[1471] 雨の日の書評 2004年10月03日 (日)

朝から雨の日曜日。
午前5時30分にタクシーに乗った時は小雨だったが、会社につい
てスタジオの窓から外を見たら土砂降りだった。

2時間の番組の送出が終り、火曜日の「ビバリー昼ズ」のキュー
シートを書いて、放送作家のベン村さ来君にファックス送信する。
「テレフォン人生相談」の編集は金曜日までに終らせておいたので
今日は正午過ぎに帰宅できた。

毎日新聞に載っていた小島ゆかりさんの『レイモンド・カーヴァ
ー全集』の書評に感嘆する。
たとえばこんな箇所。

「さらにまた私は直感する。この最後の場面には、限りなく
 「題詠」に近いプロセスが隠されているのではないかと。
 「題詠」とは、たとえば歌人が歌を作るときに、あらかじ
 め与えられた言葉に意識を集中することで、その言葉の向
 こうから、感覚や情感を伴ったリアルなイメージを呼び寄
 せる方法である。」

と、みごとな文章ではないか。
小島ゆかり以外の誰が、レイモンド・カーヴァーの小説の方法に
「題詠」を見出し、それを読者に納得できるように論じられるだ
ろうか。
小島ゆかりという人の表現能力の総体は、私が漠然と想像してい
たよりも、はるかに凄いもののようだ。
もしかすると、現在の歌人の中でもっとも明晰な文章を書いてい
るのが彼女かもしれない。


[1470] ゴシックハート 2004年10月02日 (土)

午前中は歌集の礼状を書き続ける。
ラジオをつけていると、和田アキ子の番組「いいかげんに1000回」
の中で、イチローの打席中継が割り込み。
11時過ぎたところで、世界タイ記録の中継が入った。

午後、オアゾの丸善へ二度目の書籍散策に行く。
詩歌の棚では、前回はあった三枝昂之歌集『暦學』や
島田修二歌集『草木国土』などはなくなっている。
あるところから、原稿料を一万円いただいたので、
なしくずしに使わずに、きちんと後に残る本を買うつもりで
やってきたわけ。
ちくま学芸文庫の清沢洌の『暗黒日記』全三巻を購入。
そのまま、丸善を出て、こんどは八重洲ブックセンターへむかい
その詩歌書の売場で『名歌名句辞典』を購入。
これでほぼ一万円。

帰宅後、昨夜、一章分だけ読んでいた高原英理著『ゴシックハー
ト』を読み始めたら、夕食をはさんで深更までに一気に読んでし
まった。
ゴシックを感受する精神をゴシックハートと名付けて、そのさまざ
まな要素を十二賞にわけて解説した長編評論。
澁澤龍彦、中井英夫からデビルマンや攻殻機動隊、乱歩、ヘルター
スケルターなどなど、私が今までに魅かれてきた諸作に関して、
ゴシックハートというキーワードで、その意味を読み解いてゆく
というものなので、途中でやめられなくなって当然か。
枕頭において、毎晩、一章ずつ味わうはずだったのだが、やはり
美味しいものはとまらない、ということか。


[1469] 年譜のたのしみ 2004年10月01日 (金)

「音」の10月号の時評で棚木恒寿さんが、セレクション歌人の
『大辻隆弘集』を例にして、年譜を読むことで、歌集の印象が変化
してくる、ということを書いている。

たとえば、大辻さんが、野球部の熱心な部員だったが、三年生の
夏の大会前に骨折したとか、高校一年の頃からモダンジャズ好き
になり、サックスを吹きたいと思っていたとかの記述があること
で、第一歌集『水廊』の中に見える大辻青年の像がより印象深く
なる、ということ。

これは確かにそういうことはあると思う。
テキストだけではなく、そういう付帯的なあれこれを知ることで
やはり、短歌作品の印象は変わってくるだろう。

・港湾のゆらめきやまぬかがやきに鳥落つるまでたたす゜むひとり

これは棚木さんがあげている大辻隆弘歌集『水廊』の巻頭歌。

心にしみこんでくる青春の歌だ。
この『水廊』という歌集も、その真の価値を感受されなかった
不幸な歌集だった。セレクション歌人に完本収録されたことで
新たな読者に出会えば、その質の高さが再評価されることもある
かもしれない。そうあってほしい。そうあってこそ、このような
廉価のセレクションが刊行される意味があるのだから。


[1468] ゲバゲバの人 2004年09月30日 (木)

今日から、「テリー伊藤ののってけラジオ」のラジオカーのディ
レクターとして、木曜日はレポーターの上田郁代と一緒に外まわ
りをすることになる。
今日のレポート先は、なんと前田武彦さんのお宅訪問。

前田武彦といえば、「夜のヒットスタジオ」「お昼のゴールデン
ショー」「ゲバゲバ90分」のメイン司会者として伝説の人だ。
私にとってはあこがれのタレントNO1といってもよい。
緊張してしまったが、ご本人がとても気をつかってくれたので、
なんとか放送は無事に終ることができた。
印象としては、まったく老いなどなく、往年のままの才気を感じ
させてくれる人だった。
職業柄、タレントや文化人と会う機会は多いわけだが、今日の
前田武彦さんとの出会いは、とても嬉しいものだった。

帰宅すると「短歌ヴァーサス」五号が届いている。
表紙は飯田有子さん。
個人的には今号の表紙がいちばん好きだ。
小池光さん、鈴木竹志さんたちが執筆している「新鋭歌集の最前
線」を一気に読了。
荻原裕幸さんが書いた飯田有子歌集『林檎貫通式』の批評に、良
く読めていると感心したが、飯田有子という人が、かつて「まひ
る野」という伝統的な結社に所属して、そこで定型にそった短歌
をつくっていたということにも触れてほしかったと思う。
定型を熟知した上での現在の文体の成立があるということを、
きちんと踏まえておかなければ、飯田有子の本質を理解したこと
にはならないのでは、と危惧する。
これは短歌研究評論賞の森井マスミさんの「インターネットから
の叫び」での、飯田有子作品にふれた箇所でも、同じ危惧を感じた。
私が飯田有子短歌を支持するのは、伝統からの力ワザでの離脱と
いう、前人未踏にちかいことを彼女の作品が実現しているからな
のだ。
他の表現分野でも言われることだが、伝統的形式の長所短所を、
実践的に理解した上での伝統離脱と、はじめから伝統など知らず
に、一見あたらしげな雰囲気をただよわせるのとでは、その価値
は、ぜんぜんちがうということだ。


[1467] リンダリンダ 2004年09月29日 (水)

「ビバリー昼ズ」のゲストは鴻上尚史さん。
私の勤め先が後援するミュージカル「リンダリンダ」のパブ絡み
の出演だが、オールナイトニッポンのパーソナリティもやってい
た人なので、トークが抜群に面白い。

今日もイチローの打席がまわってくるたびに生中継が入るのだが
ADなので気は楽。
結局、3回生中継が入った。

夜、寝る前に『模倣の殺意』を読み続けていたところ、うっすら
記憶に残っていた、文字のトリックが出てきたので、やはり、か
つて読んだ作品であることがわかった。
しかし、最後の大トリックというのは、どうしても思い出せない。


[1466] イチロー全打席中継 2004年09月28日 (火)

今日からイチローの全打席を中継するということが、朝、会社に
行ったら、突然決まっていた。
しかも、日本時間11時5分にアスレチックスVSマリナーズが
試合開始。
ということは、まず「ビバリー昼ズ」の中で、この最初の生中継
がまわってくることになる。
スタジオ担当のディレクターとして、とにかく巧く時間調節を
しながら、生中継をかかえこみ、番組終了までもっていかなけれ
ばならない、ということで緊張する。

結局、11時40分過ぎと12時30分過ぎの2回、イチローの
打席がまわってくるも、レギュラーのコーナーをとばすことなく
巧く、中継をかかえこむことができた。

会社の帰りに、八重洲ブックセンターに行き、ちくま文庫の『井
伏鱒二文集』と創元推理文庫の中町信著『模倣の殺意』を購入。
『模倣の殺意』の方は、旧題名が『新人賞殺人事件』だという
ことで、どうも、30年前の初出時に読んだことがあるような
気がする。ともかく、改稿決定版ということなので、もう一度
読んでみようと思う。


[1465] 山藤章二さん 2004年09月27日 (月)

「ビバリー昼ズ」は、山藤章二さんがゲスト。
私がスタッフの中ではいちばん顔見知りということでアテンドを
担当する。

番組の中での、今年のプロ野球は、春先に長嶋さんが倒れたこと
で呪われている、という話がオモシロかった。
そのために、プロ野球史上初めての大騒動になったわけだ。

MVPは、セが古田、パが新庄という案で、山藤さんと高田さんが
意気投合。
ライブドアがプロ参入することになったら、ユニフォームは
黒のTシャツにしろ、というアイデアも抜群だった。

