[868] 箸袋に書かれた一首 2003年02月13日 (木)

沢口芙美さんの歌集『樹木地図』の批評会が四谷のルノアールであった。
私は小林幸子さん、今井恵子さんと一緒にパネリストをやらせてもらった。
小林さんが「旅行詠」、今井さんが「家族詠」で私は「日常詠」が担当。

沢口さんは「私」を主軸にして詠った歌はきわめて強い意志の力がでるが
都市や現在に視線を向けた時、批評の刺さりかたが浅いのではないか、と
いうのが私の意見。

小林幸子さんが指摘した「海外詠は設計図にそって詠われている」という
のは、たしかに、そうであり、意外な視点の歌も順を追って提示されるの
で、読みすごしやすいというのに、話を聞いているうちに気づいた。

他の出席者は、三井修さん、加藤英彦さん、村永大和さん、水城春房さん
久々湊盈子さん、佐伯裕子さん、中川佐和子さん、松坂弘さん、村野幸紀さん
といったみなさん。

二次会で庄屋に行ったら、箸袋に墨で、沢口芙美さんの短歌が書いてある。
それも、一膳ずつ違う短歌なので驚いた。
沢口さんの友人の方がこの日のために書いてくれたのだそうだ。

私の箸袋に書いてあったのは次の一首

・夫の背に一本の尾花呈せむか若き日駿馬なりしその背に

つらい歌だなあ。
みんなそれぞれの局面でせいいっぱい闘っているのだと思う。


[867] 果敢に巣づくりをする 2003年02月12日 (水)

「レ・パピエ・シアン」の50号が送られてくる。
私はこの号に、50号の記念寄稿として「同人誌は同人志」という文章を
書かせてもらっている。
私のほかに、鈴木竹志さんと岡井隆さんが寄稿している。
鈴木竹志さんも私も同人誌が月刊で50号も刊行されることは奇蹟だ!と
期せずして同じことを書いている。
まったく、鈴木さんや私の世代の同人誌というのは、まず、ガリ版刷りか
ら始まって、せいぜい、タイプ印刷くらいまでなので、作る作業自体が、
かなり厄介ではあったのだが、とはいえ、現在、小林久美子さんや桝屋善
成さんがおこなっている作業が簡単というわけでもないだろうから、いず
れにせよ、奇跡的に見えるわけなのである。
一つの特集に同人が一丸になって執筆する姿勢というのも、なかなか、結
社誌では見られない、というよりできないことだ。

岡井隆さんの文章は「レ・パピエ・シアン50号のための断章」という題
で、実にもうなんといっていいか、こういう書き方の文章があるのか、と
たじろいでしまう構成と内容。
一節だけ引用してみる。

「モルポワの『エモンド』(有働薫訳)には「断章とは詩を柩に納めるこ
とである。」とあり、また、「世界を妊む詩だけが果敢に巣づくりをす
る。」ともあつた」

「レ・パピエ・シアン」の同人諸氏は素晴らしい環境に居るのだなあ、と
うらやましくなる。


[866] あまり寒くはない祝日 2003年02月11日 (火)

一日じゅうワープロの単機能器で原稿を書く。
パソコンになれてしまっているので、久しぶりのワープロでは、ミスタッチ
ばかり。とはいえ、時間をかけて書いてゆくことで、考えが深まる部分もあ
るわけで、これはこれで、良い原稿になったような気がする。

テレビの下に置く台を無料でくださるという人がいらっしゃったので、あり
がたく、南砂町まで、頂戴に行く。
なんとか一人で手でもてる重さなのだが、家までは5キロくらいはあるので
結局、タクシーで帰ったのだが、途中で雨が降ってきたので、ラッキーだっ
たともいえる。

夜、「題詠マラソン2003」の作品を40番の「走る」までつくる。


[865] 師に影響を与えるほどの覚悟 2003年02月10日 (月)

連休の谷間のせいなのか、出勤時の都バスがいつもよりすいている。
お台場には観光バスに乗った集団がけっこう来ているので、世間の感覚的
には、お休みという感じなのかもしれない。

題詠マラソン2003が始まってから、私に関して良かったことは、頭が
ずっと短歌モードでいられるようになったこと。
マラソン掲示板に書き込むほかにも作品はけっこうできているし、歌集評
などの文章も、集中力が出てきて、筆が進んでいる。
題詠も早目に折り返し点まで行っておきたいので、50番目の題までは、
今のペースで進んでゆきたい。

歌誌「未来」が届いた。
時評で大辻隆弘さんが、「短歌」12月号に載った松村正直さんの
「ニューウエーブはもういらない」に関して、結局、松村正直はニューウ
エーブから何も学ばなかったのだ、と厳しい指摘をしている。
あの松村氏の文章は粗っぽいアジテーションなので、このように言われて
しまってもしかたがない。大辻隆弘さんの言葉は的確に松村氏の文章の
弱点を撃っている。時評とはこのように明確な視点をうちだすもので、
動態視力が必要なのだが、大辻さんの動態視力の良さには感心する。

その大辻隆弘歌集『デプス』の書評を加藤治郎さんが書いている。
的確な作品批評のあとの、末尾の部分で、岡井隆作品との文体の類似を
言い、第四歌集ともなれば、むしろ、師に影響を与えるほどの作品提示を
めざすべきではないのか、と指摘している。
この言葉も、一読者として読んで、こういう激励の言葉を言える、
大辻隆弘、加藤治郎という二人の自立した歌人の関係にうらやましさを
感じた。また、加藤治郎氏の言葉には、私自身も叱咤された思いがした。


[864] 春かもしれない一日 2003年02月09日 (日)

春のような陽射し。
うっかり、コートを着て外へ出たら、汗ばむほどだった。

家人がパソコンをずっと使っているので、原稿が書けず、歌集を読んで
原稿の準備だけしている。
歌集の整理もしなければならなかったので、いちおう、一石二鳥ではあ
るのだが、原稿が間に合うのかどうかは心配。

競馬は今週はまったく当たらなかった。困ったものだ。
買う金額を少なくしておいたことだけが唯一の取り柄かも。

題詠マラソン2003、29まで行ったところで一休みしている。
花鳥伯さん、舟橋剛二さんがゴール。
斎藤齋藤さんもまもなくゴールというところ。
このイベント、短歌専門誌の編集者の方々にもぜひ見てもらいたい。
ネットならではの発想で、刻々と書き込まれてゆく詠草を目の当たりに
すると、インターネットの現場性というものが実感できるはず。


[863] WAVEという波動 2003年02月08日 (土)

「短歌WAVE」3号が面白い。
神崎ハルミさんの掲示板だったか、舟橋剛二さんも面白いと誉めていたが、
実際、編集者の色合いが出始めた内容になっている。

ひとつだけ挙げると、執筆者のラインナップが他誌と異なっているのに、
くふうが見られる。
天草季紅、真野少、関あゆみといった執筆者をきちんと起用しているのは
編集者の広い目配りを感じる。
石川美南の37首詠もいい。彼女は特別に多作させて育てるべきだ。
かつて、中井英夫がそうして春日井建や浜田到という歌人をつくりあげた
ように、顰蹙を買うくらい、毎号、作品をたくさん載せてほしいと思う。

唯一の不安は、この雑誌が、あの「俳句界」と同じ出版社から出ていること。


[862] 新宿海溝・密談篇 2003年02月07日 (金)

新宿紀伊國屋書店で「短歌WAVE」の第3号を買ったあと、ちくま文庫の
棚の前で、詩人の柴田千晶さんと待ち合せ。
二人で少し喫茶店で話をしたあと、「bura」というバーで「ミッドナイ
トプレス」の岡田幸文さんと密会。三人で密談をかわす。
この店には、詩人や映画関係のお客が多いらしい。
ママのせっちゃんという女性を加えてだいたい3時間くらい話をする。

帰りがけに岡田さんとママの話の中で「3月2日はイイダさんの三回忌」と
いう言葉が聞こえた。
あっと思った。思い当たることがある。
帰りの都営新宿線に乗って、すぐに、持ち歩いていた福島泰樹の新刊
『葬送の歌』の「慶大ブント飯田貴司!」という章を開いた。
こういう一節があった。
「冬の寒い朝であった。飯田貴司を励ます会が、神田神保町のビヤホール
 「ランチョン」で開催された。新宿二丁目のバー「ブラ」で盃を揚げ、
 古井由吉と三人、入り乱れて歌ったのが最後だった。二〇〇一年三月
 二日死去、行年六十一歳」

たまたま、朝のバスの中で拾い読みしていたので、記憶に残っていたのだ。
やはり、この店へくることは必然的な流れだったのかもしれない。
こういう、小さな偶然が積み重なり、あとで、必然だったのか、と気づく
ことは、縁というものの面白さを感じさせてくれる。


[861] うっかり失敗の木曜日 2003年02月06日 (木)

土曜日にはベランダに積み上げてある本を整理しなければならない。
その前に会社のロッカーを無断占拠している本も整理するのが先か。
ということで、少し早めに会社へ行って、キャリーバッグに本を詰め替え
自宅に持ち帰る分を段ボールの箱につめる。
端本で買った茂吉全集の手帳篇、日記篇などと、俳句関係の評論集。
なんとか、一箱つくって、宅急便で自宅へ送る。

題詠マラソン2003で、ルールの確認をしていない人がけっこういて、
給水所の掲示板で、五十嵐きよみさんに、ルールを読めばわかる質問を
したり、短歌投稿掲示板の方にも、間違った方法で書き込んでいる人が
目につく。困ったものだと思っていたら、一首書き込む時に、自分も
失敗してしまった。
「29:森」という題で、ずっと続けていた人名の読み込みをうっかり忘れ
てしまったのだ。ルールで書き換えは認められないので、このまま、行く
しかない。他人のふり見て、わがふり直せ、ということだ。


[860] 仁義なきニューヨーク 2003年02月05日 (水)

『昭和の劇・映画脚本家 笠原和夫』(太田出版)という分厚い本を読んで
いる。
笠原和夫へのロングインタビュー集。
笠原和夫は先月亡くなったので、貴重な記録になった。

もちろん私にとっての笠原和夫は「仁義なき戦い」四部作の脚本家。
深作欣二とのコンビで、実録物とよばれるあのダイナミックなドラマを
見せてくれた名手である。
期せずして深作監督も亡くなってしまった。

