[1069] 金曜日のあれこれ 2003年08月29日 (金)

昼間は明日の「日本歌人」の会のための資料つくり。
前川佐美雄の『白鳳』の作品がつくられた時代は昭和のヒトケタの
後半。ナショナリズムとコミュニズムとモダニズムが渦を巻いてい
た時代だ。その渦中で佐美雄が何を断念し、何をみずからの表現と
して選びとったかを、作品からさぐっていく行為はスリリングとい
える。良い勉強の機会を与えていただいたと思う。

夕方は駄句駄会。
席題は「どじょう」と「残暑」

どぜう取るガキ大将や錦糸掘  媚庵
映画館出ていきなりの残暑かな 媚庵。

終了後、いろいろと芸能界・演芸界の裏話を聞く。
テレビだけ見ていても、わからないことばかりだった。
世間の出来事も実は奥が深い。


[1068] 300万人 2003年08月28日 (木)

お台場冒険王の入場者が、本日300万人を達成するという。
当初の予想では200万人だったので、150%の上方修正とい
うことになる。

昼休みの時間をつかって、事務局のMさんが企画してくれた、「踊る大捜査
線 レインボーブリッジを封鎖せよ」の美術監督のM氏のお話を聞く会に参
加。
雨を降らせる場面で、あっという間に4トンの水を使ってしまう話とか、
小道具のアイデア、レインボーブリッジの俯瞰シーンの実写と合成のやり方
とか、さまざまなウラ話を聞く。
Mさんは、「北の国から」や「ラブジェネレーション」などでも美術を担当
された大ベテラン。めったに聞けない内容の話だった。

帰りに門前仲町のブックオフに寄って、文学全集の端本の中から
伊藤整のものを二種類購入。
300円と200円で、計500円。
片方は詩集の「雪明りの道」や「若き詩人たちの肖像」が入って
いて、もう一冊の方には「氾濫」「鳴海仙吉」「得能五郎」等が
入っている。伊藤整の作品をこれだけ500円で買えるというの
は、やはり嬉しいことだといわざるをえない。

帰宅後、土曜日の「日本歌人」の夏の会でしゃべるための、前川
佐美雄の『白鳳』に関するレジュメを、ワープロ打ちし始める。
明日は資料つくりのために一日休みをとってある。
しかし、「日本歌人」の会で、佐美雄作品に関してしゃべるとい
うのは緊張する。


[1067] 「詩と思想」8月号 2003年08月27日 (水)

「詩と思想」8月号を読了する。
特集「全共闘世代」
巻頭詩を小嵐九八郎、インタビュー福島泰樹、
「『無援の抒情』をめぐる断章―道浦母都子再読」荻原裕幸
座談会「宴は終わったのか?全共闘運動と詩歌の運命」
三枝昂之、根本明、佐川亜紀、一色真理(司会)
といった記事、文章に歌人がかかわっている。

荻原裕幸さんは、道浦母都子を福島泰樹と比較することで、その
リアリティのありどを摘出しようとしている。

 「大掴みに言ってしまえば、体験→着想→技巧的昇華→作品
  という流れの、技巧的昇華の部分に詩歌のライフラインを
  見出していた福島に対して(もっと広く言えば近代以降の
  短歌表現史に対して)、道浦はあきらかにショートカット
  を試み、体験→着想→作品という速度感を見せる。
  あの体験をどのように表現するか、吟味する以前に、次々
  に着想を充填してしまう感じで、技巧的昇華の過程をショ
  ートカットし、体験から作品までの距離を近づけた点でリ
  アルを獲得していると言えようか」

非常にわかりやすく的確な指摘だと思う。
ただ、ショートカットという部分はおそらく作品制作時の道浦
母都子には、方法として意識されていなかっただろうと私は思
う。同時に荻原が福島泰樹の技巧をきちんと認識していること
を知ったことも私は嬉しかった。
道浦母都子論は私にとっても宿題であり、きわめて、荻原氏の
文章は今後も参考にさせていただくことになる。

座談会の中で、三枝昂之さんが私の短歌に関して発言してくだ
さっている部分を引用する。

 「彼は「我が解体」とか「造反有理」といった全共闘のあの
  時代に流布したスローガンを一番まともに短歌の中で実行
  したんですよ。どう自分をばらばらに解体してどこへ行く
  のがいいかということになって、サブカルチャーに自分を
  解消しちゃう。そういう選択肢しかないと考えて、あれだ
  け実践した歌人はちょっと珍しい。」

と、私自身は自分の言葉として表現しにくい部分を、三枝さんが
言葉にしてくれたと思う。
すぐれた読み手が存在してくれていたことに、感謝しつつ、短歌
に対する、私の今後の志向を鼓舞された気がする。

この「詩と思想」8月号には、吉田義明の「瀬尾育生論」、
細見和之の「佐々木幹郎」論、大谷征夫「わが詩の原点(解体か
らの出発)」なども掲載されているので、興味をもった方は、読
んでみてほしい。


[1066] ハワイの若大将 2003年08月26日 (火)

お台場シネマクラブの上映会で「ハワイの若大将」を見る。
1963年の作品で、オリンピックが目前に迫っているという設
定。ほとんどの部分がハワイ・ロケなので、当時としてはお金を
かけた作品だったのだろう。加山雄三も田中邦衛もとにかく若い。
加山はまだオリジナル曲ではなく、外国曲を歌っている。
加山の祖母の飯田蝶子とハワイの大金持ちの左卜全の快演・怪演
が、とにかく強烈な作品。エンディングでは期せずして拍手もお
こった。
左卜全といえば歌人・三ケ島葭子の弟なわけだが、葭子は弟がこ
んな俳優になって活躍することなど知らずに亡くなってしまった
のだろう。たぶん、さほど楽しいことのなかっただろう葭子の人
生に、怪優左卜全のまきおこす笑いをトッピングできていたら、
葭子の短歌に少しは別の味わいが加わったかもしれない、などと
詮無いことを考えてもみる。

角川「短歌」の特集「斎藤史の遺言」、よみごたえがある。
大辻隆弘さんの「「戦犯」の汚名」という文章は、驚くべきイン
トロから、大辻流のねばっこい資料の読み込みによる結論まで一
気に読ませてくれる。こういう斎藤史の心理まで類推すれば、や
はり、2・26事件抜きにした史作品の読みは、成立しがたいと
思える。表現意志の持続というのは、強烈な執着の感情がその力
の原点なのだということか。


[1065] マラソンと戦争 2003年08月25日 (月)

山田花子の24時間マラソンのドキュメンタリーをつい見てしまっ
たりして、テレビ局は、費用をかけた分もちゃんと元をとるように
カメラをまわしてるんだなあ、と、業界的に感心したり、それでも
石田靖や島田珠代が応援に来たところでは、山田花子の笑顔がいい
なあ、と、共感してしまう。視聴率、とれてるだろうな。

そのあと小川未明の童話ではない大人向けの短編小説「戦争」を読
む。目に見えない戦争は実は起こってなどいないと主張する男の一
人称の観念小説。ぐだぐだと逆説や詭弁的言辞が繰り返されるだけ
なのだが、ついつい先を読ませる力はある。これはやはり文章に魅
力があるということなのだろう。とにかく、小川未明というのは、
文学史的にも変な小説家だと思う。

本の箱から、平野謙の『さまざまな青春』と高見順の『昭和文学
盛衰史』をひっぱりだしてくる。どちらも、5年くらい前に読みか
けて、中途で挫折したままの本だ。こんどは読みきれるかな。


[1064] 小川未明の不思議 2003年08月24日 (日)

とりあえず風邪は回復したような気がするが、とにかく、ひきずりたくないの
で、自宅にて休養。
とはいえ、短い原稿一本はなんとか書き上げる。

昨日、図書館で借りてきた日本幻想文学集成の『小川未明集』を読む。
「赤い蝋燭と人魚」くらいは、子供の頃に読んだような気がするが、
中味はぜんぜん忘れている。
あらためて、読み返してみたら、おじいさんとおばあさんが、人魚の娘を
拾って育てる。大きくなった娘は蝋燭に赤い絵の具をぬって、色蝋燭を作り
その蝋燭が売れて、じいさん、ばあさんは金持ちになる。
そのうちに、他国から見世物師がやってきて、人魚の娘を売ってくれと言う
ので、何と人魚娘を売ってしまう。そして、結局、じいさんばあさんもその
住んでいる村も亡びてしまいました、という救いのない話だった。

これに限らず、結末が暗い話がとても多い。
「初夏の空に笑う女」とか「おおきなカニ」とか、題名がその話にあまり
ぴったりしていないと思えるものもけっこうある。
きちんと読んだことはなかったけれど、ちゃんと読むと、こんな作家だつた
のか、とびっくりした。
「黒い旗物語」「港に着いた黒んぼ」「子供の時分の話」「火を
点ず」「びんの中の世界」「白い門のある家」とかみんな変。
筒井康隆の初期のダークファンタジーが、この小川未明の影響を
受けているかもしれない。
まだまだ、読んだことがないので間違ったイメージをもっている作家がたく
さん居るのかもしれない。

あと、何をやったかといえば、ビデオに撮っておいた「ワレメでポン」を
昼間にだらだら見てしまった。時間のムダだよなあ。


[1063] 自転車で図書館 2003年08月23日 (土)

本当は「03短歌シンポジウムin東京」に行くつもりだったのに
風邪がまったく直っていないので、今日は行かないことにする。
身体のだるさがまったくぬけない。

朝食もトースト一枚をムリに食べるだけ。
風邪薬を呑み、すぐにまた布団にもぐりこむ。
国書刊行会の日本幻想文学集成の岡本綺堂の巻を読む。
「黄い紙」「火薬庫」「回虫」など。
いちど、読んでいる本だが、こういうぼーっとしている時に読む
には、やはり、綺堂のわかりやすい文体がありがたい。
「黄い紙」はキイロイカミと読む。
明治十九年に東京にコレラが流行った時の話で、芸者あがりの
権妻と若い芸者の絡む一種の恐怖譚。
読んでいるうちに眠ってしまった。

二時間くらい眠って、昼食もハヤシライスを少しだけたべる。
また風邪薬を呑んで昼寝。
四時くらいまでうとうと半睡半覚の状態。
思い切って置きあがり、自転車で図書館へ行くことにする。
ふらふらしているがしかたがない。
ここで少し動いておかなければ、明日の日曜も動けなくなっては
たまらない。
東陽町図書館、古石場図書館、豊洲図書館ととにかく自転車での
図書館めぐり。

途中で門前仲町のブックオフに行き、100円コーナーで城戸朱理
の『千の名前』を買う。
けっこう知っている人の歌集や句集も100円で売られている。
岩波版の芥川龍之介全集の端本が、いま1000円なのだが、もう少
したてば、300円くらいに値下がりするだろう。今はそれを待っ
ているところ。

そのあと豊洲図書館へ向ったのだが、朝凪橋の登り坂を一気に
上ったら、気持ちが悪くなり吐き気がしてきた。
図書館の中の椅子で少し休み、なんとか吐き気をおさめる。
日本幻想文学集成の『小川未明』の巻と『豊島与志雄』の巻を
借りて帰ってくる。

シャワーあびてすぐに布団に潜り込む。
吐き気が胸の底にわだかまっている。
なんとか、吐き気だけでもおさまってほしいと思いながら、また
眠ってしまう。夕食は結局、食べなかった。


[1062] 倦怠と落語 2003年08月22日 (金)

朝、やはりだるくてたまらない。
なんとか会社まで行ったものの、椅子にすわっているのもだるい
ので、ことわつて、平和島のTクリニックへ行く。
アタマがぼーっとしているのか、品川で乗り間違え、京浜蒲田ま
で行ってしまう、ここで各駅への乗換えをまた間違っても雑色へ
着く。どんどん目的地から遠ざかっているじゃないか。
なんとか、Tクリニックへたどりつき、点滴を受け、薬を貰う。

オフィスへ戻ったのが午後一時。
コンピュータのメンテナンスで、端末が使えない。
ウイルスに汚染されている端末もいくつかあるようだ。

やっと身体が楽になってきたらもう夕方。
りんかい線で池袋へ行き、「短歌人」編集会議。
ここでも、池袋文化センターが会場なのに、誤って、東京芸術
劇場の方へ行ってしまい、おおまわりして正しい会議場所へ到
着。身体は楽になってきているが、アタマはまだぼーっとした
ままだ。

