[131] メニュー委員会の委員もしてます 2001年01月24日 (水)

●フジテレビとニッポン放送と食堂を運営するフジランドの代表が月一度
 集まって、メニューを検討するメニュー委員会というのがある。
 私はその委員になっているので、今日は委員会に出席した。
 お台場も先月、小香港という中華街がオープンしたり、外部に食べ物屋が
 多くなってきたので、社屋内の食堂のお客がへったりふえたりしている。
 これはフジランド側にとっては、困ったことだろうが、結局、安くて
 美味しいところへ、お客は集まる。
 お台場の飲食店はそうじて値段が高い。たぶん、テナント料金も高いの
 だろう。 
 昨年の四月にオープンしたアクアシティの中の飲食店の中には、すでに
 撤退してしまつたところもある。
 ということで、来月からは野菜炒め定食が新メニューとして加わること
 になる。私は野菜炒めはダイスキです。


[130] 人はなぜギャンブルをするのか 2001年01月23日 (火)

●会社で緊急にすることもないので、仕事をするふりをして、だらだらと
 時間をつぶしていたら、突然、総務部長から、
 「規定集に、改訂年月日のインデックスをつけてくれ」と言われる。
 と、いうことで、やりはじめたら、かなりの誤植や変更しなければ
 ならない事項に気づいてしまった。
 前任者が先送りにしたことばかりなんだよなー。
 まあ、やりますけどね。

●阿佐田哲也の『ドサ健ばくち地獄』読了。
 前に読んだのは角川文庫ではなかったのだけれど、この角川文庫版は
 解説の樋口修吉の文章が抜群にいい。
 ギャンブルでどうしようもなく破滅してゆく人間達の姿を、
 自分の経験から、リアリティたっぷりに語っている。
 この樋口修吉の文章を読むと阿佐田哲也の小説がけっして絵空事
 ではなく、事実だということが、実感できる。


[129] 曙をWWFへ送り込め! 2001年01月22日 (月)

●四日ぶりに会社へ行く。
 私はボーナス支給日以外は会社へ行くのはイヤなので、四日も間があくと
 なおさら行きたくない気持ちが強くなる。とはいえ、行かないわけにも
 ゆかず、バスにのってしまった。
 
・江東区から港区へ橋を超えサラリーマンは運ばれて行く

●そういえば、詩人の川端隆之さんの住所が私の継母が住む横浜の家と
 番地まで同じ住所だということの謎がとけた。この地区は家4軒で番
 地が一番でくくるという地区割りになっているので、川端隆之さんの
 お住まいは、継母の家のちょうど斜めうしろにあたるらしい。
 二年越し、二世紀越しの疑問がようやくとけた。

●曙が引退する。
 スポーツ紙ではプロレス転向がとりざたされている。
 大物の相撲取りが引退すると必ずプロレス入りがとりざたされ、それは
 根拠のないにぎやかしの記事なのだけれど、今回のWWF入りの噂は実
 は、けっこう信憑性がある。
 WWFはアメリカン・プロレスの団体で、現在、ペイパービューを中心
 にして、ビジネス的に大成功をおさめている。金銭的なことを考えれば
 絶対にWWFのレスラーになるという選択が最上のものだと思う。
 現在、WWFにはRIKISHIというスモウのギミックのレスラーが
 居て、トップグループに定着している。
 現役の横綱の曙の価値はWWFではきわめて大きい。
 エンターテイメントに徹しているWWFでは、こういうリング外の付加
 価値は有効だし、なにより曙が英語でしゃべれるのがもっとも強い。
 しゃべれるヨコヅナというのは、WWFのフロントもファンも大歓迎す
 るだろう。
 現在、WWFのチャンプはアトランタ・オリンピックのアマレスの金メ
 ダリストのカート・アングル。アングルに挑戦するのも面白いし、偽の
 スモウレスラーのRIKISHIと組んでも興奮できそう。
 RIKISHIの仲間のトゥー・クールと組んでダンスユニットを組ん
 でくれたら、WWFマニアは感涙を流すだろう。

●ということで、最後はマニアックなことを書いてしまった。

●オリコンの社長の小池聡行さんとマルセ太郎さんが亡くなった。
 マルセさんとは、いずみさの映画祭のゲストに来ていただいた時、
 ほぼ一日アテンドしたのだが、芸能人でこんなに真摯な言葉をもつ人は
 いない、と感銘したものだ。ご冥福をお祈りします。
 


[128] 日陰に雪が残っている 2001年01月21日 (日)

●身内に死者がでると、やはり、突然におこなわなければならないことや
 判断しなければならないことが、たくさん出てくる。
 セレモニーという気を使いながらの待機時間も過ごさなければならない。
 今回は心筋梗塞による突然死だったのだが、私より逝去者に近い身内は
 みんな判断停止のようになってしまっているらしく私には見えた。

●「短歌人」の新年会の懇親会にだけなんとか出席する。
 新年歌会では、いつも、会員の歌集の販売をするのだが、『東京式』は
 平野久美子さんのお嬢さんの千尋さんが可愛いウサギのイラスト入りの
 広告コピーをつくってくれていた。感謝。
 このウサギの絵を持っていたら、天野慶さんが、可愛いと言ってくれた
 ので、さしあげる。松原一成さんと密談する。エリさん、高澤志帆さん
 佐藤りえさんらと喋っていると、佐藤りえさんのケイタイに谷村はるか
 さんから電話がかかってくる。谷村さんは、朝日新聞の福井支局に明日
 から赴任するので、その準備のために今回は欠席だったのだ。
 鳥取の倉益敬さんは、夜行バスで昨夜の二十時に米子を出たのだが、雪
 による道路閉鎖で、今日の18時に東京に到着したという。バスジャッ
 クにあった人達の心境がわかったと言っていた。倉益さんから、おみや
 げに鯖の押し寿司をいただく。歌集『精霊蜻蛉』を出した吉浦玲子さん
 今年の短歌人賞の多田零さん、岩下静香さんらが来てくれるが、ほとん
 どあいさつだけで、おたがいに人にまぎれてしまう。立食パーティとい
 う場所では、ありがちのことである。

●二次会には行かずに帰宅。パソコンで短い原稿を一本書く。そのあと
 ネットワークにつなごうとしたら、いくらやってもアクセスできない。
 しかたがないので、阿佐田哲也の『どさ健ばくち地獄』の上巻を読み
 ながら寝る。


[127] パワーをくれる番組 2001年01月19日 (金)

●今日はこれから出かけて、帰宅は明日の深夜。
 各掲示板で「電脳短歌の世界へようこそ」の感想がかわされている。
 ラジオのドキュメントは私も何本かつくったことがあるので、
 取材された人ができあがつた番組を見て、感じるとまどいや不満は
 わかるつもりです。
 長時間の取材をいかにコンパクトに編集するかが、ディレクターの
 腕なんだけれど、今回のディレクターは良く頑張ったと思います。
 なにより、枡野浩一さんの掲示板でのやりとりを見て居ると、
 この番組がいろいろな人達に「表現したい」というパワーと刺激を
 与えたことは疑いようがない。
 さっきも、九州の舞踏をやっている人が番組に刺激されて、枡野さんと
 加藤千恵さんの短歌にインスパイアされた舞踏を踊る、という書き込み
 が入っていた。これが実現するかどうかということより、こういう興奮
 をかきたてる力がこの舞踏家の女性に生まれたという点で、今回の番組
 は確かに成功している。
 短歌の世界に対してよぶんな智識があると、あれこれ言いたくなる気持ち
 もわからなくはないが、総合的には私は成功と判断します。
 人工透析を受けている男性の短歌も、また、枡野浩一の掲示板に書き込む
 人達とは別の人達にパワーを与えていると思います。ではでは。

 


[126] RAVENが鳴くバースデイ 2001年01月18日 (木)

●昨日放送の「電脳短歌の世界へようこそ」は、良い番組になっていたと思う。
枡野浩一さんの掲示板を見ると、「テレビを見て、初めて書き込みます」と
いう人達がたくさん登場している。
それだけ、自己表現の欲求をもっている若い人達の心を刺激したという
ことなのだから、番組として大成功と言ってよいと思う。
枡野浩一という人物のキャラクターが、この番組を成功させた最大の要因で
あることはまちがいない。
加藤千恵ちゃんと向井ちはるさんの登場も良かったと思う。
自分もあのひとたちのように短歌をつくってみよう、と思えるような
二人の登場のさせかたが巧かったということだ。

●テレビを見終わってまもなく電話が鳴り、親類が心筋梗塞で亡くなった
 とのこと。金、土で葬儀のために、東京を離れることになった。
 「短歌人」の新年歌会も行かれるかどうか、現在のところ未定。
 歌会の前半の司会を頼まれていたので、幹事の高田流子さんと
 高瀬一誌さんに電話で事情を話して、了解してもらう。

●それで、今日は会社を休んで、葬儀関係のだんどりをつける。
 明日の飛行機で関空へ飛ぶことにした。


[125] シベリア寒波吹き荒ぶ夜 2001年01月17日 (水)

●また一日サボってしまった。
 ところで、明日は私の誕生日。
 「牙」所属の上野春子さんも、まったく、同年同月同日生まれ。
 実は四十九歳になってしまうのです。
 みんなそうだと思うけれど、つい、このあいだまで、四十九歳の自分など
 想像もできなかった。
 しかし、現実は現実なのだね。

●さて、私の勤め先では、社員の誕生日プレゼントとして一万円の図書券を
 くれることになっている。
 人事部が一日はやくくれたので、会社の帰りに八重洲ブックセンターに
 行き、一気に使ってしまう。

●八重洲ブックセンターで私が今日、買った本。
 ・斎藤史歌集『風翩翻』不識書院 3000円+税
 ・藤井貞和詩集『静かの海 石、その韻き』思潮社 3200円+税
 ・雑誌「短歌ルネサンス」 梓書院 1300円税込み
 ・珠能将之著『黒い仏』 講談社ノベルス 760円+税
 ・阿佐田哲也著『麻雀放浪記・番外篇』角川文庫 540円+税
 ・阿佐田哲也著『麻雀狂時代』角川文庫 540円+税
 ・阿佐田哲也著『新麻雀放浪記』文春文庫 552円+税

●「短歌ルネサンス」というのは「九州・沖縄 短歌発信」という
 サブタイトルがついている、地方を意識した短歌専門誌らしい。
 監修に安永蕗子、伊藤一彦、山埜井喜美枝の三氏が名前をつらねている。
 梓書院というのは詩誌「九」の発行元ではなかったっけ?
 刊行記念対談として「21世紀を迎えて」というテーマで
 岡井隆と安永蕗子の対談が載っている。
 なんで、九州で何で岡井隆?と不思議に思ったが、よく考えると
 岡井隆は失踪中に九州に住んでいたのだったっけ。
 内容はまだまったく読んでいないので、感想は書けません。

●阿佐田哲也の文庫を買ったのは、角川文庫ソフィアの北上次郎著
 『余計者文学の系譜』の中の「ピカレスクとしてのギャンブル小説」という
 阿佐田哲也論を読んで、久しぶりに読みたくなったから。
 『麻雀放浪記』の四部作は、最低二十回ずつは読んでいる。
 特に「番外篇」は大学時代に「週刊大衆」の連載で読んでいたので
 特に思い出が深い。今回は四部作を「番外篇」から「激闘篇」「風雲篇」
 「青春篇」と逆に読んでゆくつもり。
 「番外篇」の読みどころは、青天井麻雀でドサ健が、一発300万点の
 役満を敵にたてつづけにふりこまされて、ラス親を迎える絶対絶命の
 状況で、奇想天外な方法で、一発3000万点というアガリを決める
 ところと、その後の森サブという傍役のムムムといわせる行動。
 このシリーズを未読の人は、絶対に読むべき小説ですよ。


[124] 昔は成人の日だったのに 2001年01月15日 (月)

●一月十五日といえば、まだ、成人の日というイメージが頭にこびりついている。
ハッピーマンデーという制度ももちろん嬉しいことにはちがいないけれど、
成人の日のように、国民全体に馴染んでいる日はそのまま残せばいいのに
と思うのだが。
●成人といえば、聖人、セイント正岡豊さんは、もう奈良へ帰ったのだろうか。
みんなが正岡豊さんと会って幸せになった一月十三日は、
セイントの日にしよう。
●日記、正月あけにいきなり2週間サボったので、サボり癖がついてしまったようだ。
●ところで、土曜日の夕刊だったかに、高見順賞に田口犬男の『モー将軍』が
 選ばれた、と書いてあった。『モー将軍』は一種の寓話的方法で現代を
 書こうという面白い試みの詩集だったので、印象には残っている。ただ、
 この方法は反則といえば反則なんだよな、とも思う。

●田口犬男『モー将軍』の中の「平和の木・戦争の木」より部分を引用。

 戦争の実をおれたちにくれ
 ひとびとはそう言って
 戦争の木を ゆさゆさゆすった
 
 戦争のおかげで
 おれたち くたくた
 戦争のために
 おれたち がたがた
 
 だからおれたちにも
 戦争の分け前をよこせ
 戦争の木にたわわに実った
 戦争の実をおれたちにもよこせ

 ひとびとはそう言って
 戦争の木を ゆさゆさゆすった

●樋口由紀子さんから、「巫朱華」をさしあげたことに対する
 丁寧なお礼状をいただく。


[123] 東京KAJINクラブの歌会 2001年01月13日 (土)

●ということで、今年、初めての日記です。
 まったく、コンピュータはこわれるし、インフルエンザで熱が
 38度も出て、何もたべられなくなるし、悪夢の年末年始でした。

●そしていきなり、今日は上京した正岡豊さんを囲んでの歌会。
 東京KAJINクラブという名前で、ルノアールの会議室が
 予約されていました。

●出席者。
 正岡豊、錦見映理子、五賀祐子、田中槐、玲はる名、佐藤りえ、村田馨、
 岡田幸生、三原由紀子、加藤千恵、多田眞一、梅本直志、田中啓子。
 それに私、藤原龍一郎の十四人。
 年齢差も大きく、しかし、それなりにエキサイティングな歌会でした。
 うーん、また、このメンバーが集まるというのはむずかしそう。
 まさに一期一会という雰囲気でしたね。
 加藤千恵さんのハスキーな声が圧倒的にハスキーでした。


[122] 有楽町経由神保町、新御徒町へ 2000年12月29日 (金)

●今日から年末休みなのだが、福井テレビ経由であるプロダクションが
 有楽町分室をロケにつかわしてほしいとの申し出があり、立会いのた
 めに、午後から有楽町へ行く。
 簡単なロケだと思っていたのだが、何とスタッフ四十人、しかも、
 日中合作のドラマなので、スタッフの半分は中国人という大掛かり
 なものだった。什器、器物をこわされるのと、ごみ類を放置される
 のがいちばん困るので、日本側のプロデューサーに、くれぐれも、
 その点に気をつけるように念押しして、神保町へ行く。

●神保町の学士会館へ。諏訪部仁歌集『エトランゼ』の批評会を二月に
 開くので、その部屋の予約金を払いに。
 この用件はすぐすんだので、東京堂書店に行く。例によって二階の詩
 歌コーナー。砂子屋書房の現代短歌文庫判の『藤原龍一郎歌集』が棚
 に並んでいた。つい最近までは置いてなかったので、新入荷したらし
 い。結局、なにも買わずに一階の雑誌コーナーへ下りると、何と、
 宇田川寛之さんに声をかけられる。仕事帰りだそうだ。最近は、八重
 洲ブックセンターにかぎらず、色々な場所で、詩歌関係者とぶつかる
 ことが多くなる。私のたちまわり先が、それだけ、限定されていると
 いうことかもしれない。

●さて、いよいよ、今年最後の駄句駄句会へ参加のため、大江戸線に乗り
 新御徒町の「う越長」というフグ料理店へ向かう。
 駄句駄句会は山藤章二さんが主催する句会で、私は夏頃から誘われてい
 たのだが、十月にやっと初参加させていただいたもの。
 今月の出席者は
 山藤章二宗匠、高田文夫さん、吉川潮さん、島敏光さん、立川左談次さん、
 松尾貴史さん、高橋春男さん、木村万里さん、小説現代の宮田さん、
 幹事で大有企画社長の中村さん、そして私の11人。
 他に玉置宏さん、林家たい平さんが来ればフル・メンバー。

●ふぐ料理をつつきながらの句会。
 宗匠からの出題は「行く年」。
 とにかく、みんなしゃべりまくりながらの会であり、その中に落語や
 もろもろの演芸に関するウンチクがつまっているので、頭を回転させ
 続けていなければ、笑うことすらできない。
 たとえば、面白いツッコミを思いついたとしても、私などシロウトな
 ので、声にだす前に一瞬のためらいがあるのだが、さすがに松尾貴史
 さんなど、もう、私が思いついた瞬間に、言葉にしている。
 タレント、マスコミ露出の多い人達の強味は、こういうしゃべり言葉
 への運動神経の良さなのである。

●高点句
 ・行く年や天動説のひと目盛り    三魔(山藤章二)
 ・この人とで良かったのかしら年の夜 粕利(中村さん)
 ・笑ひ合ひひたすら笑ふ年の夜    駄郎(吉川潮)
 ・毒薬の壜を入れ替へ年惜しむ    亜鯛(高橋春男)
●ウケ狙いの句
 ・阿呆も越す坂田としおしむこの一夜 風眠(高田文夫)
 ・行く年も月は東に日は西に     斜断鬼(立川左談次)

●忘年句会ということで、全員に三魔宗匠から直筆の色紙がわたされる。
 あの「アタクシ絵日記」や「ブラックアングル」でおなじみの、筆文字
 の色紙に感激。
 島敏光さんから「藤原さんは二回目で、色紙もらえてラッキーだよ
 俺なんか、丸一年かよってやっともらえたんだから」といわれる。
 他に中村社長からも、言人さんという絵師の美人画カレンダーを
 ちょうだいする。この人は八代目鳥居清忠でもあり、戦前には大人気の
 絵師だったそうだ。

●八時半くらいに解散。大江戸線で門前仲町まで十五分で帰れた。
 念の為に有楽町分室に電話をかけると、やはり、ロケ中にスタジオの
 時計をこわしてしまった、とのこと。やれやれ、うんざり。


[121] 仕事おさめの木曜日 2000年12月28日 (木)

●仕事おさめの木曜日なのだが、フジテレビの方はもう昨日が最終日
 だったので、社屋の中はひっそりとしている。
 十八階のコリドールで昨日の夕方、フジテレビのデスク勤務の人達が
 納会をおこなっていたが、そこで飲みすぎて吐いている社員がいたら
 しい。社屋内でやる納会で、普通、吐くほど呑むか?

