[1136] 連休明け、大阪へ出張 2003年11月04日 (火)

朝はオフィスに出て、夕方4時過ぎの新幹線で大阪へ出張。

午後7時前に大阪へ到着。
今日はホテルへチェックインするだけなので、梅田の古書の街をの
ぞいてみる。
梁山泊という書店で、立風書房の『青畝・誓子・楸邨』を買う。
何度か池袋のジュンク堂で買おうと思いながら、買いそびれていた
本なので、ほぼ半額の1000円なら即購入。
ビーフカレーを食べて、リーガロイヤルホテルへタクシーで向う。

チェックインしたあとは、さっき買った『青畝・誓子・楸邨』を
読む。
たぶん、宗田安正さんが編集されたのだろうと思うが、誓子を囲み
高柳重信、鈴木六林男、赤尾兜子が前衛的な立場から自由に発言す
座談会の再録や、安部公房の誓子論、大岡信の楸邨の俳句に七七の
句をつけた付合いの試みなど読み応えがある内容の文が、いろいろ
な雑誌から拾って再録されている。
思った以上に面白い内容の本だ。


[1135] 文化の日・雨模様 2003年11月03日 (金)

雨模様の文化の日。
本来、文化の日というのは、晴の特異日のはずなのだが、今年はや
はり、異常気象なのかもしれない。

池袋の東京芸術劇場で、「短歌人」の拡大編集委員会がおこなわれ
るので、ほぼ一日拘束されることになる。
西勝洋一さんと久しぶりに会う。
斎藤典子さん、西王燦さんとも半年ぶり。
砂子屋書房の現代短歌文庫でまもなく『西勝洋一歌集』が出ること
になっている。
ここに西勝さんの初期の歌集『未完の葡萄』と『コクトーの声』が
完本で収録されることになっている。
この2冊の歌集には、私はとても影響を受けたので、なつかしいし
早く再読したいと思っている。
『無縁坂春愁』に関して書いた、私の短い文章も同時に収録される
ことになっているので、それも楽しみ。

こういう1970年代の歌集を若い人達が読めるようになるだけで
も、現代短歌文庫のような出版物の意義は大きい。
もちろん、肝心の若い歌人に、そういう過去の遺産を読む気がなけ
ればしかたがないことなのだけれど。
眼前に咲く花がもまた歴史を負っているということを知って欲しい。


[1134] 永田和宏歌集「風位」 2003年11月02日 (日)

一日じゅう、馬券を買いながら、原稿を書き、途中で歌集を読んだ
りして過ごした。

秋の天皇賞は比較的、相性の良いレースだったのだが、今年はシン
ボリクリスエスという本命馬の名前がイヤで、どうしても、この馬
中心に考える気がしなくて、完敗してしまった。
名前にこだわるのは、寺山修司のエッセイから競馬を始めた人達に
共通のウイークポイントではないか。

永田和宏歌集『風位』(短歌研究社刊・2800円)を読む。
この本も、「短歌研究」の連載作品を中心に編まれたもので、短歌
の連載企画というのが、良い歌集を生み出す契機になっているとい
ってもよいだろう。
詩歌の専門誌の作品連載といえば、私の知る限り1975年頃に、
「俳句とエッセイ」に鷹羽狩行作品の連載があったのと、その少し
あとに角川短歌に岡井隆の「人生の視える場所」の連載があったこ
とかと思う。
もっとも「現代詩手帖」に詩の連載はすでにあったかもしれない。

『風位』より、心に残った作品。

・雪の寺町肩に積もりし雪のわずか三月書房硝子戸の前
・その夜はげしく生殖を願いたることなきや低く唸れる白冷蔵庫
・捨ててあるテレビに映るひまわりの日の翳るときは花翳るなり


[1133] 「与楽」出版記念会 2003年11月01日 (土)

柳宣宏さんの歌集『与楽』の出版記念会が市ヶ谷のアルカディアで
あるので、四時に家を出て、まずね上野の古書の街へ行く。
白鳳書院で能村登四郎の俳論集『短かい葦』が1000円だったの
で購入。
そのまま、山手線、中央線と乗り継いで市ヶ谷へ。

受付に島田修三さんと大下一真さんが居て、入口には柳さんがいて
出席者に挨拶をしている。
円卓着席式の会場で、私は右手川が蒔田さくら子さん、左手側が恩
田英明さんだった。
恩田さんとは実は初対面なので挨拶と自己紹介をする。

森岡貞香さん、玉城徹さんといった普段は見なれない方達の姿が目
についた。

批評はかなりみなホンネを言っていた。
柳さんのようにニ十年以上の歌歴を持った人が第一歌集を出す場合
技術的には問題がないわけで、あとはどういう傾向の歌を選び、自
分のどんな面をアピールするかということが最重要課題となる。

・とんぼには名がありません、太い尾に海のひかりを曳いて飛びます

この歌集の巻頭の歌に象徴される自然と自己との親和の姿を強調す
る方法が、柳さんの選択だったわけだ。
もちろん、山崎方代に似ているなんてことは承知の上のはず。
こういう歌にはなかなか文句がいいにくい。
しかし、本来の柳さんにはもっと猥雑な面があるわけで、それを
短歌でほとんど見せないということは、やはり、ズルイと私は思う。
好ましい自分を見せる作品だけで歌集をつくるというのは、一種の
アトダシじゃんけんみたいなものだ。

・修三のこゑしか聞こえぬはずなのに電話には荒野の風ふいてゐる

私がおおいに共感するのは「島田修三」という詞書が付されたこの
一首。
この荒野の風を知る世代である柳さんは、やはり、その風の荒涼を
うたってほしい。
それが世代のつとめなの私は思うのだ。

まもなく、同じように歌歴の長い「コスモス」の鈴木竹志さんの歌
集もまもなく刊行されるようだ。
鈴木さんがどのような編集をしたのかとても興味深い。


[1132] 風翩翻以後など 2003年10月31日 (金)

仕事というより作業という感じのことをやり続けて、いつのまにか
夕方となっていた一日だった。

日本テレビのプロデューサーによる視聴率不正操作事件、このプロ
デューサーが使ったお金は100万どころではなく、500万以上
だろうとのニュースが流れてくる。
500万となれば、個人のお金であるわけがない。どう考えても、
制作費から払っていることはまちがいない。
問題は拡大していくはずだ。

りんかい線と京葉線を乗り継いで、早めに帰宅する。

注文しておいた斎藤史さんの遺歌集『風翩翻以後』(短歌新聞社)
が到着していたので、拾い読みする。

・風の中の生きものはみな寂しくてその尾吹かるる馬と鶏
・CMの声の乱れて 天気予報 どこかの国の革命予報
・焼夷弾の下走りつつものを書く時間など無く死ぬと思ひき
・一期一会 十会 五会飽きもせず短歌語りて歌誌など出すか
・立入禁止の札に従ひわが過去の其処より語らぬところありたり

前半から五首引用する。


[1131] 文人の特権性 2003年10月30日 (木)

創元ライブラリ版の中井英夫全集第9巻『月蝕領崩壊』が出た。
『月蝕領宣言』『LA BATTEE』『流薔園変幻』『月蝕領崩壊』の
4冊分の内容がおさめられている。

この解説として書かれた高原英理さんの「文人と幻想文学者の間」
は、数ある中井英夫論の中でも出色のものだと思う。
中井英夫の「文人性」を指摘した視点は鋭く、しかも、納得できる。

この文章で高原英理が指摘している、中井英夫が憧れた「文人の特
権性」というのを、以下に書き写してみる。

1・芸術としての文学の創造以外の労働をする必要がないこと。

2・文学の創作者であり社会にそれを十分認められていること。

3・決定的に優れた創作と自負できる作品を持つこと。

4・国家や社会倫理に対する芸術の絶対的優位を確信していること。

5・たとえ社会的には多くの権力を持たずとも、その優位意識は当然
のものと認められていること。

6・芸術が量つまり鑑賞者の数と人気によっては測られず、必ず質に
よって測られることを確信し、かつその質の基準を自らが決定しうる
こと。

もやもやが一気に晴れる鮮明、明晰な定義といえる。
この定義を頭に置いた上で、いま、『LA BATTEE』を再読
し始めたところ。
1980年という一年間を舞台にしたクロニクル風の連続エッセイ
であるこの本は、文人・中井英夫がこの一年をどのように生きたか
という心理的な記録ということになる。初読のときには、「文人」
という触媒に私は気づいていなかったので、新鮮な刺激を受けつつ
読み返している。こういう特権性がゆらいでくるほどの悲傷が襲っ
てくるからこそ、「崩壊」という言葉が選ばれることになるわけだ。
もちろん、あとの二冊の日記文学も初読とは異なった印象で再読で
きるだろう。
それが高原氏の目的ではなかったにしても、文学評論の実効性とい
うことを久しぶりに味わっている。


[1130] 寺山修司に読ませたい短歌 2003年10月29日 (水)

9月中旬の陽気だとのこと。陽射しの中にまぼろしのウォーターボーイズが見えるようだ。
お台場は強い南風が吹いている。

小笠原和幸歌集『風は空念仏』読了。
やはり、小笠原和幸という歌人は凄い。
既成の結社に入っていないからといって、こういう歌人が表面に
出て来ないのは、まちがっている。
まともに選考がおこなわれれば、来年の寺山修司短歌賞は、この
『風の空念仏』に決定のはず。
寺山の『田園に死す』の血脈が同時代に確かに受け継がれている
ことが、この歌集を読めばわかる。
寺山流に言えば「火の継走」ということだ。

・お前は書け泣き言かまた繰り言でしかない歌をだらだらと書け
・お前はするな死後もこの世に残るものただの一つも建設するな
・お前は吐けあらゆるものへその生は徒花なりとにべもなく吐け
・お前はせまれのらくら生きる自らに即黒白をつけよとせまれ
・お前はほざけ一生は苦だと苦の外のものではないと死ぬまでほざけ
・お前は進め光よりやみそしてまた次なる無明の風を突つ切れ

「無明の風」という一連六首を引用した。
寺山修司本人にこれらの短歌をぜひ読んでほしい。


[1129] うれしいこと 2003年10月28日 (火)

今日は一日じゅう雨が降りつづいたうっとおしい火曜日だった。
しかし、うれしいことがふたつあった。

一つはamazonから北村薫の新刊『詩歌の待ち伏せ』の下巻
が届いたこと。ずっと待っていた本なので、それだけでもうれし
いのに、その中になんと吉岡生夫さんの一首が鑑賞されているの
を発見し、喜びが倍加した。
とりあげられているのは次の一首。

・サブマリン山田久志のあふぎみる球のゆくへも大阪の空

奇しくも「短歌人」の人名特集で私もとりあげた作品だ。
この作品を北村さんは小池光さんの『現代歌まくら』を読んでいて
発見したのだそうだ。
そして、この山田志を江夏豊に変えられるかとして、絶対にダメ
だと断言する。
そして、例の山田久志が王貞治にサヨナラホームランを打たれた
昭和46年の日本シリーズに話をすすめていく。
「あふぎみる球のゆくへ」ということから、ナイターではなく、
デーゲームであると推測し、それなら日本シリーズなのだ、と読み
を進めてゆくのである。
こういう丁寧な鑑賞を読むと、自分がいつでもいかにイイカゲンに
しか他人の短歌を読んでいないかに気づき、恥かしくなる。

新刊書店に明日あたりから平積みになっているはずなので、ぜひ、
読んでみてほしい。

もう一つは小笠原和幸さんの新歌集『風は空念仏』(本阿弥書店)
が出たこと。
これは小笠原さんの四冊目の歌集になる。
みごとなオリジナリティをもった稀有な歌人が小笠原和幸さんな
のである。

・一生の無意味に耐へて生き抜いてこの上さらに生きやうとして
・長きなる不況の町に葬儀屋があらたに出来て直ちに閉ぢぬ
・佳き歌のなりてどうなる訳でなし佳き歌なしてクヅとして死ね
・長過ぎる一期とひとり思ふとき暮れゆく早し落葉並木は
・つらかりしは忘れたりしが恥かしかりしは今もはづかし十年を経て

歌集の前半から5首を引いておく。
数少ない信頼できる歌人として小笠原和幸は存在する。


[1128] 阿佐田哲也VS色川武大 2003年10月27日 (月)

文藝別冊「阿佐田哲也VS色川武大」を木曜日に買ったのだが、
読めば読むほど、すごい作家だったのだなあ、との思いが深くな
る。

初めて読んだのはもちろん『麻雀放浪記』。
大学時代で「青春篇」と「死闘篇」が双葉社から新書になっていた。
他に『天和無宿』と『牌の魔術師』という短編集が出ていた。
とにかく、麻雀というゲームがキツイ賭け事だった時代とその牌に
かける群像を描いて、みごとな小説だと思った。

青春篇が和田誠監督で映画になっているので、語られることが多い
し、登場人物でも出目徳や上州虎を好きだという人が多いだろう。
私は「死闘篇」のクソ丸とドテ子や「番外篇」の森サブが忘れられ
ない。
特に「番外篇」は第一回から「週刊大衆」の連載を読み、ドサ健が
青天井ルールで3カンツですべての牌がドラになる手をあがり、
一発三千万点という逆転劇を演じる場面では、まさに、手に汗を握
ったし、連載の続きが待ち遠しいという経験を生れて初めて味わっ
たものだ。

色川武大の小説もたまたま「話の特集」を毎月買っていたので、
『怪しい来客簿』としてまとめられた短編小説は毎月、初出で読む
という、今考えれば貴重な体験をしていたことになる。
その後、直木賞、読売文学賞、川端康成賞など、次々に賞をとり、
文人としては恵まれたことになるのだろうが、私としては、浅草芸
人を描いた『あちゃらかぱい』やエッセイの『寄席放浪記』や『な
つかしい芸人たち』が忘れられない。

文藝別冊でも立川談志と吉川潮の対談で、色川武大という人の芸に
対する姿勢がくわしく語り会われている。
また、村松友視、伊集院静の対談では文学に賭ける思いと、ギャン
ブルを中軸にした人生への立ち向かい方が語られていて、教えられ
るところが多かった。

私自身は色川武大名義の短編小説に関して、一度、自分の思いを文
章にまとめてみたいと思っている。


[1127] 菊花賞完敗 2003年10月26日 (日)

菊花賞の予想をしながら一日じゅう原稿を書きつづける。

菊花賞の私の予想は父系、母系ともに長距離血統のアスクジュビリ
ーだったが、やはり、超一流馬と闘ってきたわけではないので、こ
ういうクラシックレースではムリ筋だったようだ。