番組終了後、地下の食堂で、山藤さんご夫妻、高田文夫さんと
一緒に食事。
愉しい時間を過ごすことができた。

夜、レコード会社の局担の人達に対してのナイターオフ番組説明会。


[1464] 松鶴家光晴・浮世亭夢若 2004年09月26日 (日)

六時出社。雨模様。
番組終了後、編集作業が午後二時過ぎまでかかる。

先週、書き忘れたが、むかしの大阪の漫才CDを発見して聞いた。
松鶴家光晴・浮世亭夢若の「お笑い忠臣蔵」。
約15分のネタだが、そのスピードとテンポに感嘆する。

私が大阪にすんでいた時期には、すでに、見られなかった
コンビなので、このような音源が残っていたのはうれしい。


[1463] マラソンリーディング2004 2004年09月25日 (土)

平和島のTクリニックで点滴を受けてから、マラリーの会場の新宿
文化センターへ向かう。
今年は昨年につづいて受付のお手伝いだけなので、気が楽だ。
スタッフの人達も、動きがシステマチックになっていて、あわて
るところがなくなっている。

今年は中島裕介さんと櫂未知子さんの朗読だけ、会場内で見た。
中島さんの洗練された発語、櫂さんの風格と言葉への偏愛、とも
に、じゅうぶんに持ち味が出ていたと思う。

来年はぜひ村井康司さんのギター侍、笹公人さんのヒロシ的自虐
ネタなどもやってほしいものだ。
イベントとしては熟練してきたので、収支をとるためのくふうを
もう少し考えてもよいのかもしれない。
ともかくも、大井學さん、秋月祐一さん、田中槐さん、オツカレさ
までした。


[1462] 暮れ行くスタジオの窓 2004年09月24日 (金)

今日は日曜の番組の録音。
2週間分の録音なので昼間から夕方のかなり遅くまでかかった。
スタジオから、晴海通り側が見える窓があるのだが、暮れてゆく
のが哀しさをつのらせる。

録音終了後、別の番組の編集作業を少しやるつもりで編集室に
入ったら、2時間があっというまに経っていた。
編集室は当然EditRoomというわけだが、行く先のボード
にEDと書いてあるのはなぜか哀れなものがある。


[1461] オアゾの丸善 2004年09月23日 (木)

今日の「ビバリー昼ズ」は役目なし。
スタジオで笑っているだけ。
カキザキ、あいかわらずいじられる。

帰りに噂の丸の内オアゾによってみる。
丸善がテナントとして入っており、蔵書数が日本一との噂。
鈴木竹志さんがウェブ日記で「詩歌書はどれくらい置いてあるか」
と、お書きになっていたので、早速、チェック。

詩歌コーナーは二階のエレベーター脇でわかりやすい場所だ。
7段の本棚が10列。それに平積みの台もあるので、さすがに
量は多い。詩、俳句、川柳、短歌でこれだけの棚を占めている
ので、たぶん、八重洲ブックセンターよりも、池袋のジュンク堂
よりも、本の数自体は多いと思う。
ただ、棚はいかにも雑然としている。かろうじてジャンル別には
わけてあるが、それ以外は、アイウエオ別でも出版社別でもなく
とにかく、数集めてとにかく並べてみましたという感じ。
大書店のオープン時の特色として、とにかく棚を埋めるだけの本
を集めるので、え、こんな本がまだ新刊で残っていたの?と驚く
ようなものもある。
たとえば、三枝昂之歌集『暦學』初版が並んでいたり、梅里書房
の『野見山朱鳥全句集』とか邑書林の『加藤楸邨初期評論集成』
などが置かれていたりする。
国文社の現代歌人文庫も私のご贔屓の滝沢亘、平井弘、村木道彦、
浜田到などが揃っている。
残念なのは、短歌新聞社の文庫がないこと。これは八重洲ブック
センターに負けている。俳句の方は、邑書林文庫、ふらんす堂の
文庫、芸林文庫と揃っていたので、よけいに残念。
このあたりが充実してくれれば、この丸善で事足りることになる。

掘り出し物が並んでいるのは、詩歌の棚に限らず、文庫などの棚
も同様。
中公文庫、ちくま文庫、ハルキ文庫などでは、すでにほとんどの
書店の棚から消えた本も、ちらちらあったと思う。
本好きの方は、早めにのぞいてみるようオススメしたい。


[1460] 編集会議など 2004年09月22日 (水)

本日の「ビバリー昼ズ」はアシスタント・ディレクター。
春風亭昇太さんのレポートコーナーでは、上海の歌手aminが
登場。早速、現場のディレクターのカキザキがいじられている。
キャラクターが立つのは良いことである。

夜は2ヶ月ぶりに「短歌人」の編集会議。
今年はあまり、きちんと準備ができなかったので反省する。
「短歌人」というグループに所属していることが、自分には
重いことなのだと実感する。
ギョウザをお土産にもらって帰宅。
二日続けて帰宅が遅いとさすがに疲れる。


[1459] 歓送迎会 2004年09月21日 (火)

今日の「ビバリー昼ズ」は、スタジオディレクター。
東君の「若旦那まつり」は、伊吹吾郎の若旦那・伊吹康太郎さんが
出演。父親伊吹吾郎が水泳のバタフライが得意というのが印象に
残った。

夜は月島のもんじゃ屋で「ビバリー昼ズ」の歓送迎会。
松村邦洋、春風亭昇太の両氏を除いて全員が集合。
新人ディレクターのカキザキ君が、もんじゃ作りで大活躍。
新人のアルバイトkIさんが、なんと東京芸大の出身で、しかも、
琴の専攻、さらにラジオのヘビーリスナーだということがわかり
おおいに盛り上がる。


[1458] 久米宏特番 2004年09月20日 (月)

久米宏さんがラジオで復帰ということで、朝から夕方までの
ワイド番組に出演。

「ビバリー昼ズ」では、オープニングの部分で、日比谷公園
からの中継があり、30分後の正午から40分間、スタジオ
で、高田文夫さんとトークという構成。
私はサブ・ディレクターとして、久米さんに、スポンサー枠
に関して、競合商品の話題は避けてくださいと、マヌケな
説明をする役目だったが、こういうことは、当然ながら、言
わずもがなであった。


[1457] レクレドール 2004年09月19日 (日)

六時に出社。
二時間の番組の送り出しのあと、編集作業。
午後遅くまでかかってしまう。

昼食時に外出して、ローズステークスのルクレドールの
単複をPATで購入。

帰宅後、テレビを見ると、安藤勝が、きちんと差切勝ち
させてくれる。
馬券を買ったのは、一ヶ月ぶりくらいだったので、嬉しい。
本格化して、面白い馬だと思う。


[1456] 月例歌会 2004年09月18日 (土)

「短歌人」の月例歌会のため、池袋の東京芸術劇場へ行く。
前半の司会・進行を担当する。後半は高田流子さん。

勉強会は、高澤志帆さんのレポートで「小中英之の短歌」。
高澤さんは、晩年の小中英之さんに、直接、教えを受けていた
数少ない一人である。
「助詞を大切にしろ」という小中さんの言葉が胸に残る。


[1455] 談志・円蔵ふたり会 2004年09月17日 (金)

録音番組の作業を終えた後、若いディレクターのK君と日本青年館
へ向かう。
私の勤め先のOBのHさんのプロデュースで「談志・円蔵ふたり
会」がおこなわれる。
開場ぎりぎりで飛び込む。

開口一番は立川千弗の「もと犬」
続いて橘家円蔵師匠の「うなぎの幇間」
これが、円蔵健在で、言い澱むところもなく、軽快なスピード感
で、抜群に笑わせてくれた。
次が立川談志家元の「やかん」。
マクラで外国風の艶笑小噺をいくつもふり、落語チャンチャカチ
ャンで、お客をのせておいて「やかん」に入っていった。

中入をはさんで「談志・円鏡歌謡合戦」の21世紀バージョン。
1970年から1974年まで放送されていた伝説のカルト的
お笑い番組の再現。
もちろん、両師匠とも往年のスピード感は喪失しているわけで、
正直なところ、苦しい感じのものではあった。
円蔵師匠はここでは「うなぎの幇間」での軽快なナンセンスが
消えてしまい、談志家元のフリにほとんどついて行けなかった。
凄みを感じたのは談志家元が「何度か練習すれば、また、もとの
レベルくらいのものはできる」と言い切ったこと。
プロの自信というものか。

深夜に帰宅。
井口民樹著の競馬のジョッキーのドキュメンタリー『瀬戸際の勝
負師』を読み始めたら、面白くて、夜中までかかって、読み終え
てしまった。
競馬の世界の人間関係の困難をみごとにえぐりだした、意義深い
本だと思う。


[1454] 山中智恵子の秀歌ほか 2004年09月16日 (木)