●「俳句」と「ユリイカ」の1月号を購入。
 「俳句」の「21世紀の俳句」という座談会が面白い。
 出席者は坪内稔典、大屋達治、櫂未知子、高山れをなの四人。
 写真をみると大屋達治さんもおじさんになっちゃったなあ。
 ちょうど、この座談会の前日に私は大屋氏に電話をして、
 最近の四十代俳人は「ご隠居ごっこをしているだけだ」と悪口を
 言っていたのだが、大屋氏が私の言葉を座談会中で紹介してくれ
 ている。新聞俳壇の選者になったり、結社誌を起こしたりするこ
 とが、俳人としてのあがりだと思っているのなら、やっぱり、情
 けないと私は思う。目次や結社の広告ページを見て居ると、こん
 な俳人が結社をつくったり、添削したりしているのかと思うと、
 うんざりする。

●座談会での櫂未知子さんの黛まどかに対する否定的発言も刺激的で
 興味深く読めた。黛まどかを売り出すきっかけになった角川の「俳句」
 に、こういう意見が載るというのは、やはり意外な感じがする。
 櫂未知子さんは、今後、この時の発言を裏切らずに、俳句の質を高め
 る活動をしてほしいと思う。結社をつくったりしたらガッカリするか
 ら、そんなことはしないでね。
 この櫂未知子さんとか夏井いつきさんとか、ここ数年で急に俳句の世
 界で目立つ活動をし始めた人達に望みたいのは、やはり初心を貫くこ
 と。志を棄てて虚名を得ようと勘違いしないこと。
 まあ、大きなおせわかも。

●高山れおなさんの「俳句は時代と格闘していない」という意見には
 まったく賛成。ユーミンと椎名林檎のたとえも、まあ、面白い。
 俳句の国際化への否定的見解も納得できる。ただ、全体的に発言数
 が少なかったのが残念。遠慮せずにもっと放言してもいいのに。

●こうして比較するとコーディネーター的な役割の坪内稔典さんの
 意見がもっとも現状肯定的に読めてしまうのはしかたがないところか。
 とはいえ「全国句会ツァーをしたい」などとは言ってほしくなかった。
 役割が変わることで、現状を肯定し、それが自己肯定につながる、と
 いうのではあまりにもさびしい。
 高山さんや櫂さんが十年後にこんな意見を言ったりしないでほしいと思う。
 


[120] 歌集が捨て値で売られている 2000年12月27日 (水)

●門前仲町の吉永外科に行く。
 もう、左足の腫れの色はなくなっているのだが、痛みは残っている。
 抗生物質が弱いものに変わるが、はたして効き目はあるのかどうか。
 薬局に行くと、高校生らしい女の子が、不整脈を整える薬というのを
 もらっていた。けっこう長く、この薬を飲んでいるらしく、いくら
 この薬をのんでも治らない、と薬剤師に不満を言っていた。
 何か不幸な雰囲気が周囲にたちこめている女の子だった。

●薬局を出て、リサイクル系の古本安売り屋に入る。
 『朱鳥』とか『銀桃』とか、見なれた歌集が一棚分くらい並んでいた。
 値段はどれも一冊五〇〇円均一。安いとも高いともいえる。
 歌集の種類からいって、そこそこ名のある歌人が、寄贈された歌集を
 売り払ったらしい。この近辺に住んでいる歌人といえば、あの人とか
 この人とか、二、三人の顔が思い浮かぶ。

●結局、何も買わずに帰る。
 福島正実の『未踏の時代』を読み始める。
 宮田昇の『戦後「翻訳」風雲録』を読んでから、ぜひ、この本も
 再読したいと思っていたもの。一九七七年の初版刊行時に買って
 読んでいるので、23年ぶりの再読ということになる。


[119] 病める都会派ヒールというギミック 2000年12月26日 (火)

●永井美奈子が会議室で「婚約記者会見」を開くというので
 マスコミが集まっている。
 防災センターから電話があり、記者会見開催について、事前に連絡が
 なかったと、注意を受ける。
 他社のテレビ・クルーが駐車場に車を停めようとして、防災センターと
 もめたらしい。
 上村さんと一緒に防災センターに事情説明に行き、そのあと、編成部で
 担当のMに今後は、事前に必ず防災センターに連絡するよう、注意する。

●アメリカン・プロレスのWWFの特集号が「ゴング」と「週刊プロレス」の
 両方から別冊で出ているので、二冊とも購入する。
 レイヴェンの「病める都会派ヒール」というギミックは魅力的である。
 Ravenというのはもちろんポオの「大鴉」のことでもある。
 Nevermoreというくりかえしが都市の病巣を象徴している。


[118] 風邪でつらい月曜日 2000年12月25日 (月)

●昨日、夜、十時過ぎに帰宅して、十二時くらいに寝たのだが
 午前二時前に身体の節々が痛くて、しかも、吐き気がこみあげてきて
 目が醒める。
 ああ、ついに、風邪をひいてしまったようだ。

●明け方まで何度も吐き気と身体中の痛みで目が醒める、というより
 眠れていない、と言った方が正確だろう。
 普通なら休むのだが、ミュージックソンのローテーションに入っている
 ので、今日は休めない。タクシーで会社へ行く。

●医務室で吐き気止めの薬をもらって、風邪の症状をおさえこみながら
 苦情処理と高額募金チェックを続ける。
 昼食も食べる気がしないので、ジャムパンをひとつ食べて風邪薬をのむ。
 
●午後の郵便で、光国家書店という古書店に注文しておいた
 福島正実の『ロマンチスト』と『分荼離迦』が届く。
 なつかしい、ペーパーバック・サイズのハヤカワSFシリーズ。

●有楽町分室の撤去の確認をするということで、午後三時過ぎにお台場を
 出て、有楽町経由で帰宅。まだ全身が痛い。


[117] チャリティーミュージックソン 2000年12月24日 (日)

●クリスマス・イヴで日曜日だというのに、わが社は全員出社。
 第26回ラジオ・チャリティー・ミュージックソンという24時間生放送。
 今年の私の役割は、電話による苦情処理と一万円以上の高額募金の確認。
 これは去年と同じ。
 昼間は通常業務ということで、夜の六時から八時まで、CDルームで
 この作業を石原副部長と一緒におこなう。
 クリスマス・イヴのお台場は、カップルが続続と集まっている。

●ミュージックソンの今年のパーソナリティーは三宅裕司と
 モーニング娘の中澤裕子。
 そういえば、一昨年はパイレーツがパーソナリティーで鈴木その子とか
 つぶやきシローがゲストに来ていたが、死んだり消えたり、芸能界は
 諸行無常ということか。


[116] 早朝出社とプロレス 2000年12月23日 (土)

●わけあって、朝の五時に会社へ行く。
 それで、そのわけは書けません。
 正午まで居て、一度、家へ帰る。

●午後二時半に、もう一度、豊洲駅へ行き、内田君と柴田君と待ち合せて
 有明コロシアムにノアの興行を見に行く。
 キャパシティ一万、よく入っている。

●注目の大森隆男と橋本真也の試合は、大森の悪い所がもろに出て凡戦。
 橋本のキック一発で、大森がこわがってしまっているのが観客にもは
 っきりわかってしまう。ノーフィアー以前の弱い大森に戻ってしまった。

●メインの小橋健太VS秋山準の試合が、大森・橋本の期待はずれを
 払拭するベストバウトになってくれたので、救われる。
 秋山のプロレスのセンスが抜群。試合の流れを巧みにつくりながら
 小橋の良い部分をひきだし、自分の見せ場をつくって行く。
 他団体に秋山的なセンスのレスラーは居ないから、ノアが2001年
 以降は確実にブレイクするだろう。

●帰途、内田君、柴田君と三人で豊洲の焼肉屋で興奮してプロレス談義。
 ふと気がつくと、テレビ朝日のディレクターの海谷さんと、最近フリー
 になったアナウンサーの辻義就さんが店の中に居るのに気づき、挨拶。
 辻さんはフリーになったためか、三人全員に名刺をくれる。


[115] 福島泰樹朗読賞 2000年12月22日 (金)

●下の「お台場に行かなかった日」の日付けは正しくは21日木曜日です。

●さて、金曜日、福島泰樹さんから週のはじめに電話があって、金曜日に
 すみだトリュフォニーホールで福島泰樹朗読賞の決勝大会があるので、
 審査を手伝ってほしい、と言われたので、夕方、お台場から錦糸町へ。

●すみだトリュフォニーホールというのは、最近できたホールということ
 で、設備的にはしっかりしている。小ホールり方でキャパは200くらいか。
 決勝大会に残ったのは十四名。
 年齢的には十八歳から六十七歳までと巾が広い。

●驚いたのは朗読技術という点では、みんな、平均レベルをクリアしていた
 こと。ステージで演じる朗読としてとらえれば、TOKYOポエケットよ
 り、レベルは上だったと思う。
 ただ、作品が自作とは限らないので、なぜ、その作品を読むのかという
 必然性をいかに朗読の中で聴衆に納得させるかが、難しくはある。

●結果としては、最優秀賞き該当者なし。優秀賞はもののふの会に居ると
 いう、自作の俳句を朗読したギネマさんという女性。
 奨励賞に、岸上大作の「ぼくのためのノート」を抜粋朗読した十八歳の
 蜂谷さんという女性が選ばれた。

●せっかく、福島泰樹朗読賞という冠のプライズをつくったのだから、今
 後、この人達を巧く育ててくれるのがベターなのだが。


[114] お台場に行かなかった日 2000年12月22日 (金)

●朝、まず、有楽町の分室に行く。
 イトーキさんと日通さんに来てもらって、分室の什器類の分量調査。
 会社の引越しの場合、こういう分量の調査を事前に調査しておいて
 スタッフの人数や時間を決定するのだそうだ。

●昼前に分量調査が終了。
 OB会の打ち上げが山水楼で11時半からあることになっているので
 早目に行って、OBを待ちうける。
 村山室長、真田部長、土方さんも早目に来る。
 定時の前にOBの人達も全員揃う。現役時代は業界時間で動いていた
 人達なのではないかと思うけれど、さすがにOBとなると時間には厳
 格になるようだ。
 みんな優優自適なのだろう。顔つきがすっきりしている。
 私もあと12年で、こうなるのだろうか。

●午後はミュージックソンのための備品のチェックをまずすませてから
 上村さんがやって来るのを待って、蚕糸会館の電話回線の移動のため
 の打ち合せ。蚕糸会館の電話関係は富士通の系列会社が一手にひきう
 けているようだ。一月末か二月のあたまに現在の糖業会館から蚕糸会
 館に一日で引越しをすることになるはず。

●結局、夕方の五時前までかかってしまう。急いで家に帰って、短歌関
 係の本を大量に持って、村井康司さんに会うために半蔵門にある放送
 局へ向かう。
 本の紹介、特に歌集や歌書の紹介は難しい。短歌作品をきちんと音声
 で伝えるというのは、読みかたはもちろん、作品の選び方もきっちり
 準備しておかなければならない。
 イタリア料理店で村井さんと夕食をとりつつ雑談。
 共通の知り合いが、けっこう居ることを知る。都市空間は広いようで
 案外狭い。
 帰宅後、メールを開こうとするが、アウトルックエクスプレスの調子
 が悪く、受信のみ、どうしてもできない。困ったことである。
 高峰秀子の『わたしの渡世日記』を読みながら眠りに落ちる。


[113] 都筑道夫の自伝風エッセイ 2000年12月20日 (水)

●例によって風邪をひきかけているのか、軽い頭痛がして身体もだるい。
 会社に一日座っているだけという感じで過ごしてしまったが、椅子が
 こわれたとか、タクシー会社との情報の行き違いとか、スタジオがと
 れないので、分室の5スタを使いたいとか、こまごまとした用件は絶
 えない。株主総会とかの年間のテーマがいくつかあって、さらに日々
 のこまごまとした些事を瞬時に判断して解決して行くというのが、
 総務部の役割なのだということが、1年以上たって、やっと理解でき
 てきた。

●昨日買った、都筑道夫著『推理作家の出来るまで』上下巻を読み始める。
 フリースタイルという出版社から出た本で一冊3900円、上下巻で
 7800円+税という高価な本だが、ミステリ好きの人にとっては
 読まずにはいられない本だろう。
 都筑道夫は岡本綺堂と大仏次郎の文章に学んだとしばしば書いているが
 とにかく、よみやすくコクがある文章を書ける珍しい作家として上の三
 人は群を抜いている。これに私としては色川武大と小林信彦を加えると
 文章という点で私の好きな作家はほぼ尽きてしまう。

●都筑道夫の自伝ということなので、当然、ハヤカワ・ミステリ創刊の頃
 のことも書かれており、そうなると、昨日の日記に書いた、宮田昇の本
 の内容とも、時代的にもエピソード的にも重なってくる部分がある。
 ひとつの事実や人物への評価が、それにかかわった人の立場で異なるの
 も当然で、比較しながら読むのも興味深い。
 田村隆一への評価なども宮田昇と都筑道夫とではちがっているようだ。
 また、早川書房の社長の早川清という人物のキャラクターも、なかなか
 面白そうということがわかる。
 このように、次から次へ人物や事件の連鎖で読むべき本が連鎖して行く
 のも、読書の大きな楽しみ、喜びと言える。
 石上三登志の『地球のための紳士録』という本が、こういう連鎖による
 人物事典で、実に面白い本であった。

●今年の年末はこのような関連で、何冊か面白い本が読めそうだ。
 本好きなら誰でも経験していることだろうが、こちらの興味や好奇心が
 充実していると、それに関連した本に偶然のように出会うことができる。
 結局、それは偶然ではなくて必然なのだろう。


[112] 翻訳者という無頼漢たち 2000年12月19日 (火)

