめてやすいので、若い方にはおすす
めしたい。

放送終了後、今夜の舞台に向かう上田郁代を新宿御苑前でおろす。
そのまま、帰社。
人生相談を一本編集。
編集室は温度調整がつかないので、風邪がぶりかえさないように
気をつけなければならない。

交通会館の中の三省堂で「短歌」と「俳句」を買って帰宅。
加藤治郎さんの短歌時評「コラボレーションの現在」を読む。
東直子さんと木内達朗さんの「愛を想う」に関しての文章。

「東は難解性を恐れなかった。つまり、短歌の範疇で阿りや
 妥協はなかったのである」
という箇所はまさに「愛を想う」の優れた点を的確に指摘して
いる。短歌とはそうあるべきなのだと思う。
ということは、先日のプロムナード現代短歌での佐藤真由美発言
「編集者に気にいってもらえるような短歌をつくった」
というのは、何をかいわんや、ということになる。


[1523] 黄落は椎名林檎へ麟三へ 2004年11月24日 (水)

今日の表題は、山猫郵便百号の山内将史さんの俳句。
山内さんの才気には好感をもっている。
椎名林檎の言葉の感覚はあざといけれど私は好きだ。
「加爾基 精液 栗の花」(カルキ ザーメン クリノハナ)は
私の愛聴CDである。

山猫郵便百号で、山内さんは西村智治の俳句をとりあげている。

・八高線冬木の駅をめぐりけり 智治

「「めぐりけり」がいい。西村智治はやさぐれた色気があり好き
だ」とは山内さんの言葉。
西村智治は赤尾兜子主宰時代の「渦」での私の同期生。年齢も
同じ。確かまだ句集を出していないので、知る人ぞ知る存在だが
山内将史さんがこう言ってくれるのは我が事のように嬉しい。


[1522] ラブジャム 2004年11月23日 (火)

勤労感謝の日。
「ビバリー昼ズ」のゲストは作家の志茂田景樹さんの息子さんの
下田大氣(しもだ・ひろき)さん。
今回は特にパブはなし。
志茂田景樹さんが、創作童話の読み聞かせ運動を熱心におこなって
いるということは知らなかった。

・こんなにも人を愛した事なんて 後にも先にも君唯一人

たとえば、今日送られてきた歌集に上記のような歌があった。
こういうものが短歌だと思い込んでいる人達に、何と言って
あげればよいのか、困惑する。
ポピュラリティのある歌人が出て、つくり手の裾野が広がること
など、無意味どころか害さえあるということだ。


[1521] ワンナイトカーニバル 2004年11月22日 (月)

「ビバリー昼ズ」のゲストは、東京ロマンチカの鶴岡雅義さん。
当然、新曲「有楽町でまた逢いましょう」のパブではあるのだが
音楽家としての発言がきわめて面白かった。
たとえば、チョー・ヨンピルが来日しはじめた頃、コンサートの
録音テープを聞いて、ライブでありながら、音程がまったく狂わ
ないのに驚いたということ、そして、実はそのテープで1箇所だ
け半音くらいの狂いがあったように思えたので、次のコンサート
を聞きにいったら、何とその半音狂った場所は、舞台に座って、
お辞儀をするようにして歌う箇所だったとのこと。
こういうところはシロウトではわからない。

番組会議だが、今日はチーフDがお休みなので、一時間程度で
かたづける。

帰宅後、昨日の夜から読み始めた、宮脇真彦著『芭蕉の方法・連
句というコミュニケーション』を読み続ける。
一昨年買った本なのだが、芭蕉が連句についてどのような考えを
持っていたかをわかりやすく解説した本。
もっと早く、読み始めればよかった。


[1520] プレイバック 2004年11月21日 (日)

6時に会社に行き、12時過ぎに帰宅。
あとはひたすら夜まで原稿を書き続ける。

ところで、本日の毎日新聞の川野里子さんの「短歌時評」に
感心した。
結末の部分を引用してみる。

「短歌という小さな詩形はどこかで世界と繋がりたいと願って
 いる。世界への通路は実は小さなディテールかもしれない。
 十七歳の感性は世界の「乱反射」を眩しく眺め、小池は世界
 に散乱するディテールを呆然と眺める。しかしその「眺め」
 こそ今日唯一可能な態度かもしれない。そこには憧れや絶望
 や痛みなどの人間らしさが自ずと反映する」

小島なおの角川短歌賞受賞作「乱反射」と小池光の新歌集『滴滴
集』を対比させての時評。
短歌を通して世界を見る視力に透徹したものがある。
これくらい鋭い視力を感じさせてくれてこそ時評の名に価する。
 


[1519] 蒼ざめた馬を見よ 2004年11月20日 (土)

中野サンプラザで歌集『真夜発光す』の批評会。
パネルディスカッションの進行役をおおせつかっていたので
できるだけ著者の身になるような話の展開にもっていきたいと
思っていたのだが、他のパネリストのみなさまも、よく意図を
汲んでくださって、充実した話の展開になったように思う。
パネリストは池田はるみさん、沖ななもさん、久々湊盈子さん、
三井修さんの四人だった。みなさまに感謝します。

懇親会でも、福田龍生さん、久々湊盈子さんから、さまざまな
歌人・俳人のエピソードをお聞きすることができて、私にとっ
ては充実した時間になった。
小島熱子さんともはじめてきちんとお話ができた。
このような機会をつくっていただいた青井史さんに感謝したい。


[1518] 君は心の妻だから 2004年11月19日 (金)

夕方から高田文夫さんと一緒に日比谷公会堂に鶴岡雅義と東京ロマ
ンチカの歌謡ショウを見に行く。
客席数は二千だが、一席もあいていない。
昼の部も開催されているので、一日に四千人の動員ということだ。

この日比谷公会堂はすでに建てられて70年以上経っている。
浅沼稲次郎が山口二也に刺殺されたのもこのステージ上だった。

男声ムード歌謡というのは、今はすっかりはやらなくなってしまったが、かつては、日本の歌謡曲のジャンルとして確立されていた。
和田弘とマヒナスターズ、黒沢明とロスプリモス、敏いとうと
ハッピーアンドブルー、内山田洋とクールファイブなどがそれに
あたる。
もちろん、東京ロマンチカはその代表的グループで、
「小樽のひとよ」「旅路のひとよ」「君は心の妻だから」など
多くのヒット曲をもっている。
男声のボーカルにさらにファルセットがくわわることで、あの
独特のムードコーラスの世界がつくりだされる。