「眩」55号の米口實氏の時評「ことばが造形を失うとき」は、か
なり書きにくいことをはっきりと書いている。
『宇宙舞踏』以降の阿木津英さんの短歌に関して
「どうしてもその独特な表現は理屈っぽくて受容しにくく、あたか
も硬い筋ばかりでスポンジのような肉を噛んでいる気持に陥って
しまうのだった。言葉が勢いに乗りすぎて、肝心の造形力を喪失
しているのだ」
この指摘は当たっているように思う。
阿木津英短歌に関しては、ほとんどの人が、敬して遠ざけるという
あたらずさわらずの態度でいるように思う。
もちろん私もそうだった。文章の明晰さに比べて、短歌は正直、ど
のように受け取ってよいのかわからず、そのわからなさを自分の
言葉で語ることもできないというのがホンネだつた。それだけに、
時評的な短文とはいえ、阿木津作品への批判を文章として発表し
たこの米口實氏の姿勢には共感した。

私自身、このところ、文章を書くときに、歌壇の力学を考えている
ことが多い。本当はこういうことではいけないと思う。
是是非非の意見開陳をしなければならないと自分自身に言い聞かせ
る。


[1126] だらだら土曜日 2003年10月25日 (土)

昨日の視聴率調査のニュースを某氏におしらせしたところ、
「なに!日テレが視聴率操作。わかった「笑点」だな」と
言われて、大笑いしたのでありました。

まったく、「笑点」がなんであんなに高い視聴率をとっているのか
笑芸マニアのあいだでは七不思議の一つになっている。

片山由美子対談集『俳句の生まれる場所』読了。
こういう対談集は、雑誌に掲載された時点よりも、あとになってか
ら、資料的価値が出てくることが多い。
この本も能村登四郎、中村苑子といった今は故人となった方たちの
言葉が読めるのはうれしい。


[1125] 禁断の果実 2003年10月24日 (金)

日本テレビが視聴率を不法操作していたというニュースが流れて
たいへんな騒ぎになる。
これは放送局にとっては、根幹をゆるがす大事件なのである。

視聴率至上主義でない民間放送局などありえない。
これは断言できる。
視聴率をあげる方法があるならば、ディレクターもプロデューサー
も営業担当者も、その方法を実行したいと思わないはずはない。

しかし、ビデオリサーチの調査器械が設置されている家庭を調べて
そこに直接アプローチするというのは絶対的なタブーなのだ。
たとえていえば、相撲の世界で、この一番にどうしても勝ちたい
からといって、相手に毒を盛るようなものなのだ。
ホンキでかかれば不可能ではないかもしれないが、やってはいけな
いことなのだ。

興信所に依頼して、調査器械設置家庭を4軒つきとめたと報道され
ているが、これも怪しい。興信所レベルでつきとめられるものでは
ないというのが、業界内での私の実感だ。
調査会社側から情報のリークがあったということはないのか?
4軒つきとめたプロデューサーが、興信所にはらった金額が、一軒
あたり10万円というのも、安すぎる感じがする。

また、その4軒のことを、自分だけの秘密にしていたのかどうか。
自分の番組だけを見て欲しいと依頼したというが、本当にそれだ
けだったのか?
個人だけで収束する行為だとはどうしても思えない。

私の場合はラジオなので聴取率というのだが、0.1パーセント
あげるのに、どれだけ苦労をしたか。
かつて、土曜日の9時から一時間の生放送を担当していた。
その時は、同じ時間帯のテレビで「男女7人秋物語」が放映され
て、一世風靡していた。
その時、私の前の8時から9時の番組担当のディレクターが、その
エンディングで「Show Me」をかけた。
これは「男女7人秋物語」の主題歌である。
こんな曲を流されたら、今ラジオを聞いている少数の人も、ドラマ
を思い出して、9時からテレビを見てしまうではないか。
私は本番直前だったが、その前番組のスタジオに行き、先輩のディ
レクターに対して、
「アンタは何を考えているんだ!次の番組の客をわざわざ逃がす
ような曲をかけるな!」と怒鳴りつけた。

つまり、ほとんど居ないかもしれないラジオの聴取者に対しても
現場のディレクターは、取り逃がさないよう必死な気持ちで番組
をつくっているということなのだ。
テレビも心理的な内実は同じだろうと思う。

視聴率調査器が設置されている家庭の特定というのは、つまり、
放送現場の人間にとっては禁断の果実ということだ。


[1124] 世界文化賞贈賞式 2003年10月23日 (木)

風邪がぬけないので、朝、まずオフィスに行ってから、ことわって
平和島の病院へ行く。
点滴をしてもらって楽になる。
午後イチから会議なので、急いで帰社。
結局、昼食をぬいて会議に出席。
会議が終わったら、局長から突然「世界文化賞の贈賞式に手伝い
に行ってくれ」と頼まれる。
この賞の理事に中曽根康弘氏がなっていて、式典に出席するのだが
午前中に小泉首相からの引退要請を断ったので、式典会場へ、新聞
各社の政治部の記者がやってきて、受付が混乱する可能性があるの
で、援軍が欲しいと世界文化賞事務局から要請があったのだそうだ。

結局、もともと行くことになっていた人達と会場の明治記念館へと
向う。私は受付ではなく、式典会場の中のアテンド及び警備という
ことになった。
とりあえず、若干の悶着はあったようだが中曽根理事も無事に式典
会場へと入ることができた。

式典、カクテルパーティー、晩餐会と四時間ほど、ただ、待機する
だけ。携帯で阪神VSダイエーの様子を見ながら、ただ、時間をつ
ぶす。
三笠宮殿下、妃殿下、中曽根康弘、鈴木元都知事、ピアニストの
アルゲリッチあたりをナマで見ることができたが、長い長い一日
だった。
信濃町で10時29分東京行きに乗って帰宅。
家へ着いたら、阪神がさよなら勝ちしていた。


[1123] 10月の編集会議 2003年10月22日 (水)

「短歌人」の編集会議のために東京芸術劇場へ行く。
事務作業と来年の企画のつめをおこなう。
印刷所からできたばかりの「短歌人」十一月号をもらって有楽町線
の駅へ向う。
風邪気味なので、食事はパスしてすぐに帰宅。

十一月号は「秋のプロムナード」という作品特集。
身びいきではなく、「短歌人」には力のある作家がそろっている
と思う。こういう作品特集をやると、実力がよくわかる。
個性の輝きを放つ歌人がたくさんいる。

・休日にひきこもるごとくファミレスに半日おれど…携帯鳴らない/生沼義朗

・わが建てし家はすこしくかたむきてボールペン走るテーブルの上/吉岡生夫

・やはらかに笑へる空気のみ残る手話をあやつるひとびと過ぎて/橘夏生

・健康診断受けよと言はる、幾度か挫折重ねて屈折をして/宇田川寛之

・あなたはね美しい嘘わたしはね疚しい灯蛾 つめたい夏に/阿部久美

・どん底といふ名前入りライターに覚えなけれど使ひ切りたり/倉益敬

こういう歌人たちは、総合誌上にしばしば登場する歌人たちにくら
べ、結晶度の高い作品をつくるということでは、ずっと上だと思う。
韻文ということが何かということを、それぞれの方法で理解し肉体
化している人達といえる。こういう人達と切磋琢磨できることは
幸福なことだと思う。


[1122] 大西信行著「正岡容」を読む 2003年10月21日 (火)

風邪でだるくてしかたがないので、帰宅してすぐに寝床に入って
ネットの古書店で買った大西信行の『正岡容』を読み始める。
かつて「芸能東西」に連載されたものだそうだ。

先日読んだ小島貞二の「実録・正岡容」の記述を訂正するようなと
ころも多々あり、やはり、この本を読む機運がたかまっていたのだ
なと思う。

大西信行さんは正岡容の文筆の弟子で、かなり信頼されていたよ
うである。しかし、記述を読んで行くと、弟子とはいえ、とても
理不尽なことをやられたり、されたりしている。
それでも師弟の縁は切らないだけの別の魅力があったということか。
実際、永井啓夫とか小沢昭一とか桂米朝とかたくさんの弟子が居る
わけで、人をひきつける魅力はあったのだ。
ただ、『正岡容集攬』の巻末の弟子たちの座談会を読んでも、
大西氏のこの本を読んでも、読者にとっては悪いところばかり目に
ついてしまう。
性格破綻者といっても良いような女癖の悪さ、すぐに泣く、酒癖も
きわめて悪い、とイイトコナシなのだが、大西氏の筆にも、まつた
く悪意は感じられないのだ。

とりあえず、この『正岡容』で知った新事実。
正岡容の実弟は平井功。
平井功は日夏耿之介に「天才」と絶賛された若き詩人。
この平井功は26歳で夭折したのだが、この功の息子が、
翻訳家の平井イサクなのだそうだ。
G・G・フィックリングの「ハニーよ銃をとれ 」とかアシモフの
「宇宙気流」とか平井イサクの翻訳で読んだものだ。

もう一つ、正岡容の最後から二番目の奥さんであった舞踊家の花園
歌子は好き嫌いの激しい人で、弟子の中でも、花園派とそれ以外に
わかれているらしいこと。
『寄席恋慕帖』の刊行に尽力した小島貞二氏たちは花園歌子派で、
『正岡容集覧』を編集した大西さんたちとは、正岡死後も一線を
画しているようだ。
なかなか人間関係というのは難しい。

この本を読み終わり、目が冴えてしまったので『寄席恋慕帖』に
収録されている正岡容の短編「初看板」を読む。
日露戦争の勝利に浮かれる様子を背景に、三代目柳家小さんが、
芸に開眼するまでを一人称で語る、なかなか手だれの小説。
ただ、こういう小説は今は流行らないと思う。
一方、こういう小説を読んだ桂米朝や大西信行が、正岡容に弟子入
りしたくなったという気持ちもわかるような気がする。


[1121] 「NHK歌壇」11月号 2003年10月20日 (月)

「NHK歌壇」11月号の栗木京子さんの連載「歌集再読」に、
岡井隆の『鵞卵亭』がとりあげられている。
この「歌集再読」は、毎月、私が楽しみにしている短歌関係の読物
の一つだが、今回の文章を読むと、やはり、短歌に惹きつけられた
時期における同世代ということを思わざるをえない。

『鵞卵亭』は本当に魅力にあふれる歌集だった。
栗木さんが書いているのと同じように、私もまた、この歌集の作品
を暗記するほどに一所懸命に読み、今でもおりにふれて口をついて
よみがえってくる。
たしか、河野裕子さんも時評の中で『鵞卵亭』の歌を語りあいなが
ら、夜を徹して飽きなかったということを書いていたと記憶する。

・泥ふたたび水のおもてに和ぐころを迷ふなよわが特急あづさ
・薔薇抱いて湯に沈むときあふれたるかなしき音を人知るなゆめ
・ホメロスを読まばや春の潮騒のとどろく窓ゆ光あつめて

これらの歌は本当に心の深い部分に刻みこまれている。
栗木京子さんは愛唱性と書いているが、まさに、愛唱するにたる
歌として、これらは屹立しているように思う。
こういう歌と初学の頃に出会えたことを幸運だと思う。

現代の人気歌人にこれだけ愛唱性に富む歌があるだろうか。
夜を徹して議論できる歌集があるだろうか。

「NHK歌壇」11月号にはまた「小池光自選五十首」が載ってい
る。
自選五十首というのは、どの歌を作者が選び、どの歌は選ばなかっ
たのかということを考えながら読むおもしろさにみちている。
今回は「ジャック・チボー」の歌が選ばれていないのが私には興味
深かった。


[1120] 「未来」新選歌欄 2003年10月19日 (日)

「未来」10月号から、佐伯裕子、山田富士郎、加藤治郎の三氏の
新選歌欄が始まっている。
一回目ということで、それぞれの選者が意気込みを書いていて、き
わめて興味深い。
佐伯裕子さんの選歌欄からは、人生に対して誠実な態度の歌人が
生れてくるだろう。
山田富士郎さんが書いている「歌を選ぶについての私の考え方や態
度」という文章は、とても具体的で作者に対して親切な内容であり
信頼感がます内容。
加藤治郎さんは新人育成の意欲にみちあふれれた抱負を述べてい
る。

昨日も書いたが、結社の目的はそのジャンルに新たな才能を送り出
すことだと思うので、「未来」の3人の新選者の今後の活動を大き
な期待とともに見守りたいと思う。
発見し、育成し、送り出すこと。先輩はつねに後輩に対して、こう
いう姿勢でありたい。そして、同じリングで精一杯闘うことが必要
なのだ。

・待つことに慣らされつつもひたに生きよ公園の鳩にこぼれ陽の降る/飯尾睦子

佐伯裕子選歌欄から一首を引用する。


[1119] 「香蘭」創刊80周年記念大会 2003年10月18日 (土)

午前中に古石場図書館に行き、演芸関係の棚をチェックしていたら
正岡容の『寄席恋慕帖』があったのでびっくりした。
これは正岡容の十三回忌に記念出版として古書通信社から出された
本で、定価一万円という高価な本。
図書館が公費で購入できる性格の本ではないので、おそらく、誰か
が寄付したものだろう。
早速、借りて、小島貞二の「実録・正岡容」と岩佐東一郎の「正岡
文学など」という解説部分を読む。

午後から学士会館へ、「香蘭」の創刊80周年記念会へ行く。
「香蘭」は北原白秋の弟子の村野次郎が創刊した雑誌で、現在の代
表は千々和久幸さん。
白秋は結局、「香蘭」を離れてのちに「多摩」わ創刊するわけで
ここには「短歌人」から斎藤史が離れて「原型」を創刊したとき
と同じような心理が働いたのかもしれない。

記念会の前に詩人の佐々木幹郎氏の講演があった。
ヒマラヤの高地をトレッキングした時に、どのように意識が変化
していくかを体験的に語りながら、中也の短歌と詩の話に移り、
最後は自作の「夜の祈り」と「行列」という詩の朗読になった。
朗読は読経のような発声をまじえた独特のもので、聞いてよかっ
たと思う。

記念会のスピーチ、後藤直二さんの「茂吉を新宿御苑に誘おうと
して断られた話」、穂積生萩さんの「白秋と穂積忠と木俣修の人
間関係の話」など面白かった。
歌壇や歌人の付き合いというのは、まことに人間臭いものだと
思い知らされるものだった。
「コスモス」の風間博夫さん、「個性」の中村幸一さん、森本平
さん、秋山佐和子さん、古谷智子さん、そして穂積生萩さん、原
田清さんたちとお話できた。


