[1203] 土曜日、終日、原稿書き 2004年01月10日 (土)

さすがに、朝9時まで眠ってしまった。

朝から競馬をラジオで聞きながら、原稿執筆。
書きたいことがまとまっていたせいか、思っていたより、順調に書
き進むことができ、ほっとする。

夕方、携帯電話を新規に契約するために、自転車でショップへ行く。
冷たい空気を吸い込んだので鼻がつまる。

夜になってから、千葉聡さんの第二歌集『そこにある光と傷と忘れ
もの』を読む。
高校生の息子を持つ父親としては、あとがきに感動せざるをえない。

・「仕事から逃げないで」というEメール削除できない シャツの匂う夜


[1202] いきなり早朝出社 2004年01月09日 (金)

ということで、「桜庭亮平の朝刊フジ」の生放送の立会いというこ
とで、いきなり早朝出社。
生放送自体はやはり面白い。
久しぶりに血が騒ぐ感じをおぼえた。

しかし別件で、いきなりトラブルがあったりして、困惑しつつも
うんざりしたり、感情の起伏のはげしい一日になってしまう。
しかし、正午の時点で、社屋に入ってから、すでに8時間半経って
しまっているというのは、よほど、自分で時間管理をしないと、す
ぐに健康を損ねてしまうだろう。

一昨日買ったメビウスを社内ランにつなぐ設定をして、番組のメー
ルを、受けられるボックスをつくるのに、結局、あっちに頼み、こ
っちに頼みで、五時間くらいかかってしまった。

午後四時過ぎに帰宅して、メビウスで、立川談志のDVDを見る。
「代書屋」「松曳き」「つるつる」など。
途中で居眠りしてしまう。


[1201] レコード各社新年挨拶まわり 2004年01月08日 (木)

会社のピーアールカーに乗って、レコード各社の挨拶まわり。
これは、制作部の新年恒例の行事。

この時の対応によって、そのレコード会社の勢いがわかったりする
から、なかなかバカにできない。
しかし、十年ぶりくらいの参加になるのだが、前にまわったときは
ユニバーサルレコードなんてなかった。
また、この業界は、会社を移籍することが多いので、思わぬ人が、
思わぬ会社から出てきたりするのも面白い。
今回も以前BMGビクターに居た人が、クラウンに居たりして、び
っくりさせられた。

音羽のキングレコードがいつもいちばん最後になるのだが、闇に沈
むキングのたたずまいも哀愁があってすてがたい。

江戸川橋でみんなと別れ、有楽町のビックカメラでランケーブルを
買って、帰宅する。


[1200] 初番組会議 2004年01月07日 (水)

昨日の新年交歓会の写真をニュースレターの一面用に入稿して
完全に校了。

そのあと、後任のKさんと少し引き継ぎをおこない、そのあと
番組の初会議に出席。
放送作家のMさん、Kさんともにむかしなじみなので、心理的に
はやりやすい。
ただ、制作部は、パソコンが個人用のものがないので、ノートPC
を買わなければならない。

会議終了後、しばらく、制作部の集合卓に座っていたが、なんとな
くなじめないので、事務局へもどる。
テープのデジタル編集やダビングの方法も以前とはまったく変わっ
ているので、おぼえることはたくさんある。
一つ一つ教えてもらうしかない。

夕方4時前にオフィスを出て、有楽町のビックカメラへ行く。
とにかく、業務に必要なので、一日でも遅れることができないので
1時間ほど売場を歩き回り、結局、一台、ノートPC購入。

6時ちょっと過ぎに帰宅。
書かなければならない原稿があるのだが、ちょっと、その気分に
はなれない。早めに寝る。


[1199] ローテーション 2004年01月06日 (火)

制作部での担務とローテーションが決定する。
火曜、水曜、木曜、金曜、日曜が早出。
土曜が休み。日曜がウイークデイより少し早い早出。
ただし、日曜日は番組が朝9時に終了すればすぐに帰れる。

早出というのは、生放送開始の一時間半前なので、なんと
午前3時半にスタジオ入りすることになる。
肉体の機能が早出に慣れるための最初の二週間がつらいと思う。
まあ、歳をとって、前に早出をしていたころよりは、身体全体が
早起きできるようになっているので、以前よりは、つらくはなさ
そうだが。

午後からは、現在の事務局の最後の仕事として、ニュースレターの
校了と、新年交歓会の受付け業務。
各社に出向しているOBの人達が、今回の異動に関しては、すでに
よく知っていて、「がんばれよ」と声をかけてくれる人が多い。

一昨日から読みはじめていた、中山康樹著『超ビートルズ入門』を
読み終る。熱気ある文章で共感がもてる。


[1198] 辞令交付 2004年01月05日 (月)

初出勤で、早速、朝、人事異動の辞令交付。

制作部勤務ということで、つまり、ラジオ番組の制作をすること
になる。
1994年の6月末まで、制作部に居たので、完全に10年ぶり。
それも、後半は管理職だったので、現場でキューをふったのは、
1991年6月が最後だったので、13年ぶりかもしれない。

私が生放送をやっていたころの事件といえば、ビートたけしの
フライデー襲撃事件、有楽町の三菱銀行の現金強奪事件、それに
パパ・ブッシュ大統領の方のイラク戦争といったところだ。
いずれにせよ、すでに、20世紀の歴史といったところである。


[1197] デスクまわりの整理 2004年01月04日 (日)

お台場へ行き、デスクまわりの整理をする。
暮の27日に終らせられなかった分を、本日出てなんとか、カッコ
をつけようということる

相変わらずお台場は混んでいる。
社屋内には、正月4日とも思えない雰囲気で、たくさんの人達が働
いている。
途中、2階のラポルトで、マーボ豆腐定食の昼食をとり、それ以外
はひたすら整理。

午後2時過ぎにオフィスを出て、ゆりかもめで汐留、大江戸線で
門前仲町、東西線で木場へと乗り継いで、イトーヨーカ堂で家人と
待ち合わせ。
ジャケットとスニーカーとズボンを購入。
異動でセクションが変わると、衣服まで変わってしまう。

ゆりかもめの中から読んでいた安原顯の『ファイナルカウントダウ
ン』を、読みつづける。
この本は再読なのだが、時間との競争で生き急いでいく後半は、読
んでいて元気が出てくる。
どうも、内示以来、心が引き気味になっているので、こういう強靭
な精神をあらわした本で、自分を励ましている。


[1196] ライブ始め・ラーメンズ 2004年01月03日 (土)

昼間は本の整理。
夕方、史比古と門前仲町のジョナサンに食事に行く。
かなり混んでいる。

5時半に史比古とわかれて、下北沢の本多劇場へラーメンズのライ
ブ・「stydy」を見に行く。
9割は女性客で、補助席、立ち見まで出る超満員。

内容は10分くらいのコントが7本。
筒井康隆の短編集を昨日、読んだからではないが、発想がかなり
筒井的な感じがした。
たとえば、「宇宙人はいるのですか?」とか「タイムマシンはでき
ますか?」とかの、子供たちの質問を、正確な現代の科学知識で、
ニベもなく否定する科学者とか、日本を知らない二人が断片的な
知識で日本の鮨や相撲を想像して、とんでもない結論に導かれる
コントとか、いわゆる、価値の相対化という視点にポイントが置か
れているものが多かった。
その飛躍の度合が大きいので、ポイントの一言が出たときに、観客
に爆笑がおこる。
笑いのつくりかたを自家薬籠中のものにしている。

しかし、これだけ知的で同時代的な笑いをつくりあげているコンビ
が、ラーメンズというへろへろの名前を名乗っているのもすごい。
もちろん、意識的な名乗りなのであり、その意識を推察すると凄み
を感じる。
初笑いライブ、よいものを見た。
今年はもっともっと、バラエティ豊かな笑いと出会いたい。

帰宅後、アタマの中が興奮していて熱くなっているので、少し冷ま
そうと、去年から読みかけだった、岡井隆の『旅のあとさき、詩歌
のあれこれ』を読み始めたら、午前3時くらいまでかかって、読み
終えてしまった。


[1195] 夜間飛行で帰京、異世界が好き 2004年01月03日 (土)

日付をまちがいました。これは1月2日の記事です。

午前中のうちに、『詩歌の待伏せ・下』読了。

午後は、笑福亭鶴瓶とオセロが司会の寄席番組を見る。
どこから中継しているのかと思ったら、旧角座のビルの地下にでき
た、小劇場形式のリニューアル角座だった。

司会の鶴瓶はもちろん、ますだ・おかだ、アメリカザリガニ、オセロという若手に加えて、くにお・とおる、たかし、ひろしと完全に
松竹芸能だけで番組が組めているのは、ある意味で感動的だった。
東京からのゲストがダチョウクラブと林家二楽。
鶴瓶が言った「くにお、とおるを笑うものは、くにお、とおるに笑
われる」という箴言は笑えた。

夜、7時過ぎに関空まで車で送ってもらう。
時間待ちのあいだに、まだ読んでいない筒井康隆の文庫本『魚籃
観音記』を空港の本屋で買って読む。
とりあえず、帰京し自宅へ着くまでのあいだに読了。
表題作は私はさほど感心しなかった。
なんとなく、初期短編がいくつかの作品に透けて見えるような気が
した。たとえば、「市街戦」は傑作「トラブル」。「ラトラス」は
「群猫」。「ジャズ犬たち」は「わが良き狼」。「谷間の豪族」は
「遠い座敷」とか「下の世界」とか「熊の木本線」とか。
いちばん私の好みなのはやはり「ラトラス」。
この手の異世界ものにはついつい惹かれてしまう。
筒井自身の「驚愕の荒野」、椎名誠の『アドバード』『水域』、
『武装島田倉庫』の三部作。『見るなの木』なども同じか。あと
若手では吉村萬壱の「クチュクチュバーン」なんかも同じか。
なぜ、こういう小説が好きなのかは、自分でもわからない。

「里」と「弦」が到着していた。二誌を読みながら午前2時過ぎ
に眠りに落ちる。


[1194] 元旦の目覚め 2004年01月01日 (木)

さわやかな朝日の中で目覚める。
ちょうど、9時前だった。
みんなと、おめでとうございますの挨拶をしてお雑煮。
白味噌で野菜の具の多いスタイル。
私の母がつくっていたのは、お澄ましスタイルで鶏肉で出汁をとっ
たもの。

午後、みんなが住吉大社に初詣に行っているあいだに、佐藤洋二郎
の『福猫小判夏まつり』を読了。
表題作のほかに「入学式」「おろち」「八月のニュクス」と全四作
の中短編が収録されているが、とにかく、初老の男を主人公にした
息苦しい作品。
人生の澱みのようなものから逃れられない、とりかえしつかなさが
さまざまな角度から描かれてゆく。
本の表題から、癒し系の作品だなどと思うとエライ目にあう。
しかし、自分が52歳になる年の初読みがこの本だったというのも
悪いことではないと思う。