三条正人六十歳、浜名ヒロシ五六歳と年齢こそ高くなっているが
歌唱力の凄さはともに群をぬいている。
いいライブ体験だった。

その後、高田さんとタクシーで初台のドアーズというライブハウス
へ直行。男性デュオ・ペーソスのライブを楽しむ。
ペーソスは漫画家のナメダルマ親方こと島本慶とデザイナーの
岩田次男のデュオ。50代の男の哀愁をせつせつと歌い上げる。
途中で白夜書房の末井昭がサックスを吹きながら乱入。
ロマンチカとはうってかわった濃密なクセのあるアマチュア世界
が展開する。
この落差がたまらないということか。

24時前に初台から京王新線で菊川まで行き、そこからタクシー
で帰宅。


[1517] 朝からテキーラ 2004年11月18日 (木)

今日は音楽著作権の日。
ということで、ラジオカーでレポーターの上田郁代と一緒に
井の頭通の代々木上原のガード近くにあるJASRACに行く。
一種の営業要請であるが、JASRACの本体に潜入できるの
はとても興味深い体験だった。
ちなみに「朝からテキーラ」というのはテリー伊藤さんが作詞
した楽曲のタイトル。

カラオケや着メロの著作権もここで管理しているわけだが
着メロの一ヶ月のダウンロード数が、一億二千万回と聞いては
さすがに驚く。
つまり、日本人は毎月一人一回ずつ着メロをダウンロードしてい
ることになるわけだ。

体調は少し回復。
ラジオカーで雨の中を帰社。
北野大氏を迎えて、「マルトクゼミナール」の録音。

7時半過ぎに帰宅して「テレビチャンピオン」を見る。


[1516] もずが枯木で 2004年11月17日 (水)

「ビバリー昼ズ」が終った後、まだ治癒していない風邪が悪化し
た感じで、人生相談の収録をパスさせてもらおうと思っていたの
だが、スタッフが足りないので、やはり、手伝わざるをえなくな
ってしまった。
今日の収録でも、人間はささいな理由でも悩むことができるのだ
ということを実感した。
終りしだいすぐに帰宅。
血圧も少し不安定になっている。

・月赤く山に沈むを見届けてぼんやりとした不安のこころ 大和克子


[1515] 平成ロカビリー3人男 2004年11月16日 (火)

「ビバリー昼ズ」のゲストは氣志團のセロニアス翔と高田馬場文夫。
27日の東京ドームでのライブのパブのための出演だったが、
木更津の高校時代のケンカに関するエピソードの数々が抜群に
おもしろかった。

「ラジオビバリー昼ズ」の本番が終ったあと、ビリー諸川、島敏光
さん、高田文夫さん、小西さんと一緒に、ロカビリーのイベント
の打ち合わせ。
まだ、風邪が治癒していないので、食欲がない。
ミーティングのあいだ、なんとか集中力を出そうと努力していた
ので、終った後、また、がっくり疲れてしまった。

そのあとテレフォン人生相談の録音。
世の中には想像もでくないほど不幸な人がいるのだと実感。

帰宅後、原稿も書けずに、小林信彦の映画評論を読み続ける。


[1514] どしゃぶりの雨の中を 2004年11月15日 (月)

起きるとどしゃぶりの雨。
会社に風邪のために休むと電話する。

午後から平和島のTクリニックに行く。
病院への行き帰りに「短歌往来」12月号の「特集・50人に
聞く今年のベスト歌集・歌書」を読む。
ベスト歌集・歌書の選択はいつものことながら、挨拶の互酬性が
支配しているように思えるもの。
しかし、それより驚いたのは、ベスト歌集・歌書を挙げるものの
次のもう一つの設問への回答。

「NHK、社会保険庁のずさんな管理、年金の過剰支払、そして
 プロ野球界の騒動など、メチャクチャな日本社会の現状につい
 て自由に記して下さい」
上記の設問への回答で、50人中15人もがプロ野球の騒動のこ
とを記していること。歌人がもっとも鋭敏に感じなければならな
い言葉の乱れについて記しているのは小島熱子さん一人だった。
まあ、歌人の意識というのはそういうものなのかもしれない。


[1513] 夕暮れ時はさびしそう 2004年11月20日 (日)

6時に出社。
2時間の番組送出。
風邪で声が出なくなってしまつた。
火曜日の番組のQシートを書いていたら、寒気がしてくる。
あわてて帰宅。
完全に風邪をひいてしまったらしい。
小林信彦の『われわれは何故映画館に居るのか』の中の
映画評論を読みながら、うつらうつらする。
差し迫った原稿がいくつもあるのに困ったものだ。
寝汗をかいて、夜中に何度も目が醒める。


[1512] イエスタデイ・ワンスモア 2004年11月13日 (土)

プロムナード現代短歌に出席するために名古屋へ行く。

集合場所のヒルトンホテルのロビーに行くと、正岡豊さんが
声をかけてくれ、飛永京さんを紹介してくれた。

そろそろシンポジウム出席者がそろってきたので、和食の店で
昼食をとりながら打ち合せ。
栗木京子さんともひさしぶりに会った。
天野慶さんと佐藤真由美さんはともに子供づれ。

プログラムの最初の「インターネットと現代短歌」にパネリスト
として出席。
荻原裕幸さんの司会、栗木京子さんと三人の鼎談。
私は「題詠マラソン」こそがインターネットでしかできない
イベントとして価値があるという意見を披露した。
@自由参加性
Aリアルタイム性
Bデータベース性
この三点が、インターネットというシステムを駆使しなければ
できないものだった。
栗木京子さんが、作品それぞれの発想の相似性を指摘したが
その部分は、参加者個々の人達が、自己検証するかたちで、
プラス方向へもっていってもらうほかはない。
こういうシステムで大量の作品がつくられたのちに、珠と石とを
判別することはもちろん必要なことだ。つくるだけでは当然意味
がない。

加藤治郎さんの司会で、天野慶さんと佐藤真由美さんによる
「コラボレーションと現代短歌」。
天野慶さんの積極的な自己プロデュースの姿勢は、井の頭公園で
手製の歌集を売っていたところから始まったもので、共感できる
ものだった。
佐藤真由美さんは、編集者との共同作業を語ったが、それは実は
作品の質を下降させているという現実があるので、私には困った
ことだとしか思えなかった。
佐藤さんのいう作品と商品の違いは、プロレス用語でいう
シュートとワークということだろうが、シュートの裏づけが
あってこそのワークの輝きではないのかな。少なくとも私には
違和感が残る。商業的に流通する短歌の質の向上と
いうことは急務なのだが、現実的にはかなり低い位置に妥協点を
見出すしかないようで、解決策は私にもわからない。
加藤治郎さんも司会しながら困惑しているように見えたのだが。

