[935] 渋谷から池袋へ 2003年04月19日 (土)

渋谷で岡井隆歌集『臓器』を読む会。
とはいいながら、私は先週から家じゅうをさがしても『臓器』がみつけられ
なくて、結局、読まずに出席。
本来、そういう態度ではいけないのだが、他の参加者が『臓器』をどのよう
に読むのかを知りたかったので、恥ずかしながら出席する。
意外とこの歌集に対してはみなさん辛辣なので驚く。
やはり、「老い」を表現する「シルバーパス」などというアイテムが出て来
るのが、そういう反応を呼び出してしまうのだろう。

小雨が降るなか、渋谷の半蔵門線まで急ぎ足で行き、半蔵門線を永田町駅で
乗換えて、有楽町線で池袋の東京芸術劇場へ行く。

玲はる名さんが「詩のボクシング」東京大会へ出場するので、そのトレーニ
ングに有志が集合。
本人の玲はる名さんのほかに、佐藤りえさん、植松大雄さん。
トーナメントを決勝まで勝ち抜いてゆくという想定で、それぞれの作品を
実際に読んでもらって、作品の順番を入れ替えたり、読み方をくふうしたり
といった点をみんなで考える。
これは短歌作品だからこそできることで、詩ではこうはいかないだろう。
「この行が変だから変えよう」といっても、おいそれとは差し変えられない
と思う。なんとか全国大会に進んでほしいと思う。
夜、九時前に解散。

帰宅後、『物語・アメリカの歴史』読了。
植民地時代から開拓時代にかけては、ほとんど私は何もしらなかった。
こういう部分をもっと読みたいと思う。
『歴代アメリカ大統領総覧』の方も、拾い読みたがかなり面白い。
中に「歴代大統領「偉大さ」ランキング」というアンケート結果が載ってい
る。
上位三人は、リンカーン、ワシントン、F・ルーズベルト。
ケネディは13位。ただし、これは1986年の調査なので、カーター大統
領までしかはいっていない。


[934] 『物語・アメリカの歴史』など 2003年04月18日 (金)

お台場から東京駅への直通バスが4月から廃止されてしまったので、かなり
不便になってしまった。しかたなく、ゆりかもめで新橋に出て、地下鉄銀座線
で一駅乗って、銀座へ出る。

教文館で岩波新書、中公新書などの新書の棚をチェックする。
これも、坪内祐三の『新書百冊』を読んだ影響。
さすがに教文館は、岩波の新書、文庫はよくそろっている。

岩波新書の加藤秀俊著『見世物からテレビへ』。
中公新書の猿谷要著『物語・アメリカの歴史』、高崎通浩『歴代アメリカ大統
領総覧』の三冊を購入。
『ギャング・オブ・ニューヨーク』を見て、アメリカの歴史を知りたくなった
ので、猿谷要の本でざっと予習をして、これでなおかつもっと読みたくなった
ら、集英社文庫から出ているサムエル・モリソンの『アメリカの歴史』全5巻
に挑戦しようという計画なのだが。
『歴代アメリカ大統領総覧』は前に出ていた笠原英彦著『歴代天皇総覧』と同
じパターンの本だが、当然、知らない人がたくさん居るわけで、まあ、面白く
読めると思う。

帰りの地下鉄から『物語・アメリカの歴史』を読み始める。
植民地時代のアメリカのことなど何も知らないので、けっこう面白い。
以前、ディズニーアニメになったポカホンタスというのは、初めて白人の
植民者と結婚したネイティブ・アメリカンの女性だったのか。知らなかった。


[933] 六本木でライブを楽しむ 2003年04月17日 (木)

Ki−mo−no−3のライブ「奇々女」が六本木のmorphという
ライブハウスであるので、六本木へ向う。
Ki−mo−no−3というのは、昨年の秋にも一度ライブに行っているが
佐伯玲子、岩間沙織、木下幸子のユニット。
今回は歌の中に巧みに佐伯玲子のモノマネ芸やコントふうのかけあいが
とりいれられていて、前回よりずっと楽しめる構成になっていた。
佐伯玲子は妊娠7ヶ月ということで、もう、おなかがかなり大きくなってい
た。かけあいの中で岩間沙織に「えびすさんの扮装してるのかと思った」と
言われていたが、まさにそれはそのとおり。
しかし、佐伯玲子の白石加世子のなりきり芸は絶品。
こんどは出産後の年末にライブをやる予定だそうだ。これは楽しみ。

帰りの日比谷線に乗ったら、編集者の長谷川裕一さんにバッタリ。
福島泰樹さんや間村俊一さんの血気にはやる話などうかがう。みんな元気だ
なあ、と、思う。

かねたくさんの掲示板で山本周五郎の話題が盛り上がり、鈴木竹志さんも
「竹の子日記」で、全集を持っているとお書きになっている。
さて、私は山本周五郎に関しては初めてよんだ本が「寝ぼけ署長」という
現代モノのミステリ。「新青年傑作選」という確か立風書房からでていた
アンソロジーで、寝ぼけ署長シリーズの一編を読み、面白かったので、
当時、ソフトカバーで出ていた山本周五郎全集の寝ぼけ署長の巻だけを買
ったというしだい。たぶん、1971年くらいのこと。
それで、その頃は時代小説にはまったく興味がなかったので、その後は
ほとんど読まずに現在に至るというしだい。藤沢周平、池波正太郎と並んで
定年後の楽しみにする所存。

今日はライブの前後に六本木の青山ブックセンターとあおい書店をのぞいた
が、結局、自省して本は買わなかった。明日あたり、反動が出そうだ。


[932] ビアガーデン日和 2003年04月16日 (水)

田中槐さんが下記↓で「朗読千夜一夜」の総括レポートをしています。

http://www.diary.ne.jp/user/32727/

興味深いレポートで、プロデューサーとしての目が頼もしいです。

ということで、とにかくポカポカ陽気。
ビアガーデンに行きたいと騒いでいる人が居たが、先週、花見をしていて
すぐに翌週はビアガーデンというのは、わがままというもの。

片山昭子さんに、鈴木竹志著『同時代歌人論』を送る。
片山さんが、現在書いている原稿にかなり参考になるはずだ。

「ブロードバンドニッポン」で坪内祐三著『新書百冊』を紹介する。
そういえば、ここのところ小説をあまり読んでいないような気がする。
短編小説は太宰治のいくつか読んでいるけど、長編はぜんぜん読んでいない。
まあ、新書でもきちんと本を選択して読めば、人間形成に役にたつというこ
とは坪内祐三の本で教えられたが、やはり、ほとんど小説を読んでいない自
分に気づくのはさびしい。
週末にかけて何か読めるだろうか。


[931] ひさしぶりに神保町へ 2003年04月15日 (火)

急に気温がさがったせいか、朝、身体が熱っぽい感じがする。
ここのところ、風邪の回復が遅くなっているので、大事をとって休むこと
にする。
Tクリニックの薬をのみ、午前中はおとなしく新刊の歌集・歌書を読む。
10時過ぎになると、だるさはまったくぬけて、回復してしまった。
ねんのために熱をはかっても、平熱である。
昼食後、我慢できなくなって、神保町へ行くことにする。
東京堂がリニューアルしてから、まだ、一度も行っていないので、ぜひ、
のぞいてみたかったのだ。
午後2時前に神保町到着。
まず、信山社で岩波新書ほか各種の新書の棚をチェック。
これも、坪内祐三『新書百冊』の影響だ。
自分では新書はほとんど買っていないつもりでいたのだが、よく考えると
最近も川西政明著『文士と姦通』を読んだばかりだった。
しかし、あらためて見ると、新書は各社とも実に大量に出している。
単行本コーナーには、古書収集関係のコーナーがあり、『未読王購書日記』
が平積みになっている。これはうれしいことだが、信山社で平積みというの
もオドロキではある。
そして東京堂へ。
全体的に明るくなった感じがする。何か新設の大病院に入ったような気が
した。人工的な明るさがそう感じさせるのかもしれない。
一階、二階とも、本の並べ方は変わったが、まあ、違和感はない。
二階の詩歌関係も広くなっていたが、ミステリの評論・事典関係の棚と
俳句の歳時記とが同じというのは、ちょっと変。
そのあと三省堂書店へ行き、岩波新書の佐藤佐太郎著『茂吉秀歌』上下と
中公新書の暉峻康隆著『芭蕉の俳諧』上下、ちくま文庫の『桂米朝コレク
ションD怪異霊験』を購入。
あまりウロウロしていて風邪がぶりかえしてもまずいので、帰宅。
結局、神保町へ行くために休んだ一日になってしまった。


[930] 汐留シオサイトで降りてみる 2003年04月14日 (月)

ゆりかもめの汐留駅で降りてみる。汐留シオサイトという新規開発地区に
なっている。外に出てみようと思ったが、混みそうなのでやめた。
そのまま、大江戸線の駅まで、エレベーターを二つ乗り継ぎ、さらに改札を
くぐってから、かなり長い階段をおりてやっとホームへ到着。

門前仲町で降り、ブックオフへ行く。
なんと、ちくま書房版の柳田国男全集が不揃いだったはずなのに、一冊も
なくなっている。誰かがまとめて買ったのだろう。
こんなことなら、もう二,三冊、中抜きで買っておけばよかった。
柳田のかわりに宮沢賢治と夏目漱石の不揃いが数冊入っている。
しかし、そっちをバラで買う気はおきなかったので、太宰治の二巻と九巻
を購入する。

『新書百冊』の影響で、いままでは見もしなかった新書の棚も丁寧に見る。
しかし、ブックオフではやはりたいした本はない。ほとんどが、最近刊行
されたキワモノばかり。買うべき本はなかった。

木場まで歩き、7時のマンションのバスで帰宅。
自宅に帰ると、なんと、片山昭子さんが早くも『原田薫子歌集』を送って
くださっている。貴重な一冊をお借りするわけで、心して読むことにする。


[929] 武豊出遅れですべてが終る 2003年04月13日 (日)

桜花賞は武豊の出遅れですべてが終ってしまった。
だから、競馬なんかに大金を賭けちゃいけないよって、誰に言っているんだか。

いちおう本日は一日じゅう在宅。短歌をたくさんつくっていた。
途中で、かの子と一緒に自転車で東陽町まで、牛乳とパンを買いに行った。

読み終わりそうな本は坪内祐三の『新書百冊』(新潮新書)。
本を読みたくさせてくれる本というのは、読んでいて楽しい。
偉そうなことを言うわけではないが、坪内祐三は一冊ごとに文章が
巧くなっているのではないか。
文筆家として波にのっているということだろう。

昨日の勉強会でいただいた資料に、「短歌現代」4月号に掲載された林安一
さんの「歌誌月旦」が引用されていた。

曰く「(藤原の)『たたかいのししむらの歌論』は、我妻泰から田井安曇へと
スタンスを変えた歌人の、新旧の結節点を解明した注目すべき論である」

「短歌現代」は買っていないので、知りませんでした。
「たたかいのししむらの歌」論は昨年の11月末に、必死で書いた文章なので
このように、読んで励ましていただけると正直なところとても嬉しい。
武豊に傷つけられた心が林安一さんによって癒された日曜日でありました。


[928] 現代短歌と私 2003年04月12日 (土)

村永大和さんと片山昭子さんのご配慮で、「綱手」のメンバーの方々の
勉強会で「現代短歌と私」と題して、話をさせていただく。
もともとは、「綱手」内部の有志の方々で小高賢篇『現代短歌の鑑賞101』を
読む会がおこなわれており、それが101人、きちんと読み終わったので、
中の歌人の誰かに話をさせようということで、私に声をかけていただいたと
いうしだい。

北浦和の駅で村永大和さんと待ち合わせて、近くのロイヤルホストで、片山
昭子さんもまじえて、昼食をとりながら打ち合わせ。
それから会場の浦和労働会館へ向う。途中の公園にみごとな枝垂れ桜が花を
ひらいていた。田井安曇さんもいらっしゃったので緊張してしまった。

「短歌人」の「人名コレクション」と角川「短歌」に書いた「秀歌2002」を
資料にして、現代短歌に関する思いを九十分ほどしゃべり、あとは質疑応答。
司会の片山昭子さんと、田井安曇さん、村永大和さんに要所要所で助けられ
ながら、無事に5時までの予定時間は終了した。

そのまま、北浦和の駅前の豆腐料理の店「甚兵衛」に行き、「綱手」のみな
さんと一緒に豆腐料理を食べ、語り合う。
坂入美智子さんと初めてお話をすることができた。
7時過ぎに解散。片山昭子さんと一緒に京浜東北線で帰る。

昨日、今日と二日つづいて充実した会合に出ることができた。


[927] 酒井佐忠さんの出版を祝う会 2003年04月11日 (金)

社屋内の流水書房に新潮新書を買いに行く。
とりあえず即購入は坪内祐三の『新書百冊』。私が買ったのが最後の一冊だった。
他には養老孟司の『バカの壁』と嵐山康三郎の『死ぬための教養』が
売れている。ビートたけしは五冊入って一冊も売れていない。
吉村昭の『漂流記の魅力』もまったく売れていない。

退社してからゆりかもめ、地下鉄銀座線、地下鉄東西線と乗り継いで竹橋の
ホテルKKRへ。
毎日新聞の酒井佐忠さんの『風のことのは』の出版をお祝いする会に出席。
酒井さんは定年になるのだが、引続き詩歌欄を担当し続けるのだそうだ。
詩人、歌人、俳人が集まってお祝いするというのが主旨なのだろう。
金子兜太、馬場あき子、白石かず子さんがそれぞれの分野を代表して祝辞。
篠弘さんが乾杯の音頭をとった。
酒井さんにお世話になっている歌人、俳人、詩人はたくさんいるので、さまざまな
人の顔が見える。岡井隆、佐々木幸綱さんたちの顔もみえる。
私の個人としてのいちばんの思い出は、女子プロレスラーのプラム麻里子の死亡事故が
起こったときに、彼女への挽歌を毎日新聞に載せてくれたことだ。

谷岡亜紀さん、中川佐和子さん、桑原三郎さん、海野謙四郎さん、斎藤愼爾さん、石井辰彦さん、石寒太さん、青井史さん、松平盟子さん、櫂未知子さんたちと挨拶したり、しゃべったりできた。川野里子さんに河野愛子賞受賞のお祝いを言うこともできた。アンディ・フグ
が詠われている作品が入った歌集が河野愛子賞というのは私としてはうれしい。

散会後、東直子さん、梅内美華子さん、宇田川寛之さんと一緒に外へ出る。
クロークのところで今井聖さんにご挨拶できた。柴田千晶さん、北大路翼さんとのご縁で
今井さんとも、今後、ご縁がふかまるだろう。
あとあじの良い会だった。

帰りに、久しぶりで東陽書房に寄り、『高見順敗戦日記』と『高見順終戦日
記』を二冊750円で購入。


[926] 続・詩集のつくり方 2003年04月10日 (木)