「ビバリー昼ズ」は、レギュラーの清水ミチコさん出演。
今日は特に役割はないので、スタジオでADのさらに補助を
する。

「歌壇」10月号、山中智恵子の「夕蝉」という巻頭作品が抜群
に、読み応えがある。

・誰が夢精したたりてわが点滴と化す、病床のこの幻夢恋ほしも

まさに幻視者の歌としか言いようがない。まちがいなく秀歌である。

今月の「歌壇」の高野公彦、渡英子、大辻隆弘、真中朋久諸氏の
作品、どれも個性的で、読者としての私は満足することができた。

・テロで死にし三千体は青空が墓場なりけむ九月のかの日 高野公彦

・夏の川ほそく流るる橋のむかう人類に苛き晩年は来む 渡英子

・いつせいにあさがほ蒼じろく燃えて八月六日の朝は終りぬ 大辻隆弘

・台風は本土をそれてゆきにしと嬉しさうに言ふこゑは誰のものか 真中朋久

さすがに短歌専門誌の巻頭作品だと納得させてくれる。


[1453] 「短歌往来」10月号 2004年09月15日 (水)

「ビバリー昼ズ」、今日はゲストなし。
オープニングで高田さんが、昨日見た「血と骨」について、必見
の映画だと、軽快にしゃべる。

「短歌往来」10月号、中城ふみ子没後50年の特集。
座談会が、いつも以上のページを使っていて、読み応えがある。
谷川健一さんの独特の前衛短歌への思い込み発言に対して、
菱川善夫さんが、軽く反論しつつ、論をすすめていくのが面白い。
北海道新聞社から刊行になる『中城ふみ子全歌集』には、新発見
の作品がかなりたくさん収録されるというので、ぜひ、読まねば
ならない。
俵万智の新作「夏のこども」、今回もまたこどもの歌。
多少手馴れたレトリックが出てくるのは当然のことで、
詠われている世界は通俗的すぎるほどの感情にすぎない。


[1452] 血と骨 2004年09月14日 (火)

「ビバリー昼ズ」で12年ぶりにスタジオ・ディレクター
業務を行う。
なんとか、失敗せずにエンディングまでたどりつくことが
できた。

夜、高田文夫さんと一緒に崔洋一監督の「血と骨」の劇場
試写会に行く。
評判作なので、関係者及びマスコミが殺到。
すでに15分前で、満席の表示が出ている。
宣伝プロデューサーのTさんに確認すると、高田文夫さん
と他一名ということで、席はおさえてくれているとのこと。
高田さんと無事合流して、並んで座る。
文芸座の永田支配人がいらしていたので挨拶する。

「血と骨」は梁石日の自伝的小説。
開映前に崔洋一監督と梁石日両氏の挨拶があり、ともに
映画のできばえに満足しているような発言があったが
実際、完成度が高く、登場人物の存在感が圧倒的な作品と
いえるものだった。

ビートたけし、鈴木京香ともにみごとな演技。
新井浩文、田畑智子、濱田マリ、中村優子、松重豊、
みんなみごとに登場人物になりきっている。

私が見た日本映画の中でもまちがいなく上位にくる
忘れがたい一本だ。


[1451] 新社屋、二週目 2004年09月13日 (月)

「ビバリー昼ズ」、和田アキ子さんがゲスト。
ドジばなしが文句なく笑える。

しかし、昼間の番組についたものの月曜が休めなく
なってしまった。


[1450] 三連単全国発売 2004年09月12日 (日)

新しい馬券の三連単が昨日から全国発売になっている。
まだ、今週は買わずに様子をみるつもり。

朝五時出社で「イルカのミュージックハーモニー」の有楽町
で最初の生放送。
終了後、「人生相談」のダビングをT君に教えてもらう。
けっこう面倒だ。

帰宅後、競馬の三連単の配当金を見ると、やはり大荒れ。
手を出してもあたりはしなかっただろう。
時機を待つことにする。さて、どうなるか。


[1449] 三連単全国発売 2004年09月12日 (日)

新しい馬券の三連単が昨日から全国発売になっている。
まだ、今週は買わずに様子をみるつもり。

朝五時出社で「イルカのミュージックハーモニー」の有楽町
で最初の生放送。
終了後、「人生相談」のダビングをT君に教えてもらう。
けっこう面倒だ。

帰宅後、競馬の三連単の配当金を見ると、やはり大荒れ。
手を出してもあたりはしなかっただろう。
時機を待つことにする。


[1448] 青山ブックセンター 2004年09月11日 (土)

六本木へ髪をカットしてもらいに行く。
青山ブックセンターが、閉店前の洋書やDVDのバーゲンを
やっている。
いろいろ買いたい本やDVDもあったが自重する。
個性的な書店がなくなるのはやはりさびしい。


[1447] 楽写など 2004年09月10日 (金)

「ビバリー昼ズ」は、松村邦洋さんがレギュラー。

番組が終わってから林家彦いちさんが高田文夫さんに挨拶に
やってきたので、私も一緒に昼食をとる。
彦いちさんが楽屋で撮った芸人さんの写真とエッセイをあわ
せて『楽写』というタイトルの本をつくるのだそうだ。
これは面白い本になりそう。

夕方、プロ野球のストライキは今週は回避されることになる。

帰宅後、書評の原稿を書く。


[1446] プロ野球初のストライキ? 2004年09月09日 (木)

世間の注目はプロ野球が週末に初のストライキを断行する
かどうか。
結論は明日出るのだそうだ。

「ビバリー昼ズ」は清水ミチコさんがレギュラーの日。

午後から夕方にかけて初めて「人生相談」の編集をおこなう。
けっこう難しい編集になる。


[1445] 談志・円蔵二人会など 2004年09月08日 (水)

仕事のタイムスケジュールは楽になっているはずなのだが
やはり、通勤経路が変わり、番組も変わったということで
疲労がたまっているようだ。
朝、通勤する時に「まだ水曜日か」と思ってしまった。

「ビバリー昼ズ」は春風亭昇太さんのレポート・コーナーは
落語協会の事務所から橘家円蔵師匠。
17日に日本青年館でおこなわれる「談志・円蔵二人会」の
パブリシティなど。
この会で往年の「談志・円鏡歌謡合戦」が再現されることに
なっている。


[1444] 久しぶりに東西落語研鑽会 2004年09月07日 (火)

「ビバリー昼ズ」のゲストは「一夜千夜物語」のパブリシ
ティ絡みで三宅裕二さんと小倉久寛さん。

夜は久しぶりに読売ホールで「東西落語研鑽会」。
ホールまで歩いて行けるのがなにより助かる。
今夜は新作落語コンクールの入選作の発表。

桂吉弥 「テレビの神様」
柳家花禄 「猫次郎」
春風亭昇太 「身投げ橋」

やはり、特選の「身投げ橋」がナンセンス度と落語風味の
バランスがいちばんとれているが、予想以上に他の二作も
面白く聞くことができた。

審査委員は六人の会のメンバーのほかに高田文夫、宮部みゆ
きの二人。宮部みゆきさんをナマで見るのは初めて。


[1443] 新しい番組 2004年09月06日 (月)

本日より、有楽町の新社屋に通勤。
担当番組も「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」に変わる。

今日は新社屋一日目ということで、月金のレギュラーが
全員そろっての特番。
永田杏子、乾貴美子、東貴博、春風亭昇太、清水ミチコ、
松村邦洋のみなさん。

久しぶりにバラエティ番組に付き、感慨無量。


[1442] お台場から最後の放送 2004年09月05日 (日)

6時出社。
「イルカのミュージックハーモニー」、お台場から最後の放送。
社内は荷物がほとんど運び出されていて、ロッカーもからっぽ、
RPGの宝探し状態で、丹念に荷物棚やロッカーをチェックして
いくと意外なアイテムを発見できたりする。

11時半のシャトルバスで有楽町の新社屋へ向かう。
もう、レインボーブリッジを渡ることも、ほとんどないだろう。

新社屋で個人貸与パソコンを受取り、メール等の設定をしても
らう。

帰宅後、高嶋哲夫著『M8』を読了。
マグニチュード8の首都圏直下型地震が起こるというシミュレー
ション小説。会話が俗っぽいが、細部にリアリティがある。
と、思っていたら深夜に本当に地震。


[1441] 「砂の降る教室」批評会 2004年09月04日 (土)

池袋の東京芸術劇場で石川美南歌集『砂の降る教室』の批評会。
単なる批評会ではなく、若い歌人の短歌の傾向に関するパネル
ディスカッションがあり、朗読があり、さらに当該歌集の批評
のディスカッションがあり、最後に著者の石川美南へのインタ
ビューがあるというもの。
タイムテーブルをもらったときには、まず、時間どおりには進
行せず、最後には時間が足りなくなるだろうと思ったが、始ま
ってみると、なんとか収まった。

私は石川美南歌集の批評パネルディスカッションの進行役を担
当。パネリストは岡井隆、田中庸介、川野里子、穂村弘の四氏。
田中庸介氏の意見に関して、岡井隆さんがホンキになってくる
のが、となりにいて、リアルに感じられた。
内容に関しての詳細は、荻原裕幸さんの日記を読んでいただき
たい。


[1440] やすらかな金曜日 2004年09月03日 (金)