[1118] ブルース・オールマイティほか 2003年10月17日 (金)

昨日のトラブルの解決に一つの方向性が見えてきたので一安心。
しかし、世の中にはあの手この手を考え付き、しかも、それを実行
する人間がいるものだと呆れ、感心もしてしまう。

ジム・キャリーの新作映画「ブルース・オールマイティ」の試写を
見る。競演はジェニファー・アニストンとモーガン・フリーマン。

メイン・キャスターになれないのを不満に思い続けてヤケになって
いるレポーターの男が、神様に出会って、一週間だけ神様のすべて
の能力を与えられるというコメディ。
アメリカの地方のテレビ局の視聴率争いの内幕が少し描かれている
のと、ジム・キャリーが長生きの老女に対して「アンタはタイタニ
ックの生き残りかい。ディカプリオを見捨てて自分だけ助かったこ
とを後悔してるんだろうな」と悪態をつく場面など、こまかい部分
が笑えるようにつくられている。
12月20日から全国公開になるそうだ。

「読書人」で「ミネルヴァ日本評伝選」の特集と全ラインナップが
掲載されている。
現時点で253点が決定で、今後、増巻もありうるという大きな企
画。
歌人の執筆者として秋山佐和子「原阿佐緒」が入っているのが期待
できる。俳人では坪内捻典「高浜虚子」、夏石番矢「正岡子規」が
入っている。坪内さんが書く「虚子」には興味がそそられる。


[1117] トラブルと筒井康隆など 2003年10月16日 (木)

午前中、ちょっと奇妙なトラブルが発生。
内容はこまかく書けないが、結局、一日じゅう、みんなその件で
ふりまわされてしまう。

筒井康隆の『不良少年の映画史』を再読している。
喜劇映画よりも「路傍の石」や「冬の宿」といった当時の日本映画
の中で、一ジャンルを形成していた文芸映画に関する感想が面白い
ことに、今回は気づいた。
役者の名前やストーリーの展開を、きちんと記述してくれているの
で、今後、その映画を見る機会が出てきたときにも役立つだろう。
この「不良少年の映画史」は筒井康隆が三十代の終わりから四十代
のはじめにかけて書かれたもの。
プロの作家というのは、小説以外の文章でも、鋭い着眼点を提出
してみせるものだ。

読みたい本、読むべき本がまたまたたまってきた。
今月の短歌雑誌もあまり読めていない。困ったものだ。


[1116] 健康診断など 2003年10月15日 (水)

本日は健康診断なので、朝から水以外は飲まずに勤め先へ行く。

九時半の受付開始と同時に健康診断会場へ行ったが、すでに十番目
くらい。
血圧が少し高くなっていた。
採血では、また、静脈がなかなか浮きあがってこないので、時間が
かかってしまう。いつものことながら、これにはうんざり。

歌人が短歌誌以外の文芸誌に文章を書いている時、私は、プロレス
ラーがK-1やプライドに出るような気分で「どうか、短歌全体を
みくびられるような恥だけはかかないでほしい」と密かに思っていた。
自分自身のことを含めてのことなのだが、文中に短歌を引用したり
「短歌の世界ではこれこれ」と書いたり、自分の短歌を最後に置い
たりすれば、それで役目ははたしたと思ってしまいがちなのだが、
やはりそれはちがうので、編集者の求める内容、レベルの文章を
書かなければならないし、その編集意図がおかしければ、きちんと
それを正さなければいけないと思う。そうして、きちんとした内容
の文章を書いてこそ、K-1なりプライドなりのルールにのっとって
きちんとした仕事ができたということになる。
つまり、ルールを理解していなかったとか練習不足だったとかの言
い訳けはしないようにしよう、ということ。歌人の誇りを持てとい
われても、それに見合う実力があってこそ誇りが生れるのだから。

なぜ、こんなことを書いたかというと、「文学界」十一月号の内田
百けんに関する東直子さんの文章を読んで、上記の問題がきちんと
クリアされていることに感心したから。
巻末の執筆者紹介欄にこそ「歌人」と書かれてあるが、文章からは
この執筆者が歌人であるということはまったく匂ってこない。そし
て、内容は独自の内田百けん観になっている。つまり、たまたま肩
書きをつければ歌人である人が文芸誌に、特集意図に見合った、し
かも読者にとっても新鮮な内容の文章を書いているということ。

自然体でこういう文章を書けるように私もなりたいものだと思う。


[1115] 文楽にアクセスなど 2003年10月14日 (火)

松平盟子さんの新刊『文楽にアクセス』(淡交社刊)を拾い読み
する。「心中天網島」とか「曾根崎心中」とか「女殺油地獄」とか
題名だけは知っていても、こまかいストーリーをいかに知らないか
ということを実感する。

立川談志の「寝床」のCDを聞く。
これは談志家元の三十歳代の時の録音。
他の人と変わっているのは、旦那が一度怒ってしまったあとで、
長屋の衆や店の者たちが集まって来て、番頭が旦那の機嫌をとり
おだてられて、だんだん、機嫌がなおってくる場面をすっかり、
はしょってしまっているところ。
ここは、必ず笑いをとれる場面なので、はしょってしまうという
のは、かなり勇気があるというか、他の部分でじゅうぶんに笑い
をとれるという自信があるからなのだろう。
まあ、歯切れ良く、面白い一席ではあった。

「短歌新聞」と「未来」の両誌の時評で、大辻隆弘さんが「新潮」
の折口信夫特集において、執筆者の歌人が釈迢空の短歌に関して
きちんとした論考をたてていないことを指摘している。

「短歌新聞」の時評の最後の部分を引用しておく。

「「折口信夫」という巨大な思想空間のなかで、短歌を正当に
位置づけること。また逆に、迢空の短歌を「折口信夫」という
思想空間に定位させ、見つめ直すこと。他でもない。それは、
多くの、短歌プロパーである私たち歌人の仕事である」

大辻隆弘という歌人が、歌人としての誇りと使命感をもっているこ
とが明確な言葉で、私自身も叱咤され、また、励まされる思いがす
る。


[1114] 桂雀々独演会 2003年10月13日 (月)

午後、原稿を書いていたら、突然、激しい雨。
あわてて洗濯物をとりこむ。

夜は国立演芸場へ、桂雀々の独演会を聞きにゆく。
雀々は枝雀の弟子。ハデな動きや、大声から急に引いた声を出す
あたりは枝雀を彷彿とさせる。

芸術祭参加の独演会だそうだ。
出演と演目は下記のとおり。

林家花丸   ときうどん
笑福亭笑瓶  伝説のカウンセラー
桂雀々    夢八
中入り
春風亭昇太  強情灸
桂雀々    あたま山

結論からいえばつまらなかった。
まず、出演者が多すぎる。笑瓶は出す必要がない。
東西研鑚会ですべったネタで、マクラまで同じなのだから、勉強
不足としかいいようがない。
雀々の「夢八」も、噺の選び方も構成もミスっている。
ものを食べる場面がメインになる噺のマクラに、同じモノを食べる
エピソードをもってきたら、しつこいということがわかっていない
らしい。
むしろ、「あたま山」が枝雀ゆずりのオーバーアクションでまあま
あだったのだから、中入前にもってきた方がよかったと思う。
結局、お客がいちばん笑っていたのは昇太の「強情灸」だつたとい
う現実を雀々も米朝事務所の関係者もよく認識すべきだろう。

ナマの雀々を見るのは初めてだったが、本当の力はこんなもので
はないはずだと思う。
期待が大きかっただけに残念。


[1113] 大阪名物 大西ユカリと新世界 2003年10月12日 (日)

午後一時から池袋の東京芸術劇場の会議室で「短歌人」月例歌会。
水谷澄子さんと私とで司会。水谷さんと私とは一九七二年三月号から作品が掲載され
はじめた、「短歌人」の同期生。そのため、信頼感があって、一緒にやりやすい。

午後五時少し前に歌会終了。そのまま渋谷クアトロの大西ユカリと新世界のライブへ。
ロビーで白夜書房から出た大西ユカリの本『続・情熱の花』を買ったら、売っている
のは「笑芸人」の編集者の田村さんだった。高田笑学校から続いて三夜連続、ロビーでの
書籍販売、ご苦労さまです。
しかし、クアトロと思えない客の年齢層の高さ。

大阪名物・大西ユカリと新世界。
大西ユカリは昭和四〇年代初頭の坂本スミ子をイメージすればよい。
新世界は男性六人組。アルトサックス、テナーサックス、リードギター、ベースギター
ドラムス、キーボード(オルガン)という編成。
あと、パルとチョセというあやしい名前の女性ダンサー二人組が
雰囲気をたかめるスクールメイツ風ダンスを踊る。
楽曲はオリジナル曲のほかに、和田アキ子、青山ミチ、トニー谷、西岡恭蔵らのカバー。
オリジナル曲も一九六〇年代後半の和製ポップス曲、中村晃子や朱理エイコや歌謡曲よりになってからのブルーコメッツの楽曲を連想させるように作られている。
たとえば、「キーハントー(紀伊半島)」という曲では、間奏部分でリードギターが
「キーハンター」のテーマをアレンジして弾いていくといった細かい遊びが楽しめる。
つまり、五十代、四十代のおとなが楽しめるポップス・ライブに仕上がっている。

大西ユカリはベタベタの大阪弁。キーボードのフェイクなトニー谷的風貌のマンボ松本のツ
ッコミとのかけあいも軽快で楽しい。ドラムの夢ミノルというチープな芸名もあひる艦隊を
思い出させてくれて、親しみがもてる。
もちろん、大西ユカリにも新世界の六人のミュージシャンにも音楽的な遍歴はあるのだろう
が、現時点で彼らが体現しているのは、大阪の伝統芸・笑芸を同時代的にアレンジした音楽。
曾我廼家喜劇、笠置シズ子、横山ホットブラザーズ、憂歌団、ロマンス・レイコ・ショー、タイヘイトリオ、藤山直美青山ミチ、トニー谷、坂本スミ子といった先人の芸を基盤にした現代の俄というべきだろう。
ここにも、「すべての芸は俄だ」という三田純市の説が実証されているように思う。つまり、一九六〇年代後半から七〇年代前半にかけての和製ポップスシーンを「俄」として再現・実証しているのだ。

ブルースの中に日吉川の浪曲が入り、ロックのシャウトに河内家や鉄砲の河内音頭が息づい
ている。クアトロであろうと新花月であろうと、この芸風ははまるはずだ。

徒花でよいと思う。面白い。
しかし、スタンディング三時間というのはさすがに年齢的にこたえる。

・昭和といふ昨日がわたしを呼んでゐる大西ユカリと愛の新世界/橘夏生


[1112] エノケン生誕100年祭 2003年10月11日 (土)

浅草の東洋館に「エノケン生誕100年祭」を見に行く。

13時開演ということなので、12時過ぎについたら、すでに、客席は
あらかた埋まっていて、やっと一席みつけて座ることができた。
一昨年、白山雅一さんのショーの時と同じく、圧倒的にお客の年齢層が高い。
51歳の私はまちがいなくもっとも若いお客だろう。

ロビーに原健太郎さんが居らしたので挨拶。原さんはこの100年祭のために
尽力してこられたので、今日を迎えて感慨無量だろう。
ロビーで販売されていた書籍、東京喜劇研究会編『エノケンと東京喜劇の黄金時代』と
柳澤愼一著『スクラッチノイズ』を購入。柳澤さんには署名と握手をしてもらった。

開演してまずエノケンとその時代の軽演劇の写真を見ながら、
そのオモシロさや時代的な意味を向井爽也氏が解説してくれる。
一九二九年にカジノフォーリーが旗揚げされて軽演劇の歴史が始まるのだが
この時の少女ダンサーの写真を見ても、この娘たちも今生きていたら80歳くらい
だということだ。

続いて前田憲男のピアノで柳澤愼一のエノケン・メドレー。
柳澤愼一は、エノケン本人から、「おまえは二村定一そっくりだ」と言われたそうだが
ああ、美男で喜劇もできるジャズ歌手の二村定一こういう人なのか、と納得できた気が
した。この柳澤愼一もたふん70歳は超えていると思うのだが、背筋は伸びていて、
まったく老いなど見えない。声量もまったく衰えていない美声である。
「わたしの青空」「ダイナ」「月光値千金」などを熱唱。

定番コントの「レストラン殺人事件」を小林のり一、八波一起、三波伸一で演じる。
小林のボケまくりに、八波がツッコミまくる。文句なく笑える。
三波は口のまわりを黒く塗って登場。客席から感嘆の声があがるほど三波伸介ウリフタツ。
定番コントとはいえ、この三人でやる意味は十分にある。

そして、こんどは、上海夜鶯と澄淳子によるエノケン・ソングのメドレー。
上海夜鶯は原健太郎さんおすすめの中国人ギミックの三人組。
私は彼らを今日はじめて見たのだが、写真だけで判断して、チャイナドレスの胡麗華って
てっきり女性だと思っていたのだが、男だったんだ! このグループはポカスカジャンか
梅垣義明とぜひ競演させてみたい。
アコーデオン、木魚、そろばんの演奏で澄淳子がうたう「アラビアの唄」は笑わせてくれた。
「砂漠にシは落ちて」と発音するのが正しいエノケン的発声なのだ。

そしてグランドフィナーレはエノケン未亡人の榎本よしゑさんが登場。
今までの出演者も全員登場して、客席も一緒に「月光値千金」をうたってフィナーレ。
気持ちの良いステージ、気持ちの良いイベントであった。


[1111] 高田笑学校その20 2003年10月10日 (金)

高田笑学校を見に行く。
紀伊國屋書店で史比古と待ち合わせて、そのままサザンシアター
へ上る。
出演者は、三増紋之助、はなわ、昭和のいる、こいる、中入。
松村邦洋、浅草キッド。そして高田文夫さんの司会によるトーク。

もう20回目で、松村邦洋と浅草キッドが全回出演とのこと。
はなわが初出演。
けっこう緊張しているようだったが、トークになってから、話が
ほぐれてきて、けっこう高田文夫さんにはまっているように見えた。

