[1404] 沖縄の歌手たち 2004年07月29日 (木)

早出。
生放送終了後、録音番組の準備。
いつもは金曜日におこなってる二時間番組が、一日前倒しで
今日おこなうので、けっこうバタバタしてしまう。
録音番組終了後、編集室でQシートの記入および多少の編集。
夕方、芸能レポーターのドン、梨本勝さんがスタジオに来て
くれて、レポーター裏話など録音。

これで会社での仕事は終了。
銀座の山野楽器の7階のホールでおこなわれる、彩風と普天間かお
りのミニライブへ行く。
彩風は石垣島出身のグループ。
普天間かおりは沖縄本島の歌手。
一時間半で10曲。「童神」「芭蕉布」などの沖縄音楽のスタンダ
ードのほかに、それぞれのオリジナル曲。
彩風のボーカル仲田かおりも普天間かおりも歌が巧い。
9時過ぎに帰宅。


[1403] 血圧計と扇風機 2004年07月28日 (水)

早出。
生放送終了後、今日は午後の会議がないので、すぐ帰宅。

午前中、仮眠。
「ラジオビバリー昼ズ」を聞く。
ゲストの所ジョージと高田文夫さんのトークが抜群に面白い。
久々にに大笑い。

午後から有楽町のビックカメラに行き、血圧計と扇風機を買う。
扇風機売場が一階の目立つ場所に設置されているのは、今年の
猛暑ゆえだろう。

帰宅後、角川の「短歌」「俳句」を拾い読み。


[1402] 酷暑の多忙 2004年07月27日 (火)

早出。
生放送終了後、オープンリールのテープをMOにプリントして編集。
その後、再びオープンリールにダビングする。

午後は作家の阿部譲治さんの家へ取材に行く。
その後、ラジオリビングの商品の選定会議。

午後7時過ぎに帰宅。
9時過ぎに寝てしまう。


[1401] 安息日 2004年07月26日 (月)

徹夜明けということで、昼間は休み。
いただいた歌集、句集の礼状書き。
さらに、「短歌人」の原稿依頼など。


[1400] 番組で徹夜 2004年07月25日 (日)

朝の番組はパスして、オールナイトニッポンエバーグリーン
のために、夜、出社。

午後から夜にかけてフジテレビの27時間テレビばかり見ていた。
バラエティ・テーストに徹することで、この先にある日本テレビ
の24時間テレビの感動路線をつぶしてしまおうという意図があ
らわな演出だった。
これでは、杉田かおるが100キロマラソンにチャレンジしたと
ころで、擬制の感動も産み出すことは困難だろう。

徹夜で朝6時過ぎに帰宅。
すぐ眠る。


[1399] また血圧が上昇 2004年07月24日 (土)

アトピーの薬をもらいに病院に行き、念のために血圧を計って
もらったら、また、木曜日と同じくらいあった。
完全な高血圧危険領域である。
一気に力がぬけてしまう。
点滴をしてもらって、気晴らしに神保町へ行く。

信山社で、岩波文庫のリクエスト復刊をチェックする。
今月は各国むの民話集が一括重版になっている。
カルヴィーノ編纂の『イタリア民話集』上下と『ロシア
民話集』上下を購入。
他に書泉グランデで、講談社文藝文庫の斎藤茂吉『念珠集』
を買う。これは小池光さんの解説が読みたいので購入するわ
けである。

あまりの炎天によろよろとよろけながら帰宅。
血圧の薬を呑んで、布団に横になって、『目白雑録』の残り
を一気に読む。またまた、私の知人のワルクチが書いてある。
お気の毒さま、である。
しかし、おそるべき子供たちといったムードをまとって二十歳
そこそこでデビューした金井美恵子が、こういうキャラクター
に変身してしまうとは、予想もつかなかった。

小林信彦の『定年なし、打つ手なし』も、読み落としていた
部分を一気に読んで読了。
小林信彦もイジワル・キャラクターだが、小林信彦vs金井
美恵子の対談などやったら、どんなものだろう。
この二人、書くものの内容からいって、あまり、接点はなさ
そうな感じではあるが。

またしても寝苦しい夜なのだが、明日の早出をキャンセルさ
せてもらったので、それだけが救い。


[1398] 編集企画の難しさ 2004年07月23日 (金)

先々週から金曜日が早出ではなくなったので助かる。
しかし、午後の録音番組は続いているので、エネルギーを使う
ことにはかわりない。

しかし、なんとかね夕方の六時過ぎに終ったので、池袋の東京
芸術劇場でおこなわれている「短歌人」の編集会議に出席。
11月号で、文章の特集を組むので、その企画をあらかじめ
ファクシミリで送っておいたのだ。
しかし、口頭で説明しなければわかりにくいところもあるわけで
なんとか説明がついて、了解してもらえた。

会議終了後、食事をしながら、小池光さんに、大仏次郎と大池唯雄
氏の関係などを教えてもらう。
なかなか興味深いことがたくさんあった。
作家同士の信頼関係というのは奥が深く特別なものがある。


[1397] 血圧上昇 2004年07月22日 (木)

早出。
またしても寝苦しい夜であった。
生放送、午前中の会議のあいだ、ずっと頭痛が続く。
首の後ろの筋肉も硬直している感じがとれない。
会議終了後、医務室で血圧をはかったら、きわめて高かった。
ほとんど眠れないで、夜中に会社に来ているのだから
血圧があがるのもあたりまえである。
すぐ帰宅。
午後2時頃から夕方まで寝て、夕食後、また、9時過ぎには
床に入った。
これで何とか睡眠不足を取り戻し、血圧も下がってほしいものだ。
とりあえず、金井美恵子の本は面白いので読み続ける。


[1396] 実名のワルクチ 2004年07月21日 (水)

早出。
今日も39℃から40℃の予想。
昨夜から今朝にかけてほとんど眠れなかったので、バテている。

金井美恵子の『目白雑録』を読んでいる。
実名のワルクチなのできわめて面白い。
私の知っている人も何人かワルクチを書かれている。
お気の毒に。
まあ、ワルクチに仮託した文学論・芸術論というようなキレイゴト
はともかく、私には単純にワルクチが小気味よい。

金井美恵子が「愛の生活」という短篇でデビューしたのは私が
高校生の時だったように記憶しているが、もう今は五十代も半ばを
過ぎたウルサイおばさんか、と感慨深いものがある。


[1395] 東京は摂氏39度 2004年07月20日 (火)

早出。
東京は39℃。とんでもない暑さだ。
生放送の一曲目に美空ひばりの「真赤な太陽」をかけたのだが
昼間になったら笑いごとではなく、灼熱の太陽になってしまった。

一度帰宅して仮眠しようとしたが、暑くてとても眠れない。

カンカン照りの中を再度出社。


[1394] 大仏次郎敗戦日記 2004年07月19日 (月)

今日は代休。

一年ほど前に買った『大仏次郎敗戦日記』を読み始める。
昭和十九年九月から二十年十月までの、まさに、敗戦にいた
る日々の日記である。

鎌倉文士との交流が記述されており、文学史的にも興味深い。
大仏次郎は売れっ子の文士であり、経済的には困窮している
わけではない。
現に、この期間も「乞食大将」という作品を新聞に連載して
単発作品もたくさん書いている。
鎌倉は直接、空襲は受けていないということもあるのだろう
が、空襲警報が出ても、原稿をきちんと書いているのはすごい。
編集者もけっこうきちんと原稿の催促もしている。
お金を出せば、お酒や肉料理も手に入ったようで、文士たち
は、ビールで泥酔したりしている。

日記中に書かれている人たちも興味深い。
仙台の大池唯雄という作家と文通をしているが、これは直木賞
作家で、歌人の小池光さんの父上である。
また、福戸国人という編集者は、戦後に新歌人会の結成に力
をつくした歌人である。
また、のちに『安藤鶴夫伝』を書いた須貝正義も担当編集者
として登場する。

内容的に特筆すべきなのは、軍部への鋭い批評。
庶民の困窮と対比して、軍人たちの傲慢と洞察力のなさに
対して、大仏次郎の批判は鋭く的確である。

ポツダム宣言受諾に関しても、8月12日にすでにマスコミ
関係者から聴いて、知っていたというのにも驚いた。
戦中のインテリの日記として、山田風太郎の日記などと
あわせて、もっと読まれても良い本だ。
文庫版は出ていないと思うが、ぜひ、ちくま文庫か中公文庫
あたりで、出してほしいと思う。


[1393] 「里」東京句会 2004年07月18日 (日)

6時に出社して、2時間の放送に立会い。
後片付けをして、12時過ぎに帰宅。

夕方の4時からね新宿の「サムライ」へ行き、「里」東京句会。
今日は出席者が少なく、二健さん、淡々さん、百花さん、文香さん
雄介さんの六人。
少ない人数なので、一句に時間をかけて話ができるので、充実し
た会だった。
それにしても、俳句甲子園出身の文香、雄介両氏が、私の長男と
同年齢ということには、感慨無量のものがあった。

・滝蟹お母の赤鬼が来た  二健

この一句が今日の私の特選句。民話性と母性の幸福な融合。

淡々さん持参の巨大ゴーヤの味が印象的な一夜だった。


[1392] 永井龍男を読む 2004年07月17日 (土)

