[734] ブロードバンドとは広い帯なのか 2002年10月02日 (月)

「豈・黄金海岸篇」が昨日の雨の中を到着していたので、昨夜から読んでいる。
現時点での同人による俳人論、「黄金海岸」に関する大本義幸氏への
インタビュー。摂津幸彦関係の資料など、さすがに大井恒行さんの編集だけ
あって、読み応えがある。
高山れおなさんが「宮入聖論」を書いてくれているのも嬉しい。
宮入聖をとりおとしてしまっては、確実に昭和末期の俳句シーンは貧しい
ものになってしまうはずだから。
私も「虚無を見る人」と題して赤尾兜子論を書いた。
そういえば、村井康司さんが三橋敏雄論を書くといっていたような気がする
のだが、三橋敏雄論は池田澄子さん、古田嘉さん、宮崎二健さんで、
村井さんの原稿は掲載されていない。これは不思議。

会社で、「くり万太郎のブロードバンドニッポン」に出演させてもらう。
本や雑誌の紹介コーナーということで、白夜書房のお笑い専門誌「笑芸人」
と、春陽堂から文庫が出た「尾崎放哉句集」を紹介する。
放哉の自由律俳句は、声に出してわかりやすいので、ラジオ向きかもしれ
ない。
キメの一句ということで、自由律俳句をつくって見る。

・ブロードバンドとは広い帯なのか
・パソコンがない念力で聞く

なんのこっちゃ。


[733] 戦後最大の台風が来るという夜 2002年10月01日 (火)

台風21号の接近で、不穏な雰囲気がお台場じゅうに漂っている。
午後3時に、報道部からのお知らせということで、台風の強さや、上陸した
場合の影響の予想が、管内放送で流された。
午後4時になると、こんどは人事部から、業務に支障のない人はできるだけ
早く帰宅するようにという管内放送があった。
ここで帰っても、早退扱いにはしないということなので、Kさんと一緒に
りんかい線の東京テレポート駅に向う。
駅に入るまでのあいだに、ほぼ、全身びしょ濡れになってしまった。
新木場駅で下りて、京葉線のホームへ向う。Kさんは下り、私は上りと
いうことで、ここで別れる。
とりあえず電車も遅れることなくやってきて、潮見で下車。
マンションまで500メートルほど歩くと、いっとき乾きかけた衣服が
またびしょ濡れになった。
なんとか帰宅し、テレビで台風情報を見続ける。
東京ドームの野球も、帰りの交通状況の混乱を避けるために中止になった。

ここまでは、不穏なムードがたかまる一方だったのだが、結局、23区内
は、このあと、断続的に風雨が強まるだけで、戦後最大というほどの被害
はなかった。
どうも、勤め先から帰宅するまでの経路がいちばん風雨が強かったようだ。


[732] 人間関係の隘路 2002年09月30日 (月)

夜中の3時頃に目がさめてしまい、眠れなくなる。
しかたがないので、読みかけの村山古郷著『明治俳壇史』を読む。
同じ著者の『大正俳壇史』『昭和俳壇史』は、かなり前に読んでいたのだが
この『明治俳壇史』は初見。
伊藤整の『日本文壇史』と同じ手法で書いてあるので文句なく読みすすむ
ことができる。
この本を読むと正岡子規や尾崎紅葉が登場する明治20年代より前にも
江戸時代以来の旧派の宗匠たちが、群雄割拠して、精力的に発句をつくって
いたということがわかる。
一概に旧派の月並俳句とかたづけずに、作品自体を読んで判断しないと
いけないと思う。

一時間ほど読んだところで、少し眠くなってくる。
明け方まで半覚半醒状態で、結局、6時前に起きてしまった。


[731] 家庭の幸福 2002年09月29日 (日)

午前中は、かの子の運動会。
まず、徒競走を見に行き、一度、家にもどってから、少し時間をおいて
昼食を一緒に食べるために、もう一度、小学校へ行く。
体育館の前のスペースで3人でお昼の弁当を食べる。

そのあとは、そのまま、目白へ行って歌会。
二次会へも行って、玉城入野さんとも、少ししゃべることができた。

ここ数日、眠くてたまらない。
夜、9時になると、眠りたくなってしまう。嗜眠症なのだろうか。


[730] 感情の陰翳 2002年09月28日 (土)

ベランダにダンボール箱に入れてある本を少し整理する。
時々、箱の中を確認しないと、どこに何が入っているのかわからなくなってしまう。
雨模様ながら、一時間ほど本をあれこれ整理していたら、汗だくになってしまった。

夕方、かの子と一緒に自転車で、東陽町の100円ショップへ行く。
雨がまた降り出して来たので、図書館で雨宿りする。
小降りになったところで、かの子と全力疾走で帰宅する。

寝る前に、俳人の平畑静塔の対談集で、平畑静塔と草間時彦の対談を読む。
おとな同士の余裕にみちた対話を読んでいると感情の陰翳が少しずつ、色
あわくなってくる気がする。


[729] 明日への祈り 2002年09月27日 (金)

八木博信さんの短歌研究新人賞の授賞式に行く。
地下鉄丸の内線の霞が関駅で、大野道夫さんに声をかけられ、小雨模様の中
会場の霞ヶ関ビルへと向う。
大野さんは、全日本プロレスに来日したゴールドバーグをちゃんと見てきた
そうだ。
今年はプロレスの生観戦をほとんどしなかった。もっと、フットワークを
軽くしなければいけない、と、反省する。

開会時間前にこの授賞式に到着したのは、私自身が受賞者となっていた
一九九〇年以来かもしれない。
短歌研究賞は栗木京子さん、短歌研究新人賞は八木博信さん、評論賞が
川本千栄さん。栗木、川本の両氏が「塔」の所属なので、永田和宏、河野
裕子の姿も見える。

八木博信さんの受賞者の挨拶は、高瀬一誌さんに、どのように励まされ
続けたかを語り、気持ちの良いスピーチだった。
八木さんの受賞作の「琥珀」は正直いって、少し線が細いという印象だつた
のだが、10月号に掲載されている受賞後第一作の「明日への祈り」三十首
は、毒がどの作品にもし込まれていて、読み応えがある。
受賞の興奮の中で書く第一作が、いちばんその歌人の正味の力をあらわす
というのが私の持論だが、この八木さんの「明日への祈り」は、小泉史昭
さん以来の快心の受賞後第一作だと思う。

・わが受賞 旅情のごとしあと七日戸川京子が自殺するまで

懇親会になり、島内景二さんに初めてお目にかかる。
てっきり、60代くらいの大学教授だと思い込んでいたが、なんと私より
三歳とししただとわかった。
小川真理子さんから『花束で殴る』の感想を書いた手紙を手渡される。

懇親会終了後、一階の「安具楽」という居酒屋で二次会。
なんとなく気がのらなくなってきて、高田流子さんと西村美佐子さんと
隅の席で話しつづける。
こういう場所で、他結社の人達と話をするということに、今でもなじめない。
人見知りな私。
帰り際に、栗木京子さんが、ホテルに泊まるので、受賞のお祝いの花束を
もって帰れないということなので、ありがたくいただく。
花束をかかえて、銀座線、東西線と乗り継いで帰宅。


[728] 改変期のさまざまな別れ 2002年09月26日 (木)

「鶴光の噂のゴールデンアワー」のアシスタントを12年やっていた
田中美和子(通称・おみわこさま)が、結婚し芸能界引退ということで
番組関係者だけのお祝いとオツカレサマ会がホテル・メリディアンで
おこなわれる。

田中美和子をオーディションで採用したのは、私と同期入社のAディレク
ターであり、おみわこさまという画期的なギミックを発明したのは放送作家
のMさん。二人とも当然出席していたが、私は久しぶりに会った。
A君はすでに会社を辞め、コンテンツバンクという自分の会社をつくって
いる。
田中美和子は裏表がない性格なので、感じの良いオツカレサマ会になった。

最近、読了した本。

辻桃子著『桃子流・虚子の読み方』
矢島渚男著『俳句の明日へ 芭蕉・蕪村・子規をつなぐ』

読みかけの本

復本一郎著『現代俳句への問いかけ』
週刊プロレス編集部編『翼をください・FMW・荒井昌一さんの証』

矢島渚男氏のまとまった本ははじめて読んだが、芭蕉、蕪村に関しては
とても教えられるところが多かった。

ぽぷら21の句会で、最高点句になれた。うれしいなあ。
作品は下記の句。

・十哲に入らぬ曾良を月明り

どうして短歌だと点が入らないのか?


[727] 切株やあるくぎんなんぎんのよる 2002年09月25日 (水)

タイトルはもちろん加藤郁乎の『球体感覚』の有名な一句。

正岡子規の俳句分類などを読んでいると、筆記用具の主流が筆だった時代に
よくも、こんなに煩雑な仕事ができたものだと感嘆してしまう。
「俳句研究」と「短歌現代」の10月号が期せずして、正岡子規の特集を
組んでいる。
これらを読み、また、子規関係の単行本を読んでいると、正岡子規という人
は、私がぼんやりと抱いていたイメージよりも、もっともっと偉大な人だと
いうことがわかってきた。
明治時代はテレビもテレビゲームもビデオもなかったとはいえ、これだけの
仕事をなしとげることができる集中力というのはすごい。

現代人は意識が散漫になるばかりで、脳の力もどんどん弱まっているのでは
ないかと、心配になる。
私は死ぬまでになにごとかを成し得るだろうか?


[726] 消えた中華料理店の謎 2002年09月24日 (火)

勤務終了後、UさんとKさんと一緒に新富町の中華料理店へ行く。
8月の中旬に、暑気払いということで行った店で、鶏肉料理などが
なかなか美味だったので、もう一度行こうということになったわけだ。
しかし、何と、その店の前に到着したものの、看板もネオンもない。
ガラス扉の店名もはがされている。
改装とか店舗移転なら、その旨の貼り紙などがあるはずだが、それもない。
閉店、それも夜逃げ的な雰囲気がただよっている。
「不夜城」に描かれた極東黒社会と何か関係しているのだろうか?
結局、近くの他の店に3人で入る。

食後、Uさんの行き付けの飯倉にある高級カラオケへつれていってもらう。
「時の過ぎ行くままに」沢田研二
「京都から博多まで」藤圭子
「冬の駅」小柳ルミ子
「京都慕情」渚ゆう子
「放されて」ニック・ニューサ
「I love youはひとりごと」原由子
「ホテル」島津ゆたか
「東京Hold me tight」桂銀淑
こんな歌を歌い、京葉線でKさんと一緒に帰る。


[725] 犬神家の一族を見る昼下がり 2002年09月23日 (月)

テレビ東京で『犬神家の一族』を午後から放映していたのでついつい見て
しまう。スケキヨのゴム仮面や湖から逆さに突き出た足を見るのは何年ぶ
りだろうか。
きちんと見てみると、この映画は良くできている。
飽きさせないし、映画的なつじつまも合わせてあるし、まあ、角川映画の
中でも、面白い方だとあらためて思った。

夜は「短歌人」の編集会議。
休日に編集会議があるのは私が編集委員になってから初めてだ。
池袋は混んでいるが、東京芸術劇場自体は案外すいている。

編集会議で、来年からの新企画をいくつか決める。
レギュラーのコーナーも執筆者が交代する。
このような非商業誌であっても、企画に新鮮味を出さなければ、読者は
離れてしまうだろう。
短歌結社誌という縛りの中で、試行錯誤することは、なかなかやっかい
ではあるが、それだけに頭をしぼる甲斐があるとも言える。

会議のあと、蒔田さくら子さんがほぼ足の怪我が治癒したということで
簡単な快気祝い兼食事会。

夜になったら雨、という天気予報だったが、結局、降らなかった。


[724] 時間線をのぼろう 2002年09月22日 (日)

午前中に東陽町図書館に行き、『平成災害史事典』などという本を借りてくる。
昼前にかの子と一緒にイトーヨーカドーへ「マリオ・アドバンスV」を買い
に行き、そのまま、古石場図書館へまわる。
ここでは、「角川俳句」のバックナンバーを借りる。
どちらの図書館も日曜の午前中から混んでいる。
日本人は本を読むのが好きなのか、家が狭いから、図書館へ本を読んだり
勉強しに来たりするのか。
そういえば、先週末だったか、八重洲古書館の新刊安売りのコーナーに
平野啓一郎の『葬送』も村上春樹の『海辺のカフカ』も並んでいた。
『海辺のカフカ』など一晩で読了して、翌日に売り払ったのだろうか。

