[1002] 雨模様湾岸地帯 2003年06月24日 (火)

今日から東京電力の「でんき予報」なるものが始まった。
今年の夏は暑く暗い夏になりそうだ。

オフィスにおいてあった本を少し自宅に持ちかえる。
ちくまの「文学の森」シリーズなど。
その中に入っていた田中貢太郎の「竈の中の顔」という怪談を読む。
理不尽に後味の悪い話だ。

「吉岡生夫論」書き終わる。
「俳句」7月号の櫂未知子「能村登四郎論・両性具有型俳人」の前編を読む。
能村登四郎が学生時代に参加していた「装填」なる同人誌から短歌を引用す
るなど、資料調査にお金と時間がかかっていて、気合が入っている。
「沖」にはこういう登四郎の短歌まで論じた論文が載ったことはあるのだろ
うか。今月号の分では「両性具有」というキーワードにはほとんど触れられ
ていないので、次号の展開が楽しみだ。


[1001] 品川心中・上下、小猿七之助 2003年06月23日 (月)

今夜は6月の立川談春独演会。
台場駅からゆりかもめで新橋へ出て、そのまま銀座まで歩く。
今にも降り出しそうな空模様だが、降ってこない。
銀座から地下鉄日比谷線で築地駅。ブディストホールへ行く。

今夜の演目は「品川心中」の上下通し。
いつもは上しか演じられない演目なので、正直なところ下まで聞くのは
初めてだし、期待は大きい。
できるだけヘラヘラとやります、と、言っていたが、やはりテンポよく
面白い。90分を超える長講を一気に語り終えた。
気力が充実している証拠だろう。
この時点で8時45分。
10分休息をいれて、次は「小猿七之助」の短いバージョン。
この噺は昨日、国立演芸場でやったのを、もう一度、今日やつてみるとの
ことだった。
こういう気風の良い男の口調はやはり抜群。
さすがに途中で切り上げたが、部分とはいえ満足でせきる出来栄えだった
のだろうと思う。
今週の木曜日に載る産経新聞のコラムに、談春さんの充実ぶりを書いたの
だが、今夜の噺を聞いてから書くべきだったかもしれない。

満足して帰途につく。
日比谷線で一駅、八丁堀でJR京葉線に乗り換え、二つ目の潮見下車、
あとはマンションまで徒歩5分。
邑書林から「セレクション歌人」のチラシが届いていた。
第一回配本の「吉岡生夫集」の解説、明日じゅうには書き終えなければならない。


[1000] 浮世噺 桂春団治など 2003年06月22日 (日)

日中は一心不乱に原稿書き。
夕方から池袋の東京芸術劇場会議室で「短歌人」の編集会議。

10時ちょい過ぎに帰宅して、NHK教育で「浮世噺 桂春団治」を見る。
藤山直美のおとき、中村九郎の春団治。
藤山直美の斜め横顔が藤山寛美うりふたつなのにびっくりする。
しかし、全体的には勘九郎が私にはどうももうひとつ満足できない。
関西弁も不安だし、おどけかたが悪ずれしているように私には思える。
そういうおどけや現代風のアドリブに、お客が他愛なく笑うのもなんだか
なあ、と、思ってしまう。

花紀京、小島秀哉、小島慶四郎、笹野高史といったベテランが一所懸命、
支えている感じがする。彼らの演技がなければ、私は途中で見るのをやめ
たかもしれない。
いちばん笑えたのが、花紀演ずる桂麦団治が楽屋に娘と一緒にやってきて
ステッキでいきなり太鼓を叩く場面。これはもしかすると間寛平のステッキ
じじいの原点なのかもしれない。
もちろん藤山直美はいい。
これを勘九郎ではなく、松竹新喜劇の役者でできなくなっているところが
現在の松竹新喜劇のどうしようもないところだ。
商業演劇というのは客がたくさん来て、面白ければ良いのだろうが、せっかく
の藤山寛美の当たり狂言で実子の直美が熱演しているのに、肝心の春団治を
勘九郎に頼らなければならないというのが、ちょっと考えどころ。


[999] 公立中学校の図書室など 2003年06月21日 (土)

長女の授業参観日なので自転車で中学まで行く。
一時間目をいろいろとクラスをかえながら参観する。
図書室を見せてもらったのだが、入ったとたんに、百科辞典が何種類かつめ
こまれた木製の古びた書棚がある。この書棚、昭和38年卒業生寄贈と書か
れているほどの年代モノ。
こういう古く汚い書棚では、とても、そこにある本を読もうという気持ちに
はならないだろう。
奥に行くとスチール棚があるのだが、これもところどころ錆を噴いていて、
かなりの年代もの。
そして、並んでいる本も、昭和四十年代とか五十年代に刊行された文学全集
などばかり。単に文学全集というだけで、とても中学生のための蔵書とはい
えない。北海道文学全集なんてのが20巻ばかり並んでいたが、こんなもの
がなぜ東京江東区の公立中学の図書室にあるのだろう。
一冊一冊は面白く思えるが、とても中学校の図書室においておいて価値があ
るというものではない。
だいたい、最近、購入した本らしいものが数えるほどしかないのだ。
これでは、中学生が図書室にこないのもムリはない。

帰りにイトーヨーカ堂に寄って、ウォッシャブルの夏用スーツを購入。
午後からは暑さにグッタリ。
夜は「めちゃイケ」を見る。ベッカムの前で、あんなことをしていたとは
さすがにCXだなあ、と、逆に感心する。
どうせなら、江頭に全裸になってほしかったのに。


[998] ベッカムが来た日のあれやこれや 2003年06月20日 (金)

ベッカムが午後から社屋内に来るということで、フジテレビの番組は煽るし、
社内放送なども流れ、さらには女子社員が着物姿たで出迎えるなどと、館内
が放送局とも思えぬほど浮き足だっている。
女子社員の着物というのは「大奥」の衣装をそのまま流用したのだろうか。
すればいいのに。
午後二時、オフィスタワー側から24階にベッカムがやってくる。
もちろんカメラクルーをひきつれている。
私の居るオフィスの前をとおり、そのまま、コリドールを抜けて、ニッポン
放送側へ入っていった。もちろん、ニッポン放送エリアでは、テリー伊藤が
待ち伏せている。案の定、無理矢理、握手をしたようだった。

私より若い人の短歌に対する態度に時々、違和感を感じることがある。
短歌をつくっていることに対して、何かとても特別のことのように勘違い
している気がするのだ。
もちろん、自信を持つのはよいことだが、短歌をつくるというのは、何も
とても特殊な能力を必要とするわけでもない。
少なくとも私は小さな詩形にたずさわっていることにプライドは持っても、
だからといって、自分が他人よりそれゆえにすぐれているなどとは思って
もいない。まして、人気があるとか、売れているとか、有名だとかいうこ
とを、短歌に即して考えることは、私は恥かしい。
ときおり、短歌をつくる自分を過剰に意識した発言や態度に出会い、不思議
に思い、不快に思う。
短歌の世界の賞をとったということも実は小さな世界の価値観に過ぎない。
そこをスタートとして、新たな世界へ歩みを進めて行くことが、短歌に対す
る、そして自分の表現意志に対する誠実さだと思う。そして私はさの誠実と
いうことを大切にしたい。


[997] 添付画像がひらかない 2003年06月19日 (木)

今夜、新宿の「サムライ」で、「マラソンリーディング2003」の最終の
スタッフミーティングがあるので、少し早めにオフィスを出ようとしたのだ
が、ニュースレター用に、広報部から添付ファイルで送信してもらった画像
がどうしても開かない。
デザイナーの方に、そのまま転送してみたが、やはりそちらでも開かないと
の状態。
結局、ドタバタ騒いで、なんとかデザイナー用の画像をひらくことができた
のは午後6時過ぎだった。

「サムライ」に到着したのは7時過ぎ。新宿駅の東南口で扶呂一平さんに声
をかけられる。彼は仕事を終えて、帰宅するところだとのこと。
「サムライ」にはほとんどのスタッフが集まっていた。30人くらいか。
私は入場整理の担当なので、佐藤りえさんに個別で打合わせしてもらう。
一緒に入場整理を担当してくれるのは魚住めぐむさん。彼女とは初対面。
忙しく働いている宮崎二健にピラフをつくってもらい、急いでそれを食べて
中央線、京葉線経由で帰宅。9時ちょうどだった。

セレクション歌人「吉岡生夫集」のゲラを読みながら、解説文のためのチェ
ックを入れる。
夜が更けるにつれて風が強くなってくる。


[996] 念力短歌も流行ればいいのに 2003年06月18日 (水)

ブロードバンドニッポンで、笹公人歌集『念力家族』(宝珍刊)を紹介
する。はっきりと笑いを狙う姿勢に好感がもてる。
実際、もっともっと笑える短歌はつくれるはず。
もちろん、誰でもがそれを狙えば良いというわけではないので、笹公人とい
うギミックにそれを期待しているということだが。

エスエーエスエー SASA エスエーエスエーSASA 念力家族!

これをキャッチにして短歌界のはなわとなってほしい。

帰宅して、産経新聞のコラム「直言曲言」を書きながら、ラジオをつけたら
NHK第一放送の9時半から、林家彦いちさんのレギュラーが始まっていた。
若手の噺家がこのようにNHKでレギュラー起用されるのは嬉しいことであ
り応援したい。
この時間はもとは「ラジオ名人寄席」で、水曜日は玉置宏さんと沢田隆治さ
んの対談による解説付きのイロモノ芸の放送だったので、それはそれでいつ
も珍らしい芸人さんのテープが聞けたのだが、やはり、落語とちがってイロ
モノの音源には限りがあるということなのだろう。

山田風太郎の『戦中派焼け跡日記』読了。
ソ連に対する憎悪がかなりあからさまに書いてあり、興味深かった。
列車の混雑状況のすさまじさ、駅にたむろする浮浪者の姿などなど、
リアリティのある描写で、やはり、文章表現力の凄みを感じる。


[995] 蟲の王など 2003年06月17日 (火)

朝は蒸し暑いうえに、小雨が降りしきり、きわめて鬱陶しい天気。
バスもこういう時に限って、なかなか来ない。お客が溜まっているところに
混んだバスが来るという悪循環。
襟首が汗で気持ち悪く湿っている。

オフィスの中はさすがに空調がしっかりしているのだが、まもなく、供給さ
れる電力が足りなくなる予想とのことで、いつまで快適でいられるか。
グループニュースレター及びパワーチームプロジェクトの仕事で、終日、パ
ソコンの画面に向って、キーボードを叩き続ける。

帰宅時はラッキーなことに雨がやんでいた。
バスの混雑には朝だけで辟易したので、りんかい線、京葉線と乗り継いで帰
る。高野ムツオさんが新句集『蟲の王』を送ってくださっていた。
この高野さんの句集は、ぜひ、読みたいと思っていたので、実は発行元の
角川書店に直接注文しようと思っていたところだったのだ。
恐縮しつつたいへんありがたく、一気に読んでしまった。

・月明の野菊の脛を血が上る
・潮騒は靖国神社今夜また
・文庫本より八月の導火線
・海底を行く列車あり枇杷の花
・詩の遊びとも腸が氷りても
・貸本屋より三月の海潮音
・絶版の岩波文庫より燕
・千代に八千代に吾は霜夜の夷狄たり
・ポケットに星屑ありし昭和かな
・尿前の関ひぐらしの湧くところ
・虫の息とは生きる息野分吹く
・水仙は永久にこれから飛ぶところ

こういった句にはついつい魅かれてしまう。
述志と青春への残夢がないまぜになったところにせつなさがある。
また、私自身が前衛俳句を読みこむことで、俳句の実作を始めたので
その時代の通貨的な言葉が時折顔を出しているところもなつかしい。
自分を凝視することで、次の一歩を踏み出す、力強い句集だと思う。


[994] たまには鬱陶しい一日もある 2003年06月16日 (月)

一日休暇をとったのだが、さまざまにトラブルが発生して鬱陶しいことこの
うえない。
夕方、角川書店の「短歌」編集部へ行く。
奥村晃作さんと対談。
急いで帰宅。
山田風太郎の『戦中派焼け跡日記』昭和21年8月まで読む。
鬱陶しいまま眠る。


[993] 岩下静香歌集『ナチュラルボイス』批評会 2003年06月15日 (日)

名古屋に向う。
新幹線の中で「坂の上の雲」3巻を読む。子規の死から日露戦争のあたり。
ちょうど正午に名古屋へ到着、松坂屋で食事をして会場へ向う。

司会が「コスモス」の鈴木竹志さん。
パネリストは「塔」の吉川宏志さん、「短歌人」の武下奈々子さん、
「パピエシアン」の小林久美子さん、「ラエティティア」の荻原裕幸さん。

ごとし、とか、ような、といった直喩の多さやまさに作品がタイトルどおり
のナチュラルボイスであるのかどうか、という点が議論された。
鈴木竹志さんの司会の巧みさで、とても議論自体がわかりやすい進行になっ
ていた。
吉川宏志さんが言った、「タイタニック」は自然の海をスクリーンに見せる
ために、CGとして超絶的な技巧を使っているという意見は面白く聞けた。

パネルディスカッションが終って懇親会。
たくさんの人にお目にかかることができたが、なかでも、よでん圭子さんと
の10年ぶりくらいの再会とさらにぽぷら21という俳句の掲示板で知りあ
った森麟さんとが知り合いであったという奇遇には驚いた。森さんとは、こ
れが初対面。いま、森さんの掲示板で、獺麟川俳句リーグという一句提出の
句会をおこなっているのだが、これが実に緊張感がある。
森さんは中央競馬の写真を撮っていらっしゃり、今日も中京競馬場から、直
行してくださったとのこと。