穂村弘さんの司会で、正岡豊さんと東直子さんによる
「朗読と現代短歌」。
これは東さん正岡さん(with飛永京さん)の朗読実演の後の
鼎談だったので、東、正岡両氏の発言には説得力があったる
東直子さんはナチュラルな感じでセンスの良いことができる才能
がある。
正岡豊さんは、昨今の朗読ブーム以前に朗読の試行を繰り返し
ある完成型を実現しているので、現在、朗読はどのような意味
をもつのかという思考をわかりやすく語ってくれたと思う。
荒川洋治の「見付けのみどりに」を正岡さんは朗読したのだが
その「口語の時代は寒い」という一行が心に響く。
私は正岡豊さんの朗読を受け止めきれているだろうか。


[1511] 九州吹き戻し 2004年11月12日 (金)

昼間は二時間の番組を二本分録音。
これで日が暮れる。

夜、東京芸術劇場小ホールで立川談春三夜連続独演会の初日。
演題は「九州吹き戻し」と川口松太郎原作・吉川潮脚色の
「遊女夕霧」。
これにゲストの立川談志家元が「へっつい幽霊」。

「九州吹き戻し」は立川談志のものを活字で読んだことはあるが
実際に演じられるのを聴くのははじめて。
これはさすがに談春というできになっていた。
船頭が諸国の幻妻の呼び名を言いたてるところなど聴覚的快感が
わいてくる。

「遊女夕霧」は、もう少し長い噺かと思っていたが、30分という
制約があったようだ。
新派でおなじみの物語を落語として巧みに換骨奪胎していたと
思う。
ただ、夕霧が新潟出身の女性ということになっているので、
田舎言葉をしゃべっていたが、ここは、気風の良いしゃべりの
女性の方が、より感情移入できたのではないかとも思うが
さて、いかがなものか。


[1510] スリラー! 2004年11月11日 (木)

11月11日で1が並んでいる。
十一月十一日と書いてプラス・マイナスの日でもあるそうだ。

「テリー伊藤ののってけラジオ」のラジオカーに乗って、
新宿百人町にあるウガンダさんのヤキトリ屋に上田郁代レポーター
と一緒に行く。
ウガンダさんは「オレたちひょうきん族」で、マイケル・ジャク
ソンの扮装で「スリラー」を踊っていた人。
今は芸能の仕事より、このお店の経営の方に力が入っているとの
こと。単なるタレントの店では15年ももたない。
むしろ、こういう経営者にむいている人なのかもしれない。
放送が終ったら、すぐに、聞いていたという友達からケイタイに
電話が入っていた。

今夜は「東西落語研鑚会」で、鶴瓶さんが「らくだ」を演じる
日だが、昨日、遅く帰って体調がいまひとつなのでパス。
退社後、六本木の美容室イガワで髪をカットしてもらう。
あおい書店で講談社学術文庫版の小林信彦著『袋小路の休日』を
購入。
寝る前にこの短編集から「隅の老人」と「北の青年」を読む。


[1509] スタンド・バイ・ミー 2004年11月10日 (水)

今日はスタジオでAD。
昇太のなんでも番付のゲストは「鮪・マグロ節」を歌う漁港とい
うバンド。
奇をてらった面白さはあるが、まだ、トークに才気が出てこない。
面白いことをしゃべれないと、消えるのもはやいだろう。

夜、島敏光さんの招待で、高田文夫さんと俵山栄子さんと四人で
新宿のケントスに、ベン・E・キングのライブを見に行く。
キングはもう66歳ということだが、満面に笑みをうかべた
黒人のおじさん。
ドリフターズ時代のヒット曲「ラストダンスはわたしと」から
おなじみの「スタンド・バイ・ミー」まで、十数曲を一時間余り
のステージで、一気に歌う。
とにかく安心して見て、聞いていられるエンターテイナー。
いわば、柳家小さんの落語を聞いているような安定した信頼感
が、オーラとなってつたわってくる。
よいライブを見せてくれた島敏光さんに感謝。

そのあと、高田さん、島さん、私の三人で、高田さんの行きつけ
の「かくれが」という店につれていってもらう。
映画や音楽関係者がよくくる店とのこと。
島さんが座った席にはむかしニニ・ロッソが座っていたという
話が笑えた。

小雨降る深夜にタクシーで帰宅。


[1508] 不燃ゴミの捨て方 2004年11月12日 (火)

火曜日はスタジオワークの日。
火曜日のレギュラーコーナー「若旦那祭り」のゲストはなべおさ
みさんの若旦那のなべやかんさん。
インターネットでなべやかんを検索すると、何万件もヒットする
が、それは不燃ゴミの捨て方だという話が面白い。

早めに会社を出て、銀座の教文館書店とブックファーストを廻る。
掘信夫監修の『袖珍版・芭蕉全句』なる本を買う。
あと、山本孝一さんが掲示板で教えてくれた岩波書店刊行の
『桂米朝集成』第一巻が出ていたので、これも買う。
この本の編纂者は豊田善敬氏と戸田学氏。
またしても戸田学の仕事であることに驚きつつ感謝する。


[1507] バービーボーイズ 2004年11月08日 (月)

月曜日なので会社には雑事がたまっている。

「ビバリー昼ズ」のゲストは、元バービーボーイズの杏子さん。
彼女はまもなく帝劇で上演される劇団☆新感線の「SIROH」に
天草四郎の姉のおふくの役で出演することになっている。
歯切れのよいしゃべり方の女性なので、聞いていて小気味よい。


[1506] ホテル+星の流れに 2004年11月07日 (日)

朝6時に出社。
二時間の番組の送り出し。
二週間続いて、地震と人質殺害のニュースで混乱した放送態勢が
続いたが、今日は平穏無事に放送を終えることができた。

速攻で帰宅。
午後一時から、東陽町の文化センターでおこなわれる
江東区短歌大会に講師としてお招きいただき、そこへ出席。
会長が「冬蕾」所属の川又幸子さん、副会長が同じく「冬蕾」
所属の酒井利勝さんのお二人が、「短歌人」の小宮山有子さんと
お知り合いであり、その縁で講師の声をかけていただいたのだった。
110首の短歌の短評をなんとか終える。
「具体的に感情を描写しましょう」ということを言い続けた
ような気がする。

懇親会で、歌をうたうことになり、私の得意のレパートリーの
中から「ホテル」と「星の流れに」を歌う。
ドガチャカのうちに夜は更け、楽しい一夜となったのだった。


[1505] おお!満天にきらめく星座 2004年11月06日 (土)

