[1270] 高野裕子・大森浄子出版記念会 2004年03月17日 (水)

早朝番組の生放送ののち、他の番組の準備と残務、会議を経て
一度帰宅。服を着替えてから、学士会館の出版記念会へ向う。

高野裕子歌集『煙色の子猫』と大森浄子歌集『岩船寺のセミ』の
出版記念会。
二人とも、じゅうぶんな歌歴をおもちの方々なので、作品もとて
も読みごたえがある。

発起人をはじめ、出席者の方々から、有意義な批評がいただけて
主催した側の一人として心から感謝したい。
特に高野裕子さんの作品に、高瀬一誌作品の影響を感じる、とい
う意見が多かったのは、興味深いことだった。
高野裕子さんは、源氏物語の研究者でありながら、新仮名つかい
でユニークな発想の作品をつくり続けていることには、志を感じ
る。

外塚喬さん、松谷東一郎さんたちと久し振りに話しをする。
眠くなってしまったので、二次会は失礼させていただく。
夜10時前に帰宅。
明日はウイークデイで唯一、遅く出られる日。
目覚まし時計をかけずに眠れる幸福を満喫する。


[1269] 混乱つづく 2004年03月16日 (火)

高橋尚子のオリンピック落選ということで、昨日からずっと
マスコミ関係は混乱が続いている。

「朝刊フジ」では、増田明美さんに、電話でつないで、生
放送で、今回の選手選考およびアテネの展望をしゃべって
いただいた。

サプライズで、上柳パーソナリティが
「昨日のテレビで、Qちゃん(31歳)オリンピック落選
と、テロップが出ていたのは変だった」とラジオらしいフ
ォローをしていた。
また、いちはやく、土佐礼子と電話で生放送でつないだの
はさすがに、すばやいブッキング。

明日も早出なので、夕方はやめに帰宅する。
眠くて、本を読もうとしても、アタマに入らない。


[1268] 安息日 2004年03月15日 (月)

久しぶりの週休二日目。

陸連から、アテネオリンピックのマラソンの選手の選考結果が
発表になる。
高橋尚子が落選して大騒ぎとなる。
会社でもいまごろは大混乱だろうと思う。
夜、高橋尚子と小出監督の記者会見。
なかなかつらいところなのだろうなあ、と同情する。


[1267] 番組と読書 2004年03月14日 (日)

生放送と録音番組を一本ずつこなして、午後三時過ぎに帰宅。

名古屋国際女子マラソンで、土佐礼子が好タイムで勝ったら
面白いなどと、会社で話していたら、その通りになってし
まった。

北村薫著『夜の蝉』と『空飛ぶ馬』を読む。

明日は代休をとることになっているので、珍しく、夜更けま
で読書を続ける。


[1266] さりげなく土曜日 2004年03月13日 (土)

午前中、古石場の図書館へ行き、借りていた『芥川賞全集』、
『川端康成賞作品集』などを、返却する。
これは、返却期限が来ているので、とりあえず一度返して、
また、借りに来るつもり。
福田和也の『作家の値うち』と『「作家のねうち」の使い方』を
借りる。

門前仲町のブックオフにまわるが、買うべき本はなかった。
ここのところ、この店は、品揃えが悪くなった気がする。
福太郎薬局で目薬を買い、ミスタードーナツでドーナツをいくつ
か購入して帰宅。

午後はベランダの段ボール箱の中の本を久し振りに整理。
といっても、本を若干分類しなおして、雨ざらしの古い箱から
新しい箱に移す程度。

夕方から原稿を書く。

北村薫の『夜の蝉』を再読しながら眠る。


[1265] 会社の卒業式 2004年03月12日 (金)

会社の同僚の掘美幸の卒業式に出席した。
メリディアンの29階の銀河という宴会場での立食パーティ。
掘美幸とは、おもに映画関連の仕事を一緒にした。
渋谷パンテオンでのオールナイトイベント、年末の映画でカウン
トダウンというイベント、さらに東京ファンタスティック映画祭、
ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭、さらに忘れられな
いのは「ムトゥー・踊るマハラジャ」の日本での公開に関するも
ろもろの作業。
一緒に仕事をしたといっても、実は私は彼女に仕事を教えられ続
けていたといったほうが正確だろう。

パーティには、社内の人よりも外部からの出席者の方がずっと
多かった。パーティの最後にまで残っていたのも、ほとんどが
外部の映画関係者やイベント制作会社の人達だった。
如何に彼女が人望があったかの証拠だろう。

福地さんや石井や簗詰や杉山君やトライアルの田中さんたちにも
久しぶりにあった。

掘美幸は、今夜で会社を卒業し、これからきホリプロの社長夫人
としての多忙な日々が待っている。
文学であれビジネスであれ傑出した才能のは美しい。


[1264] 編集者・共同作業者 2004年03月11日 (木)

今日はゆっくり9時過ぎに出社。
もっとも、昨日は夜の録音が終って帰宅したのが24時近かった
ので、過重労働だなあとの思いはかわらない。

佐藤洋二郎の『実践・小説の作法』を読み終る。
やはり、良い編集者との出会いの大切さがリアリティをもって
書いてある。
このことは『野呂邦暢・長谷川修往復書簡集』を読んでもよく
わかる。長谷川修は当時の「新潮」の編集者の坂本という人に
全面的な信頼を置いている。
野呂邦暢も「文学界」の編集者の豊田建次を信頼している。
詩歌では中井英夫以降、これだけの編集者は出現しているだろう
か。作品の原稿を受取っても、力が入っていなければ、書き直し
を求めるような編集者は居るだろうか。
『東京式』を書き下ろしたときの編集者・柳下和久さんは、私に
とっては、こういう文芸誌の編集者のように、共同作業をおこな
ってくれる得難い編集者だった。
松原未知子さんの『潮だまり』を編集したのもこの柳下和久さん
である。


[1263] 潮だまり 2004年03月10日 (水)

松原未知子さんの詩歌集『潮だまり』(北冬社刊)に圧倒される。
これから、くり返し読み返すことはまちがいない。
私は言葉を技巧的に扱うことはキライではないが、
たとえば、これみよがしの作法は、好きになれない。
言葉を従属させる喜びというのとは無縁なのだ。
しかし、松原未知子さんの技巧はそういうものではない。
断念を経てのちの軽みとも言うべき含羞と臆面のなさが
なんともいえずに、気持ち良い陶酔を感じさせてくれる。

・女装して裾ひきずればこの世とはいと低きにて蠢くものを

この一首を絶唱と思う。
詩篇では「満潮」が断念、諧謔の混交した傑作!

松原未知子という人が言葉をあやつる姿を羨望する。


[1262] 帯久 2004年03月09日 (火)

東西落語研鑚会も今日で7回目。
私は、のっぴきならない急用で見られなかった前回をのぞき
いちおう、6回通ったことになる。

ロビーで泰葉さんがコロッケを売っているのも、おなじみの光景
となった。
問題点は、トリをずっと上方の落語家がとり続けていること。

今日は、立川談志家元がちゃんとやってくるか、そして、何を
演ずるかが興味の焦点だったわけだが、「松曳き」で軽く流し
てみせた。
そして、何より、今回も、関西の林家染ニ、笑福亭松喬がよかった。
染ニの「八五郎坊主」もじゅうぶんに笑えたが、圧巻は松喬の
「帯久」。
この噺、関西では米朝、関東では圓生が得意にしている。
笑いが少なく、筋立ても繰り返しが多く、また複雑な人間関係
なので、難易度がきわめて高いのだろうと思う。
ところが、これを松喬はらくらくとこなしてみせ、お客を完全に
噺にひき込んでしまった。
六代目笑福亭松鶴の弟子で、鶴光と鶴瓶のあいだの弟子だそうだ。
東京地区でのマスコミ露出はほぼ皆無なので、私も初見だったの
だが、ダミ声が師匠松鶴を彷彿とさせ、みごとな高座だった。

まだ、桂文我も桂吉朝も桂あやめもこの研鑚会には出ていないこ
とを考えれば、関西落語界の層の圧さを再認識させられた。

本日は笑福亭鶴光一門会もイイノホールで開催されており、関西
のパワーに圧倒された一夜になった。


[1261] 短篇小説を読む 2004年03月08日 (月)

今週は木曜日をのぞいてずっと早出。

川端康成賞の作品集を借りてきて拾い読みする。
筒井康隆「ヨッパ谷への降下」、色川武大「百」など。
選評や受賞の言葉も収録されているので、どの作品の
どの部分が、どのように評価されたかが検証できて
勉強になる。
他に『野呂邦暢作品集』の中から、「白桃」を読む。
書き出しの部分や場面転換の文章にとてもくふうしている
のがよくわかる。
短篇小説の味わいは当然のことながら『楡家の人々』のような
群像物語とは異なるわけで、どこにどのような明度のスポット
を当てるか、というのが作歌の腕のみせどころなのだろう。