二次会は、青柳守音さんに、下の喫茶ルームで、といわれたにもかかわらず、
鈴木竹志さんたちが、居酒屋に向うのについていってしまった。
てっきり、そこで合流するものと思っていたが、どうやら、青柳さんを待た
せてしまったようで申し訳けなかった。
居酒屋では、岩下、よでん、吉浦玲子さんらと話しをした。

7時半になったので、席を辞して名古屋駅へ。
帰りの新幹線の中で「坂の上の雲」3巻は読了。
夜10時半すぎに家に帰りついた。


[992] 「短歌人」五月月例歌会 2003年06月14日 (土)

今日は土曜日だが、池袋の東京芸術劇場で「短歌人」の月例歌会。
前半の司会を担当する。後半は川田由布子さんが司会。

先月は六十首くらい出詠されていたが、今月は四十八首だったので、だい
たい、テンポよく進行でき、4時40分くらいには全作品の批評が終了した。

勉強会は鶴田伊津さんの司会、太田秀康さんがレポーターで、朴貞花さんの
歌。朴貞花さんは「朝日歌壇」に三十年くらい投稿しつづけ、近藤芳美の勧
めで、「未来」に入り、歌集『身世打鈴』を刊行している。
太田さんは、ご本人にも取材したようで、よく調べていた。
ただ、朴貞花さんは北朝鮮籍であり、作品に自己批評がないのが、文学作品
としては、致命的だと思う。新聞歌壇というものの一方通行性の悪い点が出
てしまっていると思わざるをえなかった。
身世打鈴というのは、身の上話という意味だそうだが、個人の体験を語るこ
とで、それが普遍的な感動を生み出す、という点まで作品の表現が磨きこま
れなければならない。事実のみにひきずられないよう、作品の構成を考える
こと、自戒をふくめて、そう思わざるをえない作品のレベルだったように思
う。太田秀康さんのこういった提起は、私にはありがたかった。


[991] 鉄拳とパペットマペット 2003年06月13日 (金)

久しぶりに銀座に来て、銀座コアの6階にあるくまざわ書店に行こうとした
ら、ブックファーストと入れ替わるために6月いっぱいは、改装リニューア
ル閉店とのこと。近藤書店もなくなってしまったし、これで銀座の交差点付
近には、教文館しかなくなってしまった。
しかたなく、日比谷の旭屋書店まで歩いて、本を3冊購入。

・『色川武大・阿佐田哲也エッセイズT・放浪』ちくま文庫
・『桂米朝セレクション7・商売繁盛』ちくま文庫
・『綺堂随筆・江戸の言葉』河出文庫

そのままSOMIDOホールへ行き、タイタンライブを見る。
出演者は爆笑問題、長井秀和、キリングセンス、がんす、5番6番、しめ鯖、
スマイリーキクチ、ホリ、パペットマペット、鉄拳、坂道コロンブス、
GO・JO、X-GUNなどなど。

ここのところ落語会ばかり行っていたので、久しぶりのお笑いライブだが、
演出がアカ抜けていて、十分に楽しめた。
まずプロジェクターで、タイタンという言葉の意味がカート・ヴォネガット
の『タイタンの妖女』の一節を引用したかたちで写しだされる。
そのあと、芸人さんたちの紹介は、こういう本の一節の引用がまずスクリー
ンに出て、芸人名の紹介になる。
たとえば、長井秀和は坂口安吾の「白痴」、しめ鯖は大江健三郎の「見る前
に跳べ」、スマイリーキクチがウイリアム・バロウズの「裸のランチ」等々。
いかにも爆笑問題好みの構成作家がやってるな、という感じ。

お客の反応が大きくて驚いたのは、ぱぺっとまぺっとと鉄拳。
二人ともはじめてナマで見た。
シャベリのしろうとっぽさをアイデアでカバーしている二人なので、案外、
こういう人達は長持ちするような気がする。
一方、ベテラン勢はかなり苦しい。
しめ鯖などテンポが悪くなってやりガッカリした。思えばこのコンビも、
水飲み百姓→北枕→雨空トッポ・ライポ→しめ鯖アタル・ヒカルと名前を
変えてきたのたが、それが悪い方に出てしまっている。
GO-JOもちょっと期待はずれ。この片割れもGO-JOになる前は、
ZIBA、その前はZ-BEAM。B21スペシャルあたりと一緒にライブに
出ていた。
こういう中から、今年になってテツ&トモ、ダンディ坂野、はなわ等が脱け
出して行ったというわけだ。キビシイ世界だなあ、と思う。

終ったら10時過ぎ。銀座パンテオンのオールナイト・イベントに顔を出す
つもりだったが、疲れて気力がなくなり帰宅。


[990] 霧に沈むベイエリア 2003年06月12日 (木)

朝から湾岸地域は霧がたちこめている。
球体もレインボーブリッジも白く霞み、シルエットしか見えない。

昨日、短歌新聞社文庫の田井安曇歌集『水のほとり』の解説を書いたことを
記したが、実は文庫の解説というのは、今までに二回、書いたことがある。

・西村寿行著『咆哮は消えた』角川文庫
・門 茂男著 『力道山の真実』角川文庫

どちらも、もう、絶版だと思うが、ブックオフなどで見かけたら、立ち読み
などしてみ下さい。藤原月彦というむかしの筆名で書いています。

昨夜、寝床の中で山田風太郎の『戦中派闇市日記』の昭和22年の分を
読んだ。当時の物価や原稿料の金額も詳細に書いてあるので資料的な価値
も高い。
まだ、医大の学生なので、探偵小説やら医学書やら聖書やら、毎日も何か
しら、読んでいる。海外ミステリでは、この年にクリスティの『アクロイ
ド殺し』やベントレーの『トレント最後の事件』を読んで、おおいに刺激
を受けている記述がみえる。

「一枚の絵」という雑誌に林あまりさんが「背景の雨」というエッセイを
書いていて、私のプラタナスの歌を引用してくれている。
この歌は小島ゆかりさんも『歌の観覧車』の中のエッセイで鑑賞してくれ
ている。自分の歌が、このようにして、誰かの記憶に残ってくれれば嬉しい。

・プラタナス濡らして夜の雨が降る濡れたきものは濡らしてやれよ

『東京哀傷歌』に収録してある一首である。
作者の魂胆としては、「濡」という漢字を一首に三つ使ったところ。
「短歌的抒情の否定」へのささやかな挑発ということ。


[989] 「水のほとり」と「鎌倉のおばさん」 2003年06月11日 (水)

帰宅したら、短歌新聞社文庫の田井安曇歌集『水のほとり』が二冊届いて
いた。この歌集の解説を私が書いている。というより、「綱手」3月号に
掲載された「『水のほとり』論」がこの文庫の解説として再録されたのだ。
田井安曇さんから、その旨了解してほしい、との連絡が4月に来ていたの
で、すぐに了解の返事を出していて、本ができあがるのを心待ちにしてい
たのだ。この文庫のシリーズは667円(税別)と、買いやすい値段なの
で、東京堂書店、八重洲ブックセンターなどでみかけたら、お買い求めい
ただけるとありがたい。田井安曇という歌人の独自の歌の世界にふれてほ
しいと思う。

村松友視『鎌倉のおばさん』読了。
著者の祖父の村松梢風の愛人として40年以上、生活をともにした絹枝と
いう女性を狂言回しにして、自分の成長と村松一族のあれこれを書いた本。
著者は清水市で梢風の本妻に育てられ、しかも、父親にあたる梢風の長男
の友吾は友視が産まれる前に亡くなっているために、実母は離縁して去り
著者は梢風の末子として入籍されているという複雑さなのである。

この複雑な縁戚関係の中で、著者は梢風の本妻に育てられるのだが、学校
が休みに入ると、鎌倉の梢風と絹枝のもとへ泊まりにゆくという生活をす
る。そういう回想がはさみこまれながら、梢風の女性観や上海での川島芳
子との関係などが、挿入されていく。
梢風の著書や梢風をモデルにした小島政二郎の「女のさいころ」という小
説もかなり引用されていて、ぐんぐん読み進むことができる。

泉鏡花文学賞を受賞した長編、興味深い一冊だった。


[988] 梅雨入りしたかもしれない日 2003年06月10日 (火)

bk-1に注文しておいた山田風太郎の『戦中派焼け跡日記』と『戦中派闇市
日記』の二冊が届いた。
これは、すでにむかしから出ている『戦中派不戦日記』や『戦中派虫けら日
記』の続編にあたる戦後の日記。
昭和22年、23年の日記である『闇市日記』の方では、すでに、小説を書
き始めていて、江戸川乱歩からのハガキの引用など、興味深い部分が多々あ
る。まだ、このあと、戦後の日記があって、刊行されるそうなので、もちろ
ん、それも買うつもり。しかし、作家として小説の締切に追われながらも、
日記を書き続ける意志には、すごいものがある。

『坂の上の雲』以外に読み始めたのは村松友視の『鎌倉のおばさん』。
こちらは、もう半分以上読んでいるので、明日あたりには読み終わるはず。

柴田千晶さんから詩の同人誌「erection」が届く。
この号には、柴田さんと共作の連作『交歓』の第9作「再生の家」が、掲載
されている。ぜひ、読んでもらいたい作品だ。

梅雨入りしたらしいが、曇り空ではあるが、降雨の気配はない。
「短歌人」八月号の原稿を少し書いてから寝る。


[987] 気骨を持たねばならない 2003年06月09日 (月)

『坂の上の雲』は現在、第3巻の途中。
この一休みのあいだに読み終わったのは、次の3冊。

・岩波新書『アメリカ黒人の歴史』
・文春新書『二十世紀 日本の戦争』
・城山三郎対談集『気骨について』

面白さという点においては、新書の二冊が面白かった。
アメリカの黒人がどのようにして、アメリカ人としての権利を獲得して
いったか。新書という概論のスタイルで記述されていても感動的なエピ
ソードが多い。真夜中に北極星を頼りに秘密列車で北を目指して脱出す
る19世紀の黒人たちの物語は、映画になっているのかもしれない。
内容はちがうが、『北国の帝王』を思い出したりした。

『二十世紀 日本の戦争』は、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、
太平洋戦争、湾岸戦争という五つの戦争に関して、猪瀬直樹の司会で、
阿川弘之、中西輝政、秦郁彦、福田和也が、それぞれの戦争の意味を
討議するというもの。
こういう具体的なテーマでの意見交換になると、右より有識者として
同じように見えていた中西輝政、秦郁彦のスタンスの違いなどが分か
ったりして興味深い。

城山三郎の対談集はやはり、巻頭の沢地久枝と辺見じゅんとのものが、
なまなましい戦争を主題にして、そこでいかに無名の兵隊や士官たち
が、気骨をもって活動していたかを語り、感動深いものがある。

気骨という言葉は自分自身にひきつけてあらためて考えてみる必要がある。


[986] 談春・花録二人会など 2003年06月08日 (日)

日曜日、かなり暑くなりそう。
午前中に東陽町まで自転車で牛乳を買いに行く。
かの子はおばあちゃんとディズニーランドへ行っている。

「sumus」の別冊まるごと一冊中公文庫が昨夜、「ニューウェーブ短歌
コミュニケーション2003」から帰ったら、届いていたのだが、とにかく、お
もしろいので、一気にすべてのページを読んでしまった。

中公文庫は本が好きな人にとっては、特別な思い入れがわいてくる文庫だと
思う。今でこそ肌色の背表紙ではなくなってしまったが、かつては、その背
の色だけで、大型書店のどこに中公文庫があるのか、すぐにわかったものだ。
「sumus」の南陀楼綾繁氏の文章によると、中公文庫は1973年6月
に創刊されたのだそうだ。第一回のラインナップに庄司薫の『赤頭巾ちゃん
気をつけて』が入っていたというのも、あの時代を感じさせる。

この号の呼び物は、藤沢の聖智文庫の有馬卓也さんへのインタビュー。
前にも書いたが、有馬さんは私の大学時代の先輩にあたる。
昨年、はじめて、聖智文庫を訪ねたときは、中公文庫の絶版ものが並べられ
た棚に圧倒されたが、「sumus」の同人のみなさんのように、さまざま
な古書店に足を運んでいる人達にとっても、あの品そろえは、圧巻だったの
だな、と、あらためてうれしくなる。

夜、国立演芸場へ「立川談春・柳家花録 二人会」へ行く。
吉川潮先生、プロレス・ディレクターの海谷さん、石和の若旦那・馬場さん
の顔が見える。2月のブディストホールの談春独演会で、氷雨の中、素足に
サンダル、ジーンズ、ジャンパーで、手には「競馬ブック」とおにぎりの入
ったコンビニの袋、という豪快な姿で来ていた女性の姿もみえる。こうなる
と、みんな同志意識がわいてくる。

花録さんが「ろくろっ首」と「千両みかん」
談春さんが「野ざらし」と題名不明の大岡裁きもの。
どれも安定した語りくちで楽しめた。
花録さんの「千両みかん」は、番頭がみかん3粒を持って逐電したのちの
エピソードを加えて、新演出になっていた。
談春さんの啖呵の小気味よさはあいかわらず。

一人で来た女性客が私の左側に座っていたのだが、この人が拍手のタイミング
が実に的確。サゲの瞬間にもう拍手をしている。といって、早すぎて邪魔なわ
けではない。効果的な拍手の中で、もっとも早いということ。もちろん落語を
よく知っているからこそ、そういう行動がとれるのだ。
私も自慢ではないが、元ラジオディレクターなので、拍手のタイミングははず
さない自信はあったのだが、昨夜はとなりの女性客に1勝3敗で負けてしまっ
た。


[985] ニューウェーブ短歌コミュニケーション2003 2003年06月07日 (土)

「ニューウエーブ短歌コミュニケーション2003」に出席するために、神楽坂
の出版クラブへ行く。
歌葉新人賞の授賞式があり、それに一つの対談と一つのパネルディスカッシ
ョンを組合せたプログラム。