昨日から「ユリイカ」4月号をずっと読み続けている。
やはり、たっぷりとページをとった特集は読み応えがある。

特集中で「近代日本詩史再編へのアプローチ」と題された3本の文章も面白
い。
・宮本則子「立原道造の自装詩集」
・中島康博「詩人のお墓はどこにある?」
・内堀弘「詩集を遺さなかった詩人」
それぞれ、立原道造、高木斐瑳雄、小林善雄といった詩人にふれた文章。
モダニズム詩書にくわしい内堀弘氏は石神井書林の店主。

「詩集初版本談義」と題した、詩集コレクターの川島幸希と神保町の田村書店
主の奥平晃一の対談も、詩集に興味をもっている人にはきわめて興味深い。
田村書店という店の名前と奥平晃一という店主の名前がなぜ違うのかという
謎もこの対談を読むと解けることになっている。

さらに「詩は紙と活字でできている」と題しての3編の文章。
・片塩二朗「詩、活字になる」
・田中栞「伊達得夫流「詩集のつくり方」」
・扉野良人「HeadinSouthには平井功が住んでいる」
どの文章も面白い。ちなみに片塩二朗の文章では、戦前のアオイ書房主の
志茂太郎という人物の人柄と仕事をつづったものだが、こんな奇人が居た
のだなあ、と感心する。
また、平井功というのは、日夏耿之助が天才と絶賛した夭折詩人。その兄が
演芸評論家の正岡容というのも豆知識。

あと和合亮一氏ら詩人22人が回答している「詩集のつくり方、私はこう考え
る」というアンケート特集も、ついつい全部読んでしまう。
いずれにせよ、読みたくなる文章、読んでよかったと思える文章がたくさん
掲載されているユニークな特集号になっている。

ここで語られている「詩集」という言葉は「歌集」にも「句集」にも、置き
換えが可能なので、自分の身にひきつけて考えることができるわけだ。

短歌(俳句)で有名になりたいなどとまちがった考えをいだいている人は
「ユリイカ」4月号をじっくり読んでほしい。詩歌史における先人がいか
なる困難に直面し、それを表現で乗り越えてきたのか、胆に銘じるべきで
ある。


[925] 詩集のつくり方 2003年04月09日 (水)

朝から夕方まで、明治記念館で「地球環境大賞」の贈賞式の手伝い。
夕方、お台場にもどって、「くりまんのブロードバンドニッポン」で
集英社新書の川西政明著『文士と姦通』を紹介。

正岡豊さんの掲示板で話題になっている「ユリイカ」4月号の「詩集のつくり
方」という特集が面白い。
まだ、全部、読み終わったわけではないが、詩人、歌人、俳人、川柳人の
誰が読んでも、示唆を受けたり、刺激を感じたりする特集になっている。
高橋睦郎、福間健二の対談「書き手よ、よき読み手であれ」など、うなずく
ところばかりだった。
たとえば、こんなところ。

福間健二
「(若い詩人たちに)ぼくはこういうことも聞いてみたんです。一番最初に買
った詩集は何ですか、とか、月にどのくらい詩集を買うんですかとか。まず、一番最初に買っ た詩集をめぐって何らかのドラマを経験している詩人 はほとんどいなかった。それからコンスタントに詩集を買っている人も、ぜ
んぜん居なかったんです。」

高橋睦郎
「この今の出版とか表現の冬の時代が、さらに真冬の時代になるべきだと思
う。書き手と読み手の関係も、今のまま、いい加減なところで妥協して、どこかで回復してもしかたがないなという気がします。行くところまで行っちゃ
ったら、新しい読み手と書き手の関係ができて、実は読み手こそがつくる人
である、ということがそこから出てくるのじゃないかと思います」

このほか、詩人の松本圭二による、木村栄治(七月堂)、鈴木一民(書肆山
田)、佐藤一郎(思潮社)といった詩集をつくる編集者へのインタビューも
聞き手の独特のアクの強さもあいまって、読み応えのある内容になっている。
私が唯一知っている詩集・詩書の編集者、ミッドナイトプレスの岡田幸文ん
が入っていないのが残念。


[924] 春の嵐の吹き荒ぶ 2003年04月08日 (火)

夕方に向って、風雨が強くなる。
会議をやっていても、吹き荒ぶ風の音が聞こえる。
午後5時過ぎに、バグダッドの外国人プレスが集合しているホテルに
砲弾が撃ち込まれ、ジャーナリストが何人か死傷したというニュースが
とびこんでくる。

この風雨ではバスは来そうもないので、りんかい線、京葉線と乗り継いで
帰る。東京テレポートへの道は、いつもビル風が強いのだが、女性たちは
完全に風に押し戻されている。それほどの強い突風が急に吹く。

ずぶ濡れになって帰宅。
もっていた布製のバッグもびっしょり。
持ち歩いていた、斎藤磯雄訳『近代フランス詩集』(講談社文芸文庫)にも
雨が染みて、ページがくっついている。
ドライヤーで乾かすが、こんどはページがふくれあがってしまう。
まあ、しかたがない。中味が読めればよしとしよう。

ここのところ寝る前に立川談志の「談志ひとり会」の初期の頃のCDを聞いて
いる。談志が三十歳になったかならないかの頃のものである。
さすがに口跡が良く、はやい語りもまったく噛まない。
「宿屋の富」「らくだ」「芝濱」あたりを聞いた。若い頃のテープがこうし
て残っているのは貴重なことだ。これを聞けば、談志がだてに家元を名乗っ
ているのではないことがよくわかる。


[923] 「未来」4月号 2003年04月07日 (月)

午後は米軍のバグダッド市内侵攻のニュースで、ほとんどのテレビ局が
午後3時あたりから特番化した。

「未来」4月号が先月に続いて「徹底検証!加藤治郎と口語の時代」の後半
が特集されていて読み応えがある。
外部からは、『サニー・サイド・アップ』について川本千栄さんが、また、
『TKO』について大野道夫さんが執筆している。
しかし、何といっても圧巻は「鼎談・加藤治郎とその時代」。
岡井隆、山田富士郎、加藤治郎の三氏で1980年代、90年代から現在
までを、加藤治郎の仕事をフィルターにして総括してみせるという内容。
同意できるところも、首をひねるところもあるが、三人の日頃の考えが
飾らずに出ているので、発言に充実感がある。
企業人としての加藤治郎の世界認識として語られる
「日本の国会でやっていることの影響力よりもアメリカのオフィスの決定事
項の方が影響力強いんですよね」
と言った発言など、短歌結社誌で読めるとは思わなかったものだ。
最後にSSプロジェクトの二人に対する加藤治郎からの現時点での感想と
いうのも、実に的確で私はまったく同感。

もうひとつ面白かったのが、岡井隆さんの次のようなあとがき。

「「『赤光』の生誕」というのを書いているので編集会とか割り付けの集ま
りの時に「どうですか」と訊くがどうやら読んでないらしい生返事がい。
そんなことにくじけてはならない」

「『赤光』の誕生」は、短歌誌の評論の中でも、いま、もっとも面白いもの
の一つだと私は毎月、真っ先に読んでいる。
「未来」の内部の人が、これを読んでいないということは実際にはないと思
うけれど、岡井隆という人に、こんなふうに書かせてしまうのは、まずいの
ではないか、と私などは外部のものながら、心を痛めてしまいました。


[922] 横浜文体・ガイア8周年記念興行 2003年04月06日 (土)

土曜日の『過飽和・あを』の批評会のところで書き忘れていたが、
奥村晃作さんから「これはネット短歌である」との発言があったが、
この紺野万里さんの歌集にネット短歌というキャッチをつけるのは当たらない
と思う。むしろ、近藤芳美直系の社会的な主題に目をむけた歌集といった方が
正しい解釈だろうと思う。
そして、すべての作品を通して流れているのが死生観である。
だからこそ、阿修羅が目をとじる序歌で始まり、ウツボカズラにとらわれた
蝿の死を思いやる歌で終っているのだ。
本当はこういうことは批評会の現場で言わなければならないことなのだが、
いまごろになってアタマの整理がついたので、書き留めるひとにした。

日曜日は久しぶりに女子プロレス観戦。
横浜文化体育館で午後5時開始なので、少し早めに家を出て八重洲ブッセン
ターに寄る。
・「ユリイカ」4月号
・山本夏彦「私の岩波物語」文春文庫
・川西政明「文士と姦通」集英社新書
以上の本を購入。

横浜文体の近くのソバ屋でかつどんを食べていると隣のテーブルのカップル
が、携帯電話で「今、文体にガイア見にきてるんだよ」と話している。
プロレス的雰囲気が一気にたかまってきた。
マスコミ受付で並んでいると、マコ・スガワールさんとであった。
マコさんと会うのは3年ぶりくらいか。それだけ、プロレスに来ていなかっ
たということだろう。
会場内で東直子さんと会ってほっとする。
東さんからイラストレイターのSさんを紹介してもらい一緒に観戦。

横浜文体が新装してから、もう2年くらいだろう。私は新装後は初めて。
むかしは、広いけれど暗い会場だったが、今は華やかで明るい。
女子プロレスはガイアの一人勝ちと聞いていたが、確かに客入りはすごい。
9割は入っているようだ。
今のガイアは全女とJWPの個性的な選手が流れてきて、バラエティに富ん
だマッチメークができている。
怖いアジャ・コング、華麗で強い豊田真奈美が見られたので満足。

セミファイナルはKAORU・尾崎魔弓組VS広田さくら・長与千種組の
敗者スキンヘッドマッチというやつだった。
広田のはじけるキャラは初めて見たが、まあ、全女あたりでは考えられな
い活躍ぶりといえる。
結局、ヒール組が髪を切ることになったが、むかしと比べるとまったく悲愴
な感じがない。髪を切られて号泣したバイソン木村がなつかしい気がする。

途中の休みに、今回、観戦のご配慮をいただいた「猫又」の沢田さんに挨拶
する。10年前に共同執筆した「熱血!女子プロレスの友」と北斗晶の団扇
を謹呈する。
沢田さんに三田英津子から直接来た「コスチュームを変えました」というメ
ールを見せてもらう。うらやましいぞ!

試合終了が9時半を過ぎたのと、セミファイナルあたりから、腰痛が再発し
て来たので、帰りはそそくさと帰って、みなさまには失礼いたしました。


[921] ‖ 落語・短歌批評会・朗読会A 2003年04月05日 (土)

雨の中、築地の兎小舎に到着。
まだ開場はしていず、何人かの人達が並んでいる。
名古屋のなかはられいこさん、大阪の花森こまさん、さらに菊池典子さん、
白糸雅樹さんたちだった。

やがて会場。
あいかわらず、佐藤りえさんがよく働いている。
ひとつひとつの感想を書いていると長くなるので、総論にすれば、やはり、
プロデューサーである田中槐さんが、毎回、ちがった進化、変化を見せよ
うと意図していることが、大きなプラスだと思う。
演出がきちんとついているのが良い方向に向いている。

良かったと思うのは、槐さんの朗読のときに、緊張の緩和のために、「花」
をお客に歌わせたこと。これで緊張が解けた。
歌のおにいさんとして登場した大井学さんのみためのやさしさとなじみや
すい声もぴったりだった。
こういう余裕、遊びが出てきたのはいいことだ。
本当は笑いもほしいところ。
松井茂さんの「純粋詩」の後半、コンピュータの音をえんえんと聞かせた
あと、その音が消えて、最前列に座っていた出演者たちが肉声で「2、1、3」
などと朗読し始めるところは、本当は笑うべきところだったと私は思う。
純粋詩にはそういう狙いがあるはずだから。

トリをとった沼谷香澄さんと伊津野重美さんの「紅炎」という朗読は、動きも
きちんと演出されていてみごとなものだった。
吉原幸子の詩と二人の短歌をコラボレーションしたもので、衣装も沼谷の赤
と伊津野の白というくっきりした対比。
こういうかたちを突き詰めると小劇団のパフォーマンスとの違いがどこにあ
るのか、ということになりがちだが、この差異は要は演者が何を伝えたいか
ということにかかっている。今回はテキストの短歌の重さが、朗読であるこ
とを保証していた。
沼谷香澄さんはもともとボイストレーニングができているのではないかと
思うのだが、発声という点ではいつも抜群のものがある。何より聞きやすい。
伊津野さんの強味は、囁きが届く声質という(たぶん天性の)能力。
これは一部の伊津野さんの朗読の時にも思ったのだが、オフマイクでも聞こ
える声というのは特異なポイントだと思う。ふだんの会話は、むしろ力弱い
感じの声なので、いっそうその対比に驚かされる。あと、発声しながらの
軟体的な身体のうごめき。

沼谷、伊津野の二人のコラボを組み合わせ、演出したのは秋月祐一さんだそ
うだが、二度のマラリーや年末のアスベスト館での、伊津野さんの朗読を見
て、沼谷さんとの対比をプランニングしたのかと思うが、さすかにプロのデ
ィレクターだなあ、と感心した。
次回はテキストを短歌だけでやってみせて欲しいと思う。

総じて良いできの会だった。時間がたつのが早かった。
雨の中を来た甲斐があったというものだ。終演後、外へ出たら、村井康司さ
んと田中庸介さんが居た。私はそれぞれに挨拶し、日比谷線、東西線と乗り
継いで、9時少し過ぎに帰宅した。


[920] 落語・短歌批評会・朗読会@ 2003年04月05日 (土)

午前中、桂文我のCD「替り目」「月宮殿星の都」を聞く。
「替り目」は酔っぱらった夫が女房がまだ外に出ていないのに手を合わせて
しまい、「なんだよ、まだ、いたのか」で落とさず、その先の饂飩屋が出て
きて、酒のお燗をつけさせられるところまで、やっているのが良かった。
落語の速記本では「今いったら、お銚子の替り目です」というオチは知って
いたが、実際に演じられるのは初めて聞いた。
「月宮殿星の都」は「地獄八景」につうじるスケールの大きな関西のホラ噺
で、そのわりにオチがバカバカしいところが楽しい。大阪ではこういう噺の
傾向がむかしからあって、こういう発想が、たとえば小松左京や筒井康隆の
初期の作品につながっているのではないか、などと思った。

午後からは中野サンプラザで紺野万里歌集「過飽和・あを」の批評会。
パネリストは秋山律子、今井恵子、荻原裕幸の三氏と私。司会は佐伯裕子、
飯沼鮎子のお二人。
私は連作を集めて全体を構成した歌集だというところをポイントだと思って
いたが、結局、一首単位の出来映えが大切という話になっていき、構成力と
いう部分や連作全体の評価という点へは話が進まなかった。発表の時にもっ
とその点を強調すべきだったと反省した。
田村広志さん、奥村晃作さん、桑原正紀さん、秋山佐和子さんたちの発言で
議論自体はもりあがったが、私の悪いクセで、こういう意見を聞けば聞くほ
ど、自分の意見がやっぱりいちばん正しい、思い込んでしまう。それをもう
一度、きちんと発言しなければならないのだが、その頃には時間がなくなっ
てしまうのであった。
今回は荻原裕幸さんという異色の存在がパネリストに入っていたことが、全
体の雰囲気を活性化していたように思う。
反省しつつ松村由利子さんと中野駅へ向う。「朗読千夜一夜」を聞くために。


