[64] 夜の玉川上水を見る 2000年11月08日 (水)

●昨夜、十時半過ぎに、三鷹駅の近くを流れる玉川上水を見た。
 太宰治と山崎富栄が心中した場所である。
 しかし、水の量も少なく、両岸から植物が川面にむけて生い茂っているので
 あまりはっきりとは流れが見えなかった。

・池水は濁りに濁り藤浪の影もうつさず雨降りしきる

 上記の伊藤左千夫の歌を太宰は遺書に引用したのだが、そういう激しく
 流れる水のイメージはわかない光景だった。

●新聞はあいかわらず遺跡出土品の捏造事件の報道でかまびすしい。
 私だけの感覚かもしれないが、何かひどく勝ち誇った感じの論調が
 記事に見えて、イヤな感じがぬぐえない。
 水に落ちた犬をさらに鞭打って殺そうとしている感じ。
 コメントをだしている考古学関係者の言葉も「そらみたことか」との
 ニュアンスが強く、品格がないと私には思える。
 松本清張の『断碑』などに書かれている考古学界の陰湿さは
 今でも続いているということなのだろうか。

●今日はデジタルコンテンツ部に派遣社員のためのOAデスクが
 搬入されるので、朝八時半までに会社に行かなければならない。
 


[63] 詩人はなぜ声をだすのか 2000年11月07日 (火)

●「現代詩手帖」のバックナンバー、2000年3月号で、
 荒川洋治のイナタビューを読んだ。聞き手は横木徳久。
 「読者なき状況のなかで「書く」」ということが、苦しくホンネで
 語られていると思い、好意がもてる内容だった。
 自己充足する若い詩人を批判しつつ、自分の詩の読者も想定できず、
 一方で、たくさんの素晴らしい詩を書いた茨木のり子が『よりかからず』
 で、本が売れてしまうことも納得しがたい。正直な思いだと思う。
 
●昨日の通勤時から、近藤洋太の『戦後というアポリア』を読み始める。
 まだ「現代詩文庫の功罪」という章を読んだだけだが、私と比較的
 世代の近い詩人の時評ということで、興味をひかれる。

 「今日、私たちは詩の敗戦処理、残務整理をおこなうことしか
  できないのだろうか」(35ページ)

●寝る前に詩の朗読のCDを聞いた。
 「詩人の声」ミッドナイトプレス 1997年刊

 ・いま、詩の声は、アナログの時空とデジタルの時空とを往還しはじめた
  ようだ。
 ・このCDは、耳で聴く詩集なので、朗読されているテキストは掲載して
  いません。

 わずか三年前に書かれた文章だが、今となってはほほえましい気さえする。

●このCDで朗読しているのは、大岡信、吉増剛造、正津勉、佐々木幹郎、
 谷川俊太郎、川崎洋の6人。
 何も考えていなかったり、手馴れすぎていたり、相変わらずだったり、
 自己陶酔だったりする中では、佐々木幹郎の祈祷のような大声には
 驚かされた。正津勉は詩の内容の品のなさと声の質が良い意味で
 シンクロしていたように思った。

●もう一枚、「日本現代詩の六人」watch world刊
 こちらは辻征夫、永瀬清子、谷川俊太郎、石垣りん、まどみちお、
 伊藤比呂美の六人。
 特徴は日本語と英語のテキストがついていて、詩人本人の日本語の
 朗読のあとで、外国人による英語の朗読がなされていること。
 伊藤比呂美だけは、英文も自分で朗読している。

●永瀬清子だけは、このCDの企画にはOKしたが、録音前に亡くなった
 ので、以前に残っていたテープから復元したものが収録されている。
 石垣りんの声が、読者(私)がイメージする「石垣りん」に限りなく
 近かったのが、ちょっとうれしい。
 辻征夫は、何か固くなっているような感じだけれど、聞き易く自作を
 読もう、という思いは伝わってきた。
 伊藤比呂美はエンターテイナーだと再確認できた。
 このレベルなら朗読という表現として十分に自立しているといって
 も、よいだろうと思う。

●私自身も朗読には興味が持続しているので、できる限り他人の試行を
 聞いてみたいと思う。
 「かばん」の朗読イベントに行けそうもないのが残念。

●今日の夜は、その朗読の件で辰巳泰子さんと密談する予定。


[62] 小説よりも悲しい事実もある、とロック様が言った 2000年11月05日 (日)

●今日の毎日新聞の一面は、宮城・上高森遺跡の調査団の団長の
 藤村新一氏が、遺跡の地面に穴わ掘り、石器を埋めている姿を
 ビデオ撮影に成功し、旧石器発掘の事実が捏造されていることを
 明かにした、というもの。
 本人もビデオを見せられ、捏造の事実を認めたそうだ。
 この藤村新一という人は、在野の研究者で、
 民間の研究者におくられる相沢忠洋賞の第一回受賞者であり、
「石器の神様」とか「ゴッドハンド」などとよばれていたのだそうだ。
 松本清張の「断碑」とか、初期の短編小説を連想させる悲しい事件だ。

●池袋芸術劇場で「短歌人」の拡大編集委員会。
 出席者は中地俊夫、蒔田さくら子、小池光、多久麻、橘圀臣、鎌倉千和
 三井ゆき、高田流子、西勝洋一、西王燦、藤原龍一郎の11人。
 いくつかの重要な案件を討議して決定する。
 結社という言葉からはかなり遠いイメージの「短歌人」だが
 やはり、組織としてのキメゴトは必要ということ。

●三連休が終り、また明日から会社に出勤しなければならない。


[61] なにもかも、心地よく秘密めいた場所 2000年11月04日 (土)

●左足首の痛みがとれないので平和島の大恵クリニックに行くと
 アトピーの傷口から、黴菌が入って、皮膚の内側が炎症をおこして
 いるのではないか、とのこと。
 殺菌して、抗生物質を塗ってもらい、さらに包帯で足首全体を
 まいてもらう。
 こんなにおおげさになると、本当に重い症状なのかと、気がめいってくる。

●少しづつ『東京式』の贈呈作業をしている。
 いつもは、三日間くらいで、一気に贈呈本発送の作業をすまして
 しまうのだが、今回はゆっくりと、考えながらやっている。
 何を考えているのかというと、結局、この本がどのように
 受けとめられるかを、想定してから、贈呈者を決めている
 ということなのだ。

●和合亮一詩集『RAINBOW』
        『AFTER』
 蜂飼耳詩集『いまにもうるおっていく陣地』

 以上の詩集を購入。
 現代詩はわかるものと、わかりがたいものとが極端にわかれる。
 今のところ私には柴田千晶のようにテーマのはっきりした作品や
 川口晴美のように、心理描写であっても、意味の追えるものしか
 受けとめることができないでいる。
 今日買った詩集は、はたして読めるだろうか。
 蜂飼耳の詩集に関しては、清水鱗三さんのHPに、
 中原中也賞をめぐつて、荒川洋治が選考委員であり、
 この詩集の出版元の紫陽社主でありながら、
 この『いまにもうるおっていく陣地』を推奨していることのおかしさが
 書いてあった。
 さて、どんな作品なのか。私は単純に感動したいだけなのだから。

●短歌や俳句だと、多少なりとも、人間関係のしがらみができている
 だけに、素直によめないこともあるのだけれど、現代詩に関しては
 まったく、そういうことがないので、詩集に謙虚に向かうことが
 できる。
 その結果、柴田千晶の『空室』のような、心ふるわせてくれる
 すぐれた表現に出会うことができたのだから。
 


[60] 源ちゃん、ゴメンよ、と阿修羅原は言った 2000年11月04日 (土)

●今週号の「週刊プロレス」のWWF情報によると、
 ストーンコールド轢逃げの真犯人はRIKISHIだったのだそうだ。
 コミッショナーのミック・フォーリーに指摘され、RIKISHIも
 それを認めたのだという。
 うーん、さすがにWWFのストーリーは、お客の予想をつねに
 裏切ってくる。
 こういう展開は、さすがの内田君も、びっくりしただろう。

●まだ、見ていなかったWWFの「サマースラム」のビデオを見る。
 シェーン・マクマホンが15メートルの鉄柱の上から、真後ろに落下する。
 こんな受身をとれるような奴は、まず、いない。
 プロフェッショナル意識が徹底している。


[59] この現在という宙吊りの状態 2000年11月03日 (金)

●昨日は足立区東六月町地区の再開発のための懇談会というものが
 ひらかれるので、四時すぎに会社を出て、竹の塚にある足立教育研究所なる
 場所へ向かう。私の勤め先が、この地区にかなり広い土地を所有していて
 現在は野球場にして福利厚生に使っているのだが、区としても、
 再開発をして、もっと有効にこのエリアを開発し、活性化させたいと
 いう意向がある。
 とはいえ、土地所有者の利害が複雑にからみあっているので、
 なかなか、統一的プランはまとまらない。
 まあ、私は会社の担当者ということで、こういう会合に参加はするが
 決定権も何もないので、ただ、話を聞くだけということ。

●帰りの地下鉄で、祥伝社400円文庫の新刊、倉阪鬼一郎著『文字禍の館』
 を読み始めたら、竹の塚、木場駅間で、読み終わってしまった。
 しかし、いかにも、文字そのものに愛憎をもっている倉阪氏ならではの
 思いがこもっているホラーといえる。
 倉阪鬼一郎氏は俳句をつくっていて「豈」の同人でもある。
 「豈」の最新号から倉阪氏の俳句を紹介してみる。

・亡霊の一糸乱れぬ落花かな
・臓物の果ては小皿か冬の雨
・源氏名は刃 万太郎忌の悪夢
・うつくしき水彩画の裏「怨霊退散」
・廃屋に錐あることの寒さかな
 
●帰宅してから、メールチェック。 
 連句が始まっているので大量にメールが来ている。

●『空室』を読み返しながら眠ってしまう。


[58] 通勤バスの中で涙が 2000年11月02日 (木)

●いま、会社についたところ。
 通勤バスの中で、柴田千晶詩集『空室』の中の一編、「金色の龍」という
 作品を読んでいたら、突然、涙がまぶたににじみ、頬をつたって流れ
 おちた。
 この詩を読んだのは実ははじめてではないのだが、現在の私の心理が
 この詩に強く共鳴する状態だったのかもしれない。

●こんな経験は久しくなかった。
 お台場はガンメタル・グレイに沈み、酸性の雨がレインボーブリッジを
 濡らしている。


[57] 本の整理も楽じゃない 2000年11月02日 (木)

●昨日は部屋中にあふれている本の整理をしていたら、うっかり、
 日記をつけるのを忘れて寝てしまった。
 11月1日付けが抜けてしまったのは残念。

●今日、明日はたぶん詩集を読むことになる。
 新刊の柴田千晶詩集『空室』 ミッドナイト・プレス刊
 および、古書店で買った金井美恵子の『マダム・ジュジュの家』と
 『花火』。この二冊は30年前の本なのにびっくりするほど綺麗に
 保存されていて、しかも安かったので、勢いで買ってしまった。
 


[56] おやすみなさい、ピアノさん 2000年10月31日 (火)

●正岡豊さんが1987年におこなった短歌朗読のテープを送って
 くれたことは、昨日の日記に書いたが、今朝、そのテープを聞いた。
 一度目は何も考える事なく、ただ、再生してぼんやりと。
 二度目は歌集『四月の魚』わひらきながら。

●構成がしっかりしている、というのが最初の感想。
 二度聞いても飽きるところがない。
 正岡さんと、もう一人の女性が短歌朗読をしているのだが
 割舌、発音ともに明瞭で、すべての言葉が聞き取れる。
 この点は私の朗読に関する考えの理想にちかい。

●冒頭、まず、ピアノから入って、すぐに、正岡さんが

・へたなピアノがきこえてきたらもうぼくが夕焼けをあきらめたとおもえ

 この一首を読んで、朗読世界に入る。
 バックにはピアノ、キーボード、ギターなどが常に流れている。
 
・フロッピーディスクにぼくはたたきこむとてもやわらかな破壊の歌を

 この作品がキーとなって、何度か速度や強度を変化させながら
 繰り返される。

●BGMはすべて既成の楽曲かもしれないが、私がわかったのは
 キーボードの奏でる「悲しくてやりきれない」だけだつたが、
 この曲のつかいかたも、実にうまいと思えた。

●男女がかけあい、途中で正岡さんは歌いだしたりもする。
 そして、最後は

・きみがこの世でなしとげられぬことのためやさしくもえさかる舟がある

 この作品が女性によって読まれ、一拍あって二人の声で
 「おやすみなさい、ピアノさん」でエンディング。

 すぐに拍手がわいているが、私も思わず拍手をしたくなった。

●13年前に、このレベルの朗読がなされていたということを
 もう一度、きちんと受けとめておかなければならないと思う。

●「豈」33号が送られてきた。
 表紙が四人の人物の絵。一番左が大井恒行さん、次が攝津幸彦さん
 だと思うが、三番目の女性と一番右のサングラスの男性はわからない。
 私はこの号では、大屋達治句集『寛海』の書評と短歌作品「月の暈」
 十九首を発表。
 「豈二十年の記録」という労作の特集が巻頭。
 創刊以来の同人は大本義幸、大井恒行、長岡裕一郎と私の四人だけ。
 うーん、二十年の月日は長いなあ。


[55] 八重洲地下街の鳩 2000年10月30日 (月)

●夕方の六時半過ぎ頃、会社の同僚と八重洲地下街を歩いていたら
 なんと床に鳩が歩いていた。
 どこから入ってくるのだろうか。あるいはこの地下街に棲み付いているのか。
 何か奇妙でしかも魅力的な雰囲気。