●宮田昇著『戦後「翻訳」風雲録』をやっと読み終わった。
 この本は、俳人でミステリ評論家の千野帽子さんが話題にしていた
 ので、買ったのだが、数ヶ月ほうっておいて、やっと、今週になって
 読み終えた。
 もっと、早く、読むべき本だつた。とにかく面白い。

●著者は早川書房からタトル商会に移り、さらに矢野翻訳事務所の
 代表になった人。翻訳書や児童向けSFの著作もある。
 内田庶という児童文学作家の名前はずっと前から知っていたが
 これが、宮田昇の筆名だというのは、この本で知った。

●内容は翻訳書の出版事情にふれながら、昭和30年代から40年代に
 かけて活躍した翻訳家たちの、無頼な行動を綴った列伝でもある。
 とりあげられているのは次のような人々。
 ・中桐雅夫
 ・鮎川信夫
 ・田村隆一
 ・高橋豊
 ・宇野利泰
 ・田中融二
 ・亀山龍樹
 ・福島正実
 ・清水俊二
 ・斎藤正直
 ・早川 清

●小林信彦が中原弓彦の筆名で書いた処女長編小説『虚栄の市』に
 噂好きの俗物大学教授というのが出てくるのだが、その人物のモデルは
 千代有三だと私は思っていたのだが、実はそれに宇野利泰をまぜて造型
 したキャラクターだということを初めてこの本で知った。
 中原の小説が出た直後に、宇野がそれを気にしながらも、自分で本を
 買いたくないので、宮田に、誰かに借りてきてくれ、と頼んだという
 えぴソードなど笑えるし、中原の小説中の戯画的描写が嘘でないことを
 裏付けてしまっている。

●中桐、田村、鮎川といった「荒地」の詩人たちの、翻訳イコール営業と
 いう考え方、そしてそれゆえの金銭をめぐるトラブルなども書いてある
 ので、詩に興味のある人達にも必読である。
 そして、日本のSFの父・福島正実に関する知られざる人間性や生立ち
 に関する記述はSF好きの人達にも、色々な示唆を与えてくれる。

●すでに話題になっている本かもしれないが、読んで良かったと思える
 数少ない本だった。
 ノンフィクションとしては今年は佐野眞一の『東電OL殺人事件』が
 私にとってはベスト1だが、この本も別格第1位で良いと思う。

●宮田昇著『戦後「翻訳」風雲録』本の雑誌社刊 2200円+税


[111] 小泉喜美子と白石一郎の文庫を買う 2000年12月18日 (月)

●会社の帰りに、また、門前仲町の吉永外科病院に行く。
 お台場のフジテレビ前というバスの駅から門前仲町行きという路線が
 あり、それで終点まで行けばよいのだが、乗ったとたんに眠ってしまう。
 途中でケイタイが振動するが、内ポケットから取り出すのに手間取って
 いるうちに切れてしまう。結局、留守電も入っていないので、誰がかけ
 てきたのかわからない。

●外科での診断も、はれがひいてきたので、抗生物質を飲みつづけろ
 とのいつもどおりのもの。確かに左の足首の浮腫は少しづつ、ひいて
 いる気はするけれど、もう、そろそろ6週間くらいになる。

●帰りに、リサイクル系の文庫安売り屋で、小泉喜美子『弁護側の証人』と
 白石一郎『島原大変』を買う。小泉喜美子の方は、もちろんワセダ
 ミステリクラブの頃に読んでいるが、集英社文庫でとてもきれいな本
 だったので、たなざらしにしておくにしのびず、買ってしまう。
 白石一郎の方は、出た時に一度買った記憶があるのだが、たぶん、
 読まないうちに、どこかへ行方不明になってしまった。
 こういう本が時々ある。二冊で200円。この店は内税らしい。

●白石一郎の本の西木正明の解説によると、雲仙岳が史上に残る
 噴火をおこしたのは、一七九二年(寛政4年)一月十八日だったそうだ。
 私の誕生日である。一六〇年後に私が生まれるわけだ。
 別にだからといって、どうってこともないが。


[110] 本を整理して、本を読む 2000年12月17日 (日)

●ベランダに本を雑多に詰め込んだ段ボール箱がいくつも積んであるので
 久しぶりに整理する。少なくとも、4、5箱分はトランクルームに預ける
 ことになるだろう。
 ハヤカワ・ミステリとか出版藝術社の幻想小説のアンソロジーとかを整
 理せざるをえないようだ。

●整理しているうちに、買っただけで、ぜんぜん、読んでいなかった本を
 みつけだしたりするのも、ささやかな楽しみではある。
 西沢保彦の『殺意の集う夜』とか戸川昌子の『黄色い吸血鬼』とか皆川
 博子の『悦楽園』などをトランクルームには送らずに、今週、読むこと
 にする。

●午後になってから、かの子を連れて、六本木のコモワイズ・イガワに行
 く。もう、この美容室には二十年近く通っている。もちろん、史比古も
 かの子も生まれた時から、髪のカットはここでしているわけだ。
 年末なので、少し混んでいて、二時間ちょっとかかる。
 その待ち時間で、西沢保彦を読み続ける。前に読んだ『解体諸因』もそ
 うだったが、やはり、パズルを小説仕立てにしたものとしか思えず、途
 中でイヤになるが、いちおう読み続ける。
 殊能将之の小説とくらべると文章力の差が歴然としている。結局、最後
 まで読み終えたが、結末の逆転劇も興醒めな感じで、少しも騙された快
 感はない。今年のベスト10にも『依存』という作品が挙がっているが、
 もう、読まなくてもイイヤという気になる。

●六本木の地下鉄の入口近くにある、あおき書店で、かの子に
『ONEPIECE』の6、7、8巻を買ってやる。
 帰宅して、また、本の整理の続き。
 だいたい目処がついたので、戸川昌子の短編集『黄色い吸血鬼』から、
 表題作品の他に「蟻の声」「砂糖菓子の鸚鵡」「誘惑者」を読む。
 どれも異常心理を扱った作品で、今読んでも十分に面白い。戸川昌子
 のこの手の小説や宇能鴻一郎の異常性欲を扱った短編群などは再評価
 されるべきではないかと思うのだが。


[109] 奇妙に暖かい土曜日だから、バトルロワイヤル 2000年12月16日 (土)

●朝食後、みんなより一足先にむろらん荘を出て、湯河原から熱海へ向かう。
 熱海の安井病院というところに叔母が月曜から入院しているので、その
 見舞に行くためだ。

●駅前で病院の電話番号を調べて、道筋を確認すると、タクシーに乗れば
 5分で着く、とのこと。すぐにタクシーで病院へ。
 ちょうど、午前中の休養時間だったようで、病院の入院病棟のフロアは
 ひっそりとしている。
 この叔母はもともと、勝鬨橋のそばのマンションに住んでいたのだが
 バブルのさなかに売りぬけて、湯河原の温泉付きの別荘型マンション
 を買って、夫婦で移り住んだのである。 

●叔母は最高級の個室に入っていた。一昨日に子宮摘出の手術をおこなって
 いたということで、さすがに元気がない。麻酔剤の影響が残っていて
 吐き気がとれないとのこと。
 一時間ほどしゃべっているうちに、院長の安井先生が突然入ってくる。
 「どうも、良性みたいだ。よかったね」といきなり言われる。
 癌ではなかった、ということだ。叔母の顔も明るくなる。
 すぐに、家にもどっている叔父に電話で連絡してあげる。

●ともかくほっとしたので、帰ることにする。
 12時55分発のこだまで帰京。
 八重洲ブックセンターに寄ろうと、改札をくぐったら、なんと、新幹線
 の車輛にコートを忘れてきたのに気づき、あわてて取りに戻る。
 駅員に聞くと、新幹線の忘れ物は十八番線にある事務室にすべて集められ
 るのだとのこと。こだまの号数も乗っていた車両番号もわかっていたので
 すぐにコートはみつかり、無事に手に戻る。

●八重洲ブックセンターで「このミステリがスゴイ」と創元推理文庫の
 多岐川恭の『的の男』を買う。多岐川恭の作品は時代小説以外は手に
 入らなかったので、このシリーズはありがたい。前回配本の『変人島
 風物詩』も久々の復刊だった。扶桑社ミステリの都筑道夫『なめくじ
 に聞いてみろ』の復刊などもあり、こまめに拾って行きたい。

●夜、歌集の礼状を何通か書く。
 『東京式』を詩人の川端隆之さんに贈呈しようと、住所を現代詩年鑑で
 調べたら、横浜市港北区XX町1871と、何と横浜の継母の家と番地
 まで同じ。隣家なのだろうか。不思議というか奇縁というか。

●ちょうど、私がそんなことをしている頃、渋谷のパンテオンの前では
 金属バットをもった十七歳が通行人を襲っていたらしい。
 パンテオンは1年半前までは、何度も通っていた仕事の現場だし、
 オールナイトの企画でもやっていたら、事件に巻き込まれていた
 可能性もあるわけだ。
 東京はつくづくバトルロワイヤルな都市ということか。


[108] 湯河原まで「東海」に乗って行く 2000年12月15日 (金)

●十二月なかばだというのに総務局の旅行。
 午前中までで、私と局長をのぞいたメンバーは出発してしまう。
 午後三時過ぎまで、残って、突発事態に対応するのだが、けっこう、
 こまかい用事がちょこちょこと出てくる。

●三時二十分くらいに局長と一緒にタクシーで東京駅へ向かう。
 四時ちょうど発の「東海」に乗るつもりだったのだが、道が師走の週末と
 いうことで、かなり混雑していて、駅着が5分前。二人で全力疾走で
 ホームへ向かい、なんとか飛び乗るが、品川駅くらいまで、息があが
 りっぱなしで、苦しい。まあ、体重が重過ぎるわけなのだ。

●湯河原のむろらん荘に五時半頃に到着。なぜ、むろらん荘かと言えば
 もともと、室蘭に住んでいた金持ちが、別荘としてつくった建物を旅館
 に転用したからなのだそうだ。
 その元オーナーの娘さんの一家が、現在の旅館の経営者。

●宴会、ビンゴ大会、カラオケ大会。
 ビンゴでは、パスタセットという中途半端な賞品が当たる。
 カラオケは若い社員が居るので、車輛担当者会議や警備担当者会議の
 時よりも選曲は新しいが、それでも「ふたり酒」とか「ほたる川」とか
 演歌を歌いこんだ年寄りグループが怪気炎をあげるのは同じ。

●20時過ぎに宴会場を抜け出して、岩崎、兵頭、福田の人事部のメンバー
 と麻雀。コンピュータでの麻雀ばかりやっていたので、生きている人間と
 卓を囲むのは、15年ぶりくらいかも知れない。しかも、手積みだし。
 半荘二回半で、結局、65沈んでしまう。高い手を打ち込んではいない
 のだが、こちらの上がりの手数がでない。
 午前一時になったので解散。おやじたちのいびきの響きの中で布団に入る。


[107] かつて討ち入りがあったという日 2000年12月14日 (木)

●日比谷の「東天紅」で、北冬舎の柳下和久さん、「個性」の中村幸一さん、
 「かりん」の日高堯子さん、「未来」の佐伯裕子さんと夕食をともにする。
 これは、柳下さんが、私の『東京式』の出版にからめて有志の人達と一緒
 に、一夕、食事をしつつおしゃべりしあおうとのご好意に甘えたもの。

●日高さん、佐伯さん、中村さんとは、何度も同席はしているものの、なか
 なか長くしゃべるということはなかったので、そういう意味では面白い話
 ができた会合だった。
 それぞれの結社がさまざまな問題点をかかえていることがわかるし、短歌
 の現状に対する認識も、言葉をたくさん交し合ううちにわかってくる。
 現代詩、短歌、俳句とならべてくると、それでも、短歌の世界が、いちば
 ん、風通しがよいのではないか、との気はする。
 たとえば、昭和三年生まれの岡井隆のような人が、三十代、二十代の人達
 と同じ席について、同格で意見を交し合うというようなことは、俳句の世
 界では、考えられないような気がする。

●中原道夫、長谷川櫂、小澤實、田中裕明そして夏石番矢といった四十代の
 俳人がこぞって結社をつくっている現状を私は文学的に健全だとはとても
 思えない。
 彼らが、自分とはまったくことなったタイプの新人を育てて、俳句の世界
 におくりだすことができるのだろうか。
 いわゆる弟子の数をいくらふやしても意味がないし、何より、自分の俳句
 が、新しい局面を言葉によって拓けるか、ということに、もっと欲望を抱
 くべきなのではないのか、と私は思うのだが。
 選句や句会の連続の中でそういうことが可能なのかどうか。
 こういうことは、昨夜の八田木枯さんや他の俳人たちの現状への不満にも
 通じるものだろう。
 長谷川櫂は早々と「朝日俳壇」の選者になったわけだが、これは双六のあ
 がりに、到達してしまっただけで、経済的な安定はもたらしても、文学的
 な発展をもたらしてくれるものではない。それでいいのかな。

●歌集『黒い帆』を買う。
 これは昭和二六年十二月に新興出版社というところから出された合同歌集。
 笠原伸夫、倉持正夫、谷野耿太郎の三人が名をつらねている。

・しなやかに表情さえも変えてゆく女は体臭のあるカメレオン/笠原伸夫

・わたくしを取りまく宵闇の底にしてかすかに水の流れゆく気配/倉持正夫

・Nevermore呟きあゆむ吾が肩に迫りて重く夜の空がある/谷野耿太郎



[106] きわめて俳句的な夜 2000年12月13日 (水)

●ウイークデイの宿直は、そのまま通常勤務なので疲れる。
 稟議を書いたり、仮払い精算伝票を書いたり、流し気味に
 午前中をやり過ごす。

●ちゃんと眠れていたと思ったのだが、やたらに眠い。局長会報告の時、
 何度も眠りそうになって困った。
 午後はフジランド主催の「年末年始料理試食会」に人事の兵頭副部長と
 一緒に出席。フジテレビ側からは、美術関係者や制作部の若手が出てき
 ている。
 年末年始の出社社員のための社員食堂のメニューの試食会ということ。
 甘い、辛い、量が多い、少ない、あぶらっこい、野菜がほしいなどなど
 勝手なことを言い合う。

●6時前に会社を出て、青学会館でおこなわれている、三橋敏雄さんの
 俳句カルタの出版?記念パーティーに行く。
 「恒信風」の村井康司さんに別件の用事があり、そのために伺うこと
 になったのである。
 芳名簿に署名していると、村井さんが声をかけてくれる。
 初対面なのだが、いかにも、編集者という感じの人であった。
 村井さんの著書『ジャズの明日へ』(河出書房新社1800円+税)にサイン
 してもらう。

●そのあと、三橋敏雄さんに挨拶させてもらい、村井康司さんから、
 八田木枯さん、寺澤一雄さんらを紹介していただく。
 桑原三郎さん、柿本多映さん、宗田安正さん、池田澄子さんなどなど
 旧知の方々と久しぶりに会ったので、そこそこ話がはずむ。
 岩片仁次さん、高橋龍さん、沖積舎の沖山隆久さん、
 東京四季出版の松尾清光さんらの顔も見える。
 詩人の平田俊子さんも来場していると、村井さんに教えていただく。

●八田木枯さんとは、まったくの初対面であるにもかかわらず
 旧作の「いにしへも父が母抱く日の盛り」を暗唱してくださったので
 感激する。

●あと、印象に残ったのは、今日来ていた俳人の人達が、口をそろえて
 現在の俳壇も総合誌もダメだ、と批判していたこと。
 やっぱり、ダメなのだろうと思う。


[105] 湾岸に寒風吹き荒ぶ 2000年12月12日 (火)

●水上警察署に、車輛部の滝口さんと一緒に、安全運転管理者の変更届を
 出しに行く。
 滝口さんは、すでに二年前に定年になっているのを、二年契約で延長して
 もらっていたのだが、年末で契約終了ということで、私が代わって、安全
 運転管理者になるというわけである。
 交通安全協会の分室に挨拶に行ったのだが、10時前のせいか、誰も居な
 かったので、滝口さんと二人でタクシーに乗り、会社へもどる。
 年末のためか、レインボー・ブリッジは上下とも混んでいる。