トークショーの場面で、浅草キッドが、「タケちゃんマン・ザ・
ムービー」の計画があるが、ブラックデビル役を、若いタレント
からオーディションで決める、という話になったところで、突然
客席後方から笑い声とともに、江頭2:50が登場。黒タイツに
上半身は裸、といういつものスタイル。
ステージ上では、佐賀出身同士ということで、はなわと絡み始め
佐賀県全体が、江頭より勢いのあるはなわを応援し始めている、
という展開になっていった。
はなわのアルバムが売れていることから、紅白歌合戦にもし出られ
たら、応援に江頭が出るという話になる。NHKの生放送に江頭が
出るというのは画期的なことであり、そこで、江頭が何をやろうと
しているかは、ここでは書かないことにする。

高田笑学校は今回は二夜連続で、明日は落語家さんの特集。
こちらの出演者は、林家たい平、立川談春、昔昔亭桃太郎、
春風亭昇太、笑福亭鶴瓶。
明日は「エノケン生誕100年祭」に行くので、残念ながら、
高田笑学校はお休みせざるをえない。

家に帰ったのが、もう、11時近く。
セレクション俳人の『筑紫磐井集』が届いていた。
山内将史さんや攝津幸彦さんの筑紫磐井論を読みながら、気がつ
いたら眠っていた。


[1110] 「豈」37号 2003年10月09日 (木)

昨夜、遅く帰って、今朝は30分早く起きたので一日じゅう眠くて
たまらない。
ここのところ、睡眠不足がてきめんにこたえる。

「豈」37号が届いている。
「俳句空間篇」ということで、かつての「俳句空間」の特集になっ
ている。
なんといっても、書肆麒麟をつくって「俳句空間」を創刊した沢好
摩さんと、それを弘栄堂に出版部門をつくらせて引き継いだ大井恒
行さんのインタビューが圧巻。
どちらも部数や費用に関する具体的な数字が出てくるのでリアルな
迫力がある。
個人で頑張った沢さんのご苦労も敬服すべきだが、自分の勤め先に
それを引き受けさせた大井さんの行動は、いわゆる会社側の反応が
想像できるだけに、すごいエネルギーを費やしたのだろうと、つく
づく尊敬してしまう。
俳壇史的な意味からも、きわめて貴重な仕事をしたわけだ。

次号から編集人が高山れおな氏から大井恒行、筑紫磐井の両氏に変
わるそうだ。
今号から、邑書林が発売元になり、地方・小出版流通センター扱い
で、取り次ぎをとおすようになった。邑書林の島田牙城さんも、志
の人である。


[1109] 出版記念会 2003年10月08日 (水)

稲村一弘さんの歌集『建設に歌ありし頃』の出版記念会が学士会館
でおこなわれる。
私は司会進行をさせていただくことになっていたので、早めにオフ
ィスを出る。まず、ゆりかもめ、地下鉄銀座線と乗り継いで、浅草
へ行き、東洋館で土曜日に開催される「エノケン生誕100年祭」
のチケットを購入。
そのままJRで、水道橋へ行き、5時半に学士会館へ到着。

出版記念会はきわめてスムーズに進行する。
スピーチをいただいたゲストのみなさまに感謝いたします。
稲村さんにとっても、良い批評が展開されたのではないでしょうか。

ところで、今日買った本。
中村裕著・今森光彦写真『名句で味わう四季の言葉』(小学館)。
村井康司さんが編集された本だそうだ。
写真の入った歳時記なのだが、例句とその解説がとても面白い。
普通の歳時記の毒にも薬にもならぬような解説とはちがい、かな
り毒がある文章なのだ。対象となる句の内側に入り込んだ鑑賞で
読み飽きない。そして写真が、その文章の毒を巧みに中和するよ
うに、心を鎮めてくれる。

私はあまり写真入り歳時記というものを、好きではなかったのだが
この本は、読みまた見て楽しいと実感した。
基本的には俳句中心だが、前川佐美雄、葛原妙子らの短歌も収録さ
れているのもありがたい。
中村裕さんの新刊の『やつあたり俳句入門』(文春新書)を読んだ
ことから、村井康司さんが掲示板でこの本のことを教えてくださり
このようにして、思わぬ出会いをとげることができた。
読書のたのしみはこういう知の連鎖の快楽でもある。





[1108] 『二代目さん』の迫力 2003年10月07日 (火)

河本寿栄著『二代目さん』をとりあえず読了。
この本を買ったのは、半年以上前だったのだが、もっと早く読めば
よかった。
いちばん興味深かったのは、終戦直後の芸人一座の巡業の仕組みが
くわしく書いてあったこと。
手塚治虫が「春団治一行」のポスターを手描きして、これが初めて
原稿料をもらった絵だったというような貴重なエピソードも載って
いる。もちろん、このポスターの写真も掲載されている。

終戦直後の地方巡業というのは、当然、ヤクザが取りしきっている
わけで、なかなかキツイ場面もあったようだ。
こういうトラブル処理を二代目春団治の3人目の嫁だった河本寿栄
さんが、当時まだ二十歳そこそこでやっていたというのも凄い。
上方落語のもっとも古いライブ録音といわれる「春団治十三夜」の
ギャランティ交渉の場面なども、具体的に金額をあげて書いてある
のも貴重だし、面白い。
もちろん、聞書きだからといって、すべてが事実ではないだろうし
当人の記憶ちがいもあるはず。
それを資料的に裏付けてゆくのがもう一冊の『桂春団治・はなしの
世界』といえる。
この『二代目さん』と『桂春団治・はなしの世界』は並行して読む
べきものだ。




[1107] 桂春団治三代 2003年10月06日 (月)

豊田善敬編『桂春団治 はなしの世界』(東方出版)と
河本寿栄語り・小佐田定雄編著『二代目さん』(青蛙房)の2冊を
同時に読んでいる。
どちらも、三代目桂春団治芸能生活50周年記念出版。
このようなかたちで、演芸関係の資料がまとめて書籍になるのは
とてもありがたい。

桂春団治の初代はお芝居や「浪花恋しぐれ」で有名な後家殺しの
春団治。
二代目はその弟子で、師匠の死後、昭和9年に春団治を襲名し、
現在の春団治の実父にあたる人。
三代目は現在、活躍中の春団治。東西落語研鑚会にすでに二回
登場し、「代書」と「親子茶屋」で上方落語の真髄を味合せて
くれたことで、東京でもきわめて印象が強い。

二代目の春団治という人の印象が薄かったのだが、その最後のお
かみさんであった河本寿栄さんの聞書が『二代目さん』として出
版されたのは、とても嬉しいことだ。
『桂春団治 はなしの世界』の方でも、弟子の露の五郎や桂米朝が
二代目の思い出をかなりくわしく語っている。米朝にいたっては
昭和13年・小学校6年生の時に法善寺の花月につれていっても
らった時に、二代目が「馬の田楽」を演じたのをおぼえていると
いう凄い記憶力を披露している。
露の五郎は戦後、直弟子になって、晩年まで身近にいたので、米
朝とはまたちがった側面をかたっている。
河本寿栄の本とあわせて、今まで印象が薄かった二代目の実像が
演芸好きな人間に把握されるというのは良いことなのである。

演芸というのは生を見たという体験がいちばん強いので、その体験
を言葉や活字で残すことで、それを知らない人達にも伝えていかな
ければ、まさに、途絶えてしまう。
活字にさえしておいてくれれば、後代のものが、それを手がかり
にして、その像を想像することができる。
落語家であれば、どんな演目をやっていたのか、誰の弟子だった
のか。どんな風貌の人だったのか。誰と仲がよかったのか、芸名
の由来は?等など、どんな些細なことであっても、残しておく意
味がある。
東京の演芸の世界でも、積極的にこういう本を出版してほしい。


[1106] 梨の実オフ歌会 2003年10月05日 (日)

今日は「梨の実オフ歌会」なので、昼過ぎに渋谷へ。

出席者は下記のとおり。
春村蓬さん、佐藤弓生さん、荻原裕幸さん、さとこさん、
久慈八幡さん、高澤志帆さん、兎原なおこさん、都築直子さん、
斉藤斎藤さん、林ゆみさん、マーシーさん、藤原龍一郎さん、
夕色さん、井口一夫さん、五十嵐きよみさんの15名。

リアル歌会に出席するのが初めてという方が何人かいらっしゃり、
また、佐藤弓生さんのように「かばん」の歌会以外は初めて、と
いう方もいらっしゃるので、私にとっては、きわめて新鮮な体験
でありました。

歌会で学ぶことは、「他人は自分が思っているようには、自作を
読み取ってくれない」ということと「自分は他人の作品をいかに
読み違えているか」ということに気づくという2点。
それによって、自分の短歌のつくりかたを再検討したり、他人の
作品を読む時、格助詞一つにまで気を配って読むようになる、とい
うことです。
もちろん、私もこの2点はいまでも歌会に出るたびに、感じてい
ます。
もちろん、昨日も感じました。

私の出詠歌。

・地下鉄のホームに下る階段に夕刊紙濡れ踏みしだかれて

2点でした。やはり、お二人でも取っていただければ嬉しいものです。感謝致します。
出席されたみなさまも、これを機会にますます短歌を好きになって
いただければ嬉しいです。

ということで、昨日に引き続いて、山川静夫の『上方芸人ばなし』
を読んでいたのだが、タイヘイトリオのタイヘイ夢路(アゴの長
いおばさん)の父親が、満州日出丸という浪曲師だということが
書いてあった。
『古今東西落語家事典』を読んでいても、戦前は国内で売れなか
ったり、しくじりがあったりした芸人さんは、満州、朝鮮、台湾
などの海外へ飛び出して、旅芸人として食っていたと書いてある。
タイヘイ夢路の父親の満州日出丸という芸名も、浪曲の本流につ
ながる亭号ではなく、国策迎合の名前であることは歴然としてい
る。名前の裏に異国漂白の苦労が容易に想像できる。
芸人の名乗りには人生が密着している。



[1105] 林家三平「源平盛衰記」 2003年10月04日 (土)

文化放送の新番組「志の輔ラジオ・土曜がいい」の中で、故林家三
平の「源平盛衰記」のノーカット放送がおこなわれた。
この噺は林家三平が演じたかず少ない古典落語の一つ。
ただ地噺なので、途中で自由に自分流のギャグを入れられる。
今回のテープも、三平流のギャグや客いじりまでもが入っている
いわゆる三平オリジナルの「源平盛衰記」だつた。
サゲの「踊る平家は久しからず」まで二十分以上の長さが
あったのは嬉しかった。
おそらく、林家三平のテープの中ではいちばん長いものではないか。

脳溢血で倒れる前なので、口調もしゃべりのスピードも軽快で、
あらためて林家三平という人の底力を認識させてくれるものだった。
この番組で、古い落語のテープを流してくれるのはきわめて貴重
なことだ。おおいに期待したい。

この文化放送の快挙と同じ時間にNHK総合テレビの「生活笑百科」
に、夢路いとし・喜味こいしが出演していた。
七月に録画したものだとのキャプションが流れたが、飄々とした
いつもの持ち味を十分に堪能させてくれた。
晩年が1980年のいわゆるマンザイ・ブームにぶつかって、
「花王名人劇場」などに何度も出演して、ぞんぶんに芸を見せた
のちに亡くなったダイマル・ラケットのダイマルについて、私は
かつて「綺譚」という伝説の雑誌に「中田ダイマルの幸福な死」
という短文を書いた。
夢路いとしもまた、昨年から今年にかけては、関東地方で見られる
テレビにとてもたくさん出演してくれていた。
やはり、ある意味で幸福な晩年だったと思う。

山川静夫著『上方芸人ばなし』という本があり、上方の芸人さんの
エピソードやその芸人的生涯がくわしく記述されているのだが、あ
らためて、芸人には自殺者、急死者、若死にが多いことに気づく。
四郎・八郎の浅草四郎、Wヤングの中田軍治、フラワーショウの
華ぼたんらは、首吊り、飛び込み、琵琶湖に入水とみな自殺。
若井はんじ、けんじのはんじは四十二歳で癌による死亡。
横山やすしも若死にの部類だろう。
落語家では、林家小染事故死、桂枝雀の自殺、笑福亭松葉の若死。
その他、吉本新喜劇のコメディアンにも淀川吾郎などの自殺者が
少なくない。芸人というのはやはり因果な商売なのだろうか。


[1104] おさだまり噺 2003年10月03日 (金)

荻原裕幸さんの日記で、俳人の平井照敏さんの訃報を知った。
平井さんには、一九七〇年代の半ば頃に、一度、手紙と句集を
いただいたことがある。
私が「俳句研究」に書いた文章への感想を書いてくださったのだった。
その後、ご縁はなくなってしまつたが、昨年くらいから、また、俳
句関係の本を読み始めていたので『虚子入門』など、平井さんの本
は何冊か読んだところだった。
少しでも縁があったかたが亡くなることが、最近はとりわけ寂しく
感じられる。

小佐田定雄著『上方落語・米朝一門・おさだまり噺』読了。
新作落語をたくさん書いている落語作家の小佐田さんの本。
桂枝雀に新作「幽霊の辻」の原稿を送ったことがきっかけで、
落語作家になったという経緯などがわかり、興味深い本ではある。
米朝門下の噺家たちとの交遊をふくめた噺家論になっているので
昨日の『ためいき坂くちぶえ坂』とあわせて、笑福亭一門と米朝
一門のだいたいのメンバーがわかることになった。
また、米朝、枝雀、ざこばはもちろん若い落語家の人達の高座姿
の写真が数カットずつ載せられているのも資料的価値が高い。

一九九一年に出た本なので、枝雀がいちばん英語落語などで盛りあ
がっていることが書かれてある。
しかし、このあと、枝雀は再び鬱が昂じてみずから死を選ぶことに
なったことを私たちは知っている。
笑いに関係した人達の死はやはり寂しい。


[1103] ためいき坂くちぶえ坂 2003年10月02日 (木)

笑福亭松枝著『ためいき坂くちぶえ坂』読了。
これはサブタイトルに「松鶴と弟子たちのドガチャガ」とあるとお
り、松枝自身が経験した、新弟子時代から、松鶴の死後の七代目松
鶴襲名問題の騒動までを描いた一冊。
三遊亭円丈の『御乱心』と同じような、落語家の一門のてんやわん
やの顛末でありながら、筆者が円丈ほどふっきれていないので、具
体的に、誰がどんな発言をして、どう行動したかということは、詳
しく書いてあるわけではない。