夜はみんなでスキヤキを食べる。

10時過ぎに、北村薫著『詩歌の待伏せ・下』を読んでいたら、い
つのまにか眠っていた。


[1193] 和歌山へ 2003年12月31日 (水)

5時に起きるつもりが4時に目が覚めてしまう。
しかたなく、起きてしまい、ネットを見て時間を潰す。

5時20分に家を出て、京葉線、山手線、モノレールと乗り継いで
羽田空港へ行く。
7時25分発のANAで関空へ。
車で迎えに来てもらって、熊取の服部家へ行く。

空港での時間待ちと飛行機の中、及び関空での待ち時間で、永倉有
子著『万治くん』を読み終る。
著者は亡くなった作家の永倉万治夫人。
立教大学の同級生で、のちに東由多加の東京キッドブラザーズに
加わり、ヨーロッパを放浪したりする前半は、私の兄姉たちの世代
の青春ストーリー。

そして、ライターから作家になり、平成元年のこれから本格的に売
りだすという時に、脳溢血で右半身不随と言語障害になった夫のリ
ハビリと執筆活動を支える部分は、夫婦愛の物語。
とにかく暗さがほとんどないのが救われる。

この本が2003年の読み納めとなる。

夜は大きなテレビでは、子供たちがディズニーチャンネルを見てい
るので、パソコンに組み込まれたテレビを貸してもらって、格闘技
の中継を3つのチャンネルを替えながら見つづける。
バーネットが勝ち、坂田亘が負け、永田が負け、曙が負け、桜庭が
負け、ということで、気が滅入る。
吉田秀彦の試合は見そこなってしまった。
しかし、ボブ・サップは悪役をやらされて可哀相な気がする。

そのあと、ナイナイの岡村の火焔太鼓カウントダウンを12時半く
らいまで見て、眠る。


[1192] むかしの座談会 2003年12月30日 (火)

一九九八年の12月30日は土砂降りで、一人でエルロイの『ブラ
ックダリア』を読んでいた。暗い思い出と言えようか。

今年中に書いておかなければならない原稿が一本残っているのだが
ついつい、今読まなくてもよい本を読んでしまう。

『中村草田男全集』第12巻。座談・対談篇。
例の「あまやかさない座談会」とか「人間探究派」という言葉が
できたといわれる「新しい俳句の課題」など、たらたらと読んでい
る。
「あまやかさない座談会」は「ホトトギス」に掲載されたもので
虚子をはじめとして、当時の主要同人が出ていて、若手として
草田男、松本たかし、京極杞陽が出ている。
驚くのは、山口青邨がケンカごしで、草田男を問い詰めたりしてい
ること。風生も言葉はおだやかながら、草田男を追い詰めているし
虚子も、それをゆるしているような態度でいる。
京極杞陽などほとんど発言していないし、草田男一人が査問委員会
にかけられているようだ。

というようにダラダラしていたのだが、結局、原稿を書き始めたら、案外、はやく書き終えることができた。

明日、いちばん電車に乗って和歌山へ行き、二日の夜、関空発の
最終便で帰京する。
和歌山で読む予定の本は佐藤洋二郎の『福猫小判夏まつり』。


[1191] 満願 2003年12月29日 (月)

立川談春独演会の昼の部に行く。
場所はお江戸日本橋亭。
これで、1月から12月まで皆勤したことになる。
今年の目標として談春独演会の皆勤を誓ったので、これで満願。
私にとっては大きなバーをクリアした思いだ。

演目は「桑名船」「札所の霊験・上」「三人旅」の三席。
「桑名船」は実は2度目だが、講釈士がいくつもの講談をまぜて
一気に語るところが、聞かせどころで、談志家元も得意とする噺
なので、最後にもう一回という気持ちだったのかもしれない。

「札所の霊験」は、大圓朝が若いころにつくった噺だそうで、川戸
貞吉氏の『落語大百科』に、圓生師匠が何度か演じているが、放送
にはかけたことがなく、テープは残っていないという珍しい噺。
わりと陰惨な噺なのだが、殺しの場面をサラリとやってくれたので
好感がもてる話しぶりとの印象が残った。
二月に下をやるとのことで、楽しみになった。

最後に「手締めをしましょうか」と、軽くふったのだが、誰もが
「いまさら、手締めなんて、もういいよ」という雰囲気だったの
で、「オレのお客の性格には手締めはあいませんね」ということ
で、そのまま、頭をさげて終演になった。
お客としては「文七元結」「紺屋高尾」「庖丁」「三枚起証」
「大工調べ」「小猿七之助」と、上出来の噺を1年間かけて、たく
さん聞かせてくれたのだから、他人行儀に手締めなんかしないでも
来年また来るよ、という雰囲気だったのだろう。
ともかく、良い雰囲気の今年の聞き納めだった。

昼の部なので、帰りに「すべては愛のために」を見ようと思って
いたのだが、さすがに疲れて、バスして帰宅。
これで、私の2003年洋画ベストは
@ギャングオブニューヨーク
Aシカゴ
この2作で決まり。
総体的には演芸も映画も良い作品にふれられた良い年だった。


[1190] 有馬記念そしてM-1 2003年12月28日 (日)

昨日、オフィスから自宅へ送った宅急便がどっと到着。
本の整理をする。
俳句関係の全集の端本を、読みたいものを前列において本棚に並べ
る。
PATで有馬記念の馬券を買う。
今年は大穴狙いで武幸四郎のアクティブバイオの単複とクリスエス
とタップダンスを蹴った三連複。結果は惨憺たるもの。

夜はM-1の決勝を見る。
当初、東京ではテレビのオンエアはないものと思っていたので
春乃黒山羊さんのご好意にあまえて、速報を掲示板で知らせて
もらうよう頼んでおいたのだが、途中でテレビ朝日でオンエア
しているのに気づき、あわててテレビを見る。

ちょうど敗者復活で、アンタッチャブルが選ばれたところだった。
これで、東京からはスピードワゴンとアンタッチャブルの二組。
ご贔屓のりあるキッズは私は抜群に面白い漫才をできたと思ったが
点数が伸びなかった。
審査委員から立川談志が抜けたのも、面白みに欠けていた。
どうせなら、伸介と松本の間に爆笑問題の太田光を座らせて、審査
委員長はビートたけし。副委員長は上沼恵美子。
司会は爆笑の田中と浅草キッドとなるみとモモコ。
と、これくらいの一触即発のキャスティングをおこなってくれなけ
れば、結局はヨシモトのお手盛りイベントとして先細りになってし
まうだろう。

ところで、毎日新聞の詩歌欄に宇多喜代子、鷹羽狩行、高野ムツオ
茨木和生の四氏による「私の選んだ今年の秀句」と短いコメントが
掲載されていた。
その中の鷹羽狩行のコメントを引用してみる。

「類句・類想が話題の一年だったが、議論しても結論は出ない。
 わかったら潔く取消すこと」

実にわかりやすい意見ではないか。
類句を作った作者が、取消す前に潔くない態度をとり、その後に
論客と思われていた人達が類句作者をかばうような曲論を弄ぶか
ら、無意味なエネルギーが浪費されたのが今回の「水中花事件」。
アーティストであれアルチザンであれ、オリジナリティのなさを
恥と思わなければ、創作行為などできはしない。


[1189] 年末休日出勤 2003年12月27日 (土)

オフィスの荷物を整理するために、宅急便用の段ボール箱二つを手
に持って休日出勤。
実はオフィスにも大量に本を置いてあるので、それを整理しなけれ
ば、異動先へ移ることもできない。

まず、勝手に使っているロッカーの中の本類をひっぱりだして、テ
レビをつけながら、だらだらと整理。
とにかく、この職場に移って一年七ヶ月にしかならないのに、こん
なに本が増えていたのかとびっくり、うんざりする。
結局、書籍購入以外にはほとんどお金を使っていないわけだ。

午前中はあっという間に過ぎて、2階の食堂「ラポルト」で、かき
あげうどんの昼食。
「キス・ミー・お台場」のコンパニオンたちもたくさん食事に来て
いる。冬の屋外イベントは寒いので可哀相だ。

午後、一時頃に宅急便に来てもらい、第一次の荷物を出す。
持参した段ボール箱などたちまちいっぱいで、あとはキャリーバッ
グにつめて送るしかない。
まだまだ荷物ができそうなので、宅急便の人に、三時半くらいにも
う一度来てもらうことにする。

波郷、草田男、加藤楸邨、山口誓子などの全集の端本をちょこちょ
こと買っていたのだが、これらは自宅に持ち帰ることにする。
やはり、俳句関連の本が圧倒的にふえている。
二回目の荷物出しを終え、机の引出しの文具関係も整理して、結局
オフィスを出たのは、通常勤務日と同じ五時過ぎ。

帰宅後、「めちゃイケ」のスペシャル、期末試験特番を見る。


[1188] 仕事納めも多忙 2003年12月26日 (金)

仕事納めの日なのだが、朝、オフィスについたら、昨日、何時間も
かけてコピーした1万人分の宛名シールの箱が、昨日置いた場所か
ら消えている。
今日の朝いちばんに宅急便で出すはずなので、なくなっているとい
うことは、ゴミとして運ばれてしまったにちがいない。
あわてて、廊下に居たクリーンスタッフの人に声をかけ、ゴミ処理
の台車のところまでつれていってもらうと、よかった、一番上に箱
がのっかっていた。
というわけで、朝から一騒動だった。

ニュースレターの校正も全ページ分、今日の午前中にやらなければ
ならないし、写真のクレジットのチェックもしなければならない。
とにかく、きわめて多忙な午前中だった。

正午から、会議室にお寿司とビールが運びこまれい来て、納会。
フジテレビの会長と社長が年末の巡回ということでやってくる。
去年はラフくんとウメちゃんも一緒だったのだが、今年はいない。
全部局の巡回となれば3時間以上かかるので、着ぐるみではツライ
ということだろう。

結局、午前中に仕事が終らなかったので、適当に抜け出して仕事。
4時過ぎになんとか終らせて退社。
隣室ではまだ五人ほどが飲み続けていた。

帰宅すると、佐藤通雅さんの個人誌「路上」97号がとどいていた。
加藤英彦さんが「振り切りし死者幾人ぞ―児玉暁ノート」を書いて
いる。児玉暁さんの短歌をひきながら、彼との交遊を語り、その早
過ぎた死を悼んだ痛切な文章だ。
佐藤通雅さんの歌集『往還』にも、児玉暁を痛む歌があったのを
思い出した。
児玉暁は私と一学年ちがいの同世代。やはり、永井陽子や仙波龍英
と同じように死にいそいでしまった。

