[801] リアルとは予想屋の耳 2002年12月08日 (日)

横浜の義母の家に家族で行く。
マンション住まいに慣れてしまったせいか、どうも、一戸建ての家は寒くて
しょうがない。
書棚を漁っていたら、昭和51年に出た、ぬ書房刊行の「現代俳句」があった
ので、持って帰ることにする。坪内稔典氏が編集したアンソロジーで、
摂津幸彦、沢好摩、大本義幸、馬場善樹、石寒太といった名前が見える。

午前中に行ったので、午後3時頃に帰る。

先日、JCダートを当てた競馬予想サイト↓で、今週も的中した。

http://ocasek.hp.infoseek.co.jp/enman.html

念のために言い添えておくと、エイシンチャンプだけでなく、土曜日の
2レースに出たサクラスターダムも、単複ともに的中している。
このまま有馬記念まで突っ走りたいものだ。
ただ、実際に買った馬券と予想とが必ずしも整合していないところが
情けないのではあるが。

・現実(リアル)とは予想屋の耳時じくの赤エンピツの記せる啓示/寺井淳


[800] マン・オブ・ジ・イヤー 2002年12月07日 (土)

土曜日の午後から夜にかけて、私が何をしていたかは
下記↓の、かねたくさんのサイトをご覧下さい。

http://www.diary.ne.jp/user/21384/

きわめて充実した楽しい時間をすごすことができました。
というわけで、忘年オフ会から帰って来た私は「K−1グランプリ」の
中継を見たわけです。
もちろん、ボブ・サップとアーネスト・ホーストの一戦にたいへん興味が
あったから。
トーナメントの予選で、サップは馬力で押し捲ってホーストを倒し、その
決勝進出権を奪ってしまった。ところがセーム・シュルトがプライドで負
傷してしまったために、キープ選手であったホーストがくりあがり、再び
サップとホーストの対戦が実現することになった。
巨人シュルトと巨漢サップとの対戦もみものだが、ホーストの誇りを賭けた
リベンジ戦も格闘技ファンにはぜひ見たい一戦。
このホーストくりあがりでチケットを買った人もけっこういるはずだ。
このあたりの石井館長のプロデュース力はスゴイと思う。

そして、結果はトーナメントでのリベンジはならず、ホーストはサップから
ダウンを奪ったものの、再び敗戦のうきめを見る。
しかし、サップは拳の骨折で二回戦を棄権。ここでホーストの敗者復活とな
る。そして、ホーストはセフォーの足を膝で砕き、決勝ではバンナの左腕を
脱臼させるという神技で、4回目の優勝を奪い取る。
サップの拳、セフォーの膝、バンナの左腕とすべてホーストが破壊したこと
になる。
この結果はK−1ファンにとっても、サップのファンにとっても、納得でき
るものになった。どちらも傷つかなかったからだ。
観客を十分に興奮させ、納得させたプロデューサー石井館長の勝利である。
自ら創造したK−というジャンルの10周年大会をみごとに仕上げてみせ
た手腕には脱帽せずにはいられない。
翌日の脱税疑惑報道までふくめて、石井館長は興行の世界のマン・オブ・
ジ・イヤーである。


[799] 洟かみて翁さびたる 2002年12月06日 (金)

社内試写で「T.R.Y」を見る。
大森一樹監督の軽快なテンポが小気味良くストーリーに引き込んでくれる。
織田裕治の映画という芯がきちんと通っている。
仇役となる軍人の渡辺謙が怪演。背の高さが実に生かされている。
「帝都物語」の加藤保憲など演じてもぴったりだと思う。

寒風の中、豊洲図書館に行ったら休館日だったので、がっかり。
明日はでかけなければならないので、風邪をひかないように、
あわてて帰る。
帰宅して、BK1で買った「大きな活字のホトトギス新歳時記」を拾い読み
する。ホトトギス系の俳句は虚子以外ほとんど読んだことがないので、意外
と新鮮な句に出会う驚きがある。
読む歳時記として、読みすすんでみるつもりでいる。

・洟かみて翁さびたる吾等かな 虚子


[798] 堕落あるいは内なる荒野 2002年12月05日 (木)

勤め先の社屋内の壁が「T・R・Y」と「13階段」のポスターばかりに
なった。「T・R・Y」の原作者の井上尚登さんは、以前、笑福亭鶴光師匠
の番組の構成作家をしていただいていたので、少し知り合い。
映画がヒットして、原作の本もまたおおいに売れてほしいものだ。

帰宅して句集を読もうと思っていたのに「テレビチャンピオン」のパチンコ
名人戦などを見てしまう。私はパチンコはまったくやらないのだが。

12月は当然のことながら気ぜわしい。
「短歌人」の締切もはやいのだが作品ができていない。
今月つくる作品は2003年2月号に載ることになる。
毎月、実験的な作品をつくりたい、というのが来年の目標のひとつなのだが
とても実験的な気持ちにはなれない。困ったものだ。
4月号からというこにしようかなあ、と、まるでダイエットのように
先送りだ。

鮎川哲也の『こんな探偵小説が読みたい』を読みながら眠りにつく。

・堕落あるいは内なる荒野 遥かなるはるかなる笑みありて過ぎりぬ/三枝浩樹


[797] 喪中欠礼の季節 2002年12月04日 (水)

昨日は元気だったのに、一日おきに風邪がぶりかえしている。
今日は風邪気味。もう、慣れてしまったけれど。

今年ももう一ヶ月を切ってしまっているのだけれど、省みて忸怩たる思いを
禁じえない。
いちおう、夏頃から、古典俳句に関する本を読み始めて、何冊か読めたとい
うあたりが、「詩歌に深くなじむ」という今年の目標の具体的行動といえば
いえるのかもしれない。

喪中欠礼のはがきが毎日のように届く。
むかし、「短歌人」の歌会の時に、十河義郎さんから、年齢を重ねると
喪中欠礼のはがきが、束になるほど届くよ、と言われたのを思い出す。
もう、人生も午後にのだなあ、と、実感する。

・亡き人の置傘借りて帰る道あの頃もつと甘えたかりき/小川真理子


[796] 創造力と想像力 2002年12月03日 (火)

「子規新報」の87号に、例の類想句に関する、坪内稔典氏の意見と
いうのが、夏井いつき氏の文章中で紹介されている。
孫引きになるが、下記のような意見らしい。

「私見では一字でも違えば俳句にオリジナリティーがある。優れた句
であればあるほど、発想や表現は真似される。だから、未知子の場
合も、類想句としてとがめるべきではないだろう。真似されること
は作者の光栄である」

これは産経新聞のコラムよりもさらにひどい意見であると思う。
今回の問題は、類想句の出現に対して、原著者の櫂未知子が「オリジ
ナリティーの優位性にもとづく異議申立て」をおこなったことに意義
があるのではないか。
今までずっと曖昧なままにやり過ごされてきた類想句の問題に、あえ
て、類想のもととなった俳句の作者が、クリエイティブな発想の価値
を主張するというあたりまえの行為をなしたのである。
坪内氏のこの問題に対する考え方は、櫂未知子の「創造の価値」を、
まったく考慮していないと思わざるをえない。

「一字でもちがえばオリジナリティーがある」等というのは、五七五
の定型で十七文字の俳句の文字列は有限であって、要は神様がすべて
あらかじめつくってしまっているのだ、という詭弁と同じ迷妄としか
言い様がない。
オリジナリティーの創造の喜びを目標としない文学表現などありえな
い。「真似されることは作者の光栄」であったとしても、今回の件で
櫂未知子はそんな貧相な光栄を求めずに、文学としての表現の創造の
価値の優位性を認識せよ、と、まっとうな主張をしたのである。
創造する者の精神に対する想像力の不足を坪内氏の意見には感じる。



[795] 時には小言幸兵衛のように 2002年12月02日 (月)

石井辰彦氏が↓「世渡りジョーズ日記」の中で

http://sv.mcity.ne.jp/D/9844/

「短歌研究年鑑」の「02総合誌特集展望」に書かれた、私の「ビートひろ
しの黒い哄笑」に対する吉川宏志氏の批評文への不満を検証するために、
私の文章を再読してくれた上で、私の異議表明に賛意を表してくださって
いる。とても励まされる。
こういう洞察力の不足を因とする誤解にみちた文章が短歌総合誌の年鑑に
編集者によってチェックされることもなく、平然とまかりとおってしまう
現状には、石井辰彦氏の口癖ではないが「やれやれ」と嘆息するほかはない。
前記の吉川宏志氏の文章ににじみでている洞察力の不足と権威主義には、う
んざりする。洞察力は、本を一所懸命に読んだりする個人の努力で向上させ
ることができるが、権威主義はまわりの環境の問題なのかもしれない。要は、
あまやかされているということだ。

たかが短歌がつくれるくらいのことは何ほどのことでもない。
しかし、その「たかが短歌」という発語が、どれだけの試行錯誤を経た
のちのものなのか、みずからを省みてみることだ。


[794] 白壁の文字は夕陽に映える 2002年12月01日 (日)

朝、全身の関節にはまだ痛みとだるさが残っていたが、今日は普通に起きて
作業をすることに決める。
午前中は原稿のための資料読み。
もう三回目くらいだが、やはり、きちんと時代背景やその時点での評価を
把握しておかないと、まちがったことを書いてしまいかねない。

資料読みのあいだに「サンデージャポン」とか「アッコにおまかせ」とか
ついつい見てしまう。
昼食にうどんを食べたのだが、やはり、味が変に感じられる。

午後になって少し集中力が出てきたので、原稿を書き始める。
岡本先生が来てくれて、史比古は勉強。
かの子ははるかちゃんと一緒に「マリオアドバンス」や「太鼓の達人」で
遊んでいる。
私も原稿書きのあいまに、「プロ麻雀・極」なんぞに、ついつい耽ってし
まう。

夜も原稿書きを続けて、23時前に就床。
夜中の2時過ぎに目を覚まして、突然、12月1日は「高田笑学校」だった
ことを思い出す。
チケットもおさえてもらっていたのに、完全に記憶からぬけおちていた。
自己嫌悪におちいる。


[793] かの子の誕生日 2002年11月30日 (土)

今日はかの子の十二歳の誕生日。
しかし、風邪で全身がだるい。

かの子の学校の学芸会なので見に行く。
6年生の劇は「ベロ出しちょんま」。
この話は佐倉宗五郎の話を下敷きにした革命劇だった。
なかなか勉強になった。

午後は馬券も買わずに、熱にうかされてうつらうつら。
夜、「めちゃイケ」で、また、ボブ・サップを見る。
こんなキャラクターの格闘技者ははじめてだ。

書かなければならない原稿があるのだが、明日じゅうに書けるだろうか。
とてもシンパイ。


[792] 出版記念会の夜 2002年11月29日 (金)

箱根から自宅へもどったのは、もう午後四時過ぎ。
シャワーだけ浴びて、学士会館へ行く。
今夜は永田吉文歌集『樹の人』と渡英子歌集『みづを搬ぶ』の合同の
出版記念会。
二冊同時におこなうのは「短歌人」では初めてのこと。