すでに荷物は有楽町の新社屋に送り終わってしまったので、
あとは日曜日の番組を無事に送出するだけ。

「ビバリー昼ズ」のパーソナリティの高田文夫さんが、今週
は夏休みなので、挨拶は月曜日にすることにする。

もう一度、日曜の番組関係のチェックをする。
午後五時前に帰宅。
史比古の誕生日なので、家族で鉄板焼きを食べる。

明日の石川美南歌集『砂の降る教室』をもう一度読み返す。


[1439] お台場カウントダウン 2004年09月02日 (木)

チーフ会で月曜日以降の新担務が発表になる。
「ラジオビバリー昼ズ」と、人生相談の担当ということになった。
「イルカのミュージックハーモニー」と「オールナイトニッポン・
エバーグリーン」はそのままなので、なんのことはない、仕事が
増えている。
午前2時過ぎに起きるという異常な状況から逃れることができた
ということだけが救いといえるが。

最後の荷物を箱詰めにして、有楽町へ送る。
これで、お台場の社屋へは、明日と日曜日と二日くるだけで、
お別れということになる。
社屋内の流水書房、オフィスタワーのグループ事務局へ、引越し
ますとの挨拶に行く。


[1438] ランスルー 2004年09月01日 (水)

昨日の日記の曜日が土曜日になっているのは火曜日の誤りです。

ということで、新機材の使い方をやはりおぼえなければ、どう
にもならないと気付き、一度、お台場へ行ったあと、T君と一
緒に、有楽町の新社屋へ行く。

録音用のスタジオで、電源の入れ方から、あらためて教えても
らう。しかし、こういう手順は、教えられながらならば、何と
なくおぼえたような気になるが、いざ、一人でやることになる
と、どこをどう間違っているのか、機械が言うことを聞いてく
れないものなのだ。

午後遅くなってから、「テリー伊藤ののってけラジオ」のスタ
ッフが、ランスルーにやってくる。
私は現時点で、まだ、新規のワイド番組の担当がないので、見
学させてもらうことにする。
曜日別のミキサーも来ているので、卓に一人居るほかに、4人
のミキサーがうしろから見て居るのは壮観である。
しかし、スタッフたちの動きを見て居ると、まだ、私もそれほ
ど遅れているわけではないと思えてきて、少し気が楽になる。

夕方7時前に新社屋を出て帰宅。


[1437] 小林信彦の四部作 2004年08月31日 (土)

9時半出社。
日曜日の番組の編集とタビングをしなければならないと
思っていたら、昨日、私が代休をとっているあいだに、
T君が終わらせてくれていた。

有楽町の新社屋で新しいスタジオ機材の使用法の練習を
しに行こうと、T君に誘われたが、今日はそういうこと
をする気分ではなかったので断る。
録音番組に立ち会ったり、だらだらと過ごす。

荷物の整理をしなければならないので、会社のロッカーに
置いておいた本の中で貴重なものを持ち帰る。
小林信彦の『東京のロビンソンクルーソー』『東京のドンキホ
ーテ』、『われわれは何故映画館にいるのか』『エルヴィスが
死んだ』の四冊。つまり、晶文社のコラム四部作である。

光文社文庫版の『回想の江戸川乱歩』の解説で、坪内祐三が、
学生時代にこの四冊を貪り読んだと書いていたが、私も同じ
だった。
久しぶりに読み返してみようと思う。


[1436] 風邪気味の代休 2004年08月30日 (月)

代休なのだが、風邪が抜けず、ふしぶしが痛い。
不快な気持ちのまま、平和島のTクリニックへ行き、点滴をして
もらう。
このクリニックの待合室に、美空ひばりの日記の単行本がある。
昭和34、35年頃の日記で、映画、実演、レコーディングなど
のスケジュールは驚異的。
正月の三日から浅草国際劇場の実演で一日四回まわしだと。
当時の芸能雑誌に連載されたものを、2001年に上下二冊にまとめ
て単行本化したもの。どういう読者を想定しているのか不明だが
資料的にはきわめて価値がある。

有楽町経由で、昼食をとって帰宅。
薬をのんですぐに昼寝。
起きるともう夕方。
江戸川乱歩の最後の長編になった『ぺてん師と空気男』を読了。
プラクティカル・ジョークを小説化しようとした意欲作品だが
刊行当時は評判が悪かったそうだ。
確かにプロットもぎくしゃくしていて、できが良いとはとても
いえない。結末も終戦後の世相を映したということかもしれない
が、ちょっと、とってつけた感じがする。

夜、台風の余波で、強い風が吹くのを気にしながら、短い原稿を
書く。


[1435] 夏の終りの雨の朝 2004年08月29日 (日)

6時出社。不愉快な雨が降っている。
金曜日から風邪気味だったのだが、今朝は身体じゅうの関節が
痛いうえに、吐き気までする。
本番中も、吐き気がしていたのだが、なんとか我慢して終了。

急いで帰宅。昼寝。
午後3時過ぎに起きたら、少しはらくになっていた。
小林信彦の『1960年代日記』読了。
ハードカバーの初出時に読んだときは気がつかなかったが、
早川書房の常盤新平に対してきわめて厳しい批判が書いてある。
「編集者としては最低だ」という記述まであるのだから、やはり
よほどのことがあったのだろうか。1箇所「エッセイの文章を
なおしてくれ」と言われ、その言いかたのイヤミさにカチンと
きたというエピソードは記述されているが、そのほかにも色々
とトラブルがあったのかもしれない。
現在の作家の常盤新平のイメージは感じの良い知識人というもの
だから、常盤新平がそのご改心したのだろうか。

また、立川談志と喫茶店で長時間雑談という記述がある。
現在の小林信彦が談志家元にはとても批判的なことを考えると
ここにも、何か語られざるトラブルがあったのかもしれない。

1962年5月19日の項目にこの年に結婚した美空ひばりと小林旭の
相聞歌というのが写してある。

・我が胸に人の知らざる泉ありつぶてを投げて乱したる君
・石を持ち投げてみつめん水の面音たかき波たつやたたずや

上が美空ひばり、下が小林旭の歌ということになっている。
昨日の俵万知の短歌を思い出してうんざりという気分。

この日記に綴られているのは1960年代の軽文化人や芸能人の
動向と、その喧騒の日々の中で純文学を志向する小林信彦という
表現者の葛藤である。
これからも、おりにふれて読み返すことになるだろう。


[1434] 自己嫌悪は終わらない 2004年08月28日 (土)

雨模様の土曜日。
昼過ぎから如水会館へ行く。
「短歌研究」のために、穂村弘さん、永田紅さんと鼎談をするため。
テーマは「俵万智以前、以後、何が変わったか、変わらなかったか」
というもの。
永田紅さんとは初対面。
思っていた以上に、人当たりのよいやわらかな印象の女性だ。
俵万智について語ると、批判しても擁護しても、きわめて歌壇的
な発言になってしまう。途中でそのことに気づき、発言のトーン
が弱くなってしまったる編集部に迷惑をかけてしまったと思う。
解散後も強烈な自己嫌悪にさいなまれる。

いただいた「お車代」で、小学館文庫の中上健次選集を少しまと
めて購入する。
夜、『回想の江戸川乱歩』と阿佐田哲也名義の最後の長編になる
『ヤバ市ヤバ町雀鬼伝2』を読了。
小林信彦、色川武大(阿佐田哲也)ともに編集者出身の作家であ
り、大衆娯楽への鋭い批評眼をもちつつ、純文学への希求を持続
し続けた作家であるところに私の興味はある。
色川武大の「離婚」と小林信彦の「唐獅子株式会社」が同時に
直木賞の候補になったというのも、面白い偶然といえる。

あっという間に二冊の本を読み終ってしまったので、こんどは
小林信彦の『1960年代日記』をちくま文庫版で再読すること
にする。


[1433] 最終回 2004年08月27日 (金)

「桜庭亮平の朝刊フジ」最終回。
来週の月曜日からは「塚越孝の朝刊フジ」になる。
朝4時半過ぎに出社してスタジオに行くと、すでにニッポン放送
プロジェクトの「おはようリビング」担当者が全員来ている。
花はプロジェクトとコロンビアとテイチクレコードから。

構成作家の小西君にエンディングで桜庭激励の川柳を一句つくっ
て、読んでくれと言われあわてて考える。
去年の九月まで番組のアシスタントだった廣田みゆきさんと一緒
にスタジオに入り、川柳読み上げ及び廣田さんからのあんぱん贈
呈で、無事に最終回も終了。

そのあと23階の会議室にうつって、簡単なオツカレサマの乾杯。

午後、一度帰宅してシャワーを浴びたあと、夜6時半から、四谷
3丁目の唐人凧というしゃぶしゃぶ屋でのウチアゲに向う。
ちょっと風邪気味のため、身体がだるい。
四谷3丁目に二十分くらい早くついてしまったので、本屋で、
光文社文庫版の小林信彦の『回想の江戸川乱歩』を買う。
ウチアゲは男ばかり12人。8時半に解散。