アコーデオンカーテンをつけた関係で、本棚の位置をずらしたので
午前中はずっと、本の移動作業。
もちろん、かなりの本の配置を変えて、読むべき本を目につきやす
い場所へ移してくる。

午後はその移動作業でみつけた永井龍男の短篇集『青梅雨』を読む。
永井龍男の作品は高校生の頃に『一個その他』という短篇集を
読んだ記憶はあるのだが、細部はまったくおぼえていない。
まあ、高校生に永井龍男が描く人生の機微がわかるわけもない
ので、初読のようなものである。

「狐」「青梅雨」「一個」「青電車」「冬の日」「しりとりあそ
び」「黒い御飯」「そばやまで」などあれこれと読む。
短篇の構成は、名手という感じが確かにする。
数少ない言葉で、登場人物に立体感を与えてしまう筆力には感嘆
せざるをえない。
プロットも適度に通俗性があり、読みやすい。中間小説的だが、
これらのほとんどは、いわゆる文藝誌に発表されている。

ただ、現在の目でみると、解説で河盛好蔵が絶賛するほどの文学
の醍醐味というのは、感じられない、というより、やはり、小粒
な感じが否めないということなのかもしれない。
ただ、文章の巧さは抜群なので、その巧さを味わうのも、この作家
の作品の読み方の一つだとは思う。
とりあえず、もう少し読んでみたいと思う。


[1391] 編集とダビングとイマジンスタジオ 2004年07月16日 (金)

午前9時過ぎに出社。
編集室をおさえて、野末陳平さんと山田邦子さんのインタビュー
の編集作業。
簡単な昼食をとって、午後はT君と2時間番組のダビング。
これは、実はT君がほとんどの作業をやって、私はテープを
かけたりはずしたり、雑務をするだけなので、けっこう面目ない
ものなのだ。

タビングを終えて、また編集作業の続き。
このデジタル編集機、やっと使い方をおぼえたのだが、九月に
新社屋に引っ越すと、また、別の編集機を使うようになるのだそ
うだ。

夕方から斎藤安弘さんと一緒に有楽町の新社屋へ行く。
AIKOのライブをひかえているイマジンスタジオを見学させて
もらう。
ここは、昨夜のオールナイトニッポンの時間帯に桑田佳祐の
ライブで柿落としをおこなったばかりである。
以前の銀河スタジオよりは、見た目、狭い感じがしたが、実際
には、イマジンスタジオのほうが少し広いらしい。

その後、社屋ビルの地下にある「綴」という居酒屋で、朝日新聞
の文化部のNさん、Sさんと合流し、四人で懇親、情報交換。
斎藤さん、とてもご機嫌になる。

夜、10時過ぎに帰宅。




[1390] 開局50周年記念日 2004年07月15日 (木)

開局50周年記念日ということで、朝の5時から夜中の1時まで
20時間の特別番組体制になっている。
私はこの特番にスタッフとして組み込まれてはいないので、午後の
録音に行けばよいことになっている。

8時前から番組を聞き始める。
斎藤安弘さん、玉置宏さん、高嶋秀武さん、三宅裕司さんといった
一時代をきずいた歴代のパーソナリティたちがナマで登場し、懐か
しい音源をかけながら、現在の放送の現状に一言発言するという
趣向になっている。
やはり、きちんと名をなした人達のラジオへの視点には鋭いものが
ある。
11時から三時間は、高田文夫さんがメインになり、一時間ごとに
春風亭昇太、清水ミチコ、松村邦洋がパートナーニなって、落語や
バラエテイ番組の歴史をふりかえるというもの。
これも、古今亭志ん朝一家の朝御飯風景の録音など、今では貴重な
ものがたくさんある。

午後はまたせんだみつお、笑福亭鶴光さんたちがナマで登場して、
やはり、当時のエピソードと現状への提言を語るというもの。

鶴光さんに、生放送が終ったあとで、録音スタジオに来てもらい
ミッドナイトストーリーをやってもらった。
サム・テイラーのハーレム・ノクターンがかかれば、鶴光さんの
喘ぎが聞こえてくるというのは、AMラジオの定番である。

帰宅後もラジオを聞き続ける。
夜10時から、一時間、伊集院光がほぼ10年ぶりに生放送で
LFに登場というのも、今回の特番の売り物である。
さすがに伊集院光のテンポは素晴らしい。
こういう才能あるタレントを逃がしてしまっているのだから、
いかに現在のLFが弱いかという証明だろう。
さらに、昼間の時間に生放送で出た人達も、現在は、すでに
出演していなかったり、短い番組にしか出ていなかったりするわ
けだから、全体の弱体化は目をおおわんばかりといえる。

現状の貧弱さに、考えさせられるばかりの開局記念日だった。


[1389] 頭痛の日 2004年07月14日 (水)

早出。
今日は帰らずに編集作業などを続ける。
睡眠不足になると、アタマのてっぺんの部分が痛くなる。
昼過ぎから、頭上からおさえつけられているような痛みに
変わった。アタマがボケている証拠に、朝、ラジオリビングで
紹介した商品のカレーライスを朝食替りに食べたにもかかわらず
昼食時に食堂で、またカレーを注文してしまった。カレーが出て
きたとたんに気付いたのだが、しかたなく、またカレーを
泣く泣く食べるはめになった。

帰宅すると「短歌往来」、「歌壇」のそれぞれの8月号が
届いている。
この2冊の雑誌に同時に高島裕が特別作品を発表している。
力量のある歌人にこのように、特別作品をつくらせるという
ことは、もっとおみなわれても良いと思う。
「俳壇」には100句詠が毎月の目玉になっているのだし、
短歌雑誌も新鋭・中堅の歌人に、100首くらいの作品の
発表の機会は与えてほしいと思う。
苦しんで数多くの作品をつくる経験は、必ずその作品自体に
プラス要素となって反映されるだろうし、作者自身の成長に
もつながるものなのだから。

「短歌往来」の斎藤真伸さんの巻頭時評の口語短歌の問題、
「歌壇」のなみの亜子さんの時評ともに、短歌のバーが
低いと思って参入してくる人たちへの警鐘を書いている。
若い世代から、このような問題提起がおこなわれ、議論が
発展することを期待したい。いくら問題提起をしても、その
まま黙殺されてしまうのでは情けない。
提起された問題に関しては、自分にひきつけて考えることが
なにより必要なのだと思う。


[1388] 新潟に集中豪雨 2004年07月13日 (火)

早出。
何か今日はアタマがボケていて、本番中も小さなミスばかり
やってしまった。
放送事故になるようなものがなかったのが救いである。
やはり、疲労が蓄積しているということだろう。

新潟県に集中豪雨。
普通の道路を歩いている人が首まで水に沈んでいる。
局地的集中豪雨というもののオソロシサが映像をとおして
伝わってくるが、現場にいたらさらにリアルな音響や皮膚感覚
がくわわるわけだから、その不安と恐怖はたまらないものに
なるだろう。

午後はやめに帰宅して、仮眠のあと、締切を二週間も遅れて
いる原稿をやっと書き上げる。
次は15日締切の原稿が待っている。

夜、梅内美華子歌集『火太郎』再読。
彼女の作品は歌集一冊ごとに視野が広がり、どんどん成長
している。やはり、ホンモノの歌人ということだ。


[1387] 芥川の晩年の作品 2004年07月12日 (月)

本当は代休にしたいところなのだが、萩本欽一さんにインタビュー
に行かなければならないので午後出社。
伝票を一枚書いたあと、デイレクターのT君と一緒に、三軒茶屋の
欽こん館へと向う。
インタビューは、キンどんという番組をつくった当時の興味深い
いきさつを聞かせていただく。
インタビュー終了後、事務所の外に出て、さらに立ち話をしてい
たら、ビルの一階の証券会社の女性社員が何人も出て来て、欽ちゃ
んに一緒に写真を撮ってくださいという話になったのを機に、お
いとまする。

そのまま、豊洲へ戻り、フジサンケイグループ事務局の歓送迎会。
半年間ペンディングになっていたのだが、7月1日付けの異動も
あったのでまとめてやることになったのだ。
グループ事務局の名物だったK氏も、危機管理担当部署に異動。
リビング新聞から出向していたもう一人のKさんも、やっと本社
に戻れることになったそうだ。ご同慶の至りである。

帰宅後、蒲団に入って、「大道寺信輔の半生」「歯車」
「或阿呆の一生」等、芥川龍之介の晩年の自伝的作品を読む。
これらを初めて読んだのは、高校生のときだったのだが、もちろん
そんな時にきちんと読めているはずがない。
芥川が最終的に良しとした、筋らしい筋のない小説というものが
現在読むことで、やっとわかってきたような気がする。

明日からまた早出が始まる。体力のバランスをとらなければならない。


[1386] 赤井三尋氏と夕食 2004年07月11日 (日)

朝5時に出社。
生放送2時間の後、また、2時間以上かけて一週分録音。
さらに、夕方5時半まで、日直のため、残っていなければ
ならない。
開局五十周年の特別放送を来週15日にひかえているため
古い番組の録音CDを若いスタッフたちが起こしている。
彼ら、彼女らは、土日も出社し、ウイークデイもかなりの長時間
残業している。過労で倒れる者も出てくるような予感がする。