競馬はまだ新潟競馬場。もう、さすがに飽きた。
オールカマーまで新潟というのは、何だかピンとこない。
後藤騎手のロサードの単複を買っておいたら的中した。
来日一週目のエスピノーザ騎手は人気馬で消えている。
これからは、後藤の時代だな。


[723] 時は準宝石の輪廻のように 2002年09月21日 (土)

かの子と一緒に109木場へ「リターナー」を見に行く。

金城武も「ミスティ」で、ただ縛られていた頃にくらべると「不夜城」等を
経て、日本語が巧くなったものだ。
鈴木杏は少し動きが重い感じもするが、役柄にはあっている。
そして何より、岸谷五郎の狂犬ぶりが良い。

ストーリーも良く考えられているし、こまかい伏線もはってあるし、
SFXもあまりむずかしいことをしないで、しかし、雰囲気は十分だし、
楽しめる娯楽映画だと思う。
土曜日の午後の回で、キャパの半分も入っていなかったが、これが
ハリウッド映画なら、もっと観客動員がきくだろうと思う。
しかし、たぶん、予算もそこそこしかかけていないはずだから、これだけの
映画をつくれたことは、十分に誇ってよいことだと思う。

家にもどってきて、原稿を書くための参考資料として、近世の俳句に関する
本をあれこれと読み散らす。

夜、市川昆のリメイク作品「黒い十人の女」を見る。
オリジナルは見たことがないのだが、これはこれで面白くみられた。
深田恭子が演じた生意気なアナウンサーのキャラクターは、ドラマ的に
デフォルメしてあると思う人が多いだろうが、ああいうヤツ、居るんだよ。


[722] さびしい秋の不可解な謎 2002年09月20日 (金)

佐渡出身の曽我ひとみさんとその母という、拉致疑惑認定者のリストに
入っていなかった女性が、生存者として報道された。
相川警察では当時、届けを受けて捜査はしたものの、事件性なしということ
で、七年後に失踪宣告をしてしまったのだそうだ。
事件性なし、という根拠はいったい何だったんだ。

駄句駄句会に行く。
今夜は珍しく、粕利こと大有企画の中村社長が欠席。
たい平さんも欠席なので、斜断鬼こと立川佐談次さんがトップ宣言をして
そのとおりに、互選のトップ及び馬もトップをとる。
席題は「松茸」と「やや寒」。

・厨より松茸の香を嗅ぎ盗み
・やや寒の原稿用紙反古ばかり

私の句だが今回は低回趣味に走ってしまった。

会終了後、いつものように、喫茶店で演芸界の噂話を聞く。
アニータが来日したらナマハゲで驚かせ!という高田文夫さんの意見に爆笑。
玉置宏さんから、むかしの歌謡曲興行の巡業のエピソードも興味深いことが
いろいろとあった。


[721] 陽は沈み日は沈む 2002年09月19日 (木)

「俳句研究」10月号の鼎談「魂の叫び・『仰臥漫録』と子規」を読む。
坪内稔典、稲畑汀子、稲岡長の鼎談で、テーマは『仰臥漫録』の自筆本が
発見されたことから、あらためて子規を見直して、語り合おうというもの。

三人三様の正岡子規へのこだわりのスタンスの違いが、鼎談を活性化させて
いて、退屈することなく一気に読めた。
これは、他の随筆とちがって、もともと発表する気持ちなしの、心おぼえ的
に子規が書いていたものを、虚子が「ホトトギス」に載せたいとぃって、
断られたといういきさつがあったとのこと。

虚子がその話をしてからは、子規にも、自分の死後、発表されるかもしれな
いという気持ちがわいて、多少、筆致が読者を意識したものになっているか
もしれない、などとの興味深い指摘がある。
虚子に見せないために、子規はいつも、この帳面を書き終わったら、すぐに
布団の下に隠していたので、自筆本の頁はそりかえっているそうだ。

子規が病床に居ながら、新聞社から40円、「ホトトギス」から10円の
月給をもらっていて、一家を支えていることにたいして大きなプライドを
持っていたというのも、言われてみれば、ほほえましくも、痛切にも思え
る。

帰宅後、飯島耕一の「俳句の国徘徊記」の残りを読んでしまう。
定型論争の前の著書になるわけだが、飯島が赤黄男や白泉になじんでゆき
同時に、森澄雄や飯田龍太の定型の整合美にもひかれていく過程がよくわ
かる。
わからかいのは、夏石番矢の『メトロポリティック』の例の「夏石番矢」
という名前入りの作品を面白がっていること。私にはこのあたりの夏石の
試行は、まったく読むにたえない。

しかし、この時代に現代詩人飯島耕一が、これだけ真剣に俳句を読み、この
ような、批評的なエッセイを書きつづけていたということには大きな意義が
あると思う。
現在の40代くらいの詩人で、定型詩に興味を抱き、きちんと読んでいる
人はいるのだろうか。
少なくとも、作品の読みの相互侵犯は必要だと思うので、私も俳句へ川柳へ
現代詩へと、できるだけ、好奇心の火を燃やし続けているつもりなのだが。

・どろやなぎなまやさしくも菩薩見え/飯島晴子『朱田』


[720] 深まる秋の別れ 2002年09月18日 (水)

サム・リーブスの小説みたいなタイトルをつけてみたが、たぶん、日記の
内容とはほとんど無関係。

「ショムニ・ファイナル」も最終回。
もう、毎週見るテレビドラマは、とりあえずなくなった。
江角マキ子がラダーを担ぐシーンは今回のシリーズではほとんどなかったが
あのアイデアは画期的なイメージだったと思う。
まあ、私が好きなだけかもしれないが。

シャーロット・ランプリングの『まぼろし』を見たいのだが、『リターナー』
のタダ券をCXの人に2枚もらったので、週末にかの子と行こう。
今週末は締め切りがいろいろあって、自縄自縛状態。

読書はおのずから芭蕉関係・俳句関係のものばかりになっている。
今読んでいるのは岩波新書・堀切実著『芭蕉の門人』。
この人は文章が明解なので、読みやすい。
蕉門十哲というのも6人くらいは確定していても、残りの4人くらいは
学者によって違う人が選ばれているらしい。
曽良は「おくのほそ道」に同行したので、名前は有名だけれども
十哲には入らないらしい。確かに俳句の実力から考えると難しいのかも
しれない。忍者または幕府の隠密だったかも知れないらしいし、まあ、
俳句よりそちらの方が忙しかったのかも。

夜中の2時頃に目がさめてしまったので、飯島耕一の『俳句の国徘徊記』を
ぱらぱらと拾い読みする。20年以上前の本である。
夏石番矢を飯島耕一がなぜ高く評価するのか不思議。まあ、いいけどね。


[719] むき出しの憎悪、そして雨の夜 2002年09月17日 (火)

拉致事件の顛末には悲しみ以上の感情のたかぶりをおぼえずにはいられない。
むき出しの憎悪がわきあがったことを告白する。

夜、「短歌人」の企画会議。
蒔田さくら子さんが、7月以来、久々に出席できるようになったので
たいへん活気があった。
雨が急に強く降ったり、弱まったり、変な天気だ。
お台場はどしゃ降りだったのに、池袋は小雨。
会議終了後、メトロポリタンホテルのレストランで食事。
初めて入ったが、北海道フェアなるものをやっていたので、その定食
みたいなものをみんなで食べる。

帰宅後、あらためて、テレビのニュースを見て、また暗澹とした気持になる。


[718] 物いへば唇寒し秋の風 2002年09月16日 (月)

タイトルはもちろん芭蕉の発句。
「人の短をいふ事なかれ/己が長をとく事なかれ」ということで、私も色々
と、言いたいこともあるのだが、口にだしてしまえばとりかえしはつかない
というわけで、口をつつしんでおこう。

かの子と岡本先生の次女のはるかちゃんが連弾をするので、雨の中、
江東区文化センターまで行く。
それぞれの独奏と連弾を聞いて帰宅。
途中の文教堂書店に寄って、岩波文庫の『子規句集』があったら買おうと
思う。ないと思ってたかをくくっていたらあった。
税抜き価格で660円。小銭入れの中の硬貨だけで買えたら買おうとさらに
条件をつけて、数えてみたら、消費税分もいれて3円余った。
買うべき運命だと思って購入。

家に帰って、難航していた原稿を一本書く。

夜、「私立探偵濱マイク」の最終回を見ようと思っていたら、いつのまにか
寝てしまう。しかし、10時に、「始まるよ」と、かの子に起こされる。
起きたのは良いが、今夜は10時30分からの放送だった。
かの子に梨をむいてもらって食べる。
最終回を見る。
『子規句集』を読みながら、午前1時くらいには眠っていたようだ。


[717] 楽しみは多いほどいいツメ切る音もそれに加わる 2002年09月15日 (日)

タイトルは高瀬一誌さんの一首。
この作品が本日の朝日新聞の「折々の歌」にとりあげられていると
「短歌人」の掲示板で、矢嶋博士さんが教えてくれたので、キオスクで
買って、月例歌会へ行く。
今月は上野。会場で三井ゆきさんに、朝日新聞を謹呈する。

夕食は、かの子がつくったお稲荷さん。
みんなで、あっというまに食べてしまう。

夜、原稿を書くつもりだったのだが、結局、本を読みながら寝てしまう。


[716] 両袖にただ何となく時雨かな 2002年09月14日 (土)

タイトルは芭蕉門下の惟然の一句。

 古池に 古池に 蛙とびこむ水の音 ナムアミダブツ ナムアミダ
 いかめしき 音や霰の 檜木傘 雪の袋や なげ頭巾

これは、惟然が考案した風羅念仏というもので、こういうのを9パターン
つくって、芭蕉の死後、歌いながら関西方面を門付けして歩いていたそう
である。
口に出して音読してみるとラップみたいな感じがする。
いま、ラップでこれをやってもウケルかもしれない。
惟然は各務支考と同じく芭蕉の最後の旅に同行した人だが、妻子を棄てて
風来の旅に出て、芭蕉に入門したという、生来が風来坊気質の人だったら
しい。
惟然のこの風羅念仏行脚の所業を服部丈草が怒っている手紙が残っている
らしいが、まあ、怒る人が居ても当然であろう。
これは中里富美雄著『芭蕉の門人たち』の受け売りです。

今日は午前中は古石場の図書館に自転車で行き、今年の前半の角川俳句を
借りてくる。
そのあと昼食を食べて、かの子と一緒に銀座へ「アイスエイジ」を見に行く。
CDアニメでストーリーはいわゆる男同士の道中モノだが、よく、できてい
るので面白くみられる。マンモスが山寺宏一、サーベルタイガーが竹中直人
ナマケモノが太田光という日本語吹替えが巧くはまっている。

八重洲ブックセンターによって、かの子に本を買ってやり、5時前に戻って
PATで買っておいた新潟のながつき賞の結果を見たら、単勝二十五倍とい
うのが的中していた。競馬はやさしいね。

夜、角川俳句を拾い読みしながら、「グリーンマイル」をテレビで見る。
こういうストーリーだったのか。
最後の「グリーンマイルが長すぎる」というセリフまで、引っ張り過ぎ
じゃないのかなあ。


[715] ウロボロスの金曜日 2002年09月13日 (金)

会議が二つ続いて、さすがに頭痛がしてくる。
しかも、冷房が今日は効きすぎていてオフィス内が寒い。

「ファミ通」の連載マンガ「いい電子」で、ネットワークRPGを初めて
やってみて、強い敵にいまにもやられそうになった時に、見知らぬ人が
回復魔法をかけてくれたのでHPが回復して勝てた。これが、ネツトワー
クの醍醐味だと思った、というエピソードが描かれてあったが、私がその
ソフトメーカーの関係者なら、初心者に助太刀する役目としてネットワー
クにつなぎっぱなしにするお助けスタッフを配置すると思う。
助けてもらえるのもメーカーの手の内かもしれないってことです。