ひぐらしひなつさんの短歌が載っているのはうれしかった。
2003年に出た若い人の歌集の中でもひぐらしさんの『きりんの
うた』は特にすぐれた一冊だった。
この「路上」の短歌欄は、佐藤通雅さんが評価する歌人に依頼する
はずなので、若い歌人の中では、ひぐらしひなつさんを佐藤さんが
評価しているということだ。
ちなみにこの号に短歌を載せている寄稿者はひぐらしさんのほかに
は、清田由井子、大辻隆弘、梅内美華子、吉川宏志、佐藤祐三子、
吉岡生夫の諸氏。いかにも、佐藤通雅という人の眼力があらわれた
人選だ。

・好きだった女優の訃報とどく日は鬱金香の雌蘂を愛す/ひぐらしひなつ


[1187] 予期せぬ出来事 2003年12月25日 (木)

お昼を食べに、オフィスの人達と一緒にホテル・メリディアンに
行く。フロントに昨日宿泊したカップルが何組も並んでいる。

午後、一本の電話。
予期せぬ出来事にまきこまれてしまった。
サラリーマンだから仕方がないのか。やれやれ。

ウツウツとした気持ちをおさえつつ、グループ社員1万人の宛名
シールをコピーでつくり続ける。こういう単純作業の方が、気が
まぎれる。


[1186] お台場満員御礼 2003年12月24日 (水)

例年のことながら、クリスマス・イヴのお台場は混雑している。
帰りの道が混んで、バスが動かなくなるのがいちばん困る。

「短歌」1月号から3月号まで時評を連載。
「俳句」1月号から6月号まで「俳句月評」を連載。
どちらも、すでに1月号は店頭に出たようだ。
できるだけ、正直な思いを書くという姿勢を貫きたい。


[1185] 短歌への初心 2003年12月23日 (火)

朝6時にホテルのロビー集合で、レイクウッドゴルフクラブへ向う。
一日、ゴルフ会の実施運営の手伝い。
私が手伝うのは今年が二回目だが、去年に比べて寒さが弱いので
助かった。
コンペ、パーティー、スタッフ打ち上げとすべて終了して午後5時。

秦野発午後6時のサポート号で新宿へ。
紀伊国屋書店に寄って小池光特集の「短歌四季」1月号を購入。
西王燦選歌の「小池光秀歌百首選」を味読する。
あらためて小池光作品を読むと、雑誌初出で読んだときのことを
自分がくっきりと記憶しているのに驚いた。

・うしろ手に扉閉してエレミア書もつとも好む夜あり渇きて

この作品は1972年か73年の「短歌人」が初出だった。
それ以後、そう何回も読み返したわけでもないと思うが、鮮明に
記憶に刻み込まれている。それだけ集中して「短歌人」に載る
小池光作品を読んでいたということだろう。

この百首を読んで、短歌をつくりはじめたころのたかぶりと興奮、
つまりは、初心を思い出すことができた。
2003年の終り近く、鈍りかけていた精神をリフレッシュして
もらえる貴重な機会に出会えたことに感謝したい。


[1184] 歳末多忙・味読再読 2003年12月22日 (月)

朝8時から夕方5時までオフィスで雑務をこなし、そのまま秦野へ
一泊の出張。

新宿からロマンスカーに乗れるかと思っていたら、6時の時点で
9時前までの便が満席。
しかたがないので、通常の急行に乗る。
車中で桂文楽『あばらかべっそん』を読む。
再読なのだが、前に読んだときは、正岡容による聞書だということ
を知らなかったので、改めて、こういう一泊出張などの機会に読ん
でみようと思っていたもの。
とりあえず、車中一時間半とホテルで一時間半かけて読了。
桂文楽の口調をこれだけ丁寧に写せるのがやはり正岡容の力なのだ
と確認できた。


[1183] 冬ごもり 2003年12月21日 (日)

冬ごもりの一日。
とにかく、風邪を悪化させないようにしなければならないので、ひ
たすら家の中にこもっている。
といっても、10日締切の原稿がまだ書けていないというたいへん
な不義理をしてしまっているので、元気でもでかけられないのだ
が。

ここ数年の年末の状況は以下のとおり。

1994年
零下18度の夕張市のマウント・レースイ・スキー場で、「雪中女
子プロレスでカウントダウン」という伝説のイベントを実施。
1995年〜1998年
渋谷パンテオンで「映画でカウントダウン」というイベント実施。
ただし、1998年は風邪で発熱していたので、23時過ぎにタク
シーで吐き気をこらえながら帰宅。元旦も風邪ごもり。
1999年
Y2K問題で会社に待機。詳細は『東京式』参照。
2000年
大晦日から発熱。4日まで発熱と吐き気とまらず。5日に医者に行
き、多少回復したものの、結局、1月末まで後遺症が残る。
2001年
風邪をひかないように注意深く暮らしたのでいちおう平凡な日々。
2002年
前年末から和歌山の配偶者の実家へ行く。
ただ、他人の家の空気の感じが喉、目、鼻に不調をもたらし、結局
1月3日に帰宅したあとも鼻風邪の症状が残る。そして、4日に家
具センターへ行って、涙と鼻水がとまらなくなる。

と、このような状況なので、今年から来年にかけては元気に過ごし
たいもの、と願っている。


[1182] ネロとパトラッシュが死にそうな寒さ 2003年12月20日 (土)

体感的には今年いちばん寒い日。
マッチ売りの少女やネロとパトラッシュが凍死したのはこんな夜だ
ろうと思う。

先週から読みつづけていた坪内稔典さんの俳句評論集『俳句発見』
を読み終る。
現時点での坪内稔典の俳句観が率直に表現されていて、読んでいて
気持ちがよい。
ただし、すべての論に賛成できるというわけではない。
たとえば、滑稽という方向に傾き過ぎているのはいかがなものか。

西川徹郎さんの書き下ろしの新句集『銀河小学校』と櫻井琢巳氏の遺著となった西川徹郎論『世界詩としての俳句』が届けられる。
西川さんの句集は、書き下ろし五〇九一句という空前絶後の一巻。
櫻井氏の西川徹郎論は結果的に未完で終っているのだが、巻末に
櫻井氏から西川徹郎宛の手紙が何通か再録されている。
この手紙を読むと、櫻井氏がシュールレアリズムの視点から、西川
徹郎の実存俳句を本気で解読しようとしていたことが伝わってくる。

宮入聖書庫がたちまち黄落す/西川徹郎『銀河小学校』


[1181] 馬の名はシービスケット 2003年12月19日 (金)

いままでやっていなかったことがどっと押し寄せて、しのぐだけで
精一杯。困ったものだと思いながら、試写会で「シービスケット」
を見る。

監督:ゲイリー・ロス
出演:トビー・マグワイア、ジェフ・ブリッジス、クリス・クーパー

シービスケットといのは、一九三〇年代半ばに、アメリカ西海岸の
サンタアニタ競馬場を中心に活躍した競走馬の名前。
東部のエスタブリッシュメントに成り上がりとバカにされながらも
事業に成功して、競走馬を持つ事業家がオーナー。
昔かたぎのカウボーイが調教師。
大荒況で破産した家の息子がジョッキー。
この三人のトリオがシービスケットを駆り、東部の実業家の持ち馬
のウォーアドミラルとマッチレースをする場面がクライマックス。

ウォーアドミラルはアメリカ競馬史に残る名馬であり、つまり、こ
れは実話ということである。
ジョッキーたちがレースの最中に、怒鳴りあったり、時には殴りあ
ったりする場面が迫力をもって描かれているのが面白かった。
また、マッチレースの場面では、スタートと同時に、全米各地の人
達が、ラジオに耳をかたむけているモノクロ写真が何枚もフラッシ
ュバックし、その写真に実況中継がかぶさるという演出がなかなか
泣かせてくれる。
つまり、ラジオという新しいメディアが、現場の興奮を全国に送り
届ける時代になったということだ。

来年公開ということなので、競馬が好きな人は見ておいたほうが
良いと言っておこう。


[1180] 波多野爽波全集 2003年12月18日 (木)

またまた風邪がぶりかえしてふらふらの状態。
四時でオフィスを早退して、大恵クリニックで治療を受ける。
点滴をしてもらい薬をのんだら、なんとかもちなおしてきた。

帰宅したら、邑書林に注文しておいた『波多野爽波全集』全三巻
が届いていた。
予想していた以上にしっかりした編集、装丁の本である。
島田牙城さんにとって、この本はどうしても出したかった本だろう。
そしてたぶん、この手の本は、さほど売れないのだろうとも思う。
京極杞陽とかこの波多野爽波とか、「ホトトギス」の俳人の面白
さが、最近、わかるようになってきた。
座談会を一つ読んで、眠ってしまう。


[1179] 今日もまた寒風吹きて 2003年12月17日 (水)

同じことばかり書いているが、不義理の連続で精神的についつい
弱気になってしまう。

仕事も一気むに正念場で、複数の仕事が同時進行になっている。
そして、決着は年内にすべてつけなければならない。
そういうことを考えていると、夜中に目が冴えてしまったりする。

フジテレビは連続ドラマを先週終了させて、「北の国から」の
再放送を流している。ただ、視聴率は期待したほど出ていない。

猪木祭にミルコ・クロコップが出なくなったそうだ。
日本テレビは編成も事業も営業も大混乱だろう。

・格闘技に興奮をする人なかにふたつのひとみ瞠く茂吉/小池光


[1178] 寒すぎる風 2003年12月16日 (火)

死にそうなほど寒い風がお台場に吹き荒れている。

不義理ばかりで四方八方ふさがっているし、弱気になる寒い夜。


[1177] 師走繁忙 2003年12月15日 (月)

昨日に続き身辺雑事多忙。
勤めを休んだのだが、結局、朝から夜までバタバタとする。

買ってあった、桂文我の博品館の独演会にも結局行けなくなってし
まう。残念なことだ。

夜更け、吉川潮さんがおくってくださった新刊『わが愛しの芸人た
ち』を読む。
ようやく、雑事から心が離れ、芸人の世界のエピソードの数数に
遊ぶことができる。


[1176] 雑事多忙 2003年12月14日 (日)

いろいろと身辺の雑事でおちつかない日曜日。

競馬は朝日杯ははずれ。
ただ、最終レースで騎手だけで選んで、5頭の3連複10点買いを
したら、39.5倍が的中。

夜は早めに床に入ったものの、あれやこれやとアタマによしなしご
とが浮かび、あまり眠れず。


[1175] ありふれた空 2003年12月13日 (土)