発起人をお願いしたみなさまが早めに来てくださったので、ほっとする。
高田流子さんと宇田川寛之さんとうちあわせしつつ、何とか進行して行く。
途中で風邪をひいたらしく、全身がゾクゾクし、食欲がなくなる。
後半は、小川真理子さんや田村元さんといった「短歌人」の出版記念会には
初めて出席してくれた方々に、批評してもらうことができた。

二次会はいつもどおり神保町の「酔之助」。
大阪から来てくださった小黒世茂さんと話す。
福島久男さんと田村元さんは、ともに転勤で、現在は同じ職場にいるのだ
そうだ。
佐藤りえさんとも結婚式以来。元気そうだ。
いろいろと話をしたい方々も多かったのだが、トイレに立ったら、急にまた
気分が悪くなり、途中で失礼させていただく。

どうも、箱根の寒さで風邪気味だったところへ、シャワーを浴びて、すぐに
飛び出したのがまずかったようだ。


[791] ケーブルカー故障で停止など 2002年11月28日 (木)

研修のメンバーがテーマ設定及び討議を進めているあいだに、Kさんと
大涌谷へ行ってみようとしたのだが、ケーブルカーが故障で停止という
ことで、強羅の駅前に振替輸送のためのタクシー待ちの列が出来ている。
しかたがないので、駅前で温泉饅頭を買って宿舎にもどる。

夜は懇親会。
Yくん、Kくん、Tくんらとプロレス談義花が咲く。
しかし、そのさなかに、新日本プロレスの棚橋がサムライの女性キャスター
に刺されたというニュースが入ってきて、みんなガックリ。
出世前の若者は、もっとまわりの先輩が、きびしく指導しなければならない。
Kくんは、棚橋の大学の先輩なので、ひどくショックを受けていた。


[790] 箱根出張、昨夜のW1中継など 2002年11月27日 (水)

昨日から箱根に出張で来ている。
彫刻の森クラブというところに泊まっている。
昨夜は懇親会だったのだが、ボブ・サップのW1の試合を中心にした特番が
あったので、それを見て、そのあと歯が痛くなったたので寝てしまった。
もちろん、他のスタッフの顰蹙をかった。

ところで、昨夜のW1の特番は、エンタテインメントに徹したものだった。
試合を見せながらも、ボブ・サップとTIMの狂言まわし風の絡みが続く。
ゴールドバーグの登場シーンもアメリカン・プロレスそのものの演出だ。
こういうことができるほどに日本の観客もスタッフも成熟したということ
なのだ。
サップの試合はムタがすべての流れをつくり、ゴールドバーグの試合は、
リック・スタイナーが流れをつくっている。
プロレス好きなら誰もが知っていることなのだが、こういうことを語れる
ような時代になったのもうれしい。


[789] 歌人・竹山広へのリスペクト 2002年11月26日 (火)

昨夜、寝床で「短歌研究年鑑」を読んでいたら、「02総合誌特集展望」とい
う中に吉川宏氏がこんなことを書いているのに気づいた。

「「短歌」八月号、「短歌往来」八月号に、竹山広特集が組まれた。残念な
 のは、三賞を受賞したというお祭り気分で書かれた文章が見受けられたこ
 とである。竹山広の歌は、シニカルなユーモア精神に貫かれており、竹山
 を安易に<聖人>化することは慎まなければならないが、藤原龍一郎の「ビ
 −トひろしの黒い哄笑」などは、やや皮相的にすぎよう。藤原が竹山のユ
 −モアに着目していることは理解するが、やはり竹山の歌にある厳粛なも
 のを見落としている。あるいは見ないふりをしている感じがする」

私の「ビートひろしの黒い哄笑」という文章は「短歌」八月号に掲載された
ものだが、まさに表面的なお祭り気分ではなく、竹山広の短歌のシニカルな
ユーモアを具体的に作品をあげて解説したものである。
「竹山広マイナス被爆体験ということで、歌集を読んでみる」という一行で
書き起こして、モチーフもはっきりと提示してある。『一脚の椅子』から
『千日千夜』、そして『射祷』へと進むにつれてブラックユーモアとよぶべ
き要素が色濃くなっていることを短歌作品に即して書いたのだが、例歌に関
しても、今までに引用されていないものをできるだけ掲げている。
竹山広へのリスペクトと、被爆体験という要素以外の竹山作品の特徴を明示
したもので、「皮相的」と言われるのは正直なところ不本意である。
題名は奇を衒ってはいるが内容に関しては書き流しなどではない。
竹山広の短歌について文章を書く時に、その芯としての厳粛なものを見落と
したりするわけもないし、見ないふりをして何かを論ずるなどということが
できるわけもない。本当に私の文章はそんなふうに読めてしまうのか?
この吉川宏氏の表現だけで、私の竹山広短歌への理解を皮相なものだと読者
に思い込まれてはたまらないので、一言記しておく。

現在、角川書店の「短歌」は公立図書館には置いてあるようなので、ぜひ、
2002年8月号にあたって、私の文章を読んでいただきたいと思う。


[788] 三島由紀夫死後三十二年・雨模様 2002年11月25日 (月)

朝から雨がときおりぱらついていたが、夕方から本降りになった。

今日は一日中、いくつかのリストづくりをしていて、首筋がこり、頭痛も
してきた。
明日から金曜日まで箱根の彫刻の森美術館の付属施設にこもって、中堅社
員グループの研修をおこなうので、こっちの仕事は今日じゅうにかたづけ
ておかなければならない。
途中で銀座の「天津飯店」から電話が入る。なんと、私の名刺入れが店に
落ちていたというのである。土曜日に史比古と一緒に昼食を食べに行った
時に落としたらしい。
会社を出て、バスで浜松町へ出てJRで有楽町へ行き、天津飯店で無事に
名刺入れを受け取る。

帰宅して出張の仕度と、連休明けで大量に届いていた郵便物の整理をする。

最近読み終わった本。
筒井康隆『驚愕の荒野』。
新潮文庫で出始めた自選ホラー短編集。徳間文庫からも同様の作品集が出
ているので、また筒井康隆の小説が読みやすくなった。
表題作の「驚愕の荒野」は椎名誠の『アドバード』『水域』『武装島田倉
庫』などと似た雰囲気の異世界もの。こういう異世界の冒険譚は私は好き
なので、もっと早く読めばよかったと後悔した。この小説の初出は昭和
六十二年の「文藝」ということなので、椎名誠との影響関係はどうなのだ
ろうか。いずれにせよ、原点はブライアン・オールディスの『地球の長い
午後』ではあろうが。


[787] 樹下の蝋涙・浴槽の蘭 2002年11月24日 (日)

午前中はちょっとだけ本の整理。
そのあと、自転車で東陽町まで牛乳とパンを買いに行く。
角川の「俳句」12月号が出ていたら買うつもりだったのだが、
東陽町駅前の教文館にはまだ並んでいなかった。

午後、目白まで歌会に行く。
あいかわらず点は低いが、まあ、批評は刺激的で面白かった。
刺激を受けて、また新しい作品がつくれそうだ。

帰りに高田馬場の未来堂と芳林堂書店をのぞくが「俳句」はない。
岩波文庫の10月の新刊だった『漱石・子規往復書簡集』を購入。
これは資料的にも価値高く、ぜひ、座右に置いておきたい一冊だ。

鈴木竹志さんの日記を読むと、岩波書店から出た道浦母都子さんの新刊の
中で、永井陽子さんの逝去の日時がまちがっているそうだ。
岩波の短歌辞典は、まだ永井陽子さんが健在だった時に出たので、あの辞典
では確認できないが、三省堂の短歌事典の方にはちゃんと正しい日時が記さ
れてある。やはり、編集者がもう少し木目細かいフォローをしなければなら
ないと思う。


[786] イーグルカフェの午後、志ん生の夜 2002年11月23日 (土)

実は「馬王」というサイトで毎週「家庭円満単複馬券」という予想コーナー
を持っている。↓今週はJCダートがズバリ当たった。

http://ocasek.hp.infoseek.co.jp/enman.html

ということで、そんなこととは知らない午前中のうちに、史比古と一緒に
新橋のキムラヤと有楽町のビックカメラをまわって、ラジオとファックス
と小型のテープレコーダーとCD-RWとモジュラーと「太鼓の達人」と
PC用麻雀ゲーム「プロ麻雀・極」と電池とファックス用紙を買い、
激辛チャンポンを食べて、帰ってくる。

それぞれの家電用品をセッティングする。
ジャパンカップダートの出走時間をうっかれ忘れていて、3時30分過ぎ
に、あわててテレビをつけたら、何とデッドーリ騎手が馬上で勝利のポー
ズをとっている姿が大写し。
事前の予想が当たって、イーグルカフエがジャパンカップダートを勝って
いた。例によって、馬券はささやかにしか買ってないが、G1レースを
事前公開した予想が的中したのは気持ちがよい。
先週は単勝馬券は当てたものの、これは予想とは別に買いたした馬券だった。
今週はとにかく気持ちがよい週末になった。

夜、古今亭志ん生の落語のテープを聞く。
「千両みかん」と「寝床」。昭和32年頃の録音なので口跡もしっかり
している。
どちらの話もオチが志ん生流で意表をつかれる。
特に「寝床」の方は、旦那に義太夫を聞かされそうになった番頭さんの
場面で終ってしまう。
「番頭はドイツに逃げました」という一言で終り。ムチャクチャなデフ
ォルメだが、こういう意表のつき具合が落語通に賞賛されるゆえんなの
だろう。
この志ん生の落語のテープ、ポニーキャニオンが発売したものだが、
去年、有楽町の社屋を引き払ったときに、役員室から出てきたものを
常務に許可をえてもらっもの。
まだ三十本くらい聞いてないものがあり、あまり演じられない長尺の噺も
あるので、新しいテープレコーダーを買ったのを機に、全部聞いてしまう
ようにしようと思う。


[785] 寒波--東京2002冬 2002年11月22日 (金)

お台場は午後になるとビル風が極度に冷たい寒波になり、バス停で
立っているのもつらいほど。
フォークローバーズの「冬物語」など口ずさんでみるが、寒過ぎる状況は
変わらない。
立川談志遺言全集の新しい巻「鬼籍の名人たち」が出ていたので即購入。
この全集は値段が高いが、買うと決めたのであとへはひけない。
アダチ龍光の章など、談志という人の芸というものへの屈折した愛情が
行間からあふれている。すでに、引退していたアダチ龍光を、池袋演芸場
へ、一度だけカムバックさせるエピソードなど、読んでいて嬉しくなる。
芸人もお客もそして読者もしあわせな気持ちになれる。

夜は池袋芸術劇場で「短歌人」の編集会議。
来年の評論賞の募集のための課題などを議論して決める。
二月七日に予定していた出版記念会も無事に三月七日に移動することが
できた。
12月号の恒例の特集、今年は面白い地名がテーマ。
実に不可解・愉快な地名が日本にはたくさん存在することがわかり
感心してしまう。
寒風をついて地下鉄有楽町線に乗って帰宅。身体が冷え切っている。


[784] 薔薇の十字架 2002年11月21日 (木)

誰か「薔薇の十字架」見ている人いますか?