宿直のために出勤してきた赤井三尋氏と夕食をともにする。
話題はもっぱら小説をいかに書くか、との話。
赤井氏は資料調べ六割、執筆四割とのこと。
やはり、きちんと評価される小説を書き上げた自信は大きいの
だなあ、と、うらやましく思う。
今後の作品の構想なども、かなり話してくれるが、どれも面白
そうで、期待が大きい。
乱歩賞の選考委員として、赤井氏の『夏の翳り』を大きく評価
してくれた北村薫氏が、『語り女たち』で、今回の直木賞の候補
になっている。
北村氏は私の早稲田ミステリ時代の先輩でもあり、私も赤井氏も
北村氏の直木賞受賞を強く祈っている。

小説をなんとしても書きたいなあ、と念じながらりんかい線で帰宅。





[1385] 東京ドームのノアの方舟 2004年07月10日 (土)

「短歌人」の東京歌会に出席。
今日は出詠数が少なかったので、一首の批評にかける時間が
長くとれた。
終了後、勉強会はパスさせていただき、東京ドームに行って
ノアのドーム大会を観戦する。
休息なしで10試合。息つく間もなくエキサイトし続けだった。

三沢・小川VS武藤・太陽ケア
小橋健太VS秋山準
この2試合は、やはり、伝統的なプロレスの面白さを圧倒的に
感じさせてくれた。
プロレス観戦仲間のS君、U君と一緒に見たのだが、プロレスを
ずっと見てきてよかったと思ったことだった。
ノアの方舟は東京ドームという大陸にみごとに着岸してみせた。

歌舞伎や落語も同じだと思うが、その世界の独自の美学や論理に
なじまないとわからない世界というのがある。
それを理解することによって、本当にその対象の魅力を感受する
ことができるのだ。
短歌や俳句も実は同じかもしれない。

興奮したまま深夜に帰宅。
明日は4時に起きなければならない。


[1384] 短時間労働の金曜日 2004年07月09日 (金)

今日から金曜日はゆっくり出られることになった。
しかし、火、水、木が早出三連投なのがつらい。
6時過ぎにおきて、昨夜つくった短歌20首を推敲、清書
する。意外に集中力が出た。
8時過ぎに家を出る。
ゆっくり出るといっても、9時前には出社しているわけだが。

日曜日の番組の選曲、CD出しなどやっていると、いつの
まにか夕方になっている。
お台場小香港で、辛いマーボ豆腐定食を食べて、そのあと
アイスクリームまで食べてしまう。

帰宅後、原稿を書くつもりだったのだが、「笑いの金メ
ダル」を見ているうちに眠くなって寝てしまう。


[1383] 東京MXテレビ 2004年07月08日 (木)

早出。
今日は放送終了後も帰らずに仕事。
チーフ会議、番組立会いなど。
やれば、けっこう雑事は出てくる。

夕方、東京MXテレビに野末陳平さんのインタビューに行く。
知る人ぞ知る毎週土曜日昼間の怪番組「陳平、談志の言い
たい放題」の録画の前にインタビュー時間をもらったのだ。
ロビーで待ち合せという約束だったので待っていたのだが
実は陳平さんは、すでに局入りしていらしたので、かえって
お待たせして失礼してしまった。
ともかく、無事にインタビューは終了。
放送の現状について、昨日の玉置宏さんと重なる内容が多か
ったのが印象的だった。



[1382] 横浜にぎわい座 2004年07月07日 (水)

早出。
放送終了後、一度帰宅、仮眠。

午後、玉置宏さんのインタビューのために、横浜の野毛にある
横浜にぎわい座へ行く。
少し早く着いたので、ちょうどやっていた昔々亭桃太郎と
三遊亭白鳥のふたり会をのぞいてみる。
桃太郎が「金満家」、白鳥が「おばさん自衛官」というど
ちらも新作。昼席だが、100人前後のお客が入っている。

二席聞いたあと、にぎわい座の前でSアナウンサーと
Tディレクターと待ち合わせ。
再びにぎわい座へ入り、館長室で玉置宏さんにインタビュー。
インタビューの後、玉置さんに誘っていただいて、関内の
駅前のビルにあるヤンキースというパブに連れて行ってい
ただく。
ここでベイスターズ戦を見ながら、ゆっくりとお酒を飲む
のが、玉置さんの楽しみなのだろう。
歌謡界の全盛期の頃の興行の話、ロッテ歌のアルバムや
平凡アワーが、当時、どのような宣伝効果をもっていたか
など、興味深い話をたくさんうかがう。
明日、三人とも早出なのを気遣っていただいて、八時に解散。
三人で、いい話がうかがえたことに感動しながら帰る。


[1381] イナムラガサキハケフモアメ 2004年07月06日 (火)

早出。
午前三時の雨に濡れるのはさびしい。
午前五時の生放送開始の時点でもまだ少し雨が降っていたが
七時前にはあがったようだ。

一度帰宅して仮眠。
正午過ぎにもう一度出社。
録音番組の収録。四週間分が40分たらずで終了。

夕方帰宅。
たまっていた歌集への礼状を書く。
いろいろととりこみごと悩みごとが絶えない。

十時前に眠って、怖い夢を見て目覚めたら、ちょうど夜中の
十二時だった。
そのあともう一度寝て、目覚ましが鳴ったのであわてて起きたら
まだ午前一時半。一時間まちがえて目覚ましをかけてしまった。
あと一時間寝られる。


[1380] トリアングル東京 2004年07月05日 (月)

風邪がなおらないので、平和島のTクリニックに治療に行く。
点滴を受けて、処方してもらった薬を飲んだら、かなり楽に
なった。
本当は今日は日曜の代休なのだが、同じ番組のスタッフが一人、
急病になって、しばらく休むということなので、とりあえず
会社に行く。その休みの間のスタッフのシフトを確認する。
しかし、急病で倒れるというのは他人事ではない。

夕方帰宅。
朝からもちあるいていた俵万智の初めての小説『トリアングル』
を読了。
初めての小説が読売新聞に連載というような作家は今まで居た
のだろうか。
現実と虚構とがダブルイメージになる批評しにくい小説だ。

新シフトで、明日から三日連続の早出になるので早めに寝る。


[1379] 引続き風邪の一日 2004年07月04日 (日)

朝6時に出社。
12時前に帰宅。
昼食にカップヌードルを食べたが途中でイヤになり残す。
まだ、風邪がなおらず、全身がだるく、関節が痛い。

竹山広歌集『遐年』(柊書房刊)、今野寿美歌集『龍笛』(砂子
屋書房刊)読む。
竹山さんの作歌意欲の旺盛さにはただただアタマがさがる。
影山一男さんの柊書房からこの歌集が刊行されたことに、
うれしさを感じるとともに、竹山広、影山一男両氏のこの一巻に
こめた無言の思いを思う。
今野寿美さんの歌集は、言葉の美や音韻の美への感性がとても
鋭く研ぎ澄まされている。

良い歌集を読んでも、風邪の回復のきざしはない。寝苦しい。


[1378] 風邪ごもり 2004年07月03日 (土)

昨日まで好調だったのに、風邪をひいてしまったらしく、全身が
だるくてたまらない。
きわめて不調のまま、家に篭って過ごす。

小黒世茂歌集『猿女』(本阿弥書店刊)読む。
歌の中に紀州弁が巧みにつかわれているのに感心する。
同じ関西弁でも、紀州弁は脱力するようなおもむきがある。
とても個性的な歌集だ。


[1377] スウィングガールズ 2004年07月02日 (金)

早出。
生放送終了後、あとかたづけをして、日比谷の東宝の試写室に
「スウイングガールズ」の試写を見に行く。
女子高校生がジャズのビッグバンドを組んで演奏するという
シンプルなストーリーで、すっきり仕上がっている。
監督は「ウォーターボーイズ」の矢口史靖。

映画を見たあと、もう一度、勤め先に戻り、日曜日の番組
の準備。

夕方、帰宅。
雁屋哲原作・由起賢二作画の劇画『野望の王国』を読む。
かつて「漫画ゴラク」に連載されていた異色のバイオレンス
劇画。川崎が舞台なのだが、ヤクザと警察が市街戦をくりひ
ろげるという異常な物語。「美味しんぼ」以前の雁屋哲の顔
がこの劇画には露出している。


[1376] あさみのうた 2004年07月01日 (木)

早出。
今朝は、歌手のあさみちゆきさんがゲスト。
「あさみ ちゆき」と読む。
アルバム「あさみのうた」の中から「井の頭線」がヒツトの
きざしを見せている人だ。
番組の冒頭、朝5時からお台場の社屋の前の路上で、生歌
をギターの弾き語りで歌ってもらう。
もともと、井の頭公園の路上ライブがきっかけでプロになっ
た人なので、まったく臆するところがないのはすごい。

番組終了後、あさみさん本人、プロダクションの社長、テ
イチクレコードの担当者と社屋内の食堂で朝食。
ゆっくり食べて、たっぷり雑談をしてもまだ8時。

10時からチーフ会。

夕方まで明日及び日曜の番組の準備をして帰宅。

夜、『伝統の終末』を読みながら寝てしまう。


[1375] 曇りのち雷雨のち夏日 2004年06月30日 (水)