午前中に平和島のTクリニックへ行き、風邪の治療の点滴をしても
らう。
風邪はやはり流行っているようで混んでいる。
待っているあいだに「歌壇」一月号を読む。

・滅びの美学言ひつつ勝ち組になつてゆく人の心は複雑なるべし/花山多佳子

この一首が巻頭作品の中では心に残る。

夜は十谷あとりさんの歌集『ありふれた空』の批評会。
パネリストは私のほかに中沢直人さん、中川華奈さん、三原由起子
さんという異色のメンバー。
それぞれ、示唆されるところの多い、面白い批評会だった。
「塔」の岡田英雄さんと初めて対面できたのもうれしかった。


[1174] 「読書人」アンケート 2003年12月12日 (金)

風邪がまだ続いていて、お昼を食べに同僚と一緒に小香港の中華料
理店に入ったのだが、料理が出てきたとたんに吐き気がしてきて、
四分の一くらいをかろうじて食べた。
その後、なんとかオフィスへたどりつき、パブロンを呑む。

「読書人」が今年の収穫として、四十人に好きな本を三冊ずつ挙げ
るアンケート特集をおこなっている。
短歌関係者では、荻原裕幸さん、松平盟子さん、枡野浩一さんが、
それぞれのベスト3を挙げている。

ちなみに荻原裕幸さんのベスト3は以下のとおり。

・倉本朝世編『定金冬二句集・一老人』
・『セレクション俳人6・櫂未知子集』
・穂村弘+東直子『回転ドアは、順番に』


[1173] 寂しく厳しい寒波 2003年12月11日 (木)

強烈に寒い朝。
寂しく厳しい冬だなあ、と、実感する。

午後の定例会議中に、また、風邪がぶりかえしてきて、身体がだる
くなる。困ったものだ。
ワールドカップバレーの打ち上げに誘われたが、風邪気味なので、
早めに帰宅。
ネット古書店で買った『悪魔の俳句辞典』を寝ながら読む。
良く見たら邑書林の刊行物だったので、本当はちゃんと定価で新刊
書店で買うか、邑書林から直接買わなければいけなかった。
長沼都さんの執筆した部分がきわめて面白い。
大井恒行さんが、「世襲」という項目で月彦の俳句を一句引用して
くれていた。やはり大井さんには足を向けて眠れない。
ちなみにこのような句。

・血族のさびしき桜づくしかな/藤原月彦


[1172] セレクション歌人・俳人 2003年12月10日 (水)

事業部長会の忘年会で、日本橋の「米夢」という店へ行く。
私は事務局員という立場。
9時30分過ぎに解散。
東西線の木場から帰宅。

セレクション歌人の『江戸雪集』とセレクション俳人『対馬康子集』が
到着している。
前者には「咲くやこの花」という歌人論を書いている。
江戸さんは、作歌をはじめた最初期から、短歌の基本的技法を自分
のものにしていた稀有な歌人である。
すでに自分の文体を獲得している。

対馬康子さんの俳句をきちんと読むのは初めて。
年譜を読んでいて、西村我尼吾さんの奥様だと知ってびっくり。
西村我尼吾氏には彼がまだ東大の学生の頃に会ったことがある。
通産省に奉職することが決まっているという話を聞いたおぼえ
があるので、1975年頃だろうか。
我尼吾という俳号は、プロレスラーのバーン・ガニアからとった命名。
ガニアは1950年代後半から70年代にかけて、アメリカ北部で
活躍し、AWAの帝王とよばれた人。
日本では国際プロレスに来日した。
当時、モンスター・ロシモフと名乗っていた巨人レスラーを、アメ
リカに連れて行き、アンドレ・ザ・ジャイアントとして大成させた
ことがガニアの大きな業績といえる。

ところで、そういうプロレスラーの名前をエリート官僚である西村
氏がずっと名乗り続け、句集『官僚』も、その名前で出したという
筋の通し方に、私は共感する。

話はそれたが、その西村我尼吾と夫婦である対馬康子氏の作には、
中島武雄主宰の「麦」出身ということもふくめて、きちんと作品
を読んでみたい。


[1171] 本を買う 2003年12月09日 (火)

『鷹羽狩行の世界』と『岡井省二全句集』を購入したいと思ってい
るのだが、前者はbk−1で、版元品切れ、後者は登録されていな
いらしく、ヒットもしない。
それで、とりあえず、後藤高資さんのサイトに、これらの本の表紙
写真が載っているので、それをプリントアウトして、社屋内の書店
に持って行き、注文を入れる。
数時間後、書店から、どちらも流通ルートにのっていないので、こ
ちらへ電話して、直接、購入してほしいということで、角川の財団
の電話番号を教えてもらう。
財団に電話したところ、『鷹羽狩行の世界』は注文を受けてくれた
が、『岡井省二全句集』は、角川学芸出版の扱いになるので、そち
らへ電話してほしいと電話番号を教えてもらう。
角川学芸出版へ電話をすると、『岡井省二全句集』は、「槐」の会
が全部引き取っているので、そちらへ申し込んでほしいと、代表の
高橋将夫さんの電話と住所を教えてくれる。
高橋将夫さんに電話してみたが、お留守だったので、全句集を一冊
購入したい旨を書いてファクシミリ送信する。

ということで、たぶん、2冊ともまもなく手に入るはず。

上記のいきさつだけを読むと、たらい回しにされていると思われる
かもしれないが、実際はどこも電話の対応がきわめて丁寧で感じが
良く、私としてはイヤな気分はまったくなく、むしろ、少しずつ、
目的に近づいて行く快感があった。
新刊はbk−1やamazonでクリックだけで申し込み、古書も
ネット検索でほぼ瞬時に探せるという時代になれすぎている昨今な
ので、久々に本を探求する興奮を思い出した。

こうして帰宅したところ、『富小路禎子全歌集』が到着していた。
これも、「沃野」の会が編集して、角川書店が発行元。
やはり、あとで欲しい人が出てきても、けっこう、手にいれるのに
苦労するかもしれない。
さらに岩片仁次氏編集の「夢幻航海」が届いていて、そこに
『志摩聡全句集』を刊行するという予告が載っていた。
こちらは、実質的な私家版になるのだろうから、なおさら手に入り
にくいだろう。早速、購入申込みをすることにする。

井口一夫さんが運営する「ちゃばしらWEB」が、やがて、こうい
う詩歌句書の出版情報も収集してくれるようになるだろう。


[1170] 寒くない冬の日 2003年12月08日 (月)

天気予報で寒い朝だといっていたのだが、日が射してきたら、案外
あたたかく、バスの中では汗ばむくらいだった。

オフィスではひたすらエクセルと格闘している。
12月はさすがに仕事が詰まってきて、あわただしい感じだ。

夕方から短歌雑誌の座談会に出席。
栗木京子さんと日高尭子さんと一緒。
話がはずみ、気がつくと10時をまわっていた。

帰宅して、荷風の『新橋夜話』の「見果てぬ夢」と「祝杯」を読
む。こういう小説が「中央公論」に掲載されていたというのも、
今考えると不思議な気がする。


[1169] 桐の花など 2003年12月07日 (日)

午前中は本の整理をしようと思っていたのだが、結局、かの子と
自転車で牛乳とキーボードの練習用の特打ソフトを買いに行く。

午後一時にアルカディアへ二日続けて行き、密談。
夕方もどると「里」が届いていた。

「短歌研究年鑑」の「好きな歌集100冊」というアンケート集計
を読む。
『赤光』『桐の花』『一握の砂』『みだれ髪』がどの世代でも上位
というのはわかる。
『桐の花』を久しぶりに読んでみる。

・そぞろあるき煙草くゆらすつかのまも哀しからずやわかきラムボオ

こんな歌にはやはり魅力を感じてしまう。

『桐の花』が刊行されたのは『赤光』と同じく1913年。
第一次世界大戦の前年であり、この年には近藤芳美、石田波郷、
織田作之助らが生れている。


[1168] 今年最後の歌会 2003年12月06日 (土)

午前中、「WE ARE the SENRYU」の会場のアルカ
ディアに行き、詩歌フリマを覗く。
川柳同人誌「双眸」と『田中五六八の川柳と詩論』を購入。
荻原裕幸さん、井口一夫さん、石川美南さんらとちょっとだけ
しゃべって、池袋へ行く。

ジュンク堂、ぽえむぱろうる、芳林堂の詩歌コーナーをまわるが、
お目当ての『鷹羽狩行の世界』も『岡井省二全句集』もない。
bk-1でもamazonでも版元品切れ。
俳句雑誌に書評が載ったから、読みたいと思ったのに、すでに品切
れというのは、極少部数出版なのか。
読みたい人の手に入らないというのはまずいと思う。

午後は「短歌人」の月例歌会。
終了後は銀座ライオン池袋店で忘年会。
途中から斉藤斎藤さんがやって来たので、直接、歌葉新人賞受賞の
お祝いを言うことができた。

二次会には行かずに帰宅。
K-1グランブリを見る。
ボンヤスキーVS武蔵という予想外の決勝戦になり、ボンヤスキー
が判定勝ち。今年は盛りあがりに欠けた決勝戦だつた。


[1167] 冬将軍がやって来た 2003年12月05日 (金)

空気というより冷気。
今日は完全に冬の一日。

砂子屋書房の現代短歌文庫の『松平盟子歌集』が届く。
『青夜』と『シュガー』が完本収録。
『オピウム』に関して書いた私の短い文章も収録されている。

「短歌年鑑」と「俳句年鑑」も到着。
「短歌年鑑」の「作品点描」では大辻隆弘さんが、私の作品を批評
してくれている。
引用されている作品が、私にとっては納得のゆくものばかりで、こ
のように丁寧に読んでもらえたのは初めてではないか、と思う。
数年前から、この欄で批評されるようになったのだが、今までは、
正直なところ、作品をちゃんと読んでもらえたという実感を得る
ことができなかった。固有名詞がわからないというだけで、敬遠
されてしまうことは、実は私にはくやしいことだった。なぜなら
固有名詞以外の修辞にこそ、力をそそいでいるつもりでも、そこ
は完全に無視されてしまうわけだ。
大辻隆弘さんの丁寧な読みには心から感謝したい。

「俳句年鑑」では巻頭論文の中嶋鬼谷氏の「読みの衰弱」が圧巻。
櫂未知子氏の「生き生きと死んでゐるなり水中花」の句が、いかに
新鮮な表現であるかを、さまざまな角度から論証してゆく。
池田澄子氏の「新鮮に死んでいるなり桜鯛」との比較で、これは
類句・類想ではないとの分析もみごとだ。
また、池田澄子氏の「忘れちゃえ赤紙神風草むす屍」に浴びせられ
た、愚かな批判に対しても、竹下しづの女の句をあげながら、小気
味よく論破してしまう。
俳壇の壇的感性に毒されていない、毅然たる論理展開はすがすがし
いほどだ。