芭蕉の門下の名前とキャラクターをおぼえようとしているのだけれど
なかなか暗記できない。

叱られて次の間に立つ寒さかな/各務支考

こういう句があるのだが、芭蕉が大坂で病に倒れ、門人達が集まってきた
ところで支考が詠んだ句。
小学館の日本古典文学全集には、支考を叱ったのは芭蕉だと書いてあるが
別の本には、叱ったのは向井去来だと書いてある。
キャラクターから考えると、芭蕉の旅に同行しながらその体力の衰えを
きちんと気にしていなかった支考に対して、去来が「おまえがついていな
がら、師匠に無理をさせるとは、本当に気のきかないヤツだ」と思って
叱ったとした方がリアリティがあるように思える。
芭蕉の門下は、芭蕉の生前から仲が悪い連中も多かったらしいが、
武士も町人も入り混じって、俳句という表現においての座を組むわけだから
形而下の部分で好き嫌いが出るのはしょうがないのだろうな、とも思う。
こういう点は、現在の歌人、俳人だっておんなじことだから。


[714] 静かで心やすらぐ一日 2002年09月12日 (木)

ちょっと気になることがあったのだけれど、これはあたたかい対応をいただき
解決した。こう書いても、何のことだかわからない。

中里富美雄『芭蕉の門人たち』という本を読み始める。
芭蕉本人から門人たちに私の興味はうつってきたのだけれど、まず、読みやす
いものから入って行く。
著者は都立高校の校長などを歴任しながら、芭蕉やその門人に関しての文章を
教員の人達の読む雑誌に連載していたという人。
つまり、この本は、その連載をまとめたもので、門下20人に関して一人10
ページでまとめてあるので、まあ、入門書として格好かもしれない。
この本と並行して、柴田宵曲の『蕉門の人々』を読み、さらに興味が持続すれ
ば、他の研究者の本に進んでゆこうと思っている。

早く布団に入って、やすらぎつつ本を読んでいたら、10時前に眠ってしま
っていた。


[713] カメラはビルの中にいた 2002年09月11日 (水)

グループPR会議の懇親会を焼肉屋でやって、帰宅したのが20時過ぎ。
風呂などに入り、かの子と一緒に「ショムニ・ファイナル」を見る。
途中で、課長の森本レオが女性社員にバザーの品物を集めるように、と言って
「そういうことは、もつと早くつたえてください」と言われる場面があった
が、こういうことは自分にもあったなあ、と、数年前を思い出する

22時になったので、日本テレビの特別番組「0911・カメラはビルの
中にいた」を見始める。
これは昨年のニューヨークの事件の映像をたまたま消防士のドキュメンタリ
ーを撮影していたフランス人のカメラマンの兄弟が撮影していたフィルムを
再構成したもの。
とにかく、今まで見た映像の中で、もっともリアリティがあったと私は思う。
弟が消防隊とともに、最初に攻撃を受けたタワー1で撮影を続けていた映像
は、ビルの中はどうなっていたのか、という疑問を解いてくれるものだ。
消防隊にはテロの情報は入っていない。
そして、任務として高層階へ人々の救出のために階段で上がって行く隊員た
ち。その姿は、ああ、これで死んでしまうのだなあ、と、見ている私に虚無
感をよびおこす。
私はこの事件に関して考えると、ビル内部に居る自分の姿をまず想像した
のだが、やはり、高層階から非常階段をつかって脱出することは不可能だ
ということが、映像からよくわかった。
倒壊、崩落の映像は何度見ても絶望感が増すばかりだ。
どうすれば生き残れるのか。
それが私にとっての、もっとも、現実感のある想像なのだ。

こういう内部の映像、消防士たちのリアルタイムの表情が撮影されていた
ことじたいが奇跡的なのだ。
精神的にこわばった思いのまま、むりやり眠る。


[712] 10階のモスキート 2002年09月10日 (火)

ビデオを借りてきて見ようと思うのだけれども、レンタルビデオ店まで
行く気力がない。
会社の帰りに豊洲図書館によって、古典文学全集の俳諧関係の本を借りる。
図書館はバスの乗り換え駅の傍にあるので、途中で寄るのに苦にならない。

岩波書店の新日本古典文学大系の「江戸座点取俳諧集」と小学館の
日本古典文学全集の「近世俳句俳文集」。
解説を読み、中の面白そうなところを拾い読みする。
こういう本は、すべてのページを読まなければならないというわけではない。
そう思えば、気が楽になる。

古典俳句の場合、芭蕉、蕪村、一茶以外はほとんど解説書すら少ないのが
実情なので、この手の古典文学全集で、他にたくさんいたはずの俳人の句
を、とにかく読んでみる。
ただ、全集は本が重いのが難点。

かの子が「学校へ行こう」を見ている横で、図書館の本を読みつづける。
22時過ぎに、気がついたら眠っていた。


[711] コミック雑誌なんかいらない 2002年09月09日 (月)

史比古から借りた本と劇画を読む。
爆笑問題の『日本史言論ザ・グレート』と麻雀劇画の「兎」。
爆笑問題の方は、徳川家康とか伊能忠敬とか、日本史上の人物に関する
テーマを設定して、爆笑問題風のギャグページに田中聡の解説というか
たちになっている。必ず笑えるので、時間つぶしにはもってこい。

「兎」の方は、ZOOという中学生、高校生だけの麻雀代打ちチームの
話という、あまりにも無理な設定と、すでに福本伸行という決定的な
麻雀及び勝負モノの描き手が出ているので、かなり苦しいと思って読み
はじめた。
やはり、単行本で2巻目くらいまでは苦しいのだが、3巻あたりから、
キャラクターが立ってきて、群像ドラマになってくる。
特に山城というヤクザの大親分の邸宅にのりこんでからは、かなり、面
白く、キャラクターに感情移入できるようになる。
「アカギ」や「カイジ」は、ゲームそのもののコクをひきだして新機軸を
見せてくれたのに対して、こちらは、ゲームはある程度棄てて、打ち手の
背負っているドラマにストーリー展開を絞り込んだのが良かったようだ。

こういうものを読んだあとで、いつものように「私立探偵・濱マイク」を
見る。田口トモロヲが出てきたので、映画的雰囲気がいやがおうでも高ま
る。来週が最終回。楽しかった1クールも、もう終りか。


[710] 夜は千の目をもっている 2002年09月08日 (日)

昨夜、なんとか、短歌だけはつくった。

午前中は雨がまだぱらついていたのだが、昼前には日が差し始めた。
かの子と一緒に自転車で、古石場図書館に行って、昨日借りた本の一部を
返却する。
図書館はいつも混んでいる。
児童書の棚をくわしくチェックしてみると、乱歩の子供向けの全集や
ルパンの全集がそろっていることがわかる。こんど、借りてみよう。

帰宅して、藤田湘子編の『俳句への出発』という俳句の入門書を読む。
藤田湘子、田中裕明、千葉晧史、友岡子郷、西村和子、矢島渚男、島谷征良
飯島晴子、中原道夫、榎本好宏、野中亮介、大石悦子、小澤實、岸本尚毅、
黒田杏子、奥坂まや、鈴木栄子の共同執筆なのだが、思っていたより、ずっと
内容に深みがあり、読み応えがあった。
特に小澤實さんの「滑稽の諸相」、矢島渚男さんの「古典を読む」という章
などは、教えられることが多かった。

まだ、原稿は残っているのだが、夜はとても気力がなくなってしまっていて
眠ってしまった。
不義理もいくつかあるし、困ったものだ。


[709] 深夜、雷雨になるまで 2002年09月07日 (土)

ぎりぎりの原稿に追い詰められている。
出版記念会の下準備もしなければならないし、あせり気味の週末。
しかし、午前中は昨日から読みかけの高橋睦郎『私自身のための俳句入門』を
読み終える。
「俳句にとって、内容は季であり、形式は切れ字」という認識をさまざまな
角度から検証してみせてくれる。小澤實編集長時代の「鷹」に連載されたの
だそうだ。
この本は現在の私の俳句に関する志向性にかなり大きな示唆を与えてくれた。
図書館で借りた本だが、古書店でみつけたら、買ってしまおうと思う。

午後、図書館に自転車で行く。東陽町図書館に本を返却してから、古石場の
図書館にまわってみる。ここは新しい図書館なので、本がきれいなのがよい。
また芭蕉と俳句に関連する本を五冊ほど借りる。
中でも山形新聞編集局編の『芭蕉を<読む>』は、没後300年の特集出版
らしいが、俳人、俳文学者、歌人、作家たちに、芭蕉に関する思いを書かせ
たものだが、読んだかぎりでは密度の高い文章がつまっている。

夜、「北の国から」を途中で「NHKスペシャル」に変えたりしながら
原稿を書き、合間に出版記念会関連の電話をかける。

深夜、雷雨になる。


[708] レイニーフライデイ 2002年09月06日 (金)

終日、雨。

パワーチームプロジェクトの中間報告会で、午後はずっと15階の会議室に
こもりきりになる。
最初にサンケイビルの中本社長の講演がある。
フジテレビのプロデューサーからフジミックをたちあげ、そのあとビルに
行った人だそうだが、まさに実業家といったタイプの人だった。

そのあと五組のチームがそれぞれに中間報告。
関西のカリスマとして上沼恵美子の名前が出てきたのが興味深かった。
6時前に終わって、18階のレストランDAIBAで懇親会。
それぞれ、仕事をかかえている現場の人達なので、最後まで残っていた
のは半分くらいだった。

バスで帰宅。枝川二丁目で降りたとたんに、ごい雨脚になり、びしょぬれ
になった。

ビデオに撮っておいた「私立探偵濱マイク」の今週分を見る。
高橋睦郎の『私自身のための俳句入門』を読みながら寝る。


[707] あかあかと日はつれなくも 2002年09月05日 (木)

ここのところ意識的に芭蕉の発句、連句を読んでいるのだが、心にしみる。
そういう年齢になったということなのだろう。

あかあかと日はつれなくも秋の風  芭蕉

こんな一句も、口にだしてみると、胸しめつけられる。

昼休みに事務局長につれられて新橋の「吉宗」という長崎料理の店へ行く。
皿うどんに茶碗蒸の昼定食。
この茶碗蒸がやたらに大きい。どんぶりより一回り小さいくらい。
食べごたえがあり、満足して会社へ戻るが、ビッグサイトでギフトショーを
やっているので、ゆりかもめがやたらに混雑している。

夜、千葉テレビをつけると、先週はやっていなかった「快傑えみチャンネル」
をやっているので、喜んで見る。
元ピンクレディーのケイちゃんと杉田かおるがゲスト。

寝る前に、花神社のコレクション俳句のシリーズを何冊持っているか
チェックしたら、五冊ほどしかもっていなかった。
このシリーズは、初句索引と季語別索引がついているので役にたつ。
この花神コレクションの「飴山實集」を寝ながら読む。
「少長集」の句など、けっこう、おぼえているのに驚く。

目に見えて秋風はしる壁畳  飴山實


[706] 風邪気味ながら読書 2002年09月04日 (水)

お昼に事務局のメンバーと一緒にホテル・メリディアンの中華レストランに
ランチ定食を食べに行ったら、ウエイトレスの制服がいきなりチャイナドレ
スに変わっていた。
季節の変わり目をチャイナドレスで知らされたりして。
ランチの値段は変わっていなかったので一安心。

午後から冷房にあてられたのか全身がだるくなる。
どうやら風邪をひきかけているらしい。
急いで帰宅。
早めに床に入って、先日から拾い読みしていた森澄雄の対談集『俳句のゆた
かさ』を読み始めたら、けっこう面白く読んでしまった。
むかし、俳句を熱心にやっていたころは、森澄雄の俳句はおさまりかえって
いる感じで、好きになれなかったのだが、この対談集にときおり引用されて
いる、ここ数年の句はしみじみと心ひかれる。

そのあと図書館で借りた古舘曹人の『句会入門』を読み始めたら、これも
なかなか面白く、眠れなくなってしまった。
実はこの本は平成元年に出た時に一度読んでいるので再読になる。
座や連衆といっことに、私の心が柔軟にひらかれてきたので、前よりも
ずっと、著者の真意を受け止めることができる。
結局、午前2時までかかって読み終わってしまった。