早出。
生放送終了後、一度帰宅。
まだ、雨は降っていなかったが、仮眠を始めてから雷雨。
落雷の音で何度か目をさます。

正午に再出社。出社時は土砂降りだったが、午後2時を過ぎ
たら、ギラギラの夏日になった。

番組会議を経て、月末のため伝票整理。七月以降の準備作業
などをおこない、夕方の五時半から、新社屋に移動してから
の録音・編集作業などの研修。とはいえ、実地にハードを
使っての研修ではないので、いまひとつはっきりはしない。
いわゆる6ミリの録音テープはさすがになくなるようだ。

中野書店に注文しておいた草間時彦著『伝統の終末』と
古館曹人著『大根の葉』が届く。
『伝統の終末』の出版年が草間時彦氏が53歳の時だと知
って、ちょっとびっくりする。
つまり、現在の私とほとんど変わらないわけだ。
草間時彦という俳人の風格がとても老練だっということだ。

「NHK歌壇」で、お世話になっていた編集者の白須涼子
さんが、30日付で辞められるとのファクシミリをいただく。
3年間すっかりお世話になった。お疲れさまでした。


[1374] 早起きの一日 2004年06月29日 (火)

早出の日ではないのに、午前三時に目がさめて、それから眠れな
くなってしまった。
しかたがないので、送っていただいた俳句や短歌の雑誌を読みな
がら朝になるのを待つ。
田中裕明主宰の「ゆう」に掲載されていた「桂信子インタビュー」
が、さすがに読みごたえがあった。
今や新興俳句の代表俳人で健在なのは、桂信子さんと鈴木六林男
さんだけになってしまったわけだ。
桂さんの言葉で、佐藤鬼房と現代俳句協会賞を争って落ちてから
長いあいだ賞には縁がなかった、というのが印象に残る。
その後、ミセス女流賞、蛇笏賞などの賞によって正当に顕彰され
ることになるのだが、桂信子さんにしても、そういうこだわりが
あったということに励まされる気がする。

七時半に出社。
T君のADをして、2時間分の番組のタビングをすませる。
そのあと、録音番組の収録に一時間たちあって、午後からは
紀尾井町の関連会社に行って、ラジオリビング商品の選定会議に
出席する。


[1373] 夢と現実の差 2004年06月28日 (月)

9時半に出社。
ホテル日航東京へ行き株主総会へ出席。
私が出席するのはこれで五回目。
今までにない2時間をこえる長丁場となった。

会社のスタジオへ戻って、録音番組の立会い。

夕方、早めに帰宅。
段ボール箱から、ブックオフで端本で買った芥川龍之介全集を
引っ張り出してきて、雑纂類を拾い読み。
芥川は流行作家だけあって、けっこうね文芸誌や総合誌のアンケ
ートのようなものにまで、律儀に答えている。
「百合」という未完の短篇なども入っている。これも未完のまま
雑誌に載せたらしい。
俳句はもちろん有名だが、短歌もつくっている。
これも斎藤茂吉との関係を考えれば不思議ではない。
一昨年あたりから芥川にまた魅かれているのは何故なのだろうか。
芥川の翻訳なども読んでみたい。

遠山陽子さんが編集する「弦」七号が届いている。
これは三橋敏雄の研究誌で、かたちとしては、遠山さんの個人誌
であるが、遠山陽子さん自身及び細井啓司さんの三橋敏雄に関す
る研究の連載、高橋龍さん、松崎豊さんらのやはり独自の視点か
らの三橋敏雄俳句に関する文章などが掲載されている。
私は遠山さんのご厚意で、6号から、三橋敏雄の俳句からインス
パイアされた短歌というかたちで、十首づつ連載させていただい
ている。
今号は『太古』の作品にインスパイアされた十首。次号では『青
の中』に挑戦するつもりでいる。
こういう貴重な機会をいただけるのはとてもありがたい。


[1372] タップダンスはタカラヅカ 2004年06月27日 (日)

朝6時に出社。
番組送出業務を無事に終えて午後一時過ぎに帰宅。
とりあえずPATで、宝塚記念のシルクフェイマスの単複を買って
そのあと横になって本を読み始めたら、うかつにも眠ってしまう。
気がついたらすでに宝塚記念はタップダンスシチーが圧勝した後
だった。シルクフェイマスは二着。複勝配当300円。
300円つくと単と複を1対2の割合で買っているので、賭け金
が二倍になる。これが複勝のありがたいところといえる。

今夜は再出社しなくていいと思ったら気がぬけて、書くべき原稿
も手がつかずに夜になってしまう。
段ボールの箱から、村上一郎の本をひっぱりだしてきて『志気と
感傷』や『歌の心』などを拾い読みしているうちにまたまた
本格的に寝てしまう。
気がついたら、むもう、月曜の早朝だった。


[1371] 幻の光が差して来る 2004年06月26日 (土)

午前中、門前仲町のブックオフへ行き、100円コーナーで
宮本輝の文庫本を8冊ほど購入。
そのあとで古石場図書館で、『宮本輝全集』の短篇小説の巻を
借りてくる。

映画にもなった中篇「幻の光」のほか、「紫頭巾」「真夏の犬」
「こうもり」「寝台車」などの短篇を読む。
どの作品も、人間の生とは何か?死とは何か?というテーマが
一貫している。
宮本輝といえば、長編作家というイメージだが、短篇も巧みな
作家だと再認識した。
この中ではもちろん「幻の光」に圧倒された。
生きることと死ぬことのかなしみが、きめこまかく追求されてい
る。「精がぬけたら死ぬ」という素朴な一言が読者に重いボディ
ブロウとなって効いてくる。
「紫頭巾」という北朝鮮への帰還が始まった頃の大阪の下町を
舞台にした短篇も、現今の世情とからませてみると、やはり、
断面を語って全体を表現するのに成功しているように思う。

夕方から、史比古と一緒に紀伊國屋サザンシアターへ「高田笑
学校」を見に行く。
出演者はヒロシ、松村邦洋、大川豊、テツ&トモ、浅草キッド
それに高田文夫の諸氏。最後のトークコーナーでは、大川豊が
岡田民主党代表の追っかけ取材をしているということで登場せ
ず、かわりにヒロシと同じサンミュージック所属のカンニング
の二人が出てきて、そこそこ場をもりあげていた。

夜半11時近くに帰宅。
明日は5時起きなのだが、幻の光がさしてくるようでなかなか
眠れない。


[1370] 大銀座落語祭のX? 2004年06月25日 (金)

早出。
例によって金曜日は15時間、わきめもふらずに労働。
二日分一気に働くのだから疲労困憊するのも当然だろう。

何とか仕事を終らせて駄句駄句会へ行く。
席題は「網戸」と「暑気中り」
どちらも私にはつくりにくい題だ。
ウケたのは、駄郎さんの句。

・カンボジア首相も犬も暑気中り 駄郎

久しぶりに玉置宏さんが出席され、句をつくる合間に、むかしの
日劇などの楽屋であやしい強請剤が流行った話などに抱腹絶倒。

大銀座落語祭が7月17、18、19の三日間開催されるが、その朝日
ホール会場の初日、高田文夫プロデュース公演のおおトリがXと
なっているのだが、そこに誰が出演するか教えてもらう。
ウーン!これは落語マニアの予想をみごとにはずしたXである。
さて、誰でしょう。


[1369] 基礎的教養の再構築 2004年06月24日 (木)

今日はゆっくりと出社。
出社早々、ちょっとトラブルがあったので、とにかく経緯を
説明してしまうことにする。
チーフ会議で説明。
会議終了後、MOを使っての編集作業。
その後、番組録音に立会い。

ここのところ、自分に基礎的教養といえるものがあるのかどうか、
疑問を感じることがしばしばある。
たとえば、文学書に限っても、実は読んでない本がたくさんある
のではないか。せめて、先人が基礎的教養書と位置付けているもの
だけでも、身につけておきたい。
五十代前半にできるだけ、今までのとりこぼしをバックアップしな
ければ、などと思う。


[1368] 男宇宙つづき 2004年06月23日 (水)

寝苦しくて2時間も眠れなかった。
早出。
生放送終了後も意外にも眠くない。
しかし、これはたまたま眠りの波が来ていないだけで、ここでムリ
をすると一気に疲れが襲ってくるのがわかっているので、一度、
帰宅、2時間仮眠して再度出社。
会議、録音立会いのあと、早めに帰宅。

一昨日に記述した異形のCD『男宇宙』の後半のラインナップを
写しておく。
・梵鐘・歓喜・演奏〜コメント  岡本太郎
・俺と反省〜四条の橋  勝新太郎
・君は人のために死ねるか  杉良太郎
・男が死んで行く時に  安藤昇
・俺の詩  江夏豊
・カックン・ルンバ  由利徹
・さすらい  小林旭
・各駅停車  高倉健
・前略おふくろ  萩原健一
・おやじの海(自主制作バージョン)  村木賢吉
・夢よ叫べ  遠藤賢司

というラインナップ。コレクターズアイテムであることは確かだ
ろう。


[1367] スタジオ・病院・編集会議 2004年06月22日 (火)

午前11時に出社。
スタジオで2時間の録音番組の立会い。
そのご昼食を食べて、平和島のTクリニックへ行き、アトピー性
皮膚炎の薬をもらう。
そのあと、池袋の東京芸術劇場の会議室で開催される「短歌人」
の編集会議へむかう。
少し早くついたので、西口側の芳林堂書店へ行こうと思ったら、
なんと店がなくなっている。
閉店してしまったらしい。
東京芸術劇場の一階にあった古本大学も先月、移転してしまったし
これで、西口側にはまともな書店が一軒もなくなってしまった。

