[667] タフであること、など 2002年07月27日 (土)

日本出版クラブで中原千絵子さんの歌集『タフ・クッキー』の批評会。
「未来」の近藤芳美選歌欄の人達を中心に「未来」以外の人達もゲスト
というかたちで、何人か招待されている。
私はパネリストをやらせていただいたのだが、他のパネリストは「未来」の
飯沼鮎子さん、太田美和さん、「かばん」の穂村弘さん、「心の花」の大野
道夫さん。
ゲストとしては「塔」の三井修さん、「コスモス」の奥村晃作さん、「かり
ん」の日高尭子さん、「まひる野」の柳宣宏さん、「かばん」の千葉聡さん
たち。司会は「未来」の加藤治郎さん。

私は最初にしゃべらせてもらい、メッセージ性の強さを肯定するが、いくつか
いかにも朝日歌壇的な臭いの強い歌があり、それらの表現を変化させていく
べきではないか、ということ。及びに、この歌集が歌葉からのオンデマンド
出版で上梓されたことに、歌葉は若い人だけのブランドではないと、認知さ
せるさきがけとしての意味がある、というようなことをしゃべった。
全体的に議論がすれちがわずに、充実した意見交換がなされた。
ひとつ驚いたのは、この歌集の後書きに、加藤治郎さんが、ある一首が
雑誌の初出から、この歌集への収録型ができるまで、著者の中原さんと
加藤さんが、やりとりをした過程が書かれていることに関して、柳宣宏さんが
「こういう工房の秘密的なこしはオープンにすべきではない」と言ったこと。
これには、柳さんが、なぜ、そんなことを言うのか私は正直おどろいた。
別に添削過程を書いたわけではなく、加藤さんの意見によって、中原さんが
一首を書き直し、修正して行く過程なのだから、工房の秘密というような
ことでもないし、むしろ、私は興味深くこの部分を読んだのだけれど、それ
が、ひっかかるというのは、不思議な気分だった。

終了後、懇親会。歌集『邂逅』の山口智子さんに初めてお目にかかれたのが
とても嬉しかった。1950年代を象徴する青春歌集として私は『邂逅』を
感動して読んだものだ。「名もなく貧しく美しく」というきわめて清潔なイ
メージの歌集なのである。

夜は池袋に行き、「短歌人」の仲間と一緒に八木博信さんを囲んでの
お祝いの会。とても気分の良い集まりになり、嬉しい時間が過ごせた。


[666] 神楽坂駄句駄句会 2002年07月26日 (金)

先月は「マラソンリーディング2002」の会場の下見のために休んでしまった
ので、今月はいさんで駄句駄句会へ行く。
神楽坂は夏祭りで、太鼓や鐘の音が聞こえるし、そのうちに揃いの浴衣の
一団が、阿波踊りで坂を上り始める。
にぎやかしということで、本場からプロの連を招聘しているのだろう。

句会の席題は「踊り」と「夏痩せ」。
私以外のメンバーは、山藤宗匠をはじめ、誰もネクタイなとしていない。
みんなアロハみたいなものを着ている。
「海の家みたいだな」と高田文夫さん。
私が遅れたために、必死で句案をねっていると、さらに遅れて、林家たい平
さんがやってくる。
これで、レギュラーで本日の休みは木村万里さんだけ。

句会の成績は点数では三位だったが、「天」を山藤宗匠と吉川駄郎先生から
もらえた。
次の句である。

・一踊りしておいでなと母にいふ  駄郎「天」

・夏やせて眼鏡のつるのゆるみけり 三魔「天」

句会終了後、いつもの喫茶店に行き、小一時間ほど演芸関連の雑談。
玉置宏さんの「横浜にぎわい座」は順調にお客さんがついているらしい。
島敏光さんと、地下鉄の東西線と大江戸線の別れ道まで一緒に帰って
帰宅したのが、夜10時過ぎ。
火曜日にビデオで見た、浮世亭けんけんという芸人さんの顔にみおぼえ
があったので、相羽秋夫さんの『現代上方演芸人名鑑』で調べてみたら
やはり、けんけんという芸名から、浮世亭ケンジという名前に変ったと
書いてあるのを発見。
つまり、浮世亭ジョージ、ケンジのケンジになって、あのドキュメントの
2年後のコンクールで、優秀話術賞を受賞するわけだ。
ジョージ、ケンジのジョージは大阪弁ペラペラのハーフだが、顔は完全に
外人なので、ケンジとの違和感がなかなか面白かった。
「オレがB29をやるから、オマエは竹やりで突いて来い」というような
日米ネタのギャグは、今でもおぼえている。
しかし、このコンビも、確かケンジの金銭トラブルかなにかで解散して
しまうのだった。
やはり、芸人さんの運命というのはわからないものだ。



[665] 湖南料理の暑気払い 2002年07月25日 (木)

グループ事務局の有志6人で暑気払い。
新富町の旧ポーニーキャニオン社屋の近くにある「中華福」という店に行く。
湖南料理ということなのだが、つまり、洞庭湖の南ということらしい。
味付けは、濃い味で、しじみのニンニク醤油漬けとか、ニワトリの足の
醤油煮とか、見た目が黒っぽいものが多かった。
味はさすがに美味しい。日本人好みにアレンジしているのかもしれないが。

7月に異動してきたSxyf<CXの報道部の出身なので、三原山の噴火の
時、レポートをしていたら、5メートルくらい先の地面に罅が入り、噴煙が
噴出してきた話を聞いた。ラジオの方は、この時、島民が避難してきた船を
竹芝桟橋に出迎えて、無事到着の一報を放送して、島に残った人達におおい
に感謝されたものだった。

二次会なしで解散。
8時ちょっと過ぎに帰宅して、千葉テレビで「快傑えみチャンネル」を見る。
やはり、面白いことを確認。
こういうものなら、キー局がオンエアしてもよいのに、と思う。


[664] 伊集院光のジャンクを聞く 2002年07月24日 (水)

勤め先のビルの真下の広場で、「お台場どっと混む」というイベントが
週末からおこなわれている。このまま、夏休みいっぱい続くそうだ。さまざま
な企業のブースが出ていて、サンプリングで試供品をくれたり、有料でキャラ
クターグッズを売ったりしている。

夜、史比古が録音しておいてくれた「伊集院光の月曜ジャンク」を聞く。
ネタの選択、話の構成、トークのスピード感ともに申し分ない。
たぶん、現在、ラジオで一人しゃべりをしているタレントの中で、もっとも
面白いのが、伊集院光だろう。
テレビではメインをとっていないので、その面白さが半分も伝わっていない。
マニアックなところが、メインをとれない理由なのかもしれないが、伊集院
光の場合は、たとえばゲームの話などでも、マニアックになればなるほど面
白さが増していく。そういう意味ではマニア向けのしゃべり手なのかもしれ
ない。どういう状況でも、平均レベルに合わせたものなど、つまらない。
たとえ、自分が今はわからなくても、我慢してついてゆけば、やがて、その
面白さを共有できるようになる。
渋谷のBOOK FIRSTの一階の雑誌のならべ方が気取っているという
話、渋谷へ行くと、「デブは渋谷へ来るな!」とビジョンにバカにされてい
るような気がするという話、X−BOXのソフトの「鉄騎」のコントローラ
ーの話など、すべておおいに笑える。2時間の番組を聞きながら、笑い続け
ていられるという経験はめったにないことだ。
小林信彦が伊集院光が日曜日の午後にやっている「日曜の秘密基地」を褒め
ているが、深夜の「ジャンク」の方が、のびのびとやっていることは確かだ
ろう。かつての三遊亭楽大が伊集院光になる過程を間近で、見ていた私にと
っては、感慨無量といえる。伊集院光の番組をディレクターとして、やって
みたかったな、と少し残念に思う。


[663] マンザイグラフィティー2002 2002年07月23日 (火)

NHKアーカイブで日曜の深夜に放送された「泣き笑い漫才コンクール」と
いう27年前のドキュメンタリーを見た。
1975年にNHK大阪でつくられたもので、当時の若手漫才師たちが、
有名になりたいという一心で、NHKの新人漫才コンクールに挑戦する姿を
描いている。
ナビゲーターとして登場する藤本義一の髪の毛が黒々としているのに、まず
驚く。彼も「鬼の詩」で直木賞をとった直後のようだ。
1975年といえば、あのMANZAIブームの5年前。私の記憶では
関西の演芸界も、一時的に沈滞していた時期だったように思う。

いちおうメインとしてあつかわれているのが、海原はるか、かなた、と
浮世亭ケンケン、てるてるという2組。いちおう活躍が期待されていた
のかもしれない。
カメラは二組を中心に、稽古の風景、師匠からの小言、楽屋での反省会など
こまかく、取材をしてゆく。浮世亭とん平の姿が映っているのも貴重だ。
この漫才師たちが街へ出た場面ではBGMに長谷川きよしの「別れのサンバ」
がかかるのも、いかにも1970年代の匂いがたちこめる。

結局、浮世亭ケンケン、てるてるの方は、途中でケンカ別れして、コンクール
への出場は辞退してしまう。
海原はるか、かなたは、自信のあるネタをねりあげて、コンクールに挑む。

このコンクールの出場者が、今となっては貴重な映像となっている。
ざ・ぼんち、海原千里、万理、大木こだま、ひかり(今のひびきとは別人)
ちぐはぐコンビ、酒井くにお、とおる等などの27年前の姿である。
くにお、とおるの特に弟のとおるなど、現在とほとんど容姿がかわっていな
い。一方、大木こだまなどは、今とは別人のよう。「往生しまっせ」には
まだまだ遠い。のちに上沼恵美子になる海原万理もおとなしいものである。

結局、ざ・ぼんちとちぐはぐコンビが賞をとり、海原はるか、かなたは
敗れ去る。
もちろん、入賞したざ・ぼんちにしても、6年後に武道館で独演会が
できるようになる、などということは夢にも思っていないだろう。

そして、27年後の現在、海原はるか、かなたは、例の薄い髪の毛を
息でふきとばすネタで、時々、東京のテレビでも見かけるようになった。
ちぐはぐコンビは、もう、消息がわからない。
ざ・ぼんちは再結成したようだが、どんなものか。
大木こだまは、大木ひびきと組んで、そこそこ活躍している。
酒井くにお、とおるは松竹芸能では、もう、幹部級だろう。
海原万理こと上沼恵美子は紅白歌合戦の司会もしたほどで、タレントとして
は、いちばん成功しているだろう。

27年という歳月の流れの重さとせつなさ。


[662] むかしの「マンハント」のような 2002年07月22日 (月)

はじめて「私立探偵濱マイク」を見る。
今週の監督は行定勲。
期待していた以上に面白かった。
むかしの「マンハント」などという雑誌に載っていた軽ハードボイルドの
ノリで、出演者もスタッフも、みんな楽しんでいる感じが伝わってくる。
ドラマの中の映画館の看板もなかなかマニア心を刺激してくれる。
来週から、ずっと見よう。あっ!「スマスマ」が見られない。まあ、いいか。

「鬣」4号を送っていただいた。
あいかわらず、特集の「彼方への扉―表現の地平線」でとりあげる俳人の
選択が良い。
今号は三谷昭、赤尾兜子、太田紫苑、竹内雲人の4人。
三谷昭、兜子というのも、私としては嬉しいが、太田紫苑という選択が
しぶい。この人や佐藤美保子といった、旧高柳重信門下の女流俳人は、
現在では、埋もれがちだが、作品の詩としての結晶度は高く、再評価される
べき価値はある。
林桂さんは、また、竹内雲人という昭和17年に結核で死んだ、島田青峰
門下の青年俳人を「無名の新興俳句」というタイトルで、発掘、検証して
いる。こういう仕事の価値はきわめて大きい。

・真南や同じかたちに寝かされて 太田紫苑
・道が続けり一人一人が水提げて 太田紫苑
・母といふかの暗がりは声もなし 太田紫苑
・灯を点けて窓を新樹の闇とする 竹内雲人
・この丘の彼方に海を錯覚す 竹内雲人
・日だまりや才薄ければ癒ゆるべし 竹内雲人


[661] 時の流れに身をまかせ 2002年07月21日 (日)