栗木京子さんの歌集『夏のうしろ』が今年の若山牧水賞に決定との
こと。
当然の受賞であり、心からお祝いを申し上げたい。


[1166] 歌集ラッシュ 2003年12月04日 (木)

年末に向って、歌集上梓がまた増化してきた気がする。
大塚寅彦歌集『ガウディの月』を送っていただいた。
大塚さんの作品は短歌専門誌に載っていたら必ず読む。
『声』以来、8年ぶりの歌集になる。

・マンションの窓モザイクに灯る夕家庭とはつひに解き得ぬパズル/大塚寅彦

田中槐歌集『退屈な器』も『ギャザー』以来、久しぶりの第二歌集。
すぐれた歌集を読むことは私には大きな快楽である。

寝る前に荷風の短編小説を読む。

『新橋夜話』より。「名花」「松葉巴」「短夜」「昼すぎ」「五月闇」。
「短夜」と「昼すぎ」は対話形式で書かれた小説。
この二編は意外と古びていない。


[1165] 最近読んだ短編小説 2003年12月03日 (水)

マウスが古くてつかいにくいので、勤めの帰りにゆりかもめで
新橋に出て、キムラヤで、新しいマウスを購入。
ついでにDVDプレーヤーを見ようと思ったが、飾られている
のはDVDレコーダーばかり。見るだけでいいのだが。

最近読んだ短編小説は以下のとおり。

モーパッサン
「首飾り」「水の上」

永井荷風
「吾妻橋」
『新橋夜話』より「掛取り」「色男」「風邪ごこち」

寝る前に荷風の小説で、まだ、読み残していたものを読んでいる。
この習慣をできるだけ定着させようと思っている。

魚村晋太郎歌集『銀耳』が届いた。
帯が塚本邦雄、解説が岡井隆というすごい歌集である。
おそろしくて、まだ、中身を読めないでいる。


[1164] 題詠マラソン2003自選5首 2003年12月02日 (火)

題詠マラソン2003の自選5首を選んでみよう。

016:「紅」  伯林のキキくちびるに紅を引き針音の雨降る音盤ぞ

037:「とんかつ」 とんかつのため、否!アメリカのためにしてビル・ザ・ブッチャー腐肉切断

069:「コイン」 ベンダーにコインを落とし十六茶買う鉄拳よ さびしくないか

079:「眼薬」  「Show must go……」の定理のはかなさにボブ・フォッシーが眼薬をさす

089:「開く」  若者が開く扉の中からは女か虎かさもなくば子規

以上。


[1163] たどりついたらいつも雨降り 2003年12月01日 (月)

また月曜日から雨。

昨夜は「題詠マラソン2003」の締め切り日。
一日じゅうマラソンBBSには短歌が書き込まれてゆく。
このイベントの開拓した意義については、あらためて文章に
まとめてみようとむ思っているが、個人としては、こういう
リアルタイムのクリエーションの渦中に当事者として身をおけた
ことは、大きなプラスになったと思う。
年齢的にも70代から10代までの人間が、公開の場で短歌を作
りあうというのは、画期的なことだ。
特に「短歌人」のメンバーがたくさん参加していたことは、うれ
しいことだった。フットワーク軽く、イベントに参加する感性は
重要だと思う。
「題詠マラソン2003」のスタッフの五十嵐きよみさん、ぽっ
ぽさん、兵庫ユカさん、そしてかかわりあったすべてのみなさん
に御礼とお祝いを言いたいと思う。


[1162] まだ憂鬱 2003年11月30日 (日)

取り込み事、かたずかず、まだ、うんざり。

まあ、沈んでいてもしかたがないので、読んだ歌集から、心に残っ
た作品など引用しておきます。

・はじめての古書店ならばはじめてのにおいにひらく植物図鑑
・一度だけいっしょに呑んだ笑い顔テレビに映れり久和ひとみさん
・星の写真のホームページを作れるはどんな人昼は何をする人
・死者に聞くほかなし我ら人体は何度にて反り着火するのか
・写真にも自画像にも笑う顔はなし不本意なる「われ」よ子規の「われは」よ

佐佐木幸綱歌集『はじめての雪』(短歌研究社刊)より。


[1161] ちょっとごたごた 2003年11月29日 (土)

ちょっと取り込み事があって憂鬱。


[1160] 帰京、句会へ 2003年11月28日 (金)

カリキュラムを終えて、帰京するために、箱根湯本まで降りてきた
ら、なんと、小田急線内の事故で、ロマンスカーは全面運休とのこと。
しかたなく、新幹線をつかって東京へ出る。

一度、自宅へ孵り、少しだけ休んでから、駄句駄句会へ行く。
本日は常連では、左談次さんが欠席。
席題は「咳」と「屏風」。

最高点句は三魔宗匠の次の句。

・咳弱き西洋館の美少年

これをみんながもじって、

・咳弱き東洋館の前田隣

とすれば、ということになり爆笑。
前田隣師匠は浅草の東洋館で、実際にパジャマ姿で出て来て、
病気漫談というのをやっている。

雑談の中で、島敏光さんがある質問をしたところ、玉置宏さんが
即座に答えてくれて、芸能界の秘密が一つ解明された。
こういう場に同席できるのは、ある意味、とても感動的なことだ。

夜は久しぶりの我家なので、ぐっすり眠る。


[1159] 箱根三日目 2003年11月27日 (木)

産経新聞の朝刊を確認すると、ちょうど紅白歌合戦の出場者発表
の記事の下に、コラム「直言曲言」が掲載されている。
大西ユカリの写真もちゃんと入っている。
レイアウト的にも、紅白の記事からの流れで、みんな読んでくれ
るのではないか。

研修のカリキュラムを進めている間に、事務局スタッフのT君が、
「目の前が真っ赤に見える。眼底出血かもしれない」との緊急事態。急いでタクシーを呼んで、同じく事務局のKさんにつきそって
もらって、病院へと直行。
まったく、何がおこるかわからない。

スタッフが二人になってしまったが、ともかく、研修は続行。
夕食中にKさんが戻ってくる。
T君の病状は、処置が巧くいったので、悪くはならないだろう
とのこと。しかし、本人は心配だろう。

夜、また打上げ会。出版系の会社から来ている研修生から、出版
の現状などを聞く。やはり、編集者は本を愛し、テレビマンは番
組を愛することが大切だとの結論。

プロレス・格闘技マニアも居て、その話でも盛りあがる。
ミルコ・クロコップには、いっそ、天龍源一郎が立ち向かってくれ
たら良いのにということでさらに盛りあがる。
天龍なら、クロコップのキックをノーガードで受けてみせるだろう。
そして、ニヤリと笑ってくれれば、プロレスラーの存在感がこれ
ほどきわだつ場面はない。相撲出身のプロレスラーこそ最強であ
ることも証明されることになる。


[1158] 箱根二日目 2003年11月26日 (水)

今日の午前中で、第15期の中堅社員の研修が終了し、午後から
16期のメンバーが集まってくる。
研修の最中にも産経新聞のYさんから電話があり、大西ユカリに
ついて書いたコラムに彼女の写真を一緒に載せたいので、手配で
きないかとのこと。
すぐに、レコード会社に電話して、メールで産経の文化部に送信
してもらう。

とりあえずカリキュラムどおり研修を実施して、夜は懇親会。
私は呑めないので、実はこういう席は苦痛なのだが、グループの
三十代の社員から、率直に仕事の悩みや不満を聞くことができる
得難い機会でもある。
12時まで飲み会を続け、就寝。


[1157] 箱根へ向う 2003年11月25日 (火)

11月25日、三島由紀夫の忌日。
1970年11月25日、私は代々木ゼミナールに通っていた。
漢文の授業のためにやってきた講師が「いま、三島由紀夫が、
自衛隊に乱入して切腹した」と教えてくれた。
そのあと、竹川公訓君(現在の高千穂遥)と代々木の喫茶店で、
興奮したまま3時間くらいしゃべりあった。

その頃は千葉氏の長作町というところに住んでいたので、帰りの
幕張駅前のバス停で、会社帰りの父親と一緒になって、また少し
興奮して話をした。
その時の父親の年齢は、三島由紀夫と同じ四十五歳だったはずな
ので、今の自分よりずっと若かったわけだ。

ということで、今日から金曜日までグループの中堅社員研修で、
箱根へ行く。
京葉線、東海道線、小田急線とすべてが遅れていて、結局、予定
時間の一時間遅れで箱根の彫刻の森クラブへ到着した。

行く途中の電車の中で、永井荷風の『つゆのあとさき』を読む。
この小説はまだ読んだことがなかったのだ。
谷崎潤一郎が、この小説の東京の風景描写をほめたそうだが、
たしかに、銀座や市ヶ谷近辺の雰囲気にはリアリティがあると
思う。もちろん、私が知っている時代ではないが、東京の空気の
匂いは、昭和三十年代あたりまで、残っていたような気がする
のだ。


[1156] メアリ・シェリー21歳 2003年11月24日 (月)

今日いちばん驚いたことは、かの『フランケンシュタイン』を書い
た時のメアリ・シェリーの年齢が21歳だったということ。
やはり、天才というのはいるんだ、と感心。

もう一つは、「ラジオ・ビバリー昼ズ」で、ダックテイルズの
「ホンコン野郎」がかかったこと。
大西ユカリがゲストに来ていて、「私の好きな曲」ということで
ゴールデンカップスの「本牧ブルース」や梶芽衣子の「ふて節」
などと一緒にかけられたのだが、今頃、ラジオでこの曲が聞ける
とは思わなかった。

曇天の東京。
まずお台場のオフィスへ行き、出張中の資料の整理をおこなう。
自分一人だと思っていたら、S新聞のTさんも来ていた。
一時間程度で用件はすんだので、そのままゆりかもめで新橋へ。
さらに銀座線で銀座に出て、あけぼので明日のお土産を購入。
くまざわ書店のあとに入ったブックファーストに行って見る。
比較的、幻想文学系の本の並びが充実しているような印象を受け
た。
そのあと八重洲ブックセンターまで歩き、永井荷風に関する参考書
を一冊購入。京葉線で帰宅。

本の整理をして、春陽堂の俳句文庫と朝日文庫の俳句シリーズを
出してくる。しばらく、これらの本に目を通すつもり。

明日から金曜の夜まで箱根に出張。


[1155] 祝祭の日曜日 2003年11月23日 (日)