短歌人会の今年の夏の大会は台湾で開催される。
残念ながら私は出席できないのだが、80人を超える参加者になっ
たとのこと。充実した大会になりそうである。

「短歌人」7月号から、新連載で高田流子さんのエッセイ「猫が西
むきゃ尾はひがし」が始まっている。
予想にたがわずおもしろい。
高田さんの徹底した東京人の感覚はうらやましいほどだ。


[1366] 男宇宙など 2004年06月21日 (月)

早朝6時まで生放送で働き、後片付けのあと8時前に帰宅。
そのまま蒲団に入り込み、次に目が覚めたのが午後3時だった。

作家の清水雅洋さんが電話をくださったのでおしゃべり。

あとは特に書くことがないので、最近でた変なCD「男宇宙」の
曲目リストを写しておく。

『男宇宙』監修・湯浅学、ジャケット絵・宮谷一彦
収録作品
・息吹き 大山倍達
・生きてるって言ってみろ 友川かずき
・さよなら大三元 横山やすし
・へび少女 楳図かずお
・ポー・ボーイ 野坂昭如
・長嶋監督の見た一本足 長嶋茂雄
・昼メロ人生 美輪明宏
・銀次慕情  松田優作
・満州里小唄 ジャイアント馬場
・アントニオ猪木の理念 アントニオ猪木
・日本万歳音頭 菅原文太
・浪曲子守唄  一節太郎

これで半分、あとは明日にでも紹介するつもりです。
このCD先々週の「週刊プロレス」に一ページ広告が出ていました。


[1365] 朝出社、夜出社 2004年06月20日 (日)

朝六時に出社。
二時間の番組の送り出し。
10時半過ぎに帰宅。
今夜はオールナイトニッポンエバーグリーン増刊号があるの
で、夜出社して月曜の朝六時まで仕事。
そのため昼寝をしておかなければならない。

できるだけ早く眠くなるように、ずっと以前に読みかけのま
まほうっておいた夏目漱石の『彼岸過迄』の旺文社文庫版を
途中から読む。
ところが、こういう時に限って眠くならない。
結局、残っていた150ページくらいを読み終わってしまう。
しかし、こういう起伏の少ない物語が新聞に連載されていた
というのも、現在では考えられない。
読者はどのような反応を示していたのだろうか。

なんとか、その後、一時間半くらい眠る。

午後八時前に再度出社。
番組の準備をしつつ、だらだらと時間をつぶしている。
体力をなるべく消耗したくない。


[1364] 『ガウディの月』批評会 2004年06月19日 (土)

「週刊読書人」に角川春樹のインタビューが載っていた。
なんと世界制覇をねらっているのだそうだ。
そして、次に出す句集では、自分が芭蕉以上だということを
証明する、とのこと。
角川春樹マニア(ハルキマニア)かたがたはこのインタビュー
は必読です。

池袋の東京芸術劇場で、大塚寅彦さんの『ガウデイの月』の
批評会。
私のわほかにパネリストは梅内美佳子さん、菊池裕さん、
古谷智子さんで司会が黒瀬珂瀾さん。水原紫苑さんが急病
で欠席というのが少し残念。

私は大塚寅彦の美意識が好きなので、今回の歌集も全面的に
たのしむことができた。
寂寥感覚にあえかなユーモアをただよわせて、けっして
いじましさのでない詠いぶりは追随をゆるさない。
すべて意識的に表現しているわけなので、あえて欠点を指摘
してもあまり本人の糧にはならないだろう。

会場には小高賢さん、奥村晃作さん、東直子さん、佐藤弓生
さん、田中槐さん、さいかち真さん、千葉聡さん、謎彦さん、佐藤理江さん、村木道彦さん、桑原正紀さん、福士り
かさんら、論客多数。
東京芸術劇場の中会議室では、同じ時間に「短歌人」月例
歌会が開催されているなど、短歌関係者がたくさん集まって
いたことになる。

二次会で五賀祐子さんが駆けつけてくる。
1980年代前半の新人ということか。
山下雅人氏も途中から参加。
さいかち真さんに謎彦さんを紹介してもらい、初めてしゃべ
ることができた。
梧葉出版の本間さんもいらしていたので、早速、「週刊読
書人」の角川春樹インタビューの件を話す。

夜、九時過ぎに帰宅。
原稿を少し手直ししてメールで送信する。


[1363] 金曜日の午後の驚き 2004年06月18日 (金)

案の定、2時間も眠れないまま早出。
金曜日は途中で仮眠をとることができないのでとてもつらい。

生放送後、録音番組の準備。
そして録音。
今日はタレントさんの入りが早かったので、その分だけ早く終了。
1時間でも早く仕事が終るのはありがたい。
スタジオの副調室の椅子の上に「猪木社長復帰!」と大きな見だし
の「週刊ゴング」を置いておいたら、スタジオに入ってくる連中
が「え!ホントですか?」と、みんな驚きの声をあげる。
いまさら猪木が新日本プロレスの社長に復帰してもどうにもなら
ないのだが、猪木自身は記事によるとヤル気まんまんらしい。
いつまでも衰えない老人、それを阻止できない若手、ともに困った
ものだ。もちろんこれはプロレス界だけの話ではない。


[1362] アタマの中が熱くなる 2004年06月17日 (木)

今日はゆっくり出社。
10時からチーフ会議に出席。ディレクターに病人、ケガ人が
続出している。みな過労なのだから、健康状態には注意しなけ
ればならない。

午後、4時間分の番組録音に立ち会う。

夕方、5時過ぎに帰宅。
「ダ・ヴィンチ」の別冊ということで怪談専門誌「幽」という雑誌
がとどいている。京極夏彦、綾辻行人、小野不由美、加門七海、
東雅夫、高原英理、南條竹彦といった、いかにもふさわしい名前が
並んでいる。紙質とかレイアウトとかをいかにもカストリ雑誌風に
してあるのも凝っている。
目次に佐藤弓生さんの名前があり「短歌百物語」という連載をされ
ている。どうやら、高原英理さん、佐藤弓生さんの関係で送ってい
ただけたようだ。
佐藤さんの百物語、短歌一首を引いて、ショートストーリーを語る
というもの。これは良いアイデアで五話ずつ二十回連載すると百物
語が完成する。今回の五話のうちに私の作品も一首使っていただい
ている。ありがたいことだ。あとの四話には、東直子、仙波龍英、
明石海人、そして佐藤弓生さん自身の作品。仙波龍英が生きていて
この「幽」を見たら驚喜しただろう。そして良い執筆者になったの
ではないか。

夕食後、火曜日に書いた原稿の続きを書いていたら、興奮でアタマ
の中が熱くなってきた。
こうなると眠れなくなってしまう。困ったものだ。


[1361] 明治座へ行く 2004年06月16日 (水)

早出。
生放送終了後、即帰宅。仮眠。
午前11時前に起きて、手紙の返事など書く。
「ラジオビバリー昼ズ」を久しぶりに聞く。出川哲郎がゲスト。
結婚生活の詳細などしゃべり面白い。

午後、東西線で茅場町、日比谷線に一駅乗って、人形町へ。
明治座のお芝居の幕間に、萩本欽一さんの取材をさせてもらう
ことになっているのだ。
劇場の前で、Tディレクターと桜庭アナウンサーと待合せ。

昼之部が終ったところで楽屋へ入れてもらい、萩本欽一さんの
インタビュー。
「家族そろって歌合戦」「スター誕生」の司会をするきっかけに
なったエピソードなどうかがう。
夜の部の開演30分前に、楽屋に「30分前ですよ」との注意の
アナウンスが流れるのだが、これを若手の劇団員カンカラのメン
バーが交替でギャグ入りでやっている。これも萩本さんの指示な
のだそうだ。おもしろいことを言って笑わそうという努力を
自然に若手がしなければならなくなるのと、劇団員全体の親密度
が増すというわけだ。確かに、いままで行ったことのある楽屋の
雰囲気とはまったくちがって、変に気をつかってぴりぴりしてい
るということがない。

取材終了後、スタッフとわかれて北千住まで遠征し、カンパネルラ
書房とブックオフ北千住店に行く。
ブックオフの方で、新潮社の世界文学全集のモーパッサン篇を購
入。なんで、こんな本を買ったのだろう。


[1360] 編集室で居眠り 2004年06月15日 (火)

早出。
暑くて寝苦しかったので、二時間も眠れていない。
生放送終了後、取材してきた松原のぶえさんのインタビューの
素材を編集室で編集する。
ふっと気付いたら居眠りしていた。やはり今日は睡眠不足なのだ。
むかし、オープンリールのテープ素材を編集する時、居眠りをし
てしまうと、左のリールから右のリールにすべて巻き取ってしま
い、カラカラとリールが空回りしていたものだ。
今は私はMOで編集するようになったのでそういうことはない。
しかし、三十代の頃はよく編集室で眠っていたものだ。