浦川聡子さんにお誘いいただいて、句会に出席する。
実はこの句会、それこそ30年前の学生時代の私の友人が二人も
メンバーになっているということが、偶然にわかったもの。
あの頃は、まだみんな二十歳そこそこで、30年後に句会をやることに
なるとは、誰も想像もしていなかっただろう。
しかし、本当にKさんとはたぶん25、6年ぶり、Uさんとも10年ぶり
くらいの再会で、まことに楽しい句会でした。

私は、酉の市の句、冬菜の句、小春日の句などを出して、けっこう、点が
入って、うれしかった。
インターネット上に発表してしまうと、既発表作とみなされるらしいので
どういう句かはここには書きません。
五十句つくって角川俳句賞に応募しよう。
打倒!佐々木六戈!打倒!魚村晋太郎!

ところで、再会したKさんは、超LLサイズの衣料品の販売をおこなって
いらっしゃるのだが、つい先日は、ボブ・サップ用に特大のラクダの下着
の上下を売ったそうだ。
もちろん、本人が買いにきたわけではなく、テレビ局のスタッフだったそ
うだが、たぶんバラエティに使って、サップがラクダの上下を着ていると
いうことでの笑いをとるつもりの小道具なのだろう。
しかし、あれだけテレビや雑誌に出まくっていて、試合には勝つのだから
まあ、キャリアの長い格闘技者は、うんざりしているだろうな。

ところで、誰か、「薔薇の十字架」見ている人居ますか?
佐藤藍子は好きなんだけどね…


[783] 秋の舞姫 2002年11月20日 (水)

夕食にすき焼き丼というのを食べたら、胃がもたれてどうしようもない。
もう若くはないんだと、内臓が教えてくれるこのごろ。

双葉文庫で出た、関川夏央原作・谷口ジロー作画の「坊ちゃんの時代」が
各所で話題をよんでいる。
今回、文庫になったのは、5部作のうちの第一部「坊ちゃんの時代」と
第二部「秋の舞姫」の二冊。
このシリーズは、最初の単行本の時にぜんぶ読んでいるが、その後、
手放してしまったので、文庫でそろえることにした。

「秋の舞姫」の解説で川上弘美が「二葉亭四迷の死ぬ場面が印象に残って
いる」と書いているし、「本読みの快楽」で、かねたくさんも同じことを
書いているが、実は私も、初版を読んで以来、二葉亭四迷と聞くと、あの
船上で藤椅子に座って目を閉じている姿が思い浮かぶようになってしまっ
ている。谷口ジローのビジュアル造形力の強烈さということだろう。

ブロードバンド放送で、この二冊をオススメとして紹介する。
「藤原宗匠の文学のお時間」というコーナーである。
恒例のキメの一句で

・舞姫も平成ならばアニータだ

というのをつくって顰蹙を買う。
しかし、明治21年にワイドショーがあったら大スキャンダルになった
だろう。


[782] アルジャーノンに花束を 2002年11月19日 (火)

「アルジャーノンに花束を」をはじめて私が読んだのは、まだ、短編の
時代だった。日本での初出は「SFマガジン」。
「SFマガジン」では、毎月、作品の人気投票をやっていて、この作品
とかトム・ゴドウィンの「冷たい方程式」とかが、ぶっちぎりの一位を
とった記憶がある。
実は長編になってからのものは未読なのだが、どこかの劇団が芝居にし
たのを見に行った記憶がある。役所広司が出ていたような気がするが、
勘違いかもしれない。

ということで、今夜もドラマ版は見ないで、吉本新喜劇のビデオを見て
しまった。
そのあとで、ちくま文庫の「桂米朝セレクション」の第三巻を読む。
落語の速記の面白さというのは、やはり、演者によるのだろうか。
活字を追いながら、米朝の口調が耳によみがえってくる。
まさに、第二巻の解説で、堀晃氏が書いていたとおり、落語は話芸で
速記は文芸ということである。


[781] まこと冥府に近き霜月 2002年11月18日 (月)

小中英之さんが亡くなって、もうすぐ一年。
三島由紀夫が自刃してもう三十二年。
十二月になると三橋敏雄さんの忌日、岸上大作の忌日、ジョン・レノン、
そして力道山も十二月の死者である。

今読みかけの本。
川名大『昭和俳句 新詩精神の水脈』
川本三郎『町を歩いて映画のなかへ』

どちらも、面白そうな章を拾い読みしている。
川名さんの文章はむかしの「俳句研究」で読んだものも多いが、それでも
あらためて読むことで、当時、気づかなかったことに目が開かれる。
びっくりしたのは、阿部完市に短歌の実作があって、その作品が、
山崎方代の短歌に文体も口調もそっくりなこと。
昭和二十年代の終わり頃から三十年代の初めにかけて、完市、方代の交流
などがあったのだろうか。

・末枯の進むや言の葉といふも/片山由美子


[780] 中川家、そのほか 2002年11月17日 (日)

それにしても、テレビをつけると中川家が出ている。
ますだ・おかだは、片方が病気になったという話を聞いたが、早く復帰して
ほしいものだ。

産経新聞の詩歌欄に坪内稔典氏が類句について書いている。
「俳句には類想がつきものだ」と前振りしておいて、

・叩かれて昼の蚊を吐く木魚かな  漱石
・たたかれて蚊を吐く昼の木魚かな 東柳

・鐘つけば銀杏ちるなり建長寺   漱石
・柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺   子規

・ふところに乳房ある憂さ秋暑し  車谷長吉
・ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき 桂信子

これらを紹介したあとで、櫂未知子、奥坂まやの句を紹介し、次のように
結ぶ。

「最近の話題作は奥坂まやの いきいきと死んでをるなり兜虫 である。
 櫂未知子が自作の いきいきと死んでいるなり水中花 との類想を言い
 立て、まやは類想を認めて自作を抹消したのだ。だが、抹消しなくても
 よかったのではんいか。水中花がいいか、兜虫がいいかは読者が決める
 だろう。俳句は類想のさなかでちょっと独創に賭ける文芸だ」

「表現のオリジナリティーの価値」という視点がまったく抜け落ちた論旨
であり、私は唖然とした。
坪内さんは本気でこんなことを思っているのだろうか。
櫂未知子さんの、自らの表現のオリジナリティを主張しての抗議の文章を
読んだ上で、なおかつ上記のような意見を新聞に書くという神経の鈍さが
信じられない。
俳句をオリジナリティとは無縁な、あまりにも卑小な文芸だと貶めている
としか思えない。
類句・類想という、いわば、俳句のアキレス腱に、まっこうから抗議するこ
とで、櫂未知子が問題提起した絶好の機会に、いきなり、こういうはぐらか
しをしてしまっては、まっとうな議論ができなくなる。

と、一日、憂鬱な気分でいたら、マイルチャンピオンシップのトウカイ
ポイントの単勝がとれた。少し嬉しい。ごめん。


[779] マニエリスムの快楽 2002年11月16日 (土)

渋谷のルノアールで岡井隆歌集『マニエリスムの旅』を読む会に出席。
この歌集は何度読んでも刺激を受けることができる。
中期の岡井隆のピークとなる歌集だと思う。
小池光はこの時期の岡井短歌に濃厚な影響を受けて、第二歌集『廃駅』に
収録されている作品群を書いた。
そして、岡井隆の引力圏からムリヤリ脱出し、『日々の思い出』の世界へ
向って行ったのだ。
仙波龍英は、詞書の用法に強烈な刺激を受けて自らのキッチュな世界に
それを引き寄せて、詞書と作品の不安な関係を突出させた。

岡井隆全歌集Uの付録として付いている『岡井隆資料集成』に収録されて
いる小池光の「マニエリスムの旅の印象」という文章は、岡井隆論として
も出色であり、最高のオマージュになっている。
結語の部分のみ引いて見る。

「意味を装飾として充満する韻律とことば、日本語はかく素晴しい」

最近の日本語ブームなど岡井も小池も、洒落くさくて発言する気もしない
だろう。

・揺れながら湖北の闇を覗きこむセリーヌはいふ死は「なしくずし」/岡井隆


[778] カフカの星 2002年11月15日 (金)

「歌壇」12月号を読む。
巻頭の短歌作品では、水原紫苑「カフカの星」がやはり面白い。

・死ののちの三島はものを書かざるか虚空にペンのひらめくが見ゆ

こういう作品は、思い付きそうでいて、今まで誰も思い付けなかったので
はないだろうか。
既成の美学を水原紫苑というプリズムを通すと絶妙の屈折が生じる。
読んでいて飽きないし、新作が出てくると真っ先に読みたくなるだけの
魅力を持っている。

山田富士郎の評論「郭公の巣の上で」は、最後になって急に腰砕けになって
しまったというか、この論旨ならば、わがまま論のさきがけとなっていると
いう富士谷御杖の歌論を多少なりとも引用してくれなければ、俺はなんでも
知っているぞ、と言っているだけで、説得力がゼロになってしまう。
山田富士郎という人は、研究者方の論客で、ある特定の枚数の中で論旨を
バランス良く構成することには長けていないような気がする。

夜、テレビ東京の「芸術に恋して!」を見る。テーマは俳句。
スタジオにいとうせいこう、清水ミチコらが出て、録画で金子兜太、
坪内稔典、坂野信彦、佐藤真由美という人達が出演していた。
ナレーターはキートン山田だったが、このナレーション原稿がミスだらけ
で、虚子を「明治のカジン」と紹介していたし、「百代の過客」を「ハク
ダイ」と発音していた。たぶん「白代」と台本が誤植になっていたか、ナ
レーターの読み違えだろう。いずれにせよ、ディレクターが気づかなけれ
ばならないことである。


[777] むなしく意味をひき寄せにけり 2002年11月14日 (木)

岡井隆歌集『マニエリスムの旅』を読む。
もう、何回目の読み直しかわからない。
ただし、ここ5年間くらいは読んでいなかった。

・定型の格子が騒ぎ止まぬゆえむなしく意味をひき寄せにけり

私がもっとも愛唱しているこの一首が入っている歌集である。

あらためて読んで驚いたのは、これが岡井隆が50歳から52歳にかけての
歌集であるということ。
つまり、現在の私とほぼ同年齢なのだ。
繰り返し読みふけっていた頃は、そんなことは考えもしなかった。
この歌集は、とにかく、岡井隆の短歌に対する気持ちが高揚している。
そのために、言葉のスピードとリズムがハイであり、読んでいて快い。

こういう時期が私にもめぐってくるのだろうか。


[776] 暁のデッドライン 2002年11月13日 (水)

鈴木竹志さんが、「竹の子日記」で、15日締切の原稿が何本もある、
とお書きになっていたが、私も実は2本あって、まったく書けずにいる。
しかし、もう、リミットなので、今夜は頑張って、一本だけでも終らせ
なければならない。