冒頭は松鶴が亡くなって七年目の平成五年十二月に、筆頭弟子の笑
福亭仁鶴が、「七代目松鶴を笑福亭松葉に継がせたい」と爆弾発言
をすかる場面が描かれる。
このあといきなり過去にもどって、松枝の入門時から松鶴の死まで
の思い出が、師匠や弟子のエピソードを中心に語られる。
そして、本の最後で、また、平成五年に戻り、熟考した松枝が結局
松葉の七代目襲名に賛成する決心をするというところで終了する。

弟子の松枝が師匠の松鶴を語るという本として読めば面白い。
松鶴というのは、こういうおじさんだったのか、ということが
よくわかる。
松鶴のしゃべった言葉をそのまま写している部分で、ふーんと
思ったのは、関西人である私の家内の父親とそっくりな言葉つかい
をしていること。大正生まれの関西のおじさんの一つの典型的口調
なのだろう。声までよみがえってくる気がするのが面白い。

「BOOKISH」の「私の好きな落語本」で、複数の人がこの本
を挙げていたので、ネット古書店で手に入れたのだが、読んでおく
べき本だった。まったく、この本のことは知らなかったので、「B
OOKISH」には感謝したい。
この本が出版されたのが平成6年。
いまの時点で読んでみると、結局、笑福亭松葉は七代目松鶴を襲名
することなく、亡くなってしまったことを、私たちは知っている。
そう思うとせつない本ではある。


[1102] 「やつあたり俳句入門」 2003年10月01日 (水)

文春新書の新刊・中村裕著『やつあたり俳句入門』読了。
中村さんという方は、三橋敏雄の晩年のお弟子さんで、句集も出し
ていらっしゃる。
『石』という句集だそうだ。
村井康司さんや池田澄子さんは、お知り合いなんでしょうか。

俳句の歴史とその表現史的役割を、芭蕉、子規、虚子、秋桜子&誓子、そして新興俳句運動の5章で語ってしまおうというのだから、
乱暴といえば乱暴、簡潔といえば簡潔。

著者はけして若くはないが、文体がしゃべり言葉調なので、読み
易い。軽い口調だが、きちんとおさえるべきところはおさえている。

ただ、勇み足というか、筆がすべっているところが多々ある。

たとえば、秋元不死男や安住敦が「戦後になって、無季では
いいものができないから、俳句は有季でなければといいだすが、
それは順序が逆で、いい句ができなかったのは無季のせいでは
なく、自分の能力のせいだということを忘れているか、ごまか
そうとしている。見苦しい姿である」という一節がある。
かなり粗っぽい論旨の展開だが、まあ、途中までは良いとしても
最後の「見苦しい姿である」という一句は表現として勇み足だと
思う。無用なダメ押しをすることで、全体の品格が落ちてしまっ
ている。残念なことである。

素十とか楸邨とか草田男とか、かなりムチャクチャに批判している
ので、ホトトギス系、人間探求派系の人は、読んだらムッとする
かもしれない。

どうしても、原稿の長さの関係から、ある俳句の傾向や俳人を
否定しようとすると、十分に論旨を展開できないうちに、結論を出
してしまうかたちになる。そこが読者の不満を呼び起こす。
加藤楸邨、石田波郷への否定的言辞など、やはり、これでは放言に
すぎないという感じがする。
篠原鳳作や渡邊白泉への賛辞は、納得できる論理展開になっている
のだから、むしろ、あまり、ワルクチは書かずに、肯定するものを
もっと多面的に評価してみせてくれた方が良かったと思う。
一冊の本を書くというのはむずかしい。

著者がどれだけ時間をかけて書いても、読者は数時間で読み終わっ
て、勝手な感想を言いたてる。


[1101] 落語家論はキライ 2003年09月30日 (火)

昨日の夜、柳家小三治の『落語家論』を読み終った。
「BOOKISH」の好きな落語本のアンケートで渡辺寧久さんが
挙げていたので、あわてて読んでみたのだが、やはり、肌合いがあ
わなかった。
柳家小三治という噺家を私は好きになれない。
いずれ、小さんになる人なのだから、落語は巧いのかもしれないが
とにかく、虫が好かないというしかないのか、ほとんど、感心した
ことがない。
二十年くらい前に「猿後家」をテープで聞いて、ひどいなあ、と
思って以来、キライになった。
今はたたずまいも、言葉も顔もキライ。
この本も前半の「民族芸能」に連載したという落語家向けの文章
は、それなりに教えられることも多かったが、後半の一般向けの
エッセイは、私には面白くないし、むしろ、イヤなところばかり
感じられた。
たぶん、小三治という人が理想とする噺家像が私の理想のそれと
は正反対の座標にあるのだと思う。
ところどころに出てくる落語家口調の書き言葉も、私にはイヤミ
に見えるだけだ。
私の落語に対する守備範囲が狭いのかもしれない。
そういえば、落語家ばかりでなく、短歌でも俳句でも、まったく
私の感受性か受け入れない作品がある。
それは世間の評価とは関係なく、どこが良いのかわからないので
ある。
まったく、響いてこない。困ったものだ。
落語も短歌も俳句も、限定された狭い範囲を這い回っているだけ
なのかと思えばむなしいけれど。


[1100] 夢路いとし、喜味こいし 2003年09月29日 (月)

夢路いとし氏が亡くなったそうだ。
お正月どころか夏前くらいまでテレビに出ていたような気がするが
入院されていたとは知らなかった。
これで、喜味こいし師匠も実質的に引退ということになるのだろう。
いとし・こいしコンビがなくなると、次の世代はたぶんもう、
レッツゴー三匹あたりだろうか。彼ら三人も実際もう60代だろう。
もう、舞台では見られないかもしれないが、かしまし娘の三人、
いちばん上の歌江ねえちゃんが、昭和4年生れのはず。
三人とも元気ならば、もう一度、かしまし娘を見たいと思う。
その弟子の敏江・玲児も60代にはなっているはず。
カウス・ボタン、巨人・阪神、いくよ・くるよ、寛太・寛大あたり
が五十代のなかばから上の方だろうか。大助・花子は大助が50代
前半で花子もぎりぎりというところか。

考えてみれば、いとし・こいしの同年代はダイマル・ラケットや
小浜・こ浜といったあたりだろうし、はんじ・けんじや柳次・柳太
はむしろ後輩だろう。
いとし・こいしが現役で居たこと自体が奇跡的なことなのだ。
三万円、五万円、十万円、運命のわかれみち!
ガラガッチャンガッチャンガッチャン
といったようなフレーズは、みんなの耳に残っている。

やすらかに眠っていただきたい。


[1099] 世阿弥の墓 2003年09月28日 (日)

水原紫苑さんが『世阿弥の墓』という書き下ろし歌集を出した。

「収めた歌はまことにつたないものですが、自分としてはどうして
 もこれを一冊の歌集にしたいと願わずにいられませんでした。
 世阿弥という限りなく大きな対象に向かった自分の非力を、見せ
 しめのように形にとどめておきたかったのです」

あとがきの一節。
こういうことを書ける特異な感受性に驚嘆しつつ共鳴する。

・<世界なす書物>のごとき一曲の能、いまだ世阿弥の書きつつあるらむ

三田純市著『上方喜劇 鶴家団十郎から藤山寛美まで』読了。
資料的価値がきわめて高い内容の本だ。
特に第4章の「曾我廼家につづけ―喜劇団の続出」と
第5章の「上方喜劇史を生きて―曾我廼家十吾の生涯」の二章は
芝居茶屋の息子に生れた三田純市だからこそ書けるものだと思う。
日本の喜劇の歴史に興味をもつ人には必読の一冊といえよう。


[1098] 久しぶりの神保町 2003年09月27日 (土)

久しぶりに神保町へ本を買いに出た。

東西線の九段まで行って、九段坂をくだって神保町方向へ進む。
日本特価書籍とか豊田書房とかを覗くのは、一年ぶりくらいか
もしれない。
豊田書房にはさすがに寄席演芸関係の本はなんでもあるが、ど
れも良い値段がついている。
ここで、書名と値段を確認しておいて、ネット古書店で検索して
ほどよい値段の本わ買うのが正解かもしれない。

いちおう、豊田書房では、三田純市の『遥かなり道頓堀』を購入。
1500円なので、許容範囲の値段だろう。
田村書店、小宮山書店、八木書店、三茶書房などを覗くが、どう
しても今買わなければならない本にはめぐりあわない。
「BOOKISH」や「笑芸人」の影響もあって、落語、演芸関連
の本を今後しばらくは探しつづけることになりそう。
二時間ほど神保町をめぐり、午後おそくならないうちに帰宅。

午後はひっそりと原稿執筆。
疲れると三田純市の『遥かなる道頓堀』と『上方喜劇』を交互に読
む。しかし、道頓堀の芝居茶屋に生れ、曾我廼家十吾や天外、寛美
とも交流があった三田純市が、十分な著作を残さないうちに亡くな
ってしまったのはなんとも残念な話だ。


[1097] 「笑芸人」と独演会 2003年09月26日 (金)

「笑芸人」の話のつづき。
喜劇映画特集のほかにもう一つ「高田文夫と大西ゆかり、新世界を
行く」という写真入りルポが掲載されている。
これは、大阪の新世界を知っている人にも知らない人にも、楽しめ
る記事になっている。
歌謡曲のカセットを売っていて、ケースにオリジナル歌手が歌って
いるのではありません、と、注意書きがあるというのは笑える。
「新世界」=NewWorldという語感がなんとも心に響く。

夜は立川談春独演会。
今日の演目は「宿屋の仇討」「化け物使い」「文違い」の三席。
中入なしで、7時から9時20分過ぎまで、高座にでずっぱり
というのはスゴイ。
今夜は立川談志、桂三枝、中村勘九郎というすごい顔ぶれの会を
快楽亭ブラックさんが浅草でやっているということで、客席もいつ
もより、すいている。
全体に良い意味でゆるい雰囲気がただよっていて、私などは居心地
がきわめて良かった。

「文違い」で、お杉が角蔵から首尾良く十五両という金をとりあげ
半七のところに戻ってくるあたりの色っぽさ、口調の小気味良さが
私は好きだった。
「紙入れ」のおかみさんとか、気風の良い女性が巧いのも、談春さ
んの大きな強味といえるだろう。
あと「らくだ」の大家さん、「小言幸兵衛」の幸兵衛、「化け物使
い」のご隠居と、気の強い年寄りのキャラクターもリアリティがあ
って笑えるのも嬉しい。



帰宅して、メールの返事を何通か送って、十二時前に就寝。


[1096] 「笑芸人」と三田句会 2003年09月25日 (木)

「笑芸人」が出た。
今号は喜劇映画特集。
「私の好きな喜劇映画」というアンケートに私も参加している。

私が選んだ三本。
@「クレージーの黄金作戦」
A「ああ独身(チョンガー)」
B「エロ将軍と21人の愛妾」
それぞれの選択理由は、「笑芸人」本誌を見ていただきたい。

うれしかったのは、「クレージーの黄金作戦」を浅草キッドの玉袋
筋太郎氏もベスト3の一つに挙げていたこと。
ラスベガスでのロケ作品なのだが、大通りで「カネだカネだよ、キ
ンキラキンのキン!」とクレージーキャッツが踊りまくるシーンが
玉袋も私も忘れられない名シーンとしてあげている。
こういうアンケートは、マニアックすぎても平凡でもまずいわけで
その微妙な隙間を突いた回答に、同調者がいてくれたというのは、
わが意をえた、という痛快感がある。

夜は久しぶりの三田句会。浦川聡子さんとも久しぶりにお会いす
る。白寿さんと隆さんがお休みのかわりに秀夫さんの紹介の美智子
さんが初参加。
席題は「月」。
私の句は
・踊場に月の出を待つ男かな
もう一句、当季雑詠
・ガスタンク秋の没陽に染まりけり

十時前に終了。
帰宅したら、ネット古書店に注文しておいた、柳家小三治の
『落語家論』が届いていた。


[1095] 最終回 2003年09月24日 (水)

くりまんさんのブロードバンドニッポンは本日が最終回。
したがって、私が出演していた「藤原宗匠の文学のお時間」も必然
的に最終回となる。
とりあげる本は西条昇著「ニッポンの爆笑王100」(白泉社)。
エノケンから爆笑問題まで、日本の笑いのシーンを彩ったタレント
たちを、きちんと資料をおさえ、しかも、同時代的に批評もすると
いう力作。
西条昇さんとは実は面識があるのだが、私よりひとまわり年下にも
かかわらず、お笑いに関しては、何でも興味があり、しかも、何で
も知っているという人。
7年くらい前にロフトプラスワンで、西条さんと一緒にお笑いに関
するトークショーに出たことがある。その時、西条さんは、むかし
林家三平の舞台でアコーデオンを弾いていた小倉さんをつれてきて
小倉さんのアコーデオン伴奏で、「アラビアの唄」や「洒落男」を
気持ち良さそうに歌っていた。
西条さんは遅く生れ過ぎたモダンボーイなのだろう。
戦前に成人していたら、確実に浅草コメディアンになっていたはず
だ。しかし、現在に生れたことで、こういう大部のお笑い関係本が
書かれるのだから、人間それぞれ役割はあるということだ。

くりまんさんのブロードバンドニッポンの最終回は無事終了。
くりまんさんのしゃべりは実に自在で気持ちが良い。
高島秀武さん、斎藤安弘さんと、ベテランのしゃべりは、ラジオの
心地よさを聞き手に感じさせてくれる。
ほぼ1年間、週一回づつ出演させてもらい、とても貴重な経験にな
った。感謝している。


[1094] お彼岸の多忙な一日 2003年09月23日 (火)

お彼岸の中日なので休日。

古書店、歌会、編集会議とはしごで一日をすごす。

上野古書の街に二日つづけて行き、買うべき本をチェックする。
欲しい本には、そこそこの値段がついているので、確認して、お金
を用意してから、日をあらためて買いにくるつもり。
何も買わないつもりだったのだが、文春文庫版の谷沢永一著『完
本・紙つぶて』が300円だったのでつい買ってしまう。
谷沢永一のこの紙つぶては、鋭く辛口で目配りが広く、コラムの
見本ともいうべき文章。
一本読み始めると、次々に読み進んでしまう。
このコラムがはじめて一冊にまとまったのが、著者の親しい古書店
からの刊行による、実質的には自費出版に近いものだったと知って
驚く。

ところで、三田純一(純市)の『上方芸能』を昨夜から、読んでい
るのだが、これは大阪の芸能史として、実に貴重な本かもしれな
い。なにしろ、道頓堀のお茶屋育ちの著者が、実体験としての芸能
の歴史をかいているのだから、リアリティが抜群である。
なにしろ、小学校の同級生の女子は、卒業後、みな、芸者になると
いうような環境だったのだそうだ。