今週、来週と短篇小説を読んでいこうと思う。


[1260] 寒風の春 2004年03月07日 (日)

寒い風が吹く日曜日。

6時に会社へ行き、正午過ぎに帰宅。

一眠りしたあと、PATで馬券を買う。不振。
歌集、句集の礼状を書く。
原稿も少しだけ書く。

やっとのことで『楡家の人々』読了。
圧巻という感想が正しい私の反応だろうと思う。
戦争になってからの各自の生活の場面など
小林信彦の『ぼくたちの好きな戦争』にかなり影響を
与えているように感じた。
あえて、残念に感じたことを言えば、やはり、徹吉から歌人という
属性が排除されていたこと。医学者としてだけではなく、歌人とし
ての側面も描かれていたら、さらに徹吉の存在に深みが増したよう
に思うが、これは読者の勝手なないものねだりだろう。


[1259] 回忌 2004年03月06日 (土)

高尾の東京霊園で父の十三回忌と母の三十三回忌をおこなう。
母が亡くなったのが昭和49年1月17日、父が亡くなったのが
平成4年3月25日。
幸いあたたかい陽射しで、寒くてふるえあがるということはなかった。

新宿へ出て小田急ハルクの八階にある「大志満」で親戚一同と一緒
に食事。
午後三時前に解散。
とりあえず、これで懸案事項の一つはかたずいた。ほっとする。

帰宅後、馬券をPATで買うが不振。

夜は『楡家の人々』の下巻を読みながら寝る。
あと100ページちょっとであり、しかも内容も面白いのに、なか
なか読み終わらないのは、いろいろと他の本わ拾い読みしているか
らだ。
とにかく、週末のうちに、この本だけは読了しよう。


[1258] 朝帰り昼出社 2004年03月05日 (金)

結局、木曜日の夜からずっと社内に居て、朝3時過ぎから、番組の
準備、そして本番。
番組終了後、さすがに疲れて、タクシーで帰宅。

すぐに眠って、正午前に起きる。
とりあえず、だいぶすっきりしている。
そのまま再び出社。
午後いっぱいかけて、番組の録音。
6時過ぎに社を出て、東京テレポート駅で、社員証と入構証がなく
なっているのに気づく。うっかり、落としてしまったらしい。
しかたなく、社に戻り、総務部と防災センターに届ける。
社員証だけ、拾得物として届けられていたので、返却してもらう。
しかし、入構証はなかったので、月曜日に再発行の届を出して、
しばらく待たなければならない。たぶん、アタマがぼんやりしてい
たから、落としたことに気づかなかったのだろう。
困ったものだ。

明日は父の十三回忌、母の三十三回忌で、家族と一緒に、高尾の
墓地まで行かねばならない。


[1257] 点滴と睡眠 2004年03月04日 (木)

今日も早出。
身体のふしぶしが痛い。
番組が終わったあとで風邪薬を飲むが、あまり効かない。
今日は夜、別の番組の録音があるので再出社しなければなら
ないので、午前中のうちに社屋を出て、久しぶりにTクリ
ニックへ行き、診療を受ける。
点滴を受けたら、痛みはなくなった。

パンを買って帰宅。
すぐに眠る。
6時前に起きて夕食。7時半くらいまでゴロゴロして、
再出社。
番組の録音をとり、終わったのが夜11時。
帰宅しても、どうせ眠れそうもないので、そのまま
明日の朝まで残ってしまうことに決める。
明日の準備をしていたら、長嶋茂雄氏が脳卒中の疑いで
入院との一報が入ってくる。
いきなり、ばたばた、みんなが騒ぎはじめ、
放送局らしく活気づく。
明日は番組が終わったら、即帰宅。
そして、午後、再出社の予定。睡眠時間確保が最大の問題。
去年とはえらく労働時間がちがう。
しんどいことである。


[1256] 図書館へ行く 2004年03月03日 (水)

水曜日は正午から、番組の定例会議がある。
今日はそれに加えて、午後2時から、別の番組の打合せ。

さすがに、早出だと、このあたりの時間にアタマがぼーっと
してくる。

午後3時半過ぎに勤め先を出て、門前仲町行きのバスで、
都立三商前で降りる。
ここから10分ほど歩いて、古石場の図書館に到着。
ここで、芥川賞全集の第10巻、野呂邦暢の「草のつるぎ」
が載っている巻を借りる。
この古石場図書館は、新しくできたので、本も新しく、数
も多いのだが、どの駅からも中途半端な場所にあって、行
きにくいのが難点。

帰宅すると、ネットの古書店に注文しておいた、
『野呂邦暢・長谷川修往復書簡集』が届いていた。
長谷川修は下関在住で、野呂邦暢と同時期に芥川賞候補にな
っていた、いわばライバル関係の作家。
拾い読みしただけだが、手紙によって、きわめて濃密な文学
論が展開されている。
豊田健次宛の手紙もそうだが、野呂邦暢の手紙には、実に
いきいきとした文学への野心がみなぎっていて、読んでいて
元気が出てくる。
と、言いながら、読みつつ眠ってしまう。


[1255] 新しい目標と回想 2004年03月02日 (火)

昨日の野呂邦暢の書簡の熱気に煽られたのだろうか、小説が
書きたいという気持ちになっている。

こういう時のために買っておいた佐藤洋二郎の
『実戦・小説の作法』を読み始める。
第一章が「擬声語と擬態語を使うな」というもので、これは
まったく同感。
擬声語や擬態語を使うというのは、その表現にもっともふ
さわしい言葉を選び抜く、という、いちばんの快楽を放棄
してしまうわけだから、当然のことだ。
この作法書を読んで、いずれ、小説を書くので、期待して
待っていてほしい。

「週刊プロレス」の別冊の「名鑑ロマン・15年クロニ
クル」を拾い読みする。
これは、1990年からのプロレスラー名鑑を集大成した
もの。プロレスの世界に団体が乱立した時代なので、選手
や団体の変遷をチェックするだけでも面白い。
1990年の名鑑のFMWの項目に、リングアナウンサー
として、自殺した荒井昌一さんが掲載されているのが、今
となっては哀しくてやりきれない。


[1254] さまざまな迷いと勇気 2004年03月01日 (月)

林あまりさんとお会いする。
フリーの文筆家として立つというのは、現在、とても困難な状況
なので、よく頑張っていらっしゃるとリスペクトしたい。
なにより、価値判断がはっきりしているのが素晴らしい。

帰り際に、天龍、佐々木健介、中西がユニットを組むという
プロレスの話題になった。
短歌の世界でも、たとえば、林あまりさんや枡野浩一さんといった
歌壇とはなれたところで一匹狼的に活躍している人が、チームを
つくるというのも面白いかもしれないけれど、プロレスの方も、
実は中西がメジャーの新日本プロレスに所属しているということが
大事なのだ、という結論になった。

豊田建次著『それぞれの芥川賞 直木賞』(文春新書)を読了。
著者は山口瞳をはじめとする作家のエッセイによく名前が出て
くる文藝春秋社の元編集者。

野呂邦暢が文学界に作品を発表しながら芥川賞を受賞するまで
に、担当編集者であった著者とかわした手紙がたくさん引用さ
れているが、これがなんとも、みずみずしい野心を感じさせて
くれて、読んでいて気持ちが良い。
「まんが道」もそうなのだが、表現者が真の表現者になるために
苦闘している姿ほど美しく勇気にみちたものはない、と言うこと
だ。
良い本を読んだ。


[1253] 比喩おもふことむなしきまでに 2004年02月29日 (日)

やはり、昨日の疲れが残っている。
カラダのふしぶしが痛い感じがする。

昨日、出張だったので、今日の番組は休ませてもらう。助かった。

雛祭りのおすしを食べたり、馬券を買ってがっかりしたり、原稿
を書いたりして一日を過ごす。

今日読んで感心した藤井幸子歌集『落屑』から、作品を紹介。

・大本営発表の胼胝なほ耳朶にありてイラクの砂塵の晦さ
・生き物が生き餌に跳びつくショー終り水族園のいつものたそがれ
・事およそ思はしからねどタイガース勝ちてゆふべの風わたるなり
・テレビカバーといふものありし日のテレビにきほひしおほかた見ずなりにけり
・難波潟葦吹く風の色めきて野球団ひとつ売らるる話
・風呂を出て拭きつつ倦めり人体の立体としてのややこしさに
・沖の島朧に湖北時雨筒今朝死す千代之介・茶川一郎
・幾世かけ咲かせた花ばな幾もんめふるさとまとめて壊れてしもた
・線香を竝べたやうに冬の灯を点すあの日に折れし高架路
・クーパーの碧き眸もはろばろと 明石の蛸よりモロッコの蛸
・枯芝にあらくさの緑なまなまし比喩おもふことむなしきまでに