会議が終って、明月館で食事。
高田流子さんと古今亭志ん朝の話をする。
高田さんも私と同じく「大工調べ」の棟梁の啖呵を聞くと胸が
すっとするそうだ。言葉で快楽が感じられるというのは嬉しい。
「居残り佐平次」や「黄金餅」も聞いていて小気味良さ以上の
快楽がある。
子供の頃から落語を聞く環境にあって良かったと思うのはこう
いうときだ。親がつかっていたような言葉だから、耳になじむ
ということだ。高田流子さんも自分の兄さんのしゃべり言葉と
たけしのしゃべり方はそっくりだと言っていた。


[1061] 冷房が効きすぎる 2003年08月21日 (木)

あいかわらずお台場地区は混んでいる。
夏休みも終り近くになって、どこかへ家族で出かけるならば、
手近のイベントの「お台場冒険王」に行ってみようということ
だろう。
廊下の外が「アニメぐるぐるトンネル」への通路になっている
ので、大混雑なのだが、オフィス内は夏休みをとっている人が
まだかなり居るので閑散としている。
おまけに、冷房が効きすぎて、肌寒いくらい。
午後になったら、冷房にあたって風邪をひいたらしく、全身が
だるくなる。節々も痛い。困ったことだ。
帰りのバスがまた大混雑。昨日、七時過ぎのバスがすいていた
ので、今日も大丈夫だろうと甘くみたのがいけなかった。
まったく身動きできないまま豊洲まで40分かかってしまう。
豊洲で業平橋行きバスがすぐに来てくれたのが救いだが、
完全に風邪をひいた上に、満員のバスでよってしまったようだ。
気持ちの悪いまま帰宅。
「ミリオネア」などみたりしてもダルさは増す一方。
薬をのんで、早めに床に入る。
ちくま文庫の新刊、北原尚彦著『新刊!古本文庫』を読みながら
眠ってしまう。寝苦しく、何度も夜中に目を覚ます。


[1060] 秀句佳歌 2003年08月20日 (水)

「俳句研究」九月号に掲載されている高山れおな「荒東雑詩」三十句を
面白く読んだ。俊英三十句競詠というくくりの作品だが、その号の目玉
となる作品として、十分に作者の力が入っている。

三十句すべてに詞書が付されていて、句を読ませるための工夫がなされ
ている。中には短歌の形式の詞書もある。
つまり、岡井隆が『人生の視える場所』で開拓した技法のアレンジとい
うことだ。とにかく、作品に向って作者の意識が高精度で集中している
のが、読んでいて快い。

西葛西地誌 その四 TDL遠望
<鮭茶漬啜りこむ音も呪ひにて窓から見えるすべてが不滅>
花火の城の鼠と家鴨と青人草

これが十九句目。ディズニーランドを詠った詩歌でこれほど鮮烈なもの
を見たことがない。

攝津幸彦大兄七回忌法要、於大宮・資子夫人居。蕭蕭たる冷雨、満目の木槿。
底紅や人類老いて傘の下

二十六句目。
悼句でありつつ、みごとにペシミスティックな世界観を提示しえている。
総合誌へのまとまった句数の発表機会を、それにふさわしい表現レベルの高度
さで成就してみせている。
俳人・高山れおなの志がつたわってくるのが嬉しい。

短歌総合誌では「歌壇」九月号の小池光の連載作品「荷風私鈔」が出色。
多作が秀歌を生むということを気持ちよく実践してみせてくれている。


[1059] 常倉十紀二さんの死 2003年08月19日 (火)

ラジオ・パーソナリティの常倉十紀二さんが亡くなった。55歳。
月曜日に訃報が届いたらしいが、私はうかつにも朝刊の死亡記事で知った。

常倉さんは通称トキちゃんといって、もともとは放送作家だが、ここ15年程
は、ラジオ中心のタレント活動をしていて、私も担当番組に出演してもらった。
先週の金曜日の「中年探偵団」のレギュラーの川柳コーナーは休んでいたが
それは、夏休みだと思っていたので、何も疑問を感じなかった。
しかし、そのときはもう脳出血で入院していたのだ。

木曜日に倒れ、すぐに入院したが、出血がとまらず、土曜日に亡くなったの
だそうだ。
糖尿病もあったので、それが血液の凝固を阻害していたとの話も聞いた。
心臓病の手術もしていたとのことで、まさに、満身創痍だったわけだ。
しかし、本当にそんなそぶりはまったく見せない人だった。
むしろ、いかがわしさを放送上のキャラクターにしていたし、実際、時計や
カメラの古物売買の免許を持っていたり、テレカのブームの時は、実際に、
珍しいテレカを何万円かで買い取って、翌日、倍額で売れたよ、といって
きたりと、とにかく、一般人とは別ルートの世界を知っている人だった。
それでいて、いやみな面はなく、トキちゃんを悪くいう人は、たぶん、誰も
いないと思う。
12年前に私が突然、網脉烙膜症という目の障害にあった時も、トキちゃん
は、自分が白内症を手術した眼科病院をすぐに紹介してくれて、今から、知
人が診察を受けに行くからよろしく、と、その場で電話までかけてくれた。
そういう思いやりを持った人だったのだ。

お通夜に行き、放送作家やフリーディレクターの人達と久しぶりに会ったが
みんな心からトキちゃんを悼んでいた。
私はお焼香を終えて、すぐに帰った。
儀礼的ではない追悼の思いがこれほどわいてきたのも久しぶりだった。
良い人ほど早く死ぬ、という言葉が、こころに突き刺さる。


[1058] 思い上がりと想像力 2003年08月18日 (月)

テレビ局はいま、例の王監督の問題で大騒ぎになっている。
この問題は、あの「ワンナイ」のコーナーのディレクターおよびスタッフ、
タレントの想像力の不足にあるとだと思う。

簡単な話だが、便器に自分の顔が描かれていて、そこで排泄行為をされる
コントを見るのは、誰でも不愉快だろう。そこに気がついていない。
現場のバラエティ班の連中にわからせるためには、こう言えばいいだろう。
「じゃあ、ジャニーズのタレントの顔で同じことができるか?」
できるわけがない。
ジャニーズのタレントの顔だったら、宮迫と山口も二の足を踏んだと思う。
スタッフはもちろんだが、タレント自身及び彼らの現場マネージャーにも
連帯責任はある、というのが私の意見。

なにごとでも、それに慣れてしまうと、これくらい大丈夫だ、という思い
あがりと、それをやってしまつたことで、相手がどういう痛みを感じるか?
という想像力がなくなってしまう。というより、想像力が衰えてしまう、
ということだ。
慣れることで、まちがいに気づかなくなる。
そして、それが思い上がりに通じて、想像力を欠くことで、みずから恥を
さらすことになってしまう。

今回の事件はそういう教訓を再確認させてくれた。


[1057] 立川談春独演会8月 2003年08月17日 (日)

金曜日から雨がやまない。
深川のお祭りも、雨にたたられて、昨日も今日も雨に濡れながら
御神輿を担いでいる。
もちろん、威勢はよいのだが、寒そうに見えることは否めない。

談春さんの独演会、今日は昼と夜の二回公演。
私は今日は昼の部のみ。
演目は「星野屋」と「らくだ」。
「星野屋」は、物語が演者によって、旦那がお花に心中をもちかける
理由がちがうという変わった噺。
談春さんは、旦那がおかみさんにお花の存在を知られ、悋気がたまら
ないので、しばらく、かたちだけでも別れてくれと言いにきたのを、
お花が、それならいっそ、一緒に死んで下さい、と勢いで言ったのを
旦那が真に受ける、という演出になっていた。
私はこの噺はおんなのしたたかさがテーマだと思うので、この談春さんの
演出には納得できた。
ただ、そうすると、あいだに入って、旦那とお花を取り持ったという職人
の重吉が、お花に対して意地悪すぎるような気もする。
この重吉の行動に必然性を持たせるなら、旦那がお花を妾からおかみさんに
引き立てようとして、その心根を試すための芝居を重吉と一緒に仕組んだ、
というほうが納得できる。
とはいえ、それは噺自体の問題で、談春さんの噺は楽しむことができた。

「らくだ」は屑屋がらくだの兄貴分の半次に酒を飲まされて、一気に豹変
して強気になるところが見せ場であり、ここでカタルシスを感じさせてく
れれば成功。十分に楽しめる一時間だった。

帰宅後、読みかけだった森雅裕著「会津斬鉄風」を読了。
乱歩賞作家の時代小説、特に刀剣にこだわった連作短編集。
着眼は面白いのだが、少し説明的すぎるかな、という読後感。


[1056] 「俳句研究」九月号 2003年08月16日 (土)

「俳句研究」九月号に仁平勝氏が「非倫理性」と題して、「ちゃば
しら」6月号に私が書いた、オリジナリティに関する文章の批判を
書いている。
当事者の私にとっては、批判というより、罵言がつらねてあるとい
う印象なのだが、短詩形での言葉、表現のオリジナリティという点
に関しては、川柳作家の方にも、短歌をつくる人にも、避けて通れ
ない問題だと思うので、できるだけたくさんの方々に、私の文章と
仁平勝氏の文章を読み比べていただきたいと思う。

私の文章は下記の「ちゃばしらWEB」で読めます。
http://www.lebal.co.jp/cyabasira_bbs/specials_hujiwara0306.html

仁平勝氏の文章は「俳句研究」九月号(富士見書房刊)の58頁か
ら61頁にかけて掲載されています。

ということで、本日は、「俳句研究」九月号を買いに、久しぶりに
八重洲ブックセンターに行く。
買った本。
ちくま文庫 『氷川朧集』『色川武大・阿佐田哲也エッセイズ・交
遊』坂崎重盛著『蒐集する猿』北原尚彦著『新刊!古本文庫』。

さらに八重洲古書センターで買った本。
三浦佑之『口語訳・古事記』 中公文庫 久生十蘭著『肌色の月』
大庭柯公『江戸団扇』。

久々に散財の土曜日。


[1055] 歌の根拠 2003年08月15日 (金)

高島裕の三冊目の歌集『雨を聴く』(ながらみ書房刊)を読んだ。
私はしばしば歌の根拠ということを、言ったり書いたりしてきたが、
高島裕にはまさにこの歌の根拠が鮮烈に存在している。
おそらく、現在、高島裕ほど「詠わずにはいられない」という強い意志を
もっている人間は存在しないのではないかとさえ思う。
歌壇で評価されたいとか、歌集が歌壇以外でも売れてほしいとか、
そういう恥かしい思いはこの『雨を聴く』に木っ端微塵にされるだろう。

・寒月に冴ゆる鉄路を想ひをり電波もて遠く繋がりながら
・惑星の軌道のごとく交差してのち邂ひなほす 光彩の中
・土曜日の残業果ててゆふやみに橋こそ見ゆれ 彼岸はエロス
・玉の緒は紐のかたちに干乾びた肉のきれはしなんだと思ふ
・「日支事変戦勝祈願」と彫られゐる石灯籠に触るるそよかぜ
・月光のやうなからだを引き寄せるその内側の雨を聴かむと
・なめらかな膚の向かうに聴き澄ますかずかきりなき襞のざわめき
・濡れてゐることと温みを持つことがすべてだ歌へ深い沼から

歌集の前半から引用した。
テーマはエロス。それのみで一巻の歌集がこの時代に成立することが奇蹟だ。


[1054] ハリガネムシ 2003年08月14日 (木)

吉村萬壱の「ハリガネムシ」を読む。
今回の芥川賞受賞作品である。
この作家は文学界新人賞を長島有さんと同時受賞した人。
文学界新人賞の受賞作は「クチュクチュバーン」という変なタイトルの作で
「地球の長い午後」とか「アド・バード」とか「驚愕の荒野」とかに通じる
異生物が闊歩する異世界の物語だった。
長島有さんとはまったく作風がちがうが、私は異世界ものが好きなので、グ
ロテスクさをじゅうぶんに楽しむことができた。