●さて、なぜ、同僚とこんなところを歩いていたかというと、
 今日は、勤め先の警備、清掃、電話交換などの業務を委託している
 S社の人達から、夕飯でもいっしょに食べませんか、と誘われたから。
 いわゆる接待というやつですね。
 鳩がいた地下街のさらにはずれの方にある居酒屋で、飲み食いさせて
 いただく。私はアルコールがまったくダメなので、こういう席はあまり
 得意ではないが、まあ、これも仕事のうちなのだと割りきっている程度
 にはおとなである。

●帰ってきたら来ていた郵便物
 ・正岡豊さんより、1987年に録音された詩の朗読のテープ。
  これは楽しみ。
・仁科さくらさんから、句集の感想の手紙に対する礼状。
 ものすごく端麗な文字。ペン字だが、水茎うるわしい、という言葉が
 ぴったり。
・斎藤すみ子さんより葉書。23日の「永井陽子を偲ぶ会」について。
・西崎みどりさんより葉書。「短歌という爆弾」をお貸しした礼状。
・短歌誌 「網手」、「石畳」、俳句タブロイド誌「子規新報」

●さて、この夜更け、八重洲地下街の鳩は何をしているのだろうか。


[54] 古い雑誌をひも解けば 2000年10月29日 (日)

●今日は、午前中に会社から帰って、早目の昼食を子供達と食べた。
 「短歌人」11月号仙波龍英追悼小特集の号の頒布のお知らせを
 MLに流す。
 そのあと、急に眠くなって、久々に昼寝。

●天皇賞の馬群が東京競馬場の欅のあたりを走っているところで目が覚めた。
 イーグルカフェがあとひとのびしてくれたら、バンザイ!だったのだが
 正反対の意味でのバンザイになってしまった。
 ティエムオペラオーはやっぱり強いわ。

●「短歌研究」1987年9月号をひっぱりだして拾い読みしている。
 1987年9月号というのは実は荻原裕幸さんと黒木三千代さんが
 短歌研究新人賞を受賞した作品と選考座談会が載っている号。
 ちなみに荻原さんの受賞作は「青年霊歌」。黒木さんは「貴妃の脂」と
 どちらも第一歌集のタイトルにもなった一連。
 25歳のさわやかな(もちろん今でもさわやかですが)荻原青年の
 写真がまぶしいほどです。

●それで驚いたのが、この時の最終選考通過の顔ぶれの豪華さ。
 候補作が三井一夫、さわ真青、浜田美穂子、滝浪豊満、津波古勝子、
 水原紫苑、
 上位通過作に岩下静香、久島茂、桜木裕子、源陽子、唐振昌、武藤尚樹、
 北影雄幸、山岸智子、真島正子、山田典彦、木村美紗子、文月千代、
 夏野愛子。

●さらに五首ずつ作品が載っている人の中で、おやっと思う名前。
 梅内美華子、大津仁昭、児玉暁、河野小百合、佐久間章孔、
 伝田幸子、仁科由人、服部一行、日夏也寸志、穂村弘! 森本平

●ということで、穂村弘さんの作品五首を紹介。

・わがままな猫は捨てよう真夜中のダスト・シュートをすべる流星

・マジシャンが去った後には点々と宙に浮かんでいる女たち

・人形は放り出されて空をみる イマハコワレテトジナイマブタ

・手づがみで食べたい気持ちを大切に 今宵あなたは送られ羊

・裏切りに指輪よ描け頬を打つバックハンドの軌跡の虹

●「マジシャン」「わがまま」「裏切り」は『シンジケート』の
 「瞬間最大宝石」の章に収録。
 「人形」と「手づかみ」は未収録かな? 


[53] 『東京式99・10・1-00・3・31』刊行のお知らせ 2000年10月28日 (土)

●歌集刊行のお知らせです。
 
※藤原龍一郎歌集『東京式99・10・1-00・3・31』北冬社 1700円+税
 п浮ax 03−3292−0350
●突然ですが、上記の歌集ができあがりました。 
 これは1999年10月1日から2000年3月31日までの
 Y2K騒動を真ん中にはさんだ半年間の日録と短歌を組合せた
 新形式の歌集です。
 クロニクル形式といえば、すでに佐佐木幸綱歌集『呑牛』や
 時田則雄歌集『ペルシュロン』とかがありますし、「歌壇」では
 河野裕子、紅さん母娘の連載などがすでにありますが、
 この『東京式』の場合は、上記のものよりも、もっとクダラナイことを
 毎日、ごたごたと書いてあります。
 まあ、一冊まるまる東京のノイズと思っていただければよろしいかと。

●北冬社のポエジー21というシリーズの一冊で、森本平歌集の
 『個人的な生活』とか中村幸一歌集『出日本記』とかが出された
 ものです。
 今日は、北冬社の柳下和久さんが、わざわざ、お台場まで来て
 くださったので、コーヒーで祝杯をあげました。

●栞では枡野浩一さんと対談をさせていただきました。
 この対談も面白いですよ。
 ノイズについて二人で熱く語っています。


[52] 句会帰りの古書店で、立原正秋を 2000年10月28日 (土)

●昨日の句会は神楽坂の割烹であったのですけれど、その帰りに
 地下鉄東西線の神楽坂駅の入口(赤城神社側)の筋向いに
 ブックオフ系の安売り文庫屋があったんですね。
 そこで、ちょっと立ち寄ったら、立原正秋の文庫がけっこうありました。
 立原正秋は、現在、新刊書店の文庫コーナーからは、すっかり消えて
 います。一冊100円で、わりと本もきれいだったので、
 『春の病葉』とか『ながい午後』とか『剣ヶ崎』とか『血と砂』とか
 です。
 その中で一冊、『男性的人生論』というのがあって、これは、いわゆる
 武道系精神論かなあ、と思いながら、ぱらぱら拾い読みしていたら
 ぜんぜんちがって、立原正秋流の文化論なんですね。

 「私は自分に文化をつくるちからがあるとは考えたこともないが
  文化とは何かについては知っているつもりである」

 という理念にもとづいて、正論でぐいぐいおしてくる迫力は
 実に清潔で心地よいのです。
 たとえば、芥川賞、直木賞の選考委員の適格性について、
 ほとんど名指しで批判したり、文芸家協会の文士の墓について
 異をとなえ、原稿料アップを嘆きながらも出版社にたかっている作家たち
 の偽慢性を痛罵したり、と、良くも、ここまで書けたものだと
 思えるようなきびしい文章ばかりです。
 選考委員のへの批判など、現在の短歌の世界にもそのままあてはまる
 ようなものですからね。
 たぶん、ブックオフを何軒かまわればみつけられる本でしょうから
 興味があったら探して読んでみてください。角川文庫です。

●今夜は二ヶ月に一度まわってくる会社の宿直なので、正岡豊さんの
 チャットには参加できそうもありません。


[51] 句会のあとで微笑みを 2000年10月27日 (金)

●句会から無事に帰ってきました。
 なぜ、気が重かったかというと、この句会、山藤章二さんが主宰の
 駄句駄句会と言って、メンバーが高田文夫さんとか吉川潮さんとか
 玉置宏さんとかがメンバーになっている、いわゆる有名人句会なわけ
 なんです。
 上記の人達とは、仕事上でお世話になっているので、まあ、フジワラは
 短歌をつくっているらしいから俳句もつくれるだろうということで
 お誘いを受けていたわけです。
 それで、7、8、9月とたまたま句会の日が都合が悪くて断って
 いたので、さすがに今月は断りきれないな、と思って、行ってきた
 わけです。行ってみれば、まあ、面白かったのですけど。

●今日の出席者は、肝腎の宗匠の山藤章二さんは風邪で熱がさがらない
 ということで、欠席。
 高田文夫、立川左談次、林家たい平、吉川潮、大有企画の社長の中村さん、
 映画評論家の島さん、そして私フジワラの七人。
 席題は「秋惜しむ」と「蕎麦の花」。 

 ちなみに私の句は

・惜しむ秋外人の名はスタルヒン
・蕎麦の花百年前も蕎麦の花

 どちらも点が入りませんでした。やっぱり、題詠下手みたい。

●と、まあ、そんなわけで、有名人の中に無名人としているのは
 けっして居心地がよいわけでもない、ということでした。

 最高点句は風眠こと高田文夫さんの

・フランクは蕎麦を打ってくれるだけでいい

 うーん、アナーキーな句会!


[50] 時代はいつも肌寒い 2000年10月27日 (金)

●土、日に出勤した代休で、今日は休み。
 午前中、長男の史比古の中学の文化祭を見に行く。
 史比古が、夏休みに江東区のカナダ短期留学というのに行ったので
 それの発表を舞台上でおこなうのを見物する。
 しかし、ものすごく背が高くなったものだ、と親の感慨にふける。

●今夜は五時から駄句駄句会という句会に行く。
 ちょっと気が重いのだけれど、帰ってきて気力が残っていたら
 句会の様子も書き込んでみようと思う。では。


[49] やはりプロレスは熱い、と私が言う 2000年10月26日 (木)

●半年ぶりの「熱くプロレスを語る会」。於中目黒・焼鳥の栃木屋。
 集まったのは、柴田君、瀬戸君、内田君、光安さん、夢月亭歌麿師匠
 北条志乃さん、柴田君の後輩、謎のオタク男。

●内田君は結婚式で新郎新婦入場のテーマをジャンボ鶴田のテーマに
 すると言い張って、新婦と大喧嘩をしたそうだ。
 瀬戸君は奥さんのお父さんがプロレス・ファンで、徹夜でプロレス
 について義理の父親と語り明かしたという。
 プロレス者は、いつも、家族や世間とどのようにおりあいを
 つけるのか、苦労している。しかし、それもバンプと思えば
 耐えられるというものだ。

●瀬戸君がWWFのビンス・マクマホンやミック・フォーリーの
 フィギュアをもってきた。RAW is WARの会場で
 タイタン・トロンの下でフィギュアの靴底の金属部分を特定の
 場所に接触させると、そのレスラーの入場テーマが流れ、
 顔写真がピンボールマシンのように点滅するのだそうだ。
 こういうサービスがあれば、WWFのフィギュアを買いたくなる
 のは当然だ。
 一方のWCWは、フィギュアといっても、単に足を握ると、手が開く
 といった程度のしかけしかしていない。これではエンタテインメント
 のビジネスとしては勝負にならないだろう。

●歌麿師匠と北条さんは、船木のヒクソン戦について熱く語っていたが
 私は内田君と瀬戸君とアメプロの話をずっとしていた。
 やはり、生涯に一度はナマでWWFを見たいものだ。
 そのあと、突然、女子プロの話になり、シャーク土屋がなぜ画学生から
 女子プロレスラーになったのか、という議論になる。シャークの実家は
 裕福で、親族のほとんどが医者という家系らしいが、ただ一人だけ
 女子プロレスラーという職業をなぜ選んだのか。
 シャーク土屋については松浦理英子(彼女はブル中野に心酔している)も
 謎を解明したいと、強く意識しているそうだ。
 FMWのロゴをデザインしてもってきた土屋恵理子という女性に
 プロレスラーにならないか、とすすめたのは大仁田厚なわけで
 この希代のトリックスターに対して、強い反応をしめすだけの
 エクセントリックな感受性があったわけだ。それが裕福な画学生を
 女子プロレスラーに変化させ、ヒールのシャーク土屋に変身させて
 しまったのだ。
 たぶん、自覚的にプロレスラーになった唯一の女性ではないか。
 と、こんなことを時間を忘れて語り合っていた。

●とりあえず、10時を過ぎたので私は一足先に失礼したが、
 心地よい興奮が身体の芯に残っている。 


[48] ずれ、ずれ、ずれ、熱いプロレス 2000年10月26日 (木)

●下の日記を書いたのは今朝なので、実際に、さくら鍋をたべに行ったのは
 25日水曜日の夜ということです。
 どうしても、ずれがおこってしまうようです。

●今日は内田君や瀬戸君や夢月亭歌麿師匠やバトルロイヤル風間さんや
 北条志乃先生と「熱くプロレスを語る会」に行きます。


[47] さくら鍋を食べた夜 2000年10月26日 (木)

●午前中は毎月最終水曜日に開かれる、特別職会という会議。
 ここには、社長以下の役員全員と局長、部長が出席を義務づけられ
 各部の報告することになっている。
 私のような副部長は、管理部門と経理部門のものがオブザーバー
 というかたちで、出席する。まあ、発言をする必要もないので
 気が楽な会議ではある。

●風邪がはやっている。
 昼食のあと、頭痛とけだるさが増してきたので、風邪薬をのんだら
 異様な眠気が襲ってきた。
 来客があって、ソファに対面状態で座って話をしていても、
 ふっと気がつくと、瞼が落ちている。
 作家の色川武大がナルコレプシーという病気で、麻雀をしながら
 眠ってしまうことは有名だが、こんな感じだったのだろうか。

●定時の5時半で業務を終了。眠気は消えていた。仕事がしたくなかった
 のに、身体が反応していただけだっのか。
 9月の半期の決算が無事に終了したことの打ち上げで、部長以下七人で
 森下町にある「みの家」という有名な馬肉料理の店へ行く。
 馬刺し、叩き、さくら鍋と馬肉を食べまくる。
 実は私は馬肉を食べるのは初めてだったのだが、思ったより、油っこく
 なくて、口あたりは良かった。

●6時半から始まり8時半過ぎに解散。
 わが家は、ここからさほど遠くないのでタクシーで帰ってしまおうかと
 思ったが、都バスがきたので門前仲町までバスで出る。
 地下鉄東西線に乗り換えて、二つ目の東陽町で降りる。