とにかく、実働八時間ということで、正午になったところで、
社屋を出て、帰宅。

「俳句研究」7月号を読む。
「短詩型の自己実現」というタイトルで、穂村弘、坪内稔典、
三宅やよい3氏の鼎談が載っている。
遠慮したのか、三宅やよいさんの発言が少なかったのが残念。
坪内さん、穂村さんはだいたいいつも言っていること。
一つおもしろかったのが、穂村さんの発言に、高柳重信の名が
二度出てきたこと。
私の知る限りでは、穂村氏の発言や文章で、今までに高柳重信の
名前が出てきたのは初めてではなかったか。
やや意地悪く言えば、穂村弘の心の中に、よるべなき気弱さが
芽生えている証左のように思える。
やたらに茂吉に関して言及するようになっているのも同じ気弱さ
のあらわれではないか。

夕方から原稿を書き始めたら、意外と調子が出てしまって、
アタマの中で興奮が渦を巻いている。
これでまた今夜は眠れないかもしれない。


[1359] 日月癒着 2004年06月14日 (月)

とりあえず、ニューヨークのヤンキースタジアム近辺は晴れで、野
球中継は最後まで放送できるということになる。
つまり、オールナイトニッポン・エバーグリーンのスタンバイは
ここで解除というわけだ。
午前一時過ぎにタクシーに乗って帰宅。
寝床で少しだけ本を読んで眠ったのが午前二時くらい。

朝八時過ぎに目をさまし、とりあえず朝食。
11時くらいまで、手紙の返事や歌集の礼状を書く。
そのあと、出社。正午の時報は社内で聞く。
昨日から三回目の出社で曜日も癒着してしまっている感じである。

桜庭アナウンサーとディレクターのTさんと一緒に自由が丘の
梅沢富美男さんの事務所にインタビューに行く。
梅沢富美男さんのインタビューは二月以来二度目だが、きわめて
歯切れが良く、話がわかりやすい。
三十分くらいで終了し、渋谷へもどって解散。
その後、パルコの地下のリブロへ行くと、店内のレイアウトがかな
り変わっていた。
ハルキ文庫の小松左京『午後のブリッジ』とちくま文庫の内田百間
の『深夜の初会』を購入。

明日、また早出なので、早く寝ようとしたが、なかなか眠くなら
ない。やっと眠りにおちたのは、午後11時過ぎだった。


[1358] 永遠のスタンバイ 2004年06月13日 (日)

生放送のため午前五時出社。
なんと、イルカさん宅に手配したはずのハイヤーが来ないと
いうトラブル。
結局、配車の伝票が車両部で止まってしまっていたというこ
とらしかった。
非常手段として、イルカさんが自分で車を運転してきてくれ
た。
ということで、放送は無事終了。

実は朝起きたときから風邪っぽかったので、急いで帰る。
今夜、もう一度、オールナイトニッポンエバーグリーンの
スタンバイで出社しなければならないので、少し眠ってお
きたい。
午前十一時過ぎから午後一時前まで仮眠。
しかし、体調は回復せず。

午後六時過ぎに家を出て再び出社。
途中、新木場の中華料理屋で味噌ラーメンを食べたが、途中
で、食欲がなくなり、あわてて、風邪薬を飲む。
会社に到着したら、なんとか体調はおちついてくる。
これから長い長いスタンバイ。
雑務をこなし、時間をつぶす。


[1357] 「三陸海岸大津波」という本 2004年06月12日 (土)

午前中、自転車で、かの子の運動会を見に行く。
昼前まで見てから、昼食を木場のイトーヨーカ堂でとつて
そのあと門前仲町のブックオフを久々にのぞく。

吉村昭の『三陸海岸大津波』という文庫を買う。
これは日清戦争のあとと昭和のひとけたと昭和30年代の
チリ地震津波と、明治以降に三陸沿岸を襲った三回の大津波
の聞き書きである。
実際にこの取材がなされたのは昭和四十年代なので、まだ、
それぞれの津波に関して、実際の体験者が生存していたと
いうこと。
それで、それぞれに関してなまなましい証言がつづられて
いる。

私が最初に勤めた出版社の同期入社の女性が、チリ地震津波
の体験者だった。
Hさんといって、実家は網元だったはずだ。
小学生低学年の時にチリ地震津波があり、「津波だ!」とい
う浜辺からの声で、家族で手をつないで裏山に逃げたという
体験談を当時聞いたことがある。さいわい、彼女の家族は
全員無事だったそうだが、その時のオソロシサは忘れられな
いとのこと。それは当然だろう。

実際、この本に書かれている被災者の話も、私が聞いたHさ
んの話とほぼ同じ。
要は、津波に追いつかれたかどうか、ということにつきる。
明治の津波では、海抜50メートルまで津波が襲ってきて、
山道を逃げていても波にさらわれたのだそうだ。

解説は大宅壮一賞を『火花』で受賞した高山文彦。
彼が「津波の恐怖を映像化したのがゴジラだ」と書いている
のは慧眼といえる。
被災者は、逃げながらふりかえると、防潮堤や家の屋根の
背後にそびえたつ波の壁を見たといっている。
これはゴジラが山やビルの向こうからヌッと姿を現す時と
同じ恐怖と戦慄をもたらすだろう。
民俗学的には「見越し入道」の恐怖とかいうのだと思った
が、とにかく、そびえたつモノに追われる恐怖は誰もが潜在
的にもっているのではないか。そしてそれは、もしかすると
原初的な大津波の体験によって刷り込まれた恐怖ではないだ
ろうか、などと考えたことであった。

とりとめもない週末の空想である。


[1356] 曇天の祝祭 2004年06月11日 (金)

早出。
午前三時の時点では雨は降っていなかったが、午前中から雨。
生放送終了後、二階の食堂で朝食わ食べていたら、外の廊下を
佐藤江梨子がイエローキャブのマネージャーのN君と一緒に歩いて
来た。N君に挨拶したら、サトエリが自分に挨拶されたと思って、
私に向って、頭をさげた。放送局に勤めていると嬉しいことがあ
るものだ。

山一證券自主廃業時の社長で現在はセンチュリー証券の社長になつ
た野沢正平さんのインタビューのMO素材を編集する。
人間性の良い面が九割で残りの一割が厳しい経営者の側面がある
人だと実感した。

午後五時前に一度帰宅して、着替えてから、銀座のアスターへ行く。
山藤章二さんの紫綬褒賞受賞を、駄句駄句会でお祝いするという
会。出席者は山藤ご夫妻、玉置宏ご夫妻、高田文夫ご夫妻、
吉川潮ご夫妻、立川左談次ご夫妻、島敏光ご夫妻、
林家たい平ご夫妻、木村万里さん、松尾貴史さん、そして私。
内輪のメンバーの心からのお祝いの会になった。
山藤章二氏が「青木さやかというタレントは面白いキャラクター
をつくったね」と言ったのが印象に残った。

夜十時前に帰宅。
「読書人」を読むと、佐藤弓生さんと林浩平さんがそれぞれ書評
を書いている。二人とも佐藤りえさんの『フラジャイル』の批評
会のパネリストになってくださった方々である。
それだけ充実したメンバーが揃った会だったということだ。


[1355] 時の記念日 2004年06月10日 (木)

時の記念日だからといって、どうってこともない木曜日。

今日はゆっくり出社して、チーフ会に出席。
そのあと、録音番組に立会い。

早めに会社を出て、久しぶりに神保町へ行く。
信山社で、岩波文庫『20世紀アメリカ短編傑作選』上下と
『20世紀イギリス短編傑作選』上下を購入。
そのあと、東京堂書店の二階へ行ったら、「短歌人」の
柏木進二さんが、本多稜さんの歌集『蒼の重力』を買おう
としているところに出会ってしまった。
ただ、私のほうが時間がなかったので、挨拶しただけで
わかれてしまった。

帰宅すると、「子規新報」がついていた。
宇田川寛之さんの短歌時評を読む。
歌壇の賞のありかたについての意見に同感する。
たとえば、竹山広さんや岡部桂一郎さんの短歌が
迢空賞を受賞したが、それ以前に彼らの作品をきちんと読んで
高い評価をしていた歌人がどれだけいたか、という意見には
はずかしい思いをする人がたくさんいるはずだ。

誰かが褒めた作品を、あとになって孫引きして褒めるという
傾向は情けないかぎりだと思う。
竹山広さんの歌集にしても、かなり前に影山一男さんが書評
で褒めていたのを覚えているが、結局、そういう先行した批評
の存在は今は無視されてしまっている。
声が大きいものがはびこって、自分の手柄にしてしまう。
まさに非文学的な状況としかいえない。

岡部桂一郎さんに関しては「短歌人」には、高田流子さんや
植村玲子さん、さらには高瀬一誌さんがとても親しかったの
で、その作品はよく読んでいた。
まあ、功を競うのはみっともないので、ちゃんと読んでいた
ことをひそかに誇ることにしようか。


[1354] POGドラフト・リストアップ 2004年06月09日 (水)

早出。
一度帰宅して仮眠。
正午に再び出社。
午後、松原のぶえさんのインタビューの録音。

仲間内でもう20年以上やっているペーパーオーナーゲームの
ドラフトが明日なので、今夜じゅうに、予備指名馬をふくめて
リストアップしなければならない。
「ギャロップ」「ギャロップ別冊」「競馬ブック」をマーカーを
持って、ラインをひきながら、三時間ほど読みふける。