小林信彦の『小説世界のロビンソン』を読み終わる。
自己の少年時代からの読書体験を語りつつ、小説とは何か?という大きな疑問
を解き明かす、一種の「小説論」ともいうべき評論。
小林信彦という作家が小説という表現形式に何を賭けようとしているのか、
ということが、よくわかる本といえよう。
小林信彦の著作のベスト3を選ぶことになれば、当然、これが入ることになる
が、あとの2冊がむずかしい。
私が選ぶなら、あとの2冊は『日本の喜劇人』と『夢の砦』かなあ。
『虚栄の市』や『ビートルズの優しい夜』も捨て難いけれど。
『唐獅子株式会社』のシリーズは、残念ながら、今は古びてしまっている
と私は思う。

堤玲子『わが闘争』は、木曜日に読み終わっている。
野坂昭如に文体が似ていると書いたが、地の文にステゼリフが入るあたりは
殿山泰治の文章にも似ている。
再読のはずだけれど、後半はほとんど記憶がない物語の展開だった。
とはいえ、このアナーキーな小説もやはり1970年代ならではのもので
現時点では、風化している部分が多いと思わざるをえなかった。

暑い暑い日曜日、読書とPATによる馬券購入以外は何もしなかった。
競馬は3レース買ったが、かすりもしなかった。


[660] でもでもでも des mots des mots des mots 2002年07月20日 (土)

タイトルは今日、松原未知子さんから見せていただいた作品の題名。
des motsというのは、フランス語の「言葉」という意味なのだそうだ。

・あなにやししろたへ桜愛されてあかがね桜愛されてない
・不忍池は柳さくらをこきまぜて森茉莉のパパをなぐさめにけむ
・こゑに寄る縮緬皺を哀しめりうつくしき荒地に立つひとよ

「でもでもでも」一連から3首引いてみた。
こういう言葉の使い方に出会うと、短歌に親しんできた喜びを感じる。
一首目の「桜愛」という二文字が二回くりかえされる音韻と視覚的な快感。
二首目の「柳さくらをこきまぜて」という古典的美学を下敷きに、「不忍池」
と「森茉莉」という三文字の漢字の固有名詞をバランス良く配合してみせて
くれるテクニック。
そして三首目の「縮緬皺」といういかにもしわしわを連想させる文字から
下句に来て、いきなり「荒地」(エリエットも戦後詩も連想できる)とい
う、文学的密度の高い世界へ転調してみせる鋭い変化球。
これくらい小気味良く技巧の冴えを見せてくれれば、嘆息するほかない。

夕方から「マラソンリーディング2002」のスタッフ反省会及び打上げ。
すべてのイベントは収支が整い、終り良ければすべて良し。
槐さんはじめ、みなさま、お疲れさまでした。


[659] 元は役者 2002年07月19日 (金)

暑い一日なのにもかかわらず、ついつい、昼食を外に食べに行こうという
ことになり、事務局のメンバーほぼ全員で、テレコムセンターの「直久」
まで歩いて行く。
さすがに汗びっしょり。しかも、キムチクッパどんぶりなどを食べてしまっ
たので、帰りは身体の内も外もカッカしてしまい、汗まみれになってしまった。

ところで、タイトルにした「元は役者」というのは昭和二十年代から
三十年代にかけて、関西の漫才の人気者だった、雁玉、十郎がつくった
流行語。香川登志緒の本を読んでいたら、この言葉が出てきたので
なつかしくなって、タイトルにしてみた。

「マラリーのWE ARE!の朗読はうまかったねえ」
「そりゃ、そうだ。あの二人、元は役者だもの」

「リアルタイムスペースの批評はとても刺激的たせね」
「ああ、SSプロジェクトはみんな元は役者さ」

このように使うのが正しい使い方なので、みなさま、おぼえて、使って
いただきたい。


[658] ショムニから渡り鳥へ 2002年07月18日 (木)

朝、会社のビルの18階の渡り廊下部分に人がたくさん集まっているので
何だろうと思って、覗いてみたら、ショムニの撮影だった。
江角マキコがトラメガをもって、ショムニグループと一緒に廊下を歩いて
いる。そのまわりを、一般社員役のエキストラがよけるようにしてすれちが
って行く。カメラはショムニグループを正面からとらえている。
いつものラダーを担いだ姿が好きなのだが、まあ、朝から撮影が見られて
おもしろかった。

そう、思っていたら、突然、全身がだるくなり、吐き気がこみあげてくる。
あわてて医務室に行って、風邪薬と吐き気止めの薬をもらって飲む。
昼食もとても食欲がなく、一食ぬく。
午後2時過ぎた頃から、体調回復、資料つくりに励む。

夜6時から、ビル内のマルチシアターで、小林旭の「大草原の渡り鳥」の
上映会があるので、見に行く。
フジテレビの「お台場シネマ倶楽部」という社内同好会の活動なのだが
事前に観覧希望の旨をつたえておくと見せてくれる。

この映画は状況的に「赤い夕日の渡り鳥」を受けたストーリーになっている。
舞台は北海道で、釧路と帯広の郊外。
アイヌの村を、ヤクザの金子信夫とその一派が、いやがらせをして追い出し
そこに飛行場をつくって、観光地化しようとしている。
アイヌの女性が白木マリ。浅丘ルリ子は民族衣装の調査などをしている
学者みたいな、そうでないような。
あとは、ライバルの宍戸錠。日本が舞台とは思えない銃撃戦がある。
西部劇であるが、大画面で見ると、ビデオとは異なった面白さにみちている。
小林旭のたたずまいには古き良き時代の銀幕のスターのオーラが放たれてい
る。
この映画を見ていた人は30人ほどだったが、「終」の字が出ると拍手が
わいた。荒唐無稽な面白さを堪能できた満足の拍手だった。


[657] 水のようにふたたび眠る 2002年07月17日 (水)

昨日は実は、かの子と史比古の勉強をみてもらうためにO先生が来ていた
のだが、なんと、我が家から帰ったあと、自宅のガレージでO先生のお嬢
さんのYちゃんが、転んで右手の指を複雑骨折したのだそうだ。
救急車を呼んで、救急病院まで行ったり、午前2時くらいまで大騒ぎだつた
とのこと。いろいろなことがおこるわけだが、はずみでケガをするという
のが、いちばん怖い。無事に回復してくれることを祈りたい。

「俳句研究」の昭和52年11月号が出てきたのでひらいてみたら
第5回50句競作の発表号だった。
佳作第一席が林桂「銅の時代」
佳作第2席に名をつらねているのが宇多喜代子、小泉八重子、沢好摩、
津沢マサ子、中田剛、夏石番矢といった顔ぶれ。
こういう時代もあったんだなあ、と、しみじみ読みふけってしまう。

夢の祭にサーカスが来て点りけり 林桂
夏の家憂愁たらんと布を垂れ 宇多喜代子
日が落ちて窓も扉も家もなし 沢 好摩


[656] 砂のように眠る 2002年07月16日 (火)

帰宅して、夕飯をすますと、いきなり眠くなってしまう。
本を読んでいても、せいぜい1時間くらいで、気が付くと眠ってしまって
いる。そして、熱帯夜なので、寝苦しいままに朝を迎える。
このくりかえしなのだから情けない。
堤玲子の『わが闘争』を読み続けている。
文体が野坂昭如の戯作体なので、センテンスが長いのだが、内容がナンセンス
なので、読みにくくはない。
こういう本も、巡り会わせがなければ再読などしないのに。
そして、読んでいるうちに、砂のように眠っているワタシ。


[655] 時には、心に突き刺さるお言葉を 2002年07月15日 (月)

森卓也さんの『映画そして落語』(ワイズ出版)のあとがきに、心に突き
刺さる言葉が書いてあったので、それを書き写す。

人殺さねば食を得ず
寺めぐらねば罪消えず
人殺しつつ寺めぐる

チベットの古謡だそうだ。
コンピュータRPGに出てくるモンクというのは、こんな感じなのだろうか。


[654] 気まぐれで鈴木三重吉を読む 2002年07月14日 (日)

岩波文庫の『鈴木三重吉童話集』の巻末に「大震災記」という関東大震災に
関するドキュメントを子供向けに書いた文章が収録されている。
ちょうど、大曲駒村の『東京焼尽記』なども拾い読みしていたところなので
この鈴木三重吉のものを読んでみた。
「赤い鳥」の大正12年11月号に掲載されたものなので、震災後、まもなく
書かれた文章らしく、被服廠跡地の惨劇などかなりなまなましく書いてある。
一方、築地の施療院の患者たちを医者と看護婦が共同で隅田川を担架で渡して
全員を浜離宮に避難させたという、現在なら、「プロジェクトX」でとりあ
げられそうなエピソードも書かれている。
やはり、鈴木三重吉という作家の鋭い観察眼とジャーナリスティツクな視力
が働いている文章なので、いまでも、古臭くない。
鈴木三重吉という作家の真の価値というのも、現在、かならずしもきちんと
語られていないのではないかという気がする。


[653] 東京文庫三昧をチェックに行く 2002年07月13日 (土)

昨日、掲示板で村井康司さんが教えてくださった、東京堂書店の絶版・品切れ
文庫専門の棚は、実は「ふるほん文庫やさん」という文庫専門書店が、東京へ
初上陸してきたもの。
この「ふるほん文庫やさん」というのは、谷口雅男という人がわずか7年半前
に創立した文庫専門の古本屋で、『ふるほん文庫やさんの奇蹟』という本が、
新潮OH!文庫に入っているので、詳しい事情を知りたい方は、その本を読ん
でみてほしい。
本社(本店?)は現在、北九州市小倉区にある。
その店が、老舗の東京堂書店にパラサイトするかたちで、神保町に進出して来
たというわけで、業界ではちょっとした事件ではないかと思うが、ちがうのか
な?
それで、早速、古本チェーック!に行って来た。
値段のつけ方が、280円、680円、1280円とその絶版、品切れ書物の稀少度合
いによって、三段階にわかれている。東京堂は現在仮店舗であるが、階段を
上がって二階の左奥の突き当たりに4棚分置いてある。
古本オタク系の客が四人ほどいたが、強引に割って入ってとにかくチェック。

村井康司さんが書いておられたとおり、確かに宝の山であり、旺文社文庫、
アテネ文庫などが、十数冊づつ並んでいるし、岩波文庫や新潮文庫のパラフ
ィン紙の表紙がずらりと棚をしめているのは壮観な眺め。
伊藤整など、かなりの数出ていたように思う。
それで、もちろんすごいのだけれど、旺文社文庫は軒並み1280円という最高
ランクの値段がつけられている。徳間文庫の日影丈吉の『真赤な小犬』や
『応家の人々』があったので、値段を見るとやはり1280円。
つまり、珍しい本は高い、ということ。
ブックオフでもしかすると100円で見つけられるかもしれないと思うと、よ
ほど探し続けていたものでないと、即座に買うという気にはなれない。
結局、1280円ものは1冊もかわず、私が買ったのは以下の6冊。

・小林信彦『オヨヨ城の秘密』角川文庫   280円
  ※これは、オヨヨシリーズ7冊のうちで唯一持っていなかったもの。
・山口瞳『むにゃむにゃ童子』角川文庫   280円
  ※この本も山口瞳の文庫としては初めて見た。
・堤玲子『わが闘争』角川文庫       280円
  ※この堤玲子は70年代に一時的に話題になった肉体派の作家。
・中野翠『東京風船日記』新潮文庫     280円
  ※この本は中野翠の「ウテナさん、祝電です」に続く二冊目の本だが
   なぜか、現在は品切れ再版未定状態。イラストや写真が入っている。
・池内紀『恋文物語』ちくま文庫      680円
・織田正吉『笑いとユーモア』ちくま文庫  680円
  ※どちらも、ちくま文庫の初版即品切れ本。ちくま文庫はよほど初版の
   刷り部数が少ないようで、新刊書店の棚からはすぐ消えてしまうし、
   森まゆみや川本三郎をのぞくとブックオフにもあまりでてこない。
   池内紀氏の方は定価も680円なので、今後、ブックオフででくわさな
   い限り、お買い得感は残る。織田正吉氏の本は現在収集中の関西笑芸
   関係の一冊として、私には貴重な本。

以上6冊合計、消費税込み2604円。
こまめに補充されるはずなので、近くにあるならば、毎日チェックしたい
ほどだが、最高ランクの1280円の本というのは、売れるのだろうか。