受付で参加費を払ったあと、歌葉シリーズで出たばかりの、ひぐらしひなつ
歌集『きりんのうた』を購入。
この歌集は、早くできあがらないかと心待ちにしていた一冊。

「ちゃばしら」の井口一夫さんと吉田佳代さんに声をかけていただく。
初対面だが、お二人とも、こんな感じの人かなあ、と思っていたイメージに
近い方だった。井口さんは今日のパネリストの一人だが、その発言には、
特に注目したい方である。

田島邦彦さん、奥村晃作さんと並んで対談とパネルディスカッションを聞く。
対談は穂村弘VS枡野浩一。
こういう組合せは初めてだそうで、話自体は飽きることもなく聞くことが
できた。
発言の内容としては、枡野さんが、対マスコミという場において、いかに、
短歌を理解させるかに苦労してきたか、という点を語り、穂村さんには、
村井康司さんというプロデューサーがついているのがうらやましい、と発言
したことが印象に残った。塚本邦雄に政田さんが居たように、穂村弘に村井
康司がいるということだ。そういわれるとわかる気もする。

ただ、いつも感じるのだが、穂村さんは、なぜ、現在の歌壇と切れることを
決断しないのだろうか。私にはあいかわらずそれが歯痒く思える。
『ラインマーカーズ』の巻末の著作リストを見ると、穂村弘はむしろ歌人と
いうより、絵本翻訳家なのであって、歌人にこだわる必要を私はまったく、
理解できない。

パネルディスカッションのパネリストは井口一夫、五十嵐きよみ、大松達知、
千葉聡、天道なおの五人。
時間が足りなくなったのが残念だったが、それぞれの主張は明解に出ていた
と思う。井口さんが40代になってから短歌に出会って熱中したというのは
貴重なことだと思う。
あと、五十嵐きよみさんのレジメに書いてあった、狭義のネット短歌という
ものが、どういう感じの作品を指すものなのか、聞きたかったと思う。

授賞式パーティでは乾杯の発声をさせていただいたが、やはり、自分は馬齢
を重ねただけだったかもしれないと後悔の念がわきあがる。
昨日の「かりうど」の会に出席していた福岡の中水ゆかりさんが来ていたの
で、彼女をいろいろな人に紹介するということで、けっこうたくさんの人と
話すことができた。こういうきっかけでもないと、立食パーティでは、私は
特定の人としかしゃべらないから、かえってありがたかった。

受付からパーティの司会までこなした佐藤りえさん、オツカレサマでした。


[984] 薔薇とテロル 2003年06月06日 (金)

「かりうど」に所属する笹倉玲子さんの歌集『薔薇とテロル』の出版記念会の
ために、新宿の三井ビルの五四階にある三井クラブへ行く。

右隣が花山多佳子さん、左隣が沖ななもさん。正面が三井修さん。
他に福田龍生、鈴木英子、小池光、古谷智子、塩野崎宏、前川佐重郎
鈴木惇三、及川隆彦氏が外部からの出席者。

六十代から短歌をはじめたという笹倉さんだが、発想が柔軟でしかも
歌柄も大きく、良い歌集になっていると思う。
「かりうど」のような新しいグループから、さらに若い世代の歌人が生み
だされることが必要だろう。
二次会で、塩野崎宏さんや「かりうど」の豊岡裕一郎さんたちに、インター
ネットと短歌についてその効用を力説してしまった。
まだ、おたがいのあいだの情報不足があり、警戒心がとけないというのが、
現実のようだ。

めずらしく深夜近くに帰宅。


[983] ありがとう笑名人 2003年06月05日 (木)

七月下旬の陽気だという暑い一日。
真夏になると、東京電力が電気の供給量を制限するというが、今日あたりも
けっこう電力は不足しているのではないか。

bk-1から高田文夫著『ありがとう笑名人』が届く。
これは、高田文夫さんの聴き書き集なのだが、三木のり平のことは息子の
小林のり一に聞き、東八郎に関しては同じく息子の東貴博と未亡人に聞く
というように、亡くなった人の場合は、周囲の人の証言で、対象の人間像
を立体的に盛り上げてゆく方法をとっていること。

小林のり一の言葉からは、三木のり平がいかに屈折した性格の人物だった
かがよく理解できる。もっとも、小林のり一もかなり屈折しているけれど。

他に由利徹、笑福亭松鶴、古今亭志ん朝がとりあげられている。

笹公人歌集『念力家族』がついに出た。

・幼年時友と作りし秘密基地ふと訪ぬれば友が住みおり

こういう笑える歌がたくさんある。
本人が意識的にわらえる歌集をつくったのだろうから、狙いはまちがっていない。
現代短歌はこういう部分までも、きちんと取り入れてゆくべきだろう。


[982] ラフ君になつかれた一日 2003年06月04日 (水)

フジテレビのイメージキャラクターは青い犬のラフ君。
このラフ君は、朝10時から夕方6時まで、アルバイトのお姉さんと一緒に、
社屋内を歩き回っている。
午前中に私がオフィスの外側の廊下にあるドリンク剤の自動販売機で、タフ
マンを買おうとしていたら、背後に妙な気配を感じる。
振り向くと、ラフ君がドリンクをほしそうな顔で立っていた。
バイトのお姉さんに「ラフ君、ダメだよ。ジュースは買わないよ」と叱られ
て、すごすごと去って行った。

午後になって、18階にある本屋をのぞいたあと、オフィスのある24階に
あがり、エレベーターエリアから、オフィスエリアへの扉を開けようとした。
この扉は、エレベーター側からは、普通に開けられるが、オフィス側からは
IDカードで、開扉チェックをしなければならない。
私が一気にあけると、なんと、ラフ君が立っていて、ありがとう、と、おじぎ
をしている。ちょうど、バイトのお姉さんが、ラフ君と一緒にエレベーターへ
乗るために、ID操作をしているところだったらしい。
ラフ君は、バイバーイと手をふりながら、お姉さんと一緒にエレベーターの
方へと去って行った。
今日は妙にラフ君になつかれる日だった。

某雑誌から原稿料をいただいたので、城山三郎の対談集『「気骨」について』
を購入。巻頭の沢地久枝との対談からして、読み応えがある。
海軍体験をバックにした城山、引き上げ体験とその後の取材体験により、戦
争が民衆にいかなる不幸を強いるかを語る沢地ともに、強烈な説得力がある。
次の辺見じゅんとの対談も、戦争と兵隊、銃後の民衆をテーマにしたもので
強い印象が残る。軍隊内部での理不尽が人間の業のかなしいさを物語ってい
る。このまま、一気に読了してしまおう。


[981] 小中英之さんを偲びつつ、再会など 2003年06月03日 (火)

市ヶ谷のアルカディアで「小中英之を偲ぶ会」。
有楽町線の市ヶ谷駅で高澤志帆さんと一緒になり、会場へ同伴出社。

司会は田村雅之さん。
開会の言葉が佐佐木幸綱さん。辺見じゅんさん。献杯の発声が島田修二さん。
福島泰樹さんが、例によって、「他人の歌がまじった本なんか刷り直せ!」と
激しくアジりながらも、小中英之への熱い思いのこもったメッセージ。
佐藤通雅さん、三枝浩樹さんといった珍しい人達も、それぞれに、小中英之
の人と作品に関する熱い思いをスピーチされた。
現在、小中英之に強く執着して文章を書き続けている天草季紅さん、
冨士田元彦さん、及川隆彦さん、蒔田さくら子さん、小池光さん、久我田鶴子
さん、といった方達がスピーチ。締めの言葉は中地俊夫さん。中地さんのスピ
ーチは、ここのところそのトボケが持ち味となった、抜群に面白くなってい
る。私もスピーチを指名されたので、1972年に、東京歌会のあとで、
小中さんに自作の「てにをは」をなおしてもらい、「短歌にはかけがえのない
一語がある」ということを教えられたが、実はあまり、当時は、ありがたみを
感じていなくて、今となっては申し訳ない、と話した。

実は今夜なによりうれしかったのは藤森益弘さんが出席していたこと。
藤森さんとは20年ぶりくらいの再会だ。
サントリーミステリー大賞の優秀作となった『春の砦』の見本ができたとい
うことで、それを小中さんの写真に見てもらいたかったのだという。
藤森さんはむかしは上条恒彦そっくりだったが現在は崔洋一監督とそっくり
になっていた。

1970年代後半から80年代前半にかけての「短歌人」では、小池光、
藤森益弘、杉本隆史、梅原靖雄の4人が、いわば若手四天王という感じで
競い合っていた。仙波龍英、吉岡生夫、武下奈々子、永井陽子は、年齢的に
この4人よりは下だったので、私もふくめて、この四天王の競い合いをまぶ
しく見ていた感じだった。
藤森益弘さんは歌集『黄昏伝説』を小池光さんの『バルサの翼』よりも早く
上梓している。杉本隆史、梅原靖雄の二人は、鮮烈な作品を書きながらも、
結局、歌集は未完のままだ。
藤森さんを含め、かれらが短歌を続けていたら、確実に短歌シーンの一角を
占め、強い影響力を放っていたはずだと思う。現実にはそうはならなかった
わけだが、現状の不満足な場面を見るにつけ、すぐれた才能が何人も短歌か
ら去っていった無念を、残った者の一人として、思わざるをえない。

今、たまたま、短歌の世界でもてはやされているようにみえる人達のかげに
藤森益弘や杉本隆史や梅原靖雄が居たことを、できれば若い人達に知ってほ
しいとも思うのだが、どうやら、小中英之すら読んだことがない、というの
が現実かもしれないので、ためいきをつくほかはないのかもしれない。


[980] 一週間ぶりのオフィス 2003年06月02日 (月)

出張と週末をはさんだので、オフィスへ出るのは先週の月曜日以来。
メールが大量にたまっていて、返事を書くのに午前中いっぱいかかって
しまった。
しかし、メールでのコミュニケーションというのは私は電話よりは、ずっと
やりやすいと思っている。

「短歌往来」のながらみ短歌賞の受賞の言葉で、黒瀬珂瀾さんが、
「短歌で得たものより、短歌で失ったもののほうが多いかもしれない」と
書いていたので、自分はどうだろうと思ったが、考えるまでもなく、得た
もののほうが圧倒的に多い。というより、失ったものなんてないんじゃな
いかな。短歌にめぐりあっていない自分というのが、もう、今となっては
考えられない。

帰宅して、井口一夫さんに緊急連絡をとる。
ありがたいことに早速、電話をいただけた。
原稿締切の件だったのだが、ご配慮をいただき、ほっとする。
セレクション歌人の『吉岡生夫集』のゲラが届いている。
今後2年間、頑張らねばならない、と、気合が入る。
この体験もまた、短歌をやっていなければ出来ない経験のはずだ。


[979] 原稿の締切とダービー惨敗 2003年06月01日 (日)

原稿の締切が重なって、とうとう、おいつめられてしまった。
ひとつで躓いていると、そこから先へなかなか進めないということは、経験
的にわかっているのだが、今回はやはり、同じ轍を踏んでしまった。
案の定、この難渋している一本をひいひい言ってしあげたら、もう一本は
なんとか、すぐにとりかかることができ、夜更けには終ってしまった。
しかし、さらに、もうひとつ、難物が残っているのだが。

ダービーはエイシンチャンプからねらって惨敗。
福永が何を思ったか、4コーナーで最内に入って、悪い馬場に足をとられて
しまったようだ。
デザーモが外国人として初めてのダービー騎手になったことは意義ふかいが
日本の騎手はくやしくないのだろうか。
くやしくても、どうにもならないほど、技量がちがうのかなあ。

ところで、bk1で東京新聞出版局から今年の4月15日に刊行された
皆川盤水監修の『新編・実用季寄せ』というのを買った。
帯のコピーに仰天!
「今、もっともナウい」と書いてある。
東京新聞出版局はホンキでこのコピーを考えたのかなあ。
それとも、新編とはいいながら、帯のコピーは旧篇の流用なのだろうか。
邑書林から、セレクション俳人シリーズの岸本尚毅の巻と田中裕明の巻が
届く。この二人の俳句は必ずしも、好きではないが、彼らの最初の方の句集
が完本収録されているのは嬉しい。



[978] 絵画と短歌の対話出版記念会ほか 2003年05月31日 (日)

星田郁代さんの『絵画と短歌の対話』の出版記念会に出席のために、
土浦市まで行く。
途中、上野駅で栗明純生さんと一緒になる。
土浦までは、フレッシュひたちで45分。
雨の中、大森益雄さんが自動車で迎えに来てくれている。

最初にスピーチが当たり、固有名詞(この本では画家の名前)の内包する
情報量の多さと、それを読み解く星田さんの想像力、分析力ということを
話す。
「まひる野」の中根誠さん、松崎健一郎さんたちに初対面。
充実した良い会だった。
帰りも大森益雄さんに、土浦駅まで送っていただく。

上野から東京駅へ出て、八重洲古書館に行く。
岩波の新日本古典文学大系明治篇の『正岡子規集』がもう出ている。
確か四月の初めくらいに出たのではなかったか。
定価5400円が3200円になっていたので、ちょっと迷ったが購入。
「筆まか勢」「筆任勢」が完全収録されている。

最近読んで、うまいこというなあ、と思った言葉。
「かばん」五月号より。
「今の「かばん」が現在の短歌なり詩なりの大きなまとまりのなかで、引き
 受けている、あるいは現しているものがあるとするなら、「詩」なり「短
 歌」なりの枠組み、あるいは「敷居」を、任意のポイントまで引き下げた
 ときに生じる変成の感覚、妄語と詩的実験の差が自覚されないままなされ
 る、フェティッシュなグラフティの並列、といったものを上げることが出
 来る」正岡豊「三月号を読む2」

私は入谷いずみさんの歌集が早くでてほしいと期待している。


[977] 箱根出張から帰ってくる 2003年05月30日 (金)