●今夜は宿直。
 七時過ぎに一度帰宅して、入浴。手紙のチェックをしてから、
 21時前に再び会社へ。
 入構証の台帳のチェックで、五十嵐千里が残業をしている。

●23時前に眠くなってきたので、宿直室に入り、富士正晴の
 「久下葉子のこと」という随筆みたいな文章を読みながら
 眠ってしまう。

●今日、送っていただいた本。
 樋口由紀子句集『ゆうるりと』
 樋口由紀子さんの『容顔』の前の句集。読み応えがありそう。


[104] 銀座小劇場で京本千恵美を見る 2000年12月11日 (月)

●朝、遅いバスで出社したら、土、日の間に、いろいろとトラブルが
 おこっていて、いかにも総務部的な仕事に忙殺される。

●ところで、大江戸線の開通にともない、都バスの路線がかなり廃止される
 のだが、その一つの東17系統という路線は、私の住むマンションの前に
 バス・ストップがあったので、明日からは、別の通勤径路を考えなければ
 ならない。けっこう人は乗っているし、大江戸線とも路線的にクロスしな
 いのに、なぜ廃止するのか不可解。

●会社の帰りに銀座小劇場へ
「京本千恵美ラブラブ・ライブ TheX’masFestival2000」
 なるライブを見に行く。
 銀座小劇場といえば、すっとこどっこいとか増田、岡田のライブとか
 横山たかし、ひろしの東京凱旋ライブとか、マヌケなお笑いイベントを
 何度も見たものだ。
 その頃は客席に、キャイーンの天野君やウド君、浅草キッドなどの
 姿もあった。

●客席は半分くらいの入りなので、50人を少しこえているくらいだろうか。
 京本千恵美さんは、パントマイムを基本として、一人コント的なパフォー
 マンスをおこなっている。
 今日はクリスマスというテーマで、短い一人コントを連続して70分程
 見せてくれた。

●パントマイムが基礎にあるということは、瞬発力、持続力、バランス感覚
 がすぐれているということなので、動きに不安な部分がなく、安心して
 見ていられる。
 冒頭のサンタクロースと赤鼻のトナカイのチークダンスという一人二役の
 パフォーマンスなどは、さかのぼれば波多野栄一の一人金色夜叉と同じ
 なのだが、アレンジのしかたが巧みなので、現在のライブでも十分に笑い
 がとれる仕上がりになっている。
 基本的には、舞台上に居るのは常に京本千恵美だけなのだが、スタッフが
 きちんともだんどりの対応をしているので、孤立感がなくあたたかさが
 伝わって来る。
 これが、ジャンジャンのペコちゃんのライブだと、彼女の存在感が強過ぎ
 るためか、ペコちゃん孤立無援という悲壮感が出て、つらくなってしまう。

●バイオニック・ジェニーのパロディで、分身の術ということで、京本の
 お面をつけた黒子が4人出てくる場面など、ひときわ舞台が明るくなった
 気がしたほどだ。
 ファントム・マジックという奇術師に扮してのコントも、やっている
 ことは、学生のコンパ芸なのだが、仕上がりのレベルがまさにプロフェッ
 ショナルなので、安心して笑うことができる。
 イヤミのないすっきりしたライブであった。

●そこで、昨日の筏丸けいこさんの詩の朗読を思いだしたのだが
 京本千恵美が、パフォーマンスを見せながら、現代詩を朗読したら
 まったく、違和感はないだろう。
 たとえば、梅垣義明が女装のシャンソン歌手スタイルで、詩を朗読する
 という手もある。
 「すもももももももものはなてのあれどめにおおむらこん」という
 筏丸けいこさんのフレースが、銀座小劇場にリフレインしても面白い
 のではないか、と思うのだが。
 詩歌の朗読はまだまだ発展、進化、変質できるし、そうなったほうが
 きっと、純粋な観客を増加させることになるだろう。
 


[103] 詩歌の朗読について、正岡豊さんは 2000年12月11日 (月)

●正岡豊さんが、12月8日に開催された詩誌「はちょう」の朗読会の
 詳細なレポートを書いていらっしゃいます。
 これは、現在の詩歌の朗読に興味をもっている方々には、ぜひ、
 お読みいただきたいと思います。下記のURLです。↓

http://www3.justnet.ne.jp/~masa-0606/hatyou2.html


[102] 傘とブッチャーと筏丸けいこ 2000年12月10日 (日)

●午前中に「短歌人」2001年2月号の原稿の編集作業をしてから
 午後は江戸東京博物館でおこなわれる「TOKYOポエケット」を
 見物に行く。

●江戸東京博物館というのは、両国国技館のすぐそばにあり、江戸、
 東京関係の常設展、企画展をしばしば開いている。
 ここの一階にある貸会議室で「YOKYOポエケット」が開かれて
 いる。
 いちおう、第三回目だとのこと。

●会議室の中には、それぞれの同人誌ごとに長机一本分のブースを
 かまえて、同人誌や朗読テープ、CD、絵葉書、Tシャツなどなどの
 グッズを販売している。

●午後二時十五分から、ポエトリー・リーディングが始まる。
 司会・進行はヤリタミサコさん。
 
 @BoobyTrapの青木栄瞳さんの朗読。
  わきたじゅんじさんのアフリカ民族音楽のパーカッションと
  堅田知里さんの前衛舞踊とのコラボレーション。

 ANIFTYのF-POEMから、大村浩一さんの朗読。
  白糸雅樹さんの自作詩と短歌の朗読。
  この二人はオーソドックスだったが、割舌がよく聞きやすい。

 B「さがな。」から魚家明子さんと琴生結希さんの自作朗読。
  まあ、普通のイヤミのない朗読でした。

 C「はちょう」から小笠原鳥類さん。
  ヤリタミサコさんが「小笠原さんはエレベーターで転んでケガをした」と
  言っていたが、田中啓子さんといい、金曜日の「はちょう」の朗読会で
  いったい何があったのか?

 D「Through the voice」の安田倫子さんの自作朗読。
  
 E「world’s River 4th season」からRiv
  さんの朗読。

 F「プリシラ・レーベル」のふじわらいずみさんの朗読。
  この人は背が高く、妙なオーラを発散している。

 G筏丸けいこさんとその仲間たちの朗読。
  筏丸さんの
  「すもももももももものはな手の荒れふせぐオオムラコン!」という
   リフレインが印象に残ったが、笑えたのは、昔、国技館にプロレス
  の観戦に来て、ブッチャーに自分の傘を凶器として渡したというエピ
  ソードだった。
  このグループはTシャツに詩をプリントして、その詩を読み合うという
  ユニーク試みもみせてくれた。この方法はもっと稽古すれば、もっと
  面白くできるだろう。

 Hここで、司会のヤリタミサコさんが、会場をマイクを手にぐるぐると
  まわり、観客参加型の朗読パフォーマンスを乱入形式で演じる。

 Iradio daysの里宗巧麻さんと山本拓海さんのパフォーマンス。
  関西では有名なのだそうだが、コントとどこがちがうのかといわれると
  ちょっと説得力に欠けるようだ。

●ということで、次の第4回も期待しましょう。
  


[101] 土曜日はいちばん 2000年12月9日 (土)

●「短歌人」の12月歌会と忘年会。
 午後、別件の用事があったので、そちらを先にすませてから
 池袋のジュンク堂およびぽえむぱろうるへ行く。
 ジュンク堂では、今朝方、開店前からメサイア正岡豊さんが
 馬場駿吉の句集を買うために、並んでいたらしい。
 俳句関係の棚に、確かに、馬場駿吉の句集はなくなっていた。

●ぽえむぱろうるで、豊原清明の『朝と昼のてんまつ』を買おうか
 どうか逡巡していたら、いきなり、フジワラさんと声をかけられた。
 何と「未来」の岡崎裕美子さんであった。
 そういえば、去年の12月10日には、「岩波現代短歌辞典」を
 買いに八重洲ブックセンターに行ったら、千葉聡さんに会ったの
 だった。あれから1年、岡崎さんに会えてよかった。

●ジュンク堂とぽえむぱろうるで買った本。
 ・豊原清明詩集『夜の人工の木』中原中也賞受賞
 ・豊原清明詩集『朝と昼のてんまつ』土井晩翠賞受賞
 ・武田泰淳『富士』 中公文庫
 ・武田百合子『富士日記』上中下 中公文庫
 ・「短歌年鑑」
 ・「俳句年鑑」
 ・「midnight press」2000冬

●さて、そのあとで、「短歌人」の忘年会へ。
 一次会はカラオケなし。
 二次会からカラオケ。
 谷村はるかの「あの鐘を鳴らすのはあなた」が圧巻。
 エリ「シルエットロマンス」も歌いなれていて巧み。
 天野慶と「うたう」や「マスノ短歌教」のことを話す。

●帰宅後、「爆笑オンエア・バトル」を見て寝る。


[100] ハッピー・バスデイ・イン・ソウルハウス 2000年12月08日 (金)

●というわけで、やっと忘年会の連荘が終わった。
 今日は在京局警備担当者会議の忘年会。
 私の勤め先が幹事局であり、ということは私が幹事にならなければ
 ならない立場になってしまうわけで、けっこう疲労度が高い一日だ
 った。
 中締めを某局の警備部長に頼んだら、普通は三本締めか一本締めの
 ところを、いきなりバンザイで締められたのには意表をつかれた。

●二次会も設定しなければならなくて、新橋のソウルハウスという
 韓国居酒屋なるものに行った。
 ここで某局の部長が誕生日ということで、ケーキとドンペリが用意
 されていたのはいいが、なにかもう、たまらなくキッチュな店で、
 いたたまれない二時間だった。
 11月の車両担当者会議と同様、おやじカラオケが大爆発!
 「酒よ」とか「宗右衛門町ブルース」とかが、みんな、みごとなま
 でに巧いんだよね。とりあえず10時半に解散。ほっとする。
 ところで「はちょう」の朗読会は、どんな感じだったのだろうか。
 正岡豊さんも来ているはずなのだが。レポートよろしく。

●明日は「短歌人」の歌会と忘年会。
 よく考えると忘年会の3連荘なのだった。
 角川の「短歌年鑑」が出ているらしいけれど、まだ、届かない。
 定期購読しているはずなのに、年鑑分は別料金なのかな。
 いずれにせよ、明日、池袋に行くので、ぽえむぱろうるかジュンク堂
 で、買うことになるだろう。


[99] フレンドリーな温もりがいや 2000年12月07日 (木)

●「うたう」を読み始めた。
 まだ「棒立ちのポエジー、一周回った修辞のリアリティ」と受賞作品、
 入選作品などを読み流し気味にしただけなので、きちんとした意見に
 はならないが、「短歌研究が、よくぞ、こういうことをやってくれたものだ」
 とのよろこびの感情が強くわきあがっている。
 この増刊号はテキストとして今後も飽きずに読み返すだろうことだけは
 まちがいない。

・バーガーの包装紙剥ぎ取る前のフレンドリーな温もりがいや/玲はる名

●私はこういう歌には無条件で共感してしまう。 
 それと、岡田幸生さんの「QOL」での入選には心騒ぐものあり。
 この一連が穂村弘との双方向で創造されていったというのも驚きだ。

●『短歌という爆弾』『現代詩としての短歌』
 『かんたん短歌の作り方(マスノ短歌教を信じますの?)』
 そして、この「うたう」と、2000年になって短歌という詩形は急に
 次への仕度を整えてみせた。
 その意味で「生きのびる」から「生きる」という言挙げは当たっている。

●仕事の方では、今日も明日も忘年会。やっぱり、疲れがたまりがち。
 土曜日の「短歌人」の忘年会は楽しみなんだけれど。
 去年は小池光が桑田の「月」を歌ったんだっけ。
 


[98] ここ一番に強くなれれば 2000年12月06日 (水)

●恒例のクリスマスイブ正午から翌日の正午にかけてのラジオ・チャリティー
 ミュージックソンを有楽町分室から放送するということで、制作部の連中と
 フジテレビのスタッフと一緒に有楽町分室のスタジオや各部屋の下見。
 しかし、人が使っていない部屋はあっという間にいたんでしまう。
 人間の放つ「気」とでもよぶべきものが都会のオフィス空間には必要なの
 だろう。

●お台場にもどって、こんどは共同テレビのプロデューサー、ディレクター
 と2001年のグループ新年交歓会のビデオに関しての打ち合わせ。

●実は左足の足首から脛にかけての浮腫みが、まだ完全になおらない。
 もう、一ヶ月になるのだが、外科に通いつづけている。
 今夜も門前仲町行きのバスで吉永外科へ行く。
 この外科の近くに、文庫とCDの安売り屋ができていたので覗く。
 ここで買った文庫本。

・「探偵は眠らない」上下 ハヤカワミステリ文庫
・「アメリカン ジャズ エイジ」常盤新平 集英社文庫
・「スペースオペラの書き方」野田昌宏 ハヤカワ文庫
・「言わなければよかったのに日記」深沢七郎 中公文庫
・「触れるもせで」 久世光彦  講談社文庫
・「毎日が13日の金曜日」 都筑道夫 光文社文庫
・「泥棒日記」 ジャン・ジュネ 新潮文庫
・「阿佐田哲也勝負語録」 さいふうめい サンマーク文庫

●上記の常盤新平の本はかつて早川書房の新書判の本で
 『狂乱の一九二〇年代』という題で刊行されていたものの増補判の
 さらに文庫にしたもの。新書時代に一度、読んでいる。
 『泥棒日記』は一九八九年の改訂新訳とあるので大学時代に難渋しつつ
 読んだ本とは多少、文章がことなるのだろう。
 さいふうめいの本は、今、夜中のアニメ「哲也」を中学三年生の長男と
 一緒にいつも見て居るので、ついつい買ってしまった。

●夜、星野敬太郎の戴冠に、良い気分になっていたのに、そのあとで
 あまり愉快でない電話。
 締めきりのトラブルがあり、結局、「うたう」や詩誌「はちょう」も
 読めずに、そちらのトラブル処理の原稿書き。


[97] オシャレな汚れ仕事 2000年12月05日 (火)

●朝から青海の倉庫に行って、私の勤め先が会社の物として所有している
 美術品の確認をおこなう。
 もちろん、私ひとりではできないわけで、会社の上村さんと、美術館の
 富田麻里子さんという女性と一緒の作業である。

●カトーレーンという会社が私のマンションの近くにあって、いったい、
 何の会社だろうと思っていたのだが、なんと、美術品の梱包、運搬の
 専門会社だった。
 このカトーレーンのスタッフが、こちらが指定した作品を、手際よく
 開包し、それをデジカメで撮影して、カードに書き込むという作業を
 午前中いっぱいおこなう。
 富田さんは、美術館のコーディネーターなのだが、実はこういう汚れ
 仕事で力仕事も、業務のうちなのである。美術史に関する智識の豊か
 な魅力的な女性である。

●私と上村さんは、昼過ぎに会社にもどり、伝票の締めの作業。
 夕方、倉庫での業務を終えた富田さんに、会社に来てもらい
 18FのレストランDAIBAで、夕食をご一緒する。
 彼女は小田原在住なのだが、行きつけの飲み屋で、俳人の三橋敏雄さんと
 顔なじみなのだそうだ。世間は広いようで人間の輪は複雑だ。
 
・いつせいに柱の燃ゆる都かな

 などの三橋敏雄氏の俳句をちょっとだけレクチャーする。

●そのあと、上村さんと富田さんと一緒に新橋の魚金という飲み屋で
 二次会。いわのりと牛筋の煮込みのガーリックのせなどが美味。
 小田原まで富田さんが帰るので、21時すぎに解散。

●帰宅後、大岡昌平の「富永太郎伝」を読む。
 富永太郎は正岡子規の甥の正岡忠三郎や富倉徳次郎と親友だったと
 初めて知った。


[96] 三度目の正直か、ホトケの顔も三度か 2000年12月05日 (火)

●こんどこそ、本当にただしい「かにみそ日記」へのとびかた!

 http://www2.diary.ne.jp/user/59129

●ちなみに、下の欄のURLでは、バレーボールだかサッカーだかの
 試合結果のページにとべます。


[95] またまたURLのまちがい、すみません 2000年12月05日 (火)

●村井康司さんの「かにみそ日記」の正しいURLは下記のとおりです。

 http://www2.diary.ne.jp/user/59125


[94] 彼はむかしの彼ならず、かなあ… 2000年12月05日 (火)