[705] 駅前飯店、奇怪な映画 2002年09月03日 (水)

今日は史比古の誕生日かな。十七歳だ。

と、いいながらも、まっすぐに帰宅せずに、お台場シネマ倶楽部で
「駅前飯店」を見る。
1962年の年末封切り作品。つまり63年の東宝のお正月映画ということ。
森繁、伴淳、フランキー堺に三木のり平、それに柳家金悟楼。
女優は沢村貞子、池内淳子、淡路恵子、淡島千景、森光子。
スペシャルゲスト扱いで王貞治。

三木のり平の散髪屋が始めから終りまで、ハサミをもって「頭刈りたいなー」
といいつづける怪演。
森繁、伴淳、フランキーも、みんな中国人という設定なので、奇妙な日本語を
しゃべりまくる。まったく奇怪な映画である。
現在、テレビで放映するのは、ちょっと無理だろうと思う。

「駅前大学」という映画の冒頭部分も見せてもらったのだが、こちらも
森繁、伴淳、三木のり平が学生服の受験生、淡島千景がセーラー服の女子
高校生という、あまりといえば無理な設定。
しかし、こういうムリが笑いを生んでいるのだから、当時の邦画の世界は
少なくともアナーキーな活気はあったわけだ。

お台場シネマ倶楽部の今後の予定には「人情紙風船」や「ひばりのたけくらべ」
などがラインナップされているので楽しみだ。


[704] 平野啓一郎は読まないかもしれない 2002年09月02日 (月)

銀座のライオン7丁目店の前で待ち合わせて、「BOOKISH」の八子博行
さん、鵜戸口哲尚編集長、かねたくさん、軽美伊藤乃さんと飲み会。
最初は東京組のかねたくさん、軽美伊乃さん、私の3人で飲みながらお喋り。
一時間ほどたってから、八子、鵜戸口両氏が合流。
本と作家の話、出版状況の話に終始したが、実に刺激的な時間だった。

軽美伊野さんは某誌の書評ページのために平野啓一郎の『葬送』を読み始め
ていた。上下2巻、2500枚。たぶん私はこの小説は読まないだろう。
ある年齢に達したら、断念する分野もつくらざるをえない。
しかし、まだ20代の軽美伊野さんがすごしたこの20年と私がすごした
20年の密度のちがいは、おそるべきものだろう。
勉強しなくちゃ。

鵜戸口編集長とは共通の知人もいることがわかり、人と人とのつながりの
面白さも十分に感じることができた。

帰宅したら「私立探偵濱マイク」が終りかけていた。
これはビデオをとっているので、後日見る。
密談の電話を数本して寝る。
興奮が残っていてなかなか寝付けず、午前2時くらいまで、柴田宵曲の
「蕉門の人々」など読んでしまった。


[703] 五十六年前もこんなか蝉しぐれ 2002年09月01日 (月)

タイトルは丸谷才一の俳句。昭和56年に詠まれた句ということで、この
五十六年という数字が出ている。
現在から56年前は昭和21年。敗戦の翌年ということになる。

インターネット上でのコミュニケーションというのは実に難しいと思う。
そんな気がなくとも、誰かを傷つけてしまうこともあるし、傷つけてい
ることに気づかず、自己本位の書き込みをする人もいる。
そこには悪意はないのに、結果として悪意が生じてしまうこともある。
もちろん、これは自戒をふくめてのことだ。

今日の競馬の結果はさんざんだった。
最終レースまではずれると、どっと気が重くなる。
東陽町の図書館に行って、また、芭蕉関係の本を借りてくる。
図書館はけっこう混んでいる。
涼みに来ている人もかなりいるようだ。

夏休みの最終日ということで、「サザエさん」は宿題ネタをやっている。
毎年毎年同じことがくりかえされるように感じながら、人は少しずつ歳
をとっていくわけだ。
56年前の9月1日も、こんな蝉しぐれだったのだろう。


[702] 虫籠に虫ゐる軽さゐぬ軽さ 2002年08月31日 (土)

タイトルは西村和子さんの作品。
結局、季語とリフレインだけなのだけれど、虫籠を持った記憶をよびおこして
くれる。無意味に近い内容が俳句として成立する不思議。

今日は「香蘭」の千々石久幸さんの評論集「短歌という負い目」の批評会。
「香蘭」のメンバーと奥村晃作さんが中心になって企画した批評会だった
が、初対面の方々が多く、面白い批評会になっていた。
場所は渋谷のルノアールのマイスペース。渋谷も空気がゆれるほど暑かった。

パネリストは沢口芙美さん、中村幸一さん、清水徹さん、森本平さんで
司会進行が風間博夫さん。
「短歌人」からの出席は私の他に西村美佐子さん,生沼義朗さん。
二次会で、水城春房さん、永井秀幸さんと話すことができた。
ずっと、小説を書いてきたという永井さんの発言で
「歌人はそうじて文章がヘタ」という指摘は、私もそのことを痛感していた
だけに、納得できるところが多かった。

9時過ぎに帰宅。お風呂に入った後、本を読むつもりだったが、気がつい
たら眠ってしまっていた。


[701] ひとめぐりして秋色をいふばかり 2002年08月30日 (金)

タイトルは石田郷子さんの作品。
「秋色」という抽象的な季語を巧く人間に引きつけている。

今夜は駄句駄句会のために神楽坂へ行く。久しぶりに松尾貴史さんが出席。
常連の中では、高田文夫さん、玉置宏さん、立川左談次さんがお休みだった。

題は「台風」と「長夜」。
・台風の夜の蝋燭と缶詰と
・玉乗りの稽古はむかし長夜かな
これが私の作品。

その後、句会のメンバーで、喫茶店に行き、芸能界及び芸界の裏話を
聞く。国立大学出身のタレントのT・Tはタレントの間でも、たいへん
嫌われているそうだ。

夜、十時過ぎに帰宅。
江國滋の『俳句とあそぶ法』を読みながら寝る。


[700] いきいきと死んでゐるなり水中花 2002年08月29日 (木)

タイトルは櫂未知子さんの俳句作品。水中花の本質を巧みにとらえている。
面白い観察眼の一句だ。
あいかわらず、お台場は路上も空気も煮えている。

つげ義春の『無能の人』を読み返す。ちょうど、日記を書いたあとの時期の
作品が、この『無能の人』のシリーズになる。
なぜ、マンガを描くということに対して、つげ義春は希望を持たなくなって
しまったのか、そこの心理がやはりわからない。

夜、「快傑、えみチャンネル」を見ようとしたら、なぜか別の番組が映って
いる。U局はいつも、このように、番組編成を変えてしまう。
視聴者のことなど頭にないのだろう。


[699] トランクルームと新人賞 2002年08月28日 (水)

夕方、品川のテラダトランクルームに行って、あずけてある本の整理をする。
閲覧室は冷房がきいているのだけれど、やはり、全身から汗が噴き出してく
るのはどうしようもない。
帰りはりんかい線の天王洲アイル駅から新木場へ出て、京葉線に乗り換えて
潮見でおりて帰る。
30分で家についてしまった。
とは言いながらも、かなり体力を消耗しているらしく、眠くてたまらない。

五十嵐きよみさんの「梨の実歌会」のBBSで短歌の新人賞論議がかわさ
れている。
ちょっと前までは、こういうことを議論しあう場所というのは、想像しに
くかったような気がする。短歌をつくっている仲間と面とむかって賞に応
募する話をすること自体、気恥ずかしかった。
しかし、実際には、気恥ずかしいわけがなく、議論できるならしたかった
というのがホンネだったのだが。

今のこういう環境は、そういう無用の気恥ずかしさなどをフリーに開放し
てくれているわけで、そのぶん、自分に対して有効な活用方法があるのだ
ろうと思う。
短歌の新人賞とは
@登龍門
Aオーディション
B免許の試験
と、それぞれに微妙な認識のちがいがあるようだけれど、登龍門であって
ほしいと私は思っている。
それゆえに受賞者には、受賞の栄冠とともに、その後も短歌に対して、真摯
に真向かい、新たな作品世界を開拓して行く義務が科せられていると思う。
だから、受賞しながら、その後、短歌から離れてしまった人達には、私は
裏切られた気持ちをもっている。
精神論になってしまうけれど、受賞したいならそれだけの覚悟をもってほし
いということなのだ。


[698] 江戸時代の旅と俳句 2002年08月27日 (火)

先週、芭蕉の「おくのほそ道」をいちおう原文で読んだのだけれども、
もう少し軽く読める、江戸時代の旅日記ということで、講談社文庫に
入っている石川英輔著「大江戸泉光院旅日記」も並行して読了した。

この本は、九州の宮崎県の佐土原出身の修験者・泉光院という男と従者の
町人・平四郎が6年2ヵ月にわたって日本中を回国した記録。
この時期は1812年から1818年にあたり、丁度、明治維新の60年前
ということになる。
年齢は泉光院が50代後半、平四郎が30代後半。

泉光院は修験者といっても藩内での身分も修験道での身分も高く、おまけに
居合い抜きと弓の名人、しかも、加持祈祷、お経も読め、俳句、和歌、漢詩
に堪能というすごい人物。若い頃からの修行で心神ともに異様に丈夫。
平四郎は商家の出なので口が達者で、話上手という面白いコンビ。

この二人が日本中で、さまざまな階層の人達とふれあう姿がリアルに記録
されている。もちろん、講談社文庫版は原文ではなく、石川英輔氏の解説
つきの口語訳であり、とても読みやすい。
驚くのは、この二人の6年の旅のあいだ、寝泊まりはすべて、旅先の人達
の善意の宿に泊まり、野宿などしていないこと。
各地に善根宿という回国者のための宿泊施設的なものがあったり、いちおう
町中では旅篭に泊まるということもあるのだけれど、大原則として、地域を
托鉢して、米や御布施をもらいながら、泊めてくれる人を探すというもの。
泊めてもらった場合、そうおうのお礼の金や物はわたしているらしいが、
これは受け取らない家もけっこうある。

泊めてくれた家では、泉光院が俳句を詠んだり、場合によっては、病人に
加持祈祷をしてあげたり、いわば持ちつ持たれつの善意の交換をする。
また、村の女性や子供を集めて、旅の見聞を話して聞かせることや、
簡単な漢文の講義をしてあげたりもする。
さらに、庄屋や医者といった地域のインテリが集まってきて、俳句や連句の
集まりを開くこともある。
つまり、旅人はマレビトであり、マレビトの訪れは、地域の人達の楽しみで
あったということがよくわかる。
ここで、もっとも役にたっているのが、俳句の素養。
挨拶の句を泉光院はいたるところで残して、揮毫している。
また、当時のインテリ階層にとって、俳諧の心得が必須であり、しかも、
大きな楽しみであったことも、実感できる。
俳句に現実的な効用があったということである。

泉光院と平四郎は実質的にご主人と従者なのだが、6年も旅を続けていると
平四郎とケンカすることもあり、口喧嘩の様子がリアルに記術されていたり
怒った平四郎が泉光院を置いて、先に行ってしまったり、泉光院がハラの虫
がおさまらず、日記に平四郎の悪口を書いたり、とにかく人間的な記録だ。

この本、ブックオフでも新刊書店でも、よく見掛けるので、俳句好きな人
には、お読みになってみることをオススメしたい。


[697] 陰鬱な本、痛快なドラマ 2002年08月26日 (月)

ネットの古書店で買った『つげ義春日記』を読む。
昭和58年12月15日という奥付けになっているから、その頃に一度
読んでおり、今回は再読になる。

この本は私がいままでに読んだ本の中で、もっとも暗く陰鬱な本である。
これにくらべれば、山田花子の『自殺直前日記』でさえ、まだ、明るく
感じられるほどだ。

内容は、昭和50年11月1日から55年9月28日までの、つげ義春の
日記。奥さんは藤原マキ。正助という子供が産まれるので、この家族三人
の記録ということになる。
この時期のつげ義春は、39歳から43歳にかけての年齢。
小学館や講談社から文庫本が出て、印税も入っているのに、新作はまったく
書けなくなっている。
後半になって、やっと、「必殺スルメ固め」とか「日の戯れ」とかを描く場
面が出てくる。