[919] 理不尽というギミック 2003年04月04日 (金)

4月4日といえば、1979年4月4日はキャンディース解散コンサート。
その日、私は最初の勤め先の鎌倉書房で、同僚と麻雀をしていた。
ちょうど、帰りの総武線の水道橋駅で、コンサート帰りの若いファンたちが
大量に乗って来たのを覚えている。
この話、去年も書いたかもしれない。

昼休みに社屋内の流水書房へ行くと、「ゴング増刊・理不尽大王・生の証し」
という別冊の追悼号が出ているので、早速、購入。
プロレスラーの格としては、別冊の追悼号が出るようなポジションではない
のに、このような本がつくらりるのは、いかに、冬木弘道のキャラクターが
プロレス・マスコミに愛されていて、しかも、死の間際の行動、言動が、そ
れだけ心打つものだったということだろう。
あとがきに小佐野景浩が、どうしても自分がこの別冊をつくらねばならない
と決意したという話を書いている。その内容も十分に説得力のあるものだった。それにしても「理不尽」とはプロレスの本質を鷲掴みにした秀逸なギミッ
クだったと今になって思う。

夜、某所で、林あまりさんと会う。
彼女も冬木弘道の早過ぎる死には心を痛めていた。
短歌の世界の現状に関しても、いろいろ語り合う。
やはり、何かできることは、積極的にやらなければならない。
雑誌の新人賞はたくさんあるけれど、受賞後にいかにたくさん作品発表の
機会を与えてくれるかが、その才能を育てることになるのだと思う。
「短歌」4月号にも書いたが、栗木京子さんが昨年、完全にあらたな表現の
局面を開拓することができたのも、「短歌研究」の連載作品と短歌研究賞
の受賞による多作が効を奏したことはまちがいない。
新人賞歌人にも思い切って、それだけのチャンスを与えれば、新鮮な才能
が、さらに輝きをはなつはずなのだが。
現状では残念ながら期待薄のようだ。


[918] 箱根からブックオフへ 2003年04月03日 (木)

彫刻の森美術館で新入社員研修のつづき。
午前中は美術館の見学。
昼食をはさんで、いよいよ、課題発表。

今年の課題は、「変える勇気、変わらぬ勇気」というコピーをキーワードに
した90秒の生CMをつくる、というもの。
要はグループ(平均8人)単位で、コント的なCMをやるというもの。
20種類のCMが発表されたわけだが、なかなかに面白く、発想が柔軟で
よかったと思う。
18歳から25歳くらいまでの年齢差のある人間が、一緒にアタマをひねり
アイデアを出し合い、演技までする、というわけだから、たしかに結束力は
つくと思うし、グルーフの関連会社とはいえ、この研修以外では、ほぼ、会
わないメンバーもかなり居るのだから、一度でも、こういう体験をするのは
やはり、良いことだと思う。
私としては、目玉マークを充血させたり、目玉オヤジにしたりしたチームの
アイデアが、いちばんすっきりしていて面白かった。

タクシーで箱根湯本、ロマンスカーで新宿、大江戸線で門前仲町へと戻り、
また、ブックオフへ行く。
このまえの予想どおり、ちくま文庫の太宰と柳田國男の全集はあれ以上、
一冊も売れていない。さらに、買われにくくするために、また、太宰2冊
と、柳田國男1冊購入。時間をかけて、買い揃えるつもり。別に揃いであ
る必要はない。
とはいえ、手元にあれば、パラパラは目をとおすので、ブックオフでなら
買っておいて損はない。

帰宅すると、いろいろと結社誌が届いている。

・目は女性器をあらわすという説あり他に妹という説あり、ね/渡辺松男

「かりん」4月号の一首。
正直いって、私はこの歌人の作品の面白さがわからない。
まあ、いつか、わかるようになるのかも知れないが。


[917] 乾し葡萄と乾しあんず 2003年04月02日 (水)

グループ新入社員研修ということで、午前中はフォーラムで代表と村上社長
の講演。午後はサンスポの阿部編集局長の講演。
そのまま、170人の新入社員を引率してバスで箱根へ。

研修所到着が午後5時前。
部屋割りと諸注意をして、しばらく自由時間。
売店に行くと、乾し葡萄と乾しあんずがそれぞれ500円。
ついつい買ってしまう。

夕食時にこの宿泊研修の課題説明をおこない、夕食。
そのまま、新入社員達は課題の検討会に入る。
私はしばらく、引率の各社人事系社員の人達の懇親会につきあったのち
木漏れ日の湯という温泉に入りに行く。
入湯後、自動式の台湾足裏マッサージというのをやってみる。
さらに、ゲームコーナーで麻雀ゲームを一回だけやる。脱衣麻雀だったの
たが、3人目まで勝ち進んで、4人目で負けた。

部屋に戻り、乾しあんずを食べながら、山本夏彦の『完本・文語文』を読む。
短歌をつくっている私は、普通の人よりは文語文法にはなじんでいるはずで
はあるが、この本のように、あらためて文語の美点を論じられると納得する
ところが多い。文語教育をきちんと受けた文語の最後の使い手として芥川龍
之介をあげているので、さらに興味ふかく読みすすめることができる。


[916] 笑い疲れて、夜が更けて 2003年04月01日 (火)

風邪はまだ完全になおっていないのだが、今夜は「高田笑学校」なので
紀伊国屋サザンシアターへ行かなければならない。
昨夜も本当は「新作落語サミット」へ行くつもりだったのだが、原稿書
きと風邪で断念したので、今日は絶対に行く。

明日、グループの新入社員研修なので、22階フォーラムにその準備を
するが、思った以上に時間がかかり、新宿へついたのは、けっこうギリ
ギリの時間だった。

出演者は、清水宏、松村邦洋、ますだ・おかだ、ここで中入り。
ポカスカジャン、浅草キッド、そして高田文夫司会による大喜利。
ますだ・おかだ、浅草キッドといった、漫才がたっぷり聞けるこの会は
やはり異色で楽しい。

高田さんが、例の小朝が二代目こぶ平を継ぐというネタは大ウケだった。
笑い疲れて、更けてゆく4月1日の夜であった。


[915] 年度末、興奮が頭に残る 2003年03月31日 (月)

今日はあらかじめ休暇をとることにしてあったのだが、朝から吐き気が
して、風邪が悪化しているらしい。休みにしておいてよかった。

Tクリニックへ行って治療してもらうのだが、とにかく、乗り物のタイミン
グが悪く、道も混んでいる。年度末だからしかたがないのだか、結局、いつ
も一時間以内で着くのに今日は一時間三十分、たっぷりかかってしまった。

点滴をしてもらって、なんとか、吐き気はおさまり、全身のだるさも、まし
になってくる。
帰りのバスの時間調整のために、門前仲町のブックオフに入ったら、ちくま
文庫の柳田國男全集がと太宰治全集が定価の半額ででている。
揃っていると、まとめて買われる可能性があるので、とりあえず、一冊ずつ
買う。柳田國男が「木思石語」が入っている第7巻、太宰治が「右大臣実朝」
が入っている第6巻を買う。

帰宅後、昼食を軽く取り、風邪薬をのむ。一時間ほど昼寝をしたら、嘘のよ
うに身体が楽になっていた。正直、助かったと思う。
本日締切の田井安曇論の続きを書き始める。夕食をはさんで、なんとか、
夜の10時前に書き終わってほっとする。
しかし、せめて、夕方に書き終わっていれば、新宿末広亭の「三派連合・
新作落語サミット」の夜の部に行けたのに残念。昨日、一昨日とさぼって
しまったのだからしかたがない。

これで気がかりなことが片付いたので、ぐっすり眠れるかと、布団に入った
ら、原稿に集中していた興奮が頭に残っていて、なかなか寝つかれない。
結局、山口瞳『還暦老人憂愁日記』や大塚英志『人身御供論』などを拾い
読み、結局、眠れたのは午前2時過ぎ。


[914] 風邪ごもりの日曜日 2003年03月30日 (日)

昨夜は風邪気味だったので、薬をのんだら、急に眠くなって、9時にも
ならないうちに眠ってしまった。

そして、今朝は咽喉が痛く、関節も痛い。
困ったことに本格的な風邪をひいてしまったようだ。
風邪薬をまたまたのんで、寝床で『田井安曇作品集』と鈴木竹志さんの
『同時代歌人論』を読みつづける。
どちらの本も今年になってから二度目の通読。

口がまずくて、何も食べたくない。
ムリして菓子パンやオレンジを食べては薬を飲んでいる。

結局、一日じゅう、風邪薬を飲み、本を読み続けているうちに日が暮れた。


[913] 桂文紅東京独演会 2003年03月29日 (土)

麻布十番にあるフォンテーヌスタジオというところで、桂文紅さんの独演会。
文紅さんは、昭和四十年代の前半に大阪のテレビの「お笑いとんち袋」とい
う桂米朝司会の大喜利番組のレギュラーだった。
ちなみに、この番組の他のレギュラーは桂朝丸(さこば)、吾妻ひな子、
桂米紫、桂我太呂(二代目文我)、桂小春団治(露の五郎)だったと記憶
している。

本日の流れは、開口一番が三遊亭かぬう、続いて笑福亭鶴瓶の「堪忍袋」、
桂文紅「天神山」。ここで中入り。そのあと文紅、鶴瓶のトーク。
神田伯山の講談「丸山応挙」、そして文紅師匠の「三十石夢の通ひ路」と
いうもの。

二週続けて鶴瓶さんのナマ落語を聞くことになるとは思わなかったが、や
はり、この師匠はテレビで活躍する道を選んだのは正解だったようだ。

文紅師匠は、もう少し若い頃にみっちり聞きたかったというのが正直な感想
だが、「天神山」は珍しい噺だし、「三十石」は船頭唄が聞くどころなので
楽しむことはできた。

終演後、この会の大阪側の仕掛け人である木割大雄さんと、しばらく立ち話
をしてから帰宅。
風邪をひいてしまったようで、咽喉と節々が痛い。困ったものだ。


[912] 次のこぶ平 2003年03月28日 (金)

本日は駄句駄句会。
席題は「東風(こち)」と「花」。
こういう本格的な季題はどうももうひとつ苦手である。

・東風吹くや自転車押して歩く土手/媚庵

こぶ平さんの正蔵襲名は、小朝さんが段取りをしているのだが、落語界の
大きな話題としては、実に良いことだ、との話になる。
その流れで、それなら、こぶ平の名前が空くから小朝が二代目こぶ平に
なればよい、という話になり、大爆笑になる。

落語の世界に、岡本マキ賞という賞があり、いちばん働いていると思われる
前座さんに授けられる賞なのだそうだ。
岡本マキというのは、林家彦六さんのおかみさんの名前で、賞金は彦六さん
のCDやテープや本の印税が当てられているのだそうだ。
初めて知ったが、とてもいい話である。


[911] 不覚にも涙あふれて 2003年03月27日 (木)

「週刊プロレス」の冬木弘道追悼号の葬儀のレポート記事の中の
「249パウンド、マッチョバディ、ふゆきこーどー!」というコールと
ともに、黄色い紙テープが舞って霊柩車が出発した、という記事を読んで
いるうちに、不覚にも涙がにじんできてしまった。
まったく、イイヒトほど早死にする。

京王プラザホテルの「コスモス創刊50周年記念パーティ」に出席。
影山一男さんと小島ゆかりさんが司会。
岡野弘彦さんの祝辞が実に心にしみるものだった。
折口信夫は晩年、宮柊ニをとてもたかく評価していたという。
それは、北原白秋の家に住み込みで、師につかえていた柊ニのことを知って
いたので、その師弟関係に、自分と藤井春洋の姿を重ねていたのではないか
というもの。柊ニは戦地に赴きながらも、復員してきた。しかし、すでに
白秋は亡くなっていた。折口信夫は生きていたが、藤井春洋は硫黄島で
戦死してしまった。それゆえに折口信夫は宮柊ニを可愛がり、歌人としても
高く評価したのだ、という内容。
短歌という詩歌にかかわるものたちに流れる歴史というものを考えさせられ
る話であった。ここでも、聞いているうちに涙があふれそうになった。

香川ヒサさん、栗木京子さんもはるばる出席されていた。
狩野一男さん、影山一男さん、丹波真人さん、風間博夫さん、田宮朋子さん
大松達知さんたちとお話しできた。鈴木竹志さんがいるはずだと思い、聞い
てみたが、みなさん、来ているはずだけど自分は会っていないという。
やはり、いらっしゃっていないようだった。

20時ちょうどにおひらき。
宮英子さんの笑顔がとても印象的だった。
お土産は「コスモス」創刊号の復刻版。とても貴重な資料だ。

・ガスこんろの青く噴く炎が眼裏を移りつつ消えず眠りゆくとき/瀧口英子


[910] 山口瞳再入門ほか 2003年03月26日 (水)

「小説新潮」4月号が、山口瞳再入門という特集を組んでいる。
重松清の司会による歴代担当編集者の座談会や伊集院静選の「新入社員諸君」
の傑作選。川上弘美、甲斐よしひろ、森田芳光らのエッセイ。
坪内祐三の特別読物となかなか華やかに目次づらが飾られている。

いちおう、新潮文庫で「男性自身」の傑作集が再編集されて出るので
そのパブリシティらしいが、ひそかにブックオフその他で、絶版の山口瞳の
本を集めていた私としては、うれしいような残念なような複雑な気持ち。

夜はブセロードバンド放送への出演を終えたあと、日比谷句会へ。
浦川聡子さんが中心となるこの句会に出席させてもらうのは、今日で3度目。
今回は私を入れて、7にん。
年齢層も職業もばらばらなので、話が面白い。

「俳句」4月号で面白かった一句。

・新宿は永久機関つばくらめ/櫂未知子


[909] やさしい春の雨がふる 2003年03月25日 (火)

かの子の卒業式。
一日じゅう春の雨が降っている。
早めに帰宅して、かの子の卒業祝いということで、お赤飯を家族で食べる。

田井安曇さんから、うれしい内容のハガキをいただく。
「綱手」に田井さんの歌集『たたかいのししむらの歌』と『水のほとり』に
関して、2回にわたって文章を書かせてもらったのだが、頑張って書いて、
よかったと思う。今月末締切で、もう一回、書かせていただくことになって
いる。