今回の「ハリガネムシ」は、現実の世界に材料をとっているが、登場人物達
の言動、行動はほとんど「クチュクチュバーン」と同じ。
つまり、現実が暴力に侵犯されている状況を書いている。日常が舞台なだけ
に、後味が悪い場面が続出するが、小説自体のできとしては、私は十分に芥
川賞に値すると思った。
山田詠美、河野多恵子あたりが予想通り褒めていて、宮本輝が徹底して否定
している。賛否が鮮やかにわかれるあたりに、この「ハリガネムシ」の価値
があるのだと思える。
ここに描かれているグロテスクなバイオレンスとセックスは現実離れしてい
るように見えながら、現実に起こっていることなのだと思う。
芥川龍之介が生きていたら、ぜひ、この小説の感想を聞いてみたいものだ。


[1053] 赤井三尋氏との会話 2003年08月13日 (水)

ブロードバンドニッポンに江戸川乱歩賞作家・赤井三尋氏と一緒に出演。
予選通過の知らせが、飲んで帰った深夜に携帯電話にかかってきたので、
最初はいたずら電話だと思って、思い切り不機嫌な声で出たが、講談社と
聞こえた途端に、とても感じの良い声を出す人に変身したとか、受賞の報
は、会社にかかってきたが、やはり、携帯だったので、「講談社ですが」
と相手が言ったとたんに切れてしまい、次にかかってくるまで、これは落選
なのだと思い込んでいたとか、いろいろと面白い話を聞けた。

その後、赤井さんと一緒に台場フロンティアビルの杵屋といううどん屋に
行って、あれこれと受賞作にまつわる話を聞く。
直近の江戸川乱歩賞受賞者から、こんなふうに突っ込んだ話を聞けるという
のは、考えてみれば贅沢な話だ。

印象に残ったのは次のような点。
・後味の良い話を丁寧に書こうと思った。
・自分はミステリはたくさんは読んでいない。乱読するより、感心した作品
を何度か精読し、どこが感動を呼ぶのか確認するような読み方をした。
・ディクスン・カーの『皇帝の嗅ぎ煙草入れ』は大好きな小説だ。
・『翳りゆく夏』には、読者には気づかれなかったかもしれないが、不自然
な行動を登場人物にさせないために、いくつものさりげないセリフを伏線
として入れてある。選考委員の何人かは、それに気づいてくれた。

と、とにかく、実践的な話に終始した。
伏線の点に関しては、具体的に本を見ながら教えてもらったのだが、正直、
私はほとんど気づいていなかったし、それが確かに、その後の登場人物の
行動にリアノティを与えていることを知り、舌をまいた。
選評にも、丁寧に書かれているとの批評が多かったが、確かに作者がここ
まで気をつかって、物語をすすめていたのだから、出来栄えが素晴らしい
のは当然だと思った。と、同時に、長編小説を完成させることの厳しさも
実感した。

りんかい線で新木場まで一緒に帰り、そこで別れた。
単身赴任を、江戸川乱歩賞という偉大な果実に結実させた克己心を尊敬せ
ずにはいられない。


[1052] 熱風の日 2003年08月12日 (火)

今日は寝坊してしまい、10時過ぎにオフィスへ行く。
すでに、「お台場冒険王」のチケットを買う人の列が、ビルの裏側の駐車場
のあたりまで続いている。

昼はお台場海浜公園の「ゆき」まで遠征。
さすがに、ここはあまり観光客には知られていないので、すぐに席がとれた。
生姜焼き定食プラス納豆を食べる。
オフィスにもどるまでのあいだに汗びっしょりになる。

定時で退社。りんかい線、京葉線と乗り継いで帰る。
「短歌人」の締め切り日なので、作品の原稿が大量に届いている。
『翳りゆく夏』の読み残し分を一気に読む。
意外な結末に驚く。文章が読みやすく、丁寧な人間描写がなされている
だけに、サプライズは新本格などよりもずっと大きかった。
そのあと蒲団の中で安藤鶴夫関係の本をあれこれと読んでいたら、気がつくと
眠っていた。スタンドがつけっぱなしで、まぶしいはずなのに、眠って
しまったのは、よほど眠かったのだろう。


[1051] 翳りゆく夏 2003年08月11日 (月)

9日ぶりにオフィスへ行く。
疲れる。冷房のためか、午後からふしぶしが痛くなり、アトピー性皮膚炎の
かゆみもいつになくひどくなる。

早く帰りたいな、と思いながら、社屋内の流水書房をのぞくと、なんと、
今年度、江戸川乱歩賞受賞の赤井三尋著『翳りゆく夏』が平積みになって
いる。
早速、一冊購入。
以前にも書いたが、この赤井三尋氏は、私と同じ勤め先の管理職。
本人にサインをしてほしいと電話をすると、いつでもしてあげますよ、との
返事なので、早速、メディアタワーの方へ行く。
接客用のソファでサインしてもらう。
流水書房に頼まれて、直接、著者から版元に100冊出荷してくれと頼んだ
のだそうだ。取次店の納品数の計算がコンピュータによる実績システムなの
で、書店からいきなり100冊欲しいと注文しても、絶対に配本されないの
だそうだ。
こういう部分に取り次ぎの実績システムの弊害があるわけだ。

帰りの電車で読み始める。
20年前の嬰児誘拐事件をあらためて調査するというストーリー。
文章が読みやすいのがなによりの長所。
とりあえず、明日じゅうには、読み終わることができるだろう。
締切が接近している原稿があるので、泣く泣く、『翳りゆく夏』を読むのを
中断し、そちらの参考書を読む。
週末までに原稿が書けるかどうかとても不安。


[1050] ああ、夏休み最後の日 2003年08月10日 (日)

まあ、他人にさきがけて、早めに夏休みをとったからなんですけれど
もう、休みは終りかと思うと、せつないものがあります。

かの子をつれて、上野の科学博物館へ行く。
夏休みの宿題の自由研究の素材さがしの親子づれで館内はぎっしり。
「地震展」というのをやっていたので見学する。
ビル安否情報とか学校安否情報とかは、私の勤め先のシステムの写真が
展示されていた。
しかし、西暦416年にはじめて地震の記録があらわれて以来、日本列島
には、いったいどれだけの数の地震がおこったことか。
京都中心の時代には、当然、北海道での大地震のニュースなど伝わらなかっ
ただろうから、記録に残っているものの何百倍はおこっているはずだ。
こういう展覧会をみると、やはり、不安感がさのる。
衛生博覧会なんかも、不安感をあおるのが売り物だったのだろうから、
結局、見世物は見世物ということか。

夕方、自転車で図書館に『百年の恋』を返却しに行く。
古石場の町内では、お祭りをやっている。
夜は隅田川の花火大会の音だけ聞こえる。
史比古が図書館で借りてきた、森雅裕の『画狂人ラプソディ』を読む。
20年くらい前の横溝正史賞の佳作になった作品。
芸大の出世争いと北斎の絡んだ暗号がベースとなる小説で、そこそこ面白い。

今年の夏は終りだなあ、と思いつつプライドの中継も見ずに
眠ってしまう。


[1049] 文庫版江戸川乱歩全集 2003年08月09日 (土)

トランクルームにながいあいだあずけっぱなしにしておいた
文庫版の江戸川乱歩全集を手元にとりよせた。
昭和の末期から、平成のはじめにかけて出ていたものだが、よく
全巻買っておいたものだと思う。
小説や「幻影城」や「探偵小説四〇年」は、読んでいるわけなの
で、それ以外の文庫オリジナルの随筆集や少年物で、読み残して
いるものを読もうかと思う。

と、いいながら、夜は、安藤鶴夫の「四代目小さん聞書き」を読んだ。
先般亡くなった人間国宝の小さんの1代前で、夏目漱石が絶賛した
小さんの弟子にあたる人。
安藤鶴夫の聞書きの方法も巧いのだろうが、この小さんの頭の良さ
も目立つ内容で、こういうものは、ぜひ、ちくま文庫あたりで、
復刻してほしいものだと思う。


[1048] 台風接近中 2003年08月08日 (金)

台風が接近中。
テレビのニュース映像を見ると、パニック映画のような映像が映っ
ている。被害が最少にとどまることを祈る。

喜多昭夫さんから歌集『夜店』を送っていただいた。
喜多氏は、器用で何でも詠える才能の持ち主だ。
サブカルチャー的語彙や人名の取り入れ方など、私の嗜好に合って
いるのだが、興味の方向が似ているゆえか、不満もついつい感じて
しまう。

・悲歌として立ちあがりくるものとして小柳ゆきが歌ふ君が代
・天皇に血液型とか星座とか趣味とか訊きたくなりぬ 変か

「変」という一連からニ首を引いたが、こういう個性は喜多さん
ならではのものだと思う。

・冬の電飾ばかり明るくて逢ひたさはつまり触れたさなのか

一方、この歌は、吉川宏志さんの

・風を浴びきりきり舞いの曼珠沙華 抱きたさはときに逢いたさ
 を越ゆ

を思い出さざるをえない。
こういう歌は自選で落とした方が良かったと私は思う。

また、過去へむいた視線の歌が多いが

・そのむかし象がふんでもこはれないとふふれこみの筆箱ありき
・そのむかしレコード店のみせさきにビクターの犬は小首傾け
・そのむかし受験生われは憩ひたりラジオ番組「コッキーポップ」

と、このような歌が並んでいるが、私の感覚では初句で「そのむ
かし」と詠い出してしまったら興醒めであり、それぞれの素材に
たいしてのひねりを加えなければ、面白みが出ないと思う。

この一連に限らず、かなりの作品は、言葉と言葉のつながりがゆ
るく感じられてならない。
惜しいなあ、自分ならこう詠むのに、という感想が次々にわいて
くる。面白いのだけれど、イライラもする。
たしか前の歌集『銀桃』の中の「同棲時代」を素材にした一連に
も同じような感想を抱いて、喜多さんに手紙を書いたような気が
する。またまた、こんな感想になってしまい、妄言多謝。


[1047] 疲労と困憊 2003年08月07日 (木)

昼間は本の整理をして、段ボール箱にふたつ分、S文庫へ送る。
昨日もふたつ送っているので、自宅の本を段ボール四箱分、送っ
たことになる。
このあとさらに、テラダトランクルームから三箱、送ることにな
っている。
諸事情により、とにかく本の絶対量を減らさなければならない。

こういう作業をしていると精神的にも肉体的にも疲労困憊する。
読まないまま処分する本も、当然ながら、たくさんある。

夜は9時過ぎに布団に入ったら、いつのまにか眠ってしまっていた。


[1046] お台場は混んでいる 2003年08月06日 (水)

早朝、寝床の中で、道浦母都子著『百年の恋』を読了。
吉野秀雄、津田治子ら、歌人の評伝ということなのだが、どうも
一般の読者を相手なのか、短歌に興味をもっている人を読者に想
定しているのか、むずかしいところ。
引野収・濱田陽子夫妻をとりあげたところが、独自の着眼といえ
るかもしれない。もうひとつ、作家の大原富枝が若い頃に短歌を
つくっていたという一章も、私には面白かったが、一般読者には
こういうところは興味をそそられるのだろうか。

ただ、文章や全体の構成は、抜群に巧くなっている。
そういう点では、プロの文筆家として筋金が入ってきたという
ことか。
若山喜志子が戦後、共産党に入党し、のちに脱党していたという
のは初耳で、ちょっと驚いた。
ただ、岸上大作に関しては、小川太郎さんの著作、津田治子には
米田利昭さんの著作があるわけで、それを読んでいる人には、こ
の本の記述はものたりないと思う。

夕方、ニッポン放送へ行って、ブロードバンドニッポンに出演。
ちくま文庫の『色川武大・阿佐田哲也エッセイズ』を紹介。
お台場、4日ぶりに来たが、あいかわらず混んでいる。
放送終了後、早々に帰宅。


[1045] 夏休みA 2003年08月05日 (火)

昨日のつづきの原稿書き。
やっと書き終わって、メールで送稿。

保坂正康著『昭和史七つの謎』を読了。

夕方、夕立が来そうな空模様だったが、かの子と一緒に図書館へ
行き、道浦母都子著『百年の恋』を借りてくる。
都心は土砂降りだったらしいが、我が家の近辺は、道をぬらす程
度の雨でしかなかった。


[1044] 夏休み@ 2003年08月04日 (月)