『回想の江戸川乱歩』の中の小林信と小林泰彦の対談を地下鉄の
中で読みながら帰宅。
「ヒッチコックマガジン」の広告を地下鉄の中吊りでおこなおう
という意見に対して、乱歩が
「地下鉄というのは左官や大工が乗るものだろう」
といったというのは笑える。
それに対して城昌幸が
「いや、乱歩さん、今の地下鉄はインテリが乗ってるんですよ」
と説明したというのは、もっと笑える。



[1432] 最後の2時起きのはず 2004年08月26日 (木)

2時ぴったりに目が覚める。
この時間に番組のために起きるのは今日が最後の予定。
明日も番組には行くが、最終回のオツカレサマということで
5時前に行くので、本当のディレクター業務の早出は、これが
最後のはず。というか、そうしてほしい。

今日のゲストは山田邦子さん。
この時間に山田邦子クラスのゲストが生出演してくれることは
たいへん珍しい。
この彼女のゲスト出演にもいろいろいきさつがあった。
生出演のスケジュール自体はプロダクションから早めにもらって
いたのだが、オリンピックの野球で、日本が決勝に勝ち進むと
番組の時間にアテネからの生中継が食い込み、せっかく来てもら
っても、番組が短縮になったり、番組自体が休止になってしまう
可能性もあった。
そこで、日本がカナダに勝った場合は、生出演は中止して、電話
でのナマまたは録音して金曜日に放送、という具合にいくつかの
代案を考えていたわけだ。
結局、日本がカナダに負けてしまったので、こちらとしては、
ことなきをえたというわけなのであった。
長嶋ジャパンの奮戦のウラには、たとえば、こんな事情もあった
ということは、まあ、関係者以外には何の意味もないだろう。

というわけで実現した山田邦子の生出演は期待どおり面白かった。

チーフ会後、昨日の録音テープの若干の編集をして、そのあと
社を出て、「俳句」を買いに八重洲ブックセンターへと行く。
「現代詩手帖 特集 春日井建の世界」を購入。
春日井建の追悼特集号が、思潮社から出るというのは予想外だっ
たが、うれしいことではある。
斎藤慎爾、水原紫苑両氏の責任編集で、執筆者の顔ぶれも、目く
ばりがきいている。
再録原稿の各氏の春日井建論には資料的価値がある。
保存版として、しばしば読み返すことになるだろう。


[1431] あさみちゆきという歌手 2004年08月25日 (水)

早出。
今日のゲストは、あさみちゆきさん。
「あさみ」までが苗字で「ちゆき」が名前。
ギターの弾語りをする女性歌手。
この人の良いところは、むかしのフォークソングから歌謡曲の
匂いが濃厚にするところ。
まもなくシングルカットして発売される「井の頭線」という歌
は、「永福町で急行に乗り換える」とか「下北沢の古道具屋で
風鈴を買う」とか、七〇年代貧乏フォークさながらのシチュエ
ーションで、しんみりとおとなの心にしみてくる。
このカップリング曲か「ちゆきの夢は夜ひらく」なのだから、
藤圭子の血も引き継いでいるわけだ。
もともと、井の頭公園で、ギターひとつの路上ライブをおこな
っていたところから、プロとしてデビューした歌手なので、ス
トリートミュージシャンという範疇に入るのだが、いま、あち
こちの駅前で、わんわん騒いでいる若い連中の自己満足な歌や
演奏とは一味ちがい、歌に芯が確かに存在している。
ワイドショーでも、井の頭公園ライブの様子が何回かとりあげ
られている。そのライブのお客がほとんど四十代以上というの
もすごいと思う。やはり、現在の時代の中で、おとなをひきつ
ける表現力が彼女にはある。

生放送終了後、一服する暇もなく、午後の録音準備。
9時半に社を出て、新橋の塩川正十郎事務所に行って、番組終了
の挨拶と、最終回の金曜日にながすためのコメントの収録。
そのまま、有楽町の新社屋へ行って、すでにスタジオだけ使える
ようになっているので、午後5時過ぎまでかかって、2時間番組
2本分の録音。
再びお台場の社にもとったのが6時過ぎ。
またまた15時間労働になってしまった。

帰宅前に、デックスの小香港にあるマーボ豆腐屋でゲキからマーボ
を食べていたら、あとから赤井三尋さんが入ってくる。
彼も単身赴任なので、夕食はほとんど外食らしい。
来月の「小説現代」に新作短篇を発表とのこと。
一日三枚から四枚ずつ毎晩帰宅後に書くのだそうだ。
この集中力には脱帽する。

8時過ぎに疲労困憊して帰宅。10時前には眠っていた。


[1430] 最後の1週間 2004年08月24日 (火)

早出。
オリンピック情報が最初に入る番組なので、録音素材をたくさん
用意しなければならない。
今週は番組の最後の週なので、火水木とゲストが入る。
今日のゲストは沖縄出身の歌手の普天間かおり。
「祈り」という新曲は、反戦のメッセージソングで、私の世代
には、心ひかれるものだ。

放送終了後、新しい送出・編集機器の練習をする。

あと三日で早出が終わるが、とにかく胸突き八丁で体力的には
きわめてきつい。
バテないようにしなければならない。


[1429] 河内音頭・江州音頭 2004年08月23日 (月)

日曜日の代休。

昨日からずっと短歌をつくっている。
12首の群作なのだが、苦吟難吟である。

ラジオで「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」を聞いていると
大西ゆかりがゲストに来ていて、音頭の特集をやるとのこと。
河内音頭の新聞読みや江州音頭のレコードがばんばんかかって
いる。鉄砲光三郎を昭和四十年代に、うめだ花月で見たことな
ど、なつかしく思い出す。
関ジャニ8のデビュー曲「浪花いろは節」の「エンヤコラセー
のドッコイセ」という掛け声は、河内音頭のものである。
もちろんこんなことは関西出身の人には自明の理だろうが。

午後になって、やっと短歌12首がきちんとまとまる。
「王国の秋」というタイトルにした。
短歌に対しては誠実で、潔癖であろうと心に誓う。


[1428] 短歌のトラップ 2004年08月22日 (日)

朝6時出社。
正午過ぎに帰宅。
午後から夜にかけてだらだらと短篇小説を読む。
大江健三郎の「不意の唖」「戦いの今日」、坂口安吾「白痴」
「青鬼の褌を洗う女」「わたしは海を抱きしめていたい」等。

ところで、短歌のトリップということを考えた。
実は何も書けていないのに、何かを書き得たと自己満足してしま
う人が多いのは、やはり、短歌の定型のリズム感が、擬制の自足
をもたらすからだろう。
同じようなことを荻原裕幸さんが、「短歌ヴァーサス」のサイト
のエッセイに書いていたので、その部分を引用する。

「短歌に惹かれた大きな理由は(同時に大きな誤解でもあったの
 だが)、定型という制約が、作品に完成感をもたらしてくれる
 と思ったからだったのだ」(荻原裕幸)

「筆名考」というエッセイの一部分。
このまやかしの完成感に気づかなければ、やはり、短歌を書いた
ことにはならない。私自身もこのことに気づくまで数年かかって
いる。そのためには、先行するすぐれた短歌をたくさん読み、
韻律について、定型について、考えぬくことだ。


[1427] 短歌研究新人賞など 2004年08月21日 (土)

朝8時くらいまで寝ているつもりだったのに、6時に目が覚めて
しまったので、ずっと読みかけのままほおっておいた小島政二郎
の『眼中の人』を読み始めたら、読み終ってしまった。
長編小説というより長い思い出話のような書き方なのだが、結局、
これが小島政二郎の小説作法なのだろう。
何より、芥川龍之介や菊池寛と同時代人で、その中の誰よりも
長生きしたということも、一つの価値ということか。
面白い部分としては、奥さんが妊娠していて、自分が家事をしな
ければならなくなって、小島政二郎は商家の息子なので、家事の
手伝いをしつけられており、「因果なことに私は家事が上手いの
であった」と書いているところ。まるで、落語の「寝床」で、番
頭さんが「因果なことに私は丈夫で」と言って、主人に怒られる
場面を想起させる。小島政二郎は『園朝』という長編小説も書い
ているし、講談師の神田伯龍とも親しかったくらいだから、「寝
床」のセリフは当然、意識していたのかもしれない。

午後になって「短歌研究」が来たので、短歌研究新人賞の発表の
記事を読む。
受賞作にも選評にも、はっきりいって、納得がいかない。
林和清や高島裕が受賞できなかったこの賞をこれくらいの作品が
とってしまうのでは、私は不満だと言わざるをえない。

・この先は断崖 声を涸らしつつ叫ぶよ何をたとえば 愛を

一つだけ例をあげてみる。
受賞作品の中の一首だが、「叫ぶ」と「愛」を組み合わせるのは
少なくとも今年は絶対に避けなければならないのではないか。
選評の中で岡井隆氏も指摘しているが、『世界の中心で愛を叫ぶ』
がベストセラーになり、映画にもなっている状況の中で、こうい
う構造の作品をパロディではないかたちで書いてしまう意識の凡
庸さ、潔癖感のなさに、私は耐え難い。
百歩ゆずって「ぶよ何をたとえば」までは受け入れたとしても、
結句に絶対に置いてはいけない言葉が「愛」ではないのか。