村井康司様、講談社文庫の緑色の紙の表紙の版でカフカの『断食芸人』が
棚に並んでいたら、ご連絡下さい。
ということで、古本探索記でした。


[652] 私たちは実は何もしらない 2002年07月12日 (金)

・金魚玉子規の号泣うらやまし 浅香甲陽『白夢』

俳人の林桂さんが、浅香甲陽の句集を復刻して、風の花冠文庫として出版
した『白夢』を送ってくださった。
うかつにも、句集本体を会社へ置き忘れてきてしまったので、購入のため
のガイドは月曜日に掲示板の方に書き込もうと思う。

浅香甲陽は同人誌「鬣」の創刊号で林桂さんが紹介していたハンセン氏病の
俳人。私はまったくその存在を知らなかったし、林氏もそういう俳人の存在
と真摯な俳句作品に衝撃を受けて、「鬣」の文章を書いたということだった。

俳句や短歌に限らず、表面的な歴史には出てこないすぐれた表現者が確実に
存在するということを、私は忘れたくない。
林氏は浅香甲陽の人と作品をさらにひろく知らしめたいという思いから、こ
の復刻版をつくりあげたのだ。
その情熱とエネルギー(もちろん、時間もお金もかかる)に敬意を表さずに
はいられない。
有名、無名ということとは別に真の文学は作品そのものの中に実現される。
私もあなたも、実は何も知りはしないのだ、ということを、常に心に言い聞
かせるような謙虚さこそが必要なのだ、とあらためて思ったことであった。


[651] 歌集の評価はむずかしい 2002年07月11日 (木)

通勤時、バス停に向って歩いていたら、背中に熱風が当たるような感触。
もちろん、太陽光線だったわけだが、もう猛暑といえる。
去年の「短歌人」の大会が浜松であった日も、浜松の気象台始まって以来の
暑さだったことを思い出した。
あの日は浜松駅前の動く歩道の手を置くベルトをさわったら、火傷しそうに
なったものだ。

現代歌人協会の会報が届き、今年の現代歌人協会の選考経過が載っている。
候補となった歌集は以下の6冊。

岩井謙一『光弾』
真中朋久『雨裂』
小林幹也『裸子植物』
松村正直『駅へ』
寺井 淳『聖なるものへ』
飯田有子『林檎貫通式』

選考委員は以下のとおり。
秋山佐和子、奥村晃作、河野裕子、小池光、小高賢、佐佐木幸綱、島田修三
森岡貞香(選考当日、小池光氏は文書参加だったとのこと)

飯田有子さんの『林檎貫通式』に対する短評を引用しておく。
『林檎貫通式』
@フェミニズム以後の女性問題を的確に押さえている。
A時代との違和感の表現。同世代の評価が高い。
B古い短歌っぽい短歌がまじっている。

受賞の栄冠にかがやいたのは岩井謙一『光弾』と真中朋久『雨裂』。
1994年以来の2冊同時受賞だったそうです。


[650] 台風が来るらしい 2002年07月10日 (水)

台風が近づいていて不穏な雲行きの一日。
心なしか、お台場地区の観光客も少なく感じる。
今日は昼をはさんで会議が続く。

買ったままで読んでいなかった、小林恭二の『俳句という愉しみ』を読む。
攝津幸彦さんがこの本の句会には参加していたのだ。
もっと早く読めば良かった。
句会をライブで記述するという手法は、小林恭二がはじめた方法というこ
とになるのだろうか。
この本の記述は『青春俳句講座』や『俳句という遊び』よりもこなれている
感じがする。参加者の作品も、読めるレベルのものが多くなっている。
『俳句という遊び』では、飯田龍太でさえひどい句を出していたからなあ。
ライブを記述されてしまうというのは、俳人側にとっても、つらい部分が
ある。しかし、その分、読者には面白い。
この企画を短歌にもってきたのが『短歌パラダイス』だったわけだろう。

題詠ごとに作品を自分でも選んでみると、やはり、三橋敏雄、攝津幸彦の
作品を選ぶことが圧倒的に多い。そういう世界、そういう言葉の運びが体
質にあっているのだろう。
こういう場で読んでも、岸本尚毅の句はまったく響いてこない。感情的な
反発をのぞいても、なぜ、岸本尚毅が現在の俳句の世界の代表とされるの
が理解できない。

雨が強くなりはじめたところで帰宅する。
藤子不二雄の『まんが道』の文庫本を史比古から借りて読む。
いつ読んでも元気がでる作品だ。


[649] 夏日のち暗雲 2002年07月09日 (火)

5時30分過ぎに勤め先のビルを出た時には、夏の午後の日差しがまぶしい
ほどに照っていたのに、バスで30分ほど走っているあいだに、みるみる雲
ゆきがあやしくなり、豊洲に着いたときには、もう、いつ雨が降り出しても
おかしくない空の暗さになっていた。
折よく、業平橋行きのバスが停車していたので、走って飛び乗り、枝川2丁
目で下りたときにも、まだ、雨は降り出してはいなかった。
道行く人達はみな足早に家路をたどっている。
なんとか、雨にならないうちに帰宅できたのたが、結局、8時過ぎになって
多少、ぱらついただけだった。明日の台風の予告編だったのか。

原稿を書かなければならないのだけれど、頭が歌人モードに切り替わらず、
パトリシア・ハイスミスの短編小説などつらつら読む。
扶桑社文庫の『黒い天使の目の前で』という短編集の中の「家に居る老人
たち」と「猫がくわえてきたもの」の2本。
まあ、あいかわらず、イヤな気持ちになる小説である。でも、読みたくなる。

結局、原稿には手をつけないままに寝床へ。
こんどは小島政二郎の『場末風流』という随筆集と安藤鶴夫の『ごぶ・ゆる
ね』という同じく随筆集を読みながら眠りにつく。
夜中に雨の音が聞こえた。


[648] 『東海道戦争』3000部の時代 2002年07月08日 (月)

徳間文庫で筒井康隆自選短編集シリーズが出ている。
5月にドタバタ篇の『近所迷惑』が出て、今月はショートショート篇として
『怪物たちの夜』が出た。
ほとんどの作品は読んでいるのだけれど、巻末の筒井康隆と編纂者の日下三蔵
の対談が面白いので、ついつい買っている。
今月の本の対談の中で、筒井康隆が彼の初めての本の『東海道戦争』が
ハヤカワ・ポケット・ブックで出た時の初版が3000部だと明かしている。
次の『ベトナム観光公社』が4000部に増えて、三冊目の『アルファル
ファ作戦』で、また3000部にもどったのだそうだ。
私は確か中学2年生の時に『東海道戦争』を梅田の阪急百貨店の書籍部で
買ったのだが、初版3000部のうちの貴重な一冊だったということらしい。
帰りの阪急電車の中で表題作の「東海道戦争」を読んでいて、思わず、
声を出して笑ってしまい、恥ずかしかったのを覚えている。
『ベトナム観光公社』も『アルファルファ作戦』も『馬は土曜に蒼ざめる』も
発売を待ちかねるようにして買った。
「トラブル」とか「最高級有機質肥料」とか「火星のツァラトゥストラ」とか
「カメロイド文部省」とか「近所迷惑」とか「慶安大変記」とか、とにかく、
よく、こんなことを思い付くものだ、と呆れながらも面白く読んでいた。
ただ、『虚構船団』あたりを最後にして、新刊で筒井作品を読むという習慣
をいつしかなくしてしまい、実をいうと、その後の本は半分も読んでいない。
まあ、本だけは、ブックオフで買い集めてあるので、読む気になればすぐに
読めるのだが、古本の場合はかっただけで安心してしまうのか、ほとんど
袋にいれっぱなしにしてある。
だから、先月、徳間文庫の新刊の『近所迷惑』が、いちばん最近に読んだ
筒井康隆の小説ということになる。
今日買った『怪物たちの夜』も、もう読み始めているので、古本の方には
また、食指をのばさないうちに、他の本を読み始めてしまうだろう。
やはり、読むより買うことに快感を感じている、書籍に特化した買物依存
ということなのかもしれない。
ただ、それにしても、この『怪物たちの夜』には筒井康隆のダークな抒情性
があらわになった「池猫」などの初期ショートショートが収録されているの
で、小説好きの方々は、読んでみると良い。
ちなみに、「池猫」他数篇の作品は筒井家の家族同人誌「NULL」に
女性ペンネームで掲載されていたものだ。
あの頃は私も感受性豊かな少年だったのだなあ。


[647] 詩歌三昧の日曜日 2002年07月07日 (日)

朝9時に銀座某所に行く。
荻原裕幸、なかはられいこ、倉富洋子、田中庸介、佐藤りえ、村上きわみ、
の諸氏がすでに集まっていて、ほどなく菊地典子さんもやってくる。
このメンバーで昼前までいろいろと話をかわす。

午後1時に池袋の東京芸術劇場へ行き、「短歌人」月例歌会。
前半の司会を担当。後半は平野久美子さん。

午後6時に神保町へ向う。
宮英子さん、木畑紀子さん、狩野一男さん、影山一男さんと中華料理を
食べながら歓談。
杉山隆の話になり、彼が亡くなったのは1970年7月7日であったことに
みんなで気づく。あれからちょうど32年。杉山隆と同じ学齢の影山一男さ
んも狩野一男さんも私も五十歳。杉山隆が生きていたら、どんな歌人になっ
ていただろうか。
もう一軒、洋風居酒屋へ行く。
宮英子さんがお元気なのに驚く。
宮先生をタクシーにお乗せして、残りの四人で、もう一軒。
影山一男さんを中心に例によって密談。
一日の終わりにふさわしい密談であった。


[646] マラソンリーディング2002 2002年07月06日 (土)

朝9時に浜離宮朝日ホールの控え室に到着すると、すでに田中槐さんも
秋月祐一さんも大井学さんも千名民時さんも来ている。

9時30分前からリハーサル。
一人ずつ、台本及び進行表を確認しながら、照明、BGM等の確認。
結局13時30分までに終らず、入場が10分押しになってしまった。
開演は午後2時オンタイム。
東直子さんから始まり岡井隆さんまで。
後半は時間だけが気がかりという状態。
大トリの岡井隆さんが「私もユダだ」と言って頭をさげたのが
午後7時30分00秒。これには驚いた。

昨夜、寝る前に約70分にわたって「短歌WAVE」のCDを聞いたので
今日の夜の7時30分までの間の起きている時間はほとんど詩歌朗読を聞
いていたことになる。

すべてのスタッフ、出演者の奮闘にはもちろん賛辞を惜しまないとして
イベント的な視点からのMVPは東直子さん。
彼女がトップに出て、歌い始めた瞬間に客席の視線が彼女に集中した。
イベントとしてはこれでもう勝ち。第一打席初級ホームランだ。
フリスビー投げという発想もみごとなもの。
あのステージから客席までは、案外距離があるので、「WE ARE!」の
二人も川柳を書いた紙が入ったキャンデーを投げるというグッドアイデアを
もってきたにもかかわらず、結局、客席に届かないということで中止にせざ
るをえず残念だった。しかし、フリスビーなら届くものね。これが東直子な
のだ、とステージを走り回って客席にフリスビーを投げる彼女の姿を見て、
嬉しくなった。
みなさま、オツカレサマでした。


[645] 突然「青春俳句講座」を読む 2002年07月05日 (金)

本を整理していたら、荻原裕幸さんが解説を書いている小林恭二さんの
『青春俳句講座』が出て来た。
ちょつと読み始めたら、面白いので、どんどん読みすすんでしまった。
「恒信風」の寺澤一雄さんの俳句がたくさん紹介されているのが面白い。

・弁慶の祟よ田螺飴となる
・全員で裏山掘れば亡者出る
・百千鳥我が後ろにも憑いてをり

私も人生の歳月を経て奇想の句を楽しめる心境になったようだ。

「短歌WAVE」の朗読会のCDを聞く。
七十分たっぷり入っている。
カルチャーセンターで朗読されたもののようだが、こういう場での朗読と
マラソンリーディングのような場の朗読とは、当然ながら、聞く側の姿勢
がちがう。本来、読み手はそういう場の空気を感受して朗読すべきだと思う。
香川ヒサさんが、こまかい部分だが、リフレインでくふうしているあたり
好感がもてるし、ちゃんとわかっている人だな、と思う。
CDで録音された朗読を聞いて、やはり、顔を見ながらでないと、とても
もたない朗読があるなあ、ということを確認した。
顔がなくとも、ステージ上でも変らずに音声としての言葉が力を持っている
と私が率直に感じたのは、くやしいけれど岡井隆さんの朗読だった。