「仁義なき戦い」シリーズに学生時代に触れたことは、私にとっては
邦画の面白さを教えてもらった得難い体験だった。
笠原和夫が、この仁義シリーズのあとで、「実録・共産党」という脚本を
完成していたが、結局、諸事情から企画が流れてしまったとのこと。

「ギャング・オブ・ニューヨーク」を見た人は、ぜひ、レンタルビデオで
「仁義なき戦い」四部作を借りて見てほしい。
「仁なき戦い」の好きな人は映画館で「ギャング・オブ・ニューヨーク」を
見て欲しい。共通点をみつけることで、人間の秩序がいかにして狡猾に形成
されていくかが、わかるはずだ。


[859] 睡魔とノドン 2003年02月04日 (火)

帰りのバスの中で異様な眠気に襲われ、眠り込んでしまう。
あやうく豊洲駅前で下りそこなうところだった。
東京スポーツの一面は、石井一義館長の悪質な脱税行為により逮捕というもの。
たしか、ターザン山本がこのK−1資本でつくっている「SRS−DX」の
谷川貞治編集長の替りの編集長として、次号から雑誌つくりをすることになっ
ていたはずだが、これで、雑誌が休刊にでもなったら、ターザンの現場復帰
はなくなってしまう。どうなることやら。

フジテレビの新番組「トクダネ発GO外」を見る。
北朝鮮がノドンを発射したらどうなるというシミュレーションなど
なかなか見ごたえがある。
食後、ちょっと、冗談で蒲団に入ったら、気がついたら眠っていた。
途中一度、目を覚ましたときは、となりで、かの子が「ちゃお」を読んで
いた。しかし、またすぐに眠ってしまう。


[858] 13階段と豆まき 2003年02月03日 (月)

社内試写会で「13階段」を見た。
江戸川乱歩賞を受賞した高野和明の作品を長澤雅彦監督が映画化したもの。

反町隆史、山崎務の主演。
サスペンスで一気に90分くらいひっぱってみせてくれるのはなかなかのもの。内容は死刑囚の冤罪をはらすというデッドラインもの。
女性がほとんど出てこないのも珍しい。
最後の30分でいくつもの謎を解決してみせてくれるのだが、ここが、少し
ばたついた感じは否めない。
しかし、山崎、反町のコンビネーションはなかなかいいし、雨あがり決死隊
の宮迫博之がなかなかの儲け役をもらっていて印象深い。

試写会を見終えて家に帰ったら、かの子が豆まきをしようと待っていた。
一緒に「鬼は外、福は内」と豆まきをしたあと、家族で年齢の数だけ豆を
食べる。私は夕食は外ですましていたのだが、かの子と史比古は南南東を
向いて、太巻きを食べたのだそうだ。

「題詠マラソン2003」のサイトを見ると、また新しくスタートした
人達の作品が並んでいる。
せっかく100首詠むのだから、題のほかに何か自分だけの決め事を
つくっておくのも良いのではないかと思う。
たとえば、「君」「きみ」「あなた」というような二人称語を使わない
とか、オノマトペは絶対つかわないというようなシンプルなルールを設定
するだけでも、かなりいつもとはちがった感じの作品ができるような気が
する。これからスタートする人達にオススメしておきたい。


[857] もっと読んでもらうための努力 2003年02月02日 (日)

風邪はまた消えていったような感じではあるが、まだ、積極的に外へ出る
気はしない。

「塔」の1月号で小林信也氏が「チャレンジする姿勢」という時評を書いて
いる。
その中にこういう一節がある。
「作品よりむしろ作者個人としての新しさを期待されているのであれば
既に歌集を世に問うた歌人が新人賞に応募するのは誉められたことで
はないはずだ」

この前段には、私と今年の角川短歌賞受賞者の田宮朋子、短歌研究新人賞の
受賞者の八木博信の名前が挙げられており、確かに私も他の3人も、歌集を
出したあとで、新人賞を受賞したという共通点がある。

また、こんな一節もある。
「もちろん各賞の応募規定にはそれを禁じた記術はなく、非難されること
ではないのだが、歌人としての自覚という点を思うと考え込まざるをえ
ない。一体、歌集をもつということは一廉の歌人になったことにはなら
ないのだろうか」

どうも小林信也氏は、すでに歌集を上梓した者が、公募制新人賞に応募す
るのは、ものほしげで恥かしい行為だと思っているようだ。
私や田宮朋子氏や八木博信氏のことを、投稿マニアと見ているわけなのかな。

私は第一歌集の「夢みる頃を過ぎても」を上梓した翌年に、短歌研究新人賞
に応募して、運良く受賞することができたのだが、なぜ、歌集を出したあと
で、新人賞に応募したかといえば、歌集上梓のみでは世間が、私を歌人とし
て認めてくれていないことに気づいたからなのだ。
さらに言えば、もっともっと私の作品を他の人達に読んでもらって、批評し
てほしかったから。新人賞を受賞できれば、少なくとも受賞作と受賞後の
第一作は、専門誌誌上に掲載されるわけだから。
また、新人賞受賞の作品は、たくさんの人からの批評を受けられるので、そ
ういう機会が欲しかったからともいえる。
こう思うことは、「誉められたことではない」のだろうか。

私が第一歌集を出した1989年でも、贈呈した歌集への感想や批評の手紙を
くださったかたの数は、そう多いとはいえなかった。
専門誌での歌集批評も、「歌壇」で三枝昂之氏が、「俳句空間」で荻原裕幸氏
が書評してくれただけだった。
これはかなり恵まれたことだったのかもしれないが、私にとってはまだ不満だ
った。だから、一年たっても忘れられないように、短歌研究新人賞に応募して
自分の作品をもっともっと認知されるように努力したわけだった。

現在は、歌集出版数が1989年頃の比ではない。
そんな状況で、出した歌集がほとんど読まれていないことは歴然としている。
小林信也氏もたしか「歌壇賞」の受賞者だつたと思うが、まあ、ご自分も
歌集を出してみたら良い。
賞の受賞者の歌集であってもいかに歌人たちがまともに読んでくれないか
身にしみて実感できるだろうから。
今や、歌集を出したから「一廉の歌人になった」などと他人は誰も思って
はくれない。もしかすると、そう思っているのは小林さんだけかもしれない。

田宮朋子氏も八木博信氏も非難されるいわれなどない。
自分の作品をより多くの読者に読んでもらう努力の一環として新人賞への応募
があったにちがいないのだから。



[856] 題詠マラソン2003スタート 2003年02月01日 (土)

昨日の帰りの電車の中から、また、風邪がひどくなってきたようで
身体が熱っぽくなる。
夜中に一度、全身がきしきし音がするような寝苦しさで、起きて、薬をのむ。

朝になって、夜中よりはましだが、風邪は確実にぶりかえしていた。
夜の「朗読千一夜」、なかはられいこさんのソロがあるので行きたかった
のだが、断念せざるをえない。

「題詠マラソン2003」が始まっている。
昨夜は帰宅後はPCをたちあげなかったので、スタート時の様子は知らない。
すでに、何人もの人達がスタートを切っている。
中でも、花笠海月さんが、フルスピード状態。
私も、どうせ、外へは出られないので、少しずつつくっては、書き込んで
行くことにした。
時間がたつにつれて、どんどん書き込みがふえてゆく。しかも、すべてが
短歌であり、題詠であるというのは、リアルタイムという実感が゜まさに
なまなましく感じられる。
予想以上に面白く刺激がある。
この企画はまさにネットならではといえるだろう。
無数の他者と一緒に競い合っているという気持ちのたかぶりが快い。
自分のペースはくずさずに行こうと思っても、どんどん、目の前で
短歌が書き込まれてゆくと、ついつい、負けられないという気持ちが
わいてくる。
この企画、「テレビチャンピオン」でやってくれないかな。
「ここでフジワラ無念のリタイア」とかナレーションをかぶせてほしい。


[855] 電通という謎の怪物 2003年01月31日 (金)

黒岩剛仁氏の歌集『天機』の出版記念会が市ヶ谷アルカディアであるので
夕方の風の中を市ヶ谷へ向う。
地下鉄の通路で「未来」の中川佐和子さんに声をかけられる。
二人で出口をまちがえて、一度、アルカディアを通過してしまったのだが
なんとか、たどりつく。

クロークの前に小池光さんがいる。
3人でエレベーターに乗り、会場へむかう。
私のテーブルは、加藤英彦、外塚喬、武井一雄、桑原正紀、三井修、柳宣宏
水城春房氏と一緒だった。

みなさんの批評はまあだいたい予想どおりのものだったが、面白かったのが
やたらに、「電通にお勤め」とか「電通マン」とか、黒岩さんの勤め先の
名前がスピーチの中で出てきたこと。
なんだか、結婚式みたいだが、それは、電通マンというギミックが黒岩さん
に対して成立しているということだろう。
それと、電通というのが巨大な広告代理店だという知識がみんなにあり、
具体的なことは知らなくとも、漠然と何かスゴイことをおこなっている
というイメージをもたれているからなのだと思う。

こういう視点から見ると、私には『天機』の作品の数数はものたりない。
歌集の感想として、すでに黒岩さん本人に手紙でお伝えしたことだが、
電通で黒岩さんがおこなっている仕事の現場の歌がもっと出てこないと
特徴がきわだたないのだ。
クリエイションの現場の歌はまだ他の誰も詠んでいないし、営業でクライ
アントの接待をしているなら、そういう場での心理を詠んでほしい。
都市を詠んだ歌集だと解説には書かれているが、私が黒岩さんにのぞむ
のは、都市に生活する都会人、それも巨大広告代理店を勤務先とする人間
の、現在の心理を短歌として表現してほしいのだ。

と、勝手な希望を書いたところで、『天機』で私がもっとも好きな歌。

・適齢期越えたる兄と妹が阪神ファンの父を語りぬ

相澤正を彷彿とさせる妹への愛がある歌だ。

今夜の最大の収穫は、櫂未知子さんに初めてお目にかかり、挨拶させていた
だいたこと。


[854] TAJIRIから岡八郎へ 2003年01月30日 (木)