今日から今週いっぱい夏休み。

終日、原稿を書く。
疲れると、気分転換に芥川龍之介の短編小説を読む。
「戯作三昧」「枯野抄」「或る日の大石蔵之助」など。
これらの作品を読むのは何度目になるのだろうか。
四回目か五回目だろうとは思うのだが。
五〇歳になってから、芥川を読みなおしたいという気持ちに
なっている。精神的な弱りがあるのだろうか。


[1043] 東京へ 2003年08月03日 (日)

昨夜は深夜サロン終了後も明け方四時くらいまで騒いでいたグルー
プがあったらしい。
こんなふうに盛りあがるのは久しぶりではないか。
私は歌会の司会があるので、午前一時には寝た。

前半の司会は大森益雄さんで、私は午後の部を担当。
時間が足りないのではないかと思って、ひそかに心配していたのだ
が、わりとテンポよく批評も進み、タイムテーブルどおりに終了す
ることができた。

二次会ということで、近くの居酒屋へ行き、午後七時二十分発のひ
かりで帰京。
車内ではほとんど眠っていた。

向日葵や炎夏死をおもふいさぎよし/蛇笏


[1042] 京都へ 2003年08月02日 (土)

「短歌人」夏期集会へ出席するために、午前11時東京発ののぞみ
で京都へ向う。
車中で、宮入聖著『飯田蛇笏』(昭和59年・冬青社刊)を読む。
厳密には再読にあたるのだが、最初に読んだ時は、流し読みだった
ので、初読も同然といえる。
宮入聖という俳人がなぜ自分が蛇笏に惹かれるのかということを
さまざまな角度から解剖してみせた一巻といえる。
おびただしく引用されている蛇笏の句を読むと、宮入聖の俳句、
それも『黒彦』『月池』『鐘馗沼』といった後期の句集の作品は、
明らかに蛇笏の語彙を換骨奪胎していたのだ、ということがわか
った。龍太の調和ではなく蛇笏の混沌こそが宮入聖の恍惚だった
ということか。

「短歌人」の夜の演目は永田和宏氏の講演。
永井陽子の『小さなヴァイオリンが欲しくて』を中心に彼女の思
い出やその作品の意味を探ったもので、聞きながら胸がしめつけ
られるものがあった。
小中英之にもふれていたが、短歌の歴史の中で、すぐれた歌人の
仕事が忘れられていくことの悲運をあらためて思いおこさざるを
えないものだった。


[1041] 文七元結と昭和青春読書私史 2003年08月01日 (金)

お台場ではウォーターボーイズ・ショウとゴーイングメリー号に
人が集中している。あとは湾岸ミュージアムの物販エリアも凄い。
一時的に売るアイテムがなくなった、という強烈な噂もあるほどだ。

今日もバスにはとても乗れないので、りんかい線で帰宅。
夕食後、古今亭志ん朝のCDで「文七元結」を聞く。
一九八二年十二月に、本多劇場でのライブ音源。
「芝濱」や「文七元結」は十二月の噺ということだ。
志ん朝の四〇代前半の口調はとても聞きやすい。

文七がおひさの居る吉原の遊郭の名前を思い出そうとして、
「佐野、なんとかです」と言った瞬間に、「吉原が何処にあるか
も知りません」といっていた近江屋の番頭が「そりゃ、佐野槌だ、吉原でも名題の大店だよ」と言ってしまい、旦那の顔をうかがって
「だと、乾物屋の番頭さんに聞いたことがあります」と言い訳け
する。そこへ旦那が即座に「乾物屋の番頭さんに御礼を言おう。」
とかえす呼吸が抜群で、志ん朝落語の醍醐味を味わうことができ
る。この噺をこの録音で聞いたことは、私の人生にとって確実に
プラスのポイントになったと思う。こういうポイントの積み重ねに
貪欲で敏感でありたいと思う。

そのあと岩波新書の安田武著『昭和青春読書私史』を読み始めたら
あっという間に、読み終わってしまった。
読書による精神形成史で、そこに昭和十年代の世相が点描されてい
く。個人の読書史というのは、読んでいて、自分もその本を読もう
という気持ちにさせてくれるので、私は好きだ。
最近では坪内祐三の『新書百冊』にもおおいに刺激を受けた。

明日から一泊で「短歌人」の夏の大会。
旧交をあたため、新しい出会いがあるだろう。
これもまた短歌の効用なのだ。


[1040] 黄金餅を聞きながら 2003年07月31日 (木)

りんかい線を使って素早く帰宅。

古今亭志ん朝の「黄金餅」と「大工調べ」のCDを聞く。
気がついたらウトウトしていた。
好きな落語を聞きながら死んでゆくというのも粋なものかな、な
どと、はかないことを考える。
先週末から疲れているのだろう。
夢は五臓の疲れと言うしね。

ここのところフジテレビは視聴率が良いので社屋内がイキイキと
している。昨夜の「トリビアの泉」は26%という凄い数字が出た
そうだ。
今夜もとんねるずが「ノリビアの泉」というパロディわやってい
る。面白いので、ついつい見てしまう。

文人俳句の解説書を読みながら、こんどは本当に眠りにおちる。


[1039] 寂しい鳥だ…… 2003年07月30日 (水)

マン・レイの撮すデュシャンの面差しは鳥に似てゐる 寂しい鳥だ/西王燦

こういう歌が心に沁みる。
短歌が好きでたまらなかった頃の感受性が戻ってくるような気持ちになる。
それは錯覚かもしれないのだけれど。


[1038] 落語の世界など 2003年07月29日 (火)

今日も取り込みごとは続き、結局、勤め先を休む。

岩波書店が「落語の世界」という3冊本のシリーズを刊行中。
すでに1『落語の愉しみ』と2『名人とは何か』が刊行されている。

編集スタッフは延広真治、山本進、川添裕の三氏。
まだ二巻とも拾い読みなのだが、資料的な部分に重点をおいた編集で
かなり内容は充実している印象はある。

「俳句」8月号で心に残った文章の一節。

「美空ひばりは戦後最大の歌姫と言われるが、大衆はなぜ美空ひばり
だけでは満足しないのか、都はるみや宇多田ヒカルなど第二、第三
の歌姫が出て来なければならないのか。芭蕉や虚子が絶対的な傑作
を作ったとして、我々は傑作の前に打ちひしがれて創作の意欲が萎
えてしまうだろうか、そんなことはない。多分、我々は、そうした
傑作に十分な意欲を保つ一方、また限りない敵意を持って、新しい
俳句を詠もうとするにちがいない。それが芸術であり、芸能である
のだ。だから詩歌は常に流行である。歌とは流行歌でしかないのだ。
(俳句時評「不易流行と機会詩」筑紫磐井)

来週は夏休みをとる予定なのだが、心おきなく心身を休息させたいものだ。


[1037] QEDなど 2003年07月28日 (月)

あいかわらず身辺の取り込みごとは続いていて鬱陶しいことおびた
だしい。

不愉快で眠れないので、本を二冊読み終わってしまった。

高田 崇史の「QED」シリーズの
QED百人一首の呪(講談社文庫)
QED六歌仙の暗号(講談社文庫)

以前、青柳守音さんに面白いとすすめられたもの。
百人一首の方はややこじつけ気味な感じだが、六歌仙の方は、なか
なか爽快な謎解きがある。
国文学系の謎解きものとして、この六歌仙と七福神の照応の解明は
じゅうぶんにベスト3くらいには入るのではなかろうか。

ということで、今日はおしまい。


[1036] またしても取り込み中 2003年07月27日 (日)

昨日の取り込み中が今日も尾を引いていて、結局、錦見映理子さんの歌集
『ガーデニア・ガーデン』の批評会には行けなくなってしまう。

作者の錦見さんはもちろん、幹事として精力的に動いていた佐藤りえさんにも
申し訳ないことをしてしまった。


[1035] 身辺取り込み中の一日 2003年07月26日 (土)

午前中、平和島のTクリニックにアトピー性皮膚炎の薬をもらいに行く。

午後から夜にかけて身辺取り込み中。内容は省略。


[1034] 今月も談春落語会 2003年07月25日 (金)

七月の立川談春落語会。

演目は前半が「へっつい幽霊」。後半が「小言幸兵衛」の二席。

「へっつい幽霊」ではなんと言っても、博打打の兄貴分の口調が生きている。
150円50銭という金を、一晩で博打に賭けて、すってもクヨクヨしない
男の気風が言葉からきちんと伝わってくる。
幽霊が出てからも、怖がるどころか、幽霊への返金を半分にさせ、しかも、
博打でそれも巻き上げてしまおうという小気味良さが聞いていて痛快。
前回の「小猿七之助」と言い、良い噺を聞けたと思う。

「小言幸兵衛」は、搗餅屋のくだりはない、気の短い男と仕立て屋のバー
ジョン。こちらは、演じなれているのか、流れもスムーズ、笑いをとる場面も
こなれていて、安心して笑っていられる。

会場ではプロレス番組のプロデューサーのKさんと出会った。
来月は独演会が17日昼夜で、新日本プロレスのG1クライマックスとぶつ
かるため来られなくて残念、とのこと。

会場を出たら雨が降っていた。雨の中、越中島、潮見経由で帰宅。


[1033] 『驢鳴集』を読んでみた 2003年07月24日 (木)

読んだことがない句集を読もうということで永田耕衣の『驢鳴集』を読んだ。
テキストは現代俳句大系の第8巻に収録されているもの。
吉岡生夫さんが筑摩書房の現代短歌全集の読破に挑戦していると彼の日記で
読んだので、その志にささやかにあやかろうというもの。

『驢鳴集』は耕衣が50代前半の頃、つまり現在の私と同じ年齢の頃の句集。
・夢の世に葱を作りて寂しさよ
・恋猫の恋する猫で押し通す
・母死ねば今着給へる冬着欲し
といった有名な作品が収録されている句集だが、通読したのは初めて。
昭和22年から26年までの句、547句収録。

とにかく、ものすごく過剰な人なのだなあ、というのが率直な感想。
玉石混交であるのはしかたがないが、石の方も不可解なものが多く、つい
読み進ませられてしまう。
とりあえず10句ほど引用。

・秋風やをとめの顔を腹の中
・落し水何等堂々たることなく
・盛装の蟹盛装の蟹に触れず
・藁塚に通行人として黙す
・撫子のそばに撫子なき堤
・地を踊り出る馬鈴薯よ自殺せず
・後頭部のいぼ触はれば熱し忘年会
・低き男に従ひ耕せる牛ニツコリす
・晴天を蛇降り来ず菊を巻いて
・つやつやして多数吾家に未知の餅

ということで、こういう作品を量産する精神の在り方に思いを馳せる。
現在の耕衣門下の人達は、このようなエネルギーを、いかに受け止めて
いるのだろうかと、聞いてみたい気がした。


[1032] 「塔」と「三田文學」 2003年07月23日 (水)

「塔」七月号。
江戸雪、川本千栄、なみの亜子、前田康子の四氏による座談会
「つかみとる歌〜いまを生きること、女性であること」が刺激的
で、読み応えがある。
四人の女性歌人が挨拶でないホンネの言葉を交し合っているので
読んでいて、共感するところがたくさんある。
結社誌に載る座談会はウチワのメンバーであるだけに、内側へ向
けた言葉のみでかたられてしまうことが多いのだが、この座談会
の場合は、具体的な作品をあげながら論じているので、ホンネの
言葉が批評たりえている。四人のコンビネーションが良いのだろ
う。

「三田文學」七十四号。
「私の文学」岡井隆インタビューがやはり刺激的。
聞き手は田中和生。
岡井隆という人は、短歌専門誌でない場所で、ホンネを言う人だ
と私は思っている。12年くらい前のやはり「三田文學」だった
と思うが、松平盟子のインタビューに答えて、俵万智が国語審議
会の委員になったことへの不満をかなりあからさまに述べていた
のを思い出す。
今回のインタビューでも、前衛短歌の旗手として塚本邦雄ばかりが
とりあげられることへの嫉妬を語っている。
嫉妬というのは、岡井隆という表現者の大きなエネルギーの源な
のだと思う。もちろん、それ以外の部分も、示唆されるところ多
い内容だが、もちろんすべてがホンネというわけでもなさそうだ。