明日はいよいよ「マラソンリーディング2002」だ。


[644] むかし、ドイツの詩人リンゲルナッツは 2002年07月04日 (木)

「マラソンリーディング2002」が目前に迫ってきた。
今年の私は裏方としてお手伝いするだけなので、心配事は、プログラムの
進行がおしまくるのではないか、という一点だけ。

池内紀の『ぼくのドイツ文学講義』を読み終わった。
この中にヨアヒム・リンゲルナッツというドイツの詩人が紹介されている。
二十世紀初頭のドイツには、カバレットという一種の文学キャバレーが
あって、詩人たちが、そこで自作の朗読を披露していたという。
リンゲルナッツはその中でも人気のある詩人だったそうだ。

池内紀の本には、彼のことがこう書かれている。

「リンゲルナッツは、たいてい大きな襟つきの水平服で現れた。
 ズボンの裾がぐんと広い。角ばった顎、大きな鼻。ギターを奏いて
 自分の詩を唄にした。あるいは声色をまじえて朗読した。跳んだり
 はねたりもした。彼は詩集のひとつを『体操詩集』と名付けたが、
 舞台むの上で体操したこともある。両手両脚で風船を宙に浮かしな
 がら出てきたこともあった。」

こういう朗読はぜひ見てみたかったと思う。
ついでにリンゲルナツツの短い詩も紹介。

 男性の郵便切手が、はりつくまえに
 素晴らしいことを体験した
 彼はお姫さまになめられた
 そこで彼には恋が目覚めた

 彼は接吻を返そうとしたが
 そのとき旅立たねばならなかった
 かくて甲斐なき恋であった
 これは人生の悲劇である

やっぱり、こういう詩人の朗読は聞いてみたかった。
出演者のみなさま、Do Your Best!です。



[643] 俳句の本を読んでみる 2002年07月03日 (水)

句集ではなくて、俳句の入門書のような本を2冊読んでみた。
@『昼酒と君の小言はあとで利く』
A『無敵の俳句生活』

@は石寒太さんを宗匠にして、富士真奈美、吉行和子、内田春月、吉川潮
ねじめ正一、高橋春男といった有名人たちが、句座をともにした記録で
作品をめぐる批評や感想、それになにより時折とびだしてくる超絶的な俳句
そのものがおもしろい。
寒太宗匠が巧みに舵取りをしていることと、参加者がせいいっぱいマジメに
取り組んでいることで、読んでいて、次のページも読みたいという気持ちに
させられる。
Aは若手俳人のグループ執筆による入門書。
この本も旧来の入門書のイメージをやぶって、若い読者をターゲットにして
いるようだ。
執筆メンバーは、今泉康弘、大屋多詠子、如月真菜、後藤高資、高山れおな、
田島健一、千野帽子、中岡毅雄、中村安伸、青嶋ひろの、以上の10人。
青嶋ひろのさんが、中心になってまとめているようた゛。
と、書き写しつつ気が付いた。
大屋多詠子って、大屋達治さんのお嬢さんではないか!
彼女のことは小学生の頃から知っているぞ。
彼女が東大に合格した時は、大屋君は喜んで、我が家にまで電話してきた
ものだったのだ。
彼女の書いた入門書を読むとは、まさに、負うた子に教えられ、だなあ。
と、感慨にふけりつつも、そこそこ面白く読めました。
巻頭の俳句に魅せられた人々トイウコーナーで中原道夫、正木ゆう子、
岸本尚毅、穂積芽愁、筑紫盤井の5人が紹介されているが、3人が「沖」の
出身というのはすごいと思う。能村登四郎という人が新たな才能を発見し
育てるのに、いかにすぐれていたかということの証明だろう。

一方、穂積芽愁さんが穂積生萩さんのお嬢さんというのも驚いた。
驚いてばかりだが。
あと、岸本尚毅が出てくるのは、やはり人気があるということなのかなあ。
嬉しかったのは「俳句の歴史を彩る二二句」というコーナーに
赤尾兜子の
・音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢
が選ばれて、きちんとした兜子俳句の解説がつけられていたこと。
Nというイニシャルなので、中岡毅雄さんだろうか。

ということで、いちおう、2冊とも面白く読めた、ということで。


[642] 久しぶりに門前仲町のブックオフへ 2002年07月02日 (火)

勤めのあとで、久しぶりに門前仲町のブッオフへ行ってみる。
この店は門前仲町店ということになっているが、正確には越中島と
門前仲町のあいだくらいにある。そのため、都バスでは、私はいつも
越中島で下りることにしている。

100円コーナーで、講談社学術文庫の松田毅一『天正遣欧使節』が
あるのをみつける。この本、古書店によっては2000円くらいの値段
がついていることもある。きれいな本で、100円のシールの下に600円
のシールが見える。600円で棚においてあったのに、売れないので
100円コーナーに落ちてきたのだろう。
こういう本は、読むか読まないかわからないが、買うことにする。
少し高いコーナーに行くと、講談社文藝文庫の白州正子の本が5冊並んで
いた。こちらは半額。といっても、文藝文庫は定価が高いので、半額でも
500円とか450円とか、新潮文庫なら新刊が買える値段。
ただし、この白州正子の文庫本はいずれ買うつもりだったので、決心して
5冊ともかってしまう。
『かくれ里』『明恵上人』『古典の細道』『心に残る人々』『世阿弥』の
5冊。『世阿弥』の解説は水原紫苑さんだった。

帰宅して、購入本の値段のシールをはがす。

寝る前に、なんの気なしに、池内紀著『ぼくのドイツ文学講義』を開くと
「制服の力−−ケペニック事件」という章があり、つい、読み始める。
1906年、ケペニック市で、偽者の大尉が、訓練中の小隊をひきいて
市庁舎に侵入し、市長を逮捕し、金庫を奪うという事件がおこった。
実はこの大尉は古着屋の軍服をむ着た失業者で、この軍服のめくらましで
小隊の兵隊たちも市長たちもだまされてしまったというもの。
制服というものがいかに人間の目と頭脳を幻惑させるか、というエピソード
といえる。
この失業者は駅のトイレで軍服に着替えている時、あまり長くトイレに
入っているので、駅員が怒って「早く出ろ!」とドアを叩いた。
そして、ドアがあき、大尉の軍服の男を見るなり、あわてて直立不動になり
「失礼いたしました、大尉殿」と言ったという。
この事件が起きてから24年後の1930年に劇作家のツックマイヤーが
この事件をモデルにした風刺劇「ケペニックの大尉」を書いて上演、評判
になる。
やがてナチスが政権を奪取、町にはケペニックの偽大尉のような制服を着た
ナチス党員たちがあふれ始める。そして、当然、この芝居は上演禁止になり
ツックマイヤーは亡命、彼の著作はすべて焚書の目にあったという。

というわけで、軍服、制服、ユニフォームの力はすごいな、という話。
町中が赤くなったり青くなったり黄色くなったりするのもコワイことなのかも。


[641] 詩歌に待ち伏せされて 2002年07月01日 (月)

北村薫著『詩歌の待ち伏せ』上巻を読み終わった。
この本は著者が読んだ詩歌の魅力を語ったエッセイだが、近代、現代の詩、
童謡、児童詩、短歌、俳句、訳詞、歌詞ときわめて幅が広い。
しかも、その詩歌の魅力を語る、語り口が実に巧いので、すぐに、読者と
しても、その作品を読んでみたくなる。
「待ち伏せ」というのは、詩歌の魅力的なフレーズが、その読者との
幸運な出会いを演出するために待ち伏せているという著者の考え方が
出た、とても面白い言い回しだ。
つまり、詩歌のフレーズはそれを感受してくれる人との出会いを必然と
しているということなのだろう。
著者は作家になる前に長いあいだ国語の教師だったわけで、そう思えば
とても上手な授業をしていたのだろうと思える。
北村先生に国語を習った生徒たちは幸せだったはずだ。
何より言葉に対する敬意が心地よい。
「VOW」の中の児童詩をバカにしたコーナーを真剣に怒り、一方、言葉に
対するすぐれた感覚をひきだしているコーナーはきちんと評価している、と
いうような柔軟性もこころよい。
西条八十の随筆の一節からチャンドラーの小説の中のセリフを連想し
ともに出典が同じフランスの詩の一節であることを探り出し、さらに
西条八十の随筆が書かれた時点では、その詩は訳されていなかったはず
だから、八十は原書で読んでいるはずだせ、と推理していく過程なども
スリリングな知的快楽がある。

実際、早く下巻が出てほしいと、待ち遠しいくらいだ。
こういう本が出ると、歌人の文章のうまくなさが目についてしまう。
少なくとも、北村薫さんよりは、数多くの短歌を自分は読んでいると
思うが、それらの詩歌の魅力を、こんなふうに上手には語れない。
それがはがゆい。
平易で、しかも、本質をついた文章がいつでも書けるようになりたい。


[640] 熱い場が熱い作品を招き寄せる 2002年06月30日 (日)

今日も午後になったとたんに雲が全天をおおって、今にも雨が降りそうに
なってくる。自転車で全力疾走して、東陽町の安売り店まで牛乳とパンを
買いに行く。なんとか、往復するあいだ、雨には降られずにすんだ。

2時過ぎから、ごろごろしながら、「ジュルナール律」の復刻版を読む。
熱い冊子だったのだとびっくりする。
村木道彦がこの「ジュルナール律」から歌壇に登場したことは有名だが
他にも塚本邦雄の「聖・銃器店」、寺山修司の「修羅」(「田園に死す」)
や滝沢亘の「三十九歳の哀歌」など、それぞれの歌人の代表作ともよぶべき
作品が掲載されているのにあらためて感心する。
熱い場にふさわしい充実した作品を出そうという歌人の意志が熱い作品を
生み出したのだろう。
さて、今、そういう思いをかきたててくれる媒体があるだろうか?
あるいは、私やあなたにそれだけの情熱が残っているだろうか?

熱い場は熱い作品を招き寄せる。

夜、高島裕の第二歌集『嬬問ひ』を読む。これは熱い!


[639] 降りそうで降らないたそがれ時は 2002年06月29日 (土)

六本木のコモワイズ井川にのびた髪をカットしてもらいに行く。
地下鉄の階段をのぼり六本木へ出ると、空はどんよりと曇り、今にも
雨が降り出しそうな雲行き。傘を持ってきていないので、なんとか降らない
でほしいのだが。
井川さんにも「スマスマ」を見てたよ、と言われる。
視聴率20パーセントということの実感というのはこういうことなのだろう。
ショートにカットしてもらい、すっきりする。

外はまだ振り出していなかったが、今にも雨滴がこぼれてきそう。
銀座で下りて、松屋に行く。用事をすませて、豊洲から帰る。
結局、雨にはあわずにすんだ。

ずっと、竹中労の『鞍馬天狗のおじさんは』を読み続ける。
竹中労の聞き書きの巧さはよく知られているが、アラカンの関西弁が
忠実にうつしとられていて、息遣いまで聞こえてくるようだ。
良い本にであえた幸福感を感じている。


[638] マラソンリーディング2002打合せ 2002年06月28日 (金)

浜離宮朝日ホールの事務室で、「マラソンリーディング2002」の打合せ。
会場は大江戸線の築地市場駅の真上にある朝日新聞社本社の中わ通りぬ
けたところにある。
約束の時間に少し遅れて行くと、石井辰彦さんと田中槐さんが廊下で
立ち話をしている。石井さんはIDカードのようなものを首からかけていた。
労働現場と石井辰彦という存在がそのカードのようなものでむすびつけられ
不思議な感覚にとらわれた。

秋月祐一さんの到着を待って、ホールの照明・音響のスタッフと打ち合せ。
台本のコピーと出演順のみの資料で、一人一人の技術的に必要な要素を確
認して行く。
テキストを見る限り、出演者はみんな気合が入っている。
ハレの場という意識がつたわってくる。
スタツフとしては、出演者のその意識が最良に発揮できるようにしてあげ
たいと思う。