●東陽町駅に夏前から、TSUTAYAと一緒に文教堂書店がオープンし、
 午前1時まで開いている。
 「ユリイカ」の11月号を探したが、まだ、10月号が並んでいた。
 泉鏡花の特集で、先日から何度か買おうかな、と思っては買いそびれて
 いたので、思いきって買ってしまう。
 あと「角川俳句」が角川俳句賞の発表号だったので、これも購入。

●帰宅して、メールチェック。正岡豊さんの天象俳句館が久しぶりに
 更新されたので、更新部分を読む。興奮しつつ癒される。


[46] アルジャーノン(ブラックウッド)に花束を 2000年10月24日 (火)

●会社というのは予想もつかない事件がおこる。
 今日もスタッフ・オンリーの金属ドアのノブを女子アナウンサーが
 あけようとして引っ張ったら、ノブが抜けて、彼女は金属部分で
 掌を切ってしまうという事件がおこった。
 コントじゃないんだから、いきなりノブが抜けるなよ。
●正午直前にSBSの東京特派員から電話がかかってきて、
 この話が長引き、昼食に行くみんなに置き去りにされた。
 しかたがないので、一人で十八階の食堂に行って、チラシ寿司を
 食べた。
●午後はスタジオ管理室に入れる、24時間同録用のDVDの収納棚の
 図面をオカムラの営業の大井さんにもってきてもらう。
 1時間ほど打ち合せをして、こんどは月末のOB会用のネームプレートを
 アイウエオ順に並べる作業をする。
●5時30分ジャストに総務部員全員で退社。
 そのまま、水道橋へ行って、三人の歌人と密談。
●「プロレタリア文学はものすごい」と平行して集英社新書の
 南條竹則著『恐怖の黄金時代』を読み始める。
 いきなりアルジャーノン・ブラックウッドで始まり、
 アーサー・マッケン、ダンセイニ、M・R・ジェイムズと続くので
 ホラー・マニアにはたまらない。
 創元推理文庫の平井呈一の『真夜中の檻』といい、良い時代になった
 ものだ。
●フリーランスになった正岡豊さんは、本をたくさん買っているそうだが
 私もお金を使う8割くらいが本代かな。残りは馬券。困ったもんだ。
 ここのところ、ひそかに詩集を買ったりしているので、けっこう
 お金を使ってしまっている。
●他の人の日記を読んでいると、みな、自分の心理を的確に描写している。
 なかなか、そういうふうにはできないなあ。
 声の同人誌にも参加させてもらうことにしたので、そろそろ用意を
 しなければならない。しかし、眠いので、もう寝る。


[45] 浅い眠り、短い眠り 2000年10月24日 (火)

●どんどん、朝早く目がさめるようになっている。
 今朝も五時に目がさめ、もう眠くない。
 むかし、雁書館の冨士田元彦さんが、朝五時に起きて、手紙の返事を
 書く、と言っていたのを聞いて、自分はとてもそんなことはできない、
 と思っていたが、今は簡単にできるようになってしまった。
 J・G・バラードの短編に、どんどん眠りが長くなる男の物語が
 あったんじゃなかったかな。自分はその反対だが。

●大塚ミユキ歌集『野薔薇のカルテ』短歌研究社 2500円+税
 読んでいて、想像力を心地良く刺激してくれる歌集だった。

・恋しさの輪郭ながす雨の窓に首傾けるビクターの犬
・検査血液容器(コンテナ)に満つ「器」なる字のまん中に犬のしかばね
・今治水一滴落ちて歯のうづきをさまるきはのつくつくほふし
・流感の咽喉あざやかな茜色それより先を見たことがない
・遊女小春の行方は知らず急ぎざま下駄の片方履きそこなつた
・寝返りをうつたび朝が遠くなる誰かの夢に閉ぢこめられて
・さう、子供のころは日記を書いてゐた。葱の畑と風車のそばで
・鍋煮えてなごむ三人はそろそろと肉すくひをり灰汁の下より
・逃亡者あるいはわれか絶食の胃にバリウムを流しつづける
・なすべきことまたし残せるゆふぐれの窓に明日の朝日が沈む
・無理強ひの二杯目までは呑んであげる都市の水系ぬらりぬらりと

●去年出た河野洋子さんの『恋恋風塵』もそうだったが、
 こういう豊饒な想像力というフイルターをとおして
 世界を見る短歌が、きちんと評価されていないように思える。

●今週は金曜日まで、ずっと予定が入ってしまった。
 ストレスをためないようにしなくては。


[44] 三月兎は帰らない 2000年10月23日 (月)

●今、「短歌人」の編集会議から帰ってきたところ。
 編集会議では、月末発行の号の早刷り見本誌がもらえるので
 すでに11月号は手元にある。

●朝書いた日記にあるように、11月号は「追悼・仙波龍英」という
 小特集が掲載されている。
 追悼文は、元「鳩よ!」の編集長の石関善治郎さん、坂井修一さん、
 林あまりさん、それに「短歌人」内部からは橘夏生と私、フジワラ。
 私以外の四人の方の文章は、それぞれの仙波龍英に対する、ひりつく
 ような思いが文章からにじみでている。
 石関さん、坂井さん、あまりさん、橘さん、どうもありがとうございます。
 私は学生時代から、彼が歌集『わたしは可愛い三月兎』を上梓する
 までの、みなが知らないと思われるエピソードをいくつか書いた。
 いずれにせよ、短歌という表現ジャンルは仙波龍英というかけがえ
 のない才能を喪失してしまったという事実だけが残る。

●この「短歌人」は今週末から来週のアタマにかけての発送になるだろう。
 残部を会員以外のかたに、おわけできるかどうかは、また、あらためて
 掲示板の方で告知します。



[43] 電波にのった言葉はむなしい 2000年10月23日 (月)

●下の欄で、書きたかったことは、つまり、電波や活字でも
 それがビジネスである場合、そこから言葉を発することはむなしい
 ということだったんです。
 メディアのインナーでも、まったく、そんなことを考えていない人も
 居るわけですけどね。

●『わが父 波郷』を昨日の早朝に読了した。
 これは俳句関係者は読んだ方がいいと思う。
 講談社学術文庫の『江東歳時記・清瀬村』との併読をおすすめ。
 あるBBSで俳人の千野帽子さんが書いていたが、学術文庫は
 西東三鬼の『神戸・俳愚伝』も文庫化したし、今までよみにくかった
 俳人の随筆類を出してくれるのはありがたい。
 角川文庫ソフィアの山本健吉『いのちとかたち』『俳句とは何か』も
 読んだ方がいい本だと思う。学術文庫もソフィアも普通の文庫よりも
 高いけれど、古書店で初刊本を買うよりはずっとリーズナブル。
 ブックオフに落ちてくるのを待つ手もあるけれど。
 


[42] レイニー・ブルー・マンデイ 2000年10月23日 (月)

●雨が降るというじゃないか。
 私は雨は好きだが、月曜日は嫌い。
 ところで、昨日、役員室に入り浸っていなければならなかったことは
 書いたけれど、社長室に昭和30年の役員・社員一覧という刷物が
 額に入れて飾ってあった。
 そこに興味深い名前がふたつ。
 井上司朗と幾瀬勝彬。
 前者は歌人としての筆名は逗子八郎。短歌史の本を読みましょう。
 もちろん、この人が居たことは知っていたのだけれど、もう一人の
 幾瀬勝彬さんが在社していたとは知らなかった。ミステリ作家です。
 倉本聡やカメラマンの白川義員という人達が、かつて在社していた
 ことはけっこう知られている。最近では、ミステリ量産マシンの
 吉村達也さんも、編成部員だった。

●フジテレビには俳人の棚山波朗さんも在籍していたはず。
 加藤郁乎さんもTBS出身ではなかったか。日本テレビだったかな。
 編集者の人は短歌、俳句、川柳、詩、小説とたくさん居ますね。
 
●今夜は「短歌人」の編集会議。
 まもなくできあがる11月号は「追悼・仙波龍英」という特集が
 載っています。
 


[41] 孤立せよ!と涯は言う 2000年10月22日 (日)

●今日は、朝8時前から、会社に行って、会長室の絨毯の張替。
 先輩の上村さんと二人で、業者さんが、古い絨毯をはがし、
 新しい絨毯を敷き詰めるのに立ち会う。
 さらに、外に出しておいた什器類を、もとあった場所に
 まちがいなく置きなおすという作業もある。
 なんとか、午後3時前に終了できた。

●早く帰ってもしかたがないので、池袋のぽえむ・ぱろうるに行く。
 しかし、ここに来るたびに思うのだが、詩集の数が多いのに
 圧倒される。棚の数の比較でゆくと、詩が4、短歌2、俳句1
 という感じ。しかし、実作者の数は、反対に俳句がいちばん多いはず。
 次に短歌で、最後が現代詩という順番じゃないかな。
 「小島ゆかり」はあいかわらず「小鳥ゆかり」のままだった。
 誰か教えてやれよ。

●ぽえむぱろうるで買った本。

 田中庸介詩集『山が見える日に、』思潮社  2000円+税
 新井豊美著『[女性詩]事情』   思潮社  2800円(税込)

 別の書店で花輪和一の『刑務所の中』青林工藝社 1600円+税
 も買った。これは確かに役にたつ。
 合言葉は「願いまーす!」でどうですか?あら川さん。

●帰宅したら、角川短歌賞の発表が載っている「短歌」が
 メール便で届いていた。書籍小包からメール便への乗り換えが
 すごい勢いで進んでいるようだ。

 受賞作 佐々木六弋「百回忌」より。

・人の名のアポカリプスを綴らむか鼠骨・石鼎・蛇笏・迢空
・さりながら死ぬのはいつも他人なり荻野久作夢野久作
・コノ邦ノ嫗ノ名ナルうめ・さくら逝カシメナガラコノ邦スゝム
・わたくしが主人公である筋書も古き流行のごとくに過ぎき
・餅ふくれ異形のものと成り果てて生き延びてゆく次の世紀へ

 文藝的衒学趣味の厚化粧がとても魅力的で痛快である。
 この佐々木弋花氏とは、確か攝津幸彦さんを偲ぶ会で
 島田牙城さんから紹介してもらい、少し話をしたことがある。
 この作品の一人勝ちに見えるが、なぜ、もう一作、同時受賞に
 なったのか、作品を読んでも、選評を読んでも、私には納得できない。


[40] アテンジオーン!とヒステリーカは叫ぶ 2000年10月22日 (日)

●実は一昨日から左の足首が鬱血していて、歩く時に痛くてたまらない。
 素肌は暗紫色になっている。靴下のへりの当たる部分でもあり、昨日
 は、みっともないが、左足だけ、靴下の縁を折り返していた。

●と、いうわけで、昨日は長男と学校見学に行ったあと、西荻窪のライブ
 ハウスでおこなわれる飯田有子さんのライブに行くつもりだったのに
 結局、さぼってしまった。
 ついでに書けば、昨夜中に書かねばならない書評の原稿も手付かずの
 まま、眠ってしまった。いまだに、自己を律しきれない私。

●昨日買った本。
 川口晴美詩集『ガールフレンド』 七月堂刊
 ここに錦見映理子さんが対面朗読してもらったという「ブルーなシーツ」
 が収録されている。この作品を声を出して読んでみた。
 おお、けっこう自己陶酔できる。自己制御は難しいが自己陶酔は簡単。

 荒俣宏著『プロレタリア文学はものすごい』平凡社新書
 葉山嘉樹や小林多喜二のようないわゆるプロレタリア文学を
 現在の視点で読みなおし、再評価しようよ、というもの。
 「プロレタリア文学はホラー小説である」とか
 「プロレタリア文学はセックス小説だった」とか、惹句は扇情的だが
 中味はいつもながらのアラマタ・ペダントリーが満載で楽しめる。

●昨日、寝る前に息子が買った福本伸行の『無頼伝・涯』の1、2巻を
 読む。あいかわらずの顎のとがった不適なつらがまえの主人公と
 緊張感を持続しながら、同じ場面でえんえんと引きずって行くストー
 リー展開。まだ、2巻目まてでは、伏線だけしか見せられていないが
 なんだか、かつての池上僚一・雁屋哲の「男組」を思わせる展開。

●平野仁、小池一夫の「サハラ」も読んだ。
 1、2巻なので、女外人部隊のそれぞれのエピソードが語られ、
 隊長ヒステリーカの非情さが強調されすぎている感じもするが
 強い女の物語は私は好きだ、ということを再確認した。
 そのためか、軍服の正岡豊さんが、京都駅の大階段の最上段で
 「アテンジオーン!」と叫ぶ夢を見た。ウソ!