●昨日の日記に、ちょっと回想的なことを書いてしまった。
 そして、今、村井康司さんの「かにみそ日記」を見たら、かつて、
 秦夕美さんの掌編、藤原月彦の俳句、宮入聖さんの装丁で上梓した
 『胎夢』という本のことが書いてあって驚いた。
  
 藤原月彦の俳句が引用されています。
 興味のあるかたは、村井さんのページ↓へどうぞ。
 http://www2.diary.jp/user/59125


[93] 時の襞から、コンニチハ 2000年12月04日 (月)

●今日は、会社で社員向けのイベントの司会進行をおこなった。
 フジテレビの中にマルチシアターという100人強のキャパの
 小劇場があるので、そこで、このイヘントは年二回おこなっている。
 今回は3回目。
 まあ、思わせぶりなことを書いているが、社長の挨拶、常務の説明、
 総務局長の発表事項を、順番にとりしきるだけなので、始まって
 しまえば、さほど難しくもなく、緊張もしないのだが、問題は集客。
 24時間営業の会社なので、社員も当然、24時間を配分して働いて
 いる。だから、朝10時に集まれる社員というのも、限定されてしまう
 わけなのだ。
 とはいえ、今日は100人そこそこは来てくれたので、客席も埋まった。

●今日、いただいた本

 柿本多映『時の襞から』 深夜叢書社刊行 3000円+税

 吉見道子歌集 『回想する驢馬』  本阿弥書店刊行 2700円+税

●柿本多映さんの本は、エッセイや書評、小作家論などを集めた本。
 書評では渡辺隆夫『都鳥』や八田木枯句集『於母影帖』の栞文や
 『天袋』の書評が載っているのが興味深い。

 八田木枯という俳人は柿本さんの文章から孫引きすると

 「こういう作品を以って遠星集を飾りたい」(「天狼」昭和23年10月号)
  と、山口誓子に言わせたそうだ。

●他に橋關ホや西川徹郎、宮入聖、そして赤尾兜子に関する文章が
 あるのも、とても嬉しい。
 いちおう、昔のことを自慢させてもらうと、赤尾兜子の在世中の「渦」で
 不定期に募集されていた渦賞の受賞者は私と柿本多映さんの二人だけ
 だったのだ。
 今の「渦」がどうなっているかは、よく知りません。
 それにしても、柿本さんは、けっして若くないのだが、加齢にしたがつて
 ますます、精神が冴え続けている。


[92] 学校見学の日曜日 2000年12月03日 (日)

●午後は長男をつれて、千駄木の近くにあるI学院という私立高校の
 学校説明会に行く。
 私立高校は現在、深刻な生徒不足に悩んでいて、あの手この手で
 生徒集めをおこなっている。
 長男と一緒に何校かまわったが、学校側のアピールは涙ぐましい
 ものさえ感じる。
 たとえば、大学付属高校の場合は、付属大学への進学というのが
 大きな売り物になるわけだが、今日のI学院のような付属ではない
 高校の場合は、付属高校へ行くより、高い学習能力を身につけさせ
 て、結果的にランクの高い大学へ進学させます、というのが売り物
 になっている。
 都立の一流高校の大学進学結果と比較する表資料などを、見せ
 て、確かに、数字的にはさして変わらない、ということを確認させ
 たりする。
 三年生になって、予備校に通いたい場合も、どこの予備校のどの
 講師の講座に行くべきか相談にのり、しかも、紹介状を書いて、
 優先的に受講できる手配もしてくれるらしい。そこまでやるか!

●説明会終了後、長男が問題集を買うというので、八重洲ブックセンター
 に行く。千代田線の大手町から地上に出ると、ちょうど、将門塚の前
 だった。ここは荒俣宏の「帝都物語」でおなじみの場所。
 話のタネにと長男と一緒に中へ入ると、老夫婦と若いカップルが先に
 居て、線香のけむりが濛々とたちこめていた。
 将門塚の脇にある巨大な蝦蟇の像に、むかし、爆笑問題の大田光が
 ふざけてまたがったら、その後、3年間、仕事がこなかったという
 エピソード(ネタか?)を長男に教えてやる。
●そのあと、また、だらだら10分くらい冬空の下を歩いて、ようやく、
 八重洲ブックセンターへ到着。
 昨日も来ているから、二日連続。
 長男にお金をわたして、30分後に待ち合わせということにして、
 自分は一階の詩歌コーナーで本のチェック。
 枡野浩一さんの『かんたん短歌の作り方(マスノ短歌教を信じマスノ?)』
 が最前列に平積み。昨日売れた分が補充された感じで、動きがよさそう。

●夜、馬場あき子歌集『飛天の道』を再読。 
 都市詠という視点からも読めるすぐれた歌集だと再確認。 


[91] 短歌をつくらなくても元気に生きていける人は、 2000年12月03日 (日)

●枡野浩一さんの『かんたん短歌の作り方(マスノ短歌教を信じますの?)』
 を読了した。
 穂村弘さんの『短歌という爆弾』や『短歌はプロに訊け』ともまたちがった
 インティメートな感情が気持ち良くにじみでている文体、内容で好感度が
 もてる。これは「マスノ短歌教・教祖」というギミックを構築したことの
 長所なのだろう。

●信者が投稿してきた短歌を作りなおしたり、欠点を指摘したりする
 教育的側面にきわめて具体性があるので、どの指摘も納得できる。
 また、内容面での月並みさをきちんと批判している姿勢などは、マスコミ
 で生きている枡野浩一という人が体験的に学んだであろうもので、短歌に
 限らず、言葉で何かを表現しようという人にとってはとても役にたつ。

●何箇所かフーコー短歌賞からみで、私の名前が出てくるのは面映い気分。
 しかし、もりまりこさん、向井ちはるさん、柳澤真美さんといった才能
 には、こういうマスノ短歌教のようなスプリングボードがなければ、
 出会えなかったと思う。(もりまりこさんは信者ではないのか)。
 
●奥村晃作さんの日記にも、この本の感想が早くも書かれています。
 しかし、『短歌という爆弾』でも作品を絶賛されている奥村さん、
 ついに、時代が追いついてきたようですね。
 演芸好きの私としては広沢瓢衛門など思いだしたりして。

●連載原稿をもとにして、一冊を再構成するというつくりかたが、枡野浩一
 という人のプライベートな恋物語も結果として内包することになっている
 のも、読ませる要素のひとつとして効果をあげているように思う。
 短歌をこれからつくりたいという人にアドバイスをするならば、まず、
 この『かんたん短歌の作り方(マスノ短歌教を信じますの?)』を
 読んで、次に『短歌はプロに訊け』を読んでもらって、300首くらい
 自作がたまったところで『短歌という爆弾』を読む、という順序を藤原
 としてはオススメしたい。
 それで、結社に入って、歌集も出したいし、短歌にずっとこだわり続ける
 覚悟をきめたら、
 共時性、通時性を学ぶために石井辰彦『現代詩としての短歌』と
 佐佐木幸綱の『作歌の現場』と岡井隆の『現代短歌入門』を読む、という
 ことでいいんじゃないかな。

●あと、あとがきのインターネットに関する記述もいいですね。
 やさしい電脳保安官荻原裕幸さん、WWWのメサイア正岡豊さん
 私も素晴らしい出会いと刺激をこのおふたりからは、今でも与え続けて
 もらっています。
 二人のヒーローの名前はユイ・アフテングリの『星間文明史』にも必ずや
 記述され、光瀬龍の遺稿に「電脳2000年」としてすでに書かれている
 ことでしょう。

●ということで、さあ、こんどは「うたう」の番だぜ!
 
 


[90] あえてリスクを負ってみましたの 2000年12月02日 (土)

●正岡豊さんが、現代詩の詩集を買うのはリスキーな部分が多い
 というようなニュアンスのことを言ってましたが、今日の私は
 そのリスクを思いきり負いました。
 ぽえむぱろうる、八重洲ブックセンター、東京堂書店、三省堂書店と
 まわって、今年の新人や旧人の詩集に身銭を使ってきましたよ。

●短歌に関しては、正直なところ、かなりの新刊歌集は贈呈されて
 しまうような昨日今日になってしまったので、読書というより
 挨拶という部分がかなり入ってきていることはやむをえないとこ
 ろ。もちろん、作品評価は挨拶とは別ものではあるけれど、この
 一冊にお金を使うべきかどうか、というハラハラ感覚を久しぶり
 に、たっぷり味わった。

●今日、買った詩集に関しては、できるだけ、率直な感想を書いて
 みたいと思っている。
 何か新しい視野がひらけてほしいと真剣に思う。
 短歌の世界の内側だけに久しく向いていた私の視線を、
 現代詩の新鮮な言葉が 刺激してくれるだろうか。
 楽観的かな、悲観的かな。
 まあ、本にお金を使うのはキモチイイことではありました。


[89] 物理的にも文学的向上心 2000年12月01日 (金)

●というわけで、昨夜、忘年会から帰ってきたあと、寝床の中で、昨日、
 買っておいた「現代詩手帖年鑑」を読み始めたら、あっという間に、
 日付けが変わって、12月1日になってしまった。

●「今年の収穫」というアンケートなど、短歌雑誌でもやる定番企画だが
 回答に対する行数の制限がないらしく、20ページも使っているのは、
 読み応えがある。
 短歌、俳句とちがって、結社がないので、いわゆる師匠の本を挙げる
 というようなことはないかわりに、微妙に自分の存在を他と差別化し
 ようとしているスノビズムが感じられたりもする。
 夏石番矢君の
 「イギリスで世界俳句フェスティバル二〇〇〇、スロベニアでの世界
  俳句協会創立会議に参加し、俳句の世界への広がりと、多くの海外
  俳人との出会いが、印象に残った」という回答などその典型。
  はいはい、と苦笑するしかない。
  宗左近が、良かった本として櫂未知子句集『蒙古斑』やあざ容子句集
  『猿楽』を挙げているのも、ナンダカナーと思わざるをえない。

●やはり、気になるのは柴田千晶詩集『空室』が、現代詩の世界で、どんな
 評価を受けているのだろうか、ということ。
 アンケートでは神山睦美はじめ何人かが肯定的な評価をしている。
 また、谷内修三の詩集展望的な内容の文章と近藤洋太の時評風の文章で
 ともに、今年の問題作として長めに論じられていたので、嬉しくなる。

 ところで、この谷内修三の文章も21ページという豪快な台割。
 こういう物理的な過剰さにも、私は現在の現代詩の文学的向上心を
 感じて、好感をもつてしまう。
 
 巻頭の鼎談でも福間健二、川端隆之の二人が『空室』の現在性の鮮明さを
 積極的に評価している。

●この詩人の東電OL事件を主題にした「空室」の連作に出会わなければ
 現在、私が夜明けまで、「現代詩手帖年鑑」を読みふけるなどという
 ことをすることもなかっただろうと思う。
 詩集『空室』に出会えた文学的幸運を感謝している。


[88] 現代詩のようにストイック 2000年11月30日 (木)

●朝の通勤バスの中で現代詩文庫の最新刊にあたる『白石公子詩集』を読む。
 エッセイストとして先に名前を知ってしまっているので、先入観があった
 のだが、さすがに詩的感性は同時代に向かって冴えていると思う。

●『追熟の森』の中の「メロスの耳鳴り」や「テイクアウト」など
 確かに巧いものだと思う。
 
 メロスの耳鳴り   白石公子

からまって盛り上がった
根っこを踏み台にして
その老木の枝に吊るされたか
広場の中心にある
断頭台か
久しく刃は下りたまま
錆びついてしまっているので
その刑がいつ執行されたのか
もう知る人も少ない

最後の
叫びも聞きとれなかった

とどこおりなく
終わってしまった直後から
長雨になり
汚れも洗われてしまいました

メロスは約束すら覚えていない
時々夢見が悪いこともあるが
すぐに忘れてしまう
朝のホームでよぎる小さな不安
なにかとても大事な約束を
忘れているのではないだろうか
問いかけても思い当たらないまま
悲鳴のような耳鳴りに
首をかしげる
彼の定刻

●私も約束を忘れてしまったメロスかもしれない、と思わせる
 言葉の力がここにはある、と思う。
 私はイメージよりも意味を追う読者なので、こういう発想、展開の
 作品には惹かれる。

●夕方、有楽町分室の警備を依頼してあるS社のメンバーと一緒に
 早目の忘年会。
 9時くらいには終わりたいと思っていたが、10時30分過ぎまで
 だらだら続いてしまう。
 疲れてタクシーで帰宅。




[87] 疲れているかもしれない日 2000年11月28日 (水)

●BSスタジオ用のこまごまとした什器が納入されてくるはずなのに
 ちっとも来ない、と思っていたら、現場にすでに直接搬入されてい
 たり、とちぐはぐなことばかり続いている。

●疲れているかもしれない日なので、こんな日は休養しよう。


[86] 窓の中の「私」たち 2000年11月28日 (火)

●今日、いただいた物。
 ・仁平勝さんより『俳句をつくろう』講談社新書660円
 ・村井康司さんより「恒新風」バックナンバーと「『真神』を読む」の
  コピー。
  これは、他のバックナンバー分もA4用紙にコピーして、クリアファイル
  にはさみこみ、私家版の「『真神』を読む」をつくる。
 ・山元千秋さんより、一回使っただけのパスネツト5000円カード。
 ・内野光子さんより、「図書新聞」の短歌時評のコピー。

●今日は休暇をとって、雑事をこなし、午後、『現代詩としての短歌』の
 シンポジウムに行く前に、ギャラリー・イヴに行く。
 オーナーの山元千秋さんが、医者に行っているというので、その間に
 Kさんから、こんな話を聞く。
 
 Aさん一家は、父母と一人娘のA子さんの三人暮らし。
 父もA子さんも、上場企業に勤めている。
 ところが、突然、母(五十歳代)が脳溢血で倒れ、口と下半身が
 不自由になり、車椅子生活になってしまう。
 もともと、気性の強かった母は感情的にきわめて不安定になり
 結局、父親が早期退職を選び、家で妻の面倒をみることになる。
 ところが、父親も突然、心臓発作で倒れてしまう。
 A子さんは父を入院させ、会社勤めをしながら、母の面倒をみるという
 きわめてストレス過剰な生活を余儀なくされてしまう。
 父は入院後、数週間で死んでしまう。
 A子さんは、結局、入院させた時以後、一度も病院に行かないまま、
 父は死んでしまったことになる。
 車椅子の母をかかえ、A子さんは、自分たちだけで父の葬儀をすませ
 結局、親類たちの誰にも、この状況をつたえることなくすごしてしまう。
 当然、親戚は激怒するが、しかし、こういうシチュエーションで親戚が
 何かの力になってくれるのか。
 幸福の灯火に見える家々の窓の中には、こんな「私」たちがひそんでいる。

●中野サンプラザの研修室で、「短歌の「私性」について」のミニ・シンポ
 ジウム。
 石井辰彦、岡井隆、小澤實、佐伯裕子、大井さん。

●石井辰彦さんが、シンディ・シャーマンの写真集を見せてくれる。
 これは凄い写真家だと思う。

●小澤實さんの、山頭火、放哉のように、有季定型を捨てるた俳人には
 私性が濃厚ににじんでいる、という発言は言われてみれば、そう。
 ただ、現代の自由律俳人の岡田幸生さんの作品には、この発言はあて
 はまらないようだ。

●次回のミニ・シンポは「引用」がテーマ。
 個人的にはもっとも興味深いテーマなので、待ち遠しい。


[85] 月曜日に快楽はない 2000年11月27日 (月)

●生まれてから楽しいと思った月曜日なんか一度もないなあ。 
 他人の三倍働くという人も多いようだけれど、私のように
 他人の三分の一しか働かないようにしていても、月曜日は
 つらいのに、働く人達は、さぞ、憂鬱なことだろう。

●ということで、今日、私が会社でしたことは、メニュー委員会に
 出席して、年末年始のスタッフ用の食事についてフジランドとミ
 ーティングをしたことと、同じく年末年始の特別職宿直の日程表
 を根回しして、社員たちの勝手なエゴをぶつけられたことと、フ
 ジランドの忘年会メニューのポスターを掲示板に貼っただけかな。

●そういうことをしていたら、5時半過ぎに急に風邪をひいたらし
 く、気分が悪くなり、全身が脱力してきた。あわてて、バスで帰
 宅するが、吐き気もしてくる。かまぼことわさび漬けで、簡単な
 ご飯を急いで食べて、風邪薬、消炎剤、構成物質を飲んで寝床へ。
 