打合せ終了後、イタリア料理の店で、別のスタッフと合流して当日の道具
の出し入れ、受けつけのやりかたなどの打合せをおこなう。
村井康司さん、佐藤りえさん、間崎和明さんはじめ早稲田短歌のメンバー
も来てくれている。

打合せと顔合せをおこなったことで、私の中ではだいたいのイベントの
イメージがつかめた。
記憶されるイベントに仕上がることを祈りたい。


[637] 風邪をひいた木曜日 2002年06月27日 (木)

朝、起きたくないくらい身体がだるい。
夜中に三度もトイレに起きてしまった。
身体が冷えて、夜中に風邪をひいてしまったらしい。
午前中休むという連絡を入れて、Tクリニックへ行く。
診察を受けながら、先生に「この前、スマスマに出てましたよね」
といわれる。
看護婦さんからも、「あれは藤原さんだと思うから、こんど診察に
いらしたら聞いてみよう。早く、来ないかしらって、みんな待ってたんです」
と言われる。
医者と看護婦さんに、これだけ待たれていたら、風邪もひくわけだ。
点滴をしてもらったら、やっと、ふしぶしの痛みが薄くなる。
ただし、時々、さむけがするのはなおっていない。
事務局についてからも、薬をのみ、なるべく、エネルギーを消耗しない
ようにすごす。

帰宅したら、かなり楽になっていたので、「短歌人」10月号の原稿の
依頼状を書き、ポストに投函しに行く。


[636] ふりしきる六月の雨 2002年06月26日 (水)

小雨がやまない。
傘をさしている人もいるし、さしていない人もいるという状態の雨が
一日中ふりしきっている。
梅雨らしい梅雨ということなのかもしれない。

株主総会は20分たらずで終った。
事務局にもどりメールのチェックなどする。
昼前にちょっとトラブルになりかかったようなことがあったが、
すぐに手をうったので、ことなきをえる。

気温のあがりさがりが大きいので、身体がなんとなくだるい。
風邪をひきかけているのかもしれない。
中山信如さんの本、とにかく面白い。
ここで紹介されている本を読みたくなる。
つまり、紹介がうまいということだろう。
帰宅して、早速、中山氏が絶賛している竹中労の『鞍馬天狗のおじさんは』を
本の山の中から探し出す。
この本は、ちくま文庫の一冊だが、去年、ブックオフで100円で買って
おいたもの。嵐寛寿郎の聞き書きだが、確かに、関西弁の軽快な語り口は
読みやすくおもしろい。
ついでに田中小実昌と殿山泰司の文庫もひっぱりだしてきて、読みやすい
ように積んでおく。
いつになったら、今夜、出してきた本を読み終われるのかはわからない。


[635] バリウムを飲んだ日、眠れない 2002年06月25日 (火)

半日人間ドックのために、朝9時に霞ヶ関ビルの健康医学センターに行く。
もう、ここへ来るのは10回目くらいだろうか。
だいたい1日に30人くらいがドックのコースを受診しているようだが
システマチックに流れがつくられていて、だいたい、一個所で長く待た
されることもなく、約2時間で検査は終る。
昨年はうっかり受け損なってしまったので、2年ぶりの受診だが、胃袋
の検査のためのバリウムだけは、いくら回数を重ねても慣れることはで
きない。今年も、検査の途中でいまにもげっぷがでそうになったのだが
かろうじて堪え忍んだ。
胃袋が重苦しいままドックを終えて、ともかくもお台場の勤め先へと戻る。
食欲はないのだが、朝も食べていないので無理矢理に散らし寿司を食べる。

夕方、ホテル日航東京へ行き、株主総会の準備を少し手伝う。

帰宅後、WCのドイツ対韓国の試合を見ながら、綾辻行人の
『霧越邸殺人事件』を読み続ける。
サッカーは残念ながら韓国が敗れる。
夜中の1時過ぎに、『霧越邸殺人事件』読了。
まあ、退屈させずに読ませてしまう筆力には感心する。
何十年も昔に乱歩の「二銭銅貨」を読んだ時の読後感と似ている。
この作品は推理作家協会賞をとれなかったらしいが、その年はいったい
どの作品が受賞したのだろうか。

高島裕の二冊目の歌集『嬬問ひ』が届けられた。
角川「短歌」の特集岡井隆も読まなければならない。
興奮して眠れない。


[634] フリークとしての新人の登場 2002年06月24日 (月)

リアルタイムスペースでの歌葉新人賞の討論があいかわらずエキサイティ
ングで面白い。
本当に才能のある新人は、フリークとして登場するものだ。
その時点で異様に見えるもの、受け入れがたいもの、ということで
エスタブリッシュメントから、拒絶されるもののほうが実は新しい。

席がないところに、強引に席をつくらせてしまうような力が必要なのだ。
自分の師匠があらかじめ用意してくれた椅子に座る新人など、本物の新
人ではない。
否定され顰蹙を買い、それでも無視できないほどに存在感を主張していく
フリークが、その表現領域にあらたな一歩を加えることになる。
そして、当然ながら、先行する誰にも似ていないことは絶対条件だろう。
たとえば、香川ヒサ、島田修三、穂村弘といった歌人たちが、ここ10年
ほどのあいだにフリークとして登場し、椅子を獲得したといえる。
最近では、高島裕と飯田有子が、この時代を映し出すフリークだと私は
おおいに期待している。
歌壇はいつの時代でもフリークを歓迎していない。
小笠原和幸はそのフリークな才能で、短歌研究新人賞、早稲田文学新人賞、
ながらみ出版賞と、いくつものプライズを獲得しながら、結社に所属して
いないゆえに、彼を巧みに排除している。

歌葉新人賞から、みごとなフリークが出現することを期待せずには
いられない。


[633] ミステリな日常 2002年06月23日 (日)

首都の会に出たら、池田はるみさんが、便箋をくれた。
ちょうど、便箋を買いたいと思っていたところだったので、ありがたく
頂戴した。
帰りに高田馬場の芳林堂書店で、中山信如さんの本『古本屋シネブック漫歩』
を買う。以前に一度、北千住のカンパネルラ書房で見かけた時は我慢したの
だが、今回は新本屋の店頭にあったので、つい勢いで買ってしまった。
東西線の中で読み始めたのだが、やはり、買ってよかった。
文章と考え方の肌合いがせあうというのか、読みながら気分がよくなる。
川本三郎の本を誉めているのを読むと、では、川本三郎を読んでみよう
という気にさせてくれる文章なのである。

帰宅すると、史比古が『アクロイド殺害事件』を読んでいる。
その本は、頭と最後だけちゃんと読めばいいんだぞ、と教えてやったのに
真ん中の退屈なところもきちんと読んでいる。
史比古が綾辻行人の『霧越邸殺人事件』のノンブックス版も買ってきていた
ので、それを借りて読み始める。
久しぶりの本格ミステリ。第1章だけしかまだ読めていないが、おぜん立て
が、いかにも新本格ミステリで、快感がある。
登場人物が出そろったところで、さあ、どんな殺人がおこるのか?
明日以降が楽しみ。


[632] 唐辛子色のスタンド 2002年06月22日 (土)

韓国のWCスタジアムの応援は唐辛子色だ。
あざやかすぎる色なので、見つめていると疲れる。
しかし、ベスト4に進出した集中力には敬意を表したい。

「短歌人」の編集会議。毎月のローテーションで決定する事項と年間の
スケジュールの中で動かしてゆく作業とが、私自身まだはっきりと掴め
ていないので、結果的に編集作業の上でのミスがおこってしまう。
実際、今月も私はボーンヘッドをやってしまった。
こういうことを細かくチェックしていたのが高瀬一誌さんだったわけで
ある。

七月号ができあがり、前の半年とは表紙のイメージ゜がかなり違う。
変化があるのは面白いし、良いことだと思う。

吉田優子さんの遺歌集『ヨコハマ・横浜』が届いた。
青柳守音さんが実質的な編集作業をおこなった本である。
こうして本のかたちになれば、その作品が誰かの記憶に残ることになる。
青柳さんの無償の努力は貴重だと思う。

・「カストロっていい男だね」母いわく「昔はもっといい男だった」/吉田優子


[631] メディアージュにスタジオ 2002年06月21日 (金)

お台場の私の勤め先があるビルのちょうど向いになるアクアシティの
右半分にあたるシネコンのメディアージュの6階にスタジオができる。
7月5日がオープンなのだそうだ。
そういうことで、今日はそのオープニング・イベントに関する打ち合わせ。

歌葉新人賞のリアルタイムスペースでの討論があいかわらず面白い。
よく、角川短歌賞の選考委員座談会などで、「選者が試されている」という
発言があって、私はこの感覚にウソ臭さを感じていたのだけれど、今回の
リアルタイムスペースでの試みは、実際、選者の意見が衆目にさらされて
いるわけだから、本当に加藤治郎、穂村弘、荻原裕幸の三人は、作品を読
む過程をさらけだし、試されているのだなあ、と思わざるをえない。
今までの部分でも、私の立場から、この読みは鋭い、とか、この読みは
甘過ぎる、とかの感想がわいている。
誰が受賞にいたるかは、もちろん興味の焦点だが、この選考過程のオープン
化という点に、歌葉新人賞の最大の意味はあるように思う。
ただ、しつこいようだが、唯一の不満は応募規定の作品数が三十首では
やはり少なすぎるということだ。
謎彦さんのようなタイプの作品が300首そろって応募されていたら、
このインパクトはものすごいと思う。
他の雑誌の新人賞からも出てくることができる才能ではなく、歌葉でしか
出現できないだろう新たな才能の持ち主が発見されることをおおいに期待。


[630] 昭和の東京、平成の東京 2002年06月20日 (木)

ふと気がつくと平成ももう14年。
まもなく大正と並んでしまうわけだ。
昭和の話が、もう、そろそろむかし話ということになりかねない。
小林信彦の『昭和の東京、平成の東京』を少しづつ読んでいるる
とにかく、小林信彦は東京に関しては、若い頃から今まで一環して
主張が変らない。
下町と山の手の意識や気質の差に執着していることも同じ。
今では彼も年寄りになってしまったので、小言幸兵衛に聞こえるが
貴重な証言として、小林信彦のエッセイは後世に残るのではないか。
小説よりも東京に関するエッセイが後代に読みつがれていく気がする。


[629] 会議は踊る 2002年06月19日 (水)

今日はNFL OSAKA 2002に関する会議が午後からあった。
グループ各社の役員が多い会議なので、けっこう緊張した。

そのあとは気がぬけた感じで夕方までぼーっとしていた。

アマアゾンのオススメ本のサイトで、ミステリを「興味なし」で飛ばして
詩歌に絞り込んでいったら、枡野浩一さんと穂村弘さんの本ばかりになっ
てしまった。
しかし、五年前ならこんなことはなかっただろうから、確実に俵万智以外
の歌人の本がたくさん流通し始めたということだ。

リアルタイムスペースで、歌葉新人賞の応募作に、まさにリアルタイムの
批評がかわされていくのを読むのがとても面白い。
結論が楽しみだ。誰が受賞者となるのだろうか。
そして、その人のその後の活動も。


[628] あるいは殺戮にいたる病など 2002年06月18日 (火)

久しぶりにミステリなど読もうかな、と思っていたら、史比古が、
これが面白かったよ、といって、我孫子武丸の『殺戮にいたる病』を
持ってくる。
史比古は、上遠野浩平のブギーポップシリーズなどを読んでいたあと
森博嗣のミステリを次々に読んでいた。
しかし、知らないうちに、我孫子武丸なんかも読んでいたのか。
しかも、猟奇殺人ものではないか。
叙述トリックの傑作として、新本格ミステリの中でも評判が高いことは
知っていたが、まだ、読んだことはなかった。
韓国VSイタリア戦は見ないで、一気に読了。
うーん、これは、何と言ったら良いのか。
正直言えば、あまり、驚くような結末ではなかった。
やはり、私は新本格は肌にあわないみたい。
佐野洋の『一本の鉛』とか土屋隆夫の『影の告発』とかが忘れられない。
しかし、『殺戮にいたる病』を読んだ人はわかるだろうが、これを息子から
借りて読む父親というのはマヌケだなあ。


[627] 夢みるように眠りたい 2002年06月17日 (月)