そんなことを思いながらも、病み上がりなので、会議が二つもあると出席
するだけで、エネルギーが喪失してしまう。困ったものだ。
本を読もうにも集中力が出ないので、目が字を追っているだけ。

とりあえず、原稿が一つ書き終えることができたので寝る。


[775] なまぬるい冬の日溜まり 2002年11月12日 (火)

朝、起きようとしたら節々が痛くて起きられない。
熱があるようだ。
休むことにして、熱いコーヒーを一杯だけのんで、もう一度、寝床へ。

寝ながら、日曜日にKさんからもらった吉本新喜劇のビデオを見る。
神戸のホールからの2時間の生放送スペシャルをふくむ6本分なので
見ごたえがある。
辻本茂雄が圧倒的に面白い。
しかし、東京では、この面白さは、ほとんど知られていない。

夕方までだるさが抜けず、つらい感じだったのだが、5時前に薬をのんで
1時間ばかり、うとうととしたら、不思議なことにだるさも節々の痛みも
消えていた。

夜、読みかけの『宮本常一の見た日本』を読み終わる。
この本は、佐野眞一の宮本常一のことを書いた2冊目の本だが
前の『旅する巨人』を読んでから、こちらを読まないと、わかりにくい
部分があるような気がする。
私は別に民俗学に興味があるわけではないが、このようにして、考えて
みると、世の中には常ならぬ能力をむもった人が存在するのだ、と思わ
ざるをえない。


[774] さびしい冬のはじまり 2002年11月11日 (月)

蓄積していた疲労がどっとおしよせてきた。
朝、起きた時は、意外と元気な感じだったのだが、昼過ぎあたりから
急に全身がだるくなり、薬をのんでもちっとも効かない。

午後3時から1時間半の会議があったのだが、これが、いちばん辛かった。
座っているのもシンドイという気分。
会議終了後、一時間早退して、平和島の病院へ行く。
点滴をしてもらい、少し楽になる。

佐野眞一の『旅する巨人』を読み終わり『宮本常一が見た日本』を読み
始めるが、頭の芯が熱っぽいので、なんとなく、目が活字を追っているだけ。
疲労感は朝より大きくなっている。


[773] ただ、ただ、感謝いたします 2002年11月10日 (日)

本日の件に関しましては、みなさまの、ご厚情に心から深謝いたします。

記録として演奏曲目を書いておきます。

2002年11月10日(日)
藤原通子ピアノリサイタル
津田ホール
入場者数 200

ハイドン:ソナタ 第46番 変イ長調 Hob.XVI
ラヴェル:クープランの墓
ショパン:バラード 第3番 変イ長調 作品47
ショパン:幻想ポロネーズ 第7番 変イ長調 作品61


[772] 11月のギムナジウム 2002年11月09日 (土)

布宮みつこさんの歌集『紅』の出版記念会に出席。
布宮さんには私は講談社学術文庫の『現代の短歌』の関係で知り合ったのだ
が、その後、布宮さんの参加している「展景」に、前号作品批評を3年くら
い書かせていただいていたのである。

円卓で、隣は関谷啓子さん、風間博夫さん。
他に板橋歌話関係で小野澤繁さんや大坂泰さん、成瀬有さんもいらっしゃる。
主賓席には、岡野弘彦さん、山折哲雄さんらがいらっしゃる。

岡野弘彦さんがスピーチで、「昭和天皇の御製が山形県の県の歌になって
いて、丸谷才一さんが、この歌は茂吉の最上川の歌よりもいいと、いつも
言っている。この席には、山形県の方々が多いので、ぜひ、聞かせていた
だきたい」というのを受けて、「山麓」主宰の結城晋作氏を中心に、布宮
さんもふくめて、山形県の出身の人達が、この県歌をうたってくれたのは
圧巻だった。
とても、あとあじの良い記念会だったと思う。

帰りはかなり寒くなっていた。
まだ、身体が熱っぽいので、門前仲町のミスタードーナツで子供たちに
ドーナツを買い、あとヒグチ薬局で風邪薬とセデスを買って帰宅。

「めちゃイケ」などを見て、寝てしまう。


[771] HPアラーム点滅中! 2002年11月08日 (金)

昨夜の帰宅が24時を過ぎていたので、さすがに今日は眠いし身体がだるい。
週末に我が家の大イベントをひかおているというのに、HPが0になる寸前
のようだ。

佐野眞一の『旅する巨人・宮本常一と渋沢敬三』を読み始める。
この本を読み終わったら同じ著者の『宮本常一が見た日本』を読むつもり。

帰宅は早かったが、身体が熱っぽいので、「ぐるナイ」など見て寝る。


[770] 原宿クロコダイル・ナイト・フィーバー 2002年11月07日 (木)

原宿の「クロコダイル」というライブハウスで佐伯玲子が新ユニットでの
ライブをやるというので見に行く。
佐伯玲子は私が仲の良いタレントで、以前、笑福亭鶴光さんの番組に出て
もらっていた頃からの知り合い。
今は結婚していて主婦でもある。ご主人は新日本プロレスのAKIRA。

Kimono3という名前の新ユニットは、この佐伯玲子と、元セイント
フォーの岩間さおり、それに元ミルクパンの木下幸子のトリオ。
この3人が衣装を着物にしておしゃべりと歌のステージを展開するという
もの。
私は原宿のライブハウスなど場違いでドキドキしていたのだが、よく見ると
客席には、元ハガキ職人の放送作家のベン村さ来とか元ブルドッグの三井三
太郎とか、元ジョークアベニューの人とか、元お笑い芸人がたくさん居た。
AKIRAの関係で、テレビ朝日の新日本プロレス中継のチーフディレクタ
ーの海谷さんまでいた。
海谷さんは大仁田劇場やジョアニー・ローラーのインタビューなど、プロレ
ス中継のショウアップ化を促進した人なので、プロレスファンの中には、彼
を怒っている人も居るだろう。

ショウのステージは3人のアンサンブルがきれいにとれていて、面白いもの
だった。構成的にもう少し、しゃべりと笑いを早目に入れた方が良いのでは
とは思ったが。
最後は会場がきわめて1980年代ディスコティック風な雰囲気になり、
40代のおっさんが二人踊り出した。
これもいい感じだった。

終って、ベン村さ来と一緒に渋谷駅まで歩く。
なんと、もう、23時を過ぎていた。
いつもなら、寝ている時間なので、そそくさと地下鉄で帰宅する。


[769] とうにテレビの黄金時代を過ぎて 2002年11月06日 (水)

小林信彦の『テレビの黄金時代』を一気に読了。
表向きのベストセラーは「ハリー・ポッター」だったが、この小林信彦の
本も、実はひそかなベストセラーで、10月15日付の第一刷は、あっと
いうまに店頭から消えていた。
小林信彦好きの人は、即購入ということだつたのだろう。
私が購入したのは10月30日付の第二刷。

内容は1957年頃から1970年くらいまでの小林信彦の観察者の視点
によるテレビ・バラエティ裏面史。
小林信彦自身、さまざまなエッセイや評論ですでに書いていることも多い
が、テレビのみに焦点をしぼった長いエッセイとして読み応えがある。

「よくアメリカのテレビ番組を観て、大型冷蔵庫やピカピカの自動車に驚
いたという人がいるが、それは地方で育ったとか、そういう人ではないか」

上記のような、あいかわらずの小林節が楽しめるのも、本筋とは無関係で
あっても楽しい。
「九ちゃん!」「シャボン玉ホリデー」「ゲバゲバ90分」などの良質な
バラエティ番組の裏面が、現場を観察していた人の証言として語られるの
は、やはりかなり面白いことだ。
ゲバゲバのタイトル会議で、小林信彦が「ゲハゲバ大行進」という提案を
して、それがスポンサーの「大行進は下品」との意見を入れて「90分」
になって決定されたなどという話は初耳だった。

1980年以降のMANZAIブームを小林信彦が嫌っていることも、
隠さずに書かれている。あの頃「笑学百科」を書いていたはずである。
伊東四朗が演じるベンジャミン伊東というネーミングがスゴイ、と書い
ていたのは、「キネマ旬報」のコラムだったか。
一冊を読み進むうちに、「喜劇の王様たち」「虚栄の市」からずっと
小林信彦というきわめて個性的な文筆家に読者としてつきあってきた自分の
青春時代もよみがえってくる。

私が小林信彦よりも15歳以上若いということを噛締めてみる。


[768] 初冬の試行錯誤 2002年11月05日 (火)

昨日、十蘭の「水草」をくりかえし読んだということを書いたが、最初に
読んだのは、たぶん1970年くらい。三一書房版の全集の月報に付録の
ように掲載されていたものだ。
この絶品のショートショートのパスティーシュを当時、たくみに書いて
みせてくれたのが、今はクトゥルー神話物の翻訳を手がけている大滝啓祐
こと森美樹和。
私とはSFファンジン「ひゅーまんるねっさんす」をつくる仲間だつた。
当時のファンジンは、それぞれがガリを切った原紙をもちよつて、それを
まとめて印刷し、閉じ合わせるというもので、その中の森美樹和の担当の
ページに、この十蘭の「水草」のパスティーシュが掲載されていた。
一読、その発想と実行力と作品のできのよさに舌をまいた。
誰が久生十蘭のパスティーシュを書こうなどと思うだろうか。
他にも、夢野久作の読者へのお便り、などといものも彼は書いており、
まさに、才気があふれていた。森美樹和自身も自分はなんでもできると
思っていたのではないだろうか。

もう、三十年以上もむかしのこと。

急に風が冷たさを増した。
季節は晩秋から初冬に変化した。
今夜は中井英夫の『流薔園変幻』を読むことにしよう。


[767] とりとめもなく休日を過ごす 2002年11月04日 (月)

今日はわけあって一日じゅう家に居なければならない。
部屋の中で、とりとめもないことばかり考えていた。
たとえば、石川啄木がロシア革命まで生きていたらどうなったのだろうか?
とか、芥川龍之介が昭和2年に自殺しなかったら夢野久作の「瓶詰めの地獄」
を褒めるだろうか?とか。

時間つぶしに、文庫の短編小説をあれこれと読む。
半村良の「泪稲荷界隈」とか「めなしのからしじょうゆあえ」
夢野久作「童貞」「女坑主」「煙を吐かぬ煙突」
久生十蘭「水草」「骨仏」
十蘭の2作はショートショート。
「水草」はもう20回くらい読んでいる。ほとんど暗記しているくらいだ。
十蘭は江戸川乱歩にじきじきに勧められても探偵作家倶楽部に入らなかっ
たそうだ。


[766] 静かな秋の文化の日なり 2002年11月03日 (日)

「短歌人」の拡大編集委員会のために池袋へ行く。
本当はその前に青山ブックセンターの文学フリマへ行きたかったのだが
時間がなくなってしまい、やむなく池袋へ直行。

斎藤典子さん、西王燦さん、西勝洋一さん、長谷川富市さんらの地方在住の
編集委員も全員出席で、15名が集まるとさすがに、人数がそろったなあ
との感じがする。

議事はとどこおりなく進行し、午後5時半過ぎには全員で夕食。

帰宅してから、読みかけの澁澤龍彦の『偏愛的作家論』の野坂昭如、
鷲巣繁夫の項目などを読む。
この本はハードカバーで出た時に一度買って、通読しているのだけれど
今再読して、内容を完全に忘れているのに驚く。
連休もあと一日だけになり、心さびしくなる。