フジテレビの「トクダネ発!GOーガイ・スペシャル」を見る。
サダム・フセイン、ブッシュ、小泉淳一郎のそれぞれの生い立ちを、
再現ドラマで見せている。
バグダッドの市民の住居区域への誤爆もかなりあるようだ。

緊迫した世界史のさなかに自分が今生きているということ。


[908] ブッディストホールという空間 2003年03月24日 (月)

今年3回目の立川談春独演会を聞きに、ブディストホールへ行く。
日が沈んでも、コートを着ていると汗ばむくらいの陽気である。
先月よりずっとお客の入りは多い。
5人がけの席に4人で座るという状態だったのだが、私以外の3人はすべて
一人で来た20代の女性だった。こういう人が、談春さんの落語の中核とな
る支持者なのだろう。

演目は「三枚起請」と「庖丁」。
やはり、大きな演目二席ということで、緊張しているのか、マクラの入門の
時代の話が30分近くつづいて「三枚起請」に入る。
古今亭志ん朝の影をふりはらうように自分流の「三枚起請」を演じるしかない
のは、なかなかの困難だと思う。
頭領、若旦那、職人のキャラクターの演じわけ、お女郎のてのひらをかえすよ
うな男への態度など、そこそこにできあがっていたと私には思えた。

二席目は、先月から予告していた「庖丁」。
これも男女の愛憎の機微を描いた噺である。
こちらは、三遊亭円生の影を見ながら演じなければならない。
結論からいうと、会心の出来ではなかったと思う。
前の長いマクラとは別に、中入り後は、頭をさげた状態で
「おい、常!」というセリフでいきなり噺に入った。
男二人に女一人の登場人物。もちろんキャラクターはきちんと演じられてい
たが、私の感じでは、常盤津の師匠の年増女が、自分がだまされていること
を知って、男を乗り換えてからのセリフが、ややシツコク感じた。
まあ、これから、試行錯誤がくりかえされることになるのだと思う。
前途は明るい。

帰り際に、吉川潮先生に声をかけていただく。
地下鉄の駅まで、ほんの少し、お話しながら帰る。


[907] コインを探る指のさびしさ 2003年03月23日 (日)

・最終版タブロイド紙を買うためにコインを探る指のさびしさ/藤原龍一郎

ある歌会に出した一首。
米英軍のイラク攻撃のニュースは駅売りの夕刊紙を活気づかせている。
夜ふけの地下鉄の構内。
そんな情報を求めて、私の指はポケットの中の硬貨をつまむ。


[906] 浮遊する土曜日の夕方からの報告 2003年03月22日 (土)

「短歌人」の編集会議なので、午後4時に家を出る。
早めに池袋について、まず、久しぶりに、ぽえむぱろうるへ行く。
石井辰彦さんの第一歌集『七竈』が3冊平積みになっている。
この歌集は、先月、最後の3冊を秋月祐一さん、桝屋善成さん、田中槐さんが
買ったということだったのに、まだ、在庫があったということらしい。
価値高く、貴重な歌集なので、読みたい人は早く買っておいたほうが良いと思う。

詩歌関係の本は特にほしいものがなかったので、中公文庫の生田耕作著『ダンディズム』
生田耕作訳・アンドレ・ブルトン著『超現実主義宣言』を購入。
そのままジュンク堂にまわる。
自由価格本の棚に社会思想社の教養文庫がたくさん並べられている。
久生十蘭の短編集『昆虫図』と『無月物語』がともに一冊400円だったので購入。
新刊書は特に買いたいものがなかったので、そのまま地下道で西口側へまわり、
東京芸術劇場の側面一階にある古本大学へゆく。
ここでは、古い文春文庫が目につく棚に並べられていた。
小沢昭一『私は河原乞食・考』500円、永六輔『極道まんだら』350円を購入。

6時30分から編集会議。
4月号の見本ができあがっていたので見せてもらう。
特集の「短歌人名コレクション」が圧巻。
とにかく例歌をたくさんあつめるという方針が功を奏している。
短歌にいかにさまざまな人名が詠み込まれているか、
ほとんどの人の想像をこえているだろう。


[905] 正蔵襲名 2003年03月21日 (金)

かの子のピアノの発表会なので、新宿文化センターへ行く。
フラットな床に椅子を並べるタイプの会場。

かの子に関連したところだけは会場の中で聞いて、あとはロビーで本を
読んでいた。

今読んでいる本。
坪内祐三『文庫本を狙え』
小高賢『転形期と批評』

今週読み終わった本。
安原顕『乱読すれど乱心せず』

ブックガイド的な本を読むと、そこでとりあげられた本を読みたくなる。
そしてその本を買う。
買った時点で満足してしまって、結局、その本は読まない。
そして本が増える。

毎日新聞の朝刊によると、林家こぶ平が2005年の春に林家正蔵を襲名
することが、内定したという。
林家三平の父親が先先代の林家正蔵、亡くなった彦六が先代の正蔵である。
つまり、こぶ平は、お祖父さんの名前を継ぐことになる。

先日の東西落語研鑚会で、こぶ平のネタ「三味線栗毛」は、小朝が選んで
こぶ平にやるように勧めたという裏には、こういう大名跡の襲名という話
もあったのだな、と、あらためて気づく。

夜はやたらに眠くて、結局、布団に入って5分たらずで眠ってしまった。


[904] 二人の訃報など 2003年03月20日 (木)

朝、メールのチェックをすると訃報が二つ入っていた。
「短歌人」の植村玲子さんとプロレスラーの冬木弘道。

植村さんには、平野久美子さんの前の歌集センター担当者として、たいへん
お世話になった。初めての歌集『夢みる頃を過ぎても』を上梓した時は、あ
たたかい感想のお手紙をいただいた。
人生とはたくさんの人との出会いと別れをくりかえしていくものだというこ
とはアタマではわかるが、現実的には突き刺さるような悲傷の思いをこらえ
ることはできない。
心からご冥福をお祈りしたい。

冬木弘道のプロレスラーとしての存在は、自己犠牲につきていたのではない
か。国際プロレス、全日本プロレス、SWS、WAR、FMWと遍歴してゆ
き「理不尽大王」というギミックを確立したが、「週刊プロレス」などの専
門誌に掲載されたインタビューなどでは、プロレス界の現状をとても正確に
認識し、今、どうしなければならないかということを、考え続けていたと思
う。こんな早死にをすることになるとは、運命とはいえ残念でならない。
自殺した荒井昌一社長とこの冬木弘道とFMWにかかわっていた人達が二人
も早死にしてしまったことになる。非情な世界だと思う。

日本時間の正午前開戦。

夜は事務局長ほか5人で、人形町のお好み焼き屋「松浪」へゆく。
新任のT氏の歓迎会を兼ねている。
もう一軒、カラオケに行って帰宅は24時前。


[903] 戦争への待ち時間 2003年03月19日 (水)

明日になれば戦争が確実に始まるのだろうが、日本に居る人間にとっては
戦争へのカウントダウンという緊迫感よりも、待ち時間といったのんびり
した雰囲気なのではないか。もちろん、アメリカ大使館やディズニーランド
などは、テロの危険性が皆無とはいえず、それなりに、警備を強化し、も
しものときのためのシミュレーションをしているのだろう。

会議室の空気が私にはあわないのか、会議が終ると必ず、鼻がつまったり
咳が出たりする。議事録をまとめながらも、咽喉がいがらっぽくい困った。

「くり万太郎のブロードバンドニッポン」で、『未読王購書日記』を紹介
する。さすがのくりまんさんも、この豪快な買いっぷりの記述には驚いて
いた。「高校生の時に、自慰行為は身体に悪くない、と人生相談のページ
で読んでほっとした時以来の救われた気分の読後感」と解説したら、くり
まんさんも同感してくれた。

帰りのバス停で、門前仲町行きのバスを待っていると、寒風となまぬるい
風とが交互に吹いてくる。フジテレビのビルの球体はライトアップで色を
変えながら、夜空に浮かんでいる。球体の左側のタワーにある報道センタ
ーは、あわただしく情報を収集しているのだろう。


[902] 東西落語研鑚会A 2003年03月18日 (火)

中入りになったので、ロビーへダッシュ。
5月の第二回東西落語研鑚会の先行前売券を購入するためだ。
開演前に中入りと終演後に次回の前売券を発売するというアナウンスが
あったので、みんなそれを狙っていたのだろう。
たちまち、ロビーに長い列ができる。私は早めにダッシュしたので、今夜
の席より少しだけ前の席を買うことができた。

・笑福亭鶴瓶「鴻の池の犬」
高座の座布団にあがる前につまずいてみせる。これをやらないとこわかった
のかもしれない。
例によって六代目のエピソードから入る。松鶴門下と談志門下は、これを
マクラにしてくれないと客が承知しない。
鶴瓶の落語は正直言って、少しだれた。やはり、常にやっているわけでは
ないので、時間配分がきちんとできなかった感じである。
ただ、ほとんど犬がしゃべるという設定のこの噺は、多人数を演じわける
必要がないので、ネタ選びとしては成功だったと思う。

・春風亭小朝「火焔太鼓」
マクラで東横名人会での落語家同士の火花散るライバル意識の様相を実名を
あげて話したのは聞きものだった。志ん朝と小三治で、志ん朝の前に出た小
三治が「百川」でオオウケをとり、しかも、袖へひきあげるのに時間をかけ
て笑いを長びかせたので、そのあとの志ん朝が「船徳」を演じたのに、客が
のりきれず、失敗に終り、お客がかえってガツクリして帰った話など。
この研鑚会も、そういったつばぜり合いの場にしようということだろう。

噺は卒がない。道具屋の亭主が買って失敗したものとして「一休さんが虎を
逃がしたあとの屏風」とか、ひねりをいれているのも好ましい。
おかみさんの亭主をおどろかす風も巧いし、300両の小判を見て、態度が
かわっていくさまも面白い。

今夜来たお客はみな満足できただろうと思う。
客席には山藤章二夫妻、和田誠さんらの姿も見えた。
お客の年齢層は20代から70代まで。質の高い良いお客だったと思う。
この中に初めて落語会に来たという人が何人かいてくれれば、先行きは
明るいだろう。


[901] 東西落語研鑚会@ 2003年03月18日 (火)

朝10時にブッシュ大統領のフセインに対する実質的に最後通諜の演説。

夜、6時半から有楽町・読売ホールで第一回東西落語研鑚会。
春風亭小朝、笑福亭鶴瓶、林家こぶ平、春風亭昇太、立川志の輔、柳家花緑
の6人が、6人の会なるものを結成して、この時代にふさわしく、また、お
もしろい落語を演じる場としてつくりだそうというのがこの会の趣旨。

受付で漫画家のバトルロイヤル風間さんに会う。3年ぶり。
場内は超満員。全席指定なので、自分の席を確認してから、トイレに行く
ためにロビーに出ると、桂竹丸さんと遭遇。たぶん5年ぶりくらい。

最初の出演者は立川談春。
東横落語会の新世紀バージョンとして企画されたこの会のトップバッターと
して、談春という人選は巧い。楽屋が緊張して殺気にみちているという話か
らはいって
「東西の落語家が研鑚しあうという意気込みを祝うように、本日、国連が
崩壊しました。私は6人の会には入っていませんから非常任理事国みた
いなものですが、6人のみなさんは常任理事国、さて、今後、私の師匠
フセインが、志の輔アニさんに、どんな無理難題を言い出すか楽しみで
す」とふったので場内は大爆笑。一気にやりやすい雰囲気になった。

・立川談春「替り目」
上のツカミが成功したので、すんなり噺に入り込めた。
歯切れの良い職人などは巧いと思っていたが、年増のおかみさんも巧い。
やはり、私は立川談春という落語家が好きなんだな、と、実感。

・林家こぶ平「三味線栗毛」
人情噺なので笑いが少なく、意欲はわかるがつらそうだった。
ただ、ニンにあった噺ではあるので、磨きあげてほしい。
・桂春団治「代書屋」
大阪落語の大ベテラン。前の人情噺で笑えなかったストレスが観客にたま
っていたので、大爆笑の連続。会話はもちろん「一行抹消」の筆を動かす
仕草だけで笑いがくる。わずかに身体を斜めにかるだけで、スカタン男と
イラチの代書屋のキャラクターがみごとに描きわけられるのはみごと。
春団治師匠にとっても、とても気分の良い高座になったと思う。


[900] 本まみれの人生へのあこがれ 2003年03月17日 (月)

安原顕の『乱読すれど乱心せず』(春風社)を読み始める。
著者はご存知のスーパーエディターで、今年1月20日に亡くなった。
この本は、現時点でもっともあたらしい安原顕の本ということになる。
著者自身の1月8日付けのあとがきが掲載されている。
内容はいわゆる旧著再読で、谷崎や川端から両村上、吉本ばななまで、
だいたい、誰もが知っている作品を再読して、現在の視点から意見を
述べるというもの。

やはり、著者が編集者時代に体験した作家とのプライベートなエピソード
がおもしろい。
たとえば、庄野潤三の自宅近くに著者は一時住んでいたので、担当ではな
かったが、原稿をもらいに行き、「近くに住んでいますので、また、お邪
魔します」と、とりあえず編集者の立場からの挨拶をしたところ「いや、
けっこうです」とニベもなく拒絶され、その後、路上で遭ったときも、
他人行儀な態度だったというものなど。

ところで、この安原顕という人の読書量はすごい。
『読んでもたかだか五万冊−本まみれの人生』(清流出版)という著書も
あるくらいだ。もちろん、仕事もかねてだろうが、本まみれといっても
かの未読王様とは対極にあるということか。
また、坪内祐三VS安原顕という対立があったことも、坪内祐三の『文学
を探せ!』で、読んだ記憶がある。『雑読系』にも、ちょこっと安原顕を
挑発しているようなところがあった。
まあ、読者としての私の立場からいえば、未読王もふくめて、本について
の本を読むと刺激がもらえることは確かなので、別に対立などどうでも良
いのだが。

安原顕の本は、まだまだ、出てくるだろう。これも楽しみに待ちたい。

夜は異常に眠くなり、9時前に寝床に入って、30分も経たないうちに
眠ってしまっていた。


[899] 現代短歌新人賞授賞式など 2003年03月16日 (日)

渡英子さんの現代短歌新人賞授賞式に出席するために、大宮ソニックシテイへ
行く。十三時開会なのだが、正午ちょっと過ぎについてしまう。
しかし、短歌人のメンバーが次々にやってきてくれる。

十三時開会。審査委員長中村稔、審査委員の加藤克巳、馬場あき子、篠弘
四氏の好評は、すべて、渡さんの表現の安定感と同時代性を評価していた。
まったく、そのとおりだと思う。
加藤克巳さんの講演「短歌のロマンチシズムとリアリズム」は、萬葉集から
岸上大作までの作品を一気に解説するもの。かなり時間が押していた。