『証言・昭和俳句』読了。
証言という冠に嘘はない好著だった。
鈴木六林男の「三鬼名誉回復裁判」で、山本健吉が証言を拒んだ話とか
金子兜太、成田千空二人の証言で、両側から裏付けられている草田男と
兜太との不仲のいきさつとか、まさに、証言の名にあたいする。
成田千空の俳句というのはほとんど読んだことがなかったのだが
この聞き書きを読むと、この青森の俳人のキャラクターに興味がわいてくる。
寺山修司が、成田千空の万緑賞受賞にショックを受けたという話なども
とても面白い。

小林信彦の初期の手に入りにくい本、『東京のドンキホーテ』、
『エルヴィスが死んだ』、『東京のロビンソン・クルーソー』を
Aさんのご厚意で、購入することができた。
枕元に三冊積み上げて、少しずつ読む。
この時期の小林信彦が書いたコラム類は実に洒落ていて読み応えがある。
実を言うと、私は小林信彦が中原弓彦名義で編集長をしていた時代の
「AHMM(アルフレッド・ヒッチコック・ミステリ・マガジン)」を
全冊持っている。浪人時代に目白の古本屋で買ったものだ。
1960年代にあれこれと思いをめぐらせながら、いつしか、眠りに
落ちていた。


[626] 滝沢亘をまたしても読む 2002年06月16日 (日)

今日は「短歌人」の月例歌会後の勉強会で滝沢亘のレポートをすることに
なっているので、ずっと資料つくり。
配布資料はすでに、つくってあるので、こちらの手元の資料である。
滝沢亘の短歌は、うらみつらみを卓抜なレトリックで表現しているので
好き嫌いはわかれる内容ではある。
途中で自転車に乗って、気分転換しながら、なんとか、しゃべるための
メモを作り終えたのが、午後3時前。
急いで、三軒茶屋のしゃれなあどへ向う。
三軒茶屋の駅で切符の精算をしていたら、何年か前にやはりここの歌会の時
高瀬一誌さんが、ここで切符の精算をしている姿を見たのを思い出す。

会場についたのは4時10分過ぎ。
歌会の方は、残り10首ほどのところだった。
司会は小池光さん。てきぱきと進行して、5時ちょうどに終了。

5時30分から勉強会。
約50分、滝沢亘の生涯と歌壇的位置づけと作品についてしゃべる。
やはり、好き嫌いが出る作品で、若い人には受け入れられにくいようだった。
レポートの内容が薄いのを補う意味で、滝沢亘の2冊の歌集、
『白鳥の歌』『断腸歌集』のオリジナル版、アンソロジー『現代新鋭集』、
さらに、滝沢が編集発行していた「日本抒情派」などを回覧する。

帰宅後、『証言・昭和俳句』の読み残し部分を読む。
黒田杏子さんの問題意識が、しゃべり手から、さまざまな秘話や事実を
ひきだしているのに感心する。良い本を読んだと思う。


[625] *さふらん*を聞く 2002年06月15日 (土)

午後から渋谷へ行き、岡井隆の『天河庭園集』を読む会。
しかし、私は福島泰樹編纂の方を読んで行ってしまったので
岡井隆編纂のものとは内容が異なり、チグシグになってしまう。
しかし、私の記憶では1972年に思潮社から出た『岡井隆歌集』に収録
されていた「天河庭園集」には「時の狭間から」という詞書き付の一連等
が入っていたように思うのだけれど、勘違いなのだろうか。

そのまま、築地の兎小屋というイベントスペースでひらかれる朗読会へ
行く。出演者は佐藤弓生さん、東直子さん、伊津野重美さんの3人。
開演前から列が出来ている。宮崎二健さん、田中庸介さん、五賀祐子さん等の
姿が見える。
これくらいのこじんまりとした朗読会というのが、現実的にはいちばん
聞きやすいと思う。
今日もぜんたいてきに、長さもほどほどで、まとまっていたと思う。

気がついたことを箇条書きにしてみる。
@他人の作品を読む時は、自分の声質や発声法にあった作品を選ぶべし。
今回は伊津野重美さんが選んだ、明石海人の『白描』が巧く選んだと
感心した。彼女の声の質と読み方が、テキストを生かしていた。
「みずからが燃えなければ、どこにも光はない」という海人の言葉が
強く耳の底に残った。
逆に、石原吉郎を読んだ佐藤弓生さんは、私にはちょっとミスマッチ
だつたように思えた。これは、佐藤さんの読みに問題があるわけでは
なく、石原吉郎のテキストそのものが、女性の朗読を拒絶するように
思えたということ。
Aアイデアのある朗読は面白い。あるいは、朗読にはアイデアが必要。
穂村弘さんの「デニーズラヴ」という作品で、穂村さんが女性の科白
をしゃべり、佐藤弓生さんが男性のセリフをしゃべるというアイデア
が、とても新鮮に聞こえた。会場では笑いもおこっていたが、この笑
いが単に穂村さんが女言葉でしゃべった、という面白さだけではなく、
こういう発想を拡大、あるいはデフォルメすることで、朗読に新機軸
をうちだすことができるような気がする。これは佐藤弓生さんのアイ
デアだったそうだが、コロンブスの卵だったと思う。
B構成には緩急が必要。
第二部は3人のメンバーが、それぞれの自作を朗読した。
それぞれの持ち味が出ていたとは思うが、なかでも、東直子さんの最初
の方の朗読で、歌うような発声で始まったのは、良い意味で驚きがあっ
た。次の作品も、明るいトーンのものを選んだ方が、前の伊津野さんと
の対比が出て、面白かったのではないかと私は感じた。
3人目の佐藤弓生さんは、できれば、もっと明るい声質を生かした、
ハイトーンの朗読にしてほしかった。そうなると、伊津野、東、佐藤の
個性がくっきりと区別がつき、第2部の構成にめりはりがついたと思う。
C朗読会は「晴」の場として、そのための小道具の準備をするべき。
ちょっと重箱の隅をつつくようだけれど、自作朗読の時、東直子さんは
歌集『青卵』をそのまま持って読み、佐藤弓生さんは「ミッドナイトプ
レス」を持って、読んでいたが、テキストは小道具の一部と考えれば、
その作品部分のコピーを取って、飾った譜面挟みにはさんで読む等など、
くふうしてもよかったのではないかと思う。
ステージで読むことは異空間をつくりだすことなので、そこには、日常
とは異なるアイテムがほしいと私は思うということ。

ともあれ、これで7月6日の「マラソンリーディング2002」が、楽しみに
なってきた。


[624] 日本が決勝トーナメントに進出した日 2002年06月14日 (金)

昼休みに、パレットタウンにあるサッカーグッズの店に行ってみる。
小雨模様ながら、お客はかなり入っている。
選手の名前が書いてあるユニホームなどは、人気選手のものは売り切れ。
一方でフランスのジダンのものなどは、売れ残っているる

結局、ほとんど仕事をしないままに、日本対ベルギーに突入。
お台場にも人が少なくなり、社屋全体も妙に息をひそめて、試合のなりゆきに
注目している雰囲気である。

勝利が決定して、すぐに、各スポーツ紙のサイトを確認すると、一分足らず
のあいだに、全紙とも日本勝利の情報にきりかわった。
これだけ早ければ、夕刊はいらないという意見もわかる。
それならば、夕刊は文化面の充実を心がけてくれれば、読む気がするのに。
毎日新聞はその点、文化志向で、読み応えがある。


[623] リアルタイムの興奮 2002年06月13日 (木)

歌葉新人賞の選考過程が、リアルタイムスペースという掲示板で
公開され始めた。
加藤治郎、荻原裕幸、穂村弘の3人の選考委員が、選んだ候補作品に関して
どこが良いかということを、コメントをつけている。
まだ、当選者は決まっていないわけで、この討論がやがて絞り込みに
入るのだろう。
候補者にとってはきわめて刺激的で興奮する日々だろう。
はたで見ていても、とても興奮する。
総合誌の新人賞の選考過程は、座談会形式で公開されるものが多いが
どれも、十分に議論がつくされていないように見える。特に落選したもの
に関して、なぜ落ちるのかが、応募者には納得しがたい感じがするのでは
ないかと思う。また、途中で選考委員の意見が変わることもあり、当然、
そういうことはありうるわけだが、なぜ、意見がかわったのか、紙面から
ではわかりにくいことも多かった。
そのような点が、今回のリアルタイムスペースの議論では解消されるような
気がする。
とても興味深く、刺激的な賞がつくられたものだ。
新人賞を制度疲労などと嘆くばかりでは何も始まらない。
このような新規の方法を構築し実行する意欲にとても共感する。

受賞者が出たら、その後のフォローもきちんとおこなってくれることを
期待する。
歌集をすみやかに出版し、その価値をきちんと位置づけてほしいと思う。


[622] 一会なき一期あるこそ愉しけれエスプレッソの苦き香りに 2002年06月12日 (水)

今日のタイトルは拙作。『嘆きの花園』に収録。
中日新聞の「けさのことば」の6月11日付で、岡井隆さんがこの歌を
とりあげてくれた。
掲示板で、きよみさんが教えてくれたので、検索して、本文を読むことが
できた。一期一会という茶道の言葉をエスプレッソの香りと対比させた部
分を読み取ってもらって嬉しい。

石神井書林の目録が到着。
「カジノフォーリー脚本集」55000円
「古川緑波一座公演プログラム」31冊 90000円
雑誌「新喜劇」45冊 170000円
「曾我廻家五郎全集」 50000円
このあたりの本は珍しいのではないだろうか。
徳川夢声の著作も大量にラインナップされている。
今回は詩歌関係よりも、笑芸、喜劇の関係に目が行ってしまう。
興味の方向がゆっくり変わりつつあるようだ。


[621] 卵殻は内側見せて漂へり遠く不安をダリに啓かる 2002年06月11日 (火)

タイトルは滝沢亘の『断腸歌集』の作品。
伝統的な歌法と前衛短歌の方法がみごとに融合した一首。

帰宅すると、岡本先生が来ていて、はるかちゃんが、ゲームボーイアドバンス
で遊んでいる。何のソフトなの?と聞くと、「牧場物語」だと答える。
食後にカメルーンとドイツのサッカーを見る。
私のような、まったくのサッカー音痴まで見るわけだから、
驚異的な視聴率が出るわけだ。

『正岡容集覧』の中の面白そうな文章をひろい読みする。
小説の「風船紛失記」というのは、この本の巻頭に載っている短編だが
大正モダニズムみたいな奇妙な味の短編。
水谷準や城昌幸の掌編の味わいと似ている。

巻末にある「荷風前後」という太平洋戦争中に書いたという作家との
交遊記のような文章は、なぜか精神状態が卑屈な感じで痛ましい。
文学者へのコンプレックスがありありとにじみ出ている。
この正岡容の弟が、天才詩人平井功だったわけだが、弟に関する文章が
この本の中に入っているかどうか、探さなければならない。
なにしろ、大部の本で本文が四段組みなので、ざっと目をとおすという
わけにはいかないのが不便。
しかし、この本があるおかげで、正岡容という、今は忘れられた作家の
仕事に触れることができるのだ。
やはり、書物の力は大きいと思わざるをえない。


[620] 夢のような、そして心のスキップのような 2002年06月10日 (月)

日露の蹴球対決の視聴率は66.1パーセント。
瞬間最高視聴率は81.9パーセントとのこと。
これは、東京オリンピックの女子バレーボールのソ連戦についで
テレビ史上2位の記録だそうだ。

青山で新風舎の松崎社長、林あまりさんたちと打ち合わせ。
帰宅すると、聖智文庫の有馬さんから、探求書としてお願いしていた
小林信彦の本が、何冊か届いている。
晶文社の『東京のドンキホーテ』『エルヴィスは死んだ』、
白夜書房の『道化師のためのレッスン』などだ。
この本が手に入ったのはとてもうれしい。
特に『東京のドンキホーテ』には小林信彦が中原弓彦名義で書いていた
「ヒッチコックマガジン」の編集後記が全文再録されているのだ。
有馬さんには、いくら感謝してもたりない。
あと何冊か、探求をお願いしている本があるのだが、これも、いつかは
手に入るだろうと確信する。
気分の良い夜である


[619] ナショナリズムの燃え上がる日 2002年06月09日 (日)