大阪の遊びを「散財」というキーワードで解説してある部分など
教えられるところが多い。
その例として、「落語の「親子茶屋」の「狐釣り」の風景」と書か
れている。
これは先日の東西落語研鑚会で、桂春団治がやってみせた噺で、大
旦那が「狐釣り」という遊びを芸子とする場面をたっぷり演じてく
れた。それが「散財」というイメージなのだということだ。

もうひとつ、小学生の時の筆者が女の子たちと芸者さんごっこをし
た時の様子というのがけっこうすごい。
女の子たちが数人集まり、みんなが芸者のマネをするのだが、その
中の気に入らない子に、みんながいげず(意地悪)をする。
「あんたは、おやまはんや」と、気に入らぬ子の役を振り当てる
のだが、おやまはんというのは娼妓なのだそうだ。
芸者役の女の子たちが踊り始めて、おやまはん役の女の子も一緒に
踊ろうとすると
「あんたは踊ったらいかんねんし。おやまはんやさかい」
と言って、躍らせないのだそうだ。
つまり、本当のお座敷でも「芸者はん」と「おやまはん」には、
そういう差別が存在していたということだ。
なんとも、キツイいけずである。
こういうことを、著者は実体験として語っているのだから、やはり
すごいし、貴重だと言わざるをえない。







[1093] 上野古書の町ふたたび 2003年09月22日 (月)

内閣改造の発表。川口外相の留任がマスコミ的には意外だった。
連休の谷間の月曜なので、休暇をとっている人が多く、オフィス
がひっそりとしている。

退勤後、ゆりかもめ、銀座線と乗り継いで、もう一度、上野古書の
町へ行く。
前回、うっかり見落としていた鈴木吉繁さんの白鳳書院の演芸関係
書物の棚をじっくりと見るため。
「BOOKISH」の落語本特集を読んで、やはり、自分は演芸が
好きなのだと再確認したので、こういうふうに、意識がたかぶって
いる時には、意外と良い本がみつかることが多い。

それで、上野古書の町。やはり、退勤後のサラリーマンらしい人達
が書棚を丁寧にチェックしている。
やはり、白鳳書院の演芸関係の棚は充実している。

購入したのは、まず、演芸関係二冊。
・三田純一(純市)著『上方芸能・観る側の履歴書』三一新書
・もとまち寄席恋雅亭百回記念回想版『きろくのきろく』

三田純一の本は、氏の演芸との関わりを中心にした自伝+演芸史。
氏の生家が道頓堀の角座の向いの芝居茶屋であることはよく知られ
ている。そういう特別の環境にいた人の回想がつまらないわけはな
い。冒頭で関西の落語家には「落語声」というダミ声があるという
指摘など、そのとおりだと納得できる。初代春団治、六代目松鶴、
桂小文枝(現・文枝)などがあげられる。

『きろくのきろく』は、神戸風月堂ホールというところで開催され
ていた、一種のホール落語の100回目までのパンフレットの総集
編。こういう自費出版の本は、めったに手にはいらない。プログラ
ムの顔付けを見ているだけでも心が踊る。

他に3冊、白鳳書院の棚から俳句関連本を購入。
・『能村登四郎読本』
・福永美智子編『福永耕二・俳句・評論・随筆・紀行』
・妹尾健太郎編『俳句の魅力・阿部青鞋選集』
阿部青鞋選集は「俳句」九月号の「この名著を読もう」という特集
で、青嶋ひろのさんが推薦していた本。こんなに早くみつけること
ができるとは思ってもみなかったので嬉しい。

結論としては、古書店にはバイオリズムがたかまった時には、迷わ
ず行くべし。


[1092] お彼岸・実家へ帰る 2003年09月21日 (日)

彼岸の入りなので、横浜の実家へ帰る。
高尾のお墓まで行くのはたいへんなので、仏壇を拝むことで勘弁し
てもらう。
雨が突然強くふったり、不穏な天気だ。

帰宅したら「BOOKISH」がメール便で届いていた。
今回は落語の本の特集。
執筆及び企画の面で多少協力させていただいたので、ぜひ、売れて
ほしいと思う。
掲示板の方に内容と購入したい場合の連絡先を書いておいたので
ぜひ、そちらもご覧いただきたい。

「未定」の富沢赤黄男特集号も届く。326頁という大札。
これは、今後の資料としてもきわめて貴重な一冊になりそうだ。
実は赤黄男の俳句は、私はもうひとつぴんとこないので、読み解き
の端緒でもつかめれば嬉しい。
新興俳句の系列の作家で私が文句なしに好きなのは渡邊白泉くら
い。三鬼もまあ好きな方だろう。
鷹女も窓秋もダメで、草城も大好きとはいえない。
神生彩史とかは好きといえば好きな方だと思う。

どうしても、その作家の表現とこちらの感受性がシンクロしないと
いうことは、詩歌ではよくあることだ。
歌人でも、評価は高いのに、私はまったくダメという人はけっこう
いる。文章を書くときは、できるだけ好きな歌人の好きな作品に関
してだけ書くようにしているのだが、自分の短歌観を表明するとき
は、キライな歌人についても書かざるをえないこともある。
そういう部分を曖昧にしたままで、挨拶的なことばかり書いていれ
ば、カドもたたないのだろうが、そういう姿勢は選びたくない。


[1091] 台風接近中 2003年09月20日 (土)

競馬が当たらないなあ、と、ここで愚痴ってもしかたがないか。

ほぼ一日かけて、お送りいただいた歌集類の礼状を書く。
台風が近づいているということで不穏な風が吹いている。

今月のちくま文庫の新刊の岡崎武志著『古本極楽ガイド』は本好き
の人間にとっては、楽しく読める本だろう。
主として古本に関する話題の文章ばかりだが、古本屋さんではない
ので、客と古本屋のはざまにスタンスをおいた感じで、文章にイヤ
ミがない。
月の輪書林の高橋店主、石神井書林の内堀店主のインタビューなど
は必読でありましょう。
なんだかんだと言っても、古本ライターという肩書きを確立したと
いう点でも、岡崎武志という人はエライと思う。

本屋で「すばる」に書かれた黒瀬珂瀾さんのエッセイ「透き通る
命」を立ち読み。小中英之、高嶋健一という近年亡くなった歌人の
作品を引用した、タイトルどおり透き通った印象の残る読み心地だ
った。文章の巧い歌人がどんどん出てきてほしい。


[1090] 金曜かきこみTV 2003年09月19日 (金)

「ピカソクラシック」の内覧会があったので、上野の森美術館へ
行く。1914年から1925年の作品で、アンドレ・ブルトンらとの交
流がもっとも活発な時期らしい。

帰りに上野松竹の地下にオープンした上野古書の森をのぞく。
これは、かねたくさんの掲示板にも告知されていたが、先日、
「日本歌人」の会でおめにかかった鈴木吉繁さんの白鳳書院も
出店していると、鈴木さんからハガキをいただいていた。
角川の「俳句」の別冊の「俳句事典」や「創作」の牧水没後五十年
の特集号、九藝出版の「日本の芸談」シリーズの何冊かを購入。

帰宅後、テレビを見た。
NHK教育の「金曜かきこみTV」。
ますだ・おかだ、ローリー寺西、みうらじゅんらがレギュラーの
基本的には中学生向きの番組だが、バラエティとして民放のもの
よりも、ずっと面白いといえる。
インターネット上の掲示板に書き込まれたシャレとか替え歌とかを
ますだ・おかだが紹介していくコーナーをえんえんとやったり、
CMゾーンがない利点をよく生かしている。
今日はゲストが劇団ひとり。彼も芸人の中ではアタマの切れが抜
群なので、トークも痛快で面白い。
みうらじゅんのコーナーは「へらちょんぺ」という名前だけのイメ
ージで、中学生が描いてきた絵を、みうらが批評するというもの。
来週、へらちょんぺ本人がゲスト出演するそうだが、まさにNHK
教育テレビに、へらちょんぺが出演するなどへらちょんぺを知って
いる者にとっては、驚愕である。
少なくとも例の「水10・ワンナイ」なんかとは笑いのレベルが違う。
笑いの好きな人はぜひ見てほしい。


[1089] 三田英津子がやって来た理由 2003年09月18日 (木)

久しぶりに「プロレスを熱く語る会」が開かれた。
出席者は、北条志乃、デンチューショーメイ、夢月亭清麿、元アル
シオンのKさん、Iさんとお子さんのMちゃん。

なにより、先日の有明コロシアムでおこなわれた下田美馬の引退試
合に猛武闘賊(ラスカチョーラス・オリエンタレス)の三田英津子
が登場した理由を知ることができたことが収穫だった。

ちょっとした女子プロレス通ならば、下田の引退試合に三田が登場
するのはお約束だろうと思っているだろうし、さらに裏事情を知っ
ている人は、「え!三田がホントに来た!」とびっくりしたにちが
いない。この単純にみえる三田英津子の有明登場の裏に、何人もの
心ある人達の善意が力となっていたのだと知って、あらためて感動
した。
プロレスのよろこびはサプライズと予定調和の快感なのだが、表面
的には、そのどちらをも満足させてくれる結果になったこの下田美
馬の引退試合における三田英津子の登場は、女子プロレス史に特筆
すべき出来事として一部の関係者のあいだに記憶されるはずだ。

ところで、イエローキャブの佐藤江梨子の詩集『気遣い喫茶』とい
う本が扶桑社から発売された。
拾い読みしていたら、あとがきにこんなことが書いてあった。

「今年に入って、私を可愛がってくださった方々が次々と亡くな
られました。プライド森下社長、名古屋章サン、プレイガール
沢たまきサン、ジャイアント落合サン。」

これはやっぱり御払いした方がいいんじゃないだろうか。


[1088] 真珠鎖骨 2003年09月17日 (水)

「くりまんたろうのブロードバンドニッポン」で、昨日、読み終わ
った『川田晴久読本』を紹介する。
しかし、もはや「地球の上に朝がくる」というフレーズに反応でき
る人は40代後半以上なのかもしれない。

尾崎まゆみさんの三冊目の歌集『真珠鎖骨』は心にしみる歌集だ。
言いさしの結句が目立ってふえているが、それは、彼女の心のたゆ
たいを投影した意識的な文体の選択だろう。
あらためて短歌における文体の確立の重要さを確認する。

・心が痛いともしびの溶けさうな消えさうな祈りの時をなぞれば
・ただ声に浮かぶ真実在ることと現はるること硝子隔てて
・眠れない外は驟雨の真夜中の熟れきつた果物のにほひに
・花衣ぬぐや蛇口に「帰り水」みづにゆらめくため息は母
・蘭鋳の尾がゆきすぎてうるさしと真夏日の逃げ水に声あり

尾崎まゆみさんは、私の受賞の翌年の短歌研究新人賞の受賞者なの
で、同期の意識が私にはある。
綺羅めきが沈静し、透明な悲哀がうみだされている。
正当に評価してほしい歌集といえる。
露出の多い歌人の歌集だけしか読まれない現状で、こういう
本当にすぐれた言葉の芸術が見落とされてしまうとするなら不幸な
ことだ。


[1087] 川田晴久という奇才 2003年09月16日 (火)

中央公論社から出た『地球の上に朝が来る・川田晴久読本』を読
了した。
今年の3月に出た『川田晴久と美空ひばり』の研究篇的な内容。

戦前のあきれたぼういず、ミルクブラザーズの時代から、戦後の
ダイナブラザースでの活躍まで、池内紀、横沢彪、中村とうよう、
はかま満緒、瀬川昌久、吉川潮、む原健太郎、平岡正明らの多彩な
執筆陣がそれぞれの角度から解明している。

音楽関係者がいちように指摘しているのが、川田のいわゆるジャズ
と浪曲のミックス歌謡の音楽性の高さ。
当時の音楽学校出の藤山一郎よりも、はっきりと高いレベルの音楽
が実現しているのだそうだ。
そして、その音楽性を受け継いだのが、戦後の天才少女歌手・美空
ひばりだという仮説はきわめて魅力的だ。

あきれたぼういずには益田喜頓、芝利英、坊屋三郎が所属していた。
あきれたぼういず以前に川田晴久は「永田キング一党」というコミ
ックチームに所属していたということだが、永田キングという人も
芸能界の奇才であったようだ。
吉川潮先生にぜひ「川田晴久伝」「永田キング伝」をぜひ執筆して
いただきたいものだ。


[1086] お笑いホープ大賞 2003年09月15日 (月)

お笑いホープ大賞の準決勝ということで、芝公園のそばのabcホ
ールへ行く。
私が見たのは昼の部で準決勝にあたる。
20組が出場して、このうちの10組が、夜の決勝大会に進む。

資料的な意味もあると思うので出場者名を列記しておく。

決勝進出の10組。
江戸むらさき、磁石、スピードワゴン、劇団ひとり、さくらんぼブ
ービー、バカリズム、青木さやか、エレキコミック、粋なり、
インスタントジョンソン。

惜しくも落選した芸人さん
ペナルティ、飛石連休、18KIN、ヴェートーベン、三拍子、
クワバタオハラ、長井秀和、モジモジハンター、田上よしえ、
ハミングステッチ。

この中で、長井秀和だけは、持ち時間4分30秒というタイムを
オーバーしたという反則負け。まあもキャラにあっている。
他には18KINと田上よしえが落選したのが意外だった。

一方、当選組では、サワズ株式会社所属の磁石が良く頑張った
と思う。しゃべくり漫才なので、今後を期待したい。
メジャーになれそうなのは、劇団ひとり。イッセー尾形の大衆版
といったところか。
ここのところピン芸人に面白い人が出てきたのもココロ強い。


[1085] 坂口征二復活の日 2003年09月14日 (日)

坂口憲二のお父さんの坂口征二が復活するのだが、さすがに名古屋
までは、観戦に行けない。
こういうファンタジーがあるから、プロレスは楽しい。

「短歌人」月例歌会。三軒茶屋のさんちゃしゃれなあどへ行く。
前半の司会を担当。
三連休の中日なので、いつもより、少し詠草も出席者も少ない。
後半は高田流子さんが司会。

歌会終了後の勉強会で、レポーター。
「前川佐美雄の『白鳳』について」。
先日の「日本歌人」でのレジメを少し手直しして、作品も少しだけ
入れ替えてテキストとする。
『白鳳』はあまり読まれていないので、興味をもってくれた人が多
かったようだ。
ピンチヒッターでレポーターをやったのだが、やって良かった。

しかし、前川佐美雄は生誕100年なのに、短歌専門誌は、特集を
組まないのだろうか?