他に村木道彦「わが裡なる「昭和」『岡井隆歌集』を繙いて」と
加藤治郎「第二芸術論の後に 岡井隆の現在」という評論二本。

村木道彦の文章は、自分の出自にもふれた興味深い文章。
おそらく、いままでの村木の文章の中でもっとも長いものだろう。
ただ、結論部はとってつけたもののように私には感じられる。
加藤治郎は、結論部で「岡井隆は一人のアララギであったのであ
る」と論証することにおいて、みずからもの中のアララギの血を
も確認したのではないか。「未来」の選者になることに、これで
まったくの違和感はない。


[1031] 連休明けの憂鬱な冒険王 2003年07月22日 (火)

連休明けというのは、どんな日でも憂鬱な気分ですね。
ゴーイングメリー号は、朝から超満員、オフィスの廊下ではスナッピーズの
「ああ夏休み」(TUBEの曲のカバーバージョン)が流れ続け。

連休中、お笑いライブに明け暮れていただけではなくて、いちおう本も読みました。
・小室善弘著『芥川龍之介の詩歌』
これは、なかなか読み応えのある本で、漢詩や旋頭歌まで芥川はつくっていた
ということが興味深いですね。
・復本一郎著『俳句実践講義』
この本は大学での講義をまとめたものらしく、ですます調の文体で、読みやす
く俳句の歴史や技法を説いた本。竪題季語とか横題季語とか、私はまったく知
らなかったので、勉強した気分になりました。
・同人誌「鬣」8号。
あいかわらず充実した一冊。
毎号の特集の「彼方への扉」という作家論は、今号は齋藤玄と阿部青鞋と折笠
美秋。
面白いと思ったのは、林桂さんが「文学展示会時評」と題して、世田谷文学館
で開催された「寺山修司の青春時代展」の批評を書いていること。
確かに時評で、こういった催事をとりあげるのは必要なことかもしれない。
また、沖積社刊の『高屋窓秋俳句集成』の編集の方法論に関する伊丹啓子氏
と林桂氏の論争も、教えられるところ多いものだ。

インプットしなければ自分が痩せるし、とはいえ、アウトプットを前提とした
インプットではさびしい。ゆったりとした時間の中で、思いもかけない知的栄
養を吸収したいと切に思う。

夕方からは池袋の東京芸術劇場で「短歌人」編集会議。
会議終了後、一階にある古本大学をのぞくと、講談社文芸文庫が多数並べられ
ている。値段は定価の半額。吉田健一著『三文紳士』を500円で購入。


[1030] 無題 2003年07月22日 (火)


[1029] 紀伊国屋文我ええもんの会 2003年07月21日 (月)

今日は紀伊国屋ホールへ桂文我の落語を聞きに行く。
3日つづけて笑芸ライブ。うれしいな。

しかし、その前に経堂のギャラリーイヴへ行き「西山美なコ個展」を見に行
く。
「百花残る。と、聞きもし、見もし……」
と、いうことで、石井辰彦さんの短歌と西山美なコさんの作品のコラボレー
ションの作品集の原画の個展ということなのだ。
画廊のオーナーのYC女史と話をしていたら、ちょうどそこへ石井辰彦さん
本人から電話がかかってくるという奇遇。
これはやはり、今日、ここに来るべき運命だったようだ。

画廊を出て、スパゲティを食べてから経堂の駅へ向ったら、急に激しい驟雨。
これも石井辰彦さんからの贈り物だと思うことにしよう。

さて、落語会。演者と演目は下記のとおり。

桂まん我 寄合い酒
桂文我 青菜
橘家円太郎 かんしゃく
桂文我 盆唄
柳家喬太郎 母恋くらげ
桂文我 月宮殿 星の都

ということで、開口一番の桂まん我をふくめてはずれなし。
たっぷりと落語の面白さを堪能できた。
文我落語の良いところは、言葉がきれいだということだ。
結果的にあらっぽい言葉を使っても、下品さがなく、聞きやすい。
これは弟子のまん我にも伝わっている利点であり、まん我も良い噺家に成長
すると思う。
今回、どの噺も良かったが、「盆唄」は初めてきいた人情噺。
初天神の夜から始まり、お盆のさなかに舞台がかわる季節感たっぷりの
関西風人情ものがたり。これは聞き得だった。

原稿も書かず、本を読み、笑芸を堪能した3連休。


[1028] お笑いホープ大賞予選Cブロック 2003年07月20日 (日)

今日は「お笑いホープ大賞」予選Cブロックの審査。
昼の部なので、午後一時までに、シアターDに行くことになって
いる。
今日は木場まわりで、東西線の日本橋で乗換えて、銀座線で渋谷
へ向う。
旭屋書店で「岡井隆インタビュー」が掲載されている「三田文学」
を買い、ムルギーで卵入りカレーを食べてから、シアターDへ。

今日の審査員は「笑芸人」のエディターの浜美雪さん、笑芸ライ
ターの魚住さん、プロダクションのプロデューサーの永田さん。
出場者は以下のとおり。

カンカラ、ぴんぽんず、ハレルヤ、ロココ、ペナルティ、OGY、
磁石、耳なり、ペイパービュウ、タイムマシーン3号、三拍子、
ゆうえんち、飛石連休、ハイエナ、ヴィンセント、田上よしえ、
ユリオカ超特Q。

勝ち抜いた五組は、ペナルティ、磁石、三拍子、飛石連休、田上
よしえ。
個人的には、磁石が良くなっていたのが嬉しかった。ご贔屓のハ
レルヤは、今日はネタ的に少し弱かった。
総じてベテランがやはり強かったが、ユリオカ超特Qが落選した
のが番狂わせだったといえるか。

休息時間に浜さんに、「文藝春秋」での「噺家伝」の連載、おめ
でとうございますと言い、そのかわりに「短歌・俳句」というペ
ージがなくなってしまったこともいう。
しかし、この件で一喜一憂しているのは私くらいです、とも言っ
ておく。自意識過剰かとも思ったが、うーん、やっぱり、たぶん
そうだろう。

夕方5時過ぎに帰宅したら、加藤治郎さんから第五歌集にあたる
『ニュ・ーエクリプス』を送っていただいていた。
エクリプスというのは日蝕のこと。
競馬好きにとっては、イギリスの伝説の名馬エクリプスを思い出
すだろう。
「一着はエクリプス。あとは見えません」という名セリフの原点
でもある。
いずれにせよ、自信にあふれた歌集名の命名と見た。


[1027] お笑いホープ大賞予選Bブロック 2003年07月19日 (土)

三連休なのだけれど、原稿は書かないと決めたので、心やすらか。
角川選書の『名句に学ぶ俳句の骨法』上下2巻を読む。
斎藤夏風、鍵和田釉子、大串章の三氏を中心にして、それぞれの
回にゲストをまじえながら、定型や写生や挨拶と即興や切れ字や
固有名詞といった、俳句の根本にかかわることがらについて、具
体的に例句をあげながら、語りあうというもの。
話が抽象論にならないように、常に俳句の具体的な作品に立ち戻
るような進め方なので、面白くまた理解しやすい。
よみごたえのある中級者向けの参考書となっている。

夕方から、「お笑いホープ大賞予選Bブロック」の審査員を頼ま
れていたので、渋谷のシアターDへ行く。
これは、大阪の「M1グランプリ」に対抗する笑芸のコンペティ
ションをつくろうという東京側のプロダクションの考えで始まっ
たイベント。今日と明日で予選大会をABCDの4ブロック開催
して、準決勝に二十組を進めるというもの。
今回の審査員は私のほから、お笑いライターのTさん、QRのデ
ィレクターのTさん、それに「笑芸人」の編集者のTさん。

予選Bブロックの出場者は以下の17組。
マロンマロン、ニブンノゴ、赤いタンバリン、クロスパンチ、
クワバタオハラ、北京ゲンジ、江戸むらさき、上々軍団、
18KIN、爆裂Q、いち・もく・さん、バカリズム、スリーパー
インスタントジョンソン、がんす、アバンギャルド、5番6番。

アバンギャルドは前に見た、つうてんかくのうちの二人のユニッ
ト。残念ながら、さほど面白くなかった。北京ゲンジも前から期
待しているのだが、やはりツメがあまい。
結局、勝ち抜いたのは、クワバタオハラ、江戸むらさき、18K
IN、バカリズム、インスタントジョンソンの五組。

うーん、ぜんぜんホープじゃないというか、世代交代はできなか
ったという感じ。みんなホープといわれているうちに、気がつく
と歳月が流れている。ただ、テツ&トモ、ダンディ坂野、はなわ
たちが売れていった今は、明らかにチャンスなのだから、ここで
頑張ってぬけださなければならない。
どんな世界も難しいが、そのジャンルを選んだ以上、表現の充実
をはからなければならない。

夜、10時過ぎに帰宅。
九州に集中豪雨のニュース。


[1026] イベント前夜の騒然 2003年07月18日 (金)

明日からはじまるフジテレビの夏休みイベント「お台場冒険王」の
仕込みの追い込みで、全体的に社屋内外が騒然としている。
東京湾側には、コーイングメリー号が帆をはって帆走している。
もちろんエンジン航行であるのだが、帆をはると帆船というイメー
ジが強く迫ってきて、わくわくする。
裏側にあたる通称Q地区は、冒険ランドという名前になるようで
プールやメリーゴーランドがつくられている。プールではウォー
ターボーイズ・ショウのシンクロの練習をしている。

仕事が終ったあと、局長とKさんと一緒に新橋のK飯店で中華料
理を食べる。そのあとカラオケに行って、深夜帰宅。

「歌壇」八月号、江戸雪さんの時評「さよなら「世界」」が出色。
江戸さんは時評的感性がしっかりしている数少ないひとりだ。
要は言葉の質量のことを言っているわけだ。
中でとりあげられている、ひぐらしひなつさんの短歌を私は文体
が確立していることで他を一歩ぬきんでていると評価するが、主
題に、あと一歩肉迫せよ、という思いも確かにある。
こういう、作者に対してプラス方向の力を与える時評の存在は貴
重だ。ひぐらしさんには、この江戸さんからの指摘をじゅうぶん
に咀嚼して、次の一歩をすすめてほしい。


[1025] デンジャラスな世の中 2003年07月17日 (木)

昨日の夜は新宿で山口十八良さんを囲む会があった。
場所は三井クラブ。爆笑のたえない気持ちの良い会だった。
ここで、大下一真さんと初めていろいろと話をすることができた。
大下さんから、滝澤亘に関しての研究冊子が出せないかなあ、という話が
出てきて、私もそれに関してはまったく同感だった。
滝澤亘は国文社の現代歌人文庫に『滝澤亘歌集』が入っているが、あまり
この本も店頭では見られなくなっている。
雑誌で特集されることもない。結核で亡くなったのだが、四十代での死亡
なので、夭折歌人というくくりからも、少しはみ出してしまう。
塚本邦雄作品をめぐって、岡井隆と論争するなど、論客でもあり、作品は
「形成」的な抒情性をみたしつつ、高度な暗喩の技法もとりいれられてい
て、読んでいて刺激をうけることが多い。
もっと、読まれ、研究されても良いはずなので、大下さんの提案を継続的
に考えて行きたい。

渋谷で行方不明になっていた小学校6年生の女の子4人組が、監禁されて
いた赤坂のウイークリーマンションで発見された。
女の子を持つ親としては他人事ではない。デンジャラスな世の中である。

「俳句朝日」8月号の鼎談「定型・リズム・切れ・俳句「再考」」を読む。
出席者は藤田湘子、鈴木鷹夫、鳴戸奈菜。
「俳句研究」の池田澄子VS鳴戸奈菜対談よりは、内容があるように思える。
悪口を言うつもりもないのだが、ここでも鳴戸奈菜さんの発言は、歯がゆい
もので、伝統派閥の二人の長老に押されっぱなしになっている。
永田耕衣門下で、露出の多い人ということで鳴戸さんが選ばれるのだろうが
言葉を基本としたイマジネーションという方法論について、もう少し腰をす
えて、自分の方法を語れるように考えを煮詰めたほうがよいのではないか。



[1024] おたがいにわかりあうこと 2003年07月16日 (水)

「短歌新聞」の7月10日号に大辻隆弘さんが「歌壇時評」を書いている。
タイトルは「インターネットの変質」。
題詠マラソンに関連して議論された「ネット初出」の問題を簡潔にまとめて
そういう議論がかわされるインターネットという空間が、無秩序ではなく、
健全な批評が生れていることを紹介している。そして、五十嵐きよみさんや
井口一夫さんの活動に関して、「五十嵐や井口らの活動が、混沌としたイン
ターネットのむなかにひとつの批評メディアを生み出しつつある」と積極的
な評価をしている。