小林信彦の『袋小路の休日』を読む。
上村宏という著者の分身と思われるキャラクターを狂言回しにした連作短編集。
馬野律太という昔の博文館の編集者だった人物の晩年を描いた「隅の老人」
という話がなかなか興味深い。
上村がこの老編集者から「おんちゃんに似てる」と渡辺温との感覚の相似を
指摘されるエピソードは本当なのだろうか。本当ならば、小林信彦としては
うれしかったにちがいない。
この短編集、すべてモデルはあるようだが、「根岸映画村」という短編では
映画監督の前田陽一がモデルとして出てくる。
小林信彦が脚本を書いた「進め!ジャガーズ!敵前上陸」の制作に関する
てんやわんやが描かれている。
この映画、私は封切りで見ている。大島渚の「帰ってきたヨッパライ」の
併映作品として高校一年の時に見たのである。
グループサウンズのジャガーズを使った「ヤア!ヤア!ヤア!」の線を
狙ったバラエティコメディで、そこそに面白かった記憶がある。
途中で急にダシの素のCMみたいな場面が入っていてびっくりしたのを
おぼえているが、それも、ロケの費用をタイアップで出してもらうための
苦肉の策だったと、小説の中に書かれてある。

夜はワールドカップ・サッカー、日本対ロシア。
1対0で日本の勝ち。
そこいらじゅうでナショナリズムが燃え上がっている。


[618] プロレスラーたちの結婚式 2002年06月08日 (土)

午後、東京プリンスの鳳凰の間で、新日本プロレスのIWGPジュニア
ヘビー級チャンピオンの田中稔と元全日本女子プロレスとアルシオンに
所属していた府川唯未の結婚披露宴に出席する。
ここのところ、こういう催しには、足を運んでいなかったので、誰と同
じ席にむなっているのか、少し不安。
ホテルに入ると、いきなり、元広島カープの哲人衣笠とでくわした。
しかし、ポロシャツ姿なので、別のパーティーに出席するのだろう。
鳳凰の間の受付に行く。芳名帳に記帳し、次の人といれかわると、何と
後ろに居たのはIWGPチャンピオンの永田裕志だった。
私の名前と永田の名前が並んで記帳されているわけだ。少し嬉しい。

席は葵という卓。結局、全日本女子プロレスの連中と一緒の席だった。
右が氏家さん、左が今井良晴リングアナウンサー、さらにレフリーの笹崎
さん、広報のただっち、レスラーは前川久美子、NEOの元気美佐江、椎名、
それに引退した碇が居た。

媒酌人は新日本プロレスの藤波辰巳・かおり夫妻。
渦中の人、永島企画の永島勝治氏もスピーチをした。
来賓の挨拶の続くなかで、遅れて来た大男が一人。スキンヘッドに顎鬚の
その男とは、もちろん安田忠夫。キャラクターを裏切らない男だ。
男子女子まじえて、40人くらいプロレスラーが居るようだ。
フロント陣もヤマモとかパンチ田原とかいろいろ居る。
健在であれば、当然、FMWの荒井社長も居たはずなのに、と、ちょっと
胸が痛む。
ロッシー小川に「いつも、週プロで、活躍を見てますよ」と言うと、
「全女のファンは本気で、ボクを憎んでいるんですよ。もう、怖くて
イヤです」とヨワネをはいている。ギミックもイノチガケということだ。

アルシオンの女子レスラー連中がお祝いの歌をみんなで歌ったのたが
ライオネス飛鳥が堂々としているのはともかく、タレント性という面で
AKINOがまったく、物怖じしないのには感心した。

午後5時前におひらき。地下鉄を乗り継いで帰宅。
夜、小林信彦の短編集『悲しい色やねん』を読了。「めちゃイケ」も見る。


[617] 69パーセントの伝説 2002年06月07日 (金)

フジテレビの編成局は、当初、6月9日のサッカーの日本対ロシア戦の
視聴率を、6月9日だから69パーセントとると、冗談めかして言ってい
たのだが、ここのところ、本当に69パーセントとる、という強気に転じ
てきた。
今のままの勢いだと、本当にその脅威的な数字に届いてしまうかもしれ
ない。少なくとも瞬間風速では、それくらい行きそうだ。

会社が終わってから、柊書房へ行って、影山一男さんと密談。
中華料理を食べるが、いちおう、イングラント対アルゼンチン戦の後半
くらいは見ようということで、八時少し過ぎたところで解散。
イングランドが勝つ。


[616] ダミアンと正岡豊の生まれた日 2002年06月06日 (木)

グループ事務局で、週一回発行している「インフォメーションアイ」という
B4のファックスニュースのつくりかたをKさんに教えてもらう。
写真のスキャナーによる取り込みやトリミングは初めてだったので、なかな
か上手にはできない。
3時間ほど悪戦苦闘して、実際にはほとんどKさんに作ってもらったような
ものなのだが、何とかつくりあげることができた。

バスを乗り継いで帰宅。うまく2台とも座れた。
夜、山藤章二さんの昔の本『オール曲者』を読む。
中に、若い頃の山藤さんが、小林信彦と対談して、落語の話題をふったのに
まったく、とりあってくれなかったとの記述がある。
この話にはおぼえがあった。たぶん、この『オール曲者』が出た時にたまた
ま、そのページを立ち読みなどしたのかもしれない。
いろいろな人にいろいろなメモリーがあるということだ。


[615] そののちの朝の詩と真実 2002年06月05日 (水)

合田千鶴さんの歌集『The Morning After』を再読する。
詠わずにはいられない思いの熱さを感じさせてくれる歌集。
1999年の6月から2001年8月までの歌が収録されている
Vの章から、心魅かれた作をひいてみる。

柑橘をしぼるあさあさ晩年におよぶ屈辱などを思ひつ
ひとの知のおよばざるものかぎりなくうつくしといふ 臨界のあを
薔薇色/たとふればベンガルのよあけ氾濫する恋ほこりつぽい古書店
熱帯に病めばいづれも生きたまま腐敗してゆく邦人も蘭人も
たわわなる受難うれゆく秋の日のひとつぶごとに酸きあまきぶだう
客死とふ訳語なければ伝へえずdie abroad 湿度がちがふ
薔薇線を飛び越えむとす若き兵空に吊られしままに古りゆく
たとふれば琥珀に閉さる漆黒の蟻にやさしき蜜そそぎゐる
とほくゐてときをりつよく抱きしめる太陽黒点 さうかもしれない
流域は黄砂積みつつそのみづを濁らせゐたり くちづけて飲む
天体はとほくしづかに引きあへりかつてひとつであつた記憶に
淡青(アジュール)の放電かすかゆれるたびあいするにくむかなしむ 器
くさあぢさゐ貧しく咲ける一隅をもつ風景にははを置き去る
今朝はまたパープル・バジルそのふかき翳り檸檬の酸に犯しつ

心理の陰翳をさまざまな発想と修辞でなんとか言いとめようとしている
作品だと思う。結句の転換などに先人の技法の習得があるが、それも試
行錯誤の過程だろう。
合田千鶴という名乗りについて、私はダイナマイト・キツドに通底する
悲傷感がある、と書いたが、少し補足する。
短歌作者は私もそうなのだが、本名で発表する人が多い。
私はそれが、自分の目の前にある現実を少しでもリアルに表現するため
のギミックとして、本名を「名乗って」いるわけである。
合田千鶴は、ひとつの記号プラス表現の装置としての「名乗り」だと思う。
ダイナマイト・キッドはイギリス人のプロレスラーで、アメリカと日本で
このギミックあふれるリングネームを使用していた。並外れた運動神経と
格闘技センスの持ち主で、初代タイガーマスクとの名勝負の数々は、今で
も語り草となっている。
本名で戦っても、十分な評価がえられるであろう彼が、あえてダイナマイ
ト・キッドなどという、ある意味でバカげた名前を名乗ったのは、その名
によって、みずからの肉体表現を屈折させることの価値を信じていたから
だろうし、その名乗りによってしか、表現できないアスリートとしての真
価を希求していたのだと思うのだ。
合田千鶴の「名乗り」も、この表現装置でしか言いとめられない、「詩と
真実」がある、ということへの悲壮な渇仰であると私は思う。

このすぐれて同時代的な歌集の真価が、日本の短歌の世界で、どのように
受け止められるか興味深い。


[614] ナショナリストの群の誕生 2002年06月04日 (火)

サッカーワールドカップの日本の初戦の日。
ナショナリズムが燃え上がっている。
夕方の6時前に、お台場近辺には人通りがとても少なくなっている。
キックオフから少しだけ見て、ガラガラのバスで帰宅。
まだ、前半戦が終了していなかった。

今夜は岡本先生が来てくれているので、史比古もかの子も勉強中。
はるかちゃんが、一人でゲームボーイ・アドバンスをしている。
夕食ができるまで、別の部屋で一人でサッカーを見る。
ラジオは全局がサッカー中継。
2点とり、2点とられるところを全部見られた。

かの子の勉強が終わり、はるかちゃんもまじえて、4人で夕食。
夕食後、『正岡容集覧』の巻末の桂米朝、大西信行、小沢昭一の鼎談を読む。
正岡容という人は実に個性的な人物だったようだ。
文壇からは忌避されていたにもかかわらず、前記の3人や都筑道夫、永井啓夫

といった人達が門下になっているのだから、強烈に人をひきつける魅力が
あったことは確かなのだろう。
随筆や小説をゆっくり読んでいこうと思う。

外界では無数のナショナリストたちが大騒ぎしている。


[613] ホール落語の快楽 2002年06月03日 (月)

紀伊国屋ホールの「文我ええもんの会」に行く。
桂文我は桂枝雀の弟子で、四代目文我ということになる。
すでに東京では何度も独演会を成功させていて固定ファンも居るそうだが
私ははじめて聴くことになる。
もちろん、紀伊国屋ホールでは初めての独演会になる。
演目は以下のとおり。

桂まん我 池田の牛ほめ
林家たい平 反対車
桂文我 船弁慶

中入り

柳家花禄 宮戸川
桂文我 占い八百屋

前座のまん我をふくめて全員の出来が抜群だった。
文我にとっては東京のホール落語の桧舞台である紀伊国屋ホールの独演会と
いうことで、期するところがあっただろうが、みごとに成功させた。
ゲストの二人も、文我に対しての気遣いがあり、やりやすい流れを作りつつ
自分の持ち味も十分に出していた。
何より4人とも口跡が抜群に良いので、どんなに早口になっても、きちんと
聞き取れる。特に文我は、三重県出身というハンデがありながら、大阪弁の
小気味良さを完全に自分のものにしている。
「占い八百屋」は東京落語の「お神酒徳利」の上方バージョン。
この演目も、一時、とだえかけていたものを、文我が復活させたものだそうだ。
米朝がすでに仕事をなしおえつつある現在、この文我の存在はその後継者と
して、きわめて心強い。素晴らしい落語家があらわれた。
上方落語はこれでまた30年は安泰だろう。

林家たい平の「反対車」のオチのくふうが面白かった。
上野池之端で人力車が転倒し、梶棒が曲がってしまう。
「おい、車夫、梶棒が曲がってるぜ。早くなおせ」
「梶棒が曲がっちゃ車夫(しゃふ)にはなおせません。JAFを呼んで下さい」。

ホール落語の快楽というのを久しぶりに反芻しつつ家路をたどった。


[612] 自転車に乗って古本屋へ行く 2002年06月02日 (日)

安田記念は後藤浩輝騎手のアドマイヤコジーンが勝った。
後藤がゴールを駆け抜けたあと、ホームストレッチへ戻る途中で
泣き出したのにはびっくりした。
もう30年近く競馬を見ているが、ジョッキーが馬に乗ったまま涙を流す
姿ははじめてみた。
馬券はミレニアムバイオの単複という渋い買い方をしていたので、損はなか
ったので、気分もいいのでそのまま古本屋へ自転車へ乗ってでかける。

目的は小林信彦の新潮文庫の買い残しを拾ってこようというもの。
実は小林信彦に関しては、かなり読んでいるつもりだったが、以外と
1990年代に入ってからのものを読んでいない、買ってもいないことに
気づいて、リストをつくってつぶしていこうというわけだ。
洲崎のあずま書店、東陽書房から門前仲町のブックオフをまわって、6冊
ほど買うことができた。
ただ『紳士同盟ふたたび』とか『悪魔の下廻り』とかは文庫版は意外とない。
この2冊はハードカバーで読んではいるのだが、文庫の解説も読みたいので
買うつもりだったのだが、みつけられなかった。
小林信彦以外での収穫は、ちくま文庫の色川武大『唄えば天国、ジャズソン
グ』をみつけたこと。この本、文庫になっていたのは知らなかった。
小沢昭一といい色川武大といい、この世代の人達の唄への執着には感嘆する。