午前中のロマンスカーにのれたので、思ったより早く帰京できた。
結局、帰宅は午後3時過ぎ。
たまっていた郵便物とメールのチェックをする。
ポトナム短歌会から『和田周三全歌集』を贈呈していただいた。
こういう貴重な本をいただいてしまって恐縮する。
挟み込みの栞に白川静氏が執筆している。

・地下鉄をチューブとも言うぬるぬると出ずる思いに階を昇りぬ/和田周三
 『越冬』


[976] 箱根出張B 2003年05月29日 (木)

研修のつづき。
夜の懇親会で、大阪サンスポの整理部の人にスポーツ新聞の一面が決定され
る仕組みを教えてもらう。
世の中には知らないことばかりがあふれているとしみじみ思う。
夜、ひとりで温泉に入る。
午前1時過ぎまで「坂の上の雲」の第二巻を読む。まだ、ちょうど半分くら
いのところ。


[975] 箱根出張A 2003年05月28日 (水)

研修のつづき。
休息時間に鈴木さんの車で大桶谷まで行く。
硫黄の臭気をがまんして富士山を見るつもりだったが、
雲がかかっていてみられなかった。

寝る前に「豈」36号を読む。
高山れおなさんの編集の一冊。
筑紫磐井著『定型詩学の原理』の批評特集、高山れおな「微笑的全感想」な
ど書評が抜群に面白い。
高山さんの文章は鳴戸奈菜句集『微笑』の全句を批評するという試みで
こういう批評の書き方もあるのだと、目をひらかれた。
私は「ハイク・ボンバイエ!激突!五十番勝負」と題して、『現代俳句100人20句』の書評を書いている。


[974] 箱根出張@ 2003年05月27日 (火)

箱根へ仕事で出張。
電車の中で、とりあえず、『坂の上の雲』の第一巻を読了。
二巻目に入る。「日清戦争」のあたりの物語。


[973] 立川談春独演会と「短歌研究」 2003年05月26日 (月)

談春さんが、高座に出てきてすぐ「さっき、東北で大きな地震がありまし
た。震度6らしいです。志らくが仕事で仙台に行ってます」とのマクラで
地震を知った次第。
東京もかなり揺れたようだが、その時間はゆりかもめに乗っていた時間。
もっとひどければ、ゆりかもめ内に閉じ込められていた可能性もある。

今月の演目は「長短」「あくび指南」「宮戸川」「桑名船」の四席。
さまざまな試行錯誤をくりかえしているようだが、そういう過程に立ち会う
よろこびというのも客の私にはある。

「短歌研究」6月号の「短歌史を劃した時代」という特集は、石井辰彦さん
もお書きになっていたが、きわめて興味ふかい。
杉山正樹、岡井隆、佐佐木幸綱、島田修二、春日井建、山下雅人のエッセイ、
どれもよみごたえがある。
折口信夫の「女人の歌を閉塞したもの」の全文再録。
菱川善夫「敗北の抒情」、高原拓造(上田三四二)「異質への情熱」の抄出
掲載もうれしいが、あえて希望をいえば、論文はぜひ、全文再録してほしい。
短歌研究評論賞の入賞作以外のものの抄出掲載というのも、いつも違和感が
ある。
この特集、杉山正樹のエッセイが当時の中井英夫との知られざる関係を書い
ていて、興味ふかいが、私がいちばん重くとらえたのは岡井隆の文章の次の
ような結尾の部分。

「最後に、わたしが「前衛短歌」の体験から口惜しい思ひを今にいたるまで
 噛み締めてゐることを書いて置く。
 一つは結社の改革の失敗である。広く短歌の制度(歌人のあつまり方)の
 改革も失敗してしまつてゐる。旧態依然たる結社宗匠性と歌壇が残存し、
 いよいよ盛んである。いい加減な「先生」はいたるところに存在する。
 もう一つは、この国の重要な文化として、充実した文学としての短歌が、
 人々の認識するところとならなかったことだ。ほんたうは、良質の表現
 や表現者が生れてゐるのに、ごく一部の人の眼にしか認められてゐない
 口惜しさである」

こういう発言を見過ごしてはいけないと自分自身に言いきかせた。


[972] 今年もオークス・デイ 2003年05月25日 (日)

きれいに晴れている。
午前中、長女と一緒に自転車で、牛乳を買いに行く。
途中にある、あずま書店という古本店で「坂の上の雲」のABCと
宇江佐真理の「紫紺のつばめ」を買う。全部で600円だから、安いなあ。

午後は原稿を書きながら、PATで馬券を買う。
オークスまでは、まったくかすりもしない惨敗。
やはり、思い入れなしで馬券を買ってはいけない。

オークスは、スティルインラブとチューニーの単複を買う。
いちおう、的中した。
しかし、かたくなに単複しかかわないというスタンスも、なかなか苦しい。
先々週のマイルカップの時も、今回と同じように2頭指名して、その2頭
で、1、2着、そして万馬券。
今回も同じシチュエーション。
後藤のチューニーが直線で下がるどころか伸びてきたときにはさすがに
興奮したけれど、どうせなら、突き抜けてほしかった。
まあ、いいけどね。

原稿書きのあいまに「坂の上の雲」@を読む。
さすがに面白い。全8巻、いつ読み終われるだろうか。


[971] 日本歌人クラブ総会に出席 2003年05月24日 (土)

信濃町で生沼義朗さんの日本歌人クラブ新人賞授賞式があるので、正午に
歌人クラブの総会の会場へ行く。
まず、日本歌人クラブの団体としての報告事項などがあってから、各賞の
授賞式がおこなわれた。

・日本歌人クラブ賞 雨宮雅子「昼顔の譜」
・新人賞 生沼義朗「水は襤褸に」
・評論賞 藤岡武雄「書簡に見る斎藤茂吉」
秋山佐和子「うたいつくさばゆるされむかも」

なかなか雰囲気のよい授賞式だった。

このあと、伊藤一彦さんの講演「歌の力」

伊藤さんの講演ははじめて聞いたが、慣れているということもあるのだ
ろうが、とても、聞きやすく面白く、しかも内容がある。

このあと、懇親会だったのだが、すでに3時半になっていて、私はうっか
り、時間をよみまちがえて、4時に別件の用件を入れてしまっていたので
やむなく、講演終了後に退席せざるをえなかった。
「短歌人」のメンバーもたくさん出席していたので、生沼さんも喜んでく
れただろう。

所用をすませて、久しぶりに門前仲町のブックオフへ行く。
司馬遼太郎「坂の上の雲」@とG
秦郁雄「昭和史追跡」上下
保坂ナントカ「昭和史七つの謎」

というような本を購入。ご覧のとおり「坂の上の雲」を私はまだ読んで
ないんです。


[970] うなぎの日三人連れとすれちがふ 2003年05月23日 (金)

会議がやはり伸びたので、投句締切十五分前にとびこむ。
席題は「鰻」と「蜘蛛」。
表題は「鰻」の題でつくった句。

本日の爆笑句は、風眠先生の一句。

・黒き蜘蛛赤く倒れてクモマッカ/風眠

句会終了後、いつもの喫茶店へ行き、落語界、演芸界のあれこれを聞く。
部外者にはなかなかわかりにくいこともあるものだ。
やはり、有料入場者として、演芸を楽しんでいるのがいちばん。

話がはずみ、帰宅は久しぶりに午前様。


[969] 第二会東西落語研鑚会 2003年05月22日 (木)

定例の会議のあと、ニュースレターの打合わせのためにデザイナーの事務所
へ行く。打合わせのあとは、すでにオフィスにもどっても、5時過ぎになっ
てしまうので、有楽町界隈の本屋で時間をつぶす。

週刊文春のコラムに小林信彦がこんなことを書いていた。

「要するに、「夫婦善哉」における森繁久弥の変身にリアルタイムで驚愕
した者だけが、演技者・森繁のすごみを語り得る、という一事である」

あいかわらずの小林信彦調でうれしくなる。
なにごとも現場に足を運ばなければリアルタイムの実感はえられない、と
いうことですね。

午後6時半から読売ホールで第二回東西落語研鑚会。

笑福亭三喬 あみだ池
柳家花録 野ざらし
桂 文枝 莨の火

中入り

笑福亭鶴瓶 お花半七
立川志の輔 しじみ売り

客席は今日も超満員。
三喬の「あみだ池」は、思ったよりテンポが良く、悪くはなかった。
花録はマクラで太鼓の皮は馬の皮をつかっているという仕込みをしておいて
から、一気にサゲまでもっていった。噛むところがなく、安心感がある。
面白かったと思う。
文枝は白髪になったことと、太ったことに驚いた。
小文枝時代は、はしっこい感じのおじさんだつたが、今は貫禄十分。
噺は笑いがおおいものではないのに、繰り返しの部分も丁寧で、飽きずに
聞かせてくれた。
鶴瓶は「宮戸川」。声があの声なので、お花のセリフに違和感がありすぎ。
面白いのだけれど、できは悪い。まあ、それでいいのだと思う。
トリの志の輔「しじみ売り」は、ナマで聞くのは初めて。
志の輔も声質はガラガラなのだが、男しか出てこない噺なので、そういう
選択眼はよいと思う。
きっちりと演じてくれたが、少し緊張していたのではないか。

次回のチケットも買えたので一安心。

帰宅すると「短歌研究」「短歌ヴァーサス」「俳句界」などが届いていたが
とりあえず遅いので寝てしまう。


[968] 「仁義なき戦い」を見た頃 2003年05月21日 (水)

ブロードバンドニッポンで、洋泉社から出ているムックの「仁義なき戦い」
の裏話や登場人物のモデルを取材したものを紹介する。

「仁義なき戦い」5部作は、1973年から74年にかけて、短期間に制作
され、そのいずれもがヒットした。
他の日本映画でいえば1973年というのは「日本沈没」や「人間革命」が
公開されている。
洋画は「ポセイドン・アドベンチャー」や「バラキ」など。
思い出してみると、あの頃は大学生だったわけだが、映画ばかり見ていた
気がする。

帰宅して、「短歌研究」のエッセイの原稿を書く。
なんとなく寝苦しい夜である。


[967] つづく曇天、そして、どしゃ降り 2003年05月20日 (火)

曇天がつづき、夕方からは強い雨になるとの予報。

司馬遼太郎対話選集の第一巻『この国のはじまりについて』(文藝春秋 20
00円)に、赤尾兜子との対談が収録されている。
俳壇では赤尾兜子について語られる、論じられることは少なくなっているよ
うだが、このような本に、対談というかたちで、兜子の言葉が残されている
ことは嬉しいことだ。
タイトルは「空海・芭蕉・子規を語る」。
「俳句」の1976年5月号に掲載されたものとのこと。
時に赤尾兜子51歳、現在の私と同年齢である。
こういうことを考えると、自分の現在に対して、これでいいのか、という
思いがわきあがる。

帰宅時は雨がぱらついていただけだったが、まもなく、どしゃ降りという
表現がぴったりのすさまじい雨が降り始めた。


[966] 安息日+神保町 2003年05月19日 (月)

今日は一日休暇をとったので休み。

午前中、柊書房の影山一男さんのところに、『短歌の引力』と『花束で殴る』
を五冊ずつ受け取りに行く。
でがけに郵便受けを見たら、香川ヒサさんの新歌集『モウド』と小島ゆかり
さんのエッセイ集『うたの観覧車』という柊書房の新刊が2冊届いている。
どちらも話題になる本だろう。
香川ヒサさんは発想・文体ともにオリジナリティを獲得している数少ない
歌人であり、もっともっと高い評価がされるべきだと思っている。
小島ゆかりさんは、天性のポピュラリティーが抜群であり、ここ数年で知名
度が急激にあがったが、さらに今後も有名になり、やがて、歌人=小島ゆか
りと一般の人の頭の中に刷り込まれる日が来ると思う。民放のテレビ番組の
レギュラーになったりしているかもしれない。私はそうなってほしいと思っ
ている。

影山さんと一緒に昼食を食べ、そのあと東京堂、三省堂、書泉グランデを
覗いて、また本を買ってしまう。
買った本
・魚住昭・斎藤貴男『いったい、この国はどうなってしまうのか』NHK出版
・山本夏彦『誰か「戦前」を知らないか』文春新書
・山本夏彦『百年分を一時間で』文春新書

帰宅すると少し喘息の発作がおこっている。
薬もなくなっているので、医者に行く。
夕方なのでとても混んでいる。
待っているあいだに、阿木津英さんが送ってくださったブックレットの
「妹・律の視点から――子規との葛藤が意味するもの」を読む。
子規庵保存会での講演に加筆したものだそうだが、この「律の視点から」
という着眼は貴重なものだと思う。
私は去年から増進会出版の子規選集を拾い読みしている程度なのだが、この
阿木津さんの評論はきわめて教えられるところが多かった。

診察を受けると喉も赤いとのこと。
薬をもらって帰宅後、夕食をとり、すぐに寝てしまう。


[965] 日帰りで歌集批評会へ 2003年05月18日 (日)

多田零歌集『茉莉花のために』の批評会に出席するためにのぞみで大阪へ。
新幹線の中で読むために3冊も本を持って出たのに、東京駅で一冊、
新大阪駅で2冊、本を買ってしまった。
しかし、とりあえず、往復で坪内祐三の『靖国』だけは読了しました。

批評会は川本浩美司会、パネリストは大辻隆弘、小林久美子、吉川宏志、
吉岡生夫の諸氏。
パネリストのレポートはそれぞれに聞き応えがあった。
会場発言も、香川ヒサさん、彦坂美喜子さん、米口實さんといった関西の
論客の方々がそろつていたので、面白く聞けた。
東京のこういう批評会では、誰がどんなことを言うかだいたいわかってし
まうので、意外性がなく、ここのところ不感症気味になっていたので、と
ても新鮮に感じられる時間が過ごせた。