去年の二歳馬は、まったく、活躍馬が出ず、惨敗だった。
ここ数年、チアズグレイス、ダイワルージュ、エイシンチャンプ
と、最低一頭は活躍馬がいたので、なんとかなっていたのだが、
走る馬が出ないと、おもしろくもないし、傷も深い。

サンデーサイレンスの子供は選ばないとか、マイネルの馬は
はずすとかの縛りをかけたことが、結果的に失敗だった。
今回はとにかく信頼できる厩舎中心にしぼって馬を選択し、
なんとか、深夜までに、15頭のリストを送付した。


[1353] インタビュー二件そして詩歌句 2004年06月08日 (火)

早出。
生放送のあと、取材テープの編集を正午まで集中しておこなう。

正午過ぎに社を出て、作家の阿部譲治さん宅へインタビューに
行く。ちょうど、午後二時あたりだつたので、金星が太陽の前
を横切っていた時間に、桜庭アナウンサーと一緒に、阿部譲治
さんの話を聞いていたことになる。

そのあと、目黒へ行き、歌手の山本譲二さんのインタビュー録音。

目黒駅でスタッフとわかれて有楽町へ行き、交通会館の地下で
長崎チャンポンを食べる。

帰宅すると「詩歌句」の二号が贈呈ということで届いている。
創刊号は買って読んだのだが、短歌、俳句、詩がただ一緒に
載っているだけで、統一感のない編集内容だった。
二号はその点が改善されているのだろうか。
発行元の北溟社(日本詩歌句協会設立準備会)というのが、
どうにもいかがわしい。
知っている人も、作品を書いているが、私はこの雑誌に関しては
依頼を断ろうと思う。


[1352] 午後から勤め先へ 2004年06月07日 (月)

本当は代休をとりたかったのだけれど、午後から録音が入って
いたので、午後三時に出社。
家を出た時は雨が降っていたのに、会社へついたら、
日がまぶしいくらいに差していた。
変な天気だ。

美川憲一さんのインタビューを桜庭アナウンサーで録音。

急いで帰宅。
午前中から読み続けていた『トンデモ本の世界T』を読了。

明日から二日続けて早出なので、早寝する。


[1351] 安田記念など 2004年06月06日 (日)

朝、6時に出社して、正午前に帰宅。

競馬中継を聞きながら、原稿を書く。
なんとか予定の原稿が書きあがった時には、安田記念の締切直前。
あわてて、I−PATで投票したが、軸不在の乱れ買いでわ
れながら情けない。
結局、押さえの押さえの感じのワイドが的中して、少しだけ
お金がもどってきた。

競馬が終ってから『トンデモ本の世界S』を読み始め、
いちおう、夜の10時くらいまでに読み終わる。
掲示板で、深森未青さんが教えてくれたように、
唐沢俊一が、トンデモ本として車谷長吉の『銭金について』
をとりあげている。
確かに、トンデモといえばトンデモだなあと納得してしまう。
しかし、車谷長吉、高橋順子というのは、えがたいカップル
なのかもしれない。


[1350] 風船のようなあの頃 2004年06月05日 (土)

休日。
朝から本の整理。
中野翠の『東京風船日記』が文庫の山の下から出てきたので拾い読み。
1988年から「Hanako」に連載された日記形式のエッセイ。

泡とお金の日々が、中野翠という観察者の目をとおして記述されている。
日々の事件や映画や本や雑誌やテレビやライブに関する記述が
今となっては、文化史的な意味を持つように読むことができる。
ページのレイアウトが変わっていて、見開きの左端に赤い風船が
ふわふわと浮かんでいて、その風船の位置が、その日の平均株価
を示している。二万円台の後半から三万円台という、現在では夢
のような数字であるが、それがまたあの頃の浮かれ具合を、皮肉
っているように、今となっては見えてしまうのもおもしろい。

テレビでアカデミー賞の授賞式を見ていて、キム・ベイジンガー
とダリル・ハンナがあでやかさでタメをはっている、との記述が
あり、「ああ、あの頃は」と、ここでも思う。
その後、キム・ベイジンガーは「LAコンフィデンシャル」の娼婦
になって、アンニュイを撒き散らし、ダリル・ハンナにいたっては
あでやかどころか、アイパッチの殺し屋で、ユマ・サーマンとの格闘で
便器に顔を突っ込まれたりしてるのだから、感慨無量ではある。

ということで、締切の差し迫った原稿があるのに、現実逃避をして
しまった一日となってしまった。
夜、例によって「エンタの神様」を見ながら寝てしまう。


[1349] 週末重労働 2004年06月04日 (金)

早出。例によって午後六時半まで十五時間労働。

帰宅前に池袋まで遠征して、『トンデモ本の世界』のSとTを
購入。講談社文藝文庫の『福田恒存評論集』も買う。

帰宅すると道浦母都子さんから歌日記『花眼の記』が送られて
きていた。
私にまで心づかいいただきありがたいことだ。
この歌日記、表紙が赤い花の日本画で、絵の作者は黒川雅子さんと
いう方。あとがきを読むと、何と作家の黒川博行さんの奥様とある。
つまり、『ギャンブル考現学』に書いてあった、黒川さんが麻雀
に負けて帰ると殴るという奥さんである。
ブックデザインも黒川さんの麻雀仲間の多田和博さん。
関西の文化人のつながりだろうが、まさか、道浦さんは麻雀仲間ではないだろう。


[1348] りんかい線不通 2004年06月03日 (木)

今日は早出ではないので、九時過ぎに新木場の駅についたら、
改札口の前に人があふれている。
どうやら、りんかい線が不通になっているらしい。
十時から会議があるので、やむなく、有楽町線で豊洲へ戻り
そこから勤め先までタクシーで行く。

会議を終えて、昼過ぎにこんどは人形町のセンチュリー証券まで
野沢正平氏のインタビューに行く。
野沢氏は山一證券が自主廃業した時の社長であり、例の「社員は
悪くないんです」という名セリフを言った人である。
現在でも、旧山一證券の社員だった人の仕事の相談にのっている
のだそうだ。

インタビユーを終えて、人形町の蕎麦屋で、東京一大きな海老の
天丼というのを食べる。
確かに20センチ以上ある海老天が二つのっている。
美味しくはあったが、あとでさすがに胃がもたれた。

リブリエで宇江佐真理の『あやめ横丁の人々』読了。
宇江佐真理は、おきゃんな女性を描くのが巧みなのだが
この小説にも、伊呂波という名前のお茶屋のおきゃんな娘が
出てきて、印象深い活躍をする。
物語はけっこうご都合主義であっても、キャラクターが際立って
いれば、じゅうぶんに面白く読める。
もちろん、作者自身もそれを知っているのだろう。


[1347] 入国審査の厳しさ 2004年06月02日 (水)

早出。
桜庭アナウンサーが四日ぶりに、カナダから帰国。
入国審査が異常なまでに厳しかったそうである。
担当セクションの部長は、ツァーのお客よりも早く現場へ
向うために、一人で税関に行き、帰りの航空チケットをJTBに
あずけたままだったため、移民審査の列に並ばせられたとのこと。

午後から会議。
まもなく、大阪の付属池田小学校の悲惨な事件が起きてから、
まる3年経つ。
3年前にも書いたかもしれないが、私はこの付属池田の高校を
受験して不合格だった。それで、府立池田高校に入学したので
ある。
とりとめもなく、こんなことを思い出した。

日曜も入れて、四日連続の早出が今日で終り。
今夜は目覚まし時計をかけずに寝ても良いのだと思えば
心がやすまる。

しかし、番組制作の現場では、過労が原因としか思えない、
若いディレクターの事故や病気が連続している。
いったい、どうすれば、クリエイターとしての誇りをとりもど
せるのか。考えて、実行しなければならない。

帰宅前に池袋のジュンク堂へ久しぶりに行く。
新刊の『トンデモ本の世界T』に、笹公人さんの歌集『念力家族』
がとりあげられていてびっくり。
これは快挙というべきだろう。


[1346] 早出即帰 2004年06月01日 (火)

早出。
番組終了後、吉野家で鮭イクラ丼を食べて、そのまま即帰宅。
三日連続で早出が続くので、体調維持をはからなければなら
ない。

帰宅後、午前中は少し仮眠。
そのあと、久しぶりに短歌をつくる。

黒川博行著『ギャンブル考現学』を読了。
麻雀を中心に外国のカジノ体験なども出てくるギャンブル
エッセイ集。
イオリンこと藤原伊織、トオちゃんこと白川道、めめこと
鷺沢萌らが脇役として出てくるが、キャラがたっているの
が、著者とは美大の同級生だったという奥さん。

東京でさんざん負けて大阪の自宅に帰ったら、かみさんに
殴られた、という記述にリアリティがあって笑える。
こういうエッセイの場合、自分をいかに戯画化できるかが
勝負だが、西原理恵子ほどメチャクチャに書けているわけ
ではないので、少し物足りない感じもする。
まあ、牌譜もけっこう出てくるので、ギャンブル好きの人
は、読んでも損はないだろう。

午後二時過ぎに、佐世保で小学生が構内で同級生に殺される
というニュース速報が流れてくる。
ちょっと、びっくりするような事件だ。


[1345] 週初めもブルー 2004年05月31日 (月)

午前三時過ぎに出社。
今日から三日つづく早出なので、体調には気をつけなければ
ならない。気分はやはりブルー。

カナダのバンクーバー、ブッチャードガーデンという場所か
らの生中継で、それをお台場のスタジオで受けるわけだが、
ベクターという中継機器を使って、案外簡単にクリアな音が
放送できた。
とりあえず、無事に放送終了。

正午まで、番組のホームページの書き換え、選曲リストの
書き込みなど、いろいろと雑務をこなす。

午後一時から録音番組の立会い。
夕方に帰宅。

リブリエにダウンロードしてあった林望著『リンボウ先生
の偏屈読書録』を読了。
これでリブリエを使って5冊、読み終えたことになる。
あと35冊読まなければ、端末のモトがとれない。
ガンバロウ!