[1084] 加藤楸邨初期評論集成 2003年09月13日 (土)

休日なので、髪をカットしに行こうと思ったが、明日、歌会の前に
行くことにして、一日、ほとんど何もせずに過ごす。

邑書林に注文した『加藤楸邨初期評論集成』が早くも到着したので
月報や解題やあちらこちらのページを拾い読みする。
楸邨の文章というのは、かつて俳句をつくっていた頃にもほとんど
読んでいなかった。
しかし、文章の量はすごく多く、執筆に対するエネルギーはスゴイ。
月報に「寒雷」の編集後記が再録されているが、短文にも誠意がこ
もっている感じがする。そういう人間性の人だったのだろう。
本が出るが、印税はどうしても使わなければならない事情があるの
で、今回は寄贈できません、などというものまである。
時評及び芭蕉に関する文章から読んでいこうと思う。



[1083] 「俳句研究」十月号 2003年09月12日 (金)

完全に真夏に戻ってしまったようだ。
オフィスの窓から入道雲が見える。

「俳句研究」十月号が届いた。
先月号の仁平勝氏の文章に引用されていた私の文章がとても恣意的
だったので、その部分を「東風西風」という投稿欄に掲載してもら
っている。
「ちゃばしら」のWEBにも載っているので、そのURLも入れて
あるので、全文を読もうと思った人には、読んでもらえる。
仁平氏の文章があまりに感情的なものだったので、それに反論して
も無意味だと思い、あえて、私の「オリジナリティということ」の
仁平氏に関する部分を掲載してもらうことにした。

しかし、類句はダメという自明のことが、なぜ、言えないのか。
不思議な世界だと思う。
きちんとした事情を知らない人だと思うが、
「オリジナリティの主張」は「著作権の主張」であり、それは、
「金銭で表現を縛ることになる」、などという本末転倒の意見を
言う人までいたので、うんざりせざるをえないが、表現を選んだ人
が、自分のオリジナリティを大切にするのはあたりまえのこと。
現実的な話として、俳句や短歌の著作権はきわめて杜撰なかたちで
しか存在していない。
つまり、今回の類句の問題で、櫂未知子が金銭的な対値を得ること
はない。だから、それゆえにこそ、オリジナリティを主張すること
に意味がある。

うんざりはするが無視はしない。なんどでもくりかえし私は主張する。


[1082] 記憶解放の触媒 2003年09月11日 (木)

「短歌人」の企画委員会。
池袋の東京芸術劇場で会議をおこない、来年の企画のおおまかな
ラインを討議する。

桂米朝と筒井康隆の『対談・笑いの世界』(朝日新聞社)が抜群に
面白い。
二人で、喜劇映画や芝居、落語、歌舞伎、その他なんでも、笑いに
関連することを、思い付くままにしゃべりつづけるという対談集。
言葉のはしばしに、資料的な価値の高い事実や、この二人しか覚え
ていない芸能史のエピソードなどが語られて、きわめて含蓄に富む
一冊になっている。
米朝師匠の知っているさまざまな事実を、筒井康隆の言葉が触媒と
なって、一気に解き放っていくようなイメージといえる。
よく、こういう本を出してくれたと感謝したい。

また、古い芸人さんたちの写真がたくさん入っているのも嬉しい。
花柳芳兵衛の若い頃の写真などきわめて貴重。
高座で踊る先代桂小文治の写真なども珍しい。
固有名詞の注もかなりこまかく付いているので、この部分も資料的
な面で良いと思う。

「地獄八景亡者戯」を桂米朝が最初に文の家かしくから教えてもら
った時、死んだ病気で船賃を決めるところで
「コロリと百文」とか「ゆうべ三百張り込んだ」とかの意味不明の
くすぐりらしきものがあった。
かしく師匠も、その師匠から口移しで教わったのを暗記しているだ
けなので、その意味がわからない。
しかし、こうやって、かしく師が米朝師に伝えてくれたおかげで、
やがて、「コロリ」というのは近松も使った語彙で「100」の
意味だとか、「ゆうべ三百張り込んだ」というのは、幕末頃の流
行歌の文句だということがわかったという。
こういうことがわかれば、この噺がすでに幕末から明治の初めに
は、できていたことがわかるわけだ。
このように、噛めば噛むほど別の味が出てくる、マニアにはこた
えられない本になっている。


[1081] 歌人と短歌 2003年09月10日 (水)

「新潮」の折口信夫特集に関して、編集者が不勉強だと私が書いた
ことで、加藤治郎さんが暗い気持ちになった、とお書きになっている。
これは私の言葉が足りなかったのかもしれない。
私が言いたかったのは、特集の本質にかなう内容の執筆者を、歌人
の中から的確に選択する編集者の努力がほしかったということ。
加藤千恵さんの文章が載っている「私の折口信夫」という企画の
部分は、小林恭二(作家)とか福田和也(評論家)とか、加藤千恵
(歌人)とか、肩書きが載るかたちになっていないので、「新潮」
の読者のどれだけが、加藤千恵という人が話題の学生歌人だという
ことがわかるかどうか心もとない。そうなると、若い歌人は折口の
名前なんか知らない、というネライも不発になってしまっているよ
うに私には思えたのですね。そうであれば、もう少し、折口信夫に
ついて、中味のある文章を書ける歌人(たとえば阿木津英さん)に
執筆してほしかったというのが率直な感想。
これは加藤千恵さんが悪いということではなく、やはり、編集者が
自分の雑誌の特集に対して、どのような思いを抱いて取り組んでい
るのか、という問題だと思う。

それで、後半に加藤治郎さんがお書きになっている「歌人が歌人を
バカにしてきた」という点に関しては、私もまったく同感です。
歌人は歌人ばかりか短歌をもバカにしていると私は思います。
そういういらだちから、自分の吐いた唾が自分にかえってくるのを
覚悟して、私は「開放区」に、「短歌朝日」の休刊号に載った歌人
たちの短歌にまったく力がこもっていなくてがっかりした、という
文章を書いたり、「短歌WAVE」4号の編集方針の変更に関して
この日記で異議をとなえたりしてきた。

とにかく、短歌みたいなものを書いていたり、歌集を出したから
軽々しく歌人だと名乗ったりするのは、やめてほしい。名前をあげ
れば、たとえば、寒川猫持さん。この人の文章に関しては、今まで
にも何度か、ここで不満や異議を書いたが、今月の講談社α文庫の
新刊『猫とみれんと』のあとがきなど惨澹たるもの。下品でみじめ
たらしくて、心底うんざりする。こういう文章ともよべないしろも
のを「歌人」とか「歌詠み」とかの肩書きで発表することはやめて
ほしいと切実に思う。

あともうひとつは、歌集をもっと熱心に読んでほしいということ。
このことも何度か書いたと思うが、いかに、たくさんの歌集が出て
いても、まず、歌人を自称する人(たとえば私)が、それを読まな
ければ、あといったい誰が読むのか?
私は歌集を買っても読んでいるが、もちろん、贈呈された歌集も、
できる限り時間をつくって読んでいる。最近、第一歌集を出した
人達に聞いてみると、感想の返事をくれたという人の数は驚くほど
少ない。これでいいのだろうか。いいわけがない。

歌人を名乗る以上、せめて、新人の歌集くらい、きちんと読む人で
ありたいと、私は自分に言いきかせている。


[1080] 第四回東西落語研鑚会 2003年09月19日 (火)

ついに第四回の東西落語研鑚会。

桂つく枝
桂文枝門下の下から三番目の弟子だそうだ。
ふっくらした体型で、見た目に愛敬がある。
マクラで、4歳上の奥さんから
「あんたが小学生やった時、あたしはもう高校生やったんやからね」
といつも言われるというのは笑えた。
演目の「宿替え」は東京の「粗忽の釘」。
仏壇の扉が「きゅううー」と開く、というのは実は文枝門下のお家
芸。「菊江の仏壇」で真価を発揮する擬音だが、以前、文枝が小文
枝といっていた頃、「お笑いしごき道場」で、この擬音の練習をや
っていたのをなつかしく思い出した。

春風亭昇太
「そば清」。もう、古典の昇太流のデフォルメは完璧。
これだけ笑わせてくれれば文句なし。
二番手という出番も、昇太さんにはぴったり。

立川志の輔
「緑の窓口」。新作。よくできた噺ではあるし、安定して聞ける
のだけれど、私としては、古典が聞きたかったので、少し不満。

林家こぶ平
「茶漬け幽霊」。好意的に聞いているのだけれど、どうもほころび
があって、仕立てが悪い気がしてならない。
おかみさんの幽霊の可愛さが、浮き上がって、噺になじんでいな
い。どうすればいいのか。
何度も回数をこなして、ねりあげるしかないんじゃないのかなあ。

桂春団治
「親子茶屋」。おやじがお茶屋で、「キツネ釣り」という遊びを
やる部分をきわめて丁寧に演じてくれたのがうれしい。昔の茶屋の
遊びの雰囲気がたちのぼるのだからたいしたものだ。
特に笑いが多い噺でもないのに、飽きずに聞けるのは、やはり話術
ということなのだろう。

全体的には、満足できる内容だったといえる。
ただ、懸念事項は、前回の月亭八方、今回の春団治と大阪の噺家が
続けてトリをとっているし、次回は予告によると桂三枝さんがトリ
のようだ。
これは、東西落語研鑚会として、いかがなものかと思うのだが。

今後、立川志らく、林家たい平、桂文我をぜひ出してほしい。


[1079] 東西落語がたり 2003年09月08日 (月)

柳家花緑の対談集『東西落語がたり』(旬報社刊・1400円)を
読む。
これは、花録さんが立川談志、三遊亭円楽、三遊亭小遊三、
春風亭小朝、桂米朝の先輩五人と「落語の現状と将来」について
語り合うという内容。

花録の主張は、寄席の10日間替りの番組の組みかたが、現在の
落語家の仕事のペースでは、現実的ではなくなっているので、
3日とか5日とかの番組にして、代演をなくし、各協会も合同し
て、名人会型の番組を組もう、というもの。
これはこれで有効な提案だと思う。

円楽は大同団結は必要だとの意見。
小遊三は、現状の各協会員が適正人数なので、競いあいつつ、名人
会形式の番組をホールで組んでいけばよいというもの。
どちらも、一理ある。
こういうジャンルの活性化のための提案を若手と大ベテランが、
このように語り合うというのは、いままでにはなかったことだろう。

この中で、ぜひ、実現してほしいのは、小朝師匠のプランの
「大銀座落語祭」構想。
これはね何日間か、銀座の歌舞伎座から朝日ホール、ソミドホール
などの、あらゆる劇場で落語をおこない、銀座を落語一色に染めて
しまおうというもの。
ジャズフェスティバルの落語版というもの。
こういう発想は貴重。
なんとか早いうちに実現してほしいものだ。


[1078] 間違いは誰にでもあるが 2003年09月07日 (日)

今日も引続き原稿を書き続けなければならない。
午前中にかの子と自転車で牛乳を買いに行く。
途中で、東陽図書館に寄ったら、稲村一弘さんの歌集『建設に歌
ありし頃』が詩歌の棚に並んでいた。東陽図書館エライ!

鈴木竹志さんの「竹の子日記」に書いてある、「新潮」の折口信夫
特集に歌人から加藤千恵さんが起用されている、というのはさすが
に苦笑せざるをえない。
阿木津英とか藤井常世とか沢口芙美とか、書き手はいくらでもいる
のにねえ。
編集者の不勉強、書き手の大胆、ということか。

原稿書きのあいまに大岡信の『百人百句』を読んでいたら、間違い
ではないかと思う記述が目についた。

まず、三橋敏雄の経歴が
「実践商業高校を卒業し、運輸省に勤める」となっているが、
書籍取次ぎ店の東京堂に勤めて、そこで俳句を始めたということは
有名だし、その後、実践商業は確かに卒業しているにしても、運輸
省所属の船の乗組員になる前に、西東三鬼と一緒にインチキな商社
みたいな会社で働いていたというのも有名なエピソード。
事典のように、字数制限のある本ではないのだから、このあたりは
きちんとおさえておくべきだと思う。
誤記ではないかもしれないが、重要な部分がすっぽり抜け落ちてい
る記述では困るのではないか。

もうひとつ、金子兜太の項目で
「昭和六十年に「海程」を主宰創刊」とあるが、「海程」は、
昭和三十七年に創刊されている。この時は同人誌というふれこみ
だったから、はっきりと主宰誌になったのが、昭和六十年という
つもりかもしれないが、この記述以前に「海程」という俳句誌の
名前は出てこないのだから、きわめて不親切な記述、というより
これは、はっきりと誤記だといえよう。

講談社の本なので、校閲部でとても厳しいチェックをおこなってい
るはずなのだが、ちょっと、卒読しただけで、2ヶ所も首を傾げる
記述があったので、ここに書くことにした次第。

夜、復本一郎著『俳句実践講義』(岩波書店刊)をやつと読み終る。二ヶ月くらいかかってしまったが、俳句の基本的作法を復習
するという意味で、読んでよかったと思える本だった。
ただ、まったくの初心者が入門書としては使えないだろう。
芭蕉や子規の俳句論が的確に引用してあるので、再読して咀嚼す
べきところも多い。


[1077] ていだきねこさんの歌 2003年09月06日 (土)

午前中は本の整理。
午後はPATで馬券を買いながら原稿書き。
馬券は壊滅。どうも新潟競馬は相性が悪い。
早く、中央開催に戻ってほしいものだ。

原稿書きに疲れると「題詠マラソン2003」の出走者の作品をあれ
これと見る。
私の前にゴールした、ていだきねこさんの歌から何首か引用。

・「さよならの木」とよばれたいひのきだが「ずるむけの木」としかよばれない
・凍土を叩いて蘇武が泣いた死のごと学問はむごき皇帝
・南十字星なくした葉まみれの小島のようなモデムであった
・議論より理論がすてき牛鍋の泡ほがらかに湯島江知勝
・贅肉としてくつろいでゆきなさい故国はるかな有機物質
・顎は引く。瞳は「剛」に。口角は「弱誘惑」に。以上よ。できる?
・忘れずにさえいればよいことの例:「ラララ科学の子」であることを
・「か弱い」の「か」の痒さなどそのような自讃はしないほろぶ日々にも
・ノックかチャイムかどっちかにしてくれますかカンナは州都桃はうちうみ
・ひきつれたストッキングのかがり目が母系の昭和中期織りなす
・くりかえし惨殺される人格が私にあって名は「生きる意志」
・目が痒い粋なのんきなとうさんは「まなみのティッシュ」しかつかわない