吉川宏志さんが「擬音語、オノマトペが少なく、自前の言葉で表現を成立
させようとしている」という指摘をしたが、それは多田零短歌の特徴を突
いていると同感した。
ちなみに私はオノマトペは絶対につかわないことにしている。
理由は私の理想とする短歌は、オノマトペ程度の曖昧さで表現できるような
ものではないから。

懇親会では、けっこうたくさんの方々と写真を撮ることができた。
初対面だったのは、矢島博士さん、永田淳さん、魚村晋太郎さんら。
鈴木竹志、大辻隆弘、尾崎まゆみさんたちと、少しずつお話ができた。
尾崎さんには、プロレスラーの尾崎魔弓はスキンヘッドになりましたよ、と
ささやいておいた。

最後の著者の挨拶で、多田さんが「短歌人の長老といわれるまで頑張る」と
発言されたのはおおウケだった。
ぜひ、乾杯の音頭をとるようになっていただきたいものだ。

吉浦玲子さん、橘夏生さん、川本浩美さんほか、スタッフのみなさん、
お疲れさまでした。
こんどは、来月の岩下静香さんの歌集『ナチュラルボイス』の批評会で
お会いしましょう。


[964] 東奔西走 2003年05月17日 (土)

午前中はかの子の中学の運動会。
かの子は吹奏楽部でクラリネットを吹いている。
開会式での演奏を見るために、8時30分には学校へ着いたのだが、小雨が
ぱらつく天気だったので、結局、始まったのは一時間押し。
午前中いっぱい、競技を見て、門前仲町のジョナサンで、とんかつ定食を食
べ、帰宅する。

少し休んで、こんどは喪服に着替えて、秦野までお通夜へ赴く。
京葉線、中央線、小田急線、小田急バスと乗り継いで、葬儀所へ到着したの
は、二時間後だった。
驚いたのは、小田急バスの中で、お菓子を売っていたこと。不採算路線なの
で、少しでも売上をあげるための苦肉の策なのだそうだ。
あと、浄土真宗のお弔いだったが、導師が60歳くらいの女性だったこと。
さらに、お清めの席の食べ物がすべて精進料理だったこと。
お寿司があったので、食べたら、イカだと思ったのはダイコン、サケだと思
ったのはニンジン、たまごだと思ったのは沢庵だった。それで、これらが、
おいしいのにも驚いた。

秦野までの往復で読んだ本。
雁屋哲・作 シュガー佐藤・画 『日本人と天皇 近代天皇制とは何か』
講談社α文庫の4月の新刊。
私の世代では「男組」の原作者。最近では「美味しん坊」の原作者として
知られる雁屋哲が、近代天皇制の呪縛とは何か?ということに真摯に取組
んだ力作。しかし、先日の森雅裕の『推理小説常習犯』といい、α文庫が
こんなにラディカルな文庫だとは知らなかった。


[963] 縁は異なもの 2003年05月17日 (金)

先日、社屋内の流水書房で、八木忠栄著『ぼくの落語ある記』新書館という
本を買った。
八木忠栄さんは、詩人で「現代詩手帖」の編集長や銀座セゾン劇場の総支配
人をなさっていたかたである。
八木さんが、落語にくわしいということは、私は知らなかったので、この本
をみつけて、早速、購入したわけだ。

まだ、拾い読みしている段階なので、感想はまだ書けないが、ひとつ、この
本をめぐつて、面白い縁に出会った。
実は八木忠栄さんのお嬢さんが、私の勤める会社と同グループのテレビ局に
勤めているのだそうだ。
まあ、別にだからといって、どうということもないのだけれど、こういう縁
は、なんとなく親しみを感じる。早速、買っただけで、読んでいなかった、
現代詩文庫の「八木忠栄詩集」を取り出して、眺めている。

「BOOKISH」の詩歌紹介コーナーの原稿を書く。
今回とりあげたのは邑書林のセレクション俳人の『櫂未知子集』。
こういう俳句は、「BOOKISH」の読者には初めて見るものだろうし
面白いと思ってくれるだろう。
優れた詩歌は、目の肥えた読者にぜひ読んでほしいと思う。
微力ながらも、そういう読者と詩歌との回路をひらいて行きたい。


[962] またしても集中力のでない一日 2003年05月15日 (木)

どうも、温度差が激しいので、身体が適応できないのかだるくてしかたがな
い。定例の会議がひとつ。あとは議事録をつくっていたら1日が終った。

「歌壇」6月号、「作家の原風景」は加藤克己さん。
このインタビューも前回の近藤芳美につづいて読み応えがある。
軍隊では幹部候補生であり、比較的めぐまれていたようだ。
それぞれの歌人の軍隊体験というのは、当然、作品に影を落としている。
近藤芳美、宮柊二、山本友一と加藤克己、みんな異なった体験を経ている
わけである。

新連載が川野里子さんの「葛原妙子と世界」。
このような長編評論の連載というのは珍しい。頑張ってほしい。
葛原妙子の作品にかんしては、「りとむ」で寺尾登志子さんが長期の連載を
おこなっているし、そういった先行研究をふまえての、本格評論になるのだ
ろうと思う。
かつて、この「歌壇」で長めの歌人論が月一本ずつ掲載されていたとき、
「三國玲子論」を書いた人が、先行する単行本になってもいる三國玲子論を
読まずに書いているのが歴然とした文章で、ちょっと呆れたことがあるのだ
が、今回は長期の連載なので、そういうことはないだろう。

しかし、葛原妙子論や斎藤史論はわりとみんな書きたがるのに、山中智恵子論
は、なかなか出てこない。砂子屋書房の『山中智恵子論集成』が、ほとんど
網羅してしまっているのではないか。
やはり、現在進行形の作家より、亡くなった作家の方が書きやすいのかも知れ
ないが。
私は来年以降のアウトプットのために今は内部蓄積の時期としよう。


[961] 山ほととぎすほしいまま 2003年05月14日 (水)

今日は午後、立て続けに二つ会議があった。
会議室の換気のせいなのか、少し喉が痛い。

坂本宮尾著『杉田久女』富士見書房 2400円・税別 を読了。
著者は「天為」「藍生」に所属する俳人。
この論は「天為」に連載されたものだそうだ。

杉田久女は松本清張、田辺聖子、近松秋江、吉屋信子らの作家が、彼女を
モデルにした作品を書いているほど、魅力的な存在だが、なかなかその真の
姿はわかりにくい。
この本は、虚子との不和(「ホトトギス」の同人削除)を、資料を読み込む
ことで、どんな心理状況がこんな事件をまねいたのかを推理してゆく。
この部分は説得力があるし、虚子の序文がもらえそうもないと思った久女が
徳富蘇峰に頼って、句集出版をくわだてたという、私には初耳のことも書い
てあり、たいへん興味深かった。
また、虚子が戦後に発表した「国子の手紙」という小説を読み込みながら、
虚子が久女の特別なイメージ(精神状態が変であった)を、読者に与える
ように仕組んでいることを論証していく部分など迫力がある。

久女がどんなに虚子に無視されても、その序文をもらい、句集を刊行したい
という執念には、現在のように簡単に句集を出せる時代の感覚では、やや、
理解しにくい。
主宰誌「花衣」を出すことは、虚子も反対しなかったらしいのに、句集の
序文だけはがんとして書かないというのも変な感じである。
また、昭和4年の時点で、改造社の現代日本文学全集の「現代短歌・現代俳
句集」に本田あふひ、久保より江、長谷川かな女とともに作品が収録されて
いるというのも初めて知った。文学全集に収録されるほどの作家が、個人句
集を出せない状況というのも、今では不可解な思いだが、当時はそれほどま
でに、虚子の力が大きかったということだろう。

夫の杉田宇内についても、その実家が素封家ではあったが、後妻をもらった
父と宇内は事実上の絶好状態であり、経済的な援助を本家からもらうことは
できなかったということも、きちんと書いてあり、芸術家の困難な道をあえ
て選ばなかった宇内の心理にも筆をついやしてくれているのも嬉しい。

いずれにせよ、杉田久女という魅力的な俳人に関して語るためには、今後は、
この本は必読文献になったことはまちがいない。
久女の作品に対して、丁寧な読みを展開してみせてくれるところもたいへん
ありがたい本といえる。


[960] 山本健吉文学賞とは何なのか? 2003年05月13日 (火)

「フジサンケイグループ・ニュースレター」の編集会議。
さすがに、夏場は各社ともイベントが目白押しである。

帰宅すると、北溟社から山本健吉文学賞の授賞式及び懇親会の案内状が
来ていた。
山本健吉文学賞の受賞者は以下のとおり。

俳句部門 『四時抄』山上樹実雄
     『花晨』きくちつねこ
短歌部門 『燠火』大島史洋
     『流離伝』成瀬有
詩部門  『世界中年会議』四元康祐
評論部門 『近世中期の上方俳壇』深沢了子
     『俳句のモダン』仁平勝
歌詞部門 『島人ぬ宝』BEGIN

というものだが、以前に指摘した、編集顧問を名乗る秋山某なる人物が絡んだ
賞である。まったく内実のともなわない賞だと私は思う。
あえて、僭越を承知で書くが、大島史洋さんと仁平勝さんには、こんな内実
のない賞は辞退してほしかった。
大島氏の歌集も仁平氏の評論も、十分に顕彰されるべきすぐれたものだが、
しかし、この賞を授賞される必要などない。
こんな賞を受賞してしまっては、歌人としての、俳人としての履歴に傷がつ
くと思う。
山本健吉が生きていて、この秋山なる男の最近のひどい文章などを読んだら、そんな人間が、自分の名前を冠した賞を恣意的に牛耳っていることを、うべな
うはずはないと思う。

先日の毎日新聞に、作家の横山秀夫が、自作『半落ち』に対する、直木賞の
選考委員の誤った認識にもとずく批評を批判して、今後、直木賞の候補に自
作がなっても、それを拒否するという内容の文章を発表し、話題になった。
作家に限らず、表現行為を継続している者にとって、その表現が、賞という
かたちで評価、顕彰されることは嬉しいことだ。しかし、その賞の内実をも
逆に、授賞対象者側が検証するといことがあっても良いのではないかとも思
う。それは自分が表現した作物への矜持のあらわれだと思うのだ。


[959] 最後の同世代の歌集 2003年05月12日 (月)

朝、雨模様でうっとおしかったが、昼頃には雨はあがっていた。

柳宣宏さんの初めての歌集『与薬』が送られてきた。
やっと出たんだ、と感慨無量。
柳さんは私より二学年下だが、世代的には同世代といえる。
「まひる野」に所属し、歌歴も長い。
しかし、今まで、歌集は出していなかった。
島田修三さんも歌歴が長いのに、第一歌集『晴朗悲歌集』を出すまで、時間
がかかった。
柳宣宏さんはもう50歳、歌歴も25年を楽にこえているだろう。
そういう実力者の第一歌集がやっと出たのである。

一首、一首噛締めるようにして読んだ。
人生への深い省察があるふところ深い歌ばかりだ。
四首の長歌をもふくめて、すべての歌に共感できる。

・足もとからばつたが跳んだ軽がるとなにももたずにばつたが跳んだ
・樫の木の根元に八つ手が生えているこれが秩序といふものである
・安心といふのはかういふものだらうひとつの花にひとつのめしべ
・はるかなる三浦三崎も晴れ渡りさびしくなつたら来いよとぞ言ふ
・地べたには激しく雨が打ちつづく受け容れるとはかういふことか
・考へてばかりゐるから、ほら、秋の夕焼け空を見忘れちまふ
・硝子戸に大きなる蛾がへばりつく冬の日である。そのままにせよ
・湯の宿の食堂にして父と子がご飯を前に手を合はせたり
・修三のこゑしか聞こえぬはずなのに電話には荒野の風が吹ゐている
・ここに幸ありつていふか、濡れながら葉蘭ひともと雨にかがやく
・かなしみがたとへば俺にあるとして雨にうたるる花うつくしき
・ぶらんこにすわつてゐるといつまでもゐたつていいよと葉桜が言ふ

作品を引いているときりがない。
すべての作品をひいてしまいたいくらいだ。
山崎方代に似ていると思う人もいるかもしれないが、方代よりはずっと
現代的な知性が歌の背後に流れている。
若書きのすべてを切り捨ててしまった歌人の覚悟はいさぎよいがまたせつな
い。

小中英之の遺歌集が出て、柳宣宏の歌集がやっとのことで出て、もはや、
待ち望む歌集などなくなった。
私はこのあとただ惰性で無数の歌集を読んでゆくことになるのだ。


[958] 違和感について 2003年05月11日 (日)

「短歌人」の月例歌会。三軒茶屋のしゃれなあど。
司会は前半が諏訪部仁さん、後半が西村美佐子さん。
勉強会は「現代詩について」がテーマで、レポーターは佐藤りえさん。
司会は池田裕美子さん。
鈴木志郎康の作品の変化を中心にして、虚構から現実へ着地する表現の変遷
をたどってみせるわかりやすいレポートだった。
小池光さんが、現代詩人と現代歌人を比較するのに、誰と誰が似ているかと
考えると、わかりやすくなるということで「鈴木志郎康は福島泰樹だ」と言っ
たのは、案外、当たっているという気がした。

今日、違和感を感じたこと。
本日の産経新聞に寒川猫持さんが「それはないでしょ」という短文を書いてい
る。これは、岩波書店から「岩波現代短歌辞典」の刊行案内が送られてきたの
で、早速、辞典を書店でみたら、自分のことが項目として掲載されていない。
わずかに、小池純代さんが書いた項目に例歌が一首だけ載っていた。
そして、自分はかつて数千冊の本蔵書があり、その9割が岩波の本なのに、
載せてくれないのはひどいじゃないか、というもの。