また、じわじわと本の数がふえてくる。


[611] The Morning After 2002年06月01日 (土)

午前中は平和島のTクリニックにアトピー性皮膚炎の薬をもらいに行く。

合田千鶴さんの歌集『The Morning After』を読む。
オランダ在住の「未来」所属の歌人。
レトリックと表現内容のバランスが巧くとれた佳作が多い歌集であ。
「そののちの朝」という意味になる歌集のタイトルが何といっても効い
ている。
この時代に出現すべくして出現した歌集といえよう。

忘れるな忘れるなよと痛みくる目にみえぬ傷舌にいらへば

合田千鶴という筆名にはダイナマイト・キッドにも通底する悲傷感がある。


[610] 箱根最終日 2002年05月31日 (金)

夜明け前に目が覚めたので、読み残しの『銀座界隈ドキドキの日々』を
読んでしまう。
この本は和田誠がライトパブリシティというデザイン会社に勤めていた日々
の出来事をたんたんと綴ったもので、篠山紀信や山下勇が同僚だつたり
横尾忠則や立木義浩などが次々に登場する一種の青春記であり、アドの
青銅時代の記録ともいえる。

朝食後、最後の発表。三ヶ月後にお台場で開催される中間報告会までに、
どのような取材や討議をしておくかを発表するもの。
11時過ぎに現地解散。
スタッフである私達は、あとかたづけをして、彫刻の森美術館に挨拶を
してから帰る。
Kさん、Hさん、Mさんは小田急で帰るというので、私はもうひとりの
Kさんと一緒に、JRで帰ることにする。
Kさんは新橋で降りて出社。私はそのまま東京駅へ行き、池袋まで
地下鉄丸の内線で行く。
ジュンク堂で何冊か本を買って帰宅。
郵便物がたくさんとどいている。
メールもたくさん届いている。
郵便を整理して、メールの返事を書いて、少しWCの開会式の中継を見て
今夜は、山藤章二対談集『笑いの構造』を読みながら寝る。


[609] 箱根三日目 2002年05月30日 (木)

昨夜は少し気がかりなことがあったのたけれど、電話の呼び出しもなかっ
たので、巧くいったのだろう。

午前中はテーマの叩き台の発表。
そのあと、おおざっぱに3グループにわかれて、具体化のための討議。
昼食をはさんで、午後いっぱい、討議に時間を使う。
夕食までに、全部で五つのテーマが設定され、5グループにわかれる。

何より、ふだんはまったく異なった仕事をしている人達と時間をかけて
協議、討論することで、相手の仕事や思考法を理解し、ネットワークを
ひげていくというのが、この研修の目標なのである。

夕食までに、五つのグループのメンバーも決定した。
夕食後は懇親会。
また阪神が勝ったのでもりあがっている。
私は今夜も適当に自室に引き上げて寝てしまう。


[608] 箱根二日目 2002年05月29日 (水)

12期生は午前中に感想文を提出してそれぞれの会社へ戻る。
交替に13期生が昼頃から集まって来る。
13期生には私の勤め先からは、元アナウンサーで現在は報道記者のH君が
参加する。
一人だけ、仕事の都合で遅れたが、残りは定時に集合。
まず、自己紹介で午後はつぶれてしまう。
そのあと、まずは部屋割りによる同一の部屋のメンバーで、テーマの叩き台
をつくって、模造紙に書き出す。
ほとんど、研修者たちの自主性にまかすということで,実は少し心配してい
たのだが、フジテレビの女性と大阪サンスポの男性がイニシアチブをとって
くれて、何とか巧い方向へ展開して行く。

夕食後はまた宴会。
大阪サンスポのK君が盛り上げに大活躍する。
だいたい三十人くらい集まれば、こういう宴会社員が数人は居るものだ。
阪神が勝ち、巨人が負けて、阪神が首位に返り咲いたので、大阪産経の
グループはさらに盛りあがる。
私は適当に部屋へひきあげて寝てしまう。


[607] 箱根一日目 2002年05月28日 (火)

潮見駅から東京駅、新幹線で小田原駅、箱根登山鉄道で箱根湯本で乗り換え
彫刻の森駅へ着いたのは午前11時30分頃。
スタッフは私を入れて五人。
今日は、昨年11月に結成された第12期生の総合報告。
私の勤め先からは、元マーケティング部でいまは経理部に異動したY君が
参加している。
午後から夜までかかって五組の発表。
夕食後は宴会。
宴席では産経新聞社の販売担当者と編集記者がさかんに激論を展開している。
適当なところで寝室に引き上げて、和田誠の『銀座界隈ドキドキの日々』を
読みながら寝てしまう。

酒を下さい 夜の調律が出来ません  高柳重信


[606] 明日から出張 2002年05月27日 (月)

パワーチームプロジェクトというフジサンケイグループの中堅社員の研修を
事務方として補佐するために、明日から箱根に3泊4日で出張。
その準備をしつつ、午後は木村氏と一緒に、有楽町の蚕糸会館の会議室へ
行く。
OB会の担当が私から木村氏にかわるので、K事務局長はじめ、幹事の
みなさんに紹介する。
1時間ほど引継ぎの確認をして解散。
浜松町からバスで会社へもどる。
夕立になりそうな雲行きだったがなんとか降らずにもった。
バスを乗り継いで帰る。
小林信彦の『小説世界のロビンソン』を読みながら寝てしまう。


[605] 「犀」俳句会20周年記念会に出席 2002年05月26日(日)

横浜プリンスホテルで「犀」俳句会の20周年記念パーティがあるので
それに出席のために、新横浜へ行く。
「犀」は赤尾兜子主宰の「渦」の東京地区のメンバーが、兜子の没後に
桑原三郎さんを代表同人として創刊された雑誌で、私はその創刊同人で
あった。結局、平成元年に、歌集『夢みる頃を過ぎても』を上梓したの
をきっかけに、短歌一本にしぼるということで、「犀」を離れたのだった。

ほとんどの同人とは15年ぶりの再会。
ゲストに和田悟朗さん、小泉八重子さん、高橋龍さん、酒井佐忠さんらが
出席されていた。
私もスピーチをもとめられたので、今や俳諧性ばかりが評価される俳壇な
ので、せめて、「犀」だけは、兜子が生涯を書けて追求しつづけた文学性
を獲得した俳句をつくってほしいこと、そして、そういう俳句をつくれる
新人を俳壇に送り出してほしい、ということをしゃべった。

秦夕美さんと一緒に東京駅まで帰り、わかれたあと、八重洲古書館へ行く。
講談社文藝文庫の幸田文の本が7冊全部並べられている。しかも半額。
いずれ、新刊書店で買うつもりだつた本なので、思い切って7冊とも買っ
てしまう。
他にも色川武大の講談社文庫版『明日泣く』とか小林勇の『蝸牛庵訪問記』
とか、掘り出し物があった。


[604] ビデオを3本見た週末 2002年05月25日(土)

昨日の夜、レンタルビデオ店で借りた日本映画を3本見てしまう。

曽根中生監督『唐獅子株式会社』 横山やすし、丹波哲郎、甲斐智恵美、伊東四郎、桑名正博など
増村保造監督『兵隊やくざ』 勝新太郎、田村高広、淡路恵子、成田三樹夫
山下耕作監督『緋牡丹博徒』 藤純子、高倉健、清川虹子、待田京介、若山
富三郎

『兵隊やくざ』と『緋牡丹博徒』はシリーズの最初の作品ということで
どちらもテンポが良く、見ていて小気味良い。
いわゆるプログラムピクチャーというわけだが、まさに監督が映画の面白さ
を知っているという感じなのだ。
曽根中生監督は私は日活ロマンポルノは何本も見ているのだけれど、この作
は、ちょっと不振。
やはり、横山やすし主演というところにムリがあったのだろう。
小林信彦の『天才伝説 横山やすし』によると、当初、脚本を笠原和夫に依頼
したそうなのだが、結局、笠原ではなく桂千穂になったということ。
桂千穂もロマンポルノでは『闇に浮かぶ白い肌』などの面白いシナリオを書
いているのだが、「唐獅子株式会社」はうまくいかなかったようだ。

夕方、来週の出張用のズボンとシャツをユニクロに買いに行く。


[603] 見はるかす海は冬日に凪ぎわたる死ぬことと生まれなかつたことと 2002年05月24日 (金)

表題は昨日に続いて高島裕さんの作品。「未来」五月号より。
毎月彼の作品が毎月読めないということはかなり短歌にかかわる刺激が
少なくなるがそれもしかたがない。書き下ろし歌集とかでショックを与
えて復活してくれることを祈りたい。

駄句駄句会に先月に引続き出席。
出席者は三魔宗匠はじめ、一顔、駄郎、寝ん猫、斜断鬼、邪夢、風眠、粕利
それに私の九人。
邪夢こと島敏光さんに、著書の『ビートでジャンプ』にサインをしてもらう。
邪夢さんら、奥様手作りのママレードをいただく。
句会の題は「玉葱」と「蛇の殻」

・玉葱の面白くなくむかれけり

上が拙作。三魔宗匠と駄郎さんの天に抜かれる。

今日は如水会館で、寺山修司短歌賞と河野愛子賞の授賞式。
島田修三さんと池田はるみさんには、心からお祝い申し上げたい。
本当は島田さんも池田さんも、もう一冊前の『東海憑曲集』と
『大阪』で受賞してもよかったとは思うけれど、こういう評価はいつも
本質よりも遅れてやってくるものなのだろう。


[602] くれなゐの葉群あかるき冬の日に思ふともなし遠き戦場 2002年05月23日 (木)

表題は高島裕さんの作品。「未来」五月号より。
季節は冬、青年の心の陰翳が伝わってくる。
二月頃につくった作品だろうか。
高島さんは「未来」をはなれたとのこと。短歌をつくり、発表し続けてほしい。

グループ事務局で歓迎会を開いてくれる。
この会に出ることで、やっと全員の名前と顔が一致した。
会場はなんと枝川二丁目の「大喜」という焼肉屋。
私のマンションまで歩いて10分もかからない。
しかし、こんなに美味しい焼肉は初めて食べた。
夜七時の段階で超満員だったが、それも当然だと納得できる。

解散して帰宅。
二時間ほどたってから、なんと鞄を他人の鞄とまちがつて持ってきてしまつた
ことに気づく。Fさんの鞄だった。隣同士に座っていて、しかも、たいへん
よく似た鞄だったので、おたがいに勘違いしてしまったようだ。
あわててFさんの家に電話。ことなきをえる。


[601] 「短歌人」の編集会議など 2002年05月22日 (水)

流水書房に昼休みに行ったら、関本郁夫の本が出ていたので買ってしまった。
「およう」が公開されることにからめての新装再刊なのだろう。
この時代の日本映画の監督や脚本家には興味がつきない。
そういえば「小説新潮」の今月号にも笠原和夫のエッセイが掲載されている
はずなので買わなければならない。
久しぶりにこのところ日本映画への興味がたかまっている。

夜、池袋の東京芸術劇場の会議室で「短歌人」の編集会議。
BookReviewの新メンバー等をふくめて、もう、9月号以降の
企画を決めていかなければならない。
会議のあとの食事の場で、諏訪部仁さんにロンドンの話をうかがう。
イギリスは今すごく景気がよくて、日本のバブル期のような状況なのだ
そうだ。
編集会議の前に芳林堂書店で買った「小説新潮」を買っておいたので
帰りの地下鉄で早速、笠原和夫のエッセイを読むが、なんと2回連載で
「仁義なき戦い」時代のことは来月号になるらしい。
巻頭の団鬼六の私小説「ふうてんの果て−−さくら昇天」という24歳の
愛人が自殺した話を読む。伝統的な私小説風の味わいが感じられないこと
もないのだけれど、けっして良い出来上がりの小説ではない。

帰宅後、「桂米朝落語全集」の中から「蔵丁稚」を読む。
就寝前に落語全集を読むというのは、なかなか心が落ち着く。