[39] 古い劇画を読み返したり、 2000年10月21日 (土)

●会長室と顧問室の絨毯の張替のために朝から出社。
 風邪気味で全身がだるいのに。
 張替といっても、実際に絨毯が搬入されるのは明日なので、
 今日はデスク、応接セット、サイドボードなどの運び出しだけ。
 搬出時に傷をつけないようにしなければならないのだが、
 ついつい気が緩み、危機一髪が二回ほどあった。

●搬出だけなので、正午すぎに帰宅して、午後は長男の史比古と一緒に
 都立富士高校の学校説明会に行く。
 私立だけでなく、都立高校が説明会や体験入学をさせるように
 いわゆる学生に対するサービスをおこなっているのは知らなかった。
 当事者にならなければ、さまざまな状況の変化はわからない。

●帰りに中野駅前に出て、本屋とまんだらけを覗く。
 史比古が福本伸行の『無頼伝・涯』の1,2巻を買い、
 自分は、まんだらけで、『サハラ』の1、2巻を買った。
 今日は会社からの帰りのバスの中で、上村一夫の『同棲時代』を
 読んだので、一昔前の劇画ばかり読んでいることになる。
 しかし『サハラ』は読み返しがきくなあ。

●今夜は歌集評を一本書かなければならない。
 内田君が昨日、またWWFのビデオを送ってくれたので
 それも見たいのだけれど、明日も会社へ出るので、今夜中に
 原稿を仕上げておかなければつらくなる。


[38] 雨、ふりしきる雨 2000年10月20日 (金)

●金曜日の夜の雨、晩秋の冷たい雨だ。
 石神井書林の目録で注文しておいた福島泰樹時評集『やがて暗澹』が
 届いた。この本は福島泰樹の散文の本の中ではいちばんみつけにくい。
 一九七九年に出版された時に、すぐに買って読んでいるのだが、
 その後、一度、本をすべて始末した時に手放してしまった。
 そして一九九三年頃、田島邦彦さんに借りて読みなおし、やはり、
 手元においておきたいとずっと探し続けていたのである。
 ほぼ二十年ぶりに、また、自分の物にすることができた。
 自分が短歌を続けている根拠が、この本の中のさまざまなアジテーション
 によって形成されていることを確認できるだろう。

●「うみゆり日記」に川口晴美の詩の朗読を聞いた体験記が
 書かれていた。マンツーマン朗読というのは方法論として
 興味がある。フットワークよく、さまざまな朗読体験をして
 みることが必要だろうと思う。

●正岡豊さんは、今日でいったん、今までの仕事を辞めるそうだ。
 今後、正岡さんがどのように活動するのかとても興味深い。

●明日と明後日とも、会長室の絨毯の張り替えの立会いのために出社。
 晴れるとよいのだけれど。


[37] 笑い続けて暮らせるならば 2000年10月20日 (金)

●昨夜は産経新聞の夕刊に隔月で書いているコラムの「芸能直言」を書く。
 内容は白夜書房から出ているお笑いの専門誌「笑芸人」と博品館劇場で
 おこなわれた、いっこく堂ライブ「一人にもほどがある」について。

●「笑芸人」は伊東四朗、三宅裕司を中心にした東京のコントの特集。
 とても資料的価値が高い。
 いっこく堂は現在進行形で進化している。
 ラスベガスで演じたという鬼軍曹のカーナビという英語バージョンの
 ネタが面白かった。たぶん、鬼軍曹と新兵という組み合わせのコントが
 定番としてあるのだろう。日本でいえば、刑事と容疑者とか医者と患者
 というように。

●正岡豊さんが、天象俳句館の掲示板に、ネットワーカーはだいたい
 3回くらいはネット・コミュニケーションに失望するものだ、と
 書いていた。うーん、そういうものなのかもしれない。
 しかし、俳人や歌人の実物と会って失望する回数はもっと多いだろう。

●影山一男さんから、厳しくもまた暖かい内容の葉書をいただく。
 今、こういうことを、きちんと言ってくれるのは影山さんくらいだろう。
 素直にこの内容を受けとめることができる。
 現在のこと、今後のことを真摯に考えなければならない。


[36] マーマレード・トラップ 2000年10月19日 (木)

●私の勤め先の会社のOB会が10月31日に開催されるので
 その準備の理事会があった。
 すでに定年になった人達が十六名集まったのだが、会社の時の
 先輩後輩の関係はOBになっても変わらないんだなあ、と実感した。
 毎年、八十歳と九十歳のかたを長寿表彰するのだが、今年は九十歳の
 対象者が九月に亡くなり、八十歳のかたが欠席なので表彰はなし。
 しかし、八十歳になっても、悪口を言われたりして、同席していて
 「これはたまらないなあ」と正直、思った。

●石田修大『わが父 波郷』を読み続けている。
 著者は新聞記者ということで文章は平明で読みやすい。

●酒巻翳一郎さんが安井浩司の十代の時の俳句を集めた『小學句集』を
 送ってくださる。俳句131句と「鳥貌の時、幼年のための囲繞」と
 いうエッセイが収録されている。
 天秤社という出版社の発行だが実質的には私家版のようだ。

・智歯(おやしらず)抜かれて海より雲の峰

・父と見る冬の水族館の蟹

・秋は白波友よ少年の日を語らむ

・柿若葉兄の教科書妹が継ぎ

・恋情はとどかず新樹の下暗し

・滅べばすべて忘られ易し秋のばら

・秋の壁薄き頭蓋を持ち添ふ人

●岡井隆『挫折と再生の季節』の後遺症はまだ続いている。
 私にとっての歌人岡井隆への感情はまず畏怖である。
 そしてそれが時に苛立ちや憎しみにかわることもある。
 塚本邦雄にも岡井隆にも、その人間に近寄り過ぎないように、
 というのが、常に私のスタンスであり、それが、荻原裕幸さんや
 田中槐さんとは異なる。
 


[35] 季節は流れ、私も流れる 2000年10月18日 (水)

●昨夜も日記のつづきを書こうとしたが、プロバイダに接続できなかった。
 いま、営業の一部を他のビルに移転するというプランが進行しているので
 午後から、什器関係の業者さんとデザイナーに同行してもらって、移転先
 と現在のオフィスとを見て、計測してもらう。
 去年までは、こういう仕事をしているセクションが会社の中にあるという
 ことも、あまり意識していなかった。

●夕方、5時過ぎに、本社へ電話を入れて、メモ、ファックスなどを
 確認すると
 「フクシマヤスキさんという人から、明日の四時に会社をたずねる」との
 電話メモが残っていると言われた。
 うーん、これは何なのだろうか?

●銀座四丁目のくまざわ書店で、石田修大著『わが父 波郷』を買う。
 これは白水社の本で、編集担当の和気さんという人は、名物編集者
 なのだそうだ。そして、私の学校の先輩にもあたる。
 11月にほぼ28年ぶりにお目にかかる約束をしてある。

●本屋から博品館劇場の、いっこく堂ライブ「一人にもほどがある」に
 行く。冒頭、タイムマシンに乗って、さまざまな時代にとび、そこで
 ネタにひねりを加えるという設定。全体の構成が実に洗練されている。
 いっこく堂が最初に発見された時の人形二体使いというシンプルな芸も
 昭和の終り頃に時間移動するということでムリなく見せてしまう。
 藤井青銅さんの構成といっこくさんの芸がぴたりとはまった感じ。
 みごとに、おとなの鑑賞にたえるショウになっている。
 そして、裏をかえせば、こども劇場のスターだったいっこく堂を
 メジャーの場にひきあげることで、おとなのものにしてしまった、
 ということでもある。
 しかし、毒のない芸でこれだけ面白さを持続できるというのは、
 芸の芯に腹話術なる一種の体技が厳然と存在するからだろう。


[34] それぞれのせつなさ 2000年10月17日 (火)

●「うみゆり日記」に俵万智の『チョコレート革命』のあとがきについて
 「逃げ腰だと人は言うけれど、自分をふくめて、
 傷つくかもしれない人」に対しての気づかいととれば、許容できる、
 という記述があった。
 こういう考えは、私には思いもおよばなかったけれど、確かに、
 そう受け取ることもできるかもしれない。

 これは私が「東電OL殺人事件」の関係者の中で、被害者の女性と
 定期的に関係をもっていて、その当日の午後にも客になっていたという
 アラキという初老の男にもっとも感情移入してしまったことと同じ心理
 なのだろう。
 それぞれのせつなさ。


[33] 「馬鹿になれ」とアントニオ猪木は言うけれど 2000年10月17日 (火)

●昨夜はプロバイダにどうしてもつながらず、日記が書けなかった。
 仕方なく、またWWFのビデオを見た。
 「サマースラム」で、キング・ジェリー・ローラーが突然リングに
 復帰して、TAZZと試合をし、しかも、JRがキングに加担して
 TAZZをKOしたといういきさつがやっとわかった。
 連続ドラマを3ヶ月遅れで、見ているわけだ。

●岡井隆の一歌人の回想(メモワール)の第三部『挫折と再生の季節』を
 読了した。三部作の中でも、一番、心騒ぐ内容だった。
 ちょうど、自分が歌人岡井隆の存在を知り、現代短歌に興味をもち、
 やがて、実作をするようになったあたりのことから、岡井隆の歌壇復帰の
 いきさつなど、近過去が、当事者のペンによって綴られているからだろう。

●もちろん、前の二冊と同じように、すべての事実が語られているとは
 とても思えない。読者を或る方向へ誘導するミスディレクションが
 いたるところにしかけられている、と思う。
 第15章の「山口誓子の「年譜」」という文章で、岡井隆自身、自筆年譜
 の偽史性に関して述べているが、まさに、そのとおりなのであって、
 意識的、無意識的にかかわらず、いくら事実が列記されても、
 見えてこない真実はあるのである。

●『前衛歌人と呼ばれるまで』 2300円・税別
 『前衛運動の渦中で』    2200円・税込み
 『挫折と再生の季節』    2300円・税別
 この三冊の「一歌人の回想(メモワール)」は、現在、意識的に
 短歌表現を選んでいる人にとっては必読だと思う。
 ここ10年くらいの岡井隆という歌人しか知らない人たちは、特に
 読んでほしい。私自身は、これらの本を読むことで、歌人岡井隆へ
 の畏怖と愛憎がいっそう強まる。そして、思潮社版岡井隆歌集で
 「天河庭園集」を夢中で読み、短歌という表現に憑かれて行った頃の
 自分の心理を、興奮とともに思い出さずにはいられない。
 三冊とも、ながらみ書房刊。03-3234-2926

 


[32] と、いうわけで、私もくたびれた 2000年10月15日 (日)

●この野外朗読イベントの企画はパンフレットによると野村喜和夫、
 森川雅美の両氏とのこと。
 隅田川沿いにポイントを定めるという視点はよかったと思う。
 また、野外のノイズはあるけれど20人くらいのオーディエンス相手で
 あれば、肉声でも通用するということが確認できたのも収穫だろう。
 そして何より、詩人たちに、聞き手に対してウケをとろうという
 さもしさがなかったのが、イベント全体を好感のもてるものにしていた。
 これはたぶん、野外なので、まったくの通行人たちもたくさん朗読者の
 視野に入るむわけで、そのために緊張していたから、ウケ狙いの余裕が
 なかったということかもしれない。
 しかし、六人の詩人の朗読に対する姿勢と方法は確かに私には伝わって
 きたといってよい。

●このあと15時から、efの中で、桑原徹、生野穀、研生英午氏らの
 朗読があったようだが、こちらはどんなものだったのだろう。

●このあとefでは17日の火曜日が定休になるほかは、22日の日曜日
 まで、日替りの詩人の朗読がある。
 今日の6人のほかに、以下の詩人達が参加する。
 桑原徹、小桜浩子、北爪満喜、生野穀、研生英午、森ミキエ、川口晴美、
 小林弘明、川上亜紀、和合亮一、建畠哲。

●川口晴美さんは、18、19、20日の昼間、ずっとefに居る
 ようですので、対面占い師朗読を聞きたい場合は、この時間に行く
 のがよいようです。
 あと、21日土曜日と22日日曜日の出演予定者は以下のとおりです。

●21日(土)
 北爪満喜、芦田みゆき+小林弘明、小笠原鳥類、桑原徹、川上亜紀、
 生野穀、森川雅美、薦田愛、野村喜和夫

 最初の北爪さんが14時開始で、あとは一人20分から30分の持ち時間の
 ようです。
●22日(日)
 相沢正一郎、森ミキエ、野村喜和夫、和合亮一、桑原徹、薦田愛、
 森川雅美、芦田みゆき+小林弘明

 この日は相沢さんの開始時間が12時。最後の芦田、小林組が16時です。
 プログラムは変更もあるので要確認でしょう。

●問合せ先
 00企画室 03-3612-2012
 ef    03-3841-0442
 地下鉄銀座線の2番出口を出て、右に折れると江戸通りという道なので
 50メートルほど進んだ右側がefです。

http://www.sweetswan.com/19XX/index.html


[31] 雨の桜橋に詩と傘の花が咲く 2000年10月15日 (日)

●首都高下の歩行者天国は隅田川の上流にむかって右手方向、つまり
 墨田区にある。対岸は台東区。
 ここから、最終朗読ポイントの桜橋に行くには、まず、言問橋を
 台東区側にわたって、北方向へしばらく歩き、そこから桜橋の台東区の
 側へ入ることになる。
 これは1キロくらいの距離がある。

●だいたい20人くらいの集団で、なんとはなしに言問橋を渡ってゆく。
 途中で前を歩いていた小笠原鳥類さんのグループが、立ち止まって
 下を見て居る。何やら黒いものがある。
 それは何とカラスの死骸であった。
 確かに橋げたにカラスがたくさんとまってはいたが、なぜ、地面の上に
 死骸が落ちているのか。
 小笠原鳥類と名乗る詩人にとっては、明日はわが身ということかも
 しれない。不吉というより、不思議な気持ちの方が強かった。

●言問橋を渡り終えて右折し、右手に川、左手に台東リバーサイド
 スポーツセンターが見えてきた。川に向かってそびえる建物を
 見て居るうちに、10年前に、このスポーツセンターの屋上から
 ゴールデンウィークの特別生放送をおこなったことを思い出した。
 朝9時から夕方の4時までの7時間の生放送で、途中で早慶レガッタの
 中継を入れたりしたものだった。
 屋上はやたらに風が強くて、準備から撤収をふくめて10時間以上
 屋上で吹きさらされていたら、熱が出てしまったのだった。
 つまり、このあたりにはロクな思い出がないわけだ。