短歌という形式の限界を熟知しつつ、可能性を信頼して詠ってい
るように思える。
8、9首目は、阪神淡路大震災を回想のかたちで詠った作品。
藤井幸子自身、被災者でもある。

最後の「枯芝に」の歌は胸にこたえる。
「比喩おもふことむなしきまでに」と詠ってしまう歌人の心の荒涼。


[1252] 輪島の朝市ほか 2004年02月28日 (土)

例の加賀屋で、朝風呂に入る。
大きな浴槽から日の出が見える。
皮財布を拾えますように、とお祈りする。

朝食をすませてから、昨日と同じジャンボタクシーで輪島の朝市
へ向う。
噂に聞いていたものよりも、少しスケールが小さい気がしたが、
これはこっちの勝手な思い込みだろう。
その後、焼き牡蠣の昼食を食べて、穴水という能登線の駅へ向う。

穴水の駅長さんと、アマメハギ(なまはげみたいなもの)保存会
の会長さんと、列車の中のイベントの打ち合せ。
Sアナウンサーが、はじめは保存会の方々と一緒にアマメハギの
衣装を着て、列車内を通り過ぎ、そのあと保存会会長の説明、
さらに、Sアナウンサーは駅長の制服に着替えて、1号車から
順番に検札をしつつ、旅行参加者の方々と最後の親交を深める
という段取りである。

とりあえず、列車内イベントはつつがなく終了。

Sアナウンサーと二人、能登空港へむかい、そのまま、羽田へ帰着。
私一人だけ録音機材を持って、会社へもどる。
機材返却と残務を処理して、りんかい線、京葉線で帰宅。


[1251] 能登空港 2004年02月27日 (金)

番組の聴取者の方々との旅行会で、羽田から能登空港へ飛ぶ。
去年できた空港とのことだが、羽田から一時間かからないというの
は驚きだ。
ジャンボ・タクシーで空港から、七尾市にある加賀屋という旅館に
行く。
20階建てで四棟のほとんどの部屋から海が見えるという豪華旅館。
温泉たげでも3フロア分あり、お風呂のフロア同士をつなぐエレ
ベーターがある。
そして驚いたのは、解散したOSKのダンシングチームをまるごと
抱え込んで、ショウをおこなっていること。
旅館ランキングでみごとに日本一の評価をえたそうだが、これだけ
すごければ、確かに日本一だろう。

聴取者のみなさんの宴会で、Sアナウンサーが余興と抽選会をおこ
ない、久し振りに、ミキシングと音出しをやった。
けっこうドキドキするものだ。

宴会もつつがなく終了し、スタッフで食事。
飲み会には行かずに、眠らせてもらう。


[1250] 文机 2004年02月26日 (木)

高島裕さんから個人誌「文机」を送っていただいた。

郷里の富山県に帰られてから、しばらくたっていたが
歌集は書き下ろしで『雨を聴く』を上梓されたので、これか
らは、総合誌の発表作と書き下ろしで、歌集を次々に出して
ゆくのかと思っていたが、このようなかたちでの個人誌の
活動というのも、良い試みだと思う。

創刊の言葉の一節を引いてみる。

「九年前に上京したときに、文机を買った。かすかに赤みを
 帯びた木の色を、わたしはとても気に入ってゐる。
 これまでにわたしが詠んだ歌のほとんどは、この文机の上
 で生まれたり、清書されたりした。
 東京での乱雑なくらしのなかで、この文机だけは、美しい
 ものを求める心を呼び覚ました。帰郷した今も使ひつづけ
 てゐる。この愛着ふかい持物を記念して、誌名を「文机」
 としたい。
 年に四度、季節の風が変わるごとに、号を重ねたい。」

さわやかな創刊の言葉だと思う。

さらに「なつかしい幸福のすがた」と題された文章の結語を
引用しておく。

「私は、私を訪れる言葉が、過去からの、父祖たちからの贈り物
 であることを、いつのときも忘れずにゐたいと思ふ。そして、
 さうすることでかすかに像を結ぶ、遠い幸福の姿に、強く強く
 目を凝らしてゐたいと思ふ」


歴史との接続を意識するこの姿勢に私は共感する。

作品「祝歌(ほぎうた)」から一首を引いておく。

・廃駅の待合室に横たはる長椅子の木の色のしづかさ/高島裕


[1249] ナカザワケイの歌 2004年02月25日 (水)

中澤系歌集『uta 0001.text』(雁書館刊・2700円)が出た。

中澤系さんは、現在、難病で闘病中なのだそうだ。
この歌集は、「未来」の先輩にあたる、さいかち真さんが
編集して、刊行にいたったものなのだそうだ。
さいかちさんの心のこもった編集後記、岡井隆さんの解説
穂村弘、加藤治郎、佐伯裕子さんの栞文が付されている。
加藤治郎さんの栞文がとりわけ良い。

「中澤系には「uta」という領域が見えていたのである」という結
語は、著者の中澤系にとっても本望だろう。

中澤系とは2000年前後の短歌のイベントや批評会などで、し
ばしば顔をあわせた。
私とは興味の方向が似ていた。
現在のWWE、当時はWWAといっていたアメリカン・プロレス
の話をしばしばした。
「レッスルマニア」というWWAの大イベントをアメリカへ行って
観戦してきて、その時のプログラムを買ってきてくれたりもした。

私の読んでいる、「夕プロ」というプロレスファンのメールマガ
ジンに投稿して、当時はこのメールマガジンの発行部数が一万部
を超えていたので、「短歌雑誌に原稿が載るより、よっぽど多い
読者に読んでもらえるね」とメールで軽口を叩いたこともある。

競馬も好きで、ヴォツェックやサニーサイドアップという名前の
馬が出走すると、その馬の馬券を買うのだといっていた。

・とびきりのロック・ボトムを喰らわしておくれよあした審判の日に

・終りなき日々を気取るも日常は「ロウ」と「スマックダウン」の間

おそらく、歌集評にとりあげられるといことはないだろうと思われ
る作品である。
どちらもWWAのことが、日常と混交するかたちで詠われている。
ロック・ボトムは当時のWWAのスーパースターのロック・ロッキ
ー・メイビアのフィニッシュ・ホールド。そして、審判の日という
のは「ジャッジメント・デイ」というWWAのビッグイベントの名
称を受けている。
「ロウ」と「スマックダウン」は、同じくWWAの「RAW 
is WAR」と「SMACKDOWN」というテレビ中継の番組
の題名からとったものだ。
スマックダウンは「ぶん殴る」RAWには「ひりひりする」とか
「うすら寒い」という意味がある。
期せずして、ここには、中澤系の短歌観、世界観が見えている。

中澤系がふたたび短歌をつくり、このうすら寒い世界を撃ってくれ
ることを熱望する。


[1248] さらに、ぼくたちの70年代 2004年02月24日 (火)

昨日のつづき、ということになるのだが、
タモリや筒井康隆が中心になってつくられた全冷中による
冷やし中華関連の本やイベントも、高平哲郎がかかわっていた
のだが、これに関する本もずいぶん読んだ。
山下洋輔の本を買うようになったのも、このあたりの影響
だったわけだ。
もちろん、抜群に面白いエッセイだった。
新宿のスナックの「ジャックの豆の木」に集う人たちの
バスツァーの話や平和島温泉の大騒ぎも、山下洋輔のエッセ
イで読み、爆笑したことを思い出した。

タモリのハナモゲラ語が流行っていた頃にでた二枚のアルバム
も購入している。「昼の憩い」や「ハナモゲラ歌舞伎」も
このアルバムで聞いた。
「小説マガジン」とか「ムービー・マガジン」とか、高平
哲郎が関係していた雑誌も買っていた。
高平哲郎が構成していたタモリのテレビ番組「今夜は最高」
も、かかさず見ていた。

今になって考えてみると、私のサブカル的情報はほとんど
高平哲郎経由だったのかもしれない。

ということで、1980年代の初頭までの笑芸論を集めた
高平哲郎の本『スラップスティックブルース』を再読して
みたら、さすがに、その内容は古びていた。
ただし、現在につながる笑いがどのように形成されたかと
いう資料的価値は高い。
逆に今のタモリしか知らない人が見たら、初期のタモリが
いかにラディカルであったか、ということに驚くだろう。
いや、想像もつかないか。

ということで、まさに温故知新の一冊でありました。


[1247] ぼくたちの70年代 2004年02月23日 (月)

高平哲郎の『ぼくたちの70年代』を読了。

この本の内容は、高平哲郎の学生時代から職業人として自立
していく過程、および、その間に出会ったさまざまな才能の
持ち主たちとの交際をつづった、一種のマスコミ遊泳史。