[765] プレステ2、乱歩再臨、日本版リング 2002年11月02日 (土)

午前中、かの子と一緒に自転車でイトーヨーカ堂へプレステ2を買いに行く。
ソフトの「太鼓の達人」は売り切れだったので、低プライスソフトのシリー
ズの中からパーティーゲームを買う。
本屋にも寄り、かの子が「ちゃお」、私が中公文庫の「鞍馬天狗」を買う。

夕方、池袋の豊島区民センターに「乱歩再臨」と題された、探偵講談のイ
ベントを見に行く。
これは乱歩の生誕地の名張市と居住地の豊島区が自治体同士で共同したもの
で、関西の講談師の旭堂南湖が乱歩作品を講談にして語るという催し。
旭堂南湖は一九九九年に旭堂南陵に入門した若手。
作品は芦辺拓の原作による「乱歩一代記」と「二銭銅貨」「魔術師」の三作。
探偵講談というジャンルは、戦前にはあったもので、探偵物や実録事件を
講談師が語るというかたち。まあ、ワイドショーみたいなニュース伝達と
思えばよい。
南湖さんがまだ若いため、話術がもう少しこなれてほしい点もあったが
口跡はきれいなので、聞きやすい。続けていって、ギャグをもっと中に散り
ばめるようにすれば、ひとつのジャンルとして復活できるだろう。

夜は日本版の「リング」を見る。
千里眼の御船千鶴子の話が下敷きになっていることに気づいた。
ハリウッド版の方が圧倒的にハデなのと、不吉なイメージを全編にわたって
強調しているのが、二つの違いと言える。
しかし、制作費の差を思えば、日本版は健闘しているといえる。


[764] 雨がやまない金曜日 2002年11月01日 (金)

午後には雨があがって、良い天気になるという予報だったが、いっこうに
雨があがらないまま夕方になる。
今日は桝屋善成さんが上京してきているので、渋谷で何人かで会うことに
なっている。

午後五時半にお台場を出て、結局、一時間五分かかって渋谷のハチ公前に
到着。ハチ公の位置が以前と変わっているのに気づく。
まず、松原未知子さんに会う。続いて、笹公人、峰野恵さんと会い、最後
に、秋月祐一さん、田中槐さん、桝屋善成さんがやってくる。
109の近くの店に入る。

少し遅れて、岡崎裕美子さんもやって来る。
『声の伽藍』にみんなで署名をしてもらう。
桝屋さんは、照れながらも、筆ぺんと落款まで用意してあった。
書いてもらった一首は次の歌。

・雷蔵の逝きし齢となりたればふづきの花はなにかと急かす

この歌集の中では私のもっとも好みの一首である。
しかも、桝屋さんは筆文字が巧い。
好い署名になった。

雑談の中で笹公人さんから、日本三代念力バカの話を聞く。
名前を列挙されると確かにそうだなあ、と納得できる。
松原未知子さんが若き日の音楽体験を語る。リアリティがあり面白い。
一気に十一時近くまで、しゃべり続け、解散。

帰宅後、一昨日から読みかけだった、中井英夫の『月蝕領崩壊』読了。
創元ライブラリ版が出るのを待っていたのだが、なかなかでないので
オリジナルのハードカバー版をネットの古書店で買ってしまったもの。
同居者の目から綴った異色の食道癌の闘病記録。
次に『流薔園変幻』を読むつもり。


[763] 凶の本、凶の笑い 2002年10月31日 (木)

昨日、高田文夫事務所のM氏にすすめられた立川談志家元の新刊『大笑点』を
購入。voi1とvol2が同時発売なので2冊とも購入。
この本、いわば、「笑点」の大喜利のブラック・バージョンで、要は放送禁止
のネタばかりが載っている。
もともとは「新鮮組」という竹書房から出ている雑誌のコーナーだったらしい
が、単行本化するにあたって、山藤章二、高田文夫、立川志らく、立川志の輔
春風亭昇太、爆笑問題の太田光、アンジャッシュ、底抜けAIRLINE、
ミッキー・カーチス、山下勝利、毒蝮三太夫、さだまさし、みのもんた、
テツ&トモといった有名人にも、同じ質問をふって、その回答も掲載して
あねのがミソ。
質問は「檻の中の野村サッチーに一言」とか「世界貿易センター跡地に何を
建てるか」といったようなもの。
今、あなたが想像した答えの100倍くらい凶度あふれる答えが載っている。
こういうものを業界の人は好んで笑う。
もちろんそれは良い傾向ではないと思いながら、しかし、ついつい笑ってし
まうワタシ。


[762] ビル風が身にしみる夜 2002年10月30日 (水)

10月の一週目から、「くりまんのブロードバンドニッポン」という番組に
午後7時から15分間「藤原宗匠の文学のお時間」というコーナーを作り、
出演させてもらっている。

そのコーナーに出演のために、スタジオの近くに行くと、高田文夫事務所の
放送作家のMさんが、日本シリーズの裏送りの放送に立ち会いということで
AM波側のスタジオに居る。
ちょっと雑談。
その中で「立川談志師匠の『大笑点』は、もう、読みましたか」と聞かれる。
実はこの本、昨日、書店で見かけていたのだが、開いたページに放送禁止の
用語が大活字で印刷されていたので、恐れをなして、買わなかったのだ。
しかし、M氏が「これはケッサクですよ。早く買わないと店頭から回収に
なってしまうかもしれません」と言われたので、早速、明日、買うことにす
る。

生放送終了後、バスを待っていると、強烈な寒波が襲ってくる。
もう、こんな季節になったのだ。
唇がふるえるほど寒かった。
このまま15分もバス停で待っていたら、確実に風邪がぶりかえすと思い
涙をのんで、タクシーに乗る。


[761] 俳句は文士のたしなみか 2002年10月29日 (火)

なんとなく家でも勤め先でもおちつかない時間を過ごしている。
集中力も失われているので、読書や何か書くこともできない。
困ったものである。

明日のブロードバンド放送で文人俳句を紹介するために、
高橋康雄著『風雅のひとびと』の作品篇の部分を再読する。
明治、大正、昭和初期までの作家は、ほとんど俳句を文人として
たしなんでいるわけだが、中には変な俳句もある。

岡本綺堂
・鉄扇や拙者は諸国武者修業
斎藤緑雨
・菊枯れてとなりの親爺かぜをひく

ウーン、変なの!


[760] 角川俳句賞作品を読む 2002年10月28日 (月)

角川俳句賞が「俳句」11月号に発表になっている。
受賞者は加藤静夫さん。
「鷹」に所属している俳人。1953年生まれ。
受賞作「百人力」50句より。

・半仙戯いまさら太宰でもあるまい
・麻布十番道に迷つて薔薇真っ赤
・冷房が止まり人質めいてくる
・全身にシャワー信長忌であるか
・門のなか門見え月の大使館
・第一幕第二場夜霧より娼婦
・魚偏に神てふ鍋の煮ゆるなり

あざとい感じもなくはないが、面白く読ませてくれる。
選考委員から「歳時記」から言葉を選んでいて、実体験の裏付けがない、
という指摘もあるが、それでも、受賞できる巧さはあるということだ。

選考委員は大峰あきら、宇多喜代子、平井照敏の三氏。

ところで、すでに角川短歌賞は、俳人の佐々木六戈氏に受賞され
今年も現代詩も書いている魚村晋太郎氏が角川短歌賞の次席になっている。
歌人で、角川俳句賞を狙ったり、「現代詩手帖」の新人賞をとったりする
人が居ないのだろうか。
いまこそ、リベンジの時かもしれないぞ。

帰宅してから、ターザン山本著『往生際日記』を読み始めたら、面白くて
一気に最後まで読んでしまう。
ターザン山本は「週刊プロレス」の編集長時代は、日経からスモールオフ
ィスの少数精鋭集団こそ最高というビジネス本まで書いていたのに、今は
風俗体験レポートを書くところまで「転落」している。そしてその「転落」
の仕方が、いかにもさまになっている。
この本は「呪い」の本といえる。テリー・ファンクにとってプロレスは
「呪い」だとターザン自身が書いているが、ターザンにとっては人生その
ものが「呪い」なのだ。そしてターザン自身、それを理解しているのがす
ごい。私はターザン山本がますます好きになった。


[759] 角川短歌賞作品を読む 2002年10月27日 (日)

角川短歌賞が「短歌」11月号に発表になっている。
受賞者は田宮朋子さん。
「コスモス」と「桟橋」に所属している歌人。
受賞作「星の供花」はスケールの大きな歌柄が魅力的な一連である。

・いちにんに百の挽歌のあるべきを幾千の死を聞きてこゑなし
・清潔であかるく便利ひととせに三万人が自死する国は
・<餐(あぢはひのむさぼり)を絶て>といふこゑを聞くここちせり斑鳩の空
・頬杖をつきつつまたもおもひをり わたし、かなしみかたがたりない
・わが部屋は柿のこずゑの巣箱かも柿の若葉が窓にひろがる

おとなの歌として、読んでいて心地が良い。
すぐれた歌人として成長していく方だと思う。

選考委員が若返ったので、どういう作品が受賞作となるか、興味深く
思っていたのだが、こういう本格的な歌人が登場したのはうれしい。

佳作の藤島秀憲さんの「路地生活者」という作品も面白く読める。

・多数派になりたきわれは向けられしマイクに「辞めるべき」と答える
・竹の子の礼を言わんと思いしが民生委員に今日会わざりき
・傘立てにまだ母の傘さしてあり雨夜に化けて出たときのため

寒川猫持を文学的にして、技術を数段高めた感じの作品。

さまざまな才能が今回の角川短歌賞にはうかがえるように思う。


[758] 雨のそぼ降る東京へ帰る 2002年10月26日 (土)

朝8時に朝食。雨模様だがまだ降ってはいない。
ゴルフ組の人達は、朝食後、すぐにゴルフ場へ出発。

Fさんに中軽井沢まで車で送ってもらい、軽井沢で
長野新幹線に乗り替えて東京へ。
列車内で、昨日から読み始めた『プロレス社長の馬鹿力』を読了。
これは、ターザン山本が聞き手となって、インディーズの社長たちに
インタビューした本。
闘龍門の岡村社長の徹底して、営業・券売に絞り込んだ活動や
IWAジャパンの浅野社長の支払いはすべてトッパライ主義というのが
ユニークで印象に残る。
この中の誰でもいいから、その強さが元FMW社長の荒井昌一さんに
あったら、自殺などしなくてすんだのに、と思う。
荒井さんのことを思い出すと悲しくてやりきれなくなる。