「歌壇の猫持嫌いは今に始まったことではないから、どうなと信濃の善光
寺で煮るなと焼くなとお好きにしていただいてヨロシイが、それはないでし
ょ岩波さん」
「一読再読探しても私の名前が見つからない「岩波現代短歌辞典」はないでし
ょ、岩波さん。一冊買っちゃつたじゃないですか。天下の岩波が出した「現代
短歌辞典」の「サ行」に私は存在しないのですか、岩波さん。」

というような、写していても恥かしくなる品格の低い文章内容である。
なんでこんなことを寒川猫持は書くのだろう。自分が現代短歌になんらかの
寄与をしたという自信があるのだとしても、こんないじましい文章を書くの
はみっともないと思わないのだろうか。
それとも山本夏彦の岩波批判のマネをしているつもりなのか?
私がわからないのは、こういう人物の短歌をかの山本夏彦が評価したというこ
と。山本夏彦の文章が私は好きなのだが、寒川猫持などをなぜ良しとしたのか
その違和感は終生ぬぐえない。
ところで、寒川の短文のあとのかたがきは、「うた詠み、目医者」となってい
る。「歌人」と書かれないで良かったと心底思う。

もうひとつの違和感。
「週刊読書人」の今週号の「短歌時評」で穂村弘さんが盛田志保子歌集『木曜
日』をとりあげて賞揚している。この歌集自体は私は面白い個性的な歌集だと
思うが、穂村弘はこの歌集の解題を書いている。つまり、自分がプロデュース
した歌集を時評でとりあげているわけだ。自信をもってプロデュースしている
のだから、他紙の自分の批評欄でとりあげて何が悪い、という意見もあろうが
私としては、やはり、そういう神経には違和感を感じる。
時評として論じるべき事柄は、この一ヶ月にそれしかなかったわけではない
だろうし、私なら「歌壇」に掲載された三枝昂之による近藤芳美インタビュー
などとりあげたいと思うが。
活字になる文章を書くときの姿勢として、ある種の節操が必要だと私は思うの
だが、そんなことは考えない人も居るようだ。
どうでもいいようなことなのかもしれないが違和感はぬぐえない。
と、たまたま連続して感じた日曜日でありました。


[957] 『1972』を読んだ土曜日 2003年05月10日 (土)

午前中、平和島のTクリニックへアトピー性皮膚炎の薬をもらいに行く。
その往路から読み始めた坪内祐三の『一九七二』を、夜までに読了してし
まった。
400ページ以上もある本をこんなふうに一気に読み終わったのはひさしぶり
のことだ。

1972年という年をひとつのターニングポイントとみなして、その前後に
どんなことが起こり、どんなふうに報道されたか、ということを検証しつつ
その年が「終りの始まり、始まりの終り」であることを証明しようという、
とても興味深い一冊である。
この1972年に着眼した坪内祐三の感覚はとても鋭い。
連合赤軍事件が起き、横井庄一が帰還し、札幌冬期オリンピックが開催された
1972年、私は早稲田大学の一年生だったが、この年の出来事は、やはり、
きわめて鮮明に記憶しているし、さまざまな事象の核が、ここにあるという
仮説には全面的に納得できる気がする。

本の最初の三分の一は連合赤軍事件が検証されている。
この章の内容の理解のために、先日、小嵐九八郎さんの『蜂起には至らず』を
読んでおいたことが役に立っている。本同士がシンクロしている。やはり、こ
ういう順番で読んで良かったということだ。
坪内祐三の記述は、赤軍側の兵士であった植垣康博に感情移入できているので
赤軍と革命左派との意識のずれやその後の悲劇を生み出す事件や発言が、とて
も要領よく整理されている。小嵐九八郎さんは、思い入れが深い分、愛憎が文
章ににじみだしてしまい、きわめて主観的な記述になっていた。そして、それ
が熱気を生み出していた。
前述の植垣康博や森恒夫、永田洋子、板東国男らの手記を手際よく引用した
坪内祐三の記述は、読者に対して理解しやすいものになっている。

ただ、このあとの、ロック関係の記述になると、どうも、整理された資料によ
る記述という方法がウラメに出て、本当はロックなんか好きじゃないのに、あ
たかも好きだったように書いているな、と、意地悪な気持ちになってしまう個
所が私にはしばしばあった。また、1971年から1972年にかけての音楽
のライブシーンを重用視するのならば、71年8月の中津川フォークジャンボ
リーに大きくふれないのは、まずいような気がする。ロックよりもフォークが
大きなポピュラリティをもっていたと思うし、実は私はこの中津川に行ってい
たのだ。

ただ、このように重箱のスミをつつきたくなるというのは、それだけ、この
1972という視座のとりかたに私が強く共感しているということである。
この一冊では、まだまだ、書き足りてはいない。コミック・シーンからの
切り込みなどもできるし、日本映画の「仁義なき戦い」にふれられていないの
も、不満として残る。
同時代を坪内祐三より年長者として生きたみなさんには、前記の小嵐九八郎さ
んの『蜂起には至らず――新左翼死人列伝』(講談社)とともに、ぜひ、読んで、感想をお聞きしてみたいと思う。


[956] バリウムを胃袋にためて 2003年05月09日 (金)

年に一度の半日人間ドックの受診のために朝9時に、霞ヶ関ビルの診療セン
ターへ行く。
実は、地下鉄東西線の中で、ちょっと、酔ったような感じになり、今日は調
子が悪いかもしれないと思ったのだが、やはり、バリウムを飲んで、胃の検
査をしている最中にきもちが悪くなってしまつた。
なんとか我慢して、とりあえず、ドックの診療をすべて終わらせる。
瞳孔も開いているので太陽がまぶしい。
胃袋が重苦しく吐き気をこらえながら、銀座線、ゆりかもめと乗り継ぎ、何
とかオフィスへたどりつく。

以前、医者にもらった吐き気止めの薬を飲み、少しおちつくが、やはり、仕
事をする気分ではないので、ことわって、早退させてもらう。
また、ゆりかもめで新橋へ戻る。
少し気分がなおってきたので、銀座線の京橋から、八重洲ブックセンターへ
むかう。
本を見ていたら、胃は重苦しいままだが、吐き気とめまいはおさまった。
ちくま文庫の新刊の『桂米朝セレクション 事件発生』と光文社文庫の都筑
道夫の新刊『血のスープ』及び先月出ていた『七五羽の烏』を購入。

完全に気分はなおってしまったので、そのまま、フィルムセンターまで歩き
かねたくさんの掲示板に書いてあった成瀬巳喜男監督の『女の中にいる他人』
を見ることにする。平日の午後なので、観客の九割は、60歳以上の男女と
残りは学生風の若者。
小林桂樹、三橋達也、新珠三千代、草笛光子、若林映子、加東大介といった
配役なので、おとなのラブコメディ風の物語だと思ったら、とんでもない、
ヘヴィなテーマの映画だった。
要は、善人に魔がさして犯罪を犯し、その苦悩に耐えかねて、周囲をも不幸
にまきこみそうになるが、実は……という一種のスリラー。
ミステリー映画として見てはムリが多いが、スリラーとしては、よくできて
いる。黒沢年男がチョイ役で出ていたのと、喜劇女優の関千恵子が出ていた
のが、私としてはうれしかった。
本当は、夜の部の「江分利満氏の優雅な生活」も見るつもりだったが、また
しても、胃袋の中のバリウムが瘴気を発しはじめたので、よろよろと帰宅。


[955] 桂文屋と食満南北など 2003年05月08日 (木)

ちくま文庫の『桂米朝コレクション・事件発生』が出た。
この中に関西落語好きにはおなじみの「阿弥陀池」の速記が収録されている。
その解説の中で、桂米朝が、「この噺は、日露戦争のあとで、桂文屋という
噺家がつくった」と書いている。そして、この桂文屋の家に居候していたの
が、食満南北。この食満南北は、川柳作家の岸本水府の同志だった人。
「番傘」の初期の客分として活躍したことは、田辺聖子の「道頓堀の雨に別れて以来なり」にくわしく書いてある。
桂文屋の本名は「陀羅助」、弟が「勘蔵」、妹が「さと」、つまり、陀羅尼助
が苦いくすりなので、弟妹には、甘草と砂糖という甘い名前にしたそうだ。
とんだ親が居たものである。

小嵐九八郎さんの『蜂起には至らず―新左翼死人列伝』をやっと読み終る。
時間がかかったが、一気に読んではいけない本だと思うので、このような
毎日、少しずつ読み進むということで良かったのだろう。
小嵐さんにとって、この本は書く必然性がとても濃密にある本だ。
そして、書くこと自体つらかっただろうと思う。
樺美智子から島成郎まで、とにかく、小嵐九八郎という新左翼運動を体験
した作家が、ほぼ30年たった時点で、再確認したということに大きな意味
がある。私としても、この本を読み終えたので、やっと、坪内祐三の『一九
七二』を読み始めることができる。


[954] 集中力のでない日 2003年05月07日 (水)

なんとなく、精神がたらけてしまって、集中力のでない日というのがある。
今日はそういう一日だった。

読書は森雅裕著『推理小説常習犯』(講談社α文庫)をだらだら読むうちに
とりあえずは読み終わってしまった。
この本は、江戸川乱歩賞を受賞しながらも、編集者との人間関係がうまく
いかず、結局はほされてしまったような状態になった著者の、一種の逆説的
な作家入門の本。
7年くらい前に、KKベストセラーズで出たものが、若干の加筆増補が、お
こなわれて、このたび講談社から文庫化されたというもの。

この本には、信じられないほど失礼な編集者の言動がいくつも出てくるが
実際、それは事実なのだと思う。
ここ20年ばかりの出版の世界では、娯楽系の読物の作家は完全に消耗品
あつかいされていると、読者の立場から見ていても思う。
特定の少数の人間関係の中で、さまざまな軋轢が生じて、この森雅裕のよ
うな、人間関係でほされる、というような苦境におちいってしまう作家も
出てしまったということだろう。

この著者が編集者から嫌われるきっかけになった推理作家協会会報に載った
エッセイといのも再録されているが、私の目から見れば、それほどキツイ内
容には見えない。高橋克彦が「こんなこと書かなければいいのに」と言った
らしいが、これくらいのことを許容できない世界というのもむなしい。
くわしく知りたければ、この本を読んでみるし良い。

講談社のノベルズの名編集者とよばれている宇山という人から、森雅裕は
徹底的に嫌われてしまっているようだ。
しかし、そういうことが、読者にもわかる本を、同じ講談社が文庫化する
というのも不思議だが面白い。

巻末に悪魔の辞典ふうの、毒のあるミステリ用語辞典が載せられているが
むしろ、もっと強烈な毒をこめてもよいのではないかと思う。
読後の率直な感想は、「作家になんかならなくてよかった」というもの。
これから作家になろうとしている人は、読んでみても損はない。


[953] 連休明けに「シカゴ」を見る 2003年05月06日 (火)

アカデミー賞作品賞受賞作品の「シカゴ」をやっと見た。
抜群に楽しいミュージカルだった。
アカデミー賞の発表のときは「ギャング・オブ・ニューヨーク」をさしおいて
受賞するなんて、いったいどんな作品なのか、と、やや疑い気味だったのだが
「ギャング・オブ・ニューヨーク」とは別の意味で、日本では絶対につくれな
いタイプの映画だし、イラク戦争さなかのアカデミー賞の選考であれば、この
ノーテンキな、しかし、それでいて鋭い風刺をひめたミュージカルの方が選び
やすかったことは納得できる。

「シカゴは新しい血をもとめている」という悪徳弁護士リチャード・ギアのセ
リフは、拉致→戦争→SARSというニュースの流れの中で、白装束の集団や
らタマちゃんの釣り針事件やらが報道されてゆく「現在」の日本のマスコミに
ぴったりあてはまっている。
ヒロインのロキシーの裁判の判決の日に、「有罪」と「無罪」の両方のタブロ
イドが山積みにされていて(つまりどちらも予定原稿)、判決と同時に片方が
売り出される場面など、似たようなことを私は何度も体験している。
そして、次のもっとスキャンダラスな事件が起きると、瞬時に、その直前のこ
とが、忘れられてしまうことも。

この「シカゴ」は、日本のお客には、意外と不評らしい。
「ギャング・オブ・ニューヨーク」や「シカゴ」の面白さ、そして内容の充実
がわからない人間ばかりが世間にはあふれているということか。やれやれ。
(ちょっと、最後だけ、石井辰彦さんのマネをしてみました)


[952] 安物の腕時計を買って 2003年05月05日 (月)

午前中、イトーヨーカ堂まで、家族で散歩がてらでかけて、安売りの腕時計を
購入。そのまま、家族とわかれて、ビデオ屋、古本屋などのぞいて、お昼前に
帰宅。ひやしうどんを食べる。

昼食後、横になって、荷風の随筆など読んでいるうちに寝てしまう。
起きたのが午後4時。3時間も昼寝をしてしまった。

本の整理を少しだけして、夕食。
夕食後は、もう、連休も終りなんだなあ、とさびしくなって読書。
邑書林のセレクション俳人シリーズの第一回配本分の「櫂未知子集」。
白を基調にした装丁もすっきりした良い本にしあがっている。
既刊の句集「定本・貴族」「蒙古斑」の2冊に、それ以後の作品、それに
「京極杞陽論」「飯島晴子論」などの評論、そして復本一郎氏の書き下ろし
の櫂未知子論、さらに年譜と初句索引がついて1300円というのは、きわ
めてお買い得。
今後の作家論を書くためのテキストとして絶好の資料だ。