「週刊プロレス」の表紙がWWEの代々木大会でHHHに挑戦した
TAJIRIだったので即購入。
TAJIRIにとっては夢の実現であり、まさに故郷に錦を飾ったわけだ。
サッカーやプロ野球の選手とちがって、コーチも協会もないプロレスの世界
で、みごとにトップにのぼりつめたTAJIRIには感動せずにはいられな
い。「週刊プロレス」のレポート記事を読んでいるうちに、つい目頭が熱く
なってしまった。

風邪が一進一退なので、また、Tクリニックへ行く。
すでに花粉症の治療もはじまっているということで、おそろしく混んでいる。
結局、4時30分くらいに入って、治療が終ったのは6時30分過ぎだった。

夜、NHKの「にんげんドキュメント」で、岡八郎と実娘のゆう子さんの
父娘の舞台復帰のドキュメンタリーを見る。
岡八郎は最初は浅草四郎、岡八郎という漫才コンビだったのだが、解散して
吉本新喜劇に入り、すぐに座長になった男だ。
昭和40年代の、うめだ花月でもなんば花月でも、岡八郎が舞台に出てくる
と、笑いの渦がまきおこったものだ。

妻の自殺、息子の若死にと不幸が続き、アルコール依存症になって、舞台か
ら遠ざかって久しい状況だったのを、娘さんの助けを借りて、舞台生活45
周年の記念公演をなんばグランド花月でやるための努力の過程をテレビは
隠さず見せてくれた。
弟子のオール巨人が、セリフをおぼえられなくなっている師匠の姿をまのあ
たりにして、絶句して涙をこぼす場面では、こちらもついついもらい泣きし
てしまった。
娘のゆう子さんという人も、父親の再起のために父と親娘漫才をやるという
のも、いかにも、上方芸人の血がながれていることを感じさせる。

復帰した吉本新喜劇の舞台で、同時期に活躍した原哲男や池乃めだかの姿が
映っていたのも感動的だった。

巨人・阪神のほかに岡けん太、ゆう太の姿も見えた。
巨人・阪神、けん太・ゆう太というきちんとした漫才も芝居もできる系譜が
岡八郎から始まっていることをあらためて確認した思いだった。
むかし、芝居のほかに、岡八郎は花紀京と組んでの漫才も見せていた。
花紀のエンタツゆずりの強烈なボケに対して、岡八郎のツッコミは絶品
だったといえる。
演芸というのはナマモノであり、子供の頃にでも、ナマの舞台を見ておく
ことは大切だ、と、あらためて思う。


[853] ぶり返しのウエンズデー 2003年01月29日 (水)

昨日、夜遅く帰ったのでまた風邪がぶり返す。
こんどは鼻がつまり、ときおり鼻水が出て、喉も痛くなってきた。
風が素肌に突き刺さってくるような寒さだ。

田井安曇著作集をまたすこしずつ読み返している。
田井安曇さんも、もっともっと評価されてしかるべき素晴らしい仕事を
している人だと思う。
アララギ派の非主流の歌人に対する掘り起こしなど、田井さん以外の人には
できなかったものだろう。
宮本利男のほぼ全作品を評論の中に入れ込んで、実質的な「宮本利男歌集」
をつくってしまった『或る歌人の生涯・正・続』は、もう、三回通読した。
勝ち組の歴史からこぼれた珠玉を拾い出す作業は貴重。


[852] お笑いコンベンション 2003年01月28日 (火)

六本木のORIBE HALLでおこなわれた「お笑いコンベンション」なる
ライブを見に行く。
これは27のプロダクションが共同して、自社のお笑いタレントを放送局の
関係者に見せる、いわば、大掛かりなネタ見せのライブ。

27組の芸人さんが3分の持ち時間で次々に登場しては去って行く。
司会者が元幕末塾の彦麻呂というチープさもなかなか良い。
会場ではTBSの牧さんと久しぶりに会えたので一緒に見る。

私がいちばん面白いと思ったのは、大川豊興業所属の名刀長塚。
サラリーマンネタを奇妙なフラで見せてくれた。
あとは、カンニングとかエネルギーとかのキャリアの長い連中がさすがに
そつなく見せてくれる。
青木さやかは初めにお客をつかみそこねたので、今回はハズレだった。

久しぶりのお笑いライブなので、けっこう疲れた。
帰りのロビーで宮原さん、伊藤さんといったむかしのビバリーの仲間に
会えたのもうれしかった。


[851] 降ればどしゃ降り 2003年01月27日 (月)

朝も昼も夜もどしゃ降りの雨。

オフィスに居るうちに、またまた、どんどん身体がだるくなってくる。
あわてて、早退して、Tクリニックに行く。
どしゃ降りなので患者さんもさすがに少ない。
点滴してもらい、薬をもらって、京浜急行、都営浅草線と乗り継ぐ。

東西線に乗り換えて木場で降りる。
道を歩いているあいだに布のバッグに雨が染み込み、中の薬袋も濡れて
しまっていた。
本も二冊ばかり入れてあったのだけれど、さいわい、東京スポーツを買って
つっこんであったので、雨は東スポがすいとってくれていた。

帰宅してパソコンの麻雀ゲームを少しやって、9時前に布団に入ったら
すぐに眠ってしまった。
次に目が覚めたのが午前1時過ぎ。
「路上」で佐藤通雅さんの文章を読み始めたら目がさえてきた。
歌人として論・作ともに実績がぬきんでているのは佐藤通雅さんだが、
その実績がきちんと評価されていない気がする。
そう思うとだんだん腹がたってきた。
なんとか怒りを鎮めようと、四谷龍さんの編集による「むしめがね」を
読んだら、冬野虹さんの追悼号で、こんどは涙がとまらなくなった。
怒ったり泣いたり、月曜の深夜にかしましいことであった。


[850] 短歌という志 2003年01月26日 (日)

朝から時評の原稿を書き始める。
三十代の女性の第一歌集ということで3冊とりあげてみようと思っている。

三十代の女性歌人というのは、現在、層が厚いようでいて実は現況はお寒
いものだと私は思っている。
既成の歌人と呼ばれている人達が、歌壇の中のステイタスの維持に汲汲と
しているように思える。
あられもない感情を垂れ流したり、小賢しい知的はからいのみの技巧で、
短歌が詠めたかのように錯覚している人が目につく。
短歌総合誌の作品を読むたびに私は暗澹としている。
結局、短歌というものは、自分の表現を研ぎ澄ましていくだけで良いのか
もしれないが、かつて、高柳重信は俳句の現状に対して常に警告を発し
続けていた。
高柳重信には及ばずながらも、文章を書かせてもらう機会があるのなら、
そういう大きな視野にたった発言もするべきなのだろう。

今回書いた、三人の三十代女性の第一歌集はその意味で、先行する女性の
歌人達を明らかに凌駕する可能性のあるものだった。
短歌という志を忘れてはいけない。
もちろん、自分自身にもっとも言いきかせなければならないことだ。


[849] すべてを水に流して 2003年01月25日 (土)

午前中に一本、原稿を書く。集中できたので巧く書けたと思う。

朝から本の整理。
昨日、トランクルームの方の整理がある程度ついたので、今日はまた、
トランクルームへ追加してあずける分の箱詰め。
四箱詰め、もう一箱は古書店に送るためにつくり、なんとか、恰好が
ついてくる。
なにより、床の上に袋詰めにしたまま置いてあった分がなくなったのが
うれしい。
演芸関係の本もかなり本棚の前に出してくることができた。


[848] 大工調べと子別れの下 2003年01月24日 (金)

今日はとても充実した一日だったと思う。
先週の金曜日に引続いて、代休をとった。
まず、テラダトランクルームへ行って、預けてある本のチェックと入替えを
した。必要な本を出し、家から持って行った本と入れ替える。
午前中のうちにこれをすまして、一度家に戻って昼食。

午後2時に家を再び出て、門前仲町の明光堂で先週つくった眼鏡を受取る。
そのまま、有楽町へ行って、一件、密談。
少し時間を置いて、本屋とラーメン屋に行ったあとで、ブディストホールで
おこなわれる立川談春独演会へ行く。
ブディストホールへ入るのは一昨年のマラソンリーディング以来。
あの時はステージ上から見ていたので、とても広い会場のように思えたが
実際にはキャパ160くらいの小さなホールだった。
だいたい八割の入り。若い女性もかなり多い。

開口一番もなく、いきなり談春さんが出て来て、むかし、談志家元に入門
したての頃、築地の魚市場の中にあるシューマイとギョーザの店でアルバ
イトしていた時のエピソードを枕に、大工調べに入る。
大工の棟梁が、大家さんに啖呵をきるところは、まさに立て板に水。
まったく、言葉を噛むこともなく、小気味良い啖呵に、客席から拍手がわく。
こういう口跡、割舌の良さ、聞きやすいセリフまわしは、談春さんの大きな
強味であることはまちがいない。
さらに驚いたのは、与太郎、棟梁、大家、お奉行の表情が完全に演じわけら
れていること。
しかも、珍しいことに、サゲまでやってくれた。

二席目はマクラもなく、いきなり「子別れ」の下に入る。
こちらも、口跡の良さが生きている。

お客さんの女性は、お化粧をしていない人が多いのに気づいた。
木村万里さんや濱美雪さんや中野翠さんの若い頃のような雰囲気の人が
多いと思っていたら、帰りがけのロビーで、その濱美雪さんに声をかけ
られた。
濱さんは「笑芸人」の編集をしている女性。
こんどの号から、私も「笑芸百人一首」という連載をさせてもらうことに
なっている。濱さんのご期待にそえるように頑張りたい。
階段のところでは、石和の若旦那の馬場さんにも声をかけられる。
今年もみんな来ているなあ。

ということで、来月もまた、談春さんの独演会には必ず来ようと決心した
しだいでありました。


[847] 京葉線アドベンチャー 2003年01月23日 (木)

新年会がホテル・メリディアンの楼蘭という中華料理店であった。
グループの営業局、事業局の部長、局長、役員クラスが集まっての懇親の
新年会で、私はご相伴にあずかるという立場。