東京は冷たい雨が降っていた。
東京駅に昼前に到着したので、八重洲ブックセンターに行く。
中村草田男の『子規・虚子・松山』という、みすず書房から先月出た
随筆集が、1000円引きで新刊コーナーに置いてあったので購入。
そのまま、八重洲ブックセンターにも行き、買いそびれていた
河出文庫の『鮎川哲也名作選』を買う。

正午過ぎに帰宅。
午後は昼寝してしまい、気がついたら午後四時過ぎだった。

夜は「冬のかもめ」というタイトルで短歌をつくり続ける。


[757] カーナビにつれられて 2002年10月25日 (金)

会社の懇親旅行のために、軽井沢まで行く。
Kさんの車に同乗させてもらうために、東武東上線の
鶴が島駅まで行く。
金曜日の午後ということで、道路はすいている。
最新式のカーナビがついていて、その機能に驚いてしまう。
まったく、カーナビにつれられて目的地へ向うようなものだ。
途中、ドライブインでうどん、喫茶店でアップルパイなどを
食べながら、午後四時過ぎに軽井沢の宿泊施設に到着する。

部屋でフジテレビのニュースを見て居ると、キムヘギョンさんの
独占インタビューがとれたので、夜の九時から特番放送があるとの予告。
金曜エンタテインメント枠の2時間をとばして特別番組にするのだから
編成も営業も、担当者はおおわらわだろう。
短時間で、よく、決断できたものだ、と感心する。
しかし、映像はフジテレビにしかないのだから、ここで特番を放送する
判断は正しいだろう。
夕食を食べ、カラオケなどののち、キムヘギョンのインタビューの後半を
見る。しっかりしたしゃべり方なので感心する。

十二時前にそれぞれの部屋に戻り、眠りにつく。


[756] 月がとっても青いから 2002年10月24日 ()

遊佐未森り『檸檬』というカバーアルバムが評判になっている。
週刊文春のコラムで、小林信彦も褒めていた。
収録曲は以下のとおり。
・青空
・月がとっても青いから
・南の花嫁さん
・アラビアの唄
・ゴンドラの唄
・小さな喫茶店
・夜来香
・蘇州夜曲
・森の小径

この中で「夜来香」と「月がとっても青いから」だけが戦後の曲で
他はすべて戦前の楽曲。
遊佐未森の細く高い声質にあった楽曲が巧く選ばれている。
小林信彦が褒めた「月がとっても青いから」もなかなか良いが
私が気にいったのは「アラビアの唄」と「南の花嫁さん」。
こういう無国籍な感じのメロディーを遊佐未森は実に楽しい感じで
歌っている。
歌手自身によろこびがあるから歌もよろこびにあふれている。

三十年くらい前に新宿末広亭で春風亭柳橋がやっていた小噺。

「バカにつける薬はありますか?」
「ありますよ。リコーランだ」
「リコーランは、どこで売っているんですか?」
「ソシューヤッキョクで売ってます」

その頃で、すでに古臭い小噺だった。


[755] ハリー・ポッターの発売日 2002年10月23日 (水)

「ハリー・ポッター」の新作の発売日ということで、話題になっている。
勤め先のビル内にある流水書房では、すでに予約分は完売で、入荷待ち
とのことだったが、かの子は、東陽町の教文館で平積みになっていたと
いうことで、すでに買ってきていた。

かの子は6年生なのだが、ほとんど、字だけの本は読まない。
にもかかわらず、やはり、発売日に買って読もうというのだから
面白いのだろう。ちなみに私は読んでいない。

史比古が、文庫本をどんどん買ってくるので、いっこうに、家の中の本
がへらない。
京極夏彦や森博嗣や綾辻行人の文庫が床に積み上げてある。

家族の中の風邪がまたまわってきたようで、節々が痛い。

社内でやっている「ザ・リング」の試写は、日ごとに観客がふえている。
日本版を見た人に評判が良いようだ。
社内でアナウンス効果がおこっているのかもしれない。


[754] 正岡子規のシャレ 2002年10月22日 (火)

『子規の青春』という本の中に、正岡子規が明治二十三年(1890年)に
考えたという一口話なるものが載っている。

一寸マッチを貸してくれ
今出すからマッチたまえ

小刀貸さないか
そんなものはナイフ、ナイフ

オイ傘を貸してくれんか
かさない

と、こんなものである。現在、生きていれば和田勉と気があうかもしれない。


[753] 勝者には何もやるな 2002年10月21日 (月)

村山古郷著『明治俳壇史』を読み終わる。
さまざまな資料を駆使して、明治の俳壇のあらゆる面に光りをあてた力作。
読んでいて面白いのは文章の巧さだと思う。
明治20年代くらいまでの旧派の宗匠の動きや彼らの意識、碧悟桐の
新傾向というのが、どれだけすさまじい勢いで、一世風靡したかという
ことが、エピソードの積み重ねと実際の作品の引用によってくわしく
説明されている。
明治の俳句がけっして尾崎紅葉と正岡子規から始まったわけではないこと、
また、子規の死後、すんなりと虚子が後継者となったわけではなく、碧悟桐
という人が、三千里の旅でいかなる影響を日本じゅうに与えたかというよう
なことなど、この本を読まなければ、知らないままに過ごしてしまっただろ
うと思う。
新傾向の俳句というのは、引用作品を読んでも、どこが良いのかわからない
けれど、とにかく、破格の語法が当時の青年たちの心をとらえ、大きな流行
になったことは、まぎれもない事実なのである。
のちに作家として大成する滝井孝作や久米正雄も、この新傾向俳句の新人と
して、まず、文学の世界に登場したということなのだ。
良い本を読んだと思う。
続いて同じ著者の『大正俳壇史』と『昭和俳壇史』も再読にかかっている。

かの子が同級生と一緒にディズニーランドに行っているので、夜、10時前
に、潮見駅まで自転車で迎えに行く。
スプラッシュマウンテンに7回乗ったそうだ。


[752] ウエディングベルは華やかに 2002年10月20日 (日)

田中庸介さんと佐藤りえさんの結婚式に出席のため学士会館へ行く。
「短歌人」の関係の出版記念会ではしばしば来ているけれど、結婚式で
学士会館へ来るのは初めてになる。

「竹」というけっこう上座の円卓に座らせられる。
同じ円卓には、三井ゆきさん、高原英理さん、佐藤弓生さん、細川秀樹さん、
千葉聡さん、長島有さんが座っている。
短歌関係では、隣りの卓に飯田有子さん、入谷いずみさん、鈴木直子(玲はる
名)さんが出席している。

スピーチをしなければならないのでドキドキしていたのだが、りえさんの
短歌を紹介するというかたちで、なんとか責をはたした。
高原英理さんのスピーチで、何と二人が知り合ったのは、「貼りまぜ年譜」を
見る会だったのだそうだ。
私も誘ってもらっていたのだが、こんなことなら行っておけばよかった。

媒酌人の新郎・新婦の経歴紹介で笑えたのは、田中庸介さんが、小学生の
ときに、ピアノの楽譜の自動めくり器を発明して、東京都の発明コンクール
で、賞をもらっていたということ。栴檀は双葉より芳し、ということです。

まことに気持ちの良い結婚式でありました。


[751] 病院の午前の賑わい 2002年10月19日 (土)

家内と一緒に病院に検査の結果を聞きに行く。
待っている間にも、足を折った人とか、腕から血を流した人とかが
はこばれてくる。
病院というのは、毎日こういう状況なのだろう。

待っている間に、桂信子の『信子の俳句よもやま』という本を読了。
これは、なにわ塾という一種のカルチャーセンターでおこなわれた
桂信子さんの聞き書きをまとめたもの。
聞き手は木割大雄氏なので、ツボをおさえた質疑応答が心地よく読みやすい。
「旗艦」に投句する以前から、戦後の「青玄」創刊くらいまでの状況を自分
の体験に即して語っている。
分量が多いので、黒田杏子氏の『証言・戦後の俳句』にも出てこないエピソ
ードも語られていて、読み応えがある。

検査の結果を聞いて、午後2時過ぎに帰宅。
けっこう疲れてしまう。

軽い本を読もうと思って、小沢昭一の『俳句武者修行』という本を読む。
本当に軽い本だった。
小沢昭一が各結社の句会に参加して、その結果を書いたエッセイで
「俳句朝日」に連載されていたらしい。
「狩」とか「鷹」の句会では小沢氏の俳句はまったく点が入らないのに
「ホトトギス」や「ヘップバーン」では、そこそこに好点がとれるといのも
まあ、わからなくもない。
すべての句会の参加者が実名で書いてあるのだが、「ホトトギス」の句会の
参加者の苗字に、稲畑、高浜、坊城といったものが多いのは、血縁の強さを
感じさせる。こういう句会に出るのはさすがに気後れしてしまいそうだ。


[750] 死ぬのもむずかしい 2002年10月18日 (金)

放送作家のIさんが亡くなった。
一人暮らしで、いつも来るはずの時間にやってこないので
番組のスタッフがたずねていったところ、亡くなっていたのだそうだ。
48歳の孤独死ということで、心さびしくならずにはいられない。

某短歌雑誌から原稿料が届いたので、買いたいと思っていた「ユリイカ」の
臨時増刊号「矢川澄子・不滅の少女」を買う。
「生涯をかけて開かせた、傷の花」と題された松山俊太郎、池田香代子、
佐藤亜紀の鼎談を読み始めたら、冒頭で松山俊太郎が、矢川澄子のブライベ
ートなことを含めて、「彼女はインテレクチャルではない」としゃべりだし
それに、佐藤亜紀が「そんなことは聞きたくない。テキストとプライバシー
は切りはなすべきだ」と激怒してしまうというすごい展開になっている。
最終的には、鼎談としてのかたちは整うのだが、こういう座談会は初めて
読んだ。
加藤郁乎が『後方見聞禄』の中で、渋沢龍彦が寝ている傍らで、矢川澄子に
言い寄ったという話を書いていた時もけっこうびっくりしたが、何か矢川澄
子という人には、そういう魔性がひそんでいるのだろうか。
写真を見る限りは、まさに、不滅の少女なのだけれど。
松山俊太郎も加藤郁乎も好きな文筆家なので、ちょっと困惑せざるをえない。

「ユリイカ」で死後に特集されるようなタイプの人は、生前のふるまいは
気をつけておいた方が良い。


[749] 南国土佐をあとにして 2002年10月17日 (木)

昨日、少しふれた島田牙城氏が、剽窃ということに関して
考えを述べている。↓短詩形に関わるものとして他人事ではない。

http://www7.ocn.ne.jp/~haisato/hyousetu.htm

一読をおすすめする。↑
昨日も書いたが、表現者の責任ということをつきつめて、島田氏の論は
いさぎよく、堂々たるものだと思う。思考のつきつめが甘い自分が恥かしい。

小林旭の「南国土佐をあとにして」のビデオを見る。
斎藤武市監督で助監督が神代辰巳。
渡り鳥シリーズの原形になった映画といわれている。
ペギー葉山の「南国土佐をあとにして」の大ヒットに便乗したかたちの
歌謡映画だが、ストーリーや人間関係が、確かに、のちの渡り鳥シリーズに
ひきつがれている。
恋人役は浅丘ルリ子、主人公に横恋慕して言い寄る女が中原早苗。
中原早苗といえば深作欣二の奥さん。
深作欣二といえば、荻野目慶子が告白本で不倫をしていたと告白した相手。
中原早苗もさぞ心おだやかならぬ日々をおくっているだろうと思う。