レセプションでは、小池光、桑原正紀、秋山佐和子、蒔田さくら子の四氏が
スピーチ。
大滝貞一さんが、お酒をのまないので「飲まないんですか」と聞いたら、
高瀬一誌さんが、お酒を飲めなくなった時に、
「よし、おれも禁酒してつきあうよ」と言って、それ以来、飲まなくなった
のだそうだ。

二次会は失礼して帰る。
帰りの電車の上中里駅あたりで『雑読系』を読み終わった。
これから、この本で紹介された書籍を購入することになるだろう。
当然、ほとんどは未読になると思うけど。

そして東京駅で降りて、そのまま京葉線で素直に帰ればいいのに、ついつい
改札を出て、八重洲古書館に足が向いてしまう。
しかし、今日は収穫があった。『日影丈吉全集』第一巻、定価9500円が
5700円で出ている。この本は現在、1巻と6巻の二冊しか刊行されてい
なくて、実は6巻の方を先月bk1で定価で購入していたのだ。今月中に、
1巻を買わなければならないと思っていたので3000円も安く買えるとは
ラッキー以外のなにものでもない。

これで歯止めが切れて以下の本を購入。
・「吉田健一集成」第3巻   2900円
※つまり、浮いた3000円でこの本を購入という心理。
・「森銑三著昨集・続編」第6巻  4800円
・「ガロ曼荼羅」   2000円
・加田こうじ、木津川計、玉川信明共著「下町演芸泣き笑い」 1500円
・古川緑波「劇書ノート」   800円

実は昨日、某誌からもらった原稿料をこれで使いきってしまいました。
未読王様への帰依のあかしです。トホホ……


[898] 不可解倍増の雨の土曜日 2003年03月15日 (土)

午前中、小雨の中を平和島のTクリニックまでアトピー性皮膚炎の薬を貰い
に行く。電車の中の読書は坪内祐三『雑読系』。
珍しくしかも面白い本に関するえっせい集。どの項目からも読めるので、け
っこうどんどん読みすすめることができる。
驚いたのは「井上通泰は私の曽祖父だ」と書いてあったこと。
井上通泰は柳田國男の兄さんだから、坪内祐三は柳田國男の親戚にもなるわ
けだ。はずかしながら、まったく知らなかった。

坪内祐三は、文章がどんどん切れ味よくなっている。
川村湊の『靖国』に対する書評に反駁している文章など痛快といえる。
こういう呼吸の文章は肌合いが合う。

正午前に帰宅してうなどんを食べる。

午後は渋谷で「きむの会」。
今日の出席者は5人と小人数だったが、実のはる話ができたし、短歌モード
になるための刺激もたっぷりともらった。

さて、「俳句研究」4月号の「俳句に関する十二章・共有性」という文章で
仁平勝氏は、俳句の言葉のオリジナリティを否定しているわけだが、その中
で、かつて、「豈」の編集をしていた頃の摂津幸彦は、同人の作品原稿を読
んで、魅力的な単語があると、それをパクって、自作をつくっていたという
エピソードを紹介している。

「このバクリは同人たちの公認で、自分が使った言葉を幸彦の句に見つける
 のを楽しみにする者もいたが、盗まれた同人が著作権を主張したという話
 は聞いたことがない」

私も「豈」の創刊以来の同人なのだが、この話は初耳だった。私のしらない
ところで、実際にそういうことがあったのかもしれないが、このエピソード
は、今回の櫂未知子の奥坂まやに対する異議申立てを無意味だとするための
論の補強には何の役にもたたない。
仁平自身、書きながら自分でわかっているはずだと思うのだが、毎日新聞の
時評のクラシック音楽の話といい、役にたたないエピソードをやたらともち
だすのは、少しでも読者をけむりにまこうという魂胆なのだろうか。

私は仁平勝という人の俳句観をずっと信頼してきたのだが、今回ばかりは、
牽強付会な文章ばかり読まされて、うんざりしている。
今回の問題をウヤムヤにしたいという理由が何かあるのだろうか?
不可解の一語である。


[897] 危劇!亡国首相の長い一日 2003年03月14日 (金)

新宿のシアターアプルへNewsPaperの芝居「危劇!亡国首相の長い
一日」を見に行く。
5時30分にオフィスを出て、りんかい線の東京テレポート駅から赤羽線に
直通の5時46分の電車に乗ったら、6時15分には新宿についていた。
しかし、ホームから新宿の東口まで歩いたら、15分近くかかってしまった。
南口、新南口方面なら便利なのだろう。

お芝居は、2006年3月とい近未来が舞台。
2003年にアメリカに追随してイラク攻撃に協力した日本は廃墟になって
いる。その新宿に大きな段ボール・ハウスがあり、ここに首相はじめ、閣僚
たちが、生き延びて生活しているという設定。
いつものことながら、登場人物のキャラクターはもちろん、声や顔まで、そ
っくりになってしまう役者の力は特筆に価する。
廃墟になってもめげない首相に対して、閣僚たちがそれぞれにツッコミを入
れるのはじゅうぶんに面白いのだが、時が時だけに、笑ってばかりはいられ
ない。
芝居を見て居る新宿に、いつなんどき、テポドンが落ちてくるかもしれない
のだから。
芝居は一時間ちょっとで、第2部は日替りゲストのトークショー。
今夜は筑紫哲也がゲスト。
毒のある芝居にあてられている観客に対して、筑紫は気をつかっているよう
で、時事評論というより、日本人と言葉の問題という方向のトークに終始し
た。これはこれで面白かった。筑紫哲也は空気を読めるということだ。

戦争中、ロッパのコメディを見ていた人達も、こんなふうな気分だったの
だろうか、と、少し思った。エノケンの喜劇もロッパのコメディも、戦争
協力のようでいて、実は堅苦しさに対しての批評はつねに篭っていたのではないかと思うのだ。

今週は珍しく芝居を二本も見てしまった。あっというまの一週間だった。


[896] シナリオ版「仁義なき戦い」 2003年03月13日 (木)

オフィスでは一日じゅうエクセルと格闘する。
産経新聞から異動してきたTさんが、実は「アニメージュ」や「OUT」や
「宇宙船」を創刊号から、ぜんぶ持っている、その種のタイプの人だという
ことがわかる。職場にこういう人が居るのはうれしいことだ。

笠原和夫著『仁義なき戦い』幻冬舎アウトロー文庫を読了。
アウトロー文庫も今でこそ団鬼六だけになってしまったが、むかしは、この
手の本を出していたのである。
映画でいえば「仁義なき戦い」「広島死闘篇」「代理戦争」「頂上作戦」の
四部作のシナリオと、笠原和夫のエッセイ「ノート「仁義なき戦い」の三百
日」、あとがきに中条省平の解説、そして笠原和夫全脚本リストが収録され
ている。刊行されたのは1999年。

この「仁義なき戦い」シリーズで笠原和夫が書きたかったのは、「エスタブ
リッシュメントの権謀術数にあやつられる若者の暴力の悲哀」だと思う。
主人公の広能も第一部では復員兵として、若い暴力を爆発させて暴れまわる
が、シリーズが進むにしたがい、否応なく、若者たちをあやつる側にまわっ
てしまう。広能はそのことに気づき、悩み続けている。

名場面はいくつもあるが、「頂上作戦」のラスト近くの刑務所の廊下での
広能(菅原文太)と武田(小林旭)の会話がやはり心に残る。

広能はこういう。
「わしらの時代は終いで……十八年も経って口が肥えてきたけんのう、わし
ら、もう野良突く程の性根はありゃせんのよ」

ヤクザの世界の内部闘争を描きながら、実はこういう権謀術数によるパワー
ゲームは、企業でも結社でも、そして国家同士でもおこなわれている。
この時期にこのシナリオを再読できたことは必然だったのかもしれない。


[895] 文我版地獄八景亡者戯 2003年03月12日 (水)

桂文我のCDを通販で2枚買った。
このCDを出しているのが、APPという会社なのだが、この会社は
小島豊美さんの会社だということに、あとになって気づいた。
豊美さんは、演芸評論家の小島貞二さんの息子さんで、山藤章二さんが
古今亭志ん生の動きや表情をアニメで再現した「ラクゴニメ」のプロデ
ューサーでもある。
この小島豊美さんが、桂文我に目をつけて、精力的にCD化してくれて
いたことは、とても心強い。

「地獄八景亡者戯」は大阪落語の定番として、米朝、枝雀といった名人の
録音がすでに出ている。この大きな噺に挑む文我の試みをきちんと音源と
して残してくれたのは資料的価値も大きい。
実は文我は、東芝EMIからも「地獄八景亡者戯」のCDを出しているら
しい。この噺は、それを演じた時点の有名人の死者の名前を入れるとウケ
る個所があり、演じた時期がちがえば、その部分がかなり異なってくる。
そこでいかに笑いをとれるかが、演者の腕のみせどころといえる。
こんどは、この東芝EMI版も探してみようと思う。

さて、「ラジオ名人寄席」、今夜はイロモノの日だが、松鶴家千代若・千代菊
の漫才と、もう一本、関西の漫才、東五九童・松葉蝶子を流してくれた。
東五九童は片足の悪い人で、その良い方の足を支点にして、クルリと一回点
してみせるのが得意だった。確か、昭和41年頃、うめだ花月で一度だけ見
たことがあったと思う。
こういう芸人さんを、中学生、高校生の頃に見ておぼえておいたのが、今に
しておもえば、とても貴重な体験だったのかもしれない。


[894] マウストラップ、その他 2003年03月11日 (火)

ある結社雑誌に水原紫苑歌集『いろせ』の書評が載っていて、この歌集の中の
「沖縄で戦死した叔父」を詠んだ一連に関して、その書評の筆者が、
「これは事実だろうか」という疑問をまず出し「もちろん事実でなくともかま
わない」とつなげて、「(虚構を暴かれるような)水原紫苑はそんなヘマはし
ないだろう」と表現してあるのに驚いた。いかにも無神経で粗雑な書き方だと
私は不愉快に感じた。水原作品を誉めた文章ではあるが、こんな書き方をされ
ては水原紫苑自身もうんざりするだろう。
短歌をつくることは、ヘマをするとかしないとかの次元の問題ではない。
文章の枝葉末節にこだわっているように思えるかもしれないが、文章にはその
内容にふさわしい書き方があるわけで、こういう粗雑さをみせる書き手を私は
信用することはできない。結社内部であまやかされているから、こんな品格の
ない文章を平気で編集部に送ってしまうのだろう。
私も自戒しなければならない。

千石の三百人劇場へ「マウストラップ」を見に行く。
ご存知アガサ・クリスティの原作で、ロンドンでは1952年のチャーチル首
相の時代に初演されて以来、劇場を変えながらも、現在もなお続演を続けてい
るというミステリ芝居である。
今回の公演は演出が大和田伸也。
出演者の8人は、トロッター刑事が戸井勝海、夫が内海光司、妻が勝野雅奈恵
ボイル夫人が淡路恵子、ミス・ケースウエルが高汐巴、メカトーフ少佐が入川
保則、パラビチーニが団時朗、クリストファが岩田翼。

雪に閉ざされた山荘、殺人事件、一癖ある宿泊者たち。舞台は山荘の応接間の
み。典型的なミステリ劇のおぜん立てで、十分に楽しませてくれる。
はずかしながら、原作を読んでいなかったので、予備知識なしで見て、演技に
引き込まれていた。もちろん空前の続演記録を続行中の芝居なのだから、筋が
つまらないわけはないのだが、日本人の役者たちが十分にこなしている。

結末は当然書くわけにはいかないが、メカトーフ少佐のセリフが重要な伏線に
なっていることに、私は見たあとで気づいて、そうだったのか!と驚いたり、
十二分に楽しむことができた。
勝野雅奈恵は勝野洋とキャシー中島の次女だそうだが、淡路恵子や入川保則と
いったベテラン連に助けられながら、よく、頑張っている。

久しぶりに見た芝居ながら、見て良かったと思う。


[893] 刺激そして刺激 2003年03月10日 (月)

「未来」3月号の特集は「徹底検証!加藤治郎と口語の時代」。
私も「野心とイノセント――加藤治郎と俵万智」という文章を書かせて
もらった。
4ページの文章が私のを入れて4本。
佐伯裕子「先行する歌人と加藤治郎―村木道彦、平井弘に添いながら」
大辻隆弘「深く潜むものに向けて」
中沢直人「フラグメント化する時代への挑戦」

上記の3人の方の論は明晰で、加藤治郎という歌人のさまざまな面を鋭く
浮かびあがらせている。
特に大辻隆弘さんの文章の「加藤が岡井隆から受け継いだものは、ボキャ
ブラリーや意匠としての技法ではなく、その熾烈な自己表現への飢餓感で
はなかったのだろうか」という結論は現時点の論として出色。
目が開かれた!
大辻さんはこの号の時評も執筆していて、劇評家の渡辺保の以下のような
文章を引用している。
「規範を失えば批評は必要がない。必要なのは情報であって、他人の意見
ではない。自分中心の人間は批評されたくないし、人に批評されて傷つき
たくない。そもそもそういう人間関係が存在しないのである。(略)劇評
にかぎらず、世は挙げて「批評」を拒否しようとしている。(略)批評
はいらない」
こういう文章をみつけて来て、引用できるセンスが、私の言う動態視力であ
り、時評を書く場合に絶対的に必要なものなのだ。
「塔」や「心の花」が新しい時評の書き手を思い切って起用して、若返りを
はかっているか゜、彼や彼女はまだまだ、この動態視力が弱い。まあ、本人
が勉強し、感性をみがくことで乗り越えられることだから、長い目で見たい
とは思うが、大辻隆弘の時評が現在の短歌雑誌(専門誌含む)の時評の中で
いちばん刺激的であることはまちがいない。

あと、疑問点がひとつ。
佐伯裕子さんの文章の冒頭で、
・観戦と参戦の差の烈しさは、いや、ヤンキースの話じゃなくて
この一首が加藤治郎作品だと書いてあるが、これは荻原裕幸さんの短歌
だったと思うのだが。

さて、もうひとつの刺激は、小中英之さんの遺歌集『過客』が出た。
『翼鏡』以降の作品で、死後、部屋で発見された85首も含み1980余首
を収録してあるというのがありがたい。
この歌集が遺歌集というかたちで出ざるをえなかったというのは、現在の短
歌シーンに対する小中英之の無言の抗議であろうと私は思う。
この歌集の刊行に尽力された辺見じゅんさんの「おいがき」の中に、小中氏
が一時、俳句結社誌「河」の句会に出ていたということが書かれてあるのに
は驚いた。もちろん、小中英之が俳句をつくれないわけはないのだが、有志
の句会ではなく、結社の句会に出ていたというのは意外だった。

・水銀を眼に浴びしごといまわれに順光あらず逆光あらず/小中英之




[892] 信濃から再び東京へ 2003年03月09日 (日)