夜の八時三十分過ぎにお開きになって、りんかい線から京葉線に乗換えて
潮見駅に降りたのが九時三十分くらい。
改札を出る直前に、電車の中に通勤鞄を置き忘れたのに気づいた。
あわてて駅員さんに連絡。
カード関係や金目のものは入っていないので、最悪、出てこなくても困ら
ないのだが、それでも、歌集や預金通帳が入っていたりするので、面倒で
はある。
10分ほどで、無事に東京駅で、鞄が回収されたという連絡があり、ほっ
として、駅員さんに礼を言って、そのまま東京駅へ向う。
京葉線の一番線の事務室で無事に鞄をひきわたしてもらう。
ここでもお礼を言って、再び潮見へ向う。
潮見駅でさっきの駅員さんがいたので、また、お礼を言って、なんとか
家に帰り着く。

家に帰ったら、何通か短歌に関する原稿依頼が来ていた。
すべて引き受けてしまおう。
高柳重信全集の時評の巻を読みながら寝る。
やはり、かなり疲れていたので、すぐに寝てしまった。


[846] ファンタジーという名の妄想 2003年01月22日 (水)

家で史比古に録画しておいてもらった「W−1」のビデオを見る。
番組名は「ボブ・サップのバトルエンターテイメント W−1」。

視聴率は11月よりとれて10.4%だったが、ガレッジセールよりは
前回のTIMの方がましだった気がする。
面白いのは、もちろん、ジョー・サンのTバックだが、橋本は本気で、
怒っていたみたいであった。

サップVSホースト戦は、まあ、ホーストが練習した3つの技をきちんと
できたということで満足すべきなのか。
STF、コブラツイスト、スクールボーイだが、コブラツイストは足のか
けかたが間違っていた。
サップはともかくホーストのイメージは悪くなったと思うがなあ。

私はファンタジーを楽しめるが、出場者たちは、自分の役割がどうなるか
真剣に考えた方が良いのではないかと思う。


[845] 言葉の黄金郷へ 2003年01月21日 (火)

浦川聡子さんの句会に参加させてもらう。
学生時代の友人、Kさん、Uさんもメンバー。
切れ字を生かしつつ、江戸俳諧の味をもった句をつくりたいと思うのだが
なかなか難しい。

ゆりかもめに乗って、新橋から日比谷方向へ向おうとしていたら、なんと
「心の花」の黒岩剛仁さんに声をかけられる。
黒岩さんの歌集『天機』の出版記念会が31日にある。
記念会、うかがいます。楽しみです、というようなことを言ってすぐ別れる。
新橋、汐留付近で会った場合は「心の花」というより電通の黒岩さんか。

さて、句会の席題は「寒」。
私の句は

・夜の底の寒き机上の犬張子

「犬張子」がポイントなのだが、あとの部分が抽象的すぎて気にいらない。

浦川さんから、「増刊アサヒグラフ・俳句入門」を貸してもらう。
昭和63年発行で、新鋭俳人として藤原月彦が出ている。
すっかり忘れていた。
「言葉の黄金郷」と題された文章を読んでいるうちにうっすらと思い出し
てきた。

そこに掲載されている藤原月彦自選10句は下記のとおり。

・致死量の月光兄の蒼全裸
・妹よなぜ麦秋に血を流す
・情事酣つらつら椿つらつらに
・春逝くと白仁丹を舌のうへ
・夏は闇母よりわれに征露丸
・夏服の寺山修司見しといふ
・奈落まで秋の辻村ジュサブロー
・金の秋奈翁妄想亡ばねど
・冬の日の暈衆道の謎のごとし
・寒の椿を大蘇芳年のやうに見る


[844] 天龍源一郎と福島泰樹 2003年01月20日 (月)

歌誌「月光」の最終号が届いた。
この号で終刊し、あらたに季刊「月光」として再起するのだそうだ。
かつての文芸誌「月光」の21世紀版ということか。

歌誌「月光」の編集は竹下洋一さん、事務局は松岡達宜さんが力をつくしていた。
お二人には、心から、ご苦労様でした、と言いたい。

竹下洋一さんとは会うといつもプロレスの話ばかりしていた。
彼は天龍源一郎の大フアン。天龍の団体のWARはいつも見に行っている。
私はWARの単独の興行は1994年7月に国技館でひらかれた
「6人タッグトーナメント」しか見に行ったことはない。
この時は、阿修羅・原の実質的な引退試合で、原の悲愴な表情に心うたれ
たものだ。

ここで、ふと、天龍源一郎と福島泰樹の像がオーバーラップした。
ともに王道を進みながら、いつしか異端の場に身を置かざるをえなくなって
しまっている。
天龍は大仁田厚と電流爆破デスマッチをおこなったし、神取忍と男女マッチ
もおこなった。
しかし、どんな異端の試合をこなしても、その真の実力はまぎれもない。

さて、福島泰樹の短歌絶叫に象徴されるパフォーマンスに、歌人は異端の
匂いを嗅いでいるかもしれない。
歌壇の目立つ場所で福島泰樹短歌が語られることも少なくなった。
しかし、福島泰樹の短歌の志は「バリケード1966年2月」の時から
まさに不変である。
最新歌集『デカダン・村山塊多』にもその志の熱がはげしく充填されている。


[843] 「短歌人」新年会2003 2003年01月19日 (日)

「短歌人」の新年会が学士会館でひらかれる。
私は前半の司会進行をつとめる。
エリさんが前半の披講。マイク係は永田吉文さんと天野慶さん。
天野さんはきれいな晴れ着姿。
カメラマンの村田馨さんも紋付き袴で、いかにも新年会らしい雰囲気だ。

全体的に懇親会、二次会もふくめて、今年は私としてはたくさんの人と
話をすることができたと思う。
参加者も斉藤齋藤さんとか猪幸絵さんとか松丸久美さんとか吉福秀一さん
とか皆川瞬さんとか、新顔がふえていてたのもしい。

二次会では高橋浩二さん、冬野由布さん、倉益敬さんらと話す。
高橋さんは警備会社に勤めつつ、東洋医学の勉強をしているそうだ。

雨の中、途中まで、花笠海月さんと地下鉄で帰る。


[842] 誕生日・黄泉がえり 2003年01月18日 (土)

大塚家具からテーブルと椅子が届く。
設置してみるとなかなか具合が良い。
今まで、せせこましいテーブルで食事をしていたのが、一気に拡大して
心にも余裕が生れるようだ。
まあ、人間の気持ちなんてこんなものなのかもしれない。

夕方からかの子と自転車で木場のシネコンに行き、「黄泉がえり」を見る。
初日だがだいたい7割くらいの入り。
塩田明彦監督で、脚本には塩田監督のほかに犬童一心も参加しているので
いちおう期待していたのだが、物語はなかなか面白くできている。
1960年代の日本のSFによくあったワンショットのアイデアで
最後までおしきってしまったのがよい。
そういえば、原作の梶尾真治は60年代はファンライターでのちに
専門作家になった日本のSF第一世代だった。

家にもどってから、今日が誕生日だったことを思い出す。
明日は「短歌人」の新年歌会。

私の好きな平井照敏のこの一句。

・いつの日も冬野の真中帰りくる『枯野』


[841] スペースの再レイアウト 2003年01月17日 (金)

代休をとる。
明日、大きなテーブルの搬入があるので、それを置くスペースをつくるために
ずっと、本及び本棚の整理。
夜になってやっとどうにか目処がつく。
古くなった絨毯をひっぱりだして捨てる。

夕方、自転車で門前仲町の明光堂まで、新しいメガネを作りにゆく。


私の好きな福永耕二のこの一句。

・新宿ははるかなる墓碑鳥渡る


[840] そして嘘のように無為な一日 2003年01月16日 (木)

新年交歓会の大阪会場分のレポートを「インフォメーションEYE」用に
書く。基本的には大阪の香川さんに書いてもらったものを、少し書きのば
しただけなので、面倒ではない。

増進会出版の子規選集の『子規の現在』が届いていると流水書房から連絡
があり、受け取る。
河野裕子が書き下ろしで「家長子規」という文章を書いている。

帰宅後、「快傑えみチャンネル」を見て、十時前には寝る。

私の好きな和田誠のこの一句。

・マンモスを閉ざして氷河静かなり 『白い嘘』


[839] 騒がしき詩型に憑かれて 2003年01月15日 (水)

新阪急ホテルからバスで伊丹空港へ行き、ANAの飛行機で羽田へ。
モノレールで浜松町へ行き、こんどは都バスでお台場の勤め先へ戻る。

岡井隆『短歌―この騒がしき詩型』をこの出張のあいだにきちんと読了で
きたのは大きな収穫だった。
岡井隆という人のこの本には、みずからの短歌初学の時代に出会った
「短歌滅亡論」へのこだわりと、それをいかにして超克したかという
精神的な過程があざやかに描かれている。
ほとんど横綱相撲と言いたいほどの余裕にみちた文体になっている。
まことに短歌とは騒がしき詩型であると納得できる。

現在、短歌をつくっている私もあなたも、自分には「短歌滅亡論」なんて
関係ないなどと思わずに、この岡井隆の横綱相撲を追体験すべきだと思う。
騒がしき詩型に憑かれた者の通過儀礼となすべき一書がこの本だ。

私が好きな金子兜太のこの一句。

・暗黒や関東平野に火事一つ 『暗緑地誌』


[838] ギャング・オブ・ニユーヨーク 2003年01月14日 (火)

「ギャング・オブ・ニューヨーク」を見た。
重厚な作品で胸に応えた。
こういう映画を見ることができて良かったと思う。
舞台は19世紀半ばのアメリカのニューヨーク。
リンカーン大統領の時代で南北戦争の最中。
この時代背景の中で、初期にイギリスから移民してアメリカの独立を
勝ち取ったという自負のもとにネイティブを名乗る連中と、
その後のアイルランド移民のグループ、さらに黒人開放問題もからまって
まさに、血で血を洗う抗争がくりひろげられる、というもの。