・や、かな、けり、もがな尽してみなみかぜ 櫂未知子

感心しつつ、こんどは、小嵐九八郎さんに送っていただき、少し読み始めてい
た新刊の『蜂起には至らず』講談社 1900円を読み進む。
サブタイトルが「新左翼死人列伝」。とても痛い本である。
樺美智子、岸上大作から川口大三郎といった、私には忘れられない名前が
並んでいる。小嵐さん自身も、活動家だったわけで、つらさ、痛みが行間に
にじみでている。
結局、昼寝をしたこともあって、午前1時過ぎまで読書をつづける。


[951] 「短歌人」拡大編集委員会など 2003年05月04日 (日)

金曜日に大野道夫さんと話したこと。
藤原「近藤芳美とエリオ・グレイシーは同じ年齢なんですよ」
大野「そういえば、佐佐木幸綱とドリー・ファンクJrと同い年かな」

今日は恒例の「短歌人」拡大編集委員会。
朝10時から夜9時まで池袋に居た。
途中、「古本大学」で『大宅壮一青春日記』を購入。
こんな本が出ているとは知らなかった。
さらに、芳林堂に行ったら、なんと八切止夫の『野史辞典』が復刻されている
のを見付ける。作品社もがんばったものだ。即購入。

帰宅後、先日から読みかけだった、永井荷風の「来訪者」を読了。
「吸血鬼ドラキュラ」などの翻訳者で、荒俣宏が師匠とあおいでいる
平井呈一と俳人の伊庭心猿の若い頃のことを描いた小説だが、この二人が
荷風の偽原稿や偽手紙をつくって売ったという事件への憤懣が執筆動機と
なっているので、通俗的でできの良い小説ではない。途中で四谷怪談まで
からめてくるのは、荷風としては、してやったり、という感じだったのだ
ろうが、読者として冷静に読むと、なんだかなあ、という感じ。
連休には何本か小説を読もうと思っていたのに、二日目の夜になって、や
っと、この「来訪者」を読み終わっただけだ。


[950] 不定形な休日 2003年05月03日 (土)

午前中は桐山さんとおしゃべり。関西の芸人のことなど。
桂都丸が面白いと教えられる。

午後はかの子と一緒に散策。
潮見、越中島、門前仲町とまわって、結局、東西線の葛西の駅前にあるブックオフ
へ行く。
文学全集の端本がけっこう出ているのが嬉しい。
新潮社の文学全集の「佐藤春夫集」「永井龍男集」、集英社の文学全集の「宇野浩
二集」「獅子文六集」「永井龍男・田宮虎彦集」が、いずれも100円。
他に新書も100円コーナーで購入。
岩波新書は中野美代子「西遊記」、中村歌右衛門・山川静夫「歌右衛門の六十年」
宇根元由紀「サーカス放浪記」、服部幸雄「歌舞伎のキーワード」、杉浦明平「台風十三号始末記」、高階秀爾「名画を見る眼」、中公新書、加賀乙彦「死
刑囚の記録」、松浦玲「徳川慶喜」、ちくま新書、山本一生「競馬学への招待」。二冊が250円だったので、消費税込みで合計1890円。
新刊のハードカバー一冊分で、これだけ買えてしまうのも、不可解な気分だ。

帰宅後、K-1のラスベガス大会とETVスペシャルの「仁義なき戦いを作った男たち」を見る。


[949] 東京ドーム/新日本プロレスの落日 2003年05月02日 (金)

久しぶりの東京ドーム。新日本プロレスの「ULTIMATE CRUSH」。
午後5時前に会場に入る。まもなく、大野道夫さんもやってくる。
そして、結局、メインエベントが終了したのが午後10時過ぎ。5時間興行だ。

私としては、格闘技戦で、中西学が負けたのがいちばんせつなかった。
朝青龍の兄貴のドルゴスレン・スミヤバザルはくわせものだった。
勝った高阪剛が、リングサイドの朝青龍を「兄貴の仇をとってみろ!」と挑発
したら、もっと面白くなったのに。

プロレスルールでのエンセン井上と村上和成の試合が、小橋VS蝶野戦の前に
組まれているのに、最初は違和感があったが、村上がエンセンにリング下に落
とされ、それをクレイジードッグスと魔界倶楽部の連中が取囲んで乱闘になり
おもむろに立ちあがった村上和成が額から流血して血まみれ、という姿を見た
瞬間、「そうか、ここで格闘技戦のイメージを一気に払拭して、プロレスに、
ドームの雰囲気をもどすのだ」と気がついた。

そして、やはり、小橋健太VS蝶野正洋は素晴らしいプロレスだったと思う。
蝶野の研ぎ澄まされた悲壮感と小橋の不屈の闘志は、他の誰も出せないもの
だ。永田裕志も高山善広もとてもこの高みにはおよばない。
大野道夫さんも、小橋の壮絶な勝利に感動していた。

とはいえ、今夜が新日の一つの体制の落日であったことは確かだ。

都営三田線、有楽町線と乗り継ぎ、豊洲からタクシーで帰宅。
桐山さんが来ている。
お土産ということで、吉本新喜劇を録画したビデオを18時間分もらう。


[948] 笑っている場合ですか 2003年05月01日 (木)

お台場地区では、ゴールデンウィーク期間中「東京国際コメディフェスティ
バル」と称して、お笑い及び外国人芸人のショーをさまざまな場所で開催し
ている。
私の勤めるオフィスは、フジテレビオフィスタワー24階という場所にある
のだが、このタワーの22階のフォーラムというスペースを3つのミニシア
ターにセパレートして、プロダクションごとのお笑いライブなどがプログラ
ムされている。
また、このタワーの1階には、マルチシアターという200人キャパの劇場
があって、ここでもお笑いライブが組まれている。

今日はこのマルチシアターでおこなわれた若手のお笑い芸人のライブを見た。
ドランクドラゴンやファンキーモンキークリニックあたりがいちばん先輩に
なる組合せなので、初めの方の数組は、まったくの初見。ただし、けっこう、
当たりがあって、見てよかった。

★機械犬(メカドッグ) 男二人のマンザイ。片方がいきなりカツラをとって
スキンヘッドを見せるインパクトは十分。しゃべりは、もう少し、要練習。
★キャラメルクラッチ 女性3人のコント。森三中よりは圧倒的にセンスが
上。業界モノのコントだったが、短い中で筋も設定もそこそこ凝っている
し、それがきちんと伝わってくる。女性お笑い芸人の椅子はいつでも空いて
いるのだから、頑張ってほしいものだ。
★ハレルヤ 男二人のコント。これはほりだしものだった。若いサラリーマ
ンの先輩と後輩という設定だが、セリフまわしが抜群。特に先輩をやった方
の男が、まさにサラリーマンの中の人気者という感じがリアルで、笑える。
★自転車こぐよ 男二人のコント。電鉄会社が車内を面白くするために、電車
の中に居る変な人を雇う、という設定で、一人が審査官、もう一人が応募
者になって、よく居る変な人を描写してゆく。放送対応はできないが笑え
る。

あとははなわとかユリオカ超特Qとか号泣とかバカリズムとか、まあ、若手の
安定組。最後に一種の大喜利として、スマイリー・キクチの司会で、フライパ
ンを使った一発芸大会があった。そういえば、ボキャブラ天国の末期頃、スマ
イリー・キクチのケンカ最強説が出ていたが、本当なのだろうか。
ここで印象的だったのは、ユリオカ超特Qが、この場面ではまったくのってい
なかったこと。そういうワガママな芸風だからしかたがないか。
ここで笑いがとれないと、全員からウレタンの棒でフクロ叩きにされるのだ
か゜、ここでも、キャラメルクラッチの女の子が一人、必ず巻き込まれて叩か
れるというボケを演じていた。こういう時に前に出てこられるのはよいことで
あり、やはり、期待できる。

オフィスにもどるエレベーターの中で、たまたま、スマイリー・キクチとはな
わと乗り合わせたのだが、スマイリーの方が「はなわさん」と、さん付けで
呼んでいた。はなわの方が年齢が上なのだろうか。
この勢いで、流水書房で「お笑いTYPHOON!」(エンターブレイン)を
購入。ここでは、長井秀和とユリオカ超特Qのマニアックな対談と、ますだ・
おかだが優勝したM1に関しての、ラサール石井のインタビューが面白い。

そうじて笑ってばかりの一日だったが、それていいんですか?

昨日、辺見庸の発言として引用した「言葉の堕落」の問題。
これを日常レベルで語ってみせているのが「週刊文春」ゴールデンウイーク
特集号の小林信彦のエッセイ「声に出したくもない日本語」。まったく同感。


[947] 神々の発見! 2003年04月30日 (水)

斎藤守弘著『神々の発見』(講談社文庫)読了。
半年くらい前に門前仲町のブックオフで買って、忘れていた本。
昨日、でかける時にとりだして、電車の行き帰りと本日の通退勤時の
乗り物でとりあえず読み終わる。

著者は日本SF作家クラブの初期のメンバー。
「SFマガジン」にも、科学エッセイ的な連載をもっていたのではなかったか。
この本は、世界や日本のオーパーツとかストーンサークルとかを、主として
蛇神信仰とか巨石信仰とか古代文明論で、解釈していこうというもの。
どうしても、単語の変遷とかの部分で、強引さが出てしまうので、まあ、
トンデモ本ということに分類されてしまうのかもしれない。
解説が高橋克彦というのも、トンデモ化に一役かってしまっているが。

この本と同時進行で読んでいるのが、

・辺見庸『単独発言・私はブッシュの敵である』
・タダシ・タナカ『誰も知らなかったプロレス・格闘技の真実』

どちらも、状況の本質に自前の思考で迫る真摯な内容の本。

「状況の堕落は言葉から始まる」という辺見庸の言葉が耳に痛い。


[946] 詩のボクシング東京大会 2003年04月29日 (火)

家族と横浜の実家に行く。
昼食をご馳走になったあと、亡父の蔵書だった角川書店の昭和文学全集の中か
ら、「永井荷風集」「安倍能成・天野貞祐・辰野隆集」「小林秀雄・河上徹太
郎集」をもらってかえることにする。

午後2時半過ぎに、実家を出て、詩のボクシング東京大会の会場である
科学技術館へ向う。
すでに玲はる名さん、野原アリスさんが来ており、すぐに、佐藤りえさんも
来た。4人で最後の打合わせ。

会場はまだオープンしていなかったが、詩のボクシングのHPをいつも見て
いたので、噂の武力也さんがやってくるとすぐにわかった。続いて、オレンジ
づくめの青木研二さんも顔がわかった。
とりあえず、出場者は楽屋へ入れるはずだからと、みんなでホールへ向う。
佐藤りえさんをつきそいにして、出場者たちは、楽屋へ入った。

やがて会場。400人強の席がほぼ埋まっているのにびっくり。
玲はる名さんは、一回戦のトップでまさにこのイベントの皮切り。
できばえは完璧だったと思うが、田中邦宣さんに、4対3で敗れた。
不屈の闘志で、捲土重来を期してほしい。

優勝したのは、本田まさゆきさんという男性。ひきこもり系の詩を読み続け
観客をひきつけてみせた。
特に準決勝で読んだ「ファミコン」という作品は、トリッキーなひねりが
あって、私は久々に快感をおぼえた。

ホールを出ようとするところで、未読王様のご友人というOさんという方に
声をかけられる。拙歌集『19XX』と『東京式』をお持ちになっていて、サ
インを、と、おっしゃるので僭越ながら喜んでサインなどさせていただく。
世の中に未読王の友人という人が居るというのは、そりゃ居るだろうが、この
ような縁で、面識を得ることができるというのは嬉しい。

レイハルさんは、出場者たちのうちあげがあるというので、田中庸介、
佐藤りえ、植松大雄、並木夏也さんたちと神保町まで歩いてから食事。
プロレス観戦後と同じで、同一空間で興奮をわかちあったあとは、語り合う
ことで、昇華しなければならない。10時頃に解散。

帰宅後、猿谷要著『西部開拓史』(岩波新書)読了。
ネイティブ・アメリカンのジェロニモの写真が掲載されているのだが、これが
マルセ太郎にうりふたつなのに驚く。


[945] 谷間の月曜日の憂鬱 2003年04月28日 (月)

連休の谷間の月曜日なので、お台場もなんとなく人出は少ない。

東京コメディフェスティバルが開催されている。
フジテレビのビルの22階にあるフォーラムを3つのシアターに仕切り
それぞれのプログラムで、コメディとよばれるものをおこなっている。

私は午後2時半からの「激安!大川興行VSつうてんかく!!」というのを
見てみた。
激安!大川興行は大川豊興行に所属する若手の芸人による贋大川興行。
贋総裁は大川豊をさらにひとまわり小柄にしたような人。
前になんとかいうコンビを組んでいた阿蘇山大噴火という男が味がある。
ネタは花火とかカメアタマの踊りとか、本隊と同じもの。
まあ、大学のサークルのコンパ芸。私は好きだから別にいいけどね。

つうてんかく!!というのは、大阪のお笑いパフォーマンス集団。
9人がゾロゾロステージに出てきたのには驚いた。
ショートコントを10数本演じて、あとは、いろいろなグッズをもちだして
の、ワンショットのギャグの連続で、全体は45分くらいの舞台。
まあ、こちらは高校のコンパ芸的。これも私は好きだからけっこうでした。

久久に笑えないお笑いパフォーマンスを見たわけだが、むかしは、松村邦洋も
浅草キッドもこんなものだったのだから、いずれ、どうにかなるかもしれない
し、消えるかもしれない。それも芸人の運ということだ。


[944] 目白のブックオフそしてプロレス 2003年04月27日 (日)

歌会のついでに目白のブックオフへ行く。
ここは、いままで、文庫の棚にしか行ったことがなかったのだが、例によって
今回は新書の棚や他の単行本の棚をチェックしてみた。
感想としては、以外と新書の100円本は少ない。
あと、中央公論社版の日本文学全集が箱入りで一冊100円というのはかなり
せつない気持ちになる、ということか。
林芙美子とか伊藤整とか、講談社文芸文庫に入るとすぐ1000円台になって
しまうのに、ここでは100円か。とはいえ、箱入りの文学全集をいまさら、
ここで買う気にもなれない。困ったものだ。