第2回歌葉新人賞の公開選考会だったのだが、朝、まだ熱がさがっ
ていなかったので、外出を断念する。
火曜日から三泊四日で、中堅社員研修のために箱根へ行かなければ
ならないので、なんとか熱だけでも下げておかなければならない。
昨日の朗読千夜一夜にも行きたかったが、こちらは、短歌人の編集
会議とぶつかっていけなかった。

今度は12月15日がトリプルブッキング状況。
結局、ひとつひとつ不義理を重ねて生きてゆくのだ。

歌葉新人賞は、斉藤斎藤「ちから、ちから」が受賞したとのこと。
おめでとうございます。
斉藤斎藤氏の作風は、文字使いをふくめて、歌葉の本のかたちに
合っていると思う。
短歌の新人賞での公開選考というのは、たぶん史上はじめてのはず。ほんとうは、こういう場には、できるだけ立ち会っておきたか
ったのだが。

遅れてしまっていた原稿を二本書く。
夜、昭和俳句文学アルバムの『赤尾兜子の世界』を読む。
和田悟朗さんのこういう文章が記憶に刻みこまれる。

「赤尾兜子とは何であったか。永久の謎であろう。直情径行にし
 て繊細な神経。鋭敏な言語感覚とともに、俊敏な時代の把握力
 俳句という次元をどこで捉えていたか。鬱という精神の状態が
 かつてない精神活動の場を場を展開したのだろうか。<兜子>
 という稀有の人格に直接に接した人もしだいに減つてゆき、あ
 とに二千句ばかりの作品が黙ってのこるだろう」


[1154] 平和島・六本木・池袋 2003年11月22日 (土)

熱がさがらないので、まず、平和島のTクリニックへ行く。
壮年男性の患者がやたらに多い。
一時間以上、またされたので、「塔」11月号を熟読する。

一度帰宅してから、長男と一緒に六本木のIという美容室に髪の
カットに行く。
午前中は暑いくらいだったが、午後からは風が冷たくなっている。
カット終了後、長男とわかれ、「短歌人」編集会議のために、池袋
の東京芸術劇場へ行く。
身体のだるさはぬけてきたのだが、食欲がまったくない。

会議後の夕食は辞退して早めに帰宅。
「エンタの神様」を見る。


[1153] 資料作り 2003年11月21日 (金)

火曜日から中堅社員研修なので、ひたすら資料作り。
あとニュースレターの台割決定とか、インフォメーション・アイの
原稿作りとか、ゴルフ会の資料の校正とか、送付とか、雑事ばかり
一日じゅうやっている。

S君がお葬式に行ったお礼ということで、お台場まで来てくれた。
むかしは、彼と二人でしょっちゅう、プロレス談義に花を咲かせて
いたものだ。

昼間はなんとか気力があったのだが、夜、帰宅したら、また、全身
がだるくなってくる。


[1152] 副作用? 2003年11月20日 (木)

朝起きたら、全身の関節が痛くて、おまけに吐き気がする。

何も食べないで、とにかく、オフィスへ行く。
医務室が開くのを待って、症状を言いにいったら、インフルエンザ
の予防注射の副作用なのかもしれないと言われる。
そういえば、去年も一昨年も、インフルエンザの予防注射をしたあ
と、調子が悪くなっている。要は予防注射が身体にあわないという
ことらしい。

午後はけっこうシビアな会議が続く。

帰宅後、すぐ床に入り、谷崎潤一郎の「疎開日記」というのを読ん
でいたら、昭和20年8月14日、つまり、終戦前夜に、谷崎は、
岡山からたずねてきた永井荷風と一緒に、闇で買った牛肉で鋤焼を
食べていたのだそうな。
いかにも谷崎らしく、荷風らしいということかなあ。


[1151] お葬式帰り 2003年11月19日 (水)

午前中、東西線、都営三田線と乗換えて、新板橋というところまで
S君のご母堂のお葬式に行く。
元アナウンサーのHさんに久しぶりに会う。

ご弔問を終えて、そのまま、都営三田線で日比谷へ戻り、そこで
有楽町線に乗り換え、新木場へ。りんかい線で東京テレポートま
で行き、オフィスへと到着。

午後はただだらだらと過ごしてしまう。


[1150] インフルエンザの予防注射 2003年11月18日 (火)

朝5時半にモーニングコールで目覚める。
とりあえず、身支度をして、眠気をふきとばし、6時過ぎにチェッ
クアウトして、集合場所の旧舘二階へ向う。

とりあえず無事に朝食会開始。
スピーカーは政治家のA氏。なまで聞いても、すっきりした声の人
だと思う。
終了後、他のスタッフはそのままオフィスへ向かったが、私は、靴
が合わずに踵が痛くてたまらなかったので、一度、帰宅する。
靴を変えて再び出社。
また、仕事がたまっている。

午後、本社へ行き、インフルエンザの予防注射を受ける。
注射のあと十五分間は、副作用がおこないかを確認するために、
医務室で待機する。
なんともなかったので、オフィスへもどる。
そういえば、一昨年、自宅の近くの医者でインフルエンザの予防注
射をうってもらい、翌日が小中英之さんのお通夜。寒いなかで、長
時間立っていたあと、影山一男さんと一緒に帰り、夜更けまで寿司
屋で語り合ったら、翌日、ひどい風邪をひいたのを思い出した。

6時までになんとか雑事を終らせて、築地のブディストホールへ
向う。立川談春独演会、今夜は「文七元結」である。
客席の入りは七割くらいか。しかし、これがこの独演会の基礎票
といえるのだろう。だいたい、見た顔が多いということは、今夜は
立川談春の「文七元結」を聞きに来たお客さんばかりということだ。

いつもは開口一番はないのだが、今夜は突然、立川ハルクなる、
お弟子さんが登場して「道灌」を一席。
師匠としての談春さんは厳しそうだが、ぜひ、噺家になるという
志を貫いてほしいものだ。
談春さんがまず「一部芝居」を一席やり、中入り。
共同通信のHさんに声をかけられる。聞きに来てくれたのが嬉しい。
私はいつものとおり下手側の前から四列目。この列の通路側には
いつも、二月にサンダルで来ていたアネゴが座っている。彼女も
毎月の生活の中でこの独演会にポイントを置いているいわば同志
である。
右側の席には女性の二人連れ。落語や歌舞伎のフアンらしく、平成
中村座に行ったときのことなどを、しゃべっている。笑いや拍手の
タイミングも実に良い。

こういうお客たちの期待感の中で「文七元結」六十五分の長演。
そして期待にじゅうぶんに応えるできだったと思う。
談春さんは気風の良い江戸っ子の口調が男女に限らず小気味よいの
だが、左官の長兵衛と佐野槌のおかみの口調が実によい。
おかみが長兵衛に五十両貸してやるところ、そして、長兵衛が文七
に五十両をやってしまういきさつをとても丁寧に演じてくれたので
噺にリアリティが大きく加わった。
「文七元結」をこのように演じてみせた今夜の立川談春を見られた
ことは、大きな喜びだと思いつつ、帰路についた。


[1149] 詩のある俳句など 2003年11月17日 (月)

月曜日、先週積み残したことがたくさんあって、勤務時間中は、
けっこう忙殺される。
明日、幹部の朝食会があり、スタッフは早朝集合なので、一度、
帰宅してから、赤坂のホテルへ行かなければならない。

ホテルへ行く前に、門前仲町のブックオフに久しぶりに行く。
嶋岡晨著『詩のある俳句』と亀井勝一郎全集の端本の「解説・推薦
文」篇というのを購入。これは文庫解説や他人の著作の帯や全集の
推薦文などを集めた本。
角川文庫の久生十蘭や前川佐美雄の解説文を書いているのが興味
深かった。
まあ、前川佐美雄とは「日本浪漫派」で同人だったという縁もある
わけだ。

嶋岡晨の本は、まあ、俳句をネタにしたエッセイ集のような感じで
はあるが、「詩人たちの俳句」という章だけは面白い。
昭和十年代に「鶴」や「風流陣」という詩人だけの俳句誌が出され
ていたという事実などまったく知らなかった。

詩人は俳句をつくるけれども短歌はつくる人は少ない。
これは単純に、句会に知的遊戯性が強いからということなのか、
それとも別の理由があるのか、詩人の意見を聞いてみたいと思う。

というようなことを考えながら、ホテルの部屋の夜は更けてゆく
のでありました。




[1148] 風邪にご用心 2003年11月16日 (日)

風邪ひきそうな感じだったが、急に十月中旬の陽気とかで汗ばむ
くらい。しかし、温度差で風邪をひくことがあるので、気をつけ
なければならない。

「笑芸人」の「笑芸百人一首」の作品つくりと原稿書き。
この原稿はしくじるとタイヘンなことになるので、気合を
いれて書かなければならない。
今回のテーマは「新作落語」。
先日の東西落語研鑚会で聞いた桂三枝の「妻の旅行」の印象が強烈
に残っている。

原稿にアタマをひねりながら、エリザベス女王杯の馬券をPAT
で購入。なりふりかまわぬ三連複20点ボックス買い。
しかし、馬券を長く楽しもうとしたら、こういうところで、カッコ
をつけていてはダメ。単勝の二点買いとか底引き網馬券とか、邪道
を行ってこそ、他人が味わえない馬券道が身についてくるのだ。

3着にタイガーテイルが突っ込んでくれたおかげで、20点買って
もオツリがくる配当。
これで、来週につながるじゃないか。


[1147] 「代書屋」の「屋」 2003年11月15日 (土)

落語の「代書屋」をはじめて聞いたのは、昭和41年頃、うめだ花月
で、ステレオ落語というかたちのものでであった。
まだ、桂小米朝といっていた月亭可朝が客、死んだ林家小染が代書
屋という、いわゆる落語コントだった。
小米朝のトンチンカンな受け答えに、まじめ顔の小染が、だんだん
イライラしてくる様子が面白く、けっこう笑ったのをおぼえている。
この「代書屋」という落語は人間国宝の桂米朝の師匠にあたる桂米
團治がつくったもので、米朝門下はほとんどの人がやる噺だ。
「儲かった日も代書屋のおなじ顔」というマクラの川柳も米團治の
作品だそうだ。
これを関東では立川談志がやっている。
立川談春も独演会でやった。
私は「代書屋」とおぼえていたのだが、談志も談春も「代書」と題
してやっていた。
なぜ、「屋」がなくなってしまったのか、不思議に思っていたのだ
が、矢野誠一の『落語長屋の商売往来』の中にこんな一節があっ
た。