この本にみちあふれているのは、自由業の人間の収入の不安定さと自身の才
能の枯渇への不安と恐怖である。
当時の私はまったくの無名のフリーライターであり、ここに書かれている不
安と恐怖は、私自身そのまま常に感じているものだった。

私がフリーのもの書きとしての自分の才能に見切りをつけて、33歳で再び
サラリーマンに戻ったのは、この『つげ義春日記』のつげ義春の不安を共有
したことと、映画の「シャイニング」でのジャック・ニコルスンの狂気を見
て、確実に自分もこうなるだろうと思ったからなのだ。

そんなイヤな本をなぜ今ごろになって、もう一度、買ってまで、再読したの
かといえば、これはもうコワイモノミタサとしか言いようがない。
再読しても気分が暗澹とすることには変わりはないが、今の自分は少なくと
も、初読時のような、不安も恐怖もいだく必要がないのだというスノッブな
気分もまじっている。

この本、読んでみたいかたがいらしたら、さしあげますので、メールを
お送り下さい。

夜、例によって「私立探偵濱マイク」の中島哲也監督作品「ミスター・ニッ
ポン21世紀の男」を見る。
林家ペー、パー子、キューティー鈴木、光浦靖子、松方弘樹と異色のキャラ
クターを巧くつかって見せていた。
横浜日劇の映画の看板は「俺たちに明日はない」と「狼たちの午後」。
銃撃戦で、みんな死んでしまう話になっていた。
劇中で殺し屋の林家ペーが、特定の日に生れた有名人の名前を列挙してゆく
シーンがあったが、そこであげられた日にちが、1月18日と私の誕生日だ
ったのも、ご縁を感じた。ちなみに、この日生まれの有名人として挙げられ
ていたのは、ビートたけし、おすぎとピーコ、笑福亭鶴光、ケビン・コスナ
ーなど。
そのままNHKの「ロッカーのはなこさん」の第一回も見たが、こちらは
見て損したという感じ。


[696] 短歌はオチ、講談は活気 2002年08月25日 (日)

首都の会に出席する。
今月は出席者が多く、私が最年長ということもなかった。

題詠の題は「月」または「島」または「月島」。
私は「月島」で一首つくった。

・中央区月島第二中学の校庭にあるオブジェ「友情」

点数は私にしては高点の6点も入った。
東直子さんが批評で「オチが面白いのでいただきました」と言って下さった。
そうか「短歌はオチか」と目を開かれた気分だった。

帰宅してから、芥川龍之介の「芭蕉雑記」及び「続芭蕉雑記」を読む。
芥川の世代の文士は、みな芭蕉の連句などは読み込んでいるのが当然
らしい。
「発句私見」という文章には
・「発句は必ずしも季題を要しない」と言い切っているのが面白い。

23時からTBSテレビの「情熱大陸」を見る。
三代目神田山陽になった、神田北陽さんの特集である。
平成2年、本牧亭の最後の日に先代の神田山陽先生に入門して、12年後に
真打になったと同時に、三代目神田山陽襲名というのは、それだけ、彼が
周囲の期待もにない、しかも、人間的に愛されているということだろう。
男性の講談師の真打昇進は17年ぶりなのだそうだ。

先代の山陽師匠の祥月命日には、必ず墓参し、しかも、その日は断食をする
というエピソードが紹介されていたが、こういうクサミのある行為もイヤミ
に感じられないのは、やはり、彼自身の屈託のないキャラクターのゆえだろ
うと思う。
講談の世界は、一龍斎貞水師匠の人間国宝、三代目神田山陽の誕生と、ここ
のところ活気ずいてきた。


[695] 八月は古書の匂い 2002年08月24日 (土)

平和島でアトピの薬をもらったあとで、久しぶりに神保町の古書街
及び新刊大書店をまわってみる。
東京堂の「ふるほん文庫やさん」のコーナーは意外と流行っていない。
確かに珍しい本は多いのだけれど、それらのほとんどが1290円と
いう値段なのは、割高感が強い。
講談社の文庫版江戸川乱歩全集のばら売りがのきなみ1290円というのは
やはり、購買欲はそがれるだろう。
教養文庫の小栗虫太郎や久生十蘭まで1290円。これも高いなあ。
結局、一冊も買わなかった。

そのあと、珍しく、書泉グランデの脇道の写真集屋のとなりの駐車場で時々
やっているガレージセール型の書籍安売りコーナーをのぞく。
茂吉の死のあとに岩波書店から刊行された斎藤茂吉全集がバラ売りされている。
三冊500円なので、日記篇三冊と手帳篇三冊の計六冊を1000円で購入。
この六冊に対して、あと290円足さないと、さっきの文庫が買えないとい
うのは、やはり、本好きの心理をさかなでするものだろう。

一度、帰宅して本の整理をしたあと、夜は新宿紀伊國屋サザンシアターに
「我らの高田小学校」を史比古と一緒に見に行く。
二つ隣の席が早坂好恵、そのとなりが山本小鉄さんだった。

出演者は、モロ師岡、松村邦洋、ますだ・おかだ、ナポレオンズ
浅草キッド、高田文夫。
このライブ、文句なく面白いのだが、チケットが買えない。
お客が固定している。しかし、クローズドなりの面白さは抜群だ。


[694] ペイ・デイ・カジュアル・フライデイ 2002年08月23日 (金)

今日は23日の金曜日なので、しかも、ほぼみんなが夏休み明けなので
社屋内のATMがとても混んでいる。
いちおう社屋の三ヶ所に東京三菱銀行、一ヶ所に、みずほ銀行があるのだが
やはり、人が集まる日は大混雑になるのはやむをえない。

事務局のメンバーとメリディアンへ昼食を食べに行く。
五目中華麺が通常1400円のところランチ時は900円に割り引きになる。
Uさんがラー油をたくさん入れたので、私もまねして入れたところ、辛過ぎ
て、途中でむせてしまう。
辛味には強いつもりだったが、やはり、Uさんにはかなわない。
3週間ほど前も、四川料理の店のランチにつれていってもらったのだが
ここも、強烈な辛味で、Uさんは平気で香辛料を足しているのに、私は
残さずに食べるのが、やっとだった。

夜、俳人の大屋多詠子さんの父親である大屋達治さんから電話。
密談一時間。面白かった。
そうか、俳壇の学級委員といわれているのか。誰のことでしょう。


[693] 池袋ファイナルファンタジー 2002年08月22日 (木)

「短歌人」の編集会議はいつも池袋の東京芸術劇場の会議室で開かれる。
ところが、今月は芸術劇場が夏期の休業なので、区民産業プラザという
場所に今月のみ変更になっていた。
この件は、朝には頭に入っていたのだが、地下鉄有楽町線の池袋駅に降りた
とたんに忘れてしまい、反射的に東京芸術劇場へ向っていた。
そして、休業中のお知らせを見て、はっと気がつく。
そうだ。場所が変更なのだ。
私はそのまま、かつて、編集会議をやっていた勤労福祉会館へ走っていた。
しかし、そこの会議室の掲示には「短歌人会」の掲示はない。
頭の中がパニックになる。
そうか、もしかすると、豊島区民センターの傍に産業プラザはあるのでは
ないのか?
半信半疑のまま豊島区民センターの方向へ向うのだが、実は勤労福祉セン
ターから豊島区民センターへは、池袋駅をはさんで対角線上に位置する。
とにかく、混雑する人々の間を小走りに抜けて、西口から東口にぬける。

ここで一句。

・しぐるるや駅に西口東口/安住敦

東口から三越の脇をぬけて、公園の傍らを横切り、区民センターの左側へ
まわりこんだら、やっと、産業プラザに到着した。
会議室に入ったら、小池光さんから
「ああ、やっと来た。来ないんで、今、家に電話したんだよ」と言われた。

会議終了後、みんなで、久しぶりに、焼肉屋「明月苑」に行く。
高瀬さんが明月苑の座敷に坐っているような気がしてならない夜であった。


[692] 昨日に続いて図書館に寄る 2002年08月21日 (水)

会社の帰りに、また、豊洲図書館に寄る。
昨日借りた本をいちおう返却して、今日は別の本を借りる。

馬場あき子・松田修『方丈記を読む』
橋本治『パンセ その他たちよ!』
橋本治『無意味な年、無意味な思想』
金子兜太編『随筆・俳句』
復本一郎『芭蕉16のキーワード』など。

夜、かの子が「ショムニ・ファイナル」を見ている横で、借りて来た本を
ぱらぱらと拾い読みする。
今は、すべてを通読する必要はなく、興味がもてそうな部分だけ読んで
みれば良いと思っている。
たとえば、「おくのほそ道」にしても、はじめから通読しなければならない
と思い込んでしまうと、いつでも、「月日は百代の過客にして」だけで
挫折してしまうことになる。
ページを開いたところから読み始めてしまう、この態度で行こうと思う。


[691] 図書館へ本を探しに 2002年08月20日 (火)

会社の帰りに、豊洲図書館に寄る。
この図書館は詩歌関係の本があまり充実していないので、東陽町図書館ほど
使っていないのだけれど、会社の帰りに寄ることができるというのだけが
とりえということか。

そう、思っていたら、なんと詩歌、特に古典詩歌関係の本がいつのまにか
増えている。
これは司書の人事異動でもあったのだろうか。
いずれにせよ、これで、会社帰りに、ここへ寄る楽しみができたわけだ。

堀切実の岩波ブックレット「『おくのほそ道』を読む」と
村松友次の『おくのほそ道の想像力』と橋本治の『パンセV文学たちよ!』
を借りる。
帰宅後、史比古が、和歌山で買ってきたミステリの本を見せてくれる。
森博嗣と綾辻行人と竹本健治をたくさん買ってきている。
竹本健治の『ウロボロスの偽書』をすでに上巻は読み終わり、下巻を読んで
いるというので、その小説に出てくる友成純一はパパの大学時代のミステリ
クラブの後輩だと教えてやる。

堀切実のブックレットを寝ながら読む。
大学のゼミで「おくのほそ道」を学生たちと一緒に読んで、その時の学生の
反応をアンケートにとった記録を引用しながら、芭蕉や「おくのほそ道」に
対して、今の若者がどういうイメージを抱いているかがよくわかる。
「風狂をきどったイヤミな奴」という答が、けっこう多いようだが、
確かにそういう部分はある。
しかし、芭蕉に対して「そういっちゃおしまいだろ」。

芭蕉と「おくのほそ道」に対する興味がわいているあいだに、できるだけ
関連する本を読んでおこうと思う。
橋本治も拾い読みするが、こちらも面白い。
文庫の解説や雑誌の作家特集に書いたものが多いようだが、どれも一筋縄
ではいかない書き方がしてある。
橋本治の本も、興味がわいているあいだに、読めるだけ読んでおこう。


[690] 台風圏の中の私は誰か? 2002年08月19日 (月)

台風が近づいているということで、出社時はどしゃ降り。
バス通勤はこういう強い吹き降りのときがつらい。

実は橋本治の本を読みたいと思うながらいつも挫折していた。
たぶん、読んだのは、最初の本の『桃尻娘』一冊だけだと思う。
時評や古典の独自のリメイクという発想がユニークなので、いつか
きちんと読みたいと思っていたのに、ぐねぐねした文体について行けず
今まで、何度も挫折していた。
こういう場合は、薄い本を一冊、とにかくちからわざで読み終えて、
免疫をつくるのが私の苦手作家克服法なので
ちくま文庫の『これで古典がよくわかる』を読み始めた。
この本は実は、むかし、ごまブックスから出た高校生向けの啓蒙書なので
ですます調のしゃべり言葉で書いてある。
とにかく、我慢して100ページくらいまで読んだら、なんと、中身が
きちんと頭に入ってくるのに気づいた。
やはり、ムリヤリ読みすすむというのは大事なことなのだ。
一気に最後まで読み、中で語られる橋本治の古典とのなじみかたに共感した。
これで、やっと『三島由紀夫とは何者だったのか』が読めそうだ。

橋本治とは別に昨夜から、嵐山光三郎の『芭蕉の誘惑』を読む。
こちらは嵐山文体なのでたいへん読みやすい。
嵐山光三郎は編集者時代に加藤楸邨とともに奥の細道紀行をしたり
1998年には自転車による奥の細道踏破もしているほどの大の芭蕉好き
だったのですね。
この本は「野ざらし紀行」から「おくのほそ道」までの芭蕉の紀行を
すべて、現在の時点でたどりなおすという俳諧紀行。
まあ、すらすら読めるし、含蓄もふくまれていて、読んで損はない。