「インターネットという無秩序な空間のなかに、秩序と「中心」を生み出す
積極性に満ちた動きが、いまようやくはっきりと目に見えるものになりつ
つある」と結ばれている文章。に、私はまったく共感するのだが、「短歌
新聞」の読者の方々で、インターネットに偏見をもっている人には、ぜひ、
この現実を実際に体感してほしいと思う。
おたがいに先入観を捨てて、現実を知りあうことが必要だと思う。
もちろん、インターネットで短歌をはじめた人達には、短歌が積み上げて
きた収穫を積極的に摂取してほしいのはいうまでもない。

「歌壇」8月号、五十嵐きよみさんの「インターネットにおける荻原裕幸の
仕事」もふくめて、インターネットでの短歌の現状が正確に認識されること
がのぞましい。
もちろん、その時にこそ、荻原裕幸さんのここ何年もの仕事の価値がきわめ
て大きいことが認識されるはずだ。





[1023] 「俳句研究」八月号など 2003年07月15日 (火)

お台場のアクアシティの中にあるブックファーストは、不思議なことに、
毎月、「俳句研究」が一冊と「俳壇」が二冊入荷する。「歌壇」や「短歌往
来」は入ってこない。

「俳句研究」八月号は、「特集・正木ゆう子の世界」。
私が俳句を辞めたあとで第一句集を出した人なので、経歴などほとんど知ら
なかったのだが、正木浩一の妹だったということを初めて知った。
自選100句の中の初期作品など、なかなか面白い。

・サイネリア咲くかしら咲くかしら水をやる
・いつの生(よ)か鯨でありし寂しかりし
・かの鷹に風と名づけて飼ひ殺す

新作も言葉がのびのびしていてよみごたえがある。

・尾にいたる筋力美しき金魚
・夏鴨の照る首すぢを掴みたく
・あらたまの月光は日光である

読売俳壇の選者がこういう作品をつくれるのは良いことだと思う。
一句鑑賞を12人が書いているが、その中に岡井隆、佐佐木幸綱、川野里子
と、歌人が三人も入っているのは意外だった。川野里子さんは、同郷らしい。

対談「俳句の虚実」池田澄子VS鳴戸奈菜
これは、ちょつと期待はずれ。鳴戸奈菜さんという人は思考がきわめて
フラットでピュアな人だなあ、と、良い意味でも悪い意味でも感心する。
言葉の内包するエネルギーを解放する膂力という意味では、池田澄子と
いう人はかなりのものを持っている。鳴戸さんにそれがわかっているか
どうか。別に期待しているわけではないが、歯痒さが残るばかりの鳴戸
発言だった。

忌日とて其角七部を花のもと  松崎豊

こういう句に惹かれてしまうのも年齢のせいかもしれない。


[1022] 第3回東西落語研鑚会 2003年07月14日 (月)

今日は第3回東西落語研鑚会。
勤務終了後、今日はゆりかもめで新橋、JRで有楽町という行き方で
読売ホールへ行ってみる。
6時30分からのところ、6時ちょっと過ぎに有楽町についたので、
駅前の中華料理店で、マーボ豆腐ご飯と餃子を食べる。不味かった。

さて、東西落語研鑚会。
トップは笑福亭笑瓶。出囃子が「キューティーハニー」のテーマなのには
笑わされたが、笑えたのはそこだけ。新作の「伝説のカウンセラー」という
噺なのだが、まったく、つくりも話術もずさんで、あくびが出てくる。
せっかくの研鑚会に、こういうレベルのものが出てくるのは情けない。
二番目が、春風亭昇太。こちらも出囃子が「デイビー・クロケット」。
下座の師匠も、こんな曲ばかりではたいへんだ。
出し物は「壷算」。昇太さんは、ここのところ古典に取り組み、新しいくす
ぐりを入れている。この噺もみごとに兄弟分と瀬戸物屋の性格をリニューア
ルできていて、爆笑落語にしあがっていた。
ともかく、「壷算」でこんなに笑ったのははじめてだった。
中トリが柳家小三治。噺は「千早振る」。
実は私はこの小三治師匠の落語はどうしても好きになれない。
たたずまいも口調も生理的にあわないのだ。
今夜もやはり同じ感想。

中入りをはさんで春風亭小朝。「四段目」。大阪落語では「蔵丁稚」。
ついこのあいだ、米朝師匠の速記を読んだばかりだったので、興味ふかく
聞けた。小朝さん自体は今夜は軽く流していたが、やはり、私には聞きやすく
面白く聞けた。
とりは、月亭八方。噺は「算段の平兵衛」。
お約束の阪神のネタを軽くふったあとで、中味に入る。
すじのこみいった難しい噺なので心配していたのだが、どうして、けっこう
なできばえ。テンポもよく、堪能できるしあがりだった。
ワルの男を演じるのが巧いし、途中、死んだ庄屋を隣村の盆踊りの稽古で
躍らせる場面の仕草も、しつこくなく、しかも笑わせる。
オチはブラックな地口オチでいかにも大阪落語という感じ。もっとも、放送
禁止用語があるので、オチまでは放送ではやれないだろうが。
ともかく、今夜はこの八方の実力を知ることができたのが収穫。

さて、次回はどんなことになるのやら。


[1021] 「短歌人」東京歌会など 2003年07月13日 (日)

本日は上野で「短歌人」の東京歌会。
会場は4階だったのだが、エレベーターがその会場へは直接入れない場所へ
つくものなどがあって、10分くらいウロウロしてしまった。マヌケである。

今月の司会は、橘圀臣さんと小池光さん。
出席者は50名以上居たと思う。
ちなみに私の出詠歌はこれ。

・遠花火音なき色のはかなさを村上春樹訳サリンジャー

ほとんどうわごとのようなものだと自分でも思う。

歌会終了後の勉強会は、藤田初枝さんのレポートによる「和歌と短歌」。
時間の都合で、途中までしか居られなかったのだが、藤原定家が、
「新勅撰和歌集」をえらんだときに、隠岐に流されていた後鳥羽院への
思いを選歌にたくしていたのではないかという推論など私にはスリリングで
面白いものだった。

帰りの地下鉄の中で「週刊読書人」を読む。
穂村弘さんの短歌時評は、ここのところ、ほとんど新刊歌集紹介になって
しまっていて、時評ではない。その月に印象深かった歌集を紹介するにし
ても、いつでも「私にはみたことがない」という書き方ばかりでは困る。
意地悪くいえば、勉強不足を露呈しているだけではないか。
現代詩時評の和合亮一、俳句時評の堀本吟の両氏とも、時評にふさわしい
問題意識を毎月提示しているだけに、短歌時評の不振は気になってしかたが
ない。




[1020] ゆったりと倦怠と戯れる一日 2003年07月12日 (土)

久しぶりになにもせずに、本の整理をしながら、さまざまな本を拾い読み
した一日だった。
芥川龍之介の日記とか、小池光さんの新刊『茂吉を読む』(五柳書院)とか
「現代俳句大系」とか高柳重信さんが編集していた時代の「俳句研究」とか
を気まぐれに、ちょっと読んではやめ、ちょっと読んではやめ、ということ
のくりかえし。
その途中に電話投票で買った馬券は全滅だった。まあ、しかたないか。

「現代俳句大系」第八巻より斎藤空華の「空華句集」だけは読み終った。

・雨脚の干潟に見えて避暑期去る
・落葉はげし孤高のこころさびし過ぐ
・十薬の今日詠はねば悔のこす
・万緑や火を焚けばなにか寒さあり
・蚊の声のげにげに執念なりけり
・金欲しや舌ざらざらと西日中
・せめてもの四月馬鹿にてねむり欲し
・短夜のあさきゆめみし寝冷かな
・白桃に触れたる指を愛しみをり
・秋風や抱き起こされし腕の中
・あるひは思ふ天の川底砂照ると
・鵙鳴けばコーヒーの香の昔かな
・十一月寝刻まで茶湯たぎらせよ

昭和25年、三十一歳で没。渡辺水巴門。
横浜商業卒業後、日本勧業銀行に勤務。応召して、終戦後は結核に悩まされ、
結局は銀行を退職して療養に専念も、回復することはなかった。

・残念は残る念いの謂なれば立つ秋風の斎藤空華/藤原龍一郎『東京哀傷歌』


[1019] 暑い暑い金曜日 2003年07月11日 (金)

暑くて街じゅうがぐったりしている。

U君が番組の見学にくる。
「垣花正のニュースわかんない!」を一緒に見学する。
私が現場に居た頃といちばん変化しているのは、リスナーからの反応が
ほとんどメールになっているということ。
私の頃は、ファクシミリでさえ少なかった。土日の番組だと、自営の会社の
子供たちが、休みの会社のオフィスから、ファクシミリ送信してきたりした
ものだった。

夜は事務局の歓送迎会。
HさんとNさんが去り、Mさん、Kさん、Tさんが転入してきた。
場所は例によって焼肉屋のTなので、帰りは歩いて帰宅できる。

9時前に帰って、史比古とかの子と一緒に「ディープブルー」を見る。
「ジョーズ」と同じアイデアだが、やはり、ハラハラしながら見られる
映画は面白い。

「歌壇」8月号、五十嵐きよみさんの「インターネットにおける荻原裕幸の
仕事」がタイムリーな文章。
私も掲示板とこの日記の管理でお世話になっているわけだが、荻原裕幸さん
のネット上でのプロデューサーとしての仕事の意味と価値は、きちんと検証
されるべきだろう。この五十嵐さんの文章は、その第一弾か。
他には「あの頃の歌、今日の歌」という黒木三千代さんの「短歌との邂逅」
を綴った文章が心に残った。


[1018] レインボーブリッジ、霧雨に沈む 2003年07月10日 (木)

朝からお台場近辺は霧雨に沈んでいる。
眼前のレインボーブリッジさえ、霧雨にけぶって影しか見えない。
そしてとにかく蒸し暑い。

昼食にデックスの中にあるインドカレーのバイキングというのに行った。
確かに本格的で美味なのだが、ついつい食べ過ぎてしまう。
午後は定例の局会のあと、産経新聞社で開催される報道委員会に初めて出席。
これは7月の各社の人事異動にともない、担務変更があったため、今後、私
も出席することになったもの。

2時間の会議のあと懇親会。これは7時30分頃終了。
さらに、事務局のメンバーだけで銀座に行き、軽くカラオケ。
ただ、解散は早く、銀座4丁目の交差点で21時の時報を聞いた。
すでに雨はあがっている。帰宅は21時30分。

昨日、届いた角川の「現代俳句大系」12巻版を拾い読みする。
この全集はのちに3巻分が増補され、全15巻になった。
その増補分は、昨年、ネットの古書店で、一冊ずつ拾って、持っている。
残りの12巻は、別に買わなくてもよいと思っていたのだけれど、先日、
やはり、インターネットで検索したら、12巻で6000円で出ていたので
思い切って買ってしまったものが、昨日、届いたのだ。

実は15年前に私はこの全集は持っていたのだが、結局、ほとんど読まない
うちに、処分してしまったもの。今、あらためてラインナップを見ると、ぜ
ひ、きちんと読みたいな、という句集がかなり入っているのに気づいた。
特に「鶴」系、「石楠」系の俳人の句集を読んでみたいと思っている。




[1017] リニューアル→悪化 2003年07月09日 (水)

「季刊・短歌WAVE」2003夏号が来る。
3号までの編集担当者だった玉城さんが辞めたということで、当然、誌面に
かなりま変化があるだろうとは思っていたが、表紙から一気に変えてしまっ
たというわけですね。
表紙は水原紫苑さん。鈴木竹志さんは着物の雑誌かと思ったと「竹の子日記」
に、お書きになっていたが、私は民謡の雑誌かと思った。
今後、ヴィジュアル系で露出を強めていこうと自己プロデュース戦略を練っ
ている歌人の人は、スタイリストとマネージャーをつけることを必須と考え
た方が良い。
今回の写真は、以前にこの出版社が出した「俳句界」の俳人の表紙よりは、
レイアウトに気をつかっている感じもあるが、もう少しアカぬけた感じに
してくれた方が水原紫苑という歌人の魅力が増すのにと思い、少し残念。