[1344] キングカメハメハの勝利 2004年05月30日 (日)

午前6時に出社。
今日は私とミキサーさんの二人だけで番組の生ダビング。
段取りをアタマの中で何度も反芻し、なんとか綱渡りで
やりおえた、というのが実感。
やはり、もう一人居ないとアブナイと思う。

お弁当を買って帰宅。
自宅で史比古とかの子と一緒に昼食。

ダービーはキングカメハメハの圧勝に終った。
私の応援したコスモバルクは、馬が行く気になりすぎて
3、4コーナーのカーブで一気に先頭にたってしまった。
こうなると騎手が御すのはむずかしいのだろう。
五十嵐騎手が先頭にたちながら、後ろを見て、他馬との
距離を計っていたが、さすがにダービーまで出てくる馬は
このまま逃げ切らせてくれるほど甘くはなかった。
府中の長い直線で、コスモバルクは脚力を失い、馬群に沈
んだ。そして、力強く抜け出してきたのはキングカメハメハ。
NHKマイルカップからの連覇で、変則二冠馬の誕生だ。

夜、短い原稿を一本書く。
本棚の奥から『赤尾兜子全句集』を引っ張り出してくる。
現在の自分の年齢のときに、兜子は『歳華集』の作品を
つくっていたのだな、と、しみじみ思う。

数々のものに離れて額の花  兜子


[1343] 週末のブルー 2004年05月29日 (土)

ダービーの前日なので、勘を働かせようと馬券をちょっと
PATで買い始めたら、ズルズルと負け続け、気がついたら
明日のダービー分までかなり食い込んでしまっていた。
こういう負けパターンがいちばんいけない。
反省しきりの一日だった。

まだ、月末締切の原稿が残っているので、無理矢理に集中力
をだして、書く。このように、自分をおいつめた時のほうが
中味のつまった原稿が書けたりするのも不思議だ。

原稿を書き終えて、ぼんやりしていると、キタムラカオルと
タカムラカオルは「キ」と「タ」の一字違いだということに
気づいた。
こんなことに気づいてもどうってことはないが、漢字で見
ていると、表意文字である上に二人の作家の作品や風貌の
イメージがアタマに浮かんでしまうので、一文字しか違わ
ないということなど、気づかない。
かな文字にしてみると、そういう付着イメージが消去されて
文字だけで考えられるということか。
このキタムラカオル、タカムラカオルの一文字違いを、何か
トリックに使えないかな。


[1342] 異色作家短篇集・別巻 2004年05月28日 (金)

早出。
ただし、今日は午後の録音がないので、早めに帰れそう。

久しぶりに「SFマガジン」を購入。
これは「異色作家短篇集・別巻」という特集が面白そうだったから。
異色作家短篇集といえばね読書好きの人には、すぐに、早川書房
の叢書が頭に浮かぶだろう。
最初は十八巻で刊行され、現在は十二巻になって、版を重ねている。
ロアルド・ダールの『キス・キス』、スタンリイ・エリンの『特
別料理』、ジャック・フィニイの『レベル3』など、高校から、
大学にかけて読みふけった本だ。

今回の「SFマガジン」の特集は、現在、もう一度、異色作家短
篇集を編纂するとしたら、という前提で、いわゆる奇妙な味の作
品を五篇掲載している。
シオドア・スタージョン「ニュースの時間です」
チャールズ・ボーモント「床屋の予約」
アヴラム・ディヴィッドスン「グーバーども」
フリッツ・ライバー「王侯の死」
テリー・ビッスン「ザ・ジョー・ショウ」
以上の五篇が掲載されている。
作品の選択は中村融がおこなったようだ。
ビツスン以外の四本をとりあえず読んでみたが、中ではやはり
ボーモントが、いかにも奇妙な味という感じで楽しめた。

中村融、大森望、若島正の鼎談も、小説読みのエスプリと情報が
たっぷりで、なかなか読み応えがある。
牧真司の「異色作家紹介の系譜」も、情報満載で、今後の読書の
指針になりそうだ。

ところで、「未来」の笹公人氏がこの「SFマガジン」の扉のペ
ージに「地球(テラ)スコープ2004」というタイトルで、毎
月、短歌を連載している。
歌人がこのようなかたちで、他の分野に進出していくのは良いこ
となので、笹さんにはぜひ、のびのびとやってほしいと思う。
一首のみ引用しておく。

・トキワ荘のまぼろし浮かぶ夏の路地誰かのベレー帽を拾った

『まんが道』の世界、ジャック・フィニイみたいな味わいの一首。
笹公人も異色作家の列に加えられるだろう。


[1341] 妻に捧げる1778話 2004年05月27日 (木)

昨日の項目に書き忘れたが、月曜日に眉村卓の『妻に捧げた177
8話』(新潮新書)も読み終っていた。
これは作家の眉村卓が、奥様の癌が発見されてから、亡くなった日
まで、毎日1話ずつ、ショートショートを書きつづけ、奥様に読ま
せた、という感動のエピソードの記録と、その1778話の中から
セレクトした作品が十数本掲載されている。

眉村氏の手記の部分は、やはり、悲痛な感じがただよっていて、
思わず涙をさそわれる。
面白かったのは、途中で、眉村氏が俳句をつくり始めること。
もともと彼は、SF作家であると同時に赤尾兜子主宰の「渦」の
同人でもあった。
私が「渦」に所属していた頃の大会に講演にいらしたこともある。
手記の中に、木割大雄さんの名前が何度も出てくるのもその関係
なのだろう。この登場のしかたも、木割大雄さんのあたたかい人
間性を感じさせるもので、じーんとさせられる。

今日は早出ではなかったので、9時過ぎに出社。
チーフ会に出席後、番組録音に立会い。
明日から桜庭アナウンサーとTディレクターが、リビングツァー
でカナダのバンクーバーへ行く。
来週の月曜と火曜は、バンクーバーからの放送を東京のスタジオ
で受けて放送になるので、その打合せもおこなう。
この関係で、来週は、月火水の三日連続早出になる。

帰宅後、集中力をムリヤリ発揮して、原稿を一本書く。


[1340] こんなにも空が恋しい 2004年05月26日 (水)

早出。生放送終了後一回帰宅。仮眠。
11時に起きて、再出社。

正午から会議。その後、録音番組の立会い。

夕方帰宅。

星野久子歌集『花は野に』の書評を書く。

・人はむかし鳥だったかも知れないと深夜を加藤登紀子は歌ふ/星野久子

この1週間で読み終った本。

沢木耕太郎『シネマと書店とスタジアム』

沢木耕太郎の本は20代の半ば頃に『敗れざる者たち』を読んで
榎本喜八の悲愴なエピソードなどに感激した。
その後、『テロルの決算』『一瞬の夏』まではリアルタイムで
追い駆けて読んだ。
ただ、それっきりで、ある世代にはバイブルと呼ばれる『深夜
特急』は未読。
この『シネマと書店とスタジアム』は映画評と書評とスポーツの
観戦記で構成された一巻。
長野オリンピックとワールドカップサッカーの観戦記が抜群に
面白い。単なる競技上の一喜一憂ではなく、選手の心理にまで
推測しようとする姿勢が心地よい。
やはり、沢木耕太郎の文章は肌合いに合うと確認できたので、
ブックオフで買ったままにしてある『象が空を』を読んでみよう
と思う。


[1339] 疲れただけの一日 2004年05月25日 (火)

早出。生放送のあと、2時間番組のタビング作業。

やはりアタマがボケているのか、生放送中に一回、タビング中に
一回、フェーダーを上げたまま、CDのアタマ出しをして、ノイ
ズを入れてしまうというミスをおかしてしまった。

午後からおはようリビングの選定会議。
紀尾井町のニッポン放送プロジェクトへ行く。
たっぷり2時間会議。疲労はなはだしい。

帰宅後も疲れが増すばかりなので、すぐに寝てしまう。


[1338] 休息せよ!とチクタクマンは言った 2004年05月24日 (月)

久し振りの月曜休み。

悩んでいた歌人論の件で、ご配慮をいただいたので、心が弱りな
がらも、多少、やすらかになる。
たまっていた、贈呈歌集・歌書の礼状を書く。
藤井常世さんの『文月』、松川洋子さんの『天彦』、岡村彩子さん
の『グレゴリオ暦』などなかなかの好歌集である。

・口笛は月にひびけりかかる夜のきみは老いざるコンドルとして/藤井常世

・山に谷、谷を水ゆく定型のうつくしきかな見飽きしものの/松川洋子

・みづからも加害者たるを知らでこそ満州恋うて母は死にしか/岡村彩子

良い歌に出会うと心にうるおいが生まれる。
弱った心が少しだけよみがえったかもしれない。