●やっと桜橋に到着したら、何やら雲行きがあやしくなり、雨滴が
 落ちてきた。
 歩いているあいだに、けっこうばらばらになり、小笠原鳥類、
 野村喜和夫といった人達は早目に到着していたが、芦田みゆきさんたちの
 グループがなかなか追い付いてこない。
 はっきりと雨が降り始め、やっと芦田さんが到着した頃には、みな傘を
 さしている状況となっていた。
 私は傘をもっていなかったので、濡れたまま待っていたのだが、
 オーディエンスらしい男性が傘に入れてくれた。

●さて、最後の朗読は、墨田区側にむかって、右手方向の橋げたに
 森川雅美、薦田愛、野村喜和夫、左手方向に相沢正一郎、芦田みゆき、
 小笠原鳥類がスタンバイ。
 そして、森川、相沢、薦田、芦田、野村、小笠原の順番で、ジグザグに
 自作詩を朗読して行くもの。イメージはやはり「川」。
 言葉は聞き取れるが、意味を把握するまではいたらない。
 ただ、声のトーンの変化で、言葉のイメージははっきりと変わるように
 思えた。それが個性というものなのかもしれない。
 ここでも、声の質という点では、地声の小笠原鳥類、正統派発声法の
 薦田愛の二人が、朗読の質とインバクトとではアタマひとつリード
 していた。橋のはばは10メートルくらいだと思うが、やはり、
 街のノイズを越えて、声をとばすには、普通の発声では無理だ。
 とはいえ、これでは聞こえないという人は居なかったのは成功と
 いってよいと思う。
 ジクザグが5回くりかえされて、長い長い午後のポエットリー・
 リーディング・ウォークラリーは終った。
 14時30分。いつのまにか雨はやんでいた。
 私は台東区側へ帰る一向とわかれて、一人墨田区方向へ隅田川をわたり
 下町のわが家へと向かったのであった。


[30] EFAX用紙30メートルの路上即興詩人 2000年10月15日 (日)

●まくら橋をわたって、言問橋まで続く、川沿いの歩行者天国スペースへ
 入る。ただ、ここは普段でも、車はあまり通りそうもないが。
 ここの担当は薦田愛さん。

●バッグからいきなり巻紙を取り出し、路上に勢い良く転がすと、
 絨毯がひかれるように、白い紙の道が一本、路上に走る。
 次にやおらビニール傘を取り出す薦田愛。
 傘の先端に青いインクのでる筆ペンが装着してある。
 何が始まるのか興味津々。私も紙に近寄って、次の行動を凝視する。

●ワンフレーズ詩を口ずさみ、傘の先の筆ペンで、路上の白い直線の紙に
 そのフレーズを書いてゆく。フレーズごとに、朗読そして墨書の連続。
 詩の内容は川のイメージを心理に投影し、志をかためてゆくというもの。
 「こころざし」という言葉が二度出てきたのをおぼえている。
 そして、やがて30メートルの白い紙に縦一行の詩が書かれる。
 最後の方で、紙の端が赤くなっていたので、これがFAXの
 ロールペーパーだと気づいた。

●これはみごとなパフォーマンスだった。
 みな彼女とともに移動しながら、息をのんで詩の完成をみつめていた。
 紙の末端まできた時、自然に大きな拍手がわいていた。
 私は詩は、すでにあるものを暗誦しながら書いたものだとばかり
 思っていたが、まったくの即興詩だったそうだ。まったく、よどみなく
 フレーズが出ていたので、これが即興詩だとは思わなかった。
 朗読というよりパフォーマンスであり、感心して見ながらも、
 何となく1970年頃にはやったハプニングなどという言葉を
 思いだしたりしていた。
 とはいえ、薦田愛の場合、何度も書くように発声がしっかりしているので
 朗読としても、十分に成立するものになっている。

●これは、詩人たちも初めて見たようで、野村喜和夫氏も「おもしろいね」
 と感心していた。
 このあと、もうひとつ、青い紙にジグザグにはさみを入れたものに
 何十行かの詩を書いて、それを読みながら、一本の長い紙にするという
 パフォーマンスも試みられたが、これは紙の繋ぎ目が巧くはがれず
 失敗に終った。これもリハーサルをしておけば、何か別の方法が
 考えられたのではないかと思う。

●感動を共有できたことで、心理的な連帯感が生れたようで、このあと
 いちどうは、最後のポイント、桜橋へと歩き始めたのであった。


[29] D横浜の反町はソリマチじゃなくてタンマチですよ、野村さん 2000年10月15日 (日)

●富田木歩の碑などみて感傷にふけっているうちに、ようやく、ラーメンを
 食べ終った詩人たちが、まくら橋のたもとに集まり始める。
 時刻は13時を少し過ぎている。
 橋のたもとにちょっとした植込みがあり、そこに今回の朗読者の
 野村喜和夫、薦田愛の二人がスタンバイ。

●今回は二人の詩人がかけあいのかたちで、詩を朗読するようだ。
 まず、薦田愛が性愛のシチュエーションを女性の側から、描写する
 詩の朗読が始まる。あいかわらず、声は徹って聞きやすい。
 一分ほどで、こんどは野村喜和夫が交代して朗読開始。
 こちらは男の立場で、自由が丘劇場とかXX座とかのポルノ映画館の
 名前やそこでかけられていた「団地妻・欲情の炎」とかの扇情的な
 タイトルが回想のかたちで、語られる。
 セックスをテーマにした男女の詩の交感なのだが、薦田の方はリアルな
 官能描写であり、野村の方はイメージ先行の性的妄想が語られて行く
 という構成で、なかなかくふうしてある。
 ただ、野村氏の方の声が、薦田氏の声に負けているという感じは
 否めない。室内での朗読ならば、ここは解消されるのだろうが、
 街のノイズがあふれている場では、少々つらいか。

●二人の朗読を不可解なまなざしをなげながら、ママチャリのおばさんや
 ピカチューつきの幼児用後輪つき自転車に乗った子供が通り過ぎて行く。
 富田木歩が無残に死んだ場所で、性的単語と妄想がえんえんと声にださ
 れてゆく異次元の風景というイメージがちらりとわく。
 ふと、自分がかなり好意的な気持ちで、詩人たちをみつめていることに
 思いいたる。
 ただ、ちょっとこまかい部分でひっかかったのが、ポルノ映画館の名前で
 「ソリマチXX劇場」と野村氏が音読していた固有名詞があったのだが
 それは東横線の反町駅のそばにある映画館なので「タンマチ」と発音しな
 ければまちがいだと思う。埼玉県出身で早稲田卒業なのだから、実際に
 その手の映画館に行っていてもおかしくないのだけれど、固有名詞の
 発音が違うというのは、その詩がアタマでつくられたものだ、という
 ネタバレかもしれない。
 まあ、妄想だからそれでもいいかも、と言えば言えなくもないが、
 やはり、自由が丘劇場で白川和子主演の「闇に浮かぶ白い肌」なんて
 映画を当時、見ていた私としては、ややひっかかり気味。
 ちなみに野村喜和夫と私とは同学齢であります。


[28] Cインターミッションは富田木歩終焉の地 2000年10月15日 (日)

●北十間川についたところで、時間は12時30分。
 かなり時間があまっているので、まくら橋という小さな橋のたもとにある
 ラーメン屋で、昼食をとり、13時から、次の朗読ということになる。
 出演者とスタッフと客もふくめてラーメン屋へ入って行くが、私は人見知り
 なのと、空腹ではなかったので、すぐ傍の隅田公園でいっぷくする
 ことにする。

●日曜の真昼の隅田公園では、中年オトコのグループが六人制バレーボール
 に興じている。もう一組、老人会らしい集団がおさだまりのゲートボール。
 さらに、ホームレスの人達もかなり住みついている。単なる段ボールだけ
 ではなく、工事現場で建物にかけてある青色のシートを風よけにして
 たぶん、10人くらい、この公園の中で暮らしているようだ。

●公園の中に一本、碑があるので、近寄って見ると「富田木歩終焉の地」と
 刻まれている。
 富田木歩は臼田亜浪門下の俳人。貧乏と足の病気(おそらく小児麻痺)に
 悩まされつつも、作句を続ける。浅草電気館のオーナーの息子で金持ちの
 新井声風が俳句友達になり、俳句で頭角をあらわすが、関東大震災にあい
 不自由な足で、逃げそこねる。猛火をついて、浅草から、声風が助けに
 来て、木歩を背負って、まくら橋のたもとまで逃げてくる。
 しかし、目の前の橋は炎に包まれ、焼け落ちている。
 川に飛び込んで対岸に泳げば助かることができる。しかし、いかに
 声風でも木歩を背負って泳ぐのは不可能。
 木歩は、観念して、声風に「自分を置いて泳いで逃げてくれ」と
 哀願する。慟哭する二人の若者。「早く、逃げろ!」と叫ぶ木歩。
 涙ながらに木歩を地におろし、川に飛び込む声風。
 そして、木歩はこの碑が立っている北十間川の土手で死んだと推測
 されている。
 これは別に私が見ていたわけではなく、村山古郷著『大正俳壇史』に
 出てくる悲痛なエピソードであります。

・かそけくも咽喉鳴る妹よ鳳仙花  木歩
 


[27] B疾走する京成電車を背景に鳥類が叫ぶ 2000年10月15日 (日)

●私は今日参加している詩人の顔は、雑誌や著書の写真で見たことがある
 野村喜和夫をのぞいて、一人も知らない。しかし、小笠原鳥類さんだけは
 なんとなく、この人ではないかな、と見当をつけることができた。
 スーツにアタッシュケース、白いシャツで一見サラリーマン風だが
 ノーネクタイ。そして何より容貌が鳥類なのである。

●第三ポイントの隅田川の堤に移動。ここでは小笠原鳥類、森川雅美、
 相沢正一郎の三人が朗読することになっている。
 そして、やはり、私の勘は当たっていた。さっきの背広姿の痩身の
 青年が『日本の野鳥』という部厚い本を手に、堤防の前に進み出た。
 適当にひらいたページの鳥の解説をいきなり音読し始める。
 この詩人は地声が大きい。発音も明瞭で、しかも、辞典の記述を
 一度もつっかえることなく早口で読み進んで行く。筆名と内容がシンクロ
 して、おもしろい空間が醸成されている。
 叫ぶ鳥類の背後の鉄橋を京成電車が佐倉へ向けて疾走して行く。
 いい感じよ。思わず、つげ義春の「海辺の叙景」の最後のセリフが
 頭に浮かんでくる。
 5項目くらい読んだところで、二人目の森川雅美と交代。

●森川雅美は『東京都の歴史散歩』という本の朗読。
 ああ、そうか、必ずしも、詩の朗読とはたしかに書いてはいなかった。
 自分の好きな本を朗読しても良いわけだ。
 森川雅美が読んだのは、隅田川に関する歴史と遺跡の項目。
 この人も声自体は大声ではないのだが、聞き取りにくくはなかった。
 野外での声の聞き取りにくさを心配していたのだが、意外と聞こえる
 ので、いちおう安心した。

●3番目は相沢正一郎、この詩人は本ではなく、あひる料理のつくりかた
 みたいなものを書いたメモを読んだ。もしかすると、これはオリジナル
 なのかもしれない。ただ、声がノーマル過ぎるので、前の二人ほどは
 聞き取りやすくはない。

●予定では、この三人だけの朗読のはずだったのだが、時間があまったので
 薦沢愛がとびいりで、『日本の色辞典』を読む。
 彼女の声は発声練習をしているらしい徹る声。
 まあ、好きな本の一節を朗読するというのもパフォーマンスとしては
 有効だろうと思える。
 もっとも、かつて「オレたちひょうきん族」で、石坂浩二が家電製品の
 取り扱い説明書をマジメに朗読するコーナーがあった。

●ここは墨田区と台東区の間のジョギングコースになっており
 短パン姿のおっさんたちが、一団を不可解な目つきで見ながら
 堤防を走ってゆく。
 そして、次の北十間川(きたじゅっけんかわ)へ向かって歩き始める。


[26] Aアサヒビールの階段で喜和夫が征夫を悼む 2000年10月15日 (日)

●駒形公園にいたのは約20人。当然、詩人本人も関係者も居るわけだから
 私のような純粋オーディエンスは5人くらいか。一人、シタールをもった
 男性が居る。カメラマンらしい男性、編集者らしい女性などもいる。
 ここで、リーダー格の女性が、ここから吾妻橋をわたってアサヒビール前
 に移動します、と告知する。あとで、この女性が芦田みゆきさんだった
 とわかる。

●12時から、アサヒビール前の階段で、野村喜和夫の朗読という
 ことだが、まだ11時30分。私は人見知りなので、移動の群れ
 には入らず、一足早く、第二の朗読ポイントへ到着。パンフレットを
 読んでいると、スケジュール表の15日、日曜の昼間の蔵番として
 川口晴美と書いてある。ということは、さっきおつりをくれた女性が
 川口晴美だったのか!
 かなり時間がたってから、みんなが到着。野村喜和夫氏が階段上に
 スタンバイし、紙片に書いた詩を読み始める。
 川とそこを流れる水をモチーフとした詩だが、野村氏の声は、必ずしも
 大きな声ではないが、近寄って聞くと、割舌は悪くない。
 二つの自作詩を読んだあと、こんどはアサヒビールのビルの黒い壁を
 みあげて、辻征夫を悼む即興詩に入る。もともとリフレインが多い
 ので、悼詩としては作風があっている。まさに即興だったようで、
 目に見えるものを詩的に変換していくのだが、そこはスムーズとは
 いいがたい。
 平井駅行きのバスを待つ人達が不思議そうに、野村氏とそれを囲む
 一団を眺めている。

●実はこのアサヒビールのビルの奥が「西美をうたう」のイベントが
 開催された、すみだリバーサイドホール。短歌朗読に苦労した場所
 のそばで、今日は気楽に詩の朗読を聞いているわけだ。