見終わって、いちばん似ている映画は「仁義なき戦い・代理戦争」だと思った。
映画の中でも、元のギャングが警察官になっていたり、町の権力者になっていたりする。
そして、権力争いを繰広げるのだが、エスタブリッシュメントたちは実は
傷つかない。
「貧乏人たちの同士討ちで決着がつくさ」
というエスタブリッシュメントのセリフが突き刺さってくる。
映画もそのとおりの結末をむかえる。
「仁義なき戦い・代理戦争」のエンディング部分はたしか、権力闘争の中で
犬死にしたチンピラの若者(小倉一郎?)の死骸を抱いて号泣する母親(中原早苗?)の姿が
アップからロングになり原爆ドームとオーバーラップする、というものだったが、
私は「ギャング・オブ・ニューヨーク」のエンディングで19世紀のニューヨークのシルエットが
じょじょに現在に変化してゆき、WTCまで見えてきた時に、この場面を連想
した。

リンカーンがアイルランド移民を受け入れたのは、南北戦争の北軍兵士として
なかば強制的に戦地へ送り込み、消耗品として使っていたということも映画の
中では暗示されている。宗教問題、多民族の問題も観客に迫ってくる。
3時間、まったく、飽きる間もなく、一気に見てしまった。
CGをいっさい使っていないのも嬉しい。あの時代のニューヨークをすべて
オープンセットでつくっているというのもリアリティを増している大きな
要素だと思う。
エンディングロールにU2の歌がながれて、その最後の最後に3秒ほど
白い画面に街のノイズだけが流れる終りかたもみごと。
久しぶりに映画の力を味わった気がする。

今日はアメリカにちなんだ一句を。

・摩天楼より新緑がパセリほど 鷹羽狩行『遠岸』




[837] ふたたび大阪へ行く連休の最終日 2003年01月13日 (月)

午前中は「短歌人」の編集作業をする。
集中していたので比較的手際よくできた。
この作業をしながら「上柳昌彦のサプライズ」を聞いていたのたが、
語り口調、内容ともにとても聞きやすく、好感がもてるのにあらためて
感心した。良い番組だと思う。

午後の新幹線に乗って、大阪へ向う。
明日おこなわれるグループ新年交歓会の大阪会場の実施運営のためだ。
新幹線の中で岡井隆の『短歌―この騒がしき詩型』を読む。
途中まで読んで、しばらく中断していたものだが、こういう移動の時間には
集中できるので好都合。

午後6時前に会場の新阪急ホテルへ入る。
スタッフミーティングに顔を出し、今夜の進行作業を確認する。
事務局の人達と夕食をとり、またホテルにもとって、美術装飾、器材の搬入
などの立ち会いをおこなっているうちに24時近くになってしまう。
部屋に戻って寝る。

私の好きな林桂のこの一句。

・クレヨンの黄を麦秋のために折る 『銅の時代』


[836] 和歌山から東京へ、そして原稿も書く 2003年01月12日 (日)

夜中に胃がもたれて気持ちが悪かった。カツどんが脂っこかったからだ。
夜中にトイレに行く時に、壁にぶつかってメガネを落とし、つるの部分が
こわれてしまった。
踏んだり蹴ったりである。

正午に和歌山を出て、関西空港へ向う。
それでいつもどおり飛行機、モノレール、山手線、京葉線と乗換えて
帰宅したのが午後4時。
4時間あれば、和歌山から東京へ帰ることができるのだ。

夜、おでんの夕食を食べたあと、相澤正の短歌に関する文章を書く。
とにかく、今夜じゅうに書きあげることができてほっとする。

「歌壇」2月号を読む。
歌壇賞が守谷茂泰、中沢直人の二人。
五十嵐きよみさんが「インターネット歌会の現在」というきわめて明晰な
文章を書いている。インターネットでの歌会を実施運営している側からの
はじめての啓蒙的な文章になるのではないだろうか。
こういう文章が掲載され、読まれることで、インターネットに関しての
誤解がほぐれていくことが必要なのだと思う。
五十嵐きよみさんや、ちゃばしらの井口一夫さんの既成の歌壇に対する
はたらきかけが、今後は重要度を増すことになるだろう。

私の好きな折笠美秋のこの一句。

・天体やゆうべ毛深きももすもも 『虎嘯記』


[835] 暗いうちからタクシーに乗って 2003年01月11日 (土)

法事のために朝4時半に起きる。
5時には家族4人でタクシーに乗って、羽田空港へ向う。
羽田から関西空港、南海電車で泉佐野へ出て、和歌山方面行きへ乗換えて、
和歌山市駅へは、10時前には到着。
お寺へ向かう。すでに親族関係者が集まっている。
11時から法事を開始。
お経の途中で居眠りをしてしまい恥をかいた。
そして、食事会が終ったのが、午後2時過ぎ。
いちおう、一件落着ということになる。

湊通丁の家にもどって喪服を着替えてみんなで一服。
りんごを食べたら、とてもみずみずしく美味しく感じた。

夜はデリバリー専門の店からカツどんをとって食べる。
やはり眠くてたまらないので、八時過ぎに布団に入る。
東京から持って来た、大辻隆弘著『子規への遡行』の評論を拾い読み
する。大辻さんの文章の構成法を実は学びたいと思っているのだ。
しかし、学ぶ間もなく眠ってしまっていた。

私の好きな森澄雄のこの一句。

・西国の畦曼珠沙華曼珠沙華 『鯉素』


[834] 2003年も10日を過ぎて 2003年01月10日 (金)

年末のゴルフ会と新年交歓会の打ち合せから始まる手順を時系列的に
整理して、それぞれのファイルにまとめる。
とりあえず、これで、次回以降は、ごたつかずに進行することができるはず。

原稿の締切がいくつか迫っている。
ひとつひとつ順番にこなしてゆければ良いのだけれど、ひとつを書いている
最中に別の原稿の参考書を読みたくなってしまったりして、結局、一晩が、
どっちつかずに終ってしまったりする。
まあ、読んだ参考書がムダにはならないようにすることが大切なのだろう
けれど。

岡井隆著『時の狭間に』とか福島泰樹著『やがて暗澹』とか
冨士田元彦著『現代短歌 状況への発言』とかの時評集を読み直すと
現在、時評とよばれているものがいかにナマヌルイ文章になっているか
ということを痛感せざるをえない。
みずからの短歌観を果敢にうちだし、その視点から、他者の論作への批評を
展開するという当然のことが、今はきわめてやりにくくなっている。
やりにくいというより、自分に即していえば、逃げているのかもしれない。
ナマヌルサに慣れないこと、それを自分に何回でも言い聞かせよう。

私の好きな芥川龍之介の一句。

・水洟や鼻の先だけ暮れ残る 


[833] ダークサイドの匂い 2003年01月09日 (木)

オフィスでは一日じゅう資料の整理。
年間スケジュールにそって、それぞれのイベントごとの資料を
ファイルに入れておくことにする。

昼過ぎにS君から電話。
DSEの森下社長の自殺のニュースを知らされる。
これはビックリ!
森下社長は昨日、記者会見をひらいて、プライドシリーズの年間予定を
発表したばかりではないか。
昨年のFMWの荒井昌一社長の自殺といい、やりきれない世界なのだなあ
と思わざるをえない。
ダークサイドの匂いがたちこめる事件だよなあ。

私の好きな渡辺白泉のこの一句。

・戦争が廊下の奥に立つてゐた 『白泉句集』


[832] テノヒラタンカなど 2003年01月08日 (水)

喉が痛くて、声がかすれてしまう。
今年の風邪は、みんな、喉をやられている。
「ブロードバンドニッポン」の月曜日に天野慶さんが登場して
「テノヒラタンカ」が紹介されたとのこと。
これは、月曜日担当のディレクターが書店で「テノヒラタンカ」を
みつけて、独自に連絡をとったということで、出演してもらうことに
なったのだそうだ。
やはり、短歌とイラストのケータイへの配信というのはコンテンツとしても
きわめて興味深いということだろう。
天野さんたちのような若い世代が短歌の新たなメディアへの進出を成功させ
たことは、とても喜ばしい。
「テノヒラタンカ」のサイト↓を紹介しておく。
http://www.sansara.co.jp/i/

私の好きな永田耕のこの一句。

・近海に鯛睦み居る涅槃像 『吹毛集』


[831] 声が嗄れる 2003年01月07日 (火)

今日は勤め先のグループ企業の新年交歓会。
去年までは、受付を手伝うだけだったのだが、今年からは実施運営の
中心になる。とはいえ、その中でも、私の場合は受付関係の総括なので
だいたい、今までと同じことをやればよいだけだ。

とりあえず、無事にパーティも終了し、家に帰ったのが9時前。
鼻つまりはなおっていたものの、こんどは、声が嗄れてしまった。

寝る前に色川武大の短編小説を読む。
「故人」「友よ」「赤い灯」「善人ハム」の4編。
「赤い灯」の結末の一行の巧さに感嘆する。

私の好きな鷹羽狩行のこの一句。

・落椿われならば急流へ落つ『誕生』


[830] 小説「地獄の一丁目」その他 2003年01月06日 (月)

仕事はじめなのだが、オフィスについたら急激に気分が悪くなる。
ことわってから、医者に行く。
途中の電車の中でも座っているのがつらいほど全身がだるい。
結局、点滴をしてもらい、少し強い薬をもらってオフィスへもどる。

帰宅してから、だるさはおさまったものの、くしゃみとはなみずは
間欠的に襲ってくる。
目もかゆくなってくる。
さすがに原稿を書く気持ちにはなれず、阿佐田哲也の単行本未収録短編と
いうのを読む。
「地獄の一丁目」「新春麻雀会」「008は彼氏の番号」などなど。
中では「地獄の一丁目」という少年がルーレットのディラーとなって
成長してゆく物語が抜群に面白かった。
こんな傑作がなぜ阿佐田哲也の生前に短編集に収録されなかったのか
不思議なくらいだ。
明日は色川武大名義の短編小説を読もうと思う。

私の好きな加藤郁乎のこの一句。

・このひととすることもなき秋の暮『秋の暮』


[829] 金杯の単賞が当たる 2003年01月05日 (日)

田中勝春騎手の騎乗したトウホーシデンが2003年初の重賞・金杯を勝つ。
単勝を買っていたのでラッキーな馬券はじめ、となる。
しかし、京都の方の金杯はかすりもしなかった。

家人が昨日の大塚家具に、食卓と椅子を買いに行く。
留守番をしながら原稿を書く。

夕方、かの子が買ってきたコミックスの「ぴゅーと吹くジャガー」を4冊
読む。
夜、吉本新喜劇のビデオを3本見る。
明日から仕事はじめなので気が重い。風邪でからだがだるい。