西村晃が終始ベレー帽をかぶったヤクザ者を演じているのが面白い。
見せ場は小林旭のダイスプレイ。
原作、脚本ともに川内康範だが、ストーリーはすっきりしあがっている。


[748] 病院の窓より鰯雲見ゆる 2002年10月16日 (水)

家内が夜中に気持ちが悪くて眠れないというので、結局、ほとんど一睡も
せずに、朝になった。
病院に家内をつれて行く。
待っているあいだに、とりあえず、会社に連絡して休みをとる。
ブロードバンドニッポンの方も休まざるをえない。
Kディレクターに電話で、その旨つたえて、了解をもらう。

それにしても病院は混んでいる。窓から鰯雲が見える。
家内が点滴をしているあいだに、待合室で『子規・活動する精神』読了。
子規が目指した「文学」とはどういうものか、という一点にしぼった論点は
予想していたより、理解しやすかった。読んでよかった本である。

夜、インターネットで島田牙城さん、のHPを見ると、
櫂未知子、奥坂まや両氏の「類句・盗作」の件に関して、表現者の責任という
観点から、島田氏が、時評的文章を書いている。
私も、「俳句研究」に櫂、奥坂両氏の文章が掲載され、奥坂氏が作品を
取り消したことで、一件落着のように思っていたが、確かに島田氏の書く
とおり、表現する者の責任というところまで考えなければまずかった。
どうも、類句は取り消す、というような、俳句業界のみのローカルルール
のような思考に毒されてしまっていた。恥かしい話だ。
ものごとの本質をきちんと把握して、思考をしなければならないと反省。


[747] 冷房が効きすぎる 2002年10月15日 (火)

なぜか、事務局のオフィスはまだ冷房が入っていて寒い。
一日じゅう座っていると、全身がだるくなる。
風邪がぬけきっていないということもあるのかもしれない。

玉城徹著『子規・活動する精神』を読み始めた。
雑誌「短歌」に連載されていたものだ。
連載中に、亡くなった児玉暁がこの内容を褒めていたのを思い出す。
最初に既成の子規に関する説を出し、これはちがう、これもちがうと
次々に否定してゆく、いつもながらの玉城徹の文体で、実は私はこの
書き方が好きではないのだが、今回の本は、そうは言いながらも、以前
よりは読みやすい感じがする。
これは、私自身の興味が子規や虚子に向いているからかもしれない。

そんなわけで、明日あたりには読み終わることができそうだ。


[746] 生きてこそ、生きのびてこそ 2002年10月14日 (月)

連休3日目。
書きかけの原稿の残りを書かなければならないのだが、つい本に手がのびて
しまう。
前に出だしだけ読んでそのままにしておいた江国滋著『おい癌よ酌みかわそ
うぜ秋の酒』を一気に読了。
食堂癌で入院しているあいだの俳句入りの闘病記。
初めから、プロの作家が闘病記と闘病俳句を書くつもりで入院したという
だけに、凄絶な闘癌記録となっている。
食事、治療、会話、症状などのディテールをこまかく克明に記術し、尚、
俳句もつくり続ける。
それに加えて、連載原稿も病室で書いている。

俳句に関しては、心境プラス季語という単純なかたちのものばかりだが、
そもそも、俳句でもっとも伝達しやすいかたちは、この形式ではないかと
思う。
何回かの手術のあと外泊許可、退院という話が出てくるが、実際、それは
本の終りに近い部分なので、読者としては「これはもう完治不能」という
ことなのだということが、予想がついてしまう。
私の実母が50歳で、肺癌死しているだけに、他人事ではない。
なかなかつらい読書となってしまった。

夕方、かの子と一緒に東陽町の文教堂に行く。
「俳句研究」を立ち読みする。
櫂未知子VS奥坂まやの「水中花」VS「兜虫」対決は奥坂まやの全面降伏。
まあ、この件は奥坂まや側には、どう詭弁を弄しても理はないのだから
このようにあやまってしまうのがいちばん利口な対処だろう。
裏で変な根回しをして、曖昧に手打ちをしてしまうより、このように、
俳句専門誌の誌上で、文章にして公開したのは、良い処置だったと思う。


[745] 青梅線牛浜駅で降りて見る 2002年10月13日 (日)

「短歌人」の10月月例歌会。
中地俊夫さんの地元の福生市の福庵というお茶室を借りて、会場とする。
場所は青梅線の牛浜駅(福生駅の一つ手前)で降りて、徒歩五分。
私は潮見から東京駅に出て、中央線の快速で立川。
ここで青梅線に乗換えて、牛浜で降りる。二時間近くかかった。
会場が遠いので、出席者が少ないかと思ったのだが、四十人以上の出席。
蒔田さくら子さんが、ケガがなおって久々の出席で、みなの拍手を浴びる。

同じ茶席のもうひとつの部屋では、呉服屋さんの試着会が開催されていて
若い女性たちが、次々に着物姿になっては、内庭で写真を撮っている。
おおがかりなイベントにする場合、杉良太郎とか中村玉緒とかの俳優が
来て、着物のお見たてをしてくれるというかたちになるのだが、今回は
タレントは来ていないようだ。
しかし、私が座った場所からは内庭がまる見えなので、気が散ってしょうが
なかった。

終了後、うちあげには行かず、上田市から出張帰りに歌会に参加した武田
さんや間ルリさんと一緒に帰る。

帰宅して、昨日の原稿の続きを書こうとしたが、疲れていて、すぐに寝て
しまった。


[744] 土曜日は別の顔 2002年10月12日 (土)

一日中、テレビを見ながら、原稿を書いていた。
NHKBSでは、恒例の短歌会が放映されているようだが、自宅では
BSが受信できないので、見ていたのは「メチャイケ」の再放送と
競馬中継と、夜はまた「メチャイケ」の本放送、それからNHK教育で
の「詩のボクシング」の何回目かの再放送。

「詩のボクシング」の全国大会は昨年、若林真理子が優勝した時は
なまで見ていた。
今回は、さほど、変化する予感がしなかったので、見に行かなかった。
まあ、内容は予想どおりだった。
昨年、予選落ちしてしまった松本きりりという川柳作家の女性が、
審査委員になっていた。こういう展開は、いかにも、どのように
ブッキングしたかの裏事情の予想がついて面白い。

前年もそうだったように、パフォーマンス型と祈りの静謐型朗読が
決勝戦に残り、今年はパフォーマンス型の男性が優勝した。
現在の審査委員の構成と審査方法からは、とうぶんは、この二項対立が
つづくものと思われる。

朗読・発声の技術に関しては、マラソンリーディングに出た人達もまったく
遜色はない。おそらく「WE ARE!」の二人が「詩のボクシング」に
出ていたら、決勝まで行けただろう。
もっとも、二人だとタッグマツチを組んでもらわなければならないが。
詩歌朗読に関しては、聞かせるための発声技術がもっとハイレベルに
なってほしい。大会場より、サロン的な小さい場所の方が絶対に良い。

会場の外からの批評要員として佐々木幹郎が出ていたので、初めて顔を
みたが。作曲家の佐瀬寿一さんとそっくりなので、驚いた。
佐瀬さんは「およげ!タイヤキくん」や「うしろから前から」の作曲家。

明日は「短歌人」の東京歌会で福生まで行く。


[743] 名もなき通りすがりのもの 2002年10月11日 (金)

「サルティンバンコ」に続き、来年、日本公演がおこなわれる
シルクドソレイユの新ステージのタイトルは「QUIDAM」。
意味は「名もなき通りすがりのもの」というのだそうだ。
宣伝上は「名もなき通りすがりの人」として「もの」ではなく「人」に
統一するようだが、「もの」の方が、魔的なイメージがたちのぼってくる
気がするのだが。
いま、社屋内はこの「QUIDAM」のポスターがいたるところに貼りめ
ぐらされている。
このイベントの内部的な結団式がフォーラムで開催されたので、それに
出席してから帰宅する。

村山古郷の『明治俳壇史』をほとんど読み終わったので、平行して
『大正俳壇史』と『昭和俳壇史』の二冊を読みはじめる。
この二冊に関しては、刊行時点で読んでいるので、再読になる。
いわゆる、伊藤整の『日本文壇史』と同じ、時系列によるエピソードの
集積スタイルなので、通俗的な興味がどんどんわいて、読みやすい。
このスタイルで、歌壇史を誰かが書いてくれたら、面白いものになることは
まちがいない。

日本文壇史も、名もなき通りすがりのもの、の集積なのであろうから。


[742] 微熱があるアタマで考えた 2002年10月10日 (木)

午前中は風邪薬が効いていたのだが、午後に切れてしまった。
会議のあいだじゅうずっと、鼻水が出て、全身は脱力。どうにもならない。
なんとか、午後の時間をやり過ごし、4時前になったところで、早めに
勤め先を出て、医者に行く。

風邪とアトピー性皮膚炎と両方の症状が悪化している。
なんとか点滴をしてもらうところまでは我慢できた。
点滴も腕の関節の裏側はアトピーで静脈が見えないので、右手の甲の静脈
に突き刺す。
なんとか少しだけ楽になる。

微熱があるアタマで、昨日のつづきの現代短歌全集の収録歌集の妥当性を
考えつづけていたのだが、やはり、16巻には、佐藤通雅歌集『薄明の谷』
が収録されないのはおかしいと思う。
佐藤通雅さんは、その後もずつと孤高の活動をつづけているわけで、短歌の
世界に対して、常に問題提起をしてきている。こういう重要な活動をしてき
た人のすぐれた第一歌集が、こういう全集に収録されないことで、短歌の
歴史が少しずつ歪んで行くのだと思う。
そういう部分のひずみに目を配り、見落としを防ぐのが、編集委員の役目
それも最大の役目なのではないのかな。


[741] 勉強しなければ取り残される 2002年10月09日 (水)

何故か心騒ぐ秋の日。
家族の中で風邪がまわっていたのだが、ついに、また私にまわって来て
しまった。朝から節々が痛み、頭の芯がぼーっとしている。
おかげで、勤め先ではエレベーターで18階に行くつもりが23階まで
乗り過ごしてしまい、帰りのバスでも、豊洲駅前で降りるのに豊洲4丁目
まで、乗ってしまった。

筑摩書房の現代短歌全集の増補分の第16巻をおそまきながら購入。
1971年から1979年までに刊行された歌集23冊が収録され
ている。
三枝昂之『やさしき志士たちの世界へ』、村木道彦『天唇』、
永田和宏『メビウスの地平』、高野公彦『汽水の光』、
小中英之『わがからんどりえ』、永井陽子『なよたけ拾遺』、
小池光『バルサの翼』と名歌集がずらりとラインナップされている。