「その代書屋なる職業も消滅したせいだろうか。近頃ではこの
 はなし『代書』として演じられることが多い。「一字抹消」
 である。」

ウマイ!と思わず声をかけたくなる。「代書屋」を知らない人には
どこがうまいのかわからないだろうが。

小島ゆかり・深見けん二共著の『吟行入門・私の武蔵野探勝』(N
HK出版・1300円)を読む。
武蔵野探勝というのは昭和の初期に高浜虚子と「ホトトギス」の
同人たちが、月一回ずつ100回にわたっておこなったといわれる
東京近郊の吟行のこと。武蔵野といっても、浅草や深川にも行って
いたりするので、広くとらえた東京及びその近郊ということらしい。
さて、この小島・深見の共著は、二人が虚子一行の探勝したのと
同じ場所を訪れて、小島は俳句を、深見は短歌をつくり、お互いに
感想を述べ、添削しあうというもの。
俳人と歌人の発想や表現の視点のちがいが浮かびあがってきて、思
った以上に面白い読物になっている。
小島ゆかりという女性には、年上の人に愛され、年下の人に慕われ
るという稀有なキャラクターがある。このキャラクターがあればこ
そ、この企画が成功したのだろうと思う。


[1146] 筆のすべり 2003年11月14日 (金)

「短歌四季」12月号が届いた。
山下雅人氏が編集長になってから内容がじょじょに変わってきて
いたが、今号の前登志夫特集など、とても充実した執筆者のライン
ナップで読み応えがある。
これくらいの特集が毎号組まれるなら、ぜひ、定期購読しなければ
ならないとも思う。
「短歌プラネット」という山下自身が書いている見開きのページも
なかなか読ませる内容だった。私小説的な自己の血への凝視があり
短歌の雑誌ではなかなかお目にかかれない重い読後感が残る。

さて、「子規新報」98号を読んでいたら、小西昭夫氏が、対談形式
の書評の中でこんなことを書いていた。

「「生き生きと死んでゐる」という櫂さんの主張したオリジナリテ
 ィーに対して仁平勝さんが「生き生きと死んでいる」というフレ
 ーズは、櫂さんよりも前に寺山修司が使っていることを指摘しま
 した。すでに、この句は櫂さんの代表句になっていますが、櫂さ
 んの論法でいけば、櫂さんもこの句を削除しなければならない」

これはいかにも筆がすべっていて、困った文章だと思う。
寺山修司が「生き生きと死んでいる」という一節を書いているの
は、散文の中であって、短歌や俳句ではない。だから、仁平勝氏
がいくら「これで櫂未知子のオリジナリティーは消えた」等と書
いたところで、それこそ筆のあやまちで、俳句と俳句のあいだの
剽窃である「水中花」と「兜虫」の問題とパラレルに語ることは
できない。小西昭さんも、まさか、あの仁平氏の苦し紛れの指摘
を信じたとは思いたくないのだが、引用した文を読む限り、もし
かすると、小西氏も、櫂未知子のオリジナリティーは消えた、と
思っているようにも思える。
引用の後段では、「ぼくの中ではこの句は櫂さんの秀句として、
記憶し続けることになると思います」と書いてはいるのだが、
寺山の原文にあたってみようともしない人達にとっては、あたか
も、寺山の詩歌のフレーズに「生き生きと死んでいる」というフ
レーズがあるかのように誤解されかねない。
こういう筆のすべりは困ったものだ。

「俳句研究」12月号の仁平勝氏の「俳句に関する十二章」にも
困った筆のすべりがある。
今回は「類型性」というテーマで、飯田龍太の句を例にして、俳句
には「類型性」という特徴があって、それは唾棄すべきものではな
いと説いている。それ自体は明晰な論旨なのだが、その論の展開の
中でこんな表現がある。

「少なくとも類型から抜け出すこと自体には、俳句表現としてなん
 ら価値がない。類型を拒否しようとまるごと受け入れようと、そ
 こで新しい韻文が生まれるかどうかが大事なのである」

後段はまったく異論はないが、前段の「類型を抜け出すこと自体
には、俳句表現としてなんら価値がない」というのは筆のすべり
だろう。本気でそう思っているなら、仁平氏は俳句評論家としては
ともかく、実作者としては、独自の表現に骨身を削る経験などした
ことがないのだろう。高柳重信や赤尾兜子や三橋敏雄がどれだけ、
オリジナリティーのために、つまり、類型脱出のために苦闘してい
たか、想像することもできないのかもしれない。さびしいことだ。


[1145] 笑えばパラダイス 2003年11月13日 (木)

仕事はけっこう面倒ごとが多かった。
進行したこともあるし、御破算になったこともある。

「東西落語研鑚会」に行く。
お客の年齢層が、初めの頃より少し高くなったような気がする。
私は二階席だが、ほぼ中央なのでとても見やすい場所だった。

柳亭市馬「転宅」
きっちり教科書どおり演じてみせてくれたが、やはり、現代性が
少しでもほしい。
冒頭の「泥棒の悪口はいくらいっても大丈夫」というくすぐりは、
いくらなんでも、もう古いんじゃないか。
声がとおるのだけは取り得だが、出来は平均点。ただし、研鑚会で
平均点では出る意味がない。

桂小米朝「七段目」
小米朝が舞台に出たとたんにわっと明るさがました。
こういう状況は私は寄席で何度か経験しているが、華のある芸人
さんが出てくると確かに舞台に光がさす。
父親の米朝の話をマクラにして、映画出演のエピソードへ持込み
芝居狂いの若旦那が出てくる「七段目」にすんなり入ったのもみ
ごとなもの。
この噺は米朝一門のお家芸なので安心して聴ける。
芝居仕立ての部分は、小米朝の様子の良さがもっとも生きる。
私は歌舞伎に無縁なのでわからないが、途中の団十郎の声色なども
客席から拍手がわいていたから、似ているのだろう。
きちんと自分の良いところを見せるという舞台で、小米朝の頭の良
さを感じた。

笑福亭鶴瓶「子は鎹」
東京の「子別れ」。ただし、子供は父親と二人暮らしという設定で
東京の噺とは父と母のポジションが逆になっている。
あいかわらずの声の悪さはどうにもならない。師匠の六代目松鶴は
ダミ声でも、いわゆるみごとな「落語声」であった。たぶん、もう
少しで、鶴瓶も「落語声」になる予感はある。
こまっしゃくれた子供は上手で笑えるので、「いかけ屋」なんかを
やると大ウケするのではないか。

中入りをはさんで林家こぶ平「宗論」。
「三味線栗毛」「茶漬け幽霊」と難しい噺を出してきたこぶ平さ
ん、今回は笑いが確実にとれる「宗論」。
しかし、失敗してしまった。途中で「おちついてください」という
言葉がやたらに多くなったので、変だなと思っていたのだが、ホン
トに噺の展開を忘れてしまっていたらしい。
困ったものだが、逆に考えれば、こぶちゃんはこれで良いのかも
しれない。憎めない、というのは父親譲りの大きな長所だ。
こんどは「孝行糖」とか「道具屋」とか、軽い爆笑噺をのびのびと
やってほしいものだ。

桂三枝「妻の旅行」
立川談志家元が三枝の新作落語をいつも褒めているので、半信半疑
だったのだが、やはり、ベテランの芸は一筋縄ではなかった。
こぶ平のハチャメチャをマクラに「厳しい会ではなく、楽しい会な
のでほっとしまとた」とのマクラから、大阪のオバサンの図々しさ
を語り、そのまま本編に入って行く。
要は、定年退職した父親が息子に、母親(つまり自分の妻)の、家
での「オバハン」ぶりを語るというだけの噺なのだが、その観察力
に強烈なリアリティがある。大阪のオバハンの生態、言動はまさに
これなのだ。東京のお客にもじゅうぶんにウケたが、これをグラン
ド花月あたりでやったらばかウケだろう。
大劇場でどうやって笑いをとるか、三枝という落語家はじゅうぶん
にわかっているということだ。ともかく、けっして高級な芸ではな
く、いわば客いじりの洗練されたものなのだが、こういうしたたか
な芸を見られたのは収穫だった。

帰りの階段で、高田文夫さんに声をかけられたのだが、高田さんも
「三枝はスゴイね」と感心していらした。

家元の研鑚会登場もそう遠くはないらしい。
私としては、やはり、桂文我にも出演してほしいものだ。


[1144] 虚子の哀愁 2003年11月12日 (水)

雨があがり朝日が気持ち良くさしている。
しかし、空気はもう本格的な冬の冷たさだ。

『虚子物語』という本の中に、高木晴子の随筆が載っていた。
晴子はフェリス女学院に通っていたので、毎朝、虚子ととともに
鎌倉駅から電車に乗ったが、電車の中では父親の虚子が鬱陶しい
ので、離れた席に座っていたのだそうだ。
父親の哀愁を虚子も感じていたということか。

・バナナ・コレラを花鳥と呼べりさう思へ  筑紫磐井

まったくバナナやコレラがなにゆえに季題であり、花鳥諷詠という
ことになるのか、まともに考えれば不可解だ。
しかし、虚子はそれを不可解とも思っていなかったのだろう。

・コレラ船いつまで沖に繋りゐる  虚子

・遠国に虎喇痢草むす若衆髷    月彦『盗汗集』

月彦時代の句もなかなかのものだったような気がする。


[1143] 鈴木竹志歌集「流覧」 2003年11月11日 (火)

鈴木竹志さんの待望の第一歌集『流覧』が出た。
本日、お送りいただいた本を一気に読んでしまった。

「流覧」という言葉は「あちこちの様子を次から次へと見てゆく」
という意味だそうだ。
あとがきに書かれている鈴木さんと短歌との関わりを読むと、自分
ときわめて良く似ているのに気づいた。

鈴木さんは1973年にコスモス短歌会に入会、私は1972年の
初めから短歌人会に入った。(厳密には1971年の年末に入会手
続きをした)。
1986年に「桟橋」が創刊され、鈴木さんは本格的に短歌に取り
組むようになった。私は1988年に歌集を出す準備を始め、やは
り真剣に短歌に取り組むようになっている。

もちろん、鈴木さんは高校の教師で、私はラジオ局の社員と職業上
の立場は異なるが、時代の中での感覚はやはりかなり似ているよう
に思える。男女一人ずつの子供という家族構成も似ている。
また、この歌集の作品の背景の年代も、いわば近過去から現代であ
り、詠われている事件にもさまざまな感慨がよびおこされる。

・昭和史の復習するによからんとテレビに見入る一月七日

この歌に詠われている日、私はディレクターとしてアナウンサーと
一緒に、ラジオカーで都内を走りまわり、Xデイのレポートをして
いた。まだ、ビルなどないお台場の海岸で、ウインドサーフィンを
している若者にインタビューしたりした。