私の好きな佐藤鬼房のこの一句。

・縄とびの寒暮傷みし馬車通る 『夜の崖』


[828] 家具を見に行って風邪をひく 2003年01月04日 (土)

国際展示場のそばにあるTFCビルの大塚家具のショールームに食卓を
見に行く。
このTFCビルには、6年くらい前の12月23日に、テクモをスポンサー
とした「モンスターファーム」のイベントを実施に来たことがある。
そのあと、臨界地区防犯協議会とかに出席するために、もう一回来ている。

大塚家具のショールームには予想以上に混雑していた。
受付で名前や欲しい家具の名を書かされて、営業の社員がマンツーマンで
案内してくれる。
2時間ほど見てまわり、いくつか目星をつけることができた。
購入する場合は、明日、電話で連絡すると営業さんに伝えて、帰宅。

気がつくと、鼻がつまり、目がかゆくなっている。喉も少し痛い。
とうとう、風邪をひいてしまったらしい。
薬をのんで、原稿の続きを書く。

私の好きな林田紀音夫のこの一句。

・隅占めてうどんの箸を割り損ず 『風蝕』


[827] 雪がちらほら 2003年01月03日 (金)

目を覚ますと、窓の外には雪がちらほらと舞っている。
ただ、積もりそうはない雪だ。

一日じゅう、パソコンの前に座って、5日締切の原稿を書きつづける。
三が日に風邪をひかなかったのも5年ぶりくらいかもしれない。
休んで居ると、時間が経つのがはやい。

私の好きな能村登四郎のこの一句。

・春ひとり槍投げて槍に歩み寄る 『枯野の沖』


[826] 東京へ帰る 2003年01月02日 (木)

「吉本新喜劇」の2時間スペシャルを見る。
ビデオの「千と千尋の神隠し」を見る。
衛星放送でゴダールの「勝手にしやがれ」を見る。
記憶では、ベルモントが刑事たちにもっと何発も撃たれたようにおぼえていた
のだが、実は撃たれたのは一発だった。
「最低だぜ」という最後のセリフはやはりせつない。

夜、関空まで送ってもらい、羽田、浜松町、東京駅、潮見という順にたどって
帰京した。すでに24時をまわっていた。

私の好きな久保田万太郎のこの一句。

・竹馬やいろはにほへとちりぢりに 『草の丈』


[825] さらにまた閑中の閑 2003年01月01日 (水)

全員そろってお雑煮を食べる。
たぶん、元旦にお雑煮を食べたのは1991年の元旦以来、12年ぶり
のはずだ。

「快傑えみチャンネル」の2時間スペシャルを見る。
衛星放送で「幕末太陽伝」を見る。
フランキー堺が羽織りをふわりと放ってそのまま着てしまう仕草はみごと。

私の好きな飯田龍太のこの一句。

・一月の川一月の谷の中 『春の道』


[824] 閑中閑ありC 2002年12月31日 (火)

おばあちゃんと我が家の家族とが久ちゃんの運転で、熊取の卓ちゃんの家へ
行く。途中、横綱ラーメンというのを昼食に食べる。抜群の美味しさ。

かの子がみづきちゃんやみかこちゃんと遊んでいるあいだに、衛星放送で
WWEの「スマックダウン」を見る。登場するレスラーもその対立関係の
構図もかなり変化してしまっていて、よくわからない。

「現代俳句の世界」をほとんど読み終わってしまったので、昨日、和歌山
の宮井平安堂で買った、尾形仂編『新編・俳句の解釈と鑑賞事典』なる厚
い本を拾い読みする。

みんなで手巻き寿司の夕食を食べたあと、二階の部屋で横になっていたら
急に眠くなって、眠ってしまう。
次に気がついたのは24時15分。除夜の鐘が聞こえていた。
猪木祭りの藤田VSクロコップも高山VSボブ・サップも見そこねてしま
った。そのまま、もう一度、寝てしまう。

私の好きな赤尾兜子のこの一句。

・帰り花鶴折るうちに折り殺す 『歳華集』


[823] 閑中閑ありB 2002年12月30日 (月)

かの子はおばあちゃんと「犬夜叉」を見に行く。

「現代俳句の世界」をさらに拾い読みする。
就寝午後10時。

私の好きな三鬼のこの一句。

・秋の暮大魚の骨を海が引く 『変身』


[822] 閑中閑ありA 2002年12月29日 (日)

かの子はおばあちゃんと「ピーターパン」を見に行く。

「俳句研究」の「現代俳句の世界」を買って、拾い読みする。
「M1グランプリ」の決勝を見る。ますだ・おかだが実力どおり優勝。
就寝午後10時。

私の好きな虚子のこの一句。

・遠山に日の当りたる枯野かな『五百句』


[821] 閑中閑あり 2002年12月28日 (土)

一日じゅうだらだらと過ごす。
尾形仂著『俳句往来』(富士見書房)を読了。


[820] ご用納め 2002年12月27日 (金)

正午前に事務局の会議室でうちあげをやっていると、突然、ラフ君と
ウメちゃんが入ってきた。ご用納めの日なので、ラフ君とウメちゃんも
社屋内の各セクションをまわっているらしい。
二人はドアにアタマがつかえて横向きになって出て行くというオヤクソクを
やって出て行った。

帰宅して和歌山へ向う。帰京は1月2日の予定。
年末年始をまるまるやすむのは十数年ぶりかもしれない。

佐伯裕子さんの『家族の時間』(北冬社)を読む。
佐伯さんにとってこの本はぜひ書かなければならなかった本だったのだ
ということがよくわかる。読み応えも十分。読むべし。


[819] 寒く長い一日の終り 2002年12月26日 (木)

風が寒気をはらんでいる。
バスを待っていると風が全身に突き刺さってくるようだ。

京都の信用金庫に男がたてこもった。
信用金庫を告発している。
もちろん金融機関側にも言い分はあるだろうが、時代の罠にはまった男の
抵抗のように思える。
「そして粛清の扉を」を思い出す人も多いだろう。
経済戦争の後遺症による狂気を身に育てたタクシードライバーのようにも
見える。

復本一郎の『正岡子規・革新の日々』を読み終わった。
月刊「俳句」の鼎談作品批評の中で片山由美子氏が私の月彦時代の俳句に
ついて少しふれてくれている。


[818] お台場は今日も混んでいる 2002年12月25日 (水)

冬のお台場のイベント、Kiss me Odaibaは昨年よりも
動員の実績が10パーセント以上、良いのだそうだ。
昨日に続いて、今日もお台場地区はカップルであふれている。

ブロードバンドニッポンの今年最後の出演。
今年面白かった出来事、本、映画の話題など。
やはり、いざ本番となると、あがってしまって思ったことの半分くらい
しか、しゃべれなくなる。

ソガヒトミ、タナカコーイチ、ボブ・サップといった人達の名前で記憶さ
れる1年になるのだろうと思う。

そのボブ・サップが東京スポーツのプロレス大賞に選ばれたそうだ。
もちろん外国人としては初の受賞になる。
ハンセンもシンもブッチャーもファンク兄弟もとれなかった賞を、わずか
プロレスは二戦しかしていないボブ・サップがさらってしまう。
2002年とはそういう古きもののリセットの年だったのだ。


[817] 道路渋滞のイブ、そして唖然!呆然! 2002年12月24日 (火)

クリスマス・イブということで、お台場は大混雑状態。
歩道はカップルで埋まり、車道はレインボーブリッジ方面も豊洲方面も
大渋滞で動きがとれない。
バスに乗ったのだが、一駅に10分以上かかっている。
イライラしてバスを降り、りんかい線から京葉線を乗り継いで帰宅。

「俳句界」1月号。
まず、表紙を見て唖然。いかがわしい健康食品を売る通販雑誌かと思った。
次に、本誌編集顧問なる肩書きの秋山巳之流という男の「誰がめんどりを
鳴かせるのか」なる文章を読んで呆然。
これほど品性のない陋劣な文章が活字になっているのは初めて見た。

こんな愚文の内容を要約するのも不愉快だが、いちおう以下の3つの内容
に整理できる。

@山本健吉賞創設をめぐるきわめて私的ないきさつ。
A池田澄子の俳句に関する感情的な反発の煽動。
B奥坂まやのおこした櫂未知子作品の剽窃問題に絡めての櫂未知子への中傷。

@は誌上で公開する意味のない裏事情にすぎない。
Aは、池田澄子作品を読解力のとぼしい読み手が誤読して、感情的な反発を
していることに対して、興味本位に煽動している狡猾な行為。
Bは剽窃、類句の孕む問題にはいっさいふれようとせず、櫂未知子を中傷す
ることが目的の悪意にみちた卑劣な文章。

この秋山巳之流なる男が、かつて「短歌そしてピープル」という伝説的な
短歌のムックを企画・編集した者のなれのはて、なのである。


[816] のちの時間は俊足なりき 2002年12月23日 (月)

朝、5時30分起床、6時集合で、レイクウッドへ行く。
ゴルフ会のスタートを担当する。しかし、寒い。
ゴルフをやらない私がルールの説明をするというのもおかしなものだが
コンペだからしかたがない。
プロレスの試合前にレフリーがいちおう、レスラーに注意事項を説明す
るようなものか。

プレイ、パーティ、表彰式とぜんぶ終って、スタッフのみの打ち上げの
終了が午後5時前。
秦野駅前まで車で送ってもらい、新宿から東京駅、京葉線の潮見駅へ
到着して帰宅したのが午後8時。
帰りの電車の中では岡崎英生著『劇画狂時代』を読む。
少年画報社が出していた「ヤングコミック」の盛衰記。
1970年代の劇画シーンがよみがえり面白く読める。

郵便物の中に、短歌誌「餐」の55号が届けられていた。
この同人の小泉史昭さんの短歌が私は好きなのだ。

・捕虫網もちてあそびし少年期ののちの時間は俊足なりき/小泉史昭


[815] ペリエが有馬記念を勝った日 2002年12月22日 (日)