●布団の中で、岩波文庫の新刊、フローベールの『紋切型辞典』を
 拾い読みする。
 この本は、よく引用に使われているが、きちんとした翻訳の一冊
 で読むのは初めて。
 訳者の小倉孝誠氏の開設によると、この本は実はもともと一巻と
 して執筆されたのではなく『ブヴァールとベキュシェ』という長
 編小説の中に、登場人物の執筆した原稿として挿入されるはずだ
 ったのだそうだ。
 この小倉孝誠氏の文庫の解説は43ページにわたる詳細なもので
 文章も明解で、読みやすい。このフローベールの構想を解説しつ
 つ、現代の文学シーンにもつながるレトリック論、引用論になっ
 ている。読んでよかったと思える文章だった。

●『紋切型辞典』から一項目だけ引用・

・実践〔pratique〕  理論にまさる。


[84] ショウほど素敵?な商売はない? 2000年11月26日 (日)

●配偶者と長女のかの子と配偶者の母親と一緒にディズニーランドに行く。
 ビッグサンダー・マウンテン、スプラッシュ・マウンテン、イッツアス
 モールワールド、カリブの海賊などなど、定番のメニューをまわる。
 ホーンテッドマンションは改装中ということで閉鎖されていた。
 今年の目玉のプーさんのハニーハントは、三時間待ち、ということで、
 キブアップ。
 クリスマス・パレードが2時間おきにシンデレラ城前のメインストリー
 トで演じられる。見て居るぶんには楽しいが、ひとたび裏にまわってみ
 れば、みんなつらいんだろうなあ、としみじみしてしまう。
 買い物をして帰宅したのは夜八時過ぎ。

●中澤系さんからいただいたWWFのRAW IS WARのビデオを
 見る。日本で放映された最新版だが、途中で大統領選挙への投票呼び
 かけのCM(これもレスラーのメッセージという形式)が入るので、
 一ヶ月以上前のものだろう。
 考えてみると、今回のアメリカ大統領選挙の経過と結果はあたかも、
 WWFの展開そっくりだといえる。

●しかし、WWFのエンターテイメントに徹する姿勢はショウ・ビジ
 ネスの基本がぴたりとおさえられている。すなはち、兆発と意外性と
 カタルシスとトゥー・ビー・コンティニュードという期待感の連鎖。
 
 今回も偽チャイナは出て来る、RTCにアイボリーが加入して女教師
 風のキャラクターに変身しているし、デブラがコミッショナー代行に
 なってしまうし、リキシがストーンコールドに復讐されたあと、実は
 去年の轢逃げ事件の真相にはロックが絡んでいたとの衝撃の告白をす
 るわ、といやがおうでも、次回を見ずにはいられなく構成されている。
 こういう展開の面白さを受けとめられず、「誰が一番強いか?」との
 テーマにこだわり続けるばかりの人は不幸だと思う。 

●中澤系さん、やっぱり短歌の世界にResearch To Censor をつくろうよ。メンバーは「未来」のブル・ブキャナンこと中澤系を筆頭に
 グッドファーザーXXXXとかバル・ビーナスとかアイボリーとかに似た
 人達を改心させて、恋愛や飲酒のトラブルを取り締まる、ということで。


[83] 家々の時計となれや小商人(こあきんど) 2000年11月25日 (月)

●柴田千晶さんに、昨日、録音したカセットテープを速達で送る。
 なんとか、了解をいただきたいと思う。

●渋谷でおこなわれる北冬舎の「ポエジー21」シリーズ5冊の
 合同批評会のために、渋谷のマイスペースへ行く。
 会場へ行く前にPARCOパート2の地下の本屋へ行くために
 スペイン坂を上る。シネマライズを見れば「ムトゥー・踊るマハラジヤ」を
 思い出すし、PARCOの横のイベント・スペースを見ると、
 あの「エネミー・オブ・アメリカ」のパブリシティーのために
 一日中、ビラをまいていたことを思い出してしまう。
 企画開発部に在籍中は、渋谷のイベントばかりやっていたような気がする。

●ポエジー21の批評会は大盛況。
 うれしかったこと。
 @錦見映理子さんや『恋々風塵』の著者の河野洋子さんに会えたこと。
  塚本史さんにもお会いでき、少し、しゃべることができたこと。
  錦見さんは、初対面でしたが、メーテルとかの予備知識があったので
  ひとめでわかりました。
  河野洋子そんとは、興味の方向がほとんど同じ。こういう存在は
  頼もしく、ありがたい。
 A生野頼子さんが、森本平の『個人的な生活』を絶賛してくれたこと。
  この歌集にかかわって、報われたと思えた。
  生野さんは、東浩紀や大塚英志や笠井潔が嫌いだということが
  よくわかったことも収穫でした。
 B中澤系さんがWWFのTシャツを着て短歌系イベントに来たこと。
  および、最新のRAW IS WARのビデオをわざわざ録画して
  持ってきてくれたこと。
  やはり、持つべき者はプロレス仲間。
  中澤さん、ぜひ、短歌界のRCTとして、浄化に努めましょう。
 C帰り道で、宇田川寛之さんから、大阪プロレスを離脱した
  ポリスメーンの正体は元FMWでバトレンジャーだった上野秀幸だと
  教えてもらったこと。
  やはり、持つべき者はプロレス仲間。
 D北冬舎の柳下和久さんが幸福そうな表情だったこと。
  お疲れさまです。本当におせわになりました。

●二次会で、俳人の悪口を言ってうっぷんをはらす。
 ついでに、梅原猛全集の俵万智の推薦文に呆れた件をむしかえし
 林和清さんに賛同してもらったこと。
 あとは実名でいろいろと歌人の悪口も言ったなあ。
 でも、けっこう、現状はそれぞれのポジションが微妙にずれを
 生み出していて、なかなか波瀾ぶくみ。
 熊本の饗宴でのスタンスの相異も、その一つのあらわれだろうと確認。

●文学的にも通俗的にも短歌の世界はいろいろとありそう。ふふふ。


[82] フライデーフライデー 2000年11月24日 (金)

●イトーキの営業の田村さんに十時にきてもらって、二十四階の
 ミーティングチェアーなどの汚れているものをチェックする。
 BSのスタジオ近くにも新しいミーティングテーブルとチェアーを
 置かなければならない。ロッカーも必要。ということで、いろいろ
 と注文をだす。

●昼食後、ディレクターの萩田さんに頼んで、スタジオで、柴田千晶さんの
 詩「一九九九年秋、ヴィーナスフォートの空」に
 自作の超短歌「葉月・八月・鏖殺」を重ねて録音し、タビングも
 してもらう。
 一時間しかスタジオをとっていなかったので、けっこう綱渡りの作業
 だった。最初の予定では、タビングまでは三十分くらいですませて
 残り時間で、「夜明けの海月」と「金色の龍」を録音するつもり
 だったのだが、とても、そんな余裕はなかった。
 ともかく、ダビングしたテープを柴田千晶さんに送って、聞いて
 もらうことが先決。

●2時過ぎに、車両部の滝口さんと一緒に水上警察まで、安全運転管理者の
 変更届けの用紙をもらいに行く。
 水上警察は対岸に見えているのに、バスで浜松町へでて、品川まで
 JRに乗り、さらにバスに乗り換えて、一時間かかるという不便な
 場所にある。結局、タクシーで行くことにしたのだが、ドライバーが
 旧海岸通りの曲がり口を間違えて、十五分以上、よけいに時間がかかって
 しまう。
 警察で、安全運転管理者の変更を申し出るが、私が運転免許を持ってない
 ということで、確認のためにしばらく時間がかかってしまう。
 結局、会社の上長から、藤原を安全運転管理者に指名するという依頼書を
 出すことと、安全運転管理の講習をきちんと受けるということで
 受理してもらえることになりそうで、ほっとする。

●再び会社へ戻り、伝票書き。左足の腫れがひどくなってきたようで
 ぼっと熱を持った感じの鈍痛がする。非常に不愉快な痛み。
 5時半にすぐ飛び出して、門前仲町行きのバスで吉永整形外科へ行くも
 結局、消炎剤と抗生物質の量を少しふやして様子を見るということに
 なっただけ。
 外科の帰りに、新しくできた古本屋に寄ってみる。月曜日に寄った時に
 乙一の『石の目』が300円だったので、買うつもりで入ったのに
 すでに売れていた。買っておけばよかった。

●夕食後、たまっていた歌集の礼状を何通か書く。
 「牙」所属の菊地豊栄さんの歌集『真鍮の花』がオモシロイ。
 
・まかがよう光を放つまはだかの「阿木津英」読む外はこがらし
・写真なる与謝野晶子は襟元をゆるらに抜きて何か怖ろし
・だがしかしカサブランカの花も枯れ今宵は狸小路も暗い


[81] 永井陽子を偲ぶ会の日 2000年11月23日 (木)

●名古屋の「ルブラ王山」で「永井陽子を偲ぶ会」が開催されるので
 9時38分の新幹線で名古屋へ向かう。
 車中で、岡野弘彦著『折口信夫伝』を読んでいるうちに三十分ほど
 眠ってしまう。でも3分の1くらいは読めたので満足。
 正午ちょっと前に会場へ入ると、すでに斎藤すみ子さん、青柳守音さん、
 荻原裕幸さんたちが到着している。
 すぐに、準備に入る。
 青柳さんに手伝ってもらって、八つ切りに拡大した永井陽子さんの
 写真を額に入れる。裏板が少し浮いているので、両面テープで写真の
 四隅を固定する。
 会場の前方にの卓上に歌集『小さなヴァイオリンが欲しくて』と一緒に
 レイアウトすると、いかにも「偲ぶ会」という雰囲気。

●やがて、開会の2時が迫り、蒔田さくら子さん、中地俊夫さん、三井ゆき
 さんら、「短歌人」のメンバーが続続と到着する。
 荻原裕幸さんと司会・進行の段取りを打ち合せ。
 「偲ぶ会」といった場でのスピーチがどれくらいの長さになるか不明
 ではあるが、会場の時間は四時をすぎてもOKということなので
 心配はないだろう。
 井波敏光、斎藤典子夫妻も来る。井波敏光こと「十弦」の否鳥密とは
 たぶん20年ぶりの再会。名刺をもらうと取締役。うーん、歳月!
 吉岡生夫さんも来る。長谷川富市さんも来ているので、
「十弦」のメンバーのうち6人が集まったこと になる。

●会の進行は滞りなく進み、ぴったりと四時に終了。
 スピーチも心に残るものが多く、思い出深い会と言えよう。
 「短歌人」の加藤隆枝さんや、昔の同人誌仲間の大西美千代さんの
 語ってくれた永井陽子像が、歌人が知らない姿であり、その人格の
 多面的な部分の証言になっていたと思う。

●斎藤すみ子さん、荻原裕幸さん、青柳守音さんらの名古屋のスタッフの
 みなさまのご尽力に感謝いたします。

●地下鉄の池下駅の近くの喫茶店で一服する。
 メンバーは島田修三、田村雅之、早崎ふき子、佐伯裕子、香川ヒサ
 小池光、武下奈々子、坂出裕子、川本浩美、池田裕美子、沖ななも
 そしてフジワラ。
 小1時間しゃべって解散。
 
●帰りは6時5分名古屋発の新幹線東京行きに飛び乗りで間に合う。
 車中で左足が痛くなり、靴下まで脱いでいたら、隣席の子どもに
 変な目で見られた。
 『折口信夫伝』300ページまで読んだところで東京へ到着。
 キオスクで「週刊ファイト」を買い、橋本眞也独立の記事を
 読みながら帰宅。


[80] 奈落まで秋の辻村ジュサブロー 2000年11月23日 (木)

●外科によって左足を診療してもらってから会社へ行く。
 かなり腫れはひいているけれど、もうひとつすっきりなおらない。

●12月1日から本放送が開始となるBS放送スタジオの火入れ式に
 総務局長以下出席する。
 デジタル放送でありながら「火入れ式」という言葉を使わざるをえない
 のが奇妙でもあるが面白くもある。

●夜は池袋の藝術劇場の会議室で「短歌人」編集会議。
 会議の前にぽえむぱろうるに寄り、津野裕子の『鱗粉薬』を買う。
 パンフレット類が置いてある棚を見たら
 噂の「POETRY CALENDER TOKYO」という
 フリーペーパーが置いてあるので、いただく。
 しかし、こんなに、詩の朗読イベントがおこなわれているとは
 知らなかった。ほとんど、インディーズのライブ状態のようだ。
 「はちょう」の朗読会もちゃんと載っている。
 行きたいけれど、この日はムリなんだなあ。

●編集会議はたんたんと進む。
 四月号の特集を小池光さんが提案。
 この企画には驚いた。小池光という人は教師ではなくジャーナリスティック
 な仕事についても、絶対に成功し、名をなす人だと思う。
 「短歌人」12月号を読みながら帰宅。


[79] 晩秋の観覧車が軋みつつ回る 2000年11月22日 (水)

●23日に名古屋のルブラ王山で開催される「永井陽子を偲ぶ会」に
 持って行く、永井陽子さんの遺影をいれる額を買いに、
 会社帰りに門前仲町まで行く。
 写真の方は、山崎写真館に八つ切りに拡大してくれるように頼んで
 あり、こちらの方は、午後のうちに配偶者が受け取ってきてくれている。
 当日は司会進行を担当することになっているのだが、まさか、こういう
 場に出ることになるとは、思いもよらなかった。

●今日、読んだ詩歌集。
 平出隆『弔父百首』 不識書院 2200円+税
 荒川純子『デパガの位置』 思潮社 2200円+税

 平出隆の方は、かなり意地の悪い目で読み始めたのだが、これは
 予想外に心に響いてきた。肉親への挽歌は他人に響かないと決め
 つけている私だが、これは「父への挽歌」ではなく、「弔父」と
 いう事実を触媒にして、「故郷という土地」との交感を詠っている
 ようだ、と思う。同じようなことは「現代詩手帖」11月号の岡井隆と
 平出隆のダブル隆対談にも語られていたのだが、確かにそこで語って
 いる平出隆の意図は実現されていると言えよう。

・青鷺のしづかにひとり狙いをる浅瀬を窓に父は見ざりき
・吸入器ほのかに曇りまた透り今宵は父の息のよく見ゆ
・桃山の砂防ダムにも踏まへせり石の段切る水の霊にも
・常盤橋旧き木組みに直されて傘を日傘にひとは渡らむ
・いとなくて明日は刈らなと思ひ来し荒草ながら去り置かむ家

●荒川純子の詩集はウェッブの掲示板で田中庸介さんから、教えて
 いただいたもの。デバガというのはデパートガールの略称。
 歴程新鋭賞を受賞している。
 「あとがき――目覚めればまたデパートガール」という巻末の文章が
 良質なセンスとスピード感があって、言葉に対する感覚の良さを感じ
 させてくれる。
 現代詩の新人の詩集を買うのはリスキーな行為だというのは正岡豊さ
 んの言葉だが、この詩集に関してはリスクを負っても勝ったといえる。
 印象としては、作品の一行目が抜群に巧く、その次の行を読ませる力
 がある、と感じた。それは当然、作者の表現行為への自覚なのだから
 期待しても良いだろう。
 作品としては、表題作の「デパガの位置」というのが私には一番響く。
 デパートの開店前の扉に並んで、開くと同時に、デパートガールに
 「いらっしゃいませ」と言われながら店内に入った経験は誰にもある
 だろうが、デパートガールの側の心理など当然、想像したこともない。
 こういう視点のたてかたは鋭く、シニックな表現もイヤミになってい
 ず、この現在に触れている。
 
・わたしは平たい帽子をかぶり、白い手袋をはめて立っていた「デパガの位置」

・星占いを信じなくなって何年も経つ 「DANCE」

・私が十日ぶりに戻った部屋で車の音がする 「マイウェイ」

・私が毎朝通る曲がり角に立つ赤いポストがなくなる日 「レインボウ」

●こういう一行目の驚きというのが、私が読者として、現代詩ならではの
 ポイントとして魅力を感じる。

●夜、史比古がこの夏休みに江東区のカナダ短期留学に行ったときの
 ビデオが学校から届いていたので、家族で見る。
 途中で荻原裕幸さんから、「永井陽子を偲ぶ会」についての打ち合せの
 電話がかかってくる。全体的な進行について話し合う。