マッキャンエリクソンに就職し、同時に晶文社の嘱託として
月に一度の企画会議に出る、という出発はめぐまれたものに
思える。
マッキャンではコカコーラの「夏は大きいほうがいい」という
ホームサイズのコピーをつくったのだそうだ。

その後、「ローリングストーン」の日本語版をつくるという
話がもちあがって、マッキャンをやめて独立。
その話は立ち消えになったものの植草甚一を顧問に擁して「ワンダーランド」から「宝島」の編集者を歴任し、やがて
タモリや赤塚不二夫とのえにしから、テレビやラジオの世界
に入ってゆく過程が、きわめて興味深くつづられている。

驚くのは、私がそれぞれの時代に興味をもって買っていた
雑誌や書籍や、見にいったイベントのかなりに、高平哲郎が
かかわっていたということだ。
また、交遊録として出てくる人たちの本や映画も、客として
読んだり、見たりしている。

高平の先輩格にあたる奥成達の『ジャズ三度傘』という本な
ど、1970年に筒井康隆の『欠陥大百科』と一緒に代々木
の本屋で買ったことなど思い出した。


[1246] 訃報ではじまる日曜日 2004年02月22日 (日)

朝5時に「短歌人」のBBSを開いたら、会員の今井和義さんの
訃報が載っていた。
今井さんは今月締切分の原稿も送ってきてくれていたので、まさか
亡くなるような病気でいらしたとは、うかつにも、予想もしていな
かった。
やはり、こういう突然の訃報はショックが大きい。

6時に会社に行き、7時から9時まで番組放送。

終ってから、正午近くまで、明日以降の番組の準備。
途中、トイレに行き、ジャージ姿の先客のとなりで用をたしてい
たら、そのジャージの人は三宅裕司さんだった。

正午過ぎに帰宅。
競馬を見たり、『楡家の人々』の下巻を読んだりして、夕方まで
すごし、そのあと書評の原稿を書き始め、夕食をはさんで、今、
書き終わったところ。
原稿を書きながら見ていた「笑点」に18KINが出ていた。
もう若手でもないキャリアだが、東京にいる笑芸人の中では
きちんとした漫才ができるコンビだということで、前から、
買っているのだが、なんとか、もっと売れてくれないものか。


[1245] 原稿と礼状書き 2004年02月21 (土)

朝8時過ぎまで眠る。

起床後、ホットケーキを食べて、原稿を午前中に一本書き上げる。
午後からは、歌集・句集の礼状を書く。
あっという間に三時間以上経ってしまう。

「鬣」と「豈」が到着した。
どちらも読みごたえがある。
「鬣」に堀込学さんが藤原月彦『王権神授説』小論というのを
書いている。良く調べて書いているし、当時の月彦の俳句に対する
姿勢の弱い部分を的確に指摘していたりするのでドキリとする。
まあ、もちろん、誤読だなあ、と思う部分もあるのだが。
藤原月彦とは何だったのか、私の中でも、もっと突き詰めてみな
ければならないのだろう。

夕方から「短歌人」の編集会議のために池袋へ行く。
少し早めに池袋についてジュンク堂へ行く。
ジュンク堂には、詩歌新刊コーナーという棚ができていた。
新刊といっても、けっこう古いものも、棚に並んではいたが。
版元品切れと風の便りに聞いていた『右城暮石全句集』が、この
棚のいちばん目立たないところに並べられていた。
少し逡巡したが、結局、購入。
やはり、良書にはお金を惜しんではいけない。

編集会議にも12月、1月と欠席したので、久しぶりの出席。
会議の途中で、鼻水が出てくる。花粉症再発か?

夜10時過ぎに帰宅して、大屋達治さんと久しぶりに電話で
話をする。「山口青屯論」は、もう、書き始めているそうだ。


[1244] 「芝濱」の夜明け 2004年02月20日 (金)

駄句駄句会に出席。

昨年の11月以来になる。一顔さんと邪夢さんが欠席。
毎朝、午前三時過ぎに会社に出ていると愚痴を言うと、
駄郎さんが
「そいつは、芝濱のぼてふりみたいな暮らしだねえ。
 日の出を拝むと、お台場の浜で財布を拾うよ」
と、言われた。
そうか、そう思えばよかったんだ。
こういうイキなことも思い付かずに愚痴ってばかりいた自分の
狭量さを反省した。

句会の成績は三位だった。
句会終了後、宗匠の誕生日ということで、お店からケーキが出た。
辛党の人達がケーキを食べる姿はなかなかのみもの。

例によってバカ話はたくさんでたが、ケーキにからめて、業界用
の生クリームの最低の質のものが、大手のF屋におろされている
という話が興味深かった。F屋のケーキはクリスマスイブなどに
大量に販売されているが、これからは別のメーカーのものを買う
ことにしよう。

さすがに眠いので二次会はパスして帰宅。
やっと、『楡家の人々』の上巻を読了。
すぐに下巻を読み始める。


[1243] 読書はかどらず 2004年02月19日 (木)

眠気がさきだって、読書がなかなかはかどらない。
『楡家の人々』も上巻のほうが、あと50ページくらいなのに
なかなか読み終われない。
まあ、睡眠不足ということだ。


[1242] インタビューに行く 2004年02月18日 (水)

役者で歌手のUさんのインタビューに行く。

その帰り、新橋の地下道を歩いていたら、鳩が一羽、歩いていた。
入口から迷い込んでいたのだろうか。

今日は早出だったので、やはり、夕方になると全身がけだるく
なってくる。
夜のうちに出社して夕方に帰宅する。そしてまた、夜のうちに
出社するという感じである。

やはり、帰宅しても、何かを書こうという気持ちにはなれない。
困ったものだ。


[1241] 俳句研究三月号 2004年02月17日 (火)

オフィス内の流水書房で「俳句研究」三月号を受取る。

柴田千晶さんが作品8句を発表している。

・体重計孤島のごとし雪の夜
・短日や妊婦ばかりのエレベーター
・手毬掌に戻りて寂し父の顔
・美しき冬の骨格博物館

全編にただよう寂しさ、孤独感が個性としてきわだっている。

雑誌のグラビアの今日の顔の棚山波朗さんは、元フジテレビの
社員で「小川宏ショー」のプロデューサーをしていた人だ。

会社の帰りに八重洲ブックセンターに寄って、「短歌現代」を
買ってくる。
「写実特集」だと思っていたら、それは三月号だった。
2月号の特集は、短歌現代歌人賞、新人賞の作家の特集。
木戸京子さん、内山晶太さんが作品を発表している。


[1240] 徹夜そして昼寝の一日 2004年02月16日 (月)

朝五時に「オールナイトニッポン・エバーグリーン増刊号」
の生放送が終了。
そのまま「桜庭亮平の朝刊フジ」のスタジオに移る。
こちらの放送時間まで立ち会う。
今日は担当日ではないのだが、スペシャル企画の一週間なの
で、フォーマット変更があるので、立ち会って確認ということだ。
終了後、スタッフと30分くらいしゃべって、そのあと
よろよろと帰宅。
すぐに眠る。

次に目覚めたのが正午。
「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」を聞く。
ゲストは爆笑問題。笑える。

午後、門前仲町のブックオフへ行き、藤子不二雄の『まん
が道』の後半の巻を買ってくる。
『まんが道』を読むのは、もう10回目くらいだろう。
とにかく、この作品を読むと元気がでる。

夜は「笑芸人」の「笑芸百人一首」の原稿を仕上げる。

何かあわただしい二日間だった。


[1239] 多忙なラジオマン 2004年02月15日 (日)

朝五時に会社へ到着。
「イルカのミュージックハーモニー」の生放送。
番組終了後、八重洲ブックセンターで、「俳壇」など購入。
そのまま帰宅。
午後は原稿を書き、そのあと昼寝。
「笑点」のオープニング曲がかかるころ起きて夕食。
「サザエさん」が終わったところで外へ出て
再びお台場へ向かう。
お台場のメディアージュで「ミスティックリバー」を見る。
洋画をきちんとした劇場で見たのは今年は初めて。
暗く重たく精神に応えるなかなかの作品だった。
そのまま出社すると午後十一時。
「オールナイトニッポン・エバーグリーン増刊号」の準備。
スタッフがそろい、午前一時30分から生放送開始。
オープニング曲はキャンディーズの「春一番」。
そして、この放送が午前五時までつづく。
もう月曜だ。
久しぶりにスタジオで徹夜をした。


[1238] 砂のように眠る一日 2004年02月14日 (土)