先週の土日が休めなかったので、14日ぶりの休日。

たまっていた原稿を書き始める。
午前中から午後にかけて、ほとんどパソコンにむかって
キーボードを叩いていた。

途中で眠くなってきたが、眠気ざましにPATで馬券を
買って、無理やりに神経を興奮させて、パソコンの前に
座り続ける。
しかし、こういう状況で買う馬券が的中するわけはない。
夕方、がっくり疲れてしまう。

邑書林のセレクション俳人『仁平勝集』、セレクション歌人
『高島裕集』が送られてくる。
高島裕の存在は私にとっていちばん気になる。
高島の短歌を拾い読みするが、やはり、一首一首の結晶度
が、きわめて高い。
高島裕の短歌なら、何万首でも読みたいと思う。


[1504] マンチェスターとリバプール 2004年11月05日 (金)

煙だらけの町というのも、今ではあまりなくなった。
私が子供の頃は、江東区というのは、煙を吐く煙突とガスタンク
の町だったという印象がある。

今日は生放送の担当がないが、そのかわりに録音。
2時間分の録音をとる。
そのあと、やはり、別の録音番組の編集。

月末に制作部員が一人退社するので、人事異動で一人補充され
てくる。しかし、それも場当たり的なもので、恒常的な過剰労働
を根本的に解消するものではない。私の担務の量など、三十代の
頃よりも多くなっているのだ。

帰宅後、桂雀三郎の落語「夢の革財布」「貧乏花見」「崇徳院」
「遊山船」を聞く。口調がきれいなので聞きやすい。


[1503] 悲しきサルタン 2004年11月04日 (木)

「テリー伊藤ののってけラジオ」のラジオカーに乗る。
今日は上田郁代と一緒に布施辰則さんを訪ねる。
レパートリーが広いので、スタジオからのテリーさんのリクエスト
にも、即座にこたえてくれるので、短時間ながら、面白い放送に
なったと思う。

会社に午後5時前に戻り、人生相談の編集。
8時過ぎまでかかってしまう。

帰宅後、『愚か者』の続きを読みながら寝る。


[1502] スカイハイ 2004年11月03日 (水)

文化の日。
文化の日になると、杉山隆のことを思い出す。

「ビバリー昼ズ」の昇太のなんでも番付のゲストはいっこく堂。
上海公演をひかえてのパブリシティである。
オレンジレンジがいっこく堂の高校の後輩というのが面白かった。

祝日ということで、会社の中にいる人の数が少ない。
人生相談の録音も今日は中止。

そうそうに帰宅して、短歌人賞の選後評を書く。
もう一本原稿を書こうとしたが力尽きる。
車谷長吉の新刊『愚か者』を読みながら寝てしまう。


[1501] くちばしにチェリー 2004年11月02日 (火)

「ビバリー昼ズ」の若旦那祭りは高木ブーさんのお嬢さんの
高木かおるさん。
最初は高田さんがあまり話にのっていない雰囲気だったが、
いかりや長介さんのワルクチになってから、俄然、面白くなる。
焼肉屋でいかりやさんから高木親子が説教されたという話が
抜群のバカバカしさだった。

島敏光さんと熟年ロカビリアンのビリー諸川さんがスタジオを
たずねてくれたので、番組終了後、高田文夫さんをまじえて
食事をしながら密談。
ビリーさんがロカビリーの世界では四十七歳でまだ若手だという
のが笑えた。

風邪がぬけないので、点滴をうってもらいにゆく。
肘の裏側がアトピーの関係もあって、静脈が浮いてこないので
手の甲の部分に針を刺して点滴をしてもらう。
これはとても痛い。

「笑芸人」の「笑う演劇」特集を拾い読みする。
中島らもの生前最後の対談(相手はモロ師岡)が掲載されている。
資料的にきわめて価値高い一冊になっている。


[1500] 浮気なGIGI 2004年11月01日 (月)

10月はたそがれの国なら11月はなんだろう。

今日の「ビハリー昼ズ」のゲストは森田芳光監督。
伊東美咲と佐藤浩市主演の映画「海猫」のパブリシティ。
森田監督は日大の落語研究会で高田文夫さんの後輩にあたる
ので、トークの間合いは巧く、面白い内容になった。

風邪がぬけているような、ぬけないようなイヤな感じ。
アタマの中がぼーっとしていて、明日録音するのに使う
加藤和彦の「ヨーロッパ3部作」のCDを三枚とも失くして
しまうというチョンボをやってしまう。
レコード会社の方にあやまって、なんとか、音源をバイク便
で、再度、届けてもらう。

帰宅後、先々週から読み始めていた大塚英志著『人身
御供論』を読了。


[1499] 暗い暗い日曜日 2004年10月31日 (日)

朝4時に起きると雷雨。
5時前に出社すると、報道部のAさんが
「バグダッドで日本人らしい死体が発見された」と言われる。

そして、放送が終った9時過ぎには香田証生さんに間違いない
との報が入る。
正午まで編集作業をして「短歌人」の拡大編集委員会に出席。

夕方5時前に、会社に戻り、昨日録音した「オールナイトニッポン
エバーグリーン 日曜特別増刊号 渋谷今昔物語」の送出。

帰宅するために、有楽町線に乗ったら、うっかりと乗り過ごし
辰巳まで行ってしまう。しかたがないので、終点の新木場まで
行き、りんかい線に乗って潮見駅から帰宅。

帰宅後、題詠マラソン2004の会場をのぞくと、一分間に数首づつ
投稿されて行く。24時までに、何人ゴールということになるだ
ろうか。


[1498] シブヤ・シックスティーズ 2004年10月30日 (土)

朝から雨模様。

オールナイトニッポンエバーグリーン特別増刊号「渋谷今
昔物語」のために、渋谷東急東横店へ行く。
すぐにスタッフと相談して、仮設スタジオを屋上から5階の
ティールームの横のスペースに移動して設営することにする。

午後一時から二時半までの公開録音はうつみ宮土理さんを
ゲストに迎えて、無事終了する。
1960年代の渋谷は大学生と大書店と映画館の街であり
知的で美しい言葉がつかわれていたことなどを話してもら
う。

終了後、会社に戻り、DATからMOにうつす段取りを
組み、そのあと、人生相談のMOを少し編集して帰宅。

「題詠マラソン2004」があと二日の大詰めにきていて
短歌本会場の掲示板がすごい勢いで回転している。


[1497] 峠の幌馬車 2004年10月29日 (金)