[25] @とぶことば 秋の蔵から詩の川が流れる 2000年10月15日 (日)

●10月14日から22日まで、浅草の地下鉄銀座線2番出口を
 出てすぐ、雷門郵便局の道をはさんで向いのGallery efで
 「とぶことば 秋の蔵から詩の川が流れる」と題する、詩の展示と
 朗読のイベントが開催されている。
 今日は野外での朗読イベントがあるということなので、ともかく、
 行ってみようということで、浅草へ赴いた。

●ちょっと迷ったがefはすぐにみつかった。
 入り口から、まずカフェに入り、その奥の扉の向こうがギャラリー。
 カフェの人にギャラリーに行くと言えば、無料では入れる。
 ギャラリーには女性が二人いて、他に観客はいなかった。
 パンフレットが100円。買うためにお金を出したが、何と5000円札しかなく
 とりあえず、お金をわたして、展示を見る。
 一階が「ことばの住む部屋」ということで、たとえば小笠原鳥類さんの
 コーナーには傘やハンガーがおかれてある。
 北爪満喜さんのところにはノートパソコンとか。
 これは「詩人たち自身が詩を喚起するモチーフ」の展示だそうである。
 まあ、わかったようなわからないような。

●二階にあがると「紙の部屋」ということで「詩人が見ている世界、詩には
 書かれていない、もうひとつの世界の資料室」として本が色々並べて
 ある。
 川口晴美のコーナーには楠本まき『T.Veyey』とか
 魚喃キリコ『blue』とかやまだないと『ero mala LES
MALADIS EROTIQUES』とか、薦田愛のコーナーには『日本の色辞典』とか
 『日本の傅統色』とか、こだわっている書籍ということ。
 こちらは、わかりやすかった。

●パンフレットを見ると、今日はすでに野外朗読が始まっているらしい。
 女性の一人が4900円のおつりを持ってきてくれたので、急いで、最初
 の朗読ポイントに向かう。時間は12時15分過ぎ。
 今日は「隅田川こえのマップ」という名称で、隅田川沿いの6ヶ所の
 ポイントで、朗読がおこなわれることになっている。
 朗読する詩人は相沢正一郎、小笠原鳥類、薦田愛、野村喜和夫、
 森川雅美、芦田みゆきの6人。
 第一ポイントの駒形公園の場所をギャラリーの女性に教えてもらって
 公園についたら、ちょうど終ったところだった。      Aへつづく


[24] 秋高く高く栗毛も青も老ゆ  幸彦 2000年10月15日 (日)

●昨日の夜は「メチャいけ」のライオンキング・スペシャルを見た。
 ナインティナインの岡村は平成のエノケンだ、という説を
 産経新聞のコラムに書いたことがあるのだが、いかがなものか。

●そのあと俳人の大屋達治さんに電話して、用件とは別についつい長話。
 俳人のゴシップあれこれを聞く。くだらない連中の愚行ばかりだが
 他人の悪口は面白い。
 と、そういう話しのあいだに、10月13日は攝津幸彦さんの命日
 だということを、おたがいに思い出す。

●1996年10月13日。あれからもう丸4年もたってしまったのか。
 享年四十九だったわけだが、私も大屋氏も来年、その年齢になる。
 永井陽子、仙波龍英の死も思い出される。ともに四十八歳だった。
 同世代の死はせつない。あらためて心にしみる。

●1970年代の前半、東中野に「八甲田」というスナックがあって
 俳人の大本義幸さんが、そこの雇われマスターをしていた。
 そのスナックを日曜の昼間だけ借りて、攝津幸彦、澤好摩といった
 人達が集まって、俳句談義をくりかえしたものだ。
 当時、私や大屋氏は二十代前半で、メンバーの中では最年少だった。
 石井辰彦、長岡裕一郎といった三一書房の現代短歌大系の新人賞組と
 であったのも、この「八甲田」だった。
 石井辰彦という人との縁も考えてみれば長いなあ。「栗毛も青も老ゆ」。

●電話での長話をして、そのあと、長女のかの子(小学校四年)とオセロを
 していたら、正岡さんのチャットに参加するのを忘れてしまった。
 正岡さんは、この20日で、現在の会社を辞めるそうだ。
 自由な時間がもてるのはけっして悪いことではない。
 正岡豊という人がネットワークを通じて穂村弘、枡野浩一といった人達と
 意見をかわしあうことは、誰にとっても大きな刺激になっていると思うの
 だ。三人に実際に顔を合わせてしゃべってもらうのは、時間調整とか
 なかなかやっかいだろうし。それがネット上では簡単に実現してしまう。

●寝る前にNHKの「爆笑オンエア・バトル」を見る。
 ラーメンズがどんどん面白くなっている。このマヌケなネーミングに
 こだわっているところに、屈折がみえる。
 「アメリカはカメアリだ」というギャグが笑えた。


[23] 部屋の中ですごす晴天 2000年10月14日 (土)

●ヴィスコンティの『家族の肖像』は、すべて室内でドラマが展開し
 窓をとおしてのみ外界が見えるという禁欲的な映像表現だった。

●ほぼ一日がかりで本棚の整理をする。
 奥村晃作さんの掲示板に、奥村さん自身が、「ちょっとほおっておくと
 贈呈された歌集が、すぐに背丈をこしてしまう」と書いていた。
 奥村さんは近藤芳美、中野嘉一といった歌人と並ぶ長身なのだから
 その背丈を越す歌集の量というのはすごいものだ。

●さて、そんな歌集の中から一冊紹介。
 滝下恵子歌集『星辰』(雁書館刊 2600円+税)
 著者は神戸在住。姫路の楠田立身氏が主宰の「象」のメンバーである。

・オリーブの木の下闇を吹きすさぶ風斃れしガルシア・ロルカ

・接続詞 副詞でふつつりかはりゆく景色あるべし しかれども また

・あふられて片靡く炎よなかんづく火あぶりを望むと言ひにし智恵子

・こともなきひと日ひと日を群青のインク少しづつ蒸発しをり

・無人島ものの漫画は椰子の木とZZZでことたりてゐる

・狂ふならアルルの「夜のカフェテラス」ジャパン・ブルーといふ藍色を

・ヨーヨー・マのチェロのボディを撫でてゆく無伴奏チェロ組曲一番

・はやばやと灯の点りゐて霧深き街は癒しに入らむ日のくれ

・はるかなるカザルスの使者わが庭にピースピースと小鳥鳴きゐる

・変奏曲のピアニッシモ振る地下茶房 過去も未来も埒外にして

●特に奇を衒った詠風ではないが、巧く心にひっかかってくる。
 師匠の楠田立身さんも、固有名詞の使い方の巧みな人だが
 滝下さんも、固有名詞を個性的に使いこなしている。

●「かばん」10月号に飯田有子さんが、「短歌往来」11月号に
 加藤治郎さんが、拙著『短歌の引力』についての批評を書いてくれた。
 飯田さんは「断念」、加藤さんは「ギミック」というキーワードで
 評を展開してくれている。どちらも、確かに私がこだわり、主張し
 続けてきたことであり、言葉が届いたという実感がある。
 お二人に代表される批評を、今後の糧として、これからは歌人論を
 書いてゆきたいと思っている。

●注文しておいた春日井建歌集『水の蔵』が短歌新聞社から届いた。
 今夜、この歌集を読もうと思う。
 春日井建の短歌で私がいちばん好きな歌は

・ヴェニスに死すと十指つめたく展きをり水煙りする雨の夜明けは
 
 雨が降ると必ずこの一首をくちずさんでいる自分に気づく。


[22] とでも云ふもそつとこれへ秋の暮  郁乎 2000年10月13日 (金)

●今日は朝からOBの訃報が入って、各方面への連絡でばたつきながら
 その人が出席するはずだったOB会の会場の下見に、新しくオープン
 したサンケイプラザへまた別のOBの人達と行き、さらにその帰りに
 水上警察に寄って、緊急車両届けの認可書をもらったり、とにかく
 忙しかった。

●熊本のシンポジウムは行きたかったな。
 正岡豊さんの日記によると星子英さんも出席するらしい。
 星子さんには会ってみたい。
 星子さんは『笙の笛』という歌集をだしているが、私は今でも
 下記のような歌が忘れ難い。

・目薬は口に流れて苦きかな志など質されていて
・ひと群の紫陽花雨に打ち伏せばその薄闇に匂ふ叛意も
・渚とふ優しきものを失ひし波は渚を打ちて砕くる

いまどき珍しい凛々しい歌だと思う。


[21] 秋風や一歩誤る秋の風  郁乎 2000年10月13日 (金)

●昨日はWWFのビデオを見ずに寝てしまった。
 寝る前に拾い読みした本。

 竹下健次郎編『解説しづの女句文集』梓書院 2476円+税

●この本は大正八年生れの編者が母であるしづの女の俳句と文章及び
 しづの女に関する他の人の文章を集めたもの。
 中では、吉岡禅寺洞が大正九年八月号の「天の川」に発表した
 「竹下しづの女君を紹介す」と昭和五年に書かれたが、結局
 未刊のままになったまぼろしの「竹下しづの女句集」の禅寺洞の
 序文が資料的価値が大きいと思う。

●ちなみに、この本は出版前に俳人名簿で3200人にDMハガキを
 発送し、注文が650冊、図書館への寄贈100冊、友人関係への
 贈呈150冊、留保分100冊で、制作した1000冊の内訳なの
 だそうだ。650冊の注文があったというのは、捨てたものではない
 と思うが、いかがなものか。


[20] 重くれる蕉風馬鹿や秋の風  郁乎 2000年10月12日 (木)

●柴田千晶さんからメールをいただいた。
 詩集『空室』の完成は25日くらいになるそうだ。
 この詩集をまるごと朗読してみたいと思っている。
 現代詩をそれほどたくさん読んでいるわけではないが、私にとって
 これほど思いがシンクロできる詩に出会ったのは初めての経験だ。

●佐野眞一の『東電OL殺人事件』を再読した。
 一回目に読んだときは、エリート女性のふたつの顔という部分への
 興味本位なものであったが、二回目の今回は『空室』の詩が、行間に
 よみがえり、息詰まる思いだった。

●この事件に関して、さまざまな興味の方向はあるだろうが、
 今回、私は被害者のエリート女性が殺された当日の午後に
 関係をもったというアラキなる五十代の男に感情移入してしまつた。
 数年前から、この東電OLの女性と月に何回か関係をもち、毎回
 数万円のお金を払っていたというさびしい初老の男。
 佐野眞一も、この男には同情的ではなく「貧相な男」と書かれているが
 このアラキなる男性も、この事件で人生が破滅したのではないか。
 
●たまたま、この女性が自分と関係したあとに殺されてしまったばっかりに
 身元を調べられ、公判に証人として出廷させられるはめになってしまう。
 当然、妻子にもこの秘密を知られ、おそらく家庭は崩壊してしまった
 だろう。
 私はこのアラキなる初老の男に憐憫をおぼえる。
 けっして、セクシーでも美女でもない女性との月に何回かの関係が
 あるいは、この男の唯一のセックスの燃焼だったのだろう。
 家庭ではセックスレスであり、おそらく、妻を相手ではすでに
 行為不能になっていたのではないか。
 風俗に通うということではなく、一人の女性と関係し続けたという
 行動にも、このアラキの本質的な臆病さが出ているようだ。
 アラキはこの女性と居る時にだけ、やすらぎ、興奮することが
 できたのだろう。

●運命の歯車にひっかけられて、傍役でしかないのに、すべてを失って
 しまった哀れなオトコ。
 
●柴田千晶詩集『空室』を早く読みたいと思う。


[19] 古草や野に遺賢あり内助あり 郁乎 2000年10月12日 (木)

●昨夜はWWFのビデオを見たあと、つげ義春の『ねじ式』青林工藝舎版を
 ぱらぱらめくり始めたら、結局、全部、読んでしまった。

●この青林工藝舎版は初出誌サイズで作品を再現、「ねじ式」をオリジナルの
 2色バージョンで収録というのがポイントになっている。

●「ねじ式」「山椒魚」「沼」「紅い花」「海辺の叙景」とかは、もう何十回
 読んだだろうか。ネームまでほとんど頭に残っているけれど、ついつい
 ページを繰ってしまう。「ねじ式」は「ガロ」の初出で読んでいる。
 巻末資料によると「ねじ式」は1968年6月増刊・つげ義春特集の
 書き下ろし作品だそうだから、高校二年生の時に読んだのだろう。

●当時は「ガロ」と「COM」を両方とも買っていたはずだ。
 「ガロ」では楠勝平という夭折した劇画作家がいた。
 いわゆる白土三平的な劇画絵だったが、16ページくらいで
 せつない物語ドラマを読ませてくれていた。

●あと四コマ漫画のつりたくにこという人も居た。
 たしか「つりたくにこ特集」という増刊号が出たと思う。
 この人も消えた。大泉実成の『消えたマンガ家』にも出てこない。
 
●実は、つりたくにこ、という名前には奇妙な思い出がある。
 私は1976年にK書房という出版社に就職して「M」という
 婦人雑誌の編集部に居たことがあるのだが、この編集部あてに
 毎月、かなりぶ厚い手紙をくれる人がいた。
 内容は被害妄想的な脈絡のない文章で、差出人の住所は
 地方のある病院になっていたので、たぶん、入院患者さんなのだろう
 との予想はついた。その差出人のなまえが、漢字ではあったが
 上記の漫画家と同じ音になるものだった。
 当然、その頃の「ガロ」には彼女の作品発表はなくなっていた。
 当人かどうかはわからないが、ひさしぶりに、つげ義春を読んで
 いたら、記憶の澱の底から、こんな思いが浮かびあがってきた。