[78] ふるさとへ廻る六部は気の弱り 2000年11月20日 (月)

●左足首の診療のために、朝九時前に吉永外科医院に行く。
 見せると、腫れの色がかなり薄くなっているので、抗生物質が
 効いて来ているようだ、とのこと。
 血液検査の結果は、3種類のうちのひとつだけ出ていて、その
 数値は悪くない、とのこと。
 こんどは水曜日に来るように言われる。

●九時半頃、病院を出て、会社に本日は休みます、との電話を入れる。
 歩いていても、靴下をはいていなければ、足首は痛くないので、雨
 が降っていたが、銀座の伊東屋へ行って、書籍小包用の封筒を買う。

●どうせ、今日は休みだし、まだ午前中なので、思いきって、池袋の
 ぽえむぱろうるまで行ってみることにする。
 銀座一丁目の駅からは、地下鉄有楽町線一本で池袋まで20分たら
 ず。池袋西武の書籍館LIBLOの3階にぽえむぱろうるはあるの
 だけれど、さすがに雨の月曜日の午前中は館内ががらんとしている。

●正岡豊さんと田中啓子さんが、今、評価している若い詩人の小笠原
 鳥類と駒ヶ嶺朋乎のそれぞれ「現代詩手帖賞」を受賞発表されてい
 る「現代詩手帖」の1999年5月号、2000年5月号を買う。
 そのあと、かなり長考してから、思いきって『田村隆一全詩集』を
 買う。『加藤郁乎俳句集成』よりも逡巡があったのは、私の意識は
 やはり定型に寄っているということだろう。
 12月に入って、ボーナスをもらったら、若い詩人の詩集をちょっ
 とまとめて買って読むつもり。正岡豊さんが、詩集を買うのは歌集
 よりリスキーだと言っていたけれど、まあ、本というのはそういう
 ものだから、読書好きとしてはリスクを負わなければ。

●午後はずっと家でだらだら過ごす。
 正岡豊さんにお願いした詩の雑誌のコピーが郵便で届くと思ってい
 たのだが、来なかった。どうも、ここしばらくは、定型外郵便の到
 着が遅くなっている。

●夜は国会中継のラジオを聞きながら、内田勉君にダビングしてもら
 ったWWFの「Unforgiven」を見る。よくできている。
 ストーンコールドの復帰をメインテーマにしながら、タズとキング
 の試合にレイヴェンが突然出てきたり、ハーディーボーイズがクリ
 スチャン、エッジ組からタッグチャンピオンシップをようやく奪取
 したり、こまかいサイドストーリーが、この先への視聴者の興味を
 つないで行く。

●松浪健四郎の水かけ場面のリピートを繰り返すテレビを消して眠る。


[77] 傘なくばレインコートの襟立てて 2000年11月19日 (日)

●今日中にも送らなければならない原稿があるのだけれど
 いつもながら、ぐずぐすして、別に今日やらなくてもいい
 本の整理など始めてしまう。
 先月、かなりの本を寺田倉庫というトランクルームに預け
 たばかりなのに、ここのところ詩集や詩論の本を買ってい
 るので、またまた本があふれて来た。

●思潮社の現代詩文庫でいちばん初めに買ったのは『加藤郁乎詩集』
 だったのだが、その後の20数年で、買ったり貰ったりした分を
 数えてみたら、七十冊強だった。この中には、絶対買って読んだ
 のに、なぜか出てこない『中井英夫詩集』などは数えてないので
 本当はもう少し、家の中を捜せばあるのかもしれない。
 ひとまとめにして、すぐに取り出せるようにしたので、2000
 年から2001年にかけては、これらの詩集を少しづつ読んでみ
 ようと思う。
 そう言えば、この中の半分くらいは、歌人の児玉聡さんに貰った
 もの。児玉さん、またMLに出てきてくれないだろうか。

●本の整理のあとは、配偶者と一緒に近くにオープンしたイトーヨ
 ーカドーに行ってみる。
 もともとここは旧藤倉電線(ここは私の亡父の勤め先であった)の
 工場跡地だったところ。とにかく、やたらに床面積が広いし、外部
 の駐輪場や階上の駐車場も広い。
 ヨーカドーのほかに「109CINEMAS」というシネマ・コンプ
 レックスとスポーツ用品のヒマラヤがテナントとして入っている。

●冬物のサラリーマン背広とワイシャツ、靴を買う。
 開店セール中なので、これだけで25000円。
 まあ、勤め人の仕事着ということで、こんなもんだと思う。
 混んでいるのだけれど、予想以上に通路が広いレイアウトなので
 あまり、歩きにくいということはない。真ん中に吹き抜けがあり
 そこに、バルーンアートのサンタクロースが飾ってある。これで
 XX万円くらいだろうか、と、イベント屋だった頃の金銭感覚が
 ちょっとよみがえったりする。

●午後、マイルチャンピオン・カップの馬券を買う。
 完敗。アグネスデジタルは根岸ステークスでは買ったのに、まさか
 マイルのG1で勝つとは思わなかった。馬券はやはり他人と違う予想
 を意地でもする、という反骨精神がないと当たらない。

●クロネコのメール便で、「郷土」「桜狩」「栄根通信」などをいただく。
 短歌結社誌も郵便からメール便にどんどんシフトしている。
 夕方から夜にかけて、小田久郎の『戦後詩壇詩史』を再読する。
 早く原稿を書け!という声を聞きながら、眠ってしまう。


[76] 土曜の夜はやっぱりメチャイケ! 2000年11月18日 (土)

●メチャイケを見ていたので一時、日記を中断しました。
 今日は「しりとり侍」と「笑わず嫌い王」だけで1時間。
 いやあ、シンプルで面白かった。
 あっ、私、歌人のほかに、笑芸評論家もやっていて、産経新聞の夕刊に
 二ヶ月に一度づつですけれど、お笑い批評のコラムを書いています。

●さて、吉永外科医院を出たあと、長男の史比古と東西線の門前仲町駅で
 待ち合わせて、代田橋の専修大学付属高校へ、学校見学に行く。
 私立の学校は、10月から12月にかけて、こういう、進学希望者への
 プレゼンテーションをおこなって、生徒を獲得する努力をしているわけだ。
 
●京王線代田橋駅から徒歩十五分で学校へ到着。二時からなのに、まだ
 1時間近く前なので、最初の入場者になってしまい、体育館の最前列の
 中央という、目立ちすぎる席に二人で座らされてしまった。
 そのあとすぐに、どやどやと中学三年生の親子づれがたくさん入場して
 きたので、説明会開始前に、学校見学をさせてくれる。
 グラウンドが狭くて、ハンドボールのコートしかつくれないので、
 野球部やサッカー部は、よそのグラウンドを借りて練習しているとのこと。
 いかにも、都会のまんなかにある学校らしい。

●校長の話のあいだに、私も史比古も強烈な睡魔におそわれ、最前列で
 ありながら、こっくりこっくりしてしまう。はっと、気がつくと、
 校長と視線が合ってしまったり、気まずい空気。
 学校としては、イヤな感じはしない。
 この高校から専修大学への進学率は、当然のことながら、とても高い。
 専修大学といえば、もちろん、枡野浩一さんの出身校。
 私の趣味的にいえば、長州力や馳浩の出身校でもある。
 「短歌人」の果報者、宇田川弘之さんもOBである。

●私としては、都立の隅田川高校とかへ入って、宮部みゆきの後輩に
 なってほしい気がしなくもない。
 ちなみに、今、史比古が通っている中学には、安岡力也の息子も
 来ていて、このあいだの運動会や授業参観には、安岡力也本人が
 登場して、父兄をざわめかせていた。

●ところで、今朝から、病院での待ち時間や学校への途中の電車の中で
 長谷川郁夫著『われ発見せり 書肆ユリイカ 伊達得夫』を読み続ける。
 この本、前に一度読んでいると思い込んでいたのだが、読んでみると
 どうも初読だったらしい。
 小田久郎の『戦後詩壇私史』とかに部分的に引用されているので
 読んだと思い込んでしまったらしい。頭がゆるみ始めている。
 まあ、こういう、壇の裏話は面白くないはずはない。


[75] 贋作・挫折と再生の季節 2000年11月18日 (土)

●こんな題名つけると、怒る人がいるのかな。
 今日は、例の左足首の腫れがいっこうにひかないので、
 門前仲町にある吉永外科医院に行く。
 ここは、このへんでは一番大きな外科で、三年くらい前に
 足首わ捻挫して、治療に来た時には、いきなり、機械に挟まれて
 腕の肉がちぎれかけた人がかつぎこまれて来て、びっくりしたものだ。
 結局、原因はわからず、レントゲンを撮り、血液検査をするだけで
 今日のところは終り。
 血液検査の採血で、腕の静脈に注射針が刺さっている最中、
 看護婦さんの背後わ松葉杖をついた女子高校生がとおり、
 よろけて、看護婦さんの背中にぶつかる。当然、看護婦さんの重心が
 私の方に傾き、静脈に激痛。診察室にいっぺんにたくさんの人を入れ過ぎ。


[74] そして私は途方にくれる 2000年11月17日 (金)

●11時、熱海発のアクティーという特急電車で品川まできて、
 浜松町でバスに乗り換えて、会社に戻ったら、午後1時だった。

●いちおう、総務部へ顔をだして、部長に「もどりました」と挨拶してから
 昼食をとりに社員食堂へ行く。その前に流水書房へ寄ったら、
 注文してあちた、荒川純子の詩集『デパガの位置』が届いていた。
 思潮社の本だが、1999年10月20日初版第一刷で
 2000年11月30日初版第二刷とある。こういうのは二刷の方が
 将来、貴重になるかも知れない。定価2200円+税。
 しかし、新人の詩集で二刷が出るというのは珍しいのではないのかな。
 どうなんだろうか。
 この詩集と片岡ナントカという女性の詩集が面白いと、2000年版の
 「現代詩手帖年鑑」で小笠原賢治氏が書いていた。
 田中庸介さんも、この詩集はおすすめと教えてくれたので、早速、
 注文したしだい。
 いちおう、明日、読む予定。

●帰りに、池袋まで有楽町線を乗りっぱなしで、ぽえむぱろうるに行く。
 買った本。
 清水昶著『ぼくらの出発』思潮社 1800円+税
 岡井隆編『岡井弘・華子歌集』 砂子屋書房 3500円+税
 
 なんで、こういう本を買うかというと、ちょっと、予定外のお金が
 手に入ったから。歌集の方には、小池純代さんが、面白そうな文章を
 書いているから。小池純代さんという人も、短歌の世界の不思議の
 ひとつ。まあ、不思議ダイスキだから。


[73] 窓に西日が照らす部屋は、いつも、あなたの 2000年11月16日 (木)

●在京放送局車両責任者会議という各放送局もちまわりの会議があり
 今年は私の勤め先が幹事局ということで、熱海へ一泊の出張。
 車両部の関さんと、11時に会社を出て、新幹線で熱海へ。
 横浜支局の営業部の奈村君に紹介してもらった、花の館。染井という
 旅館。四時から会議の予定が、二時前についてしまった。

●会議用の部屋に資料と筆記用具を並べたり、お茶を飲んだりしている
 うちに、出席者がぼちぼち集まり始める。
 全員そろったところで、四時ジャストに開会。議題は各局の車両費用の
 問題点の検討と車両業務へのコンピュータの導入について。
 普通、こういう一泊の会議というのは、会議とは名ばかりで、宴会だけ
 がもりあがるというのが普通なのだが、車両費用の削減というのは
 放送局の共通のテーマなので、報告と質問とみに熱がはいっている。
 テレビ局とラジオ局では、やはり、すべての数字が一桁以上ちがう
 というのが実感。

●二時間たっぷり、会議をしたあと、露天風呂に入り、大広間で宴会。
 いきなり酒がはいって無礼講かと思いきや、食事が和食のコースで
 非常に手がこんでいて、おいしい。
 十二人の出席者も、これはおいしい料理だという思いで食べるのに
 集中して、座がほとんど乱れない。

●食事のあと、そのまま旅館内のカラオケ・バーになだれこみ、
 夕食で騒がなかった分をとりもどそうと、一気にもりあがる。
 最初はいきおいをつけるために、私が立花淳一の「ホテル」を熱唱。
 そのあと、てきとうに「氷雨」とか「酒よ」とか「雪国」とか
 おやじ系の演歌を6曲ほど入れてしまう。
 イントロがひびくと、すかさず日テレのMさんが、マイクをつかみ
 歌い始める、ということの繰り返しで、座がとたんに熱くなる。
 今回の異色は民間自動車連盟のAさんの『武田節』。こんな曲も
 カラオケに入っているんだ。
 結局、各局の人達は、すべて、カラオケは相当うたいこんでいる。
 後半はテレ東のNさんのオン・ステージ状態になった。
 矢吹健の「うしろ姿」とかホントにひさしぶりに聞いた。

●1時間一人3000円呑み放題という約束で二時間みっちり。
 十時半に解散。また、露天風呂に行く。
 風呂のあと、部屋にもどって、関そんと「NEWS23」を見て、眠る。


[72] 秋深く玉川上水流れけり 2000年11月15日 (水)

●夜の九時、西武新宿線、玉川上水駅に私は居た。
 この前の三鷹の近くの玉川上水よりはずっと上流なので、このへんは
 まだ水流が感じられる。
 仙波龍英のお姉さんの家に、「短歌人」に使った彼の写真の返却と、
 『墓地裏の花屋抄』を届けに行った帰り、車でこの駅までおくっても
 らったのだ。人の気配のない夜の私鉄駅の上りホームにはさびしさが
 水族館のように溜まっている。

●仙波龍英のお姉さん、今となっては、ただ一人の仙波家の生き残りに
 なるわけだが、彼女の婚家である山下家は、武蔵砂川駅の近くにある
 ので、なかなか行きそびれていたのだが、結局、今日、会社が終った
 あとにおたずねすることになった。
 急行バスで東京駅まで行き、JRの立川駅についたのが七時半。
 お姉さんが車で改札まで迎えにきてくれていた。
 車でもけっこう時間がかかり、8時前に到着。
 早速、仏壇に持参のかすてらをお供えし、拝ませてもらう。
 学生時代には、こんなかたちで、仏壇に手を合わせることになる
 などとは思いもしなかった。

●「短歌人」11月号、『墓地裏の花屋抄』、写真をお渡しする。
 仙波龍英の存在がいかに短歌の世界で伝説的になっているかを、
 お話しする。
 彼が生前、女性作家のH・Kと同居していたことは、知る人ぞ知る
 事実であるが、この女性に対するお姉さんの感情はまだおさまらな
 いものがあるようだ。私もこの女性に関しては、身勝手さに腹がた
 つ思いを今でも持っている。人間関係、特に男女のそれは、最終的
 には、他人が踏み込めない部分であり、私には痛恨の思いが残って
 いる。本当はいやがられても、踏み込むべきだったのではないか、
 と後悔の思いがわいてくる。失われた才能は還らない。

●家にもどるまでの1時間30分、仙波龍英のさまざまな表情が頭に
 浮かんでは消えてゆく。


[71] 風邪ごもる一日一夜を偽詩人 2000年11月14日 (火)

●風邪をだれかにうつされたようで全身がだるい。
 今日も引続き、SBSの全部長の研修のアテンドが続く。
 通訳が昨日とは替わって、李さんという東大大学院で比較文学を
 研究しているという女性。
 会社構内を案内する。フジテレビ・エリアに貼ってある
 「やまとなでしこ」の松島菜々子のポスターを見ながら、
 このドラマ設定とタイトルの意味を説明すると、全部長は
 にが笑いしていた。

●帰宅後、小田久郎の『戦後詩壇詩史』を拾い読みしていたら、
 1963年頃、池田満寿夫と小田久郎が、日本テレビの
 「底抜け脱線ゲーム」という番組のアイデアグループに入っていたので
 毎週、テレビ局で顔を合わせていた、との記述があるのに気づいた。
 前に読んだ時は、読み飛ばしてしまっていたらしい。
 「底抜け脱線ゲーム」は「底抜け」チームと「脱線」チームが
 障害物競走のようなゲームをおこなう番組で、この頃小学生だった
 私は毎週見ていた。
 今考えると、たいへんにアート性の高い番組だったということか。
 当時のテレビには、いわゆる若手のアーティストが、こういうかたちで
 関わっていたということなのだろう。
 小林信彦の『夢の砦』とか『60年代日記』とかも再読してみたら
 けっこう、あれれ、と思うような記述が出てくるのかもしれない。