朝9時まで砂のように眠っていた。
起きてからも、午前中は全身がけだるかった。
風邪をひかずにすんでいるのが救いである。

『楡家の人々』を読みつづける。
やはり、評判の高い作品だけあって、それぞれの人物のエピソード
の積み重ねかたが巧く、先へ先へと読ませてくれる。
基一郎が関東大震災に会う場面。
ミュンヘンでの徹吉が受ける差別の場面などなど、実に描写が巧み
だと思う。
帰国の船の中の場面では、知識として読者の方が、病院の火事の
ことを知っているだけに、どのように連絡が入り、徹吉や龍子が
どんな反応を見せるのかどきどきしてしまう。

ずつと書きあぐねていた原稿をやっと書き終わる。

夜はメチャイケとエンタの神様を見て、11時過ぎに眠る。


[1237] いまさら13日の金曜日か! 2004年02月13日 (金)

13日の金曜日という言葉が流行ったのは、映画の影響だという説
を聞いたが、もともとは、イエスの刑死の日が13日の金曜日だっ
たということではなかったっけ。
映画の発明の方がイエスの刑死より早いというわけはない。

と、冗談はさておき、早出の三日目はやはりつらい。
午後になるとこれがワーカーズハイとでもいうべき状態になって
妙に元気が出てしまったりする。
しかし、ここで調子にのりすぎると、夕方、がっくり疲れてしま
い、歩くのも面倒になる。

ということで、そこそに仕事をきりあげて、帰宅。
書きかけの原稿を少しづつ書き進む。
「歌壇」や「短歌往来」「短歌新聞」なども読まねばならない。
いただいた歌集や句集のお礼状も書かねばならない。
そんなことを思いながら、結局、9時過ぎには寝てしまった。


[1236] 楡家の人々など 2004年02月12日 (木)

寝る前の睡眠薬用の本として、ブックオフで買ってきた北杜夫の
『楡家の人々』を読み始める。
実はこの本、読んでいなかったのである。

北杜夫の文章はきわめてよみやすい。
細部の東京の時代風俗の書き込みが素晴らしいと星新一が、この
本を褒めている文章を読んだことがあるが、確かに
「東京ではお餅のことをおかちんと言います」
というセリフなど、その典型的なものだろう。
東京の本所生れの母方の祖母は、お餅をおかちんと言っていた。

早起きはつらいが、そのかわりに早く寝るので、そのわずかの時間
を、こういった読書の時間として生かしたいと思う。
佐藤洋二郎の他の小説も読まなければ、と思っている。


[1235] 福島泰樹さんと会う 2004年02月11日 (水)

仕事のあと、久しぶりに福島泰樹さんとお目にかかる。
やはり、花粉症らしくて、鼻水がみっともないので
コンタックをのんでおいてよかった。

福島さんは、現代短歌の現状を憂いておられ、私も同感だ
ったので意気投合してしまった。
小言幸兵衛ということもあるが、岸上大作や寺山修司の短歌
とくらべると、現在の短歌シーンが憂鬱になってもしかたな
いと思う。

血と汗にワイシャツ濡れている無援ひとりへの愛うつくしくする

この岸上大作の短歌、文語の文体を根幹にもちつつ、結果的
には口語表現をつかってみごとな恋歌になっている。
こういう口語表現に出会いたい。


[1234] 花粉症? 2004年02月10日 (火)

今日も午後はインタビューのために赤坂へ。

超満員の吉野家で、牛丼を食べる。
本来、こういう流行にのることはイヤなのだが、
今回は取材もかねているのでやむをえない。
TBSのクルーらしいチームがカメラをかまえていた。
ニュースは牛丼一色になるのだろう。

インタビュー終了後、解散。
急いで帰宅。

夕食時、突然、鼻水が流れてきて、しかも、目が痒くなる。
ついに、花粉症になってしまったのかもしれない。
ずっと、花粉症にだけは無縁だったのに、愕然!


[1233] インタビュー 2004年02月09日 (月)

午後から、男性大物歌手の方のところへインタビューに行く。
とても、理路整然とした話し方で、きわめて理解しやすい
内容だった。

現場から帰社し、ひとつミーティングをこなし、急いで帰宅。
種村季弘の『悪魔礼拝』の河出文庫版を拾い読みする。

明日は午前5時過ぎの出社なので、通常よりは楽。
10時過ぎまで本を読み、いつのまにか睡眠。


[1232] ちょっと風邪の気配 2004年02月08日 (日)

朝、五時に起きると、節々が痛い。
どうやら風邪の気配である。
環境が変わって一ヶ月、緊張していた肉体が少し弛んだらしい。
とにかく、会社へ行って、放送実務をこなす。
途中で薬をのんだので、なんとか、ダルさは減少したが、いつも
どおりの調子ではもちろんない。

11時過ぎに会社を出て、正午前に帰宅。
ずっと俳句雑誌を読み続ける。
昨日買った「俳句朝日」「俳句α」「俳句界」といった雑誌は、
作品よりも特集の読物に力を入れているようだ。
雑誌を読み続けて疲れたので、松本清張の「カルネアデスの舟板」
と「拐帯行」を読む。
松本清張の初期の短篇の特徴は描写のしつこさだと思う。
名作の評価がたかい「張込み」なども、無為に終る一日の描写を
しつこく繰り返すことでリアリティを増幅している。

週明けからさらに忙しくなるので、なんとか風邪をなおさなければ
ならない。


[1231] 本を買い、馬券も買う 2004年02月07日 (土)

昨日の9時過ぎから今朝の9時過ぎまで、12時間眠った。

久しぶりに本屋に行ってみようと、まず、銀座に出る。
松屋側から教文館側にわたる横断歩道で、俳人の中原道夫さん
らしい人をみかける。
中原道夫さんでない人がああいう俳人ギミックの格好をしてい
るわけはないので、たぶん、中原さんだったのだろう。
私は人見知りなので、話かけたりはせず、ただ、見守っていた
だけだった。

教文館で俳句時評のために、「俳句界」と「俳句朝日」と「俳句
α」を購入。
さらに二階の書籍売場にあがって、光文社文庫の『幻影城』と
島田荘司編の『牧逸馬の世界怪奇実話』を買う。
光文社文庫は探偵小説雑誌の傑作選とか都筑道夫の作品集だとか
ここ数年は、面白い本を出してくれている。

天津飯店でチャンポン定食を食べて、八重洲ブックセンターまで
歩く。
ブックセンターで、佐藤洋二郎の現時点ではただ一冊の文庫本で
ある小学館文庫の『河口へ』を買う。
小学館文庫も、あれれ!と思う本をさりげなく出しているので、
目をはなせないのだが、大書店でないと、数がそろっていないの
が難点だ。

帰宅後、買ってきた本をぱらぱらめくりながら、馬券を電話投票
で購入。
今日は弱気のワイドボックスだけの戦法。
9レースから11レースまで全部当たったのにトータルで損。
マヌケである。

夜、amazonに注文しておいた多田道太郎の『新選俳句歳時
記』と宗田安正著『昭和の名句集を読む』が届く。
俳句の本や雑誌ばかり買っている。


[1230] 16時間働き詰め 2004年02月06日 (金)

生放送が早朝にあり、午後から夕方まで2時間番組の録音、さらに
その編集ということで、朝3時半から夜7時半まで、16時間労働
になってしまった。
途中で抜ける時間があればよいのだが、まったく、一服のヒマもな
く16時間働いてしまったので、帰宅したら、もう、眠くてたまら
なかった。

寝床で松本清張の「捜査圏外の条件」を読む。
さらに、届いていた「週刊読書人」を読む。
2月になって気づいたのだが、「読書人」から短歌や俳句や詩の時
評が今年から載らなくなっている。
和合亮一氏の現代詩時評など、ヨミゴタエがあったのに、残念なこ
とだ。
昨年「文藝春秋」誌上からも、短歌と俳句の時評欄が消えたし、
結局、読書好きの人達と詩歌との回路はどんどんなくなってゆくと
いうことなのだろうか。

中森明雄と斎藤環の対談が1980年代、1990年代、そして現
在のサブカルチャーシーンを論じて、教えられるところが多い。
笠原和夫の劇と宮藤官九郎の劇を比べて、大きな物語が喪失して、
小ネタの時代になった、というたとえは、わかりやすい。
もちろん、私は大きな物語に執着している。


[1229] かわりばえしない日常 2004年02月05日 (木)

制作部への異動の辞令をもらった一ヶ月、案外、かわりばえのしな
い日常におちいっていることに気づいた。
タイムスケジュールがオーソドックスな生活とはずれているだけで
やっていることは、昨年のグループ事務局勤務の頃よりも、かわり
ばえがしないのかもしれない。