朝7時少し過ぎに目が覚めた。
「NHK歌壇」を見る。
選者は藤井常世さんでゲストは成瀬有さん。国学院大学の系譜である。
藤井さんはもちろん、進行の梅内美華子さんも和服だったが、けっこう
着付けに時間がかかるだろう。

9時30分にロビーに島田牙城さんが迎えに来てくれる。
車で酒蔵の見学をしたあと、露天風呂のある温泉の一室を借りて句会。
吟行句を出すわけだが、吟行句会自体は20年ぶりくらいか。
逆選句もありの選句だったので、意見交換もふくめて、宮崎二健さんの
独壇場となる。二健さんは、キャラクターに圧倒的に存在感がある。

午後5時12分の電車で東京へ。
東京駅で二健さんたちとわかれ、そのまま八重洲古書館へ行く。
旅行帰りに、何もすぐに古書店へ行くこともないのだが、東京駅へ来て、
八重洲古書館によらないわけにはいかない。
『長谷邦夫パロディ漫画大全』2400円
『久保田万太郎回想』1500円
以上の2冊を購入。来た甲斐がある収穫だった。

帰宅すると「未来」3月号と小中英之歌集『過客』が届いていた。
どちらも、早速、読みたい。
金、土、日と長い刺激的な週末が終った。


[891] 朗読火山俳in佐久ホテル北斎ルーム 2003年03月08日 (土)

東京駅での電車の出発時間が遅れたので、佐久平駅に到着したのは11時
30分過ぎだった。
島田牙城さんが改札の前で待っていてくれる。櫂未知子さんも合流。
会場の佐久ホテルへ車でつれていってもらう。少し遅れて宮崎二健氏も到着。

邑書林の土橋さんにお会いする。
先週、「空室」の朗読会に来てくださった、みず季さんは和服姿。
昼食をご馳走になり、うろうろとしているうちに、まもなく開演時間。
佐藤りえさん、玲はる名さん、三宅やよいさんたちが来てくれている。
なかはられいこさんの名前も出席予定者のなかにあったが、なかはらさんは
いらっしゃらなかった。

土橋さんが島田牙城さんの「ご挨拶」を代読し、その牙城さんのオープニング
朗読「鶴彬あるいは俳の精神のこと」で朗読火山俳の幕が開く。
西澤みず季さん、大井翠子さん、土屋郷志さん、山越三の丸さん、森泉巨山さ
ん、森泉理文さん、目黒新樹さんとさまざまなバリエーションの朗読が続く。

私は上田市から来てくれた「短歌人」の竹田正史さんと一緒に見ていた。
中入りをはさんで、仲寒蝉さん、櫂未知子さん、そして私、大トリに牙城さん。牙城さんはメッセージ性が強い内容だ。
朗読というのはまったく形式が決められていないので、どのようにでも演者
の解釈によって実態を変える。それが面白い。
森泉巨山さんがやった「長屋の句会」は落語形式であり、厳密には朗読とい
う範疇からははみ出ると私は思うが、自分の朗読は落語だという森泉さんの
解釈は面白い。内容も蛇笏の「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」が、どのよ
うにしてできたか、という意表をついたもので私は笑えた。

懇親会、二次会と続き、たくさんの方々とお話できたのが嬉しかった。
特に目黒新樹こと目黒哲朗さんと長く話せたのが良かった。
斎藤史が最後に認めた「原型」の歌人として、積極的な活躍を今後も期待
したい。彼の第一歌集『CANAVIS』は、短歌の世界できちんと評価
されていない。これは恥かしいことだ。

と、いうことで、佐久平の夜は更けていったのでありました。


[890] 腰痛をなだめながら 2003年03月07日 (金)

腰痛がいつ爆発するかわからない状況なので、昨日買ったコルセットをして
出社。きりりとはするが、ズキンときたらおしまいなのだからコワイ。

ところで「笑息筋」の編集長の原健太郎さんが、注目の中華系ユニットの
上海夜鶯のポストカードを送ってくださった。うれしい。
同封の手紙には「ギャング・オブ・ニューヨーク」と「仁義なき戦い」の
相似説に同感と書いてくださっていた。
原健太郎さんが同感してくれれば百人力。結局、自説に自信がないだけか。

夜、学士会館で岩下静香「ナチュラルボイス」、冨樫由美子「草の栞」、
生沼義朗「水は襤褸に」の合同出版記念会。
コルセットをしたままの進行といのも情けないがしかたがない。
三人同時ということで、批評のバランスを心配していたのだが、出席者の
みなさんが、それぞれに的確な批評をくださったので、なんとか巧く、お
さまった。
終了時間の8時30分までに、予定していた方々には、おおむね。スピーチ
をいただけた。
良い会になって良かったと思う。
腰痛もでなくて助かった。二次会は畳に座れそうもないので、会場までは
行ったもののパスさせてもらう。

さて、明日はいよいよ朗読火山俳だ。


[889] 文我らくご東西戦 2003年03月06日 (木)

朝、起きようとしたら腰に鈍痛。ショック!
明日は「短歌人」の出版記念会、明後日は朗読火山俳だというのに
ぎっくり腰などにはなっていられない。
そっと起き上がってシップをする。
今日いちにと、腰を痛めないようにとにかく気をつけよう。

夜は中野芸能小劇場で「文我らくご東西戦」に行く。
昼間、腰がとりあえずなんともなかったので、これなら落語は聞けるという
ことで、寒さをついてやってきた。

桂文我の今回の対戦相手は林家たい平。
お互いに二席ずつの噺と途中で対談。
噺は、たい平が「花見小僧」と「粗忽の釘」
文我が「牛の丸薬」と「口入れ屋」

たい平さんは、子供や女性が巧いので「花見小僧」はそつなく聞かせてくれる。
「粗忽の釘」は対談で時間を取り過ぎたため8分くらいの短縮バージョンだ
ったが、現代風アレンジがつぼをはずさないのでちゃんと笑える。

文我師匠はあいかわらず口跡が良く、聞きやすい。
「牛の丸薬」は私は初めて聞いたが、機転のきく男の軽妙な話しっぷりの妙
を楽しむ噺だろう。この口調が絶妙で、必ずしも滑稽なことでもないのだが
笑いがたえない。
「口入れ屋」は東京落語では「引越しの夢」という噺。
商家の奉公人たちが、新しく来た美人女中に夜這いに行くという話だが
これも、前半の番頭の一人しゃべりの面白さを十分に聞かせてくれるし、
サゲの前のドタバタが説明しにくいところを、巧みに聞き手に理解させ
しぐさだけでもわからせてしまうのだから、たいしたものだ。

この桂文我、米朝師匠のやりのこした仕事をきちんと受継ぎ、完成させる
だけの才能をもった大物だと思う。
嬉しくなって、「ねずみ」と「佐野山」の入ったCDを買う。
たい平と文我の噺を二席ずつ、入場料2300円で聞けるというのは、とても
安い買物だろう。
対談もだらだらした部分がまったくなく、きちんとお客を楽しませよう
という気持ちが二人にあるので、飽きない。
たい平がまだ武蔵野美大の落ち研に居た時、4年生に文我の中学の同級生
だった先輩が居て、この人を介して、夏の合宿に、当時はまだ雀枝だった
文我が来てくれたのが初対面だったのだそうだ。
この時、雀枝は学生の前で「尻餅」を演り、学生のたい平が「千両みかん」
を演ったというのが笑える。

腰の不安はあるものの良い夜だった。


[888] 田井安曇という歌人のわからなさ 2003年03月05日 (水)

「網手」の一月号に田井安曇さんの歌集「たたかいのししむらの歌」論を
三月号に歌集「水のほとり」論を載せてもらった。
田井安曇という複雑な歌人に対して、とにかく、歌集をテキストとするこ
とで、多少なりとも接近してみたいという試行のつもりである。

田井安曇氏は最初は我妻泰という名前で歌集を発表していた。
「未来」の編集をしていた岡井隆が、この我妻泰がちっとも歌集を上梓し
ないので、「未来」の巻末付録というかたちで、「我妻泰歌集」をつくっ
てしまった。この時の歌集が筑摩書房の現代短歌全集に入っている「我妻
泰歌集」である。
それが、1972年から突然、田井安曇という筆名で短歌も文章も発表
し始める。歌集でいえば、第5歌集の「水のほとり」の途中の作品から
になる。
歌集の出版の順番も変則的で、筆名も途中で変更するということで、実は
なかなかとっつきにくい歌人といえる。
しかし、テキストとしては、国文社の現代歌人文庫からも砂子屋書房の現
代短歌文庫からも「田井安曇歌集」は刊行されているし、本阿弥書店から
も、田井安曇作品集が出ていて、作品を読むことはむずかしくない。
しかし、本格的に論じられることはあまりない。

こんどの「網手」三月号の「水のほとり論」に関して、鈴木竹志さんが、
「竹の子日記」で言及してくださった。
そして、不満点として、下記のような点を指摘してくれている。
「竹の子日記」より
「ただ一つだけ書いてほしかったことがある。
田井には、ほしくてならなかった子どもを授かることが遂になかった。
それに対して、岡井は子捨てを繰り返したということ。
この点についてだけは、田井は永遠に岡井を批判しつづけるだろう。」

正直いって、ここまで私の想像力はおよんでいなかった。
それらしいことを示唆する歌には気づいていた。
妻との関係の微妙な陰影(性的関係を暗示するもの)にも気づいていたが
やはり、それが何に起因するのかが推測できなかった。
「自解100歌選・田井安曇集」という本も出ているのだが、この自解もと
ても韜晦にみちていて、ホンネの部分がはぐらかされている。
当然、書きにくい何かがある。
それが岡井隆という存在に対することまではわかるのだが、鈴木さんが
指摘された、子供の問題という部分には私の考えは及ばなかった。
言われて気づいたわけだが、このポイントは重要であり、あらためて、
作品を再読しつつ考えなおさなければならない。

田井安曇のほかに、岡井隆失踪に対して激しい作品をつくった歌人に
河野愛子がいる。河野愛子もまた子供がいなかった。というより、たぶん、
結核によって、子供を産むことを断念した人だったのだろう。
こういう点も考えあわせて、さらに、田井安曇のことを考え続けようと思う。
鈴木竹志さんには深く感謝したい。


[887] ブックオフ解禁日 2003年03月04日 (火)

と、いうことで、ブックオフには行かないことにしていたのだけれど、
未読王様の本を読んで、血の騒ぎをどうにも押さえられなくなってしま
った。
おそらく今年の冬としては最凶の寒さ、寒風が全身を痺れさせるほどの
バス停で15分もバスを待ち、待っている間にも、自分が南極点に向う
スコット隊やら、八甲田山で対露西亜戦の訓練をしているような幻想に
とらわれながらも、やっとバスに乗り、門前仲町のブックオフへ到着。

買った本。
100円コーナー。
@正延哲士著『伝説のやくざ ボンノ』
A栗本薫著『十二ヶ月』
Bハドリー・チェイス著『蘭の肉体』
Cモーリス・ルブラン著『813』
D星新一著『あれこれ好奇心』
E辺見庸著『不安の世紀から』

@は実は先日「仁義なき戦い」を見てから、読もうと思っていた本で
新刊書店でも、みつければ買っていたはず。
AとDとEはこの人達の本で、まだ買ったことがない本だったから。
読む気はほとんどなし。
Bはハドリー・チェイスを集めようとマヌケな目標を実は昨夜たてて
いたため。
Cも堀口大学訳によるルパン物を全部集めたら面白いだろうな、と、突然
思ったため。
このあたりは完全に未読王効果で意味なく強気になっている。
あと、もう少し高い本。
F北村薫著『ミステリは万華鏡』250円
G森茉莉著『貧乏サヴァラン』250円
H柳田國男著『妖怪談義』350円

このFGHはすべてかつて一度買ったことがある本。
読まずに処分してしまって、今になってまた買ったわけだ。
以上、すべて、文庫本。

帰宅後、北村薫の本を一気に半分ほど読んだ。
こんなに面白い本をなんで、読まずに処分してしまったのだろうか、謎だ!


[886] 桃の節句、春一番が吹く、雨も降る 2003年03月03日 (月)

桃の節句だが、我が家のかの子のお節句は実は昨日のうちにやってある。
お寿司もたべたし、蛤のお吸い物もいただいた。

夕方、オフィスを出るときは、吹き降りになっていたので、バスが来ない
だろうと思い、りんかい線から京葉線に乗り換えて帰宅。
なんと6時15分には家についてしまった。

『未読王購書日記』の読み残しを一気に読み終わる。
やはり、私の長年の心の痛みを癒してくれる救いの書であった。
掲示板の方に、フレッド・ブラッシーのセリフのパロディがあると
書いたが、終りの方にやはり、フレッド・ブラッシーという固有名詞も
出てきたので一安心。と、何が一安心やら。

「笑息筋」177号が来て、その編集後記で原健太郎さんが
「ギャング・オブ・ニューヨーク」をたいへん素晴らしい映画だと
書いていてくれたので、これも一安心。
結局、私は自説に自信がないだけなのか。そうなのだ。

短歌に関しては、思い切り断言してしまうのだけれど、他のジャンルには
気弱になってしまう私でありました。


[885] 中川家の弟の問題 2003年03月02日 (日)

中川家の弟が広島で女性に対して暴力をふるったとして警察の取り調べを
受けていた、というニュースは、昨日の朗読会の帰りの地下鉄で、東スポ
の記事を読んだ。
あきらかに、スケジュールがキツすぎるためのストレスからの異常行為だ。
吉本興業の中川家の使い方に関しては、昨年から危惧していて、十二月に
産経新聞の「直言曲言」というコラムにも警告的な内容を書いた。
つまり、昨年の秋冬の時点で、テレビのモニターをとおしても、中川家が
過剰スケジュールで疲れ切っていることは見てとれたのだ。
今回も取り調べを受けた日にはそのまま東京に来て、ゴールデンアロー賞の
授賞式に出席していたと東スポには書いてある。
つまり、広島で深夜までかかる仕事を入れること自体、マネジメントが間違
っているのだ。
というより、マネジメントなどというものは吉本興業にはないのだろう。
せっかく、売れ始めた金の卵を育てきる前に過密スケジュールで、つぶし
てしまう。これはまともなプロダクションのやることではない。
歌手の場合は、デビュー前後のパブリシテイにかなりの金をかけるが、
お笑いの芸人には、どこのプロダクションも、金をかけたりしない。
中川家だって、売るために会社がバックアップしてくれたのは、第1回の
M-1グランプリの時だけだろう。
自力で売れてきた連中を、こうやってつかいつぶす事務所の体質は、私には
はらだたしくてたまらない。
こうなったら、兄の剛をピンで売ってやれよ。
タレントのマネジメントというのは、そういうことだと私は思うよ。