[1426] 新橋演舞場 2004年08月20日 (金)

ディレクターのT君と一緒に新橋演舞場で舟木一夫特別公演の
司会をしている玉置宏さんのところへ楽屋見舞にうかがう。
一ヶ月公演で、しかも、昼の部、夜の部と二回公演がほとんど
なのに、玉置さんはきわめてお元気だった。
7月29日に国際フォーラムで昼夜二回開催された「平凡アワー」
のお話などうかがう。

そのあと有楽町線で銀座一丁目から飯田橋まで乗って、駄句駄句
会に出席。
今日の題は「稲妻」と「オリンピックいっさい」。

・稲妻は雷鳴のない音楽会  風眠
・長嶋ジャパン負ければ中畑ジャパンかな  風眠

どちらも風眠さんの作品。
私は「場」の空気を読みそこない、惨敗。初めてのビリ。
その後、喫茶店で例によって、演芸界の裏情報をおしえて
もらう。

帰宅後、リブリエで読み続けていた横山秀夫の短篇集『動機』を
読み終る。
松本清張賞を受賞した表題作品、面白く読めはしたのだが、最後の
動機の部分で、ちょっと作り過ぎかな、という気がした。
他の「逆転の夏」「密室の人」ともに、登場人物の心理はリアリテ
ィがあってうまいのだけれど、犯行の部分になると、やはり、偶然
に頼り過ぎていたり、釈然としない。
いちばん面白かったのは地方新聞の女性記者の心理的葛藤を緻密
に描写した「ネタ元」という作品だった。
新聞社や警察の中のセクショナリズムや人間関係の軋轢を書かせ
ると、やはり、この作者は抜群に巧い。
『クライマーズ・ハイ』も父と子の主題よりも、新聞社内の人間
描写のほうが圧倒的に勝っていると思った。

続いて同じく横山秀夫の短篇集の『陰の季節』を読みはじめる。


[1425] 気力の衰え 2004年08月19日 (木)

早出が今日を入れて、あと四回になった。
しかし、先が見えると気力が衰えるのか、起きるのがつらい。
今日も出社すると、オリンピックのメダル情報で社内が騒然と
している。

メールマガジンの「夕刊プロレス」の発行者の桃太郎さんが
「ナベツネがモンスター軍総統の格好をすれば似合うだろう」と
書いていたので大笑いした。
まったく、日本でいちばんあの異様な格好が似合うヒールはナベ
ツネだろう。
葉巻をくわえた姿が東京ドームのビジョンに映り、
「無礼者め!このチキンども!」と怒鳴ったら、野球の人気は
一気に回復するにちがいない。

「題詠マラソン」にようやく作品を出し始めることができた。
そのために、掲示板の作品をよく読むようになったのだが、
やはり、先人のすぐれた短歌を読むことなく、自足のためだけに
書いている人がたくさん居るのだなあ、との思いを強める。
もちろん、これがきっかけで、たくさんのすぐれた短歌を読み
短歌の真の素晴らしさを知ってくれればよいのだけれど。


[1424] 炎天と睡眠不足 2004年08月18日 (水)

午前3時に起きて、報道部に行って本番の準備。
今日はぎりぎりまで野球中継をやっているので、時報前の
1分20秒でスタジオにスタッフが入れ替わるという離れ業。
しかも、オリンピック関連の素材テープがたくさんある。

なんとか失策なく生放送は終了。
今日は急いで帰宅。
二時間仮眠してまた出社。
外は炎天。身体が焼けそうに感じる。
会議二時間。
そのあと、明日の準備を二時間ほどかけておこなって
午後6時前に再び帰宅。

三田誠広の文学時評『新しい書き手はどこにいるか』を
読み始める。
「アイコ16歳」が「文藝」の新人賞をとったあたりの
時評なので、その時期の新人たちの動向がわかる。
宮本輝がこの時期はまだ新人扱いなのも面白い。

明日、もう一日早出。
正直、精神的にはうんざり。
体力的にはげんなり。
こういう状況は私だけではなく、オリンピック・シフトで
報道部もスポーツ部も編成部も何人かは必ず泊まっているの
で、倒れる者がいつ出ても不思議ではない。


[1423] クーラーの効きすぎる部屋 2004年08月17日 (火)

早出。
生放送終了後、二時間の番組のタビング作業。
そのあと、録音番組の立会い。
夕方一度帰宅。
シャワーを浴び、一服したあと再度出社。
今夜は宿直なので会社に泊まらなければならない。
会社の宿直室はクーラーが効きすぎていて、しかも、
温度設定ができない。
ここに泊まるとみんな風邪をひくことになっている。

安部譲二が田淵や江夏と対談している本を読了。
阪神を中心にしたプロ野球の世界のウラ事情が
あけすけに語られているすごい本であった。
江夏が昭和48年の10月、阪神の首脳陣から、
「ウチは優勝する必要がないんだ」と言われて、暗に「負
けろ」と示唆されたのは、やはり、本当らしい。
そういう世界なのだ。

殊能将之の石動戯作モノの新作『キマイラの新しい城』も
読了。まあ、あいかわらず才気がほとばしっている。


[1422] あたいの夏休み 2004年08月16日 (月)

昨日の項目が8月16日(月)になっているのに気づいた。
「「文学界」9月号」という題の日記の正しい日付は8月15日
日曜日です。

ということで、今日、月曜日は休み。
ネットで格闘技関係のニュースをチェックするとプライドでは
小川がヒョードルに54秒で負けて、G1は天山が二連覇して
いた。
小川の敗退は残念だが、天山の二連覇は純プロレス好きの私と
してはよろこばしい。

中島みゆきに「あたいの夏休み」という歌があり、「やっと三日
もらえる夏休み」という歌詞があるが、私の勤め先の現状では、
夏休みどころか、週休一日さえあやういところだ。

昨日のモブ・ノリオのインタビューで「他人には嫉妬しないと決め
ている」という印象的な言葉があった。
私もそうありたいものだ。

また明日から早出の三連投だが、今週と来週でこの早出も終わる
ことになった。
精神的には終わりが見えたので楽にはなったが、肉体的にはやは
り楽ではない。

三田誠広と岳真也と笹倉明が作家生活や小説のあれこれについて
語り合っている『大鼎談』という十年ほど前の本を読んでいる。
ここのところ、三田誠広の本を読んでいて、三田が如何に文学に
対して誠実であろうとしているか、ということがよくわかった。
やはり、読まず嫌いはいけない。


[1421] 「文学界」9月号 2004年08月16日 (月)

夜中に雨が降った。
朝5時に家を出るときは、まだ、雨が強く降っていた。

今日はマリナーズ対ヤンキースの生中継があって、「イルカの
ミュージックハーモニー」は8時から9時まで、一時間の生放送。
放送終了後、さらに、録音作業もある。

午後2時前に帰宅。
りんかい線はコミケのお客であいかわらず混んでいる。

競馬中継を見たあと、自転車で東陽町へ行き「文学界」9月号を
購入。
モブ・ノリオの芥川賞受賞後第一作「ダウナー大学」とインタビ
ューが掲載されている。
インタビューは単なる奈良県出身のヤンキーのお兄ちゃんという
感じで、作家という雰囲気はまったくない。
筒井康隆ファンクラブに入っていて「夜を走る」とか「ふたりの
印度人」が好き、というのは好感がもてる。
大阪芸大の卒論として書いた小説の題名が「井伏鱒二はアンドロイ
ドの夢を見るか」だというから笑える。いずこも同じ、だ。

小説の「ダウナー大学」を読み始めるが、あいかわらず読みにくい
文体をわざとつくっている。これも面白い。


[1420] 集中力 2004年08月14日 (土)

八月に入ってからずっと集中力が途切れている。
やはり、心の中に現状をやり過ごしさえすれば良いとの、退嬰的
な思いが大きいからだろう。

集中力を発揮できるかどうか、短歌をつくる。
遠山陽子さんの個人誌「弦」に載せていただく、三橋敏雄俳句
から、それによって刺激された想像力で短歌をつくるという試み。
昼間ずっと考えぬき、夜になってなんとか十首の作品をまとめる。

そのあとで、三田誠広の小説教室三部作の最後の一冊にあたる
『書く前に読もう超明解文学史』を読みつづける。
こちらは、日本の戦後の文学史の三田流の解釈。
三田誠広は日本の戦後の作家では、大江健三郎と中上健次を
両横綱と考えているということがよくわかる。
確かにタイトルどおり、明解にアタマに入る。
作品をつくって集中力が出たからかもしれない。


[1419] 小説作法と音源再生機 2004年08月13日 (金)