と、順不同で面白いと思った作品。
口語が定型と心地よくなじんでいるし、発想も豊かで、100首を
読んで飽きない。
こういう作品が角川短歌賞や短歌研究新人賞に応募されたら、どん
な評価を得るのだろうか。
ていだきねこさんが、今後、短歌にどのような姿勢でのぞむのか、
わからないが、歌集をだす方向に進んでほしいとは思う。

こういう良質の作品は、歌葉新人賞よりもむしろ総合誌の新人賞に
応募した方が、歌壇に対する問題提起、もしくは、ゆさぶりになる
だろう。つまり、あらかじめ理解者が想定できない「場」で、こう
いう作品がどのように受けとめられるか、ということを知りたい。
私にとっては、上に引用した歌はどれも忘れ難いのだが。
岩崎一恵さんの作品もふくめて、このような作品が生み出されたこ
とで「題詠マラソン2003」には、十分な意義がある。


[1076] ナンシー関や葛西ブックオフやら 2003年09月05日 (金)

太宰治倶楽部編『もっと太宰治がわかる本』KKロングセラーズ刊
という平成元年に出た本を拾い読みしている。
内容は太宰治に関する雑学の集成で、まあ、カルトQとかトリビア
の泉とかのタネ本みたいなもの。
なぜこのような本を買ったかというと、ナンシー関の消しゴム版画
が、たくさん収録されているから。
今、ナンシー関の評価は高いので、死後、たくさんの本が出て、近
年の文章と版画はほとんどまとめられたようだが、こういう15年
も前の本のものは、案外、忘れられているのではないかと思う。
検証したわけではないが、ナンシー関の初期の仕事の一つとして、
この本は大切にしようと思う。

今日は中堅社員の研修の中間報告会。
29人のうち27人が出席。
講演、発表、懇親会を経て午後7時にお台場で解散。

思ったより早く終了したので、門前仲町から東西線で葛西へ出て
葛西駅前のブックオフへ行ってみる。
門前仲町店よりは大きい店舗だが、本の数も種類も少ない感じが
する。
マンガのコーナーで、フュージョンプロダクト版の『まんだら屋の
良太』の第5巻と竹書房の天獅子悦也『むこうぶち』の第3巻を購
入。あと文学全集の端本コーナーで、大仏次郎の「霧笛」「帰郷」
が入っている本を100円で購入。
買う本がないと言いながら、結局、また本を買っている。


[1075] 十年後の中年世代の歌 2003年09月04日 (木)

amazonのユーズドで、『東都噺家系図』を購入した。
このユーズドのシステムを使ったのは、今回が始めてだが、カード決済が
できるので、「日本の古本屋」や「スーパー源氏」を使っての注文よりも
当該古書店とのやりとりがない分、一行程はやい。
到着した本も新品同様のものだったので、これは満足。
いろいろとamazonで検索してみると、定価の高い本の方がユーズドになって
いるケースが多いような気がする。
全集の中の数冊が欲しい場合など、こまめにチェックしていると、案外、安
く買えるのかもしれない。

「かりうど」2003年秋号が到着。
巻頭の外部寄稿エッセイ「狩人の椅子」欄の今号は香川ヒサさん。
「十年後の「中年(壮年)はどう詠われているか」」という題名で
10年前の「短歌往来」に書かれた彦坂美喜子氏の文章での
「中年から老年への普遍的な感慨をたどろうとしている「意識の定式化」
の不自然さ」の指摘に対して、十年後の現在、中年の歌はどうなってい
るのか、との丁寧な検証で、興味深く読める。
年齢的には私から島田修三、永田和宏、安田純生、小高賢、三枝昂之、
大島史洋、伊藤一彦、佐佐木幸綱といった人達の作品をひいて、ひいて
「「いつも生身を他人の前に曝している様な溌剌とした個性」の孤独をその
生に湛え、それをあますなく表現してきたと言えるのではないかということ
である。中年世代は、先に述べた彦坂の課題に充分に応えたのであった」と
結論づけている。
10年前、私は41歳であり、たとえば、大島史洋、小高賢といった「19
年の会」の人達は、50歳だった。そして、今、「19年」組は来年の申年
に還暦を迎える。まさに、時間の流れは容赦ない。
こういう状況の中で、香川ヒサの視線は、歌壇の表面的な流行に流されるこ
となく、的確にこの世代の表現の方向と意味を把握してくれている。
私にとっても、励まされる文章だった。

夜、「東京かわら版」の元編集長・大友浩さんの『花は志ん潮』を
読み終わる。
マニアの人には、ちょっと軽い感じがするかもしれないが、古今亭
志ん潮を知らない若い人にとっては、十分にその魅力をつたえる内
容になっていると思う。
落語の魅力という点に対して、立川談志が「人間の業の肯定」とか
「イリュージョン」と答えているのに対して、志ん潮が「狐や狸
が出てくるから」と答えたというのは、できすぎの感もあるが、み
ごとな対比だ。
「平成たぬき合戦ぽんぽこ」を見なおしたくなった。


[1074] 大雷雨 2003年09月03日 (水)

夕方、Eさんのお通夜に出席するために、浜松町から芝の増上寺まで歩く。
とても蒸し暑く、汗がにじんでくる。
夕方6時からなのだが、ほとんど定時に読経が始まる。
5分くらいたった頃から、雷鳴が聞こえてくる。
みんな、あれれ?という表情で、外を見る。あっという間もなくどしゃ降り
の雨が降り出した。
弔問客の列があわててテントの中に誘導される。
親族のお焼香がすむと、すぐに焼香台が5つに増加され、弔問者をどんどん
さばかなければならなくなる。
大雷雨の中で、弔問が進む。お焼香が終っても、帰るに帰れない。
お清めのための部屋も立錐の余地がない。
受付のテントが風雨に叩かれて、香典を受け取る卓上にもしぶきがかかってい
る。テントの中にも人がたまる。
変な話だが、にぎやかな通夜になってしまった。
Eさんは陽気なおじさんで、打ち上げや二次会で飲み屋へ行くと
5分もたたないうちに、金髪のかつらに鼻つきメガネをかけてタンバリンを
たたいているという性格の人だった。
つまり、うるさいくらいにぎやかな場所が好きな人だったので、こういう状
況は悪くないと思っているのかもしれない。
30分ほど足止めをくって、7時前に小ぶりになったところで、御成門の駅
まで、小走りに走る。
この時点で、JR浜松町へ向った人達もたくさんいたのだが、その人達は、
山の手線の落雷事故で、またも駅で足止めということになったはずだ。
私は都営三田線、東西線と乗り継いで8時には自宅へ帰れて助かった。

題詠マラソンの今日アップされた中で印象に残った歌。

・どんなにかさびしい白い指先で置きたまいしか地球に富士を/佐藤弓生

題は「55:置く」。みごとな想像力による美しい歌だ。
これより大きな物を「置く」歌は出てこないだろう。
富士山を読んだ歌では、佐佐木幸綱の

・恋人よ俺が弱らば告げくれよあしびきの山山ならば富士

という一首が好きなのだが、佐藤弓生さんの富士の歌は、幸綱作品よりも
さらに高度な精神的な次元で詠まれている。
秀歌だと思う。


[1073] 岩崎一恵さんの歌 2003年09月02日 (火)

題詠マラソンを完走できたので、他の参加者の作品をゆっくり読む余裕が
できてきた。
8月31日に最後の作品をアップしていた時に、岩崎一恵さんの作品が目
についたので、ちょっと掲示板に書いた。
岩崎さんは、現時点で、まだ完走されていないが、今までの作品を検索し
てみたら、やはり、かなりの技巧の持ち主だと感じた。

順不同で目にとまった作品を挙げてみる。

・休みなく晴天の日々 乱丁の白いページで親指を切る
・胡麻ほどの虫を潰して看護婦の脂浮きたる無表情なり
・段ボールに返本詰めるもう森に還れぬ樹々の声も封じる
・青空の玻璃窓突破した雲雀…やや妬ましい檸檬であった。
・悪役になれずにいつも王様の絵本のライオンああ腹が減る

とりあえず5首。
イマジネーションと歌語がムリなく調和している。
韻律にもきちんと気配りがなされているので読んでいて心地よい。
精神性が高い歌だと言ってもよいかもしれない。
自己主張が前に出ていないのも最近では珍しいし、不安定な心情の投影と
いうわけでもなく、どの歌も、詩歌としての自立を目指して詠われている。「やや妬ましい檸檬であった。」の「。」など最初は気づかなかったのだ
が、結句口語形の終息感を強めるのに役立っている。なかなかのテクニシ
ャンだと思う。
こういう作品なら、百首一気に読んでみたいという気になれる。
この5首は2句1章の形式になっているが、その2句のあいだの屈折が、
読者の意識を歌の世界にひきこむ力をもっている。

実はプリントアウトできたほとんどの作品に魅かれた。
百首完走のおりに、また、このひとの歌に関してふれてみたい。


[1072] 宴のあとの虚無 2003年09月01日 (月)

「お台場冒険王」が昨日で終り、今日は撤収作業がおこなわれている。
アニメぐるぐるとんねるのフィギュアたちも冒険ランドのメリーゴ
ーランドもウォーターボーイズの仮設プールもサザン真夏の秘宝館
も、昨日までの330万人動員というざわめきを忘れて、もはや、
ただの物になりきっている。
イベントは終り、撤収作業の現場に秋風が吹きぬけて行く。
私はこういうさびしい火照りの名残の光景が嫌いではない。

夕方、アーカイブセンターのEさんの訃報が流れて来た。
Eさんとは、先週、18階の食堂で顔をあわせたばかり。
アーカイブセンターの前の防災センターの専任部長だった頃、
Eさんにはとてもお世話になったし、うちあげの飲み会などにも
何回も行った。
胸郭の厚いレスラーのような体格の人だったのに、急性心不全だ
とのこと。五四歳。五十代の死者がまた増えた。

過ぎ去っていった時間はもう戻らない。時間の不可逆性の虚無。

帰宅すると「綱手」九月号が届いていた。
大辻隆弘さんの「断念と祈り―『父、信濃』における肉欲の問題」
を、早速、読む。

・ポリソ・タルソにてかのものと遭うなくばしあわせにかの肉むら経けむ

という『父、信濃』の一首を丁寧に資料を駆使して読み込みながら
この時代の田井安曇の精神の暗部を摘出してゆく、読み応えのある
評論だ。
『父、信濃』という歌集が、こういう主題を底流させていたという
ことを指摘したのは、おそらく、この文章がはじめてだろう。

大辻隆弘さんの評論は、対象のふところ深くとびこみ、表現を成立
させている心理をつかみだしてくる鋭いインファイトだ。
斎藤史論にも前川佐美雄論にも、このインファイトで迫って、その
心理の暗部をつかみだしてみせた。
そして、もちろん、岡井隆にもただいま猛烈なインファイトを仕掛
けている。とてもスリリングな読み手であり書き手である。
こういう姿勢にはリスペクトの気持ちが湧く。


[1071] 八月尽 2003年08月31日 (日)

八月も終り。
ここのところ疲労気味なので、今日はゆっくりすごすことにする。

午前中に古石場図書館まで散歩。
とりあえず、借りていた本2冊を返却する。
今日は借りるつもりはないのだが、岩波版の芥川龍之介全集の書簡
篇をチェックする。週が明けたら、会社の帰りによって、借りるつ
もりでいる。

門前仲町のブックオフへ行く。
木曜日にのぞいたばかりなので、さすがに本の種類はさほど変化し
ていない。
詩歌関係の均一コーナーにあった長谷川櫂の『虚空』は誰かが、買
ったらしくなくなっていた。
ミスタードーナツへ寄って、子供たちにドーナツを買い、帰宅。

昼食に焼きうどんを食べて、午後は最終レースまで競馬。
今日はそこそこに当たった。
PATで新潟記念の三連複を買ってみたが、むずかしい。
夕方、東陽町の図書館へ行くつもりだったが、けだるいのでやめ
る。

だらだらと過ごした日曜日となった。

夜、題詠マラソン100首目まで投稿。
途中で規則違反がなければ、これでゴール。
8月31日、夏休みの宿題を終らせた気分。

昨日の書き忘れ。
「日本歌人」の懇親会で、第一回の夏行に参加した方が、その時の
比叡山の会場で、当時9歳の佐重郎坊やが走り回っていた、という
のは、さすがに、伝統のある結社だなあ、と、心あたたまる話だっ
た。
それから、帰宅後、俳人の中田剛さんから、電話をいただいた。
名前はもちろん二十年以上前から存じあげていたが、話をするのは
たぶん初めて。今年になってから、また、新しい人間関係が生れて
きている。ありがたいことだ。


[1070] 「日本歌人」夏行2003 2003年08月30日 (土)

正午を目標にして、浅草ビユーホテルで開催される「日本歌人」の
夏行に行く。この夏行は昭和二十七年に一回目がおこなわれたのだ
そうだ。
おりしも浅草はサンバカーニバルの日。沿道には報道関係者と観客
が列をなしている。
人波をかきわけながら、木馬館のポスターが貼ってあるのを見たら
プッチャリン・リイチローという芸名の芸人さんの写真が載ってい
た。こういうネーミングのセンスは或る意味で異常だと思う。
売れるということを始めから拒絶してしまう名乗りと言える。

前川佐美雄の『白鳳』の魅力に関して、約一時間しゃべらせてもら
い、そのまま、歌会にも参加させてもらう。
夜は懇親会で、「日本歌人」賞と新人賞の表彰式。
「日本歌人賞」は鈴木吉繁さん。新人賞は後藤恵市さん、和田ふみ
さん。

学生時代に入会し、晩年の前川佐美雄に可愛がられたという鈴木吉
繁さんの作品を紹介する。

・妻去ればいよよかがやく収集狂つねに玄鶴図幅飾りて
・十二階の旧跡に立つはわれよりも若き啄木の群青の影
・天金が黒く錆びゆく歳月にひとりの詩人忘れられたり
・いにしへも紅葉づる道と急ぎしか流人の裔のわれを打つ雨
・早逝は選ばれし者の栄光か此岸は二月暗紅のさくら

佐美雄の血が流れている歌だと思う。
早く一巻の歌集として読みたいものだ。