先日、立川談春独演会で、Kさんからいただいた5月2日の新日本プロレスの
東京ドーム大会のチケットを一枚、Oさんにさしあげた。
とても、喜んでいただき、嬉しかった。私も2日はひさしぶりに、東京ドーム
へ行くつもり。
いちばん見たい試合は、もちろん蝶野正洋VS小橋健太だ。

短歌モードにアタマが切り替わったので、夜、久しぶりに短歌をまとめて作る
ことができた。
寝床で辺見庸の『単独発言』(角川文庫)を読む。言葉に賭ける覚悟が激烈に
伝わってくる文章だ。


[943] 訂正 2003年04月27日 (日)

下の日記は、4月26日、土曜日のものです。
つつしんで訂正し、お詫びいたします。


[942] 駄句駄句会と80万円! 2003年04月27日 (日)

今日は山藤章二宗匠のお宅での駄句駄句会。
まず、東京駅に出て、八重洲古書館へ久しぶりに行く。今までは見向きもしな
かった新書の棚をチェックする。値段は150円から定価の半額くらい。岩波の
旧赤版、黄版、青版がまずまず揃っている。中公新書、講談社現代新書あたり
も、そこそこに置いてある。
大江志乃夫の『靖国神社』『張作霖爆殺』、旗田魏著『元冠』、高良倉吉著
『琉球王国』、上坂昇著『キング牧師とマルコムX』など購入。

品川駅で吉川潮先生と待ち合わせて、山藤宗匠宅へつれていってもらう。
今日のメンバーは、高田文夫、木村万里、立川左談次、中村社長、林家たい平
の総勢八名。席題は「新緑」と「初鰹」。
マンションの十二階なので、とても眺めが良い。特に北側の階下に、三菱が所
有する迎賓館だという古い洋館があり、とても珍しい光景になっている。
この洋館、外側の道からは石垣の上になり、それこそ新緑の樹木で囲まれてい
るので、まったく見えない。こういう歴史的にも由緒がありそうな建物が東京
にはまだいくつかあるのかもしれない。

・いろはのいロンドンのロや初鰹
・初松魚とどくこゑする宿場町

「新緑」は2句つくったが失敗作だった。

今日、吉川潮先生から聞いた面白い話。
三月三十一日の余一会の楽屋で、協会のTさんが、ゲストの月亭可朝師匠に、
「お立替えいただいた新幹線の料金をお支払いします。おいくらでしたでし
 ょうか?」とたずねたところ、可朝師匠はすこしもさわがず、
「八十万円」と答えた。
そのとたん、少しはなれたところに居た、大阪の女流落語家の桂あやめが、
コケながら、師匠の前に出てきた。
他の東京の落語家連は、ぽかんとしていた、ということ。
つまり、どこが面白いかというと、関西では、値段を聞かれたら、XX万円
と答えるのが規則であり、それを聞いた周囲の者は即座にウケてコケなけれ
ばならない、ということ。可朝、あやめはこのリアクションが肉体化している
というところが面白いのですね。

帰宅してから、山藤宗匠や木村万里さんに聞いてみようと思っていた、「子分肌」や「けしかけ女の会」のこと、すっかり忘れてしまっていたことに気づい
たが、もちろんアトノマツリ。


[941] 雨のペイ・デイ、談春独演会四月 2003年04月25日 (金)

昼前にオフィスの下の道から、消防車が何台も通過して行くサイレンと
疾走音が聞こえてくる。窓から見下ろすと、ホテル・メリディアンの方
へ、複数の消防車が向って行く。「踊る大捜査線・レインボーブリッジ
を封鎖せよ!」のロケではないかとの意見もあったが、結局、上層階で
煙が出て来て、火事ではないが、この騒ぎになったそうだ。


金曜日で四月のペイデイということで、今夜はたぶん、新入社員たちの
同期の飲み会などで、盛り場は混み合うだろうということで、早めに、
ゆりかもめで銀座へ出る。
北京飯店で夕食後、教文館で角川「俳句」五月号を購入。
日比谷線で築地へ行き、四月の立川談春独演会。
雨模様のためか、お客は先月より心なしか少ない気がする。

演目は「代書屋」、「蜘蛛駕籠」、「紺屋高尾」の三席。
「代書屋」は米朝、小米朝、枝雀と関西の噺家が演じているのは何回も
聞いたが、関東のものは初めて。マクラで、談志家元が現・可朝師匠か
ら習った噺と紹介された。当然、関東風に登場人物のキャラクターが、
演出されている。正直な感想としては、これはやはり関西風味の噺だな
と思うが、感心したのは、履歴書を頼みにくる男(小板橋喜八郎)が、
記憶の原点にしている、日露戦争勝利の提灯行列の明治38年という部
分を基本にして、結局、自分と女房の誕生日あたりまで、きちんと計算
があっていること。このへん、談志、談春と丁寧に継承されたようだ。

「蜘蛛駕籠」は卒なく、「紺屋高尾」は、自信にみちた演じ方で、聞か
せてくれた。談春さんの、いちばん好きなところは、噺を聞いて、気持
ち良くなれること。これは、他の噺家の及ばない大きな強味だと思う。

終演後、テレビ朝日のプロレス中継のディレクターのKさんから、新日
本プロレスの五月二日の東京ドーム大会のチケットをいただいてしまう。
良い気持ちで「紺屋高尾」を聞いた余韻にひたりつつ、日比谷線、京葉
線と乗り継いで潮見駅から帰宅。もう、雨はあがっていた。


[940] お台場キネマ倶楽部「狙撃」 2003年04月24日 (木)

「中央公論」5月号の福田和也と香山リカの対談を読み終わって、広告ペー
ジを見たら、中公文庫の4月の新刊で、加藤千恵さんの『ハッピーアイスク
リーム』が出ることになっていて驚いた。
中公文庫のコーナーに加藤千恵の想定読者は行くだろうか?

お台場キネマ倶楽部の上映会で堀川弘通監督の1968年作品「狙撃」を見
る。加山雄三が殺し屋(スナイパー)を演じる異色の映画。
モデルの恋人が浅丘ルリ子、敵役が森雅之、武器屋が岸田森ときわめて渋い
キャスティング。

サリー・メイが森雅之の情婦役で出ているのもなつかしい。
サリー・メイ主演のロマンポルノ「銀蝶流れ花・雨のオランダ坂」というの
があった。同じシリーズで「蔓珠沙華は散った」というのもあったような気
がする。この「狙撃」では、金髪の彼女が森雅之と一緒に歩いていると、い
かにも何かいわくありげで雰囲気が出るのに、残念ながら、途中から消えて
しまう。何かナイフとかの特殊技能をもった女殺し屋にしたら、かなりスト
ーリーに奥行きが出たと思うのだが。

1968年というのは70年安保に向けての鬱屈した観念のパワーが膨張し
ていた時代で、映画にはその鬱と屈が底流している。
加山は人を狙撃したあとでなければ女性を抱けない鬱屈を抱え込んでいる。
浅丘は蝶々の標本つくりが趣味で、ニューギニアの太陽にユートピア願望を
抱いている。二人の官能の絶頂感のビジュアル表現として、このニューギニ
アのアニミズム的な映像がくりかえされる。加山と浅丘が全身を黒く塗って、
奇怪な民族舞踊のようなものを踊るシーンまである。

こういうシンボル表現に見覚えがあると思ったら、宮谷一彦の劇画作品に、
似ているのではないかとの気がした。宮谷もこの映画を見ていて、監督の堀
川も宮谷の劇画を読んでいた可能性はじゅうぶんにあり、相互影響というこ
ともあるのではないか。
ニューギニアへ行くパスポートもとりながら、予想どおり、加山も浅丘も森
雅之も死ぬ結末。
当時はこういう救いのないストーリーが多かった。
松田優作が生前、この映画が好きだと広言していたそうだ。


[939] 市民A薔薇を凶器として愛す/宮崎大地 2003年04月23日 (水)

「ブロードバンド・ニッポン」で中公新書ラクレの『アメリカ大統領総覧』
を紹介する。
43代目のブッシュJrまでの大統領について、実は私は何も知らなかった
ということがよくわかった。
リンカーンの奴隷解放にしても、南北戦争に勝つための戦術だったと解説さ
れれば、確かにこれは有効な戦術だったと理解できる。

「鬣」を読み続けている。それだけ内容が充実しているということだ。
毎号、忘れかけられている俳人にスポットをあてる「彼方への扉」、
今回は
・「福永耕二について」江里昭彦
・「村上へい魚小論」林桂
・「宮崎大地について」西平信義
以上の3本。

どの論も読み応えがうるが、宮崎大地については、同世代者として特に
思いが掻き立てられる。
西平信義も文中でふれているが、宮崎大地は高柳重信が第一回50句競作を
企画した時に、もっとも期待していた若い才能だった。
競作用作品として、高柳重信は宮崎に100句の提出を求め、その中から
50句を選んで、入選作として発表するつもりだった。
ところが、これを宮崎大地は「選句は暴力である」と言って拒絶、結局、
50句競作への応募自体もやめてしまった。
この話は私は高柳重信自身から聞いたので本当のことだろう。
そして、宮崎が応募しなかった第一回50句競作で入選したのが、
これも幻の才能・郡山淳一だった。

西平信義抄出の「宮崎大地三十句」より5句紹介しておく。

・なはとびの少女おびただしき少女
・石があり石がありつつ崩壊す
・Aの木にBの鳥ゐるうるはしや
・夏草や一揆は鳥に喰はれたる
・市民A薔薇を凶器として愛す

5句ともかつて読んだ句であり、今回の再読でまた記憶の底から甦ってきた。
初めて読んだのは、もう、30年むかしのことになる。


[938] 古本大学・池袋芸術劇場店 2003年04月22日 (火)

「短歌人」の編集会議なので、りんかい線の赤羽行きに乗って池袋まで
行ってみる。30分強で池袋に到着。芸術劇場方向へ出るのも、さほど遠く
ないし、これからは、この路線で行くことにしよう。

かなり早く到着できたので、東京芸術劇場の左側一階にある古本大学をのぞ
いてみる。
今までは文庫の棚をこまめにチェックしていたのだが、今回は新書をチェッ
クしてみる。岩波新書の絶版ものがけっこう並んでいる。
購入したのは以下のとおり。

・本田創造著『アメリカ黒人の歴史』岩波新書
・猿谷要著『西部開拓史』岩波新書
・『岩波新書の50年』岩波新書
・大森実著『日本はなぜ戦争に二度負けたか』中公文庫

今までとはガラリと買う本が変わっている。
いちおう、ちゃんと読むつもりではいるのだが。

編集会議では、夏の会の概要が発表される。
もう、その時期になっている。季節のめぐりがとてもはやい。

・舗道初夏どこのラジオも同じ唄/竹内雲人「療園断片」


[937] レセプションかけもちそして「」 2003年04月21日 (月)

「ロマノフ王朝展」の開会式と内覧会とレセプションがあるので、午後2時に
東京都美術館へ行く。
ほとんどが、日本初公開のロマノフ王朝の美術宝飾品ということなので、さす
がに見ごたえがある。
イコンがたくさん飾られているが、思っていたよりもどれも大きい。
それと、装飾の雰囲気が中近東風なのは、やはり、イスタンブールの文化が
17世紀以降も、主流だったということかもしれない。

上野精養軒であったレセプションでロシア風のケーキを食べたら、けっこう
胃にもたれてしまった。
5時から、ホテルニューオータニで「科学技術ニッポン国民会議」の発会式が
あるので、上野広小路から銀座線にのって、赤坂見附で降りる。
ちょっと遅刻して会場入り。
堺谷太一氏の講演などがあり、また、レセプション。
さっきは料理を食べられなかったので、パスタとローストビーフなど食べる。
7時になったので、有楽町線の永田町へ出て豊洲経由で帰宅。
豊洲へついたら急に強く寒い風が吹いていて身震いするほどだった。

「鬣」7号が竹内雲人句集『療園断片』が同封されて届いていた。
風の花文庫と題されたこの句集のシリーズは昨年の浅香甲陽句集『白夢』に
続く2冊目になる。テキストの手にはいりにくい句集を復刻するというのは
口で言うのは簡単でも実行にはさまざまな困難が伴う。それをやりつづけて
いる林桂氏を中心とする「鬣」の同人のみなさまには敬意を表さずにはいら
れない。

・灯をつけて窓を新樹の闇とする/竹内雲人


[936] 見世物からテレビへ 2003年04月20日 (日)

一日じゅう家に居て、原稿を書き続ける。
それに飽きると、気分転換に加藤秀俊の『見世物からテレビへ』(岩波新書)
を読み結局、夜には読み終わってしまった。
1960年代に書かれた、視聴覚文化論のさきがけということだが、分析が
的確なので、まったく、古びていない。絵葉書や菊人形をもメディアとして
とらえるという視点は斬新きわまりない。
旅芸人を扱う章で、幕末から明治初年にかけて、かなり多くの旅芸人、軽業師
たちが、アメリカやヨーロッパにわたって、公演していたというのは驚きだっ
た。つまり、彼ら、彼女らは客が居るなら、どこへでも行ったのだろうし、
箱根山の向こうへ行くのも太平洋の向こうへ行くのも意識としては同じだった
ということだろう。
この本で唯一古びたのが、当時のテレビを論じた部分だが、逆にそこが今とな
っては、歴史の中に組み込まれて絵葉書や菊人形と同じように読むことができ
てしまうというのも面白い。もっと早く読まねばならない本だった。

新宿の宮崎二健さんの店「サムライ」で、「里」の句会をやっているのだが
残念ながら、原稿が書き終わらず、行けなかった。