・教室にわが人生を語るとき遠き湾岸に戦争起きぬ

この歌に詠にわれた日のこの時間、私は「文夫と明子のラジオビバ
リー昼ズ」という番組のディレクターとして、生放送のスタジオで
キューを振っていた。いま、開戦したというニュースで、一気に報
道部員がスタジオになだれこんできて、番組はウヤムヤのうちに報
道特番に変更になっていた。
この湾岸戦争の時、私はこんな短歌をつくっていた。

・29インチ画面に戦火燃え詩の機知を言い詩の危機を言う
・ロールプレイング・ゲームの中にのみ生きてされど吟遊詩人の無力
・クライシスそれはさておき「はらさんに全部」と決めて楽しこの世は

この表現のベクトルのちがいをそれぞれが自分の意志で選んだこと
を誇りに思う。鈴木竹志さんもまたそうだと思う。


[1142] 冷たい雨熱い心 2003年11月10日 (月)

朝から冷たい雨が降っている。

こんな日は心が熱くなる短歌を読む。
やはり、安永蕗子である。
『褐色界』の後半から、熱き心を感じさせてくれる歌を紹介。

・まぎれなく白羽の裡に滴々のくれなゐあれば叫ぶ夜鷺か
・ひと頻り・アナタ・と叫ぶCDの声熄むときに塩振る昼餉
・劈頭に撃たれし鴨を悼むかな解禁といふ何の許しぞ
・蓬々と茂る野麦を分けてゆくビル・エヴァンスを聴かぬ久しく
・一葉も啄木も生きて果てたりと嘆くひとつに我が靴音も

こういう熱い歌が詠めるようになりたいものだ。

「未来」11月号の加藤治郎選歌欄で、加藤さんが、若い投稿者に
対して「大至急、現代短歌を読破してほしい」と加藤流の檄をとば
している。もちろん、現代短歌はそう短時間で簡単に読破などでき
はしない。加藤さんが言わんとするところは、現代短歌という表現
のさまざまな豊穣を感受しろ、ということだろう。
仲間内のものだけを読み、そのマネをしているだけでは、創造とい
うことにはつながらない。
創造し、表現する志を持つ人こそ必要なのだ。やはり熱い心だ。


[1141] 安永蕗子歌集「褐色界」 2003年11月09日 (日)

選挙の投票に行き、「短歌人」の東京歌会と勉強会に出席し、さらに
家に帰ってから、開票速報を見ながら短歌をつくった。

そして、そんな時間の中で、安永蕗子歌集『褐色界』を読んだ。
志を感じさせてくれる歌を読むと鼓舞される。

・迷走の果ての車窓に鳴きしきる払暁赤き野のほととぎす
・人あゆむうしろ従きくる鳩百羽はや通俗の羽のむらさき
・朝の間は鳴き交ふ鳥の声をきく遺書も遺恨もなき世のひびき
・ずつしりと古今和歌集死者の歌満載のまま夜や傾ぐなり
・楼門の入りの虚空に咲くこともしたたかにして卯月のさくら

こういう歌を読むと、自分が短歌にかかわっていて良かったと
思う。本格としての短歌の詠み手として安永蕗子と塚本邦雄だけは
信頼できる。

『褐色界』砂子屋書房・3000円+税
砂子屋書房:03−3256−4708


[1140] 後藤騎手に救われる 2003年11月08日 (土)

一日じゅう、雑誌を読んだり、原稿を書いたり、PATで馬券を
買ったりして過ごす。
馬券はなしくずしに負け続けていたが、東京の最終レースで、後藤
騎手のカノヤバトルクロスの単複を買って、なんとか浅い傷で、く
いとめることができ、明日へつながる。
やはり、頼みになるのは後藤だなあ。横山と吉田は大キライ!

「俳壇」十一月号に斎藤慎爾さんが「星への歩み」百句を発表し
ている。
「俳壇」のこの百句の企画はなかなかのヒット企画だと思う。
作家としての力を見せてくれるなら、やはり、質だけでなく量の
面でも、愛好者レベルの人達をしのいでみせて、圧倒してほしい。
「短歌研究」の連載も三ヶ月に一度ずつ三十首なんて中途半端な
数でやるのではなく、百首ずつ半年連載して、六〇〇首の歌集を
どんどん出すくらいの気概を見せてほしいものだ。

斎藤慎爾「星への歩み」より

・遊びをせんとて残しおく桃一顆
・日と月としんがりに幼な吾
・暗きより冥きに入る蛍狩
・ありとなき蛍吹雪を棺の中
・陰膳のほか一切無青山河
・死にたれば父母にこにこと端居せり
・白魚を啜りて曳白の明け暮れよ
・筆禍被る月光の朴散りぢりに
・雁のゐぬ空には陰のごとき山
・囀りのなか事切れてゐるもあり
・いまにある子のかどはかし曼珠沙華
・そばがらの枕脈打つ山河かな
・箒草非在の影の美しき
・曼珠沙華夢の畦道違へけり
・朧夜の住民票に吾と蛍
・身疲れは夢見し疲れ梅の花

いちおう、これらの句にしるしをつけた。
古今のさまざまな俳句がこれらの作の影にちらついている。
鷹羽狩行、河原枇巴男、下村槐太といくらでもあげられる。
斎藤慎爾という俳人の俳句的経歴がうかがえる百句であった。


[1139] 「東京人」など 2003年11月07日 (金)

グループニュースレターの編集会議。
今まで、グループ各社の活動報告だったので、もっと、読める内容
にするために、企画を変えている。
いちおう、各社の編集委員からニュースのネタは提出されたが、
これをさらに読みものとして面白い切り口を出すよう、アレンジ
しなければならない。

「東京人」12月号「落語に生きた親子三名人」をやっと買う。
古今亭志ん生、金原亭馬生、古今亭志ん朝の三人の特集。
表紙は田沼武能の写真。親子三人が笑顔で写っている構図で、
これ以上ふさわしい写真はないだろう。
三人の若さからいって、昭和三十年代のものだろう。

さまざまな関係者が語っているエピソードには、すでに知っている
ものも多かったが、志ん朝の元マネージャーの前島達男さんのもの
が、役者としての志ん朝の内面を語っていて面白い内容だった。
馬生、志ん朝の姉の美濃部美津子さんと立川談志の対談も、談志
家元がリラックスしている様子がみてとれて、興味深く読めた。

特集とは別に巻頭エッセイを東直子さんが書いている。
内容はなくした自転車の話。
歌人としての枠をはずして、こういうエッセイを書くのは実は
けっこう難しい。
「文学界」の時と同様、実に堂々とした書きぶりで感心する。
小島ゆかり、東直子と、読ませる文章を書く力という点では
この二人の女性歌人がぬきんでてきた印象がある。


[1138] 洲崎パラダイス 赤信号 2003年11月06日 (木)

ある方のご好意で「洲崎パラダイス 赤信号」のビデオを見ること
ができた。
昭和32年の洲崎が舞台ということで、当時、洲崎のすぐそばの
平久町というところに住んでいた私には映画の全編にわたって、な
つかしい光景ばかりだった。

「洲パラダイス崎」というネオンのアーチは鮮明におぼえている。
カラー映画ではないので、色がついていないのが残念だが、緑色は
つかってあったようにうっすら記憶がある。
私の年齢は、映画中に出てくる呑み屋のおかみの轟夕起子の息子二
人の弟と同じくらいだろう。
あの運河にはりだした貸しボート屋の小さな降り口や住居自体が、
運河の上に突き出している家の建て方は、当時、運河沿いのいたる
ところで見られた。
鳩小屋なども、ああいうかたちでつくられていたものだ。
そういえば、今は鳩を飼う少年など居なくなったが。

冒頭の永代橋のシーンで蔦枝が新川一丁目の方へ走っていってバス
に乗るが、永代橋を新川側に渡り、隅田川沿いに左に曲がると、
古泉千樫が勤めていた水難救済会があったはずだ。

洲崎についてからの、埋立地へ土を運ぶトラックも、たしかに、
あんな感じで土煙をあげて走っていた。
当時、運河の水は真っ黒で、小学校6年生の時に那須高原に行く
まで、川の水は黒いものだと思っていたくらいだ。
スクーターやオート三輪もしょっちゅう走っていたが、これは別に
洲崎に限ったことではないだろう。

洲崎弁天に轟夕起子や洲崎の女性達がお参りに行く場面で、五、六
段の石段を上り下りしているが、この石段は今でも残っている。
弁天様の隣に弁天劇場という芝居小屋があり、ここにも何度か行っ
たおぼえがあるし、役者の一座の幟が掲げられていたのもなつかし
く思い出した。

一本の映画には作品としての完成度ももちろんあるが、今は失われ
た風景や人の姿、たたずまいが映されている。しばしば、川本三郎
あたりが語っていることだが、今回は自分のこととして初めて、鮮
やかに体験することができた。


[1137] 講演を聞いて、帰京 2003年11月05日 (水)

午前9時集合で、講演会の準備。
とりあえず、滞りなく終了し、午後3時前の段階で、あとは帰京す
るだけということになる。

講演会の内容は広い意味での危機管理に関するものだったのだが、
聞き応えはあった。
犯罪・自殺ともに1998年を境にして一気に悪化したというのは
体感的にも納得できる。
日本の歴史の上でも、こんなに猟奇的な犯罪が毎日のように勃発し
ている時代なんてなかったのじゃないだろうか。
昭和11年の阿部定事件は今でも伝説となって語り継がれているが
最近の一家惨殺だとか幼児虐待だとかは、すぐに忘れられてしまう
ではないか。つくづくひどい時代だと思う。

阪神デパート前の地下道の萬字屋書店という古本屋を覗く。
この店は私が中学生の頃からこの地下道にあった。
しかし、きちんと入るのは、なんと今日が初めて。
秋田實と和多田勝が1980年頃に少年社から出した『オチの表
情』という笑いのオチを分析した本があった。
1200円と定価より安かったので購入。
この手の本は、出会ったときに買っておかないと、次はいつめぐり
あえるかわからない。
あと『上方芸能手帖』という、関西歌舞伎や浄瑠璃に関しての本が
700円だったので、これも購入。

4時半の「のぞみ」に乗って東京へ向う。
車中ではね上記の2冊と昨日買った『青畝・誓子・楸邨』をあれこ
れと拾い読みして過ごす。
東京へ着くと、雨がぱらつき始めている。
なんとか濡れずに帰宅。
風邪をひきかけているらしく、身体が冷えていて寒い。
ナイナイの番組を見て、「俳句四季」を少し読んでいるうちに、
気がついたら眠っていた。