朝七時過ぎに一度出社。
オールナイトニッポンエバーグリーンの関連の作業をしたあと
素早く帰宅。

昼間は「短歌人」の10月号の原稿の整理。
そのあと三田誠広の『深くておいしい小説の書き方』を読了。
ドストエフスキーの『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』を
例にあげて、小説をつくりあげる上での根幹から、実作者しか
気づかない文章作法上のコツまで、こまかく解説した本。
小説作法の本としては、きわめてわかりやすい、身になる本だと
いえる。

夕方5時前に再度出社。
ビッグサイトでコミケをやっているので、新木場駅がすごい混雑。
ともかく会社に到着。
ナベツネの巨人軍オーナー辞任の一報で、社内が騒然としている。

午後6時から、新社屋で使用するトリガーという音源再生機と
MOの再生・編集機の使い方の講習。
結局、ほぼ4時間。10時前に終了し、11時前に帰宅。


[1418] 天気が好い日は小説を書こう 2004年08月12日 (木)

早出。
女子サッカーが予選リーグでスウエーデンに勝ったので、
早朝から社内が沸き立っている感じだ。
さすがに三日目ともなるとアタマがボーっとしている。
午前中、新しい編集機の使い方を教えてもらっている最中に
オープンリールのテープを操作ミスでちぎってしまった。
本番中だったらたいへんなことになるところだ。

正午過ぎに帰宅。
昼寝をしたあと、三田誠広著『天気の好い日は小説を書こう』を
読了。
早稲田大学文学部文芸科の講義を本にまとめたもの。
上記の学科は私の卒業した学科であるが、もちろん、そのころは
三田誠広は講師はしていなかった。

内容は小説に関する基本的な考え方と心構えといったもの。
言われて気がつくというか、コロンブスの卵的な指摘がたくさん
あり、私としては、かなり役にたった。
このシリーズはあと二冊出ているので、続けて読むつもり。
小説を書きたいと宣言してから、ハウトゥー本を読んでいる
わけだが、ホンキになって読むと、けっこう良い事が書いてある
ということか。


[1417] クライマーズ・ハイ 2004年08月11日 (水)

早出。
雑事をこなし、正午から2時間の会議に出て、3時過ぎに帰宅。

リブリエで一ヶ月くらい読み続けていた横山秀夫の『クライマー
ズ・ハイ』を読み終る。
リブリエで長編を読了したのははじめてだが、これで、じゅうぶ
んに、読書端末として使えることがわかった。

『クライマーズ・ハイ』は群馬の地方新聞社を舞台にして、一九八
五年八月十二日におこった日航ジャンボ機墜落事件とそれに関わる
新聞記者たちのさまざまな心理的、物理的活動と苦悩を活写した作
品。
地方新聞社にとって、県内で起こった事件かどうかで、事件に対す
る姿勢がまったく異なること、また、記者は自分の現役時代にどの
ような大事件に接したかで、プライドが形成されてしまうというよ
うなことが、元新聞記者の横山秀夫ならではの筆でリアルに書かれ
ている。
また、新聞社の中の編集と販売や広告営業との対立なども、こまか
く描写されている。
つまり、ミステリというより新聞社を舞台にした社会小説だという
感じがする。
私は昨年、新聞社の販売局出身の人とデスクを並べていた時期があ
るので、新聞販売ならではの苦労や、販売側から見た編集の横暴な
ども聞いたので、新聞社内部の販売・営業と編集局との対立は永遠
のジレンマなのだろうと思わざるをえない。

ということで、日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落してから19年目
の夏、私は『クライマーズ・ハイ』を読んだということだ。


[1416] 日本怪死人列伝 2004年08月10日 (火)

早出。
午後から日曜の番組の打合せがあるので、帰らずに、そのまま雑事
をこなす。
暑くて眠りにくいので、昨夜から今朝にかけて、2時間くらいウト
ウトしただけ。
やはり体調の維持に努める事が必要だ。

午後3時過ぎに帰宅。夕方まで仮眠。

夜、阿部譲二著『日本怪死人列伝』読了。
下山事件から、田宮二郎や尾崎豊や日航ジャンボ機まで、決着が
不分明な死亡事件に関して、事実を列記し、著者の独自の推論を
展開した本。
やはり、覚醒剤関連のデテールや銃器、刃物の扱い方などの部分
には、圧倒的な説得力がある。

寝苦しい夜は続くが、また、ムリにでも眠らなければならない。


[1415] 有楽町の暑い午後 2004年08月09日 (月)

有楽町の新スタジオの使い方の研修に行く。
フルデジタルの調整卓ということで、ミキサーをふくめて
ほとんどのスタッフが、初めて使う機器になる。
実際、説明を聞いただけではわからないというのがホンネ。

終った後、酷暑の街を歩き、千代田線日比谷駅から明治神宮
前駅へ行き、ブックオフ原宿店へ。
先週、目をつけておいた岩波文庫のほとんどは売れてしまっ
ていた。品物の回転が、門前仲町あたりよりよほど速い。
一時間くらいかけて、店内をじっくり見回り、爆笑問題の
『死のサイズ』上下など数冊を購入。

再び灼熱の太陽に照らされる街を歩いて帰宅。

短歌で個性的な文体をつくりあげる第一歩として、オノマ
トペや「君」といった安易な二人称代名詞を使わないとい
うことをおすすめしたい。
若い女性なら、この二種類の表現を使わないだけでも、かな
り他人とは異なったイメージの歌ができるはずだ。
類型的な表現で詩歌が書けたと思い込むのは勘違い。

また、明日から三日間の早出が始まる。うんざりだ。


[1414] 文体は世界を認識する方法である 2004年08月08日 (日)

朝6時に出社。
午後1時前に帰宅。
今日は再出社する必要がない。

短歌に限らず、小説でも俳句でも川柳でも現代詩でも
創作しようとするものは、最低限そのジャンルの優れた先行作品
は、読んでおくべきだろうと思う。
何も読まなければ、何も学ぶことはできない。
何に影響を受けたかで、その人の作品の領域が良い意味でも
悪い意味でも、限定されてしまうことがある。
ただし、先行者の作品を摂取していない者は、結局、狭い空間で
自己充足するだけで終わってしまう。しかも、自分自身、それに
気がつくことはない。
自費出版系の出版社、たとえば近代文芸社とか新風社とかから
ときおり、歌集と称する本がおくられてくるが、おおむね、そ
のような自己充足的な五七五七七が並んでいるだけである。

短歌や俳句は、それらしいものができたと勘違いしている人が
きわめて多いジャンルなのだと思う。
最近は小説でも、そういう人達がどんどん本を出しているらしい。

今期の芥川賞受賞作のモブ・ノリオの「介護入門」は、小説にお
ける文体のオリジナリティというものを実感させてくれる快作だ
と思う。
ひぐらしひなつさんの歌集批評会で、大辻隆弘さんが「文体は
世界を認識する方法」だと発言し、私はとても共感したのだが
短歌の文体は、小説の文体よりも個性を出すのは困難だが、それ
に挑まなければ、やはり、この時代に短歌を選ぶ意味はない。


[1413] ひぐらしひなつさんの歌集批評会 2004年08月07日 (土)

文京シビックホールの会議室でひぐらしひなつさんの歌集
『きりんのうた。』の批評会があった。
私はパネリストとして、江戸雪さん、東直子さん、斉藤斎藤さん
とともに出席。司会進行は荻原裕幸さん。

『きりんのうた。』で私が心魅かれた作品は下記のとおり。

空を点滅しつつ飛行機は北へ(そう、もっと冷たく燃える)

ティールームはあかるい虚無に包まれて手を取りあえばあふれる空虚

暗闇へコイン落とせば乾燥機まわりはじめる さよなら昨日

読みかけの新潮文庫を閉じるときあのはつなつの開脚前転

窓際にゆるく西陽をうるませて山椒魚の片割れが死ぬ

金魚きんぎょ さざめきながらあの路地を曲がればいつも会えたひ
とたち

寝返りを打ったあなたのこめかみを(ゆらめく波だ)ニュースが照らす

絶滅危惧種ばかりを追ってさまよえば図書室にいま満ちる月光

夜の河に金魚を放つ今つけたばかりの名前をささやきながら

蠍座の心臓が燃え尽きるまで見ていてあげる まわれ映写機

廃校の桜は満開 何ひとつ言えないままで赦されていた

廃線の途切れるところ死にたての蝉が冷えゆくまでを見ていた

肩に手を置かれたままで読みさしのボリス・ヴィアンが風に捲れる

朽ち果てたバスの座席のひだまりで抱きあうシャツの背中よごして

駅裏の放置自転車つぎつぎに倒れはじめてパレードが来る

十二月、誰にも知られないように肺腑の裡に百合を育てた

雨は降りつづく医院の中庭のモノクロームの紫陽花の蔭

つなぐべき手はポケットに入れたままこの世の終わりと思う夕焼け

かなわない約束をするさよならはやさしく手渡された無精卵

しっとりと汗ばんで地に沈みゆくサラブレッドのように終わって

暗がりがしずかに寄せて水飴の壜もあやめも溺れてしまう

せつない青春歌集である。
青春歌集を持ちえたこと自体、歌人として幸運なことなのだと思う。
寺山修司『空には本』、春日井建『未青年』、小池光『バルサの
翼』と、すぐれた青春歌集をもちえた歌人の名をならべるだけで
彼らが短歌に選ばれた歌人だということがわかる