風邪気味。からだがだるい。

明日の「オールナイトニッポン・エバーグリーン」の公開録音の
最終打合せ。

夜は神楽坂で駄句駄句会。
季題は「菊」と「木枯し」。
出席者は三魔宗匠、邪夢、風眠、駄郎、粕利、そして媚庵。

やはり、風邪がぬけないので、句会のみで帰宅。


[1496] イマジン 2004年10月28日 (木)

といっても、私のイマジネーションは枯渇気味。

書評の原稿を書かなければならないのだが、集中力が出ない
ので、どうにもならない。
気力もなくなってくる。

午後、「テリー伊藤ののってけラジオ」の中継のために、
ジャイアンの声優のたてかべ和也さんを、事務所におたずね
する。
びっくりするほどサービス精神のある方だったので、レポーター
の上田郁代と一緒にたいへん感謝する。

やっと角川短歌賞発表の「短歌」11月号を購入。
しかし、集中力の欠如できちんと読めない。


[1495] 素顔のままで 2004年10月27日 (水)

早朝出社して、北野大さんの「聞いてマルトクゼミナール」
の録音3週間分。

「ビバリー昼ズ」の準備をしていたら震度6弱の地震。
新潟県中越地震の余震とのこと。
ニュース枠を拡大して対応する。


[1494] 有楽町でまた逢いましょう 2004年10月26日 (火)

火曜日、「ビバリー昼ズ」で、チーフディレクター役をやる。
高田文夫さんが歌ってインディーズでCDになっていた
「有楽町でまた逢いましょう」が、鶴岡雅義と東京ロマンチカ
でレコーディングされ、キングから発売されることになり、本日
オンエア解禁日ということで、フルコーラスかける。
なつかしい男性ムードコーラスの再現というできあがりになって
いる。

「題詠マラソン2004」が今週末が締切ということで、書き込み
者が多く、回転がきわめて速くなっている。
100首の短歌をつくること自体は、短歌をつくり慣れている
者にとっては、さほど困難なことではない。現に一夜百首詠な
どもおこなわれることがあるだろう。
「題詠マラソン」がそのような百首会と異なるのは、詠んだ作品
を、次々に公開していかなければならない、ということだ。
それと同じ百種類の題で詠むわけなので、他の参加者の同じ題の
作品といやおうなく発想が比較されてしまうということだろう。
私自身も何度も感じたが、苦し紛れの一首を書き込んだあとで、
同じ題で、自分よりずっと洗練された発想の一首に出会って、
みずからの発想、イマジネーションの働きの貧困を痛感させられ
ることがしばしばある。こういう部分が大きな刺激になるのであ
る。そして、何首もしぼりだし続けて、一種のハイな状態になっ
た時、時折、ふだんの自分からは思いもよらないような発想が、
浮かびあがることがある。それが自分にとって確実に糧になる。
昨年参加して、そう思ったので、今年もそれを期待したわけだが、
やはり、そういう常と異なる発想を得ることができた。
そしてもちろん、それは私の今後の作歌活動にとって、大きな糧
となるものだった。


[1493] ダンスはうまく踊れない 2004年10月25日 (月)

「ビバリー昼ズ」の今日のゲストは大西ゆかり。
月一度のアシスタント役を勤めてもらっていたのが、本日が
最終回とのこと。
私は昨年ライブには行っているが、本人に会うのは初めて。
生歌で「グッド・オールド・サン」を歌ってくれる。

午後は会議のあと、昨日イヤになってやめた人生相談の編集
を続行。今夜が締切。
なんとか時間ないに収めたのちに、MOやテープやQシート
の束をかかえて編集室の外にでたとたんに転ぶ。
なんとか右手でからだを支えたが、その分、右手に激痛。
てのひらの皮膚がむらさきいろになってしまった。

不愉快なのでいそいで帰宅。
鎮痛剤をのんで湿布をしてする。
布団の中で車谷長吉の『反時代的毒虫』を読む。
対談集だが、白洲正子から中村うさぎまで、対談相手は
バラエティにとんでいる。
詩人であり車谷の奥さんの高橋順子が、買った株が下がった
と、車谷のかたわらで泣いていたといったバカ話も出てきて
わらえる。
私は車谷長吉も高橋順子も表現者としてリスペクトしている
のだが、彼らもまた銭金にまつわる煩悩に惑わされていると
いうことを知ったのも、まあ、収穫だろうか。


[1492] デルタブルース 2004年10月24日 (日)

朝6時にスタジオに行くと、地震の情報特番をオールナイトニ
ッポンのチームが放送していた。
そのあと、こちらもかなりばたついたが、結局、イルカさんに
連絡がつき、7時前に局に来てもらうことができ、無事放送。

新潟地方は本格的に冬がやってくる季節でありきわめて心配。

午後、人生相談の編集がなかなか終わらないので、あきらめて
編集室を出て、オフィスエリアで菊花賞の中継を見る。
血統的にみて、明らかな長距離血統馬ということで、Qデルタ
ブルースの単複を昨日のうちにPATの前売りで買っておいた。
コスモバルクが勝つといいなとは思っているのだが、馬券とし
て面白いのはやはり上り馬。
見ていたら、ゴール前でデルタブルースがコスモバルクに競り
勝ってしまった。
複雑な気持ちではあるが、馬券が的中したうれしさの方が当然
まさる。


[1491] サークルゲーム 2004年10月23日 (土)

9時まで眠る。
やはり、1週間に2回の徹夜はきつい年齢になっているということだ。
締切の差し迫った書評の原稿があるのだが、なかなか書き出すこと
ができない。これも徹夜の後遺症だろうか。

聖智文庫の有馬さんに、探求依頼をお願いしていた大坪砂男の
作品集を送ってくださったのが届いた。
1976年刊行の出帆社版で、大坪砂男全集全二巻。
1巻のタイトルが『零人』で澁澤龍彦が解説、2巻のタイトルは
『天狗』で都筑道夫が解説を書いている。
この2冊で生前発表されたほとんどの作品が収録されているはず
である。
学生時代に早稲田の古本屋で1950年刊行の岩谷書店版の
『私刑』という短篇集(有島生馬への献呈署名入りだった)を
買ったのが大坪砂男の小説を読んだ最初だった。
この本はいつしかなくしてしまい、そのあと確か牧神社版だつた
と思うが、赤っぽい装丁の箱入りの『大坪砂男作品集』というの
を買ったが、これもどこかの時点で、手放してしまったのだった。
最近、小説の文体ということを考えるようになって、また再び、
大坪砂男を読みたくなって、有馬さんにお願いしていたのだった。

代表作の「天狗」は、一人称代名詞が出て来ない文体の小説で
傑作との評価が高い。
主要な短篇は読んだことがあるので「虚影」「逃避行」「階段」
「銀狐」「日曜日の朝」「危険な夫婦」といったショートショート
的な作品を読んでみたが、簡潔でしかも味わい深い文体は、読んで
いてコクがある。