●1968年には「ガロ」誌上では、すでに、つげ義春、滝田ゆう等は
 中堅扱いで、新人として林静一と佐々木マキが毎月ユニークな新作を
 発表していたと思う。
 私が1970年に初めて買った「現代詩手帖」の表紙は林静一だった。
 ノアノアというジャズ喫茶での白石かず子の詩の朗読会の広告が載っていた
 ような気がするけれどうろおぼえなので、まちがいかもしれない。

●「折口信夫の別荘日記」「ぽっぽ日記」「満月日記」「うみゆり日記」と
 いった個人日記をネット上で読んでいる。
 今日は「満月日記」に、「ネット句会での批評の難しさ、句会参加者の
 意識の落差」について、実体験にもとづく真摯な意見が綴られていた。
 批評の場に作品をさらす、ということに慣れていない人に対して
 ネット上での書き言葉は、時にきつい印象を与えてしまう、ということは
 確かにあるのだろう。
 私自身も、自分の書き言葉が慇懃無礼に思えて、困惑することがある。
 その点、正岡豊さんの文体は、かなり鋭い内容なのに、きつい印象が
 残らない。ネットワーカーとしての年季がつくりあげた文体なのだろう。


[18] 流行はどうでもよけれ古すだれ 郁乎 2000年10月11日 (水)

●やっと全社員に「サルティンバンコ2000」のチケットを配り終る。
 こんどは、韓国の放送局から研修に来る全さんという人のスケジュールを
 つくり、各局長にねまわしをしなければならない。

●満月さんが「あまのがわ」を送ってくださった。
 誌上で、拙著の『短歌の引力』を紹介してくださっている。感謝!
 吉岡禅寺洞の系譜をひく俳句雑誌に、自分の書いた本の紹介が
 載るなんて、二十年前には想像もできなかった。

・新茶かな覆面レスラー正座して/入江一月

・スーパーストロングマシン仮面の日々を生きたとえきれざる虚無であろうよ/藤原龍一郎

なぜか人恋しい秋の夜。これからまたRAW is WARのビデオを
見て、現実から逃避します。


[17] このひととすることもなき秋の暮 2000年10月11日 (水)

●昨日は疲れることの多い一日。
 出社したらすぐ、館内清掃を委託している会社の所長が待っていて
 一昨日、役員室の床の消毒をしたら、二つの部屋の絨毯のへりが
 まくれあがってしまった、とのおわびの報告。
 そのままにしておくわけにもいかないので、すぐに上司に報告し、
 善後策を練る。
 結局、大家さんにあたるフジテレビの施設管理部の担当部長に
 現場を確認してもらったあと、絨毯張替え等の手配をする。

●夕方になると、24階の打ち合せコーナーにおいてある大理石風の
 石のテーブルの足が折れた、との知らせ。
 急いで行ってみると、ぶ厚い石の脚部が本当に折れている。
 男三人がかりで、50キロくらいある石の天板を動かし、
 脚部も奥に動かして、とり急ぎ、ソファのみで打ち合せは
 できるように処置する。
 折れた脚部は、アロンアルファみたいなもので接着を試みよう
 ということになる。

●家に帰ると、ある同世代の歌人から葉書が来ている。
 この人は最近、歌集を出したのだが、結社の主宰に事前の報告を
 していなかったのだか、許可を受けていなかったのだかで、
 いきなり「破門状」が来たのだという。
 「破門状」なるものが存在する世界に私もまた生きているのか!
 こういうのは、まったくの他人であれば、笑い話ですませられる
 けれど、けっこう親しい人に起こると、ショックを受ける。
 まあ、彼にとっては、これで結社をはなれるのは、良い事に
 なるのだろうが。

●塩谷風月さんの、「声の同人誌」のMLに入れていただいた。
 なんとメンバーに北村秋子さんがいる。奇縁!
 北村秋子さんは詩人で、彼女の作品は10年以上前から愛読している。
 詩集をつくる時も、多少、お手伝いをしたこともある。
 なかはられいこさんが、日記に人と人との縁の不思議を書いていたが
 ネットワークが発達することによって、まだまだ、こういう縁の
 リンクはひろがって行くのだろう。ミッシング・リンクもつながる
 かもしれない。

●夜は内田勉君がダビングしてくれたWWFの「RAW is WAR」の
 ビデオを見て、そのあと松本清張の初期の短編「張込み」を読んで
 眠ってしまう。


[16] 今週は歌集を読もう 2000年10月10日 (火)

●十月にはいったら、また、歌集がどっと届き始めた。
 おおくりいただいたみなさま、ありがとうございます。

中野昭子歌集『草の海』柊書房 2500円
山口倶生子歌集『老蜂』砂子屋書房 2500円
中野れい子歌集『空はインジゴ』角川書店 2700円
伊藤理恵子歌集『きつとあるから』柊書房 2500円
伊東ふみ子歌集『ガリラヤの湖』砂子屋書房 3000円
大河原惇行歌集『春影』短歌新聞社 2500円
前川斎子歌集『斎庭』柊書房 3000円
大松達知歌集『フリカティブ』柊書房 2500円
河野裕子歌集『家』短歌研究社 3000円
本田一弘歌集『銀の鶴』雁書館 2800円

●すべて、定価にプラスして消費税5パーセントが加わる。
 私はこれらの歌集を頂戴したわけだが、仮に全部、自腹で買えと
 いうことになったら、つらいと思う。
 すでに三千円台になり始めているのも、今後の歌集の値段のことを
 考えると不気味である。

●上記の歌集には自費出版のものも、出版社の企画のものもあるのだろうが
 自費出版のものは、実際にどれだけ、この値段で売買されているのだ
 ろうか。
 結社内や知り合いに買ってもらうにしても、もう少し安い値段でないと
 買ってほしいと頼みにくいし、頼まれた方も買いにくい。
 歌集の値段の問題は、一度、出版社側と著者とがきちんと話し合う
 べき問題ではないだろうか。

●そして縁あって、いただいた以上、私はこれらの歌集を必ず
 読ませていただきます。


[15] 川田が健介に勝った夜 2000年10月09日 (月)

●というわけで、昨日は「短歌人」北海道歌会で釧路にいたので
 日記を休んでしまいました。
 釧路は実は二度目だつたんですが、前の時は帯広での葬儀に出席する
 ために、一晩泊まっただけのトランシット状態なので、まあ、初めて
 といっても良いくらい。

●幣舞橋とか旧釧路新聞社跡とか芸者小奴のいた料亭跡とか
 石川啄木所縁の地は、くまなく見学してきました。

●歌会のあとの懇親会は和嶋忠治氏の歌集『月光街』と
 阿部久美さんの歌集『弛緩そして緊張』の出版祝いも兼ねていたので
 なかなか楽しい会になりました。
 ここで村上きわみさんにお会いできたのも収穫。
 さまざまな人間のネットワークがひろがって行くのも楽しみです。

●釧路歌会をはさんで、飛行場の待合室や飛行中に読んだ本。
 ★梶研吾著『修羅々』講談社X文庫
 劇画作家の梶研吾さんの初めての長編小説。
 ヒロイン修羅々は女性のアスリート。復讐ものだが、アクションと 
 ヴィジュアル的な展開がウルフガイを思わせる。
 ★谷沢永一著『紙つぶて 完全版』PHP文庫
 しばらく時評的な文章を書いていなかったのだが、来年から、また
 少し時評を書くことになりそうなので、この名人の文章で勉強する。
 やはり時評の根本は実は品格ある文章なのだな、と思う。


[14] 釧路は雪予報 2000年10月07日 (土)

●昨日、実は会社の帰りに八重洲ブックセンターに行った。
 一階のおなじみの詩歌コーナー。
 小倉一郎の句集、中曽根康弘の句集、そしてアントニオ猪木の詩集。
 もちろん、田村隆一の全詩集、近藤芳美集、『短歌という爆弾』、
 『てのりクジラ』、『OVER DRIVE』『解雇告ぐる日』、
 佐佐木幸綱の世界などなど、百花繚乱でありました。

●買ったのは「詩学」十月号と木島始を中心とした四行連詩集の
 『近づく湧く泉』(土曜美術社出版販売・2800円+税)
 「詩学」にも木島始の「四行連詩の可能性」という文章が
 載っている。

●今日はこれから二時羽田空港発のANAで釧路へ行く。
 「短歌人」北海道集会で、和嶋忠治歌集『月光街』と
 阿部久美歌集『弛緩そして緊張』のお祝いの会もかねている。
 帰京は明後日の午後の予定、ということで、明日は日記を
 お休みします。


[13] 地震があった昼下がり 2000年10月06日 (金)

●地震、うちの会社のビルはすごくゆれました。
 私はサルティンバンコ2000のチケツトを社員配布用に
 セクション別に仕分けしてたんです。
 そしたら、急にブラインドの紐がゆれて、眩暈がしたみたいな
 イヤな気分になったんです。
 一瞬、地震というより、自分が立ち眩みをおこしたのかと思ったほど。
 部屋を出たら、みんな、地震だと騒いでいたし、テリー伊藤の番組も
 すぐに、地震情報を入れ始めたので、地震だったのだ、と納得した
 しだいです。
 震源地の感じから行くと、「短歌人」の倉益敬さん、松原一成さんの
 実家、「短歌21世紀」の木戸京子さん、俳人の千野帽子さんたちの
 あたりは被害があったもようで、心配です。

●今日は小島ゆかり歌集『希望』と大滝和子歌集『人類のヴァイオリン』を
 くらべて、実は私は大滝和子の歌が心に響かない、ということを
 告白しようと思ったのですが、地震以来、気持ちが乱れているので
 その件は、また日をあらためて書きます。

●明日、明後日と釧路に行きます。釧路は雪の予報だそうです。


[12] コンコースで叫ぶ男 2000年10月06日 (金)

●昨夜は辰巳泰子さんの「月鞠」に載せる「朗読体験記」を書いて
 メールで送信してから、坪内祐三の『古くさいぞ私は』を読みつつ
 眠ってしまった。坪内という人は若い植草甚一というイメージか。
 もっとも、この本が晶文社の本なので、本人もそういう意識があった
 のだろう。
 朗読の今後の方法論ということを考えていたら、やはり正岡豊さん、
 「折口信夫の別荘日記」に下記のようなことが書いてあった。
 正岡さん、引用しました。事後承諾ですが。

◇塩谷風月さんの「声の同人誌」というのに参加している。
 朗読その他をCDRで焼く、CD同人誌の単発企画である。
 いろいろ考えて、荻原裕幸の第三第四歌集を、早朝の京都駅ビルコンコース
 上のエントランスホールを中心に、そこいらの残響空間をバックに、
 ウォークマンプラスミニマイクで読んで録る、というのにしようと思う。
 塩谷さんが版権取ってくださいというのでおぎーにメールしたらOKを
 いただいた。タイトルは「21世紀の狐」でどうでしょう。

●こういうことを考えよう、というのが私の朗読に対する思い。
 作者の持ち味だけに頼っていたら、一回目はともかく二回目以降は
 確実に飽きてしまう。
 芝居がかって読むのなら、たとえば小劇団の連中など、まがりなりにも
 プロで客前にたっている人達には技術力ではかなわない。
 自分が作品(自作とは限らない)をどのように聞き手に伝えたいのか
 もっと想像力を働かせるべきだと、私はおおいに自戒している。

 ところで京都駅のエントランス・ホールというのはガメラが破壊した
 場所ですか?


[11] あなたがわたしにくれたもの 2000年10月05日 (木)

★今日、私が会社の帰りに豊洲図書館で借りた本。

坪内祐三『古くさいぞ私は』晶文社
「新潮」七月号  杉山正樹「寺山修司・遊戯の人」掲載号

★明日、会社でしなければならないこと。

・サルティンバンコ2000のチケットを全社員に一人二枚ずつ配る。
・家賃やら共益費やら駐車場使用料やらのフジテレビ宛の出金伝票をきる。
・今週、自分が使った業務時立替交通費伝票をきる。
・こわれた内線電話を直す、といっても私が直すわけではなく
 業者さんに依頼して、修理されたことを確認するだけだけれど。

★今日の加藤郁乎の俳句

牡丹ていっくに蕪村ずること二三片
けさは胡沙ったられん香にナジャらむ
ペスト氏との一夜妻とて浪聲し俳節す
虹りゆく朝半宵丁にセザンヌるかな
サバトしぐれてせんち牧しまむ三界かな  『牧歌メロン』より

こういう作品を朗読するという手はありそうだ。


[10] 「歌集を文庫化しよう!」草の根運動 2000年10月05日 (木)

正岡豊さんが、林あまり歌集『ベッドサイド』が新潮文庫に入ったことに
からめて、せめて、穂村弘さんの『シンジケート』くらい文庫化されない
ものか、と書いていたが、まったく同感。

筑摩書房は「現代短歌全集」を学術文庫でもいいから文庫化すべき。
坪内祐三に監修してもらおう。森まゆみ、いや、ちゃんと短歌にも
くわしい関川夏央がいちばんいいかな。業田良家も詳しいよね。
アンソロジーも、もっともっとつくって欲しいものです。


[9] 米田利昭と少女のヌード 2000年10月04日 (水)

「綱手」の話の続きになるが、四月に亡くなった米田利昭さんの
未亡人の米田幸子さんが、「米田利昭という人」という回想記を
八月号、十月号と2回にわたって載せている。
八月号では、米田氏が入院前に執筆途中だった原稿用紙の束を
整理していたら、下の方から少女のヌード写真が落ちてきた、という
エピソードが紹介されている。
まだ、入院中だった米田氏に幸子夫人がそのことを告げると
「執筆に疲れた頭を休めるのに見ているんだ」と顔を赤くしながら
答えたそうだ。
実は幸子夫人も、高校教師時代の米田氏の教え子ということで
やはり、少女好きというポイントは生涯かわらなかったようだ。