内容は「大特集・現代短歌の現在647人の代表歌集成」という3首ずつ
のアンソロジー。
私も作品を出しているので、まあ、口はばったいが、こういう特集の方が
売りやすいのだろうか。さすがに、高野公彦さんや福島泰樹さんは出して
いない。荻原裕幸さん、穂村弘さんも不参加。新人賞歌人のはずの今橋愛
さんの名前も見えない。私が参加したのは軽率だったかな。

3号までの「短歌WAVE」は、これで貴重な資料価値をもった雑誌になる
だろう。石川美南さんに、ぜひ、頑張ってほしいもの。


[1016] 男にはまだやりたいことがある 2003年07月08日 (火)

「56歳 藤森益弘さんの作家デビューを祝う会」に出席。
会場は大手町のパレスホテル。
雨模様だったが、ゆりかもめ、地下鉄銀座線、東西線と乗り継いで、地下鉄
の出口からホテルまでは走る。
会場は地下一階の宴会場だが、まわりに居たほとんどの人が地下へ降りて行
くので、びっくりした。

入り口で藤森益弘さんが、お客を出迎えている。
「短歌人」からは、蒔田さくら子さん、中地俊夫さん、川田由布子さん、
平野久美子さん、そして私が出席。
300人の立食パーティで、藤森さんの仕事にかかわる広告業界関係者、
同窓の関係者、そして同僚、さらに私たち短歌の関係者などなど。

スピーチとジャズの演奏のある気持ちのよいパーティだった。
最初のスピーチが、現在のサンアドの社長の若林さんで、最初に『春の砦』
を原稿で読ませてもらい、文藝春秋の出版局長に紹介したいきさつなど。
そのあと、その出版局長のスピーチで、サントリーミステリ大賞に応募と
いうかたちをとった事情が説明された。
サンアドの藤森さんが書いた小説がサントリーミステリ大賞の優秀賞になっ
たということに、私も多少の不思議な思いを抱いていたのだが、こういうプ
ライズをかぶせることで、少しでも出版から流通の事情をよくして、より多
くの読者に届けたいという良い意味での出版業界的配慮だとわかり、納得で
きた。つまり、それだけ、みんなが、この小説に愛情を抱いていた、という
ことだ。私も『春の砦』にはそれだけの値打ちがあると思う。

「男にはまだやりたいことがある」というのは、パーティのサブタイトルだ
が、この56歳での処女作上梓という行為が、出席者のほとんどの人達を感
動させていたと思う。
藤森さんの高津高校時代の同級生だという藤原伊織さんのスピーチもその部
分にふれていた。さらに、広告業界の仲間の人達のスピーチも、この藤森益
弘の情熱の持続にふれない人はいなかった。面白く思ったのは、広告業界と
いう一見、ハデな業界に居る人達が、文学への情熱ということをやはり熱く
語っていることだ。こういうところにも勇気づけられる良いパーティだった。


お嬢さんからお父さんへの花束の贈呈があり、そのお嬢さんの話で、藤森さ
んは、家庭でも「いつか小説を書きたい」と言い続けていたことがしらされ
これも私には感動的なエピソードだった。
最後の藤森さんの御礼のスピーチも、きわめて素直に心情をあらわしたもの
であり、夢をつかんだ男の気持ちの良さにあふれていた。

こういうパーティというのは、仕事の上でのものも短歌の上でのものも、結
局はつきあいでしかたなく、という感じがしてしまうのだが、今夜のそれは
まったく、そんな気がすることもなく、心から祝福でき、しかも、自分にも
勇気がもらえるという、きわめて珍しいケースだった。

藤森益弘著『春の砦』(文藝春秋刊 1905円)。
できるだけ多くの人に読んでほしいが、特に昭和20年代生れの人にはすす
めたい。人間はいくつもの挫折や断念を重ねながら生きていくものであり、
それでも、何度でもやりなおすことができるのだ、との勇気が与えられるこ
とはうけあいだ。


[1015] 50オトコのロマンチシズム 2003年07月07日 (月)

昨夜寝る前に、もう一冊、藤森益弘著『春の砦』も読み終った。
これは、元「短歌人」の藤森益弘さんの処女長編小説。
サントリーミステリ大賞の優秀賞受賞作である。

主人公の安芸は50代前半の広告制作会社の役員。
この安芸という男が、学生時代の恋人だった響子という女性の自殺の謎を
とく、というおおすじがあり、そこに、一九六〇年代の後半からの、何人
かの人生の陰翳が絡まりあってくる。
「生き残ったものは、先だったものたちの思いをいかに受けとめるか」と
いう主題が浮かびあがってくる部分には胸をしめつけられる。

この主題は藤森益弘という人が若い頃からかかえていたものであり、主人
公の安芸の人生には、少なからず藤森益弘自身の体験が重ね合わせられて
いる。藤森さんが20代の頃に私は比較的何度か話す機会があり、マンシ
ョンに泊めてもらったりもしたが、若き日から抱き続けた思いを50代に
なって、こういう長編小説に結実させた藤森益弘という人には、心から敬
意をはらわずにはいられない。

それにしても、犯罪のまったく出てこないこの小説を優秀賞として入選さ
せたサントリーミステリ大賞の選考システムには、よく、この小説を世に
だしてくれた、と、感謝したい。

内容的には、海外でのCM撮影のだんどりなどが、かなりこまかく書かれ
ていて、その部分も興味深く読める。
そして何よりうれしいのが、主人公はじめ何人もの男たちのロマンチシズ
ムが臆面もなく、そして共感をよぶペンの力で表現されていることだ。

藤森益弘著『春の砦』(文藝春秋刊・1905円+税)

小説の序歌としてこんな一首が巻頭に掲げられている。

・緩びゆく季の傷みを支へゐむわが身を春の砦となして/藤森益弘『黄昏伝説』


[1014] 歌人はつらいよ 2003年07月06日 (日)

昨日からずっと原稿を書いている。
飽きると、本を少し読む、ということで、村松友視の『ヤスケンの海』を
読み終わってしまった。

歌人という肩書きで文章を書く人が出てきたのは喜ばしいことではあるの
だが、その肩書きゆえに、歌人らしさを出した文章を書かなければならな
いというのはかなりの困難をともなう。
鈴木竹志さんが「竹の子日記」にお書きになっていたので、そのしりうま
に載って言うわけでもないが、「週刊文春」の穂村弘さんの、『無用の達
人』(角川書店)と『こんなもんじゃ』(文藝春秋)の山崎方代に関する
2冊の本の書評は、読んでいて、つらくなるものだった。
編集部としては、自社で出した『こんなもんじゃ』のパブという意識で、
ここのところ歌人としての露出が多くなっている穂村弘という人に頼もう
ということになったのだろうが、同じ歌人でも不得意な分野はある。
こういう依頼をきっぱり断れれば良いのだが、心理的にそうもいかない。
しかし、山崎方代に関しては、熱狂的にくわしい歌人が多いだけに、付け
焼き刃的な文章では、通用せず、結局、今、私が書いているような悪口を
言われてしまうことになる。
一般の人に理解しやすく、しかも、短歌にくわしい人にも隙をつかれない
文章を書く、ということはなかなか難しいのだが、しかし、その困難はク
リアしなければならないことなのだ。

今、歌人の肩書きで文章を書いている人で、いちばん文章にはずれがない
のが、小島ゆかりさん。毎日新聞や産経新聞の書評欄に書いている書評や
短いエッセイも、どれも巧いなあと感心する。
かつて『蛍の海』という散文集を読んだときは、まだ、文章のでき、ふでき
があると思ったが、ここ一年ばかりは、どの文章もその掲載媒体と読者の要
求に、きちんとこたえている。
つまり、数をこなすことによって、そういう技術力を身につけたわけだ。
人間、恥をかかないためには努力しなければダメ、とアタマではわかり
ながらも、また、集中力のでないままに文章を書いてしまっているワタシ。
まずは、魁から始めよ!ということだ。


[1013] 『谷間の家具』の俳句 2003年07月05日 (土)

ぎりぎりの締切が重なってしまい、いくつかの会合をキャンセルせざるを
えなくなっている。
もちろん、自分が悪いのだが、なかなか集中力が出ないのが情けない。
こういう時に、文章を書くことのコワサというものを感じる。

昨日に続いて、今井聖句集『谷間の家具』から、魅かれた作品を引く。
題名の「谷間の家具」とは、後記によると、ジョルジュ・デ・キリコ
の一九二七年の作品のタイトルだそうである。どんな絵か私は知らない
が、一九二七年というのは、芥川龍之介が自裁した年である。

・ 冬満月遠き試験の夢に覚め
・ 西日中インターナショナル誰ぞ歌ひき(ソ連共産党解散)
・ 破れたる太鼓の中も雪夜にて
・ 昼顔や手が現れて窓を閉づ
・ 冬麗の三鬼坐りし流木か
・ 母校正門この青梅の記憶なし
・ 人日の伝言板にハングルも
・ 向日葵を直射しヘッドライト消ゆ
・ 実朝の見し沖なりし日傘ゆく
・ かのセーラー服ニ輌目の雪嶺側
・ 嫌ひな方の祖母に抱かれ墓参り
・ 冬麗の体育館にプロレス来る
・ 伝説のOBが来る雲の峰
・ 手話でもう逢はないといふ赤蜻蛉
・ 永久に留守レースのカーテンはためいて
・ 李麗仙出づ黄落の廃墟より
・ 六月の砂倒立のポケットより
・ 水槽は嘘の明るさグッピー散る
・ 団栗やうねりつつ来る競歩の腰


[1012] アメリカ独立記念日 2003年07月04日 (金)

「7月4日に生れて」とか「インディペンデンスデイ」とかいろいろと映画
にとりあげられる機会の多い日。
社屋ビルの裏の通称Q地区に、夏のイベント用のプールや帆船のオブジェが
つくられている。整地して、うわものをつくって、イベントをおこなって、
そして最後はまた現状復帰するという手順のあいだにたくさんのお金が使わ
れることになる。あらゆるイベントは、善意の有料入場者でいるのがいちば
ん楽しいとしみじみ思う。

今井聖さんにいただいた句集『谷間の家具』を読み終えた。
重厚な句の多い、読み応えのある句集である。
昭和59年から平成12年までの551句が収録されている。

・夜の旅の青葉一片靴の中
・得たりや応と虚子忌などもう読むな
・午前零時の空蝉に帰り着く
・電話ボックス冬の大三角形の中
・星飛ぶや船首のごときわが書斎
・青嵐nightmareと黒板に
・コスモスや体操詩集声に出て
・通信簿冬の厨に置きて去る
・春蘭を頒ちて別の地下鉄へ
・雁風呂や安土多架志はどのあたり

平成2年までの作品から引いた。
最後の句に出てくる安土多架志とはなつかしい名前である。
高柳重信編集の「俳句研究」誌上では、よく、見かけた名前である。
この句集の昭和59年の章に、「八月二十三日安土多架志逝く、享年三十七」
との詞書の付された次の句がある。

・永遠に壮年入道雲に発つ

昭和22年生れ。私より五歳年長になる。今井聖さんにとっても三歳上か。
いまでは、安土多架志の名前や作品を知る人も少なくなってしまったのだ
ろう。
こんど、古い「俳句研究」誌をチェックして、作品を紹介してみたい。
安土多架志は、忘れられてほしくない、すぐれた俳人である。


[1011] 花・太陽・雨 2003年07月03日 (木)

朝からずっと或るメロディーが頭の中で繰り返されていて、何という曲だ
ろうと考え続けていたら、思い出した。PYGの「花・太陽・雨」だ。
1971年あたりの曲だったような気がする。

書かなければならない原稿、こなさなければならない職務が山積みになっ
ているが、なかなかかたずかない。
集中力が出てこないのだから、しかたがない。
視聴率の速報を見たら、昨日の「トリビアの泉」は20パーセントを越えて
いた。「伊東家の食卓」と似た構成でトリビアルな知識を発信するという
ものなので、深夜番組発のゴールデン番組といっても、「ヘキサゴン」よ
りは、受け入れられやすい気がする。