とりあえず3ヶ月くらい過ぎてみないと、こういう仕事をしながら
の生活ペースを自分のものにすることはできないと思う。

佐藤洋二郎「蟻の生活」を読了。
主人公は会社を中途退社した五十代の男。妻に逃げられ、息子と二
人で暮らしている。町内会長と河原に住みついたホームレスのテン
トをのぞきに行ったり、元の会社の同僚だった女性に呼びだされて
会ってみると、マルチ商法の勧誘であり、その後、この女性とホテ
ルに行くが、彼女がシャワーを浴びているあいだに逃げ帰ったり、
という日常が淡々と語られる。
とにかく絶望にまでは至らないが希望はない、という日々で、これ
がまことにリアリティがあり、私などの心に突き刺さってくる。

とにかく、次の本も読みたいという思いを抱かせてくれるので、
週末に図書館に行って、別の本を借りてくるつもりだ。


[1228] せめて読書を 2004年02月04日 (水)

佐藤洋二郎の短篇集『南無』の中から「あの夏の日」を読了。
潰れそうな土建会社の現場の話。
工事現場は佐藤洋二郎の小説にはしばしば出て来る設定。

「南無」に出てきた、千葉の郊外にある療養施設というのも「福猫
小判夏まつり」にも出てきた設定だ。
やはり、リアリティを生成するための得意な設定というのがあるの
だろう。

だいたい、夕刻以降はアタマがぼーっとしているので、せめて、
寝る前の読書だけでも続行しようと決心する。
一週間に一冊、小説が読めればよしとしよう。
今週はこの短篇集『南無』読了が努力目標。


[1227] 眠る方法 2004年02月03日 (火)

今日も、ブックオフに行くつもりだったのをやめて、帰宅前
に豊洲の図書館に行く。
早出の前日に眠るときに読む本を探すためになのだが、この際
あまり、買ってまで読まないものを読もうと思ったから。

とりあえず、佐藤洋二郎の短編集『南無』と松本清張の短
編集を借りる。
9時過ぎに布団に入り、結局、11時過ぎまで読書してし
まう。
読んだのは、松本清張の「地方紙を買う女」と「一年半待て」
と佐藤洋二郎の「南無」の途中まで。
松本清張の二作品は再読。
「地方紙を買う女」は、宮部みゆきがいちばん好きな清張の
短編なのだそうだ。
この秋には、宮部みゆき選の松本清張短編セレクションが
文春文庫から出るらしいので期待したい。



[1226] 雨ふるお台場 2004年02月02日 (月)

今日はゆっくりと9時半に出社。

「オールナイトニッポン・エバーグリーン」宛のメールをプリント
アウトして、ディレクターのHさんにわたす。

MOに録音した素材を編集する。
以前はオープンリールテープをはさみで切っていたのだが
今はデジタル編集。
ぐっと作業時間が短縮できる。
私は手先が不器用なので、はさみの使い方が苦手だったので
デジタル編集はとてもありがたい。
不器用だが、どこを切り、どこを残すかの決断は早いので
この編集方法は向いている。

夕方、社をでると小雨が降っている。
門前仲町のブックオフをのぞこうと思っていたのだが
寒いのでやめにする。

帰宅すると、「綱手」「牙」「心の花」などの短歌誌が届いている。
毎月、贈呈していただいているのだが、ありがたいことである。

「綱手」に載っている田井安曇さんの金田千鶴の短歌に関する
講演の筆記録を読む。
金田千鶴の社会に対する批評的視点の短歌が引用されていて、
教えられるところ多かった。





[1225] 春の気配 2004年02月01日 (日)

本日は朝6時に出社。
家を出る5時半は当然まだ日の出前なのだが、空気に春の気配が
感じられるような気がする。

番組と残務を終えて、六本木のコモワイズ・イガワに髪をカット
してもらいに行く。
その帰りに、松屋で取材のつもりで、「キムチ豚丼」450円を食
べてみる。
やや小ぶりの丼ではあるが、一食分としては十分な量。450円な
ら、牛丼の280円には及ばないが、そこそこ人気はあるのではな
いかと思うが、いかがなものか。

帰宅後、清水雅洋著『本心―小説「石門心学」』を読了。
石田梅岩の提唱した心学の生成を小説として書いた本。
石田梅岩については、日本史の教科書で名前だけは記憶していたが
実際にどのような人物だったかは、まったく知らなかったので、面
白く読み進むことができた。
農家出身で、商家に奉公に出て、働きながら、独自の学問を成立さ
せたというのだから、やはり、傑出した人物なのだと思う。

夜、時評の原稿を一本書く。


[1224] 体重が減る 2004年01月31日 (土)

朝9時まで眠っていた。
ちょうど13時間眠っていたことになる。
眠っても、疲労がぬけていなかったら、困るなあと思って
いたのだが、起きたら昨日までの疲労はぬけていた。
体重をはかると75キロ。
実は大晦日には81キロあったのだ。
一ヶ月で、6キロ減ったことになる。
ウエストも数字は公表しないが、12月の時点ではけなかった
ズボンがすべてはける状況になった。

上記のような理由で、気分がよい土曜日をすごした。
原稿を一本書き、競馬は完敗だった。

長谷川櫂の『俳句的生活』を読み終った。
いわゆる入門書ではないが、四十代にして専業俳人になった
長谷川櫂という人間の文学的な履歴書と俳句観の披瀝といった
内容の本。
私は長谷川櫂の処世術には好感をもてないが、俳句観には、共鳴
するところがある、と、最近、思いはじめていたのだが、この本
を読むことで、それを再確認できた。


[1223] 疲労困憊 2004年01月30日 (金)

昨日とうってかわって、疲れがどっと出てくる。
生放送中も、時間計算をまちがえたりして、スタッフとしゃべり手
に迷惑をかけてしまった。
4日連続の早出というのは、やはり、年齢的にリミットに近いとい
うことだろう。
唯一の利点は、疲労で食欲がなくなり、むろん、間食のヒマもない
ために、この一ヶ月ではっきりと体重がおちていること。
ウエストもかなり絞まった感じがする。

午後から番組の録音収録。
CDをまわすADの役割をおこなうのだが、急に疲労と眠気がおそ
ってくる。あわてて、スタジオを出て、ドリンク剤とコーヒーを飲
む。一時しのぎだがしかたがない。
収録中も疲労との闘い。致命的ではないが、けっこう困ったミスを
おかしてしまった。
こういうところを、今後、消していかなければならない。

ほうほうの態で帰宅。
野菜を食べたあと入浴。
とにかく、蒲団に入りたかった。
しかし、いざ、蒲団に入ると、精神的にはリラックスしてきたので
ネット書店で買った『岡本綺堂中国怪談集』を読む。
「青蛙堂綺譚」と同じ形式の、百物語を筆記したというスタイルを
とった中国の短い怪談を時代別に集めたもの。
こういう本が綺堂にあったのは知らなかった。
旺文社文庫で昭和53年に出されたものだが、光文社文庫でも、
河出文庫でも、再刊はされていないと思う。

読み始めて、三十分くらいたったら、さすがに強烈な眠気が襲って
きたので、心地よく睡魔に身をまかす。


[1222] 寒さの中を 2004年01月29日 (木)

昨日は夕方と夜と二度寝をしたので、意外と疲れが残っていない。

チーフ会のあと、明日の生放送の準備。
タカノツメを用意しなければならないことに気づいて、退社後
バスで門前仲町へ行く。
車中で「別冊文藝・岡本綺堂」の東雅夫と加門七海の怪談に関する
対談を読む。
門前仲町について、キムチを売っている屋台で、タカノツメと大根
のキムチを買う。
寒風が吹き荒んでいて、寒さが身体の中に突き刺さってくる。
耐えかねて、タクシーに乗ってしまう。

夜、長谷川櫂の『俳句的生活』を読みつづける。


[1221] 俳句的生活と岡本綺堂 2004年01月28日 (水)

生放送、録音番組の収録、番組会議のあと、ゲキカラ麻婆
豆腐を食べる。

さすがに疲れて、早めに帰宅。
午後4時から、6時まで眠ってしまう。

夜、アマゾンに注文しておいた、長谷川櫂著『俳句的生活
と「文藝別冊 総特集・岡本綺堂」が届く。

岡本綺堂の方は、現時点では、読むことがむずかしい作品を
再録していてくれたり、半七捕物帖の年表、種村季弘の綺堂
論など、なかなか刺激的な内容。

「俳句的生活」の方は、1章と2章を読んだだけなのだが
韻文と散文のちがいを、丁寧に説明していて、好感がもてる。
俳句の入門書というより、俳句精神の確認の書のように思える。


[1220] 欠席投句など 2004年01月27日 (火)

放送終了後、明日の準備。
CM送出の確認、選曲など、丁寧にやりすぎて悪いことではないの
だが、こちらはまだ勘がもどっていない。
一九七〇年代以降のフォーク・ニューミュージック、歌謡曲のCD
を午前中いっぱい聞き続ける。

日比谷句会が今夜あるのだが、ちょっと体力的に出席できそうもな
いので、U氏のもとに、メールで投句して、欠席投句とさせてもら
う。しばらく、夜の外出はひかえることになる。