今日は原稿が一本締切ではあるものの、朗読会が終って精神的に余裕が
できていたので、中村真一郎編『芥川龍之介小説集・自伝小説篇』など
ひもといた。
主として保吉ものを集めた本。
私の場合、芥川は全集を読んだわけでもないので、けっこう未読のものが
ある。この本でも「沼地」とか「魚河岸」といった小品や「文章」という
保吉モノの小説は初めて読むことになる。
初めて芥川を読んだ中学生の頃は、「河童」や「藪の中」のような物語が
好きだったが、さすがにこの年齢になると、私小説的なものや筋のない小説
が、読んでいて興味深い。「蜃気楼」や「歯車」や「或阿呆の一生」も、こ
の本には収録されているので、何度目かの再読をすることになるだろう。


[884] ミッドナイトプレス朗読会 2003年03月01日 (土)

地下鉄東西線、丸の内線と乗り継いで、新宿へ向う。
駅から路上へあがると、すでに雨が降り始めている。
まず、シアターアップルへ行き、予約しておいた「ニュースペーパー」の
公演のチケットを受取る。
次に紀伊國屋書店の隣のビックカメラへ行き、電子辞書のカタログをいく
つかもらう。実は昨日の駄句駄句会で、木村万里さんがマイペディアが収録
されているSONYの電子辞書を使っているのを見て欲しくなったのだ。
できれば古語辞典の入っているのがほしい。探してみたら、SEIKOから
発売されているものに、一種類だけ、古語辞典収録のものがある。
いちおう、余裕ができたら、買おうかと思う。

そのあと、紀伊國屋書店で少し時間をつぶす。
紀伊國屋のPR誌の「i feel・読書風景」が「カフカ2003」という
特集なので、それを購入する。ここで時間はまだ一時前。
地下道に入って、今日の朗読会場のburaの近くのルノアールで紅茶で
ものもうと思って、地下道へ降りる。今になってかんがえれば、これが間
違いだったわけだ。
私が入ったルノアールがburaの近くにあったものとは違う場所にある
ルノアールだったのだ。地下通路の感じも店内も似ていたので完全に勘違
いしてしまった。
二時五分前にゆうゆうと店を出て、地上にあがったら、景色が想像してい
たのとまったくちがう。今、私は何処にいるのだ。あせりまくり、歩きま
わる。あいにく、ケイタイも今日はもってきていない。もう、汗びっしょり。
雨の新宿を重いラジカセを入れた袋をもって、四十分近くもさまよってし
まった。午後二時集合でありながら、私が会場のburaに到着したのは、す
でに二時四十分。柴田千晶さんや「ミッドナイトプレス」の岡田幸文さんに
すっかり迷惑をかけてしまったのだった。

開演時間前には三十人くらいの人がburaの中にいた。
並木夏也、斉藤斎藤氏の顔がみえて嬉しくなる。知っている人がいて、私は
かえってリラックスできた。
朗読会は、柴田千晶さんの声の調子が抜群に良かった。
練習したときより、もっともっと朗読としての洗練度があがっていた。
途中、おおげさでなく、何度か背中にぞっとするものを感じた。
最後の「骨なら愛せる」という長い詩の最後に近いところで、突然、マイク
の音声がおちて、柴田さんの地声だけになった。
私はこうなったら、むしろ、地声の方がいい。マイクが最後まで復帰しない
でくれ、と思った。柴田さんはひるむことなく、朗読をし続け、最後の1行
も無事に終った。そのとたんにマイクが復帰した。演出したようだった。
緊張した時間を共有してくれた会場の人達のあいだに、ほっと神経がゆるん
だような空気が流れた。


[883] 未読王様にひざまづけ! 2003年02月28日(土)

社屋内にある流水書房から、注文しておいた『未読王購書日記』が届いたと
の連絡があり、すぐ、とりに行く。同時に注文しておいた坪内祐三『雑読系』
は、まだ、届かないとのこと。
とりあえず、未読王を読み始める。
ものすごく面白い。少なくとも今年私が読んだ本の中ではベストだろう。

何より、古本屋と新刊書店で、本を買ったということだけが記述されている
本なのにもかかわらず、どんどんページをめくりたくなる。
何より、世の中には毎日こんなに本を買って、読まない人がいるのだ、とい
うことを教えてもらっただけでも私には救いの書といえる。
以前、私は自分が本に特化した買物依存症ではないかと書いたが、この未読王
にくらべれば、私は買物依存症などではない。

今日は一軒の古本屋ではじめから100冊纏め買いするぞ、と決めて、100
冊買うという豪快さには、さすが、未読王とほれぼれする。
教えられることも多い。
買った本を読む必要はない。切手収集家がたくさん手紙をだすわけではない
のだから、「そんなにたくさん本を買って、全部、読むんですか?」などと
いう愚問には答える必要がない。
ダブリをおそれるな。いますぐ必要な本があったら、家で探すより本屋で
探して買うほうがはやい。
こう言いきってもらえれば私の心の底の罪悪感など雲散霧消する。

なにより、文体が小気味よい。
誰かに似ていると思ったら、殿山泰治の『JAMJAM日記』などの文体に
似ていると気づいた。あの毒舌、すてぜりふを、ぐっと現代風にしたのが、
この未読王の文体だと言って良いだろう。
今、ちょうど、半分読んだところだが、明日じゅうには読み終わるだろう。

この本は、本を買うのが好きな人にとってはバイブルである。
すべての購書家は年に一度、未読王にむかってひざまづけ!


[882] 仁義なき戦いをまたまた見る 2003年02月27日 (木)

お台場シネマ倶楽部の上映会の今日の作品は、笠原和夫・深作欣二追悼と
いうことで、『仁義なき戦い』。
この作品がスクリーンで見られるというのは嬉しい。
これを見るのは、ビデオを入れて、たぶん、七回目くらいになるだろう。
スクリーンでは三度目かな。

ということで、ほとんど知っている場面ばかりだけれど、最初の呉市の闇市
の雑踏の場面で、やはり「ギャング・オブ・ニューヨーク」そっくりだと
再確認する。スコセッシはたぶんこの映画を見ているはず。
しかし、見るたびに新しい発見がある。
菅原文太が最初に日本刀を振り回す酒乱男を撃ち殺す場面、画面が斜めなの
は、おぼえていたが、撃ったあと、近づいて来る文太の顔は時々、画面から
見切れてしまっている。こういうのも、実録風ということだろう。

ラストのおもちゃ屋で松方弘樹が射殺される場面で、昭和三十一年当時には
あるはずのないパンダの人形があるという有名な話も再確認した。
セルロイドのおもちゃを選んでいる松方弘樹が背後から撃たれて、よろめき
ながら、店の外へ出てくる。その時の画面左のおもちゃ屋のウインドーに、
パンダの大小の人形が五、六個確かに並んでいる。

神原という何度も寝返るヤクザになる川地民夫が案外、存在感がある。
冒頭でいきなり梅宮辰夫に左腕を切られる伊吹吾郎は、呉の暗黒社会の大物
の大久保(内田朝雄)の縁戚だという設定なのだが、山守組長(金子信雄)
の陰謀で散髪屋で殺されたのに、大久保は怒って誰が殺したか探らなかった
のだろうか。
広島の海渡組というのが出てくるが、ここでは、訪ねてきた土居組の組長の
名和弘を文太が射殺し、そのあとで、呉のヤクザの矢野(曽根晴美)が、や
はり、ここを訪ねようとして、松方弘樹の刺客に射殺される。
二回も組の前で、客を殺されたことはメンツをつぶされたことになって、そ
れこそおおごとになりそうだが、渡海組長は画面にも出てこない。

とはいいながらも、面白いことはまちがいない。
テーマが聞こえてくるだけで血が騒ぎ、アドレナリンがかけめぐる。
興奮したままいつものようにバスで帰宅する。



[881] 波郷自句自解と往生際日記 2003年02月26日 (水)

またまた、本を買ってしまった。
・ターザン山本著『往生際日記・感情武装元年』新紀元社
・文芸別冊「森茉莉・天使の贅沢貧乏」河出書房新社
・石田波郷著・石田修大編『波郷句自解』梁塵文庫

このほかに、ネットの古書店でも何冊か購入。
歯止めが外れてしまった感じ。困ったものだ。
波郷句の自解は、戦後すぐに出版されたものの復刻と随筆の中から自解と
よべる部分を抄出したもので、あまり自句の解釈に積極的でなかった波郷
の自解の集大成となった感じで、拾い読みしていても面白い。
この本と講談社文芸文庫の『江東歳時記・清瀬村抄』で、とりあえず、
波郷の魅力は味わえる。もちろん、朝日文庫でむかしでた『石田波郷集』
も、もっていれば、もうしぶんない。

ターザン山本の日記はこれで3冊目。
「彷書月刊」の日記特集を読んで、平成の日記文学といえばターザン山本の
この往生際日記シリーズを落とせないな、と思っていたところへ、3冊目が
出ていたので勢いで購入。
まさに波乱万丈の人生の人。「SRS・DX」を読むとサムライTVの「生
でゴンゴン」という番組も舌禍事件で降ろされたらしいし、ともかく、この
ターザン山本も、40代前半の私に大きな影響を与えてくれた人生の師匠で
あることはまちがいない。
日記の内容はあいかわらずの自己中心的な記術ばかりの中に、やはりね鋭い
人生観察の箴言がまざっている。目がはなせない。
私が日記でいちばん読み返したのは岸上大作の日記で、今後、読み返しそう
なのは、この「往生際日記」になるだろう。


[880] 首都圏地下迷路伝説など 2003年02月25日 (火)

ここのところなるべく本を買わないようにしているのだが、そろそろ
禁断症状が出て来ている。
今日も社屋内の流水書房で漫然と本を眺めているうちに、ついつい我慢
できなくなって、秋葉俊著『帝都東京・隠された地下網の秘密』(洋泉社)
を買ってしまう。
これは、東京の地下には戦前から、いくつかの地下道があり、現在の地下鉄
や高速道路や地下駐車場はそのような古くからの地下道を利用するかたちで
つくられた、というようなことをえんえんと書いてある本。

以前、荒俣宏の『帝都物語』で、東京の地下鉄が最初はどのようにして作ら
れたかという話を読んだが、そのあたりをぐっと都市伝説よりにして、トン
デモ本風の独断的な味付けをしたもの。
文章も構成も変に独断が入っていて、読みやすい本ではないのだが、まあ、
私はもともとこの手の仮説モノは好きなので、2,3日で読み終われるだ
ろうと思う。

夕方、柴田千晶さんに、お台場まで来てもらって、土曜日の朗読会の練習
をする。ひたすら練習。朗読のためには声を出さなければ、どうにもなり
ません。


[879] みぞれのち曇り空、落語 2003年02月24日 (月)

昨夜からの原稿をなんとかしあげたあと、定期的な眼底の検査にいく。

瞳孔を開くと数時間、近くのものが見にくくなってしまうので、今日は
休暇をとってある。まっすぐ帰宅して、本も読めないしテレビも見にくい
ので、昼寝をする。

朝からずっとみぞれが降っている東京である。

午後5時過ぎに、ようやく、瞳孔ももとにもどったので、築地本願寺の中の
ブディストホールまで、立川談春独演会を聞きにゆく。
天候が悪いので、さすがに先月よりは客数は少ない。とはいえ、7割は入っ
ているだろう。あいかわらず40代以下の女性客が多い。

最初は「紙入れ」。
おかみさんの口調が小気味よく、面白く聞ける。
次が「湯屋番」。
まくらで、こういう一人で妄想世界に入ってしまうような噺は不得意だ、
という。
二席目が終ったところでリクエストをとる。
「らくだ」「夢金」「棒だら」「短命」などの声がかかり、いちおう、
どれをやるか検討します、ということで中入り。

実は私のひとつおいたとなりに座っている女性が豪快さんだったのだ。
このみぞれの中、サンダルにビニール傘、中入りの間は「競馬ブック」を
読んでいる。競馬と落語が好きというのは私も同じだから、別にかまわな
いのだが、サンダル履きというのは、しくらなんでも寒いんじゃないかなあ。
しかし、こういうお客さんにも支持されるというのは、談春さんのキャラク
ターゆえなのだろう。競艇もやる人なのかなあ。

そして、「リクエストにおこたえして」といってやりはじめたのが「短命」。
この噺は10分ちょっとくらいなので、早く終り過ぎないか、と、心配して
いたら、サゲのあと、すぐに「棒だら」に入った。
これで、終了時間はちょうど8時50分。
いい時間だ。来月は「庖丁」と「三枚きしょう」ということなので楽しみだ。

地下鉄日比谷線、JR京葉線と乗り換えて、潮見から歩いて帰宅。


[878] 林芙美子がわからない 2003年02月23日 (日)

書かなければならない原稿があるのに、結局、昼間のうちはまったく書く
ことができなかった。
気をまぎらすために、岩波文庫の『林芙美子随筆集』など拾い読みしてい
たのだが、何か私の肌合いにはあわないというか、文章がものすごく荒っ
ぽく思えるのだけれど。
林芙美子の小説は戦後の「晩菊」という短編くらいしか読んだことはない。
小説の方は中年女性の心理や生理のいやらしさを描いて、いちおう納得で
きたのだが、随筆はどうもいけない。
何か思い付いたことを脈絡なく書きつけている感じで、読んでいてもおち
つかない。こういうものが文芸誌に掲載されていたというのも不思議。
あるいは、私にだけ良さが感じ取れないのかもしれないが。

夜になって、ようやく、原稿の続きを書く気持ちになってきたので、フジ
テレビのアニメ・スペシャルなどを横目で見ながら、なんとか、予定して
いた分は書き終えることができた。

天気予報を聞くと明日は雪が降るかもしれないそうだ。まあ、寝るしかない。


[877] No news is good news! 2003年02月22日 (土)

昨日から「短歌人」の掲示板が困ったことになっている。
掲示板というメディアにはどうしようもない困難がつきまとう。

島田幸典さんの歌集『no news』の批評会が中野サンプラザであった。
五四人の定員ということだったが、ほとんど満席だった。
批評を聞くという意味では良いメンバーが集まっていた。
私は中川佐和子さんと一緒に座らせてもらった。

私にとって、この歌集はきわめて刺激的なものだったので、絶賛する以外に
ないのだが、指名されたとき「修辞をこのレベル以下におとさないでほしい」
とだけ発言した。
他の方達の批評をノートにとりながら聞いた。
いちいちもっともだと思うが、批判的な発言部分はどうも、ないものねだりに
聞こえてしまう。これは、今日に限らず、ここのところ出席した批評会や出版
記念会で、いつも思うことだ。
まあ、歌集の作品を精読することで、その表現の方向性を分析して、それに
対する自分の意見を表明するということは重要であるにはちがいないが、時
に、そういう発言をしている自分や他人のこざかしさがたまらなくイヤにな
ることがある。
心が弱っているのかもしれない。