●『東京式』の贈呈・発送作業が遅々としてすすまない。
 今までの歌集は、ほとんど、即日開票的に発送作業をすませて
 しまったのだが、今回は、こういう本を他人に送りつけるという
 行為に、やや、ためらいがある。

●「歌壇」十二月号、荻原裕幸さんの「俳句と川柳、と短歌」という文章
 に出て来る、枡野浩一短歌の位置付けが、ああ、そうか、と目をひらか
 せられる。「特殊歌人」という名乗りも、そう考えると受容できる。
 「同フォルムで異ジャンルのない短歌」
 「同フォルムで異ジャンルの俳句と川柳」という提示も読者としては
 受け入れやすい。メーリングリストでかわされている畑美樹さん、
 なかはられいこさん、樋口由紀子さんたち川柳作家と荻原さん、穂村
 さんの川柳の詩性に関する議論にもつながってくる。


[70] お台場の電飾変化する凍夜 2000年11月13日 (月)

●今日は韓国のソウル放送(SBS)から、全部長というかたが
 日本の放送局の現状を学ぶということで、会社にやってきた。
 あらかじめ、総務局長、企画開発部長、制作部長、デジタルコンテンツ部長
 に、1時間程度の話をしてもらうように段取りをしておいたので、
 スムースに進む。
 どの部長も、「オレはあまり話すことはないから」と言いながら、
 実際に話しはじめると、けっこう、夢中になり、時間をおして
 話が続いていた。
 全部長は、明日、もう一日、わが社で研修をすることになっている。

●帰宅してから、村井康司さんの「かにみそ日記」を見ると、
 なんと「『江東歳時記』と『東京式』」というタイトルで、
 ありがたい文章を書いてくださっていた。冷や汗が出てくる。
 石田波郷と並べられれば、もはや、短歌の弔鐘は私が撞くしかないようだ。
 過褒の文章で面映いが、どうしても読みたいというかたのために、
 村井さんの素晴らしい日記のURLは↓
     http://www2.diary.ne.jp/user/59129/

●「かばん」のイベントのレポートを早くも、セイント正岡豊さんが
 天象俳句館に書いてくれている。
 一気に読む。かなり、バリエーションが豊かなパフォーマンスが
 おこなわれたようで、たいへん興味深い。
 私も実は朗読イベントを企画しているのだが、まだ、概要しか
 決まっていない。詳細は今後、つめてゆくしかない。さてさて。


[69] キャラバンが去りたるのちを夢の跡 2000年11月12日 (日)

●午前中、たまっていた、寄贈歌集への礼状を書く。
 そのあと、三軒茶屋のしゃれなあどでおこなわれる
 「短歌人」11月歌会へ行く。
 今月の司会は、柚木圭也君と高田流子さん。出詠は41首。

●松原一成さんを誘って歌会の途中でちょっと抜け出し、喫茶店で
 朗読イベントの構成を一緒にやってほしいと依頼する。
 概要を説明し、私の朗読に関する考えを説明、了解してもらう。

●歌会のあとの勉強会、今月は渡英子さんのレポートで、
 北原白秋の「桐の花」。
 「悲しき玩具」「赤光」「桐の花」が、ほとんど同じ時期に
 出てくることのスゴサ、近代短歌の黎明ということだろう。
 戦後でいえば、1954年に中城ふみ子、寺山修司が出現した
 ことも、現代短歌のスタートということで理解できる。
 レポートと討論を聞いているうちに、自分はやはり、
 茂吉嫌いの白秋好きだと確認する。

●食事会には行かず、午後8時過ぎに帰宅。
 斎藤すみ子さんから、23日の「永井陽子を偲ぶ会」の出席者リスト、
 席順、全体の構成などのファックスが届く。出席予定者は111名。
 ファックスを確認し、斎藤すみ子さんと青柳守音さんに確認の電話を
 かけたあと、「桐の花」の「哀傷篇」の部分を読みながら寝てしまう。

●「かばん」のイベントは盛況だったのだろうか。


[68] 電脳セイント正岡豊さんは東京を慈愛に包む? 2000年11月11日 (土)

●私は原則として、朝、前日の日記をつけているので、日付けは一日あとのものに
なってしまうなあ、と思っていたのだけれど、よく考えたら、単に日付けを
修正すれば、よいのだった。一ヶ月以上、こんな簡単なことに気づかなかった。
だから、今日は実は12日の日曜日だけれど、日付けは11日土曜日になっています。
これで整合性がとれる。

●と、いうわけで、午前中は平和島の大恵クリニックに行く。左足首が
 原因不明で腫れている件。血液検査をするかもしれないと言われて
 いたのだが、先月の会社の健康診断の結果のコピーを持っていったら
 その数値に異常がないので、結局、検査はしないことになる。

●通院の車中と待合室で、100ページほど読み残していた、
 殊能将之著『美濃牛』を読了。衒学的なミステリだが、文章が巧いので
 気持ちよく読み進める。講談社のメフィスト賞から出てきた新人の
 第2作ということになるそうだ。ゲーム性の強い新本格派の作品は
 どうしても動機やトリックの面が、つくりものめいていて、個人的には
 好きになれないのだが、この作品は動機などは、なんとか現実的にも
 納得できるレベルと言える。
 なぜ、この本を急に読み始めたかというと、俳人の千野帽子さんから
 作中に藤原月彦の俳句が引用されている、と聞いたから。
 確かに引用されていました。

・乱歩忌の劇中劇のみなごろし  月彦

 石動戯作という作中の探偵役のセリフの中で、「メタ・ミステリ的な
 あじわいがある作品」という紹介のされかたをしている。

●うれしかったので、殊能将之の第一作で、メフィスト賞受賞作になる
 『ハサミ男』も買ってきて、読み始める。両方読んだ人からは、
 こちらの方がミステリとしてはあざやかだという意見が多い。
 ところで、この本を買うために、病院帰りに八重洲ブックセンターに
 行ったのだが、5階の文庫コーナーのレイアウトがマイナー・チェンジ
 していた。たとえば、河出文庫は今まで創元推理文庫と並んでいたのが
 奥の見えにくい棚にあった扶桑社文庫と位置をバッタンコされていた。
 つまり、扶桑社ミステリなどが前の方に出てきたことになる。
 これも、都筑道夫『なめくじに聞いてみろ』や横溝正史『真珠郎』とか
「昭和ミステリ秘宝」シリーズを出してマニア受けしているからかな。
 しかし、この「秘宝」というネーミングのセンスがいいよね。

●午後は「短歌人」の2001年からの新企画の「見る、読む、食べる」の
 原稿を書くつもりだったのだが、結局、だらだら過ごしてしまう。

●明日は「かばん」のイベント「犬は吠えるがキャラバンは進む」が
 ある。正岡豊さんは、金曜日から東京へきている。旅するセイント。
 ごーふる・たうんのタグチさんも旅人だが、この寒空の下、どこを
 旅しているのやら。
 寒空で思い出したが、埼玉大学出身の芸人の寒空はだかを知ってますか?
 鳥肌実と寒空はだかで、二人ライブをしたら面白そう。


[67] ああ、人はむかし、鳥だったのかも知れないね 2000年11月10日 (金)

●正岡豊さんや田中啓子さんが、吉祥寺の曼荼羅で、
 福島泰樹絶叫ライブを聞いている頃、私は有楽町の
 ニッポン放送分室の地下2階のボイ室の鉄扉に、二人の警備員と
 一緒に体当たりをしていた。
 鍵がこわれて、扉があかないという連絡があり、明日の朝はやく
 行くより、今夜中に決着をつけておきたかったので、とにかく
 分室まで行って、力づくで開ける事にしたのである。
 まあ、大の大人が三人がかりでやったので、何とか鉄扉も開き、
 一件、落着。

●上の一件をのぞけば、今日も昨日に引続き、うれしいことの多い日だった。
 中島みゆきがニューアルバムのパブリシテイーということで、いくつかの
 番組にゲスト出演の録音のため、ほぼ一日中、会社に居た。
 その控え室が、総務部の脇の小会議室なので、そこを出入りする
 ナマの中島みゆきをを何度も見ることができた。
 これも、ちいさな幸せ。

●夜は銀座で、白水社の編集者の和気元さんに30年ぶりに会うことが
 できた。実は和気さんは、私が一九七一年に一年だけ慶応大学に
 在籍し、放送研究会に入っていたときの先輩になる。
 当時から、抜群に頭のきれる人で、私はこの和気さんの言葉のはしばし
 から、刺激をうけていたのだった。
 卒業後、白水社で編集者をされていることは、白水社の出版物の
 あとがきに著者が、「編集部の和気元さんに感謝する」というような
 言葉を書いていることが多かったので、いちおう知っていた。
 しかし、あえて訪ねたりするのは気後れがしていた。
 それが、ひょんなことから、「短歌人」の谷村はるかさんが、
 白水社で、仕事をしていることを知り、彼女に和気さんのことを
 たずねたら、和気さんの方も私のことをおぼえていてくれている
 ことがわかり、今日、30年ぶりの再会となったのであった。

●谷村はるかさんにはいくら感謝しても感謝しすぎることはない。
 銀座三越の2階のHILLという喫茶店で待ち合わせ、そのあと
 みかわ屋へ行って、三人で歓談しつつ、食事をした。
 実は、この食事の最中に、ケイタイに分室の警備担当者から
 ボイラー室の鍵がこわれた、との連絡が入ったのだが。

●和気さんと谷村さんに『東京式』を謹呈する。
 和気さんは私に、平出隆の『左手日記例言』をくださる。
 この本は今月の「未来」で岡井隆氏が、読むべき本として挙げていた
 ので、買うつもりでいたのだが、何と思いがシンクロして和気さんに
 つたわったのだろうか。

●おもに和気さんが、白水社で編集した本の話を私がうかがうという
 かたちで時間が進んでいったのだが、日本風景論のシリーズが
 和気さんの仕事だつたということを聞いて、驚きかつ嬉しかった。
 塚本邦雄の『半島』、澁澤龍彦の『城』、中井英夫の『墓地』、
 赤江瀑の『海峡』などなど、どの本も忘れ難い思い出がある。
 赤江瀑の『海峡』は、赤江フリークの間では、小説以上に評価が
 高い作品である。実は私はこの『海峡』の角川文庫版を二冊もっている。
 ブックオフで地道にさがせば、見つけることができるかもしれない。

●ともあれ、大人になってからの、あこがれていた人との再会は
 十分に刺激的な時間だった。

●実は和気さん、谷村さんと会う前に、近藤書店に寄ったら、
 国分社の現代歌人文庫の第二期の『続・福島泰樹歌集』が出ていた。
 この本には、私の福島泰樹論「表現者の誇り」が収録されている。
 この本が出るから、「表現者の誇り」のコピーを送れ、と福島さんから
 連絡をいただいてから、もう四年くらいたつんじゃないだろうか。
 やっとでたんだ、との喜びとほっとした思いがある。
 この「表現者の誇り」は『短歌の引力』に収録した「自己伝説化の構造」と
 いう文章と対をなす福島泰樹論なので、興味のあるかたには、ぜひ、読んで
 いただきたいと思う。

●さらに帰宅すると、辻下淑子さんから
 『紅玉堂書店所蔵短冊集』という立派な本を贈っていただいていた。
 紅玉堂というのは、辻下さんの伯父にあたる前田隆一という人が
 大正から昭和の初期にかけて経営していた出版社で、当時の唯一の
 短歌総合誌「短歌雑誌」を初め、多くの歌集、歌書を出していたの
 だそうだ。
 その関係で前田氏が所蔵していた歌人諸氏の短冊をカラーで復刻した
 貴重な本である。
 茂吉、迢空、白秋、晶子といったところはもちろん荷風、芥川、
 倉田百三などといった変わったところの短冊も収録されている。
 ちなみに荷風の短冊は

・鯊釣の見返る空や本願寺

 倉田百三は

・藤なみの花ふさながく垂れさがり己がうき心いやつのるなり

●ということで、充実した一日と総括しておこう。


[66] 季節の変わり目を、あなたの言葉で知るなんて、と高田みづえが言ったような 2000年11月10日 (金)

●昨日はたくさんのうれしいニュースがあった。
 正岡豊さんの歌集『四月の魚』が再版されることが決定したそうだ。
 著者負担ではなく、しかも、刊行後、何年も経ってからの再版という
 ケースは珍しい。まろうど社という出版社の決断をたたえたい。

●夜、帰宅直後に、電話で、ちょっとうれしい原稿依頼があった。
 書きたいなあ、と思っていたものなので、願いが通じた気持ち。
 思わず「星に願えば」を歌う。ウソ。

●桝屋善成さんのご好意で「未来月報」のコピーを読ませてもらう。
 これは、ガリ版刷りの貴重な資料。短歌の青春が匂い立つ。

●村上きわみさんから歌集『fish』を頂戴する。
 これも読みたかった歌集で、無理をお願いしてしまったもの。
 歌集に関しては、刊行直後に手に入れられなかった場合は
 どうしても、著者のご好意に頼りがちになってしまう。

●昼間は風が冷たかったが、夜になって風がとまり、心があたたかい夜更け。


[65] あたしは泣いたことがない、と明菜は言った 2000年11月09日 (木)

●昨日、いただいた本や雑誌。
 
・秋山佐和子編著『三ケ島葭子全創作文集』ながらみ書房

・「恒信風」2、4、5、6、9及び特別号 村井康司氏より頂戴する。

・「カバトまんだら通信」十九号  木割大雄さんより頂戴する。

●どれも、ぜひ、読みたいという期待感がもりあがる。
 「カバトまんだら通信」は木割さんが、赤尾兜子に関するさまざまな
 ことがらを自由につづる冊子。兜子の貴重な文章の再録もあり、
 非常に面白い内容である。

●今号は「渦」昭和四十二年十二月号号に載った、赤尾兜子の「光陰」なる
 文章を再録。これは、水谷砕壺への追悼文。
 それに関連して、木割さんが「鯉屋伊兵衛をご存知か」なる文章を
 書いている。

●鯉屋伊兵衛は新興俳句の井上草加江の戦後の筆名。この名で「天狼」の
 遠星集に作品を発表している。句集に昭和53年刊行の『偏在』がある。

●木割さんの文章は、水谷砕壺からはじまり鯉屋伊兵衛、長田喜代治、
 小寺勇と昭和20年代から30年代、40年代にかけての関西の
 前衛系列の俳人たちの風姿を語ってゆく。
 水谷砕壺は、戦前から、関西タールの社長として実業家として
 成功しており、「旗艦」や「琥珀」や「太陽系」の実質的な
 パトロンだったという。
 富沢赤黄男は戦前、関西タールの東京支店の責任者であったとか、
 井上草加江、長田喜代治も関西タールの社員だったそうだ。
 そして、当然、この人達の関係は日野草城にも繋がってゆく。

●兜子は水谷砕壺のことをきちんと書き残したいと言いつつ、はたせな
 かった。それを、木割さんが桂信子に言った時の桂氏の言葉。

「兜子さんが砕壺さんのことを書きたいという気持、よく分かります。
 兜子さんの、そういう話はあなたが書き残してくださいね」

●木割さんの文章に引用されている俳句。

・わが生きてゐる掌に軽き空蝉よ  鯉屋伊兵衛

・無名でも旗艦の残党巴里祭    小寺勇

・胡瓜もみ父路地に棲み路地に死せり 長田喜代治

・黒蝶やうしろ姿の影ぞわれ     赤尾兜子

・雪渓に火を焚く仮のわが世界     竹谷力

●こういう俳句史を実体験を中心にして、きちんと書き継いでゆくことの
 大切さを、木割大雄という人ははっきり認識している。
 私が「渦」に在籍していたころ、
 木割さんは「わしは尼崎(あま)のエロ本屋や」と言っていたし、
 実際、そうなのだけれど、現在は、関西俳句史の検証者でもあり、
 下町のプロデューサーとして活躍する多力者である。