[1412] 会議と会議の間 2004年08月06日 (金)

10時に出社。
11時からアテネオリンピックの報道体制の説明の会議。
朝5時はアテネの午後11時にあたるので、その日一日の結果が
どっと入ってくることになるらしい。
アテネのインフラ整備が悪く、マスコミ各社とも苦労しているらしい。

このあと午後6時からの制作部会まで、絶対にやらなければなら
ないということはない。
実はまたブックオフの原宿店に行こうと思っていたのだが、あま
りの外の暑さに断念してしまう。

午後6時から社屋移転にともなう新スタジオ及び新放送機材の説
明がある。
しかし、機材というものはマニュアルだけ見ていてもわからない。
実際に現場でさわることが必要という結論で、ディレクター全員
が不安をかかえたまま会議は解散。

帰宅すると「塔」の1954年1月号から12月号までの復刻合本
が届いている。
これはきわめて貴重な資料になる。
かつて創刊号の復刻は「未来」や「潮音」がおこなったことがあるが
創刊年の雑誌をすべて復刻という例はないのではないか。
企画力というより実行力の勝利といえる。
じっくり読むのがとても楽しみだ。


[1411] リブリエ交換 2004年08月05日 (木)

早出。
三日連続するとさすがにつらい。
そういえば、落語の会にもぜんぜん行っていない今日このごろだ。

昨日、リブリエが壊れて、画面の右端と上部が1センチ幅くらいで
黒く焼けたようになり、その部分がまったく見えないという状態
になってしまったのだ。
横山秀雄の『クライマーズ・ハイ』を読んでいるところだったの
で、なんとかしなければならない。
保証書があるのを確認して、購入したキムラヤ新橋烏森店に電話
をすると、すぐに持って来てくれとのこと。
持って行くと、ちょっとチェックして「交換しましょう」と言う。
そして、いきなり、その場で新品の箱をあけて、設定をしなおして
それをくれた。
修理してもらうつもりだったのに、まるまる新品に交換してくれる
とはラッキーだったのか、最近ではこういうことも量販店では、あ
たりまえなのか、とにかく不愉快な思いをせずに、現状回復ができ
て良かった。

そのまま、池袋へ行き、ぽえむぱろうるとジュンク堂を覗く。
笹公人歌集『念力家族』を売っていないかと思って探しに行った
のだが、どちらにも無かった。ザンネン!
替りに「ユリイカ」8月号と創元推理文庫のコナン・ドイル傑作集
『まだらの紐』を購入。
「ユリイカ」の特集は「文学賞AtoZ」というもので、現在の
文学の世界の賞の現状及び課題の忌憚のない考察、ということで
きわめて私にとっては興味深い企画だった。
豊崎由美と大森望の『文学賞メッタ斬り』が売れたことがきっかけ
になって、こういう企画が組まれたようだ。
小説だけに限らず(ユリイカだから詩人の書き手も少し入ってい
る)詩歌の賞に関しても、誰かに執筆してほしかった。
いちおうアンケートで枡野浩一さんが原稿を寄せているが、例の
最高点でありながら受賞できなかったという話は、賞の現状の一
例であって、もっと病巣は深いのだから。




[1410] イッツ・オンリー・トーク 2004年08月04日 (水)

早出。
生放送終了後、明日の準備をすまして一度帰宅。
正午前に再度出社。
強烈な太陽の光に灼かれる神経を思う。

昨日、アマゾンから届いた絲山秋子の『イッツ・オンリー・トーク』
を読み始める。
昨年の文学界新人賞受賞の表題作と「第七障害」という短篇の2
作品を収録した著者のはじめての作品集。
「イッツ・オンリー・トーク」は、蒲田に引っ越してきたヒロイン
の画家の一人称小説で、さまざまな個性をもった男たちが、ヒロイ
ンの前に登場し、関係をもって去って行く。そこにまったくイヤミ
がないのが、文章の力なのだろう。
ヒロインがやたらに車に乗って移動するのも個性の一つと言えよう。
イッツ・オンリー・トーク=すべてがムダ話。
コロンブスの卵をうまくつかまえた小説だ。

「第七障害」の方は、乗馬クラブで人馬転倒によって、ゴッドヒップ
という愛馬を殺してしまった女性の心の傷が、何によって癒される
かという、まあ、よくあるパターンの小説。傍役の書き込みが的確
なので、飽きさせないが、ラストできわめて素朴なラブストーリー
的展開(「ロッキー」みたいな)になったので意表をつかれた。
まあ、「イッツ・オンリー・トーク」の方が、ずっと上出来の
作品だ。


[1409] 暑く長い午後 2004年08月03日 (火)

早出。
生放送終了後、MOの編集。
これが昼過ぎまでかかってしまい、午後は録音番組の立会い。
もっと早く帰るつもりだったのだが、結局、午後になってしま
った。こういう時間の過ごし方が体調を崩すもととなる。
斎藤安弘さんとフジパシフィック音楽出版の川口さんと一緒に
社屋のビルの18階にあるレストランDAIBAで、遅い昼食。

櫂未知子さんが、「すぐれた句集とは、それを読むことによって
読み手にも、俳句をつくりたいとの刺激をくれる」と書いていら
したが、これはまったく同感で、『田園に死す』や『未青年』が
私にとってはまぎれもなくそういう刺激を強烈をくれる歌集だっ
た。そんな刺激とどれだけ出会えるかも、実は表現者としての才
能のうちなのかもしれない。

暑く長い午後の日差しの中を帰宅。


[1408] 原宿のブックオフ 2004年08月02日 (月)

歌手の山本譲二さんのインタビューをとりにテイチクの本社へ
行く。
あいかわらずの酷暑。
テイチクは神宮前にあるので、千代田線の明治神宮前で降りて
そこから徒歩五分。
インタビューはLとRのマイクを2本使って録音したのだが
レベル調整がやはり巧くいっていなかった。
話の内容はサイキックなものでかなり面白かった。

終了後、初めて、明治通沿いにあるブックオフ原宿店に行く。
やはり、門前仲町店や葛西店あたりとは本の種類、数ともに
規模がちがう。
岩波文庫の『露伴随筆集』上下とちくま文庫の豊浦志朗著の
『叛アメリカ史』を購入。
この豊浦志朗というのは船戸与一のむかしの筆名。
アメリカが現在のアメリカになるまでに如何にインディアンや
黒人や各国の移民やベトナム人の叛乱にてこずり、それを非情
な方法で弾圧してきたかということを綴った貴重な一巻。
ずっと探していた本なので嬉しかった。


[1407] 朝から夜中まで 2004年08月01日 (日)

朝6時出社。
2時間の放送を終えて帰宅。
原稿を書く。
夜、8時過ぎに再度出社。
オールナイトニッポンエバーグリーン増刊号の生放送。
明日、取材があるので、午前3時前に帰らせてもらう。


[1406] 永井龍男から滝沢亘 2004年07月31日 (土)

今日は休み。

午前中は永井龍男の短篇集を読んで過ごす。
「私の眼」「快晴」「名刺」など。
純文学というジャンルに分類されるのだろうが、少し物語を
つくりすぎている気がしないでもない。
物語のない小説を読みたいと思っている自分にもいささか驚くが。

午後は「短歌人」11月号の原稿依頼を出したあと昼寝。

夜、滝沢亘に関する文献資料などを読み返す。
現代短歌の夭折者の中で、滝沢亘と小野茂樹は、生きていれば
さらに重要な仕事をしたことはまちがいないだろう。
滝沢の高弟にあたる高山安雄さんが雑誌「Q」に連載している
「わが師・滝沢亘」は、ぜひ、一冊の本にしてほしい。

・エジプトの隊商がゆきランボウがゆき連想にわれは病みゐず『白鳥の歌』


[1405] 森光子という存在 2004年07月30日 (金)

今日はゆっくりと出社。

二時間の録音番組に立ち会ったあと、聴取者の方から差し入れて
いただいた、おにぎりを食べる。

午後からは、新しい編集機材の使い方の講習。
とはいえ、こういうものは、実際に使い始めないとよくわからない。

夕方、六本木のスタジオで、Sアナウンサーと待ち合わせて、
森光子さんのインタビュー。
年齢不詳の方だが、肌の色艶など、まったく若い女性と遜色ない。
来月、芸術座で「おもろい女」をやるそうだが、
そのモデルのミス・ワカナと面識があるというのには驚いた。
玉松一郎、ミス・ワカナといえば、関西の漫才の歴史的存在
なのだから、そういう人とリアルタイムで、仕事をしていた
というのはスゴイの一言だ。
芸能界には時々森光子さんのような不思議な存在が居る。

スタッフとわかれて帰宅。
やはり、やたらに眠くて、何か本を読む間もなく眠ってしまう。