午後二時から、紀尾井町の別会社で、ラジオの通販商品の選定会議。
実に丁寧におこなっているのに感心する。
ラジオで物販をするというのは、目にみえないものを、言葉で説明
して、買ってもらうわけだから、説明が過剰になっても、不足であ
ってもまずいわけだ。
注文した人が、送られてきた品物を見た時の印象の予想まで、会議
で確認するというのは、結局、信用を保つためには、よいことなの
だと思う。必要なことでもある。

終了後、銀座のブックファーストに行くつもりだったのだが、気力
がなくなっていたので、帰宅。
購入するつもりだった「文藝別冊・総特集岡本綺堂」と長谷川櫂の
新書「俳句的生活」をアマゾンで注文する。
こういう時、インターネット通販は便利だと実感する。


[1219] 記憶の溶解 2004年01月26日 (月)

実はこの項を書いているのは、水曜日の午後7時前なのだが、月曜
日のことさえ、記憶が溶解して思いだしにくくなっている。
先週の水曜日にも、まだ、水曜日と書いたが、実に一週間が長い。

月曜日は早出ではないので、東京三菱銀行本店経由でお台場へ向
う。通帳の印鑑がどれだかわからなくなったので、確認に行った
のである。

勤め先へ到着すると、早出組が、明日の用意をしている。
私も水曜日の放送のために、デジタル編集室で、一人で編集作業。
録音テープの編集というのは、やり始めると面白い。
もちろん真意を変えてしまうような編集はまずいが、ムダな部分
を刈り込んで行き、圧縮すると実に聞きやすくなる。
現実の会話では、いかに、むだな間や間投詞が多いかを改めて
確認することができる。
もちろん、肉声の会話の場面では、逆に、この間や間投詞がなければ
柔軟な会話にはならないわけだ。
言葉というのは実におもしろい。


[1218] 女子マラソンなど 2004年01月25日 (日)

「イルカのミュージック・ハーモニー」のために朝6時、出社。
さすがに、日曜の早朝はスタジオ近辺も、人の数が少ない。
番組の中で、イルカさんの「時の子守歌」がかかったのだが、
しみじみと良い曲だなと思った。
こういう、詩の内容がよく、メロディーも心にしみる歌という
のが少なくなっているような気がする。
カバーばかりになっているのは、ジャンル全体の想像力が貧困に
なっているからだ。

昼過ぎに帰宅。
二十五キロ地点あたりから、大阪国際女子マラソンをテレビでみる。
小出監督が「千葉は大丈夫、坂本だけがコワイ」と解説したとたん
に坂本がスパートして、後続をふりきり、優勝した。
千葉が二位。
ここまで見て、テレビを変えてしまったのだが、途中で脱落した
と思っていた弘山が、五位まで追い込んでいたのには敬意を表した
い。渋井は九位だった。
私は通常、こういったスポーツに心を寄せてゆくことはないのだが
今回の大阪国際女子マラソンは、産経新聞大阪本社事業部の友人が
担当していることと、事前に、このメンバーの背負っている事情を
知識として、教えられていたので、珍しく、感情移入していた次第。

原稿を書きながら、馬券を買う。
痛恨の詳細はBBSに書いたとおり。
夜9時前に、やっと、本日締切の原稿を書き上げる。
原稿執筆のために、あらためて、一人の歌集をじっくりと
読み込むと、初読のときには気がつかなかった主題が
読み取れてくる、ということを実感した。


[1217] 歌のうちそと 2004年01月24日 (土)

一週間で唯一の休日。

ゆっくりと、9時まで寝て、そのあとはひたすら原稿を書く。
午前から午後にかけて、予定どおりに運んだので、夜は読書。
来嶋靖生著『歌のうちそと』(河出書房新社刊)読了。
サブタイトルに、自歌自注と大連回想とあるように、来嶋氏の
作品への自注意と、生まれ故郷の大連の回想文で構成された一冊。

大連といえば、清岡卓行の「アカシアの大連」で有名なように、
美しい町として知られている。
この町と川柳作家の父・大嶋濤明に関する記述が興味深い。
また、大連の中学で同級生だったという山田洋次監督との、
少年期の回想を語り合う対談も面白く読める。
来嶋氏の文章はよけいな衒いがなく、すっきりとわかりやすい。
こういう文章が書けるようになりたい。


[1216] 「短歌」と「俳句」 2004年01月23日 (金)

本日は生放送のディレクターとしてキューをふる。
水曜日にやったときより、冷静に時間計算ができるように
なった感じがした。

そのあとデジタル編集機で、来週のテープ素材の編集。
こちらも、やるたびに勘がもどってくる気がする。
うろうろしているうちに、気がつくともう夕方。
あわてて帰宅。
角川書店から「短歌」と「俳句」が届いていた。
「短歌」には時評を、「俳句」には「俳句月評」を前月に引続き
書いている。
「短歌」の方には、題詠マラソンのイベント性を、終息した時点
の視点から書いた。前に「短歌四季」に書いたときは、まだ、進行
中だったので、今回は、邑書林でアンソロジーが刊行されるという
ことが決定したことの意味までふかめて書いた。
「歌壇」の大辻隆弘さんの時評と合わせて読んでいただくと、
「題詠マラソン2003」の意味が完全にわかってもらえると思う。


[1215] 折口信夫坐談 2004年01月22日 (木)

『折口信夫坐談』をやっと読み終る。
戦時中から戦後にかけての時期に、折口信夫のもとに通っていた
戸板康二が、折口の座談を、メモにまとめたもの。
のちに、ちょっといい話を書く戸板康二のへんりんが、この聞書に
もすでにあらわれているといっても、よいかもしれない。

歌舞伎に関する記述が多いのだが、歌舞伎を知らない私でも読み
すすめるのは、やはり、折口信夫の内容の豊饒さと、それを簡潔
につたえる戸板康二のペンの力なのだろう。

歌人に関する折口の一口批評があるので、それを引用してみる。

・啄木が流行るのは、素質が凡庸だからだ。
・吉野秀雄の歌は二流か三流、吉井勇は世の末だ。
・前田夕暮はいつも素材を抛り出しているんだね。
・茂吉の字は下手なまま固まった。歌も同じことがいえる。小説を
 知らない強みとでもいうか。
・白秋は腕で作っただけ。

折口信夫=釈迢空が現在の歌人の作を読んだら、どのような感想を
もらすだろうか。


[1214] まだ水曜日 2004年01月21日 (水)

ひさしぶりに、まだ水曜日か、と思った。
一日はものすごく時間がたつのが速いのに、一週間は長い。

早朝のCDルームで、ザ・ピーナッツのCDをずっと聞いている。
「大阪の女」「東京の女」「サンフランシスコの女」「リオの女」
などの「女」シリーズなど、35年ぶりくらいに聞いているのに
歌詞がアタマに反射的に浮かんで来る。
これは映画にもいえて、学生時代に一度しか見ていない映画でも
鮮明にそのシーンをおぼえている。
たとえば『愛と誠』で、西城秀樹が早乙女愛から傘を奪った瞬間
に、背景が真赤に変るシーン、「女囚さそり・けもの部屋」で、
梶芽衣子が、刑事の成田三樹夫の腕をドスで切断して逃走するシ
ーンなど。(「さそり」の方はタランティーノもたぶん好きなシ
ーンだろうな)
脳細胞が活発にうごいていた時代に聞いたり、見たりしたものは
ちゃんと記憶されているということか。

こうして、一日が過ぎて行く。


[1213] 二十世紀名句手帖 2004年01月20日 (火)

齋藤慎爾さんの責任編集で河出書房新社から出ている二十世紀名句
手帖という俳句のアンソロジーの第二巻『季節の宴から』を拾い読
みしていたら、こんな句に出会った。

・帚木のあたりに夢の終りあり  田中真理

この句、実は私の句である。
昭和52年頃の句だと思う。
某俳句誌に上記の筆名で投句した句だが、この句が採録されて
いるとは思わなかった。
そうか、20世紀の名句ということか。


[1212] 宅急便の速度 2004年01月19日 (月)

今日は早出ではないので、10時過ぎに会社に出て、ほんの
少しだけ仕事をする。
そのあと、グループ事務局へ行き、残っていた本をキャリーバッグにつめて自宅に送る。

そのあと食堂で、玉子うどんをたべてすばやく社屋を出る。
バスで門前仲町へ出て、新しくつくったメガネを受け取って
自宅へ2時過ぎに帰ったら、30分もしないうちに、さっき
の宅急便が届いた。
宅急便の速度は、どんどん速くなっているようだ。
正直、驚いた。

このキャリーバッグで届いた本を、トランクルーム用の箱に
詰め替えていたら、もう、夕方になっていた。

食後、すばやく寝る。


[1211] 「短歌人」新年会 2004年01月18日 (日)