グループ懇親ゴルフ会の実施運営のために、午後から秦野へ行く。
一泊して明日が本番。

秦野までの長い道中のあいだに藤沢周平の『一茶』を読む。
野心に燃えながらも、夏目成美や鈴木道彦といった同時代の俳人たちに
常に引け目を感じつづけていた暗い男としてとらえたのが読みどころ。

秦野の駅前のグランドホテル神奈中にチェックインして、有馬記念の
結果を確認したら、ペリエのシンボリクリスエスが勝っていた。
結果が出てから言うのもなんだが、3歳牝馬のファインモーションの
一番人気はいくらなんでもムリだと思った。

中央開催の芝の2000メートル以上の牡牝混合の別定戦で、牝馬が
勝った例は、ここ30年くらいに限っても、10頭も居ないはず。
競馬はやはり過去のデータをきちんと検証しなければ勝てないということ。


[814] 捨てマッチ地に燃え青春は霧か 2002年12月21日 (土)

浅い眠りが続いて、やはり、身体のふしぶしの痛みが、完全にはとれて
いないので、Tクリニックへ行くことにする。
ついでに、髪も伸びているので、六本木の井川さんに行ってカットして
もらう。
点滴の時、例によってなかなか静脈が浮きあがってこない。
三回くらい別のところに刺してしまい、結局、手首の横の静脈に刺して
点滴を終了する。血管が細いというのも困ったものだ。

六本木は雨なので人の数が少ない。
青山ブックセンターとあおい書店に行くが、何も買わなかった。
髪をカットして、2時半に帰宅。

先週、図書館で借りてきた、大串章評論集『現代俳句の山河』と
宮坂静生評論集『俳句原始感覚』を夜までかかって一気に読む。
どちらも、雑誌に発表した文章を集めたものなので、一貫した俳句の主張
がある本ではないが、どちらも文章が平易で読みやすい。

私が現代俳句をきちんと読んでいたのは平成元年くらいまでなので、その
後の俳句の世界の状況がわかるのもありがたかった。
鷹羽狩行の句集もちゃんと読んだのは『七草』くらいまでなので、それ以降
の句集も読もうという気になった。

・捨てマッチ地に燃え青春は霧か/宮坂静生

こういう、みずみずしい青春俳句を発見できたのも、この二冊を読んだ
おかげだ。当然、寺山修司の影響もあるのだろう。


[813] 平成十三年もう数え日となりにけり 2002年12月20日 (金)

日曜の午後から月曜いっぱい、秦野へ出張。
かなり気温が低いと思うので、風邪の気をぬいておきたい。
まだ、身体の芯にだるさが残っているので、薬をのんで、すっきり
しなければ、明日、病院に行くことにしよう。

砂田瑛子さんの歌集『夢よ凍るな』の書評を書き上げる。
歌の中につかわれている言葉の嗜好が私と似ているので、親近感が
わき、書評も書きやすかった。

・髪おもき女の背後夭折の修司の雲がながれゆくさき/砂田瑛子

まもなく、錦見映理子さんの歌集『ガーデニア・ガーデン』ができあがる
らしい。ホンアミ・レーベルという本阿弥書店の新しいレーベルだが、き
ちんと短歌の世界が受けとめてくれるかどうか、少し心配だ。
奥付に著者の住所を入れないのは、自費出版臭さをなくそうということだ
ろうが、住所がないと、感想や礼状をくれる人の数ががっくり減る。
これは、挟み込みの「謹呈」の栞などに住所を入れるということで解決で
きるが、もうひとつ、12月に歌集を発行するというのは、時期的にはあ
まり、良いことではない。

まず、メール便で発送した場合、歳暮時期で、荷物の数が多い時期なので
予想以上に荷物の汚損や紛失が多い。
もうひとつは、礼状が、かなりの数、年賀状で代用されてしまうこと。
みんな、きちんと歌集を読まないで、年賀状に「ゆっくり読ませていただ
きます」などと書いた返事だけくれて、結局、読んでくれない。
要は歌人が歌集を読まない、ということなのだが、第一歌集を上梓して、
これから、短歌の世界に打って出ようとしている歌人にとっては、できる
だけ沢山の人から、感想をもらえることが望ましい。
贈呈された人達には、どうか、ちゃんと読んで下さい、と私からもお願い
する。


[812] 子規と江戸俳諧とモダニズム 2002年12月19日 (木)

復本一郎の『正岡子規・革新の日々』を昨日から読んでいる。
これは、正岡子規が江戸俳諧から何を学んだか、という考察で、きわめて
興味ふかい。
しかし、子規の俳句分類など見ると、いったい、どうやって、こういう
分類の構成を思い付いたのだろうか、と不思議に思わずにはいられない。

仁平勝さんが、新刊の『俳句のモダン』(五柳書院)を送ってくださる。
平成10年から12年にかけて、角川書店の「俳句」に連載していた文章
に、加筆したものだそうだ。
モダンという観点からの俳句の読解は、やはり、ユニークで面白そうだ。

短歌の雑誌も、入門的な文章ではなく、こういった、作品の読みによって
短歌表現の歴史を考察するような文章を、小池光や鈴木竹志といった人達
に連載させればよいのに、と思う。
2003年の短歌専門誌には、何か画期的な連載が始まるだろうか。


[811] 苦しまぎれに自分の齢を数えてみる 2002年12月18日 (水)

「ブロードバンドニッポン」で『テノヒラタンカ』を紹介する。
携帯電話の画面に短歌がイラストとともに配信されてくる時代が来る
などと、誰が想像しただろうか。
天野慶、脇川飛鳥、天道なおの三人の若い女性のアイデアに脱帽する。


帰宅すると、定金冬二句集『一老人』が届いていた。
倉本朝世さんが、遺句集として編纂・刊行されたもの。
きわめて資料的、文芸的な価値が高い本といえる。
こうして、本のかたちで残してくださると、確実に次の世代にも伝わって
行く。

・父の傘子の傘どこまでも行くぞ
・羊は掟で弱いものには味方せず
・嫌いぬくために小さな墓をたてる
・音たてて転べ誰かが見てくれる
・恰好悪く終わろうよ カモメ
・軍事評論家のはるかなる風景画
・いつまで隠せるのか、有刺鉄線を
・誰かの息がきこえる 凄絶な黒
・独りしかいないので独り言をいう
・苦しまぎれに自分の齢を数えてみる

定金冬二句集『一老人』より。


[810] なまぬるい南風が吹いている 2002年12月17日 (火)

なまぬるい南風が昨日につづいて吹きつづけている。
ただ、昨日よりは肌寒い感じではある。
またまた風邪がぶりかえしてきた。
グループ新年交歓会の打合わせの会議の最中、だるくて眠くて困ってし
まった。

「塔」11月号の「作品配列の妙−構成論」という特集は、目のつけど
ころが良い企画だ。
澤村斉美、河野美砂子、小林信也の三氏が、作品をもとにして、連作の
構成の効果を分析している。

現在の歌人の中で、一連の構成がもっとも巧いのは松平盟子さんだと、
かつて私は書いたことがある。栗木京子さんも巧い。
これは、松平さんや栗木さんが、作家歴の浅いうちに、角川短歌賞を受
賞したり、次席になったりというプライズを得たので、選歌されない作
品発表の機会に恵まれたということなのだと思う。

結社誌では、どうしても選歌はまぬがれないので、緻密な構成の連作を
つくっても、選歌によって、その構成がこわされてしまう。
これではなかなか構成意識は育たない。
しかし、短歌総合誌や同人誌に発表する作品には選歌はないので、逆に
構成をきちんと意識しなければ、読むにたえないものになってしまう。

構成といっても、時間や空間をフラットに表現したのでは退屈さが増す
ばかりだし、或るストーリーを複数の短歌で語るというのも、私は短歌
の特性を殺してしまう手法として賛成ではない。
一首が次の一首と内容的にも響き合い、連句的な発想のとびかたを挟み
ながら、20首なり30首なりが配列されているのが理想的だと思う。

これは、言うは易く、行うは難し、で私もいつも苦労している。
その意味で、「短歌WAVE」の新人賞の候補作となった石川美南さんの
「父の帰宅/祖父の休暇」100首の作品のみごとな構成力に私は感心し、
羨望したのであった。

その意味で「短歌WAVE」の新人賞は石川美南さんにとってほしかった
し、歌葉の新人賞は、やはり、作品構成の常識を破壊してみせた謎彦さん
にとってほしかったと思う。


[809] 暴飲暴食はからだに悪い! 2002年12月16日 (月)

事務局のスタッフの新旧交代の歓送迎会のために枝川の焼肉屋へ行く。
ここは肉がとにかく美味しい。
そのため、ついつい食べ過ぎてしまうのだが、やはり、今夜も食べ過ぎて
しまった。苦しくなるほど食べてしまうのだから、もう、バカとしか言い
ようがない。
反省しつつ帰路をたどるが、苦しい。オロカモノであるワタシ。

「俳句研究」1月号に今井聖さんが、類句に関しての文章を書いている。
共感することのできる内容なので、一部、引用する。

「類想、類似句はつまらない。作ってはいけないと強く思う。どこまでが
類想類似かという論議もあるが、そういう論議自体なにか志の低さをい
うようで恥かしい。詩形の短さなど、俳句の特殊性を理由にして、類想
類似とぎりぎりのところでオリジナリティを出すという発想があるとす
れば、最初から熟練工をめざすようで、文学、文芸の本義とは無縁の考
え方であるように思う」

私も同感。他人と似ていないものをつくらなければ、俳句や短歌をつくっ
ている面白味がまったくないと思う。
一字ちがえば別の作品という考え方は私は唾棄したい。


[808] 走りまふ人にまぎれよとしの暮 2002年12月15日 (日)

「短歌人」の12月歌会および忘年会。
二日つづけて池袋へ行くことになる。
歌会の出詠が62首あったので、かなりスピードを出して進行しなければ
ならず、出詠者には申し訳なかった。

斉藤斎藤さんとはじめてしゃべった。
小池光さんのカルチャーに行っているそうだ。
忘年会はいつもの地中海倶楽部で、二次会はカラオケ。
例年どおり、小池光さんの「月」をトリにして無事に終った。