夕方から「短歌人」の編集会議だったので、小池光さんと一緒に中野から
池袋へと向う。
会議が終ったは夜の八時半。
食事をして帰宅。
寝る前に安藤鶴夫の随筆集『歳月』を拾い読みする。

・時間差をもちて灯のつく宵の窓惜しまれぬ奴だけ生きている/島田幸典


[876] 集中力が欲しい。 2003年02月21日 (金)

久しぶりに早く帰宅して、家で夕食を食べた。

一本、締切ぎりぎりになっている原稿があるので、夕食後、書き始める。
なんとか最初の部分だけでも書き始めることができれば、あとは地道に
字を綴って行く作業。
とはいえ、なかなか集中力なしにはむずかしい。

明日は島田幸典さんの『no news』の批評会と「短歌人」の編集会議
があるので、実質的には原稿を書く時間は午前中だけしかない。
そのため、今夜のうちに書けるだけ書いておかなければならないのだけれど
やはり、十時を過ぎたら眠くなってしまった。


[875] 股間万能主義 2003年02月20日 (木)

池袋の東京芸術劇場中ホールで、
「WAHAHA本舗版ザッツエンターテイメント・踊るショービジネス」を
見る。中ホールのキャパはどれくらいだろうか。超満員である。

これは今までのWAHAHAの20年間の活動の中から、基本的にダンスの
ナンバーと呼べるものを三十本セレクトして一気に見せるというもの。
二十代でWAHAHAを結成した、佐藤正宏、すずまさ、久本雅美、柴田理
恵、梅垣義明といった連中も、もう40代になったわけだ。
あのアナーキーな連中の中の久本雅美が好感度ナンバー1などという時代に
なるとは、誰も思いもしなかっただろう。
今回は12年ふりという、なんきんも登場してくれたのが嬉しかった。

この20年は役者たちの20年であると同時に、演出家で劇団主催者の喰始
の20年でもあり、そのショービジネスの集大成が今回の公演でもある。
喰始の基本的考えは「股間万能主義」である。
すべては股間で始まり、股間で展開し、股間で終息する。
股間至上主義ではない。だから、股間の展開が失敗することもある。それを
容認してゆく懐の広さが「股間万能主義」にはある。

オープニングから、タイツの股間にホースをつけて原メンバーが登場して踊
り狂い、そのホースをあらゆる行為に利用してみせる。
演芸的にいえば、早野凡平の芸のバチアタリ・バージョンといえる。
つまり、これが「股間万能主義」なのである。
これを突出させると、梅垣義明と元気安の極楽舞踏団というショウになる。
いくつもあるこのショウの基本は梅垣が全裸で登場し、股間をシンバルや、
風船で隠したり見せたりしながら、舞台と客席を踊りまわるというだけのも
のなのだ。しかし、客はそれでカタルシスをおぼえることができる。
それが、喰始の股間万能主義の実践であることはいうまでもない。

日本のエンターテイメントは、このようなフリークとしても成立している、
それはきわめて重要なことだ。
「アフリカの王」という出し物では歌舞伎と「ライオンキング」が同時にパ
ロディの対象とされる。これはわかりやすい例だが、つまりは、徹底した権
威への反抗なのである。
あの好感度ナンバー1の久本雅美がダッチワイフに扮して佐藤正宏と「オン
リー・ユー」を踊るだけの出し物も、人工的な女性の股間の無化といえる。

「反抗するものはつねに正しい」と思わせてくれる一夜であった。


[874] なまあたたかい春はそこまで 2003年02月19日 (水)

グループニュースレターのレイアウトをお願いしているデザイナー事務所
まで、打合わせに行く。
風がなまあたたかい。
打合わせのあとで、有楽町へ出て、交通会館の古本市をのぞくが、買いたい
本はなかった。
そのまま、浜松町のブックス談へ行き、「創元推理21」を買う。
この雑誌も、次号は誌名が変わるのだそうだ。

夜は「ブロードバンドニッポン」で江戸時代の狂歌を紹介する

・おれを見てまた歌をよみちらすかと梅の思はんこともはづかし/四方赤良


[873] 雨がなかなかやまない夜 2003年02月18日 (火)

事務局のメンバーの入れ替わりにともない歓送迎会がある。
ホテル・メリディアンの中の「漁火」という料理店。

魚となべ物(石狩鍋)は美味しいのだが、変な順番で掻き揚げが出てきたり
手羽先が出てきたりするので、けっこうおなかがいっぱいになってしまう。

解散したのは午後8時過ぎとはやかったのだが、雨が降り始めていて、きわ
めて帰りにくい。
結局、タクシーに乗ってしまう。

帰宅後、史比古の本を本棚に入れさせるために、私の古い短歌雑誌などを
棚から出して、袋に入れる。
週末に段ボール箱に入れてベランダにしばらく置くつもり。
ついでに、三一書房版の現代短歌大系も棚から出してしまう。
新人賞(石井辰彦さんが受賞)の巻や現代評論集の巻は何度もくりかえし
読んでいるが、あらためて出してみると、買っただけで、あまり、読んで
いない巻もある。困ったものだ。


[872] 春風亭柳朝13回忌追善興行 2003年02月17日 (月)

密偵おまささんの日記に鈴本の「柳朝追善興行」に行ったという話が書かれて
いて、うっかり忘れていたことに気がついた。
今週の予定をみても今夜しか行く日がない。
あわてて、夕方、上野の鈴本へかけつける。

とにかく混んでいた。私はぎりぎり普通席が買えたのだが、開演時にはもう
補助席も満席。立ち見のお客さんも出ている。
まずは林家きくお、この人は林家喜久蔵さんの息子だそうだ。演目は「鮑の
し」。これは言葉の勢いの使い分けが難しいぞ、と案じていたら、やっぱり
巧くない。28歳だといっていたが、もう少し頑張らないと苦しいだろうと
思う。

続いて曲独楽の三増紋之助。自信をもって演じているので安心できる。
笑いもきちんととれている。
実は彼はむかしクロマニヨン・チェンという名前で、たけし軍団に居たという
ことは、もう誰も知らないだろう。
膝代わりとしても綺麗な芸なので、ますます重宝されると思う。

予定では玉の輔さんのはずだったが、いきなり「野球拳」の出囃子。
春風亭勢朝さんである。
もう40代になったのか、堂々とした風格。演目は師匠のエピソードを勢朝流
にデフォルメして語る「新柳朝伝」。文句なく面白い。

次が一朝さんで「祇園祭」。
この人のずんぐりむっくのした体型は柳朝さんに良く似ている。
江戸っ子と京都の男の自慢くらべだが、江戸っ子の方がもう一回り威勢が良い
といっそう面白くなったと思うのだが。

林家正楽さんの紙切り。まったく安定した芸。
客席からのリクエストで、入試合格、朝青龍などを切る。
小朝さんが武道館公演で膝かわりにしたくらいだから信頼感は大きい。

そして金髪の小朝さんの「芝浜」。
特に熱演というわけではないが、笑いのツボを心得ており、心地良く聞ける。
金髪などまったく邪魔にならないのだからすごい。

中入り後は、五明楼玉の輔さんの「一眼国」。
玉の輔さんは前は朝いちさんだったっけ。
この「一眼国」はなかなか良かったです。噺にひきつけられました。

こぶ平さんが休演で、なんと三遊亭円歌落語協会会長。
「中沢家の人々」のロングバージョン。初めてオチまで聞いた。
ついついわらっちゃいますね。

トリは春風亭正朝さんの「井戸の茶碗」。
正朝さんはかなり前に小朝さんが歌舞伎座で「地獄八景亡者戯」をやった時に
「蔵丁稚」かなんかを演じたのを聞いたことがある。その時は折り目正しい芸
だと思ったが、今夜はもう肩の力がぬけて、すごく良い感じになっていた。
屑屋と若侍と浪人者の演じわけがきちんとついてみごとなトリを勤めてくれた
と思う。

お客も一体となった会場のあたたかさと演者の亡き柳朝師匠への心からの追善
の気持ちが良く伝わってくるすがすがしい一夜でありました。


[871] 嘘だと言ってよ、仁平さん! 2003年02月16日 (日)

朝、毎日新聞の短歌・俳句欄を見て唖然とした。
仁平勝が「俳句の言葉は共有財産」という見出しの文章を書いている。
これは、櫂未知子の俳句を奥坂まやが盗作し、のちに取消した事件に関しての意見である。

仁平勝の意見は要約すれば「俳句のような古典詩では、言葉は共有財産でいいのである。」
という末尾の一行に端的に示されているように、この問題は「目くじらを立て
て相手を非難する問題ではない」というものだ。
まさに暗澹とせざるをえない。
仁平勝は自説の補強として、ブラームスの「ハンガリー舞曲」はジプシーの音
楽を採譜したものだが、後世の聞き手にとっては「すてきな音楽を聴ければい
いのであって、作曲が誰かなど大した問題ではない」と書く。

また、クラシック音楽には先人の旋律を主題にした変奏曲がたくさんあるのだ
から、櫂未知子は「自分の言葉が気に入られて、変奏曲をつくられたと思えば
腹がたたないだろう」とも書く。仁平勝は本気でそう考えているのだろうか。

意識的な「引用」(仁平勝のいう変奏曲)ならば、奥坂まやはその旨の前書き
をつけるべきだ。それは表現者同士の礼儀であろう。だいたい、奥坂まやは
「俳句研究」に載った弁明の中で、「いきいきと死んでをるなり兜虫」は写生
句だから、櫂未知子の「いきいきと死んでゐるなり水中花」の類句ではないと
判断して発表した、と自ら書いている。(しかし、読み直してみたら似ている
ので、結局、取消すことにした、ということなのだ)
変装曲などというものではなく、櫂未知子に対するリスペクトも何もない。

そして、今回の問題でもっとも重要なのは、今まで、曖昧なままに放置されて
きた類句・類想の問題に、先行句の作者である櫂未知子がはっきりと表現者と
してのオリジナリティを主張して抗議したという点ではないのか。
私は櫂未知子の抗議を俳句という詩型に自らの表現を賭けた者として当然の行
為であり、それが暗黙理に処理されずに、「俳句研究」の誌面に載ったことを(奥坂まやの弁明は見苦しかったものの)気持ち良いことだと思っていた。
しかし、その後の俳人たちの反応は、先に産経新聞に載った坪内稔典の「俳句
は一字ちがえば別の句」という意見をはじめ、唖然とするねのが多かった。そ
して、こんどは、仁平勝までが、こんなことを書く。俳壇というのはこんなヌ
ルイ詭弁が平気で通用する世界なのか。
櫂未知子が守ろうとした「表現者のオリジナリティ」などというものは俳壇に
はないのか。
つまり俳句は表現による芸術ではなく文学ではないのだということですか。

もう一度、仁平勝の文章の一部を引用する。
「真似された作者が面白くない気持ちはわかるが、そのことで金銭的な損害を
こうむるわけではないし、そう目くじらを立てて相手を非難する問題でもない
ように思う。というより、俳句でオリジナリティを主張することにあまり意味
があるとも思えない。やがて作者がわからなくなっても、人口に膾炙して後世
に残っていけば名句になる。作者としても、それで本望ではないか」

つまり、仁平勝にとって自作をふくむあらゆる現在の俳句は表現として自立し
たものではないのだ。
こういう文章を書いてしまったことで、仁平勝は俳句という表現形式によって
新しい世界を拓くという表現者のプライドを棄てることになる。
本当にそれでいいのか。語るに落ちるどころか、第二芸術論以下だ。

仁平さん、ホントにそう思っているの?悲しすぎるね。嘘だと言ってよ!


[870] 新生岡井隆の出現 2003年02月15日 (土)

午前中は「笑芸人」にあらたに連載させてもらうことになった「笑芸百人
一首」のために、噺家さんを主題にした短歌とコメントを書く。

午後から渋谷へ出て「きむの会」へ出席。
今月の課題歌集は岡井隆歌集『人生の視える場所』。
1980年から81年にかけて「短歌」に連載された作品を中心にして、
1982年に刊行された歌集。
復活岡井隆が新生岡井隆に変化した記念すべき一冊。
短歌の連載による発表というのも、当時の常識をうちやぶっていたし、その
作品の多彩な詞書と自注を自在に駆使した作品は、毎月毎月、大きな話題に
なったものだった。

あらためて読み直してみても、その今までにない歌集を創造しようとしてい
る岡井隆の熱意はまぶしいほどに伝わってくる。
父親と村上一郎の呪縛から完全に脱することができたという自覚を岡井隆自
身も、はっきりもったにちがいない。

この歌集は砂子屋書房の現代短歌文庫の「岡井隆歌集」に完全収録されてい
るので、読んでいない人達は、必ず読んでほしい。
当時の岡井隆がいかに短歌の世界のもっとも活性した部分の問題であったか
ということを示す、「岡井隆とは誰か」という特集の「アルカディア」を、
参考のために持って行ったら、この雑誌の存在は田中槐さんも「知らなかっ
た」とのこと。
現在の「未来」の編集の中核にいる人達でさえ、こういう雑誌を読む機会が
ないというのは大きな問題だと思う。
岡井隆の仕事の意義は、やはり、連続した時間の中でとらえるべきにのだと
思う。

帰りにブックファーストで、ちくま学芸文庫の木村荘八著『東京風俗帖』を
購入。この本が文庫に入るとは思わなかった。うれしい!


[869] 平均年齢のシフト 2003年02月14日 (金)

「歌壇」賞の授賞式及びパーティがあったので、市ヶ谷のアルカディアへ。

あいかわらず大人数のパーティで、誰がどこに居るかなかなかわからない。
今年の受賞者は守谷茂泰さんと中沢直人さん。
守谷さんは「短歌人」と「豈」の所属なのに、実は今夜が私は初対面。
宇田川寛之さんに紹介してもらって、無事にお祝いの挨拶をした。

あと、話をした人は、時田則雄、佐藤弓生、東直子、千葉聡、奥村晃作、
松浦郁子、篠弘、田中槐、小黒世茂、田島邦彦といった人達。
あと、もちろん、「短歌人」の仲間とはたくさん話をした。

それにしても、佐藤弓生さんが「題詠マラソン2003」に参加表明するときの
「たのもー」という書き込みは面白かったなあ。
奥村晃作さんも、できれば、こういう試みには参加してみたかったとおっ
しゃつていた。
しかし、このパーティ、俳人の数の方が圧倒的に多いのだけれど、平均年齢
は歌人の方がかなり若いのではないか。
ひとつの表現ジャンルの実行者の平均年齢が若い方にシフトしているのは
そのジャンルが活性化しているからのように思えるが、どうだろうか?

帰りは、蒔田さくら子さんと有楽町線の市ヶ谷駅に降りて、電車の中で
藤原マキの『私の絵日記』(学研M文庫)を読みながら帰宅。