「イルカのミュージックハーモニー」の生放送が終了後、デジタル
編集機を使っての編集方法を教えてもらう。
さらに、残務をいろいろとやっていると、いつのまにか午後遅い時
間になってしまっていた。
あわてて、りんかい線、有楽町線、半蔵門線を乗り継いで、神保町
の学士会館へかけつける。
歌会はすでに最後のブロックに入っていた。
まもなく批評会は終了。
点数発表で私は26点もの大量得点だったので、これはいくらなん
でも、10位以内に入れるだろうと思っていたのだが、どんどんと
点数が発表されると30点台、40点台の人達が次々に出てきて、
たちまち私は10位以下に落ちてしまった。
まるで、M-1グランプリの得点発表のような気分だった。

懇親会では、出席者名簿に名前のなかった矢嶋博士さんが、突然
登場したりで、びっくりさせられた。
短歌人賞の選考経過の発表という役目で、最終候補の方達の作品
を引用しつつ、短評を話したのだが、倉益敬さんの

・ラッセンのポスターゆるく破れをり夏のをはりの雨の甘噛み

という一首を音読したとき、思わず胸に熱い思いか゛こみあげてきた。

倉益さんも私も熟年から初老への道をたどってゆくのだろう。
参集された百六十人のみなさまの歌運隆盛を祈りつつ帰途につく。


[1210] 安息日 2004年01月17日 (土)

安息日、とはいいながら、すでに締切が過ぎている原稿を、一気に
集中力を出して書く。
その後、トランクルームに預けるために、本の山を段ボールの箱に
積め込む。

ここ1年で、俳句関係の本がびっくりするほどに増えている。
短歌関係の本もけっして減っているわけではないので、これでは
置き場所がないのはあたりまえである。

夜、戸板康二の『折口信夫座談』を読み始める。
箇条書き形式の聞き書きなので読みやすい。
「BOOKISH」の戸板康二特集号で、坪内祐三が褒めていた本
である。


[1209] 「歌壇」の時評 2004年01月16日 (金)

今週ほど金曜日がくるのが待ち遠しかったことはない。
けっこうフラフラです。

「歌壇」2月号に大辻隆弘さんが書いた題詠マラソン2003に
関する文章は、とても素晴らしいものだった。
私も「短歌」2月号に、また、題詠マラソンに関する文章を書いた
が、これは、イベントとしてどこがどのように優れていたかという
ことと、その構成要素及び最終的な着地として、単行本化されると
いうことを書いた。
これはあくまで、実施運営というプロデューサー的視点である。
しかし、大辻隆弘さんの文章は、この題詠マラソンで、どのような
秀歌が生み出されたか、という、いわば、ソフト面に視点を置いた
文章で、収穫としての秀歌がたくさん具体的に紹介されている。
そして、インターネットでの複数の人達の題詠ということで、お互
いに、リアルタイムの影響が作品に投影したという例をあげて、文
章を結んでいる。

この文章が発表されたことで、すぐれた短歌が生み出された、とい
う、要は題詠マラソンの最高のポイントが実証されたわけだ。
文中に引用された兵庫ユカさんやひぐらしひなつさんの歌が読まれ
ることで、インターネット短歌という一種の蔑称が打破されること
になるべきだと思う。

「未来」1月号のさいとうなおこさんの文章に、三井ゆきさんが
「未来」に在籍していた1973年頃の作品が紹介されていた。
私は三井ゆきさんが一時「未来」に居たという噂は聞いたことが
あったが、実はウソだと思っていた。
しかし、さいとうなおこさんの文章で、それが事実だったと知って
少しショックだった。


[1208] 生放送AD初体験 2004年01月15日 (木)

今日の生放送での私の役割は、アシスタント・ディレクター。
テープをスタンバイし、CDをスタートさせ、九段センターと
交通情報の打ち合せをし、番組の冒頭では、午前五時、摂氏2度の
外中継のマイクチェックもしなければならない。
緊張する。
私がADをやっていた時代は、まだCDではなく、アナログ盤の
時代だった。回転数のまちがいというミスがいちばん多かったの
だが、もちろん、私もこのミスはやったことがある。
村木賢吉の「おやじの海」を、45回転のところを33回転で、出
してしまったのだ。
しかし、CDでは回転数をまちがえるということはない。

というわけで、なんとか、生放送のAD初体験は、ミスすること
なく終了した。

午後は早めに社を出て、有楽町のビックカメラに行き、ストップ
ウォッチとノートパソコン用のバッグを購入。

帰宅後、食事を終えて、いま、「ミリオネア」の立川談志を見て
いる。


[1207] 昼間からドッキリ 2004年01月14日 (水)

正午から番組の会議に参加していたら、ちょっとドッキリする電話
が家からかかってきて、あわてて、タクシーで帰宅。

それで、結局、ドッキリのタネはまちがいだったということがわか
って、ほっとしたら、眠ってしまった。
起きたら夕方6時半。
家族はもう夕食を食べていた。

それで結局、今夜の「東西落語研鑚会」は行けなくなってしまった。
ただ、チケットは、勤め先で、落語好きの方にさしあげてきたので
ムダにはなっていない。
うーん、でも、こぶ平の「ねずみ」は聞いてみたかった。
文珍の「胴乱の幸助」も面白かったんだろうな。
小朝の「紺屋高尾」は、どんな出来だったのだろうと、
結局はみれんがましく考えているのだが。

夕食、入浴後、都筑道夫の「なめくじ長屋」シリーズを読んでいる
うちに眠ってしまった。

そして、目覚まし時計が鳴って目を覚ましたら、15日の午前2時
45分だった。出社しなければ。


[1206] 早朝の雨 2004年01月12日 (火)

午前五時に、社屋の正面入り口の前の屋外で、アナウンサーがオー
プニングのトークをやるのに立ち会っていたら、突然、雨がぱらつ
いてきて、わずか2分たらずのあいだに、本降りになった。

放送終了後、デジタル編集機の使い方を教えてもらう。
便利だが、機械が一種のパソコンなので、機能をアタマに叩き込む
まで、試行錯誤が続きそうだ。

夕方、新宿の東京ガスのショールームの取材に行く。

帰宅後、9時前に蒲団に入ったが、なかなか眠れない。
あと何時間後には起きなければならないなどと考えると
よけい眠れない。
しばらくは、この状態でもがかなければならないだろう。


[1205] 成人の日とはいえ 2004年01月12日 (月)

いちおう、月曜日なので出社しなければならない。
ただ、午前中に会社へ出ればよいので、朝は時間の余裕がある。
「里」に投句する俳句を十句にまとめて、メールで送る。

スタジオで高田文夫さんに挨拶するつもりだったが、今日は
特番でお休みだった。
ノートパソコンのメビウスを買ったのだが、社内LANに接続し
て、昨日と今日とでは、使えるプリンタがちがっている。
きちんと設定したはずなのだが、原因はわからない。
録音スタジオで、番組収録に立ち会う。
こういう経験も、ほぼ10年ぶりくらいか。
「聞き押し」なんていうテクニカル・タームをひさしぶりに聞いた。

午後3時過ぎに社を出て、門前仲町の明光堂で、メガネを一つ
つくる。
某氏から3000円分の図書券をいただいたので、本間書店で
都筑道夫の『魔海風雲録』と『女を逃すな』(共に光文社文庫)と
『志ん朝の落語D』(ちくま文庫)を買う。
そのまま、枝川まで歩いて帰る。
寒風の中、四十分くらいかかる。

明日から金曜日まで、四日連続の早出。
身体がどのような反応を示すか、興味がある。


[1204] イルカのミュージックハーモニー 2004年01月11日 (日)

「イルカのミュージックハーモニー」のために朝6時にスタジオ入り。
イルカさんの番組は、今年で十三年目なのだそうだが、始まってか
ら二年目くらいのところで、プロデューサーとして担当したので、
イルカさんとは親しくさせていただいている。
ディレクターとしての復帰を、マネージャーのNさんともども、
喜んでくださったので、嬉しかった。

番組終了後、24階の制作部の集合テーブルへ戻り、少し残務を
おこなう。日曜日なので、アルバイトさんが来ていない。
閑散としていると思いきや、午後の番組のスタッフが、生放送
のために、けっこう忙しく動き回っている。

午後1時過ぎに帰宅。
競馬をパットで投票するが、2レース続けてはずれ、預金金額が
なくなってしまう。
明日も競馬があるのに、これでは電話投票できない。
まあ、買わないほうが良いのかもしれないが。

冲方丁の『マルドゥック・スクランブル』の第一巻を読了。
2003年の日本SF大賞の受賞作品。
史比古が読み終わって、面白いというので借りたもの。
テンポが軽快で、読みやすい。