和歌山のおばあちゃんの家に行っていた史比古が、関空発21時30分の
飛行機で帰ってきたのだが、結局、機体整備などで離陸が遅れ、家に帰って
来たのは24時30分を過ぎていた。


[689] 芭蕉にかかわるいくつかの事柄 2002年08月18日 (日)

台風が近づいているということで、小雨が降ったり止んだり。
小止みになったところをついて東陽町の図書館に自転車で行く。
思ったよりも混んでいる。

芭蕉、奥の細道に関する本を何冊か借りる。
帰宅後、いろいろと、読みつづける。
意外と掘り出し物だったのが、中央公論社が出している「マンガ日本の古典」
のシリーズの矢口高雄の『おくの細道』。

これは著者が、学生時代から俳句をつくっていたということと、芭蕉にも
親しんでいたので、中央公論社から古典の漫画化という企画をもちこまれ
たときに、即座に「おくの細道」をやりたいと答えたというほど、とにか
く気合が入っている。

この書き下ろし作品のために4ヵ月間、まったく別の仕事を断って、集中
したというだけあって、マンガだからとあなどれない良い出来栄えになっ
ている。本文を読み込み、尿前の関から尾花沢滞在を中心にして、じっく
り描きこむという方法も、芭蕉と日本各地の弟子及び当時の地方の産業の
ありかたを理解するのに役にたつ。
この本は、一見の価値はある。

もう一冊が嵐山光三郎の『芭蕉の誘惑』。
こちらは、著者が「野ざらし紀行」から「おくの細道」までの芭蕉の紀行を
たどりながら、蘊蓄をかたむけ、また、当時の芭蕉の心理や表現者としての
意識をさぐっていくといもの。
学者の推論と異なり、かなり、大胆なものだが、それゆえに、芭蕉像の人間
的な魅力がうきあがってくる。
「笈の小文」が杜国との同性愛の旅だったというのは、初耳だったが、衆道
ということの時代的な変遷を考えれば、そういうこともあるのかもしれない、
と思う。
いずれにせよ、芭蕉への興味をさらにかきたててくれる本ではある。

夏の終りに「芭蕉」への興味をもつことができたのは嬉しい。
あせらずに、いろいろな本を読みすすんでいこうと思う。


[688] 原稿を書く週末、台風もやってくる 2002年08月17日 (土)

リミットの原稿についにとりかかる。
私にとっては、ちょっとむずかしいテーマで、しかも、長い原稿なので
じっくり考えて、エネルギーを溜めて、一気に書くという方法をとって
みた。ただし、締切に少し遅れてしまったことは確かなので、この点に
ついては反省しなければならない。

和歌山に行っていた、家内とかの子が早朝の飛行機に乗っていたので
午前10時に帰ってくる。史比古はあと二日残るらしい。

原稿に飽きると、岩波文庫の柴田宵曲著『俳諧博物誌』と『芭門の人々』を
拾い読みする。
金魚といえば俳句にはいくらでも出ているような気がするが、実は明治の
子規以降にならないと、あまり作品はない、などということを知ることが
できる。

・藻の花や金魚にかかる伊予簾  其角

これが珍しい江戸時代の金魚の句。ただし季語は金魚ではなく簾の方らしい。

原稿の目処がついたので、夜は大岡信と尾形仂の対談集『芭蕉の時代』を
読む。
いろいろと示唆されるところはあったのだが、いちばんびっくりしたのは、
1970年代のフランスの本に
「とうがらし羽をつけたらあかとんぼ」という意味のものが松尾芭蕉の俳句
として紹介されている、ということ。これは事実らしい。

まるで小林信彦の『千早降る奥の細道』や『素晴らしい日本野球』の世界
である。20世紀最大の俳人は、あのねのね、ということになるではないか。
こういうことは、今は夏石番矢くんあたりが、訂正してくれてるのかな?


[687] マネーの虎にでるような 2002年08月16日 (金)

毎日新聞の夕刊に酒井佐忠さんが、住宅顕信ブームについて書いている。
中央公論新社から『住宅顕信読本』版画句集『ずぶぬれて犬ころ』、
そして香山リカの『いつかまたあえる』と三冊も本が出たのだから、やはり、
ブームというべきだろう。

私も最初の二冊は読んだ。
香山リカの本は、昨日、浜松町の書店でみかけて、手にとったのだが、結局
買わなかった。でも、今後、読むかもしれない。

二冊の本を読んで思ったのは、住宅顕信という男とは、彼が生きていても
仲良くはなれそうもないな、ということ。
あんなに激しく生きる人とは、たぶん、感性がシンクロできない。
ただ、作品に関しては、その激しさが巧く片言性をきわだたせている、と思
う。

石井聰互や新崎人生が作品を読んで、あそこまでのめりこんでしまうのだ
から、やはり、顕信の言葉の力は認めざるをえない。
『住宅顕信読本』の中で、もっとも顕信という人間に肉迫していたのは
菊池典子さんの文章だった。女性にとっての顕信という視点はきわめて
新鮮だった。この本の紹介が、有名人の名前ばかりがひかれるのは、し
かたがないこととはいえ、本を買った人なら、全員の文章を読むだろう
から、菊池典子さんの文章は、その読者の心にきっと残るだろう。

今、ふっと思ったのだが、顕信って、生きていたら「マネーの虎」に出て
一発当ててやろうというような男だったんじゃないだろうか。
そういう人間とは仲良くはできない。
しかし、そういう人間が刺激的な自由律俳句をつくったということは
信用できる。


[686] まず、しゃべることが必要だから 2002年08月15日 (木)

終戦記念日の特集番組であるNHKスペシャル「2002年、いま、きみと
語る戦争、いまこそ、対話のとき」を見る。
東京、ニューヨーク、カイロを結んでの学生たちの対話であり、当然、テーマ
は、2001年9月11日に始まったテロと報復の戦争である。
最終的には「対話」の必要性ということを確認しあったかたちになった。
これは現実的に即効性はないとしても現実性がある結論だと思う。
殴る前にしゃべれ!というのはあらゆる争いに対する私の考えである。

大岡信と尾形仂の対談集『芭蕉の時代』を読み進む。
本当は切羽つまった原稿が一本あるのだけれど、そちらを書くための
精神的な熟しかたがまだたりない。
迷惑をかけない範囲でぎりぎりまでねばるしかない。

夜中に激しいブレーキ音と車体が何かに接触する軋みが聞こえて目がさめた。
時計を見ると午前3時を少し過ぎたところだった。
ベランダの扉をあけて外を見ると、事故をおこしたらしい車の姿は見えず
パトカーが一台、サイレンを鳴らさずに、あかつき橋を渡り、潮見の方へ
走っていった。


[685] クーラーが壊れた夜 2002年08月14日 (水)

家に帰ったらクーラーが壊れていた。
日中の暑さにくらべて、夕方になってから、蒸し暑い感じは減じていたので
なんとか、今夜は我慢できそうだが、電気屋は日曜日まで休みらしいので、
困った週末になりそうだ。

しかたがないので、読みやすい本を読もうということで、小林信彦が、昔、
晶文社から出した『われわれはなぜ映画館にいるのか』とか『エルヴィス
が死んだ』とかに収録されている映画批評や書評を拾い読みする。
面白かったのが、「ヒッチコックマガジン」に掲載されたクロフツやカー
に関する座談会。
小林信彦は当時の中原弓彦という名義で編集部の立場で発言しているのだ
が、どちらにも、横溝正史が出ていて、痛快な発言をしている。
クロフツに関しては
「イギリスの風景描写なんて、面白くないんだから、そんなところはとばし
て、抄訳してしまえばいいんだよ」という正史の発言。
戦前の編集者の感覚は、こういうものだったのだろう。
悪びれていないので、ぜんぜん、イヤな感じはしない。
田中潤二と鮎川哲也も出席していて、クロフツの『樽』にある、時間のミスや
樽の傷に関する作者のミスなども指摘していて、コクがある座談会になって
いる。

これとは別に「カルメン・ジョーンズ」というカルメンの役柄をすべて
黒人で演じているミュージカル映画を見た直後に、中原弓彦、永六輔、
長部日出雄の3人が座談会で、日本のミュージカルの可能性をさぐるという
座談会も読み応えがあった。たぶん、この時、3人とも20代後半から30
になるかならぬかというあたりの年齢だと思う。
編集部の司会者も無記名ながら、かなり鋭い発言をしているが、これは白井
佳夫かもしれない。

まあ、面白い本を読んでいれば暑さもしのげる。
気がついたら眠ってしまっていた。


[684] 覚めてこつそり裏薮に来つ 2002年08月13日 (火)

ここのところ、また、興味ふかい歌集がたくさん出版されている。
落合けい子さんの第3歌集にあたる『ありがたう』(本阿弥書店2500円)
から、心にのこった作品を紹介してみる。

・鶴亀を三度となへて目を閉ぢぬ百年生くも寂しきものを
・ブギウギのメロディーひびく裏の路地いつか私もしわくちやになる
・裏やぶに帰りし雀さざめくに寂しきことも話しゐるらむ
・遺言は涅槃で逢はうゆくりなく沖雅也とふ美男子浮かぶ
・この夏は乳液ばかり減りゆくよ私は首より老いてゆくのか
・夢前の地卵ならび震へゐるこの冷蔵庫もくたびれてゐる
・うつむきて本読むときの時のまむを虫のごときが見ゆ ほらそこの壁
・七輪の網に食ぱん焼きくれし病みゐし母の焦げゆくにほひ
・討ち死にのごとく眠れる夫かな踏絵のあらばわれは踏むらむ
・わたしにも闇に明るき船が来るその時ひとり乗らねばならぬ
・薮なかに札束生える夢なりき覚めてこつそり裏薮に来つ
・この国が滅びゆくとき彼の方はいかなることをなさるのだろう
・茶のなかに茶柱として立つ夢にして茶柱のかげを見てゐし

しるしをつけた歌は、まだ、この倍以上ある。
老いや衰えから生じるさびしさを、やすらぎに転化させようとする意志が
せつない。読み飽きない歌集だ。


[683] 流星群を見ない夜 2002年08月12日 (月)

「歴史民俗学」(批評社)という雑誌が「検証・八切止夫」という特集号を
だしたので、つい買ってしまい、なおかつ、読みふけってしまう。
八切止夫には、かなりむかしに、ちょっと凝ったことがある。
「小説現代」の新人賞をとって、1960年代の後半から70年代のはじめに
かけては、単行本も何冊も大手出版社から出していた人なのに、いつしか、
独自の歴史観の本だけを書くようになり、日本シェル出版という自分でつく
った出版社からのみ、自分の本を出すようになってしまった人である。

読みふけったのは、まだ、現在の勤め先にうつる前のフリーランスの時代
だったと思う。ある種の独善的な歴史観による仮説にひたりこんてゆくのは
現実逃避だったかもしれない。
「歴史民俗学」の著作リストで、チェックすると、けっこうたくさん八切本
を読んでいる。あの頃はつらかったから、やはり、もうひとつの現実を夢み
ていたのだろう。

夜、「私立探偵濱マイク」を見る。
ペルセウス座流星群を見ることもなく眠る。


[682] 何もない日曜日/父の休暇の終りの日 2002年08月11日 (日)

あいかわらず猛暑の一日。
書かなければならない原稿があるのだけれど書きたくない。
精神的にというより、物理的に書きたくないということ。暑いからね。

牛乳を買いに東陽町まで自転車で走ったら、全身、汗びっしょりになった。
脱水症状にならないように、麦茶を補給する。

どこかに尾形仂の『座の文学』があるはずだと思い、適当な本棚の奥に手を
突っ込んで、講談社学術文庫らしき本を一冊ひっぱりだしたら、みごとに
目当ての本だった。こういうこともある。


[681] 芭蕉に関して私が知っている事柄はほぼない 2002年08月10日 (土)