と、こんなことをしていたら、地震が連続的におこる。
テレビが特番に切り替わる。
新潟の長岡、小千谷で震度6強が3回。
エマージェンシーコールが鳴っている。
明日にそなえて早めに寝ることにする。


[1490] 夜汽車よ、ジョージアへ 2004年10月22日 (金)

今日の「ビバリー昼ズ」のゲストは掛布雅之さん。
当然、楽天の監督問題を聞きたいところだが、さて、どうなる
ことか。
しかし、私はイルカさんの番組の録音があるので、今日は正午ま
でしかスタジオにいられないのが残念だ。

そして、録音スタジオで無事録音終了後、イルカさんとマネー
ジャーのNさんと私の勤め先の営業担当者と、近くにある
ドコモのハーチフルショップへ行く。
バリアフリーでしかもさまざまな部分に気遣いがあふれている
ショップなのに驚く。

約一時間見学したあと、イルカさんと別れて、池袋の東京芸術
劇場へ行き、「短歌人」の編集会議に出席。
できあがった「短歌人」11月号を受取る。


[1489] さらばシベリア鉄道 2004年10月21日 (土)

今週2回目の徹夜勤務明けということで、今日は出社しないで
よいことにしてもらう。

朝6時過ぎから11時20分くらいまで眠る。
起床後、昼食を食べながら「ビバリー昼ズ」を聞く。
昨夜わかれたばかりの高田文夫さんやスタッフが、また働いて
いるかと思うと、休んでいるのが申し訳けないが、よく考えると
私は今回は彼らより6時間以上、働いていたのだった。

「ビバリー昼ズ」の今日のゲストは三谷幸紀さん。
「新撰組」と「なにわバタフライ」の話題を中心にしたトーク。
木曜日のアシスタントの清水ミチコさんとのわざとギクシャク
したトークが面白い。

午後はずっとラジオを聞きながら原稿を書く。
「テリー伊藤ののってけラジオ」から「秀武・憲子の大吉ラジオ」
をじっくりと聞く。
他人のつくっているワイド番組をきちんと聞くということは、め
ったにない。しかし、このように客観的に聞くと、良い点、悪い
点がよくわかる。


[1488] ハーレムノクターン 2004年10月20日 (水)

まず「ビバリー昼ズ」でAD業務。
なんとか事故をおこさずにこなせた。

急いで昼食をとり、人生相談の録音。
4時から「渋谷今昔物語」の打合せ。

雨が強くなり始めているし、日比谷の交差点には水が溜まり始め
ているので、また、急いで夕食をとる。

8時から特番「ビバリー夜ズ」の打合せ及び準備作業。
高田文夫さんと松村邦洋さんがスタジオ入りしてくる。
雨がますます強くなり、道路はすいているとのこと。

夜10時から2時間の特番。
終った頃にはなぜか雨があがっている。

「びびる大木のオールナイトニッポン」に出演する笑亭鶴光師匠
に挨拶する。
上田晋也の「知ってる24時」の企画は全日本童貞選手権。
そして「びびる大木のオールナイトニッポン」は深夜放送の
笑いの原点・笑福亭鶴光師匠。
例によって、リスナーに深呼吸させて「ええか、ええのんか」と
やっている。
そして最後は「ハーレムノクターン」のメロディーも悩ましい
ミッドナイトストーリー。
このコーナーが終り、師匠が帰る気配なのでスタジオに行くと
会社に残っている連中がほとんど集まってきていた。
午前2時半過ぎになって、みんなナチュラルハイになっている
わけだ。

師匠を送りだし、いよいよ、「エバーグリーン」の生放送。
アタマの部分で、びびる大木君と斎藤安弘さんが絡む。
こういう試みは面白い。
そして、リアルタイムの台風情報のメールを読みながら、
午前五時まで生放送を続ける。

この間に、水没しそうなバスの上で30人以上の人が取り残され
ているとか、富山港での練習船海王丸の岸壁に激突のニュース
などは、放送していた。
しかし、あとでテレビのニュースを見ると、思っていたより
ずったたいへんな事件だったことを知った。

とりあえず午前6時過ぎに帰宅。
雨はほとんど降っていなかった。


[1487] トレイン・トレイン 2004年10月19日 (火)

「ビバリー昼ズ」のゲストは山本耕史さん。
ビートたけしの声マネなどやってくれたのが面白かった。
鴻上尚史の新作「リンダリンダ」の稽古中で、
その中で「トレイン・トレイン」を歌うのだそうだ。

午後は人生相談の録音。
台風23号が首都圏直撃の予報のため、明日の「オールナイト
ニッポン・エバーグリーン」は生対応ということになる。
明日に備えて急いで帰宅する。


[1486] 歌を忘れたカナリヤは 2004年10月18日 (月)

午前11時半に起きて「ビバリー昼ズ」を聴く。
ゲストは松平健。
聴き終ってから、出社。「ビバリー昼ズ」の会議。

退社後、池袋芸術劇場で「西條八十を唄う」の会を見る。
玉置宏史さんの司会で、近藤志げる、俵山栄子、柳亭市馬、
長生潮帆(吉川潮)、丸山おさむ、なぎら健壱、白山雅一と
マニアにとってはこたえられないメンバー。

童謡、軍歌、女唄、男唄、小唄、舟木一夫の歌、戦前の東京を
唄った歌、霧島昇の歌、藤山一郎の歌とたっぷり堪能する。
会場のお客さんの年齢層も高く、ナツメロは一緒に唄ってしまう
ほどの舞台客席の一体感が実現していた。

会場には横沢彪、高橋春男、山藤章二、島敏光、高田文夫といっ
た渋い見巧者がたくさん来ている。
舞台上も客席も先生ばかりという状況でもあった。

帰りの地下鉄の中で、ちくま学芸文庫の新刊正岡容著『東京
恋慕帖』を読みながら帰宅。
阪井久良伎の川柳を引用しながら大正期の東京の風物を語る
文章が巻頭にあるのだが、これがきわめて面白い。
ある意味で、久良伎の川柳は昭和の新興俳句の試行を先取り
していたといえるかもしれない。
最近、このような内容の文章を読んでいるときがいちばん
至福感をおぼえているということに気付く。退嬰的なのだ。


[1485] サンドベージュ 2004年10月17日 (日)

いつもの日曜日のように6時に出社。
2時間の番組を終えて、昼過ぎまで編集作業。
一度帰宅して、昼寝。
夜8時に再出社。
「題詠マラソン2004」の100番目の歌を掲示板に投稿する。
オールナイトニッポンエバーグリーン日曜特別増刊号の生放送
で、午前2時から午前5時まで、28曲かかる。