米田利昭氏の本は『松倉米吉』『土屋文明』『渡辺直己の生涯と芸術』
『土屋文明と徳田白楊』等など、けっこう読んでいる。
これらの著作も、さまざまな美少女の裸身で頭を休めつつ執筆されたのかと
思えば、また、読みなおそうかなという気になってくる。


[8] 原阿佐緒の声 2000年10月04日 (水)

「綱手」十月号に、三ケ島葭子の娘さんにあたる倉片みなみさんが
「三ケ島葭子諸注--娘として思い出すままに」という文章が載っている。
その中に
 「彼女(原阿佐緒)の声はハスキーで、しかも東北なまりが
 かなり強かった」
という一節があり、ああ、そりゃ、そうだろうな、と思った。
原阿佐緒といえば美人というイメージがあり、目にすることのできる写真も
かなり、おしゃれなものなので、ついつい声までは想像しなかった
のだけれど、馬にのって女学校にかよったというほどの山深い場所に
生まれ育ったのだから、東北なまりがあるのは当然だろう。
茂吉の顔は東北なまりを連想させるが、阿佐緒の顔からはなかなか
東北なまりはイメージしない。
実際の声を聞いてみたかった気がする。

さて、「綱手」は田井安曇という人の目配りがすみずみまで
ゆきとどいた、素晴らしい雑誌なのだが、今月も編集後記にあたる
「綱手通信」にこんなことが書いてある。

「「綱手」の広告欄に『近藤芳美集』十冊のそれがかなり永く出ている。
 予約制の出版なので分冊はないのであろうが、数人で買い、分けて
 持ち合う等の方法もあろう。書店に聞けば今からでも計らってくれよう」

なんか、胸にじーんとくる文章である。会員の短歌への意識向上に
役立つことを、このように親身になって考えてくれる主宰者というのは
まことに珍しい。良い意味での根っからの教育者なのだなあ、と思う。

私が毎月、待ち望んで読む雑誌は、この「綱手」と石田比呂志氏主宰の
「牙」。どちらも「未来」からわかれた雑誌である。


[7] ちょっとお知らせ 2000年10月04日 (水)

●ええ、勉強会のお知らせです。
 「未来」に所属の田中槐さんが企画されているシンポジウムです。

<<連続公開ミニシンポジウム>>

『現代詩としての短歌』をテクストに現代短歌の諸問題を考える

第2回 11月28日(火)18:30〜20:30
    現代短歌における<私性>の問題とその周辺

ゲスト 小澤實
パネラー 岡井隆、石井辰彦、藤原龍一郎、佐伯裕子、大井学(敬称略)
***会場 中野サンプラザ研修室5
***会費 2000円

 なお、3回目は現代短歌における<引用>の問題とその周辺とりあげる予定です。
岡井隆、石井辰彦の両氏は三回を通してパネラーとして参加します。また、来年の春
には朗読会も企画しております。

●と、いうことで、東京近郊の方の参加を心よりお待ちしています。


[6] 「六本木心中」を再読した夜 2000年10月04日 (水)

昨夜、寝る前に読んだ本
笹沢佐保『六本木心中』角川文庫
短編集で表題作品の他に「純愛碑」「向島心中」「鏡のない部屋」
「銀座心中」の五作を収録。角川での初版は一九七一年。
もと「宝石」の編集長だった大坪直行が笹沢佐保のデビュー時の経緯を
かなりくわしく書いている解説が読み応えがある。
「六本木心中」自体は一九六二年に「小説中央公論」初出。
この小説自体は大学時代に読んで、せつない青春小説だったとの印象が
残っていたのだが、現在の時点で再読してみると、ちょっとストーリー
は、ご都合主義だし、文章も荒っぽい感じがして、こんなものだったかなあ
との印象だった。先日、河野典生の『陽光の下若者は死ぬ』を再読した時も
同じような印象を受けた。
こちらの感性が変わったと同時に一九六〇年代の風俗がついに風化し始めた
ということなのだろうか。ちょっとさびしいが。
とはいえ、ブックオフなどで、この頃の小説をみつけると、ついつい買って
しまうワタクシではあるが。


[5] 豆乳を85円で飲みました 2000年10月03日 (火)

今日、会社で使ったお金、ヤクルトの豆乳、85円。
ということで、月初めの総務部は前月の伝票の締めで
やたらに忙しい。
と、いっても私は少しだけ、自分の伝票をきることと
あとは、あがってくる伝票の副部長という欄に印鑑を
捺すだけなのですが。

午前中はずっと捺印作業。
昼食は計画どおり、社員食堂で、IDカードを使いジャーマンカレーなる
ものを食べる。放送局の社員食堂が他の会社のそれとちがうのは、時々、
有名アナウンサーやタレントが食事をしていること。
今日はホンジャマカの石塚君がハンバーグを食べてました。

午後、なぜか一橋大学の女子学生のYさんが「歌人の社会学」という卒論を
書くということで面会。何歳の頃から短歌をつくりはじめたのか?とか
「短歌人」という集団をどう思うか?とか質問される。
一時間ほど話をしていると、突然、背後から、聞いたことのある声!
ふりむくと、何と絶叫歌人・福島泰樹さんではないか。
福島さんは、人生相談の回答者として2ヶ月に一度くらい、来社し
録音をとっているのだが、今日がその録音日だったのだ。

Yさんが帰り、福島さんと短歌の朗読ブームのことなど話す。
先日の「詩のボクシング」での
福島泰樹、立松和平組VS楠かつのり、巻上公平組を観戦したことを話す。
「まさか、負けるとは思わなかった」と福島さん。
うーん、勝ち負けにこだわってたんですね。
ということで、年末に福島泰樹朗読賞というイベントがおこなわれる
ことになるそうです。この件は詳細がわかり次第、発表します。

録音の時間になり、スタジオに入った福島さんとわかれて、
再び伝票へ捺印行為。
タクシーチケツトがタクシー会社からぜんぜん届けられていないので
各社の経理部に電話して、おいそがしいところ恐縮ですが、
今日中に金額だけでも知らせてほしいのですが、と慇懃無礼に頼む。
このチケットは請求書とともにわが社へもどしてもらうのだが、
「遅くなるようなら、こちらから取りにうかがいますよ」と言うと
だいたい、「いえ、すぐ、お届けします」とタクシー会社は言いますね。
と、いうことで、最後のチケットが届いたのが夜の七時半頃。
それで、今が九時過ぎかな。長男が録音しておいてくれた
「伊集院光のアップス」を聞きながら、これを書いてます。


[4] 今日は節約の火曜日 2000年10月03日 (火)

と、いうわけで、昨日の大散在の結果、今日の目標は、会社で現金を
一円もつかわないこと。昼食も社員食堂でIDカードで食べる。

この日記は一日に何度も書きますので、昨日、読んでいただいた
123人のみなさま、今日もよろしくです。


[3] 今日は二度目・大散財! 2000年10月02日 (月)

社屋の中に流水書房という本屋がテナントとして入っている。
ここのメリットは、現金で購入の場合、一割引にしてくれること。
割引販売にしても、週刊誌は番組単位で購入するから、かなりの量に
なるだろうし、読書好きの人はここで店頭購入または注文するから
けっこうな商売にはなっていると思う。
それで、九月の初めにちょっと気が、大きくなっていたので
沖積社の『加藤郁乎俳句集成』と国書刊行会の『野坂昭如コレクション』を
予約注文していたのだが、今日、社員食堂で昼食をおえたあとで
立ち寄ったら、なんと二冊が同時に届いていた。
加藤郁乎が定価二万円、野坂昭如が三千円。いきなり二万三千円の書籍代
とは、大散財!
これに消費税がプラスされ、一割引になって、払ったのは21735円。
ウーン、これは月初めから大打撃。
「藤原さんみたいに、高い本をお買いになると、一割引でも大きい
 ですよね。この三千円の方が、ほとんど、ただになるようなもの
 ですもんね」
と、店主は愛想を言ったつもりのようだが、それは本屋の言い分でしょ。

ということで、これは真剣に読まないと、と決心する。

『加藤郁乎集成』は筑紫磐井氏が
「カトーイクヤのいとも豪華なる時祷書」という解説を書いている。
 「俳句集成における解説として指名を受けた以上、読者の期待とは
  大きく異なるかもしれないが、私なりの詩学に従って郁乎を書き
  切ってみたいと思う」といきなり決意表明しているので、大丈夫
 なのかな、と心配したのだが、さすがに筑紫磐井なるギミックを名
 乗る書き手の真髄をみせて、絡めてから加藤郁乎世界に挑み、集成
 の解説として恥じない内容を読ませてくれている。
 この本の値打ちは仁平勝ではなく筑紫磐井が解説に指名されたという
 部分にありそうだ。
 加藤郁乎の俳句を初めて読んだのは一九七二年頃だが、あらためて
 拾い読みしていても、脳の底から当時受けた衝撃の疼きが甦ってくる
 気がする。
 
 手に落つるロゴスの瀬戸の夕ひばり

 この『球体感覚』の一句だけをとってもさまざまな思いはつきない。
 あとは、また明日以降に書ければ書いてみたい。


[2] 小島熱子歌集『春の卵』を読んでみた 2000年10月02日 (月)

小島熱子さんの処女歌集『春の卵』(短歌研究社・2500円+税)を読んだ。
先々週くらいに、送っていただいていたのだけれど、まとめて読もうと思って
しばらく置いておいたら、金曜日の短歌研究三賞の授賞式で、尾崎左永子氏と
一緒にいるご本人に会ってしまった。
「運河」の新人ということで期待できるかただと思う。もともとは、尾崎氏の
源氏を読む会に参加されていた方だそうだが、知的な抒情が持ち味で、
「運河」入会三年足らずで、運河賞を受賞されている。

作品紹介
・あらかじめわが葬の花葬の楽決むるといふもさびしき傲り
・蜜入りの林檎とオリオン星座あり座標軸にはたのめなきわれ
・健やかなる猥雑の相マンションにあまたの朝のふとん干さるる
・「わたくし」と言ひしをみなの美しき「く」のひびきこころに残りて帰る
・相続税はなす女ら当然の前提として夫の死をいふ
・あたたかき秋日に背(そびら)包まれて平安といふかかるさびしさ
・そしてまた五本の指をひろげれば包まれてゐた夕陽が逃げる
・頬の翳濃きヴィヴィアン・リーのポスターのかの日氷雨に濡れてゐたりき
・なにかノルマこなすごとくに人逝きて身めぐり寒く今年暮れんか
・ピアニストの横にて楽譜繰る人をみんな観てゐて誰も観てない

文語に突然、口語を入れる技巧もイヤミになっていないし、言葉を
あやつる技術力、つまり言葉同士のエネルギーのバランスを計量する
感覚にすぐれた人だと思う。
あとがきに、「民間放送局で番組制作に携わっていた」とあるので
私としては親近感もある。テレビなのかラジオなのか、聞いてみたい。
放送局関係者では、小島ゆかりさんが居るし、「塔」の富樫堅太郎氏や
確か、「心の花」の奧田亡羊氏もそうだったと思うが、放送現場の言葉
への感覚は活字マスコミとはまた異なった感受性が必要となるので、
小島熱子さんには、今後もこの歌集を越える活躍をしてほしい。

短歌研究社 ?03―3944―4822(文責・藤原龍一郎)


[1] 10月1日では遅すぎる 2000年10月01日 (日)

I have the three I's,Intensity,Integrity and Intelligence!
It's true! It's true! It's true!

というわけで、いきなり英語で始めてみました。
日記ですけど、たぶん、書かない日もあると思います。
基本的には、短歌と関係ないことを、いろいろと書いてみようと
思っているんですが、まあ、さほど面白くないかもしれません。

ところで「短歌発言スペース 抒情が目にしみる」の方で出題した
ミステリのタイトル当てクイズ
「タイトルにアルファベット、数字、漢字、カタカナ、ひらがなの
 すべてが使われているミステリは何?」
●答
 ハヤカワミステリの『OSS117号スパイ学校へ行く』
 
 ただし、これは私がワセダミステリに在籍していた一九七〇年代前半の
 クイズなので、すでに、現在は別の答がいくつもあるかもしれませんが。

こういうカルトQみたいな雑知識をたくさん持っているのが自慢だった
過ぎ去りし日々でした。
ワセダミステリでいちばん、こういうのが得意だったのは、現在、
北村薫になってしまったM先輩でした。折原一さんも、やたらに
こまかいことを知っていましたね。この人は一年先輩。
あと後輩になるのですが、推理作家協会賞をとった長谷部史親こと
T君と新保博久こと新保博久。
私と同期の一九七二年入学組からは、作家は出てないんですが、
翻訳家の柿沼瑛子が出ました。去年、瀬戸川猛資さんのお葬式で
会ったら、「眠り姫」のシリーズで巨額の印税が入ったと言って
ました。

まあ、日記というより雑談って感じで行きます。
いちおう、記録として、今日、古本屋で買った本。

海音寺潮五郎『蒙古来たる』上巻 100円 角川文庫
             下巻 170円
池波正太郎『天城峠』      200円 集英社文庫

海音寺潮五郎は上巻と下巻の値段がちがうのは別の古本屋で買ったから。
池波正太郎の方は現代小説の短編集、昭和三十年時代前半に「大衆文芸」
とか「面白倶楽部」に発表したもので、一九九五年の時点で、単行本に
未収録のものを、集めた作品集。

今日読んでおもしろかった文章。
正岡豊さんの「天象俳句館」に新規にアップされた
「田村隆一に関するシンポジウム」のレポート。感心しつつ笑える。