饗庭孝男著『芭蕉』を読みつつ一日過ごす。
手紙をポストに入れるために二度外に出たが、それ以外の時間はずっと室内。

俳句の本はそこそこに読んできたつもりだったが、いざ、古典となると、何
も知らないということがあらわになってしまう。
小池博さんの「きさらぎ連句通信」を読むたびに、小池さんの該博な知識と
それを有効に使うイマジネーションの素晴らしさにうちのめされてしまう。
饗庭孝男の本を買ったのは、せめて、読みやすい新書でも通読することで
芭蕉に関する基本的な知識をおさらいしておきたいと思ったから。

ひとつはずかしい話をすると「おくのほそ道」のことを「奥の細道」と
表記するのだとばかり、ずっと思い込んでいた。こんなことも知らなかった
わけなのだ。
饗庭孝男の本は、読んで良かったと思える本だった。
こういう助走から始めて、安東次男の『連句の読み方』へつなげたい。

歌葉の「現代短歌の世界」を読んだら、荻原裕幸さんが、「短歌WAVE」
の北暝短歌賞の次席の石川美南さんの「祖父の帰宅/父の休暇」を高く評価
していた。実は私も7月末締切の「NHK歌壇」の短歌時評に彼女の作品を
とりあげて、構成力のみごとさを称揚しているのだが。


[680] 笑う蛙を見る 2002年08月09日 (金)

新宿武蔵野館に平山秀幸監督の新作「笑う蛙」を見に行く。
久しぶりに行くので、うっかり昭和館の方へまわりこんでしまったる
昭和館、昭和館地下ともに閉館で工事用の塀に囲まれている。

平日の午前中の上映というのは、いかにも映画好きな感じの初老の人や映画
研究会風の学生のカップルなどが多い。
八十席の座席が、それでも半分以上埋まっているのだから、まあ、そこそこ
の入りといってよいのではないか。
確かにこの映画、評判がじりじり高まっている。

原作は藤田宣永の『虜』という長編小説。
銀行の支店長の中年男がスナックのホステスに入れ揚げて横領が発覚。
逃亡中に妻の実家の別荘に忍びこむ。そこで妻の「女」としての面を
なまなましく見せられ、しかし、外へは出られない、というジレンマ
の中で、妻の側の親類たちのエゴで、存在そのものを否定されてしまう
という喜劇。

前半は軽いくすぐりでつなげて行き、最後に黒い笑いが爆発するように
ひっぱってゆく平山監督の腕が冴えている。
現に、私が見ていた回も、ねらいどころで、お客は爆笑した。

妻の大塚寧々の母親役の雪村いずみが大熱演。
自己中心的なオンナのイヤラシサをみごとに出している。
これは助演女優賞ものの痛快な演技である。
雪村いずみの年下の婚約者として出てくるのがミッキー・カーチス。
もちろん彼の存在感は、ぴったりはまっているのだが、ミッキーさんも
大杉漣も田口トモロヲも出ない日本映画はつくれないのだろうか?

帰りに紀伊國屋書店で、ちくま文庫の『田中小三昌エッセイコレクション』
のB映画篇を買って帰宅。
実は月曜から夏休みでずっと休暇だったのだが、みごとに読書と映画以外
なにもしなかった。原稿も一行も書いてない。
明日からは、もう、単なる週末だし、これで私の夏は終わった。


[679] 中島美嘉から泥の川へ 2002年08月08日 (木)

アントニオ猪木プロデュースの「LEGEND」が日本テレビで生中継と
いうことで見る。
例によって、リングサイドに芸能人をならべるというK-1の演出を踏襲し
ているのだが、並んでいるのが奥名恵や南野陽子というメンバーでは、か
えって、ヒマな人だけが来ているという感じで、逆効果ではないか。
K-1の石井館長は、ディカプリオまでだましてドームにつれて来たのだか
そういうはったりを、もっと猪木にはかましてほしかった。結局、タイソ
ンもこなかったしね。タイソンの件は誰も本気にはしていなかっただろ
うけど。
ところが、びっくりしたのが、中島美嘉の「君が代」独唱。
「君が代」がこれほどセクシーに聞こえたのははじめてだ。
この「LEGEND」の唯一の手柄がこの中島美嘉の「君が代」だった
といえる。

昼間、ブックオフで買っておいた宮本輝の角川文庫の『蛍川』を読む。
この本は太宰治賞の「泥の川」と芥川賞の「蛍川」が収録されている。
しんも、解説が水上勉。
小説自体はすでに発表時に読んでいるので20年ぶりくらいの再読。
「泥の川」がやはり懐かしい。

東京と大阪のちがいはあるが、私が小学校2年の時まで、同級生に水上
生活者の子供が居た。江東区は23区内でも、もっとも貧しい地区だった
ので、母子寮の子供も多かった。
「泥の川」に描写される夏の運河の泥水の饐えた臭気、天神祭の夜店の
カーバイトの臭いなど、鼻の奥にこびりついている。

この小説が好きなのは、登場するおとなたちが、みんな感じが良い人物で
あること。今回も同じ印象を受けた。
ラストの、少年が舟を追いかけてゆく場面も好きだ。

「蛍川」も少年に対するおとなのやさしさが描かれていて後味が良い。
現在の自分は、こういうおとなになれているだろうか。


[678] 夢の始末書、夢のあと 2002年08月07日 (水)

午後から八重洲ブックセンターを覗きに外出。
あいかわらず暑い。太陽に背を向けて歩いていると、背中にドライヤーを
あてられているような気がしてくるほどだ。

八重洲ブックセンターに行くということは、当然、八重洲古書館にも寄る
ことになる。

八重洲古書館で買った本。
・『小出楢重随筆集』
・『鏑木清方随筆集』
・『クラクラ日記』坂口三千代

八重洲ブックセンターで買った本
・幸田露伴『評釈・猿蓑』
・久富哲雄『おくのほそみち 全評釈』
・饗庭孝男『芭蕉』
・『中勘助随筆集』
・『緑色の太陽』高村光太郎芸術論集
・村松友視『夢の始末書』

このような本を購入し、とりあえず、夕方から夜にかけて『夢の始末書』を
一気に読了した。
この作品は村松友視が中央公論社の文藝誌「海」の編集者だった時代の
作家たちとの交流を、かけがえのないライブの時間としてとらえて、か
なり主観的につづったもの。
この本の存在は、かねたくさんのHP「本読みの快楽」で知ったのだが、
読んで良かった。
ところどころに出てくる村松友視ならではのプロレス的な比喩も楽しめる。
たとえば、作家との話が膠着した時に、空気を変えようとするのを
「レスラーがとりあえずロープにとんでみるようなもの」
などと表現している部分などである。

武田泰淳、舟橋聖一、野坂昭如、小桧山博、後藤明生、田中小三昌、唐十郎
といった作家たちの、作品に対する志が、編集者の視点で観察されている
ことも、一種のブックガイドとしても読める。
つまり、この本に登場する作家たちの小説を読みたくなるということだ。
良い本を読むことができた。


[677] 広島原爆投下の日に一日本を読む 2002年08月06日 (火)

今日も暑い暑い一日。
読み散らかしてはほっぽりっぱなしになっている本を少しずつ読み終らせて
ゆかなければならない。
とりあえず、今日読了したのは山田風太郎『風来忍法帖』。
この作品は忍法帖シリーズの中でも異色で、中身はいつもどおりの
トーナメント型の殺し合いなのだけれど、全体的なトーンは妙に明るい。
時代設定は豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻めている時代。
麻也姫という太田道灌の子孫の姫をめぐって、七人の香具師と風摩忍者が
対決するというもの。
他の忍法帖と異なる点は、香具師の七人組はあくまで常人で、いつもの
忍者のような異常能力はもっていないということ。
いちおう、逃げ足が速いとか、夜目が利くとか、大声が出せるとか、狙った
女は必ずおとすとか、得意種目はあるのだが、これらは現実的に納得できる
範囲のものだ。
この連中がね身体を切断されても現状復帰してしまう風摩忍者たちと戦うの
だが、七人のキャラクター造型と麻也姫の人間像がきわめて魅力的に描かれ
ていて、姫のために全員が死んでゆく結末ながら、明るいベクトルの無常観
が全編をおおい、陰惨さがまったくない。
確か、作家の皆川博子が、山田風太郎忍法帖シリーズの中では、この『風来
忍法帖』がいちばん好きだと言っていた。
私も忍法帖シリーズを全部読んだわけではないが、『外道忍法帖』とこの
『風来忍法帖』は忘れ難い。

一日じゅう本の整理をしながら、時折、興味をもった本を拾い読みする。
北原亜衣子『江戸風狂伝』
大岡昇平『わが文学生活』
山田風太郎『警視庁草紙』下巻
これらの本をぽつぽと読みふける。

夜、JALのジュニアVIPという子供が一人で飛行機に乗るシステムで
かの子が関空へ向う。
和歌山のおばあちゃんが迎えにきてくれているはずだったのだが、勘違い
で、1時間空港に到着が遅れ、関空から「お迎えの方がいません」と電話
がかかってきたりしたが、ほどなく解決。
かの子も別に不安がっても居ないようだった。
12時近くになって、和歌山の家に到着したしの電話がかかってきて一安心。


[676] はるかなる夢の砦よ 2002年08月05日 (月)

今日は夏休み。
正午に旧友のS君と有楽町のビックカメラで待ち合わせ。
一緒に昼食を食べ、そのあと、喫茶店で1時間ほど話す。
彼は元フリーノディレクターで、今は名古屋に住んで、自分の会社を
つくろうとしている。今回は、だいたいの段取りができたので、東京の
知人たちに報告に来た、とのこと。

2時過ぎにわかれて、私はそのまま東海道線に乗って藤沢へ。
聖知文庫のAさんを2ヶ月ぶりに訪ねる。
お願いしてあった購入希望本をいただく。

小林信彦『夢の砦』(ハードカバー版)
小林信彦『家の旗』
小林信彦『セプテンバーソングのように』

どれも好きな本ばかり。
特に『夢の砦』は何度読み直してもせつなくなる。
短歌研究新人賞を受賞した「ラジオデイズ」の最初の題は「夢の砦」だった。
結局、ラジオの現場ということを押し出すべきだと思ったので、最後に、
ウッディ・アレンの映画のタイトルを借りる方を選んでしまったが、もちろん
「夢の砦」という言葉には執着がある。

『セプテンバー・ソングのように』のあとがきに、また、泣かせる一節が
ある。
 「映画「旅愁」が一九五二年に公開されてからで、中年の男女の恋を
  あつかったこの映画のテーマがウォルター・ヒューストンの「セプ
  テンバー・ソング」であった。ぼくは大して意味も考えずに、歌詞
  を暗唱していたが、いまとなっては骨身にしみる。<本当に貴重な日々
  なのに、残り少なくなってゆく……>というところが、特にこたえる」

これを書いた小林信彦の年齢より、まだ、私は若いのだけれど、かけがえ
のない日々をたまものとして生きていきたい、と、今夜はマジメに終って
みる。


[675] 短歌人夏期集会2002・2日目 2002年08月04日 (日)

同室になったのは、今回の地元の幹事の古屋士朗さん、長谷川莞爾さん、
長谷川富市さんと、みなさん、おとなの方々なので、夜中も12時には
就寝。6時過ぎに起床と、たいへんさわやかな朝を迎えることができた。

朝9時きっかりからオンタイム進行で歌会開始。
前半の司会は西勝洋一さん。披講が関谷啓子さん、マイク係が太田秀康さん
佐々木みかさん。
スムーズに進行し、無事、前半、終了。
きちんと睡眠をとってあるので眠くなることもない。
昼食をはさんで、午後の部を1時にスタート。
後半は私が司会進行。披講は武藤ゆかりさん。マイク係は佐藤りえさんと
内山晶太さん。
こちらも進行は順調に進み、午後3時に終了。

高点歌

・新刊の積まれていたる一角があらわな皮膚のように光れり  岩下静香

・掃除機を小犬のように連れ回す男ひとりの六日目ほろろ   知久安次

・捨てたものに捨てられながら生きているわれに桜の闇ふかき昼 富樫由美子

この3首が上位3首なのだが、よく考えてみると、岩下さんも知久さんも
富樫さんも、つい最近、第一歌集を出したばかり。
やはり、作歌するためのエネルギーが充実しているということなのだろう。