月曜日の朝5時半にタクシーで帰宅。


[1484] 真夜中のギター 2004年10月16日 (土)

風邪がぶりかえしたようで、また関節が痛い。
外は寒いし、一日じゅう風邪薬をのんで篭っている。

「短歌往来」「歌壇」の11月号を読む。
「短歌人」12月号の編集作業をおこなう。

露の五郎の『上方落語のはなし』読了。
上方落語の戦後史であり、写真資料が豊富なのもうれしい。
貴重な一冊だ。


[1483] 難破船 2004年10月15日 (金)

朝起きると全身の関節が痛い。
昨日の夜から風邪をひいてしまったらしい。
あわてて、点滴をしてもらいに病院に行く。
肘の裏側の部分に静脈が浮き上がらないので、しかたなく、
手の甲の部分の血管に針をさして点滴をしてもらう。

結社誌の「短歌」の春日井建追悼号、ほぼ読み終る。
追悼の文章として心を打つのはだんぜん菊池裕さんの文章
「ナン・ゴールディンの優しさ」だった。
外部からの寄稿では、荻原裕幸さんの文章がバランス感覚が
良く、印象に残る。
結社を継承するというのは、さまざまな雑音になやまされる
こともあるだろうが大塚寅彦さんには、ぜひ、すぐれた新人を
産み出す主宰になってほしい。


[1482] 星の流れに身を占って 2004年10月14日 (木)

山田風太郎『戦後動乱日記』読了る
初期の中篇・短篇を書きまくっている時期なので、読んでいて
面白い。
すごいと思うのは、一篇の小説を書き始めると、それを書き終る
まで、何日か集中力が持続していること。
これは読書にもいえて、『カラマーゾフの兄弟』から『金瓶梅』
まで、まさに乱読なのだが、普通の長さの長編ならば、必ず一日
で読み終っているのがすごい。
また、いわゆる大長編の場合も、読み始めると何日かかっても、
最後まで読みとおすという姿勢に敬服する。

中篇・短篇をたくさん書いているので、原稿料としてけっこう
万単位のお金が入ってくる。
当時の貨幣価値からいって、けっこうな額だと思うのだが、はでに
つかっている。
飲み屋の女と泊まったなどということも書いてある。
探偵小説作家仲間の宮野叢子が酔っぱらって言い寄ってきたこと
なども実名で書いてあるのが、今の読者には面白い。
また、編集者が現金で原稿料をもってくると、多少のキックバック
を渡してやったりもしている。当時はそういう習慣もあったのだろう。


[1481] 飾りじゃないのよ涙は 2004年10月13日 (水)

今日の「ビバリー昼ズ」は、春風亭昇太さんのレポートコーナー
に「おとうさんのバックドロップ」に主演している宇梶剛史さんが
出演。もと暴走族のヘッドだったそうだが、現在は味のある役者に
なっている。

みゆき館劇場で、「丸山おさむのものまね昭和歌謡史」を観演。
さすがに技術がしっかりしているので、歌マネは抜群。
特に松山千春、さだまさしといったあたりは絶品。
芸術祭参加とのことなので、良い結果を期待したい。


[1480] なにわバタフライ 2004年10月12日 (火)

今日の「ビバリー昼ズ」りのゲストは戸田恵子さん。
三谷幸紀書下ろしのひとり芝居「なにわバタフライ」のプロモー
ションをかねての出演。
「なにわバタフライ」はミヤコ蝶々の一代記であるという。
それにしてもみごとな題名をつけたものだ。
しかし、この日の時点で、脚本はまだほとんどできていない
とのこと。

午後は人生相談の録音。

聴取率の調査週間を来週にひかえ少しずつ忙しくなってきた。


[1479] 女殺油地獄 2004年10月11日 (月)

「ビバリー昼ズ」の今日のゲストは崔洋一さん。
「血と骨」のプロモーションともうひとつ賀集利樹、真中瞳でや
る舞台「女殺油地獄」の宣伝もかねての出演。

崔さんには7年くらい前に「ゆうばりシネマワークショップ」で
三泊四日ご一緒したことがある。
忘れられているかなあ、と気弱になっていたら、顔を見るなり、
「おお、しばらくだね。今は番組やっているの」と言ってくれ
たのでほっとする。
高柳良一くんも挨拶に来る。
「おまえは、いつもイヤイヤ演技してたよな」と言われている。

一度帰宅し、夕方、再度出社し、「那須恵里子のブロードバンド
ニッポン」に出演させてもらう。
短歌の話をするということで、「題詠マラソン」のことなどを
しゃべる。


[1478] 瞳の日 2004年10月10日 (日)

昨日の項目は日付も曜日もまちがっている。
まとめて日記を書くので、こういう事態がおこるのである。
当然、10月09日土曜日が正しい。

朝6時に出社。
いわゆる生ダビングという作業をしているあいだに、ドキリと
するような事態がおこる。
コンピュータによる放送というわけで、予想もつかないことが
勃発するわけだ。

今夜は宿直なので一度帰宅。
競馬を見ながら山田風太郎著『戦後動乱日記』と坪内祐三著の
『まぼろしの大阪』を拾い読みする。

夕方、再度出社。
会社で手紙を何通か書く。
夜半におなかがすいたので、マグドナルドへ行くつもりで、
日比谷シャンテ方向へ向かったら、なんとマグドナルドがなく
なって、サンディーズになっていた。

会社の宿直室で、坪内祐三の『まぼろしの大阪』読了。
大阪を主題にしたエッセイであるが、東京人が大阪の事物、風俗
に関して何か書くと、どうもイヤミになりがちだと思っている。
小林信彦のエッセイにもそういうイヤミを時折感じる。
坪内祐三はあぶなくなると本の話に逃げることができるので
そのあたりは巧くかわしている。
谷沢永吉との対談も、はじめのうちは谷沢が警戒している感じ
がしてちょっとニヤリとできる。


[1477] 台風が来る 2004年10月12日 (火)

台風が来るという予報のため、外に出ない。

原稿を一本書き終える。
午後、雨がやんでいるようなので、速攻で潮見駅前のミニストップ
まで、アイスクリームを買いに行く。
競馬も中止で、横になって本を読もうとしていたら、読まないう
ちにうつらうつらしてしまった。

夜は「メチャイケ」の特番かせ「エンタの神様」を見る。



[1476] いちにちじゅうしごと 2004年10月08日 (金)