あと、佐藤通雅歌集『薄明の谷』、下村光男『少年伝』あたりが入って
いてくれれば、ほぼ完璧なのだが、なかなかこういう一種のアンソロジー
は、すべてを収録するわけにもいかないということか。
ただ、仮に私が編集委員であり、自分の歌集が2冊目、3冊目というかた
ちで、この全集に収録されることになっているなら、自分の歌集ではなく
上記の2冊を入れるべきである、と主張する気持ちはある。
忘れられたらおしまいというのでは、あまりにもせつなすぎる。
全集の編集委員というのは、自分の権威誇示をする人ではなく、広く目配
りできる人委嘱されているのだとは思うが。
とはいえ、第17巻に収録される冬道麻子さんの歌集『森の向こう』のよ
うに、よくぞこの歌集を選んでくれた!という鋭い選考眼も感じるけれど。

こういう不満点というのは必ず出てくるのだから、言ってもしかたない、
と主張する人も多いだろうが、次回に何かあった時のために、あえて、
具体的なかたちで不満点を挙げておくのは、意味ないことではないと思う。

要は、勉強しなければ取り残される、ということ。


[740] 投げられて坊主なりけり辻相撲 2002年10月08日 (火)

タイトルは榎本其角の一句。

プロレスマニアのあいだでは、佐々木健介が新日本プロレスに辞表を出した
ことが、大きな話題になっている。
月曜の東京スポーツには、健介が記者会見場で号泣したと書いてあるし、
顔の大アップの写真も、明らかに泣きはらした眼のものだった。

長州力のジャパンプロレスの生え抜きの新人としてプロレス界に入り、
素質はあるのだが、ついにトップに立てなかった。
あと10センチ上背があれば、もっと早くトップになれたかも知れない。
北条志乃さんという172センチの女性のプロレスライターが
「あたしの身長を10センチ、健介にあげたい」と言ったのは、プロレス者
のあいだでは、誰でもが知っていることだ。

さて、K1では、アーネスト・ホーストにボブ・サップが勝つし、石井館長
が、「WRESTLE1」構想を発表するし、格闘技の世界は風雲急を告げ
ている。
私としては、旧全日本四天王がやっていたような、コテコテで高度なプロレ
スが見たいと思う。

ところで、元「週刊プロレス」編集長のターザン山本さん、おちぶれかたが
何ともいえず、味がある。この味をかもしだしているのは、もちろん、本人
のイマジネーションであることは言うまでもない。
勉強せずに、持ち味だけで通用するような世界はありえないということだ。


[739] 過去をして過去を葬らしめよ 2002年10月07日 (月)

昨夜の『青卵』の会の帰りの電車の中から読み始めた高野慎三の
『つげ義春1968』を読了。
ちくま文庫の新刊だが、今、こういう本を出せるのはちくま文庫だけだな
という気がする。

高野慎三は、つげ義春がもっとも力を発揮していた1960年代後半の
「ガロ」の編集者。のちに北冬書房をおこして、つげ忠男を推挙した人。
石子順三や山根貞男、梶井純らと「漫画主義」を創刊したメンバーでもある。
伝説の「ねじ式」が掲載された「ガロ」の「つげ義春特集号」の実質的な
編集人だった人。
この人達の名前を聞いて、ある感慨をもよおす世代は私のような年齢より上
の人だけになるのだろう。

私が「ガロ」を知り、つげ義春や佐々木マキや林静一や勝又進やつりたくにこ
や永島慎二の名前と作品を知ったのは高校生の時代だった。
それは私の感性のかなりの部分への重要な養分となったことは否めない。

そういう状況を現場で進めていた高野慎三たちは今や還暦をこえている。
そして、今回の本は、私にとっては、生硬な精神がついに熟すことなく
老いてしまった人達のむかしはよかった、という回顧談にしか読めない。
読んでいて、いたましい思いさえわいてしまう。

私もまた、いつか詩歌の世界のことを語る時、そのような思いを下の世代に
いだかせるようになってしまうのかもしれない。



[738] 青い卵に刺激された人達 2002年10月06日 (日)

東直子歌集『青卵』を語る会が武蔵境のスイングホールというところで
ひらかれる。
打合わせのために、開場の一時間前に行くと、すでに伴風花さんが待っている。
エレベーターではギターケースをもった増尾ラブリーさんと一緒になる。

私は第一部のパネルディスカッションに米川千嘉子、伴風花さんと出席。
司会は池田はるみさん。
私自身は、東直子作品の非映像性という点を指摘した。
この点は穂村弘短歌と比較するときわめてはっきりわかると思う。
もうひとつの特徴は、近過去にそそぐ慈しみのまなざし、というもの。
ここは、もう少し考えてみないと、巧く説明できる言葉をみつけられない。

流れの中で、東直子作品のエッチ読みなとどという私自身は思わぬ方向へ
話が進んで行ったので、あまりしゃべることもなくなってしまった。
まあ、私がそういう官能性を見落としているのかもしれないが。

会場からの発言ということで、川野里子さんが「日常性からの乖離」を
危惧する旨の発言をされたが、どうして、いつもそういう発言が出るのか
聞いていて、少しうんざりする。
歌人の志向するベクトルをみきわめれば、別に日常からいかに乖離しようが
かまわないわけで、東直子のベクトルはこの歌集で、はっきり、地上を離れ
たと私は思うのだが。

なにより、出席者の顔ぶれの多彩さが、この『青卵』という歌集のはらむ
魅力を証明している。
俳人の浦河聡子さん、五島高資さんらにはじめてお会いした。

懇親会が夜9時までという長帳場だったので、増尾ラブリーさんの歌が
終ったところで失礼した。


[737] 昔も今も悩みは同じ 2002年10月05日 (土)

『虚子俳句問答』上下巻(角川書店刊)を読了。

この本の内容は、星野立子主宰の「玉藻」に、昭和11年10月号から
同18年3月号まで連載された、会員と虚子との問答集である。
「この句の季題は何ですか」
「この句の意味を教えてください」
「この字は何と読むのですか」
「この句とあの句は類句ではありませんか」
といった、「歳時記」や辞書類を自分で調べればわかるはずのことを
平気で聞いてくる会員たち。
それらの質問に、虚子は実に粘り強く答えてゆく。
もともと、この連載の狙いは、虚子が実際に答えるということで、「玉藻」の
会員をふやそうという経営的な狙いがあったようなので、丁寧に答えざるを
えなかったのだろうが、質問のくだらなさに読んでいてイライラしてくる。
しかし、途中から、虚子のあまりに粘り強い対応にトリップ感さえ出てくる。

質問者の中に八田木枯さんの名前があったりして、びっくりした。

とにかく、回答の基底には「花鳥諷詠」の厳守と「多作多捨」の実践なる
信念がゆるぎなく存在する。
それは、自分の方にも徹底していて、質問者から、虚子作品の無季を指摘
されると
「確かにうっかり無季をつくってしまいました。抹消いたしましょう」と
あっけなく捨ててしまう。
類句に関しても同じで、自分の方が早くても、虚子の観点から他者の作の
方が良ければ、自作を捨てると宣言している。

あまりに入選しないので他の雑誌に入りたいという会員には、去る者は追
わずの態度で臨む。質問者の手紙によると、10年間「ホトトギス」に投
稿しても全没です、などという言葉がしばしば書いてあるので、一句入選
で、赤飯を炊いたという伝説も本当なのかもしれないと、改めて思った。

しかし、大結社の主宰というのはたいへんなものだと、この本を読むと
よくわかる。
私は虚子の俳句はいまでも特に好きではないが、「ホトトギス」を中心と
する、高浜家の家業としての俳句に対する粘っこさにはほとほと感心した。

この本の存在は『無敵の俳句生活』で知ったのだが、俳句や短歌の雑誌で
編集に携わっている人達は、一度は読んでみて、虚子の内心のうんざり感
を推量してみたら、自分の直面するうんざりを多少は緩和できるかもしれ
ない。


[736] 歌集に関してのあれやこれや 2002年10月04日 (金)

歌集の出版に関して加藤治郎さんが「鳴尾日記」に本音を書いている。
おおむね同感だ。↓歌集を出版しようとしている人は読んでおくと良い。
http://www.sweetswan.com/jiro/

私に関しては「業余の吟」というスタンスを守りたいと思う。
「業余の吟」であっても、時代と拮抗する歌はつくれる。
そして、私の唯一の目的は、時代と拮抗する短歌の創造なのだから。

とはいえ、歌集を出そうとしている人にアドバイスするならば、装丁も
タイトルも栞文の人選や内容も、けっして妥協せずに、その時点でベストと
思えるものを、自分の力を尽くしておくりだしてほしい。
どこかで妥協してしまうと、悔いが残り、第一歌集のために少なからず
使うことになるお金もムダになってしまう。
自分の敬愛する歌人に栞文を書いてもらうにしても、その内容が気にいらな
ければ、書き直してもらうくらいの決意は必要だ。

私は第一歌集の上梓の時、自費出版なのだから絶対に妥協しないという姿勢
でのぞんだ。そしてそのとおりにすることができたので、歌集上梓後に、
かなりの人が落ち込むという状況にはならずにすんだ。
それどころか、すくなくとも、その後10年以上、ハイテンションが続いた。

現在、加藤千恵さんや川上史津子さんの歌集が、商業的な出版物として
世の中に出て行った。それはたいへんけっこうなことだ。
ただ、それが作品の質を保証しているわけではない。
私はすぐれたエディターがすぐれた新人を発見し、もっともよいかたちで
世の中に推し出してくれるという夢を棄ててはいない。


[735] 生き延びることのあれこれ 2002年10月03日 (木)

「週刊プロレス」にWWEの日本人プロレスラーTAJIRIが
「一年目の9.11」という文章を載せている。
アメリカ国内が9.11から一年目に現実的にどれだけ緊張していたか
ということが、リアルに伝わってくる。

レスラーたちも、もし、飛行機内でテロリストのハイジャックにあったら
どうするか、ということを真剣に話し合っていたらしい。
飛行機の座席シートは取り外せるので、テロリストに気づかれないように
とりはずし、これで心臓をカバーしながら、左腕は犠牲にするつもりで
右腕でなぐりかかる、とか、TAJIRIとレイ・ミステリオは一緒に
移動することが多いので、一緒の時にハイジャックにあったら、TAJIRI
が、さきほどの心臓をガードの姿勢で、相手にタックルし、レイはその
TAJIRIの背中を踏み板替りにして、テロリストにジャンピングキック
を見舞うという段取りにしてあったのだそうだ。
まさに、プロレスそのものの連携を見せることになるが、結局、何事もなく
9.11のフライトはすんだそうだ。

ネットの古書店で買った、赤星竹水居の『虚子俳話録』を読了。
昭和62年に講談社学術文庫で出たもの。
実は出た時に一度読んでいるのだが、当時は虚子などバカにしていたので
いいかげんに読み飛ばしただけ。
しかし、今回は虚子の言葉がけっこう身にしみてしまった。
これも加齢による心境の変化であろう。
典型的な日本人の精神的変化を私もなぞっているようだ。