帰宅後、和田誠の句集『白い嘘』を読む。
発想にイヤミなひねりが目立たないので、読みやすい。
作品にも好感がもてる。

・李さんは金魚を呑みて出しにけり/和田誠


[1010] 出処進退の難しさ 2003年07月02日 (水)

永田和宏さんが、来年の歌会始の選者に決定したとのニュースが昨日の
新聞に載っていた。
戦後生れでははじめてとのことだが、これから、徐々に戦後生れにシフト
して行くのだろうか。

「心の花」の時評の書き手が、7月号から、いままでの大野道夫さんと中川
華奈さんから、横山未来子さんと馬場昭徳さんに変わった。
中川華奈さんの文章は気負いがみえて面白かったのだが、半年で交替という
のは、初めから予定されていたのだろう。時評は本当は一年くらい続ける方
が、時評的感性が養われると思うので、賛否はあっても、続けたほうがいい
と思うのだが、とりあえず再登板を期待しよう。

それで交替した横山未来子さんの時評が予想以上に良い。
「読み手への架橋」というタイトルで、昨年、北溟短歌賞を受賞した
今橋愛の作品に対して、きっちりした意見を書いている。

「作者の感覚で紡がれた「見たことのない文体」(穂村弘・北溟短歌賞
選考座談会)は、捉えどころのない不思議な魅力を持っているが、
文法的に崩壊しかかっている部分があり、伝達性に乏しいとも言える。
<読み手への架橋>に対する意識は希薄なのではないだろうか。自身
の言語感覚を最重視した今橋の作品目新しさは<閉じられた言葉の危
うさ>と紙一重のように思えるのである。」

これが横山未来子の時評の末尾の部分だが、まったく同感である。
北溟短歌賞の選考に関しては、私は次席の石川美南の作品がもっともすぐれ
ているということを、たびたび書いてきたが、受賞作の今橋愛の作品の閉塞
した独善性は「文体」などと言えるものではない。
穂村弘ともう一人の選考委員であった水原紫苑には、そのことがわかってい
たはずなのだが、石川美南を押し切れなかった遠慮が、かえすがえすも残念
だ。新人賞の選考者というのは、短歌の歴史に対して責任を持つべきだと私
は思っているが、短歌研究新人賞や角川短歌賞の選考者の人達も、そういう
意識をもっていてくれるよう願っておく。


[1009] 新たな半年の一日目 2003年07月01日 (火)

ニュースレターが今日あたり校了の予定だったのだが、結局、いくつかの記事
の入稿が遅れたので、本日の校了はムリとのこと。
こんなことなら、前川佐美雄賞の授賞式に行けばよかった。

帰りに平和島の病院により、アトピー性皮膚炎の薬をもらう。
ゆりかもめと都営地下鉄と京浜急行を乗り継ぎ、往復すると1000円の
パスネットはあっというまになくなってしまう。

電車の中で詠み始めた『マエタケのテレビ半世紀』を帰宅後読了。
前田武彦のテレビと自分の歴史という内容である。
永六輔、青島幸男、大橋巨泉らが、同じ頃にテレビの世界に入ってきて
作者として活躍、やがて、タレントとして画面に出て、一時期のテレビの
世界を席巻することになる。
この中で前田武彦だけが、途中で失速してしまったわけだ。
「夜のヒットスタジオ」での例の「バンザイ事件」によってである。
この事件の真相も書かれているが、ニュートラルに見て、やはり、売れっ子
ということで、メディアというものを甘くみていたと私は思った。

青島幸男のように直木賞をとり都知事になるという人生。
大橋巨泉のように議員になりながらも、それを辞職し、悠々自適の生活を
売り物にする人生。
永六輔のように、ミュージカルや作詞でいくつもの賞をとり、『大往生』
で、ベストセラーを出す人生。
前田武彦はそのどの人生でもなく、ほぼ30年の不遇な後半生を送っている。
四十代、五十代ではまだ語れなかったコンプレックスを七十代になって、や
っとかたれるになったのだろう。
せつない読後感が胸をしめつけてくる。


[1008] 半年終了 2003年06月30日 (月)

今日で2003年も半年が終った。
今年も元旦から何日間かは風邪をひいていたのを思い出す。
もう、冬場は特別に健康に気をつけなければならない年齢なのだろう。

勤務終了後、品川へ行って、俳人の今井聖さん、池田澄子さん、歌人の
田中えんじゅさんと4人で「俳句の前線・短歌の前線」ということで、
座談会をおこなう。
掲載誌は、私が批判しつづけてきたあの「俳句界」。
北瞑社からこの雑誌だけ分離して、オーナーがかわり、リニューアルして
イメージを一新したいということで、今井聖さんに依頼があったのだそうだ。
今井さんからその話を聞き、本当にリニューアルする気があるのなら協力し
ます、ということで、本日の座談会になったしだい。
リニューアルというより、リセットしなければならないだろう。

今井聖さんと時間をかけて話をするのは、もちろん、はじめてだったのだが
出処進退に関する筋のとおしかたということで、まさに、筋金入りの人だと
思った。
脚本家の馬場當氏の紫綬褒章辞退に関する話などを聞かせてもらったが、
きわめて潔いものであった。
世の中にそういう人が居るということは、心に銘記しなければならない。

品川から有楽町へ出て、有楽町線の豊洲からタクシーで帰宅。


[1007] アカクアカキハナヲサカセ 2003年06月29日 (日)

モニターの中で老婆がかぼそい声でうたっている。

アカク アカキ ハナヲ サカセ
ヘイシ タチハ クニヘ カエル
コノヒトゴロシ!

赤く赤き花を咲かせ
兵士達は国へ帰る
「この人殺し!」

戦場になった土地で、子を孫を曾孫を殺された
老婆のすすり泣くような訴え
兵士達は国へ帰るが、殺された子も孫も曾孫も
もう帰ってはこない。
すべての戦場で、赤い花が咲き、
悲しみがそれを覆い尽くす。
人殺しの兵士達が帰ったあとの、赤く染まった地面に
しゃがみこんだ老婆の悲痛なあえぎが風に消える…
コノヒトゴロシ…コノヒトゴロシ…

・赤く赤き花を咲かせ 兵士達は国へ帰る 「この人殺し」/森本平

3・3・3・3
3・3・3・3
2・7

この韻律の発見がみごとに表現を自立させた。
歌人というのは、主題をもっともきわだたせるために、韻律さえも
ふさわしいものをみつけださなければならない。
既視感のあるイメージであっても、表現上のくふうで、言葉は輝きを増す。
短歌をつくるということは、まさにつくりあげるのであって、
鋳型に言葉を流し込むような単純なことではない。
それに気がつかない人は作者としても読者としてもついに短歌という詩形を
わかったことにはならない。森本平の凄みを再確認した。


[1006] 詩歌人のいちばん長い日 2003年06月28日 (土)

ということで、新宿文化センターに朝9時集合。
雨の中、一瞬、曲がり角をまちがえそうになりながら、なんとか到着。
あとはほとんど受付に居て、最後の朗読者の岡井隆さんが終了し、田中槐さ
んが閉会の挨拶をしたのが、午後8時15分くらいだったかな。
とにかく、5時間超のイベントとはいいながら、7時くらいまで当日券のお
客さんが来てくれて、動員的には大成功。
私は客入れさえすんでしまえば、あとは客席で見ていられると思ったのが大
まちがい。結局、数組しか会場内では見られませんでした。

お客さんを見ていた受付の立場としては、幅広い年齢層の人達が来てくれた
のが、驚きであり喜びでした。
俳人の高橋龍さん、今井聖さん、大井恒行さん、ちゃばしらの井口一夫さん
吉田佳代さん、梨の実歌会の五十嵐きよみさんといった、現在、最も熱い人
たちも来てくださいました。
「短歌人」の創刊同人でいらっしゃる浅羽芳郎さんが来てくださったのには
びっくり。まちがいなく最年長のお客さまでした。

打ち上げでは桝屋善成さん、斉藤斎藤さん、岡崎裕美子さん、浅羽佐和子さ
んたちとお話できました。斉藤斎藤さんの本名が斉藤ではなく渡辺だと知ら
された岡崎さんが「お父さんの浮気を知った時くらいショック」と言ったの
が、さすがに「未来」のメンバーは比喩が巧いと感心。
10時半過ぎに、突然に足が攣ったので、あわてて帰宅。
途中の地下鉄大手町駅で、小島貞二さんの葬儀帰りだという演芸プロデュー
サーのHさんと久しぶりに出会う。
小島貞二さんには、一度だけ、お目にかかったことがあることを思い出しな
がら、痛い足をひきずって、小糠雨の中をきたくする。

しみじみと長い一日だった。


[1005] 愛の新世界 2003年06月27日 (金)

「短歌人」七月号に、こういう作品が載っている。

・昭和といふ昨日がわたしを呼んでゐる大西ユカリと愛の新世界/橘夏生

大西ユカリが短歌に詠まれるのはうれしいな、と思う。
退嬰的であるかもしれないが、その後方へ向っての引力が過剰で魅力的。

今日はフジテレビの株主総会なので、オフィス内は妙に静かだ。
ニュースレターの校正とまだ入っていない原稿のチェックと催促をする。
27時間テレビ、七月の新クールの立ちあがり、お台場冒険王と、それ
ぞれに仕事が集中している。

夕方から駄句駄句会。
玉置宏さんに、「平成落語家ジョッキー」が企画されたいきさつを聞く。
やはり、玉置さんも、年輩の落語フアンに、若い噺家の面白さを、この
番組で認識してほしいとのことだった。

・夏帽子ふたつ寄っては虎談義  駄郎

今夜はこの一句が断然の人気だった。

帰宅後、講談社文芸文庫の新刊『杉田久女随筆集』の宇多喜代子さんの解
説を読む。坂本宮尾さんの杉田久女研究に関して、まったくふれていない
のが不思議。坂本さんの『杉田久女』(富士見書房)は、「天為」に連載
されていたはずだが、宇多さんはお読みになっていなかったのかもしれな
い。しかし、久女の随筆類まで、こうして文庫で読める時代になるとは思
わなかった。


[1004] 永末恵子の俳句など 2003年06月26日 (木)

株主総会があって、人事異動の内示もあったらしいが詳細は不明。

局長とTさんと夕食は焼肉。
実はこの店、私の住むマンションから徒歩10分。
8時前に解散で、時報直後に帰宅してしまった。

永末恵子さんが新句集『ゆらのとを』(ふらんす堂 2800円)を送って
くださった。すぐ読む。

・音楽のここからここまで明石鯛
・和栲の空忘れめやかたつむり
・水餅やすっかり大胆になって
・見たあとで聞くさびしさよところてん
・雪を盛るように没落してゆきぬ
・栗の花世界は暗くなるのだな
・のじぎくに杼の匂いあり眠らな
・ふりかけの音それはそれ夕凪ぎぬ
・きのうから黙っておりぬつちふりぬ
・鶴の空灰を均しているあいだ

かすかなペシミズムが流れているが、言葉に過度な負荷をかけないような
句のつくりかたなので、読んでいて共感できるものが多い。
橋間石門下の俳人。
読み飽きず、読み返したくなる句集に仕上がっていると思う。


[1003] 平成落語家ジョツキーなど 2003年06月27日 (金)

先週の水曜日にNHKラジオで林家彦いちさんの新番組が始まったと書いて
しまったが、実はこれ「平成落語家ジョッキー」という、パーソナリティが
週替りの番組だった。彦いちさん、立川志らくさん、林家たい平さん、柳家
花禄さんの4人が、交替で一週ずつ、ディスクジョッキーを担当するという
ことらしい。
今夜は志らくさんで、チャップリンの映画の話ばかりずっとしていた。
こういうマニアックなものは面白い。
たぶん、台本は箱書きだけしかなくて、中味も選曲もおまかせになっている
のだろう。その方が絶対に面白くなる。
しかし、それにしても「平成落語家ジョッキー」という番組タイトルは、
NHKでないと考え付かないものだ。

ワイドショーに高杢禎彦のインタビュー場面が出ていた。
胃がんで生死の境をさまよったのだそうだ。
おとなの顔になっているのにびっくりした。
高杢とは「サンデーヒットパラダイス」という番組で、仕事をしたことが
あるのだが、その時は態度も言葉つかいも、あまり良い印象はなかった。
しかし、今日の高杢は別人のように立派な態度にみえた。
まあ、これが成長したということだろう。