サヨナラパーティの司会進行は宮田猟介さんと庭野摩里さん。
昨夜、「みぎわ」の主宰の上野久雄さんがさし入れてくださったワインや
地元の古屋士朗さんたちの心づくしの桃などをいただきながら、終了。
みんなで甲府駅へ向い、それぞれの列車に乗る。

新宿駅に夜8時少し過ぎについたら、雷雨だった。


[674] 短歌人夏期集会2002・1日目 2002年08月03日 (土)

かいじ161号という列車に新宿から乗って、甲府駅についたのが午後4時
過ぎ。列車の中で巌谷大四著『懐しき文士たち・戦後篇』を読了。
先日読んだ嵐山光三郎の『追悼の達人』のタネ本のひとつらしい。
やはり、横光利一の死のあたりは、この本が元ネタだった。

会場のホテルに着くと、すでにほとんどのメンバーは顔を揃えている。
佐藤りえさんが、すでに、夜の題詠大会の詠草をパソコンで打ち込んでいる。
彼女には朗読会にも参加してもらうので、本当に忙しい目にあわせてしまい
申し訳けないと思う。
題詠の題は甲府名物の「桃」。

ほどなくオープニングパーティ開始。
中地俊夫さんのあいさつ。
「高瀬さんも蒔田さくら子さんも参加していない、初めての夏期集会」
まったく、そういうことは予想もしていなかった。

食事のあと、会場をとなりの部屋に移して、朗読会プラス題詠批評会。
朗読会に参加してくれたのは、生沼義朗、天野慶、村田馨、佐藤りえ、
武下奈々子、そして私。さらに、三浦富美子さんが、外国人記者クラブで
英語短歌に関するインタビューを受けたときにおこなった、英語短歌の
朗読のテープによる再生。
30分足らずだったが、初めて聞いたかたたちは、どのように感じられた
だろうか。


[673] 夏の稲妻・ゆりかもめ 2002年08月02日 (金)

二日続きの雷雨。
午後四時過ぎにはお台場地区は真っ暗になり、ときおり、稲妻が走る。
24階のオフィスの窓からアクアシティ側の路上を見て居ると、まだ、
雨は降っていないようだけれど、バスの停留所には長蛇の列ができている。

まもなく雨がガラスの窓を叩きはじめる。
そして館内放送が落雷のためにゆりかもめが不通になっていると告げる。
あとはバスとりんかい線、タクシーしか都心にもどる方法はない。
昼間はかなりの人出だったので、その人たちが、いっせいに帰路をたどり
始めると、一時的に交通路が麻痺してしまうだろう。

案の定、五時半に会社を出たのだが、ゆりかもめは、まだ不通、バスは遅
れていて、百人くらいバス停に人がたまっている。一台、浜松町行きのバ
スがやってきたが、すでに満員で、台場駅からは乗れない。
雨の中をタクシー乗り場にむかうが、当然、タクシーは来ない。
しかたがないので、りんかい線の東京テレポート駅へ向う。
こちらは、さほど混雑はしていないが、新木場へ着くと、案の定、武蔵野線
が、豪雨のために運休だというアナウンスがながれ、JRも有楽町線も人が
あふれている。
とにかく、じっと電車が来るのを待ち、やっと家に到着したのが、七時過ぎ。
ふだんは三十五分くらいで帰れるところを、一時間半かかってしまった。

夜、早めに布団に入ったのだが、眠くない、新潮Oh!文庫の『お笑いテロ
リスト・大川豊が行く』を読み終ってしまう。
次に山田風太郎の『風来忍法帖』を読み出したら、これも面白く、250頁あ
たりまで、一気に読んでしまう。ここのところ、熱帯夜で、睡眠不足だし、
明日から「短歌人」の夏の大会なので、本当は速く眠りたいのに、こうい
う時に限って、本が読み進めてしまう。
午前1時になったので、さすがに、もう眠らなければということで、消灯。


[672] 八月はエロスの匂い 2002年08月01日 (木)

タイトルにしたのは、川村真樹とかむささび童子とかが出演した日活ロマン
ポルノの一作です。たぶん、この映画を見てから27年くらい経ってます。

通勤のバスの中で読み進んでいた嵐山光三郎の『追悼の達人』読了。
明治の正岡子規から昭和の川端康成、小林秀雄まで、著名な作家、文化人が
亡くなった時、どのような弔辞や追悼文を書かれたかを克明に調べ、その人
の位置づけをしてみせるユニークな着眼の本です。
文章の流れには、どうしても、嵐山光三郎自身の好き嫌いもはいってしまう
ので、ああ、著者はこの作家が好きじゃないんだな、などと二倍楽しめます。

林扶美子が亡くなった時、川端康成が
「故人にはさまざまな思いをお持ちの方が多いでしょうが、こうして
亡くなってしまったことに免じて、どうか、許してやって下さい」と
あいさつしたのだそうである。
林扶美子は宴席で、どじようすくいを踊ったりすることもあったそうだが
全体的には意地悪だったらしい。
そういえば、どしょうすくいに関する小熊秀雄の風刺詩も読んだことがある
のを思いだした。

夜、突然、雷雨になった。
私は眠れないままに、文庫本をあれこれひろい読みして、なぜだか、
三島由紀夫の「ラディゲの死」なんて短編を読んだりしてしまった。


[671] 小香港の激辛マーボ豆腐 2002年07月31日 (水)

デックスの7階にある小香港で激辛マーボ豆腐を昼食に食べた。
いままで食べた最高に辛い料理は、1975年頃にロンドンで食べた
quitehotという表示のインディアンカレーだったが、今日のマーボ豆腐は
まちがいなく、その次に辛い。
食べたあとで郵便局まで炎天下を歩いたら、身体の外と内側も燃えている
状態になってしまった。耐え切れずに途中でペットボトルのお茶を飲んだ。
郵便局からオフィスまで、また、ゆりかもめで一駅分の距離を歩いて戻る
と、もはや、木乃伊状態になっていた。

大辻隆広歌集『デプス』と黒岩剛仁歌集『天機』を読んだ。
大辻さんの歌集はdepthというわけで、巧いタイトルをつけたものだと
感心した。
黒岩さんの歌集はかなり長い期間の作品を収めており、しかも編年体なので
前半の作品がいかにも、もう、何度も読んだような気になってしまうものが
多く、損をしている。せっかく、電通に勤めているのだから、もっと、職業
の現場の猥雑さを詠ってくれれば、オリジナルな時代感覚が出たはずなのに
まことに惜しいと思う。

大辻さんの歌集から何首か引用しておく。
・人のこゑ聞きたる夢の内側はかすかに濡れてゐし、とおもひつ
・あかつきの霜に冷えたるエンジンに内燃の火を灯しつつ出づ
・蘭鋳のただれたる頭をつくりつつ人智は暗くふかく熟れゆく
・包帯を巻きゐしか否かおぼろにて川上慶子の垂らしし右手
・などかくは言葉は熟れて美しく くりすたるなはと、くめーるるーじゅ
・キューピーの背中に走るふたすぢの眉のごときは羽根だと教ふ
・再思してみたがさきほど夜の窓をよぎりしは合歓なりしか不明
・文体に殉じたあとのしかばねをさぶさぶ洗ひ寒梅雨のあめ
・古井戸をあまた地中に沈めたる世紀、と言はばおほよそわかる
・芝に射す影の深度(デプス)を測つてたまだ夕方が高貴だつたころ

あざといなあ、と思いながらもついつい魅かれてしまう歌の数数。
こういう言葉のトラップに落ちる快感もある。


[670] 炎天下の針の筵 2002年07月30日 (火)

私の勤め先のビルの裏側にある空地に先週末からマツダの試乗コースが
つくられている。
詳しくは知らないが、たぶん、新車の試乗イベントを夏休みのお台場で
おこなえば、たくさんのお客が獲得できるだろう、との目論見のもとに
こういうイベントが開催されているのだろう。
場所は昔のとんねるずの番組でケイン・コスギとか石橋貴明とかが競馬
をやっていた空地である。デックスとかアクアシティとかの反対側にな
るので、同じお台場でも、人の流れがそっちへ向かない場所なのだ。
それで、いつ窓からのぞいても、コースを車が走っていることはほとんど
ない。まったく、一日に10回も走っていないのではないかと思う。
たぶん、そのコースの脇にあるブースにはスポンサーや代理店関係者が
居る場所があるのだろうから、このイベントを提案し、実施運営している
某テレビ局の事業部や営業部の担当者は針のむしろではなかろうか。
外は暑いし、客は来ないし、スポンサーは怒っているし、というような
シチュエーションにかつて私も遭遇したことがある。
まことに、実施運営担当各位には、お気の毒さま、と言うしかない。


[669] 1914年の7月には 2002年07月29日 (月)

「富裕な商人の息子ヨーゼフ・Kは、父と派手ないさかいをやらかしたのち
 これといったあてもなしに港に近い商人会館へと足を向けた…」
上記の文章は、1914年7月14日に、カフカが書き付けた『審判』の
ための覚書の一節。
その前日の28日には、オーストリアがセルビアに宣戦布告し、第一次世
界大戦の火蓋が切られている。
今からわずか88年前でしかない。時間の感覚というのは不思議なものだ
と思う。

暑い日が続いていて、お台場にブースを建ててサンプリングやイベントの
進行をおこなっているコンパニオンや警備のアルバイト青年たちも、外の
猛暑と控え室の冷房の温度差に、体温調整が狂って、ぐったりしている。
こういうイベントでは、お客が来ないのはむなしいし、かといって、お客
が殺到して来て、人手が足りないというのはもっと困る。お客を外に並ば
せて、暑さで倒れられたりしたらおおごとだし、暑い中で待っている間に
みんな、イライラして殺気だってくる。これはトラブルまで一触即発。
というわけで、真夏の炎天下のイベントはたいへんだなあ、と、涼しいオ
フィスから、階下のイベントを見下ろしているうちに一日暮れた。


[668] 三代目襲名 2002年07月28日 (日)

神田北陽さんが真打に昇進し、同時に三代目神田山陽を襲名することになり
その襲名披露パーティが、帝国ホテルであるので出席。
北陽さんが入門したのは、平成元年の年末。この時、講談の専門の席である
上野本牧亭は閉鎖することになっていた。そして、その閉鎖直前に最後の本
牧亭での真打披露として、神田紅さんの襲名がおこなわれた。
当時、私は紅さんと一緒にラジオ・カーで都内各地をまわり、レポートを
するコーナーのディレクターをしていたので、紅さんの真打のお披露目には
当然行ったのだった。安藤鶴夫の直木賞受賞作「巷談本牧亭」の舞台もなく
なってしまうのだなあ、と、感慨無量だったことを、つい、昨日のことのよ
うにおぼえている。
その時に北海道女満別から上京して、二代目神田山陽の門を叩いたのが、こ
んどの三代目を襲名する北陽さんだったわけだ。

トライトーンのアカペラのコーラスで始まる襲名式というのも空前絶後だろ
う。司会は春風亭昇太さん。席亭の祝辞も、新宿末広亭、浅草演芸場ともに
若旦那になっているのが、新世紀初の講談の真打誕生の宴にふさわしい。
永六輔、山藤章二、高田文夫、吉川潮氏らによる鏡割り。
トライトーンのミニコンサートが出席者をなごませてくれる。
三代目山陽さんが、トライトーンのコーラスつきで、「少年時代」を歌い、
三遊亭小遊三さんが同じく「ダイアナ」を歌う。みんな、気持ちよく感動
している。
講談とアカペラの取り合わせが新鮮味を感じさせたのか、浅草演芸場の先代
の松久会長など真剣に聞き入っている。フランス座にトライトーンを出そう
と考えているのかもしれない。
ニューオイランズという芸術協会の噺家さんたちによるデキシーバンドの
演奏があり、最長老の春風亭柳昇師匠のご機嫌なトロンボーンも出る。
そして、トリが玉置宏さんによる三本〆。なごやかで、にぎやかで、印象深い
真打昇進そして三代目神田山陽襲名披露パーティであった。

その後、私は歌会に出るために目白に向ったのだが、松原未知子さんも、
池田はるみさんも欠席だったので、ほとんど私が最年長ということになって
しまった。