しかし、忘年会シーズンだからか、日曜日の夜だというのに、カラオケ屋は
満員札止め状態。

いちおう、22時30分過ぎに帰宅。
メールをチェックすると、玲はる名さんが「詩のボクシング」の東京予選に
とおって、東京大会に出場できることになったという知らせが、MLに入っ
ていた。
これはめでたいことなので、なんとしても、東京の本大会のトーナメントを
勝ち抜き、全国大会のトーナメントに出場してほしいものだ。
地区予選から勝ち抜いてK−1で優勝したマーク・ハントの例もあることだ
し、短歌界としてはレイハルにすべてを託そうではないか。

・走りまふ人にまぎれよとしの暮/野坡


[807] わたしの田に水を引くような 2002年12月14日 (土)

「短歌人」の編集会議。
12月は年末進行なので、一週間前倒しになる。
池袋に早めに行って、久しぶりにぽえむぱろうるやジュンク堂書店に行く。
年末なので、たくさん新刊が出ているし、いわゆる「このミス」のベスト
10に入った本が平積みになっている。

編集会議で町野修三さんが亡くなったという話を聞く。
『ダンディスト』という歌集が出たばかりだった。
先日の『樹の人』と『みづを搬ぶ』の出版記念会につづいて、3月にまた
出版記念会を予定しているので、その打合せも少しする。

「歌壇」一月号に穂村弘さんが「半世紀の凝視」という平井弘論的な文章
を書いているが、どうも、私などの感受している平井弘作品の感受とは異
なっていて、しっくりうけとめにくい。
特に後半の現在の口語系歌人に対する影響という部分は、歴史とは切れて
出現した作品に対して、むりに、平井弘につなげようとしているように見
える。
本来、穂村弘を代表する口語の出現は、現代短歌の歴史の中で、突然変異
として出現したところに価値があると思っていたのだが、こうして、平井
弘という同じく突然変異的な歌人の表現にムリヤリつないで行くのは、や
はり「我田引水」に私には見える。

・天分はとまれあまねくまひまひの傷めばしろき肉もてあます/平井弘


[806] KISS ME ODAIBA 2002年12月13日 (金)

いまどき13日の金曜日だから、どうのこうのという人はいなくなったが、
今日はとにかく寒かった。

夕方の4時半から、冬のイベント「KISS ME ODAIBA」の出陣式があった
ので、池の広場に社員は集められた。
D-shuesという6人組のアイドル歌手が寒風吹き荒ぶステージで、
肌もあらわにして「ベラカミ」という歌を歌っていた。
こういう光景を見るたびに、自分がアイドル歌手じゃなくてよかった、
と思う。
プロデューサーということになっている梅宮アンナとM社長が、イベン
ト会場の電飾の点灯式がおこなわれた。
大きなクリスマスツリーや街路樹がいっせいに点灯するのはさすがに
綺麗だったが、点灯と同時に撃ったキャノン砲の銀テープがかなりの量
クリスマスツリーにからみついてしまっていた。
これはすぐに撤去しないと危険である。
何年か前、あるアーティストの野外コンサートで使ったキャノン砲の銀
テープが、風にとばされて電線にまきつき、あたり一帯を停電にしてし
まったという事件などもあったほどだ。
もちろん、イベントのスタッフが即座に銀テープを撤去していた。

野見山朱鳥の『忘れ得ぬ俳句』を読んでいる。
かなり、ムリをして書いているような文章だと思った。
戦後の「ホトトギス」の新鋭として注目され、その地位を不動のものに
するためには、俳句以外に、こういう文章によっても、自己の俳句観を
披露しなければならなかったということかもしれない。
感心したのは、文章中に引用される句がユニークなこと。
たとえば、富安風生の俳句ではこんなものを紹介している。

・すずかけ落葉ネオンパと赤くパと青く
・マントのボタン大きく鎌倉の子遊べり

ネオンの句など、面白い都会俳句といえるのではないか。
まだ半分くらいしか読んでいないが、週末中には読み終ることができるだろ
う。


[805] ああ 孤独なり愛することは 2002年12月12日 (木)

一昨日に一首引用したが、前登志夫の新歌集『流轉』を読み終わった。
実は、以前は前登志夫の短歌には、もうひとつなじめなかったのだが、
前の歌集の『青童子』あたりから顕著になってきた「飄逸な味」には
魅力を感じるようになった。
こんどの歌集は平成四年以降の作で構成されており、『青童子』と時期
的には重なっているそうなので、「飄逸な味」はこの頃から、積極的に
歌に導入されはじめたということだろう。

・凍星の都市の夜空ゆ降りてくるコンドームこそ聖しこの夜
・いまだわれ見ざりしもののひとつにてヘア寫眞集たのしきごとし
・山住みのこの単純に歌あれと野花の蝶を空にばら撒く
・定型のヘッドギアこそきらめけれ、『西行花傳』読みてかなしぶ
・木々はみな冬の樹液を上げをらむ、ああ 孤独なり愛することは
・UFOを視たりし人もねむりゐて電車つらぬく國原の闇を
・夜もすがら木を伐る音のきこえおり娶りしのちもさびしき蕩児

飄逸でありながら、また、心深く沁み込んでくる。
「ヘア寫眞集」や「UFO」といった通俗的な単語を、詩として
結晶させることができるのだ、ということがわかる。
そして、自分の作歌姿勢の偏狭さを省みずにはいられない。
短歌の表現領域は圧倒的に広いということだ。


[804] こんな探偵小説が読みたい 2002年12月11日 (水)

鮎川哲也の『こんな探偵小説が読みたい』をだいたい読み終わった。
戦前の「新青年」や戦後の「宝石」を舞台にして登場し、いつしか
ペンを折ってしまった作家たちやその遺族をたずねて話を聞く、一種の
インタビューとその作家の代表作を一篇づつ収録したアンソロジー。

羽志主水、潮寒二、渡辺温、独多甚九、大慈宗一郎、岩田賛、竹村直伸、
大庭武年、九鬼紫郎、白井龍三、藤井礼子、阿知波五郎の十二氏が収録
されている。
渡辺温が谷崎潤一郎を訪問した帰り道に、乗っていたタクシーが踏切で、
電車に衝突する事故をおこして、渡辺温が死亡したことは知っていたが
そのタクシーに長谷川修二という翻訳家が同乗していたということは、
この本で初めて知った。
何人か、読んだこともある小説も収められているが、渡辺温の「可哀相な姉」
や、羽志主水の「監獄部屋」といった名作をのぞけば、阿知波五郎の「墓」
という短編が面白く読めた。
しかし、総じて古臭い感じがただよっているのは否めない。
そういうことを考えれば、久生十蘭などはたいしたものだと思う。


[803] 睡魔に憑かれて 2002年12月10日 (火)

最近、眠くてしかたがない。
夜、9時頃にためしに布団に入って、本を読み始めると、30分後には完全
に眠ってしまっている。
夜中には二回くらい目が覚める。
そして、朝6時前後に起床。平均睡眠時間8時間。
これで健康かというと、ぜんぜんそんなことはないのだからイヤになる。

同人誌「ES黒月」を拾い読みする。
加藤英彦さんが「閉ざされた村から 繁栄する結社の構造」なる文章を
書いている。加藤さんらしい緻密な展開の文章で、共感するところ多い。

「結社の力学が文学評価のレベルで歌壇をコントロールするようになると
事情は多少異なってくる。実は、結社の弊害とはこのあたりから始まる
のだと僕は思っている」

という書き出しで、歌壇の新人賞や中堅・ベテランへの賞の贈賞システム
へ話がはこばれてゆく。
たとえば、公募制の新人賞で、選考委員の歌人が自分の結社の人の作品を
推す傾向があるということに関しては以上のように語る。

「ぼくは短歌賞の選考委員が自分の結社の会員を推薦してしまうことは、
あり得ると思っている。むしろ、真に力のある作者が出てくるのであ
れば、どこの結社に属していようが、臆することはないだろう。選考
委員の責任をまっとうする意味でも、胸を張って推薦すればよいのだ。
たしかに、選考結果をみると、選考委員によっては比較的自結社の会
員に票をいれることの多いケースもまま見受けられる。選考座談会で
もそうした発言傾向がないわけではないが、それが結果として大型の
新人が誕生するのであれば、ぼくはそれでよいと思っている。それだ
けであたかも出来レースのように批判するのは、批判者そのものが、
そうした評価軸でしか、ものごとを測れなくなっている証左であり、
皮相なジャーナル的関心でしかないだろう」

この意見には、まったく賛成。
自分の結社で育った新人の新鮮な作品を新人賞の場で推挙するのに、何の
遠慮もいらない。ただ、同じ歌人が複数の賞の選考委員を兼務しているの
は健全ではないと思う。特に応募制新人賞ではなく、歌集を対象にしての
賞の場合は、選考委員に同じ顔ぶれが目立ち、この点だけは何とかならな
いものかと思う。
いくつかの賞の選考委員を兼務することがなぜまずいかといえば、それは
結社というより、その有力歌人の立場の力学が歌壇をコントロールする力
をもちやすいと思えるからだ。
つまり、賞という餌を与えて味方を増やすことが容易にできてしまう。
もしも、私が悪い心をもった歌集への賞のかけもち選考委員なら、むしろ、
自結社の後輩には「しばらく我慢しろ」と因果をふくませておき、A賞は
B君、C賞はD君と、他結社の新鋭、中堅に分配して、恩を売るだろう。

と、こんなありそうもないことを睡魔に憑かれながら妄想したのであった。


[802] 凍て星の都市の夜空ゆ 2002年12月09日 (月)

朝、カーテンをあけると雪。
昨夜の天気予報では、降雪といっていたのだが、すっかり忘れていたので
白い景色に思わず驚いた。

バスはやはり遅れて来る。
オフィスへ着いても、交通機関が乱れているので、みな来るのが遅い。
いつもけだるい月曜日なのだが、特に今日は全身が脱力している。

いま、よみかけの本は、嵐山光三郎の『口笛の歌が聞こえる』。
唐十郎や安西水丸や三島由紀夫や壇一雄や渋澤龍彦が実名で出てくる
文学的な青春小説。
古き良き1960年代の青春が描かれている。

読んでいる歌集は、前登志夫歌集『流轉』。
通俗的な言葉がみごとに詩の言葉に転化されている。

・凍て星の都市の夜空ゆ降りてくるコンドームこそ聖しこの夜/前登志夫