二時間番組を二週間分録音。
これは簡単にみえるが、30分番組にすると、八週間分の
とりだめということなので、そりゃあ疲れるわ。

ぐったり。

会社を出て、産経新聞社に寄り、少し密談して、強くなった雨風
の中を帰宅。
やっと明日、休みである。


[1475] 川上史津子さんと対面 2004年10月07日 (木)

「テリー伊藤ののってけラジオ」の助っ人として、木曜日の午後
はラジオカーに乗っている。
今日は杉並区松庵にある輪島功一さんのボクシングジムにレポー
ターの上田郁代さんと一緒に行く。
輪島さんは、打ち合わせの時は緊張しているようだったが、本番
になったら、急に多弁になってくれ、話も面白かった。

会社に戻り、ミーティングを1件。
そのあと、ブロードバンドニッポンに出演する川上史津子さんと
会うために、9階にあるブロードバンドのスタジオに行く。
本当は四月に一度お会いする機会があったのだが、その時は私が
時間をまちがえて、川上さんが来ているにもかかわらず、帰って
しまうという失礼をしていたのだった。

本番前の川上史津子さんと初対面。
「短歌ヴァーサス」5号の彦坂美喜子さんによる『恋する肉体』
と『えろきゅん』の批評をとても喜んでいらした。
ブロードバンドニッポンの出演場面をそのまま見学させてもらう。
やはり、すごいのは、本番になるときちんとキャラクターができ
て豹変すること。これは輪島功一さんにも感じたが、観客の前に
出た経験をもっている人のプロ根性というものだと思う。
ブロードバンドは音声だけでなく、映像も配信されているので、
川上さんの出演部分を見たかたもいるかもしれないる

ところで、話を聞いているうちに、川上さんが「月蝕歌劇団」に
所属していて、「高丘親王航海記」に出演されていたことがわか
ったのだが、私はこの演劇を見て居るので、すでに女優川上史津
子を見たことがあったのだった。こういう縁は面白い。
一方で、川上さんも、私が事務局長をしていた頃の、東京国際フ
ァンタスティック映画祭にインド映画を見に来てくれたとのこと
もわかった。今はなき渋谷パンテオンの中でも川上さんと私はす
れちがっていたわけだ。

川上さんとわかれたあと、仕事の打合せを一つこなして、そのあ
と、一年ぶりに日比谷句会に出席。
浦川聡子さんにあたたかい言葉をかけてもらい、また感激。
興奮度合いの高い一夜でありました。


[1474] 2000年2月号の文章 2004年10月06日 (水)

昨日の日記の日付は10月5日(火)が正しいものです。
小笠原賢二さんのお通夜のことを記述しながら、日付を
誤記して、申し訳けありません。

「ビバリー昼ズ」のゲストは作家の吉川潮さん。
『流行歌―西條八十物語』を上梓されたばかりなので、
銀座の柳の碑の前で春風亭昇太さんとしゃべってもらう。
放送のあと、吉川さんがスタジオに来てくださったので
一緒に昼食。立川談春さんの三夜連続独演会にかきおろした
落語のことなどお聞きする。川口松太郎原作の「遊女夕霧」を
落語のかたちに脚色されたものだそうで、ぜひ、聞いてみたい。

飯田有子さんの作品に関して書いた文章を、鈴木英子さんが
探して送ってくださったので、以下に再録する。
「短歌研究」2000年2月号の文章である。

たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔

飯田有子の作品にはショックを受けた。意味やイメージではなく
短歌の韻律をずらしてしまおうとの大胆な試行がここにあるから
だ。二度くりかえされる「たすけて」が、呪文に似た働きをして
覚めそうで覚めない悪夢に読者を誘い込む。飯田有子は初めから
こういう作品を短歌だと主張していたわけではない。
「むすぶ手の伝へてくれるぬくとさもほどけばすぐに失くしてし
 まふ」というような旧仮名遣い相聞歌を作っていた頃もあるの
である。それが、やがて掲出歌のオフビートに昇華したのは、オ
リジナリティーの追求という、表現者としての当然の志向による
のだろう。韻律にゆさぶりをかけて、独自のビートを刻むという
試みは、まさに実験と呼ばれるにふさわしいと思う。他にも「純
粋悪夢再生機鳴るたそがれのあたしあなたの唾がきらい」とか
「生ごみくさい朝のすずらん通りですわれわれは双子ではありま
せんのです」といった注目すべき試みがいくつもある。

以上。「枝毛姉さん」にふれた文章としてはかなり早いものだっ
たと思う。もちろん、早ければ良いというわけではないが。
この文章の時点では、歌集『林檎貫通式』はまだ出ていなかった。


[1473] 小笠原賢二氏のお通夜 2004年10月06日 (水)

一日じゅう雨が降り続いている。

昨日、帰宅したら、加藤英彦さんから小笠原賢二さんの訃報が
届いていた。
入院されていることは、風の噂でなんとなく知っていたが、まさ
か、こんなに早く訃報に接することになるとは思わなかった。

夜、お通夜へ行く。
福島泰樹さんのお寺の法昌寺がお通夜の場所である。
雨の中、地下鉄日比谷線の入谷駅でおりて、法昌寺へ。
記帳をおえたあたりで雨がやんだ。
冨士田元彦さん、森本平さん、加藤英彦さん、梓志乃さん、
三枝昂之さん、今野寿美さんたちの顔が見える。
福島泰樹さんの読経が始まる。
親族に並んで菱川善夫さんの顔がある。菱川さんが葬儀委員長だ。

小笠原賢二さんは、実作をしない純粋な立場から、短歌の世界に
きびしい批評をなげかけ続けた貴重な存在だった。
「同義反復という徒労」という評論は、平成になっから書かれた
もっとも重要な短歌批評だろう。
インナーには言えないことを、はっきりと指摘する論調は、歌人
からは敬遠されていたのが残念だ。


[1472] プロフェッショナルのサービス精神 2004年10月04日 (月)

「ビバリー昼ズ」のゲストはいとうせいこうさん。
「東京国際ファンタスティック映画祭」のプロデューサーとして
のパブリシティ。
しかし、先週の鴻上尚史さんもとも共通するが、面白いことを
積極的に言おう、と考えているところが凄い。
それが嘘でも、とにかく、笑いがとれる方向へ話を拡大してゆ
くというサービス精神だ。

放送作家のベン村さ来君が、昨日、神輿をかついで、声を出しす
ぎた、ということで、ものすごいかすれ声になっている。

ネットで八田木枯さんの句集二冊を注文する。
新句集が『夜さり』、古書の方が『あらくれし日月の鈔』。
どちらも、ぜひ読んでみたい句集である。